『琉球怪談』 現代実話集 闇と癒しの百物語
小原猛 ボーダーインク 2011/2
<キジムナー>
・たとえば沖縄でもっとポピュラーな妖怪であるキジムナーは、戦後という垣根を越えると、急激に目撃例が減少している。取材していく中でも「戦前はキジムナーがいっぱいいたのにねえ」「戦後すぐはいたけど、もういないさ」という、オジイ、オバアの声を聞いた。
もしかしたら戦争でのウチナーンチュの意識が変わり、キジムナーの存在を受け入れなくなってしまったのかもしれない。沖縄戦、という次元を超えた壁が、怪の世界にも立ちはだかっていることを、身を持って実感した。
<戦後の駄菓子 キジムナーのはなし1>
・Nさんはとある離島の出身である。
Nさんのまわりでは小さな頃から、キジムナーの話は日常的に伝えられてきたのだという。
その昔、キジムナーは家々を回り、さまざまな人々と物々交換をしていたのだという。
・島のキジムナーは、本島のキジムナーのようにガジュマルの樹を住処とせず、洞窟の中で暮らしていたという。
戦前までは、むらを訪れては食べ物を交換したり、人間に火を借りにきたことさえ、あったのだという。そんなキジムナーも、戦後はぱったりと現れなくなった。
だがNさんは、幼い頃にキジムナーを一度だけ見たことがあるのだという。
夕暮れどき、Nさんがまだ子どもの頃、実家の家の近くの浜辺で遊んでいたときのこと。
一人のキジムナーが、森の中から現れて、Nさんのほうをじっと見ていたのだという。友達数人もその場所にいたが、彼らにはキジムナーを見えるものと、見えないものに分かれたのだという。見えたもの代表として、Nさんはキジムナーに声をかけることになった。
Nさんは、知っている限りの方言でキジムナーに挨拶をしたが、どれも無視されてしまった。
友達の一人が、駄菓子をくれたので、Nさんはキジムナーのそばまでいって、駄菓子をあげたのだという。
するとキジムナーはそれを奪ってから、すばやく林の中に逃げていった。それが、おそらく島で見られた最後のキジムナーに声をかけることになった。
それ以来、キジムナーを「感じた」とか、「らしき影を見た」という話は、何度も耳にしたそうだが、キジムナーに正面で出会ったという話は、あまり聞かれない。
<小便 キジムナーのはなし2>
・Tさんが子どもの頃、Fくんという友達がキジムナーが棲んでいたといわれているガジュマルの木に立小便をしたそうである。
友達は、えい、キジムナーなんていないさ、怖くない、と大声で叫びながら、木の周囲に小便を輪のようにひっかけた。キジムナーを見たことはなかったが、信じていたTさんは怖くなって一目散に家に帰ったという。
夕方、気になったTさんは、小便をかけた友達が住んでいる団地へ行ってみた。
・すると、部屋の中は見えなかったものの、3本指の奇妙な跡が、いくつもガラス表面についているのが見えた。
まるでニワトリの足のような、3本指の奇妙な跡が、いくつもガラス表面についていた。
・次の日、Fくんは学校を休んだ。そして次の日も、次の日も学校を休んだ。
結局、1週間学校を休んで、帰って来たときにはゲッソリと痩せていた。
学校で久しぶりに会ったFくんは、Tさんにこんな話をしたそうだ。
小便をかけてしばらくすると、気分が悪くなってきた。
家に帰ると、立てなくなってそのまま寝込んだ。
母親がどうしたのかと聞くので、しかたなくガジュマルに小便をかけた、と本当のことを言った。母親はあまり迷信を信じるほうではなかったので、風邪ぐらいにしか考えていなかった。
ところが、Fくんが寝ていると、ベランダにまっ赤なキジムナーが何人もやってきては、ガラスをぺちゃぺちゃたたき出した。母親も一緒になってそれを見たので、すぐさま知り合いのユタを呼んで、その夜にお祓いをしてもらった。
ユタがいうには、この子がしたことは悪質だったから、お灸をすえる意味でも、1週間は熱を引かさないようにした、とのことだった。
その言葉通り、Fくんはちょうど1週間後に熱が引き、学校に来ることができたという。
<赤ら顔 キジムナーのはなし3>
・Wさんが子どもの頃、学校に行くと、友人の一人がおかしなことになっていた。
顔は赤く晴れ上がり、はちきれんばかりにバンバンになって、非常に苦しそうだった。本人も、息ができんし、と喘いでいる。先生が寄ってきて、どうしたね、と聞くと、その生徒はこんな話をしたそうだ。
朝起きてみると、顔が赤く腫れ上がって、息ができない。オバアに相談すると、「これはキジムナーが悪さをしているから、ユタに見てもらいに行こう。ただし、そのユタは午後からしか見れないから、昼過ぎに学校に迎えに行くまで、学校でおとなしくしている」と言われたそうだ。
・次の日には、その子は何事もなかったようにケロッとして、学校に登校してきたそうである。
<今帰仁の小さなおじさん>
・Fさんが早朝、自転車に乗っていたとき、目の前の空き地に、知り合いのオジイが倒れていたという。
死んでいるのかと思って自転車を降りて近寄ってみると、酒のちおいがプンプン漂ってきた。おい、このオジイ、酔っぱらってるし。Fさんがオジイの肩に手をかけて、起こそうとしたその時。
倒れているオジイの周囲に、5人くらいの小さなおじさんが、オジイを背もたれにして座っていたのだという。
オジイを揺らしたものだから、びっくりした5人のおじさんたちは悲鳴を上げながら、一斉に走って逃げたという。
おじさんたちは空き地の中へ一目散に逃げると、そのままパッと掻き消えるようにしていなくなった。
・Fさんが眉をひそめながら自転車に戻ろうとすると、自転車の周囲にも小さなおじさんたちが複数いた。
Fさんがびっくりして「うわあ!」と叫ぶと、それに逆にびっくりしたのか、クモの子を散らすようにして逃げ去ったという。
おじさんたちは、それぞれ上半身は裸で、眉毛がつながっていたのが印象に残っているという。
<●●インターネット情報から●●>
<小さいおじさん(ちいさいおじさん)>は、日本の都市伝説の一つ。その名の通り、中年男性風の姿の小人がいるという伝説であり、2009年頃から話題となり始めている。
『概要』 目撃談によれば、「小さいおじさん」の身長は8センチメートルから20センチメートル程度。窓に貼りついていた、浴室にいたなどの目撃例があり、道端で空き缶を運んでいた、公園の木の上にいた、などの話もある。ウェブサイトでも「小さいおじさん」に関する掲示板や投稿コーナーが設置されている。
<キジムナー(キジムン)>は、沖縄諸島周辺で伝承されてきた伝説上の生物、妖怪で、樹木(一般的にガジュマルの古木であることが多い)の精霊。 沖縄県を代表する精霊ということで、これをデフォルメしたデザインの民芸品や衣類なども数多く販売されている。
多くの妖怪伝承と異なり、極めて人間らしい生活スタイルを持ち、人間と共存するタイプの妖怪として伝えられることが多いのが特徴。
『概要』 「体中が真っ赤な子ども」あるいは「赤髪の子ども」「赤い顔の子ども」の姿で現れると言われることが多いが、また、手は木の枝のように伸びている、一見老人のようだがよく見ると木そのものである、などともいう。土地によっては、大きくて真っ黒いもの、大きな睾丸の持ち主などともいう。
『ニッポンの河童の正体』
飯倉義之 新人物ブックス 2010/10/13
<外国の河童たち>
<○○は外国の河童? -河童は日本固有種かー>
・では日本以外の土地に河童は存在しないのだろうか?どうやらそうではないようだ。世界各地の妖怪を紹介する本や文章ではしばしば、「妖怪○○は××国の河童である」というような紹介され方がなされるように、海外の妖怪を日本の河童にあてはめて紹介することはままある。たとえば、韓国のトケビがそれである。
<「トケビは韓国の河童」か?>
・韓国の「トケビ」は山野を徘徊する小鬼で、その正体は多く血がついたことにより化けるようになった、箒(ほうき)やヒョウタンなどの日常の器物である。トケビは人間を化かしたり、道に迷わせたり、野山に火を灯したり、快音を出して驚かせたり、夜に人家に忍び込んだり、格闘を挑んで負けたりと、ほとんどの怪しいことを一人でまかなう「万能妖怪」として大活躍を見せる。そのユーモラスな風貌と多彩な行動は、よく河童と比較される。
・前項でも河童の親類として紹介した奄美のケンムンやブナガヤ、琉球のキジムナーもまた、そうした「万能妖怪」という点でトケビとよく似た存在である。小柄でザンバラ髪の童形、好物や嫌いな物がはっきりとしており、ユーモラス。人間に関わり、からかう。トケビとケンムン・ブナガヤ・キムジナーと河童とは、性格や行動が共通していることは一目瞭然である。
・しかし重大な相違点もある。トケビは器物の化け物、ケンムン・ブナガヤ・キジムナーは樹木や森林のムン(化け物)としての性格が強く、河童の存在の根幹である水の化け物という性格を持ち合わせない。性格の一致と属性の不一致が、河童とトケビの間にはある。
<「ヴォジャノイはロシアの河童」か?>
・他に多く「外国の河童」として挙げられる存在に、中国の河水鬼や水虎、ロシアのヴォジャノイやルサールカ、チェコのヴォドニーク、ポーランドのハストルマン、ドイツのニクス。フィンランドのネッキ、スコットランドのニッカールやケルピーなどが挙げられる。
これらの存在はいずれも水界に棲む存在で、人間や牛馬を水の中に引き込むとされ、彼らに挙げる季節の祭りなどが催されることなどが、河童と同一視される点である。
・しかしこうした水精の属性や行動以外の点では、河童と彼らの隔たりは大きい。河水鬼やヴォジャノイ、ヴォドニーク、ハストルマンは髭を蓄えた老人とされ、湖底で自分の財産である牛馬の群れや財宝を守って暮らし、機嫌が悪いと川を荒れさせるという固陋な存在である。ニクスやネッキ、ニッカールは成人男性の姿で現れて、荒々しく牛馬や子どもや婦女子を奪い去る肉体派である。ネッキやその同類が、半人半馬や馬に化けた姿を取るというのは、馬の姿をしていて人を水の中に誘い込むケルピーとも共通する。
・ケルピーに代表される「ウォーター・ホーズ」伝承は、ヨーロッパ各地にあまねく広がっており、龍の妖怪伝承といえば、ロッホ・ネス・モンスター、すなわち「ネッシー」である。ケルピーは河童と同じくらい、ネッシーにも近しい存在なのだ。
・ルサールカには溺死者の浮かばれぬ霊というイメージが色濃くついており、この点で幽霊や産女、雪女に近い属性を持つといえる。
どうやら「××の河童だ!」と言われてきた妖怪たちは、河童と重ね合わせて理解できる部分とそうでない部分とを、同じくらいの分量で持ち合わせているようである。
<やはり「河童は日本の河童」か?>
・水はわれわれの生存に欠かせないと同時に、恐るべき存在であるがゆえに、水の神と水の妖怪を持たない文化はない。そのような意味で、「河童は世界中に存在する」。
・しかし今見てきたように、そうした河童的な存在がどのような姿で現れ、いかなる言動をとるかは、文化によって全く違う。ロシアの冷たい湖水に棲むヴォジャノイは老人の姿で重々しく、スコットランドの湖沼地帯に棲むケルピーは活動的で攻撃的だ。そして里近くに多くの川や小川、沼や溜め池をもつ日本の河童たちは、人に近しく愛嬌があり、どこか深刻でない表情を持つ。一方で、日本の河童に近い韓国のトケビ、奄美のケンムンやブナガヤ、琉球のクジムナーは、水の精という性格をほとんど持っていない。
・こうした水の神・水の妖怪の多様なありようは、各々の文化において人と水とがどう関わっているかに規定されている。その意味では、「河童は日本にしかいない」。
妖怪を比較することはすなわち文化を比較することなどである。「妖怪○○は××国の河童である」という言い切りは、あまりにも大胆すぎるもの言いであるだろう。
『絵でみる江戸の妖怪図巻』
善養寺ススム、江戸人文研究会 廣済堂出版 2015/9/3
<キジムナー 琉球伝承>
・ガジュマル、赤榕、福木、栴檀の古木に棲むと言われる精霊。
姿は様々で、髪は肩まであり、全身が赤い子供、または小人で、手は木の枝のようだとも言われる。地域によっては真っ黒な大人サイズだったり、睾丸が大きいとされることもある。
木に棲んでいるが、主食は魚介類でグルクンの頭や、魚の左目が好物だと言われる。魚好きなので仲の良い漁師の手伝いをするというが、蛸や屁が嫌いなので、魚を捕っている時に屁をひると、消えてしまうらしい。
悪戯もよくする。人を誑かし、土を飯だと騙して食べさせたり、木の洞に閉じ込めたり、寝ている人に乗ったりもするし、夜道を行く人の灯を消すのも十八番だ。
さらに、木を伐ったり、虐めたりすると、家畜を殺したり、船を沈めたりもする。昼間は人間には見えないので、キジムナーの悪口を言うと、意外に側にいて聞いていて、夜になって仕返しされるという。
・越中国立山の予言神で、5年以内に疫病の流行すると予言しに現れた。自分の姿を写し、それを見れば病を避けられると告げた。
・【キジムナー】と【河童】を合わせたような妖怪。姿は様々だが、ほとんどが、5~6歳の子供のようで、全身赤みがかった肌に毛が生えているそう。頭には皿があり、油や水が入っているという。ガジュマルの木に棲み、木の精霊ともされ、勝手に木を伐ると、眼を突かれて腫れてしまうとされる。蝸牛や蛞蝓が好物で、ケンムンの棲む木の下には蝸牛の殻が多く落ちていると言われる。
河童のように相撲を取ったり、片方の手を引っ張ると、もう片方と繋がって抜けるともいう、性格は友好的だが、中には悪いのもいて、子供を攫って魂を抜くとも言われる。
・《蕗の下に住む人》の意。アイヌ以前に北海道に住んでいたとされる小人で、アイヌ伝承に登場する。
住んでいたのは、北海道から樺太、南千島列島におよび、各地に伝承が残されている。蕗の下というのは、蕗を傘にしている他、蕗で屋根を葺いた家に住んでいたからとされる。身長は1尺(30センチ)くらい。それよりも小さい、1~2寸(3~6センチ)の小人は【ニングル】と呼ばれる。
・十勝地方の伝説では、コロポックルは、昼は隠れて暮らし、夜になると5人から10人くらいで、川に数艘の丸木舟を浮かべ、魚を捕っていた。捕った魚の一部はアイヌの村に持って行き、チセ(家)の戸の隙間から手だけを出して差し入れていた。これは土地の恵みを分かち合う、当然の行為だったのだろう。しかし、決して姿は見せなかった。
<座敷童 伝承 全国 妖怪、招福>
・座敷童は陸奥国(岩手県)を中心に全国で信じられている家の妖怪。座敷や蔵に棲み、その家の繁栄を守っていると言われる。
おかっぱ頭の幼児が最も多く、家によっては15歳くらいの子供もいる。また、老婆の場合もあり、性別も一定していないし、複数が現れる家もあるという。
座敷や土間で、幼い子供と遊ぶが、糸車や紙、板戸を鳴らす悪戯もする。座敷童が消えた家は、衰退したり火事や災害に見舞われるという。その場合、逃げて行く座敷童に道で出会うことがある。「何処へ行くのか?」と声をかけると、「あの家はもう終わりだ」と答えるという。
【蔵ぼっこ】陸奥国花巻、遠野の蔵に現れる座敷童。蔵の中に籾殻などを撒いておくと、朝には小さな子供の足跡が残されているという。
<覚(さとり) 『今昔画図続百鬼』 全国 妖怪>
・【天邪鬼】の類にも同名のものがいるが、こちらは唐(中国)伝承の妖怪。体中黒い毛に覆われた霊獣で飛騨や美濃の山深くなどに棲む。人の言葉を話し、人の心を読む。人に害はおよぼさず。捕まえようとしても、人間の意思を読んで、先回りして逃げてしまうという。
<天狗 伝承 全国 神、妖怪>
・天狗はもともと《隕石》のことをいい、唐(中国)伝承では虎に似た妖獣とされていた。『日本書紀』では《アマツキツネ》とされる。そのため《天狗》の字を用いる。
・やがて、仏教を妨害するとされ鳶のような姿で表わされ、次第に人間化して行った。その代表が【外道様】とも呼ばれるように、修行僧が己の知識に奢って悪心を抱いた末に、天狗と化したとされるもの。そのため知識が豊かで【神通力】を用い、弟子や家来を沢山抱える。
山岳信仰では修験道の寺院や修行僧を守り、修行の地である山の結界を管理する。一方で、天候の怪異や【神隠し】を起こすとされる。
天狗の代表は《日本八大天狗》と呼ばれる八人の天狗である。筆頭の【愛宕山太郎坊】は、京都・愛宕山に祀られる天狗で、【栄術太郎】とも言われる。
・その他に、江戸時代中期に作られた祈祷秘経の『天狗経』に《四八天狗》があげられていて、それぞれに逸話がある。さらに異名や天狗伝承は数知れない。
【尼天狗】『今昔物語集』に載る天狗。仁和寺の円堂に棲むという女の天狗。
【鞍馬天狗】鞍馬山に祀られる大天狗で日本八大天狗のひとり。牛若丸に剣術を教えたとされる。【僧正坊】や京の一条堀川の陰陽師・鬼一法眼と同じとされる。
【木の葉天狗】地位の低い天狗で【烏天狗】に似る。【白狼】とも呼ばれる。小僧の姿に化け、山を行く人や物を背負って小銭を稼ぎ、天狗の仲間達を支えているそう。
【守護神様】三河地方の天狗で、山の神とされる。毎月七日は山の忌み日とされ、入ることを避ける。
【僧正坊】鞍馬山の僧侶だったが、修行中に悟りを開いたと、自分の知識に驕り、年老いてなお死に欲を増し天狗となる。死後も僧侶の高い位に執着し続けた。
【空神】紀州の天狗。空を自由に飛ぶため、こう呼ばれる。
【天狗隠し】【神隠し】に同じ。天狗によって攫われたとする。行方不明事件のこと。
<鬼 伝承 全国>
・鬼は様々な妖怪や怪異に使われる名称。古代(平安中期以前)の王朝と闘う異部族や怪異など、外敵の他、人の心の中が変化する鬼もある。実態のあるものもあれば、実態のないものもあり、また、悪の象徴でもありながら、地獄では番人をする仏教を守る側にもいるという、様々な面で両極に存在する怪である。
牛の頭に、虎の腰巻き(パンツと呼ばれるのは明治以降)として描かれる姿は、江戸時代に固定化された。
・また、流行病も鬼の仕業とされた。他の病気は《罹る》と呼ばれるが、風邪は鬼が悪い病気を引き込むので《引く》と呼ぶ。
【青鬼・赤鬼】
・物語には、赤・青の鬼が登場する。色の他にも目がひとつや複数あるもの、口がないものなど、様々な姿が語られ、描かれ《異形》を象徴する。
【悪路王】陸奥国(岩手県)・常陸国(茨城県)の鬼。坂上田村麻呂に討たれ、鹿島神宮に納められたとされる。
【悪鬼】世に悪をバラ撒く鬼達のこと。かつて流行病は鬼の仕業とされていたので、蔓延すると、人々は鬼の退散をひたすら神仏に願った。
【一条桟敷屋の鬼】『宇宙人時拾遺物語』に登場する鬼。ある男が都の一条桟敷屋(床の高い建物)で遊女と臥していると、夜中に嵐となった、すると「諸行無常」と言いながら通りを歩く者がいるので、蔀(上げ戸)を少し開けて覗くと、背丈は建物の軒ほどあり、馬の頭をした鬼だった。
【牛鬼】石見国(島根県)で語られる。水辺で赤子を抱いた女が声をかけてきて、赤子を抱いてくれと言ったり、食べ物を求めたりする。赤子受け取ると急に石のごとくに重くなり、動けなくなったところで牛鬼が現れ襲われるという。
また、牛鬼が女に化けて出て騙す。四国や近畿地方には《牛鬼淵》や《牛鬼滝》など、牛鬼の棲む場所が多くある。
【温羅】かつて吉備国(岡山県~広島県)に渡って来た鬼の集団で、鬼ノ城を築き周辺を支配した。天王に対峙したため、吉備津彦に討ち取られた。斬られた首は死なず、犬に喰わせて骨にしても静まらず、地中に埋めても13年間もうなりを発していたと言われる。
【鬼の手形】陸奥国(岩手県)伝承。盛岡の町では【羅刹】に荒らされて困っていた。そこで、人々は町の神である《三ツ岩様》に祈願すると、羅刹はこの岩の霊力で、岩に貼りつけられてしまう。堪忍した鬼は、二度と現れないという誓いを立てて放免してもらい、その証しに三ツ岩に手形を残して行ったという。これが県名《岩手》の由来とされる。
【鬼女紅葉】信濃国(長野県)戸隠や鬼無里に伝わる鬼。平安中期のこと、公家・源経基の子を宿した紅葉は、嫉妬のために御台所(正妻)に呪いをかけ、その罪で都を追われる。鬼無里に流された紅葉はやがて怨念で鬼となり、戸隠山を根城にして、付近の村を襲った。そこで都から平維茂が討伐に出陣し、観音の御使いから授かった《降魔剣》で退治される。しかし、鬼無里伝承では、都の文化を伝えた貴女とされて、尊ばれている。
