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神が「存在する」ならば、なぜこの世は良くならないか?なぜ世界は混乱と苦難によって傷つけられ、圧迫されているのか?これではこの世は善の神の業ではなく、悪魔の計略のように思えてしまうのではないか?(1)

 

 

 

 

ユダヤ教の基本』

ミルトン・スタインバーグ    ミルトス  2012/5/1

 

 

 

ユダヤ教

ユダヤ教は。キリスト教イスラム教の母胎になった一神教の元祖です。三つの一神教は、聖書(トーラー、旧約聖書のこと)を基礎とし、歴史的にそれぞれの独自の発展をしてきていて、ユダヤ教のみが真正というわけではありませんが、ユダヤ教の基本を知ることは、どの宗教の信徒であれ非信者であれ、知る価値のあることです。キリスト教徒には、その信仰のルーツを知ることにつながります。

 

前提

ユダヤ教の性格

・日本語で「ユダヤ教」と訳される英語のJudaism(ジュダイムズ)という言葉にはもう一つの意味がある。ユダヤ人の文明全体を意味する。ジュダイズムは「ユダヤ主義」と訳されたりするが、それは過去から現在に至るまで、ユダヤ人として知られる人々の、実態のすべてを指す言葉である。宗教的な面だけでなく、世俗的な面をも含め、たとえば、中世ヘブライ詩人の恋歌や東欧ユダヤ人社会に伝わる民俗音楽や舞踊、あらゆる社会制度、その他もろもろが含まれる。

 宗教的な面に限定するときに、ジュダイズムを「ユダヤ教」と称してよいが、しかし、現実には、ユダヤ教は、ユダヤ文明の他の部分と切り離しては考えられない。

 ユダヤ卿という一本の縄は、次のような七本以上もの紐が編み合わされて出来ている。

  • 神、宇宙、人間についての教え(しかし、特定の教義はない)
  • 個人と社会に対する道徳観(価値観)
  • 典礼、習慣、儀式の実践(ユダヤ人のあらゆる生活に関与)
  • 法体系(宗教法のみならず、刑法・民法などすら包含する)
  • 聖なる文学(聖書やその他の聖典
  • 前記の事柄を具体的に表すための制度
  • イスラエルの民――この紐を中心として、ここから他の紐が生まれ、またこの紐のために他の紐が編まれている。

 

・頭の中では、これらの紐をほどくことが可能だ。「道徳と切り離して教義を考えよう、あるいは文学と切り離して道徳と教義を考えよう、あるいはこれらの事柄を生み出し、守ってきた人々を切り離して、他のすべてを考えよう」と言うことはできる。しかし、考えることはできても、実際にはそうすることは不可能なのだ。

 なぜなら、第一に、紐がそれぞれ部分的に別々に見えたとしても、それらは長い年月のうちに擦り切れ、より固く結び合わさっており、いくら引っ張っても解くことができない。

 

「時」という要素――歴史をつくった人々

ユダヤ教はその背景と内容に四千年の歴史をもっている。

その歴史はあまりにも長い。簡単に述べるわけにはいかないが、ユダヤ教において歴史は重要な要素であることは間違いない。最低限その性質や流れをつかむ必要があるだろう。

 ユダヤ教の過去を知る最も直接的な方法は、歴史をつくってきた人々を通して見ることだ。そこで先人たちを時代的に見てみよう。彼らは、尊敬に値する独特な一つの集団を形成し、尊敬に値する独特な一つの運命を共に生きてきた。

