日本は津波による大きな被害をうけるだろう UFOアガルタのシャンバラ 

コンタクティやチャネラーの情報を集めています。森羅万象も!UFOは、人類の歴史が始まって以来、最も重要な現象といわれます。

その結果、投票率が50%を切り、有権者全体の4分の1を超えるくらいの支持を固めれば選挙に圧勝できるという「必勝の方程式」が完成した。(1)

 

 

(2022/12/29)

 

 

自民党 失敗の本質』

石破茂 村上誠一郎 内田樹 御厨貴 前川喜平 古賀茂明

望月衣塑子 小沢一郎 

宝島社   2021/10/22

 

 

 

長期政権

・「自民党は、日本そのものといえる“その他大勢”の政党なのです

 

・しかし今、私たちの目の前の「与党・自民党」は、見る影もなくやせ細っている。「一強体制」といわれた安倍・菅政権の9年を経て、異論を許さず、議論を求めず、ひたすら上意下達、官邸主導で決まった物事に唯々諾々と従う“株式会社”自民党ができあがってしまった。「冷や飯」を食う覚悟がなければ、党内で異論を唱えることさえ許されない空気が蔓延した。行政権力が官邸に集中することで、同様の空気が霞が関にも波及した。

 

 

時計の針を止めてしまった安倍・菅の9年間 御厨貴 >

 

言葉のない自民党が選挙に勝ち続けた要因

――一体なぜ、言葉を持たない自民党が選挙で勝ち続ける状況になってしまったのでしょうか。

御厨 自民党が政権に返り咲いた2012年末の総選挙で、民主党が負けすぎたというのが大きい。公示前の約4分の1、わずか47議席しか民主党は獲得できませんでした。2009年に自民党が負けたときでも119議席は残していましたから、これは党が崩壊するほどの歴史的な大敗北だった。

 

・そのうえ、民主党の中には言葉の能力の高い人たちもいましたが、その能力を回顧録に注ぎ込んでしまったのです。当時、口述記録をつくりたい、回顧録を書きたいという民主党の議員たちが大勢いました。

 

・昔の野党には、報道陣も驚くような新しい材料を仕入れてきて、ロッキード事件リクルート事件の疑惑を追及した社会党楢崎弥之助議員のような政治家がいました。自分たちの将来構想に基づいた深みのある政策批判も出ていました。

 

若手議員から言葉を奪った安倍一強

――国会の場だけでなく、自民党内でも議論がなくなったという指摘があります。

御厨 無理もありません。当選1~3回あたりの衆議院議員は、安倍さんの顔で当選してきた政治家ばかりです。安倍さんの顔と並んでいるポスターがあれば自動的に当選できたのです。

 かつて安倍さんが「小選挙区で戦うのは大変だから、地盤が安定していない若い人は政策のことなど一切考えるな。選挙に勝つことだけ考えておけ。政策については、選挙の心配のない長老が全部考える」とはっきり言っていました。

 

――自民党内で語る言葉がなくなったことの弊害は?

御厨 かつての自民党議員は危機に直面した時、党内で反対勢力をまとめて党刷新を目指す会をつくるなど、党内運動が活発でした。しかし、選挙至上主義が広がるにつれて、反対派も賛成派も党内運動ができなくなってきています。これは政党として末期的な状態です。

 

――今や、代わらず筋を通している政党は共産党しかないのでは、といった声もあります。

御厨 実際に共産党は勉強していますからね。共産党本部には資料室があり、そこにはおよそ13万冊の蔵書が揃っています。そのほか、党付属の社会科学研究所にも2万冊もの蔵書があるそうです。しかも、今話題の出来事を理解するには、この本を読むように、この雑誌や論文を読むように、といった具合に、党に党内で学びを共有しています

 

・でも、昔の自民党議員は、党内に図書館などなくても、みんなきちんと勉強していましたよ。今やコツコツと勉強している議員は少数派でしょう。そこがおかしいのです。

 

野党時代は政策を磨くチャンスと捉えよ

――ポストコロナを見据えて政治はどんな議論をすべきなのでしょう

御厨 コロナ感染拡大防止策と経済政策の画面からの議論がさらに重要になります。コロナ収束の目処が立たないなか、感染をできるだけ増やさず、しかし経済を回していかなければならないため、難しい舵取りになります。

 

――創造性のある議論ができる政治家はいるのでしょうか?

・安倍さんが再選された時から、時計の針は止まっています。まるで元老のように安倍さんがいまだに力を持っていて、元総理の麻生さんが今でも副総理の座にいる。二階さんも、5年もの長きにわたり幹事長として時計の針を止めてきた。結局、このような長老支配が続いている限り、今の自民党に新しい時代を切り拓くような若手は出てこないでしょう。

 

世襲制をやめて公募で人材を集めよ

――よい人材に政界に入ってもらうにはどうすればよいでしょう。

御厨 自民党が自己改革を目指すならば、これまでのように2世、3世議員が当然のように後援会を引き継いで選挙にすぐ勝つようなやり方は改めるべきです。

 公募で候補を探すのも一つの手でしょう。公募ではろくな人材は集まらないという意見もありますが、そうした新しいことでもやらない限り現状は改善しない。

 

・現実にある問題を解決することが政治です。どんなに政治以外の分野で頑張っても、政治にしか解決できない問題に直面します。つまり、政治を変えなければ、本質的に日本は何も変わらないということです。

 

<「選挙=市場の信任」だと錯覚した“株式会社”自民党 内田樹

・むしろ、トップダウン方式だからこそ稚拙な対応しかできない日本になってしまったと語るのは、内田樹氏だ。

 

――菅内閣の支持率は下落の一途を辿り、2021年8月の報道各社の支持率は30%を切りました。この1年間の菅政権の動きをどのように評価されていますか。

内田 随分長く日本の政治を見てきましたけれども、正直言って、最低の部類に入るんじゃないかと思います。ひと昔前だったら内閣が吹っ飛んでしまうような事態が、第二次安倍政権以降何度もあったけれども、ここまでひどい内閣というのは過去に何がなかった。

 

「味方がよければすべてよし」というネポティズム政治

――安倍・菅両氏が、国民からの支持形成に熱心でないのはなぜでしょうか。

内田 有権者の過半の支持を得なくても選挙に勝てることがわかったからです。選挙をしても、国民の約5割は投票しない。だから、全体の3割の支持を受けられれば選挙では圧勝できる。今の選挙制度でしたら、3割のコアな支持層をまとめていれば、議席の6割以上を占有できる。だったら、苦労して国民の過半数の支持を集めるよりも、支持層だけに「いい顔」をして、無党派層や反対者は無視したほうがむしろ政権基盤は盤石になる。そのことをこの9年間に彼らは学習したのです。

 

――つまり、自分を支持してくれる人の歓心を買うことしか念頭になかったと。

内田 敵と味方に分断して、味方には公費を費やし、公権力を利用してさまざまな便宜を図る。反対者からの要望には「ゼロ回答」で応じて、一切受け付けない。それが安倍・菅的ネポティズム縁故主義)政治です。森友学園加計学園桜を見る会日本学術会議、すべてそうです。

 ネポティズムというのは発展途上国独裁政権ではよく見られます。

 

その結果、投票率が50%を切り、有権者全体の4分の1を超えるくらいの支持を固めれば選挙に圧勝できるという「必勝の方程式」が完成した。

 

アメリカを最優先に配慮するナショナリストという「ねじれ」

――彼ら二人が政権の座について実現したかったことは、何だったのでしょうか。

内田 安倍さんの場合はかなり屈折しています。彼の見果てぬ夢は「大日本帝国の再建」です。ただし、一つだけ条件がつく。それは「アメリカが許容する範囲で」ということです。

 

大日本帝国の再建のためには何よりもまず日本の統治者であり続ける必要がある。そのためには、アメリカから「属国の代官」として承認される必要があり、そのためには自国益よりもアメリカの国益を優先する必要がある。

 

――日本社会の根底に、その「ねじれ」が今もあると。

内田 「対米従属を通じて対米自立を果たす」という「ねじれた」国家戦略を戦後日本は選択しました。

 

「民間ではありえない」の掛け声が懐の深さを奪った

――田中角栄の時代には「五大派閥」が互いに拮抗し、「角福戦争」と呼ばれる事態にも発展しました。

内田 僕の知り合いで、学生時代に過激派だった男が、就職先がなくて、父親のつてで田中角栄に頼み込んだら「若い者は革命をやろうというぐらいの気概があるほうがいい」と言って就職先を紹介してくれたそうです。彼はたちまち越山会青年部の熱心な活動家になった。

 

株式会社型のトップダウン方式は政権運営には通用しない

――党の「株式会社化」はどのようなタイミングで始まったのでしょうか。

内田 90年代の終わりくらいからですね、「パイの分配方法」がうるさく議論されるようになったのは。

 

・その時に、「社会的有用性・生産性・上位者への忠誠心」を基準にして資源は傾斜配分すべきだということを小賢しいヤツらが言い出した。

 

・株式会社化というのも、この時に出てきた「格付け」趨勢のひとつの現れです。株式会社では能力よりも忠誠心が重んじられる。

 

・忠誠心とイエスマンシップを勤務考課で最優先に配慮する。これが株式会社の人事の最大の弱点なんですが、「株式会社化した自民党」もこの弊害を免れることができなかった。

 

――トップダウンによる意志の統一は、一見、組織を強くするように思えますが。

・では、何が「マーケット」かというと、それは「次の選挙」です。次の選挙で勝てば、それは政策が「マーケット」の信任を得たということであり、政策が「正しかった」ということを意味する。

 

――コロナ対策についても、さまざまなミスが検証されないままですが。

内田 トップダウンの政体では、失政についての説明は常に同じです。それは「政府の立てた政策は正しかったが、『現場』の抵抗勢力がその実施を阻んだのでうまくいかなかった」というものです。

 

内田 再び経済大国になる力はもうありませんし、政治大国として指南力を発揮できるほどのヴィジョンもない。「穏やかな中規模国家」として静かに暮らしていく未来を目指すというのが現在の国力を見る限りでは一番現実的だと思います。

 

日本人全体の幼稚化が稚拙な政治を招いた

――こうした社会変革は、現下の自民党政権では不可能なことなのでしょうか。

内田 いや、そんなことはないと思いますよ。失敗を認めればいいんですから。そうもこの30年ほど「ボタンの掛け違い」があったということを認めればいい。あらゆる組織は株式会社をモデルにして再編すべきだとしてきたことが日本の没落原因だということに気がついて、「もうそれはやめよう」ということに自民党内の誰かが言い出したら、僕はその人を支持しますよ。

 これからの日本は長期にわたる「後退戦」を余儀なくされます。

 

<「言論空間」の機能不全が自民党を脆弱化させた  石破茂

・議会制民主主義を機能不全に陥らせないためには、異論との対話、野党との議論こそ丁寧にすべきとの「原則」に忠実であろうとした結果、党内で「冷や飯」を食わされているともいえる石破茂氏。第二次安倍政権から菅政権まで、この9年間の自民党をどう見ているのか。

 

――菅首相のお膝元の横浜市長選(2021年8月22日投開票)、党をあげて応援していた小此木八郎さんが大差で野党推薦候補に敗れたという結果は、党内ではどのように受け止められたのでしょうか。

石破 私は2度、応援に入りましたが、ひしひしと“冷たさ”を感じました。

 

・選挙というのは、動員をかけて大きなホールなどに人を集めたところで、何も現実は見えてきません。選挙カーに乗り、自分でマイクを握って走り回る。街頭に立つ。私は選挙というのはそういうものだと思って常にやってきましたし、そうやって有権者と直接向き合うことが自民党の真髄だと思っているけれど、そうしたものが減ってきましたね。

 まだ中選挙区制だった1986年、私が最初の選挙に出た時に田中角栄先生から言われたのが「歩いた家の数、握った手の数しか票は出ないんだ」ということ。小選挙区だろうが中選挙区だろうが、知事選挙だろうが市長選挙だろうが、町議会議員選挙だろうが同じだと思っています。

 

――有権者との関係が遠のいたのは、党内でうまく立ち回りさえしておけば、党の公認をもらって比例名簿に入れてもらって、まず議員の席は安泰だろう、というような選挙のあり方も関係しているのでしょうか。

石破 そうだと思いますし、小選挙区制度の弊害は私が幹事長の時代からずっと指摘していることです。

 

当選11回という自信が信念を後押しする

――党議拘束というものについて、どのようにお考えですか? 閣僚だけでなく、自民党の国会議員としてものが言いづらいという状況が組織内部にあるとして、一方で、党議拘束というものも当然あるわけですが、そのバランスをどう理解されますか。

石破 議論を尽くして民主的なプロセスを経た上であれば、組織の一員である以上、組織の決定には従わなければいけないと私は思っています。

 

・ところが、今の自民党においては、そうした議論がほとんど起こりません。かつては侃々諤々、2時間、3時間の総務会もザラでしたが、今は誰も何も言わない。発言するのは、村上誠一郎さんと私ぐらいだったのじゃないでしょうか。正論であればあるほど、言うと角が立つという感じですからね。

 

――正論を共有できる党内の仲間は、今でもいますか。

石破 まだいますよ。少なくなっていますが。しかし、正論を唱えることが、今の自民党内で自分のポジションを確保することにはつながらないのですから、仕方ないでしょう。人間は損得で動く動物ですから。そもそも、損得を考えたら、うちのグループ(水月会)にはいないでしょうしね。

 私も村上さんも1986年の当選同期なんですね。当時は46人の同期がいましたが、これまで連続で当選11回というのは、もう村上さんと逢沢一郎さんと私だけじゃないでしょうか選挙に強いから、言うべきことが言えるということもあるのかもしれません。

 村上さんは、今までの議員生活でずっと正論を言い続けてこられました。私もそうありたいと思っています。

 

――ただ、入閣することが自己目的化している?

石破 私だって、当選5回の45歳で初めて大臣になった時、それはうれしかったですよ。

 

自民党は「その他大勢」という日本そのものの政党

立憲民主党を見ていても、日本維新の会にしても国民民主党にしても、自民党に代わって責任を狙っていける党なのかどうか疑問です。そもそも、今の自民党の一強体制が生まれたのは野党の無能ぶりによるものであって、日本にとって大変不幸なことだと思います。

 

言論空間不在のままの安保政策に危機感

――護憲派といわれる人たちの対話にも積極的です。

石破 私は9条だけが憲法の論点だとはまったく思っていないのですが、9条については全面改正すべきだと言っています。ある意味でライフワークだと言ってもいい。

 

・今、「自衛隊は軍隊ではない、なぜなら必要最小限度だから」という解釈でこの国の防衛は成り立っています。しかし、そんなまやかしをいつまでも言っているから、国際社会での理解も得られない。ところが「石破さん、あんたの言うことは普通の人には難しいんだよ」なんて言う。そんなに難しいことを私は言っていない。相手を説得する気がないから、そんなことを言ってごまかしてしまうのです。

 

――個別的自衛権の行使ならば、というのが共通の前提になりそうですが、そこの議論も、まだ十分に尽くされていません。

石破 同じ敗戦国でも、ドイツは日本とまったく逆で、個別的自衛権は行使しないこととしています。ナチスドイツの反省として、ドイツの国益のみで軍事力を行使してはいけない、と。ですから、他国と協調する集団安全保障、いわゆるNATOですね、ドイツ軍はそれしか参加しない。日本と真逆です。また、今は停止していますが、長年、ドイツは徴兵制を維持してきました。私は、2度ほどドイツに行って意見交換して回ったのですが、その理由を尋ねたところ、軍人である前に市民であれ、ということなんだと言うのです。

 

愛をささやく情熱をもって言葉を尽くしたか

――そうした保守の本懐を自民党が取り戻せるでしょうか

・私は1986年の最初の選挙で渡辺派から出馬しましたが、田中派から渡辺派に円満移籍した当時、渡辺美智雄先生から聞かされた話があります。

「何のために国会議員になりたいのか。カネのためか。先生と呼ばれたいからか。いい勲章をもらいたいからか。そんなヤツはここから去れ。勇気と真心を持って真実を語る。それ以外に政治家の仕事はない

 なんだか当たり前のことのようですが、これが私の政治家としての原点なのです。

 

 

自由闊達な議論がなくなれば民主主義は容易にファシズム化する 村上誠一郎

 

・安倍一強が続き、執行部に物言えない空気がただよう自民党内において、異論を唱え続けた数少ない自民党議員の一人が村上誠一郎である。

 

――第二次安倍内閣以降、菅政権までの9年足らずで、自民党に何が起きたのでしょうか。

村上 率直に言って、安倍・菅政権は、自民党のすばらしいところを全部壊してしまったといえます。私が35年前に愛媛2区から衆議院議員に初当選した当時、自由民主党は文字どおり自由闊達で、1年生議員であろうと10回当選した議員であろうと変わりなく、部会や委員会で平等に、自由に発言できました。

 

ところが、今や党幹部に意見する人間、官邸の意に反した発言をした人間は人事で登用されません。そのために党内から自由な議論が消えてしまった。

 

――自由な議論を封殺するような空気が蔓延してしまったということですか?

村上 ここ7、8年はそれが顕著ですね。理由は明白で、すべて官邸主導になってしまったからです。本来、政策決定のプロセスというのは、官僚も政治家も、さまざまな意見を出し合うべきなのです。

 

内閣人事局が人事権を行使して官僚からの意見を封じ込めました。一方、政治家に対しては選挙の公認とポストの人事権で党執行部に対する党内の批判も押さえ込みました。

 それがもっとも端的に表れたのが、閣議決定によって法解釈を変更し、強引に押し通した東京高検検事長の定年延長問題でしょう。

 

――その後、解釈変更を正当化するような形で検察庁法の改正案が提出されました。

村上 強引に法律の解釈をねじ曲げて、改正法案をあとから提出しました。それに対して党の総務会で最後まで反対したのは、結局私一人だけでした。そして法案がそのまま国会に提出されてしまったわけです。が、ご存じのように元検事総長やマスコミもこれは大問題だと取り上げて、世論の反対の声が巻き起こって廃案になりました。ここは民主主義がかろうじて機能した結果でしょう。

 

選挙と人事権と政治資金を握った者は、誰でも一強となりえる

――なぜ自民党から議論が消えてしまったのでしょうか

村上 やはり小選挙区制になったことが大きいと思います。それまでの中選挙区制では、それなりに広い選挙区で当選者も複数いたわけです。中選挙区では、みんな自分で組織をつくり、支持者とともに選挙区で戦ってきました。ところが、小選挙区制になって何が起きたか。党の公認と比例名簿の順位、これらすべてを党の執行部に握られてしまった。

 党の公認を外される厳しさが一気に具現化したのが、小泉政権郵政民営化選挙でした。

 

・しかも、比例名簿の順位も能力などの客観的な基準があればいいのですが、非常に恣意的で、執行部に対する忠誠心で決まってしまう傾向があります。

 

・党執行部の独裁が強まるにつれて派閥も弱体化しました。これにより、新人の育成や政策の立案といった、それぞれの政治家が足腰を鍛えるチャンスが失われた。さらに公的助成金、党の資金、そして官房機密費といった資金もすべて、党幹部と総理総裁に一極集中しました。選挙とポストと資金を握られたら、政治家はもはや喉元を抑えられたも同然です。言いたいことを言えなくなってしまいます。

 つまり、「安倍一強」などといわれてきましたが、このシステムがある限り、安倍さんであろうが誰であろうが「一強体制」はできてしまうのです

 

――結果として、おかしいと思っても党内で声をあげることが難しくなった。逆にいえば、なぜ、村上さんは今でも党幹部を批判する声をあげることが可能なのでしょう。

村上 私は党の執行部に選挙で頼る必要がないからです。公認がなかったとしても選挙区で戦うことができる。

 

・今は100年前と世界の状況が似てきているので、私は大変危機感を持っています。100年前に何が起きたか。スペイン風邪の世界的大流行ですね。当時、18億人程度の世界人口のおよそ半数近くが感染し、5000万人以上の方が亡くなったといわれています。当時は人口が急激に減少することで経済も縮小し、1929年に大恐慌が起こりました。こういった危機に直面すると、国民は政府に全面的に頼ろうとして全権を委任し、結果としてファシズムが台頭します。

 翻って現代。世界人口79億人のうちコロナウイルスによって亡くなったのは463万人(2021年9月14日現在)といわれていますから、当時のスぺイン風邪ほどの規模ではありませんが、とはいえ変異種などが次々と出てきて今も感染拡大が世界規模で止まりません。

 

政治には知性・教養・品性が必要

――結論ありきですべての議論が進んでいたような印象を受けました。

村上 閣僚から党三役まで、みんな総理のイエスマンになってしまいましたからね。

 

・同じ考えのお友だちかイエスマンだけで構成された党に、ダイナミックな政策やビジョンのある政治は望めません。

 

右寄りの派閥政治が続き、復元力を失った自民党

――自民党内の間違った人事が、組織を硬直化させてきたということ。

村上 もう一つの重要な視点が、安倍さんの母体である清話会。清話会というのは、自民党のライトウィングでしょう。もともとも自民党には「振り子の原理」が働いていました。

 

――本来の自民党のよき伝統が崩れてしまった

村上 それまでの自民党は、難しいポストで、一生懸命汗を流した人を人事で登用するという流れがあったのです。ところが今や、お友だちか同じイデオロギーの人か、総理一族かイエスマンしか登用しなくなりました。広島選挙区の河井克介・案里夫妻を見てもわかるとおり、忖度していれば他候補の10倍もの政治資金とともに議員の椅子が用意されるし、閣僚のポストももらえるわけです。そのような状況で誰が真面目に仕事をする気になりますか?結局、安倍・菅政権は自民党のよき伝統を破壊してしまったのです。

 

 ――このままでは自民党から人材がいなくなるという危機感はありますか。

村上 しかし、永田町は小選挙区制度の下、この20数年間でどんどん劣化してしまいました。官僚も内閣人事局による人事の運用で忖度官僚が蔓延してきました。

 

内閣人事局による官僚支配でコロナ対策も失敗

――コロナ対応においては政治主導で官僚の能力を十分に発揮してもらうことが重要だったと思われますが、そこがうまく機能しなかったのはなぜでしょうか。

村上 官僚の知識や経験や能力をうまく使うのが本来の政治主導ですが、菅氏は官房長官時代から人事で官僚を抑え込もうとしてきました。本来の政治主導とは違う趣旨で官僚に言うことを聞かせてきました。内閣人事局によって官邸が人事権を広く掌握したことで、官僚は官邸の望む政策に迎合せざるを得なくなった。

 

 

権力に酔った「官邸の暴走」が招いた茶番政治 前川喜平

 

――具体的には、古きよき自民党とは

前川 自社さ連立政権で、私は与謝野馨文部大臣の秘書官を務めていましたが、今も記憶に残っている与謝野さんの言葉があります。「君たちは、自民党社会党が組んで連立政権をつくるなんて、夢にも思ってなかったろう。しかし、自民党社会党はそんなに違う政党じゃないんだ。実は社会党が主張してきた政策を取り入れながら、自民党は生き延びてきたんだ」というものです。

 

 

派手な印象だけの9年、過ぎてみれば「焼け野原」状態に 古賀茂明

 

・第二次安倍政権以降、菅政権までの9年間は「忖度政治」の時代であった。強権をちらつかせ官僚人事を意のままにするなかで、官僚自らが「官邸のご意向」に沿うように行動し始めた。

 

――安倍元首相は2006年から始まった第一次政権の際、公務員制度改革に着手しようとしていました。2012年からの第二次政権ではその方針を転換したのでしょうか。

古賀 「公務員改革に手を付けて失敗した」という安倍さんの個人的な思いも相まって、官僚の利権には一切手を付けないようになった。第一次政権と第二次政権はこれほど大きな違いがあったのです。

 

――第二次政権では、目立った制度改革はあまり実現されなかったように思われます。続く菅政権はどうだったのでしょうか。

古賀 菅さんはもっと「改革」という言葉が好きで、自分は改革の伝道師だと思っている節があります。とくに「守旧派官僚」と戦う姿勢を取ることが大好き。

 

――掛け声とは裏腹に、本質的な意味での改革には着手しなかったと。

古賀 第二次安倍政権・菅政権では、行政改革公務員制度改革もまったくといってよいほど進展はありませんでした。

 

・後に述べる「内閣人事局」もつくりはしましたが、本来の目的とはかけ離れた使い方しかできませんでした。

 

 

アメとムチの支配に踊らされたメディアの責任 望月衣塑子

 

フリーハンドを失わせる記者クラブ制度

―― 記者クラブ制度は、実際に報道する側にとって必要なものなのでしょうか。

望月 事務次官や局長、審議官などにアポなしでも電話したり突っ込んだりできますので、参加している記者にとって楽な制度だとは思うんです。加えて、例えば難しい政策などを出す時に、事前にポイントをきちんとレクチャーしておく、というような意味で情報を出すこともあるそうです。

 

でも、そうなるとどうしても、お上中心の報道になってしまいます。向こうが発表した情報を、そのレクチャーどおりにまとめているだけでは、結果として横並びの報道になってしまいますし、そこに依拠してしまうと、権力が出そうとしない内側の情報を明らかにしていくという本質的なジャーナリズムが機能しにくくなってしまう。

 

 

信念を語る政治家はなぜ自民党から消えたのか  小沢一郎

 

・二大政党による政権交代こそが政治改革を前に進めるとの信念で、50年以上にわたる政治家人生を歩んできた小沢氏は、今の自民党及び野党をどう見ているのか。

 

――今回、コロナ禍でのオリンピック開催という不運が安倍・菅政権を直撃しました。

小沢 不運が直撃したというより、自分たちがオリンピックにしがみついたというべきでしょうね。

 

・それが、オリンピックありきで検査を増やそうとしませんでした。オリンピック利権を優先したために、決断を下せなかった。こういった無責任体質は何もこのオリンピックだけではありません。

 

「民のかまど」を優先するという政治理念が失われた

――「民のかまど」を優先するという政治理念が失われた

小沢 いや、ずっと同じような無責任体質が続いてきたと思います。とはいえ、かつては古きよき時代、右肩上がりの高度成長の時代でしたから、多少いい加減にやっていてもボロが出ないで済んだというだけです。

 

――冷戦終焉後の舵取りに失敗してしまった?

