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アストラル・レヴェルの波動領域では、時間の流れは地上とはやや異なるものの、昼と夜もあり、風景も地上とはほとんど変わりませんが、常に穏やかな暖かさに包まれて寒暑がない。(1)

 

 

(2022/1/19)

 

 

『黎明 上巻』

葦原瑞穂  太陽出版 2017/8/7

 

 

 

・本書では精神世界の様々な分野について、人間の知覚と意識の科学的な探求から始めて、インドのヨガやヒマラヤの聖者達の世界、日本神道や仏教、ヒンズー教キリスト教といった宗教の側面、そしてニューエイジと呼ばれる新しいアプローチや地球外生命に関する情報も含めた、全体の関係を一望できる視点に立つための、幾つかのヒントを挙げていきます。

 精神世界の様々な分野の情報はその性質上、これまでに私達の多くが用いてきた問題を扱う通常の方法、すなわち西洋を中心として発達してきた物質科学の手段では、確認することも実証することも困難、もしくは不可能な要素が多いのですが、それにも拘らず、全体を理解する上では重要なヒントになる可能性を持っています。

 

アストラル・レヴェル

・本書の始めの方でも述べましたように、現象の生じている表現世界はあらゆる波動領域が渾然一体として存在しているのであって、それぞれの個別意識が自分の持っている波動の部分を、その人にとっての世界として現象化しているだけですので、精神階層が幾つかの領域に区別されていたり、ひとつの世界と別の世界との間に境界のようなものがあるわけではありません。しかしながらこれらの全体について解説するときには、地上の言葉や概念では、幾つかの特定の性質を有する波動領域に分けて、そのひとつひとつについて説明をしていくという方法を採らざるを得ません。またこれから説明を行う波動領域のうち、比較的ヴァイブレーションの低い、ある範囲で起きている現象は、後述する地球の表現領域の変化に際して消滅し、過去の出来事を理解する上での参考程度のものにしかならなくなりますから、こうした事情を理解して頂いた上で、順を追って看ていくことにしたいと思います。

 

・物質レヴェルよりも精妙な波動領域に形成されている精神構造の生命の表現の場は、そこで起きている現象について描写しようと試みるときに、地上にはそれを上手く説明することができる適切な概念がほとんどないという表現上の困難の他に、見る人の意識の進化段階や、過去の経験に基づいて造られる主観等によって、幽体に生じる参照波動がそれぞれ違うので、現象化される世界の様相や存在物の姿形が人により、また同一人物であってもその時の意識状態によって、それぞれ異なってくるという精神階層特有の事情があるために、それらの全ては勿論のこと、ごく一側面でさえ記述し尽すことができないという量的な困難があります。

 

・これは譬えていえば、地球とはどのような所かという説明をするときに、都会もあれば山村もあり、砂漠もあればジャングルもあり、山岳地帯もあれば極地もあるという、千変万化の地上の風景全部に言及すること等は到底できないという事情と同じ様なものです。物質的ヴァイブレーションという地上の万人に共通した波動領域でさえ、これだけ多様な表現があるわけですから、見る人の主観を現象化する世界でもあるアストラル・レヴェルが、いかにヴァラエティに富んだものであるかは、ある程度推察して頂けるのではないでしょうか。

 

また物質に比べると重力の影響をほとんど受けないアストラル体は、飛ぼうという意志さえ働かせれば空中を自由に飛び回ることが可能ですが、これもまた本人に飛べるという確信が持てるまでは、地面から離れることはできません。

 

地上的な固定観念を形成しているアストラル・レヴェルの波動領域では、時間の流れは地上とはやや異なるものの、昼と夜もあり、風景も地上とはほとんど変わりませんが、常に穏やかな暖かさに包まれて寒暑がないことや、地上とアストラル・レヴェルの両方に表現されている存在物や存在者の他に、アストラル・レヴェルには表現されているけれども、物質レヴェルには表現されていないもの(下限媒体がアストラル・レヴェルにある)とが混在している点が、地上とは違った状況を作り出しています。後者の中には、地上生活を終った人達のほとんどや、地上にはいない生物達、そして大いなる生命の被造物ではありませんが、アストラル・レヴェルの住人の理念に因って造られた存在物等も含まれています。

 

