(2024/10/15)
決定版『目からウロコの琉球・沖縄史』
上里隆史 ボーダーインク 2024/6/26
<久高島の「異種の民」>
・沖縄県南部の知念半島の先に浮かぶ久高島。近年では「神の島」として広く知られるようになりました。スピリチュアル・ブームに乗って、多数の観光客がこの島を訪れています。
この島には沖縄のほとんどで消えかけた古来の祭祀組織が温存されていて、島の女性は一定の年齢になると神女組織へと編入されます。12年に1度行われる就任式にあたるイザイホーの儀式は過疎化により現在途切れていますが、それでも1年のうち約30回もの祭祀があります。
島には琉球の創生神話で神が降臨したという聖地のフボウ御嶽があり、沖縄のなかでも特別に格式の高い聖地です。
神秘的な雰囲気ただようこの島には、ある不可思議な事実が存在します。琉球王国の正史『球陽』には、次のように記されています。
久高島、代々「異種」の人を生ず
太古より、知念間切の久高島には「異種の民」がいた。うまれつき性格は素直で、普通の人 より賢く、よく仕事をした。暮らしむきはとても裕福で、現在、その種族は7、8名いる。
彼らは皆、ヒザからくるぶしにかけてとても細く、かかとがない。足の甲は短くて足の指は長く、そのかたちは手のひらのようになって、地に立つ。
驚くべき内容です。久高島に「異種の民」が存在したというのです。この「異種の民」は、目や肌の色が違うなど民族や人種が違うということではありません。身体的特徴そのものが、通常の人間ときわめて異なっているということです。膝より下は通常の人間よりも細く、かかとがなく、足はまるで手のひらのようで、指が異様に長かったといいます。彼らはいったい何者なのでしょうか。
考えられるのは、「異種の民」が突然変異で生まれた人々であった可能性です。しかし、個人個人でまったく同じ特徴を持つ突然変異が集団として維持され、何世代も変わらずに続いていくものなのでしょうか。実際に世界のなかでこうした突然変異の事例はあるようですが、久高島も同じようなケースなのでしょうか。
注目すべきは、これが伝承や噂のレベルではなく、王国の正史に記載される「事実」であったことです。しかも見間違いの報告などの事実誤認や伝聞でもなく、王府は1743年の時点で「異種の民」を実際に確認しており、その数7、8名と数えているのです。つまり、この事実は否定しようもない真実であったことになります。
彼らは他の島民とひとまず「異種」として区別されているものの、同じ島でともに暮らしています。とくに神聖視されてたり恐れられている様子もなく、むしろ働き者として肯定的に評価されているのが興味深い点です。
僕がもう1つ気になるのは、久高島が神聖な「神の島」とされていた事実です。創世神話によると、創世神アマミキヨが天上より降臨し、最初に沖縄に作った7つの御嶽のひとつが、この久高島にあるのです。さらに久高島は神女組織の頂点に立つ聞得大君や国王が定期的に久高島に訪れ、麦の切穂儀礼をおこなう特別な場所でした。
「神が降りた島」と「異種の民」との間にはどのような関連があったのか不明ですが、「なぜ久高島が神聖視されるのか」の1つの要因として、もしかしたら「異種の民」が存在したことがあったのかもしれません。
彼ら「異種の民」はその後どうなったのでしょうか。18世紀の時点で7、8名ときわめて少数だったので、おそらく途絶えてしまったことでしょう。『球陽』以外には彼らのことを記録した書物は一切ありません。現在残る久高島の祭祀や伝承のなかにおいて、彼らのことを記憶しているものはあるかどうか、僕の知るかぎりでは確認できていません。
つまり、信じるも信じないもあなた次第ということです……。
<死後の世界はあった?>
・琉球王国の正史『球陽』には、奇妙で怖い事件がしばしば記されています。次の記事は1731年に起こった事件です。
与那城間切宮城村に、喜也宇大翁(きやうおおおきな)なる者あり。70歳にして死す。臨終の時、子孫に謂(い)いて曰く、我が神歌を唄うるは、汝らの共に知るところなり、もし陰間(いんかん)、生前に異ならざれば、すなわち死後3日、必ずこれを唱え、もって汝らに聴かせんと、期にいたり、ともに往きてこれを聴くに、果たして歌声あり。
与那城間切(現うるま市)の宮城村に、喜也宇オジイという者がおり、70歳で死んだ。臨終の時、子や孫に対して言うには、「私が神歌を歌っていたのは、お前たちも知っていることだ。もしあの世が生前と同じであれば、私は死後3日、この神歌を必ず歌い、お前たちに聞かせよう」と。その時がいたって(死ぬこと)、家族がともに墓に行って聞くと、彼の歌声が聞こえてきた。
喜也宇オジイは自分が死んだ後、あの世がどうなっているのか子や孫たちに伝えようとしたのです。オジイの歌声が聞こえてきたということは……死後の世界は生きている世界とは変わらない、ということなのでしょうか ⁉
ちなみに当時の琉球の葬り方は風葬で、遺体を一定期間、放置して白骨化させる方法をとっていました。なのでオジイの遺体はそのまま墓室(もしくは風化させるための施設)に安置されていたわけで、家族たちはその場所に行ったということです。
さて、みなさんはこの奇妙な事件をどう考えますか。ただ1つ、確かなことは、この事件が王国の正史に記されているという事実です……。
<異形の弁財天>
・弁財天といえば七福神の1人で、美しい女性の神様です。琉球でも弁財天は仏教とともに伝わり、多くの人々に信仰されました。首里城の近くには弁財天堂も建てられ、とくに琉球の神女組織の頂点に立つ「聞得大君(きこえおおぎみ)」の祭神となっていました。
しかし琉球の弁財天は、われわれが想像するような柔和で美しい神様ではありませんでした。その姿は手が6本、顔が3つあり、手には太陽と月、ヘビと宝珠を持っている、まさに異形の神。コワイのは見た目だけではありません。琉球の弁財天は悪い心を抱く者を罰するという、福の神どころか非常にコワイ神様だったのです。
この異形の弁財天は、中世日本の宇賀弁財天の系譜につらなるもので、人々を罰するのは荒神(こうじん)の性格も持ち合わせていたからでした。ただ手に太陽と月を持つというのは琉球独特のもので、日本では見られない姿であったようです。
17世紀のはじめに琉球にやってきた日本の浄土僧・袋中(たいちゅう)は、この弁財天と習合した荒神について述べています。それによると、この神は12年に1度、27日間降臨し、誹謗する者がいればその口を裂き、悪い心を持つ者がいればその胸を斬り、毒ヘビで責めるといいます。ただし信じる者にはその姿は見えず、危害も加えられないということです。
さらに袋中は当時起きたある事件も紹介しています。ある日、王や役人たちを誹謗中傷した落書きが見つかりますが、犯人がわかりません。そこで役人一同が首里の弁が嶽(べんがだけ)に行き27日間参詣したところ、ついに犯人が自首。犯人とその一族は島流しにされたという事件です。弁が嶽は弁財天をはじめとした外来の神々が降臨する地でもあり、27日間という期間は弁財天の降臨する日数とされていましたから、この参詣は弁財天に祈っていたものとわかります。
役人一同は「さすが! 犯人が見つかったのは弁財天のおかげ!」と信じていたかもしれませんが、おそらく犯人は27日間もみんからプレッシャーをかけられ続け、精神的にまいって自首してしまったのではないでしょうか?
<UFO、那覇に現る!>
・地球外生命体や幽霊などの不可思議な怪奇現象は、未知なるものに好奇心を持つ多くの人々の興味をひいています。
沖縄でも那覇市内の上空に青白い光線が現れ、UFOでは ⁉ との問い合わせが気象台などに多数よせられ、「那覇市内でUFO騒ぎ/正体は気象観測光線」とニュースになったことがあります(1997年11月24日)また2014年には那覇市西方上空でオレンジ色の光約10個が目撃されましたが、米軍の照明弾だったようです。(2014年1月25、29日)。
実はこのような騒ぎと同様に、大正元年(1912年)8月には那覇に未確認発光体が出現して大騒動になった事件がありました。その模様は当時の「琉球新報」紙上で連日報道されています。
事件の場所は那覇の泉崎(現在の県庁一帯)で、第一発見者は仲毛(なかのもう)(現在の那覇バスターミナルあたり)の比嘉さん一家、7月30日の晩、夕涼みに2階から外を眺めていると、砂糖樽検査所の戸から丸い発光体が出現したというのです。
発光体は分かれたり合体したりして戸を出入りし、大きな発光体が小さな発光体を連れて出てきて、次の瞬間バラバラになり上空へ消えていったといいます。比嘉さんは驚き、近所の人に告げて次の晩も出現場所を観察していると、同時刻にまたもや発光体が出現。
当初は比嘉さんの話を疑っていた近所の人々ですが、さらに3日目の同時刻に発光体が出現するのを目撃するにおよび「これはホンモノだ!」と確信し、ウワサがウワサを呼んで大騒動になってしまいます。
比嘉さん宅のある仲毛海岸はヤジウマが殺到し、夜10時頃まで怪光を見ようとする人々で連日大混雑となります。
しかし発光体はいつまで待っても一向に現れません。ついには警官も出動して騒ぎの沈静化をはかりますが、騒動は静まるどころかさらに広まり、今度は泉崎橋に発光体が出るらしいというデマも流れて人々は泉崎橋にも集まり、発光体が現れるのを今か今かと待ちかまえる始末。
出現場所付近の住民は奇怪な事件に身の吉凶を案じて各所の易者(おそらくユタやサンジンソウ)に相談する者が続出し、火の玉は亡霊のしわざとして祈禱が行われます。
騒ぎは出現場所の地中から人骨が発見されるにいたって頂点に達します。この人骨は小児の骨で、付近で材木商を営む平良某が埋葬したものらしいと当時の記事にあります。
このオカルト騒ぎに影響を受けたのでしょうか、琉球新報は事件の翌日から「怪談奇聞」と題する心霊体験談を連載します。このコーナーは読者から怪奇体験を募集するものでした。新報は「実体験でも伝聞でもよいから本社の怪談奇聞係宛てに投稿をお願いします」と東スポばりの連載を開始してしまうのです。
さらにビックリするのは、この怪奇体験コーナーに寄せられたのが、何とあの伊波普猷(いはふゆう)の話。
「伊波文学士の実話」として祖父の心霊体験が述べられています。
王国時代、祖父の友人が航海の途中で暴風にあって溺死し、彼の幽霊が別の知人の母に憑依して伊波の祖父の前に現れたという話です。
おそらく伊波普猷も発光体騒ぎを見聞して、興奮さめやらぬなか知人に自身の怪奇談を熱っぽく語ったものが投稿されたのでしょう。本人が投稿していたら面白いですが……いずれにせよ、当時の沖縄で超常現象に対する熱狂ぶりが伝わってくる話です。
(2024/2/12)
『日本怪異妖怪事典 九州・沖縄』
朝里樹 闇の中のジェイ 笠間書院 2023/9/30
<牛鬼(うしおに)>
・福岡県浮羽(うきは)郡田主丸町(現・久留米市田主丸町)の辺りに出たという怪物。
頭や手足は牛、体は鬼の姿をしており、夜な夜な牛馬を盗み、女子どもを攫(さら)った。
<大狒狒(おおひひ)>
・福岡県北九州市伊川村(現・北九州市門司区)の異類婚姻譚。平山釈迦堂の由来譚。
忠兵衛という者が大狒狒退治に行ったが、逆に大狒狒に襲われてしまう。命乞いに娘を嫁にやると忠兵衛は言ってしまう。一人娘は嫁入りを承知し、重い品物を入れた焼き物の壺を狒狒に背負わせて池の側の道を通った。娘はわざと簪(かんざし)を池に落とし、狒狒に簪を取りに行かせた。狒狒が背負っている壺に水が入って重くなり、とうとう力尽きて狒狒は沈んでしまった。狒狒の冥福を祈るために建てられたのが、平山釈迦堂だという。
<おさん狐>
・福岡県北九州市十三塚に出る狐。
たびたび里人や山越えの人たちをたぶらかす。旅人が十三塚を超えていると、おさんと名乗る美しい娘が出てきて、道案内をしようと言う。話し相手に良いと連れだって歩いているといつの間にか雑木林の中に迷い込んでしまっているという。
<一ツ目小僧>
・福岡県早良(さわら)郡早良町は原田の昔話に登場する山の神の使い。
猟師の目の前で、一匹のミミズが蛙に食べられ、その蛙は蛇に呑まれ、そこへ狸が出てきた。猟師はその狸を撃とうとしたが腕が萎えて引き金が引けなかった。不思議に思い、出てきた狸をよくよく見るとまな板を担いでいた。不吉な予感がし、「この狸を撃てば私は何者かに命を取られるだろう」と観念して帰ろうとした。すると一ツ目小僧が現れて猟師をニッと睨み、「良い了見が付いたぞ。お前がわしを撃てば、このまな板の上でお前を料理するところだった」と言って消え去ったという。
<カワソウ>
堀に入るとカワソウから足を引かれる、尻穴から手を入れられてジゴ(内臓)を抜き取られるという。
<ガワタロー>
・佐賀県伊万里市南波多の谷口、古里、重橋、水留、古川でいう水怪。
谷口ではガワタローは人を引き込むとされるが、ガワタローを見た者はいない。
重橋では、体が焼けるように暑い夏の日に、ある人が水を被るために川へ行ったが、死んでしまった。尻の穴が抜けていたため、ガワタローのせいだろうとされている。
<カワッソ>
嘉禎三年(1237)に橘公幸が伊予国(愛媛県)から当地に移り、潮見神社の背後の山頂に潮見城を築いた。橘氏の眷属のカワッソたちも潮見川に移り住み、この川の流域で人畜に害をなすようになった。そこで橘氏の後裔の渋江氏がカワッソを戒め、川の上流にある浮橋から下流の潮見神社一の鳥居東側の茶畑の中にある平石の辺りまでいっさい害を与えないようにとカワッソに約束させた。この茶畑の中にある長さ2メートル余りの平石はカワッソの誓文石と呼ばれており、この石に花が咲くまでは人に害を与えないと約束したという。
<かわっそう>
水死した人の肛門が開いているのは、かわっそうに尻子(尻子玉。尻付近の内臓)を抜かれたからだと解釈し、「かわっそうのしっご(尻子のことか)とる」という言葉がある。
<狐の嫁入り>
・佐賀県伊万里市大川内町、鳥栖市立石町・本町・養父町・河内町でいう光物、怪火の類。鳥栖市山浦町では狐のご膳迎えと呼ぶ。
大川内町では夜中に通る提灯の行列を狐の嫁入りと呼んでいる。
鳥栖市では有明海の不知火のような光の行列を狐の嫁入りと呼んでいる。狐の涎(よだれ)がそういう火に見えるとされている。
<蜘蛛の精>
蜘蛛が飯を食わない嫁として女房になるが、正体がバレて竹の籠に男を入れて家に持って帰ろうとする。男は逃げるが、蜘蛛は捕まえるために再び男の家を訪れる。そして囲炉裏の鉤(かぎ)を伝って降りてくるが、火箸で焼き殺されてしまう。
<食わず女房>
伊万里市南波田町では、女に化けた蜘蛛が嫁になり、握り飯を自分の背中に放り込んでいた。正体がバレたことに気が付いた嫁はすんなり男と別れた。満腹になるまで握り飯を食べたから蜘蛛の腹は大きいという。
杵島(きしま)郡白石町福田秀津(ひでつ)では山伏に見破られた化け物が家族を食おうとしたが、山伏が持っていた菖蒲を恐れて逃げ去っている。
<一つ目の大男>
・佐賀県東松浦郡玄海町平尾地区の小山ン坂にある馬乗り石坂という所に出た化け物。
昭和の初め頃、夜中に一人の若者が若者宿(若者が集まる集会所兼宿)へと向かっていたところ、この坂で一つ目玉の大男と遭遇し、金縛りにあった。その大男は4本足で、背丈が7、8尺(約2.1~2.4メートル)もあった。どちらも前に進むことができずにいたが、いつの間にか大男は消えていた。その後もこの大男と遭遇した人は何人かいたという。
<兵主部(ひょうすべ)>
・佐賀県でいう水怪。杵島(きしま)郡橘村(現・武雄市)の潮見神社は河童の主である渋江氏を祀っている。その祖先に兵部大輔島田丸という人がおり、工匠の奉行を務めていた。春日社の大工事の際に使った人形を川に捨てたところ、人形は河童となって害をなした。これを島田丸が鎮めたため、以後、河童を兵主部と呼ぶようになったという。
<貧乏神>
・佐賀県でいう俗言。三養基(みやき)郡北茂安町(現・みやき町)では茶碗を叩くと、貧乏神が寄ってくる。箸がなくなるのは、貧乏神が杖にして屋外に出るためであるという。
佐賀市川副町大詫間(かわぞえまちおおたくま)では晩に口笛を吹くと貧乏神が寄ってくるという。
<船幽霊(ふなゆうれい)>
風もないのにスッスッと近づいてくる船は船幽霊だという。この船をよく見ると、帆を巻く車が帆柱に付いていないことがわかる。船幽霊は魚を焼く臭いを嫌がるとされ、松明(たいまつ)に魚をくべると、船幽霊はすぐ消えてしまうという。
<みそ五郎>
・佐賀県でいう巨人。伊万里市を中心にした自然伝説、地名由来譚。
雲仙岳(長崎県)や背振山(せぶりさん)(福岡県・佐賀県)に腰を掛けて、有明海で顔を洗うほどの大男だとされる。
<磯女(いそおんな)>
・長崎県でいう海に現れる女性姿の妖怪。五島宇久島沖の湊では磯女は乳から上が人の形で、下は幽霊のように流れている(ぼやけている)とされる。いつも磯におり、船を襲うという。また、前から見れば別嬪(べっぴん)だが、後ろ姿を見た人はいないともいう。
・五島列島では磯女は磯幽霊の一種だとされる。美女の姿で海中から現れ、漁夫や釣りに出ている人を海中に誘い込んで溺死させる。
<件(くだん)>
・長崎県に出現した怪物。
鷹島中通ではどこかで件が予言するとされる。牛が人間のように口をきき、流行病(はやりやまい)の襲来や戦などの不幸を予言する。来るべき不幸に備える方法を伝授した件は4~7日くらいで死んでしまうという。
<獣人>
日本の野鳥を研究するために来日していたカナダ人男性が天草町お万が池の近くで長さ40センチ、幅20センチの足跡を発見した。地元では獣人がいるのではないかと噂になり、地元の新聞には記事と足跡の写真が掲載されたという。
<山女(やまおんな)>
・熊本県。山にいる女性姿の妖怪。
・菊池郡虎口村(現・菊池市龍門虎口)に嫁ぎに来た女が三年を経って急に行方不明になった。消えた日を命日とし、三年忌をしていたところへ急に例の女が現れた。「今までどうしていたのか」と問うと、「深葉山から矢筈嶽(やはずだけ)の辺りに棲み、人を食って生きている。山にいるときはこういう姿をしている」と女は言い、身の丈一丈(約3メートル)ばかり、頭に角がある山女の本性を見せたという。
<ヤマワロ>
・熊本県。赤ん坊、もしくは子どもくらいの大きさで、全身に毛が生えている。頭は扁平で、口には蝮(まむし)のような歯がある。指は五本で一本爪、足も長いが、手も非常に長い上、魚や山桃をとる時にはゴムのように伸びる、二倍に伸びるともいう。
<犬神>
・大分県でいう憑き物。インガミ、インガメとも呼ぶ。犬神が憑いているとされる家は犬神持ち、犬神使い、インガミ使い等と呼ばれる。中国、四国、九州に犬神についての俗信は分布しているが、九州では特に大分県が甚だしく多いという。
犬神は一般の人には見えず、犬神使いにしか見えないとされる。そのためか、容姿についてさまざまに語られている。
<子取り>
・大きな袋を背中に担いだ大男であるという。子どもの泣き声を聞きつけるとどこからともなくやって来ては、泣く子どもを背中の袋に放り込み、どこかへ連れて行ってしまうとされる。
<座敷童(ざしきわらし)>
・大分県玖珠(くす)郡九重町、別府市でいう屋内に現れる子ども姿の妖怪。
九重町では2、3歳くらいから5、6歳くらいの子どもの姿をしているという。座敷に現れる子どもの魂とされ、座敷童が一人で来て、スーッと出ていくと不幸になるといわれている。
<魅鬼(さっき)>
・大分県臼杵市(うすきし)野津でいう覚り(さとり)、おもいの類。
魅鬼は鬼の一種で、人間が思っていることは何でもすぐにわかるとされる。高さは2メートルほどで、全身に灰色の毛を生やした痩せた体をしており、口は耳まで裂けて、眼は大きくランランと光っており、頭には一本の太い角が生えた大男だという。
西神野地区の山奥に竹山があり、そこである男が手箕(てみ)を作るために太い竹を火に炙りながら曲げていた。そこへ魅鬼が現れ、男が思っていることを次々と大声で言った。驚いた男は思わず曲げていた竹の片方を放してしまい、竹は魅鬼の体を強くはじいた。驚いた魅鬼は「お前は思わんことをする。大抵の人間は考えながら仕事をするが、お前は変わった人間じゃ。お前のようなわからん奴は食っても美味くなかろう」と言って、逃げて行ったという。
<サルガミ>
サルガミに憑かれると、猩々のように踊り舞い、巫女に祈禱してもらうと素直に落ちる。サルガミは家を守る神で金持ちになるというが、犬神のように他家の長持ちに隠れているというようなことはなかったとされる。坂ノ市にサルガミを祀っていた家があり、この家でサルという言葉を忌んでエンコウと言った。エンコウサマはときどき水中に入っては何日も帰ってこないことがあるという。
<白殿(しろどの)>
昔、臼杵城に稲荷が祀ってあり、その眷属として数千の一族を持つ白狐がいたとも、臼杵坂に三匹の白狐が飼われていたとも伝わる。白狐は殿様にたいそう馴れついており、参観の際には船にもついてきた。護衛も務め、参勤交代の際は必ず五匹の狐が武士に化けて行列に加わり、他の狐たちは行商人や旅人に化けて物見の役を務めたとされる。
<城守狐(しろもりきつね)>
・大分県速見郡日出町(ひじまち)暘谷(ようこく)城の守り神。
慶安年間(1648~52)、木下俊治は由比正雪に口説かれ、謀反陰謀加担の血判を押すが、計画が露見してしまう。この時、暘谷城の抜け穴に棲んでいた狐が謀反発覚について通報したため、城ではこれに応じて対策を練った。藩安泰の祈禱を城下の蓮華寺で七日間修したところ、血判状から木下俊治の名前が消えた。その事件から後、狐は城の守り神として祀られ、今の本丸跡の西側、石垣の下にある赤い鳥居の稲荷神社に祀られているのがその狐であるという。
<棟椿木(とうしゅんぼく)>
とある秋の晩、山の中の集落を一人の旅僧が訪れた。廃寺に泊まると、夜中に「ドーン、ガラガラ。ドーン、ガラガラ」と大きな家鳴りがし、生臭い風が吹き込んできたため、旅僧は仏間へ行き念仏を唱え震えていた。すると外から戸を叩く音がして「トウシュンボクはお宿でござるか」という声がする。「そうおっしゃるはどなたでござるか」という声が囲炉裏の辺りからしたかと思うと「ホクガンのロウエン」「まぁ、おより」と会話し、頭から足先まで毛が生え、眼は鏡のように光っている猩々(しょうじょう)が寺の中へと上がってきた。その後も頭の毛をうち被り、鼻が高く、口は大きく尖り、舌をベラベラさせた「サンチのリョウ」や「サイチクリンのケイ」と名乗る化け物が囲炉裏の側へと上がってきた。しばらく四方山話をしていると、トウシュンボクが仏壇の下に六部(巡礼の僧)がいるから取って食おうと言いだす。それを聞いた旅僧が震えながら一生懸命念仏を唱えていると、一番鶏が鳴いたため、化け物たちは「祭りは明晩にしよう」と言って消え失せた。
・「ホクガンのロウエン」は「北岩の老猿」であるため、北のほうの切り立った岩の下の穴に棲む年老いた猿であるとわかった。
<トウベ>
・大分県でいう憑き物。筋系統の蛇神。
大分県では海岸部にトウベ持ちがいいたという。トウベは甕の中で飼われ、憑かれた人にしか見ないとされる。トウベ持ちは金持ちになるが、縁組は忌避された。嫁入りした女が実家に帰ろうとすると戸口にトウベが下がり邪魔したという話もある。
<ドーメキドン>
赤い顔で鼻は高く、大きな体をしている。風神森に訪れることがあり、通る際には音がする。
<山童(やまわろ)>
・高崎山(大分県大分市、別府市、由布市)や乙原(おとばる)の深山に現れたという怪物。
永正年間(1504~21)に高崎山の麓から赤松谷にあった大森林の皆伐を手伝ったとされる。
・見た目は10歳くらいの子どもに似て、毛は柿色、手は長く、ものも言わずに杣人(そまびと)や炭焼きが伐り倒した大木を軽々とひっかたげて積み場へ運ぶ。
<ガラッパ>
・宮崎県宮崎郡田野町(現・宮崎市田野町)、北諸県郡高崎町(現・都城市高崎町)、えびの市でいう水怪。