ところが、これが一気に変質してしまったのが小泉政権以降でした。自由競争第一、市場原理第一、優勝劣敗という新自由主義的な考え方が蔓延し、強いものが勝ち残ればいい、となってしまいました。

 

・でも、この新自由主義の勢いは止まらなかった。すべてが競争第一のなかで進んでいき、非正規雇用が一気に増加して雇用が不安定化してしまいました。さらに、少子高齢化は大変だ、財政規律を重んじなければいけない、という掛け声とともに、増税などで国民の負担は増える一方、給付は削られました。

 

「財政規律」という財務省の強烈なマインドコントロール

――分厚い中間層が消えてしまったという実感はたしかにあります。

小沢 小泉さんは特定郵便局と旧田中派を潰したかっただけでしょう。そして実際に、強者の論理で多くのものを壊してしまった。公平平等に主眼を置いていた自民党を、完全に変質させてしまったのです。

 

――しかし、現実に税収が右肩上がりの時代は終ったわけですから、一定の競争力がないものは淘汰されてもやむなしという意識は根強いです。

小沢 しかし、EUを見てください。EUも財政赤字をGDP比3%以内に抑えなければいけないという財政規律でやってきたけれども、今度のコロナ禍で、そのような規律をとっぱらったでしょう。

 

・そういった反省から、赤字国債には一定の制限がかけられているわけです。しかし、発行した国債が国内で消化されている限りは経済の崩壊につながることはないといわれており、実際に日本の場合、95%近くが国内で保有されています。だから暴落して、ハイパーインフレに陥るおそれも今のところはないのです。

 そうした財政論にきちんと基づいて、財務省の「財政規律」というマインドコントロールに打ち克たなければならないと思っています。

 

「自助」を突きつけられてなお、「お上主導」の思考停止

――しかし日本には、急激な少子高齢化という大きな重荷がありますが。

小沢 そうです。このままでいくと、日本の人口は恐ろしい勢いで減少していきます。2100年には日本の人口は現在の半分以下になるともいわれているようです。

 

――しかし、菅さんが総理就任早々に掲げた「自助・公助・共助」に象徴されるように、まずは自己責任でなんとかしないと、という空気が社会に蔓延しました。

小沢 ところが、こんな状況になってなお、「お上主導」の意識が抜けない人が少なくないでしょう。最終的には、「お上」が決めたことに従うしかないんだと思考停止してしまう。しかも、その「お上」といって頭に思い浮かべているのは、政治家ではなく官僚です。自分たちが選んだ代表ではなく、霞が関のお役人たちが決めてくれるものだと思っている

 

所詮、首相の器ではなかった菅氏の混乱ぶり

――政治主導という観点で、安倍・菅政権の官僚との関係性についてお聞きしたいのですが。

小沢 官僚制の打破といって内閣人事局で官僚人事を支配したわけですが、人事を直接政治家がいじるのは、あまりいいことではありません。もちろん、すべて官僚の仕事を厳正にチェックして、おかしな部分を是正することは重要です。しかし、あとは当たり前の人事を当たり前にやっておけばいい話なんです。

 

10万人の選挙区からチャーチルサッチャーも生まれた

――政治家の萎縮の原因に小選挙区制度があるのではという指摘がありますが。

小沢 すぐ、小選挙区制度が政治家をダメにしたと短絡的に言う人がいますが、それはものを知らなすぎると思いますイギリスは、日本でいうならば明治期以降、ずっと小選挙区制度でやってきています国民投票などで改正も検討されましたが、イギリス国民は小選挙区制度の維持を選択しました。

 日本の小選挙区における有権者数はおよそ30万から50万人ですが、イギリスは全土を650ほどの小選挙区に区割りしており、一つの選挙区における有権者の数は10万人にも満たない。

 

――では、一体なぜ、多様な議論が自民党から消え失せて、党が変容してしまったのでしょうか。

小沢 政治家本人の資質の問題でしょう。選挙において党本部のコントロールが厳しいから、自分の意見が言えないという指摘は当たらない。なぜなら、先ほども言ったように、党本部と関係なく自分の選挙区では票が取れるという人たちも口をつぐんでいるからです。選挙に強い人たちも議論をしようとしなくなっている。

 

――自民党に近年にない逆風が吹いていますが、野党の見通しは?

立憲民主党も、朝から晩まで会議をして理屈ばかり語っているだけではダメです。総選挙では勝てません。こっちが会議している間、自民党の議員は必死になって選挙に向けた運動を展開しています。有権者と直接接触することの重要性がわかっているからです。

 もちろん政策を訴えることは大切です。訴える際に、ただ単に理屈を並べるのではなくて、地元で一生懸命に訴えている姿を見せて、具体的なつながりをつくっていくことが重要。有権者は、1期目や2期目の候補者に、壮大な政策がすぐに実現できる力など期待していません。必死になって汗を流そうとしているかどうかを見ているのです。

 

 

 

 

『岸田ビジョン』

分断から協調へ

岸田文雄   講談社   2020/9/14

 

 

 

世の中には理不尽なこと、おかしなことがたくさんある。>

・ニューヨークの小学校時代に感じた人種差別に対する義憤。学生時代の数々の挫折や、友情。銀行時代に感じた社会の矛盾。父や身内の選挙に直接関わって目の当たりにした日本の政治の現実。世の中には理不尽なこと、おかしなことがたくさんある。変えていかなければならないことがある。一方、守っていかなければならないこともある。国や社会に関わるこうした事柄に、自分は直接関わりたい。

 

「聞く力」を持つリーダー

・私は1960年代、幼少期にアメリカ・ニューヨークで暮らし、人種差別を体感しました。大学受験にも三度失敗するなど、様々な挫折も味わってきました。そんな私にとって差別や分断のない社会の構築はライフワークです。

 そのためには、中間層を産み支える政策、社会全体の富の再配分を促す政策が必要です。

     

・その地方の活性化のエンジンとなるキーワードが、「デジタル」です。デジタル技術を最大限に活用する「デジタル田園都市構想」によって、地方と中小企業の活性化を必ず実現できます。

 

戦後最大の国難に直面して

「成長戦略」五つの柱

・「官のDX」をはじめ我が国の脆弱性を克服するのに必要な施策は、早速、6月25日にとりまとめた自民党の「令和2年度経済成長戦略」に盛り込みました。

 第一に、資本主義のあり方の見直しです。

 利益、それも短期的利益だけを重視し、「儲かりさえすればいい」とする功利主義の転換です。利益をあげることはもちろん大切ですが、それをどう公平に分配し、持続可能な発展につなげていくかがより大切です。

 

・第二に、人材の重視です。

 教育は国家百年の大計、天然資源に乏しい我が国にとって人材こそが宝です。

 

・第三に、集中からの分散です。

 令和の時代は、各地方がそれぞれの地域資源と魅力を活かして発展していくことが求められています。そして、その地方が世界と直接繋がっていく未来を構想しています。新型コロナウイルスとの戦いで明らかになったことは、集中の弊害です。

 

・第四に、分断から協調です。

 コロナ以前から世界中で、内にあっては格差の拡大、外においては一国主義と保護主義の台頭が見られました。この傾向は、コロナショックを経てさらに強まっています。我が国はこうした状況に的確に対応し、「分断から協調」をリードする主体的役割を担わなければなりません。

 

・第五として、技術・テクノロジーの重視です。

 これは教育とも関連しますが、我が国がここまで平和で豊かな国を作り上げてこられたのは、技術やテクノロジーを磨いてきたからです。短期的利益にとらわれず長期的視点で科学技術の研究に投資していく必要があります。

 

東大とは縁がなかった

・「なぜ俺の番号がないんだろう」

 東大文Ⅰ(法学部)の合格発表の掲示板を見て、三年連続、三度そう思いました。一度目は東大のある本郷三丁目駅から自宅まで、なぜだろう、という思いが頭の中に渦巻き、どうやって帰宅したのかも覚えていないほどでした。二度目の失敗では、自分の人生について、俺に価値はあるのか、などと答えの出ない問いに煩悶しながら帰宅したような気がします。しかし、三度目の失敗の時は、「これでやっと終われる」とむしろほっとしていました。

「仕方ない。東大とは縁がなかった」と割り切っていたのかもしれません。

 父の文武は東大から通産官僚に。叔父の俊輔も東大から大蔵官僚になりました。叔母・玲子の夫の弘は東大から内務官僚となり、弘の実兄・宮澤喜一元総理は言うまでもなく東大から大蔵省に進みましたし、弘の息子で私より7歳年上の洋一は東大から大蔵省でした。

 要するにどういうわけか、私の周りの多くは、「東大から官僚」のコースを歩んでいました。

 「みんな東大だから」

 私は自分も東大へ入れる、と勝手に錯覚していたのでしょう。開成高校は、東京大学合格者数が1982年から2020年まで39年連続で首位という学校ですので、「まあ、俺も行けるだろう」と安易にそう考えていたのです。

 

三度目の失敗

・三度目の挑戦となった1978年はさすがにこれ以上浪人して両親に迷惑はかけられないとの想いもあり、慶應義塾大学早稲田大学も受験しました。前述の通り、三度目の東大文Ⅰへの挑戦も見事に失敗。ですが、ありがたいことに慶應と早稲田には受かりました。

 慶應ボーイへの憧れはありましたが、男子校で野球に明け暮れていた自分の気質を考え、早稲田大学法学部に決めました。

 

「空飛ぶ棺桶」で出張

日本長期信用銀行本店で外国為替の仕事に2年半従事したあと、高松市に2年半赴任し、融資係・営業マンとして四国の様々な会社を回り、今治造船穴吹興産、来島どっく、伊予鉄伊予銀行など四国中の会社とお付き合いしました。

 

クリスマスの「プレゼント」

・あの時代は、昨日まで派手な生活を謳歌していた社長が翌朝にはどこかへ高飛びしている、などという話は枚挙にいとまがないほどでした。

 私は海運業界を担当していましたが、その業界はちょっと特殊で、「一杯船主」などと言われる家族経営の会社がたくさんあります。お父さんが社長で、お母さんが副社長、長男が専務など家族が役員になって船会社を作るのです。1隻20億~30億円の船を保有する会社もたくさんありました。

 業績が良いときは何億も儲かるのですが、その反対で巨額の負債を背負うこともあり、博打のような一面もあります。

 

・行員生活は5年で、その半分は四国での赴任生活でした。永田町に入る前、長銀の行員として社会経験を積めたことは大きな財産となりました。倒産や夜逃げの現場など世間の厳しさ、経済の厳しい実態を肌で感じることができたことは政治家としての血肉となりました。

 

仁義なき選挙戦
・多忙をきわめた行員時代でしたが、時には有給休暇を使い、父の選挙を手伝っていました。

 私が早稲田大学法学部に入学した1978年、父は通産省を退官し、祖父・正記の地盤であった広島一区から出馬することになりました。祖父が亡くなってから20年近い時間が流れており、祖父の時代の後援会もなく地盤はあってないようなものです。

 早稲田の学生時代と行員時代に、父の選挙を計4回手伝っています。行員時代にも様々な人と出会うことができましたが、選挙活動中もそれに劣らず様々な人と出会う期間でもありました。任侠映画仁義なき戦い」の登場人物のような風体の方が事務所にやってきて、「俺はどこどこの顔役で100票は動かせる。いくらで買ってくれる?」という公職選挙法違反そのものです。相手にしたくないのですが、雑に扱えば悪口を撒き散らすのは明白ですので無下にはできません。この手の人が毎日のように訪れてくるので、「選挙とはこんなに大変なんだ」と、終わるころには心身ともヘトヘトでした。

 

歩いた家の数しか票は出ない
・いまでは有名な話ですが、もっとも過酷といわれたのは旧群馬三区で、福田赳夫氏、中曽根康弘氏がトップ当選をめぐって激しく争い、「上州戦争」と呼ばれるほどでした。

当時は警察官が私服に着替え、事務所にメシを食べに来るような時代でした公職選挙法もいまと違い、選挙ともなれば有権者は両陣営を食べ比べ、「今回は福田のほうがうまかった」と周囲に吹聴し、「中曽根レストラン」「福田料亭」と呼ばれるほどのおもてなしをしたなどという逸話も残っています。

そんななか、小渕恵三事務所では、有権者におにぎりくらいしか振る舞えず「小渕飯場」と呼ばれていました。小渕さんも負けじと、演説などで資金力のなさを逆手にとって「だれそれさんは料亭、あちら様はレストラン、うちはビルの谷間のラーメン屋と呼ばれています」と演説し、同情票を狙う作戦を展開したと聞いています。いまでは法律も変わり、もちろんそんなことはできませんが。

 

「修羅場をくぐり抜ける」熾烈な選挙を手伝い、自民党に昔から伝わる「歩いた家の数しか票は出ない。手を握った数しか票は出ない」ことを実感したのです。

 

自民党の「集金係」に

・この13年後の2001年1月、私も経理局長に就任したことは運命であったと感じています。

 経理局長は、一言で言えば集金係です。日本経済団体連合会などの経済団体や一部上場企業を回り、自民党への寄付をお願いして歩きます。

 

経理局長が各企業に寄付のお願いをする一方で、集めたカネを使うのは幹事長です。選挙となれば野党と接戦を強いられる候補者には厚めに配るなど資金援助は幹事長の手腕にかかっています。

 

選挙に強い「秘伝のタレ」

政治家にとって「地盤・看板・カバン」の三バンは選挙戦を勝ち抜くうえでもっとも重要と言われます。

 選挙は候補者の資質、能力、政策、実績などで選ばれるべきですが、後援組織がしっかり機能しているか否か、知名度があるか否か、選挙資金の多寡などが勝敗を分けることが多々あります。

 私も父から地盤を引き継ぎましたので、いわゆる「地盤・看板・カバン」の三バンはありました。後援組織、岸田の名前、大きなアドバンテージがありましたが、父の時代はお世辞にも選挙に強いとは言えませんでしたから、自分なりの工夫も凝らしてきたつもりです。

 

「一区」で勝ち抜くことの難しさ

とりわけ広島一区のような政令指定都市を含む選挙区はその時々の「風」、世論の雰囲気にもろに受ける選挙区でもあります。そして、いったん風が吹くと、既存の政党の候補者が吹き飛ばされるような突風になることがしばしばあります。

 その好例が東京都議会選挙でしょう。

 

・しかし、逆風が吹き荒れても勝ち残れる人はいます。自民党の伝統であるドブ板選挙を得意とする政治家は跳ね返せます。反対に理屈先行で、メディアを相手にし、汗をかかない政治家は逆風に脆い、と言われます。

 永田町の政務でどれほど多忙でも、土日に地元選挙区に戻って支持者の前で活動報告を行う。月曜日からまた国会で議会活動を行う。若かろうがベテランだろうが、役職に就こうが、地元選挙区をおざなりにしてはいけません。私は、政調会長となったいまでも、可能な限り地元に戻り有権者と接するようにしています。

 

宮澤喜一さんの金言

・政治家のスタンスとは低姿勢でも駄目ですし、高姿勢でも間違いです。自分の理念、政治哲学をもっていれば自ずと正しい姿勢である「正姿勢」になります。

 

「野党議員」としてスタート

・しかし、1年目から野党暮らしを経験できたことは貴重な財産と言えます。「野党に転落するのはあっという間」という厳しい現実と、「どうなるかわからないことも恐れない」という心の持ちようを得られたことは貴重であったと言えます。私は日々、選挙について考えるようになったのです。

 

ビールケースに立ちつづける

・今回はトップ当選できたが、次はどうなるかわからない。どのような逆風下でも生き残れるようにするにはどうしたらいいのか。昔ながらの後援会でいいのか。カネもかからずにうまくやれる政治活動はなにか。街頭演説をもっと増やしたほうがいいのではないか。

 35歳の若さを活かした選挙戦術があるのではないか。父から引き継いだ後援会はありがたいが、メスを入れるべきだ。時代に適応した後援組織、選挙活動をしなければ、この先も勝ちつづけることはできない、と考えるようになりました。

 

・そのなかの有効策をいくつかご紹介しましょう。まずは、何と言っても街頭演説です。当時、広島ではあまり一般的ではなかった街頭演説を積極的に行いました。初当選の翌年の94年5月から、20年近く、外務大臣就任後も街頭演説は欠かしませんでした。いまでこそ辻立ちや駅頭演説は一般的ですが、私が初当選した当時は、「そんな時間があるなら東京で人に会ったり、政策を磨け」とお叱りを受けたものです。

 

・街頭演説には、おカネがかかりません。

 ビールケースのような台と秘書が持つ幟(のぼり)があればどこにでもできます。選挙の投票日も近づけばみなこぞって駅前や人が集まる施設の前で演説を行いますが、私はこれを期日に関係なく試みたのです。選挙とは関係なしに広島の繁華街に立つ。立って演説を行う。

 新人のころ、週末、繁華街で演説をしていると「あれ、選挙?」と声をかけられました。

 

・新人時代、週末ともなれば選挙区内の繁華街を周り、演説をしましたし、大臣になってもスケジュール上できそうだ、と思えば駅前で語りました。外務大臣のときもやりました。

「また岸田文雄が立っているぞ」

 そのように認識していただくまで立ちつづけました。風景の一部となるくらいまでやることです。

 

・私がいつも通り演説をしているだけなのに人が人を呼び込み、テレビカメラの後ろに人垣もできてしまいます。繁華街の人の流れを妨げて迷惑をかけ、遠くの人は何も見えないので、かえって申し訳なくなり、やっている意味が薄い、と控えるようになりました。

 閣僚や三役を経験し、役職が上がると、各地・各候補からの応援演説の依頼も舞い込みます。地元で演説する機会は以前に比べ減ってしまいましたが、私の原点はこの街頭演説にあります

 

ピラミッド型選挙は通用しない

・街頭演説にもコツがあります。皆さんも駅前などで政治家がビールケースの上に立ち、拡声器を持って話している姿を記憶されているでしょう。ただ、話の内容までは覚えている人は少ないと思います。

 聞かせるのではなく、見ていただく、と捉えたほうが良いのです。一生懸命、なにかを伝えようとしゃべっているその姿が大事で、見てもらうことに主眼を置きます。

 

・先にも触れたように政令指定都市のある一区は「風」を受ける特性があります。

 政令指定都市は、1回の選挙ごとに有権者の3分の1が変わってしまう、と言われるほど人の移動が激しいのが特徴です。

 広島一区は人口40万人で有権者は30万人強です。計算上、毎回10万人が入れ替わります。駅前の商店街などご縁のある人、後援会として応援してくれる人もいますが、全体の30万人からするとわずかです。実際に会ったことのある人は1万人くらいでしょうか当選に10万人必要だとして残りの9万人の方に「岸田文雄」と書いてもらえるかが勝敗を分けることになります。

 

・都市型の後援会作りにも工夫を凝らしました。

 田中角栄元総理には、越山会という巨大な後援組織が控えていました。地元の経済界の重鎮を会長に据えたピラミッド型の後援会です。

 

・私も田中角栄元総理の真似をしてピラミッド型の組織をつくろうとしましたが、うまくいきません。トップの下、その下くらいまではいくのですが、より多くの人にまでは声が届かないのです。どうもうまく機能しない、と悩みました。

 

・私なりに考えてみた結果、「みんなそれぞれが好きな人を集めて後援会をつくってください」とお願いすることにしました。小さな後援会をいくつもつくります。

 

・近所のおじいちゃん、おばあちゃんに、「20人30人集めてくれたらいつでも行くから」

 そうお伝えしておきます。家の大きさにもよりますが、10人くらいのときもあります。規模の大小を問わずに車座になって行う座談会を、「出前国政報告会」と名付け20年近く続けました。ホテルの大きな会場で話すこともありますが、地元支援者のお宅や公民館で話したほうが、距離が近い分、真意は伝わるように思います。

 

大逆風

自民党が野党時代、谷垣禎一総裁のとき、「なまごえプロジェクト」に取り組んでいました。これはまさに私が行っていた出前国政報告会と同じで、地元有権者と膝を突き合わせて話し合う車座集会です。野党時代で時間もあるので、当選した者も落選した者も、地元で車座になって地元の方と交流を重ねたのです。このときに徹底して話し合ったことが、その後の政権交代に繋がったように思いました。

 いまと比べれば、若いときは役職もなく自由もききますから時間もそれなりにありました。

 金曜日、広島に帰り、月曜日、東京に行くまで地元活動をびっしりやっていました。手間ひまはかかりますが、やればやるほど声をかけられる回数も増え、実感も湧きます。コツコツと積み上げ、演説や後援組織を見直し、10年もしたころには、自分の中で「選挙戦勝利の方程式」が出来上がりました。

 しかし、それでも「あのとき」は何度冷や汗が流れたことか。

 

・何度も解散が検討されるも見送られ、内閣支持率は急落していきます。内閣の不祥事や党内の混乱もあり、内閣支持率は10パーセント台まで急落しました。

 親子二代でお世話になった有権者からさえ、こう言われたほどです。

岸田さん、あんたのことは支持するが、自民党は支持できん。お灸をすえる意味で一回、民主党に任せようと思う

 自民党の国会議員というだけでビラを受け取ってもらえません。わたした名刺を破られるなんてことは全国でザラでした。

 

・私がどうこうではなく、自民党という看板に極悪人と書いてあるかのような扱いで、林さんもここまでの逆風は体験したことがなく、「自民党ってこんなに嫌われているのか」と唖然としていました。

 

たった二人だけの生き残り

・初出馬となった1993年の総選挙でも自民党への逆風は吹いていましたが、あのときは「新党ブーム」による逆風で、「自民党しっかりしろよ」という雰囲気でした。しかし、2009年の総選挙では、民主党に対する期待よりも、「自民党はもう駄目だ」という逆風です。我々が少ししゃべるだけで、凄まじい形相で罵倒されるの繰り返しです。

「こんな経験は一生ないだろう」

 政治家は、罵倒されたからと言って自分が感情的になってはいけません。糠に釘ではないですが、ありがとう、と笑って受け流す「暖簾に腕押し作戦」で切り抜けるしかありません。

 

政治家は選挙を経て、大きくなっていきます。厳しい、苦しい選挙となると、若い方は嫌がりますが、むしろ喜ぶべきことなのです。困難に直面し、その壁を乗り越えたときにこそ成長があるのです。

 実際、厳しい選挙を勝ち抜いてこそ、党内で一人前の議員として扱ってくれます。追い風が吹いて受かったような議員ではなく、逆風下でも勝ち残れる議員だからこそ先輩からも一目置かれ、発言をしっかり受け止めてもらえるようになります。長年政治家をやっていれば、雨の日も風の日も暴風雨の日もあります。逆に言えば、逆境の中でこそ政治家の器量が試されるとも言えます。

10年は徹底して選挙区を回れ

 かつて先輩方にそう教わったものです。

 

総裁選に向けて

・いま、政治に求められているものは何かと問われれば、安定と信頼、そして、それを実現するための「チーム力」だ、と答えたいと思います。

 

新型コロナウイルスの感染拡大は、百年に一度の危機と言われます。加えて新型コロナというウイルスの性質や感染力、病原としての特徴などは、いまだにはっきりわかっていない部分が多くあります。

 

これだけ巨額の財政出動をし、空前の金融緩和を行っている先に、どのような事態が待っているのか。日本は本当に、経済成長と財政再建を両立できるのか。誰にも答えは見えていません。今日の経済問題は以前よりもはるかに複雑をきわめ、政治指導者はあらゆる指標やデータを注視し、未体験の事態にその場で対応しながら、「狭き門」をくぐるような経済運営を強いられています。

 

・そのとき、私が国民にもっとも強く訴えたいのは、「現実主義」と「バランス感覚」そして「協力」です。

 

 

 

『スガノミクス』

菅政権が確実に変える日本国のかたち

内閣官房参与 高橋洋一 ・ 原英史   白秋社    2021/1/6

 

 

 

大阪都構想」に見る守旧派の手口

・さて本書の主題にも密接に関係することが、校正中の2020年11月1日、日本国民が注視するなかで行われた。「大阪都構想」に対する住民投票である。結果は、賛成67万5829票、反対69万2996票と、僅差ではあるが反対多数になり、この構想は否決された。

 

・すると翌週、投票日の6日前、10月26日の毎日新聞の一面に「市四分割 コスト218億円増 大阪市財政局が試算」という記事が出た。「大阪市を四つの自治体に分割した場合」という書き出しで、総務省が規定する「基準財政需要額」がどうなるか、という記事だった。

この記事はNHKと朝日新聞によって追随され、広く流布された。これらの記事は、自民党共産党、学者らの都構想反対派に利用された。大阪都構想」によって大阪府の財政がコストアップになると吹聴されたのだ。関係者の話によれば、この記事によって大阪都構想への反対が、急速に増えた。

 10月27日、大坂市財政局長が記者会見を行った。「コスト218億円増」とは、報道機関の求めに応じた機械的試算の結果だと釈明したのだ。

 

・この報道を拡散した大阪都構想反対派の人たちは、地方財政の知識がまったくないのか、確信犯的なのか、そのどちらかだ。

 特に、数字を捏造したともいえる大阪市の役人は、許されるだろうか。このタイミングで、松井市長に知らせもせず、大坂都構想とはまったく関係のない数字を出した責任は大きい。

 

・ちなみに、こうした事情をよく知る元大阪市長橋下徹氏は、「大阪都構想」で大阪市役所がなくなると困る「役所のクーデター」である、とツイートしていた。

 そして、こうした既得権を国民の面前に炙り出そうとしているのが、菅義偉首相なのである。

 

日本国の借金1000兆円の大嘘

菅義偉首相は経済政策について「アベノミクスを継承する」としたうえで、「デジタル庁」創設、地方銀行の再編、ふるさと納税の推進、携帯電話料金の引き下げなど、独自色も出している。新型コロナウイルス感染症による不況への対応は待ったなしだが、菅首相は「スガノミクス」で日本経済を復活させることはできるだろうか。

