日本は津波による大きな被害をうけるだろう UFOアガルタのシャンバラ 

コンタクティやチャネラーの情報を集めています。森羅万象も!UFOは、人類の歴史が始まって以来、最も重要な現象といわれます。

あの辺りの人たちは、「ネッシー」とか「ネス湖の怪獣」なんて呼ばず、「けだもの(beast)」、ゲール語で“beistean”と呼んでいた。(3)

 

『眠れないほど面白いUFO 9割方、これは本当だ!』

並木伸一郎     三笠書房     2015/11/28

 

 

 

“異次元空間”から地球外エイリアンのUFO出現!

・そして2015年6月29日、「プラズマF装置」は、さらなるポータルがこのテキサス州エルパソ上空で開いたのを検知した。

 そして、このポータルが開いた直後、大気圏に突入してきた地球外エイリアンの“宇宙船=箱型UFO”が、前述したウォルター・ランスはじめ、多くの地元住民によって目撃され、その姿が撮影されたのである。

 

・「いわゆる“ノルディック=北欧型”と呼ばれるタイプのエイリアンのUFOだったと、報告書に記されている」と指摘している。

 

軍事演習「ジェイド・ヘルム15」は“ノルディック狩り”だった!?

・さらに報告書は、ノルディックが現れる各州が「ジェイド・ヘルム15」と呼ばれる軍事演習が行われる中心地と深くリンクすると、指摘している。

 ノルディックの中には、地球人と何ら変わらない外見をしたハイブリッド種が存在し、すでにアメリカ国内にも相当数が紛れこんでいるといわれるが、それを正確に見わけることができるのは、この軍事演習に向けて適切な訓練を受けた兵士だけなのだという。

 

・なぜ、ノルディックがアメリカに侵入してきたのか?その理由は、アメリカ主導の核戦争勃発の危険性を察知し、“監視・警告”のために姿を現しているのだという。

 

元宇宙飛行士、極秘研究に関与した科学者たちの“暴露”

・そして今、これまで沈黙を守っていたアメリカやロシアの元宇宙飛行士や軍人、さらにはパイロット、極秘研究に関与していた科学者などが、機会あるごとに、自身の体験をもとに、地球外から訪れたUFOと宇宙人の存在を“ディスクローズ=暴露”している。

 加えてイギリス、オーストラリア、ブラジル、ドイツの空軍が、これまで極秘にしていたUFO目撃報告事件のファイルを開示しており、UFOの存在は、「もはや疑いようのない事実」だったことが判明しているのだ。

 そう、「UFOの存在は9割方、事実だった!」と言っていいのである。

 

UFOの“スピード”と“加速力”

・一例をあげよう。1967年9月23日午後1時すぎ、アメリカ、アリゾナ州セドナ付近を走行中の車からダウェイト・ゴームリーによって撮られたUFOの軌跡がある。

 

・これをもとに計算すると、UFOの上昇スピ―ドは秒速約4万1400メートル以上、実に音速の120倍という数字がはじき出されたのである。

 

「ウンモ星人」が地球の政治経済の中枢に“先兵”を送っている!?

・1965年、スペインのマドリードを中心に、およそ6700通の手紙が弁護士や公務員、作家のもとに届けられた。

「ウンモ星人」を名乗る送り主からの手紙は、きれいにタイピングされ、宇宙の生物について、ウンモ星人やこの星の宇宙船、哲学、心理学について高レベルな知識に裏づけられた文章で綴られていた。

 驚くことに、彼らウンモ星人は14.5光年離れた母星からやって来て、すでに地球の政治経済の中枢部に“先兵”を送りこんでいるとも書かれていた。

 

エイリアンに“異物”を耳に埋めこまれた弁護士

・UFO内に誘拐された人間が、エイリアンから、耳や鼻の奥から脳内に異物を“埋めこまれる=挿入される”行為を「インプラント」と呼んでいる。

 アメリカ西海岸に住む弁護士のジョン・スミス(仮名・当時57歳)も、そのインプラントされたひとりだ。

 2006年7月、彼はその驚くべきインプラント体験を明らかにした。なんと光のビームによって、まるでテレポートでもしたかのように瞬時に自宅からUFO内に連行されたというのだ。

