UFOアガルタのシャンバラ 日本は津波による大きな被害をうけるだろう

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プリケは、専門の立場から、蒸発した人々は次元の断層へ落ちたのではないかという仮説を述べています。(1)

 

 

『名作童話の秘密』

残酷民話が不朽の童話に替わる背景

志茂田景樹  Kiba Book 1999/6

 

 

 

<外国や日本の民話・昔話が秘めた真実>

・本書のテーマは外国や日本の民話・昔話が秘めた真実をとりだしてみることによって、人間に潜在している邪悪性や、あくなき欲望について考え、ひるがえって人間にとって貴いものはなにかを知ろうということです。

 

・しかし、グリム童話は、ほんとうの意味で言えば、童話ではありません。ドイツの民衆のあいだで、長く伝承されていた民話を、グリム兄弟が集めた民話集です。「子どもと家庭の童話」という原題で、1812年に初版が刊行されています。グリム兄弟は、数多く集めた民話のなかから、子どもに向いていて、家族がみんなでたのしめるものを選んだのだと思います。それでも、子どもには刺激が強すぎる部分が多いということで、改訂に改訂を重ねたのでしょう。現在のグリム童話が成立するまで、あわせて17回の改訂をへています。

 言いかえれば、「子どもと家庭の童話」におさめた民話にかぎっても、改訂せざるをえないほど、残酷なお話だったということです。

 

・グリム兄弟から、約20年あとに、デンマークで生まれたアンデルセンは、現代の童話作家につながる、本格的な創作童話の作家でしたが、このアンデルセンの童話のなかにも、ヨーロッパ各地に伝わる民話や昔話の影響を受けたものが見いだされます。

 

魔女狩り民話としての白雪姫

<白雪姫の正体>

・改訂される前のグリム童話の残酷さ、おそろしさは、日本の昔話とは、あきらかに異質なものです。その残酷さ、おそろしさは、なんに起因したものでしょうか。残酷度ナンバー・ワンと思われる『白雪姫』を見てみましょう。

 

・(一部抜粋)

お妃は、くやしさのあまり、猟師に白雪姫を殺すよう命じました。

「殺した証拠に、あの子の肺と肝を持っておいで」

 猟師は、言いつけられたとおりに、森の奥深くへ、白雪姫を連れていって、殺そうとしました。

ところが、それを知った白雪姫は、涙を流して、命乞いをしました。

猟師は、不憫に思い、

「お城へもどっては、いけませんよ。いいですね」

と、約束させて、白雪姫を助けました。

猟師は、かわりに、イノシシをとって、その肺と肝を持ちかえりました。

 

<暗黒のヨーロッパ中世とグリム童話

・民話として伝わっていた『白雪姫』は、実母の妃から殺されようとしたのです。実母の妃は、なぜ美しいわが娘を殺そうとしたのでしょうか。その美しさに、嫉妬してのことでしょうか。そうでは、ありません。

 グリム兄弟が収集した民話は、ほとんど中世に成立したものです。原形の昔話は、もっと古い古い時代にあったかもしれませんが、グリム兄弟の取集時に語りつがれていたかたちのものは、すべて、中世期に成立したとみていいでしょう。

 

・中世のヨーロッパ、とくに、中世の、西欧、中欧は、どういう時代だったかを考えてみましょう。中世ヨーロッパは、西ローマ帝国が滅亡した(476)5世紀後半から、宗教改革が開始された1517年前後、つまり、16世紀前半までの、ほぼ1千年を言います。地中海周辺地域を中心に、ヨーロッパ、アジア、アフリカの3大陸に版図を広げ、史上初の世界規模の帝国を築きあげたローマは、市民社会型の中央集権国家で、植民地経営を土台にした商品・貨幣経済が発達していました。

 

・いっぽうで、奴隷労働に助けられた大土地所有の貴族と、社会の中堅層である独立自営農民の農業生産力が、帝国の経済を支えていました。ローマ型市民社会の発展は、奴隷労働人口の減少を招いて、農業を停滞させることになりました。それは独立自営農民の没落をも招いて、その多くが、大土地所有者の小作人化していったのです。

