『21世紀の戦争と平和』
徴兵制はなぜ再び必要とされているのか
三浦瑠麗 新潮社 2019/1/25
<いかに平和を創出するか>
・したがって、本書では平和について規範的な議論を行うものの、あくまでもそれが人びとの利害構造や自然な感情を土台として展開するように留意している。「間違った戦争をしてはならない」という規範を述べるにとどまらず、人びとが政治的感情をもつときに当然に介在するナショナリズム、同胞意識といった強い感情を受け容れる。その上で、ナショナリズムや同胞意識が、戦争を思いとどまるにあたってある働きをしていることを積極的に評価する。この点は、本書の重要な特色の一つだろう。ナショナリズムを活かした平和主義というと、かつてイギリスの知識人が、ナポレオンのフランスや軍国主義のプロイセンを見て、自らの国が優れた平和性を持つと主張したようなことを想起する人もいるかもしれないが、本書の主張はそれらと同列のものではない。むしろ自国を含めて国や社会のあり方を批判的に見つつ、ナショナリズムと同胞意識を平和に活かすという発想である。そこにおいては、「血のコスト」と、「負担共有」という発想がカギとなる。
・平和を求めない人は少ない。しかし、平和のイメージはそれぞれの国で異なるだろうし、国内でも平和を実現する手段をめぐって激論が戦わされる。そうした中で、ひとまず生存を確保した国家が熟慮すべきは、国家が軍という実力組織を有していることの意味と、その自己抑制の方法であろう。リアリズムの神髄は熟慮であり、それが欠けている社会に平和は訪れないからだ。
<変動期世界の秩序構想>
<変動期に入った世界>
<ポスト「冷戦後」はカオスか>
・冷戦が終結して四半世紀の時が流れ、世界は二極でも単極でもない、多極の時代になだれ込んだ。領土紛争や軍事的緊張が残存する地域では、国家間での古典的な勢力争いがエスカレートする危険をはらんでいる。長い雌伏の時期を経て台頭した中国や軍事大国ロシアの「失地回復」の動きも活発化している。他方で、2010年代初頭の「アラブの春」に存在した中東の民主化への期待は空しくしぼみ、破綻国家や自国民の生活を破壊する政府が作り出されてしまった。
・全てをカオスと見るか、それとも不確実性の中で世界が秩序や平和を取り戻そうとする調整の過程と見るのかによって、現在の一つ一つの出来事の解釈が違ってこよう。私たちは、最近、国家の方針転換や変化をいくつか目撃しているが、その解釈は定まっていない。例えば次のようなニュースである。
◎2016年3月29日、日本の安倍晋三政権下において集団的自衛権を容認する安保法制が施行された。
◎2017年5月7日、徴兵制復活を公約とするエマニュエル・マクロンがフランス大統領選に勝利した。
◎2018年1月1日、スウェーデンが2010年に廃止されていた平時における徴兵制を復活させた。
・結論を先取りすれば、これらの試みは、戦争を抑止し、平和をもたらす新たな構造を作り出そうとする国家の自助努力であると私は考えている。1945年以降の秩序に寄りかかっているだけでは、国家も平和も維持できない時代が到来したからだ。むろん、安全を確保しようとする試みはときに軍拡競争を生んでしまうという有名なジレンマがある。「合理的な行動」が不合理な結果を生んでしまう構造として、幾度となく指摘されてきた。だから国家の本能に任せていてはいけないのだという意見は正しい。けれども、いま私たちが直面しているのが単にそのようなジレンマを生んでしまう構造なのか、それとも先ほど提起したような、ポスト「冷戦後」へ向けた新たな対応という大きな文脈のなかで理解すべきことなのかは、検討してみなければわからないだろう。
<アメリカの内面化が与えたダメージ>
・これまで、西側の平和はアメリカが提供する圧倒的な公共財と投資、開かれた市場、それらを支える軍事力によって成り立ってきた。冷戦後には、東側陣営が西側の経済圏に組み込まれることでグローバル化が急速に進展し、公共財を提供してきたアメリカの力が持続することによって、世界はさらなる平和と繁栄を享受できるかに思われた。
・十年スパンの因果関係で考えてみる。すると、混乱の原因はアメリカのイラク戦争とアフガニスタン戦争に求めることができよう。これらの戦争で挫折し、国力を費消したアメリカが結果として内向きになったことで、世界は大きな転換点を迎えることになったからだ。
・およそ四半世紀続いた「冷戦後」という時代は、BREXITの国民投票とトランプ大統領当選があった2016年には明白に終わりを告げた、と私は考える。後世の歴史家は、時代の終焉の地点を私たちより明確に指定することができるだろう。
<民主的平和論はなぜ下火になったか>
・ここでいう方法論とは、「民主化こそが問題を解決する」という認識を指す。つまり、冷戦後の失敗の経験によって、人びとは「民主化がすなわち平和を意味しない」ということを痛いほどわかってしまったのである。急激な民主化は内戦を呼ぶ場合もあったし、民主化した後の世論が平和的だとは限らないことも分かってきた。
・民主主義であることに疑いがない国々の行動も、平和とは程遠いものがある。アメリカをはじめとする西側先進国が行った戦争も、決してなくなったわけではないからだ。イラク戦争、アフガニスタン戦争、レバノン戦争など、不毛な戦争がたびたび戦われてきた。これらの戦争は、民意によって後押しされた戦争であった。
<過去の安定に引きずられる危険>
・そこで、アメリカの存在感が低下していく将来の見通しを踏まえ、1945年以降の常識を前提としない現代的な平和のための処方箋を考えていく必要がある。そのためには、国際的な構造全体として戦争を抑止し、平和を実現する構想が必要であるが、その過程では一国の政策、つまり内政が支配する領域にも踏み込まざるを得ない。
<民主主義を前提とした同盟管理>
・「民主主義は最悪な政体である。これまで実在したほかのいかなる政体を除いては」と言われる。これは、民主主義の決定が合理的であるとは限らないが、だからと言って民主主義を否定するのではなく、他の要素を取り込んで民主主義を補強していくべきだとする考え方だと言い換えることができる。
・まとめれば、安保法制の位置づけは、東アジアにおける安全保障環境の悪化とアメリカの内向き化のなかで、日米同盟の信頼性を強化することで、軍拡競争に一国で立ち向かうことを避けようとするものだった。しかし、将来にわたって日本の民主主義が軍事行動に対して抑制的であり続けられるかどうかは、まだわからない。
<「シビリアンの戦争」の時代>
・民主主義を前提としたうえで、平和を実現するために調整を行わなければならない最大の理由は、民主主義が戦争を選んでしまう可能性があるからである。
経済的に豊かな先進国では、実際に戦場に赴き血を流すリスクを負う兵士たち、つまり「血のコスト」を負担する人びとは、往々にして一部の層に偏りがちである。それゆえ、こと総動員ではない限定的な戦争においては、「血のコスト」を負担しない統治者や市民層が、不必要で安易な開戦判断に傾く危険がある。
たとえば、2003年のイラク戦争のように、専門家である軍からすると必然性が低く、またリスクが高いと思われる戦争であっても、アメリカのような安定したデモクラシー国家では政治や民意の力が強いゆえに、軍の反対を押し切る形でよく考え抜かれていない攻撃的な戦争が起きてしまうことがある。私はこのような戦争を「シビリアン(文民)の戦争」と名付け、警鐘を鳴らしてきた。
・シビリアンの戦争は、総動員がかかるような大戦争ではないところに重要な特徴がある。限定的な戦争である限り、シビリアンが負う戦争のコストは相対的に低いし、「血のコスト」の負担は一部の階層に集中するので、現実の犠牲が国民全体に強く感じられることはない。現代の豊かな民主国家では、軍は厳正なシビリアン・コントロールの下にあるが、見方を変えれば、それは自らが戦争に行くとは考えない国民が兵士の派遣を判断していることを意味する。歴史を繙けば、実に多くの民主国家が、民主的正当性のもとに安易な戦争を繰り返してきたことがわかる。
・そこで前著では、「シビリアンの戦争」を避けるためには、国民が血のコストの認識を共有できるような仕組みを導入すること、つまり国民一般を対象とした平等な徴兵制を導入することを解として示した。
<「徴兵制」復活は何のためか>
・フランスのマクロン大統領による徴兵制復活の公約や、スウェーデンでの徴兵制復活の試みを、どのように理解することができるかを考えてみよう。
まずロシアの脅威が再び欧州を脅かしつつあることが背景にあるのは確かだろう。スウェーデン政府は、かつては軍隊の花形であった、対露
防衛の拠点であるゴットランド島への配属志願者が不足していることに危機感を持っている。フランスはロシアと共存しつつも、その勢力浸透に警戒心を抱いている状況だ。
しかし、兵器の高度化が進んだ現代戦においては、もはや徴兵制は軍事的には役に立たない。それどころか、軍隊が面倒を見なければならない素人が増えるだけで、むしろお荷物であるという評価の方が根強い。徴兵制の訓練には多額の予算が必要となり、ただでさえ苦しい軍事予算を圧迫する可能性があるからだ。現に、フランス軍は徴兵制の復活に否定的であった。
・反対に、スウェーデンでは、軍が徴兵制の復活を望んでいた。それは、端的に言えば人員が欠乏していたからであり、引き続き有能な軍隊を維持しようと思えば、志願兵だけでは定員を賄いきれなかったからである。
<変革期世界の秩序構想>
<平和を創るための5つの次元>
・1次元;大戦争の抑止、2次元:国際的取り決めと制度化、3次元:政府の意思決定における自制、4次元:紛争抑止と平和構築、5次元:人びとの敵意の逓減
・つまり、誰かが政府のように強制力をもって粛々と法執行してくれることが期待できない国際社会では、やはり核戦争に発展する恐れのない戦争は起きてしまう。
<国家の意思決定を拘束するもの>
・では、そのようなシビリアン・コントロールの下で、自衛や懲罰の目的で頻繁に起こる戦争を、この第3の次元である「政府の意思決定における自制」の段階で食い止めるにはどうすればよいだろうか。
「シビリアンの戦争」の経験に学べば、一つの考え方として、血のコストの担い手である軍のプロフェッショナリズムからなされる提言を、政治が重く受け止め、受け容れることがあげられよう。これは、民主主義が健全な判断をしにくいときに、非民主的な要素を持ってバランスするという考え方に基づくものである。
もう一つは、戦争における国民の負担共有を明示しておくことで、開戦決定の際に国民がそのコストを自覚した上で判断できるようにするやり方もあるだろう。特に血のコストの平等負担を課すことにより、国民の多数がより慎重で抑制的な態度を示すことを期待するというシナリオである。
<内戦を防ぐ次元の努力>
・第4の次元は、戦争抑止と平和構想、いわば内戦を防ぐための取り組みである。全世界が内戦のない統治の安定した国々であれば、そもそも第1から第3までの次元ではほとんどの戦争は防げる。しかし、実際にはそうではない。戦争がない状態というのは、何も対外戦争がないことだけを意味するのではない。近年、武力紛争の多くを占めているのは、むしろ内戦だからである。
<望まれたグローバリゼーションの次元>
・もちろん、国家や武装勢力が互いに敵意を抱えながら、第1から第4の次元によって戦争を思い止まることが平和の最終形態ではない。最終的には、互いに敵意を逓減していくことが求められる。
・そこで、第5の次元には、時代の底流にあるグローバリゼーションの力学をおく。というのも、それこそが国家間の相互依存関係を促進する要因となっており、それによって平和が確立していくことが想定されるからだ。すなわち、貿易や投資などの経済活動を通じた相互利益、相互依存の増進や、人びとの移動や交流に基づく相互理解を通じて、全般的な敵意の低下がもたらされるという仮説である。
<現時点での平和への課題を確認する>
・こうしてみると、いま、世界が平和へ向かう道のどの段階に私たちが位置しているかが明らかになる。グローバリゼーションの深化による長期的な敵意の逓減という第5の次元に手をかけつつも、第3と第4の次元のところで苦悩している。とくに第3の次元において、まだ国家や
人びとは血のコスト負担に充分に思いを巡らし、戦争を思いとどまる段階には到達していない。
20世紀後半以降の世界における「進歩」は、大戦争を防ぐことができたという点だろう。
<カント再訪>
<「永遠平和のために」>
・本書が示した、現代的な平和創出のための5次元論は、冷戦構造やアメリカの覇権を前提としていないので新奇に映るかもしれないが、けっして無から紡ぎ出されたものではない。世界政府というものが存在しない、無政府状態を前提とする以上、規範や動機付けで国家意思を縛り、民主的な意思を平和に導き、そして長期的に敵意を逓減していくという5次元論は特に変わった建付けではなく、これまでも度々論じられてきたものだ。
・民主国家を前提とした戦争抑止のための包括的な構想のなかで、古典となっているのは、やはり18世紀の哲学者イマヌエル・カントの晩年の著作『永遠平和のために』である。随分と昔の書物を持ち出すと思われる方がいるかもしれない。
・カントは、当該書で「常備軍の廃止」、「共和政の実現」、「国際法の確立」などを訴えた。
<平和と共和政という二つの目標>
・さて、『永遠平和のために』の議論が優れているのは、その目指す目的において、国際的な平和と国内正義のどちらにも偏ることがなく、両者の実現を目指している点である。
<三つの確定条項>
・彼の提言を見てみよう。『永遠平和のために』は、文字通り世界が永遠に平和になるにはどうしたらよいかを正面から論じている。
・そのことを端的に表しているのが、カントが設けた確定条項と予備条項という二種類のハードルである。
まずは、より本質的な条件であるところの、確定条項について見ていきたい。
カントは、永遠平和を達成するための本質的な方策として、
(Ⅰ)国家を法の支配に服する自由で平等な市民による共和制とし
(Ⅱ)その国家の連合制度としての国際法を重視したうえで
(Ⅲ)世界市民法により外国人にも安全と入国の自由など最低限の権利を認めること
<厳しい予備条項>
・カントの定義した永遠平和のための前提条件は、第6条まである。より簡素な表現でまとめると、
(1) 休戦に過ぎない協定は平和条約と見なさない
(2) 独立国家の継承・交換・買収・贈与を禁止する
(3) 常備軍を時とともに全廃する
(4) 対外紛争に関わる国債発行を禁止する
(5) 暴力による内政干渉を禁止する
(6) 戦時における各種の秘密工作や条約違反を禁止する
<カントの国民への懐疑>
・カントは、常備軍の廃止を求める項で、次のように述べている。
「人を殺したり人に殺されたりするために雇われることは、人間がたんなる機械や道具としてほかのものの(国家の)手で使用されることを含んでいると思われるが、こうした使用は、われわれ自身の人格における人間性の権利とおよそ調和しないであろう」。
常備軍の廃止の提言には、強い軍備そのものが軍拡競争を誘発することへの懸念に加えて、権力者個人が軍隊を保持することや、国民を戦争の道具として強制的に動員することへの強い忌避があった。
<兵士を国民化する試みへの応答>
・なぜ、カントはそのように考えるに至ったのか。それを探るカギは17世紀後半から18世紀にかけての西欧世界の進歩にある。1648年に宗教戦争である30年戦争が終結し、ウェストファリア条約が結ばれ、主権国家の存在感が増し、帝国と教会の支配や権威が減退していった。
<郷土防衛軍とは何か>
・では、カントが想定した常備軍の代わりの軍隊、郷土防衛軍とはどのようなものだろうか。基本的には定期的訓練以外は普通の生活を送り、外に攻めていくことを目的としない、専守防衛の一般市民からなる軍隊である。有事のみに編成される軍隊だが、カントの生きた時代はまだ兵器が高度化されておらず、歩兵の威力が強くなってきた時代であったので、日頃から市民の防衛の士気を高め、軍事演習さえ積み重ねておけば国防は達成できると考えられたのだろう。
・この郷土防衛軍の構想は、現代に置き換えれば、いわば民主国家が、国土防衛のための訓練のみを課す「徴兵制」を、全国民に平等に導入することと同義と言える。カントの郷土防衛軍のイメージに現代で一番近いものは、国民皆兵のスイスになるだろう。もっとも、スイスにそのような防衛体制が可能なのは、自然の要衝としての地の利に加え、ヨーロッパ内の緩衝地帯としての地位を確立しており、さらに地方分権のカントン制(地方行政区分)を有しているからであって、すべての国がスイスのように永世中立国家になれるわけではない。
<国家観と人民観の共存>
・そのひとつが、外国人の移動を許容すべきだという確定条項の第3項である。カントは永遠平和のためには、国家間の平和構想だけでなく、個人のレベルでも国境や民族を超えた信頼醸成が必要だと考えており、これも時代を先取りしたものだった。カントの時代には、庶民が国境を越えて行き交うことはまれであり、ここでカントが念頭に置いていたのはエリート層、すなわち外交官であり、あるいは他の宮廷や領主のお抱えとなる文人や芸術家、そして貿易網をもつ商人といった人びとだった。
<19世紀以降の展開>
・ところが、歴史の展開はカントの敷いたレールとは異なっていた。フランス革命の直後に『永遠平和のために』を出版し、共和政の広がる世界を夢見たカントは、19世紀を通じて裏切られ続けることになる。まずはフランス革命自体が暴政化してナポレオンの独裁に転じてしまい、平等な徴兵制からなるフランスの国民軍がヨーロッパ全土に攻めこんでいくことで平和が壊れるという事態が出現した。
<カント2.0>
・では、カントを現代に応用するとすれば、どのように再解釈できるのか。そして、その場合に国家の多層的な平和のための努力はどこまで進んでおり、課題は何か、という具体的な問いについて考えてみたい。カントの確定条項と予備条項をもう一度振り返ろう。
確定条項
(Ⅰ)国家を法の支配に服する自由で平等な市民による共和制とし
(Ⅱ)その国家の連合制度としての国際法を重視したうえで
(Ⅲ)世界市民法により外国人にも安全と入国の自由など最低限の権利を認めること
予備条項
(1) 休戦に過ぎない協定は平和条約と見なさない
(2) 独立国家の継承・交換・買収・贈与を禁止する
(3) 常備軍を時とともに全廃する
(4) 対外紛争に関わる国債発行を禁止する
(5) 暴力による内政干渉を禁止する
(6) 戦時における各種の秘密工作や条約違反を禁止する
・前述の平和のための5次元論で洗い出した課題に、「カント2.0」をふたたび照らし合わせると、次のように三つの現代的な課題が見つかる。
(1)民主主義の判断を健全にし、国民が武力行使を自制するようなコスト負担共有のメカニズムがあるか(第3次元の課題)
(2)国際法を遵守しつつも平和構築活動を行うため、「正しい戦争」の概念を、現代的かつ抑制的に定義できているか(第2次元~第4次元にかかわる課題)
(3)グローバル化を引き続き進めていくうえで、国内の反発に対応しなければならない国民国家の求心力が減退していないか(第5次元の課題)。
・したがって、「カント2.0」の命題に則り、かつ先に示した5次元論に沿って民主主義を平和に導くための喫緊の課題というものが特定できる。ごくシンプルに表現すれば、正しい戦争を再定義し、民主国家における負担共有を実現して、国民国家を強化するということになろう。
<カント2.0のための予備条項>
・つづいて、予備条項の再定義に戻ろう。予備条項の中で明確に満たされていないのが、先に述べた通り、戦時国債の禁止と常備軍の段階的廃止である。とはいえ、主権国家から国債の発行権を奪うことはできないから、こちらを禁ずることは無理だろう。ただし、民主主義国家が自らの体力以上の戦争を始めないようにするため、戦争のコストを「見える化」することには大きな効果がある。
<誰が「血のコスト」を負担するのか>
・戦争のコストには大別して「経済的コスト」と「血のコスト」の二つがある。経済的コストは、ときに政権の甘い見積もりや情報隠しなどによって見えにくくなることがあるものの、比較的話題に上りやすいコストといえる。それに比べると、負担の実感が出にくいのが血のコストである。本書では、歴史から兵士の実情を採ることで、血のコスト負担が偏在してきたことを明らかにして、議論の土台としたい。
<歴史的な政軍民関係>
<見えにくい兵士>
・戦争で血を流すのは誰か。巻き添えとなる一般市民の被害者ではなく、兵士に着目して、彼らにシンパシーを抱きつつ、この問いを探ろうとする試みは少ない。
軍事研究の先端は勝利をめぐる戦略や戦術であって、必ずしも兵士の物語ではない。逆に、平和研究の観点からすれば、国家が国民を駆り出すこと自体が非難されるべきことであり、その先にある兵士が蒙る被害に着目する視点は乏しい。さらにどのような戦争でも間違っているという立場をとる平和主義者にとっては、良い兵士とはすなわち悔い改めて反戦に転じた兵士だけだ、としたら言い過ぎだろうか。
・つまり、軍事研究の立場を取れば、兵士は守るべき国民ではなく戦争の道具であり、平和研究の立場からすれば自ら志願する兵士は理解しがたい異質な存在なのである。
・要するに、血のコストが見えにくいのは、国民から兵士の存在が見えにくいからなのである。
<守護者としての政治家と軍人>
・私たちが政府と軍と国民の関係性を考えるとき、つい、現代の先進国における実状を投影してしまいがちだ。しかし、今の政軍民の三角関係は、歴史上のさまざまな変化を経て、ここに落ち着いたものである。
<羊と羊飼いと犬と狼と>
・ソクラテスやプラトンは、国の「守護者」集団を、知識を有する統治者とその補助者としての軍人とに分け、統治者(羊飼い)が市民(羊)を治め、軍人(犬)が内外の敵(狼)から市民を守ることを理想とした。
<都市共同体から帝国、軍の辺境化へ>
・時は移り、地中海世界を支配するようになったのはローマだった。ローマというのは面白い素材で、その栄枯盛衰を見ることで、さまざまなことを学べる人類にとっての遺産である。政軍関係についても例外ではない。
ローマでは、統治者と軍、市民の関係がギリシャの都市国家よりも大規模に展開した。
<スイス>
<中立を可能にする条件>
・スイスは最もよく知られた永世中立国だろう。この国もスウェーデンと同じく非同盟と徴兵を用いた重武装に立脚して自律性を守ってきた。スウェーデンは志願兵と選抜徴兵からなる常備軍のほかにおよそ2万1千人の国土防衛の民兵を擁しているが、スイスはさらに極端な政策をとっている。文字通り男子国民皆兵の制度を維持しているのだ。18歳に到達すると、男子は11週間の軍事教練を課され、以後34歳まで、1年に1回の短期訓練に戻る。
・現存する徴兵制の中では、スイスの国民皆兵制度が、辞書的な意味での「民兵」――常備兵に対して、平時は一般の職業に従事しながら定期的に軍事訓練を受け、有事の際に部隊を形成する兵のこと――に最も近い制度といえるかもしれない。そのような極端なまでに国民の間に国防意識を高める一方で、政治はあくまでも地方分権であり、現在は26のカントン(地方行政区)ごとに高度な自治を行っている。連邦政府は、2018年時点でコンパクトな約2万1千人規模のプロの現役将兵からなる陸空軍を保有し、司令、防空と国境の防衛に努めている。国民皆兵制の下で軍に組み込まれた約14万4千人の予備役と、7万4千人ほどの民間防衛部隊がその軍を支える。中立国とはいえ、もしも敵に防空網が破られ国境内に侵入されたならば、スイス国民は全土でその敵に応戦するものとされる。第2次世界大戦中に、スイスは中立を保ったが、国境警戒のため85万人の国民が軍に組みこまれた。
・もちろん、どの国でもスイスのようになれるわけではない。スウェーデンが北欧の厳しい自然条件に守られているように、スイスも自然の要塞に囲まれ、地理的特徴が永世中立を保つことに味方している。また、もっと赤裸々な現実もある。つまり第2次世界大戦中にスイスが中立国としての地位を維持できたのは、双方の陣営にとって便利な、とくにナチスドイツにとっては最も価値のある、都合の良い商売相手だったからに他ならない。
<戦わない徴兵制>
・これまで、スイスでは徴兵制の存続の是非をめぐる国民投票が三度行われている。毎回、圧倒的多数で存続が支持されており、国民からの強い支持が窺える。
・そのようにして、1996年、ついにスイスはNATOとのパートナーシップ協定に加入する。スイスは、ヨーロッパや世界に冷戦期のような敵対関係が生じていなければ、NATOの多国籍軍に参加しても中立を損なうことにはならないと考えたのである。
