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ひとりこの飛騨の牛蒡種(ごんぼだね)のみは、これらとはやや様子が違って、直ちに人間が人間に憑くと信ぜられているのである。(12)

 

『日本の民俗信仰』

 宮本可袈裟雄・谷口貢  八千代出版  2009/6/30

 

 

 

<巫女とシャーマニズム

<神がかり>

 ・日本では神霊が人に乗り移ることを「神がかり」と呼んできた。古くは「かむがかり」「かんがかり」ともいい。漢字では「神懸」とか「神憑」などと表記されてきた。

 

・こうした「神がかり」現象は、歴史的な文献記録から現代の新宗教に至るまで、さまざまななかたちで見出すことができ、日本の宗教史を考えるうえでも重要な意味をもつ宗教現象の一つであるといえよう。この「神がかり」は、シャーマンのトランス、つまり変性意識状態の一種であるとみられる。

 

・日本の巫女には2種類がみられるとして、神社に所属して神前で鈴を振って歌舞を奏し、湯立などの神事に関与する巫女と、村の外から訪れ、人々の求めに応じて口寄せなどを行う歩き巫女を挙げている。これらの巫女は、いわゆる「神社巫女」と「口寄せ巫女」である。

 

<「憑霊型」が圧倒的な優位性を占めている>

 ・シャーマンが超自然的存在と直接交流する際に陥るトランスの内容解釈には、大別して「脱魂型」と「憑依型」がみられる。前者は、シャーマンの魂が身体から離脱して他界などの超自然界に飛翔し、そこで神霊などと直接交流するとされるタイプで、「エクスタシー」(ecstasy=脱魂)と呼ばれる。それに対して後者は、シャーマンの身体に神霊などを憑依させるかたちで直接交流するとされるタイプで、「ポゼション(possession=憑霊)と呼ばれている。

 

・それから、神霊が人に憑依するという問題では、動物霊などが特定の人や家に取り憑くとされる「憑きもの」もシャーマニズムと関連する信仰である。実際、憑依している霊を特定したり、取り除いたりする儀礼にシャーマン的職能者が関与してきた。このようにシャーマニズムは、日本の民俗信仰の多様性を炙り出す重要な宗教および民族文化の一つであるといえよう。

 

<沖縄の民族信仰><ノロとユタ>

 ・霊的職能者にはもう一つの系譜があり、ユタ、カンカカリヤー、ヤーザスなどと呼ばれ、ノロが公的であるならば、こちらは私的な占い、呪いなどの呪的な信仰領域に関与している。琉球王府はこれらの影響を排除するために何度も禁令を出しているが、効果はなかった。

 

・ユタの職能は、人の体内にあるマブイ(霊魂)は驚いたり事故に遭うと脱落するので、それを身体に戻すマブイグミ、呪いによる病気の治療、屋敷の御願、墓の落成祈願、家内安全の祈願、聖地の純拝や位牌の継承についての判断など多岐にわたる。

 

・依頼者は女性が多く、女子大生が恋愛の相談をするならば、3000円程度の料金であるため手頃なのかもしれない。

 

・周囲の人々によって霊的能力の強さが評価されてユタとして認知されるのである。

 

ノロとユタを概念上で区別することはできるが、現実の態様を観察すると職能は相互に入り組んでいる。

 

ノロその他の神役やユタになるのは生まれつきサー(霊力)が高いためであるといわれ、小さい頃からの言動が他の者と異なっていたりすると、周囲の注目を集める。その人が体調不良になると複数のユタを回って神役になるべきであるとか、ユタになる運命にあるとか、本人を方向づけて就任させる。体調不良は後からカミダーリ(巫病)と意味づけられる。

 

<●●インターネット情報から●●>

 

ウィキペディアWikipedia(フリー百科事典)から

 

狐憑き>

狐憑き(きつねつき)は、キツネの霊に取り憑かれたと言われる人の精神の錯乱した状態であり、臨床人狼病(英語版)の症状の一種である。また、そのような精神状態にある人、そのような事が起こり得ると信じる信仰、迷信をもいう。

