(2024/10/22)
『政策至上主義』
石破茂 新潮社 2018/7/13
この国には、解決策が必要だ。
<はじめに>
・そして私は、これから日本は、「自立精神旺盛で持続的な発展を続けられる国」を目指すべきだ、と考えています。そのためには新しい時代の要請に正面から応え、政治、行政、経済、社会全般にわたる仕組みを大幅に見直さなければなりません。
・突き詰めて言えば、国会議員がすべきことは一つ。国を導くビジョンを提示し、そのビジョンに従い、国政上の個別の課題解決のためのプラン、すなわち現実的で実効性のある政策を練り上げ、実行していくことしかありません。
本書では、国会議員として30年以上活動してきた中で感じたこと、考えたことをまとめてみました。
・まだ私が国会議員になる前、渡辺美智雄先生が講演でおっしゃったことが、私の政治家としての原点となっています。「政治家の仕事は、勇気と真心をもって真実を語ることだ」
・渡辺先生はまた、「いい加減なヤツが百人いても、2百人いても世の中は変わらない。だが、政策を知っていて、選挙も強い確信犯的な議員が20人もいたら世の中は変わる」ともおっしゃっておられました。
<誠実さ、謙虚さ、正直さを忘れてはならない>
<もう政権に戻れないと思った頃>
・2012年の政権復帰以降、与党は選挙で勝利を続けてきました。
・あの時、自民党の議席は300議席から119議席にまで減りました。ほぼ3分の1になったのです。すでに世論調査などから敗北必至であることはわかっていましたし、実際に事前予想では120議席という数字も出ていました。
・あの時、多くの自民党幹部は、こんな風に思っていました。「ああ、これで10年間は政権に戻れない」
小選挙区制を採っている国で政権交代が起こった場合、10年間はその政権が続く、というのは常識でした。英国やカナダもそうです。
<「自民党、感じ悪いよね」>
・では、「自民党だけは嫌だ」と思われた理由は、たとえばどのようなものだったのでしょうか。まずは、その時々の政権の失策や失言、不祥事などで、総理が次々に代わってしまったということが挙げられるでしょう。
<国民の共感を失う恐ろしさ>
・また、政策の内容というよりも、政策のネーミングなどで国民の反発を買ってしまったこともありました。75歳以上の方々を「後期高齢者」としたのがその代表例でしょう。もちろんその表現は以前からあるものでしたし、他意はありません。
<谷垣総裁の下で謙虚な建て直し>
・野党となった自民党の総裁に就任したのが谷垣禎一先生でした。
・その谷垣総裁の下、私は政調会長を務めました。党の政策を立案し、まとめる仕事です。特に力を入れたことの一つが、新しい党綱領の制定でした。
・私自身は現行の要件以外にも、綱領、意思決定や会計処理の手続きが適切に定められていることなどを要件とする「政党法」の制定が必要だと考えています。
・野党・自民党の政調会長としての大きな責務は、自民党を実力ある真の「政策集団」にすることである。私は当時、そう考えました。そのための具体的な方策の一つが、旧来型の年功序列類似の人事をやめることでした。
従来、党内には、当選1回はヒラ、2回で政務官、3回で部会長、4回で常任委員長、5回で大臣という「相場」がありました。しかし、これからは当選1回であろうと実力とやる気のある議員には部会長などの責任がある仕事を任せようと考えたのです。
・こうしたことを積み重ねていくうちに、野党・自民党は政策集団としての力を蓄えることができていったと思います。
<論戦に強くなるために>
・当時は予算員会の筆頭理事も1年間つとめました。あの時ほど国会の質問に立ったことはありませんでした。その際も主眼としたのは、政策論争です。
・なかでも最も印象深かったのは「ディベートの最大の効用は万巻の書を読まざるを得ないということである。ディベートとは読書の戦いであると言ってもいい。大量の本を読まないと他のディベーターに徹底的に論破される」との教えでした。
「話の引き出し」を多く持っていることは攻守どちらにおいても必要なことですが、そのためには、時間を見つけては可能な限りの本や論説を読まねばなりません。
・「本ばかり読んでいないでもっとメシを食い、酒を飲み、付き合いの幅を拡げるべきだ」とのご指摘もしばしば頂くのですが、こればかりはスタイルなので致し方ありません。
・だからこそ野党時代の経験というのは、私にとっても、自民党にとっても忘れてはならないものであると思うのです。
<信じる政策を正面から問うことが求められている>
<「野党よりはマシ」だけではいけない>
・様々な失敗や東日本大震災・大津波・原発事故への対応のまずさで、民主党が政権の座を降りたのは2012年末のことでした。この間の経緯は私が改めて申し上げるまでもないでしょう。
その年、秋に行なわれた自民党総裁選に出馬した私は、地方の党員の皆様のおかげで地方票では勝利したものの、国会議員票で逆転された結果、安倍先生が自民党総裁となり、総理大臣になったのもご承知の通りです。
・若い頃に、政治改革をめぐって内閣不信任案に賛成し、離党した過去がありますから、また極端なことをするのでは、という警戒感もあったのでしょう。
・安倍政権になってからの経済面での功績は、多くの認めるところでしょう。絶望感に満ちていた日本経済が飛躍的に回復しました。アベノミクスは全部まやかしだ、といった批判をする方もいますが、現実問題として民主党政権の頃と比べて雇用情勢は格段に良くなり、株価は倍以上に上がり、企業の業績も未曽有の回復を遂げています。円安によってメリットを享受している企業があるのも事実です。数字で見れば、民主党時代とは比べものになりません。
<平和安全法制の進め方への反省>
・幹事長を務めている間、この点にはかなりの気を遣いました。「驕っている」とか「強引だ」といった批判を受けることのないような運営を心掛けたつもりです。
・少し世間の反応が変わってきたのは、平和安全法制に関する議論が焦点となってからかもしれません。担当の中谷元防衛相はとても誠実に説明をしていました。
・総理も私も、憲法上集団的自衛権は行使できる、というところまでは同じです。
・私は、日本が独立国である以上、個別的であろうが集団的であろうが、国連憲章に定められている通り、他国と同様に自衛権を有しているのは当然だと考えています。つまり、日本だけが「憲法上ここまで」と定める類のものではないということです。
ただし、だからといって無制限にその権利を行使して良いわけではありません。
・つまり、集団的であれ個別的であれ、国際法上(国連憲章上)認められた自衛権は、憲法上の制約としてではなく、立法上の政策的制約として整理すべきだ、ということです。
<国会議員を続ける理由>
・では、なぜ私は国会議員である必要があるのか。
それは「自立精神旺盛で、持続的に発展する国づくり」を実現したいと思っているからです。そしてその究極の手段として憲法改正が必要だと思っているからです。
<離党の理由も憲法>
・一時期、自民党を離党したことも、この憲法改正に対する考え方と直結しています。
・自民党を離党してまで取り組もうとした政策がまたしても否定された。そのファクスを見てすぐに私は離党を決意します。結局、その時の選挙は無所属で出馬し、当選します。自民党に復党したのはその翌年のことでした。
<政策こそが行動の基準である>
・あの時、自民党を離党したことを理由に、私に対して厳しい見方をなさる方も少なからずおられるようです。自民党離党、新進党離党という事実に対するご批判は甘んじてお受けします。
・永田町においては、意外なほど人間関係を軸に行動を決めている人がいるように思えます。感情としては理解できますが、果たしてそれは有権者が望んでいる姿なのだろうかと疑問に思うこともあります。
<憲法改正は国会議員の最大の存在意義>
・だからこそ、憲法改正案を発議し、国民投票にかける。これは国会議員にしかできない仕事です。なんとか私が議席をいただいているうちに、私の思う憲法改正を実現したい、と今でも思っています。
<集団的自衛権を整理する>
・だから集団的自衛権行使は、憲法上の問題ではないと私は思っています。集団的自衛権は、理論的には現行憲法上も認められる。ただし、その行使にあたっては、法律で厳しく制約をかけるべきだ、ということです。
・しかし、残念なことに、その後、この国家安全保障基本法は議論の俎上に上ることはなくなっていきました。同様に、2012年自民党憲法改正草案も、「あれは野党時代のもの」として現実味がないかのように考える人がいいるのは、とても残念です。
<閣内不一致を避ける>
・しかし、私は2012年憲法改正草案や国家安全保障基本法の制定に深く関わってきており、私の答弁次第で閣内不一致と言われ、内閣、なかんずく総理にご迷惑をおかけする可能性がある以上は、担当大臣をお引き受けするわけにはいきませんでした。
<基地問題との関係>
・戦後日本は、集団的自衛権の問題、あるいは憲法の問題を突き詰めて考えてきませんでした。
<独立国として国を守る>
・米軍基地に反対される方々が常に問題視する「日米地位協定」は、日米安全保障条約と一体です。ですから当然、突き詰めていけば、地位協定の問題は集団的自衛権の問題、憲法の問題となるのです。
<リアリストとは何か>
・「まあ理屈では石破さんの言う通りかもしれない。でも、今は安倍さんのプランのほうが世間に通りやすいってことなんだよ。理想を言っても現実が動かないんじゃ仕方がないでしょう。もうちょっと現実に向き合いなよ」
そしてこのようなアプローチをする人をリアリストと呼ぶ人がいるかもしれません。しかし、私はそこを問いたいのです。
<私たちが向き合うべき現実>
・北朝鮮は、過去に何度も約束を反故にしてきた国なのです。これも現実です。中国の軍拡も、今のところ留まるところを知りません。これもまた向き合うべき現実です。
・私たち日本国民はまず、先の戦争において地上戦が行われ、県民の4分の1もの死者を出したのは沖縄だけだ、という点をきちんと確認しなければならないと思います。
<スタンプ集めに意味はない>
・安全保障という国の根幹に関わる問題について本質的な議論とは、我が国にとっての脅威とは何か、それに対して抑止力をいかにして維持し強化するか、あるいは有事に至らない態様で領土主権が侵された場合にどう対応するか、という具体論のはずです。しかしこういった議論は、国会ではほとんど行なわれず、憲法の解釈をめぐる攻防ばかりが繰り返される。
<党内議論を軽視してはならない>
・憲法改正に限らず、最近、自民党内でのそれまでの議論を踏まえずに政府部内のみで決定される政策が多いように思われます。それが「政高党低」と言われる所以かもしれません。
かつて党を二分し、離党者まで出した郵政民営化の議論であっても、党内のプロセスは踏んでいました。
・しかし最近の政策、例えば農協改革や消費税の使途変更、裁量労働制の拡大など、党内の議論と手続きを経ることなく、突如として政府の政策となって出されるものが目に付くようになりました。総選挙の直前に消費税の使途を子育て、教育に拡大するという方針について私が初めて耳にしたのは、カーラジオから流れるニュースでした。聞いてひっくり返るほど驚きました。
<強い論理こそが道を拓く>
・忘れてはならないのは、党内議論を経た政策のほうが、論理的説得力は強くなるという点です。
<丁寧に説明すれば国民は理解してくれる>
<三つの衝撃>
・私が政治家になったのは1986年。まだ冷戦のさなかでした。それから現在まで、信じられない思いでテレビを見た出来事が3回あります。1991年のソ連崩壊、2001年の9・11、2011年の3・11です。
ソ連の崩壊を目の当たりにしたとき、私は「あれだけの強大国がこんなに脆く解体されるものか」と衝撃を受けました。
<何となくうまく回っていた時代>
・安全保障だけではありません。経済も高度成長期から「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われた絶頂期の余韻のままバブル期を迎えており、このまま成長が続く、好景気が続くとほとんど人が思っていました。今から思えば不思議な時代でした。
・冷戦が終わり、バブルがはじけるとそうはいかなくなりました。国政がその本旨に立ち返り、国を造りかえるための大きな方針を示さなければならない時代となったのです。
<地方創生担当大臣>
・結局、私は2014年から、政権が新しく進める政策となった「地方創生」を担当する大臣を務めることになりました。
・地方創生大臣を2年間務めた後、農林水産大臣というお話もありましたが、TPP交渉に関して、それまでまったく関わっておらず、その経緯もわからない私より、もっと事情に通じた適任者がいると申し上げました。
・こうして、2016年、私は閣外に出ることとなりました。
<天皇陛下について>
・その後、自由な立場から思うところを発信してきました。安倍総理には熱烈な支持者の方が多く、私が政府の方針に異を唱えると、それだけで反発を買うこともよくあります。
<二つの学園問題>
・まったくレベルの異なる話ではありますが、そうした心配が杞憂に終わらなかったのが、「森友」「加計」二つの学園問題であったように思います。
<丁寧に説明するしかない>
・話を戻せば、二つの「学園問題」について、政府の説明は丁寧さを欠いていたり、必ずしも国民の疑問に真正面から答えなかったりしたのだと思います。この点については私も含め、与党としても猛省する必要があります。
<論理的な説明は通じる>
・かつて有事法制の制定に携わったときのことです。私は防衛庁長官でした。有事の際に国民を守るために絶対に必要な法律でしたが、当初は「戦争準備法だ」といったレッテルを貼られていました。最近の平和安全法制のときとよく似た状況でした。
私はこの時、なぜ有事法制が必要なのか、とにかく丁寧に説明を繰り返しました。
<消費税賛成で当選>
・しかし、結局、この選挙で私はトップ当選を果たします。選挙戦の最中から、「あなただけがなぜ消費税が必要なのかを正面から訴えている」という激励の声をいただいていました。
<マスコミのせいにしない>
・確かにマスコミが正確な情報を伝えてくれるとは限りません。私自身、腹立たしい思いをしたことは一度や二度ではありません。
・結局は、どれだけ政策や、その土台となっているビジョンについて自分の言葉で語れるかが重要になるのです。
<勇気と真心をもって真実を語る>
・「本当のことを勇気をもって国民に語るために、政治家はいるのだ。勇気と真心をもって真実を語るのが、その使命だ」
この渡辺美智雄先生の言葉こそが、私の政治家としての原点です。
<本気で国民の命を守るための議論が求められている>
<Jアラートを向上させる>
・実は自民党本部でも、国会議員会館でも、ミサイルに備えた避難訓練はしたことがありません。それで国民に「避難して下さい」というのは、いかにも説得力がない話です。そうした姿勢は国民には見透かされるでしょう。
真剣に考えなくてはいけないのは「いったいどうすればいいというのか」という不安に対する答えを用意することではないでしょうか。日本における核シェルター(避難所)の普及率は0.02%と言われています。スイス、イスラエルでは100%、ノルウェーでは98%で、アジアを見ても、シンガポールで54%、韓国でもソウルあたりは100%以上とされています。いかに日本が突出して低いかということです。
今さら言うまでもありませんが、現在、世界で最もミサイルの脅威にさらされている国の一つが日本です。それなのにこのような状況でいいとは、とても思えません。
<防災省の必要性>
・このような確実性の高い避難体制などを、防衛の観点からは「拒否的抑止」といいます。「ミサイルに対してはミサイル」という体制によって、相手に攻撃を思いとどまらせることを「懲罰的抑止」といいますが、これに対して「攻撃しても意図したような被害は出ない」という体制をつくることで相手に攻撃を思いとどまらせるというものです。
実は、このような拒否的抑止を構築するための方策と、防災の対策というのはかなりの部分が重なっています。
我が国は有数の災害国であり、長きにわたって各種の天災に対応してきました。
・そのために「防災省」(仮称)を作り、我が国のみならず災害の多発しているアジア地域、ひいては世界中にそのノウハウやインフラを輸出し、災害国であることを強みに変えていきたい、と考えています。そういう省が、たとえばシェルターの設置についても自治体と相談しながら進めていく。もし公民館などにシェルターがあれば、「どうすればいいのか」とはならないはずです。
地方創生担当大臣を務めていたときに、この「防災省」的な組織が日本に必要ではないか、との問題提起をさせていただいたこともありました。
・これでは「いかにしてミサイルから国民と国土を守るか」という本質的な議論を先延ばしにしているように思われても仕方ありません。
<核についても本質的な議論を>
・本来、日本として核兵器や核抑止にどう向き合うべきかというようなテーマは、平時に冷静な環境の下で論じられるべきなのです。
・毛主席の「たとえパンツをはかなくても核を保有する」という言葉はあまりにも有名です(正確には、当時の陳毅外相が「ズボンを質に入れてでも核を保有する」と述べたものが、毛沢東の言葉として伝えられているようですが)。
・日本核武装論は、ある意味さまざまな安全保障上の危機のたびに提起されます。私は危機に際して提起されること自体は自然なことだと思いますし、「いつか日本が核武装するかもしれない」と思われることで働いている抑止力も相当あると思います。
しかし同時に、現時点で私は、我が国が核武装するメリットを見出せません。
・そして日本型の「ニュークリア・シェアリング」の可能性を検討すべきだ、と私はテレビ番組などで発言しました。
・多くの場合、安全保障に関する議論が、どこか現実と離れたものに終始しているのは、とても危険なことだと思います。
<現実的な対策が急務である>
・私が憲法改正を必要不可欠だと考えている、ということはすでに述べました。
・ところが、このような実務的な、具体的な話は、全然受けないのです。報道もされないし、国会でも質問されない。「まずは憲法9条を改正すべきだ」「憲法に自衛隊を書かないのは失礼だ」といった話ばかりが取り上げられます。
<国会で本質的な議論をするためには与党の努力が必要である>
<異論と「足を引っ張る」はまったく違う>
・よく、企業の方々とお話ししていると、「自民党」を一つの会社組織に例えられる方が結構おられますが、自民党に限らず、国会議員と所属政党とはそのような関係ではありません。むしろ「経団連」や「経済同友会」のような組織だと思っていただいた方が近いのではないかと思います。それだけ、個々の国会議員の独立性、自律性は高いのです。
・私たちは有権者の代表として選ばれた、独立した存在なのです。
<野党は与党が、与党は野党がつくる>
・国会における野党の質問は、どんなにそれが少数であったとしても、やはり国民有権者の一部の疑問を反映しているものです。
・立場は違いますが、総理という仕事がいかに重圧に耐えねばならないものか、本当に命を削るような仕事であることは、私も何度か閣内にいて総理を近くで見て、よくわかっておるつもりであります。
<与党はすきを見せてはいけない>
・そもそも野党の仕事は、突き詰めて言えば時の政権を倒すこと。内閣総辞職に追い込むか、衆議院を解散させることです。
自民党は野党時代にそのように明確に目標を定めていたからこそ、不適格な大臣や非常識な政策、一つ一つを戦略的に狙い撃ちにして、閣僚を辞任に追い込んだり、法案を廃案に追い込んだりできたのです。
<「いい質問」とは>
・こうやって一旦論点をつぶしてしまえば、野党が感情論やひっかけで同じところをついてきても、もう怖くはありません。これが与党から内閣への強力なアシストともなるのです。せっかく質問時間を長くしてもらったのですから、わが党の若手議員にはもっと「いい質問」を考えてもらいたいと思います。
・自ら政策を考え、理論を構築し、それを聞かせるスピーチの能力もある。そういう人は概して選挙にも強い人です。やはり有権者はきちんと見ているのだ、と思います。ともあれ、質問の価値は単なる時間の長さではなく、内容によって決まるものです。
<大臣は多忙すぎる>
・2001年から政治改革の一環として国会における答弁はすべて大臣、副大臣、政務官、つまり政務三役が行うようになりました。
・私は、ことここに至っては、局長答弁は復活させた方がいいと思っています。そもそも国会質問のシステムも抜本的に変えるべきだと思います。
・さて、3時や4時にできた答弁資料ですが、私のように先に目を通したい場合は午前5時ごろに宿舎に届けてもらうことになります。
・ですから国会開会中は、大臣たちには全く時間的、心理的余裕がありません。そして当然ながら、この間、省庁での仕事はほとんどできません。しかも、ここまでの手間をかけても国会で建設的な議論が行なわれるとは限りません。
・現在の野党議員の中にも、与党として同様の経験をして、苦労をした方も多いことでしょう。このようなシステムは、誰にとってもプラスにならないのですから、変えていくことが国民の期待に応えることになるのではないでしょうか。
<不利益の分配を脱し自由な選択で幸せを実現する>
<果実の分配が政治の仕事だった>
・しかし、2章で紹介した重光外相のチャレンジに代表される外交・安全保障上の課題、特に日米同盟の特殊性の是正や見直しは、岸内閣以降いわば封印されました。岸総理は旧安保条約の不平等性を大きく改善しましたが、それは予想以上に大きな政治的コストを強いるものでした。ゆえにこれ以降日本は、独立国家としてどうすべきか、といったことを議論しなくなりました。意図的にそうしたことを避けてきました。だから憲法を正面から語ることもありませんでした。
<竹下総理の功績>
・一方で内政においては、「不都合な真実」を語って、短期的な利益より長期的な国益を優先した総理がいました。竹下登総理です。
まだ現在ほど社会保障制度の維持が困難だとは危惧されていなかった時代に、明らかに選挙に不利な消費税の導入、「果実の分配」ではなく「不利益の分配」とも言える政策をあえて実行しました。
・これからの政治家は、こうした「不利益の分配」についても正面から語っていくことがますます求められるようになるということです。その意味では、政治家は昔以上に歓迎されない仕事になっていくのかもしれません。
<地方政治家の疲弊>
・萌芽はすでに地方でも見えています。地方政治は民主主義の学校だ――などという表現はよく耳にするところですが、それが本当だとすれば、地方において投票率の低下が深刻なことになっている点には、もっと注意すべきでしょう。
・いい加減な政務活動費の使い方をしている地方議員をニュースで見れば、「美味しい仕事に違いない」と思われることでしょう。しかし、ああいう人はごく一部であって、真面目に取り組むとかなりきつく、報われることも少ない仕事なのです。実際には地方の首長で、「辞めたい」という人に対して周りから「頼むからもう一期やってくれ」と説き伏せられてやむなく続けているケースも珍しくありません。
やがてこの動きが国政に広がる可能性は十分あります。つまり国会議員も、このままだとどんどん成り手がいなくなるのではないか。そんな危惧を私は抱いています。
法定された国会議員の年収は約2100万円です。金額だけを見ればまさに「高級取り」ですが、この額で平均10人程度のスタッフを雇うのはほとんど無理です。国で手当てされている秘書は3人だけ。正直に申し上げて、この支給された収入だけでは次回の当選はあきらめざるを得ないでしょう。