<移民を統合しない国家>
・さて、イスラエルとスウェーデンの例で見てきたように、先進民主国家において共和国性を損ないかねない重大な論点は、一つは軍務負担の共有のあり方であり、もう一つは移民の受け入れとその扱いであった。
スイスは、およそ840万人の人口を擁し、約218万人の外国人を受け入れている。
・スイスは移民に恩恵をあまり与えず、国民と移民の峻別を堅牢なものとする一方で、先進国では稀にみる厳格な国民皆兵制度を維持し、国民の統合を強化している。そして自国との利害関係の薄い域外紛争には無関心を貫き、最小限のリスクとコストしか負担しようとしない「自国民第一」の国家のあり方を続けている。それは孤立主義に流れがちな多くの日本人にとって、親和性の高いモデルかもしれない。しかし、スイスの人口は日本の15分の1以下である。
<各国の経験に何を学ぶのか>
<戦う徴兵制の経験>
・イスラエルは、韓国と同様、先進国でありながら高い安全保障上の脅威に直面し続ける国家である。韓国と異なるのは、初めから民主制が敷かれ、上からの強制的な動員ではなく、自警団を基礎に持つプロフェッショナルな革命軍を組織していたことだ。ジェノサイドの生き残りを受け入れ、貧しさの中で国家建設をスタートしたイスラエルにおいては、国民の負担共有が初めから当然に想定されている。
・最近では、イスラエルでもっとも意欲的に徴兵に応じる層が、主流派のアシュケナージムから宗教右派へと変わりつつある。宗教右派は、植民地戦争とも受け取られかねないような、占領地の拡大とその防衛を主張する。それに対するまっとうな反対意見は存在するが、それが軍全体の声として強く押し出されるためには、プロの軍人よりも社会と多様な接点を持ち、広い視野から柔軟な思考ができる予備役将校のプレゼンスが確保されていなければならない。
<象徴的な負担共有と理想>
・そして、安全保障上の高い脅威には晒されていないが、PKOなどの軍事的な国際貢献を行うヨーロッパの国々の経験も見てきた。徴兵制度は(よほど人口が足りないのでない限り)ほとんどの場合、軍事上の必要性はない。実際、第3次世界大戦に備えざるを得なかった冷戦時代が終結すると、もともと空洞化しつつあった徴兵制度はヨーロッパの多くの国で縮小や廃止の方向に向かう。
・スイスの徴兵制は、天然の要塞のような地形や独特な金融戦略上の位置づけに下支えされている。スイスは移民を多く受け入れながらも、決して彼らを「国民」として包摂しようとしない。スイスでは、スイス国民か外国人かの違いは明確であり、徴兵制が義務付けられているのは現在でもスイス人男子だけである。果たして、このような「自国民第一」主義を、この先、日本のロールモデルにすべきなのか、あるいは反面教師とすべきなのか、私たちはよく考えなければならない。
・ノルウェーの徴兵制は、少ない人口と油田のもたらす圧倒的な富に下支えされ、また同国伝統の男女平等運動のエネルギーを推進力としたものである。
・いずれにせよ、世界が今、実効的な安全保障、健全な民主主義、すべての階層に望まれるグローバリゼーションの三つを同時に成り立たせるための新たな解を必要としていることは確かである。私たちは思考停止してはならない。
<国民国家を土台として>
・平和の実現という課題を突き詰めて考えていくと、その最たる問題は、国家に、国際政治構造上にも国内政治構造上も戦争をする権限があるという一点に行き着く。このことは、「人間団体に、正当な暴力行使という特殊な手段が握られているという事実、これが政治に関するすべての倫理問題をまさに特殊なものたらしめた条件なのである」とし、政治における特殊な倫理の問題を直言したマックス・ヴェ―バーの指摘と呼応している。
・変化に対応する変革の時代には、常に「保守的な変革者」と「革新的な変革者」がいる。本書で言えば、常備軍の処遇改善を選ぶのが前者であり、徴兵制による血のコストの負担共有を選ぶのは、後者の中でも最も革新的な部類ということになる。
・本書を国際政治学者の「机上の空論」として切って捨てることは簡単だろう。理論とはそもそもそのような性格を持っているものだ。
『矛盾だらけの日本の安全保障』
「専守防衛」で日本は守れない
冨澤暉・田原総一朗 海竜社 2016/8/7
<「二世帯住宅のたとえ」から見えてくる日本の安全保障の現状>
・(冨澤)弟の私(日本)は二階に住んでいて、一階には頼りになる兄貴(アメリカ)が住んでいる。財力もあり、めっぽう腕っ節の強い兄貴と比べると、弟のほうは腕力に自信がない。
<町内の平和のための「夜回り」に参加できない日本>
・(冨澤)ただ、このままでは兄貴としても面白くないし、弟なのに何もやらないというのでは問題だから、兄貴の家に強盗が入ったときは、やはり助けに行って少しぐらいは兄貴の手伝いをしたほうがいい。夜回りについても、お金やお弁当を出して終わりにしないで、みんなと一緒にパトロールに出る、「カチカチ火の用心」をみんなと一緒になってやる。そういうことが必要ではないかというのが私の基本的な考え方です。
<戦後日本は一国平和主義にどっぷりと浸かっていた>
・(冨澤)もちろん兄貴に対しては、日本に普通は置かせないようなアメリカ軍の基地を置かせているので、それなりの代償は払っています。
<日本にとって実に都合のいい日米安保条約>
(冨澤) 一言で言えば、アメリカは世界の秩序を守るためにリーダーとして関わっていきたい。そのための米軍基地だというのです。
(田原) 日米安保条約が岸信介総理の手で改定されたときは東西冷戦のさなかでした。アメリカを中心にした西側とソ連を中心にした東側が鋭く対立して、もしも核兵器がなかったら戦争になっていたかもしれません。そういう厳しい対立状況があった。となると、日本を守るという形はとっていても、実際は日本を守るのではなくて、西側陣営の東アジアを守るのがアメリカの狙いだった。
・(冨澤)その代わり、核戦争という破滅的な戦争は起きないけれども、ブロック同士での小競り合いは起こる。そういう局地的な紛争が起こったとき、それに対処するための基地として日本、ドイツ、イタリア、もちろん戦勝国のイギリスにもありますが、世界のいろいろなところに基地を置いたのです。そういった事情があるので、日本人が「日本を守ってくれるために在日米軍基地がある」と考えたのは、大いなる誤解です。
<「専守防衛」は国際的にも軍事的にも通用しない>
・(田原)ところで、冨澤さんは専守防衛という政策を批判していますね。僕らも含めて、日本人の多くが「専守防衛」を日本の安全保障の基本的概念だと思っているなかで、こんな言葉は世界に通用しないとおっしゃっている。改めて詳しく聞かせていただけますか。
(冨澤)専守防衛というのは、こちらから攻撃しないで守りに徹することです。だけで、私ども軍事を勉強してきた者にとって、そういうのはあり得ないのです。
・(冨澤)あらゆるところから飛んでくるミサイルを全て叩き落とすのは不可能です。3万キロの正面を守ることはとてもできない。そういう技術はまだないし、仮に技術ができたとしても、3万キロの正面全部でそれをやるには、それこそ天文学的なお金がかかります。
そんなことは、日本はもちろん中国だってアメリカだってできません。どんな国でもできない。そういうことを「専守防衛」と称して、これが日本の防衛政策だと宣言してしまったのです。
・(冨澤)戦略守勢とは攻勢に対する守勢です。ところが、中曽根さんは張り切って日本で最初の『防衛白書』(昭和45年版)を刊行するのですが、その時に、これは中曽根さんが発想したわけではなく航空自衛隊の1佐と聞いています。具体的に誰とは知りませんが、その自衛官が「戦略守勢といっても、ちょっと言葉が難しい。専守防衛と言ったらみんなにわかるだろう」と言って、専ら守る防衛だ、それでいいだろうということで専守防衛になったそうです。それを日本の防衛政策として定めたのです。
・(冨澤)日本の防衛政策としては、当時はもう「国防の基本方針」ができていました。これは1957年に岸内閣がつくったものですが、専守防衛はその基本方針とは別なのです。
「国防の基本方針」には専守防衛という言葉も概念も出てきません。それなのに、後になって非核三原則などと一緒に日本の防衛政策として定めてしまった。それがいまだに生きています。
(冨澤)守るだけで攻めなかったら相手にダメージを与えられない。それと同じで、専守防衛というのは、自衛官や軍人から見ると成り立たないものなのです。
・(田原) それと、専守防衛でいくと、いきなり本土決戦ということになりませんか。
<日本は敵基地攻撃能力を持つべきか>
・(冨澤)ボクシングをやってもわかるように、一方で守って一方で殴る。両方なければ戦えませんよ。それを「守りに徹しなさい」と言うこと自体、極めて不合理だという感じを我々は持っています。
<自衛隊は軍隊なのか、警察の延長なのか>
・(冨澤)前身の警察予備隊は警察の延長でしたが、自衛隊になったとき、個別的自衛は明確に認めたわけです。憲法学者のなかには、いまだに認めていないと言う人もいますが、自衛隊は個別的自衛で武力行使ができる。この点が警察と決定的に違うところです。
<武器を使ってもいいが、人に危害を与えてはならない ⁉>
・(冨澤)面白いのは、主語が自衛官になっていることです。「自衛官は………武器を使用することができる」と書いてあります。主語が自衛隊という組織ではないのです。
それから同条には、次に正当防衛・緊急避難という要件が出てきて、その要件に該当する場合を除いて「人に危害を与えてはならない」と明確に書いてあります。つまり、武器等を守る任務を与えられた自衛官が敵に遭遇したとして、敵が武器に弾薬を奪いにきたら任務遂行のために射撃をしてもいいのですが、相手に危害を与えてはいけない。自分が撃たれたときは打ち返してもいい。
<自衛隊は奇襲攻撃を撃退できるか>
・(冨澤)ならば指揮官の責任かというと、これは非常に難しい。日本の場合、判断基準は国際法ではないからです。あくまで国内刑法によって裁くので、個人の責任が問われる可能性があります。安倍内閣の安全保障法制は、その点が曖昧なまま残されているところに一つの問題があると私は思っています。だけど、そんなことを兵隊さんの責任にはさせないと信じたいですね。たぶんさせないでしょう。
・(冨澤)ただし、これ(外国の軍隊を守ること)は集団的自衛権とは関係はありません。集団的自衛権とはまた別の話なのですが、とにかく自衛隊は今まで非常に不思議な軍隊だったのです。
<同じ自衛隊ですら指揮系統が違えば守れなかった>
・(冨澤)防衛出動が命令されていれば別ですよ。防衛出動命令が出た後ならできますが、そうでない場合はグレーゾーンの問題です。グレーゾーンの状態では武器等防護で武器を使用することはできます。ただし、指揮系列が違えば、もう守れない。
<「平和安全法制」でアメリカの艦船も守れるようになる>
・(冨澤)アメリカにいろいろ聞いたところ、一緒に訓練している場合は一つのユニットと考えるそうです。彼らは「ユニット・セルフ・ディフェンス」と呼んでいて、共同訓練をしている場合、どこかの艦が撃たれたら、指揮系列の違う別の艦が撃ち返すというようなことは普通にやっているそうです。それで今回、そのやり方を取り入れて、日本でもできるようにしました。つまり、武器等防護の対象を拡大したわけです。自衛隊の艦船がアメリカ海軍の艦船と一緒に行動しているのであれば、アメリカ海軍の艦船も守れるようにしました。
<「基盤的防衛力構想」とは、防衛力の存在を示すこと>
・(冨澤)ただ、仮想敵国をつくらないと言っても、あの当時、つまり1970年代に日本に攻めてくるだけの能力を持っているのはソ連しかなかったのです。
<仮想敵国がない状態で防衛力を整備するのは難しいか>
・(冨澤)つまり、防衛力整備には時間がかかるわけです。一朝一夕にできるものではない。装備品を開発するのにも時間がかかるし、特にいちばん大変なのは人間をつくることです。
<米ソの戦争は起きないが、小規模限定武力侵攻はあり得る>
・(冨澤)基盤的防衛力ではあるけれども、具体的な想定が何もなければ演習一つまともにできないので、小規模限定武力侵攻に耐えるようなものであって、将来、大きな戦いになったときにはエクスパンドできる、拡張できるものにする。妥協の結果、そういう考え方に落ち着きました。
<福田赳夫首相の後押しで始まった有事の作戦研究>
・(冨澤)ところが1978年に来栖さんの事件が起きて、現に在日米軍がいて日米安保体制があるのだから、日米で共同訓練をして共同作戦計画をつくろうじゃないか、という話になった。どういう敵を設定し、その敵が侵攻してきたときに米軍が何をして日本軍が何をするか。日本軍の中で陸・海・空三自衛隊はどういう役割分担をするか。そういったことをこのとき、さんざん議論しました。随分と揉めましたけどね。それは福田赳夫総理が大事だと言ってくれたからできたのです。
<ソ連潜水艦を日本海に封じ込めよ――ノルディック・アナロジー>
・(田原) 中曽根さんが言った三海峡封鎖だ。
(冨澤) まさにそこが大事なところで、バルト海の場合と同様、海峡を押さえてやればソ連はアメリカと戦争できません。米ソが戦争しなければ、日本も戦争をしないで済む。ごく簡単に言えば、そういう考え方です。
<アメリカ1人勝ちで問題になった「同盟のジレンマ」>
・(冨澤) その問題が起きたとき、私は言ったのです。「配当というのは資本金を出した人がもらうものであって、日本は基盤的防衛力でやってきた。特定のことのために資本金を出していないのだから、平和の配当の予知はない」と。
<冷戦後初の「大綱」にアメリカからクレームがつく>
・(冨澤) アメリカのクレームというのは国防省あたりからきたのです。私はそんなに中枢にはいませんでしたから詳しいことはわかりませんが、当時の防衛事務次官、畠山蕃さんが私に「冨澤さん、アメリカからクレームがついちゃって。今度の大綱にはアメリカのことがあまり書いていない、おかしいじゃないかと。我々としてはアメリカに頼るのは当然なのですが、何か誤解しているようですね」と言ってきた。
(田原)国連、国連と言い過ぎている。
・(冨澤)2003年12月に石破さんがリードして弾道ミサイル防衛の導入を閣議決定します。しかし、防衛力整備のあり方をめぐって相当大きな議論になりました。ミサイルを入れるのはいいけれども、値段がものすごく高い。PAC-3の有効射程はたった25キロしかないし、必ず当たるというわけでもない。そんなものをたくさん買ってどうするんだという反論もかなりあったのを、石破さんが抑え込みました。
<菅直人内閣の「二二大綱」は「基盤的防衛力は全部消せ!」>
・(冨澤) ええ。減らされました。私は、それは理屈に合わないと言ったのです。減らされたのはお金がないからです。ミサイル防衛をやるためには財源が必要ですね。防衛費の総額は毎年、だいたい決まっているので増やすとしてもそんなには増やせない。
<湾岸戦争時、国連の集団安全保障に参加できなかった日本>
<湾岸戦争に自衛隊を派遣せず、130億ドルでごまかした日本>
<感謝どころか馬鹿にされた日本>
・(冨澤)その愛知さんが、「あれだけのお金を、多国籍軍が平等に使うのならいいんだけど、ほとんどアメリカだけで使ってしまった」と言って不満げでした。そういうところは問題だと思いますが、アメリカのあの行動そのものはまさに集団安全保障で見事だったと思います。日本はその本質を見抜けずにお金でごまかしてしまった。
(田原) クウェートがアメリカの新聞に感謝広告を出しました。ところが名前の挙がった世界30カ国のなかに日本は入っていなかった。
(冨澤) そうなんです。入っていなかった。
(田原) 日本は馬鹿にされた。これがトラウマになって……。
(冨澤)トラウマですよ。当時の為替レートで1兆7000億円ですから。
<シンセキ、パウエルの進言を無視して失敗したイラク戦争>
・(冨澤) そういう意見もあったということです。ネオコンの考え方も、今はおかしいということになっていますが、当時は力を持っていました。ブッシュ自身、「日本を占領したら日本は立派な国になった。フセインを倒せばイラクも立派な民主主義国になる」などと言っていました。日本とイラクでは歴史的な背景が全然違うのですから、「そんなの、なりっこないじゃないか」と私は今でも思うし、あの当時も思いましたけど、そういう理論がネオコンのなかにあったのでしょうね。
<「湾岸戦争のような戦争には参加しない」(安倍首相)でいいのか?>
・(田原) 集団的自衛権の行使は条件付きでOKだけど、武力行使を伴う集団安全保障には参加してはいけない。
(冨澤) 私個人は、それはおかしいと思っています。集団的自衛権と集団安全保障では、武力行使の意味が全然違うのです。
<国連の集団安全保障は権利ではなく義務である>
・(冨澤)集団的自衛権というのは、その名が示す通り、国家の自衛権、つまり権利です。一方、集団安全保障は国連加盟国にとっての義務だと考えられます。
・集団安全保障が国連加盟国の義務だとすると、日本は国連に加盟したわけですから、田原さんがおっしゃるように、加盟国の義務を果たさないのはおかしなことですね。憲法上、武力行使ができないというのも理屈に合いません。それならなぜ国連に加盟したんだという話になる。もともと国連ができたとき、これからがすべて集団安全保障でやろうという理想がありました。それぞれの国が独自の判断で武力行使をするのはもうやめようということです。
<国連の制裁が間に合わないときは、自衛権は行使してよい>
・(冨澤)NATOというのは、国連憲章に言う地域的取り決めなのです。地域的取り決めとは、先ほど申し上げたように、当初は武力行使を認められていなかった。あくまで話し合いとか経済制裁ぐらいにとどめて、それで解決しない場合に最後の手段として国連安保理が武力制裁を決議し、加盟国が一致結束してその制裁を実行する。そうなっていたのが、「間に合わないときはどうするのか」という不安の声が出て、そこで初めて集団的自衛権が国連憲章に入ったのです。
・日本では集団的自衛権にばかり焦点が当たっていますが、それでは物事の一面しか見ていないことになります。私に言わせれば、集団的自衛権よりも、集団安全保障のほうがはるかに重要性が高いのです。
<集団的自衛権の解釈変更に大騒ぎする愚>
<集団的自衛権はイギリスの「妻子等の自衛」に由来する>
・(冨澤)では、集団的自衛権とは何かというと、これが非常に面白くて、大本はイギリスの「妻子等の自衛」という慣習法なのです。
・「妻子等」の「等」には、執事(バトラー)など近しい関係の人も含めるそうですが、イギリスでは、自分以外の人間をこの「妻子等」と「見知らぬ他人」に二分するのです。そして、たとえば電車に乗っているときに私と一緒にいる「妻子等」が襲われたら、「妻子等」は私と一心同体であるとみなして、私がやり返してもいいことになっています。
・また、電車の中で見知らぬ他人が誰かに襲われたときは、同じ電車に乗っている人たちがみんなで立ち上がってその暴漢を懲らしめなければいけないということになっています。こちらは「犯罪の防止」と呼ばれています。
どちらもイギリスで長い時間をかけて出来上がった慣習的なルールです。
このうち、前者の「妻子等の自衛」は変じて集団的自衛権になり、後者の「犯罪の防止」が集団安全保障になったといわれています。国連憲章は英米法で書かれていますから、イギリスの慣習に由来するルールが国連憲章に反映されるのはごく自然なことですね。
・国連憲章では、武力行使は国連軍がすることになっています。国連軍はいろいろな国の軍隊を一つに束ねてつくるわけですが、仮にそういうものができたとして、その国連軍はヨーロッパに置かれるだろうというのが当時のイメージでした。戦前、国際連盟の本部があったのはスイスのジュネーブです。
・この51条が入ったことで、地域的取り決めにおいて、国と国とがお互いに集団的自衛権を行使し合うという形で同盟を結ぶことができるようになりました。その代表的な例がNATOです。
・ところが、面白いというか不思議なことに、NATOではこの集団的自衛権の行使によって行われる行動を「自衛」とは呼ばないのです。なぜか「共同防衛」と呼んで、自衛という言葉を外しています。第5条も、見出しは「武力攻撃に対する共同防衛」となっています。
・(冨澤)集団的自衛権を考える上でもう一つのポイントは、要請があるかどうかです。
(田原)攻撃されたら国が助けを求める?
(冨澤)ええ。武力攻撃された国が要請した場合に限り、要請を受けた国は権利を行使できます。要請がないのに助けに行っても、それは集団的自衛権の行使とは認められない。
『自衛隊の弱点: 9条を変えても、この国は守れない』
飯柴智亮 集英社インターナショナル 2018/8/24
日報管理すらできない「軍隊」に、核を持つ資格はない。
「冷戦期の遺物」、陸自は解散せよ。
「国家指針は米国任せ」という思考停止。
軍法会議がない軍隊ほど危険なものはない。
日米安保は即時解消せよ。NATOと「第2の日英同盟」を結ぶべし。
動乱アジア――日本は生き残れるか。
<一生を決めた映画>
――ここからはしばらく飯柴大尉がどうして米軍に入られたのかをお聞きしたいと思っていますが、大尉のお父上はかなり偉い方で、相当に厳しかったとお聞きしています。
(飯柴)親父は、東大在学時に国家上級職公務員試験と司法試験を同時に受験し、両方とも合格して、警察庁に入った人です。エリート幹部として出世コースを驀進して、暴力団対策のトップとして、活躍していました。
――超インテリで、しかもマル暴の総元締めだ。そりゃおっかいないですね。
(飯柴)当然、家ではスパルタ教育です。私も小さい頃から、警察剣道をやらされてましたね。で、剣道大会に出場すると表彰状を渡すのがうちの親父で………(笑)。
――嬉しいものなんですか、それは?
(飯柴)なんか微妙な感じなんですね。そのときの記念写真があるんですが、自分、ちっとも嬉しそうな顔をしていないんですよ。
――そのきっかけになったのが小学生のときに観た映画『ランボー』(1作目)だった。
(飯柴)親父とは一度も一緒に映画に行ったことはないです。そういう人じゃないんで。たまたま、親戚のお兄ちゃんと観たのが『ランボー』で、そこで人生の進路が決まってしまいました。今の自分の原点は間違いなく『ランボー』ですね。
<同級生は将校殿>
――大学を卒業して、すぐに将校に任官ですか?
(飯柴)いいえ、グリーンカード(永住許可証)だけは取得できましたが、その後、民間人は5年、軍人は3年経過しないと、市民権(国籍)の申請ができませんでした(当時の法律、現在では法律が変わり、永住権保持者は入隊した瞬間に、国籍の申請が可能)。市民権がなければ将官になることはできません。
だから、同級生は皆、すぐに将校になりましたが、自分は、2等兵からです。
――空挺部隊といえば、日本の自衛隊でも最精鋭部隊とされています。
(飯柴)米軍でも同じです。しかも、フォートブラッグは「空挺部隊の故郷」とも呼ばれるくらいで、米軍の空挺部隊の中でも最も精強とされています。基地内で空挺資格を持ってないやつはほとんどいませんでした。また、世界各国の軍隊で、精鋭部隊とは空挺部隊であり、空挺部隊とは精鋭部隊です。米陸軍特殊部隊(グリーンベレー)も海軍のシール(SEAL)チームも、その他すべての特殊部隊と呼ばれる部隊は、すべてが空挺部隊です。その証拠に部隊記号にかならず「AIRBORNE」(空挺降下可能)と入っています。
――エリート中のエリートですね。
(飯柴)空挺部隊に入るためには空挺降下資格が必要です。アメリカで唯一、空挺資格が取れるのはフォートべニングにある空挺学校です。ここでのトレーニングをこなして落下傘徽章をもらわないと空挺部隊には入れないんです。
82空挺では第505空挺歩兵連隊に配属になりました。第2次世界大戦中の「マーケット・ガーデン作戦」などでも戦闘降下した米陸軍内でも伝統と名誉のある部隊です。
<アフガニスタンへ>
――体温が下がった、つまり死んだということですね。
(飯柴)お断りをしておくと、50口径の重機関銃はあまりにも強力なので国際法上、人間への射撃は禁止されています。あくまでも「アンチマテリアル」、つまり対物射撃にしか使ってはいけません。
――人を撃っちゃダメではないですか。
(飯柴)いや、アメリカ軍の公式見解ではこれは国際法をクリアしているんです。というのも、私が狙ったのは敵が着ている装備品(衣服やブーツ)なので、アンチマテリアルなんです。
――はっきり言って屁理屈ですね。
(飯柴)私もそう思いますが、屁理屈でも理屈が通っている以上、これは合法なんです。
――平和ボケした日本人にも想像をつかない戦場の現実ですね。近接戦闘はありましたか?
