日本は津波による大きな被害をうけるだろう UFOアガルタのシャンバラ 

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ソ連がアメリカに生物兵器攻撃をしていたら、「アメリカ国内の100の大都市に戦略的な天然痘と黒死病をいっぺんに発生させ、いともたやすく壊滅的な被害を与えることができただろう(1)

 

 

ペンタゴンの頭脳 DARPA(ダーパ)』

世界を動かす軍事科学機関  

アニー・ジャイコブセン 太田出版  2017/4/20   

 

 

 

DARPA(ダーパ)

アメリカでもっとも謎に包まれた軍事科学研究機関、国防高等研究計画局(DARPA)。1958年の創設以来、国防総省の直属機関としてGPS、インターネット、ドローンなどを次々と生み出し、世界を変える一方、放射能や危険な毒物による大規模な環境汚染といった大きな負の遺産ものこしてきた。彼らは未来を創りだす超頭脳集団か?それとも科学で世界を支配する恐るべき存在なのか?

 兵器開発の暗黒史、終わりなき産業戦争の実態、「スノーデン・ファイル」流出の裏側など闇に覆われてきたDARPAの事実を開示。

 

・DARPA(Defense Advanced Research Projects Agency)と呼ばれるこの組織は、世界最大の影響力を持つ軍事科学機関である。創設以来、ほかに類を見ない革新的な成果を生み出してきた。きわめて謎に包まれた組織でもあり、本書が刊行されるまで、その活動が精査されたことはほとんどない。軍事科学に革命を起こし、アメリカの科学技術力の絶対優位を守ることを使命としている。

 

・1958年に議会により誕生して以来、DARPAは国防総省の中枢的な研究開発組織として機能してきた。年間予算約30億ドルこそ組織は、アメリカのほかのどの軍事研究機関とも違う。理由は、組織として研究はおこなわず、局内のプログラム・マネジャーや室長が、防衛関連請負業者、学者、ほかの政府組織に研究を委託するからだ。DARPAは、その成果を軍事技術に転用する。時機を見て速やかにプロジェクトを運用し、政府組織につきものの官僚主義や事務手続きとは無縁である。

 

・DARPAの技術が戦場で公開されるまで、ほかの国々はそのような技術が存在することさえ知らずにいる。たとえば、アメリカがベトナム戦争の只中にあった1960年代初期、この機関ではもう無人機の開発がはじまっていた。ドローンは30年の月日をかけて武装化され、2001年10月にアフガニスタンの戦場で初めてその姿を現した。世界がこの兵器を知るころには、アメリカのドローン技術は数世代先まで進んでいたことになる。ほどなくして、多くの敵国がこの技術を導入し、2014年に軍用可能なドローン保有国は87カ国に達した。

 DARPAの元科学者たちを取材してわかったのは、この組織が推進している研究、とりわけ機密のプログラムは、常に公知の技術より10年から20年も先を行っているということだ私たちは、この機関に未来の決定を委ねていると言ってよい。はたしてそれは、賢明なことと言えるのだろうか?

 

邪悪なもの

・1954年冬のある日、アメリカ人科学者のあるグループが作った装置によって、世界は滅亡の危機に瀕していた。1954年3月1日、ハワイから約4300キロ西、太平洋に点々と連なるマーシャル諸島ビキニ環礁、現地時間午前4時29分。グループの科学者たちの何人かは、すでにこの瞬間がもたらす危険を警告していた。エンリコ・フェルミイシドール・ラビは、マンハッタン計画にも従事した科学者だった。彼らは、この装置を「邪悪なもの」と呼び、トルーマン大統領に決して製造してはならない、と進言していた。それにもかかわらず、“装置”は完成し、今まさに炸裂しようとしていた。

“装置”の名は、熱核(水素)爆弾。アメリカ空軍の爆撃機に搭載してモスクワのような敵国都市に投下できるほど小型化されたものだアメリカ国民はこの爆弾の存在を知らされておらず、科学者たちがこれから立ち会おうとしているキャッスル作戦の実験には<ブラヴォー>という暗号名がつけられていた。

 

・そのころ、約130キロ東ではもうひとつの惨事が起きていた。第五福竜丸という日本のトロール漁船が、アメリカ軍が設定した危険水域の約24キロ外で操業中だったのだ。ブラヴォーが炸裂すると、多くの船員が甲板に走り出て、“太陽が西から昇る”という突然の神秘的な現象にじっと見入った。畏敬の念を覚えながら、闇夜を照らす火球を見つめて立っていると、空から白っぽい粉が降ってきた。熱核爆発によって高レベルの放射能が付着した、粉砕された珊瑚だった。日本に戻るころには、漁師たち全員が放射性障害を発症していた。6カ月後、第五福竜丸の無線長、久保山愛吉が死亡した。

