<努力することは、生きるための最低条件>
・(稲盛)自然界に生きるものはみな、動物も植物も一生懸命努力して生きているのだから、人間だって一生懸命生きなくてはいけない。その努力を怠ってはならないのだ、と。ですから私は、努力というのは才能ではなくて、生きるための最低条件、と考えているのです。
<60歳からの20年間は、「旅立ち」の準備期間>
・(五木)稲森さんは、人生を3つに分けて、20歳までの青年期、社会に出てからの壮年期、そして60歳からの20年間は旅立ちの準備期間だとおっしゃっていましたね。
・現世の荒波にもまれて生きていく中で、自分の心を磨き上げ、美しいものにしていく、そういう考え方をしていなければ、厳しい競争の世界を生き抜くことは到底できない。
<魂の波長が合う人>
・(稲盛)五木さんとは今日が初対面ですが、以前から何か波長が合いそうな感じがしていて、お目にかかるのを楽しみにしていたのです。
・私は常々、本当にいい経営を持続していこうと思えば、心を清らかに、より純化した状態にしていかなければいけないと考えています。
<情報とは情を報ずること>
<私は常々、本当にいい経営を持続していこうと思えば、心を清らかに、より純化した状態にしていかなければいけないと考えています。>
・(五木)ですから、1冊の本でも、内容をすべて読まなくても、本の表紙を店頭で見ただけで、この本は自分の読むべき本だという感じのすることはよくあるのですね。
・(五木)情報というのは「情を報ずること」だと思うんですね。情というのは人間の感情とか感覚に当たるものです。ですから、数字とか統計とかデータというのは、むしろ情報の下位に属するもので、本当の情報というのは、人間の心の中の感情をきちっと把握してそれを伝えることだと思うんです。
・(稲盛)ただ、私は経営者なものですから、どうしても数字を大事にしますが、その場合も、その数字の背景にある“ドラマ”を読み取る必要があるとよく言っています。その意味では、五木さんがおっしゃる「情を報ずる」ということが一番大事になると思います。
<情を見直す>
<もうそろそろ人間の知性と同時に、情というつかみ難いものも、ちゃんと評価すべき時に差し掛かっているのではないか、と僕は思うのです。>
・(五木)世界保健機関が、その憲章の中に、21世紀は健康という問題を考える際に、スピリチュアルなものをきちんと盛り込まなければいけないと提唱して、大きな波紋を呼びました。
スピリチュアルなもの、霊的なものというものは、どこか怪しいという考え方が常識としてこれまでずっと続いてきました。
<タブー視されてきた宗教>
・(五木)本当の国際化というのは、英語ができるとかパソコンができるとかいうことではなくて、自分はどういう信仰を持っているかという、アイデンティティーだと思うんですよ。
・(稲盛)ビジネスの世界でも、グローバル化が叫ばれる中、形だけ欧米のマネジメントシステムを取り入れるような基軸のない経営に終わることが多いのです。私は、欧米の学ぶべきは取り入れながら、日本人がもともと持っている、高い精神性を真正面から貫き通すことが大切になると思うのです。また、それこそが世界で通じる国際的な経営だと思います。
<庶民が守り続けてきた宗教>
<「おかげさんで」という感謝の気持ちは、優れた経営者は必ず持っています>
・(五木)例えば稲盛さんは鹿児島のご出身ですが、鹿児島に真宗の古寺はないでしょう。なぜかというと、島津家が16世紀から厳しい念仏禁制という法を布いて、一向宗は一切認めなかったために、本願寺系の浄土真宗の人たちは、明治の頃まで約3百年近く地下へ潜ったからですね。
<見えないところで生き続けている宗教心>
・(五木)いま全国に小中学校の数が約2万5千、コンビニが約4万といわれています。これに対してお寺の数は、宗教法人として登録されてちゃんと活動しているところだけで7万4千もあるそうです。それだけのお寺がとりあえず廃寺にならず現存しているということは、物心両面でそれを支えている人がいるということですよね。
・お正月に成田山に初詣でに行く人たちの数が190万人といいます。ディズニーランドの来客数が約62万人だそうですから、日本中の神社仏閣を訪れる人の数は、ディズニーランドなんか比べものにならない。
