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斬首と標的殺害は、テロリストや反乱者との戦いで広く用いられてきた。両戦略とも、武力行使を行う際の方法と対象について、他の戦略よりも緻密かつ差別的であろうとするものである。(1)

 

『軍事戦略入門   (シリーズ戦争学入門)』

アントゥリオ・エチェヴァリア   創元社   2019/12/17

 

 

 

「下からのテロ」戦略

客観的に考えれば「下からのテロ」戦略は、積極的目的よりも消極的目的の達成に有効であることが分かっている。消極的目的とは、対立する派閥間の団結を防ぐこと、すでに見通しの立たなくなっている平和交渉を妨害すること、揺らぎつつある連合メンバーに任務を完遂せず撤退するよう説得すること、ある大義を支持するよう民衆を心理的に強制すること、あるいは大々的に報じられるような攻撃によって新たな戦士たちを引き入れることなどである。それに対して、正当性を主張する上で国際的な支持を得ること、中立派を取り込むこと、あるいは長期的安定の基礎を確立することなど、積極的目的の方がはるかに困難な理由は、テロが恐怖だけでなく反発と反感をも引き起こすからである。そのような感情は、ある大義に反対するかたちで民衆を団結させ、その支持の源泉を枯渇させてしまう。

つまり、ある大義への人々の認識はテロによって、たしかに高まるかもしれないが、同時に、その大義を失敗に終わらせようという大衆の決意が強まるかもしれないのである。

 

斬首と標的殺害

・不朽の名著でありながら、とかく議論の多い代表作『君主論』において、16世紀の政治著作家ニッコロ・マキアヴェリは読者に警告した。「為政者とその近親者らを殺すだけでは、まったく不十分である。貴族の残党が生き延びて、新たな反乱を指揮するからである」。彼の言葉は今日も真実味がある。というのもそれは斬首と標的殺害という、密接に関連した二つの定評のある戦略の基本的な脆弱性を強調している。これらの軍事戦略は、敵の戦う意志と能力に打撃を与えるものである。しかし両戦略とも、指導者や特定の個人を取り除くことによって、問題を悪化させずに解決することができるという思い込みに陥りやすい。平和を実現するには、時としてさらに多大な時間と努力を要するものである。

 

定義

斬首

斬首と標的殺害は、テロリストや反乱者との戦いで広く用いられてきた。両戦略とも、武力行使を行う際の方法と対象について、他の戦略よりも緻密かつ差別的であろうとするものである。

 

標的殺害

対照的に、標的殺害は、消耗戦略と類似性がある。標的殺害とは端的にいえば、ある敵対集団に所属する人員の体系的な暗殺であり、元CIA対テロ専門家ブルース・リーデルが「芝刈り」と呼んだものに似ている。「常に芝刈りをしなければならない」と彼は忠告した。

 

現代の事例

・21世紀に入ってドローン攻撃が増加したことで、結果的に斬首と標的殺害に関する人々の意識が高まった。しかし、これらの戦略はとくに新しいものではない。

 

・しかし、国家は敵対勢力や犯罪組織の指導者らの体系的な抹殺をとにかく継続し、彼らを支持あるいは潜在的に模倣する者に対して警告を送ろうとする例もある。中国、ロシア、そして米国は、適正な手続きを欠くとして大きな批判に晒されているにもかかわらず、そのような政策を数十年間にわたって容赦なく追求してきた同様の批判は、武装組織の指導者を標的とするイスラエルにも長らくつきまとっている。その例の一つが2010年1月、パレスチナのテロリスト集団ハマスの指導者の一人とされていたマフムード・マブーフを殺害したことである。

 

有効性の限界

・そうした斬首や標的殺害の例は増加しているが、それらは依然として、非常に物議を醸す戦略手法である。それら戦略が長期的に有効でないとして拒絶する者や法的・道徳的な見地から好ましくないと考える批評家もいる。しかし有効性とは、何を達成したいと望むか、そしてその達成の度合いをいかに評価できるかに依存する。

 