地上生活を終った人達のうち、霊的に目覚めた魂はアストラル・レヴェルにはいなくなりますし、反対に極めて不調和な表現をする人等は、その人の造り出している限られた波動領域に閉じ込められるような状態になります。本などは地上に存在する一切のものがアストラル・レヴェルにもありますが、地上にはないけれどもアストラル・レヴェルにはあるという本も存在しています。このような事情からすると、地上よりもアストラル・レヴェルの方が、遥かに多種多様な表現がなされていると思われるかも知れませんし、事実その通りなのですが、個々の住人はその人の意識の発達状態に対応して、それぞれ知覚できる波動領域が限られていますから、どの住人もアストラル・レヴェルの全体を観ているわけではありません。

 

・また地上に肉体を持っている魂の場合、その人のアストラル体が表現されている波動領域(普通その人の意識状態に応じてかなり広範囲に変化します)では、その波動領域の観察者からはその人がそこにいることが知覚されていますが、地上に肉体を持っている人の側からは、睡眠中を除けば、その人がアストラル体に意識の焦点を移すことが可能でない限り、アストラル・レヴェルの存在者に気付くことはありません。

 更に進んでアストラル・レヴェルの存在者とコミュニケーションを行うためには、アストラル体を主体的な知覚及び表現の媒体として行使することができなければなりませんが、1990年頃までの地球人類の平均的なアストラル体の発達状態では、このような能力を発揮できる人はまだそれほど多くはありません。

 従って、アストラル・レヴェルの住人が地上に肉体を持っている人とコミュニケーションを取りたいと思うときには、ある特殊な現象が生じてその目的を主観的に果します。これは精神階層に特有の出来事で、地上的な観念の枠組の中ではなかなか理解し難いと思われますので、順を追って説明していきたいと思います。

 

アストラル・レヴェルに住んでいる人達は、パーソナリティが自分の心の中で造り出した幻影に過ぎないと言う、実相の自覚ができていないわけですから、このような事情の下で、ある人(仮に太郎君とします)が地上に肉体を持っている人(花子さんにしましょう)とコミュニケーションをしたいと願望を持つと、その想念のエネルギーが作用して、太郎君は花子さんのパーソナリティという記憶に基づいて、花子さんのアストラル体を、自分の造り出している周囲の世界の中に現象化します。これは完全に太郎君の主観によるものなのですが、ここで花子さんの魂は、太郎君の想念に因って造られた花子さんのアストラル体を用いて、今地上に表現されている花子さんのパーソナリティとは別の側面を、太郎君に対して表現するということを行うのです。

 

・これとは逆に、自分の周囲にいる人達に対して悪い印象ばかりを造り出してきたような人の場合には、アストラル・レヴェルでは、自分で造り出した否定的な印象を通して周囲の人達が関わってきますから、その人に因って、地上時代に関係した全ての人に対して、好意を持ったものには好意が、悪意を持ったものには悪意が返ってくるという、カルマの法則を成就させているわけです。

 

・アストラル・レヴェルの比較的高い波動領域になると、表現されているものは次第に透明になって様々な美しい色彩を帯びるようになり、明るさも一段と増してきます。ごく控え目にいうならば、透明な水ガラスのような各種の存在物の中に、オパール真珠貝のような輝きが伴っているように見えますが、ヴァイブレーションが少し上るごとに、それまでに見えていた世界とは比較にならないほど美しさが増し、それまでの光が闇に見えるほど明るさが増しますから、ある程度以上高い波動領域については、地上のあらゆる想像を超えているといっておくのが適切でしょう。

 

・本来のアストラル体は、七つのエネルギーセンター(チャクラ)がある他はほとんど均質なのですが、肉体を持っている間は、内臓その他の肉体器官に対応するアストラル体の器官が、同じ様な形状を表現しています。

 肉体がなくなると後は本人の想念次第で、本人が食事を必要だと思っている間は、食べたアストラル体の食物を消化するために、肉体の消化器官と全く同じはたらきをしますが、食事を採らなくなれば、徐々に消火器官が退化して、最終的にはなくなってしまいます。

 

アストラル体にはこのような五官の延長に属するものの他に、肉体にはない各種の波動表現を知覚し、またこれらの波動領域において表現を行う能力が備わっています。これらの波動領域の中には、自然界と様々な繋がりのあるレヴェルがあって、これを用いて自然界の状況を直観的に察知したり、能動的に働き掛けたりすることも可能です。このような能力が発達すると、天候等は自在にコントロールすることができるようになりますが、自然界で特定の場所に、ある天気の状態が生じることには必然的な理由があるのですから、個人的な都合で天候をみだりに変えるのは、余り良いことではありません。

 

