日本は津波による大きな被害をうけるだろう UFOアガルタのシャンバラ 

コンタクティやチャネラーの情報を集めています。森羅万象も!UFOは、人類の歴史が始まって以来、最も重要な現象といわれます。

その姿は猴(猿)のようで、大きく色黒で毛が長く、人のように立ち歩き、言葉をしゃべる。また神のように人の思うことを察し、誰かがこれを殺そうと思えば、先んじてその意を知って逃げ去る。(1)

 

(2024/4/24)

 

 

 

『日本怪異妖怪事典 中部』

高橋郁丸、毛利恵太、怪作戦テラ、朝里樹

笠間書院   2022/8/26

 

 

 

井戸菊の谷の狒々

・筆者命名富山県中新川郡上市町伊折の話。

『三州奇談』巻之五に「異獣似鬼」として記されている。

この猅々は風雲を起こして風の中を飛行する。よく人を引き裂いて、投げ散らかして捨てるのだという

 昔、伊折村に源助という樵がいた。彼は大力で足も速く、二、三人の友と山で猟をして獣の肉を食おうと山に入ったところ、一日のうちに猿や狸などを70匹余り、刀を使わず拳で打ち殺してきたというほどの覇気の者であった。ある時、井戸菊の谷という所に樵たちが初めて入ろうとしたら、風雲が起こって、谷に入ることができず、集まった人々が次々と投げ散らされたので、皆帰り去った。そのなかにいた作兵衛という少し気の弱い樵が、獣の気に打たれて気を失ってしまった。すると作兵衛の体が空中に掴み上げられ、腕を引っ張って引き裂かれそうになった。源助が作兵衛の来るのが遅いと怪しみ、もとの場所に戻るとその有様だったので、走り寄って作兵衛の足を掴んで引き下ろそうとした。しかし作兵衛は襟髪をくわえられているようで引き下ろせず、その様子は心魂が抜けたようにぐったりとして、口から血を大量に吐いていた。源助は大いに怒って罵り叫んだが、それでも放さなかった。作兵衛の目口から流れ続ける血で源助の体は真っ赤に染まり、寅の刻(午前三時頃)に至って遂に怪獣は去ったようで、作兵衛の体は源助の背中に落ちた。源助は作兵衛を守り、呼びかけながら夜を明かした。日の出の後、村人が谷までやってきた。作兵衛を介抱すると生気があったので、水を飲ませ食べ物を与え、山小屋で寝かせたら五、六日で本復した。

 

・この出来事の他にも、源助は度々大蛇などの怪物と遭遇したという。それについても「異獣似鬼」に記されている。

 

一眼隻脚(いちがんせききゃく)の妖怪

富山県富山市の祖父岳の話。

 布谷村(現・富山市八尾町布谷)では、祖父岳には一眼隻脚の妖怪がいると語られている。『山海経』でいうところの「独脚鬼」の類だとされている。

 祖父岳の麓には桂原という村があるが、ここに住む人が薪を採るために山に登り、この妖怪に殺された。脳を吸われたように頭頂に大きな穴を開けられて死んでいたのだという。他に山腹で炭焼きをしていた二人も殺されたが、これは投げ殺されたようであった。葦の芽が生えたぬかるみに全身傷だらけの死体が転がっており、泥にも縦横の痕跡が残されていたという。

 

婦負郡小竹村(現。富山市呉羽町)の若宮紀伊神主と思われる)の弟が18歳の時、祭礼を行って佐五兵衛という人の家に泊まったが、深夜に目覚めると背の高く髪が箕のような大きさの女がこちらを見て笑っていた。神官は身の毛がよだつほど驚いたが、心の強い男だったので「我が汝になんの害をもたらしたか。我を脅かすは汝の楽しみのためであろう。益のないことゆえ速やかに去れ」と言うと、その道理を解したのか、少しして立ち去り戻ってくることはなかったという。

 また、ある山伏が野宿している時に妖怪に遭遇し、山伏は剣で迎え撃ったが、妖怪は山伏を掴んで投げ、剣を持ち去ってしまったという。

 

越後の山人

北越奇談』では山男と呼ばれ、妙高山の山中に出没するという。樵が毛皮を作って山男に与えるなど、ほほえましい交流があったことが記されている。言葉はしゃべれないが言葉を理解し、人の心が読めてご飯好きだという。しかし、恐ろしい一面もある。また、三和村(現・上越市)の鬼新左衛門という人が、神聖な山神の祠の近くで狩猟を行っていたところ、山男に投げ飛ばされて、それがもとで寝付いて亡くなったという。柳田國男の『山の人生』では、禁じられていた妙高山の硫黄の採取をしたところ、背の高いものが小屋に入ってきて、首謀者が首をねじ切られたと記されている。この妖怪を、山人と呼ぶ人もいる

 

お手玉石・八幡切り石

新潟県糸魚川市鬼伏に鬼が棲んでいた頃、八幡神と鬼が力比べをした。鬼は五つの石でお手玉をすることにし、八幡神は大きな石を二つに割ることにした。八幡神は成功したが、鬼は失敗して負けてしまった。八幡神が割った石の半分は佐渡に飛んで行った。半分は残り、八幡切り石と呼ばれている。

 

大男

・江戸時代、高田藩領の人々は妙高山新潟県妙高市)、黒姫山新潟県糸魚川市)、焼山(新潟県糸魚川市妙高市)、新潟県から長野県に跨る戸隠、立山という山々で仕事をしていた。山仕事をしていると、山男にも時々遭遇した。高田大工の又兵衛の弟は、山道で八尺(約2.4メートル)くらいの裸の男に出会った。男は驚いたようだったが、無言で山へ去っていった。手には一羽のウサギを下げていた。

 新潟県南魚沼市の八海山では、御室、千本檜の小屋で、寒さのため夜半に薪が足りず絶えてしまった。すると、身の丈三丈(約9メートル)ほどある大男が薪や芝を与えたという。

 

犬神長者

佐渡はかつて犬神長者の持ち物だった。真野湾新潟県佐渡市)の海は彼の田地で、小木の湾は彼の苗代だった。家訓により、田植えは一日で終わらせていた。ところがある年のこと、日暮れ間際になっても田植えが終わらなかった。長者は大変怒り、鶴ヶ峰に登って軍扇で太陽を招き留めて田植えを終えた。その後、にわかに勢力が衰えて島を追われることになった。

 

異獣

異獣という名は鈴木牧之が著書『北越雪譜』のなかで命名した。人ではないが獣とも異なる、という存在だ。あるとき十日町の縮(ちぢみ)問屋から堀之内の問屋へ急ぎの荷物があり、竹助という山道に慣れた者が堀之内から山道へ入って十日町へ向かった。山中で昼食を食べていると、背の高い毛むくじゃらなものが現れて竹助の食べている飯を指さし、欲しがっているようだった。そこで飯を与えたところ、喜んで食べた。竹助が、「急ぎの使いなので行くぞ」と言うと、異獣は竹助の荷物を背負ってくれ、竹助は楽に十日町に行くことができたという。

 機織りをする女性からも握り飯をもらい、月やくで機が織れないと女性が愚痴を言うと、異獣が月やくを止めたという不思議な話も『北越雪譜』に書かれている。

 

未練坊

富山県氷見市長坂に伝わる。

 石動山登山口の血坂という所に、夜な夜な物の怪が出没し、更には日中でも石動山参拝の人々に危害を加えるようになった石動山大宮坊の別当が、武勇の誉れ高かった源伊勢之助という者に、この妖怪の退治を命じた。伊勢之助は夜に血坂で妖怪の出るのを待ち伏せ、これを斬り殺した。夜が明けると、そこには全身白毛の大猿が倒れていた。伊勢之助がこの死体を担いで帰る途中、大猿はにわかに生き返り、伊勢之助の首に嚙み付いて「俺は長年修行をして法力によって幽明界を往復する神通力を持っている。俺を殺したと思っても、俺には生も死もない。今こそお前の命を取って恨みを晴らしてやる」と語った。伊勢之助は苦しみながら「それほどの神通力を持っているものが、悪事を働くとはうなずけない。俺は長坂や光西寺(長坂にある寺院)のために、しなければならないことが多く残っている。お前がここで死んでくれて、俺を長らえさせてくれるなら、お前を我が家の守護神として子孫の代まで敬うだろう。南無石動山五社権現、我が願いを聞き給え」と言うと、大猿は再び死んでしまった。伊勢之助は大猿を手厚く葬って祠を建立し、これを成し遂げた後、この守護神のために尽くそうと生きながら大甕(おおがめ)の中に座して土葬されたという。

 

一老(いちろう)大権現

・石川県金沢市清水谷町に伝わる。

 清水谷の直乗寺(じきじょうじ)に祀られている天狗。もとは高坂町の森本川左岸の天狗壁に棲んでいたが、清水谷の長老の夢枕に現れ「清水谷の寺に行きたい」と告げたので、祀られるようになったという。集落の守護神として、様々な御利益があるとして信仰されている。

 

おうひと

・飛騨の山中に出たという。

飛騨の山中にはおうひとというものがいる。背丈九尺(約2.7メートル)ばかりで木の葉を綴って着物としていて、何かを話しても、それを聞き取れる人はいない。ある猟師が獲物を求めて山深くに分け入った時、これに会ったのだという。飛ぶように走り来て逃げることもできなかったので、何とか助かろうと持っていた握り飯を差し出すと、それを食べて非常に喜んだ。するとおうひとは狐や貉を数多く殺して持ってきた。猟師は労せず多くの獲物を得たことを喜び、それから日ごとに握り飯を持っていって獣と交換するようになった。しかし、隣に住む猟師がこれを怪しみ、密かに後を付けていって、おうひとのことを知ってしまった。鬼なのではと思った隣の猟師は鉄砲でおうひとを撃ち、撃たれたおうひとは逃げてしまった。

もとの猟師はこのことを聞いてからおうひとを探し、谷底におうひとが倒れているのを見付けたが、そばにおうひとに似たような者がいるのを見付け、撃たれた仇を自分に返しに来るかもと恐れてその場を去った。その後、撃たれたおうひとは死んでしまったという。

おうひとは恐らく大人(おおびと)に由来する命名なのだろう。

 

牛蒡種(ごぼうだね)

岐阜県吉城郡、益田郡、大野郡などに伝わる。

 憑き物筋の一つ。「飛騨の牛蒡種」によると、牛蒡種という家筋は大野郡や吉城郡、益田郡などに散在している。この家筋の人は男女を問わず不思議な力を有し、家筋外の人に対して憎いとか嫌いと思って睨むと、相手は病気になったりするとされた。

 

神大王 波平行安(なみひらゆきやす)

石川県鳳至郡剱地村(現・輪島市門前町)に伝わる

 昔、この村にどこから来たとも知れない若い男が来て、入婿となった。男は刀鍛冶を得意としていたが、その作業をするところを決して人に見せなかった。妻は不思議に思い、ある時隙間から男の作業場を覗き込んだ。すると男は鬼の姿となり、口から炎を吹き出し、鉄を伸ばしていた。男はこの有様を妻に見られたことを恥じて、自身が打った数百の刀を持って波の上を走り去っていった。男は妻と別れる時、一振りの刀を投げ与えていったが、その刀には「鬼神大波平行安」という銘があったという

 

ガンノコウ

・石川県鳳至郡柳田村(現・鳳珠郡能登町柳田)の周辺に伝わる。

 『石川県鳳至郡誌』には以下のように記されている。

柳田村の五十里から十郎原に行く道に沿うように小川がある。ここの淵に大蟹が住み、夜中になると小童に化けて通る人を苦しめていたしかし、この地を訪れた弘法大師が、この大蟹を神として祭り、人々の憂いをなくそうとした。これを聞いた十郎原の神明明神が弘法大師に協力し、明神の被っていた烏帽子を大蟹に被せ、これを諭して川の中の龍淵に埋めた。大蟹は烏帽子とともに石になり、そこの谷は和郎ヶ谷(和郎は童男の意)と呼ばれるようになった。

 

猿鬼(さるおに)

・石川県鳳至郡柳田村(現・鳳珠郡能都町)に伝わる。

 柳田村当目(とうめ)の岩窟には、昔、猿鬼という怪物が棲み着き、乱暴を働いていた。そこで八百万の神が相談し、能登国一の宮である気多大明神(羽咋市気多大社)と三井の神杉姫(かんすぎひめ)(輪島市三井の大幡神杉伊豆牟比咩(おおはたかむすぎいずむひめ)神社)に神軍を任せ、猿鬼征伐に乗り出した。神杉姫が筒矢で猿鬼の目を射て、逃げる猿鬼の首を鬼切丸で斬り落として退治した。猿鬼を祀った所が岩井戸神社であり、猿鬼の目に矢が当たった所を当目、猿鬼の流した黒い血が川のようになった所を黒川、猿鬼が射られた目をオオバコの葉で洗った所を大箱と名付けたという。

 別の伝説では、当目の岩窟に猿鬼と呼ばれる老狒が住み、18鬼の郎党を従えていたとしている。猿鬼たちは里の少女をさらい、田畑を荒らしたので、垂仁天皇が石衝別王(いわつくわたけのみこと)を遣わして退治させたのだという。

 

しゅけん

石川県七尾市の山王社(現在の大地主(おおとこぬし)神社)の話。

 昔、七尾の山王社では、毎年、見目好い娘を人身御供に捧げていた。ある年に、白羽の矢がある家の一人娘に立ち、父は何とか救う道はないかと夜に山王社の社殿に忍び入った。丑三つ時に様子をうかがうと「若い娘を取り食らう祭りの日も近付いてきたが、越後のしゅけんは我がここにいるとは知るまい」と呟く声がした。父は喜んでしゅけんの助けを得ようと越後を尋ね歩いたが、手がかりは得られなかった。しかし、山の中にしゅけんと呼ばれるものがいると聞き、向かってみると全身真っ白な一匹の狼が現れ「このしゅけんに何用か」と問うてきた。父が事の次第を語って娘の命を救いたまえと願うとしゅけんはうなずいて「久しく以前、外の国から三匹の猿神が渡ってきて人々を害するようになった。我はそのうち二匹を噛み殺し、残る一匹は行方をくらませていたが、能登の地に隠れているとは思わなかった。行って退治してくれる」と言って、父とともに海の上を駆けて七尾に戻った。しゅけんは娘の身代わりとして唐櫃(からびつ)に潜み、暴風雨の夜に神前に供えられた。翌日に人々が様子を見に集まると、年経た大猿が血に染まっって倒れていたが、しゅけんもまた死んでいた。人々はしゅけんを手厚く葬り、後難を恐れて人身御供の形代(かたしろ)として、三匹の猿にちなんで三台の山車を山王社に奉納した。「車が人を食う」という魚町の山車は、この山王社の猿から来ているのだという(青柏祭の山車のことと思われるが、詳細は不明)

 

そうはちばん

・ちゅうはちゅぼんとも。石川県鹿島郡中能登町の眉丈山(びじょうざん)の話。

 秋の日暮れから夜になろうとする時間に、眉丈山中腹から怪火が出て、東から西へと移り行くのだという。そうはちぼんは羽坂の六所の宮から現れ、一宮の六万坊へと向かおうとする。昔、そうはちぼんは一の宮権現に人を餌食にしたいと願い出た。すると権現は鶏が鳴く前に来れば人をやろうと約束した。それから毎夜、そうはちぼんは人を喰おうと現れ、八つ時頃に良川の山を過ぎ、金丸の辺りでまごつき、柳田の辺りで鶏の鳴き声を聴いて仕方なく六所の宮に引き返すようになった。この鶏は権現が鳴かせるのだという。

西照寺の住職が若い頃に見たという話も記されている。住職が寺に帰ろうと眉丈山の中腹に差しかかると、大きな高張提灯のような明るいものが現れ、山の背から谷に向かって真一文字に緩々と進んでいくのを見たのだという

 

九万坊(くまんぼう)

・石川県金沢市の各地に伝わる。

 もともと、黒壁山や満願寺などの金沢市の山地一帯は魔所として恐れられていた。ここにいる魔の正体は天狗とされ、それを祀る祠などがあったが、明治初期に淫祠(いんし)として破却された。この信仰が復活したのは明治35年(1902)とされ、この頃に九万坊天狗の名が使われるようになった。松本米二郎という者が黒壁山で祈願中に、九万坊・八万坊・照若坊という三権現が現れたので、これを薬王寺の本尊として安置した。以降、金沢市のあちこちの寺院で祀られるようになった。

 

鞍馬の天狗

・石川県松任市成町(現・白山市成町)に伝わる。

 出城村の成(なり)に村山という家があり、その祖先は円八という者だった。ある夜に円八は天狗にさらわれてしまったが、数年後に飄然と帰ってきて、天狗の秘伝であるとしてあんころ餅を作り始めたという。

 

・『昔話伝説研究』二号の「加賀・能登の天狗伝説考」には、実地採訪による別話が紹介されている。ある日、円八は家の庭に柏の木を植え、その翌日の元文二年(1737)6月17日に天狗にさらわれた。そしてある夜、女房の夢に現れ「今は鞍馬の天狗のもとで修行をしているが、妻子に心を惹かれては妨げとなるので、夫婦の縁を切りに来た。ついては生計の手段としてあんころ餅の製法を伝授しよう」と伝えたのだという。それから6月17日を円八の命日とし、天狗を信仰するようになった。円八の遺物を納めた土蔵からは、時々太鼓や鈴の音がしたのだという大正11年(1922)

に家の娘が病死した時、母屋に連接する祠堂を建て、円八の遺物や天狗の眷属を祀って円八坊大権現あるいは天狗堂と呼ぶようになったという。

 

ちっきんかぶり

・石川県七尾市能登島えの目町、八ヶ崎町に伝わる。

 昔、鰀目(えのめ)と八ヶ崎の間を「どうの川」という小川が流れていた。ここにちっきんかぶりという怪物が棲み、村民を害していた。小屋の谷に住む與助、惣佐衛門の二人が、村民のために苦労してこの怪物を斬り殺した。二人は「小屋もの(賤民への呼称の一つ)」だったが、この功により村に住むのを許されたのだという。この怪物を埋めた所を「どんだ」と呼び、松を植えて記念とした。また「與助、惣佐衛門の抜いた刀 鞘は竹でも身は本物や」という俚謡(りよう)も歌われたという。

 

鍋太郎

・石川県能美郡国府村(現・能美市)に伝わる。

 鍋谷の上の村に、世瀬という旧家があった。この家にはいつの頃からか、鍋太郎という姿を現さない若者が住み着くようになった。夜に囲炉裏を囲んで四方山話をする時、鍋太郎は横座に座って世間話や御上の法度、昔からの言い伝えなど何でも話し、日中は水汲みや米搗き、肥桶運びなどを飯も食わずに自分からよく働いた。姿が見えないので手桶や肥桶が宙を飛ぶように見え、米搗きでは杵が上下に動いてみるみる米が白くなっていった。

 

明神壁(みょうじんかべ)

・石川県石川郡鳥越村(現・白山市)に伝わる。

 岩原に明神壁というものがある。明国から日本に来た人が、非常にもののできる人だったので神様として祀られた。

 

メーシリ

・石川県羽咋郡高浜町(現・羽咋郡志賀町高浜町)に伝わる。

 夏の頃、川で子供が溺死するのはメーシリにダッコ(はらわた)を抜かれるからだという。河童のことをメーシリあるいはミズシといい、胡瓜を先に川に投げ入れてから水浴びをすればメーシリに取られない。逆に胡瓜を食べてから水浴びをするとメーシリにダッコを抜かれて死ぬとして禁忌にされている。

 

・末吉村(現・羽咋郡志賀町末吉)にはメーシリから伝授された疳の薬を売っている家がある。この家の先祖が馬を連れて草刈りに行った時、川で水を飲んでいた馬をメーシリが生け捕りしようとした。メーシリは馬の手綱を自分の体に巻き付けて水中に飛び込んだが、馬が驚いて跳ね返り、メーシリを家まで引っ張ってしまった。家の主人はこのメーシリを捕まえたが、メーシリが泣いて命乞いをし、助けてくれたら疳の妙楽の処方を教えると言うので、助けてやった。以来、その家では疳の薬を売っているのだという。

 

物貸石(ものかしいし)

・石川県鹿島郡高階村池崎(現・七尾市池崎町)に伝わる。

 池崎から直津に行く途中に、横打ちと呼ばれる畑地がある。ここに昔は大きな石があり、物貸しの神様とされていた。村人がこの石に必要な品を頼めば、膳椀や金銭を貸し与えてくれた。しかし、天正年間(1573~92)に石動山の僧侶が来て様々な品を借りたが、返すことはしなかった。すると物貸しの神様は怒って誰にも品を貸さないようになったのだという。

 

四人の巨人

・石川県鳳至郡七浦村薄野(すすきの)(現・輪島市門前町薄野)に伝わる。

 薄野に住むある老翁は、皆月から酔っ払って帰ってくることを常としていた。ある夜、市ノ坂の付近で四人の巨人に捕まえられ、三度地面に投げ付けられ、これからは夜に出歩かないと誓わされ、やっと解放されたという。その時、巨人の一人が煙草を吸おうと火打ち石を打ったが、その火花の長さは三尺(約90センチ)もあったのだという。

 

家狐

山梨県北都留郡上野原町棡原(ゆずりはら)(現・上野原市)に伝わる。

 昔、話者が奉公に行った家で絶対に奥座敷には入ってはいけないと言われた。夜中になると奥座敷からカタカタと音がして、オカタサン(御方様)が一日に一度食べ物を運んでいた。これはイエギツネは家に憑いていたのだという。人の目には見えないが、鼠くらいの大きさなのだという。

 また、家が貧しくなった時にはイエギツネが米を毛の間に挟んで運んでくる。商人が麦などを買いに来ると、秤の上に乗って目方を重くするので、得をしてどんどん金持ちになる。しかし正当に儲けたわけではないので、争いごとや不幸などで次第に衰えてしまうのだという。

 

また、イエギツネは憑いている家の人が憎らしいと思う人の所へ飛んで行って生き血を吸う。生き血を吸われた人は病気になったり死んだりする。ある人が病気になったので祈祷師に見てもらうと、イエギツネに憑かれていることで、秩父の三峰山(埼玉県の三峯神社)に行って、お札をもらって祈禱をした。すると丑三つ時にダイジンサマ(大神様、三峯神社で祀られている御犬様)とイエギツネが縁の下で争い、イエギツネは退治された。それによって病気は癒え、病人の着物の袂からキツネの毛が三本出てきたのだという。

 

頼光の狒々退治

甲賀山(現・高賀山)に大きな猅々が棲んでいた。これを退治しようと源頼光が岸見神社に七日七夜参籠して出発した。その際、一羽の雉が飛んで行き、猅々の様子を頼光に報告したという。岸見神社とは雉見神社のことであり、この雉を祭るともいう。

 

シャグマ

静岡県周智郡の常光寺山(静岡県浜松市天竜区水窪町の山)などに伝わる。

常光寺山の中で、シャグマという怪物が捕らえられたことがある。顔が赤く、頭は毛深く、人に似ているが人ではなく狒々のようなものだったという。また、常光寺山の南西にある竜頭山にも、時折シャグマが現れた。ある時、水窪に住む狩人の親子三人が竜頭山に入り、それらしき怪物に出会った。顔の色は赤黒いが判然とせず、頭に長髪が生え、首筋から背にかけては蓑を着ているかのような毛が生えていた。三人の行く手にしばらく立っていた。

 

肉人

・神祖(徳川家康)が駿河にいた時の話。ある日の朝、城の庭に小児のような形をした、肉人とでも呼ぶべきものがあった。手はあるが指はなく、指のない手で上を指して立っていた。見た人は驚き、変化のものだろうかと騒いだが、どうしたらよいかわからなかったので、家康公の判断を仰いだ。すると「人の目に付かない所に追い出せ」と命じたので、城から遠い小山の方に追いやってしまった。

 

真っ白な鬼

福井県丹生郡大虫村(現・越前市大虫村)に伝わる。

 丹生ヶ岳にいつの頃からか山中に真っ白な雌の鬼が棲むようになった。鬼は人里へ来ては農作物を荒らし、婦女子をさらうなどして人々を困らせた。ある年の二月二日に里に来た鬼を見た若者たちが、今日こそは捕まえてやろうと村中総出で狩り立てた。鬼はあちこちを逃げ回ったが、とうとう日野川のほとりで退治されたので、ここには白鬼女橋が架けられ、丹生ヶ岳は鬼ヶ岳と呼ばれるようになったという。大虫村では三月二日(旧暦の二月二日)には鬼神祭をするようになった。

 

夜叉丸(やしゃまる)

福井県今立郡中河村(現・鯖江市)に伝わる。

 後小松院の御代の頃、春から全く雨が降らない時期が続いた。長者は人々が悲しむのを見かねて「どんな人でも雨を降らせることができたら、我が愛娘を嫁として遣わせましょう」という高札を作って掲げた。

 すると、どこからともなく夜叉丸と名乗る一人の美男子が現れ、高札の約束を守るなら雨を降らせようと話したので、長者は訝しみながらも喜んで誓いを立てた。夜叉丸が立ち去ったかと思うと、たちまち風とともに雨が降り出し、草木や田畑も潤った。その後、夜叉丸が再び現れて娘を求め、長者の娘のうち妹の方が稼ぐこととなった。娘は母に一束の針を求め、これを守り袋に入れて夜叉丸の棲む所へと去っていった。夜叉丸の立派な屋敷は湯尾峠を越えた先の山深くにあり、二人は夫婦の契りを結んで一年ほど暮らした。しかし夜叉丸は具合が優れず、妻に対して「私は貴女と同棲を始めてから体調が良くない。私たちは相性が良くないようなので、これから貴女と縁を絶ち、親元に帰そうと思う」と語った。妻はこの時身重だったが、とにかく生家と相談しようと使者を向かわせると、家は家運が傾き別の場所に移り住んだようだった。そこでその場所を探して訪ねてゆくと、外の世界は既に100年近く時が経ち、家も何度も代替わりをしていることがわかった

 

向原の天狗さん

・筆者命名山梨県富士吉田市向原に伝わる。

 天狗さんと呼ばれる人がいた。母親の手だけで育てられた子供だったが、ある日急にいなくなってから、立派な青年になって帰ってきた。帰ってきてから人にはできないようなことをやるようになったという

 

・また、この天狗さんが夕方に山の畑から帰ってきた時、母親に「今、京都が焼けているからちょっと行ってくる」と出かけた。母親は弁当を持たせようと外へ追いかけたが、もう姿は見えなくなっていた。その翌日には帰ってきて、京都の大火事が御所にまで迫っていたので、御所の中から天皇の御所車を一人で引き出して助けたと語った。天皇から感状をもらってきたといって、菊の御紋が付いた黒漆塗りの箱を持ってきたという

 

おまん

・長野県上水内郡戸隠村(現・長野市)に伝わる。

 戸隠山の鬼女紅葉に仕えた女の鬼。山の獣を素手で打ち殺す怪力と、一晩に120キロも走る健脚を持っていた。紅葉征伐の時も奮戦したが、一人落ち延びて戸隠山の麓に逃げた。

 

ガラン様

・長野県下伊那郡阿南町伊豆神社に伝わる。

 ガラン様(伽藍様)は伊豆権現がこの土地に来る前から祀られていた地主神で、力の強い恐ろしい神だという。大国主命だという人もいて、伊豆神社奥の院に祀られているともいう。

 

鬼女紅葉(きじょもみじ)

