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公衆衛生の専門家たちはウイルスが進化して人間同士が感染しやすい型に変わる可能性を恐れている。もしこうなると、世界規模でのパンデミックへと続くかもしれない。(1)

 

ヒトラーは英国のスパイだった! 下巻』

グレッグ・ハレット  ヒカルランド   2021/1/19

 

 

 

ジェームズ・ボンド作戦

マルティン・ボルマンはヒトラーの秘書で官房長だった。影武者の男も見つくろわれたが、そちらは「ギュンター」とだけ呼ばれている。影武者ボルマンはイギリスで整形手術と歯型を一致させる治療を受けた。ドイツの歯科治療はイギリスの方法とはまったく違っていたので、MI6は特別な設備のあるイギリスの治療院で大陸出身の歯科医を長期間雇っていた。

 影武者はそれからベルリンに戻され、1945年5月1日の逃亡の際には爆発から本物のボルマンを偶然守ることになった。

 

ジェームズ・ボンド作戦部隊はそこからシュプレー川カヤックで下り、ヒトラーの副官だったボルマンはイギリスに送られて整形手術を受け、今までとは別の話し方と歩き方を教え込まれた。ロンドンで生活の場を与えられ、身に危険が迫るとマルティン・シューラ―氏として田舎の町に住んだ。やがてうつ病になった彼は、1956年に死を偽装され、同年4月29日には南米の中央部に位置するパラグアイに飛び、1959年2月に現地で亡くなった

 本物のボルマン(1896~1959)の死後も、イギリスの情報部はイギリスとイタリアとドイツで影武者を使い、彼がまた生きているように見せかける工作を行っていた。「マルティン・ボルマン・イリュージョン」は一番長く稼働した影武者(44年間)と一番長く無駄に存在した影武者(30年間)との競争となり、メディアや大衆には秘密情報部の戦略として認識されていた。

 

影武者本人の死と偽装された本物の死

・ヒュー・トマスの『ヒトラー検視報告――法医学からみた死の真実』(1995)は、すべての話がお互い何らかの形で矛盾していることを示している。遺体が地下壕の外で見つかり、エヴァ・ブラウンの歯が本人の歯科治療記録と符合しなかったこと。そして金属片による傷が死因で、SSが主張したようなシアン化物による死ではなかったことだ。

 ヒトラーのものとされる遺体は、まるで他人の体から抜いてきた歯を移植したとでもいうかのように、どの歯もぐらついていた。左足は「ヒトラーにはなかった欠陥を隠すごとく燃え尽きていたのに、残りの部分は軽く火がついた程度だった」が、シモンがすべて消える程度には燃えていた。これはヒトラーのSSの副官だったオットー・ギュンシェの行動に一致する。彼は1945年4月30日午後4時、中庭で偽のヒトラーエヴァ・ブラウンの遺体にガソリンを撒いて火のついたぼろ布を放っていた。

 

・「1945年5月8日付の検死報告書では、ひどく焼け焦げた遺体が『おそらくヒトラーの死体』であるという結論に至っている。そのすぐ後に出た別の説明では、この主張に疑問が投げかけられた。するとまたソ連の情報筋は、やはり歯の調査結果に基づいて身元が確認されたと主張している。しかしこの主張にも異議が唱えられ、イギリス当局がヒトラーを彼らの占領区域にかくまっているという噂が立った」

 

クマのプーさん作戦  1945年4月26日~5月4日

ヒトラーの側近たちは騙しの達人で、影武者を駆使してお互いも自分自身も、さらに職員や目撃者までひっくるめて騙していた。うまく操れなかった目撃者は殺されるか、自殺を命じられるか、自分から自殺したか、もしくは沈黙を守るという聖なる誓いを立てさせられ、破れば自分と家族全員の死という恐ろしい罰が待っていた。彼らの誓いはそれほどまでに、秘密と内部での復讐に徹底したものだった。

 ドイツはチュートン民族の頭脳を持ち、あらゆることを常に3年先まで微細かつ徹底的に計画する。1945年4月22日、ヒトラーはアルフレート・ヨードル上級大将(作戦部長)とカール・コラー(ドイツ空軍参謀総長)に対し、他の人々に混じって自分も自殺をするつもりであると告げた。

 

・「これ以上はあり得ない情報源からの秘密」が明るみになると、誰もがヒトラーの自殺を期待し、彼がついに自殺すると大きな安堵が広がった。

 ヒトラーと側近たちは1945年1月16日から地下壕で過ごしたが、同年4月21日以降は地下壕から永遠に離脱する者が多数出た。離脱が起こったのは4月21・22・23・29・30日と5月1日である。連合軍は彼らのことを把握していたが、ドイツとの間に彼らを止めるという協定がない限り、ほとんど阻止することはなかった。

 

クマのプーさん作戦は、アドルフ・ヒトラーエヴァ・ブラウンが1945年4月30日に地下壕を出て同年5月2日に飛行機でベルリンから脱出するというものだった。

 

・1945年4月30日、ヒトラーエヴァには地下壕から脱出する機会は十分にあった。これを隠蔽するため、総統地下壕周辺で殺されたヒトラーの影武者は6名を下らない。これらは後にソ連軍の掃討隊が発見した。

 