 

民間信仰

民間信仰においては、狐憑きの話は日本全国各地に見られる。キツネに憑かれた者は精神病のように異常な状態になるものと考えられている。

 

個人だけでなく、キツネが守護霊のように家系に伝わっている場合もあり、地方によっては管狐、オサキ、野狐、人狐が憑くことも狐憑きと呼ばれる。これらの家はキツネを使って富を得ることができるが、婚姻によって家系が増えるといわれたため、婚姻が忌まれた。また、憎い相手を病気にしたり、その者の所有物、作物、家畜を呪うこともできるといわれ、他の家から忌まれた結果、社会問題に繋がることもあった。

 

これらのほか「稲荷下げ」などといって、修験者や巫者がキツネを神の使いの一種とみなし、修法や託宣を行うといった形式での狐憑きもある。

 

キツネに対する信仰の厚さは、キツネを稲荷神やその使いとみなす稲荷信仰、密教徒や修験者が行う荼枳尼天法、巫者や行者がキツネを使って行う託宣に示されており、これらの信仰を背景として狐憑きの習俗が成立したものと見られている。

 

<憑依>

憑依(ひょうい)とは、霊などが乗り移ること。憑(つ)くこと。憑霊、神降ろし・神懸り・神宿り・憑き物ともいう。とりつく霊の種類によっては、悪魔憑き、狐憑きなどと呼ぶ場合もある。

 

「憑依」という表現は、ドイツ語の Besessenheit や英語の (spirit) possession などの学術語を翻訳するために、昭和ごろから、特に第二次世界大戦後から用いられるようになった、と池上良正によって推定されている(#訳語の歴史を参照)。ファース(Firth, R)によれば、「(シャーマニズムにおける)憑依(憑霊)はトランスの一形態であり、通常ある人物に外在する霊がかれの行動を支配している証拠」と位置づけられる。脱魂(英: ecstassy もしくは soul loss)や憑依(英: possession)はトランス状態における接触・交通の型である。

 

宗教学では「つきもの」を「ある種の霊力が憑依して人間の精神状態や運命に劇的な影響を与えるという信念」とする。

 

(日本語における憑依の別名)

神宿り - 和御魂の状態の神霊が宿っている時に使われる。

 

神降ろし - 神を宿すための儀式をさす場合が多い。「神降ろしを行って神を宿した」などと使われる。降ろす神によって、夷下ろし、稲荷下ろしと称される。

 

神懸り - 主に「人」に対し、和御魂の状態の神霊が宿った時に使われる。

 

憑き物 - 人や動物や器物(道具)に、荒御魂の状態の神霊や、位の低い神である妖怪や九十九神や貧乏神や疫病神が宿った時や、悪霊といわれる怨霊や生霊がこれらのものに宿った時など、相対的に良くない状態の神霊の憑依をさす。

 

ヨリマシ -尸童と書かれる。祭礼に関する語で、稚児など神霊を降ろし託宣を垂れる資格のある少年少女がそう称された。尚柳田國男は『先祖の話』中で憑依に「ヨリマシ」のふりがなを当てている。

 

 

 

 

 

『アストラル界』   精妙界の解明

C・W・リードビダー 神智学協会ニッポンロッヂ  昭和59年5月

 

 

 

<アストラル界>

・しかし、今、われわれが考えようとしているのは、この見えない世界の低い部分であって、それは人間が死後、直ちにはいって行くところである。ギリシャでいう、「よみの国」即ち、地下の国であり、キリスト教のいう煉獄、即ち、中間地帯であって、中世紀の錬金術師達はアストラル界と言っていたところである。

 

・このアストラル界を説明する際に、明らかにしておく必要のある第一点は、アストラル界の絶対的な現実性である。

 

・アストラル界のものや住者は我々の家具や家や記念碑などが、本物であるという意味である。

 

