日本は津波による大きな被害をうけるだろう UFOアガルタのシャンバラ 

コンタクティやチャネラーの情報を集めています。森羅万象も!UFOは、人類の歴史が始まって以来、最も重要な現象といわれます。

今やバイオテロの脅威と常に背中合わせの時代だ。ウイルスの保存推進派は、新たな感染発生に対応できる、人類の唯一の希望を葬り去ってしまうのは狂気の沙汰だと、強く主張している。(2)

 

ヒル夫妻誘拐事件 「ぞっとするUFO話、夫妻はとらえられたのか?」

・1961年9月19日の夜、10時半ごろのことである。ベティは夜空に光を見つけ、それは、不規則に動きながら自分たちを追ってくるように見えた。見知らぬ惑星? 流れ星? 飛行機? 車を減速させ凝視すると、光を点滅させている円盤状の機体に見える。やがてヒル夫妻が道の真ん中で車を止めると、パンケーキ形の回転する機体が。30メートル前方で、15メートルほど宙に浮かんでいた。車を降りたバーニーは、双眼鏡をのぞき、黒服を着た小さなヒューマノイド[ヒト型のエイリアン]たちが、円盤のぐるりにある窓からこちらを見ていると妻に告げる。恐ろしくなった彼は慌てて妻のもとへ戻り、車を発進させた。走っている車の背後から、連続する奇妙なビープ音が聞こえてくる。その後ヒル夫妻は、まどろんだ状態(意識変容状態)になったといい、予定より2時間ほど遅い午前5時15分にようやく家に着いた。

 

・事件から数日後、ベティは出来事をつなぎ合わせた鮮明な夢をいくつも見た。夢のなかではバーニーが幹線道路からそれて森林地帯へ入り、そこでふたりは小さなヒューマノイドの一団に出会い、着陸していた円盤に誘い込まれる。ベティは彼らを、身長150センチメートルほどで目が大きく、口は細い切れ込みで、耳は出ていなかったと描写している。彼らはわずかに片言の英語を話した。円盤に乗ると、やや抵抗したものの、バーニーとベティは別々の身体検査に連れて行かれた。どうやらヒューマノイドのエイリアンとヒトとの違いを知るための検査のようだった。ベティの話では、何もない部屋へ連れ込まれ、耳、鼻、のど、眼を調べられ、髪と爪と皮膚のサンプルをとられたという。へそに大きな針を差し込まれて激痛が走ると、すぐに彼らは手を止めた。ベティは彼らのひとりと会話をし、銀河系の詳細な星図を見せられた。

 

・2年後、ヒル夫妻は、兵士の心理的トラウマを専門とする精神科医、ベンジャミン・サイモン博士による催眠セラピーを初めて受けた。バーニーは、潰瘍と不安とストレスをなんとかしようと、別の医師からサイモンを紹介されていたのだ。バーニーへのセラピーでは、彼自身の――ベティより詳細な――身体検査、自分と誘拐者たちのあいだでテレパシーを交わすときのひどくぞっとする感じなど、ベティの夢と同じモチーフが現れた。ベティが見せられた星図もこうしたセラピーで明らかにされ、その後復元された。点を結んでいき、ある人々によって、レチクル座ゼータの連星系を示すものと結論づけられたのだ。

 

誘拐――地球外生命の接近遭遇の心理学

ナショナルジオグラフィック協会が2012年に1114名のアメリカ人を対象におこなった調査によれば、36パーセントが「UFO」の実在を信じており、信じていないのは17パーセントにすぎなかった。残りは「わからない」という回答だ。この調査では、UFO(未確認飛行物体)をエイリアンと明確に同じものとは言っていないので、少し注意しなければならないが、ほとんどの回答者は暗にそのふたつを同じものと見なしていたと考えていいように思えるここからアメリカの人口に敷衍すれば、およそ8000万のアメリカ人が、本書の寄稿者の大半は「地球外の」生命の可能性をただ推測して時間を無駄にしていると思っていることになる。それどころか、回答者の10パーセントは自分の目でUFOを見たと言っていた。