 

・コロナ対策では、どれだけ財政出動などで「真水」を投入できるかがポイントだ。喫緊の対応としては、積極的に財政出動するだろう。

 

・菅氏は財政について、「経済成長なくして財政再建なし」とする。財政再建よりも経済成長を優先する「経済主義」を表明している。

 ただ、こうした議論をすると必ずや「日本の財政危機」が持ちだされるのだが、私たちはそもそも、既に日本は財政再建を終えており、消費税増税も必要なかったと考えている。

 

国の資産1400兆円の多くは金融資産

・すると上司は、「それでは天下りができなくなってしまう。資産を温存したうえで、増税で借金を返すための理論武装をしろ」といってきたのだ………。

実際、政府資産の大半は、政府関係機関への出資金や貸付金などの金融資産で構成されており、技術的には容易に売却可能なものばかりだ。大多数の一般の人は、「資産といっても、道路や空港など土地建物の実物資産が多いから、そう簡単には売却できないだろう」と思っているだろう。しかし実は、それは事実とは違う。

日本銀行を含めた「統合政府」ベースのバランスシートでいえば、1400兆円程度の資産のうち、実物資産は300兆円弱しかない。つまり、国の資産のうちその多くが「売却可能な資産」なのである。

 

政府資産額は世界一の日本

・2018年度の日本政府だけのバランスシートを見ると、資産は総計674兆円。そのうち、現金・預金51兆円、有価証券119兆円、貸付金108兆円、出資金75兆円、計353兆円が比較的に換金が容易な金融資産である。加えて、有形固定資産184兆円、運用預託金112兆円、その他3兆円となる。

 そして負債は1258兆円、その内訳は、公債986兆円、政府短期証券76兆円、借入金31兆円、これらがいわゆる国の借金であり、合計1093兆円である。

 また、運用寄託金の見合い負債である公的年金預り金120兆円とその他が7兆円。よって、ネット負債(負債の総額から資産を引いた額、すなわち1258兆円-674兆円)は584兆円となる。

 主要先進国と比較して日本政府のバランスシートの特徴をいえば、政府資産が巨額であることだ政府資産の中身についても、すばやく換金が可能な金融資産の割合がきわめて大きいのが特徴的だ。

 

政府の資産は温存し国民に増税を求める財務省

・ただし、現在公表されている連結ベースのものには大きな欠陥がある。日銀が含まれていないのだ。政府から日銀への出資比率は5割を超えており、様々な監督権限もあるので、まぎれもなく、日銀は政府の子会社である。

 経済学でも、日銀と政府は「広い意味の政府」とまとめて一体のものとして分析している。これを「統合政府」というが、会計的な観点からいえば、日銀を連結対象としない理由はない。

 

・そして、この日銀を含めた統合政府ベースのバランスシートを見ると、先述の通り、1400兆円程度の資産のうち、実物資産は300兆円弱しかない。要するに、国の資産の多くが、「売却可能な資産」なのである。

 それほど多くの資産を温存しているのに、国民に増税を訴え、国の借金を返済しようと訴えるのは、どう考えても無理筋だ。こうした財務省増税志向は、それと表裏一体の歳出カット政策とともに、緊縮財政志向を生み出している。

 

IMFの提言は財務省からの出向者が作る

・緊縮財政については、その本家ともいえるIMFですら、1990年代から2000年代にかけての「緊縮一辺倒路線」は間違いだった、と2012年には認めている。

 

IMF財務省から出向した職員が仕切っている面が強く、単なる財務省の代弁としかいいようのないレポートもある。が、財務省の出向職員が手を出せないスタッフレポートのなかには、いいものもある。

 

IMFが認めた日本の財政再建

・日銀の保有する国債への利払いは、本来であればそのまま国庫収入になる。しかし、それを減少させることになる日銀の金融機関の当座預金に対する付利が、大きな問題になるわけだ。これは、はっきりいえば、日銀が金融機関に与える「お小遣い」であり、金融政策とは関係がない。

 

「研究開発国債」でノーベル賞を量産

・「研究開発国債」というべき国債を、ぜひ発行すべきなのである。この考え方を自民党の会合で紹介したのだが、これに最も抵抗したのは、財務省だった。財務省代理人と思われる学者も出席していたが、教育や研究開発が社会的な投資であることを認めながらも、国債ではなく税を財源にすべきだといっていた。ファイナンス理論や財政理論を無視した暴論である。

 

社会保障のための増税は大間違い

・実は、社会保障の将来像を推計するのは、それほど難しいことではない。何より、社会保障財源として消費税を使うというのは、税理論や社会保障論からいって、間違っている。

 

新・利権トライアングルを倒し岩盤規制撤廃

役所と業界の「接着剤」とは誰か?

・権限を持っている役所から天下った人たちが、役所と業界の「接着剤」になっていたからである。

 

政府が出資し補助金を付け天下る

・「政府のバランスシート」――これを見ると、貸付金と出資金が山ほどある。その行き先は、すべて天下り先だ。民間ではなく、政府系企業や政府系法人である。つまり、財務省の子会社のようなものである。

 政府が出資して、補助金を付けて、役人はそこに天下るという構図だ。

 

運転免許証更新のオンライン化で警察OBの天下り

・なぜ民営化と公務員制度改革を実行しなければならないのか?それは、役所が民間に企業に取り込まれてしまうことを避けるためである。経済学でいう「規制の虜」だ。

 

・民営化ができないから、政府がある部分を抱えてしまう。それを政府が抱えてしまうと、本当は民間でやってもいいことをやらない。こうして、まともなことができなくなるわけだ。

 

コロナ禍で悔やまれた行政のオンライン化

・第二次安倍政権は、アベノミクスのスタート当初から、「第一の矢」(金融)と「第二の矢」(財政)は合格点だが、「第三の矢」(成長戦略)は落第だといわれ続けてきた。評価は履らないまま、長期政権が終わった。

 成長戦略の一丁目一番地とされたのは、「岩盤規制改革」だった。

 

・だが、多くの分野で規制改革は停滞した。とりわけ、世界で急速に進むデジタル変革への対応では、出遅れた。医療や教育のオンラインなど部分的には前進しつつも、厚い壁をなかなか突破し切れなかった。そうこうするうち、2020年の新型コロナウイルス感染症の流行で、図らずも改革の遅れが露呈した。

 

成長産業に電波帯を空けるアメリ

・「岩盤規制」がもたらしているのは、「オンラインで診療や授業を受けられない」といった利便性の問題にとどまらない。

 経済社会全体での生産性の低迷、ひいては一人当たりGDPの低迷をもたらしてきた。

 

・その主な原因は、デジタル化への対応の遅れをはじめ、イノベーションの欠如だ。そして、古い仕組みを強いているのが、「岩盤規制」だ。だからこそ、安倍政権の成長戦略の一丁目一番地は、「岩盤規制打破」でなければならなかったのだ。

 こうした古い仕組みが随所に残る代表的分野が、「電波」である。

 

自民党長老議員の電話一本で規制改革がストップ

・こんなことが起きるのは、無人ロッカーの設備投資ができるのは比較的大手の事業者であり、資力の乏しい零細クリーニング店にとっては解禁が好ましくないためだ。零細クリーニング店も業界団体などによる政治力はあるので、無意味な規制維持を政治や行政に強力に求め、これがまかり通っているのが現実だ。

 現に、規制改革推進会議でこの議論をした際、自民党の某長老議員が直ちに事務局に電話をかけてきて、ストップをかけた。残念ながら、そんな電話一本で止まってしまうのが、現在の規制改革の実情だ。

 

安倍政権は「官邸主導」ではなかった

・では「安倍一強」ともいわれた強力な政権で、なぜ「岩盤規制改革」は進まなかったのか?答えの一つは、安倍政権は決して「官邸主導」ではなかったことだ。

 安倍政権では、外交や安全保障は別として、官邸の力は強くなっておらず、内政は概ねコンセンサス重視だった。内閣人事局を作って官邸が思うがままの人事を行い、結果、官僚の忖度を生んだというようなことがいわれたが、官邸主導の政策決定など、それほどなされていなかった。

 結局、官僚機構のほうがまだまだ強く、官邸主導で突破していくことは難しかった。

 

新・利権トライアングルの正体

・そして安倍政権で規制改革を阻んだ、もう一つの、より重要な要因は、国家戦略特区での規制改革が、2017年でぱったりと止まったことだ。2017年の通常国会で「加計学園問題」への疑惑追及がスタートして以降だ。

 

・マスコミと野党議員にとって、事実がどうかはどうでもいい。マスコミが「疑惑」を報じればそれを国会で追及、国会で「疑惑追及」したらマスコミで報道、と「証拠なき追究」を無限サイクルで回し続けることができる。

 証拠は要らず、「疑わしい」と唱えるだけで十分なのだ。そして、2017年以降に国家戦略特区の規制改革がぱったり止まったように、それで十分に効果は上がる。

 

各省設置法を一本化し事務分担は「政令」で

・民間企業でも、組織の改編は執行部が決めている。そうでないと、時代の変化に対応でないからだ。

 この発想からいえば、現在ある各省設置法をすべて束ねて政府事務法として一本化し、各省の事務分担は「政令」で決めればいい。こうした枠組みを作れば、そのときの政権の判断で省庁再編を柔軟に行える。

 

内閣人事局の破壊力

省庁や業界が族議員と築き上げた利権構造

・各省庁には、それぞれの縄張りで、所管業界や族議員とともに長年築き上げてきた利権構造がある。端的にいえば、国民一般の利益を犠牲にして、既得権者が利益を得る仕組みだから、時の政権が国民目線でこれに切り込もうとすることは、古くからときどき起こった。

 

省庁OBが「縦割り利権」を護持するわけ

・この不文律のもとで何が起きていたのか? 官僚たちが、大臣よりも、実質的な人事権のある官僚機構のボスを見て仕事をするようになったのだ。「政権の方針」より「省庁の論理」が優先されるわけだ。

 しかも、ボスは必ずしも現職の官僚トップではなく、省庁のOBたちが実権を握っていたりする。こうしたOBたちは所管の利権団体に天下りしているのだから、「縦割り利権」護持が最重要課題になるのは当然だった。

 

省庁のガバナンス構造改革のため内閣人事局

・「内閣人事局構想」は、言い換えれば、各省庁のガバナンス構造の改革だ。旧来の構造では、国民によって選ばれた政権の方針が貫徹されない。だから、古くからの「縦割り利権」に手を付けられない。これを、「国民によるガバナンス」が利く構造に改めようとするものだ。

 

民主党政権内閣人事局を設置しなかった謎

・付け加えておくと、政府・与党は当初は、内閣府の外局として「内閣人事庁」を提案した。これに対し、官邸直結の「内閣人事局」を強く主張したのは、当時の民主党だった。

 

<「利権のボスへの忖度」から「国民への忖度」へ

・そのようななかで、「内閣人事局」を廃止ないしは弱体化すべきだ、との主張が唱えられるようになった。「内閣人事局」が人事を握っているので、官僚による「官邸への忖度」が生じているという指摘だ。

 

・旧来の縦割り、あるいは官僚主導行政が「深刻な機能障害を来している」ことは、1997年の行政改革会議における「最終報告」で、はっきりと指摘されている。

 

人事評価はAばかり

・ではなぜ安倍政権において、内閣人事局が万全に機能していなかったのか?大問題は、内閣人事局が客観的な人事評価をサボってきたことだ。

 霞が関の官僚人事の伝統は、「身分制」と「年功序列」だ。

 

いまも色濃く残る「身分制」と「年功序列

・もちろん、霞が関全体が本当にそんな素晴らしい働きぶりをしていたら、政府はずっとよく機能している。馴れ合いで「みんなよくできました」を続けてきたわけだ。

 結果として、霞が関の人事は、あまり変わっていない。

 

人事評価を各省庁に丸投げしてきた内閣人事局

・ところが、現状は先に述べた通りだ。内閣人事局は人事評価を各省庁に丸投げし、基準確立も適格性審査もサボり続けてきた。結果として、「各省庁の仲間内人事」は旧来のままで、たいして変わっていない。

 

安倍政権が「岩盤規制」で成果を出せなかった背景

・安倍政権が「岩盤規制改革」を唱えながら十分な成果を出せなかったのは、結局、こうして霞が関の内実が変化せず、縦割り利権を頑強に守り続けていたためだ。その一方で、客観評価を欠いた「内閣の人事権行使」は、中途半端な官僚たちのあいだで「官邸の歓心さえ買えば出世できる」との間違った忖度を生む要因にもなった。

 

・方針決定後には従うとの大前提が守られる限り、当然、「異論を唱えたら左遷」などということがあってはならない。

 菅首相もそんなつもりはないはずだ。しかし、「反対したら異動」ばかりが流布されてしまっており、誤解を招きかねないので、菅首相は改めて明確にしておいたほうが良いだろう。

 

公式会議でのガチンコ討論を避けた安倍政権

・残念なことに安倍政権では、首相の出席する公式会議でのガチンコ討論を避ける傾向があった。小泉政権での経済財政諮問会議などとは大きく違った。そのために、あとから「無理やり押し付けられた」などと刺されやすかった面も否めない。

 これから菅政権が規制改革の難題に取り組むうえでは、政府・与党内での意見の対立は避けられない。これを表に晒して決着を付ける仕組みを確立することこそが重要だ。菅政権発足以降、実際に、官邸での政策会議は、ガチンコ討論に徐々に切り替わりつつあるようだ。

 

菅政権は、「内閣人事局」の機能不全の解消をはじめ、縦割り利権の打破を目指す体制をさらに強化していくだろう。これは様々な難題を解決していくために、不可欠であるはずだ。

 

再生エネルギーと脱炭素で世界を救う

エネルギーの脱炭素化が進んでいない日本

菅首相所信表明演説で「2050年までに温室効果ガスゼロ(カーボンニュートラル)」を宣言した。しかしこの分野では、日本は世界の流れに乗り遅れてきた。

 

東日本大震災以降、原子力発電所がほとんど動いていないことに加え、再生エネルギーの比率が低いことが、日本のCO2排出量が多い原因なのである。

 

国民は再エネを電力会社は原発

・「エネルギー供給の脱炭素化」が課題であることは論を俟たない。これが置き去りにされがちなのは、厄介な難題であるからだ。

 

安倍「経産省内閣」で起こった思考停止

・たとえば原発の新設をどうするか、その方針も不明なまま、2030年の電源構成では、原発比率を「20~22%」と掲げ続けてきた。そして、処理水やバックエンド問題の解決もなされなかった。

 

発送電分離のあとも残る電力市場の歪み

・たとえば、発送電分離で送電網は切り離されたが、発電と小売りは基本的に一体で運営されている。

 

・発電市場の8割を大手電力会社が支配しているから、自社の小売部門に対してだけ安価に電力供給をすれば、小売市場でも有利な立場に立てるのだ。

 

電電公社の民営化後に行ったこと

・実際に、大手電力会社による不当廉売など、新規参入者を追い落とそうとする動きも見られた。

 

・さて電力の分野では、周回遅れで本格的な自由化に踏み出した。これまでのところ「規制緩和」(自由化)はなされたが、「規制改革」(競争促進=市場の歪みの解消)の観点では、まだまだ道半ばである。

 

新電力市場で得た1.6兆円も火力設備更新に

・こうした歪みの問題が噴出した一例が、2020年夏に入札のなされた「容量市場」だ。電力には、卸電力市場や先物市場など複数の市場があるが、容量市場はその一つであり、2020年から運営が始まった。

 

・容量市場の問題は、電力市場の歪みが噴出した一例に過ぎない。こうした歪みを解消していくことこそが、菅政権に求められる課題なのである。

 

新聞と国会議員のファクトチェック

ファクトチェックでは保守派の言論がターゲットに

・原は2020年4月、問題意識を共有する関係者とともに、オンライン上で「情報検証研究所」を立ち上げた。マスコミ、政府発表、国会論戦、ネット情報など、様々な媒体で、いい加減な情報が乱れ飛んでいる。そこで媒体を問わず、事実に基づく検証(ファクトチェック)を行い、レポートや動画で公開しているのだ。

 

・さて日本では、これまで新聞社がネット情報や政治家の発言などを検証するのがファクトチェックの中心だった。特にファクトチェックに熱心なのが毎日新聞東京新聞などである。このほかに独立したファクトチェック機関もちらほらと活動を始めているが、まだまだ少ない。

 

ファクトチェックのファクトチェックを

・ファクトチェックの主体同士による「ファクトチェックのファクトチェック」も大いに結構。そうしたなかで、ルールを守って好プレーを連発する有力プレイヤーと、ルールを守れないダメなプレイヤーは、自ずとはっきりする。この切磋琢磨を通じて、言論空間はより良いものになっていくはずだ。

 

新聞紙面とサブチャンネルの開放を

・世間的には、フェイクニュースとは、主にネット上に流れる怪しい情報や、いい加減な政治家の発言を意味すると考えられている。リテラシーの高い人ならば、「ネット情報よりも、むしろ新聞やテレビのほうがデマだらけだ」というかもしれないが、世間一般の主流ではない。

 だから新聞は、いまも自分たちは怪しげなネット情報を「検証する側」だと固く信じ、自分たちが「検証を受ける側」になることなど、思いもよらない。

 

毎日新聞が「大阪都構想」で行った故意の「誤報

・先述の通り毎日新聞は、「大阪都構想」の住民投票の直前、「市四分割 コスト218億円増 大阪市財政局が試算」と報じた。ところが、この「218億円」は、「大阪都構想」の4つの特別区に分割する場合ではなく、4つの政令市に分割した場合のコストの試算であることが判明した。その後、大阪市は「あり得ない数字だった」として、試算を撤回している。

 この記事が、住民の意思決定に相当の影響を及ぼした可能性は否めない。

 というのも一般の人には、この記事は「大阪都構想218億円のコスト増」との意味しか読めない住民投票を控えるなか、まったく議論のなされていない「四政令市分割構想」のコストを一面トップで報じることは、常識的にいってあり得ないからだ。

 

「国家戦略特区」でも執拗な誹謗中傷のキャンペーン

・原は、この光景に見覚えがある。実は別件で、毎日新聞と訴訟係争中なのだ。

 前述の通り2019年6月、毎日新聞は、一面トップで原の顔写真を掲載し、国家戦略特区の民間提案者から200万円を受領し、会食接待を受けたなどと、事実無根の記事を掲載した

 その後の1ヵ月で11回(うち一面で7回)にも及ぶ執拗な誹謗中傷キャンペーンがなされた。原は繰り返し記事が間違っていると指摘したが、訂正がなされないので、やむなく訴訟を提起した。

 このときも毎日新聞は、「原が200万円受領」としか見えない記事を掲載したが、訴訟になると「記事に『原が200万円受領』とは書いていない」と主張した。記事の文面には、確かに、よくよく見ると「別の会社が200万円受領」と書いてある。ここでも、そんな事実はないと、最初から分かっていたわけだ。

 明らかなのは、どちらも、うっかり間違った「誤報」ではないということだ。事実ではないと分かっていながら、そうとしか読めない記事をわざわざ掲載した「意図的な虚偽報道」としか考えられない。

 

共産党市議の発言で露呈した「新・利権トライアングル」の連携

・二つの記事の共通点はそれだけではない。もう一つの共通点は、「政治勢力や利権との連携関係」である。

 「大阪都構想218億円問題」の記事は、反対派の自民党市議が大きく拡大してパネルを作り、街頭演説に活用した。これも、原にとっては見覚えのある光景だ。「国家戦略特区200万円問題」の記事は、森ゆうこ参議院議員がパネルにして国会に持ち込み、NHKの中継がある国会質問で、原が犯罪相当の不正行為を行ったと、大いに宣伝した。

 この事案では、おそらく背後に、国家戦略特区における規制改革に反対する省庁や利権団体がいたはずだ。加計学園問題でも同様のことがあった。

 規制改革をなんとかして潰したいのだが、規制改革を唱える政権に抗するだけの気概や理屈は持っていない利権組織が、マスコミと野党の裏に隠れて抵抗するのだ。

 

毎日新聞は特定勢力の「工作機関」なのか

・原の事案では、200万円受領という記事の続きで記者が取材していた内容を、なぜか記事の掲載前に森ゆうこ議員が知っており、それを国会で質問した。これに対しては、毎日新聞はノーコメントを貫いているが、記事の掲載前に政治家へ取材内容を提供したとすれば、報道機関としてはあり得ない異常な行動だ。

 

・「意図的な虚偽報道」「政治勢力や利権組織との連携関係」「報道前の情報漏洩」……これらの共通点から浮かび上がるのは、毎日新聞は、特定勢力に利用され、いわば下請け機関として「情報工作」を行っていたのではないかという疑念だ。

 もしそうならば、毎日新聞は報道機関とはいえない。もはや特定勢力のための「工作機関」である

 毎日新聞にはぜひ、自らの紙面を解放して、記事をファクトチェックする検証記事を掲載してもらいたい。呑気に櫻井よしこ氏らの発言をファクトチェックしている場合ではない。

 

ネットメディアを見倣うべきは新聞

社会一般の通念では、ネットメディアは新聞より低レベルであり、フェイクニュースの巣窟とされる。だが、原の経験上、そんなことはない

 2020年6月、まったく面識のない国会議員が、原に対する誹謗中傷を含んだ記事を月刊誌に寄稿し、ネット上では「ハーバー・ビジネス・オンライン」などに、あるときは「参照:しんぶん赤旗」などと注記を付けて転載されたこともあった。

 

・さらには、およそあり得ない疑惑をにおわせている。たとえば前記文面では「真珠販売会社の要望に沿って漁業法改正がなされた」といいたいらしいのだが、もともと真珠養殖では漁協に優先権がないので、論理的にもあり得ない。デタラメで、話にならない内容だった。

 原は、この国会議員のことも月刊誌のこともよく知らない。だが、影響力のあるネットメディアで誹謗中傷を拡散されるのを看過することはできない。そこでネットメディアの問い合わせ窓口に連絡し、デタラメな内容であることを伝えたところ、迅速に記事を削除してくれた

 この事例から見る限り、ネットメディアには、確かにフェイクニュースが多いかもしれない。しかし事後の対応は、新聞に比べてずっと誠実だ。

 

国会議事録が拡散する劣悪な言論

新聞よりも、さらに事後対応がなっていない低劣なメディアがある。それは、国会議事録である。

 ネットメディアに削除依頼をした記事の事案では、この亀井議員は、国会でも同じような発言をしていた。

<2020年4月7日 衆議院地方創生に関する特別委員会 亀井亜紀子議員(抜粋)

 

「スーパーシティ」構想の実現に向けた有識者懇談会の名簿、7人の名前が並んでおります。その中で、座長は竹中平蔵さん、座長代理が原英史さんですよ。この原英史さんは、漁業法の改正のときにもワーキンググループで名前が出てきて、真珠販売会社から要望をヒアリングして、内閣府にも言ったんだけれども、そのときの議事録は作成されていなかったということで、随分追及を受けた人物ですし、また、株式会社特区ビジネスコンサルティングというところにも関係していたということでも指摘をされている人です>

 

ネットメディアの記事は削除されたが、こちらはそのまま国会議事録に残り、ウェブで公開され続けている……現状では、これを削除してもらおうと思っても、不可能なのである。

 なぜか? 国会内での議員の発言には憲法上の免責特権があり、訴訟などによって争うことはできない。国会での対処を求めても、取り合ってもらえる可能性は、まずない。

 

なお、原は森議員とも訴訟係争中だが、これはネットで自宅住所を晒したことなど、森議員の国会外の行為を対象にしている。しかし国会での発言そのものは、これ以上争いようがない。

 こうして国会議事録は、まともなネットメディアならばすぐに削除するような劣悪な言論を、野放図にばらまく媒体になっている

 

国会論戦にもファクトチェックが必要だ。猪瀬氏の「ラストニュース方式」で、国会議事録の最後に、当事者の反論やファクトチェック機関の検証記事を掲載する仕組みを設けるべきだ。

 

 

 

『政治家の覚悟』

国民の「当たり前」を私が実現する

菅義偉   文藝春秋    2020/10/20

 

 

 

政治家の覚悟

・覚悟を持って「国民のために働く内閣」を作り上げると明言した政治家の信念とは何か――。改革を断行し続けてきた姿からは、その原点がはっきりと見えてくる。

 

「政治の空白」は許されない

・今年に入ってからは新型コロナウイルス感染症の拡大というかつてない国難に直面する中で、感染拡大と医療崩壊を防ぎ、同時に社会経済活動を両立させるという課題に真正面から対処してきました。

 

・しかし、この国難への対応は一刻の猶予もなく、「政治の空白」は決して許されません。

 

政治家を志した原風景

・私は雪深い秋田で農家の長男として生まれました。子どもの頃は水道がなく、家の前の堰に流れる水で毎日顔を洗っていたものです。すごく冷たくて、冬には手がしびれるほどでした。今でも毎朝、冷たい水で顔を洗うと、当時が思い出されます。

 

・高校を卒業すると、多くは農業を継ぎます。しかし私は、すぐに農業を継ぐことに抵抗を感じ、違う世界を見てみたいとの思いから、高校卒業後に、家出同然で東京へ出ました。東京には何かいいことがあると思っていたのです。

 

・しかし、現実はそんなに甘くありませんでした。板橋区の町工場に見習いとして住み込みで働き始めたのですが、想像していた生活とまるで違いました。本当に厳しかった。中学を卒業して先に上京していた同級生達と、日曜に集まることだけが楽しみでした。この時期、ここでこのまま一生を終わりたくないという思いが芽生えてきました。ほどなく会社をやめて、築地市場でのアルバイトなどをしながらお金を貯めました。一番思い出したくない青春時代です。

 そして、やはり大学に行かないと自分の人生は変わらないのではないかと考え、勉強して2年遅れで法政大学に入りました。当時、私立大学の中では法政の学費が一番安かったのです。