(飯柴)村のパトロール中に現地の住民から通報を受けて、敵が潜伏していると思われる家屋に突撃したことがあります。
すると家の中で髭面のアフガン戦士がRPG-7を構えて、自分を狙っていましたね。こちらから敵兵の懐に飛び込んで、M4カービンの銃身の先で、鳩尾(みぞおち)を突いて、左手で相手の身体を掴んで、地面に転がしました。対戦車ロケット砲を奪って、身体検査したらAK-47に装着する銃剣、ナイフを隠し持っていましたね。
<ようやく将校に>
――アフガニスタンからいつ、帰還されたんですか?
(飯柴)2003年の6月に帰ってきました。半年で帰還することになったのは、911の前に提出していた士官訓練の申請がようやく受理されたからです。
<「山桜」で見た自衛隊の素顔>
――第1軍団は太平洋地域が担当だから、当然、日米共同演習、米韓合同軍事演習などにも参加するわけですね。自衛隊を米軍将校から見て、どうだったんですか?
(飯柴)一言で言うと、かわいそうだなと思いました。これは後で詳しく話しますが、我々の目から見ると、自衛隊は冷戦時代から少しも変化していない。米軍に追いつこうという意思はあっても、国家指針がないのでどれも行き当たりばったり、あっち行ってフラフラ、こっち行ってフラフラ、でしかない。だから見ていると、とんちんかんなことばかりなんですよ。
――その自衛隊の「とんちんかんぶり」をぜひお聞きしたいというのが、この本の主題であるわけですが、その前に、今、「進化」という言葉が出ました。日本の自衛隊は少しも進化していないと。ということは、アメリカ軍はつねに進化し続けているわけですね。
(飯柴)ことに911以後のアメリカ軍の進化はすごいです。アフガニスタン、イラクと実戦体験を積んだことで、これまで以上にアメリカ軍は強くなっています。
<変化、進化する米軍>
――日本の自衛隊も外地にPKO任務に出ていますが、それを教訓にしているんでしょうか。
(飯柴)それはまったく期待できないですね。そもそも日本政府はPKOでは戦闘なんか起きない、遭遇しないと言っているわけでしょう?何も経験していないというのだったら、変化が起きるはずもないでしょう。とにかく、意味のない伝統にこだわる日本と、質と量の両面で高速の進化を遂げる米軍との差に驚かされました。
<リーダー不在の「軍隊」は敗れる>
<総理大臣こそ自衛隊の弱点>
――では、本論に戻って、自衛隊の弱点についてお話し願います。どこから手を付けていきますか?
(飯柴)国家指針のない日本政府のトップ、内閣総理大臣の問題からいきましょう。
――総理大臣の存在が「自衛隊の弱点」なんですか?
(飯柴)残念ながらそうです。それが最もよく現れたのは311、東日本大震災のときでした。小峯さん、あのときに菅直人首相はどうしていましたか?
――それについては自分は言いたいことがたくさんあります。そもそも震災翌日の朝、菅首相は陸自のヘリコプターで福島第一原発、そして三陸沿岸部の被災地を視察しました。それを褒める人がいるかもしれませんが、軍オタの自分から見れば「最高指揮官が何をやっているんだ?」という印象しかなかったです。
(飯柴)まったく小峯さんと同感ですね。あれはパフォーマンスでしかない。あの大震災直後の現場ですから、すべては一刻を争う。現地では首相への対応なんかしている暇なんかありません。むしろ迷惑です。
――「自衛隊の弱点その1」は、上官がダメということですね。しかも総司令官の日本国首相までがダメなんだ。
(飯柴)いくら立派な装備があって、兵士を訓練しても、上官がダメならば部下はついてきませんよ。
<猿真似ばかりの日本>
<だいたい外敵を日本に上陸させた時点で日本の防衛は終わっていますよ>
(飯柴)高い調達価格ということでいうと、空自のグローバルホークもアメリカの言いなり、ぼったくりで買わされていますね。
――大型の無人偵察機グローバルホークは、最初に導入が決まったときには3機で510億円という見積もりでした。ところが後になってアメリカは「日本向けの製造に追加費用がかかる」と言いだして、510億円が630億円になりました。搭載レーダーの在庫がないので代替品を作るからカネがかかるんだそうです。
(飯柴)ふざけた言い分ですよね。そもそも在庫がないのは契約の時点で分かっているはずでしょう。
――しかも、これとは別にメンテナンスの費用として毎年100億円を支払うことになっているらしいです。そこにはグローバルホークが配備される三沢基地に駐在するアメリカ人技術者40人の生活費として30億円が含まれているという報道があります。
(飯柴)ひとりあたりの生活費が1年間で7500万円!いったい何に使うんですか。馬鹿げた話ですよ。
――さすがにこれは導入中止を検討しているともいわていれます。
・(飯柴)敵が数十キロ圏内にいないと役に立たないわけですよね。敵国が日本の沿岸数十キロ以内に迫っているとしたら、それはもはや制空権と制海権を奪われた状態だと考えるのが常識です。MLRSは発射する前に潰されてしまうでしょう。しかもMLRSは陸上の標的に向けて撃つもので、海上の標的に撃つものではありません。国土防衛という観点で考えたらまったくの無用の長物です。
<住民はどこに消えた?>
(飯柴)ところで、さっきの図に重要な要素が欠けていることに気付きましたか?
――うーん、分かりません。
(飯柴)それは住民です。この国のどこにも住民の存在が書かれていませんよね。
――敵に皆殺しになっているということですか?
(飯柴)まさか! これは山桜でもそうですが、そもそも住民がいるということを考えてはいけないんです。
――狭い日本だから敵がどこに上陸しようとも、かならず住民がいます。その人たちは想定される戦場からできるかぎり離れようと家財を積んで逃げるはずだから、国道や高速道は渋滞になっちゃいますよね。そのあたりは、演習で検討しないんですか?
(飯柴)私の記憶するかぎり、そうした要素は演習から省かれていましたね?
――作家の司馬遼太郎先生は戦争末期、戦車隊の小隊長として栃木県佐野市におられたそうです。そのとき、アメリカ軍が上陸したら佐野から東京に出撃すると聞いた司馬さんは若い将校に「そうなれば市民は大混乱になりますが、どうすればいいですか」と聞いたところ、一言「ひき殺していく」と答えたそうです。このときに感じた、「日本人はどうしてこんな馬鹿になったのだろう」という疑問が後の創作活動の原点になったそうですが、そのときと変わっていませんね。
<本土決戦は愚の骨頂>
――話を戻しましょう。山桜演習で行なわれている本土防衛プランというのは、まったくの机上の空論だというのは分かりました。そもそも本土に敵が上陸した時点でゲームオーバーだというのが飯柴大尉のご指摘でした。
(飯柴)極論に聞こえるかもしれませんが、自分は陸上自衛隊不要論で考えています。陸自の大前提は本土防衛ですが、その本土防衛という目的を達成するには戦車をどれだけ持つかよりも、空自や海自に制空権、制海権を守ってもらいことが必須です。制空権、制海権が奪われて、上陸作戦を行なわれたら結果は火を見るより明らかですよ。
<離島奪回には揚陸作戦は不要>
(飯柴)そもそも海兵隊というのは外征専門部隊です。ご承知のとおり、海兵隊が創立されたのは敵国の海岸に上陸強襲するためです。今では航空機で敵地の奥深くに入るということのほうが多いわけですが、外征部隊である基本は変わりません。現状では憲法9条という縛りがある以上に、外征などありえない自衛隊がどうして日本版海兵隊をつくるのか、理解に苦しみます。
・(飯柴)自衛隊を活躍させたいんだったら、まず敵機や敵の艦艇、潜水艦が離島に近づいてきた段階ですみやかに撃退させればいいだけのことです。仮にそこで撃退できなくて上陸を許したとすれば、これは離島防衛作戦の失敗を意味します。そうじゃないですか?
<ミサイル撃墜よりも先制攻撃>
(飯柴)とりあえず、対ロシア、対北朝鮮、対中国――この3つの仮想敵に対応する。
<陸自不要論>
・(飯柴)8割は不要と言いましたが、それは「防衛力として」という意味で、台風や地震などの災害対応部隊は必要です。日本版FEMA(連邦緊急事態管理庁)を創設します。また、PKOなどの国際貢献部隊も必須ですから、それは別途組織を作って残します。
<自衛隊はなぜ「ダメな軍隊」になったのか>
<地位協定の前提は「日本全土戦場化」>
――つまり、これは共産主義からの侵略があった場合、日本全土を戦場にするぞという意味なんです。
(飯柴)なるほど、そこが日本の出発点なんですね。だったら日本の陸自があんなにたくさんの戦車を持っているかが理解できます。要するに日本の自衛隊は日本を守るためでなく、アメリカの尖兵になる。だったら、日本で敵を上陸させて、そこで迎え撃つというシナリオは合理性がある。でも、それって「自衛」隊ではないですよね。日本が焦土と化してもかまわないという話です。
・(飯柴)なるほど、だからすでに敵が上陸しているという前提で演習を行なっても別にかまわない――いや、かまわないことはないでしょう。自分の国なんですよ ⁉ 自国が捨て石になって、焦土となってもかまわないなんて「戦略」、ありえませんよ。
<軍法会議なき日本>
・(飯柴)最も強調したいのが「日本にはセキュリティ・クリアランスがない」ということです。つまり、秘密保持の対策がまったくできていない。いくら強い軍隊をつくろうとして高い武器を買っても、情報管理ができていなければ意味がありません。日報問題にせよ何にせよ、多くの問題の根源にはこの「クリアランスの欠如」があります。
・(飯柴)でも、流出元とされて逮捕された3等海佐は当然、終身刑ですよね。
――懲役2年6ヵ月、執行猶予4年で判決が確定しました。
(飯柴)米国ではありえない判決です。スパイ行為は基本、仮釈放なしの終身刑です。
(飯柴)おまけに自衛隊には軍法会議がない。これはありえないですよ。
・(飯柴)何でも米軍の真似をする自衛隊が、まったく真似していないのが、セキュリティ・クリアランスです。つまり機密情報を取り扱う資格があるかどうかをチェックする制度です。これは自衛隊だけでなく、国会議員、警察などの司法関係、さらには民間の防衛産業の関係者もクリアランスを受けないといけません。ちなみに米国の場合はこのクリアランス制度はどの連邦職員も共通のもので、各省庁で異なるということはありません。
<なぜ日本の自衛官には機密情報を見せてないのか>
・(飯柴)でも、その自衛隊の1佐は米軍のクリアランスを受けているわけではないので、この1佐にかぎらず、クリアランスを保持していない人物がSCIF(機密情報施設。スキフと発音)に入る場合は、コンピューターの画面はすべてシャットダウンし、プリントアウトした機密書類も鍵が付いた金庫に収納したうえで入室してもらいます。その後に続くブリーフィングもグリーン色のファイルで行ないました。
・(飯柴)ひと口に機密といって、情報の機密性には何段階もの区分があります。機密性の低いものから順番に紹介していくと、
- 区分外(Unclassified)――機密でも何でもないもの。
- FOUO 公式使用のみ。外に持ち出してはいけない。
- SBU 区分外だけで、他言無用。「取扱注意」
- マル秘(コンフィデンシャル) これ以上の段階になるとシークレット・クリアランスの資格が必要になります。
- 極秘(シークレット)
- 最高機密(トップ・シークレット) シークレット・クリアランスのさらに上のトップシークレット・クリアランスを持っていないと見られません。
4-1 TS/SCI 日本語に直すと「最高機密防護所要区分情報」
・これ以外にもTS/SAR(特に許可を得た者のみ閲覧可能な最高機密)というのもありますし、さらに詳細な振り分けがありますが、話が長くなるので省略します。
・(飯柴)米軍は日本のセキュリティ・クリアランスを信頼していません。それは日本国の首相相手でも同じで、開示している情報はすべて機密指定外のものばかりです。
――アメリカ大統領をファーストネームで呼び合える仲になっても関係ない。
(飯柴)もちろんです!もし、セキュリティ・クリアランスを受けていない人間に国家の秘密を漏らしたら、大統領であろうと国家反逆罪です。
――トランプ大統領がプーチン大統領に情報を流したのではないかと大問題になっていますが、それもこれなんですね。
(飯柴)トランプ大統領は今のアメリカの最高権力者ですが、しかし、どんなに権力があっても勝手に機密指定を破ることは許されません。それをやったら無条件でアウトで、大統領は職を追われることにつながります。それほどの犯罪行為です。だからそういった報道がデタラメだというのは、クリアランスに関わった人間だったらすぐに分かることです。
<セキュリティ・クリアランスとは>
・(飯柴)アメリカでも同じで、民間の信用調査会社に問い合わせて調べます。
このファイナンスチェックは犯罪歴やメディカルチェックとは違って、100パーセントごまかせません。アメリカに居住している人間は皆9桁の社会保障番号、ソ-シャルセキュリティナンバー(日本のマイナンバーに当たる)を持っていて、この番号で経済活動が紐付けられています。番号が分かれば、借金があるかないかなど、その人の経済状態が一発で分かるんです。そして、その人の経済状態はスコアで表示されます。
・(飯柴)自衛隊員を含む公務員は言うまでもないですが、国会議員も当然、クリアランスを受けてもらいます。国会議員の下で働く秘書も同様です。さらに、三菱重工や富士重工など、政府と契約している民間企業の人間もクリアランスを受けてもらわないといけません。政府の情報を知りうるわけですから。
・(飯柴)だから国家安全保障というのは、カネと時間と手間のかかる作業なんです。悠長なことは言っていられません。すぐに始めないと。現に中国やロシアは日本の情報を虎視眈々と狙っています。
・(飯柴)今のようにセキュリティ・クリアランスが充分になされていないのでは日米間の本当の情報共有などできるわけもない。
・(飯柴)アメリカが日本の核武装に反対するのも、根本はそれが理由だと思います。今のままの状態で日本が核を扱うようになれば、核兵器に関する情報はもとより、核兵器そのものが流出しかねませんからね。
<なぜ日報問題は深刻なのか>
・(飯柴)すでに述べたことと重なりますが、日報問題はまさに自衛隊の情報管理の緩さが現れたものですよ。
・(飯柴)これは「普通の軍隊」ならば軍法会議ものですよ。
――戦後の日本には軍法会議がありません。つくろうと思っても、憲法の規定でそれが禁止されています(第76条2項 特別裁判所は、これを設置することができない。)
(飯柴)そこも日本の自衛隊の大きな欠点ですね。
なぜ軍隊にかぎって、特別な法(軍法)と特別な裁判所(軍法会議)が必要かというと、たとえば情報を外部に流出することは国家の危機に直結しかねないからです。
<日本の平和ボケという病は重症なんですよ>
・――セキュリティ・クリアランスを徹底しようとしたら、軍法会議までつくらないといけないわけですね。日本の自衛隊が「普通の軍隊」になるにはやらなきゃいけないことが多すぎますね。とても憲法を改正するくらいでは追いつかない。
(飯柴)そして鋭い方はもう気がついたかもしれませんが、セキュリティ・クリアランスのシステムを確立するには莫大なお金がかかります。OPM(人事管理局)の組織構築と人件費、各人のレコード・チェックにかかる捜査費用、秘匿回線ネットの構築、そしてその管理、情報の振り分け作業など、考えただけでもいくらかかるのか予想がつかないくらいです。額だけでなく、時間と手間もかかる作業です。
<ロシアと韓国の動きも重要>
(飯柴)それはこれまで何度も言ったとおりですよ。アメリカはアメリカの国益しか考えません。「日本を守る」ということはそこには含まれていません。それに米中の軍事衝突が起きる可能性はゼロではなく、その場合、日本が巻き込まれる確率はほぼ100パーセントと言っていいでしょう。その覚悟はすべきです。
<911は「超限戦」の一環だった?>
・(飯柴)アルカイダに対して中国が、なんらかの形で関わっていることは明白です。アルカイダから捕獲された武器やIED(即席爆発装置)、対戦車地雷などの多くは中国製ですからね。中国はアルカイダの動きについてなんらかの情報を得ていたのは間違いありません。
それにその後の展開を見れば、911が中国の軍部にとって有利に働いたのも否定しがたい事実です。
<はたして日本は核武装すべきか?>
・(飯柴)彼ら(北朝鮮)が核兵器開発にぶち込んでいるのは、わずか2000億円弱と言われています。
――日本は年間5兆円、過去70年間、防衛予算をつぎ込んでいながら、アメリカ様の言いなりです。
・(飯柴)日本はアメリカ、ロシア、中国、北朝鮮と核兵器を持った国々によって囲まれています。そうした国際環境にあって、日本だけが持っていない。「普通の国」ならば、自分も核兵器を持とうと考えます。また、それを当然とするのが現代の国際社会です。
――核兵器製造可能なレベルの濃縮プルトニウムが日本には核爆弾数千発分あると言われています。
・(飯柴)でも、今の日本では材料があっても核兵器はつくれません。そもそもまともなセキュリティ・クリアランスさえできていないわけですから、そこから始めないとダメです。
・(飯柴)ですから国内にいる中国人はふるいにかけ、不法滞在者や犯罪を犯した者はバンバン強制送還し、送還前に指紋やDNAを採取しておいて再入国が不可能なようにするべきでしょう。これをやらないと日本が中から腐ってしまいます。
<第二の敗戦を避けるには>
・(飯柴)もちろん国防予算には限りがありますし、日本は莫大な国家債務を抱えています。カネに糸目をつけない軍拡なんてできるはずもないのですから、日本の採るべきCOA(統合作戦計画立案実行システム、任務遂行計画)は何かを徹底的に検討して、国家の体力に見合った形での改革をするしかない。その努力を怠っているのがいちばんの問題点です。
――冷戦時代の発想のまま、無駄なカネをダラダラと毎年使っている。「緩慢なる自殺」をしているのは今の日本ということですね。
<飯柴智亮>
・軍事コンサルタント/元アメリカ陸軍大尉。1973年東京都生まれ。16歳で渡豪。米軍に入隊するため19歳で渡米。北ミシガン州立大学に入学し、士官候補生コースの訓練を修了。99年に永住権を得て米陸軍入隊。
・11年アラバマ州トロイ大学より国際政治学・国家安全保障分野の修士号を取得。著書に『第82空挺師団の日本人少尉』(並木書房)等。
『軍事のリアル』
冨澤暉 新潮社 2017/11/16
<米国安全保障戦略の揺らぎ>
・米戦略国際問題研究所(CSIS)シニアアドバイザーのエドワード・ルトワックは、(1)財務省とウォール街は「親中」である、(2)国務省は「親中」と「反中」の間をゆれる、(3)国防総省は「反中」である、と言っている。
彼は、財務省が「金融」にしか関心を持たず、そのため米製造業が凋落したと非難しつつも「財務省・ウォール街と中国は利害共同体になっている」と述べたうえで、国務長官のヒラリー・クリントンはやや「反中」だったが続くケリー長官は「より親中」で、その意味で国務省は「反中」と「親中」を右往左往している、としている。しかし、米海・空軍にとって、中国は少なくとも計画・調達の目的の上では、明らかに将来の「主敵」になっている、と述べている。
・では、米国の軍事戦略とは何なのか。考え方はいろいろある。主要なものを以下に列挙してみよう。
- 「(1)北朝鮮が残存性のある核能力を持つ可能性を踏まえ抑止力と即応体制を構築すべきである、(2)同盟国・友好国の軍事能力向上を推進すべきである、(3)中国との摩擦低減に努力すべきである」との3つの提言をしている。つまり「米国のアジア・リバランスは北朝鮮対応が主目的であり、全体としては米軍自身ではなく同盟国、友好国に期待し、しかも中国とは敵対しないように」と言っている訳である。
- 2010年の米国のQDR(4年毎の戦略見直し)にエア・シー・バトル(ASB)という言葉が現出して以来、日本では「これが米国の新戦略だ」と誤解する人々が増えた。彼らは、その直後にクリントン国務長官が「アジア・リバランス」という言葉を用いたこともあり「これからの米国戦略は対中戦略が全てであり、それが海・空戦略である」と早合点してしまったようである。
・あれだけの陸軍軍拡をし、海空軍軍縮をすれば、海空軍の不満が高じるのは当然である。そこで「海空軍には将来に備えて欲しい」と予算のつかない約束として提示されたのが「エア・シー・バトル」だったのである。
- 「中国が接近阻止・領域拒否(A2AD)をやっているのだから、それに対し日本も中国に対しA2ADをやれば良い、そうすれば日本を隘路の門番にして中国軍を分散させ、米軍はもっと効率的・攻撃的な作戦に集中できる」といい、これを受けて日本でも、南西諸島周辺に自衛隊を配備してそのA2ADを準備しよう、という動きが盛り上がり、既にその一部の準備が進められている。
- 「オフショア・コントロール戦略」は「同盟国と協力しつつ中国による第1列島線以東、以南の海洋使用を拒否して島嶼を防衛し、その領域を支配しつつ遠くから中国のシーレーンを封鎖して経済消耗戦にもち込む」というものであり、当初から日米韓など南シナ海経由シーレーンを放棄したものであった。
- 2つの面白い情報が入ってきた。1つは米国の国家安全保障会議が国防総省に対して「大国間の競争」や「中国との競争」という言葉を使用しないようにという指示を出したというものであり、2つ目は米海軍トップの海軍作戦部長が「今後米海軍においてA2ADという用語を使用しないと発表した」というものである。
・主なものでも、米軍事戦略にはこれほどのバリエーションがある。何れにせよ、生煮えの米戦略案を追いかけ、それに合った日本の戦略を論ずることは禁物である。
<オフショア・バランシング戦略とトランプ大統領>
・数年前に、米国に潜在する幾つかの軍事戦略案を少し勉強していた。その中に、これまでに述べてきたものとは趣を異にする「オフショア・バランシング」という戦略があった。それは、
- 米国経済発展のため、米国は中国との軍事対立を避け良好な関係を保つ、
- しかし、中国軍事力が米国以上のものになるのも困る、
- このため、中国に対しては、北のロシア、西のインド、東の日本から、軍事的に牽制させる、
- そのため日本にも核兵器を持たせる、
- オフ・ショア(沖合)に退いてはいるが所要に応じて戦力投射できる準備はしておく、
というものであった。
・それから数カ月を経て、トランプという米大統領候補が、彼らと概ね同様のことを言っていることを知った。今度は、このネオリアリストたちがトランプ大統領のスタッフたちに、どういう影響を与えるのかを見守って行きたい。
・戦後70年の世界は、国際協調(グローバル化)という不可逆な流れの中にあると考えられてきたが、実は今、100年周期の「世界分裂」という、より大きいうねりを迎えられたのかもしれない。
この状況の中から如何に新しい国際協調を生み出すのか、それとも本当にまたブロック化の時代が来るのならどのブロックに属して生きのびていくのか。国民1人1人が真剣に考えるべき秋(とき)を迎えたようである。
<ミサイル防衛の限界と民間防衛>
・北朝鮮による核弾頭ミサイル攻撃に対して、日本のミサイル防衛システムでは対応できないことは、第5章で述べたとおりである。
そこで日本も、艦艇搭載の非核巡航ミサイルなどにより敵基地を攻撃できるようにしては、という意見が20年も前からある。
・ということになれば、本当に核攻撃から身を守るのであれば、日本でも「核シェルター」を準備して国民を守るしかない。「核シェルター」は1次放射線や爆風を避けるだけでなく「核の灰(フォールアウト)」やそこから発せられる2次放射線による被曝を避けるものとして有効である。スイス、イスラエル、ノルウェー、アメリカ、ロシア、イギリス、シンガポールなどでは、50~100%の高率でシェルターが準備されていると聞く。日本では0.02%である。「日本は核兵器を認めていないからシェルターも認めていないのだ」という言い訳は、全く理屈になっていない。
・せめて、各都市にある地下街に空気清浄機(濾過器)を設置し、そこに避難した人々が2週間程度暮らせる備蓄食料と上下水道を完備することぐらいは実行して貰いたいのだが、この「民防」を進んで担当する役所は、いまのところ国にも地方自治体にもない。無論、警察も防衛省もそれを担当する余力を持っていない。こうした準備は国民1人1人の意志とその要求によって初めて実現するものである。
