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1957年、当時23歳だったボアスは、異星人に攫われ、セックスを強要されたというのだ。そんなセックス武勇伝を思いつく者など、彼をおいて他にはいなかった。(1)

 

 

 

『性の歴史』

ナンセン&ピカール 交響社 2021/3/11

 

 

 

時代や国を問わず、性と無関係な人など誰ひとりとしていない

<『性の歴史』>

・だが、私たち1人ひとりが今ここに存在しているのは、紛れもなく人類が脈々と受け継いできた性の営みがあってこそである。

 本書は、紀元前8000年の性行為を表した人類最古の造形物から、現代の出会い系アプリに至るまで、100のキーワードを軸に人類と「性」の1万年を辿る。そこには現代の私たちにも通じる、人類共通の「性」の悲喜交々が鮮やかに描かれている。

 ムダ毛を処理し、勝負服を身に纏い、美尻やたくましい男根で性的魅力を競い合う。快感を追い求めて人体をくまなく研究し、様々な手法や道具を発明し、それを日記や文学・絵画・彫刻として仔細に遺す。欲望に身を焦がし、想いが達成されればこの上ない幸福を感じる一方で、やり場のない想いに打ちのめされ、我を忘れることもある。

 

・人類がいかに性と密接に生きてきたかは、まさしく本書が何よりの証拠を示している。というのも、本書は古今東西に生を享けた人々の「性」の記録なしには生まれ得なかった本だからだ。

 本書を読めば、時代や国を問わず、性と無関係な人など誰ひとりとしていないことがよくわかるだろう。今まで性に関する話はとかくタブー視されがちであった。

 

人類とエロスの出会い

・抱き合う2人の姿がある。肌を密着させ、まるで互いの体が溶け合って1つになったかのような姿だ。膝の上に乗ったほうが、その両脚でもう1人の腰にがっしりとしがみつく。そうして2人は、肩を寄せてひしと抱き合う。

 

・『アイン・サクリの恋人たち』と題されたこの10センチ大の鉱物の塊は、はるか昔のユダヤ砂漠で、名も知れぬ芸術家がカルサイト(鉱物の一種)を蒐集し、頑丈な工具で加工して作り上げたものである。

 この像を見ていると、ある疑問が自ずと湧いてくる。最後に自分が誰かの腕に抱かれたのはいつだったろうか、と。

アイン・サクリの恋人たち』は、人間の性行為を表現した最古の作品といわれている。今から約1万年前のナトゥーフ文化を代表する作品であり、実物を見ると深い考察のもとに作成されたことがよくわかる。この小さな像に、ありとあらゆる性を表すモノが組み込まれているのだ。

 たとえば、像を上から眺めると、恋人たちの姿は2つの乳房へと姿を変じる。同じように下から見ると膣が現れ、裏側にひっくり返すと誰がどう見ても勃起したペニスにしか見えないものが現れる。

 

・このエロティックな像が作られたのは、人類が進化の大きな一歩を踏み出した時代だ。すなわち新石器革命の黎明期である。

 当時、世界各地に散らばった人類はそれぞれの生活様式を根本から変え始めていた。動物を狩ることを止め、家畜として飼うようになった。穀物を採取するのもやめて、畑を耕すようになった。柵を立て、貯蔵庫を造り、集落を成した。 

こうした生活様式の変化には、数千年を要した紀元前8000年頃にまず近東で、そこから南ヨーロッパ中央ヨーロッパ、アジア広域とアフリカで、そこに暮らす人類の生活様式が完全に切り替わった。人類文化史の始まりである。

 

・新石器革命以前の人間の繁殖行為は、どちらかというと気ままな動物的本能に従ったものであった。そもそも性交と繁殖が一対を為すことを人類が知らなかったことも、大いにありうる。

 

・加えて、親石器革命によって私有財産への認識が生まれた。人類史上初めて個人が家や、土地、家畜を所有したのだ。

 所有者が死亡すると、その財産を子どもたちが相続することは自明の理だったらしい。財産を子に相続させるためには、当然のことながら誰が自分の子どもであるかを知っていることが前提となる。ゆえに一夫一婦制、つまり男と女が固い契りを結ぶことが魅力的な選択肢となった。