・えびの市ではガラッパに引き込まれると、引き込まれた者はなかなか見つからず、いなくなった場所から遠くない川底に端座させられているとされる。ガラッパに引き込まれる前には、その者に雑魚がたくさんたかるという。
<カリコボウズ>
・宮崎県児湯郡西米良村(にしめらそん)でいう山の怪。狩子坊主、カリコボーズとも表記。
5、6歳くらいの子どものような姿をしているというが、主に音や声についての話が多く語られる。10月から11月頃になると、カリコボウズは川から上がって山に入る。西米良村では冬になると、「ホーイ、ホーイ、ホーイ」という声が聞こえてくることがあるが、これは山の尾根伝いに山頂へ上がっていくカリコボウズの声であるという。
<ガワッパ>
・宮崎県西臼杵(にしうすき)郡高千穂町や宮崎郡清武町(現・宮崎市清武町)でいう水怪。
・ガワッパはケツゴを抜くという。また、ガワッパの頭には皿があり、この皿に水があると千万力を発揮するとされている。
<川の坊主>
山奥の村に炭焼きをする山師がいた。ある日、村で宴会があり、薄暗い中を山のほうへ帰っていると、川に差し掛かった道の真ん中に坊主頭の男の子が立っている。男の子は「山師どん、相撲を取ろうや」と言うと、いきなり山師の脚に飛びついた。山師は飛びついてくる男の子を取っては投げ、取っては投げしているうちに、男の子の数は15、6人に増えていた。さらに、男の子の腕を取るとするりと腕が伸びるため相撲が取りにくい。山師は一晩中相撲を取り、夜明けになると男の子は姿を消していた。
<狐の太郎座衛門>
・宮崎県延岡市愛宕(あたご)山麓の柚子ガ谷に棲む化け狐。村人たちから太郎左、もしくは太郎左狐と呼ばれる。
太郎左が頭に芋蔓(いもづる)を2、3回降りかけて琵琶法師に化けた。それを目撃していた若者が琵琶法師の後を追うと、農民の家へと琵琶法師は入って行った。戸の節穴から覗いていた若者であったが、ふいに「危ないじゃないか」と声を掛けられた。戸の節穴だと思っていたものは馬の尻の穴であった。
<キンタカコウ>
・キンタカコウは犬神のようなもので、人に食らいつくとされるものの、犬神よりも位は高いという。子どもがキンタカコウに憑かれると大人でも知らないようなことを口走る。また、キンタカコウは家筋によって憑くとされ、キンタカコウに憑かれた者は風持ちと呼ばれる。
風持ちであるが、キンタカコウに憑かれた人のみの呼称ではないようで、犬神持ちも風持ちと呼んでいる。ヒジリ神と呼ばれる祈禱師がおり、ヒジリ神たちは風持ちを落とすという。
<ヒダリ神>
・宮崎県東臼杵郡北浦町(現・延岡市北浦町)でいう餓鬼憑きの類。ヒダリとはひだるい、ひもじい、空腹になるの意。
山仕事や狩猟などで山に入ったら、昼食やご飯を一口分、飯一粒でも良いので、必ず残しておかないとヒダリ神に取り憑かれるとされる。ヒダリ神が取り憑くと、急に力が出なくなったり、動けなくなったりする。そういう状態に陥った際は残しておいた飯を食べれば元気になるという。
<日向尾畑新蔵坊(ひゅうがおばたしんぞうぼう)>
・『天狗経』に記されている四十八天狗の一つ。
<ヒョウスボ>
・宮崎県北部でいう水怪。
西臼杵郡日之影町鹿川では、ヒョウスボは夕方に川へ来て、夜明けには山へ上がっていく。それに伴い、水神になったり、山の神になったりする。そのため、夕方にキュウリを採りに行くものではないといい、採った時は一番に水神様に供えるものだという。
ヒョウスボの通り道であるウジがあり、ヒョウスボはオバネ(峰や山頂)を通るものだと伝える。
<ヒョウスンボ>
・宮崎県児湯郡木城町、宮崎郡佐土原町(さどわらちょう)(現・宮崎市佐土原町)、東諸県(ひがしもろかた)郡国富町、児湯郡高鍋町、西臼杵郡日之影町でいう水怪。
・西臼杵郡日之影町では、ヒョウスンボは水神様の使いだともいわれ、人目につかない得体の知れないものとされている。ヒョウ、ヒョウと鳴き、春の彼岸から秋の彼岸までは川に棲み、秋の彼岸からは山に棲みつく。頭に皿があり、皿に水がなくなると何もできなくなるため、「ヒョウスンボに出遭ったら、逆相撲を取れ」と言っていた。子どもが川へ泳ぎにいく時、「気をつけんとヒョウスンボにケツゴを取られるぞ」と親がよく脅かしていたという。
<ヒョウスンボウ>
・宮崎市のヒョウスンボウは「ひょいー、ひょいー、ひょういー」と鳴き、高鍋町のヒョウスンボウは「ヒュルル、ヒュルル」と鳴くとされる。雨がショボショボ降る晩には決まって、堀脇の茂みからヒュルル、ヒュルルと鳴きながら、黒い影が次から次へと飛ぶように出てきて消えていたという。
<ヒョース坊>
ヒョース坊は秋頃、川から尾根伝いに山に登るとされ、春先までは山で過ごす。家代、立岩、黒葛原にはヒョース坊の通り路と伝えられる場所があるといい、昭和20年代(1945~54)頃までは山に登るヒョース坊の声が聞こえていた。山に登る時、ヒョース坊は仲間同士で声を掛け合い、相互に場所を知らせ合うとされる。
・ヒョース坊は人に姿を見せることはなく、たとえ姿を見ても村人はそのことを口にしたがらない。ヒョース坊に関わると祟りが生じたり、仕返しされるからだという。
<ぼんぜん猿>
・宮崎県宮崎郡佐土原町でいう猿の怪。ぼんぜん猿とは古猿、年老いた猿の意。
毎晩、堤の土手にじんきち(糸車)を抱えた変化ものが出るという噂があった。ある狩人がこのじんきち変化を仕留めようと鉄砲を撃ってみたが、じんきち変化はニカッと笑って逃げて行ってしまう。そこで、仲間内で腕がたつと評判の女猟師のヤマオさんに相談すると、じんきちの車の軸を狙うようにと助言された。助言どおり、軸を狙って撃つと、じんきち変化は笑わず、ガラガラガラと気味の悪い音を立てて逃げて行った。
<鹿児島県>
<おさん狐>
・鹿児島県曽於(そが)郡(現・曽於市)でいう古狐。
志布志市の宝満寺の和尚が夏井まで法事に行っての帰り、おさん狐が棲んでいる天神原を通った。その和尚は酒と角力が好きであった。酒を飲み、お土産の油揚げを提げて帰っていた和尚を見て、おさん狐は相撲取りに化けて、和尚に挑んだ。その頃、寺では和尚の帰りが遅いため、小僧の珍念が迎えに行くことにした。珍念が天神原に着くと、和尚が松の大木と角力を取っており、お土産はなくなっていた。
<かじゃねこ>
・鹿児島県曽於郡志布志町(現・志布志市)でいうあの世のお迎え、火の車。
悪人が死ぬと、かじゃねこといって、火の車が迎えに来るという。
<ガラッパ>
・鹿児島市でいう水怪。
鹿児島市ではガラッパを見た人は死ぬとされている。「ガラッパの頭の皿を打たない」と約束した人が約束を破って、皿を打ったため、次々と出てくるガラッパたちに相撲を挑まれて精神に異常をきたしてしまったという話がある。
<ガワンバッチョ>
4、5歳の子どものような格好をしており、頭頂部は禿げて皿を載せているように見える。このように伝わる一方、ガワンバッチョは姿を見せず、声だけが聞こえるともいう。牛にはガワンバッチョの姿が見えるため、ガワンバッチョがいると前へ進もうとしないとされる。
<ガンバッチョ>
・鹿児島県出水市でいう水怪。
身長は1メートルから1.2メートル、7、8歳の子どもほどの大きさであるという。猿に似ているものの猿ではなく、猿はガンバッチョを見ると摑み合いの喧嘩をするため、猿回しは猿に袋を被せて川を渡る。
<ヤコ>
・鹿児島県でいう憑き物。人に憑く狐をヤコと呼び、狐憑きをヤコツキと呼ぶ。憑いたヤコを落とすのはヤコバナシと呼ぶ。
<山童(やまわろ)>
・薩州(鹿児島県)でいう山中にいる人型の妖怪。
山の寺という所は山童が多い。その形は大きな猿に似ていて、毛は黒く、常に人のように二本足で立って歩く。
・杣人(そまびと)が山深くまで入って、大きな木を伐り出し、峰を越え、谷を渡らないといけないような状況の時、山童に握り飯を与えて頼めば、どんな大木であろうと軽々と引っ担げて杣人の手助けをしてくれる。
・山童のほうから人に危害を加えることはないが、こちらから山童を打つ、もしくは殺そうと思うと、不思議なことに祟りがある。発狂したり、大病を患ったり、火事を被ったりなどさまざまな災害が起こり、祈祷や医薬も効き目がない。それゆえに、人は皆山童を大いに恐れ敬って、山童に手を出すことはないという。
<沖縄県>
<アカガンター>
・沖縄県でいう家に現れる子どもの妖怪。枕返しの類。
赤い髪をした赤ん坊の姿をしている。古い家の広間に出る、柱の陰や襖や障子の隙間から出るなどともいう。枕をひっくり返したり、寝ている人を押さえつけたりする。全身真っ赤なため、火事の前触れと解釈されることもある。
<アカナー>
・沖縄県でいう月の影模様の由来譚。
アカナーは純真な性格をしており、全身が真っ赤な猿に似た姿とも少年ともいわれている。一緒に暮らしていた悪賢い猿の計略にはまり、猿に殺されてしまうと泣いていたところを月によって天上世界へと引き上げられた。以来、月への恩に報いるために水を汲んでいるという。沖縄県では月の影の模様は、月のために水を汲んだ桶を担ぐアカナーの姿であるという。
<アカングァーイユ>
・赤子魚の意味。沖縄本島および、周辺離島でいう人魚の顔。顔、体、胴体までは人間であり、その後ろは鰭(ひれ)も尾びれもある魚であるという。名前は、人間の赤ん坊に似た泣き声に由来する。
<オジーマジムン>
・沖縄県山原地方(県北部)の家に棲みつくとされる妖怪。家の中から変な歌声が聞こえたり、イラブチャー(ナンヨウブダイ)が生きたまま風呂場で跳ねていたりするのは、たいていオジーマジムンの悪戯であるという。
<キジムナー>
・沖縄県でいう古木を棲み処とする精霊、妖怪。
主にガジュマルやウスクの古木に棲みついているとされ、赤毛の童のような姿をしている。悪戯好きであり、どんな隙間も抜けることができるため、屋内に侵入して寝ている人を押さえつけることがある。
魚獲りがうまく、地上を歩くように水面を歩いては、蟹や魚の目玉を取り食らう。キジムナーと親しくなることで、ともに獲った大量の魚を売って金持ちになることができる。毎晩魚獲りに誘われるため、嫌気がさしてキジムナーを追い払ってしまうと貧乏になる。ましてや、キジムナーの棲み処である古木を焼いたり、伐り倒したりすると、家を焼かれる等の仕返しをされる。「魚はもういらないから、他に金持ちになる方法があれば教えてくれ」と伝えたところ、黄金の入った甕(かめ)をもらったという話もある。
<後生(ぐそー)からの使者>
・沖縄県のあの世の使い。
二人組で、夜に機(はた)を織っていた美女のマブイ(魂)を抜き取るが、偶然居合わせた美女の夫により、マブイを取り返されてしまう。夜に機を織るとあの世の人にマブイを取られるという。
<ゴリラ女房>
・沖縄県中頭(なかがみ)郡読谷村儀間(よみたんそんぎま)の民話。
とある探検隊の若者が未開の島で大きなゴリラに捕まった。群れのボスであるゴリラとまる1年同棲生活を送り、ゴリラとの間に子どもを設けた。しかしいつかはここから逃げねばと若者は考えており、ゴリラたちに気づかれないよう脱出用のいかだを作り上げた。完成したいいかだで逃げようとしたところをボスゴリラに見られてしまった。ボスゴリラは怒り、我を忘れて我が子の両足を掴み、思わずその子を引き裂いてしまったという。
<ザー>
・沖縄県宮古島でいう女性姿の妖怪、幽霊。死霊とも呪術によって生きながら化け物となった女性ともされる。
<ザン>
<椎の木の精>
・昔、大宜味村喜如嘉に一人の娘がおり、ある日、山に椎の実を拾いに出かけた。山奥まで行ったが、椎の実がないために早めに帰宅にかかった。しかし、あまりにも山奥に入ったため道に迷ってしまい、日が暮れて進むこともできなくなった。娘は一夜を明かすために大きな古木の下へと足を延ばした。夜半と思われる頃、大勢の人々が踊っているような気配がしたため、娘は何気なく頭を上げてみると、周辺の様子が変わっていた。青々とした芝の上で緑の衣を着た人々が踊っており、娘は驚きのあまり、居住まいを正した。今まで自分が休んでいた大きな古木もなくなっており、娘がその場から逃げようとすると、後ろから大きな猪が追いかけてきた。娘はますます狼狽(うろた)えて、踊っている座の中へと入り込んでしまった。するとそこに白いひげを長く垂らした翁がおり、娘を抱き上げた。夜が明け、娘は気が付くと元の山におり、大木の枝の股にしがみついて寝ていた。
<シェーマ>
・沖縄県国頭(くにがみ)郡本部町、国頭郡恩納村(おんなそん)に出る妖怪。キジムナーの一種、もしくは別名の一つと紹介されることがある。
本部町のシェーマは顔が赤く、髪がぼさぼさで、背が低い。シェーマは木に棲み、夏は川で漁をしているが、寒がりなため、冬は漁に行かず、北風が吹くような所へも行かず、北風が吹くような所へも行かず、山に行くという。何匹かで小屋にやって来ては釜口で火にあたる。少しでも人の気配を感じるとぱっといなくなってしまう。
<シチマジムン>
・沖縄県山原地方、島尻郡、久高島でいう魔物、化け物。シチともジームンとも呼ばれる。
・シチマジムンは形の見えないぼんやりとした雲か風のようなもので、軽快な動作をするものであるという。板戸の節穴のような所からも出入りできるのみならず、その中から人を連れ出すこともできるという。1週間も2週間も人を連れ出して迷わし、時には墓穴の中に押し込める。これをシチニムタリユン、もしくはムンニムタリユンと呼ぶ。
・シチマジムンは真っ黒で山道を歩くと前に立ち塞がって人の邪魔をするものだという。クルク山のシチマジムンが山原では有名だとされる。
<セーマ>
・沖縄県国頭郡今帰仁村古宇利島や羽地内海やがんな島に出る妖怪。名前は精魔の意。キジムナーの一種、もしくは別名の一つとされる。
古宇利島のセーマは赤子のように小さい体をしているとされる。目は丸く、赤い髪の毛をボサボサと振り乱している。
<タチッチュ>
・沖縄県山原地方でいう子攫いの怪。
タチッチュという名前の漢字表記は嶽人としている。
夕方、山から杖をついて下りてきては子どもを攫っていく。非常に力が強い若者がタチッチュと角力をとっても勝つ者はいないとされている。
<壺のマジムン>
・沖縄県でいう化け物。
山羊に化けては、通る人を悩ませ、数えきれないほどの人命を奪った。
<仲西(なかにし)>
・沖縄県でいう妖怪。
晩方に、那覇と泊の間にある塩田潟原(かたばる)の潮渡橋の付近で「仲西ヘーイ」と呼ぶと仲西が出てくるという。
<ピーシャーヤナムン>
・沖縄県でいう山羊の妖怪。山羊の幽霊。
山原地方に棲む山羊の魔物で、幻術で小さい白山羊をたくさん出現させ、夜道を行く人の股の下を潜らせて、驚かせる。股を潜られた人は精気を抜かれて死んでしまうとされている。
<ヨナタマ>
ヨナタマは顔が人間で、体が魚の姿をしており、よくものを言うとされる。
<鹿児島県(薩南諸島)>
<アモロウナグ>
・鹿児島県奄美大島でいう天女。樹木が鬱蒼と生い茂る渓谷の淵や滝壺の水溜まりで水浴びをする。危害を加えられる話はないが、恐れられるという。
<醫王島光徳坊(いおうがしまこうとくぼう)>
・『天狗経』に記されている四十八天狗の一つ。鹿児島県硫黄島の天狗。
<磯坊主(いそぼうず)>
・鹿児島県吐噶喇列島でいう水怪。
磯坊主は頭の頂に皿があり、そこに水が入っている。海にも山にも棲んでおり、よく人に祟る。
<兎の怪>
・鹿児島県大島郡大和村でいう人食い兎。猿神退治譚の類。
ある島で毎晩、餅一組と人間を一人ずつ連れ去られていた。村の人がだいぶ連れ去られていたある日、勇気ある二人が餅を叺(かます)(藁筵(わらむしろ)を二つ折りにして作った袋)に担いで持っていったところ、白い兎がたくさん現れ、口々に何か唱えながらしきりに東に向かって頭を下げて拝んでいた。その様子から、兎が坊さんになって村に来ては人間と餅を食べていたことが判明した。犯人の正体を知った二人は婆さんが飼っている大犬を借りてきて、餅を食べていた兎を一匹ずつ食い殺させた。以来、村の人を盗られることはなくなった。
<海鹿(うみしか)>
・鹿児島県屋久島の海に現れる怪物。
首は馬に似ている大きく黒いもの。鹿が走るような速さで泳ぎ、人を食べるとされる。
<ガラッパ>
ガラッパは石に投げつけても死なないが、木の根に投げつけると死ぬとされる。ガラッパと相撲を取りはじめる際、ガラッパは「俺の皿にかもうな」、人間は「俺の尻にかもうな」と言ってから相撲を始める。溺れた人間の肛門が引っ込んでいるのは、ガラッパとの相撲に負け、ガラッパに尻を抜かれたためだという。
・タギリ川へある人が草刈りに行った。「相撲取ろうから、来い、来い」とガラッパに言うと、ガラッパが来て相撲を取った。ガラッパは何度も投げつけたが、続々とかかってきてついにはガラッパにその人は負けてしまった。その後、その人は精神に異常をきたしてしまい、ガラッパを斬るために常に刀を差して歩くようになったという。
<ガワッパ>
・鹿児島県屋久島でいう子ども姿の水怪。
小坊主に化けて、大瀬という場所へ誘う。人が溺れて死ぬのは、ガワッパに尻子玉を抜かれるためであるという。
<鬼界ヶ島伽藍坊(きかいがしまがらんぼう)>
・『天狗経』に記されている四十八天狗の一つ。鹿児島県種子島や吐噶喇(とから)列島の天狗。
<ケンムン>
・鹿児島県奄美大島や徳之島でいう怪物。
・ガジュマルやアコウの木を棲み処とする点や、ケンムンマチといって火を灯す点などから沖縄県のキジムナーの類として受け取られたり、相撲を取ることを好む点、頭に力水もしくは油を溜めておく皿がある点などから河童の類とも解釈されたりするが、他の妖怪との共通点を見ていくのであれば、十島村のガラッパや熊本県のヤマワロ、宮崎県のヒュース坊に四国の芝天はもちろんのこと、天狗や狐に鎌鼬(かまいたち)、中国大陸のトッケビやマレーシアに伝わる木株の精と共通するところもある。そのため、一概に具体的な怪異妖怪の仲間とは呼べず、ガジュマルやアコウの木を棲み処とする小柄な人型の怪物、あるいは陸上で遭遇する妖怪変化の総称としてケンムンという名前は用いられている印象を受ける。
・下野敏見氏によれば、奄美群島全域のケンムン話を採集したらおそらく何万語にも達するだろうと見られている。それだけケンムン話は多く、枚挙にいとまがない。
・ケンムンの姿であるが、人型の場合、2歳から8歳くらいの子どものようだと形容される。
・河童が大陸から日本に渡ってきた、大工が術をかけた藁人形が河童になった、入水した平家が河童となった、といった起源譚があるように、ケンムンにもいくつか起源譚が伝えられている。
ジャワ島がケンムンの原産地であり、1億6000万年の間に奄美までやって来た。大工の神であるテンゴの神が呪いをかけた藁人形がケンムンになった。継母にいじめられていた兄弟が太陽神テダクモガナシによってケンモンとウバに変えられた。美しい妻を奪うためにユネザワを殺したネブザワという男が神によって半人半獣のケンモンに変えられたといった話がある。
<ブナガヤー>
・鹿児島県奄美大島でいう小さい人型の妖怪。
赤毛であり、大きさは7、80センチほどだという。チョコチョコと走り、わずかの間走って歩く。川の波打ち際で漁をするとされる。
<目一つ五郎>
・鹿児島県熊毛郡南種子町でいう一つ目の人食い鬼。
<九州・沖縄広域>
<九千坊(くせんぼう)>
・中国の黄河に棲でいた河童一族の親分。
大昔、黄河を下り、黄梅若という怪物の襲撃から逃れ、海を泳いで渡って九州の八代の浜(熊本県八代市)に辿り着き、九州一の大河である球磨川に棲みついた。河童一族の9000匹という数は、黄河にいた頃からとも、球磨川に棲みついてから増えたともいわれている。
ある時、いたずらをした河童が村人に捕らえられ、「この大石が水の流れですり減って消えるまではいたずらはしない」と誓い、そして年に一度、祭りをしてもらいたいと請うた。その祭りは、河童が捕らえられ祭りを願った5月18日と定め、「オレオレデーライタ川祭」と名づけて毎年開催されることになった。
・福岡県と大分県の県境にある英彦山の高住神社に祀られている九州の天狗の首領。英彦山は修験霊場として全国的に名高い場所である。英彦山豊前坊は日本八大天狗の一つであるほか、『天狗経』の四十八天狗にもその名が記されており、全国的に有名な天狗の代表として頻出する。
<その他(物語・絵画など)>
<アマビエ>
・京都大学附属図書館に所蔵されている瓦版に書かれているもの。
肥後国(熊本県)の海中に毎夜光るものが出るため、役人が見に行くと、口は尖り、体には鱗がある、長髪の三足獣が現れた。「私は海中に住むアマビエと申す者である。当年より六ヶ年の間は諸国豊作であるが、それに伴い、病も流行る。早々に私を写して人々に見せるように」と言って、海中へと潜った。
<尼彦(あまびこ)>
・肥後国(熊本県)に尼彦が現れたと書いた資料がいくつか見受けられる。熊本御領分真字郡や青沼郡磯野浜に猿のような声で人を呼ぶ光る怪物が現れた。柴田という者が見届けに行くと猿に似た三足獣がおり、「我は海中に住む尼彦と申す者である。当年より六ヶ年は豊作であるが、諸国に病が流行り、人間が六分通り死ぬ。だが、我の姿を書き写したものを見れば、病を免れる。この事を人々に知らせよ」と告げて消え去ったとされる。
<尼彦入道(あまびこにゅうどう)>
・日向国(宮崎県)イリイ浜(架空の地名)沖に現れたとされる。熊本士族の柴田右太郎に「六年は豊作の年となるが、悪病が流行る」と告げ、入道の姿を朝夕見れば、難を逃れられると伝える。
<アリエ>
・明治9年(1876)6月17日付『山梨日日新聞』、6月30日付『長野新聞』に記されているもの。
肥後国(熊本県)青鳥郡(架空の地名)に現れたとされる。夜な夜な海中から現れては往来を歩き回る怪物がいた。気味が悪く、誰も寄り付かなかったが、旧熊本藩士がこの怪物に近づいたところ、怪物は語りはじめた。自分はアリエといって、海中鱗獣の首領である。6年の間は豊作だがコロリ(赤痢)が流行し、世の人の六分通りが死ぬ。自分の姿を描き、朝夕拝むことで死を免れると告げたという。
噂は広まり、肥後では各家にアリエを描いた紙が貼られている。
<海人(かいにん)>
・形は人の体と違わないが、手足に水かきがあり、全身に肉皮が垂れ、まるで袴を着ているように見える。陸地に上がっても数日の間は死なず生きている。
<重富一眼坊(しげとみいちがんぼう)>
・狐が化けたもの。高くそびえる鼻、耳元まで裂けた鰐口、曇りのない鏡のように光り輝く一眼をした、見上げるような大山伏の姿をしている。
<三つ眼の旧猿坊(みつめまなこのきゅうえんぼう)>
・狐が化けたもの。三つ眼の化け物。猿1000年を経て狒々(ひひ)となり、狒々万年を経て猴阿弥(こうあみ)となる、三つ眼の旧猿坊は近頃立身出世して、この猴阿弥となったのだと自称する。
『中国の鬼神』
著 實吉達郎 、画 不二本蒼生 新紀元社 2005/10
<玃猿(かくえん)>
<人間に子を生ませる妖猿>
・その中で玃猿(かくえん)は、人を、ことに女性をかどわかして行っては犯す、淫なるものとされている。『抱朴子』の著者・葛洪は、み猴が八百年生きると猨(えん)になり、猨が五百年生きると玃(かく)となる、と述べている。人が化して玃(かく)になることもあるというから、普通の山猿が年取って化けただけの妖猿(ばけざる)よりも位格が高いわけである。
古くは漢の焦延寿の愛妾を盗んでいった玃猿の話がある。洪邁の『夷堅志』には、邵武の谷川の渡しで人間の男に変じて、人を背負って渡す玃猿というのが語られる。
玃猿が非常に特徴的なのは、人間の女をさらう目的が「子を生ませる」ことにあるらしいこと、生めば母子もろともその家まで返してくれることである。その人、“サルのハーフ”はたいてい楊(よう)という姓になる。今、蜀の西南地方に楊という人が多いのは、みな玃猿の子孫だからである、と『捜神記』に書かれている。もし、さらわれて玃猿の女房にされてしまっても、子供を生まないと人間世界へ返してはもらえない。玃猿は人間世界に自分たちの子孫を残すことを望んでいるらしい。
<蜃(しん)>
<蜃気楼を起こす元凶>