 それは以下のような人々である。

  • セム人たち――アブラハムの時代より遥か昔に、メソポタミアで偉大な文明を築いた人々。
  • 父祖たち――はるか四千年もの昔、カナンの地にて彷徨い、町と砂漠の両方を受け継ぎ、独特の認識と価値観をもつ民族の祖先となった人々(アブラハムやイサク、ヤコブほか)、
  • モーセ――人々を解放し、民に法を授けた人物で、自らの立つ山も小さく見せるほどの偉大な人、
  • イスラエルの農民たち――先祖たちから受け継いだ厳しい伝統と、周囲の民族(アマリ人、カナン人ヒッタイト人など)の厳しくない、しばしば退廃的な宗教習慣との間で、揺れ動いた人々。
  • 預言者たち――精神界のパイオニア冒険者たちの中でも、最も勇敢な人々。
  • 詩編の詩人たち――神のことを非常に感動的に歌いあげた。今なお、シナゴーグだけでなく、教会でも、モスクでも、礼拝の中で詩編は高らかに響き渡っている。
  • 第二神殿時代の賢者たち――智恵の書を書き、あるいは収集した。
  • ギリシア・ローマ時代に、ギリシア化したユダヤ人たち。
  • 紀元前3世紀から紀元5世記までの教師たち。
  • ナザレ人とその弟子たち。
  • あらゆる時代と場所における、聖書とラビ文学の注解者・解説者、それにユダヤ教神学者と律法学者たち。
  • 中世スペイン・ユダヤ人社会の黄金時代に生きた、詩人、文法学者、注釈者、科学者、翻訳家、歴史学者たち。
  • それぞれの時代における主流の形而上学体系に、ヘブライ的世界観を調和させてきた哲学者たち。
  • カバラー主義者およびその他の神秘主義者たち――彼らは多くのものの向こうにある唯一のもの、見せかけのものの向こうにある真実について、直接的な知識を得ようと試みた。
  • 善なる生き方にいかにして到達すべきかを瞑想した、様々な地域と時代の倫理学者たち。
  • 神に陶酔し、生きる喜びに浸った「ハシディーム」と呼ばれる中世後半の敬虔主義者たち。
  • 18世紀から19世紀までの「マスキリーム」と呼ばれる啓蒙主義者たち。
  • 過去150年間の歴史学者および辞書編集者たち。
  • 19世紀から20世紀の種々の改革派の人たち。
  • 今日、イスラエルの地にユダヤ人国家を建設している人々。
  • 殉教者たち。
  • 阻止て、無数の名もない人

 

 なぜなら、いつ、どのような役割を担い、どんな方法を担い、どんな方法を用いたかにかかわらず、ユダヤ教という大事業に関わってきた人々については、新年祭(ローシュ・ハシャナ)の典礼が「命の書」について述べているのと同じことが言えるからである。すなわち、「すべての人の手の印がそこにある」

 

ユダヤ教の「基本」

ユダヤ教の「基本」という言い方は、はたして正しいのだろうか?

 ユダヤ教は、七つの要素の複合体であり、多くの手による作品であり、様々な時と条件の産物である。これほど種々の要素が混じり合った、しかも長い歴史をもつ一つの存在を概括することなどできるであろうか。いわんや、何が本質的であり、何が一時的な偶然なのか、何が不変で永遠なのかを明確にすることなどできるであろうか。

 言い換えると、ユダヤ教の基本について述べようと試みる私たちは、霞をつかもうとでもしているのだろうか。

 どうではない。この世の多くの事柄は、複雑で永久に変化を繰り返しながらも、時の変化に左右されない、基本の性格を示しているものである。

 

神についての知識

・12世紀のモーゼス・マイモニデスは、ユダヤ教における神観の役割についてこう述べている。「すべての基礎の基礎、すべての知恵を支える柱、それは神の実在を認識することである」

 これは非常に適切な描写である。なぜなら、ユダヤ教は神についてのある特定の概念をもって発生し、以来ずっとそれに心血を注ぎ、宗教として成長する過程において、神の存在理由を多く発見してきたからである。

 まさに、この神への信仰はユダヤ教の土台をなすものであり、それは、

聖書が当然なこととして捉え、わざわざ証明することは一度もなかった。

 

・神の存在を確信した上で、ユダヤ教は、神の概念についてはかなりの自由を許している。個人はそれぞれ、神を超越的なものと認識するのか、あるいは内在的なものと認識するのかの自由が与えられる。マイモニデスやカバラ神秘主義者たちのように神を抽象的な存在原理と捉えるか、あるいはもっと一般的な考えのように究極の個性として捉えるかも自由である。