多くの歴史書ヒトラーエヴァの焼死体は偽物だと暴露している。遺体の異変もそれを十二分に証明している。当初は口の中を撃って自殺したと報じられていたにもかかわらず、ヒトラーの死体の頭蓋骨に銃創はなかった。エヴァは服毒死のはずなのに、検視では青いワンピースを着た女性の遺体の死因は榴散弾を受けた傷が死因と判明し、胸から出血の跡があり、虫歯の穴もたくさんあった。もしこれが総統の愛人に起こることが許されたのであれば、それは軍法会議もので、関与した全員が銃殺刑になっただろう。

 スパイマスターによると「青いワンピースを使ったのは本人に偽装するためだった。脱出にあたってエヴァが青いワンピースを着ていることがこの作り話の鍵だった、ソ連の秘密捜査員が赤軍に話した通りだ………ヒトラーの頭蓋骨も2つあり、1つは体についた状態で爆弾穴兼墓穴の中で発見され、もう1つは検視に先立って渡された」という。

 むしろ、これはもっと高いレベルから隠蔽が行われ、すべての側が関与していた可能性があったことを示している。

 

今までに終わった戦争などない。そして未解決の戦争のどれもが次なる戦争につながっている。>

ヒトラーエヴァの遺体が部屋から持ち出されているという点からすると、決定的な身元の特定はできていないことになる。ヒトラーはズボンとブーツ、エヴァは青いワンピースで身元が確認された。

 

ゲッペルスヒトラーの29時間後に自殺したので、アクスマンはテスタメント作戦を目撃した一番あてにならない証人になった。

 ヒトラーの脱出計画のドイツ語名は「テスタメント」で、ヒトラーの遺言とナチが聖書の預言を現実にするために演じていたことから名付けられた(「テスタメント」には、「遺言」「聖書」両方の意味がある)。イギリスにとっては「クマのプーさん」だった。どちらも「作戦」という語はつかず、こうした複合作戦の名が文書中に登場したこともほとんどなかった。そんなわけで、どちらの計画でも疑いを呼ぶ心配もなく堂々と話すことができた。

 

ヒトラーエヴァの影武者の死後しばらくして、地下壕と仕切りの通路が閉じられた。防護壁の扉は地下壕と防護壁通路、防護壁通路と官邸、そして防護壁通路と外務省を隔てていた。この通路のおかげで火葬用の薪の山に弔問客が訪れる間、ヒトラーエヴァ、2人の護衛、SS総統官邸司令官ヴィルヘルム・モーンケとヒトラーの影武者5人が隠れるのに十分なスペースができた。これがプランAである

 同じグループの8名がコンクリート製の円形の監視塔を上るのに10分間の枠があった。建物の南東側で行われている彼らの葬儀に関心が向いている間に0.6×0.6メートルの開口部を出て、1.4メートル下にある補強用の横木に乗り、同じ距離を地面に向かって降り、それから東へ向かう。これがプランBである。

 ヒトラーエヴァの自殺が偽装された後、こうして障害のない逃げ道が2つ用意された

 

・1945年4月30日、ヒトラーは午後2時30分に昼食をとった。エヴァはいなかった。こうした任務で真夜中過ぎてから指示を受けて、それを行動に移すのは難しい。エヴァは自分の脱出について指示を受け、目印となる青のワンピースが届くのを待った。昼食後の午後3時10分前後、秘書たちは業務から解放された。

 

あてどもないヒトラー追跡は冷戦の始まりだった。あらゆるたぐいの英米諜報機関が、疑いをかけることに決めた国にはどこでも拠点を設けることができた。ナチの影響下に置かれ、ヒトラーが逃亡先にする可能性があった国々が対象となった。

 

南極はナチのもっとも進んだ実験が行われた場所で、これには医学的実験、優生社会(45歳で死ぬ社会)、フー・ファイターズ未確認飛行物体や空中の謎の光など。ヨーロッパや太平洋上空で第2次世界大戦中に目撃された)、新しい支配者民族を作ろうとする試み――事実上の人類バージョン1.52、すなわちテクノクラートの人種だ――が含まれる。だからナチとアメリカ軍の科学者は南極に向かったのだ……そうでなければ教えてほしい。

 

死体がカヤックを取り巻き、目隠しと注意をそらす役割を果たした。ボルト、ローリングホフェン、ヴァイスはアドルフとエヴァが司令塔を上り、水面0.5メートルもないところで小型の潜水艦に乗り込むのを手伝った(午後11時30分)。

 乗組員4名、それにアドルフとエヴァヒトラー夫妻、ベルント・フライターク・フォンローリングフェン少佐、彼の副官ゲルハルト・ボルト大尉、ヴァイス中佐も乗せた潜水艦は潜水し(午後11時40分)、潮流に乗って最小限のエンジン出力で進み始め(午後11時55分)、病院から流れてきた新たな溺死体を盾にしてシュプレー川を下っていった。

 

・スペインは1945年4月に自国を戦争犯罪者の「安全な避難先」と宣言していた。これはナチに盗まれた金や他の資産を取り戻すための連合国側による「安全な避難先作戦」で、すぐに隠蔽された。

 ヒトラー移送作戦(クマのプーさん作戦)は、ボルマン移送作戦(JB作戦)に追加されたものだった。Mの工作員ヒトラー移送計画を事前に知っていたなら、決して任務を受け入れなかっただろう。

 

・ハンナ・ライチュ(ドイツ空軍司令官)はイギリス情報部に支配されたファシストのスペインの、フランコ将軍のもとでMI6を担当するラモン・セラーノ・スニェールのところへ飛行機でヒトラー夫妻を連れて行った。イギリス情報部の安全な避難先が2人を受け入れるのを確かめてから、1945年5月3日にすぐスペインを発って4日の早朝にドイツに戻った。