 ブラヴォーは、かつてないほどのすさまじい破壊力を持つ兵器だった。その威力は、爆弾を設定した科学者たちの予測を250パーセントも上回っていたほどなくして、ブラヴォー実験は、史上最悪の被爆事故として歴史に名を刻むことになる放射能汚染がきわめて深刻で広範囲にわたったため、爆発の2日後、海軍は爆心地の120キロから480キロ東のロンゲラップ、ロンゲリック、アイリンギナ、ウトリック環礁の住民を避難させなければならなかった。島民の多くが、死の灰を浴びた

 その後数日間、マーシャル諸島で起きたことは世界中の27億の人々には知らされずにいた。

 

・数十年後、ヨークは次のように説明している。アメリカの科学者は、自国の優位を維持するために、常に新しい、より大きなリスクに挑まなければならない。「アメリカの質的優位を維持するためには、必要が生じる前に先端技術を開拓する、という積極的な研究開発力が不可欠だ。その結果、軍拡競争は加速化するが、敵が量で勝負してくるなら、こっちは質で勝負するしかない。よって、これは避けられないことなのだ」

 ヨークにとって、世界最強の軍事国というアメリカの地位を守る方法は、科学を前進させることだった。アメリカの科学者から最大限の成果を引き出すには、同じくらいすぐれた科学者たちと競わせることだ。そうすることでアメリカは強くなる、とヨークは言った。これはアメリカの戦争のやり方だ。そして、このようなビジョンこそ、ソ連共産主義と存亡をかけて戦う国防総省が科学者に求めていたものだった。熱核兵器の時代はすでにはじまっていた。米ソどちらも、大量の兵器を一心不乱に作っていた。もう後戻りはできない。ただ前へ進むのみ。

 科学技術のフロンティアを目指すときがやってきたのだ。

 

生物兵器

・1991年12月11日、41歳の謎めいたソ連の科学者、カナジャン・アリベコフが、13人のソ連代表団の一員としてワシントンに到着した。このグループは、アメリカとイギリスの科学者も関わる三国間ミッションの参加者だった。今回の訪問の目的は、数十年前の生物兵器研究開発施設を各国代表団が査察し合うことだった。しかし、その裏では、単なる査察よりずっと大きなことが進行していた。1972年に締結された生物兵器禁止条約で細菌兵器が違法となって以来、アメリカ、イギリス、ソ連生物兵器の研究を続けていること、それどころか、西側の軍事科学者の想像をはるかに超える邪悪で恐ろしいプログラムを進めていることが明らかになったのだ。この情報が最初にもたらされたのは、2年前の1989年10月。以来、アメリカとイギリスはこの問題を解決しようと努めてきた。三国間査察は、その解決策の一環であった。

 

・1991年12月当時、<バイオプレパラト>という秘密の生物兵器開発プログラムがアメリカとイギリスの情報部員に気づかれていることを、ソ連は知らなかった。さらに、謎めいたカナジャン・アリベコフ博士が<バイオプレパラト>の副局長だとアメリカ側が知っているということも。このプログラムは、40カ所の施設で約4万人の職員によって進行していた。そのうち12カ所は攻撃用生物兵器開発の専門施設だ。副局長であるアリベコフ博士は、この大がかりなプログラムの副指揮官というわけだ。

 

・数年後、アリベコフ博士は回顧録を執筆し、1991年のアメリカ訪問では、元兵器施設の現状よりも、アメリカ人の豊かな生活のほうに引きつけられた、と述べている。「きれいに舗装された高速道路、品ぞろえの豊富な商店、一般市民が住むぜいたくな家」を目の当たりにして驚きに眼を瞠り、民主主義は共産主義より国民に多くを与えている、と確信するにいたったという。

 

・過去50年にわたって、ソ連アメリカとの軍拡競争で大量破壊兵器を着々と増やしてきた。これからは誰がそれらの兵器を管理するのだろう? ロシア人たちは常に1万1000発以上の核弾頭を、慎重に選定したアメリカ国内の標的に向けており、それ以外にも広大なロシアの地方全域に1万5000発の核弾頭が保管されている。それらの保管施設には鉄道車両にとりつけられた可動システムも含まれていた。

 

・2週間後、アリベコフ博士はモスクワで<バイオプレパラト>の局長であるユーリ・カリーニン将軍に辞表を渡した。それから仲介者を経てリサ・ブロンソンに連絡をとり、アメリカに亡命したい旨を伝えた。これはペンタゴンにとって軍事諜報活動の大金星だった。

 

