日本は津波による大きな被害をうけるだろう UFOアガルタのシャンバラ 

コンタクティやチャネラーの情報を集めています。森羅万象も!UFOは、人類の歴史が始まって以来、最も重要な現象といわれます。

普通の電池くらいの大きさの原子力電池があった。近未来には照明も、電気自動車も、冷蔵庫も、すべてに原子力電池が使われていた。大きなものを動かすには、もう少し大きな原子力電池が使われている。(3)

 

 『女神イシスの降臨』

 古代エジプト神話の謎に迫る

大川隆法   幸福の科学出版   2011/8/9

 

 

 

女神イシスの正体は、琴座、ベガ星出身の神秘の女神であり、古代エジプトの実在の歴史上の初代の王とも呼ばれているホルス王の母でもある

・また、「オシリスの復活信仰はイエスの復活信仰の原型であり、古代エジプトに流れる、この神秘思想がキリスト教に流れてきた」という考えもありますし、「転生輪廻の思想も、このあたりから始まっていて、それが仏教に入っている可能性もある」という考えもあります。

 

・ハトホルとこのイシスとを、ほとんど同一視するような見方もあります。

 

 <夫であるオシリスの腹違いの妹だったイシス>

 オシリスとイシスの子ホルスはエジプトの覇権を確立した>

 天照大神(あまてらすおおみかみ)とイシスの深い縁>

天照大神は日本担当、イシスはエジプト担当として下りた。

 

天照大神とイシスは「ベガの女王」。

 

プレアデスは“顕教”ベガは“密教”を担当している。

 

ケンタウルス座α星人の中には、映画「猿の惑星」に出てくる、猿が人間になったような外見の者もいる。

 

 

(2019/11/6)

 

 

 

『人類の意識を変えた20世紀』

アインシュタインからスーパーマリオポストモダンまで

ジョン・ヒッグス   インターシフト  2019/9/5

 

 

 

サイエンス・フィクション ●単一神話から複雑な物語へ

ホドロフスキーの夢

・チリ出身の映画監督アレハンドロ・ホドロスキーは、フランク・ハーバートによる1965年のサイエンス・フィクション(SF)『デューン 砂の惑星』(早川書房)の映画化を目論んだ。構想が実現していたらそのオープニングは、ワンカットのシーンとしては映画史上最も意欲的なものとなっていただろう。

 シーンはまず、一個の渦巻銀河を外側から映し出すところから始まる。

 

・当時は『スター・ウォーズ』が成功を収める数年前のこと。まだSFは奇妙でくだらないものと見なされていた。ホドロフスキーの売り込みは心を打つ革新的なものではあったが、やはりSF映画には違いない。結局、どこへ行っても「無理だ」と断られる。

 1920年代に初めて「サイエンス・フィクション(空想科学小説)」という名称がつけられたとき、すでにSFは軽んじられていた。もちろん子供には受けたが、批評家からは見下された。ところが、これがかえって幸いする。文化の主流から外れていたために、作家は自由に探究や実験ができたのだ。

 

UFOと天使

・20世紀の精神を理解するうえでSF的な概念がいかに役立つかは、スイスの精神分析カール・ユングがUFO(未確認飛行物体)に興味を抱いていたことからもうかがえる。ユングフロイトの愛弟子だったが、師匠が性に固執しすぎているとして袂を分かったのは有名な話だ。そのユングは1959年に、空飛ぶ円盤についての著書を発表している。当時ユングは83歳だったため、そんな本を出して科学者としての名声が危うくなるのではないかと思い煩うこともさしてなかった。

 

・UFO現象は第2次世界大戦後に始まったものである。きっかけは、信頼に足るアメリカの飛行家ケネス・アーノルドが、1947年に奇妙な物体を目にし、それを新聞がセンセーショナルに書き立てたことだった。以来、UFOは一般の人々の意識のなかに降りたった。世間はUFOを、遥か彼方の世界から来た異星人の宇宙船だと最初から決めてかかった。アーノルドがワシントン州の上空で目撃したのは、正体不明の九つの飛行物体。いずれも平たい半月状で、ブーメランとクロワッサンを掛け合わせたような姿をしていた。日差しのなかで魚が飛び跳ねるような、あるいは円盤が水面を跳ねていくような動きだったとアーノルドは表現している。

