日本は津波による大きな被害をうけるだろう UFOアガルタのシャンバラ 

コンタクティやチャネラーの情報を集めています。森羅万象も!UFOは、人類の歴史が始まって以来、最も重要な現象といわれます。

その店の70%は運営に失敗して廃業する。創業費用はそのまま負債となる。「どこを見てもチキン屋だけ」という自営業の現実は、韓国経済、中産層の崩壊の雷管(発火装置)である。(1)

 

 

(2021/12/31)

 

 

『なぜ韓国人は借りたお金を返さないのか』

韓国人による日韓比較論

シンシアリー 扶桑社  2020/3/1

 

 

 

ヘル朝鮮

そういえば、韓国人、特に韓国の若者たちは、韓国社会を地獄のようだという意味で「ヘル朝鮮」と呼ぶことが多いと聞きますが、それは、「万人の、万人に対する闘争」のネット用語なのかもしれません。

「韓国人は、人権や平等より『公正』だけを不思議なほど強く求める。それも、実は自分と他人との上下関係を明確に分けるためにすぎない」

 

「値引き」と「おまけ」を公然と要求する韓国

サービス品が品切れする韓国、補充される日本

・それからも牛肉を買う時には一つずつ牛脂をいただきますが、そういえば、韓国と日本の大きな差の一つに、「サービス品が品切れしない」ところがあります。

 

サービスの日本語訳は「有り難い」

・韓国社会に、中国料理店の出前さんたちを「鉄カバン」(チョルガバン)と呼びながら、社会の「負け組」と見下す風潮があるとわかったのは、それから私がもう少しだけ大人になった時です。

なにせ、当時は中華料理店そのものがバカにされていた時代で、「中国人はあれ(料理店」しかできない」という偏見が社会の常識のようになっていました。

 実際、当時の韓国社会の中国人差別はひどく、韓国で大学を卒業しても、中国人には出世の機会が与えられなかった、と言われています。だから結局は、中華料理店をやるしかなかった、と。

 

・ゴンチャについて説明するためには、「ドムとエヌリ」を合わせて紹介する必要があるでしょう。某人気アニメシリーズのロボットのような名前ですが、「ドム」は日本語で言う「おまけ」のことで、「エヌリ」は「値引き」のことです。

 どちらも、どこの国にも普通にあるものですが、韓国社会では、それらを得るための要求が、あまりにも強すぎます。なぜなら、客はそれを「あって当然」と考えているから、「ドムとエヌリがない」シチュエーションを、最初から考えていません。

 

オカズを「おかわり自由」にしたら「残飯再利用」が社会問題化

・しかし、2005年あたりから、韓国自慢の「オカズおかわり自由」文化は、衛生面での問題が表面化しました。さすがにおかわり自由は店側への財政的負担もキツく、多くの店が、前の客が残したものを再利用していたことが明らかになったのです。

 

韓国人が物の判断をする絶対的な基準

・「併合時代」に生まれた韓国の作家イ・ギュテ氏は、1992年の著書『捨てるべき韓国人の癖』の中で、韓国人が物の価値を判断する基準は、「ドムとエヌリ」である、と主張します。

 

<「韓国人の値引き好きは他人との共生の邪魔になる」

・「具体的に私のものでなければ、具体的に自分の手でつかんで私のものにできないものは、韓国人にとってはゴンチャだ。公共という意識が薄弱な韓国であるため、公のものであれば、ゴンチャになってしまうのだ。公共意識が強い国では、水も、空気も、手でつかめない時間も、知識も、すべてがお金、すなわち価値を持つべきものであると、大衆の意識が認めているが、そうでない韓国では、ゴンチャでしかなくなる」

 

韓国人の変った「道徳観」

・韓国人は、道徳こそ上下関係がしっかりする必要があると思っています。安定した上下関係こそが、韓国人にとっては最大の道徳です。後に述べますが、このせいで、韓国は「誰にでも平等」を前提とする法治と、相性が最悪です。

 

韓国のマスコミが大きく報道する多種多様な「嫌悪現象」

・日本関連情報でないと、日本のネットで韓国の新聞記事が紹介されることはありませんが、韓国側のマスコミが「社会問題」の側面でもっとも記事を書いているのが、この「嫌悪現象」です。