【牛頭馬頭】地獄の鬼のこと。定番の牛の頭の他に、地獄には馬の頭をした鬼もいる。
【猿鬼】能登国(石川県)柳田村を襲った、一本角の猿のような鬼。村の岩穴に棲みついたため、氏神によって弓で射殺されたという。
【瀬田の鬼】『今昔物語集』東国の国司(地方官)が都に上り、瀬田の橋近くの荒ら家に泊まった夜に出た鬼。逃げて瀬田の橋の下に隠れると、追いかけて来た鬼が、侍を見失ってしまう。しかし、何処かから声がして、「下におります」とばらしてしまう。声の主は何者か知れず、その後、国司がどうなったかも、知る者はいない。
【火の車】地獄の鬼が燃え盛る車を引いて、生前の行ないのよくない死者を迎えに来る。『因果物語』では、強欲で行ないのよくない庄屋の妻を八尺(2.4メートル)もある大きな男が連れて行ったとある。連れて行かれる先は地獄。
<河童 全国 妖怪、水神>
・河童伝承は、
1.姿の目撃談。
2.相撲を挑み、人や馬を水中に引き込む。
3.泳いで遊ぶ子供を襲い、尻の穴から手を入れて【尻児玉】を抜く。
4.女性に悪戯をして腕を斬られ、その腕を取り返すために《腕繋ぎ》の治療法を伝授する。
5.冬の間は山に住む。と多彩。
・豊前国(福岡県)の北野天満宮には河童のミイラが伝わる。江戸時代には河童のミイラは猿の赤子とエイなどを組み合わせて作られた。
【伊草の袈裟坊】武蔵国(埼玉県)の河童の親分。
【かーすっぱ】【がーすっぱ】駿河国(静岡県)、九州で使われる。《すっぱ》は忍者のこと。
【があたろう】五島列島で呼ぶ河童。河童というと、川の妖怪の印象が強いが、【海御前】が河童の女親分と言われるように、海にも多くいる。
【かしゃんぼ】紀伊国(和歌山県)、伊勢国(三重県)の河童、【山童】。芥子坊主頭の6~7歳の子供で、青い着物を着ている。
【がめ】越中国(富山県)、能登国(石川県)、筑後国(福岡県)の河童。筑後国久留米では女性に取り憑き病気にする。能登国ではよく子供に化け、越中国では鱗形の模様のある甲羅に、腹には赤いふさふさの尾があるとされ、千年生きて【かーらぼーず】になると言われる。
【川天狗】武蔵国。多摩川では悪さはしない河童。村人に熱病に効くみみずの煎じ薬を伝えた、津久井では夜の川漁に現れ、大きな火の玉を出したり、網打ち音の真似をする。
『コロポックルとはだれか』
―中世の千島列島とアイヌ伝説
瀬川拓郎 新典社新書 2012/4/24
<封印されたアイヌ伝説>
<小人伝説はおとぎ話か>
・昔は十勝川に沿ってアイヌのほかにコロポクウンクル(ふきの下に住む者)という、ふきの下に5、6人が集まって住むぐらい小さい者たちがいた。コロポクウンクルは何でも人に与えるのが好きで、ごちそうを椀に入れてアイヌの戸口のござの下から差し出し、それをアイヌが受け取って押しいただくと喜んでいた。あるときアイヌのウエンクル(悪い奴)が、ごちそうをもってきたコロポクウンクルを家の中に引っ張り入れると裸の女であった。女は泣きながら帰ったが、あとでコロポクウンクルの親方が怒ってやってくる。激怒したコロポクウンクルたちはレプンコタン(海の向こうの国)に引き上げることになり、そのときに親方が「このコタン(村)のものは、ネプチー(何でも焼けろ)、とかプチー(枯れてしまう)という名を付ける」と言う。それまではシアンルルコタンというりっぱな名前だったが、それからはこのコタンを「トカプチコタン」と呼ぶようになった(帯広市で採録)。
・この伝説を読んで、コロポックルを実在の集団であったと考える人はおそらくいないでしょう。もしコロポックルが実在の集団だったと主張すれば、それは童話であり、妖精・妖怪譚のたぐいにすぎない、と一笑に付されてしまうにちがいありません。
<封印されたコロポックル論>
・帝国大学(東京大学)の人類学教室初代教授であった坪井正五郎らは、アイヌの伝説に登場するコロポックルこそが石器時代人だったのではないか、と主張した。
・一世を風靡した小人伝説は、河野常吉が「コロポックルはアイヌの小説なり」と坪井を強い調子で批判したように、事実に根差さない昔話であり、童話のたぐいであるとみなされたまま、ふたたび学問的な議論の対象となることはありませんでした。
<中世千島の開発と小人伝説>
・小人伝説は、中世アイヌ社会の一端をうかがう貴重な資料といえそうです。
・古代の千島は、アイヌとは系統の異なるサハリンから来た人びと(オホーツク文化人)が住んでいました。しかし近世の千島はアイヌが占めるところとなっており、もはやオホーツク文化人は住んでいませんでした。
<アイヌの小人伝説>
<ジョン・セーリス「二度蝦夷に行ったことのある一日本人が江戸の町で伝えた同地に関する情報」『日本渡航記』(1613年)>
・(道南の松前の)さらに北方には、同じ陸地上に、一寸法師のような背の低い人間が住んでいる。蝦夷人(アイヌ)は日本人と同じ丈の人間である。
<松坂七郎兵衛他『勢州船北海漂着記』(1992年)>
・南千島のエトロフ島に漂着した勢州船の記事です。船員は、エトロフ島からクナシリ島を経て北海道本島に渡り、十勝を経て松前から帰郷しました。この小人伝説は、帰途、クナシリ島から道東太平洋沿岸のあいだで聞きとったものとおもわれます。小人が「小人島」に住んでいること、その島にはワシが多くいること、船路100里もある遠い地から船で本島にやってくること、その目的が土鍋製作用の土(粘土)の採取にあること、脅すと身を隠すことなどについて記しています。
・道南の日本海側、現在の上ノ国町小砂子の地名由来にかんする聞きとりです。100人ほどの小人が「小人島」から渡ってきたこと、その目的が土と草(あるいは葦)の採取であったことを記しています。
<秦檍丸「女夷文手図」『蝦夷島奇観』(1807年)>
・アイヌの女性の文身(イレズミ)の図に、道東の根室のアイヌから聞き取った伝説を解説として付したものです。古くはコッチャカモイという小さな神が北海道の各地にいたこと、アイヌとの直接的な接触を嫌い北海道から去ったこと、この神のイレズミをまねてアイヌのイレズミがはじまったこと、かれらの住んだ竪穴住居の跡が各地に残り、土器や宝が出土することなどを記しています。
<最上徳内『渡島筆記』(1808年)>
・むかしコロブクングル(フキの下にその茎をもつ人の意)と呼ぶ小人がいたこと、道東ではこれをトイチセウンクル(竪穴住居に住む人の意)と呼ぶこと、アイヌ女性のイレズミがこの小人の習俗に由来すること、声は聞いてもその姿をみた者はいないこと、アイヌの漁に先回りし、あるいはアイヌの魚を盗み、アイヌも家に来て魚を乞うこと、魚を与えないと仕返しすること、小人は魚を乞うたのではなく、反対にアイヌに与えたともいわれること、家の窓から魚を乞う小人の女の手を引き入れたが、3日食事を与えないと死んでしまったこと、小人はアイヌにさまざまな悪さをなし、戦うときには甲冑を帯びてフキの下に隠れたことなどを記しています。
<小人名称の三種類>
・一つ目は、竪穴住居に住む人(神)を意味するとおもわれる名称です。「トイチセコツチャ」「トイコイカモイ」「コッチャカモイ」「トイチセウンクル」がありました。二つ目は、フキの葉の下の(神)を意味する名称です。「コロボルグルカモイ」「コロブクングル」がありました。三つ目は、千島の人を意味する「クルムセ」です。
『もののけの正体』 怪談はこうして生まれた
原田実 新潮社 2010/8
<アカマタ――魔物の子を宿す>
・ある日のこと、乙女が畑に出て芋を掘っていた。乙女が一休みして、また畑に戻ろうとしたところ、岩のうしろから赤い鉢巻をした若者が顔を出してはまたひっこめたのに気づいた。歩こうとすればまた顔を出し、立ち止まればまた隠れる。乙女がその若者の顔に見入って動けなくなっていた時、乙女の様子がおかしいことに気付いた農民たちがかけつけて乙女を畑に引き戻した。
乙女が見ていた若者の正体は、アカマタという蛇だった。アカマタは誘惑した乙女と情を通じ、自分の子供を産ませようとしていたのだ・・・。このパターンの民話は、沖縄の各地に伝わっている。
・石垣島の宮良では7月の豊年祭にアカマタ・クロマタという神が現れ、一軒一軒の家を回り祝福していくという(なお、この祭りは秘祭とされ撮影が一切禁じられている)。
沖縄では同じアカマタという名で、若い女性にとりつく蛇のもののけと、豊作を予視する来訪神の二通りの異界の者が現れる、というわけである。
・さて、蛇ににらまれた女性が動けなくなるという話は、本土の古典でも、たとえば『今昔物語集』などに見ることができる。また、蛇身の神が女性の元を訪れて交わるという話は古くは記紀にも見られ、さらに日本各地の伝説・民話などに見ることができる。ちなみに記紀ではその説話の舞台が大和の三輪山(現・奈良県桜井市)の麓とされているため、神話・民話研究者の間ではそのタイプの説話はその三輪山型神婚説話と呼ばれている。沖縄のアカマタの話はその三輪山型神婚説話に発展する可能性を秘めながら中断させられた話とみなすこともできよう。
実は、沖縄にも三輪山型神婚説話に属する類型の話が残されている。
・これは江戸時代の琉球王府が正史『球陽』の外伝として、琉球各地の口碑伝承を集めた『遺老説伝』に記された宮古島の始祖伝承の一部である。
この話に登場する大蛇には、娘が魅入られるという点からすれば憑き物的側面があり、夜に訪れるという点からすれば来訪神的側面もある。この話は、憑き物としてのアカマタと来訪神としてのアカマタの関係を考える上で暗示的だ。
ところで私はかつて、三輪山型神婚説話の起源について、異なる共同体に属する男女間の婚姻がその背景にある可能性を指摘したことがある。
<キムジナー 日本のエクソシスト>
・沖縄ではその昔、樹木に住む精霊の存在が信じられていた(あるいは今でも信じられている)。
・沖縄では古木の精をキムジナー(木に憑く物、の意味)という。また地域や木の種類によってはキムジン、キムナー、ブナガヤー、ハンダンミーなどの別名もある。赤い顔の子供のような姿とも全身が毛に覆われた姿ともいわれ、水辺に好んでよりつくことから、本土でいうところの河童の一種とみなす論者もいる。
・『遺老説伝』の話の全般に見られるように、キムジナーは友だちになれば魚をわけてくれたり、仕事を手伝ってくれたりするという。また、他愛ないいたずらを好む、ともされ、たとえば、夜、寝ていて急に重いものにのしかかられたように感じたり、夜道を歩いている時に手元の明かりが急に消えたりするのはキムジナーのしわざだという。
・キムジナーが出没するという話は現在でも沖縄ではよく語られる。ただし、最近では、観光客のおみやげなどでキャラクター化されたかわいいキムジナーが流布する一方、人に憑いて苦しめるような悪霊めいたキムジナーの話が広まる、という形でのイメージが二極化する傾向があるようだ。
<キンマモン――海からの来訪神>
・その昔、屋部邑(現・沖縄県うるま市与那城屋慶名)は幾度となく火災に遭い、多くの家が失われていた。ある日、その村に君真物(キンマモン)と名乗る神様が現れて村人たちに仰せられた。
「ここに火事が起こるのは屋部という村の名が悪いからです。屋慶名と改名すれば火事が起きることはない」
村人たちがそのお告げにしたがったところ、その後は火事が起きることはなくなった(『遺老説伝』より)
・キンマモンに関する記録は、江戸時代初期の僧・袋中(1552~1639)の『琉球神道記』にすでに見ることができる。それによるとキンマモンは琉球開闢以来の守護神とされる。キンマモンは、ふだんは海底の宮に住んでいて、毎月、人間の世界に現れて遊んでは宣託を与えていくのだという。
・また、曲亭馬琴の『椿説弓張月』(1807~1811年)は保元の乱に破れて伊豆に流された源為朝が流刑地から脱出して琉球にたどりつき琉球最初の王朝である舜天王統の祖になったという伝説を読本にしたてたものだが、その中でキンマモンは「きんまんもん」と呼ばれ琉球を守護する神だとされている。ちなみにこの読本に挿絵を付したのは葛飾北斎だが、北斎は「きんまんもん」を、魚の胴体に人間の顔、鱗だらけの手足
があって直立するという異形の姿に描いた。
キンマモン=君真物で、「君」は君主もしくは神女は君主もしくは神女への尊称、「真」は真実、本物という意味の尊称、「物」は精霊の意味とみなせば、キンマモンは、精霊の真の君主ともいうべき偉大な精霊といった意味になる。「物」はまた本土の言葉で言う「もののけ」にも通じている。
・キンマモンは海から人里にやってくる宣託神であり、典型的な来訪神である。最近の沖縄では、この神について、単に沖縄の守護神というだけではなく、世界の救世神だとして主神に祭る新興宗教も出現している。
沖縄の習俗伝承には、憑き物系のもののけや来訪神に関わるものが多い。これは沖縄の社会事情とも深く関連している。後述するように、沖縄では、ノロやユタといった神女たちがさまざまな祭祀をとりおこない、庶民の生活に深く関わる存在となっている。
そして、彼女たちの職掌というのはつまるところ来訪する神を迎え、憑き物を払うことなのである。彼女たちが人々の生活に深く関わっている以上、来訪神や憑き物は社会的・文化的に認知された存在であり続けるし、またそうしたものたちが認知されている以上、神女たちの職掌も必要とされ続けるのである。
<メリマツノカワラ――神女と異神>
・沖縄には各地に御嶽と呼ばれる聖域がある。それらは神がかつて降臨した(あるいは今も降臨する)とされる聖地である。本土でいえば神社の本殿に相当するといえようが、御嶽は神社のような建築物ではなく自然の岩や洞窟をそのまま聖域と見なすものである。
その御嶽の由来の中には、異形の神の降臨について伝えるものもある。
・13か月が過ぎ、真嘉那志は一人の男の子を生んだ。いや、それを男の子と言っていいものかどうか・・・生まれた子供は頭に2本の角を生やし、両目は輪のように丸く、手足は鳥に似て細長く、奇妙な顔立ちで少しも人間らしいところはなかったからだ。
目利真角嘉和良(メリマツノカワラ)と名付けられたその子供は14歳になった時、母と祖母とに連れられて雲に乗り、空へと去って行ってしまった。
しかし、その後、メリマツノカワラは彼らがかつて住んでいた近くの目利真山にたびたび現れ、その度に人々を助けるような霊験を示した。人々は目利真山を御嶽として崇めるようになったという。
この話は『遺老説伝』や『宮古史伝』に出てくる。
・一部の古代史研究家は、メリマツノカワラの容貌が鳥に似ていたとされるところから、中国の長江流域にいた鳥トーテムの部族が漢民族に追われて海に逃れ、沖縄に渡来して鳥崇拝を伝えたのではないか、と考察している。
<神女が重んじられる文化>
・明治政府の廃藩置県によって王政が廃止された後も聞得大君(きこえおおぎみ)を頂点とする神女制度は存続し、現在は聞得大君こそ空位だが、各地のノロ(祝女、各地域の神を祭る女司祭)は祭祀によってそれぞれの地元の人の精神的なよりどころとなっている。
・一方、正規の神女制度に属さないユタという人々もいる。彼女らは庶民の祖先祭祀について指導したり、憑き物落としをしたりする民間の神女であり、その存在は沖縄の人々の生活に深く根付いている。ユタは祖先崇拝を通して庶民生活における伝統を伝えようとする存在ともいえよう。
・ノロやユタが沖縄の人々の精神生活に深く関わっていることを思えば、沖縄の民俗伝承に来訪神や憑き物系のもののけが多い理由も改めてよくわかる。
ノロの大きな職掌は来訪神を迎えることであり、ユタの仕事の一環には憑き物落としが含まれているからだ。沖縄の異神やもののけは、神女たちの存在意義を支えてきた。
そして、彼女らが沖縄の人々の生活に深く関わっているということは、とりもなおさず、彼女らに関わる異神やもののけが沖縄の人々の生活と密着しているということでもあるのだ。
<蝦夷地の妖怪や異神>
<コロポックル――妖精はどこにいる?>
・アイヌの伝説で本土の人にもよく知られているものと言えば、筆頭に挙げられるべきは、コロポックル(蕗の下に住む人)という小人族に関する伝説である。彼らはまた、トイチセウンクル(土の家に住む人)、トンチなどとも呼ばれる。この小人族たちは、伝承上、あくまで「人間」とされており、カムイ(神)でもカミムンでもないが、西欧の伝承における妖精などとよく似たところがあることも否めない。
・また、十勝地方の伝説では、コロポックルはアイヌに迫害されてその地を去ったが、その時、川に「トカップチ」(水よ、枯れろ)という呪いをかけた。これがトカチという地名の由来だという。
この伝説に基づき、コロポックルを北海道におけるアイヌ以前の先住民族とする説を唱える論者も多い。明治20年(1887)には人類学者・坪井正五郎がコロポックルは北海道のみならず日本列島全域の先住民族で、日本民族に追われてかろうじて北海道に残っていたものが、そこからさらにアイヌに追われた、という説をたてた。
<魔女ウエソヨマ――北国の天孫降臨>
・アイヌの伝説を論じる場合に避けて通れないのはユーカラといわれる口承叙事詩だ。その中には、もののけと戦って人間の世界に平和をもたらした英雄たちの物語も含まれている。
<水の精ミンツチ――半人半獣の謎>
・ところでアイヌの信仰で、和人のカミ(神)にあたる霊的存在を「カムイ」ということはよく知られている。
・ミンツチは半人半獣のもののけで小さい子供くらいの背格好をしているという。肌は海亀のようで色は紫とも赤とも言われる。
川辺に来る人を襲って水の中に引きずり込むとして恐れられる一方で、山や川で働く人を苦難から救うこともあると言われる。
・ミンツチの行動パターンには和人の伝承における河童に似たところがある。さらに言えば、ミンツチは和人との接触でアイヌの伝承にとりこまれた河童とみなした方がいいだろう。ミンツチの語源「みずち」は、水の神を意味する日本の古語(「蛟」という漢字を当てられる)だが、一方で青森県における河童の呼称「メドチ」と同語源でもあるのだ。
『写真で見る日本に来た?! UFOと宇宙人』
(矢追純一)(平安)(昭和51年)
<北海道函館市にはUFOの基地がある?>
・北海道の南端、函館市をのぞむ小さな港町、上磯では、しょっちゅうUFOが目撃されるそうだ。
・地元でもUFO目撃者の数が多い。
・吉川さん親子も白昼、巨大なUFOが頭上を通過して行くのを見た。それはまるで巨大な扇風機が飛んでいるようだったという。丸い円盤型のUFOで、全体がものすごい勢いで回転しているように見えた。そして、アッという間に急速にスピードをあげ、海上に消え去ったという。
・小坂さんたちは、ひんぱんに現れるUFO基地を探してやろうと毎晩のように近くの山々を探検してまわった。そして、ついに大沼山近くの、通称、貧乏山という山の裏側にUFO着陸跡らしい巨大な円形の焼け焦げを見つけたのである。
・グループのメンバーは毎晩交替で見張ることにした。そして、UFOらしい大きな怪光がオレンジ色に光りながらこの貧乏山を出入するのを8ミリにおさめることに成功したのである。
『エイリアンの謎とデルタUFO』
<グレイは地球産UMAだ>
・とくに、グレイは日本人にとっては非常に馴染みが深い動物であるといってもいい。日本でもグレイは住んでいるからだ。昔から日本人はグレイをしばしば目撃してきた。ただ捕獲された正式な記録はないので動物というより、妖怪変化にされてしまっただけである。日本におけるグレイ、それは「河童」である。一口に河童といっても、そこには古代の被征服民や神話、それに呪術に至るまで、様々な要素が含まれる。その中のひとつに、実は未確認動物(UMA)としての河童があるのだ。アイヌの伝承に登場するコロポックルや奄美地方のケンムン、沖縄地方のブナガヤやキムジナーもまた、そうした河童の一種でいわばグレイなのである。
『鬼』
高平鳴海/糸井賢一/大木憲司/エーアイ・スクウェア
(新紀元社)1999/8
<創造神とドラ息子>
<伊吹(いぶき)弥三郎・伊吹童子>
・弥三郎の特殊能力;鉄の体、巨体
童子の特殊能力;不老長寿、仙術、怪力
<伊吹の山神>
