日本は津波による大きな被害をうけるだろう UFOアガルタのシャンバラ 

コンタクティやチャネラーの情報を集めています。森羅万象も!UFOは、人類の歴史が始まって以来、最も重要な現象といわれます。

我々がこの活動を開始したのは、君の種族が日本の広島と長崎で最初の原子爆弾を爆発させた直後のことだ。(1)

 

 

異世界の書』    幻想領国地誌集成

ウンベルト・エーコ    東洋書林  2015/10/1

 

 

 

ウルティマ・トゥーレとヒュペルボレイオイ

トゥーレ

・トゥーレの初出はギリシア人探検家ピュテアスの旅行記で、そこでは北大西洋に位置する太陽の沈まない火と氷の地だとされている。このほか、エラトステネス、ディオニュシオスペリエゲテス、ストラボン、ポンポニウス・メラ、プリニウスウェルギリウスが言及しているのに加え、アントニオス・ディオゲネスは『トゥーレの彼方の驚異』(2世紀)なる冒険譚を書いている。

 

・この伝説の島の姿を描いたもののうち最もよく知られているのは、オラウス・マグヌスによる地図『カルタ・マリナ』(1539)であろう。ただし島の名称はトゥーレではなくティーレとなっている。

 

極北人

・その後、トゥーレ神話は極北人神話と融合することになる。極北人、すなわちヒュペルボレイオイ(「ボレアスの彼方に住む人々」の意で、ボレアスは北風の擬人化)とは、古代において、ギリシアから遥か北の地――6ヵ月に一度しか太陽の沈まない完璧な地――に住むと信じられていた民族である。

 

・地理的な位置については諸説あったものの、古代世界ではヒュペルボレアを選ばれし種族の発祥地とする発想はまったくなかった。ところが、ナショナリズムの高まりとともに各国語の起源論が猖獗をきわめるようになってくると、極北こそが言語と人類の原郷であるという議論が興ってくる。ローランド・ジョーンズ『コメルの環』(1771)は、ケルト語こそが原初の言語であるとし、「最初の普遍言語にここまで似ている言語は英語のほかになく(………)ケルトの言葉と智慧はトリスメギストス、ヘルメス、メルクリウス、ゴメルのいずれかの環に由来する」と述べる。またバイイは、スキュタイ人こそは最古の民族のひとつであり、中国人はもちろん、アトランティス人もスキュタイ人の後裔だと述べている。要するに、文明の発祥地は北方にあり、その地から母なる種族が南へ下って様々な民族に分岐したというのである。論者によっては、その過程で人類が堕落したと考える者もある。アーリア人種の起源を極北人に求め、唯一アーリア人種のみが堕落を経験しなかったとする議論もそうしたもののひとつである。

 

・極北神話には様々な解釈があり、北方の寒冷な気候こそが文明を育み、地中海やアフリカの温暖な気候は劣等人種を生んだとするものもあれば、北方に生まれた文明がアジアの温暖な地域へと南下したことで完全な発展を遂げたとするものもある。また先史時代の極北地方は温和な気候だったとする説もあって、例えばウィリアム・F・ウォレン――彼はボストン大学の学長まで務めた人物だが――北極こそが人類揺籃の地であり<地上の楽園>の座であると主張した『楽園の発見』(1885)において、正統な反ダーウィン主義者の面目躍如とばかりに、現生人類が下等生物から進化したなどという説は真っ赤な嘘であり、元来極地に暮らしていた種族は美麗かつ長寿であったのが、大洪水と氷河期到来のためにアジアへと移動した結果、現在の劣等な種族へと退化してしまったのだと説明している。先史時代の北極は陽光の輝く温暖な土地だったのであり、中央アジアの寒冷なステップ気候こそが種の退化を引き起こしたというのである。

 

・元始、北極は温暖であった――この説を支えるために必要とされたのが(現在でもオカルト業界や似非科学で大人気の)、地軸移動で気候の大変動が起こる、という理論である。この関係では、どの程度科学的に妥当かは措くとして、とにかく大量の文献が存在し、これがあまりにも膨大なため、ここで要約するのはいささか難しい。いずれにせよ本書のテーマはあくまで伝説なので、ここでは北極温暖説についてもその文脈で言及すべきもののひとつであるという指摘に留めておいて、先を急ぐことにしよう。

 

・かろうじて学者の良心を残していたウォレンは、さすがに地軸移動説に与することを潔しとしなかった。アジアに辿り着いた極北人は、夜空の見え方が北極にいた頃とはまったく違っていることに気づいたが、夜空の見え方が北極にいた頃とはまったく違っていることに気づいたが、彼らの子孫の世代になると、悲しいかなもう知能が退化してしまっていたために、星の見え方に関する誤った説を信じ込んでしまった。この謬説こそが地軸移動説だというのである。いずれにせよ、後にアーリア主義の神話を生むことになる「極北人」の優越性とアジアや地中海の人々の劣等性という図式が、この時点ですでに成立していることは注目に値しよう。

 

アーリア人種=ヒュペルボレア起源説は、ファーブル・ドリヴェら19世紀のオカルティストの間で好評を博すのだが、この神話が大々的に全面展開するには、さらに汎ゲルマン主義とナチズムの到来を待つ必要があった。