しかも、世間の厳しい目にさらされながら、激務をこなさなければなりません(真面目に働けばやはりとても忙しいのです)。しかも落選すれば、とたんに無職です。
・そもそも「不利益の分配」などという話は、大向こう受けが期待できません。しかし、政治家はそれも語らなければならない仕事なのです。大向こう受けを狙い続けた結果が現在なのですから。
<アベノミクスの先を>
・安倍政権になってからの経済政策、いわゆる「アベノミクス」については様々な意見がありますが、それまで、特に民主党政権のもとで慢性化し長期化していたデフレを脱却することを目標に掲げ、実際にデフレ状況から各種指標を大幅に改善してきたことは、率直に評価されるべきものだと思っています。その最たるものが株価や為替であり、雇用情勢も劇的に改善しました。
・一方で、経済構造改革は進まず、潜在成長率が期待通りに伸びていないことも事実です。
<日本の根本的な問題>
・根本的な問題とは何か。端的に説明するために、私がよく用いている数字があります。1960年と2015年の日本の社会保障制度に関連したデータの比較です(ただし、前者はまだ本土復帰前なので沖縄は含まれていません)。
まずGDPは16.7兆円から532.2兆円と32倍になりました。人口は9430万人から1億2709万人と1.35倍。このうち65歳以上の人口が540万人から3347万人と6.2倍になっています。全人口に占める割合は5.7%から26.3%にまでなっています。
今では65歳で働いている人も珍しくありません。
・85歳以上人口は18.8万人が488.7万人と26倍に。また百歳以上は144人が61763人と428.9倍になっています。
平均寿命は男性が15歳、女性が17歳伸びました。日本が世界に冠たる長寿国になったことは誇るべきことです。
この間、国の予算は1.6兆円から96.3兆円、つまり約60倍になりました。一方で社会保障制度の支出は0.7兆円が114.9兆円になっています。164.1倍です。
そして、現在のペースが仮にこのまま続けば、日本の人口は2100年に5200万人、200年後には1391万人、300年後には423万人になる、と予想されています。
さて、これを見て皆さんはどう思いますか。
<大切なのは国民一人一人の幸せ>
・「西暦3000年には日本人は1千人になる」などというと、「そんなことはありえないよ、大げさな」というような反応を示す人も多くいます。私が言いたいのは「このまま放置したら」大変なことになる、ということです。つまり、今なんとかしましょうよ、その認識を共有してください、ということなのです。
・この半世紀で国家予算が60倍なのに対して、社会保障制度の支出は160倍。これも、いい悪いの問題ではなく、「持続可能性の高いプランニングを考えましょうよ」と言いたいのです。
・アベノミクス以前、日本の経済は停滞していました。売り上げも賃金も伸びない。特に輸出中心の製造業は苦しい状態でした。それが大胆な金融緩和によって、円安となり、輸出産業は潤いました。円換算によれば収益も増加しました。
しかし、実は全体の売り上げは伸びていませんし、賃金も上がっていません。だから「実感がない」と言われるのです。
株価の上昇も円安の賜物だと考えたほうがいいでしょう。これもよかったことの一つですが、そこにとどまらず、国民一人一人の幸福につなげる方策を考えなくてはいけません。
有効求人倍率も上がりましたが、これも団塊の世代の方々が大量に退職する年代を迎えたことによる構造的な人手不足が背景にあると考えたほうがいいでしょう。
<賃金が上がらない理由>
・就業構造も大まかにいうと、製造業からサービス業へ、男性から女性へ、正規から非正規へ、若者から高齢者へとシフトしています。これはみな、賃金を押し下げる要因となりえます。
・さきほど、企業の収益が上がっているのに、売り上げは伸びていない、という話をしました。売り上げが伸びていないのに儲かっているというなら、それはコストが下がっているということです。つまり企業にとって人件費が下がるのは、短期的に見た場合には悪いことではありません。しかし長期的に見れば、労働者すなわち消費者なのですから、国内でモノを買ってくれるお客様の手取りが増えないことになってしまいます。アベノミクスの次に改善しなければいけないのは、まさにここです。
・こうした問題は構造的なものですから、「金融緩和」と「財政出動」だけでは解答を示しえないのです。売り上げも賃金も設備投資も伸びていないというのは、そういうことです。企業にお願いして賃金を上げてもらう、国内の設備投資に回してもらう、というのは、運動論として意味があるかもしれませんが、全体的な状況改善にはつながらないでしょう。
・それでも、ある種の論者はこう言います。「まだまだ金融緩和が足りない。もっとやれば、景気も回復していく」
金融政策は日銀の所管ですから、私がどうこういうものではありません。
・今の日本のように人口が減少していくことを経済学の教科書は想定していませんでした。こんなに高齢者が多くなることも想定していませんでした。
<地方創生は経済政策でもある>
・もちろん、政治も政策も「こうすれば万事解決」といった魔法の杖ではありませんが、すでに一つの方向性は見えています。
私は、日本経済の構造を変える一つの答えとして、どれだけ地方の力を伸ばせるかということがあるだろうと考えています。
・しかし、日本のGDPの7割、雇用の8割を占めているのは、ローカルの中小企業なのです。
<官僚も企業も地方を目指せ>
・文化庁を京都に移したことに代表される省庁の地方移転は、そのための試みの一つでした。
・企業に対しても、本社機能の一部を地方移転した場合には減税というインセンティブも用意しました。
<東京以外でも住めば都>
・人材が東京、首都圏に偏在している状況は日本全体にとって不幸な話です。
・大企業はある意味で、政府が放っておいても自分たちで人材を確保し、生き抜くために手を打ちます。
・関連して取り組んでいくべき施策として、中古住宅の流通を活性化させることも挙げられます。
<地方創生の成功例>
・地方が活性化し、蘇った実例は数多くあります。いずれも関わった人たちの創意工夫、熱意が感じられる感動的で興味深いエピソードばかりです。
<東京だけが憧れだった時代は終わった>
・私は、この先の日本に明るい未来をもたらすのは、こうした地に足の着いた取り組みであると確信しています。
・『日本列島創世論』を読んだ方から「石破の言っていることはスケールが小さい」という批判があったとも聞きました。
・すでに若干述べてきましたが、地方創生は地方だけの話ではありません。
・急に現金が支給されたので、なかにはおかしな使い方をした自治体も少なくありませんでした。なかには「村営キャバレー」のようなものを作ったところまであった。そのため、この政策は当時、評判が良いものではなかったようです。
<長期的ビジョンで議論を>
・国会議員も、あるいは中央メディアもあまり取り上げないことですが、今でもこの国の経済を支えている多くの人は圧倒的に地方にいます。8割以上のローカル企業が地方から日本経済を支えています。その地方が変わらないで、日本が変わるはずがありません。
・さらに問題なのは、過度の人口集中により災害に対してきわめて脆弱で、世界一危険な大都市とさえ言われていることです。
・本来、こうした長期的な国家ビジョンについては、国会でもっと議論されるべきテーマです。
<選挙で勝つ体制が長期ビジョンを支える>
<田中派からスタートした政治家人生>
・水月会をつくるにあたって、「石破は派閥否定論者だったはずじゃないか」といったご指摘をいただくこともありましたが、それはちょっと事実とは異なります。もともと私は決して派閥否定論者ではありません。そもそも田中派に育ててもらい、渡辺派で初当選したのですから。
<「君は政治家になるんだ」>
・そんなことがあり、その年、私は三井銀行(当時)に入行し、日本橋本町支店に配属されます。入った当初は、お札の勘定すらおぼつかず、仕事を身につけるために朝7時半に職場に入り、夜は残業につぐ残業という日々でした。午後11時よりも早く帰った記憶がありません。
それが当時の日本企業ではよくある風景でした。
・時は安定成長期、初任給は8万円弱、週休1日(土曜は半休)、千葉県松戸の社員寮を朝6時半に出て、ほとんど終電で帰る。終電前の1時間ほど、毎晩のように先輩に連れられ神田の「一番鶏」という焼鳥屋で飲んでいました。
・その数日後に、田中先生にお礼のあいつさつに行った時に、私は突然、選挙に出ろと言われます。「君が衆議院に出るんだ」
<木曜クラブの選挙術>
・総理の座から降りていたとはいえ、この頃の田中先生の力には絶大なものがありました。
・銀行を辞めて、すぐに立候補できたわけではありません。まずは、木曜クラブの事務局員になりました。当時の田中派の選対本部でもありました。
・田中派は選挙に強いと言われていたゆえんは、こうしたシステムの存在にありました。事務局がシステマチックに選挙に取り組むのです。
応援といっても、ただ有名な政治家を投入するといった単純な発想には基づいていません。
・ここで資料作りからコピーまであらゆる下働きを経験しました。
<渡邊派へ移籍>
・選挙は候補者本人がやるものだ、という考えも徹底して教え込まれました。日頃から小さな会合などを候補者本人が行う。その地道な蓄積があってこそ、その後の選挙を戦えるのだという考え方です。
・こうした田中派の選挙の戦い方を学習できたことは、その後の私にとっても大きな財産になっていきました。
・その後、派閥によってこんなに選挙のやり方が違うのか、ということを痛感しました。渡邊派の選挙への向き合い方は、田中派ほどシステマチックなものではありませんでした。田中派の選挙戦は「総合病院」のようだと喩えられるほど、メンバーに対して行き届いたものでしたが、「地鶏集団」渡邊派のそれはまったく異なるものでした。
派閥の重鎮である江藤隆美先生が、「石破君、田中派と違って、わしらはみんな地鶏じゃけえ。エサは自分で探して歩かなければいかんのじゃ」と仰っていたことがあります。つまり派閥の力に頼るのではなく、各議員が自力で戦う文化だったのです。
・誤解のないように補足しておけば、田中派は選挙のことばかりを考えて政策をおざなりにしていたわけでは決してありません。新総合政策研究会という政策の勉強会も月一回、行われていました。
・2012年、安倍総裁の下で自民党幹事長になった際、考えたのは、自民党全体をあのころの田中派のようにしたい、ということでした。より正確に言えば、選挙に強い田中派の文化を自民党の文化として浸透、定着させたいと考えたのです。
・それだけに党全体で、選挙に常に備え、勝つためのノウハウを共有する体制を作りたい、と私は考えました。
<風頼みからの脱却>
・小選挙区制度は、「風」次第で大きく情勢が変わる制度だとされています。
・だから幹事長として、党内全体を改革すべきだと考えたのです。
このように述べると、「政治家は選挙のことばかり考えている」と嫌う方もいるかもしれません。しかし、私は風に負けない政党でなければ、長期的な政策を打ちだせないと考えています。
<党本部の改革案>
・そもそも民主党に政権を奪われたのは、自民党と国民の感情が乖離していたからです。
<選挙必勝塾>
・派閥連携策はうまくいきませんでしたが、選挙に強い体制を作るための選挙必勝塾の開催は実現しました。当選回数が浅い議員を主な対象として、細部にまで立ち入った内容を伝授するセミナーを開催しました。
・彼らには初当選の直後から私はこう繰り返していました。
「当選のバンザイをした瞬間から、次の選挙は始まって始まっているのだ。決して浮かれてはいけないし、勝ち誇ったような顔を見せてもいけない。
初登院までは東京に来なくてもいいから、公職選挙法の許す範囲でお世話になった方々にお礼のあいさつをし、暇を見つけては選挙区に帰れ。握った手の数、歩いた家の数しか票は出ないのだ」
これもまた私が旧・田中派で叩き込まれた教えでした。
<人材抜擢のシステムを>
・与党に戻り、幹事長を務めていた時には、大臣未経験者全員に、どのような役職に就きたいか、希望票を提出してもらいました。希望票には第三希望まで記入可能としました。
・大臣を当選回数で決めるようなやり方は、昔は合理性があったのかもしれません。しかし今の時代に合うものだとは思いません。当選1回でも適任の人もいれば、10回でも不適格な人もいることでしょう。
<何よりも磨くべきは政策である>
<水月会とはどんな集団か>
・それでもなお、なぜこういう集団があるのか。
・常に「次」に備える政策集団は必要ではないか。何かあった時になって「どうしよう」では無責任ではないか。こうして水月会は発足しました。
<ベンチャー改策集団>
・そもそもこうした形で派閥が生まれることは自民党の歴史の中でも、おそらく初めてのことです。水月会以外の派閥には、みんな何かしらの「源流」が存在しています。
・その観点からすれば、私たち水月会は異形の集団とも言えるでしょう。誰が言うともなく「ベンチャー政策集団」と言われるゆえんです。
・先日、こんなことを言っていた人もいました。
「最近、テレビやインターネットテレビに出演する自民党議員の6割くらいが水月会所属議員だそうですよ」
これは、とりもなおさず政策論争に強く、説明能力の高い議員がメンバーの中に揃っている証拠ではないか、と思い、嬉しくなったものです。
<勉強会での研鑽>
・2018年、水月会は『石破茂と水月會の日本創生』という本を出版しました。これは私も含めて、会の会員が月2回開催される勉強会で発表したことをまとめたものです。
・水月会の勉強会は、外部講師を招くこともありますが、メインは所属議員それぞれの発表です。
<共有すべき認識とは>
・現在の与党である自民党、公明党ではなくとも、責任政党であれば共有できる現状認識、議論の前提は存在しています。
・また内政については、急速な人口減少、少子化、超高齢化が国家的な危機となりうるものであり、これを解消する政策を打ち出すのが急務である、というのもまた共通認識になりうるでしょう。
・だからといって国債を無制限に発行することはできませんし、国債依存度を下げていくべきだ、というのも多くの政党のコンセンサスであろうと思います。
<国債発行も財政健全化も手段であって目的ではない>
・経済学者や評論家の中には、日本の借金は国内で消化しているものだから問題ない、といった見解を述べる人もいます。
・それは言い換えれば、総体としてのGDPだけではなく、一人当たりのGDPを増やすことを目標の一つに掲げることでもあります。
<社会保障をもっと多様に>
・デフレ脱却に相当近づいてきているのに、個人消費が伸びない理由の一つとして、「長生きリスク」が挙げられています。
・また財政運営を考えるうえでも、その圧倒的な支出は社会保障関係費に向けられていますから、年金・医療・介護の支出をどう考えるかが一つ大きな項目でしょう。
「税と社会保障の一体改革」は、安定した財源として消費税と社会保障とを結びつけ、財源を確保したうえで社会保障の増え幅に対応しようとするものでした。しかしこの時点で、少なくとも私は二つの見逃しをしていました。
一つめは、日本における消費増税の政治的リスクの高さ。二つめは、社会保障給付の内容です。
・一方で、「診療報酬の外の世界」で「正当な利益を確保できる、新産業としての医療・介護」という視点も重要です。我が国が誇るべき国民皆保険制度は診療報酬の中の世界で維持しながらも、その周縁部分、まさに「サービス産業」としての伸びしろ部分に、顧客満足度の向上と効率化を両立させるカギがあるはずです。
このような方策で、もう一度社会保障の負担と給付のメニューを洗い出し、明確化し、国民一人一人に選択していただくことで、将来不安も払拭できると思うのです。
<ここまで広がる「地方創生」の可能性>
・6章で、「地方創生」は本来的には「小さな」話ではない、ということを申し上げました。これは少しかっこいい言い方でいえば、「トップダウン・エコノミーからボトムアップ・エコノミーへの転換」でもあります。
少し視点を変えると、例えば「モノ消費からコト消費へ」ということが言われます。
・ロボット、ドローン、AI、機械化、顔認証などの新技術と相性がいいのも地方のローカル産業です。農業や観光業、中小の建設業などと組み合わせれば、地方を中心とした生産性は向上します。
このように、地方創生の可能性はとどまるところを知らないのです。
<教育にも革命的な選択肢を>
・意外に思われるかもしれませんが、私は左官、建築板金、鳶などの職人の方々の関係団体の議員連盟の会長などを多くお引き受けしています。
・そこから派生して考えれば、あまりにも画一的な教育体系の中で、職業選択の幅が著しく狭くなっているのではないか。
・結婚、出産、育児、病気療養、介護、看取りなど、人生において大切なイベントは多くあります。これらのイベントを、一人一人が望む形で、一人一人が望むタイミングで実現するためにも、中断したキャリアをグレードアップして継続するための教育は不可欠です。
<自立精神旺盛で持続的に発展する国づくり>
・日本の高度経済成長の背景となった人口ボーナス期とは全く異なる人口構造になったにもかかわらず、産業構造の転換も、人口政策も後手に回ったことは、我々政治に携わる者に大きな責任があります。
アベノミクスの金融緩和で財政出動で生まれた時間的猶予の間に、産業構造の転換と、地方・女性・人生のベテランが持つ潜在力を最大限に引き出す必要があります。
・このように壮大な国家ビジョンは、私一人ではとうてい実現できません。でも今の私には、少なくとも水月会の同志たちがいます。本当に心強い限りです。
・会の人数は相変わらず少ないままですが、渡辺美智雄先生の言葉をもう一度ご紹介しておきます。
「いい加減な奴が百人いるより、信念を持った確信犯が20人いれば、世の中は変わる」
<おわりに>
・毎週末のように各地に出向いても、とてもすべての市町村は回りきれていません。これまでに回ったのは、全国1718あるうちのせいぜい350市町村くらいでしょうか。
・最近の自民党を見ていて危惧を覚えることがあります。どうも、街頭で政策を訴える機会が減っているのではないかと思うのです。
政治の根本の一つは演説です。少なくとも私はそう思っています。政治家は演説をすることで進化すると言ってもいいでしょう。
・民主党が政権を取り、自民党の人気が最低レベルだった時期にも、谷垣総裁を先頭に自民党の議員は街頭に出て、政策を訴えていました。もちろん罵声を浴びせられることもありましたが、それでも訴え続けることが大事でした。
・さまざまな人が聞いている街頭で、聴衆を惹きつけるだけの論理を構築することが政治家には求められます。
私は大臣を拝命しているときは、質問する野党議員のことをなるべく事前に調べるようにしていました。
・国会は議論の場であると同時に、そうした調整の場という意味もあります。
・これはチャーチルの有名な言葉とも通じるところがあります。「民主主義は最悪の制度である。これまで試みられてきた、民主主義以外の全ての政治体制を除けば」
民主主義は意思決定に時間がかかり、とても面倒で、煩雑です。
・政治家は出来る限り多くの人に「私たちのことをわかってくれている」と思われるように心がけなければならない。そのためには、本書で繰り返してきたように、謙虚さ、誠実さ、正直さが必要なのだと、私は信じています。
・それでも「田中先生が聞いてくれた」「竹下先生が聞いてくれた」というだけで満足してくだる方も多くいたのです。それはやはり、「話を聞いてくれて、わかってくれた」と思ってもらえたからでしょう。
・これからの日本において、政治家はうまい話ばかりは出来ないと繰り返し述べてきました。「出来んわなあ」という局面は必ず増えていきます。
それでも相手に納得してもらえるような政治家でありたい。
『政治家は楽な商売じゃない』
・「政治家は楽でいいな。政治資金の使い方もいい加減でいいんだから」「結構、儲かるんだろうな」などと思っている人もいるのではないだろうか。
・しかし、政治家という仕事は決して楽なものではない。11年前、地盤、看板、カバンもないまま衆院選に挑戦し、幸いにも当選させていただいて以来、私は、公務や選挙区での活動に全力で取り組んできた。1年365日、1日も休みなしの状況で今日まできた。
・また政治家は決して楽な仕事ではない、もちろん人によって違うだろうが、徒手空拳で政治家の路を選んだ私だからこそ、よくわかることだ。
<勝栄流、ドブ板選挙>
・私の場合、365日、それも毎日24時間を選挙活動に充てていると、いっても過言ではない。これは決してオーバーではない、家族サービスなど全くできないと言っていい。
・毎日の活動は漕ぐのを止めたら倒れてしまう自転車に似ている。体力勝負である。政治家と言う仕事はもちろん個人差はあるだろうが、決して楽な商売ではないのだ。
<日々是選挙なり>
・政治家にとっては「日々是選挙」だ。したがって、慢心はもちろん、一瞬の油断でさえ政治家には命取になる。
・「選挙に勝つための条件は三つある。一つは36歳以下であること、それから、5年から7年、地域を必死で回ること。最後に地元の2流、3流の高校の出身であること」。最後の条件は、一流高校と違いそうした高校の出身者は卒業後の結びつきが極めて強いから、選挙に有利と言う意味らしい。私は、どの条件にもあてはまらない。
<ドブ板選挙は体力が勝負>
・選挙区では1年中、なんらかの会合や催し物が開かれている。1月から3月までの新年会だ。私は毎年計5百か所ぐらい出席する。それが終わると卒業式に入学式のシーズンを迎える。
・政治家でも二世や三世なら祖父や父親からの地盤があるから私などと違って楽かもしれない。
・政治家は勉強も欠かせない。しかし、1日中、走り回っていると勉強する時間がない。
・私が基本にしていることは、徹底して「人に会う」ということだ。それが選挙の第一歩だと考えている。地元にいる限り、私の一日は「人と会う」ことから始まる。
<国会議員の本分>
・まずは国会議員の本分としての仕事がある。それを最優先でこなし、余った時間で選挙活動にも励んでいるのだ。
<個人の後援会>
・政治家にとって後援会と言うのは、膨大な時間と労力をかけて作り上げるもので、いわば政治家の命綱だ。二世、三世議員は祖父や父親の後援会をそのまま譲り受けることからきわめて楽な選挙となるが、私にはその基盤となる後援会が全くなかった。
・現在私の後援会員は約6万人を数える。この後援会が今日の私のドブ板選挙を支える基礎となっている。
<政治家とカネ>
・国会議員は普通に活動するとどうしてもカネがかかる。仕事をやればやるほどカネがかかるともいえる。
・普通に議員活動をしておれば、月にどうしても5、6百万円はかかる。先に述べた議員年収などでは、とてもまともな活動はできないのが現状だ。歳費と期末手当だけではとても政治活動費は賄えないし、政党からの助成金でもまったく足りない。支援者からの支援がなければ、政治家として十分な活動ができない現実がある。だから、パーティーは多くの議員にとって不可欠とも言える。
・夏はもちろん、盆踊りや花火大会などのシーズンである。このうち盆踊りや夏祭りは町会、自治会単位で開催され、約3百ヶ所に顔を出す。
・もちろん、こうした行事のほかにも冠婚葬祭や祝賀会、記念式典などが一年中、目白押しだ。
<拉致は防げた>
・拉致は防ぐことができた。私は、今でもそう思っているし、警察にいた者の一人として、この点については返す返すも残念でならない。実は私が警察に在職していたときから、北朝鮮による拉致事件が起こっているのではないか、と関係者は疑いを抱いていた。
・実際に実力行使で不審船をストップさせたのは2001年12月の奄美大島沖事件が初めてであった。