・長野県長野市戸隠と鬼無里に跨る荒倉山を中心とした地域を舞台とした話。

 荒倉山には紅葉伝説のものとされる史跡が多く残されているが、もともとは謡曲「紅葉狩」として記された物語である。信濃国戸隠山に鹿狩りへとやってきた平維茂(たいらのこれもち)一行は、山で紅葉を愛でていた高貴な美女と出会い、ともに宴を催した。美女に心を許した維茂は酒に酔って寝てしまったが、その夢のなかで八幡大菩薩の眷属から神託を受ける。美女と思っていたものは実は戸隠山の鬼神であったので、維茂は神託とともに授かった神剣によって、鬼女と戦って見事に退治したのだった。

 

魔道王

・長野県安曇野穂高町(現・安曇野市穂高)の伝説。

 昔、安曇平(松本盆地)は一面の海であったが、長者の子・泉小太郎と犀(犀龍)(さいりゅう)によって、水が流れ去って肥沃な平地となった。人々はこの平地に移り住んだが、中房山に棲む魔道王という鬼神が現れ、里を荒らすようになった。魔道王は妖術を用いて姿を消したり雲を呼んで雷雨を降らせたりしたので、小太郎も手を焼いていた。ある時、有後の姫という娘が、魔道王から人々を守るため全国を回る千日行を始めた。そして京都にたどり着いた時、帝に仕える雨宮殿という将軍と二人で退治に乗り出した。二人の武将と小太郎が率いる軍勢は、魔道王の軍勢と木曽川で戦い、諸神諸仏の加護もあって魔道王を討ち果たすことができた。この功があって雨宮殿は信濃を治める国司となり、小太郎は川会(かわあい)明神として祀られるようになったという。

 

黒ん坊

岐阜県本巣郡根尾村(現・本巣市根尾)に出たという。『享和雑記』巻之二に記されている。

 美濃国の大垣から北へ10里(約40キロ)ほど行くと、外山という所がある。ここから山に入って3里(約12キロ)の難所を超えると、根尾という所に着く。ここに善兵衛という樵がいて、山奥に入って木を伐り出す仕事を数十年続けていた。この善兵衛に懐き、黒ん坊と名付けられたものがいた。その姿は猴(猿)のようで、大きく色黒で毛が長く、人のように立ち歩き、言葉をしゃべる。また神のように人の思うことを察し、誰かがこれを殺そうと思えば、先んじてその意を知って逃げ去るので、捕まることはなかった。善兵衛が山に入れば黒ん坊が現れて仕事を手伝い、大いに助けとなるが害をなすことはなく、そのうちに善兵衛が家へと連れ帰って働かせるようなことが度々あった。

 その頃、この辺りには30歳ほどの後家の女が住んでいた。女は再婚をせず一人暮らしをしていたが、ある夜更けに何者かが家を訪ねて契ろうとしてきた。女は怖がってこのことを人々に話し、夜の番をしてもらった。しかし夜に誰かが番をしている時はその者は現れず、女が一人でいる夜には決まってやってきたので、困り果てた女は家に昔から伝わる観音像に一心に祈った。すると夢の中で「人に頼っては去りがたい、心を定めて決断せよ」と告げられた。その日の夜、またその者は現れたが、非常に怒った様子で「我が意に背くなら、お前が大切にしている観音像を壊して捨ててやる」と仏壇から観音像を引っ張り出した。そこで女は用意していた鎌でその者に斬り付けたので、その者は大いに狼狽して逃げ出した。その後、人々が集まって残された血の跡をたどっていくと、善兵衛の家の縁の下へと続いており、そこから山の方へと逃げ出した様子であった。この出来事から後、黒ん坊が来ることはなくなったので、これの仕業だとわかったのだという。

 この黒ん坊については、『本草綱目』などにも記された玃(やまこ)の類いだろうとしている玃には雄しかおらず、人の婦女に接して子を産ませる生き物であると記されている

 

高賀山の妖魔

岐阜県武儀郡洞戸村(現・関市洞戸)の高賀神社を中心とした高賀山に伝わる縁起及び伝説。

 

60代後醍醐天皇が在位した延長年間(923~931)の頃、高賀山の艮の嶽に妖魔が棲み着いた。その姿は牛に似て、鳴き声も牛のような恐ろしい獣で、これを恐れた人々は山中に入ることもなくなった。ある時は黒雲に乗って近江国まで行って様々な害をなし、また6月に雪を降らせるなどもした。人々の苦しみを聞いた朝廷は承平3年(933)に、藤原高光に命じて妖魔の討伐に向かわせた。高光の軍勢は山中を探し回ったが妖魔を見付けられなかったので、高賀神社に参拝して祈願した。

 すると東の大谷に妖魔がいると神のお告げを受けたので、軍勢を連れてそこに向かうと、翁の姿をした善貴星という神から粥を授かった。その後、高光が妖魔を見付け出すと、妖魔は一丈(約3メートル)余りの大きさの、髪の毛赤く牛角を生やし、紅の口に金色の両眼という鬼人の姿となって戦った。高光と軍勢は何とかこの妖魔を討伐し、高賀神社を再建し善貴星を神として祀った。

 

カワランベ

岐阜県加茂郡太田町(現・美濃加茂市太田町)に伝わる。

 太田町付近では、河童をカワランベと称する。ドチ(スッポンのこと)に似た動物で、頭に皿型の髪の毛を残した12、3歳くらいの童子に化けて人家に来る。そして子供を誘い出して川で一緒に泳ぎ、「尻のこ」を引き取って水死させるのだという。子供が水死した時、肛門が大きく広がっているのは尻のこを取られたからだとされた。

 

小牧山吉五郎

小牧山に棲む、狐の親分の名である

 ただ、この吉五郎狐には、地元で実際に語られてきた「伝説上の狐」としての側面と、その「地元に伝わる話」をもとに描かれ創作物語『伝説老狐小牧山吉五郎』の主人公としての二つの側面がある。そして、物語から地元の伝承へ、逆輸入された節も見受けられる。

 まず、小説である『伝説老狐小牧山吉五郎』について紹介する。

 作者は郷土史家の津田応助。昭和6年(1931)に刊行されている。江戸時代に書かれた書物と地元の話を脚色して書いたというが、書物の実在は疑わしい。内容を要約して紹介する。

 小牧山には大昔から小牧山吉五郎という妖狐が棲んでおり、尾張一円の狐の親分であった。

 付近の山中藪の美男狐、藤九郎と御林山の美人狐お梅は恋仲であったが、吉五郎は難癖を付けて寝取り、藤九郎は吉五郎の弟分になる

 しばらくは平穏な暮らしが続いたが、吉五郎が、子分の娘お初を愛人に迎えると、お梅は藤九郎と吉五郎の毒殺を企む。しかし木葉天狗に聞かれたことで露見してしまう。激怒した吉五郎は手近にいた子分を連れてお梅を襲ったが、藤九郎一家が待ち構えており、吉五郎はお梅に背中を斬られて逃げ帰る。一旦は吉五郎の襲撃を撃退したものの、勝ち目のないお梅、藤九郎は南に逃げていった。

 その後、吉五郎はお初と正式に夫婦になり、4匹の子をもうけて明治まで暮らすが、猟師に撃たれて吉五郎は剝製にされてしまう。剥製を取り戻そうとしたお初と2人の子も罠にかかって死に、残りの2匹の子は、今でも小牧山で栄えているという。

 

小牧市観光協会が作成したリーフレット「小牧のむかしむかし 吉五郎伝説」にも、「このマップは、その著(『伝説老狐小牧山吉五郎』)からと、現在の古老たちに取材したもの(約50余話)から、代表的『きちごろう狐』話を選び……」とあり、地元に根差した吉五郎話も多いことがわかる。しかし、狐の大親分イメージとしての吉五郎は『伝説老狐小牧山吉五郎』で形作られたといってよいだろう。

 

猿丸(さるまる)

岐阜県大野郡荘川村猿丸(現・高山市荘川町猿丸)の話。

 昔、諸国行脚の僧が飛騨国の深山に分け入って迷っていると、近くの滝の裏から母親と子供の二人連れが出てきた驚いた僧が二人に人家のある所を尋ねると、滝の裏からつながる隠れ里へと案内された。僧は母子の家に招かれてもてなされ、しばらくそこに逗留することにした。ある時、里の村祭りの時期となり、山神に捧げる生贄にその家の娘が選ばれた。家族は嘆き悲しんだが、僧は正しき神ではないと考え、娘の身代わりを買って出た。祭りの日、僧は生贄として山駕籠に乗せられて神殿に捧げられた。夜更けになると神殿から怪しいものが現れて山駕籠に手をかけようとしたので、僧は飛び出して持っていた刀で斬り付けた。逃げ出した山神を取り押さえてみると、その正体は大猿であった。捕らえた大猿を見せると、里の者たちは「これは猿丸といって、人家につないで人が玩弄していたものだ。このようなものに長く生贄を捧げていたのは愚かであった」と語った。僧たちは猿を殺そうとしたが、猿が泣き叫ぶのを見て憐れに思い、杖で打ち据えてから解き放ってやった。その後僧は娘の婿として迎えられ、名を式部と改めて里に住むようになったのだという。

 

猩々岩

昔、定光寺山(愛知県瀬戸市)に棲む猩々と、外之原の川平山(春日井市)に棲む天狗が大喧嘩をした。猩々は天狗に刺され、岩の上を飛び回って逃げたが、力尽きて死んだ。

 

・もとは赤い色の岩から命名されたのではと思われるが、猩々が登場する話は愛知県内では珍しい。「お話」としてではないが、「猩々の大人形」は県内各地の祭りに登場する定光寺山と外之原は、庄内川を挟んで東西の位置にあり、猩々岩のある鹿乗橋付近は、やや南ではあるが、中間地点に位置すると言える。

 猩々が棲んでいたとされる定光寺山は、行政上は瀬戸市に属する

 

座敷小僧

・いわゆる「ザシキワラシ」といえば、東北地方を中心に知られる妖怪である。一般の知名度も高い。しかし、実は東北地方以外にも似た話は散見され、愛知にも座敷小僧と呼ばれる存在について記録が残る

 北設楽郡本郷村(現・東栄町)にあったキンシ(金鵄?)という酒醸造家の奥座敷には座敷小僧が住んでいたという。雇人が夕方に雨戸を閉めに行く時などに見かけたといい、10歳くらいの子供であったという。キンシ家は、没落して今はないという。

 

五十八(いかばち)の鬼女

福井県三方郡西田村(現。三方上中郡若狭町)に伝わる。

 海山区の小字・五十八の奥の森林に、中が空洞になった巨木があり、そこを鬼女が住処としていた。鬼女は時々村落に現れて衣類食物などを奪い、更には外で遊ぶ子供をさらって餌食にするなどしたので、人々はとても苦しめられていた。鬼女は体も長大で猛獣のように獰猛だったので抵抗することもできなかったが、安太夫という男は武術の心得もあって、この鬼女を退治しようと考えた。太夫八幡大菩薩に祈願し、甲冑に大小刀、長柄の鎌槍や鉄製のカンジキを用意し、雪深い時期に鬼退治へと向かった。大小の洞穴で六尺(約1.8メートル)余りの巨体、髪を振り乱し、凹状の顔に口は裂け、爛々と輝く眼光の鬼女と相対したが、積もった雪で思うように動けない鬼女を追い詰め、遂にこれを殺したのだという。

 

八百比丘尼(やおびくに)

福井県遠敷郡(おにゆうぐん)小浜町(現・小浜市)の伝説。全国各地に類似の伝説があるが、ここでは小浜男山の空印寺に伝わる話を紹介する

 空印寺の境内には、入り口の高さ一丈四、五尺、幅一丈、奥行き十四、五間の洞窟がある。昔、小浜の浜に道満という漁夫がいて、一人娘とともに暮らしていた。ある日、娘は海岸に流れ着いた奇妙な魚を拾い、それを焼いて食べてしまった。これは人魚という魚で、その肉を食べた者は決して年を取らないという不思議な効き目があった。そのため、娘はいつまでも年を取らず、若い綺麗な娘のままとなった。周りの人々が皆年を取って死んでいったが、人魚を食べた娘だけはそのままで生き続けたので、次第にいきているのが退屈になり、ある日近所の人々を集めて「私は生きているのに飽きたので、尼になって洞窟に入り、読経の行を始める。洞窟の入り口に植えた椿の木が花を咲かせる間は、私はまだ生きていると思ってほしい」と言い残して洞窟に籠ってしまった。そこからこの町では娘、八百比丘尼の姿を見たものはなく、ただ洞窟の奥から鐘を叩く音だけが聞こえるようになったという。

 

 

(2018/12/18)

 

 

 

『中国の鬼神』

著 實吉達郎 、画 不二本蒼生  新紀元社 2005/10

 

 

 

玃猿(かくえん)

人間に子を生ませる妖猿

その中で玃猿(かくえん)は、人を、ことに女性をかどわかして行っては犯す、淫なるものとされている。『抱朴子』の著者・葛洪は、み猴が八百年生きると猨(えん)になり、猨が五百年生きると玃(かく)となる、と述べている。人が化して玃(かく)になることもあるというから、普通の山猿が年取って化けただけの妖猿(ばけざる)よりも位格が高いわけである。

 古くは漢の焦延寿の愛妾を盗んでいった玃猿の話がある。洪邁の『夷堅志』には、邵武の谷川の渡しで人間の男に変じて、人を背負って渡す玃猿というのが語られる。

 玃猿が非常に特徴的なのは、人間の女をさらう目的が「子を生ませる」ことにあるらしいこと、生めば母子もろともその家まで返してくれることである。その人、“サルのハーフ”はたいてい楊(よう)という姓になる。今、蜀の西南地方に楊という人が多いのは、みな玃猿の子孫だからである、と『捜神記』に書かれている。もし、さらわれて玃猿の女房にされてしまっても、子供を生まないと人間世界へ返してはもらえない。玃猿は人間世界に自分たちの子孫を残すことを望んでいるらしい。

 

<蜃(しん)>

<蜃気楼を起こす元凶>

・町や城の一つや二つは、雑作なくその腹の中へ入ってしまう超大物怪物だそうである。一説に蛤のでかい奴だともいい、龍ともカメともつかない怪物であるともいう。

 日本では魚津の蜃気楼が有名だが、中国では山にあらわれる蜃気楼を山市。海上にあらわれる蜃気楼を海市と称する。日本の近江八景のように、中国にも淄邑(しゆう)八景というのがある。その中に煥山(かんざん)山市というのがあると蒲松齢(ほしょうれい)はいっている。

 その煥山では何年かに一回、塔が見え、数十の宮殿があらわれる。6~7里も連なる城と町がありありと見えるのだそうである。ほかに鬼市(きし)(亡者の町)というのが見えることもあると蒲松齢が恐いことを言っている。

 『後西遊記』には、三蔵法師に相当する大顛法師半偈(たいてんほうしはんげ)の一行が旅の途中、城楼あり宝閣ありのたいへんにぎやかな市街にさしかかる。ところが、それが蜃気楼で、気がついてみると一行は蜃の腹の中にいた、という奇想天外な条がある。それによれば、途方もなく大きな蜃が時々、気を吐く。それが蜃気楼となる。その時あらわれる城や町は、以前、蜃が気を吐いては吸い込んでしまった城や町の幻影だ、というのである。

 

夜叉(やしゃ) 自然の精霊といわれるインド三大鬼神の一つ

・元来インドの鬼神でヤクシャ、ヤッカ、女性ならヤクシニーといい、薬叉とも書かれる。アスラ(阿修羅)、ラークシャサ(羅刹)と並んで、インドの三大鬼神といってもよい。夜叉はその三大鬼神の中でも最も起源が古く、もとはインドの原始時代の“自然の精霊”といっていい存在だった。それがアーリヤ民族がインドに入って来てから、悪鬼とされるようになった。さらに後世、大乗仏教が興ってから、夜叉には善夜叉(法行夜叉)、悪夜叉(非法行夜叉)の二種があるとされるようになった。

 大乗教徒はブッダを奉ずるだけでなく、夜叉や羅刹からシヴァ大神にいたるまでなんでもかんでも引っぱり込んで護法神にしたからである。ブッダにしたがい、護法の役を務める夜叉族は法行夜叉。いぜんとして敵対する者は非法行夜叉というわけである。

 

夜叉は一般に羅刹と同じく、自在に空を飛ぶことが出来る。これを飛天夜叉といって、それが女夜叉ヤクシニーであると、あっちこっちで男と交わり、食い殺したり、疫病を流行らせたりするので、天の神々がそれらを捕えて処罰するらしい。

 

・安成三郎はその著『怪力乱神』の中に、善夜叉だがまあ平凡な男と思われる者と結婚した娘という奇話を書いている。汝州の農民王氏の娘が夜叉にさらわれてゆくのだが、彼女を引っかかえて空中を飛ぶ時は、「炎の赤髪、藍色の肌、耳は突き立ち、牙を咬み出している」のだが、地上に下り、王氏の娘の前にいる時は人間の男になる。

 

・人の姿をして町の中を歩いていることもあるが、人にはその夜叉の姿は見えないのだという。

 

王氏の娘は、約束通り2年後に、汝州の生家に帰された。庭にボヤーッと突っ立っていたそうだ。この種の奇談には、きっと娘がその異形の者の子を宿したかどうか、生家へ帰ってから別の男に再嫁したかどうかが語られるのが普通だが、安成三郎はそこまで語っておられぬ。『封神演義』に姿を見せる怪物、一気仙馬元は夜叉か羅刹だと考えられる。

 

・『聊斎志異』には「夜叉国」なる一篇がある。夜叉の国へ、広州の除という男が漂着すると、そこに住む夜叉たちは怪貌醜悪だが、骨や玉の首輪をしている。野獣の肉を裂いて生で食うことしか知らず、徐がその肉を煮て、料理して食べることを教えると大喜びするという、野蛮だが正直善良な種族のように描写される。玉の首環を夜叉らが分けてくれ、夜叉の仲間として扱い、その頭目の夜叉にも引きあわせる。徐はその地で一頭の牝夜叉を娶って二人の子を生ませるというふうに、こういう話でも決して怪奇な異郷冒険談にならないところが中国である。

 夜叉女房と二人の子を連れて故郷へ帰ると、二人の子は何しろ夜叉の血を引いているのだから、強いのなんの、まもなく起こった戦で功名を立て、軍人として出世する。その時は除夫人である牝夜叉も一緒に従軍したそうだから、敵味方とも、さぞ驚動したことだろう。その子たちは、父の除に似て生まれたと見えて、人間らしい姿形をしていたようである。

 

羅刹(らせつ)  獣の牙、鷹の爪を持つ地獄の鬼

インドの鬼神、ラークシャサ。女性ならラークシャシー。夜叉、阿修羅と並んで、インド原産の三大鬼神とされる。阿修羅は主として神々に敵対し、羅刹は主に人類に敵対する。みな漢字の名前で通用することでも明らかなように、中、韓、日各国にも仏教とともに流入し、それぞれの国にある伝説、物語の中に根づいている。

 日本でも、「人間とは思えない」ような凶行非行を働く時、「この世ながらの夜叉羅刹……」と形容する。悪いことをすると死後地獄へゆくとされ、そこにたくさんの鬼がいて亡者をさんざん懲らしめるというが、その“地獄の鬼”こそ阿旁房羅刹と呼ばれる羅刹なのだ。

『焔魔天曼荼羅』によると十八将官、八万獄卒とあって、八万人の鬼卒を十八人の将校が率いていて、盛んにその恐るべき業務を行なっているという。日本、中国の地獄に牛鬼、馬鬼と呼ばれる鬼たちがいると伝えられるもの、みな羅刹なのだ。

 中国の『文献通考』によれば、羅刹鬼は「醜陋で、朱い髪、黒い顔、獣の牙、鷹の爪」を持っているという。『聊斎志異』には「羅刹海市」という一篇があり、どこかの海上に羅刹の国があることになっている。そこでは、われわれのいう“醜い”ということが“美しい”に相当し、“臭い”ということが、“いい匂い”に相当する。

 中国人を見ると逆に「妖物だ」といって逃げる。そこには都もあり、王もいるのだが、身分が高いほど醜悪であった。国は中国から東へ二万六千里離れている。神々や鮫人(こうじん)たちと交易していて、金帛異宝の類を取り引きしていた。

 この「羅刹海市」では他国から来た者を、即座に取って食うようなことはしないようであるが、中国の内外に来ている(?)羅刹はもちろん人さえ見れば取って食らう。『聶小倩』という小説によると、羅刹は長寿だが、やはり死ぬこともあり、骨を残すこともあるらしい。ところがその骨の一片だけでも、そばにおいていると心肝が切り取られ死んでしまう。また、羅刹も夜叉もそうだが、男性は醜怪だが女性は妖艶な美女と決まっていて、その美色を用いて人間の男を誘惑し、交わり、そのあとで殺して食う。

 

 

張果老(ちょうかろう)  何百歳なのかわからなかったという老神仙

・その頃の老翁たちで張果老を知っている者は、「彼はいったいいくつじゃろう、わしらの祖父の頃から変わらないのじゃ」と噂していたという。色々な仙術を使うばかりか、奇仙中の奇跡であった。帝王たちに尊信され招かれると、うるさがって死ぬくせがあった。唐の太宗も、その次の高宗も、召し出そうとしたが死んだ。恒州の中条山に隠れたっきり、下りて来なかったこともあった。

 則天武后は特に執拗で、「どうあっても来い」と強制した。張果老はいやいやながら山から連れ出されたが、妬女廟のところまで来かかると死んだ。真夏の最中なので、遺骸はすぐに腐敗して蛆が発生した。則天武后もそれを聞いてやっとその死を信じた。

 ところがほどもなく、恒州で張果老が生きている姿を何人も見た人があった。唐の玄宗則天武后よりあとで帝位についた天子で、張果老が生きていることを知ると裴唔(はいご)という侍従を遣わし、「何がなんでも召し連れて来い」と命じた。裴唔が張果老に会うと、また悪いくせを出して死んでしまった。ざっとそんな具合であった。

 列仙伝などで仙人たちを紹介する文章には、必ず生地も、来歴も、字や称号も書いてあるのだが、この奇仙は張果と名乗り、何百年生きているのか分からないので、張果老と敬称がついているだけである。

 

・彼が汾州や晉州あたりまで出遊する時、乗っていくロバも、彼が奇仙であることの証明であった。それは“紙製のロバ”であった。見たところ、普通の白いロバなのだが、一日に数千里も踏破して疲れを知らない。目的地へ着くと、張果老はそのロバを折り畳んで、手箱の中へしまっておく。再び乗る必要が生じた時は、出して地面に広げて、口に含んだ水を吹きかけるとムクムクと立体化して白いロバになるので、またがって出発する。これなら、飲ませる水も食わせる飼葉も、つないでおく杭もいらないし、盗まれる恐れもないわけだ。

 玄宗皇帝の使者・裴唔が会った時、張果老はコロリと倒れて絶命してしまったのであるが、裴唔はこの老仙人がチョイチョイ死ぬくせがあることをわきまえていて、慌てず騒がなかった。死体に向かって恭しく香をたいて、お召しの旨を伝えた。すると張果老はヒョッコリ起き上がって礼を返した。人を馬鹿にした老爺。

 

張果老はやっと重い腰を上げ、今度は死にもしないで上京する。まったく厄介な老爺。

 玄宗張果老を宮中にとどめて厚遇を極めた。そうなると張果老は不愛想ではなく、よぼよぼ老人から忽ち黒髪皓歯の美男子に若返って見せたり、一斗入りの酒がめを人間に化けさせて皇帝の酒の相手をさせたり、けっこうご機嫌を取り結ぶようなこともするから、おもしろい。

 この宮中生活の間に張果老は、皇帝や曹皇后に大きな建物を移動させたり、花の咲いている木に息を吹きかけて、一瞬のうちに実をみのらせた、という話がある。

 

玄宗はますます張果老を尊び、通玄先生という号を授けたり、集賢殿にその肖像画を掲げたりした。それでいて張果老は自分の来歴、素姓は決して語らない。どんなもの知りの老臣に聞いてもわからない。ここに葉法善(しょうほうぜん)という道士があった。

 皇帝に向かって密かに申し上げるには、「拙道は彼が何者であるかを存じております。しかし、それを口外いたしますと即刻死なねばなりませぬ。その時、陛下が御自ら免冠跣足(めんかんせんそく)し給い、張果老に詫びて、拙道を生き返らせて下さいますのなら申し上げましょう」

 一言いうのに命がけである。むろん玄宗は「詫びてやる、生き返らせてつかわすから申せ」と迫った。葉法善は姿勢を正して、「しからば申し上げます。張果老はもとこれ人倫にあらせず、混沌初めて別れて天地成るの日、生まれ出でたる白蝙蝠の精……」といいかけて、バッタリ、床に倒れて息が絶えてしまった。

 

玄宗は、慌てて張果老に与えてある部屋に行き、免冠跣足、つまり王冠を脱ぎ、跣足(はだし)になって罪人の形を取り、「生き返らせてくれ」といった。

かの葉法善という小僧は口が軽すぎます。こらしめてやりませぬと天地の機密を破るでしょう」と張果老は頑固爺さんを決め込んでいる。玄宗は繰り返して、「あれは朕が強制して、むりやりしゃべらせたのだから、今度だけは許してやってくれ。頼む」と懇請した。

 仙人たりとも、天子に「頼む」とまでいわれては、拒むことが出来ない。張果老は、“紙ロバ”にするように口に含んだ水を吹きかけて、葉法善を生き返らせてやった。

 

・この道士が、何ゆえ張果老の本相を知っていたのかは、仙人伝でも語られない。張果老を加えて八人の仙人を「八仙」といい、それらの活躍する物語『東遊記』では、いたずら小僧仙人の藍采和(らんさいわ)が、張果老のことを「あの蝙蝠爺さん」と呼んでいる部分がある。八仙のうちで藍采和一人だけが少年で、何仙姑(かせんこ)だけが女性である。藍采和が張果老の“紙ロバ”を失敬して乗りまわし、戻って来ると、八仙の中の名物男・鉄拐仙人(てっかいせんにん)がふざけて何仙姑を口説いている。藍采和が「逢引きですか、いけませんねえ」とからかうと、「何をいうか、この小僧」と鉄拐仙人がロバを奪い取って自分が乗る。三人は顔を見合わせて大笑いをした、という一説もある。

 

張果老は、玄宗皇帝の宮廷にそう長いこと滞在していたわけではない。やがてふり切るようにして宮廷を去り、恒州の仙居に帰っていった。その後、今度という今度は本当に死んで人界から姿を消した、というのであるが、何しろ奇人の怪仙。本当に死んだのかどうか、誰も保証は出来ない。

 張果老は八仙の中でも長老格で、『東遊記』では泰山を動かして海へ放り込み、龍王たちを困らせるという大法力を示している呂洞賓(りょとうひん)が「これから八仙がみなで海を渡ろうではないか」といった時も、老人らしくそれを制している。龍王が水軍を興して攻めて来た時も、ほかの七仙は油断して寝ていたのに、張果老だけは耳ざとい。先に目を覚ましてみなを呼び起こすといった調子で、一味違った活躍ぶりである。

 

太上老君(たいじょうろうくん) 仙風法力におよぶものがいない天上界の元老>

民間信仰では仙人の中の第一人者。天界では三十三天の最上階、離恨天の兜率宮に住み、出仕する時は玉皇上帝の右に座している。地上では各地の道観の中心に祀られている主神格。