 このときスミスは、UFO内の壁を見て恐怖を感じたという。なぜならそこには、さまざまな「人間」が吊られ、陳列されていたからだ。

 生きているのか死んでいるのか不明だったが、表情がなく、まるで魂のない抜け殻のような状態だったという。

 

テレパシーで“意のままに”操られる

・それからというもの、スミスはエイリアンから送られてくるテレパシーで、彼らの意のままに操られるようになってしまったのである。

 なお、エイリアンからは、近未来に地球に起こるさまざまな異変に関する警告も与えられ、中でも太陽磁場変動の影響で地球に大変動が発生し、人類存亡の危機に見舞われるというメッセージは、忘れられないものだというが、その後、スミスからの続報は聞かれていない。

 

天才科学者の告発――“地球製UFOが完成していた!”

・2014年8月7日、ある天才科学者がこの世を去った。彼の名は、ボイド・ブッシュマン

 

・その死の直前、彼は「エリア51」で科学者としてUFO開発チームにいた経験、自身とエイリアン・テクノロジーの関係について、さらには反重力推進システムについて、まるで遺言を残すように語っている。 

 さらに、UFOの設計図や、地球でつくられたUFOの写真まで公開。それは、「エリア51」で開発された地球製UFOだと明かしているのだ。

 

・彼の説明によれば、2009年以降、「エリア51」ではさまざまなバリエーションの機体の開発が推進されており、直径は9メートルのものから最大で45メートルを超えるものもある。その機体にはアルミニウムやポリジウムなど3種類の金属が使われており、それ自体が反重力性を有している。

 

・当然のことながら、これらのテクノロジーはすべて、宇宙人からもたらされたものだ。その彼らは、地球から68光年離れた惑星クイントニアに住む宇宙人で、母星から「エリア51」まで45分で移動できる。直径12メートルのUFOに乗っていたという。

その身長は、135~150センチで、少なくとも18体が「エリア51」の施設内で活動していたという。ブッシュマンは、この宇宙人たちと接触し、テレパシーで意思の疎通をしていたといっている。

 

地球内部起源説……「地底人」が極地方から地表に現われている!?

・スーザによれば、UFOを開発するほど高度な文明を持つ惑星が存在するとしても、それは太陽系内ではなくて、銀河系のどこかだろう。だとすれば、UFOが地球へと飛来するには、時間的な問題も含め、多くの困難が予想されるはずである。にもかかわらず、UFOの目撃は毎年、数多く報告されている。

 その理由は、地球内部に巨大な空洞があり、そこには高度な文明を持つ「地底人」が暮らしていて、彼らは極地方に開いた秘密の出入り口からこっそりとUFOに乗って地表に現われている、と説いたのである。

 

・地球内部に空洞があるという伝説は、実は古くから語られてきた。ちなみに、中央アジアに伝わる地底王国アガルタとその首都シャンバラは、その代表的なものだろう。

 こうした地底世界は、科学的にも精神的にも地上の人類よりはるかに進んでおり、“重力を自在に操る乗り物=UFO”が日常的に使用されているというのだ。

 

元CIA職員スノーデンによる驚愕の「リーク情報」

・元CIA職員エドワード・スノーデンが、仰天すべき情報をリークした。「インターネット・クロニクル」というサイトで「地底人」に関する機密文書の存在と、そこに記されていた「人類よりも“知能が高い種族=地底人”が、地球のマントルの中に存在している」という事実を明かしたのである。

 スノーデンは、自身が目にしたUFOに関する文書には「政府の最高首脳陣たちは、UFOとは具体的に何であるかは知らないが、人類より知能が高い種族によって操られている」かのように書かれているという。

 そして最も信憑性が高く、かつ不可解な目撃例としてあげられているのが、熱水噴出孔から海底へと飛び出して、直接太陽の軌道に入っていくUFOの存在なのだ、という。

 

アポロ宇宙飛行士による“暴露”は、なぜ2007年に始まった?