<拉致問題は時間との戦い>
・私の師でもある後藤田正晴さんは生前、政府の対北朝鮮外交の進め方に介入する関係者の言動に強い不快感を示しておられた。私は、リスクを覚悟しながら行動する政治家は、リスクを取らずして非難だけする人など何も恐れる必要はないと考えている。この言葉を後藤田さんが存命中に常に言っておられたことである。
・10人帰って来ると、あと10人はいるのではないか。その10人が帰国すれば、あと30人はいるのではないかとなるのは当然であり、自明の理だ。
・日本の警察に届けられている行方不明者や家出人の数は8万人から9万人に達する。この中に「もしかすれば、うちの子供も拉致されたのでは」と思う人が大勢出て来るだろうし、相手がいままで平気で嘘をついてきた北朝鮮だけに、先方の説明をそのまま信じることはできない。要するにこの話は今の金正日体制の下ではエンドレスに続く可能性がある。
・すると北朝鮮側は、「拉致事件は、日本と北朝鮮が戦争状態の時に起きたことだ。戦争時に末端の兵士が行った行為を罰するわけにはいかない」と答えた。だとすると拉致事件の最高責任者は誰かと言えば、間違いなく金正日だ。北朝鮮は、ならず者であれ何であれ、曲がりなりにも国家である。そのトップを引き渡すということは、武力行使か金体制の崩壊しかあり得ないのではないか。
<日朝交渉の行詰まり>
・小泉さんが訪朝時、食事どころか水にも手を付けなかったからだそうだ。アメリカのオルブライト国務長官は2000年の訪朝時に、北朝鮮の水などを口にしたそうだが、小泉さんは二度の訪朝のいずれもでも水さえ口にしなかった。
・私は、小泉さんは立派だと思う。北朝鮮の水に何が入っているかわからないし、そもそも水といえども飲む気にはなれなかったのだろう。しかし、北朝鮮にいわせると「自分の国に来て水一滴も飲まないで帰るとは失礼だ」ということになるようだ。だから私は、小泉さんの三度目の訪朝はないと思う。
『「政権交代」 この国を変える』
<「座談会」と呼ぶ、私が最も大切にしている集いがある>
・週末ごとに地元・三重県で20人、30人規模で開催する対話集会のことだ。私は、この座談会を20年間にわたって繰り返してきた。2005年秋に民主党代表を辞任したのちも、1万人を超える方々と膝を突き合わせて対話してきた。
・政権交代ある政治、これこそ私が、いままでの政治生活の中で一貫して主張してきたことだ。
<政権交代とはどういうことなのか>
・同じ民主主義、市場経済を基本とする体制の中で、どちらの党の政策がよりよいか、具体的な政策を国民一人ひとりが選ぶこと。
・選挙運動を始めてから地盤が概ね固まる当選2回までの間に、通算すると5万軒、いや7万軒は訪ね歩いたのではないだろうか。すべての活動の基本は有権者との直接対話だという、私の考えは今も変わらない。
・代表辞任後のこの2年9ヶ月間、私は、地元で350回、延べ1万人を超える有権者との対話の場をもってきた。週末はよほどのことがない限り地元に帰って、公民館とか神社の社殿とか、ときには個人宅をお借りして、平均30人ぐらいの集会を開く。私は、これを「座談会」と呼んでいる。
<自由で公正な社会を実現する>
・市場にも限界がある。競争政策、市場メカニズムを活用すれば、そこからこぼれ落ちる人が必ず生じる。それは政治が救わなければならない。
<公正な社会を実現する>
・社会的公正とは何か。私は、中間所得者層の厚み、実質的な機会の平等、セーフネット、世代間の公平―以上の4点を挙げたいと思う。
(2023/7/26)
『「外交オンチ」が日本経済を破壊する!』
間違いだらけの日本の「経済安全保障」
高橋洋一 清談社 2022/7/25
<はじめに>
<「外交オンチ」がわかっていない安全保障と経済の密接な関係とは>
・外交とは何か。ひと言でいうと、「貿易と安全保障について他国と話し合う」ことです。
世界のいろいろなところで行われている外交の舞台でも、そこで何が話し合われているかといえば、突き詰めれば「貿易」と「安全保障」の2点に集約されるのです。「貿易」と「安全保障」は密接につながっています。
・だから、隣国の専制国家である中国が毎年国防費を大幅に増やしている状況で、これに対して、日本も防衛費を上積みしていかないことには、戦争が起こる確率がどんどん高まるだけ。つまり、軍備を拡張しないということは、戦争をしたいというのと同じことなのです。
これは、「核」についても同じことがいえます。
・日本の周囲には、中国、北朝鮮、ロシアと三つの非民主主義国があり、そのいずれもが核保有国という、戦争の危険度が高い状況にあります。
それなのに、日本の左派は相変わらずです。
・実際に日本がアメリカと核共有するかしないかという以前の問題として、核を保有する専制国家に周囲が囲まれている日本が核の脅威から逃れるために、どのような対応をすべきかの議論は必要でしょう。
・岸田さんの「核シェアリングを認めない」とする発言は、民主党時代より後退しているのです。
そのような国防意識しかない岸田政権の2022年5月末時点での支持率が、メディア各社の調査で60%以上、なかには70%近いものもあるというのだから、これはじつに由々しき事態です。
・仮に宣戦布告をしたとしても、先制攻撃は国際法違反になります。先制攻撃はすべてにおいてダメで、認められているのは自衛権しかありません。
<戦争の「大義名分」は「勝てば官軍」でしかない>
・ロシアの戦術核使用は現実的な問題として見ておかなければいけません。
ロシアによるウクライナ侵攻の幕引きとしては、ロシアが戦術核を使って徹底的に勝利するか、あるいはロシアが完全に疲弊するか、プーチンが病気か何かで退くなどして戦いをやめるのかのどちらかしかないように思われます。
・ロシアによる侵攻が長々と続くという予測をする人もいますが、その場合は、確実にロシアは不利になるわけだから、そうすると、戦術核を使うしか手段がなくなります。
<北欧2カ国のNATO加盟に反対したトルコの思惑>
・フィンランドとスウェーデンのNATO加盟については、長く時間をかけると紛争が起こるかもしれないので、できるかぎり早く進めることにはなるでしょう。
・だから、ロシア経済も、完全に壊滅するまでにはならないでしょうが、それでもマイナス成長になることは間違いありません。
・もしロシアがなくなるか、完全に国家体制が民主化されたときは、今度はその地域までNATOに引き込んで、NATOがアジアのほうまで来るというかたちになることも考えられます。
<「集団的自衛権で戦争の可能性が高まる」のウソ>
・私は安保法制のときから「集団的自衛権があったほうが戦争の危険性は減る」といっていました。当時、総理大臣だった安倍晋三さんも、「やはり高橋さんの説は正しかったね」といってくれます。
<西側諸国によるロシア経済制裁の効果を測定する>
・西側の経済制裁によるロシア経済のダメージはどれぐらいになるか。
もしウクライナ侵攻による新たな経済制裁がなかったなら、GDPの成長率はおそらく3%か2%ぐらいだったでしょう。
その以前からロシアへの経済制裁はあったので、飛躍的に成長するわけではありませんが、それでも今回の制裁によってマイナス10いくつとという数字になるでしょう。だから、ロシアはすでに大きなダメージを受けています。
経済制裁を実行した際には制裁する側の国も返り血を浴びるわけですが、それがどれぐらいになるか。
・さらに、2023年より先については、世界経済の成長率が約3.3%の水準まで低下すると予測しています。
・世界経済の成長率が1%下がることになれば、かなりショックは大きくて、私のイメージでいうと、「ちょっとした不況」といったところです。
・成長率が1%下がれば、失業者も増えることになります。仮に日本で0.5%失業率が上がれば、30数万人は失業者が増えることになるでしょう。これも業種によるのですが、それなりに大きな問題です。
・ほかにもっと貿易依存度の高い国はたくさんあって、それらに比べれば、日本は内需が大きく、輸出入の比率では世界トップクラスぐらいに低いのです。
・プーチンは、「ロシアの経済状態は安定していて、経済制裁は失敗だ」といいます。
ロシア経済が安定していることの理由のひとつとして、2022年3月には急落していたロシア通貨のルーブルが、すぐに回復して右肩上がりになっていることを引き合いにしています。
ルーブルが回復したのは、たしかにそのとおりなのですが、しかしロシアはルーブル安から回復させるために金利をものすごく上げたのです。
・雇用のために金融政策があるということが日本のマスコミはまったく理解できないので、テレビでは「円安だから金利を上げろ」などとトンチンカンな解説がなされますが、金利政策が雇用のために行われるというのは世界の常識です。簡単なロジックをいえば、金利を低くするとものへの投資が増えるのと、人への投資、つまり雇用が増えるにはパラレルだからです。金利を下げてすぐには設備投資も起こらず、雇用もすぐには増加しないためにややわかりにくく、そこがマスコミの人間には理解不可能なのです。
為替のために金利を上げてしまえば、国内の経済がダメになる。これは金融政策の典型的な間違いなのです。ちなみに、金利を上げると為替が高くなりますが、これは為替を安くして自国経済だけがよくなる「近隣窮乏化政策」の正反対の「自国窮乏化政策」になってしまいます。こうした結末は、国際機関の世界経済モデルや内閣府などの経済モデルでも確認されています。
・プーチンはルーブルの為替レートだけを見て安定したといいますが、暴落したルーブルを持ち直すために、ものすごく金利を上げたことの意味がまったくわかっていないのです。ロシア経済の今後がどうなるか、そこから先は予測できます。
ロシアは政策金利を20%にまで上げ、そうすると普通の民間金利は20数%だとか30%になるわけです。そうなれば当然、経済活動はものすごくダウンします。
ロシアの金融当局は、そういうところまで考えずに、あるいはわかっていたとしても、プーチンがルーブル下落に激怒すれば、それを是正するためだけに金利を上げざるをえなかったのでしょう。
しかし、これは経済制裁への対応策としては完璧なミスで、金利を必要以上に上げてしまったことです。ロシアの国内経済はものすごく下がることになり、その結果として、おそらく年率10%程度のGDPマイナスとなるでしょう。
・しかし、本来であれば、為替操作のために金利を変える政策はやってはいけないのです。
・金利だけを勝手に上げてしまうとどうなるか。世界経済モデルで予測される話をわかりやすくいえば、次のとおりです。企業活動がすべて停滞してしまうから、まともに生産ができなくなって、供給が減って、モノの値段が上がります。モノがつくれないのだから、雇用も減って、人々の所得も減っていくことになります。
実際、ロシアが20%にまで上げた金利をすぐに段階的に下げたのも、「インフレリスクに対応するため」だとロシア中央銀行が発表しています。
・いまの日本の金利はほとんどゼロですが、これでほかへの影響を何も考えずに金利だけ20%まで上げたらどうなるか。
債券を持っている人は儲かるだろうかと思うかもしれませんが、企業のほうは運転資金などの借り入れがすぐに回らなくなって、企業倒産がバタバタと相次ぐことになるでしょう。企業倒産が増えれば、その分だけ雇用がどんどん失われて、国民の所得がどんどんなくなります。
金利を動かせば、すべてのところに影響が出てくるからこそ、適正な金利にしなければいけないし、そのために、中央銀行は金利の運営を注意深く行うことが求められます。
・しかし、今回のロシアは、まったく何も上がっていないときに上げてしまったのだから、まったくダメです。結果的には、まず所得が下がって、そのうちに物価も上がるスタグフレーションになってしまいます。
ロシアにも、きちんとした経済の専門家はいるのですが、そういう人たちは、みんな辞めてしまったり海外に逃げたりしています。
・経済の運営は、「何かの条件があったときに、何かを変えれば、どのような効果になるか」という理屈がすべて頭に入っていないとできません。
いきなり何かのことが必要だといって、そこにだけ向けた対策をやってしまうと、じつはそれが思いのほかいろいろなところで逆の影響があるということがわからないのでは失格です。
その意味では、経済というのは難しいのかもしれませんが、ルーブルのレートだけを見て金利を変えたというのは完全にアウトです。
日本でも、「円安が進んでいるから」といって金利を変えてしまったら、やはりアウトです。
・だから、ロシアの場合は、ルーブルの暴落についてはあまり気にしないで放置しておくというのが正しいやり方でした。それでも経済制裁はありますから、そこに耐ええるために、国家財政などで備蓄していたものを放出しながら耐え忍ぶというのが普通の政策です。
そんな普通の政策がわからずに、経済顧問みたいな人も国外逃亡してしまうから、もうやっていることはメチャクチャなのです。
<デフォルトで影響を受けるのは誰か>
・この先、「ロシアがデフォルトするのではないか」といった話もよく聞かれます。
・これが最初で、元金が戻ってこないとなれば、次に「ロシアとの取引や投資はやめましょう」という話になります。ロシアに投資したものが滞ることになれば、外資系企業はだんだんロシア国内で企業活動ができなくなります。
・ロシアが昔、ソ連の共産主義の時代に何が問題だったかというと、正常な企業活動ができなくて、国民が欲しい物品をきちんと供給することができないことでした。
だから、これまで外資系企業が供給をしていたものがなくなるということは、ソ連時代の品不足、供給不足に近い状態になるわけです。
・ソ連の時代には慢性的なインフレで、スーパーマーケットに行ってもモノが少ないから買えなくて、みんな並ばなければいけないような状態でした。並ばなければいけないほどに供給が少ないということだから、もちろんすべての物価が高くなります。
企業活動ができなければ、経済発展もしません。経済成長はマイナスになるけれども物価が高くなるという、本当のスタグフレーションです。
・日本でも、「近々に日本はスタグフレーションになる」などという話をする人がいて、実際には日本ではスタグフレーションはなかなか起こらないのですが、おそらくロシアでは、すでに起こっているはずです。ソ連時代には、しばしばそういうことがあったのですが、その時代に戻るような感じになるでしょう。
<ロシア経済が崩壊しても戦争は終わらない>
・虐殺などの戦争犯罪が明らかになっていくにつれて、EUを中心にして、追加の経済制裁が次々と発表されています。
・さらに、EUは、それまで欧州経済への影響を懸念して制裁対象から外していたロシア銀行最大手のズベルバンクについても、国際的な資金決済網であるSWIFTから排除することを制裁案に明記しました。
そうすると、ロシア経済は今後、ますます苦しくなっていくでしょう。
・最初の経済制裁の段階でもロシアの経済成長はマイナス10%程度になっていて、これだけでもリーマン・ショックより下げ幅は大きかったのです。
これに追加の制裁となれば、すぐにデフォルトになってもおかしくはありません。そうなったときのロシア経済のマイナス成長はソ連崩壊のときと近いものになるのではないか。
ソ連崩壊のときには10%を超えるマイナス成長が2年程度続きました。そのころは、まだいまほど外資が入っていなかったため、インフレ率は3桁にまでなりました。インフレ率100%以上ということは、つまり物価が2倍以上になるということです。
今回は中国など経済制裁に加わっていない国もあるので、インフレはそこまでいかないかもしれませんが、経済成長がマイナスになって、所得が下がって、物価が高くなるというスタグフレーションになるのは確実のように思われます。
「お金がなくなって戦争ができなくなる」などという人もいますが、そこは意外とそうでもありません。軍事費については当面、必要分のお金を刷って賄うことになるはずです。軍事にお金をかけられないから戦争をやめるということは、これまでの世界の歴史を見ても、ほとんどありません。
その分、さらにインフレ率が高くなって国民生活は困窮することになりますが、どんなに国民が苦しくても、戦争は続けるでしょう。プーチンが急病で引退するか、クーデターにでもならないかぎり、戦争は続くことになるのだろうと思います。
<「金本位制移行」は眉唾レベルの話だ>
・国債の支払いは、日本人ならすべて円建てでやっていますから、円で支払うのは当然です。しかし、ロシアはドル建てでやっているのに、それをルーブルで払うというのでは約束違反で、これが国家破綻のファーストステップといえます。
・これからロシアはハイパーインフレになりつつあって、お札を刷らなければいけない状態で、そのときに金本位制は取り入れません。ロシア債務の名目価値が高くなるだけです。
ハイパーインフレとお札を刷るというのは同時並行的に起こってくる話で、インフレが高くなるからお札が足りなくなって刷らなければならない。
普通の経済状況なら、インフレになりそうなときには引き締めのために刷らなくなることもできますが、いろいろな支払いが出てくるからそれができないのです。
いずれにしても、ロシア経済が大変な状況になっているのは間違いありません。
<「GDP比ワースト30位」でも防衛費増額を認めない左派政党>
・それなのに、日本は相変わらずボケていて、安倍さんが講演で防衛費増額のことをいえば、相変わらず立憲民主党や共産党は「けしからん」と言い出すし、連立与党の公明党すら防衛予算を上げることに難色を示します。
<軍事費と戦争の相関関係を数量的に分析する>
・私はアメリカに留学していたときに軍事費と戦争の関係などを数量的に分析したのですが、戦争確率を減らすには、大きくは三つぐらいの手段しかありません。
ひとつは、国防費を高めること。もうひとつは、同盟に入ること。あともうひとつは、相手国が民主主義国家かどうかがポイントで、非民主国が相手の場合は戦争をしかけられる確率が高くなります。日本の周囲には中国、北朝鮮、ロシアと非民主国が三つもあって、これはかなり危険な状況だといえます。
<岸田総理自身で実現する気が見られない「憲法改正」>
・他国の憲法を見てみれば、緊急事態条項のない憲法というのは、日本国憲法以外にほとんどありません。
「なぜ、日本国憲法にはないのか」というぐらいの話で、これがなかったせいで大変なことがたくさんありました。
たとえば、新型コロナのときに非常事態宣言を発することができませんでした。それで、普通なら非常事態、マーシャルロウというところを、緊急事態宣言などといってお茶を濁すようなことしかできなかったのです。
<なぜ、日本国憲法には「緊急事態条項」がないのか>
・世界各国はそれぞれ新型コロナのときにいろいろな私権制限を行っていました。普通の国は私権を10割近く制限するかたちで行動制限を行っていましたが、日本はほかの先進国と比べて制限の強度がほぼ半分でした。憲法に「私権の制限はできない」とある以上、いくら頑張っても半分ぐらいしか規制ができなかったのです。
<「経済オンチ」が知らない「為替」のカラクリ――「円安」「円高」をめぐるメディアのデタラメ>
118<日本の高度経済成長は「1ドル360円」のおかげだった>
・そのように、いまも華々しく語られることが多い日本の高度成長期の原因が、じつはよくわかっていなくて、「これだ」という決定打がなかなかないのです。
さまざまな見解があるなかで、ひとつの事実をいうと、「高度成長期の日本は、経済の基礎のところで、すごく下駄を履かされていた」ということがありました。
1949年4月25日から1971年8月15日まで22年間にわたって円ドルの為替は固定相場制で1ドル360円とされていました。
完全な変動相場制となったのは1973年2月からで、それからもダーティフロートなどといわれながら、1ドル200円ぐらいの時代が続きました。
・本来、その時期にどれぐらいの為替レートが適正だったのかを計算すると150円ぐらいになります。
・プラザ合意以降は本来の実力勝負となって、実際の為替レートと、本来あるべき為替レートはほとんど一緒になりました。
そして、日本の高度成長はそこで終わっているのです。
・だから、私はこの為替レートこそが高度成長の決定打ではないかと思っているのですが、やっぱり「プロジェクトX」のような「頑張った日本人の物語」が好きな人も多いので、私の説はなかなか多数派になっていきません。
・しかし、いくつかのヒントはあります。日本のお金の量とGDPは連動するわけですから、金融緩和して円安になるとGDPは増えます。10%ぐらい円安になると、1%ぐらいGDPが伸びるわけですから、これを続けることでGDPは伸ばせる。これはいちばんいいやり方です。極端にいえば、つねに円を20%ぐらい増やしていけば、GDPは2%伸びることになります。
<メディアが解説する「円安の理由」のデタラメ>
・2022年5月、FRBは22年ぶりとなる0.5%の利上げを発表しました。
なぜ、利上げをするのかというと、アメリカでは現状、総需要が総供給を上回っていてインフレ率が高くなっているから、過熱を抑えるという意味での利上げです。
・日米の差は、主に財政出動の差によるものです。アメリカは大規模な財政出動を行ったから、総需要が総供給を上回りました。
・何が間違っているのか。一つめは、ウクライナ侵攻によって戦争が長引くことが日本経済にとって悪影響になるといいますが、ロシアとの取引は日本よりヨーロッパやアメリカの方がはるかに大きいのです。だから、日本より欧米のほうがはるかに影響は大きい。
・ちなみに、経済が悪くなると通貨安になると思っている人がよくいますが、そんな因果関係はまったくありません。「日本の経済が悪くなるから、日本売りで円安になる」などと説明をする人がいますが、まったくの間違いです。
二つめについても貿易収支と為替はまったく関係ないということは完全に証明されています。
・三つめの金利差は、それなりに当たってはいます。為替というのは二つの国の通貨の比です。
・しかし、そこまでややこしく考える必要もなく、ただたんに「二つの通貨の交換比率だから、二つの通貨の量の比率でだいたいが決まってくる」と説明すればいい。為替とはそれぐらいの話なのです。
・このようなマスコミの姿勢に対して、「日本のことを悲観的にいいたいだけの自虐思想だ」などと評する向きもありますが、それより、まず経済のことを何も理解していないということが大きいように思います。わざと悪くいっているのか、本当に理解していないのかは、いくらか話を聞けばわかります。
・それで、「円安になって大変だ」などという言い方をするのですが、彼らは「円安になるとGDPが伸びる」ということも知らないのでしょう。
アベノミクスにしても、民主党政権のときに円高になって大変だったから、それを引っくり返したのが第一歩だったのです。
<数字で読み解く「円安」の動向>
・為替が動くと「悪い円安だ」という話になって、それで「金利を高くしろ」という人が必ず出てきます。
しかし、この手の話をする人は、はっきりいって為替の素人です。とくに政策のほうをやっている人間から見ればド素人といえます。
為替にはいくつかの原則があるのですから、為替の動きを説明しようというときには、その原理原則をきちんと見なければいけません。
まず、大原則として、「変動相場制のときに為替の動きに対応してはいけない」ということがあります。
・これはよく間違える話で、ロシアがそうでした。ルーブルの下落は日本の円とは桁違いでしたが、その価値を高めるために金利を上げたのは大間違い。韓国もときどきウォン安を気にして金利を上げますが、これはマクロ経済政策としては間違いです。