・近江の伊吹山にいたとされる伊吹弥三郎には創造神という顔と魔物=鬼という顔がある。その息子の伊吹童子も多くの部下を従えて暴れまわった鬼である。
<天地を創造する>
・近江地方の伝承では、伊吹弥三郎は巨人として扱われている。日本のみならず、世界中の天地創造神話には、山や河川、湖などを創ったとされる巨人がよく登場する。世界の初めに巨人が存在していて、それが地形を創ったり、巨人の死体が山や川や海になったという話だ。弥三郎もそうした創造神の一種と見るべきだろう。
・彼は伊吹山や富士山、七尾村(現在の岡山)を創ったと伝えられている。
<魔物に堕とされた巨神>
・古に神は、時代と共に魔物に凋落していくことが少なくない。弥三郎はその典型といえるだろう。
・近江の伊吹山に弥三郎と言う男がいた。その体は、鉄のようで、千人力を持つ超人であり、人々はこれを恐れて「鬼伊吹」と呼んだ。
『鬼』
高平鳴海、糸井賢一、大林憲司、エーアイスクウェア
新紀元社 1999/8
<「伊吹弥三郎・伊吹童子(創造神とドラ息子)>
出自;「御伽草子」「三国伝記」「仮名草子」「伊吹どうじ絵巻」
<容姿>
・伊吹弥三郎も伊吹童子もその姿は一般的な鬼のイメージとは違う、ものもとの伝承から推測するに単なる巨大な男、いわゆる巨人であり、その他の細かい特徴は不明である。特に弥三郎は富士山などを造ったとされており、その体の大きさは他の鬼と波比べられないほどだろう。
・伊吹童子の方は、童子と呼ばれるだけあって童(わらわ)の姿をしていたらしい。不老長寿の薬といわれる「サンモ草の露」を飲んで以来、老いもせず、14~15歳の少年のままだった絵巻に書かれている。
<伊吹の山神>
・近江の伊吹山にいたとされる伊吹弥三郎は、創造神という顔と、魔物=鬼という顔がある。その息子の伊吹童子も多くの部下を従えて暴れまわった鬼である。
・実は近江の伝説だけでなく、弥三郎は多くの文献にも登場している。
<戸隠の女盗賊><紅葉(くれは)>
・各地の伝承でも能楽で語られる場合でも、絶世の美女であったと伝えられる。しかし、罪に問われて戸隠に逃れ、その後は悪事を重ねるごとに醜い姿になっていった。一説には、その身長は3メートルほどもあったという。
<英雄を助けた鬼女、鈴鹿御前>
・どの伝承を見ても絶世の美女だったと記録されている。鈴鹿山の鬼女も「女」で「盗賊」だったことから、立烏帽子と呼ばれるようになったと考えられる。
・彼女は記録によって鈴鹿御前と呼ばれる場合と烏帽子と呼ばれる場合がある。
・鬼女を御前と呼ぶのは変かもしれないが、伝説を見ると、どうも、彼女は、完全な悪玉というわけではなかったようである。あるいは、鬼神レベルの力を有していたために、敬称が付けられたのかもしれない。
・御前は田村丸を「光輪車」という神通力で飛行する乗り物に乗せたかと思うと、瞬く間に内裏に降り立った。そして、光輪車で去っていった。
・和歌山県熊野地方の伝承。容姿については、伝承のパターンによって、ふたつ存在する。ひとつには夫に先立たれた寡婦(やもめ)で、イメージとしては妖艶な中年女性だろう。もうひとつは白拍子の少女の姿である。清姫といった場合、特にこちらの少女を指す。
さらに彼女は、全長10メートルもの大蛇に変身することができ、これが第三の姿と呼ぶこともできる。
清姫の物語は、熊野権現と関係が深く、その舞台は道成寺という寺である。主な登場人物は、清姫と彼女が恋焦がれる安珍という僧だ。
<●●インターネット情報から●●>
「鈴鹿御前の物語」
・現在一般に流布する鈴鹿御前の伝説は、その多くを室町時代後期に成立した『鈴鹿の草子』『田村の草子』や、江戸時代に東北地方で盛んであった奥浄瑠璃『田村三代記』の諸本に負っている。鈴鹿御前は都への年貢・御物を奪い取る盗賊として登場し、田村の将軍俊宗が討伐を命じられる。ところが2人は夫婦仲になってしまい、娘まで儲ける。紆余曲折を経るが、俊宗の武勇と鈴鹿御前の神通力 によって悪事の高丸や大嶽丸といった鬼神は退治され、鈴鹿は天命により25歳で死ぬものの、俊宗が冥土へ乗り込んで奪い返し、2人は幸せに暮らす、というのが大筋である。ただし、写本や刊本はそれぞれに本文に異同が見られ、鈴鹿御前の位置づけも異なる。
『鬼』 (高平鳴海、糸井賢一、大林憲司)
(新紀元社)1999/8
<鬼はなぜ童子とよばれるのだろうか?>
・童子とは、つまり元服前の稚児を示す言葉だが、童子はいわば蔑称で、時の支配者らが用いた言い回しである。鬼は確かに人々を驚かしていたが、その力を認めたがらず、下っ端=目下の者=童子と呼んだそうです。
<日本の伝承に残る鬼として>
・桃太郎の鬼(温羅)(うら)
・蝦夷の鬼王(悪路王)(あくろおう)
・有明山(信州富士とも呼ばれる)の鬼族(八面大王)(長野県の伝承)
・黄泉より還りし悪鬼(大嶽丸)(おおたけまる)(三重県鈴鹿山近辺の伝承)
・霊の化身(鬼八法師)(きはちほうし)九山岳地帯の伝承
・飛騨の怪人(両面宿儺)(りょうめんすくな)
・「伊吹弥三郎」と「伊吹童子」の伝承(岐阜県北部伝承、日本書紀、御伽草子に登場)近江の伊吹山にいたとされる伊吹弥三郎は、創造神という顔と、魔物=鬼という顔がある。伊吹童子はその息子だという。
・天邪鬼(あまのじゃく)(人々に親しまれた小鬼)(和歌山県串本町の伝承)
・同胞を助けた「赤鬼」(せっき)出自は安倍晴明物語。
『異人その他』
<異人>
・異人もしくは外人は、未開人にとっては常に畏怖の対象であった。あるいは彼らは、異人は強力な呪物を有していると考えて畏怖したのであろう。あるいは悪霊であるとも考えたのであろう。
・自分の属する社会以外の者を異人視して様々な呼称を与え、畏怖と侮蔑との混合した心態を持って、これを表象し、これに接触することは、吾が国民間伝承に極めて豊富に見受けられる事実である。山人、山姥、山童、天狗、巨人、鬼、その他遊行祝言師に与えた呼称の民間伝承的表象は、今もなお我々の生活に実感的に結合し、社会生活や行事の構成と参加している。
『鬼がつくった国・日本』 歴史を動かしてきた「闇」の力とは
<「東北」の怨念を語りつぐ「田村三代記」>
・それで、こういう中央とまつろわぬ者の関係、日本の過去における京都を中心とする光の領域と、東北に代表される闇の領域との関係を象徴的に表している『田村の草子』という坂上田村麻呂の一族をモデルにした説話があるので、ここで紹介してみたいと思います。
まず、田村利仁という人物が出て来て、妻嫌いをする。つまり、かたっぱしから縁談を断るんですが、ある日、大蛇が変身した美女を見初め、妻にする。女は妊娠し、自分の姿を見ちゃいけないといって産屋にこもる・・・。
・そう、タブーを破って見ちゃうわけ。それで、まさに「見たな」というわけで、「おまえは数年を経ずして死ぬが、子どもは英雄になる、覚えとけ」と預言して姿を消してしまうんです。
・それでね、いまの『田村の草子』には中央から見た鬼=まつろわぬ者のイメージがよく出ていると思うんですが、東北にも東北版『田村の草子』みたいなのがあるんですよ。『田村三代記』といわれているもので、話を簡単に紹介しますと、平安時代前期に都でまりのような光る物体が夜となく昼となく飛び回り、米俵、金銀、はては天皇への貢ぎ物まで持ち去ってしまうという騒ぎが起こるんです。
・未知との遭遇だね。第三種接近遭遇(笑)。
・そこで、陰陽師の博士に占わせると、伊勢国・鈴鹿山に天竺から来た魔王の娘である、巫女のいでたちをした立烏帽子というものがいて、日本転覆を計画しているという。しかも、日本にも立烏帽子におとらぬ鬼神である蝦夷の大嶽丸がいて、ほっておくといっしょになって攻めてくるというんです。で、そりゃたいへんだというので、田村利仁に追討を命じて、鈴鹿山に向かわせるんです。ところが、二万余騎の軍勢で探しても、立烏帽子は見つからない。そこで、魔の者に会うときは大勢で行くなという父利光の教えを思い出して、利仁一人を残して軍勢を返すと、三年以上たったある日、やっと立烏帽子を見つけるんです。すると、これがなんと紅の袴を着た歳のころは十六、七のピチピチのギャルちゃん。
・なんせ相手がかわいい女の子でしょ、さしもの田村丸も迷うんです。原文に「かようなる美麗なる女を討つとは何事ぞや。このうえはなかなか彼女にしたしむべきかと思召し賜えしが、いやまてしばし我心」とありますもの。
・ちょっと待て、だいたいそれで男は損しちゃうんだよね(笑)。そういえば、この『田村三代記』ってちょっとまえまで東北の座頭が奥浄瑠璃でやってたんでしょ。
・それでね、二人の戦いはなかなか勝負がつかないわけ。すると、立烏帽子が利仁の出自について語り始めるんです。それによると、利仁の祖父は星の子どもで、彼が龍と交わってできたのが父親の利光で、その利光が奥州の悪玉姫、これも鬼ですよ。それと契ってできたのが利仁だというんです。そして、田村三代は日本の悪魔を鎮めるための観音の再来だというんです。それで、自分は日本を転覆させにきて、蝦夷の大嶽丸にいっしょになってくれと何度も手紙を出したんだけれど、返事もくれない。でも、自分は女の身だからやっぱり男がいないとだめなの、あなたといっしょになって、二人で力をあわせて日本の悪魔をやっけようといいよるんです。
・それで、二人は結ばれて近江の高丸という鬼を退治するように命じられるんです。二人が攻めていくと、高丸は常陸の鹿島の浦(茨城県)に逃げてしまったので、立烏帽子は利仁を光りん車というUFOみたいな乗り物に乗せて飛んでいくんです。で、高丸を攻撃するときの戦法っていうのがまたSF的で、呪文をかけて十二の星を降らせて星の舞いをさせたり、一本のかぶら矢を打つと、それがビーム砲か散弾銃みたいに千本の矢先となって鬼神に降り注いだり…。結局、高丸は二人に退治されてしまう。
<連綿と続く東北独立国家への試み>
・『田村三代記』の主人公である田村利仁は、征夷大将軍の坂上田村麻呂と鎮守府将軍、つまり蝦夷に置かれた軍政府の長官であった藤原利仁とを合体させた人物なんだけど、彼は星の子どもと龍が交わってできた父親が、さらに悪玉姫という鬼と契って生まれたといわれるわけでしょう。龍と鬼という二重の異類婚によって生まれるわけですよね。その利仁が、立烏帽子という外来の魔性の女と交わって呪力を得て、蝦夷の鬼神の大嶽丸を倒す。これはまさに、まえに話した「異には異を」、「夷をもって夷を制する」という古代東北侵略のパターンそのものだと思うんです。
ただ、東北の『田村三代記』がものすごく伝奇ロマンっぽくなっているのは、京都でつくられた『田村の草子』が東北でもう一度再生産され、京都を他界として描いているからでしょうね。
<日本史のすぐ裏側に、闇の文化史――鬼の日本史のようなものがあるのではないか>
・『田村の草子』『田村三代記』については、すでに西村寿行氏が、それをネタにして傑作を書いておられます。これらとはり合うつもりの方、おられますか。おられませんか。
『異星人遭遇事件百科』
(郡純)(太田出版)(1991年)
<星座の名前は知的生物の姿?>
・星座の名称はこれまで単純に「星の形」とのみ関連付けて語られてきたが、近年その常識に見直しの気運が高まっているのは周知の事実である。
・星座の名称の由来は星の配列を似た動物にあてはめたとされるが、はたしてスバル(牡牛座)やシリウス(狼犬座)の配列が牛や狼の形に見えましょうか?これは他の星座すべてにいえることだが、(中略)星座の名称とは、その星座における代表的な知的生物を表現しているのではあるまいか?そして牡牛座と狼犬座の知的生物は、その名称通り「牛」と「狼」のような風貌をし、しかも、古くから交流があり、互いに月を前哨基地にして地球にも頻繁に訪れていた、と考えれば聖書を含めた多くの古代文献の記述も矛盾なく納得できるのである。
・ただ、異星人は単一の種族ではなく、様々な母星からきていたという立場に立つと話が違ってくる。人間をはじめ生き物はすべて異星人による被造物、と考えることが可能になるのだ。
・人間、牛、馬、鳥すべての動物は異星人がみずからの姿に似せて創造した。太古の書においては相互の「交配実験」も行われたのかもしれない。
『金髪碧眼の鬼達』
村昻 日本デザインクリエータズカンパニー 2015/9
鬼・天狗・山姥は白人的特徴を持っていた
<白人的特徴>
・過去の伝統的存在、鬼・天狗・山姥達は金髪・碧眼(黒以外の目)などの「白人的特徴」を持っていた……。再発見の数多くの資料や新しい科学的データも交えながら、彼らの正体に迫る!
<鬼・天狗が白人!?>
<鬼の絵と天狗のお面を見ると……そして驚くべき人類学の研究と>
・まず、鬼の絵を見て頂きたい。これは江戸時代に描かれた鬼の絵巻物だが、絵の中央で首を切られている大男がその鬼だ。名を酒呑童子という。この絵では鬼の首は宙に浮き上り、また、左方の武人の頭に噛みつく、という図にもなっている。しかし、ここでこの鬼の髪の毛を良く見てみよう。あれ、……これは金髪ではないか?そして、目の色も良く見れば金色になっている。これはどういう事なのだろうか?
・次は、天狗を見てみよう。これらは天狗のお面だが、これらのお面は群馬県の迦葉山弥勒寺という、天狗の信仰で有名な寺に奉納されている大天狗面というものだ。この図では、中央と左方に大天狗面が、また右下に小さく、普通の大きさの天狗面も写っている。しかし、いずれの髪色も淡いが金髪に見える。また、図の大天狗面の髪も金髪だ。これらでは、目の色も金色になっている。
しかし、鬼にしろ、天狗にしろ、この様に髪や目が金色なのは一体何故なのだろう?私達は金髪などというと……ヨーロッパ人のそれを想い出さないだろうか?また、ヨーロッパ人では金色の目の人も存在しているのだが……。
・実は驚くべき研究がある。今から十数年前に自然科学分野での専門論文として発表されたものなのだが、その中で「過去の日本列島に少数の白人系集団がやって来た可能性がある」という事が述べられているのだ。この研究は、東京大学医学部などの医学研究者達によって組まれたグループによる研究だった。
その研究の事を次に、まず簡単に触れておこう。この研究グループでは。最初、人間の体内に寄生する「JCウイルス」というウイルスについて医学的な研究をしていた。すると、このJCウイルスのDNAの型(タイプ)が世界各地の人類集団によって少しずつ違っている事が分かって来たのだった。
・そこで、研究グループは、このウイルスのDNA型の違いを利用して世界各地の人類集団の「系統分け」を試みる事にしたのだ。こういう手法は、生物学(分子系統学)で良く用いられているものだ。
そして、その結果、現代日本人の一部からも、ヨーロッパ人などの「白人」と対応している様に見えるJCウイルスの型が検出されたのだ(調査された日本人800余人の内の約2%)。
・そして、また、この研究グループが、日本人の中のこの白人対応と思えるウイルス型について、さらに詳しく調べてみると、このウイルス型が、ヨーロッパ人など白人の持つウイルス型と相似だが、少しだけ違いがある事も分かって来た。この事について、この研究グループは次の様に考えた。ヨーロッパ人など白人の持つウイルス型と日本人の持つ白人対応と思えるウイルス型とが「古い時代」に隔離したもの、と推測したのだった(この考え方は、この手の研究分野では、いわば情動的なものだ)。そして、この事をさらに進めて言えば、こういう事になった。白人対応のウイルス型を持っていた白人集団と、日本人の、白人対応らしきウイルス型を持っていた集団とが、古い時代に分れて別集団となった、という事だった。
さて、この事から、この研究グループは以下の様な驚くべき推論を導いた。
「少数の日本人の中から発見されたヨーロッパ人(白人)相似のウイルス型の存在は、古い過去の日本列島に少数の白人系集団が移住してきた事を示唆している」
つまり古い時代に、白人集団から分離した白人系集団が日本へ流入し、その後、この集団のウイルス型が、現代の日本人の中の白人型ウイルス型となった、とこの研究グループは考えたのだった。
・ところで、皆さんご承知の様に、この「白人」には、金髪、碧眼といった人達が大きい割合で含まれていた(碧眼とは青い目など、黒以外の色の付いた目の事)。という事は、過去の日本列島に、金髪、碧眼の集団が流入して来た可能性もあるという事に……なる筈だ。しかし、ここで思い出すのは、先の冒頭の、鬼、天狗の金髪、碧眼なのでは無いだろうか?
<柳田国男氏の山人=異属説>
・ところで過去、明治時代から昭和時代にかけて、民俗学者の柳田国男という人がいた(1875-1962)。歴史の教科書にも載る位の大学者だったこの人が、実は、鬼、天狗などの問題に関係して、一つの注目すべき説を提唱していたのだ。柳田氏は、江戸時代を中心とした資料中に、「山中で一種異様な者に遭遇した」という話が多数残る事を見い出し、その集団を鬼、天狗、山姥の末裔と想像して、「山人(やまびと)」と名付けていた。そして、この「山人」について、「山人=異族説」とでも呼べる説を提唱していたのだ。
この柳田氏と言えば、民俗分野でかつての大学者だったヒトラー総統で、しかもその人が自身の専門分野である民俗学で、山人や、また、鬼、天狗、山姥の資料を多数扱った上で、「山人=異族説」とでも言うべき説を唱えていた。これは見逃せない事ではないだろうか?
・柳田氏は、この山人達の、普通の日本人にはない様な「身体特徴」にも注目していた。彼の、この山人の身体特徴の指摘には、例えば次の様なものがあった。
赤頭というのは髪の毛の色でそれが特に目に付いた場合もあろうが、顔の赤いというのも山人にはそれ以上に多かったのである。或は平地人との遭遇の際に、興奮して赤くなったのかという事も一考せねばならぬが、事実は肌膚の色に別段の光があって、身長の異常とともに、それが一つの畏怖の種らしかった。地下の枯骨ばかりから古代人を想定しようとする人々に、ぜひとも知らせておきたい山人の性質である。
・柳田氏は上述の様に「山人」の身体特徴の指摘をしていたのだが、但し、この文では、その身体の特徴が「人種的特徴」だろうとか、山人が「人種的傾向」を持っているらしいなどという様な事は何も言っていない事がわかる。そして、彼の他の文献を見てもやはりそういう指摘は見つからない。しかし、それは彼の、自分は人類学の専門家ではないから、という学問的慎重さゆえだったのかもしれない。ただし、上述の様な山人の身体特徴の指摘は、それが人種的特徴であるかも知れない、と連想させるもので、それを暗に示唆していた、という言い方はできるのではないだろうか。
<丹後大江山の鬼=外国人説>
・ところで、柳田氏は、以上の説を突然、思い付いたものでもなかったのかも知れない。というのは実は、科学的には不完全なものとは思えても、鬼が外人ではないかや、白人では?或は天狗にもそういった説が柳田説以前から存在していたのである。それらは彼らの髪色や、そして、良くは分からないが、何らかの伝説などを元にか、そういう説が唱えられていた。そこで、以下、それらの説がどんなものだったのかを、いくつか見てみる事にしよう。
まず、最初に見るのは、京都の丹後地方の大江山に昔住んでいたという伝説の残る鬼、この冒頭に出した「酒呑童子」という名の鬼なのだが、この鬼とその配下の鬼達が実は外国人ではなかったか、という説である。この説は、現在、この大江山周辺では比較的良く知られている説の様だ。ただ、説そのもののルーツはかなり古い様で、江戸時代に既にこの説を書いたものが見つかる。江戸時代の当地の地誌の中に、その鬼=外国人説が載っている。
・この様に、鬼とは「言葉が通じない」「衣服が人と異なる」(これは当時の普通の日本人のものと違ったという事か)者だったというのである。また、粗暴な性格だったともある。そして、こうした事から、鬼とは、日本人ではなく、外国より日本に上陸したいわゆる海賊だったのではないか、という説だ。
ここで、鬼が海賊だったというのは、この著者(?)の想像の部分だろうが、しかし、「言語通じない」「衣服人に異なる」という部分はそうでもなく、少なく共「伝説」として書かれている様だ。その「伝説」の真実味は果たしてどうだったのだろう?