 とはいえ、すべての考え方が受け入れられるわけではない。

 

知識の現界

箴言に、次のような言葉がある。「あなたのすべての道において神を知れ」。だが、どこにも「神のすべての道において神を知れ」とは書いてはいない。

 それには有無を言わさぬ理由がある。つまり、<伝統>によると、私たちは神を完全に知ることができないからである。

 

そしてこの問題についてよくよく考えてみると、神は永遠に私たちをたくみに避けているのである。避けていない場合には私たちを圧倒している

 まず、神の基本原理は過去、現在、未来のすべてから成り、さらには、それらすべてを包含する存在である。永遠の上に永遠が重なる。私たちの頭がすべてを入れられないのは当然だ。

 それから繰り返しになるが、そのような私たちの知識は神の御働きについてであり、神自身についてでなはい。物事や出来事という不透明なベールを通して推測し、仮定する形でしか、私たちは神を見ることができない。

 最後にこの目に見える世界はすべて、私たちが存在を確信するお方の領分だが、そのお方の本質については、私たちは直接的な体験を全くもたない。しかし、もし、私たちが直接知り得る事柄についてでさえも、私たちの知識が実際とは大きくかけ離れているならば、直接触れることのできない領域に関してはどうだろう。私たちには想像もつかない世界、あるいはほんのかすかな光しか見いだすことのできない世界が、存在するのではないだろうか? だとすれば、これらすべてを包み込み、超越する神について、次のようなスピノザのごく明快な言葉のほかには、人は何を語ることができようか? 「神は、我々がほんのわずか、しかも不完全にしか知り得ない、無限の属性を無限にもっておられる

 

ユダヤ教が神について語ること

ユダヤ教が神について断言している次の命題は、<伝統>が宣言しているように、ユダヤ教神学の礎石をなしている。

神は一つである

 この一見単純に見える宣言も、見かけ以上に奥が深く、豊かな意味を多く含んでいる。

 

・「神は一つであり、多ではない

 古代世界は、自然についても社会についても多神教であった。

 異教世界は、川、木、太陽などすべてのものに、また生殖力、記憶、あるいは熟練工の技術などといったすべての能力や機能に、それぞれ神性が宿る、と考えられた。

 

・「神は一つであり、二つではない

 紀元前6世紀のある時点で、ユダヤ教ゾロアスター教に出会った。初めて、成熟度、崇高さ、まじめさにおいて、自らに匹敵する宗教に出合ったのである。この宗教の特徴は二元論の教義だった。世界の背景に、一つでなく二つの創造的存在を認めていた。一方は光と善の力、もう一方は闇と悪の力である。これら双方の霊は、世界と人間の魂をめぐって常に格闘しており、この闘いについて、人間一人一人は否応なしにどちらかの側につかされるゾロアスター教が考える宗教の目的とは、人々が正しい側を選ぶようにすることである。

 

・善の神と悪の神の存在と両者の闘いを説くゾロアスター教は、古代ペルシアに始まる宗教。

 

・二元論は、善の究極的勝利を危ういものとする。闇が光と相関関係にある以上、光が必ず勝利する、どんな保証があるだろうか?

 しかし、ユダヤ教ゾロアスター教を完全に拒絶するまでに時間がかかった。何世紀もの間、「二つの力」の可能性はユダヤ人の想像力を誘惑しつづけた。しかし預言者は最初にこう反応した。一つの同じ神が「光を造り、闇を創造し、平和をつくり、悪をも創造する」と断言したのだ。――この言葉は最終的に、<伝統>の最後の言葉として残ることになった。

 

・「神は一つであり、三つではない

 中世において、神は一つであるというユダヤ教の主張は、キリスト教の三位一体という教義を明白に否定することになった。一つでありながら、なぜか同時に「永遠に共存する、同等の」三つの人格をもつ神という主題を、完全に否認したのである