ロシアも韓国も為替を見て右往左往することで失敗する典型例です。じつは何もしないのが正解なのですが、そのことを忘れて、狼狽して金利を上げてしまいました。
それと同じことで、円が下がったからといって、大騒ぎして「利上げしろ」といっている識者がいましたが、まったく話になりません。
・国内の金利を上げるということは、マクロ経済政策としては縮小政策になります。つまり、マクロ経済政策において大規模な財政出動をしたくないという思いを持っている財務省が裏でいろいろ工作をしているのではないかと私には感じられるのです。
「金利を上げろ」という人は、間違いなく「原油価格が上がったから」という。これは事実です。そして、「原材料費が上がった」「円安になると、さらに上がる」といって、最後にこれを「インフレだ」という。
しかし、日本の場合、インフレにはなかなかなりません。
・では、この為替の動きというのは、実際のところ、そこまで大変なのか。
エコノミストが説明するときには、一般的に「金利差で為替が決まる」というのですが、もっと正確にいうと、金融政策の差で決まります。
金融政策を金利の動きで見るというやり方もあるのですが、マネタリーベースというお金の量で見るほうが簡単です。マネタリーベースを増やすのが金融緩和策、減らすのが金融引き締め策といいます。つまり、マネタリーベースで見た日米の金融政策の差で円ドルの為替が決まるということです。
・具体的にいえば、2022年5月時点の日米のマネタリーベースは日本600兆円、アメリカ5.4兆ドル。日本は金融緩和なので1割増しの660兆円、アメリカは金融引き締めなので、1割減の4.86兆ドルと予測すれば、660兆円/4.86兆ドル=136円/ドルとなります。要するに、マネタリーベースの予測と為替の動向には密接な関係があるのです。
・日々の為替をやっている人にとっては死活問題なのかもしれません。しかし、これをいっては身も蓋もないのですが、日々の為替がどちらに動くかというのは、統計的にはランダムウォークといって、予測は不可能なのです。
・一方のアメリカはインフレ傾向が出ていますから、長期金利を上げて引き締めすることを発表しています。そうすると、アメリカのマネタリーベースはあまり上がらず、日本のマネタリーベースは上がっていくという予想になります。
<まったく意味のない「円の実力」という表現>
・アメリカがインフレになっているのに、なぜ日本はインフレにならないのか。
日本の経済状況を見ると、総供給が570兆円ぐらいであるのに対して、総需要は540兆ぐらいしかないのです。総供給のほうがはるかに大きい状況ですから、日本はなかなかインフレが加速しないということです。
・現状の日本における正しい政策としては、「金融緩和はこのまま続けて、個別価格の上昇に対しては、ガソリン税の減税と消費税の特定物品の軽減税率を実施して、それとともに大型の補正予算を打つ」ということになります。
・岸田内閣では、おそらくこのすべてをやらないのでしょうが、そうなると、これを「悪い円安だ」などといって正しい政策を実施しないことを正当化するような論調が、これからマスコミに出てくることになるのでしょう。
・まず、この記事のなかに「実質実効為替レート」という言葉が出てくるのですが、マーケットの人に聞いても、誰もこの言葉は知らないでしょう。なぜかというと、そんなものは指標として使わないからです。
・実質実効為替レートというのは為替レートと同じことです。
・それなのに、なぜ「円の実力」という表現をするのかといえば、そうすることで、なんとなく円高のほうがいいと思わせたいというだけのことです。あえて「実力」ということで、あたかも為替が安くなったのを悪いことのように説明したいだけなのです。
・円はこの50年間、上がったり、下がったりはありましたが、BISの統計を見ると、50年前に比べて円安でも円高でもありません。ところが、先に名を挙げたイギリスやメキシコ、スウェーデンなどの国は、はるかに自国通貨安になっています。
・では、なぜ高度成長期に円高になったのかというのも簡単な話で、最初に1ドル360円と言う時代がありましたが、あれは適当に決められたものだったのです。
なぜ、1ドル360円に決められたのか。「円形は1周すると360度だから、円も360円にした」という説があるほどに根拠の薄いものでした。
あらためて計算してみると、実際には1ドル150円ぐらいにすべきだったようで、それが360円という、ものすごい円安の為替レートに決まったことは、日本にとって非常にラッキーなことでした。
・日本では変な水準に為替が決められて、それをキャッチアップする過程で高度成長も一緒に起こったから、円高がいいと思い込んでいる人がいるのですが、しかし、これははっきりいって間違った認識です。
<「円安ドル高」でプラスになる人、マイナスになる人>
・日本銀行の黒田東彦総裁は円安ドル高について、「現状ではプラス面のほうが大きい」と発言しました。しかし、日本商工会議所の三村明夫会頭は、「デメリットのほうが大きい」といっています。
なぜ、180度言い分が異なるのかというと、三村会頭は中小企業を代弁していて、黒田総裁は経済全体を考えての見解だからです。
・自国通貨安は、しばしば「近隣窮乏化策」ともいわれるのですが、それは逆にいえば自国経済がよくなることを意味しています。
では、主として大企業で構成されている経団連の十倉雅和会長が円安についてどう見ているのかというと、「大騒ぎすることではない」という見解を示しています。
・円安傾向を受けて、「円高は国益」「製造業が海外に拠点を移しており、円安メリットは小さい」といった議論も聞かれます。しかし、これが誤りであることは、民主党政権時代の円高で日本経済はどうなったのかを思い出せば明らかです。
「製造業が海外に拠点を移しており、円安メリットは小さい」との意見は、輸出のメリット減少をいっているだけで、これも正しくありません。海外に拠点を移していれば、その投資収益があるはずで、この円価換算収益は円安メリットを受けているのです。
海外から政治的な理由で自国通貨安を是正しろとの要求があるのなら、それは想定内のことですが、国内からそうした声があるとは驚きしかありません。円高は明確に「国益」に反するからです。
・ちなみに、ウクライナ侵攻を受けたあとのIMFの世界経済見通しでは、2022年には日本だけが経済成長すると指摘していました。
これは、日本だけが金融緩和を続けていて、その効果が世界経済のマイナスを補っているという理由からなのです。
<円安のほうがGDPが伸びるカラクリ>
・アベノミクスへの批判として、「トリクルダウンは起こらなかったじゃないか」という声があります。「一部の富裕層を優遇しただけで、その富が貧困者まであふれて落ちてくることはなかった」というのです。
しかし、アベノミクスにおいて、データも理論も、多くの部分を私が提供してきたのですが、その私は一回もトリクルダウンということをいったことはありません。安倍さんも、2015年の国会で、トリクルダウンについて、「われわれが行っている政策とは違う」と明言しています。
・これまで何度もいっていることですが、アベノミクスというのは世界標準の政策です。マクロ経済の観点からは金融政策と財政政策があって、ミクロ経済の観点からは規制緩和政策を行う。これは世界のどこでも同じで、それをうまくやるか、やらないかの話です。
・これまでに記してきたように、円安になったほうがGDPは伸びるのです。だから円高になった民主党時代は当然ダメでした。
経済政策をなんのためにやるかというと、最後は雇用なのです。雇用が確保できて、給料が上がれば、非常にいいかたちになります。
・雇用が増えたというと、今度は「正規、非正規がある」というのですが、民主党のときには正規がマイナス50万人、非正規がプラス100万人程度だったものが、アベノミクス時代には正規がプラス200万人、非正規がプラス220万人程度にまで増えました。つまり、正規も非正規も、アベノミクス時代のほうが増えているのです。
・しかし、実質賃金が下がったのには理由があって、雇用を増やすときには、実質賃金がある程度下がるのです。雇用が増えると、それまで無職の人が雇用されるので、その人たちは最初は給料が低いわけです。だから、過度期にはどうしても平均値は下がってしまうのです。
とはいえ、名目賃金も雇用も圧倒的に改善されたことはたしかな事実で、雇用が一気に増えて、給料の低い新人が増えたから、実質賃金は下がったということです。何も悪いことはありません。
・アベノミクスにおいて、少なくとも雇用についてはほぼ満点。賃金に関しては満点ではないにしても、すごくひどい数字ではなかったといえます。雇用者を増やすという結果を導くために経済政策を行っていて、そのとおりの結果になったのです。
・民主党の人が「円高のときがよかった」といったところで、いったいどこがよかったのか。「失業率が高かったでしょう」で終わる話で、経済がわかっていない人たちは見ているところが違うのです。
・そこで消費増税をやったのはたしかに失敗でしたが、本来ならGDPが増えた分で財政出動などができるわけです。輸入価格が上がって困るという人には補助をするとか、ガソリン減税もそのひとつです。消費税の軽減税率適用というのもそうでしょう。
・そこで、ほかの数字で今後の雇用がどうなるかを見ていくことになります。
将来の雇用を予測するときに重要な数字としては、総需要と総供給の需給ギャップ、つまりGDPギャップがあります。総供給が多いというかたちでGDPギャップが大きければ、モノが余っているのだから、つくり手はいらないということで、失業率は上がります。
<岸田総理が株式市場に疎いバックボーン>
・「岸田に投資を」といいながら、2022年4月11日に衆議院から公開された資産を見ると、岸田さんは株式などの金融資産を持っていませんでした。そのため、ネットなどでも「株を持っていない人に株をすすめられても」という声が見受けられました。
岸田さんの家系には役人や政治家がいますから、その影響で岸田さんも株をやらないという可能性はあるでしょう。政治家が株をやっていると、ときどき変なことになるのでやらないということはあるし、役人も仕事の関係で重要情報に触れるからやらないというのはよくあります。
・岸田政権の取り巻きを見ても官僚が多くて、首席秘書官は経済産業省の官僚だし、副長官にも財務省の官僚がいます。一般的な役所のルールどおりであれば、官僚は現役のうちは株式投資をしてはいけないことになっていますから、まったく株式をやったことのない人間ばかりが岸田さんの周囲にはたくさんいることになります。
<「経済オンチ」としかいいようがない日銀審議委員人事>
・彼らは、なぜほかの国で行われている「普通の」金融政策がわからないのか。まず「勉強していない」ということはあるでしょう。
いまの世の中の教科書などは、「普通の金融政策」についてきちんと書いていませんから、そんな教科書を読んできた秀才みたいな人にはわからないのです。
<何もしていないのに批判されない本当の理由>
・2021年10月19日の衆院選において、私は岸田総裁のもとでの選挙となると、ある程度議席を減らすだろうと想定していました。
自民党が負けなかった主な原因として考えられるのは、やはり立憲民主党が共産党との選挙協力で「立憲共産党」になったことでしょう。
<この程度の税金控除では国民の給料は上がらない>
・2022年4月1日から賃上げ促進税制が適用されることになりました。
・マスコミの報道を見ると、なんとなく岸田政権が決めたことのように思うかもしれませんが、制度自体は、たしか2013年ごろにはもうできていました。それの控除率をちょっとだけ高めるといったぐらいの話なのです。
・賃上げするためのいちばん簡単な方法は、外国人労働者を日本に入れないで人手不足感をつくることです。そうなれば、企業としてはどうしても人を雇って仕事をしなければならないので、給料を弾むしかなくなります。
それを税制でやろうということ自体が、政策手段としては初歩的な間違いだといえます。
しかし、産業界からの要請で、これからも外国人労働者を日本に入れるということになると、ますます賃上げは難しくなるでしょう。
このように見れば、岸田政権のやっていることが、いかに支離滅裂であるかがわかるはずです。
岸田さんは「聞く力」などといって、いろいろな話を聞いて政策実行しようと考えているのでしょうが、そうすると、こういうことになるのです。
<「過去最大55兆円の経済対策」の内実>
・ほとんどのマスコミは役所にいわれたそのままを書いているだけですから、もとになる資料を読まねば真実はわかりません。
・この数字を見ると、まあ真水は30兆円ぐらいだろうということになるのですが、ここには新規に国債を発行して調達するお金だけでなく、過去の余った分を回したものもたくさん入っているはずです。
・それが何を意味しているかというと、もはや政調会長も総務会長もほとんど意味がなくなっているということです。
これまでは、「政務調査会審議会のプロセスと総務会のプロセスを経ないことには、自民党の経済対策とはしないから、政府の対策にもならない」ということだったのです。
<消費増税したくてウズウズしている頭の古い面々>
・補正予算30兆円のうち、何兆円かは新規国債に依存するわけですが、仮に30兆円のすべてを新規国債でやったとしても、真水は30兆円レベルにしかなりません。
ところが、本来必要な仕事量から現在のGDPを引いた数字、GDPギャップは40数兆円ですから、30兆円では足りません。
需給ギャップは必ずすべて埋めることが財政政策の大原則ですから、そうすると真水が最大の30兆円だったとしても、それでもまだ必要な分の6割ぐらいでしかありません。
・財務省は、どうも税率のことばかりをいって、徴収のやり方や徴収漏れの話はあまりしようとしません。昔は税収を上げるのは税率だったから、その考え方で凝り固まっているのです。
しかし、いまは税率を上げるより先に、不公平にやっている人からきちんと取るための手立てがあるのです。
かつては申告のときに領収書をすべて提出しなければダメでしたが、電子マネーになれば履歴を見ればすべてわかります。データになれば機械処理もやりやすくなって、事務コストも低減されます。
<トリガー条項発動を「検討する」と発言した背景>
・「一定条件を満たせばガソリン減税を実施する」という、いわゆる「トリガー条項」では、本来、「ガソリン価格が1リットル160円を3ヵ月連続で超えた場合」に発動されることとされていました。
このトリガー条項が導入されたのは2010年のことでしたが、その翌年に東日本大震災が発生したことで、「復興財源を確保するため」という理由で凍結されていました。
しかし、原油価格が高騰したことで、これを解除するかどうかという議論が起こったわけです。
<「検討する」は「やるやる詐欺」にすぎない>
・それにしても、岸田さんは相変わらず、たんなる絵に描いた餅で「検討します、検討します」ばかりで、これでは「やるやる詐欺」も同然です。
トリガーではない現状のやり方であれば、ガソリン補助金は予算の予備費で出せますから、当分は続けられます。
それだけだと、価格はなかなか下がりませんから、その意味でトリガー発動をするのが筋といえば筋なのです。しかし、それをやるにあたっては法改正と予算措置が必要だから、そこの準備をしないことにはできません。
<冗談にしか聞こえない「難しい判断と決断の連続」>
・2022年4月4日、岸田さんは就任半年を振り返って、「難しい判断と決断の連続」とコメントしていました。
まるで冗談としか思えません。検討するというばかりで何も判断などしていたようには見えないからです。
<やるべきことをやった菅前総理、やりたいことが見えない岸田総理>
・前総理の菅さんは最初から「これをやらなければいけない」といって、そこをやっていきました。マスコミが考えるより先に行くから、そうすると叩かれることも多かったのですが、本来こういう時代は先に先にと先手を取ってやらないとダメなのです。
しかし、岸田さんはこのままずっとできないままなのでしょう。
<断言しよう。岸田総理は「経済オンチ」である>
・2022年5月15日の「読売新聞」に掲載された同社の世論調査によると、岸田政権の新型コロナ対応を評価する声が62%ということで、これは2020年2月に同様の調査を始めてから初の60%越えだったそうです。
私には岸田政権の新型コロナ対応の何を評価するのか理解できません。
・「もろい支持層だから、あっという間に急落することもある」という人もいますが、いまのところ何もする気配がないから批判されることもなく、しばらく岸田政権の支持率は高いままでしょう。
<安倍元総理の「日銀は政府の子会社」発言が叩かれた理由>
・岸田政権の支持率が高いなか、安倍さんばかりが批判される。その代表的な事例を検証していきましょう。
2022年5月9日、安倍さんが大分市内で開かれた会合のなかで、「日銀は政府の子会社だ」と発言したことに対して、財務省はすごく慌てたのでしょう。
・こうした内訳についても、マスコミはまったく知らずに記事を書いています。「日本経済新聞」などは、ご丁寧に長期債務残高の推移グラフを掲載していましたが、あれもすべて財務省から資料をもらって貼りつけているだけです。
<数字を出されるとパニックになる「経済オンチ」のマスコミ>
・財務省がマスコミに記事を書かせることで何を主張したいのかというと、これは「税収で支払うべき」というところをいいたいだけなのです。
そうして、安倍さんの「日銀は政府の子会社だ」という発言を、なんとか否定したいのです。
<アベノミクスが掲げた「インフレ率2%」目標の意味>
・「インフレ率2%」という目標はアベノミクスのときから政府が掲げてきたものです。
しかし、日銀にはプライドの高い人たちが多いので、いちおう「政府と日銀が共有している目標だ」という言い方をしています。政府が立てた目標に日銀が従っているということになると、「日銀が政府の子会社だ」ということがバレてしまいます。
・親会社である政府がインフレ率2%という目標を出しているのに、日銀がその目標を達成できないのだから、本来なら政府は怒らなければいけません。しかし、2%というのはあくまでも目標であって、本来の目的である失業率の低下は実現していて、雇用がよくなっているのだから、あまり目くじらを立てることはありません。
金融政策においては雇用がいちばん重要で、失業率2.5%ぐらいにまで下がったのだから、そこはこれでOKなのです。
(2023/6/3)
『自民党という絶望』
石破茂 &その他 宝島社新書 2023/1/27
<空気という妖怪に支配される防衛政策 石破茂>
・年間11兆円の防衛予算となれば800億ドル以上。インドの766億ドルを抜いて、米国、中国に次ぐ世界3位の軍事大国となる。
<GDP比2%がいつの間にか既定路線に>
・石破:GDP2%、NATO並み、という話は安倍晋三元総理が生前に言っておられたことです。
・ウクライナ侵攻が国民に大きな衝撃を与えたことは間違いありません。
・台湾の陸海空軍の防衛力について、日本としてどれだけ正確に分析評価できているかということも重要です。台湾には2018年まで徴兵制があり、さらに予備役の訓練にも力を入れています。陸海空軍合わせて166万人もの予備役がいる。
・「ウクライナの教訓は、自分の国は自分で守るという強い意志と能力を備えなければ、他の国は助けてくれない、ということだ」
・当たり前ですが、フリーランチなどありません。大切なものはタダでは手に入らないのです。自民党はよく「国防こそ最大の福祉である」というフレーズを使うのですから、そうであるならば、恒久的な財源が必要だというのはきわめて当然の議論でしょう。
<アメリカからの“買い物リスト”が増えるだけではいけない>
・今回の防衛費増額によって、日本の大企業も受注が増えていくことになるでしょうから、法人税増税という選択肢は合理的だと考えます。
・陸海空のオペレーションを統合するのですから、防衛力整備につても当然統合して考えるべきで、この点は以前から指摘していたことなのですが、今回は「統合運用に資する装備体系の検討を進める」という表現にとどまりました。
<「自衛隊がかわいそう」という空気は予算倍増の理由になるのか>
・しかし、実力組織として、自衛官には国の独立と平和を守るという任務があり、その遂行のために物理的破壊力を行使します。
・戦後日本に軍事法廷はありません。人権侵害をするかもしれないから、あるいは自衛隊は軍隊ではないからと、そもそも設置をしていない。しかし、そのために個々の自衛官の人権を守れないということが起きている。これこそ本末転倒です。
・その意味で、日本は怖い国です。かつてはアメリカを相手に戦争をしたのですから。日米開戦当時の昭和16年、アメリカのGDPは日本の約10倍、工業生産力も10倍ありました。まともに考えれば勝てるはずのない相手なのですが、それでも、この国は戦争に突き進みました。当時、これを批判したメディアはほとんどありませんでした。
<保守の間で「戦後」がうまく伝承されてこなかった悲劇>
<――なぜ、国家の安全保障政策について冷静な検証や議論が深まらないのでしょうか。>
石破:敗戦の検証が不完全だったからではないでしょうか。
・保守というのは本来、右翼の街宣車ではありません。本来の保守に必要なのは、柔軟性と寛容性です。
<国家として自主独立は居心地のよいものではない>
・その意味では、私は日本はまだ真の独立国家には達していないと思っています。日米安保の本質は、その非対称性にあります。
・自主独立は、まったく居心地のよいものではありません。どうやって抑止力を維持していくか、常に緊張を強いられることですし、自分たちで決めたことに対して自分たちで責任を負うしかない。しかし、それこそが独立国家のあるべき姿ではないでしょうか。
<実力組織は「情」ではなく「規律」で動く>
石破:むしろ、それだけの予算があるのであれば、予備役を増やすことを考えたほうがいいと思います。
・企業が予備役を雇用する際のメリットをもっと用意して、予備役をきちんと確保する環境を整えることが必要でしょう。
・命を懸けて任務を遂行する実力組織を持っているということは、国民全体でその責任と覚悟を負わねばならないということです。これもまた、民主主義の根幹だと私は思っています。
<反日カルトと自民党、銃弾が打ち抜いた半世紀の蜜月 鈴木エイト>
・この統一教会問題を長く取材し、『自民党の統一教会汚染 追跡3000日』(小学館)などの著書があるジャーナリストの鈴木エイト氏に、日本の宿痾とも言える「政治と宗教の癒着」について聞いた。
<成立した「被害者救済法案」の問題点>
鈴木:いわゆる「マインドコントロール」に関する規定が明記されていないという点です。
<「何が問題かわからない」という本音>
・日本において、自民党議員のカウンターパートとなってきたのは、統一教会と表裏一体の関係にある政治団体の「国際勝共連合」です。
・教団が議員たちに重宝された最大の理由は選挙協力です。
<安倍元首相が統一教会に接近した「瞬間」>
・安倍氏が教団との関わりを深めたのは、第二次安倍政権が発足した2012年の以降のことだったと思います。
・ところが冒頭でもお話しした通り、2013年夏の参院選で、安倍氏は自ら票の取りまとめと選挙支援を統一教会にお願いするわけです。この候補とは、山口県出身で産経新聞の政治部長を務めた北村経夫氏で、比例全国区から立候補した北村氏は当選を果たしました。
<「マザームーン」問題の本質はどこにあるのか?>
・教団は、ある時期まで政治家との関係性を外部に向けてアピールしませんでした。
