日本は津波による大きな被害をうけるだろう UFOアガルタのシャンバラ 

コンタクティやチャネラーの情報を集めています。森羅万象も!

サナート・クマラはあなたがたの地球と太陽系と銀河系の守護者です。彼がはじめて地球に直接ふれたのは、現在では日本と呼ばれている場所でした。今からおよそ1千万年ほど前のことです。(2)

 

<第三の眼運動の推進者>

・人間にもうひとつの眼があって、それがふたつの眼では見えなかったものを見る機能をもっていたらな、と考えるのは、ぼくだけではないはずだ。むかしイギリスに、「おれは生前ダライ・ラマであって、雪男とも会話したことがある超能力者だ」っていうふれこみでセンセーションを起こしたロブサング・ランパなる男がいた。そいつは1956年に「第三の眼」っていう本をだして有名になったのだけれど、あとでランパというのはシリル・ホスキンという立派なイギリス人で、チベットなど行ったこともない男だったことがスッパぬかれた。そとのき、かれは弁明として、「1949年に、おれは銃弾を頭に受け、そのショックで前世を思いだしたのだ」としゃべった。その後かれは12冊の本をだし、長衣と線香と呪文のはいったLPをセットした「瞑想キット」を発表したりした。この人物も、そういう意味では<第三の眼>の発見者だろうけれど、あまりにもインチキくさいこと、その方法が昔からある新興宗教のそれとたいしてちがわないことで、ぼくはあまり興味を感じていない。

 

 <日本人が地球の覇者になるなんて考えてもみなかった>

<日本最大の奇書『竹内文書』>

・おそろしいことだと思う。この日本に、ひょっとしたら世界のラスト・ヒーローになりかねないような仕事に没頭している日本人が少数ちゃんと存在しているのだ。それがどうも、昔から考古学と平田篤胤あたりを通じて興味を抱いてきた神道に関係していて、しかもその先で自民党みたいな政党だとか右翼だとか、要するに天皇制をめぐるいくつかの団体につながったりしていて—―。

 

・ここに1冊の古文書がある。この本、もち主だった竹内宿禰の子孫が本の内容を公開したことで不敬罪に問われたとき、水戸裁判所に没収され、戦災で焼失してしまったから、写本しか現存しない。漢字渡来以前の日本文字「神代文字」でつづられていて、なかにはナント3百億年にもわたる日本民族の歴史がえんえんと書きつらねてある。その本の名は、『竹内文書』といって、日本三大奇書のひとつに数えあげられる奇本中の奇本なのだ。つまり、日本のネクロミコン。

 

中央アジアの奥地で誕生した日本民族が、いまから約2億年にフキアエズ朝という国家をおこし、以後大陸をさすらい、島国日本へ渡って大和朝廷をつくりあげるまでの歴史を書いたこの本、おどろいたことに当時日本が世界文化の華だったと記してある。当時日本は人智のメッカとしてあがめられ、キリスト、モーゼ、孔子、シャカといった古代のスーパーマンたちが霊能修業のために、ぜんぶ渡来しているというのだ!しかも日本の天皇は「天の浮き船」というUFOまがいの飛行艇に乘りこみ、世界各地を旅していたとも書いてある。その証拠に『竹内文書』には当時としてはまったく驚異的な世界地図さえ載っている。

 

・ところで、世紀の奇書『竹内文書』がひろく世間に発表されたのは、明治30年代にまでさかのぼる。発見者竹内巨麿氏は日本の古代史に登場する武人竹内宿禰の子孫であり、茨城県北茨木郡天津山に法泉寺という寺を建てて、世界一国家日本の復活をめざす新興宗教『天津教』を建てた人だが、この竹内氏が、同家に先祖代々つたわる古文書を出版したところから、奇書の歴史は始まる。

 

・たとえばキリストは、弟イスキリが身代わりになってゴルゴタの丘で処刑されたあと、シベリアまわりで4年間かけて日本に渡来し、十来太郎大天空と改名してミユ子という日本女性をめとり、3人の女の子にめぐまれて118歳で死んだし、モーゼのほうも能登宝達山神道を勉強し、その土地で死んでいる。キリストも孔子マホメットも、世界じゅうの偉人が20歳から30歳にかけて動向のしれない空白期間をもっているのは、ぜんぶ日本へ来て修業していたせいなのだ。

 