 

ヒトラーとボルマンのそれぞれの新しい身元、整形手術、住居と略奪品の場所に関する5日間の個別交渉の後、ドイツは降伏した(1945年5月7日)チャーチルは同日、ヒトラーが1945年4月30日、マルティン・ボルマンが同年5月1日に死亡したという記録を公式に受けて、第2次大戦が1945年5月8日午前0時1分に終結することを発表した。

 これは典型的なMI6の行動だった――それも一番の出来だった。彼らは常に裏表のある行動を取り、裏も表も背信行為に見えた

 

MI6の中心的な役割は戦争の斡旋である

誰にもヒトラーの死体は見つからないだろう

・セクションMの「裁断、医師と偽造」ユニットはボルマンを移送するジェームズ・ボンド作戦の痕跡を消去するため猛烈に働いた。従って、付随するヒトラー移送のためのクマのプーさん作戦の痕跡もすべて消えることになった。

 

・第2次大戦直後のイギリス総選挙でチャーチルは首相の座を追われ、ポツダム会談(1945年7月~8月2日)の期間中にクレメント・アトリー首相に交代した。こうして、チャーチルヒトラーの所在に関するスターリンの質問に答える必要がなくなった。ポツダム会談ではソ連と連合国は何についても言い争いになった。同意したのは次のことだけである。

 

ヒトラー戦争犯罪者のリストから外すのが妥当で、ニュルンベルクでもそれ以外でも裁判にかけるべきではない。

 

 数週間後、アイゼンハワー参謀総長はオランダのラジオ放送で、ヒトラーが密かに自由の身になったと信じる理由があると述べている

 官邸地下壕に行ったソ連アメリカの軍幹部は、ヒトラーが地下壕をこっそり抜け出し、死体は見つからなかったという点で合意した。ベルリンの新聞記者らはヒトラーがまだ生きていると自信たっぷり報道したアメリカでは、ギャラップ社の世論調査Ⅰ:527で70パーセントのアメリカ人がヒトラーの生存を信じているという結果が出た。

 スターリンヒトラーが脱出し、まだ生きているという強迫観念的な疑いを持つに至った。ボルマンとヒトラーが一緒に地下壕を出たことを示唆するソ連の報告書もあり、この簡潔な要約はそれなりに真実に近い。

 

ヒトラーは1945年4月30日午後8時に地下壕を出て、マルティン・ボルマンも1945年5月1日午後8時40分に出て行った。

 

 スターリンヒトラーフランコ将軍の軍隊を支援していたことを正しく示唆し、亡命者のヒトラーをかくまったとしてフランコを非難した。

 

・「CIAとKGBカトリック教会の違いは、KGBには撃たれるかもしれず、CIAには薬物をたっぷり打たれるかもしれず、カトリック教会には尻の穴をやられるかもしれないという点だ。だからそういうことを気にしない特定の人種の工作員除き、カトリック教会に密使を送るときはいつも人捜しに苦労する。ソ連はいつもカトリック教会に対して諜報機関の1つという対応を取っているが、その点では不愉快だ」

 

・MI6職員「ヒトラーの死は胡散臭いことばかりだ。影武者は身代わりに地下壕で死んだかもしれないが、本物のエヴァ・ブラウンアドルフ・ヒトラーはドイツからさっさとスペインに高飛びした。イギリスが1918年にドイツから皇帝を連れ出したのと同じやり口だ」

ヒトラーはドイツ人が1936年から1939年まで第2次大戦の演習をしていたスペインに戻り、身元保護のため『ドイツ人庭師』と呼ばれていた

「彼はバルセロナ郊外にあるモンセラット修道院と、バルセロナを見渡せる城砦で生涯を過ごした。【国立歴史博物館の向かいにあるシウタデリャ公園で】庭師として働き、胃ガンのため1950年代初頭に死亡した。マットレスに仕込まれた放射線を出す板【6週間で死に至る】が原因だった。イギリスが『先の戦争相手国出身で取り扱いに要注意の外国人関係者を始末するのによく使う方法』だ」

 モンセラット修道院は飛び抜けて孤立した場所にあり、現在ではケーブルカーを使わないとたどり着けない。しかし驚くほど周囲から隔絶した場所にある大変に美しい建物である。到着したら、何から何まで修道僧たちの世話を受けることになる。修道院の上手には離れ屋が2つあって、本当に危機が迫ったときにはヒトラーエヴァはそこで過ごした

 

マルティン・ボルマン同様、アドルフ・ヒトラーの1958年の死には別の筋書きも浮上している。深刻な結果につながるような話は、たいてい表面上は非現実的な形で、一部作り話、一部真実の映画を通して世に広められる。映画全体が1つの見解を表明していることもある。

 

ニュージーランドの首都ウェリントンから北に1時間、車なら通りすぎてしまうような生小さな町レヴィンでアドルフ・ヒトラーが紳士用品品店を営んでいたという、もっと突飛かつ生々しい話もあった。調査を通じ、1964年2月に私はこの「ヒトラー」暗殺を任命された殺し屋2人の片方と会った。

 

・「君たちが悪さをするのは知っている。ヒトラーを見つけたんだ。レヴィンの紳士用品店で働いている。北へ向かい、東側にある町だ。彼を殺してくれたまえ」

 