「平和を愛するエイリアンが人類を“自滅”から救う

・2015年8月、6番目に月面を踏んだ男、元宇宙飛行士のエドガー・ミッチェルは、メディアからの取材に応じた際、そうコメントした。さらに、ミッチェルは、宇宙人が操縦するUFOは実在し、アメリカ政府が何十年という長いスパンにわたって情報を秘匿し続けていると語ったのである。

 

・2008年に行われたラジオのインタヴューで、ミッチェルは核時代の幕開けとともに、何十年という長期にわたる、宇宙人による地球人類のモニタリングが始まったという。

 そして、この宇宙には、数多くの知的生命体と文明が存在し、その多くの種族が地球の存在を知っていて、地球人類を見張っていると指摘する。

 中でも数種の宇宙人は、過去の時代に地球を訪れ、人類とのコンタクトをはたしている。とりわけ、“グレイ・タイプ”の宇宙人とNASAは秘密裏にコンタクトを取り続けていると主張したのだ。

 

・「知的生命体は地球人類だけではない。私はたまたま、彼らが太古の地球を訪れていたこと、そしてUFO現象が現実であることを知り得る立場にあった。すべての情報が、過去60年にわたり、政府によって隠蔽されてきたのだ。

 私は軍部とも情報機関とも深くかかわってきた。地球を訪れた知的生命体の存在は、まぎれもない事実だ。彼らのテクノロジーは地球のそれをはるかに凌ぎ、その気になればいつでも地球を乗っ取ることができるが、侵略や制服の意図は今のところない」とも、説いている。

 

 

 

FBI超能力捜査官マクモニーグル

「遠隔透視」部隊の現実 

 (並木伸一郎・宇佐和通) (学研)2007/2

 

 

 

幽霊のハンス

・幽霊もよく見る。亡くなった妻の母も会いにきた。陸軍時代、ドイツでも幽霊を見た。長旅を終えて新しい宿舎に着いた夜のことだ。洗濯をしようと地下に行ったが、どの部屋が洗濯室なのか分からずうろうろしていると、年老いたドイツの男性と出くわした。ドイツ人だと分かったのは、民族衣装を着ていたからだ。

 

・彼に『洗濯室はどこです』かと尋ねると『ああ、こっちだよ。

ついて来なさい』といわれ、『ここだよ』と、部屋まで案内してもらった。私は、礼を言って洗濯を始めたが、目をあげると、彼の姿はもうなかった。

 

・私は、ドアと彼の間に立っていたから、彼が出て行くのに気付かないはずはない。不思議に思って、あちこち探したが見当たらなかった。

 

・同僚たちの部屋に向かう途中で、ふと当り前のことを思い出した。そこは情報関係の建物で、ドイツ人が出入りできるわけがないのだ。部屋に入って、『あのドイツ人は誰だ?』と聞くと『ああ、それは幽霊のハンスだよ』と、あっさりいわれた。部隊では有名な幽霊だったようだ。悪さをしないが、頻繁に姿を見せるという。

 

・現れたり消えたりしながら、アメリカ兵とのコミュニケーションを楽しむらしいのだ。その建物に取り付いているのだろう。ドアを開け閉めすることや、あるいは皆がいる部屋に入ってきたり、ポーカーをしているテーブルの脇でじっとしていることもあった。兵士の一人が怒って灰皿を投げつけたら、灰皿はハンスの体を通り抜けて壁に当たった。

 

 

 

『未確認飛行物体UFO大全』

 並木伸一郎 Gakken 2010/2/2

 

 

 

トルーマン・ベスラム><クラリオン星人に会った男

 1952年7月27日、アメリカ、ネバダ州ラスベガス

・ベスラムがトラックを降りると、すぐそばにUFOが着陸していた。それは直径100メートルにも及ぶ巨大な円盤だった。UFOの中に案内された彼は、美しい女性の機長に紹介されたのである。

 

・その美しい女性はアラウ・レインズと名乗り、太陽を挟んで地球の反対側の軌道にあるために、地球からは見えない惑星クラリオンから来たと述べた。

 

・その後のコンタクトで、ベスラムはUFOに搭乗し飢えや病気のない理想郷のような惑星クラリオンの生活をレインズから聞かされたのだった。ベスラムはまた彼らがエネルギー源として磁力やプルトニウム中性子などを利用していることも知った。

 

