日本は津波による大きな被害をうけるだろう UFOアガルタのシャンバラ 

コンタクティやチャネラーの情報を集めています。森羅万象も!UFOは、人類の歴史が始まって以来、最も重要な現象といわれます。

確かに1955年、新井欣一が「日本空飛ぶ円盤研究会」を創設し、三島由紀夫や石原慎太郎らが加わって、日本最初のUFO研究が始まっている。(1)

 

『今を生き抜くための70年代オカルト』

前田亮一    光文社新書   2016/1/20

 

 

 

僕らの血肉となったオカルトの源泉

社会現象としてのオカルトブーム

・昭和オカルトブームの最初の衝撃となったのが、73年3月に出版された小松左京のSF大作『日本沈没』、それに続くように同年11月に出版された五島勉の『ノストラダムスの大予言』の爆発的な大ヒットだった。

 

あらためて、オカルトとは何だろう?

・日本で俗にオカルトと呼ばれているものは、世界的には「パラノーマル(超常現象)」といわれていると考えたほうがいいだろう。

 

・20世紀には、精神分析学の権威ユングが、そのようなオカルト思想を人間の内面で起こる現象として捉え、集合的無意識で読み解こうと試みている。そう考えると、1950年代にユングがUFO現象に古きオカルト思想の蘇生を感じ取り、遺作となる『空飛ぶ円盤』を著したのも頷けるのである。

 

ソーシャルメディア時代のオカルト

・ここで筆者のオカルトに対するスタンスを告白するなら、目に見えない世界は信じているけれど、他人の言説をそのまま信じたくない。どちらかというと、自分自身で検証したい。

 

オカルトブームが教えてくれること

・ここでさらにオカルト予想屋を気取らせてもらうなら、2020年東京オリンピックののち、日本をさらに過酷な不景気が襲うことになるだろう。いや、それ以前に大災害や原発のトラブルが起これば、致命的な状況に陥ることは免れない。

 

宇宙時代の空飛ぶ円盤

日本のオカルトブームの原体験

・もちろん、その当時、少年向け雑誌もこぞってオカルト特集を組んだ。たとえば、75年出版の中岡俊哉『空飛ぶ円盤と宇宙人』(小学館を見ると、今まで目撃された100種以上の円盤一覧、地球に来た宇宙人や彼らと交信するコンタクティが並び、さらにはUFOをテレパシーで呼び寄せる方法までが紹介されている。もはや、ここではUFOの存在は自明のことであった。超能力とも地続きになっていた当時のオカルト事情では、UFOは呼ぶことが出来るものであり、さらに見ることができるのは、選ばれし者の特権であった。

 

・70年代になって、日本のテレビメディアは約20年間の遅れを取り戻すかのように、膨大なUFO情報を視聴者たちに浴びせるように報じていくことになる。そこでは、50年代にソ連の秘密兵器ではないかという疑いから巻き起こった全米規模のUFO騒動と、『コンドン報告』以降、宇宙人肯定派が展開した陰謀論的なUFO神話がごちゃ混ぜとなって、どっと押し寄せることになったのである。

 

・もはや、ここではUFOの存在は自明のことであった。超能力とも地続きになっていた当時のオカルト事情では、UFOは呼ぶことが出来るものであり、さらに見ることができるのは、選ばれし者の特権であった。そういう意味では、宇宙人と交信できるコンタクティは、僕らの秘かな憧れの存在であったといえる。

 

50年代のアメリカUFOブーム

確かに1955年、新井欣一が「日本空飛ぶ円盤研究会」を創設し、三島由紀夫石原慎太郎らが加わって、日本最初のUFO研究が始まっている。また、もっと狂信的なUFO研究団体として「宇宙友好協会」(57年結成)というものもあった。しかし荒井は、戦中は日本陸軍航空隊でレーダー技師を務め、戦後は大蔵省(当時)に勤務するエリートで、研究会のメンバーをみれば、当時アメリカの最新のUFO情報を入手することができたのは、選ばれた人たちであったことがわかるだろう。

 

・1947年6月24日、アメリカでの最初の目撃例として、お馴染みのケネス・アーノルド事件が起こる。

 