 この教義を否定するにあたり、ユダヤ人たちはまず、神の性質についての誤った説と見なしたものを払いのけようとした。彼らは、三位一体説に欠かせない「人なる神」、すなわちある特定の個人の血と肉に体現される神格という観念に対して、異議を唱えることにも熱心だった。ユダヤ人にとっては、すべての人間が神の性質を反映するものであり、すべての人間が神の子なのだ。ただ一人の人間が神そのものである。などということを暗示するこの教義を、彼らは神への冒瀆として拒絶したのだ。

 

・「神は一つであり、無ではない

私たちの時代において、近代的無神論と、それに伴う物質主義が行き渡っている。それは、物質とエネルギーが盲目的に相互作用しているのが現実のように読み違える、新しいようで実は古い概念である。ユダヤ教は断固としてそれを拒否する。人間とその価値は宇宙の偶然の産物で、生まれた時と同様意味もなく死んでいく運命にあるという、間違った認識に対して異議を唱えるのである。

 

その他の属性

ユダヤ教は神についてさらに次のように語る。

  • 神は創造主であって、すべてのものを、すべての時を通じて造られる。
  • 神は霊である。
  • 神は法を授ける者である。
  • 神は歴史の先導者である。
  • 神は、人間の助け手である。
  • 神は人間とその社会の解放者である。
  • 神は魂の救い主である。

 

神についての「イメージ」

・以上が<伝統>が提示するところの、古典的な神の属性である。

 これらが許容する自由の範囲は相当なものである。

 それぞれに融通をきかせる余地があり、多様な解釈が可能である。これらは違うふうに整理することもできる。つまり各個人が自分の好きなように、どこを強調し丁寧に扱い、どこを軽く流してありのまま放っておくかを選ぶことができるのだ。

 つまり、共通の要素から出発しながら、それぞれの人は非常に個性的な方法で神をイメージ化するということになる。

 素朴な人はその素朴さによって神を理解し、高尚な人はその高尚さによって神を理解する。

 

大いなる影

悪についてどう考えるか

・神の光の向こうに、悪が影を投げかける。

 神が「存在する」ならば、なぜこの世は良くならないか? なぜ世界は混乱と苦難によって傷つけられ、圧迫されているのか? これではこの世は善の神の業ではなく、悪魔の計略のように思えてしまうのではないか?

 ユダヤ教においては、これらの厳しい問いは、神への信仰自体と同じくらい歴史が長い。これに対する<伝統>の答えも、一つではない

 

  • 道徳的な側面から、悪を説明しようとした理論は、次のようなものである。
  • 悪(災い)とは、それが訪れる個人が、以前に犯した罪の結果である。
  • 悪とは、個人ではなく彼の所属する共同体の過誤に対する、罪滅ぼしの一種である。
  • 悪とは、人間が道徳的な存在になるために必要なものである。
  • 悪がなければ善もないという意味で、悪は存在しなければならない。
  • 悪は、人間の人格にとって欠かせないものである。
  • 悪は、人間が自分の作られている資質を試験するための、試金石の役割を担っているのである。

 

  • 形而上学的な言葉で悪を説明しようとした理論、次のようなものである。
  • 悪は、それ自体が存在するものではなく、悪の欠如に過ぎない。
  • 悪が悪に見えるのは、それだけを孤立して見たり、部分的にしか見ないからである。
  • 悪と人間が呼ぶものは、人生の法則が人にとって不都合に働く場合のことである。

 

  • 悪をあくまでも一時的なものと見なし、最後には乗り越え、償うことができるよう定められたものだと説明する理論がある
  • 死後の生において、あるいはこの地上に来るべき神の国において、悪は償われ、善となることができる。
  • 人間が出現する大本となった鉱物、植物、動物などの低いレベルの存在が、人間の中で名残を留めているのが、悪である。

 

  • 最後に、悪とは不可解な、解明不能な謎であり、その答えは神のみぞ知るという理論がある。

 

