日本は津波による大きな被害をうけるだろう UFOアガルタのシャンバラ 

コンタクティやチャネラーの情報を集めています。森羅万象も!UFOは、人類の歴史が始まって以来、最も重要な現象といわれます。

CIAの長官になるためには、マルタの騎士にならなくてはいけないが、スカル・アンド・ボーンズの会員であっても問題はない。(1)

 

 

『カルト・陰謀 秘密結社 大事典』

アーサー・ゴールドワグ  河出書房新社  2010/10/9

 

 

 

エリア21、ステルス飛行物体、マジェスティック12、異星人による誘拐、神の宣託

エリア51はさまざまな名称で知られている。グルーム湖、ドリームランド、居心地の良い空港、ネリス試験訓練場、パラダイス・ランチ、ザ・ファーム、ウォータータウン・ストリップ、レッド・スクエア、「ザ・ボックス」、そしてもっとも味もそっけもない名称は空軍飛行検査センター第3派遣隊である。エリア51ネヴァダラスヴェガスの北約200キロにある極秘の軍事基地で、ここからもっとも近い街は約40キロ離れたところにあるネヴァダ州レイチェルだ。

 

エリア51には、宇宙人の死体を解剖した医療施設や、生きている宇宙人を尋問する取調室がある。UFO研究者のなかには、施設を実際に運営しているのは宇宙人だとほのめかしているものさえいる。グレイ、ノルディック、インセクトイドなどと呼ばれている生命体(異星人)が、実質的に支配しているこの地球を搾取し、人間からDNAを採取していたとしても、私たちの政府はなす術なく、見て見ぬ振りをしている、と彼らは主張しているのだ。

 

『蒼ざめた馬を見よ』(1991)の著書で、超陰謀理論家のミルトン・ウィリアム・クーパー(1943-2001)は、UFO、外交問題評議会『シオンの長老の議定書』エリア51はすべて同じものの一面だと述べている。彼は国防長官ジェームズ・フォレスタル(1892-1949)はベセスダ海軍病院の16階の窓から突き落とされた死亡した、と語っている。彼は、仲間であるマジェスティック12(宇宙人に関する調査、および接触・交渉を秘密裏に行ってきたアメリカ合衆国政府内の委員会)のメンバーが異星人の侵入者と結んだとんでもない取引に反対した後、「退行期うつ病」で病院に監禁されたのだという(クーパー自身、大勢の人が納得できない理由で、アリゾナ州アパッチ郡の警察に殺されてしまう)。

 

・話をクーパーに戻そう。彼によると、ジョン・F・ケネディを暗殺したのはリー・ハーヴェイ・オズワルドではなく、(なんと)大統領のリムジンの運転手だった――なぜなら、運転手が実はゼータ・レティキュラ星からやって来た宇宙人であることをばらすと脅されたからである。宇宙競争がインチキだというのは、すでに月には基地があったからである(それが1970年代以来月に人間が行かなくなった理由だ――テレビで月面を歩く光景を放映すれば、宇宙人の存在が暴かれてしまうだろう)。また数多くの火星探査機がうまく作動しなかったのは、火星がすでに南フロリダくらい発展していて、そこに住んでいる住民たちが自分たちの存在をずっと隠しておきたいと願っているからだ。三極委員会が設立された目的は、アジア、ヨーロッパ、北アメリカの関係を改善することではなく、宇宙人と交流するためだった。

 

では、ゼータ・レティキュラ星人に内通した、地球の反逆者とはいったい誰なのか?今までに陰謀理論家について多少読んだことがおありの方なら、答えを聞いても驚きはしないだろう。それはイリュミナティ、フリーメイソンキリスト教の敵である大富豪(世俗主義者とユダヤ人)などといった、極秘裏にロシアのボルシェヴィキを援助したり、アメリカの憎むべき連邦所得税をごまかしたり、2001年9月にツインタワーを倒壊させ、ペンタゴンを攻撃してひとつの世界を樹立しようとしたりしてきたグループである。晩年のクーパーは、自らが数多くの書物で取り上げ、暴露してきた宇宙人の侵入は実際には起きておらず、それは故意に流されたニセ情報の格好の見本だ、と考えるようになった。イリュミナティが、まず陰謀理論家を利用して、地球外生命に関する嘘の噂をばらまき、宇宙人よりはるかに恐ろしい自分たちの正体を一般人の関心から逸らしていたというのだ。