・町や城の一つや二つは、雑作なくその腹の中へ入ってしまう超大物怪物だそうである。一説に蛤のでかい奴だともいい、龍ともカメともつかない怪物であるともいう。
日本では魚津の蜃気楼が有名だが、中国では山にあらわれる蜃気楼を山市。海上にあらわれる蜃気楼を海市と称する。日本の近江八景のように、中国にも淄邑(しゆう)八景というのがある。その中に煥山(かんざん)山市というのがあると蒲松齢(ほしょうれい)はいっている。
その煥山では何年かに一回、塔が見え、数十の宮殿があらわれる。6~7里も連なる城と町がありありと見えるのだそうである。ほかに鬼市(きし)(亡者の町)というのが見えることもあると蒲松齢が恐いことを言っている。
『後西遊記』には、三蔵法師に相当する大顛法師半偈(たいてんほうしはんげ)の一行が旅の途中、城楼あり宝閣ありのたいへんにぎやかな市街にさしかかる。ところが、それが蜃気楼で、気がついてみると一行は蜃の腹の中にいた、という奇想天外な条がある。それによれば、途方もなく大きな蜃が時々、気を吐く。それが蜃気楼となる。その時あらわれる城や町は、以前、蜃が気を吐いては吸い込んでしまった城や町の幻影だ、というのである。
<夜叉(やしゃ) 自然の精霊といわれるインド三大鬼神の一つ>
・元来インドの鬼神でヤクシャ、ヤッカ、女性ならヤクシニーといい、薬叉とも書かれる。アスラ(阿修羅)、ラークシャサ(羅刹)と並んで、インドの三大鬼神といってもよい。夜叉はその三大鬼神の中でも最も起源が古く、もとはインドの原始時代の“自然の精霊”といっていい存在だった。それがアーリヤ民族がインドに入って来てから、悪鬼とされるようになった。さらに後世、大乗仏教が興ってから、夜叉には善夜叉(法行夜叉)、悪夜叉(非法行夜叉)の二種があるとされるようになった。
大乗教徒はブッダを奉ずるだけでなく、夜叉や羅刹からシヴァ大神にいたるまでなんでもかんでも引っぱり込んで護法神にしたからである。ブッダにしたがい、護法の役を務める夜叉族は法行夜叉。いぜんとして敵対する者は非法行夜叉というわけである。
・夜叉は一般に羅刹と同じく、自在に空を飛ぶことが出来る。これを飛天夜叉といって、それが女夜叉ヤクシニーであると、あっちこっちで男と交わり、食い殺したり、疫病を流行らせたりするので、天の神々がそれらを捕えて処罰するらしい。
・安成三郎はその著『怪力乱神』の中に、善夜叉だがまあ平凡な男と思われる者と結婚した娘という奇話を書いている。汝州の農民王氏の娘が夜叉にさらわれてゆくのだが、彼女を引っかかえて空中を飛ぶ時は、「炎の赤髪、藍色の肌、耳は突き立ち、牙を咬み出している」のだが、地上に下り、王氏の娘の前にいる時は人間の男になる。
・人の姿をして町の中を歩いていることもあるが、人にはその夜叉の姿は見えないのだという。
・王氏の娘は、約束通り2年後に、汝州の生家に帰された。庭にボヤーッと突っ立っていたそうだ。この種の奇談には、きっと娘がその異形の者の子を宿したかどうか、生家へ帰ってから別の男に再嫁したかどうかが語られるのが普通だが、安成三郎はそこまで語っておられぬ。『封神演義』に姿を見せる怪物、一気仙馬元は夜叉か羅刹だと考えられる。
・『聊斎志異』には「夜叉国」なる一篇がある。夜叉の国へ、広州の除という男が漂着すると、そこに住む夜叉たちは怪貌醜悪だが、骨や玉の首輪をしている。野獣の肉を裂いて生で食うことしか知らず、徐がその肉を煮て、料理して食べることを教えると大喜びするという、野蛮だが正直善良な種族のように描写される。玉の首環を夜叉らが分けてくれ、夜叉の仲間として扱い、その頭目の夜叉にも引きあわせる。徐はその地で一頭の牝夜叉を娶って二人の子を生ませるというふうに、こういう話でも決して怪奇な異郷冒険談にならないところが中国である。
夜叉女房と二人の子を連れて故郷へ帰ると、二人の子は何しろ夜叉の血を引いているのだから、強いのなんの、まもなく起こった戦で功名を立て、軍人として出世する。その時は除夫人である牝夜叉も一緒に従軍したそうだから、敵味方とも、さぞ驚動したことだろう。その子たちは、父の除に似て生まれたと見えて、人間らしい姿形をしていたようである。
<羅刹(らせつ) 獣の牙、鷹の爪を持つ地獄の鬼>
・インドの鬼神、ラークシャサ。女性ならラークシャシー。夜叉、阿修羅と並んで、インド原産の三大鬼神とされる。阿修羅は主として神々に敵対し、羅刹は主に人類に敵対する。みな漢字の名前で通用することでも明らかなように、中、韓、日各国にも仏教とともに流入し、それぞれの国にある伝説、物語の中に根づいている。
日本でも、「人間とは思えない」ような凶行非行を働く時、「この世ながらの夜叉羅刹……」と形容する。悪いことをすると死後地獄へゆくとされ、そこにたくさんの鬼がいて亡者をさんざん懲らしめるというが、その“地獄の鬼”こそ阿旁房羅刹と呼ばれる羅刹なのだ。
『焔魔天曼荼羅』によると十八将官、八万獄卒とあって、八万人の鬼卒を十八人の将校が率いていて、盛んにその恐るべき業務を行なっているという。日本、中国の地獄に牛鬼、馬鬼と呼ばれる鬼たちがいると伝えられるもの、みな羅刹なのだ。
中国の『文献通考』によれば、羅刹鬼は「醜陋で、朱い髪、黒い顔、獣の牙、鷹の爪」を持っているという。『聊斎志異』には「羅刹海市」という一篇があり、どこかの海上に羅刹の国があることになっている。そこでは、われわれのいう“醜い”ということが“美しい”に相当し、“臭い”ということが、“いい匂い”に相当する。
中国人を見ると逆に「妖物だ」といって逃げる。そこには都もあり、王もいるのだが、身分が高いほど醜悪であった。国は中国から東へ二万六千里離れている。神々や鮫人(こうじん)たちと交易していて、金帛異宝の類を取り引きしていた。
この「羅刹海市」では他国から来た者を、即座に取って食うようなことはしないようであるが、中国の内外に来ている(?)羅刹はもちろん人さえ見れば取って食らう。『聶小倩』という小説によると、羅刹は長寿だが、やはり死ぬこともあり、骨を残すこともあるらしい。ところがその骨の一片だけでも、そばにおいていると心肝が切り取られ死んでしまう。また、羅刹も夜叉もそうだが、男性は醜怪だが女性は妖艶な美女と決まっていて、その美色を用いて人間の男を誘惑し、交わり、そのあとで殺して食う。
<張果老(ちょうかろう) 何百歳なのかわからなかったという老神仙>
・その頃の老翁たちで張果老を知っている者は、「彼はいったいいくつじゃろう、わしらの祖父の頃から変わらないのじゃ」と噂していたという。色々な仙術を使うばかりか、奇仙中の奇跡であった。帝王たちに尊信され招かれると、うるさがって死ぬくせがあった。唐の太宗も、その次の高宗も、召し出そうとしたが死んだ。恒州の中条山に隠れたっきり、下りて来なかったこともあった。
則天武后は特に執拗で、「どうあっても来い」と強制した。張果老はいやいやながら山から連れ出されたが、妬女廟のところまで来かかると死んだ。真夏の最中なので、遺骸はすぐに腐敗して蛆が発生した。則天武后もそれを聞いてやっとその死を信じた。
ところがほどもなく、恒州で張果老が生きている姿を何人も見た人があった。唐の玄宗は則天武后よりあとで帝位についた天子で、張果老が生きていることを知ると裴唔(はいご)という侍従を遣わし、「何がなんでも召し連れて来い」と命じた。裴唔が張果老に会うと、また悪いくせを出して死んでしまった。ざっとそんな具合であった。
列仙伝などで仙人たちを紹介する文章には、必ず生地も、来歴も、字や称号も書いてあるのだが、この奇仙は張果と名乗り、何百年生きているのか分からないので、張果老と敬称がついているだけである。
・彼が汾州や晉州あたりまで出遊する時、乗っていくロバも、彼が奇仙であることの証明であった。それは“紙製のロバ”であった。見たところ、普通の白いロバなのだが、一日に数千里も踏破して疲れを知らない。目的地へ着くと、張果老はそのロバを折り畳んで、手箱の中へしまっておく。再び乗る必要が生じた時は、出して地面に広げて、口に含んだ水を吹きかけるとムクムクと立体化して白いロバになるので、またがって出発する。これなら、飲ませる水も食わせる飼葉も、つないでおく杭もいらないし、盗まれる恐れもないわけだ。
玄宗皇帝の使者・裴唔が会った時、張果老はコロリと倒れて絶命してしまったのであるが、裴唔はこの老仙人がチョイチョイ死ぬくせがあることをわきまえていて、慌てず騒がなかった。死体に向かって恭しく香をたいて、お召しの旨を伝えた。すると張果老はヒョッコリ起き上がって礼を返した。人を馬鹿にした老爺。
・張果老はやっと重い腰を上げ、今度は死にもしないで上京する。まったく厄介な老爺。
玄宗は張果老を宮中にとどめて厚遇を極めた。そうなると張果老は不愛想ではなく、よぼよぼ老人から忽ち黒髪皓歯の美男子に若返って見せたり、一斗入りの酒がめを人間に化けさせて皇帝の酒の相手をさせたり、けっこうご機嫌を取り結ぶようなこともするから、おもしろい。
この宮中生活の間に張果老は、皇帝や曹皇后に大きな建物を移動させたり、花の咲いている木に息を吹きかけて、一瞬のうちに実をみのらせた、という話がある。
・玄宗はますます張果老を尊び、通玄先生という号を授けたり、集賢殿にその肖像画を掲げたりした。それでいて張果老は自分の来歴、素姓は決して語らない。どんなもの知りの老臣に聞いてもわからない。ここに葉法善(しょうほうぜん)という道士があった。
皇帝に向かって密かに申し上げるには、「拙道は彼が何者であるかを存じております。しかし、それを口外いたしますと即刻死なねばなりませぬ。その時、陛下が御自ら免冠跣足(めんかんせんそく)し給い、張果老に詫びて、拙道を生き返らせて下さいますのなら申し上げましょう」
一言いうのに命がけである。むろん玄宗は「詫びてやる、生き返らせてつかわすから申せ」と迫った。葉法善は姿勢を正して、「しからば申し上げます。張果老はもとこれ人倫にあらせず、混沌初めて別れて天地成るの日、生まれ出でたる白蝙蝠の精……」といいかけて、バッタリ、床に倒れて息が絶えてしまった。
・玄宗は、慌てて張果老に与えてある部屋に行き、免冠跣足、つまり王冠を脱ぎ、跣足(はだし)になって罪人の形を取り、「生き返らせてくれ」といった。
「かの葉法善という小僧は口が軽すぎます。こらしめてやりませぬと天地の機密を破るでしょう」と張果老は頑固爺さんを決め込んでいる。玄宗は繰り返して、「あれは朕が強制して、むりやりしゃべらせたのだから、今度だけは許してやってくれ。頼む」と懇請した。
仙人たりとも、天子に「頼む」とまでいわれては、拒むことが出来ない。張果老は、“紙ロバ”にするように口に含んだ水を吹きかけて、葉法善を生き返らせてやった。
・この道士が、何ゆえ張果老の本相を知っていたのかは、仙人伝でも語られない。張果老を加えて八人の仙人を「八仙」といい、それらの活躍する物語『東遊記』では、いたずら小僧仙人の藍采和(らんさいわ)が、張果老のことを「あの蝙蝠爺さん」と呼んでいる部分がある。八仙のうちで藍采和一人だけが少年で、何仙姑(かせんこ)だけが女性である。藍采和が張果老の“紙ロバ”を失敬して乗りまわし、戻って来ると、八仙の中の名物男・鉄拐仙人(てっかいせんにん)がふざけて何仙姑を口説いている。藍采和が「逢引きですか、いけませんねえ」とからかうと、「何をいうか、この小僧」と鉄拐仙人がロバを奪い取って自分が乗る。三人は顔を見合わせて大笑いをした、という一説もある。
・張果老は、玄宗皇帝の宮廷にそう長いこと滞在していたわけではない。やがてふり切るようにして宮廷を去り、恒州の仙居に帰っていった。その後、今度という今度は本当に死んで人界から姿を消した、というのであるが、何しろ奇人の怪仙。本当に死んだのかどうか、誰も保証は出来ない。
張果老は八仙の中でも長老格で、『東遊記』では泰山を動かして海へ放り込み、龍王たちを困らせるという大法力を示している。呂洞賓(りょとうひん)が「これから八仙がみなで海を渡ろうではないか」といった時も、老人らしくそれを制している。龍王が水軍を興して攻めて来た時も、ほかの七仙は油断して寝ていたのに、張果老だけは耳ざとい。先に目を覚ましてみなを呼び起こすといった調子で、一味違った活躍ぶりである。
<太上老君(たいじょうろうくん) 仙風法力におよぶものがいない天上界の元老>
・民間信仰では仙人の中の第一人者。天界では三十三天の最上階、離恨天の兜率宮に住み、出仕する時は玉皇上帝の右に座している。地上では各地の道観の中心に祀られている主神格。
・瑤地金母、龍堂金母、王母娘娘、金星元君などと呼ばれ、天界へ来るほどのものは、玉帝の次には西王母に拝謁することになっている。『封神演義』によると西王母に、普通お目にかかることが出来る男性は、南極仙翁だけだという。
だが、それは道教世界の完成された西王母であって、史前の古伝承時代には、西王母は美女どころか、仙女どころか、怪獣といってもよい姿に描かれていた。髪の毛は伸び放題に振り乱し、玉の勝という髪飾りをつけ、恐ろしい声で吠え、豹の尾、虎の牙、玉山の岩窟に住み、三本足の怪鳥にかしづかれている。正確には男女の区別もつかない。
<神農 仁愛の心に富んだ名君、炎帝と呼ばれた太陽神>
・女媧の次にあらわれた大神。南方の天帝と呼ばれ、中国の中央から南方へ一万二千里の区域を治めた。その時、神農炎帝の玄孫にあたる火神・祝融が共同統治者であったとも伝わっている。
<盤古 原初の巨怪>
・天地万物の発生源。それより前には何もない最古の神ともいえる。創世紀におけるただ一人の中心人物といってもいいが、“創業者”ではない。
中国でも、「原初の状態は混沌として卵のごとく、天が地を包むこと、ちょうど卵黄が卵白の中にあるような状態であった」と語り出す。これは、日本神話でもインド神話でも同じである。そのうちに日本では神々が生まれ、インドでは、自存神が生まれたと説くのだが、中国の“世界のはじまり”では、盤古が生まれて一万八千年が経過する。それは巨大で、裸体で、額から扁平な角のようなものを二本生やしていた。盤古が意識というものを得て、行動しはじめた頃、天と地は分かれた。澄んで軽いものは上へ上へと昇って天となり、重い濁ったものは下へ下へと下って行って地となった。
<哪吒(なた)太子 痛快で暴れん坊の少年英雄神>
・『西遊記』でおおいに孫行者と渡りあい、『封神演義』でも大活躍する。『南遊記』でも虚々実々の乱闘を華光を相手に繰り広げる。今でも中国の三大スターの一人、孫悟空、二郎真君と並んで、漫画、劇画、テレビドラマ、映画などで暴れまわっている。
台湾の国際空港には哪吒太子の見事な彫刻が飾られている。日本ではナタ、ナタク、トンツ太子、中国ではナーザ、ノージャ、ナージャと発音し、『無敵神童李哪吒』という連続テレビドラマもあった。
・それでは哪吒は天界にいるにせよ地上に住むにせよ“純血種の中国人”か?というと、そうでもないらしい。父の李天王は毘沙門天夜叉神なのだから、「哪吒はインドの神々の一人の名」という説も立派にある。
哪吒は大羅仙の化身、風雲の神ではなく、ナータというインドの少年神か? マンジュナータだったら文殊菩薩、アチャラナータならば不動明王だ。哪吒は“六神仏哪吒不動尊”の像が祀られていたと書いてある。
・二階堂善弘は、毘沙門天(インドではクベーラ神)には息子がいて、それがナラクーバラという名であった。これが中国では哪吒倶伐羅と書かれる。すなわち、哪吒のことだと述べている。
『110の宇宙種族と未知なる銀河コミュニティへの招待』
エレナ・ダナーン(ヒカルランド)2022/12/31
<オリオン座>
<“ウル・アン・ナ”>
・オリオン………。そこは最も複雑で密接に絡み合った、雑多なものから成る、真の悪の有害な罠であり、精神的な英知によって高度に高められた文化と共存しています。何故ここが閃光を放ちながら爆発しないのだろう。いや、したのです。過去には何度も。日和見主義的な同盟と条約を制定することによって、皆が納得、合意に近いものに至るようになるまでは。
<天国への扉>
・そのうちの一つであるM42星雲は、1500光年離れています。オリオン星帯にあるいくつかの星雲の中には、このような次元ポータルが含まれており、当然、レプティリアンのシカール帝国にとって最初の興味の対象になりました。アルタイル共同体も、その宝物の分け前を望みましたが、シカールの勢力が非常に強力だとわかった時、利権協定を結びました。これは、マイトラ族が仲間に加わる前のことで、もっと多くの種族が……後に続く前のことでした。
・この紫外線の放出は、周囲の星雲のフィールド(磁場)を混乱させ、紫外線を手に入れようと躍起になっている種族、すなわちヒト型爬虫類のグレイにとって、完璧な避難所を作ります。そこにある、これが、彼らの帝国の包囲網である“六種族同盟”または“オリオン・ドラコニアン帝国”とも呼ばれるものなのです。
<オリオン帝国の“ネブ”六種族同盟>
・M42というオープンクラスターに本部が置かれている。この悪の目は、グレイとレプティリアンの種族のうち、6種族で構成されています。つまり、マイトラ族、キイリイ・トクールト族、エバン族、グレイル族、シカール族、そしてインドゥグトゥク族です。彼らは自らを“ネブ”、すなわち主人と呼んでいます。彼らには主にドウ・ヒュー族とアスバアン族を奴隷労働者として、使い、また、ソリプシ・ラー族も使っています。カマキリ族のある移民共同体も、この近辺で居住しており、オリオン帝国の計画に関与しています。M42星団は“正方形”として知られています。
・そこにある大抵の星は、まだ形成の最中ですが、この場所の住民は人工的な合成世界を構築しました。この場所から生きて戻ってきた人は、これまで誰もいないので、我々が知っていることは、噂によるものです。
<オリオン・グレイ共同体>
・オリオン・グレイ共同体は、六種族同盟から独立した組織であり、オリオン星帯の全てのグレイ種族を、合同の武力集団として再構成したものです。彼らは主として銀河連合、オリオン同盟、オリオン五種族評議会に対抗し、シカール帝国、アシュタール共同体、アルタイル共同体との同盟を維持しています。これは確かに多数のグループですが、本当のところは、単純な組織です。
<オリオン・ブラックリーグ>
・オリオン・ブラックリーグ(またはオリオン・リーグ)は、オリオンの地元の住民によって、グレイ・レプティリアンのオリオン帝国に対抗して、自らを守るために作られました。現在のメンバーはアルニタク星系、ベテルギウス星系、そしてメイッサ星系の人たちです。
<リゲル(“アスバッア”)星系>
・リゲル星系は、オリオン帝国の包囲網であり、6つの最も邪悪な種族、すなわちマイトラ族、キイリイ・トクールト族、エバン族、グレイル族、シカール族、そしてインドゥグトゥク族の前哨基地です。ここは興味深い場所なので、オリオン帝国がそこに分遣隊を配置することを選んだ理由は理解出来るでしょう。地球から860光年離れた四重星系であり、多くの生命体の発祥地であるだけでなく、植民地化の天国のようなものです。とは言え、今となっては、それは元々いた住民の話であって、証拠となるのは伝説だけですが………。
<アスバアン・ヒュー族>
・アスバアン・ヒュー族は、アスバッア星系の第1惑星系、すなわち惑星オリバンに住んでいます。非常に驚くべきことに、アスバッア星系は、はるか昔に、シカール帝国によるマン星系の攻撃を逃れたアヘル族とノオル族のヒューマノイドによって、移住されていました。移民共同体は、この四重星系の14の惑星に広がる、繫栄した文明を築いたのです。その後、近くの星ミンタカから来た、攻撃的なグレイ・ヒト型爬虫類種族であるグレイル族と、領土境界線を巡って事件が起こり、それは、ほぼ300年続く激しい戦争へと広がり、結局グレイル族が勝ちました。グレイル族は、自分たちは原住民として、前からここにいるのだと主張しましたが、彼らの故郷の世界はミンタカ星系にあるので、アスバッア星系は彼らの領土の一部でした。
・本当は、彼らはこれらのマン(ライラ)人の移民が建てた、経済的に繁栄した帝国の資源を乗っ取りたかったのです。戦いは恐ろしいほど激しく、結局資源はグレイル族が、14の世界から奪い去りました。生き残った人たちは全て地下シェルターに行きました。幸い、ノオル族のグループは、この世界的な大虐殺からプロキオン星系へと逃げることに成功し、そこで彼らの新しい植民地を再建設し、自分たちのことを“エルダル族”と名付けました。残念ながら、運命は彼らに冷たく、しつこいグレイル族は彼らを突き止め、やって来て、彼らを破滅させました。アスバッア星系に残った人々に対しては、さらにとてつもない酷い運命が降りかかったのです………。
・グレイル族は、彼らを全員捕まえて奴隷にしましたが、それは最も卑劣な方法を使いました。つまり、ゼータン・グレイの技術を用いた、ゆっくりと遺伝子を変異させるという、ハイブリッド計画によるものでした。
・このようにして、新しいミュータント奴隷種族が徐々に作られました。つまり、ライラ人ヒューマノイドとレチクル座ゼータ星系グレイ種族の間の異種交配です。この新しい種族は、遺伝的に両方の種の最上の結果を出しました。そして、ヒトとグレイのハイブリッド開発計画のテンプレート(雛形)として使用されました。地球では、オリオン帝国は、米国・テロス同盟の計画に深く関与しており、また、領土となっている地下都市区域も、シカール帝国と共有しています。
<ベラトリックス“ウルウド”星系>
・地球から250光年の、ベラトリックス星系は、広範囲で多様なヒト爬虫類種族の生息地であり、また、最も危険なトカゲとグレイの交配種族の一つである、インドゥグトゥク族の生息地でもあります。ベラトリックス星系またの名を“ウルウド”は、生命体の大多数が爬虫類種族であるため、シカール帝国と繋がりがあります。そこに住んでいる全ての種族は、共通の目的、すなわち拡大と征服に関する協定に基づいて、ある種の緩やかな共同体を形成しています。これらの種族は皆、彼らの多様な技術を、権力や団結力の増大という目的のため、共有しています。この共同体は、地球の米国・テロス同盟にも関与しています。
<ベラトリックスの兵士(ウーガンガ族)>
・ベラトリックスの兵士は、ウルウド星系の中の駐屯地である戦闘母船に住んでいます。
ウーガンガは遺伝的に操作された軍人で、グレイ・ヒト型爬虫類種族と地元のヒト型昆虫種族から交配された者たちです。彼らの大規模な分遣隊は、ウルウド星系の母船に駐屯しています。オリオン帝国の多くのクローンによって配備された軍隊と同様、彼らは、銀河連合がもはや脅威ではなくなるような、彼らの破滅的な運命を開放する兆候を持っています。したがって、もし銀河連合が負けるとしたら、それは地球に破滅的運命をもたらすでしょう。
<インドゥグトゥク族 *非常に暴力的*>
・インドゥグトゥク族の生息地の世界は、ウルウド・プライム(第1惑星系)で、ベラトリックス星系の中にある、人工的に作られた惑星です。インドゥグトゥク族は、ウルウド星系の原住民である、トカゲ・ヒト型爬虫類種族です。彼らの性質は、非常に暴力的で、見た目はトール・ホワイトのヒト型爬虫類グレイ種族に似ています。彼らは細かい皺のある顔で、縦長の頭、大きな口、分厚い眉の隆起部、そして非常に長い首をしています。服は身に着けていません。
・彼らのことは、出会う前であっても、彼らが出す、あの独特の臭いでわかります。それは、燃やした硫黄を思い出させる臭いです。インドゥグトゥク族は、地球の月に採掘のための基地を持っているので、アメリカ、ロシア、中国といった、地球の政府と、宇宙計画に関わる協定を結んでいます。採掘の仕事は、奴隷を使ってやらせています。
<ベテルギウス(“カリナ”)星系>
・地球から700光年の、5つの惑星から成る星系の中心にある、寿命が終わりに近づいている赤色超巨星です。この星系は、宇宙塵で出来た人工の大きな雲によって保護されています。
<エバン族>
・ カリナ星系の第5惑星、エディメラは、寒くて居心地の悪い、不毛の