<「専守防衛」は軍事的に成り立たない>
<理念は良いけど、対策は?>
・何よりもまず、この戦略の基本理念を「国際協調主義に基づく積極的平和主義」としているところを筆者は高く評価している。
・本来、テロ・ゲリラ対策には人手を必要とする。1996年に韓国の江陵というところに北朝鮮特殊部隊員26人が上陸した時、49日間延べ150万人を投入して漸くこれを駆逐したという記録がある。そんなゲリラが日本国内で数チームも出現したら、街のお巡りさんを含む全国29万の警察と14万の陸上自衛隊では如何ともしがたい。特に、全国50数カ所にある原子力発電所の幾つかが同時にゲリラ部隊に襲われたらどうするのか。現職自衛隊員たちは「それは警察の任務で我々のものではありません」と言うしかないが、警察は「十分に対応できます」と言えるのだろうか。
中国は220万の軍隊の他に150万の武装警察と800万の民兵を持っている。日本のスケールが中国の10分の1だとすれば、15万の武装警察と80万の民兵が要ることになる。しかし、そんな話をする人はどこにもいない。
つまり、国家安全保障戦略は、看板はよく出来ているが中身は看板に相応しくないものだ、と言わざるを得ないのだ。
<そもそも専守防衛は成り立つのか>
・そもそも「専守防衛」というものは軍事的に成り立たないものである。如何にガードとジャブが上手くても、相手を倒すストレートかフックのパンチを持たないボクサーが勝てないのと同じことである。或いは、一定時間を稼いで全体に寄与する城や要塞はあり得ても、日本のように広正面の国をハリネズミのように守る技術はなく、あったとしても天文学的な金額がかかるのでそれは不可能だということでもある。
日本が「専守防衛」で何とかやれるのは「自衛隊は盾の役割を担当し、米軍が矛(槍)の役割を果たす」という「日米ガイドライン」による約束があるからである。米国がその約束をとり消した場合には、自衛隊の予算をいくら増やしたところで「専守防衛」の国防はなりたたない、ということを、国民は良く承知しなければならない。
<世界秩序を支える核兵器>
・20世紀前半(1945年まで)には第1次世界大戦と第2次世界大戦という戦争があり、その戦争で5000万~6000万の人が亡くなった。それ以降、ソ連が崩壊する91年までの約45年間は冷戦時代で、米ソ間の国家観決戦はなかったが、朝鮮・ベトナム戦争に代表される代理・局地・制限戦が行われ、結局2000万人強の戦死者を出した(中国文化大革命での犠牲者数は除く)。
20世紀前半の世界人口は約25億人で後半の人口は約50億人だから、戦死者の比率は前半に比べ後半は約5分の1に減少したといえる。ということは、前半より後半の方がはるかに平和になったということである。
・91年以降の約25年間にも各種民族紛争が続いたが、人口の多い国同士の国家間決戦は殆どなく、戦死者総数は前2期に比べ明かに減っている。たとえば戦死者数について、朝鮮戦争での米軍3万4000、中国義勇軍90万、北朝鮮52万、ベトナム戦争での米軍4万6000、韓国5000、ベトナム・ベトコン90万、イラク戦争での米軍など4800、イラク(民間人を含み)15万~65万(65万は誇張と言われているが)という概略数が報告されている。
<恐ろしい兵器だからこそ平和に資する>
・日本では特に「核廃絶」を主張する人々が多いが、本当に世界から核がなくなっても世界に平和は訪れないであろう。なぜなら在来型(通常型)兵器が残るからである。
在来型兵器はその使用者に「相手を絶滅させても、自分は生き残れる」という可能性を与える。核兵器に比べ在来兵器には「軍事的相互脆弱性」がない。
<NPTは不平等な秩序ではあるけれど>
・インドとパキスタンの核は、両国間の戦争抑止を目的とし、それなりに成果を上げてはいるが、世界秩序(平和)の維持にはそれほど関係がないともいえる。
北朝鮮の核弾頭の数は定かではないが、金正恩朝鮮労働党委員長が「ミサイルの目標は在日米軍基地だ」と明言したことにより、日本・世界の秩序(平和)破壊に関わるものとなった。
<日本は核武装すべきではないけれど>
・NPT加盟国たる日本が核武装することは、できないしすべきではない、というのが筆者の考えである。軍事は外交の背景として存在するものだから、日本が孤立化し、その外交が成り立たなくなるような軍事措置をとってはいけない。
しかし、外交が核武装を求める事態になった場合は別である。最大の同盟国たる米国自身が日本核武装を求める事態になった場合は別である。最大の同盟国たる米国自身が日本核武装を公式に要求してきたような時には、国際情勢を良く分析し、国家戦略を再構築し、それに沿った軍事措置をとらねばならない。例えば韓国が核武装した場合などには、諸外国の態度も変わり、国民感情も変わるかもしれない。その時のことは考えておかなければならない。
・最大の難問は国民の反対が多く残る中で、核兵器装備化へのロードマップを描ける政治家・学者・官僚が全くいないことだ。仮に米国が豹変し、日本核武装を押し付けようと各種の米国人たちがやってきたとしても、これに協力できる有力な日本人はどこにもいないだろう。
そうなると核兵器の借用、すなわち「ニュークリアー・シェアリング」はどうか、という話が出てくる。しかし、これはかつてソ連の大戦車軍団が欧州を襲う時、核兵器で止めるしかなく、その場合、投射手段が不足し猫の手も借りたい米軍が欧州各国の航空機などに核弾頭を載せてもらおうという趣旨のものであり、弾薬庫の鍵を米軍が持つこともあり、各国の自主的な核兵器とはいえない。大戦車軍団の侵攻は現在では考えられず、欧州における「ニュークリアー・シェアリング」は今や形骸化していると聞く。同様の施策を日本が取ったとして何の意味があるのか、と議論する必要がある。
<それでも大事なのは「本腰」>
・トランプ米大統領は日本に対し、NATO(北大西洋条約機構)並みのGDP2%の軍事支出を求めている。その当否はおくも、それが実現した場合には米国製対空ミサイルを買うことより、陸上自衛隊の足腰を強化することの方がより大切であると筆者は考えている。
<「徴兵制」と「志願制」>
・現在、G7の中に徴兵制をとっている国は1カ国もない。このG7にロシアとEU、更に新興経済国11カ国を加えてG20と称するが、これらの中でなお徴兵制をとっている国は、ロシア、中国、韓国、トルコ、ブラジル、メキシコの6カ国だけである。
・ロシアは10年以上も前から志願制に変更したいと言っているが、領土が広いのでなお100万人の軍人定数を維持している。
・中国は選抜徴兵制をとっている。13億の人口に対して220万の軍隊だから、1億3000万弱の人口で24万の自衛官を持つ日本と、軍人/人口比はほぼ同じである。中国人は、日本人以上に兵隊になることを嫌っている。「好鉄不打釘、好人不当兵(良い鉄は釘にならない、良い人は兵にならない)」という古い言葉があり、今でも多くの人たちがそう言っているらしい。
・「それじゃ、兵隊が集まらなくて困るね」というと、「大丈夫です。貧乏な農村地帯の青年たちが軍隊に入りたがってますから、兵隊が足りなくなることはありません。兵隊は共産党員になる近道で、党員になれれば田舎に帰って郷長(村長)にもなれるから人気があるんです」という、どこまで本当かは分からないが、如何にもありそうな話であった。別の人に聞いたら志願兵を希望するものが多く、その志願兵に合格できなかった者が徴兵枠で採用されるというシステムになっているとのことであった。
・韓国は北朝鮮と休戦状態を続けているため、徴兵制を止められずにいる。しかし、大学進学率の向上など若者世代の変化があり、良心的兵役拒否が認められないといった特殊事情も加わって、徴兵上の様々な問題が生起している。
・スイスは1648年のウェストファリア条約で独立した小国(現人口842万人)であるが、独立以来永世中立国であり、その中立政策を守るため370年間、徴兵制を続けている。
・西ドイツは1955年に志願制のドイツ連邦軍を編成したが、募集に応じる者が少なかったので、やむを得ず1956年に徴兵制を復活させた。
・2002年から、ドイツ連邦軍兵士の兵役期間は10カ月から9カ月へと更に短縮された。兵役拒否者の奉仕期間は兵役より長いことが原則だったが、2004年からは兵役期間と同じ9カ月になった。そして2011年6月末をもって、ドイツの徴兵制は終った。
・イタリア軍は1860年代から徴兵制度を続けてきたが、2000年に徴兵制廃止を決定、2005年から完全志願制の軍隊となった。
・徴兵制は廃止されたが「国家の防衛は共和国市民の神聖な義務である」とする憲法条項は、そのまま残されている。
<自衛隊は「苦役」なのか>
・「日本の徴兵制復活は?」という質問に対し、歴代政府はいつも憲法第18条の「何人も、(中略)犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない」を理由に、「憲法違反の徴兵制復活はありえない」と説明する。「苦役」の意味を、囚人たちでも理解しないというこの時代に、何たる言葉を使うのであろうか。自衛官をして「苦役を自ら志願する変わり者」とするこの表現は差別であり許せない。「日本の防衛政策は、徴兵制よりも志願制を求めている」と理路整然と説明するのが政府の責務である。
・勿論、「国家間決戦なき時代」が永遠に続くとは言い切れないから、徴兵・志願という政策は固定化すべきものではない。それよりも憲法に固定化すべきは、イタリアのように「国家の防衛は国民の義務である」ということではないか。日本は国民主権の民主主義国家なのだから。
<●●インターネット情報から●●>
「新潮社サイト」から引用
<軍人と文人>
『軍事のリアル』の著者、冨澤暉さんは、陸上自衛隊トップの陸上幕僚長までおつとめになった方ですが、不思議と文人と縁があります。
実は、冨澤さんのお父さんは、戦前に芥川賞を受賞した冨澤有為男という作家で、代表作は新潮社から出版しています。お住まいも新潮社のすぐそばだったそうです。
その後、戦中に福島に疎開し、家族は戦後も福島に住み続けますが、冨澤さんは東京に戻り日比谷高校に通いました。ここでは庄司薫と古井由吉という、二人の将来の芥川賞作家が同級生になりました。在学中は特に交流はなかったそうですが、同級生には塩野七生さんもいました。ついでに言えば、東京で下宿していた先は、お父さんに私淑していた作家志望のお坊さんが住職を務めるお寺で、そのお坊さんも後に直木賞作家になっています(筆名・寺内大吉)。
ちなみに岳父は戦中に東南アジアで情報活動をしていた陸軍軍人の藤原岩市で、その著書『F機関』は、情報関係者にとっては必読の古典となっています。
<●●インターネット情報から●●>
M-388 デイビー・クロケットは、アメリカ合衆国が開発した戦術核兵器の一つ。名称は、アラモの戦いで玉砕した英雄デイヴィッド・クロケットの名に因む。
M-388は、無反動砲にW54核弾頭を外装式に装填し運用する外装式砲弾システムである。無反動砲は口径4インチ(102mm)のM-28と6インチ(152mm)のM-29の2種類があった。M-28の最大射程は約2km、M-29は約4km。W54核弾頭の核出力は0.02kt(TNT火薬20トン相当)であった。
弾頭の威力は、主に強烈な放射線の効果によるものである。低出力の設定でも、M-388核弾頭は150メートル以内の目標に対し即座に死亡する強さの放射線(10,000レム(100シーベルト)を超える)を浴びせる。400メートル離れていてもほぼ死亡するレベル(およそ600レム(6シーベルト)に達する。
M-28およびM-29は車載もしくは地面に三脚で設置して発射する。
「W54(核弾頭)」
W54は、アメリカ合衆国が開発した核弾頭。超小型の核弾頭であり、重量は50ポンド(約23kg)ほどである。開発はロスアラモス国立研究所で行われ、1961年-1962年にかけて400発が生産された。1971年頃まで部隊配備されていた。
概要
これは、戦術目的で用いる核兵器であり、小型で可搬性が高く、発射部隊や味方を爆発被害に巻き込まないように、爆発威力を低く抑えることを目的として開発された。1957年頃から低核出力の核実験が繰り返されたが、威力が100ktオーダーになるなど、低く抑えることは難しかった。実験を繰り返し1961年までには核爆発を低威力に抑えることに成功した。W54自身は1962年に2回の核実験が行われ、22tと18tの核出力を記録している。
W54は、プルトニウムを用いたインプロージョン方式の核分裂弾頭であり、サイズは直径27cm、長さ40cm。核出力は10-250t。後のW72核弾頭は、W54を再使用・再設計したものである
バリエーション
Mk.54デイビー・クロケット用。歩兵が運用する無反動砲砲弾であり、アメリカ陸軍で運用された。核出力10tまたは20t、時限信管。
Mk.54特殊核爆破資材(SADM)用。アメリカ海軍およびアメリカ海兵隊の特殊部隊向けの装備であり、人力で運搬可能で、爆破地点に設置する資材である。核出力10t-1kt、時限信管。
W54 AIM-26A ファルコン核空対空ミサイル用。核出力250t、触発および近接信管。アメリカ空軍で運用。
『逆説の軍事論』 平和を支える論理
元陸上幕僚長 冨澤暉 バジリコ 2015/6/19
<敵地攻撃の難しさ>
・敵地を攻撃するといっても、軍事的な観点から考えると、これは至難の業です。アメリカですら、目標情報が掴めないと嘆いている現状で、日本がどのように独自に目標情報を得るのか。北朝鮮を24時間監視するためには、どれだけの偵察衛星が必要なのか。
・さらに攻撃兵器の問題もあります。日本が核兵器を保有していれば、敵ミサイル陣地にでも、あるいは平壌のような都市でも効果的な攻撃ができるでしょうが、核はないのだから、攻撃のためには空爆であろうとトマホークのような巡航ミサイルであろうと天文学的な弾量を整備する必要があります。そのための予算をどこまで投入するのでしょうか。しかも、その効果は未知数です。
・ここで、従来型の「個別的安全保障」ではなく、「集団(的)安全保障」の枠組みの中で対応を考えることが重要になってくるのです。複雑な民族感情を越えて協力していくためにも、国連軍または多国籍軍という枠組みを活用することが重要になるわけです。
<日本の核武装>
・政治家の中には、北朝鮮の核実験に対抗して、日本も核武装の議論をすべきだという人がいます。
・重要なのは、ただ核兵器の議論をすることではなく、関連するすべての政治・軍事問題を広く、かつ、もれなく検討し、核を持った場合、あるいは持たない場合の外交の在り方や在来兵器による防衛力整備の在り方を議論することなのです。
・政治的にいえば、核武装論の裏側には、「中国の軍備増強への対応」や「アメリカに対する日本の自主性確立」という問題が潜んでいます。
・一連のシナリオを想定し、それぞれについてシュミュレーションし、備えておく必要があります。
<戦車の再評価>
・日本でも、このテロ・ゲリラ対策のため歩兵を増やす必要があるのですが、人件費が高く隊員募集に苦しむ陸上自衛隊の兵員数を増やすことは困難だといわれています。だとすれば、各地方に防災・消防を兼ね情報・警備を担当するかつての「消防団」のような「郷土防衛隊」が必要となりますが、これを組織するのは防衛省自衛隊の仕事ではなく、総務省と各自治体の役割でしょう。
ともあれ、防衛省自衛隊としては歩兵の戦いを少しでも効率的にするための砲兵・戦車の数を確保する必要があろうかと思われます。
・現在、日本へのテロ・ゲリラ攻撃はありません。しかし、仮に朝鮮半島で動乱が起きた場合、日本全国でテロ・ゲリラ攻撃が多発する恐れは十分に考えられます。
<その破壊が直接国民生活を脅かす無数の脆弱施設が全国に存在>
・難民を担当するのは入国管理局でしょうが、何万、何十万になるかもしれない難民を日本はどう受け入れるつもりなのでしょうか。まさか、戦時の朝鮮半島に送り返すわけにはいかないでしょう。この人々への対応が悪ければ、混乱も起きるでしょう。収容施設、給食など生活環境の支援、さらには治安維持のために警察、自衛隊は何ができるのか。そうした有事への準備が既にできているとは寡聞にして聞きません。
・さらにいえば、こうした事態は全国で分散同時発生するので、とても現在の陸上自衛隊の歩兵では数が足りません。実は、そのわずかな歩兵を支援する兵器として戦車ほど有効な兵器はないのです。
<軍事というパラドックス>
・さて、軍事とは人間社会固有の概念です。したがって、軍事について考える際には、私たち人間の本質をまずは押さえておかなければなりません。すなわち、「闘争本能」と「闘争回避本能」という人間固有の矛盾した特性です。
・一部の例外を除き、人は誰しも死にたくない、殺したくないと思っているはずです。にも関わらず、有史以来人間は日々、せっせと殺し合いをしてきたという現実があります。
19世紀ロシアの文豪トルストイの代表作に『戦争と平和』という大長編小説がありますが、人類の歴史はまさしく戦争と平和の繰り返しだったといえましょう。どうした天の配剤か、人間はほとんど本能のように闘争を繰り返す一方で、争いを回避し平和な生活を維持するための方法を模索してもきました。
人は一般に他者からの支配、干渉を好まず、誰しも独立(自立)して自由に生きたいと考えているはずですが、自由とは欲望(利害)と切り離せない概念でもあります。
そして、そうした人間同士が集まり集団(社会)を形成すると必ず争いが起こり、往々にして生命のやりとりにまで至ることになります。それは、民族や国家といった特定の集団内でもそうだし、集団と集団の間においてもしかりです。
ただ、人間は他の動物と峻別される高度な知恵を有しています。そして、その地位を使い、自分たちが構成する社会の中に法律、ルール、道徳などによって一定の秩序を設計し、争いを回避する工夫をしてきました。
・要するに、21世紀の現在においても、「世界の秩序」と「個々の国家の自由・独立」の関係は、「国家」と「個人」の関係よりはるかに未成熟であり、極めて不安定な状態にあるという他ありません。
軍事について考えるとき、私たちは好むと好まざるとに関わらず、こうした世界に生きているということを認識することから始めるべきでしょう。
・ところで、国内の秩序を維持するための「力」を付与されている組織は一般に警察ですが、国際秩序を維持するための「力」とは100年前までほぼ軍事力のことでした。
現代世界では、経済力、文化力、あるいはそれらを含めた「渉外機能としての外交力」の比重が高まり、脚光も浴びています。しかし、だからといって軍事力の重要性が低下したわけではありません。
軍事の在り方は戦前と戦後では異なるし、戦後も米ソ冷戦時代とソ連崩壊後、アメリカにおける9・11同時多発テロ後ではかなり変化しています。ある意味で、世界秩序における軍事の重要度は、以前よりもむしろ高まっているといえます。
<「世界中から軍事力を排除すれば平和になるのだ」という単純な論理>
・ひとつ、例をあげてみましょう。つい20年ほど前、ルワンダで10万人以上の人々が鉈や棍棒で殺戮されるという悲惨な民族紛争が起きました。私たちは、この事実をどう理解すればよいのでしょうか。
・現実には軍事力こそ戦争の抑止に大きな役割を果たしているというのが私たち人間の世界の実相です。
・周知の通り、20世紀は「戦争の世紀」といわれています。世界の人口が25億~30億人であった20世紀前半、2度の世界大戦における死者数は5000万人~6000万人にのぼりました。一方、20世紀後半の戦争、すなわち朝鮮戦争、ベトナム戦争をはじめとする「代理・限定・局地戦」と呼ばれる戦争での死者数は3000万人以下とされています。また、その間に世界の人口が60億~70億人に増加したことを考え合わせると、20世紀の前半より後半の方が、はるかに平和になった、ともいえます。
・米ソ2極時代、互いが消滅するような核戦争を起こすことは、現実には不可能でした。また、核兵器を保有しない国同士による戦争が世界戦争に発展しないよう、米ソ2大軍事大国が、通常兵器の威力をもって抑え込んだことも一定の抑止となりました。
まことに皮肉なことながら、大量破壊兵器である核兵器の存在が20世紀後半の世界に相対的平和をもたらした要因であることは事実なのです。
<いずれにせよ、歴史が教える通り、最も危険なことは無知であることなのです>
・その間、日本政府が宣言した非核三原則にも関わらず、核兵器が持ち込まれていたことも、アメリカの外交文書が公開されたことから明らかになっています。
以上のような事実から導かれるのは「憲法第9条により軍隊を保有しなかったために日本は平和を享受できた」という説がフィクションだということです。
・以上述べてきたことからわかるように、人間の世界において軍事とは平和と不即不離の壮大なパラドックスということができるのではないでしょうか。
<軍隊とは、武力の行使と準備により、任務を達成する国家の組織である>
・現実に武力を行使するかどうかではなく、悲惨な歴史的教訓がその背景にあるわけです。現実に武力を行使するかどうかではなく、武力を行使する準備があると相手に理解させることが大切だと考えているのです。
<安全保障を成立させる4つの方法>
・脅威に対して価値を守る手段として次にあげるような4つの方法があるように思えます。
① 失って困るような価値は最初から持たない
② 脅威(敵)をなくす。または敵の力、意志を弱める
③ 被害を被っても、その被害を最小限に食い止め、回復するための準備をしておく
④ 脅威(敵)をつくらない。あるいは敵を味方にする
・以上、4つの手段を紹介しましたが、これらを見ても、安全保障の設計には外交と軍事両面が重要だとおわかりいただけるはずです。軍事なくして安全保障は成立しませんし、軍事だけでも安全は確保できません。安全保障においては、軍事と外交が両輪となって機能していくということをここでは理解してください。
<情報>
<なぜいま「情報」なのか>
・大東亜戦争時の帝国陸海軍は「情報」を軽視しそれ故に敗れた、ということがよくいわれます。私もその意見に同意します。確かに、作戦畑しか経験しなかった元帝国陸軍将校の一部に、自衛隊員になってからも「あの情報屋たちの書く情報見積もりなど、30分もあれば俺がひとりで書いてみせる」と言う勇ましい人がいたことは事実です。ですが、このような情報軽視の根本的原因は、このような作戦将校たちにあったのではなく、情報将校をも含む陸海軍全体に、さらにはその背景をなす日本国民全体の中にこそあった、と知らなければなりません。
・民主主義世界ではすべての情報を互いに公開すべきだという意見がありますが、「闘いの世界」では秘密保全は極めて重要なことです。それは民主主義世界においても皆さんの個人情報が保全される必要があるということと実は同義なのです。
正しく説得力のある情報は、作戦担当者の決断を促し、時にはその決断を強要するものでなければなりません。情報は学問の世界における「知識ならぬ知(智)」です。日本では「水と情報は無料」だという誤解がありますが、これらは本来極めて価値ある(高価な)ものであると認識する必要があります。自衛隊が、そして国中が情報の価値を認識した時、情報軽視(蔑視)という悪弊は消え去り、国民もより強靭になることでしょう。
<機械的情報と人間情報>
・そして、最も上質の人間情報とは、相手の意図を戦わずして我が意図に同化させることなのです。その意味では今、政治的にも「首脳外交」が、そして軍事的には「防衛交流」が、ますます重要になってきているといえるでしょう。
<「三戦」時代の情報>
・既に述べたことですが、中国は「今や三戦(心理戦、広報宣伝戦、法律戦)の時代である」と自ら宣言してその「戦い」を推進しています。彼らは、その三戦の背景を為すものとして軍事力を極めて有効に使用します。
我が国の安全保障分野に従事する者は、その中国の三戦の背景にある軍事力がどのようなものであるかを見抜く情報能力を持たなければなりません。
・逆に、自衛隊の軍事力が日本の三戦の背景の一部としてどれだけ効果的なものであるか、それを増強するにはどうすべきか、について国家安全保障局、外務省、財務省に進言しなければなりません。
すなわち、現代の軍事情報そのものが三戦(心理戦、広報宣伝戦、法律戦)を含んだ戦略分野に移行しつつあるということなのです。
