12月25日
「太陽神」の出生
自分が神であると宣言した最初の人間はニムロドでした。
彼の母、セミラミスは、「マザー・オブ・ゴッド」であると宣言しました。
彼ら二人、そして、彼らの息子のタンムズ(Tammuz)とで、エホバの神を崇拝代わりに、「三位一体」という神秘の神を崇拝するようになったのです。
バベルにおいて、人々の言語が混乱していたとき、(そのドサクサを利用して)ニムロドのこの邪教を世界に広げていったのです。
すべての異教の神、すべての異教の女神は、ニムロドになんらかの影響を受けており、セミラミス崇拝を受け入れてしまいました。
そうして、世界中の異教の太陽神(人格神)が、自分は12月25日に生まれたのだと主張するようになったのです。
エホバの神に反逆した最初の男の誕生日を次々とコピーしていったなんて、なんとアバウトで適当な連中なのでしょうか。
異教思想は、あちこちにシンボリズムで満たされています。
太陽崇拝について念入りに調べるなら、これらのシンボルと教えが何であるかが分かるでしょう。
赤ん坊のイエスが12月25日に生まれたと信じて、それを祝うとき、あなたは、世界の異教の太陽神に騙されていることになるのです。
これこそ、悪魔のトリックなのです。
「太陽神」崇拝における「光輪」、「後光」
光輪、後光は、異教徒たちの間で使用された最初のシンボリズムです。
それが証拠に、初期のクリスチャンの芸術には、どんな光輪、後光も見られないのです。
ヘレニズムやローマの芸術では、太陽神のヘリオスとローマ皇帝は、光輪の付いた王冠をかぶっているものが、しばしば見受けられます。人々は、異教的な起源から来たものであることを知っていたので、この形(円形の光輪)は、この頃の初期のクリスチャン芸術では使われていません。
ローマの司教は、太陽崇拝をずるがしこく招きいれ、キリスト教に異教的な要素を入れてしまったのです。このことは、コンスタンティーヌ(コンスタンティヌス:カトリック教会の創始者)の本当の秘密です。
彼らが、非常に抜け目なく、それをやり遂げたので、何世紀もの間、太陽崇拝は人々の信頼を得たままに真実が隠されているのです。
コンスタンティーヌを通して、異教思想と、キリスト教はローマ帝国において互いに手を組み、やがて、太陽崇拝(世界のほとんどの異教の宗教に現れるている)は、クリスチャンの芸術、イメージ、および神学に取り込まれていったのです。
キリストとマリア様に見られる光輪は、実は、このようにして取り込まれた異教(太陽崇拝)のシンボルなのです。
12月25日…その頃はキリスト教徒以外の異教しか、この祭を祝わなかったのです。
この祭りを祝うことは、すなわち、あの世のバビロニアの女王の息子(ニムロド)の誕生を祝っているとになるのです。
太陽神・ニムロドの誕生日の祝い…ローマカトリックは、これに「キリスト」という別の名前を与えて、この祭りを採用したのです。
12月25日。この異教の太陽神ニムロドの生まれた日を、私たちの救世主が生まれた日だと偽り、何世紀もの間、異教徒たちがこの日を祝ってきたのです。
このことについて研究すれば、どれだけはるかに背教の背教指導者たちがキリスト教と異教思想を融合して、ひとつの背教にしようとして努力してきたか-太陽神の異教の誕生日祝いの中に、キリストの誕生日を入れ込もうとしてきたか-が分かるのです。
なんと、5世紀に、ローマカトリック教会は、キリストの誕生日は、永遠に12月25日とする、という命令を出したのです。
クリスマスと太陽崇拝のつながり
一番目の「つながり」-日付
実際にクリスマスと太陽崇拝との間には、多くのつながりがあります。
日にちのつながりは、最も顕著なものです。
聖書には「羊と羊飼いが野外で数夜を過ごすことができるほど暖かい時期に生まれた」と明確に書かれています。
エムサレム-ベツレヘム地域では、10月下旬以降は、羊たちはずっと羊小屋の中で飼われているのを知っています。氷雨が降って寒すぎるからです。
いったい、キリスト教界の背教者たちは、どのようにすれば、冬季にキリストが生まれたと主張できるというのでしょうか。