 

極北神話とナチズム

ヒトラーが権力を掌握する以前のナチ党には、オカルト科学の関係者が多数出入りしていた。幹部党員のうち誰が実際にその種のセクトに所属していたか、またそうした文化風土にヒトラー自身がどの程度関わっていたのかについては、現在でも論争が継続中である。だがいずれにせよ、1912年に「アリオゾフィ」(アーリア人の優越性を説く哲学)を奉じるゲルマン騎士団が結成されたこと、また1918年にゼボッテンドルフ男爵が、このゲルマン騎士団の分派として、人種主義的な傾向性を強くもった秘密結社トゥーレ協会を設立したこと、これらは紛れもない歴史的事実である。スワスティカ(鈎十字)はこのトゥーレ協会のシンボルマークであった。

 これらに先立つ1907年には、ヨルク・ランツなる人物が新テンプル騎士団を設立しているが、どうやらヒムラーはここから、アーリア人種至上主義を是とするSS(親衛隊)の着想を得たらしい。ランツは劣等人種について、去勢する、不妊手術を施す、マダガスカルに追放する、神への犠牲として焼却するといった案を推奨している。なお、これらの提案は――細部の修正を経たうえで、すべてナチスによって実施されることになるのである。

 

・1935年には、ヒムラーが民族遺産研究教育協会を設立する。これはゲルマン人種についての人類学的・文化的な歴史研究を専門とする研究機関で、古代ゲルマニアの住民の偉大さ、すなわちナチスが奉じる優等人種の起源を明らかにすることを目的としていた。この教会はオットー・ラーンの強い影響のもと、世界各地に散らばる聖遺物の発掘蒐集に尽力したと言われるが、もちろんこれはキリスト教の信仰心に発する活動だったわけではなく、むしろこれらの聖遺物が北方の異教信仰の真なる後継者がもつべき力の源であるという信念に基づく活動であった。ヒムラーはさらにアリオゾフィの影響も強く受けている。これは(ナチズムの擡頭を待たずに没したが、熱心な信奉者を多く残した)ギード・フォン・リストによる一種の学説で、古代北欧のルーン文字を非常に重視する。リストの説くところによれば、ルーン文字はたんなる文字ではなく、魔術的な象徴であって、これを用いる者はオカルト的な力を獲得し、占いや魔術を実践し、魔除けを作り、全宇宙を満たす微小なエネルギーを循環させ、そうすることでこの世の事象を思いのままに操ることができるという。なお、ナチスの鈎十字がルーン文字から着想を得たものであったことも忘れてはなるまい

 

・ローマでSSの指揮を執っていたカール・ヴォルフ将軍は、晩年に行われたテレビ・インタビューで、ヒトラーから教皇ピウス12世を拉致してドイツに連れ帰るよう命令されていたことを告白しているのだが、その際、ヴァチカン図書館からルーン文字の写本を押収せよと下命されていたことも明かし、その写本はヒトラーにとってなにがしかの秘教的価値をもっていたようだと述べている。ヴォルフはこの拉致計画について、写本の正確な位置を事前に知るのが困難であるなど、様々な口実を並べて結局実行しなかったという。この話がどこまで真実なのかは(少なくとも教皇拉致計画については記録文書があるものの)定かでないが、いずれにせよオカルティズム、反ゲルマン主義、ユダヤ起源と言われる近代科学への反感、純粋にゲルマン的な科学への狂信的な執着――こうしたものがナチス周辺には終始漂っていたのである。

 ナチズムに強い理論的影響を与えた人物として、もうひとり、アルフレート・ローゼンベルクの名を挙げておこう。著書『20世紀の神話』は、ドイツで100万部以上が売れ、ヒトラーの『わが闘争』に次ぐ大ヒットを記録した。そしてその文中にはもちろん、北方人種の神話に加え、アトランティスウルティマ・トゥーレへの言及も見られるのである。

 

宇宙氷説> 

・真剣なだけに馬鹿馬鹿しさが際立つというのがナチス周辺の思想や決定の特徴だが、その着想源となったのはヒュペルボレアの神話だけではない。

 

・なお、この「宇宙氷説」はフイリップ・ファウトの著書『氷宇宙論』(1913)の中で発表されたものだが、同書の大半はヘルビガー自身の執筆になるものである。さてこの宇宙氷説、当初はローゼンベルクやヒムラーの歓心を買った程度だったが、ヒトラーが権力を握ると科学者の間でもヘルビガー説を真剣に扱う者が現れ始めた。レントゲンとともにX線を発見したフィリップ・レーナルトもそのひとりである。

 ヘルビガーに言わせれば、宇宙とは火と氷の果てしなき争いの舞台である。そこには進化というものはなく、ただ繰り返される周期だけがある。かつて、太陽の数百万倍の大きさを誇る超高温の天体が、これまた巨大な宇宙氷の塊と衝突した。氷塊はこの灼熱の天体に取り込まれ、それから数億年の間この天体の内部で蒸気として作用していたが、ついにはこの蒸気が原因となってこの天体は大爆発を起こす。このとき吹き飛ばされた大小様々の破片には、凍結空間にまで達するものもあれば、中間領域に留まるものもあり、この後者において太陽系が形成されるに至ったのである。