・パセチニクを担当したハンドラーは、クリストファー・デイヴィスというイギリスの国防情報参謀部の生物兵器専門調査官だった。デイヴィスは、バセチニクが語った数々の驚くべき事実に愕然とした。51歳のバセチニクは、レニングラードにある高純度生物製剤研究所という<バイオプレパラト>施設で、アリベコフ博士の下で働いていたという。研究主幹としてきわめて重要な貢献をしたことから、“将軍”という肩書だけの軍の名誉職を授けられていた。<バイオプレパラト>では、炭疽菌、ソラレミア(野兎病)、ボツリヌス毒素といった昔ながらの病原菌の兵器化、いわば生物兵器開発プログラムの定番的な研究をおこなっている。しかし、高純度生物剤研究所で取り組んでいるのは、ワクチンや抗生物質に耐性を示すように病原菌を遺伝子操作することだ。パセチニクはここで、窮極の病原菌である腺ペストの抗生物質耐性菌株を戦略用に作っていた

 

ロシア人は、自分たちが研究所で作った史上最強の殺人菌を<超ペスト菌>と名づけた。13世紀、腺ペストは大人から子供にいたるまでヨーロッパの人口の約3人にひとりを死にいたらしめた。が、20世紀になると伝染病に効果的な抗生物質ストレプトマイシンが発見されたため、その威力を失った。ソヴィエト人たちが遺伝子操作によるペストの抗生物質耐性菌株を開発中だ、と聞いたとき、デイヴィスにとってそれが意味するところはひとつだった。「ペストを選ぶのは、ほかの国を抹消しようとするときだ」と、デイヴィスは言った。「まず国民を全滅させる。それから国に乗りこんで、国土を支配する。それ以外の理由は考えられない」

 

・これによって、アメリカが広範に張りめぐらせた先進センサー技術のネットワークが、生物兵器の探知にはまったく役に立たないことが証明された。生物兵器は、建物や地下に隠された研究室のなかで作ることができた。性能試験場での発射テストが不可欠なミサイルのような兵器であれば、人工衛星や航空機からたやすく観測できる。が、生物兵器は何十年でも気づかれずに研究を続行することが可能なのだ。実際、<バイオプレパラト>ではそうしていた。

 

アメリカの軍と諜報機関は、SIGINT(信号情報)、MASINT(測定・音情報)、OSINT(一般に公開された情報に基づいた情報)、GEOINT(地理空間情報)を収集するために、地上、空中、宇宙空間に配備するハイテクの偵察・監視システムに数千億ドルを注ぎこんできた。それなのに、たったひとりの人間がただ口を開くだけで膨大な量の未知の情報をもたらした。パセチニクは、HUMINT、人的情報を提供したのだ。

 

ノーベル賞を受賞した微生物学者ジョシュア・レダーバーグがひそかにイギリスへ派遣され、パセチニクを直接尋問した。パセチニクから話を聞き終えて帰国したレダーバーグは、すっかり気が動転していた。ソ連が<超ペスト菌>の開発を進めていたことは、衝撃的な事実だった。あまつさえ、天然痘の兵器化にも取り組んでいたとは。1970年代末、国際医学コミュニティはソ連の医師たちも参加し、殺人ウイルスの根絶に一丸となって取り組み、1980年には世界保健機関天然痘の絶滅を宣言していた。その天然痘をトン単位で兵器化するとは、ことさら邪悪な行為と言えた。

 

ゴルバチョフの辞任が決まるころには、この最高指導者がソ連生物兵器開発プログラムを知っていたことがアメリ諜報機関により確認された。彼は、三国間査察の施設をめぐりアメリカの査察官を欺く方法を含め、さまざまな作戦の極秘文書を受け取っていたのだった。ロシアのボリス・エリツィン新大統領もプログラムの存在を知っていることを、CIAは突き止めていた。

 

・こうしてエリツィンは、ゴルバチョフを含むすべてのソ連指導者が23年間もつき続けてきた嘘を認めた。情報が公になったことにより、アメリ連邦議会もこの問題に興味を持つようになった。報道機関も同じである。これをきっかけに生物兵器対策が驚くべき速さで拡大および増殖し、巨大な新産業に成長しようとしていた。その先頭に立ち、主導権を握るのがDARPAである。

 

アメリカに亡命したアリベコフ博士は、アメリカ人らしい名前に改名し、ケン・アリベック博士になった。一家は、ワシントン郊外の一軒家に移り住んだ。アリベックは、数十年にわたって細菌感染症である鼻疽(びそ)の兵器化に携わり、マールブルグ病の実験試験を指揮してきたソ連初のツラレミア爆弾の製造も監督したばかりか、「もっとも毒性の強い危険な炭疽菌」と絶賛された炭疽菌の「戦闘菌株(大量に増殖できて毒性が強く、運搬も可能な菌株)」スターリン836)も開発した。そんなソ連の科学者が、アメリカ政府のために働くようになったのだ。

 

