日本は津波による大きな被害をうけるだろう UFOアガルタのシャンバラ 

コンタクティやチャネラーの情報を集めています。森羅万象も!UFOは、人類の歴史が始まって以来、最も重要な現象といわれます。

発見され、裁判にかけられるナチ戦犯がどんどん減っているのも驚くに値しない。上級将校はおそらく全員が死んだだろう。(4)

 

FBI超能力捜査官マクモニーグル

「遠隔透視」部隊の現実  

(並木伸一郎・宇佐和通) (学研)2007/2

  

幽霊のハンス

・幽霊もよく見る。亡くなった妻の母も会いに来た。あれは感謝祭の夜で、妻の母は、その年の8月に亡くなっていた。家族が感謝祭で集まったとき、私は、どうしようもない眠気に襲われて、二階の寝室で横になったんだが、ふと目が覚めると義母がベッドのわきでほほ笑んでいた。私は、嬉しくなって「すべて順調だから心配しないで」と話しかけた。すると義母の姿が消えた。

 陸軍時代、ドイツでも幽霊を見た。長旅を終えて新しい宿舎に着いた夜のことだ。洗濯をしようと地下に行ったが、どの部屋が洗濯室なのか分からずうろうろしていると、年老いたドイツの男性と出くわした。ドイツ人だと分かったのは、民族衣装を着ていたからだ。彼に『洗濯室はどこです』かと尋ねると『ああ、こっちだよ。ついて来なさい』といわれ、『ここだよ』と、部屋まで案内してもらった。私は、礼を言って洗濯を始めたが、目をあげると、彼の姿はもうなかった。私は、ドアと彼の間に立っていたから、彼が出て行くのに気付かないはずはない。不思議に思って、あちこち探したが見当たらなかった。

・同僚たちの部屋に向かう途中で、ふと当り前のことを思い出した。そこは情報関係の建物で、ドイツ人が出入りできるわけがないのだ。部屋に入って、『あのドイツ人は誰だ?』と聞くと『ああ、それは幽霊のハンスだよ』と、あっさりいわれた。部隊では有名な幽霊だったようだ悪さをしないが、頻繁に姿を見せるという。現れたり消えたりしながら、アメリカ兵とのコミュニケーションを楽しむらしいのだ。その建物に取り付いているのだろう。ドアを開け閉めすることや、あるいは皆がいる部屋に入ってきたり、ポーカーをしているテーブルの脇でじっとしていることもあった。兵士の一人が怒って灰皿を投げつけたら、灰皿はハンスの体を通り抜けて壁に当たった。

 

 天皇のスパイ』

高橋五郎      学習研究社   2009/8

  

天皇のスパイ>

・“天皇のスパイ”と呼ばれる男がいた。第二次大戦中、二重三重スパイとして、世界を股にかけた男、アンヘル・アルカッサル・デ・ベラスコだ。

 今もヒトラーナチスの意志と行動が確実に存在している

・「そこで朝まで寝てしまった」。

 ベラスコは私が座っている濃茶色のソファーを指した。

「着替えもせずに」。

とコンチータが付け加えた。その夜ボルマンがベラスコの自宅でシャワーも寝室も使わなかったのを、コンチータは覚えていた。40年以上も前の出来事なのに、2人はまるで昨日のことのように語った。

 この昔話はその先まで聞くことにした。というのは、ベラスコが例のマドリード脱出劇の際に見せたあの逃亡行為の背景を解くカギが、ここでいう昔話にもひそむ気がしたからだ。指名手配の戦犯ボルマンがなぜ、いとも簡単に国境を超えられたのだろうか。何か特別な通行手形でも持っていたのか。

 

世界最高のお尋ね者ボルマンは戦争が終わったのにマドリードに堂々とやって来ているではないかどうやらナチス・ドイツに関わった人々は、戦争の勝敗を超えた何か特別な次元で動いているのだろうか。須磨公使も、フランコも、そしてヒトラーも、ボルマンも、そしてベラスコもまた途方もなく巨大なドイツの影のなかで動かされる「小人」のそれぞれだったのか。ベラスコの口癖「和平は戦争の一時的中断に過ぎない」の広い意味がもっとも良く見えてくる気がした。子供だましの戦争という意味もだ。

 SS大佐フッカーの語るエバとヒトラーの脱出模様

ヒトラーが閣僚たちと階段の上に消えたその3時間後、ベラスコは地上めがけて階段を駆け上がった。ベルリンの夜空は黒と赤に断続的に変化していた。砲撃で夜空は赤一色になる。ガレキのなかを走ろうとしたら誰かがベラスコを引っ張った。SSのワグナー大佐だった。こっちから走れ!そう叫んだ彼の横にオベルベイルもいた。

 ワグナー大佐らのあとに続いてガレキの山をいくつも這って超えた。暗闇を照らす赤い炎で死体と救助を求める人々の姿が見えた。ベルリンの大通りは地獄だった。

 ・オベルベイルは眼鏡をなくしたと喚いていた。車中へ引っ張りこんでくれたSS将校はシートに仰向けになって太めの腹を出してのびていた。ワグナーはケガで割れた膝を押さえていた。夜が明けるにつれて、ベラスコらの車が南部の田舎道を走っているのが分かった。くしゃくしゃになった煙草がベラスコのポケットにあった。車内の全員にすすめて一息ついた。煙草を持つベラスコの指先は震えたまま止まらなかった。18台の護衛車の乗員は全員が地下官邸のスタッフだった。

・田舎の道路を走行していたベラスコらの一団に突然戦闘機1機が襲いかかってきた。英国空軍の偵察機は、爆弾を投下した。先頭車が被弾して破壊された。後続車は次々に追突して全車輛は停止、全員が道路周辺を逃げ回った。だが遮蔽物もなく被害は甚大だった。追い打ちをかけるように機銃掃射に見舞われたために、わずか1、2分のあいだに23人が死に、13人が重傷を負った。10台の車が完全に走行不能になった。死亡者の遺体を道路脇に並べ、重傷者には救急用品と毛布を渡してその場を離れるほかはなかった。

 ・「ボルマンが最後に地下官邸に来たとき、ヒトラーはまだそこに残る気だった。心のなかの軍隊とともにベルリンを防衛するつもりだった。死ぬ覚悟もあった。だが、ボルマンはそれを察知してヒトラーとエバを即刻地下官邸から退去させるよう命令した。2人は薬を飲まされたが、それがエバに致命的な結果をもたらした」。

 ひたすら喋りまくるフッカーの顔をワグナー大佐はにらみつけていた。ワグナー大佐はフッカーの知らない事情まで知っているらしかった。フッカーが非難したボルマンの態度についてベラスコは内心、半信半疑だった。ボルマンの心変わりなど信じられなかったからだ。

 ・フッカーのお喋りは際限なく続いた。

ヒトラーの失敗は、英国軍事情報部に買収された予言者を信用したことだ」。

 フッカーは予言者がどうやってヒトラーを信じこませたかを微細に喋った。ヒトラー総統が予言者を信じていたことは英国軍事情報部員からベラスコも聞いていた。だが奇抜すぎたから聞き流していた。今になってみれば裏づけでもとっておけば良かったのにとベラスコは後悔した。だが、もしフッカーのお喋り通りだとすれば、ベラスコにとってのスパイ活動歴のなかで最大の失敗だったと悔やんだ。

 偽装結婚あり、マドリードまでの脱出行

ベラスコ邸にボルマンとアイヒマンを匿う

・ボルマンの姿をベラスコが最後に見たのは、例の地下官邸で4月21日だったが、始めて口をきいたのは、ボルマンがベラスコ邸に訪ねてきたそのときだった。

 目の前のボルマンは以前よりも痩せていた。二重アゴは頬の筋肉と一緒になくなっていた。前頭が部分的に禿げてギリシャ鼻には整形が施されていた。輝いていたのは眼光だけで、それも異様な明るさに見えた。

 ボルマンを案内してきた工作員は、彼の名前はフレッチャーマンだとベラスコに紹介した。ベラスコはボルマンだと気付いていた。工作員を帰してボルマンを居間のソファーに案内し、スぺイン産ブランデーをすすめた。

「君は私を覚えているかね」。

ボルマンはそう尋ねた。ベラスコがうなずくと同時に、

「そう私はフレッチャーマンだ。いいかね君」。

と念を押した。

「ならば、私はドクター・ゴメスです」。

ベラスコも即座にそう答えた。ボルマンのスペイン語はひどいものだった。

「ここで長居するつもりなら、スぺイン語を上達させてください」。

「長居をするつもりはないが、君の忠告どおり少し勉強しよう」。

ボルマンはそう答えた。

 「ハイル・ヒトラー」ボルマンと乾杯、どっこい生きていたナチス・ドイツ

・1946年1月3日の深夜、フェリペが再び訪ねて来た。例のメッセージに書かれていた「重要人物」を同伴していた。深緑のソフト帽を深くかぶり、黒色の外套の襟を立てていて顔がよく見えない。フェリペは、フレッチャーマン氏だと紹介した。握手した瞬間ベラスコにはその人物が誰か分かった。あのマルティン・ボルマンだ。

 ・あとは前述の通りの場面になった。ここまでピレネー山脈を越えて陸路で来たのか、それとも民間航空機で来たのか、あるいはUボートガリシア海岸沖まで来て車を乗り継いで来たのか、と尋ねるベラスコの問いかけにボルマンは答えなかった。

 その代わりに、開封された白い封筒をベラスコに渡した。裏表とも何も書いてなかった。

 そのメッセージの紙面にもZAPATAの文字があり、なぜかヒトラーのサインまであった。文面はボルマンをバルセローナの南およそ15キロほどにあるコンドール城に連れていくよう指示していた。その古城は地中海に面した閑静な地域にあることはベラスコは知っていた。ボルマンは3日間ベラスコ邸の居間で過ごした。

 1月6日、ベラスコは新車のクライスラーを用意してボルマンを乗せ、マドリードをあとにしてバルセローナに向かった。なるべく人目につかない道路を選んだために8時間の長旅になった。コンドール城には50歳過ぎの漁師風の男マカリオが待っていた。

 

敷地総面積が数千坪はある城郭内には、戦争時から連絡センターとして使われていたいくつかのコテージがある。人目につかない城の塔のなかに案内しながら、マカリオは快適ではないが一番安全な部屋だと言った。簡素な空間だったが、床にはなぜかカーペット代わりに白い砂が厚めに敷かれていた。ボルマンはマカリオに食事を出すよう催促した。ベラスコはそのままマドリードにUターンすることにした。ボルマンはベラスコに身体を鍛えておくようにと命じつつ、長い旅に出るからと付け加えた。マドリードに戻ったベラスコにはその後3ヵ月間、ボルマンはむろん誰からも何の連絡もなかった。

 ・1946年5月1日、再びフェリペがベラスコの前に現れた。フェリペから受け取った封筒のなかのメッセージは簡単なものだった。5月7日にガリシア海岸のビラ・ガルシアにボルマンとともに到着するようにと書いてあった。その場所ビラ・ガルシアは、以前マドリードから逃亡したときに目指したイベリア半島の北西海岸にある寒村だ。そこにUボートが待っているのだろう。それで今回はそこからどこへ向かうのだろうか。ベラスコは不安だった。

 ・5月3日、コンチータに長期旅行になるかも知れない旨を告げながら、ベラスコはボルマンが待つ、バルセローナに向かって8時間の長距離ドライブに出た。

 コンドール城に到着して、ボルマンと再会した。「スペインは素晴らしかったが、去るのは辛くない」。ボルマンはワインを傾けながら流暢なスペイン語で喋った。

 この12週間でナチス党の再建と将来構想を固めたとボルマンは語り、その行動初日を祝ってマカリオを含む3人で乾杯した。「ナチス党とその指導者のために、ハイル・ヒトラー」。

 暖炉の炎が3人の姿を石壁にゆらゆらと映しだした。3人が乾杯する影をこの場には敗戦国ナチス・ドイツのイメージはなかった。ベラスコは興奮して震えた。なぜならボルマンがハイル・ヒトラーと叫んだこの乾杯は、まさに死んだハズのヒトラーの生存を意味することにほかならないからだ。ナチス・ドイツはどっこい生きていたのだ。繰り返すが、これは1946年5月3日、戦後のことだ。

  

『図解 第三帝国

森瀬 繚 / 司 史生  新紀元社   2008/5/8

 

 ヒトラーは生きている?>

・生存神話は歴史的に名高い人間につきものだが、各国の猜疑心が助長したアドルフ・ヒトラーの生存説は半ば都市伝説となっている。

 アドルフ・ヒトラー生存説

・敗北を目の前にしたアドルフ・ヒトラーが、妻となったエヴァ・ブラウンと共に命を絶ったのは1945年4月30日午後3時30分とされている。官邸地下の防空壕に最後まで残った部下達と無言で握手して回り、エヴァを伴って自室に入った後のことだった。運び出された遺体はその日の内に官邸の裏庭で焼却された。

 ヒトラー自殺の現場であるこの官邸を最初に占領したソ連軍が、ヨシフ・スターリンの緘口令によって長らくヒトラーの死についての詳細を公表しなかったことと、わずかに公表された内容が連合軍の調査と大きく食い違っていたことから、ヒトラーが今もどこかで生き延びているのではないかという噂がその後、長い間に渡って一人歩きしていくことになる。

 これは、ヒトラーの自殺を信じなかったソ連指導部の猜疑心によるもので、ソ連軍司令官のゲオルギー・ジェーコフ将軍による、大英帝国ヒトラーを匿っているという1945年8月の非難もそうしたソ連側の困惑を反映したものだった第三帝国の高官達がUボートで南米や南極に逃亡したという噂は、アルゼンチンの港にUボートが実際に浮上した数件の事例によって疑惑に高まり、ハンブルクから出港した潜水艦にエヴァ・ブラウンと見られる女性が乗っていたなどの出所の不確かな様々な噂が飛び交い、世界各国の情報機関は1950年頃までの間、血眼になってヒトラーの行方を追っていたと言われている。

 ・具体的な逃亡説としては、1945年4月30日にテンペルホーフ空港にてどこかに出発しようとしているヒトラーを見たという目撃談があり、これを裏付けるような報道がアメリカやチリの新聞に掲載されたことがある。また、警察に協力して捜査活動にあたったこともあるオランダの自称透視能力者ピーター・フルコスは、自著の中で1961年に生きているヒトラーを目撃したと書いている。

 Uボートによる逃亡説の一例

・1945年4月30日(テンペルホーフ空港にて逃亡前のヒトラーが目撃される。

デンマークに脱出。(アメリカ『ニューヨーク・タイムズ』紙)

ノルウェーに移動。(チリ『ジグザグ』紙)

Uボートに搭乗。(『ナショナル・ポリス・ギャゼット』紙)

1945年7月19日 南米へ上陸、アルゼンチンへ?