・ジョンとトムは1000ポンドを受け取るとすぐタクシーに飛び乗り、できる限り急いでできる限りホテルから遠ざかった。「執着したユダヤ人」の気が変わらないうちに。それからトムがターゲットを確かめに行こうと提案し、任務を受けた殺し屋2人はヒトラーとされる人物を見に行った。「彼は確かにヒトラーっぽく見えた。身長から小さな口ひげに至るまで、でも年齢が合わなかった……当時ヒトラーは74歳になっていたはずだが、その男はせいぜい60歳程度だった……だから依頼人のところに戻って仕事は終わったと伝え、残りの2000ポンドをいただいた

 ヒトラー本人もそっくりさんも殺されなかったが、ヒトラー生存説を仕掛け、それがたった3000ポンドだったというのは注目に値する騒動である。

 

・「ヒトラーが死んだという噂が流れたが、誰も本気で信じなかった」。ヒトラーはもう5年生きたし、マルティン・ボルマンはもう14年生き、替え玉が両方の身代わりを務めた。

 ジェームズ・ボンド作戦は成功し、その後半世紀は秘密のままだった。クマのプーさん・テスタメント作戦は60年間秘密にされた。

 

・歴史を笑いものにする老人たち――過激になることもなく、十分な保護を受け、生活といえば友人と釣りを楽しんでいるような古参のフリーメイソンたち――は、スペイン政府がまだ1965年のヒトラーについて何か言っているといって笑う。

 

「我々の土壌はヨーロッパで一番賢い人間たちによって耕されている」そして「我々の土壌はヨーロッパで一番優れた精神によって耕されている」

 

この点からすると、彼らはヒトラーが1965年か1975年に死亡したと信じている。それもまた彼の影武者かもしれず、しかしここにも隠蔽に次ぐ隠蔽があって、本物は1950年2月19日に死亡しているのである。

 

行方不明の指導者たち

ヒトラーがイギリスの工作員だったのはそれほど驚くべきことではない。彼はチャーチルスターリンから完全な支援を受けていたし(2人は彼の殺害計画を妨害した)、それどころか今日の戦争においても同じパターンが何度も繰り返されている。

 ヒトラーを殺そうとした勢力は黒いオーケストラ(シュヴァルツェ・カペレ、ドイツの情報部員等からなる)と赤いオーケストラ(ローテ・カペレ、共産主義者の情報部員等からなる)の2つであった。黒と赤のオーケストラの両方とも、ヒトラー殺害に命も懸ける用意はできていた。だから、チャーチルスターリンの支援を仰ぐ必要があった。しかし、どちらもチャーチルスターリンに妨害されている。

 黒いオーケストラはドイツ国内の反ナチの抵抗運動のみで構成されており、軍の要職にある者たちだったので、ヒトラーに近づくには最高の場所にいた。彼らはチャーチルと常に連絡を取っていたが、チャーチルはこれに応じなかった。

 チャーチルはこの一方で、そこまで威力を持たない赤いオーケストラのほうを重要視し、手助けをすることもあった。赤いオーケストラは共産主義の情報部員たちで、スターリンの代わりにヒトラーを殺したがっていたが、黒いオーケストラほど成果が出せないのが常だった。

 独ソ不可侵条約(1939年8月23日)の一環として、ヒトラースターリンに赤いオーケストラを引き渡すよう求めた。赤いオーケストラのメンバーは全員高度な訓練を積んで意欲に満ちた、ドイツ・フランス・ベルギー・オランダのスパイだった。どちらとも決めあぐねたスターリンは赤いオーケストラに対し、メダルを授与するから鉄道でモスクワに来るようにと要請した。一行がドイツを通過すると、ゲシュタポが駅全体を封鎖して全員を撃ち殺した。ソ連軍が西側で持っていた一番の諜報組織はこうして消滅した。

 

・具合が悪かったり、女と寝たりしていて列車に乗らなかった強硬派のスパイ数名は死を免れたが、きわめて少数だった。その中でも指折りの腕利きだったレオポルド・トレッペルは「スパイがメダルをもらうなんて今まで聞いたことがあるか?」と言って、姿を見せなかった。

 

その後1945年4月まで9カ月間にわたり、事実上の黒いオーケストラとイギリスにつながりのあるドイツ最高司令部の共謀者たちの処刑が続々と行われた。フォン・シュタウフェンベルク伯爵、彼の兄弟も殺されたが、妻と子どもたちは逃げ延びた。彼らは別名で養育され、住所を転々とした。一族の多くも追跡され、殺された。実質的に、知識階級の高位にあったドイツ人全員――知識階級出身者――が殺されたのである。

 この粛清の9カ月間はイギリスの支援なしには起こらなかった。「実際、ナチも連合軍も、戦争がこの段階に及ぶと、それまでより頻繁に見せるようになったあの恐ろしいほど息の合ったプロパガンダで陰謀者たちを糾弾した」

 イギリスはフォン・シュタウフェンベルク伯爵に対して役に立たない爆発物を用意し、ヒトラーには事前に警告を与えて交代要員の影武者を準備させることで、ドイツ貴族階級の軍部への影響や関係に幕を引いた。粛清の9カ月間を生き延びた者はニュルンベルク裁判にかけられ、後に殺された

 

 イギリスにその後唯一残されていたのは、ドイツ人をその9カ月間で殺せるだけ殺し、ドイツにあった基幹施設の名残をとにかく破壊することだった。これもまた立て続けの殺戮だったので、戦争末期の9カ月間に死亡したドイツ人はそれ以外の期間を合わせたより多かった。第2次大戦後のこの9カ月は大規模な人口減少の試みとなった。