斬首や標的殺害が成功を収めた例はないという主張は、学術的にも軍事的にも、正当なものである。その最たる理由は、これら戦略では紛争の根本的原因に対処しえないということ、そして攻撃と報復の悪循環を恒久化し、事態を悪化させてしまうかもしれないということである。

 

・たとえば2002年、イスラエルが元ハマス指導者サラ・シェハダを暗殺した際は、彼の妻や子供の命まで奪い、さらに周辺にいた数十人を死傷した。イスラエル指導部はイメージを損ない、米国政府なども口をそろえて攻撃の「手荒さ」と、それが平和の展望にもたらす弊害について非難した。しかしそうした事例では、道具よりもそれを悪用する者の方に罪がある。

 

法的・道徳的問題

・法的な問題点は、標的の選定から射撃まで一連の出来事全体を通じて、適正な手続きと説明責任を確保することに関連するものがほとんどである。その目的で、すでに立法化された法律もある。しかし、さらなる措置が必要かもしれない。たとえばアルカイダおよびタリバーン指導者の標的殺害については、米国の法制度、とくに2001年9月に可決された軍事力行使権限承認法に基づき合法と判断された。米国の司法当局者は、そうした殺害が国連憲章第51条のもと、国際法に則ったものであると結論付けている。とはいえ、これらの法的根拠は、9・11に関与した集団以外にも標的殺害を拡大する権限は与えるものではない。目下、立法府の議員やアメリカ自由人権協会などの公民権組織は、行政権の行き過ぎを防ぐため、標的殺害の監督強化に向けたロビー活動を続けている。

 

斬首戦略

斬首の成功例

そうした論争はあるものの、特定の条件下では斬首がうまくいくということを歴史は示している。たとえば、20世紀初頭、米国はフィリピン併合に対するフィリピン人の反乱を鎮圧するため、斬首戦略を用いた。1901年3月、反乱の首謀者エミリオ・アギナルドが米兵に捕らえられた。米当局は結局、米国に忠誠を誓うようアギナルドを説得した。同年4月にアギナルドは同意し、その後速やかにフィリピン人すべてに武器をおくよう呼びかける声明を発した。

 

・また斬首戦略は、こちらの反目が相手国の一般国民ではなく、国家元首に対するものである場合にも効果的であることが分かっている。国家元首を権力の座から取り除くことは通常、「体制変革」と呼ばれ、時として最低限の流血で達成されうる。たとえば1954年、CIAの支援を受けたクーデターにより、グアテマラのハコボ・アルベンス大統領は強引に退陣させられた。

 

斬首の失敗例

これら斬首戦略の成功実績とは対照的に、1961年、米国によるキューバフィデル・カストロ政権転覆の試みは完全な失敗に終わった。CIAに訓練されたキューバ難民1400人の部隊がピッグス湾に上陸し、最終的にカストロを追放する革命を起こせるよう、民衆の支持を集めようとした。カストロは約3万の正規兵を指揮下におき、さらに20万の民兵を招集することができるとの情報はあったが、その兵士たちにどれほどの政治的信頼を置くことができるかは不明であった。

 

精密攻撃

斬首と標的殺害は、主に近代的エア・パワーの広い行動範囲と優れた精度のおかげで西側の政策立案者らにとって一層魅力的なものとなりつつある。とくに武装無人機やステルス航空機は、敵指導者に対する精密攻撃により、陸上戦力の投入と比べてはるかに低いリスクで、遠方から劇的な政治変化を起こす可能性をもたらしてくれるかにみえるたとえば、第1次湾岸戦争(1990~1991年)前には、軍事アドバイザーや防衛専門家らがサダム・フセイン政権をエア・パワーのみによって斬首する可能性を熱心に議論していた。

 

ワーデンの5リングモデル

・米空軍大佐ジョン・ワーデンもそのような理論家の一人であり、彼の考えは斬首と標的殺害に直接関連するものである。ワーデンは、精密空爆によって、過度に犠牲者や付随的損害を出すことなく、敵の戦う意志を奪うことができると信じていた。ワーデンの理論は、敵を5つの相互連関的なサブシステムから成るダイナミックなシステムに見立てた。すなわち①指導部、②有機的またはシステム的な本質要素(天然資源、エネルギー、食糧など)、③通信・輸送インフラ、④民衆、そして⑤展開した軍部隊である。ワーデンは、これらを一連の同心円または「リング」として視覚的に描いたことで、「ロード・オブ・ザ・リング」の称号を獲得した。そうすると、あらゆる近代的エア・パワー作戦の目標は、各リングの急所を見定め、敵が降伏ないしは戦略的に麻痺するまで体系的にそれらを攻撃することである。