 当時は学生運動が全盛で、大学はほとんどロックアウト状態でした。授業も試験もなくレポート提出ばかりだったことを覚えています。私は学生運動を尻目に、生活のために稼がなければならないので、銀座にある日劇の食堂でカレーの盛り付けをしたり、NHKでガードマンをしたり、新聞社の編集部門で雑用係をやっていました。自分を思い切って試してみたいと思い、空手にも打ち込んでいました。

 

・卒業後はいつかは田舎に帰るつもりでいたので、それなら東京でもう少し生活したいと思い、会社勤めを始めます。そこで世の中がおぼろげに見え始めた頃、「もしかしたら、この国を動かしているのは政治ではないか」との思いにいたります。そして、「自分も政治の世界に飛び込んで、自分が生きた証を残したい」と思うようになったのです。当時私は26歳でした。

 ですが、伝手などありません。法政大学の学生課を訪ねて、「法政出身の政治家を紹介してほしい」と相談をしました。そこからの縁で通産大臣も務めた小此木彦三郎先生の秘書として働くことになりました。小此木先生は、けじめとか基本を大切にする人でした。

 

・ただ、秘書になり政治を間近で見るようになったものの、当時の私には「地盤」も「看板」も「鞄」もありません。政治家になれるとは思っていませんでした。いつか田舎に戻らなければならないという気持ちは消えていなかったのです。

 

・小此木事務所には7人の秘書がいて、私はその中では一番若くて下っ端です。ところが入って9~10年目のときに小此木さんが通産大臣になり、私を大臣秘書官に登用してくれました。おかげで小此木さんにお供しながら、ヨーロッパやアメリカなどを30代半ばで回ることができました。

 その後、1987年に38歳で横浜市会議員選挙に出馬しました。それまでの私にとって市会議員というのは雲の上の存在で、自分がなれるとは思っていません。ところが、偶然、横浜市内の77歳の現職議員が引退し、息子を後継に指名して出馬させようとしていたものの、その息子さんが急逝されてしまったのです。勉強こそあまりしてこなかった私ですが、『三国志』や戦国武将の歴史の本はよく読んでいたので、「もしかしたら、俺は運が強いのかな」と思いました。そして、「やろう!」となったのです。ただ二転三転して、その議員が「また出る」と言いはじめ、自民党の人たちからは「今回はやめておけ」、「4年後にまた出ればいい」と何度も諦めるように言われました。しかし、私は頑として応じなかった。「これはチャンスだ」と思って貫き通しました。そこが一つの運命の分かれ目だったと思います。チャンスが巡ってきた時に判断できるか。やはり最後は本人の覚悟しかありません。

 ただ、出馬はしたものの、そのときの選挙区は、地元意識が強く、私のようなよそ者は厳しい状況だと見ていました。

 

メリハリの利いたコロナ対策

そして、内閣総理大臣に就任したいま、取り組むべき最優先の課題は、新型コロナウイルス対策です。欧米諸国のような爆発的な感染拡大は絶対に防がなければなりません。

 

・このように国民の命と健康を守り抜き、そのうえで経済活動との両立を目指していかなければ、国民生活が立ち行かなくなってしまうでしょう。

 

コロナ禍でもマーケットは安定

バブル崩壊後、こうした最高の経済状態を実現したところで、新型コロナウィルスが発生してしまいました。しかし、ポストコロナの社会の構築に向けて、集中的に改革し、必要な投資を行い、再び力強い成長を実現したいと考えています。

 

ポストコロナ時代に迫られるデジタル化

・ですから、できることから前倒しで措置するとともに、複数の省庁に分かれている関連政策をとりまとめ、強力に進める体制として、「デジタル庁」を新設する考えです。

 一方で、ポストコロナ時代においては、こうした新しい取り組みだけでなく、引き続き、環境対策、脱炭素化社会の実現、エネルギーの安定供給にも、しっかり取り組んでいきたいと考えています

 

地方創生の切り札

・また、地方の活性化を進める中で、官房長官として何よりもうれしかったのは、26年間下落し続けていた地方の地価が、昨年27年ぶりに上昇に転じたことです。

 

・これからもインバウンドや農産品輸出の促進、さらには最低賃金の全国的な引き上げなど、地方を活性化するための取り組みを強化し、「がんばる地方」を応援するとともに、被災地の復興を支援していきたいと考えています。

 

待機児童数が減少に

・待機児童問題については、経済成長の果実を活かし、72万人分の保育の受け皿の整備を進めたことにより、昨年の待機児童数は、調査開始以来、最小の1万2千人となりました。今後も保育サービスを拡充し、この問題に終止符を打ちたいと考えています。

 

国益を守る外交・危機管理

 ・また、「戦後外交の総決算」を目指し、特に拉致問題の解決に全力を傾けたいと考えています。この2年間は、拉致問題担当大臣も兼務し、この問題に取り組んできました。米国をはじめとする関係国と緊密に連携し、全ての拉致被害者の一日も早い帰国を実現すべく、引き続き、全力で取り組みます。

 

官僚を動かせ

政治家が方向性を示す

両面性を持つ官僚の習性

・政治家が政策の方向性を示し、官僚はそれに基づいて情報や具体的な処理案を提供して協力する。政治家と官僚、すなわち政と官は本来そういう関係にあるべきです。

 

官僚は、まず法を根拠として、これを盾に行動します。

 一般国民からみると、理屈っぽくスピード感に欠けるでしょう。たしかに法律上は正しいかもしれませんが、国民感情からはかけ離れているとの印象をもたれてもしかたありません。加えて、その体質として外聞を気にする傾向があります。

 

・おそろしく保守的で融通のきかない官僚ですが、優秀で勉強家であり、海外の状況も含めて組織に蓄積された膨大な情報に精通しています。

 官僚と十分な意思疎通をはかり、やる気を引き出し、組織の力を最大化して、国民の声を実現していくことが政治家に求められるのです。

 

責任は全て取るという強い意志

・官僚はしばしば説明の中に自分たちの希望を忍び込ませるため、政治家は政策の方向性が正しいかどうかを見抜く力が必要です。

 官僚は本能的に政治家を注意深く観察し、信頼できるかどうか観ています。政治家が自ら指示したことについて責任回避するようでは、官僚はやる気を失くし、機能しなくなります。

 責任は政治家が全て負うという姿勢を強く示すことが重要なのです。それによって官僚からの信頼を得て、仕事を前に進めることができるのです。

 

自らの思いを政策に

地方分権改革推進法の成立

・スケジュールは非常にタイトでした。しかし、総理から同意を得た以上、なんとしても法案を成立させなくてはなりません。ここにいたって、官僚たちも重い腰をあげ、準備をはじめてくれたのです。

 安倍総理に直談判してから1カ月後に、地方分権改革推進法は、閣議決定され、会期内に無事成立しました。これを受けて、地方分権担当大臣が新設され、私が兼任することになりました。

 私にとっては、長年の思いの実現に向けて、大きな一歩となった法律です。

 

<「ふるさと納税」制度の創設

・私は法制化に向けて、ふるさと納税研究会を立ち上げました。千葉商科大学学長の島田晴雄先生に座長をお願いし、地域振興に通じた有識者地方自治体の長、税の専門家など十人で構成され、議論、検討が繰り返されたのです。

 その間、住民税を分割する方式ではなく、寄附金税制にすることで、受益者負担の原則や課税権、租税の強制性などの課題がクリアされる、との可能性が示されました。

 

頑張る地方応援プログラム

・頑張る地方を国としてもしっかり応援したい。そこで「頑張る地方応援プログラム」を具体化し、実行するための「頑張る地方応援室」を総務省内に設置しました。その背景には交付税制度上の矛盾がありました。

 

若手官僚を市町村へ派遣

・「頑張る地方応援プログラム」では財政支援だけでなく、若い官僚を市町村へ派遣するという新しい試みも始めました。

 従来、総務省の若手官僚は道府県庁に派遣されるのが慣例でしたが、地方の現場を知らなければ自治や分権は語れないと考えてのことです。

 

税収を東京から地方へ

・具体的には、法人二税のうちの法人事業税から税収の半分程度に相当する約2兆6千億円を分離して国税化し、それを「地方法人特別税」とします。国はその税収のうち2分の1を人口で、残りの2分の1を従業員数で按分し、各都道府県に一般財源として配分。これを「地方法人特別譲与税」としたのです。

 

ICT分野での国際戦略

・これまで日本経済を牽引してきたのは自動車産業ですが、これと肩を並べるような産業を育てる必要性を強く意識していた私は、総務副大臣の頃からICT(情報通信技術)産業に着目していました。

 

決断し、責任を取る政治

朝鮮総連の固定資産税減免措置を見直し

・2010年度には、全て減免措置の対象となる朝鮮総連の施設がついにゼロとなりました。

 

・大臣になると官僚の対応はこんなに違うのかと痛切に感じたものです。

 

拉致被害者救出のための新しい電波の獲得

拉致問題でNHKに命令放送

・現に拉致被害者のお一人である蓮池さんは北朝鮮で日本の印刷物を翻訳している際、家族が救出運動をしていることを知り、生きる希望を持つことができた、と述べておられます。また他の拉致被害者の方はラジオで救出運動を知り蓮池さんと同じように励まされたといいます。拉致被害者の方々にあらゆる手段でメッセージを送ることは極めて重要なことと考えます。

 

夕張市財政破綻地方財政健全化法の突貫工事

・こうして、高金利の返済に苦しむ地方自治体も繰上げ返済が可能になり、負担の大幅な軽減が実現したのです。繰上償還の実績は、2007年度から2010年度までで、6兆1464億円。事実上の地方負担の軽減額といえる補償金免除相当額は、1兆1819億円にも上りました。

 

国民目線の改革

年金記録問題を総務省

国民にとって老後の生活を送る上で、最も大事な年金をずさんに扱ってきた社会保険庁多くの国民にご迷惑をおかけし、不安に陥れた年金問題三つの委員会の委員の皆様のご努力で、年金業務を立て直す道筋をつけることができました。過去に例のない事態で私にとっても手探りでしたが、総務省の組織を挙げての協力態勢によって対応することができたと思っています。

 その後、社会保険庁は解体され、年金業務は新たに設立された日本年金機構が担うことになりました。

 

家賃を年間1億円も節約した独立行政法人

・国民からすればとんでもない無駄遣いです。それを当事者が気づいていないところにこの問題の根深さがあります。引越を命じても、ああでもないこうでもない、とつまらない言い訳を考えて時間を稼ぎ、居座ろうとするものですから、私も徹底して厳しい態度で臨みました。

 

首長の高額退職金と地方公務員の高給にメス

・私は大臣になって是正すべく行動を始めました。首長の退職金は、地方自治法で「条例で退職手当を支給することができる」と定めてあります。ところが、退職金の算定基準はどこにも書いてありません。それが高騰の一因でした。

 

新型交付税制度の創設

総務省の仕事は社会の仕組みに関わるものが多く、国民からみるとわかりづらい印象があると思います。その最たるものの一つが、地方交付税制度です。

 

・できるだけ交付税を簡素に、透明にすることが、地方自治をわかりやすくし、地方の発展につながるという信念で、私が大臣の時、無事に国会で成立させることができました。これがいわゆる「新型交付税」です。

 

大阪市高給天国の謎

大阪市では、かつての社会保険庁と同様、市役所職員の労働組合による旧態依然たる支配が続きました。非効率な行政組織、高い職員の給料といった高コスト体質のために、本来街づくりに回すべき予算が減ったことなどが影響し、ライバル視していた東京との都市間競争で大きく立ち遅れています。こうした役所の体質は、実感として市民に伝わります。

 

・全国どこでも同じような行政サービスを受けられる仕組みとしての交付税制度の意義は否定しません。しかし、これが60年以上続いていることによって、結果的に交付税頼みの体質をもたらしてはいないでしょうか。どんなに素晴らしい制度も、時間が経てば、時代に合わなくなり、ほころびが出ます

 優れた見識をもっているとされる市町村長さんであっても、こと財政の問題になると、皆さんは口をそろえて、「お金がない」と強く訴えられます。

 

首長の多選禁止への道筋

私が大臣在任中に県知事の不祥事が続出していました。代表例が岐阜県知事で、県庁ぐるみで数十億円にものぼる裏金作りをしていました。続いて、福島県知事が実弟とともに県発注のダム工事をめぐって建設業者に便宜を図った見返りに実弟の会社名義の土地を買い取らせた事実が明るみに出ました。さらに、広島県知事の後援会元事務局長が集めた資金の一部を政治資金収支報告書に記載せず、逮捕されて有罪が確定し、同知事の元秘書も知事選前に県議らへ資金提供したと供述しました。

 

・この報告書で指摘されたように、日本を代表する法学者の研究会から、「憲法上は問題なし」との方向性が出たことで、多選禁止を法律で制限する可能性が出てきました。

 これを受けて、早速、神奈川県議会では、

知事は引き続き3期を超えて存在することはできない」との条例改正を可決しました。これを施行するためには地方自治法が改正されなくてはなりませんが、少なくともこうした多選禁止に向けての道筋をつくれたことに大きな意義があったと思っています。

 

被災者の支援制度を使いやすく

・私の意を受け止めていただき、野党とも調整された結果、被災者を迅速に支援するために、収入要件及び年齢要件の撤廃や、使途を限定した上で実費額を清算していたのを、使途を限定しない定額渡し切りに改めるなど、シンプルで使い勝手のよい制度に改正することとなりました。

 

議員立法で国会を活性化

万景峰号の入港を禁止する法律

 ・私が初当選の頃は、議員立法が現在よりも少なく、成立する法律の大半が内閣提出法案でした。議員立法は内閣提出法案と比べて成功率が低く、多くは廃案とされがちでした。私は幸いにもいくつかの法律を成立させることができましたが、国民の後押しがあったからこそ成立させることができたのだと思います。

 その一例が、万景峰号の入港を禁止する法律「特定船舶の入港の禁止に関する特別措置法」です。

 

<「振り込め詐欺」を防げ

・私は、多発する犯罪を何とか未然に防ぎたいと、治安対策を重視して活動し、自民党治安対策特別委員会(治安対)で事務局長を務めていました。

 この頃、治安上の最大の懸案事項は、いわゆる「振り込め詐欺」と外国人犯罪でした。

 

振り込め詐欺に使用される電話は95%がプリペイド携帯でした。

 

・銀行口座の売買とプリペイド携帯に罰則付きの規制をかけたことに加えて取り締まりの強化、社会全体で啓発活動に取り組んだことなどが功を奏して、振り込め詐欺は著しく減少しました。しかし国内での取り締りが厳しくなった今日では、犯罪が国際化し、犯罪者は中国などからも電話をしているようです。治安対策に終わりはなく、不断の見直しが必要です。

 

外国人犯罪の一掃へ

警察庁が検挙した外国人犯罪は、2004年度に過去最高の47128件を記録しました。外国人による凶悪犯罪が急増し、世界で一番安全な国と言われた日本の治安も揺るぎ始め、多くの国民は外国人の犯罪に怯えていました。これは、日本に滞在する外国人にとってもいいことではありません。治安対が着目したのは外国人の不法滞在者です。この時期、約22万人もいるとされていました。そして逮捕された外国人のうち実に6割が不法滞在者でした。

 

・この提言の後、法案化に向けて作業が続けられるのですが、驚かされることがありました。警察庁は、外国人犯罪者約80万人のリストや、20万~30万人の不法滞在者リストをもっていますが、法務省の入国管理局は強制退去させた5万~6万人のリストしかもっていませんでした警察庁と入管の間でリストを共有していなかったのです。ここにも「振り込め詐欺」のときと同様の、縦割り組織の弊害が出ていました。

「そんなことで、入管法の改正なんかできない。お互いに連携しないと」

 警察庁ブラックリストと入管のバイオメトリクス・システムがオンライン化し、情報を共有することになったのです

 

バイオメトリクスによる入国審査システムは大きな抑止力となり、国内の不法滞在者は、ピークであった1993年の30万人、2004年の22万人から、2011年には78488人と激減しました。

 外国人犯罪者の検挙数も、導入前の2005年度に47865件と過去最高を記録して以降は激減し、2010年度には19809件にまで減りました。前年度(2009年度)比でみると、件数で28.8%、人員で10.6%の減少とこの数字が如実に効果を物語っています。

 

原発事故調査委員会を国会に

・事故がなぜ起こり、なぜ被害の拡大を防げなかったのか、事故を二度と起こさないために真相を徹底的に解明する。これが国民、そして支援してくれた世界の国々に対し、わが国が果たすべき責任です。

 

支持率低下覚悟の安保関連法成立

特定秘密保護法で「支持率が10%は下がるだろう」

体中の力が抜けた

・いま、北朝鮮は挑発行為をエスカレートさせています。弾道ミサイルは日本上空を通過し、昨年9月に実験した核の威力は、広島の原爆の10倍強ともされています。特定秘密保護法や安全保障関連法がなければ、北の脅威から日本を守ることは難しいでしょう。大きな意義のある法案成立だったと思います。

 

携帯料金は絶対に4割下げる

家計を圧迫する通信費

・私はかねてから「日本の携帯電話料金の水準は高すぎる」「料金体系が不透明で分かりづらい」と主張してきました。

 

我が政権構想

「出馬を考えていなかった」のは当然のこと

・特に瀕死の状態なのが、これまで地域の経済を支えてきた観光です。ホテルや旅館のほか、バス、タクシー、食材、お土産屋さんなどで約9百万人もの人々が働いていますが、ホテルの稼働率は一時期1割程度にまで落ち込みました。

 

最優先改題は「地方創生」

・私は秋田の寒村のいちご農家に育ち、子どもの頃から「出稼ぎのない世の中を作りたい」と思っていました。政治家になってからも、地方を大事に思う気持ちは脈々と息づいています。

 

・我が国はいわゆる東京圏以外での消費が全体の7割を占めます。この中で、地方の所得を引き上げ、地方の消費を活性化しなければ、日本経済全体を浮揚させることは不可能です。

 

・ここで必要なのが「デジタル化」です。いまだに山間部や離島では光ファイバーが届いていない地域が多い。今回の2次補正予算では、私が主導し、離島も含めて全国に光ファイバーを敷設する予算(5百億円)を確保しました。

 

<「当たり前」を見極める政治

私が政治の道を志して以来、一貫して重視してきたのは、国民の皆様から見て、何が「当たり前」かをきちんと見極めるということです。世の中には、まだまだ数多くの「当たり前でないこと」が残っています

 例えば、携帯電話の料金。いまや携帯は「国民のライフライン」にもかかわらず、世界で最も高い水準の料金が放置され、契約自体も複雑なものでした。

 

それでも、市場の9割を占める大手3社は20%前後の営業利益率を出し続けています。大企業の利益率の平均は約6%ですから、まだまだ値下げの余地はある。ここにも切り込んでいかなくてはなりません。

 そして「当たり前でないこと」の最もたるものは、「行政の縦割り」から生じる様々な非効率や不合理でしょうふるさと納税もビザの緩和も官僚たちには反対されましたが、私には、国民生活に利益をもたらし、この国が更に力強く成長するために必要だという確信がありました。

 

25兆円以上が浮いた計算

・まさに「行政の縦割り」の弊害です。そこで私は台風シーズンに限って、国交省が全てのダムを一元的に運用する体制を整えました。結果、全国のダム容量のうち、水害対策に使えるのは46億立法メートルから91億立方メートルへと倍増した。これは、群馬県八ッ場ダム50個分にあたります。八ッ場ダムの建設に50年、5千億円以上かかっていますから、単純計算で25兆円以上が浮いたことになる。これで、各ダムの下流では氾濫を相当減らすことができると思います。

 

国民の「食い扶持」を作る

・初当選直後、梶山先生から頂いた叱咤激励が胸に強く残っています。

「政治家の仕事は、国民の食い扶持を作ることだ。そのために何ができるかしっかり勉強しろ。経済界、学界、マスコミ、官僚、色々な人脈を紹介してやる」この「食い扶持を作れ」というのは梶山先生らしい表現ですが、国民の生活を支える政策を行うには、様々な視点、知見を持つ人々から幅広く話を聞く必要があるんだ、ということ。

 

意志あれば道あり

・ただ、これまでと違うのは、コロナ感染症によって経済が危機的な状況にあり、その中でサプライチェーンの問題など構造改革が迫られているということです。だからこそ、まずやるべきは、コロナ対策に全力をあげて雇用を守る、企業を倒産させないようにする。梶山先生の言葉で言えば、「国民の食い扶持を必ず作る」。それが、私の仕事です。

 

・71歳になりましたが、体調は万全です。7年8カ月間にわたり、官房長官として危機管理の責任者を務めてきました。その任を果たすために、毎朝40分のウォーキングや百回の腹筋など体調管理と規則正しい生活に特に意を用いてきた。こういう経験を引き続き、国のために生かせるのであれば、本望です。

 私の座右の銘は「意志あれば道あり」。どんな困難でも強い意志があれば、必ず道は開ける。

 

国民のために働く内閣

「当たり前でないこと」が残っている

・省庁の縦割りによって、我が国にあるダムの大半が洪水対策に全く活用されていなかった事実。また、国民の財産である電波の提供を受けた携帯電話の大手三社が、9割の寡占状態を維持し、世界でも高い料金で20%もの営業利益率を出し続けている事実。他にも、このような「当たり前でないこと」はさまざまなところに残っています。

 

私が目指す社会像、それは「自助・共助・公助」、そして「絆」だと、度々申し上げてきました。自分でできることはまず、自分でやってみる。そして、家族、地域で助け合う。その上で、政府がセーフティネットでお守りする。そうした国民から信頼される政府を目指したいと思っています。

 目の前に続く道は、決して平坦ではありません。

 しかし、行政の縦割り、既得権益、そして悪しき前例主義を打破し、規制改革を全力で進める「国民のために働く内閣」を作っていきます

 

 

 

『総理の影』  菅義偉の正体

史上最強の官房長官を完全解剖!

森巧   小学館    2016/8/29

 

 

 

秋田から上京した農家の青年は、いかにして最高権力者となったのか。>

菅義偉(よしひで)が生まれ、少年時代を過ごした秋田県雄勝郡秋ノ宮村は、そんな自然の恵みと厳しさを併せ持っている。現在は湯沢市となっているが、新潟県の越後湯沢とよく似ている。菅の生まれた故郷である秋ノ宮やその周辺が米どころと呼ばれるようになったのは比較的新しく、第2次世界大戦前までは農業に適した地域とも言いがたかった。

 それゆえ戦中は、大勢の村人が日本政府や関東軍にそそのかされ、新たな開墾地を求めて満州に渡った。全国の農村から渡満して入植したそんな人たちは満蒙開拓団と呼ばれ、秋ノ宮の村人たちもまた地名にちなんだ「雄勝郷開拓団」を結成した。そうした開拓団の人たちは満州終戦を迎えた。

 終戦間もない満州の悲劇はこれまでにもいくつか紹介されているが、秋田の雄勝郷開拓団で起きた筆舌に尽くしがたい惨状はあまり知られていない。

 

雄勝郷は牡丹江省安寧安県にあり、(昭和)15年6月に入植した。当初は先遣隊19名であったが、逐次増加し、20年8月のソ連参戦時において雄勝郷の規模は、戸数79、人口374名、水田四百町歩を有していた。

 

・匪賊の出没が頻繁なので、軍から小銃45丁、弾薬3千発を渡された。

 満州では戦況の悪化に伴い、すでに開拓団の成人男性が根こそぎ関東軍に徴兵され、残った女子供や高齢者は、終戦すら知らないまま、旧ソビエト軍や中国人反乱軍の脅威にさらされた

 そして8月19日、戦地で戦っている一家の主の足手まといになるまい、と妻たちが話し合い、子供を道連れに、みずからの命を絶った。郷土史家の伊藤正が描きまとめた小冊子「満州開拓団雄勝郷の最後」には、たまたま入植地に居残り、妻たちの自決を知った柴田四郎という団員の手記が掲載されている。

 

・菅の故郷の雄勝郷開拓団の集団自決は、最近になってようやく明らかになった史実といえる。冊子には、その雄勝郷開拓団に逃げ込んで生きながらえた長野県「東海浪開拓団」の佐藤元夫が書き残した目撃談も掲載されている。

 

菅の父や母もまた、新天地を求めた満州に渡った口だ。父親は南満州鉄道(満鉄)に職を求め、叔母たちは農民として入植した。雄勝郷開拓団員たちと同じような体験をしている。そうして菅一家はまさに満州の悲劇に居合わせ、運よく命が助かった。

 

・戦後、菅一家はいちご栽培で生計を立てたが、復興の著しかった都市部に比べ、雪深い生まれた故郷は、さほど豊かにはならなかった。菅が少年時代を送った終戦から高度経済成長の走りまで、多くの家庭では、冬になると一家の主が東京に出稼ぎに行き、妻や子供が留守を預かってきた。中学を卒業した生徒の大半が、集団就職のために夜行列車で上野を目指した。

 

・いちご農家の息子である菅本人は、中学を出ると、地元の秋田県立高校に進んだ。冬は雪で道路が閉ざされ、学校には通えない。そのため、高校の近くに下宿し、高校を卒業後に東京・板橋の段ボール会社に住み込みで働き始めた。

 中学や高校の幼馴染たちは、成人してしばらくすると、郷里の秋田に戻ってくるケースが多い。いわゆるUターン組であり、秋田で農業を継いできた。

 だが、菅はそこから大学に入り直し、政界に足を踏み入れた。やがて保守タカ派の政策で安倍晋三と意気投合し、信頼を得る。言うまでもなく安倍は戦中、満州国国務院実業部総務司長として、満鉄をはじめとする満州の産業振興に携わった岸信介の孫であり、祖父を敬愛してやまない。ともに戦争体験はないが、二人は互いに惹かれる何かがあったのかもしれない。

 そして菅自身は、第二次安倍晋三内閣における官房長官という政権ナンバー2の地位にまで昇りつめた。

 