・結局のところ、山本氏も山際氏も、自分で行きたいから統一教会の会合に顔を出しているわけではなく、自民党から場の盛り上げ隊として「お使い」に出されているにすぎない。
<“商業性とマッチしないテーマ”を追求する難しさ>
・事件が起きる前は、統一教会問題や2世信者をテーマにした本を書きたいと言っても、出してくれる出版社などありませんでした。
・私自身のスタンスは事件前から変わっていませんが、本来は取材する側だった自分が今では取材を受け、仕事のオファーがくるようになりました。
・安倍元首相銃撃事件によって噴出した自民党の「統一教会汚染」が、国民に重要な事実をはっきりと見せてくれました。それは、政治家の劣化です。本来、社会的弱者に目を向け、その言葉に耳を傾けなくてはいけないはずの政治家が、多くの被害者やその家族が苦しんでいる事実を知りながら、元凶となっているカルト教団をひたすら庇護してきた。
・統一教会を追求することは、自民党、ひいては日本の政治を追求することと同義であり、ジャーナリズムがこの問題の検証を終わらせてはいけない意味もそこにあると私は考えます。
<理念なき「対米従属」で権力にしがみついてきた自民党 白井聡>
白井:日米関係の意味合いについて理解するには、戦後の自民党の成り立ちのところまでさかのぼって考えざるを得ません。
・これについては、岸自身が獄中で残した手記がヒントになります。堀の外では、中国で共産主義政権が成立し東西対立がどうも激しくなっているようだが、もっともっと燃え上がれば俺にも再起を果たすチャンスが巡ってくるぞ、と書いています。そして実際にそうなっていったわけです。
・経済成長をうまく取り仕切っているということで、自民党の政権基盤は強化されていきます。
・しかも、実は沖縄返還を先に持ちかけているのはアメリカですからね。いつまでも返還要求してこない日本に困惑して、「お前ら、そろそろ返還要求しろよ」とケツを叩かれた形で実現しただけ。佐藤栄作の手柄でもなんでもありません。
・角栄はソ連とも関係を改善しようと動いていましたから、ある意味で石橋湛山のような全方位外交をやろうとしていました。
<対米交渉のカード=反米勢力を、自ら叩き潰した中曽根>
・ところが、中曽根政権の頃には、このアンビバレントが解消されている。敗戦の痛みはすでに癒え、ベトナム戦争も過去のものとなる中で、暴力としてのアメリカという側面がどんどん見えなくなっていったのです。
・白井:そういうことです。やがては自立するために従属している。
白井:実績ベースで考えるならば、社会党は、万年野党として万年与党の自民党と55年体制を確立したときから、居心地のよい野党第一党の地位を確保できればそれでよし、という勢力に堕してしまった。
・しかし結局は、拉致問題がはじけてしまい、「こんなとんでもない国とは国交交渉なんてできないぞ」という被害者ナショナリズムが国内で爆発してしまった。このナショナリズムの爆発から、「保守派のプリンス、安倍晋三」が誕生するわけです。
・自称保守ですね。安倍氏に代表されるナショナリズムの前提には、常にアメリカ依存があります。
<“腹話術師に操られた人形”と化した岸田政権の惨状>
白井:あの長かった安倍政権において注目すべき点は、前半と後半で外交方針が見境もなくブレていったところにあるでしょう。
・つまり、いずれの方向転換も不徹底で、簡単にブレる、場当たり的だったことが特徴と言えるでしょう。
・そして、今や防衛費の大幅増額、大軍拡が進んでいます。この動きの背後にあるのは、要するにアメリカでしょう。
・この光景は何なのですか。3人の政治家がいるけれども、3人全部同じ、金太郎アメの腹話術人形ではないですか。もちろん背後の“腹話術師”はアメリカです。
<日本という“戦利品”の利用価値>
白井:「軍隊は強くしたいけど、増税はイヤ」というのは単なるバカじゃないでしょうか。強い軍隊が欲しければ、カネがかかります。
・つまり、自国の兵隊を大勢殺すような戦争はできなくなっているわけです。
・「対米従属のための対米従属」で延命を図ってきた自民党が、そうした流れの中でどのように振る舞うのかは、すでに自明でしょう。自己保身のためにいくらでも自国民の命を差し出すはずです。
<永田町を跋扈する「質の悪い右翼もどき」たち 古谷経衡>
・自民党は「保守政党」と呼ばれている。ただ、そこにいる政治家の顔ぶれを眺めると、必ずしもそうとは言えない。“リベラル”もいれば、“伝統的な右翼”もいて、まさしく呉越同舟の包括政党というのが実態だ。
<――まず、岸田政権についてどのような印象を抱いていますか。>
古谷:率直な感想として、「自民党の絶望」をこれ以上ないほどわかりやすい形で示した政権だと感じていますね。多くの人が、「少しは何か変わるじゃないか」と期待して結局、裏切られたからです。
・自民党の最後ともいえる良心が失われてしまったわけですから、「絶望」以外の何ものでもありません。
・一言でいうと、伝統的な宏池会の方向性と完全に真逆のことをしているところです。
・そんな宏池会の衰退ぶりがよくわかるのが、旧統一教会問題です。あれはもちろん自民党全体の問題ですが、発端は岸信介――つまり清和会(保守傍流)を中心としたものであるはずなのに、調査をしたら、宏池会もけっこう関わりを持っていたことがわかった。宏池会は政策に明るい一方で、武闘派的な争いが得意ではないことから公家集団、なんて呼ばれていますが、結局はそんな高尚な集団ではなく、「汚れた公家」だったというわけですよね。
<岸田政権迷走でわかった、保守本流の消滅>
<――宏池会はなぜ、ここまで姿を変えてしまったのでしょうか。>
古谷:やはり、「清和会政権」が異常なまでに長く続いたことが大きいと思っています。
・つまり、タカ派風の主張をしたり、新自由主義路線みたいなことを言ったりしたほうが、政治家として生き残れるんじゃないかという「空気」に自民党内が支配されていくのです。
<――つまり今、多くの人が自民党に「絶望」している原因を突き詰めていくと、清和会の20年支配の弊害がある、と。>
古谷:そうですね。私は今の自民党には3つの絶望があると思っています。
・このように同じ政党の中でも、政権交代すればガラリと色が変わるっていうのが自民党の売りだったはずなのに、この20年でそれが完全に失われてしまったというのが、第一の「自民党の絶望」です。
第二は、そのおかげで保守本流である宏池会の「良心」まで消滅してしまったことです。そして第三の絶望は、左側にいてバランスを取っていた公明党まで鳴かず飛ばずになってしまったというところですね。
・たしかに選挙の区割りとか、票の格差とかの問題もありますが、自民党がこれほどまでに衰退したのは、基本的には「貧すれば鈍する」ということでしょう。
・一方で、この20年間は人口も減少し経済もどんどん縮小、日本人がみんな貧乏になってしまったことで、政治もすごくディフェンシブになってきた。市場がシュリンクしていく中で、生き残るためにはエッジの効いた「何か」を打ち出さないといけない。そうした生存戦略が、自民党の中では、清和会的なタカ派っぽい政治信条だったということでしょう。経済力と政治思想は関係ないと言う人もいますけど、実はめちゃくちゃ関係があると私はみています。
<中国・韓国を叩けばいいという「質の悪い右翼もどき」>
・でも、私はけっしてタカ派が悪いと言いたいわけではありません。私自身もタカ派ですから。問題なのは、言い方はちょっと悪いのですが、「質の悪い右翼もどき」のような政治家や自民党支持者が増えてしまったことなんですね。
・つまり、ネット右翼の強烈な後押しで安倍政権が誕生したわけではなく、瞬間風速的なブームのような形で火が点いただけなんです。
<ネット右翼にさほどの実力はなかった>
・そういう実態を踏まえれば、ネット右翼の力はかなり過大評価されていると言っていい。私の調査では、ネット右翼の総人口は全国に200万~250万人です。参議院全国比例で2議席程度の実勢です。
<忖度コメンテーターによる“イス取りゲーム”>
・ベースにあるのは日本の経済停滞です。とりわけテレビメディアの広告収入がどうしようもなく停滞しており、業界は完全に守りに入っています。
・今の勢力を何とか維持するだけで精一杯ですから、忖度が横行します。日本の経済停滞が、言論の分野にまで「保守化」を生んでいくのです。
・また、私はこういった現象は、中沢啓治先生の漫画『はだしのゲン』に登場する「鮫島町内会長」という人物を引用することで、構造的には説明できると考えています。この鮫島という男は、戦時中の広島で典型的な中間階級の右翼(体制派)として描かれます。反戦を鮮明にするゲンとその家族を「非国民」となじって嫌がらせをするのですが、被曝して九死に一生を得ると、戦後は広島市議会議員になってコロッと態度を変えて反戦平和を唱えるようになる。
・『はだしのゲン』は、一般的には反戦や被爆体験をテーマにしていると思われがちですが、実は戦後日本の痛烈な批判として見るべきです。
・その中でたとえば、「議論や正当性ではなく、強い者の意見に従ったほうが得」という権力者の顔色を窺う忖度みたいなもの、またミソジニー(女性嫌悪)批判や同性愛は社会を壊すものであり、許せない、などという偏見などが解体されませんでした。これはつまり封建的な農村部の発想です。
・たしかに明治国家は急速な近代化を果たしました。
・いわゆるGHQによる民主改革が不徹底で終わったからです。
<戦後80年を経て“グロテスクな親米”だけが残った>
・そして究極的には、日本は本土決戦をしていないということが大きいと思います。
・GHQの民主改革が冷戦のせいで「逆コース」に転換したのがすべての因でしょう。
・戦時中には「鬼畜米英」を標榜していたはずなのに、戦争に負けた途端、空気を読んで「民主主義万歳」と叫ぶ、『はだしのゲン』の鮫島町内会長みたいな人たちが集まったのが自民党なのではないですか。
<“旧ソ連みたいな日本”に希望はあるのか>
古谷:私の好きな野口悠紀雄先生が「今の日本ってソ連末期みたいだ」って言っているんですが、それにはすごく共感しますね。
・ただ、仮に移民政策が来月始まったとしても、日本社会の人口構成が大きく変わるのには数十年かかるでしょう。衰退を食い止める即効薬にはなりません。
・しかもベトナムでは、日本に行けば奴隷労働をさせられるという悪評も広まっています。
・今、私たちにできるのは、「自民党ってもう絶望しかないよね」ってどんどん言っていくことしかない。
<“野望”実現のために暴走し続けたアベノミクスの大罪 浜矩子>
浜:まず、私はアベノミクスではなく、本質を明確にするために「アホノミクス」と呼ばさせていただきますが、アホノミクスにおいて経済の舵取りが「うまくいかなくなった」のではなく、「非常に悪質になった」ということだと思っています。
<経済を政策ではなく「手段」にしてしまった安倍政権>
浜:日本経済があの時、そして、今もなお直面している最大の問題は何だと思いますか。それは豊かさの中の貧困問題でしょう。貧しさの中の貧困ではありません。
<“企業のため”の働き方改革を推進>
・つまり、「フリーランスや非正規雇用などのさまざまな形態により、労働者を安上がりに使いまくることができる環境を作る」ということが、働き方改革構想の土台にはあったわけです。
・それと並行するようにして、2014年には日本取引所グループと日経新聞が共同開発したシステムによる株価指数「JPX日経インデックス400」がスタートします。このインデックスは全東証上場銘柄から「投資魅力の高い会社」として選ばれた400銘柄を並べるというものですが、ROEが重要な選択基準になっています。
・ROEを高めるために、必死になって収益率を上げようとするわけですが、その結果、コストの削減が大命題になり、最大のコストである人件費を減らしていくという流れにつながっていきました。流行りのようにして今、盛んに取り沙汰されているギグワーカー(単発の仕事をいくつもこなしていく働き方をする労働者)やフリーランスであれば、コストをカットしやすい、状況に応じて変動させやすいということで、雇用の流動化が一気に進んだのです。
<――8%の利益率を死守するために、資本額の変動に対して人件費が調整弁のような役割を果たしているということですね。>
浜:本来、賃金というのは固定費であるはずなのですが、正規雇用の社員ではなく、フリーランサーやギグワーカーを活用することによって、人件費を固定費から変動費に移してしまったのです。
・つまるところ、アホノミクスによって「稼ぐ力を取り戻せ」というプレッシャーを企業がかけられ続けた結果、労働者は完全に“モノ扱い”されるようになってしまったということです。
<利益率8%を迫られ、泣く泣く労働者を“モノ化”>
・2008年にリーマンショックの打撃を受けたことで、収益性確保のためには全身全霊を傾けないといけないといった感じで、経営者は完全にゆとりを失いました。
・さらに本質的なことを言うならば、やはり異次元の金融緩和なるものは、実際には財政ファイナンスであったということだと思います。
<日銀は事実上、政府の子会社に>
<――打出の小槌のような状態ですよね。でも、そうした財政ファイナンスを繰り返せば、当然ながら財政規律が機能しなくなり、円安が加速して国際競争力が下がるだろうというような予測は、安倍さんの中になかったのでしょうか。>
・ですが、日銀が保有する国債の割合は、2022年9月時点で初めて5割を上回りましたから、日本人の保有者の多くが国債を手放しつつあるということですよ。
・円安になればなるほど、輸出主導の日本は経済成長できるはずだ、という時代錯誤な発想が安倍さんの中にずっとあったと思います。
・今や輸出している工業製品も安いから売れるわけではなく、品質勝負になっているのですから、円安になったからといって輸出がぐっと伸びるような商品構造にはなっていません。かたや、現在はサプライチェーンがグローバル化しており、多様な消費財を大量に輸入していますから、日本は完全なる輸入大国です。
・為替相場の変動というのは、基本的に、その時の一国の経済事情を反映している動きなのかどうか、ということを問題にすべきです。
アメリカのみならずヨーロッパ諸国も、インフレ対応で金利を上げ始めたのに、日本は金利ゼロないしマイナスという金融緩和策を続けました。
・2022年も終わろうという時期になって、日銀はようやく、長期金利抑制の上限を0.25%から0.5%へと引き上げましたが、遅きに失したというべきでしょう。
<「分配」を企業に丸投げした岸田政権>
・岸田政権は、成長と分配の好循環というアホノミクスを丸パクリしているので、「アホダノミクス」と呼ばせていただきます。
・岸田さんが打ち出した「新しい資本主義の実行計画」では「これが成長分野だ」とさまざまなテーマを羅列しています。DX推進や、デジタル田園都市構想などが並んでいますが、詰まるところ、地球温暖化や環境保全の分野を成長戦略として捉えたものでした。これは菅政権でも同様でしたが、大いなる矛盾をはらんだものと言わざるを得ません。
浜:「企業の延命か、労働者の保護か」といった二者択一的な考え方に陥ってしまうと、行き詰まります。労使一体となってどうするかを考えることが重要でしょう。
<「ぶん取りのシェア」から「分かち合いのシェア」へ>
浜:そうした分かち合いに徹している経済社会のことを、私はケアリングシェア経済、あるいはケアリングシェア社会と名づけています。
・人間の皮を被った化け物のような存在に経済社会を占領されてはいけないというのが、スミス先生の基本的な理念だったのだろう、と今は考えています。
<「デジタル後進国」脱却を阻む、政治家のアナログ思考 野口悠紀雄>
・「デジタル敗戦」という言葉がメディアに登場するようになったのは、2010年代前半のことである。
・先進国からの脱落危機が叫ばれる日本にとって、このデジタル化の遅れは今や国力低下の主要な要因として認識されつつある。
・2020年、コロナ特別定額給付金10万円を一律に給付するとなった際、全国の自治体が大混乱に陥ったのも、個別のシステムが温存されていた「弊害」でした。
<ITを理解していない日本の政治家>
・野口:重要なことは、デジタル化の中味が中央集権的なものからオープンな仕組みに転換したことで、その変化に日本が対応できなかったということです。
・デジタル化の障害となっていたものが、日本の強固な縦割り社会であるという観点に立てば、デジタル庁ができたからといっていきなりその障害をクリアできるとは思いません。
<新たな利権の温床になりかねない「デジタル庁」>
野口:この問題を理解するには、日本社会の「多重下請け構造」について知る必要があります。
・仮に厚労省に専門知識のある人材がいたとしても、責任の所在が曖昧になりがちな「多重下請け構造」が残っていると、不具合が生じた場合の解決は困難です。
・実はすでにそれを実行しているのがエストニアです。エストニアは人口約133万人という小さな国ですが、世界に冠たる電子政府を持つデジタル先進国として知られています。
・イギリスの作家、ジョージ・オーウェルが1949年に発表した小説『1984』の中に、「真理省記録局」に勤務する主人公が、日々、歴史記録の改ざん作業を行うシーンがあります。残念ながら日本ではそれと似たことが実際に起きてしまった。
<「マイナンバーカード」の失敗と教訓>
野口:マイナンバーカードの普及が進まなかった理由はいくつかありますが、ひと言でいえば、利便性がなかったからです。
野口:国民の生活にむしろ不便を与えることにならないかと危惧しています。
・デジタル化の帰趨は、今後の日本の国力を計るうえで非常に大きな要因になると思います。
<「デジタル後進国」から脱却するために>
・政治家はまず、意識を変えないことには始まりません。「国の舵取りは、デジタル化と関係ない」という誤った考えを根本的に改めない限り、日本は浮上できないでしょう。
・世界の最先端を行くGAFAと、「ハンコをやめよう」{FAXをやめよう}と言っている日本では、大学院と幼稚園ほどの差があります。
・意識と現状を変えようとしない政治家は、退場すべきです。
<食の安全保障を完全無視の日本は「真っ先に飢える」 鈴木宣弘>
・食料自給率38%。日本の食の安全保障の脆弱さは、今までもたびたび指摘されてきた。中でも大豆や小麦などの自給率の低さはよく知られているが、野菜はまだまだ国産が多いようだし、コメに至ってはつい数年前まで減反していたくらいだから、自給率も高いに違いない――そのように思い込んでいないだろうか。
農産物を育てるには、当然ながら、種や肥料が必要になる。畜産物にはヒナや肥料などが必要だ。そして、日本は野菜の種の9割、養鶏において、飼料のとうもろこしは100%。ヒナはほぼ100%近くを海外からの輸入に依存している。コメも、肥料や農薬を勘案すれば自給率はぐっと低くなる。そう考えると、日本の食料自給率は37%どころではないだろう。
・そんな懸念を確信に変えるような試算が2022年8月に英国の科学誌『ネイチャー・フード』で発表された。米国ラトガース大学などの研究チームが試算したもので、それによると、核戦争が勃発して、世界に「核の冬」が訪れて食料生産が減少し、物流も停止した場合、日本は人口の6割(約7200万人)が餓死、それは実に全世界の餓死者の3割を占めるというのだ。
なぜ、日本の食料戦略はかくも悲惨な状況に至ってしまったのか。
<――物流が途絶えた場合に、日本の人口の半分以上が餓死のリスクに晒されるという指摘は衝撃でした。日本の食料政策はどこで道を誤ったのでしょうか。>
鈴木:日本の食の安全保障の崩壊は、戦後にアメリカの占領政策を受け入れざるを得なかったという流れから始まっています。何よりも、アメリカが戦後抱えていた余剰生産物の最終処分場として、日本を最大のターゲットに定めたことが大きいでしょう。
<製造業の利益アップのため、農業を“生贄”に>
鈴木:日本側では、自動車産業などを中心とした製造業でいかに利益を上げていくか、という政策が、当時の通産省を中心に進められていきました。言い換えれば、車などの輸出をできる限り推し進めていくために、貿易自由化によって日本の農業を“生贄”として差し出す、つまり関税を撤廃して米国からの余剰農産物をどんどん輸入することで、貿易相手国であるアメリカを喜ばせようとしました。
<日本の「買い負け」が加速するとどうなるか>
鈴木:アメリカは、食料を「武器より安い武器」と位置付けています。食料で世界をコントロールするのだ、という戦略に基づいて、徹底的に農業政策に予算を注ぎこんでいます。
・局地的な核戦争が起きた場合、世界で被曝による死者は2700万人だが、それ以上に深刻なのが、物流がストップすることによる2年後の餓死者であるという分析がなされました。それによると、世界で2億5500万人の餓死者が出るが、それが日本に集中するという。世界の餓死者の3割は日本人で、日本人口の6割、7200万人がアウトになるという試算でした。多くの人はびっくりしていましたが、日本の実質の自給率を考えれば、驚くことには何もなく、むしろ当然な分析だと思います。
<「コメ余りだから作るな」「牛乳も搾るな」>
鈴木:最大の問題は、この後に及んでなお、岸田政権から食料自給率をいかに上げるかという議論がまったく出てきていないことでしょう。
いまだに「経済安全保障」の発想から抜け出せずに、国内の農産物はコストが高いのだから基本は輸入依存でいく、貿易自由化を進めて調達先を増やしておけばよい、といった論調で日本の食料政策が進められています。
<官邸に逆らう農水官僚は飛ばされていった>
<――そのパワーバランスが崩れたのはいつ頃でしょうか。>
鈴木;大きく変わったのが第二次安倍政権でしょう。この時に自民党がTPP推進を大きく打ち出した形になりました。
・種を農家に安定供給するための種子法が2018年に廃止され、あるいは農家による自家採種を制限する形で種苗法が2019年に改定されるなど、日本の農業を破壊するような改正が次々と進められていきました。アメリカの穀物メジャーやグローバルの種子農薬企業に向けて、日本の農家を市場として差し出したと言えるでしょう。
・日米合同委員会とは、いわゆる、日米の軍事的な同盟について話し合うための、外務・防衛両省と在日米軍司令官などで構成された委員会ですが、いわゆる憲法をはじめとした法体系すら超越した存在として知られています。全農の解体が、この委員会の場においてアメリカから示唆されたということが、問題の根深さを端的に示していると言えるでしょう。
<「民間人の集まり」に絶対的な権限が付与>
鈴木:つまり、「規制改革推進会議」に絶大な権限が付与されたということです。この規制改革推進会議というのは、財界人を中心に、選挙で選ばれたわけでもない民間人が集まっている総理直属の諮問機関です。こんなところに絶対的な権限が付与され、農業を含め、日本の国民の生活に根幹が関わる重要なことが次々と決められていってしまう。
・こうした動きに対して諸外国の農業者や市民は非常に警戒心を強めており、なかなか強引なビジネス展開ができなくなっていた彼らにとって、従順かつ自国の農業保護に熱心でない日本はまさしく「ラスト・リゾート」なのです。
そして、日本政府が彼らの思惑通りに、粛々と種の自家採取を規制し、国家による種の安定供給システムを廃止し、全中を組織解体させて農協を弱体化させ、農水省を排除してきた結果、現在の食料自給率の惨状があると言えるでしょう。
<地元の先生には世話になっているから………という意識>
・とはいえ、流石にここまでくると、もはや農業が立ち行かない状況に追い込まれていますから、我慢の限界にきているのではないでしょうか。資金繰りができなくなり経営に行き詰まった酪農家の方たちの自殺も増えています。先日もご夫婦が亡くなられたという話がありました。自国の生産者を守らない限り、この国に未来はないということに、どれだけ早く、多くの人が気づいていけるかということではないでしょうか。