 

標的殺害戦略

標的殺害の採用

・斬首が反乱の指導部に対する攻撃であるとすれば、標的殺害は、反乱の一般構成員を体系的に殺害して減らすものとみることができる。一種の選択的消耗戦略として、標的殺害はよく制御されたかたちで適用されなければならず、付随的損害や道徳的反発を引き起こす可能性も考慮に入れなければならない。オバマ大統領のもと、イラクアフガニスタンにおける米国の標的殺害は、無人機の使用とともに大きく拡大した。

 

標的殺害の有効性

・標的殺害は、斬首がうまくいかない状況や、対象となる組織の完全な崩壊が望ましくない場合に役立ちうる。斬首は、中央集権化された敵に対して最も有効であるが、現代のテロリストや反乱団体の多くは分散化している。

 

・たとえばハマスは、長年にわたるイスラエルの攻撃で指導者数人が抹殺されてきたが、いずれの場合も組織力は一時的に衰えたにすぎず、第二層の指導者が昇格して空白を埋めると回復した。

 

成功要因

標的殺害戦略の成功は、消耗戦略と同じ要因に多く依存する定量分析では、進捗(またはその逆)を正確に捉えられないかもしれない。いかなる戦略についてもいえることだが、敵集団の基本的な強みと弱み、そしてその指導部の継承順位に関する信頼性の高い情報が不可欠である。

 

サイバー・パワーと軍事戦略

2012年、米国防長官レオン・パネッタは、サイバー空間が「新たなるフロンティア」であり、戦争の「新たなる地勢」であると宣言した。こうした発言をしたのは彼が初めてではない。むしろ彼の発言は、普段は変化を受容するのが最後になる連邦官僚でさえ、現代戦におけるデジタル通信とインターネットの力を認識するようになったということの表れであった。武力紛争や軍事戦略におけるサイバー・パワーの適切な役割については、たしかに多くの論争があった。しかし明らかなことは、敵対勢力の戦う意志と能力を削ぐのに役立つ有効な手段をサイバー・パワーが提供してくれるということである。その事実のみをとっても、サイバー・パワーは軍事戦略家にとって重要な存在となる。今日いかなる軍事力の行使であれ、サイバー・パワーの行使をともなう可能性が非常に高い

 

・サイバー戦争が起こるのか、あるいは実際すでに起こったのか、あるいはそれが起こるとすれば、いかなるものなのか。専門家らのあいだで意見が食い違っている。国家と非国家主体の両方を巻き込む無数の「サイバー戦闘」が絶え間なく発生しているといわれているにもかかわらず、この論争は続いている。そのため核兵器の登場と同様に、サイバー空間の出現によって、我々は軍事戦略の基本的概念を見直し、それを修正する必要があるかどうか検討することになったのである。

 

サイバー戦争

・米国防安全保障会議の元・対テロ首席顧問リチャード・クラーク著『サイバー戦争』(2010年)のような本は、アメリカの中枢インフラに対するサイバー攻撃が、アルマゲドン的な大事件を引き起こしうると主張して世間を騒がせた。評論家らはすぐさま、クラークの主張の大半が誤りであると証明した。しかしながら、多忙な政策立案者の注意を引くためであれ、他の理由であれ、サイバー戦争の脅威を煽り立てる風潮は続いた

 

・2014年1月、米国家情報長官ジェームズ・クラッパーは、修辞的誇張の落とし穴を避けて、「政府の必須機能、産業と通商、保健医療、社会的コミュニケーション、そして個人情報」のデジタル・ネットワークへの急速な移行と相まって、インターネット上インフラのセキュリティへの信頼こそが、米国のサイバー脆弱性の真の根源であるという正確な報告をした。18ヵ月後、この所見が正しかったと証明された。米国人事管理局が、セキュリティが破られて米国政府職員およそ400万人分の機密情報を盗まれたと認めたのである。