世界です。そこに住むエバン族は、ヒト型爬虫類グレイ種族の生命体で、身長6~9フィート(約182~274センチ)です。六種族同盟の一員なので、平和主義の文明ではないことは、想像がつくでしょう。彼らはまた、蛇遣座のアルティマール星にも植民地を持っています。彼らは、地球のかバールと深く関与しており、地球の地下軍事施設で、ハイブリッド計画と魂の剥ぎ取りを一緒に行っています。
<カレイ族(カリアン、カリオン星人)>
・カレイ族はカリナ星系の第4惑星、すなわち“カリオン”出身です。彼らは、元はラアン族の移民共同体で、オリオン星系のカリオンという名前の世界に定住していました。マン星系の元の故郷の世界より、熱帯的で温度が高く暑い環境条件に対して、また大気の組成には、現地の生態系を危険に晒すような変更を加えることは出来ず、彼らは地元の種族との交配によって遺伝的変異しました。
・彼らは青い羽の生えた体と翼を持ち、鳥の頭に似た、非常に角張って瘦せこけた顔の構造を持ち、鳥の特徴を持ったヒューマノイドというように見えます。彼ら自身への遺伝的実験が自由に行われたため、彼らはカリオン星に、魅力的な形態の多様性をもたらし、大きく変異したのですが、カリオン星人は、彼らの元の世界である、マン星系での文明や信条を、計り知れないほどの神聖さを持ったものとして保存しました。カリオン星人は、鳥に似てはいますが、哺乳類のままであり、生殖機能は変えないまま、保っています。彼らのことを地球の言葉で呼ぶとしたら、“ブルーエイヴィアン(青い鳥類)”です。
<インマル星系>
<アヌンナキ族>
・アヌンナキ族の故郷の世界は、惑星ニビルの平行次元にあります。彼らが使用するポータルは、オリオン星帯にあるので、私たちが彼らを、宇宙のこの辺りと結びつけて考えるのは、そういう理由です。彼らの出身地は二重星系で、ニビルはその周りを4000年周期で回っています。主恒星はインマルという名前で、それは多くの天体の中心となっている、茶色矮星です。その第6惑星であるニビルは、二つの衛星を持ち、地球に似ていますが、より密度の高いところにあります。“アヌンナキ”というのは、「人間に似た」という意味です。彼らは、ヒト型爬虫類の変温生命体ですが、地球人に似ています。しかし少しだけ(30センチくらい)、彼らの方が背が高く、より筋肉質です。毛髪はなく、白い肌です。
彼らの社会は組織構造がしっかりしていて、そこでは男性が統治する場合が多いのですが、政治や権力において、女性も重要な役割を持っています。彼らは卵で繁殖します。彼らは、遺伝子工学に関しては、最も進んだ社会の一つであると知られています。彼らは征服した世界の、特に子供の遺伝子をおもちゃにし、銀河の至る所で彼らの目的に役立つような、奴隷ハイブリッド種を作ろうとします。こういった理由で、アヌンナキ族は、銀河じゅうに大変多くの、生物の遺伝的多様性や種の混乱を広げる原因となって来ました。アヌンナキ族は、ライラ人の大敵ですが、シカール帝国の敵でもあります。技術が進歩しており、軍備が十分整っているので、彼らの名前は、銀河のその区域でも恐れられています。
彼らについての伝説、つまり彼らの創造についての伝説があります。はるか昔、アシュケラ(シリウスB)とオリオン帝国の間で紛争が激しく続いた時代がありました。この争いを解決するために、アシュケラの男性統治者が、オリオンの女王と交尾することを申し出て、彼らの子孫、つまり二つの種の交配種は、最初の子供の名前に因み、ニビル(“二つの種から生まれた”の意)と呼ばれるようになりました。彼らは後に、アヌンナキ、すなわち「人間に似た」という名前を使うようになりました。その名前は、オリオンのヒト型爬虫類が付けたのであり、人間のように見えたからでした。見た目だけでした。彼らの遺伝的特徴は、ヒト型爬虫類が優勢でした。彼らは地球にやって来た時、権力を握っていたレプティリアン・ヒト型爬虫類種族を制覇して、新しい支配者となり、彼らの他の定住植民地もまた、挑発しました。逃げたレプティリアンは地下へ行き、逃げることが出来なかった者たちは、アヌンナキ族から“イギギ(監視人)”と呼ばれ、2500年間奴隷にされていました。シカール族は、アヌンナキ族が地球の人類をもっと進化した人間にするために、遺伝子的変更を加えることに、異議を唱えたのです。
アヌンナキ族は、結局は地球を離れましたが、その前に彼らは、大きいグループの人間の検体に対し、彼らのために金やその他の資源を採掘することを主に行う、奴隷の種族とするために、意識レベルが低下するような、遺伝子操作を行いました。アヌンナキ族は、長い間もう一つ別の種族も使用人にしていました。つまり、レチクル座ゼータ星系出身のソリプン・ラー族です。彼らは今では、地球に拠点を持つレプティリアンたちと協力し、一緒に人間の管理をする契約を結んでいます。これらの契約は、征服した世界の奴隷制、食物連鎖、そして遺伝子実験に関して、ドラコニアン帝国とオリオン帝国とのさらに大規模な協定となっています。
他の征服された世界でも行われているように、アヌンナキ族は、コントロールと操作のために、地球にエリート集団を残して行きました。人間のエリート集団を作り、地下深く隠されたところに、アヌンナキ族の軍産複合体異星人部隊を作ったのです。彼らは、地球の制圧のために、シカール族と、対抗しながらも同時に協力しました。つまり、興味深いことに、これは明らかに計画の規定違反です。つまり、どちらの種族も、身分制度とエリート組織、宗教的原理主義、家父長的支配、欲望と暴力の崇拝を通して、長期的に人間の進化と意識に影響を与えるために、協力して働いていますが、…同時に彼らは、地球の根本的所有権を巡って互いに争っており、ここに大きな規定違反が存在するのです。アヌンナキ族の宇宙船はT字型をしています。
<ミンタカ(“アラゴローグ”星系>
・アラゴローグ、つまりミンタカ星系は、複数の恒星系の複合体で、1200光年離れた、微かに光る星団の中にあります。そしてその全体には、7つの若い惑星が含まれています。グレイ種族、ヒト型爬虫類種族、両生類種族、ヒト型恐竜種族など、様々な種族が住んでいます。この後、最も重要なものについてだけ述べます。
<グレイル族>
・グレイル族は、ミンタカと呼ばれる星系、またはあなた方にとっては、オリオン座デルタ星系の住人で、そこは7つの惑星があります。技術的には高度に進歩した文明ですが、彼からはあまり、言わば“啓発される”ものはありません。グレイル族は、征服と略奪を好みます。彼らは非常に背が高い、トカゲ「グレイ」タイプの種族で、非常に細長い胴体と手足を持っていますが、彼らの電気神経系が、彼らに信じられない程の強い力を与えます。彼らには二つの性別があります。
<レダン族>
・レダン族は、オリオン星帯のアッサメイ星系にいます。五種族評議会の一員であり、褐色の肌のヒューマノイドで、大昔からいる種族ですが、その起源の記録は失われています。わかっているのは、彼らが自身について語っていることが全てです。つまり彼らは、牛飼座の、どこか別の場所から来た、ということだけです。彼らは銀河連合と共に、地球を守るために働いていて、銀河連合の評議会のメンバーです。彼らの宇宙船は、次元間移動が可能で、円盤型で、半透明の白色です。
<五種族評議会>
・五種族評議会は、以前は九種族評議会として知られていましたが、アルダマント星のエルマヌク族によって創設されました。それはオリオン帝国が生まれる前のことでした。五種族評議会は、今日では、5つの聡明な種族によって再構成されています。すなわち、エガロス族、レダン族、オレラ族、エマーサー族、そしてギンヴォ族です。彼らは、銀河連合の創設の、ずっと前から、地球の保護に関わって来ましたが、後に評議会の代表として、銀河連合に加入しました。五種族評議会は、まだ、あなた方が海に浮かぶ有機生物だった頃から、あなた方種族を見守り、霊長類への進化、アヌンナキ族の干渉、銀河のあらゆるところからの、様々な地球の植民地化、邪悪な帝国の到来、そして地球を領土にするための、異星人同士の戦争を目撃して来ました。
・現在エガロス族によって運営されている五種族評議会は、地球の指導者たちと何度も会い、知恵を授けて、彼らの決定に影響を与えようとしましたが、それは常に、非常に困難な仕事でした。五種族評議会には、銀河連合の最優先指令のような、不介入の規則はなく、それは、ある種族が破壊的な経路に繋がる致命的な間違いを避けることを助けるためには、時には介入が必要である、と考えるからです。彼らが地球で指導者たちと会ったのは、1944年が最後でしたが、2013年8月の最後の10日間に、今度は公然と、再度会うことを計画しました。オリオン帝国、シカール帝国、カバール同盟の脅威について話し合い、地球人種族にとって汚れのない、自由な未来のための、余波的影響の解決法を話し合うためです。銀河連合は、彼らの不介入の規則があるので、このようなやり方をするのには少し問題があるのですが、外交上の事柄以外には、不介入の規則は五種族評議会の邪魔をすることは出来ないのです。
<オリオン・ブラックリーグ>
・オリオン・ブラックリーグ、または“タル・ウルアンナ”は、オリオン星帯の住民、主にカリナ(ベテルギウス)星系、ダロ(メイッサ)星系、カリオン星、アルニタク(平和を好む原住民とヒト爬虫類種族)などの人たちの集団で、オリオン同盟から自分たちを守ることを望んでいます。
『深宇宙探訪記』
(オスカー・マゴッチ)(加速学園出版)1991/8
<悪の帝国(正式名は『正義を任ずる諸世界帝国同盟』の本拠地は大熊座にあり、ドラコニスを主要作戦センター>
・『暗黒の勢力』は、自分たちの基地はオリオン大星雲にある、と私達に思いこませようとするが、彼らは、単にそこからやって来たにすぎない『落ちた者』で、依然として周辺にまつわりついているだけなのだ。実際は、オリオン座は『光の主達』の故郷であり、『銀河系委員会』の故郷でもあるのだ。そして、アルクトゥルスを中継基地として使っている。
・私達がいる宇宙領域において、『暗黒の勢力』と彼らが支配する悪の帝国(正式名は『正義を任ずる諸世界帝国同盟』の本拠地は大熊座にあり、ドラコニスを主要作戦センターとしている。私達の太陽系においては、冥王星を中継基地に使い、地球から見えない方の月面を地球への侵入基地に使っているが、両基地とも昔から存在している協定に違反している。地球ミッションの人員は『連盟』にしろ『帝国同盟』にしろ、比較的少なく、その役割も大半が「監視活動と互恵的平和維持活動」に限定されている。
・MIBすなわち『黒服の男達』は、嫌がらせや威嚇、テロや殺人を専門とする『暗黒の勢力』の手先だ。報酬を得ていたり強制されていたり、あるいはその両方の場合もある。
手先となった人間が政府に雇われた人間傀儡か、あるいは洗脳されたバイオニック操作されている消耗品同様の人間ゾンビか、そのどちらかであろう。時には異星から来たまったくのロボットのこともある。(実在している人間の短命複製クローンである)の生霊のことも多い。さらには『ポルターガイスト』の悪霊やホログラフィーによる投影像のこともある。仕事の内容次第で何にでもなる。
・彼らMIBは、地球在住の主人たちに取り仕切られており、いろいろな基地(通常の地球基地は南極大陸のエレブス山中にあり、太陽系内の基地は地球から見えない月面やいろいろなアステロイドや冥王星)にあるから調整・統合を図られ活動についての指示は『反対勢力』の宇宙艦隊の知性に仰ぎ、背後では地球のような次元に住む『暗黒の主達』に支配されている。
<自由な世界次元間連盟>
・地球人類の起源は、プレイアデスの散らばった系に由来する。地球人類が地球に移住してきたのは『多数の千年期』の昔である。それ以来私達の『後に残された』人間の祖先たちは、銀河系と他の次元領域の至る所に広がった。
・さまざまな次元に存在する何千という星系からなる彼らの緩やかな『共通利害団体』は、『自由な世界次元間連盟』と呼ばれ、多次元宇宙の33の広大な領域に及んでいる。
・シリウスは、私達に向けた「連盟」の送信センターとして使われている。私達を高め、迫りくる宇宙的なコンタクトと、その結果として起こる変貌に対して、この世界を準備させるためなのだ。何千年にもわたってシリウス人は地球人とコンタクトしてきたが、その際、彼らとその仲間は『ホルスの目』という印(三角形の中に目を配したデザイン)を用いてきた。
・『暗黒の勢力』とその地球の『光明派』の召使達は、シリウスのセンターから来た『善玉』になりすましている。これは地球人を混乱させ利用せんがためで、本来のシリウスからの送信内容を歪めたものに変え、自分たちの悪の教えを植えつけようとしているのだ。そのために、シリウスの『ホルスの目』のデザインの印も使っている。『暗黒の勢力』に支配されているのはメン・イン・ブラック(MIB)たち、すなわち、あの恐ろしい『黒服の男達』は、一つの目ないし一条の稲妻を中に配した例の古典的な三角形を自分たちが使用する黒塗りのキャデラックのドアにつけている。
<金髪碧眼のクェンティン>
・彼の話では私が見た円盤は地球と違う次元のもので、母船を伴いバミューダ三角海域のようないわゆる『窓の領域』を通って地球に来たのだという。円盤は意のままに物質化・非物質化できるという。
・クェンティンは、背が高く、年齢は30代と思える。髪の毛はブロンドで、射るような青い目をしており、レジャースーツを着て、対変奇妙なお守りを身に着け、今までに誰からも感じたことのないような不思議な魅力を醸し出していた。
・それから数分して、投げ出されたところは、惑星地球から何千キロも離れた深宇宙の中だった。(後で分かったのだが、円盤はゴビ砂漠の『シャンバラ』の移行窓をわざと使い、素早く深宇宙へと移動したのだ。)近くには大きな円盤型母船がいる。その母船に非常に奇妙な方法で乗船した。私を乗せた円盤は、すっかりと言っていいほど非物質化してから、母船の胴体を通過したのだ。母船内の七つの円盤駐機区画の一つに入ると、今度は物質化して以前の状態に完全に戻った。
・今乗っているのは連盟登録の宇宙研究室船で、長さは約2.4キロ、中規模の宇宙船です。本当に大規模な宇宙船は、この十倍から20倍はあります。超大型の大きさは言うとびっくりするでしょうから、言うのは遠慮しておきましょう。
<都市の大きさはあるクリスタル宇宙船>
・そうこうするに、白く輝くものが頭上に出現し、急速にその輝きを増していく。間もなく、明るく輝くオーロラがずっと強烈にきらきら輝く光に消されてしまった。巨大な形のものが降下して、視界に入ってくる。都市の大きさはある。だが、途方もないほど大きなボワーッとした塊のクリスタル・シャンデリアのようで、まるでクリスマスの飾り物みたいに様々な色の光を閃かせたり点滅させたりしている。
「何・・・ 何だ それは?・・・・」
私は吃ってしまった。天から現われたものが私達の視野一杯に広がるのに完全に飲まれてしまっていた。私達から2、3キロ離れたところだ。
・「感動するのも当然だ。このクリスタル宇宙船は現在『地上の平和』号と命名されていて、あなたがたの太陽系の惑星間ヒエラルキーの最高の旗艦なのだ」
『深宇宙探訪記』
(オスカー・マゴッチ)(加速学園) (発売 星雲社)1992/11
<葉巻型の宇宙船は世界各地で目撃談が多い大型宇宙船>
・宇宙型船内宇宙研究室(連盟登録番号 SLA8701)
宇宙研究用の移動研究室。12の異なる世界を展示。多種族の乗組員と科学者が搭乗。総搭乗員数3000『人』
全長2400m。直径約400m(厚さ約188mの単独航行可能モジュール18基で構成)
<宇宙研究室の外観>
・各モジュールは、居住者の便宜を考え、それぞれの貫通路に沿って観測窓が、一つずつ付いている(実際には大型の展望用球体で、拡大機能および夜間赤外線利用暗視機能がある。)
<種々のUFO>
・『帝国同盟』の三角形をした地球外の戦闘機。『悪魔機』として知られている。
・7機の円盤を収容できる中型円盤型母船。直径100m。高さ40m。
・偵察型の円盤(直径25m。高さ10m)
・幽霊船(およそ、長さ40m、幅10m) 本船が生きている存在で、固体の固い金属構造物ではない。準バイオニック船である。
・ダイヤモンド型エーテル船(高さ12m、幅12m)
<深宇宙探訪記に書かれてある中型船内宇宙研究室は、葉巻型UFOか>
・宇宙研究用の移動研究室は、搭乗員が3000人で、全長2400メートル、直径400メートルで長さ122メートルの単独航行可能なモジュール18基で構成されているようです。そして、バミューダ三角海域の次元間移行ゾーンを利用しています。これが、有名な葉巻型のUFOのように思われますが、大きさから考えると世界中で見られているのとは違うかもしれません。
・オスカー・マゴッチの本によると「シリウスは連盟の送信センターである。暗黒の勢力とその地球の光明派の召使達はシリウスから来た善玉になりすましている。暗黒の勢力は、自分達の基地は、オリオン大星雲にあると、私達に思い込ませようとしている。
しかし、彼らはそこからやって来たにすぎない。オリオン座は、光の主たちの故郷であり、銀河系委員会の故郷であるのだ。そしてアルクトゥルスを中継基地に使っている。暗黒の勢力と彼らが支配する悪の帝国の本拠地は、大熊座にあり、ドラコニスを主要作戦センターとしている。宇宙連合の宇宙人は、友好的な善意の宇宙人であるが、惑星連合や地底連合の宇宙人は、邪悪な宇宙人である」
<アメリカ政府と宇宙人の契約>
・1947年7月2日ニューメキシコ州ロズウェルでUFO墜落事件が起きた。だが、米軍は、気球の墜落だと発表し、事実を偽装した。奇妙なことに1949年1月30日同じロズゥエルで、UFO墜落事件がおき、その際、偶然にも地球外生命体が1名生存しており、ロスアラモス研究所に送られた。その地球外生命体は、「イーバ」と名づけられ、1952年6月18日まで生きた。その間の調査では、イーバは自らの母星が、地球から55光年離れたところにあると告げたという。
・ 彼の身体的外観は、現在多くの人に知られるところとなった「グレイ」に似ており、爬虫類と昆虫の特徴を持っていた。そして、1954年1月、アメリカは、後に「ラージ・ノーズ・グレイ」と呼ばれるようになる地球外生命体と初コンタクトを行なう。この地球外生命体の出自は、オリオン座のペテルギウスを巡る一つの惑星だった。これは、500光年離れた赤色巨星を巡る惑星からやってきた事になる。
・1954年2月。ラージ・ノーズ・グレイの代理として、イーバそっくりの「クリル」と名づけられた地球外生命体が再度地球人とのコンタクトのため送り込まれ、この時、アイゼンハワー大統領が統括していたアメリカ政府は、この「クリル」を全権大使とした「オリオン座領域から来訪した」地球外生命体と何らかの契約を結んだと言われている。「それから50年、国家最高機密は、厳重に守られている」。
<ハリウッド映画で有名なグレイは、人類に比べ科学力で優に5万年を先んじている>
・ Tシャツのプリントになるほど、スター化した地球外生命体の「グレイ」のルーツは、琴座である。約50年前、かつて琴座領域にあったアペックスと呼ばれる惑星で核戦争が起き、生き残ったアペックスの人々は地下生活を余儀なくされた。核戦争を引き起こした2つの勢力は、ポジティブ派が、主として、レチクル座の2重星(ゼータ)付近を拠点としているが、ネガティブ派のほうは、その多くがオリオン座のペテルギウス領域や大犬座のシリウス領域に移住した。
・ネガティブ派の中で特にオリオンに拠点を置く者たちは、リゲリアンという種族だが、地球でグレイと呼ばれる存在は、このリゲリアンを指している。リゲリアンという呼称そのものは、ケンタウルス座のα星であるリギル・ケンタウルスにも隠れたつながりがあるが、彼らのルーツには、判然としない部分がある。現在、地球には、惑星アペックスに出自を持つ地球外生命体が、時空を超え、過去、現在、未来の次元から同時に訪れている。
<ウォーク・インとワンダラー(スターピープル、スターシード、スターライト)>
・地球人に生まれ変わったワンダラーや、人生の途中で地球外の魂と劇的なソウル・チェンジ(魂の変換)を起こしたウォーク・インなどを地球外生命体(ET)の魂を持つという意味で、ETソウルと呼んでいる。ウォーク・インやワンダラーは、白色同胞団でも活躍している。白色同胞団(ホワイト・ブラザーズ・フッド)のルーツは、プレアデスと同じ牡牛座のアルデバランという説と、火星でアルデバランの人々と共存していたさそり座のアンタレスからの人々だという説がある。
・また、チャネリングは、日常ではない、別次元の意識やいわゆる地球外生命体と意識のレベルで交信することを言います。シリウス経由のチャネリングによりますと、地球に介入した2種類の生命体があると語ります。約2600万年前、地球に2種類の非人間的生命体が入植した。それらは、射手座星系からやって来た爬虫類的存在とオリオンのベラトリックス星系からの恐竜的存在だったという。
・ここで言う爬虫類と恐竜は生物学的に分類されるそれらの意味とは異なる)そして、地球ではこの2種類の生命体が入り込んだ後に、人間の祖となる哺乳類的生命体が現れる。
『深宇宙探訪記』
(オスカー・マゴッチ)(加速学園出版)1992/11
<グランド・マスター達の下に位置する評議会を構成するガーディアン達>
・ありとあらゆる系に存在し、人類の長老である彼らガーディアン達は、二度とあのような宇宙規模の破壊行為が生じるのを防ぐことと、暗黙の勢力から守ることに献身するようになった。グランド・マスター達の下に位置する評議会を構成する彼らガーディアン達は、多宇宙の構造の『外側』に、つまり時空を超越した完全に非物質的な次元の最上階域に存在し機能している。
・彼らは霊的存在であり、時としてその在住場所に光の存在として出現することがある。私達の故郷がどのような宇宙界であろうとも、彼らは、この世のものでない在住場所から私達人間世界が適切に機能し進化するよう導いてくれている。
・このように数十万年前の昔に私達の多宇宙の遠い所でさまざまな人間世界系の諸問題を管理するために大連盟が誕生した。第11部門もそうして誕生し、その中核であるサイキアン諸世界が大連盟の中心部門となった。その統治惑星をザンシウスという、連盟の33部門を構成しているのは総計5千の主な世界センター惑星だが、それに加えて手付かずで未開発の惑星がその数の百倍はある。
・一部門として参加しているのが銀河系連合で、その代表はアシュター司令部だが、もしかしたら連盟加盟につながるかも知れないので、惑星地球の進化に関心を払っている。
『オスカー・マゴッチの宇宙船操縦記』
(オスカー・マゴッチ) (明窓出版)2008/3/1
<背の高いブロンドの髪をした男>
・背の高いブロンドの髪をした男が一人、皮の肘付け椅子がいくつか置いてある部屋の隅に立って、私の方を向いている。宇宙艦隊提督のようだ。体にぴったり合ったチュニックを上品に着て、胸には見覚えのある大きなメダルをつけている。温かい微笑みを浮かべながら、私に椅子に座るようにと合図した。
<惑星地球は今、もうすでに根本的な宇宙サイクルの変化を経験するところに来ています>
・新しい次元に順応でき、その意思もある生存者達が救出された後で『ノヴァ・テラ』という地球に似た惑星に案内されます。この『ノヴァ・テラ』は既にここと地球の間の次元に準備中です。貴方の乗った円盤がもっと高い中間の次元で母船に収容されたとき、貴方はこの地球に似た惑星を既に垣間見ていますよ。