 

・UFOの目撃談は時とともに変化していった。それらは大衆メディアがUFOをどう描くかと切っても切れない関係にあり、『未知との遭遇』(1977年)のような映画が公開されると目撃情報の数も増えた。初期の目撃談には、火星人や金星人に遭遇したというものもあったが、どちらの惑星にも生命が存在しないとわかってからは、遠い銀河からの来訪者という話になった。UFOによる拉致事件、家畜の変死事件、大きな目をした「グレイ」と呼ばれる異星人、果ては「異星人に連れ去られたあげくに肛門を検査される」という思いもよらぬ体験談まで、事細かないくつもの新事実が広く知られるようになる。また、エイリアンは秘密の軍事基地と関連しているのではないかというのが、大きなテーマとして浮上した。もっとも、軍事基地を秘密裏に開発しているような土地の上空なら、見慣れない飛行物体が飛んでいてもさほど驚くにはあたらない気もするが。

 

第1次世界大戦の頃でもまだ私たちは、天使と出会ったなどという話をしていた。そのいい例が、「モンスの天使」である。イギリス海外派遣軍の最初の大きな戦闘となったモンスの戦いで、天使がドイツ軍からイギリス兵を守った、という内容である。この話は実際はウェールズの作家アーサー・マッケンが書いた短編小説だったのだが、これが広く流布して、人々は本当にあった出来事のように思い込んだ。しかし、第2次世界大戦の頃になるとキリスト教はすでに衰退し、天使との遭遇などもはや信用されず、この世ならぬ存在につけられてきた数々の呼び名もすべてあり得ないものとされるようになっていた。そうは言っても、不思議な遭遇は依然として起こる。そこで今度は、ほかの惑星からの来訪者との接触、と解釈されるようになったわけだ。理解を超える存在の正体を考えるうえで、SF的な概念が一番しっくりくるものだったのである。

 

・キャンベルは単一神話の筋書きをこう要約している。「一人の英雄が日常の世界をあとにし、超常的な驚異の領域へと旅に出る、そこで信じられないような力に出会い、決定的な勝利を手にする。英雄は同朋に恩恵を授ける力を得て、この神秘的な冒険から帰還する」

 この筋書きがあらゆるところで繰り返されているのにキャンベルは気づく、オデュッセウスオシリス、プロメテウスなど、神々や英雄が活躍するさまざまな神話しかり、モーゼ、キリスト、ブッダといった宗教的偉人の生涯もしかり。古代ギリシアからシェークスピアディケンズに至る数々の戯曲や小説もそうだ。この種の筋書きは、今では「英雄の旅」と呼ばれている。それは、ありふれた世界に住む平凡な人物(ほぼ例外なく男性)の登場とともに始まる。男は何かの出来事をきっかけに冒険の旅へといざなわれ、父親的な威厳を持つ老齢の導師に出会い、旅をしながら数多くの試練をくぐり抜け、巨大な悪に立ち向かってこれを倒す。やがて活躍が何らかのかたちで報いられ、男は別人のように成長した姿で元の世界に戻る。ルーカスは『スター・ウォーズ』の第1作を制作するにあたって、キャンベルの単一神話の現代版を作ることを意識したと公言して憚らなかった。そのことが、キャンベル自身とその著作の知名度を高めるのに大いに貢献することになる。

 

・『スター・ウォーズ』があまりにヒットしたために、アメリカの映画産業はまだその後遺症から完全には抜けきれていない。ルーカスの友人スティーヴン・スピルバーグの映画とともに『スター・ウォーズ』はハリウッドのその後を方向づけ、収益の見込める最大作とわかりやすいキャッチコピーを追い求める産業へと変貌させた

 