 

西王母(せいおうぼ) 天上界の瑤地仙府に住む女仙の祖

・瑤地金母、龍堂金母、王母娘娘、金星元君などと呼ばれ、天界へ来るほどのものは、玉帝の次には西王母に拝謁することになっている。『封神演義』によると西王母に、普通お目にかかることが出来る男性は、南極仙翁だけだという。

 だが、それは道教世界の完成された西王母であって、史前の古伝承時代には、西王母は美女どころか、仙女どころか、怪獣といってもよい姿に描かれていた。髪の毛は伸び放題に振り乱し、玉の勝という髪飾りをつけ、恐ろしい声で吠え、豹の尾、虎の牙、玉山の岩窟に住み、三本足の怪鳥にかしづかれている。正確には男女の区別もつかない。

 

神農 仁愛の心に富んだ名君、炎帝と呼ばれた太陽神

・女媧の次にあらわれた大神。南方の天帝と呼ばれ、中国の中央から南方へ一万二千里の区域を治めた。その時、神農炎帝の玄孫にあたる火神・祝融が共同統治者であったとも伝わっている。

 

盤古 原初の巨怪>

天地万物の発生源。それより前には何もない最古の神ともいえる。創世紀におけるただ一人の中心人物といってもいいが、“創業者”ではない。

 中国でも、「原初の状態は混沌として卵のごとく、天が地を包むこと、ちょうど卵黄が卵白の中にあるような状態であった」と語り出す。これは、日本神話でもインド神話でも同じである。そのうちに日本では神々が生まれ、インドでは、自存神が生まれたと説くのだが、中国の“世界のはじまり”では、盤古が生まれて一万八千年が経過する。それは巨大で、裸体で、額から扁平な角のようなものを二本生やしていた。盤古が意識というものを得て、行動しはじめた頃、天と地は分かれた。澄んで軽いものは上へ上へと昇って天となり、重い濁ったものは下へ下へと下って行って地となった。

 

<哪吒(なた)太子    痛快で暴れん坊の少年英雄神>

・『西遊記』でおおいに孫行者と渡りあい、『封神演義』でも大活躍する。『南遊記』でも虚々実々の乱闘を華光を相手に繰り広げる。今でも中国の三大スターの一人、孫悟空、二郎真君と並んで、漫画、劇画、テレビドラマ、映画などで暴れまわっている。

 台湾の国際空港には哪吒太子の見事な彫刻が飾られている。日本ではナタ、ナタク、トンツ太子、中国ではナーザ、ノージャ、ナージャと発音し、『無敵神童李哪吒』という連続テレビドラマもあった。

 

・それでは哪吒は天界にいるにせよ地上に住むにせよ“純血種の中国人”か?というと、そうでもないらしい。父の李天王は毘沙門天夜叉神なのだから、「哪吒はインドの神々の一人の名」という説も立派にある。

 哪吒は大羅仙の化身、風雲の神ではなく、ナータというインドの少年神か? マンジュナータだったら文殊菩薩、アチャラナータならば不動明王。哪吒は“六神仏哪吒不動尊”の像が祀られていたと書いてある。

 

二階堂善弘は、毘沙門天(インドではクベーラ神)には息子がいて、それがナラクーバラという名であった。これが中国では哪吒倶伐羅と書かれる。すなわち、哪吒のことだと述べている。

 

 

 

『江戸幻獣博物誌』 妖怪と未確認動物のはざまで

伊藤龍平  青弓社   2010/10

 

 

 

「山人の国」の柳田國男

柳田國男の山人論

・昔々、越後の国の話。魚沼郡堀之内から十日町へと超える山道を、竹助という若者が大荷物を背負って歩いていた。

 

・道も半ばを過ぎたあたりで、竹助が道端の石に腰かけ、昼食に持参していた焼き飯(握り飯)を取り出したところ、笹の葉を押し分け、何か得体の知れないモノが近づいてくる。見れば、人とも猿ともつかぬ奇怪な怪物。顔は猿に似ているが、赤くはない。長く伸びた髪は半ば白く背中にまでかかり、大きな眼が光っている。竹助は心の強い者ゆえ刀を取り出して身構えたが、怪物は危害を加える様子もなく、竹助の焼き飯を物欲しげに指している。竹助が焼き飯を投げてよこすと、怪物もうれしげに食べる。もうひとつ投げると、また食べる。すっかり心を許した竹助が、また山道を歩きだそうとすると、お礼のつもりだろう、怪物は荷物を肩にかけて先に歩きだす。そのさまは、手ぶらで歩いているかと思われるほど軽やかだった。おかげで竹助は、一里半(約6キロ)もの嶮岨な道のりを楽に歩くことができた。目的地の池谷村近くまで来たところで怪物は荷物を下ろし、風のように山のなかに去っていった――

  以上、『北越雑記』(長沼寛之輔、文政年間(1818――29年)にある話。

 

・こうした人か猿かわからない奇妙な生きものにまつわる話は、日本各地に伝承されていた。

 すなわち、人間に与するわけでなく、かといってむやみに敵対するわけでもなく、深い山奥でひっそりと独自の生活を営んでいたモノたちの話である。彼ら彼女らに関する記事は江戸時代の随筆類に散見され、近代以降も、例えば1970年代に話題になった広島県比婆郡(現・庄原氏)の類人猿(ヒバゴン)伝承などにかすかな命脈を保っている。

 

 この正体不明の怪物を、『北越雑記』の著者は「山男」「大人」と記し、『北越雪譜』の著者は「異獣」と記している。ほかにも彼らを指す言葉に「山童」「山丈」などがあり、また、「山爺」「山婆」「山姫」とも呼ばれた。

 

柳田國男の『遠野物語』にもこれとよく似た話がある。附馬牛村(現・岩手県遠野市)の猟師が道を開くために入山し、小屋で火にあたっていたところ、得体の知れない大坊主(柳田は「山人」と解釈している)が来て、炉端の餅を物欲しげに見ているので与えるとうまそうに喰う。翌日もまた来るので、餅の代わりに白い石を焼いて与えて退治したという。一方、『遠野物語』では、餅をもらった山人がお礼にマダの木の皮を置いていったり、田打ちを手伝ったりと平和的な結末になっている。

 民俗学の祖である柳田國男は、これらの山中の怪を「山人(やまひと)」と総称した。通常、「山人」という語には、山で生活を営む人々を指す場合と、山に棲む半人半獣の怪物を指す場合があるが、柳田が扱ったのは後者の山人である。柳田の山人論は、古今の伝承に残る山人を日本列島の先住民族だとする壮大な論である。そして柳田山人論の代表が『山人外伝資料―—山男山女山丈山姥山童山姫の話』という論文である。本書でも、柳田にならって彼ら山中の怪を「山人」と呼ぶことにする。

 

こうした半人半獣の神々、もしくは妖精たちに関する話は世界中で伝承されている。例えば、マラルメの詩「半獣神の午後」で知られる「パン(牧羊神)」はヤギの角と脚をもっているとされ、アンデルセンの童話で有名な「人魚」は下半身が魚類、ギリシャ神話の「ケンタウロス」は下半身が馬、インド神話の「ナーガ」は下半身が蛇である。「序」に書いたように、本草学の祖となった古代中国の帝王「神農」にも顔が牛だったとする伝承があるが、これはギリシャ神話のミノタウロスの怪物と同じである。西欧の幻獣で山人に相当するものは「野人」である。ただ、いま名を挙げた幻獣たちに比べると、「野人」はかなりの現実味をもって受け止められていた。

 

・西欧の野人について、伊藤氏の筆を借りながらもう少し説明しよう。伊藤氏によると、野人とは「森の奥深くとか山野とか砂漠に獣のように棲む」存在で、「完全に社会組織から孤立して、一貫した宗教をもたないで棲息する」という。これは「文明人とは対極にある」人生であり、西欧人の精神史にとって重要な意味をもっていた。「文明」とは「野生」との対比で見いだされるものだからである。容姿については「全身体毛に覆われている」のを特徴としており、「人間と猿との間の境界上にあってどちらの範疇にも当てはまりうる融通無碍、野人はこの人間か猿かの線引きのむずかしい境界線を特徴としている」という――日本の「山人」について記した江戸の文人たちも、大体同じイメージをもっていた。

 野人の存在を時間軸に上に位置づけると、いわゆるミッシング・リングの問題に行き当たる。つまり、人と猿とのあいだで結ばれる「存在の大いなる連鎖」の欠陥を補う存在としての「野人」である。進化論にもとづいた発想であり、その意味では、野人もまた時代の産物であった。これは今日の未確認動物伝承にも相応の有効性をもった解釈で、例えば、ヒマラヤの野人イエティ(雪男)の正体を、更新世に絶滅した類人猿ギガントピテクスに求める心性に生きている。

 

・柳田の山人理解にも進化論は影を落としている。繰り返すと、柳田山人論の要諦は、山人をかつて実在し、現在(大正時代)も実在の可能性のある先住民族の末裔と仮定して、その歴史を辿ることにあった。「山人外伝資料」の冒頭で柳田は「拙者の信ずる所では、山人は此島国に昔繁栄して居た先住民族の子孫である」と明言し、山人論の文脈で書かれた「山姥奇聞」でも、「第一には、現実に山の奥には、昔も今もそのような者がいるのではないかということである」としたうえで、「果たしてわれわれ大和民族渡来前の異俗人が、避けて幽閉の地に潜んで永らえたとしたら、子を生み各地に分かれて住むことは少しも怪しむに足らない当然のことである」としている。ここには、いずれ人知が世界を掌握するだろうという予測が見られ、のちの未確認動物伝承が生まれる素地ができつつあるのがわかる。

 

このように、柳田は山人を獣類ではなく人類だと解釈していたが、それでもなお、進化論の影響は顕著で、それは山人史の構想を見れば、一目瞭然である。「山人外伝資料」の冒頭で柳田は「眼前粉雑を極めて極めて居る山人史の資料を、右の思想の変遷に従って処理淘汰して行く」ための方便として、山人の歴史を次の5つの時期に分類している(第5期はとくに命名されていない)。

 

第1期・・国津神時代………………神代から山城遷都まで

第2期・・鬼(物)時代………………鎌倉開幕まで

第3期・・山神(狗賓(ぐひん)・天狗)時代………江戸初期まで

第4期・・猿時代………………江戸末期まで(大正期)

第5期・・(現代)………………大正初期

 

・詩人学者・柳田らしい実に壮大なビジョンである。「国津神」「鬼(物)」「山神(狗賓・天狗)」「猿」という名称の変遷は、山人そのものの零落ではなく、山人に対して抱いていたわれわれ(日本人)の心証の変遷を表している。

 

笑う山人、悟る山人

・山人とは何者か。少し本草書の事例にあたりながら考えてみよう。引用するのは、すべて「山人外伝資料」。

 山人はよく「笑う」。

 

・また、友人の小説家・水野盈太郎(葉舟)からの聞き書きにも「にこにこと笑いながら此方を目掛け近寄り来る」とある。人を見て笑うのは、山人の典型的な行動パターンの一つだった。

 また『遠野物語』から例を引くと、「離森の長者屋敷」に出た山女は人を見て「げたげたと」笑ったとあり、『遠野物語拾遺』にも栗橋村(現・岩手県釜石市)の山女が鉄砲を向けても臆せず笑うばかりだったという話や、土淵村(現・遠野市)の男が山中で大きな笑い声を二度聞いたという話、同じく土淵村の若者が山女に笑いかけられたという話がある。

 

後述するように、わが国には「狒々」という年老いた大猿にまつわる伝承もあり、話をややこしくしている。事実、『本草綱目啓蒙』の「狒狒」の項でも、豊前(福岡県)・薩州(鹿児島県)での異名として「ヤマワロ」を挙げている。この点について柳田は、江戸時代に本草学が隆盛し、『大和本草』『和漢三才図会』などの書物が編まれたことに触れたのち、「此以後の書には山男山爺などは寓類に数えられて、狒々の次に置かれている。

 

話を戻すと、山人に限らず、異形のモノの「笑い」は友好の証しではなく、自身のテリトリーを侵した者に対する威嚇であった。山中に行く人が時折耳にする「テングワライ(天狗笑い)」もその一つで、この世のものとも思われないけたたましい哄笑があたりに響き渡る。これを聞いた者は、たいてい腰を抜かすが、剛の者が負けじと笑い返すと、いっそう大きい笑い声が響き渡るといい、こうなると「ヤマビコ(山彦や「コダマ(木霊)」という妖怪の伝承と似てくる。福岡県に伝わる妖怪ヤマオラビは人と大声の出し合いをしたあげく、ついには殺すというから案外危険である。

 

・先ほどの「笑う山人」の伝承と同様、「悟る山人」も本草書に記述がある。もう一度、『和漢三才図会』の「獲(やまこ)」の項から引用すると、最初に『本草綱目』の「獲とは老猴である。猴に似ているが大きく、色は蒼黒。人のように歩行し、よく人や物を攫っていく」という言葉を引いたのち、「思うに、飛騨、美濃の深山中にいる動物は、猴に似ていて大きく黒色で長毛。よく立って歩き、またよく人語を話す。人の意向を予察してあえて害はしない。山人はこれを黒ん坊と呼んでいて、どちらも互いに怖れない。もし人がこれを殺そうと思うと、黒ん坊はいち早くその心を知って迅く遁れ去ってしまう。だからこれを捕らえることはできない」と自説を披露している。

 鳥山石燕は『今昔画図続百鬼』でこの妖怪を「覚(さとり)」と命名し、『和漢三才図会』と同じポーズをとる山人とおぼしき怪物の絵を載せている。

 

人か猿か

・以上のような相違点を確認したうえで、柳田と江戸の文人たちにはどのような共通点があるだろうか。次に一連の山人論の文脈で書かれた「狒々」という論文の一節を引用する。

 いわゆる山丈・山姥の研究を徹底ならしむるには、是非とも相当の注意を払わねばならぬ一の問題がまだ残っている。それはしばしば深山の人民と混淆せられて来た狒々という獣類の特性、及びこれと山人との異動如何である。全体狒々というような獣が果たしてこの島にいるかという事が、現代学会の疑問であるのに、近年自分の記憶するだけでも狒々を捕ったという新聞は二三にて止らず、さらに前代の記録にわたって攷察すると覚束ない点が多い。

 現在の猿の分類では、オナガザル科にヒヒ属という一類がある。マントヒヒなどが有名で、主にアフリカに生息しているが、柳田が書いている「狒々」はそれとは別物である。

 

狒々にまつわる昔話や伝説も数多いが、なかでも有名なのは「猿神退治」の話だろう狒々の人身御供にされようとする娘を救うために、旅の勇者に助太刀して、見事これを退治したのは「しっぺい太郎」という犬だった。この説話での狒々は年老いた大猿であり、動物であるのと同時に、大いなる山の神の面影がある。

 日本に大型の類人猿がいないことが判明して以降、狒々は想像上の動物として扱われるようになったが、「山人外伝資料」をはじめとする山人論が執筆された大正時代は、まだ動物の新種の発見・報告の可能性が高いと思われていた時代であった。

 

・山人について論じる際に柳田が苦慮したのは、両者をいかに弁別するかという問題だったろう。先ほど山人が「寓類」に分類され、「狒々」の項と並べて置かれているのを嘆く柳田の言を引いたが、柳田が考える山人とはあくまでも「此嶋国に昔繫栄して居た先住民の子孫」であり、山人論は「山人は人であると云ふ仮定」のもとに成り立つものだからである。

 

人か猿かという問題は、山人を妖怪や妖精の類ではなく、実体がともなう生物と認めたあとに生じる。この前提で、柳田と江戸の文人は共通している。山中に棲む奇妙な生きものを本草学の知識を用いて獣類の一種と捉えるか、用いずに先住民族の末裔と捉えるかは、報告された資料に施される解釈の相違にすぎないのである。

 

人か猿かはいざ知らず、山中にはこのような異形の生きものがいる――こうした考えが、柳田や江戸の文人はもちろん、記録される以前の山人の話をしていた人々にはあったのである。

 

・今日の視点に立てば、確かに「山人の国」は柳田が遺した「夢物語」だったかもしれない。しかし、本章で指摘してきたように、それは往年の新体詩人・柳田一人が見た夢ではなく、江戸の文人たちが見た夢の続きであり、近代以降の時間を生きた人たちもしばしば同じ夢を見た。すなわち、かつてこの国の深山幽谷のうちに人と同形の獣類が棲み、山路を急ぐ旅人や寒夜に焚き火で暖をとる狩人らがこれと行き遭って、ときにその肝胆を冷やさしめ、ときにその労苦を免れしめたという共同の幻想である。

 

 

 

『大江戸怪奇事件ファイル』

並木伸一郎   経済界  2009/12

 

 

 

彼らが住む異界

江戸という時代、この世と隣り合わせに存在する“異界=異次元”の扉が、あちこちに現出していたようだ。

 そして“魔”や“怪”“妖”なるものたちが、その扉を開けて姿を現わし、UFOや宇宙人、天狗や超人、幽体となったり、ときにはキツネやタヌキに姿を変えて、町人や村人たちを、その摩訶不思議な能力を駆使して、惑わし、たぶらかし、ときには彼らが住む異界へとかどわかしたりしていたようである。

 

時空を超えた? 頻発する神隠し事件

・江戸の時代“神隠し事件”もまた頻発していた。

 江州八幡(滋賀県近江八幡)に、松前屋市兵衛という金持ちがいた。市兵衛は親戚筋から妻を迎えて、しばらく二人暮らしをしていたそうだ。しかしある夜、異変が起きたのである。

 その夜、市兵衛は「便所に行く」といって、下女を連れて厠へ行った。しかしなかなか寝所へ戻ってこない。

 

それから20年ほどたったある日のこと。厠から人が呼ぶ声がするので行ってみると、なんと、そこに行方不明となっていた市兵衛が、いなくなったときと同じ衣服のまま厠に座っていたのである。驚いた家の者たちは市兵衛に「どういうことだ?」と聞いたが、はっきりした返事はない。ただ「腹が減った」といって、食べ物を欲しがったのである。

 さっそく食事を食べさせると、市兵衛が着ていた服は、ホコリのように散り失せてしまったという。昔のことを覚えている様子がなく、家族は医者やまじない師に相談するなど手を尽くしたが、思い出すことはなかったようだ。

 

神隠しとは、何の前触れもなく失跡することを指す。当時は神域である山や森などで行方不明になるばかりではなく、普通の生活の中でも神隠しが起こっている。そしてそのまま、戻らないこともしばしばあったのだ。

 

神隠し事件は何らかの要因によるタイムワープに合ってしまった、と考えるのがスジであろう。ふいに時空を超えてしまったのである。時を超える、あるいは異界=異次元空間に入るという概念がなかった当時は、「神の仕業」と考えるしかなかったのだ。タイムワープすると、時空移動の影響で記憶喪失になることが多いという。

 

空から人が降ってくる事

江戸時代におきた謎のテレポート事件

・文化7年(1810年)7月20日のことだ。江戸の浅草(東京都台東区)の南馬道竹門で、突如、奇怪な現象が起こった。なんと、夜空から男が降ってきたのだ。

 ちょうど風呂から帰る途中だった町内の若者が遭遇。空から降って湧いてきたように落ちてきた男を見て、腰をぬかさんばかりに驚いた。年のころは25~6歳。しかも下帯もつけておらず全裸。かろうじて、足に足袋だけはいていた。怪我をしている様子はなかったが、落ちてきたショックのせいでか、男はただ、呆然とたたずんでいる。

 

・「お前は、いったいどこの何者なのだ。どういういきさつで空から降ってきたのだ」と役人に問われ、男は怪訝な顔をしていった。「私は京都油小路二条上る町の安井御門跡の家来、伊藤内膳の倅で、安次郎という者だ。ここは、いったいなんというところなのか」問われて役人が、「ここは江戸の浅草というところだ」

 と教えると、男はびっくりして泣き始めた。自分がなぜ、こんなところにいるのかわからず、困惑の極致にあったようだ。

 

・今月18日の午前10時ごろ、友人の嘉右衛門という者と家僕の庄兵衛を連れて、愛宕山に参詣に出かけた。すごく暑い日だったので、衣を脱いで涼んだ。

 

・さて、これからがおかしな出来事が起こる。ひとりの老僧がいずこともなく現われて、こういった。「面白いものを見せてやろう。ついてきなさい」そういわれて、好奇心からこの老僧についていったのだという。ところが、その後の記憶がまったくない、という。気がついたら、倒れていたというわけだ。

 この話を信じるなら、この男は京都から江戸まで空を飛んできて浅草に降ってきたということになる。

 

・江戸に知り合いがいないということで、思案したあげく、役人は、男に着るものを与えてから奉行所に届けでた。

 

・この話のキーポイントは、謎の老僧である。この人物が男を京都から江戸にテレポートさせたものとみていいだろう。

 男ばかりではない。江戸の時代、女が降ってきた事件もある。

 

たとえば、三重村三重県四日市)に住んでいる“きい”という名の女性が、全裸で京都府北部の岩滝村(岩滝町)に降っている。同様に、京都近隣の新田村でも花嫁姿の女が、また京の河原町にも女が降ってきた。この女は着物を着ていたが、江戸の日本橋から飛んできたことがわかっている。

  いずれの女性も、呆然自失しており、一瞬にしてテレポートした理由や原因がまったくわからないのである。無理やり説明をつけるなら、やはり、“天狗のしわざ”、としか考えられない事件である。

 

山男に知恵を授ける事

山小屋に度々現われる山男事件

・信州には高い山々が連なっている。妙高山黒姫山などはかなり高い山で、さらに戸隠や立山まで険しい山岳が横たわっている。そこには謎の“山人”が人知れず隠れ棲むという。

 

 これは江戸中期に起きた事件である。上越高田藩の家々では、この山から木を伐り出す仕事を負っており、山中の山小屋には奉行がおり、その仕事を取り仕切っていた。

 升山の某という奉行が、ある山小屋に数日間駐在していたときのことだった。仕事をする男たちとともに、山小屋では夜毎火を絶えず焚き、みんなで炉にあたっていた。すると山から山男というものが下りてきて、一時ばかり小屋の炉に当たっては帰っていくというのである。

 問題の山男の髪は赤く、裸で肌の色は黒く、6尺(約180センチ)の身の丈を持っていた。腰には草木でつくった蓑をまとい、言葉を発することはなかったが、その声は牛のようだった。

 しかし、こちらが話していることはだいたい理解しているようで、人間たちにとても慣れていたという。

 

・明治のころまで、日本各地には山の民「サンカ」と呼ばれた。里の人々から離れて山中に住んでいた人々がいた。

 この山小屋にやってきた山男は、サンカではないようである。山人族と呼ばれる、山師や山伏ともどうやら違う。

 かつて、雪男やビッグフットのような、サルに似た巨人が生息していたのだ。彼は言葉を理解し、恥じることを知るなど、人間に近い知能をモチベーション、また学習能力も持っていたようだ。赤い髪など風貌はまるで鬼のようでもある。

 1970年代、広島県比婆山に出現し、話題になったUMA獣人「ヒバゴン」は、もしかしたらその末裔だったかもしれない。

 

           

 

『世界のUFO現象FILE』

並木伸一郎   学研パブリッシング    2011/3

 

 

 

エイリアン・アニマル

ビッグフットは異星人のペットだった!

・全身けむくらじゃで異臭を放つ獣人タイプのモンスター。さらには吸血怪獣チュパカブラに代表される異形のUMAの出現現場には、なぜかUFOも多発することから、これら異形のUMAたちの正体は、宇宙人がUFOに乗せて地球に連れてきたペットの一種、つまり、地球外に起因するとみられる異常生命体の俗称で、“エイリアン・アニマル“と呼ばれて区分されている。

 たとえば、1966年から1967年にかけて、アメリカ、ウェストバージニア州のポイント・プレザント周辺に大騒動を起こした怪生物モスマンだが、1967年5月19日夜、木立の上を旋回中、空中に出現した赤く脈動する球形UFOに吸い込まれ、飛び去っていくのが目撃されている。

 

 1972年6月、獣人がらみのUFO出現事件が多発したアメリカ、ミズーリ州トロイで、現場付近に出没した全身毛むくじゃらの怪物は、“モモ”と呼ばれ、3本指の足跡を残していった。またペンシルバニア州南西部の山岳地帯には、身の丈3メートル近い獣人モンスターが生息。山岳家のボブ・フランスによれば、彼らの顔つきは人間に近く、知的で、UFO内から出現するのがしばしば目撃されているという。「ペンシルバニア未解明現象調査協会」を主宰するスタン・ゴードンは、1973年10月25日、同州グリーンズバーグで起こった典型的な実例をあげている。同夜、白色に輝く半球形UFOが農場に着陸。この直後、2体の異臭を放つ毛むくじゃらの怪物が出現した。農場のオーナーに銃撃されるビクともせずに、赤ん坊の泣き声に似た悲鳴をあげて森の中に逃走。事件後、現場から3本指の巨大な足跡が発見され、石膏にとられた。後日、この石膏の足跡が驚くべき情報をもたらす。2年後の1975年、透視能力者ピーター・フルコスによって、この足跡の写真が透視されたのだ。写真が密封された袋に手を触れたフルコスは、「これは大気圏外に由来する」と確信に満ちた口調で答えた。この発言は、謎に満ちた獣人モンスターの正体をさぐるうえで、一石を投じた。

 

・同じくペンシルバニア在住のジャーナリスト、スコット・コラレスも、目下、異形モンスターの代表格チュパカブラの正体が、エイリアン・アニマルだと主張するひとり。その根拠こそ、1984年2月、チュパカブラ発祥の地であるプエルトルコ、カノバナス近郊にあるエル・ユンケ山の熱帯雨林で起きたUFO墜落事件だ。この事件後、しばらくしてチュパカブラが姿を現し、ヤギなどの家畜の生き血を吸うという事件が多発したからである。もちろん、UFO内に姿をくらますチュパカブラの姿も目撃されており、エイリアン・アニマルの可能性を濃厚にしている。

 UMAの中でも異彩を放つ異形のモンスターたちの出現は、今も後を絶たない。やはりその正体は、地球外の天体からUFOに乗って、この地球に運ばれてきた存在なのだろうか。

 

 

 

『最強のUMA図鑑』

「失われた世界」に生きる未知動物たちの真実!

厳選した未確認動物約200種+謎に満ちた彼らの生態を解説!