 

実際のところ、一般にやや漠然と「サイバー戦争」と呼ばれているものは、三つ巴の競争となっている。すなわち、①非常に魅力的な標的となる重要なデータおよび機能のオンライン・ネットワークへの急速な移行、②ネットワークの保護のため現在進行形で悪戦苦闘しているサイバー・セキュリティ・システムの活動、そして、③犯罪者であれスパイであれ、それらセキュリティ対策を破る方法を見つけ出すサイバー攻撃者の執拗な企てである。残念ながらこの力学は、サイバー戦争という用語にまつわる誇張のなかで見失われてしまいがちである。

 

・サイバー戦争は、人々の個人認識番号(PIN)が盗まれるときや、銀行取引がサービス拒否攻撃によって妨害されるときなど、それがサイバー攻撃によって可能であろうとなかろうと、物理的・金融的な損害に関して限定的であると示唆する専門家もいる。それよりもサイバー戦争は、サイバー空間を通じて可能となる情報操作との関係が深いのである。そのような操作によって政治的言説、消費者のバイアスおよび習慣、社会的規範、集団的帰属意識、そして文化的価値観の形成が容易となる。一言でいえば真のサイバー戦争とは、「インターネットの自由に関する政治経済学」と一部の研究者が呼ぶものである。この意味でサイバー戦争は、オンライン・ネットワークを通じて伝達される言葉と画像の力でアイデアを伝えて思考に影響するプロセス、あるいはそれをめぐる戦いである。

 

・たしかに各国政府は、サイバー空間の発明されるはるか以前から、そうしたプロパガンダ戦争ないし言論戦を戦っていたし、将来的にサイバー空間が何かに取って代わられたとしても、そのような闘争は発生し続けるだろう。とはいえサイバー空間は、そのプロセスを加速させ、激化させている。同時に、サイバー戦争を単にそのような戦略的コミュニケーションの戦いとみなしてしまえば、膨大な量の機密情報が盗まれ利用された場合にもたらされうる物質的・精神的被害を見落とすことになるその利用法には、敵対勢力に対する強制的・抑止的影響力を得るべく機密情報を「人質」にとること、一言でいえばサイバー強制も含まれる。

 

・その上、政治学理論が何を仮定していようと、強制力や抑止力の行使において帰属が常に不可欠であったわけではない。国家元首らは毛沢東からウラジーミル・プーチンまで、多くの軍事力乱用について、自分の手柄とするか、あるいは責任を負わせられてきた。はたして現場の事実がそうした主張を支持できるほど明確であったか否かはともかく、その主張によって彼らはたしかに恩恵を受けてきた。実際、いかに一時的なものであっても、政治的価値は多様に生じ、「拝借する」ことすらできる。中国国共内戦中、毛沢東はまさにそれを行った。彼とその共産党は、侵略してくる日本に対して成功した反撃はすべて自らの手柄としつつ、同時に蒋介石の国民党が怠惰かつ無能であると批判した。まさにプーチンウクライナの紛争において行ったように、クーデターや暴動からも、その責任を否定しながら政治的価値を引き出すことができる。

 サイバー・パワーにより、とくに「グレーゾーン」戦争として一部のアナリストが言及するような、他者の閾値未満で発生する紛争において、そうした政治的価値をかつてなく迅速に利用することが可能となる。帰属は盗まれることや否定されることもあり、真実が明るみに出るときには(仮にそうなったとしても)、もはや重要ではないかもしれない。よってサイバー・パワーは、他種の軍事力と同じく決定的に重要であり、そうしたさまざまな種類の軍事力と組み合わせて用いられることで、相乗効果を発揮しうる。

 