<日本にあるキリストの墓>                                                                                                                                                                                                                                                                    

国鉄八戸駅から車で2時間近く行った山あいに、キリストの墓のある村として有名な戸来村(正式には青森県三戸郡新郷)がある。戸来とはヘブライ、つまりユダヤを意味するものだけれど、もともと東北地方にはユダヤと因縁のふかい地名がたくさんあり、十来とか十和田湖とか、「十」のつく地名は、英語のジュー(Jew)つまりユダヤ人と繋がりがある。

 

・もつとも東北に古代文化の一大中心地があって、そこに当時の偉人がすべて渡来していたことを裏づける資料は、なにも、『竹内文書』や戸来村だけに限らない。現在ぼくたちがなんの気なしにつかっている言葉や、一見すると意味のなさそうな民謡の噺詞に、古代文明の名残りがちゃんと隠されている。アメリカの神学者だった故川守田英二博士は、いまではすっかり意味を失っている日本語が、じつはユダヤ語だったことを立証していることを知ったとき、ぼくもちょっとした衝撃を感じた。なにしろ川守田先生はつぎのような例をつぎからつぎにだしてくるのだから――

 

ナンジャラホイ――天子をばエホバまもりたまう。

コラ、コラ――踊れ、踊れ。

サッサア――よろこべ、歌え。

ハリャリャ――ハレルヤ(エホバを称えよ)

ヨイヨイサ――エホバの栄光は主権者の栄光なり。

ドッコイショ――打ちくだけ、生き残れ。

エンヤラサー ――われエホバを崇める。

シャン、シャン—―安全だ、安全だ。

ホッチョイセー ―—敵を引っぱりだせ!

 

神道と聖書>

・それならば、当時の日本をそれだけ魅力的にした文化とは何か?ここで日本古来の宗教システムであるところの「古神道」が、俄然クローズアップされてくる。『竹内文書』やそれいがいの古文書が暗にほのめかしているのは、日本民族と日本の神霊文化とはムー大陸から直接伝来した「洪水前期」に人類の姿だったという仮説だが、これが問題。なぜならば、日本の神道に伝わる「神話」とユダヤの『聖書』とは、それぞれ裏と表の関係に立っているだけで内容的にまったく同じだからだ。その理由は両書ともムー大陸の最も神聖な経典『聖なる霊感の書』を翻訳したものだかららしい。

 

・そういえば、ユダヤ教神道も、お参りのときかしわ手を打ったり、塩をまいたり神輿をかついだり、さらには聖堂の前に犬の石像を置いたりする習慣があり、礼拝の前に水で手を浄めるところまでよく似ている。かんたんにいえば、日本とユダヤは同一宗教、したがって日本の神道は世界最高の宗教という論理が成り立ってくる。皇室の菊の紋章は、その昔ダビデ王の宮殿にも輝いていたそうだ。

 

・それよりももっと学術色をだした団体に「神理研究会」というのがあって、ここから毎月『さすら』という機関誌がでている。ここは日本古来の文字を研究し、『竹内文書』の解読や神道の秘伝を公表していて、話に聞くと自民党議員会館のなかに連絡所があったりする相当本格的な団体らしい。怖いから直接コンタクトはしていないが、メンバーには大陸書房刊『古事記以前の書』をだした吾郷清彦氏をはじめ、国学神道キリスト教や空飛ぶ円盤の関係者たちが名前を連ねている。機関誌の『さすら』は神田の宗教専門古書店に行けば手にはいる。

 それにしても『さすら』という名前は、外国版『竹内文書』って感じの『ネクロミコン』にでてくる宇宙最初の生命体ウボ=サスラとピッタリ同じで気味がわるい。この機関誌の中には、『竹内文書』のなかの「秦の始皇帝が39歳で日本に上陸した」っていう記事に関する説明が載っていておもしろい。もっとすごいのは、大陸時代からの日本の神の系譜を順序だてて、それぞれの神にどんな子孫が対応するかをまとめた図表。どういうわけか吉永小百合までが神孫の系図にちゃんと登場していた。

 

<超常現象にみる人間の可能性 コリン・ウィルソン vs. 荒俣宏

・(荒俣)わたしは、コリン・ウィルソン現象とでも呼ぶべき熱い時代に、ウィルソンさんの仕事をひとつの目標にしながら、日本で文筆を弄してきた者です。ですから、ウィルソンさんの本はずいぶん昔から読んでおりまして、まず日本でも大評判になった『アウトサイダー』から読み、あなたのいくつかの小説も翻訳しました。

