日本は津波による大きな被害をうけるだろう UFOアガルタのシャンバラ 

コンタクティやチャネラーの情報を集めています。森羅万象も!UFOは、人類の歴史が始まって以来、最も重要な現象といわれます。

ワンワールドの淵源は、人類最初の文明とされるメソポタミア文明の初期段階をなしたウバイド文化で、その本質は波動性を有する「情報文明」です。(1)

 

ワンワールドと明治日本』

落合秘史、ついに明治史の分厚い氷壁に挑む!

落合莞爾   成甲書房     2016/7/30

 

 

 

始まりは佐伯祐三絵画の調査依頼

・ちょうど1年前の平成27(2015)年3月下旬のことです。

 年来わたしを支援してくださる一読者が紀州の寓居を訪ねてこられました。その読者は風貌魁偉な僧を伴っていて、「比叡山で修行された阿闍梨東光院智應大僧正」と紹介されました。

 智應阿闍梨は、名古屋市にある八事山興正律寺の来歴の調査をわたしに依頼するため、わざわざ紀州に来られたのです。これが日本古代史およびワンワールド(国際秘密勢力)の謎が解けるきっかけとは、その時のわたしが思うはずもありません。

 智應阿闍梨の依頼を引き受けわたしは、その調査を進めるにあたり京都皇統のご教示を仰いだところ、図らずも「出雲の国譲り」の真相を教わり、古代史の世界が豁然と開きました。これまで何度も解明を試みたものの、ついに真相に迫られなかった古代日本史を覆っていた分厚い霧、すなわち「欠史八代架空天皇」が、これによって完全に取り払われたのです。

 

・わたしの歴史研究は、平成7(1995)年9月に来訪された吉薗明子さんから、家蔵の佐伯祐三絵画の真贋調査を頼まれたことから始まりました。

 浄土真宗西本願寺の末寺で大阪市中津にある光徳寺の次男佐伯祐三が明治44(1911)年に大阪きっての秀才校北野中学に入学し、生来好きな絵画の勉強を始めますと、これに注目した西本願寺法主大谷光瑞師は、佐伯を一流の画家に育てて本願寺忍者として活動させるため、上野の東京美術学校(美校)に入学させることを光徳寺に命じます

 

<「吉薗周蔵手記」の解読が立花亀和尚の目的

・偽物でありようがない佐伯米子の自筆書簡をみて、佐伯絵画の真贋調査を引き受けたわたしの許に、「周蔵手記」が送られてきました。今にして思えば、最初から「周蔵手記」をわたしに解読させることを意図していた大亀和尚は、明子さんがわたしに近づくための佐伯絵画の調査を依頼させたのです。

 およそ秘密諜報員たる者が手記を残すのは、いざという場合に自分を護るためで、問題の事件の当時自分が置かれていた立場を証明するのが最大の目的です。吉園周蔵もその例に漏れず、陸軍大臣上原勇作の特務を引き受けた18歳の大正元(1912)年8月末日から日誌をつけていました。その「吉園周蔵手記」は、紛れもなく日本近代史の第一次資料で、それが眼前にあるのです。

 正月を他所事にして早速その解読に取り掛かったわたしは、周蔵自身が記した生々しい記述を通じて日本近代史の裏側を知ることとなりました。その解読作業を通じてわたしが実感したのは、およそ歴史というものには最終的な確定事実なぞ存在せず、奥にはさらに奥があるということです。その最奥に隠された真相を追究しようとしたわたしは、いつの間にか佐伯祐三の調査を通り越してしまい、本格的な歴史研究に没入してしまいました。

 

ついに覚った「国際的秘密勢力」の実在

・吉園周蔵が上原元帥の命令で陸軍に関わる国事に携わっていたことは明白ですが、問題は周蔵の上官(運用者)の上原元帥です。そればかりではありません。周蔵が親しく接した立花大亀和尚を含め、甘粕正彦大尉・久原房之助大谷光瑞師らの活動は、どう見ても純然たる個人のものでなく、特定の国際的組織に属しているようにしか見えないのです。

 

日本社会で各界の頂上にいるこの人たちは、全員が世界的規模の巨大組織に属していることを否定すべくもありません。その国際的組織がいったい何なのか。それがわたしに浮かんだ謎です。

 吉薗周蔵が国事活動の中でたまたま知り合ったのが、天津・南海中学から来た民国留学生の王希天(おうきてん)・呉達閣(ごたくかく)・周恩来(しゅうおんらい)です。そして日本で反日運動をしている彼らを支援していたのがカミソリ大臣陸奥宗光の遺児の陸奥広吉伯爵であることを突き留めたものの、周蔵には陸奥広吉の目的が分かりません。