<天狗の外国人説>
・以上、鬼に関する外国人説を見た。しかし、鬼に少し似た存在としてか、日本には天狗という存在も伝えられて来た。そして実は、この天狗にも、鬼同様に外国人説があった。この天狗の外国人説は現在でも少しは知られている説だが、最初に唱えられたのは近い年の事ではなく、少し以前の事の様だ。筆者の知る、最も古い天狗=外国人説というのは、菊地晩香氏という人物が唱えたもので、これは、戦争よりも以前の時代に唱えられたものらしい。
その菊地氏によると、天狗とは、昔、日本にやってきたユダヤ人だろうという。ユダヤ人は古くから中東やヨーロッパに居住していた民族だ。
菊地氏が何故、天狗をユダヤ人だろうと言ったのかといえば、まず天狗が頭に付けている兜巾(ときん)と呼ばれる小さな黒い箱、これがユダヤ人の誓文筥というものと同じだという。そして、もう一つには、天狗は、棒状に突き出た鼻形だけでなく、いわゆる鉤鼻形の天狗も少なくないのだが、この鉤鼻がユダヤ人に見られる鼻形だというのだ。
これらの理由から、菊地氏は天狗を日本にやって来たユダヤ人だと考えていた。そして、この天狗=ユダヤ人説は、現在では他にも証拠をいろいろと加えて、さらに日ユ同祖論者達によって唱えられている様だ。
『神仙道の本』
(秘教玄学と幽冥界への参入)(学研)2007/3
<地球大気圏の某所の映像>
・宇宙の根本神は、いうまでもなく天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、高皇産霊神(たかみむすひのかみ)、神皇産霊神(かみむすひのかみ)の造化三神だ。
・玉京山から放たれている「三色の霊光」というのがまさにそれで、神の姿は見えず、ただ中央の「水色にして五色を含みたる光」と左の「水色の光」と右の「白光」が、まばゆいばかりにキラキラと放電されているさまが拝まされるのみだという。そして、この神秘的な景観も友清流に言えば、地球大気圏の某所の映像なのである。
・北極星のような隔絶の神界と比べると日界は、指呼の間だが、あの猛烈な光熱で、どんな霊も燃えつくしてしまうように思われる。水位は、日界には入り難いが、下に見たことはあるといい、城郭のようなものが数十あったといっている。
・地球に最も近い月界だが、ここは「もろもろの穢(けがれ)の往留る」根の国、底の国に当たる。そのため、神仙から月球人にいたるまで、全て地球より「遥かに卑しく劣る」そうで、かぐや姫のようなロマンチックな世界ではないらしい。
<さまざまな神仙界>
<36天と大羅天>
<本邦神仙道のモチーフか>
・道教の36天説(元始天尊の坐す大羅天を最高天とし以下、玉清境、上清境、太清境の三清天、四種民天、仏教から取り込んだ三界(無色界、色界、欲界)の28天を重ねたモデル。
・日本の神仙道では、36天は道士のつくりごとだとして、ほとんど相手にしていない。
<五岳真形図と五岳神界>(地球霊界の軸柱となる神界)
<石城島(しきしま)霊界>(友清歓真(10歳のとき神隠しにあったといわれる)が赴いた理想郷)
・友清歓真が訪問した当時で人々は14万人。3ないし4つの行政区に分かれており、東部は科学的な研究機関、学校・工場などのある近代的な地域でアメリカの最新の意匠による別邸のようなものも建っている。
・東部と比べると西部は、鄙びた地域で友清と石城島霊界に招いた物故者の田畑氏は、20坪ばかりの菜園の世話をしていた。もっとも、肥料も水もやらないのに美しく立派な野菜ができるというから、世話というほどのこともない。
『神仙道の本』 (秘教玄学と幽冥界への参入)
(学研)2007/3
<仏仙界><神仙界と対立する妖魔の巣窟か?>
<神仙家が敬遠する世界>
・山人界でもないのに、愚賓がでてきているのは仏仙界にも僧侶のなりをした愚賓が住んでいるからだ。ただし、仏仙界の愚賓は「無官」だそうで、「理不尽に愚人を誑(たぶら)かすから「愚賓者」とも呼ばれるらしい。利仙君によれば、極楽も仏も、みな愚賓が見せる幻術だというのである。
・仙界に出入りした神仙家は多いが、不思議なことに仏仙界については誰も中に入って見聞しようとしない。敬遠しているのは明らかだが、それも道理で、彼らは、筋金入りの仏教嫌い、仏仙嫌いなのだ。仏教に対する嫌悪感を最も露骨に示しているものもいる。
<魔界と魔王>
<極悪の魔が救う禁忌の領域とは>
・魔界だけは、全くといっていいほど、探訪情報がない。
<死後「極悪の人霊」となった魔王>
<魔に堕した悪霊を掌る魔王>
・ 魔王の筆頭は、造物大女王という女魔で、天地開闢の際、積もり積もった陰気の悪気が凝結して生まれたという。
これに次ぐのが無底海太陰女王だ。
<宇宙の神仙界>
<大気圏の外にも広がる神仙の世界>
・実は、遠方の星の世界の状況が、この地球の大気圏内の或るところに影を映したような状況になって、そこへ行って来たからだという。
・この玉京山が紫微宮の中心の神山で、そこに天帝の住まう玉京山鳳宮がある。さらに玉京山の南方の海中には、宮殿楼閣を空に聳えさせている紫蘭島(しらんとう)があり、紫微宮神界の重要な施設が立ち並んでいる。
・毎年元日には、全世界の神々がこの島の紫蘭大枢宮号真光遊門という門の前に集まり、宇宙の根本神に拝礼朝賀するというのである。
『神仙道の本』(秘教玄学と幽冥界への参入)
(学研)2007/3
<山人界(天狗界)>
<多種多様な天狗らの仕事と生活の実際>
<高級山人が住まう壮麗な宮殿>
・山人とは山の神のことだが、天狗の異名として用いられることもある。「お山には善美を尽くした広大結構な御殿があり、三尺坊は平生には、そこに居られますが、亦、空中にも大なる御殿があってここにも多くの方々が居られます」。
<山人界の天狗の風体とは>
・天狗というと鼻高・赤面の異形に描かれるのが通常だが、実際の姿は人と変わらず、頭巾をかぶり、白衣を着し、足には木沓(きぐつ)を履いている(裸足の愚賓(ぐひん)もいるという)。
・最後に天狗は日本独自のものとの話があるが、それは間違いだということも付記しておこう。中国にも朝鮮にもいるし、西欧にもいる。また、世界各地の天狗が集まって行う山人会議もあるそうだ。
<戦争に出陣する愚賓(下級天狗)たち>
・仕事は、より上級の神界の下命に従って戦争に従軍したり、霊界や人間界をパトロールしたり、冥罰を下したりと、そうとう忙しい。大小の愚賓は、元来が武官だから、戦争になると鬼類などを従えて直ちに出陣する。
・加納郁夫という名の天狗の弟子となった「天狗の初さん」こと外川初次郎は、加納天狗の供をして満州事変に従軍したと言っているし、幕末の戦乱時に活動した才一郎は明治元年から2年にかけての戊辰戦争に冥界から参戦し、三尺坊の命令で、自分の出身国である尾張藩の隊長“千賀八郎”を守護していたと語っている。
『神仙道の本』 (秘教玄学と幽冥界への参入)
(学研)2007/3
<異界交通者が赴く山人界(天狗界)>
<僧侶や仏教信者など、仏教徒深い因縁で結ばれた者が入る「仏仙界」がある。>
<全霊界は「むすび」と「たま」の領界に大別される。>
・むすびの世界とは、「衣食住や山河草木や万般の調度品が、客観的に実在として殆ど人間界のごとく存在する」世界のことで、我々の現界もここに属する。現界もまた霊界の一種、むすびの霊界なのである。
・ 一方、たまの世界は「欲する品物が欲するままに、そこに現出する代わりに注意を怠っていると消えたり、一瞬にして千里を往来したり、もやもやと霊のようなものが友人や知人の顔となり手となって遂に完全な姿として、そこに出てきたり、高い階級で美しい光の乱舞の中に自分も光の雲の如く出没穏見したりする」世界をいう。
<高級神界の世界>
<神集岳神界・万霊神岳神界・紫府宮神界とは>
<全ての地の霊界を統制する大永宮>
・神集岳神界があり、中心は大永宮という巨大な宮城で、一辺が160キロもある高い壁に取り囲まれている。四方に大門があり宮城を四方から囲む数十の宮殿群もある。
・幽政の中府だけに膨大な数の高級官僚が働いている。東洋、西洋、人種はさまざまだが、日本人も沢山、含まれている。
・紫府宮神界は宇宙神界の紫微宮神界ではないので、注意。
・そもそも「天機漏らすべからず」といって神仙界の機密は人間界には伝えないのが決まり。
<現界人の生死・寿命を管掌する神>
・万霊神岳は現界人にとって最も重要な関連をもつ神界とされているのである。大きな島嶼としてまとまっている神集岳とは異なり、この神界は様々な霊界幽区が集まってできた“連邦体”だという。この世界に属する霊界はきわめて広く、いわゆる極楽や地獄も内包しているし、仏仙界も含まれるというから、その巨大さは想像を絶する。
<刑法所も存在する万霊神岳>
・神集岳神界・万霊神岳神界・紫府宮神界が地の霊界では最も高級な神界で、地の霊界全体を監督・支配している。
・刑法所もあり、極刑も執行され、霊魂は消滅させられるというから恐ろしい。
『神仙道の本』(秘教玄学と幽冥界への参入)
(学研)2007/3
<神仙界の構造>
<神仙が住まう天の霊界と地の霊界>
・世界には目に見える物質的世界(顕界)と目に見えない霊的な世界(幽冥界・幽界)があると説いている。
・極陽に近い部分が天の霊界(天の幽界・天の顕界)、極陰に近い世界が地の霊界(地の幽界・地の顕界)ということになる。
<地の霊界の首都「神集岳神界」>
・神仙道の場合、まずトップに来るのが天の霊界、筆頭の大都(だいと)、「紫微宮(しびきゅう)」で、天地宇宙の根元神の宮であるという。
・この紫微宮の次にくる「大都」は、天照大神の神界である「日界」(太陽神界)で、ここが太陽系全体の首都ということになる。
・神仙道ではこの日界の次にくる大都以下を地球の霊界とし、その首都を「神集岳神界」と呼んでいる。
・神集岳は地の霊界全体を管理運営する神界で、地の霊界の立法府・行政府・司法府の最高官庁が、この都に置かれているという。
・首都・神集岳神界に対する副都を「万霊神岳神界」という。
・神界では、年に1回、現世の人間、霊界に入った人霊および仙人など一切の霊の“人事考課”を行い、寿命も含めた運命の書き換えが行われるという。この作業の中心が万霊神岳だそうなのである。
『「あの世」と「この世」の散歩道』
(天外伺朗)(経済界)2001/5
<宇宙の「明在系」と「暗在系」>
・―宇宙は、目に見える物質的な宇宙、「明在系」と目に見えないもう一つの宇宙「暗在系」により成り立っている。「明在系」のすべて、人間、時間、あるいは人間の想念でさえ、「暗在系」に全体としてたたみこまれているー
・周知のように、テレビの画面は放送局から飛んできた電波が元になっています。電波は広大な空間に分布しており、その広がりを「電磁界」といいます。今、「明在系」、つまり、目に見える物質的な宇宙をテレビの画面に、「暗在系」を電磁界にたとえてみます。実際の宇宙空間は3次元で、テレビの画面は2次元ですが、その違いは無視します。
・まず、最初に、電磁界がなければ、テレビの画面には何も映らないのは明らかでしょう。同じように、「暗在系」がなければ、「明在系」は存在できません。両者をひっくるめてひとつの宇宙が構成されています。
・次に、テレビ画面上の人物や物体は、電磁界のどこかに特定の位置に対応している、ということはなく、全体としてたたみ込まれています。従って、電磁界のどんな小さな部分にも、テレビ画面全体の情報が含まれています。
・私達が肉体を持って生まれてくるというのは、ちょうどテレビのスイッチをつけるようなものでしょう。逆に死ぬことは、スイッチを切るのに似ています。画面は消えますが、だからといって電磁界がなくなるわけではありません。「暗在系」というのは、生死と無関係で、時間を超越した、絶対的な存在なのです。
『戦争とオカルトの歴史』
(W・アダム・コンデルバウム)(原書房)2005/2
<ヒトラー親衛隊>
・テロリズムを好んだ夢見る神秘主義者たちの団体からナチズムが生まれた。そしてそれが、“大量殺戮”という言葉に新たな様相を付け加えた。第三帝国全体を特徴付けるのが、この神秘主義と魔術である。ナチスの部隊と言うと、伸ばした脚を高く上げて機械のように行進する様子が思い浮かぶかもしれない。SSには、ダース・ベイダーの衣装のような黒い制服と髑髏の記章が用意され、他のドイツ軍部隊と区別された。
・もともとは、ヒトラーの護衛部隊として作られたSSだったが、やがて帝国の悪魔崇拝者となっていった。SSの志願者は、1750年までさかのぼって民族的に純血であることを“アーリア人の血筋”を証明しなくてはならなかった。要求される身体的条件は非常に厳しかった。ルーベンスボルン政策(スーパー北方種族を創出するための交接・出産・養育施設のこと)のための繁殖所では、金髪・青い目の子供の父親として、新アーリア超人からなる支配者民族の中核となる役割をになうからである。
・彼らは、生まれたときから信じてきたキリスト教を捨て、寄せ集めの異教精神を詰め込まれ、クリスマスを古来から続く、ただの祝い日とし、古代ルーン文字の象徴的な意味を学ばされた。SSのシンボル・マークも、ルーン文字で作られ、親衛隊は、ナチスの“信仰”を守るテンプル騎士団となった。
・皮肉なことに金髪・青い目の超人をまとめる組織の指導者は、細いあごをして眼鏡をかけた養鶏農家出身の勇者にふさわしい体つきとはとてもいえない男だった。男の名は、ハインリヒ・ヒムラーという。
<金髪のアーリア人種出身の超人など歴史的に全く存在しなかった>
・アーリア人であるという以外にSS隊員の配偶者には、出産能力がなければならなかった。ナチスは嫡出・非嫡出を問わず妊娠を奨励し、妊娠・出産を望むものには報奨金を出す一方で、遺伝的障害を持つ“劣った種“を生まないように不妊手術と中絶手術を広く行った。ナチスは、”血こそ生である“という無意味なオカルト的信仰を持つ豊穣崇拝カルトだった。
・既成の教会に反対するSSによって、反教会権力のプロパガンダが広められた。キリスト教の教義は、ナチ“教”とはかみあわなかった。金髪の超人ばかりという架空の民族を発展させようというときに、柔和なるものが地位を継げるわけがない。もう片方のほおを差し出すことは、世界支配の夢とは全く相反し、ヒトラーの支配する暗い帝国で、イエスの説いた道は阻まれた。ある観点から見れば、ナチスとは、本質的には軍事と政治を一体化した大事業が、いかにして既成の宗教と対立するミュトスとオカルト活動を独自に生み出したという20世紀最大の例かもしれない。
『図解近代魔術』
(羽仁礼) (新紀元社) 2005/10/6
<ナチス>
・ドイツの政党で、政権取得後は国家と一体となって活動、第2次世界大戦により解体。その思想にはゲルマン系神秘思想がとりいれられている。
・ドイツの政党、「国家社会主義ドイツ労働者党」のことで、1919年にミュンヘンで結成された「ドイツ労働者党」が1920年に改称したもの。
1926年、アドルフ・ヒトラーが党の総裁に就任して以来勢力を拡張し、1933年1月にヒトラーが首相に就任すると次第に国家との一体化が進み、「第三帝国」と呼ばれる体制化でその崩壊までドイツを支配した。
ナチス・ドイツは、共産主義者やフリーメイスンとともに魔術師や占星術師、秘密結社を迫害したが、ナチス自体魔術的世界観を背景に持つオカルト結社であったとの主張もある。また、ヒトラー自身魔術師であったとの説もある。
『図解近代魔術』
(羽仁礼) (新紀元社) 2005/10/6
<マスター>
・神智学において、人類を密かに導く超人的存在。歴史上の偉人の多くがマスターであったとされる。グレート・ホワイト・ブラザーフッドなる団体を結成。
<神智学における人類の指導者>
・ブラヴァツキーの神智学では、世界のどこかに住む「マスター」、あるいは「マハトマ」「イスキン」と呼ばれる超人的存在を想定している。マスターたちの姿は限られた人間にしか見えず、密かに人類の魂を高めるために働いているのだという。
・過去に出現した優秀な宗教指導者や心霊術の導師は皆マスターでブラヴァツキーによれば、釈迦、孔子、ソロモン王、老子、さらにはフランシス・ベーコン、サン・ジェルマン伯爵などもマスターだという。
ブラヴァツキーが出会ったクートフーミというマスターは、以前ピタゴラスに姿を変えていたこともあるが、今は青い目をし、美形のカンミール人でバラモン(僧)の姿をしているという。
・ブラヴァツキーのみならず、ヘンリー・スティール・オルコットやクリシュナムルティなども、実際にマスターたちの訪問を受けたことがあるという。そしてこのマスターたちが構成するのが「グレート・ホワイト・ブラザーフッド」と呼ばれるグループである。
・様々な情報を総合すると、このグレート・ホワイト・ブラザーフッドは144人のマスターからなり、シャンバラ(チベット仏教におけるユートピア)にいる世界の王を頂点としている。この世界の王の祖先は、ヴィーナス(ローマ神話の愛と美の女神)で、手足となる数人の者を従えて、16歳の少年に変身しており、この世界の王の手足となっているものが釈迦、マヌ(インド神話における最初の人間)、マイトレーヤ(インド仏教の伝説的人物)たちである。
『図解近代魔術』
(羽仁礼) (新紀元社)2005/10/6
<地下世界アガルタ>
<サンティーヴ=ダルヴェードル(1842-1909)>
・独自の政治体制を構想、古代アトランティスの先進文明や地下世界アガルタの存在を主張した。
・彼が構想したシナーキズムは、当時流行していたアナーキズムに対抗するために考えだされたもので、世界の秘密の指導者とテレパシーでコンタクトできる人間たちの秘密結社が国家を支配する体制のことである。彼によれば、薔薇十字団やテンプル騎士団もそうした秘密結社であった。このシナーキズムを構想する過程で、彼は古代アトランティスの先進文明や地下世界アガルタに住む世界の王者といった観念を取り入れている。さらに根源人種の存在やアーリア人至上主義など、ブラヴァツキーの神智学やナチス・ドイツに引き継がれた概念も含まれている。
<地下世界アガルタと首都シャンバラ>
・中央アジアの地下に存在するという王国。首都シャンバラには、幾人もの副王と幾千人もの高僧を従えた世界の王ブライトマが住み、地表の人類とは比較にならない高度な科学技術を持つ。地上の世界とはいくつもの地下通路で連結され、チベットのポタラ宮の地下にも入り口があると伝えられる。
『神仙道の本』 秘教玄学と幽冥界への参入
学研マーケティング 2007/3
<宮地堅盤(かきわ)〔水位〕(1852~1904) 自在に仙境に出入りした近代神仙道の大先達>
<魂を飛ばして異界へ往来>
・「仙人というものは、いわば人間界の変り種で、昔からめったに世にでない稀有の存在であるにもかかわらず、常磐・堅盤の父子二代相ついで、神仙の位を生前において得たことは、人類史上ほとんどその例を見ないであろう」
・まさに宮地堅盤こそは、その実父常磐から教導された宮地神仙道の大成者であるだけでなく、近現代の神仙道史上、最大の巨星といっても過言ではない。
10歳で父の指導のもと、肉体はそのままで魂だけで飛行するという脱魂法(後年は肉体も伴ったとされる)を修得し、高知の手箱山の神界に出入りしたのを手はじめに、神界の諸相をつぶさに見聞し、同時に人間界でも文武両道に励み、修行を積んだ。
・つまり、堅盤は脱魂法、あるいは肉身のままで数百回も幽真界に出入りしていたというのだ。
堅盤の記録によれば、大山祗神のとりもちにより少彦名神(青真小童君)に面会を許され、さらに川丹先生こと玄丹大霊寿真(年齢は明治元年時に「2016歳」)と称する朝鮮の神仙界の大長老を紹介され、この両師を中心に、神界の秘事などの教示を受けたとしている。
・また堅盤の道号である水位という名も、22歳のころに少彦名神から名づけられたものだという。そもそも、堅盤は「謫仙」、つまり、神より特別な使命を受けて、本籍地の神仙界から人間界に流謫した仙人であったというのだ。
<神界の最高機密の大都へ>
・堅盤が自ら探求した幽冥界の様相を書きとめたものが、神仙道最高の書とされる『異境備忘録』である。神界・神仙界・天狗界など幽真界の情報がはしばしに織り込まれており、堅盤最大の功績はこの書を残したことだといわれるほどだ。
・堅盤は仙童寅吉ともいっしょに岩間山の杉山僧正に会い、各種の仙界へも飛行して出入りしたと書き残しているが、神仙界では寅吉より堅盤のほうが位が上であったという。
<全神界を包括する奇書『異境備忘録』>
・『異境備忘録』は、基本的には、先行文献としてあった平田篤胤の『仙境異聞』をふまえたうえで、道教的な神仙思想と日本の神道や古神道などを有機的に結合する比類のない世界観を確立した根本原典となっている。堅盤の開示した神仙道は、神仙思想の本場中国の影響圏内から脱して、逆にそれを傘下に組み入れ、さらにインドに本拠がある仏仙界や西洋の神界などまでを従属させた画期的なものであった。
つまり、堅盤ならではの《神国日本》ならぬ《神仙道日本》の宣言書だったのである。
・堅盤は、大病の時期を除き、ほぼ生涯にわたって健筆をふるった。その全著作は百数十冊とも二百冊ともいう。これを高さに概算すれば、10等身におよぶほどだったらしい。
・ちなみに、堅盤の著述や蔵書の多くは、戦前に、近代神道史学の先駆者・宮地直一東大教授を経由して高知県立図書館に寄贈された。その後、昭和20年に空襲で同図書館が被災したときに烏有に帰している。
『日本神仙伝』
(不二龍彦)(学研) 2001/5
<宮地水位>
<日本初の本格的「霊界探訪記」『異境備忘録』を著した宮地水位>
<シャンバラも含む幽界の多様性>
・また、チベット密教で言う「シャンバラ」とおぼしき幽区についての記述もある。
シャンバラというのは、代々一人の王によって統治されてきたとされるヒマラヤ奥地の理想郷で、永遠の光の下、賢者だけの理想国家を築いていると伝承されている。この霊的な王国には、未来のいつの日か、邪悪な勢力を最終戦争によって打ち滅ぼすという神聖な使命があり、今もそのための活動を密かに行っているというのである。
・今でこそ、広く知られるようになったシャンバラだが、水位の時代には、ごく一部の学者以外、その存在を知っているひとは皆無といってよかった。