 

・(ウィルソン)わたしが『オカルト』を書くきっかけになったのは、1968年にアメリカの出版社から依頼がありまして、わたしは同意したんです。当時の私の立場はそうした問題についてはとても懐疑的なものでした。ところが、この著作を始めると同時に、いろいろなおもしろい霊の体験に突き当たるようになったんです。

 

・しかし、死後の世界について、いろいろ学ぶにつれて、霊の存在を確信するに至りました。十分な証拠があるからなんです。わたし自身は、自分が死んだあとに霊として残るかどうかなんて、あまり興味がありませんが、その存在は確信しています。

 

・(荒俣)というのは、コリン・ウィルソンさんは、ご存知かどうか、実際に体験なさるとおもしろいと思うんですが、たとえば朝鮮半島や日本の沖縄まだ巫女さんがいるんですね。東アジアのこうした巫女たちは、われわれがごく一般的にいうところの神とコンタクトができる、あるいは神とコミュニケーションができるパワーをもっているといわれています。

 

・(ウィルソン)コーンウォールに引っ越す直接のきっかけは、じつは妻の両親なんですよ。あるとき、わたしたちが住んでいたロンドンのアパートに妻の両親を夕食に招待したんです。そのときわたしと妻はまだ結婚していなかったんですが、両親はわたしがホモで6人の愛人がいるなんていったんですよ(笑)。そうしたら、夕食に招いたお客のひとりが近くの電話まで走って、ありとあらゆる新聞社に電話をかけまくったんですよ。わたしたちは警察に連絡して、なんとか両親を無事逃げさせることができたんですが、かれらが帰った途端、新聞社が押しかけ始めました。6社くらいと話をした後、これはもう、ここを逃げださなければならないと思ったんです。まず、デボン州へ行ったんですが、新聞記者がそこまで追いかけてきたので、アイルランドまで逃げたんです。結局、そこにもたくさんの記者が追いかけてきましたけれど。最後には、この騒動の顛末が載った『タイム』がでたので、イギリスのどの新聞にもわたしたちの写真がでることになってしまったんです。わたしがロンドンへ戻って、出版社を訪ねると、「お願いだから、ロンドンを離れてください。それでなければつぎの本を書けなくなりますよ」といわれ、その事件以来、わたしたちはコーンウォールに住んでいるんです。もう35年近くになりますね。

  

 

 

『失われた空飛ぶ円盤「ナチスUFO」の謎』

飛鳥昭雄・三神たける 学研   2012/1

レンデルシャムのUFO着陸事件の真相と「アダムスキー型円盤」の正体に迫る!!

 

 

 

 <レンデルシャムの森>

・いわば事件の裏づけともいえる証人が見つかったことで、彼女たちの確信は深まった。1980年12月26/27日の深夜早朝、レンデルシャムの森にUFOが着陸し、それをアメリカ兵が目撃したに違いない、と。

 

 <異星人との会見>

・問題はUFOの底部に描かれた丸い窓である。スケッチでは、そこから地上に筒状の光線が伸びている。ロバーツによれば、丸い窓はUFOの出入り口で、ここから伸びた光線の中をヒューマノイドが降りてきたというのだ!!

 人間形をしたヒューマノイドについて、ロバーツは、はっきりと「ET」と述べている。ETとは、いうまでもなく異星人のことである。身長は3フィートぐらいで、だいたい1メートル弱、洋ナシを逆さまにしたような頭に毛髪らしきものはなく、目が大きいほか、鼻や口は目立たなかったというから、いわゆる「グレイ」と呼ばれる異星人と考えて間違いない。

 

 <ウールビット事件と緑の子供>

・UFO事件が起こったレンデルシャムの森の近くで、中世に不思議な事件が起こっている。ある日、洞窟の中から全身の肌が緑色をした子供がふたり、突然、現れたのである。彼らは、いったい何者なのか。レンデルシャム事件の異星人を考えるうえで、実は、重要な手掛かりにもなるので紹介したい。

 

 ・時は12世紀、レンデルシャムの北西、サフォーク州にウールビットという村があった。今でこそ大きな市街だが、当時は、まだ人口の少ない寒村で、広大な自然が残っていた。その一角に大きな洞窟があった。あるとき、そこから見知らぬ男女、ふたりの子供が姿を現した。