 

地球の内部、極地神話、アガルタ

アタナシウス・キルヒャー『地下世界』(1665)もまた、最初期の火山研究の知見に拠りつつ、地球の内部の記述を試みている。キルヒャーが思い描いた地球の中心は、どろどろの熔岩が流動する場所であると同時にドラゴンのごとき生物の棲処でもあり、ここには科学と空想科学が奇妙な形で共存している。

 

地球空洞説

地球の内部が完全に空洞だという説の初出は、ハレー彗星で知られる科学者のエドモンド・ハレーである。一部に、大数学者レオンハルト・オイラーも同様の説を提唱していたとする見解もあるが、これについてはオイラーのテクストを検討した議論によって疑問の余地はなく否定されている。しかしハレーのほうは実際、ロンドン王立協会の機関誌に発表した論文の中で、次のような説を唱えている(1692)――地球の内部には同心球状に配された3つの中空の層がある。各層の間では地殻で遮られていて互いの連絡はできない。地球の中心にはやはり球状の熱核がある。各層を隔てる球状の地殻はそれぞれ自転しているが、外側へ行くほど回転速度が遅く、この違いが磁極の移動する原因となっている。地球内部の大気は発光性で、内部の大陸には生物が棲む。極地で観測されるオーロラは、地球内部の発光性ガスが極地開いた穴から排出されて生じる――。

 ハレーの説は当時の科学界では相手にされなかったが、ピューリタン神学者で科学者でもあった――そして何よりニューイングランド魔女狩りに影響を与えた人物として悪名高い――コットン・マザーが、著書『キリスト教育学者』でこの説を採用している。いずれにせよ、ハレーの説では地球の内部に空洞はあるとされるものの、地表からそこに入っていくのは不可能とされていた。

 

・シムズとよく似たアイデアを理論化していたのがウィリアム・リードである。彼は『極地の幻影』(1906)で、実は極点はまだ発見されていないのだ、なぜなら極点なるものは存在しないからだ、と主張した。リードの言い分では、極点があるとされている地点に地球内部の大陸へと通じる巨大な穴が開いているというのである。マーシャル・ガードナー『地球内部への旅』(1913)は、地球の内奥には太陽があると主張する。氷河期の地層からマンモスの死骸が完全な保存状態で見つかることがあるが、ガードナーに言わせれば、氷河期から現在までそんな無傷の状態でいられるわけではなく、発見されたマンモスはごく最近死んだばかりのものとしか考えられない。つまり、それは地球の内部に現在も棲息しているマンモスが、たまたま地表に迷い出てきて死んだものだというのである。なおリードもガードナーも、氷山が塩水ではなく淡水の氷でできているのは、氷山が地球内部の大陸から流れ出る川の水が凍ったものであることの証拠だとしている(実際には、氷山が淡水なのは、そもそもそれが氷河に由来するものだからであることが知られている)。

 

・リードとガードナーの説は1964年になって、レイモンド・バーナードの『地球空洞説』(1964)によって再び取り上げられた。この自称博士の説によると、UFOは地球内部の大陸から飛んでくるのであり、環状星雲は地球内部に空洞世界が存在することの証拠なのだそうだ。バーナードの著書は、それまで何十年間も言われ続けてきたことの焼き直しでしかなかったにもかかわらず大好評をもって迎えられ、今日でもまだ増刷がかかっている。ちなみにこのバーナードだが、南米で地球内部へと通じるトンネルを探索しているときに肺炎で死んだそうだ

 シムズの説は、シーボーン大尉なる人物による小説『シムゾニア』(1820)にも引き継がれた(シーボーン大尉をシムズと同一人物視する説もある)。この作品には、地球の内部を詳細に描いた図も収録されている。

 

極北神話

ナチス・ドイツに蔓延していた様々なオカルト妄想の中でも最大の信用を勝ち得ていたのが、第7章でも触れた極北神話である。この「極北」モデルには、西洋文明の起源は極北にあり、と言うに留まらず、西洋文明は極北に回帰すべし、との主張も含まれていた。

 

・リチャード・バードは米国の偉大な極地探検家であった。1926年に航空機による北極点到達を成し遂げ(ただしその真偽については異論もある)、1929年には南極点上空飛行に成功、1946年から1956年には重要な南極調査計画の指揮を執り、米国政府から名誉勲章を授与されている。だが一方で彼は様々な伝説の主役でもあった。バードが書いたとされる日記に、北極点の先に緑の大地と沃野を見つけたとの内容が劇的な調子で綴られていることが判明し、これは古来の極北伝説の正しさを証明するものではないかと騒がれたのである。ただ話はそれだけに留まらず、日記には北極点に巨大な穴が開いているとか、その内部に未知の種族が棲んでいるとか、空飛ぶ円盤はその地の底から飛んでくるのだといったことまで書かれていた。さらに、この事実が誰にも知られていないのは、米国政府が軍事上の安全保障に関わる諸理由から、この件に関する情報を厳しく統制しているからにほかならないとまで主張しているのである。