 伯爵陸奥広吉の行動を理解しかねた周蔵が、王希天と呉達閣に陸奥の属する外国団体のことを尋ねると、「いわゆるユダヤだよ。国を持たない人種で、上原閣下と甘粕さんも加わっているよ」と教えられますが、その全体像がつかめず、「宗教のことかとも思うが、判らない」と嘆いています。

 わたしにとっても謎だったその国際勢力の外郭がようやくつかめたときには、平成も20年をだいぶ過ぎていました。その段階で執筆したのが『金融ワンワールド』です。

 

平成24年4月に公刊したこの著では、例の国際秘密勢力を「ワンワールド」と名付けて金融・宗教・軍事の国際的な融合体であると説きましたが、その段階ではまだ「ワンワールドの淵源」を知らなかったわたしは、19世紀初頭のウィーン会議で成立した欧州王室連合が、鎖国下の日本をワンワールドに参加させる目的で開国を迫ったと述べました。

 これを皮切りにわたしは、知り得た日本近代史の歴史情報を洞察し、その結果を「落合秘史シリーズ」として発表することとなりました。その第1巻は平成24年暮れに公刊した『明治維新の極秘計画』です。この著は、欧州王室連合の開国要求に対応するために朝廷が建てた「堀川政略」を中心テーマとしたものです。

 もっとも、当時は「堀川政略」についての理解がごく浅かったため、孝明天皇の偽装崩御および、皇太子睦仁親王奇兵隊大室寅之祐の入れ替わりを中心テーマとしながら尹宮朝彦(いんのみやあさひこ)親王将軍後見職一橋慶喜が京都で建てた「一尹(いちいん)政権」が国内体制を明治維新に向けて導いたことを明らかにして、史家がじゅうらいこの重大史実を無視してきたことを暴露しました。

 

南北両皇統を統合した「大塔政略」

・ここで思い出したのが、十年ほど前に京都皇統代(当時)から示唆された「久邇宮(くにのみや)(朝彦親王)は南朝の血筋」の意味が分からず、謎のままにしていたことです。これを機に、思い切って京都皇統(現時)にご教示を願ったところ、初めて示唆されたのが「大塔政略」です。

 これによって南北皇統を秘密裏に統合したことを知ったわたしは、平成25年春に秘史シリーズの特別篇として、『南北朝こそ日本の機密』のタイトルでこれを発表しました。この著は日本社会が古来、國體(国体)と政体の並立により成り立ってきたことを明らかにし、大塔宮護良(もりなが)親王直系の永世親王伏見殿が、國體勢力を掌握するウラ天皇(國體天皇)として、国事を謀ってきたことを述べたものです

 

・以後、日本史の“裏”で活動してきた國體勢力を追究する過程でわたしは、「明治維新を進めたのはいわゆる維新志士」とする従来の史論がごく皮相しか見ない浅見であることを知るとともに、明治維新までの歴史工程を根底から進めたのが、数理系能力に秀でて高度な設計能力を有する「波動・幾何系シャーマン衆」であることを確信するに至りました。

 

維新の目的は長州卒族の身分引き上げ

・ともかく、これまで全く知られていない「波動・幾何系シャーマン衆」の活動に支えられた明治維新の実態解明に踏み込んだわたしに、京都皇統は思いも掛けぬ秘史を示唆されました。

 すなわち、明治維新の重要な目的が「長州卒族」の身分引き上げにあったということです。いわゆる「四民平等」は、たしかに明治維新の重要な柱の一つですが、具体的には「長州卒族の士族化」を目指したものというのです。

 

長州人が維新後150年にわたり、この国の政体を支配してきた根拠は、何と言っても明治維新の率先実行者としての立場です。

 その立場が、実は國體勢力によって意図的に造られたと暴露されたことで、長州人が良い気持ちになるはずはなく、この著にどこからか微かな逆風が吹き付ける感があるのは、もっぱらそのせいと思われます。

 

・公認の教科書歴史やNHK歴史番組の根底に存在する「大ウソ」を覆すには、偽史に関わった当事者が遺した糸口を発見し、その偽史の動機を洞察によって明らかにし、状況証拠と並べて世人の総合判断力に訴える以外にはないのです。

 

ヨーロッパの近世は「大塔政略」から生まれた

・秘史シリーズ第Ⅴ巻は、平成26年の暮に公刊した『欧州王家となった南朝皇統』です。この著の端緒は、『南北朝こそ日本の機密』の公刊から1年半ほど経ったころ、京都皇統から大塔宮の子孫が欧州に渡ったことを示唆されたことです。つまり「大塔政略」の根底には、『南北朝こそ日本の機密』を執筆した段階のわたしが想像もしなかった壮大な構想が潜んでいたのです。