 大土地所有者は、その小作人を確保するために、居住移転の自由を奪いました。地代や税は物納になり、商品・貨幣液剤は、自然経済へ移行していきました。これは、中世農奴社会への先駆けとなる変化でした。

 

・各地の有力な教会は、領地を持ち、封建領主としての側面を持つようになりました。中世ヨーロッパが、俗に暗黒の時代と呼ばれるのは、長くて大きな戦乱、疫病の大流行、貧苦、治安の乱れなど、社会的、経済的に不幸な事件が、切れめなく続いたためです。それに加えて、農民を農奴として縛りつけた土地制度や、選択の余地のない身分制度によって、民衆の多くが息苦しい生活を送らざるをえなかったからです。

 

いけにえとしての魔女たち

・こういう中世という土壌を背景に語りつがれた民話は、民衆のやり場のない苦しみ、怒り、あきらめを吸収して、残酷で悲しいお話になっていきました。

 国王、貴族たちは、民衆の暴動をおそれ、その暴動を利用した叛乱が起こるのを、なによりもおそれました。

 また、教会権力は、異端者をなによりもおそれました。

 

・異端者に対する弾圧、迫害が、大がかりに、過酷をきわめたかたちでおこなわれたものが、魔女裁判であり、魔女狩りでした。前にも書きましたが、社会的、経済的に深刻で不幸な事件がつづいて起こると、妖術、魔術がはやり、じっさいに妖しい呪術を行う者のほかに、なんの罪もない多数の弱者が、妖術使い、魔女として、裁判にかけられて、火刑などの残酷な刑に処せられました。

 

<残酷をきわめたドイツの魔女狩り

・ドイツでは宗教改革のはじまった年(1517)以降に、魔女狩りは、はげしく、大がかりなものになっていきました。

 

・こういう状況と背景のなかで、魔女狩りが盛んになり、16世紀初頭から18世紀末までに、その犠牲になった人々は、おどろくべき数に達しました。

 

バンベルクは、妖術の街として名高かったところで、1623年からわずか7年のあいだに、約6百人が犠牲になりました。

 

・ケルンでは、牧師、修道士、神学生などが、かたっぱしから魔女裁判にかけられて殺されています。

 シレジアでは、火刑用の薪を節約するため、大きな炉をいくつもつくって、犠牲者たちを詰めるだけ詰めて、焼き殺しました。10年間(1651-1661)で、千人以上が、この方法で殺されています。そのなかには、2歳から4歳までの幼児も含まれていました。

 

<魔女に弱者が多かった理由>

・魔女、妖術師とされた者は、高位高官、司教司祭、修道女、神学生と多分野にわたっていましたが、もっともその対象にされたのは、罪のない弱者たちでした。

 精神系の病人、身体障害者、放浪者、寝ぼけぐせの者、すぐ泣く者、すぐ騒ぎたてる者、奇怪な服装をする者など、そして、職業で言えば、鍛冶屋、靴屋、羊飼い、木こり、猟師、極貧にあえぐ農奴たちです。

 

・中世の靴屋には足の不自由な人が多かったという背景があります。羊飼いは、獣姦する者が多いとして差別されやすい職業でした。木こり、猟師の多くは、ゲルマニア時代の習俗、迷信を大事に伝えている人たちでした。農奴は、戦乱や飢饉がなくても貧しいのに、その戦乱や飢饉の被害をもろにかぶりました。

 世をはかなんで泣き叫べば、それで妄言のやからであり、雨乞いを行えば、怪しい術を行ったとされました。

 

・弱者は、ただ弱い立場の者だけでは、ありませんでした。集団生活を行っている修道女の世界や、領主の城の召使の世界では、人並みはずれて美しい修道女や召使いも、日ごろ嫉妬されて、魔女にされやすかったのです。