並木伸一郎   Gakken  2011/5

 

 

 

ロシアの最新獣人 ビッグフット(クリミア山中)

・2011年3月、You Tubeに興味深い映像が流れていた。ウクライナのクリミア山中にビッグフットが出現したというのだ。撮影者はピクニックに来ていたのだが、その中の人物がビデオ撮影に成功した。

 

新種の樹上棲獣人 樹上のビッグフット

・2010年の年明け早々、驚くべき映像が公開された。かなり背の高い樹木の上に毛むくじゃらの生物が写っている。場所はアメリカ、メイン州ミルバレーの森林地帯で、散策中の人物が撮影したという。拡大された写真を見ると表情こそわからないが、普通のサルではなさそうだ。

 

代表的な獣人UMA ビッグフット

アメリカ、カナダの山岳地帯を中心に棲息する巨大獣人。カナダではサスカッチと呼ばれる。常に直立2足歩行し、目撃例が膨大な点で他のUMAを圧倒する。

 

トレイルカメラが撮影 ビッグフット(ワシントン州

アメリカ、ワシントン州にあるマウントフッド国立森林公園の山中に設置されたトレイルカメラに、ビッグフット、あるいはサスカッチとおぼしき怪物が映り込んでいた。2006年ごろから数回にわたり、その黒褐色の毛に覆われた、ずんぐりとした謎の生物が森の中を歩いていたのだ。研究家によればビッグフットの可能性が高いというが、今後も人の気配を感じさせないトレイルカメラのおかげで、よりたくさんのビッグフットデータが集まるかもしれない。

 

同地で目撃が多発! ビッグフット(オクラホマ州

・2006年5月28日。オクラホマ州アントラーズの北にあるキアミーチ山中で、白昼、ビッグフットが姿を現した。写真は狩猟用にセットされたカメラがとらえたもので、目撃者はいなかった。人の気配が感じられないせいだろうか。体長がかなりあるビッグフットが悠然とした立ち居振る舞いで木立をぬって歩いていき、視界から消えていく。

 

ヒマラヤの雪男 イエティ

・1889年、インドのシッキム州北東部の標高5200メートル地点で、L・A・ウォーデルが大きな足跡を発見し、イエティの存在が明らかになった。世界各地のイエティ調査団が派遣され、足跡の検証やヒマラヤのパンボチェ寺院に奉納されているイエティの頭皮などの学術調査が実施された。その後もイエティの足と見られるミイラ化したものも発見されているが、X線検査で既知の生物のものではないことが明らかになったという。その正体はチベットヒグマなのか、あるいはギガントピテクスのような化石人類なのか?

 

獣人の親子 サスカッチ(ヴァンクーバー)

・カナダでは、ビッグフットのことを「サスカッチ」と呼んでいる。未知動物研究家ランディ・ブリソンによって2010年3月、そのサスカッチバンクーバーのピト湖で撮影された。

 

甲高い声を発する獣人 ノビ―

アメリカ、ノースカロライナ州クリーブランド郡北部に棲むという伝説の獣人。類人猿のように毛深く、雄ゴリラのように頭が丸く、先端はトサカのようであるという。2009年6月5日、同地に住むティモシー・ビーラーは明け方近くの3時ごろ、このノビーに遭遇したが、威嚇して追い払ったという。2011年3月、ノースカロライナ州ルザフォードに再び出現した獣人ノビーは、別の人物によっても目撃された。

 

中国の獣人UMA イエレン

・中国湖北省の神農架を中心とする山地で1970年代に目撃が多発した獣人イエレン(野人)、身長は1.8~2メートルで、全身が黒みがかった赤い毛で覆われている。2007年にも2体の獣人が目撃され、出現が相次いでいる。

 

「世紀の大発見」!? 冷凍ビッグフット

・2008年8月15日、アメリカ、カリフォルニア州バロアルトから世界に向けての驚愕のニュースが発せられた。なんと、ジョージア州北部の森林地帯でビッグフットの死体が発見されたというのだ。身長210センチ、体重は200キロ強もあり、驚いたことにDNA鑑定も済んでいるというのだ。

 

ボルネオの獣人 パロン山の獣人

・2008年6月9日、ボルネオ島の西部の村で巨大な足跡が発見された。長さ1.2メートル、幅40センチ。推定身長7メートルの巨人のものだというのだ。イタズラではないかとも指摘されたが、本物だと信じる住民は否定。実は5年前にも同じ事件があったのだ。また、1983年にはボルネオ島西部のパロン山で村人が3メートルを超す獣人に遭遇。怪物は「ゲ、ゲ、ゲ、ゲ」と奇声を発しながら、2本足で森に逃げたという。

 

山を降りたイエティ  マンデ・ブルング

・2007年6月、インド北東部メガヤラ州ガロ山地のジャングルで、相次いで村人が謎の獣人を目撃、マンデ・ブルングとは現地で「森の男」の意味だが、目撃者のひとりによれば茶褐色の毛が全身を覆い、まるでイエティそのものだという。ゴリラの誤認説もあるが、この地にゴリラは棲息していないという。ヒマラヤのイエティがここに移住したのだろうか?

 

湿地帯の獣 ハニー・スワンプ・モンスター

・1963年、森林地帯が広がるルイジアナ州ハニーアイランド沼へ狩猟に出かけたハーラン・フォードは、沼地の奥の元キャンプ場で、異臭とともに出現した4体の怪物と遭遇。銃の引き金を引くと、怪物たちは沼の中に姿を消した。地面には3本指の足跡が残っていたので石膏型をとり、怪物の実在を証明した。異次元から来た動物なのか、いまだ決定的な説は出ていない。

 

雪山の影  シルバースター山の獣人

・2005年11月17日、アメリカ、ワシントン州のスカマニア郡のシルバースター山の尾根に獣人サスカッチらしき怪物が出現し、その姿がカメラで撮影された。

 

ブラジルの怪人 バヒア・ビースト

・写真は公表されたときよりも、かなり先に撮影されていた。ここは2007年7月、南米ブラジル、バヒアのポートセグロの川である。撮影者はミシガン州から観光ツアーで当地に来ていた15歳の少女だ。遠巻きから撮られているため、詳細を読み取るのは難しいが、頭には角が生えている。全身に黒いなめし皮のような光沢がある。手には何かを抱えている。魚だろうか……いや、もしかしたら怪物の子供なのかもしれない。その後、怪物がどうなったのかは誰も知らない。

 

悪臭怪人 フォウク・モンスター

アメリカ、アーカンソー州フォウク地区のボギークリーク周辺で、特に40年代以降に出没しだした悪臭をふりまく獣人。98年に目撃例が増加すると、2005年、自宅の居間にいたジーン・フォードが窓の外に真っ黒な怪物を発見。夫のボビーは1.8メートルほどの怪物が窓際を離れるのを目撃した。このときも腐臭が漂っていたという。

 

オーストラリアの巨大な獣人 ヨーウィ

・オーストラリア、ニューサウスウェールズ州沿岸からクイーンズランド州ゴールドコーストにかえた一帯に棲息するという直立2足歩行の獣人。特に、1970年代にはシドニー西方のブルーマウンテン周辺で目撃が多発。1980年には、ついに毛むくじゃらの怪物がゆっくりと歩く姿が写真に撮られた。最新目撃は2006年で、木立に寄り添う毛むくじゃらの獣人や山道を歩く姿が目撃されている。オーストラリアにいた化石人類メガントロプスが、進化せずに現代まで生き残ったのだろうか?

 

異臭を放つ獣人 スカンクエイプ

フロリダ州周辺に出没し強烈な刺激臭のある異臭を放つ。1948年ごろからフロリダでは獣人が目撃されているが、実在を裏づける近接写真が2000年にミヤッカ国立公園にある州道沿いで撮られた。

 

鉤爪の3本指 グラスマン

アメリカ、オハイオ州を中心に目撃される獣人。知能が高く草(グラス)でねぐらをつくることから、この名前がつけられた。1988年、同州アクロンに住むアトキンス父子は、森林地帯で何度もグラスマンを目撃した。その証言に基づいてUMA研究グループが調査を行うと、グラスマンのねぐらや3本指の巨大な足跡を発見した。さらに、グラスマンは集団で行動していることも。同地はUFO多発地帯であり、その正体はエイリアン・アニマルか霊的な存在かもしれない。

 

イエティの仲間か!? ルーマニアの獣人 >

・2008年2月、ルーマニア、ヴァレンシア山中に出現した獣人。まだ雪が残る山道で、木の棒を引っ張って歩いていく姿が撮影された。ツヤのよい茶褐色の毛に覆われているが、撮影者も含めて詳細は不明だ。同月、モルタビア地方のブランチャでも、これとよく似た獣人が撮影されている。これまでヨーロッパ系獣人の報告はほとんどなかったが、実在の可能性が高まっている。

 

アルビノ獣人 ホワイト・ビッグフット

・2010年1月10日、ネットの動画サイトで白い獣人の姿が公開された。公開したのはアメリカ、ペンシルバニア州、カーボンデールにマイホームを購入したボール・デニス。裏庭は森林が隣り合っているのだが、住み始めてみるうちにそこから奇妙な喘ぎ声が聞こえてきたのだという。「ゼー、ゼー、ゼー」という呼吸音だ。裏庭に出て確かめに行ったが何もいない。異臭だけが漂っていた。撮影当夜、携帯カメラをもって裏庭に出ると森の中に淡い色に輝く獣人が写ったという。

 

伝説の獣人 タトラ山のイエティ

・東ヨーロッパのポーランド南部にはイエティが棲息すると噂されるタトラ山地が広がっている。2009年8月、そのタトラ山地で、イエティが岩場を歩く映像が撮影された。撮影者はワルシャワ在住のピョートル・コワルスキーだ。獣人は、撮影者の存在に気がつくと、岩陰に姿をくらましてしまった。実は、同じ時期にタトラ山地周辺では、イエティ出現が相次いでいる。異常気象のせいか、あるいは生活圏が脅かされているのだろうか。

 

日本の獣人 ヒバゴン

・1970年9月、「中国山脈の奥深く、類人猿が出没!」という新聞のニュースが報じられた。広島県東部の比婆山一帯に謎の獣人が出没したというのだ。足跡のみならず、12件の目撃事件が報告されると、地元町役場は「類人猿対策委員会」を設置。獣人は比婆山の名をとって「ヒバゴン」と命名された。だが、1982年に姿を現したのを最後に、残念ながら目撃は途絶えたままである。ちなみに日本ではこれ以後、1980年に広島県山野町でヤマゴンが、1982年には、広島県久井町でクイゴンが、1992年には岩手県山形村にガタゴンが出現した。いずれも足跡や目撃報告などの証拠は集まられたものの、正体はわからずじまいだった。UFOから落とされたエイリアン・アニマル、密輸入された類人猿などさまざまな説が提示され話題を呼んだ。

 

 

 

『世界のUFO現象FILE』

並木伸一郎   学研パブリッシング    2011/3

 

 

 

 古代コンタクト事件の記憶

羽衣伝説

静岡市三保の松原には有名な羽衣の松がある。ここはこの地方に古くから伝わる羽衣伝説の舞台だが、伝説にちなんだ名所旧跡は多い。だが、その羽衣の松のすぐそばに建つ小さな祠の羽車神社を知る人は少ないかもしれない。

  羽を持った車とは、車輪のような形状の飛行物体のことだろうか。それとも翼とおぼしき物体がついた飛行機なのか。駿河に伝わる資料によれば、この羽車とは大国主命が作った神輿とされているのは興味深い。

 同じく三保にある御穂神社の創建縁起にはそんな想像を裏づけるような話が登場する。同神社の祭神は大己貴命(オオナムチノミコト)と三穂津姫命だ。姫をめとった大己貴命は、名前を三穂津彦命と改め、“天羽車”に乗って新婚旅行の途中、絶景の地にして海陸の要衝である三保の浦に鎮座したというのだ。注目すべきは、両神が羽衣ではなくて、羽車に乗って降臨したという一説だ。

 羽衣伝説には、天に帰れなくなった天女が仕方なく漁師の妻となるが、隠された羽衣を見つけだし、天に帰るという話も伝わる。実はこうした伝説は日本各地に存在するもので、三保だけに限らない。これは想像でしかないが、羽衣=羽車に乗った異星人が古代日本と文化交流を果たした記憶ではないだろうか。

 

 

 

『暮らしのなかの妖怪たち』

岩井宏實   慶友社    2012/10

 

 

 

覚(さとり)

山の中、ことに北国の山中にいる獣の姿をした妖怪に「覚(さとり)」がある。飛騨や美濃(岐阜県)の山中によく現れ、その姿は狒々(ヒヒ)に似ていて、よく人の心を見抜くという。富士山麓の地方ではこの化け物を「思い」といった。昔、一人の樵夫(きこり)が富士山麓の大和田山の森のなかで木を伐っていると、突然、狒々に似た怪物が現れた。樵夫は思わずゾッとした。するとその怪物はゲラゲラ笑って「今お前は怖いと思ったな」という。樵夫はぐずぐずしていると取って食われるなと身慄いすると、今度は「ぐずぐずしていると取って食われると思ったな」という。樵夫はたまらなくなって、なんとか逃げてやれと思った。するとまた「逃げるだけ逃げてやれと思ったな」という。いよいよたまらなくなって、もうどうにでもなれとあきらめた。すると今度は「どうにでもなれとあきらめたな」という。こうなるとまったくどうしようもないので、樵夫はあきらめて木を割る仕事を続けた。するとますます怪物が近寄ってくる。ところがそのとき、割っていた木に大きな節があって、斧が節目に当たると同時に、突然それが砕けて勢いよく飛び、木の端が怪物の目に当たってその目をつぶしてしまった。これは樵夫も怪物もまったく思いもよらぬことであった。そこで怪物は「思うことよりも思わぬことのほうが怖い」といいながら逃げていったという。人の心の内を覚る、あるいは人の思いを知るというところから、この怪物を「覚」「思い」とよんだのである。

 

家屋敷の妖怪

ザシキワラシ

柳田國男の『遠野物語』に、家の座敷にときおり出現する童子姿の精霊の話がある。「座敷童子」である。岩手県を中心として東北地方北部に分布するが、童子の姿をしていると信じられているところから、「ザシキワラシ」のほか、「ザシキボッコ」「ヘヤボッコ」「クラボッコ」「クラワシ」などとよばれ、2、3歳から10歳ぐらいまでの、オカッパ頭で赤い顔をしているという。

 

・遠野の土淵村大字飯豊(遠野市土淵町飯豊)の今淵勘十郎の家では、高等女学校に行っている娘が休暇で帰っていたが、ある日、廊下でばったりザシキワラシと行きあい、大いに驚いたことがある。これは男の子であった。同村山口(遠野市土淵町山口)の佐々木氏の家では、母が一人で縫い物をしていると、次の間でガサガサ音がする。その部屋は主人の部屋で、そのときは東京に行き不在であったので、怪しいと思って板戸を開けてみたが何の影もない。しばらくするとまたしきりに鼻を鳴らす音がする。さてはザシキワラシだと思った。この家にはザシキワラシが棲んでいるということがずっと前からいわれていた。この童子の宿る家は富貴自在であるという。

 ザシキワラシはまた女の子であることもある。

 

・「明治43年の夏7月頃陸中閉伊郡土淵村の小学校に1人の座敷ワラシが現われ、児童と一緒になって遊び戯れた。但し尋常1年の子供等の外には見えず、小さい児がそこに居る此処に居ると言っても、大人にも年上の子にも見えなかった。遠野町の小学校からも見にいったが、やっぱり見たものは1年生ばかりであった。毎日のように出たと云う」と記している。

 

・また、遠野の小学校がまだ南部家の米倉を使用していたころ、夜の9時ごろになると、玄関から白い着物をきた6、7歳の童子が戸の隙間から入ってきて、教室の机や椅子の間をくぐって楽しそうに遊んでいた。こうした座敷童子はたいていオカッパ頭で赤い顔をしているという。それは人びとが等しくもつ子供の典型的なイメージであり、それを家の盛衰を司る守護神と信ずるのは、子供が神と人間の間をつなぐ存在とする民間信仰を根本としているからであろう。このことは仏教の信仰にみられる護法童子と通ずるものである。

 

枕返し

・夜きちんと寝たにもかかわらず、朝起きてみると枕が逆さになっていたり、思わぬところに枕が飛んでいったりすることがある。これは「枕返し」という妖怪が、寝ている間に枕を運ぶという。

 この枕返しは、かつてその部屋で死んだものの霊が悪戯をするという話が伝わる。昔、ある宿屋に盲人が泊まった。その盲人はあたりに誰もいないと思って、懐から金包みを取り出して勘定しはじめた。それをひそかに見ていた宿の主人が、あまりに大金を持っているのに驚いて欲を出し、翌日旅にでる盲人を道案内するといい、山中に連れ込んで殺して金を奪った。するとその盲人の霊が宿屋に棲みつき、夜な夜な盲人の泊まった部屋に泊まる人の枕返しをしたという。

 

・東北地方では、この枕返しは多くザシキワラシの仕業とされている。このザシキワラシは、その家にいるかぎり、家の繁栄が保証される。いわば家の守護霊のごとき性格をもっているが、そうしたものの悪戯であるという。だから、この場合の枕返しは恐ろしいというよりも、吉兆であると考えられたのであった。古くからは枕は人間の霊魂のこもるものであると意識されていたので、ザシキワラシの枕返しは、人が寝ている間にもう一つ別の世界に誘引される、すなわち霊魂が吉の世界に入ることを意味したのだった。

 

天狗の仕業

・ところで、天狗の仕業のうち、もっとも恐れられ、かつ罪深いのは神隠し・人さらいである。この「天狗隠し」の伝承は、天狗伝承のなかでも代表的なものの一つである。子供や若者、ときには老人が突然姿を消し、数ヶ月あるいは数年後に戻ってくるというもので、その間天狗の棲処に連れて行かれたとか、名所旧跡を見物したとか、異常な体験が語られる。こうした伝承は天狗の棲処とされる山や樹木の伝説に付随して語られている。

 

柳田國男の『山の人生』にはつぎのような話がある。石川県小松市遊泉寺町の伊右衛門という老人が神隠しにあった。村中が手分けして捜しまわった結果、隣の集落との境になっている小山の中腹の「神様松」という傘の形をした松の木の下で、青い顔をして坐っているのを見つけたという。村人がこの老人を捜し歩いたとき、「鯖食った伊右衛門やーい」と唱えた。天狗は鯖をもっとも嫌がるから、こういえばかならず隠したものを出すという。

 

・石川県小松市南部の樵夫利兵衛の子で、神童といわれた次郎が突如として姿を隠し、ついに発見できなかったので、仮に葬儀をした。それからのちは山中で太鼓の音がし、伐り倒した老杉が空中に浮かび、大石が落下し、山地が崩壊するという怪異が続いた。ところが一月ほどのち、次郎が父の枕元に立って、自分は白髪の老人に伴われて巌窟のなかで生活している。人間は天狗の世界を侵してはならないと告げて姿を消した。これを聞いた父利兵衛はたいへん恐れて、ついに樵夫をやめて立ち去り、これまた行方知れずになったという。

 

・天狗にさらわれたのとは異なり、みずからすすんで天狗になることを念じ、ついに天狗になったという話が『金沢古蹟誌』にみえる。加賀藩の老臣本田氏の家老篠井雅楽助の若衆が、天狗化生の祈念をしてついに念願かない、ある日煙のごとく姿を消した。その後主人雅楽助の夢枕に現れて、奉公中のお礼として馬の鞍とお守りを差し出した。このお守りは天狗にさらわれたとき携えて本人を探せば、かならず発見できるという霊験のあるものだが、効能の期限は七代限りという。さめてみれば鞍は庭の楓の枝に掛かり、お守りは枕辺にあった。それからは金沢市中で子供を天狗にさらわれたものは、このお守りを請けて探すとかならず見つけることができたという。

 

 

 

『日本怪異妖怪大事典』

小松和彦  東京堂出版   2013/7/12

 

 

 

<ひひ【狒々】>

類;いひひ、さるがみ【猿神】、さるのふったち【猿の経立】、ひいひいざる【ヒイヒイ猿】

 

年老いた大猿の妖怪。娘を生贄に要求したのを通りがかった者が犬の助けを得て退治するという伝説が『今昔物語集』以来知られている。

 

猿神を憑き物とする地方もある。

 

<やまわろ【山童】>

類;ほいほいさん【ホイホイさん】、やまおとこ【山男】、やまわらし【山童】、やまんたろう【山ん太郎】、わろ【童】

 

・山に住む童形の妖怪。山中に群居しヒューヒュー、ヒョイヒョイなどの鳴き声をあげながら移動するという。全身が毛に覆われており、人を恐れずに近寄って来るが、犬を嫌う。

 山に入った人間が山童に出会い、問答や勝負をする話が各地に伝わる。人の声真似を得意とし、ヤマワロが「山笑う」の意として解釈されることもある。土地によっては山彦とも呼ばれる。サトリ、カシャンボ、セコ、カリコボウズなどの山中の妖怪とも多くの共通点を持つ。

 

・酒や米を好み、それらと引き換えに山仕事を手伝ってくれることもあるが、人間が約束を破ったり、礼を欠いたりすると災いを為す。童形であること、風呂や相撲を好むこと、金物を嫌うことなど、山童には河童との共通点が多い。ヤマワロとカワワロ(河童)を同一視する地域も少なくない。

 

<憑依現象>

・霊的なものが人や物に「つく(憑く・付く)」現象。専門的には、憑入(霊が身体に侵入し、人格が変わる)・憑着(身体に付着する)・憑感(外側から影響を与える)の三つに分けられる。憑依には術者が意図的に行う場合と、そうではない偶然的な場合とがある。憑依を操作しうる宗教者は多種多様で、憑くものも神仏から獣、無機物まで多岐にわたる。日本の場合、死霊や狐の例が特に多い。近代医学においては、精神病の一種と見なされる。

 

きじむなー

・子どもの姿で、赤い髪、赤い顔をしているとされるが、黒い顔という説もあり、大きな睾丸を持つともいわれる。沖縄各地で報告されており、ガジュマル、アカギ、アコウ、ウスクといった古木の精が子どもの姿をして現れたものと言われるが、海で亡くなった人の魂が昇天出来ずにさまよっているという説もある。『沖縄県史』では本土における河童と位置付けている。

 

・力が強く、山仕事や家を建てるのを手伝ってくれる一方、いたずらが好きで、寝ている人の上にのしかかることがある。この状態の時、人は意識があるが、身動きをする事が出来ない。キジムナーには男女の区別があり、男のキジムナーは女性を、女のキジムナーは男性を襲うと言われている。

 キジムナーと仲良くなると、漁を助けてくれたり、金持ちになったりするとされる。また、キジムナーと縁を切るには、キジムナーの嫌いな蛸や熱い鍋の蓋を投げつける、屁をする、住んでいる木を焼いたり釘を打ちつけたりすればよいと言われている。しかし、キジムナーの嫌う事をすると復讐に遭う事がある。また、その復讐が本人ではなく、家族に向かう場合もある。

 

・(沖縄県伊平屋村キジムナーが海でイザイ(漁)をしている人々から火をもらって歩くのが集落から時々見られる。キジムナーヤーチューといってキジムナーに大きな灸をすえられる事もある。畑などや時には家の中でも子供をひとりねかせると、体中キジムナーヤーチューをされる。

キジムナーにおそわれたら家人がその人をたたくとキジムナーはにげるといわれている。

 

神隠

・人が不意に行方不明になったことを神々の災いによるものとして言う語。古くは人や物が不思議と見えなくなることを指し、大蔵虎明が明正19(1642)年に書写した狂言「居杭」では、天狗の隠れ蓑笠譚にあるように、人が透明人間となって姿を消すことを神隠しと呼んでいる。18世紀後半編纂の『譬喩尽』でも、物が俄かに見えなくなることを神密しとしている。

 

・慶応末年頃、金毘羅社の境内で遊んでいた男児が天狗にさらわれた。ふわりふわりと浮かぶように空に上り、風に吹かれるように空に上り、風に吹かれるように山奥へ行ってしまった。少し口のどもる児で、10日目に戻って来たが、その後もたびたび連れて行かれた。

 

あまびこ【天彦、尼彦】

類;【天彦入道】

・予言する怪異。近世後期から近代初期にかけてかわら版や護符として流行した。かわら版には、天彦が現れ、災厄の予言とその回避策として自身の絵姿を貼り置くよう告げたことが記され、天彦の図像が描かれる。図像は多様で、人魚や猿のような形状をもつものもある。一方、予言内容やその対処策は類型的なものであり、天彦以外の予言する存在を描いたものも多い。

 

・(秋田県)西郷合戦の前、天彦入道の像を白紙に書き、表裏の戸口に貼れば悪魔除けになると噂になり、地蔵尊様の形をした入道を墨絵でしたためた。

 

くだん【件】

・半牛半人の予言する怪異。生後すぐに予言して死ぬ。その予言は必ず的中するとされ、証文等で結びの文句とされる「よって件の如し」という表現は、件の予言が確かなためであるという俗説とともに語られる。

 件は、多くは人面牛身であるが、まれに牛頭人身とする場合もある。

また、馬、蛇、魚など、人と牛以外の動物との組み合わせの件についてもごく少数ながら報告がある。

 

件の伝承は主に西日本に分布し、第2次世界大戦前後に噂話・流言として流布した形跡がある。まれにこれを実見したという語りも記録され、なんらかの異常児が件と見なされたこともあったことがわかる。

一方、近世には護符になると謳われていた。このことから、件は近世のかわら版文化の中で、言葉遊びから生み出されたとする説もある。

 近代以降、件の剥製が見世物にされた例もあるが、それらは異常な形状をした牛馬の遺骸を加工したものである。また、小説・漫画等の影響で件は近年でも知名度が高い。

 

・(事例)(広島県満州事変当時、クダンが「来年は大戦争と悪疫で国民の大半が死ぬ。この災いを免れようと思うなら、豆を煎って7つの鳥居をくぐれ」と予言したという。

 

・(岡山県草間村)子供のころ、草間村に生まれたクダンを見に行った。ぶよぶよした赤い肌にちらちら毛がはえていた

 

・(香川県昭和5年ころ、小豆飯を炊き、手首を糸でくくる厄除けがあったが、それは山の中のくだんという人身牛頭の怪物から出たことである。

 

・(岡山県昭和36年ころ、八束村で、川上村で生まれた件が、来年大戦争があるという予言をしたという話を聞いた。川上村に行ってみると、件が生まれたのは中和村で、予言の内容は「来年は大豊作だが流行病がある」というものだと言われた。そこで中和村にいってみると、件が生まれたのは八束村で来年は「大風が吹く」という予言だったと聞かされた。

 

・(宮崎県)クダンは人頭獣体の化け物で、首から下は馬・蛇・魚のこともあるが、牛が多い。天下の重大事の予言をし、3日で死ぬ。その予言ははずれたことがない。昭和の初め、クダンが生まれ、親に「大変なことが起こるので食糧の備蓄をするように」と予言した。間もなく、第2次世界大戦が起こった。

 

さとり【悟り】

類;【思い】

山中に住み、人の心中のすべてを悟るという妖怪、風体などは山男や老人などである。人の考えすべてを言い当て、おびえさせた後食べようとする。その時偶然に囲炉裏の木片がはねるなどしてサトリに当たると、「人間は思いもよらぬことをする。おっかない」と言い、逃げる。

また黄金の弾丸を見ると逃げるともいう。逃げるとき、自分を見たことは言うな、と告げて去る。現代では小松左京が「さとるの化物」という作品でサトリを超能力者と解釈して描いた。

 

 

 

『世界不思議百科』

コリン・ウィルソン + ダモン・ウイルソン 青土社 2007/2

 

 

 

歴史と文化の黒幕 神秘の人びと

ブラヴァツキー夫人の奇跡

・1883年の初頭、ロンドンで『密教』と題する本が出た。たちまち評判になり第二版に入った。著者はアルフレッド・パーシー・シネット。髪の毛が後退しかけた痩身小柄な人物で、インドでもっとも影響力のある新聞「パイオニア」の編集長である。まずセンセーションの対象となったのは、第一ページに麗々しく出ているシネットの序文である。同書の内容は、チベットの山中深く住みほとんど永遠の長寿の「隠れた聖者たち」から得たものという断り書きだ。インドにおける大英帝国の代弁者とみなされる新聞の編集長が出した本だ。そこいらの「オカルト」狂いと無視するわけにはいかない。