 

 ユダヤ人の殺害は連合国軍のドイツ人殺害(1944年7月~1945年5月)に比べると見劣りするが、それはソ連人2600万人の殺害には及ばず、それもまた1918~19年のイギリスのスペイン風邪流行による5000万人の死にはかなわない。

 

戦争は、まるで組織化された伝染性殺人のようだ

ヒトラーは潜伏し、ドイツを守ることは頭になかった。軍事上の決断も兵力に基づくのではなく、そうなってほしいという自分の願望に頼る理不尽な決定を下すようになった。残りの時間は掩蔽壕で過ごし、1944年には黄疸、歯科疾患、心臓発作を患った。同じ月にはきわめて疑わしい2度目の声帯手術を必要とした。1度目は1933年の秋に行われている。

 

デーニッツ大提督は潜水艦隊司令長官を務めていたこともあって、ドイツ軍の南極作戦の秘密を全部知っており、アメリカにとって殺すには惜しい存在だった。彼は1919年初頭からイギリスの工作員でもあった。おかげで1980年までの他の誰よりも長生きした。

 マルティン・ボルマンはイギリスにナチのスイス銀行口座番号を提供し、ニュルンベルク裁判を逃れた。実は裁判に出ていたが、それは整形手術を受けた後、しかも傍聴席で、イギリス特別秘密情報作戦トップであるMと一緒だったMはジェームズ・ボンド作戦ではボルマンを、それに便乗したきわめて困難な任務のクマのプーさん作戦ではヒトラーをベルリンから脱出させた。

 

・1944年7月20日は歴史上重要な日である。イギリスの妨害で失敗したクーデターのため、事実上の黒いオーケストラとその家族が全員殺された。「知識階級出身者」は家族ごと一掃された。ドイツ軍の慣例も消し去られ、全ドイツ部隊の運命も決まった。「かくしてヒトラーはドイツを破壊しただけでなく、古きヨーロッパにも終止符を打った……最終的には、彼はヨーロッパの手助けなしにはヨーロッパを破壊できなかったことは認めなければならない

 

・ドイツ人の殺害が本格的に始まり、戦争の他の時期の6倍の割合に増大した。何のために?そうすればオーストリア生まれのイギリス軍工作員で、ドイツを破滅に追い込んだアドルフ・ヒトラーが無事に脱出し、戦争のプロパガンダが戦後の復興を遂げつつある世界に蔓延して冷戦が始まり、謎の誰かが主戦論者のソーシャル・エンジニアリングと軍事利益の全責任を取るまで隠れていられたからだ。

 

ソ連ヒトラーを探す

・一説では替え玉が地下壕でヒトラーの身代わりで死に、ヒトラーエヴァノルウェーに(ドイツ北部からデンマークを抜けノルウェー)脱出し、そこからUボートの潜水艦U-977でラテンアメリカに逃げたことになっている。

 

エデン・ホテルで働いていたカタリナ・ゴメロによれば、ヒトラーがホテルにやって来たのは1949年だった。「ある日の夜に到着して、(2階建てホテルの)3階に泊まりました。朝食を持っていって戸口に置いて、ノックをしてから戻りました。ドイツ風の食事でチーズ・スフレもあり、彼は残さず食べていました」

 カタリナ・ゴメロによれば、アンデスでのヒトラーは人々が想像していた通りで、口ひげがなく、髪もすっかり薄くなっていたもののはっきり見分けがついたという。彼はかつらをつけていた。滞在した3日間、3階は貸し切りとなったが、その下は何もかも通常通りだった。

 経営者のイーダ・エイクホーンは当時18~19歳だったカタリナにこう言った。「何を見ても、見なかったふりをしなさい」、2週間後、イーダとカタリナは山あいのパンデスアスーカルにある木造の家にドイツの食べ物が入ったピクニック用バスケットを、滞在中だったと思われるヒトラーのために車で届けに行った。ここから彼はラ・リオハに移り、痕跡はそこで消えた。

 

行方不明の指導者たち

・意図的に市民を混乱させ、誤った情報を与え、第2次大戦が組織化された戦争で大規模な人口減少の実践だった、という情報を関連づけさせないようにしたのは西側諸国だ。イギリスは和平交渉を事あるごとに妨害し、アメリカは共謀した自己防衛(真珠湾)で参戦し、イギリスはディエップとDデイでドイツに対する憎しみも発展させた。

 

ディヴィッド・ハワーズとマドック・ロバーツの『アンデスヒトラー』のような疑似ドキュメンタリーもまた、イギリスによる形を変えたプロパガンダ。作り話を利用し、あらゆる点で徹底的に証拠を回避し、重要な名前を聞き取れなくした上、取材した半数は匿名で、追跡可能な情報をすべてぼかした文書を見せている。

 2003年のミステリー・ドキュメンタリーである『アンデスヒトラー』はヒトラーがアルゼンチンにいたことは今ではほとんど信じられていない、という結論を下しているが、夢想家たちはいまだにアンデス山麓の丘陵地帯から南極までヒトラーを追いかけているヒトラーはアルゼンチンも北米にもおらず、ベルリン郊外に埋葬されエルベ川に流されたという証拠を見せることで、ヒトラーの謎を解明したとも結論づけている。だが、この話は影武者のヒトラーの1人には当てはまるものの、追跡調査はされていない。別の行方不明の指導者の顕著な特徴がその中には含まれている――。

 