 

<白雪姫の実母は魔女>

・お妃が持っていたふしぎな鏡は、なんだったでしょうか。

それは、吉凶を占ったり、呪いをかけるときに使われた道具の象徴でした。

ということは、お妃は、魔女だったということです。では、じつの娘の白雪姫は、どういう存在だったでしょうか。

 

<白雪姫と迷子のこわい関連>

・白雪姫を悪魔のいけにえに捧げるためでした。中世のヨーロッパでは街や田園がとぎれた先には、深い森が広がっていました。深い森は、浮浪者、盗賊などが住んでいて、昼間でも危険なところでしたが、魔女、妖術師にとってゆかりの深いところでもありました。

 ゆかり深くなったのには、いくつかの理由があります。ひとつは、この時代の子どもたちは、森へ迷いこんで、よく迷子になったことです。

 迷子になって、ついに帰らなかった子どもたちを、人々は悪魔のいけにえになったのだとうわさしました。

 

・魔女たちの夜宴は、とっくの昔に滅んだ神々に対する祈りであったのですが、カトリック教に対する痛烈な弾劾の場でもありました。そして、秘密の宴であるために、多くは森のなかで行われたのです。

 そして、この夜宴には、魔女たちの祈りにいちるの希望を託して、ひそかに一般庶民の一部も参加していました。戦乱禍、黒死病の大流行といった災厄を例にあげなくても、中世ヨーロッパには、日常的にそして地域的に、庶民に降りかかる災厄が多すぎました。

 そのおもなものは、雹、日照りなどによる農作物の不作、小児病の流行、羊、牛などの家畜病の蔓延などで、それによって地域住民の不安が広がると、かならず、魔女、妖術師の仕業だといううわさも広がりました。

 すると、かならず妖術師狩り、魔女狩りがはじまりました。そうした弾圧は、教会主導で行われたのです。

 

<子捨て子殺しを請け負った猟師>

スウェーデンは、悲惨な魔女狩りがあまり流行しなかった国です。しかし、1670年に、大がかりな魔女狩りが行なわれています。

 その年、グレカルリー地方に雹が降って、農作物が全滅状態になりました。この地方は、森林地帯で、もともと迷子になる子どもが多かったのですが、この年はとくに多くの子どもが迷子になりました。

 魔女の仕業だといううわさが広まり、モーラ地区では、魔女や、その夜宴に参加した女たちあわせて70人が、魔女として逮捕されました。じっさいに、魔女と彼女たちは、多くの子どもたちを夜宴に連れていって、悪魔に捧げていたのです。

 

・ここまで書けば、おわかりと思います。お妃―—魔女の下僕の猟師は、まだ7歳の白雪姫を深い森へ連れていって悪魔に捧げようとして、命乞いをされて助けますが、このとたん、猟師は、魔女の下僕ではなくて、ふつうの猟師にもどってしまったのです。

 作物が不作で、食えなくなった農奴は、子どもを捨てなければなりませんでした。みずからの手で子どもを殺したり、捨てたりするのは、さすがに情においてしのびない。そこで、子殺し子捨てを他人に託すことになり、森をよく知っている猟師、木こりなどにたのんだのです。

 

<肺と肝は、呪いに使う必需品>

一寸法師民話は、なぜ世界各地で成立したか>

一寸法師の類型>

・ペローが聞き集め、脚色した民話に『一寸法師』があります。西洋にも『一寸法師』の話があるのかとおどろく人もいるかもしれませんが、ペローのは、原題『プティ・プーセ』です。

 じつは、一寸法師民話は、洋の東西を問わず、類型が数えきれないほど、存在します。ヨーロッパでよく知られているものをあげても、イギリスの『トム・サム』、フランスの『ジャン・ボート・ド・オム』、ドイツにはグリム童話で知られる『おやゆび姫』などがあります。