 左派思想支持者と右派思想支持者が、若者と高齢者が、男性と女性が、お互いを「嫌悪」します。「政治嫌悪」「世代間嫌悪」「異性嫌悪」など、種類も多彩です。右派と左派は政治問題で、思わしくない結果をお互いのせいにします。若い人たちは高齢者たちのせいで国がダメになったといい、高齢者たちは若い人たちが国をダメにしていると言います。

 

一気に加速した韓国社会に溢れる嫌悪表現

・以前にも何度か書いたことがありますが、韓国の社会問題には、ある「パターン」があります。

 最初は、韓国は「日本の社会問題」を嘲笑います。でも、何年か後に、その問題が韓国にも存在し、日本よりも悪化していることに気づきます。そして、さらに何年か後には、日本ではその問題が改善し、韓国ではさらに悪化します。自殺率、出生率、学級崩壊、格差、ホームレス問題など、様々な事案がそうでした。 

何年か前までは、韓国のマスコミは日本の「いわゆる嫌韓デモ」などを取り上げて、「日本はヘイト・スピーチが多い」「日本は差別大国」などと騒いでいました。でも、今は韓国が嫌悪大国になっています。

 

韓国人にとって「配慮」とは「私が他人に」ではなく、「他人が私に」するもの

・さて、話を戻しますと、「社会を良くするためには配慮が必要だ」としていた人たちが、なぜその逆である「嫌悪」という言葉を流行らせているのでしょうか。

 その答えは簡単で、「私が他人に配慮する」ではなく、「他人が私に配慮する」ことだけを求めているからです。突き放したような書き方ですが、これが韓国人の持つ、「道徳」全般の方向性です。

 

なぜ「法律」が増えると「道徳心」が弱くなるのか

・韓国人にとって違法意識が欠如している理由は、➀東・西洋のどこの国だろうと、法の最初の成立が支配者の命令としての形だったため、韓国人は法という観念を敵対視する感情を抱いています②官尊民卑思想など市民の法的意識の偏見があります③法の遵守を軽蔑する風潮が、何かの特権意識のように勘違いされています④現代になってから、大衆の間では法曹関係者に対する良からぬ認識が高まっています、などとなります。

 

<「精神的にまだ近代化できていない」韓国の現状

・個人的に、この「精神的にまだ近代化できていない」とする韓国社会の有様は、共産主義革命が起きやすい状態であると、心配なところでもあります。共産主義革命は表面的には「平等」(上を引きずり下ろす)を謳いますから。

 

法律を守る人は「上に阿附するやつ」

・ここまで読んでくださった読者の方々が、「ひょっとして、韓国人が主張する道徳という言葉は、法律への嫌悪(ヘイト)なのか?」と気づいてくださるなら、書いている人間として私は本当に幸せです。さらに、法律を「万民に平等なもの」とすると、韓国人の言う道徳は、「平等へのヘイト」であるとも言えましょう。

 

法律やリールより上にくる「ウリ」の道徳

・ウリは「私たち」の意味ですが、韓国人特有の「内集団バイアス」(自分が所属している集団の人たちを客観的根拠もなく高く評価し贔屓すること)とでもいえばいいでしょうか。ウリは韓国人の精神世界の中で想像を絶する影響力を持っています。韓国人のウリを説明する時によく用いる文章ですが、「一人っ子でも自分の親をウリ(私たちの)パパ、ウリママと言うのは、世界で韓国語だけ」です。

 

韓国の病気が治せる薬は「平等の概念」

・韓国には、サービスを、人の平等を考える文化がありません。日本は、「和」という名のもと、人の平等を考える国です。それは、誇るべき、日本と日本人の品格でありましょう。

 客観的な証拠出せますか?と言われると、さすがに困ります。

 

韓国の「最低賃金」と「原価主義」

「最近、韓国の経済をどう考えますか」――70%が「厳しい」と回答

・2018年12月4日(11月末調査)の『中央日報』、「『経済厳しい』70%超………10人中9人は『暮らし向きは良くなっていない』」という記事によると、「最近、韓国の経済をどう考えますか」という世論調査にて、「厳しい」とする回答が全体の70%を超えました。

 