・ルーカスがキャンベルの単一神話を利用して魔法の商品を作り出したことは、いやでも注目を浴びた。少なくともハリウッドにとって、「英雄の旅」は金の卵を産むガチョウになったのである。映画会社で脚本の採否を決める担当者たちは、持ち込まれた脚本を吟味して良し悪しを判断するのに「英雄の旅」を基準にした。脚本製作の理論家も専門家もすっかりそれを自分のものにし、ついにはその基本構成と異なる物語を生み出すことができなくなった。きっかけとなる事件をどこに置くか、暗黒へと逆戻りする日々をどこにもってくるか、そこから第三幕の解決篇に入るかを、脚本の読み手も書き手も寸分違わず心得ていた。映画産業では最終的な収益がすべてであり、しかも仕事が非常に不安定である。そのため、映画の骨組みはキャンベルの単一神話一色になった。

 

個人主義 ●男も女も一人ひとりが一個の星

汝の意志することをなせ

アレイスター・クロウリーはイギリスの詩人にして登山家であり、オカルティストでもある。そのクロウリーが1904年4月、一冊の本を口述筆記した。クロウリーによればそれは、人間ではない「アイワス」という知性体から授けられたものである。アイワスはクロウリー守護天使であり、「知性と力の化身にして、人間と呼び得る何がしかよりも遥かに鋭敏で偉大なもの」だった。

 霊、天使、不可思議な生命体など、人間ならぬ存在からメッセージを受け取ったと言い張る者はいつの世にも少なからずいる。それは20世紀初頭も例外ではなかった。1913年には、スイスの精神分析カール・ユングが幻を見て、フィレモンという名の存在の声を聞いたフィレモンは、雄牛の角とカワセミの翼を持つ年老いた男性の姿をしており、精神の本質についてユングと深遠な議論を交わしたのだという1925年には、アイルランドの詩人W・B・イェイツと妻のジョージーが、自動書記を通して霊と交信している。霊は交信の準備が整うと、イェイツの家をミントの香りで満たして知らせてくれるのだ。

 クロウリー、イェイツ、ユングがそれぞれ授かったメッセージを読んでみると、不思議とクロウリー、イェイツ、ユングが書いた文章そのものに見える。

 

クロウリーがアイワスの言葉を聞き書きしたというその本は、一般に『法の書』(国書刊行会)と呼ばれている。というのも、正式名称の『220の姿のもとに93=418から666に伝えられたエルもしくは法の書』は、いかにも冗長だからだ。この本はカイロの宿に3日間滞在して完成させたもので、全3章から成り、それぞれが1時間ほどで書かれた。

 

・その簡潔な文体は、最も有名な次の一文によく現われている。「汝の意志することをなせ。それが法のすべてとなろう

 クロウリーが妻のローズとともにカイロの熱い喧噪に足を踏み入れたのは、1904年2月のことである。モスクと城塞で有名なこの古い都には、ちょうど開発と近代化の波が押し寄せていた。

 

クロウリーがこの地を訪れた目的は、現地の宗教を学んでゴルフを楽しむこと。そして宝石を散りばめたターバンを巻いて絹の外衣をまとい、金襴の外套を羽織って、ペルシャの王子よろしく街を闊歩することだ。ところがあるとき、ローズが思いがけないことを言い出す。何者かがあなたに言葉を伝えたがっている、と。

 ローズはエジプトの宗教になど何の関心も持っていなかっただけに、クロウリーはなおさら驚いた。そこで、妻の知識を試そうとブーラーク博物館に連れて行き、ホルス像を見つけてみろと促す。ローズは一目でそれとわかるホルス像の前を何体も素通りして、2階へ向かった。そこですぐさま、遠くの小さな展示ケースを指差して叫ぶ。「あそこよ!」。2人がケースに近づくと、普通なら気にも留めないような鷹頭の男性の姿で王座に座っている。ケースには666番という展示番号が付されていた

 クロウリーはこれにただなならぬ意味を感じる。666はクロウリーにとって重要な数字であり、自らを「獣666」と呼んでもいた。だからローズが、いくつか指示を与えたい、と言ったとき、クロウリーは一言一句たがわずそれに従った。

 