 青森県の八戸地方に伝わる『あくと太郎』は、母親のかかと(あくと)から生まれた、ちいさなちいさな男の子の物語ですし、新潟県佐渡地方には、『豆助』が伝わり、岩手県稗貫郡には、すねから生まれた『すねこたんぽこ』の話が伝承されています。

 岐阜県吉城郡では、『指太郎』が知られており、鹿児島県の喜界島では、『一寸小太郎』が古くから語りつがれてきました。一寸法師の法師は、僧ではなく、影法師が人影のことであるように、単に人を意味しており、一寸ぐらいしかない小さい人、ということです。

 この言い方は、江戸期に成立しており、民話・昔話としての『一寸法師』は、江戸期以前には、別の名称で伝えられていたと思われます。私たちが子どものころに読み聞かされた『一寸法師』は子どものためになるよう、長いあいだに語り変えられたもので、原形とは大いにことなります。

 

<バリ島の影絵劇で見た一寸法師

・ペロー童話の『一寸法師』は、フランスに伝承された多くの一寸法師のなかでも、もっとも一般的なものです。一寸法師は、7人きょうだいのひとりですが、知恵が働いて、ずるがしこく、食人鬼を退治し、とらわれたきょうだいを救出します。

 

一寸法師に見られるワイセツ性>

・ところで、一寸法師の物語には、それほど残酷性がこもっていません。ちょっとエッチな話が語られるときのような、ストレートな卑猥さが、どこかに感じられます。パターンによっては、青鬼がまだ処女(かどうかはわからない)の姫を犯しにかかるシーンが具体的なものがあって、とうてい、子どもには読み聞かせられないしろものもあります。

 

通過儀礼の役割と民話>

・昔は、民話・昔話の語り手は、伝承されて自分がおぼえたとおりに、もっとおおらかに語り聞かせていたはずです。一家の語り手は、おじいちゃんであり、おばあちゃんでした。

 

・語り手は、数多く知っている民話・昔話をやみくもに語り聞かせたわけではありません。孫たちがおとなになっていくうえで、必要な知恵や知識が盛りこまれたお話を選んで語っていました。そのお話のなかに、残酷な部分はあっても、伝承されたとおりに、おおらかに語り聞かせたことでしょう。

 

・性にめざめる年ごろの子どもたちにとって、性に関する知識は、欠かせないものでした。両親が教えたくても教えにくいことも、おじいちゃんや、おばあちゃんといった語り手が、民話や昔話に託して語れば、無理なく伝えることができました。

 『一寸法師』のお話は、そういうときに威力を発揮しました。どのように威力を発揮したかを見る前に、世界各国にパターンを変えて多く伝わる『一寸法師』のお話の共通点と、少年がおとなになったと認められる慣習、つまり、通過儀礼の共通点を見ておきましょう。

 通過儀礼は、個人が新しい状態や、自分へ通過するさいに慣習として行われているさまざまな儀礼や儀式を言います。そのなかでも、人間にとって、その一生を送るために重要な通過儀礼が、4つあります。

 生誕するさい、成人するさい、婚姻するさい、そして、死を迎えるさいに行われる通過儀礼です。この4つの通過儀礼は、おそらく人類が文化を持って以来、そして、いたるところで、普遍的に行われて、今日にいたっています。

 

<人間にとって、最重要の通過儀礼は、成年儀式と婚姻です>

<若者宿と通過儀礼

・昔の日本には、農村を中心に、ある年齢に該当する者が全員参加する組織の若者組がありました。若者組に入ると、一定期間、集団生活をしなければなりません。

 それを行った場所を、若者宿とか寝宿と言いました。若者宿では、若者頭や宿親に服従し、さまざまなタブーや、しきたりを守らなければなりませんでした。

 

・入会すると、村という共同社会の成員として必要な訓練を受け、村の倫理を教えこまれました。その入会式が、そのまま成人式だったことが多かったのです。

 結婚が決まってから若者組を抜けるところが多かったようですが、妻帯しても残る場合があって、地域によってだいぶことなるようです。時代をへて、発展する社会にあわせて、古い昔のしきたりどおりにはいかなくなったのかもしれません。