・アーガスの話によると、全く同じ都市が何十も、この惑星の至る所にあるそうだ。そうした都市の周囲には、田舎の風景が何百も々も続いており、散在するコミュニティーに大半の訪問者が滞在している。各コミュニティーの近くにドームに包まれた大きな地域が数ヶ所あり、隔離された実験場となっている。こうした実験場の方にずっと強い好奇心を感じた。ドームの中には無人にちかいものもある。そこには子供くらいの大きさの「シャボン玉」がたくさん、地上高い所に浮かんでいる。しかも、大変驚いたことにそうした泡の中には人が入っていて、自分の力で空中浮揚しているのだ。他のドームには内部が奇妙な建設現場といった感じのものもある。石板がどこからともなく、「物質化」してきたり、どうやってやるのかその方法が見えないのに、炎で切断されたり、クレーンもないのに高く浮き上がって適当な場所に収まったりする。アーガスの話だと、このようなことは基本的には、超自然的な種類のエネルギーを発生させ、それを転換して行うそうだ。
・私達が、いるところは、噴水や巨大な彫像や彫刻がある公共広場の端だ。動くベルトの歩道が、人々の群れを色々な方向に運んでいる。彼らは、乗って来た様々な大きさの車両を降りると、すぐに動く歩道に乗るのだ。この人達はヒューマノイドだが、その種類は多様を極めている。見かけが非常に人間に近いのから全く非地球的なものまでいろいろといる。体色も虹の七色のほぼ全部がある。身長もおよそ1.2メートルから2.1メートルほどで、幅がある。ここで私の格好も改めてしげしげと見られるには値しないと思える。
・ガーディアンには、次元なんてありません。複宇宙のどの物質的次元を探してもそんなところにはいないんです。彼らは、こうした複宇宙の構造『外で』、完全に非物質的なレベルの最上位に存在し、機能しているんです。彼らは、霊的な存在で部分的にすら顕在化していないのです・・・・」
「すると幽霊みたいな存在」
「違います。彼らは、死んだことはありませんからね。彼らは、ずっと昔のことですが、まだ人間の肉体にある間に不老不死になったのです。肉体は必要としませんから、彼らの意識は魂の本質と呼びうるものの中に住んでいて、物質界にとって近づけない存在です。そこから彼らは、私達の物質世界が適切に機能し進化していくのを監視していて、必要な場合に小さな軌道修正を行います。だがこの修正は宇宙全体の構想と合致している場合ですが」
「合致しているかどうか、どうして分かるのですか」
「グレート・アンマニフェスト(偉大な潜在)」からの洞察を通して分かります。時々、諸条件が整えば、アセンデッド・マスターズ(高級教師)と協議をして分かることもあります」
『日本は闇を亡ぼす光の国になる』
<クェンテインさんとの接触>
・クェンテインという名前は、マゴッチさんの本に「宇宙連合の司令官」として登場します。
・カナダのホテルの近くに湖があり、そこで瞑想しているとクェンテインさんの姿が見えました。金髪で青い目をしたヨーロッパ人風の姿でした。ただ、普通の人の目に見えるように現われたのではありません。物理的に姿を現すには、相当なエネルギーがいるそうで、テレパシーやイメージとして現われるほうが簡単だということでした。
・クェンテインさんの生まれた星は、3万8千光年離れた所で、カリギャラスツルージャという名前の星で、そこに両親もまた住んでいる、と言っていました。
<地底人アダマさんとのコンタクト>
・地底都市テロスは、北カリフォルニアのシャスタ山の地下にあるレムリアのコロニーです。
・テロスは、レムリア大陸や同じ頃に存在したムー大陸の人々が約1万2千年にアトランティス大陸の人々と大規模な戦争を行い、大陸が海に沈む前に一部の住人がシャスタ山に避難して作った都市です。
・テロスは、人口150万人くらいで、男性6人、女性6人、計12人の「アセンディッド・マスター」によって構成される評議会と、高僧アダマさんによって自治組織が運営されています。
<失われた十支族>
・地球に現れた最初の人類は、3億6500万年前に、ベーター星という他の星から降りてきたのだ、とクェンテインさんは言っています。光の天使の一団がエルカンターラというエジプトの近くの三角州みたいなところ、そこに降り立ったのだそうです。その時、地球に降りたった人たちは、その後、宇宙と行ったり来たりしているのだそうです。
・ルシファーという天使もその時に来たのです。もう一度、2度目に降りてきたときにはサタンという名前になっていました。テレパシーで、宇宙とも交信できていたので、栄耀栄華を極めて、乱れに乱れて暮らしをしてしまいました。そんなわけで、大天使から「あなたたちは、他の所へ行きなさい」と言われて、音信を絶ってしまったといいます。その人たちが地底に落ちて、地獄というものができたわけです。
・イスラエルの王国を作った十支族は、アッシリアに滅ぼされ虜囚の憂き目にあいます。虜囚を逃れた支族は四散しますが、記録が残っていないため、「失われた十支族」と呼ばれました。その「失われた十支族」の行方は、さまざまに推測されていますが、少なくともその一部は日本に来たのではないか、という説があります。
<2012年12月の5次元世界へのアセンション(次元上昇)まで、これから世界は大変な激動期に入る>
・2012年、地球は、その時、「フォトンベルト」に突入するのです。それは地球全体が、アセンション=次元上昇を経験することになります。
<「闇の権力」の正体>
・世界を裏で動かしている「闇の権力」を構成している勢力です。国際金融財閥、王侯貴族、英国の情報機関、アメリカの伝統的保守思想を持つ白人至上主義者などが含まれます。
・「闇の権力」は、マスコミも金融も牛耳っている組織。
<宇宙連合、地底世界とのコンタクト>
<オスカー・マゴッチさんとの出会い>
・私が、UFOと出会ったり、宇宙連合の「司令官」ともいうべきクェンテインさんとコンタクトを取ったりするようになったそもそもの始まりは、カナダでBBC(英国放送協会)の社員で、放送の仕事をしていたオスカー・マゴッチさんと出会ったことからでした。
マゴッチさんは、1928年にハンガリーで生まれ、1957年以降、カナダのトロントに住んでいた方です。マゴッチさんがUFOと最初にコンタクトしたのは1974年のことだそうです。それ以来、30年以上毎月のように、UFOとコンタクトし、異星人が示す地球の常識をはるかに超えたテクノロジーに接し続けて、その体験を数冊の本に著してきたのです。
・地球はまだまだ「波動」の粗い惑星であり、公然と地球に住む誰の目にもわかるようにアプローチしてくる、つまり「姿を現す」段階となっていないようです。そのため、現在は、マゴッチさんのような感受性、精神性の高い人を選択して自分たちのメッセージを少しずつ地球人に送っているのです。
・マゴッチさんの本は最初『わが深宇宙探訪記』(上)、続いて『深宇宙探訪記』(中・下)と3冊の翻訳が1990年代初めに出版されたものです。今年(2008年)になって、『オスカー・マゴッチの宇宙船操縦記』(part1)とタイトルを変えて明窓出版というところが出しています。
(2023/4/14)
『日本怪異妖怪事典 中国』
寺西政洋(著)、朝里樹(監修)、笠間書院 2023/2/25
<ヒバゴン>
・広島県の比婆山連峰にて目撃された謎の類人猿。1970年代に話題となり、現在も日本の未確認動物(UMA)の代表格として有名。
昭和45年(1970)7月、西城町油木(現・庄原市)の比婆山麓付近で怪物の目撃が相次いだ。身長約160センチ、体は毛に覆われ、顔面は逆三角形、猿にしては体が大きすぎ、ゴリラにそっくりだともいう。
庄原警察署もパトロールを実施、付近の小中学校は集団下校をするなどの騒ぎとなり、住民のもとには取材陣が押しかけた。西城町役場は混乱を避けるため類人猿相談係を設置し、マスコミ対応の窓口とした。その後、工事現場で長さ約30センチの足跡が発見されるも、正体は特定できなかった。昭和49年(1974)頃までは近隣市町でも目撃証言が相次ぎ、庄原市濁川では怪物が写真に収められた。怪物にはヒバゴンの愛称が定着し、たびたびマスコミにも取り上げられた。児童向けメディアにおいても、ヒマラヤ山脈の雪男を念頭において「日本にもいる雪男?」と紹介されるなど、充分な存在感があった。しかし約5年を経て情報や問合せは減少。
昭和50年にはヒバゴン騒動終息宣言が出され、類人猿係も廃止された。だが、その後もヒバゴンはキャラクターとして命脈を保ち、現在も地域のマスコットとして多用されている。
<ヤマゴン>
・昭和55年(1980)に広島県福山市山野町で目撃された謎の生物。
10月、地域住民の男性が山野町田原の県道にて、筋骨隆々のゴリラ似の怪物を目撃。顔は黒く、全身は灰褐色の毛に覆われていたという。怪物は目撃者と1分ほどにらみ合って立ち去った。正体が判明せず、怪物にはヒバゴンの再来よろしくヤマゴンの愛称が与えられた。その後も足跡が発見され、消息の途絶えていたヒバゴン自身が移住したものとの説も唱えられた。
上迫錠二は1982年に山野峡探索を実施、ヤマゴンのものかもしれない足跡や貝の食べかす、糞を発見したという。
<クイゴン>
・昭和57年(1982)、広島県御調郡久井町(現・三原市)で目撃された怪生物。ヒバゴン、ヤマゴンに続く広島県第三の怪類人猿として知られる。
久井町在住の10歳と7歳の兄弟が自宅近くの山道で遭遇したもので、茶褐色の体毛に覆われた体長2メートルほどの猿のようだったという。また、尻に尾やタコ(毛のない部分)はなく、左手に石斧、右手に石を握っていた。兄弟が恐怖で固まっていると、怪物は「ホー、ホー」と叫んで崖上に跳び上がり、山中に消えたという。
<飛鉢(ひはつ)>
鉢ヶ峰の堂は天竺から来た法道上人が開いたといわれる。この僧が祈りをこめると鉄の鉢(はち)が飛行して海上に行き、船を巡って米を乞うて回ったという。ある船人が邪心を抱いて鉢に鰯を入れたところ、鉢は海底に沈み、船までもが沈没したという。法道上人は千手空鉢の法を会得し、天龍・鬼神を従え、鉢を飛ばして供物を得ていたとされる。
<異星人のボディーガード>
・昭和49年(1974)11月、岡山県岡山市の女子高・岡山就実高校2年生の美術部員が目撃したというもの。
ある夜、4人の部員がデッサンを終えた頃、変則的な軌道で飛ぶ星のような円盤が現れた。その後、部員の一人が自転車で下校中、不審な自動車が尾行してきた。車は時折ゴーンと謎の機械音を発し、蝋の上を滑るような奇妙な走り方だった。帰宅して家の中に入ろうとしたとき、車内の人物が身を乗り出すように彼女を見てきた。それは坊主頭で、目の窪みには眼球がなく、口もなく、顔にあるのは鼻だけだった。肌はサンオイルでも塗ったようにヌメッとしており、生ゴムのような質感だったという。女子生徒はこの時こそ怪人物が異星人だとは思っていなかったが、それから1ヶ月間ほどUFOのようなものにつけられたという。
<岡山上空の飛行物体>
・昭和33年(1958)、岡山市の岡山就実高校の教師が見た未確認飛行物体。
天文部の生徒たちからUFOの目撃情報を聞いた教師のH氏は、その内容を整理して『空飛ぶ円盤情報』に寄稿した。その後「またUFOが見たい」と思って空を仰いでいると、深夜、ボーッとした青白い発光体が空に現れた。それは直線的な軌道を描き、数秒で消えてしまったが、「本物のUFOなら、今一度」と念じて空を見続けていると、別の位置に再び現れたという。
UFOに関心ある者がUFO遭遇体験をする=UFOは観測者の意思に反応するものという考え方が読み取れる事例のひとつ。
<尾道のUFO>
昭和49年(1974)10月11日早朝、尾道市栗原町のある男子高校生が胸騒ぎを覚えて起床すると、千光寺山上空に長さ約40メートルで黒褐色の葉巻型の物体が浮いていた。それが北西に消えると、今度は北西から帽子のような形の物体が飛来した。無音のままゆっくり飛行しているところを撮影していると、それもまた北西の空に消えた。「えらいものを見たのう!」と恐怖に駆られたが、8日後には友人と共に再び同様の飛行物体を目撃したという。この時期の尾道では未確認飛行物体の目撃が相次いでおり、ある会社員は千光寺山頂上付近を飛ぶオレンジ色の発光体を見たという。このUFO騒動には中国新聞ほか報道各社も関心を寄せたという。
<温羅(うら)>
・吉備津彦命(きびつひこのみこと)に退治された鬼。岡山県の伝説でも特に有名なものとして語り継がれ、桃太郎の鬼退治譚の原型ともいわれる。
第10代・崇神(すじん)天皇の時代。百済から来た温羅という鬼が吉備国の新山(吉備郡阿曽村。現・総社市)に鬼の城を造り、そこを拠点に暴虐の限りを尽くしていた。四道将軍の一人として西道に派遣された吉備津彦命は吉備の中山に宮を建て、片岡山には石橋を築いて決戦に供えた。あるとき臣下の楽楽森舎人(ききもりとねり)が温羅の配下を殺したのを契機に、ついに鬼との大合戦が始まった。
・負傷した温羅は鯉に変じて川へ逃げたが、鵜に変じた吉備津彦命に咥(くわ)え上げられ、とどめを刺された。温羅の猛威は死してなお残り、その始末が吉備津神社の鳴釜(なるかま)神事の由来となる。
<コロポックル>
・日本の先住民族として想定された存在。アイヌの伝承にあるコロポックルを発想の根幹として、本州にも現在の日本人とは異なる民族が生活していたと考えたもの。石器・土器や貝塚は彼らの遺物と推定された。坪井正五郎が主張して議論を起こしたが、現在では顧みられることのない言説となっている。
・明治末から大正頃に編纂された地誌類には、このような先史時代の民族への言及が時折みられる。岡山県では『吉備叢書』(明治30年)の序文に「有史以前には日本最古の民族たるコロポックル住せり」「彼らの古吉備国に蔓延せしは殆ど疑いなきが如し」といった文言がある。吉備地方が古くから繁栄し、遺跡から古代人の痕跡が発見されていることからこのような認識に至ったようだ。
<すいとん>
・岡山県真庭郡八束村(やつかそん)(現・真庭市)に伝わる。蒜山(ひるぜん)高原に出るという妖怪。
一本足でスイー、トンと知らぬ間に近づき、人間を引き裂いて食べるという。人間の考えを悟ることもでき、薪採りに来ていた蒜山の人々の前に現れた際は「お前らの考えていることは筒抜けに分かっている」と威嚇したが、不意に焚火の竹が爆(は)ぜると仰天して「雷を自由にする人間には敵わない」と逃走したという。
・稲田和子編『鳥取の民話』では鳥取県側の民話として「さとりとすいとん」が収録され、蒜山に棲む一つ目の一本足の「さとり」としてすいとんが登場している。
戦後、蒜山の観光地化に伴い、スイトンはトーテムポールを思わせる造形の木造や郷土玩具のモチーフになり人気を博した。
・串田孫一による民芸品付属の説明書では「粋呑」と表記されている。心を読めるため悪いことを考える人間がいれば察知して現れ、引き裂いて食べてしまうとされている。その活躍のおかげで蒜山には悪人はいないのだという。
<猅々(ひひ)>
・松尾芭蕉を主人公に据えた怪談集『芭蕉翁行脚怪談袋』には、芭蕉が山中で猅々(狒々)に遭遇する話がある。
芭蕉が備前国岡山(岡山県)を目指して森山の麓を進んでいたとき、愛用の頭巾を谷の下に落としてしまった。谷に下り、頭巾を取ろうとしていると、長い体毛を垂らした大猿が現れた。その眼は朱を注いだように赤く、身の丈は一丈ほどあった。芭蕉は驚いたが、大きくとも猿には違いないのだから、さほど恐れるべきでもないと考え直して谷を脱出した。そして、俳諧の道も「思いこみで物事を推し量れば大きな過ちとなる」という教訓を得た。話を聞いた岡山の俳人・真田玄藤は、それは猿が千年、万年を経て通力を得た猅々だと語った。猅々は風を呼び雨を降らせることができるが、毛が傷むのを嫌がって悪天候の日には出てこない。ゆえに猅々から逃げるのは陽が翳(かげ)った時が良いという。
<猿神(さるがみ)>
『今昔物語集』巻26「美作国の神、猟師の謀に依りて生贄を止めたる事」では人身御供を求める神とされる。この話は「猿神退治」型の説話の例として知られる。
美作国には中参(ちゅうざん)(中山神社)・高野(こうや)(高野神社)という神があり、前者は猿、後者は蛇だという。人々は中山の神へ年に一度生贄を捧げていた。ある年の祭日、ひとりの少女が来年の生贄に選ばれた。東方から美作に来た猟師は事情を知ると、彼女の身代わりとして神前に出た。やがて身の丈7、8尺の大猿が、無数の猿を引き連れて現れた。猟師は犬を放して猿たちを襲わせ、自身も刀で大猿を追い詰めると「神ならば我を殺せ」と威圧した。すると神社の宮司に猿が憑き、今後は生贄を求めないと言って許しを乞うた。猟師はあくまで報いを与えるつもりだったが、猿が誓言を立てたので許してやった。それ以来。生贄の因習は絶え、人々は平穏に暮らし、猟師も助けた娘と結婚して末永く共に暮らしたという。
中山神社は8世紀初頭の創建とされ、現在も牛の守護神として人々の信仰を集めている。
<狒々(ひひ)>
・山中の獰猛な怪獣。猿の大きなもの、猿が劫を経たものなどと理解され、各種の伝説や昔話に登場する。
たとえば、鳥取県倉吉市には次のような話が伝わる。昔、貧乏な鉄砲撃ちがいて、借金取りから逃れるために山中の洞穴に隠れた。その穴を抜けると「泣き村」という所に行き着いたが、そこでは娘を神様の生贄に捧げる習わしがあった。鉄砲撃ちが身代わりになって山へ入ると、奥から大きな怪物が現れた。銃弾を浴びた怪物は悲鳴を上げて逃げ、その血痕を辿っていくと、岩の下で大きな「ひひ」が死んでいた。こうして鉄砲撃ちは化物を退治し、助けた娘と夫婦になったと思ったが、実は全て夢にすぎなかったという。この話はいわゆる夢オチになっているが、狒々退治の主筋は「猿神退治」の基本形に忠実である。
岡山県御津郡では、備前様(池田新太郎少将)が江戸へ向かう途中、随行していた岡山紙屋町のジンゲンダ様なる人物が木曽の町で人身御供をとる狒々猿を退治し、土地の者から備前様以上に敬われたという話が伝わる。
<第六天の悪魔王>
・神楽の演目「八幡」に登場する魔王。
悪魔王は中天竺他化自在天の主で、日本に飛来して人民を滅ぼそうとする。九州の宇佐八幡宮の祭神・八幡麻呂(応神天皇)は、異国の悪魔王が人々を殺害していると聞き、神通の弓・方便の矢でこれを退治する。
「第六天」とは、仏教における欲界(欲望に囚われた衆生が住む世界)六天の最上位(他化自在天)で、仏道修行の妨げをなす悪魔の王が棲む場所とされる。「八幡」の舞は一神対一鬼の対決の様子を見せる、神楽における鬼退治の舞の基本形とみなされている。島根県石見・出雲の諸神楽にみられる塵輪(じんりん)の舞も、物語の構造や演技の構成は八幡が原型と考えられている。
<目裂金剛王(めさきこんごうおう)>
昔、下原の目崎城に目裂金剛王なる者がいた。身の丈一丈あまり、四臂八足で身は鉄のように堅く、毛髪は針のように鋭い。性質は暴戻(ぼうれい)にして淫僻で、美貌の婦女を略奪しては妻妾にしていた。国司の軍勢は討伐を試みたが成功せず、高野神社に戦勝を祈願して再戦を挑んだ。鉄甲を着けた金剛王には弓矢も効かなかったが、突然現れた朱馬に目を噛まれ、倒れたすきに斬られて死んだ。その後、祟りをなす金剛王の霊を祠に祀ったのが女志良世神社(珍敷(めずらしき)神社)の始まりだという。
<桃太郎(ももたろう)>
・昔話「桃太郎」の主人公。川より「どんぶらこ」と流れてきた桃から誕生して爺と婆に育てられると、きび団子を与えた犬・猿・雉をお供にして鬼が島の悪い鬼たちを退治し、故郷に宝物を持ち帰る英雄。
日本中で語られている有名な昔話だが、俗に岡山県、香川県高松市鬼無町、愛知県犬山市が三大伝承地とされている。岡山を有力な桃太郎伝説の地とするのは、原型と目される温羅(うら)退治の伝説があること、きび団子(吉備団子)発祥の地であることが理由に挙げられる。温羅との関連は昭和5年(1930)に難波金之助が『桃太郎の史実』で指摘したもので、以後岡山では地域のシンボルとして桃太郎が積極的に活用されている。現在では桃も岡山の名産品として知られているが、これは明治後半頃から県内での栽培が拡大したものである。
・JR岡山駅の駅前広場には昭和46年(1971)に岡本錦朋作の桃太郎像が設置され、今日に至るまで地元の人々に親しまれている。桃太郎の前身とされる吉備津彦命を祀る吉備津彦神社にも、中山森造による桃太郎のセメント像が設置されている。平成30年(2018)には、文化庁が認定する「日本遺産」として「「桃太郎伝説」の生まれたまち おかやま」の関連文化財が選出された。2006年から岡山県のマスコットとして活躍している「ももっち」も、桃太郎がモデルのキャラクターである。
現在一般的に知られているのは桃太郎が鬼退治をする型の話だが、これは明治期に国定教科書の教材となって内容が画一化した結果ともいわれ、元は地域ごとに異なった型で語られていたと考えられている。
<うきき>
・岡山県勝田郡勝田町梶並(かじなみ)(現・美作(みまさか)市)の語り手による桃太郎の昔話に登場するもの。桃太郎の実母とされる。
1000年に一度甲羅を干しに出る海亀が、浜で人間の女の子を産んだ。その子はお婆さんに拾われ、ウキキと名付けられ育てられた。並の人間より早く、良い娘に成長したウキキは、山影中納言の奥女中となった。聡明な彼女は中納言の寵愛を受け懐妊したが、本妻に嫉妬され、不義の疑いをかけられ家を追放された。ウキキは大仙山の仙人に助けられて男児を出産し、阿弥陀様のような神様となった。後に中納言が山を訪ねてくると、ウキキは男の子を桃に入れて川へ放り投げ、その子がいずれ鬼を退治し、宝物を中納言に進ぜると予言して去ったという。
『今昔物語集』には中納言藤原山蔭が助けた大海亀から報恩を受ける話があり、本話の原型と推察される。
<金神(こんじん)>
・陰陽道における方位の神の一種。金神が巡る方位を冒すと苛烈な祟りがあると信じられ、近世末期頃から各地で金神除けの祈禱が盛んに行われた。年ごとに方位を回るため「まわり金神」とも呼ばれる。『簠簋内伝
(ほきないでん)』は、金神とは巨旦(こたん)大王の精魂で、その七魄(はく)が人間世界を遊行し、衆生を殺戮するものと説く。
<座敷わらし>
・特定の家に宿り、その家に繁栄や幸福をもたらすとされる子供姿の妖怪または霊。元来は岩手県を中心に東北地方一帯に伝承されるものだったが、柳田國男、佐々木喜善らによる報告、これらを元にした二次資料への記載や創作物への登用(キャラクター化)を経て、全国的な知名度を得るに至った。これにより座敷わらし概念は外来種的に日本中へ波及し、各地の「家に出る童形の妖怪」が座敷わらしと同一視され、東北以外でも座敷わらしの体験談が聞かれるようになった。また、招福の性質から商業およびスピリチュアル方面での需要も高いのか、今日では座敷わらしがいると称する施設は各地方に点在している。
・佐々木喜善は友人が周防国(山口県)で体験した怪異をザシキワラシに類する事例のひとつとして紹介している。それは某氏が山口市の高等学校にいた頃のこと。夜、下宿でドイツ語の書物を枕元に置いて寝ていると、夜半に一人の童が出てきて本をペラペラ捲って遊んでいた。やがて童は寝ている友人の懐や裾に潜りこんで脇などをくすぐったので、たまらず目を開けると、暗中にもかかわらず天窓板が一枚一枚節穴に至るまで明瞭に見えたという。
・岡山県和気郡和気町日笠下出身の女性(1926年生)は、幼い頃に父から「我が家には座敷童子が住んでいた」と聞かされたという。父は座敷童子がチョコチョコと座敷から出て去っていくのを目撃し、家運の衰えを察したという。津山市のあるアパートにもいたずらっこの座敷童がいたといい、住民の看護婦さんは怖いとも思わず一緒に暮らしていたという。
・広島県三次市甲奴町小童(こうぬちょうひち)の飲食店「手打ちそば山菜料理わらべ」(2022年閉店)の店舗は古民家を改装したもので、座敷わらしが宿っているという。開店準備中の時期、澤口則子店主はどこからともなく聞こえる囁き声を耳にしたといい、開業後も人の歩く足音が聞こえたり電灯が消えたりと、奇妙なことが続いたという。店がテレビで紹介されると、「スピリチュアルの先生」が「ここは座敷童がいますね」と判定。それ以来、願いを叶えてほしい、一目見てみたいといった訪問客が増えたという。不思議な現象がよく起こる「座敷童の部屋」には、客から差し入れられた玩具やお菓子が所狭しと並んでいる。