クロウリーは、人気のない寺院に部屋を借り、3日のあいだきっかり12時から1時間そのなかに籠るよう命じられる。言われた通り3日間、毎日書き物机に向かい、聞こえてきたことをそのまま紙に写していった。相手は特段の訛りのない英語で話し、声は背後から響いてくるようであるクロウリーの言葉を借りるなら、その声は「深みのある声音にして音楽的で表情に富み、口調はときに厳かに、ときに厳かに、ときに官能的に、柔らかいと思えば激しく、伝える内容にふさわしい雰囲気を帯びる」。これはアイワスの声で、アイワスとはホルス神の使者である。こうしてクロウリーは『法の書』を1日1章ずつ書き上げていった。

 

クロウリーによれば『法の書』は人類の精神が新たな段階に進化したことを告げている。人類はクロウリーが言うところの「ホルスの時代」に入ろうとしているのだ。その前の「オシリスの時代」は父権主義的な性格を持ち、帝国主義の時代に対応している。オシリスの時代には、人は階級制度のなかで自分の分をわきまえることを求められ、上の者に従うのが当然とされていた。それとは対照的に、ホルスの時代には子供のようにしていられる。自由奔放な自然体で、自分中心に生きて構わない。個人個人の意志を実行することこそが何よりも優先される時代なのだ。アイワスが語ったように、「汝の意志することをなせ」というよりほかに法などないからである。

 

クロウリーキリスト教の伝統のもとに育ちながらも、それを乗り越えようとしていた。キリスト教帝国主義と同じで、自分より階級の高い「主人」に服従するシステムだった。主人は自分に従う者を保護して助けるが、自分の命に背けば裁きや罰が待っていると脅しもする。キリスト教は時代の政治体制を忠実に移す鏡だったわけだ。

 

クロウリーは、自ら開いた新しい宗教を「セレマ」と名づけた。セレマは新しい時代の産物であり、何人に対しても跪くことを求めない。その点で、キリスト教とは大きく一線を画していた。『法の書』の言葉にあるように、「男も女も一人ひとりが一個の星」なのである。

 

アイン・ランドと著名な信奉者たち

・個人の自由を文字通りに徹底追及することを肯定して最も大きな影響を与えたのは、おそらくロシア生まれのアメリカの小説家アイン・ランドだろう。

 

・幼い頃、家は裕福で、実業家として成功したユダヤ人の父は薬局とそれが入った建物を所有していた。ところがランドが12歳の1917年、幸せな少女時代は暗転する。十月革命が起きたのだ。これを境に父の財産は没収され、ランドの十代は先の見えない不安と絶望と、貧困にあえぐ日々となる。この経験からランドのなかには、共産主義社会主義のような集産主義的思想への深い憎悪が根を下ろした。そうした思想はみな、自らの力で富を得て正当な蓄財をしている人々から、それを奪う口実にすぎないと感じたからである。

 

・ランドはアメリカに移住し、脚本家として身を立てようとしたがうまく行かず、『賛歌』という中編小説を書いた。『賛歌』には、全体主義が支配する暗澹たる未来社会が描かれている。

 

・この頃クロウリーはすでに隠居し、サセックス州のヘイスティングズで下宿暮らしをしていたが、やはりランドを信奉する一人だった。1947年、亡くなる数か月前に、クロウリーはランドに手紙を送っている。「[ランドの諸説]『水源』(ビジネス社)は、今までに読んだ小説のなかでも傑出しています。アメリカにいる友人たちは、主人公と私が重なると盛んに言います」。ランドの哲学は、のちにアントン・ラヴェイという悪魔教会の教祖をも感化することになる。ラヴェイの著書『サタンの聖書』は、当時の悪魔崇拝に最も大きな影響を与えた一書であり、現在までに100万部以上売れている。ラヴェイの悪魔崇拝は、オブジェクティビズムに比べると人間より山羊に重きを置くきらいがあるものの、自分の宗教は単に「アイン・ランドに装飾を施したもの」にすぎないとラヴェイは進んで認めていた。

 

アメリカのキリスト教徒とランドの崇拝者とが重なっているのは不可解な気もするが、その理由はアメリカのキリスト教とヨーロッパのキリスト教の違いにあるのかもしれない。20世紀にはヨーロッパ各地で礼拝の参加者が激減し、その状況は北部のプロテスタントでも南部のカトリックでも変わらなかった。

 