・ところが水位は、「西洋国のヒマラヤ山」に「中凹(なかぼこ)」の「支那上代」の神仙界があり、「山上は闇夜でも昼の如く」輝いていると、ちゃんと記述している。
しかも、この「支那上代の神仙界」がある山は、神仙界では「地軸」と呼ばれているらしく伝説の西王母(せいおうぼ)が住んでいるというのも、シャンバラ伝説と通いあうところがあって面白い。
『術』
<天狗飛切りの術と軽身の習練>
・仙界に出入りしたという紀州のモグリ医者島田幸庵の報告によれば、仙人界と天狗界は同じ系列の特別世界で、その階級は仙人界のほうは神仙、山人(やまびと)、異人(霊人)、山霊(やまのかみ)、山精(こだま)、木精(すだま)、鬼仙(おに)、山鬼(たかがみ)、境鳥(たかとり)、麒麟(ましか)、鳳凰(ながなきどり)、霊亀(おうかめ)と順次し、狗賓(くひん)のほうは大天狗、小天狗、木葉天狗、魔天狗、邪鬼の順であるが、両界通じていえば、大天狗は仙界で山人の階級に相当するという(-『幸庵仙界物語』)。
・もとより架空の観念的構成にすぎないが、しかし古来、仙人も天狗もいろいろと変わった型のものがあって、綜合的に考慮するとすれば、結局右のような組み立ては常識的といえるかも知れない。
さすれば仙界・天狗界とも、上級者には超自然的な神仙型の飛翔を想像し、下級の者に鳥獣型の飛翔を想像するのは当然のことで、下ッ端の天狗は翼をもって飛ぶと考えられていました。
・では翼のない上等の天狗は、どのように飛翔したのか?私どもが、子供のころ聞いた話では、天狗は羽団扇をもっていて、それであおいでふわりふわりと翔ぶということでした。じつは羽団扇は飛ぶときの目標を定めるレーダー式のもので、下降するときには、方向舵の用をすると仙童寅吉は語っています。
・年代はよくわかりませんが、和歌山藩の餌差役で某という者が、鷹の餌にする小鳥をもとめて深山へ分け入り、小鳥網を張りました。知らず知らず殺生禁断の高野山の一部へ入りこんだらしく、おもしろいほど小鳥がかかる。
と、どこからか一人の異様な老人が立ち現れました。某をにらみつけながら、小鳥を次ぎ次ぎと網からはずして逃がしてやり、ここは殺生禁断だから、あきらめて帰れという。
某は何だか怖くなって帰ることにしたが、異人は気のどくに思ったのか、せっかくの機会だから跳ぶ術を教えてやると云い、某を高く突き出した岩石のうえへつれてゆきました。
・「さあ、谷底へ飛び下りてみろ。おれが下へ行って受け止めてやるから」という。しかし、怖くて、どうしても飛べない。ちゅうちょしていると異人は、うしろからいきなり某を突き落しておいて、すぐに谷底へあらわれてズシンと受け止めました。
「どうだ怖くないだろう。もういちどやってみろ」
こうして何回も飛び下りて受けてもらっているうちに、どうやら身のこなしなども会得して、平気で跳べるようになりました。
・某は礼をのべて和歌山へ帰り、高い屋根へ飛び上がったり飛び下りたりして人々をおどろかせるようになったが、その後三年ほどして、ふと飛ぶことに恐怖をおぼえ、急にそれっきり飛べなくなったという(-『積翠雑話』)。
・積極的な精神力が或る程度の危険を克服する事実は、この一話からも汲み取れるでしょう。跳躍は、昔は“軽身の術”とか“軽業”とかいいました。
『神仙道の本』
(秘教玄学と幽冥界への参入) (学研)2007/3
<山人界(天狗界)>
<多種多様な天狗らの仕事と生活の実際>
<高級山人が住まう壮麗な宮殿>
・山人とは山の神のことだが、天狗の異名として用いられることもある。「お山には善美を尽くした広大結構な御殿があり、三尺坊は平生には、そこに居られますが、亦、空中にも大なる御殿があってここにも多くの方々が居られます。
・ひと口に山人界といっても階級は実に多い。そこで、空中の御殿に住む鬼類・境鳥まで、暮らし向きも千差万別なのである。
仙童寅吉以降、山人界の情報はずいぶんと数多くもたらされてきたが山人界の階級等についてもっともまとまった情報を伝えているのは島田幸安だ。
<山人界の天狗の風体とは>
・島田によると、山人界の階級は①神仙、②仙人、③山人、④異人、⑤休仙、⑥愚賓(ぐひん)に大別される。この愚賓というのがいわゆる天狗のことだが、天狗は人間が命名した俗称であって、山人界では使わないという。
・天狗というと鼻高・赤面の異形に描かれるのが通常だが、実際の姿は人と変わらず、頭巾をかぶり、白衣を着し、足には木沓(きぐつ)を履いている(裸足の愚賓(ぐひん)もいるという)。「人界にて云如き鼻高く翼ある者は無御座候」と、島田は断言している。
愚賓は神仙から数えて6番目の下級官吏だが、そのなかにもまたこまかい階級がある。①山霊(大愚賓)、②山精(小愚賓)、③木仙、④鬼仙、⑤山鬼、⑥境鳥、⑦彩麟(ましか)がそれだ。
・⑥の境鳥が、いわゆる木の葉天狗・木っ端天狗と呼ばれる類で、嘴と翼をもつ鳥類の化身である。
・最後に天狗は日本独自のものとの話があるが、それは間違いだということも付記しておこう。中国にも朝鮮にもいるし、西欧にもいる。また、世界各地の天狗が集まって行う山人会議もあるそうだ。
<戦争に出陣する愚賓(下級天狗)たち>
・ただし、人間のように肉を食うのではなく、気だけを食うのだと島田が注釈している。生きている魚を海などから招き寄せ、「味の気」だけを取って食べ、食後は生きたまま海に帰すというのだ。
・仕事は、より上級の神界の下命に従って戦争に従軍したり、霊界や人間界をパトロールしたり、冥罰を下したりと、そうとう忙しい。大小の愚賓は、元来が武官だから、戦争になると鬼類などを従えて直ちに出陣する。
・加納郁夫という名の天狗の弟子となった「天狗の初さん」こと外川初次郎は、加納天狗の供をして満州事変に従軍したと言っているし、幕末の戦乱時に活動した才一郎は明治元年から2年にかけての戊辰戦争に冥界から参戦し、三尺坊の命令で、自分の出身国である尾張藩の隊長“千賀八郎”を守護していたと語っている。
<天狗が下す恐怖の冥罰>
・天狗の仕事で最も怖いのは、人間界に罰を下すという仕事だ。火事による処罰が多いようで、情け容赦がない。たとえば、杉山僧正が東京の平川町(平河町)を焼いたことがある。
<過酷をきわめる天狗界の修行>
・寅吉や才一郎は仙縁があって山に招かれたものだがら否応はないが、凡人が天狗の「神通自在」にあこがれて山中修行に入っても、ろくなことにはならないらしいから、注意が必要だ。
最後に、天狗は日本独自のものとの説があるが、それは間違いだということも付記しておこう。中国にも朝鮮にもいるし、西欧にもいる。また、世界各地の天狗が集まって行う山人会議もあるそうだ。
『妖怪の本』 異界の闇に蠢く百鬼夜行の伝説
学研 1999/3
<神々の領域からはみ出した者たち>
・妖怪とは何者か。日本民俗学の祖・柳田国男は「神々が零落した存在」と定義した。以来、学問的にはそういう説明になっている。
では、ここでいう”神”とはどんな存在か、注目すべき説として、「姿を隠す」という意味の<かくれみ>からきているというのがある。
<妖怪が訪れる>
<おい、オレはここにいるぞと、彼らは山から海からやって来る>
・ヤマワロという妖怪がいる。「山童」と書くことからもわかるように、名もない民俗の山の神だが、熊本などでは、このヤマワロが春の彼岸になると、何千匹もの隊列をなして山から下り、人家の屋根づたいに賑やかに川に降りてガラッパ(河童)に変身し、秋の彼岸になると、今度は川から山に帰って、またヤマワロに戻るのだという。
ワイワイガヤガヤと騒ぎながら、わが家の屋根の上をヤマワロたちが通過していく気分は、いったいどんなものだろう。次々と川に飛び込み、ガラッパに変身するときのさまは、どれほど壮観なのだろう。そのさまを思い描くと、心がはずむ。
<妖怪から授かる>
<秘薬から長寿の秘訣まで――山の神に通じる不思議な力と知恵>
・妖怪から薬の調合法を教わったり、秘伝書を授かったり、未来を教えられたりといった話は、実に昭和の代まで語りつがれている。
数えるのは、山神や水神が妖怪化したという天狗・狐・河童が断然多い。
明治42年生まれの岩手の多田忠助さんは、河童から薬の調合法を教えられた。喉の腫れに効く薬だという。九州には、河童から魚釣りの秘伝書と河童相撲の秘伝書をもらった話がある。
<妖怪と結婚する>
<産まれた子が不可思議な能力を……妖怪婚姻譚の世界>
・妖怪との結婚では、まず、妖怪のご機嫌をとり結ぶために、娘を差し出すというパターンがある。人身御供型の神話伝承で、これは古い。ヤマタノオロチ伝説がそれであり、大江山の酒呑童子が完成形といえる。民話では猿の化け物のエンコウが、よく人間の娘を所望する。猿は山神であり、地方によっては、同時に河童の化け物でもある。
・次に、山の神と巫女との霊的婚姻というパターンがある。神の言葉を取り次ぐ巫女は、神の嫁だ。三輪山の蛇神・大物主は、櫛箱に入って子蛇に化け、ヤマトトトヒモモソ姫のもとに通った。神話では、姫は神示に使う箸で秘所を突いて死んでしまうが、これは巫女が我が身を神に捧げて、神霊の住む異界に籍を移すという意味なのである。
・異類と結婚して不思議な力を授かるという結婚パターンもある。たとえば、天皇の祖先は、龍女から生まれたことになっている。天皇の神聖性の由来の一つがこれだが、やんごとなき人々とは違って、民間では狐と結婚して不思議な力をもつ子を授かるというパターンが多い。
これで真っ先に思い出すのが、白狐の母から生まれた安倍晴明の伝説だ。清明がよく鬼神を駆使できるのは、この白狐の母に負うところがきわめて大きい。
千葉には女化原という伝説の地があり、そこでも人間と白狐が結婚したことになっていた。
・小倉藩主の中屋敷の卯乃という下女が、寛政7年(1794)8月ごろから行方不明になり、その年の11月、屋敷の縁の下で発見された。腑抜けのようになった卯乃の言うには、「若い男3人と、縁の下でおもしろおかしく暮らしていました。食べ物は男たちが代わる代わる運んできてくれるので、毎日おいしいものばかり食べていました」と。
卯乃はすぐ親元に引き取られたが、ほどなく死んだ。彼女が一緒に暮らしたという3人の男とは、屋敷に住みついていた3匹の狸で、卯乃はその狸に化かされ、縁の下で狸の女房が妾のように暮らしていたのだろうと人々は語りあった。
・平均的であることが何より大切な昔の共同体の中では、突出した才能や能力をもつ人間、特異な容貌や気質の持ち主などは、はみ出し者だった。
そこで彼らは、しばしば化生の者と噂され、差別を受けて育つことになった。傑出した僧侶の誕生譚の多くに神仏との間の子という伝説がついて回るのも同じ発想だが、名もない庶民の場合には、神仏の子ではあまりにおこがましいと考えられたらしい。
したがって、狐狸や牛馬、蛇、猿、犬、猫、果てはクモやカニ、タコ、ガマなどとの結婚で、彼らは我慢したのであった。
<妖怪と遊ぶ>
<その行動や感情は……いたずら好きで気まぐれ者>
・沖縄にも、ザシキワラシと似た性格の精霊がいる。キジムナーとかキジムン、ケンムンなどと呼ばれる連中で、樹木の精霊だが、家の守護神である。
沖縄宜野湾市新城に巨木のある屋敷があり、その木にキジムンが住んでいた。屋敷の主の中泊老人と友達になり、毎晩、老人を海に連れていっては魚をとって遊んだ。魚をとるのはキジムンで、自分は左の目だけを食べ、残りは老人にくれてやった。最初は老人も喜んでいたが、毎晩のことなのでしまいに嫌気がさし、キジムンの住む木に火をかけた。すると、キジムンは「熱田比嘉へ、熱田比嘉へ」と言って、隣村の熱田地区の熱田比嘉に飛び去った。比嘉家はたちまち金持ちになったが、中泊家は潰れてしまったと――。
キジムン同様、ザシキワラシが離れた家も潰れるという。江戸や京・大阪などの都会では、ザシキワラシなどの役割を稲荷狐が果たしていた。屋敷に稲荷の祠を祭った家は、数えきれない。
・狐は不気味なやつだと思われているが、気のいい狐は人間とよく遊んだ。徳川家康の駿府城には姿の見えない「うば狐」という名物狐がいて、城の者から手拭を借りては頭にかぶり、踊りをおどった。見えるのはヒラヒラと舞う手拭だけで、声のみが聞こえたという。
・岩手県九戸郡大川目村(現・久慈市)の白狐は、村の子どもたちと遊ぶのが大好きだった。遊ぶだけではなく、跳びはねることや、学校の勉強まで教えたりした。本物の煎餅をもっていて、それを子どもたちの弁当と取り替えることもしたが、その煎餅は、白狐が大人たちを化かして盗った銭で買ったという。
河童や天狗も相撲が大好きで、大人から子どもまでを相手に相撲をとって遊んだ話が日本中に残されている。妖怪=自然霊と遊ぶことは、彼らの姿が見えた少し前までは、そう珍しいことではなかったのである。
『アストラル界』
C・W・リードビーター、神智学協会ニッポンロッヂ 1984/5
<住者>
・ごく僅かであるが、アストラル界の背景を描いて来たので、これからはアストラル界の住者を描いて、アストラル界の光景を満たして行こう。アストラル界の住者は非常に多種多様なので、それらを整理したり、分類することは大変むずかしい。おそらく最も便利な方法は人間、非人間、人工霊の3大クラスに分けることだろう。
<人間>
・アストラル界の人間住民は当然2つにわけられる。即ち生きている者と死者、もっと正確に言えば、まだ肉体をもっている者と、持っていない者とである。
・住者として「人間」「生きている者」(①アデプトとその弟子達、②サイキック的に進歩している人、③普通の人、④黒魔術師とその弟子)
・「死者」(①ニルマナカカーヤ、②輪廻を待つ弟子、③死後の一般人、④亡霊、⑤魂殻、⑥活気づけられた魂殻、⑦自殺者及び不慮の死の犠牲者、⑧吸血鬼と狼人間、⑨灰色の世界の人間、⑩黒魔術師とその弟子)
<人間でないもの>
・「人間でないもの」(①我々の進化に属しているエレメンタル・エッセンス、②動物のアストラル体、③凡ゆる種類の自然霊、④デヴァ――カマデヴァ――ルーパデヴァ――アルーパデヴァ――デヴァラヂャ)
<人工的なもの>
・「人工的なもの」(①無意識につくられた四大霊――守護の天使――②意識的につくられたエレメンタル――③人的人工霊)
『沖縄の神と食の文化』
<小童の妖怪「キジムナー」>
・キジムナーは、一般に沖縄本島全域で広く語られる子どもの姿をした妖怪の一種である。赤い顔と髪が特徴で、大きなガジュマルなどの古木を住処としている。好物である魚の左目だけを食べ、蛸を嫌う。寝ている人の胸を押さえつけるといったいたずらをすることがあるが、漁を得意として漁師の漁を手伝ったりする説話も残っている。一般には木の精霊といわれている。
山から木を運ぶ話もあり、『琉球神道記』のなかでは、沖縄本島北部の国頭で船板を山から伐採するときに、「次郎・五郎」という小僕を使って曳かせるという記事があり、これはキジムナーの系譜に連なると考えられる。
また、宮古諸島においても「マズムシ」あるいは「インガラマラヤブ」と呼ばれる妖怪が人を手伝って山から木を運ぶ話がある。さらに、奄美大島には「ケンムン」と呼ばれる小童がいたとされ、ガジュマルの木を住処とし、かつてはきこりに従い木を担いで仕事を手伝ったという。
これらはいずれも別の呼称であるが、沖縄本島において伝承されているキジムナーと同様の性格を持つ説話になっている。
キジムナーは親しくなった人間に富をもたらすといわれている。ある老人がキジムナーと親しくなり一緒に漁に出かけるようになるが、キジムナーのおかげで毎晩大漁となり、その老人は金持ちになった。しかし後に、老人はキジムナーとの付き合いに嫌気がさしキジムナーの住処であった木を焼いてしまう。やがて老人の家は没落するのであるが、キジムナーが移り住んだ家は裕福になったという。つまり、キジムナーによって富を得た家は、キジムナーと縁を切ると没落するということが語られているのである。キジムナーが「富を司る」存在だとするこの類の話は少なくない。
・キジムナーは、昔の子どもたちにとっては身近な存在であり、目撃談や遭遇したという話が多く残っていた。しかし、最近はその姿をみたという話はすっかり聞かれなくなった。なかには戦争のときの艦砲射撃によってキジムナーもほとんどやられてしまったために、それ以来見かけることはなくなった、などという噂もあった。
<身体に宿るマブイ(霊魂)>
・沖縄では一般に霊魂のことをマブイといい、人の身体には複数のマブイが入っていると考えられている。マブイは、人の生命活動を支えているもので、交通事故にあったり、溺れたりするなどの危険に遭遇したり、驚くなどのショックを受けたりすることで、身体から遊離することがあるという。そのような理由でマブイが身体から遊離してしまう状態をマブイオトシ(魂落とし)あるいはマブイヌギタン(魂が脱げた)と表現するが、無気力や食欲不振などの原因不明の精神的・身体的な不調などは、マブイが自然に抜け出したためにおこるとされる。また、マジムン(魔物)などによって身体からマブイが抜き取られたりすることもあるといわれる。
マブイが落ちたり抜け出たりした場合には、マブイを身体に戻すための儀式を行う。これをマブイグミ(魂込め)という。
・生者のマブイをイチマブイ(生霊)といい、死者のマブイをシニマブイ(死霊)と呼んで区別する。死者のマブイは、亡くなってしばらくの間はイチミ(現世)とグショー(他界)との間をさまよっていると考えられている。
死後3日目、21日目、35日目、49日目などに行われるマブイワカシ(魂分かし)と呼ばれる儀礼は、シニマブイを遺族のイチマブイと分離し、現世に執着するシニマブイをあの世に送るためのものである。
<民間の宗教者「ユタ」>
<ユタの能力と役割>
・村落の祭祀を担うノロやツカサなどの神女とは、別に、沖縄の民間宗教において重要な役割を担っているのがユタである。東北地方のイタコなどと比較されるが、その霊的能力によって人々の宗教生活に関わる、いわゆるシャーマンのことである。
ユタのほとんどは女性であるが、ユタになるまではごく普通の人であり、カミダーリィという心身の異常を体験し、長年にわたり苦しみながらユタになっていくのがほとんどである。彼女たちは生まれつき霊力が高いとされ、カミダーリィはユタになるべき人に対する神からの知らせと受け取られている。つまり、ユタにとってみれば自らの意思によってユタになったのではなく、神からの思し召しによってしかたなくユタになるのである。
・ユタは、村落の公的な祭祀に関わることはなく、個人的な相談内容に対して占いや祈祷、アドバイスなどを行なう。例えば、運勢や吉凶の判断、家や墓の新改築の是非や日取りの判断、病気や災いが生じたときの超自然的な原因の追究、あるいは死者や祖霊からのメッセージを感受して、それを関係者に伝達するなどを行なう。
<ユタの弾圧の歴史>
・首里王府の下で保護され公的な地位にあったノロとは対照的に、ユタはごく近年まで弾圧や規制による厳しい取り締まりを受けていた。
『沖縄の神と食の文化』
<沖縄人にとっての神とは>
<沖縄の創世神話>
・日本の国づくり神話は、『古事記』『日本書紀』などにみることができるが、沖縄の創世神話は、袋中という日本から来た僧侶によってまとめられた『琉球神道記』(1608年)、『おもろさうし』(1623完成)、琉球王朝の正史『中山世鑑』(1650年)などにみることができる。
・例えば、『中山世鑑』では、「天城に阿摩美久という神があり、天帝の命令によって、それまでは東海の波は西海に打ち越す状態だったところに、土石草木を天から賜って島をつくった。さらに、国頭の辺土の安須森をはじめとして島々国々の御嶽(うたき)をつくった。阿摩美久の願い出により、天帝がみずからの御子を地上に送り、やがて二人の間に子供ができる。長男は国の王、次男は諸侯、三男は百姓、長女は君々(高級神女)、次女は祝女(ノロ)のはじめとなった。さらに阿摩美久は天から五穀をもらいうけ、島々に植えた」と記されている。
・このような御嶽の創造物語や五穀発祥の話など、創世神話の内容は琉球王国や民間におけるさまざまな祭祀に関連していく。
また、『琉球神道記』では、「アマミキュ(阿摩美久)は女神で、そのつれあいの男神のシネリキュとともに天から降臨し、波に漂う島に草木を植えて国づくりを行い、さらに往来の風をたよりに三人の子供を産む。長子は領主、次子はノロ、三子は農民のはじまりになる」とあり、ここでのアマミキュ・シネリキュは、創世神であるとともに始祖神としても位置付けられている。
また、文献に記された神話と別に、奄美諸島から八重山諸島まで民間で広く伝承された創世神話も存在する。
<ニライカナイという他界>
・神についての観念、人々の世界観が色濃く表れているのがニライカナイに対する信仰である。ニライカナイは、海のかなた、もしくは海の底にあるとされる理想郷あるいは異界で、日本の浦島伝説にみられる竜宮の観念と重なるところもある。
・ニライカナイの語源を探っていくと、「ニ」は「根」を意味し、「ラ」は地理的空間を表す接尾語、「イ」は方向を示す接尾語、つまり「ニライ」とは「根のあるところ」「根の国」という意味であると考えるのが一般的になっている。「カナイ」については、琉球語によく使われる意味をともなわない対句表現とみられている。
・『おもろさうし』のオモロや、沖縄諸島の祭祀歌謡を集成した『南島歌謡大成』(1981年完成)に掲載されている神歌には、ニライカナイについての歌が多数存在する。それらによると、人間の住む世界に豊穣と幸福、平安をもたらすセジ(霊力)の源泉地とされ、人々の信仰と深く結びついていたことがうかがえる。
・ニライカナイ信仰に関わる祭りの一つに、沖縄本島北部ウンジャミ(ウンガミ=海神がなまったもの)と呼ばれる祭りがあり、現在では海神祭と呼ばれることも多い。旧暦の7月に行われるこの祭りは、ニライカナイから1年に1度村落にやってくる来訪神を迎える祭りで、海神祭という名称であるにも関わらず主として農作物の豊作を祈願するものである。
・ニライカナイからの来訪神は神女たちに憑依するとされ、神女たちの所作や歌われる神歌によって祭りの場における神々の存在や、ニライカナイへの帰還が表現される。
<御嶽(うたき)の神>