そこには太陽崇拝の意図が隠されているからです。
背教者たちの形式では、太陽神・ニムロドのことをバアル(Baal)として知られています。
神話学は、バアル神、女神、天の女王が、さまざまな名前で広く崇拝されていたことを明らかにしています。
「歴史は、ニムロド、ニムロドの“母親妻“セミラミスが、後の文化や社会に浸透していった「神」、「女神」の原型であることを確認しています。(by David Terrell)
ニムロドが、まだ少年であったときに、彼の母親(セミラミス)は、彼を望んでいました。そして、事実上、自分の息子と結婚したのです。
ニムロドが死んて太陽神が創造されたとき、セミラミスは、タンムズ(Tammuz)という息子を産んだのです。
タンムズ(Tammuz)は、息子・ニムロドの生まれ変わりである、とセミラミスは主張しました。
セミラミスは、彼女の息子・タンムズ(Tammuz)が、現実の世界に、彼女の夫であった(自分が生んだ息子でもあった)ニムロドが再生して戻ってきたのだと主張したのです。
天の女王
ニムロドは、死後、このようにしてタンムズとなって蘇り、彼は金の子牛に象徴されるようになりました。
セミラミスは、「天の女王」として知られるようになり、やがて、それはその後の「女神」のプロトタイプになっていったのです。
(管理人:NYの自由の女神像は、つまりは、この悪魔的な淫婦・セミラミスのことになりますね)
ニムロドの宗教は、イザヤ書の第14章に拠れば、サタンの経典として同定されています。
歴史を紐解けば、このような古代のバビロニアの宗教が全世界に侵入し、偶像崇拝の仕組みの基本形になっており、神話のテーマであることを立証することができます。
この「神」は、言語の違いによって、世界ではさまざまな呼び名を与えられています。
世界の主な宗教を遡っていくと、バビロンに行き着きます。
サタンが全世界を欺いている偽りの父であることは知られています。
そして、ニムロドは、人間の形をした偽りの宗教の父です。
サタンは、バビロンという太陽崇拝に中心地を置くことによって、世界のサタンへの忠誠心を競わせようとしたのです。
神と神の権威に挑むことはサタンの企みなのです。
このサタンの計画の全体的な統率者こそ、ニムロドその人なのです。
ニムロドは、異教の太陽崇拝の起源です。
異教思想において、その偉大なる母としてすりかえられたのがイエスの母、マリアでした。
いずれにしても、「母なる女神」、そして「彼女の子供」が、エジプトの名前ではイシスとホルスとなり、バビロニアでは、セミラミスとタンムズというようになり、ローマの名前ではビーナスとジュピター、あるいは「処女マリア」、「キリストの子」となろうが、異教のローマにとっては、問題ではなかったし、今でもそうです。
いずれにせよ、それは古びた“アイドル宗教”に過ぎません」。
--Baal-mas Where did Christmas Come from? by Tom Adams
異教の習慣、シンボル、用語におけるキリスト教化…
ローマが異教の古い信念と様式を諦めず、それを他の姿に変えて生き残りを図ったので、それを組み込まれたキリスト教は、どうしても変化を受けざるを得なかったのです。
最終目的は、公式のキリスト教を完全に異教化することでした。
キリスト教が、その用語体系を提供し、異教は、教義と権利を出し合うことによって、“混合宗教”が製造されたのです。
このようにしてローマ世界の偶像崇拝は決して破壊されることなく生き残ったのです。
この代わりに、今までむき出しの状態だった異教の偶像崇拝は、キリスト教という服を着せられて、その本質を覆い隠されたのです。
このときの「変装」は、クリスマスの習慣と伝統を後になって商業目的化するためにさらに、どぎつく変装させられてしまったのです。ビジネスであれば、クリスマス・シーズンの間、どんな種類の商品でも売れるのですから。
クリスマスの常緑樹、暖炉にくべる薪(Yule log)、およびサンタクロースはどうやったら、私たちの救世主イエスと関係づけられるというのでしょう。
クリスマスは私たちに真実を教えているのでしょうか?