 

・こうした人類の思考の変遷は、芸術作品のなかに見ることができる。子種を授ける古の母なる女神は次第に姿を消していき、とって代わって現れたのが、妻や子ども、己の敷地を疑わしげに監視する父なる神であった。

 

・一方で、性は危険も孕んでいる。婚外子は直系の存続を脅かし、不貞は罪とされた。この頃から性の取り締まりが強化されるようになったのも、なるほど納得がいく。敷地や庭を柵で囲って管理するように、寝所の行為にも規律と規範が設けられるようになった。

 

・一連の統制によって人類の性の営みは停滞するとか思いきや、むしろこれでようやく燃え上がったといえる。

 我々の祖先は、時代を追うごとに性への執着を増していった。性の女神を崇拝し、オーガズムを導く性交体位について夥しい量の記録を遺し、様々な避妊薬を開発し、ミス・コンテストを開催し、SM娼館を作り挙げた。

 セックスは崇拝の対象であると同時に、忌み嫌われる存在だった。芸術に啓示を与える一方で、戦争の発端にもなった。そうして性は、人間が考え得る事象のなかでその好奇の最大の対象となり、現代に至ったのである。

 

ペニスの顔をした女神

・はるか昔に、女性たちがいわゆる「尻軽」な生き方、つまり本能の赴くままに行動し、衝動的で、愛に飢え、性に貪欲に振る舞っていた文化は存在したのだろうか?

 ギリシア北部の町ネア・ニコメディアで、10センチ大の粘土細工が複数発見された。8000年前に作られたもので、小さな乳房と広い骨盤の発育のいい女性が胸の前で手を組んでいる姿を象ったものだ。

 いずれの造形も細部に至るまで非常に興味深い。注目すべきは、肩の上、頭のあるはずの場所に勃起したペニスを乗せた女性たちの像が散見されたことだ。なかには包皮が切り取られ、尿道口がはっきりと見えるものもあった。

 しかしなぜ?

 かの地に集落を築き、この粘土細工を作った約500人の民が、いずれの民族に属する者たちだったのか、どのような容姿をし、どんな言語を話していたのかは不明だ。だが彼らが崇めていたものは明らかである。

 

・ネア・ニコメディアの粘土細工のような、両性具有――つまり半身が女性でありながら、ペニスを持つ造形――の像は、南ヨーロッパアナトリア半島のいたるところで紀元前6千年紀の遺跡から出土している。考古学の調査で、胴体とペニスを模した頭部が別々に作られたことが判明した。おそらく何らかの儀式において同体にペニスの頭部をくっつけたのだろう。

 

・人類は、はるか昔から性器を写実的に表現してきた。勃起したペニスを象った石細工や粘土細工は、石器時代のみならず、古代ローマにおいても作り出されていた。男性の強さと能力を賛美するものだった。

 

・ネア・ニコメディアの芸術家たちの時代から数千年後、プラトンは人間球体説を唱えた。これによると人間は、4本の腕、4本の足、丸い球体の胴体を持った存在で、女性と男性の両方の特性が一体化していた

 球体の人間達の精神は溌剌とし、その地位を脅かすようになった。ゼウスは人間の反乱を阻むため、両性具有の球体人間を男と女に引き裂いた。プラトンによれば、完全だった元の姿に戻ろうと切望する気持ちが、性愛の源泉であるのだという。

 もしかしたらネア・ニコメディアの人々は、己自身が球体だった頃の姿を形づくり、2つの性を水と粘土で再び繋ぎ合わせるようとしたのかもしれない。それにしても2つの性が均等に組み合わさっているとは、お世辞にも言い難い。

 