・普通の知性をもつ人々が、肉眼で見えないものの実在を理解することはどんなにむずかしいか私は知っている。

 

・これらの諸界に普通つけられている名称は具体性の順序に従い、密度の濃いものから希薄なものへとあげて、物質界、アストラル界、メンタル界、ブディー界、ニルヴァナ界といっている。最後の界より高い界がもう2つあるが、それらは我々の現在の概念の力は及ばないので、しばらく考えない方がよかろう。

 

<風景>

・まず第一に、アストラル界には7つの部分界があり、各部分界にはそれ相応の具体性とその界に応じた資質の状態があることを理解せねばならぬ。

 

アストラル界は物質界よりずっと大きく、地球の表面の上部数千哩にひろがっている。>

・アストラル界の規模はかなりのものである。我々のアストラル界は月が最も地球に近づく、近地点には触れるが、遠地点には達しないという事実から、我々のアストラル界の規模を或る程度正確に決定できる。その接点は最高のタイプのアストラル資質に限られている。

 

・しばらく、7番目の部分界はさておき、アストラル界の4・5・6部分界を考えると、これらは我々が生きている物質界と、物質界の付属物すべてを背景としているといえる。第6部分界の生活は物質体とそれに必要なものを除けば、この地上の普通の生活と同じようなものである。だが、第5、第4部分界へと昇るにつれ、だんだんと具体的でなくなり、我々のいる低級界とその興味からだんだん離れて行く。

 このような低級部分の風景は我々が知っている地球の風景と同じである。しかし実際には、それ以上のものである。

 

・またアストラル界の正規の住者は、普通の状態ではアストラル界のものだけを意識しており、物質資質は全く見えないのである。それは、人類の大半にアストラル資質が見えないのと同じことである。

 

アストラル界の最低界、7番目の部分界にとっても、この物質界は背景であるといえる。>

・このレヴェルにいる不幸な人間にとって、「地球は暗黒と残酷な住民で満ちている」ということはまことに真実である。しかし、その暗黒は、自分自身の中から発し、それが悪と恐怖の永遠の夜に自分を進ませたのである。つまり、本当の地獄である。だが、それは他の凡ゆる他の地獄と同じように、全く人間が創造したものである。

 

第1、第2、第3部分界は同じ空間であるが、物質界からずっと離れている印象を与える。>

・この領域は心霊術の会で、度々聞く“サマーランド”であり、そこからやって来て、それについて述べている者は、確かに、彼等の知識の許す限りは真実を述べているのである。

 “霊達”が一時的に彼等の家や学校や町等を造りあげるのは、このような部分界である。

 

・それでもそこにある想像物の多くは一時的な美ではあるが本当に美しく、高級なものを何も知らなかった訪問者は十分に満足して、少なくとも物質界のものよりもずっとすぐれている森や、山や、美しい湖や、美しい花園をさまようことが出来る。又は、この人は、自分自身の空想に合わせてそのような環境をつくることさえできる。これら3つの高級部分界の違いの詳細は、多分、我々がその界の人間住民をあつかう時にもっともよく説明出来よう。

 

<住者>

・アストラル界の住者は非常に多種多様なので、それらを整理したり、分類することは大変むずかしい。おそらく最も便利な方法は、人間、非人間、人工霊の3大クラスに分けることだろう。

 

<人間>

・アストラル界の人間住民は当然2つにわけられる。即ち生きている者と死者、もっと正確に言えば、まだ肉体をもっている者と、持っていない者とである。

 

<生きている者>

・物質生活中にアストラル界に出現する人々は4つのクラスに細別される。

 

  1. アデプトとその弟子達

・このクラスに属している人達は、普通、媒体としてアストラル体を用いず、マインド体をつかっている。それはアストラル界のつぎに高い界の4低級レヴェル、即ち4ルーパレヴェルの資質で出来ている。この媒体の利点はメンタル界からアストラル界へ即時に行ったり来たりすることが出来、メンタル界のより大きな力とより鋭い感覚とをいつも使うことが出来ることである。