<「おかげさん」に込められた意味>
・(五木)例えば伊藤忠商事の創立者の伊藤忠兵衛さんは、近江商人ですが真宗の門徒で、「商売忘れてもお勤め忘れるな」といったぐらい熱心な方だったんですね。
・大阪の人が「儲かりまっか」と言うのを、東京の人はちょっと馬鹿にしたような目で見ますよね(笑)でも、昔の大阪の方に聞いたら、「儲かりまっか」と言うと「ぼちぼちでんな」と答えると。しかしその前には必ず「おかげさんで」をつけて、「おかげさんで、まぁぼちぼちでんな」と答えていたそうなんです。「おかげさん」の「おかげ」は、「御蔭参」の「おかげ」です。御蔭参は伊勢神宮へ参ることです。ですから「おかげさんで」ということは、天地神仏のおかげ、世間様のおかげで商売はなんとか儲かっております、という大阪の礼儀を表しているのだと。その話を聞きまして、そうか、かつての日本人はそうだったんだなと。
<いまこそ、平成の仏典をつくるべき>
<教えと実践は重なっていなければいけないと思います。ブッダの生涯そのものがそうでした。>
・(稲盛)私は臨済宗妙心寺派の「微笑会」という信徒会の会長を仰せつかっています。偉いお坊さんが集まるその微笑会の理事会で、私はよく言うんです。皆さんが一所懸命に坐禅を組まれ、ご自分の心身の修行を通じて解脱を目指しておられることは、確かに尊いことかもしれませんが、世の中がここまで混迷の度を深めているのだから、皆さん、お寺の中で自分の修行だけで満足するのではなく、ぜひ民衆の中へ打って出ていただけませんか。衆生を救うための運動を始めていただけませんかと。しかし残念ながら、それを聞いて、ぜひ一緒にやろうとおっしゃる方は、ほとんどいらっしゃらないのです。
・(稲盛)混迷を深める世界を救うために、仏教、キリスト教、イスラム教をはじめ、世界の宗教に共通するエッセンスをまとめて、21世紀の普遍的な倫理的規範を、いまこそ打ち立てるべきではないか、と私は思うのです。
(五木)あぁ、それはもう僕の考えることをさらに超えていますね。しかし、僕が言っているぐらいのことでも、何をそんなに誇大妄想的なことを言っているんだと批判されるんです。
ですけれども、仏典の解説だけでなくて、新しい経典、いわば『新約聖書』のようなものを書いてもらいたいという思いは強く持っています。平成仏典のようなものがいま求められているのではないかと僕は思うのです。
<日常生活の中で自分を磨く>
<やはり、苦労とか災難というのは、人間をつくってくれるのではないかと思うのです。>
・(稲盛) 白隠禅師は『坐禅和讃』の中で坐禅をして悟りを開くことも大事だけれども、お布施をしたり、日常生活の中でそういう諸善行に勤めることも悟りに近づくもとなんだと説いていますね。
六波羅蜜という仏の教えがありますね。布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧、これを実践するだけでいいと私は思っているのです。つまり布施は、人様のために一所懸命奉仕をすること。持戒は、人間としてやってはならないこと、人様が不愉快に思うことをしないこと。忍辱は、人生における様々な困難を耐え忍ぶこと。精進は、一所懸命働くこと。禅定は心を静かに保つこと、そういうことを地道に続けていけば、魂が磨かれ、心がきれいになり、智慧という悟りの境地にまで達することができるということです。
いまお話しになった新しい平成の仏典を通じて、せめてそういうことを多くの人が理解するようになれば、と思います。
(五木)いまお話しになった布施の中には、「無財の七施(眼施、和顔施、言辞施、身施、心施、床座施、房舎施の七つの施し)というのがあって、僕は大好きなんですけれども、眼施、つまり優しい眼差しで相手をじっと見つめるということも一つの大きな布施ですから。和顔施、通りすがりにニッコリ笑って、相手の心を春風が吹いたことだって大きな布施でしょう。
<苦労が人間をつくる>
<死というのは、魂の旅立ちだと私は思うのです。その旅立つまでの間に魂をできるだけ美しいものに変えていきたいというのが私の願いなのです。>