シュメールのセックス予報士

・「女は裸になったときが、最も美しい。だが、その姿を長く見つめることはかなわない」。これはシュメール人たちの意見だ。

 メソポタミア地域で見つかった約4000年前の粘土板には、次のような予言が記されている。「妻の膣を見つめ続けた男は無病息災となり、自分の所有ではない他者の陰部に触れる機会に恵まれるだろう」。こういった性の予言なるものが、100以上も流布していたようだ。

 シュメール人たちは紀元前3300年に文字を発明した。文字を使い、収穫物や国家財政の増減、借金の利子などを粘土板に丁寧に記録していた。加えて生活の根幹に関わる重大事も記していたのである。

 

シュメール人は、幸不幸を決定する力がセックスにはあると考えていたようなのだ。たしかにパートナーの腕の中にいれば、日々の悩みをしばし忘れ、その瞬間をただ生きている感覚になれる。だが別にそれがシュメール人の迷信の源というわけではない。というよりむしろ、全然違う。シュメール人にとって性生活とは、この先の人生を決定づけるものだったのだ。

 

シュメール人の性の予言を分析すると、物事の吉兆の法則だけでなく、メソポタミア地域の性生活がいかなるものだったかを垣間見ることができる。どんなやり方が一般的だったのか、何が禁止されていて、何が許されていたのか。「稚児を相手に性行為をする者は、辛苦から解放されるだろう」。こう記された粘土板がある。同性愛も売春も基本的には問題なし、との立場をとる者が書いたのだろう。

 こんな予言もある。「身分を等しくする者と肛門性交をした者は、家族兄弟のうちで最も高い地位を得ることになるだろう」。つまるところシュメール人は、性行為の相手にイチモツを扱(こ)いてもらうよりもアナルセックスをすることのほうにやりがいがあると感じていたようだ。だが粘土板の作者たちが、なぜどのように考えていたかについては、残念ながらどの作品から読み取ることができない。

 さらに、予言の粘土板の製作者たちは、射精に並々ならぬ関心を示していたようだ。射精を扱った予言が多く目に留まるのだ。オーガズムは、神のお告げとされていた。

 

ホモセクシュアル・マフィア

・フランスのジャーナリスト、ダニエル・グランは、ワイマール共和国時代の末期にドイツ全土を旅し、地元の祭りや酒場、政党事務所などを訪れ、共産党の赤色戦線に随行した。ウィーンでは国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)の突撃隊が情緒的な民謡を歌い、権勢欲に酔いしれる様子を観察した。

 ドイツという国と、そこに暮らす人々をよく知っていたゲランだったが、1932年にベルリンで出会った一風変わった男性集団には流石に驚かされたようだ。

 男たちはパリの浮浪者を思わせる出で立ちで、短いズボンと丈の長いウールのベストという服装に、大きなリュックサックと履き潰したハイキングブーツを身に纏っていた。よくよく眺めてみると、婦人用の帽子や、派手な色味のスカーフ、大振りのイヤリングに、エキゾチツクな刺青といった、見る人が見たらそれとわかる特徴的なものを身につけている。服には虹色や、謎の数字の羅列、「ワイルド・フリー」や「略奪者」といった言葉がペイントされていた。男たちのリーダーは「大柄の青年で、官能的な唇をしており、目のまわりを黒く縁取るように化粧をして」おり、ヴィネトウと名乗った。

 

1932年のベルリンには何万人もの同性愛者が暮らしていた1920年代に世界中からドイツの首都へやってきた者たちだ。ベルリン以上に、自由を謳歌できる土地はなかったのだ。「ワイルド・フリー」と名乗る集団も、自身の同性愛傾向を賛美し、無法者を決め込んでいた。

 

・グランは、彼らゲイ集団の入会儀式や自意識に「ファシズムにも似たものが潜んでいる」のを見出した。表面上は進歩的であるように取り繕っているものの、この純然たる男集団は、これまでにはない新しい手法でもって強者の正義を振りかざしているのだ。 

 ゲランの見解はあながち間違ってはいなかったろう。1932年に彼を驚かした青年ヴィネトウは、2年後に支配者側であるナチスの突撃隊に入団し、権力を振るうようになったからだ。