・彼はある年、UFOから降りて帰宅する途中、何ものかに追跡され、それ以降、行方がわからなくなった。彼の痕跡は現在にいたるも発見されていない。

 

 600ページにわたる本書も含めて、筆者のライフワークであるUFO現象の探求は2016年で46年を迎えることになった。>

 

 

 

『未確認飛行物体UFO大全』 

並木伸一郎  学研パブリッシング出版   2010/2/2

 

 

 

テキサス事件

40名が目撃した超巨大UFO

直径1600メートルの超弩級巨大UFO

・2008年1月8日夜、アメリカ、テキサス、フォートワース南西にある町スティーブンビルやデルデン、ダブリンの住民たち多数が、巨大なUFOを目撃した。それは日没後の低空を黄色や青、そして白色のライトを点滅させながら、かなりのスピードで飛行していた。町は当然、大騒ぎになった。

 

・このUFOを目撃した人は40名。その証言を総合すると、「ウォルマートアメリカ最大のスーパーマーケット)の店舗よりも巨大」というUFOの直径は約1600メートル。形は扁平、色はグレーで、表面は滑らかだった

UFOは高度約90メートルの上空をときおり空中で停止しつつ、機体に取り付けられた複数のライトを点滅させながら、まったく無音で飛行していた。その背後を、アメリカ空軍の戦闘機が追尾していたという。

 

・UFOの後を追うかのように、軍用と見られる小型のブラックヘリ3機と大型のブラックヘリ1機が、上空を飛行していたのである。UFOはその後、機体を45度に傾けたかと思うと、瞬時に音も絶えず飛び去ったという。

 

 

 

『世界のUFO現象FILE』

衝撃UFO写真とエイリアンの極秘ファイルのすべて

「宇宙からの来訪者たち」の真相に迫る!

並木伸一郎   Gakken   2011/3

 

 

 

<NO153 サラマンカの宇宙飛行士>

中世に飛来した異星人の姿か?聖堂の外壁に見える謎のレリーフ

・実はこの浮き彫りは、11世紀ごろの作品とされ、スぺインの西部、ポルトガルとの国境沿いにあるローマ時代からの都市サラマンカの大聖堂にある。

 サラマンカ大聖堂は、11世紀から18世紀にかけて増築され、新旧のカテドラルが入り組んでいる。その入り口付近には、牛や馬などの動物がモチーフとして表現されているのだが、そのひとつにこの宇宙飛行士が刻まれているのだ。

 すでに当地では有名なようだが、本来は何を表現したものなのかまったくわかっていない。もちろんNASAの宇宙飛行士が登場するはるか以前に制作されたことだけは間違いない。中世ヨーロッパに宇宙飛行士が現れた!そう思えるのだ。

 

NO154 ロンドンの空飛ぶ人間

明け方に謎の発光体を追いかけていた!

・1710年5月11日の午前2時ごろのことだ。イギリスのロンドンでふたりの夜警が夜空に彗星らしからぬ奇妙な物体を目撃しました。

 よく見ると、巨大な黒雲に引きつけられるようにして「手に剣を持った人間らしきもの」がその後を追っていったという。その人間らしき生き物は、「炎の塊」とともに動き、黒雲を追うようにして、フランス方面へ消えていったという。

 写真の絵は当時の様子を表した木版画(出典『不思議の時代』)で、事態を理解できないふたりの夜警は15分ほど固唾を飲みながら見守った。どれほどの規模の大きさなのか、残念ながら記載されていない。

 

NO149 ニュルンベルクの空飛ぶ槍

16世紀の空を飛んだステルス戦闘機か?