 この著は、大塔宮護良親王が鎌倉を脱出して西大寺入りした後の「大塔政略」の展開をテーマとし、大塔宮の王子・王孫がオランダ王家オランイェ・ナッソウ家およびベルギー王家ザクセン・コ―ブルグ・ゴーダ家となり、さらにイギリスの王家ウィンザー家となった経緯を述べています。

 つまり「大塔政略」の最終目的は「南北朝の秘密合一」にとどまらず、「西大寺入りした大塔宮の子孫が欧州に進出して欧州社会を革新すること」に在ったのです。

 さしも鈍感なわたしも、このことを覚ったことでようやく国際秘密勢力すなわちワンワールドの淵源を理解することができ、著書のタイトルも、明確に『欧州王家となった南朝皇統』とすることができたのです。

 

・商業書籍としてのわたしの処女作は『金融ワンワールド』ですが、これを追補するものとして平成27年秋に公刊したのが『天皇ワンワールド』です。ワンワールドの淵源は、人類最初の文明とされるメソポタミア文明の初期段階をなしたウバイド文化で、その本質は波動性を有する「情報文明」です。

 ここで注目すべきは、ウバイド人には先祖がいて、先史時代からすでに砂金の採集を始めていたことで、ようするに、メソポタミア文明が人類最初の文明ではなかったのです。

 メソポタミア干拓を行いながら黄金を採取したウバイド人は、効率よく黄金を採集できる新天地を求めるため、メソポタミアを出て東西に拡散します。ウバイド文化の本質である情報文明は、ウバイド人の移動に伴い、各地の大河の河口デルタで土着文化と接触し、これを共振・共鳴させて地域文明を創り出します。

 ワンワールドとはすなわち、ウバイド情報文明によって生まれた各地の地域文明をつなぐ情報ネットワークのことです日本列島に伝来したウバイド人の末裔すなわち天皇ワンワールド・ネットワークの一中核になったのはごく自然の流れなのです。

 

政体がどうしても解読できなかった「周蔵手記」

・近来聞くところでは、周蔵の死後に遺族から「周蔵手記」を提供された立花大亀和尚は、近代史の暗部を解明するための資料として、これを大徳寺の管理下に置き、歴史専門家に解読を委嘱したそうです。複数の専門家が入れ替わりながら、永年にわたり解読を進めたものの、結局誰もできなかったそうです。

「周蔵手記」は個人の日記として身辺事項を中心に述べますが、いざという場合に自分を護るための資料としての意味から、上官(運用者)の上原勇作・甘粕正彦および、周蔵が自発的に志願した上官の石原莞爾と貴志弥次郎(陸軍中将)から周蔵が直接聞いた言葉と、これに対する周蔵自身の見解や推測を述べています。また上原・甘粕から受けた命令のほか、周蔵が師事した石原莞爾の要請を受けて実行した活動の多くが具体的に記されているので、原文を解読できれば、おのずから日本近代史の真相に触れることとなります。

 

・折しも遭遇した妻の死による喪失感を埋めるため、自分自身が整理した戦後史を書物の形にしておこうと思ったのですが、その結果たどり着いたところは、「日本が現在でもアメリカの間接占領に下にある」という事実です。これを確信したわたしは、「米主日従体制」という表現でそれを暴き、『平成日本の幕末現象』と題して平成元(1989)年の年末に公刊しました。

 

戦後日本を操った五人の國體参謀、その実名

・ところが、わたしに注目していたのは大亀和尚だけではなかったのです。

 昭和53(1987)年当時の「京都皇統」が、記紀から千三百年後の今日まで溜まりに溜まった「偽史」の禊ぎ払い(修正)をわたしに期待された、と聞いたのは、つい最近のことです。

 

・それなのに当時の「京都皇統」がご存じであられたとは思いもよらぬことです。

 ここで京都皇統とは、睦仁親王の王子として堀川御所で生まれた堀川辰吉郎を中心とする皇族のことですが、本稿では具体的人命を憚り、「京都皇統」とするしかありません。もっとも、拙著を通覧された読者なら、すでにご正体に気づいておられるはずです。

 

国際金融勢力との結託で招いた皇室内部の対立

・平成7(1995)年9月17日に初めて会ってから一ヵ月も経たないころに、吉薗明子氏から、「野村証券はあなたがお入りになった時に大きな変化があって、アチラ側へ付いたそうですよ」と聞かされました。

「アチラ側」とは何か。戦後日本の政体を間接操縦してきた国際金融連合のことと知ったのは、ずっと後のことです。明子氏の情報源が立花大亀和尚ということさえ知らなかった当時のわたしが、それを理解できるはずはありません。