 

・マインド体は当然、アストラル視力には全然、見えない。従ってマインド体で働いている弟子は仕事中に、低級界の住民達をもっと効果的に助ける為に、彼等に自分を知覚してもらいたいと思う時は、一時的にアストラル資質のヴェールを自分のまわりに集めるのである。

 

・調査者は時々、アストラル界で、神智学徒達のよく知っている大師方と全く無関係な団体に属している世界のあらゆる部分から来たオカルティズムの学徒達と出合うことだろう。その学徒達は多くの場合、大変熱心で自己犠牲的な真理の探究者である。しかしながら、このような団体はすべて少なくとも大ヒマラヤ同胞団の存在に気付いて居り、そのメンバー達の中には今、地上で知られている最高のアデプト達がいらっしゃることを認めていることは注目すべきことである。

 

  1. 大師の指導をうけずにサイキック的に進歩している人

・このような人は必ずしも霊的に進歩しているとはいえない。霊的発達とサイキック的発達とは必ずしもつり合わないからである。

 

(3)普通の人

・これはサイキック的に発達していない人である。睡眠中はアストラル体で漂って居るが、多かれ少なかれ無意識状態のことが多い。深く熟眠中はこの人達のアストラル媒体の高級本質は肉体から常に出て行き、肉体のすぐ近くをさまよっているが、全く進歩していない人々の場合はその肉体と殆んど同じように実際には熟睡している。

 

  1. 黒魔術師とその弟子

・このクラスは最初のアデプトとその弟子のクラスと似た所がある。異なる所は善ではなく悪のために開発が行なわれ、得られた力は人類の福祉のためではなく、全く利己的に用いられることである。

 

<死者>

・先ず第一に、「死者」というこの名称は、全く、誤ったよび方と言わねばならぬ。この項目のもとに分類されているものの、多くは我々自身と同じように完全に生きているからである。だからこの言葉は単に、しばらく肉体から遊離している者達という意味に理解せねばならぬ。これは10の主なクラスにわけられよう。それは次の通りである。

 

  1. ニルマナカーヤ

・涅槃の永続的な楽しさを享受する権利をかち得られたが、人類の仕合せの為に働こうと自らを捧げ、その権利を放棄されたお方である。

 

(2)輪廻を待つ弟子

・弟子が或る段階に達すると、自分の大師のお助けで、普通の場合には人間がアストラル生活を終えると天界にはいるという自然の法則の作用から逃れることが出来ると、度々、神智学書では言われている。

 

(3)死後の一般人

・このクラスの人々はこれまで述べてきた人達よりも何百万倍も多いことは言うまでもない。そしてこのクラスの人々の性格や状態は非常に広大な範囲に亘って様々である。アストラル界での生命の長さも同じように様々で、2、3日か2、3時間しかそこに居ない人々もいるし、何年も、何世紀もこのレヴェルにとどまる人達もいる。

 

・死の経過の第一歩に、先ず肉体を脱ぎ捨て、殆どそのすぐあとにエーテル複体を脱ぎ捨てる。そして出来るだけ早くアストラル体即ち欲望体も脱ぎ捨て、自分の霊的熱望が完全な実を結ぶ唯一の世界、天界にはいって行くことが予定されていることを理解せねばならない。高尚で清い心の人は天界に早く入ることだろう。

 

・死後は誰でも天界への途中、アストラル界のあらゆる部分界を通って行かねばならぬ。

 

・アストラル界の最低レヴェルで、普通に意識が目ざめている人達だけが、欲望が粗野で獣的である。例えば、酒飲みや好色家等のようなものである。

 

・第3部分界に達する頃には、この特長はアストラル界に実際にあるものを見ているということに、全く代ってしまっている。なぜなら、アストラル界では人々は自分自身の想像の町に生きている――つまり、天界の場合のように、全く自分自身の思いで各人が進化しているのではなく、前の人達の思いで造られたものをうけつぎ、これに自分の思いを加えているに過ぎない。降霊会で度々説明されている、教会、学校、「サマーランドの家」があるというのはこのことである。だが、その教会や学校や家は喜んでつくった者達には本ものであり、立派なものに見えるだろうが、偏見のない、生きている観察者には真実でも立派でもない。