・1561年4月14日、ドイツのニュルンベルクで、明け方の空に垂直に滞空する「2つの円筒形の物体」が現れた。しばらくすると、なんとそこから赤、青、黒といったさまざまな色の槍や円盤が飛び出してきたというのだ。

 驚くべきことに、それらはまるで空中戦をしているかのようにぶつかり合い、空を激しく飛び交ったという。

 当時の様子を伝える上の挿画を見ると、右下の丘の上から噴煙があがっている。したがって、槍や円盤はここに墜落したことを示しているのかもしれない。

 記録によれば、この戦いはおよそ1時間ほど続いたという。やがて、お互いに消耗してくると、まるで燃え尽きたかのように煙を出しながら落下しはじめたとされている。といっても、残念ながらその具体的な場所が記録されているわけではないようだ。

 

NO150 バーゼルで起きた空中戦

激しくぶつかり合った黒い球体たち

・1566年8月7日、スイスのバーゼル上空で、空を覆うほどの数の「黒い球体」が発光したり、分裂したりしながら“どうも戦い合ってるらしい”という不思議な事件が起こった。

 明け方、空に巨大な黒い球体が見えたかと思うと、高速で太陽に向かって飛んでいったり、今度は向きを変えて球体同士がまるで戦い合っているかのように衝突しはじめたというのだ。

 多くの球体は、発光したり燃え盛るように赤く変色していたが、同士討ち(?)の破壊が進むとすべてが跡形もなく消え去ったという。

 

・やはり、当時の言葉では認識できない宇宙船のような未知の存在が空を飛びながら、空中戦をしていたのだろうか?

 ちなみに、バーセルでは翌年4月7日にも黒い球体が出現し、今度は太陽を覆うほどの数が現れて、一日中、空に滞空していたとされている。

 

NO156 徳川家康と「肉人」

駿府城へ面会に来た宇宙人か?

・日本にも古くから宇宙人上陸の記録が存在する。それも江戸時代、なんとあの徳川幕府を開いた徳川家康に宇宙人が会見を求めてきたとおぼしき事件を記した古文献だ。

 文献は、江戸時代後期の随筆集『一宵話』と呼ばれる「異人」の項で、筆者は尾張の秦鼎。慶長14年(1609年)4月4日、駿府の城にどこからともなく珍無類の「変化のモノ」が現れたというのだ。

 その形は「小児のごとくにして、肉人ともいうべく、手はありながら、指はなく、指なき手をもて、上をさして立」っていた。警戒厳重なこの城内にどうやって入り込んだのだろうか、武士たちが「くせもの!」といって追い回すと、どこへやら姿をくらましてしまったという。

 

肉人が会見を求めてきた徳川家康

・肉人というからには、全身毛のないつるりとした容姿をしている。ここから「宇宙服をまとっていたので裸に見えたのではないか」ともいわれる。身長はおそらく1メートルほどであるからグレイ・エイリアンのような存在だったのかもしれない。

 この奇妙奇天烈な肉人が姿を消したあと、天守閣の方角から大きな火の玉が上がったというから、この宇宙人を乗せたUFOが飛び去っていったのかもしれない。

 

NO157 虚舟

<江戸時代の海岸に漂着したのは宇宙人か?

・江戸時代のUFO飛来事件とおぼしき出来事を伝える記録がある。

時は享和3年(1803年)2月24日午後。旗本の小笠原越中守の知行所、常陸国の領内であるはらやどり浜の沖合に奇妙な船が漂着した。土地の漁民たちは小舟を漕ぎだしてその船を浜辺まで引いてきた。

 

虚舟事件を伝える瓦版

・船は直径5.4メートル。上部はガラス張りで鉄板を張り合わせた頑強な造り。船内には異様な風体の女がいた。髪は赤く、言葉は通じない。女は60センチ四方の箱を大事そうに抱えていた――。

これは1825年に滝沢馬琴がまとめた『兎園小説』で「虚船の蛮女」として紹介された話だ。事件の現場は茨城県鹿島灘沿岸のどこかと思われるが「はらやどり浜」という地名が存在せず、郷土史研究家たちの間では、事件そのものは架空のものではないかといわれつづけてきた。だが、事件について報じる記録は他にもあり、『梅の塵』、『鶯宿雑記』、瓦版が見つかっている。その瓦版では、虚船の窓がスピーカーのように描かれているのが特徴だが、いずれもその女性と異船がどうなったかは明らかにされていない。

興味深いのは船内に書かれていたという謎の蛮字だ。UFOコンタクティらが証言する宇宙文字に酷似しているのだ。

 