韓国人にとって「IMFの時より悪い」というのは「最悪」とイコール

IMF国際通貨基金のことですが、韓国では「IMF救済を受けていた期間」のことです。1997年に韓国の経済が破綻し、IMFの救済を受けたことがあります。言うまでもなくあれは韓国人にとってものすごいトラウマで、大勢の人たちが家を、職を、そして命をなくしました

韓国人にとって「IMFの時より悪い」というのは、具体的にデータで比べて良いか悪いかではなく、「最悪」という意味でしかありません。

 

失業率5%、経済成長率3%なのに「最低賃金」労働者が多すぎる

・失業率5%、経済成長率3%の国を生きている人たちが、経済が破たんした期間よりも苦しいと言う、大きな歪みです。なぜこうなったのでしょうか。様々な見方ができるでしょうし、それらをすべて記すことはできませんが、本書では「最低賃金労働者が多すぎる」ことを指摘したいと思います。

 あるテーマにおける韓国の社会問題を、一冊の書籍として読者の皆様にお伝えするために、「データ」の引用はとても重宝します。日韓両国を比較するデータなら、大手マスコミが集計したものだけでも、様々なものがネットに溢れています。

 

韓国は大企業30社で43万794人、日本はトヨタだけで36万1124人の雇用数

・しかし、世の中、そんな「正義の味方」気取りの政策が通用するほど甘くありません。なにせ、韓国は、国民の雇用を自営業者に頼っている国です。2011年国際労働機関のデータによりますと、韓国の自営業者比率は、一時より下がったとはいえ、まだまだ28.2%(日本は11.9%)です。

 韓国は財閥と呼ばれる大企業グループによる経済支配が強い国ではありますが、大企業による雇用創出はそう高くありません。

 

韓国の定年は「サオジョン」=45歳

しかも、韓国は定年が日本より早く、一般的には55歳、早ければ45歳になってすぐ、大勢の人たちが定年退職を迎えます。韓国では、45歳に定年となることを皮肉り、『西遊記』のキャラクターである「サオジョン」(沙悟浄(さごじょう)の韓国語読み)の名前にちなんで、「サ(四)オ(五)ジョン(定)」とも言います。

 韓国人の人生設計において、サオジョン(45歳定年)は恐ろしい障害物となります

 韓国は、1997年の経済破綻の影響もあって、国の経済力に比べて社会福祉制度が大幅に遅れてスタートしました。国家も人と同じで、若い時には稼ぐこと(経済成長)に集中したとしても、老後(福祉政策)を考えないといけない時期がきます。

 しかし韓国では、ちょうど、経済成長期に頑張った国民のために福祉政策を考えないといけなかった時期に、経済が破綻してしまいました。今でも韓国は福祉と金融については概念そのものをちゃんと理解できないでおり、福祉を「政府がお金をばらまくこと」「国民の借金を帳消しにすること」程度にしか認識していません

 金融が弱い理由は、IMF救済の一環として、海外資本に市場を急激に全開放してしまったからです。国民年金の加入が義務になって、国民が国民年金というものを認知するようになったのが、2000年代になってからのことです。

 これらの状況で、国民が老後の暮らしのためにできることは、退職金で「店を開く」ことだけでした。韓国ではこうしたケースを「生計型自営業」といいます。

 

韓国のコンビニ――店舗数は日本の約70%に及ぶが、売上高は20%未満

・さて、最近、最低賃金引き上げ関連で、「韓国のコンビニは日本のコンビニよりずっと苦しい」という比較がよく記事になります。韓国のマスコミは何かあれば日本と比べる記事をよく書きますが、特にコンビニというと、やはり日本のイメージが強いこともありましょう。

 

全世界のマグドナルドの店舗数よりも多い韓国の「チキン屋」

・コンビニとともに、もう一つ、韓国の自営業を代表するものがあります。「チキン屋」(フライドチキンの販売、出前を主な営業とする店)です。

 2017年5月、日本のフジテレビ『新報道2001』という番組は、「起承転鶏(きしょうてんけい)」(何をやっても結局はチキン屋をするしかない)という韓国の流行語(?)を紹介しながら、韓国の大学生はチキン屋をするか餓死するかの二択しかないという現実を報道しました。

 それから韓国のチキン屋は、あまり思わしくない意味で韓国経済のシンボルのようになりました。

 