 平成23(2011)年に京都皇統代から教わったところでは、堀川振吉郎の薨去を機に大亀和尚に急接近してきたロスチャイルドが、國體ファンドを国際金融連合(ワンワールド・バンカー)のために使用することを要請したところ、大亀和尚は昭和天皇に上申することなく、独断でこれを了承したそうです。

 國體ファンドの利用権はほんらい國體天皇の専管事項で、堀川辰吉郎が総括していましたが、辰吉郎の薨去によって自分の管轄となったと考えた大亀和尚が、独断でロスチャイルドの要請を容れたことがほんらいの権限を越えていたのです

 国際金融連合は横田基地在日米軍と結託しています。形式的にはアメリカ軍の下部機関とはいえ、東京を完全に軍事支配下に置く米軍横田基地の日本政体に対する影響力を無視することは、國體勢力にとっても得策とは言えません。ゆえに、大亀和尚がロスチャイルドの要請を受け入れようとしたのには、ムリからぬ理由もあるのです

 

京都皇統舎人いわく「変動相場制の遠因は金地金の不足」

この間にあって、風に翻弄される木の葉のごとき境遇に陥ったのは「この落合莞爾」といえば誇大妄想の謗(そし)りを受けるでしょう。わたし自身もそう思いますから、それで一向に構いませんが、以下は

京都皇統の舎人から伝わってきた譚です。

 すべての始まりは昭和46(1971)年8月のニクソン・ショックで、金本位制を定めた1944年のブレトン・ウッズ体制が終わったことです。このときアメリカ合衆国がドルと金の交換を停止した理由は「信用財」としての金地金(きんじがね)の不足です。

 つなり、第ニ次大戦の終結により著しく増大した世界各国の経済・貿易および財政に対応すべく大量に米ドルを発行したアメリカ合衆国は、それを支えるための金地金を国内に確保できなくなったのです。同年12月のスミソニアン協定で、ブレトン・ウッズ体制が定めた1トロイオンスの金価格を35ドルから38ドルに引き上げ、そのうえで固定相場に復帰しようとしますが、もはや固定相場の維持は困難になりました。

 ニクソン・ショック以前のドルは金地金とリンクしていたため、発行に限度がありましたが、米国内の完全雇用と財政政策を支えるための金融緩和策として発行限度の束縛を解かれたドルは、膨張の一途をたどります。これが引き起こした過剰流動性が、いわゆる「ユーロダラー」の形で世界各地を移動してバブルを引き起こしました。

 

・昭和46(1971)年に過剰流動性に見舞われた日本が、昭和48(1973)年2月、田中角栄内閣の蔵相愛知揆一が変動相場制への移行を決定したところ、EC諸国が直ちにこれに続き、スミソニアン体制は完全に崩壊します。

 

「土地本位制」は戦後日本が編み出した秘策

・敗戦により保有金塊を米英に強奪(預託強制)されたうえ、占領憲法によって政体暴力すなわち軍備を禁止された戦後日本が、通貨信用を補うため編み出した秘策が「土地本位制」です。

 

この金融慣行を観察していたワンワールドのある部門が、米国大統領レーガンに命じて昭和60(1985)年に成立させたのが、ドル防衛を名目とした「プラザ合意」です。これを受けて「円売りドル買い」に走った日本の金融界が市場に撒き散らした膨大な「円」の過剰流動性が、銀行を融資競争に走らせたのです。

 土地担保金融方式から脱却できなかったのは銀行界だけではありません。親方の日銀も同じで、地価の高騰と共振してどんどん膨らんでいく土地担保貸付をあえて抑制しようとしなかったのです。証券界を監督する旧大蔵省が、これと時を合わせて金融先物市場を創設したのは偶然ではなく、土地バブルの波及により生じた株式バブルの崩壊を見通したワンワールド勢力がカラ売りをするための便宜を図ったのです。

 こうして、日銀・大蔵省・金融業界の三者が協同して生んだのが、昭和・平成のころの土地・株式バブルすなわち「平成バブル」です。

 

昭和天皇は「変動相場制時代」を予期していた

・堀川振吉郎の(実際の)薨去に関連した形で野村証券会長奥村綱雄が他界した昭和47(1972)年は、レオ・メラッドがシカゴ・マーカンタイル取引所を改革して株価先物の取引を導入した年で、わたしが野村証券に途中入社したのはまさにその年です。

 変動相場時代が到来したことを覚っておられた昭和天皇は、「固定相場に馴れきった大蔵官僚と、その支配下の銀行界で育った人物では今後の国際的金融取引に対応できまいから、民間人材を登用せねばならぬ」と呟かれていたそうです。

 

堀川辰吉郎は“國體”大正天皇である

・皇室の黒幕はいわずとしれた國體天皇です。國體天皇の淵源については既に拙著『南北朝こそ日本の機密』で述べ、さらに『天皇ワンワールド』と『天皇と黄金ファンド』でも述べましたから、本稿では割愛します。