この祝日には、とてつもない虚偽と詐欺が取り囲み、埋め込まれているのです。
この祝日を神が祝うことを認めていると信じるなど、なんと愚かなことでしょうか。
神にとって真実は非常に重要です。
偽りは霊的な奴隷制度の下で私たちを縛っているのです。
いよいよ三位一体の形成
セミラミスは、ひとりの息子を産みました。
その息子の名前はタンムズ(ホルス、あるいはギルガメッシュとも呼ばれている)という名前です。
セミラミスは、ニムロド(すでにノアの息子・セムに殺された後)の魂が訪れて、タンムズを身ごもったのだと主張したのです。
つまり、タンムズはニムロドの生まれ変わりだといったのです。
このとき、父・ニムロド、母・セミラミス、そして息子のタンムズ…で、おぞましく邪悪な「三位一体」が形成されたのです。
補足:分かりづらいので、以下のサイト様より抜粋
【バビロン再建計画】
来るべきメシヤの預言を知っていたクシュ(セミラミスの最初の夫)は、セミラミスによって子をもうけた。
このクシュによる子、ニムロデこそ彼らのメシヤであった。
クシュは死ぬ時、ニムロデとその母セミラミスを結婚させた。
ニムロデはすでに人々から神として崇められていたし、クシュもニムロデをもうけたことによって崇められていたので、セミラミスは『天国の母』として崇められるようになった。
ニムロデがバベルの塔を建てている間に、ノアの息子の1人であるセムがニムロデに裁きを告げるためにやって来た。
セムはニムロデを殺し、彼の体をいくつかの部分に切断し、使者を遣わしてすべての異教の神殿に送った。
使者は「バアル、モレク、チューンなどの礼拝には、これと同じ裁きが来る」と彼らに伝えた。
やがて、それらの宗教は地下にもぐることになった。
ニムロデの妻は偶像崇拝を始めた女祭司であった。
彼女は「奇跡的に妊娠した」と主張して、タンムズという息子を産み、「彼こそ民の救い主である」と宣言した。
その宗教は世界各地に広がり、人々は天の女神が救い主であるわが子を抱いている像を拝むようになった。
そうした偶像は 世界各地で発掘されている。
古代の人々は、この母子像を礼拝し、聖水を注ぎ、宗教儀式を受けることによって、罪が清められると信じた。
ニムロデは、多くの国々で様々な名前で知られてきた。
またセミラミスは、アシュタロテ、イシス、ダイアナ、イシュタール、ヴィーナスなどで知られている。
ここから管理人:
言ってみれば、悪魔崇拝の儀式を伝統的に執り行ってきたカルト教団が、公安に目を付けられてしまい生き残り策はないか、と考える。
そこで、教団名を「幸せ絶好教」という名前に変えたら、即座に宗教法人の認可がとれた。
そして、ご本尊に聖人を持ってきて細工したのです。
ご本尊にひげ、ゲジゲジ眉毛を描いて、悪魔の要素を入れ込んだのです。
この場合は、古代の太陽崇拝のサタニストたちが、キリスト教に侵入する入り口として「クリスマス」というドアを開けた。
そのドアをつくったのが、ローマ・カトリックということですね。
この事実を隠すために、バチカンという総本山の権威付けが必要になったし、ヒエラルキー構造の下に、絢爛豪華な大伽藍を建て、人々の意識の中に、視覚的に太陽崇拝のシンボリズムを植え込むために、クリスチャン芸術の振興を図ってきた、ということでしょうか。
そのバチカンの中枢にイエズス会という闇のイルミナティ・コントロール・センターが設置されて、世界中のカトリックに号令一下、すべて意のままに操っている、という構造。まるで、エホバの証人の「統治体」と同じですね。
バチカン自体が、キリスト教の「乗っ取り計画」のためにつくられた?ということらしい。
それはさておき、管理人が常々不思議に思っていたこと。
偶像崇拝を否定しているはずのキリスト教が、映画、絵画、その他の芸術を通して、キリストの十字架(磔刑の様子)を露出しまくっているのが、どうにも不思議だったのです。