アリベックは、パセチニクがイギリス諜報機関に話したソ連のバイオテクノロジーの進歩と<超ペスト菌>の開発が真実であることを裏づけた。それどころか、<バイオプレパラト>の副局長として、パセチニクよりもはるかに多くの機密プログラムを知る立場にあった。そのひとつが、細菌爆弾の運搬手段プログラムだ。この開発を担当していたのは、連邦軍参謀本部作戦局の建物にある<バイオプレパラト>の最高機密部署、バイオロジカル・グループだ。この部署で、アメリカへの生物兵器攻撃用に特別に設計されたミサイルが作られていた

 

・アリベックがもたらした情報は、それだけではない。「キメラ」というソ連生物兵器開発プログラムのおぞましい詳細も明らかにされた。「キメラ」の目的は、ふたつ以上の異なる有機体の遺伝物質を結合させて、より殺傷力の強い細菌を作ることだった。これは大いに警戒すべきプログラムだ、とアリベックは語った。さらに、1980年代末にヴェネズエラ馬脳脊髄炎を天然痘に移植してキメラ(交雑)株を作った実験の直接的な知識もあると告げた。<キメラ>プログラムの究極の目標のひとつは、天然痘エボラウイルスのモンスターのような交雑株を作り出すことだったという。さらに、ソ連は遺伝子操作を施した生物兵器の秘密を、リビア、イラン、イラク、インド、キューバ、東ヨーロッパの旧ソ連圏に売っていたと警告した。

 

・冷戦初期より、ペンタゴンとDARPAには、生物学者の意見に対する冷たい無関心、という欠点があった。ホワイトハウス国防総省の当局者たちは、ジェイソン・グループのようなハードサイエンティストの意見のほうがはるかに重要だと考えていた。

 

第一次世界大戦が化学者の戦争で、第ニ次世界大戦が物理学者の戦争だったとすれば、現在ペンタゴンが直面する脅威を考えると、第三次世界大戦生物学者の戦争になるのだろうか?

 アリベックからソ連生物兵器開発プログラムの概要を聞くと、DARPAはすぐこの死角に気づき、行動を起こした。1995年から1998年まで局長を務めたラリー・リンは、1990年代初期の「国防総省は、生物学の分野がきわめて手薄だった」と振り返る。DARPAは、生物学とライフサイエンス全般が次の“軍事における革命”を牽引するかもしれないと認識し、その分野で国防総省が立ち遅れていることにも気がついた。

 

生物兵器は、新たに浮上した国家安全保障上の懸念だった。1995年秋、イラク大統領サダム・フセインは、自国への制裁緩和のために、ボツリヌス毒素、ラクダ痘、出血性結膜炎などの生物兵器をトン単位で製造していたことを国連に公表した。それだけでなく、少なくとも5つの施設で数百人の科学者が生物兵器の開発に従事していたこと、その多くは地下にあって湾岸戦争での破壊をまぬがれたことも認めた1996年には、CIAが北朝鮮、イラン、イラクリビア、シリア国内に存在するとみられる生物兵器開発プログラムについて、複数の報告書をクリントン大統領に提出した――これらの報告書も、2015年の時点でまだ公開されていない。

 

・病原体の遺伝子操作能力によって、アメリカのテロ脅威レベルは高まった。兵器として使用することを考えると、可能性は無限にある。「エボラウイルスと麻疹(はしか)の伝染性を組み合わせて、治療されないように変化し続ける病原菌を作れば、エボラウイルスの感染率と伝染力は飛躍的に高まるだろう」。ステルス・ウイルス――アリベックが“キメラ”と呼ぶもの――は、心理学的に見るとさらに恐ろしい。

 

・「ステルス・ウイルスは、ヒト細胞に入りこんで拡大できるベクター(遺伝子組み換えをしたいDNAを細胞内に運ぶウイルス)を使って、明白な危害を加えることなく長期間潜伏できる、制御力の強い謎めいたウイルス感染症を引き超こす」。ブロックはこれを「沈黙のウイルス量」と呼んだ。自然界に存在する一例としてあげられるのが、単純ヘルペス、つまり、よくある単純疱疹(ほうしん)だ。このウイルスは長期にわたって潜伏を続け、ある日突然、日焼けやストレスといった環境による身体への攻撃と見られるものによって発症する。

 

・この長期性は、心理戦においてきわめて大きな可能性を秘めていた。このように、ジェイソン・グループによって、ステルス・ウイルスを兵器として使うことには二重の脅威があった。ステルス・ウイルスは、「従来の生物兵器を超える実用性をそなえている。たとえば、ステルス・ウイルスをばら撒いて、それを活性化させる、と脅すこともできる」と、彼らは結論づけた。

 

