『宇宙連合の飛来』
喜多要光 大陸書房 昭和50年/1975
<聖書の”御使い”は宇宙人>
・イエス・キリストが誕生した時は宇宙人のブレインがキリストを補佐し援助し、その誕生を演出するためにも、巨大な宇宙船にてキリスト誕生の知らせをしている。「ベツレヘムの星」が、それである。
・「太陽系には、12個の遊星があるがごとく、わが太陽系の周りにも12組の太陽系がある」このように宇宙人は言う。宇宙連合に加入して地球を救助するためにやって来ているのは、わが太陽系の12この星々のみではなく、いろいろの太陽系からやってきているのだ。たとえば、サガファリス太陽系、トレソトン太陽系、第22太陽系、サファニアン太陽系などである。コノサファニアン太陽系の人々を筆頭にして各々の太陽系の人達は多数の円盤と人員を投入しているのである。「サファニアン太陽系から200機、トレソトン太陽系から500機の円盤編隊が来ています。第二の月”フォウサー”の近くには1万4000機もいます」
こうして、宇宙の同胞は、この地球が一日も早く宇宙連合の仲間入りをするように働きかけてくださっているのである。
<地球文明と宇宙人>
<シリウス星人の地球入学>
・地球独特の生物の進化がすすんでいる頃、神の子と呼ばれる霊魂の大群が地球に移住して来て、ある形の肉体に宿った物が人類である。人間が他の哺乳動物と根本的に違うのは、そのためである。類人達の一種が大気圏外からやって来た霊に利用されて、人間の原形となったことは、間違いない。
・人間はシリウス太陽系から集中された念波により、修養のため、苦しむ囚人として地球に送られて来た。人間の精神は神によって創られた聖なるものであるけれども、その肉体の重さという物理的な制約をうける。
・神の子達は、類人猿を妻としたのだ。そして、その子孫が洪水前の人類、すなわち先史原始人である。だからこそ、その肉体的な特徴は類人猿的、精神的な特徴はシリウス太陽系内の遊星から来た移住人達と同様なものとなったのだ。
・そして、シリウス星人は、思念を通じて物を創造する力を持っていたので、肉体を自分たちの思う通りに少しずつ変化させていき、長い年月の間に獣的な面が多くなって数々の怪物を作りだした。
・ギリシア神話に出てくる蛇の髪を持つゴルゴン、半獣(ライオン)半鳥(ワシ)のグリフィン、半人半鳥のケンタウルス、蝶の羽根を持つ人間といってもほとんど獣と異なるところがなくなってしまった。この忌まわしいものを一掃するため、地球上に大変災を送る計画がたてられ、ついに大洪水が彼らに襲いかかり、純粋な肉体を持つものだけが、残されたのであった。
<●●インターネット情報から●●>
ウェブサイト『カレイドスコープ』から引用しました。
ちなみに『カレイドスコープ』には斬新な切り口のオカルト的な話が多く記載されてあり、興味深いものです。
<誰のために祝っているのか、実は誰も知らない>
化け物仮装行列、ハロウィンが今年も日本各地で盛況でした。
規模は年々大きくなるばかりで、人々の潜在的なパフォーマンス願望やメタファー願望が「何か」を引き寄せています。
国内最大のハロウィンは、毎年、神奈川県川崎市で行われているハロウィン・パレード。第18回目を迎える今年(10月26日)は、主宰者側の発表によると、仮装した人2500人、沿道の見物人を含めると11万人だったとか。でも、ただ歩いているだけです。(動画)
川崎駅東口以外でも、フジテレビがお台場で売れないタレントをかき集めて「T-SPOOK 東京ハロウィンパーティー」(10月25日)を開催、もちろん、あのディズニーでも毎年、恒例のイベントとなっています。
毎年、10月下旬は、もう日本中がハロウィン、ハロウィン。
いつ頃から、こんな風になってしまったのでしょうか。
しかし、ハロウィーンを祝うほとんどの人々は、それらが実際に何を祝っているか、まったく知らないのです。
これは、驚くべきことです。大丈夫なのか、ニッポン。
なぜ急激に、ここまでハロウィンが全国に普及してしまったのか・・・それは主催者の大元を探る必要があります。綿密な計画性を感じます。
ハロウィンのような、仮装して外面が別人になると、急に解放される日本人にとって、もっとも馴染みやすいフェスティバルなのでしょう。
「赤信号、みんなで渡れば怖くない」です。