 

1880年の10月、シネット夫妻は評判のブラヴァツキー夫人を自宅に招待した。夫人は自分の知識の大部分は、ヒマラヤに住んでいる「隠れた聖者たち(隠れた首領)」から得たものだと彼に語った。

 

生来の「霊媒

・生来の霊媒が存在するという前提を認めるとしよう。特殊な「魔力」を所有するか、またそれに所有されている霊媒だ。その前提に立てば、ブラヴァツキー夫人がその種の人間であることはまず疑いようがない。

 

心霊は存在するのか

ブラヴァツキー夫人は、隠れた聖者たちという考え方の発明者ではない。これは、昔から「オカルト」に一貫した考え方である。

 

・オカルティストは、第一に比較的不完全な状態から、比較的高い肉体的および精神的状態へ進化の途中だという考え方を奉ずる。第二に、進化の過程のあらゆる段階は、この比較的高い状態へすでに達している「偉大なる知能者ヒエラルキー(階層)」により命令されるとオカルティストは考える。

 

超能力と進化

ブラヴァツキー夫人は1891年に世を去るが、高度知能と接触したと信ずる「オカルティスト」(超自然現象に興味を持つ人という意味の広義)はその後も跡を絶たない。アリス・ベイリーは、ブラヴァツキー夫人の没後に神智学協会の有力メンバーになるが、シネットが言う「マハトマ」(「偉大な魂」の意)クート・フーミと接触したと自認する。神智学協会内の主導権争いにいや気がさした彼女は、1919年に別のグループを組織し、「ザ・ティベタン」(チベット人)という存在から口授されたと称する多くの書物を世に出した。

 

洞察力あふれる哲学者の相貌

・心霊調査協会の初期のメンバーの牧師ステイントン・モーゼスは、「自動筆記」の手段で、大量の筆記文書を残した。これは本人の没後、『心霊の教義』として出版される。モーゼスはこの抜粋を生前に『光明』という小冊子にまとめているが、自分の鉛筆を動かした心霊のなかには、プラトンアリストテレス旧約聖書のなかの予言者などと称するものがあると困惑を隠していない。

 

・1963年のアメリカのことである。ジェイン・ロバーツと夫のロブはウィジャ盤で実験を始めた。「ペイシェンス・ワース」にある程度影響を受けた。さまざまな人格が身元を明かしてメッセージを伝えてきた。やがて身元を「セス」と明かした人格が登場し始める。

 

・「セス」は『セスの資料』、『セスは語る』などの題の多くの本を伝授し続けた。本はいずれも素晴らしい売れ行きを示した。ジョイン・ロバーツの無意識の心の一側面であれ、または本物の「心霊」であれ、セスが高いレベルの知能の所有者であることを、これらの書物はまぎれもなく示している。

 

時代を越えて伝世されるオカルト教義

・20世紀のもっとも独創的な認識者の一人ゲオルギー・グルジェフは、青年時代の大半を「サームング修道会」というものの研究に捧げるが、後に世に出て、その基本教養を北ヒマラヤ山中の僧侶修道会から授かったと唱えた。

 

・しかし、グルジェフの高弟P・D・ウスペンスキーは著書『奇跡を求めて』で次のように述べる。「グルジェフの『精神現象的』教義の背景にはきわめて複雑な宇宙体系がある。これは教義そのものには明確な関連性を欠くもので、グルジェフ自身の独創によるものではないと考えられる」。

 

・この宇宙論をさらに詳述したものに、もう一人の高弟J・G・ベネットの4巻本の『劇的宇宙』がある。同著は次のような確信から出発する。「宇宙にはデミウルゴスという1クラスの宇宙要素がある。これが宇宙秩序の維持を司る。このデミウルゴス知能は、人間の生涯をはるかに超えた時間スケールに対して作用を及ぼす」(訳注:デミウルゴスプラトンが世界の創造者と考えた概念で、キリスト教グノーシス派もこの神を認めている)。

 

デミウルゴスは、なにか新しくかつ生起原因のないものを世界のプロセスへ導き入れる点では、人間よりもはるかに大きな力を所有している。しかし、決して誤らないわけではない。デミウルゴスの主な仕事は「生命のない原初から世界の進化を導くこと」だが、「時には実験と試行を繰り返し、時には誤謬をおかして元に戻り、海から生命が発生して陸の動物が存在を開始すると前方への大跳躍を行なった」。ベネットは次のようにも付け加えている。「グルジェフ師はデミウルゴスを『天使』と呼んでいるが、この言葉には多くの連想があるので使用を避けることが望ましい」。

 

文化の進展と地球の進化

・あまたの世紀にわたって東方には不思議な言い伝えがある。どこか隠れた土地、中央アジアの高地地方と考えられているが、異常な力を所有する一群の人が存在しているという。この中心部は、少なくともある面では、世界の秘密政府として振る舞っている。

 

・この言い伝えの一部は十字軍時代に西方に伝えられている。1614年には薔薇十字団の装いで出現する。19世紀にはブラヴァツキー夫人とフランスの外交官ジャコリオによりヴァリエーションを加えて再登場する。英国では作家タルボット・マンディがこれに続き、最近では1918年のモンゴルの旅行家オッセンドウスキーがいる。

 

・この言い伝えの神秘の土地シャングリラでは、一部の人は、通常の人間の状況を越えて進化し、この惑星を越えた力の統治者として行為している。下のほうの階級は、東方でも西方でも、それと気づかれることとなく普通の人と混じりあって生活し、歴史の重要局面では必要な結果を得るために努力し、地球の進化全体を太陽系の事象と歩調が揃うよう維持している。

 

「隠れた首領」という知能

・「隠れた首領」という表現を初めて用いたのは『劇的宇宙』におけるベネットその人である。キャンベルはこの本のテーマを次のように要約している。

 人類の長い物語を書くのは、人間自身の知能よりもはるかに偉大な知能である・・・地球上のこのプロセスを司るのは、『隠れた首領』と呼ばれる知能である。これは、オカルト伝承では個体(たとえば、「統治者」、「古代者」など)として象徴されるレベルに対応する。また、これはデミウルゴスのレベルまたはそのすぐ下のレベルにも相当する。

 

・人類全体に対する行為と並行して、執行者およびその直属者は、個々の人間の意識レベルの向上に関する地域的な行為も司る。

 特に選ばれたこの種の普通人は、執行者の作業への参加資格を望むこともある。この資格認定のプロセスは、マグナム・オーパス、すなわち「大事業」である。これは進化全体の潮流に合わせた緩やかな上昇とは対照的な高レベルへの垂直的上昇である。

 

 

 

『世界史と西洋占星術

ニコラス・キャンピオン  柏書房   2012/8/1

 

 

 

19世紀  神智学的啓蒙主義

・アリス・ベイリーは、教会の日曜学校で教師をしていて、後に熱心な神智学者となった。彼女の関心の多くは、シュタイナーと共通するものである。彼女はまた、シュタイナーと同じ秘教主義のキリスト教徒であり、スコットランドからアメリカ合衆国に移った後、神智学協会でその名を知られるようになった。彼女は、やがて、ブラヴァツキー夫人に秘伝の教理を伝えたとされる「アセンションした指導者たち」なる神秘的な存在と、自分もコンタクトをとることができると主張し、それが一因で人々の反感を買うようになってしまう。ベイリー御用達のスピリチュアルな指導者(導師)とは、通称「チベット人」といわれ、占星術的な黙想や、その書き物の大半を彼女に口述筆記させる存在だった。

 

・しかしながら、ブラヴァツキーを研究することに一生を捧げ、ベイリーに語りかける導師たちのささやきをそれまで一言も聞いたことがなかった神智学者たちにとって、彼女の主張は、我慢ならないものだった。そこで、ベイリーは、潔く静かに協会から離れ、今度はアルカン学派という新学派を、自ら始めたのだった。その出身者には、著名なイタリアの精神科医で、精神統合の礎を築いたロベルト・アサジリオ(1888-1974)や、20世紀もっとも大きな影響を与えたアメリカの占星術師、ディーン・ルディア(1895-1985)がいる。

 

・ベイリーの占星術も、シュタイナーに匹敵するくらい独特である。例えばそれは、月を「死んでいる」ととらえ、何の有効性も見出さない。また、「ヴァルカン」のような、実在しない架空の惑星の存在を前提とし、霊的な存在の水準を示す「レイ(光線)」をもちいる。彼女の占星術は、その厳密さゆえ、それを受け継ぐ者はほとんどいなかった。こうした彼女の占星学よりも重要なのは、彼女が、水瓶座時代――そして、ニュ―エイジ――の本質、そして、それが切迫したものであることを、繰り返し雄弁に説明し続けたことによってもたらされた、占星術世界全体への影響である。

 

・ベイリーは、シュタイナーと同じく、地球規模の危機が目前に迫っている、というような、終末論的な占星術の考え方に深く傾倒していた。そして、「水瓶座」の同義語として「ニューエイジ」という言葉が人口に膾炙するようになったのは、彼女のお蔭である。彼女にとって「水瓶座時代」と「ニューエイジ」というふたつの言葉の概念は、同一のものだった。

 

春分に、水瓶座の星座の星から太陽が昇り――それは20世紀の終わり頃だろうと彼女は考えていた――ニューエイジ(新しい時代)が幕開ける。そうして、世界は、純粋なる霊へと回帰し始めるのだ。彼女は、心からそう信じていた。彼女はいつもの漠然とした調子でこう書いている。「人類が、その《意志をひとつにすること》によって、世界の状況に決定的な影響を与える時が刻々と迫っています。このことは、進化の過程が成功し、精神が開花することの帰結なのです」と。

 

 

 

『トランス・ヒマラヤ密教入門』3巻 意識の変化

アリス・A・ベイリー   (アルテ)  2008/9

 

 

 

<ディヴァチャン(天国)>

・ディヴァチャン。低位様相からの分離に後に魂が入る、二つの地上生活の合間の中間状態。

 

・濃密な肉体とエーテル体から完全に分離した瞬間から、そして過去の過程が始まったとき、人は過去と現在を認識している。また、除去が完了した魂との接触が生じ、マナス媒体が崩壊するとき、人は直ちに未来を認識する。なぜなら、予言能力は魂意識の財産であり。人間は一時的にこの財産を共有するからである。したがって、過去と現在と未来は一つのものとして見られる。「永遠の今」の認識が、転生から転生へと連結する再生誕の過程の間に徐々に発達する。これがディヴァチャンと呼ぶことができる(進歩した人間の正常な状態を特徴づける)意識状態である。

 

<敷居の住者>

弟子が生命の門に近づくまで、敷居の住者がイリュージョンとグラマーの霧の中から現われることはない。弟子がイニシエーションの入口の微かなきらめきとその扉の側で待ち構える臨在の天使に体現される二重性の原理を把握できるようになる。現在のところ、私の言葉はあなた方にとって将来の状態と出来事を象徴的に表現しているだけであるが、右側に天使、左側に住者で表わされる、相反する対をなすものの象徴の間に完全に意識して立つ日が必ず訪れる。そのときに、あなた方の人生の場が長きにわたって戦ってきたこの二人の対立者の間を真っ直ぐに突き進む強さがあなた方に与えられますように。そして、この二人が一人として見られる臨在へと入り、生命と神性しか知らなくなりますように。

 

 

 

『「宇宙人と地球」の超真相!』 

工学博士 深野一幸  (徳間書店)   1997/10

 

 

 

オスカー・マゴッチの「深宇宙探訪記」の分析(宇宙の霊的存在)

・「宇宙の霊的存在」 肉体を持たない様々な意識体(霊的生命体)を、マゴッチの情報で分類してみると。

 

1、 ガーディアン(守護神)―昔、人間であったが、霊的に進化し、霊的存在となった。人間世界の指導をしている。

 

2、 アセンディド・マスター(高級教師) ガーディアンより、さらに進化した霊的存在の生命体。7人存在し、7色の虹のように輝いている。第7密度であり。7次元にいる。

 

3、 創造主(偉大な潜在界)さらに上位には、金白色のとてつもなく大きな光で全てを包含する存在がある。グレート・マニフェスト(偉大な潜在界)と呼ばれている。神・宇宙意識などとも呼ばれる。

 

4、 コズミック・トラベラー(宇宙の旅人)-ガーディアン委員会の下で、ガーディアン委員会の特命事項を遂行する宇宙人。ガーディアン委員会の代理人であり、実行部隊の隊長である。5次元(第5等級)に存在する。肉体を持った人間になったり、目に見えない透明な人間になったりすることができる。宇宙人のクェンチンは、コズミック・トラベラーの一人である。

 

・その下に肉体を持ち進化した宇宙人(人間)がいる。肉体を持つが、地球人の目には見えない。3次元及び4次元に住む。地球人は、波動が低い3次元世界に住む。霊的に向上すると波動が上がり、レベルが上がる仕組みになっている。

 

 

 

『世界不思議大全』

 泉保也 GAKKEN   2004/6

 

 

 

パリの「薔薇十字団」

完全なる世界の創造を目指した超人集団の謎

・あらゆる魔術的叡智を体得し霊眼を開く

 

・人間の姿をとって物質界に現れた高次の霊的存在のローゼンクロイツ

 

パリが興奮し時代の英傑が入団を希望した薔薇十字団

目に見える姿と目に見えない姿で、当市内に存在している

・団員は天の周辺に住む神的な一団である。彼らは、分身の術を備えていて、意のままに姿を変えて現れることができる。また彼らは、自分の望む場所に移動することもできる。その他、団員は占星術によって地震を予知したり、都市の疫病の流行を遅らせたり、空中を歩いたり、どんな病気でも治すことができる。

 

・ヨーロッパ世界には、そうした超能力を持つミステリアスな人物に出会ったという説が無数に残っているのだ。

 

・17世紀の前半期、ヨーロッパに大旋風を巻き起こした薔薇十字団は、1648年頃、再び忽然とその姿を消してしまう。

 

<●●インターネット情報から●●>

 

14歳のときには、小人乗員が地上での重労働に使っている毛むくじゃらのビッグフットにさらわれたという

彼らは子種を得るために誘拐されたのか。交配実験であるなら、その目的はいったい何なのだろう。

アブダクション事件のなかには、子供のころから長い年月にわたって何度も誘拐されたケースも存在する。被害者たちはUFOに連れ込まれては繰り返し検査を受け、組織サンプルを採取されているという。その典型例が、カナダのジャック・Tのケース。記憶の欠落を感じていた彼は、催眠療法により1957年の2歳のころから誘拐されていたことを思い出した。10歳になるころには友達とともに拉致されて全身を機械でなでまわされ、14歳のときには、小人乗員が地上での重労働に使っている毛むくじゃらのビッグフットにさらわれたという。さらに16歳のときは、バンド仲間とともに誘拐され、巨大な機械についた装置で全身をチェックされて、各部のサンプル採取も行われたということだ。

 不気味なことに、アメリカには同じ年に生まれた人々が、同じころに繰り返し誘拐されたケースもある。有名なUFO研究家のバッド・ホプキンズとテッド・ブローチャーが、催眠治療の専門家アフロダイティ・クレーマー博士とともに行った調査で明らかにされたものだ。1943年生まれの4人が、1950年と1960年前後にUFOと遭遇。生体検査を受け、サンプル採取をされたらしく、体には原因不明の傷が残っている。4人とも知性と才能に恵まれ、地位もある人々であり、異星人に選ばれて定期検査を受けていたと見られている。

また、アメリカでは親子3代にわたり、何度も誘拐されたというケースまで報告されている。娘は12歳のときから5回も大きい小人に誘拐され、サンプル採取をされたことを催眠治療で思い出した。母親も娘と同じくサンプル採取の跡と見られる傷があり、娘が生んだ子も真夜中に小人の訪問を受けたという。

 異星人たちは特定の人間にターゲットを定め、定期検査とサンプル採取を行っているのだろうか。長期的で壮大な計画の存在がうかがわれる。

 

 

 

『戦慄のUFO&宇宙人ミステリー99』

悪魔の協定か?ダルシー人体実験 エリア51のエイリアン

地球内部の異星人基地 フリーメイソンNASAの陰謀

監修 南山宏  双葉社  2010/7/14

 

 

 

地下の秘密実験場 戦慄のラザー証言 アメリカ合衆国1980年代~

・米政府およびエリア51が存在しているかどうかという問いにすら、これまで無言を貫いてきた。しかし、エリア51という区域が確かにあり、そこでUFO開発が行われているという証言者が登場した。それも自身がその作業に従事したという内部告発者が出てきたのだ。それがロバート・ラザーである。

 ラザーによるとエリア51内にはタイプの異なるUFOが9機保管され、彼自身は墜落UFOを地球上にある材料だけで復元させるプロジェクトの一員だったという。参画したのは1987年など、詳細を極めた告発内容だった。ラザーはUFOをエリア51内で扱っただけではなく、乗員だった異星人の写真や資料も確認したと発言。驚くべき証言者として話題を呼ぶこととなった。

 

グレイと接触した第2の内部告発者  アメリカ合衆国/2004年

・その代わり、バーリッシュはテレビ出演や新聞雑誌等のインタビューに応じ、エリア51でどんな研究をしていたのかを具体的に述べている。その驚くべき内容は、エイリアンの体組織を分析するというもの。低温窒素ガスが充満する無菌室で、バーリッシュはグレイ系の特徴を持つエイリアンから、定期的に腕の組織を採取し続けたというのだ。その組織のサンプルは100例以上にのぼり、目的は、グレイ系エイリアンが地上で悩まされていた抹消神経障害の治療法を開発することだったという。

 

グレイ流出ビデオとエリア52の真実  アメリカ合衆国/1997年

・肌はグレイではなくベージュ色。大きな黒眼と球形の頭部はいかにもエイリアン風である。画面の下にDNI/27という表記が日付とともに映っているが、DNIとはエリア51を管轄している海軍情報部の頭文字と一致する。これもビデオの信憑性の裏づけといわれ、エリア51の地下にある、エイリアン隔離用の特別室で撮影されたものと見られている。

 

・エリア52の場所は、UFO研究家の間でも意見が分かれている。無論、米政府がエリア52の存在を認めるわけもなく、エリア51近くのトノパ実験場が有力だといわれている。

 

土星の環は宇宙人の加工物!?  宇宙/2007年12月

・どうやらいちばん外側のAリングの末端部分に何らかの強烈なエネルギー流れがあること、色調が出し抜けに変化する境目の空間に巨大な葉巻型の構造物が浮かんでいるらしいことを発見したのだ。全長3万6000キロはあろうかというとてつもない超巨大サイズのUFOである。リングにはこうした葉巻型の超巨大UFOが、少なくとも他に3機ひそんでいることもわかった。

 

太陽に潜むソーラー・クルーザーとは? 宇宙/2001年8月~

・太陽活動がもっとも盛んな極大期は猛烈な磁気嵐が降り注ぐ、そうした宇宙空間を悠然と航行している様子が世界中の天文マニアによって確認されている。三角形や翼のあるタイプも発見されている。

 

・そもそもソーラー・クルーザーは観測結果から推測すると全長50キロにもなる巨大構造物だということがわかっている。にもかかわらず、その存在理由はまったく説明がつかないのだ。

 

何度も誘拐の理由は定期検査なのか? カナダ、アメリカ合衆国/1950年~

・その典型例が、カナダのジャック・Tのケース。記憶の欠落を感じていた 彼は、催眠療法により1957年の2歳のころから誘拐されていたことを思い出した。10歳になるころには友達とともに拉致されて全身を機械でなでまわされ、14歳のときには、小人乗員が地上での重労働に使っている毛むくじゃらのビッグフットにさらわれたという。さらに16歳のときは、バンド仲間とともに誘拐され、巨大な機械についた装置で全身をチェックされて、各部のサンプル採取も行われたということだ。

 

大統領が異星人と交わした密約 1954年~

・エイリアンとの密約の内容が詳細に記されたMJ12「アクエリアス文書」を読んだと、1988年に暴露した関係者も現れた。それがミルトン・クーパーである。元海軍の情報部員だったクーパーは、MJ12がアイゼンハワーによって創設されたこと、生きたエイリアンの写真が添付された資料に目を通した経験などを赤裸々に告白。密約を交わしたのは、大きな鼻が特徴のラージノーズ・グレイであることまで暴露した。MJ12絡みで爆弾発言を連発したクーパーだが、2001年納税拒否の逮捕時に、撃ち合いになり警察に射殺されてこの世を去ってしまった。政府の巧妙な口封じだったのだろうか?

 

異星人2000人が住むダルシー基地 1954年~

・秘密基地は少なくとも地下7階まであり、下の階ほど厳重に警備され、遺伝子工学やマインドコントロール実験などが行われているという。基地にいる異星人は4種族で、オリオン座のドラコ星系出身の白くて有翼のドラコ族が支配階級、同じレプトイド(爬虫類人)だが、地球の先住民という種族は労働者階級。ほかに小柄なグレイ族と、2メートル以上の長身のグレイ族がいたという。

 カステロは同僚や研究者らの反乱グループが、デルタフォース(米陸軍特殊部隊)らしき部隊の急襲で全滅した事件も語っている。実験のために拉致された人々を救出しようとして失敗したというのだ。

 

米政府公認の生体実験施設!?  1954年~

・基地で働いていたという内部告発者のカステロの『ダルシ―文書』は、さらなる恐怖をかきたてる。地下6階の遺伝子実験室では、さらなる恐怖をかきたてる。地下6階の遺伝子実験室では、人間を多肢化させたり、人間とグレイ族の混血種をつくったり、グレイ族のクローンを育てたりしていたという。そして地下7階には、特殊液で冷凍保存された人間と混血種が何千体も並んでいたとする。

 

ケネディ暗殺にMJ12が関与!?   アメリカ/1963年11月22日

・1963年11月22日、遊説中に暗殺されたケネディ大統領。逮捕され「はめられた」と主張したりリー・ハーベイ・オズワルドは、護送中に射殺された。事件資料が次のジョンソン大統領により封印されたこともあり、CIAや軍、マフィアの関与など陰謀説は尽きない。近年になり浮上したのが、極秘組織MJ12が影で糸を引きUFOと宇宙の政策がらみで消されたとする説だ。

 

惑星セルポとの極秘交換留学  1947年~1978年

・その故郷がレティクル座ゼータ連星系の惑星セルポだ。

 

・公開された留学生リーダーの日誌には、長い宇宙旅行の様子が記されている。時間の流れがおかしく、激しい体の調子に苦しめられ、メンバーひとりは命を落とすが、乗員に助けられセルポに到着。ふたつの太陽が輝き、地平線下に沈むことはほとんどない星で、大気や気圧は地球とあまり変わらなかったという。メンバーはあたたかく迎え入れられ、平等で穏やかな社会生活をつぶさに観察、体験することができたらしい。

 

日航貨物機が脅かした超ド級巨大UFO  アメリカ合衆国/1986年11月17日

・そして、フェアバンクス上空にさしかかったとき、日航貨物機にのしかかるように現れたのが巨大UFOだった。寺内機長が四角いUFOの航空母艦と考えたのも無理はない。ジャンボ機の数十倍もありそうな大きさだったのだ。

 

エジプト文明シリウス由来!?  古代エジプト/7000年前頃

・4大文明のひとつエジプト文明シリウス信仰も、シリウス人来訪を示すといわれる。簡単にいえば、シリウス人が文明を授けたから、神として地球人から崇められたということだ。このシリウスとは、おおいぬ座のα星。全天で最も明るく輝き、地球とは8.6光年も離れている。古代エジプトでは至高の女神イシスとしてあらわされ、数々の神殿が建てられ、重要な儀式が行われた。

 

イラクスターゲイトがある!?  シュメール/30万年前

・シュメール文明の神々アヌンナキのなかでも、エリート階級は“スターゲイト”を使い、二ビルから地球にテレポーテーション(物質瞬間移動)した—―。考古学者ウィリアム・ヘンリーが唱える斬新な説だ。スターゲイトアメリカのSF映画やドラマのテーマにもなっているので、SFファンにもおなじみだろう。異次元、異世界の間を瞬時に移動できる装置で、ヘンリーはワームホールのような“次元渦動トンネル”として想定している。

 

<●●インターネット情報から●●>

ウィキペディアWikipedia(フリー百科事典)より

 

山男(やまおとこ)は、日本各地の山中に伝わる大男の妖怪。中世以降の怪談集、随筆、近代の民俗資料などに記述がある。山人(やまびと)、大人(おおひと)などの呼称もある。

 

外観は、多くは毛深い半裸の大男とされる。言葉は、土地によって話す、まったく話さないなど異説がある。人を襲ったり、これに出遭った人は病気になるなど人間に有害な伝承もあるが、基本的には友好的で、人間に対して煙草や食べ物など少量の報酬で、荷物を運んだり木の皮を剥いだりといった大仕事を手伝ってくれるという。柳田國男によれば、山男との遭遇談は、日本の概ね定まった10数ヶ所の山地のみに伝えられており、小さな島には居ないという。

 

静岡県

江戸時代の奇談集『絵本百物語』によれば、遠州秋葉(現 静岡県浜松市)におり、身長は約2丈、木こりの荷物運びを助けて里近くまで同行し、手伝いを終えるとまた山へ帰って行くという。礼を与えようとしても金銭は受け取らず、酒なら喜んで受け取ったという。

 

高知県

「土州淵岳志」によれば、寛永19年の春に豊永郷の深山から「山ミコ」という大きな男が高知へ連れて来られたという。

 

新潟県

越後国高田藩(現 新潟県上越市近辺)で山仕事をしている人々が夜に山小屋で火を焚いていると、山男が現れて一緒に暖をとることがよくあったという。身長は6尺(約180センチメートル)、赤い髪と灰色の肌のほかは人間と変わりない姿で、牛のような声を出すのみで言葉は喋らないものの、人間の言葉は理解できたという。

 

青森県秋田県

青森県の赤倉岳では大人(おおひと)と呼ばれた。相撲の力士よりも背の高いもので、山から里に降りることもあり、これを目にすると病気になるという伝承がある一方、魚や酒を報酬として与えることで農業や山仕事などを手伝ってくれたという。

 

宮崎県

明治20年頃、日向国南部某村の身上という人が山に入って「異人」に会った。その者の姿は白髪の老人で、腰から上は裸体、腰に帆布のような物を纏っており、にこにこと笑いながら近寄ってきた。

 

正体の諸説

山男の正体については、前述の『絵本百物語』では山の気が人の形をとったものともあるが、妖怪研究家・多田克己は、江戸時代の百科事典『和漢三才図会』にある山わろ、玃、山精、魍魎などが混同された結果として生まれた妖怪像とのほか、ヒマラヤ山脈の雪男(イエティ)と同様、絶滅種類人猿のギガントピテクスの生き残りとの仮説も立てている。

 

柳田國男は1913年に、山人は日本に昔繁栄していた先住民の子孫であると信ずると述べ、1917年には「山人即ち日本の先住民」はもはや絶滅したという通説には同意してよいとしつつも、「次第に退化して、今尚山中を漂白しつゝあった者」が、ある時代までは必ず居たと推定されるとした。また、山人を鬼と関連付けて論じていた。

 

 

 

『世界不思議大全』  増補版

泉保也   Gakken   2012/8

 

 

 

「ダルシィ文書」と異星人地下基地の秘密

異星人とアメリカ政府が結んだ密約とは?