神の国

完成された社会

・社会はいかによい状況であっても、それが人間ほどの価値があるとはいえず、神を代表しているわけでもない。

 人をその価値にふさわしく尊重し、神を人間の父、そして創造主として崇めた国家や共同体が、歴史上かつて一度でも存在したことがあっただろうか。

 正義と慈愛、相互扶助の原理が真に実行された社会秩序が、果たして存在しただろうか。

 善なる神を、言葉や演説をもってではなく、行いや制度をもって立証することができるほど、善い共同体があっただろうか。

 しかし、人の内にある神の火花は、永遠に隠されたままであるはずがない。

 神の法が究極的に勝利をおさめ、神の性質が他のすべての事柄同様、最後には社会的な事柄にも現れる日が来なければならない。

 ということは、現在の世界秩序は崩壊し、新しい秩序に取って代わられるのだ。それは、人類の歴史の夜明けから存在してきた悪を取り除き、すべての魂の価値と調和し、道徳的な法に適い、すべての物事の背後に存在する神を正しく反映した秩序である。

 この完成された人間たちの完成された社会に対し、<伝統>は名前をつけた。それは「神の国」である。

 

神の国は我々のそば近くに

神の国は未来だけに存在するのではない。大胆にいってしまえば、それは私たちのすぐ近くにあり、しかも触れることができるのだ。星や惑星、若木や鳥は神の定めに従っているのではないか?これらの物たちは今まさに、神の忠実な僕ではないか?また神のことを知り、神に従おうとする多くの人間がいるではないか?

 

・つまり、神の国(支配)とは、単なる約束にとどまらない。おぼろげで不完全かもしれない、目に見えるというよりは隠れているかもしれないが、神の国は今もありありと存在する現実なのである。善を促すこの世のすべてのものは、その国の中にある。正義のために仕える者はすべて、自覚していようがいまいが、その国の中にある。正義のために仕える者はすべて、自覚していようがいまいが、その国の市民なのである。

 ユダヤ教のどこでもいいから触れてみれば、この神の国の概念に行き当たるはずである。つまり、生まれ変わった人間の住む、完成された世界という夢に。

 古代のラビが定めた祝祷のすべてが、はっきりと神の国のことに言及している。

 

神の国の概念は広く伝わる

・この革命がさらに偉大であったのは、この神の国という希望は、時と共に、ユダヤ教ユダヤ人からあふれ出て、そしてすべての宗団や宗派をも超えて、ついには、信仰とか宗教とかに関係なしに、すべての善意の人が共有する希望と霊感になったことである。

 西洋文明の中で、神の国の概念が存在しないところがあるだろうか。

 ユダヤ教の精神的な子であるキリスト教世界のあらゆる場面に神の国の概念が存在することは、驚くに値しない。たとえば、アウグスティヌスの『神の国』、ヘーゲルの『歴史哲学』、あるいはテニソンの「遥かかなたの、ひとつの神聖な出来事」という表現などだ。

 また非常に大胆に修復され、ひどく変化していはいるが、神の国の概念はマルクスのような非常に熱心な世俗主義の中にも見いだすことができる。またマルクスほど著名でない無数の無宗教主義者たちも、今日に至るまで、より良い世界秩序を夢見ながら、その夢が一体どこから来ているのかを知らずにいるのである。、

 

メシア

潜在的神の国を顕在化させるのはだれか。だれがそれを実現するのか?それはメシアだ、と<伝統>は語る。ではメシアとはだれなのか?

 それは神によって指名され、神によって、世界から悪を取り除き、決して揺るがぬ固い基礎の上に善を打ち立てるための力と権威を授けられた人間のことである。

 

 

 

「インフルエンザをばら撒く人々」    金融寡頭権力の罠

菊川征司  徳間書店   2009/10/10

 

 

 

ウイルスに人工的な改良が加えられた生物兵器

・インフルエンザをばら撒く人々・・・・・そんな馬鹿なことがあるわけないよ。誰もがそう思うことでしょう。

しかし、戦前のスペイン風邪から、現代の豚インフルエンザまで、それらはウイルスに人工的な改良が加えられた生物兵器だったのです!