 彼らと出会った村人は、まさにあぅけにとられた。当時としては非常に珍しい服装をしていたのだ。銀色の繊維で編んだような布衣は、それまでに聞こえたいかなる国の服飾とも異なり、人々を驚かせた。服だけではない。皮膚の色も異なっていた。なんと緑色をしていたのである。緑色の顔料を使ったかのように、体の色が鮮やかなグリーンをしていたのだ。

 緑の子供たちは、まったく言葉が通じなかった。まだ現代でいう英語も、言語として確立していなかった時代で、村のだれひとり、彼らの言葉を理解することができなかったという。

 

 ・だが、男のほうの衰弱が激しく、キリスト教に入信させるために洗礼を施した後、息を引き取った。幸い、女の子は生きつづけ、やがて言葉を理解するようになった。彼女が後に語ったところによると、自分たちはセントマーチンズランドという国からやってきた。そこは太陽がない地下世界で、あたかも空が夕焼けのように光っていた。故郷では親兄弟を含めて、みな肌が緑色だった。あるとき、父親に連れられて外出した際、嵐に遭遇。大きな轟音が響いたと思ったら、あたりが真っ黒となり、気がつくと洞窟の中に兄弟ふたりだけがいたというのだという。

 アグネスと名づけられた緑の女の子は、成長するにしたがって、徐々に皮膚の色が薄くなり、成人するところには普通の人間とまったく同じ皮膚の色となった。彼女はリチャードデカルン家の使用人として雇われた後、ふつうの結婚をして、夫より長生きしたと伝えられている。

 

 ・興味深いことに、同様の話はスぺインにもある。こちらは時代が下って、1887年、やはり、あるとき洞窟から男女、ふたりの兄弟の子供が現れたが、いずれも不思議な服装をしており、皮膚が緑色をしていた。男の子のほうは食べ物を拒否しつづけ、やがて衰弱死したものの、女の子は、その後も生きつづけたという。

 話の内容は、ほとんど同じである。状況から考えて、都市伝説のようにイギリスからスぺインに緑の子どもの話が伝わった可能性が高い。地元の人が信じやすいように、スぺインの話として広められたと考えられる。

 

 ・ただひとつ、スぺインの事件で興味深いのは、緑の子供たちの容貌だ。彼らはスぺイン人とはまったく違う顔をしており、アーモンド形をした目をもち、アジア系の人種を思わせたというのだ。アーモンドアイのアジア系の風貌をした子供。それは、どこかリトルグリーンマンとして知られる謎の生物、もしくは異星人を彷彿とさせる。

 

 <妖怪UMAとしての河童>

・有名どころでは、1984年8月に対馬で起こった河童遭遇事件では、残された足跡をめぐって警察が調べるという事態にまで発展した。正式に捕獲はされていないものの、どうやら未知なる生物としての河童、もっと正確にいうならば、昔の人が河童と呼んだ謎の生物が存在する可能性が非常に高い。実際、筆者の手元には、和歌山で撮影されたという生きた河童の写真もある。

 

 ・河童という生物が存在する証拠のひとつとして、その呼称の豊富さがある。ガッパ、ガラッパ、スイコ、ヒョウスンボ、メドチ、エンコウなど、河童の別名は非常に多く、沖縄のケンムン、キジンムナーや北海道のコロポックルなども、小人のような姿をした未確認動物UMAとしての河童がモデルであると考えてもいい。

 

 ・当然ながら、その意味ではUMA河童の生息は日本列島だけに限られるものではない。お隣の中国にも、水虎や河伯など、河童と同類と思われる水辺の妖怪がいる。石田英一郎が著した『河童駒引考』によると、河童的妖怪は全世界に存在するという。イギリスのリトルグリーンマンやノッカーも、その意味で河童の類いだといっていいだろう。

 なかでも、アメリカの河童はリアルだ。近年の目撃事件に限っていえば、ドーバーデーモンやカエル男、トカゲ男など、実に多種多様な河童型のUMAが報告されている。

 

 <地球内天体アルザル>

・バード少将自身は、直接、公表はしなかったが、実は、北極圏で異世界に迷い込んだとき、巨大な葉巻型UFOに遭遇しているのだ。『M-ファイル』には、少将の言葉として、飛行物体はニューヨークのエンパイヤーステートビルよりも大きく、崇高な魂に触れたような体験であったと記されている。UFOは外宇宙ではなく、北極圏に入口がある異世界から飛来する。