 

・同じような結果は、イギリスの調査でも得られている。2014年に1500人の成人と500人の子ども(8~12歳)を対象におこなわれたアンケート調査によれば、成人の51パーセントと子どもの64パーセントがエイリアンの実在を信じ、成人の42パーセントと子どもの50パーセントがUFOの実在を信じていた。

 

・J・アレン・ハイネックは、1940年代から60年代にかけてのUFO目撃報告を調査するいくつかのプロジェクトで、アメリカ空軍の科学顧問を務めたアメリカ人天文学者である。当初UFOに懐疑的だったハイネックは、のちに考えを変えたことで有名で、それにより物議を醸した。地球外生命仮説、つまりUFOは地球外生命の宇宙船だとする見方についても、UFO目撃報告は「別次元」から来た知性体のあかしかもしれないというさらに物議を醸した考えについても、擁護できる「十分な証拠」があると言ったのだ。そのうえ彼は、UFOとのコンタクト(接触)の分類体系を作った。

 

第一種接近遭遇

・ハイネックの分類による第一のタイプの接近遭遇は、目撃のみで、ほかに裏づける証拠がないものだ。

 

・プロのパイロットが自分の機から数百メートル以内を物体が飛んでいったと報告したが、さらなる調査で何百キロメートルも先の流星だとわかったというケースは、いくつも記録に残っている。

 

第二種接近遭遇

・ハイネックの分類で二番目にあたるのは、なんらかの物的証拠があるケースだ。ふつうは写真やビデオの証拠だが、着陸地点とされる場所の地面に残った跡や放射線量の増加、さらにレーダーの記録も、そうした証拠に含まれる。

 

第三種接近遭遇

・このスピルバーグの有名な映画の原題は、人間とエイリアンが直接コンタクトすることを指している。1952年、ジョージ・アダムスキーは、カリフォルニアの砂漠で魅力的なエイリアンに会い、宇宙船の乗せられたとまで主張した。彼は、その時代のいわゆる「コンタクティー(被接触者)」の最初で、どのコンタクティーも、友好的なエイリアンとの冒険についてベストセラー本を書いている。そうした話は、面白くあるが、当時のUFO研究家にまともに取り合われず、彼らは概して、コンタクティーたちは「過激な狂信者」で、UFO研究の評判を落とすことになると感じていた。

 

・ひょっとしたら、そのように暴かれることへの対応かもしれないが、数年すると、形ある宇宙船の訪問ではなく、精神感応によってコンタクトされたという主張が流行りだした。コンタクティーはたいてい、トランス状態に入り、地球へのメッセージを伝えるために、エイリアンに「乗っ取られる」ようだった。

 そうしたケースのエイリアンは、近くの惑星から来たとされることが多かった。テクノロジーが進歩して太陽系のことがもっとわかるようになると、火星や金星といった惑星の環境は、コンタクティーの語ったものとはまったく違うことが明らかになった。

 

・確かに言えるのは、コンタクティーが自分を信じる人々にわざと嘘をついていたにせよ、純粋に錯覚していたにせよ、その主張に事実の根拠がいっさいなかったということである。

 

第四種接近遭遇

ハイネックはこれまで語った三つのカテゴリーを提案しただけだが、もっと最近の識者たちは第四のカテゴリーを加える必要性を感じている

第四種接近遭遇は、人間がエイリアンに誘拐されたとされる遭遇ケースだ。そんななかでも最初期のひとつとして、ブラジルの農民アントニオ・ヴィラス・ボアスのケースがある。彼の話では、1957年、夜に農場で働いていて誘拐され、魅力的な女性のエイリアンとセックスをさせられたのだという。女性のエイリアンは、行為のあいだ吠えるような声を発していた。このケースの数年後、おそらく最も有名なエイリアン誘拐疑惑事件が起き、世界中のメディアで報道された。これが、第3章で語られたヒル夫妻のケースだ。

 