・まさにそれがアメリカにおける社会現象としてのUFO騒動の始まりであり、メディアが「空飛ぶ円盤」という言葉を広めたことから、多くの人たちが空を眺め、そこに何か不思議な飛行物体を発見するようになるのだ。

 ちなみに、この6月24日は、いまでは「国際UFO記念日」となっている。

 

・そんなむず痒い状況に、元海兵隊員から航空ジャーナリストとなったドナルド・キーホーが一石を投じた。1950年、彼は『空飛ぶ円盤は実在する』を出版して、「空飛ぶ円盤は異星人の乗り物」であり、アメリカ政府はそのことを隠蔽しようとしていると書き立て、大反響を巻き起こすことになる。

 

・当初は空飛ぶ円盤という名称で広まった謎の飛行物体は、50年代初頭から、アメリカ空軍によって、「UFO(未確認飛行物体)」と呼ばれるようになっている。

 

コンタクティたちとUFO教

アメリカでUFO目撃が多発した50年代、宇宙人と直接会ったと主張するコンタクティと呼ばれる人たちが多数登場して、ますます事態を混乱させることになる。

 その代表というべきジョージ・アダムスキーは、53年にデズモンド・レスリーとの共著『空飛ぶ円盤実見記』(高文社/54年)を出版して、一躍有名になった。

 

アポロ計画以降、太陽系の他の惑星に人間と同じような宇宙人がいる可能性は否定されたため、アダムスキーの著作は、彼の信者以外には顧みられなくなっている。

 70年代には、ビリー・マイヤーが、スイスの田園風景をバックにカラーのUFO映像を多く撮影して、アダムスキーに次ぐコンタクティとして名を上げている。

 

・2003年にクローン人間を作ったと発表して話題となった「ラエリアン・ムーブメント」も、その教祖であるフランス人のクロード・ボリロン“ラエル”は、1973年に宇宙人と接触して、知恵を授けられたと称するコンタクティである。

総じてコンタクティを自称する人たちは、高次の存在としての宇宙人たちと接触したとして、“UFO教”とでもいうべきカルト的な世界を作り上げてきた。そのことが、UFOが怪しいものであるという印象を与える一因となってきたのだろう。

 

現代の神話としてのUFO

ところで、日本でも、1972年に不思議なUFO事件が起こっている。高知県介良村で高さ約10センチ、直径20センチほどの銀色のミニUFOが、光を放って浮いているのが目撃された。数日後、同じものを道で見つけて捕獲を試みるが何度も逃げられ、それでも中学生9人、大人2人がその実物を確認した。事件後すぐに地元のUFO研究家が記録を残し、原寸の再現模型も作られたが、いま振り返ってもまったく説明のつかない謎の事件とされている。

 

また江戸時代後期の享和3年(1803年)、常陸国茨城県)の海岸に「うつろ舟」と呼ばれる円盤に似た乗り物が漂着し、その中から箱を持った謎の美女が現れたという記録がある当時のかわら版に絵入りのものが残っており、ここでは、UFOがフォークロア(民間伝承)であるような印象を与えている。

 

デニケンの古代宇宙人飛来説

・そんな僕らが抱く古代文明への疑問を宇宙人と結びつけて、一挙に解決してしまおうとしたのが、エーリッヒ・フォン・デニケンであった。彼は、もともとスイスでホテルの支配人を務めていたが、アマチュア古代文明研究が高じて、1968年に『未来の記憶』早川書房、のちに角川文庫/69年)という本を出版して、世界的なベストセラーとなった。彼はその中で、古代に宇宙人が訪れ、人類に文明を授けたと主張したのだ。

 彼の素晴らしさは、その仮説が正しいかどうかよりも、古代文明といえばエジプトのピラミッドくらいしか知らなかった僕らに、世界中にある様々な古代文明の情報をもたらしてくれたことにあった。デニケンのお蔭で、あらゆる古代文明が、宇宙人存在の物証として再発見され、オカルティックな輝きに満ちたものになったのだ。

 

・デニケンの『未来の記憶』をあらためて読むと、確かに突っ込みどころ満載であるが、冒頭の「この本を書くには勇気が要った」という言葉から彼の自信が感じられ、好感が持てる。科学者や考古学の保守的な態度に対して攻撃的な姿勢を貫くのは、アマチュアならではだが、そこがまた面白い。