 

ナチス体制下の裸体思想

・ハンス・ズーレン、1885年生まれ。第1次世界大戦で少佐を務めた彼は、気配りのできた人間であった。週に1回以上の全裸での走り込みを、一貫して夜間に実施していた。そうすれば他の人が彼の全裸の肉体を見ずに済むからだそうだ。

「人気の少ない地域であれば、全裸で1人で動き回ることも許してもらえるだろう」。

 著書『人間と太陽――アーリア人とオリンピックの精神』のなかで、ズーレンはこう綴っている。1936年に改訂版が刊行され、25万部の売り上げを記録した、ナチスドイツのベストセラーである。裸の男女の写真が多数掲載されており、なかでも男性の仕草が同性愛を彷彿させる。

 ズーレン自身も数ページにわたって姿を曝け出している。その日焼けした褐色の肉体には植物油が塗りつけられている。曰く、寒さから身を守るためだという。だが、裸身が磨きあがったように美しく映える効果を狙ったのもあるだろう。ある写真ではパンチングボールを打つ著者の姿が、古代のアスリートの銅像のように映し出されている。

 ズーレンは著書を通して、裸で運動する人間の姿を写し出し、全裸スキーを奨励し、男性の肉体――「日焼けして褐色になった陰茎」や「2個の小さな卵型の睾丸のついた、脈打つ陰嚢」――を賛美した。

 ズーレンの著作に掲載された同性愛的な裸体思想を、ナチスの検閲官が問題視することはなかった。むしろ逆だ。ズーレンは「全国農民指導者特別全権委任身体教育担当」に任ぜられたのである。これにより彼はドイツ農民の身体や健康に責務を負う立場となった。

 

アドルフ・ヒトラーもまた、ズーレンの著作を愛読していたという。

 1933年、青少年団が権力を掌握した。このときヒトラーは44歳、側近のゲッベルスは36歳、同じく側近のヒムラーが33歳であった。ナチスが同性愛を無慈悲に迫害したことは言うまでもない。だが男女間の性行為は奨励し、教会による制限など構わず、市民たちが性行為をおこなうことに逡巡することがないように努めた。

 

世界初のセックスショップ

・1962年12月17日、とある月曜日のこと。ドイツの街フレンスブルクにあるアンゲルブルガー通り58番地に、これまでにない変わった店がオープンした。ショーウィンドーの上に掲げられた看板には「結婚衛生専門店」とあるが、それに目を留めたところで、通りを行き交う人々はクリスマス前の買い物で山のような荷物を持ち歩くのに忙しく、さして気にも留めなかった。だが好奇心がうずき、店内に入った者もいた。彼らが目の当たりにしたのは、世界初のセックスショップであった。

 店内には3つのコーナーがあった。200冊もの性教育書を収めた本売り場、その横にはいわゆる「衛生用品」を取り揃えた売り場、また客が従業員に個人的かつ内密の相談をするためのスペースも設けられていた。店にはポルノ誌やセックス入門書から避妊具、さらにはバイブレーターなど昂奮を促す性玩具といった品目が各種取り揃えられていた。

 

・1946年、ウーゼはオギノ式による自然避妊法を紹介する折り畳みパンフレットを発行した。月経周期を記録し、妊娠しやすい排卵期を予測する。あとは排卵期の性交渉を控えればよいというのが、オギノ式避妊法だ。ウーゼはパンフレット3万部を1枚50ペニヒで販売した。

 1951年には性を専門に取り扱った通信販売を始める。事業は成功し、10年後に店を1軒構えることを決めた。

 

・開店時の世間の反応は冷淡ではあったものの、初年度の売り上げは黒字であった。1970年代の終わりには36店舗と成人映画館13館を展開し、売り上げ7000万マルクを計上するセックスグッズ帝国を築きあげていた。西ドイツの街では百貨店やファストフード店と並んで、「ベアテ・ウーゼ」と記された赤いネオンが歩行者通り沿いに光っていた。

 