・先のウンジャミのように、1年のある時期に村落を訪れ、豊作を約束するなどして最終的に自分の属する世界(異界)に戻っていく神のことを来訪神と呼ぶとすれば、村落に滞在し村人の生活を守ると考えられている御嶽の神は常在神と呼ぶことができる。
・御嶽というのは、各村落に少なくとも一つは存在する聖地であり、村落の守護神が祀られ村落の祭祀が執り行われる祭場である。丘の上など高台の緑濃い森の中にある例が多く、クバ(ビロウ)やマーニ(クロツグ)といった聖木とされる樹木が生えていたり、巨岩があったりする。日本本土の村の神社とは異なり建築物などはなく、本殿に相当する場所はイビと呼ばれる空間である。そこのは御神体は存在せず、香炉や石などが、神がそこにおわすことの印として置かれているだけである。
・御嶽に祀られている「御嶽の神」は、沖縄の固有信仰の一つである祖霊神であるという説もあるが、御嶽の神の性格は多様であり、一律には規定できそうもない。現在でも人々にとって御嶽は聖域であり、日常生活に深く浸透した信仰の場所である。
『あなたもバシャールと交信できる』
坂本政道 ハート出版 2010/12/10
<バシャールとは、どういう存在?>
<惑星エササニの生命体>
・バシャールはエササニという星に住んでいる地球外生命体です。エササニとは、Place of living light (生きている光の池)という意味です。彼らの世界は、喜びと無条件の愛に満ち溢れる世界とのことです。
そこには彼らは、数億(人)位いて、その総称をバシャールと呼んでいます。ちょうど我々を地球人と呼ぶようなものです。住んでいるのは、恒星ではなく惑星です。
・方向としては地球から見てオリオン座の方向です。もちろん、太陽系外の惑星です。地球から500光年ほどのところにあるShar(シャー)という星の周りを回る第3惑星のことです。
・残念ながら地球からは見えないと言われています。暗すぎて見えないというよりも、我々とは、微妙に次元、あるいは、「密度」が違うためのようです。
・地球は、そして人類は「第3密度」であるのに対して、バシャールとエササニ星の宇宙人は「第4密度」です。
・その惑星から数百人?が宇宙船にのって地球にやってきています。現在、彼らは地球の上空にいて、アメリカ人のダリル・アンカという人を通して、チャネリングをしています。
<グレイの子孫>
・バシャール自体はどういう生命体なのかというと、実はグレイと呼ばれる宇宙人と地球人の間に生まれた混血だということです。では、グレイとはどういう存在なのでしょうか。ご存じの方も多いと思いますが、グレイはアーモンド型の黒い目をしたちっちゃい宇宙人で、悪いイメージがあります。ネガティブなタイプだといわれています。
・ちなみに宇宙人はポジティブなタイプとネガティブなタイプ、それにニュートラルなタイプがいるとのことです。ポジティブなタイプの霊は、プレアデスに住む生命体(プレアデス星人とかプレアデス人)です。アークトゥルスやシリウスの生命体、こと座の生命体の一部もポジティブです。ネガティブなタイプには、こと座やオリオン、シリウスの生命体の一部がいます。
・バシャールによればグレイというのは、本当は宇宙人じゃなくて、「パラレルワールドの地球に住む人類」です。パラレルワールドでは、この世界と併存する世界のことです。
・そして、時空間を超えてこの地球にやってきて、人類をアブダクション(誘拐)し、受精して、子孫を作りました。それがバシャールだということです。
・ですので、バシャールの先祖というのは、グレイと我々人類ということになります。
<地球のまわりに集まる地球外生命体たち>
・バシャールたちは、今アメリカのセドナという場所の上空にいます。ただし、何度も言いますが、宇宙船自体も第4密度ですので、セドナに行って上空を見上げても通常は見えません。
・このように、いろんな宇宙船がいろんなところにいるわけですが、ほとんどがポジティブ側の宇宙人たちです。ネガティブ側もいますが、比率としては10対1くらいだそうです。
・ポジティブ側は連合を組んでいるようで、ル-ルがあるようです。そのルールというのは、2012年までは地球人類に直接的には干渉しないというものです。
『「マヤの予言」 2012』
マヤ文明の検証と歴史から学び解く予言の本質
デーヴィッド・ダグラス ガイア・ブックス 2009/12/1
<「羽毛のある蛇」崇拝>
・ククルカンやケツァルコアトルとは、誰、または何なのか。
“羽毛のある蛇”は単なる神だったのでしょうか。それとも(イエス・キリストやブッダやクリシュナのように)対をなす人間、つまり「化身」がいたのでしょうか。天国の家を捨て、人間の中で暮らしてくれたのでしょうか。マヤ暦の意味を教えられるのは、彼なのでしょうか。
・<チラム・バラムの書>はこう伝えています。「・・・ユカタンの最初の住人は『蛇の人々』だった。彼らは東から船で海を渡って、指導者であるイツァムナー、すなわち「東の蛇」とともにやって来た。彼は手を置くことで癒すことができる治療師で、死人をよみがえらせた」
・ケツァルコアトルは異邦人の一行を率いてメキシコにやって来た偉大な啓蒙者だった。彼の時代、トウモロコシは1人で1度に1本の茎しか運べないほど、穂が大きかった。穂は成長してさまざまな色になったので染める必要がなかった。彼は広々とした格調ある家を建て、人々の心に平和を育む宗教を教えた。
<ケツァルコアトルは神としてより人間として記述されている>
<裏付けとなる報告>
・先住民に確かめたところによると、古代に20人の男がメキシコにやって来て、そのかしらがククルカンと呼ばれていたという。・・・・彼らは、ゆったりとしたローブを着て、サンダルをはいていた。長い髭を生やし、頭を剃っていた。・・・・ケツァルコアトルは人々に平和の道を教え、多くの重要な大建造物の建設を始めた。
<黄金時代の終焉>
<白い人の伝説>
・さまざまな資料に、ククルカンーたいてい白人として描かれている人物が到来して平和と調和の時代が訪れたとされている。
『河童・天狗・神かくし』
<河童には、昔から日本全国で土地特有の名称があった>
<河童の名称>
(北海道) コマヒキ、ミンツチ(アイヌ)
(東北地方) オシッコサマ、シーッコサマ、カッパ、カァパ、カァパコ、カッパァ、カワワラス、カッパァ、ガワダロウ、ザンビキワラシ、セッコウサマ、メドチ、メドツ、メットウチ
(関東地方) カッパ、カッパノコ、カワッパ、カダロー、ガタロ、カワワラワ、ネネコ、封(ホー)
(中部地方) エンコ、カッパ、ガッパ、カーランベ、カースッパ、カゴウソ、カワ(ラ)コゾー、カワボウズ、カワザル、カワババ、カワコゾ(ウ)、カーラボーズ、カワヤロウ、カワツズミ、カーカンパ、カワッパ、
カワウソ、カワダ、カーラボン、カワラ、カワコボーズ、ガワロ、ガウロ、ガォロ、ガワエロ、ガワイロ、ガメ、ガワラ、ガワタロ、コボッチ、シジン、シイジン、スイシン、スイジン、スジンコ、セーシン、セージン、テガワラ、ドーツン、ドチロベ、ドチ、ドチガメ、ヌシ、ミズシワッパ、ワワッパ
(近畿地方) イ(ン)ガラボジ、ウンガラボーシ、エンコ、オンガラボーシ、カッパ、カワッパ、カワラ、カワソ、
カワタロ(-)、カワコ、カワコゾウ、カタロ、カワタラ、カシラ、カワンゴロ、カワコボシ、カワラコゾウ、カワロ、カンコロボシ、カワノトノ、ガタロ、ガワタロ、ガ(-)タロ(-)、ガァラ、ガウライ、
ガワッパ、ガイタロウ、ガロウ、ガロボシ、ガウラ(イ)、ガシャンボ、ガ(ッ)タラボ(-)シ、ガンタヲボシ、
ガイタルボーズ(カイダルボーズ)、ガラボシ、ゴウタロウ、ゴウタラ、ゴウラボ(ウ)シ、ゴウヲゴランボ、ゴボシ、ゴロボシ、シリヒキマンジュ、シリヌキ、シリコーボシ、スッポン、ドンガス、フンゴロボージ、ヒョウスボウ、マロ、ヤマタロ、
<河童の名称>
<河童の名称は全国各地で色々>
(中国地方)
エンコ(ウ)、カワッパ、カワコ(―)、カウコ、カウゴ、カワソ、カワコボーズ、ガウロ、ガ(ッ)タロー、ガウコ、ゴンゴ、ゴーゴ、ゴンゴージ、テナガ、フチザル、川子大明神
(四国地方)
イドヌキ、エンコ(ウ)、カワウソ、カワラ、カタロー、カワランベ、カダロウ、ガタロ(-)、ガワタロ、ガワラ、ガァラ、ゴタロ、ゴタコ、ゴタラ、シバテン
(九州地方)
エンコ、オト、カワノト、カワノヌシ、カワノヒト、カワコ、カントン、カーダラ、カーボン、カワタロウ、カワンヒト、カワノト、カワノヌシ、カワノヒト、カワンチョロ、カワントロ、カワノトノ、カワントン、カワロ、カリコボ、カワッソ(ウ)、カワゾウ、カワッパ、カーッパ、ガーッパ、ガッコ、ガワッパ、ガーダラ、ガワタロ、ガンチョロ、ガワッパ、ガータロ(-)、ガントロ(-)、ガントン、ガーッポ、ガグレ、ガゴ、ガラッパ、ガワロ、ガラッポ、ガンバ、ガースッパ、ガーロ、ガタロ、
ガシタロ、ガワンタロ、ガワッパ、ガッタロ、ガァッパ、ガッパ、ガアラッパ、ガワンタ、コウラワロウ、
サンボシ、スイテング、スイテンボウズ、スジンドン、セコ、セコンボ、セココ、セセコ、セコボウ、ヒョ(ウ)スンボ、ヒョウボウ、ヒュ(ウ)スボ、ヒョイヒョイ、ヒュースベ、ヒョウス、ヒョウスヘ、ヘテゴロ、
ヘジコロ、ホグラ、ナサン、ミズシン、ミッツドン、ヤマワロ、ヤマンタロー、ヤマセコ、ヤマオロ、ヤマウロ、ワワッパ、ワラドン
(奄美大島)ガウル、ガワッパ、コーバチ、ケンムン(ケンモン)
(沖縄地方)カムロー、キジムン(キジムナー)、ブナガヤ
『ど・スピリチュアル日本旅』
<会社を辞めて“旅人・エッセイスト”として独立した私>
<「世界一、スピリチュアルな国」日本をめぐる旅>
・私も、人生のテーマは「お金儲け」ではないので、「うわ、こんなおもろい人に出会えて、ラッキー!」と思えるような出会いを求めて、“人もうけ”をモットーに生きていきます。
・案内された沖縄コーナーには、沖縄の文化や宗教、歴史等の本がズラリ。沖縄では、年間300冊近くの沖縄本が出版され、この店だけでも1万5000冊を取り扱っているのだという。沖縄の総人口は約140万人だというから、沖縄人がいかに故郷を愛し、アイデンティティを大事にしているかが分かる。
<いよいよ“沖縄最強のユタ”と対面!>
・このイシキ浜は、海の向こうにあるとされる「ニライカナイ」を拝む聖地で、毎年、島の祭祀が行われているのだという。ニライカナイとは、東方の海の彼方にあるとされる異界、「神の住む国」で、祖先の霊が守護霊に生まれ変わる場所だといわれているのだ。
・「照屋家庭はんだん」の看板の掛かった鑑定所に着くと、普通の家のような落ち着いた風情の居間に通され、ユタの照屋全明さんが現れた。長身の照屋さんは穏やかな雰囲気ではあるものの、どこか存在感に凄みを感じる人だった。
「取材に見えたとお聞きしましたが、それには私の仕事を見てもらうのが一番なので、たかのさん、ご自身を鑑定させて頂くということでよろしいですか」
「あ、はい! お願いします!」
思いもよらない展開に、胸がドギマギしてくる。照屋さんは毎日、朝10時から19時まで、30分刻みで1日16名を鑑定しているというのだが、毎朝8時から、その日の鑑定予約を電話で受け付け、たった10分で予約が埋まってしまうほどの人気だと聞いていたのだ。
・「スタンスがフリーですね。一匹狼。自由人。組織はムリです。持っている良さが、フリーだからこそ出てきます。人徳はあり。ボランティア精神で、人材育成もしていくでしょう」
な、なぜそれを?!私はこの秋から、私立大で「異文化の理解」という講義を週イチで受け持つことになっていたのだ。非常勤の講師料は、目がテンになるほどのボランティア価格。国公立はもっと講師料が安いと聞き、非常勤講師は不安定な派遣社員みたいだなぁと思っていたところだった。
・動揺している私をよそに、怒濤の勢いで鑑定が続く。
「3、4年後、新しい才能が出てきます。それまでは、才能にフタしてる状態ですね。ゆくゆくは経済面も安定します。今はゆとりがないけれど修行だと思って、今までの道は間違いではないです。仕事はイエス・ノー、ハッキリさせていいですが、人間関係は『テーゲー』で、テーゲーは沖縄の言葉で『細かい事を気にせず、大らかに』という意味です。人間関係は突き詰めず、ほどよく適当にいきましょう」
・鑑定中の照屋さんは、物言いはあくまでジェントルなのだが、恐ろしく早口だった。神様からのメッセージはイメージのようにダーッと伝わるのか、照屋さんは神様のお告げを全部伝えたいがために、なんとか早口でしゃべって、そのスピ―ドに追いつかんとしている感じなのだ。
と、突然、真剣な面持ちの照屋さんから「タバコ、いいですか?」と聞かれ、「あ、はい」と頷くと、照屋さんは鑑定しながらタバコをスパスパ吸い始めた。神様のメッセージがあまりに早口だから、気持ちを落ち着かせるようとしてるんだろうか………。
その後、私の両親、兄ふたり、義姉たち、甥っ子たちの性質もズバズバ言い当てられ、それぞれの将来まで示唆されると言葉が出ず、「いやはや、恐れ入りました!」という感じだった。
「家族のことまでみて頂いて、ありがとうございます!」
鑑定後、お礼を言うと、照屋さんが言う。
「お悩みに家族のことが連鎖している場合も少なくないので、私はいつも、来た人の家族全員、鑑定させて頂くんですよ」
これで8千円ならリーズナブルだなぁと思いつつ、鑑定料をお支払いさせて頂く。
・ユタはたいてい家系で継承され、圧倒的に女性のユタが多いのだという。そんな中、男性の照屋さんがユタになったのは、照屋さんの祖母が、祭祀を取り仕切る神職「ノロ」だったことが大きいというのだ。
ノロが神職のシャーマンなら、ユタは民間のシャーマン。沖縄には古くから「医者半分、ユタ半分」ということわざがあり、これは「ユタの助言で精神的な癒しを得る」という意味で、ユタは生活全般のアドバイザーのような存在なのだという。
<●●インターネット情報から●●>
ユタ( 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
<概念>
沖縄の信仰において、琉球王国が制定したシャーマンであるノロ(祝女)やツカサ(司)が公的な神事、祭事を司るのに対し、ユタは市井で生活し、一般人を相手に霊的アドバイスを行うことを生業とする、在野のシャーマン・巫(かんなぎ)である。
ユタはいわゆる霊能力者であるが、迷信と考える者も多い。だが、一般にユタの力は古くから広く信じられており、凶事に当たった場合や原因不明の病気、運勢を占いたいとき、冠婚葬祭の相談など、人が人知を超えると考える問題を解決したいときに利用される。こうした行為は「ユタ買い」といわれ、通常、ユタは相談料をもらって問題解決にあたる。医者がユタを勧める例もあり、沖縄には「医者半分、ユタ半分」ということわざが古くからある。
ユタは単なる霊能力者ではなく、信仰上、自らを神と人間の介在者と位置づけており、広義にはノロやツカサなどと同じく「神人(かみんちゅ)」と呼ばれる。沖縄では神に仕えるのは一般に女性と考えられており、ユタもノロやツカサと同じく、大多数が女性である。
ユタは弾圧の歴史を持つことから、隠語として、ユタのことを三人相(サンジンゾー:易者)やムヌシリ(物知り)などと呼ぶこともある。
『うわさの人物』 心霊と生きる人々
<『普通の高校生がユタになるまで』(平博秋)(ユタ)>
・それは17歳のことだった。
・母方のお祖母さんがカミンチュ(神人)だったんだから、きっと感じたんでしょうね。
<拝みの言葉は自然に出る>
・はい。お祖母ちゃんのときもあるし、大日(大日如来)さん、天照さんが教えてくれたり。
<神様の生の姿とは>
「ユタの世界や霊感の世界で、ある程度できるようになったら、夢で免許証みたいな、本をもらうんです。「帳簿」と言いますが、聞いたことあります?」
「あります。なんとか長老という方が出てきて、ユタの許可証を渡すんでしたっけ。」
「ウティン長老。白い髭のお爺さんです。」
「それ、本当なんですか。」
「本当です。杖を持っていてね。」
「平さんの許にも現れて?」
「はい。自分はこの神様にいろいろ教えられて、何回も天照さんのお姿も見て。それから弁財天さんも。」
「弁財様。すごい美人なんじゃないですか(笑)?」
「ものすごい美人、真っ白です。大日如来さんは、こっちに赤いのがついていて。髪がね、剛毛で長いんですよ。」
<インタビューを終えて>
・こんなにはっきり神の姿を語る人を、私は彼のほかに知らない。ターリと共に、何よりインパクトがあったのは、容姿や口調、身長まで、平氏が「神様」をすごくリアルに捕らえているということだった。無論、その真偽のほどは、私には計りようがないことだ。だが、氏は神々を親戚や教師であるかのように語った。
『ほんとうは怖い沖縄』
仲村清司 新潮社 2012/6/27
<死霊が取り憑くおそれ>
・「別の生き霊がいくつも寄ってきたり、死霊が取り憑くおそれがあります。霊にも人間のようにそれぞれ性格がありますから、悪さをする霊がつくと危険ですね」
<キムジナーとケンムン>
・日本の妖怪といえばワタクシなど、すぐにカッパが思い浮かぶのだが、風土や環境が内地と著しく異なっているせいか、沖縄にはカッパは存在しないようだ。ただし、似たのはいる。
キムジナーと呼ばれる子どものような背格好をした妖怪である。
全身真っ赤で、髪の毛はパサパサにして茶髪ならぬ赤髪、顔も赤ら顔。ひと頃流行った渋谷系ガングロ女子高生に近いかもしれない。
・しかし、コヤツはどうやらオスらしく、地域によっては大きな睾丸をぶらさげているのが特徴とか。
また、腕はオランウータンのように長く、木の枝みたいに細くふしくれだっているとも。なにやら、やせすぎの老人を思わせるところがあるけれど、これでもやはり10歳ぐらいの子どもらしい。
・興味深いのは………、実はこのことがキムジナーを特徴づける要素になるのだが、漁師の船にいっしょに乗って魚をとるのを手伝ったり、農家の野良仕事の手伝いを買ってでたりするなど、人間の前にくったくなく姿を現して、人と積極的にご近所づきあいする点である。また、いかにも子どもっぽいのは人間と相撲をとりたがることで、負けると何度も勝負を挑んでくるとされる。
いうまでもなく、カッパも人間社会と接点をもつ妖怪にして、相撲が大好き。キムジナーが沖縄版のカッパといわれるのは、こうした性格も大きな理由になっているようだ。
といっても、キムジナーには頭のお皿や背中の甲羅がないので、風姿からいえば、カッパの系統とするにはやや無理があるように思える。
・キムジナーに気に入られた家は栄える、逆に嫌われた家は滅びるという伝承もあることから、民俗学者の折口信夫は座敷わらしの系統をくむものという見方をしているが、ともかくも、人間と深い関係をもつ妖怪であることは確かなようだ。
ガジュマルなどの古い大木に住んでいるので、「木の妖精」、「森の妖精」などと呼ばれたりもするのだが、その親しみやすいイメージから、いまでは観光みやげなどにキャラクター化されるほどのアイドル的存在に昇格している。
・それらの話を総合すると、キムジナーの生息地は沖縄本島北部、東村、大宜味村など、いわゆるヤンバル地区、背後に深い山を背負う村や、漁村に出没しているようだ。
なかには、キムジナーが住んでいた小屋もあったと証言する人もいたし、大勢のキムジナーがまるで運動会のように海岸でかけっこをしていた、あるいは、ある時期まで毎晩のようにかまどの火をかりにきたという人までいた。
・ただし、どの目撃談も戦前もしくは昭和20年代のものばかりで、最近の目撃例はまるで聞かない。1975年前後に本部半島を住みかにしていたキムジナーが大宜味村や東村に「集団疎開」したという噂もあるが、その頃はちょうど海洋博ブームで大型リゾート開発があちこちで行われた時期でもある。森を住みかにしてきたキムジナーは住むところを追われたというわけだ。
・奄美諸島にはケンムンが住んでいるといわれている。ケンムンとはキムジナーと類型のものとされる森の妖怪。性質や特徴がキムジナーと酷似している一方、奄美ガッパとも呼ばれ、内地のカッパにも似ているともいわれる。
その容姿が『南島雑話』という書物に図入りで記されている。幕末の薩摩藩士、名越左源太がお家騒動に連座して奄美大島に遠島を命じられた期間に著したもので、1800年代半ばの奄美の実情をビジュアルで知ることのできる貴重な史料となっているが、そのなかにケンムンに関する記述を見出すことができる。
・それによると、体毛が長く、頭に皿をいただいている様がはっきりとわかる。一見すればカッパのような印象を受けるが、顔は人間の子どものようでもある。人間の大人と仲良く手をつないで歩く姿を紹介していることから、キムジナーと同じく、人間社会と接点をもつ妖怪であることは一目瞭然で理解できる。
・といっても、容姿や性質については諸説あるので、はっきりしたことはいえないのだが、口伝からその恰好を推察すると、全身真っ赤で、おかっぱの髪の毛はやはり赤毛。背丈は子どもぐらいで、いつも鼻をたらし、ヨダレをたらしていることもある。
また、座るときは膝を立て、頭を挟むようにして座る。そのため、奄美大島では膝を立てて座ることを「ケンムン座り」といって嫌うらしい。
また、人間が悪さをしなければ敵対したり、危害を加えたりすることもないという。相撲が大好きで、人を見ると勝負を挑む。住むところはガジュマルなどの大木で、好物は魚の目。苦手なものはタコ、おならといった具合に、このあたりの特徴はキムジナーと酷似している。
・しかし、ケンムンとキムジナーには決定的な違いがある。それは、ケンムンが伝承や迷信の世界ではなく、いまも目撃談が絶えない「生物」として存在し続けていることだ。
数年前、奄美大島の名瀬に出向いて聞き取り調査を行ったことがある。すると、「実在する」「見た人を知っている」「存在を否定できない」という人がぞろぞろいて、あまりの証言の多さにめんくらってしまった。
・奄美博物館では「ケンムンマチ」を見たと証言する人までいた。ケンムンマチとはケンムンが発する火の玉のことで、伝承では雨の降る夜に山の尾根伝いに無数に火が灯るという。
その証言者は「ちょうどあの方向の山女の中腹です」と、名瀬市内のすぐ裏手の山を指して、「揺らめいているような火ではなく、松明ぐらいの火が右左とあちこちにものすごい速さで動き回るんですね。すぐにケンムンの仕業だと思いました」と、毅然としていってのけたものである。