 

・では、本当に地球は空洞なのかといえば、そうではない。バード少将は異世界侵入前後、暗闇に浮かぶピンク色をした天体を目にし、写真撮影している。つまり、だ。地球は空洞ではないが、その中心に異世界が広がり、地球よりもひと回り小さな天体が浮かんでいるのだ。

 そう、亜空間である。地球内部には亜空間が存在するのである。地球には地磁気がある。

 

 ・リコネクションによって解放された莫大な量のエネルギーはプラズマを恒常的に生みだし、亜空間を形成しているのだ。

 しかも、驚くことに、そこには未知なる天体が存在した。アメリカ軍が地球内天体に与えたコードネームは「アルザル」!!

 失われたイスラエル10支族が今も住むという楽園アルザルとは、なんと地球内天体のことだったのである。預言者に導かれて北極圏に至った失われたイスラエル10支族は、何らかの理由でプラズマに包まれ、そのままプラズマ・トンネルを通って、地球内アルザルへと侵入してしまったのだ。

 亜空間に浮かぶ天体アルザルの地上は、地球の表面のように明るいが、上空に太陽が輝いているわけではない。あくまでも、アルザルの上層大気がオーロラのように輝いているのだ。

 

 <ウールビット事件の緑の子供と五色人>

・12世紀、イギリスのウールビットに現れた緑の子供たちはいう。自分たちの故郷はセントマーチンズランドという太陽のない世界だった、と。国名は別にして、太陽がなく、いつも夕方のような世界とは、まさに地球内天体アルザルの地上世界、そのものである。

 しかも、スぺインに伝わったと思われる同系の話では、彼らの容貌はアジア系、すなわちモンゴロイドだったという。

 

・これは失われたイスラエル10支族の特徴と同じだ。ユダヤ人、すなわちイスラエル人は白人だという先入観があるかもしれないが、民族的に彼らはコーカソイドでもなければ、アーリア系でもない。長い間に白人と混血したせいもあるが、730年にカスピ海沿岸にあったハザール汗国という白人国家の民がユダヤ教に改宗し、その末裔がヨーロッパに広がったことが原因で、本来のユダヤ人、イスラエル人はアラブ人たちと同じセム系の民族、アジア系という意味で、モンゴロイドと同族なのだ。

 

・事実、北に向かった失われたイスラエル10支族のうち、東へ向かった別動隊は騎馬民族となって、4世紀に朝鮮半島を経て、日本列島へと侵入し、大和朝廷を開いた。日本の古代天皇は失われたイスラエル10支族のうち、ガド族であることがわかっている。つまり、日本人とエイリアンは民族的に兄弟なのである。ロズウェル事件の墜落UFOの中にいたエイリアンの死体を見たとき、アメリカ兵が日本人を連想したのも無理はない。

 

 ・では、ウールビットの緑の子供たちも、失われたイスラエル10支族なのか、その答えはノーである。彼らはアルザル人ではあるが、失われたイスラエル10支族ではない。混血している可能性は否定できないが、失われたイスラエル10支族よりも古くからアルザルに住んでいた人々である。アルザルの先住民とでもいえばいいのだろうか。

 

 ・緑人ともいうべきアルザル人の素性を知る手掛かりが、実は日本にある。古史古伝のひとつ『竹内文書』である。一般にアカデミズムからは偽書の烙印を押されている古文書だが、これには原本が存在する。竹内巨麿が筆写した『竹内文書』には、現代の地名や現代の文章が多数出てくるが、原本には、これがない。

竹内文書』の正体については、いずれ機会を改めて論じたいと思うが、古史古伝を意図的に仕込み、世に出した勢力がいるとだけ、ここではいっておこう。古史古伝には、ある隠された目的があるのだ。

 

 ・さて、その『竹内文書』には、『聖書』でいうノアの大洪水に相当する天変地異のことが記されている。それ以前「造化気萬男身光天津日嗣天皇(つくりのしきよろづおみひかりのあまつひつぎのすみらみこと)」の即位から6億8660万8621歳のときに、天皇の弟妹たちが「五色人」を生んだという。五色人と、黄人、青人、赤人、黒人、白人のことで、彼らは全世界に広がり、今日でいう五色の吹流しのもとになったという。

 