東ドイツのセックス転換期

・1969年に東ドイツで、とある本が出版される。東ドイツという社会主義国において、人間同士の交際に新たな秩序を設けようと提唱する本である。その名は『男と女の親密なる付き合い――健全なる性生活と乱れた性生活の問題』。専門書にありがちな事務的な副題がつけられているために誤解されやすいが、実際には退屈からはほど遠い内容であった。

 著者ジークフリート・シュナーブルは臨床心理士にして、カール・マルクス・シュタット県に所在する結婚・性生活相談所の所長だった。お隣の西ドイツでは「コミューン1」の住民たちくらいしか明け透けには語ろうとしない話題を、シュナーブルは300ページにわたって論じたのだ。自慰も同性愛も、「愛のないセックス」だって問題ない!と。また、文章と図解で最良の性交体位を説明した概説も掲載されていた。

 複数の出版社に原稿を送ったシュナーベルだったが、そのすべてから断られた。ようやく出版にこぎつけると、ひと晩のうちに彼の著作はベストセラーとなったのである。第18版まで出版され、100万部以上を売り上げた。

 白スーツを着て公に現れるシュナーブルは、一躍スターとなった。社会体系を巡る冷たい戦争が繰り広げられるなか、せめて寝室ではわずかなりとも平安を得てほしいというのがシュナーブルのたっての願いであった。

 

ピルの母

・「立証に足る根拠を常に求めてきました。私は、ガラスに半分入った水を見て、『もう半分しかない』と考える人間です。他人にどう思われるかを気にします」。

化学者カール・ジェラッシは、あるインタビューのなかで自身の研究活動のモチベーションをそう話した。単に新発見だけを求めて、幾夜も研究室で過ごしていたわけではない。名声や称賛が欲しかった。肩を叩いて認めてもらいたかった。その一心で研究に取り組んできたのだ。

 

・1951年10月15日、ジェラッシが27歳のとき、メキシコシティにてグレゴリー・ピンカスおよびジョン・ロックと共同で取り組んだ研究のなかで、彼らはステロイドホルモン・ノルエチステロンを人工的に作り出すことに成功した。ジェラッシの勤める製薬会社シンテックス・ラボラトリーズは、この原料から製造した月経痛の医薬品の販売を計画した。だが研究開発を進めるうち、ノルエチステロンを適量摂取することで、女性の体に妊娠状態であることを誤認させ、排卵を起こさないようにする働きがあることが判明した。

 1960年「エノビッド」の名で世界初の経口避妊薬、ピルが発売された。この発見により、カール・ジェラッシの給与は3倍になった。当時最も名の知れた化学者は、ジェラッシであったといえるだろう。だが当の本人は、ノーベル賞を受賞できず、27の大学から名誉博士号を授与されたのみだったのが不満であった。

27大学だろうと、30だろうと、それは関係ないんですよ。問題は、私がまだもらってないものがあるってことなんです」。

 ジェラッシはさらに、莫大な財産を手に入れた。シンテックス社がピルで巨万の利益を得たタイミングで、その分け前を与ることができたのだ。

 

東西ドイツ・エロス戦争

・1953年6月17日、ドイツ民主共和国東ドイツ)全土から何十万という人々が集まり、労働ノルマの10パーセント引き上げと政府による弾圧に抗議するデモをおこなった。2万人のソビエト兵が動員され、市民の暴動鎮圧にあたった。少なくとも55名の犠牲者が出た。

 暴動からまもなくして、緊張状態を緩和する必要に駆られた政府・ドイツ社会主義統一党は、東ドイツという共産主義社会において、市民がより日常生活に興味が持てるよう一連の施策を打ち出すことにした。特に力を入れたのが、メディアコンテンツの改編だ。政府は市民を教化するプログラムを重視した。政府の決定事項を伝える媒体としては、機関紙《ノイエス・ドイチュラント》があるが、その文体は真面目で単調だ。もっとも楽しく、ユーモラスで、エッチな読みものも提供するとよいのではないか。

 