サイバー・パワー

サイバー・パワーは特異な性質を有するため、アナリストたちはその戦略的考察に最も適した類推や枠組みを見出そうと奮闘してきた。エア・パワーやシー・パワーの比喩を提案した者もいるし、核戦争にたとえた者もいるし、生物兵器と比較した者までいる。実際、「ホスト」「ウイルス」「汚染」などの生物学用語が、すでにサイバー用語へ移ってきた。他方で、生物製剤にプログラムを組み込むことはまだ不可能であり、デジタルコードのようにデータを操作したり機械に命令を与えたりすることはまだできない。サイバー空間は、物理的および仮想的な構成要素から成る。前者は端末、連結点、電線管を含み、後者はアクセス、操作、そしてデータ表現をともなう。仮想的構成要素は、物理的構成要素のようには物理法則の影響を受けず、同様に時間、距離、地勢、そして天候の要因もそれぞれ無関係である。いかなるコンピュータ・システムも、他のいずれからでもほんの数秒で到達されうる。ネットワーク接続性と安定した電力供給が不可欠であり、それがなければ仮想的構成要素は存在しなくなり、物理的構成要素も無用の長物となる。

 

クラウゼヴィッツが述べたように、戦争には独自の文法ないし作動原理が存在するが、独自の論理はない。サイバー・パワーは、他の領域とは異なる軍事的文法に従う。たとえば地球上どこからでも、標的国内からでさえ、攻撃を行うことができる。単一のコードを用いて、複数の目標を、指定した時間に、特定の期間、兵站需要を生じさせることなく、あるいは必ずしも自らの正体を明かすことなく、攻撃することができる

 

・その上、サイバー戦術の基本原理は一つの領域のみならず、あらゆる領域から取り入れられている。たとえば、攻撃者を偽サイトに誘い込んでその情報を集めるハニーポット・トラップ、改竄データを搭載したデジタル・デコイ、遠隔操作の「ボットネット」(ロボット・ネットワーク)、IPアドレスおよびシグネチャの識別法、裏口侵入テクニック、トロイの木馬、フィッシング工作、およびスピアフィッシング攻撃、そして汚染されたリンクや電子メールの送信などである。よって全体としてみると、サイバー・パワーは他の種類のパワーと安易な類推を行うには適していない。その上、

そのような類推を用いれば、おそらくサイバー戦略の策定に誤った影響を与えるであろう。

 

サイバー戦略

サイバー戦略とは単純に、サイバー空間において我方の重大情報と必須機能を保護しつつ、敵対者の同様の能力を阻害ないし減退するよう、サイバー・パワー(とその他の資源)を管理することである。現実的に、サイバー戦略には三つの基本的能力が必要となる。すなわち、①データへのアクセスを拒否する能力、②干渉とデータ収集の能力、そして、③データを操作する能力である。

 

拒否

拒否とは、金融取引、エネルギー生産および輸送、情報収集、または日常的な通信など、重大な情報や活動へのアクセスを拒絶することを指す。典型的には、「分散型サービス妨害」攻撃などの策略をともなう。しかしそれはまた、米財務省によって行われているアルカイダ北朝鮮、イラン、イラク、シリアなど「ならず者」たちの財政孤立化のように、政策と電子ブラックリストを組み合わせる場合もある。

 

他方で、サイバー空間は依然として犯罪者やテロリストが活動を行い、同志を募るためのコミュニケーション手段を提供している。幸い、より優れた捜査・鑑識手法のおかげで、そうしてインターネットを利用することのリスクもゼロではない。しかも一部のサイバー専門家の主張に反して、民衆の心に恐怖を与えて政治的変化を誘発するほどの大きな規模で、国家の重要インフラに対するサービス拒否攻撃を行うことは困難である渡航禁止や金融資産凍結など、外国の権力者層や個別企業に対する選択的制裁措置は、またある種の拒否である。しかしながら、ある個人の資産すべてが実際に凍結されたかどうか、あるいは気づかぬうちに付随的損害が発生したかどうかが明らかであるとは限らないため、そうした措置の有効性には議論の余地がある。

 