・(…………起承転鶏。韓国の自営業の現実を皮肉る言葉だ。若者たちは就職ができず、チキン屋を創業する。正社員として就職しても、早期退職や老後資金のために、最終的にチキン屋社長になるしかないという意味だ。その結果、2013年基準で、全国にチキン屋は3万6千店。全世界のマグドナルドの店舗よりも多いそして、その店の70%は運営に失敗して廃業する。創業費用はそのまま負債となる。「どこを見てもチキン屋だけ」という自営業の現実は、韓国経済、中産層の崩壊の雷管(発火装置)である………。)

 

・韓国人がチキン好きなのは別に構いませんが、2018年4月18日、ネット新聞『ブリッジ経済』によると、あくまで一人のチキン屋さんのデータではありますが、「3年前には、チキン一羽を売ると純利益は3千ウォン(約3百円)は残った」「今では、店の賃借料が33%、人件費が15%、食材の価格が14%上がって、一羽あたりの純利益が1000-15百ウォン(約100~150円)まで落ちている、とのことでした。

 1日にフライドチキン百羽売っても1万円程度の利益しか残せない、というのです。2013年時点で、開業する店と廃業する店がほぼ同じ(年3千店)となっています。

 彼らに「最低賃金を上げろ」と言うのは、誰も雇用せずに一人でやれ、という意味でしかないでしょう。

 

・韓国国会で議論される案件や国会議員の動静などを扱う『国会ニュース』の記事「全体労働者の11%、最低賃金をもらえず」(2014年9月8日)によると、統計庁の「経済活動人口調査」に基づいて分析した結果、前年の最低賃金未満の労働者数は約209万人で、全体の賃金労働者の11.4%を占めたとのことです。

 

・同じく賃金未払いも多く発生しています。『MBC』の「賃金未払いが過去最大の1兆ウォン(約1千億円)突破、なぜ増えるのか」(2016年9月4日)によると、韓国の賃金未払いが毎年最悪を更新しているとのことです。2016年の韓国の賃金未払いは、円にして1400億円で、日本(2014年)の10倍を超えています。

 

商品の「原価」にだけ執着し、その「価値」は無視する人たち

「原価厨(げんかちゅう)」という言葉をご存じでしょうか。

 

・その『ニコニ大百科』という日本の愉快なサイトによると、原価厨とは、「商材・サービスを金銭と引き換えに取引する経済活動において、『その商材・サービスの提示価格に対し原価が幾らであるのか』という部分に強く拘り、あまつさえ彼らの言う原価なるものが提示価格とかけ離れたものであった場合は事業者への非難すら行う者達を揶揄した言葉である」となっています。

 もっと簡単に言うと、商品の「原価」にだけ執着し、その商品が持つ原価以外の価値は無視する人たちのことです。

 

・韓国ではいつも「アパート(マンション)の原価を公開せよ」という議論が行われています。

 

・中には、「企業秘密に関わる部分まで公開することになる」という指摘がありますが、政府は原価公開政策を拡大しつつあります。世論も肯定的です。

 間違っても読者の皆さんが「一理ある政策だ」と誤解されないように、早めに説明しておきましょう。韓国においての「原価論争」の趣旨はいつも同じで、「企業が加害者で、消費者は被害者」という前提から始まります。

 

「私の原価はこんなに高いです」とアピールする韓国人

私はブログなどで、もう10年以上も韓国社会の「スぺック」という概念を紹介してきました。ブログ読者の方々ならご存じでしょう

 たとえば、就職の際に有利に使える専門資格を持っているとか、有名な大学を卒業したとか、そんなものを韓国ではすべてスペックといいます。日本ではスペックというと機械の性能のことです。パソコン売り場などで、特にスペックという言葉が目立ちます。

 韓国での学歴・専門資格などは、人間の「性能表示」です。それらもまた「制作費」とい観点から考えてみると、スペックは「私にはこんなことができます」という意味より、「私の原価はこんなに高いです」とアピールしているようにも見えます。悲しいことですね。

 