 ・ここで注目は「青人」である。青といっても、ブルーではない。葉の色を青々と表現するように、これはグリーンのこと、つまり緑人の意味なのだ。ノアの大洪水以前、地球上には緑人がいた。大洪水後は姿を消したが、なんと彼らの一部は地球内部、アルザルにいた。きっと五色人、すべているのだろう。五色人が、いつどうしてアルザルへ入ったのかは、今のところわからないが、ウールビットに現れた緑の子供たちは、アルザルの先住民である青人=緑人だったに違いない。

 

 

 

 『世界霊界伝承事典』

ピーター・ヘイニング  柏書房  1995/11

  

 

 

<黄色い人>

・根強く残る言いつたえによれば、フランス国民の運命は、通称「黄色い人」という幽霊の出現となぜだか関係している。顔は黄色で喉のまわりに赤印のあるこの妖怪は、1870年にはじめて目撃されたとの由。これは、いざ普仏戦争(1870~71)が勃発しようという時期だった。エリオット・オードネルは、『諸族の幽霊と幽霊現象』(1933)でこの幽霊について書いている。同書にはこうある。

 

 ・「戦争を生きのび、いわゆる<黄色い人>を見た記憶のある人の意見では、それはなぜかフランスの命運に関係していて、その出現によってフランスがもうすぐ戦いに参じることが告知されたという。<黄色い人>は、政治家のガンベッタ(1838~82)が死ぬ前にもふたたび下院で何人かに目撃されたし、カルノ大統領(1837~94)の暗殺前夜にも同じ場所で一群の人びとが見た。1910年にも、同じ建物でまたもやだ。最後に現れたのは(第1次)大戦の始まる数日前だったという噂もある」。

 

 <帰還霊>

・たんに幽霊の異名とされることも多い単語。だが本来的に言うと、長らく姿を消したのちに黄泉の国から戻ってきた存在をこう称したのであって、たとえば吸血鬼がこれにあたると思われていた。吸血鬼は一時死んだように見えても、やがて蘇る力を持っているからだ。それどころか、帰還霊は伝統的な幽霊とはじつはそうとう異なる。というのも、これは何十年、はては何百年も待ちに待った末に、はじめて世に再登場した霊と言うべきだからだ。

 

 <キキーモラ>

・古代スラヴ人が、あるいくつかの一族になつくと言われた幽霊につけた名前。丁重にもてなせば、家族を災いから守るばかりか、たまに屋敷の整頓や掃除をして、家事を手伝ってくれるときまであった!

 

 <「時に霊ありて我面の前を過ければ我は身の毛よだちたり」(「ヨブ記」)>

・最近英国で行われた調査によると、回答者の44パーセントが幽霊の存在を信じており、うち7人にひとりが、その姿を見たり、音を聞いたり、取り憑かれたりした経験があると主張したとか。またこの世論調査から、英国民の半分以上がある種の心霊現象を信じている点も明るみに出た。

 

 アメリカでも似たような大規模な調査が行われ、それにより、海の向こうでの幽霊信仰は一段と強いことが判明した。なんと成人人口の57パーセント以上もが、幽霊を信じていたのだ。

 

 ・筆者の知るかぎり、ほかの物書きはだれひとり、世界各地に見いだされる、さまざまなタイプの幽霊を定義づけようとしたり、史上名高い怪異現象を列挙したり、この問題にかかわった泰斗や著名人を詳述してはこなかった。とにもかくにも、一巻本では!

 

 <ウェストポイントの幽霊>

ニューヨーク州ウェストポイントにある名高い米軍陸軍士官学校には、150年ほど前に死んだ兵士の幽霊が、アンドルー・ジャクソン将軍(1767~1845)の時代の軍服に身を固めて出没する。これまで何人もの生徒が、シャコー(軍帽の一種)とマスケット銃を完備した、この印象的な妖怪を見たと報告している。

 

 <レヴィ、エリファス>

・通称「最後のマギ」。傑出した19世紀フランスのオカルティスト。幽霊を意のままに呼び出す力をはじめ、超能力がかなりあったとされる。

 ・またレヴィは、イギリスの作家エドワード・ブルワー・リットンと親しく、リットンの傑作短編小説『憑きものと憑かれるもの』(1859)に魔術師として登場している。

 