 

・実際に、空飛ぶ円盤のファンが、エリア51――具体的にいえば、ハイウェイ375の南西に置かれた距離標識29から30の間にある、伝説の黒い郵便箱に群がり始めた。その場所には、グルーム湖に向かって伸びる舗装されていない道路がある。ボブ・ラザーという名の男性がここで目撃できるかもしれない信じられないものについて人々に語り始めたときから、見物客が現れるようになった。1989年11月、ラザーはラスヴェガスのテレビのトーク番組に出演し、極秘施設S-4で自分が携わっていた仕事について話し始めた。その施設は、干上がったパプース湖の近く、エリア51の南約15キロにあり、彼はそこで山腹にある格納庫に収容された7機の空飛ぶ円盤を目撃したのだ。話はそれで終わりではなかった。彼はその空飛ぶ円盤の1機の推進システムの構造を解析する作業を手伝っていたのだ(彼が「スポーツ・モデル」と呼んでいる宇宙船は、反重力エンジンで動いていて、燃料にはかなり不安定なエレメント115と呼ばれる物質が使われていることがわかった。後に、ラザーはこの宇宙船の模型を売り出した)。

 

・彼はMIT(マサチューセッツ工科大学)やカリフォルニア工科大学で研究していたと話しているが、どちらの大学の記録にも彼の名前は残っていない。ラスヴェガスに来る前、彼はロスアラモスで働いていたが、上級科学者ではなく技術者で、S-4格納庫やエリア51で働いていたと確証できる記録は何もない。ラザーは、政府が自分の信用を傷つけるため、在職していた痕跡を消したのだ、と反論した。1990年には、悪事に手を貸した罪を認めた(彼は売春宿の経理を手伝っていて、盗撮するためのカメラをそこに取り付けていたのだ)。1993年には、映画界に自分の伝記――まず映画化される見込みのない話――を売り込もうとしたりしたが、現在は、ニューメキシコで隠居生活に近い暮らしをしているが、会社も経営し、車を水素燃料で動かす装置の開発にもいそしんでいるという噂もある。

 エリア51の噂を広めたもうひとりの人物は、ボブ・ラザーの友人ジョン・リアである。

 

リアはラザーがハイウェイ375に連れ出した人物のひとりで、ふたりはそこで空飛ぶ円盤を目撃したエリア51の歩哨に取り押さえられた後、リアは秘密情報資料の閲覧許可を取り消され、職を失った、と話している。それ以来、彼はエリア51に関してだけでなく、2万5000年前に始まった宇宙人の侵入に関して数多くの講演を行うようになり、ほかにもさまざまなテーマに話題を広げている。

 

・レイチェルの起業家は、今でもこの空軍の高圧的な措置から利益を手にしている。レイチェル・バー&グリルは、店名を「ザ・リトル・エイエイアン」・インに変え、Tシャツや土産物を売って繁盛している。ハイウェイ375は1996年には、正式に「地球外生命体」ハイウェイに名称を変えた。ラスヴェガスの旅行代理店も同様に儲かっている。ある広告では「リトル・エイリアン・インで大きな宇宙人バーガーを食べた後、エリア51にぎりぎりまで近づく旅をしよう」と謳っている。

 

フィリップ・コーソー

フィリップ・コーソー(1915――1998)は、勲章も幾度か授与されたことのある元陸軍情報将校だったが、晩年には、ロズウェルに関する体験について驚くべき事実を詳しく語り始めた。彼は1947年にカンザス州フォートライリーで勤務していた、という。そのとき、彼はロズウェルからオハイオ州ライト・パターソン空軍基地に運送する積荷を検査する機会があった。そのなかに、ゼラチン状の液体中に防腐処置を施された異星人の死体が入っていたのだ。「異星人は4つ足で、人間のような姿をしていた……奇妙な顔つきをしていて、指は4本……頭は電球のような形をしていた」と彼は述懐している。後に、ペンタゴンの海外先端技術部勤務を任命されたとき、彼はロズウェルで回収された人工物を検査するよう命じられた。その任務の驚くべき意味に気づいた彼は、人工物の構造を分析するために、防衛関連企業の研究開発部門にその物質を「まいた」と書いている。現在、使われている光ファイバー集積回路、レーザー、暗視ゴーグル、そしてケプラー(芳香族ポリアミド系樹脂)はこの残骸から開発された技術のほんの一部だ――分子ビーム電送機、(思考を機械に伝える)サイコトロニック装置は相変わらず機密扱いになっている。