干渉

干渉とは、サイバー通信とデータストレージに潜入して盗聴や情報収集、つまりは諜報活動を行うことを指す。サイバー諜報活動は単純に、他のコンピュータ・システムまたはネットワークにアクセスして機密情報を不法に取得することである。サイバー諜報活動の例としては、2015年の米国人事管理局への攻撃や、2003年から数年にわたって米国防総省国務省国土安全保障省を標的として行われた「タイタン・レイン」攻撃などがあるこれらの攻撃は、中国のコンピュータ(ただし必ずしも中国人とは限らない)から発信され、可能な限りの米国政府職員の個人情報を盗み、そしてその個人情報を使って他の機密ネットワークへのさらなるアクセスを得るという意図が明白であった。

 

操作

操作とは、あるシステムを妨害ないし阻害して「クラッシュ」させるか、または意図されているものとは異なる結果を出させることを指す。サイバー操作を行う一般的な方法の一つは、マルウェア他のシステムに広がっていく悪意的なコードまたはウイルス)によるものである。敵のシステムを操作することは、それを破壊するよりもメリットが大きいこともあるが、絶好の瞬間が訪れるまで発見されずにいる必要がある。イランのナタンズ核施設において多数のコンピュータ・システムを無力化した、いわゆるスタックスネット・ウイルスは、この種のサイバー妨害の一例である。阻害とは、あるシステムの管理や権限を蝕むことを指す。サイバー空間とソーシャル・メディアによって革命運動は勢いを得やすくなったが、国家元首の側がその運動の勢いに対応し、抑制する能力もまた強化されたのである。

 

また、操作によって経済・金融戦も容易となりうる。経済戦とは、物とサービスの統制をめぐる争いである。金融戦とは。ある経済、とくに生産と分配の根底にある信用と通貨の支配をめぐる闘いである。金融戦の目的は、物の価格設定、為替レート設定、資本形成、リスク管理など、基本的な金融活動を行う敵の能力を阻害することである。そうした活動がなければ、経済はすぐに立ちゆかなくなってしまうであろう。

 経済・金融戦は敵にも味方にも用いられうる。1956年11月、米国大統領ドワイト・アイゼンハワーは、英仏によるスエズ運河占領を撤回させるために一種の金融戦を用いた。アイゼンハワーは、米国が保有する多額のポンド・スターリング公債を放出すると脅し、ポンドを強化するための貸付金を国際通貨基金がイギリスに提供するのを阻止するよう米財務省に命じた。こうしてイギリスは、通貨の切り下げという苦難を避けるため、スエズから撤退することを余儀なくされた。

 サイバー・パワーによって、そのような金融戦争は1950年代よりもはるかに速いペースで発生しうるようになる。またそれによって現代の「通貨戦争」、つまり各国政府が市場プロセスを操作して通貨価値の増減に影響を与えるか、貿易赤字の改善や輸出の促進を試みるときに発生する切り下げ競争をも加速させる。

 要するに、サイバー戦争の発生如何にかかわらず、サイバー・パワーは軍事戦略に不可欠なものとなったのである。

 

訳者解説

・日本人にも、軍事戦略について理解を深めるべき時が来ている。日本において戦争といえば、一般に連想されるのは70年以上前の太平洋戦争であろうし、それは日本が率先的な役割を演じた戦争であったから、こちらが望まない以上は戦争など遠い世界の他人事である、という潜在意識が現代の日本では広く根付いているのではないだろうか。しかし国際政治における武力紛争は、単に我々が平和を望むからといって常に回避しうるものではない。ペロソネス戦争中アテネに滅ぼされたミロス島の人々も、争いを望まず中立を貫いていた。

 

また、軍事戦略は公然の戦争状態においてのみ必要とされるものでもない。武力紛争は明確な宣戦布告によって始まるばかりでなく、ロシアのクリミア併合でのように、戦時と平時の境界はむしろ曖昧になりつつある。今、国力の相対的な衰退期に入った日本も、国際政治の軍事的側面についてより注意深くあらねばならない。

 

・本書は、そのニーズに応える入門書である。戦史や戦略思想に関する著作はしばしば、ともすれば緻密な理論や詳細な歴史に深く踏み込むあまり、全体像が見えにくくなってしまう。そこで本書は、軍事戦略を明確に類型化して分析することで、軍事戦略という複雑極まる事象について120頁足らず(原書)で概説するという荒技を披露している。各個の軍事戦略の理論的争点や歴史的背景を押さえつつ、玉虫色の様相を呈する軍事戦略の「営み」の総体を概観することで、さらなる考察や探求への足掛かりとなろう。