 明治13(1880)年、京都皇統の住む堀川御所で将来の國體天皇になる男児が出生します。御父は、政体天皇の地位を長州藩奇兵隊大室寅之祐に譲って堀川御所に入った皇太子睦仁親王で、当年29歳。御祖父は慶応2(1866)年の偽装崩御以来、睦仁親王とともに堀川御所に棲む孝明先帝で、ときに50歳です。

 睦仁親王大室寅之祐は明治4(1871)年11月17日に東京皇城の吹上御苑において揃って大嘗祭を執行しておられますので、ともに天皇と呼ばれて何ら差し支えない立場です。つまり、「明治天皇は二人いた」のですが、大室寅之祐が表の明治天皇として表に出て、睦仁親王は「ウラの明治天皇」となったので、いわば國體明治天皇となったのです

 

薩長捏造史の虚妄を暴く<落合秘史>シリーズ

『Ⅰ 明治維新と極秘計画』 「堀川攻略」と「ウラ天皇

・隠しきれなくなった歴史の事実――明治天皇すり替え説、決定版の登場。孝明帝は偽装崩御で国体天皇=ウラ天皇大室寅之祐は明治帝として政体天皇=オモテ天皇、維新は天皇家と徳川家の極秘計画!近代日本の絵図「堀川攻略」とは何か ⁉

 

『国際ウラ天皇と数理系シャーマン』  明治維新の立案実行者

伏見宮の指揮下に活動した「数理系シャーマン」の海外ネットワークの全貌が明らかに。孝明偽装崩御の奇策によって「東京=オモテ天皇」「京都=ウラ天皇」を創った堀川攻略を暴いた落合秘史、維新の激動の陰にさらに驚きの人物群の存在が!

 

『Ⅲ 奇兵隊天皇と長州卒族の明治維新 』大室寅之祐はなぜ田布施にいたのか

・大室天皇論争についに終止符が打たれる!京都皇統代の加勢舎人からの仄聞――「護良親王の血を引く大室家を『玉』として周防国熊毛郡に匿った」「半島渡来民との混血・長州卒族の武士身分の悲願を維新に込めていた」――汲めども尽きぬ新史実の連続

 

『Ⅳ 京都ウラ天皇薩長新政府の暗闇』 明治日本はこうして創られた

・官製偽史を覆す落合秘史、日本近代史の核心へ!「権力・カネ・宗教」をめぐる京都ウラ天皇薩長新政府の相克、慶喜排除を策した小御所会議クーデター、新政府を構想した紀州奉公衆、金銀価を規定した幣制、維新史の闇に洞察史観の鋭いメス

 

『5 欧州王家となった南朝皇統』  大塔宮海外政略の全貌

・日本の開国は在外大塔宮皇統の強制指令、孝明天皇小栗忠順も偽装死して海外から新政府を操縦!米国亡命の小栗はフィラデルフィアから世界情勢を日本に知らせ、欧州ベネルクスに拠点を築いた南朝皇統は日本を強制開国させた。大塔宮海外戦略の全貌!

 

『6 日本教の聖者・西郷隆盛天皇社会主義』 版籍奉還から満鮮経略への道

・今日の東アジア情勢の根源はここにある。明治維新の表裏すべてを知っていた西郷は維新がもたらす職能社会の変改に戸惑う薩摩藩士たちに殉ずるため、西南役で一命を投げ出した。これにより日本教の聖人となった西郷の信念は天皇社会主義にあった。

 

南北朝こそ日本の機密』  現皇室は南朝の末裔だ

・さる筋、かく語りき!「崇光は実は護良の子」幕末維新の驚愕シナリオ「孝明天皇偽装崩御」の祖型は南北朝解消を策す「護良偽装薨去」にあった。「現在の皇室は北朝の末裔である」

 

『金融ワンワールド』 地球経済の管理者たち

・地球経済を統べる者たちは実在する………今後の地球経済を予見するために知る、正体が分からぬままユダヤとか国際金融勢力と呼ばれてきた「信用通貨創造勢力」の淵源と沿革

 

天皇ワンワールド(国際秘密勢力)』 京都皇統の解禁秘史

孝明天皇直系の京都皇統からの教示を得て日本列島と西北欧を「ワンワールド」の東西両極と判断、太古の日本列島を考察し、その真相の洞察を試みる、落合秘史

 

天皇と黄金ファンド』  古代から現代に続く日本國體の根本

・日本史はおろか世界史の中心に秘かに、しかし厳然と存在する「國體黄金ファンド」。日本列島に里帰りした応神天皇=ホムダワケが創り、以後は今日まで皇室管理とされた信用財の全貌

 