明らかになった異星人地下基地

・1970年代半ばから、アメリカ、ニューメキシコ州アルバカーキに近いマンザノ山地一帯でキャトルミューテレーション(家畜虐殺)事件が続発し、加えてUFO目撃報告も相次いだ。

 

・電波の発信源がアルバカーキ北方235キロ、コロラド州境に近いダルシィ付近、ジカリア・アパッチ族居留地内のアーチュレッタ・メサであることを突きとめたのだ。

 

博士の行動と報告書がもたらした意外な反応

・ベネウィッツが受けた衝撃と驚愕は大きく、異星人地下基地が国家の安全保障の重大な脅威になりかねないという深刻な憂慮も抱いた。彼の自宅近くにはカートランド空軍基地があり、アメリカでトップの規模といわれるマンザノ核兵器貯蔵庫エリアが設けられていたからだ。

 

「ダルシィ文書」が物語る地下基地の実態

・彼らの証言はベネウィッツの真相暴露を裏づけるものであり、内部告発者が公開した書類、図版、写真、ビデオなどを「ダルシィ文書」と総称する。

 

・基地の広さは幅約3キロ、長さ約8キロ、秘密の出入り口が100か所以上あり、3000台以上の監視カメラが設置されている。

 

・基地全体は巨大な円筒形状をなし、基地の最深部は天然の洞窟網につながっている。内部構造は7層からなる。

 

  • 地下1階=保安部、通信部のほか、駐車場兼メンテナンス階。車両は厳重なセンサーチェックを受け、専用トンネルを通行して一般道路に乗り降りする。

 

  • 地下2階=地球人用居住区のほか、地中列車、連絡シャトル、トンネル掘削機の格納ガレージとUFOのメンテナンス階。

 

  • 地下3階=管理部、研究部、メインコンピューター室があり、基地全体を統御している。

 

  • 地下4階=地球人と異星人間のテレパシー、オーラなどの研究、マインドコントロール、心体分離実験、地球人と異星人の心身交換実験などが行われている。

 

  • 地下5階=グレイ族とレプトイド(恐竜人)族の専用居住区、ベネウィッツは居住者を2000人以上と推定したが、カステロは5000人以上と証言している。

 

  • 地下6階=遺伝子工学の実験室が並ぶ。魚、鳥、ネズミなどの異種生物の形質合成、人間の多肢化、グレイ族のクローン化、地球人とグレイ族のハイブリッド化など、戦慄を覚えずにはいられないおぞましい生体実験が行われている。また、さまざまな成長段階のハイブリッド種の胎児の保存槽、培養中の異星人ベイビーを入れた容器も多数並んでおり、“悪夢の広間”と別称されている。

 

  • 地下7階=拉致された地球人やハイブリッド種が何千体も冷凍状態で保存されているほか、地球人を監禁する檻もある。

 

・なお、ダルシィ地下基地に居住する異星人は1種族ではなく、次の4種族で構成されている。

 

① 標準的グレイ族=身長1メートル20センチ前後。レティクル座ゼータ星出身。

 

② 長身グレイ族=身長2メートル10センチ前後。オリオン座リゲル系出身。

 

③ ドラコ族=レプティリアン爬虫類人)で身長2メートル前後。肌の色は白くて有翼。オリオン座ドラコ星系出身。基地全体を統括する支配階級。

 

④ レプトイド族=身長2メートル前後。恐竜から進化した地球の先住民らしい。最下層の労働階級で、掃除や炊事、運搬など日常的な雑用を担当。

ちなみに、実験対象として拉致された民間人以外の地球人(軍人、科学者、技術者、保安要員など)はドラコ族に次ぐ第2の地位にあるという。

 

全米各地には200以上もの秘密地下基地がある

・周知のように、アメリカにはコロラド州シャイアンマウンテンにあるNORAD(北米航空宇宙防衛司令部)のように半公然的な地下基地はあるが、ダルシィ基地をはじめとする200余か所の地下基地・施設はトップシークレット扱いだ。

 

アメリカ政府が結んだ異星人との密約

・この予備的なコンタクトから約1か月後の1954年2月20日深夜、カリフォルニア州エドワーズ空軍基地において、異星人と連邦政府は「グリーダ協定」と呼ばれる密約を交わした。

 

一、異星人はアメリカに関わるいっさいに感知しない。

一、同時にアメリカ政府も、異星人たちの行動に干渉しない。

一、異星人は、アメリカ政府以外のいかなる国とも協定を結ばない。

一、アメリカ政府は異星人の存在を秘密にする。

一、異星人がテクノロジーを提供し、技術革新の支援をする。

 

 ところが、予備折衝では右の5か条で同意していたが、協定締結の段階で異星人側から新たな項目を付け加えたいと申し入れがあった。

 

人間を密かに誘拐し、医学的な検査や遺伝子工学の実験を行いたい。誘拐した人間は体験のすべての記憶を消したうえで無事にもとの場所へ戻す、というものだ。

 非人道的な生体実験であり、当然のことながら、アイゼンハワー大統領以下の連邦政府側は躊躇した。だが、両者の文明差は5万年ほどもあり、戦うわけにはいかない。連邦政府は無条件降伏したも同然の状況で、異星人の要求をのまざるをえなかった。かくて、“悪魔の密約”と称される秘密協定が正式に締結されたのである。

 

・当初の地下基地は2か所。そのひとつがダルシィの地下であり、もうひとつがエリア51から南へ6キロのところにある。「S-4」というエリア内の地下だった。その後も地下基地・施設の建設は続行されて200か所以上を数え、現在もなお新設されつづけている、というのである。

 

・異星人との密約、地下秘密基地――荒唐無稽というか、きわめて現実離れした話だ。トンデモ説と笑殺されてもおかしくない。が、それを裏づけるような証拠や証言が多数存在するという事実を無視するわけにはいくまい。

 

 

 

『地球を支配するブルーブラッド 爬虫類人DNAの系譜』

スチュアート・A・スワードロー   徳間書店  2010/6/18

 

 

 

エイリアン集団紳士録

アルデバラン   ゲルマン人とバイキングを創作・管理

・典型的なアーリアン型で金髪で青い目を持つ。薄い茶色か中ぐらいの茶色の髪で、目がヘーゼル(はしばみ)色の人もいる。この集団は、ゲルマンの諸民族とスカンジナビア人、特にバイキングの創作と管理を担当した。強い関心を持って、こと座文明の再創造を支援している。よくノルディック人と混同されることがあるが、ノルディック人は、もっと背が高く傲慢である。

 

アルクトゥルス  ローマ帝国建設を手伝った精神性の高い種

・非常に精神性の高い種である。原始的な形態の宇宙旅行技術(地球より発達しているが、シリウス人ほどハイテクではない)を保有している。白いローブを着た聖職者層が支配している。

 

りゅう座人(ドラコ) このレプティリアン型生物の交雑種がイルミナティ

・地球の月は、永劫の昔、レムリア大陸への入植の時代に、軌道上に設置されたりゅう座人の宇宙船である。分断して征服することを画策する彼らは、リゲルとともに海を沸騰させたり、大地を焼き焦がしたりしたように、暴虐さで有名である。

 

りゅう座人は、地球に巨大な地下基地、金星にコロニーを持っている。地球には二番目の月が配置されている。1997年にヘール・ボップ彗星に隠れて到達した。そこにいるのは、純血爬虫類人である。交配人種であるイルミナティは地球の支配を行っている。

 

プレアデス   こと座からの避難民、長身金髪のノルディック

・ノルディック、背の高い金髪とも言われる。元々は、こと座(リ-ラ)文明からの避難民であるが、7つの恒星と15の入植済みの惑星からなるプレアデス星系の存在である。

 

・1959年に米国政府がリゲル人に騙されたことに気付いた後、技術格差を埋めるためにプレアデス人が招聘された。だが、過去、彼らは、ヒトラーの人類浄化政策を画策し、仏教を堕落させた。チベットに広大な地下基地を持っている。

 

・プレアデス人は、ローブを着た白い姿で現れる非物質的存在が率いる最高評議会の指揮下にある。プレアデス人の一集団(アトランと言われる)が、アトランティスに入植した。小柄で青い肌をした集団がプレアデス人と一緒に行動している。

 

 

 

『地球を支配するブルーブラッド 爬虫類人DNAの系譜』

スチュアート・A・スワードロー   徳間書店  2010/6/18

 

 

 

爬虫類人レプティリアン)の物理的遺伝子は金髪青眼(紅毛碧眼)のこと座(リーライアン)から調達

爬虫類人レプティリアン)が物質世界で活動するためには、物理的な遺伝子が必要だった。透明人たちは、その頃すでに物質的になっていた、こと座人(リーライアン)から遺伝子を取り出した。

 

・こと座人は、金髪または赤毛で青色または緑色の目を持っていた。こと座人の遺伝子が、透明人の集合エネルギーと混ぜ合わされて、爬虫類人レプティリアン)として、物質肉体化して出現した。このため、今日の爬虫類人レプティリアン)も、物質次元で生き延びるためには「アーリア型」の人間からエネルギーを摂取しなければならない。

 

・アストラル次元で爬虫類人が創造されると。その使命を果たすための活動拠点を物質次元に築く必要が生じた。そのために爬虫類人たちは、さまざまな物質界に進出し、自らが支配的な種となることのできる場所を求めていた。

 

レムリアからの爬虫類人生存者が巨大地下文明を築く

爬虫類人の生存者は、インド北部、地球内部空洞、金星、中南米の一部へと移動した。レムリア大陸から生き残った爬虫類人の大半にとって、地球内部が「祖国」になった。そこで爬虫類人は、巨大な地下文明を築いた。これが、地獄の業火の中で生きる悪魔たちの伝承の由来である。

 

・地下鉄のような乗り物が高速で移動する通行管のようなものを建設し、地球上のどこにでも数時間で移動できるシステムを作った。今日でも探検家が追い求めているアルカディア、アガルタ、ハイパーポリア、シャンバラといった有名な地下都市を築いた。これらの都市は、地球の内部空洞を覆う地殻内部の内壁に沿って建設されている。地球が空洞であることは単なる説ではなく、科学的事実であることを忘れないでいただきたい。恒星(太陽)から飛び出した惑星が、回転しながら冷却することで、形成されたのである。

 

 

 

『地球を支配するブルーブラッド  爬虫類人DNAの系譜』

スチュワート・A・スワードロー  徳間書店   2010/6/18

 

 

 

リゲル  米政府と協定を結んだオリオン連盟リーダー

・この集団は1954年に米国政府と協定を結び、彼らの技術と科学情報を米国に与えるのと引き換えに、米国民を誘拐する(ただし傷つけない)許可を米国政府から得ている。

 

・こと座の内戦とそれに続くこと座星系へのりゅう座人の侵略を通じ、彼らの惑星は戦争で痛ましい損害をうけたため、肉体的にも遺伝子的にも弱々しい存在になっている。

 

・彼らは、りゅう座人のために働いている。りゅう座人が攻略の前準備をできるように侵略予定ルートを偵察する仕事である。

 

・軍隊型の厳格な階層制の文化を持っている。特にゼータ・レティクリ1と2のグレイが絡む場合はそうである。また肉体から肉体へと魂を移す能力を持っている。

 

シリウスA   イスラエル政府と契約の宇宙の商人

・背の高い細身のシリウスA人は、青と白の長いローブを着ている。両腕を横にまっすぐ広げると、身体全体でアンク(エジプト十字架)の形になる。これが彼らのシンボルである。宇宙の商人であり、技術と情報を売買して、排他的な取り引きルートと特別な優遇を得ている。彼ら自身に向けて使用される恐れのある技術は絶対に提供しない。彼らは、オハル星人に創作されたが、本来の目的を見失っている。

 

シリウスB  老子孔子、釈迦に叡智を与えた銀河の「哲学者」

・ジャングルか湿地のような惑星の洞窟状空洞や地下で隠遁生活を送っていることが多い。寿命は極めて長い。大半は、家族形態とは無縁である。

 

くじら座タウ

グレイ種を目の敵にし、ソ連と協定を結んだ

・この人間のような生物は、グレイ種を目の敵にしている。宇宙のどこであろうとグレイを発見したら叩きのめすと誓っている。遥か昔にリゲル人がくじら座タウ星系の侵略準備を整えようとしていた。タウ人の遺伝子を使ってグレイを作るために、主に子供を標的にして誘拐し、殺して細胞とホルモンを取り出した。タウ人は自らの種が滅ぼされる前に、グレイたちを追い出した。地球までグレイを追って来た彼らは、1950年代にソ連と協定を結び、基地と自由に領空を飛行する権利を得た。彼らの目的は、ソ連が世界支配の座を占めるのを手伝い、(スラブ人にはタウの遺伝子がある)、グレイを滅ぼし、侵略勢力と取引することだった。

 

・最近になってロシア人はタウ人との協定を破棄し、同じ協定をりゅう座人の前衛部隊と交わしてタウ人を追い払ったと考えられている。くじら座タウ人は、イプシロンのエラダナス星系で大きなコロニーを保持している。祖国の大気と重力の関係で、密度の高い身体を持っている。身長は、およそ170センチである。

 

ビーガン   シリウスA人の遺伝子から作られたグレイ

・このグレイ種は、シリウスA人の遺伝子から作られている。シリウス人の船の標準的な乗組員である。主人のために労役、実験、雑用を行う。ゼータ・レティクリ1と2のグレイは、前向きにビーガンの指揮に従い、人間の誘拐や鉱物のサンプル収集などの特定の任務を行う。

 

<ゼータ・レティクリ1  地球人監視のためリゲル人が作ったグレイ>

このグレイのエイリアンは、リゲル人が地球の人間を監視するために作った。人間とリゲル人の混合物である。人間の胎児と同じように四本の指と割れたひづめを持つ。ホルモン液と遺伝子実験のために人間を誘拐することで有名である。

 

遺伝子的・ホルモン的な欠乏症のため、彼らは、急激に死滅している。他者を誘拐することで、自らの種を救う交配種の原型を作ろうとしている。

 

ゼータ・レティクリ2  遺伝子操作で作られたグレイ。爬虫類人に奉仕

・このグレイは、遺伝子操作で作られた爬虫類人への奉仕階級のメンバーである。完全にマインド・コントロールされており、中央情報(コンピュータ)に接続されている。集団精神で一体となって動く。彼らは、無心になってゼータ・レティクリ1を手伝う。誘拐現場でよく目撃されるが、子供のように純真に行動する。

 

アンタレス  トルコ人ギリシャ人、スペイン人のDNAに

・極めて知識が高く攻撃的である。

 

・彼らの社会の最深部まで入り込むことができた者は、ほとんどいない。

 

・女がいるところが観測されたことはなく、彼らは、同性愛者で、生殖目的でのみ女を使用すると考えられている。ただ、実は、ある母系集団が彼らの背後で権力を握っているとも考えられている。

 

 

 

 (2020/7/23)

 

 

『ヴァンパイアの教科書』   

神話と伝説と物語

オーブリー・シャーマン 原書房  2020/2/22

 

 

 

ヴァンパイア

ヴァンパイアは文明が誕生してまもないころから、文学、芸術、神話、宗教において、邪悪な闇の存在としてつねに人間のそばにいたのだ。だが、この150年ほどの間に、他のどの伝説上の存在にも増して、ヴァンパイアはロマンティックでエロティックな性格を付与されてきた。

 多くの人にとって、ヴァンパイアは愛と死、エロス(愛の神)とタナトス(死の神)という相反する性質を体現している。ヴァンパイアは人間の生き血を吸うことによって生き永らえると知っていてさえ、人はその行為ゆえに心を惹かれるのだ。

 人間はなぜヴァンパイアの伝説にこれほど心を惹かれるのか。おそらく、死という現象に対する人間の憧憬を、ヴァンパイアが映し出しているからではないだろうか。ヴァンパイアは、結局のところ、生と死の間に宙づりになっている。『吸血鬼ドラキュラ』の著者ブラム・ストーカーは、周知のとおり、ドラキュラを「アンデッド」(死者でも生者でもない存在)と表現した。

 

ヴァンパイアの起源

長寿と繁栄

・これまでのヴァンパイアおよびヴァンビリズム(「吸血衝動」「吸血鬼状態」または「吸血鬼信仰」など、ヴァンパイアに関することを広く包含する言葉)の研究はすべて、現在私たちが知っているような形のヴァンパイア――すなわち、ブラム・ストーカーが1897年に発表した画期的な小説『吸血鬼ドラキュラ』――の誕生に結びついている。この小説は賞賛されてしかるべき作品だが、亡霊――冥界からよみがえったもの――と呼ばれる存在の伝説をとりまく、はるかに豊かな歴史があることを忘れてはならない。

 

夢魔  インキュバスサキュバス

・古い民間伝承に出てくる夢魔は男の悪魔で、眠っている女性に望まぬ性的関係を強要する。その女性版はサキュバスと呼ばれる。どちらもドイツのアルプ、ハンガリーのリデルクなど、ヨーロッパの初期のヴァンパイアと関連づけられることが多い。ブラジルにもボトという男の夢魔の伝説があり、女性を誘惑して川へ連れていく。当然の成り行きとして、女性が妊娠すると、夢魔はもっともらしく、都合のよい言い逃れをする。

 

ヴァンパイアはどのようにして誕生するのか

・この質問に対する最もわかりやすい答えは、他のヴァンパイアに咬まれることで仲間入りするというものだ。ヴァンパイアのタイプや、伝説や神話、文学、映画など描かれる媒体によって、無限のパターンがある。例えば、宇宙からやって来たヴァンパイアには、人間を咬むのではなく、口と口とを接触させることによってそのエネルギーを吸いとるものがいる。

 

ヴァンパイアとペスト

腺ペストは1340年代にアジアで流行が始まり、1347年までに急激にヨーロッパに広がり、ヨーロッパの人口の3分の1を死滅させた、末期になると皮膚に斑点が浮き出すことから黒死病とも呼ばれ、民間伝承ではヴァンピリズム(「吸血衝動」「吸血鬼状態」または「吸血鬼信仰」など、ヴァンパイアに関することを広く包含する言葉)と関連づけられた。

 

疫病

・歴史を通して、人類はありとあらゆる災難に苦しめられてきた。家畜や農作物の損失、事故、制御不能の天候、原因不明の死、正気を失った行動、そして、さまざまな種類の疫病だ。このような災難に見舞われると、昔も今も非難と報復の矛先が必要になる。ペストが流行すると、病気の流行の原因を突きとめるために、超常的あるいは超自然的な行為を非難するなど、ヒステリックな糾弾がなされる。病気がヴァンピリズムを引き起こすと信じられていた時代もあった。

 

・中世のペスト流行期には、腺ペスト(リンパ腺がおかされるもの)であれ、敗血症型ペスト(血液がペスト菌に汚染されたもの)であれ、肺ペスト(ペスト菌が肺に侵入したもので、空気感染する)であれ、病気の発生源としてアンデッドも嫌疑をかけられた。このような状況下では、容疑者(例えば最初の感染者)を特定するために、死体に杭を打ちこむ、あるいは焼却するといった対策がとられた。死体を焼いた灰は川に投げこまれたり、お祓いをした地面に撒かれたりした。

 

私たちが知っている伝統的な棺は、1600年代に考案されたと言われている。最初はただの木の箱だったが、その後金銭的に余裕のある人々のために、徐々に装飾を施された棺へと変化し、19世紀後半にはそれが一般的になった。ブラム・ストーカーは、棺を生まれた故郷の土で満たし、ドラキュラの安息の場所、つまり寝床とした。後の作家もストーカーの考えに追随した。

 

天候を変える

・歴史を通して、多くの迷信や儀式の基盤は、天候の支配や予想にあった。ヴァンパイアに関しては、天候の支配は迷信とほとんど関連がない。実際のところ、おそらくストーカーは迷信を研究しており、それに基づいてドラキュラには天候を変える能力があるというコンセプトを生み出したのだろう。

 

人狼伝説

人間が人狼に変身するというコンセプトが生まれた要因として、考えられるのは麦角菌だ。麦角菌は一般にライ麦、大麦、小麦などの穀物に寄生し、穀物を感染させる。中世ではこれらの穀物はパンの主要な原料だった。麦角に含まれる物質はけいれん、精神異常、幻覚を引き起こす。専門家の推測は、汚染されたパンを食べたことが、いわゆるオオカミ憑きや、セイラムの魔女裁判17世紀にマサチューセッツ州セイラムで行われた一連の魔女裁判)のヒステリー状態の原因ではないかというものだ。

 

ギリシアとスラヴのヴァンパイア

ギリシアのヴァンパイア

ギリシア神話に登場する神々のことはほとんどの人が知っているが、ヨーロッパの民間伝承に登場するヴァンパイアの祖先となる存在を生み出したのは、ギリシア神話の神々だということはあまり知られていない。ヴァンパイア愛好家にとっては驚くほどのことではないが、歴史上最古の精気を吸いとる悪魔のひとりを生み出したのは、他ならぬギリシア神話最高神ゼウスであり、しかも、妻以外の女生との不倫の結果なのだ。

 

ラミア

・喜劇作家アリストパネスや哲学者アリストテレスの文献も含め、古代ギリシア人の著述や伝説には、全能の神ゼウスと、リビュアの女王ラミアとの不義の恋愛の物語が記されている。ラミアについては、海の神ポセイドンの娘、あるいはポセイドンの息子ベーロスの娘などさまざまな説がある。この神の浮気はゼウスの嫉妬深い妻ヘラの呪いを招いた。ヘラは不幸な娘ラミアが生んだゼウスの子供をすべてさらって殺し、子供を亡くしたラミアを追放した。

 悲嘆にくれつつも、自分を不幸のどん底に突き落とした神に復讐ができないラミアは、人間の母親から子供を盗んでその精気を吸いとることで、人間に対して復讐を遂げようとした。その後の伝説では、ラミア(Lamia)は上半身は人間の女性、下半身は蛇の姿になり、魔物の群れに身を投じた。この姿をした子供の血を吸う魔物はラミアー(Lamiae)と呼ばれた。ラミアーはその恐ろしい容姿を自在に変えて若者を誘惑し、破滅や死に追いやるとされている。

 

古代の血を吸う者

ギリシア神話の信仰について論じるとき、古代ギリシア人にとって、こうした「伝説」はフィクションでもファンタジーでもないということを覚えておくべきだ。私たち現代人は科学や教育、それに健全な懐疑論の恩恵を受けている。その現代人が自分で選択した信仰や神を信じているのと同じくらい、ギリシア人は、古代エジプト人と同様に、神の存在と神が超自然的な力によって人類を創造したことを信じていた。

 

エンプサーとモルモー

ギリシア神話には、現在では忘れられたマイナーな神も登場するが、そのなかにエンプサーとモルモーがいる。エンプーサ(これはおそらく「1本足の」の意)は姿を変えることができ、特に若い男性の血を飲む。つまり、サキュバスの一種だ。初期の神話では、エンプーサは冥界の女神ヘカテの娘とされていたが、のちには不用心な旅人を餌食にする一般的な怪物として描かれている。

 モルモーも同様の起源をもつが、悪い子供にかみつくとされたため、幼児向けのギリシア神話ではそういう役どころでしばしば登場する。

 

ヴリコラカス

ギリシアにおいて、ヴァンパイアの特徴を持つ最古の魔物は、神から生まれた存在が織りなす超自然的な世界と直接的に結びついているが、ギリシアキリスト教に改宗してまもなく、魔物と最近死んだ人間はしばしば同じものを指していることが明らかになった。現代の言葉では、この世に戻ってきた死者を亡霊と呼ぶが、ギリシアではヴリコラカスと呼ばれている。ギリシアでも地域によってつづりは異なるが、一般的に、ヴリコラカスは生きている人間に不幸をもたらすためによみがえり、アンデッドの魔物のなかでも最もたちが悪いと考えられている。

 

スラヴのヴァンパイア

・初期のスラヴ人はあまり歴史を書き残していないが、民間伝承の主要な担い手であり、その民間伝承が最終的には東ヨーロッパへと伝わって、最悪の悪夢を生みだした。スラヴ系民族は、現在ではスロバキアチェコ共和国ベラルーシ、ロシア、ウクライナボスニアブルガリアクロアチアモンテネグロセルビアと呼ばれている地域に居住していた。これらの地域から、ヴァンパイア伝説が拡散されていったと考えられる。

 東ヨーロッパのヴァンパイア伝説の特異な点は、スラヴ系のヴァンパイアは、コウモリだけでなくチョウにも変身できるということだ。

 

ウピルとネラプシ

スロバキアチェコの農村部のヴァンパイア伝説の主力はウピルとネラプシで、どちらも最近死んだ人間がよみがえった腐敗した死体を指す。ウピルは特に厄介だと思われている。

 

ルーマニアとドイツのヴァンパイア

ルーマニアのヴァンパイア

・スラヴ諸国の民間伝承は、紀元後数世紀に東ヨーロッパの社会が被ったほぼすべての自然災害の原因としてヴァンパイアを登場させたと考えられているが、スラヴ系民族もまた、非スラヴ系近隣諸国の伝説に大きな影響を与えた。その中で最もよく知られているのは、言うまでもなくルーマニアで、ヨーロッパのヴァンピリズム伝承と密接に結びついている。

 

「ドラキュラ」の起源

ドラゴン騎士団は15世紀初頭に、ハンガリー王がイスラム教徒のトルコ軍と戦うために設立した騎士団だ。ヴラド2世は1431年にドラゴン騎士団に加わり、その勇敢さからドラクル(ドラゴンの意)の名を与えられた。彼は息子のヴラド3世、すなわちヴラド串刺し公にその名を譲った。

 

ヴラド・ツェペシェ

ルーマニアで最も有名な人物と言えば、ワラキア公国の君主ヴラド・ツェペシェ(1431~1476年)で、ヴラド3世またはヴラド・ドラキュラとも呼ばれていた。また、捕らえた敵の体を生きたまま杭で突き刺した行為から、年代記編者からはヴラド串差し公とも呼ばれている。

 

・1453年のコンスタンチノーブルの陥落ののち、バルカン半島諸国にトルコの影響が強まってきた時代にヴラドは君主の座に就いた。1462年にヴラドはトルコ軍と数回戦い、夜戦で決定的な勝利を収めた(この戦いでは1万5000人のトルコ人が殺されたと言われている)。

 1897年にブラム・ストーカーが小説の主人公である吸血鬼にその名前ドラキュラを使うと決めたことで、ヴラドは世界的な有名人になった

 

ストリゴイ

・スラヴ系ヴァンパイア伝説の影響はあったが、ルーマニアのヴァンパイアの民間伝承は、その名前と行動では独自性を維持していた。ルーマニアトランシルヴァニア公国では、ヴァンパイアは2種類存在する。生きているヴァンパイアはストリゴイ・ヴュー、死んだヴァンパイアはストリゴイ・モルトと、見分けがつかないけれども、区別して呼ばれる。ストリゴイ・モルトは墓を抜け出し、動物の姿になって生きた人間につきまとい、悩ませる。

 

アルバニアのストリガ

ルーマニアのヴァンパイア伝説の多くが、スラヴ民族の民間伝承からアイデアを得ているのと同様に、南東ヨーロッパのアルバニアもまた、アンデッドに関して同様のアプローチを取っている。ルーマニアと同様に、アルバニアのストリガも魔女に似た特徴をもっている。「ストリガ」という言葉は、ラテン語の「甲高い声で鳴くフクロウ」を表すstrixに由来し、夜に飛ぶ悪魔のような生き物を表している。ストリガは、昼間は普通にふるまっているが、夜になると空を飛ぶハエやガのような昆虫に変身し、犠牲者を襲ってその血を吸う。