 第2部分界は特に利己的で霊的でない宗教家のいる所のようである。

 

・前にも説明したように、空間という観念とこれら部分界とは一緒にして考えるべきではない。これら部分界で働いている死者はイギリスからオーストリアに容易に行くことが出来るし、又はふと行きたいと思ったところへもすぐに行ける。しかし、じぶんの意識を一つの部分界からその上の部分界に移すことは、すでに説明した分離の過程が完成するまでは出来ないのである。

 

・死者が霊媒を見つけることが出来なかったり、霊媒の利用の仕方が分からない時には、自分自身で接触しようと、不器用な下手な努力をすることがある。

 

(4)亡霊

・本質の分離が完了すると、その人のアストラル生活は終る。そして、前に言ったように、メンタル界に移行する。しかし、死ぬ時、物質界に肉体を残すように、アストラル界で死ぬ時は崩壊しつつあるアストラル体を残して行くのである。

 

・亡霊の生命の長さは、それを活気づけている低級マインドの量によって様々であるが、これはいつも消え去って行く過程にあるので、亡霊の知性は、或る種の動物的な抜け目のなさはあるかもしれないが、着実に消えて行くものである。

 

  1. 魂殻

・これは、マインドのあらゆる分子が去ってしまったあと、アストラル体分解のずっとあとの段階での単なるアストラル死体にしか過ぎない。

 

・こうして、この世から天界に進む連続的な段階で、人間は少なくとも3つの死体。つまり、濃密な肉体、エーテル複体、アストラル媒体を脱ぎ捨て、ゆっくりと分解するに任せるということが解るだろう。この3体すべて、段々とその構成要素を崩壊し、その資質は大自然のすばらしい化学によって、各々の世界で改めて活用されるのである。

 

  1. 活気づけられた魂殻

・厳密に言えば、これは「人間」の項目に入れるべきではない。何故ならば、これはかっては人間の付属物であった、受身的な感覚的な殻、外側の衣にすぎないからである。

 

  1. 自殺者及び不慮の死の犠牲者

・十分に健康で力強いのに、事故か自殺で、急に肉体生命から引き裂かれる人は、老衰や病気で死んだ人達とかなり違う状態でアストラル界に来るものである。老衰や病気で死んだ人の場合には、この世的な欲望の保持は多少弱くなっているのは確かである。おそらく最も濃密な分子はすでに除かれているので、その人はアストラル界の第6か第5にいるようである。或いはもっと高い部分界にいることもある。その人の諸本質は徐々に分離の用意がされたので、ショックはそう大きくない。

 事故死や自殺の場合にはそのような準備が出来ていないので、肉体から諸本質を分離するには、未熟な果物から種子を引き離すのにたとえられる。その人格のまわりにはまだ、濃密なアストラル資質がくっついており、それでアストラル界の最低界、第7部分界に留まることとなるのである。

 

  1. 吸血鬼と狼人間

・我々のこの題目を完了する前に述べねばならぬものが2つ残っている。それは前のよりはもっと恐ろしいものであるが、幸いにもあまり沢山いる可能性はない。これらはいろいろな面で大変違うがおそらくはこの2つを一緒にした方がよい。彼等は2つともこの世のものとは思えぬ恐ろしい性質をもっているが、ごく稀なものだからである。

 

・だが、今でも時々、ロシアやハンガリーのようなように第4人種の血が比較的流れている国では、その例が見られるのである。

 

  1. 灰色の世界の人間

・吸血鬼と狼人間が前時代の遺物であり、もっと前の根本人種の進化に属していたことをすでに説明して来た。しかし、我々は前時代の根本人種のあらわれの特別な形体を越えて進歩して来たが、別の生活があるという確信がないために絶望的に物質生活にしがみついているタイプの人がまだ我々の間にいる。