「いっさい失言をしない切れ者の政府スポークスマン。世に聞こえた過去の名官房長官と比肩しても劣らない」

  政治部の記者や評論家の多くは、いまや菅をそう評し、その政治手腕を高く買う。国会議員は与野党を問わず菅の手腕を認め、霞が関の官僚やマスコミまでもが、菅を持ちあげ、いつしか菅は「政権をコントロールする影の総理」とまで呼ばれるようになった。安倍政権に欠かせない存在だとされ、自民党内では、他の政治家を寄せつけないほどの存在感を見せつけてきたといえる。

 

・そんな菅は政策通を自負する。永田町では、霞が関の官僚をグリップできる数少ない政策通の国会議員だとされてきた。安保や外交政策以外にあまり関心がなく、ときどき珍紛漢な発想をして政策音痴とも酷評される首相を支えてきた。

 

菅義偉は、多くの二世政治家や官僚出身の国会議員に見られるような門閥や学閥の背景を持ち合わせていない。秋田県の豪雪地帯から単身で上京した集団就職組であり、そこから現在のポストにたどりついた。さまざまな苦難を乗り越えてきたがゆえ、人心掌握術に長けた叩き上げの老練な政治家として成長した。そんなイメージもある。

 永田町ではそこに共鳴し、懐の深い苦労人の政治家像を重ねる向きも少なくない。とりわけ新聞やテレビの政治記者が、そうした菅像を描いている傾向が強いように感じる。

 しかし実際に取材をしてみると、その素顔はこれまで伝えられてきた印象とかなり異なっていた。同じ豪雪地帯出身の田中角栄と菅を重ね合わせる向きもあるが、二人にはかなりの開きがあるようにも思えた。

 当の本人はどことなくつかみどころがなく、大物評の割に、その実像が明らかになっていないが、少年時代から青年期、国会議員へと時を経るにつれ、姿勢を変えてきたのではないだろうか。

 

もとはいわば東北出身のどこにでもいそうな青年だった。それが「影の総理」「政権の屋台骨」と評されるほどの実力者になれたのはなぜか。

 

橋下徹の生みの親

・実は菅と麻生の確執は、いまに始まったことではない。もともと政治信条が異なる。第二次安倍内閣が発足した12年末、自公政権は周知のとおり「金融緩和」「財政出動」「成長戦略」というアベノミクスなる経済政策を打ち出した。安倍政権では、その具体的な経済政策を提唱する諮問機関として経済財政諮問会議を設置し、そこに小泉純一郎政権で規制緩和政策の舵をとった慶應義塾大学教授の竹中平蔵を加えようとした。が、それに麻生や自民党総務会長の二階俊博が異を唱えたとされる。

 かたや菅にとって竹中は、小泉政権時に総務副大臣を務めたときの総務大臣であり、現在も折に触れ政策について相談をしている。そうして安倍政権で経済財政諮問会議入りに代わり、新たに産業競争力会議を立ち上げ、その中核メンバーとして竹中を迎え入れた。つまり、二人は根本的に政治姿勢が異なる。財政規律を重んじ伝統的案政策の整合性を求める麻生に対し、菅は規制緩和と経済合理性を最優先に唱えてきた。

 

衆院選出馬騒動

・「のちのち、いい結果を生むと思いますよ」

すでに衆院の解散が決まった12月初め、自らの衆院選の出馬断念の理由を問われた維新の党の橋下徹は、そう思わせぶりに言い、報道陣を煙に巻いた。

いったいなぜ橋下、松井は出馬を取りやめたのか、衆院選出馬に待ったをかけたのは誰か、後ろで糸を引いた人物が詮索された。それがほかならない官房長官菅義偉である。

 

創価学会の変化

橋下徹たちが14年12月の衆院選出馬を断念すると同時に、公明党大阪府議会や大阪市議会で大阪都構想住民投票を容認した。それもまた、裏に菅・佐藤ラインの思惑が働いたとみるのが妥当だ。

 公明党の方針転換は、維新の会の橋下はもとより、菅にとっても悪い話ではない。仮に、住民投票を可決できれば、一挙に計画が進む。おまけに安倍政権と維新との連携に拍車がかかる。菅はそう睨んだからこそ、維新にエールを送ってきたのだろう。

 

将来の総理候補

・維新の会の橋下徹は2015年が明けると、いよいよ5月17日の住民投票に挑んだ。序盤は悪くない戦いだったに違いない。菅もエールを送り、逆に当時取材した大阪府連の国会議員は嘆いた。

「菅さんなどは『橋下さんは総理候補だ』と公言する始末です。住民投票だけでなく、国家戦略特区構想などでも大阪を支援している」

 

橋下・菅のリベンジマッチ

大阪都構想住民投票では、1万票という僅差で維新が敗れただけに、府知事、市長のダブル選も、当初は接戦を予想する関係者が少なくなかった。

 

・ところが、選挙戦の終盤になると、雲行きが怪しくなっていく。世論調査の支持率は軒並み維新優勢と伝えられ、「維新の二連勝濃厚」という声が大きくなった。

 そして11月22日、投開票されると、そのとおりの圧勝に終わる。

 

捨て身の政治

・私は大阪のダブル選の少し前、菅本人にインタビューした。こう率直に尋ねた。

――都構想をはじめ維新の党の橋下徹の政策をずい分買っているようだが、そのきっかけは?

「そもそも橋下さんを紹介されたのは、大阪の国会・市会議員の人たちからです。(2007年)当時、自民党の選対副委員長であった私から、橋下さんの大阪市長選挙への出馬を説得してほしいということでした。それ以来ですから、大阪都構想住民投票には感慨深いものがありました」

 このとき橋下は大阪市長選ではなく府知事選に回ったが、もとはといえば、政界の舞台に担ぎ上げようとした張本人が、菅義偉である。菅はいわば政治家橋下徹の生みの親であり、菅本人もそう自負している。

 

・「橋下徹松井一郎という政治家は、捨て身で政治を行っていますから、二人を信頼しています。私自身、総務副大臣時代から、横浜市のほうが大阪市より人口が百万人も多いのに、逆に職員は大阪市が1万5千人も多かったのです。その意味で、改革は必要だ、と問題提起してきました」

 

菅一家の戦争体験

おっかない親父

・菅の父、和三郎はいちご組合を率いるかたわら、雄勝町議会の選挙に出馬し、町会議員にもなる。地元の名士として、頼りにされる存在でもあった。

和三郎さんが雄勝町の町会議員になったのは、義偉君が中学校を卒業したころで、そこから4期(16年)議員をやりましたね。次は議長という5期目の選挙のときも、楽々当選といわれていたものでした。ですが、あまりに余裕がありすぎた。『俺は応援せんでええから』と他の候補者の支持に回ってしまい、本人が落ちてしまったのです。それ以来和三郎さんは、政治の世界からすっぽり引退しました。そのときには、もう義偉君が東京に出ていました」

 菅が上野に夜行列車で向かった集団就職組だという話は嘘ではないが、巷間伝えられているように大学に行けなかったような貧しい家ではない。とすれば、なぜ菅は高校を出て単身上京し、就職したのだろうか。

 それは、いちご組合や町議会の活動を通じて名を成した父親へのある種の反発だった。

 

口を閉ざしてきた満州秘話

・ちなみに外務省によれば、建国時わずか24万人だった満州国全体の日本人は、終戦時に155万人に増えている。うち、およそ27万人が開拓団関係者だ。諸説あるので正確な数は不明だが、56年に外務省と開拓民自興会の作成した資料だと、全国の開拓団入植者は19万6200人、義勇隊を2万2000人としている。このうち帰国できなかった死者・行方不明者は、8万人を優に超える。

 

雄勝郷開拓団の悲劇

・そんな満蒙開拓団のなかで、最近まで明らかにならなかった悲劇がある。それが菅の生まれた故郷である秋田県雄勝郷開拓団の集団自決だ。

 

開拓団員を救った和三郎

終戦当時の満州の開拓団には、いまだ知られていない史実が数多く残されている。雄勝郷開拓団の集団自決も長らく封印されてきたが、むろん悲劇はこれだけではない。

 

子供を川に投げ捨てた父親

・「私はちょうど終戦1年前に青森の八戸連隊に召集され、そこから満州へ向かいました。20歳そこそこの二等兵でしたから何もできませんでしたが、開拓団の人たちの惨状は、筆舌に尽くしがたい」

 秋ノ宮でいまも菅の実家から車で10分ほどの場所に住む栗田儀一は、終戦間際に日本軍に徴兵され、満州ソ連軍と戦った経験を持つ。

 

八路軍に身を投じた中国残留孤児

秋田県秋ノ宮から雄勝郷開拓団に参加したなかにも、この土田由子と同じような道をたどった少年がいる。先に紹介した秋田魁新聞の短期連載「語られなかった悲劇 満州開拓団雄勝郷集団自決の残像」の4回目にそれが記されている。

<集団自決で亡くなったはずの親類の子どもが、残留孤児として生存していたことが判明。(開拓団員の)長谷山(アイ)さんは永住帰国実現に尽力した。「手紙で気持ちを尋ねたら『帰りたい』と返事が来た。途中で投げ出すわけにはいかなかった」と長谷山さん>(2007年8月18日朝刊)

 

上野駅

豊かだった少年時代

・東北の雪深い片田舎でも、都会にない豊かさがあった。とりわけ菅家では、もともと祖父の喜久治が電力会社に勤めていたおかげもあるだろうが、それほど家計が苦しかったような印象も受けない。何より満州から引き揚げてくるや、初めていちご栽培に取り組んだパワフルな和三郎が、一家の大黒柱として家計を支えてきた。ニューワサと呼ばれるブランドいちごがヒットしたのは少しあとだが、決して貧しい家庭ではなかった。

「われわれが高校生になるころまで、和三郎さんは品種改良に取り組んでいる最中でしたな。ブランド化されたいちご栽培が伸びてきたのは、そこからでしょうけど、官房長官の家は小学生のときから羨ましがられていましたな」

 由利が少年時代のエピソードを明かしてくれた。

 

断念した野球少年

・「今は雄勝町にも雄勝高校があるけど、当時はまだなかった。それで、われわれは遠くの湯沢高校に通いました」

 湯沢市会議長の由利昌司は、懐かしそうに目を細めながらそう語った。湯沢高校になると、学区が中学校よりさらに広くなり、一学年八クラスもあった。が、中学と異なり、高校に進学する生徒はあまりいなかったという。

「中学校の卒業生で、地元の高校に進学する生徒は二割しかいませんでした。残りの八割は中学を卒業してすぐに農業を継ぐか、あるいは上京して集団就職していました。東京に行って都内の夜間高校に通いながら働く同級生が非常に多い時代でした」

 由利も同じ高校に進んでいるが、高校に進学できる二割のなかにいた二人は、ともに恵まれた家庭に育ったといえる。湯沢高校は秋田県内屈指の進学校として今も人気がある。

 

いちご農家を継ぐか

・湯沢高校では当時から進学コースが主流で、生徒の4分の3が大学入学を目指した。菅も進学コースに進み、とうぜんのごとく入試に備えた。

「義偉さんの家は、勉強に熱を入れていたと思います。姉さんたちも大学を出ていますからな。北海道教育大学を卒業し、一人は北海道で先生をやっていました。で、義偉さんも、北海道の姉さんのところに泊まって大学受験したと聞いています」

 

父への反発>

・「官房長官はあまり本音を言っていないかもしれないけど、北海道教育大学の受験に失敗したから、あとは家さ残っていずれ農家を継げということだったのでしょう。親父さんから、『うちさ残れ』って言われ、それで『俺はもうここさ、いられねえ』と言い放って、家を出ちゃったのさ」

 小、中、高校のあいだ、ともに学校に通った湯沢市議会議長の由利昌司はそう言い、先の小川もまた、菅が上京したのは大学受験に失敗したからだと似たような話をする。

 

東京ならいいことある

・指定された時刻より少し早くホテルに到着したため、喫茶ロビーで待っていると、慶應大学教授の竹中平蔵が、そばを通り過ぎた。首相官邸に設置されている産業競争力会議の中核メンバーである竹中は、菅義偉の有力ブレーンの一人に数えられている。

 

・――高校の同窓生は、教師を志して北海道教育大学を受験して失敗したことが原因で、上京したと話していたが、なぜ郷里を離れたのか。

北海道教育大を受けた事実はまったくありません。受験で失敗してこっちに出てきたかのように伝わっているけど、高校三年生のときはどこの大学も受けていません。母や姉だけでなく、農業を継ぐのも嫌でした。それで、ある意味、逃げるように(東京へ)出てきたのです」

 

大学で事務所選び

――では、どのようにして政治の世界に飛び込んだのか

「政治家の知り合いや伝手もありません。それで仕方なく法政大学の就職課に相談したんです。そしたらすぐに市ヶ谷にある法政大学のOB会を紹介していただきました。その事務局長の方から法政大学OBの中村梅吉さん(元衆議院議長)の秘書を紹介していただき、一緒に参議院選挙の事務所で働きました。ところが、中村先生がとつぜん体調を崩してしまい、選挙をあきらめた。その秘書の方がたまたま小此木衆議院議員のことをよく知っていたんです。小此木さんの名前も知らず、私はそんな程度でしたが、政治の道にようやく入ることができたのです

 その言葉は正直なところだろう。大学の就職課を通じて秘書になるパターンも珍しいが、そこには野心も野望も感じない。これもまた取り立てて奥の深い話でもない

 

七番手秘書からのスタート

・「小此木事務所に勤め始めてからも、最終的には秋田に戻らなければならないものと考えていました。私には、それだけ田舎への思いが強く、30歳前後のとき、事務所を辞めて秋田へ帰る、と切り出したのです。そしたら、小此木さんが唐突に『野呂田芳成(元農水大臣)さんの参議院選挙の応援で秋田に行くから、お前もついてこい』と言って、連れていかれた。で、秋田に着いたら、お前のうちに行くって言い出した。そうして両親に会い、『もう少し鍛えさせてもらえませんか』と頭を下げるではありませんか。とうぜん両親は『お願いします』と答えるほかない。小此木さんは、私のことを可愛がってくれて、鍛えてくれました」

 

影の横浜市長

・菅が西区からの出馬にこだわった理由は、そこに強力なスポンサーがいたからだという。小此木立郎の言ったように、菅にとって小此木の秘書時代が政界の原点とすれば、横浜市議会議員時代は、文字どおり為政者として歩み始めた第一歩だ。取材をしていくと、その泥臭い政治手法もまた、官房長官としての現在のそれと変わらないように思えた。のちに影の総理と評されるが、横浜市議時代には、「影の横浜市長」と異名をとるようになる。

 

菅はそうした役職をこなしながら、やがて横浜市議会で右に出る者のいない実力者となっていった。そこには、菅自身をバックアップしてくれた支援企業が、大きな役割を果たしている。なかでも小此木彦三郎の後援者であり、菅の後ろ盾にもなってきた地元の藤木企業という横浜の大立者の存在を抜きに語れない。

 

港のキングメーカー

新自由主義

・2005年11月、菅は第3次小泉改造内閣で竹中が総務大臣ポストに就いたとき副大臣に就任した。そこで菅は、郵政民営化に向けた実務の現場で汗を流した。以来、現在にいたるまで、みずからの政策について竹中と定期的に会い、指南をあおいでいる。

 菅の近親者たちは必ずと言っていいほど、政治家として菅が飛躍した転機の一つとして、この総務副大臣経験を挙げる簡単にいえば、郵政民営化は小泉が方向を決め、竹中が指示し、菅が仕上げた郵政民営化の実現により、実務に長けた政治家として菅の評価が上がったのは間違いない。

 

安倍との出会い

・言うまでもなく自民党内で一目置かれ始めたそんな菅をさらに政界中枢に引き立てた最大の恩人は、安倍に違いない。その安倍は2006年夏、6年におよんだ小泉長期政権の終わりが近づくにつれ、後継首相候補の最右翼と目されていた。そこで菅は安倍を担ぎ出した。安倍を首相にした功労者の一人でもある。

「安倍さんの初めての総裁選のとき、どうして安倍さんを担ぐのか、と菅さんに尋ねたことがありました。理由は理解しづらいかもしれませんが、菅さん独特の感覚とでもいえばいいでしょうか。いつもそうです

 

<『政治家の覚悟――官僚を動かせ』>

・<安倍内閣が発足して私は総務大臣に就任しますが、なによりも手掛けたい法案がありました。それは地方分権改革推進法です

 菅義偉の自著『政治家の覚悟――官僚を動かせ』には、第一章の「自らの思いを政策に」の冒頭でそう書かれている。2006年9月に誕生した第一次安倍晋三内閣のときの話である。

 菅はこのときの臨時国会地方分権推進法を成立させ、みずから地方分権担当大臣を兼務した。秋田県から単身上京し、苦労を重ねて初入閣、大臣にまで昇りつめた菅は、地方の活性化や分権化を高らかに訴えてきた。

少子高齢と過疎が進み、貧困にあえぐ地方の窮状を救い、都市部との均衡ある発展をみずからの政治の柱に据えてきた。

 その大きな目玉として、第一次安倍内閣で進めたのが、ふるさと納税制度の創設だ。

 

・細かい仕組みは割愛するが、都道府県や市町村に寄附すれば、手数料の2千円を除き、その分の税金が全額控除される。そのうえ寄附した者には、地方の特産品などの返戻品が贈られてくるというシステムだ。一見、いかにもお得感のある制度に思える。が、この返戻品というのが曲者なのである。

 つまるところ、ふるさと納税する者は寄附と謳いながら、品物を買っている感覚になる。仮に返戻品が佐賀牛として、3万円の価値があると思えば、佐賀県に3万円支払うと立派な牛肉セットが送られてくる。そのあと納税者には2千円の手数料を引いた2万8千円の税金が還付される。

 

・では、誰がその2万8千円の還付金を払っているかといえば、広く所得税と住民税からという次第。つまり納税と言いながら、3万円の牛肉を2千円で買って得をしたような感覚になるわけだ。

 寄付を受けた、つまり牛肉を買ってもらった自治体は、3万円のなかから肉の仕入れや流通経費などを食肉会社に支払い、自治体職員の人件費もそこから賄う。したがってさほどの実入りにはならない。一方、食肉業者は通常の販売ルートと似たようなものだが、宣伝を自治体がやってくれる分、その費用などが浮く。その程度の儲けでしかない。

 

菅自身は、このふるさと納税制度を導入したと胸を張ってきた。繰り返すまでもなく、目的は地方活性化のためだ。税収の豊かな都会から貧しい地方へ税を移す動きや、地域の貧富の格差をなくす――いかにも東北出身代議士の優しい政策のように見える。ところが、これでは格差解消どころか肝心の地方の活性化にもつながらない。

 かたや、ふるさと納税制度で設けているのは誰か、といえば、生活に余裕のある都心の富裕層ばかりだ。それがふるさと納税制度の利用実態ではないだろうか。

菅自身、こういう事態は想定外だったかもしれない。しかし、ふるさと納税の発想そのものが、どうすれば得をするか、という利益追求型の商魂を利用しているだけに過ぎない。税の徴収や分配によって疲弊した地方の弱者を救おうという政策ではないので、地方の活性化にはつながらないのである。

 つまるところ、菅の政治姿勢は小此木彦三郎の秘書時代に学んだ中曽根民活に根差している。世界中に格差社会を生んだと批判される新自由主義市場原理主義だとまでいえるかどうかは迷うところだが、一連の取材を通じて菅は、究極の合理主義者であると感じた。理が通れば事が進むはずだ――そんな合理主義者の限界が、一連の政策に表れているのではないだろうか。沖縄問題しかり、USJ問題しかり、だ。

 

安倍政権をこれほど動かしている菅義偉について描かれた本は意外に少ない。あらかた読んだが、たいてい泥臭く、真っ直ぐな政治家像が描かれている。実際、当人と会ってもそう感じるので、そこに異論があるわけではない。菅が国政に飛び込んで以来、折に触れ政治家としての転機に立ち会ってきたのが、元運輸大臣運輸族のボスとして君臨してきた古賀誠だ。

 

その古賀にして、安倍の懐刀である菅をこう評価している

私が最初に菅さんを意識したのは、梶山先生が出馬された総裁選挙のときでした。平成研、経世会が分裂しましたね。私は梶山先生が国対委員長をしていたときに副委員長をやらせていただき、引き立ててもらいました。梶山先生が幹事長のときも私は総務局長で、選挙を一緒にやらせていただき、ご指導をいただいた。私にとって恩師の一人が梶山先生で、その梶山先生に菅さんという若い人が経世会から飛び出してついていった(中略)。私も高校を卒業して田舎から大阪で丁稚奉公をして東京に出てきましたけど、彼もよく似ているんですね。二世、三世のひ弱いのが多い政治の世界で、根っこの張った人がいるものだと興味を持ちましてね。(衆院)運輸委員会にお世話しました」

 

安倍政権における立ち位置については、こう話した

「保守について、よく右傾化したナショナリズム的な凝り固まった人たちを指すことがありますが、僕はそうじゃなく、右や左に揺れすぎず、真ん中のグレーゾーンにある良質な保守として大事にする人たち、それがほんとうの保守政治なんだと思っています」

 

菅は独自の広い人的ネットワークを駆使し、さまざまな政策を打ち出してきた。が、理に走りすぎて躓いている場面も存外、少なくない。

 

満州の戦火を潜り抜け、戦後に秋田のいちご農家として名をなした偉大な父親の背中を見て育った者は、家族や友人に優しく、多忙を極めるいまも郷里を忘れない。雪深い地方出身の苦労人だけに、正義感が強く、逆境にへこたれない粘り腰と人一倍の思いやりもある。そんな人柄がのちに国会議員になったときに周囲を惹きつけ、他に類を見ないほど強力な人脈を築いたのだろう。それが為政者としての大きな財産となり、強力な武器として政治活動を助けてきた。

 

・昨今の田中角栄ブームもあり、菅は永田町で角栄二世のようにいわれることもある。その角栄ブームの本質は、高度経済成長を牽引し、日本全体を豊かにしようとした時代に対するノスタルジア現象にすぎない。郷里の新潟に新幹線や高速道路を走らせ、全国に空港や原発を張り巡らせようとしたのは、単純に成長過程にあった時代の要請であり、何も角栄が突出して優れた政治家だったわけではないだろう。

 

 

 

『あなたも今日から選挙の達人』

三浦博史  ビジネス社  2012/4/10

 

 

 

<立候補を決断する>

・日本で政治家と呼ばれるのは首長や議員という職業に就いている人です。議員では衆参国会議員、都道府県会議員、市会議員、町会議員、村会議員、東京特別区の区会議員、首長では都道府県知事、市長、町長、村長、東京特別区の区長があります。

 全国の市町村数は1995年の時点では3234あって7万人くらいの首長・議員がいたのですが、いわゆる平成の大合併を経て1719(2011年)にまで減りました。その結果、議員定数削減の風潮も相まって首長・議員の数も半減しています。

 

・特にそれまで政治にほとんど無関係の生活を送っていた人にとって立候補は人生の大きな賭けになるでしょう。果たして当選するだろうか、もし落選したら、後の生活はどうなるのか、といった不安を持つのは至極当然です。しかし、そういう不安があるにもかかわらず選挙に出ようと思う人こそ、自分の力で現在の政治を変えてみたいという情熱が渦巻いているに違いありません。

 こうした不安と情熱の間に立ってまず行わなければいけないのが立候補の決断です。気持ちが揺らいだまま立候補すると、その動揺が選挙戦にも表れて自陣営の志気さえ削いでしまうものです。選挙は戦いです。戦いには自らの気持ちをしっかりと固めて臨まなければなりません。

 

<立候補には3つのケースがある>

・立候補には大きく分けて3つのケースがあります。第1は「自らの意思によるもの」、第2は「他人からの推薦・説得によるもの」、第3は「後継者指名によるもの」です。後継者指名の場合、これまで、その大半が政治家の2世、もしくは議員秘書や地方議員が対象でした。特に2世は、政治家だった父親が突然死んだり引退したりしたことに伴い、地盤を引き継いで立候補するといったケースでした。しかし、近年は世襲批判によって、その数は減少しています。

 

<立候補の動機について>

・建前や本音はどうであれ、新人や野党候補の場合、絶対押さえておかなければいけないのが、「今の政治(現職)のどこが悪いのか」ということです。

 もし知事を目指すのなら、「現職知事による県政のどこが悪いのか」「どうすれば良くなるのか」を押さえた上で、「自分が知事に当選したら、具体的にこうすることによって、その問題が解決できる。だから立候補する」といった、他人を説得できる、あなた独自の主張を持たなければなりません。

 要するに、現状の政治の批判をし、何が問題かを明確にして、その問題について自分が当選すれば解決できると主張できることです。これをきちんと打ち出すことによって、それが大義名分となって立候補表明ができるのです。

この大義名分が俗にいう「立候補の動機」です。自分の心のなかで考えている、たとえば、「このまま人生を送っても物足りない、何か人のために役立ちたいから立候補する」といった曖昧で、自分本位な動機では、有権者の投票を促すような候補の大義名分にはなりません。本来、政治家とは他人のために尽力するというのが建前の職業なので、自分本位の立候補の動機では支持を得ることは難しいのです。

 

<立候補の「決意」と「決断」の違い>

・「決意」と「決断」は違います。文字通り、「意を決する」ことと「断つことを決める」ことの違いです。「決意」が抽象的な気持ちであるのに対し、「決断」はこれまでの自分の職業を断つ、あるいは、これまでの自分にまつわる様々な“しがらみ”を断つというように、具体的な変化を伴うものなのです。これは同時に、「退路を断つ」ことにほかなりません。

 したがって、政治の世界に入るためには、これまでのすべてを断ち切って、政治という新しい道を目指して自分が立候補する、という決断がスタートです。この決断ができない人は、たとえ政治家になれたとしても満足な仕事ができないでしょう。立候補表明した後も、その意思が揺らぐ人は、周囲に多大な迷惑を及ぼします。傷が浅いうちに立候補を断念すべきでしょう。

 

<選挙は家族の説得から始める>

・立候補にあたっては、まず家族の説得から始めなければなりません。家族を説得できない人が他人・有権者を説得できるはずがないからです。

 