国家レベルで「原価厨」を進める哀れな韓国

・こうして考えてみると、韓国人は「自分」を社会から隔離して考えていることがわかります。本書で書いている「いざという時に頼れる人がいるのか」「配慮は私が他人にするものではなく、他人が私にするもの」「自中華思想」(自分が波紋の中心)「ウリの中に引きこもっている」なども、すべてが同じこと、「私だけは例外だ」とする考えからきているのかもしれません。

 韓国が、国家レベルで「原価厨」になって進めている、原価公開という名の公正もそうです。「皆、裸になれ。私はそれを見ながら嘲笑ってやる」と思っているわけです。その「皆」の中に、自分が含まれていて、自分もまた、誰かから嘲笑われているとも知らずに。

 だから、結局は「ムミン」(難しいことは何も考えずに生きるという意味です)になるしか、道がないのでしょうか。

 

世界でも稀有な、親が子に財産を贈与する「孝道契約書」

・4~5年前から、でしょうか。韓国社会では、「孝道契約書」というものが話題になっています。そのままの意味で、親が子に財産を贈与する条件として、子の親孝行を契約として強制できるようにしておくことです。

 韓国にいた時、最初にこの言葉を聞いたのは、テレビの討論番組でした。最初は、「へー、そんなこともあるんだな」というくらいにしか思いませんでしたが、どうやら「そんなこともある」ではなく、「よくあること」になっているようです。

 

<「国が福祉システムを用意すべきだ」とする主張は、「親不孝者」の言い訳

・親が子に財産を相続させることは、「相続税」(日本よりは安いですが)もあるし、「遺留分制度」もあるし、制度的側面は、日本と韓国はそう変わりません。ただ、韓国では「贈与」の形で、「生前」に子に財産を相続させる人が多くいます。

この件に対し、韓国では「ちゃんと相続させずに死んでしまうと間違いなく家族喧嘩になる」という、誰が初めて言ったかわからない格言のようなものがあります。それに従っているだけかもしれません。

 ただ、「節税」という見方もできます。

 

財産だけをもらっておいて、親を虐待する例が後を絶たず>

・財産がずば抜けて多い人なら、たとえば高度経済成長期に不動産で「当てた」人なら、社会福祉システムができてなくとも、何とか老後が過ごせることでしょう。

 しかし今、財産の贈与で孝道契約書を考えている人たちは、子の力なしに老後が過ごせるような資産家たちではありません。高齢者になるまで、老後を生きるほどの財産を集めることもできず、子が親の面倒を見る社会風潮は崩れてしまった、1955~1960年生まれの人たちです。

 

<「親と子」が、お金のために「甲と乙」の関係になる韓国

・孝道契約書とやらの内容は、こうだ。現代社会の親と子は、お金のために「甲と乙の関係」になったり、裁判所で原告と被告として対峙することもある。だから親は財産を担保に、子に親孝行を要求し、子は財産目当てに親を世話する。しかし、孝道契約書を書いたところで、真の家族の意味が取り戻せるはずもなく、親が子を扶養問題で告訴する件が後を絶たない……。

 

韓国人の家族関係は、「位階秩序」でできている

・「ウリ」関連の論文を紹介する部分でも述べましたが、実は韓国人の家族関係は、「位階秩序」、日本でいう「ヒエラルキー」の塊です

 ヒエラルキーは、もともとはカトリックで天界のものたちの順位をつけるために用意した概念だ、とも言われています。天使にも大天使と呼ばれる存在がありますが、そういうランク付けのことです。

 カトリックで言う天使の階級というのは、逆らうということが許されない上下関係となります。最高位である神の意志に背くことは、それすなわち堕落であり、堕落した天界の者は、もはや天使でもなんでもありません。そんな意味で作られた言葉です。

 

・韓国の儒教思想は、詳しくは「性理学」(朱子学ともいいます)です。文官として出世するためには性理学に基づいた勉強をする必要があったため、他の儒教関連思想はあまり流行りませんでした。

朝鮮の建国にも大きな影響を及ぼした性理学は、自然と社会の発生及び流れをすべて位階秩序で説明していきます。万物それぞれを構成する気の差により、万物には生まれつきで決まる上下関係があり、自然も、社会も、人間も、例外なく位階秩序を持っているとします。