・ステルス・ウイルス、またはサイレント・ヴァイラル・ロードという考え方が理解しにくい対象には、1950年代末から1960年代初期の抗ポリオ予防接種運動にまつわる、一般にはほとんど知られていない論争をブロックが引き合いに出している。彼によれば、この運動中に、数百万のアメリカ人が、知らないうちにサルのウイルスに「不可解にも感染した」という。

これらのワクチンには、生きたアフリカミドリザルの腎細胞が使われていたが、大量のポリオ・ワクチンが低レベルのサルのウイルス、シミアンウイルス40(SV40)に汚染され、その日の品質管理手順をすり抜けた」。その結果、数百万人が、気づかぬうちにSV40にさらされてしまったのだ。

 

・ジェイソン・グループが1997年に作成した生物兵器に関する報告書は、今も公開されていない。この報告書の完成直後、クリントン大統領はふたつの大統領決定指令、PDD62とPDD63を発表した。どちらも生物兵器の脅威に対するもので、2015年の時点でやはり公開されていない。

 

・しかし、DARPAは高度な研究開発に専念する機関である。最初の三つである検知、防御、診断は「かろうじて防御と言える程度の分野にすぎない」。科学者や研究者たちには、もっと画期的な目標に向けて努力すること、いまだかつてない革新的な対策に焦点を当てることが期待された。そこでリン局長は、レーガン大統領の戦略防衛構想にかけて、「生物学のスター・ウォーズ計画」を作ってほしい、とプログラム・マネジャーたちに告げた。そうやって既存のバイオテクノロジーの限界を押し広げ、病原体が宿主を発病させる前に体内で自然にそれを「無力化または弱体化」させられるワクチン、遺伝子、化学物質を見つけるようにはっぱをかけたのである。実に大胆な素晴らしいアイデアだ。しかし、はたしてうまくいくだろうか?生物兵器が実際に使われるまでに間に合うだろうか?

 

・「バイオプレパラトは卵のようなものだった」。プレストンは、ソ連生物兵器開発プログラムについてそう述べた。「外部から見れば平和的な医学研究だが、見えない黄身の部分では、天然痘、ペスト、炭疽菌、ツラレミア、マールブルグ・ウイルス、特定の脳ウイルスという高度に洗練された粉末状の生物兵器が開発・生産されていた」。この公開討論会で、プレストンは、ロシアのアメリカに対する生物兵器攻撃力を大まかに説明した。そのなかで天然痘を例にとり、数年前にMIRVを特別装備したソ連時代のICBMが発射可能な状態になっていたと語ったそれらの弾頭には、「冷凍乾燥させた天然痘の粉末が20トン」と、「おそらく、それと同じくらいの量の黒死病(ペスト)」が充填されていたというもしベルリンの壁が崩壊する前にソ連アメリカに生物兵器攻撃をしていたら、「アメリカ国内の100の大都市に戦略的な天然痘黒死病をいっぺんに発生させ、いともたやすく壊滅的な被害を与えることができただろう大型核爆弾と同じくらい多くの人間を簡単に殺すことができたはずだ」。ソ連はもう消滅したが、弾頭とそれに充填される細菌はまだ存在する。公聴会では、生物戦がいつ起きてもおかしくない、黙示禄的な悪夢であることが裏づけられた。そうとなれば、徹底した対策が必要だ。こうして、生物兵器防衛産業という眠れる巨人が眼を覚ました。

 

・ケン・アリベックがアメリカに亡命してから、6年の月日がたっていた。英語を話せるようになり、友人にも恵まれ、実入りのよい防衛関連の仕事を得た彼は、公の場に出る条件が揃っていた。1998年2月、彼はアメリカのニュース・チャンネル、ABCニュースの<プライムタイム・ライブ>でテレビに初出演する。ロシアは第三次世界大戦の計画するにあたって「数百トンの」生物兵器を準備していた、と彼は述べた。ベルリンの壁がなくなった今でも、「新たな生物剤の研究開発を続けている」と。翌3月には、作家のプレストンがニューヨーカー誌でアリベック博士を紹介した。その記事のコピーは、連邦議会議事録を通して議員たちに配布された。

 

・1998年、アリベックは議会の委員会が開催したテロと諜報に関する聴聞会で証言をおこなった。ペンタゴンのEリングで開かれる秘密会議にも参加して、統合参謀本部副議長であり、アメリカで二番目に地位の高い軍事将校であるジョセフ・W・ラルストン大将に説明することもあった。生物兵器の脅威は、主要紙でも盛んに取り上げられるようになった。1998年、クリントン大統領はバイオテロ対策プログラムに2億9400万ドルの予算を与えるよう議会に求めた。10月には、公共テレビ局PBSのドキュメンタリー番組<フロントライン>が「ペスト戦争」というテーマでアリベックを取り上げた。

 