どれだけ多くの人が、エイリアンに誘拐された自覚的な記憶があると言っているか、その正確な数はわからないが、何万にもなりそうだ。そうした記憶ではたいてい、寝床で金縛りとともに目覚めるとか何かの存在を強く感じ、エイリアンが見え、宇宙船に連れ込まれていろいろな医療処置を受け、寝床へ戻される。単調なロングドライブのあいだに誘拐され、エイリアンの宇宙船を見せられたり、それに乗せられたりして、人類へ持ち帰るメッセージ――多くは環境汚染や核戦争の危険についての警告――を与えられるといったバリエーションもある。

 

・エイリアンに誘拐されたとする主張の大半はおそらく偽りの記憶――つまり、実際には起きていない出来事についての見かけ上だけの記憶――にもとづいている。という見解を歌づける証拠は増えている。第一に、おしなべて、誘拐されたという人の人格特性は、対照群に比べ偽りの記憶をとくにもちやすい。

 

・第二に、ハーヴァード大学のスーザン・A・クランシーらの研究では、エイリアンに誘拐された自覚的な記憶を語る人は、対照群に比べ、偽りの記憶のもちやすさを直接測る実験法で高いスコアを示した。

 

・第三に、エイリアンによる誘拐の記憶を「復元する」とされた、退行催眠などの手法は、今では、期待、思い込み、空想のほか、観た映画や読んだ本などのリアルな記憶の断片といったものをもとに、偽りの記憶を作り出しやすいと広く認められている。

 

・ここで注目したいのは、退行催眠などの怪しげな「記憶復元」法では、一般に、期待される内容の記憶が復元されるという事実である。そのため、被験者が自分はエイリアンにさらわれたのではないかと思っていると、それが「復元された」記憶によって追認されてしまう。

 

・どんな経験が、そもそも自分はエイリアンにさらわれたのではないかと人々に思わせ、経験の記憶全体を復元しようとさせるのだろう?そのきっかけとなる経験としては、UFOかもしれないものを目撃するとか、「時間が欠落する」経験をするとか、いつできたのかわからない傷跡を体に見つけるとか、いろいろありうるが、どれもまるっきり平凡な別の説明ができる余地がある。

 

結論

科学ではまだ、エイリアンと接近遭遇したという何万もの主張がすべて誤認であることを確実に立証したとは言えない。だが私は、十分に確立した心理学的原理によれば、J・アレン・ハイネックが提唱した各種「接近遭遇」に対し、妥当な説明が別にあることをここで示せたのならいいと思っている。そこで、本書に寄稿しているほかの方々が、今はまだ宇宙が生命に満ちあふれているのかどうか、生命がわれわれの惑星だけで生まれたのかどうかはわからないと述べているのは正しい、と私は主張しておきたい。かれらは、きっとこの結論で安心するにちがいないし、読者であるあなたも、彼らの章を読んであれこれ考えても時間の無駄ではないと安心できるだろう。

 

 

 

 『旅がなければ死んでいた』

坂田ミギー ベストセラーズ  2019/7/1

 

 

 

旅マニア/エッセイスト/クリエイティブディレクター

・年間旅行日数100日以上の旅マニア。20代でうつ病を患い、プチひきこもりになるも、回復期にインドを旅したらどうでもよくなり寛解。がんばったら幸せになれると信じて日々を生きるも、過労と失恋で「このままじゃ死ぬ」と気づき、命からがら世界一周へ。旅を機に立ち上げたブログ「世界を旅するラブレター」は、世界一周ブログランキング上位常連の人気ブログに。

 

旅に出る前、わたしは社畜だった

・朝から深夜まで働き、寝て起きてシャワーを浴びたら、また仕事。

 裁量労働制という名の、残業代の出ない定額働かせ放題システム。定額で使い放題なのは、データ通信量だけにしていただきたい。

 とはいえ、がんばっていればチャンスはもらえるし、貧乏性なうえ使う暇がないので、勝手に多少の貯金はできた。

 