不可解な出来事の中で、謎に包まれたミステリーである。>

アドルフ・ヒトラーはスペインバルセロナの自然史博物館の向かいにあるシウタデリャ公園とモンセラット修道院に、エヴァ・ブラウンと住んでいたヒトラーはかなりの範囲に及ぶ任務を続けたがっており、その中には南緯69度10分、西経4度15分33秒に位置するドイツ潜水艦秘密基地がある南極も含まれていた。

「ドイツは1920年代からよく南極を訪れていた。ここで彼らは南米の南側にあたるプリンセスアストリッド海岸に面したクィーンモードランドの洞窟へつながる海底の入り口を発見し、自分たちの選んだ場所にあった山に当時のドイツ貴族の名をつけた。例えばミューリッヒ・ホフマン山脈やヴォールタート山脈である。今日でもその名は残っている」

 

・「ドイツは2カ月後、リチャード・E・バードに見せられた情報を元に南極へ向かった。極地での経験を持つアルフレート・リッチャー隊長のもと、1939年1月19日から南極の60万平方キロ(4パーセントにあたる)範囲を15回飛行し、1万1000枚の写真に収めた。彼らは湖と植生の兆候がわずかにみられる氷のない地域も発見した。こうした航空写真により、1931年のノルウェーによる内陸地図は虚偽であることがわかった」

この直後、ナチはプリンセスアストリッド海岸に地下都市の建設を始め、1940年にはナチの建築技師が零下60度でも耐える構造の建物の建築を始めた。戦時中、地下基地は保護し秘密を守ることが必要不可欠で、ドイツは1941年から南極の地下建設活動を維持していた」

「ナチはこの難攻不落な都市をニュー・ベルリン、付近一帯をノイシュヴァーベンラント、ニュー・スウェイビア、あるいは211基地と呼んでいた。原子爆弾にも核の冬にも耐える建築だった。ノイシュヴァーベンラントとは『住民が豚の糞のように鈍く、指示を嫌がる』場所を指す

「ノイシュヴァーベンラントは『住民が知的で革新的な専門技術者で、衝動的に指示を受ける』場所を指す。そしてまた『新ゴキブリランド』、つまり原子爆弾からの生存も可能な場所も指している

「計画が本格的に始まった4年後の1943年、ドイツ海軍のカール・デーニッツ元帥はこう述べている。『ドイツ潜水艦隊は総統のために、地上の楽園、難攻不落の砦を世界のとある場所に構築した』」

1947年に、バード少将率いるアメリカ海軍第68機動部隊はハイジャンプ作戦でドイツの残軍をノイシュヴァーベンラントから押し出そうとしたが、失敗した。ハイジャンプ作戦の地図によると、アメリカ軍はドイツ軍を南極の『未踏の』地域に残したとされる。代わりにアメリカとナチの間で協定が結ばれた。これは通常、両者の間でより多くの富や技術を共有できる場合に起こる」

 

アドルフ・ヒトラーは1950年に胃ガンで死亡した――ナポレオンの時代まで遡り、イギリス情報部の伝統を完全に踏まえた死だ

 神経過敏で空虚な人物、ヒトラーはその空虚さに乗じた他人のため、邪悪にも偉大にもなったのである。

 

スパイマスター「それはいい考えだ」

地球温暖化を止めるために反射性微粒子を噴霧する代わり、1918から19年に5000万人が死亡したスペイン風邪と同じくらい強力に作られた鳥インフルエンザAを広めるために毒が散布されているブッシュ政権は最適な数の人々が「地球を使う」ことについて協議を行っており、彼らの現在の推定は10億人前後である(2005年5月)。これが6人中5人を殺す実験につながった。

アメリカの保健当局者たちは今週、彼らが鳥インフルエンザワクチンの人間への試験を開始すると話した。専門家は鳥インフルが人から人に簡単に移るようになると数千万人以上の人々が死亡すると可能性があると考えている……通常、人はニワトリやアヒルのような鳥から直接ウイルスに感染する。ガチョウや野鳥、猫のような哺乳類もウイルスを媒介する……現在までに、ヒトからヒトへの感染も若干起こっているかもしれない……公衆衛生の専門家たちはウイルスが進化して人間同士が感染しやすい型に変わる可能性を恐れている……もしこうなると、世界規模でのパンデミックへと続くかもしれない……公衆衛生の関連団体はウイルスが効率よく人間同士で広まる力を持つようになって、世界規模のパンデミックを生み出すリスクを懸念している……

 

ほとんどすべての災害は人が作りだしたもので、政府が権力を保持するために危機を計画するのであるブッシュ政権にとっては9.11事件とイラク戦争がそうだった。ブレアにとってはイラク戦争とロンドンの地下鉄爆破事件だった。ヘレン・クラークにとっては鳥インフルエンザでの25万人の死だ。

 北欧系アングロサクソンの植民地化のルールは「尊厳ある人々」の殺害を制限しなければならないことである。これは異性愛の白人とされている。1500年前からの計画は、トゥーレ協会(グリーンランド)からの人々を1500年かけて徐々に南極を広げていき、別の種――改変された人間――と一緒に次の1500年でまた集めるというものだった。

 1945年から人間のこの新たな種――人類1.52――は彼らの「人間」の特徴を持つ種で開発され、それを超越して養成された。彼らは今ではテクノクラートの種族――有能な使用人――で、南極点とノイシュヴァーベンラントの間にある、氷の下からUボートが最初に到達した世界最大の地熱湖に囲まれて地域で育った21世紀の農奴である。