ファシズムと意志の力

・晩年が近づくと、クロウリーは自らの宗教「セレマ」の哲学の骨子をまとめ、1ページの明快で簡潔な文章を記して、『オズの書』と名づけた。

『オズの書』は短い五つの段落から成り、次のような文章で始まる。「人は自らの欲に従って生きる権利を有する。すなわち、思い通りに生き、働き、遊び、休み、自分が望む時期と方法で死ぬことができる」。どれもたいそう魅力的に聞こえる。

 

クロウリーもランドも、相容れない複数の自由が対立したら力をもって解決すべきだと信じていた。自分のしたいことを誰かが邪魔しているときは、最も強い意志を持つ者が勝たなければならない。これはイタリアの政治家ベニート・ムッソリーニが好んだ考え方でもあり、ムッソリーニファシズムという思想を構築した中心人物である。

 

アドルフ・ヒトラーの台頭は、ムッソリーニファシズムが招いた面もある。ヒトラーは1933年にドイツの首相になると全体主義体制を敷き、市民生活のあらゆる側面を管理することでドイツ経済を立て直そうとした。全体主義国家は個人主義の対極にあるように思うかもしれないが、それは全体主義国家を動かしている側にいるか否かによる。クロウリーとランドからすれば、ヒトラーのような指導者は自分の意志を見事に実行している天晴な人物にほかならない。これもまた、見る者がどこにいるかによって何が見えるかが違ってくることの例と言えるだろう。

 

スターリンヒトラーがそれぞれの意志を押しつけ合う日がついに来たとき、歴史上のどんな出来事よりも悲惨な結末が訪れた。2人の独裁者の衝突を象徴するのがスターリングラードの戦いである。これは、一つの戦闘としては戦争史上類を見ない規模を持ち、最も多くの血が流れたソ連がドイツ軍の侵攻をスターリングラードで断固食い止めようとしたおかげで、最終的に東部戦線の戦況は変わり、ナチスクリミア半島の油田に到達するのを阻むことはできた。だがその過程で、およそ150万人の命が失われた。

 

利己と調和は矛盾しない?

個人主義は圧制を他者に押しつけるだけでなく、人々を鼓舞して圧制から脱却させる力も持っている。1955年のアラバマ州で起きたローザ・パークスの事件はその好例だろう。黒人のパークスは、人種隔離されたバスに乗っていて、席を白人に譲るように促されたのに席を立たなかった。この事例からは二つのことがわかる。一つは、個人主義には生得の道徳観が重要な鍵を握る場合があること。もう一つは、個人の行動がより大きな共同体の闘争として実を結ぶ場合があることだ(ローザ・パークスの事件は黒人による公民権運動の契機となった)。

 

・ランドの説いた「良識ある利己心」や、アダム・スミスの「見えざる手」のように、クロウリーにも自らの哲学が道義的に間違っていないことを裏づける理屈があった。「汝の意志することをなせ」というのは、「したい放題にせよ」とはまったく違うと強調したのである。

 

クロウリーの著作を研究している人たちの見解によると、原ファシズム的で芝居がかった装飾に目をつぶりさえすれば、クロウリーの書いたものには大いに評価すべき点がある。個人の意識に変革を生み出す、科学的体系の書と見ることもできるという。しかしクロウリーの名を後世に残したものは、意識に対する洞察よりも、個人が何物にも勝ると宣言したことだろう。それがあっからこそ、BBC(英国放送協会)が2002年に「古今を通じて最も偉大な100人のイギリス人」を決めたときにその一人に選ばれたのだ。

 

クロウリーとランドが現在どのように見られていようと、徹底した個人主義を奨励することで20世紀に多大な影響を与えたのは間違いない。

 

クロウリーとランドが考える個人は、自由意志を持って自己充足した理性的な主体、というものだった。ところが本当の答えは、遥かにややこしいものだったことが明らかになる。

 