ポポフは合成生物兵器の専門家であり、ソ連では遺伝子を再結合させてステルス・ウイルスを作るという、きわめて邪悪な<キメラ>プログラムに取り組むバイオプレパラト・チームの一員だった。1998年にPBSの<ノヴァ>という番組で、「これまでにない独特な性質を持ち、発見や治療が難しい」生物兵器群の開発を手伝っていたと語っている。「私の仕事は、基本的に、より強い殺傷力と病的症状を引き起こす、より伝染力の強い病原体を作り出せるように研究を助けることだった」。ポポフもアリベックと同じように、ソ連解体後にアメリカに亡命していた。

 アリベック、ポポフ、ベイリーは、ハドロンアドヴァンスト・バイオシステムズ社で、生物兵器の万能薬――感染者が発症する前に危険な病原菌を排除する、広範な病原菌に作用する解毒剤――を見つける決意を表明した。これは、DARPAのリン局長が、プログラム・マネジャーに「生物学のスター・ ウォーズ計画」の作成を命じたときに求めたものだ。<ノヴァ>でポポフは、多岐にわたる病気から人間を守る「いわゆる“非特異免疫”を生じさせる」防衛策に取り組んでいる、と語った。アリベックは、このコンセプトを「免疫ブースター」と呼んだ。ところが、ほかの軍事研究科学者たちは、そんなものは実現不可能だと言い立てた。

 

・1999年秋、ハドロン社は、330万ドル、2015年に換算して約460万ドルでDARPAとの初の1年契約を獲得する。このとき、アリベックが発表したプレス声明は、以下のようなものだった。「このDARPAのプログラムをきっかけに、今後も政府機関の資金援助を受ける革新的な研究が続くことを期待しています」。彼は同僚たちに、いつの日か旧ソ連ウクライナ共和国に医薬品工場を建設したいと語っている。それと同時に、もし生物兵器がテロリストの手に渡ったら、アメリカ全土が危険にさらされることになる、と警告も発している。

 1999年10月、アリベックはDARPAの招きにより、下院軍事委員会の研究開発小委員会と調達小委員会で証言をおこなった。冒頭陳述で、彼は議員たちが恐れるべきこととしてこう明言した。

テロ組織が生物兵器を手に入れる日がやってくる

 それがまさに、2年後の2001年10月に起きたかもしれない、あるいは、起きなかったかもしれない出来事となる。

 

脳の戦争

ロスアラモス国立研究所は、ニューメキシコ州北部の高地砂漠に拡がる山岳地帯のいちばん高い場所にある。州都サンタフェ国立公園に入り、長く急な坂道をひたすら車で上り続けなければならない。私が目指すのは、ギャレット・T・ケニヨン博士の研究室だ。ケニヨン博士が手がけるプログラムは、総合的認知力というカテゴリーに該当する。ひとことで言えば、人工頭脳の開発だ。ロボット研究家は人工頭脳を、人間と同等の知的能力、自己認識、創造性をそなえた人工機械と定義している。そのような機械はまだ存在しないが、DARPAの技術の急速な進歩を考えると、近いうちに実現するだろう。ケニヨン博士のようなDARPAの科学者たちはそう信じている。人工知能の進歩に重要な役割を果たすテクノロジーはふたつある。ひとつは機械が関連するコンピューティング、もうひとつは人間の脳に関わる神経科学だ。

 

・先のイラク・アフガン戦争では、250万人のアメリカ人が従軍し、30万人以上が脳に損傷を受けて帰還した。DARPAはこのような帰還兵を「脳損傷兵」と呼んでいる。

 

DARPAは、国家の科学技術の進歩を主導する。そうすることによって、未来を創り出している。2013年より、この機関は、ホワイトハウスとともに<BRAIN>イニシアチブを立ち上げて、今後10年間を“脳の時代”にすると宣言した。ホワイトハウスの説明は以下のとおりだ。「このイニシアチブは、人間の脳の解明に大変革をもたらす大胆で新しい研究だ。これによって、アルツハイマー病、総合失調症、自閉症、外傷性脳損傷のような脳障害の新しい治療、予防、回復方法を発見する」。なるほど重要な目標にはちがいないが、DARPAの本来の目標は兵器技術の進歩であり、精神疾患の治療ではない。DARPAはいったい何のために脳を研究しているのだろうか?