ハロウィンの本場は、もちろんアメリカです。
今年、アメリカ人のおよそ70パーセントがハロウィーン祭典に、なんらかの形で参加したといいます。
しかし、彼らは、ハロウィンが何千年もの昔から続く悪魔的催事で、そのルーツが異教徒にあることを知りません。彼らは、あくまで豊穣を祝う祝祭だと思い込んでいるのです。
悪魔を祝う催事は、他にもたくさんあります。
イースター、バレンタイン・デー、そして、なんとクリスマスも・・・まったく馬鹿げたことです。自分から進んで魂の自殺現場に向かう人々。
これらを最初に仕掛けたグループは、いわゆる「アンチ・キリスト」の人々です。それは、グノーシス主義者であり、秘密結社です。
彼らの洗脳方法は非常に巧妙なので、人々が簡単に騙されてしまうほど無知だとしても許容されるでしょう。
しかし、問題は、自分たちが参加している祝祭イベントが、いったい何を、誰を祝っているのか知ろうとしないことです。これは無知ではありません。思考力を奪われてしまった証拠です。それは、「憑依」されてしまったからです。
このフェスティバルは、近年、悪魔崇拝者である仕掛け人が「ハロウィーン」と名付けたことによってその正体が覆い隠されてしまいましたが、かつて知られていたのは「サーウェン祭(Samhain)」です。
ハロウィンとは、サーウェン祭のことなのです。
サーウェン祭はキリスト生誕以前にルーツを持つ祝祭で、最も初期のアイルランド文学の中で言及されています。
古代ケルト人は、サーウェン祭のときには、心霊世界と私たちの現実世界との間にある幕が引き上げられ、死者の霊魂が、生きとし生ける者たちと自由に交わることができる時であると信じていました。
また、ハロウィンのベル(Bel)、あるいは、クロム(Chrom)として知られている死者の主(死神)を称えるための日でもあったのです。ベル(Bel)は、バアル神(Baal)との類似点があることに注目です。Baalは、いろい名前を変えてはいますが、暗黒世界の魔王のことです。
だから、ハロウィンは、悪魔の大魔王をお祝いする祝祭なのです。
ジャック・オ・ランタン(jack-o’-lantern)や、トリック・オア・トリート(子供達が仮装をして各家庭を回り、「お菓子をくれなきゃ、いたずらするぞ!」と言ってお菓子をもらうこと)、ハロウィン用の衣装などは、古代ケルトの慣習に根差しています。
初期のアメリカの多くの地域では、ハロウィーンは非常に精神的に有害なので、禁止されていたのです。
しかし、今日、ほとんどのアメリカ人は、それを祝うことに関してなんら抵抗しなくなってしまいました。習慣とは恐ろしいものです。
マスメディアによる長年の洗脳がこうも簡単に人々を思考を奪ってしまうのですから。
そして、それは日本にも完全に根付いたのです。
もっとも、アメリカ人にしても、日本人にしても、ハロウィーンは、アイデアをふんだんに盛り込んだ気味の悪い衣装に身を包み、ある者は、ここぞばかり盛装し、キャンディーを食べて、パーティーに出席する、実に楽しい時間でしかないのです。
自分たちが、何に駆り出されているのかなど、興味がないのです。
一般の無知な人々が、単純にハロウィンを楽しみ、無自覚のまま悪魔崇拝に引き込まれている脇では、ハロウィンを真剣に受け止めている者たちがいます。当然、日本にもいます。それは魔術崇拝者です。
彼らにとって、ハロウィンは、1年のうちでもっとも重要な時間なのです。
ローマ・カトリックによってハロウィンは現代に生き延びた
サーウェン(SOW-in, SAH-vin, or SAM-hayneと発音する)は、「季夏(夏の終わる頃)」を意味しています。
そして、三番目の「最後の収穫」の意味です。
その年の暗い冬の半分は、このサバト(魔女のお祭り)から始まるのです。
それは10月31日に一般に祝われます。しかし、いくつかの伝統では11月1日に開催されることを好みます。
ハロウィンは、毎年訪れる二つの「霊的な夜」のうちの一つです。他方はベルテーン(Beltane)祭と言います。
ベルテーンとは「ベルの火」という意味です。 ベルとは、バアル神のことで、ユダヤ・キリスト教では「悪神」とされている神です。
ハロウィンは、時間と空間の現世的な法則が一時的に停止する魔法のインターバル(合間)のことです。