カトリックの神父さんが首からかけているのは、キリスト像のある十字架(プロテスタントの牧師さんは、何もない十字架)。これも、不自然で仕方がなかったのです。
カトリックのほうは十字架にキリスト像がデザインされているのですから。
世界を実質支配しているグローバル・エリートがどこから出てきたのか、彼らのルーツを探るためには、「聖書を理解すること」が不可欠です。
彼らは「すり替え」「置き換え」・・・つまり「乗っ取り」の名人です。
聖書の預言もまた、彼らに利用され、乗っ取られてしまったのです。
聖書が、どのようにして改ざんされ、キリスト教の中にクリスマスのような「トロイの木馬」が、どのように仕込まれてきたのか、そして、その節目節目で世界史に何が起こったのか、それを重ね合わせていくと、見えてくるもの-ローマカトリックのような権威ある人々が、実は現世的で俗物的、実質的で悪魔的な考え方をしている、ということがわかってきます。
なかでも「現世的」とは、彼らの権力を維持することで、そのためには大量虐殺も厭わないのです。
そして、さらに言えば、サタンの跋扈を許しているのは、私たちが盲目で無知であるからに他ならない、ということがわっかてきます。
無知であり、盲目である限りは永遠にサタンと「お付き合い」していかなけれぱならない、ということです。
ひょっとしたら、サタンの跋扈は、それ自体、神が仕組んだことかもしれません。
そもそも永遠などということはないのですから、そろそろ「締め切り」が迫っているのかもしれません。「いい加減に気づけよ」と。
くすちゅんが言う「サタンに抵抗しろ」という意味は実はもっとも恐ろしい罠ではないか、とフト考えるときがあります。
なぜなら、サタンとは、彼らの分身である可能性があるからです。
サンタクロースの行くところ、常に同伴しているクランパスのようにね・・・
クランパスはサンタクロースの影なのかも知れません。
何も、座して祈っていればいい、ということではなく、「あなたの祈りは、本当の祈りですか」と自問自答することも必要でしょう。
どうも私たちの心の中のゴミを食べながら成長するらしい。
これでは戦っても戦っても、次々と新手の騙しが出てくるのですから、キリがありません。
※ニムロドとセミラミスが同一人物(つまりセミラミスは男性でニムロドの別名)であると主張している研究家もいるようですが、レプティアンという創作上の生き物を信じ込ませようとしているような人物のいうことなど信じてはならないのです。
この記事は、ニムロドとセミラミスは別人で、両者の関係は、英語の元ソースにあるとおりであるとの解釈の上に立って書いています。
※注意:憶測で管理人がクリスチャンだと書いている方が何人か、おられるようですが、信用を失いますよ。
クリスチャンの方にご迷惑がかかるといけませんので、再度、念押しておきますが、私はクリスチャンでないどころか、一切の宗教とは関係がありませんが、クリスチャン以上の知識を持っているかもしれません。
クリスマスはニムロド(ニムロデ)生誕を祝うもの
「Merry Xmasの『X』というのは、二ムロドの象徴で、merry Xmas は『Magical or Merriment Communion with Nimrod』という意味である。
ニムロドの誕生日は12月25日の日曜日で、それはバビロニアの安息日である。したがって、クリスマスはイエスではなくニムロドの生誕を祝うものである。
ニムロデのシンボルが『X』の十字であることは重要である。多くの魔女(例えばチャールズ・マンソンの女性たち)の額の上にこのマークがある」-ジョントッド
12月25日は、イエスではなくニムロドの誕生日
『ユダヤ教の基本』
ミルトン・スタインバーグ ミルトス 2012/5/1
<ユダヤ教>