 戦略学は日本では一般に馴染みのない学問だが、欧米の大学やシンクタンクでは特に第1次世界大戦後に国際関係論が勃興して以来、冷戦期を通じて非常に盛んであった。一般市民を巻き込んだ世界大戦の経験と、国民すべてが人質となる核兵器の登場により、軍事的安全保障に関する人々の問題意識が高まったことの表れであろう。

 

・冷戦後の世界では、とくに二つの潮流が生じてきた。一つは、国家を基本単位とした軍事的安全保障を軽視する傾向である。

 

二つ目の潮流は、多様な「新戦争」論が登場してきたことである。国家間で正規軍同士のぶつかる従来型の戦争ではなく、ゲリラ、犯罪組織、テロリスト集団など非国家主体が当事者となる「低烈度の紛争」が重要性を増しているという指摘が頻繁に聞かれるようになった。たとえば、グローバル化のなかで脱国家的ネットワークを利用する「第四世代型戦争」の時代を迎えたという議論は、9・11以降、米国が中東で泥沼の対反乱戦を戦うなかで注目を集めた。また、情報通信などの分野における技術革新を利用する「軍事における革命」や米軍の「トランスフォーメーション」論も多くの議論を呼んだ。先進的なC4ISR能力により「戦場の霧」や「摩擦」といった制約を最小化し、より高いレベルで複数の作戦領域間での連携および統合作戦を可能とする。これにより、かつてなく迅速かつ柔軟な軍の指揮統制が可能になるという「ネットワーク中心の戦い」などの概念も考案された。これらの新説に共有されていた問題意識は、クラウゼヴィッツに象徴される従来の戦略思想が少なくとも部分的には時代遅れになりつつあるのではないかということであった。

 

・つまりグローバル化の力を利用した戦術の変化が、戦略を根本的に変容させるわけではないという。同様に、米軍が先進的なC4ISR能力を駆使してアフガニスタンにおける軍事作戦を成功に導いたとされる「アフガン・モデル」についても、それが普遍的に適用可能であるかについては慎重な姿勢である。そして米国に固有の「アメリカ的戦争」なるものの存在に疑義を呈しつつ、戦術的勝利が戦略的成功を導くという前提に基づいた「アメリカ的戦闘」のアプローチにも懐疑的な立場をとっている。つまり「戦争は他の手段による政治の継続」にすぎないため、単なる戦場における軍事的勝利にとどまらず、それを政治的勝利へと変換する戦略の必要性を強調するのである。軍事的手段に終始する議論では、戦略たりえない。

 

・エチェヴァリアは本書でもそのテーマを重ねて強調している。我方の目的を達成するまで敵の戦う意志と能力を削る、という戦略の定義は、戦争を継続的な政治的交渉の過程とみなすクラゼヴィッツ的発想に基づく。「軍事戦略に失敗する最大の理由は、抵抗を続けることが明らかに自己破滅的であるにもかかわらず、相手方が譲歩を拒むことにある」という本書の結論も、軍事的敗北を相手に認めさせて我方の政治的勝利へと変換する必要性を強調するものである。非国家主体の存在感が高まり、先進的な情報通信技術や精密誘導兵器によって今日の軍の在り方も変容しつつあるが、そうした変化の範囲と程度を見極め、政治目的の達成のため戦略に資するかたちで包含されなければならない。

 

・しかし、日本の安全保障政策には依然として多くの政治的な制約と自制がある。たとえば防衛関連支出は、防衛省の2019年予算案で総額5兆円を超えて過去最高額となったが、従来からの「GDP比1パーセント」の割合に大きな変化はない。国際比較データのある2018年では、日本の防衛予算はGDP比0.93パーセントであり、米国の3.14パーセントや中国の1.25パーセントと比べて低い水準に保たれていることがわかる。「GDP比の1パーセント以内に防衛費を抑えるという考え方はない」とする安倍政権の発足以降、日本の防衛費は増額され続けているが、大きな飛躍があるわけではない。