<作戦>
<戦略と戦術>
・軍事における作戦は、将校(幹部自衛官)の本業(主特技)だといわれています。しかし、情報を軽視した作戦はあり得ないし、後述する教育・訓練や兵站を無視した作戦もあり得ません。
・アメリカの存在感の相対的低下、中国の経済力・軍事力の爆発的拡大と覇権的野望、北朝鮮の核保有、韓国の国家レベルでの反日キャンペーン。冷戦後、ほぼ同時期に起こったこうした変化は、当然のことながら日本の安全保障に大きな影響を及ぼさざるを得ません。
加えて、戦後長らく続いた日本の経済中心戦略は綻びを顕にします。バブル崩はじめとする壊を経て、肝心の経済力の凋落は覆うべくもありません。経済紙誌をはじめとするメディアが日本の状況を「第二の敗戦」と表現してから久しく時が流れました。
・いずれにせよ、戦略とは自衛官(軍人)の問題ではなく、政治家、そしてその政治家を選ぶ国民1人ひとりの問題であるということをここでは指摘しておきます。
<戦術における基本原則>
・「専守防衛」という言葉は、かつての自衛隊では「戦略守勢」といっていたのですが、1970年頃に中曽根防衛庁長官がつくった『日本の防衛』において「専守防衛」に換えられました。もっとも、この「専守防衛」という言葉をはじめに発明した人は中曽根長官ではなく、意外にも航空自衛隊幹部(一空佐)であったという話です。
国策を変えるということは戦略を変えるということなので、現職自衛官からは言い出しにくい問題です。しかし、私ども自衛官OBは、「攻撃は一切しない」と誤解されやすく、自衛官という専門家の手足を必要以上に縛りかねないこの「専守防衛」を「専守守勢」という本来の言葉に戻してほしい、と考えています。
<日本の戦略>
・日本の戦略は、外交・経済・文化・軍事等の専門家の意見を聞いて、国民の代表たる政治家が決定すべきものです。その意味で、2013年の秋に新組織・国家安全保障会議によって、日本初の「国家安全保障戦略」ができたことは、評価されてもよいと私は考えています。
・確かに、現代の日本の脅威は「大量破壊兵器の拡大」と「国際テロ・ゲリラ」なのです。
<PKO等海外勤務の増加>
・「後方部隊は後方にいるので安全である」というのは正に神話です。後方兵站部隊は防御力が弱いので、敵方からすれば格好の攻撃目標となります。また後方兵站部隊が叩かれれば戦闘部隊の士気は下がり、戦闘力も確実に落ちます。
<装備>
<オールラウンドな装備体系を>
・これらの兵器(装備)は、互いにそれを使わないようにするために存在するのですが、どんな兵器がどこで、いつどのようにつかわれるかは不明です。数量の問題については別途検討する必要がありますが、装備の質はオールラウンド、すべて整えておくというのが正道なのです。
なお、核兵器による抑止という面についていえば、現実に保有しなくても保有できる能力を持ち続けるということで日本は対応すべきだと私は考えます。
<これからの自衛隊>
<変化する自衛隊の役割>
・世界情勢の変化に対応して、自衛隊に求められる役割も大きく変化してきています。
繰り返しになりますが、現在の自衛隊が求められている任務は次の3点です。
① アメリカ主導の一極秩序を維持するためのバランスウェイト(重石)、あるいはバランサー(釣り合いを取る機能)となること
② 各国との共同による世界秩序を崩す勢力の排除
③ 世界秩序が崩壊した時への準備
・しかし、いつの日か最悪の状況下で個別的自衛だけで生き延びなければならなくなった時、最期の頼りとなるのは自衛隊です。そう考えると、何よりも人材の育成と技術開発が重要になります。具体的な兵器を揃えるとか、部隊の編成をどうするかという話よりも、どのような状況にも対応できる人と技術を備えておくことが、防衛力の基礎となるのです。
日本の防衛力整備を考えると、現在はハードよりもソフトが重要になっています。人材や情報ももちろんそうですが、自衛隊が行動する上での法律や運用規則の整備も必要です。
<「自衛」を越えて>
・憲法改正をめぐる議論の中で、自衛隊の名称を変更すべきだとする話があります。自民党の憲法改正案では「国防軍」となっています。長い間務めた組織ですから、自衛隊の名前には愛着がありますが、私も改称する時期に来ていると思います。
<陸上自衛隊への期待>
・そして外国からの援助が期待できなくなった時、最も頼りになるのは国産装備です。すべての装備というわけにはいきませんが、本当に基幹となる装備だけは、自前で生産とメンテナンスができる体制をつくっておかなければなりません。こればかりは事態が迫ってから準備を始めても間に合わないので、30年後、50年後を見据え、今から基礎を打っておくことが必要です。
最後に、すべてを通じて最も重要な事は、第一も第二も第三の役割も、どれをとっても自衛隊だけでは果たし得ないということです。国民・地元民・友軍・ボランティア団体等の絶大な信頼と支援がなければ、自衛隊は何をすることもできないのです。
<自衛隊は強いのか>
・そこで、「艦艇の総トン数にして海上自衛隊は世界5~7位の海軍、作戦機の機数でいうと航空自衛隊は世界で20位ぐらいの空軍、兵員の総数からして陸上自衛隊は世界で30位前後の陸軍、というのが静的・客観的な評価基準です。真の実力はその基準よりも上とも下ともいえるわけで、想定する戦いの場によって変わってきます」と答えることにしています。
・現実に、隊員たちは極めて厳しい訓練に参加しており、安全管理に徹しつつも、残念ながら自衛隊発足時から60年間に1500人(年平均25人)を超える訓練死者(殉職者)を出しています。殉職した隊員たちは、この訓練は危険な厳しい訓練だと承知した上でこれに臨み、亡くなった方々です。
・「自衛隊は強いのか」という質問は、実は「国民は強いのか」と言い換えて、国民1人ひとりが自問自答すべきものなのではないか、私はそう考えています。その意味で徴兵制の有無に関わらず、「国民の国防義務」を明記した多くの諸外国憲法は参考になると思います。
『自衛隊の情報戦』 陸幕第二部長の回想
塚本勝一 草思社 2008/9
<情報担当>
・陸上幕僚監部(陸幕)の第二部(情報担当)長をつとめ、朝鮮半島の問題のエキスパートとして知られる元高級幹部が、ベールに覆われていた活動の実相を初めて明らかにする。
・「よど号」ハイジャック事件と「金大中拉致事件」が多くのスぺ―スを占めているが、これは前者は、私が直接体験した事件であり、これを刻銘に追って記録としてとどめ、後者はなんの根拠もなく陸幕第二部が中傷されたことがあり、これまで適切な反論がなかったのでやや詳細に事実を記述した。
<これからの防衛省に何が必要か>
<国防力の狙いは「抑止力」>
・国防力の最大の狙いは「抑止力」なのである。だから防衛省などと言わずに「国防省」とし、日本の強い意志を内外に示したほうがよかったであろう。強い意志を示すことが一つの抑止なのである。この自主国防への意識の改革が、まず重要な課題である。
<イラク派遣の無形の収穫>
・一方でイラクへの自衛隊派遣は、自衛隊自身にとって大きな収穫があった。それは、自衛官一人ひとりが統率の緊要性に目覚めたことであった。平和な状態に馴れた自衛隊は、物質万能の世相を受けて、ややもすれば物品を管理する曹(下士官)が幹部(将校)より力を持つことになった。イラクへの派遣は、この傾向を霧散させた。指揮系統の重要性を体得して、軍(部隊)の統率の本来あるべき姿に帰ったのである。この無形の収穫は、はかり知れないほど大きい。
<武装集団にとって、士気は重要な要素である>
・私の体験からも、自衛隊は永年にわたって下積みの苦労を味わってきた。当初は「税金泥棒」とすら言われ、その後も日陰の扱いが続いた。それに耐えて黙々と訓練にはげみ、災害派遣では最も厳しい場で任務を果たしてきた。
<老兵からのメッセージ>
・当時の日本軍は、第1次世界大戦か日露戦争の頃とあまり変わらない歩兵が主体の軍隊であった。いわゆる「75センチ、114歩」、すなわち歩幅は75センチ、1分間に114歩で行動するしかないということだ。戦後になって米軍がジープという小型の全輪駆動車を、ごく普通に使っているのを見て驚いたものである。
・その後、内地の陸軍通信学校に入校し、すでに米英軍ではレーダーが実用化されていることを知った。科学技術の遅れを痛感させられたが、われわれ軍人だけではどうしようもなかった。また陸軍大学校の最後の卒業生の一人として、ほんの少しだけにしろ、終戦当時の大本営の緊迫した空気にも接した。戦後、旧軍人に対する公職追放の解除とともに、警察予備隊に入隊し、創隊当初の苦労も味わった。
警察予備隊では米軍人が顧問で、最初は旧軍人を完全に排除していたため、米軍のマニュアル(教範)を日系二世が翻訳して訓練していたから、珍談にはこと欠かない。
・自分で経験し、または見聞したことを、断片的ながら取り上げ、なんらかの参考になればと記述したものが本書である。「針の穴から天井をのぞく」「九牛の一毛」の謗りは免れないが、あえて世に問うものである。
<リーダーシップ。長幼の序、軍紀、科学技術>
・終戦間近の陸軍大学校でも科学教育はなされており、われわれは仁科研究所の所員から核兵器の講話を聞いたことがある。原子爆弾についての机上の研究は終わり、製造の予算を請求したが却下されたとのことであった。この戦局ではそんな予算がないし、間に合わないであろうという理由だったそうである。
そこで仁科研究所は原子爆弾の開発を中止し、殺人光線の研究に切り替えたと語っていた。今に言うレーザー光線のことであろうが、大きな設備で至近距離の小動物を殺傷するのが限界だったようである。またこの研究所には、優秀な朝鮮系の研究者がおり、そのうちの3人が戦後に北朝鮮に渡り、北朝鮮の核兵器開発の中堅となったことは、時世の運命としか言いようがない。
<「ときすでに遅し」の陸軍中野学校>
・明治維新における西郷隆盛も、謀略を駆使して無益な戦闘を避けつつ、徳川幕府を倒した。また日露戦争中における明石元二郎大佐(のち大将)の対露工作も著名であった。明石大佐はストックホルムを拠点とし、ロシアの反政府組織を支援し、日露戦争を側面から支えた。この工作資金として百万円支給されたと言われるが、当時の陸軍予算が四千二百万円であったことを思えば、その巨額さには驚かされる。
・山本五十六連合艦隊司令長官は、開戦に先立ち「1年は暴れて見せる」との言葉を残したが、その後については、「2年、3年となれば、まったく確信が持てない」と率直に述べている。
・人の発言の裏を読むことを訓練されている情報屋が山本五十六の発言を耳にすれば、2年目からは自信がない、戦争終結の方策を考えよと言っていることに気がつく。それが情報担当者の習性であり、かつ責務である。ところが当時の情報屋の発言力は弱く、そこまで読んだ人が表に出られなかった。そして、純粋培養された中堅の幕僚のほとんどは、当面の作戦のほかに考えが及ばなかった。これが国を大きく誤らせたと言える。
<「南京事件」と宣伝戦の巧拙>
<2年後の南京に「戦場のにおい」なし>
<間違えてはならない住民対策>
・この沖縄戦の例は、軍と国民のあいだに密接な協力関係があっても、なお国内戦では住民対策がむずかしいことを示している。わが国では地上戦がきわめて困難であり、ほとんど不可能であることを実証している。
専守防衛を攻略するわが国では地上戦ができないとなると、防衛の策はただ一つ、強力な海、空戦力とミサイルによる抑止力に頼らざるを得ないことになる。洋上や領海で侵攻してくる敵をことごとく撃滅する力を誇示するほかはないのである。
<つくり出された従軍慰安婦問題>
<旧日本軍に「従軍慰安婦」はない>
<部隊と慰安所の本当の関係>
<広報・宣伝に6割、戦闘に4割>
・以上述べた「南京事件」と慰安婦問題から得られる教訓は、広報の重要性と、もう一つ、軽々しく謝罪してはいけないということであろう。
・紛争を引き起こす勢力は、戦闘で勝とうとは思っていない。正面から正規軍とぶつかって勝てるような力を持っていないことが多い。世間を騒がせたり、民衆に恐怖心を抱かせたりするのが目的であり、あるいは相手国のイメージダウンを図ったり、内部で暴動を起こさせたりする。目的を達したり、追えば手を引き、隠れてしまう。
このような敵に勝つためには、個々の戦闘に対処するだけでなく、広報や宣伝で圧倒してしまうことが重要となる。われに同調する国、民衆を多くして、厄介な敵を孤立させるのである。そのために広報は重要な戦力なのである。
<非難を覚悟で「河野談話」の取り消しを>
・広報・宣伝とともに留意しなければならないのは、国際関係では絶対に謝ってはならないことである。謝るにしても、最大は「遺憾に思う」が限度である。
・まさか慰安婦問題で、国交断絶までする国はないであろう。しかし、ODA(政府開発援助)を取られ、日本の安保理常任理事国入りをさえぎられた。日本のような人権無視の国に常任理事国の資格はないと言う。これは「河野談話」など出して、こちらが最初に謝ったのが間違いだったのである。
国際関係では、曖昧な表現がなされれば自分の有利なように解釈する。陳謝すれば、そこで終わりとなり、あらゆる不利な話を押しつけられる。「河野談話」を取り消さないかぎり、日本にとって不利なことばかりが続く。取り消すとなれば、これまた大きな非難を覚悟しなければならないであろう。
<「専守防衛」の政略に縛られる>
・現在の自衛隊には、中野学校のような教育機関はないし、謀略、諜報の機能をもつ組織もない。自衛隊は、憲法に基礎がある「専守防衛」との政治戦略の拘束を受けるので、謀略、諜報にはなじまないところがある。
<あるべき防衛省の“情報”>
<「人事と予算」二つのネック>
・情報重視と叫ばれて久しい。専守防衛の国だから、ウサギのような大きな耳を持つべきであると語られてきた。ところが、あまり実効はあがっていない。私の経験からすれば、人事と予算という大きなネックがある。
<東アジアの情報に弱いアメリカ>
<CIAも万能な情報機関ではなく、弱点もある>
・CIAは、ブリック・システムをとっている。煉瓦の積み上げ方式と言われるもので、個々の要因は多数の煉瓦の一つで、それを積み立てて情報組織を構成している。私が陸幕第二部長であった1970年代初期におけるCIAの活動の重点は、当然ながらソ連と中東であった。そのためのアジア正面での煉瓦の壁は薄かった。薄い壁だから、一ヵ所が崩れれば、全体が瓦解する。それが弱点であった。
情報面での自衛隊のカウンターパートは、米国防総省のDIA(国防情報局)であり、これはピラミッド状の部隊組織をとっている。これも強力な情報機関であり、主として軍事情報を扱っている。CIAは政治や経済が主な対象であるから、そこに自ずから努力の指向が異なってくる。また東アジアに強いのはDIAで、CIAは弱い。極東正面では、DIAがCIAを補完するという関係があったように見受けられた。
<「非核三原則」を見直すべきときが来た>
・北朝鮮は国際世論や取り決めなど、まったく眼中になく実験を強行したのだから、いったん核兵器を手中にすれば、なんの躊躇もなくこれを使うと見なければなるまい。北朝鮮は、十分日本に届く弾道ミサイルの実験をして、すでに配備を終えている。この核実験は日本にとって衝撃的な出来事であった。
そこで日本国内に核兵器対抗論が沛然として起こるかと思ったが、「持たず、作らず、持ち込ませず」の「非核三原則」にすっかり溺れているのか、世論はほとんど反応しなかったように見受けられた。有力な閣僚が核政策について議論すべきときが来ていると至極当然の発言をしたことに対して、野党の幹部をはじめマスコミ、媚中・媚朝派の学識者らが反発して、議論の芽を完全に閉じ込めてしまった。
・もし広島型の核兵器が東京を直撃したならば、死者50万人、負傷者3百~5百万人という慄然とする予測を、これらの人たちはどう考えているのだろうか。おそらく、「そのような問題はわれわれの世代には起こらない」「後世の者が考えて苦労すればよい」といった程度に思っているのだろう。西郷隆盛が座右の銘の一つにしていた「先憂後楽」とは
ほど遠い。
核兵器をめぐる事態は、より早く進んでいる。今すぐ対処の方法をたてなくてはならないほど切迫しているのである。
・核兵器に関しては、日本はアメリカの核の傘に頼らざるを得ないのである。アメリカも核の傘を日本に提供すると言明している。ところが、日本は非核三原則を政策の重要な柱と位置づけている。
核兵器は「抑止の兵器」だから、平時には非核三原則も有効と考えてもよいであろう。ところが、日本が核攻撃を受けるのではないかというほどの事態が緊迫すれば、アメリカの核政策と非核三原則と矛盾する点が浮上してくる。日本はアメリカの核政策を享受しながら、それに制限を加えている。非核三原則の第三、「持ち込ませず」である。アメリカの立場から見れば、「(アメリカは)日本を核兵器で守れ、しかしそれは持ち込むな」ということになり、これでは身勝手すぎる。
そこで、日本に核兵器の危機が迫るような情勢になれば、アメリカと調整して、「持ち込ませず」の原則の撤廃を宣言することが緊要である。この宣言をするだけでも大きな抑止力となる。抑止力とは、形而上の問題である。だから、あらゆる手段を最大限に活用しなければならない。いたずらにきれいごとにこだわり、いつまでも非核三原則にしがみついていれば、核兵器の抑止力は破れ傘となる。
・「持ち込ませず」の原則を撤廃するとともに、領空や領海を含む日本の国内に配備されたアメリカの核兵器使用権限の半分を日本が持てるように協定することも考慮すべきであろう。
そうすれば、核抑止力の信頼性はより確実なものになる。繰り返しになるが、核抑止も結局は形而上の問題であるから、抑止効果のある施設を研究して、積極的に採り入れることが重要である。
・現在の迎撃方式が完璧でないとなれば、弾道ミサイル防衛と並行して、相手のミサイル基地を叩くミサイル報復攻撃の整備も必要になってくる。日本は専守防衛の政略によって拘束されているので、反撃のためのプラットホームは国内か領空内に限られる。軍事的合理性を追求できないことになるが、それでも核攻撃を受ければ、その発射基地、発進基地を徹底的に叩く報復攻撃の準備は必須である。
・日本防衛の最高責任者は首相であり、次いで防衛大臣であることは周知のことだが、実質平常業務の最高責任者は事務次官であると聞けば多くの人は驚くだろう。
だが、そうなっている。事務次官はほかの9人の参事官(内局の局長等)の補佐を得て、大臣の指揮下にある統合幕僚長、陸海空幕僚長、情報本部長等を束ねて防衛省の意思を決定し大臣に報告する。補佐官のない大臣は「よかろう」と言って防衛省の行動方針を決める。つまり、平常の業務はシビリアンコントロール(政治統制)ではなく、官僚統制となっているのである。
平時と有事との限界ははっきりしないから、官僚統制の状態はずるずると有事にまで及ぶ危険性がある。本書はシビリアンコントロールの実を発揮するため、まず軍政と軍令を分離し、軍令は統合幕僚長が、軍政は事務次官が、同等の立場で大臣を補佐することを提唱した。それが本当のシビリアンコントロールなのだが、その方向に進むことを期待している。もしそうなれば、前事務次官の逮捕という災いが転じて福をなすことにもなると思う。
青桐(あおぎり)の戦士と呼ばれて
阿尾博政 講談社 2009/6/5
<胸に刻まれた諜報任務の重み>
・数週間の教育が終わり、やがて、私が兄貴と呼ぶことになる内島洋班長のもとで仕事をすることになった。内島班は、内島班長、班員の根本、伊藤の3名で構成されていて、当時は、新宿区大久保の住宅地にあった2Kのアパートの一室を事務所としていた。
こうした諜報の拠点は、存在を隠すために、約2、3年ごとに転出をくり返すのだが、ここに私が新米諜報員として加わったのだ。
最初の担当地域は極東ロシアであった。このため、ロシア語を勉強しなければならず、夜間は御茶ノ水にあったニコライ学院に通った。
また、調査の縄張りに新宿区が入っていたことから、暇を見つけては、当時、四谷にあった伊藤忠の子会社であるロシア貿易専門商社「進展貿易」にもよく通ったものだった。
・伊藤忠は、元関東軍参謀の瀬島隆三が戦後に勤務した会社で、この瀬島とソ連(現・ロシア)との関係に疑問符がつけられていたことから、私も内偵をしたことがあるのだが、結局、これといった確証は得られなかった。
・秘密諜報員という任務の厳しさを思い知らされたのも、この時期である。
極東ロシアの軍事拠点であるナホトカとハバロフスクの白地図を、詳細な地図に作り直す仕事を私が担当することになった。今ならスパイ衛星などのハイテク機器を使うのだろうが、そんな代物などなかった時代だ。地道に見たこと、聞いたことを地図に書き込み、国防に役立てるしかなかったのだ。
・私は、まずナホトカの地図作りから取り掛かった。ナホトカと日本を行き来する木材積み取り船があったので、私は搭乗していた通訳を買収した。そして、通訳が現地へ行こうとするたびにカネを渡し、知りたい情報を仕入れてきてもらった。こうしてナホトカの地図は、ほぼ完璧に仕上がった。
<秘密諜報機関の誕生>
・諜報活動はいわば放任主義で、工作資金についても自由裁量でいくらでも使うことができた。私も湯水のごとく工作資金を使ったが、班長も先輩たちも一言の文句もいわなければ、何の注文をつけずに、ただ部下の行動を静かに見守るといった態度だった。
そこで昔のコネを思い出して、経団連副会長だった植村甲午郎の実弟である植村泰二が所長をつとめる「植村経済研究所」の人間として活動を開始した。だが、諜報員として成果を挙げて、先輩に負けてなるものかと努力すればするほど、ある疑問が心のなかで大きく育っていった。それはムサシ機関が得た成果を、米国側がすぐに知るという点だった。
<怪傑ハリマオのモデルと藤原岩市>
・この藤原岩市と山本舜勝は、ともに戦前の陸軍中野学校で教官をつとめ、藤原のほうは太平洋戦争の初期にF機関の機関長として、マレー半島で大活躍をした。戦後、テレビで大人気だった『怪傑ハリマオ』のモデルであり、マレーの虎「ハリマオ」と呼ばれた谷豊を諜報員として育成したのが、この藤原岩市である。
・また、後に調査学校の副校長に就任する山本舜勝のほうだが、彼は私の調査学校時代の教官で、青桐会の先輩と後輩として、友情は長く続い
た。山本は藤原とは対照的な、行動派だった。三島由紀夫と山本舜勝とのことは、『自衛隊「影の部隊」三島由紀夫を殺した真実の告白』(山本舜勝著 講談社)に詳しいので、興味のある方は一読してみるといいだろう。
藤原と山本は、私にとって人生の恩師といえる存在だった。
<秘密諜報員の日常>
・諜報は国防や国益に関わる重要な仕事だが、その内容は案外地味なものだ。上層部から「これをやれ」と命じられたら、「分かりました」と返事をし、任務遂行のため黙々と課題をクリアしていくだけである。ときには命に関わる危険な仕事もあるが、「007」のジェームズ・ボンドのように、さっと銃を抜いて敵を撃ち、危機を脱するようなことなどないのだ。
そして任務が完了したら、せっせと報告書を仕上げ、上司に提出する。ときには、部下数名と徹夜で報告書を書き上げたこともある。基本は、普通のサラリーマンと何ら変わらないのだ。
<国家の秘密は書にあり>
・何もジョームズ・ボンドの真似をしなくても、その国の正規の出版物をよく整理し、比較研究すれば、国の動きは読み取れるのだ。
とくに軍の機関紙である『解放軍報』には、表面的には隠していても、やはり書き手も軍の人間だから、軍人としてのプライドや思いといったものが滲み出た表現の文章がある。その裏を読んでいけば、かなり正確な情報がつかめるものなのだ。
『日米秘密情報機関』
「影の軍隊」ムサシ機関長の告白
平城弘通 講談社 2010/9/17
<日米秘密情報機関は生きている>
・「ムサシ機関」とは、陸幕第二部別班、通称「別班」のことを指す。昭和47~48年ごろ、共産党の機関紙「赤旗」によって、秘密謀略組織「影の軍隊」であると大きく宣伝をされ、国会でも追及を受けた組織だ。昭和48年(1973年)に金大中拉致事件が起きたときには、これも「別班」の仕事ではないかということで、また騒がれた。
・私は陸軍士官学校出身の職業軍人として中国大陸で転戦し、昭和26年(1951年)、警察予備隊(自衛隊の前身)に入隊した。22年間の自衛官生活のうち、中隊長(第8連隊第3大隊の第12中隊長)、大隊長(第7師団第7戦車大隊長)、連隊長(第7師団第23普通科連隊長)を務めた一時期以外は、大部分を情報将校として仕事にあたってきた。