欠史八代不在説

・幕末維新から始まる日本近代史を執筆していたわたしが、「欠史八代」に注目したのは、つい1年ほど前のことです。

  それまで、史学界の主流が「欠史八代不在説」であることを漠然と知っていただけのわたしは、「明治維新」のモデルとして「南北朝の統一」があったことで歴史循環に開眼し、「明治維新」のモデルには「南北朝の統一」のほかに「崇神に国譲り」というモデルがあったことを覚りました。

 このときに「欠史八代不在説」を具体的に知ったのです。どう考えても存在が明らかな「欠史八代不在説」をなぜ不存在とするのか。この疑問を抱いたわたしが、すぐに気づいたのは、これが歴史学会の問題ではないことです。

 日本人の精神的支柱である皇室を貶めるには、皇室の祖先の存在を否認し、皇室の先祖に関する伝承を卑しい作り話と決めつけることが、最も効果的とみたのです。

 

 

 

『歪む社会』  歴史修正主義の台頭と虚妄の愛国に抗う

安田浩一、倉橋耕平   論創社  2019/2/6

 

 

 

この社会は、なぜ歪んでしまったのか?誰が歪めてしまったのか?そして、この歪んだ社会で、私たちは何ができるのか?

・本書は、ジャーナリストの安田浩一さんと倉橋が、現代日本の「右派現象」をめぐって、お互いの視角から検証することを目的として、時間を共有した記録である。

 

「良書を出しているからヘイト本を出してもよい」の論理

・(倉橋)じつは、僕の知人が同社から学術書を出していて、担当編集者から内部の事情を耳にしたそうなのですが、ネトウヨ本の刊行については社内で大もめだったそうです。

 

・(安田)雑誌の話をすこしします。一時期、ネット右翼的な記事が増えました。中国を叩いたり韓国を叩いたりするような記事です。そのときに週刊誌の編集者に聞いた話によれば、「コストパフィーマンスがよい」とのことでした。なるほど、と僕は思いました。

 まず、週刊誌の事件記事が読まれなくなっている。さらに、事件の取材には多くの取材費を必要とする。取材したからといって、記事になるような成果があがるとはかぎらない。他方、嫌中や嫌韓の記事は、あまり経費がかからない。記事のストーリーはネットから拾ってくる。ストーリーに識者のコメントをつける場合も、電話取材で済む。ほぼ取材などなしで、こうして一本の記事ができてしまいます。

 手軽に書かれた記事の内容が嫌中や嫌韓などのヘイトや歴史修正主義的なものだと、そこそこの反応が読者から得られます。おそらく、書籍でも同じようなことが言えるのではありませんか。

 先ほど倉橋さんが、僕が新書『「右翼」の戦後史』を書いているときに、講談社校閲がめちゃくちゃ厳しかった話をしてくれました。時代考証や事実確認が徹底的におこなわれ、たとえば天気について書くと「本当にその日がその天気だったのか」という確認を求められたりしました。

 

・もちろん編集者それぞれの個性があるので、どこまで校閲をするのかという基準はいろいろなケースがあります。そもそも、ケントの本はノンフィクションとは認識されておらず、娯楽読物という扱いだと思われるので、厳しい校閲がなかったとしてもうなずける話ではあります。

 

・僕が書いているノンフィクションのようにコストをかけてもたいして売れないものと、ケントの本のようにコストをかけずに十万単位で売れる本があります。出版社も商売ですから、内容が歴史修正主義であろうがヘイトであろうが、効率よく儲かる後者の本を出したくなるのは当然の流れなのかもしれません。もちろん、その流れに乗った場合、ほかにどれほど質のよい本を刊行していても、「あの大手出版社がヘイト本ネトウヨ本を出した」と指摘されてしまうことになるわけですが、それも覚悟のうえのことなのでしょう。

 

・この大手出版社の給与水準を維持するためには、それなりの利益を確保する必要がある。だから、大手の編集者はこういう言いわけを僕に言ったりします。少部数のよい本を出すために、たくさん売れるヘイト本ネトウヨ本を出さざるをえない、と。

 それは違う話だと思います。ヘイト本ネトウヨ本を出す理由は、良書を出すためではなく、自分らの生活を維持するため。百歩譲って、良書を出すためにヘイト本ネトウヨ本を出しているとしても、そのことによって差別や偏見が煽られるのであれば、情報を発信して文化を先導するという出版社の本来の役割を放棄したことになります。

 

・ちなみに、大手出版社が良質な本をたくさん出していることも事実です。一方で、青林堂のように過激なかたちで差別や偏見を助長してしまうような本を出しているのも事実。ただ、どれほどよい本を出していても影響力を考えれば、ヘイトへの加担など許されるわけがない。

 