 

・バードが1947年に南極探検についてのラジオ放送で「極点の彼方の地域は、大いなる未知の中心なのだ」と発言し、また別の探検旅行から帰還した際には「今回の遠征では新たに広大な土地を発見した」と語っていること、それ自体は紛れもない事実である。

 

・バード伝説が広まる契機となったのはフランシス・アマデオ・ジャンニーニ『極点の彼方の世界』(1959)だったようだ。このジャンニーニは妄想癖のある人物で、長年にわたって地球空洞説などよりはるかに突飛な自説を提唱していた。その説によると、この大地は球体ではなく、極点の彼方はさらに延々と宇宙空間まで大地が続いている。そして我々が知る大地はそのごく一部にすぎないというものである。いずれにせよ、1947年にバードが極点の彼方に何かを発見したという知らせは、ジャンニーニにとって実に歓迎すべきニュースだったわけだ。

 

・前出のバーナードも、バードの言葉尻をとらえて妄想を逞しくしたひとりである。だが本書の読者におかれては、やはりバードが記したとされる日記を直接堪能していただくのがよいだろう。

 この日記の真贋をめぐっては、全貌を把握しがたいほど大量の本や記事が書かれている。またインターネットを見てみれば、真作説をとっているサイトのほとんどは地球空洞説の支持者が運営するものであるのに対し、公式の経歴はこの日記に触れてもいない。もちろん信者からすれば、公式の記録にこの日記についての記述がないのは、当局がこの発見を隠蔽しているからにほかならない。

 

アガルタとシャンバラ

・しかし地下世界を夢想するのに、地球は空洞だとか、我々は地球の裏側に暮らしているのだとか、そこまで極端なことを言う必要はない。この地面の下には巨大な地下都市がいまも存在しているのだと考えるだけでも、十分想像は広がる。実際どの時代にも地下都市は存在していた。クセノポンの『アナバシス』を繙けば、アナトリアには地面の下を掘って、そこに家族、家畜、その他の生活必需品を収容できる広さの家を作って暮らす民族がいるとの記述が見られるカッパドキアに観光に行けば、現在でもデリンクュ遺跡(の少なくとも一部)に実際に入ることができる。

 

・19世紀の空想作家らがこの種の実在した地下都市の知識に基づいて創りだしたのが、ほかならぬアガルタの都の伝説である。

 アガルタ伝説の直接の典拠とされるのは東方の伝承であったりインドの聖人の言葉であったりするのだが、一方でこの神話にはヒュペルポレアやレムリア、アトランティスなどの先行するオカルティズムに拠るところも大きい。いずれにせよ、アガルタ――テクストによってアガルティ、アガルディ、アスガルタとも――とは、地底にひろがる広大な土地の上に、複数の都市が蓄積した世界であり、これを統治するのが至高の権力を有する<世界の王>で、世界中のあらゆる事件の裏にはこの王の力が働いていると言われる。アガルタはアジアの地下に広がっているとされるが、ヒマラヤの真下とする説もある。さらに、この王国へ通じる秘密の入口は、例えば赤道直下のクエバ・デ・ロス・タジョス、ゴビ砂漠、コルキスのシビュラの洞窟、ナポリ近郊のクマエのシビュラの洞窟のほか、ケンタッキー、マト・グロッソ、北極および南極、クフ王のピラミッドの近く、さらにはオーストラリアのエアーズ・ロック近辺と、至る所にあるらしい。

 

アガルタという言葉の初出はルイ・ジャコリオの作品に求められる。このジャコリオはなかなか個性的な作家で、ヴェルヌやサガーリに連なる冒険譚をいくつか書いているが、とりわけ彼を有名にしたのがインド文明に関する多数の著書だった。『世界の心霊論』(1875)では西洋オカルティズムの起源をインドに求めている。もっとも、それはさほど困難な作業ではなかった。というのも、当時のオカルティズムでは――実在の文献にあたるか典拠を捏造するかはともかくとして――東方神話に依拠するのが常道だったからである。ジャコリオは『アグルシャダ・パリクシェ』なる、専門家にも知られていないサンスクリット語のテクストを参照しているのだが、これはジャコリオ自身が、ウパニシャッドその他の聖典のテクストを流用し、そこに西方のフリーメイソンの要素をまぶして捏造した偽書であった。

 

・実際問題として、ジャコリオの話は――とにかくなんでも頭から信じてしまうブラヴァツキー夫人を除けば――ほとんど誰からも相手にされなかった。しかしごく一部にきわめて強い影響を受けた者もあり、そのひとりが『ヨーロッパにおけるインドの使命』(1886)を書いたアレクサンドル・サン=ティーヴ・ダルヴェードル侯爵であった。

 

・サン=ティーヴは『インドの使命』を書くにあたり、ハジ・シャリフなる謎のアフガン人の訪問を受けたと言っている。しかしハジ・シャリフは明らかにアルバニア系の名前だから、アフガン人というのはありえないだろう(それに唯一現存する写真では、バルカン・オペレッタの衣装を着ているのである)。しかしいずれにせよ、この男がサン=ティーヴにアガルタ、すなわち「発見できないもの」の秘密を明かしたのだという。