・そのせいか、アイドル的なイメージの強いキムジナーと違って、ときに人間に害を為す歴とした妖怪として、いまもどこか怖れられている部分もある。前述した奄美博物館では1990年頃にこんな事件があったと話す人がいた。
「ある老父が野良仕事に出たまま失踪しました。3日後、その老父はカマのような切り傷を体中につくり、畑の中でうずくまっていた状態で発見されたんです。老父はケンムンにやられたと証言しましたが、出血多量で手当のかいもなく亡くなりました」
証言者が亡くなっているので真偽のほどは闇の中だが、目撃例が絶えて久しい沖縄と違って、奄美ではアンビリボーな生々しい事件がいまも発生していることになる。
・ほかにも、単に轢断されたケンムンの死体が山道に転がっていたなどの証言が報告されたり、目撃談がたまに地元紙に掲載されたりするという話も伺ったが、奄美の郷土民俗の研究家である恵原義盛は自らの不思議な体験を自著『奄美のケンモン』の中で語っている。
・その話が『南島雑話の世界――名越左源太の見た幕末の奄美』(南日本新聞社刊・名越護著)に掲載されているので孫引きさせていただく。
――1966(昭和41)年1月29日午後2時半ごろ、恵原は名瀬市根瀬部の水源地近くで、水が流れるコモリ(湖)のそばの石の上に子どもが座っているのを見つけた。山仕事をしている人の子どもだろうと、恵原は「そこでなにをしているの」と声をかけた。すると、振り返った瞬間、子どもは「稲妻の速さ」で、左側の渓谷上の方に掛け飛んで消え失せた。
・こちら側を振り向いた一瞬に見たその顔は、髪は伸びてまゆを隠し、着物は文目もわからず、年のころ6、7歳ぐらいで顔は黒かった。集落に下りて心当たりを聴いたが、そんな子は集落にいない、という。この外、恵原は「奇妙というか不思議な、常識では割り切れない現象は数知れない」と書く――。
・恵原はこれがケンムンであるとは述べていない。また、名越左源太が図で表現したカッパ様の生き物とも違っている。なにやら、かつての山間の漂泊民・サンカを思わせるような風貌ともいえるが、ともかくも、明らかに人間に近い姿をしているぶん、この目撃談はいっそうリアルに感じられるものがある。
この話を読んだとき、僕はすぐに奄美博物館で聞いたケンムンマチのことを思い出したのである。
ケンムンが放つという火の玉のことである。
もし、その子どもらしきものが、深夜に松明のようなものをかざして山中で動き回るとすれば………。
尋常でない速度で動いたというあの火の玉と、「稲妻の速さ」で掛け飛ぶという恵原の証言はこの点で見事に一致するのではないか。
・だからといって、ケンムンの正体が明らかになったわけではないけれど、あの山中には何か得体の知れないものがいる――、そう思わせるに十分なほど、奄美の山塊は依然として黒々とした深さを保ち続けていることだけはたしかである。
恵原は先のくだりに続けてこう結んでいる。
――(ケンモン)はもっと人間の生活の中に入り込んでいて、奄美という空間、広漠なる海に浮かぶ島の、存続と秩序を維持してきた要素の一つであったように思われます。
『未確認飛行物体観測日記』
宮本一聖 湘南社 2011/1
・本書は九州・長崎県の西方に浮かぶ五島列島において、近年展開されているUFO出現現象の2007年~2009年迄の出来事をまとめた日記です。
・本書でご紹介するUFOについてですが、目撃時の飛行高度が100~200mと低空であり、かつ飛行速度が自動車並みの30~40kmと低速であること等の理由から、通常の飛行物体でないことが推測されています。
・さらに、この長崎県の五島列島という地域は、昔からUMA(河童)の出現で有名な場所で、UFO出現場所と符合することからUFOとの関連も疑われています。
もしかしたら、これらのUFOはUMAと何か関連があるのかもしれません。
『2000年5月5日 宇宙人大襲来』
映画インディペンデス・デイはなぜ緊急制作されたのか
アメリカ政府が隠し続けた恐るべき事実
(草刈龍平)(第一企画出版) 1996/12
<地球から520光年にある人類祖先の星>
・またある研究者によると、このベテルギウス(正確には周辺の惑星)を中心とする惑星系こそ「エンジェル」の故郷であると同時に銀河系のすべての宇宙人の故郷でもあるという。この研究者によるともう一つの宇宙人「グレイ」の故郷もこのベテルギウス(オリオン座の恒星)なのだというのである。驚くべきことに「グレイ」の先祖と「エンジェル」の先祖は同じだと言うのだ。彼らの共通の先祖がベテルギウスを中心とする惑星系に住んでいたというのである。
・一万年以上前のベテルギウス星人の容姿は現在の「エンジェル」とほぼ同じであったらしい。彼らは、背が高く豊かな金髪と美しい顔を持っていた。我々人類の先祖にあたるのは、この頃のベテルギウス星人だったのである。
<それは核戦争の放射能だった。>
・ある時を境にベテルギウスの二つの国が互いに対立を深め、ついに大戦争が勃発したのである。ベテルギウスの惑星に核ミサイルが飛び交い、戦いは何年も続いた。多くの人々が死に、かろうじて死をまぬかれた人びとも放射能の影響で原爆病になってしまった。生まれる子供たちに奇形が続出し、世代を経るにつれベテルギウス星人の背は縮んでいった。彼らの目は巨大化し、鼻は縮んで二つの穴を残すのみとなり、美しかったベテルギウス星人は不気味な姿へと変身していったのである。彼らの肌の色は透き通るような白から不気味な青味がかった灰色へと変わっていった。そして、彼らは、肌の色から「グレイ」と呼ばれる宇宙人になってしまったのである。
・放射能に汚染された「グレイ」は声帯をやられ、言葉を声にして喋ることができなくなってしまった。代わりに彼らには声に出さずに言葉を伝えるテレパシーの能力が発達していった。
・また、放射能で消化器官をやられた「グレイ」は、肉などを消化する能力が徐々に衰えていった。代わりに動物の内臓から直接酵素や分泌液を吸収するという方法で、彼らは、栄養を取るようになった。
『最新! 秘密結社の謎』
世界の裏側で暗躍する組織の実態を暴く
知的発見探検隊 イーストプレス 2011/7/15
<エコロジーを実践しカッパとの共生をはかる「下総カッパ団」>
・下総カッパ団は、1724(享保9)年、下総国印旛村の豪農、安田伝兵衛によって設立された人間とカッパの親睦団体だ。大の相撲好きだった伝兵衛が印旛沼で出会ったカッパのシンサクと偶然相撲をとって勝ったことで、意気投合。カッパと人間の共生を目的として旗揚げされた。設立当初は、うなぎ釣りや川相撲、水泳などの各種の催事を開き会員数は増え続け、最盛期には300名もの会員数を誇ったという。
<ナチスを生みだした秘密結社トゥーレ協会>
・ナチスは1926年から1942年まで毎年、チベットや中央アジアに遠征隊や調査団を派遣しました。何を探し求めていたのかといえば、アガルタです。
アガルタとはフランスのオカルティスト、J・A・サン=ティーヴ・ダルヴェードルが詳しく紹介した一種の桃源郷です。
彼はその死後の、1910年に出版された『インドの使命』という著書で、世界の中心に当たるアジアの地下深くに不可視の王国があると述べています。
<グレート・ホワイト・ブラザーフッド>
<神智学協会やゴールデン・ドーンを生んだ謎の集団>
<多くのオカルト結社に影響を与えた存在>
・ブラヴァツキー夫人が神智学協会を創立する際、多大な影響を受けたとされているのが、ヒマラヤで出会ったグレート・ホワイト・ブラザーフッドだ。
<未知の上位者との交信で真理に近づく>
・グレート・ホワイト・ブラザーフッドは、太古の昔より天界や宇宙の超存在と交信し、授かった智恵で人類を導き続けてきたという。
・交信できるのは、マスター(導師)と呼ばれる一部の者だけで、そうそうたる人々の名が連ねられている。超存在が何者であるかは不明だが、その導きに従えば、人間の内に秘められた真理に近づけるとされる。
・こうした神秘性を高める構造は、オカルト系秘密結社でよく見られる「未知の上位者」のシステムと呼ばれる。
・オカルト要素に満ちたグレート・ホワイト・ブラザーフッドは、未知の上位者からの情報を伝えることで、そのカリスマ性を維持していた。
<地球外生命体の正体>
<地球を揺るがす秘密をNASAと秘密結社が隠蔽>
<エリア51には宇宙人がいっぱい!?>
・地球には既に知的な宇宙人が到来しているという説がある。そして、宇宙人とアメリカ合衆国とNASA既に接触しているというのだ。
・また、ネバダ州にあるアメリカ空軍の実験施設エリア51周辺ではUFOらしき未確認飛行物体が何度も目撃されている。
・そして、エリア51には極秘裏にロズウェル事件の残骸が運び込まれ、地球外生命体から得た技術でUFO研究が行われ、リトル・グレイと呼ばれている宇宙人が存在しているなど、様々な憶測が飛び交っている。
<信じられている噂>
<地球外生命体を隠し続けるNASA>
・NASAは実は地球外生命体と既に接触しているという噂が後を絶たない。
NASA中枢には根強い秘密隠蔽派が存在し、秘密結社と結びついて、これまでの発見や地球外生命体に関する情報を隠し続けているというのだ。
『森の神々と民俗』
ニソの杜から考えるアニミズムの世界
金田久璋 白水社 1998/10
<無言交易と異類伝承>
<無言交易というターム>
・『日本民族事典』の北見俊大の解説によれば、「無言交易」とは「売買する相手が相互に姿を隠して行う古い交易の形態」をいい、「形のうえでは、ただ単に便宜上、人手を省くためのものとの性格を異にする。すなわち、ふだん接触のない異人種間の交易にみられる」と述べている。「沈黙交易」ともいい、『文化人類学事典』には「言葉を用いることなく行われる交易。異種族間の交易手段として広く行われる。定められた場所に品物を置き、合図して姿を消すと、相手が等価と思われる品物をそのそばに置いて下がる。等価物に満足すれば、相手の品物を持ち帰り、交易が成立する。」とある。同様の言葉に無言貿易、黙市、鬼市という言葉がある。
<学説史の流れ>
・まず最初に、鳥居龍蔵が「東北亜細亜における無言交易について」と題して問題提起を試みたのは大正6年のことであった。そのなかでコロポックルとチュクチの伝説を無言交易の事例としてあげ、実際におこなわれていたことを新井白石の『蝦夷志』の記事を引いて実証している。また同様の事例を『日本書紀』の斉明天皇6年3月の条から、阿倍比羅夫と粛慎(みしはせ)の船団との物々交換を無言交易の一つの例として認め、「斬の如く千二百五十年程前のドキュメントを通じて見ますと、無言交易がウラルアルタイ民族とアイヌとの間に行なわれて居ったということが分かります。此話が後に吾々には椀貸伝説になってしまった」と述べている。
<椀貸し伝説>
・さて本稿は無言交易をめぐるこれまでの論考をふまえながら、福井県における異類伝承のなかで、椀貸伝説と河童のわび証文の伝説を無言交易として位置づけるかどうか考えてみたい。資料は杉原丈夫編『越前若狭の伝説』を用いた。
表1のとおり、県内には椀貸伝説は12ヶ所分布している。まず代表的な伝説を引用してみよう。
① 押谷のほら穴(芦原町北潟)
このほら穴は福良が池に連結しているという。いつのころからかここに十数人の者が住んでいた。村の人が法事をするとき、このほら穴のひとにおわんを貸してもらった。あるとき、おわんを一つこわしてしまい、一個不足のまま返したので、それからは、何度借りにいっても貸してくれなかった。
② わんかし山(丸岡町下久米田)
下久米田の丸山をむかしはきび塚といい、またわんかし山ともいった。延宝の初めごろ(1673頃)までは、この丘の江川から毎朝しろ水が流れ出た。慶長のころ(1600頃)にはこの辺に行って、明日何人前のおわんを貸してほしいと三度いうと、翌日には頼んだとおり借りることができた。用がすむともとの所へもどした。しかし年がたつにつれ、人の心も悪くなったので、わんを貸すことはやんでしまった。
丸山は、弁慶のきびす(かかと)の跡だというので、きびす塚といったが、後にきび塚となった。少し離れた所に玄女が渕があり、この渕ときび塚の間に穴道が通じていた。渕の中にひとりの娘がいて、これがおわんを貸したのだという。
<河童のわび証文>
資料 |
題名 |
所在地 |
場所 |
河童の行為 |
お礼・わび証文 |
その他 |
1 |
斎藤家の目薬 |
福井市西方 |
足羽河原 |
人にいたずら |
お礼・わび証文 |
夢の中に現れる、家伝のクスリ |
2 |
かめの証文 |
金津町清間 |
畑 |
龍田又右衛門の草取りの手伝い |
「清間の者かほうちんか、かめひいてくれるな」 |
川中へひかない、アカベ(肛門)をぬかぬ、証文は水中で読む |
3 |
かっぱの皿 |
和泉村後野 |
川 |
馬のしっぽにつかまる |
皿でろくべえ軟膏をぬるとよくきく |
|
4 |
かっぱ |
和泉村下山 |
川 |
エバ(わな)にかかる |
七里四方の人は食べず、玄関にマスをつるす |
|
5 |
かっぱの証文 |
美浜町佐田 |
海 |
牛をひきずりこむ |
人畜に害を加えず、ブリをつるす |
証文は水にうつせば判読、河童相撲の話あり |
・表の通り、河童のわび証文は5件掲載されている。そのなかから和泉村下山に伝わる伝説を引く。
かっぱ
東という人が、川にしかけたエバ(わな)を見に行ったところ、かっぱがかかっていた。かっぱは命ごいをして、助けてくれたら、そのお礼に七里四方の人はとって食べないと言ったので、逃してやった。それから東の家の玄関にマスがつるしてあった。誰が置いていったか気がかりになって、ある日マスかぎをかけておいたところ、翌日からは、もうマスがつってなかった。
・河童のわび証文とされる伝説は、いわゆる河童駒引譚のバリエーションであり、時に美浜町佐田の吉岡家の事例のように河童相撲の伝説を伴っている場合も見られる。いずれも河童の悪戯であり、つかまえてわび証文を書かす、助命の謝礼に魚を届ける、欲を出してカギをつるすと、とたんに止んでしまう、というパターンが認められる。伝説の舞台は、河原や海岸、畑といった異類としての河童が横行する場所が当然多い。悪戯の代償として、秘薬(目薬、軟こう)の製法や水難よけのぞうり(河童ゾーリ)の作り方を教わったというもの、或いは魚が届けられたというものが一般的である。
・異類としての河童とは何か、これまでの研究では水神や山の神、田の神の零落した表徴であるとか、カメ(ガメ)、カワウソなどの水辺の動物の妖怪化したもの、或いは沖縄のキジムンや奄美のキジムナーとの近似も指摘されている。しかしこれらの妖怪が、異人との交渉を背景に生み出された創造力の所産と考えれば、事態は大きく展開する。
『カシオペアのΨ(プサイ)』
C・I・ドフォントネー 図書刊行会 1990/5/14
<衛星群>
<タシュル>
・最後のネムセードとスター人類の生存者たちを乗せたアバールは、いったん大気圏外に出ると計り知れない速度で上昇していった。ラムズュエルは上昇に上昇を続け、さながら、天頂に狙いを定めた弾丸のようにスター星から遠ざかっていく。ほどなく、彼らはスター星から遥かに離れた地点に到達していた。
・巧みに着陸したその丘を下りた彼らは、平原に出た。植物は、スターのそれに比べてやや小型のように思われた。草原や、葉群におおわれた森の色調は、おしなべて白みがかっており、より正確に言えば、スター星で見られる、雨氷にまぶされた草原風景のように、灰色から白色の段階に分かれていた。しかし、この灰をまぶされたような白い自然の中で、果実や花々だけは、赤や黄や青の鮮やかな描点をきらめかせていたのだった。
また、内憂外患よりもスター人たちを驚嘆させたのは、花々の色に似た色彩をまとった鳥類の多さだった。
・スター人たちにとっては、この星の鳥の数は驚嘆すべきものであったにしても、他の動物類についてはかなり少ないように思われた。動物は、時おり、あちこちにごく僅か見かけられるだけだったからである。
・この旅人の一団は、アバールを安全な場所に移すと、この星に人間が棲息しているかどうかを調査するため、注意深く前進した。彼らの調査行は長く続かなかった。数時間後、彼らは、遠方の湖の近くに建設された町の建物を望んでいた。
・彼らの身体は明らかにタシュル人とは違っていたため、その冒険譚は容易にタシュル人たちに信用された。もともと善良で親切なタシュル人は彼らに援助の手をのばし、ほとんど誰も住んでいない肥沃な大陸を一つ分け与えた。
・そこで、彼らが交際を結んでいるタシュル人の間に女性は存在せず、むしろタシュル人が自身で二つの性を持つ、つまり両性具有人であることを知ったときの驚きは大きかった。男性および女性特有の器官を備えたタシュル人には、種族保存のための別の個人に接近していく必要性はありようもなかった。各々は自分の能力だけで、子孫を生み出すことができたのである。
・彼らの衣装はすべて、肩からゆったりと被る寛衣(トーガ)であった。総じて大柄で堂々とした体格のタシュル人は、贅沢というものを知らず、社会全体にわたって完全な平等を実践していた。
・タシュルにおいて出会う多くの鳥類は、そのほとんどが雌雄同体となっている。なお、哺乳類も、大部分が雌雄同体であるが、その数は鳥類に比べて遥かに少ない。
<レシュール>
<神人のような彼らレシュール人の風俗>
・この香気に充ちた大気圏、つまりレシュールの表面を覆う大気は、スターやタシュルのように空に青味を与える代わりに、その深い透明な空を黄金色に彩っている。しかも済んだ空は、ごく稀に白銀色の雲によって曇らされるだけである。生気に充ちたこの大空の下に広がっているのは、植物の永遠の緑に飾られた大地である。
・タシュルを鳥の国とすれば、レシュールはスター人の目には花の国であり、なによりもまず、甘い香りにあふれた魅惑の国であった。黄金色の空を透過してくるため、四個の太陽の輝きはいっそうまばゆく強烈だった。
・この素晴らしい地では生命と思考は各個人の中で美化され、それぞれに神の様な形姿が与えていた。それは、ほとんどこの世のものと思われない天使族を見る心地がした。青味がかった薔薇色の肌は、美しく表情に富んでいる。
・スター人たちの歓喜は絶頂に達していた。彼らは市中に案内され、住人達の不思議な生活のありさまを知る機会を得た。なかでも最も不思議なのは、彼らの身体器官である。彼らの身体構造は、両性間のあの忌わしい結合を不可能にしている生殖や、それに伴う肉体的欲望は、そのため一種の精神感応のような手段をとる。抱擁や愛の行為そのものの中で双方の生命力が精神的にいわば放電しあう。そして彼らは、スター人と同じようにして身ごもり、子を生むのである。
<エリエール(透明の星)>
・光を透過させる点については、この星の物体は宇宙空間それ自体か、最も流動性の高いエーテルに匹敵する。そのため実際は天底点に位置している星々でさえ、スター人の眼には、エリエール本体を通して、しかも中間には何物も存在しないかのように明瞭に見えるのだった。
・エリエールに降り立った当初、スター人たちは、この星に存在する物や生起していることを一目で見て取ることはできなかった。一見した限りでは、輪郭のはっきりしない様々な物象が重なり合って見えるだけだからであった。
・ここでは植物も鉱物も大洋も大気の熱気も完全な透明さを持っている。人類と高等な動物だけが、身体に半透明の乳白色を帯びており、わずかにその輪郭を認めることができる。
全身にオパール(蛋白石)のような光沢のあるエリエール人は、背が高く動作は敏捷、そして身体はよく均整がとれている。やや小柄な女性は、優美な姿をし、男性に比べてこころもち肌の透明度が良い。この愛らしい女たちは、エリエールの透明な地上で楽しげに遊び戯れているため、スター人は、空気の中を揺らめき舞う妖精と思い込んでいたほどである。
<アバール(エーテル航行機)>
・その二台の機械はアバールだったのである。この巨大な機械は卵型をしており、外皮は二重に金属板で覆われて、所々に小さなガラス窓が開いているが、その窓も金属の覆いが降りる仕掛けとなっている。全体を覆うこの金属板の表面にラムズエルの発見に基礎を置いた物理作用が働きアバールは作動するのである。この金属板は動力を統制御して、物体を空中に浮揚させ、また引力に応じて如何なる方向にも運動させることができるのである。
<レシュール>
・この星の美しさに魅せられたスター人たちは、レシュール人たちに植民地建設の許可を求め、受け入れられた。5百人のスター人から成る分遣隊がレシュールを出発し、やがてスター星系三番惑星・リュダールに着陸した。
<ウェブサイト「天下泰平」(滝沢泰平公式ブログ)(2016/12/28)より引用>
『SECRET SPACE PROGRAM いま私たちが知って受け入れるべき【この宇宙の重大な超現実】』
陰謀論をはるかに超えていた《リアルUFOと異星人》
高島康司 ヒカルランド 2016/12/26
- 内容紹介
◎ 世界大変動の裏に地球外生命体の関与があるのか?!
◎ 2014年、ブルー・エイビアンズ(第6密度に存在する青い鳥族/カバーフォト参照)の登場によって世界の反転=レプタリアン&イルミナティの勢力衰退が始まった!
今、海外のUFOコミュニティでセンセーションを巻き起こしている《リーク情報》を近未来予測の専門家が明晰なる頭脳で整理分析――米政府や軍が主導する宇宙関連の極秘プロジェクトの驚愕の全体像を明らかにする!
- 本書は
【1】「ディスクロージャー・プロジェクト」のスティーブン・グリア博士による調査報告【2】「秘密宇宙プロジェクト」のメンバーであるマーク・リチャーズ大尉とコーリー・グッドによる内部告発
によって構成される。いわば内部告発者たちが知らせてくれた《秘密宇宙プロジェクト》衝撃のディスクロージャーのすべてである。アメリカの軍産複合体やUFO、地球外生物の実態を知って、この世に対する価値観を一変させる必要があることをここに緊急にお知らせしたい! 想像を絶する「現実」を受け入れるときが来たのである!
所有権を巡って複数の地球外生物が対立している地球は、現在、イスラエルのような闘争状態だ!