・そのころは、米ソ冷戦時代で、両陣営の衝突は日本国内に甚大な影響をもたらすことは火を見るより明らかだった。自衛隊で早くからソ連情報を担当した私は、共産主義とは何か、その歴史的事実等に興味を持ち、研究を進めるうち、その非人道的な残酷な史実を突きつけられ、反共の思想を持つに至った。
・今日、非常の事態、たとえば大規模・同時多発テロ、北朝鮮の核攻撃、中国軍の南西諸島侵略など、現実の脅威に備えるため、政治家や国民が真剣に考えているのかどうか、誠に心許ない。しかし、情報機関は存在そのものが「秘」であり、いわんや活動の実態については極秘でなければならぬと信じている。
・さらに、三島由紀夫に影響を与えたとされている山本舜勝元陸将補(元自衛隊調査学校副校長)は、平成13年に出版した『自衛隊「影の部隊」 三島由紀夫を殺した真実の告白』で、自衛隊の諜報活動の存在を明らかにしている。
加えて近年、「自衛隊 影の部隊」に関する本が、塚本勝一元陸幕ニ部長(『自衛隊の情報戦陸幕第二部長の回想』)や松本重夫調査隊第一科長(『自衛隊「影の部隊」情報戦 秘録』)らによって相次いで出版され、さらに先述の阿尾が『自衛隊秘密諜報機関』を出して、そのなかで本人が別班に所属していたことを公表した。そして、「ムサシ機関」という秘密機関は実在し、機関長は平城一佐だったと暴露してしまったのだ…………。そのため私は、多くのマスコミから電話や手紙による取材攻勢を受け、その対応に苦慮した。
・とくに、その是非は別として、現在は専守防衛を国是とする日本では、情報こそが国家の浮沈を握る。その中心部分を担う「日米秘密情報機関」、いってみれば「自衛隊最強の部隊」が、その後、消滅したとは思えない。私は、現在でも、この「影の軍隊」が日本のどこかに存在し、日々、情報の収集に当たっていると確信している。
・明石元二郎大佐は日露戦争全般を通して、ロシア国内の政情不安を画策、日本の勝利に貢献した。そのため、彼の働きを見たドイツ皇帝ヴィルヘルム二世は、「明石元二郎一人で、満州の日本軍20万人に匹敵する戦果をあげた」と賞讃した。また、陸軍参謀本部参謀次長の長岡外史は、「明石の活躍は陸軍10個師団にも相当する」と評している。
明石のDNAを、自衛隊は、いや日本人は受け継いでいるのだ—―。
<東方二部特別調査班の活躍>
・私が力を入れた東方二部特別調査班(調査隊所属)は、昭和44年3月、編制を完了し、大阪釜ヶ崎を経て山谷に入り訓練を重ね、同年6月から本格的行動に移った。一部を横浜方面に派遣し、主力は山谷を拠点として、さまざまな集会、とくに過激派の集会には必ず潜入させ、各種の貴重な情報を入手させた。ただ、攪乱工作をやるような力はなく、もっぱら情報収集を秘密裡に行う活動だった。
私は武装闘争をいちばん警戒していたから、武器を持っているか、どのくらいの勢力か、リーダーは何をいっているのか、そのようなところに重点を置いて情報を収集した。
<三島由紀夫との出会い>
・私の二部長時代には、文壇では既にノーベル文学賞作家に擬せられる大家であったが、文人としては珍しく防衛に関心のある人物として、三島に好意を持っていた。
・その後、事件の詳細を知るにつけ、私が痛感したことがある。それは、三島の憂国の至情はわかるとしても、あのような内外情勢、とくに警察力で完全に左翼過激勢力を制圧している状況下で、自衛隊が治安出動する大義がない、ということだ。それを、事もあろうに、いままで恩義を受けた自衛隊のなかで総監を監禁し、隊員にクーデターを煽動するとは……。
<二将軍は果たして裏切ったのか>
・だが私は、三島がそれにあきたらず、自ら立案したクーデター計画の実行にのめり込んでいく様子に気づいていた。(中略)武士道、自己犠牲、潔い死という、彼の美学に結びついた理念、概念に正面切って立ち向かうことが私にはできなかった。(中略)
三島のクーデター計画が結局闇に葬られることになったのは、初夏に入ったころだった。私はその経緯を詳しくは知らない。(中略)
いずれにせよ二人のジェネラルは、自らの立場を危うくされることを恐れ、一度は認めた構想を握りつぶしてしまったのであろう。(『自衛隊「影の部隊」三島由紀夫を殺した真実の告白』山本舜勝、講談社)
<三島には大局観を教えなかったがために>
・以上のような山本舜勝氏の回想記を読んだ私の所感は次のようなものだった。
まず、山本一佐の教育は兵隊ごっこといわれても文句のいえないもの。情報活動の実務、技術は教えているが、情勢判断、大局観を教えていない。とくに、三島の檄文を除いて、この著書のどこにも警察力のことが書かれていない。三島のクーデター計画でも、警察力には触れず、いきなり自衛隊の治安出動を考えているが、自衛隊の出動事態に対する
研究がまったく不足している。
『自衛隊「影の部隊」情報戦 秘録』
松本重夫 アスペクト 2008/11
<影の部隊>
・かつてマスコミや革新政党から「影の部隊」あるいは「影の軍隊」と呼ばれ、警戒された組織があった。自衛隊にあって情報収集と分析を専門に行う「調査隊」だ。私は調査隊の編成からかかわった、生みの親の一人である。
・私は陸軍の兵団参謀の一人として、終戦を迎えた。戦後たまたま米国陸軍情報部(CIC)と接点を持ったことから、彼らの「情報理論」の一端に触れることになった。
それはかつて陸軍士官学校の教育にも存在していなかった、優れて緻密な理論体系だった。それを研究すればするほど、私は日本の敗戦の理由の1つは、陸軍のみならず日本の国家すべてが「情報理論」の重要さを軽視したことにあると確信した。残念ながら戦後半世紀以上たった現在も、その状況は変わっていない。
<「葉隠」の真意>
・1945(昭和20)年8月5日、私は宮中に参内して天皇陛下に拝謁を賜り、茶菓と煙草を戴いて、翌6日、陸軍大学の卒業式を迎えた。卒業式終了後、記念写真を撮り昼食の会食となる。そのころに、学生の仲間内で広島に大型爆弾の投下があったという噂を聞いた。その大きさは6トンまたは10トン爆弾かというような情報が流れ、「原爆」という表現は伝わらなかったが、しばらくして、「原子爆弾」という情報が不確定的ながら耳に入り、大変なものが投下されたなと思いつつも、各自、それぞれの任地に向かった。
<三島由紀夫事件の隠れた責任者>
・1970(昭和45)年11月25日、作家の三島由紀夫が「盾の会」会員とともに市ヶ谷自衛隊駐屯地、東部方面総監室に立てこもり、割腹自殺を遂げた。私は当時、既に自衛隊を退職し、情報理論と独自の情報人脈を駆使して、民間人の立場で「影の戦争」を闘っていた。
・三島事件の陰には調査隊および調査学校関係者がかかわっていたことは、山本舜勝元陸将補が『自衛隊「影の部隊」・三島由紀夫を殺した真実の告白』(講談社刊)という著書で明らかにしている。
私は、山本氏が三島由紀夫を訓練しているということは、それとなく聞いていた。
そのとき私は、「ビール瓶を切るのに、ダイヤの指輪を使うようなことはやめた方がいい」と話した覚えがある。私は、山本氏らの動きは、三島のような芸術家に対してその使いどころを間違えていると思っていた。
・山本氏は、私が幹部学校の研究員(国土戦・戦略情報研究主任)だったときに、調査学校長だった藤原岩市に呼ばれて、調査学校に研究部員として着任してきた。研究テーマは私と同じ、専守防衛を前提としての国土戦つまり遊撃戦(ゲリラ戦)であった。私はその当時、韓国の予備役軍人や一般国民で組織される「郷土予備軍設置法」なども参考にしながら「国土戦論」を練り上げていた。
・山本氏らが調査学校の教官となり、「対心理過程」などの特殊部隊の養成を担当することになった。それが前述したように当初の私の構想とは異なった方向に進んでいたことは気づいていた。結局そのズレが「青桐事件」となり、三島由紀夫に「スパイごっこ」をさせてしまうような事態を招いてしまうことになったのだといわざるを得ない。
・山本氏に三島を紹介したのは藤原岩市である。山本氏によって通常では一般人が触れることのできない「情報部隊の教育」を受けさせ、三島の意識を高揚させることに成功するが、三島がコントロールできなくなると、藤原らは一斉に手を引き、山本氏と三島を孤立させていく。そのあたりの経緯を山本氏の著書から引用してみよう。
《文学界の頂点に立つ人気作家三島由紀夫の存在は、自衛隊にとって願ってもない知的な広告塔であり、利用価値は十分あった》
《しかし三島は、彼らの言いなりになる手駒ではなかった。藤原らジュネラルたちは、『三島が自衛隊の地位を引き上げるために、何も言わずにおとなしく死んでくれる』というだけではすまなくなりそうだということに気づき始めた》
《藤原は三島の構想に耳を傾けながら、参議院選挙立候補の準備を進めていた。今にして考えてみれば、参議院議員をめざすということは、部隊を動かす立場を自ら外れることになる。仮にクーデター計画が実行されたとしても、その責を免れる立場に逃げ込んだとも言えるのではないか》
この山本氏の遺作は、三島由紀夫の死に対して自らのかかわりと責任の所在を明らかにすると同時に、三島を利用しようとした藤原岩市らかつての上官たちの責任を示し、歴史に記録しておきたいという意志が感じられる。
<田中軍団の情報員>
・かつてマスコミが竹下派七奉行として、金丸信元副総理を中心に自民党内で権勢を振るった人物を挙げていた。梶山静六、小渕恵三、橋本龍太郎、羽田孜、渡部恒三、小沢一郎、奥田敬和。この格付けには異論がある。
・この「七奉行」の表現から抜けていて、忘れられている人物に亀岡高夫がいる。彼は金丸のように目立って権力を行使しなかったが、「創政会…経世会」の設立時に、田中角栄の密命を受けて竹下を総裁・総理にする工作を、築地の料亭「桂」において計画推進した主導者の一人である。
・この亀岡高夫と私が陸士53期の同期生でしかも「寝台戦友」であることは既に述べた。しかもGHQ・CICと協力して活動した「山賊会」のメンバーであり、自衛隊時代そして除隊してから、彼が昭和天皇の葬儀のときに倒れて亡くなるまで、私の戦後の「情報活動」は亀岡とともにあった。
・私は亀岡と顔を見合わせた。「福田は来ていないな……」
福田は都議までしか挨拶に行っていない。下を固めろ。本部に戻ってその情報をもとに、方針を決めた。
「区議会議員と村長、市町村、これを全部やれ。県議は相手にするな」
電話で全国の田中軍団に指令を出した。県議も区議、村長も同じ1票。福田派は県議のところに行って、その下の国民に一番密着している人のところに行っていなかった。県議に行けば下は押さえることができるという、古い考え方だった。それを田中軍団が、ごっそりとさらっていった。
そのように密かに票固めを行っている最中に、福田の方から、国会での本選挙はやめようという申し出があった。田中は「しめた!」とばかりにその申し出を受け、劇的な勝利につながっていった。
この総裁選がいわゆる「田中軍団」のローラー型選挙の嚆矢といわれている。そのきっかけは私と亀岡の地道な調査活動にあったことはあまり知られていない。
<中国情報部の対日情報活動>
・やや古いが、その当時私が入手していた、中国の情報機関に関する情報をもとにこの問題を整理すると、次のような背景がわかった。
1974年当時、中国では国家安全省は誕生してなく、北京市公安局が国内外の情報を収集する機関としては中国最大の組織であり、約1万人ほどいたといわれる。当時の北京市公安局は13の部門に分かれていた。
・それぞれの科の中には、さらに最高レベルの秘密扱いにされていた外国大使館担当班が存在していた。第3処 尾行・視察調査 第4処 海外から送られてくる手紙などの開封作業を担当 (略) 第7処 不穏分子や海外からのスパイ容疑者の尋問
こうした北京市・公安局の活動に対して、日本大使館の防諜意識は信じがたいほど低かったとの情報もある。
29名いたとされる日本大使館に対する盗聴チームのもとには、常に新鮮なデータが集まっていたという(例:ある大使館幹部と、大使館員の妻とのダブル不倫関係まで把握していたほどであるという)。
・「対情報」の研究というのは今風にいえば対テロリズムの研究もそこに含まれる。そこではかつての大戦中の各国が行った生物・化学兵器の使用データの分析も行っている。
・資料が特ダネ式に入手されたとすれば、警視庁内の秘密保全のルーズさを示す“恥”となろう。しかし、これはどちらかといえば公安関係者からの意図的なリークに等しい。公安委員長(国務大臣)の責任・罷免に発展してもおかしくないのだが、ほとんどの国民は、この問題に関心を示すことはなかった。現実にはこの国では、こうした問題は機密漏洩対策の向上に役立てられることもなく、いわば政争の道具に利用されただけだ。「スパイ天国日本」という世界の防諜関係者からの汚名の返上は当分できそうにないようだ。
<●●インターネット情報から●●>
(CNN)( 2014/10/16)米紙ニューヨーク・タイムズは16日までに、イラクに駐留している米軍が化学兵器を発見し、一部の米兵がそれにより負傷していたにもかかわらず、米政府が情報を隠ぺいしていたと報じた。
記事によれば2003年以降、マスタードガスや神経ガスとの接触により、米兵17人とイラク人警官7人が負傷。彼らは適切な治療を受けられなかったばかりか、化学兵器で負傷したことを口外しないよう命じられたという。
「2004~11年に、米軍や米軍による訓練を受けたイラク軍部隊は、フセイン政権時代から残る化学兵器に何度も遭遇し、少なくとも6回、負傷者が出た」と同紙は伝えている。
同紙によれば、米軍が発見した化学兵器の数は合わせて5000個ほどに上るという。
「米国は、イラクには大量破壊兵器計画があるに違いないとして戦争を始めた。だが米軍が徐々に見つけ、最終的に被害を受けたものは、欧米との緊密な協力によって築き上げられ、ずっと昔に放棄された大量破壊兵器計画の遺物だった」と同紙は伝えている。
国防総省のカービー報道官は、この報道に関連し、詳細は把握していないと述べる一方で、2000年代半ばから10年もしくは11年までの間に、化学兵器を浴びた米兵は約20人に上ることを認めた。
ニューヨーク・タイムズは政府が情報を隠ぺいしようとした理由について、事故を起こした化学兵器の設計・製造に欧米企業が関与している可能性があったことや、製造時期が1991年以前と古く、フセイン政権末期に大量破壊兵器計画があったとする米政府の説を裏付けるものではなかったからではないかとみている。
<●●インターネット情報から●●>
< 2014年10月16日 6:48 >
15日付のアメリカ・ニューヨークタイムズ紙は、イラクでフセイン政権時代の化学兵器が見つかっていたと報じた。
それによると、イラク戦争後の2004年から11年にかけて、首都・バグダッド周辺でフセイン政権時代のマスタードガスやサリンなど化学兵器の弾頭5000発以上が見つかったという。弾頭は腐食していたものの、有毒ガスにさらされたアメリカ兵などがケガをしたとしている。アメリカ政府はこれまで、イラク戦争開戦の根拠とした化学兵器を含む大量破壊兵器は見つからなかったとしている。発見を公表しなかった理由について、ニューヨークタイムズは、化学兵器が欧米製だとみられたことなどを挙げている。
これについて国防総省は15日、イラクで化学兵器が発見されアメリカ兵約20人が有毒ガスにさらされたことは認めたが、公表しなかった理由については明らかにしなかった。
『メディアと知識人』 清水幾太郎の覇権と忘却
<東京が滅茶苦茶になる>
・そのような状況のなか、1970(昭和45)年を迎えることになった。清水は、満を持し、狙いをすましたように「見落とされた変数―1970年代について」を『中央公論』(1970年3月号)に発表する。
・世は未来学が流行っていたが、未来論はインダストリアリズムの反復と延長で、芸がなさすぎる。明るい未来学の潮流に反する問題提起こそ警世の言論となる。未来論に反する問題提起といえば、公害も社会問題となっていたが、これは猫も杓子もいっている。60年安保を闘った者がいまや公害問題に乗り換えている。目新しさはないし、そんな仲間と同じ船にまた乗っても仕方がない。そこで飛びついたのが地震である。アラーミスト(騒々しく警鐘を乱打する人)としての清水がはじまった。意地悪くいってしまえば、そういう見方もできるかもしれない。
・地震こそ清水の十八番である。清水は、16歳のとき関東大震災(1923年9月1日)で被災する。死者・行方不明者10万人余。2学期の始業式を終えて、自宅で昼食をとっているときである。激しい振動で二階がつぶれた。落ちた天井を夢中で壊して這いあがった。
・技術革新や経済成長によって自然の馴致がすすんだが、他方で自然の反逆がはじまったことを公害と地震を題材に論じている。清水は「私たち日本人は、遠い昔から今日までー恐らく、遠い未来に至るまでー大地震によって脅かされる民族なのであります」とし、論文の最後に、私たちにできることをつぎのように言っている。
・それは、東京を中心とする関東地方において、道路、河川、工場、交通、住宅、と諸方面に及ぶ公害の除去および防止に必要な根本的諸政策を即時徹底的に実施するということです。(中略)それは、或る意味において一つの革命であります。この革命が達成されなければ、1970年代に、東京は何も彼も滅茶苦茶になり、元も子も失ってしまうでしょう。
<「文春に書くわけがないだろうが!」>
・「見落とされた変数」は、来るべき大地震という警世論の頭出しだったが、翌年、『諸君!』1971(昭和46)年1月号には、「関東大震災がやってくる」というそのものずばりの題名の文章を書く。
<「関東大震災がやってくる」>
・清水は、地震学者河角広(元東大地震研究所長)の関東南部大地震の69年周期説――69±13年――をもとにこういう。関東大震災から69年は1991年である。13年の幅を考えると、1978(昭和53)年もその範囲内ということになる。とすれば、1970年代は関東大震災並の大地震が東京に起こりうるということになる。たしかに、東京都はいろいろな対策を考えているようだが、構想の段階で手をつけていない。そんなことで間に合うか、というものである。しかし、この論文には何の反響もなかった。「関東大震災がやってくる」を書いて2年8ヶ月のちの新しい論文では、これまで地震の危険を指摘した論文を書いたが、反響がなかったことを問題にし、こういう。
・・・私は、右肩上がりでの文章(「関東大震災がやってくる」論文――引用者)のゼロックス・コピーを作り、多くの国会議員に読んで貰おうとしました。けれども、私が会った国会議員たちの態度は、多くの編集者の態度より、もっと冷たいものでした。「地震は票になりませんよ。」
・1975(昭和50)年には、関東大震災の被災者の手記を集めた『手記 関東大震災』(新評論)の監修もおこなっている。清水の東京大震災の予言ははずれたが、「関東大震災がやってくる」から24年後、阪神淡路大震災が起きる。さらにその16年後の東日本大震災。清水は、地震は「遠い昔から今日まで――恐らく、遠い未来に至るまで」の日本の運命と言い添えていた。日本のような豊かな国が大地震のための「革命的」方策をとらないで大地震の到来を黙って待っているのか、といまから40年も前に警鐘を鳴らしていたのだ。
<論壇への愛想づかしと「核の選択」>
・「核の選択――日本よ 国家たれ」の内容はつぎのようなものである。第一部「日本よ 国家たれ」では、こういう。日本国憲法第九条で軍隊を放棄したことは日本が国家でないことを宣言したに等しい。しかし、国際社会は法律や道徳がない状態で、軍事力がなければ立ちゆかない。共産主義イデオロギーを掲げ、核兵器によって脅威をあたえるソ連の膨張主義がいちじるしくなった反面、アメリカの軍事力が相対的に低下している。したがって、いまこそ日本が軍事力によって海上輸送路の安全をはからなければ、日本の存続は危うくなる。最初の被爆国日本こそ「真先に核兵器を製造し所有する特権を有している」と主張し、核兵器の保有を日本の経済力にみあう軍事力として採用することが強調されている。
・第二部「日本が持つべき防衛力」は、軍事科学研究会の名で、日本は独自に核戦略を立てるべきだとして、日本が攻撃される場合のいくつかのシナリオが提起され、空母部隊の新設など具体的な提言がなされている。最後に国防費をGNP(国民総生産)の0.9%(1980年)から3%にする(世界各国の平均は6%)ことなどが提言されている。この論文は、主題と副題を入れ替え、1980年9月に『日本よ国家たれ――核の選択』(文藝春秋)として出版される。
論文が掲載されると、『諸君!』編集部に寄せ有られて賛否両論の投書数は記録破りになり、翌月号に投書特集が組まれるほどだった。
『未来を透視する』
(ソフトバンク・クリエイティブ)2006/12/21
<気象変動>
・来るべき気象変動により、2008年からこの台風の発生回数は増えていくと私は、予想している。とくに2011年は過去に例を見ない台風ラッシュとなり、大規模な暴風雨が吹き荒れる深刻な年になるとの透視結果が出ている。この台風ラッシュは、2012年にずれこむかもしれないが、可能性は低い。嵐の増加を促す地球の温暖化は、現在も急速に進行中だからである。
・2010年から2014年にかけて、また、2026年から2035年にかけて、平均降雨量は年々560~710ミリメートルずつ増加する。現在から2010年にかけて、また、2015年から2025年にかけては、380~530ミリメートルずつ減少する。現在から2010年にかけて、また、2015年から2025年にかけて、平均降雪量は300~550ミリメートルずつ増加する。
<日本の自然災害>
<2010年、長野で大きな地震が起きる>
・透視結果を見てもうろたえず、注意程度にとらえてほしい。ただし、最悪の事態に備えておいて、何も起こらないことを願おう。こと天災に関しては、透視は間違っているほうがありがたい。
<今後、日本で発生する大地震>
2008年 伊勢崎市 震度6弱
2018年 東京都 震度6弱
・噴火や地震にともなって海底では地盤の隆起や沈降が起きる。そして、膨大な量の海水が突然動きだし、衝撃波となって陸地の海外線へと進行する。
・遠洋ではあまり目立つ動きではないが、浅瀬に入ると、衝撃波は巨大な津波となって陸地を襲い、都市部などを徹底的に破壊してしまう(波の高さはときには30メートル以上になることもある)。
・内陸へと押し寄せる力がピークに達すると、今度は海に戻り始め、残された街の残骸を一切合財引きずりこんでいく。警告もなしに、突然襲ってくれば被害はとりわけ甚大となる。
・幸い日本には、優良な早期警戒システムがあるのだが、海底地震が発生して警報が発令されてから、津波が押し寄せる時間は、残念ながらどんどん短くなっている。
<日本を襲う津波>
2008年夏 11メートル
2010年晩夏 13メートル
2018年秋 11メートル
2025年夏 17メートル
2038年初夏 15メートル
2067年夏 21メートル
・日本は津波による大きな被害を受けるだろう(なお、波の高さが10メートル以上に及ぶものだけに限定している)。北海道の北部沿岸の都市部は特に津波に弱い。徳島市、和歌山市、浜松市、鈴鹿市、新潟市、石巻市も同様である。このほかにも津波に無防備な小都市は数多くある。
<土地>
・気象変動とともに、日本の土地問題は悪化しはじめる。沿岸部での海面上昇と、暴風雨の際に発生する大波によって、低地の村落と小都市の生活が脅かされるようになる。堤防や防壁といった手段は効力を発揮しないため、2012年から2015年のあたりまでに多くの人が転居を余儀なくされるだろう。
<●●インターネット情報から●●>
「人文研究見聞録」から引用
<五重塔の塑像の謎>
法隆寺の五重塔には、仏教における説話をテーマにした塑像が安置されています。
その中の「釈迦入滅のシーン」があります。これはガンダーラの釈迦涅槃図と比較しても大分異なる、日本独自のものとなっています。
そして、法隆寺の塑像群の中にいる「トカゲのような容姿をした人物」が混じっており、近年 ネット上で注目を浴びています。
問題の像は、塑像の○の部分にいます(実物では見にくいので、法隆寺の塑像のポストカードで検証しました)。
これらの像は侍者像(じしゃぞう)と呼ばれ、それぞれ馬頭形(ばとうぎょう)、鳥頭形(ちょうとうぎょう)、鼠頭形(そとうぎょう)と名付けられています。しかし、どう見ても「トカゲ」ですよね?