・地元で安全安心なものを作ってくれる生産者と消費者が有機的に結び付いていく、こうしたネットワークを各地で増やしていくことが重要です。
井上:政治家の「キャラ」が立っていないことの理由としては、ひとつには若い人にとって政治家という職業に対する魅力が非常に低下しているからではないでしょうか。魅力のない職業だから、「こういう人こそ政治家にして自分の地盤を継いでもらいたい」という有力な人があまり出てこない。だから2世議員、3世議員が増える。
井上:河野太郎さんみたいな人がなぜ若い層から支持を受けるのかという点には関心があります。河野さんは政治家の中でもネットをいちはやく利用した人です。
<安倍政権が広く支持を集めた理由>
井上:毀誉褒貶の甚だしい政治家でした。安倍元首相の政治指導として肯定的に評価すべきは、国民に向かって自分のやりたいことを明確にしたことです。
・安倍元首相はご自身の政治イデオロギーとは異なる考えを持つ人にもなるべく支持を広げようとしていました。自民党は「労働者よりも資本家」の政党でしょう。それなのに安倍元首相は、経団連に対して労働者の賃金を上げるように求め、景気をよくするためには賃金を上げなければいけない、そうした当たり前の考え方を持っていました。
・井上:モリカケ(森友学園)問題など黒に近いグレーな部分もありました。安倍政権に限らず、どんな政権でも長期化すると腐敗は必ず起きるものです。
・現在は大衆社会状況が行き着くところまで行っているので、そんなふうに知的な見栄を張ってみたところで、必ずしも国民の支持にはつながらないでしょうが、そうしたポピュリズム政治の悪循環が生じている日本の現状に対しては悲観的にならざるを得ません。
<「ブレーン不在」で政治が劣化>
井上:ところが今、新聞に出ている「首相動静」を見ると、ほとんど官僚か政治家としか会っていないのですね。これは第二次安倍内閣の時代からとくに顕著になったように思います。
・直接的な理由としては、たとえば安倍政治が官邸中心の政治を進めていくときに、一番指示を出しやすいのが官僚だったということです。
・専門家の提言を政治家がしっかりと理解する。そのうえで、それを政策に落とし込むのが官僚の役割です。そうやって政治家・官僚・知識人の三者の関係がうまく回っていました。それが今では政治家と知識人のつながりが細くなっているのです。
<“選挙互助会”と化した政策派閥>
井上:吉田茂の頃には党内に反吉田勢力がいて、その代表的な人物が岸信介でした。鳩山一郎もそうですが、とても同じ自民党とは思えないほどの路線の違いがあって、それによって疑似政権交代みたいなことが党内で機能していました。ただし、今ではかつてのような政策派閥というものがほとんど認識できなくなっています。
・以上のことからわかるように、派閥は政策派閥ではなくなって、単なる選挙互助会になっているかのようです。「どこの派閥に属していれば選挙に勝てるのか」ということで派閥を渡り歩こうとする人もいて、こんなことでは政策を練り上げて政治家として成長することは難しいでしょう。
<――政治状況はどんどん悪くなるようにも見えますが、何か突破口はあるのでしょうか。>
井上:社会情勢がより深刻になって、そこから再び立ち上がることを待つしかないのかもしれません。世論調査レベルで見れば、国民の大半は政権交代があったほうがいいと答えています。
・若い世代の間では、政治の世界のウエイトが相対的に小さくなっていて、それ以外の世界が広がっているようなところがあります。政治的にはそれぞれ立場の違いがあるにせよ、たとえばLGBTの人たちの理解や「男女平等なんて当たり前」という意識、ハンディキャップのある人たちへの温かい眼差しなど、古い考えの高齢者世代が見習うべき素養を自然と身に付けているように見えます。
<矛盾を抱えたまま「終わらない」戦後>
井上:表面的に見れば北朝鮮がミサイル実験をするとか、台湾有事が起こるのではないかといった戦争の予兆みたいなものが迫っています。その中で敵基地攻撃能力を備えるという話になれば、戦争を身近なこととして感じるようになるのも当然の成り行きでしょう。
<戦前とて軍事政策一辺倒ではなかった>
・事件の直後には、国民の間で安倍元首相に対する哀悼の気持ちが高まって、お葬式では献花に訪れた人々が沿道に長い行列を作ったりしました。ところがほどなくして旧統一教会との政治的な癒着や犯人の動機などが大きく報じられるようになり、一部のリベラルな人は口を滑らせて「悲しいとは思わなかった」などと発言するようになったのです。
もちろん、心から安倍元首相を悼んでいる国民もたくさんいるでしょう。しかし、事件が起きなければ、旧統一教会被害者救済法もできなかったのもまた事実です。
・「貧しくなった日本」の実感が、国民の間に広がり始めている。
・日本が相対的に「貧しく」なった原因は、この20年間というもの、賃金がほとんど上昇しなかったことにある。
<――近年、日本人の賃金が上昇しない問題についての議論が盛んです。>
亀井:簡単だよ。企業が内部留保している。財務省の発表では今、企業の内部留保が516兆円もあると言うんだな。本来なら、貯める前に従業員の給与を上げるべきだろう。それをしないで企業が貯め込んでいるわけだ。
<――内部留保の問題は企業経営者の責任もありますか。>
亀井:もちろんあるが、経営者だけの責任じゃない。たとえば、今の日本には組合が存在しない。あってもすべて御用組合だ。労働組合の幹部というのは、今や貴族なんだよ。経営者に大事にされる一方でストライキもやらねえんだから。
亀井:小泉がやった郵政民営化があったろう。あれは「日本を日本でなくす」政治だった。日本の文化、生活、伝統を壊して米国製の弱肉強食、市場主義が社会の隅々までまかり通るようにする政策だった。その結果、地方が切り捨てられ、都市中心の社会ができた。
小泉・竹中の新自由主義は確かに流行ったよ。
<株価は上がっても国民は幸せになっていない>
亀井:金融緩和そのものは評価できる。しかし、それで何が起きたか。株価はたしかに上がったかもしれないが、賃金は上がっていない。アベノミクスで株価が上がったと言ったって、庶民は株なんか持っていないよ。誰が持ってんだ、そんなもん。
結局、アベノミクスで日本の実体経済が強くなったかといえば、そんなことはない。誰に聞いてもそう答えるんじゃないか。
・地方創生と言われて久しいけれども、田舎の疲弊は変わっていない。子どもも少ないうえ、次男、三男だけではなく長男まで都会に出ていってしまう。
地元・広島の田舎に行くと何があるか。空き家だよ。家はあるけど人が住んでいない。過疎化はこれからも進むだろう。都会の人は、それでも仕方がないと言うだろうが、これは大きな問題なんだな。
世界が食料を奪い合う時代がこれから必ずやってくる。そんな時、日本の面倒を誰が見てくれるのか。カロリーベースで見た日本の食料自給率は今、30%台だ(2020年度の数値で37.17%)。さらに自給率を下げていったら、日本人はそのうち飢え死にするかもしれない。急に田んぼを作るなんてことはできないんだからな。
・そのことについては心を痛めている。俺としては、米国に追従するだけの外交から抜け出し、不平等な日米地位協定を改めてほしかったという思いはある。
本人も悔しかったろう。自分自身が恨まれ、自分の政治が批判されていたのではないわけだ。恨まれていた宗教団体と関係があるという理由で撃たれてしまった。ひどい世の中になった。
・晋三は、父・晋太郎さんの秘書時代からの付き合いでよく知っている。
・晋三にとって、俺は厄介なオッサンであったかもしれない。ただその後、彼は父も果たせなかった「天下獲り」に成功した。それも、本人の人徳があってのことだろう。
<「原点」を失った自民党の政治家たち>
亀井:警察庁にいた1971年秋、警備局の極左担当となり、成田空港闘争や、あの有名な「あさま山荘事件」の捜査も担当した。心ある若者たちが、どうして凄惨な事件を引き起こすに至ったのかを考えたとき、やはり政治の道で勝負してみたいと思い至るようになった。だから警察庁を辞めて選挙に出た。無茶な挑戦だったと思うけれども、今もその気持ちは変わらない。
<――今の自民党に対して、最後に一言お願いします。>
亀井:安倍晋三が撃たれ、亡くなった。このことの意味を真剣に考えてほしいと思っている。物騒なことを言うようだけれども、これから日本はテロの時代に入るかもしれない。
<特別寄稿 自民党ラジカル化計画――一党優位をコミューン国家へ 浅羽通明>
・今の自民党はなぜ絶望的状況にあるのか? それはこの30年余、自民党が、「あるべき政党の理想像に近づくべし」と、柄でもなく頑張ったからに決まっています。
<1993年、あの時歴史が動いた……はずだった>
・何よりも1993年の細川護熙内閣成立まで、40年近く、政権交代がまったくなかった。旧ソ連や中華人民共和国、ナチスのような一党独裁制でもないのに、公正な自由選挙がずっと行われてきたのに、選挙のたびに自民党が第一党となってとにかく揺るがないのです。
・また、現代で殊に切迫した政治的要求があるわけでもない国民有権者が選挙への関心を高めないのも無理ないでしょう。大衆とはもとよりそんなものです。みんないろいろと忙しいのですから。
<二党制の神話――メディアも教科書も半世紀遅れている>
・議会制民主主義において、二大政党制、政権担当能力のある2つの有力政党が政権交代を繰り返すシステムが最善であるという考え方。
・考えてみれば、二大政党制は、アメリカとイギリス以外、さっぱり普及しない。豪州、ニュージーランド、カナダなど、イギリスの分家で一時期までみられた程度。
・また、小選挙区制にすれば二大政党が実現する、というのもきわめて疑わしい。
・二大政党制は目指すべき理想とは言いがたい。小選挙区制がそちらへ至る一歩でもないようだ――。
・ちなみに、当時は知る由もなかったでしょうが、現代のヒトラーとも称されるあのプーチン政権を生んだロシア共和国は、小選挙区制です。
<世界に冠たる「一党優位性」(疑似政権交代も附いて>
・そして、各派閥によってより癒着する利益集団や官庁も異なるがゆえに(安倍元首相の清和政策研究会は経産省寄り、岸田首相の宏池会は財務省寄りといわれます)、この擬似的政権交代は、その優先順位をも変えます。その限りで、癒着の固定化もある程度、浄化できなくもない。
<自民党をダメにした細川改革、もしくは教科書的知性>
・現在も、自民党は一党優位を揺るがせもしない。支持率を低下させている岸田内閣以上に支持率から見離された各野党が一党優位を覆すことはまず無理でしょう。
<全野党、全国民が自民党総裁を選ぶ時代へ>
・造反の教唆、自民党員のひきはがし、自民党分裂の促進。いわば、野党が、自民党の党外反主流派閥となってゆくわけです。
2017年秋、社会学者・公文俊平が、「立憲民主党が政権を獲りたいなら、野党合同の模索よりも、自民党と合流し宏池会あたりと連携か合併をした一派閥になったほうが近道だ」という趣旨のツイートをしていました。同年11月2日付「毎日新聞」では、亀井静香が辻本清美に、立憲民主党は自民党議員を首相指名して与党分裂を謀れと煽動しています。同じようなことを考える知性はいるのですね。
・そして、これにはまだ先があるのです。各党は自党の推す自民党総裁候補を、国民からの推薦投票で決めたらどうか。
これが実行されれば実質的な首相公選が実現し得るでしょう。そのあかつきにはさらなる先、すなわち政党制、さらには議会制間接民主制からの脱却すら展望できるのではないか。
(2022/12/24)
『永田町動物園』
日本をダメにした101人
・政治家の裏と表、すべて書く! 俺が出会ってきた無数の政治家たちを振り返れば、権力と野望をたぎらせた一種の「動物」というべき人々の顔が浮かんでくる。そんな猛獣たちが暮らす場所が、永田町なのだ。
<亀井静香 政治家には、光と影がある>
・俺は島根との県境近く、広島の山奥の集落で生まれた。獣道を歩き、峠を越えて、今はもうなくなってしまった山彦学校に通っていた。峠途中の地蔵さんのところで弁当を食ったら、学校には行かず、よく回れ右をして家に帰ったりしたものだ。
敗戦まで没落士族の家系であった父は、村で最も狭い田んぼで百姓をしながら村の助役を務めていた。子どもに分け与える土地がないために、教育を身につけさせようと、俺たちきょうだい4人を90㎞離れた広島市の学校に送り出した。
修道高校1年の時、学校を批判するビラを撒いたため、俺は退学になった。東大に進んでいた兄と姉を頼って上京したものの、日比谷高校、九段高校などの転入試験を全て不合格。諦めかけていたとき、大泉高校の両角英運校長先生に出会い、温情で編入できた。
その後、運良く東大に入学し、駒場寮に入った。在学中は合気道とアルバイトに明け暮れ、授業には一切出なかったが、落第することはなかった。
・東大を卒業して、大阪の別府化学工業(現・住友精化)に入社した。大事にしてもらったが1年で退職し、警察庁に入った。あさま山荘事件をはじめ、多くの極左事件を担当するうち、政治を変えなければならないとの思いが募って政治家になる決心をした。最初は全くの泡沫候補で、広島政界はもちろん、地元からもマスコミからも無視された。しかし、手弁当で支えてくれた竹馬の友や、少数だが心を寄せてくださった方々もいた。その必死の応援で初出馬初当選から選挙は13期連続で当選させていただいた。
・だが書きながら、はたして俺たちは日本をよくすることができているのだろうか、むしろダメにしてしまったのではないか、と省みることも多かった。
<令和を生きる14人>
<安倍晋三 気弱な青年・晋三を怒鳴りつけた日>
・俺は安倍晋三を弟のように可愛がってきた。総理大臣時代には、立場上、「総理」と呼んではいたが、俺にとっては今でも父親(安倍晋太郎)の秘書官だった「三下奴」の晋三のままだ。
・昔、こんなことがあったらしい。安倍家に泥棒が入り、晋太郎先生のコートを盗もうとした。それを晋三が見つけて、追い払った。帰宅した晋太郎先生に、晋三がそれを自慢したら「コートくらい、やればよかったのに」と言われたと、晋三本人から聞いたことがある。
晋三も、素直で人がいいところは、父親譲りだろう。
・社会部会長のときの晋三は、俺に怒鳴られた思い出しかないだろう。宴会に来ても、同期の荒井広幸と一緒に、宴会芸ばかりやらされていた晋三が、父も成しえなかった一国の長に登りつめたのは感慨深い。この男には運がある。そうでなければ、2度も総理の座に就くことなどできないのだ。
<小泉純一郎 風を読み切る「天才」の本性>
・‘82年のこと。同じ清話会(福田派)で、小泉純一郎は俺の2期の先輩だった。福田赳夫先生が派閥の朝食会で、総裁選での「総総分離」について、一席ぶっているときのことだ。総理大臣と自民党総裁を分離し、「中曽根総理・福田総裁」とする案に、党執行部も乗ろうとしていた。
すると小泉が突然立ち上がり、「この戦いは大義がない」とものすごい剣幕で主張しはじめたのだ。派閥間で談合すべきではないという考えだったのだろう。
早々に、総総分離案は立ち消えとなった。
・俺は、日本には土着の思想があるのだから、強者が弱者を飲み込むような政策には反対だ。小泉のやっていることは、改革ではなく破壊にしか見えなかった。構造改革自体には賛成だが、小泉の改革は間違いだらけだったと思っている。金持ちさえ都合が良ければそれでいいというだけのものだったからだ。
・当時、俺と江藤隆美さんが反小泉の急先鋒だった。小泉政権による「破壊」が続けば、日本はアメリカと中国の狭間で溶けてなくなると思った。中小零細企業からの貸し剥がし、地方の切り捨て、外資や大手企業を優遇する政策が顕著だったのだ。
・続く‘05年の「郵政解散」はめちゃくちゃだった。郵政改革関連法案は衆議院で可決したものの、参議院では反対多数。すると小泉は、衆議院解散という奇策で流れを作り、俺の選挙区には刺客として「ホリエモン」こと堀江貴文を送り込んだ。衆院選後には俺はあっけなく自民党を除名となった。
<菅義偉 「冴えない男」と歩いた横浜の街>
・菅の当初の印象は、はっきり言うと「冴えない男」。秋田から集団就職で上京してきた苦労人という触れ込みだったが、笑顔がなく、暗い男だった。
・俺と菅で決定的に違うのは、郵政に対する考え方だった。
・菅のような民営化論者からしたら、民営化に逆行することはすべてが悪に映る。それでは議論のしようがないだろう、というのが正直な感想だった。
郵政については、その後「ねじれ国会」となり膠着状態が続いたが、‘12年にようやく、郵政民営化を改正することで決着がついた。俺の当初案からは後退してしまったものの、過度な民営化を一定程度抑制できたと思う。俺は大臣として、国会審議で「我々は民意に沿う政治をやっている」と言ったが、郵政の問題とは、まさに国民の力を向いているかどうかだ。その点において、菅が俺とまったく逆の方向を向いていたのは残念だった。
・ただし、俺からすれば当時の菅を、論戦の相手として意識したことさえなかった。そんな菅が、わずか数年後には官房長官として永田町に君臨し、総理にまでなったのだから、政治はわからないものだ。安倍政権が長く続いたのも、菅の功績が大きかった。調整能力が高いのだろう。今も菅の姿を見ると、冴えない男だった初当選時代のことを思い出す。
<森喜朗 密室で「森総理」を決めた日>
・森喜朗とは同じ清話会に所属していたから、俺が初当選した時からの長い付き合いになる。向こうが政治家としては先輩だが、年齢はほぼ同じだったこともあり、仲良くしてきた。それにならい、ここでも森と呼ばせてもらおう。
・「なんで森みたいなのが総理になれたんだ」と言う人がいる。その理由はズバリ「他人への配慮」だ。上にも下にも、人に対して配慮するのが、ものすごく上手かった。だから、早稲田大学ラグビー部では補欠中の補欠だったにもかかわらず、総理にまで上り詰めたんだ。まさに大人(たいじん)だ。
・森は「えひめ丸事故」の時に、ゴルフをしていたことでマスコミに叩かれた。支持率が8%にまで落ち込み、政権は終わった。だが、あれはテレビがいけない。
・もっとも、それで影響される国民がアホだということだ。これははっきり言っておきたい。ああいうふうにマスコミに叩かれて辞めるのは、本当におかしな話だ。今はお互い政治家を引退しているが、変わらず友達づきあいができるのは、森の人柄のよさゆえだ。
<石破茂 おい、本当に総理をやる気はあるか>
・石破茂の親父は、石破二朗という。旧内務省の官僚から鳥取県知事になった。それはもう、おっかない男だった。俺は警察官僚時代、鳥取県の警務部長をしていたことがある。そのときの知事が石破二朗だった。その恐ろしさたるや、当時、警察庁で最も怖がられていた後藤田正晴以上だった。
・俺もまだ20代の若造だった。おっかない知事と話をするときには、さすがの俺でも足がガタガタ震えていた。
石破の親父は、東京帝大法学部卒の内務省官僚だから超エリートだが、不思議と知性の匂いがまったくしなかった。息子の茂は、そんな親父が築いた地盤で選挙に出ているのだから、楽なのである。
親父との縁があったから、石破が代議士になってからというもの、俺は折に触れて気にかけてきた。
・だが、このままのやり方では全然話にならない。石破がいまいち総理候補として存在感を示せないのは、なぜなのか。ズバリ言えば総裁選のときしか動かないからだ。戦いというのは、平時から兵を養い、ゲリラ戦から何から、どんどん仕掛けていくものだ。
・さらに大事なのは、仲間に金を配ることだ、俺が総裁選に出たときは、15、6億円くらいかかった。盆暮れもカネを配る。そうやって支えてくれる人間を増やしていかなければ、総理総裁なんてなれっこない。
・政治家の能力のなかでも、重要なもののひとつが演説力だ。単に演説が上手いだけならごまんといるが、たった一言で政治の流れを変えることができる政治家はそうはいない。
・衛藤の名演説がなければ、多数の離反議員が出て、自民党は割れていただろう。そういう意味でも、衛藤は自社さ政権樹立の功労者のひとりだ。
・俺が政治家を引退したのは、衛藤のような良い相棒がいなくなったからだ。
<武田良太 政治家は、行儀が悪くてちょうどいい>
・良太は若い頃、俺の秘書をしていた。政治家人生の第一歩から見てきた存在だ。
・自民党公認ながら、3回続けて落選という憂き目にあったのだ。‘03年の総選挙では公認さえもらえず、無所属で戦った。普通ならとっくに音を上げる状況だが、良太の根性は半端ではない。初挑戦から10年後のこの選挙で、なんと自民党の公認候補を破って初当選を果たしたのだ。
・有権者に土下座さえした。俺は自分の選挙では土下座はしないが、奴を当選させるためなら何でもするという思いだった。
・政治家である以上、少し毒を持っているくらいが、ちょうど良い。自分の意思で行動できる者が頭角を現す世界だ。良太には、「年齢から考えれば、堀の中に落ちないかぎり、お前は総理になれる」と言っている。能力のある政治家というものは、みんな刑務所の塀の上を走っているようなものだ。俺も塀の上を走り続けたが、ついぞ落ちることはなかった。
<平沢勝栄 晋三の家庭教師、ついに入閣す>
・東大を出て警察官僚となり、その後政治家に転身。俺と瓜二つの人生を歩んできたのが平沢勝栄だ。世襲ではなく裸一貫の政治家として、選挙に強い点も共通している。歴史観や国家観が近く、風貌もどこか似ている。
・国会会期中も、わずかでも時間が空けば地元に戻り、会合やお祭り、冠婚葬祭をハシゴする。自分が行けないときも、秘書を挨拶に向かわせる。タバコを買うときは、一箱ごとに買う店を変え、散髪するときには毎回違う店だ。選挙民に顔を覚えてもらう意味もあるが、最大の目的は、地元の人たちが何に困っているか、生の声を聞くためだ。
・平沢が選挙に強いのは、このマメさに尽きる。ここまで地べたを這いずり回ることのできる政治家は、そういない。能力も高く、広い人脈の持ち主なのに、菅政権で復興大臣になるまで長いあいだ入閣できなかった理由のひとつは、平沢が安倍晋三の小学校時代、家庭教師を務めていたことだろう。
<下村博文 俺の息子との知られざる因縁>
・下村とは、個人的な因縁もある。実は俺の息子が、下村の選挙区から出馬するかもしれなかったんだ。息子は東京11区の板橋区で開業医をやっている。受け持つ患者が何百人もいるうえ、父親が亀井静香だから、選挙があるたび医師会などから担がれそうになった。
本人も全く色気がなかったわけじゃないが、俺は息子を下村と喧嘩させたくなかった。親バカのようだが、息子が出れば結構強かったんじゃないかと思う。でも、「絶対ダメだ」と立候補を諦めさせた。下村もこの件を気にしていたが、俺は下村に「絶対出さないから心配するな」と言った。政治家とはあくまで有権者のしもべだ。やるなら自分で決意し、親の力など頼らず自力で当選しないとダメだ。俺の息子はいま、下村の応援者の一人になっている。
・こういう危機は政治家にとって、己の力量を示すチャンスでもある。難局の中で力を発揮してこそ、裁量は大きくなる。そして、自ずと総裁候補への道も開けてくるというものだ。
・俺が清話会から飛び出し、亀井派を立ち上げたのは‘98年9月のこと。山中貞則さんや中山正暉さんなど実力派の議員が集まり、翌年には志帥会として、衆参合わせて60人規模の大派閥になった。毎晩料亭で侃々諤々と語り合ったのも懐かしい。
そんな血気盛んな連中のなかで、中堅から若手をまとめていたのが古屋圭司だ。
・従順だった圭司が、一度だけ反発したことがあった。俺が死刑制度の廃止を主張したときだ。圭司は「被害者家族の気持ちもあるから、死刑には賛成です」と、はじめて俺に反発してきたのだ。だが俺は「どんな凶悪犯であっても人間には魂がある。人の命は重い。俺は絶対に死刑廃止はやる」と突っぱねた。