・ユダヤ教は。キリスト教やイスラム教の母胎になった一神教の元祖です。三つの一神教は、聖書(トーラー、旧約聖書のこと)を基礎とし、歴史的にそれぞれの独自の発展をしてきていて、ユダヤ教のみが真正というわけではありませんが、ユダヤ教の基本を知ることは、どの宗教の信徒であれ非信者であれ、知る価値のあることです。キリスト教徒には、その信仰のルーツを知ることにつながります。
<前提>
<ユダヤ教の性格>
・日本語で「ユダヤ教」と訳される英語のJudaism(ジュダイムズ)という言葉にはもう一つの意味がある。ユダヤ人の文明全体を意味する。ジュダイズムは「ユダヤ主義」と訳されたりするが、それは過去から現在に至るまで、ユダヤ人として知られる人々の、実態のすべてを指す言葉である。宗教的な面だけでなく、世俗的な面をも含め、たとえば、中世ヘブライ詩人の恋歌や東欧ユダヤ人社会に伝わる民俗音楽や舞踊、あらゆる社会制度、その他もろもろが含まれる。
宗教的な面に限定するときに、ジュダイズムを「ユダヤ教」と称してよいが、しかし、現実には、ユダヤ教は、ユダヤ文明の他の部分と切り離しては考えられない。
ユダヤ卿という一本の縄は、次のような七本以上もの紐が編み合わされて出来ている。
一、 神、宇宙、人間についての教え(しかし、特定の教義はない)
二、 個人と社会に対する道徳観(価値観)
三、 典礼、習慣、儀式の実践(ユダヤ人のあらゆる生活に関与)
四、 法体系(宗教法のみならず、刑法・民法などすら包含する)
五、 聖なる文学(聖書やその他の聖典)
六、 前記の事柄を具体的に表すための制度
七、 イスラエルの民――この紐を中心として、ここから他の紐が生まれ、またこの紐のために他の紐が編まれている。
・頭の中では、これらの紐をほどくことが可能だ。「道徳と切り離して教義を考えよう、あるいは文学と切り離して道徳と教義を考えよう、あるいはこれらの事柄を生み出し、守ってきた人々を切り離して、他のすべてを考えよう」と言うことはできる。しかし、考えることはできても、実際にはそうすることは不可能なのだ。
なぜなら、第一に、紐がそれぞれ部分的に別々に見えたとしても、それらは長い年月のうちに擦り切れ、より固く結び合わさっており、いくら引っ張っても解くことができない。
<「時」という要素――歴史をつくった人々>
・ユダヤ教はその背景と内容に四千年の歴史をもっている。
その歴史はあまりにも長い。簡単に述べるわけにはいかないが、ユダヤ教において歴史は重要な要素であることは間違いない。最低限その性質や流れをつかむ必要があるだろう。
ユダヤ教の過去を知る最も直接的な方法は、歴史をつくってきた人々を通して見ることだ。そこで先人たちを時代的に見てみよう。彼らは、尊敬に値する独特な一つの集団を形成し、尊敬に値する独特な一つの運命を共に生きてきた。
それは以下のような人々である。
1、 セム人たち――アブラハムの時代より遥か昔に、メソポタミアで偉大な文明を築いた人々。
2、 父祖たち――はるか四千年もの昔、カナンの地にて彷徨い、町と砂漠の両方を受け継ぎ、独特の認識と価値観をもつ民族の祖先となった人々(アブラハムやイサク、ヤコブほか)、
3、 モーセ――人々を解放し、民に法を授けた人物で、自らの立つ山も小さく見せるほどの偉大な人、
4、 イスラエルの農民たち――先祖たちから受け継いだ厳しい伝統と、周囲の民族(アマリ人、カナン人、ヒッタイト人など)の厳しくない、しばしば退廃的な宗教習慣との間で、揺れ動いた人々。
5、 預言者たち――精神界のパイオニアや冒険者たちの中でも、最も勇敢な人々。
6、 詩編の詩人たち――神のことを非常に感動的に歌いあげた。今なお、シナゴーグだけでなく、教会でも、モスクでも、礼拝の中で詩編は高らかに響き渡っている。
7、 第二神殿時代の賢者たち――智恵の書を書き、あるいは収集した。
9、 紀元前3世紀から紀元5世記までの教師たち。
10、 ナザレ人とその弟子たち。
11、 あらゆる時代と場所における、聖書とラビ文学の注解者・解説者、それにユダヤ教の神学者と律法学者たち。