 いまは、ほとんどの農村から若者組が消えてしまい、青年団組織にわずかにその名残が残っていますが、若者組は、もともと青年になるための通過儀礼で、若者宿で起居するのは、それまでの家族といっしょの生活から分離、隔離されたことを意味します。若者宿で訓練を受けて、若者頭や宿親に共同社会の成員としてやっていけると認められなければ、結婚もできず、共同社会では、のけもの同然にされました。

 女の宿は、娘宿、めらし宿、おなご宿などと呼ばれました。基本的には若者宿の性格とおなじでしたが、おとなの女としての心得は、きびしく訓練されたようです。

 この若者組が文献史料に表れるのは、鎌倉期からですが、民俗学者や、民族学者のあいだでは、そのはるか古くにさかのぼって起源があるというのが常識です。

 世界各地の、多くの民族のあいだで、古くから若者組の慣習は行われていました。日本の若者組は、明治から大正にかけて、青年団や女子青年団に改組、吸収されるかたちをとって、ほとんど姿を消しました。

 

<若者宿、娘宿が伝えた原形の民話>

・じつは、若者宿、娘宿の消滅は、民話・昔話の変容と深く関連しています。民話・昔話の一部は、一家の語り手によって、炉端で語られましたが、原形のもの、その土地で伝承されたとおりのものは、若者宿、娘宿で語られていたのです。

 そこではおそろしく残酷なお話も、思わず赤面してしまうような卑猥なお話も、平気で語られました。

 ぼくの母方の曽祖父は、明治の5年まで寺小屋をやっていました。母に聞いたところによると、寺小屋で読み書き算盤をおぼえ、そこをあがってから、若者宿、娘宿へ入ったそうです。

 母は、生きていれば、そろそろ百歳になりますが、大正時代に娘宿を経験しています。そのころ、伊豆地方には、若者宿、娘宿がまだ残っていたようです。

 ミカン山の中腹にあって、数えで14、5歳から入ったということですが、娘宿のことをかなりよくおぼえていました。

 

<娘宿の罰>

・ぼくの母は、娘宿に一年ぐらい入ってから、技芸学校へ入るために、上京しました。技芸学校は、裁縫、料理、作法などを教えていたところ、ひらたく言えば花嫁学校です。

 約一年間いただけで娘宿を出た母は、娘宿での夜なべ仕事の内容をこう話してくれました。「結婚前後に女がするべきことや、おなかに子どもができたら、出産までどういうことをするかをおねえさん(先輩)たちから聞かされたわね。野菜栽培や、味噌、醤油のつくり方も習ったよ。編みものや、つくろい仕事は、毎晩のことだったかしら。そうそう、漁網のつくろい法も、教えられたね」

 漁網の修理は、いかにも土地柄です。

 

・娘宿に、花嫁修業の場としての機能があったことも、うかがわれます。母の娘時代は、味噌、醤油は、多くの家庭でつくられていたのです。

 結婚が決まると、娘宿を出たそうですが、娘宿の幹部になった女性は、結婚して、子どもが生まれても、寝泊まりはともかく、娘宿に出入りして、後輩の面倒を見たようです。

 おねえさんたち、と母が言ったのは、そういう人たちのことです。娘宿での性教育は、女が妊娠、出産をするため、若者宿のそれよりも、直接的具体的に行われていたようです。

 それを指導したのは、結婚して子どもが生まれても、娘組から抜けなかった先輩たちでした。

 若者宿と娘宿は、意図的にはかなり隔てて存在しましたが、若者たちが訪れて、うたい騒いで、交歓することがあって、それがたのしい思い出になった、と母は語っていました。

 

・これは、一種の夜這いで、若者組と交流することによって、縮親や、娘頭はお似合いのカップルを見つけ、仲介の労をとったり、相性や両家の釣りあいを考えて縁結びを行ったのです。