そして、それに応じての差別、等級分けが行われるべきだとします。いわば性理学で強調するその位階秩序こそが「倫理道徳」であり、政治での官僚制度の名分はもちろん、社会の身分制度の名分も、家父長制や宗法(宗門の法規)による家族の間の上下関係の名分も、そこにありました。

 

社会を家族の拡張のように考えてしまう「副作用」

・前述したように、最近、韓国社会では高齢者の若者の間にも「嫌悪」し合う問題が起きています。その中にはとんでもないもの(ただ相手側を嫌うだけの見苦しい意見)もありますが、失礼な言い方ですが、「意外と」納得できるものもあります。

 若い人たちが、「高齢者たちは、若い人たちを『息子』『娘』としか見ていない」というのです。息子や娘のように可愛がるという意味ではありません。先の家族観の問題もあり、「父母(高齢者自分自身)に対して『下』としての立場になれ」と要求するというのです。

 ネット掲示板などでもっとも有名なのが、地下鉄などで、「高齢者が立ち、若者が座るのは良くない」論争です。

 

・殴り合いながらも相手に「お前 何歳だ」と大声出すのが韓国社会ですから、無理もないでしょう。

 韓国では若者層を中心に、地下鉄の無賃乗車制度(65歳以上の人は地下鉄の一部が無料です)を廃止すべきだとする動きもあり、これも無視できない葛藤の一因となっています。

 

韓国の国会で論じられている「親不孝者防止法」

・韓国の国会では、「親不幸者防止法」という法律が係留(通過も棄却もされていない)中です。俗に「親不孝者の食い逃げ防止法」とも呼ばれています。たしか、法案が提出されたのは2015年です。賛否両論となり、討論会も何回かありました。

 今も親の財産を相続した子が、親をちゃんと扶養しない、虐待したりすると財産の相続をキャンセル(財産の権利を親に戻す)できますが、その条件を緩和する法案です。

 

相手を「拘束」する韓国社会の「マウンティング(優位さのアピール)」の見苦しさ

・韓国社会において、このマウンティング現象ともっとも皮肉な関係にあるのが、法律です。各個人の持つ正義が対立した時、法律が必要になります。法律は人それぞれの正義を適正ラインで収めるための役割を果たします。

 

・だから韓国社会は、自分の正義で相手を拘束するために、よく法律を利用します。この流れは、朴槿恵前大統領の弾劾によって力を得た一部の市民団体によって、急激に強くなりつつあります

 

・個人的に、別に訴訟件数が多いから問題だとは思っていません。世界一の訴訟大国と呼ばれるのはアメリカですが、だからといって米国の司法システムや国民の遵法精神に致命的な問題があるわけではありません。

 問題は、法律を信じて訴訟を起こすのか、それとも法律を利用して相手を困らせるために訴訟を起こすのか、です。

 

韓国の年間告訴件数は55万件、日本は1万件

・これはまた各韓国関連ブログで有名なテーマの一つですが、韓国の「誣告の多さ」も最新データを紹介します。

 

・(………誣告事犯は、低信頼社会の断面であり、これに伴う社会的費用も少なくないと指摘される。検察庁関係者は「韓国の年間告訴件数は55万件なのに対し、日本は1万件にすぎない。このため重要な事件に捜査力を集中できない事例が多い」と伝えた。

 

・韓国ではいつの間にか、「司法不信」という言葉を、当たり前のように、目や耳にするようになりました。裁判所やその判決を信じないという意味です。

 

「日本人が法律を守るのは、上に逆らえない奴隷根性があるから」

・もう少し、韓国にて社会の約束である法律がどれだけ「壊れて」いるのかを詳しく見てみます。データは2016年のものですが、同年1月6日の『マネートゥデー』の新年特集記事が、読みやすく、よくまとめられています。

 

・調査の結果、全体的な裁判所の信頼度を問う質問に、回答者の58%は「裁判所を信頼していない」と答えた。「非常に不信している」という回答も12.2%だった……。

 ……裁判の結果に対する信頼度も低かった。回答者の70.6%は「裁判の結果は公正ではない」と答えた。このうち「非常に不公正である」という回答も22.2%であった。一方、「非常に公正である」との回答は1.4%にすぎず、「どちらかというと公正なほうだ」という回答も22.3%にとどまった………)

 