<日招き(ひまねき)>
・沈みゆく夕日を扇子で招き返し、日暮れまでの時間を延ばして目的を達する呪術。
中国地方を舞台とする例では、平清盛による音戸の瀬戸(広島県呉市の海峡)開削の伝説が有名。安芸(あき)守だった清盛は、航路の便を図って音戸瀬戸の開削事業に着手した。しかし工事は停滞し、予定日の夕方になっても終わりそうになかった。そこで清盛は扇で沈みかけている太陽を招き返して、その日のうちに作業を終了させたという。
・鳥取県の湖山長者も、『因幡志(いなばし)』『因幡民談記』などに記述があり、古くからこの種の伝説の主人公として広く知られている。
<猿猴(えんこう)>
・水辺の妖怪。人を捕まえて尻や内臓を抜いたり、牛馬を水中に引きこんだりする。「猿猴」の本来の字義はテナガザルだが、中国地方一帯では河童にあたる存在の呼称として通用している。一般的に想像される河童と同じく、頭に皿があり、留まっている水がこぼれると力を失うとされる場合も多い。人間や神仏によって懲罰されることも多々ある。
<血取り>
・異人などが人の生き血を取ると考えられたもの。明治6年(1873)から各地で徴兵令などに反対する民衆運動(血税一揆)が起きたが、これらの発端にも血取りの風聞が関わっていた。これは前年の太政官告諭にある「西人之を称して血税といふ。その生血を以て国に報ずるの謂なり」という文言から、西洋人が生血を取りに来るとの誤解が生じたものである。
・北条県(現・岡山県東部)では、アメリカに連行される、石高1000につき女1人・牛1匹を異人へ引き渡されるなどの噂にまで発展し、津山の県庁が強く否定するも県民の疑念は拭えなかった。貞永寺村の卯太郎という者は「10歳から40歳までの人の生き血を絞るために白衣の者が来る」と噂を流して住民の不安を煽り、実際に白衣を着た人物の徘徊を見せて暴動を誘発し、大規模な一揆に発展させたという。
・鳥取県会見郡でも、異人は人間の生き血を飲む、徴兵で生き血を絞り外国に売るといった噂が流れていた。鉱山局が雇った外国人が検査に訪れた時は血を取るための調査と思いこみ、人々は門札を外して家族構成を隠したという。古市村(現・米子市)の農民の妻が不審な二人組を目撃すると、村人たちは血取りが来たと大騒ぎして半鐘を鳴らした。混乱は村から村へ急拡大、竹槍を持ち出す者、通行人に暴力をふるう者まで出た。集合した農民は1万人規模となり、戸長宅への襲撃などが始まった。
・明治6年7月の『東京日日新聞』では、岸田銀二が備前児島の他の浦を訪れた際、同地の住民が血取りの流言を信じて避難・武装していた様子が報じられている。人々は朝廷が唐人に騙され、日本人の種を絶やすために、若い男の血を抜いて弱くし、女は外国にやってしまうものと信じていた。邑久(おく)郡では多くの者が血を取られた、美作(みまさか)では夜中に役人と唐人が家々を検め、娘を連れ去ったなどと具体的な噂まで飛び交い、政府への疑念が増大していたという。
<神ン野悪五郎(しんのあくごろう)>
・『稲生物怪録』諸作において名が語られる魔王。山ン本五郎左衛門の同族または対立する相手とされている。
「柏本」では、山ン本の口から神ン野悪五郎の名が語られる。日本では山ン本の同類は彼しかいないという。もはや神ン野が手を出すことはないだろうと言いながらも、山ン本は今後怪異があれば自分を呼べるようにと、平太郎に槌(つち)を授ける。
『三次実録物語』では、山本太郎左衛門と覇権を争っている魔王として信野悪太郎という名が語られる。平太郎の胆力に敵わなかった山本は、信野の配下となることをしぶしぶ受け入れて稲生家を去っていく。
絵巻『堀田家本』では山ン本五郎左衛門の友として権力の座を争う魔の名は真野悪五郎とされている。
・基本的には作中に名前が出るだけで姿は描写されないが、先述の『稲生武太夫一代記』では、山ン本に連れられて衣冠束帯姿の悪五郎が現れる。これは他の絵画作品では太歳(ださい)大明神の姿とされるものである。
<山ン本五郎左衛門>
・稲生屋敷に種々の怪異を起こした魔王。一ヶ月にわたって稲生平太郎の周囲に妖怪を出現させていた黒幕である。
・絵巻「堀田家本」などにおける五郎左衛門は世界の人を惑わすことを業とする魔物で、100人を誑かして魔国の統領になろうと企んでいる。しかし86人目の標的にした平太郎が類稀なる豪胆さを持っていたため、野望は潰えてしまった。観念した五郎左衛門は同族の真野悪五郎から平太郎を守るため、自身を呼び出すことのできる槌(つち)(化物槌)を授けて去っていった。
・幕末から明治にかけて活動した神仙道家の宮地水位は、仙人の教えを受けて様々な異世界を往来していたという。彼が著した『異境備忘録』によれば、悪魔界の12柱の魔王の中には、神野悪五郎月影、山本五郎左衛門百谷という名の者がいるという。『稲生物怪録』との関係は語られていないが、同作の魔王の名を参考にした可能性は高い。ちなみに、宮地水位の世界観において神野・山本よりもはるかに強大な存在が、序列第一位の魔王「造物大女王」である。
<山本太郎左衛門(さんもとたろうさえもん)>
・『三次実録物語』に登場する魔王。稲生家に1ヶ月にわたって怪異現象を発生させた黒幕で、「柏木」や「平田本」系統の作品などに登場する山ン本五郎左衛門と同じ立ち位置の存在。
七月晦日(みそか)、魔王は裃(かみしも)を着た武士の姿で平太郎の前に現れて狼藉を詫び、仮の名として「山本太郎左衛門」と名乗った。彼は対立する魔王・信野悪太郎を従えるための賭けとして、万物の王たる人間の中でも特に気丈な青年100人を脅かし、正気を失わせようとしていた。既に唐、天竺、日本で16歳の青年85人を脅かしてきた太朗左衛門だったが、平太郎の勇気を挫くことは叶わず、不本意ながら悪太郎の下につくことになった。
<天狗使いの彦六>
里公文上(さとくもんかみ)の彦六という男は不思議な術を使うため「天狗使いの彦六」と呼ばれた。ある時、彦六は大名行列を前にしても立ったままだったため咎められたが、斬られそうになった瞬間に姿を消したという。またある時は伯耆大山(鳥取県)に参詣すると言って夜に家を出て、翌朝には大山の札と証印を貰って帰ってきたという。
<阿久良王(あくらおう)>
延暦年間(782~806)、児島の由加山(ゆがさん)を根城にする阿久良王(阿黒羅王とも)という鬼の大将が、東郷太郎・加茂二郎・稗田(ひえだ)三郎なる家来を連れて田畑を荒らし、物や女を奪うなどの悪行を働いた。この噂は朝廷にまで届き、坂上田村麻呂将軍が鬼退治に派遣された。将軍は通生の浦へ来て、神宮寺八幡院で七日七夜の祈願をした後、わずかな家来を連れて由加山を目指した。道中、白髭の老人が将軍一行を援助して導き、人が飲めば薬となり、鬼が飲めば毒となる霊酒を授けてくれた。やがて現れた稗田三郎と斬り合いになったが、将軍が由加大権現に祈ると鬼はすぐに降参した。三郎の案内で鬼の棲み処に着いた一行は、女の鬼に霊酒を飲ませ、寝入ったところを斬り殺した。すると阿久良王が悪行の償いのため「由加大権現の使いとなり、人々を助ける」と誓って絶命し、首を刎ねられると75匹の白狐に変じた。鬼退治を全うした将軍は神恩に感謝して本荘八幡宮や由加神社社殿を造営した。その後、氏子が盗難に遭うと、必ず75匹の神狐が盗賊を探し出して、奪われたものを取り戻したという。
<猿隠山の化物>
・島根県能義郡広瀬町東比田(現・安来市広瀬町東比田)に伝わる。
昔、両目山には化物が棲んでいて、夜に人を取り食らっていた。杵築(きづき)大社(出雲大社)への勅使・柳原大納言の供として当地に来た北面の武士・藤内民部藤原信貞は、夢枕に立った白髪の神様の加護を受け、化物退治に乗り出した。神使の古猿の導きで山中にある化物の塒(ねぐら)に行き着いた信貞は、襲いくる化物を矢と刀で倒し、この地に山王権現を祀った。化物は身長六尺、頭に三尺ほどの銀髪を垂らし、体毛は黄色く、四足は狼のごとく、尾は牛に似た、名も知れぬものだった。猿の教えで化物退治ができたので、山は猿隠山と呼ばれるようになった。これは天喜元年(1053)の出来事で、化物が潜んでいたのは山の七合目あたりの岩窟といわれている。
<山中の貴人>
・浄免院という人物が雲州(島根県)の太守だった頃、寺西文左衛門という弓術に秀でた武士がいた。ある秋、寺西は山へ松茸狩りに行き、帰り際に角平という供の者の姿が見えなかったため、その名を呼んだ。同行の者が呼んでも返事はなかったが、寺西が呼びかけると山奥から何か応じる声がした。そうして発見された角平は、山中で主とはぐれてから、誰とも知れない高貴な人々に捕まっていたと語った。貴人たちは寺西の声を聞くと、迷惑そうな様子で角平を解放したという。角平を誑かそうとした狐狸の類が、その主人が弓の名手であると気づいて恐れをなしたものと思われた。
(2014/9/17)
『宇宙人についてのマジメな話』
(平野威馬雄)(平安書店) 1974年
<空飛ぶ円盤に憑かれた男>
・ 星の住人は、ちゃんと男女の性別があり、目は碧く、髪は金髪だったという。
・ 地球人ともっとも違うのは、その生存期間です。百歳はまだ幼児期で、平均寿命は3万年から4万年ということでした。それに「老」「病」がなくて、3万歳の人も青年みたいな風貌をしていました。
・ 住民は小型円盤がそのまま、マイハウスになり、高層建築に見えるものも、小型円盤の積み重ねだったという。
・ 空飛ぶ円盤なので、移動はむろん簡単。
・ 星全体が単一国家でほしいものは定められたところへ行けば、すぐに支給されるので、争いもなく戦争も皆無の理想郷。
『UFO革命』
(安井)・普通の日本人よりもっと立派な日本語、まるでアナウンサーみたいな日本語で、声もそういう調子でした。
・ええ、高いんです。背が私の倍ぐらい、2メートル4、50ありました。
・「もっと遠い星で、太陽系の外の星なんです。まだ地球上では確認されていないので名前もありません」
・私のことは子どもの頃から全部観察してあり、記録されてあるらしいですね。
・宇宙人の名前はチュェレイさんといいます。チュェレイさんと一緒にいた女性は、背の高さは私と同じくらい、1メートル70センチはありました。髪の毛は少し長めで金髪なんです。
・母船はものすごく大きく、何メートルなんてものじゃなく、葉巻型になっていて長い方が50マイルぐらいだとチュェレイは言っていました。ということは、岡山県の幅ぐらいはあるでしょうね。とにかく想像を絶する巨大な母船なんですね。
・母船の中を小型円盤がピューピュー飛んでいて、全体が街のようになっているんです。
・どこから灯りが出ているのかさっぱりわからないんですが、とにかく昼間の太陽光線と同じなんです。
・彼らが、植えた草や木もあり、池のようなものもありましたよ。非常に気持ちがいい場所でしたよ。
・建物は地球のビルのように四角形のものや堕円形のものもあり、その中がコンパートメントのように仕切ってあるようですね。
・この母船は、巨大な宇宙空間を飛ぶと、ゼロに近い時間で飛ぶらしいですね。その原理は、私たち地球人の知識では全然見当がつかないですね。そして、この母船の中で、時時、地球の各国の人が招待されて色々な話をすることがありますが、その内容については、詳しいことは公表できないことになっているんです。ただ彼等は、原則として地球には干渉してはいけないことになっているらしいんです。
・飲み物は、地球のコーラに似たようなものを飲ませてくれました。けれど、特別変わった味ではありませんでしたね。そのほかにも甘い飲み物はあったんですが、私は、飲まなかったんです・・・・。食べ物は、肉をやわらかくしてトロトロしたものをスプーンで食べるんです。
・リスの肉らしいんです。それとトウモロコシのようなねぎ坊主に似た穀物をくだいて、粉々に作ったパンのようなものがありましたが、これは大変おいしかったですね。味付けの感じは、いわゆる西洋料理のような感じですね。
・チュェレイ星に行く時は、その母船でチュェレイ星の近くまで行くんです。
・降りたところの風景は、どちら側が北か南か全然分かりませんでしたが、とにかく、一方に海があり、その彼方にうっすらと山が見えていました。そして、海と反対側の方は、降りた所もそうでしたけれど、わりと荒れた土地、いわゆる荒蕪地といったらいいでしょうが、そんな感じの平野のような土地が続いていて、そのまん中に街というより都市といったらいいでしょうか、かなり大きな街が見えていました。
・草はね、少し違っています。ちょうど、芭蕉の葉っぱを少し厚くしたような、あるいはゴムの木の葉のように葉の肉が厚いんです。そういう草木が沢山あり、全部の木が闊葉樹ですね。それから動物もいるんですが、皆大きいですねえ。リスが羊ぐらいの大きさに見えました。ただ全部の動物を見たわけではありませんでしたけれど・・・。
・太陽はあります。ただ地球で見るよりははるかに大きいんですが、逆に太陽の熱は地球よりも強くないんです。そして、チュェレイ星は地球のようには自転していないらしいんです。
・都市というのは、かなり大きな街でした。岡山市の旧市内ぐらいは充分あったと思います。そして、もっと驚いたことがあるんです。最初に降りた所でざっと周囲の風景を見てから、もう一度円盤に乗ってチュェレイ星をグルッと一周してもとの場所に帰って来たんですがー海や山などの風景が同じだったのに気がついたのでチュェレイに聞いたら、「そうだ、最初に降りた場所だ」というのでわかったーさっきあった都市がなくなっているんです。おかしいなあと思って、風景は同じようだけれども、あそこに見えていた都市がないのはどうしてなのかと訊いたら、笑いながら、「あれは全部円盤でできていて、今はもう他の場所に飛び去ってしまったのだ」というんです。
『UFO革命』
<第4種接近遭遇>
<UFOに同乗した人>
・「運動公園でUFOに乗った人」で少しご紹介した故安井清隆(ペンネーム)です。安井さんが初めてUFOを見たのは、昭和28年頃の夏だろうと推定されます。岡山市富田町の家の前で夕涼みをしている時に2日続けて目撃したそうです。
・その人は自分の名前をチユェレイと名乗りました。その後、安井サンはチユェレイさんの故郷の星のことを便宜上チユェレイ星と呼びました。
・昭和35年の5月14日。マスコミ各社が集まっていた総勢100人の観測会で33機の大編隊が現れ、読売のカメラマンが撮影に成功したといわれます。だが、この記事はなぜか発表されていません。そして当日取材に来ていなかった夕刊紙がこのことをスッパ抜き、一躍岡山の話題になりました。
・また、もっと驚いたことには、チユェレイ星を一周してもとに戻ってみると、風景は同じなのに、さっきは確かにあったはずの都市が消えていたのです。チユェレイさんは笑いなら「あれは全部円盤でできていて、今は他の場所に飛び去ってしまったんです」と説明しました。その生活のための円盤は四角形のものも沢山あって、さっき見た都市は円盤が重なってビルのように見えていたのです。円盤は絶えず1メートル位浮いているので、道路を作る必要もないとのことでした。しかし、安井さんはどんな単位で街を作るのか、なぜ街は移動するのか聞くのを忘れたといいます。
・チユェレイ星人はみんな身長2メートル以上ありますが、動植物も全体に大きく、リスでも羊くらい。花も直径3~5メートルくらい、木はすべてゴムのような肉厚の広葉樹でした。
・チユェレイ星人の体は全体的にひとまわり大きいものの、地球人と同じです。生殖行為もほとんど同じということでした。原則として一夫一婦制ですが、必ずしも護られなく、恋愛(?)は、彼らにとって最も深い関心事のひとつだとか。しかし、裸に対する抵抗はないらしく、風呂は混浴でした。安井さんはチユェレイさんと一緒に、その風呂に入ったそうです。
『岡山に出現したUFO』
(秋田めぐみ) (岡山若者新書) 1987年
<岡山の安井さんのチュェレイ星への異星旅行>
・ 円盤は都市という程度の規模なんですか?
・ さっきあった都市がなくなっているのです。あそこに見えていた都市がないのはどうしてなのかと訊ねたら、笑いながら「あれは全部円盤でできていて、今はもう他の場所に飛び去ってしまったので」というんです。
・ じゃあ、都市は全部ドーム型になっているんですか?
・ これらの円盤は、飛行するためというよりは、生活する場としての円盤なのですから、四角型の円盤も多くあり、それらが積み重なった場合、大きなビルのように見えるわけなんです。最初見た円盤の街を作ることは、簡単なわけですよね。ただ、どういう理由で、あるいはどんな単位で一つの街を作っているのか、さらにそれらの街は、たえず場所を移動しているのか、何のために移動するのかなどまでは聞き出せなかったんですけれど、いずれにせよ、パァーと集まれば海の真ん中にでも瞬間的に大都会ができるんですから便利だと思いますね。
・ 地上からたえず、1メートルぐらい浮いているわけですから、地上に固定した建造物は全然なく、たえず動いている。チュェレイ星全体が単一国家で、欲しい物は、規定の場所に行けば手に入るし、争いも皆無らしいんです。
・ もちろん、建物は全部円盤でできているわけです。そんな建物がひとつだけ、ぽつんと浮いているところもありました。
・ チュェレイ星人の平均寿命は3万歳から4万歳くらい。
<異星人とテレパシーなどでコンタクトする方法が分からない>
・ “コンタクトする方法は?”円盤に対しての関心を毎日の生活の中でたえず持ち続け、そして宇宙人に早く会ってくれと頼む(念ずる)しか方法がないんじゃないでしょうか。
『UFO革命』
・また「時間と空間は相対的なもの」というのは今の地球の科学でも定説になっていますが、天文学上でも各星によって1年(1行程)の長さが違います。チユェレイ星人の平均寿命は地球時間で3万~4万年くらいらしく、チユェレイさんは地球人の30歳前後しか見えませんでしたが、実際は1万歳くらいとのことでした。そして、地球人がピラミッドを作っている頃から地球に来たことがあって。「あれ(ピラミッド)は地球人が作ったものだ」と言ったそうです。
・「異星人には同じ人間型でも5メートルくらいのもいる。人に言うと怖がるからしゃべらないことにしている。それに人間とはまったく違う形態の知的生物もいる。チユェレイさんたちでもつきあってもらえないほど次元が高く、チユェレイさんたちが研究しても分らないのがいる」と言っていたとのことです。
・こんなにも沢山の人が、こんなにも様々なUFOとの出会いをしている・・・。この事実はなんびとも否定できません。この事実、それも当地岡山においての事実を秋田さんは足で調査し、一冊の本にまとめてくれました。貴重なものだと思います。
・ここ岡山の街にも事実か、単なる流言飛語か、沢山のUFO目撃の噂があります。そこで岡山のUFO研究といえばこの方を抜いては語れないといわれている畑野房子(就実高校理科講師)のご協力のもとに、この噂の真相を調べてみました。(月刊※タウン情報おかやま別冊)(1987年)
・人間が本能的に持っている未知への探究心が大事。
『世界不思議大全 増補版』
泉保也 Gakken 2012/8
<ジョージ・アダムスキー 史上最大のUFOコンタクティ>
<驚異の宇宙旅行と素晴らしい宇宙船>
・アダムスキーは、その後数回にわたって異星人とコンタクトすることになるが、そのたびに彼は驚くべき体験をしている。
1953年2月18日、例によって彼は予感めいた衝動に駆られ、ロサンゼルスのとあるホテルに投宿した。
夜になって、ロビーにいたアダムスキーにふたりの男が接近してきた。ふたりは普通の服を着ており、話す言葉にも何らおかしなところはなかった。
しかし、彼らが握手を求めてきたとき、アダムスキーは異星人だとわかった。彼らは特殊な握手をするからである。
ふたりはアダムスキーを車に乗せ、砂漠地帯に向かい2時間ほど走行。ドライブ中、ひとりは火星からやってきたといい、もうひとりは土星からやってきたと話した。
車が砂漠に着くと、そこにはUFOが待機していた。近くには例の金星人がいて、アダムスキーをにこやかに出迎えた。不思議なことにこのとき彼は、英語を流暢に話せるようになっていたのである。
アダムスキーは、彼らに仮の名前をつけ、金星人をオーソン、火星人をファーコン、土星人をラミューと呼ぶことにした。
・UFOは信じられないくらいの高速で飛行し、地上1万2000メートルの高度に達した。そこにはなんと、全長600メートルはあろうかという巨大な葉巻型母船が滞空していたのである。
・アダムスキーを宇宙旅行に招待したのは、偉大な指導者(マスター)と呼ばれる人物だった。
・土星型UFOは、上空に待機している母船に向かった。今度の母船には、20歳前後にしか、見えない人々が大勢いたが、彼らの年齢は、実際には30~200歳以上にも達するという。
<コンタクティ 異星人からのメッセージを伝える人々>
・コンタクティの証言を「コンタクト・ストーリー」という。
<ハワード・メンジャー>
・アメリカ人。初コンタクトは1932年の夏で、金髪の金星人女性と会見。高校卒業後、陸軍に入隊してからハワイで黒髪・黒眼の異星人と出会い、太平洋戦争時の沖縄戦に従軍した折、沖縄で軍服を着た金星人と会見、「今後もコンタクトが続く」と告げられた。
・退役後の1956年にニュージャージー州プレザント・グローブでUFOを目撃して搭乗員の男女と会う。以後、金星や火星、木星、土星から来たという異星人と何度も会見し、UFOに同乗して金星や月の裏側にある基地を訪れた。妻も金星人の転生者だという。
<安井清隆>
・日本人。岡山市で語学塾を開いていた1960年4月23日の夜、満月の2、3倍はありそうな土星形のUFOを目撃。1週間後の30日午前4時すぎ、テレパシー通信を受けて戸外へ出たところ、3機のUFO編隊を組んで旋回しているのを目撃した。うち2機は姿を消したが、残る1機も導かれるようにあとを追った。
・UFOは総合運動場に着陸し、中から銀色のスーツに身を包んだ、2メートル40センチほどの長身でマスク姿の人間が現れ、両手を差しだしながら安井に近づいてきた。握手後、マスクをはずした男の顔は彫りの深いヨーロッパ系だったが、日本語で話しかけてきた。しばらく、会話を交わしただけで、最初のコンタクトは終わった。
・同じ年の10月30日、「富山県黒部市の宇奈月温泉近くの河原で待つ」というテレパシーを受信。11月1日の夕刻、黒部川で先に会見した男性と金髪の女性と遭遇した。男性はチュェレイと名乗り、それが母星の名でもあると語り、直径5~6メートルの小型円盤への搭乗を許された。円盤は15分ほどで白馬岳の頂上付近に到着。直径30~40メートルの円盤に乗り換えた。内部は操縦室、食堂、倉庫、会議室からなっていた。
・その後コンタクトは中断し、再開されるのは1970年2月。岡山市郊外でチュェレイと再会し、円盤で白馬岳の基地を訪問。全長60キロはあろうかという葉巻型の巨大母船の映像を見せられた後に、その母船へ案内された。母船は恒星間飛行に用いられるもので、内部には森や湖、山などがあり、建物が立ち並び、小型円盤が飛び交っていた。1971年2月末には、その巨大母船に乗ってチュェレイ星を訪問した。が、その後テレパシー通信はぱったり跡絶えてしまったという。
<ステファン・デナルデ>
・オランダ人実業家。1967年7月、オランダ南西部ウースタ―シェルトの沖合をヨットで航行中、海面に浮かんでいた異星人の宇宙船(水上艇)に乗り上げて異星人と遭遇し、乗船を許された。
・身長150センチほどの異星人はヒューマノイド型ではなく、顔の真ん中に窪みがあり、手は鉤状で、全身が薄褐色の毛で覆われ、獣じみて見えた。
会話はテレパシーでなされた。彼らの母星は、地球から10光年彼方にある惑星イアルガで、自転速度は地球よりも遅く、重力は地球の約3倍。窒素やアンモニアからなる大気は濃密で、大気圏の雲が視界をさえぎっており、太陽光は見えない。