個人主義

・個人の権利と自由を尊重する「個人主義」は、2人の強力な導き手を得る。アレイスター・クロウリーアイン・ランドである。日本ではそれほど知られていないが、20世紀の精神に大きな影響を与えたクロウリーは魔術思想家であり、その教えの核心は「汝の意志することをなせ」。さらに「自由を邪魔する者を殺す権利を持つ」とまで説く。世界で最も邪悪な男と呼ばれたが、キリスト教的な倫理観・父なる神や父権主義が持つ服従感を吹っ飛ばす破壊力(道教ニーチェ哲学、魔術を取り合わせたような)は、ロックミュージックやカウンターカルチャーに麻薬のように取り込まれていった。一方のアイン・ランドは、ロシア生まれのアメリカの作家。自己の幸福を求める「利己主義の美徳」を掲げ、レーガン元大統領やアラン・グリーンスパンも信奉者だった。

 

 

 

『もっと哲学がわかる神秘学入門』

富増章成    洋泉社   2003/5

 

 

 

魔女と悪魔

・魔女は、儀式、まじない、呪縛、霊を呼び出すこと、霊に訴えること、透明化、飛行、変身、透視、天候操作、治療などなんでもする。善も行うし悪も行うという話なので、やっぱりよい魔女と悪い魔女がいたのだ。おとぎ話に出てくるのはだいたい悪い魔女で、日本のアニメに出てくるのはよい魔女という定義で間違いないだろう。

 悪い魔女は悪魔と契約するという。

 

・前は、天使の階級にふれたが、今度は悪魔の階級である。もとは天使だったのだから、悪魔も天使と同じパターンの階級をもっているのだ。

 17世紀の宗教者セバスチャン・ミカエリスは、天使の階級に対して悪魔の階級というものを発表した。彼はエクソシストだった。悪魔を祓うには、まず敵を知るということだろうか。

 

<悪魔の階級>

★上級3隊

熾天使ベルゼバブ、ルシファー、レヴィアタン、アスモデウス

智天使(バルベリト)

座天使(ウェリネ、グレシル、ソロイネン)

 

★中級3隊

能天使(カレアウ、カルニウェアン)

主天使(ロステル)

権天使(ウェリエル)

 

★下級3隊

力天使(ベリアス)

大天使(オリウィエル)

天使(イウウァルト)

 

<天使と悪魔>

・天使とは、神によって創られた純粋な霊である。一部の天使が使者として天上から人間のもとに派遣される。天使は肉体をもたず、物質に依存していない純粋な霊である。

 聖書では天使は数え切れないほど多いと伝えられている。キリスト教の伝統的教えによれば、天使は高位から低位へと9群に分けられている。

 

■上級3隊

第1階級 熾天使セラフィム

  6つの赤い翼と目によって、火と愛を象徴している。

 

第2階級 智天使(ケルビム)

 青色の目がついた4枚の翼をもち、本をもった姿で表わされ、豊富な知識をもっていることを示している。

 

第3階級 座天使(トウロンズ)

 神の玉座、神の乗る戦車の車輪の形をもつ。

 

■中級3隊

第4階級 主天使ドミニオンズ)

 王の服を着て、冠をつけ、権威を示している。

 

第5階級 力天使(ヴァーチューズ)

 2つの目をもち、天上からの奇跡の配分係である。「イエスは天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった。イエスが離れ去って行かれるとき、彼らは天を見つめていた。すると白い服を着た2人の人がそばに立って、言った……」この2人の人は力天使であるという説がある。

 

第6階級 能天使パワーズ

 剣をもち、悪霊を足で踏みつけてこれを征服したことを表わしている。

 

■下級3隊

第7階級 権天使(プリンシパリティーズ)

 神の命令を実行するために笏を持っている。

 

第8階級 大天使(アークエンジェルズ

 一番人気の天使たち(別名チャーリーズ・エンジェルとは呼ばれていない)。7大天使は、ミカエル、ガブリエル、ラファエル、ウリエルの4大天使とサリエルラグエルラジエルレミエルアナエルメタトロンの中から選ばれる3大天使とのユニット構成。まさに、天使のハロープロジェクトといえよう。

 ミカエルは黙示録でサタンを天国から追放している。ガブリエルは、マリアに受胎告知を行なった。ラファエルは癒し系である。魚の内臓から目薬をつくる方法や悪魔防衛の方法を教えてくれたりする。悪い魂はウリエルによって罰せられ焼かれる。よごれ役である。

 

第9階級 天使(エンジェルス)