 

青森県亀ヶ岡遺跡から出土した遮光器土偶は、宇宙服を着た宇宙人以外のなんであろうかという。

 

・それでも、古代文明の中に宇宙人や宇宙船を探すのは、子供にでもわかる明解さをもっていたのは確かだ。だからこそ、デニケンが世界的に広く受け入れられたともいえる。デニケンの著作シリーズは、世界の32カ国語で累計6300万部ものセールスを記録しているという。

 その後もデニケンの人気は衰えず、2003年には彼の著作をもとにしたテーマパーク「Jungfrau Park」がスイスのインターラーケンに作られている。

 

米軍UFO調査資料から生まれた映画『未知との遭遇

・1966年、ヒル夫妻事件は、ジョン・フラーの著書『宇宙誘拐 消された時間』(角川文庫/82年)がベストセラーとなることで、世界的に有名になった。この事件は、それまでのUFO目撃事件とはまったく異なる、宇宙人によるアブダクション(誘拐)という「第三種接近遭遇」の貴重な実例であった。また、ヒル夫妻を誘拐したとされる宇宙人の外見は、小柄でのっぺりとしたグレイ・タイプといわれるヒューマノイドに似ており、70年代後半から急増する宇宙人によるアブダクションの原型となり得るものであった。

 

UFO陰謀論としてのロズウェル事件

・87年には、機密文書MJ-12(マジェスティックトゥエルブ)がアメリカのTVプロデューサーのもとに匿名で届けられ、ネバダ州の米軍基地エリア51では、米軍が極秘のUFO研究をしているのではないかといわれるようになる。

 

・そんな陰謀論的なUFOストーリーは、UFOの事件をマスメディアが大々的に報じていた70年代より、その存在がメディアに疑問視されるようになった80年代にこそ、秘かに人々の心をつかんでいく。日本を代表するUFOディレクターである矢追純一が、長年勤めた日本テレビから独立するのが86年。その後、矢追はロズウェル事件やMJ-12についての陰謀論的なUFOストーリーは、ハマった人には抜けられない独特の魅力を持って、多くのオカルトファンを酔わせてきたのだ。

 それでも宇宙人は実在する。

 

ネット時代のUFO神話

・さて、『未知との遭遇』に登場するグレイタイプに替わって、宇宙人肯定派に近年、人気が高いのが爬虫類型異星人レプティリアンである。その提唱者であるデーヴィッド・アイクは、1952年イギリス生まれ、プロのサッカー選手を経てスポーツキャスターとなり、一時は「緑の党」に入党してスポークスマンを務めるなど、一貫して目立った存在であった。

 彼がオカルティックな世界の伝道者となるのは、90年にスピリチュアルなものとの出合いを経て、91年にはペルーのシリスタニ遺跡を訪ねたときに、大きな霊感を受けたことからという。99年には著書『大いなる秘密』で、人類が爬虫類型異星人レプティリアンに支配されていると公表することになる。そこでは有史以前に、火星を経て地球に移住してきた彼らが、奴隷にする目的で人類を生み出し、現在も低層4次元(=アストラル界)という非物質的領域から僕らを捜査していると主張している。

 

・アイクによるレプティリアンのストーリーは、非常に奇想天外なものであるが、ネット上に散乱する「イルミナティ」や「新世界秩序(ニューワールドオーダー=NWO)」といった陰謀論を飲み込んで、一部の熱狂的な支持者を生み出している。大田俊寛はアイクのレプティリアンについて『現代オカルトの根源』(ちくま新書/13年)で、デニケンの古代宇宙人飛来説とアトランティス大陸伝説が接ぎ木され、ナチスユダヤ人迫害の根拠としたといわれる偽書『シオン賢者の議定書』の逆説的な解釈で、被害妄想的な負のエネルギーを結晶化させていると評している。

 

・世界の有名人や政治家が次々にレプティリアンに操られていると指摘していく単調さには、閉口する人々も多いが、その奇想の飛躍こそが、閉塞感漂う日常に疲れた人々の妄想の捌け口となっているのだろう。