 

<『コミュニオン――異星人遭遇全記録』>

・1980年代、宇宙人による誘拐をテーマにした多数の本が、ベストセラーリストに登場した。『コミュニオン――異星人遭遇全記録』を書いた当時、ホイットリー・ストリーバーは、スティヴン・キングばりのホラー小説で成功した作家だった。『コミュニオン』は、生まれてからずっと、彼が体験してきたという地球外生命体との背筋を凍らせる遭遇に関する回想録である。

 

テンプル大学歴史学者ディヴィッド・ジェイコブ(博士論文の『全米UFO論争史』は、1975年にインディアナ大学出版局から出版された)も、自称被誘拐者に催眠術を施したひとりである。『脅威』(1999)のなかで、彼は少なくとも国民の2パーセントに当たる500万人が宇宙人に誘拐されたことがある、と結論を述べている。異星人は地球人との混血児を創って、地球を乗っ取るため、知らないうちにこの数百万の誘拐された人間から、遺伝物質を無理やり取り出している、とジェイコズズは主張している。訓練を受けた研究者で、偏見をもたない学者であるジェイコブズは、催眠状態から引き出された証拠はもちろん、偏見の危険にも鋭く気づいている。

 

・マックの結論は、ジェイコブズやホプキンスの結論よりおどろおどろしくも、煽情的でもない。エストや人間潜在能力運動の専門家であるマックは、自分の患者が明かした経験にスピリチュアルな意味が含まれていることを率直に受け入れている。「宇宙人との遭遇現象は自己意識を受け入れられるようにし、あらゆる民族・国籍の垣根を越え、神の子、聖霊の子、宇宙の子であるというはるかに大きな意識に自己の意識を開いてくれる」と彼は書いている。「あなたが物質世界を超えて、地球を超えた繋がり、より大きな領域に開かれるとき、人間は聖なるものに開かれていく。それは人間の心を神聖な状態にし、森羅万象との一体感、ふつう神と呼ばれる存在との一体感に導いてくれる」

 

カール・ユングのような有名で、知的で、文化的な人物も、UFOの宗教的要素に興味を抱いていた。彼は著書『空飛ぶ円盤』のなかで、空飛ぶ円盤の熱狂的ファンの多くが「カルト的」な振る舞いをしていると記している。「これはいつなんどき大惨事に発展してしまうかもしれない、解決できない政治的状況に対する、当然の反応である。このような不安的な時期に、人々が助けを求めて天の方に目を向けると、脅かされるにしろ、慰められるにしろ、自然の奇跡的な予兆が上空に現れる」かつて出版された空飛ぶ円盤についての本のほとんどは、少なくともどこか一ヵ所で「エゼキエル戦車」(旧約聖書の「エゼキエル書」に登場する神の戦車)について触れている。かつては、この戦車が神秘主義者や初期の第三種接近遭遇にとっての象徴だった。現在、幻視家には天使と同じくらい異星人が訪れてくる傾向がある。私が最初に指摘しているわけではけっしてないが、おそらく天使と異星人は同じ生命体のたんなる別名にすぎないのだろう。

 

ユングが『空飛ぶ円盤』を執筆したところに、イセリアス協会も創設された。この協会は、惑星間議会で地球外生命の代表に接触した後、ジョージ・キングがロンドンで創設した組織だ。会員はヨガや宇宙の師から受け取った叡知を応用し、世界に調和を取り戻そうとしている。次に、「新しい聖霊宇宙産業教会」を挙げておこう。この組織の設立者アレン・マイケル・ヌーナンは、1947年にカリフォルニアで看板のペンキ塗りの仕事をしていたとき、銀河母船に連れていかれ、「新世界の聖霊としての役割を果たし、予言された永遠の福音を伝えるメッセンジャーの役に選ばれた」という声を聞いた。

 