なお、この像がネットで注目を浴びている理由は、イラクのウバイド遺跡から発見された「爬虫類人(レプティリアン)の像」と酷似しているためなのです。
「爬虫類人(レプティリアン)」とは、世界中の神話や伝承などに登場するヒト型の爬虫類のことであり、最近ではデイビット・アイク氏の著書を中心に、様々な陰謀論に登場する「人ならざる者」のことです。
もちろん「日本神話」の中にも それとなく登場しています(龍や蛇に変身する神や人物が数多く登場する)。
また、この像は、飛鳥の石造物の一つである「猿石(女)」や、同じ明日香村の飛鳥坐神社にある「塞の神」に形が酷似しています(トカゲに似た奇妙な像は奈良県に多いみたいです)。
また、この「トカゲ人間」以外にも、以下の通りの「人ならざる者」が含まれていることが挙げられます。
① は「多肢多面を持つ人物の像」です。これは、いわゆる「阿修羅」を彷彿とさせる像ですが、実は『日本書紀』に「両面宿儺(りょうめんすくな)」という名の「人ならざる者」が登場しています。『日本書紀』には挿絵はありませんが、この像は そこに記される特徴と著しく一致します。
<両面宿儺(りょうめんすくな)>
仁徳天皇65年、飛騨国にひとりの人がいた。宿儺(すくな)という。
一つの胴体に二つの顔があり、それぞれ反対側を向いていた。頭頂は合してうなじがなく、胴体のそれぞれに手足があり、膝はあるが、ひかがみと踵(かかと)が無かった。
力強く軽捷で、左右に剣を帯び、四つの手で二張りの弓矢を用いた。そこで皇命に従わず、人民から略奪することを楽しんでいた。それゆえ和珥臣の祖、難波根子武振熊を遣わしてこれを誅した。
② 尻尾が蛇となっている人物の像
②は「尻尾が蛇となっている人物の像」です。日本には尻尾が蛇となっている「鵺(ぬえ)」という妖怪が存在します。これは古くは『古事記』に登場しており、『平家物語』にて その特徴が詳しく描かれています。その鵺の特徴は、この像の人物と一致しています。
③ 顔が龍となっている人物の像
④ は「顔が龍となっている人物の像」です。「日本神話」には「和爾(わに)」と呼ばれる人々が数多く登場し、かつ、海幸山幸に登場する山幸彦(ホオリ)に嫁いだトヨタマビメの正体も、実は「八尋和爾」もしくは「龍」だったとされています。また、仏教の経典である「法華経」の中にも「八大竜王」という龍族が登場しており、仏法の守護神とされています。③の仏像は、これらにちなむ人物なのでしょうか?
このように法隆寺の五重塔に安置される塑像には「人ならざる者」が複数含まれています。なお、これらは奈良時代のものとされているため、飛鳥時代に亡くなっている太子との関係は不明です。
また、オリジナルと思われるガンダーラの釈迦涅槃図とは著しく異なっており、どのような意図を以って上記の「人ならざる者」を追加したのかはわかりません。なぜ作者はこのような仏像を参列させたのでしょうか?
もしかすると、これらの像は釈迦入滅の際に人間に混じって「人ならざる者」も参列していた、つまり「人ならざる者は存在している」ということを示唆しているのかもしれません。信じるか信じないかはあなた次第です。
『防災福祉先進国・スイス』」
災害列島・日本の歩むべき道
川村匡由 旬報社 2020/6/29
・この狭い日本で1993年以降、地震や津波、火山噴火、さらには史上初めての原子力災害まで発生し、改めて世界にまれにみる災害大国であることを痛感させられたが、じつは、首都直下地震や南海トラフ巨大地震などではこれら以上の大規模災害や「広域災害」の発生が懸念されている。それも今後、30年以内に70-80%の確率でマグニチュード(M)7-9クラス、震度6弱以上といわれているが、これに新型コロナウイルス・ショックが加われば日本の政治や経済、社会ともども危機的な状況となり、“日本崩壊”のおそれさえある。
・ところが、肝心の政府と国と地方の債務残高が2019年度末現在、約1120兆円にのぼり、世界最悪の借金大国となっているにもかかわらず、財政の再建による社会保障や災害対策の強化よりも日米軍事同盟の強化にともなう防衛費の増額や原発の再稼働、東京五輪の再度の開催、新幹線の延伸など土建型の公共事業を強行、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義を三大原則とする日本国憲法に反した政権運営に邁進している。また、このような権力の横暴をチェックすべきメディアは政権の言論の自由への干渉に反発せず、むしろ忖度した報道に終始しており、国際社会から危ぶまれている有様である。
・このようななか、防災福祉先進国として注目されているのがスイス連邦(スイス)である。なぜなら、外国軍の武力攻撃や大規模なテロリズム(テロ)などの有事や災害時に備え、官公庁や駅、空港、学校、病院、社会福祉施設などの公共施設はもとより、民家やホテル、劇場、商店街、スーパーマーケット(スーパー)などに核シェルターを整備したり、食料・飲料水などを長期に備蓄したりして防災および減災に努める一方、「永世中立国」として専守防衛と人道援助による平和外交、また、諸外国の被災地への共助に努めているからである。
・そこで、このようなスイスにおける有事および災害時に備えた防災福祉の最新事情を紹介し、災害大国・日本における防災福祉コミュニティを形成すべく上梓したのが本書である。その意味で、本書がより多くの人たちに少しでも参考になり、日本がスイス並み、否、スイス以上の防災福祉コミュニティの形成、ひいては防災福祉国家を建設し、かつ国際貢献すべき方途となれば筆者としてこれにまさる喜びはない。
なお、1スイスフランは110円で換算している。また、文中の写真は過去、約20年余りスイスや国内各地の被災地などで調査・研究した折、すべて筆者が撮影したものである。
<「エネルギー戦略2050」>
・そこで、連邦政府は2016年に決定した「エネルギー戦略2050」に従い、予定どおり、現在ある5基も段階的に廃炉するとともに、今後、原発の新設をいっさい認めず、再生可能エネルギーに転換することになった。
具体的には、2050年に向け、アルプス山脈の豊富な水に恵まれている立地を生かし、ノルウェー、オーストリア、アイスランドに次いで盛んな水力をはじめ、風力や太陽光、グリーン・テクノロジーなどの再生可能エネルギーに転換し、環境の保全に取り組むことになった。このような官民一体となった取り組みは隣国・ドイツとともに国際社会から高く評価されている。
<国民生活>
<税金などの負担>
・ところで、スイスの国民はどのような生活を送っているのだろうか。
前述のように、スイスは分権国家で、かつ連邦政府や州政府、基礎自治体がそれぞれ独自の税制にもとづく税率を設定している。また、物価が世界一高いため、さぞ税金などの負担も高いだろうと思いきや、一時40%だった平均税率は2018年1月、追加徴税措置の終了にともない、付加価値税(消費税のような間接税)が2018年1月、8%から7.7%に引き下げられた結果、11.5-17.85%となり、アイルランドに次ぐ世界第2位の低さとなった。
・また、所得税や住民税、資産税、事業所得税などからなる総合税率も30.1%とルクセンブルク、アイスランドに次いで3番目に低い。近年、相続税と贈与税は課せられるようになったが、税率は州によって異なる。夫婦間の相続や贈与には課税されない。
一方、国民の約3割はパートタイム労働者のため、共働き世帯が大半だが、国民所得に対する国民全体の税金と社会保障の負担の合計額である国民負担率は税金が10.7%、社会保険料が6.2%の計16.9%と低い。
・もっとも、スイス人は持ち家にこだわらず、国民の約7割は賃貸住宅に住んでいるため、収入の4分の1から3分の1は家賃に消えている。
いずれにしても、物価がスウェーデンやデンマーク、ノルウェーなどの北欧諸国、あるいはそれ以上のスイスとはいえ、世界一高い給与のほか、税率が意外と低く、かつ交通が至便で治安もよいとあって世界的な国際金融都市・チューリヒは世界の富裕層や資産家、医師、弁護士、研究者に交じり、最近、高額所得者の世界のトップ・アスリートの移住が急増している。
<消費生活>
・スイスは物価が世界一高いため、ドイツやフランス、イタリアなどの国境近くに在住している住民はパスポートを持参、物価の安い国境にあるドイツやフランスなどのスーパーへ越境し、買い物に出かけているものの、2018年1月、消費税が8.0%から7.7%に引き下げられ、かつ書籍・食品代は2.5%の軽減税率、消費者物価の上昇率は0.2%にとどまっている。また、IMFの2017年調査によると、スイスの国民1人当たりの名目GDPは8万591ドル(約886万円)で、10万5803ドル(同1163万円)のルクセンブルクに次いで世界第2位にランキングしている。
・これに関連し、スイスは州政府、基礎自治体ごとに税率が設定できるため、最低賃金制が導入されていない。このため、貧困や少子化対策、社会保障の縮減の代替策として、成人に毎月2500スイスフラン(約30万円)、子どもに同625スイスフラン(同7万5000円)を連邦政府が無条件に支給するベーシックインカム(最低所得保障)の導入の是非をめぐる国民投票が2016年に行われた。
結果は反対多数で否決されたが、ベーシックインカムが導入した暁には公的年金と失業保険(雇用保険)を撤廃する代替措置まで議論されたほどだった。ちなみに、チューリヒ近郊の基礎自治体、ライナウ(人口1300人)に至っては2019年1-12月、住民全員に毎月2500スイスフラン(約27万5000円)を支給する社会試験を行うことになったが、スイスの給与の高さはそれほど世界一というわけである。
・参考まで、OECD(経済協力開発機構)の「世界貧困率ランキングマップ調査:2020年」結果をみると、総人口に対する貧困層の割合を示す貧困率は9.10%と世界162ヵ国中31位で、世界平均の11.0%である。このため、消費生活は比較的安定しているといえる。失業率も2.60%とまずまずである。
余談だが、スイスは「ノーチップの国」のため、外国人がスイスで買い物や食事をした際、チップを渡す必要はない。タクシーを利用したときに料金の10%を支払う程度である。もっとも、そのタクシーも交通インフラが充実しているため、よほど急いでいるときぐらいしか利用することもない。それだけ生活しやすく、かつ治安もよいというわけである。
<ボランティア活動>
・たとえば、中世以来、キリスト教徒は今なお毎月、地元の協会に教会税を納め、その宗教倫理である「隣人愛」にもとづく住民どうしの見守りや安否確認、日曜礼拝後の歓談を通じ、互いにコミュニケーションを図っている。また、国民の4人に1人がボランティア団体に属し、無報酬の各種地域活動に参加している。
なお、上述したように、スイスではベーシックインカムの導入の是非が国をあげて議論されるほど、いずれの職業でも高収入が保障されているため、大学に進学する人は国民全体の2-3割にとどまり、残りの8-7割は中学や高校、職業学校などを卒業し、社会人となっている。それというのも、日本のように大学に進学しなくても努力次第でサラリーマンになることができるほか、農林や観光などの自営業であれば大学卒でなくても安定した生活が保障されているからである。
・しかも、いずれも国立だけで公立や私立はなく、授業料は連邦政府が全額支給するため、無料である。このため、卒業後、政治家や官僚、一流企業の幹部になっても世話になった社会に還元しなければならないと考え、ボランティア活動に努める者がほとんどである。また、企業・事業所も社会貢献活動を社員に奨励している。まさにスイス古来の国民の自治と連帯による証左の一端がみてとれる。
<スイスの社会保障と有事対策>
<年金>
<公的年金>
・具体的には、年金は国民皆年金のもと、公的年金(基礎年金)、職場積立金(企業年金)、個人貯蓄(個人年金)の3階建てで、職業や居住地を問わず、すべての国民に適用される。
・これに対し、職場積立金(企業年金)は老齢・遺族基礎年金を上乗せし、定年退職後、これらの公的年金では足りない老後の生活費を補うもので、被用者は一定額を超える給与がある場合、その額に応じて掛金、企業・事務所はそれよりも少ない程度で資金を毎月、ともに企業基金に拠出する。
<医療>
<医療保険>
・スイスでも基本的に国民皆保険が導入されているため、すべての国民はもとより、スイスに在住する外国人も毎月、所定の医療保険の保険料を支払えば医療保険の対象になる。
<保健医療と救急医療>
・保健医療で受診する場合、まず州営保険会社が指定する地域の診療所のファミリードクター(主治医)に受診し、診察の結果、必要に応じて専門医が紹介される。
・また、スイスでは自殺幇助が合法化されている。なぜなら、本人の意思とは別に延命治療が施され、医療費の増大によって医療保険財政が圧迫されることを避けるとともに、何よりも本人が自分の死を選ぶ権利を選択する自由は保障されるべきだと考えているからである。このため、本人や家族の希望であれば病院やフレーゲハイム(特別養護老人ホーム)、アルタースハイム(養護老人ホーム)、有料老人ホームで主治医がその対応に当たる。この場合、主治医は点滴を開始後、臨終に至るまでの模様をビデオで撮影し、検視に訪れた警察官に殺人でない旨を証拠として提示する。安楽死とは別物と考える尊厳死を重視しているため、連邦政府は組織的な自殺幇助を法的に規制しようという意図を放棄し、現在に至っているのである。
・一方、スイスは国民皆兵性を敷いており、兵営を終えたのち、有事の際、
民兵として出動を要請するため、連邦政府は希望者には兵役後、使用したライフル銃や自動小銃を自宅に保管することを認めている。このため、このライフル銃や自動小銃を使って自殺したり、一家無理心中をしたりする者が年間約400人の自殺者のうち、半数にのぼっているが、20年前に比べれば3分の1に減少、また、WHOの2019年調査によれば「世界の自殺率ランキングで第10位にとどまっている。アメリカのように一般の国民や観光客、旅行者に乱射するような事件も起きていない。ちなみに日本の自殺率は第7位である。
なお、公衆衛生に関していえば、下水道の普及率は都市部はもとより、山岳部も100%完備している。
いずれにしても、スイスの医療保険は国民が州営保険会社と医療保険を自由に選べるが、近年、医療技術の高度化や国民の長寿化を受け、医療費はGDPの全体の1-2割近くを占め、ドイツやフランス並みに増えている。それでも、医療の技術や水準が世界トップクラスとあって国民の満足度は高い。
<介護>
<施設介護>
・高齢者や障害児者の介護は健康保険の介護給付として現物給付(介護給付)と現金給付(介護手当)に分かれており、介護施設には基礎自治体や地域の教会、NPOが運営する特別養護老人ホーム、養護老人ホームのほか、企業・事務所などが運営する有料老人ホームがある。
<在宅介護>
・在宅介護は訪問介護・看護事業所の訪問介護・看護、あるいは地域の特別養護老人ホーム、養護老人ホームへのデイサービス(通所介護)、あるいはショートステイ(短期入所生活療養・介護)である。
<子育てなど>
<子育て>
・子育ての施設は公営の幼稚園、または保育園が主だが、都市部、山間部を問わず、共働きの世帯が多い割にはいずれも不足しているため、十分整備されているとはいえない。また、前述したように、いまだに育児休業を保障する法律がないため、企業・事務所が1-2週間、給与を80%保証する独自の育児休業制度を導入して対応している。
<地域福祉>
・一方、スイス連邦統計局の2016年の「貧困の動学分析」によると、総人口の7.5%に当たる約61万5000人のうち、14万人は就業しているにもかかわらず、貧困である。その意味で、世界一高給与の国とはいえ、総人口の約1%は長期の貧困状態に陥っており、格差が広がりつつあることもたしかである。
<有事対策>
<専守防衛と人道援助>
・「蜂蜜は、いつも流れ出ているわけではない」――。スイスの有事での政策はズバリ、永世中立国としての専守防衛と人道援助による平和外交に徹している。
・具体的には、1914-1918年の第一次世界大戦までに、ドイツやイタリア、オーストリアとの国境や谷、断崖、峠などの山岳部に農家の作業小屋や穀物倉庫などに見立てたコンクリート製の要塞やトーチカ、兵舎、弾薬庫を建設、弾薬や爆撃個、兵器を格納、国境警備隊、さらに国際河川のライン川や湖に船舶部隊を常駐、警備に当たっている。
・その後、1962年、侵略者に対しては官民をあげ、焦土も辞さない覚悟で臨む「民間防衛」を連邦法で定め、有事に備えることにした。また、翌1963年、民間防衛関係法の一つとして避難所建設法を制定、官公庁や学校、駅、博物館など1000人以上の不特定者が自由に出入りする公共施設やホテル、レストラン、レジャー施設、さらに50人以上が入居可能なアパートやマンションなどの集合住宅、および民家の全世帯に鉄筋コンクリートの核シェルターを地下に整備することを義務づけた。
・核シェルターは厚さ20-30センチで、かつ避難ハッチ(非常脱出口)付きという堅牢なもので、全費用の75%を連邦政府が補助する。そして、官公庁や学校、駅、博物館などの公共施設やホテル、レストラン、レジャー施設は1年、アパートや全世帯は6ヶ月、スーパーは1年以上、小麦のほか、国民食のレシュティ(ロスティ)やチーズ、ソーセジ、パンなどの食料や飲料水は原則として2ヶ月以上、食器や調理器具、ガスコンロ、冷蔵庫とともに備蓄するほか、簡易シャワー・トイレやベッド、空気清浄器、自家発電機、卓球場、ジム、軍服、軍事車両も保管し、少なくとも半年間、避難生活を送ることができるように指示している。
・また、国民1人当たりの軍事費は世界159か国中、65位と少ない割には、その実力はかつてオーストリアのハプスブルグ軍と交戦して「スイス軍の不敗」を証明したほか、第ニ次世界大戦、ユダヤ人難民の受け入れを拒否し、ヒトラーにスイスへの侵攻を断念させたことからもわかるように、スイスの核シェルターの堅牢さ、およびスイス人の自治と連帯にもとづく結束はそれほど強いのである。
<民間防衛>
・一方、連邦政府国民保護庁は1962年に定めた「民間防衛」の具体化のため、1969年、『民間防衛』を260万部発行、全世帯に無償で配布し、基礎自治体の各教区、または地区ごとに攻撃、消防、救護、搬送、焼き出し、連絡、広報、道路の復旧、社会秩序の維持などの任務を平常時から国民が分担し、訓練を重ねておくように指示した。
・具体的には、固定式サイレンは4200ヶ所、移動式サイレンは3000台整備するなど世界一の普及率を誇っている。
・さらに、東西冷戦が終わった1989年以後、平和外交の一環として各地の扮装の仲裁役を買って出る半面、自国が有事の際、6時間以内に約4000人の連邦軍のほか、21万人の予備役、民兵も含め、計約50万人が武装、自宅に所持するライフル銃や自動小銃を持って出動し、敵国軍の侵略に反撃する体制を敷いている。
これらの人材の確保のため、2003年まで20-52歳の男子は兵役に就くとともに、健康や身体的な理由なので兵役に就けない者、および早期除隊者が「民間防衛」に従事し、州政府指揮下の消防団は軍、または「民間防衛」に付加的に就業、以後、各自の自由意思で参集することを課したが、翌2004年以降、兵役は30歳まで、保護支援ユニットは40歳までに短縮した。その後、20-32未満の男子に最低1年の兵役および有事に備えることを義務づけ、現在に至っている。
・しかし、スイスは、第一次世界大戦はもとより、第ニ次世界大戦後、今日まで連邦軍や予備役、民兵などが外国の軍隊の戦火を交えることはなかった。また、1996年に北大西洋条約機構(NATO)に参加したものの、核兵器は持たず、先制攻撃のための武器は絶対に使用しないことを国是としていることは今も変わりはない。
それだけではない。日本が1945年8月、第ニ次世界大戦での敗戦を認め、連合国軍に「ポツダム宣言」を受託する際、その仲介をしたのはじつはスイスだった。
<災害対策との連携>
・なお、1955年、従来の国民に対する「民間防衛」の義務に新たに防災のための目的を加え、翌1956年以降、兵役の代わりに防災訓練への参加を選択できる代替制度を発足した。そして、2004年、各州政府の指揮における消防、警察、医療、電気・ガス・水道などのテクニカル(ライフライン)、連邦政府の指揮における保護支援の5つのサービスに組織を再編、連邦政府と各州政府の指揮・命令系統を連携した「市民保護」とした。
・一方、多くの国民は2006年以降、自宅に限り任意とされた核シェルターをその後も自費で自宅の地下に設け、食料や飲料水、調理器具、空気清浄機などとともに兵役時代に使用したライフル銃や自動小銃を保管、有事に備えており、その普及率は約650万の全世帯に及ぶ。また、全国の病院などにも計約10万ベッド分がある。これらの建設基準はアメリカが広島、長崎両市に投下した原子爆弾クラスが平均約660m以内で投下されても爆死はもとより、重傷も負わない堅牢さとされ、1基当たり23万スイスフラン(2530万円)前後の代物で、東日本大震災および東京電力福島第一原発事故以来、日本の住宅機器メーカーが開発、販売している50万-840万円ほどの家庭用核シェルターとはその設計や設備、規模、強度などの点で雲泥の差がある。
・ちなみに、日本における普及率は政府の補助も認識もないとあって、2018年現在、わずか0.02%にすぎず、かつ内部の備蓄用品や機器、さらには地域における災害、また、有事への取り組みも行政や消防署、警察署、消防団、自衛隊、それに町内会や自治会、集合住宅の団地自治会や管理組合など一部の住民有志による組織で、かつセオリー的な防災訓練などの取り組みにとどまっていることを考えれば家庭用核シェルターがあるに越したことはないが、気休めにすぎないおそれもある。
・このため、国際社会では「将来、万一、核戦争になっても生き残ることができるのはアメリカ人とスイス人だけ」といわれている。だが、有事でも災害時でも自国の国土が維持され、市民保護さえ果たせられればよいと考えているわけではない。
<災害の危険度>
<自然災害>
・実際、過去約700年間、地震らしい地震が発生したのはフランスとの国境にあるバーゼルだけで、1356年、M6.5を記録、中世の古城や教会、塔などが倒壊した程度である。そのせいか、住宅などの建築の耐震基準が定められているのは全26の州のうち、このバーゼルとローヌ川沿いのワインの山地、ヴァレーの2州だけである。
<スイスと日本>
・スイスはドイツやフランス、イタリア、オーストリアの列強に接する小国でありながら、多言語・多文化共生の国である。また、ゲルマン民族を中心に湖畔や断崖、渓谷、丘陵地、高原、平原・平地に集落を形成、キリスト教の宗教倫理である「隣人愛」、「コープ・スイス」・「ミグロ生協」の二大生協および国民の「REGA(航空救助隊)」などへの加入にみられるように国民の自立と連帯が強い。
<防災福祉コミュニティの形成>
<災害保障の概念化>
・スイスに学び、日本における防災福祉コミュニティを形成するために必要なことの第1は、災害保障を新たに概念化することである。
・しかし、2065年の本格的な少子高齢社会および人口減少のピークを前に、2018年、「全世代型社会保障」と銘打ち、年金や医療、介護、子育てを拡充すべきとしながらも消費税収入のほとんどは2019年度末現在、総額約1120兆円と膨れ上がっている長期債務残高の補填に大半を充てている。また、毎年、自民党へ多額の政治献金をしている日本医師会や製薬会社などに関わる医療へのメスは棚上げしたまま社会保障給付費を抑制する傍ら、防衛費や宇宙開発費の増強や東京五輪、新幹線、高速道路の延伸など土建型公共事業を推進しており、「1億総活躍社会」や「全世代型社会保障」、「働き方改革」、「地域共生社会の実現」などいずれもかけ声だけでその検証はされず、かつ災害対策は二の次、三の次である。
<公助・自助・互助・共助のベストミックス>
・第2は、公助・自助・互助・共助をベストミックスとすることである。
具体的には、政府はここ数年、介護保険における地域包括ケアシステムの推進にあたり、本来、政府や自治体による公的責任としての公助であるべき介護保険など、社会保険は国民が消費税など税金や社会保険料、利用料を負担する共助であることを強調している。
<有事と災害対策の再編>
・第3は、有事と災害対策を再編することである。
・一方、自治体、とりわけ、市町村は政府の主導のもと、過去の災害の有無や地形などの検証をふまえ、地域防災計画や地区防災計画、ハザードマップ、国民保護計画の改定はもとより、おにぎり、パン、各種レトルト食品、缶詰などの食料や飲料水の備蓄、避難経路、避難場所、一時避難所、福祉避難所、医療救護所、避難協力ビル、自主防災組織や消防団の拡充、防災教育の徹底、避難訓練の参加への広報、災害ボランティアの普及啓発に努める。
<地域防災・地域福祉と国民保護の融合>
・第4は、地域防災および地域福祉と国民保護を融合することである。
具体的には、まず地域防災と地域福祉を連携すべく市町村の地域福祉計画および地域防災計画と市町村社協の地域福祉活動計画を連携、または一体化して防災福祉計画とする。
<防災福祉文化の醸成>
・そして、第5は、防災福祉文化を醸成することである。
具体的には、政府や自治体はもとより、企業・事務所、国民も自宅や学校、職場など周辺の地形や立地、地盤、建物の耐震状況、通勤・通学・通院・通所などの避難経路、商店街や老朽化したオフィスビル、タワーマンションおよびその周辺の危険個所、さらには郷土史やウェブサイト、防災アプリで過去の災害の有無をチェックすべきである。
<防災福祉国家・防災福祉世界への地平>
<防災福祉教育の推進>
・最後に、この国の防災福祉国家への地平を拓くため、政府や自治体、企業・事務所、国民はどのような取り組みが必要か、提起して結びとしたい。
第1は、関係者が一丸となって防災福祉教育を推進すべきである。なぜなら、いくら政府や自治体がその気になっても、国民が各家庭や学校、地域、企業・事務所において防災教育を学び、防災福祉文化を醸成して防災・減殺に努めなければ「絵にかいた餅」に終わってしまうからである。
<防災福祉コミュニティの広域化>
・第2は、防災福祉コミュニティの広域化を図ることである。なぜなら、大規模で広域な災害が発生した場合、避難所が満員となって収容できなくなるからである。
<防災福祉先進国との共生>
・第3は、防災福祉先進国との共生を推進することである。なぜなら、スイスは有事を想定した総合安全保障、あるいは「民間防衛」にもとづき「永世中立国」として専守防衛と人道援助による平和外交をベースに災害対策を連邦政府の主導および官民一体で取り組んでおり、参考にすべき点が山ほどあるからである。
<防災福祉国家の建設>
・第4は、防災福祉国家を樹立することである。なぜなら、当該地域における防災福祉コミュニティの広域化にとどまるのであれば、国家としての有事、災害時における国土の維持や防衛、減災に拡充されないからである。
<防災福祉世界への貢献>
・そして、最後に第5は、防災福祉世界に貢献することである。なぜなら、スイスに倣い、日本も有事、災害時における防災福祉コミュニティの形成、ひいては防災福祉国家の建設に努め、かつ防災福祉世界へと普遍化しなければ有事および複数の国や地域に及ぶ大規模災害に対応できず、災害危険度の高い国や地域は旧態依然として有事、災害時における国土の維持や防衛、防災・減災とはならないからである。
<日本人が移住したい国>
・世界の関係機関の様々な調査によると、日本人が移住したい国としてスイスは必ずといっていいほどベスト10に入る。その理由として治安がよく、景観がすばらしいことが挙げられている。
しかし、スイスは北欧諸国並みに物価が高く、ゲルマン民族の血を引くだけに、大和民族などを主とする日本人が単にアルプス山脈や中世の家並みなどの景観へのあこがれなどだけでスイスへ移住することは困難である。この20年以上にわたる現地の調査を機に知り合ったスイス人と国際結婚した日本人女性のほとんどは、夫を見送ったあと日本に帰国して老後を過ごしたいと異口同音に話している。
・この点、日本は第ニ次世界大戦後、約75年にわたり一貫して対米従属および大地主と大企業の利益誘導の政治・経済体制のもと、有史以来、各地で頻繁に繰り返される自然災害に対し、旧態依然とした対処療法であるばかりか、東京電力福島第一原発事故後、9年経ったにもかかわらず、被災者の賠償や補償、汚染物質の処分も責任者の追及もされないままである。
・日本にとって、政府の主導および自治体も含めた公的責任としての公助をベースに、国民の自助と公助、さらには被災地以外の災害ボランティアや企業・事業所の共助のベストミックスによる防災福祉コミュニティの形成および広域化、さらには防災福祉国家を建設する意味で、単にスイスのプラス面にだけ注目するのではなく、このようなマイナス面も学び、窮極的には有事および災害対策はスイス、社会保障・社会福祉は北欧諸国、また、国際社会における立場は非武装中立のオーストリアに学ぶことが最善である。
『世界一豊かなスイスとそっくりな国 ニッポン』
川口マーン恵美 講談社 2016/11/1/
「幸福度世界1位」の条件は全て日本にも揃っている!!