昔から妖精とか精霊と呼ばれている存在は、このような自然界との接点に当る波動領域に関係があります。実際あらゆるものが生命の表現であることは前に述べた通りですが、エーテル・レヴェルからアストラル・レヴェルに至る、ある波動領域の生命の個的表現形式を、様々な文化の中に伝承される観念によって参照したときに映像化される姿形が、伝説の中にある妖精や精霊の姿なのです。彼等は地球生命系の中に含まれる、人間とは別の進化系列に属する存在で、ある程度の個体意識を持ってはいますが、人間のように、全体から完全に独立した自分という錯覚を持っているわけではありません。

 

メンタル・レヴェル

・前の章の始めでも注意しましたように、アストラル・レヴェルとメンタル・レヴェルとの間に境界のようなものがあるわけではありませんし、各波動領域の存在物を構成するエネルギーの粒子的表現には、神智学の教科書に書かれているような、決定的な構造上の違いがあるわけでもありません。これまでにも繰り返し説明してきましたように、粒子というものは、エネルギーの質量的な表現に対するひとつの観念であって、人間が理解するためのモデルに過ぎず、実在するものではないことをくれぐれも心に留めて置いて頂きたいと思います。

 

・アストラル・レヴェルとメンタル・レヴェルを単純に比較した場合、概してアストラル・レヴェルの波動よりもメンタル・レヴェルの波動の方が精妙といわれ、事実その通りなのですが、どちらも広大な波動領域を持っていますから、熱心な信仰を持っている人が、神に対して抱くような崇高な感情の波動と、未熟な人が他人の欠点を詮索するような、不調和な思念の波動を比べた場合等、必ずしもそうとはいえないこともあるのです。

 もう少し解り易くいえば、アストラル・レヴェルとメンタル・レヴェルとは、一本の直線上の隣に合った区間のように、ある数値で区切られるものではなく、精神的な波動表現を、私達が感情と呼んでいる精神活動や、思考と呼んでいる精神活動に分類したときに、それぞれが対応している波動領域のことを指しているに過ぎません。

 

・日常の生活で経験するように、私達の精神活動は思念だけとか、感情だけとか、肉体感覚だけとかいうことはほとんどないのであって、普通はこれらが複合した意識の状態を作っています。従ってここでは説明の都合上、アストラル・レヴェルとかメンタル・レヴェルというように分けて扱いますが、実際の個的意識の表現は、様々な波動領域にまたがって、相互に影響を与え合いながら行われるものであることに注意して下さい。

 

・メンタル・レヴェルでは、想念が実際に表現体(想念形態)を採るということが、際立った特徴といえるでしょう。ここでいう想念の表現体とは、アストラル・レヴェルにおいて、自分の想った景色や人物が立ち所に現象化したような意味でいっているのではなく(メンタル・レヴェルでも現象化はより素早く、高度に行われます)。例えばひとつの哲学的概念や、交響曲の全体等が、参照する波動に因って、ひとつの形状、もしくは形状を持たない色彩の表現として見えるということです。つまりメンタル・レヴェルでは、理念というものは、私達が地上で物質に対して持っているのと同程度の実体がある存在物なのです。従って人間が様々に想念を使い始める以前のメンタル・レヴェルは、本来自然界に在ったままの調和の取れた美しい世界だったのですが、1990年頃の状況では、雑多な想念がゴロゴロしている塵溜めのような波動領域もかなり多くなっています。

 

例えば日本では、心霊現象と思い込まれているものとして、人間が狐や狸、蛇等の動物に憑かれるという考え方があります。憑依現象については、一般にかなり誤解されている面がありますので、「チャネリング」の章で詳しく説明しますが、精神階層には、ヴァイブレーションの低いものは、相対的にヴァイブレーションの高い表現をコントロールすることはできないと言う厳然たる法則があり、動物の集合意識であるグループ・ソウルが、より進化した個的表現である、人間の意識や身体を支配するということはできませんし、動物達がそのような意図を持つこともありません。

 

・それでは現象として起きているのは何なのかと言うと、それは民間の伝承として日本に特有の、狐憑きとか狸憑きという観念が、ある波動領域に想念形態を形造っていて、主体性のない人がその想念を意識する(チャネルする)と、逆にその想念のエネルギーに支配されてしまい、彼もしくは彼女が信じていることが、自分の創造力に因って現象になって現れてくるわけですこのため狐憑きという観念が全く存在していないヨーロッパの国々では、狐憑き現象はありません。その代りにヨーロッパでは、彼等の民族に特有の概念である、狼男やドラキュラ(吸血鬼)が現象化されるわけですヨーロッパの諺に「悪魔のことを話すと、彼が現れる」というものがありますが、これは、こうした自分の信じているものを創造してしまう現象(自念現象と呼びます)の仕組を見事に言い当てています。このような自分の心の創作物に振り回されないためには、常に自分の心の中を注意深く観察して、偽物、つまり恐れ等の否定的な要素や、自分と他のものとの分離感から生じる想念の一切を、徹底的に心の中から追放する断固たる態度が必要です。