 

ドイツのヴァンパイア

・10世紀にスラヴ系民族が東ドイツへ侵攻したため、ドイツのヴァンパイアは東ヨーロッパのスラヴ民族のヴァンパイアから多大な影響を受けている。北ドイツで最も有名なヴァンパイアはナハツェーラーである。

 

・ナハツェーラーは自殺者や突然に変死を遂げた人間がよみがえったものと信じられているが、さらに珍しい原因として、最近亡くなった人間で、屍衣に名前が付いたまま埋葬されるとヴァンパイアになるというものもある。南ドイツのナハツェーラーによく似たヴァンパイアはブルートザオガーと呼ばれるが、これはそのまま、血を吸う者というおぞましい意味だ

 

アルプ

・ドイツの民間伝承に出てくる最も狡猾で一貫性のない夜の魔物のひとつがアルフだ。アルプの悪霊としての特徴は、姿を現すドイツの地域によって異なる。ある地域では、アルフは魔法使いで、悪さを働くために鳥やネコの姿に変身できる。別の地域では、アルプは人間の姿をした性犯罪者で、ベッドで眠っている女性や少女を襲う。アルプはまた、魔術と密接に結びついており、夜にはネコやネズミの姿になって、魔法使いの命令を実行すると言われている。アルプのよく知られた能力のひとつは、眠っている犠牲者の思考に入っていって、恐ろしい悪夢を見せるというものだ。そのせいで相手はしばしばひきつけやヒステリーの発作を起こす。

 

シュラトル

・ドイツのアルフに似た魔物としては、シュラトルがいる。自分の死体から葬式の埋葬布を食いちぎり、墓からよみがえる凶暴なヴァンパイアだ。シュラトルはまず自分の家族と家畜を襲い、その後共同体全体を襲うが、しばしば犠牲者を狂気に追いやる。東ヨーロッパではシュラトルは病気のまん延の原因であるとする点も、ヴァンパイアに似ている。

 

ウッドワイフ

・ドイツの多くの歴史的伝説では、ウッドワイフは一般に森に住む動物や植物の保護者と考えられ、温和な妖精という性格をもち、ゆったりとしたローブを優雅にまとっていると言われている。だが、身の毛もよだつ記録によると、無謀にも森の奥深く入ってきた狩人や木こりを襲って喉を引き裂くこともあったようだ。

 

イギリスのヴァンパイア

・現代のイギリスで取り上げられるヴァンピリズムの物語といえば、よく知られた東ヨーロッパの血を吸う者の話が多いが、11世紀から12世紀にかけてのイギリス諸島では、独自のおぞましい伝承がいくつも生み出された。

 

ウェールズ地方のハグ

ウェールズ地方の民間伝承に登場するハグは女の悪魔で、若い娘の姿をしているときもあれば、熟年の婦人や老婆の姿で現れるときもある。最も恐れられているのは老婆の姿で、それは死や破滅が差し迫っていることを示しているからだ。

 

グラッハ・ア・フリビン

・グラッハ・ア・フリビンも恐ろしいほど年をとった女性で、十字路で旅人を脅しているところを見かけたり、小川や池のほとりでちらりと姿を見たりすることがある。グラッハ・ア・フリビンの泣きさけぶ声は、聞いた者の死が差し迫っている合図だと信じられている。

 

シーに注意

・デアルグ・デュは、美しい妖精リャナン・シーと関連があるとも言われている。リャナン・シーは芸術家にとってミューズの役割を果たす、しかしながら、アイルランドの詩人W・B・イェイツは、著書『神話』で、こうした魔物は吸血鬼に類するもので、本質的に邪悪なものとみなしている。

 

アバータハ

アイルランドの初期の伝説に、アバータハの物語がある。これはロンドンでリーのエリガル教区に住む小びとだ。アバータハはすご腕の魔術師だったが、暴君でもあり、田舎の人々から恐れられていた。近隣の族長フィン・マックールがこの小びとを殺したが、アバータハは死体からよみがえると、国中を歩きまわり、犠牲者の血を吸った。

 

イングランドのヴァンパイア

イングランド北部のベリックでは中世から、おそらくペストで死んだ地元の男の魂が町をうろつき、病気と恐怖を拡散したという話が伝わっている。その男は幽霊の猟犬の群を伴っており、その犬たちの悲しげな吠え声で、男がやって来ることがわかった。男は聖別されていない土地に埋められていたが、町の住民はそこから死体を掘り起こし、死体を切り刻んで燃やした。

 

スコットランドのヴァンパイア

スコットランドは荒野と険しい山々の国で、風のない湖の陰気な湖面に城が影を映しているが、実にさまざまな独自のヴァンパイアの話が多数残っている。スコットランドのグラムス城は、イギリスのなかでも最も亡霊がよく出る城と呼ばれることもあり、その城主には恐ろしい秘密があるという噂がある。それは、家族にヴァンパイアの子供が生まれたというものだ。子供は城のなかの隠し部屋に幽閉されていて、部外者で姿を見た者はいない。ヴァンパイアの子供は、代々の城主に生まれているとも言われる。

 

スコットランドのその他の血を吸う者

 ・時代が下った1920年代のブレア・アトールでは、ふたりの密猟者が夜の猟を終えて休んでいると、謎の化け物に襲われ、ふたりとも血を吸われたという記録が残っている。彼らは何とか撃退したが、この事件は、スコットランドのハイランド地方では、旅人は暗くなってから外を出歩くのは避けた方がいいという警告として使われてきた。

 

極東とインドのヴァンパイア

・中国、日本、インドの神話からは、西ヨーロッパや南北アメリカ大陸に存在するヴァンパイア伝説に匹敵する数の物語が生まれている。これらのヴァンパイアは欧米人になじみのあるものとはまったく異なるが、それでも同じ民間伝承の伝統に属するものであるのは間違いない。

 

中国のヴァンパイア

・欧米の文化、文学、映画をとおして愛したり忌み嫌ったりするようになったヴァンパイアは、通常ヨーロッパで語り伝えられてきたものだが、そのパワーや恐ろしさ、魅力には国境がない。中国のキョンシー(チャンスー)は、「跳ねる幽霊」とも呼ばれ、溺死、絞首、自殺などで命を落とした死体がよみがえったものだ。

 

日本におけるヴァンパイア

日本の河童は、丸い目をした毛のない猿のような薄気味悪い生き物で、手と足に水かきがついている。河童は河川や池の隠れ場所から跳び出し、獲物の尻の穴から血を吸うというぞっとするような習性をもつ。

マレーシアにも、河童に似た血を吸う悪党が存在する。それは出産時に死んだ母親と死産した赤ん坊の体内から飛び出したもので、母親はランスイル、哀れな子供はポンティアナックとなってよみがえる。生きている人間をねたんで復讐しようとするが、そのやり方は、犠牲者の腹を切り裂いて血を吸うという、胸が悪くなるようなものだ。

 

その他の日本のヴァンパイア

◆日本人のなかには餓鬼と呼ばれる妖怪に悩まされている人がいるかもしれない。これは血を求めて泣きわめく青白い死体で、動物や人間に姿を変えることもできる。

◆美しい女性が悪魔に取りつかれると、般若に変身する。この恐ろしい魔物は血を吸い、子供を食べる。

火車は墓場の死体を貪り、血を扱う妖怪だ。

◆女性は怒ってばかりいると、死後ランクが下がり、夜叉という吸血コウモリに生まれ変わる。

 

インドの影響

多くのヴァンパイア研究家は、ヴァンパイア神話のいくつかの起源はインドにあるのではないかと考えている。数千年の間に、インドの文化と宗教からはさまざまな種類の神、悪魔、迷信、伝説が生み出された。そして、古代インドのアンデッドの多くは、現代の伝承のなかにいまだに生きつづけている。そして、こうした伝説的物語や、そのなかにしばしば登場する血に飢えた悪魔的存在は、隊商、遠征、移民によって、何世紀も前に他の民間伝承や宗教と混ざり合い、進化したのではないかと考えられる

 

 

 

『妖精の教科書』

神話と伝説と物語

スカイ・アレクサンダー    原書房  2020/1/31

 

 

 

妖精はいたずら好き>

・妖精はいたずら好きで気まぐれで裏切りも得意、人を助けることもあれば死に誘うこともある。ルールに縛られない自由さと危うさは、太古から人を惹きつけてきた。世界各国に存在するさまざまな個性をもつ妖精を紹介、妖精の目撃談も収録。

 

元素

・魔術師が元素をいうとき、学校で習う周期表を指しているのではない。それは自然界その他を作る空気、土、水、火の4大元素を指しているのだ。古来、神話や伝説には、空を飛び、土に潜み、深海を泳ぐ超自然的な存在が登場する。だが、こうした不思議な生きものは自分たちの居場所に住すんでいるだけではない。それぞれの領域の守護者となったり、大使となったりするのだ。彼らを特定の存在というより活力だと説明する者もいる。また、神話によってさまざまな名前で呼ばれる。東洋の神秘主義では、デーヴァと呼ばれる神(天使や下級神と似ている)が自然界の妖精を指揮している。妖精界で最もよく知られる3つの元素は、シルフ、スプライト、そして水のニンフである。サラマンダーと呼ばれる火の精もときおり登場するが、それほど知られていない。

 

シルフ――空気の精

・ティンカ・ベルをはじめ、空を飛ぶ妖精はこのカテゴリーに分類される。だがシルフは、現代の映画や絵本に描かれているような、繊細な羽を生やした魅惑的な存在というだけではない。空気や空に対して、さまざまなことができるのだ。空を飛ぶ能力のほかに、シルフは風を操り、大気の質に影響を及ぼし、人間の呼吸を助ける。今日では、化学物質による飛行機雲をきれいにするのに忙しいという説もある。また、鳥や空を飛ぶ虫を助けたりもする。

 

フィンドホーンの土の精

・1960年代初頭、アイリーンとピーター・キャディ夫妻、友人のドロシー・マクリーンが、フィンドホーンと呼ばれるスコットランドの荒涼とした土地に、霊的なコミュニティを創設した。その土地はほとんど砂地で、天候も荒れていたが、フィンドホーンは熱帯の花や19キロほどもあるキャベツが育つ見事な庭園で有名になった。なぜこんなことが起こったのだろう?ドロシーによれば、植物の生育を司る元素――彼女がいうには“裏で働いている、創造的知性の生きた力”――がフィンドホーンの創設者を導いて、素晴らしい庭園を造り、維持させたという。

 

妖精はどこに住んでいる?

・目には見なくても、妖精はすぐそばに住んでいる。現に、今このときにも、あなたの隣に座っているかもしれないし、あなたの庭で踊っているかもしれない。ほとんどの人が妖精を見たことがないのは、彼らが平行世界に住んでいるからだ。そこは私たちの世界と並んで存在しているが、異なる周波数で機能しているのだ。たとえば、TVやラジオのチャンネルと比較すれば理解しやすいだろう。1つのチャンネルに合わせているとき、ほかのチャンネルは視聴できないが、それは確かに存在している。“妖精の世界”にも、同じことがいえるのである。

 

降格された神々

・多くの民間伝承で、妖精は古代の神や女神の子孫だといわれている。何千年もの間、こうした神々は天と地、そして、そこに住むものを支配していた。彼らは昼と夜、陸と海、季節、植物の生育、野生の動物や家畜――つまり、あらゆるものを支配していた。すべてを網羅するその力は、まさに彼らを畏れるべき存在にし、世界じゅうのほぼすべての文化で、人々は支配者としての神を敬った。

 だがキリスト教の隆盛とともに、こうした古代の神々は衰退していった。教会は古い信仰を禁ずるだけでなく、こうした神々にすがる人々を迫害したのだ。伝説によれば、人間が古代の神や女神をあがめたり、敬ったりするのをやめたとき、彼らの力が衰えはじめたのだという。結果として、神々の一部は伝説上の存在に成り下がった――妖精もその1つである。こうした成り行きを妖精は喜ばなかった。そのため、人間にいたずらをするのかもしれない。

 ほかのあらゆる世界と同じく、妖精界にも社会構造や階級がある。基本的に、妖精は次の2つのカテゴリーに分けられる。

・自然界を守り、導く妖精

・人間の運命や宿命を操る妖精

 

運命の妖精

自然の精霊についてはすでに少し触れているので、ここでは運命を司る妖精を見てみよう。これらの妖精は、赤ん坊が生まれた直後に現れ、誕生を祝い、赤ん坊の運命に影響を及ぼすことが多い。勇気や美しさ、賢さといった贈り物を持ってくるのが常である。これらの誕生を祝う精霊は、ケルト、スラヴ、フランスの民間伝承に登場する。ギリシアのモイラ(運命の3女神)も、このカテゴリーに入る。アルバニアのファティも同様だが、彼らは通常、赤ん坊が生まれてから3日後まで待ち、蝶の背中に乗ってやってくる。セルビアでは、ウースードと呼ばれる妖精が誕生から7日目にやってくるが、母親だけにしか姿は見えない

 妖精たちの気前のよさに、お返しをするのはいいことだ。さもないと、怒りを買うことがあるかもしれないし、妖精を侮辱するのは決していいことではない!

 

ほとんどの国で、人間とも、上位の神々とも違う種がいることが広く信じられている。こうした生きものは洞穴や深海といった彼らだけの領域に住んでいる。そして一般には、力や知恵で人間を上回り、人間と同じく死ぬ運命は避けられないが、人間よりも長く生きる。

 

妖精の性格

いい妖精、悪い妖精、美しい妖精、そして徹底的に醜い妖精

ピクシー

・初期の伝説では、ピクシーは小さい、子供のような妖精で、ブリテン島やブルターニュ周辺のストーンサークルの下や妖精の丘に住んでいるといわれていた。しかし、スウェーデンではこの妖精をピスケと呼んでいるため、スウェーデンに端を発しているという説もある。ピクシーはまた、ピクトともつながっている。古代アイルランドスコットランドに住んでいた、小さくて色の黒い神秘的な種族である。たいていは、ピクシーは妖精界での“お人よし”と考えられている。

 

現代のピクシーは、概して尖った耳を持ち、先の尖った高い帽子を含め緑色の服に身を包んでいる。

 

エルフ

・今日では“エルフ”といえばサンタクロースの小さな助手のイメージが浮かぶが、初期の民間伝承では、ハンサムで人間と同じくらいの大きさの生きものとされている。彼らはチュートン人の伝説に登場し、職人、射手、治療師として大きな力を発揮する。スカンジナヴィア神話では、エルフは3つのタイプに分かれる。光のエルフは天上界で神や女神と暮らしている。闇のエルフは下界に住んでいる。そして黒のエルフは魅力的で、人間と同じくらいの大きさで、2つの世界の間に暮しているノルウェーの民間伝承によれば、自分に価値があることを証明できれば、人間は死後、エルフのレベルに進むことができるという。

 

・伝承では、エルフは人間をさほど好きではなく、助けることもあるが害を与えることもある。とはいえ、エルフは人間と結婚することでも知られている。ドイツのニーベルンゲンが没落した後の最後の生き残りであるハゲネの母親も、エルフと結婚した1人だ。物語では、この精霊は“エルフの矢”といわれる毒矢で人間を攻撃する。

 

アイスランドのエルフ

アイスランドの人々は、エルフと特別な関係を結んでいる。おそらく、ほかのどの文化よりも緊密な関係といえるだろうアイスランド政府観光局の報告では、国民の80パーセントがエルフの存在を信じているという。アイスランドには、エルフを人間の侵害から守る政策まである。住民の25パーセントが妖精を見たことがあるという港町ハフナフィヨルズゥルでは、エルフのために土地が保護され、指定された地区に建物を建てることができない。エルフの聖地に建物を建て、彼らを怒らせたのではないかと恐れる人々は、エルフ・ウィスパラーを呼び、エルフに会ってどうすれば問題が解決できるかを探るのだ。

 

ドワーフ

・『白雪姫』の7人の小人のことはよく知っているだろう。ディズニーのアニメ映画では、このおかしな小人たちには、ごきげん、おこりんぼ、ねぼすけなど、人間の感情を表す名前がついている。『白雪姫』の小人のように、妖精の伝承に出てくるドワーフはたいていひげを生やしていて、小さな体なのに驚くほど力が強い。もじゃもじゃのひげを生やしているが、年齢は7歳にも満たない――彼らはすぐに成長するのだ!

 ドワーフと後述のトロールは、ノルウェーやドイツの神話の中で、数多くの共通点を持っている――場合によっては、この名前は互換的に使われる。どちらの種族も、丘のふもとに隠れた巨大な建物の地下に住んでいる。またどちらも金属細工が得意で、莫大な富を蓄えているといわれる。初期の民間伝承では、ドワーフは死者と結びつけられ、墓地の周りにたむろするとされている。古代ノルウェー叙事詩『古エッダ』では、ドワーフの王は「炎の血と、死者の手足から作られた」という。

 

トロール

・伝説や民間伝承の中で、トロールはさまざまな評価がされており、そのイメージは数百年の間に悪くなっている。彼らは愛想がよく、人間を助けることもあるという――彼らは盗人で、財産だけでなく女子供も奪うものだと。もちろん、彼らには魔法の力があり、それには姿を消したり、別の姿に変身したりする能力も含まれている。

 一般的に、この生きものは醜く、頭が鈍く、猫背である。

 

トロールは、ほかの妖精と同じく音楽や踊りが大好きで、自分たちの国に音楽を持ち込むために長い距離を旅することで知られている。もちろん、楽曲をダウンロードというわけにはいかないので、彼らは人間の音楽家をさらってきては自分たちを楽しませ、囚われ人にする。一部の物語では、子供を誘拐する山の民として、トロールにさらに暗い光を当てている。

 

現代文学での悪い評判とは裏腹に、昔話のトロールはしばしば善良な者として描かれている。この夜行性の生きものは地下の穴、洞窟に住み、そこで莫大な財宝を守っているという。彼らはハーブや金属の扱いに特に長けており、時には進んで人間を助けることもある。多くの妖精にまつわる民話と同様、彼らは変身やまじないが得意で、出会った人間を惑わすことができる。

 

ハッグ

この妖精は老婆に似ていて、精霊だけでなく、不思議な力を持つ人間の老婦人もハッグと呼ばれることが多い。民間伝承では、ハッグは悪夢の原因であり、眠っている男性の胸の上に座って、金縛りにするという説もある。別の話では、ハッグは若い美女に変身して、夜、サキュバスのように男性のベッドに忍び込み、眠っている人間と交わるともいわれる。

 ハッグは多くの文化における伝説に登場する。アイルランドのバンシー、東欧のバーバ・ヤガー、日本の鬼婆などだ。おそらく、英語圏で最もよく知られているハッグは、シェイクスピアの『マクベス』に登場する3人の魔女だろう。

 

・魔女と同じく、ハッグも何世紀もの間、悪魔その他の邪悪な力の仲間で、醜く邪悪な生きものとして描かれてきた。ヨーロッパや植民地時代のアメリカで、15世紀から18世紀にかけて無数の女性や子供が殺されたのは、こうした誤解がもととなっているのかもしれない。

 

レプラコーン

・伝説によれば、レプラコーンに出会うと、金の入った壺をもらえるという――けれども、レプラコーンをだまして宝物を奪おうと思うなら、考え直したほうがいい。無邪気そうに見えるが、彼らは非常に頭がよく、やすやすと人間に黄金を奪われたりはしない。民間伝承では、このアイルランドのいたずら者は、たいてい身長120センチほどの小柄な老人の姿で、時には風変わりな帽子の緑の上着を着て、ブライアーのパイプをふかし、棍棒を持っている。

 

・レプラコーンはトゥアハ・デ・ダナーン(アイルランド民族の祖先である神)の子孫だといわれているが、ポップカルチャーでは、セント・パトリックの日に襟に四つ葉のクローバーを飾り、緑のビールを飲む、ただの陽気な小鬼になっている。

 

ゴブリン

醜くて意地悪なこの小さい生きものは集団で旅をし、大惨事を引き起こす――妖精界では、人間のギャングに相当する存在だ。一説によれば、この貪欲な妖精はお金やごちそうが大好きで、ほしいものを手に入れるためには策略その他の手を使うのをためらわない。

 

・一部の民話では、彼らはあまり頭のよくない、意地悪な妖精で、緑がかった肌に毛むくじゃらの体、赤い目を持つと描写されている。

 

<シー>

アイルランドの神話によれば、シーは古代の有力な妖精集団で、前からアイルランドスコットランドの一部を支配していたという。“丘の人”を意味するシーは、妖精の丘や妖精の輪の下に住んでいる。アオス・シーや、その他の名前でも知られ、トゥアハ・デ・ダナーンの子孫という可能性もある。

 外見は人間に似ているが、シーは通常、並外れて美しく、人間よりもはるかに大きな力を持っているという。たとえば、彼らはものすごいスピードで空を飛び、違う生きものに変身できる。伝説によれば、この妖精はほぼ不死だともいわれる。ケルト人の土地にキリスト教が持ち込まれたあとも、アイルランドスコットランドの人々は、この超自然な存在を高く評価しつづけている。

 

動物の妖精

動物も妖精になることができる――そして、妖精も動物になれる。現に、姿を変えることのできる精霊は好んで動物や鳥、さらには爬虫類にも変身する。妖精は自然界を守っているため、動物と親しいのだ――ユニコーンやドラゴンといった、魔法をかけられた生きものもそれに含まれる。

 世界じゅうの神話や伝説で、動物と人間の複合体だけでなく、動物の妖精についても語られている。たとえば、南アフリカのロコロシェは、小さくて尻尾のないヒヒに似ているという。スコットランドのセルキーは海の中ではアザラシとして暮らし、陸上では人間になる。ブラジルのエンカンタードは蛇やイルカに変身できる。日本の妖精は白鳥や鶴の姿をしているし、ウェールズのグウィリオンは、しばしばヤギの姿をしているといわれる。ほかの妖精と同じように、動物の妖精も人間に対して親切にふるまったり、敵対したりする。

 

アメリカ先住民の守護動物

・北米や南米の土着民の間には、動物や鳥、爬虫類、虫の姿をした不思議な存在にまつわる物語が無数に見られる。ある文献では、魂を持つ動物は実際には超自然的な存在で、ときおり動物に宿るのだという。別の文献では、こうした存在は地上では肉体を持つ動物だが、死ぬと神になるという

 

ケルトの猫

古代エジプト人は、猫を神としてあがめたが、ケルト人も猫には超自然的な力があると考えてきた。アイルランドの民間伝承では、猫のシーが黄泉の国とその財宝を守っているという。魔法の白猫は、ウェールズの女神ケリドウェンに付き添っている。猫の画像は、古代民族ピクト人の手で、スコットランドの特別な石に描かれている。女性の妖精や魔女は、昔から猫を使い魔(魔法の従者)として手元に置いたり、猫に変身したりすることで知られている。

 

魔法の馬

ユニコーンケンタウロス、空飛ぶ馬は、老若を問わず人を魅了する――だが民間伝承や美術、文字は、普通に見える馬にも魔法がかかっている場合があることを物語っている。妖精が馬全体に魅了されていることを考えれば、妖精界に馬がいたり、妖精が馬になりすましたりしたとしても何の不思議もない。ケルピーというスコットランドの水の妖精は、しばしば馬に姿を変える。やはり水の妖精であるドイツのニクシーは、灰色の馬に変身するという。

 

・東欧のヴィラも、自分自身を白鳥やオオカミのほかに馬に変える。アイルランドの小鬼プーカは、時に黒い犬、時に馬の姿を取る。

 

・「何であれ、いないと証明されるまでは僕は信じる。だから妖精も、神話も、ドラゴンも信じている。たとえ心の中だけでも、それはみんな存在しているんだ。いい夢や悪い夢が、今この時と同じ現実ではないと、誰にいえるだろう?」 ――ジョン・レノン

 

妖精の行動といたずら

・大きくても小さくても、優雅でも凶暴でも、妖精は私たちを恐れさせると同時に魅了する。妖精を信じ、友達になりたいと思う一方、その評判を聞くと少し尻込みしてしまう。これまで見てきたように、妖精は人間にいたずらを仕掛け、森で迷わせ、ものを盗む――人間を溺れさせたり赤ん坊をさらったりすることまで知られている。それでも、私たちは炎に誘われる蛾のように妖精に惹きつけられる。

 

妖精の力

・神話や伝説によれば、妖精は超自然な力の宝庫で、それをよくも悪くも使うことができる――そして、ただの人間は彼らにはかなわない。歴史を通じて、親切な妖精は穀物や家畜を守り、病気を癒し、赤ん坊を取り上げ、願いをかなえ、幸運を呼ぶなどして人間を助けてきた。一方、怒った妖精は嵐を呼び、穀物を枯らし、疫病を招き、永遠に続く呪いをかけ、人間をヒキガエルや石、さらにひどいものに変えるといわれている。したがって、妖精の機嫌を取りたいと思うのは当然だ。

 しかし、そこが難しい問題なのだ。妖精は人間と同じような感情を持たないし、人間と道徳観を同じくしていない――とはいえ、妖精には妖精の、きわめて強固な規範がある。せいぜい、妖精は善悪を超越していると考えるしかない。

 

妖精はほぼ永遠に生きる

・妖精は不死ではないが、人間よりもはるかに長生きする――10倍か、それ以上かもしれない。一部の伝説では、彼らは人間が登場するよりずっと昔からこの星に住んでいるという。その間、妖精たちは人間について知っておくべきことはすべて学んでいる。しかも、人間が次第に衰え、老いていくのとは違って、妖精は年を重ねても力を失わない。

 

妖精は見た目より強い

妖精物語の多くが、巨人その他の怪物について語っている。大きくて毛むくじゃらな北のトロールは、ビッグフットに似ている(嫌なにおいがするというビッグフットの特徴も持っている)。しかし、小さなドワーフにも筋肉がそなわっている――彼らは3歳になる頃には大人になる。ハワイの神話では、メネフネと呼ばれる小さな精霊が、カウアイ島に驚くべき石のダムと壁を作ったといわれている。またアラビアの神話では、ジンと呼ばれる妖精がピラミッドを造ったという。

 

妖精は未来を予言できる

・妖精の多くは人間よりも鋭い洞察力があるばかりでなく、未来を見通すこともできる。“千里眼”(透視)は、彼らにとって自然のことなので、何が起こるか前もってわかるのである。明らかに、それによって当てずっぽうは減り、ほとんどの状況で優位に立つことができる。

 

妖精は姿を消すことができる

・見えたと思えば消えてしまう。ついに姿をとらえたと思ったら、相手は見なくなるマントをはおり、目の前で消えてしまう。あるいは、ただ音もなく、周りの影や緑にまぎれるか、魔法の国と私たちの世界を隔てるヴェールの向こうへ逃げ込んでしまう。現実には、妖精を見ることができるのは、相手が姿を見せる気になったときだけなのだ。しかも妖精たちは、まばたきする間に自分たちの王国をまるごと出したり消したりして、すべてが夢ではなかったかと思わせることができる。

 

妖精の目撃談

・「コーンウォールで休暇を過ごしているときのことでした。娘と曲がりくねった道に差しかかったとき、突然、小さな緑色の男が、門の側で私たちを見ているのに気づいたのです。全身緑色で、尖った頭巾をかぶり、耳も尖っていました……。私たちは恐怖でぞっとしました。そして、眼下の渡し船まで走っていきました……。あれほど怖かったことはありません」

 