 南極のヒトラー

南極圏のどこかに第三帝国の秘密基地があるという伝説は、ヒトラーが生存しているという伝説と共に戦後、世界中に広まっていた。

 南極大陸の秘密基地

ソビエト連邦ヒトラーの死を長らく隠しつづけたため、彼の逃亡についての噂話が独り歩きすることになった。総統がUボートで南極の秘密基地へと逃亡したという伝説も、そうした噂の一つである。ドイツ降伏後の1945年7月、オットー・ヴェルムート艦長の指揮する潜水艦U-530がアルゼンチンの港に浮上し、8月にはハインツ・シェッファー艦長のU-977が同じくアルゼンチンのマルデルプラタに入港した。

 U-530の乗員だったヴィルヘルム・ベルンハルトは、艦の任務が第三帝国の遺産を南極大陸のミューリッヒ・ホフマン山脈にある秘密基地へと運搬することだったと著書ヒトラーと聖槍』に書いている。南太平洋、それも南極大陸周辺におけるUボートの活動については、フランス国営通信により1946年9月に報道されたこともある。

 ヒトラーの南極への関心は、アルフレート・リッチャーによる1938年の南極探検に遡る。リッチャーの調査した区域を、空母「シュワーベンラント」からとって「ノイエ・シュワーベンラント」と名づけたヒトラーは、この地に軍事拠点の建設を命じたという。第211基地が実際に稼働を始めたのは1942年頃で、敗戦の際に第三帝国の高官やユダヤ人から没収した財産を運搬し、友好的関係にある南米諸国との連携のもと再起を図るためのものと考えられた。

 ・合衆国のリチャード・E・バード少将は、1947年に南極探検作戦「オペレーション・ハイジャンプ」を実行しているが、この探検はこうした秘密基地の偵察を目的としていたという説がある。この探検が地球空洞説の証明のためのものだったと主張する者もおり、どちらにせよ鵜呑みにすることは難しい。カナダの歴史修正主義者のエルンスト・ズンデルは自説を広めるためにこの伝説を喧伝し、南極のUFO基地の見学に行くツアーを企画した。

 オデッサ機関>

フレデリック・フォーサイスの小説『オデッサ・ファイル』によってその名が世界に知れ渡った、第三帝国の逃亡支援組織。

 南米への逃亡ルート

第三帝国の落日が目に見えて迫る頃になると、総統アドルフ・ヒトラーを筆頭に、国家社会主義ドイツ労働者党の高官や親衛隊、国防軍将校らをスペインや南米ボリビアなどの国へと脱出させるためのプランが練られ始め、逃亡支援のためのグループが幾つも組織された。

 ・Organisation der ehemaligenSS-Angeőrigen(元SS隊員のための組織)の頭文字から名前を取られたオデッサ機関もその一つである。オデッサ機関は1948年、グラーゼンバッハ捕虜収容所にいたパウル・ハウザーSS上級大将を首班に結成された「蜘蛛」を母体とする。戦後の欧州全体に親衛隊同志のための蜘蛛の巣のようなネットワークをはりめぐらせた「蜘蛛」は、退役軍人のための相互扶助組織を偽装しながらオーストリアとイタリアを経由してアドルフ・アイヒマンを含む数多くの戦犯を南米へと脱出させた。

 ・親ヒトラーの王族が主宰する「無言の支援」協会などの資金源を得て、空軍の英雄で戦後はアルゼンチンの航空産業界に食い込んでいたハンス・ウルリッヒ・ルーテルの「友愛会」といった同種の団体と協力関係を構築しながら営々とその規模を拡大したが、首脳部の対立により組織は分裂。この時、「蜘蛛」から分派したのがオデッサ機関で、パラグアイに根を張るこの組織は瞬く間に欧州全体に膨張。オットー・スコルツェニーが指導者だと噂された。

 オデッサ機関以外にも逃亡ルートは存在する。戦後行方をくらましたハインリヒ・ミューラーとその配下のゲシュタポが作り上げたとされる「水門」はマルチン・ボルマン逃亡に寄与したと噂され、親独の法王ピオ12世の支持のもと大司教アロイス・フーダルが主導したカトリック教会支援による修道院ルートと呼ばれる強固なラインもあった。

 ナチハンターたち

・マルチン・ボルマンを筆頭に「人道上の罪」に問われるべき多くの第三帝国高官が終戦時に行方を晦ましたことが知れ渡ると、正義感や名誉欲に駆られたジャーナリスト達が戦争の記憶が生々しい欧州を駆け回って彼らの消息を追跡した。ジャーナリストから小説家に転身したフレデリック・フォーサイスは、潜伏中の「リガの虐殺者」、強制収容所所長エドゥアルト・ロシュマンを告発する目的で1972年に『オデッサ・ファイル』を発表した。

 ・こうした残党狩りの主役になったのはユダヤ人であり、復讐を求めた彼らの闘いは終戦間際には早くも始まっている。1944年、ユダヤ自治区の度重なる要請に折れた連合国はユダヤ人旅団の編成を認めた。ローマで終戦を迎え、ドイツ入りした彼らは手配中の戦犯に関するリストを連合軍勤務のユダヤ人同胞から入手し、イスラエル・カルミ大佐を首班とする処刑部隊を組織した。彼らが処刑したドイツ人は50名以上にのぼると見られている。

 ・戦後はモサドなどイスラエルの情報機関やプライベートのナチハンター達が、ボルマンをはじめゲシュタポ長官ハインリヒ・ミューラー、アウシュヴィッツ強制収容所で非人道的な実験を行ったヨーゼフ・メンゲレらの追跡に従事した。

 第三帝国のUFO>

・「ナチスがUFOを作っていた!」ブラウン管を通して日本のお茶の間をも騒がせた「新事実」は、歴史修正主義者のアドバルーンだった。

 空飛ぶ円盤

第三帝国が「空飛ぶ円盤」を開発していたと主張する人々が存在する。この珍説は1980年代に日本のジャーナリストによって紹介され、1994年には日本テレビ系列の特番に取り上げられた。以下は彼らの主張である。ヒトラー政権が成立した1933年、党の黒幕であるトゥーレ協会やヴリル協会などの神秘主義結社の後ろ盾のもと、ミュンヘン工科大学のW・O・シューマン博士らにより円盤型航空機RFZ-1が開発された。この研究はその後、親衛隊技術部門のE-IV部隊へと移管され、彼らの言う「電磁重力駆動機関」を利用した円盤型航空機が開発されたが、戦闘には不向きであったため実戦に投入されることはなかった。

 インターネットなどを媒介してUFO説の敷衍に努めているのは、ヒトラー政権下でのユダヤ人虐殺を否定する「歴史修正主義者」と呼ばれるグループである。その彼らの中心的人物であるカナダ在住のエルンスト・ズンデルが1985年に裁判をかけられた際、彼の弁護士はこの説がホロコースト否定論を広める客集めのでっちあげだと証言している。

 ルーン文字の呪力

・親衛隊国家長官のハインリヒ・ヒムラーは、オーディンの創造した24種類のルーン文字ゲルマン民族の呪力が宿っていると信じていた。

 ゲルマン神話の遺産

ゲルマン人が言語表記に用いたルーン文字は、1世紀頃に考案されたものらしい。「神秘」を意味するゴート語が語源とされ、中国の甲骨文字と同じく呪術的な目的で用いられたゲルマン人は紀元前4世紀頃からスカンジナビア半島南部と、ライン河とウェーゼル河に挟まれた中央ヨーロッパの平原に居住するインド=ヨーロッパ族の民族で、その伝説は部分的にギリシアやローマ、東方のそれと共通している。

 ゲルマン神話の原典とも言える叙事詩『古エッダ』によれば、ルーン文字を創造したのはゲルマン神話の主神オーディンとされているが、『古エッダ』は9世紀以降に成立したもので、最初からオーディンと結び付けられていたかどうかはわからない。

 ルーン文字こそは古代の北極圏にあったゲルマン民族の故郷で使用されていた文字であり、中国やバビロニアの文字の原型になったと信じるヒトラーは、祖国遺産協会などの親衛隊の研究機関に散逸した記録の収集を命じている。

 ラインハルト・ゲーレン

・1902年4月生まれ。第2次欧州大戦中に国防軍参謀本部の東方外国軍課長を務め、カナリス、シェレンベルクらと共にドイツの情報活動を担った。戦後、スタッフと共にアメリカ軍に投降し、アレン・W・ダレスの協力で、ゲーレン機関と呼ばれる私的な対ソ諜報組織を設立。マスコミからは「幻の人」「顔のない男」と称された。共産主義との闘争を何よりも優先し、逃亡中のSD・ゲシュタポ出身者を数多くスタッフとして雇用した。ゲーレン機関は1955年にドイツ連邦情報局(BND)に改組され、ゲーレンが初代長官に就任した。

  

『ムー』  2015年7月  No.416

 

ヒトラーはマットグロッソという場所に移り住み1984年に95歳でこの世を去った

ナチスUFOと南極エイリアン基地の謎

ナチスの南極遠征の目的地は天空人の子孫が築いた地下都市

・ヴリルUFOが次々と開発されていく最中の1938年、ヒトラーは腹心のアルフレート・リッチャーに南極遠征を命じ、その後も遠征隊を送り込み、調査を続けた。

  その目的は、超人の探索と、超古代文明の叡智の獲得だった。

 超人とは、ヴリル協会が標榜する独特の思想で、太古の地球に到来して文明を移植した天空人(=異星人)のことで、さまざまな天変地異により地底に隠棲している存在を指す。

 ドイツ人はこの超人の直系の子孫だというのだ。この思想を信じたヒトラーは、超人が有するという“ヴリルの力=叡智”を獲得し、その力で世界を征服し、同時に永遠の生命も入手するという野望を抱いた。

 超人の拠点は、当時、未知の大陸だった南極だと考えられていた。その根拠は「ヘファリン文書」だった。それは、ウィリアム・ヘファリンとグラディアス・ヘファリンという夫妻が南極の氷底にある都市レンボー・シティ(虹の都)で暮らした体験記である。

  今から250万年前に飛来した天空人の子孫「ハクラン」が、南極の地底3000メートルに建設した地下都市レインボー・シティは全部で7つあり、赤、青、緑など、虹の7色で呼ばれていた。光源は人工照明のほか、太陽光を巧みに取り入れる工夫がなされていた。

 アルゼンチンに逃れた!?ナチス幹部とUFO極秘資料

・アルゼンチンとナチス・ドイツは、当時親密な関係にあった。南米のパタゴニア地方は、もともとナチスの植民地候補だったようで、かなり早い段階からアルゼンチンへ投資をしていたのである。

 これにより、当時のアルゼンチンの軍事独裁政権は、ヒトラーの熱烈な崇拝者だったのだ。そのためドイツ敗戦後、ナチスの残党を5000人近く受け入れて匿ったのであり、ヒトラー自身もまた、アルゼンチンへ逃げ込んだともいわれているのだ。

  ヒトラー生存説はこれまでも何度となく噂されている。自殺したのは替え玉だったという説である。実際、ヒトラー死後の状況が二転三転しており、遺体を検視した結果、ヒトラー本人ではないことが判明するなど、現在に至ってもヒトラーが本当に死んだのかどうかは不明なのである。アメリカ軍は躍起になってヒトラーを捜したが、結果的には見つかっていない。

 敗戦直前、隠し資金と秘密兵器を持って、ヒトラーはアルゼンチンの奥深くへ逃げ込んだ。ブラジルの女流ノンフィクション作家ジモーニ・ゲレイロ・ディアスによると、戦後アルゼンチンへ渡ったヒトラーは南米を転々とし、最後はブラジル奥地のマットグロッソという場所に移り住み、1984年に95歳でこの世を去ったという。

  

<●●インターネット情報から●●>

 南米に逃げたナチ残党

前出のユダヤ人作家マイケル・バー・ゾウハーは次のように述べている。「終戦直後の数年間に南米の地を踏んだドイツ人は大量にいたが、そのすべてが戦争犯罪人や元ナチス親衛隊将校、あるいはゲシュタポ幹部というわけではなかった。 多数の技術者や技師や科学者もまた、この先何年ドイツにいても成功する見通しはないと判断し、新しい国で運を試そうと祖国を離れたのである。当然のことながら、こうした人々は引き寄せられるように、アルゼンチン・ブラジル・チリ・パラグアイなど、すでにドイツ人の大居留地があった国々へと渡っていった。

 ・だが、1955年のペロン政権崩壊は、アルゼンチンに潜伏したナチス逃亡者にかなりの不安を与えた。そのため、ある者は別の避難場所を求めて、「他の南アメリカ諸国やスペインや中東に移るほうが賢明だ、アメリカ合衆国でさえまだましだ」と考え、また、ある者はもっと奥地に逃げこんで、文明から遠く離れた不毛の高地や、パンパスと呼ばれる大草原、あるいはジャングルに新たな居留地をつくるほうがよいと判断した。 ペロンに代わる新しい指導者たちもナチス逃亡者に対する友愛政策を変えることはなかったものの、政権の交替は彼らに多くの心配と不安をもたらした。