<選挙費用についての考え方>

・家族が立候補に反対する主な理由として、「落ちたらみっともない」「生活はどうするのか」の他、大きな問題の1つが「お金」です。一般的にはお金がかかると思われています。「立候補したいという気持ちはわかったが、選挙にいくらかかるのか。そんなお金があるのか」という懸念が出るのは当然でしょう。

 

・次に、「当選さえすれば何とかなる」という考え方もあるでしょう。たとえば、あなたが31歳で横浜市議会議員選挙に出て当選したとすると市議会議員の年収が確保されます。横浜市議の年収は、月報酬95万3000円で年間1143万6000円、これに年間約400万円の期末手当(賞与)が支払われますから約1550万円です(年間660万円の政務調査費は除く)。31歳で、次の選挙のために年200万円を貯めても約1350万円が残ります。毎年200万円貯めれば4年間では800万円となるのです。そう考えると、選挙に出る場合、ある程度の選挙費用はかけても何とかなるという考え方も成り立ちます。

 

・さらに、政党の候補者公募を活用する考え方もあります。近年、市民参加を謳って国政選挙を中心に候補者公募を行う政党が増えてきました。ちなみに議会制度の先進国であるイギリスでも公募制度を取り入れています。まず保守党の本部で候補者になりたい人を公募し、年に3~4回のグループディスカッションや筆記試験を行って適格者のリストをつくり、それをもとに地方の小選挙区支部(選挙区協会)が具体的な候補者を選定するというやり方です。

 日本では民主党自民党をはじめ多くの党が論文や面接などによる公募制度を設けています。一般のサラリーマンやOLにとっては、政党本部や支部へ足を運んで自分を売り込むということは至難の業です。そういう人たちにとって、この候補者公募は便利なシステムといえます。

 

・公募の場合、応募者にとっては、「なぜ政治家になりたいのか」以上に「なぜ、わが党を選んだのか」、そして「何票ぐらい稼げる候補者なのか」という点について、具体的にアピールできるかどうかが合否の重要なポイントになります。

 

・応募に合格して党の公認候補になると、政党により温度差はあるものの、最小限、政治・選挙の経費面等の面倒をみてもらうことが期待できます。となると、ある程度の資金を自分で確保すれば家族への迷惑も最小限で済み、迷惑をかけるとしても配偶者だけということになります。従来のように、親や親戚の土地を担保にお金を借りるといったことまでしなくても個人のリスクの範囲内で立候補できるのです。

 

・なお、職業別にどのくらい選挙資金が集められるのかということと選挙資金の集め方(ファンドレイジング)についてはそれぞれ別項で述べます。選挙資金がどれくらい集まるかという見通しを持つことも立候補の決断の重要なポイントになるはずです。

 

<選挙資金は最低限どれくらい必要か>

・選挙はやり方次第で選挙資金を節約できますが、立候補する以上、最低限の資金は手元に用意しておかねばなりません。

 

・立候補を決めて選挙の準備を始めると、事務所を借りる(自宅や現在の事務所を転用する場合を除く)、電話を引く、名刺や看板、ビラ、ポスターを作成する、レンタカーで宣車を用意する、ポスティングをする、といった費用がすぐにかかってきます。一般の企業取引では月末締めで翌月末払いといったことが常識ですが、選挙では待ったなしの支払いが求められますので、最低限の資金は手元に用意しておかなければならないのです。

 最低限の選挙資金は選挙のレベルによっても異なりますが、供託金とは別に100万~数百万円は必要でしょう。

 

<他力本願で選挙は戦えない>

・選挙の面倒の大半を党がみてくれる公明党共産党の候補は別として、自分の選挙資金はまず自分で集めるというのが大原則です。お金持ちの友人・知人に丸抱えしてもらったり、候補者公募による公認候補だからといって政党にすべてを依存するようではいけません。

 いわゆる後援会組織も、自助努力でつくり上げるべきです。それをしない、する気がないような他力本願の人は立候補しないほうがいいでしょう。

 たとえ、初めのうちは苦しくても、選挙資金や選挙組織を自前でつくることができれば、その後の選挙運動がかなり楽になり、支援者からの信頼も得られやすくなります。

 もとより当選後の政治活動こそが政治家本来の仕事です。何事にも自助努力が肝心です。

 

身分保障と背水の陣>

資生堂では、在職したまま立候補することを認めており、落選した場合もそのまま働き続けることができるシステムになっています。実際、資生堂の女性社員が東京の区議会議員選挙に立候補して当選しました。当選したため会社は辞めましたが、落選したら会社に残っていたはずです。パソナグループや楽天も、有給休暇扱いで選挙立候補できるだけでなく、落選した場合は会社に戻れる、という制度を設けているようです。

 

・これまでJC(日本青年会議所)、企業オーナー、政治家2世、エリート官僚といった人たちが立候補者に多かったのは、落選しても後の生活の心配をあまりしなくてもいいからです。その点、サラリーマンが会社を辞めて立候補し落選した場合は、もう元の会社には戻れません。だから、落選したときの生活の糧を考えて、立候補したくでもできなかった人は、少なくないはずです。

 会社が身分保障をする制度があれば、立候補してみようかという会社員は増えるでしょうから、この点では評価できると思います。ちなみに、イギリスの公務員は立候補して落選しても、元の公務員に復職できるシステムがあります。

 

<スキャンダルの対処法>

・特に議員選挙以上に、知事選、市区町村長選の場合は徹底して身の回りを洗われると考えたほうがいいでしょう。スキャンダルは必ずバレると思ってください。心当たりがあるのであれば、スキャンダルが出ないように、あるいは出た場合の対応策を考えておかなくてはなりません。

 

・したがって、今どきの候補者は、誤解を生じるような行動をしないように自宅を出てから帰宅するまで気を抜いてはいけないのです。

 

 

 

『心をつかむ力』

勝率90%超の選挙プランナーがはじめて明かす!

三浦博史    すばる舎  2011/1/20

 

 

 

プロパガンダ

プロパガンダとは、簡単な例を挙げれば「本来嫌いだったものを好きにさせる」ために相手をうまく誘導する技術です。自分の属性を際立たせる手段にもなりますので、しっかり理解してください。

 

選挙プランナーの出番>

・ひと昔まで、選挙で当選するには「地盤・看板・鞄」という「3バン」がそろっていることが必要条件だとされていました。「地盤」は血縁や地縁で、親族に有力者がいたり、小学校や中学校、高校の同級生がいるなど候補者と選挙区の間に深い関係があることを意味します。それによって強力な後援会も組織できるのです。「看板」は東大出身や中央官僚出身といった肩書や家柄のブランドなどで、最後の「鞄」は選挙資金のことを指しています。

 2世、3世の世襲政治家が選挙に強かったのは、この3バンがスタート時点でそろっていたからですが、最近では「3バンがあれば当選する」「3バンがなければ当選しない」は通用しなくなってきました。時代が変わったのです。

 

・そんなときに出番となるのが選挙プランナーです。ないない尽くしの候補者がクライアントになった場合、どうすればあるある尽くしの候補者に対抗して勝てるのかをコンサルティングしていきます。これは、選挙に臨む最初のプランニングから当選するまで、さらに当選後もその候補者の後援会のメンテナンスおよび拡大を行って再選に結びつけるところまでを一括したコンサルティングです。

 ないない尽くしの候補者へのコンサルティングには大きく分けて3つの分野があります。それは、「ファンドレージング(資金調達)」「組織作り」「コミュニケーション力アップ」です。

 

<熱伝導はまさに「プロパガンダ」の中核>

・3つ目の「コミュニケーション力アップ」は候補者と有権者とのよりよい関係作りです。コミュニケーションですから、人の心をつかむことに密接に関係しているのはいうまでもありません。

 

プロパガンダでコミュニケーション力はアップする>

・「空中戦」は候補者が有権者一人ひとりに直接会うことができなくても有効な戦術です。

 もっとも、コミュニケーション力から見ると、候補者に対する好感度や嫌悪度という点では「空中戦」も「地上戦」と共通していて、「空中戦」のノウハウも候補者個人の資質に大きく左右されることはいうまでもありません。

 そして、その「空中戦」の核をなしているのが、「プロパガンダ」です。このプロパガンダを理解することが、自らのコミュニケーション力のアップにつながるものと思います。

 

選挙プランナーコンサルティングのうち、組織作りの一部とコミュニケーション力アップをお伝えします。実生活でも「人の心をつかむ」ことに活用できます。

 

<ドラマ『CHANGE』にみる高視聴率の秘訣>

・日本にも私のような『選挙専門職』の仕事は昔からありました。その肩書は「選挙プロ」「選挙参謀」「選挙コンサルタント」にはじまり、なかには「選挙ブローカー」「選挙ゴロ」といった『負のイメージ』を持つうさん臭い不名誉なものまで様々。しかも「選挙違反を怖がっていたら当選などできない!」といった悪しき風潮が闊歩していたのです。しかし、そうした風潮もここ数年で大きく変わり、「選挙プロが入ったからには絶対選挙違反は出さない!」といったコンプライアンス(法令順守)がやっと当たり前になってきました。

 

・欧米、特に米国では選挙コンサルティングのマーケットは巨大なもので、「選挙コンサルタント」という職業も、ある種、憧れや敬意を表されるほど、社会的ステイタスも確立されているのです(もちろん、「スピンドクター(世論操作師)」といった悪名や中傷もないわけではありません)。

 

・しかし、日本ではこの職業はあまりにも閉鎖的な存在でした。そこで私は「よい政治家をつくるには、よい選挙から」というコンセプトのもと、あらたに「選挙プランナー」という肩書を造語し、活動し始めたわけです。

 

<世論誘導によるプロパガンダの時代に生きる>

プロパガンダは人の心をつかむための最も強力な手法であり、人の心をつかむための「根幹」の考え方です。まずこれを理解することで、関連のノウハウも活用しやすくなります。

 プロパガンダとは、端的にいえば「自ら働きかけて自らの思う方向に他人や集団を動かすこと」です。プロパガンダによって、あなたの思い通りにまわりの人を動かすことができれば、人生もずいぶんプラスの方向へと変わり、成功をたぐり寄せることも楽になるはずです。

 

・とりわけ扇動としてのプロパガンダを大衆に大々的に用いたのがアドルフ・ヒトラー率いるナチスゲッペルス宣伝相)にほかなりません。そのため、今なおプロパガンダという言葉からマイナスの響きを感じ取る人が多いようです。

 しかし、プロパガンダでは扇動という要素は不要、あるいは効果的ではなくなってきています。発達した民主主義国家では、むしろ上手な世論誘導としての「PR」には欠かせなくなってきたのです。

 上手な誘導を含むプロパガンダとは?それは、自分の意図を個人や集団が自発的に受け入れるように仕向けることともいえるのです。

 

プロパガンダは人の心をつかむための最強の手段です。「自分の意図を個人や集団が自発的に受け入れるように仕向ける」ことで、マイナスがプラスの方向に変わります。

 

<現代版プロパガンダと「商業PR」&「選挙・宗教PR」>

・上手な誘導を含む現代版プロパガンダとして最もポピュラーなものに、PR(Public Relations)があります。

 このPRは基本的に3つのパターンがあります。それは「商業PR」「選挙PR」「宗教PR」です。こちからから相手に働きかけて(上手に誘導して)、商品を買いたい、投票したい、信者になりたいと思わせ、実際にそういう行動をとらせることができれば、プロパガンダとして成功したということになります。

 

・要するに、3つのPRの共通点は、どれも「最初はそうしようと思っていなかった人」に、新しい宗教の信者にならせたり、特定の候補に投票させたり、ある商品を買わせたりするなど実際の具体的な行動へと導いていくものなのです。

 

<商業PRと広告代理店的商業PRとの違い>

・広告代理店は、新聞・ラジオ・雑誌などのメディアの広告スペースを広告主に提供する代わりにコミッションを取るのが商売です。したがって、広告主に対する広告スペースの販売をつねに最優先しがちなのです。

 対して、欧米のPR会社は、実際にPRの企画やプランニングをクライアントサイドに立って行います。これが本来の商業PRで、日本の広告代理店が広告スペースの切り売りで稼ぐとすれば、欧米のPR会社はPRの企画などで対価を受け取っているのです。

 

・そのほか、本来の商業PRと広告代理店的商業PRの違いは、本来の商業PRは、消費者が最初から買いたいとは思っていなかった物を買わせるようにするのに対し、広告代理店的商業PRは、消費者が最初から買いたいと思っている物を作り、売り、買わせるという点です。

 この点が両者の最大の違いであって、その意味で日本の広告代理店的商業PRは、宗教PRや選挙PRと異なります。この違いを知るのはプロパガンダを理解するためにも非常に重要なことです。

 

<「迎合型」になりがちな「日本の広告代理店的商業PR」>

・広告代理店的商業PRでは物事の差別化はできません。相手を上手に誘導して具体的な行動へと導くことが、プロパガンダをうまく使いこなす秘訣です。

 

<臭いニンニクをいつの間にか好きにさせる方法>

・まず「食べ物のなかで何が好きですか」と聞いて、たとえば、「ラーメンが好きだ」と答えた人にはラーメンのなかに、「カレーが好きだ」という人にはカレーのなかに、それぞれ摺り下ろしたニンニクを少量加えて食べさせます。

 そうやって好きな食べ物にニンニクを加えて、ニンニクへの抵抗感をだんだんなくしたうえで、そのうち、餃子を丸ごと1個食べさせたり、ニンニクの丸焼きを食べさせるといったところまでいけば、ニンニクが好きでたまらなくなる人も増えていくことでしょう。

 これがプロパガンダです。いつの間にか、その人の食生活はニンニクが不可欠なものへと変わってしまうかもしれないのです。

 ニンニクなどの食材に限らず、すべての人が好きだという物事はありません。しかし、ある物事について、それを好きな人がマイノリティ(少数派)だったとしても、しだいに好きな人を増やして、最終的にマジョリティ(多数派)にしてしまうことは可能であり、それがプロパガンダの醍醐味なのです。

 

<自分の強い個性を相手に受け入れさせるには>

・相手へ迎合するだけでは人の心はつかめません。相手に合わせるのではなく自分の個性を大事にすることが、人の心をつかむ早道です。

 

<つねに自分の土俵に引き込むことで他人との違いを際立たせる>

・候補者が有権者の心をつかんで票を入れてもらうというのが選挙ですが、最近では広告代理店が選挙に関わる例も増えてきています。

 すでに述べたように広告代理店的商業PRと選挙PRには大きな違いがあります。したがって、広告代理店的商業PRの手法によって選挙活動を行っていくと、「人の心をつかむ」という意味で、大きなミスを犯すことにもなります。

 広告代理店が選挙活動を行う場合は「候補者=商品」「有権者=消費者」ととらえるため、商品である候補者を消費者である有権者にいかに売り込むかというアプローチに陥りがちです。これも迎合のひとつといえます。

 

 

 

『選挙の裏側ってこんなに面白いんだ!スぺシャル』
三浦博史 前田和男     ビジネス社   2007/6




<大手広告代理店が選挙を仕切る?>

<去勢された日本の大手広告代理店>
・ちょっと選挙をかじったことがある人は「実は、選挙は大手広告代理店の電通が仕切っている」と訳知り顔にいう。しかし、「選挙の常識」からすると、実情はいささか違う。

アメリカの選挙PRノウハウ>
・そのとき、アメリカの選挙と日本の選挙のもっとも大きな違いは、戦後日本が失ったPRのノウハウにあることを知ったのである。

アメリカには多くのPRコンサルタントがターゲットを決めて、その関心事を引き出し、それに対して選挙CMをつくる。そのうえで、そのCMを打つのにもっとも効果的な媒体(メディア)はなにかという戦術のもとで、テレビやCMや雑誌、新聞のスペースなどの枠をとる。そして、その効果の検証を行い、次の製作にフィードバックする。

・少なくとも広告代理店は政党に常駐させ、PRのノウハウをもったスタッフをきちんと揃えてのぞむべきなのである。

<政党CMよもやま話><崩れつつある大手代理店の寡占状態>
・ところが今は、そうした大手代理店の寡占状態が崩れつつある。自民党も今ではコンペで、これなら選挙に勝てると思ったところを採用する。ダメだと思ったら、たとえ電通でも使わないようになった。自民党も、電通一社に頼るのではなく、PR会社を採用した。それがブラップジャパンという独立系の代理店である。

<選挙の日米格差><大統領選の雌雄を決した伝説のCM>
・秀逸な候補者には、黙っていても人は集まるし、金も集まる。人も、金も、票も集まらない人は、自然とコースから外れていく。アメリカでは、そうした選挙が当たり前で、スポーツ選手にしろ、ジャーナリストにしろ、大物スターにしろ、そうした例がいくらでもある。ネット上の呼びかけだけで、何十万人のサポーター、何十億ドルという資金が集まる。そうした能力を備えている人が政治家になり得る風土があると考えていい。個人の献金額は十ドル、二十ドルほどだ。

・日本では選挙で借金を背負うケースもある。自分の退職金なり、貯金なり、資産を使い、政党の公認料ももらって、さらに寄付を集め、借金をする。アメリカにくらべるとクリーンな選挙である。
 負けた場合の本人や家族が背負うリスクが大きすぎるので、選挙に出る顔ぶれがいつも同じになってしまうという問題点もある。

・日米で何が一番違うかといえば、米国はメディア、とくに映像の影響力が大きい。アメリカでは選挙の結果を左右するのはテレビコマーシャルとテレビ討論。

<国政選挙と外資系PR会社>
・それではアメリカの選挙のプロが日本に来て、そのまま通用するのかどうか?アメリカのプロは、なんといっても「キャッチコピー」づくりがすばらしい。有権者の心をグサッとつかむ。これがプロとアマの分かれ目、成功と失敗の別れ道となる。

民主党は説明不足?>
民主党を引き合いに出すが、岡田党首のときにアメリカのPRカンパニー「フライシュマン・ヒラード」を使ったが、あれは失敗だったろう。フライシュマン・ヒラードは、PRカンパニーとしては米国でも著名な会社だが、ワシントンDCでは民主党共和党も「フライシュマン・ヒラード」など使わない。米国の選挙コンサルタントは、「なんで?」と不思議な顔をしていた。

・事実、自民党は「ブラップジャパン」というエージェントを使ったが、世耕弘成広報委員長は、なぜこの会社を使うのか、社長の見識やキャリア、手法、実績などを議員が納得するように説明していた。選挙資金をカンパしてくれた支持者、政党助成金として税金を拠出した国民に対しても、これからは政党も説明責任が問われることだろう。

・それと、国政選挙や、国政そのものの広報に外資系を呼び入れることは、私は賛成できない。「広報」とは有り体に言うと、裸の姿をすべて見せることである。外資系の会社に国家の裸を見せていいわけがない、と私は思う。

・話がそれたが、外国の選挙プロに学ぶことは、まだまだ無尽蔵にある。しかし、だからといって、彼らが日本の選挙を担当して、すぐに勝てるほど日本の選挙は甘くない。

野田聖子に学ぶ選挙に強い政治家><6万軒歩いて、かかとを疲労骨折>
・彼女の言によると、「そのころは志もないし、政策もなければ抱負もない。ただ選挙好きのおじさんたちの言うなりに運動をはじめました」ということになる。
 でもそのとき、彼女がなにをやったかというと、1日百軒、選挙までに1万人と会うというすさまじい「ドブ板」。集まった名簿を地図に落して、女の子の案内で1軒1軒回って歩く。

・目からウロコが落ちる思いだった。次の選挙では原点にもどって、また歩き作戦。6万軒ぐらい歩いたころ足のかかとを疲労骨折。が、1ヶ月で治し、また歩き始めた。結局彼女自身が7万軒、両親が1万軒ずつ歩いてくれた。結果は、両親と娘が歩いた総軒数とほぼ同じ得票数、9万5734の得票。衆議院初当選だった。


 

拉致問題』   対北朝鮮外交のあり方を問う
平沢勝栄  PHP   2004/10/6




拉致問題は防ぐことができた>
日本と言う国がまともな普通の国家であれば、拉致問題は間違いなく防ぐことができた。被害者を救出することもできた

衆院予算委員会で「北朝鮮による拉致の疑いが濃厚」と、当時の梶山静六国家公安委員長が答弁したのが、1988年だ。しかし、その後も救出のために何ら動くこともなく、今日まで被害者を苦しめてきた。そして今もなお苦しめている。

繰り返すが、拉致は防ぐことができた。救出することもできた。にもかかわらず、日本は国家として何もしていなかったのである

そして、北朝鮮工作船を日本は見つけている。北朝鮮の不審な船が日本海を徘徊しているのを日本の当局は、何回となく見つけているのだ。一番初めに北朝鮮の不審船を見つけたのは海上保安庁の記録では1963年となっている。

・それまで海上保安庁が発表しているだけでも、1963年からあの銃撃戦までの間、日本海で21回も北朝鮮の不審船を見つけている。そして、2001年の銃撃戦まではいずれも「追跡するも逃走」とある。拉致の中で日本国内で拉致された事件は1972年から1983年の間に集中している。横田めぐみさんが拉致されたのも1977年である。つまり、横田めぐみさんが拉致されるはるか前の1963年に日本海北朝鮮の不審船を見つけ、以来何度となく、追跡しているのだ。

逃げる相手を拱手傍観して取り逃がすバカな国が世界のどこにあるのか。これを日本は戦後ずっと続けてきたのである。21件と言うのは、あくまで海上保安庁が確認した数字であって実際にはこの数倍、出没していたことは間違いない。

・もし日本が2001年の12月の銃撃戦までの40年近くの間、ただ手をこまねいているだけでなく、厳しい実力行使の対応をとっていれば、拉致事件と言うのは起こらなかったのかもしれない。

北朝鮮工作員からすれば、日本は出入り自由でどんなにドジな工作員でも捕まることはないが、逆に韓国に出入りするのは命懸けだということだろう。

日本はそこまで見くびられていたのだ。日本は戦後、本当の意味で国家と言えたのだろうか。

・中東にレバノンという人口3百万人の国がある。あの国も北朝鮮に自国民4人を拉致された。

レバノン若い女性4人が北朝鮮工作員によって拉致されたのは1978年8月、横田めぐみさんが拉致された翌年のことだ。

レバノンは、ただちに関係者に救出を働きかけた結果、PFLP(パレスチナ解放人民戦線)の副議長が金日成に直談判した。

・1979年11月に残りの2人の救出に成功した。

・こうしてみると中東の人口3百万人のレバノンの方が、国家としては日本よりもよっぽどまともと言えるのではないかと思う。

・日本の政治家やマスコミ人、そして、日教組などのなかに北朝鮮を礼賛している人たちがたくさんいたし、日本社会の中で北朝鮮批判はタブーになっていたんです。そして、北朝鮮を盲目的に礼賛していた政治家の責任は大きいですね。

 

 

『政治家は楽な商売じゃない』

平沢勝栄  集英社    2009/10/10

 

 

 

・「政治家は楽でいいな。政治資金の使い方もいい加減でいいんだから」「結構、儲かるんだろうな」などと思っている人もいるのではないだろうか。

 

・しかし、政治家という仕事は決して楽なものではない。11年前、地盤、看板、カバンもないまま衆院選に挑戦し、幸いにも当選させていただいて以来、私は、公務や選挙区での活動に全力で取り組んできた。1年365日、1日も休みなしの状況で今日まできた。

 

・また政治家は決して楽な仕事ではない、もちろん人によって違うだろうが、徒手空拳で政治家の路を選んだ私だからこそ、よくわかることだ。

 

<勝栄流、ドブ板選挙>

・私の場合、365日、それも毎日24時間を選挙活動に充てていると、いっても過言ではない。これは決してオーバーではない、家族サービスなど全くできないと言っていい。

 

・毎日の活動は漕ぐのを止めたら倒れてしまう自転車に似ている。体力勝負である。政治家と言う仕事はもちろん個人差はあるだろうが、決して楽な商売ではないのだ。 

 

<日々是選挙なり>

・政治家にとっては「日々是選挙」だ。したがって、慢心はもちろん、一瞬の油断でさえ政治家には命取になる。

 

・「選挙に勝つための条件は三つある。一つは36歳以下であること、それから、5年から7年、地域を必死で回ること。最後に地元の2流、3流の高校の出身であること」。最後の条件は、一流高校と違いそうした高校の出身者は卒業後の結びつきが極めて強いから、選挙に有利と言う意味らしい。私は、どの条件にもあてはまらない。

 

<ドブ板選挙は体力が勝負>

・選挙区では1年中、なんらかの会合や催し物が開かれている。1月から3月までの新年会だ。私は毎年計5百か所ぐらい出席する。それが終わると卒業式に入学式のシーズンを迎える。

 

・政治家でも二世や三世なら祖父や父親からの地盤があるから私などと違って楽かもしれない。

 

・政治家は勉強も欠かせない。しかし、1日中、走り回っていると勉強する時間がない。

 

・私が基本にしていることは、徹底して「人に会う」ということだ。それが選挙の第一歩だと考えている。地元にいる限り、私の一日は「人と会う」ことから始まる。

 

<国会議員の本分>

・まずは国会議員の本分としての仕事がある。それを最優先でこなし、余った時間で選挙活動にも励んでいるのだ。

 

<個人の後援会>

・政治家にとって後援会と言うのは、膨大な時間と労力をかけて作り上げるもので、いわば政治家の命綱だ。二世、三世議員は祖父や父親の後援会をそのまま譲り受けることからきわめて楽な選挙となるが、私にはその基盤となる後援会が全くなかった。

 

・現在私の後援会員は約6万人を数える。この後援会が今日の私のドブ板選挙を支える基礎となっている。

 

<政治家とカネ>

・国会議員は普通に活動するとどうしてもカネがかかる。仕事をやればやるほどカネがかかるともいえる。

 

・普通に議員活動をしておれば、月にどうしても5、6百万円はかかる。先に述べた議員年収などでは、とてもまともな活動はできないのが現状だ。歳費と期末手当だけではとても政治活動費は賄えないし、政党からの助成金でもまったく足りない。支援者からの支援がなければ、政治家として十分な活動ができない現実がある。だから、パーティーは多くの議員にとって不可欠とも言える。