・グロリア・リーは航空機の設計者と結婚した元フライト・アテンダントだった。彼女も1950年代のはじめ、コンタクティーになり、木星の生命体J・Wから霊的メッセージを受け取った。リーはオアースペ(1880年、ジョン・バルー・ニューブローが名乗る歯科医でスピリチュアリストが知的生命体と交信して書き上げた「新しい聖書」で、「フェイシズム」の土台となったテキスト)を学んでいた。この書は聖書の土台や、さらに多くのことが網羅され――ピラミッド、アメリカ・インディアン、古代中国の秘儀も含まれている。また、多数の黙示録的予言や幻視が特徴で、天使のような存在が地球への侵入を開始するという幻視も含まれている。

 リーは宇宙調査財団を設立し、木星に住む異星人J・Wが彼女に書き取らせた二冊の本『なぜ私たちはここにいるのか』(1959)と『あなたの世界の代わりゆく状態』(1962)を出版した。

 

・もちろん、すべてのスピリチュアリストが空飛ぶ円盤に興味をもっているわけではないし、空飛ぶ円盤の研究者も霊的世界に興味を抱いているわけではない。しかし、このふたつの領域は重なり合っている場合が多い。1970年代にジェーン・ロバーツと交信した4次元の生命体セトはUFOについてときどき述べている。スピリチュアリストのエドガー・ケイシーはケネス・アーノルドが「空飛ぶ円盤」を目撃する2年前の1945年に死亡しているが、伝説の失われた文明アトランティスやレムリア大陸と異星人の間の接触について詳しく話していた。エーリッヒ・フォン・デニケンのベストセラーは、古代文明の記念碑や宗教的信仰は、異星人が地球を訪れたことの紛れもない証拠である、と主張している。アセンデッド・マスター(悟りを得た生命体の小さな集団は、人間という姿を超越し、輪廻転生のサイクルを出た後も、地球の出来事に影響を及ぼし続けている、という神智学の考え)の信者の多くは、単なる世界から訪れてきたマスターがいる、と考えている。

 ニューエイジ陰謀理論などの業者たちは、聖書に登場する謎に満ちた巨人(ネフィリム)は人間と異星人の混血であり、彼らについての逸話は惑星内や惑星間の戦争を神話にしたものだ、と推測している。

 

ブラックヘリコプター、メン・イン・ブラック(黒衣の男)、ミシガン・ミリティア、家畜のミューテレーション、嘘つきクラブ

・しかし、そもそもブラックヘリコプターはどこから生まれてきたのか?ブラックヘリコプターのミーム人から人に伝達されることで複雑や進化を遂げる観念)は、メン・イン・ブラック(黒衣の男)という別のミームの副産物である。この黒衣の男自身の起源も、1950年代のUFOの熱狂的興奮、とりわけUFO研究家アルフレッド・ベンダーの書物や記事にまでさかのぼる。1953年、ベンダーは床から30センチのところに浮かんでいる三人の謎の存在の訪問を受けた。彼らはベンダーに空飛ぶ円盤について知っていることを明らかにしないように警告した。「三人とも黒い服を身につけていた」と彼は述懐している。「牧師のように見えたが、ホンブルグ型中折れ帽のような帽子をかぶっていた。顔は帽子で一部隠され、陰になっていたのではっきりとわからなかった」悪魔の連想は脇においておこう。ベンダーの説明する黒衣の男は、顔がなく、匿名で、感情が左右されない冷酷な官僚主義者で、陰ですべてを操っている権威者の道具として活動しているCIA、KGB、NWOのスパイの原型となった。

 

・1970年代まで、とりわけ家畜の手足が切断される事件が発生したときには、ブラックヘリコプターの操縦桿を握っている黒衣の男が近所の人々に目撃されていた。

 

・ある考えが地球全体に広まっていく現象はこれが初めてではなかった。(経済が不安定で、地方で大衆迎合型の政治が隆盛になった1990年代と同様に)1980年代、小さな町の新聞は未確認飛行物体(UFO)に関するニュースであふれ、家畜虐待に関するニュースも報道されていた。1897年4月23日、カンザス州リロイの指導的市民アレクサンダー・ハミルトンは、数日前の晩に「今まで見たなかでもっとも奇妙な6人の人間が乗っている」90メートルぐらいの大きさの飛行船が農場の上空を飛んでいたと、「イェーツ・センターの農民の主張」に述べている。飛行船が飛び去る前に、乗員のひとりが「赤い物質」でできたロープで1頭の雌の子牛を捕まえ、空中に吊り上げ、翌朝、この不運な子牛の脚、頭、皮が4、5キロ離れた野原のなかで発見された。このニュースは数日のうちに、ヨーロッパの新聞にも取り上げられた。これがもっとも有名な初期のUFO目撃情報のひとつであり、多くの書物に引用されている。