・(稲盛)そういう時代を生きてきたものですから、私の場合も、仕事を選べるような状態ではありませんでした。いわば社会環境によって、いまの道を選ばざるを得ないように仕向けられたのであり、それに従って、自分の仕事を好きになるように努力をして歩いてきただけなのです。
大学を出た昭和30年当時は大変な就職難で、先生の紹介でやっと京都にある焼物の会社に入ったのです。大学では有機化学を専攻しましたので、せめて石油化学関連の企業に行きたいと思っていたのに、専攻とはまったく異なる無機化学の焼物の企業しか採用してくれなかった。ですから、最初は不平を述べていたのです。だけど、言っても天に唾をするみたいで、虚しくなった。そこで、ブツブツ言う暇があるなら研究に没頭しようと、頭を切り替えたのです。それから人生が好転をしていったという気がしますね。
(五木)「おかげさまで」という気持ちを持って生きることは大切ですね。僕は『日刊ゲンダイ』という夕刊紙で29年間ずっと休まず連載を続けておりまして、それから、TBSのラジオの番組も25年休んでいないんです。僕はどちらの仕事でも事前にストックを作っておくことはしないんですが、それで1日も休まなかったということは、交通事故にも遭わなかったし、入院もしていないということですね。
<湿式社会から乾式社会へ>
<人間というものは、本当に老少不定、きょう1日という覚悟で、その時にどういう心持で旅立つかということを常に考えるようにしています。>
・(五木)ですから僕は、そういうすべてが乾燥しきって水分がないところへ、オアシスの水を注ぐ必要がある、日本人の渇ききった心に井戸を掘って、水分を含んだみずみずしい心を取り戻す必要があるのではないかと思うんです。そのためには、やっぱり先ほど申し上げた、「情報」の「情」というものの意味を、もう一度しっかり考えること。
<死を迎えるための準備期間>
・(稲盛)そして社会に出て一所懸命働くのが、60歳ぐらいまでの40年。それから80歳ぐらいまで生きられるとすれば、あとは死を迎えるための準備期間に20年を神様が与えてくださっていると思うのです。ですから、60歳になってからは、できれば仏教の勉強をして、死を迎えるための準備をしたいと考えていたのです。
・(稲盛)先輩雲水の案内で、朝7時くらいから托鉢に出掛けたこともありました。檀家を一軒一軒訪ねて回るんですが、素足に草鞋ですから指が少し外へはみ出るでしょう。そうすると、足の指先が道路のアズファルトに擦れて血まみれになるんですね。
<あの世はある>
・(五木)だから、人間というものは、本当に老少不定、きょう1日という覚悟で、その時にどういう心持ちで旅立つかということを常に考えるようにしています。
・(稲盛)私は、ちょっと不埒なことかもしれないんですが、ここ十年ぐらい、友人とか身近な人たちが亡くなっても、悲しくないんです。それは私が、魂が永遠だと思っているからなんです。
<元気の海より出でて元気の海へ還る>
<われわれ人間は、大河の一滴として流れ下っていくものであり、その先には生命の海というものがあると僕は考えています。>
・(稲盛)ですから、改めて残りの人生の中で、自分の魂を磨いていこうと思っているんです。
・(五木)これは親鸞は「往還」という言葉で説いています。人間というのは、すべての人が浄土に迎えられるけれども、浄土にじっとしているだけでは駄目で、菩薩としてまた地上へ戻ってきて、人々のために働く。だから、僕はやはり、浄土へ往くというのではなくて、還るというふうに考えるんですよ。人はいずれ、元気の海へ還る、と。
『JALの奇跡』
稲盛和夫の善き思いがもたらしたもの
大田嘉仁 致知出版社 2018/10/3
<日本航空の再建>
・私は、大変幸運にも、稲盛和夫さんという無私の経営者の近くで25年ほど仕事をしてきた。特に、日本航空の再建では、主に意識改革担当として、3年間、ご一緒にさせていただいた。
<日本航空の奇跡的な再建>
・日本航空の奇跡的な再建は、日本航空の全社員の力によってなされた。それを可能にしたのは、稲盛さんという稀代の名経営者がいたからであり、稲盛さんの経営哲学、人生哲学が全社員に浸透し、彼らの考え方、心、行動を変えたからである。
<より良い生き方を教える成功方程式>
・稲盛さんの経営哲学のすばらしさの一つは、私たちの人生を「成功方程式」という極めて単純化された数式で、どうすればいい仕事ができるようになれるのか、また、どうすれば運命さえ好転させることができるのかを示していることだろう。