 

・夏はもちろん、盆踊りや花火大会などのシーズンである。このうち盆踊りや夏祭りは町会、自治会単位で開催され、約3百ヶ所に顔を出す。

 

・もちろん、こうした行事のほかにも冠婚葬祭や祝賀会、記念式典などが一年中、目白押しだ。

 

 <拉致は防げた>

・拉致は防ぐことができた。私は、今でもそう思っているし、警察にいた者の一人として、この点については返す返すも残念でならない。実は私が警察に在職していたときから、北朝鮮による拉致事件が起こっているのではないか、と関係者は疑いを抱いていた。

 

・実際に実力行使で不審船をストップさせたのは2001年12月の奄美大島沖事件が初めてであった。

 

拉致問題は時間との戦い>

・私の師でもある後藤田正晴さんは生前、政府の対北朝鮮外交の進め方に介入する関係者の言動に強い不快感を示しておられた。私は、リスクを覚悟しながら行動する政治家は、リスクを取らずして非難だけする人など何も恐れる必要はないと考えている。この言葉を後藤田さんが存命中に常に言っておられたことである。

 

・10人帰って来ると、あと10人はいるのではないか。その10人が帰国すれば、あと30人はいるのではないかとなるのは当然であり、自明の理だ。

 

・日本の警察に届けられている行方不明者や家出人の数は8万人から9万人に達する。この中に「もしかすれば、うちの子供も拉致されたのでは」と思う人が大勢出て来るだろうし、相手がいままで平気で嘘をついてきた北朝鮮だけに、先方の説明をそのまま信じることはできない。要するにこの話は今の金正日体制の下ではエンドレスに続く可能性がある。

 

・すると北朝鮮側は、「拉致事件は、日本と北朝鮮が戦争状態の時に起きたことだ。戦争時に末端の兵士が行った行為を罰するわけにはいかない」と答えた。だとすると拉致事件の最高責任者は誰かと言えば、間違いなく金正日だ。北朝鮮は、ならず者であれ何であれ、曲がりなりにも国家である。そのトップを引き渡すということは、武力行使か金体制の崩壊しかあり得ないのではないか。

 

<日朝交渉の行詰まり>

・小泉さんが訪朝時、食事どころか水にも手を付けなかったからだそうだ。アメリカのオルブライト国務長官は2000年の訪朝時に、北朝鮮の水などを口にしたそうだが、小泉さんは二度の訪朝のいずれもでも水さえ口にしなかった。

 

・私は、小泉さんは立派だと思う。北朝鮮の水に何が入っているかわからないし、そもそも水といえども飲む気にはなれなかったのだろう。しかし、北朝鮮にいわせると「自分の国に来て水一滴も飲まないで帰るとは失礼だ」ということになるようだ。だから私は、小泉さんの三度目の訪朝はないと思う。

 

 

 

『日本政治のウラのウラ』   証言・政界50年

森喜朗  田原総一朗    講談社   2013/12/10

 

 

 

ラグビー部退部>

ラグビー部を退部する以上、大学も辞めなければいけないと思って、大西鉄之祐監督のところに行きました。「ラグビー部を辞めますから、大学も辞めます」と言ったら、「バカヤローッ」と言われて、ぶん殴られそうになってさあ(笑)。その時、大西先生はぼくにこう言ったんだよ。

「オマエなあ。何を考えているんだ。ラグビーを何だと思っているんだ。ラグビーはなあ、人生の目的じゃないぞ。手段にすぎない。だから、ラグビーがダメだと思うなら、大学で他のことをしっかり学べ。そして、何か大きなことを成し遂げてラグビー部の連中を見返してやれ。大学を辞める必要なんてないから、そうやってラグビーに恩返ししろ。それだけ、きみに言っておく」

 

早大雄弁会

・「あのなあ、早稲田の雄弁会は永井柳太郎先生が作った会なんだよ」

――石川県が生んだ大政治家の永井柳太郎ね。

森 早稲田大学創立者である大隈重信も仲間で、永井先生雄弁会を作ったんですね。横山さんに「だから、石川県人は雄弁会に入る義務がある」(笑)と言われて。ぼくも納得したわけです。雄弁会には、石川県人が結構多いんですよ。それで、「雄弁会の役員に知り合いがいる。紹介してやるから明日会ってみな」と言われて、その人に会って話を聞きました。「どうしようかなあ」とまだ迷っていたんだけど、幹事長が面接するというんで第一学生会館の部室に行ったんですよ。「偉い人が出てくるのかな」と思ったら、青白い顔をした小柄な男が出てきました。それが、後に文部大臣や参議院議長を歴任する西岡武夫さんですよ。

――西岡さんは森さんより年上ですか。

森 ふたつ上です。喘息持ちでね。「森さんって、あなた? ゴホンゴホン。まあ、しっかりやんなさい。ゴホンゴホン」(笑)と言うので、「こんな方がキャプテン(幹事長)をできるなら(笑)、オレもやれるだろう」と思って雄弁会に入ったんですよ。

 

・――森さんは雄弁会に入って政治志向になるのに、代議士秘書にならずに産経新聞の記者になった。これはどうしてですか。

森 いや。新聞記者になりたかったんだ。

――政治家じゃない?

森 政治家になることがいかに大変かを雄弁会の先輩たちから教わったからね。

――どう大変なんですか。

森 「森くん、地元の政治家の秘書になったら絶対にいかん。もしなったら、つかえている代議士と戦わなければならないからダメだ」とOBの藤波孝生さんが教えてくれたんだね。彼も自分の地元の三重県津市に近い伊勢の代議士の秘書をやっていました。

 

・森 よく世襲が批判されるけれど、詰まるところ、足の引っ張り合いの結果なんだね。自分が出る勇気はないが、あいつをならせたくもないということになると、代議士の息子が出るしかないんです。息子が出れば「まあ、しょうがないか」ということで収まる。だから、よっぽどのことがないかぎり、秘書まで順番が回って来ないわけです。

 藤波さんの場合は、秘書をやった後、県議会議員をしていましたが、親分の代議士が立派な人で藤波さんに禅譲したんです。これは、珍しいケースですね。

 

・森 うちのおやじは田舎町の町長で絶対的な地盤があるわけではなく、金もなかったから政治家になるには秘書になるしかなかったけれども、そういう先輩たちを見ていて、地元の代議士の秘書になるのはまずいと思ってね。そうすると、政治に携わっていて、政治家になれる可能性があるのは新聞記者ですよ。それで、記者になろうと思った。

――本当は政治家の秘書になりたかったけれど、先輩たちを見ているかぎり、秘書になっても代議士になれる可能性は少ないと。それなら、政治とも関係のある新聞記者になろうということね。

 

・――こう言っちゃ悪いけど、森さんは産経も早稲田も試験を受けずに入ったわけね。

森 早稲田の試験は受けてますよ。運動部の推薦があったんですよ。

――試験を一応、受けている?

森 そら、ちゃんと試験を受けていますよ。多少は下駄を履かせてくれたと思うけどね。日経新聞の「私の履歴書」でも、ぼくが勉強もしないで入学したということになっていて、大学が大騒ぎした(爆笑)。投書や問い合わせがたくさん来て「森さんはスポーツで入ったんだろう。それなら、うちの孫もぜひ、そうしてもらえんか」(笑)と。

 

<代議士秘書>

・――それで、日本工業新聞の記者から、あんなに嫌がっていた代議士秘書になりますね。

森 井関農機の創業者である井関邦三郎社長が、愛媛県三区選出の今松治郎代議士と小学校の同級生でね。今松さんは東京大学を卒業して内務省の官僚になり、政治家に転身した人ですが、たまたま秘書が辞めることになった。それで、井関専務から「森くん、今松先生の手伝いをやってくれないか」と誘われたんです。「秘書にだけは絶対にならないようにしよう」と思って行ったんだけど、結局、秘書になることになった。

 

・森 そりゃ、そうですよ。前から「そういうことをやっちゃいかん」と言われていたわけだからね。それで、秘書になってしばらくしたら、今松さんが亡くなったんです。そうしたら、地元の支持者たちが大挙して上京してきて、みんなが私に「選挙に出ろ」と言う分け。だけど、ぼくはこんなところでは選挙は絶対にできないと思った。

――それは、どうしてですか。

森 とにかく金がかかる。金が平然と飛び交うんだね。

――どういうことに金がかかるんですか。

森 直接、有権者に渡しちゃうのよ。

 

・森 辺境にある田舎町にはそういうところが多かったんですね。愛媛三区というのはね、金に問題のある人ばっかりだった。田原さん、ご存知かなあ。バナナ事業を起こした大和の毛利松平、日大の理事などをやっていた高橋英吉。この人は事務所に「日大受験の方はご相談に応じます」(爆笑)と書いてあったからね。「オレは、50人から入れる枠を持っている」と豪語していましたけど、50人の相手から御礼をもらったら結構な額になるでしょう。そういう時代ですよ。それから、早大雄弁会の先輩の阿部喜元。

 とにかく、金を使う人ばかりでね。今松さんが落選するのも無理ないんですよ。金はない。演説は下手。見栄えもしない(笑)それでも内務省警保局長という肩書で代議士になったわけですな。そんな選挙区で出馬しても、金がないのだから勝ち目がないじゃないですか。だから、ここで出るのなら、地元の石川県で出てやろうと思ったんです。

 

<出馬した理由>

・森 自分たちの自己満足のために出馬する政治家を選んでいましたからね。だから、元知事とか元市長とか、元県幹部とか、そんなのばっかり出してね。政治家に対する尊敬もなく、長老の県議会議員どもが勝手なことをしていたのが、ぼくには我慢ならなかった。

 

・森 ぼくが幸運だったのは、やっぱり小さな田舎町といえども、親父が町長として有名だったことです。何しろ、9期にわたって無投票当選なんです。当選回数なら10回以上の首長がいるけれど、9回の選挙が全部、無投票だった町長はちょっといないでしょう。

 

<いきなり出馬宣言>

岸信介元総理来る!>

――それで、新幹線と北陸本線を乗り継いで石川県にやって来たわけだ。

森 新聞記者に「いいんですか。元総理が非公認候補の応援に来て」と質問された時、岸さんは「いや、私は、事情はわからない。しかし、森くんは東京では大変必要な人物だ。こういう人に国会に来てもらわないと、自民党の将来も、明日の日本もない」なんてことをおっしゃってね。4~5ヵ所で応援演説をしてくれました。

――そんなに演説をしたんですか。

森 夕方の列車で小松駅から米原に向かったのだけど、ぼくは親父とふたりで小松駅のホームで見送りました。「最後まで、ありがとうございました」と言ってね。岸先生が乗った列車に向かって、赤いテールランプが見えなくなるまで、何度も何度も頭を下げて見送ったんです。

 

<代議士誕生>

・森 公示2日前のことです。地域を回って夜遅く零時すぎに自宅に帰って来ると、親父から家族、親戚一党がみんな揃っているんですよ。シーンと静まり返ってね。「おっ、どうしたのかな」と思ったら「座れ」と言われて「もう降りろ。親戚中、迷惑している」と言うんだな。

――親戚がみんな「降りろ」と言ってきたわけだ。

森 親父がね、「今までのことはしょうがない、息子がやったことだから親が責任を持つ。しかし、もう金がないだろう。もう精一杯やったから、ここで止めろ」と言うわけ。珍しく頑として譲らない。周りにいるおばさんや親戚がオイオイ泣いて「喜朗ちゃん、止めて~」(笑)。

 もはや命運もこれまでかと思ったのが夜中の2時ぐらいかな。そうしたら突然、バリバリバリという音がするんですよ。窓の外を見ると、赤々とした炎が上がっている。火事ですよ。

――えっ!火事!

森 火の手がゴーッと上がっているので、ぼくはサッと飛び出した。そうしたら、50メートルほど先の風呂屋が燃えているんだ。選挙で疲れ果てていた連中を「火事だ、火事だ」と叫んで叩き起こし、風呂屋に駆けつけた。風呂屋の女将は腰が抜けて、その場にへたり込んでいた。ぼく

は咄嗟に、火中にあった何か黒い物に水をぶっかけて引っ張り出した。そうしたら、それが仏壇だったんですね。

 これが後で評価されるんです。ぼくが行った時にはもう、他に引っ張り出す物が何もなかったんだけれども、新聞記者はそんなことは知らないからね。「森は大した人間だ。仏壇をとにかく引っ張り出した」ということになって、評価が高まった(笑)それどころか、町長の家の近所が

燃えたというだけで、町民がみんなお見舞いに酒を持ってくる。見る見るうちに、一升瓶が山積みになって。「おお、これを酒屋に引き取らせれば、ゼニができる」(爆笑)

 家族会議もそのまま有耶無耶になり、2日後に無事、公示日を迎えました。

 

 

 

『足立無双の逆襲』  永田町アホばか列伝Ⅱ

日本維新の会 衆議院議員 足立康吏 悟空出版  2018/6/11   

 

 

 

<国権の最高機関である国会を有名無実なものにしている>

私はこれまで、プラカード掲げて暴行事件を起こしてきた「なんでもありの野党」のことを「アホばかだ」と批判してきましたが、そうした野党を野放しにし、甘やかし続け、そして追随までするようになってしまった「ひたすら我慢の与党」の責任も大きいと考えています。かてて加えて、そのように与党に気を遣うだけの「ゆ党」、いまや単なる規模の小さな既存政党と化してしまった国政維新も猛省しなければなりません。もちろん、自分も含めてです。

 

<国会でちゃんと議論がしたい!>

・処女作であった前著で私が述べたこと、お約束したことを、親愛なる読者の皆様は覚えていらっしゃいますでしょうか。それは、国会からアホばかを一掃したあとに本当の議論が待っていること、すなわち、国会を本来あるべき政策論争の場にすることです。

 

・政策なんて、小難しいことはできれば割愛したいのですが、イデオロギーの時代が終わって四半世紀、いまなお勢力を拡大し、むしろ開き直りつつあるアホばか政党と議員たちを一刻も早く退場させるための最大の武器は、政策です。彼ら彼女らの言っていることがいかに頓珍漢であるかを示すことにより、アホばか政党と議員たちを博物館に陳列し、そのうえで、日本という国家、そして私たち日本人の前に立ちはだかっている諸問題を国会でしっかり議論したい、これが私の願いです。

 

アホばかにとどめを刺すのは政策で

・アホばか野党、事なかれ与党、そして偏向マスコミ………米軍でもやらなかった三正面作戦はさすがにキツい……私のことを心配してくださる方からは、「やっさん、あれこれ言い過ぎて潰されてしまわへん?」「ここで倒れたらもったいない。あまり無茶せず、生き急がんように」などという声をいただくこともあります。本当にご心配をおかけし、また不甲斐ない思いをさせてしまい、申し訳ありません。

 しかし私にとって、代議士であり続けること自体にはあまり意味がありません。政権を担うこと自体、あるいは大臣になること自体が目標でもありません。それらはあくまで手段であって、大事なことは、新しい政党をつくり、新しい国づくりを前に進めることです。

 先の総選挙でも痛感したことですが、議員の政治生命などいつ潰えるかわかりません。

 

国対政治の狭間で続く猿芝居国会>

・足立康吏に対する懲罰動議は、本書執筆中の平成30年5月現在も「吊るされた」ままである。ちなみに「吊るす」とは、国会の俗語で「法案が委員会に付託されないで放置されている状態のこと」を指す。

 

・本書冒頭で紹介をしたように、懲罰の範囲や懲罰のあり方そのものにも問題があり、動議に対する足立康吏の反論にも自民党国対は答えない。そして、懲罰委員会を設置するだけの覚悟もない。足立康吏の問題提起は、ズブズブの国対政治の狭間で矮小化されていくのだ。

 

自民党国対は、本来、「あなたがた野党は、過去に委員会室でプラカードを掲げ、暴言を浴びせて議事を妨害し、委員長に暴力さえ振るったのに、何を言っているんだ!」と言い返さなければならない。そして、そんな万年野党に対してこそ懲罰動議を出すべきなのだ。

 持ちつ持たれつで60年以上続いてきた猿芝居が、一度滅んだかに見えて、再びゾンビのように生き返っている。足立康吏が簡単に引き下がらないのは、このような55年体制の亡霊にとどめを刺したいからだ。大事なことは自民党本部で議論して、国会では万年与党と万年野党が猿芝居を演ずる。国会という芝居小屋の中では、「万年野党は何でもあり、万年与党はひたすら我慢」、いつまでたっても国会で真の論戦が行われることはないのである。

 

<事なかれ与党、レッテル貼りの野党、偏向マスコミ>

・そして、与野党国対委員が夜な夜なつくり込んだ猿芝居のシナリオ、そのシナリオ通りに演ずることだけを強いる与野党国対、シナリオとは異なる発言を徹底的に排除しようとする国会の「空気」――これこそが、国会の論戦が停滞する元凶であり、足立康吏に対する処分の背景でもある。そして、佐川前理財局長による決裁文書の改ざんや柳瀬元秘書官による国会答弁の混乱など、官僚たちによる過剰な国会対策も、こうした国会内の異様な「空気」の中で起こってしまったのだ。

 

加計学園問題の本質>

・以上の通り、加計学園問題の本質は、安倍総理への忖度や総理と家計理事長との友人関係にではなく、穴を小さくして新規参入を1校に限定した岩盤側の獣医師会と政治家との癒着にある。

 

・ちなみに、大臣や国会議員が職務に関する請託を受け賄賂を受け取った場合には、いわゆる受託収賄罪が成立する可能性がある。

 

・もちろん、彼らの政治献金は政党支部で受けているため、「収支報告書の公開をもって説明責任を果たしている」と強弁する向きもあるかもしれないが、後援団体と政党支部を区別して批判を回避するようでは、到底、国民の理解を得ることはできない。

 

何度も言う、「朝日は万死に値する」

・平成29年の特別国会では、与党の大物、野党幹部を「犯罪者(の疑いあり)」呼ばわりした足立くんだが、同じ質疑で、朝日新聞に対しても思いっきり攻撃しておいた。

足立(前略)さて、今回の加計問題は、資料でお配りをしていますこの朝日新聞の<平成29年>5月17日の、この総理の意向という、こういう捏造報道から始まっています。

 具体的にここに写真で出ている文科省の文書、これについては、総理の意向と確かに書いてありますよ。総理の意向と書いてあるけれども、これは加計学園についてじゃないんです。規制改革についてなんです。

 

・おいおい(怒)、自分の捏造報道で拡大した風評を自ら取り上げ、「あの『総理のご意向』をめぐる疑い」としゃあしゃあと繰り返す、絶対に許せない。そこで、思わず、ではなく、確信的に、「朝日新聞、死ね」とツイートしたのだ。

 

・まあ、足立くんは国会議員だから、いくらでも戦う。言論戦が仕事なのだから当然だ。しかし、許せないのは、文芸評論家・小川榮太郎氏の著書『徹底検証「森友・加計事件」――朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪』(飛鳥新社)の内容を巡って、同氏と出版社に対し名誉棄損で5千万円の損害賠償請求訴訟を起こしたことだ。日本を代表する大マスコミ、大手の言論機関である朝日新聞が、一個人を訴えたのだ。係争中の書籍が媒体に広告掲載されるのが難しくなることを狙ってやっているとしたら、おぞましい言論弾圧である。

 

<いまこそ文書管理のパラダイム転換を>

・さて、森友学園に関する財務省公文書書き換え問題、加計学園にかかわる官邸での総理秘書官面会記録、そして自衛隊の日報問題――「モリカケ日報」を巡るバカ騒ぎには辟易するばかりだが、いずれも、公文書管理を徹底することで、未然に防止できる。

 よくないのは、これを政局に利用しようとする野党六党の姿勢である。

 

・では、これを「民主党は官僚を犠牲にして口封じした!」「長妻大臣は説明責任を果たせ!」と蒸し返すか?いや、そんなことはまったく非建設的で無意味だ。森友学園でも野田中央公園でも起きていることは全国で起こっている。同じように、菅政権の厚労省東北厚生局でも、安倍政権の財務省近畿財務局でも起きていることは、あらゆる官庁で起こっていると考えるほうが合理的ではないか。ゴキブリは一匹見たら百匹はいる。そう考えた方がいい。

 

アメリカでは、すでに2000年から国立公文書館でERAと呼ばれる電子記録アーカイブを運用しているという、さすがイノベーションの国。ホワイトハウスの記録はすべてが永遠に保存される。廃棄という概念自体がないのだ。

 南スーダンの日報で言うと、4万人の自衛隊員がアクセス、ダウンロード可能な状態で管理されていたという。そうなると、オリジナルを廃棄しても、各所でコピーされたものが、後に見つかるのは至極当然だ。逆に、完全に廃棄すること自体が技術的に不可能なのだ。完全に廃棄しようとすれば、それこそ最初から自動的消去プログラムでも組み込んでおかなければ無理なのだ。

 

<中央官庁に文書管理と統計のプロを配置せよ>

モリカケから離れるが、裁量労働制の議論の際、厚生労働省のデータの不備が問題になった。

 実を言うと、このデータ問題はそもそも旧民主党政権の責任である。時間外労働の実態調査予算を概算要求したのは民主党政権小宮山洋子厚労相の時代、比較不可能なデータを比べさせたのも、野党に転落した後の民主党厚生労働部門会議で「労働制度ごとに時間を比較したらどうなるかを示せ」と言われて、無意味とわかりつつ、仕方なく、比較できないデータを比較する表を提示したという。そして、データ不備を見抜ける専門家を育てられなかったのも、旧民主党を支えている公務員労組が専門家の導入に反対しているからだ。

 

・では、中央官庁にアーキビスト(文書管理の専門職)の育成配置が進まないのはなぜか。統計のプロが少ないのはなぜか。私は、その元凶こそが官公労(日本官公労労働組合協議会)であり、彼らに支えられている民主党共産党だと思っている。

 

立憲民主・国民民主――アホばか野党分裂の果てに

旧民主党、旧民進党

<「五五体制の亡霊」に成り下がった民主党政権の末路>

・国政が混沌としている。昭和30年(1955年)の保守合同以来、40年近く続いた自民党1党独裁が崩壊したのは、ちょうど四半世紀前の平成5年(1993年)だった。万年与党の自民党と万年野党の社会党が表では相争っているように振る舞いながら、裏では握り合っているという「予定調和的な猿芝居」、いわゆる「五五年体制」が細川護熙政権の樹立をもって終焉を迎えたのである。

 それから間もない平成8年(1996年)に設立された民主党は、野党第一党として政局をリードし、平成21年(2009年)には政権交代を果たした。しかし、その政権運営は大失敗し、「悪夢の3年3カ月」として国民の記憶に深く刻まれてしまう。そして下野したあとは、単なる自民党一強政治を支える反面教師となり、選挙のたびに、まるで「食中毒を起こしたレストラン」のように、看板を掛けかえ合従連衡を繰り返してきた。

 

・そして、民主党から看板を掛け替えただけの民進党は、前回の総選挙を経て四分五裂し、20年余り続いた「民主党の歴史」は事実上、幕を閉じたのである。

 

<足立康吏は安倍総理の別動隊なのか?>

・永田町では、党内からも含めて安倍政権に「肩入れ」し過ぎていると言われることの多い足立康吏、ご声援もいただくが、ご批判も少なくない。

「足立は野党議員なのに、誰の目にも明らかなくらい安倍政権を擁護する。そればかりか安倍政権を攻撃する野党に対し、頼まれもしないのに側面から反撃を繰り返し、さらには安倍総理のライバルと目される自民党の大物議員のタブーを突いたりしている」

 

・――私は正面から憲法を議論しようとしない、というかそもそも議論する能力を持ち合わせていないアホ政治家、バカ政党を見るにつけ、心底怒りを覚える。憲法改正を正面から進めている安倍晋三総理の仕事に、私は深く敬意を抱いている。だからと言って、安倍政権の各種政策に無条件で賛成しているわけでもない憲法改正を論じること自体に反対している連中こそ、反立憲主義、反民主主義の輩だと思っているだけだ。

 

安倍総理が「余人をもって代えがたい」理由>

・与党にも、野党にも、党内の同僚にも「是々非々」を貫く足立くんが、安倍政権の大きな成果だと考えているポイントが3つある。経済、外交、そして憲法である。

 

・以上、大国日本のトップリーダーである安倍総理の仕事のうち、足立康吏が特に注目する経済、外交、憲法の三点を一瞥するだけで、安倍総理が「余人をもって代えがたいリーダー」であることは明らかだろう。もちろん、人口減少や北朝鮮といった内憂外患に対処していくためには、さらにチャレンジしていかなければならないが。

 

・残念なのは、ほとんどの有権者が、自民党にも「よい自民党」と「アホばか自民党」があることを十分に認識していないことだ。選挙になれば、迷わず自民党候補に投票する有権者の方もおられるかもしれない。それが現実なのだ。そしてその責任は、選択肢を提供できていない野党にもあるのだ。

 

<大阪自民党のやっていることは共産党以下!>

自民党にも「よい自民党」と「アホばか自民党」があると書いた。そのうち、後者「アホばか自民党」の代表的存在が、大阪自民党、つまり自民党大阪府連である。

 再び、2月5日の足立康吏の質疑を見ていただきたい。いわゆる議員年金の復活を画策する大阪自民党を取り上げて、「共産党以下だ!」の断罪している部分だ。共産党は、この部分を取り上げて、足立くんに対する懲罰動議に名を連ねてきたが、「共産党は大阪自民党よりは上やで」とほめてしまったのが気に入らんかったのかね。

 

・このように大阪自民党は、自分たち政治家がおいしい思いをするために、地方議員も厚生年金(掛け金の半額を公費負担)に加入できる制度の創設を目指しており、住民の税金を食い物にしようとしているのだ。もちろん、地方の自民党はあまねく同じ動きをしているのだが、大阪以外は、議員年金の必要性を訴えているから、まだ許せる。

 ところが大阪自民党は、かつて存在した議員年金を「特権的な地方議会議員年金」(掛け金の8割以上が公費負担)と称し、それに反対の意思表示をすることで、あたかも議員年金の復活に反対しているような「芝居」を打っているのだ。