 

ナチスとUFO

・ここでもうひとつ、ネット時代に蘇った疑惑に、ナチスによるUFO製造がある。もともと日本では、1980年出版の落合信彦『20世紀の最期の真実』(集英社によって、その疑惑が広く知られるようになった。落合は南米チリに、ナチス残党の秘密基地といわれるエスタンジアを目指し、その過程で出会ったウィルヘルム・フリードリッヒから、ナチスのUFO開発についての衝撃の事実を聞いている。

 

・佐藤は南米チリに赴き、落合が訪ねたエスタンジアといわれる場所は、ドイツ系カルトコミュニティ「コロニア・ディグニダッド」であったろうと指摘している。もちろん、そこでナチス残党がUFOを製造しているかもしれないという話を大きく取り上げたのは、落合の読者サービスだろう。

 

・一方、UFOディレクターの矢追純一は、94年に『ナチスがUFOを造っていた』というUFO特番を日本テレビ系で放送しており、同タイトルの著作が同年に河出書房新社から出版されている。その中で、ナチスのUFO製造の秘密をエルンスト・ズンデルなる人物から聞いているが、このズンデルは実のところ、落合が会ったウィルヘルム・フリードリッヒと同一人物である。矢追も著作の中でそのことを認めている。

 ズンデルは、ナチスのUFO製造をネタにして、UFO信奉者たちを勧誘するナオナチ活動家として世界的に知られている要注意人物であった。彼によって、ハウニブ型やヴリル型といった数々のナチス製UFOの図面や写真が公開されているが、その真偽はご想像のとおりである

 

ところで、欧米における戦後のオカルトブームを大きくけん引したのは、1960年にフランスで出版されたルイ・ポーウェルとジャック・ベルジュの共著『魔術師の朝』(抄訳『神秘学大全』、サイマル出版会のちに学研M文庫/75年)といわれている

 63年には英訳が出版され、世界的なベストセラーとなるが、当時、この本がセンセーショナルであったのは、ナチスがオカルト集団であったことを正面から扱ったからであった。

 

4次元ですべての怪奇現象を解明できる

・物理学における4次元は、アインシュタイン相対性理論に登場するものであった。そこでは、重力とは空間の歪みであり、空間の穴であるブラックホールから吸い込まれたものは別の宇宙に存在するホワイトホールから放出されるとも説明された。

 

ロックとサタニズム

・歴史を顧みるなら、現代においてサタニズムを復活させたのは、アレイスター・クロウリーである。1875年生まれのクロウリーは、若い頃から神秘主義思想に傾倒し、世界各国を遍歴したのち、霊的存在の声を聞いたと主張して、その奥義をもとに結社を作った。1920年には黒ミサの儀式に使った猫の血液から感染症になった信者を死亡させるなど、まさに悪魔的な無謀さで世間を騒がせ続けた。

 その流れは70年代、『サタニズム・バイブル』を著したアントン・レヴェイに継承されていった。現代のサタニズムは、神秘主義にエロティックな儀式を融合して、魔術的な世界を復活させたもので、性の解放やヒッピーカルチャーにつながっていたのだ。ロックの黎明期を支えたビートルズやローリング・ストーンでさえ、クロウリーの異端的な思想に影響されていたのだ。

 

・また、サタニズムの復活を目指したクロウリーのよく知られた功績に、魔術の道具としてのタロットカードを普及させたことがある。単なる占いの範疇を超え、タロットには神秘主義やオカルトの歴史が深く刻み込まれており、クロウリーは独自にそれを解き明かした。

 

・だが一方、アトランティスの霊的解釈は、第2次大戦期には、ナチス選民思想においても巧妙に利用されていった。つまり、アトランティス大陸の生き残りとしてその血統を継ぐとされたアーリア人とは、まさにゲルマン民族のことであるとみなされ、同時にユダヤ人が劣等人種として迫害されることにつながったのだ。

 