 暴走するレディーズではない。その他たくさんの天使のことである。

 

アウグスティヌスによれば、天使は自由であると同時に限定された堕落しうる存在であるから、ほっとくと罪を犯す可能性がある。

 だが神はかれらが堕落することを望まなかったので、恩寵によって天使たちを励まし、かれらの善を強固にしようと決めた。これが天使の一軍だが、実は二軍もあった。二軍はかなり自由意志をもっていたので、罪を犯し堕天使となった。

「天使の位階の一つがその下なる位階と共に神に背き、信じがたい考えをいだきて、大地の上なる雲よりも高く御座をもうけようとした」(『エノク書』)

 大天使長ルシファーは、自分が神の代わりに天の御座につきたいとの野望をもった。ルシファーは他の天使たちを率いて神に反逆したが、敗北して天より落とされたのだ。悪魔の始まりである。

 悪魔については、サタン、デーモン、デビルと様々に呼ばれる。

 

ブラヴァツキー夫人の神智学

・さて、1875年に神智学協会を設立したブラヴァツキー夫人は、ますますアクティブに活動をはじめた。なにしろ夫人のバックについている指導者の力が尋常ではない。それはブラヴァツキー夫人がチベットで会った「秘密の大師」である。

 大師はヒマラヤの奥に住んでいる霊的な超人であり、常に彼女をバックアップしている。さらに大師は空中からメモを物質化させて意志を伝達したり、手紙や電報まで送ってくるのだ。なかなかマメな超能力者である。

 神智学によると、死後、人間の魂は高次の精神世界へと向かい、後に地上にもどって再び人間の生をうける。これを繰り返してより高度な存在へと成長していくのである。人間の精神的な本質は、物質的な低い本質によって汚染されているので、神的な本質へと純化されなければならない。この純化は、修行によって可能である。

 

ゴールデン・ドーン(黄金の夜明け団

・ただ、ちょっとヘンなのは、イギリスのゴールデン・ドーンは、ドイツの本部に存在する「秘密の首領」の指示を受けて活動することになっていたのだ。「秘密の首領」は生身の人間であるが、活動は星幽界(アストラル世界)で行われており、稲妻のようなパワーを秘めた超人であるという。

 

・ところで、1904年4月のこと、クロウリーは妻(前年に結婚)のローズをともなって、ハネムーンの最中であったが、エジプトのカイロで奇妙な出来事に遭遇した。ローズに守護天使「エイワス」が乗り移り、彼に教えを書き取らせたのだ。これは『法の書』としてまとめられた。

 

(エイワス)アイワスとも言う、クロウリーが以前から接触を図ろうとしていた地球外生命体かつ守護天使。エイワスの指導で書かれた『法の書』はキリスト教の教えに代わる新たな真理が説かれているという。

 

これが人智学だ!

・ここで人智学について紹介する余裕はないが、なんといってもシュタイナーの膨大な霊的体系は圧巻である。まず、人間の体は物質だけでは説明がつかない。実は、人間を構成している要素は4つである。「物質体」「エーテル体」「アストラル体」「自我」である。

 物質体は肉体である。それは純物質としての肉体であり、死体となんらかわりはない。ここに「エーテル体」が重なることで有機体としての生命をもつのである。肉体は年を追うごとに老化していくが、エーテル体はこの逆の方向をとる。人が生まれたときに年老いており、年を経るに従って、若返っていくのである。

アストラル体」は意識の担い手であって、神経組織にその体的な表現が見られる。動物もアストラル体はもっているという。しかし、「自我」をもつのは人間だけである。この4拍子そろっているのが人間なのである。鉱物は「物質体」、植物は「物質体+エーテル体」、動物は「物質体+エーテル体+アストラル体」、人間は「物質体+エーテル体+アストラル体+自我」ということになる。

 

臨死体験などは、物質体からエーテル体・アストラル体・自我がスッと抜けてもどってきた状態なのだ。この状態は、映画『フラットライナーズ』にくわしい。また、生命エネルギーが肉体に重なっているという映画は『スペースバンパイア』。なんといっても原作がコリン・ウィルソンだから、神秘主義そのままという感じだ。人が死んでしまうと、エーテル体・アストラル体らしきものがズバーッと体から出て行って、エイリアンの宇宙船にチャージされてしまうという恐ろしい話。