・かくして、文化誌《ダス・マガジン》が立ちあがった。東ドイツを代表する作家たちの文章が楽しめるだけでなく、セクシーな物語や、露骨なイラストも掲載された雑誌だ。

 

・さらには毎号、ヌード写真を掲載する枠がちゃんと設けられていた――後にはタブロイド紙《ビルト》が、女性のヌード写真掲載の伝統を引き継いだ。1954年1月に発売された創刊号に掲載された写真では、モデルは気恥ずかしそうに波形模様のガラス板の向こうに隠れていた。だが時とともにモデルのポーズも写真のモチーフも、大胆なものになっていった。

 

・1959年、一糸纏わぬ姿の女性が両脚をおっぴろげにした写真が掲載されるや、隣国オーストリアから制止を求める声があがった。かの国でも《ダス・マガジン》誌が販売されていたが、内務省が問題の写真の掲載された号の未成年の販売を禁止した。

 

アメリカ陸軍航空軍とフリーセックス

・1940年代のとあるルームパーティーでの話。飲みものが供され、レコードプレーヤーがジャスの音盤を回す。だが音楽に耳を傾ける者はいない。会話だってまともにされていない。参加者たちの視線は帽子に注がれ続けている。帽子は部屋の応接テーブルの上にさりげなく置かれていた。ついに女が1人、テーブルへと歩み寄った。ちらと見るでもなく帽子の中へ手を伸ばし、鍵を引っ張り出すと、周囲の人々に見えるように掲げた。男が1人、声をあげた。女の手にあるのが、自分の部屋の鍵であると気づいたのだ。女は男の腕を取り、2人はパーティー会場を出た。女たちが1人、また1人と、くじを引いていった。ランダムに引き当てる鍵の主が、今夜のお相手だ。

 驚くなかれ、1970年代のカリフォルニアのヒッピーや、パリの超自由主義の知識人たちの話ではない。アメリカ陸軍航空軍基地で起こった出来事なのだ。第2次世界大戦が始まってすぐの1941年に設置された組織、スウィンガー・クラブ、またの名をセックス・クラブは軍によって生み出された。スウィンガー・クラブを日常的に利用していたことを公言する航空士は1人としていない。懲戒処分を恐れているからだろう。だが士官たちは、ここだけの話として「キー・クラブ・パーティ」なるものの存在を学者たちに明かした。かのパーティーでは、営舎のなかの社会構造がひと晩だけ上下でたらめに入り混じるのだという。

 

・戦後、ベテラン航空士にしてキー・クラブにも詳しいレイディは、外交販売員としてアメリカ全土を旅し、訪れた街々で出会ったスウィンガー

――開放的なセックスを愉しむ人々――の名前を掲載したリストを作成した。「レイディ・リスト」はいわば最初のスウィンガー・コミュニティとなった。後には、そういった情報広告を掲載した雑誌が現れ、さらに後にはインターネット上でコミュニティが形成されるようになる。

「外には私と同じように感じる人々がいるのだろうか?」――いつの時代にも、そんな疑問を持つ者がいるのだ。

 

・陸軍航空軍は、第2次世界大戦期にはエリート集団であった。航空士はアルファ――群の頂点に立つ、強くて雄らしく、大胆不敵な個体――とされ、当時は性的魅力にあふれたセックスシンボルであった。だが彼ら航空士たちは、自分たちの女を嫉妬深く監視するわけでもなく、むしろパーティーを開催してはパートナーを交換して愉しんだ。こう聞くと、初めは不思議に思うかもしれない。

 航空士たちが開放的なセックスを愉しんだのは、彼らが結束の固い集団社会で生活を送っていたことが理由なのだろうか? 航空士の勤務地も大いに関係していただろう。第2次世界大戦中の陸軍航空軍の行動拠点は、太平洋であった。士官たちは自ずと、自由な性道徳の浸透した文化と接触することになった。

 しかも死の不安につきまとわれているわけである。アメリカ軍戦闘機乗組員のうち第2次世界大戦を生き延びたのは3分の2であったアメリカ軍のなかで、これほど死亡率の高い部隊は他になかった。だからこそ航空士たちは、生きている時間を可能な限り有効に使いたかったのだろう。