霊的進化の拠り所としての謎の大陸

ブラヴァツキー夫人はロシア出身で、19世紀の英国心霊主義スピリチュアリズム)の立役者というべき優れた霊媒ダニエル・ダグラス・ホームの助手を務めたことから霊感に目覚め、1875年、ヘンリー・オルコットとともに神智学協会を設立した。彼女は、霊視によって独自の霊的進化を唱え、その後の神秘主義ブームを支えることになる。そこでは、アトランティスは人間が霊性に目覚めて文明を立ち上げるための精神的な拠り所として重要視された。

 

 

大陸ブームの切り札「地球空洞説」

・そして、最後にはアトランティスの超古代人が地球内部で高度文明を築き、UFOを飛ばしているのではないかという驚愕の結論に達するのである。

 さらにここで、地球空洞説に熱を上げていたのはナチスであったという話も付け加えておきたい。

 実際ヒトラーは、1938年から幾度も探検隊を南極に派遣していた。当時、南極大陸はどこの国も支配していなかったので、先手を打って領有権を主張しようと乗り込んだといわれる。だが、その本当の目的は、地球内部への入口を探すことであったともいう。そんな衝撃的なナチスのオカルト計画をスクープすることで、欧米におけるオカルトブームの火付け役となったのが、第1章でも述べた『魔術師の朝』(60年)である。この本は、その後も長くオカルト情報の元ネタとなってきたのだ。

 

謎の大陸伝説は終わらない

・ハンコックのジャーナリストとしての説得力ある語り口で明らかとなる新仮説は、エジプトのピラミッドの配置はオリオン座の三ツ星と同じである。スフィンクスの建造年は雨による侵蝕からサハラが砂漠になる以前の約1万5000年前、さらにはマヤ暦からわかった2012年人類滅亡説など、それまでの大陸伝説を刷新する要素を持っていた。

 

ノストラダムスの大予言と人類滅亡

ノストラダムスの大予言』の衝撃

・『ノストラダムスの大予言』は、昭和オカルトブームにおけるビッグバンだった。

 その本が出版された1973年は、オイルショックにより戦後の高度経済成長において初めての経済危機に直面し、小松左京による9年がかりの大作『日本沈没』が爆発的にヒットしていた。日本の次は世界とばかりに、女性週刊誌のルポライターで小説家志望の五島勉が、辞書を片手に友人から借りた洋書のノストラダムス研究本を独自に解釈して仕上げたのが、『ノストラダムスの大予言』であったという

 

<世界の予言ブームと三大予言者

・一方、海外における予言ブームは、戦前からアメリカの社交界で活躍していたジーン・ディクソンがけん引役となった。

 彼女の名が世界に蠢くようになるのは、63年11月23日のケネディ大統領暗殺を予言していたと報じられたからで、65年発売の自伝的小説『水晶の中の未来』(早川書房/66年)はベストセラーとなった。ディクソンの予言は、水晶玉を見て未来を占うというスタイルで、テレビや映画に登場する予言者のステレオタイプ的なイメージになった。

 

・ところで、ジーン・ディクソンの予言は常に当たるとされていたために、外れた予言についてはあまり報道されなかったり、皆が忘れてしまうという不思議な現象が指摘されていた。そのような現象は、数学者ジョン・アレン・パウロスによって「ジーン・ディクソン効果」と呼ばれ、カリスマ性を持った予言者の場合、その信奉者たちが信じる予言に現実が合わせてしまうということが起こり得るとされた。そのような分析は、のちに予言のメカニズムの解明の研究に役立っている。

 

もうひとり、著名な予言者として忘れてならないのが、「眠れる予言者」として知られるエドガー・ケイシーである。

 1877年生まれのケイシーは、24歳のときに突然失語症となり、その治療のために催眠療法を受けた際に別人格が現れ、その治療法を語り出したことをきっかけに、ほかの人の身体の透視も行うようになっていった。その行為はリーディングと呼ばれ、現在では、1万4000件に及ぶリーディングの記録がエドガー・ケイシー研究啓蒙協会に保管されている。

 彼の予言者としてのデビューは46歳のとき、印刷業者アーサー・ラマースの勧めで、人類の未来についてもリーディングを行ったのだ。ケイシーは人類の発祥であるとされるアトランティスの時代にまで遡り、過去・現在・未来のすべての霊的な情報が詰まっているアカシック・レコードにアクセスすることで、個人ばかりか、人類の未来をも予言できるとした。