また、そのとき、両方の世界の間を仕切っているベールが捲り上げられます。
このときには、霊の世界と現界の仕切りが取り払われて、先祖やこの世を去った愛する人と交信することができるようになります。
というのは、そうした霊は、サマーランド(霊の上層階)に向かう道すがら、この現界を旅するからです。
ハロウィンは幽冥の神秘を学び、老婆(Crone)と彼女の年老いた配偶者(Consort)としてシンボライズされた「暗黒の母」と「暗黒の父」を敬う時です。
もともとは、ケルトの国々で、霊魂のために祭壇と戸口の上り段に食物をお供えすることによって祝う「死者の祝宴」のことです。
今日でも、開業医の多くが、その伝統を踏襲しています。
先祖やこの世を去った愛する人の霊魂を家に導く手助けになるよう、ろうそくを1本ずつ、窓に立てます。
“目に見えない来客”が座れるように、椅子をテーブルや囲炉裏の近くに置きます。
失われた魂、あるいは、子孫を残すことができなくなった魂を慰めるために、リンゴが道端や歩道に沿って埋められていました。
野菜のカブは、そうした魂を保護するかのように、くりぬかれたり刻まれます。
というのは、これは魔法の夜、カオスを象徴するからです。
ハロウィンの夜は、いたずら好きの霊魂は、疑うことを知らない人間たちに悪さをしようと活発に動き回ります。
だから、暗くなってから旅をすることは薦められなかったのです。
人々は、そうした悪さをする霊魂を騙すために、幽霊のように白い衣に身を包んだり、藁で仮装したり、男女逆の装いをしたりしました。
古代ケルトの人々(それは、現代においても同様)が信じていた、「サーウェン祭の夜には幽界から未成仏霊が、ぞろぞろ出てくる」ところなどは、日本のお盆でも、おキツネが出てくるところと重なります。
なぜ、キリスト教から見れば異教徒の祝祭であるサーウェン祭が、世界中でお祝いされる「ハロウィーン」として定着したのでしょうか。
7世紀前半に、グレゴリウス1世として知られていたローマカトリックの教皇は、カトリック教の布教を継続して行えるようにするための最良のアプローチ法は、既存の異教徒の祝日や慣習をキリスト教化することであると決めたのです。
キリスト教徒が、サーウェン祭のような「異教徒の祝日」を一掃しようと努力した結果、キリスト教徒は異教徒の文化・形式の中に大きな転換をもたらすことに成功したようです。
西暦601年に、グレゴリウス1世は、彼が転換しようとした異教徒たちの従来の信条や慣習に関わっている宣教師たちに、かの有名な勅令を発布しました。
ローマ教皇は、在来の民族の慣習や信条を消そうとするのではなく、それらを利用するように彼の宣教師たちに命じたのです。
一群の人々が木を切るより木を崇拝したならば、ローマ教皇は、その木をキリストに捧げ、かつ、その木を崇拝し続けることが許されるように彼らに助言したのです。
ハロウィンは子供の生贄をささげる夜
もちろん、このことを教示しているのはビル・シュネーバレンだけではありません。
実際、ナショナル・ジオグラフィックの1977年5月の記事には、ハロウィンとは、「最初に生まれた子供が犠牲として捧げられる」時のことであると認められていると書かれています。
つまり、ハロウィンとは、今日、アメリカ人の大半が祝っているような陽気で明るい祝祭などではないのです。
他のハロウィンの伝統もまた、古代ケルトのドルイドの慣習に根差しています。
因みに、ドルイドの生贄の儀式は凄惨を極めるものであったことは、よく知られていることです。
たとえば、ジャック・オ・ランタンが、どこから来たのか。ここに、ビル・シュネーバレンの解説があります。
ニムロド、セミラミス-偽りの三位一体(サンタの正体)
サンタクロースの起源は、4世紀頃の東ローマ帝国小アジアの司教であった、キリスト教の教父聖ニコラス(ニコラウス)の伝説が起源とされています。(wiki)
貧しい人々に施しを行い、学問を守護する聖人として描かれていますが、それでは、サンタクロースの付き人のようにして随伴している長い尻尾と鋭利な角を持った、みるからに恐ろしい生き物は、いったい何でしょう。
アメリカ、日本では、この恐ろしい生き物は紹介されていないのですが、ヨーロッパでは知らない人はいないのです。
サンタクロースの正体には、昔から常に謎が付きまとっています。
その驚きの正体とは?