・そうして数年が経ち、増える一方の仕事に埋もれていた、ある日、

 オフィスに3日連続お泊り中だった。自分の異変に気がつく。うれしくも悲しくもないのに、涙が止まらない。視界が滲んで、エクセルが読めない、使えない。エクセルのせいかと思ったが、フォトショップでも、ワードでも、結果は同じだった。それから、さらに数日後。

 変なものを食べたわけでもないのに、吐き気がした。

 トイレで吐いてびっくり。便器が真っ赤。

 

・このままじゃ精神も肉体もやられて、最悪死ぬ可能性もある。20代の数年をうつ病に費やしていた自分は、このまま沼にハマるとどうなるかわかっていた。

 

出発早々プチトラブルに見舞われつつも、旅の初夜に手紙を放つ。(中国・北京)

・中国の北京空港に降り立ち、荷物をかついでホテルの迎えを探す。

 出口で掲げられたネームカードをひとつずつ確認していくも、自分の名前が書かれたものは見つからない。あれ? おかしいな……ちゃんと予約したときに送迎もお願いしたのに。そう思ってホテルに電話を入れるも、英語が通じないまま切られてしまう。そうだ、ここは中国だ。

 大学では第二外国語で中国語を選択した。普通は2年間で終える過程を、落第してわざわざ3年間も学ぶくらい、中国語には慣れ親しんでいた。3年間も中国語を読み書きしていたのに「あなたのホテルから迎えが来ていません」の一言すら出てこない。あの3年間は一体何だったのだろうか。

 迎えに来てもらうのは諦め、タクシーに乗ってホテルへ向かう。

 到着後、フロントで再度「なぜ迎えに来なかったのか」と言うも、やはり英語が通じない。

 おたがいの言い分が伝わらないままワーワー言い合っていると、横から端整な顔立ちをしたカピバラのような好青年が現れて「どうしたのですか?」とニッコリ。事情を話すとカピバラさんは通訳をかってでてくれ、ようやくスタッフとの意思疎通ができた。

 どうやらホテルで問題が起きたらしく、迎えにいけるスタッフがいなくなってしまったらしい。

 しかし、そんなことを言われても、こちらはタクシー代を払うハメになったので「そうですか」とは引き下がれない。

 タクシー代を宿泊料から減額してほしいと話すと、値引きはできないが、このホテルで一番いい部屋にアップグレードするから勘弁してくれと言われる。

 

UFOの飛来するスピリチュアルな街で起きたハプニング・ライフ。(ブラジル、アルトパライソ)

・わたしはスピリチュアル派でもなければ、オカルト好きででもないのだが、おもしろそうなものがあると、ついつい手を出してしまう性癖がある。

 ブラジルには、UFOが頻繁にやって来ることで(一部のマニアのあいだでは)有名なアルトパライソという街がある。

 UFOなんぞ信じてはいない。見たことがないからだ。もしUFOを見ることができれば、それは価値観が変わりそうなくらいに、衝撃の出来事であることは間違いない。これは自分の価値観をぶち壊して再構築する旅なので、ぜひUFOを拝見せねば。

 UFOが飛来する街なら、もしかしたら宇宙人に会えちゃうかも。宇宙人はわたし好みの犬顔の男性の姿をしているかもしれないし、アメーバ状でローションのようなヌルヌル生命体かもしれない。

 運命の相手は、宇宙人。なんともいいストーリーではないか。それならば、いままで地球人とうまくいかなかったことも納得できる。

 UFOと宇宙人を目当てに、さっそくバスを乗り継いで、その街へと向かった。

 

アルトパライソは、ヘンテコな空気が流れる街だ。街のあちこちにUFOのオブジェが置かれているし、壁にはたくさんのUFOの絵が描かれているし、UFOの御用達らしい公園(通称UFO公園)もあるし、UFO型の宿泊施設まである

 アルトパライソは、南米におけるヒッピーと宇宙人のたまり場のような場所なのだと、全身タトゥーだらけのゲストハウスのオーナーは笑う。

 この街のUFO以外の娯楽といえば、滝である。

 