 ・その結果、アルゼンチンがパラグアイやブラジルと接するところ、パラナ川流域から果てしなく広がるパンパスはドイツ領とでも呼べそうなありさまになった。1500人ほどのドイツ人はさらに内陸部へ進み、ブラジルの奥地マトグロッソに着いた。その一帯には人跡未踏とも言える広大な熱帯雨林が広がり、植物が繁茂し、湿地が水蒸気を立ちのぼらせ、インディアンの部族が文明とは無縁の生活をしていた ここに近づこうとすれば、舟もやっと通れる川が幾筋かと、ひどい凸凹道が2本しかなかった。ブラジル政府からこの一帯を与えられたドイツ人はジャングルの開拓にとりかかった。

 ・こんな、人間の住む所とは言えない場所での生活は苛酷なものではあったが、それは間違いなく安全であるという証左でもあった。何者であれ、よそ者が外の世界から近付けば、数日前には判る。 身の危険を感じたドイツ人は暫くジャングルに隠れることも、こっそり友人の農場に逃げこむこともできるし、国境を越えることすら可能だった。そもそも、マトグロッソは、ナチス逃亡者が入りこむずっと以前から、脱獄者・指名手配の犯人など、ありとあらゆる逃亡者たちの避難場所だった 何かを聴きだそうとする者などいない。 ほとんど誰もが一度ならず殺人を犯してきていた。 神からも見捨てられた土地で守らなければならないルールは2つだけ、密告するな、そして、互いに助けあって法に立ち向かえ、だった。まるで暗黒街の掟のようではないか。 そして、このどちらもがナチス逃亡者にはうってつけのルールだったのである」。

  

『シャンバラの秘宝』 Zファイル 

 (玉井禮一郎)(たまいらぼ出版)    1998/6

  

仏典「法華経」にも記述されている「地底世界(シャンバラ)と地底人」の実地踏査の簡潔な報告。>

ブラジルのロンカドール山脈の謎。ブラジルはUFO多発地帯

・「法華経」の予言のハイライトは、巨大な宇宙船の地球来訪(宝塔品)とおびただしい数の地底人(従地涌出品)の出現の二つですが、それが今世紀末から来世紀初頭にかけて、われわれの肉眼で見える形で実現するということで聖書などの諸預言も一致しております。

「世界の宗教のルーツは地底王国(シャンバラ)に」

「私は過去40年間という時間の大半を法華経の探求に費やしてきた」

「地底世界に通じる入口には、世界に数箇所、数十箇所もあるといわれているが、その最大のものは、チベットポタラ宮殿の地下と、ブラジルのロンカドール山脈にあるといわれる」

 ・「地球空洞論」の著者 レイモンド・バーナードによると、 「地球の地殻は、張り巡らされたトンネルによって蜂の巣状態であり、各トンネルは地球内部の大空洞に通じている。地表でのトンネルの入口が集中しているのが南米で、特にブラジルに多い。西方のブラジルと東方のチベットは、地下世界と地上を結ぶ二つの極と考えられる」

「今、波動という考え方がはやっているが、我々の身体も波動の一種の結晶とみることもできそうであり、テレポーテーション(瞬間移動)も我々の個体を維持せしめているバイブレーションを変化させれば、自由にできるとも言われている」。

ハリソン・フォード主演の映画『インディ・ジョーンズ』のモデルとも言われているイギリスの探検家P・H・フォーセット大佐は、19世紀の初頭、ボリビア・ペルー・ブラジル三国間の国境画定のためにブラジルの中央部の秘境マット・グロッソに入った」。

 ・「その企画書によれば、ブラジルのロンカドール山地一帯は、来るべき3千年紀(2001年から3000年における地球上の重要な霊的センターになるという。現に、その地域は、地球上でもっとも多くUFOが目撃されている。ちなみに、UFO実在を国家として、最初に公式に認めているのは、ブラジルである。

ロンカドール地域に関する最初の本格的な記録文書「地球外生命体」-何者たちなのか?そして何をしているのか?」(マルコス・ダンタス)(アマゾンーアクグアイア領域に関する最初の記録文献)

  

発見され、裁判にかけられるナチ戦犯がどんどん減っているのも驚くに値しない。上級将校はおそらく全員が死んだだろう。(3)

 

『地球の『超』生き方』  {アセンション版}

ゲリー・ボーネル  坂本政道  ヒカルランド   2011/8/31

   

2012年になると時間の概念が崩壊します

・人間の集合意識が時空という概念を超えて拡大していくのです。たとえば、コップを見ると、どういう分子が集まってコップという物質をつくったかというその瞬間も見えるし、同時にこの分子がもとのエネルギー体に戻る、その瞬間も見ることができます。ですから、我々の時の観察の仕方が違ってくる。時というものの概念が実際に崩壊します。

 2012年にシフトが起きますが、それは時間が私たちにとって制限という形で働かなくなるということなのです。

 

バシャール的な言葉を使うと、アセンションとは第3密度から第4密度へ人類と地球が移行していくことです。

 2012年を中心に数十年かけて、最終的な転移が起こってくるでしょう。第4密度になると、大いなるすべてと自分のつながりが強固になります。

 その結果、感情が安定して強い安心感に包まれます。我々が第3密度から第4密度に上がっていくと同時にバシャール達は第4密度から第5密度に上がっていきます。

 第5密度は、肉体を持たない非物質の世界です。

 ・2012年にシフトが起きますが、それは時間が私たちにとって制限という形で働かなくなるということなんです。

 <魂の中心には14万4000個の細胞があり、このエネルギーが経絡を作り出している>

スウェーデンボルグが属していた秘密結社の名前は何ですか

ゲリー;もともとの名前はエルダーズ・オブ・ソロモン(「ソロモンの長老たち」)というような名前です。ソロモンは儀式的な魔法の本を持っていました。

 <魂の過去世の情報があるフォーカス27はアカシャです>

坂本;ゲリーさんにとって誰かのアカシックレコードを読むのは簡単なんですか。

ゲリー;9歳からやっていますから。時にはイメージの流れとして、ザーッと入ってくるときもあれば、相手の肩の辺りに情報としてパッと現れる場合もありますし、時には声が聞こえてくることもあります。

坂本;ガイドとワークしているのですか。

ゲリー;はい、私にはイーライというガイドがいます。このエリアには性別はないんです。

 イーライは私とは違う存在です。でも、何度も何度も一緒に転生したことがある存在です。

 ・ツインソウルというものがあります。魂が地球次元に入ってきたとき、似通ったハーモニクスを持つふたつの魂が結合します。ふたつの魂は両方ともがそれぞれオーバーソウルを持ち、その部分でつながっています。そして、地球以外のすべてのシステムの情報を共有するんです。

 例えば、一方の魂がアンドロメダカシオペア、プレアデスに行ったことがあって、もう一方は、M95とかベガに行ったことがあるとします。そうすると、お互いの情報を共有しますし、オーバーソウルを通して地球のほうの情報も共有できます。

  

『宇宙人との対話』  地球で生きる宇宙人の告白

大川隆法    幸福の科学出版     2010/6/14

 

 レプタリアン(マゼラン星雲ゼータ星人)との対話

・レプタリアンは、爬虫類のような姿をした宇宙人。レプタリアンにも複数種類があって、地球上でも覇を競っているとされる。

  レプタリアンは地球の進化と競争を進めている

・確かに、この世的には、悲惨なことが起きたり、流血が起きたりするように見えることもありますけれども、我々は、別の言葉で言えば「進化の神」なんです。

  <グレイはサイボーグで、我々の探査機械>

アングロサクソン系の中心的な考えは、レプタリアンの思想>

レプタリアンには天国・地獄はなく、霊界でも競争している

  <ベガ星人との対話>

<ベガ星人>

琴座のベガから来ている宇宙人。彼らは、かって金星から移住した人たちであり、地球人には、ほとんどそっくりだと言われている。

  ベガ星人とプレアデス星人は、元はみな金星人

私たちは、カメレオンみたいに体を変えられる

・すなわち、肉体がもう霊体化している。「半分霊体、半分肉体、これが我々の正体です」

  「一念三千」の教えはベガ星人の生き方そのもの

・ベガ星の世界が一念三千の世界なんです。一念三千というのはベガ星のことです。「ベガ星人の生き方をまねよう」というのが一念三千の教えです。

 心の中の思いが全てであり、それが、あらゆる世界に通じ、千変万化を起こしていって、この世も、あの世の生き方も、全部変わってくる。変化をする。その一念三千の教えが、言葉を換えればベガ星人の生き方そのものです。心には三千通りの表れ方があるというんでしょう?

  <金星人の対話>

我々は、金星の四次元世界に住んでいる

金星に残った者たちの一部は、「三次元から四次元への次元上昇」という手段を通して、新しい世界を作りました。

ですから、我々は、地球的に言えば、金星の四次元世界に住む金星人です。

 あなた方が思うような「幽霊」というふうな意識を持っておらず、「我々が実体である」と思って、金星四次元世界に都市を築いて、永遠の生活をしております。

  <金星人は、四次元存在を物質化させる科学技術を持っている>

・我々は、ほとんどは、あなた方から見れば、いわゆる霊体として存在しているんだけれども、「肉体に宿って生きてみる」という文明実験を目指す者は、地球に来てみて、生まれ変わりなどを練習してみる、どんな感じなのか知ってみるということになるわけですね。

我々は、次元的に四次元に上がっている。金星人は存在し、四次元で生活している。

 ・UFOも、実は四次元存在なので、自由に飛べるんですけれども、ときどき三次元変換をして、地上に物質化を起こすことも可能です。それは、この地上に近づける波動を起こせば、物質化するんですね。

 我々の世界は、あなた方から見れば単なるエネルギーの魂なんですけれども、そのエネルギーを物質化する方法を技術的に持っているので、四次元存在を三次元で現象化することができる。

  

『〔宇宙人と地球人〕の超真相!』―地球に危機が迫っている! 

 (深野一幸) (徳間書店)  1997/10

  

地球人と関係の深い宇宙人の情報

<1、 琴座(リラ)星人>

・琴座は、地球が存在する銀河系宇宙における人間型生命体の発祥地という。琴座(リラ)星人は、人間型の肉体を持つ最初の所属で、地球人と関係のあるシリウス星人、オリオン星人、プレアデス星人、ベガ星人、ゼータ・レチクル星人などは、みな琴座星人の子孫という。

  <2、 ベガ星人>

・琴座星人と対極的な種族が生まれて発達した。これが、ベガ星人で、琴座星人を陽性文明とするとベガ星人は、陰性文明という。両者の間に争いが絶えなかった。

  <3、シリウス人>

琴座のシリウス人には、もともと肉体を持たないシリウス人(第5密度以上)がいた。超能力の意識により物質領域や非物質領域など波動密度の異なる複数の領域を作り、シリウス人の長老たちと呼ばれた。

琴座星人とベガ星人が争っていた時代、双方を代表するものたちが統合を目指してシリウスに入植した。そのうち、ベガ星人は、物質レベルの星に移住し、霊性を否定し、支配欲の強いネガティブなシリウス人となった。

 ・ネガティブなシリウス人の文明が発展していたとき、琴座からポジティブなシリウス人との間に紛争が起こった。そのためにシリウス人の長老たちが介入し、紛争の移転先を推した。その移転先がオリオンである。シリウスには、シリウスの長老、ポジティブなシリウス人、ネガティブなシリウス人と多様な意識形態が存在している。

  地球文明に大きな影響を与えているシリウス

・地球から8.7光年の距離の大犬座にある星で、地球から二番目に近い恒星。ポジティブなシリウス人は、通常、地球人の目には見えないが、地球人の前に任意に物質化して姿を現すことができる。現れたり消えたりする存在であるため、古代人はシリウス人を神のように崇めた。

 古代エジプト王朝において、目に見えないシリウス人の意識が第三波動レベルの地球に、古代エジプトの神々(イシス、オシリス、アヌビスなど)に化身して出現した。

 シリウス人は、地球人に科学文明や文化を教え、卓越した人物に転生してきた。歴史上の傑出した人物の中にシリウス人の転生者がかなりいる。転生者は、シリウス人の魂を持って生まれてきた地球人として、ピタゴラスソクラテスヒポクラテス、オウラトンなどのギリシャの哲学者がシリウス人だという。また、古代マヤ人に対しても高度な技術を与えたのは、シリウス人だった。

  <4、オリオン人

シリウス人の長老の介入でネガティブ、ポジティブのシリウス人がオリオンへ移動して、それぞれに新しい文明を築いた。

ネガティブなオリオン人は、地球に来ている地球外生命体の中で、最も発達レベルの低い存在で、地球に暗黒をもたらそうとしている。

黒服の男MIB(メン・イン・ブラック)として物質化して活動する。宇宙人やUFOの存在を暴こうとしている地球人を妨害することが多い。

ネガティブなオリオン人が、地球人の肉体に宿って、ネガティブな活動を行なう。「影の世界政府」、巨大財閥の主要人物には、ネガティブなオリオン人の魂が転生している可能性が高い。オリオン人には、ネガティブとポジティブの両方が存在する。

  <5、 ゼータ・レチクル星人

・ゼータ・レチクル星人とグレイは同じような姿をした人間型生命体であるが、発祥はやはり琴座であるという。起源は、琴座のアペックスという星だという。

ゼータ・レチクル星人は、個人主義がはびこり、核戦争を引き起こし、地下に避難を余儀なくされた。地底生活を送るうちに、自然分娩による出産が困難になり、クローン技術が開発された。クローン技術は、生殖によらずに同一の遺伝形質を持つ個体、すなわちコピーを作る技術である。

  新人種への変革

・ 脳の構造を変え、感情表現を抑制し、自我意識を排し、集合意識を大事にする人種。

 ・ 地下生活のため、体を小さく作る。集光面積を広げるために目を大きくする。栄養を食物からではなく、特定の光波を吸収して、エネルギー源になるようにする。その結果、生殖器官と、消化器官がなく、頭が大きく、大きな目をして、皮膚から光のエネルギーを栄養として、摂取する、いわゆるグレイタイプのクローン人間の宇宙人が生まれた。