・(倉橋)大手出版社の本は、それがどんな本であっても「大手から出ている」という部分において、読者に対する説得力を持ってしまう。その点は、押さえておくべきかもしれません。ようするに、ネームバリューと権威性です。本当の姿は別にして、なんとなく理性的なメディアだと思われがちでもある。

 ヘイト本ネトウヨ本であっても、大手出版社のネームバリューによって書店の書棚に平積みされ、公共図書館に所蔵されるようなケースは、確実に増えているように思えます。

 

情報が欠乏した部分に入り込む「気づき」と「発見」

・(倉橋)今後、研究を深めようと思っているのが、自己啓発系やビジネス系、そしてスピリチュアル系の出版社とネット右翼的な刊行物との関係です。

(安田)スピリチュアル系とネット右翼の関係性。スピリチュアル系の雑誌で有名なのが『ムー』ですが、元在特会桜井誠は『ムー』の愛読者であったことを公言していますね。

(倉橋)「ムー」から発信された「サムシング・グレート」という言葉が、日本会議系の公民教科書に掲載されていることは、すでに6章で述べました。

 たとえば、「いま自分の調子はよいのだろうか?」と思ったときに占いの本を読む。そのときには、ある種の「自己管理のテクノロジー」として占いが使われているのかもしれません。また、「自分をよりよく高めるためには、どうしたらよいのか?」と思ったときに、自己啓発の本を読んで自己管理をするのも同様です。

 占いも自己啓発も、読んだ本と自分との一対一の関係で成立します。僕が疑問に思うのは、そこになぜ国家とか歴史とかが関係してくるのかという点です。それも、右派的あるいは歴史修正主義的な視点や排外主義的な視点を採用したうえで、なぜ占い系やスピリチュアル系の出版社がネトウヨ本を出すのか。 

 

・(安田)僕が取材で気づいたことですが、街頭に出てデモに参加するような、アクティブなネット右翼について言えば、陰謀論を信じきってしまうような人も少なくないように見えます。自我を保つための一つの手段として、スピリチュアル系の本を読んだりする可能性はあるでしょう。

 陰謀論とスピリチュアルには親和性があります。ネット右翼とは、基本的に陰謀論の信者だと僕は思っています。

 

・ちょっと脱線しますが、僕は「田布施システム」という陰謀論の取材をしました。田布施システムが日本を支配しているとして、鬼塚英昭が『日本のいちばん醜い日』)成甲書房、2007年)で展開した議論を、最近になって三宅洋平が選挙で取りあげたものです。田布施システムの概要は以下となります。

 田布施というのは土地の名前です(山口県熊毛郡田布施町)。この町は、岸信介佐藤栄作という二人の首相を出しています。現在の首相である安倍晋三もその系譜に含まれる。さらに明治維新伊藤博文日本共産党宮本顕治、大正時代のテロリストの難波大助、終戦直前の外務大臣松岡洋右らも田布施の周辺、というか田布施を中心とした地域で出生しています。つまり、田布施やその付近で生まれた人によって、日本は動いているというわけです。

 そして、伊藤博文の陰謀で孝明天皇が殺され、同天皇の実子は田布施出身の若者にすり替えられ、その若者が明治天皇を名乗った。それ以来、明治天皇が前述の田布施もしくはその周辺の出身者を国の中枢に据えることで、田布施システムを作りあげた。そのシステムは、じつはロスチャイルド家などのユダヤ資本に支配されている。つまり、日本は田布施システムを通して、ユダヤ資本に支配されつづけて、現状に至っている。くわえて、田布施はもともと渡来人の土地なので、以上で取りあげた人びとを含め田布施出身者はすべて朝鮮人である……。

 

・概要は以上です。あまりに荒唐無稽な話であったので、市役所や郷土史家、地元の人びとの話を聞くため、僕は取材で田布施を訪れました。話を聞いたほとんどの人が、田布施システムについて知っていました。信じているかどうかは別の話です。

 

で、このシステムを信じている人は、ネトウヨにもリベラル派にも存在します。リベラル派では、前述の三宅洋平が典型で、彼は2013年に緑の党推薦で参院選に立候補しましたが、そのとき田布施システムの打倒を訴えていました。原発の利権もTPPの利権も、田布施システムが原因で発生していると言うのです。一方、右派で田布施システムを信じる人の場合は、「朝鮮人が日本を支配している」という文脈のなかで、同システムが朝鮮人の天下を作ったと考えるわけです。

 

・(倉橋)あと、田布施システムの話を聞いていて思いだしたのが、〇〇年以降にアニメやライトノベル、漫画などのサブカルチャーで流行った「セカイ系」です。

 