 彼はアトランティス大陸の再浮上や、ピラミッドに隠された文献の発見、日本列島の沈没などを予言していたが、残念ながら、それらはどれも当たらなかった

それでも、ケイシーのリーディングによる治療は、1945年の彼の死後に広く知られるようになり、同時に彼が説いたアトランティス伝説と輪廻転生をもとにした未来の予言は、独自の説得力を持って人々を魅了し、大いに人気を博した。

 

ノストラダムスとは何者か

ノストラダムスは、本名をミシェル・ド・ボートルダムといい、1503年にフランスのサン=レミ=プロヴァンスの商人の家に生まれた。モンペリエ大学医学部で学び、中世末期のペスト流行の時代にあって、その治療に尽力した。

 

・ペストで妻と子供を失ったノストラダムスは、再婚してサロン・ド・プロヴァンスに移り住み、1550年頃から、占星術をもとに毎年のように『暦(アルマナック)』を出版して、人気を得るようになる。それは庶民向けのカレンダーで、日付ごとに運勢占いや天候の予想、料理のレシピといった生活の知恵が書かれ、さらに月ごとに「予兆」として、四行詩による予言も綴られていた。そして、『暦』で名を上げたノストラダムスは、四行詩のスタイルを使って、2797年までの予言を記した1000編に及ぶ予言の執筆に取りかかるのだった。

 1555年には、占星術好きの王妃カトリーヌ・ド・メディシスからの宮廷への招きを受けるとともに、同年、それらの予言を収めた『百詩集』の初版を出版した。

 

世界のノストラダムスブーム

・生前から予言者として名を馳せたノストラダムスは、フランス革命やナポレオンの登場などで世の中が荒廃するたびに、その予言が当たったと評判になり、母国フランスで何度もブームとなった。もちろん、ノストラダムスの名声は早くからフランスの外にまで届いていたが、それが“予言”として読まれたのは、フランス特有のことであった。

 

1938年、フランスでマックス・ド・フォンブリュヌスが著したノストラダムスの『予言集』の注釈書が、第2次世界大戦勃発を指摘したことから話題となった。

 

日本の大予言ブームとオウム事件

・その中でも突出した個性を放っていたのはオウム真理教だった。

 それは、84年に麻原彰晃が開いたヨガ教室を前身とし、チベット密教をベースにした修行重視の仏教でありながら、教祖・麻原を最終解脱者のグルとして仰ぎ、神秘体験や超能力の獲得を重視したオカルト色の濃い、独特な宗教であった。その奇抜な活動が受けて、テレビのワイドショーにも出演して信者を増やしたが、一方で、信者には過酷な修行を課し、全財産をお布施して出家することを奨励するなど、教団と信者家族とのトラブルも多発した。そのことは、1989年11月7日に起こった坂本堤弁護士一家失踪事件につながる。坂本弁護士オウム真理教被害者の会の会長を務めており、のちに一家は教団に殺害されたことが判明する。

 

911と21世紀のノストラダムスブーム

このアメリカ同時多発テロ事件の直後から、ネット上ではノストラダムスについての検索が爆発的に盛んになった、その理由は、911が予言されていたのではないかと考えられたからだ。

 そこでは、1999年やアンゴルモアの大王が登場するおなじみの第10巻や大都市の破壊について言及した第6巻97番などが問題にされ、ネット上で曲解され、さらにノストラダムスの文体を真似て改変されて流布した。ノストラダムスはCNNや貿易センタービルやビン・ラディンを抑えて、グーグルで最も検索されたキーワードとなった。

 

911に始まる人類の新たな危機は、21世紀の予言ブームを呼び起こしたばかりか、超常現象の科学研究にもさらなる推進力を与えたのだった。

 

マヤの2012年人類滅亡説

・1987年、アグエイアスは『マヤン・ファクター』を出版して、2012年12月21日について言及した。彼は、紀元前3113年8月13日に始まる約5125年の大周期を、約394年からなる13のバクトゥン(14万4000日)という単位に区切っている。そして、その最後の13番目のバクトゥンの終わりが、2012年12月21日となることから、その日が人類が高度の精神的次元に上昇するときであると解釈したのだった