なお、ゼータ・レチクル星人の平均身長は、107センチメートルである。核戦争の爆発によりこの星は、3次元から4次元へ次元移動を起こしたという。移動した新しい場所は、レチクル座のゼータ1とゼータ2の付近であった。そのため、新アペックス人をゼータ・レチクル星人という。

現在、ゼータ・レチクル星人は、第4密度の人間型生命体であるが、クローン化により進化が止まり、種族の存亡の危機に陥っている。

 ・そして、これを打開するには、遺伝子操作により、感情を取り戻すことであり、それには地球人の遺伝子が参考になると、高次の生命体に教えられた。

そこでゼータ・レチクル星人は、現在地球に来て、一部の地球人を誘拐し、遺伝子実験を行なっている。誘拐された人間の多くは、恐怖を体験するが、一般的にゼータ・レチクル星人に悪意はないといえる。

  <6、グレイ>

ゼータ・レチクル星人のうち一部のネガティブな存在は、肌の色からグレイと呼ぶ、したがって、グレイは、見かけはゼータ・レチクル星人と変わらず、クローンで作られた宇宙人である。

グレイは、UFO技術は持っているが、精神性の低い邪悪な宇宙人である。グレイは地球人の遺伝子が欲しいために、UFO技術の提供などを条件にアメリカ政府と密約を結んだ。そして、アメリカ政府に地下の秘密基地を作ってもらい、地球人を誘拐して殺し(!?)遺伝子実験を行なっているという。

  <7、プレアデス星人>

・プレアデス人は、琴座から地球に来て地球の霊長類の遺伝子を組み込み地球に住みやすい体に改造した後、プレアデスに定住した。プレアデス人は、第4密度の肉体を持った宇宙人で、地球人と一番良く似た宇宙人だという。精神性が高く、高度な宇宙文明を発達させている。地球人と類似の遺伝子を持つため、プレアデスに移住後も地球人を見守り続けている。プレアデス人というと、セムヤーゼというプレアデス人とコンタクトしているスイスのビリー・マイヤーが知られている。

  

『伝説の秘密諜報員 ベラスコ』

天皇の金塊”の真実を知っていた男

高橋五郎   学研    2014/9/9

 

 <ボルマンが語ったヒトラーの安否>

ナチス再興を決意した男ボルマンと同伴人ベラスコらを乗せたUボートは、イベリア半島北西部沿岸から南下した。いわゆるドイツ敗北の日からほぼ1年を経たその日の早暁、ベラスコとボルマンの長い航海が始まった。

 二人は狭い個室の二段ベッドを分かちあった。個室にひとまず腰をおろしてから、マルティネスから受け取った包みを開封した。船内であらためるようにとマルティネスが強くこだわったあの包みだ。なぜ船内で、とこだわったのだろうか

 その時までに確認できたことは、Uボートの船体番号313と艦長の名前がフィという短い苗字だけだった。

 ・ベラスコがボルマンから知りたかったのは、ヒトラーの安否だった。そこを察したのか、ボルマンは地下官邸の場面を少しずつ説明した。まさに懺悔室で司祭を前にしたボルマンそのものだった。

 ヒトラーを地下官邸から脱出させたからこそ、自分もこのボートに乗っていられるのだ――つまりヒトラー第三帝国の象徴ゆえ、地下官邸では死なせてはならない人物だったのだ、とボルマンはヒトラーの生存価値を真っ先に強調した。

 ボルマンの話によれば、地下官邸のヒトラーをひとまずロタック・アム・エルヘンの要塞に移した。エバは地下官邸で生活中の投薬がたたって死んだ。ヒトラーとエバはガソリンを浴びて焼身心中したように見せかけた。世界はヒトラーとエバの死を信じた。ボルマンは信用する部下数人を使ってロタック・アム・エルヘンの要塞からさらにドイツ領土内を横断して船でヒトラーノルウェーに移したヨーロッパからの脱出準備を二人の部下が整えるまでのあいだヒトラーノルウェーの寒村に待機させた。ヒトラーの現在の居場所は話せない。連合軍はヒトラーの「自殺」に満足したことだろう。ボルマンは手際よく運んだものだと自慢気に語った。

 

・世間はボルマンも死んだと思いこんでいるのだろうとベラスコはたたみかけた。ボルマンは笑いながら身を乗りだして、「ボルシェビキの戦場で死んだと伝えてくれ」と熱い口調でいった。ベラスコの胸には一瞬冷たい恐怖心がわいた。知り過ぎた男の末路が頭に浮かんだのだ。ベラスコがそれを口に出すと、ボルマンは笑って手を横に振りながらベラスコを「囚人」と呼んだ。ボルマンはベラスコに向かってナチス党の同志で忠実なメンバーで友人だと誉め言葉を並べたあと、「私の逃亡の秘密を話さないように」と付け加えた。ベラスコに異存はなかった

 <1952年10月――南極で「総統」と対面>

・うねりと白波に揉まれながら、ドイツのUボートU313号はアルゼンチンのラ・プラタ河口沖でいったん浮上した。ボルマンとベラスコの上陸地点はパタゴニア地域のプエルト・コイの港付近だ。浮上したそのとき始めてフィ艦長からその地点を知らされた。上陸地点は、潜水艦と陸上との無線のやりとりで決まったようだった。

 1952年南極で「ヒトラー総統」は子どもの写真を凝視

・「写真持参のうえ、南米の最南端で、ある重要人物と会え」。

 突然のメッセージがメキシコに住むベラスコのもとへ届いたのは、1952年だった。3年前の1949年から、ベラスコ一家は北米との国境に接したメキシコの町シウダード・ホワレズに住み、ベラスコは新聞社に勤務していた。

 新聞社でベラスコは土曜特集版の担当編集委員を務めていた。むろんそれは仮の姿であり、実際はナチの地下組織を中米と南米で拡大強化するためだった。

 ・メッセージにある「重要人物」を、ベラスコはボルマンだと直感した。文面には、「例の写真を持参するように」とあった。例の写真とは、ベラスコが時折、北米ニューメキシコに密出入国しては無事を確かめてきた二人の子どもたちの写真のことだ。二人の子供は、1951年にポルトガルリスボンから北米に連れて来られたのをベラスコは知っていたが、彼らの両親が誰なのかは知らなかった。学校に通う彼らの登下校の時間を狙っては、その元気な様子を写真に収めてきた。それもナチスパイとしての仕事のひとつであった。

 その子供たちの写真を南米の最南端まで持参せよ、というのだ。ベラスコは、軽飛行機を何度か乗り換えて指定された場所に向かった。最後に乗った小型飛行機にはスキーが装着されていた。パイロットは、飛行目的地についてはいっさい喋らない。離陸後の飛行ぶりでは、どうやら南極に向かうようだった。

 ・翌日、1952年10月10日の午後、男がベラスコを呼びに来た。

「ドクトール・ゴメス、総統のお会いしてください」

ボルマンではなく総統とは………いったい誰のことか。ベラスコは迎えの男に尋ねてみた。

総統は一人しかいません。アドルフ・ヒトラー閣下です

男はけげんそうな顔つきでそう答え、自分が案内すると告げながら踵でターンをしてベラスコを先導した。先を歩く男はいったんその建物を出て、別棟に向かった。ベラスコは、舞い降りる小雪を頭に積もらせながら、大きな木造の建物に案内された。男から内部の1つの部屋に入るように促された。

 ・その室内には大型の机が置かれ、一人が座り、三人が立っていた。座っている男の背後の壁には、部屋の大きさに不釣合いな大きな真紅と黒のナチの国旗が貼ってある。三人の男の顔に見覚えはなかった。

 その一人が、ベラスコを前に立たせ、椅子に座った「総統」に対する挨拶を促した。ベラスコは、机の男に向かって姿勢を正しつつナチ式の敬礼をした。机の男つまり「総統」は、座ったまま微笑を見せ、ベラスコに右手を小さく振った。

 ベラスコは机をはさんで「総統」と向かい合って座った。目の前の人物をヒトラーだと判断するのは難しいと直感したものの、その理由は自分でもわからなかった。1945年4月21日に、ベルリンの地下官邸で見た最後のヒトラーの顔つきと、目の前の「総統」の顔はさほど変わっていないが、何となく目の前の人物がヒトラーそのものとは思えなかった。

 

面前の「ヒトラー」には口髭がない。頭は禿げて、頬は皺だらけだ。こめかみに小さな傷跡がある。目は濁っていて、艶のない灰色の肌が目立つ。アイロンがかけられていない、だぶだぶのナチのダブルの制服を着たその姿そのものはベルリン最後のころとさほど変わっていない。そのかぎりでは、まさに年老いた「ヒトラー総統その人」だった。左手が麻痺している状態で、たえず痙攣して自由がきかなそうな様子もヒトラーの特徴どおりだ。ただ以前と違って、口元から少しずつ唾液が顎に流れている。言葉は以前同様に小声で聞き取りずらい。

 ・「ヒトラー」は、ベラスコに質問をした。南米諸国の政治・経済を中心とした現況について知りたがっていたのだ。とくに身を乗りだして尋ねてきたことは、南米でのナチの活動についてだった。

 だが、何よりも「ヒトラー」が待ち望んでいたものは、ベラスコが持参した二人の子どもの写真だったようだ、渡した数十枚の写真を一枚ずつ丁寧に眺めては、「その子供たち」と呼んで、子供たちとヒトラーとの関係をさとらせなかった。子供の一人は少年アドルフォで16歳、もう一人は少女ステーンだとわかったが、年齢は確認できなかった。それでも両人がドイツ人の子供であることはわかった。ヒトラーは小声で何事かを呟きながら写真を繰り返し眺め続けた。

 ・アルゼンチンへ戻る飛行機のなかでベラスコの胸は膨らんだ。復興に不可欠なナチ党の象徴(ヒトラー)がこうして「生存」していることから、ボルマンのナチ復興には大いなる希望が見込めたからだ、ベラスコは、ナチ党最高幹部のベルリン脱出とさらに南米へと逃亡行為に、わずかながらでも貢献できた満足感に浸り続けた。明るいナチ党の未来を窓の外の雲間に浮かべることができた。ベラスコは興奮をおさえきれずにメキシコのわが家へと戻った。

  

『地球を支配するブルーブラッド 爬虫類人DNAの系譜』

スチュアート・A・スワードロー   徳間書店  2010/6/18

  

<エイリアン集団紳士録>

アルデバラン   ゲルマン人とバイキングを創作・管理

・典型的なアーリアン型で金髪で青い目を持つ。薄い茶色か中ぐらいの茶色の髪で、目がヘーゼル(はしばみ)色の人もいる。この集団は、ゲルマンの諸民族とスカンジナビア人、特にバイキングの創作と管理を担当した。強い関心を持って、こと座文明の再創造を支援している。よくノルディック人と混同されることがあるが、ノルディック人は、もっと背が高く傲慢である。

  アルクトゥルス  ローマ帝国建設を手伝った精神性の高い種

・非常に精神性の高い種である。原始的な形態の宇宙旅行技術(地球より発達しているが、シリウス人ほどハイテクではない)を保有している。白いローブを着た聖職者層が支配している。

  りゅう座人(ドラコ) このレプティリアン型生物の交雑種がイルミナティ

・地球の月は、永劫の昔、レムリア大陸への入植の時代に、軌道上に設置されたりゅう座人の宇宙船である。分断して征服することを画策する彼らは、リゲルとともに海を沸騰させたり、大地を焼き焦がしたりしたように、暴虐さで有名である。

りゅう座人は、地球に巨大な地下基地、金星にコロニーを持っている。地球には二番目の月が配置されている。1997年にヘール・ボップ彗星に隠れて到達した。そこにいるのは、純血爬虫類人である。交配人種であるイルミナティは地球の支配を行っている。

  <プレアデス   こと座からの避難民、長身金髪のノルディック>

・ノルディック、背の高い金髪とも言われる。元々は、こと座(リ-ラ)文明からの避難民であるが、7つの恒星と15の入植済みの惑星からなるプレアデス星系の存在である。

 1959年に米国政府がリゲル人に騙されたことに気付いた後、技術格差を埋めるためにプレアデス人が招聘された。だが、過去、彼らは、ヒトラーの人類浄化政策を画策し、仏教を堕落させた。チベットに広大な地下基地を持っている。

 ・プレアデス人は、ローブを着た白い姿で現れる非物質的存在が率いる最高評議会の指揮下にある。プレアデス人の一集団(アトランと言われる)が、アトランティスに入植した。小柄で青い肌をした集団がプレアデス人と一緒に行動している。

  

『大いなる秘密』(レプティリアン爬虫類人

デーヴィッド・アイク 三交社  2000

 

 アーリア人の祖先たちの故郷

<シャンバラと呼ばれる都市を主都とする地下王国「アガルタ」>

・「ヒトラーについていけ!彼は踊るだろう。笛を吹くのは私だ」のエッカルトと、「死の天使」ヨーゼフ・メンゲレヒトラーを精神操作した。

 ・スカンディナヴィアの伝説によると、ウルティマ・トゥーレは、太陽の沈むことなき極北の楽園であり、アーリア人の祖先たちの故郷であったと言われている。ヒュペルボーリアが水没し始めたとき、ヒマラヤ山脈の地下に高度な科学技術を持っていたアーリア人たちは、地殻にトンネルを掘り抜き、ヒマラヤ山脈の地下に巨大な地底都市を建設したのだった。これはのちに、シャンバラと呼ばれる都市を主都とする地下王国「アガルタ」として知られるようになった。少なくともトゥーレ協会の人々はそう信じていた。ペルシア人たちは、その地域をアーリアナと呼んでいたが、これは「アーリア人の土地」という意味である。

 ナチスの教義では、アガルタの人々が「善者」で、シャンバラが「悪者」ということになっている。この両勢力の争いは、何千年も続いており、ナチスは、アガルタの「善者」たちと同盟して、「悪者」のシャンバラが操る「フリーメーソンシオニスト」と戦っていた。少なくともナチス自身はそのように信じていたのだ。