・映画館やゲームセンターのようなものはないが、滝だけはたくさんある。滝はどれもが美しい自然のなかにあり、観光案内所には滝マップが置かれていた。というより、滝以外に推せる場所やアクティビティがほとんどないので、観光案内所は滝案内所と化しているのだ。

 街のあちこちで行われている謎のイベントに精力的にでかけてみると、宇宙に声を届ける会(発声練習)だったり、宇宙を感じる会(瞑想)だったりした。

 

シャーマンパワーは本物なのか ⁉ 幻覚剤アヤワスカ・トリップ、(ペルー。サンフランシスコ村)

・わたしは目に見えるもの以外は信じてこなかったし、科学的に実証されていないものを疑って生きてきた。

 たとえば、霊感だとか、UFOだとか、超常現象だとか、神さまだとか。

 それは自分に実感がないせいだろう。霊感はないし、UFOは見られなかったし、超常現象なんて体験したこともないし、もし神さまがいるとするなら、この世はけっこう残酷な仕上がりだ。

 

・それでも、占い師やスピリチュアル・カウンセラーみたいな人が、本当に霊的なチカラがあるのかといえば、それはちょっと「?」と思ってしまう、へそ曲がりな人間、それがわたしだ。

 

・そんな自分の偏屈な部分をタコ殴りにしてみたいと、やってきたのがペルーのサンフランシスコ村だ。この村には数人のシャーマンが住んでおり、彼らは幻覚剤アヤワスカを使って、その人に必要なビジョンを見せるセレモニー(儀式)をしてくれるのだという。

 アヤワスカは、ホフマン博士が生み出した有名な幻覚剤LSDを遥かにしのぐ効果があるらしく、なんとその差100倍とのウワサだ。

 LSDの100倍もぶっ飛ぶといわれる強烈な効果のせいか、アヤワスカを違法とする國もあるのだが、ペルーでは合法。

 それもそのはず、アマゾン上流域のシャーマンは、古くからこのアヤワスカを使ったセレモニーを通じて、さまざまな精霊たちと交わり、そこで得られたビジョンを用いて村の行事を決めたり、争いごとを解決したり、病気の治療をしてきたのだ。

 

・サンフランシスコ村は、小さな空港のあるプカルパから、バイクタクシーで20分弱。そしてヤリナコチャの湖畔から、エンジン付きのボートで1時間半ほどであり、アクセスはそんなに悪くない。

 偶然リマから同じ飛行機でプカルパまでやってきた、スラリとしたイギリス人の美女タニアも、これからサンフランシスコ村で2週間ほど滞在して、セレモニーを受ける予定だという。

 以前イギリスでサンフランシスコ村から招待されたシャーマンの女性・リサのセレモニーに参加したところ、人生が変わるくらいにすばらしい経験ができたらしい。

 

・シャーマンと一括りに言っても、その質はさまざまだ。

 数年前にはセレモニーでオーストラリア人が死亡し、その死体が遺棄された事件があった。アヤワスカで酩酊状態の女性をレイプする極悪シャーマンだっている。

 少々マニアックなジャングルなので、最新のシャーマン情報を得るのも一苦労。これもなにかの縁だろうと思い、わたしもタニアと同じシャーマンのところでお世話になることにした。

 夜になり、命の気配がそこかしこにある紺色のアマゾンを、ボートが音を立ててすべっていく。

 アヤワスカセレモニーを希望する者は、そのセレモニー主のシャーマンと、同じ敷地に滞在するのが一般的だ。わたしたちの滞在する施設は、どんな感じだろうか。

 

・荷物を置いて、タニアとダイニングのある小屋へ行くと、そこではすでに10名の男女がキャンドルを囲んで談笑していた。全員がアヤワスカセレモニーのために世界各国から集まり、きょうからここに滞在するのだという。

 ちょうど自己紹介をしていたところだったらしく、われわれも仲間に入る、アメリカから来た男性3人組のほか、フィンランド、スペイン、オーストラリア、フランス、イギリス、チリ、ぺルー、そして日本と、グローバルな顔ぶれだ。