 

・確かに彼は、人類が滅亡するとは言っていないが、物質文明を中心とした現代社会が終焉を迎えるとするならば、いままでの人類にとっては滅亡であろう。アグエイアスの解釈については多くのマヤ学者から批判が寄せられたが、2009年にローランド・エメリッヒ監督による映画『2012』が公開され、世界的に大ヒットすると、アメリカ、南米、さらにロシアでも、世界規模で「2012年人類滅亡説」が社会現象として盛り上がることになった。

 

アセンションとは、1950年代にドイツの天文学者ポール・オットー・ヘッセらが唱えたフォトンベルト仮説に基づき、2012年にフォトン(光の粒子)の高エネルギー帯に太陽系が突入することによって、人類に精神的な進化や異星人との遭遇などという激変が訪れるというものであった。

 

 

 

<●●インターネット情報から●●>

 熊本地震直前にUFO出現 益城町の上空に「謎の発光体」

東スポWeb2016/ 4月23日 10時23分配信

 

正体はいったい!? 14日午後9時26分ごろ発生の震度7の前震を皮切りに、16日の本震を経ていまだ余震が続く熊本地震

その発生約2時間前に、震度7が2度観測された熊本・益城町の上空で「謎の発光体」が目撃・撮影されていたことが明らかになった。

震度7が起きた場所での発光体出現という不気味な現象について、専門家は正体不明の未確認発光物体という意味で、UFOの可能性を指摘した。

 

地震の前には、宏観異常現象があるといわれる。

地震の前に現れるという地震雲、太陽や月の異常、深海魚の大量浮上、クジラの大量座礁、ネズミの大量死、井戸水の水温上昇、

地鳴り、携帯電話の雑音やデータ通信の遮断など、科学的には関連性が証明されていない地震の前兆とされる現象のことだ。

 

発光現象や発光体が目撃されるのも宏観異常現象の一つだ。

断層がずれる際に発生する電磁波により、放電現象が起こり、柱状や円盤状の光が空中を走ることがあるという。

 

 

 

『予言のすべて』

(山内雅夫、竹本忠雄、ルネ・ブァン・ダール・ワタナベ、高橋徹高橋良典) (日本文芸社)(平成8年)

 

 

 

ゴグとマゴグ

・神の契約に従い「終わりの年」の初めにイスラエルを侵略するといわれる国家(マゴグ)と、その指導者(ゴグ)。

「人の子よ、メセクとトバルの大君であるマゴグの地ゴグに、あなたの顔を向け、これに対し預言して、謎の王なる神は、こう言われる。メセクとトバルの大君であるゴグよ、見よ、私は、あなたの敵となる・・・。ペルシャエチオピア、プテは彼らと共におり・・・ゴメルとその全ての軍隊など、多くの民もあなたと共におる」(エゼキエル書第38章)

メセクとトバルの大君と呼ばれたゴグの住む、マゴグ。約1900年前、ユダヤの有名な歴史家ヨセフスは、マゴクをコーカサス山脈の北に住むシシアンの地と見ていた。

シシアンとは、ギリシアヘロドトスなどによれば、黒海の東から北にかけて住む人々のことだという。

19世紀のヘブル言語学者ゲセニウスは、メセクがモスクの語源であり、また黒海沿岸のトバル(チベルニー族)とともに現代ロシア人の祖先であることを明らかにしている。

そこで聖書研究家の多くはマゴグをロシアと解釈し、ゴメルを東欧諸国、プテをリビアとみなしている。ペテ・トガルマはコサックその他シベリア諸民族の祖先であり、ペルシャはいまのイランだ。とすると、これらの人々が今世紀末に怒涛の如くエルサレムに侵入する事態が発生することが予言されていると言える。

 

 

 

『予言のすべて』

(山内雅夫、竹本忠雄、ルネ・ブァン・ダール・ワタナベ、高橋徹高橋良典) (日本文芸社)(平成8年)

 

 

 

ミロク(弥勒

末法の世に現れ地上の悩める民を救済すると予言された仏教のメシアのミロク信仰は日本や朝鮮、中国、インド、ペルシャなど、アジア各地で古くから伝えられ、東洋的終末思想、浄土思想に結びつく予言を生みだした。