 DARPAでは、脳損傷兵のために、注目すべきいくつかのプログラムが進行中だ。<脳機能回復(RAM)>プログラムでは、記憶喪失者の記憶を回復できる手段としてワイヤレスの埋めこみ型「神経機能代替装置」を開発し、現在それを試験中だ。

 

ペンタゴンによると、「精神疾患は、現役兵士が入院する原因でもっとも多く、医者にかかる原因でも二番目に多い」という。そこでDARPAは、戦争による精神または神経心理学的疾患の効果的な治療のために、脳インプラントを開発した。

 

過去をひも解けば、DARPAの目標が脳機能研究プログラムで掲げたものだけではないことは明らかだ。そもそも、この機関の主目的は兵士の治療を助けることではない。そのような役割は、アメリカ退役軍人省の領域だ。DARPAの仕事は「戦略的な不意打ちを生み出すことと、他国の不意打ちを防ぐこと」だ。この機関は、未来の巨大な兵器システムを作っている。では、機密の脳機能研究プログラムの本当の目的は何なのだろうか?その理由の裏に隠された理由とは何なのか? 

 それを探る手がかりの多くは、義手プログラムにあるかもしれない。

 

いくつかの観点において、<革新的義手>は、戦争で手を失った兵士たちに貢献するというよりも、DARPAのイメージづくりに貢献していた

 DEKA社が開発した義手を紹介した大手報道機関は、革新的で思わず眼を瞠る驚異的な機能、と称賛を惜しまなかった。2009年、同社創業者のディーン・ケーメンは、<60ミニッツ>というテレビ番組で、DARPA当局者らにロボット義手の開発を依頼されたときのことをこう思い起こした。「彼らは“兵士たちに何か恩返しをしたい”と言ったんだ。“彼らがレーズンかぶどうをテーブルからつまみ上げて、見なくてもその違いをわかるようになってほしい”と」。ケーメンはこの挑戦を快諾し、40人の技師とチームを組んで、1年かけて取り組んだ。DARPAはこのプログラムに1億ドルを出資した。

 

・DARPAは、「国のために戦ってくれた軍人たちにいくばくかでも報いることができてうれしく思う」という声明を出したが、切断手術を受けた人々がDEKA社の義手を使えるようになるタイムラインは確定していないことを認めた。つまり、アメリカの負傷兵たちは、第一次世界大戦からずっと使われている“キャプテン・フックの腕”――正式名ドランス・フックという、1912年にD・W・ドランスが発明した義手――をこれからも使い続けるというわけだ。

 DARPAの義手開発の第一目的は何だろうか? それは、人間ではなく、ロボットによりよい腕と手を与えることにありそうだ。

 

・ヘメス山脈の森林に覆われた高台にあるロスアラモス国立研究所は、核兵器研究にまつわる豊かで複雑な歴史で知られている。アメリカ最大の国防科学の創出地のひとつでもあり、「国を守り、世界の安定を促進する科学技術を生み出すこと」を使命としている。ロスアラモスがDARPAと交わしている契約リストは、世間に公表されていないものの、おびただしい数にのぼる。大半は機密扱いとされており、DARPAの広報官がすぐにメディアで宣伝するたぐいのプログラムではない。

 

・約9000平方メートルにわたって広がるロスアラモス研究所の広大な敷地には、1280もの建物があり、そのうち11棟は核施設だ。調理場のいくつかでは、コックでさえ最高機密を扱う「Q証明」を持っている。研究所構内には100キロに及ぶガス管と、全長55キロの電線が張りめぐらされ、発電所も1基ある。研究所で働く職員と非正規職員の数は、およそ1万人。ロスアラモス歴史協会の歴史編纂者によれば、その約半分は博士号保有者だという。

 

・DARPAで研究中の科学者たちにインタビューをすると、かつてSFの領域にあったさまざまなプログラムが、ものすごいスピ―ドで“現実の科学”になりつつあることが感じられる。

 

・2014年に、アメリカとメキシコの科学者たちが、研究室で組織細胞から複合器官、人間の子宮を培養することに成功したと発表した。同月、イギリスの北ロンドンの病院が、幹細胞から人間の身体の一部を作成する試みとして、研究室内で鼻、耳、血管、気管を培養したことが報じられた。オランダのマーストリヒト大学では、研究所で培養された人造肉を使ったビーフハンバーガーが作られた。試験管のなかで牛の幹細胞から育てた筋繊維を合成して人造肉を作り、それを調理したのだ。試食した人によれば、「牛肉に近い」味だという。

「科学が一線を越えてしまう可能性はありますか?」。私がガーディナー博士とブライアント博士にそう訊くと、

この生命工学を使えば、人間のクローンも作成できるだろう」と、ガーディナー博士が答える。

国防総省はクローン人間の研究にとりかかると思いますか?」と尋ねると、「そうするには、政策の策定が必要だ」という返事が返ってきた。

 

・21世紀の科学界では、できないことはほとんどない。しかし、クローン人間は作成されるべきなのだろうか?誰が決定を下すのか? 私たちは、賢明なこととそうでないことを、どうやってわかるのだろうか?