また、同時にキリスト教の中に、どのように異教的要素が浸潤していったのか、キリスト教の変節の過程についても触れています。
まず、私たちは、クリスマスに付いて、まったくと言っていいほど理解していなかったことに気が付きます。
まずは本稿に進む前に、以下の記事を予備知識としてお読みください。
【クリスマスとサンタクロース】より抜粋
サンタクロース・・・その始まりは、4世紀に実在した「聖ニクラウス」でした。
貧しい人たちに気前よく贈り物をしたところから、人気のある聖人の一人だそうです。
この聖ニクラウスの姿は、土着の神話・伝説と交じり合って、いろいろな姿をとるようになります。
ただし、クリスマスと聖ニクラウスの話がヨーロッパで、どのようにつながっていったのかについては諸説あります。
その後新大陸に渡ったオランダの新教徒たちが、この「聖ニクラウスの祝日」の習慣とクリスマスとを習合してしまったようですが、すぐ新大陸にこの習慣が広まったわけではありません。
というのも、厳格な清教徒たち(イギリス系の移民)が移民の大多数で、クリスマス自体自粛の傾向にあったからです。
「聖なる神様の生まれた日に、どんちゃん騒ぎするとは何事ぞ!」というわけです・・・。
ごもっとも。
ちなみに本国イギリスでも、クリスマスのお祝いはたびたび法律で禁止されかかったこともあるそうです。
産業革命のころは、貧しさが理由で一般家庭ではクリスマスのお祝いは消滅していたそうですし(これは私も知らなかった!)閑話休題。現在のようなかたちで、ツリーを出してご馳走を食べるという習慣ができるようになったのは、どうも19世紀に入ってからのようです。19世紀、作家のアービングが「ニューヨーク史」の中で馬に乗ってやってくるドイツ風のサンタクロースを紹介しました。
続いて神学者のクレメント・ムーアが自分の子供の為に「聖ニコラスの訪問」という詩を書き、サンタとその周囲の設定を創作して生き生きとしたキャラクターに仕立て上げました。
で、日本人がイメージするサンタクロースは、アメリカ由来です。
コカコーラ社のCMで、初めて「ひげを生やした赤い服のじいさん」という形をとったのが始まり。
上の抜粋にもあるとおり、もともと「小人」の姿をとっていた(フィンランドの精霊「トントゥー」のなごりという説あり)のですが、スウェーデン人イラスト レーター、ハドン・サンドブロムサンが「白いひげで赤い服を着た、恰幅のいい大人」を人間のサイズで書いたのが始まりだそうです。
で、クリスマスとキリストの生誕のいわれですが。聖書の中には、キリスト生誕の記述はありません。
後から「じゃ、12月25日にしましょうか」という感じで偉い人が決めたものです。
今のところ、325年のニケーア公会議で「そうしましょう。賛成~」と決まったことになってます。
実際は、聖書の中の記述から推察して、3月ごろに生まれたらしいですが。
じゃどうして12月25日なの?・・・と疑問。
この時期ヨーロッパではもともと冬至にあたり、様々なお祝いがされておりました。
天の神・・・太陽の力が最大に衰える時であり、またこれから復活するときでもあるからです。
人々は衰えていく太陽を元気付け、また甦る太陽に喜び、かつ新しい年の更なる豊穣を願いました。(エジプトがもとなのかな・・・こういうの)
その後ローマ帝国では12月25日をミトラ教の祝日「不滅の太陽の誕生日」としてお祝いしてきました。
237年にはアウレリウス帝がローマの正式なお祭りと定めています。
で、この冬至にまつわる祭りと、時には「太陽」にも見立てられるイエスの誕生日を習合し、12月25日をキリストの生誕の日としたようです。
つまり、日本人の知っているクリスマス、サンタなどは、ほんの数十年前にアメリカの作家たちによって脚色されたものである、ということです。
アメリカの商業主義によって、別物になってしまったというわけです。
発祥はヨーロッパですが、本当のクリスマス、サンタの姿はアメリカにも日本にも、ないのです。
ニムロドを知らずのうちに崇拝させられている、という以外は。
ここからが本題です。
以下で採用するソースは、The Truth About Christmas
実は、このサイトに書かれているサンタクロースとクランパスに関する記事は、おそらく100以上に上るでしょう。
クリスマス全体について書かれていることは、たぶん300~500とか、それほど膨大な資料の数になるのです。