・そのイアルガ星へ、小型の円盤から高空に滞空する大型円盤に乗り継いで案内された。イアルガ星は海が大部分を占め、陸地は島だけで、それらは鉄橋で結ばれていた。石油タンクのような形状をした集合住宅が立ち並び、ひとつの建物の直径は約300メートル、高さは約135メートルで、約1万人が居住できる。
ほかに自動機械化された農園、恒星間飛行用の大型円盤の建造工場なども見学してから、再び円盤に乗って地球へ帰還した。
<R・N・フェルナンデス>
・メキシコ大学教授。原子力委員会のメンバーも務める科学者。1972年11月14日、大学構内で異星人女性とすれ違った。身長190センチの長身で、瞳は緑色、黒髪の美女である。それより先、教授は女性の声で何かを訴えようとするテレパシー通信を受けており、異星人であると直感したのだった。
・その後、2度遭遇したものの、会話を交わすことなく迎えた1974年12月22日、彼女が「テレパシーでは通じないようなので、直接話にきました」と教授を尋ねてきた。彼女はアンドロメダ銀河からやってきたリアと名乗り、知的生命体の調査のために地球を訪れていると説明、近いうちに宇宙船へ招待すると約束した。
・それが実現したのは翌1975年4月22日だった。宇宙船は直径5メートルほどのドーム状円盤で、乗船するや、超高速で大気圏外に飛び出した。リアは宇宙空間に浮かぶ青い地球を見ながら、地球環境の脅威、遺伝子工学、反物質などについて語った。
・リアはその後、近い将来凶悪な異星人が地球に来襲する、という警告を残してアンドロメダ銀河へ帰っていった。
<宇宙飛行士が認めたコンタクトの事実>
・ならば、彼らの主張はすべて虚言や妄想の産物かというと、必ずしもそうではない。宇宙探査によってコンタクティたちの話が真実と判明したケースもあるからだ。
・かつてのアポロ計画にも注目したい。宇宙飛行士と管制センターとの漏洩交信記録から、「道」「ドーム群」「構築物」「トンネル」「テラス」などが月面に存在するらしいことが指摘されたからだ。それらはおそらくUFOの基地だろう。
・アポロ14号で月面に降り立ったエドガー・ミッチェルが2008年7月、「アメリカ政府は過去60年近くにわたって異星人の存在を隠蔽してきた」と爆弾発言したことも、コンタクティに有利に働く。地球へ飛来している異星人が人類との接触を試みないとは考えられないからであり、すべてのコンタクト・ストーリーを荒唐無稽と斬って捨てるわけにはいかないのである。
(2022/2/3)
『日本怪異妖怪事典 関東』
朝里樹 氷厘亭氷泉 笠間書院 2021/10/5
<茨城県>
<虚舟(うつろぶね)>
・「うつろ舟」、「うつぼ舟」、あるいは「空舟」とも書かれる。常陸国(茨城県)に流れついたとされるふしぎな扁円状のかたちをした舟、全体は鉄でできており、ガラス障子が嵌められている箇所もある。舟の中にはふしぎな箱を持った異装の女性(「うつろ舟の蛮女」などと書かれる)が乗っており、舟中には水・菓子・肉を練ったような食物・敷物などが積まれていたという。漁師たちは役所などに届け出る面倒を考え、この舟を沖に押し戻して、再び海に流したと語られる。
享和三年(1803)2月22日に常陸国の原舎と呼ばれる浜辺に漂流したとされる情報が広く知られている。
・ただし、このような「うつろ舟」の情報は、それ以前にも存在していたようで、細部や舞台が異なるがほとんど同じものといえる構成のはなしが、加賀国(石川県)・越後国(新潟県)などに出たものとして、随筆や風聞集に見ることもできる。
・昭和中期には「うつろ舟」について、宇宙人を乗せてやって来た「宇宙船」だったのではないかとする説を斎藤守弘が出しており、以後は直接うつろ舟を取り扱った記事でも「江戸版UFO騒動」といった見出しがみられるなど、その延長線上で影響を受けたモダンな解釈で語られることも一般に多い。しかし、それらはあくまで「うつろ舟」が20世紀以後に空想された宇宙船のイメージを連想させる、ふしぎなまんまるみを持ったかたちをしているという点のみへの興味であり、古い情報そのものには「うつろ舟」が空を飛んだり、よその天体から銀河膝栗毛をして来たりしたような描写などはない。
<天狗藤助>
・常陸国の阿波村(現・稲敷市)にいた体のとても大きかった奉公人で、和泉屋に奉公する無口な働き者だったが、人々から天狗の化身ではないかとも語られていた。
別当(管理関係にある寺)の安穏寺が、大杉神社(あんば様)に寄進するため、花屋に注文していた造化を江戸へ取りに行くと「昨日、阿波の大きなひとが取りに来て渡したよ」との返事だったので、ふしぎに思いつつ村に戻ると、確かに造花は神社に置かれていた。そんな大きな者は藤助しかいない、ということから和泉屋に屋に問い合わせても藤助は外泊などしていなかった。すると藤助は、ほんの数時間のうちに江戸まで往復していたというはなしになり、「天狗の化身ではないか」と噂されたという。
あんば様(大杉大明神)には天狗様も祀られており、藤助が天狗の化身と考えられた要因のひとつになっている。
<天狗火>
・夜、山に飛んでいるのが見られるという怪火。赤い光が点滅したり、動いたりするという。茨城県などに伝わる。山に飛んでいる様子がみられると、狐火ではなく天狗火と称されることが多いようである。
<外国の鬼>
・茨城県鹿嶋市に伝わる。「碁石の浜」は鹿島の神と外国の鬼が碁の勝負をしたことに由来するという。この鬼の詳細については記されておらず詳らかでない。
<飛物(とびもの)>
・夜空を光りながら飛んでゆくというふしぎなもの。
<並木道>
・夜道などを歩いているときに、そこにあるはずのない見慣れない並木道がつづいて道に迷わされたりするというもの。狐や狸などの化け術だとされる。
茨城県五霞村(現・五霞町)では、狐の仕業だと感じて、煙草を吸ったらスッと消えた。
<袮々子(ねねこ)>
・利根川に住む女の河童で、茨城県を中心に利根川流域の関東各地に伝わる。
・毎年その居場所は変わり、土地の人々はその毎年の居場所をわざわいのある地点と考えていたことを記している。
・利根川流域には袮々子を祀っている家などもみられる。利根川の河童たちの親分格ともいわれており、関八州の河童の総帥などと文飾されてもいる。
<光物>
・下総国の山王村(茨城県取手市)に住んでいた庄兵衛という男が、天明の頃(18世紀末)に拾ったというふしぎなもの。夜空を光物が飛んでいたと思ったら、垣根のあたりに一寸(約3センチ)ぐらいの宝珠のように先がとがったまるい光物が落ちていたという。白く光っており、夜に書物を照らしてみることもできたらしい。
<一つ眼(ひとつまなぐ)>
・「ひとつまなく」とも。事八日(2月8日や12月8日)の日に家々にやって来るとされる一つ目の妖怪。茨城県などで呼ばれている。
<古猿(ふるざる)>
・山に住む、年を経た大きな猿で、人間を襲ったりする。むかし常陸国の高野村(現・茨城県守谷市)に現われたといい、山の近くに家を建てて住んでいた家の女房を、夫や下人の留守中に襲い、淫らな行為におよんだ。悲鳴を聞きつけて駆けつけた代官や村人たちによって退治されたという。身のたけ六尺(約180センチ)もある大きな猿だったという。もはや猿というよりも狒々やゴリラのようなスケール。
<孫右衛門狐(まごえもんきつね)>
・下総国の赤法華村(茨城県守谷市)に住んでいた孫右衛門という男のもとにやって来て、妻となっていた狐。
旅の途中で宿を借りたのをきっかけに妻となり、やがて孫右衛門とのあいだに男の子を産んだが、昼寝をしているとき、その子が「かかさまの顔がおとうか(狐)によく似ている」と孫右衛門に告げたために、狐は家を出て行ってしまった。
<水戸浦の河童>
・常陸国(茨城県)水戸の海で捕らえられたという河童。海から声がおびただしく聴こえ、ふしぎに思ったのでさし網をおろしたところ、14、5匹の河童が踊り出したという。捕まったのはそのうち1匹で、鳴き声は赤ん坊泣くような声で、尻の穴は3つあったという。
<夜刀神(やとのかみ)>
・角の生えた蛇のすがたをしており、芦原や谷などに住んでいるとされる。『常陸国風土記』に書かれており、太古のむかしの常陸国行方(なめかた)郡(茨城県)で人々が田を開墾してゆく動きを妨害したりしたとされる。継体天皇のころに麻多智(またち)という勇士がこれと対峙し、大きな杖を立て人々の田地と夜刀神の住む地を分けた。また、幸徳天皇のころに池を拓いた際、池のほとりの椎の木に大量に群がって出現したが、壬生速麿(みぶのむらじまろ)によって退けられたともいう。
<山猿>
むかし一年に一度、何者かによって村のどこかに白旗が立てられることがあり、それが立てられた家は妖怪にいけにえとして乙女を差し出さなければならなかった。弓の名人である高倉将監(しょうげん)が妖怪を退治したところ、年を経た大きな山猿だったという。
茨城県龍ヶ崎市貝原塚町などにも、猿の化物が人々の家に白羽の矢を立てて、いけにえを出させていたが、退治されたというはなしがみられる。
<山姥の神隠し>
・茨城県などでいわれる。夕方遅くまで遊んでいると、山姥に連れて行かれる、山姥に神隠しされるなどと子供たちは注意されたという。
<良正(りょうしょう)>
・下総国飯沼(茨城県常総市)の弘経寺にいたという貉で、了暁が住持を務めていた時代に僧侶のしがたに化けて修行をしつつ暮らしていた。学があり相撲も強かったが、昼寝中しっぽが出ているのを見られてしまい、寺を去ったとされる。別れのとき、寺の者に阿弥陀如来の来迎の様子を魔術で見せたとも語られる。良正からは「これは術、信心を起こすことなかれ」という注意があった。
<栃木県>
<青幣(あおべ)>
・「青平」、「青兵衛」とも。青い色の天狗だといわれている。栃木・群馬県境の山々に祀られている五色天狗のひとつ。
五色天狗のうち、青幣については、他の天狗とは異なって山の名がはっきり示されていない。位置関係を考えると沢入山(栃木県日光市)なども考えることはできる。
五色天狗の同僚である赤幣(あかべ)のいる氷室山(栃木県佐野市)などにも祠などが確認できる。
<赤幣(あかべ)>
・「赤平」、「赤部」、「赤兵衛」とも。氷室山(栃木県佐野市)に伝わる天狗。赤い色の天狗だといわれており、火伏せにご利益があるとして祀られている。五色天狗のひとつ。
むかし江戸の宗家の屋敷に火の手が迫ったとき、見知らぬ大男が現われて火を消して類焼から守ってくれたことがあった。そのなぞの男は「あそのあかべ」であると名乗ったといい、調べさせると下野国阿蘇郡のこの天狗だとわかり、火伏せの霊験があると語られるようになったとされる。
この大名屋敷の防火をしたとするはなしは、おなじ五色天狗のひとつ黒幣(くろべ)と共通している。火事があったのは天保のころだという。宗家は対馬のお殿様として知られるが、阿蘇郡にも所領を持っており、その関係から語られている。
<荒針の大蜂>
・栃木県宇都宮市の大谷寺に伝わる。大谷の山の洞穴にいたという数万年も経たような巨大な蜂で、群れをなして人々を苦しめていた。旅でこの地を訪れた弘法大師の密法によって大蜂たちは退治されたという。
この巨大な蜂に由来して、荒針という地名ができたとも語られている。
<岩岳丸>
・「岩嶽丸」、「巌嶽丸」、「岩武丸」とも。栃木県に伝わる。八溝山にいたという鬼。須藤貞信が討伐に向かい、これを退治した。のちにその霊が大蛇と化して出没し、人々を苦しめたとも語られる。
<裏見滝の天狗>
・裏見滝(栃木県日光市)にいるとされていた天狗で、不浄な心得の者がやって来ると、これにつかまれて八裂にされると語られていたという。
修験者たちの修業の地であったころの言い伝えである。
<黒幣(くろべ)>
・「黒平」、「黒兵衛」とも。根本山(栃木県佐野市)に伝わる天狗。黒い色の天狗だといわれている。栃木・群馬県境の山々に祀られている五色天狗のひとつ。
<古峰ヶ原隼人坊(こぶがはらはやとぼう)>
・「日光隼人坊」とも。古峰ヶ原(栃木県鹿沼市)にいる天狗で、日光の山々にいる小天狗たちを統率しているという。
古峰ヶ原には「籠り堂」と呼ばれるものがあり、春と秋に天狗たちがそこに集まる日があって、その日は騒がしい音が聴こえて来たりしたという。
隼人坊の名称にも用いられている「隼人(はやと)」という名は、古峰ヶ原を守る家にも実際に代々伝わっている名前であり、彼らは役行者に仕えていた前鬼(前鬼・後鬼)あるいは妙童鬼の子孫であるとも伝えられている。
<成高寺(じょうこうじ)の天狗>
・栃木県宇都宮市塙田の成高寺に伝わる天狗。むかし成高寺にいた貞禅禅師という書道に長けた僧侶のもとに翁のすがたに化けて「腕を借りたい」とやってきたという。腕(字のうまさ)を借りに来た理由は、神仙たちとの書の集まりに参加するためであり、承知をした貞禅の腕はしばらくしびれが出てうまく動かなかったが、数日後再びおなじ翁がやって来て礼を告げると腕は治り、以後は寺を守護してくれるようになったとされる。
このような書道の腕前を借りてゆく天狗のはなしも各地の寺社にみられる。
<小眼(しょうまなこ)>
・事八日(2月8日)の日に家々にやって来るとされる一つ目の妖怪。栃木県野上村(現・佐野市)などでは一つ目小僧のような目がひとつの存在だと語られ、12月8日にやって来るので籠を家の外に出しておいたりしたという。
<白倉山の天狗>
・白倉山(栃木県那須塩原市)に住んでいた天狗たち。弘法大師が箒川沿いを歩いていたときに火の雨を降らせて邪魔をしたという。弘法大師は石の上に大きな石を屋根のように積んでその下に入り火をよけたといい、その石は「弘法の釣石」と呼ばれている。
<白幣(しろべ)>
・「白平」、「白兵衛」とも、白岩山(栃木県佐野市)に伝わる天狗。白い色の天狗だといわれている。五色天狗のひとつ。
白岩山には、白岩山神社があり、そこに祀られていると考えられる。
<群馬県>
<岩舟(いわぶね)>
・『前橋神女物語』にみられる、長壁姫(おさかべひめ)の乗っている空を飛ぶふしぎな船。「長壁大神」が侍女たちを連れて前橋城(群馬県)から出掛ける際に乗っていたといい、富士山や武蔵国秩父山、出雲など日本各地をはじめ、高天原などにも出掛けている。
岩舟と呼ばれているが、材質は鉄とも石ともつかない硬くしっかりした素材で、大きさもいろいろあったと語られている。
<兎聟(うさぎむこ)>
・人間の娘をお嫁に欲しがる兎。
むかし、おじいさんが「畑仕事を手伝ってくれたら好きなものをやろう」と約束をした結果、その娘を欲しがった。おじいさんの三人いる娘の末の妹が承諾して嫁に行ったが、里帰りの道中で兎に餅を入れた重たい臼を背負わせたまま桜の枝を採らせて、川に落としてしまった。
群馬県新治村などに伝わる昔話に登場する。「猿聟」と分類される内容のもので、猿が登場するはなしのほうが一般には多い。
<牛の角の如き角の生えたる獣>
・『前橋神女物語』にみられる、長壁姫の使い。前橋城(群馬県)の「長壁大神」が、前橋藩士である富田政清の娘・鎧(がい)(のちにお告げによって改名して春)にはじめて「長壁大神の宮へ来い」というお告げをした際に、その内容を託されて現われた獣。
あえて牛と明言されていないことを考えると、角のあるふしぎな存在が現われたのだとみられる。ほかには白い兎、白い狐、天狗、鴉、鳩なども使いとして鎧の前にお告げを語りに出現している。
また、長壁様の侍女とされる存在が、長壁大神の使いとして多数『前橋神女物語』には登場しており、お菓子やおこづかいをしばしば届けている。
<永泉寺の貉(むじな)>
・群馬県高崎市倉賀野町の永泉寺のうら手に広がっていた林にいたという貉。むかしは近在の村人が宿場へ遊びに行って来た帰りに、この貉に化かされることが多かったりしたという。
<大入道>
・群馬県渋川市行幸田に伝わる。甲波宿祢(かわすくね)神社の南に「入道街道」と呼ばれる山道があり、そこには大入道が出没してひとの通るのをさまたげたりしたという。この大入道は、善人がとおるとすがたをみせず、決まって悪人がとおるときだけに出たという。
<お狐さん(おきつねさん)>
・出雲国(島根県)から稲を持って帰って来たとされる狐。お稲荷さんの使い。稲穂を他国に持ち出すことは禁じられており、追っ手に追いつかれそうになったが、茶の木の蔭に隠れて難を逃れ、人々に稲をもたらしたと語られる。
<おこじょ>
・関東地方では群馬県を中心に「おこじょ」は十二様のおつかいだとされている。山で目にするとけがなどの災難につながる、捕まえたり、殺したりすると良くないことが起こると考えられたりしていた。
・「山おおさき」とも呼ばれており、見た目は尾裂たちと重なっている。
<長壁姫>
・「刑部姫」、「小刑部姫」、「小坂部姫」または、「長壁大神」とも。城の天守閣に宿っているなどと語られており、姫路城(兵庫県)のはなしが有名だが、関東地方では、それを分霊したとされる前橋城(群馬県)などでも語られる。
・『前橋神女物語』には、明治のはじめ頃に前橋城の「長壁大神」が、前橋藩士である富田政清の娘・鎧(がい)と交信していたはなしがつづられている。牛の角の如き角の生えたる獣などの使いを寄越したりしているほか、長壁様の侍女と名乗る女たちが使いに現われ、色々な菓子を持って来たりもしたという。長壁大神と侍女たちが岩舟というふしぎな舟に乗り、遊山に出掛けていたことや、長壁大神をはじめとした神々(長壁の本体を木花咲耶姫(このはなさくやひめ)としている)と仏仙徒が西国で合戦をしているという様子が語られている点など、平田篤胤やその周辺の国学・古神道の説を多く摂取したみられる独特な内容のほか、皆川市郎平を連れて行った埼玉県の総髪の異人の記述などもみられる。
<悪勢(おぜ)>
・上野国の御座入(群馬県片品村)に住んでいたという鬼、あるいは夷賊。武尊山を本拠地としていたとされる。
<尾瀬沼の主>
・群馬県片品村などに伝わる。尾瀬沼のぬしで、大きな尾のあたりから水が来ているために「尾瀬」、あたまを置いているあたりなので「牛首」などの地名に結びつけられて語られている。
<お天狗山の天狗>
・嵩山(たけやま)(群馬県中之条町)の「お天狗山」に住んでいる天狗で、鶏の鳴き声を嫌っており、山の周辺で鶏を飼うと、この天狗が怒ってやって来て、その家を燃やすといわれていた。
<隠し坊主>
・日暮れ過ぎまで遊んでいる子供を隠してしまうと語られる存在で、子供たちは暗くなってくると「かくしぼうずがくるから、かえろう」と言っていたという。
<かくなし婆さん>
・日暮れ過ぎまで遊んでいる子供を連れさって隠してしまうという白髪の老婆のすがたをした妖怪。
<隠れざと>
・群馬県邑楽郡千代田村(現・千代田町)に伝わる。子供が泣いていると、むかしは「かくれざとに隠されるから泣くな」と言って叱られたりしたという。
<迦葉山(かしょうざん)の天狗>
<片石山の天狗>
・片石山(群馬県前橋市)に住んでいるという天狗たち。穢れのある者が山に入って来たのを察知すると、利根川に投げ込んでしまったという。
<木部姫(きべひめ)>
・榛名湖(群馬県)に入って竜あるいは大蛇になったとされる美しい娘。
上野国の木部(現・群馬県高崎市)にいた木部長者の娘であったが、その正体は榛名湖のぬしであり、年頃になると屋敷を出て湖に身を沈めて蛇身となった。
<群馬八郎(ぐんまはちろう)>
・「群馬(くるまの)八郎」とも。群馬県伊勢崎市や前橋市などに伝わる大蛇。
・父である群馬満行も春名満行権現(はるなまんぎょうごんげん)という榛名山の神であると記述されている。
<幸菴(こうあん)>
・「幸庵」、「幸菴狐」とも、上野国(群馬県)にいたという100歳を超えた翁で、家々に泊めてもらってはありがたいはなしをしたり、「寿」という書を揮毫していた。吉凶判断をしてもらうと、よく当たるといい、評判になっていた。ある家で「お湯をどうぞ」と、風呂をすすめられたとき、お湯が熱過ぎたことから狐のすがたになって驚いてしまい、その正体がわかってしまったという。
・湯殿で正体が露顕してしまう展開は狐狸に多く、東京都の高安寺の小坊主などをはじめ各地にみられる。
<白猿>
・群馬県片品村の猿岩と呼ばれる武尊山(ほたかやま)の岩屋にいたという猿。花咲の里に下りてきては畑を荒らしたりしていたが、ひとびとが武尊明神に祈願して以後はすがたを見せなくなったという。
武尊神社で秋に行われる猿追祭の由来だとされる。
<大だら法師(だいだらほうし)>
・とても大きな巨人。群馬県では、赤沼(高崎市)は「大だら法師」が赤城山に腰かけて足を踏んでできた跡であるとされる。
<大場三郎豊秋(だいばさぶろうとよあき)>
・下野国(しもつけのくに)の大場(群馬県東吾妻町)を護っているという大天狗。山伏のすがたで現われた天狗から奥義である「天狗道の秘文」を習い大天狗になったと語られている。村人に対し火伏せをすると告げたとされる。
<天狗の子供>
・群馬県富士見村(現・前橋市)の横室に伝わる。むかし榎本という男が畑仕事をしながら景気よく「鬼でもこい。天狗でもこい」と掛声をかけていたところ、「すもうをしよう」と子供が語りかけて来た。子供相手だと思って相撲をとったが、男は子供に連続して投げ飛ばされ、そのまま連れ去られてしまった。
子供の正体は天狗で、天狗の世界に連れて行かれていたが麻多利神(摩利支天(まりしてん))によって救われ、10日後に村に戻って来ることができたという。
<天竺の金>
・事八日(2月8日、12月8日)に目籠を家に立てて飾る理由のなかには、この日に天竺あるいは天から金が降りくだってくるので、それを目籠で受け取るためだという例もみられる。実際に目に見えて金貨などが降って来るわけではなく、「1年間の福を得る」というかたちのものである。
<丸嶽の天狗>
・上野国水沼(群馬県高崎市)の丸嶽の天狗で、日本を魔国にしようとたくらんでいた。五色の水の沼を出現させ、その水を流れ出させて人畜を殺すなど、鉄鬼、活鬼に協力を仰ぎつつ、ともに妖通力を用いて暗躍した。
<山男>
・山中に住んでいる存在。群馬県上野村などでは、山の洞穴などに住んでいると語られており、山仕事をしているひとがこれに出会ったり、何か物をもらったりしたといったはなしがみられる。
<山姥>
・「鬼ん婆」とも。とても大きな巨人。群馬県上野村では、とても大きな山姥が叶山に腰をかけて足を洗った、などのはなしが伝わる。
<埼玉県>
<疫神(えきじん)>
・人々に疫病をもたらすとされる存在、「疫鬼」などとも称される。
<大入道>
・ものすごく大きな図体をした妖怪。狐や狸などのへんげ動物が化けるともいわれる。
<総髪の異人>
・川越城(埼玉県)の武士・皆川市郎平の前に現われて、1ヶ月半ほど日本各地を連れて歩いていたというふしぎな存在。仙人や天狗のような存在とみられるが正体は不詳。
・天狗とともに知らない土地へ行った・さらわれたといったはなしのひとつであるといえるが、回想に登場するのはどこへ行った・何を見たといった現実の日本各地を短期間で巡って来た道中記的な描写がほとんどであり、天狗や神仙の世界に行ったような内容は見られない。ただし、金毘羅さま(香川県)参拝後なまぐさい寒風が吹くふしぎな道を歩いているうちに八王子(東京都)に着いた、海を下に見て空を歩いていたなど、移動中の様子にふしぎな描写がいくつかある。
<袮々(ねね)>
・埼玉県戸田市内谷の「ねねが渕」と呼ばれるあたりに出たという河童で、朝に田畑に向かう人々の前にすがたを現わしてびっくりさせたなどと語られている。
<千葉県>
<愛宕坂の天狗>
・千葉県佐倉市の愛宕坂は、天狗が通行人に対してしばしばいたずらをしたとされる。砂がさらさらと落ちて来るような音を上からさせたり、懐に一文銭を投げ込んで来たり、茶釜が転がって来たりという。
<天邪鬼(あまんじゃく)>
・天邪鬼(あまのじゃく)のこと。庚申(こうしん)(青面金剛)の画像でなぜ天邪鬼が踏みつけられているのか、といったはなしが千葉県などに伝わる。
<岩田刀自(いわたのとじ)>
・安房国朝夷郡(千葉県)に住んでいたという数百歳のふしぎな道士。両目は青かったという。