 着想の元と見られるジャコリオの場合と同様、サン=ティーヴのアガルタも複数の地下都市から成る国であり、これを治めるのが5000人の賢者である。アガルタの中央ドームは一種の鏡によって上から照らされているのだが、この鏡は「あらゆる色を、音楽にたとえれば半音よりずっと小さい細分律に相当する色階に分けて通過させ、これに較べればわれわれの物理学の太陽光線のスペクトルなど全音階にすぎない」という。

 

ここに至り、世を統べるひとつの<精神>という観念が浮上してくる――サン=ティーヴが、過去と未来のあらゆる歴史的事件の背後に<未知の上位者>の存在を想定するフリーメイソンの教義の影響を受けているのは間違いなかろう。

サン=ティーヴの着想の源に、シャンバラ王国に関する東方の伝承に由来するものがあった可能性は否定できない。アガルタとシャンバラの関係はオカルティストの間でも見解が一定しないが、地球空洞説の信者が描いた空想地図では、地下大陸アガルタに位置する1都市のことをシャンバラとしたものが多い。

 シャンバラをムーと同一視する議論もあるが、ムーを地下大陸とする議論はない。それは措くとしても、重要なのは、東方の伝承でシャンバラが地下にあるとするものは皆無である。

 

ヒルトンはシャングリラを、ヒマラヤ山脈の西端、時間がほとんど止まってしまったような、平穏で静謐な地としている。そしてこのシャングリラもまた、一方ではオカルティストの業界を魅了し、他方では観光業界の投機家たちを惹き付けた。アジアからアメリカまで、至るところに観光客目当てのシャングリラもどきが次々と造られ、2001年には中国の中甸県がなんと本当に香格里拉(シャングリラ)県に改名してしまった。

 初めて「シャンバラ」という概念を西洋世界に伝えたのはポルトガルの宣教師団だが、当初はカタイ、すなわち中国のことと考えられていたようだ。

 

・どんな不確かな情報にでもすぐ飛びつき、2次文献のいいかげんな翻訳を典拠とすることで知られるブラヴァツキー夫人は、当然のごとく『シークレット・ドクトリン』でシャンバラを扱っている(しかしなぜかアガルタについては一切触れていない)。ブラヴァツキー夫人はチベットの関係者からテレパシーで情報を得たらしく、それによるとアトランティスの生き残りがゴビ砂漠に位置する島シャンバラに移住したという

 

ナチス上層部にどの程度シャンバラ信仰が浸透していたのかは不明だが、トゥーレ協会の内部では、極北人がアトランティスやレムリアへ集団移住した後、最後にゴビ砂漠に到達してこの地にアガルタを建設したとする説が広まっていた。名前が似ていることから、アガルタと北欧神話で神々の棲まう地とされるアースガルドとの間にはなんらかの関係があるに違いないと考えられたのである。このあたりから話は錯綜し始める。というのは、かつてアガルタが滅亡した際、「良き」アーリア人集団は南下してヒマラヤ山脈の地下にアガルティを建設したのに対し、もうひとつの集団は北上して堕落し、その地に悪の王国シャンバラを建設したという話まで登場してきたからである。こんなふうにして支離滅裂になっていくのは実にオカルト地理学ならではの展開である。他方、1920年代には、ボリシェヴィキの秘密警察上層部に<地上の楽園>と<ソヴィエトの楽園>を融合させんとしてシャンバラ探索計画がもちあがったという話もある。これに連なる話として、1930年代にハインリヒ・ヒムラールドルフ・ヘスチベットに――もちろん純粋人種の起源を求めて――遠征軍を派遣したという噂もある。

 ロシアの著名な探検家にして熱心なオカルト愛好家であり、しかし画家としての才能は平凡であったニコライ・レーリヒは、1920年代にシャンバラを求めてアジア各地を旅し、その記録を著書『シャンバラ』として出版している。レーリヒはシャンバラには如意宝珠と呼ばれる秘石があり、それはシリウスから来たものだと主張する。レーリヒによればシャンバラは聖地であり、アガルタとも関係があって、両者は地下道で結ばれているという。残念ながら、レーリヒのシャンバラ探索行の証拠として残っているのは、彼の手になる拙い絵画がほぼすべてである

 

<地底の幻視>

エドワード・ブルワー=リットン 『来るべき種族』(1871)>

・道路それ自体が幅広のアルプスの山道のようで、無数の岩山を縫うように続いていた。私が裂け目を降りてきたのもその岩山のうちのひとつだった。左手の遥か下方には広大な低地が広がり、驚いたことにそこには見紛うべきもなく技術と文化の証拠が見てとれたのだった。その平原は、地上では見たことのない種類の植物に覆われていた。色は緑ではなく、鈍い鉛色か、赤っぽい黄金色だった。

 

・太陽のない世界のはずが、まるでイタリアの正午時のように明るく暖かく、それでいて空気に息苦しさはなく、暑すぎもしないのだ。また前方を見やると、人が住んでいるらしき様子もあった。

 