 

ハーメルン伝説の意味するもの>

・中世ヨーロッパの人々が、いちばんおそれた病気は、黒死病、つまりペストでした。大流行の年には、一町一村が、ほとんど死にたえるか、それをおそれて逃げるために、ゴーストタウン化する例は、いくらもありました。ペストはネズミによって媒介されたので、ネズミの大量発生を、なによりもおそれたのです。

 

・『耳袋』『新著聞集』など、江戸時代の文献に、神隠しにあった人間のことがよく見える。すべてが伝聞ですが、記述は具体的で、じっさいにそういう事件が多かったようです。異常心理におちいっているときの人間に多いとされ、だれにも目撃されないで、家出、放浪の旅に出たケースもあったかもしれません。だれかといっしょのときでも、忽然と消えた例も多く紹介されていて、人知を超えた現象のような思いが残ります。

 

・外国にも、例の多い現象で、アメリカのテネシー州1880年の9月に起こったラング蒸発事件は、もっとも不可解なケースです。

 ラングという牧場主が、その牧場内で作業中、知人のベック判事夫妻が馬車でやってきたときに、その蒸発事件は起きました。ベック夫妻は、ラングに話があったので、家へもどるよう言いました。ラングは、すぐに、牧場に隣接した自宅へ歩きかけたのですが、その姿がベック夫妻の見ている前で、突然、消えてしまったのです。

 この瞬間を、自宅の前に出ていたラングの妻もそのふたりの子どもたちを見ていました。

 ラングは、そのまま、二度と姿を見せることがなかったのです。

 

・集団で忽然と消えた事件で、有名なものは、1872年の12月に、ポルトガル沖合の、大西洋上で発生しています。マリー・セレスト号の乗組員が、煙のように蒸発してしまったのです。無人のマリー・セレスト号が、発見されたとき、乗組員が、蒸発直前まで、それぞれの持ち場でそれぞれの行動をしていた証拠が整然と残されていました。

 世界中に起こった不可解な、蒸発、消滅事件を民話の収集のように集めた人間がいます。フランスの地球物理学者のジャン・プリケで、著書は『非合理なアクト』です。プリケは、専門の立場から、蒸発した人々は次元の断層へ落ちたのではないかという仮説を述べています。

 

・『ハーメルンの笛吹き』は、じつは13世紀のハーメルンで、じっさいに起きた事件が下敷になっています。その町で、ある日、突然、約130人の子どもたちが、いっせいに、姿を消しました。子どもたちは、ついにもどらず、その事件の真相は、いまだ解明されていません。

 不可解で、おそろしい事件が、解決されないままになれば、関係者は、むろんのこと、そのことを認識した人々は、それぞれに衝撃を受けて、多くの人に語っていくことになります。

 それは、歳月をへて伝説化し、さらに多くの人に語りつがれるうちに、ストーリー性をはらんで、こわい昔話になっています。さらに、研究者、作家などに拾われて本によって紹介されれば、本格的な脚色が行われ、高い文芸性をえれば、世界に伝播していきます。

 こうして、『ハーメルンの笛吹き』は、子どもたちからも、こわいけどとてもおもしろいお話として、世界の傑作童話のひとつになっていったのです。

 

 

<●●インターネット情報から●●>

ウィキペディアWikipedia(フリー百科事典)より引用

ハーメルンの笛吹き男>

ハーメルンの笛吹き男(ハーメルンのふえふきおとこ、独:Rattenfänger von Hameln)は、ドイツの街ハーメルンで、1284年6月26日に起きたとされる出来事についての伝承である。グリム兄弟を含む複数の者の手で記録に残され、現代まで伝わった。

 

伝承の概要

 