これは推理小説でも妄想でもありません。各国の研究者たちが、実際にそう発言しているのです。

 

アメリカ軍のワクチンがスペイン風邪の原因?

アイルランドの3大日刊新聞の1つの記事は題名からわかるように、1918年のスペイン風邪で多くの死者を出した原因はウイルスではなくて、アメリカ軍が実施したワクチンだと主張しています。

その記事の最初の部分に「この大流行の起源に関していえば、『ドイツが彼らの戦争の取り組みの一環として劇場や人が大勢集まる場所にバイ菌を撒き散らしたのかもしれない』と当時の米国陸軍の高級将校が述べた」ことが書かれています。

そして「でもドイツは自国民の間でも菌を撒き散らして、同胞40万人を死に追いやってしまったのだろうか」とドイツ軍犯人説に疑問を投げかけてからアメリカ軍によるワクチン説を展開しています。

 

・当時の陸軍長官ヘンリー・スチムソンによる報告書には、黄熱病のワクチン接種が直接の原因で、参戦して6ヶ月間で接種中にそのまま崩れ落ちて死亡した7人を含め63人が死亡、2万8585人が肝炎になった事実が書いてある。

 

・1918年から1919年にかけてのスペイン風邪は、当時の世界の人口の3分の1、数にして5億人が感染し、5000万人から疑問点もあるが1億人ともいわれる死者を出した。通常のインフル死亡率が0.1%以下なのが、この猛烈なインフルエンザは2.5%以上の死亡率を記録した。

 

・これは、新兵に実施されることになっていた14種類から25種類のワクチンのうちの、たった1つによる結果である。1911年に米国陸軍においてワクチン接種が強制になってから、腸チフスにかかるケースが急激に増加しただけでなく、ほかのワクチンに関連した病気が異常に高い率で増加したことを陸軍の記録は明らかにしている。1917年にアメリカが参戦してからは、腸チフスのワクチン接種による死亡率は米国陸軍史上最高点に達した。

 

・腸チフスの症状を抑えようとして陸軍の医者たちは、より強いワクチンを使ったので悪性のパラチフスの症状を引き起こしてしまった。しかし、彼らがそのパラチフスを抑えようとしてさらに強烈なワクチンと混合して使ったため、今度はもっと悪い病気のスペイン風邪を発生させてしまった。

戦争後、危険な病気に汚染されていた紛争地帯から帰還する兵士から、パニックに襲われた一般人を護るために使われたワクチンの1つに、この強烈なワクチンがあった。

 

この説だと、強い腸チフスのワクチンがスペイン風邪を生み出したことになります。腸チフスも高熱が出たり、熱によるだるさといった風邪に似た症状を呈し、場合によっては肺炎を引き起こしますから、死者の大半が重症だったスペイン風邪との関連を説明できないこともありません。しかし、この説では短期間に3種類の違ったウイルスが蔓延した理由が説明できないと思います。謎は深まるばかりです。

 

 

 

「新版300人委員会」(上)

支配される世界

ジョン・コールマン博士  成甲書房   2008/7/2

 

 

 

陰謀組織を統括する最強の超権力中枢が300人委員会

オリンピアンズ(神々たち)は人類を弄ぶ

<不可解な状況はすべて仕組まれている!全能の権力集団によって>

自由世界全体に攻撃を仕掛ける闇の勢力を暴いた著作

共通点は、キリスト教への憎悪

・ヴァイスハウプト、ラーテナウ、ヴァイツマン博士などが何度も「謎の300人」について語ってはいるが、一般には見過ごされてきた。なぜなら、彼らが語る計画を実行するには巨大な秘密組織が必要だが、そのような存在は一般の人々の想像を絶するものであり、したがって、存在するはずがないと考えられたからだ。しかし、アメリカ建国の父であるジョージ・ワシントン、ディズレーリ、ビスマルクといった錚々たる人々によって、多くの示唆がなされてきた。

 