◎ 第二次世界大戦の真実――日本とドイツとイタリアはレプタリアンから支援を受けており、広島と長崎に原爆が投下された理由は、この地下にあったレプタリアンの基地を破壊するためだった
◎ エボラ出血熱の世界的流行は、竜族がレプタリアンを根絶やしにするために拡散された
◎ 福島第一原発の事故は、放射性物質を大気中に拡散させ、地球の大気をエイリアンの体に合うように変化させることが目的で引き起こされた
◎ 2014年、「ブルー・エイビアンズ(第6密度に存在する青い鳥族)」という種族の登場によってレプタリアンが出生惑星に帰還したことで、「イルミナティ」の間で闘争が始まり、勢力が衰退している
◎ 支配勢力が準備しているドナルド・トランプ暗殺計画
- 今年も残り僅か。
色々とキーワードのあった今年でしたが、ここ最近個人的なテーマとなっているのが「ムーやレムリア」という言葉であり、それと同時に関わってくるのが地球外生命体の存在です。
個人的な体験もさることながら、なぜか自分のところには“コンタクティ”と呼ばれる異星人の代理人として活動している人々が度々訪れることがあり、またそういった人物と引き合わせられる頻度が異常に多いです。
彼らの体験は単なる霊的な現象でビジョンをみたとか、精神的な混乱の中での妄想であったとかでもなく、コンタクティの人々は本気で異星人とコンタクトをとっており、どの話も作り話や妄想ではない非常に現実的な話で共通点も多くあるのが特徴的です。
それも社会的にもそれなりの立場にある科学者や実業家の方の裏の顔がコンタクティであり、それらの話を踏まえて考えると、どう考えても地球外生命体は存在していないと考える方が難しく、明らかに存在しているのが自分の中の答えであります。
ただ、単純に友好的な宇宙人がいるというロマンの話でもなく、彼らは良くも悪くも地球の文明、現実社会にまで深く関わっているのが実情であり、俗に言われる陰謀論の先にある異星人関与説は、極めて信ぴょう性の高い事実だと思われます。
つまり、この社会の真実を探っていくと、過去の歴史から今の表社会で報じられている情報のすべてが偽りであり、その奥には軍産複合体や多国籍企業、欧米貴族などが人類を支配しているという結論に至りますが、三次元的な陰謀論ではそこまでが限界であり、さらに奥へと真実を探求していくと、必ずしもステージが変わって、視点を異星人にまで引き上げないとつじつまが合わなくなります。
とはいえ、その視点ばかりに偏ってしまうと地に足がつかず、また現実社会を生きるのに嫌気がさしてきてしまう人も多いので、異星人による陰謀説もほどほどにしておかないと仕事もなくなり誰も友達がいなくなってしまいます。
また、ネットをはじめ本で語られている情報のすべてが真実とも限らない、むしろ間違った情報や意図的に流された偽りの情報も含まれているので、まずは自分自身で体験することなど以外においては半信半疑で頭の隅に入れておく程度がちょうど良いと思います。
そんな中、今回ご紹介する本は、自分自身が知っている情報ともリンクすることが多く、すべてとは言わずともかなり現代の地球と異星人との交流の現実を深く書かれていると思います。
- 「SECRET SPACE PROGRAM いま私たちが知って受け入れるべき【この宇宙の重大な超現実】 陰謀論をはるかに超えていた《リアルUFOと異星人》」という本であり、著者は人気ブログやメルマガで近未来予測をする高島康司さんです。
これは高島さんの体験や情報というより、海外情報にも精通している高島さんがまとめた海外の異星人暴露情報であり、それが外国の政治家や軍の関係者であったりと、表舞台の立場ある人が公開した情報がリソースとなっています。
本の中で様々な要人が異星人情報をリークしていますが、その中でもインパクトがあったのが、アメリカの軍隊の中でも宇宙関係の組織に属していた「マーク・リチャーズ大尉」のインタビューであり、その内容は一般的には“トンデモ”と扱われるものですが、個人的には確認することが多く、頷きながら読み進める内容ばかりでありました。
その一部を以下にご紹介するので、詳しく知りたい方は是非とも本著をご一読くださいませ。
- レプタリアンによって収監されたリチャーズ大尉
私は、インタビューで真実を公開する決意を米軍の将校としていった。私がインタビューに応じた理由であるが、いま自分は刑務所に収監され、また内容も社会の常識からあまりにかけ離れているので、どうせ信用されるはずはないと思ったからだ。
私はいま仮出所のない30年の刑に服している。殺人罪だ。これは完全にでっちあげられた事件で、起こった事件の真犯人は逮捕されているにもかかわらず、私は釈放されていない。「秘密宇宙プロジェクト」の組織にはこれくらいのことを実行できる権力がある。
刑務所に収監されている理由だが、私が「秘密宇宙プロジェクト」の機密性に疑念を持ち、敵の地球外生物を無差別に殺害するやり方に強く抵抗したことが原因だ。また私は、ロシアとフランスの情報局の女性諜報員とつながりを持っていたが、「秘密宇宙プロジェクト」の組織に対して、私はこれらの諜報員を通して内部告発者になるのではないかと警戒されたことも理由のひとつだ。
私は現在でも多くのグローバル・エリートとコンタクトがある。「ビルダーバーグ会議」の参加メンバーから直接情報が入る立場にいる。そうした情報によると、中国は世界の金融システムを支配するところまではいかないという。中国では、共産党の一党独裁に対する国内の反発が強まり、今後5年で不安定になると彼らは見ている。
「秘密宇宙プロジェクト」はある程度の情報を公開することを望んでいる。実は私にその任務が与えられた。殺人犯として刑務所に収監されているので、私の発言が真剣に受け取られることはない。情報をあいまいにできるこの地位を利用し、「秘密宇宙プロジェクト」は情報をコントロールしながら公開している。
- 「秘密宇宙プロジェクト」は、このような方法以外に、映画や小説などを使い、真実の情報をリークしている。
秘密宇宙プロジェクトにはレプタリアンも加わっている。私を殺人罪で収監したのは、レプタリアンである。いま私はレプタリアンに敵対している竜族に守られている。レプタリアンはプッシュやディック・チェイニーのようなニューワールドオーダーの実現を計画しているグループだ。
竜族の一部から、地球を離れ、他の惑星で生活したらどうかとのオファーがある。だが私は自分の家族と友人を愛しているので、地球を離れたくはない。もちろん竜族は刑務所にいつでも侵入することはできる。しかしもし私が脱獄すると、私を収監したレプタリアンや竜族の一部から追われ、結局地球を離れなければならなくなる。また、刑務所では保護されており、いまのところ危険はない。
私は地球を愛している。地球と似た惑星は1700ほど存在するが、その中でも地球が一番素晴らしいと思うので、この惑星を去ることはできない。
「秘密宇宙プロジェクト」と呼ばれるシークレット組織が世界には存在しており、そこが異星人情報からテクノロジーをはじめ、未だに表社会では公開されていない様々な真実を隠しているようです。
そして、彼らはハリウッドなどの映画も使って、少しずつ一般の人々に真実を公開しているようなので、今のハリウッド映画のテーマや来年に公開される映画の内容を見ると、彼ら裏の世界の人々の現在の思惑も色々と見えてきます。
- また、こういった情報に関わっていない人には聞きなれない「レプタリアン(レプティリアン)」や「竜族(ドラコニアン)」という言葉が出てきていると思いますが、これはいわゆる爬虫類人と呼ばれる異星人であります。
正確には異星人というより、太古の昔に地球にやってきた“先輩地球人”でもあるので、どちらかといえば現在の地球人の方が新参者でありますが、今の地球文明にもっとも介入しているのが、この2つの種族であるのは間違いないことかと思います。
地球外生物の中には竜族という種族が存在している。彼らは恐竜の時代に進化し、地球を脱出したが、地球に帰還した種族である。彼らは、地球は自分たちのものであると主張している。竜族は米軍と協力関係にあり、フォークランド諸島周辺で共同で軍事基地を管理している。
竜族はまさに映画「ジュラシック・パーク」に登場する恐竜そっくりの種族である。普段は120センチほどの背丈で前かがみで歩く。背筋を伸ばすと3メートルを超える。この種族は人間を食糧として消費する。しかし、1951年に米軍との間で協力関係が樹立されるにつれ、人間を食すことをやめた。竜族は1954年に条約が締結されるまでは、人間を食べていた。しかしいまでも、人間を食べたくなる衝動はあるようである。彼らは人類を「同盟相手」と呼んでいる。
竜族は自分たちの未来をシミュレートしたところ、人間を食糧として消費するのではなく、人間と協力したほうがよい未来であったので、現在のような関係になっている。竜族が人間を助けるために行うことは、逆にレプタリアンによって悪用されることがある。
竜族は極めて物質主義である。デラックスな車やライフスタイルを大変に好むが、家族もおり家庭生活を営んでいる。
- 米軍と協力関係にあるとはいえ、竜族は一枚岩ではない。いくつかのグループに分かれている。それらのグループには人間を好まず距離を取っているものもあれば、反対に人間と近しい関係を維持しているものもいる。
竜族の一部は、竜族を統治している皇女の命令に従うことを拒否した。そして、ナチスと協力関係になり、人間と敵対しているレプタリアンと一緒に行動している。
竜族は、やはり地球の所有権を主張しているレプタリアンの種族と闘争関係にある。レプタリアンの種族には、人類に対して特に敵対的な2つの種族が存在する。彼らは同じレプタリアンの中の異なった種族だ。ひとつはより人間に近い種族だ。もうひとつは長い尾を持つ恐竜のような容姿をしている。
また、「シカール」と呼ばれる羽の生えたドラゴンのような種族も地球にいる。彼らは、竜族ともレプタリアンとも異なる別の種族だ。
レプタリアンもまた一枚岩の種族ではない。相互に敵対的な関係にある2つの種族が存在している。お互いに自分たちが優等な種族で、相手が劣等な種族であると見ている。
- 私が一緒に仕事をしている竜族だが、彼らは英語のみならず地球のあらゆる言語を話すことができる。だが、彼らの声帯は人類とは異なった構造をしている。したがって、彼らが地球の言語を話すためには、手術で声帯に手を加えなければならない。そのような竜族は多くいる。しかし、階級の高い竜族にはそのような手術は施されていないので、言葉を発することはできない。
私は、幼少期の頃から竜族と関わりがある。私が当時住んでいた場所に竜族の宇宙船が墜落し、軽傷を負った。その傷がまだ残っている。
レプタリアンなどのエイリアンにとって地球の大気は体には適さない。福島第一原発の放射能漏れ事故は人為的に引き起こされたものだ。これは放射性物質を待機中に拡散させ、彼らの体に合うように地球の大気を変更することが目的だった。
放射性物質の拡散は、彼らの地球環境変更のアジェンダの一部である。放射性物質の拡散は、必ずしもマイナスの影響ばかりではない。人類の中には、突然変異で放射性物質により耐性の強い体へと変化する個体が現れる。この進化型人類は、放射線が飛び交う宇宙空間を旅行することができる。こうした進化を誘発するために福島第一原発の事故を引き起こし、放射性物質を拡散した。自閉症の本当の原因は両親が放射性物質にさらされたことになる。
- 地球を全面的に支配コントロールしている種族は存在しない。地球外生物の種族は相互に敵対的な関係にあり、牽制しあっている。それぞれの種族が異なった計画を持って活動している。この状況は、地球に多くの国々が存在し、地球を支配する国が存在しないのと同じ状況である。
人類とエイリアンとの対立は、戦闘にまで発展したこともしばしばあった。1950年代のアイゼンハワーの政権のとき、米軍は「グレイタイプ」の基地を核爆弾で破壊したし、1970年代のカーター政権のときも「グレイタイプ」との間で戦闘が発生した。
- 一般的にはレプタリアン=悪、竜族=善のような情報がありますが、それは決して正しいわけでもなく、レプタリアンの中にも人類に友好的なグループもあれば、竜族で逆の立場もあったりと非常に複合的であるように思えます。
もちろん善悪というのも、その視点や立場から見ての基準であり、最終的には人間にしろ異星人にしろ善悪というのは存在していないものだと思います。
海外のリークでありながらも福島の原発事故に触れていますが、それほどあの大震災、そして原発事故は宇宙的にも大きな意味のある出来事であり、単なる自然現象でも単なる人工地震でもなく、その背後にスターウォーズ顔負けの異星人同士のせめぎ合いの世界があるのかもしれません。
- バチカンはレプタリアンに支配されている/地球上で対立する複数の種族
バチカンを支配しているのはレプタリアンである。そしてレプタリアンはナチスとも深いつながりがあり、その残党が現在もバチカンの支配に加わっている。
1978年に、バチカンのヨハネ・パウロ1世が法王に就任してからわずか1ヶ月で死亡したが、これは自然死ではなく暗殺である。1979年は、バチカンの権力闘争で大きな転換期になった年だ。
ところで古代メソポタミアで栄えたシュメール文明だが、人類に知識を与えた種族は2つある。ひとつはレプタリアンで、もうひとつは約3600年の長期起動で太陽を公転している10番目の惑星、ニビル星からやって来る「アヌンナキ」だ。レプタリアンの基地はバチカンにあり、「アヌンナキ」の基地はイスラエルにある。
古代に宇宙人が地球にやって来た証拠は、ゴビ砂漠やマルタ島に埋められている。
「秘密宇宙プロジェクト」はおもに人類のコントロール下にある。しかしながら、予算が途切れがちになるので計画全体に影響が出ている。
地球にやって来ているエイリアンの種族はこれだけではない。実に多くの種族が地球にいる。彼らは「銀河連邦」という集合体のメンバーである種族もいれば、これに対抗する「コレクティブ」と呼ばれる宇宙連邦に所属するグループもいる。また、別の次元からやって来る種族もいる。
バチカンが闇の支配者の権力下であるのは有名な話であり、またバチカンの奥の院はこういった異星人が介入しているのも最近は多くの人々が知ることにもなりました。
そのバチカンが今の宗教世界を統括しており、宗教が民族、国を管理して地球の社会や文明が成り立っていることを考えると、異星人はまたうまいところに入り込んで世界をコントロールしてきたものです。
とはいえ、彼らの本体も20年以上も前に地球領域を去ることになり、あとは残党だけなので、これからバチカンをはじめ、世界のトンデモ詐欺が明らかになり、真実が少しずつ世の中に出てくることになると思います。
- また、イスラエルは二ビル星からの異星人であり人類創世にも関与しているアヌンナキの拠点があるとも書かれていますが、確かに旧約聖書の登場人物の多くはアヌンナキとも関係しており、ノアにしてもアヌンナキとのハイブリッドあるとも言われています。
自分自身、3年連続でイスラエルに訪れていますが、ここはアヌンナキの拠点であるのはもちろんであるものの、表のイスラエルはレプタリアンが多く牛耳っており、自分もまた初イスラエル訪問は空港で降りた瞬間に彼らに捕まって取調室まで送り込まれたものです。
- 地球の支配者一族と地球外生物/レプタリアンのDNAを持つブッシュ家
ロスチャイルド家は、一般に信じられているよりも影響力は小さい。私は「ロスチャイルド家」と問題を起こしている。「ロスチャイルド家」は、一般に言われているようなサタニスト(悪魔崇拝主義者)ではない。
「ベクテル社」は「ロスチャイルド家」よりもはるかに悪質な存在だ。「ベクテル社」は「秘密宇宙プロジェクト」に関わっている。
欧州の支配層の家系にはレプタリアンのDNAは含まれていない。地球外生物とはまったく関係なく、人間にはもともとひどい性質が備わっている。
ブッシュ家だが、明らかにレプタリアンのDNAを受け継いだ家系だ。しかしデイビッド・アイクが言うように、人間に姿を変えているというわけではない。レプタリアンのDNAなので、ブッシュ家の一族は一般に医療機関には行かない。またレプタリアンのDNAだが、これはナチスにも混入している。
- デイビッド・アイクはレプタリアンが人間のように容姿を変化させることができると言っているが、これはかなりおおげさである。レプタリアンの人類への影響は、彼らのDNAを持つ家系の存在によるものである。
しかし、容姿を人類に変化させることができる種族がいないわけではない。ある種族は、高度な人工知能を持つ人類の形をしたアンドロイドを遠隔操作している。これも容姿を変化させる例のひとつである。
確かにロスチャイルドは、人の表社会の中では大きな権力を持っているように見えますが、裏の権力者構図の中ではとても下部の組織や立場となっており、異星人との交流もロスチャイルドよりももっと深い人々が奥の院の中にいるようです。
ただ、ブッシュ一族などは見た目からも明らかのようにかなり濃いハイブリッドのようです。
- また、異星人そのものが地球次元に降り立つというより、彼らはアンドロイドを送り込んでくるケースの方が多いというか、自分が知っている限りではほとんどがアンドロイドだと思います。
- オリオンの宇宙船/人類は宇宙旅行とタイムトラベルもできる
「ヴェスタ」という小惑星には、「ノーディック」と人類が共同で運営する基地が存在する。
「ノーディック」が建造したオリオンシステムの宇宙船は、人間に売られた。
現在はそれは、深い宇宙を旅するための「宇宙艦隊」に配属され、「オリオン宇宙船」とよばれている。
この「オリオン宇宙船」は1950年代にすでに建造され、いまではアップグレードされている。私は、この宇宙船の船長であった。
人類が宇宙旅行とそのナビゲーションをエイリアンから学ぶプログラムがある。
人類は、遠方から太陽系に侵入してくる宇宙船に誰が乗り込んでいるのか瞬時に判断する「太陽系監視船隊」を持っている。それは「ソーラー・ワーデン」と言う。だが、発見するには思った以上に時間がかかってしまう。
人類はすべての惑星に行くことは許されるが、木星の衛星の「エウロパ」だけは立ち入ってはいけない。ここはミミズのような形をした生物が生息しており、この種族を発達させる計画があるからだ。だが「エウロパ」にはロボットを使った無人の記事が存在する。
タイムトラベルはすでに可能になっている。これは、1940年代にナチスが開発した技術が基になっている。この技術を使うと簡単に若返ることができる。いまでもナチスの残党はこのテクノロジーを使って生き残っている。
私は頻繁にタイムトラベルをしたが、それは「スターゲイト」や「ワームホール」を使う方法ではなかった。動くライトボディである「マカバ」を使う方法だ。いま私は、刑務所にいながらも任務のためタイムトラベルをしている。
パラレルワールド(並行宇宙)は実在し、そこには地球のコピーが存在している。いまではこの第2地球まで行くことができ、ここに住んでいる人間をこちらの世界に連れてくることもできる。非常に危険な場所だ。そこにはあなた自身のコピーもいるが、決して触ってはならない。
- フラワーオブライフにも登場するマカバ。
六芒星の立体版でもあり、人類だれにも存在している幾何学のエネルギーシールドですが、深い自身の内部と繋がると、このマカバを発動させることができ、意識が宇宙空間や時空間を超えて自由に様々な世界を行き来できるようになると言います。
これは自分の身の回りでもマカバを使いこなす人は少なからずいて、実際にタイムトラベルや空間移動をしているので、ここで書かれていることは真実に近いものだと思います。
- またパラレルワールドについても触れていますが、今のこちらは大いなる意識が生んだロート(聖杯)から作られたマイナスの電荷の世界ですが、同じ質量を持つパラレルワールドのプラスの電荷の世界は別に存在しており、まもなくこの融合が始まることは周波数の講演会などでも伝えております。
そんな日本の天皇家のことも本著では少し取り上げています。
- レプタリアンと竜族の戦争、人類の関わり
レプタリアンと竜族は戦争状態にある。最近エボラ出血熱の世界的な流行があったが、これは竜族がレプタリアンを根絶やしにするために拡散したものだ。
ちなみに、日本の皇室は、竜族の特定の種族と関係が深い。竜族と人類は同盟関係にある。これは竜族の皇女が竜族の未来を透視したとき、人類と敵対するのではなく同盟関係になったほうが竜族にとって未来は明るいと出たためだ。
西アフリカのマリには、レプタリアンの大きな基地があったが、エボラウイルスの蔓延により完全に壊滅した。
またレプタリアンは、第二次世界大戦時のヒトラー政権、ならびに日本を支援していた。いまは「イスラム国」を支援している。レプタリアンは協定を破り、アメリカ、ニューメキシコ州デゥルセの地下にある秘密基地にまだ関わっている。また、イランにひとつ、アフリカに3つ、彼らの基地が存在する。
レプタリアンは、バチカンが会見のために用意した小さな洞窟で会っている。ここはスイス傭兵が警備している。ここに武器を持ち込むことはできない。レプタリアンは、人間を弱体化するために人間のエージェントを使っている。スイスは、なにが行われているのかよく分かっている。状況をよく理解した上でバチカンに協力している。
- 旧ソビエトは、「ツアーボムバ(爆弾の王)」と呼ばれる58メガトンの巨大な核爆弾を保有していた。これまで製造された核兵器の中では最大のものである。この核爆弾は1961年に使われたが、それは旧ソビエトと北極圏にあったエイリアンの基地を攻撃するためであった。
1945年の広島と長崎の原爆投下は、これらの都市の地下にあったレプタリアンの基地を破壊するためであった。天皇の家系は天の星からやって来ており、竜族と関係している。
日本の記紀神話ではない、一般的には偽書とも呼ばれる本物の古文書の多くには、共通して古代の天皇の姿を2.5mや3mの巨人であることが書かれており、肌は鱗もあって尻尾やツノもあり、人間というよりは竜族との混血のような姿で書かれています。
- その原点にあるのは、もちろん今自分にとってのテーマであるムーであり、その血統が今も日本には受け継がれています。原種の地球人として・・・。
この他に本著では、様々な立場の人からのリーク情報があり、それらを見ると現在飛行している円盤の多くは異星人のテクノロジーを研究した地球人による地球製の円盤であったり、他にも興味深い情報が多く掲載されています。
地球製円盤については、自分もまた元自衛隊にいた人々からもすでに米軍との合同の研究で山の麓に地下基地を作って製造していることも聞いていたので、これらの情報も極めて真実に近いものかと思います。
- いよいよ2017年以降、人類と異星人に関する様々な真実が明らかになったり、バチカンなどを支配している勢力も衰退していく方向へと進むと思いますが、その中で人類と異星人だけでなく、人類と神と呼ばれる存在の真実も少しずつ明らかになってくることでしょう。
人類を創造した存在と異星人、そして神と呼ばれる存在との関係性。
来年はそういったことがまた1つのテーマとなってくるかもしれません。