1284年、ハーメルンの町にはネズミが大繁殖し、人々を悩ませていた。ある日、町に笛を持ち、色とりどりの布で作った衣装を着た男[1]が現れ、報酬をくれるなら街を荒らしまわるネズミを退治してみせると持ちかけた。ハーメルンの人々は男に報酬を約束した。男が笛を吹くと、町じゅうのネズミが男のところに集まってきた。男はそのままヴェーザー川に歩いてゆき、ネズミを残らず溺死させた。しかしネズミ退治が済むと、ハーメルンの人々は笛吹き男との約束を破り、報酬を払わなかった。

 

笛吹き男はいったんハーメルンの街から姿を消したが、6月26日の朝(一説によれば昼間)に再び現れた。住民が教会にいる間に、笛吹き男が笛を鳴らしながら通りを歩いていくと、家から子供たちが出てきて男のあとをついていった。130人の少年少女たちは笛吹き男の後に続いて町の外に出てゆき、市外の山腹にあるほら穴の中に入っていった。そして穴は内側から岩でふさがれ、笛吹き男も子供たちも、二度と戻ってこなかった。物語によっては、足が不自由なため他の子供達よりも遅れた1人の子供、あるいは盲目と聾唖の2人の子供だけが残されたと伝える。

 

 

 

『プレアデス / プレヤール人とのコンタクト記録』 

ビリーE・A・マイヤー    水瓶座時代出版  2010/10/1

 

 

 

セムヤーセとカルタグの上空で>

・あ、あそこに都市が見えます。このモニターでご覧なさい。

 

・上空から一発の爆弾が落下してきます。あれがまもなく都市を破壊します。

 

・でも都市の住人にとっては、それほど危険なことではありません。

というのは、彼らは全員すでに地中深い安全都市に避難しているからです。

 

・カルタグは地球から80億光年離れており、その世界に住む人間は互いに戦争をしている。

 

・彼らは、原子力利用の時代の末期に生きており、今まさに核戦争をしているのだ。

 

・非常に地球に似ていて、地球人とほぼ同等の発達を遂げた人間の生命体が生息する世界も存在する。

 

・そのような世界はアラトム銀河系のネブ系に見られ、その世界はカルタグと呼ばれている。

 

<世界制覇を狙うギゼーの知的生命体が非常に邪悪な犯罪を準備している。>

・つまり希望すれば、地球外の知的生命体によって宇宙船に乗せられ、より良く美しい別の惑星に運ばれ、そこで、自由な快適な生活を送ることになると言うのです。

 

・この集会に興味を持って集まった人々は、いわゆる宇宙飛行の準備のためのキャンプにすぐにでも参加できると言われたのです。宇宙飛行の困難を克服するための準備のみならず、言葉巧みに信じ込ませた別のより良い惑星での新しい生活に必要な知識を身に付け、また新しい生活に適応できるようにするため、というのがその名目でした。

 

・この移住計画に参加する条件は、地球上の全所有財産を売却するか、もしくは何らかの方法で譲渡すること、そして子供は一緒に連れて行けないということだけです。

 

・遺憾ながら、この邪悪な企てには予想以上の希望者が現れました。

 

・関心を抱いた多数の人々が勧誘者の呼び声にいそいそと従い、キャンプでそれから起こると称するものを心待ちにしているのです。

 

・巧みに考え抜かれた、この犯罪的な企ての結末は、私たちは、火を見るよりも明らかです。惑わされた者を待ち受ける将来の見通しとしては、次の通りいろいろに考えられます。

 

1、 この企み全体が宗教、つまり新しい教派主義の体裁で偽装されているため、すべての希望者は本当の正体を見極めることなく、騙されて邪道に導かれる。

 

2、 弱者や無能者は、次第に選別されて殺される。

 

3、 能力があるとみなされた人々の一部は、地球上で「作業ロボット」としてギゼー知的生命体の利益のために奴隷のように働くことを強制される。ギゼー知的生命体は地球の事物をいろいろ必要としているが、自分たちが働いて手に入れようとはしない。

 

4、 能力があると見なされた人々の別の一部は拉致され、地球外で奴隷として奉仕することになる。

 