 

人類初の地球外生命体とのセックス

・周知の通り、男というものはベッドの中での出来事をでっちあげては、己の武勇伝を語ったり、美人過ぎるパートナーの容貌を吹聴したりするものだ。そういう意味では、ブラジルの農夫アントニオ・ビリャス・ボアスに敵うものは未だかつて現れていない。1957年、当時23歳だったボアスは、異星人に攫われ、セックスを強要されたというのだ。そんなセックス武勇伝を思いつく者など、彼をおいて他にはいなかった

 

ミナスジェライス州に暮らすボアスは、日中は気温が高いため、夜に畑仕事をするのが常であった。1957年10月16日、いつものように夜間に畑を耕していると、空に赤い星が光るのが目に留まった。しかも、だんだん近づいてくる。やがて畑にUFOが着陸した。中から灰色のオーバーオールを着た1.5メートル大の地球外生命体が3名現れ、ボアスを飛行物の内へと引きずり込んだ。異星人たちは彼の服を脱がし、ペースト状の何かを塗りつけた。どうやら若者を昂奮させる作用のあるものだったらしい。

 気がつくとボアスは、異星人の女と抱き合っていた。脱色したかのような白い髪に、非常に尖った顎、猫のような青い瞳、真っ赤な陰毛の未知なる存在……とても煽情的であったと、ボアスは後に語った。コトが済むと、女は自分の腹を指でさし、それから指を上に向けた。彼の子を孕んだ、腹の中の子を共に宇宙へ連れていくつもりだ。そう言いたいのだろうと、ボアスは理解した。彼を外に出すと、UFOは宙へ浮かびあがり、漆黒の夜空へと消えていった

 

・1957年、星々は我々人類にとって手が届きそうなほど近くにある存在となっていた。ソビエト連邦は牝犬のライカを乗せた宇宙船を打ちあげ、初めて哺乳類を地球軌道に周回させることに成功した。アメリカ合衆国ではUFOの目撃情報が数多く上がり、集団ヒステリーの様相を帯びる事態となった(2014年になってようやくCIAが、試験飛行中の軍用機と取り違えられたことが要因であったと公表した)。

 

・さて、異星人から解放されたボアスは、どうやら自分は利用されたらしいと少々気分を害していた。地元の通信社に出来事のあらましを語り、次のように発言した。

「そりゃあ、怒りましたよ。異星人の女が発する音を耳にしたら、まるで獣と番っているような気分になりました」。

 あの晩の出来事は実際に起こったことだと、アントニオ・ビリャス・ボアスは生涯言い続けた。青い瞳と赤い陰毛の女は2度と地球に戻ってくることはなかった。その後ボアスは地球の女性と結婚し、4人の子どもを授かった。

 

人類1万年のセックス史――おわりに

・古代シュメールの男たちは、熱心に妻の膣を眺めていた。そうすることで裕福になり、幸福が得られると信じられていたのだ。紀元前600年、エトルリアの芸術家たちは、開放的なSMパーティを礼賛する壁画を遺した――E・L・ジェイムズが官能的ロマンス小説『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』を著すよりも2600年も前に。古代中国の医師は、毎日飽きもせず性行為に耽る皇帝の相手をつとめる女性たちに、陰の気の生成を促すためアナルセックスを推奨した。インドの文献『カーマ・スートラ』には、相手の背中に引っ掻き傷をつけるときのお勧めテクニックが8通りも記されている。中世の司祭は装着式性玩具に並々ならぬ執着を見せていたし、ルネッサンス期にはひと晩で4回以上イくのは女性の権利といわれていた。

 

・人類史1万年に及ぶ性の歴史がテーマだと聞くと、誰しも顔をほのかに赤らめ、そもそも我々の生きるこの世界、この時間はいったい何だろかと自問せずにはいられなくなる。果たして我々は、自分が思うように性の歴史について充分に啓発されていて、深い性の知識を持っているといえるのだろうか。