12、 中世スペイン・ユダヤ人社会の黄金時代に生きた、詩人、文法学者、注釈者、科学者、翻訳家、歴史学者たち。
13、 それぞれの時代における主流の形而上学体系に、ヘブライ的世界観を調和させてきた哲学者たち。
14、 カバラー主義者およびその他の神秘主義者たち――彼らは多くのものの向こうにある唯一のもの、見せかけのものの向こうにある真実について、直接的な知識を得ようと試みた。
15、 善なる生き方にいかにして到達すべきかを瞑想した、様々な地域と時代の倫理学者たち。
16、 神に陶酔し、生きる喜びに浸った「ハシディーム」と呼ばれる中世後半の敬虔主義者たち。
17、 18世紀から19世紀までの「マスキリーム」と呼ばれる啓蒙主義者たち。
18、 過去150年間の歴史学者および辞書編集者たち。
19、 19世紀から20世紀の種々の改革派の人たち。
20、 今日、イスラエルの地にユダヤ人国家を建設している人々。
21、 殉教者たち。
22、 そして、無数の名もない人。
なぜなら、いつ、どのような役割を担い、どんな方法を担い、どんな方法を用いたかにかかわらず、ユダヤ教という大事業に関わってきた人々については、新年祭(ローシュ・ハシャナ)の典礼が「命の書」について述べているのと同じことが言えるからである。すなわち、「すべての人の手の印がそこにある」
<ユダヤ教の「基本」>
・ユダヤ教の「基本」という言い方は、はたして正しいのだろうか?
ユダヤ教は、七つの要素の複合体であり、多くの手による作品であり、様々な時と条件の産物である。これほど種々の要素が混じり合った、しかも長い歴史をもつ一つの存在を概括することなどできるであろうか。いわんや、何が本質的であり、何が一時的な偶然なのか、何が不変で永遠なのかを明確にすることなどできるであろうか。
言い換えると、ユダヤ教の基本について述べようと試みる私たちは、霞をつかもうとでもしているのだろうか。
どうではない。この世の多くの事柄は、複雑で永久に変化を繰り返しながらも、時の変化に左右されない、基本の性格を示しているものである。
<神についての知識>
・12世紀のモーゼス・マイモニデスは、ユダヤ教における神観の役割についてこう述べている。「すべての基礎の基礎、すべての知恵を支える柱、それは神の実在を認識することである」
これは非常に適切な描写である。なぜなら、ユダヤ教は神についてのある特定の概念をもって発生し、以来ずっとそれに心血を注ぎ、宗教として成長する過程において、神の存在理由を多く発見してきたからである。
まさに、この神への信仰はユダヤ教の土台をなすものであり、それは、
聖書が当然なこととして捉え、わざわざ証明することは一度もなかった。
・神の存在を確信した上で、ユダヤ教は、神の概念についてはかなりの自由を許している。個人はそれぞれ、神を超越的なものと認識するのか、あるいは内在的なものと認識するのかの自由が与えられる。マイモニデスやカバラー神秘主義者たちのように神を抽象的な存在原理と捉えるか、あるいはもっと一般的な考えのように究極の個性として捉えるかも自由である。
とはいえ、すべての考え方が受け入れられるわけではない。
<知識の現界>
・箴言に、次のような言葉がある。「あなたのすべての道において神を知れ」。だが、どこにも「神のすべての道において神を知れ」とは書いてはいない。
それには有無を言わさぬ理由がある。つまり、<伝統>によると、私たちは神を完全に知ることができないからである。
・そしてこの問題についてよくよく考えてみると、神は永遠に私たちをたくみに避けているのである。避けていない場合には私たちを圧倒している。
まず、神の基本原理は過去、現在、未来のすべてから成り、さらには、それらすべてを包含する存在である。永遠の上に永遠が重なる。私たちの頭がすべてを入れられないのは当然だ。
それから繰り返しになるが、そのような私たちの知識は神の御働きについてであり、神自身についてでなはい。物事や出来事という不透明なベールを通して推測し、仮定する形でしか、私たちは神を見ることができない。