・成功方程式とは、「人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力」というものである。
・さらに、これに「考え方」が掛かってくる。
「能力」や「熱意」と違って、この「考え方」には、マイナス百点からプラス百点までの大きな幅がある。だから、人生・仕事の結果をよくしようと思えば、「考え方」をプラスにしなくてはならない。
・それは決して他人事ではなく、自分の仕事や人生にも当てはまる。自己本位という間違った「考え方」で仕事を進めると、いくら努力しても、思ったような成果が出ないということは、誰でも経験しているのではないだろうか。また、人を妬み、不平不満ばかり言っていては、決していい人生が送れないことも知っているのではないだろうか。
<正しい「考え方」を哲学へ昇華させる>
・このように成功方程式用いて稲盛さんは「考え方」がいかに重要かを教えている。では、どのような「考え方」がプラス百点なのだろうか。それを稲盛さんは「人間として正しい考え方」だと表現されている。
それは何かといえば、それほど難しいことではなく、子供の頃、親や学校の先生から教えてもらった、「やっていいこと」「悪いこと」である。
・それはなぜか、人間には本能というものがあり、生きていくために必要だからである。生命を維持し、種族を残すために必要な食欲などの欲望、他者から自分を守るための怒りなどは、自分が生き延びていくために不可欠なものであり、それを本能として生まれてきた時から備え付けられている。
だから、正しい「考え方」をもち続けることは難しい。特に私たち凡人の「考え方」のレベルは簡単にプラスからマイナスに変わってしまう。
・私自身、近くで仕事をさせていただく中で、稲盛さんが悩まれている姿に接することもあったが、それ以上に、いつも数冊の哲学書などをカバンに入れ、時間があれば、それを読み、学ばれている姿のほうが印象に残っている。
<「熱意」とは「考え方」を実践に導くもの>
・このように「考え方」は大事なのだが、いくら人間として正しい「考え方」をもっていたとしても、実践が伴わなければ価値がない、そのために必要なのが、「熱意」である。
この「熱意」とは、願望、情熱、意志とも呼べるものであり、すべての行動の原動力になる。
・稲盛さんには、社員の物心両面の幸福のために、京セラのすべての事業を成功させたいという潜在意識にまで透徹していた強く持続した願望、つまり志があったのだ。
<「能力」は進化する>
・「仕事において新しいことを成し遂げられる人は、自分の可能性を信じることのできる人です。現在の能力をもって『できる、できない』を判断してしまっては、新しいことや困難なことなどできるはずはありません。人間の能力は、努力し続けることによって無限に拡がるのです。何かをしようとするとき、まず『人間の能力は無限である』ということを信じ、「何としても成し遂げたい」という強い願望で努力を続けることです」
・私たちは、自分を含めて、誰にでも同じように無限の可能性があるということを信じることが大切であり、そのような思いが、必ず、自分や組織の成長につながるのである。
<外から見える「能力」、外からは見えない「考え方」と「熱意」>
・このように稲盛さんの成功方程式、「人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力」は、一見複雑で起伏の多い人生をクリアに説明できる。これまでの自分の人生を振り返る時、これからの人生を考える時、多くの示唆を得ることができると思う。この方程式が人生の真理を表していると思うゆえんである。
<稲盛さんの人生と成功方程式>
・稲盛さんは、若い頃に、大した能力もない自分がどうしたらすばらしい人生を送れるのだろうかと考え、この成功方程式を思いついたと話されている。その稲盛さん自身の人生も、この方程式で説明できる。
・その時に、「赤の他人ではあるけれど、社員は自分の人生をかけて、入社してきたのだから、経営の目的には経営者の私利私欲が少しでも入ったものであってはならず、全社員の物心両面の幸せを願うものではなくてはならない」と気が付き、京セラの経営理念を「全従業員の物心両面の幸福を追求すると同時に、人類社会の進歩発展に貢献すること」と定めた。つまり、「考え方」を高めたのである。