 

ブナイ・ブリス

・ヘンリー・ジョーンズ、アイザック・ローゼンブルク、ウィリアム・ルノー、ほか9人のドイツ系ユダヤ人により、1843年にニューヨークのローワー・イーストサイドで設立された友愛組合。「この、私たちが新たに生きる国家のなかで、ユダヤ人の置かれている悲惨な状態」を改善することを目的にしている、最初はブンデス・ブルデル(同信の友)だったが、すぐにブナイ・ブリスヘブライ語で「契約の息子」の意味)に変更した。ロッジ(集会所)で組織されていて、メイソンをモデルにした6つの位階がある。ブナイ・ブリスが最初に達成した具体的成果は、会員のための埋葬保険基金を設立したことで、そのすぐ後に病院、養老院、孤児院を建設し、新しい移民のために社会福祉や教育を提供するようになった。

 

・1913年には、「理性と良心に訴えることで、ユダヤ民族の名誉棄損をやめさせるため」名誉棄損防止同盟(ADL)を設立した。現在、ブナイ・ブリスは国際的にも主要なユダヤ人支援機関となり、50ヵ国で活動している。この組織はシオニストを支援し、ユダヤ人の高齢者に住居を提供し、ユダヤ人の教育に力を入れている。

 

フリーメイソン

・表の顔と裏の顔を使い分ける多くの秘密組織と同様に、ごく普通のフリーメイソンと、高い位階のフリーメイソンがある。毎日、フリーメイソンは義務を果たし、ときどきテンプル騎士団員のように正装してロッジに新しい会員を迎え、役員の候補者を選び、慈善ゴルフ大会を企画し、心のこもった宴会やボウリング大会を楽しみ、北風が町の通りに落とした枝をボランティアで片付けている。宇宙の秩序と調和を信じる市民である彼らは、兄弟愛とキリスト教の慈善の精神の元に集まっているのだ。

 しかし、より地位の高い、思弁的なフリーメイソンが存在している。

 

・すべてのフリーメイソンの会員は(イギリスやアメリカのフリーメイソンより、オカルト的で、しかも自由思想の傾向があったフランスの大東社を除き)「最高存在」(つまり神)の信仰を義務づけられていた。

 

・しかし、18世紀末、オーギュスタン・バリュエル神父とジョン・ロビンソンに始まり、現在まで途切れなく続いている論争家の論法によると、フリーメイソン――とりわけイリュミナティ化したメイソンは、けっして高潔でも、気高くもない、メイソンのなかでももっとも秘密主義のサークルは、たいへん邪悪で、悪魔のようだという。メイソンは魂を高めることなど眼中にない。私有財産、国家主権、個人の自由をこの地球から廃止することをもくろんでいる陰謀組織なのだ。その事例のひとつとして挙げられるのがフランス革命である。

 

現実の世界に目を向けると、メイソンはオッドフェローズ、エルクス慈善保護会などのほかの多くの友愛組織と同じように、最近、会員数は大幅に減少しているアメリカの会員数は1960年代の半分以下になり、猛烈な勢いで減っている。陰謀理論家は相変わらずメイソンの力の証拠が、アメリカの貨幣やワシントンDCの道路計画などに隠されていると考えているが、フリーメイソンがほとんど消滅しかかっているのは間違いない事実だ。つい最近、アイオワ州ダヴェンポートのブルベーカーロッジ675のグランド・マスターは、会員に次のようなメッセージを発送した。「関心がないためか、参加者がほとんどいませんので、7月12日に予定されていたスーシティからローガンまでの、グランド・マスターのオートバイ・ツーリングの催しは中止されました」これも怪しまれないために暗号化されたイリュミナティに送るメッセージだったのだろうか。

 

マフィア

・この言葉の語源は今だにはっきりとはわかっていない。よく知られた(しかしほぼ絶対にあり得ない)民間の言い伝えによれば、マフィアの語源は、1282年のフランスのシャルル1世に対するシチリアヴェスバースの反乱にまでさかのぼる、Morta alla Francia,Italia anela「フランス人に死を、これがイタリアの叫びだ」の頭文字であるといわれている。