 多くの自営業者、非正規労働者国民年金にしか加入できないのに、非常勤の職業政治家だけが厚生年金に入れる制度を創設しようとしている。そんな大阪自民党を、足立康吏は絶対に許すことができない。

 

<安倍政権でも払拭できない自民党の宿痾>

最後に足立康吏が考える安倍政権の問題点を指摘したい。戦後最高の政治家のひとりとして安倍総理を支持しているが、自民党政権のゆえの課題、問題点も少なくない。

 その最たるものは、いわゆる「融合型行政」を続けていることである。

 融合型行政という言葉は聞き慣れない方も多いだろうから説明しよう。広い意味での日本の行政は、基本的に関係者が一堂に会し、みんなでテーブルを囲み「そうですよね」「こういうこともありますよね」というノリで、誰も主導権を握らず、また握らせずに、まったりと、うまく全員が責任を回避しながら進んでいく。そして、いざ問題が起きても、責任を明確化することなく、「みんなが悪かった」「1億総懺悔」という形で、誰も責任を取らずに収拾する。公共事業も、社会保障も、原子力政策もすべて同じパターンだ。

 社会保障と税の一体改革でも、本来は社会保険である年金・医療・介護に税金をどんどん入れていく。もはや日本の社会保険は、保険なのか税なのかわからなくなってしまっている。

 

<「自衛隊」明記か「自衛権」明記か>

自衛隊の合憲性を巡る神学論争に終止符を打つためにも、憲法9条に自衛隊を明記するという安倍総理のイニシアティブには大賛成だ。しかし、自民党のアホばか議員たちは、党利党略というより自利自略で様々な提案をしてくる。もちろん、議論自体は活発にやってもらって結構なのだが、その挙句に安倍総理の構想が頓挫するようでは困る。

 

<日米同盟の足元が揺らぎ始めるとき>

・日本は、戦後長く続いてきた日米同盟と「核の傘」による平和を、いつまでも当然視していてはいけない。これだけ日本を取り巻く安全保障環境が急激に変化する時代である。日本が国家として自立し、国民の生命と財産をどうすれば守っていけるのか、不断に考えていかなければならないと痛感する日々である。

 

北朝鮮が素直に核放棄するとは思えない>

・米国本土を射程に収める大陸間弾道ミサイルの廃棄だけで米朝が合意し、日本を射程に入れる中距離や短距離弾道ミサイルが残ってしまえば意味がない。日本にとっては、拉致、核、そして中距離を含むミサイルという3つの問題が解決されなければならないのだ。

 

<ポストNPTを被爆国・日本が主導せよ>

朝鮮半島の非核化が仮に頓挫すれば、どうなるだろうか。

 

・そうした最悪の事態に至るまでに、日本にできることはないのだろうか。足立康吏は、70年代の欧州が対ソ核抑止の強化に取り組んだように、日本も核に手をかける準備を始めるべきだと訴えてきた。核に手をかけると言っても、使うためではない北朝鮮の核開発により、東アジアのみならず世界の核抑止に亀裂が入る中で、改めてその均衡を探る手段として、アナウンスだけでも意味がある。「仮に北朝鮮が核保有を続けるなら、日本も核に手をかけざるを得ない」と国際社会に宣言をするのだ。

 

<いちばん大切なのは経済論!>

・日本経済は長い間、経済の「がん」とも言われるデフレに苦しんできたが、ようやく脱却に向けて光が見えてきつつある。もし、それが実現しないまま経済が十分に回復せず、税収も確保できなければ、どんな理想を語っても、それは絵に画いた餅にならざるをえない。

 にもかかわらず、アホばか野党からときどき聞こえてくる「もう経済成長なんてしなくてもいい」「経済成長しても幸せになれない」論を耳にすると、無性に腹が立ってくる。経済が破壊されたときに、どれほどの惨事が待っているのか、この人たちは本当に分かっているのだろうか、と頭を抱えざるを得ないのだ。

 

<アホばか「成長しなくてもいい」論をブッタ切る>

・いわゆるベーシックインカム(政府が全国民に最低限の金額を定期的に支給する政策)など国民全員に必要な収入を保障するといった社会を仮に実現できるとすれば、生産性革命を起こし、十分な経済成長が実現した、その結果としてであろう。経済成長なしにベーシックインカムをいくら約束しても、財政的に成立し得ない。

 

アベノミクスの評価は「A・B・E」>

・安倍政権を評価する理由の一つがアベノミクスであると第4章に書いた。特に、一本目の矢=金融緩和は、大学の成績で言えば、文句なしの「優」評価、「A」評価である。

 だが、残りの二本の矢、財政政策と成長戦略については、方向性こそ間違ってはいないものの、評価としては厳しくなる。財政政策は「良」評価、つまり「B」評価であり、成長戦略に至っては落第、「E」評価と言わざるを得ない。

 つまり、アベノミクスの成績は「A・B・E」(アベ)である、ということだ。これは足立くんのオリジナルではなく、安倍総理の経済政策のメンター、イェール大学名誉教授の浜田宏一氏(内閣官房参与)によるものである。

 

成長戦略に至っては、国家戦略特区も「働き方改革」と呼んでいる労働規制改革も、残念ながらすべて失敗している。

 

国家戦略特区制度は事実上ストップ。厚労省のデータ問題や過労死問題を背景に、裁量労働制の対象拡大もできなくなってしまった。

 

・しかし、野党は本当にアホばかである。彼らが批判すべき安倍政権の失政は、言うまでもなくE評価の成長戦略なのに、加計学園問題の追及に執着して、本質的な成長戦略の議論が深まっていかない。

 

消費税増税すれば再びデフレの谷底へ?

足立康吏は予言しておこう。いまこの状態で消費税率を上げたら、大変なことになる。

 

<減税で可処分所得拡大を!>

・結論から述べれば、いま必要なのは、緊縮政策や増税の流れではなく、積極的な財政政策である。そして国民の可処分所得を増やすには、従来型のバラマキ公共事業のようなやり方を重視するのではなく、最も公平でみんなに行き渡りやすい、減税措置が有効だろう。

 

イノベーションと生産性革命>

・遠くない将来、AIの普及によって大企業も大胆な変化にさらされるだろう。銀行はすでに採用を絞り始めているし、弁護士や会計士、そしてそれらのアシスタント業務なども大半がAIに代替され得るとの指摘も多い。そして、その次は医師かもしれない。

 

・このような変化をポジティブに捉えれば、たとえば少子高齢化と人口減少のもとでの人手不足が緩和されるなど、国民の生活に大きく貢献することが期待できる。イノベーションは恩恵を受ける人のほうが絶対に多いし、従来の「構造改革」という言葉からイメージされる世界とはまったく異なる未来をつくってくれるはずだ。

 

<アホ野党は「働かないおじさん」の味方>

・以上の通り見てくると、生産性革命と並行して、いわゆる「働き方改革」が当然のように必要になってくる。

 特に、企業は一度人を雇うと、容易に解雇することができない。それがいまの日本の制度だ。

 

ろくに守れない労働法制がなぜまかり通るのか

・既存の労働法制ですら、実際はさして正しく運用されているわけではない。これはむしろ民間にお勤めの方のほうが実感はあるだろうが、労働法制、それに基づく就労規則や労使協定などが形の上では存在しても、実際の運用はきわめて杜撰、もっと言えば違反だらけである。加藤勝信厚生労働大臣の国会答弁によれば、労基署が一定の情報をもとに定期監督をしたら、7割近くの事業所で法令違反が見つかったという。つまり、ろくに守ることもできない法律が存在しているのだ。

 

移民政策をどう考えるか――政治は逃げずに方針を示せ!

・「移民」ではないと言いつつ実質的には「外国人労働者」の受け入れを拡大していこうとする今の政治のやり方では、社会の受け入れ準備等が不十分なまま、実際の地域には在留外国人が増えていくことになる。実際、技能実習で入国して失踪した外国人は数千人に及び、実習先企業での人権侵害や賃金不払いも絶えない。それでは、地域にとっても外国人の方々にとっても不幸だ。

 

道州制、地域の自立でイノベーション

地方分権、地域の自立、東京一極集中と縦割り解消、誰でも総論は賛成であるが、各論になると途端に反対が始まる。しかし、それこそが日本におけるイノベーションを阻んでいる「何か」なのだ。

 

 

 

『雑巾がけ』   小沢一郎という試練

石川知裕   新潮社    2012/4/17

 

 

 

・一番凄いと思ったのは、先述の「年上の後輩」が辞めたときのことである。彼は運転手でもあったので、突然、運転手がいなくなってしまうことになった。その対策として小沢さんは私に、運転手を命じてきた。

 

・繰り返しになるが、すでに私は事務所のトップで資金集め等、肝になる仕事を中心にやっていた。夜も遊んでいたわけではなく、翌日の仕事の準備等をしていたのだ。そんなことにはお構いなしである。いかなる場面においても「無理です」とは言えないし、「人を増やしてください」とストレートに言っても聞いてもらえない。それどころか、もっと怒られることは目に見えている。

お前、俺も昔、地元の爺さんと一緒に回るときは運転手をやって大変だったんだ。お前らくらいの苦労で文句を言うな

 

<理不尽な説教>

ちょっと話は脇道に逸れるが、この「昔、爺さんと地元を回って大変だった」という話は口癖のように飛び出し、何度も聞かされたものである。

 

・そしてある瞬間、急に怒り始めた。「お前らは……」と言って怒りながら話したのは、おおよそ次のようなことである。

「俺は今日、大分に行って、『こんなところまでいらっしゃってくださって、岩手の選挙区のほうは大丈夫なんですか』と言われた。岩手に何人秘書がいると思っているんだ。俺が昔、〇〇という爺さんと回った時は、俺が地図を持ち、車も運転して回ったんだ。それに比べたら今、どれだけ恵まれているか。どうして俺がよそでそんな心配をされなきゃならないんだ。お前らは一体何を考えているんだ」

読者にはおわかりだろうが、この話で私をはじめ、事務所の人間には何の落ち度もない。

 

資金集めは大変

・その翌年はあの「小泉ブーム」で自民党参院選で歴史的大勝をしている。当然、このような状況では献金すら簡単に集められるものではない。

 自民党時代の小沢一郎の威光を笠に着ての集金活動は、もはや無理な時代になっていた。最盛期から比べると、パーティー券の収入も企業献金も減り始めつつあった中で、私は担当を引き継いだのである。私は自分で知恵を絞らざるを得なかった。

 

・だから過去の関係を調査して、お付き合いがあったところには再度伺うようにした。良かったことは先入観が無いことだ。だからどこにでも飛びこめた。

 

選挙にせよパーティー券売りにせよ、マーケティングである。「小沢一郎」という商品をどう売り込んでいくかが「鍵」だ。商品が受け入れられるようにしていく作業は無理だ。「小沢」は変わらないからだ。では、どうしたら良いのか。「小沢」を受け入れてもらえる層を探すことだ。

 

さらに私は自民党の有力政治家の政治資金収支報告書の収入欄を読み、どういう企業が献金しているのか、パーティー券を購入している企業とライバルの企業を探し、訪問するようにした。また『会社四季報』をもとにして飛び込み営業も開始した。岩手県に工場や営業所がある企業を『会社四季報』から探す。また、岩手県出身の社長さんがいる会社を探す。

 

・アポが取れればお伺いして「御社は岩手県に工場がおありですよね」と縁を強調するのである。当時、2百社以上廻って10件程度ご協力いただいたと記憶している。成功率は5パーセントに過ぎない。しかし、この時の活動が立候補してからも大変役に立つことになる。

 

・この頃、県人会組織の担当を任されたことも大いに役立った。秘書2年目に、岩手県人会の名簿集めを担当させられたことがあった。県人会とは地方出身者が東京や大阪などで作る組織で、たいていは地域の行政組織が後援している。岩手県だと2000年当時は59市町村存在していたので(今はほぼ半分である)、50以上の県人会組織が存在していた。

 

・支援することや支援されることは、お互い何か「共有」できることを見つけることであると思う。最小単位は「家族」。次に「会社」。そして「同郷」だとか「同窓会」に広がっていく。営業とは「縁」を大切にすること、「縁」を見つけることなのである。

 

<ネットの良し悪し>

小沢一郎のホームページに、申し込み欄を開設するとパーティー参加者も献金申し込みもかなりの数で増えていった。

 

・手前味噌ながら、今、小沢一郎事務所の政治資金収入の中で個人献金の割合が高くなっているのは、この時の成果だと思っている。ただし、樋高さんの「懸念」が当たっていた面もあることは正直に書いておきたい。

 このネットで申し込んできた1人のパーティー参加者と、私は懇意になった。一緒に食事くらいはする間柄になったが、ちょっとした行き違いで疎遠になってしまっていた。ところがその後、その人がパーティーで知り合った別の参加者に騙されて詐欺行為に遭ってしまい。結果的に「小沢事務所」のせいだと言われてしまった。こちらが詐欺の片棒を担いだりしたわけではないのだが、週刊誌沙汰になる始末だった。「リスク」をきちんと腹に入れて、お付き合いをすることを忘れていたのが反省点である。


お金に細かいが

・本書では、私が逮捕された政治資金規正法違反事件についての細かい経緯などは記さない。公判中ということもあるし、本書の趣旨とは関係がないと思うからである。

 

・よく、次のような解説がなされることがある。

小沢はとにかく細かい。あの事務所で勝手に事を進めるなんてことはありえない。だから秘書が勝手にいろんな手続きをすることはありえない。すべてのことは小沢の了承の下に行われているのだ

 この話は一部正しいが、一部違う。まず「細かい」という点は間違いではない。小沢さんは非常に細かい報告を求めて、指示を出すことがある。ただし、それはお金に絡んでのことではない。選挙のことに関してである」

 

・政治家に置き換えてみれば、経理は秘書の仕事であるし、販売戦略は選挙になる。小沢さんに関して言えば、党首や代表、幹事長をやっていたので、各候補者の選挙についての情報は細かく上げなくてはいけなかった。一方で、お金に関することは巷間言われるほど細かく報告する必要はなかった。これは嘘偽りのない真実である。


出馬とネグレクト

・結局、小沢さんの意向に反して出馬を強行する形になってしまった。これで縁も切れたと思ったが、意外なことに選挙応援には来てくれた。ただし微妙なのは、一緒に演説をしたのではなく別々の場所だったことだ。同じ場所でやるよりも効率がいい、という理屈だったと思うのだが、本音はわからない。

 

納得の落選

圧倒的な対立候補

・先ほど小沢さんの地盤を老舗企業にたとえたが、ここでは大企業での勤務とベンチャー企業での勤務の違いと考えていただくと、よりわかりやすいと思う。

 

・冷静に考えれば、いきなり大金をポンとくれる人なんか、世の中にはまず存在していない。一度に100万円の献金をいただくよりは、毎年10万円ずつで長いお付き合いをしてくださる方のほうがありがたい。また、賢い人はある程度付き合いができてから、何らかの頼み事をしてくるのだと思う。

 

政局には予定は入れない

・小沢さんの場合、ほとんど5分刻み、10分刻みで予定が入っていた。事務所に次々と陳情や依頼の客がやってくる。そんな短時間で何ができるのか、と思われることだろう。実務の多くは秘書がやるにしても、とりあえず本人に用件が直接伝えられ、そのうえで私たちに命令が下るという流れになっているので、どうしても顔を合わせることが必要になってしまうのだ。

 

・ただし、政局になりそうになると、一切予定は入れない。たとえば、内閣不信任案が出されそうな時などはアポイントは入れないし、それまで入っていた用事もすべて早めにキャンセルして、スケジュール表を空白にしてしまうのだ。

 

「抜き」の時間を作る

・小沢さんの予定がびっしりだと書いたが、一方で実は常に「抜き」の時間は確保していた。よほどのことがない限り、正午から午後2時までは食事も兼ねて昼休みの時間を取らねばならなかった。

 また、月に1回は碁の先生について習う時間を確保するようにしていた。頭をリフレッシュさせる時間が必要だからである。

 

敵味方は流動的なものである

・これまでの発言などを振り返ってみればはっきりするのだが、常に攻撃対象にしているのは、政策である。増税やTPP交渉等について批判を加えることはあっても、それを決めた人の性格うんぬんを言うことはない。

 逆に、小沢さんの「人格が冷たい」とか、「政治手法が問題だ」といった、政策とは別の論点で批判されることは多い。野中広務さんは「悪魔」と称していた。しかし、小沢さんのほうから他人に対して、公然とそういう批判をしているところを、私は見たことがない。これはいつ味方になるのかわからない、という考えがあるからだと思う。

 

 

 

『世界はこう激変する』 

 2016-17長谷川慶太郎の大局を読む

◎米国利上げで浮かぶ国、沈む国 ◎悪貨(中国元)が世界を脅かす

◎IS不況のヨーロッパ ◎好調な米国、堅調な日本が世界を牽引する

長谷川慶太郎   李白社  2016/2/12

 

 

 

結局、イランとサウジとは実害のない範囲内での争いに終始するだけである

・宗教指導者の処刑に対して中東各地でシーア派の人々によるサウジへの抗議デモが巻き起こり、イランの首都テヘランでは抗議デモの民衆の一部が暴徒化してサウジ大使館を襲撃し火炎瓶などを投げ付けた。そのため1月3日にサウジはイランとの外交関係を断絶すると発表、翌4日にはバーレーンスーダンもイランとの外交関係を断絶すると表明し、UAEも駐イラン大使を召還して外交関係の格下げを決めた。サウジとイランの両国はそれぞれシリアとイエメンで代理戦争を繰り広げている。それが今回の問題で面と向かってぶつかる様相となってきた。両国の外交関係が緊迫化すれば全面的な紛争に発展するとの報道も出始めた。

 

中国経済についていえば、きわめて悪くなっているのは確かだ。だが、2014年のドルベースの名目GDPで世界全体に中国の占める割合は13.4%でしかない。たとえ中国経済がゼロになっても世界経済に対する影響は13.4%のショックに留まる。とすれば世界経済も中国経済の崩壊で一時的短期的には沈んでも、それが長期化することはありえず、すぐに再浮上する。

 日本についても中国の隣国だから中国経済が崩壊すれば日本経済に悪影響が及ぶという錯覚を世界の投資家が持っているだけだ。確かにそれで一時的には日本の株価も大きく下がるだろう。しかし日経平均は短期間のうちに必ず元に戻る。中国のパニックで株価が下がれば、むしろ押し目買いのチャンスなのである。

 

・水爆実験に成功したと称している北朝鮮はもはや断末魔である。崩壊したら北朝鮮難民が韓国へと押し寄せて来るが、そのとき、韓国は日本から援助を受けなければならない。だから最近の慰安婦問題でもわかるように韓国も日本に歩み寄ってきているのだ。北朝鮮の難民問題では日韓両国のほかアメリカをはじめとする国際社会で対応していけば解決の方向に持っていけるだろう。

 

・回復してきたアメリカ経済が世界経済を力強く引っ張っていくし、日本経済もアベノミクスが第二ステージに入って徐々に勢いをつけてきている。先行きには何も心配はない。

 

新三本の矢と1億総活躍社会

アジア諸国のなかでさらに高い地位を占めていく日本

・2016年は中国経済の失速によって東アジアの政治構造と経済活動の基盤が変わる可能性があって、東アジアにとって決定的な年となりうる。

 だが、日本は東アジア周辺諸国で何が起ころうと安泰だ。それは第一に日本が世界で最も多くの余裕資金を保有している国だからである。しかもそれは長期にわたる融資の対象となる資金だから、その下で日本経済にも揺るぎがない。第二には、日本経済が世界で最も高い技術水準を身に付けているということだ。その結果、日本から特許を買わずには世界のどの国も経済活動を満足に行うことができない。第三には、日本の科学の水準が世界的に高いということだ。その証拠に2000年以降ではノーベル賞における自然科学3部門の受賞者は16人(アメリカ籍取得の2人も含む)を数え、これはアメリカに次いで2位である。イギリス、ドイツ、フランスを抜き去っており、今後もこの3ヵ国については日本が追い抜かれるどころか、逆に引き離してしまうだろう。

 以上の3つはいずれも他の東アジア諸国には存在しない大きな財産である。この3つをうまく活用することによって日本経済は東アジアでの政治危機、経済危機の進行と関係のない安定した成長ができる。

 

・ただし日本は東アジアでの冷たい戦争を遂行するうえでアメリカをサポートし、冷たい戦争に打ち勝つための西側世界の中核でもある。2016年は東アジアでの冷たい戦争が終結するかもしれない。そのときには東アジアの政治情勢、経済情勢は激変を遂げていくだろうが、東アジアで何が起ころうと日本は我関せずの態度を取るべきだ。すなわち東アジアの政治情勢、経済情勢の激変を対岸の火事として静観することが求められる。

 今後、日本は東アジアだけでなく東南アジアや中央アジアにおいても、現在のドイツがヨーロッパで占めている以上の高い地位を占めるようになる。なぜなら今や日本からの資金援助なしには東南アジアや中央アジアのどの国も公共事業投資ができないからだ。

 

ハードランディングしかない中国経済

<ボディーブローのように中国経済を弱らせていく天津での爆発>

中国経済は悪化の一途をたどると予測される。上海株の乱高下の一つの背景にはまず中国経済全体にわたる金融の拘束、すなわち金詰まりがある。加えてもう一つが中国の北半分の物流が大きく支障をきたしているということだ。

 原因は2015年8月12日深夜に起こった天津市での爆発である。

 

・こうした状況はいわば徐々に効いてくるボクシングのボディーブローのようになっており、当然ながら中国の経済危機を一段と深刻化させ、金詰まりを一層厳しいものにしていく。天津港を含む浜海新区の復旧が終わらない限り、そのボディーブローは終わらないどころか、どんどんきついものになっていくだろう。

 となるといずれ華北の広範な地域で企業の大量倒産が起こりうる。それは即大量の失業者の量産につながる。2016年はこのような中国の経済危機に端を発した社会不安がどこまで広がるか、言い換えれば、それは習近平政権がどこまで抑えることができるかが問われる年になる。

 

ダンピング輸出向け鉄鋼の減産で国有企業のリストラが始まる>

・輸出量が増えるうえに輸出価格は安いというのだから、中国のダンピング輸出に対して反ダンピング課税などの措置を取る国も増えてきているが、各国の鉄鋼メーカーには生産量を落として耐え忍ぶしかないというところも少なくない。生産量を落とすためには操業短縮だけでは不十分なので、高炉の閉鎖や従業員のリストラに追い込まれるところも出ている。

 

・であれば中国政府としても、いよいよ鉄鋼生産で1億トン分を減らすということだ。それはまた同時に中国の鉄鋼業界で働いている30万人の労働者のうち少なくとも1万人前後のクビが飛ぶということにほかならない。

 1億トン分の鉄鋼生産を減らすというのは、これまで強気だった中国政府も急失速する中国経済の現実に向き合わざるをえなくなったことを示している。日本の経済界の訪中団と李克強首相との会談の模様を見て、中国に進出している日本企業も現地法人の本格的なリストラに乗り出したのだった。

 

中高速成長の維持と一人っ子政策の放棄は何をもたらすのか

・中国もデフレ時代に入っている。もはや安かろう悪かろうの時代は終わったのだ。だから中国でもこれまでのような量的な拡大は不可能であり、また量的な拡大を目的にする経営計画も成功しない。必ず過剰生産が生まれて売れ残りが大量に発生する。しかし少しずつでも良い製品をつくっていきさえすれば必ず生き残る道が開けるから、技術の研究開発が不可欠となる。

 

・ただし中国のバブルは弾けてしまった。となったからには6.5%以上の中高速成長は無理だ。中国経済についてはもはやハードクラッシュしかない。問題はハードクラッシュの後で中国企業がデフレ時代に対応して生き延びていけるかどうかということなのである。

 

・人口減少となれば、当然ながら世界の工場としての中国の役割は終了するばかりか、中国の経済成長もおぼつかなくなる。けれども少子高齢化が始まっている中国において、一人っ子政策の撤廃が人口増に結び付くということもない。このまま少子高齢化が続いて中国経済が落ち込んでいくのは避けられないのである。

 

不良債権を抱えた国有企業の処理で窮地に立つ習近平政権>

・それで習近平政権は今回の中央経済工作会議の方針でも国有企業の再編ということで御茶を濁している。この再編とは国有企業を合併させるだけのことにすぎない。そういう生ぬるいやり方ではいずれ国有企業がいくつも潰れていくだろう。となるとやはり大量の失業者が発生する。

 ハードランディングでも御茶を濁しても大量の失業者が生まれるということだ。大量の失業者は社会不安を引き起こす。今や習近平政権は国有企業の問題で窮地に立っているのである。

 

爆発の可能性が大いにある人民解放軍> 

南シナ海の人工島領海を自由に航行し始めた米ミサイル駆逐艦

・したがって中国海軍は最初から米海軍はもとより海上自衛隊とも戦争がする気がないということだ。負けるとはわかっている戦争をする軍人はいない。中国海軍もそういう状態である。

 

陸軍中心の軍構成を改めて7軍区を4戦区に統廃合する

・廃止された3軍区は4戦区のなかに吸収されることになるが、組織改革とともに軍縮も同時に進め、現在の兵力230万人から30万人が削減される予定だ。

 

人民解放軍の大規模改革は習近平の危険な賭け

この大規模改革は失敗する可能性がきわめて高いのである

・しかし空軍の力の拡大も陸軍には許せるはずがない。もし陸軍が完全に習近平首席および中国共産党に反旗を翻したらどうなるか。人民解放軍の最も基本的な役割は国内の治安の確立である。中国経済は急速に落ち込んできているから企業のリストラで多くの失業者が生まれて収入のないホームレスも増えていく。ホームレスが増えていくとそれが社会不安につながって国内の各地で激しい暴動が頻発するに違いない。そのとき、中国共産党に背いている陸軍が、お手並み拝見とばかりに何の動きもしなければ国内の治安は回復できないだろう。中華人民共和国も崩壊の淵に立つことになるはずだ。