 イスラエルはオーストラリアの住民の反感を静めるという条件でタスマニアを支配した。それと同時に人間を殺す鳥インフルエンザの実験が韓国で成功していたが、伝染性を改善する必要があった。イスラエル政府はそこで西岸からの住民の撤退を強化し(2005年8月)、各家族に80万USドルを与えて借り上げ住宅に移した。彼らは間もなく一斉にタスマニアへ移民し、その後ニュージーランドの人口減少が起こり、住宅価格が極端に下落し、非常に富裕なイスラエル人たちが原住民を悩ませることなく流入できた。同時に南極人(ホモサピエンス1.52)はニュージーランドに溶け込んでいき、外国の偽造紙幣で住宅を購入するが、ニュージーランドの銀行には拒否されない(おそらくユーロ)。彼らの南極からニュージーランドへの移動は混乱の中で気づかずに行われる。こうして人口移動は発生する。

 

下巻解説  内海聡

本書はいわゆる「陰謀論」のカテゴリーに入る本である。

 陰謀論などという陳腐な言葉がまかり通るのも日本くらいのものだろうが、それは日本が世界一洗脳されている奴隷国家であるから仕方ないのかもしれない。

 

・拙著(『99%の人が知らないこの世界の秘密』)の中で私は「陰謀論についてはいろいろ調べたが、多くを信じていない。なぜなら世界は嘘ばかりであり、それは陰謀論についても同じであるからだ」

 そしてなにより、世の中の陰謀論者といわれる人たちにはとても嘘つきが多い、という現実を見てきたからである。

 

・そして陰謀論者は正義の味方であるかのように、事実であるかのように自称するが、どこの誰かもわからないチキンであることが大半である。

 そんな陰謀論者は、2020年を中心とした新型コロナ詐欺問題で、右記のことをものの見事に証明してしまった。特にそれは、Qアノンやホワイトハットなどに代表される、作られた風評に見ることができ、ディープステイトどうたらとしゃべりたがる陰謀論素人に見ることができる。

 確かに新型コロナ問題については、SNSやYou Tubeを中心に参考になることも多いが、いいことを述べているかというとそうでもない。ネットは、流行ネタに飛びついては、陰謀だ、これが対策だ、この情報が正しい、などと言い立てる裏付けもなく取るに足らない情報であふれている。

 

 原因というものは、仮にその背景が新型コロナ詐欺であっても、そう単純に決めつけていいものではないのだ。SARSを始めとしたパンデミックを煽るウイルスも、新型と恐れられたインフルエンザも、流行る流行る詐欺だったが、そこには複数の意図が存在している。その意味でも陰謀論者の短絡ぶりというのは筆舌に尽くしがたい。

 

本書ではヒトラーの時代に、ヒトラースターリンチャーチルも、みな同じ穴の貉でありロスチャイルドの息がかかったスパイに過ぎずと書いているが、この関係性も右翼と左翼の戦いの構図に似ている

 

・自由と平等と博愛を提唱するはずの左翼が、常に嘘をつきさまざまなものを攻撃し続ける真の意味も、また誰も指摘しない。自由と平等と博愛は「彼ら」が市民を悪魔崇拝に導くための甘い罠である。

 現在の日本はこれらの見せかけの争いによって分断統治されている。中国の教科書にはここ数年中に日本は分断統治され、西日本は中国の領土となり、東日本は自治区(日本人の国ということだろうが実質はアメリカの奴隷州)になると書いてある。

 

・たぶん陰謀論者は自称天才なので、フリーメイソンが悪い、イルミナティが悪い、ロックフェラーが悪い、ロスチャイルドが悪いで終わりであり、人口削減だ~~と騒いで終わりである。人口削減説もまた、悪魔崇拝陰謀論者が陥る初歩的罠でしかない。世界の人口は現実として増え続けている。

 

・え?じゃあ、なぜ本書の解説を引き受けたかって?それはこの絶望という予言をはっきりさせておきたくて、引き受けたということだろう(笑)。

 

 

 

『新しい宇宙時代の幕開け』②

地球はすでに友好的宇宙人が居住する惑星だった!

ジョン・B・リース  ヒカルランド   2012/12/28

シャンバラ・惑星連邦・地球内部の知られざる新事実

 

  

 

プラトー氏は地球にワン・ワールド・ガバメントの創設を求めていた

プラトー氏の政治的・宗教的・哲学的考えに対していくつかの単刀直入な質問と回答が続いた。

 

・まず、ルーズベルト大統領にとって受け入れられなかったのは、私が意のままに物質化できたこと、この太陽系内の他惑星では概して人々は地下で暮らしていること、そして金星は地上と地下の双方に住民がいる例外的な惑星であるという事実でした。地球の問題に集中した議論に続いて、宇宙の他の惑星は地球の発展を原始的な社会から何世紀にも及んで監視してきたことがあなた方の大統領に教えられました。しかし、核戦争の可能性によって、外部の監視によって、外部の監視は地球の惑星間連邦加盟に対する直接の懸念に変わりました。しかし、私が言及した惑星間連邦に地球が仲間入りすることになれば、最終的に一人の選ばれし長の下で全世界の政府がすべて参加することを私たちは強く望んでいるとルーズベルト大統領に警告しました。

 

ルーズベルト大統領にプラトー氏が伝えた「ワン・ワールド」の要諦>

プラトー氏にワン・ワールド・ガバメントに関して質問する前、筆者らはホワイトハウスの記録を調査して、第2次世界大戦の新たな集合国家体の指導者になろうとしたルーズベルト大統領の夢に関してさまざまな資料があるのを確認した。