 ・非常に長期にわたるこの争いは、「火星由来のアーリア人対アヌンナキ・レプティリアン」の戦いだったのではないのだろうか?彼らは最初、火星上で戦いを繰り広げ、続いて戦場を月に移し、さらに地球へと下りて争いを続けた。アーリア支配種との接触を果たさんとしたヒトラーは、この地下世界への入口を見つけ出そうと躍起になっていたが、「死の天使」ヨーゼフ・メンゲレによる精神操作を受けていた彼は、事実上レプティリアンの繰り人形であった。

 ユダヤ・反マルクス主義とゲルマン支配種の復権が、トゥーレ協会の教義の中心となった

トゥーレ協会から派生したドイツ労働者党

・これまでに述べてきたように、地球の完全支配をもくろむレプティリアンが、他の異星人や地球内部種族との争いを続けてきた可能性は非常に高い。またレプティリアンたちは、低層四次元においても他の意識体たちと競合関係にあると考えられる。

 ・トゥーレ協会を創始したのは、ゼボッテンドルフ男爵などという大仰な名に改名した占星術師、ルドルフ・グラウエルであった。反ユダヤ・反マルクス主義を提唱した彼の影響によって、反ユダヤ・反マルクス主義とゲルマン支配種の復権が、トゥーレ協会の教義の中心となった。このトゥーレ協会から派生したドイツ労働者党が、ナチスとなったのであった。これに関して重要な役割を果たしたのが、ゼボッテンドルフの友人にして熱烈なオカルティスト、ディートリッヒ・エッカルトであった。大酒飲みで麻薬中毒の作家であった彼は、自分には来るべきドイツの独裁者のために道を開くという使命がある、と信じていた。

 ・1919年にヒトラーに会ったエッカルトは、ヒトラーこそが自らの探し求めていたメシアであると確信した。レプティリアンの波動に接続するための黒魔術儀式を中心とする秘教の知識、これらをヒトラーに授けたのはエッカルトであった。1923年エッカルトは、友人に宛てた手紙の中で次のように語っている。

ヒトラーについていけ!彼は踊るだろう。笛を吹くのは私だ。我々は、ヒトラーに、彼らとの通信方法を教えた。私が死んでも悲しむことはない。私は歴史に最も大きな影響を与えたドイツ人なのだ」

 68光年の彼方から火星経由、地球にシュメール文明を打ち立てた金髪碧眼のアルデバラン星人

牡牛座のアルデバラン

・ドイツの研究者ヤン・ファン・ヘルシンクは、その著書『二十世紀の秘密』のなかで「ヴリルとトゥーレの両秘密結社は、1919年12月ベルヒスガーデン・ロッジで、マリア・オルシックとシグルンという2人の霊媒を通じて、異星人との交信を試みていた」と述べている。ヴリル・ソサイエティー関連の資料によると、それらの通信は、地球から68光年の距離にある牡牛座のアルデバラン太陽系の二つの惑星からなる「スメーラン」帝国とのあいだで行われていたという。

 ・同資料の説明を続けて紹介しよう。アルデバランの人々は、明確に二つのタイプに分けられているという。一つは光の神と呼ばれる金髪碧眼のアーリア支配種であり、もう一つは気候変動によって遺伝子的に劣化した、いく種かの亜人類である。5億年以上もの昔、アルデバラン太陽は、膨張とともにすさまじい熱線を放射し始めた。そのため「劣等な種族」は、居住可能な他の惑星へと避難させられたという。そしてついに光の神アーリア人種も、母星からの退去を余儀なくされたのであった。このような経緯で我々の太陽系にやって来た彼らは、まず最初に惑星マローナを占領した。

 ・惑星マローナはマルドゥクという名でも知られており、ロシア人やローマ人はこの惑星をパエトンと呼んでいた。火星と木星のあいだ、現在のアステロイド・ベルト軌道にあったとされるこの惑星は、古代シュメール人の言う惑星ティアマトに相当している。その後、金髪碧眼のアルデバラン星人は火星に植民し、続いて地球へと下りてシュメール文明を打ち立てた。・・・少なくともヴリル・ソサイエティーの人々は、そう信じていた。

 金髪碧眼のマスター・レイス(支配人種

・ヴリル・ソサイエティーのチャネラーたちによると、シュメール語はアルデバラン星人の言語であり、その音は、「不可解なドイツ語」のようであるという。そして、ドイツ語とシュメールーアルデバラン語は波長が同じであるとも彼らは、信じていた。

 ・彼らのテーマはこうだ。金髪碧眼のマスター・レイス(支配人種)が火星より地球へとやって来て、古代伝説の神々(gods)となった。彼ら支配種は高度なシュメール文明の発祥にインスピレーションを与え、この地球に純粋な血流を植えつけた。以来このgodsは、地下都市から地上の人類をコントロールし続けている。

 ・しかし一つ言い忘れていることがある。それは、アーリア人の中にレプティリアンの血流が潜んでいるという事実だ。ブラザーフッド内部の者から聞いた話だが、レプティリアンは金髪碧眼の人間の血を必要としており、アーリア支配種の純粋性を維持するというナチスの教義はそのためのものであったという。

 ・トゥーレ協会の名は、伝説の都市ウルティマ・トゥーレに由来している。このウルティマ・トゥーレは、アルデバラン太陽系からやってきたアーリア人が最初に入植したという北方の大陸、ヒュペルボーリアにあったと言われている。

 さらにまた、このヒュペルボーリアは、アトランティスやレムリア(ムー)よりもずっと以前の大陸だったとも、アトランティスそれ自体であったとも言われている。はたまた地球の内部にあったという説すらある。

 

発見され、裁判にかけられるナチ戦犯がどんどん減っているのも驚くに値しない。上級将校はおそらく全員が死んだだろう。(2)

 

 『神々の予言』

ジョージ・H・ウイリアムソン)(ゴマブックス) 1998/9/1

 

 はるか彼方の銀河系からやってきた『黒い軍隊』の影響

・「地球は、これまで、はるか彼方の銀河系からやってきた『黒い軍隊』の影響を受け続けてきた。それは、東洋では『黒い竜』として知られる勢力であり、共産主義全体主義を推進しているのは彼らである。

 そればかりか、彼等は今、地球の多くの王座、いや、全ての王座に座っているといってもいいだろう。

 ・あの夜、ベツレヘムの女は、知っていた。彼女は、ある神聖な使命を遂行し続けている者たちが、すでに地球にいることを知っていた。彼等は、遠い昔に地球にやって来て、今なおその使命の遂行に努めている。彼等は、ある偉大な教師に奉仕し続けてきた。その教師は、あるときは、『釈迦』であり、あるときは『ゾロアスター』だった。さらには、『メルキゼデク』であったり、『セム』であったり、その他の様々な賢者だったこともあった。そしてその女は、彼女自身のその生涯における目的が、完全に果たされるのは、地球が『偉大なる変容』を体験する。『ミカエルの日』のために『彼』が再び戻ってくるときであることも知っていた。

 ・『黒い軍隊』は、今や死の苦悶を体験している。その苦悶の中で多くのものが消滅するだろう。しかしやがて、その怪物は死滅する。そしてそのとき、神に奉仕する者たちは、高らかに喜びの声を上げるだろう」

 ナチスの狂気>

・「ナチスの迷宮」というブログによれば、「レーベンスボルン(生命の泉)計画」のことが記載されてある。

 ・(参考文献)『ぼくはナチにさらわれた(アロイズィ・トヴァルデツキ)(共同通信社

 1940年5月にヒムラーは、東方の子供たちを毎年人種選別する計画を立て、1941年の後半から、占領地区で「アーリア的」な子供を探して誘拐することを開始したのであった。

 ・戦争中、ドイツに占領されたポーランドの西部の町々ではナチスにより2歳から14歳までの少年少女が大勢さらわれたが、その数は20万人以上といわれている。

 ・大変に特徴的だったのは、その子供たちがみな「青い目で金髪」であったことである。彼らは名前をドイツ名に変えられ、修正された出生証明書とともに、選ばれた家族の元に送られた。子供の多くは本来の家族の元に帰されることはなく、更に彼らは、自らがポーランド人であることも知らなかった。(このため、戦後になると両親とも不明の孤児が多数出現するという悲惨な事態を招いた)。

 ノルウェーのレーベンスボルン

・「生命の泉」計画は主としてドイツ国内で実施された。しかし、ヒトラーは「金髪」「碧眼」「長身」といった身体的特徴を持つノルウェー人を「より純粋な」アーリア人と考え、ドイツのアーリア化をノルウェーにおいても促進した。

 ・ドイツ降伏後に当時のノルウェー政府が「対敵協力者」の処分を行い、ノルウェー人女性14000人を逮捕、そのうち約5000人が18ヶ月の間強制収容所に入れられた。特にドイツ兵と結婚した女性についてはノルウェー国籍を剥奪された。このように政府が「公式に迫害」したのはノルウェー政府だけであった。

 ウィキペディア(フリー百科事典)>によると

占領地域下での子供の誘拐>「生命の泉」計画ではポーランドチェコ、フランスと言った占領地域下での子供の誘拐が行われた。ポーランドではおよそ5万人から20万人の子供が誘拐された。検査後に「アーリア人」の条件を満たすとされた子供は修正された出生証明書と共に選ばれた家族の元に送られた。子供の多くは本来の家族の元に帰されることはなく、更に彼らは、自らがポーランド人であることも知らなかった。

  

『聖別された肉体』  (オカルト人種論とナチズム)

横山茂雄)(風の薔薇)  1990/10

 

 「神の息子たち、アーリア人種」

・『人類の最盛期』(1930年)において、頂点に達するゴルスレーベンの奇怪な神秘主義の中核を成すのは、リストから引き継ぐルーン・オカルティズムであった。彼はルーン文字を手掛かりに太古の栄えあるアーリア文明を再構築しようと欲し、ルーンとは「神の息子たち、アーリア人種」の人種=人間霊と世界霊との本当の関係から生じたものであり、これらの文字は真の探求者をその宇宙的故郷へと連れ戻し、神との神秘的合一を授けてくれる、と主張したしたがって彼は、紋章からピラミッドにいたるありとあらゆる場所にルーンの痕跡を「発見」することになった。

 白色人種はアトランティスから発生したものであり、アトランティスとは、神人の住んでいた理想郷、「ドイツの伝説のアサ族の地に他ならない」と記して、アトランティス伝説を自分の妄想体系の一部に組み込んでいる。

 アトランティスと並んだゲルマン民族の始源を示すものとランツが考えたのは、ブラヴァツキーが第二根源人種ハイパーボーリア人の名前にも選んだギリシア神話で北国の彼方の極地の地に住む神聖な民とされるヒュペルボレオスである。かれは、ヒュペルボレオスとはゲルマン民族のことを意味するのだと断定した。

  

『二十世紀』

海野弘   文藝春秋   2007/5

 

 ヒトラーユダヤ人大虐殺>

・一人の男が20世紀にこれほどの衝撃を与えたことにおどろかざるを得ない。そしてヒトラーを生みだしてしまった20世紀とは、なんという時代なのだろうか。ともかく私たちはヒトラーの出現を止められなかったのである。

 アドルフ・ヒトラーは1889年に税関吏の息子として生まれた。彼は絵を描くのが好きで、画家になりたいと思った。しかしウィーンの美術学校の受験に失敗した。第1次世界大戦がはじまると彼は従軍したが、ドイツは敗れた。

 1919年、ヒトラーは、ドイツ労働者党に入った。敗戦の混乱期にできた、右翼的、民族主義的な秘密結社であった。敗戦の中で成立したワイマール共和国は、旧軍人の団体によるクーデターに脅かされていた。

 ヴェルサイユ条約により、ドイツ軍は10万に制限されていたので、それからはみ出した旧軍人は地下的組織、暴力的政治結社になった。その中でドイツ労働者党は勢力をのばし、(民族社会主義ドイツ労働者党)となった。ナチオナール(民族)を略してナチと呼ばれた。

 ・ナチが沈滞した1923-29年は、戦後のインフレを脱し、ドイツが<革命の20年代>を花咲かせた時である。ワイマール共和国が繁栄している間は、ナチは盛り上がらなかった。議会は中道派に占められていた。

 しかし大恐慌はドイツにも襲いかかり、その安定を突き崩した。するとナチは息を吹きかえし、1930年の選挙で大躍進した。ヒトラーは政権を担い、1932年の大統領戦に出たが、ヒンデンブルクに敗れた。それでもナチ党の議会勢力が強くなり、1933年1月30日、ヒンデンブルク大統領はヒトラーを首相に指名しなければならなかった。

 ・突撃隊に代わって親衛隊がナチの兵力となった。1936年につくられた武装親衛隊は、21万であったが、戦争の末期には100万になっていた。親衛隊は、警察を支配下に置いた。悪名高き秘密警察がそこにつくられた。

 親衛隊は強制収容所を開設した。収容所には絶滅収容所と一般収容所があった。前者はガス室などの残虐施設を持っていた。ガス室強制収容所といった施設は、20世紀の発明の闇の極北を示している。

 ・ナチの発明としてもう1つ欠かせないのが<宣伝>である。ナチは20世紀のマス・メディアを徹底的に国家宣伝に利用した。宣伝のために省をつくったのはナチがはじめてである。

 ヒトラーがまず掲げたのは反ユダヤ主義であった。ユダヤ系の独占資本がドイツを搾取しているといった宣伝からはじまったユダヤ人攻撃はしだいにエスカレートし、ユダヤ人種絶滅を目指す方向へと変わっていった。

 1938年11月の<水晶週間>にユダヤ人虐殺がはじまった。1939年には大量虐殺計画が立てられた。それ以後は、一切の社会的、国際的ルールを無視した、無目的ともいえる狂気と破滅の道へドイツはとび込んでいった。

 

・1939年、ドイツはポーランドを侵略する。英仏はドイツに宣戦し、第2次世界大戦がはじまった。大戦についてはあらためて触れるが、1945年、ドイツの敗色は濃くなり、ヒトラーは、内妻エヴァ・ブラウンと結婚し、ゲーリングヒムラーを解任し、エヴァとともに自殺した。ゲッペルスはその後を迫った。