これらのほとんどは、ヨーロッパ各地の民間伝承を集めたものです。
すべてに出典が明記されていますので(長い記述になるので、ここでは割愛)、客観的な情報として捉えて差し支えないのでしょう。
クリスマスの悪魔
The Devil in Christmas
悪魔崇拝の儀式は、アングロ・サクソンの冬の12月の祭の一部として執り行われていたのです。
ローマがキリスト教に改宗したとき、これらアングロ・サクソンの悪魔崇拝者たちは、この12月の悪魔の休日を続けることを許され、そのとき、その悪魔の休日の名前を「クリスマス」と改名したのです。
グレゴリ教皇は…聖アウグスティヌスにキリスト教に改宗したサクソン人たちに、ある祭りを許可するように進言した人物ですが…以前は、サクソン人が悪魔の栄誉を称えるという目的で、この祭を執り行っていたので、聖アウグスティヌスは、新しい名前(クリスマス)に替えるなら、サクソン人たちの12月の祝賀行事を許可したのです。
それで、これらの初期の異教の儀式が、今日まで、私たちの知っている通常の行事となって生き残ったのです。
そうしたことから、ヨーロッパの人々は、ブラック・ピーター(オランダでの悪魔の呼び名)、あるいはクランパス(Krampus)といった悪魔とクリスマスをともに過ごすことになってしまったのです。
それでも、クランバスは、今日も今日、クリスマスの祝い事の一部になっているのです。
セント・ニコラウス(Saint Nicholas)は、クリスマスにクランパスを伴ってやってきます。人々は、クランパスを見るだけで、この休日がどこから由来しているのか理解するのです。(悪魔に由来している)
クランパスは、割れた蹄(ひづめ)、長い舌、頭には角、暗い色をした煤けたような皮膚、その皮膚にうっすら生えた毛、そして熊手を持っています。子供たちにとって、クランバスは、悪さをする子供を鞭で叩く悪魔のヤギのように見えるのです。
「クランバス」とは、ドイツ語の「鉤爪(かぎづめ)」に由来する言葉です。
クランパスは、聞き分けの悪い子供を連れ去って、地獄の深みに落とすために、子供を入れる大きな袋を持っています。
子供たちを死ぬほど怖がらせるクネヒトルプレヒト(Knecht Ruprecht)のような古い悪魔は、やがてセント・ニコウス(ニコラウス=Saint Nicholas)と混ぜこぜにされていったのです。
ルプレヒト、あるいはクネヒトレプレヒト、またはクランパス、これらすべてはセント・ニコラス(ニコラウス)とともにクリスマスになると子供のいる家を訪ね歩く悪魔のことです。
後に、セント・ニコラス(ニコラウス)とルプレヒト、あるいはクネヒトレプレヒト、またはクランパスといった悪魔たちとの役割は、きちんと分けられるようになったようです。
この陽気で楽しい小柄な妖精(サンタ)は、子供たちにプレゼントを運び、小柄な妖精といつもいっしょにいるクランパスと呼ばれている角を持った悪魔は、オーストラリアや南ドイツ、スイスの少年や処女たちに、鞭の一打ちと悪夢を持ってくるのです。
アメリカでは、セント・ニコラス(ニコラウス)は、陽気なサンタクロースとして、徹底的に人々に親しませるようにアレンジされてしまいました。
しかし、ヨーロッパでは、 いまだ、セント・ニコラスは、クランパスという獰猛な生き物とヨーロッパ中を旅することになっているようです。古き悪しき時代には、子供たちは、クランパスの黒いバッグに入れられて連れ去られていたのです。
オーストリアのいくつか地域では、聖ニコラス・イヴは、「クランパスの日」としてよく知られています。
サンタを考える場合、古代から黒い影のようにサンタにつきまとっている分身のようなものを見落とすことはできません。
それは、ヨーロピアン・アルプス地方で、サンタクロースに常に付き添っている悪魔たち-Percht、Bartl、 クランパス、クネヒトレプレヒト、あるいはRotsohlerなど、いろいろな名前で呼ばれています。
馬の蹄鉄、大きな袋、鎖を持ってやってくる悪魔「trabant」は、紀元前の祭りの習慣に見ることができます。
紀元前では、Ruebezahlという別の人物像があります。これは、クランパスとサンタをミックスしたようなドイツ神話上の巨人です。
「Nick」、または「Old Nick」は、悪魔の別称として周知されています。
この名前は、アングロ・サクソンの悪魔「the Dutch Nikken」から派生したものです。