 

  1. 黒魔術師とその弟子

・これは「死んだもの」の第2のクラスの「再生を待つ弟子」と同程度のものである。しかし、この場合、進歩の並はずれた方法を選ぶ許しを得るかわりに、黒魔術師やその弟子は魔法技術によりアストラル生活で自活することで進化の自然の過程を無視している。—―これは往々にして最もおそろしい性質である。

 

<人間でないもの>

・人間でないものをまとめる最も便利な方法は4つのクラスに分けることだろう。—―この場合、前のようにクラスは小さい部分ではなく、普通、自然の大界を少なくとも例えば、動物界、植物界のように大きく、分けるのである。このクラスのあるものは比較的人間より下にあり、或るものは人間と同等であり、他のものは善と力の点で我々より上の位置にある。或るものは人間の進化系統に属している――つまり彼等は我々のように人間であったか、人間と似ているものである。他のものは我々人間とは全く違った線で進化している。

 

  1. 我々の進化に属しているエレメンタル エッセンス

・この論説では、エレメンタル エッセンスとは単に、進化の或る段階中のモナディック エッセンスに用いられている名称に過ぎないことを理解しよう。モナディック エッセンスとは霊即ち神の力の物質の流出と定義するのがよかろう。

 

  1. 動物のアストラル体

・これは非常に大きなクラスであるが、普通アストラル界には短時間しかとどまっていないので、特に重要な位置は占めていない。

 

(3)凡ゆる種類の自然霊

・このクラスには非常に沢山の、様々な種類があるので、この題目だけの独立した論文にする方が、公正であろう。

 

・中世紀の本では、土の霊はノームといわれ、水の霊はアンダイン、火の霊はシルフ、エーテルの霊はサラマンダーといわれている。一般には次のようないろいろな名前で知られている。

 妖精(フェアリーやピックス)、小妖精(エルフやブロウニー)、仙女(ペリ)、小人(トロール)、半人半獣の森の神(サタ)――馬の耳と尾を持ち、酒と女が好きで、酒の神バッカスの従者。林野牧畜の神(フォーン)、小妖魔(コボルド、半人半山羊でみだらな性質をもつ)、インプ(小鬼、悪魔の子供)、妖魔(ゴブリン)等といわれている。これらの名称の或るものは1種類にだけもちいられているが、多くはすべてのものに無差別につかわれている。

 彼等の形はいろいろあるが、多くの場合、人間に似ており、大きさがやや小さい。アストラル界の殆んどの住民のように、彼等は思いのままにどんな姿をとることも出来るが、確かに自分自身の明確な形体を持っている。或いは他の形体をとる特別な目的のない時にまとう気に入りの姿と言う邦画よいかもしれない。普通の状態では彼等は全然肉眼には見えないが、見られたいと思う時には物質化によって姿をつくる力を持っている。

 彼らには非常に沢山の種類があり、人類の場合のように知性や性質が一つずつ違う。

 

(4)デヴァ

・この地球に関係のある進化の最も高いものは、我々の知る限りではヒンズー(ヒンズー教を奉ずるインド人)がデヴァと呼んでいるものの進化である。デヴァはほかの場合では天使とか神の子等といわれているものである。彼等は人類のすぐ上にある世界にいるものと考えられている。人類は動物界のすぐ上の世界にいるのであるが、人類と動物には重要な違いがある。つまり、我々の知る限りでは動物には、人間界以外の如何なる世界への進化の可能性もないが、人間は或るレヴェルに達すると、自分の前に開けているいろいろな前進の道があることを知るのである。このすばらしいデヴァ進化もその一つである。

 ニルマナカーヤの崇高な放棄に比べると、デヴァの進化路線を受入れることは、いろいろな本の中に「神となる誘惑に負けること」と書かれているが、デヴァの道を選んだ人には何か非難すべき影がある等とこの言葉から推論してはいけない。