 というわけで、人間は死んでも本体は死なないということなのだ。だから輪廻もする。死んで生まれ変わってと繰り返すうちにより高次の意識体へと成長していくのである。

 

・まず、宇宙の歴史は土星紀、太陽紀、地球紀、木星紀、金星紀、ヴァルカン星紀となっている。私たちが生きている時代は地球紀であるから、3つ目の宇宙だったのだ。

 土星紀においては、地球は現在の土星の軌道と同じ大きさの天体だった。この時の人間は肉体(人体の萌芽)だけである。エーテル体、アストラル体もない。土星紀が無に消え去ったあと、太陽がまだ惑星であった時代に移る。太陽紀である。

 このとき、人間にエーテル体が重なったので、鉱物の意識から植物の意識へと進んだ。さらに太陽と月が分離した月紀において、人間にアストラル体が与えられた。人間は夢の意識に進んだ。ちなみに、睡眠状態のときは、アストラル体が物質体から抜けている。だから、物質に誓約されない自由な夢をみるのである。

 さて、私たちの地球紀においては、自我が与えられたので、こうして本を読んだりできるわけである(ああよかった)。

 未来はどうなるのであろうか。木星紀には霊我にめざめ、金星紀には生命霊に、そしてヴァルカン星紀には、霊人へと進化するのである。

 

・つまり、私たちが生きている時代は、地球紀・第4周・後アトランティス時代・第5文化期(1413~3573年)ということになる。

 どうしてそんなことがわかるのかと言われたらこう答えるしかない。アカシック空間に記録されているから、これは比喩とか象徴とかではないのだ。本当に宇宙がこのような歴史をたどっているとシュタイナーは言うのである。

 地球の進化とともに人間が進化していくという壮大な世界観。私の霊的レベルはかなり低いらしく、このような高度な話はとても理解する力がない。

 

3倍偉大なるヘルメス

・ヘルメスの外見は、翼のついたサンダルと帽子、2匹のヘビがまきついた翼のついたカドゥケウスとよばれる魔法の杖をもっている。

 

・(ヘルメス)ギリシア神話のオリンポスの12神の一人。神々の使者、牧畜、商業、盗人、旅人などの守護神である。ローマ神話では、メルクリウス(マーキュリー)

 

・時代が進むと、ヘルメスがエジプトの神トートと習合して、錬金術の神トート・ヘルメス・トリスメギストスと呼ばれるようになった。トリスメギストスは3倍の意味であり、限りなく偉大なヘルメスを意味するのだ。

 

・彼は、死者の魂を冥府へ案内し、魔法の力で睡眠と夢をあやつる。また商人や羊飼いの守護神でもあり、忙しそうである。

 運動競技の神としては、競技場などをまもり、幸運と健康をつかさどるとされている。

 

・「偉大な哲学者」「偉大な神官」「偉大な王」という3つのペルソナをもっていると信じられている。

 

キケロによると、ヘルメスはかつて5人おり、最後のヘルメスが、アルゴスを殺害したのちエジプトへ逃れ、エジプト人に律法と文芸を教え、テウトまたはトートと呼ばれるようになった。

 3~4世紀のキリスト教神学者ラクタンティウスによれば、ヘルメスがエジプトの都市ヘルモポリス(現在のダマンフール)を建設した。

 

・ヘルメスはモーセだったとか、キリストの出現を予言していた!という話も。もう、何を聞いても驚かないぞ~と思ったら、木村鷹太郎という人が、国常立神(くにのとこたちのかみ)はヘルメスだと言っているらしいから、日本にも来ていたということにしておこう。

 

<ヘルメス文書の謎>

・以上のように『ヘルメス文書』とは、分散したものを集めた一連の文書群なわけだが、どうやってそれをヘルメス文書と決めるのか?実は、内容の共通性とかテーマとかで分類するわけではないらしい。

 ヘルメスが出てくれば『ヘルメス文書』なんだそうである。だから、同じヘルメスの語っていることが正反対だったりもする。なにしろ、ひとりの人の作品ではないのだから。