 

水子霊の祟りといのも、日本特有の自念現象のひとつです。普通、流産する子供というのは、母親の心や身体に大きなストレスが掛かったような場合は別にして、何らかの事情で肉体に魂が宿らなかったり、いったん繋がりを持った魂が出産前に離れてしまった場合にそうなるのですが、最初から魂が宿らなかった場合は勿論のこと、途中から離れる場合も魂の自由意志に因るものですから、祟りも何もないわけです。ところが「子供を殺してしまった」という、母親や周囲の人達の否定的な想念が、霊視すると見えるような子供の姿をアストラル・レヴェルに造り出したり、不幸と思えるような出来事を引き付けたりといった、それらしい現象を引き起すのです。

 

日本ではこうした無知によって生じる罪悪感や恐怖心に付け込んで、霊能者を装った詐欺師や、時には大きな宗教団体までが、水子供養と称して、全く実体のない商売をしています水子供養を仕事にしている人達の中には、自らも無知であるために、それが奉仕であると確信してやっている者もいますから、必ずしも騙そうという意図があるとは限らないのですが、それぞれの動機と行為に応じたカルマが生じますので、このような虚偽に引っ掛からないために、私達は多くの迷っている人達に対して、霊的な背景についての正しい知識を伝えていく必要があります。

 

ではここで、宇宙の根源記憶であるアーカシック・レコードについて触れておきたいと思います。この言葉の語源はサンスクリット語アーカーシャ(空)からきたものですが、本来のアーカシック・レコードとは、現象化のところで説明に用いた原因想念そのものですから、それは無限大のヴァイブレーションの彼方に在るわけで、その根源記録を現象化された世界から参照できる存在は誰ひとりとしていません。

誰も神を観た者はいない」(イエス大師)

 しかしこの原因想念は、波動干渉に因る無限の下降連鎖を経て、様々な波動領域にその多様な側面を投影していますので、適切な方法をもってこのアーカシック・レコードの反映を参照することができれば、これまでに宇宙で起きた出来事の総て、これから起ることの一切を、その参照波動の制約内で知ることが可能になります。

 

アーカシック・レコードの反映は、アストラル・レヴェルにも存在しますし、物質世界そのものもアーカシック・レコードの現象化したものに他ならないのですが、地上ではひとつの時間断面しか存在しないことや、精神階層では見る人の主観によって現象が全く変わってしまうという問題があり、更に歴史上の有名な事件等、大勢の人がそれについて様々に思念を巡らせているような場合には、そういった人工的な想念形態と、アーカシック・レコードの真の反映との識別が困難になると言う事情もあって、ある程度以上客観性のあるアーカシック・レコードのリーディングは、メンタル・レヴェル以上の波動領域、厳密には普遍意識の波動領域で行う必要があります。

 しかしながら、ここでアーカシック・レコードを普遍意識のレヴェルでアクセスしたときの様子を参考までに描写しようとしても、その対象となる歴史的事件を普遍意識の視点から観察したときの様子を説明することと同じですから、物質レヴェルとエーテル・レヴェル、アストラル・レヴェルとメンタル・レヴェルのそれぞれの波動領域に現象化しているその事件の様々な側面と、過去及び未来との関係、そして宇宙全体との関係を包含した巨大なヴィジョンで把握したものとなり、その全容を有限の文章で書き表すことは全く不可能になってしまいます。従ってここでは、アーカシック・レコードのリーディングが具体的にどのようなものであるかということについて、メンタル・レヴェルのリーディングに限って説明することにしましょう。

 

 歴史上のひとつの事件、例えばギゼーの大ピラミッドが建設されている時間と場所(正確にはある波動表現)に観察者が意識を合わせていくと、初めは建設現場全体の光景が、映画やヴィデオ・テープで見るように眼前に展開されます。

 