 

ペンタゴンの頭脳

・そんなメンバーのひとりが、ペンタゴンの変革戦略家のピーター・ギャレットソン中佐だ。2014年春、彼はふたりの仲間、クリス・カーターとゲール・アン・ハードと一緒に私がペンタゴンを訪問できるよう取り計らってくれた。カーターは、史上最高の人気を誇るSFテレビ・ドラマのひとつ<Xファイル>の製作者だ。<Xファイル>にはシガレット・スモーキング・マンという、政府の陰謀の黒幕である極悪人が登場する。ハードは<ターミネーター>の脚本の共同執筆者で、スカイネットという人工知能を持つ邪悪な機械から世界を救うために、未来から現代に送りこまれたサイボーグ暗殺者を描いた。この映画では、スカイネットが自らの創造主である国防科学者たちよりも賢くなり、機械による支配を確立して、人類を抹殺するために核戦争をはじめる。

 カーターとハードは、未来主義的な助言を与えるためではなく、ペンタゴン当局者のことばに耳を傾け、ともに議論し、意見を述べるために私の取材旅行に参加した。ペンタゴンに到着したのは、2014年の暖かな春の日だった。60万平方メートルの広さを誇る五角形の五階建ての建物は、巨人のように私たちの前にそびえていた。セキュリティ・チェックを受けてから、入館手続きをすませた。警備手続き上、どこへ行くにも護衛が同行する。トイレに行くときも例外ではない。

 

・軍事技術の進歩を止めることはできるのだろうか? または、止めるべきなのだろうか?DARPAの最初の自律型ロボットは、数十年前の1983年にスマート兵器プログラムの一環として設計された。このプログラムは<殺人ロボット>と呼ばれ、そのモットーには未来を暗示することばが使われていた。「戦場は人間のいるべき場所ではない」と。

 

・自律型兵器システムを開発するペンタゴンの科学者たちと、こうした兵器システムを邪悪なものと訴えるそれ以外の科学者たちを紹介したところで、本書の幕は下りる。後者は次のように警告している。人工知能を持つハンターキラー・ロボットは、創造主である人間を打ち負かすことができる。そして、いつかきっと打ち負かすだろう。そのとき、私たちが身を守る術はない。

 水爆が開発された1950年代初めと、ハンターキラー・ロボットの開発が進められている今日とでは、状況が異なることに注意すべきだ。水爆が作られたとき、防衛関連請負業者、研究者、実業家が主導する軍産複合体は、ペンタゴンで強大な支配力をふるいはじめたばかりだった。現在、その力はこれ以上ないほど絶大な。

 その一方で、水爆製造の決定は秘密裡に下されたが、ハンターキラー・ロボットの開発は、広く知られていないものの、秘密にはされていない。人間の運命は、まさに今、決められようとしているのかもしれない。

 

<訳者あとがき 世界最強の軍事科学機関

アメリカ国防総省の世界最強の軍事科学機関、国防高等研究計画局(DARPA)は、1958年の創設以来、インターネット、GPS、ステルス機、ドローンをはじめ多くの革新的な技術を生み出してきた。科学技術の力によってアメリカの軍事力を支えるだけでなく、社会を変える力も持つ組織である。

 本書は、謎の多いこの機関の秘密に迫る史上初の作品だ。

 

湾岸戦争以降を記した後半は、一転、すさまじいスピードで進歩し続ける科学技術に空恐ろしい気さえする。不眠不休の超人兵士、痛みを感じない戦士、昆虫サイボーグ、トンボそっくりの超小型ドローン、殺人ロボット、恐怖という感情のない世界、巨大な監視システム、思考するだけで機能するコンピュータ…………遠い未来のことだと思っていたテクノロジーの多くが、すでに実現していることに驚かされる。世界はSF小説に限りなく近づいている。

 

戦争の兵器が爆弾から細菌、情報、そして人間へと移行していく過程は、現代科学のあゆみ、ひいては人間の進歩の歴史でもある。訳しながら、人類は戦争によって発展してきた、という皮肉な現実をあらためて実感させられた。

 本書でも触れているように、近年、DARPAがもっとも力を入れているのは人間と機械を融合するニューロテクノロジー。2015年、この組織は、全身麻痺の55歳の女性がF35戦闘機の操縦法を習得したことを発表した。大脳にチップを埋めこまれたこの女性は、驚くべきことに思考によってシミュレータをコントロールしている。翌2016年、DARPAは同じ方法で外部から脳にデジタル音声やデジタル画像を送る可能性にも言及した。

 

・終わりのない科学技術の追求は、人間をどこへ導くのだろうか。人工知能の危険性を強く訴えるオックスフォード大学人類の未来研究所の所長、ニック・ボストロム氏のことばを最後に紹介したい。「今後100年間で人間が何をするかは、人間の未来にとって自然災害よりはるかに大きな脅威である」。本書を読むと、この期間はもっと短いかもしれない、と思えてくる。