ウィルソン大統領も恐るべき巨大秘密組織の存在を示唆

・商業や製造業に携わる「アメリカの大物」とされる人たちが、ある存在とその力を恐れている。その超権力は、まぎれもなくどこかに存在する。しかし、存在は巧みに隠され、周到に組織され、あらゆる場に浸透しており、メンバーや下部組織は互いに連携しているので、誰も表立って非難の声を上げることができない。

 このような話を、私は、イギリス諜報部でも何度なく耳にした。誰も「オリンピアンズ(神々たち)」、つまり300人委員会について語ろうとせず、うっかり口にしようものなら恐怖におののいていた。しかし、この組織が存在するという指摘は多い。

 

「選ばれし者(オリンピアンズ(神々たち))」は「ムダ飯食い」の存在は許さない

・歴史の裏側を常に牛耳っている究極の秘密組織の目的とはいったい何なのか。風を征服するモリア、ディオニュソズ・カルト・グループ、イシス・カルト・グループ、カタリ派、ボゴミール派、イルミニスト、共産主義者の継承者である300人委員会がめざすものはいったい何なのか。

 

・彼らは、自らを「オリンピアンズ(神々たち)」と誇らしげに呼ぶ。自分たちが本当に、伝説のオリンポスの神々と同じ力と偉大さを持っていると信じているのだ。

 

・諜報の世界でもっぱらささやかれていることだが、彼らは、真剣に自分たちは神に匹敵する権限を持っている。世の中を思い通りに変えることができる、その使命を与えられていると信じこんでいるらしい。

 

 

 

「秘密結社全論考」(上)

ジョン・コールマン博士   成甲書房   2002/12/1

 

 

 

秘密結社の種類

秘密結社にも、二種類がある。

第一種―完璧に闇の中にひそみ、一般大衆には全く見えない。

第二種―表面的には公衆に公開されており、しかも多くの場合、高貴な存在とされているが、実体は秘密結社である、そのような組織。

 

第一種の実例は

1、 イルミナティ

2、 300人委員会、など

第二種の実例としては

1、 フェビアン協会

2、 英国国教会(アングリカン・チャーチ。日本では「英国聖公会」と称される)

3、 MI5、MI6(英国軍事諜報部第5部、第6部)

4、 イエズス会、及びローマカトリックキリスト教会、プロテスタント各派

5、 オクスフォード大学ケンブリッジ大学

6、 英国王立協会(これは全世界の自然科学の総本家、宗家のようなものとみなされている)

7、 英国王室(ウインザー家)

8、 ベルギー王室

9、 オランダ王室

 

コールマン博士が本書の中で論証しているように、16世紀の初頭、ベネチアの黒い貴族はアムステルダムを跳躍台にして、ロンドン(そしてブリテン諸島)を新しい世界首都たるべく設定した。その後の五百年、彼らの作戦計画は見事に成功し、実現していく。ところが、日本民族は、この英国(ロンドン、ブリテン)認識について二度、致命的な失敗をしている。

 

英国が分からないので日本人は、西洋近代、つまり、われわれが直面させられている西洋なるものについては何ひとつ本当のことが分からない。惨めというか、悲惨というか、この状況は筆舌に尽くし難い。

 

・本書下巻に収録したコールマン博士の論稿(「イギリス王家がアメリカを奴隷化する日」)は、日本民族がよってもって英国の正体を調査研究する生死存亡を懸けた国家的作業の第一歩、その出発点となり得るであろう。

 

・幕末に始まった日本民族の英国(英米)研究は完全に百パーセント、売国学問奴隷による国賊的所業でしかない。そのことを本書の注意深い読者は容易に発見されることであろう。

 

・例外はないのだ。そう、たとえば夏目漱石は辛うじて例外であるかもしれないが、この御仁も、ただ漠然と英国にひそむ凶々しい悪魔の姿を遠くから見ただけに過ぎない、と筆者には思える。

本書が、日本民族篤学の読書人、憂国愛国の士、ひたすら真実を求めてやまない好学の士にとっての精神の糧となることを切に祈る。