潜在能力

・後述するような、普遍意識を顕在化するための具体的なトレーニングに入ると、途中の過程で、その人にとっては非日常的な、色々な現象が現れてくることがあります。また過去世においてヨガの修行をしていたり、巫女等をやっていたことのある人や、太陽系の他の惑星もしくは他の恒星系での生活経験のある人等は、幽体が発達しているために、物質レヴェルとは別の波動領域で外界を知覚したり、外の世界に働き掛けたりすることができる場合がよくあります。

 

・本来は私達の多くが知覚している物質世界も含めて、実在のレヴェルに到達する(普遍意識が自覚に至る)以前に遭遇するどんな出来事も幻影にしか過ぎないものですし、精神階層では、何らかの先入観として持っているものは、全てその人の世界に現象化する(信じているものが現れる)という厄介な仕組があるので、その人の役割上、精神世界の全貌を理解しておかなければならないというような場合は別にして、関わりを持つ必要のない世界(波動領域)については、余り予備知識を持たない方が良いという考え方もあります。

 その一方で、未知の体験に出会ったときに不必要な恐怖心を抱いたり、混乱を招いたりしないために、様々な現象の背景について理解しておくことには価値があると思いますので、本書ではある程度の範囲で説明を行うことにします。なお未知の体験に出会って混乱するのは常に自我であり、普遍意識にとっては、未知のものなど何ひとつないことを覚えておいて下さい。

 

・潜在能力にはサイキックと呼ばれる用い方と、スピリチュアルと称される顕現の方法の二種類があり(より正確には二つの側面と言った方が良いでしょう)、現象的には同じ様に見えますが、その原理と発現できる能力の範囲は全く異なるものです。

 サイキックというのは、エーテル・レヴェル、アストラル・レヴェル及びメンタル・レヴェルの媒体を現象我の意識で使用して、五官の範囲を超えるもの(五官の延長に過ぎない)を知覚したり、それぞれの波動領域における外界に働き掛けたりするもので、その人の媒体の持つ性質によって、能力の大きさやその機能が左右されます。これは同じ人間でも、スポーツの特異な人やピアノの上手い人、料理の腕の良い人や絵が上手に描ける人、計算の早い人や記憶の正確な人等、色々な能力の違いがある事と同じです。従ってこうした潜在能力を持っていることと、その人の霊性の高さとは何の関係もありませんから、充分に注意して下さい。

 サイキックな能力は、色々なトレーニングの結果としても現れてきますが、そこには必ず霊性の進化と言う主目的があるべきで、サイキックな能力の開発自体をトレーニングの目的とすることは、色々な面で問題があることを特に警告しておきたいと思います。

 

エーテル・レヴェルからメンタル・レヴェルに至る各波動領域の媒体には、ほとんど無限といっても良い程の各種の潜在能力が秘められていますが、これらはあくまでも現象に属するものですから、それらの総てを創造している主体、あらゆる出来事の背後に実在している真理を識ることの方が、遥かに価値が在ると言うことを忘れてはなりません。

 

病気治療(ヒーリング)

・人間の病気は、心で思うことや言葉で話すこと、そして具体的な行為によって表現される。その人の生き方のどこかが自然の摂理に反しているときに、様々な波動領域に表現されている媒体相互間の連鎖関係が上手くはたらかなくなり、生命エネルギー(プラーナ)の流れが妨げられることに因って、高次媒体(心と神経系統)や肉体に色々な不調和が現象化してくるものです。ここで生命エネルギーという抽象的な表現をしたのは、科学者が物理学的な概念として用いている熱とか、力とか、光といった、物質レヴェルで知覚されるエネルギーの表現様式だけではなくエーテル・レヴェル及びアストラル・レヴェル、そしてメンタル・レヴェルにおける、生命としての側面のより顕著な、様々なエネルギーの表現様式を含んでいるためです。

 

・エネルギー・ヒーリングは、最終結果である肉体に現れた症状を扱うのではなく、患者の表現媒体のいずれかの波動領域から、治療家の媒体を経由させた生命エネルギーを送り込むことに因って、滞っていたエネルギーの流れを回復させ、患者の様々な波動領域における表現媒体の連鎖関係を正常な状態に戻すというのが、基本的な原理です。ここで濁っていたエネルギーの流れというのは、一般に考えられているような3次元的な経路だけでなく、原因から結果に向う流れ、つまり創造の本源から現象の表面である物質レヴェルへの生命の奔流であることに注意して下さい。

 