 ヒトラーは今なお、20世紀の謎をつきつける。

 「たとえば人種主義ひとつとりあげてみても、あれほど不合理なことのはっきりした理論が、なぜ長いあいだ、偉大な民族の政治行動の規範となりえたのか。また、あれほどむだな犠牲をはらうことが、なぜ長いあいだ、国民の賛同をえられたのか。さらにいえば、あれほどの屈辱をもたらし、けっきょくは全国民を破局にみちびくにいたった国をあげての誇大妄想を、いったいどう解釈したらいいのか。」(ヒトラーとナチズム』文庫クセジョ 白水社

イタリアやスぺインにもファシズムは発生したが、人種主義によるガス室ホロコースト(大虐殺)はなかった。ドイツだけに起きたのは、ヒトラーという超人のせいだったのだろうか。

 

 雑誌『ムー』(14 9月号)によると

  

アルゼンチンは戦中・戦後の軍事独裁政権がいずれも親ナチス派だったため、第2次世界大戦にナチスの残党を大量に受け入れて匿った国だ。一説にはアルゼンチンだけで5000人、南米全体では9000人のナチス残党の戦争犯罪者が亡命したとされている。じつはヒトラーもそのひとりだったという新味はあまりなさそうな新説が、今年1月、証拠写真数枚とともに発表されたばかりだ。

 発表者はブラジルの女流ノンフィクション作家シモーニ・ゲレイロ・ディアスで、当人もユダヤ系ブラジル人という。

 ほかのヒトラー生存説と同様、自殺したのはやはり替え玉で、ヒトラー本人は南米を転々として最後はブラジル奥地のマットグロッソに落ち着き、アドルフ・ライプツィッヒと名乗って肌の黒い愛人と暮らしていたが、1984年に95歳でひっそりと世を去った。

 シモーニはこの調査結果を『ブラジルのヒトラー:その生と死』と題する本にまとめて発表し、「墓を掘り返して、ぜひDNA鑑定にかけてほしい」と自信満々に主張している」

 

 『エデンの神々』

陰謀論を超えた神話・歴史のダークサイド

ウィリアム・ブラムリー   明窓出版   H22/8/20

 

 古代宇宙飛行士(すなわちカストディアンの種族)が、どの大陸のどこでも同じやり方で人類社会を支配することは確実だ

<神(地球を管理するカストディアン)>

<岩石の宇宙>

アーリア系優秀民族の出現を説くドイツ神秘主義

 ヒトラーは生涯にわたって強力な麻薬を使い続けた。

 ヒトラーによると入院中に“別の世界”からの“幻視”を体験した

 ・トゥーレ協会は“アーリア系優秀民族”説を信じていて、ドイツ版“メシア”の降臨を説いた。

 ・もう一つの結社は“ヴリル協会”である。この会員は、イギリスの薔薇十字団員ブルワー=リットン卿のSF小説『来るべき人種』の謎の動力ヴリルにちなんでつけられた。リットンの小説は、地球に出現したアーリア系“優秀民族”の話なのだ。

 ・ナチズムは神秘主義の<教団>ネットワークから生まれた。

 ・ナチ党員たち自身がこう主張した。非地球人社会こそわが党のイデオロギーの源で、わが党を背後から支える権力である!

 歴史を通して(教団)系組織は、様々な“神々”や“天使”や“宇宙的存在者”や地球外起源の“高位マスター”などの非地球人たちに、とことん忠誠を誓ってきたが、実はそのほとんどが神秘のベールで偽装したカストディアンらしいのだ。

 ・また、トゥーレ協会やナチ神秘主義そのものが主張するように、その真の指導者たちは地球外からやってきた。ナチは、地球外起源の謎のマスターたちを地下の“超人たち”と呼んだ。ヒトラーは“超人たち”の存在を信じて、ほかのトゥーレ幹部会員と同じように超人に会ったことがあると主張した。

 ・ナチによると問題の“超人たち”は地球の“表面の下”に住んでいて、アーリア人種の創造者だった。従って、アーリア人は世界唯一の“純粋”人種であり、ほかの劣等人種はすべて遺伝子的突然変異体と見なした。ナチは非アーリア系の人々を根絶やしにして、人類を浄化しようとした。ナチの最高幹部たちはナチが人類浄化計画を開始して“千年帝国”を樹立しさえすれば、すぐさま“超人たち”が地上に戻ってきて統治すると信じていた。

  現代の“エゼキエル”たち

・UFO搭乗者たちはいまでも現れるなり、自分達が神であることを匂わせる。ベティ・アン・アンドリーソンという女性が関係したアブダクション(誘拐)事件ではまさにそうだった。証拠と資料が充分にあるので徹底的に研究されつくしたこの女性の体験は、好奇心をくすぐるレイモンド・ファウラーの著書『アンドリーソン事件』のテーマである。

 

  

『人類アカシャ全史』 

(ゲリー・ボーネル+古川益三) (ボイス)2002/2

  

ヒトラーは、ホワイト・ブラザーフッドの儀式を受けたメンバー

ヒトラーは、ホワイト・ブラザーフッドの儀式を受けたメンバーです。ホワイト・ブラザーフッドは、神秘家たちが構成する組織です。ゾロアスター教よりも前に、すでに存在していました。ホワイト・ブラザーフッドは、何千年も前から存在しています。そこに招かれる人は、あるレベル以上の神秘的な理解のある人々に限られていました。ヒトラーは、そういうオカルトを学んだ人です。

  

『5次元世界はこうなる』

(ゲリー・ボーネル/高橋克彦)(徳間書店)2007/11/9

  

「菩薩」と呼ばれるような人たちの存在

・日本では「ホワイト・ブラザーフッド」とは、秘密結社の一部という認識で、そういうふうに思っている人もたくさんいるんだけれど、本来の形というのは「菩薩」と呼ばれるような人たちの存在、そのために、「菩薩」は自分たちがそういう存在だということを明らかにしないんです。だから、秘密のままです。

 なぜ明らかにしないかというと、信じないからです。例えば、「時」という概念は、知性が生み出したものにしかすぎないということを理解するのも大変なのに、この人はテレポーテーションができるとか、そういうことを到底人は信じられないでしょう。

 ノストラダムスも『ホワイト・ブラザーフッド』のメンバーだった。聖ジャーメン(サンジェルマン伯爵フランス革命前のパリの社交界に姿を現した予言者、魔術師、薔薇十字会の流れを持つといわれている)、J・L・ベーコン、シェイクスピアレオナルド・ダ・ヴィンチとかレンブラントとか、アインシュタインも「ホワイト・ブラザーフッド」だった。このメンバーのグループが、地球と人間と神々のスピリットを保存している。

  

『光のアカシャ・フィールド』 超スピリチュアル次元の探究

よしもとばなな × ゲリー・ボーネル  2009/7/23

  

エイリアンは我々にテクノロジーを与えてくれている

・――今、よしもとさんが言った話は、異次元から来る異次元人みたいな感じでしょうか。その人のイメージ体系に合わせて出現するみたいな。別の星からではなくて、地球の次元の違うところにいろんな人がいて、それが知の起源というか、文明の起源だという研究が民俗学のほうではあるんです。日本では「異人(まれびと)」といっていた。これは折口信夫が研究していました。そういう違う次元から来る異人と星に起源を持っている宇宙人とは違う気がするんですが、ゲリーさんはそういう区別をつけているんですか。

 ・(ボーネル)いわゆる知の起源、我々の知性の源だというふうには思いませんが、彼らが我々にインスピレーションを与えてくれていると解釈しています。我々の現実を、子供の世界のようにはしたくないんですが、言ってみたら我々は子供っぽい。別次元の異人たちにせよ、そういう存在たちは、我々を一種の発展途上段階にいる存在というふうにみていると思います。そして、彼らは確かに我々にインスピレーションを与えてくれます。エイリアンはまったく違った形で取り組んでいると思います。きっと今は完全にわからないだろうけれど、必要に応じて使ってごらんという感じで、彼らは実際に我々にテクノロジーを与えてくれていると思っています。

 ・ほかにもエイリアンから情報を得た人がいます。彼の名前はニコラ・テスラといいます。彼はいろいろなものをつくりました。――ニコラ・テスラには、電力の空中輸送システムとか、壮大な発明があった。

 

・――そう。惑星ウンモ(地球から約14.5光年離れた恒星イウンマの周りを公転)から来た地球外生命体ユミット(=ウンモ星人)のことです。書いた人はフランス国立科学研究庁(CNRS)で主任研究員を務めていたジャン=ピエール・プチさんという優秀な科学者ですけれども、彼は、ウンモ星人からもらった手紙をもとにいろんな研究を発表して、正統な科学界でも評価されたサイエンティストなんです。その方が、論文のニュースソースはウンモ星人だとはっきり書いている。プラズマ推進の装置やUFOの飛行原理とか、いろんなテクノロジーを宇宙人からの手紙で受け取った、実際にそういう人がたくさんいて、プチさん自身も受けとっています。

 ・残念ながら、プラズマというものはある特定の世界にしか応用できません。プラズマが存在するためには幾つかの条件というものが必要です。たとえば、正しい電磁波フィールドが必要ですし、正しいイオンの状態も必要です。僕は宇宙船の推進力についての資料を見ました。それは全部ピュアなイオンのエネルギーです。

――アメリカ政府はそれもかなり知っている中で伏せているという話です。プチさんは、手紙から得た情報をもとに磁気流体力学(MHD)という推進原理を論文に発表していますが、アメリカはそれを技術応用して、すでにUFOのような軍事用飛行体を開発済みであることも指摘しています。

 ・僕が見たものは、イオン振動ジェネレーターみたいなものです。その飛行体というのは、真ん中が空洞になっていて、内側の円は磁化されていて、周りにはコーン、円錐形のような形をした長い大きなタワーのようなものがあり、内側とは反対の磁気を帯びていて、正反対だから逆に引き寄せ合います。イオンの振動を送るとコーンの磁気が変化し、イオンに乗って宇宙船がヒュッと飛んできます。サーファーが波に乗っているような感じです。同じアイデアなんですよ。イオンの波の上を乗っていく感じです。そして、イオンの波が動きを与えられると、それは決して消滅しないんです。そのまま一定してそこに存在します。イオンを使ったものです。

 エリア51というのは、ご存知ですね。そこにはもう「パルセーションウエーブジェネレーター」というものがすでに存在しています。

 ・(ボーネル)僕は1回だけUFOを見ました。もし一緒に車に乗っていた人がいなかったら、多分、僕はUFOを見たとは思わなかったと思います。非常に伝統的なものでした。音もなく、空中に浮いていて、ヒュッといなくなりました。

 ・ふだんから幽霊は見えますし、精霊たちも見えるし、天使も見えるんだけど。宇宙船というのはエーテル状のものであろうと思っていたんです。でも、はっきりした固形物だったので、まるで幽霊に遭ったような気がしました。

 <アカシャ・フィールドについて>

アカシャ・フィールドとは、この次元ではないところに存在する壮大で神秘的な図書館、またはスーパーコンピューターのようなものです。ここには、2億600万年前から西暦6732年までの人間一人ひとりの意識から集合意識まで、人類史上に起こったすべての出来事とそれに対する反応が記録されています。個人の過去も未来も含めた転生の記録であるアカシックレコードは、このアカシャにすべて貯蔵されているのです。

 マチュピチュは黄金の巨人たちの神官たちが棲む場所だった

マチュピチュに関しては、ずっと昔になります。僕たちの時間の概念というのは文化・文明によって変化しますので、正確にいつかということはだれにもわかりませんが、レムリアの前に当たります。ですから、おそらく6万年前です。地球以外の存在たちがこの地球という世界にやってきて、最初の足跡を中央アメリカにしるしました。

 

・そのころ、地球の人たちは、知性はあったんですけれども、原始的な生活をしていました。地球上の出生率が非常に低かったので、エイリアンたちのグループは、簡単に魂が肉体に入れるように遺伝子を操作したんです。しかし、魂のエネルギーが非常に強烈だったので、お腹の中の胎児の組織を破壊してしまいました。ですから、遺伝子が操作され、調整され、その結果、次第に体が破壊されないような形になって、生まれてくるようになりました。

 こういう地球外の人たちは、僕たちの基準から見ると体格的に非常に大きな存在で、大体4~5メートルぐらいの背丈がありました。そして、皮膚は黄金色に光り、髪も光っていました。ですから、もし我々が今日そういう存在を目にしたなら、SFの世界の存在だと思うでしょう。

 ウィリアムソンの『アンデスの秘密』という本があります。巨人の種族に関する本です。しかし、人間の意識がどんどん暴力的になってきたので、巨人たちは、アンデスピレネーチベットなどの山岳地帯に引き揚げていきました。それで、バスク地方チベット文明、マヤとインカの文明にはいわゆる巨人伝説というものが残されているのです。

 彼らは、基本的に、「すべてを知っている存在」でした。また、600~700年前ぐらいの古い絵には、マリアと赤ちゃんのイエスが描かれ、空にUFOが描かれているものがありますが、実際にUFOを使って移動していたのです。

 

十戒の箱は、彼らとのコミュニケーションの手段でした。ユダヤ人たちはこのテクノロジーを持っていたので、ほかの文明の人たちが理解できないレベルまで理解していたように思います。ユダヤ人は、選民、神から選ばれた民だということですが、それはモーゼがシナイ山に登って、エイリアンたちとともに時間を過ごし、1万年のシナリオを見せられたから。いってみれば、彼は人類の未来を見せてもらったわけです。

 <エイリアンは4つの惑星システムから本当に地球を訪れています>

エイリアンたちが地球を訪問しているというのは本当です。少なくとも4つの惑星システムから来ています。オリオン、ベガ、アンドロメダ、そしてカシオペアです。今、プレアデス人はいません。レムリアとかアトランティスのころは長い間地球にいました。

 ・今、オリオン星から来ている存在たちが結構活発に活動しています。人類の暴力というものをできるだけ減らそうとしています。プレアデス星人は、アートとかクリエイティビティー、音楽、美、彫刻、そういうものにかかわっていました。オリオンの人たちは、主に政治とか警察官、いってみたら宇宙の警察隊みたいな感じです。

  

『人類アカシャ全史』 

(ゲリー・ボーネル+古川益三) (ボイス) 2002/2

  

ゲリー・ボーネルのヒトラーに関する説明「終戦時のヒトラーは影武者だった」>

ヒトラーは、ホワイト・ブラザーフッドの儀式を受けたメンバーです。ホワイト・ブラザーフッドは、神秘家たちが構成する組織です。ゾロアスター教よりも前に、すでに存在していました。ホワイト・ブラザーフッドは、何千年も前から存在しています。そこに招かれる人は、あるレベル以上の神秘的な理解のある人々に限られていました。ヒトラーは、そういうオカルトを学んだ人です。

  

『光の記憶』

高橋克彦・ゲリー・ボーネル)(VOICE)1999/12

アカシックレコードで解き明かす人類の封印された記憶と近未来)

 

 <「ヒトラー」と「暗殺未遂事件」、「テンプルシティ」、「聖遺物」の謎>

ヒトラーの目指したテンプルシティとは?