・頭上に空はなく、ただ洞窟の天井があるだけだった。この天井は前方へゆくほど高くなり、あるところから先は靄に隠れて見えなかった。(………)

 建物の全貌が見えてきた。巨大な岩をくりぬいたもので、人の手で造られたことに疑問の余地はなかった。建物の全面には巨大な柱が立ち、それが柱礎から上に行くほど細くなるような形であったためエジプト建築の最初期の形態かと思ったが、近づくにつれ柱頭の装飾と幻想的な優美さが、エジプト建築では到底不可能な水準であることがわかった。

 

・私はエトルリアの壺や東方の墳墓の壁に描かれたゲニウスやダイモーンの――人の形を借りてはいるが人ならぬ種族の――象徴的なイメージを思い出していた。その人の形をしたものは、巨人というほどではなかったが、人間の中で最も背の高い者と同じ程度に背が高かった

 

人間の顔ではあるのだが、我々の知るどの現生人類とも異なるタイプの顔相だったのだ

 

・目は大きくて瞳が黒く、深彫りで輝いている。眉は半円状のアーチを描いていた。顔には髭はなかったが、その点において名状しがたい何かが、穏やかな表情と美しい顔立ちにもかかわらず、虎や蛇を見たときに覚えるあの危険本能を喚起したのであった。この人のようなものは、人間にとって有害な力を有していると私には感じられた。それが近づいてくるにつれ、冷たい震えが私の体を貫いた。私はその場に膝をつき、両手で顔を覆った。

 

<いわゆる『バードの日記』>

<リチャード・イヴリン・バード 『日記』(1947)>

この日記は非公開を前提に秘密梩に書かれねばならぬ。内容は1947年2月19日の北極飛行に関わるものである。

 

・磁気コンパスとジャイロコンパスがともにぐるぐる回り始めたため、計器で進路を定めることができない。太陽コンパスで位置を確認したが、万時順調だ。操縦桿の反応が鈍いように感じるが、凍結の徴候は特にない。(………)

 山脈を最初に視認してから飛行時間は29分が経過。幻覚ではない。やはり山脈だが、これまで見たことがないほど小さい。(………)

 小さな山脈の上を飛行中。確認できるかぎり、まだまっすぐ北に向かっているはずだ。山の向こうに谷のようなものがあり、その中央に小さな川か水流のようなものが見える。こんなところに緑の谷などあるはずがない! 絶対に何かがおかしい!下は氷と雪の世界のはずなのだ!左手、山の斜面に広大な森林が広がっているのが見える。計器類は依然としてぐるぐる回っており、ジャイロスコープは出鱈目に振れ続けている。(……)

 

・高度を1400フィートに変更し、下の谷の様子をよく見ようと左急旋回をする。緑色は苔か、密生した草によるもののようだ。光の具合がどうもおかしい。太陽がどこにも見えないのだ。再度左旋回をしたとき、眼下に何か大型の動物のようなものを見る。象のようだ!いや違う!あれはマンモスだ!信じられない!だが現実なのだ!(………)

 斜面の緑がうねりを帯びてきた。外気温計を見ると華氏74度{摂氏23.3度}だ。進路に変更はない。計器もいまは正常に戻っているように見える。頭が混乱してくる。基地に連絡を試みる。しかし無線が働かない!(…)

 地面の起伏が少なくなり、正常(と言ってよければ)に近づく。ありえない!機体が軽くなった気がし、妙な浮力を感じる。操縦桿が言うことを聞かない!大変だ!

当機の左右に1機ずつ、見たことのないタイプの飛行機が現われた。両側から急速に距離を縮めてくる! その2機は形が円盤状で、しかも発光している。当機との距離が縮まるにつれ、その両機の機体に描かれたマークが見えてきた。あれは、一種のスワスティカ「鈎十字」だ!現実とは思えない。ここはいったいどこなのだ?いったい何が起きたというのだ?(………)

 無線から雑音と、どうやら少し北欧かドイツ系の訛りのある英語が聞こえてきた!内容はこうだ――「我らが領空へようこそ、少将。いまからきっかり7分後に着陸させる! 安心したまえ、少将。何も心配はいらない」。気づくと、自機のエンジンが停止している!機体が何か見知らぬ力に操られ、ひとりでに旋回している。操縦桿はまったく効かない。(………)

 数人がこちらの機体のほうへと歩いてくる。背が高く、金髪である。遠くに、虹色の輝きを放つ大都市が見える。不明だが、近づいてくる者たちが武器を携帯している徴候はない。私を名指しし、貨物口を開けるよう命じる声が聞こえる。言われたとおりにする。(……)

 以下の出来事の記述はすべて記憶に基づくものである。想像は一切差し挟まない。書かれている内容はほとんど狂気の産物だと思われるだろうが、しかしすべて現実に起こったことである。

 通信士とともに機外へ出ると、最大限の歓待を受けた。それから全員で小さな台の上に乗った。それは移動のための乗り物だったのだが、なんと車輪がなかった!それに乗ったまま、我々は、かなりの高速で輝く都市へと運ばれた。近づくにつれ、その都市が水晶のような物質でできているのがわかってきた。

 