あとはスイスに見習うだけ
<貴族の金儲けのための傭兵>
・ただ、スイス人がその能力を存分に発揮できるようになったのは、いってみれば、つい最近の話だ。それまでの彼らの歴史は残酷なほど暗い。『アルプスの少女ハイジ』の作者であるヨハンナ・シュピリ(1827-1901年)は、スイスを舞台に多くの小説を残したが、どの作品もあまりにも絶望的だ。
父親が医者で、本人はチューリッヒの学校まで出た。「上流階級」でありながら、作品に登場する彼女が育った土地の貧しさや閉塞感は凄まじい。外へ一歩出ると、孤児が餓鬼のようにさまよい、どこの家庭でも婦女の虐待は日常茶飯事だった。山奥の貧困はさらに激しく、一度も洗ったことも梳いたこともないような髪の毛を頭の上に帽子のように乗せた人間が暮らし、近親相姦が常態となっているような孤立した村もあったという。
・山がちな国土では、人口が増えればたちまち食料が不足した。輸出するものは人間しかなかった。それゆえ、スイスは中世以来、ヨーロッパのあらゆる戦線での戦士の供給国となっていったのだが、そのスイス傭兵の歴史は、あまり知られていない。
ヨーロッパの戦争は、常に傭兵の戦力で行われてきた。イタリアで傭兵が活躍し出したのは、13世紀末だ。
・さて、中世のスイス誓約同盟の3州では、州の支配者である貴族たちが、金儲けのためにヨーロッパの各国と傭兵契約を結んだ。つまりスイスの傭兵というのは、各人が自分の才覚で雇用契約を結んだわけではなく、いわば国家の斡旋によるもの。州政庁が安くかき集めた傭兵を、諸外国に高く輸出したのである。
支配者であった貴族たちが、その利ざやで懐を肥やしたことはいうまでもない。15世紀、すでにスイス人が、ヨーロッパの傭兵の主流を占めていた。
<傭兵ではなく植民地人や黒人を>
・書き始めるとキリがないが、アメリカ軍における日系移民で構成された442連隊は、ヨーロッパ戦線のいちばん危険なところに投入され、めざましい活躍と、最悪の死傷率を残した。しかし、当時、442連隊の勇敢な功績は無視され、凱旋パレードには、日系兵士の姿はついぞなかった。
一方、サイパン島の攻略では、上陸してきたアメリカ兵は全部黒人だったし、朝鮮戦争が勃発すると、日本に駐屯していた兵士のうち、黒人兵だけが最前線に送り出された。これは松本清張の『黒地の絵』に描かれているが、このときの黒人兵は、ほとんど戻ってきていない。
<永世中立国だからこそ強い軍隊を>
・現在、スイスが輸出しているのは、ハイテク武器だけでなく、軍事ノウハウも含まれる。軍隊の規模は人口の2%近く、男女平等を期するため、女子にも徴兵制を作るべきではないかという議論さえあるという。
成人男子には、最初の兵役が終わったあとも予備役があるということはすでに書いたが、興味深いのは、そのため各自が銃を自宅に保管できることだ。2011年、これを見直すべきかどうかという国民投票が行われたが、反対多数で否決された。
つまりスイスでは、兵役を終えた男性のいる家庭には、その男性が予備役に行く年齢(20歳から34歳)であるあいだ、ずっと銃がある。現在は、銃弾は有事のときにのみ支給されることになったが、少し前までは、銃弾も各自が保管していた。
・いずれにしても、スイス人の国防意識は高い。永世中立国であるから、集団的自衛権は持たず、NATOにも加わらず(平和のためのパートナーシップのみ)、自分の国は自分で守るというスタンスを貫いている。
彼らは、中立を宣言したからといって攻撃されない保証などないということを、ちゃんと知っている。自国の国土と国民を守るためには、強い軍隊を持たなくてはならず、その結果、ようやく得られるものが平和だと考える。
<日本の核シェルター普及率の衝撃>
・また、つい最近までは、スイスの家は必ず地下に核シェルターを備えなければならないという法律もあった。ドイツではどこの家にも地下室があるので、そのようなものを少し強化した防空壕かと思ったら、そうではなく、本当にコンクリートと金属でできた頑丈な核シェルターが各戸に設置されていた。
しかも、非常食、衛生設備、酸素ボンベなどを完備し、2週間は暮らせるものでなくてはならないなどと決められている。自治体の担当の部署から、抜かりはないか見回りに来ることもある、という話だった。
そこまで設置を徹底していた核シェルターだったが、2012年、ついに法律が改正され、自治体に1500スイスフランを払って最寄りの公共シェルターに家族分のスペースを確保すれば、自宅には設けなくても済むことになった。1960年より続いていきた国防対策の一つが、ようやく緩和されたのである。
公共シェルターは、全国に5000基あまり。病院や学校といった公共の建物の地下にあるシェルターと合わせると、その数は30万基にも上るという。全人口の114%の収容が可能だ。
ところで世界での核シェルターの普及率は、イスラエルが100%、ノルウェーが98%、アメリカが82%、ロシアが78%、イギリスが67%、シンガポールが54%、そして日本は0.02%だそうだ。
もっとも、広島の原爆投下時の状況について様々な知識のある日本人にしてみれば、核シェルターと聞いても、あまりピンと来ない。いつ駆け込むのか、いつ出るのかなど、様々な疑問が湧いてくる。しかし、それはさておくとしても、やはりいちばん衝撃的なのは、日本人には危機感が完全に欠落しているという事実に気づかされることではないか。
<スイス人の危機感から学ぶ国是>
・いま大都市の地下道を核シェルターとして利用可能にするという話があるらしいが、考えてみれば、核攻撃にしろ、災害にしろ、スイスよりも格段に危ういのが日本だ。北朝鮮が飛ばしてくるミサイルは、現在、日本近海に落ちているが、手に入れた物は使ってみたくなるのが人情だ。近い将来「偉大なる指導者」が、そのミサイルに、ようやく完成した核を搭載しないとも限らない。また尖閣諸島周辺では、中国の公船や戦闘機が、自由に日本の領海や領空を侵犯し続けている。
・しかし、平和憲法を拝んで、私たちは戦争を放棄しましたと唱えても、戦争が私たちを放棄してくれたわけではない。しかも、いま私たちの置かれている状況においては、攻撃される可能性は間違いなく大きくなってきている。
日本もスイスを見習って、各自が危険を察知するアンテナを、しっかりと立てたほうがよい。攻撃されないためには、抑止力としての武装が必要であるという事実も、そろそろ冷静に認めるべきではないか。
武装は戦争を始めるためにするものだという考えは短絡的で、しかも間違っている。それはスイスを見れば、一目瞭然だ。
・スイス人の危機感と、現実的な視点を、日本人は真剣に学んだほうがよい。「備えあれば憂いなし」を国是とするべきだ。
<1970年まで続いた奴隷市場>
・2016年4月27日、スイスの下院は、かつて国家が強制労働させた子供たちに対して補償金を支払うことを決めた。
この強制労働は、戦時下に外国人の子供をこき使ったという話ではない。被害者はれっきとしたスイス国民で、スイスは1800年から1970年ごろまで、なんと160年以上も、貧困家庭や離婚家庭の子供たちを教育という名目で強制的に「保護」し、孤児院に入れたり、「里子」として斡旋したりしていた。
これはもっと侮蔑的な「Verdingkind=子供召し使い(?)」という言葉で呼ばれていたのだが、この差別的雰囲気をうまく日本語に訳せないので、ここでは「里子」としておく。「里子」の引き取り手は、主に安い労働力を欲していた農家などだったが、ときに炭鉱で働かされたり、薬物実験に回されたりする子供もいたという。
いくつかの州においては、「里子」を取引する市場が定期的に開かれた。そこで子供たちは家畜のように吟味されたというから、まさに奴隷市場だった。
ただし、本当の奴隷市場とは違い、引き取り手はお金を支払うのではなく、「里親」として国から養育費をもらった。競売とはちょうど反対で、養育費を少なく要求した人から順に、子供をもらえたのだという。そして子供の人権は一切剥奪され、実質的には、「里親」となった人間に生殺与奪の権利が与えられた。
こうなると、子供たちの運命は「里親」によって決まる。多くの子供たちは4、5歳ぐいから、賃金も小遣いももらえないまま、ただ、働かされた。戦後は、最低限の義務教育は受けさせてもらったが、それより以前は学校などとは縁がなかった。
虐待は日常茶飯事で、さらに運の悪い子供たちは、飢えや寒さや性的虐待にも見舞われた。妊娠すれば堕胎させられ、断種や強制避妊も行われた。しかし、虐待がわかっても、警察や行政はほとんど介入することはなかった。
要するに、子供たちは社会のクズのような扱いを受け、お金がないのでいつまでたっても自立できず、農奴の状態を抜け出せないまま一生を終えることも稀ではなかった。
1910年には、スイス全土で14歳未満の子供たちの4%もが、「里子」に堕されていた。歴史家マルコ・ロイエンベルガーによれば、児童労働は国家の政策として、組織的に行われていたという。
<子供の強制収容が中止された年は>
・驚くべきことに、この「里親」制度が正式に中止されたのは1981年である。この年、ようやくスイスは、これまで行ってきた子供の強制的な収容や「里親」への引き渡し、避妊手術や堕胎、強制的な養子縁組などを停止した。
そのあと2005年には、法務省の指示で過去の「里親」制度にメスが入れられ、下院が法改正を提案したが、いつの間にかうやむやになり、6年後には立ち消えになってしまった。
<スイスで根絶されるべき人種とは>
・スイスのやり方は、ロマに対しても徹底的に過酷だった。ロマとはいわゆるジプシー(差別語)で、東欧やバルカン半島に多く住んでいる。それらの国では、ロマはいまでも激しい差別を受けているが、その対応の仕方は、基本的に「無視」である。早い話、ロマはいないものとして社会が構成されている。
社会が受け入れないから、ロマたちはもちろん、ちゃんとした職にも就けない。多くの町のあちこちで物乞いをしたり、ゴミを漁ったりしているが、普通の人の目には、その姿さえ見ないも同然なのだ。
アルバニアでもブルガリアでも、現地でそれを如実に感じた。「ロマがいるから、ハンドバッグに気をつけて」と注意してくれる人の目には、ロマは煩わしい害虫と変わりがなかった。なるべく遠くの集落に住み、なるべく社会に害を与えずにいてくれればそれでよいのだ。ロマの人権はもとより、状況の改善などを本気で考える人は、政治家にもほとんどいないというのが、私の印象だった。
・ところがスイスは違った。ロマは根絶されるべき人種だというのがこの国のエリートの考えであったようだ。それゆえ、無視はせず、赤ん坊が誘拐のように連れ去られ、施設に閉じ込められたり、「里子」に出されて強制労働に従事させられたりした。収容施設では寒くて薄暗い独房に閉じ込められ、親に会わせてもらうことも一切なし……そんなロマの子供たちがたくさんいたという。
また子供だけでなく、大人も多くが強制的に施設に収容され、断種が積極的に行われた。スイスのロマは、生まれてから死ぬまで犯罪者のように扱われたのだ。
ロマの子供の「保護」は、1912年に設立された「青少年のために」という公共団体の主導のもとに行なわれ、とくに1926年からは浮浪児援助の部局が設けられ、ロマ対策に当たり、スイス政府も1930年ごろから積極的に協力し始めたという。
<EU農家の収入の半分は補助金?>
・EUはECの時代より、常に農業部門に、最大の補助金を注ぎ込んできた。戦後、食料の供給が最重要事項の一つであった時代の名残だが、いまでは食料は、どちらかというと余っている。それでも、一度奮発した補助金を縮小することは難しいらしく、現在、EUの農家が受け取っている補助金の額は、ケースバイケースだが、その収入の4分の1から半分を占めているという。
ただ、多くの補助金を注ぎ込んでいるわりには、EUの農業政策には無駄が多い。目的とは違うところで補助金が消えてしまっている例が、跡を絶たない。牛乳の値段を安定させるためだった生産量の割り当て制度も、極端なミルクの池やバターの山を減らすことには役立ったが、牛乳の値段はそれほど安定することはなかった。
『スイス人が教えてくれた「がらくた」ではなく「ヴィンテージ」になれる生き方』
多根幹雄 主婦の友社 2016/5/25
<スイスのパンがまずいワケ>
・最近でこそ、だいぶ改善されましたが、スイスのパンのまずさはヨーロッパでも評判でした。パンを焼く技術が低いせいではないのです。安全保障のために1年間、備蓄をしておいた小麦を使うからおいしくない。日本流でいえば、わざわざ古米を食べるわけです。
・また自宅にも、いざ戦争が起こったときの備えを欠かさないのがスイス流です。
マンションでも一戸建てでも、地下には核シェルターが備えられています。厚さ50センチを超えるドアがついていて、いざ有事になったら、この中に入って外部から遮断できるようになっているのです。
私が購入したマンションにも共同で使うシェルターがあり、各部屋ごとに簡単な間仕切りもありました。
・またジュネーブの街には公共の駐車場が地下に造られていて、いざというときは、そこも核シェルターとして使えるように設計されているそうです。地域の人たちが逃げ込んでも大丈夫なように、3日分の非常用食品や水の備蓄があり、さらには病院としても使えるように医療用器具、ベッドがあり、万が一、放射性物質にさらされてしまったら、それらを除染できるような施設もあるとのこと。私の事務所の近所にもそういった場所があり、日本にある地下駐車場などより、ずっと地下深くまで駐車場が造られていたのを覚えています。
<自分たちの力で国を守る国民皆兵制>
・スイスには徴兵制度があります。
永世中立国スイスでも徴兵制を導入しているので、日本も導入しているので、日本も導入すべきだという評論家もいるようですが、スイス人と国との関係を無視した不用意な意見だと思います。スイス人にとって徴兵制は、国の強制というのとはちょっと違います。「自分たちのコミュニティを自分たちで守るのが当然」という考えの延長線上で、「自分たちの国を守る」という意識が強く、主体性を持った参加をしているようです。
・スイスの家庭には、政府が発行している『民間防衛』というマニュアル本が置かれています。日本でも訳本が出ていて、内容を見ることができますが、国土の防衛について驚くほどこと細かく解説されています。
食糧や燃料の備蓄のこと、避難所に必要な装備、安全な場所への非難の仕方、原子力爆弾についての解説、生物兵器・化学兵器への対応方法、被災者への支援、救護班と応急手当、さらにはレジスタンス(抵抗活動)の仕方まで記述されているので、日本人にとっては驚くべき内容かもしれません。
<自由と独立を守るのは、自分たち自身の力なのだという決意>
・「国土の防衛は、わがスイスに昔から伝わっている伝統であり、わが連邦の存在そのものにかかわるものです。……武器をとり得るすべての国民によって組織され、近代戦用に装備された強力な軍のみが、侵略者の意図をくじき……われわれにとって最も大きな財産である自由と独立が保障されるのです」
・スイスは国民皆兵制なので、一般的に男性は20歳になると、15週間の兵役訓練があります。そして42歳になるまで、2年ごとに20日間の訓練を合計10回行います。合計すると200日の訓練義務があるというわけです。この間、軍と企業が負担して給料を支払います。
軍事訓練ですから、銃の扱い方も学びますし、体力的にも厳しい内容です。ただ最近では民間病院での奉仕活動などの選択肢もあるようです。また訓練期間中、土日には必ず家に帰れるというのも、どこかスイス的ですね。
さらに43歳から52歳までの男性には、民間防衛と災害援助のボランティア義務があります。
災害には①一般災害、②水害、③放射能という3つの種類があります。ある時期まで原子爆弾の脅威があったので「放射能」に対する備えもしているのでしょう。それぞれサイレンの音が異なり、それを聞くことで識別できるように訓練を行うそうです。
<自分たちの命は、まず自分たちで守る>
・また日本では考えられないことですが、兵役訓練を受けた男性は自宅に武器をワンセット置いておき、いざというときに備えています。機関銃、缶に入った銃弾は年に一度の点検が義務づけられていて、時折、軍から呼び出しがあって射撃訓練を受けます。そこで成績が悪いと、また別途、特別訓練を受けなければいけないというので、なかなか大変です。自宅に銃があっても、きちんと使えなければ意味がないので、そこは徹底して教育しているのです。
この他、自宅には軍服、コート、軍靴、リュックサック、ヘルメット。飯ごう、コップ、スプーン、アーミーナイフ、水筒、ガスマスク、薬セット、銃の手入れセットなども常備して、コミュニティを守るべく、準備しています。「ヴィンテージ」を目指すためには、実用的な準備が必要なのですね。
<「自由」と「自立」を守るには覚悟が必要>
・永世中立国を維持する」とはどういう意味なのか。それが、どれだけ大変なことなのか。スイス人の「防衛」に対する決意を見るとよくわかりますし、私たち日本人の中にある感覚とはまったく異なることに気づかされます。
日本人は「平和賛成!」と言うけれども、では「どうすれば、それを実現できるのか」についての議論がないのです。スイス人は「1年前の古い小麦で作ったパンを食べる」というつらいことも引き受け、また国民皆兵という厳しい義務をまっとうしながら「自由」と「独立」を守っています。その覚悟を、私たちも学び、理解しなければならない時代になっているのかもしれません。