 <ワシントン、ジョージ(1732~99)>

アメリカ合衆国初代大統領。1777年の凍てつく冬にペンシルヴァニア州のフォージ渓谷で部下と野営中、霊怪を見たと言われる。その幽霊は美女の姿で宿営中のワシントンの前に現われ、妙なる声でこう言った。「共和制の申し子よ、見て学べ!」ついで幽霊は、ワシントンが影響力を行使してアメリカに平和を回復させ、万人が平等に生活させてもらえるようにならなければ、アメリカがどうなってしまうのか、幻視で体験させた。ただ、この話の真偽は十分確証されてはいない。というのも、それが公表されたときには、すでにワシントンの死後60ほどたっていたからだ。

 

 <ロンドン塔>

・「世界一の幽霊出没地」と呼ばれる場所。だが塔が建てられてから9百年、その間にここで処刑されたり死んだりした人間の数を考えれば、驚くにはあたるまい!なかでも一番よく知られているのが、ヘンリー8世の妻のひとり、アン・ブリンの幽霊。タワー・グリーン(芝生の広場)で斬首された彼女は、今も頭部を小わきに抱えて塔の界隈を歩きまわる。また「血塔」にも、そこで処刑された人びとの妖怪がいくつか出没するというし、宝物館にも、異様な青白い怪人がいたことが一再ならず報じられている。

 

ホワイトハウスの幽霊>

アメリカで一番有名な建物であるワシントンのホワイトハウスで幽霊を見かけたという話はいくつもある。が、この大統領官邸にいる確率がもっとも高いのは、当の大統領を務めたエイブラハム・リンカーンの妖怪だ。住人も客もリンカーンを見たと言っているばかりか、第26代大統領セオドア・ルーズヴェルト(1858~1919)も目撃者のひとりになっているほどなのだ。

 

 ・どうも1865年にリンカーンが暗殺されてからというもの、いずれの政権下でもだれかが必ず彼の幽霊を目にしているらしい。

 

 ・しかしリンカーンの幽霊がホワイトハウスに出没したところで、驚くこともないかもしれない。彼が超能力者だったのは周知の事実だし、超自然にたいする関心が昂じたあげくに、1863年4月には「深紅の間」で交霊会を開く許可を出したほどなのだから。そのさいは、約30分ほどさまざまな現象が見られ、ラップ音が聞こえたり、テーブルが動きまわったりしたらしい。かくて死の当日まで、この大統領は霊界と交信できることを固く信じていた――そして心霊研究家によれば、死後は生前の住まいにふたたび現れることで、それを絶えず証明しているのだという。

  

 

 

『赤の書』

C・Gユング    創元社   2014/8/21

  

 

 

<赤い男>

・私は自分がある城の一番高い塔の上に立っているのに気づく。それは空気からわかる――私は時間的にはるか昔に戻っている。畑と森とが交互に現れる寂しげな起伏のある土地へと、遠くに私の視線は漂う。私は緑の服を着ている。私の肩には角笛がぶら下がっている。私は塔の見張り番である。私は遠くを見やる。彼方に赤い点が見え、この赤い点は曲がりくねった道を近づいてきて、ときどき森に消えては、また表れてくる。それは赤いマントを着た騎手、赤い騎手である。彼は私の城にやって来る。彼は門を馬で通り抜けている。階段で足音が聞こえ、段がぎしぎしと音をたて、コツコツとノックの音がする。奇妙な不安が沸き起こってくる。すると赤い男が立っていて、背の高い姿全体が赤色に包まれていて、髪の毛さえ赤い。やっぱりこれは悪魔だと考える。(これは、このファンタジーの最初の場面のユングを描いたものである。)

 

 ・赤い男 「私が誰だと?あなたは私が悪魔だと考えている。予断はよしてください。私が誰だかわからなくても、私と話をすることができるだろう。すぐに悪魔のことを考えるとは、あなたは何と迷信深い若者なのか?」

 

 ・赤い男 「だとすると私はあなたのところにいるのが正しいことになる。長い間私はありとあらゆる国を放浪してきて、あなたのように高い塔に座って、見たことのない物を探している人を求めてきた」

 

 ・赤い男 「それは侮辱ではなくて、むしろその逆で、適切なところをついている。しかしながら、私はあなたが思っているような古代の異教徒ではない」

 私 「私はそのように主張したいのではない。そういえるほどあなたは大げさでもラテン的でもない。あなたにはギリシア・ローマ的なところがない。あなたはこの時代の息子のようであるけれども、何か並外れたところを持っていると言わねばならない。あなたは本当の異端者ではなくて、われわれのキリスト教と並行して走っている異教徒だ」