「そうだ」マスターが微笑んで言った。「君はいま地球内部の世界、アリアンニの領内にいるのだ。我々としては君の任務をあまり遅らせるつもりはない。後で地表に出てその先まで、無事送り届けて差し上げよう。しかしまずは、少将、君をここにお呼びした理由を申し上げたい。我々がこの活動を開始したのは、君の種族が日本の広島と長崎で最初の原子爆弾を爆発させた直後のことだ。あれには我々も驚き、君の種族がいったい何をしでかしたのか調査するために、我々の飛行機械「フリューゲルラート」を地表世界に送り込んだのだ。もちろん、いまとなっては過去の歴史ではあるな、我が親愛なる少将よ。だが私は続けねばならぬ。知ってのとおり、我々はこれまで君の種族の起こした戦争や蛮行に介入してはこなかった。だが今回ばかりは事情が変わってしまったのだ。君たちが人間のためのものではない力に手を付けてしまったからだ。我々はすでに、君たちの世界の権力者たちに使節を送っているのだが、彼らは耳を貸そうとしない。そこで我々の世界を実際に見せ、その実在を証言してもらうことにした。君はその証人に選ばれたのだ」(…………)

 マスターは話を続けた。「1945年以来、我々は君の種族に接触を試みてきた。だが我々の努力は敵意をもって迎えられた。彼らはフリューゲルラートを撃墜しようとしたのだ。悪意と憎悪にとらわれた彼らは、さらに君たちの戦闘機に迎撃までさせた。よいか、これほどさように、君たちの世界にはいま、大きな嵐が起ころうとしている。暗黙の憤怒が吹き荒れ、大惨事になるまでそう長くはかかるまい。君たちのもつ武器に答えはない。君たちのもつ科学に安全はない。君たちの文化の花がすべて踏みにじられ、大破局の中で人類が全滅してしまうまで嵐が収まることはない。先の戦争は、これから君の種族に訪れることの前奏にすぎなかったのだ」(……)

 

・「遠い未来、君の種族の廃墟から新世界が立ち上がり、かつて失われた伝説の宝物を求めるだろう。その宝はここで、我々のもとで安全に保管することになるだろう。そのときが来れば、我々は再び、君たちの文化と種族の再生のために手を貸すつもりだ。おそらくその頃には君たちも、戦争の不毛さを思い知っているはずだ……その後、君たちの文化と科学の一部が君たちの種族のもとに戻り、新たな出発を可能にするだろう」(……)

 

・1947年3月11日。いまペンタゴンでの幹部会議に出席してきたところだ。私の見聞したこと、そしてマスターからの伝言をすべて伝えた。すべて公式の記録に残った。大統領にも伝わった。現在私は数時間にわたって拘留されている。公安部と医療チームによる集中的な尋問を受けている。これは実に試練だった! 現在は米国の国家安全保障条項による厳重管理下に置かれている。この件については一切口外無用との命令を受けている。それが人類のためだというのだ!無茶苦茶だ!おまえは軍人なのであり、命令に従う義務があると改めて言われた。(………)

 最後に、私は今日まで、指示されたとおり、忠実に秘密を守ってきた。それはまさに、自分の道徳的権利の価値が完全に否定され続ける日々だった。

 

アガルタはどこにあるのか

アレクサンドル=ティーヴ・ダルヴェードル『ヨーロッパにおけるインドの使命』1886

・アガルタはどこにあるのか。正確に言っていかなる場所に所在するのか。そこに入りこむためには、どんな道を、どんな種族の間を通らねばならないのか。(………)

 しかし、全アジアに拡がる西洋の勢力競争において、どこかの列強がそれとは気づかずに、この聖なる領土をかすめていることをわたしは知っている。また、将来起こりうる軍事衝突に際して、彼らの軍隊が、いやでもこの領土の中か近くを通るにちがいないことも知っている。だから、わたしがすでに始めた秘密暴露をこれからも恐れず続けるのは、ひとえにこれらヨーロッパの人々やアガルタ自身に対する人類愛ゆえなのだ。

 地表と地中を含めたアガルタの領土の拡がりは、暴力や冒瀆の及ぶ範囲を超えている。未知の地下部分が太古の昔からアガルタに所属しているアメリカは別としても、アジアだけでも5億近くの人間が、多少なりともアガルタの存在と偉大さを知っているのだ。しかし、アガルタの神の議会、神々の議会、祭司の長、司法の中心の正確な位置を教えるような裏切り者は、彼らのうちにただのひとりも見つからないだろう。(………)

 

・わたしの読者諸氏としては、つぎのことを知っておけば十分であろう。ヒマラヤのある地域には、ヘルメスの22のアルカナとある種の聖なるアルファベットの22文字を表象する22の神殿が存在するが、アガルタは神秘的なゼロ、発見不可能なものを形成するのである。(……)アガルタの聖なる領土は独立しており、シナーキーによって組織され、2000万人に近い住民から成っている。

 

・アガルタの工房や研究所や天文台では、これらの科学や芸術やその他が、絶えず教えられ、実証され、実践されつづけている。化学と物理学はあまりにも発達しているので、わたしがここでそれを叙述しても、とても人々には認められまい。(………)