取り替え子

妖精が人間の子を盗むという話は、民間伝承には数多い。多くの国の伝説で、妖精は家に忍び込み、異世界の子供と人間の子供をこっそり取り替える。人間の親は、妖精が自分たちの子供を“取り替えた”ことに、すぐに気づく場合も、気づかない場合もある。だが、気づいてからの結果は悲惨なものだ。

 妖精はこの方法で、劣った子を捨て、強くて健康な子を手に入れることで、子分たちの種を活性化させるという説がある。

 

異種間結婚

人間は長きにわたり、妖精を完全に信用できずにいるが、2つの種族間の結婚はおとぎ話にはしばしば出てくる。ある場合には、人間が妖精の世界へと消えてしまう。別の場合は、妖精が人間界で暮らすことを選択する。セルキーやメロウの名で知られるアイルランドの水の精は、しばしば人間の姿で陸に上がり、人間の伴侶を得る。民間伝承によれば、それぞれアザラシの毛皮または赤い帽子を盗むことで、人間はこの美しい生きものをとらえることができるという。

 しかし、妖精には厳しい行動規範がある。人間は、自分の伴侶が妖精であることを誰にもいってはいけないし、土曜日には相手を見てはいけないし、入浴中の姿を見てもいけない。人間の男が妖精の妻を叩けば、彼女は夫を置いて永遠に妖精の国へ帰ってしまう。

 

・こうした異種間結婚では、両親の親の特徴を受け継いだ異常な子供が生まれることがある。しかし、子供はどちらの世界にも完全にしっくりこなかったり、受け入れられなかったりする。こうした混血児の中で最も有名なのが、アーサー王の異父姉で強い力を持つ女魔法使い、モーガン・ル・フェイだという伝説もある。

 

妖精の世界を訪ねる

もしも、妖精の世界への境界を偶然またいでしまったら、タイムワープする可能性が高い。妖精界で1時間に感じるものが、私たちの世界では数カ月や数年に等しいかもしれないのだ。2度と戻ってこられない人もいる。戻ってきた人が、何らかの品を携えている場合もたまにある。コップやコイン、幸運を呼ぶお守りなどだ。だが、許可なく妖精の宝を持ち出せば、妖精の国を出たとたんに消えてしまう。

 

日本の河童

妖精といっても、目もくらむような美しさの持ち主ばかりとは限らない。現に、非常におぞましい生きものもいる。日本の河童もそれに入るだろう。この水に住むグロテスクなゴブリン――大昔から存在していたが、本当に広く知られるようになるのは江戸時代(1615~1868年)のことだ――もまた、奇妙な特徴を持っている。ありがたいことに、この特徴はほかのどの妖精にも見られない。

 

日本の伝説では、この水の妖精は身長約90センチから120センチで、黄緑色の肌をし、足には水かきがあり、魚のうろこまたは亀の甲羅に体を覆われている。

 

・民間伝承ではしばしば河童を、川や湖に住む肉食性の妖精と描写している。彼らを吸血鬼になぞらえるものもある――彼らは家畜を襲い、水に引きずり込んで溺れさせてから、生命のエッセンスを吸ったり肝臓を食べたりするとされている。

 

・したがって、この気味の悪い生きものは完全な悪というわけではないのだ。そして、河童をつかまえたら、彼らから接骨その他の治療法を聞き出すことができる。

 だが、河童の最も奇妙な点はこれからだ。伝説によれば、あらゆる人間は、腸の中に尻子玉という小さな玉を持っているという。それは人間の魂だという説もある。また、河童の大好物である肝臓と結びつける者もいる。誰も正確な理由は知らないようだが、理由はどうあれ、河童は尻子玉をほしがり、その魔法の玉を手に入れるために人間を殺すという。

 妖精その他の超自然的な生きもの全般にいえるように、現代のメディアは河童を浄化している。現代の漫画では、河童は奇妙な外見に描かれてはいるが、愛嬌があるといっていい。野球をしている河童の人形や、河童の冷蔵庫用マグネット、子供のお弁当箱に入れる河童のつまようじを買うこともできる。もちろん、現代人は河童の異常な行動をほのめかしたりしないだろうが、子供を河童と過ごさせることについては考え直したほうがいいだろう………。

 

 

 

『何かが後をついてくる 妖怪と身体感覚』

伊藤龍平  青弓社    2018/8/3

 

 

 

台湾の妖怪「モシナ」の話

「お前さんモシナかい?

日本では、台湾の「モシナ(魔神仔)」の知名度はどれほどのものだろう。台湾人で「モシナ」を知らない人は少ないが、日本で知っている人のほうがまれではないだろうか。

 モシナとは、主に夜、山中や草原に出る怪で、道行く人を迷わせて帰れなくしたり、夕方まで遊んでいる子どもをさらったりする。また、口のなかにイナゴを詰めたり、夜中に寝ている人を金縛りに遭わせたりもする。

 

モシナの容姿については、赤い帽子と赤い服(もしくは、赤い髪、赤い体)の子どもの姿(猿に似ているとも)をしているといわれるが、一方では、人の目には見えない気配のようなものだともいう。

 

・この慣用句にはモシナの本質が凝縮されている。モシナとは、知らぬ間に自分の背後に忍び寄る存在だった。黄さんは、モシナを「影のような存在」とし、「幻のようなもの」とも呼んでいた。

 

・「急に、影みたいに現れて消えるとか、そういうものをモシナって、鬼はもっとはっきりした形があった場合は鬼よね。モシナというのは、何かしら薄いような影(の姿)をした鬼でしょうね。だから小鬼という。実際の鬼じゃなくて、いたずら鬼、いたずらをする鬼」

 

 モシナの事件簿

・モシナとは何かという点については、世代による違いもある。中年以上の台湾人は、モシナと鬼とをはっきり区別していることが多い、人の死後の姿かどうかが一つの基準になるが、ほかにどのような違いがあるのだろうか。

 黄さんは、モシナと比べて「もっとはっきりした形があった場合は鬼」と話していた。同じ意見を鄭埌耀さんからも聞いている。鄭さんによると、「鬼ははっきり見えるでしょう、モシナは見えないんだ」とのこと。民俗資料には、赤い服と赤い体という鮮烈なビジュアルなモシナが記録されているが、実際、台湾の人から話を聞くと、こうしたビジュアルがないモシナのほうが一般的である。

 それでは、具体的にはモシナはどんなことをするのか。以下、鄭さんに聞いた話を要約する。

 

日本統治時代、台南にモシナが棲むという噂の空き家があった。あるとき、剛毅な男が、銀紙(冥銭。死者に捧げるお金)を奉納したうえで、その家を借りた。ところが、夜中、目が覚めると、男はいつのまにか土間に落ちている。どうやらモシナのしわざらしい。

 そんなことが、夜ごと繰り返されたので、とうとう男も腹を立て、「俺は金を払ってんだ、文句あるか!」と怒鳴ると、それ以来、悪さをしなくなったという。

 

 たわいもない話である。怒鳴られて退散するモシナも気が弱いが、鄭さんによると、「モシナはただ、いたずらをするだけ。これが鬼なら殺されてる」とのこと。蔡さんの「実際の鬼じゃなくて、いたずら鬼」という発言とも呼応し、台湾人のモシナ観が見て取れる。

 

・このモシナの話は、日本の「迷わし神型」妖狐譚とよく似ている。日本の場合、狐狸貉に化かされた人が団子だと偽った馬糞を食べさせられる話が多いが、台湾のモシナもイナゴではなく、牛糞を食べさせることがある。おそらくは日本の「馬の糞団子」の話のように、ごちそうに見せかけられたのだろう。化かされている最中に口にした食べ物が怪異体験の証拠になる点は共通している。

 気になるのは、台湾の「モシナ」と日本の「ムジナ(貉)」の発音の近さである。

 

・妖怪のなかにも勢力関係があって、弱い妖怪は、強い妖怪に駆逐されていく傾向がある。例えば、「河童」という妖怪の知名度が上がると、水難事故などの水辺にまつわる怪異はすべて河童のせいにされてしまい、似た行動パターンの妖怪の名は忘れられていく。

 

とはいえ、解釈装置としてのモシナは、現在も生きている。現代でも台湾のマスメディアでは、行方不明事件や不可解な死亡事故を報じる際に、紙面に「モシナ(魔神仔)」の文字が躍る。

 

・台湾中部の苗栗県大湖郷で、81歳の女性が朝から行方不明になり、捜索の結果、2日後、自宅の対岸の川辺で発見された。女性が発見されたのは急峻な崖下の川辺で、救助の際もロープで担架を下ろすなど、困難を極めたという。失踪当日は雨も降っていて水量も多かった。高齢な女性がどうやってここに来たのか、警察や消防の関係者も首をひねっていて、「モシナのしわざではないか」と話している。

 

「鬼」化するモシナ

・台湾人が幼少期によく聞いたのは、父母のしつけの言葉のなかに出てくるモシナである。「遅くまで遊んでいると、モシナに連れていかれるよ」「あんまり遠くまで行くと、モシナに連れていかれるよ」など。モシナの原義と推察される「模(モォ)」に「攫う」という意味があることについては先に述べたとおりである。

 日本でいえば、カクレザトウ(隠れ座頭)、カクレババ(隠れ婆)、カマスショイ(叺背負い)、ヤドウカイ(夜道怪)、アブラトリ(油取り)……などの、夕暮れ時に現れて子どもを連れ去る妖怪の系譜に連なるモシナである。

 

・殷さんが、女友達とキャンパスに続く坂道を歩いていると、分かれ道になっているところにボロボロの服を着た女が立っていて、何か話しかけてくる。殷さんが返事をしようとすると、友人はそれを制止し、手を引いてその場を離れた。

実は友人には何も見えてしかったのだが、殷さんが「何か」を見てしまったのに気がついて、そう対処したのだと後で聞かされた。

 友人は鬼のしわざだと思ったが、殷さんは、子どものころに聞いた母親の言葉を思い出し、即座に「モシナかもしれない」と思ったという。

 

謎の女を、殷さんは「モシナ」だと思い、友人は「鬼」だと思っていて、見解が分かれている。先に「モシナと鬼は違う」とする説が台湾では一般的だと書いたが、それは中年以上の年齢層での話であって、若い世代は両者を混同していることが多いようだ。

 台湾人の精神世界を探るのに有効だと思われるモシナだが、アカデミズム方面では、ようやく研究の緒についたばかりである。

 

ここでいう「広義のモシナ」とは「鬼」のことである。中国語の「鬼」を日本語に訳すと、狭義の「妖怪」の意味にもなるが、ここでは「幽霊(死霊。人の死後の姿)」を指している。ただし、祀られている鬼ではない。祀られずに(供養されずに)世間を漂っている鬼であり、さらに単独で出るものとされている。

 一方、「狭義のモシナ」は、本質的には「山精水怪」の一種で、さまざまなものに化けて、人にいたずらをする。林と李は396例にのぼる事例を整理し、その特徴を、①小さい体、②猿のような顔、③青黒い肌、④赤い色(帽子、目、髪、体)、⑤ふわふわと動く、⑥単独で行動する、としている。林と李は、こちらをモシナ本来の姿だとして考察の対象としている。

 

・最初に、モシナにはビジュアルがないとする説とあるとする説を述べたが、それは広義のモシナか狭義のモシナか、ということではないだろうか。狭義のモシナには鮮烈なビジュアルがある。例えていうなら「幽霊的モシナ」と「妖怪的モシナ」である。林と李が後者を研究対象としたのは、モシナ研究の端緒としてはまったく正しいが、今後は前者のモシナを、台湾の鬼の話(非常に多い)のなかで捉える視点も必要になる。

 

・今後の展望としては、林と李は「モシナの比較民俗学」を提唱している。ここで比較対象にあげているのは、中国大陸の「迷魂仔」「茫神仔」、日本の「河童」「神隠し」、欧米の「ブギーマン」「フェアリー」など。いずれも比較対象として魅力的だが、その前に、地理的に近い南西諸島との比較がなされるべきだろう。狭義のモシナの外見や行動からは、沖縄のキジムナーや奄美ケンムンの伝承が想起される。「金縛り」という行動面でも類似点が多い。また、これも先に述べたことだが、行動がそっくりな日本の狐狸貉の話との比較も有効だろう。ムジナ(貉)=モシナ説の是非はさておき、「迷わし神」型妖怪の比較研究はまだなされていないはずである。

 

・現代の台湾には鬼の話が多く、日本の幽霊話よりもリアリティーをもって話されている。しかし、日本の場合と同じく、妖怪の話は例が乏しい。そう考えると、「妖怪的モシナ」に比べて「幽霊的モシナ」のほうがリアリティを保てているのかもしれない。

 

東アジアの小鬼たち

<お人よしの水鬼>

水鬼を「水難にて死せしものゝ魂魄」と説明しているが、これはいわゆる「地縛霊」のことだ。

 

・『現代台湾鬼譚』でもふれたが、「水鬼」という語は現在でもよく使われている。子どもに対する教育的配慮を含んだ警句のなかで、「川に入ったら、水鬼に連れていかれるよ」という具合に使用される。日本でも、河川や池沼への立ち入りを禁止する看板に、河童のイラストが描かれることはあるが、母親が子どもに「河童が出るよ」と言うケースはもう少ないのではないだろうか。台湾の水鬼には、日本の河童が失ったリアリティーがある。

 新聞やテレビなどのニュースの見出しにも、しばしば「水鬼」という文字が躍る。

 

『台湾風俗誌』の鬼神たちと、沖縄のキジムナー

・「水鬼変城隍」は絵本や童話にもなっているが、問題になるのは、水鬼をどのようにビジュアル化するかという点である。日本の「河童」と違って、「水鬼」には固定したビジュアルイメージがない。

 

さて、「水鬼」は溺死者の霊で、日本でいうなら「水辺の地縛霊」のことだが、「人を水中に引きずり込んで殺す」という行動に注目すると、日本の「河童」と比較することができる。さらにいえば、現代日本の実話怪談にもしばしば登場する「水辺の地縛霊」と「河童」との比較も可能になる。いまでは忘れられてしまった「河童」に対する恐怖心を「水辺の地縛霊」の怪談を通して見ることもできるのだ。

 

・現代の台湾では「妖怪」という語は定着しているが、それは日本の漫画やアニメ、ゲームなどの影響で、外来語としての意味合いが強い。人気を博している「渓頭妖怪村」というテーマパークはそれを示す好例で、そこで造形されているのは、例えば鼻高天狗の面のオブジェだったり赤い鳥居だったりと、台湾人にとっての異文化である「日本」を表象したものだ。

 

モシナとキジムナーには、共通点が多い。キジムナーの特徴である「小児の姿」「赤い顔」「赤い髪」「赤い体」………は、モシナの特徴の一部(「小児の姿」「猿のよう」「赤い服」「赤い帽子」「赤い髪」……)とも通じるからである。山中を棲みかとして、人にいたずらをする点も似ている。

 

・ところで、日本と台湾の中間に位置する南西諸島にも、多種多様な「妖怪」たちがいる。沖縄のキジムナーやブナガヤー、アカカネジャー、ボージマヤー、セーマ、ヤンバサカー、そして奄美ケンムンなどの伝承である。

 

・ここでは、南西諸島の小鬼たちを「キジムナー」と総称したうえで、モシナと比較してみる。とはいえ、現時点ではモシナのデータは少なく、本格的な比較はできないが、大まかな見通しは立てられるだろう。以下、思いついたことを5点あげる。

 

・1点目は、人間との関わり方の問題。いたずらを仕掛けはするものの、キジムナーは必ずしも人間と敵対しているわけではなく、富をもたらすこともある。例は多くないものの、キジムナーを祀った祠もある。いたずら好きのモシナも極端な悪意をもって人間に近づくことはまれだが、富をもたらすようなことはなく、祀られることもない。

 

・2点目は、観光との関わり方の問題。現代のキジムナーは、沖縄を象徴する存在としてかわいらしくマスコット化され、観光資源として活用されている。イメージの統一化も進んでいて「赤髪半裸の男の子」という姿が典型的なキジムナー像となっている。こうした状況は、少なくとも現時点(2017年)の台湾でのモシナを取り巻く環境にはない。

 

・3点目は、出自の問題。ガジュマルの木に棲むといわれるキジムナーは、語源が「木の精」であることからもわかるように、出自がはっきりしている。この点は奄美ケンムンも同様である。それに比べると、モシナは出自がはっきりしない。

 

・4点目は、出現場所の問題。モシナの出現場所は山中や草原などが多く、「金縛り」の原因とされる例以外は街なかに出ることは少ない。キジムナーも同様だが、モシナと異なって海にも現れ、好んで魚を食べる。また、漁師の船に乗り込んできて一緒に魚を捕るという伝承もある。台湾も沿岸部では漁業が盛んだが、モシナにはついぞそういった話がない。

 

・5点目は、口承文芸のなかでの立ち位置の問題。キジムナーは世間話、伝説だけではなく、昔話としても伝承されているが、モシナが昔話として語られている例は見当らない。また、モシナが頻繁に出る場所があり、それが地名化した例はあるが、基本的には伝説としても伝承されていない。

 

韓国人アイデンティティーとトケビ

・ともかくも、現在、キジムナーは、沖縄を象徴する存在として可愛らしくマスコット化され、観光資源として活用されている。

 例えば、沖縄テレビの「ゆ~たん」や、テーマパーク「琉球村」の「キム」は、いずれもキジムナーに想を得ている。また、また、沖縄市では例年「キジムナーフェスタ」という演劇祭を催しているが、そこでのマスコットもキジムナーである。先に述べたように、イメージの統一化も進んでいる。民間伝承を換骨奪胎して進められるキジムナーのキャラクター化・マスコット化の様相は、岩手県遠野市の河童。座敷童子などのそれを彷彿とさせる。

 先にも述べたように、キジムナーのビジュアルイメージは鮮烈で、台湾のモシナ伝承の一部を思い起こさせる。しかし、これも繰り返しになるが、ビジュアルイメージがあることと「見える」ことは必ずしも同じではない。

 

与論島の妖怪伝承を調査したマッザロ・ヴェロニカは、「見える/見えない」の問題について興味深い指摘をしている。ヴェロニカによると、与論島の妖怪は、「一般可視型(誰にでも見えるもの)」「特殊可視型(霊感の持ち主にだけ見えるもの)」「非可視型(誰にも見えないもの)」の三種に分類されるといい、また、非可視型妖怪の伝承については聴力が重要だとしている。

 興味深いのは二番目の「特殊可視型」である。このケースの場合、妖怪が見えるのは「特殊」な人かもしれないが、そうした人を通して得られたビジュアルイメージは、見えない人の間にも広まると思われるからである。

 

・それでは、視覚イメージの点からトケビとモシナを考えるとどうなるだろうか。

 漢字表記で「独脚鬼」と書くように、トケビは一本足の怪とされる。日本の「一本だたら」や中国の「山魈」のような類似の怪がいることから、これが広く東アジアに伝承圏を有する妖怪であることがわかる。雪の朝、トケビが歩いた丸い足跡が点々と残っているという伝承も、日本の一本足妖怪と酷似している。しかし、モシナが一本足だという伝承は調査の限りではない。

 

例えば、道に迷ったときに用いられる慣用句「トケビに惑わされたのか」からは、トケビの「迷わし神」としての側面がうかがえる。「何事も後ろ盾が重要」という意味で用いられる慣用句「トケビも森があってこそ集まる」からは、トケビが山中を棲みかとすることがうかがえる(もっとも、海浜に出るトケビの伝承もあるが)。時と場をわきまえない人をたしなめるときに用いられる慣用句「昼に出るトケビのようだ」からは、本来、トケビは夜に出るものだという観念があることがうかがえる。以上にあげたトケビの特徴は、おおむねモシナについても当てはまり、そこから伝承の場を想像することもたやすい。

 一方、急に金回りがよくなった人に対して用いられる「トケビの砧でも手に入れたのか」という慣用句は、トケビの財神としての性格をよく表しているが(この「砧」が日本の「打ち出の小槌」を連想させて興味深い)、前節のキジムナーとの比較の際にも述べたように、幸福をもたらす性質はモシナにはない。

 

・もっとも、現在のトケビのイメージは、人間の姿をしているものがほとんどである。それも「虎柄のパンツをはき、頭に角を生やし、長い棒をもった半裸の男」といういわゆる日本の「鬼」に類似したイメージが定着している。この点は植民地統治時代に日本の鬼のイメージが混入したという指摘があり、日本の影響を受ける前の韓国固有のトケビを復元あるいは創造すべきだという意見が強まっている。

 

花子さんの声、ザシキワラシの足音

見えない花子とザシキワラシ

・一方、見方を変えると、「花子さん」は、童形妖怪(子どもの姿の妖怪)の系譜に連なるモノともいえる。特定の場所(トイレ)に出る童形妖怪ということでいえば。ザシキワラシ(座敷童子)との関連が見いだせる。「赤い吊りスカートにオカッパ頭」というのも、通俗的なザシキワラシのイメージである「赤い着物にオカッパ頭」の現代版と見えなくもない。

 

・一方、『奥州のザシキワラシの話』には、見えないザシキワラシの話も多い。話のなかで、怪異をもたらす主体としてザシキワラシの名をあげているものの、姿が描写されず、登場人物も見ていないという例である。

 ざっと数えてみたところ、見えるザシキワラシの話が27話、見えない話が22話、見える人と見えない人がいるとする話が3話、不明が4話だった。見える/見えないは半々ということになる。

 

・それでは、ビジュアルがある話のなかで、ザシキワラシはどのように描かれているのか。以下に見ていこう。

 まず、現在のザシキワラシのビジュアルに近いものを列挙すると――「一人の童子」、「赤い頭巾を被った赤顔のワラシ」、「5、6歳くらいの1人の子供」、「赤顔垂髪の1人の童子」、「白い衣物を着た6、7歳の童子、かぶきり頭」、「髪は黒くて長く切下げ、顔は赤く。素足のよう」、「髪は短くして下げた、河童に似た者」、「ぼろぼろの襤褸を着たカブキレワラシ」、「赤い顔」、「赤顔の散切頭」、「4、5歳ほどの子供」、「5、6歳位の皿子頭の童子」、「きわめて美しい子供」、「顔は赤くて短いムジリのようなものを着ておった」、「色の黒っぽい2つ位と見える子供のようなもの」……など。

「かぶきり」「カブキレ」は、オカッパ頭のこと。「垂髪」「皿子頭」も同様の意味だろう。ここで性別にふれていないことは注意が必要である。また、必ずしも衣類の色ではないが、赤という色が象徴的に話されている例が多い点も特徴である。

 岩手方言の「ワラシ(童子)」は。何歳ごろまでを指すのだろうか。「14、5歳の小僧」、「14、5歳とも思われる一人のワラシ」、「赤い友禅の衣物を着た17、8の娘」などで、現在の私たちがイメージするザシキワラシよりはいくらか年上となっている。

 

・ちなみに、佐々木喜善の話をもとに編んだ柳田國男の『遠野物語』には、ザシキワラシの話が2話あるが、片方は「12、3ばかりの童児」で「男の児」、もう片方は「童女」「よき娘」とされている。『奥州のザシキワラシの話』のような多様性が見られないのはどうしたわけだろう。柳田が喜善の話を取捨選択したか、喜善自身がそのような話を選んだのか、いまとなっては判断のしようがない。

 

闇に這い回るもの

佐々木喜善の『奥州のザシキワラシの話』には、座敷の襖や長押から細長い手が出て、おいでおいでをするという話が2話あり、13話では「細手長手」、14話では「細手」と呼んでいる。座敷に出るという点、家運の盛衰と関連づけられる点など共通点は多い。実際、29話のように「めごい手」だけを見せるザシキワラシの例もある。しかし、「細手長手」「細手」を、ザシキワラシの一種に加えていいのかというと、いささか躊躇する。ただ、蔵に出るクラワラシ、クラボッコとなると、親類かなとも思う。このあたりの判断は難しい。

 先に老婆の姿のザシキバッコの例を紹介したが、これをザシキワラシの仲間に入れていいものかどうかは、この話のなかで行動が記されていないので何ともいえない。ザシキワラシが年をとって婆さんになったのだろう……というのは冗談で、妖怪の世界では、童はいつまでたっても童、婆は最初から婆である。

 

・あらためて『奥州のザシキワラシの話』に載るザシキワラシの行動パターンを見てみると、闇夜に響く足音について言及したものが多いことに気づく。それらの話のザシキワラシは姿を見せずに、「とたとた」「つたつた」という擬音で表現される足音だけを残している。『ザシキワラシの見えるとき』を書いた川島秀一も、ザシキワラシは姿が見えず、聴覚に訴える怪だと述べている。

 ザシキワラシには、見えるものと、見えないものの2種があることについては先に書いた。それでは、見えない場合、私たちはどこでザシキワラシを感じるのかというと、その答えの一つが聴覚である。昔の夜は、いまよりもずっと暗かった。暗闇のなか、研ぎ澄まされる聴覚で捉えられる幽かな、奇妙な音。それが体験者の経験則に照らして、ある条件を満たしたときにザシキワラシとして感知される。

 

・この手のザシキワラシに遭ったとき、人はどんな気持ちになるだろう。例えば、1話では「毎晩、一人の童子が出て来て、布団の上を渡り、又は頭の上に跨って魘されたりするので、気味悪くかつとても寝付かれなかった」、19話では「何物かがみしみしと足の方から踏上って来て、ぎゅうと体を押付けた。その苦しさと言ったら、呼吸も止まりそうであった」とある。いかにも、子どもがしそういたずらだ。

 これは現在でいうところの「金縛り」で、医学用語では「睡眠麻痺」というそうだ。私も20歳前後のころ頻繁に体験したが、条件さえそろえば、ザシキワラシに遭ったと解釈しただろう。

 

<「聴覚優位の時代」の妖怪>

・『座敷わらしを見た人びと』には、ザシキワラシを体験した人々の証言が73例、紹介されている。ざっと分類してみると、見えるザシキワラシの話が32話、見えないザシキワラシの話が28話、見える人と見えない人がいるとする話が3話で、不明が4話となる。見える/見えないの割合は半々で、佐々木喜善の『奥州のザシキワラシの話』のころと同じである。

 

・一方、ザシキワラシを目(視覚)以外の感覚器のどこで感知したかという点に注目すると、若干の違いがある。

『座敷わらしを見た人びと』には、聴覚で感知されたザシキワラシの話として「足音がする」が9話、「這う音がする」が2話、「刀の斬り合う音がする」「赤ん坊の泣き声がする」「唸り声がする」が各一話あるが、『奥州のザシキワラシの話』に比べて、事例にもバリエーションにも乏しい。

 

・そのかわりに多いのが、触覚によってザシキワラシを感知した話である。「体を揺する」「ふとんに乗る」「くすぐる」「頭をなでる」などはザシキワラシの行動のようすだ。

 

・「背中を起こす」という行動は『奥州のザシキワラシの話』にはない。ここでいう「背中を起こす」というのは、「寝ている人の背中を、直角になるまで起こす」ことで、往年のドリフターズのコントのようだが、それを夜中に何度も繰り返すのだ。なかには「畳ごと起こす」という荒っぽい例もある。

 

・ザシキワラシをめぐる、見える/見えないの問題について、川島秀一は、オシラサマ(遠野地方の民俗神)と比較しながら、「ザシキワラシは常に見えないものであり、オシラサマのように神像や神体として視覚化されたものではない」と述べている。川島がいう「目に見えない」というのは、神像や神体のような、偶像をもたないことを指している。いわれてみれば、ザシキワラシ地蔵など、ありそうにない。