・一つ、大きな矛盾が見えてきます。公正ではないと思っていながらも、なぜこんなに訴訟件数が多いのでしょうか。それは、訴訟を起こした人たちが、最初から相手を拘束するための道具として法律を見ているからです。彼らが望んでいるのは、法律による「万民は平等」な判断ではありません。

 

・むしろ、韓国では「テボップ」という言葉が流行りました。市民団体など一部の団体が、デモや集会などでテ(群れ)をなして、法(ボップ)的手続きを無視し、無理矢理意見を通すことに対する皮肉の言葉です。セウォル号や犠牲者の遺族たちを、政治的な、朴槿恵政権を倒すための道具のように使った市民団体は大いにその勢力を拡大したものの、それからも韓国社会で遵法精神や「マニュアルの大事さ」が尊重されることは、ありませんでした。そして、その頃から、「日本の遵法精神も大したことない」「日本人が法律をちゃんと守るのは、上に逆らえない奴隷根性があるから」などの主張が、広がりました。

 

韓国社会、司法不信の裏側

カルロス・ゴーン氏の話題に話を戻しますと、このような経緯もあって、韓国の一部の記者たちは、またその記事の読者たちは、日本の司法制度をこき下ろしたいと思っていたのでしょう。記者がそう思ったのか、各メディアに日本の悪口を書けという「マニュアル」でもあるのか、読者がそう思っているから記事が迎合したのか、それともその全部が理由なのか、「これで日本人もバカ正直な違法精神から少しは目が覚めるだろう」という論調が、いくつかの記事で目立つようになったわけです。

 さらにもう一つ書き加えますと、韓国側が「日本の遵法精神」を批判することは、「多少は超越的な方法を使ってでも、安倍政権を倒せ」という願望の表れでもあります。朴槿恵前大統領の弾劾もそうでしたが、韓国では、とりあえず行動を起こして、後になってそれを法律によって正当化することが珍しくありません。違法的な手段でやることをやって、後になって法律的判断、裁判所の判例などにより、それを違法ではなかったとしておくわけです。

 

・だから、韓国の歴代政権は司法を支配下に置くために力を入れてきました。これもまた、元徴用工問題の韓国最高裁判所の判決とも似ています。裁判所が政府の意向(韓国では「政府のコード」と言います)に合わせて判決を出し、政府は「司法がやったことだ。三権分立があるから政府にできることはない」と言い訳をするパターンです。

 

・司法不信は、韓国では「あってあたりまえ」のような存在です。ですが、本当に不信しているならそれでいいかもしれません。韓国内の問題ですから。でも、朝鮮半島出身労働者問題(元徴用工問題)など、明らかに国家間条約に影響する判決に対しては、「司法を尊重しないといけないから政府は知らない」「大韓民国三権分立の民主主義国家だから政府は知らない」の主張に、大統領はもちろん、大勢の韓国人が同意しています。

 信じていないと言いつつ、なぜ自分側に都合が良い時だけこんなに堅く信じるのでしょうか。そう、そもそも、信じないと言いつつなぜこんなに訴訟件数が多いのでしょうか。もはや、韓国社会の司法不信は、信じる、信じないで話す事案ですらないのかもしれません。ただ相手を拘束するための道具にできれば、それでいい。それだけです。

 

「借りたお金を返さない心理」=日韓関係の写し鏡

ネット掲示板からマスコミまで、小学生の愚痴から大学教授の論文まで、韓国社会には、「正義」または「正しい」という言葉が溢れています。ですが、そこに法律をちゃんと守ろうとする話はそうありません。

 最初に書いた「今の韓国社会の問題」に戻ります。「借りたお金をちゃんと返すべきだ」を法律だとします。市民団体など法の上に君臨しようとする勢力を「情など、お金を返さないための屁理屈」だとします。そして、その副作用で繰り広げられる社会の対立、たとえば「東西分断」とまで言われている極端な右派思想と左派思想の対立などを、「相手を拘束する」とします。ぴったりと当てはまります。悲しいほどに。

 

・人と人との関係において、「約束」は交わした二人が共に幸せになれる可能性を秘めています。でも、「拘束」にはそんな可能性はありません。拘束した人は喜ぶかもしれませんが、拘束された人は、何もできなくなります。拘束された人に唯一安寧を得る方法があるなら、ただ「私は何もできないほうがいい」と諦めることだけです。「自分」すべての可能性を他者、拘束した人に預けてしまうことになります。