浅井了以意『伽婢子(おとぎぼうこ)』にみられる。里見義広が城に招いたが「君、五箇月後の後に必ず禍あり」と告げられたという内容になっている。長命であるというしるしとして、那須野原で九尾の狐が狩られたり、殺生石でひとが死んだ光景も青年のころ実際その場で見たと語ったという。
『太平広記』にある「軒轅」のはなしを日本に翻案したもの。刀自(とじ)を笑った城の女たちが術で老婆に変えられてしまう箇所にみられる。
<大きな姥>
・「関の姥」とも。とても大きな巨人。
<狗賓(ぐひん)>
・天狗のこと。人間がこれになってしまったというはなしもある。
下総国の箕輪(千葉県柏市)の修験者の家の先祖は、兄と弟そろって都で修行したが帰り道で弟が行方知らずになってしまい、後に嵐の日に杉の木の上から「戻って来たぞ」という声だけが聴こえ、「狗賓さま」になって帰って来たと語られていたという。
<大弐(だいに)>
・千葉県長南町の長福寿寺に伝わる。むかし十八僧正がいたころに弟子として寺で修行をしていたという僧侶だったが、あるとき天狗であることが知れて斬られてしまい、羽根を残して去ったという。
<天狗様の花見>
・3月4日は「天狗様の花見」の日だとされており、山に入ってはいけないとされていた。もし入ってしまうと天狗にさらわれてしまうといわれていた。
千葉県本納町(現・茂原市)などでいわれていたという。
<東京都>
<池袋の女>
・江戸で語られていたもので、池袋村(東京都豊島区)から雇い入れた娘を屋敷などで使っていると、怪音が起こったり、茶碗や土瓶が割れたり、行灯が飛びまわったり、誰の投げ込んだかわからない礫が打ち込まれたりといったふしぎな現象が次々起こると噂されていた。
・実際のところは、不可思議な力による出来事ではなく、その村の若者たちが娘の雇われ先にやって来て起こしていたいたずらだったとか、娘本人が起こしたものであったとも語られる。
<牛御前>
・「牛鬼」、「鬼牛」とも、武蔵国の浅草(東京都台東区)に現われたという大きな牛。隅田川から出現して浅草寺に侵入し、多くの僧侶たちに毒気を浴びせて殺したり、病気にしたりしたとされる。
<宇治の間>
・江戸城の大奥にあった部屋で、「開かずの間」として知られていた。宇治の間の前の廊下には、将軍家に何か凶事があるときにはふしぎな者が現われるといい、徳川家慶が亡くなる少し前に、ここに控えているはずのない老女のすがたを見たなどのはなしが伝わる。
<人面犬>
・ひとの顔のような子犬。文化七年(1810)6月8日、江戸の田所町(東京都中央区)の紺屋さんの裏で、2、3匹の人面犬が生まれて、母犬にお乳をもらっているのが見られ、やがて噂を耳にした興行師に買われた。その人面犬たちは両国で見世物に出され、大きく評判になったという。
石塚豊芥子『街談文々集要』による記録によれば、見世物に出ていたのは、わずか数日のみで、ほどなく死んでしまったそうである。
<だいだらぼっち>
・とても大きな巨人。「大太法師」、「大多法師」などと字をあてても書かれる。
<高尾山の天狗>
・高尾山(東京都)に住んでいるとされる天狗たちで、山に祀られている「飯綱権現(いづなごんげん)」の使い。
俗に、人間に決して悪さなどはしない気品の高い天狗たちであるといわれており、にょきにょき張り出して山道の邪魔をしていた杉の大木の根を押し上げたりしたのもこの天狗たちである。
<澤蔵司(たくぞうす)>
・江戸小石川(東京都文京区)の伝通院に住んでいた狐。僧のすがたになり勉学に励んでいたが、あるとき熟眠してしっぽを出していたところを見られてしまい、正体が狐であることを知られてしまったという。
<遣天狗(つかいてんぐ)>
・武蔵国の秩父の山中にある七代の滝(東京都青梅市)の近くに住んでいた僧侶は天狗を使役しており、いろいろとおつかいに出していたという。
<天女の異香>
・天女に口接けされた者の口の中から発生しつづけたというふしぎな良い香り。
<榛名山の天狗>
・雹嵐(ひょうらん)を各地にもたらす天狗として、東京部の農村部などで語られていた。
<神奈川県>
<仙(せん)>
・翅(つばさ)を持つごく小さな人間で、一寸(約3センチ)くらいの大きさをしている。仙人のような存在であるらしい。
・蜂と勘違いされたりしたことを含め、「仙」たちの形状は、ヨーロッパのフェアリーたちと比較してみてもおもしろいものではある。
<山男>
・山中に住んでいる存在。
『譚海(たんかい)』などには、相模国では箱根山に山男が住んでいるとされ、山で捕った赤腹魚を小田原の町に市場がたつ日になると持って来て、お米と交換していったとされる。小田原の領内では「人に害をなすものにあらず」とみられていたようである。基本的には全裸に近いが、葉っぱや樹皮を衣服にしているともある。
<山の神>
・正月八日、2月8日、12月8日は神奈川県では山に入らない日とされており、山の神のたたりを受けるとされている。
<山姫>
・山中に住む美女とされるが、それに貉が化けていたというはなしもみられる。
<東京都(伊豆諸島)>
<てっじめ>
・「てっじめえ」とも。八丈島(東京都八丈町)に伝わる、山の中にいるという存在。山で牛の世話をしているひとや、山仕事をしているひとにいたずらをしたり、食品を盗んだり、邪魔をしてきたり、手伝いをしたりしたという。山猫であるとも語られている。
<てっち>
・てっじめ、「やまんば」、「やまんばば」とも呼ばれる。八丈島に伝わる。山の中にいるという存在。女性のすがたをしているともいい、大きな乳を両肩にかけているという。
<天児(てんじ)>
・八丈島に伝わる。山の中に住んでいるという子供のような姿のもの。ひとをたぶらかしたりするという。
<関東広域>
<悪魔>
・人々に良くないものをもたらす魔物・悪霊。悪魔という言葉は、寺社や修験者、芸能を通じて広く用いられていた。
<あめりか狐>
・アメリカ大陸から渡来したと想像されていたもので、悪疫の元凶であると考えられていた。「アメリカ国の尾裂狐」とも。
開港以後の関東や東海道を中心に語られていたもので、狐や尾裂が取り憑くことで悪い病気になるといわれていたという。
<鬼>
・山などに住んでいるとされる妖怪で、とても力が強く、旅人や人里を襲ったりする。各地で伝説や昔話などに広く登場する。
<隠れ里>
・一般には、隠者や落人などが隠れ住む山里あるいは浮世から離れた桃源郷・仙境のような場所、昔話に出て来る「鼠浄土」や「雀のお宿」のような場所の呼び名として用いられることが多いが、お膳などを貸し出してくれる伝説が過去には存在したと語られる洞穴を、「かくれざと」と呼ぶ例が関東にはいくつもみられる。
茨城県五霞村(現・五霞町)の穴薬師は、隠れ里と呼ばれており、お膳が必要になったとき、使用する日と数を言っておくとその日に貸してくれたという。
<隠座頭(かくれざとう)>
・遅くまで遊んでいる子供を連れ去ってしまうとされる存在。
<風の神>
・風邪などの疫病を人々にもたらす存在。
<狐>
・へんげをする動物として広く知られ、各地で狐に化かされたという話が数多くみられる。
<狐憑き>
・明治時代には、狐憑病・犬神病・狐憑症などの名称で医学者たちの間でも門脇真枝『狐憑病新論』をはじめ、精神疾患のひとつとして広く研究された。一方宗教者たちの間でも様々にその対処理論や治療術が近代以後にも用いられていた。
<狐の嫁入り>
・提灯のあかりのような狐火が一列につらなって動くのが見えたりするもの。小雨が降っているときに見えるともいう。
<管狐(くだきつね)>
・袂狐や尾裂と同じような憑物。竹の管に入ってしまうような大きさの小動物だという。東京都、千葉、神奈川県などに伝わる。
<天狗>
・山に住むとされる妖怪。さまざまな神通力を持っているという。昔話や伝説などにもさまざまに登場しているほか、各地の山や森、寺社でいろいろな話が語られている。神奈川県や伊豆大島などでは「てんごう」とも呼ばれる。
川天狗など、川にいるとされる天狗たちも各地で広く語られている。
<天狗魔物>
・山に住むあやしい存在、神のような存在のことをこのようにまとめて呼んだりもしたようである。
<貉憑き>
・貉が人に取り憑いて、病気にしたり、過食や奇異な行動をとらせること。症状は狐憑きとほぼ重なる。
<厄神(やくじん)>
・人々によくないことや悪いことをもたらす存在。
<疫病神(やくびょうがみ)>
・「厄病神」とも。人々によくなうことや悪いことをもたらす存在。「悪病神」という呼び方もみられる。
事八日(2月8日や12月8日)に家々にやって来る存在とも語られる。鬼や悪魔と同様、臭いにおいが嫌いだとされる。
<山女>
・山中に住んでいる存在。とても力が強いという。山姥とほとんど同じもののようにも語られている。
群馬県上野村などでは、山の神は女性の姿をしており、たたりを受けるとおそろしいと、山仕事をするあいだで語られていたという。
<山姫>
・山中に住んでいる存在で、美しい女性であると語られることが多い。群馬県などでみられる十二様は女神であるとも語られており、山姫や山姥と共通してくる部分も多い。
<山姥(やまんば)>
・「やまうば」、「やまんばばあ」とも。山中に住んでいる存在で、昔話のなかで人々から恐れられている一方、富を授けてくれたりもする。
<その他(物語、演芸、芝居、絵画、戯文などの画像妖怪たち)>
<牛鬼>
・「鬼牛(きぎゅう)」とも呼ばれ、水に没して死んだ者のうらみがなるという大きな牛。そのすがたを見た者は死ぬともいわれる。
<趙良弼(ちょうちょうひつ)>
・日本を魔国にしようとやって来た蒙古の蝦蟇(がま)仙人の霊で、実の息子である帝烏枢丸(でいうすまる)に出生の秘密を語り、蝦蟇の妖術を授かり、鎌倉幕府転覆を進めさせる。
<帝烏枢丸(でいうすまる)>
・蒙古の蝦蟇仙人趙良弼(ちょうちょうひつ)の息子で、父の霊から三千万里自在の蝦蟇の妖術を授かり、鎌倉幕府転覆と日本を魔国にすることをたくらむ。
<田楽天狗(でんがくてんぐ)>
・鎌倉幕府の執権・北条高時を惑わすために現われ、田楽舞を踊った数多くの天狗や異類異形の化物たち。
『北極の神秘主義』
(ジョスリン・ゴドウィン)(工作舎)1995/9
(局地の神秘・科学・象徴性、ナチズムをめぐって)
<以来この世界はデミウルゴスとヒュペルボレア人の戦場となった。>
・劣位の擬神のひとりであるこの「デミウルゴス」は一種の人間を作ろうとしたが、それは下等なロボット的存在に過ぎず、その名残りこそネアンデルタール人である。デミウルゴスの計画ではこの被造物は死後(祖先の道)にしたがって何度も土に帰るようになっていた。一方、ヒュペルボレア人にとって、このような自分の意志によらない転生は<デミウルゴス>の<円>に捕らわれた忌まわしさのままであった。
・彼の言うヒュペルボレア人は、物質的宇宙のどこにも属していないが、同時に地上で意識を持つことのできる並行した存在状態にあり、二つもしくはそれ以上の世界における戦いを遂行することができる。 だが、この種の超越意識が宿るのは古代の白人、すなわち<ヒュペルボレア人>の記憶を保存する血の持ち主に限られている。
・以来、この世界は、<デミウルゴス>と<ヒュペルボレア人>の戦場となった。
<デミウルゴス>とは、エホヴァもしくはヤハウェであり、ヒュペルボレア人の干渉を絶対に許さず、開闢以来、彼らに対して無慈悲な戦いを挑んできた。この戦いで、彼が用いる道具は、セラノが常に言及する<大陰謀>に与る<反人種>ユダヤ人である。彼らは、この世界のすべての宗教的、政治的、顕教的、秘教的団体の背後にいる。セラノは、フリーメーソンのみならず、キリスト教も憎んでいる。その両者共に、ユダヤの陰謀の一部であると見なしているのだ。
・セラノによれば、ヒトラーの侵攻の初期段階においては、彼の意図は単にアーリア人、すなわちヒュペルボレア人の古代の領地を回復しようとするものにすぎなかった。 ヒトラーは、アヴァタールとしての宿命に着手した、すなわち、国際的ユダヤ人と<デミウルゴス>に対する、そしてその最後の創造物である共産主義ソビエト連邦に対する全面戦争である。
・ほとんどの人は、私達が対戦中のヒトラーの主要な精力は、「魔術的現実」の実験に注がれていたと言うと驚くに違いない。それはたとえば、空飛ぶ円盤の製造、物質の透明化、潜水艦による北極探検、チベットとの慎重な接触、そして北極か南極の要塞における先端科学の探求である。その後、ベルリン陥落と共に、彼は、アルベルト・シュピールの設計によるブンカーとテンベルホフ離着陸場を結ぶ地下道を通って脱出し、もうひとつの世界に達した。
<セラノは、総統を賛美する>
600ページにも及ぶ哲学的総括の大著「最後のアヴァタール、アドルフ・ヒトラー」(ジゲール・セラノ)(1984年)
(セラノはチリ人でインド、ユーゴスラビア、オーストリアの大使を歴任し、様々な国際会議のメンバーであった。)
・セラノによれば、ヒトラーは、ヴィシュヌ神の10番目の化身(アヴァタール)、すなわちカルキ・アヴァターであり、カリ・ユガに終わりをもたらし、新時代の到来を告げるために受肉した存在である。彼は、末法の世のトウルクあるいは菩薩であり、すでに解脱した身でありながら人類のために自発的に下生した。ゆえに彼はあらゆる批判を超越した存在である。ここで、「存在である」と現在形を用いたのは、セラノがヒトラー生存神話を堅く信じているからである。総統は、恐らく、ドイツ製の空飛円盤型航空機で1945年ベルリンを発ち、南極の地下で不可視の存在となって、顕教的な戦争の過ぎ去った今、ここから、秘教的な戦争を指示し続けている、と彼は考えている。
・だが、なぜヒトラーのようなアヴァタールが必要か。それを理解するには時をはるかに遡り、銀河系外からやって来て「第一ヒュペルボレア」を築き上げた存在に目を向けなくてはならない。セラノによれば、彼らの起源を隠蔽しようとする巨大な陰謀が存在し、その最後の記録は、アレクサンドリアの大図書館と共に破壊された。また彼らを宇宙的存在、すなわちUFOに乗ってやってきた「ET」である、と誤解させることを目的とした陰謀もある。
(2021/8/1)
『日本怪異妖怪事典 北海道』
朝里樹 笠間書院 2021/6/18
<アイヌの怪異・妖怪>
・アイヌの妖怪で特徴的なのは、まず異様に強大なものたちだ。例えばフリーと呼ばれる鳥の妖怪は、空を飛ぶだけで幾日も太陽の光を遮るほどに巨大で、地域によっては片翼だけで七里(約27.5キロメートル)もの大きさがあったなどと言われている。海の妖怪であるショキナは、口を開けば上顎が天に届き、下顎は海底に届くほどの巨体を持っていたとされ、海に出てきた人間を船ごと飲み込んだという。
また、北海道という土地柄か、熊の妖怪も豊富に語られている。アイヌではヒグマのことをキムンカムイ、ヌブリコロカムイなど様々に呼び、神聖視してきた。一方、人間に害をなすヒグマはウェンカムイと呼ばれ、断罪の対象となった。他にも人間がヒグマになったウレポロクルカムイエカシ、毛のない熊の化け物だというアラサルシ、人食い熊の姿で現れて人を殺害するヌプリケスウングルなど、数多く語られている。
<アフンルパロ>
・アイヌに伝わる怪異。地獄に繋がる穴とされ、全道に存在する。生きた人間が誤ってこの穴に入ってしまうと中には死者の霊がうようよといるとされ、逆に穴から死人が現れる話も多い。「地獄穴」と訳される。
・同書では死んだ妻が地獄穴から出てきた話や、アフンルパロに入ったためにそれから1週間ほどで死んでしまった話などが掲載されている。
また、地獄穴の特徴としては次のようなものが挙げられている。あの世から来た幽霊の姿が生きた人間の目には見えぬように、この世から生きながらあの世に行った人の姿はあの世の人々の目には見えない。しかし犬だけは、この世の犬があの世から来た幽霊の姿を見ることができるように、あの世の犬もこの世から生きながら行った人の姿を見ることができる。
・加えてこの世とあの世とでは昼夜も逆転する上、時間の経過の尺度が違い、あの世で数時間過ごしたばかりだと思ったのが、この世へ帰って来てみると十数日も経過している。またあの世の物を食べると、この世へ帰れなくなる。これは日本神話における黄泉戸喫(よもつへぐい)の思想と似る。あの世から帰って来た者はそれから短期間で死ぬ。長くて一年。ただし誰かを身代わりにやれば、その人は逆に長く生き栄える。
・あの世は地下にあり、ポクナモシリ、カムイコタンなどと呼ばれる。分かりやすく言えばポクナモシリは地獄で、カムイコタンは天国や極楽に当たる。そこは善人の魂の安住する楽しい世界である。そのためアフンルパロは地獄穴と呼ばれるものの、善人の住む世界へ繋がることもあるという。
・『アイヌ神話』によれば、アフンルパロは地獄の入口であるとされている。かつては夜になるとアフンルパロから魔神たちが現れ、人間を攫って逃げて行った。そのためオイナカムイという神がアフンルパロから地獄に入り、魔神たちを散々に痛めつけた上で魔神たちが人間の世界に来ることができないよう、石をもってその入口を塞いだとある。
・『アイヌ伝説集』には虻田郡(あぶたぐん)で語られた話として、地獄穴と呼ばれる穴に死んだ母親が入っていくのを見た、という話が載せられている。この話では、前述したアフンルパロの特徴と同じく幽霊と生きた人間は互いに姿を見ることができないが、犬だけは幽霊を見ることができる、とも語られている。
<イヨルヌカムイ>
・アイヌに伝わる悪神。「後をついて来る神」の意とされ、人間の後をいつまでもついて来て、病気にさせるのだという。
これから逃れるためには、病気の神が嫌う古く汚れたふんどしを持って移動しなければならないと考えられていた。
・アイヌ民族にとって流行病は和人をはじめとした外部からもたらされるものが多く、流行病の神は病気を撒き散らして歩くものとして考えられていた。そのため病が流行った際には病気の神に後をつけさせないようにして別の地域に移り住んだ。そういった風習から生まれた悪神なのだろう。
<イワポソインカラ>
・アイヌに伝わる妖怪。「岩から透かして見る」という意味の名前を持つ妖怪で、その名の通り岩の中から何でも見透かしてしまう化け物なのだという。
<ウェアイヌ>
・アイヌに伝わる妖怪。人を食う人型の怪物とされる。
・『カムイユカラと昔話』においては、ウェアイヌが疫病で全滅した村で一人生き延びた赤子を助け、人間の姿になって子どもを育てた、という物語が載せられている。この物語では子どもを娘として育てたものの、自分の正体を彼女に告げ、人間を食いたくなったと旅人を食らおうとしたことで娘によって家ごと焼き殺される。しかしそれにより、人を殺すことなく死んだため、神の一員として迎え入れられたという。
<ウエグル>
・アイヌの伝承に現れる妖怪。勇払郡鵡川町(現むかわ町)の山奥で目撃された存在で、ウエ・アイヌとも呼ばれていた。「グル」、「アイヌ」はどちらも「人」を表す言葉で、ウエは元々「悪い」を意味する「ウェン」であったという。ウエグルは黒い皮膚の男の姿をしているが、特に片頬の黒色が濃いとされる。普段遭遇する分には害がなく、タバコをねだられた際に一服吸わせてやれば良いという。しかし稀に「今にわしはお前を食いたくなるに違いないから、今のうちに早く逃げろ」と告げることがあったという。
<ウスブランカ・ウシツラムカ>
・アイヌに伝わる妖怪。支笏湖にいたという大蛇で、体から悪臭を放っていたため、支笏湖周辺では草も木も育つことがなかったとされる。
湖で舟を漕いでいた神、オキクルミを殺そうとして逆に毒矢で射られ、殺害される。大蛇の体はオキクルミにばらばらにされてなお、互いに寄り集まって復活しようとしたが、オキクルミによって国中にばらまかれたことで完全に死んでしまった。しかしその魂はまだ生きており、オキクルミもまたこの大蛇の姿形を完全に破壊することはできず、ウスブランカ・ウシツラムカは小さな蛇の姿となって、地上で暮らすようになったという。
<エメル>
・アイヌに伝わる怪異。虻田郡虻田町(現洞爺湖町)の古老が語ったという怪異で、有珠郡の方からやってくる光る物体なのだという。これは変事が起こると神々が村落を守るためにあらゆるところから刀を抜いて応援に駆け付ける際、その刀の光が見えるのだと語られる。
<大入道>
・和人が記録した妖怪。千歳市に現存する風不死岳には、かつて大入道が出現したという。19世紀半ばのこと、この火山の付近には12、3戸のアイヌの集落があった。しかしこの集落には夜になると大入道が現れ、人間を見つけると大目玉で睨みつけるため、これに遭った人間は卒倒したり精神が錯乱したりした。
<狐の嫁入り>
・和人に伝わる怪異。1917、8(大正6、7)年のこと。7月頃の空知郡上砂川町に現れたという青白い怪火で、その火の方からはがやがやと何かが話しているような声がした。人々はこれを狐の嫁入りと呼んだという。
・狐の嫁入りは日本全国で語られる怪異で、無数の怪火が並んでいることや、突然の天気雨などを指して言う。これらが起きる場所では、狐が婚礼のために行列をなしているなどと言われている。
<ケナシコウナルペ>
・アイヌに伝わる妖怪。名前は「木原の姥」を意味する。胆振地方及び日高の沙流地方(現在の沙流郡)では、編みかけのこだし編みのような髪の毛をざんばらに振りかぶって現れるという。
<ケムラムカムイ>
・アイヌに伝わる悪神。アイヌの村に飢饉をもたらす神とされ、鳥の姿をしているという。人間の老人に化けることができ、この悪神の元には食べ物がひとりでに集まってくるとされる。
<シカトロケカムイ>
・アイヌに伝わる悪神。疱瘡の神とされ、これが歩くと疱瘡が広まると伝えられる。
・疱瘡神が鳥の姿をしている例は他にもパコロチカプポがある。また疱瘡神として名が知られているアイヌの神にパコロカムイがいる。
<高島おばけ>
・和人に伝わる怪異。高島町(現小樽市)で見られた蜃気楼のことで、遠くの島が突然大きく見えたり、青、黄、赤、白、黄金などの光を放ったりと、幻のような光景が見える。この現象を地元では高島おばけと呼んだという。
<チウエトウナシクル・チウエトウナシマツ>
・アイヌに伝わる悪神。染退川(しべちゃりがわ)(現静内川)にいたという淵の下手に住む神で、男神がチウエトウナシクル、女神がチウエトウナシマツという。
この神たちは、十勝川の川上から追い出され、この川の川上にやってきたミントウチを、他の染退川の悪神たちとともに自分の川に棲まわせ、
ミントウチが人間への賦役として、川に入った人間を溺死させているのを助けたという。
<チウサンケクル・チウサンケマツ>
・アイヌに伝わる悪神。染退川(しべちゃりがわ)(現静内川)に住む淵の神で、男神をチウサンケクル、チウサンケマツという。
ある時、十勝川の川上の村で人間に化けて暮らしていたミントウチが人々に追い出され、染退川の川上にやってきたが、チウサンケクルとチウサンケマツはこのミントウチと意気投合し、ミントウチが人間から取る税として川に入った人間を溺死させるようになったという。
<チチケウ>
・アイヌに伝わる妖怪。石狩では、この化け物が天の国から降りてきて、人間を皆殺しにしてから獲物が豊富なこの地で暮らそうとしていると蜘蛛の神(ヤオシケプカムイ)が警告し、それを聞いた人々によって呼び出された英雄ポンヤウンペによって倒され、白骨化させられたという。
<ニタッテウナルベ>
・アイヌに伝わる妖怪。「湿地の小母(おば)」を意味する妖怪で、沙流郡平取町では以下のように語られる。
破りかけの木炭籠のようなぼさぼさの髪をかぶり、気味の悪い姿をしている。しかし、髪を分けて顔を出すと輝くばかりに美しい顔が見え、木の枝に腰掛け、歌声を発すると、辺りに灯がともったように明るくなる。
ニタッテウナルベの美しさに迷って近付き、彼女と関係を持った人間は運が悪くなり、時には死んでしまったりするという。実際にニタッテウナルベと遭遇し、その話に乗ったことでそれ以降獲物が獲れなくなったという話もある。