最後にこの目に見える世界はすべて、私たちが存在を確信するお方の領分だが、そのお方の本質については、私たちは直接的な体験を全くもたない。しかし、もし、私たちが直接知り得る事柄についてでさえも、私たちの知識が実際とは大きくかけ離れているならば、直接触れることのできない領域に関してはどうだろう。私たちには想像もつかない世界、あるいはほんのかすかな光しか見いだすことのできない世界が、存在するのではないだろうか? だとすれば、これらすべてを包み込み、超越する神について、次のようなスピノザのごく明快な言葉のほかには、人は何を語ることができようか? 「神は、我々がほんのわずか、しかも不完全にしか知り得ない、無限の属性を無限にもっておられる」
<ユダヤ教が神について語ること>
・ユダヤ教が神について断言している次の命題は、<伝統>が宣言しているように、ユダヤ教神学の礎石をなしている。
「神は一つである」
この一見単純に見える宣言も、見かけ以上に奥が深く、豊かな意味を多く含んでいる。
・「神は一つであり、多ではない」
古代世界は、自然についても社会についても多神教であった。
異教世界は、川、木、太陽などすべてのものに、また生殖力、記憶、あるいは熟練工の技術などといったすべての能力や機能に、それぞれ神性が宿る、と考えられた。
・「神は一つであり、二つではない」
紀元前6世紀のある時点で、ユダヤ教はゾロアスター教に出会った。初めて、成熟度、崇高さ、まじめさにおいて、自らに匹敵する宗教に出合ったのである。この宗教の特徴は二元論の教義だった。世界の背景に、一つでなく二つの創造的存在を認めていた。一方は光と善の力、もう一方は闇と悪の力である。これら双方の霊は、世界と人間の魂をめぐって常に格闘しており、この闘いについて、人間一人一人は否応なしにどちらかの側につかされる。ゾロアスター教が考える宗教の目的とは、人々が正しい側を選ぶようにすることである。
・善の神と悪の神の存在と両者の闘いを説くゾロアスター教は、古代ペルシアに始まる宗教。
・二元論は、善の究極的勝利を危ういものとする。闇が光と相関関係にある以上、光が必ず勝利する、どんな保証があるだろうか?
しかし、ユダヤ教がゾロアスター教を完全に拒絶するまでに時間がかかった。何世紀もの間、「二つの力」の可能性はユダヤ人の想像力を誘惑しつづけた。しかし預言者は最初にこう反応した。一つの同じ神が「光を造り、闇を創造し、平和をつくり、悪をも創造する」と断言したのだ。――この言葉は最終的に、<伝統>の最後の言葉として残ることになった。
・「神は一つであり、三つではない」
中世において、神は一つであるというユダヤ教の主張は、キリスト教の三位一体という教義を明白に否定することになった。一つでありながら、なぜか同時に「永遠に共存する、同等の」三つの人格をもつ神という主題を、完全に否認したのである。
この教義を否定するにあたり、ユダヤ人たちはまず、神の性質についての誤った説と見なしたものを払いのけようとした。彼らは、三位一体説に欠かせない「人なる神」、すなわちある特定の個人の血と肉に体現される神格という観念に対して、異議を唱えることにも熱心だった。ユダヤ人にとっては、すべての人間が神の性質を反映するものであり、すべての人間が神の子なのだ。ただ一人の人間が神そのものである。などということを暗示するこの教義を、彼らは神への冒瀆として拒絶したのだ。
・「神は一つであり、無ではない」
私たちの時代において、近代的無神論と、それに伴う物質主義が行き渡っている。それは、物質とエネルギーが盲目的に相互作用しているのが現実のように読み違える、新しいようで実は古い概念である。ユダヤ教は断固としてそれを拒否する。人間とその価値は宇宙の偶然の産物で、生まれた時と同様意味もなく死んでいく運命にあるという、間違った認識に対して異議を唱えるのである。