 私 「神の前では、いつもそのように真剣で、自分自身に対して忠実でありたいし、そう努めている。けれどのあなたの前にいるとそれが難しい。あなたは一種の絞首台の雰囲気をもたらす。あなたはきっと、異教徒と異教徒の子孫が有害な術を教えるサレルノの黒い学校出身の者であろう」

(赤い男はもっと赤くなっていくようで、衣服が灼熱の鉄のように光を放つ。)

 

 ・私 「あなたは私を完全には理解できないと思う。生きている人間の中であなたが知っている者と私を比べているのだろう。けれども本当のことを言うと、私はこの時代とこの場所に本来属していないことをあなたに言わねばならない。魔法のために私は久しくこの場所と時代に追い払われてきている。実際は、私はあなたの前に見えている者ではない」

 

 ・赤い男 「私はユダヤ人ではないけれども、ユダヤ人を擁護せねばならない。あなたはユダヤ人嫌いに思える」

 

 ・騎士の赤は淡い赤みを帯びた肉のような色に変容する。そして見よ、なんという奇跡であろう、私の緑の衣服から一面に葉が出てくる。

 

 ・「注意深い人は誰でも自分の地獄を知っているけれども、誰もが自分の悪魔を知っているわけではない。単に喜びの悪魔だけではなくて、悲しみの悪魔も存在する」

 

 ユングは、第1次世界大戦の前に、理解しがたい夢を見たり、圧倒されるようなヴィジョンを体験したりして、精神的な危機を迎える。そのようなヴィジョンを記録しつつ、後には自分から積極的にイメージを喚起するアクティブ・イマジネーションという技法を用いて、無意識から生じるイメージに関わっていった。その体験を書き留めたのが、本書でもしばしば参照される『黒の書』である。それに基づきつつも、そのヴィジョンや対話をさらに絵にしたり、自分の解釈を入れ込んだりする作業を加えて本に仕上げたのが『赤の書』である。

 

 

 

 『ナポレオン・ミステリー』

倉田保雄  文藝春秋   2001/8

 

 

 

 フリーメーソンと情報網>

・半信半疑といった印象を免れないが、フリーメーソンが実在することは確かで、秘密結社だからメンバーのリストなどは発表されていないが、知られている創成期の名士としてフランスだけでも、シャトーブリアンコンドルセモンテスキューヴォルテールスタンダールラファイエット、そしてナポレオンが名を連ねているのだ。

 

 ・たしかに、フランスで出版されている『フリーメーソンの辞典』の“ナポレオン一世”の書き出しには「ナポレオン一世がフリーメーソンに帰属していたかどうかは“歴史の謎”として残っている」とことわっている。

 そうした中で、有力説は、ナポレオンは1798年のエジプト遠征の際、マルタ島に加入儀礼を司る集会支部メーソンに加入したというのだが、これには、その当時、マルタ島に加入儀礼を司る集会支部が存在しなかったという反論もある。

 いや、実のところ諸説紛々で、たとえば、

 

・フォンテンブローの森の中で1795年、ひそかに加入した。

 

 ・1796年にイタリアのロッジで見かけられた。

 

 ・1798、もしくは99年に、エジプトはピラミッドの下で加入儀礼がおこなわれた。

といった具合なのだ。

要するに帰属を示す決め手を欠くというわけだが、愛妻ジョゼフーヌ皇后をはじめミュラ将軍など多くの側近のメンバーシップが確認されていることを考えると、「極めてあり得ること」といえよう。

 

 ・では、なぜナポレオンはフリーメーソンにこだわったのかーという基本的な疑問だが、これについて著者はその理由として、ナポレオンにとっての利用価値をあげている。

 つまり、フリーメーソンという国際秘密組織はナポレオン大帝国の建設、拡張、運営に必要不可欠の存在だったということで、コラベリーは結論として、「フリーメーソン・コネクションなくして、ナポレオン大帝国は存在しなかったであろう」とまで言い切っている。

 

 ・そのコネクションというのは、国内では官僚と軍人の間のつながり、そして対外的には進攻先の国々における多様な協力者で、とくに協力的だったのは、ウェストファリア、イタリア、スイスのロッジだったそうだ。