 アヤワスカの経験者は4人。リピートしたくなるようなすてきな体験なのだろうかと、期待におっぱいがふくらむ。

 リサのセレモニーを受けるために、ほぼ全員が2週間以上滞在する予定らしい。さながらアヤワスカ合宿だ。

 

・食事をとり、セレモニーに使うアヤワスカづくりをお手伝い。

 アヤワスカとは、アマゾンに自生しているツル植物の名前なのだが、実はアヤワスカ単体だけでは、十分な幻覚効果は得られないアヤワスカをハンマーで叩いてほぐしたものに、緑の葉チャクルーナを加えて長時間煮込んだものが、幻覚剤アヤワスカと呼ばれている。

 昔の人はどうしてこの茶色のツルと、緑の葉をあわせて煮詰めると、幻覚剤ができるとわかったのだろうか。そんなことを考えながら、ボコボコとアヤワスカを叩き続けた。

 

・サンフランシスコ村のあるプカルパ周辺だけでなく、東に位置する街イキトスなどでも、観光客向けにアヤワスカ・セレモニーが行われている。イキトスでは一晩で何万円もする、ラグジュアリーな宿泊施設がいくつもあり、各国のセレブも数多く訪れていると聞く。シャーマニズムが、観光資源として使われるようになってきているのだ。

 

・開始時間は、明日の夜8時。リラックスすることがたいせつなので、締め付けのない服を着ること。濃い色の服は避け、できれば白い服が望ましいこと、嘔吐したくなったら我慢せずに、そばに置かれたバケツに出すことなどが告げられる。

 

・・それから参加者はひとりずつリサのもとへ行き、彼女から注がれたアヤワスカを1杯ずつ飲んでいく、

 自分の番になって、いざコップに入ったアヤワスカを見ると………量が多い。180ccはあるのではなかろうか。ドロドロで嗅いだことのない臭気をはっしている。

 気合いを入れて、一気飲みした。カカオを粘土の高い液状にして、仕上げに泥をぶち込んだような、なんとも表現しにくい味と臭い。絶妙なマズさだ。

 

・リサとそのとなりにいた男性のシャーマンが、ふぅと一息ついて、歌をうたいはじめた。シャーマンによって受け継がれている歌、イカロだ。

 

・目を閉じるとビジョンが見えやすいと聞いていたので、まぶたをかぶせると緑色のフラッシュがまたたく、ハッキリとしたモチーフが見えたり、劇的な変化が起こったりするのではないかと観察しているうちに……そのまま眠ってしまった。

 

・翌朝、わたしが起きたのを見つけると、近くにいたみんながハグをしにやってくる。

「どうだった、どんな体験だった」と次々と聞かれる。みんな自分の体験を話したくて、そしてほかの参加者の体験を聞きたがっていた。彼らの話を聞くと、ほとんどかなり深いところまでビジョン・トリップをしてきたようだ。

「ミギーはどうだったの」と聞かれるが、特に話せるようなことは起きなかったので、それを素直に伝える。

 

・前夜のセレモニーでビジョンが見えなかったのは、わたしとスウェーデンから来た学校教師のスーだけだった。

 

・もっとアヤワスカシャーマニズムを体験したかったが、いまの自分にはビジョンよりも送られたモアイのほうがたいせつだ、きっと、いまはそういうタイミングだったのだろう。リサに礼を告げ、スピリチュアルな仲間たちに見送られ、後ろ髪を引かれながら、施設をあとにした。

 

「当たり前」

学校や仕事を休んだり、辞めたりして、長旅に出ることも、いまは世捨て人だ、人生の落後者だと揶揄されるけど、そんなの超ナンセンスだし、こういう「当たり前」も、率先して時代錯誤としていきたい

 こういう社会の「当たり前」を変えていくには、長い時間がかかるけれど、自分の「当たり前」は、案外どうにか変えることができる。

 