NO159 黒又山と環状列石

・日本最大のストーンサークル秋田県鹿角市十和田大湯にある環状列石群だ。直径40メートルの野中堂遺跡と直径46メートルの万座遺跡からなる。

 このすぐ近くには黒又山(通称クロマンタ)がある。以前からピラミッドだと目されてきた山だ。日本のピラミッドとしては唯一、本格的な学術調査が入った場所でもある。1992年の調査では、山頂で縄文後期から続縄文期にわたる祭祀用土器が多数発掘され、山岳祭祀の遺跡であることが判明した。

 

鳥谷幡山が描いた黒又山の発光体

・ここでは、以前から謎の発光現象が発生しており、かつて地磁気を利用した未知のエネルギー装置として機能していたのではないかという説もあるほどだ。

 さらにストーンサークルとクロマンタを結ぶ線上で、頻繁にUFOが目撃されているのも興味深い。実際、1993年の総合調査では、調査団によって山頂部に青白い炎のようなものが目撃されているのだ。

 未知の山クロマンタとストーンサークルは、古代よりUFO現象と関係があったのかもしれない。

 

 

 

『未確認動物 UMA 大全』

並木伸一郎  Gakken   2012/2

 

 

 

カッパ

目撃地域と形態

・“カッパ”は川や沼、淵に棲息するという、妖怪型の未確認動物だ。北は北海道から南は沖縄まで、この妖怪にまつわる伝説は、日本全土で語り継がれており、古くから実在する生物だと考えられてきた。その呼び名も、地方によってさまざまだ。

 

・たとえば、“メンツチカムイ(北海道)”“メドチ(東北)”“カワコ(中部)”“ガタロ(関西)”“エンコ(四国)”“ヒョースベ”“カワノトノ(いずれも九州)”とかなりの違いがあるが、関東地方におけるカッパと、そのイメージはほぼ一致する。

 

・体長は1~3メートル。顔はトラ、あるいはカエルに似て、くちばしをもち、ヌルヌルした皮膚、背と腹にカメの甲羅のようなものがある。頭には皿があり、これが濡れている間は怪力だが、乾いてくると情けないほどに無力化する。清流を好み、人間を襲うこともあれば、助けることもある。好物はキュウリ、人の魂。苦手なのは金気があるもので、イタズラ好き。人間に相撲を挑みたがる。

 

・カッパにまつわる伝説は古く、わが国最古の勅撰正史『日本書紀』にも「河伯」として記載されている。その他、江戸時代後期に出版された見聞録『耳嚢』や『甲子夜話』などの諸書にも登場する。

 

主な目撃例

カッパは中国・唐から移住してきた?

熊本県八代市を流れる前川の徳淵ほとりには、「河童渡来之碑」がある。この石碑の由緒は古く、5世紀前半の仁徳天皇の時代まで遡るという。

 由来によれば、唐の時代、黄河の上流にカッパの一族が棲んでいた。あるとき、カッパの統領が移住を決心して、一党を引き連れて黄河を下り、日本海に出て、九州一の大河・球磨川に棲みつくこととなった。その後、一族は繁栄し、9000匹にも増えたという。

 

・しかし、数が増えるにしたがい、人間にイタズラをする者も出てきた。そこで肥後(熊本県)の領主・加藤清正は九州中のサルを集めてきて、カッパたちを攻めた。

 さすがのカッパも、天敵・サルの攻撃にあってはなすべくもなく降参したのである。そして久留米の有馬侯の許可を得て筑後川に移り棲み、やがて水天宮の使いになったという。

 このような伝説に彩られているカッパだが、決して架空の存在ではない。その姿を実際に目撃したと語る人々が、数多存在しているのである。

 

正体の研究・考察

カッパ=恐竜人間族説

・1982年、カッパ研究に光明を与える興味深い仮説が提唱された。カナダ、国立自然科学博物館のデール・A・ラッセル博士が、恐竜の化石研究を通して想定した“ディノサウロイド(恐竜人)”説である。

 博士が研究対象としていたのは、中生代白亜紀に棲息していたトロオドンという、体長2メートル程度の小型肉食恐竜である。この恐竜の脳がかなり発達していたことから、そのまま恐竜の脳がかなり発達していたことから、そのまま進化を続けていけばどうなるかを、人間などの生物学的進化のデータを援用して、理論的に恐竜人間のモデルを描いてみせたのである。 