創業時の全社員がもっていた、燃えるような情熱、つまり百点近い「熱意」に、同じく百点に近い「考え方」が掛けられ、京セラは急成長を遂げた。その間、全員参加経営を可能とするアメーバ経営も導入され、全社員がもてる能力をフルに発揮できるようになった。その結果、技術力、生産力、資金力などの企業としての「能力」も高まり、さらに躍進を遂げるようになったのである。
<成功方程式で組織も変わる>
・成功方程式は人生・仕事の結果を表すことができる方程式であるが、京セラやKDDIの例でもわかるように、人間の集団である、組織、企業においても適用できる。
・そして、経営トップは、必ず成功できるという戦略を立て、それを実践して見せることも重要だ。その実績が社員からの信頼を得、社員の「熱意」を高める。
・十分な資金も技術力もあり、優秀な社員もいる。それでも低迷している企業があるとすれば、リーダーの資質や社風に問題があるのではないか。そのことをこの成功方程式は教えている。つまり、企業経営において本当に重要なのは、目に見えない社風や文化であり、経営者を含めた社員の「考え方」や「熱意」なのである。すばらしい経営戦略を立案することは重要なことではあるが、それを実行するのは人であり、突き詰めれば、その心、つまり「考え方」や「熱意」なのである。
<稲盛会長の就任挨拶に漂う冷たい空気>
・JALに行く前後で私たちは再建計画の説明を受けていた。当然の話だが、再建計画というのは「その通りに実行すれば成功する」という案である。その計画では、給与の2、3割カット、社員約1万6千人の削減、約40%の路線縮小、多くの大型機の売却などが示されていた。一方、目標とする営業利益は1年目が641億円、2年目が757億円となっていた。
この再建計画は稲盛さんの会長就任と同時に公表もされたのだが、マスコミはこぞって「JAL再建計画に信憑性なし」と徹底的に批判した。
・稲盛さん自身は、航空業界には全くの素人であり、JALの内部事情にも疎い。だから、この再建計画が果たして妥当なものかどうかもわからなかった。しかし、管財人の方々は、今回の計画はJALの若手幹部も入って作ったものなので、これを確実に実行すれば必ず再建できると説明していた。また、会社更生法適用会社なのだから、再建計画を着実に実行する以外方法はなかったのである。
・そのような極限的な中で、稲盛さんの話をにわかに信じられる人がいないのは当然だったかもしれない。「自分たちプロでもうまくできないのに、何もわかっていない年寄りが突然やって来て精神論だけで再建しようとしている。困ったもんだ」と聞えよがしに話をする人もいた。
・また、先に紹介したカネボウの伊藤淳二会長のこともトラウマのようになっていた。伊藤さんは政府の要請を受けてJAL会長に就任したが、組合対策に注力し、独断で経営判断をすることも多く、結果として社内を混乱させたという。その後の苦労を知っている幹部も多い。同じように政府から派遣され、航空業界に素人の稲盛さんも、社内を混乱させるだけではないかと心配していたのである。
<「全従業員の幸せを追求」は組合迎合と反発した幹部>
・会長着任後、稲盛さんは「経営の目的は全従業員の物心両面の幸せの追求である」という話をよくされた。しかし、これについても反発があった。
ある幹部は私に「この発言をすぐに撤回するよう稲盛さんに伝えてほしい」と言ってきた。彼は稲盛さんがカネボウの伊藤さんと同じように組合に迎合していると受け取り、「稲盛さんに同じ失敗をさせたくない」という言い方をした。「そんなことはできません」と私が断ると、直接稲盛さんに「すぐに撤回してください。あんな言葉を組合が聞いたら、喜んでまた社内をめちゃくちゃにしてしまいます」と申し入れた。
<社内に充満する根深い相互不信>
・彼らには明らかなエリート意識があって、一般社員に対して優越感を抱き、現場の苦労を知らないのに、現場を見下すことがあった。逆に社員のほうは「本社の幹部がいい加減な経営をするから倒産した」と批判した。一体感どころか、相互に根深い不信感があったのである。