 それとも世間一般でよくいわれるように、「性欲過多の欲求不満」なのだろうか。性に通じているからこそ、常にセックスの砲撃に晒されていながら、あえて何もしないのだろうか。

 そうだとするなら、本書を読むことはお勧めしない。乳房、ペニス、脚、アダルト動画、画像、猥談、自慰の秘訣情報といった性的モチーフを描いた、脳内一面に広がるモザイク画に“ポルノ要素を加えて解像度を高める”のが本書の目的だからだ。

 文明史は、とうてい一直線に辿れるものではない。すべてがより強烈に、大規模に、尺は一層長く、そしてヤバさを増しながら紡がれてきたものなのだ。

 私たちの生きるこの21世紀初頭の社会は、矛盾に満ちた世界だ。しきたりにうるさい老人たちはいなくなった。夜の営みについて、その相手、頻度、進め方はかくあるべしとくどくど言う牧師もいない。マッチングアプリの「Tinder」を利用すれば、ひと晩の相手にも、生涯のパートナーにも、ものの数秒で出会うことができる。

 

・複数の国々で実施したアンケート調査によると、回答者の過半数が自身の性生活に満足をしていないという。日本の若者の場合、男性の20パーセント、女性の約半数にとって、セックスはもはや意味を為していない

 

本書は、人類が絶えず性欲過多だったことを教示するものである。ホモ・サピエンスは1万年もの昔から、病的なまでに性への関心を示してきた。洞窟の壁にポルノ画像を刻み込み、パピルス紙に性的モチーフを折り込んだ詩を綴っては人に送り、珍妙な戒律やら禁令やら職種やらを考え出した。セックスは、単純に生殖目的で性器を結合させる行為よりももっと大きな意味を持つ存在であった。

 古代メソポタミア古代エジプト1920年代のヴェネツィアやベルリンでは、セックスが日常生活や、自己イメージ、道徳観念といったものとの関わりで語られることは一切なかった。仮面舞踏会に参加する者たちは、厳格で退屈な生活を送る普段の自分を隠すことができた。

 

「食欲」「睡眠欲」「性欲」

人間の3大欲求として、よくいわれるのが「食欲」「睡眠欲」「性欲」である。人間が生きていくうえで欠かすことの難しい欲求でありながら、性に関しては日々の生活のなかで明け透けに語ることを一種のタブーと考える向きは強い。だが本当にそうなんだろうか?

 

・性的マイノリティ、特にゲイに対する社会の風向きも変わりつつある。男性たちの恋愛を取り扱ったサブカルチャー作品「ボーイズ・ラブ」を好む女性たちは、自らを自虐的に「腐女子」と呼んだ。社会から身を隠すようにひっそりと活動していた腐女子たちも、現在では以前よりもオープンになったように感じられる。腐女子という存在が漫画やドラマの主人公となり、徐々に世間的に認知度を高めていったためだろう。

 

・このように私たちの生活を取り巻く「性」の在り方は変わりつつある。性的客体化、セクシュアルハラスメント、フィクションにおける男女の描き方、LGBTQなどなど、今や性の議論を避けて生活することは難しい。私たち一人ひとりが「性」の問題と向きあい、自らの価値観を更新させる必要性に迫られている。人類1万年の古今東西の性の歴史を取り扱った本書が、「性」を考える材料として役立つことができればと思う。

 本書は、ドイツ・ミュンヘンの「Nansen & Piccard」社に勤務するジャーナリストたちによって記され、2016年に出版された。プロジェクトチームによって洋の東西を問わず集められた性に関する逸話を年代順に紹介している。インドや中国、日本のエピソードも含まれているが、やはりヨーロッパのエピソードに偏りがちなのは致し方ないだろう。「性」の歴史を通して中世の暗黒時代、魔女狩り、性的マイノリティへの差別を経て、いかに現代社会が築かれていったのかが読み取れる作品だ。

 興味深いのは、本書では女性の性欲が否定されていないことだ。