<二階俊博 「晋三に花道を」と、俺は二階に言った>
・自民党幹事長を長く務めた二階俊博は、代議士としては俺の2期後輩になる。34年という長期間にわたり、同じ時間を国会で過ごしてきた。
・平成以後の自民党には、利害調整ができて、党内の空気に敏感に反応しつつ策を立てて動き、さらには義理人情で接するという調整型の政治家がいなくなった。
・‘20年9月、二階は田中角栄先生を抜き幹事長在職日数で歴代1位になった。ただし、これだけ長くできたのは、自民党が弱くなっていることの裏返しでもある。昔は必ず反主流派がいて、常に権力闘争をしていた。いまは権力を腕ずくで奪い取る強盗のような政治家がいなくなってしまった。中選挙区が廃止されたとはいえ、公認権とカネを握る幹事長というポストを、最大限に使いこなしたのが二階なのだ。
・党の選挙要職を務めている人物を委員長に起用するのは、異例のことだった。これでは、「郵政民営化に反対する議員は選挙で支援しない」と言っているようなものだ。当時の小泉は、国会人事に介入してまで、好き放題をやっていたのだ。選挙に突入すると、この二階が陣頭指揮をして、「党の考えと違う主張をする候補には対抗馬をぶつける」と言い、刺客を立てまくった。
その結果、俺は自民党を離れることになった。一方で選挙大勝の功績から、二階の地位は高まった。当時の俺からすれば、二階など大した存在ではなかったが、それから16年、気がつけば二階は自民党の最大権力者まで上りつめた。
・俺からみれば、俺の派閥を居抜きで持っていった二階は凄い男だ。志帥会にこそっと入ってきた「コソ泥」かと思っていたら、あっという間に家ごと全部乗っ取った「大泥棒」だったわけだが、大した腕である。それに留まらず、日本国まで国盗りしてしまった。
安倍晋三のような、人の良い殿様の息子では、二階のような策士には簡単にやられてしまう。二階からすれば、ちょろいものだろう。晋三は一本足の案山子みたいなもので、二階の支えがないと権力を維持できないところがあった。
<昭和を築いた13人>
・中曽根先生を初めて見たのはそのときだ。先生は「青年将校」といわれていた。来賓者が座る一段高いところではなく、道場の床に正座して座っていたことが強く印象に残っている。「威儀正しい」という表現がしっくりくる初対面だった。
中曽根先生といえば、「上州戦争」が有名だ。
・すると、そこにふらっと現れた中尾栄一さんが、中曽根先生を連れてそのまま本会議場に入ってしまったんだ、唖然として、何が起きたのかわからなかった。なんと中曽根先生は、土壇場も土壇場で反主流派から抜け、不信任案への反対票を投じたのだ。
結局のところ、欠席が多かったため、不信任案そのものは賛成多数で可決され、世にいう「ハプニング解散」に突入することとなった。だが中曽根先生にとっては、ここで主流派・田中サイドに身を寄せたことが、その後の総理への道につながったと思う。「風見鶏」と言われる中曽根先生らしい行動だが、政界の風を巧みに読んだからこそ、総理になれたのだ。
・その間、俺は部屋の外に待たされていた。小泉が部屋へ入るなり、ものすごい声で「無礼者!」と怒鳴る声が聞こえてきた。中曽根先生の怒号だった。断固として引退に応じない先生は、怒り狂って「政治的テロみたいなものだ」と発言した。
・しかし、小泉執行部はビクともしなかった。同じく引退勧告されていた宮澤喜一さんがおとなしく引退を表明したこともあって、中曽根先生も最終的に観念し、引退に追い込まれた。
<竹下登 目配り、気配り、カネ配りの三拍子>
・絶大な権力を握っていた竹下登さんが亡くなってから、20年以上が経った。永田町の誰よりも政界の力学を知り、「目配り、気配り、カネ配り」で総理になったと言われた竹下さんは、与野党はもちろん、財界、官界に幅広い人脈を持っていた。表から裏まで張り巡らされたその人脈には、あの中曽根先生も敵わなかった。
・もっとも竹下さんのほうは、俺が幼いときから、俺や兄貴(元参議院の亀井郁夫)のことを知っていたという。俺の生まれ故郷、広島県庄原市川北町は、竹下さんの地元である島根県の選挙区と山を越えた隣同士だ。うちは村で下から数えて2~3番目くらいの貧乏な百姓農家だったが、俺と兄貴の2人が東大に入ったことが評判になった。それが山を越えて竹下さんの耳に入っていたらしく、「亀さんのことは幼いときから知っていたよ。山を越えた所に2人の神童がいると聞いていたから」と言われたことがある。同じ山陰の田舎の空気を感じたし、竹下さんは青年団運動から上がってきた人だから、俺と同じように土の匂いがする苦労人だと、親近感を持った。
・そんな竹下さんが、みんなから人望があった理由には、カネ配りもあったと思う。派閥が違う俺のところにさえ、遣いの者を通じて多額のカネを寄越された。清話会は一銭もカネをくれなかったし、ポストを配る力もなかったが、竹下さんは毎年必ずカネをくれたのだ。派閥が違うのにカネを持ってきてくれたのは、同じ中国山地の山中のよしみからだろう。
<安倍晋太郎 晋三を守った父の「人徳」>
・俺が長年、安倍晋三を弟のように可愛がってきたのは、父上である安倍晋太郎先生に大変世話になったからでもある。
・晋太郎先生を一言で言えば、徹頭徹尾、善人だ。優しすぎた。だが総理総裁になれずとも、他のどの政治家よりも徳を積んできた。それが息子の晋三をも、陰に陽に助けてきたのだ。晋三が長期政権を樹立できたのも、父上の徳のおかげだろうと今は思う。
<金丸信 部屋中からカネが湧いて出た>
・「政界のドン」と称された金丸信さんは、昭和の激しい政局の時代、常にその中枢で立ち回った、まさにキングメーカーだった。
俺が国会議員になった当時は、田中角栄さん率いる田中派全盛の時代で、俺のいた福田派は傍流とみなされていた。
・金丸さんの凄いところは、徹底的に黒子であり続けたところだ。
・当時ペーペーで、派閥も違った俺は、金丸さんとの接点は少なかった。ただ、随所に「この人は大人だ」と感じる場面があった。
彼の力の源泉の一つは、抜群の資金力だ。俺も一度、金丸さんからオカネをもらったことがある。
・次に当時幹事長だった金丸さんの事務所に行くと、すぐに「わかった」と共感してくれた。おもむろに背広のポケットからおカネを出し、それだけで100万円はありそうだった。だが「これじゃ足りないな」と呟くと、机の引き出しや棚をゴソゴソと探し、札束はみるみる500万円ほどになった。部屋を漁るだけでおカネが出てくるのにも驚いたが、それをいとも簡単に渡してくれたことにも驚いた。
金丸さんは名前の通りおカネを持っていたが、溜め込むのではなく、意義のあることだと思えば、普段付き合いのない俺のような奴にもポンと渡してくれる器の大きい人だったのだ。
・それほどの実力者だったが、最後はあまりにも哀れだった。‘92年8月、金丸さんが5億円のヤミ献金を受け取ったといういわゆる「佐川急便事件」が発覚。金丸さんは記者会見を開いてこれを認め、副総裁辞任を表明した。
<福田赳夫 エリートだが、どこか土の匂いがした>
・だが、肝心の福田派は選挙戦が始まってもなかなか本腰を入れてくれない。というより驚くほど応援してくれなかった。理由は簡単で、俺が「泡沫候補」扱いされていたからだ。必死に応援してくれたのは、福田派の先生ではなく、中川一郎先生だった。
5000票差でぎりぎりの最下位当選を果たした俺は、そのまま福田派に所属した。だが選挙での恩義もあり、中川先生率いる中川派にも出入りした。新人でいきなり2つの派閥を掛け持ちしたので、「両生類」と揶揄する連中もいた。俺には、陰で文句を言う奴の相手なんてしている暇などなかったが。
・もうひとつ印象深い思い出がある。俺は‘89年の総裁選で、清話会の方針と異なる山下元利さんの擁立を画策し、清話会を除名になった。結束してこそ力になるのが派閥だから、勝手な動きをする奴は除名されても文句は言えない。
・福田先生は‘76年から’78年まで総理を務めたが、もっと長期間総理をやるべき人物だった。息子の康夫も総理になったが、あれはサラリーマンだ。印象が薄い。福田先生は大蔵官僚の出身ながら土の匂いのする政治家だった。しかし康夫からは、その匂いが感じられなかった。
<中川一郎 熱血漢を襲った悲劇>
・俺の初選挙では、福田派の幹部である安倍晋太郎先生にも応援をお願いしたが、ダメだった。そんななか、俺の志を意気に感じてくれたのが、当時国民的にも大変人気のあった中川一郎先生だ。選挙期間中、広島県庄原市の山奥まで駆けつけてくれて、翌年のハプニング解散後の選挙戦でも「俺が行くぞ」といって、どんどん選挙応援をやってくれた。
中川先生は北海道開拓民の家族の出で、子だくさんの家に育ち、とても苦労された方だ。その熱血漢ぶりに俺は魅了され、短い間だったが非常に濃密な関係を結んだ。
・年の瀬、事務所のあった永田町の十全ビルで、こう声を掛けたのが最期になってしまった。「中川先生、がっかりしないでください。年が明けたら、私と狩野明男と三塚博の3人が先生のところに移籍します。いま福田先生から了解を得たのですから、元気を出してください」
年明けの1月9日、先生は自死された。「北海道のヒグマ」と呼ばれるほど豪快な人だったが、同時に繊細で気が弱いところがあったんだろう。総裁選で負け、孤独になったことで一気に弱ってしまった。まだまだいくらでもチャンスがあったのに、残念でならない。
<平成を駆けた31人>
<後藤田正晴 俺を政治の道に進ませた「圧力」>
・後藤田さんは役人時代から、田中角栄さんの懐刀として重宝されていた。あるとき、俺が公職選挙違反で衆院選の自民党候補を逮捕しようとした。すると、刑事局から逮捕にストップがかかった。角栄さんの命を受けた後藤田さんからの指令であることは明らかだった。
普通なら、逮捕を泣く泣く諦めて終わりだ。ところが、俺にそんな圧力は通用しない。「それはまかりなりません」とばかり、逮捕してやった。後藤田さんからすれば面子丸つぶれだ。それをきっかけに、後藤田さんは「亀井の野郎」と疎ましく思っていたようだった。
その後しばらくすると、埼玉県警捜査2課長だった俺のもとに人事の内示があった。警視庁本富士署の署長で、警察キャリアにとって出世の王道コースのひとつだ。しかし、それを知った後藤田さんが「亀井は警視庁なんかに入れちゃいかん。何をやるかわからん」と言って、人事をひっくり返した。そして、「極左をやっつけるならいくらやってもいいから、極左担当にしろ」ということで、俺は‘71年、警備局の極左事件に関する初代統括責任者になった。
・その後、‘76年の衆院選で先に後藤田さんが政治家に転身し、3年後に俺も政治家となった。同じ警察官僚出身とはいえ、派閥は違ったし、後藤田さんからしたら俺は憎き男だ。官房長官時代も、一切カネをくれることもなかったし、俺に目をかけてくれることもなかった。また、俺もそれを望んでいなかった。だから酒席を共にしたこともない。
・なだめたりすかしたりといった芸のきくような、可愛げのある人ではなかったのだ。その辺りが「カミソリ」と呼ばれる所以だが、自分でも総裁のポジションには不向きだと自覚していたのだろう。俺とは政治スタンスが全く異なり、どこまでも「官僚」だったが、私利私欲のない一本独鈷な政治家であった。
<梶山静六 総理になれなかった悲運の政治家>
・政治家に必要なのは、強い信念に基づいた覚悟と、人を魅了する力だ。だが、それだけでは天下はとれない。運が必要なのだ。安倍晋三だって運がなければ、父親が得られなかった総理の座を、2度にわたって獲得することはできなかったはずだ。
そういう意味で、悲運だった政治家の筆頭といえば梶山静六さんだろう。
・橋本内閣が誕生し、俺も組織広報本部長という新設された四役に就いた。ともにお国のために頑張ろうと意気込んだのだが、現実は違った。あいつは総理になった途端に変わってしまったのだ。大蔵省の虜になり、緊縮財政を主導し、政策的に縮小路線に舵を切る。官僚にのせられ、消費税を3%から5%に引き上げてしまった。公共事業もなんでも切ってしまえと、無茶なことをやりだした。
翌年から長期デフレに陥り、失われた20年を深刻化させた。俺のおかげで総理になれたのに、言うことはまったく聞かない。結果、俺は梶山静六さんと手を結び、橋龍おろしを画策した。自分が担いで作った内閣を、自分で壊すというのは皮肉なものだ。政治の世界では、昨日の味方は今日の敵。今日の敵は明日の味方。それ以降、橋龍とは会うこともなくなってしまった。大蔵省の虜になってしまった変節だけは、残念でならない。
<野中広務 偉大な裏方に「許さない」と言った日>
・老獪な一面もあったが、抵抗勢力と呼ばれて、時々の政権に批判もしてきた。野中は目線を低くして生きているからだ。保守色が強い自民党にとって、彼のような平和主義を追求する姿勢は必要不可欠だった。偉大な裏方を、日本は失ってしまった。
<中川昭一 親父さん譲りの「情」が忘れられない>
・弟のように可愛がっていた中川昭一が亡くなり、早12年が過ぎた。
はにかみ屋のところもあったが、いつも屈託のない笑顔で、俺を兄のように慕ってくれた。
・‘09年2月、昭一は財務・金融担当大臣としてローマで開かれたG7に出席した。その後、酩酊したような朦朧状態で記者会見に出て猛批判を浴び、責任をとって大臣を辞任。半年後の総選挙で謝罪行脚をしたが、民主党候補に敗れ、比例復活もならずに落選した。1ヵ月後、自宅の寝室で倒れているのを発見された。
その日、俺は自分の事務所にいたが、一報を聞いて慶應病院へ急行した。だが昭一は、すでに息を引きとっていた。今でも病や発作によるものだったのか、それ以外の理由があったのか、はっきり分かっていない。いずれにしても、昭一ほどの男を失ったのは残念と言うほかない。
<与謝野薫 頼まれたら断れない働き者の生涯>
・永田町の「仕事人」としての皆の記憶に残っているのが、与謝野馨だ。俺は彼を「最強のテクノクラート」と評していた。それほど頭の切れる男だった。
与謝野がライフワークとしていたのが「財政健全化」だ。彼は徹底した財政緊縮論者だった。
・思うに、与謝野馨は頼まれると断れない人間だったのだ。だから、中曽根さんが師匠のはずなのに、自分を重用する梶山さんについて行き、仇だったはずの民主党にも請われれば入閣した。敵味方に囚われず活躍の場を探し続ける姿は、まさに稀代の「仕事人」だった。
<小林興起 「上から目線」をやめて、戻ってこい>
・小林興起は、通産省の官僚出身だ。農林大臣だった中川一郎さんと出会って政治家を志した。福田派に所属しながら中川派の会合に出ていた俺は、たまたま、自分とどこか風貌が似ている男がいるな、と思って小林を認識した。
・お膳立てをしてやれば、あとは親分の中川さんがなんとかするだろうと見ていたが、中川さんは‘82年の総裁選出馬の後、悲運の自死を遂げる。なんとか小林を国会議員にするため、俺は応援に動きまわった。しかし、当時の小林は泡沫候補扱いで勝ち目もない。
・苦戦は続き、‘83年、’86年と総選挙に連続で落選。
・一度は当選して政界に復帰したが、その後は落選続きだ。理由はなんとなくわかる。優秀で能力は抜群だが、自分が一番優秀で偉いと思いこんでいるのだ。「上から目線」の唯我独尊では、選挙民が反発して票が集まらない。政界復帰のため、小林は今も頑張っていることを知っている。まずは、謙虚になることだ。
<自民党と対峙する21人>
<玉木雄一郎 総理大臣候補になるためには………>
・国民民主党代表の玉木雄一郎は、まだまだ若いが、間違いなく将来の日本を担っていく政治家だと思う。今はキラキラする経歴が邪魔している。
・玉木に言いたいのは、机上の勉強じゃダメだということだ。政局で揉まれ、修羅場をくぐる。批判され、めちゃくちゃにマスコミに書かれないとダメだ。
そのためにも、政局を仕掛けていかないといけない。
<志位和夫 本気になれば、日本を変えられる>
・志位和夫とは、実に柔軟な男だ。良いものは良いとし、悪いものは悪いという是々非々の姿勢を持っている。
・だが原理原則がなく柔軟で、何でもありとなると、そういう男は怖い。悪魔とさえ手を握ることもできるからだ。俺はこれまで志位とは何度も会い、天皇制や日米安保、北東アジア問題、野党共闘、内政と、幅広いテーマで議論をしてきた。天皇観を巡っては真逆の考えの持ち主だが、他の部分では共通する部分も多い。一部の人たちが富を独占する新自由主義は駄目であるとか、増税反対の考えにも俺は共鳴している。
・志位は、権力を握らないといけないと考えているのだから、本気で野党共闘に臨んでもらいたい。共産党だけでなく、野党トータルとしての共闘を実現してほしい。彼にそれだけの器と力量が備わっている。
<大塚耕平 四面楚歌の俺を支えてくれた>
・総選挙で民主党が圧勝し、俺の率いる国民新党、そして社民党を含めた3党連立の鳩山由紀夫政権が誕生した直後、郵政改革・金融担当大臣に就任した俺は、世間が飛び上がる政策をぶち上げた。モラトリアム法案(中小企業金融円滑化法案)だ。中小零細企業や住宅ローン利用者の借金の返済猶予を銀行に促す法案を作るよう提唱したのだ。
・モラトリアム法案は無事完成し、‘09年11月には可決成立、翌月に施行された。年末で会社の資金繰りの厳しい時期に施行できたことは大きかった。俺の信条を理解し、片腕となって多大な尽力をしてくれた大塚には今でも感謝している。彼なくしては法案成立までこぎつけなかった。俺の部下として来てくれたのは、まさに天の配剤だった。これからも大塚には弱者に寄り添った政策を作ってもらい、日本の政界を引っ張っていってほしい。
<菅直人 緊急事態下の総理といえば、この男だった>
・俺は、副総理の話を断り、代わりに首相補佐官に就任した。菅は総理まで務めたが、決して大物政治家とはいえない。そうはいっても、自民党の世襲議員ばかりが出世するのが常の昨今の永田町で、市民運動家から首相にまで上り詰めたのは、大したものだと思う。
<鳩山由紀夫 「宇宙人」は、すべて任せてくれた>
・そんな鳩山とも、一度だけ衝突したことがある。永住外国人の参政権の問題だ。「永住外国人に参政権がないのは、日本が住みにくいことを物語っている。永住外国人に地方参政権を与えるべきじゃないですか?」鳩山はこう言ったが、俺は、そんなことをするのなら連立を出て行くと答えた。鳩山も根負けしてこの法案は見送られた。
衝突はそのときだけだ。俺と鳩山は、対米従属からの脱却を本気で考えていたのだ。国益を守るため、自主独立をしなければいけないという点は同じ考えだった。
・今の政権はアメリカに追従するばかりだ。鳩山のような本気の政治家がいないのだ。世間離れした考えから、鳩山は「宇宙人」だと揶揄されていた。その宇宙人が、地球の下世話な部分を、地球人の俺に任せてくれたのだ。鳩山には感謝している。
<福島瑞穂 野辺の花として散る覚悟はあるか>
・福島は当然左翼だが、俺は自民党時代から右っぽいところも左っぽいところも併せ持っていたから、福島とは意外と考えが一致するところが多い。
ある日、福島と食事をしていたら「私と亀井さんは『郵政民営化反対』『死刑廃止』『義理人情』、この3つしか共通事項がないですよね」と言ってきた。俺は「3つも同じなら上出来じゃないか」と返した。ひょっとすると保守の政治家より気が合うのかもしれない。
<前原誠司 意見は違うが、驚くほどに義理堅い>
・俺と前原は、政策が近いわけではない。俺が必死で主張してきた郵政民営化反対や死刑制度廃止には、彼は反対している。TPPの時も、前原は賛成で、俺は反対の先頭に立っていた。だが、前原が他の民主党出身の政治家と違うのは、抜群に気遣いができることだ。
<山田正彦 「ブレない男」と新党を作ったときのこと>
・TPPは日本にとって自殺行為である。日本の農業を確実に滅ぼす。野田佳彦政権になるとTPP推進の動きはさらに加速した。野田は「TPPに賛同しない議員は選挙で公認しない」とまで発言し、翌年の11月に解散をしてしまう。TPP反対の急先鋒である山田さんはやむなく離党を決断し、そこで、無所属になっていた俺と2人で政党を作ることになった。
<岡田克也 「地蔵さん」だが、それも悪くない>
・宮澤喜一政権の頃、自民党でひときわ生きのいい若手議員が、岡田克也だった。堅物で知られる岡田は、金権体質はびこる自民党政治に嫌悪感を抱いていたのだろう。カネのかかる中選挙区をやめ、小選挙区制を導入するのに特に熱心だった。
・だから、俺は岡田に「石の地蔵さん」というあだ名をつけた。本人と会っても直接「おう、地蔵さん」と呼んでやった。
ただ、石頭で融通がきかないのは決して悪いことばかりでもない。それは、あいつなりの信念を持って行動していることの証だ。
・岡田は野党議員の中でも選挙がとてつもなく強いし、経験も豊富だ。日本の政治をマトモに戻すためには、野党が強くなることが欠かせない。そのために「地蔵さん」の力が必要とされる局面が、近い将来やってくるだろう。
<因縁と愛憎の21人>
<橋下徹 国政進出は失敗だったが、チャンスはある>
・橋下徹は天才だ。大阪で府知事になり、大阪維新の会を作ると、「反東京」でまとめ上げて「大阪中心」で一つの勢力を作った。大阪都構想は、大阪独立運動みたいな話である。要するに、東京の風下にはつかないということ。なかなかできる発想じゃない。まったく革命児だと思う。
・やっぱり政治は自分でやらなければしょうがない。橋下はまだ若いのだからもう一度勝負してほしいと思う。会って再認識したが、やっぱり光がある。天才児だ。コツコツやるのではなく、パッとやってパッと花を咲かせるタイプだ。必要とされる出番はやってくるだろうから、そのときはぜひ政界に殴りこんでほしい。
・俺と綿貫さんでは、郵便局との距離感はまったく異なるものだった。綿貫さんは郵政族で作る郵政事業懇話会の会長を務め、まさに「郵政族のドン」そのものだ。一方の俺にとっては、特定郵便局は選挙での強力な敵だった。旧広島3区で、同じ自民党で戦っていた佐藤守良さんの強力な支持団体だったからだ。だから、自民党を離党した俺が、無所属ではなく、綿貫さんを旗頭とした新党で「郵政民営化反対」を明確にする考えを示したとき、後援会からは「気が狂ったのか」と猛反対された。
だが、「郵政民営化なんてやらせたら、この地域を含めて日本中の地方が滅茶苦茶になる。だから選挙とは関係なく俺は反対する。それが嫌なら応援してくれなくて構わない」と俺は宣言した。
<武村正義 官僚時代の「裸の付き合い」>
・俺が埼玉県警捜査二課長に就任した‘69年、着任直後、埼玉県地方課長に異動してきた役人がいた。自治省から埼玉県庁に出向中だった武村正義である。
この武村の異動は、俺の「篭絡」が目的だった。どういうことかというと、当時の俺は捜査二課長としてあらゆる事件を手がけ、検挙数も多かったので、埼玉県庁が震え上がっていたのだ。警察庁長官の後藤田正晴さんの命令すら無視し、田中角栄の「刎頚の友」といった大物も逮捕に踏み切っていた。警視庁も含め他県警の捜査二課は実績がなかったから、俺は県外にも出て容疑者を逮捕した。管轄外でも、工夫して関連づけさえすれば逮捕できる。警察庁長官賞は埼玉県警捜査二課が独占だった。
そこで武村を、俺の「宣憮要員」として寄越したわけだ。事実、武村からは接待漬けだった。しょっちゅう俺を群馬の温泉地へ連れ出し、泊まりがけで、2人して女遊びだ。ただ、俺は奴の魂胆を分かっていたから、接待を受けても、あまり手加減はしなかった。
今だから言えるが、当時俺は県庁から裏金をもらっていた。捜査二課のカネがなくなると県の総務部員に電話をして、「カネがないんだ。ちょっと出してくれや」と言った。すると部長は何千万円単位のカネを寄越した。恐喝みたいなものだ。俺はそれを自分のポケットに入れるわけではない。捜査は5人一組の班単位でやっていたから、成績を上げた班には休暇を与えたうえ、その裏金を使って海外旅行に行かせた。するとみんな張り切り、休日返上で内偵をし、容疑者を見つけては捕まえる。検挙実績も上がっていった。