 

・彼が紙に写した他の走り書きは、単に「世界のための彼らの計画」と呼ばれた。自身のことを宇宙の使者と呼んだ男が語ったことは、ルーズベルト大統領が思い出した会話(メモ)と同じ文脈で、ここに再現する。そのメモはこのように始まった。「すべての異なる地球の政治、文化、宗教は『ワン・ワールド』になる」

「人々が剣を鋤に打ち直す時」というテニスンの詩のように、すべての軍はまとめて消され、兵士らは解放され、装甲(甲冑)は解体して溶かされた。

 国家的な紛争の場合には小さな国際警察隊が司法機関としてふるまい、紛争加担者が懲罰行為を取った際には、直接警備行動が取られる。

 軍用金は、教育や公共事業(そのいくつかは明示されていた)、医学研究などに転換されよう。新たな作業計画や発明(彼は原子力の平和利用について話した)によって失業問題はなくなるだろう。大学への入学ではメリットだけが得られるだろう。大学外の優秀な学生は、試験によって特別な技能が十分に発揮されるような地域へと向けられるだろう。

 プラトー氏の計画は社会の全側面に触れていた。学校を改革し、刑務所を廃止して、青少年犯罪はなくなるように教育される。人の性質がなおも犯罪に傾くことを想定して、特別な学校が提案され、そこで、犯罪者に見られる「社会的異常」は最長でも6カ月以内で矯正されるだろう。指導で道を示せる刑事事件の場合には、犯罪者は矯正病院(更生施設)へ送られ、社会復帰の前にそこで異常な傾向が根絶される。矯正できない者は当局によって孤立した地域へと送られ、彼らは社会と離れて普通の生活を送る。

 ルーズベルトの回想の要約は、宇宙人が伝えた地球のためのユートピアの核であった。提案された教育と警察力の利用を示唆した。

 

・大統領を訪問した1943年のあの夜、プラトー氏はおよそ1時間45分滞在していた。その短い時間内で、彼は未知の時空の次元から姿を現し、人間、そして指導者として、地球人フランクリン・デラノ・ルーズベルトの内なる衝動と性格に対して深い理解を見せた。訪問者はルーズベルトの精神奥部の源泉を調べたが、それはルーズベルト本人でも決して推し量ることのできないものと思われた。

 

プラトー氏は、この10年間、現在の国連――そこから将来の世界指導者(ワールド・リーダー)が現れる――は人類の利益のためにも、平和の手段としても機能していないことを認めている。金星人は、その理由を理解していた。それは多くの代表国家によるアメリカ国内での邪な不正にあった。彼らは概して世界の利益のためではなく、自分たちの権力の拡大と妨害を考慮して投票する。政治的提携に基づいた現在の国連は、相互信頼を基盤とするのではなく、代表国の間では信用に足らない媒介組織となっているのだ。

 

<世界各国に金星人や他星の調査官がいる/すべての情報はプラトー氏に集ってくる!>

・金星人は地球のどの政府ともあからさまに連絡を取っていない。だが、プラトー氏は、統合された世界秩序に向けて地球がどれだけ前進しているのか、金星の国王、議会、そして太陽系連邦の最高皇帝に伝える使命を持って、金星から地球に送られた最初の代表者であると自身のことを見なしている。彼の本部への報告と地球での出来事に対する警戒は、均衡を保つ世界の国々が核の危機にあるため非常に重要である。

 

・大使は、多様な人種が自由に集まって構成されたアメリカが、この惑星を全体的に見て永続的な平和と繁栄に導くには最有望であるがために、これまで本部としてアメリカを選んできたという。だが、プラトー氏の変わらぬ不安は、(1)地球が主にロシアの妨害によって四海同胞に遅れをとること(2)さまざまな国家を本当の武装状態に保つことで武器メーカーが国際的な結束を妨げていることである。

 プラトー氏によると、地球規模の軍備競争は、どこの国家にも忠実でない国際的な勢力によって工作されたものだという。このような隠された権力構造がロシアとアメリカを含めたすべての政府と軍隊に影響を与えている。

 

プラトー氏は、すべての人々による世界的な国民投票が認められれば、戦争や戦争のためのすべての器械や武器はすぐさま不法になると信じている。金星での最後の戦争は3000年前に起こったと彼は言明した。この戦争の前、金星は高度に文明を発展させていたが、惑星の偉大さは何千年も後退した。その戦争が勃発する前、太陽系連邦は16カ国のいくつかの間では国際的な恨みが暴力へと噴出していた。不必要な核の衝突が勃発した。破壊は途方もなく大きかった。主要都市は瓦礫と化し、無数の人々が死んだ。

 しかし、先見の明のある人々が事前に地下深くの洞窟やトンネル、ピラミッドの中に作った、学問、化学式、工業デザインの広大な図書館を守った。生存者が停戦中に集まった際、まず最初になされたのは、戦争の永久放棄だった。新たな土地での新しい都市は、これまで敵対してきた加盟16カ国ではなく、一つの国家の首都となった。過去の灰の中から蘇った不死鳥のように、金星は再生した。今日、地球の国家は、まさに金星が惑星規模で自滅戦争を行った直前の状態にあるとプラトー氏は言った。金星の歴史家は「人類が平和の教訓を理解していながら、自己崇拝的な地球国家が平和的な共存を実践しようとしないのは皮肉なことだ」と言って締めくくった。