・ふたたび自己啓発系やビジネス系、そしてスピリチュアル系の出版社とネット右翼的な刊行物との関係に話を戻します。

 自己啓発系の出版社は、評価がむずかしいところがあります。とはいえ、少なくとも自己啓発系の書籍に国家や歴史の話が出てくる場合は、新自由主義やグローバリゼーションと関わりがあるような気がしています。

 

・(安田)いずれにすても、いま取りあげたようなそれらの出版社がネトウヨ本を刊行し、それが読者に受け入れられる土壌を作ったことについては、ネットの役割が大きかったと思わざるをえません。

 たとえば、前述の田布施システムなどは、バカバカしい話だと思っていますが、意外なほどに信じている人は少なくない。僕は取材でそう感じました明治維新はいろいろあった。正史に出てこない部分もあるのだろう。本当の答えは何か。答えを求める人が出てきてもおかしくはありません。答えが出てくれば安心できます。たとえそれが陰謀論であっても。

 そう考えると、ネット右翼の人たちは、荒唐無稽なネット出自の陰謀論に、そして安易かつ安直な答えに飛びついてしまった人たちなのではないか、と思うこともあります。

(倉橋)情報が欠乏しているところと情報が発信されているところを、検証抜きにして、安直に結びつけてしまう。発信される情報が陰謀論で、その情報が欠乏しているものであった場合、検証されずにぴたっとはまり、「発見」したり「気づき」をもたらしたりするでしょう。

 

歴史修正主義と日本の政治

・(倉橋)小泉政権時の03年に自民党は、比例単独候補の73歳定年制という決まりを作りました。この決まりによって、その後、比較的ハト派が多いとされる戦争を知る世代の議員が現職から去っていくことになります。そして、自民党の古参議員が定年で去った前後には、派閥にこだわらない党人事の掌握と、「小泉チルドレン」に象徴されるような、時どきの領袖に従順なイエスマンを新人議員として数多く公認しました。その結果、経世会は一気に衰退します。

 

・では、これまで語ってきた自民党の歩みと歴史修正主義はどのようにつながっていくのか。さまざまな目的で結成される議員連盟の立ち上がり方を注視すると、そのつながりの一端がわかると思います。

 

・この議連の事務局長代理に、議員1年生だった安倍晋三が抜擢されています。安倍はその後、奥野の意志を継ぐようにして、「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」の中心メンバーになったり、日本会議を支援する目的の「日本会議国会議員懇談会」に関わるなど、タカ派の色を濃くしていきます。

 安倍は、タカ派歴史観を奥野ら重鎮から「英才教育」され、仲間を増やして力をつけ、前述したようにイエスマンの新人を公認して自分の主義・主張に文句を言えない議員を仲間に集め、現在に至っているように思います。

 

右派のエポックとしての1997年

・たとえば野中広務。僕が「なぜ野中さんは、沖縄にこだわっているのですか」と質問したところ、彼はこう答えました。野中は京都出身なのですが、沖縄戦では京都出身者がたくさん亡くなっています。その慰霊塔を建てるため、53年に初めて彼は沖縄に足を運びます。那覇空港からタクシーで嘉数の丘に向かいました。この丘は激戦地の一つで、普天間を見下ろすことができます。

 嘉数の丘に到着する直前に、タクシーが急に止まったそうです。野中が運転手に「どうして、ここで止めるんですか?」とたずねると、運転手は「ひさしぶりにここに来ました。じつは、この場所で私の妹が死んだのです」と言って手を合せている。野中も一緒に手を合わせました、そして野中は、「激戦地でしたからね。あなたの妹さんは米軍に殺されたのですね」と運転手に言うと、「いいえ、私の妹を殺したのは日本軍です」という答えが返ってきた。

 このことに野中は強いショックを受けます。沖縄戦の犠牲者には、米軍に殺された人だけでなく、日本軍に殺された人もいるということを知ったからです。「それ以来、日本人の責任として、私は沖縄に関わりつづけなければならない、と考えるようになった」と野中は僕に言いました。

 

・(倉橋)自民党がネット戦略に乗りだしたのは、小泉政権でメディア対策を担当した世耕弘成議員が戦略チームに就いてからだと言われています。

 05年の郵政選挙時、有権者はあまり郵政民営化に興味を持っていなかったわけですが、自民党は「郵政民営化TVキャラバン」をおこない、物量重視の広報戦略を採用しました。しかし、この間の広告産業とのずぶずぶの関係、既出の「B層」という呼び方、タウンミーティングのやらせ、高額の内閣・政府広報費の問題が野党議員から批判をされます。

 このころから、世耕が戦略チームとともに自民党の広報を立てなおし、テレビ出演者の選定を精緻化させていく。そして、自民党民主党から政権を奪取した翌年13年のネット選挙解禁で、現在の広報戦略の手法が確立されていく。