・それは、稲盛さんが会長に就任しても変わらなかった。例えば、稲盛さんは、経営数字をできるだけオープンにして全員参加の経営をしたいと話した。それに対しても幹部たちは「経営数字を知っているのは幹部だけでいいのではないですか」と抵抗をした。なぜかといえば、社員を信用して、経営数字を見せると他社に漏らすかもしれない、そうなると大変な問題になるというのである。
・それは、社員を単なる労働力と考えていたからだろう。極端に言えば、社員を、自分たち管理職と立場が全く違う労働力、つまりコストとしか見ていなかった。だから、いろいろな工夫をして労働力コスト、つまり人件費を下げ、生き残りを図るのが自分たちの役割だと考えていたのである。そのためJALでは、非正規雇用の派遣社員などを増やしていくと同時に多くの事業を子会社化していた。
<「JALは黒字を出してはいけない」という理屈>
・JALに着任して驚いたことの一つに、「我々は公共交通機関だから利益が出ないのが当たり前で、むしろ利益を目指さないほうがいい」との考え方が染みついていたことがある。何人かの幹部から「稲盛さんや大田さんは、収益性を上げろ、黒字にしろといつも言うが、それは基本的に間違っている」と真面目な顔で言われた時は耳を疑った。
しかしよく話を聞いてみると、そこにも彼らなりの理屈が存在することがわかった。つまり、黒字になって利益が出るようになれば国土交通省は「運賃を下げろ」と言ってくる。組合は「賃金を上げろ」と要求してくる。政治家は採算を度外視して「新しい路線を開設しろ」と求めてくる。だから、できるだけ利益を出さないのがよい――これが彼らの理屈だった。
そのような発想だから、利益目標に対する執着心はもっていなかった。公表された会社全体の利益目標はあっても、部門ごとの利益目標はない。
<旧JALに受け継がれていた不思議な文化>
・また、倒産するほど経営が悪化しているのに、会社の予算を1円でも多く獲得し、獲得した予算は全部使い切るという文化が残っていたことにも驚いた。
・だから、倒産してしまうかもしれないという時期でも、予算を使い切るために必要のないものまでも買っていた。
・また、安全に対する考え方も偏ったものがあった。御巣鷹山での大惨事のトラウマになっていたのかもしれないが、安全を守るための予算は聖域となっており、そのコストは減らせないという暗黙の了解があった。「安全のための投資なら仕方がない」とそこで思考が停止するのである。
<数字で経営するという発想の欠如>
・ただ、一番驚いたのは、JALでは数字で経営するという発想がなかったことだ。会議を開いても、実績数字も目標数字も出てこない。倒産直後なので混乱しているのだから仕方がないと思って聞いてみると、これまでもそうだったという。月次の実績が出るのには数か月かかり、それも概算のようなもので、しかもその数字を知っているのは経理部門を除けば一部の幹部だけだという。
それでは、経営が悪化してもタイムリーな対策が打てるはずはない。
・JALに着任して、JALの幹部の人たちと話した時は、このように普通の民間企業では考えられない話ばかりで本当に驚いた。
・結局は、彼らはJALという特殊な文化の中で純粋培養されていた人たちであり、航空業界という狭い世界でステレオタイプの考え方に凝り固まっていただけなのだ。
<意識改革>
・翌週から、「稲盛経営12か条」について稲盛さんに4回にわたって講義をしてもらった。「経営12か条」とは稲盛さんの経営の要諦を12の項目にまとめたもので、次のような内容となっている。
- 「事業の目的、意義を明確にする 公明正大で大義名分のある高い目的を立てる」
- 「具体的な目標を立てる 立てた目標は常に社員と共有する」
- 「強烈な願望を心に抱く 潜在意識に透徹するほどの強く持続した願望を持つこと」
- 「誰にも負けない努力をする 地味な仕事を一歩一歩堅実に、弛まぬ努力を続ける」
- 「売上を最大限に伸ばし、経費を最小限に抑える 入るを量って、出ずるを制する 利益を追うのではない 利益は後からついてくる」
- 「値決めは経営、値決めはトップの仕事 お客様も喜び、自分も儲かるポイントは一点である」
- 「経営は強い意志で決まる 経営には岩をもうがつ強い意志が必要」