サプライズ好きはインドに行こう。いいサプライズだけではないけれど。(インド、カソール)

・「インドに行けば人生観が変わる」とか、「インドに行った人間は二種類に分かれる。大好きになるか、大嫌いになるかだ」などといったフレーズは、バックパッカーのあいだで、耳にタコができるほど繰り返されてきた。

 かくいうわたしの初インドは、大学の卒業旅行。タイとミャンマーを旅したのち、ひとりでインドへと流れ着いた。同級生たちが欧米でオシャレな旅行を満喫している裏で、わたしはインドで牛のウンコを踏んでいた。

 

・初のインド旅は、ひどい結果に終わった。到着3日目で高熱を出し、下痢と嘔吐が止まれなくなる、いわゆる「インドの洗礼」を思いっきり受けたのだ。

 ニューデリーの安宿街パハールガンジにある、ドミトリーのボロいベッドの上で、唸りながら毎日をすごす以外になす術はなかった。ドミトリーは5階にあり、安宿なので、もちろんエレベーターはない。バックパッカーの溜まり場的な街だというのに、このとき宿泊客はほかに誰もいなかった。この当時スマホはなく、スタッフはまったく掃除に来ないので、誰にも助けを求められない。

 

・買い置きしていた水と食料が尽きたとき、階段を下りることもできなかった瀕死のわたしは、窓の外から聞こえるインドの喧騒を聴きながら涙し「このまま他界するかもしれない」と本気で思ったものだ。

 数日後、真っ白な顔で死期を待っている宿泊客の存在に、ようやく気づいた宿の従業員が、水だのバナナだのを買ってきてくれ、一命はとりとめた。

 それから1週間経っても下痢が治らないので、いったんインドを離れようと安い航空券で香港に飛び、中華粥を食べて、静かなベッドで療養に専念。

 香港では、物乞いが大名行列のように自分に連なってくることもないし、客引きや詐欺師にマンツーマンでマークされることもない。もちろん牛のウンコも落ちていないしで、安心して歩けた。

 

・2度目のインドは最高だった。

 停電した街を歩いていたら牛のウンコで滑って転ぶし、リキシャー(人力車)から華麗に飛び降りたら、また牛のウンコを踏んだ。まだ下痢は治っていなかったが、薬局で下痢止めを買って飲んだら、強烈な効き目で便秘になった。

 なにもかもが過剰で、過激で、理解ができなくて、すっかりおもしろくなってしまったのだ。

 それからというもの、就職してからも頻繁にインドに通うようになった。

 インドは毎回、予想もできないようなサプライズをくれるダライ・ラマ猊下にお会いできたり、他殺体を見つけたり、落とし穴にハマったり、同時にふたりの旅行者から告白される謎のモテ期を迎えたり、死体が焼かれているのを見たり、適当な占い師が転職しろと言うので、それを真に受けて職を変えたりした。

 

・そして今回も例外なく、驚きの経験をさせていただいたのだ。

 警察による強制の持ち物検査、そして家宅捜索である

 インド警察の腐敗ぶりは枚挙に遑がないレベルで有名なのだが、北インドの街、カソールの警察は、そのなかでも群を抜いて味わい深い酷さであった。

 

・重ねて驚くことに、彼らはこの2日後にも、また宿にガサ入れにやってきた。下着以外は汚れのない聖人君子(わたし)からは、なにも取れないと学習したらしく、完全にスルーされたものの、他の旅行者たちは懲りずに再度ネタを調達していたので、また荷物と部屋を隅から隅までひっくり返されては、いろんなものを没収されていた。

 ケルサンも買い戻したばかりのハシンを持っていかれたうえに、逮捕しない代わりの賄賂として、懐中電灯を取られていた。キミらも学習しなさいよ……。

 落ち込む友人たちをなぐさめるべく、夕飯を食べにいこうと歩いていると、サンダルがズルッとすべった。

 イヤな予感がしながら足元をみると、牛のウンコだった。

 インドでは足元に注意しながら歩かないといけない。わたしにも学習が必要である。