「Old Nick」-「NOUN」=悪魔、サタンです。
チェロスロバキアでは、「頭の角、尻尾、長く赤い舌を持った毛むくじゃらの悪魔が、セント・ニコラスとともやって来る」と言い伝えられています。
ヨーロッパの民間伝承には、さまざまな悪魔のキャラクターが出てきます。
クランパスというのは、オーストリア、バイエルン地方、ハンガリー、およびバルカン諸国で見られるクリスマスには「なくてはならないキャラクター」なのです。
オランダでは、クランパスのことをブラック・ピーターと呼んでいます。
"Santa" と"Satan"は、nとtを入れ替えただけです。
「クランパスとは、いったい誰のことだろう?」 あなたは、こう尋ねます。
もちろん、それはセント・ニコラスといっしょ方々を旅して回る毛むくじゃらの悪魔のことです。
ルプレヒト(Ruprecht=クランパス)は、共食いすることになっているそうです。
クランパス。彼の役割と性格は、紛れもなく「悪魔的」です。子供たちに災いを齎す悪魔。それは生き地獄同然です。
“聖者”であるはずのニコラスは、このくすんだ黒い毛むくじゃらの悪魔の手を借りているのです。
クリスマスという祝日が悪魔に根付いたものである、ということは明白です。
キリスト教界が、このように汚らわしいものと接触を持っているとは、どうしたことでしょう。
しかし、キリスト教界は、この悪魔の休日に「キリスト」という名前を上塗りすることによって、これを祝うことが、まるで無害であるかのように偽装しているのです。
これは驚くべきことです。
ナショナル・ジオグラフィックによれば、「恐ろしいクランパスの存在は長年、規制の対象となっていた。カトリック教会はこのような騒々しい祝祭を禁じ、第2次世界大戦下のヨーロッパでは、ファシストたちがクランプスを社会民主主義の産物とみなして弾圧した 」・・・
このように、クリスマスは悪魔のイベントであることを知っているヨーロッパでは、かなり警戒されてきましたが、戦後の果敢な宣伝攻勢の前に、いつの間にかコマーシャリズムの道具になっていったのです。
ナショナル・ジオグラフィックでは、このクリスマスの悪魔に関するドイツ語の書籍を出しています。
サンタクロースと太陽崇拝
光輪、後光を、異教徒がそれをフォームとした使用しようと決めたのは、早くからのことです。
ギリシャやローマ芸術のモニュメントでは、神、英雄、および他の著名な人々の頭に、しばしば円形の光輪が見つけられます。
光輪、後光はフェニックスのような創造物にも特に関連付けられています。
円形の光輪は、また神と半神半人を描いたポンペイの壁画にも見られます。
また、エジプトやシリアでは、彼らの王が半神半人であることを示すために、頭に王冠を載せて、それを表現するのが習慣でした。やがて、それは東洋に、西洋に広まっていきました。
ローマでは、初代の死んだ皇帝にだけ天の至福のサインとして光輪を使用しましたが、その後、生きている支配者たちにも使われるようになりました。
光輪や後光は、もともとは、太陽のパワーを表すものでしたが、後になって、太陽神の象徴となりました。
太古の昔から、太陽は世界中の異教徒の神のシンボルでした。
バビロニア人、ペルシア人、エジプト人、ギリシア人、およびローマ人には皆、彼らの太陽神がありました。
北部と南米のネイティブの民族は彼らのアジア人の先祖のように広く太陽崇拝を慣例としていました
また、太陽崇拝は中東の人々によって広く受け入れられ、イスラエル人さえ時々、太陽を崇拝していたのです。
ヨーロッパ人も同様に太陽崇拝に深く関わっており、太陽神を祝賀する祭の多くが、キリスト教のならわしとして、組み込まれていったのです。
その名残は、今日でも、イースターの復活のかがり火や、クリスマスの薪に見ることができます。
クリスチャンの芸術には、わからないように光輪が描かれていたりしますが、よく見てみれば、誰の目にも、それが異教の太陽神を象徴したものであるかが分かるはずです。
偶像崇拝である太陽神を巧妙にキリスト教に組み入れるこの方法は、キリスト教芸術を不幸に導いてしまいました。
太陽神「ミトラ」の誕生日は12月25日です。
この偶像崇拝に反対する代わりに(反対することなく)、カトリック教会は、文字通りキリストの誕生日が12月25日である、という考えをでっち上げて、「クリスマス」という新しい名前を、その異教徒の祝日に付けて、自らこれを祝ったのです。