- 「燃える闘魂 経営にはいかなる格闘技にもまさる激しい競争心が必要」
- 「勇気をもって事に当たる 卑怯な振る舞いがあってはならない」
- 「常に創造的な仕事をする 今日よりは明日、明日よりは明後日と、常に改良改善を絶え間なく続ける 創意工夫を重ねる」
- 「思いやりの心で誠実に 商いには相手がある 相手を含めて、ハッピーであること 皆が喜ぶこと」
- 「常に明るく前向きに、夢と希望を抱いて素直な心で」
・成功した人の体験談ほど、興味をひくものはない。だから、私たちは、歴史上の成功者の著書や伝記をよく読む。そして、もし現役であれば、直接話を聞きたい、そこから何かを吸収したいと願う。それが普通であろう。
<数字で経営するという意識をもたせる>
・すべて基本的なことばかりであるが、経営幹部が数字をベースとして経営していくためには、この当たり前のことを理解している必要があると考え、カリキュラムに入れたのである。この「7つの会計原則」の概要は次の通りである。
- 一対一対応の原則
日々の事業活動の中ではモノとお金がたえず動いている。会計処理では常にモノ(お金)と伝票を一対一で対応させることが必要であり、このことを「一対一対応の原則」と呼ぶ。
- ダブルチェックの原則
すべての業務プロセスで常にダブルチェックが徹底されるシステムをつくりあげることで、経営数字に対する信頼性を高めることができる。
- 完璧主義の原則
「完璧主義」とは、いかなる曖昧さや妥協も許さず、細部にわたって完璧に仕上げることを目指すものであり、全社員が仕事に取り組むにあたってとるべき基本的な態度である。
- 筋肉質経営の原則
業績をよく見せたいがために、売れない商品を在庫として計上したり、不良債権を処理しないまま放置していることがある。それでは「筋肉質経営」を実践しているとはいえない。
- 採算向上の原則
そのためには、全社員が経営者意識をもち、創意工夫を重ね、一致団結して、「売上最大、経費最小」を実践し、採算を向上させ強い企業体質をつくらなければならない。
- キャッシュベースの経営の原則
経営で最も重要となる「キャッシュ」に注目し、実際の「キャッシュの動き」と「利益」が直結する経営を行うためにも「キャッシュベース経営の原則」の考え方が大切になる。
- ガラス張り経営の原則
「全員参加経営」を目指すためには、全社員が自部門や会社全体の経営状況、経営方針を知ることが欠かせない。
<六つの精進>
・リーダー教育のカリキュラムの中に、私はどうしても入れたいと考えていたものがあった。それは、稲盛さんの「六つの精進」である。
・この「六つの精進」の項目だけを紹介したい。
- 誰にも負けない努力をする
- 謙虚にして驕らず
- 反省のある毎日を送る
- 生きていることに感謝する
- 善行、利他行を積む
- 感性的な悩みをしない
<幹部の一体感が一気に高まった「伝説の合宿」>
・リーダー教育の終盤、6月26日土曜日には合宿を予定したのだが、これも最初は大反対された。「幹部がみんな集まって合宿すると安全上のリスクもあるし、お客様サービスもできない」「予算がついていない」「休みがなくなるのは困る」等と言われた。
・それでも、なかなか文章を完成させることはできなかったので、最後は私も意識改革のメンバーと一緒になり、文章の修正や整理を手伝い、どうにか計画通り11月には40項目あるJALフィロソフィの最終案を作成することができた。
<JALフィロソフィの構成と完成>
・稲盛さんがいつも話していることだが、フィロソフィを学ぶのは決して会社の業績を上げるためではなく、社員にすばらしい人生を送ってほしいからである。
・それまでのJALの大きな問題は、批評家や傍観者的な人が多く、自分もJALの重要な構成員であり、自分にも経営責任があるという思いをもっている社員が少ないということだった。
<新しい経営理念を策定する>
・社員の一体感を高めるために最も重要なことは、経営の根本となる経営理念を定めることであり、稲盛さんは会長就任後すぐに、「全社員の物心両面の幸福を追求すること」が経営の目的であると明言されていたので、それをベースに経営理念を作り変えることは決まっていた。しかし、その作業はなかなか進んでいなかった。