 

仏陀はその臨終に際して56億7千万年後に弥勒菩薩が地上に現れるだろうと予言した。そのため、現在、世界の仏教徒たちは仏陀の再来(ミロク)をはるか未来の出来事として完全に忘れ去っているようだ。しかし、56億7千万年を次のように解読すると、ミロク下生の予言は現代的な意味を持ってくるのである。

 

・「全ての悟りを開いた完全な人(マイトレーヤブッダ(ミロク))は56億7千万年を108(人間の煩悩の数)で割った5250万年を3000(仏教でいう3千世界)で割った17500年後に浄化された霊を持つにいたり、さらに1万7500年を7(物質界を支配するといわれる7の法則)で割った2500年後の今日、肉体を持ってこの地上に再臨しようとしている・・・」

 

・ミロクが紀元前1480年の仏陀の入滅から2500年たった2020年頃、再び現れるとすると、ジーン・ディクソンが予言した“イエスの再臨”と同じ時期になる。

 

・インドのジャイナ教マイトレーヤと呼び、ペルシャからヨーロッパに広がるゾロアスター教徒がミトラと称するミロクは、地下より現われるといわれ、アガルタやシャンバラの地底の国からやがて、この地上に現れる人々と関係があることは間違いない。

 

 

 

『予言のすべて』

(山内雅夫、竹本忠雄、ルネ・ブァン・ダール・ワタナベ、高橋徹高橋良典) (日本文芸社)(平成8年)

 

 

 

知られざるマヤの予言

・9世紀、恐らくその絶頂期にあったと思われるマヤ文明は、なぜか消失してしまう。多くの都市が放棄され、1千年近く人々の記憶からも消え去っていった。やがて森が大地を覆い、19世紀になってようやく壮麗な遺跡が見出される。

 

マヤの預言にある「滅びの哲学」は西暦2012年の崩壊を告げる

「羽毛の蛇神」ケツァルコアトルの“顕現”と預言

ケツァルコアトルとは、古代メキシコの神話上、最も著名な神の名前で「羽毛の蛇神(翼を持った蛇)」として知られる神である。

 

ケツァルコアトルは、太陽神であると同時に、太陽系の惑星、金星に関連付けられる神である。また彼は、人類の形成や人類の食糧となるトウモロコシをもたらした「智恵の神」と呼ばれることもあり、様々な性格を合わせ持つ多重的な神である。

 

・類似の参照枠を探すためヨーロッパ神話の中で一番近い存在を挙げるとしたら人間に冷智恵をもたらしたプロメテウス的な存在であるということもできるだろう。

 

・マヤのホームグラウンドであるメソ・アメリカ(中央アメリカ)の信仰の中心に存在する神、それがケツァルコアトルである。

 

・マヤの記録によると、ケツァルコアトルに相当する神である「ククルカン」という名の神が、海路西から989年前後にユカタン半島にやって来て、そこに新しい国を建設したとある。新しい国とは、史実に基づけば「トルテカ王国」である。

 

ケツァルコアトルは「キリストの再来」だった!?

・トルテカ族は、現在のメキシコにあたる中央高原全域を支配し、トルテカ王国は繁栄を迎える。しかし、戦いや生贄の必要性を説く軍神ウイツィロポチトリのやり方に反対したケツァルコアトルは、やがて追放される。海岸にたどり着いたケツァルコアトルは、「私は、再び戻って来る」と言い残し、魔法の蛇の筏に乗って東方へと姿を消した。彼は西方よりやって来て、東方へと姿を消したのである。

 

預言のシステムともなっていたマヤのカレンダー周期

・マヤの暦で代表的なのは「大周期」(5125年間)の期間を示す長期計算暦(ロングカウント)である。この暦は、現代のグレゴリオ暦表記に直すと、暦の紀元を紀元前3113年に設定し、暦の終わりを紀元後の2012年に設定している。

 

・マヤの預言表の多くは、ケツァルコアトルの預言周期における「天国」と「地獄」の境目である16世紀以降、中央アメリカにやって来たスペイン人宣教師たちの手によって焚書となってしまった。