ここで背後からの援助というのは、実相としては普遍意識、すなわち宇宙人そのものが行っているわけですが、個別化がなされる表現領域では、治療家の放つ愛の波動に引かれて、様々な波動領域の援助者が集ってきて、治療に協力するという現象になります。こうした援助者は、地上時代に医療関係の仕事をしていた人達を中心とする、精神階層の奉仕者や天使達で、キリスト教系の霊団では、地上時代に医者だったルカが大きな仕事をしています。

 精神階層からの援助には、通常は治療家や患者に縁のある者が携わるのですが、意識レヴェルの高い奉仕者は相手の選り好みをしないので、護摩を焚いて祈祷する密教の僧の周囲で、キリスト教の天使達が治療に協力していたような、興味深い事例もありました。

 

・それからこれはヒーリングをやっている人達によく見られるのですが、過去世において武士や軍人、あるいは山賊等をやっていて、大勢の人を殺したり、傷つけたりしたようなカルマを持っている魂が、今世で治療家をすることによって埋め合わせをするケースがあります。「生まれ変り」の章で採りあげた事例のように、過去世において誰かに殺されたり、傷けられたりした人達の今生の病気の原因には、加害者の波動が含まれていますから、他の誰でもない、その当事者の波動に因って調和されることが一番自然であり、このようなときには、かつて加害者であった治療家のもとに、被害者であった人が患者として引き寄せられてきて、その人の治療をすることでカルマのバランスが取られるわけです。

 

・精神階層の比較的高い波動領域では、空間的な距離というものは存在していませんから、幽体レヴェル以上の波動領域でヒーリングのためのエネルギーを流す場合には、治療家は必ずしも患者の近くにいる必要はありません。このような治療方法を遠隔治療(アブセント・ヒーリング)と呼びますが、患者が重傷で移動することが困難な場合や、治療家の仕事場と患者の住んでいる場所が遠く離れていて、通うことが時間的、経済的に困難な場合等によく用いられます。また患者が病院に入院しているような場合に、1990年代頃の事情では、エネルギー・ヒーリングそのものに関して病院側の理解が得られるとは限りませんから、患者に直接接することで時折生じる、医師との無用なトラブルを避ける目的で、遠隔治療を行うこともよくあります。

 

・遠隔治療では、治療家が心の中で患者の現象我を意識することで、相手の幽体がチャネルされ、ヒーリングのエネルギーが注がれますが、患者と治療家がまだ会ったことのない場合には、写真や名前を手掛かりにしてエネルギーを送ることもできます。また治療家にその能力があれば、患者の魂を意識することに因り、魂から肉体に至る全ての波動領域において、必要とされるヴァイブレーションのエネルギーを送ることさえ可能です。

 

 遠隔治療では、治療家自身の送るエネルギーも勿論使われますが、多くの場合は治療家の奉仕の動機に引かれて、精神階層の奉仕者が広大な波動領域の中から患者の幽体を探し出し、彼等もまたエネルギーの中継点となって、ヒーリングを行います。

 前にも述べましたように、スピリチュアルなヒーリングでは、治療家が完全な調和である愛のみに意識を合わせることができれば、必ずしも顕在意識でヒーリングの過程を自覚していなくても良いのですが、治療家の意識が進化して、顕在意識が普遍意識に及ぶと、患者の病気の原因から現在の状態、そして行われているヒーリングの全過程とその意味の一切を、一望の下に把握することができるように成ります

 

霊視能力

様々な潜在能力の中でも最もポピュラーなものが、高次媒体で外界から受けた波動を視覚化する霊視能力でしょう。サイキックな霊視能力では、エーテル・レヴェル及びアストラル・レヴェル、そしてメンタル・レヴェルの、その人にとって顕在意識に当たる波動領域の媒体が用いられますが、外の世界からの波動を受け取るためには、霊媒体質の人と同じ様に、幽体が発達していて、幽体のオーラが肉体のオーラの外側に出ているか、肉体が充分に浄化されていて、肉体のオーラが高次媒体の知覚力を妨げないほど精妙化されているか、あるいは額にあるアングニャ・チャクラが発達していて、幽体との連絡通路が完全に開かれていることが必要です。

 

 霊視能力の芽生える初期の段階では、空中に星のような輝きの一点が見えたり、そのような点が視野の一面に現れたりすること、意識が物質レヴェルに引き戻されてしまって見えなくなるといった現象も起ります。

 サイキックな霊視能力で、ある程度の客観性があるのはエーテル・レヴェルだけで、丁度レントゲン写真でも見るように、その場にあるものが透けて見え、生命エネルギーであるプラーナの流れが光って見えたり、物体が様々な色彩でエネルギーを放っているのが見えたりします。