 

・マフィアという言葉が、組織犯罪を指す言葉として、最初に記録されたのは1863年のことだ。ジョゼッペ・リゾットとガエターノ・モスカの劇『ヴィカリアの美しい人』のなかで、パレルモの刑務所ギャングの意味で使われたのだ。

 虐げられ、何度も征服され、貧しく、搾取されていたシチリアは、山賊の長い伝統があった、といえば十分だろう。新しく統一国家となったイタリア政府は1860年代と1870年代にシチリアに秩序を回復しようとしたが、オメルタ自らの誇りにかけて守る「血の掟」)を指針にしている。

 

オメルタとは、自分の意思を明かさない、という意味であり、警察を認めず、不満の種は自分で始末をつけるということである。古いシチリアのことわざによれば、「見ず、聞かず、黙っている人間は、100歳まで穏やかに生きられる」という。

 

・マフィアは階層社会であり、頂点は「ボス中のボス」、そして「首領」、「副首領」、「財務顧問」、「法律顧問」、「副官、10人の兵士の一団の長」、「歩兵」、「低い階級のボディーガード」と続き、家族や部族以外の顧問がいる。マフィアはイタリアの唯一の犯罪組織ではなく、ンドランゲタカラブリア地方で活動し、カモッラはナポリを縄張りにしている。地中海を根城にする犯罪シンジケートには、マルセイユやコルシカで活動しているユニオン・コルスがある。

 

コーザ・ノストラ(「私たちのもの」)は、アメリカに渡ったマフィアの名称だ。この自由の国で窃盗、ゆすり、詐欺、不正利得、贋金づくり、密輸のチャンスを利用しない手はないと考えて移民したものもいるし(アイルランド人やユダヤ人の犯罪者はすでにこのチャンスを十分に利用していた)、ムッソリーニが権力を握って、あらゆる手段でマフィアを締め付けてきたためイタリアを逃れてきたメンバーもいた。

 

第1次世界大戦後、アメリカ社会には麻薬や賭博が氾濫し、労働組合の腐敗もはなはだしく、いくつかの禁止令が出されていたが、犯罪組織にとってはそれは願ってもないチャンスだったFBI長官J・エドガー・フーヴァーの、アメリカには組織犯罪などないという主張もかえって追い風になった。1960年代まで、縄張りもきちんと守られていた。五つのマフィアの家系――ボナンノ家、コロンボ家、ガンビーノ家、ジェノヴェーゼ家、ルッケーゼ家――はすべてニューヨークのメトロポリタン地区に集中していたが、1960年代初期には、ギャング団はこの地にしっかり根を張るようになっていたので、サム・ジァンカーナのようなマフィアの一員はアメリカ大統領と愛人を共有していたり、ジョニ・ロッセリはフィデロ・カストロを暗殺する計画でCIAと協力していた。

 

・彼らはひどく狂暴な(獣のような)生き方をしていたが、アメリカの大衆文化、そしてマフィア自身も、「成功した」マフィアをロマンチックな人間と見なした。映画スターやフランク・シナトラのようなポップシンガーはギャングと友人になった。ギャング自身もスターが映画のなかで自分のことを演じるのを見て楽しむことが多かった。たとえば、低予算のB級映画ではなく、しかもマフィアを悪漢として扱っていないフランシス・フォード・コッポラの『ゴッドファーザー』(1972年公開。今まででもっとも賞賛され、人気を博した映画のひとつ)やマーティン・スコセッシの『グッドフェローズ』(1990)などだ。ニュージャージー州に住むマフィアの家庭崩壊をドラマにしたケーブル・テレビの『ソプラノズ』は、6年間も放送が続き、批評家に絶賛を博し、多くの視聴者を楽しませた。

 

・彼らの厳粛な誓い、つまり守るべきことを定めた血の掟(シチリア島のボス、サルヴァトーレ・ロ・ピッコロが2007年に逮捕されたとき、このマフィアの「十戒」が彼のアジトで見つかった。そこにはとりわけ妻を尊重し、ほかの家族から盗まず、約束をきちんと守り、「妻が出産している最中であっても」任務を行なうよう書かれていた)にもかかわらず、コーザ・ノストラは昔のマフィアの面影にすぎない存在だ。