 

韓国に告ぐ、「まずは約束を守れ」

韓国で、お金を借り貸しする際に必要なものは、ちゃんと書類を書いておくことです。「お金を貸した。ちゃんと返せ」と。韓国では親孝行まで契約書が必要になっていますから。もちろん、そんな書類を用意しようと言うと、韓国人は「この薄情者! 私たちの関係ってこんなものだったのか」と怒ります。でも、仕方ありません。たとえ薄情者と言われようとも、ちゃんとマニュアル通りの安全装置を作っておくことが、お金の借り貸しで悩まないもっとも有効な手段です。

 今の日韓関係を「悪化」とするのはまだ分かりますが、だからといって「改善」すべきなのかどうかについては、私は「改善という言葉のチョイスそのものがおかしい」と思っています。改善でも改悪でもなく、ただマニュアル通りにすればいいのです。

国際法を違反しているのは韓国のほうだ。まずは国家間の約束を守れ」。

 それを貫くことが、今の日韓関係にもっとも正確に把握してアドバイスしているのは、カウンセラーでも教授でもなく、韓国が「極右」と毛嫌いしている日本の安倍総理かもしれません。「まずは約束を守れ」、と。

 

物質主義

・韓国人がお金に関して持っている歪みは、そういう「堕落した」人権思想と瓜二つです。彼らが求める「公正」のおかしさが、どことなく似ているからです。

 韓国人の「物質主義」に関する考察をいろいろ探ってみると、過去の新聞記事にも書籍にも、様々な主張が書いてあります。死後の世界を大して重要視しない「儒教思想」の影響だとも、国家の将来に対する不信の表れ(お金を貯めておく以外に信じられるものがない)だともされています。

 ただ、悲しいことに、このような有益な考察は、2000年代からは見つけるのが難しくなりました。「偉大なる韓国人の品位を貶めるような考察」はできなくなってしまったのでしょう。

 

今回見つけたそれらの考察の中で特に面白かったのが、本書の趣旨にもずいぶん近い内容で、「数値化」です。

 韓国人は数値化できるものでしか価値を見いだすことができないというのです。物質主義ではなく、韓国人の「他人との比べ方」に関してのことで、テストの点数、背の高さ、家の広さ、車の大きさに異常にこだわる人が多いのも、そのためだとする主張です。

 個人的に、お金をその範囲の中に入れてもいいのではないか、と思いました。お金は明確に数値化できるものだし、しかも社会生活に重要なものであるためです。

 

私が思うに、お金から「権力」「順位」「上下関係」などの概念を見い

だせば見いだすほど、その人からは品位がなくなります。お金そのものには良いもの悪いもありません。品格が高い低いもありません。

「お金が人をどう思っているのか」はどうでもいいのです。問題は、「人がお金をどう思っているのか」です。

 その考え方が、他の人にも伝わります。そこで、その人の品格も決まります。品格とは、恥を自分の中から探ろうとする姿を意味します(どこから辞典に載っているわけではありませんが、私はそう思っています)

 他人から恥を見つけようとしたところで、品格は上がりません。自分のお金から自分だけの価値を楽しむ人には品格があります。

 

・韓国人は、この二つを混同しています。「独裁者は悪い」と「大金持ちは悪い」を混同しているようなものです。「権力は幸せのために必要だ。でも権力者は悪いやつらだ」と書き換えることもできるでしょう。

 韓国人は、お金でなんでもできると信じています。韓国人は、お金持ちになれば、それで自分の品格も上がると思っています。

 

韓国社会では「体面」がなくならないのも、このためでしょう。プライドを意味する体面は、日本社会の「建前」とよく比べられますが、日本の建前は相手を「上げる」内容、韓国の体面は自分を「上げる」内容という差があります。

 ムミン世代の際に論じた「スペック」(性能表)もそうですが、韓国人は自分自身を「物」だと思っているのでしょうか。スペックを貼ったり、価格を付けたり

 一つ言えるのは、どれだけ高い価格や性能が書いてあっても、そんな札を体中にベタベタと貼っている人には、あまり近づきたくありません。