・ゲリー「現在のリビアの砂漠の中にあります。砂漠の中には三つのテンプルシティがありました。それが、ソドムとゴモラ、そしてもう一つがアンロット(アムロット)と呼ばれた所です。ヒトラーは、この3番目のテンプルシティの重要性が分かっていました。ソドムとゴモラは、エイリアンの前哨基地でした。文明がヘブライよりもずっと進んでいたために、ヘブライの長老達は、その二つの都市を破壊したのです」。

 ・「ヒトラーは1942年から43年に影武者と交替したのです。ヒトラーは、影武者が表面に出てからもカーテンの後ろから影武者を繰っていました。影武者が前面に出て、本物がもう公衆の面前に顔を出さなくなったのは、1944年のことです。ドイツ敗戦前夜に地下で殺された人物は替え玉です」。

 ・「日本の神道と言うのは、実はホワイト・ブラザーフッドから分かれてきているんです」。

  

『5次元世界はこうなる』

(ゲリー・ボーネル/高橋克彦)(徳間書店) 2007/11/9

 

 アカシック地球リーディング>

神道というのは、実は「ホワイト・ブラザーフッド」から分かれてきているんです。「ホワイト・ブラザーフッド」は悪いことは何もない。ずっと長い間人類に恩恵を与え続けてきて、確かにヒトラーは悪用した。情報を間違って使った。だけど、薔薇十字団、フリーメーソンテンプル騎士団全部そこから出てきた。悪い子達がいたかもしれないけれど、こういう組織そのものは決して悪いものではありえません。

 ・人類の意識というのもスピリットを持っています。神のスピリットがあります。「ホワイト・ブラザーフッド」はスピリットに関する知恵をずっと守り続けているグループなのです。全ての知恵を集め、そして保存しようとするのが目的のグループ。

 ・さて、地球上に生死を繰り返していないもう一つの輪廻の輪から離れている存在のグループがあります。彼らは、地球と人間と神々のスピリットの知恵を守るという使命を渡されている。そのグループというのが「ホワイト・ブラザーフッド」なんです。

 ・これらの存在たちというのは、もう輪廻の輪から離れているんだけれども、まだ人類意識なんですね。人間の意識の守護神なんです。だから、この存在たちが神道に霊感を与えて、神道の中に全てのインフォメーションのピースが入っている。また、仏教、キリスト教にも、イスラム教にも霊感を与えて、それぞれ一つがこの全体のピースを持っているんです。

 ・最後に世界的な一つの理解が得られるまで、一つのグループがほかのグループをしないようにわざわざとグループごとにばらばらにしたのです。

発見され、裁判にかけられるナチ戦犯がどんどん減っているのも驚くに値しない。上級将校はおそらく全員が死んだだろう。(1)

 

『隠れナチを探し出せ』 

忘却に抗ったナチ・ハンターたちの戦い

 アンドリュー・ナゴルスキ      亜紀書房   2017/12/21

 

 

 

<亡霊を追って>

有名なナチ戦犯が人知れず殺されていたというエピソードはこれだけに留まらないヒトラーの個人秘書として権力を握り、官房長にもなったマルティン・ボルマンはヒトラーが自殺を遂げたあと、ベルリンの地下壕から姿を消した。ニュルンベルクの国際軍事裁判所は12名のナチ幹部に死刑を宣告したが、被告不在で有罪になったのはボルマンだけだった。行方が知れなかったために、彼の生存に関しては相反する報告があった。地下壕を出てすぐシアン化合物のカプセルで自殺した、もしくは殺されたと主張する者がいた。ハイムの場合と同じく、北イタリアやチリ、アルゼンチン、ブラジルなどから目撃情報も多数入った。

 

・しかし1970年、煽情的な記事で知られるイギリスの大衆紙ニュース・オブ・ザ・ワールド」が元英国空軍諜報員ロナルド・グレイの手記を連載し、その連載はのちに『わたしはマルティン・ボルマンを殺した』という本にまとめられた。

「ボルマンは死んだ。ステン軽機関銃で蜂の巣にされて」「引き金を引いたのはわたしだった」。グレイは戦後、デンマークとの国境に近いドイツ北部駐屯になったという。1946年3月、謎めいたドイツ人がある人物を密出国させてくれたら5万クローネ(当時の8400ドルに相当)を払うと持ちかけてきた。ナチ戦犯の逃亡を助けている一味を暴いてやろうと考え、グレイは依頼を引き受けた。軍用のヴァンに乗りこむと、ある人物とはボルマンであることがわかった。夜の遅い時間だったが、月明かりで人物確認ははっきりできたという。目的地である国境のデンマーク側に着くと、彼らを待っていた男2人の前で車を止めた。突然ボルマンが迎えの2人に向かって走り出した。グレイは即座に自分がはめられたことに気づいて発砲し、ボルマンが倒れるのを見た。待っていた2人がグレイの方向に銃弾を浴びせた。

 グレイは地面に倒れ、死んだふりをした。その位置から、男たちがボルマンの死体を引きずっていくのが見えた。尾行すると、彼らは小さな手こぎボートでフィヨルドからこぎ出し、死体を海に投げこんだ。「水しぶきの量からして、ボルマンの仲間は重しとして死体に何か、たぶん鎖を巻いていた――本来はわたしに使うつもりもものだったかもしれない

 

グレイの手記が発表されても、ボルマンをめぐっては新説が登場した。1974年には軍事史研究家でベストセラー作家のラディスラス・ファラーゴが『余波――マルティン・ボルマンと第4帝国』を出版した。ファラーゴはペルーとボリビアの国境で警備兵やさまざまなつてに多額の賄賂を使い、ボリビア南西部の病院にボルマンがいることを突きとめたという。そうした努力のおかげで、彼は短時間ボルマンに会うことができた。「5分の面会という約束で、彼の病室に入っていくと――大きなベッドに小柄な男が寝ていた。ベッドには洗濯したてのシーツがかけられ、男は大きく柔らかそうな枕3つに頭を支えられて、ぶつぶつ独り言を言いながらうつろな目でわたしを見た」とファラーゴは書いている。ボルマンは訪問者に「ふざけるな、わたしがもう年よりなのがわからないのか? 静かに死なせてくれ」とだけ言ったという。

 こうした逸話は大衆紙や、ときには堅い一般紙にもネタを提供したが、一つだけ問題があった。どれも惹句にあるような「実話」ではなく、著者の大胆な空想の産物だったという点だ

 

ボルマンに関しては、彼を撃ち殺したというグレイの説も、ボリビアに彼を尋ねたというファラーゴの主張も事実ではないことが明らかになっている。ボルマンとされる遺骸が1972年にベルリンの建設現場で発見されていたのだが、このかつて権力者だったナチ党員の親戚とDNAの一致が確認されたのは1998年になってからだった。結論として、ボルマンはベルリンに赤軍が侵攻してきたあと、ヒトラーの地下壕を出てまもなく1945年5月2日に死んでいたのである。それが判明するまでのあいだ、彼を目撃したという情報がたいていは南米から寄せられつづけた。

 

<旅の終わり>

・1994年4月、アメリカのテレビ局ABCのカメラマンが標的の男を慎重に見張っていた。彼らがエーリヒ・プリーブケを見つけたのはアルゼンチンのサン・カルロス・デ・バリローチェ、19世紀からドイツ系の人々がアルプスの山小屋風の家を建て、移り住んでいたアンデス山脈ふもとのリゾート地である大量殺人に関わったナチの多くがそうしたように、元SS大尉のプリーブケも戦後にヨーロッパを脱出し、それ以降うわべはごく普通の生活を送っていたデリカテッセンを営み、名前を変えずにたびたびヨーロッパへ戻りもした。過去ははるか遠くに消え去ったかに見えた――ABCの喧嘩好きな記者サム・ドナルドソンにカメラの回る前で詰め寄られるまでは。

 

プリーブケの罪状は1944年3月24日にローマ郊外のアルディアティーネ洞窟でユダヤ人75人を含む335人の男性と少年の処刑を段取りしたことだった。それに先だってドイツ兵33人がイタリア人パルチザンに殺されており、ローマ・ゲシュタポ責任者ヘルベルト・カプラーから、ドイツ兵死者1人につきイタリア人10名を殺せという大量殺人の命令が出ていた。プリーブケと異なり、カプラーはイタリアから脱出するのが遅れ、終身刑を言い渡された。しかし1977年に軍病院から釈放され、翌年亡くなるまで自由の身で暮らした。プリーブケに関してはイタリア系ユダヤ人のアウシュヴィッツ強制移送に関わったとの報告もあった。

 

・プロデューサーのハリー・フィリップスがプリーブケの居所を突きとめ、突撃取材の段取りをする前に2週間の監視期間を設けた時点では、ドナルドソンは元ナチや彼らの犯した罪に対する世間の関心が薄れていると確信していた。しかし彼らの報道が世界中で反響を巻き起こし、その結果プリーブケに裁きを受けさせようという初めての本格的な動きが見られた。1995年アルゼンチンは彼をイタリアに引き渡し、注目の法廷闘争が始まった。最初、手続き上の問題を理由にプリーブケは軍事裁判所から釈放を言い渡されたが、再び逮捕され、裁判にかけられ、1998年に終身刑の宣告を受けた。高齢のためローマで自宅軟禁となり、2013年にそこで亡くなった。享年百だった。

 

(エーリヒ・プリーブケ)

1944年ローマ近郊でユダヤ人75人を含む335人の男性と少年を処刑したにもかかわらず、プリーブケは1994年までアルゼンチンで安楽に暮らしていた。しかし、米テレビ局ABCの前でサム・ドナルドソンがカメラの前で彼を問いつめたあと、アルゼンチンはプリーブケをイタリアへ引き渡した。プリーブケは終身刑を言い渡されたが、高齢を理由に自宅軟禁となった。

 

カトリック教会はローマで彼の公葬を行うことを拒否し、アルゼンチンとドイツも葬儀を営む意思がなかった。最終的にカトリックの分派である聖ピオ十世会が、ローマの南に位置する丘の上の小さな町アルバーノ・ラツィアーレで葬儀を営むことになった。この団体は近年の教会改革に反対し、ホロコーストの真偽にも疑問を表明している。霊柩車が通りを進むなか、興奮した抗議者が車を叩き、機動隊がそれを阻もうとする事態となった。

 

・テレビ業界での長いキャリアを振り返って、ドナルドソンはプリーブケの取材を特に誇りに思っていると語った。「過去に何度も一つだけ心に残る取材をあげるとすればどれかと訊かれた。相手は私がレーガンサダトなどの名前を挙げると予想していたはずだが、私はプリーブケと答えた」。彼は「私が行ったなかで最も重要で興味をそそる取材」という言葉を使った。

 

・ジャーナリストはナチ・ハンターと同じとは言えないが、ナチ・ハンターの信条がドナルドソンに影響を与えたのは明らかであり、同様の取材を行った彼の同業者にもそれは言える。

 

・ほとんどの場合、ジャーナリストが報道したのはナチ・ハンターが突きとめたことや、その後の裁判の行方などだった。しかしプリーブケに関しては、ナチ・ハンターが大発見をしたわけではなく、ジャーナリスト的探偵作業がドナルドソンの劇的な路上インタビューを生んだ。インタビューが放送された時点で元SS大尉の運命は決した。アルゼンチンにおける彼の快適な生活は終わりを告げ、イタリアへの引き渡し、有罪判決がそれに続いた。

 

2015年はアウシュヴィッツをはじめとした強制収容所解放から、そして史上例を見ない天文学的数字の死者が出た戦争の終結から70年という節目の年だった。発見され、裁判にかけられるナチ戦犯がどんどん減っているのも驚くに値しない。上級将校はおそらく全員が死んだだろう。

1945年に20歳だった収容所看守は90歳になる計算だし、最後のナチ狩りは下級職員が対象とならざるをえない。かくしてナチ・ハンターの物語が終わりに近づくなか、残りの案件を追いつづけることにどれだけの価値があるか、当人たちのあいだでも議論が戦わされた。

 皮肉なことに、きわめて下級の看守に関する非常に古い案件の一つが今世紀初頭に驚くべき展開を見せ、存命の戦争犯罪人にとってゲームのルールが変更された。

 

デミャニュクの裁判まで、ドイツの検察にとってナチ犯罪容疑者を特定の殺人や犯罪行為について有罪と証明することは難しく、有罪判決率は非常に低かった。大量殺人の目撃者と補強証拠を見つけるのは難しくない。特定の個人の特定の殺人の責任を負わせる文書や証人を見つけるのが極めて難しかったのだ。ミュンヘン現代史研究所によると、ドイツは1945年から2005年までの間に17万2294人について捜査を行なった結果、6656件で有罪判決が出されたが、そのうち殺人に関するものは1147件だけだった。第3帝国の犠牲となった人の膨大な数を考えると、罪を償わされたのは殺人者のごく一部ということになる。