5、 また別の一部の人々は新しい教派組織を設立し、地球上で宗教の形を借りてギゼー知的生命体の計画のために働く。

 

以上の五点をギゼー知的生命体は策謀し、実行しようとするのです。

 

・でもこの企てを実在している地球人は、この事実を知りません。なぜなら、彼らは、自分の内部に植え付けられた狂気のうちに生きているからです。

 

・しかし、いまギゼー知的生命体は私たちが、この件に乗り出したのを知ったため、自分たちの企てが挫折しないように新しい道を探しています。

 

・それでも、惑わされた者が全員殺される危険はあります。なぜなら、世界制覇を目論む者たちにとって、地球人の生命など全く意味がないからです。

 

・私たちは、ギゼー自身を相手にして、その企てを妨害します。

 

<ワルドポートの1975年の10月の事件>

・アメリカのオレゴン州の漁村ワルドポートからわずか数日のうちに20人が跡形もなく消えた。彼ら全員が「宇宙から来た」夫婦の呼びかけに応じたものだという。その夫婦は彼らに「別の惑星でのより良い生活」を約束したのだ。FBI(米連邦捜査局)は集団詐欺と大量殺人の嫌疑を抱いている。

 

 

 

『プレアデス / プレヤール人とのコンタクト記録』  2010/10/1

ビリーE・A・マイヤー    水瓶座時代出版

 

 

 

<かってのドイツ帝国総統アドルフ・ヒトラーのこと>

アドルフ・ヒトラーは非常に多くの面で天才でした。

 

・彼の知識は芸術や技術の極めて多様な分野からいろいろな科学、そして、暗示力の利用法にまで及んでいます。

 

・彼の内部形態は、非常に価値の高い生命体の生まれ変わりでした。

 

・でも彼は高度に発達した霊の持ち主ではなく、悟性と理性の人であり、全地球の政治と経済、そしてすべての国家をある肯定的な方向へと導いて、世界と人類の平和な統合世界を創り出すように定められていました。

 

・彼はこの目的のために訓練され、その生地に転生したのです。

 

・ギゼー知的生命体は、トゥーレ協会の当時の責任者および同協会のメンバーで千里眼のハヌッセン一世を通じて、アドルフ・ヒトラーという存在を手中に収め、自分たちの陰険で邪悪な目的のために彼を利用することに成功しました。ヒトラーはそれには抵抗しなかったのですが、それは彼自身のうちに狂気じみた権力欲が、燃え上ったからです。

 

・このような企みのほかにも数えきれないほどの人材が、ギゼー知的生命体の手に落ちた地球人という形で、その意識を操られて狭小な領域に押し込まれたのですが、ヒトラーもまたその影響に抗うことができませんでした。

 

アドルフ・ヒトラーは権力の狂気に負け、そのうえギゼー知的生命体にあくどく利用された>

セムヤーゼは一度、アシュタール・シェランとかいう男との関連で、トゥーレ協会の話をしたことがある。このシェランはある小説風の書物も伝えており、それにはシェランの一味はおよそ3500年前に、かのモーゼをビームシップに乗せたことがあると、書かれているというじゃないか。そしてモーゼはこの一味から十戒を手渡されたという。

 さらにこのシェランは、「ファティマ」の事件も彼の一味が仕組んだものだと主張しているそうだね。

 

・そこで私が知りたいのは当時ドイツにあったトゥーレ協会はシェラン一味と何らかの関係があるのか、また彼らはギゼー知的生命体と関係しているのかということだ。

 

・アシュタール・シェランが実在することが明らかになりました。彼らは、最高位からの指令を受けてドイツの旧トゥ-レ協会を統制し、テレパシーで二つの強烈な要因を送り込んでいました。

 

・アルセアク別名アシュタール・シェラン等々は、彼に課せられた使命によれば、数千の知的生命体から成る部隊の指導者である。この部隊は、15年前までは、世界制覇の野望を抱く「カマゴール」の直接指揮下にあった。