 

・これらのボスたちがいなくなった縄張りは、コロンビアやジャマイカ麻薬王やロシア・マフィアが代わりに支配することとなった。ロシア・マフィアが1970年代末にこの地域に根づいたのは、ブレジネフがユダヤ人のギャングを刑務所から出所させて、宗教難民としてアメリカに移住することを許可したからだ。

 

ボヘミアン・グローヴ

・南部カリフォルニアのアカスギの森林のなかにある約1100ヘクタールの田舎の避暑地。サンフランシスコのボヘミアン・クラブ(世界各地にいくつか存在する紳士社交クラブで、とくにサンフランシスコにあるクラブが名高い)が、1世紀以上の間、このボヘミアン・グローブと称する土地を所有してきた。ケーブル・テレビやラジオのパーソナリティーで、新世界秩序を痛烈に批判している。9・11真実究明運動の先駆者であるアレックス・ジョーンズによると、この避暑地には、毎年夏、重武装した諜報部員とガードマンの厳重な警備のもとに、世界のエリートが集まるということだ。

 

マルタ騎士団聖ヨハネ騎士団

・カルトとも、秘密結社とも、陰謀とも無関係な、ロードスおよびマルタにおけるエルサレムの聖ヨハネ病院独立騎士修道会別名、マルタ全権騎士団[SMOM])は、ローマ・カトリック教会の俗人宗教教団である。教団の主要な使命は、信仰の保護と布教と病人や貧者の看護であり、組織のモットー「信仰を守り、貧者を助けよ」にその理想が見事に反映されている。

 

・もっと知名度の高いテンプル騎士団の先駆者で、好敵手だったマルタ騎士団は、1085年、エルサレムに聖ヨハネ病院の僧侶の共同体として始まったが、後に軍団となり、聖地に要塞を建てた。

 

パレスチナイスラム教徒に奪還された後、騎士団は最初はキプロスに、1310年にはロードス島に撤退し、1522年まで陸海でイスラム軍と闘いを続けたが、1552年にオスマントルコ帝国の支配者スレイマン1世についに破れてしまう。1530年、騎士団は軍事費と税を負担する代わりに神聖ローマ帝国カール5世から、マルタ島での自治権を与えられた。

 

・しかし、陰謀理論家はSMOMに深い疑いの目を向けている。次のインターネット上の巨大データベース「イリュミナティ・ニューズ」では、新世界秩序にこの組織がしっかりと組み込まれていると見なされている。

 

CIAの長官になるためには、マルタの騎士にならなくてはいけないが、スカル・アンド・ボーンズの会員であっても問題はない。ペンタゴンの支配層で最高の階層に到達するためには、イリュミナティ系フリーメイソンか何らかの騎士団に加入していることが条件になる

 

・2008年3月8日、『テレグラフ』誌の記事のなかで、SMOMの最高評議会の会員ウィンフライド・ヘンケル・フォン・ドナースマルクは、騎士団に隠し事があるという考えに異議を唱え、こう言ったといわれている。「この組織のたったひとつの秘密は、歴史のなかにあります。1000年も歴史があれば、秘密がないほうがおかしいでしょう

 SMOMは左翼からも批判されてきた。第2次世界大戦後、2000ものSMOMのパスポートを発給して、多数のファシスト戦争犯罪人――とりわけドイツ人とクロアチア人――が南アメリカに逃亡する手助けをした。

 

ヤクザ

・体にたくさんのイレズミを入れた日本の暴力団。組員は不始末の詫びを入れるため、小指を切断する。ヤクザは、300年前、暴れまわるかぶき者から身を守るために結成された町奴の子孫である、と自称している。「ヤクザ」という呼び名は数字の八、九、三をくっつけたもので、この数字合計すると二〇になり、花札を使ったおいちょかぶでは、負け手になってしまう。要するに、ヤクザとは「役に立たない」ということなのだ。

 ヤクザの組員は上司と「親分――子分」の契りを交わしている。イタリアのマフィアと同様に、親分は複数いて、親分のなかでも頂点に立つ人物がいる。海外にも勢力範囲を延ばした、国粋主義者児玉誉士夫は、対立するヤクザの間を取り成したり、企業にゆすりをかけた。