 

・スピリチュアルな霊視能力は普遍意識が関与するもので、サイキックな霊視のように限定された波動ではなく、物質レヴェルからメンタル・レヴェルの最上階に至るまでの、全ての波動で現象面を参照しますから、上空から地上の光景を見降ろすように、それぞれの波動領域でサイキックな観察者が見ている光景の一切と、その実相を把握することができます。サイキックな霊視では、特定の時空間にチャンネルするような例外を除けば、ちょうど肉体を通して外の世界を見るときのように、幽体を通してその波動領域の外界が見えるだけですが、普遍意識では全体が自分であるために、意識の焦点を創れば任意の時空間を看ることもできますし意識を拡大すれば、その魂の進化の度合いに応じて、地球圏全体、太陽系全体、太陽系が所属する恒星系全体、銀河系全体といった広範囲な領域の、特定の時間的拡がりを一望することさえ可能に成ります。

 

空中浮揚

・人間の空中浮揚現象は、一見、通常の物理法則を無視しているかのように思えるので、自分の目で実際に見たことのない方にはなかなか信じ難い事かも知れませんが、インドでは、体育館のような所で一度に大勢の人達が浮かび上って、「誰が何センチ上った」等々、競技会のようなことさえやっていますから、取り立てて珍しいことではありません

 

 空中浮揚現象にもサイキックとスピリチュアルの違いがあって、現象的には同じ様に見えますが、その原理は全く異なっています。サイキックな方法では、主に脊椎の中を流れる生体エネルギーを活性化することによって、普通の状態では測定器に掛るか掛らないかという程度の電磁的な力を、体重に打ち勝つ程大きくすることが可能になるという原理を前提にして、身体と床、もしくは身体と地面との間に電磁的な反発力を生じさせて浮き上ります。このため、その力は物理法則の通りに距離の自乗に反比例してはたらき、ちょうど体重と反発力が同じ大きさになる高さで、バランスが取れて静止することになります。従って体重が軽く、エネルギー的にパワフルな人ほど高く上ることになりますが、床や地面から離れると、それだけ浮き上がる力が減少しますから、際限なく上昇して行くようなことはありません。また空中浮揚ができるようになった初期の段階では、生体エネルギーが意志の力で完全にコントロールされていませんから、その大きさの変動も激しく、現象的にはぴょんぴょんと飛び跳ねるような状態になることが普通です。

 

・この他には空中浮揚には、この二つの基本原理とは無関係に、幽界の悪戯者が持ち上げていたという事例もありますので、注意が必要です。アストラル・レヴェルからの操作で質量のある物質を動かすには、物質原子とアストラル・レヴェル粒子の両方に相互作用することのできる、中間的な波動領域の媒体が必要になります。

 

アストラル・レヴェルの住人の中には、こうした物質レヴェルに関わることのできるテクニックを持っていて、なおかつ暇な人達がおり、地上に肉体を持つ人間に悪戯をして喜ぶことはよくあるのですが、このようなアストラル・レヴェルからの操作による空中浮揚の場合には、その波動領域の霊視能力を持っている人が見れば即座に状況が判明してしまいます。このような場合、騙された人達は被害者なのかというとそうではなく、持ち上げられた当人も幽界生活時代に同じ様な悪戯をしていたカルマがあったり、空中に浮かび上ることで皆の注目を集めたいといった欲望を持っていたりして。そのような悪戯者を引き寄せる要因になるような波動を自分から出していたわけです。

 

瞬間移動(テレポーテーション)

・普通テレポーテーションとは、遠く離れた場所に瞬間的に表現媒体を移動させることをいうのですが、元々空間が存在していない波動領域に生き、かつ表現されたあらゆる波動領域に遍在する普遍意識にとっては、移動という概念自体があり得ないと言うことをまず理解しておいて下さい。ただ現象の上では、自らの意識のひとつの焦点としてはたらく人間の姿形を、普遍意識の想念として、表現された任意の波動領域と時間及び空間の中に置くことが、その波動領域の視点からは、「覚者がそこにいる」という出来事になるわけです。

 

 普遍意識に因らずに、サイキックな方法でテレポーテーションを行うことは、不可能とまではいいませんが、著者はそのような事例を知りませんので、ここでは肉体をその場に置いたまま、アストラル体もしくはメンタル体で移動する現象を扱うことにします。

 地球上に表現を行っている大勢の魂達の中には、動物から進化したばかりの魂の一部に看られるように、高次媒体が未発達なために、アストラル・レヴェルやメンタル・レヴェルでは、個的意識が自分や外の世界をはっきりと認識することができずに、ほとんど活動していない場合も例外としてはあります。