武村は‘71年、八日市市長選挙に出るといって自治省を辞めた。俺はみんなを集めて送別会をしてやった。俺と女遊びばっかりしていたやつが「改革派」と称して市長選に出るんだから、笑ってしまった。とはいえ、もともと自治省に入るくらい優秀な男だし、何よりも野心家だった。その後、国政に転身したのは当然の成り行きだろう。
・宮澤内閣が不信任決議されると自民党を飛び出して「新党さきがけ」を結成し、その代表に就いた。この時、俺とは長い付き合いにもかかわらず、武村からは一言の相談もなかった。一緒に離脱した園田博之たちとはいつも一緒に麻雀をやっていたにもかかわらず、彼からも一言の相談もなかった。全くもって仁義なき野郎どもである。
・武村は、俺が社会党と組んで政権を奪還した時には、ちゃっかり付いてきて大蔵大臣に就任した。「自社さ」連立政権とはいうものの、本当のところ、さきがけなど刺身のつまに過ぎなかったのだが、間隙を突いてきた。こうした世渡りの上手さでは、武村の右に出る者はいない。それができたのは、周りに敵を作らなかったからだろう。ムーミンパパと呼ばれるほど穏やかな外見ながら、野心家で血の気も多い。なかなかの人物なのだ。
・長い政治生活の中で、俺にとって最も因縁深い政治家が小沢一郎だ。小沢とは「手を結んで、喧嘩して」の繰り返しだった。
・2度も自民党政権をひっくり返し、55年体制をぶっ壊すなんて大それたことは、小沢一郎という政治家だからこそ為し得たことだ。もう小沢も80近いが、3度目の政権交代を見るまでは引退しないつもりだろう。その姿を、俺は傘張り浪人として静かに見守りたい。
(2017/7/26)
<「政治に関心のないひとはいるが、政治に関係のないひとはいない」>
・小沢氏がベトナム戦争で指揮を執ったボ・グエン・ザップ将軍を敬愛するのに対し、亀井がエルネスト・チェ・ゲバラを尊敬しているのは好一対だと思う。
<大統領選挙>
(亀井)オバマは16%しか黒人がいない中で大統領に当選したでしょう。米国の人種差別はものすごいものですよ。地域によっては、有色人種を人間だと思っていない。その低いパーセンテージの中からオバマは、大統領に就任した。格差社会の米国では2、3%の人が富を独占している。オバマが当選したのは、低層の人々がオバマなら数々の利益を守ってくれると思ったから。しかし、そのオバマ大統領も議会の壁に阻まれたまま任期を終えようとしている。サンダース候補が代表に選ばれなければヒラリー・クリントンでなくて、トランプが勝つ。なぜなら富裕層とインテリがヒラリーを支持しているが、サンダースとトランプは貧困層やウォール街、インテリ政治に飽き飽きしている大衆が支持してる。サンダースが抜ければザーッとトランプに票が集中するのは自明です。勝つのはトランプよ。
<小池都知事人気について>
・(亀井)都議会議員も同じ穴のむじなですよ。自分達が決めておきながら、元知事が悪いという。韓国では前大統領を弾劾して追い落とし、それで自己の正当性を高めるような政治風土があるけどね、日本でもそうした悪しき風潮が出始めてますよ。何よりメディアがだめです。国をどうするのかといった視点がないばかりか、ただ面白可笑しく、ただの漫才中継にしてしまってね。東京は大阪の比じゃない、小池新党という実体のない幽霊にとらわれてしまう。それで自民も民進党もなくなるリスクは高い。次の総選挙で自民党は220から230議席まで落ちます。500%落ちる。小選挙区制というのは、そういう制度だよ、2年以内にそうなります。
・これを傘寿80歳、無所属にして最高齢の衆院議員が言うのか?動くか?というものだ。
・(亀井)毎度言うけどね、政治に関心のないひと、これは日本、世界でも大勢いるが、政治に関係ないひとはいないんですよ。
<原子爆弾>
・あの時、戦争末期だったから食糧難で校庭が全部芋畑だ。そこで野良仕事の作業が終わっても芋畑に残ってたら、西の方角がカッとまばゆい光が輝いた後にドロドロっという地響きだ。それで山の向こうから妙な色したキノコ雲がブワーッと昇った。新型爆弾というのは、逃げてくる避難民から知ったんだ。長姉の知恵子は女学生でしたからね。すぐに救援活動をしたせいで二次被爆したんです。二次被爆というのは認定をなかなか受けられなくてね、大変苦労したようでした。クリスチャンだった姉に連れられて教会や日曜学校に連れて行かれたものですよ。生粋の文学少女で、戦後は大阪の聖心女学院で先生をしながら句作に励んでいました。句集に「白血球測る晩夏の渇きかな」というのを遺しています。
アメリカの原爆投下に関しては、明らかに戦争犯罪だと思う。16年にオバマが広島へ来たが、謝りもしない。来ないほうが良いと思ったので、私は抗議した。訪問を喜ぶ国民がほとんどだが、冗談じゃない。それでは原爆投下で戦争が早期に終わったと信じるアメリカ国民と五十歩百歩ですよ。あれはやってはいけなかったのだと、犠牲者を悼まねばいけない。日本が戦争を起こしたことをアジア諸国に反省せねばならないのと同じく、戦勝国であっても歴史に責任を負うのが、死んでいった者への義務だと思うんだ。
<死刑制度廃止>
・これもやらねばならない。凶悪犯罪が取り上げられると死刑死刑と騒がれる。これに反対すると投票が減るというんで議員連も減ったよ。ここは前にも語ったけど重ねて言います。
日本人は仇討礼賛、忠臣蔵礼賛が根深いんだろう。目には目を歯には歯をという、そういう風潮をよしとする。これを覆していくのは至難の業だ。しかし日本にとって、今から絶対に乗り越えにゃいかんことだよ。
<地方自治>
・山村の集落が高齢化で消えていっている。私は根っこの会という超党派でドクターヘリを出させることに決めた。お医者さんを運んで、僻地を診察して回る。地方自治体が一文も金を出さずやれるようにしたんだけど、手を付けない。
なぜか。地方自治体はそんなことをせんでも、爺ちゃん、婆ちゃんは十分に面倒見ている。だから、そんなことはいらんことだという感覚なんです。ドクターヘリなんか余計な仕事で面倒だ。市町村自体が嫌ってるわけですね。
・心ある自治体関係者や地元企業の方は多い。まあ大方の地方にいる親方日の丸は働かないから、金が回らなくて困っている地元企業に金をどんと生ませる仕組みを作ってやるべきだ。そこから始めないといかんと思って、私の会社も脱原発事業、太陽光発電やバイオマス発電に参画させることにしましたよ。
<政党ではまとまらない議会>
・今や政党で括るのは無理ですね。個ですから。個の行動といいますかね、そういうことにザーッと拡散して行っています。だから政党で括るとして何で括る?政策言うても政党の垣根じゃ括れんでしょう。
<定年制と機会均等、小選挙区制>
・いま最高齢の衆議院議員になってしまいました。自民党内で定年制を設けたがあれは必要はないと思う。小僧だろうが、老いぼれだろうが有能なら議員でいるべき。若ければ気力、老いては知恵を示せればいい。同じように女性の機会均等と称して数字を出して、その数に合わせて人材を出せという。これほど女性を蔑視したやり方はないよ。
かつては派閥の領袖の年齢が高かったわけです。その上で徒弟制度じゃないけれども、政治のいろはを年寄りから習うというような環境はあった。この知恵の継承は大事なんだな。政治には技術がいるからね。
あとは選挙制度だな。議員議会レベルを落としているのは小選挙区制が原因です。お互いに競争して出てこなくなった。競争すればね、力のあるやつが出てきます。競争をなしにしちゃったらね、ひ弱なやつでも条件さえあれば、バッジを付けちゃう。そういう調子でチャチな人材が議員になるから嘆かわしいよね。でもソレ、選挙民にそのまま返ってくることも知ってほしいな。チャチな政策を押し付けられるのは、ちゃんと選ばなかったせいだ。
<政局の行方>
・もうリーダーがいないからね、どう転んでも政治の冬が来てしまうよ。晋三総理もこのままずっとというわけにもいかない。かといって野党共闘から現れる状況ではない。
・理想を言えば、まあいっぺん、民進党も自民党もどこもかしこも、全部チャラにしてしまったほうがいいよ。国民感情としてもそうでしょう。政党じゃないと金が入らない仕組みがあるからピーピー言っているだけだ。政治改革は全部自殺行為だった。小選挙区制で党の多様性を殺し、政治資金規正法でもそうです。政党法で信念があって脱党したくても容易に抜けられなくなった。
まあ、次の選挙では自民党は大敗するよ。黙ってても議席は減る。公明党の集票力も低下した。だからどこも目減りする。数合わせが大変です。安倍政権が停滞してるせいで、与野党はモヤモヤしているよ。そこで暴れるやつが出るか出ないかで大きく変わる。いまの自民党執行部も喋ることはずっと同じで新味はない。民進党だって原発廃止も足踏みしてあやふやになるくらい定まらない。電力労連の30万票を当て込んで日本のエネルギー政策を誤るなど笑止千万だよな。バーカ、と言ってやる。
<労働組合は堕落した>
・連合の言いなりで政権奪取の気がない民進党に未来はないよ。連合が泡食うような政策出してみろと言いたいね。奴らは労働組合だ。自民党には行かないよ。共産党にも行かない。ぜったい離れっこない。だったら遠慮なく攻めればいい。
いまや組合なんて労働貴族もいいところです。だらしなく私利私欲に走るようじゃブルジョア的堕落だよ。
この間、自主・平和・民主のための広範な国民連合の集会に招かれて出かけたんだ。そこで挨拶したんですよ。
「皆さん一生懸命、労働運動や政治活動をおやりですね。だけど、現在、非正規雇用者を含めて働く人間から眺めると、あなた方は組織に守られたセレブですよ。それは自覚なさって行動されたほうがいい」
露骨に嫌な顔をする者もいたね(笑)。どこかの委員長が「先生にズキンとくる言葉をもらいました」と述べに来たけどさ。まあ、労働貴族の趣味みたいになっているわな、いまの運動は。政治家も市民活動家も命のやり取りをするんだという気概がない限りは理想の実現に一歩も二歩も進めんよ。
<人生、ただただ進めの巻>
・(亀井)まあハチャメチャな生き方をしてしまっているからな。そこは笑って読んで貰えたら有り難いね。国会議員も13期連続当選で、39年国会議員もしている。会社のオーナーで無所属議員。人生糞面白くもないと思っている人たちへの応援になればいい。途中でドロップ・アウトしてもまたやり直しできるよっていうな。断崖絶壁から落ちた状況であっても、ジジィになってもさ、逆境をバネにして元よりも飛び上がれるんだからね。
<健康>
――亀井さんは摂生ってしています?
(亀井)してますよ。プールを歩く。全身運動をしながら。これ1時間半連続してやる。だからプールに通っている人はビックリしているよ。80の爺さんが熱心にやってるから。2キロのダンベルを100回3セット、スクワットを70回。毎日寝る前にやっているよ。そういうことをやっても足が弱る、残念ながら。2ヵ月に1回くらい血液検査をやる。数値が全部良くなったよ。医者がビックリしていた。段々若返っているんです。これでまだまだ働けるよ。
<油絵>
――亀井さんはこうして事務所でも油絵を描いてますね。絵を描こうと思ったのはいつ頃からですか?
(亀井)これは銀座で画廊を出していた福本邦雄さんがいる。共産党の福本イズムの提唱者、福本和夫さんのご子息です。邦雄さんは共産党を離れてから竹下登さんの傍におったんです。私を可愛がってくれましてね。邦雄さんが画廊をやっておられたんで、「絵というのは面白いよ、亀井君」と誘われてね。それで描く気になった。
<会社オーナーとして>
――この事務所は亀井さんの会社の中にあるということでいいのかな?
(亀井)設立者で、オーナーという役割です。この警備会社JSS、警察庁から頼まれて創立したんです。警察庁に世界のテロ情報、色んな治安情報を集める力が無いから作ったの。きっかけは日本航空と警察庁が主でしたね。まさかここまで空港警備などで成長するとは思いもよらなかった。最初は5人とかですよ。それが今じゃ2千名。設立して30年だけど、オーナーですが株式配当を1回も貰ってない。貰おうと思えば相当に受け取れるんじゃないかえ。給料べースアップか福利厚生に使えばいい。毎月開く役員会で、社員は皆、家に帰れば1国の主なんだから大事にしろと言ってます。
<政治家は全てのひとに迷惑をかけている>
――政治家という仕事、長い事件を経て、これを亀井さんはどうお考えですか。
(亀井)まず、なりたいという者が来たら、ただバッジつけても仕方ない。やめときなさいと言いたい仕事だね。なりたいとして何をどうやりたいか。コレが大事で、そうでなければなっちゃ駄目だ。やる以上は死ぬ気でやれ、です。
・この仕事は家族、そして親しい人に迷惑をかける。人間というものは、生きている限り人を傷つける生き物だという認識があります。多大な犠牲を払いますから、本人以外にね。親しい政治家の息子さんである二世議員が「家族に迷惑をかけたくない」とか言うのでバカタレと叱った。政治家である以上は既に迷惑をかけている。そんなことに気がついてないなら阿呆だ。いまの政治家は応援しているひとへの贖罪や感謝の気持ちがねえんだ。自分の力でなったもんだと過信している。だから止めとけと言うんだ。
<この世の底から睨む目が>
(亀井)だからこうやってね、栄耀栄華で暮らしていて、エラそうにあなたに話していてさ。後ろめたさなんてねえと断言しながら、俺は偽善者だなと思うわけだよ。善人ぶってるなとね。どっかこの社会の隅からじーっと下からね、底に住んでいてね、底の底からじーっと俺を上目遣いで見ててね、ふーん何を言っているんだアイツは、そういう眼が、俺をじっと睨んでいるじゃないかと感じられてならないんだ。
<ゴミ掃除が終わらない>
(亀井)政治家になろうと思った時の目的、ゴミ掃除が出来てない。未だにやり残しがいっぱいあるんです。
—―だから枯れられないんですね。
(亀井)警察官だった時に感じた社会への憤りをね、そのなんと言えば良いのか、人生の借りを返せてない。日本の闇の部分、そこに職務として棲んでいた。部下も斃れ、追っていた者も斃れた。どうしてこうなったという思いがある。まだ失せることがない。ゴミ掃除に入ったらゴミだらけの上に、新しいゴミが増える。社会の歪みを取り締まろう、法で矯正しようとしているが、それだけじゃダメだ。却って逆効果になる。社会の歪みを取り締まろう。法で矯正しようとしているが、それだけじゃダメだ。却って逆効果になる。ゴミ掃除は大変なんだよ。どうして終わらないのかと思う。
――13期連続で代議士を続けてもゴミ掃除が終わらない、と。
(亀井)いつも言うのはね、いつもあちこち講演に行くでしょう。そのときに最初にいう言葉があるんです。「あんまり評判の良くない亀井静香です」。評判が良くなっちゃゴミ掃除は出来ないものな(笑)。
<俺の核>
――亀井さんのルーツというものはやっぱり山間の風景なんですね。
(亀井)ソレは間違いない。
故郷の須川で隣に住んでいた、大迫さんの封書です(財布から古い封筒を取り出す)。94歳の時に私へこの封筒へ10万円を入れて下さった。政治に使ってくれと。ここに「谷間の美田は草原に/時の流れの悲しけり/美しい国とは昔の言葉/国の未来が思いやられる」そう書かれています。大迫さんは大金を託してくれた。これは私の心に突きささったままです。
・経世会は田中派という利権組織から増殖した組織です。云わばマフィアみたいなものだ。小沢一郎が飛び抜けてるわけだけど、彼はネゴシエーションをやって物事を進める人じゃない。絶対的権力を握れる立場に立つと、大きな仕事をする男だ。そういう人だからね、細川政権を作るような荒業が出来る。話し合いとか全く苦手そのものだな。その意味で異才の政治家です。
・さらに言うと政治改革四法もね、小選挙区制にしてしまって議員の多様性が失われた。金のかかる中選挙区制だったが、党の執行部に牛耳られて政権批判が出来なくなり、ホントにいまの自民党なんか活力がなくなった。
また国連平和維持軍に自衛隊を参加させて普通の国だという基準もよくわからない。派遣する必要性は感じないんですよ。専守防衛でいい。防衛費を拡大するのはいい。ミサイル防衛やシーレーン強化でね。だけどなんだって米国の戦争に付き合っていいことがあるのかさっぱりわからない。普通の国というのは普通に安心して暮らせる国じゃないのかね。
『「中国の終わり」にいよいよ備え始めた世界』
<半値8掛け2割引>
・暴落の終着点は「半値8掛け2割引」と昔から言われるように、大雑把に見てもピークから68%下がる計算になる(じっさいに2008年から09年にかけて上海株は71%下げた)。
<株式大暴落が次にもたらす災禍とは?>
・次の大暴落は必至の情勢となっているが、中国に残された手段はあるだろうか?可能性は2つあるように見える。
第1は市場の閉鎖である。1カ月ほど思い切って株式市場を閉鎖すれば、この間に様々な処理ができるだろう。なにしろ一党独裁の国ならばこの緊急事態を乗り切る強引な手段も出動が可能である。
第2は通貨の大幅な切り下げである。
いまの人民元は完全な変動相場制への移行が難しいうえ、ドルペッグ体制となっているため、対ドル相場を30%程度切り下げるのである。「そんな乱暴な」と思われる向きもあるかも知れないが、実際に中国は1993年にいきなり33%も通貨人民元の切り下げを行った「実績」がある。
これにより輸出競争力が回復でき、若干の海外企業の直接投資も復活する可能性がある。
・デメリットは石油、ガス、鉄鉱石など輸入代金が跳ね上がること、もうひとつは日本に観光旅行へ来る中国人の「爆買い」ツアーが激減することだろう。というより現在の爆買いツアーはもう終わりに近く、中国人の発狂的海外ツアーも沙汰止みになるだろう。
かくして中国の爆発的投機の時代は終わりを告げ、中国経済全体の崩落が始まる。それは連動して中国共産党王朝の崩壊の始まりとなる可能性が高いのである。
<米国の親中派学者も「中国崩壊論」へ>
<旧ソ連は国防費の増大に耐えられなくなって潰えた>
・米国や日本が衰退する危険性はその原因と考えられる少子高齢化の人口動態よりも、もっと見えない変化、すなわち国防費増加ではなく「エンタイトルメント」費用、すなわち「社会保障、メディケア、保険医療(メディケイド)、所得保険」の急拡大にある。日本はこれに失業保険料が差し引かれ、しかも保険料を支払わなかった人々が月100万円ほどもかかる高額の介護を受けているケースもある。
かくして日米欧先進国や台湾、韓国などは防衛費拡大に予算を回せない隘路に陥没した。インドも貧困層の食料援助予算があり、タイ、インドネシアも然りだ。しかし中国には国民皆保険制度はなく、介護保険もなければ生活保護もない。義務教育も有料である。だからこそ狂気の軍拡が続けられたのだ。
欧米先進国が共通して陥没した財政危機とは民主制度のパラドックスかも知れない。
中国の次なる問題は宮廷の内部争い、権力闘争の陰湿性である。
・そして、「宦官と官吏による内戦に近い状況は何十年と続いた。朝貢貿易は崩壊し、比類無き明の艦隊は港で朽ち果てた。一方、海岸地域の町の住民はその後の数十年にわたって対外貿易から利益を得たが、明の宮廷はその繁栄ぶりを不快で脅威をもたらすものとみなした。官吏は近視眼的で経済的知識のない官僚の常套手段をとり、潜在的なライバルの力をそぐことにした。もはや仁の政治どころではなくなった」。
これまで国家の興亡論については、軍事力や海の支配、地政学的観点が主流だったから右のような別の視座からの切り込みは異色である。
それにしても明がなぜ衰退したのか。
「宮廷ではライバル関係にある各集団が皇帝の関心を引こうと争いあっていた」
漢の場合、「皇帝への影響力をめぐって、名門一族、軍当局者、官吏である学者・官僚集団、宮廷の宦官という4つの主要な対立勢力が争っていた」
なるほどまったくと言ってよいほどに現代中国の様相と似ている。
・2014年7月に北京大学中国社会科学研究センターが発表した中国のジニ係数は0.73(0.4以上は暴動が多発するレベル)。まさに天文学的所得格差の破壊力によって、史上空前の不均衡状態にある現在、中国は国家の財政が一握りの特権階級によって蝕まれつつあり、王朝の崩壊が近いことを物語っている。
<鮮明に表れた中国共産党瓦解の兆候>
・このように、米国における対中穏健派が雪崩を打って中国への失望を表明しはじめたのである。
前述したシャンボーは、共産党体制崩壊は次の5つの兆候からうかがわれるとした。
第1に富裕層の海外逃亡、第2に国内での言論弾圧、第3に誰もが政権のプロパガンダを信じていないこと、第4に共産党と人民解放軍にはびこる腐敗、第5に経済縮小と利害集団による改革阻止である。
シャンボーはこう結論している。
「一度、この体制が崩れ始めると中国は長期的かつ複雑に停滞し、より暴力的な社会となるだろう」
・――危機管理とは考えられないこと、あるいは考えたくないことを考えることである。
日本人が嫌がる防衛論議、日本の核武装、戦争、これら考えたくないことを、じつは真に近未来のシナリオとして考えなければならない。それは指導者の役目だ。
<迫り来る米中戦争の行方>
<米中戦争は不可避だとするロシア>
・こうなると、米中の関係悪化はどこまでいくか、ロシア紙『プラウダ』(英語版、2015年6月24日付)は米中戦争の蓋然性を検証し、11の根拠を描いていた。
その行間には米中戦争への「期待」(なぜなら「最大の漁夫の利」を獲得できるのはロシアだから)が滲み出ている。
<米国が想定する米中軍事衝突3つのシナリオ>
・南シナ海問題で一歩も譲らす、重大なチャンスを逃がしたのである。
偶発戦争は起こり得ない可能性が高いものの、危機を危機と認識できない指導者が、党内権力闘争の生き残りをかけて軍事衝突に出てくる場合、俄に起こり得る危険性に繋がるのである。
たしかに国内矛盾を対外矛盾にすりかえることは歴代独裁者の常套手段とはいえ、中国の軍事外交の突出が続けば、いずれ本格的な米中衝突を招来し、結末は中国の敗北が明らかであり、中国共産党の指導力の信用が撃滅され、共産党の一党独裁は激しく揺さぶられることになるだろう。
<そして中国に大破局が訪れる>
<機密文書まで海外に持ち逃げし始めた「赤い貴族」たち>
・「これ以上、反腐敗キャンペーンを続行すると、指導部の安全に問題が出てくるだろう。いまですら執行部の安全は深刻な状況であり、反対派は絶滅されていない。もし、キャンペーンを続行するとなると党そのものが深刻な危機に瀕することになり、このあたりで手打ちにしないと、状況は危うくなる」
<中国共産党の命運は尽きようとしている>
・黄文雄氏や福島香織氏が口を揃えて言う。反日の中国人と韓国人は本当は日本が好きで、できれば日本人になりたいと願望している、と。
「来生は中国人に生まれたくない」とする若者が3分の1もいて、これは韓国でも同じ比率という。「来世はブタでも良いから中国人には生まれたくない」と回答する者もいる。いや、その数は夥しい。
・世代交代が著しくなり、軍人でも朝鮮戦争体験組は誰もいない。
公式の発表より、民衆は裏の情報を選別して入手している。若者はネット世論の行間を読み、暗号で通信しあう。
過去の話より現実の腐敗、権貴階級への不満と憎しみが噴出しはじめ、いずれ巨大なうねりとなって、より暴力的になり、社会は乱れきって無法状態に陥るかもしれないという明日への恐怖が中国の統治者の間で認識できるようになった。状況はそれほど悪化している。
・国家の基盤が安定を欠いて根本から揺らぎはじめ、特権階級も安穏としてはいられなくなったとき、共産党幹部自らが、「そろそろ俺たちの時代は終わりだな」と自覚しはじめる。だからあれほど夥しい中国共産党幹部が賄賂で得た資金ごと海外へ逃亡を始めたのである。
余命いくばくもなくなったのが中国共産党である。