 

ロータリー・インターナショナルとライオンズ・クラブ

・1905年、ポール・ハリスというシカゴの弁護士が、三人のクライアント(石炭商のシルヴェスター・シール、鉱山技師のグスタヴス・レール、仕立て屋のヒラム・ショーリー)に、友情と奉仕を奨励するクラブを組織しようともちかけた。「ロータリー」という名称は、会合場所をひとりの会員の職場から別の職場に持ち回りしていく習慣にちなんでつけられた。グループが国際的組織に成長すると、ハリスは「ロータリー・クラブの会員は互いの意見を尊重し、つねに寛容で、友好的であること」を組織の基本方針として、多様性と寛容を強調した。「カトリック教徒、プロテスタント教徒、イスラム教徒、ユダヤ教徒仏教徒は、ロータリーではパンを分けあって食べている」現在、ロータリーインターナショナルは、200カ国に3万3000のクラブがあり、会員数は120万人と公称している。

 

・ライオンズ・クラブ・インターナショナルは、シカゴ・ビジネス・サークルと呼ばれる昼食会から生まれた。この組織の秘書メルヴィン・ジョーンズが、1917年にクラブの全国大会を組織した。彼らは202ヵ国約4万5000の支部と130万人の会員を抱えるが、ロータリー・クラブもフリーメイソンも、アメリカの会員数は次第に減少している。

 

 

 

アメリカ大統領はなぜUFOを隠し続けてきたのか』

ルーズベルトからオバマまで秘密の歴史

ラリー・ホルコム   徳間書店   2015/9/8

 

 

 

戦後の歴史はUFOと共にあった

地球を観察した宇宙人は、この惑星には部族間の紛争に明け暮れる原始的な社会が存在することを即座に理解するのではないだろうか。

 さまざまな場所に多数の防空部隊が配備されている。第2次世界大戦中には、我々地球人は5000万人以上の同類を殺し、1700もの都市を破壊した。そして莫大な資金を投入し、大量破壊兵器を開発した。

 

宇宙人がこの惑星を好戦的だと判断してもおかしくはない。>

・UFOに関する極秘のデータが存在する証拠を知りたい人には、情報公開法(FOIA)を利用すれば閲覧が可能な、NSAのUFO最高機密文書156をお勧めする。どのページもまともに読めるのはほんの1行程度であとは塗りつぶされている。大部分が修正されたCIA最高機密文書もある。判読できるのはほんの数語だ。私の知る限り、NRO(アメリカ国家偵察局)は修正済みの文書を公開したことさえない。

 

・大統領在任中の8年間、アイゼンハワーがこうしたUFO問題の中枢にいたことは間違いなく、おそらく、一部で信じられているように、地球外から来た生命体との第一種接近遭遇に関わっていたのである。

 

大統領がなぜ秘密裏にホローマン空軍基地を訪れたのか

・1955年初頭、この女性の父親はニューメキシコ州にあるホローマン空軍基地で働いていた。そのとき、アイゼンハワー大統領が非公式に飛行機で基地を訪問するという噂が基地内に流れた。基地の職員は、公式な挨拶の機会は予定されていないし、大統領を見かけたとしても手を振ったり、ぼうっと見ていたりしてはならず、いつもどおり任務を続けるように命じられた。

 

・父親の話によると、安全ルールに従って背中に陽を受けながら柱を登り、一番上にたどりついてみると、格納庫の屋根でタールを塗っていた男たちが駐機場のほうを指さし、走りだすのが見えた。また、搭乗員たちがトラックに飛び乗り、走り去っていくのも目にした。いったい何が起きたのかと向き直ると、2つのパイ皿が合わさったような銀色の円盤がこちらに近づいてくるのが見えた父親は瞬きするよりも速く地面に降りると、電源施設に向かって走りだした。一度足を止めて見上げると、不思議な飛行機もまた動きを止め、空中をホバリングしていた。

 

ホローマンで働く者たちの間には、基地で見たものは一切口外してはならないという不文律があった。

 

・今までに紹介した3つの小さなエピソードが、しっかりと裏づけていることがある。1955年2月に、ジョージア州に滞在してウズラ猟をしていたはずのアイゼンハワー大統領は、間違いなくその合間を縫ってホローマン基地を秘密裏に訪れていたのである。