 しかしながら大抵の人は、睡眠中に肉体からの幽体離脱及びアストラル・レヴェルでの移動を行っていますので、ここでは意識的に幽体移動ができ、かつ精神階層での体験の記憶をある程度まで地上に持ち帰ることのできる場合に限って、潜在能力として扱うことにします。

 

・意識的な幽体離脱ができるためには、アストラル・レヴェル及びメンタル・レヴェルの媒体が発達していて、しかもそれらを肉体とは独立した媒体として行使することに慣れている必要があり、過去世においてヨガ等の修行をした人や、地球圏のアストラル・レヴェルまたはメンタル・レヴェルに相当するような波動領域の生命の表現の場(太陽系の他の惑星や他の恒星系等)で生活していた人、転生と転生との間の幽界での滞在期間が比較的長期にわたった人等に、このような能力が多く看られます。

 また交通事故や臨死体験の後で幽体離脱が可能になった人達もいますが、幽体を思い通りに扱えるようになるためには、その魂の相対的な過去の経験も含めて、ある程度の練習が必要です。これは肉体を纏ったばかりのあかちゃんが、地上の状況に慣れて自分の身体を上手く操れるようになるまでに、それなりの時間が掛ることと全く同じです。

 

物質化現象

物質化現象は、意志の力を物質レヴェルの原因想念となるヴァイブレーションで行使することに因って、偏在する無限のエネルギーに、高次媒体や物質原子の表現様式を採らせるもので、現象的には、何もないように見える空間から突然に物が現れるため、様々な潜在能力の中でも特に華々しい印象を見る人に与えます。

 物質化現象も、科学者の知っている僅かな範囲の物理法則からはあり得ないように思われますが、およそ150億年前に現在の宇宙が創成された「ビッグ・バン」も、ひとつの巨大な物質化現象ですし、宇宙の塵が高次媒体の雛型に添って集まり、地球が形成されたのも物質化現象です。あらゆる物質化現象は、原因想念のレヴェルで行使される宇宙としての意志が、波動干渉に因って瞬時にヴァイブレーションを下げて、最終的に物質レヴェルに現象化されると言う点で、基本的には宇宙の創造過程と同じ仕組が用いられます。

 

それでは大師は絶対に物質化現象をして見せることはないのかというと、あらゆる制約を受けない普遍意識には必ず例外というものがあります南インドのプタパルティに肉体を置くバガヴァン・シュリ・サティア・サイババ大師は、子供の頃から飴や鉛筆を物質化して友達にあげたり、チトラパティ川の丘にあるタマリンドの木に、林檎や無花果、マンゴー等の違った果物を実らせたりして遊んでいました。

 大師は現在でもアシュラムを訪れる人達に、ビブーティと呼ばれる灰や、お守り等を物質化して与えています。厳密に言うと、大師は純粋な物質化現象とテレポーテーションを使い分けているのですが、両者の複合した例としては、イエス大師が二千年前に架かった十字架から採った木材で創ったという、ミニチュアの十字架をクリスチャンのヒスロップ博士に与えたことがありました。後でこの十字架の放射線年代測定をしたところ、およそ二千年前のものである事だけは判明しています。

 

その他の潜在能力

気功術は意識を使って行うエネルギー操作ですが、普通は個人意識で行われますから、分類上はサイキックな能力ということになります。しかしながら気功術を修練する人がその究極に至ると、自ら発したエネルギーが二十八星宿を廻って戻ってくる雲遊周天のような、ほとんど普遍意識でなければ行うことが不可能な技もありますから、潜在能力は何であれ、その究極においては普遍意識の展開に至ると言うことができます。

 

・これまでに挙げた潜在能力は、専門家の間で知られているもののうち、ごく一部分に過ぎないもので、実際には無限の可能性があり、始めのところでも述べましたように、基本的にはその人が想像し得るあらゆる現象は、何であれ実現可能であると考えて良いでしょう。地球のヴァイブレーションが次第に上るにつれて、エーテル・レヴェル及びアストラル・レヴェル、そしてメンタル・レヴェルの媒体が活性化されてきますと、これまではごく少数の人間の間でしか看られず、しかも充分には発揮されることの少なかった様々な潜在能力が、次第に多くの人達の間に顕在化してくるようになり、意識や、それに伴う高次媒体の発達した子供達も次々と生れてくるようになります。