 

<人工的なもの>

・これはアストラル存在物の最大クラスであり、人間にとって最も重要なものである。全く人間自身の想像物であって、最も密接なカルマ的なつながりとその人への作用によって、その人間と互いに関係し合っている。それは半知性的存在の未発達な巨大な集団であって、人間の思いが違うように様々であり、実際に分類とか整理のようなことは出来ない。普通行うことの出来る唯一の分類は人類の大半によって無意識につくられた人工的四大霊と、明確な意図をもって魔術師によって作られたものとの違いによるものである。

 

  1. 無意識につくられた四大霊

・普通の人間の思いは主に自分自身にさしむけられるので、出来上がった人工霊はその人のまわりをうろついており、常にその人工霊があらわしている考えの反復を挑発する傾向がある。

 

  1. 意識的につくられたエレメンタル

・明確な、有能な守護の天使がこのような方法で与えられることがある。だが、このような決定的な介入が1人の人の人生にカルマが許すのはおそらく稀なことである。

 

・極めて悪性で力のある人工的エレメンタルをつくる技術はアトランチスの魔術師の専門の一つだったようである。つまり、「暗黒の顔の君達」の専門であった。

 

  1. 人的人工霊

・だが、確かに人間ではあるが、今までの所、普通の進化のコースからはずされており、全く、それ自体の外部の意志によってつくられたものなので、おそらく人工的なものの間におくのが最も自然であろう。

 

<現象>

・幽霊は、今、述べたことの好例である。厳密な意味ではないが、幽霊という言葉は普通アストラル界の殆どの住者に対して使われている。心霊的に進歩した人達は絶えずこのようなものを見ているが、普通の人が、普通の表現での「幽霊を見る」場合には次の2つの事のうちの1つが起こっているに違いない。つまり、幽霊が物質化したか、幽霊を見たという人が一時的なサイキック知覚の閃きを得たかの何れかである。もし、これらのことはいずれもありふれたことではないという事実がなかったら、我々は生きている人に会うと同じように、町で度々、幽霊に会うことだろう。

 

<我々の惑星チェーン>

・人類が地球上で関係を持っている生命波の仕事は、第4図をよく見れば解るだろう。生命波はその成長の為に、太陽系の7つの惑星が必要なのである。それらの中3つは物質の惑星で、それは、地球、火星、水星であるが、あとの4つは眼には見えぬ惑星である。これらの4つにも眼に見える

惑星と同じように、太陽のまわりをまわっているが、その惑星の資質は、超物質的なものである。

 

・第4図の地球をあらわしている部分をよく見ると地球は、アストラルと、低級メンタルと高級メンタルの外皮でとりまかれた物質で出来ていることが解る。高級で希薄なものが、それよりも濃密なものの中に浸みこむことはいうまでもない。だから、アストラル資質は地球の表面の何哩も上の方に拡がっているだけではなく、地球の中にもしみこんでいるのである。同様にメンタル資質の外皮もアストラル界と物質地球にしみこんでいる。地球のまわりにあるアストラル外皮と地球にしみこんでいるアストラル資質がアストラル界である。低級メンタル資質は低い天国であり、高級メンタル界は高い天国をつくっている。勿論、図では示されていないが、ブディー、アートマ及びそれよりも高級な資質でつくられる高級な界にも同じことがいえるのである。

 

・物質天体である同じ型の火星も、アストラル外皮と、低級高級メンタル資質の外皮をもっている。物質天体の火星にしみこんでいるアストラル外皮は、火星のアストラル界である。しかし、この火星のアストラル界は、地球のアストラル界とは全く違っている。その上太陽系の空間の中では、地球と火星の間に物質的な種類の連絡はあまりない。それと同じように地球のアストラル界と火星のアストラル界の間にも連絡はない。火星にも、低い天国と高い天国がある。全く同じことが水星にもいえて、水星にも水星のアストラル界、低級メンタル界、高級メンタル界がある。