毎年定められた時期に、聖なる魔術学校の長(プリンス)であるマハルシの指導のもと、高等部門の優等生たちはいまでも地下の都市を訪問しに降りていく

「彼らが最初にしなければならないのは、身体がやっと通るくらいの曲がりくねった穴の中を滑って地中を滑り抜けることである。息は止まり、頭の上に手を組んだヨーギは滑り落ち、1世紀もたったような気がする」

 

・「秘密の芸術と科学を実践し、できるだけ少なく呼吸できる者、そして、空気がどこでも含んでいる神聖で生命のもととなる元素を、肺以外の器官によっていかなる場所でも空気から吸収できる者、このような者だけが道を続けることができる」

 

・「真っ赤な流体の海の下から照らされた巨大な地下都市が目の前に開ける。この赤さは遠くにある中心の火の反映であり、毎年この時期には、中心の火は収縮しているのである」

「このうえなく異様な建築が無限に並んでいる。そこでは、あらゆる金属が溶けあい、空想と奇想に富んだゴシック様式、コリント様式、イオニア様式、ドーリア様式の芸術家ですら夢想だにしなかったようなことを、実現しているのである」

 

・この神殿の中に入ってみよう。カルデアアブラハム派、サレムのメルキセデク、テーベやメンフィスやサイスやアモンの密儀祭司、これらの原型たるブラハトマを見出すだろう。

 最高位の秘義精通者を除いて、誰もアガルタの教皇と1対1で顔をつき合わせて会ったことがない。(………)

 ブラハトマはコーカサス・タイプのエチオピア人種出身の老人である。この人種は、赤色人種のあと、白色人種の前に地球の支配権を握っていた。そして、エチオピアからエジプトまで、インドからコーカサスまで、今日でもいたるところで見出せるあのすばらしい町や建物をあらゆる山の中に建造したのだ。

 

世界の王

<フェルディナンド・オッセンドフスキー 『獣、人、神々』1923>

中央アジアへの旅の途上で、私は初めて「神秘の中の神秘」――他に呼びようがないのだ――のことを知った。最初はそれほどのものとは思いもしなかった。私がその重要性に気づくのは、あちこちに散在し、しばしば互いに矛盾する情報の断片を分析し、その意義を把握してからのことだ

 アムール川沿岸の古老たちから古い伝説を聞いた。かつて、チンギス・ハンの誅求を逃れ、地下の国に隠れ住んだ部族があったというのだ。またその後、ノガン・クル湖の付近に住むソヨト人には、「アガルティ王国」への入口を成す煙の門を見せてもらった。かつてこの門を通って王国へと入った猟師がいたという。

 

・ナラバンキ僧院のホトクト、ジェリブ・ジャムスラブからは、もう少し現実味のある話を聞くことができた。それによると、地底王国から強大なる世界の王が現れたのだという。彼はその王の姿形、その王がなした奇蹟、その王が告げた予言について語った。

 

・「この王国こそがアガルティである。この国は、ありとあらゆる地下通路によって全世界に拡がっている」

 

・「この地下の民族とその空間を治める支配者たちは、みな世界の王に忠誠を誓っている。かつて、東西の大洋にそれぞれひとつずつ大陸が存在したことは知っておろう。この大陸はいずれも海の底に沈んだが、そこで暮らしていた民族は地底の王国へと移り住んだのだ。地下の空洞には穀物や野菜を育て、人に無病長命を与える特殊な光が存在する。多種多様な民族と、多種多様な部族が存在する。

 

地理的・歴史的事実が象徴的価値をもつ

<ルネ・ゲノン 『世界の王』1925>

・あらゆる伝統に符合する証言から、ひとつの結論がきわめて明瞭に浮かび上がってくる。それは、すぐれて「聖地」であるもの、他のすべての中心が従属する精神的中心が存在するという断言である。「聖地」はまた「聖者の地」であり、「至福者の地」であり、「生者の地」であり、「不死の地」であった。これらすべての表現は等価であり、これにプラトンがまさしく「至福者の地」に適用した「清浄な地」という表現も加えねばなるまい。普通これらの地は「不可視の世界」にあるとされる。しかし事の本質を理解しようと思えば、やはりあらゆる伝統が語っている「精神的(霊的)ヒエラルキー」についても事情が同じであり、それらのヒエラルキーは現実にはイニシエーションの段階を表していることを忘れてはならない。

 われわれの地上サイクルの現在の時期、すなわちカリ・ユガにおいて、この「聖地」は「守護者」によって守られ、外部との一定の交流は保ちながら、俗人の目には隠されている。「聖地」は実際目に見えず到達不可能であるが、それはそこに入るために必要な資格をもたない者にとってのみそうなのである。さて、ある特定の地域における聖地の所在地は、文字通りの事実であるとみなすべきだろうか。あるいは同時にその両者であろうか。この質問にはたんにこう答えよう。地理的事実や歴史的事実は、他のすべての事実と同じく、われわれにとって象徴的価値をもつ。そしてこの象徴的価値はもちろん、これらの事実から事実としての現実性を奪うのではなく、直接的現実性に加えて、高次の意味をこれらの事実に授けるのだ。