 

・その結果、現れた恐竜人間像は体長1.2メートルほどで、爬虫類に似た皮膚をもち、3本の指や巨大な目があるなど、驚くほどカッパの姿に酷似している。

 アメリカなどでも、半漁人やカッパもどきの異形の未確認動物がときどき出没して、人々を驚かせている。これらのカッパをも含めた“恐竜人間族”の子孫なのかもしれない。

 

ケンムン  目撃地域と形態

・鹿児島県の奄美大島には、カッパによく似た妖怪タイプの未確認動物“ケンムン”が棲息している。この怪物は頭に水の入った皿をのせ、全身が黒、もしくは赤色のサルのような体毛に覆われている。体長約1~1.3メートル。顔はサル(イヌ、ネコとも)に似て、髪はオカッパだという。まさにカッパもどきの生物だ。

 

キムジナー アメリカ人形のような縮れ毛の怪奇動物

沖縄には“キムジナー”と呼ばれる怪奇動物が棲んでいる。人間の小さな子どものような体格で、ザンバラに垂らした真っ赤な縮れ毛、そしてサルに似た容貌など、ケンムンに非常によく似ているが、種類は異なると思われる。キムジナーは古木に宿る精霊と考えられている。とくに、ガジュマルなどの老木を好み、川岸や水辺によく出没する。

 

 

(<●●インターネット情報から●●>

 九千坊本山由来記 昭和31年  福岡河童会発行「九州の河童」所載)

 

九千坊物語

・いまは昔、河童の先祖はパミール山地の一渓水、支那大陸の最奥、中央アジア新琵省タクラマカン砂漠を流れるヤルカンド川の源流に住んでいました。寒さと食糧不定のため、河童たちは二隊に分かれて大移動を開始しました。一隊は頭目貘斉坊(ばくさいぼう)に率いられて中央ヨーロッパハンガリーの首都フタペストに到着し、この地に棲息しました。頭目九千坊は、瑞穂の国日本をめざし部下をひきつれて黄河を下り黄海へ出ました。そして泳ぎついたところは九州の八代の浜です。仁徳天皇の時代、今からざっと干六百年の昔です。九千坊一族は、球磨川を安住の地と定めました。

 

加藤清正に追われた九千匹の河童の大移動。尻小玉を抜いたばかりに

・三百三十年前、肥後の国の城主は加藤清正でした。清正の小姓に眉目秀麗な小姓がいました。清正寵愛の小姓に懸想した九千坊は、約り糸をたれていた小姓を水底に引きずり込んで、尻小玉を抜いて殺してしまいました。清正公は大いに怒り、九千坊一族を皆殺しにせんと九州全土の猿族を動員することとなりました。関雪和尚の命乞いによって球磨川を追放された九千坊一族は、水清く餌豊富な筑後川に移り、久留米の水天宮(安徳天皇平清盛と時子二位局とを祀る筑後川治水の神)の御護り役となりました。

 

・幕末、有馬家高輪の下屋敷内に水神様が祀られ、九千坊一族は、その近くの海に移り住みました。文化年間、有馬家は、水神様をお江戸は日本橋蛎殻町へ移し水天宮を祀りました。すると九千坊の-族も、日本橋へ転居し隅田川へ。ところが何しろ、九千匹の河童ども。中には色好みの河童もいれば、食い気ばかりの河童もいました。人畜にいたずらをする河童もあれば、水中交通道徳を守らない河童もいます。頭目九千坊より破門されたこれらの河童たちは、全国の川に散っていきました。

 

 お江戸を見切って筑後川

・江戸というところは部下の統率上おもしろくない場所であると悟った頭目九千坊。有馬の藩主に許しを乞い、古巣筑後川に帰ってきました。筑後川は餌まことに豊富である上に、筑後川沿岸や、その支流巨瀬川畔の人々は、人情こまやかで河童に対しても親切であり、まことに天然の楽土。九千坊は部下の河童どもとここを安住の地と定め、九十九峯とも呼ばれる耳納山地が眺められる、水清き巨瀬川の田主丸馬場の蛇淵を本拠とし、今日に及んでいるとか。