デミャニュク裁判はどこが違ったのかというと、ミュンヘン裁判所は検察側に特定の殺人行為に関して有罪であることを立証させるのではなく、被告が大量殺人の共犯であったことを系統立てて説明すればそれを認めた点である。言い換えるなら、絶滅収容所で働いていた者は、その職にあったことを理由に有罪となる。ルートヴィヒスブルクのナチ犯罪追求センター所長クルト・シュリムはすぐにこの新たな基準を採用する意向を明らかにした。2013年9月、彼は元アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所看守30人についても、殺人共犯の容疑で捜査が必要であると検事に情報を送ると述べた。「アウシュヴィッツ・ビルケナウで)この仕事に就いていたこと自体が、個人的な容疑に関係なく、殺人共犯の罪に値するとみなされる」。86歳から97歳の元看守30名は事実上、死亡や病気などを理由に刑を免除される。2015年初めの時点で30件全部がまだ捜査中で、起訴まで至っているのは1件だけだった。

 

<ヴィーゼンタール>

人生の終わりにヴィーゼンタールは、自分を含む何百万もの人々を強制収容所送りにしたナチの大半よりも長生きできて何よりも満足だと述べた。最後に取材したとき、彼は「私は過去の出来事を人々が忘れないよう努めてきた」と語った。ヴィーゼンタールが戦後の活動拠点としつつも、ナチの過去への向き合いが甘いと何度もなく強く批判したオーストリアは、2005年の彼の死後、その貢献を徐々に認めはじめている。ウィーン19区に建つヴィーゼンタールが暮らしたセミデタッチドハウスを購入した人物は、彼の娘パウリンカに、父親を記念して銘鈑を張りつけてもいいか、そこに記す言葉を考えてくれないかと尋ねてきたという。銘鈑には次のように記されている。「ジーモン・ヴィーゼンタールが暮らした家。彼は正義と、彼を支えた妻に人生を捧げた」

 ナチ・ハンターの物語はほぼ終わりを迎えたと言っていい。少なくとも存命の戦犯の追跡という意味では。しかし、彼らの遺産が消えることは決してない。

 

<ナチ・ハンター>

・30年以上「ニューズウィーク」誌で記者として活躍し、香港、モスクワ、ローマ、ベルリンなどで支局長も務めたアンドリュー・ナゴルスキの最新作である。

 

今回ナゴルスキが取りあげたのは第2次世界大戦後、隠れナチの追跡に情熱を燃やしたナチ・ハンターたちだ。小説や映画のモデルになり、強制収容所生還者としても有名なジーモン・ヴィーゼンタールや、最近になってスポットライトが当てられ、世界的に知られるようになったドイツの検事長フリッツ・バウアー、そのバウアーと冷戦中に東西の壁を越えて協力しながらいまだに謎の部分が多いポーランドの調査判事ヤン・ゼーンなど――彼らがナチ狩りを始めた動機、功績、人物像に迫っていく。

 

 

 

『ムー  2018年1月   No.446  学研』

 

 

 

<「衝撃の機密文書が公開‼ やはりヒトラーは南米でいきていた!(並木伸一郎)」>

アメリカでは今、情報公開法に基づきさまざまな機密文書が開示されている。なかでも2017年10月に公開されたCIAの文書の中には、驚くべきものがふくまれていた。それは。第2次世界大戦後もヒトラーが“生きていた”と記された極秘文書だった‼

 

2017年10月26日、アメリカのドナルド・トランプ大統領が、ジョン・F・ケネディ大統領暗殺に関わる膨大な数の文書の機密解除を認めた。

 それと同時期に開示された機密文書のなかに「アドルフ・ヒトラーが1954年にコロンビアで生きていた」という驚くべき報告書が発見され、メディアの注目を集めている‼

 

・1995年9月29日、ベネズエラのナラカイボで元ナチス・ドイツのSS隊員フィリップ・シトロエンと接触するよう命令。接触に成功したエージェントは、シトロエンから「ここだけの話だがアドルフ・ヒトラーはまだ生きている」と明かされたというのだ。

 

・さらにシトロエンは、ヒトラーは1955年1月ごろ、コロンビアからアルゼンチンへ向かったといい、第2次世界大戦の終結から10年が経過しているため、連合国はもはやヒトラー戦争犯罪人として訴追することはできないだろう、などと話ししたというのだ。

 エージェントは、その証拠を裏づけるスナップ写真を極秘に入手。CIA報告書には、不鮮明ながらその写真が添付されている。

 

・定説では、ヒトラーは1945年4月30日にベルリンで自殺したとされる。だが、その一方で南米逃亡説がいまだに語られることが多い。

 たとえば2014年、FBIが機密解除した極秘文書には、ナチス政権崩壊後もヒトラーが生存しつづけ、南米へ逃亡した可能性があると血眼になって捜索していたことが記されている。

 

・さらに2016年3月、ナチスの残党狩りをしていたシモーニ・レニー・グエレイロ・ディアスは、『ヒットラー その生と死』を著し、その中で、ヒトラーがブラジル人の愛人と95歳にいたるまで生きながらえていたという情報を証拠写真とともに掲載している

 公開された写真は死の2年前、1984年に撮影されたもので、黒人のガールフレンド、クティーニャと一緒に幸せそうにポーズをとっている。シモーニによれば、ヒトラーはアルゼンチンを経てパラグアイに飛び、ブラジルのマト・グロッソ州にある小さな町に落ち着き、そこでは、アドルフ・レイプジクという仮の名を用いていたという。

 

 

<●●インターネット情報から●●>

Livedoor NEWS   2017/11/6

 

<アメリカが公開したCIA文書に「ヒトラーは生きている」報告>

 

『CIA公式サイトより』

 

 10月26日、ジョン・F・ケネディ大統領暗殺に関わる機密文書が公開され、そのなかに驚くべき文書があることがわかった。

 

アドルフ・ヒトラーが1954年にコロンビアで生きていた」という情報がCIAにもたらされたというのだ。報告したのはコードネーム「CIMELODY3号」。彼が信頼する情報源が、元ナチス親衛隊のフィリップ・シトロエン氏から「ヒトラーは生きている」という手紙を受け取ったという。

 報告書にはヒトラーとされる人物の写真まで添えられている。写真には2人の人物が写っており、左側が元ナチス親衛隊のシトロエン氏。

 シトロエン氏は、右側に写る横分けでちょび髭姿の人物こそ紛れもなくヒトラーだと主張したという。写真の裏には「アドルフ・シュリテルメイヤー 1954年 コロンビアのトゥンハにて」とメモされている。

 

 そして、ヒトラーは1955年1月にアルゼンチンに旅立ったという。

 容易には信用できないが、諜報部員によってこのような報告がなされたことは紛れもない事実なのだ。

 ヒトラーは、1945年4月30日にベルリンの防空壕の中で自殺したとされる。遺体はロシア軍が回収しており、ヒトラーを担当していた歯科助手が顎の骨を見て本人と認めたという。だが、ヒトラーの遺骨の信憑性に関しては、よくわからない部分が多い。

 2000年4月、ロシア政府はモスクワで行われた『第二次世界大戦展覧会』にて、初めてヒトラーの遺骨を公開しているが、米コネチカット大学の分析の結果、この骨が女性のものと判明したと2009年にAFP通信が報じている。

 一方、同じ2009年には、CNNが「1970年に『ヒトラーの遺骨を川に捨てろ』という命令が出た」との、元KGB将校ベイズリー・クリトロホフ氏の証言を紹介。展示された遺骨が別人のものだった可能性を示唆している。

 ちなみにクリトロホフ氏は、「ロシアに保管された文書からもヒトラーが自殺した事実は間違いない」と発言している。今回、公開されたアメリカの機密文書が、ヒトラー生存説の裏付けになることはなさそうだ。 

 

 

<●●インターネット情報から●●>

(産経ニュース   2017/10/27)

 

ケネディ大統領暗殺事件機密文書の全面公開なぜ保留? CIA、FBIが大失態隠蔽の意図も

 

【ワシントン=黒瀬悦成】米国立公文書館が26日、ケネディ大統領暗殺事件に関する機密文書の大半について公開を保留したことで、世界が注目した事件の「真相」の確定は、またしても先送りとなった。中央情報局(CIA)や連邦捜査局FBI)が、事件から50年以上たった現在もなお機密文書の全面公開を拒むのはなぜなのか。

 

 国立公文書館が今回公開した文書2891件の大半は、過去に一部が公開された文書の墨塗りなどを解除して再公開したものだ。完全非公開だったのは約300件。全部で約3600件あるとされる非公開文書の1割にも満たなかった。

 

 しかも、機密文書のうち研究家たちが注目していた、暗殺犯として逮捕されたリー・ハーベイ・オズワルド容疑者と事件前から接触があったと指摘されている当時のCIAダラス支局長、J・ウォルトン・ムーア氏に関する記録や、同容疑者が事件前にメキシコ市のソ連大使館などを訪れ、ソ連への再亡命を図った事実の詳細を解明する資料などは公開が保留された。

 

 暗殺事件の翌年、「ウォーレン委員会」と呼ばれる事件の調査委員会がオズワルド容疑者による単独犯行と結論づけた報告書に関しては、同容疑者がキューバとのつながりがあったことから、同国のカストロ国家評議会議長の暗殺を何度も試みてきたCIAが、暗殺はキューバによる報復と見なされるのを恐れて同委に対して情報操作を行ったことがCIA自身の内部研究で確認されている。

 

 

 

『ムー  2016年8月号 No.429』

 

 ナチスUFO最高機密 アルデバラン星人の謎

ナチス・オカルティズムの淵源とヒトラー生存説

ヒトラーは死んでいなかった!世界を騙したフェイク心中の真相>

・当時ソ連の最高指導者だったヨシフ・スターリンが、ヒトラーの遺体の検証後、アメリ国務長官ジェームズ・バーンズに対し、「ヒトラーはスペインかアルゼンチンに逃げのびたにちがいない」と語り、ドイツ国外逃亡説が、第2次大戦直後の世界を駆け巡ることとなったのだ。

 ・事実、ヒトラー生存説を裏づける証言がいくつもある。たとえば、4月30日の夕方、つまりヒトラーが自殺を遂げたあと、ベルリン近郊のテンペルホフ空港に姿を見せたヒトラーが兵士たちに目撃されている。そしてまた身内の証言もある。第2次世界大戦中、アンヘル・アルカサル・デ・ベラスコというトップクラスのスパイがいた。ナチス降伏の寸前まで、ヒトラー、そしてエヴァ・ブラウンとともに地下室で過ごしたベラスコが、マルチン・ボルマンから聞いた話を、こう明かしている。「ボルマンは、ヒトラー総統を総統府から連れだして、ひとまずドイツ南部のロタック・アム・エルヘンの要塞に移した。ヒトラー総統とエヴァの死体がガソリンをかけられて焼却されたという話は、彼の創作だ。世界中にニセの事実を信じ込ませることに成功したのだ。実際には、ボルマンが信用する部下数人を使い、要塞からドイツ領内を横断し、船でヒトラー総統をノルウェーに移した

 1945年5月の時点で、ヒトラーはまだ生きていたのである。

 FBIも捜索したヒトラーの行方 ブラジルで95歳まで生きていた!?

・さらに、ヒトラー生存説を裏づける根拠がある。2009年に米コネチカット大学で行われた遺伝子鑑定の結果が、“それ”だ。ヒトラーが自殺したとされるベルリンの地下室で発見された頭蓋骨の破片が、実はヒトラー本人のものではなく、20~40歳の女性のものだったことが判明。つまり、ヒトラーの死体は発見されていないのである。

 ・2014年4月15日、英のニュースサイト「エクスプレス」が機密解除されたFBIの文書の一部を公開した。そこにはヒトラーの死亡が未確認で、Uボートで南米アルゼンチンに逃亡した可能性があり、FBIまでもがヒトラーの行方を追跡していた事実が記されていた。

 ・そして今年、ヒトラー生存説に、また新たな“事実”が加わった。なんと、ヒトラーがブラジルで95歳まで生きていたというのだ!

 2016年3月、驚くべき情報がネット上に公開された。元ナチスの残党を追跡していたシモーニ・レニー・グエレイロ・ディアスによって、ヒトラーがブラジル人の愛人と95歳まで生きていたという証拠写真が公開されたのだ。写真は死の2年前、1984年に撮影されたもので、その男は、黒人のガールフレンドであるクティーニャと一緒に幸せそうにポーズをとっている。

 シモーニの著書「ヒットラー、その生と死」によれば、ヒトラーがベルリンの地下室で死んだというのは真っ赤なウソで、アルゼンチンを経てパラグアイに飛び、ブラジルのマト・グロッソにある小さな町に落ち着いたという。そこで彼はアドルフ・レイプジクという変名を用いて暮らし、地元民には「年老いたドイツ人」として知られていた。

 

<●●インターネット情報から●●>

ウェブサイトの「カラパナア」(不思議と謎の大冒険)から引用

 ヒトラーは生きていた!?ブラジル人の恋人と95歳まで生きていたという証拠の写真が発見される

 ヒトラーは生きていた!?>

現代においても未だその影響力が半端ないドイツの独裁者、アドルフ・ヒトラーヒトラーは1945年4月30日、総統地下壕の一室にて、妻であるエヴァ・ブラウンと共に自殺を遂げたというのが歴史上の認識であるが、実はブラジルに逃亡し、95歳まで生きていたという噂もあり、最近になってその可能性を示す写真が発見されたそうだ。

 ヒトラーが死んでいなかったという話は諸説あるが、ある本によれば、彼はパラグアイに逃れ、アルゼンチン経由でブラジル、マットグロッソ州にあるノッサ・セニョーラ・ド・リブラメントという人口12,000人ほどの小さな町に移り住んだという。そこではアドルフ・ライプツィヒという偽名を名乗っており、住民からは”ドイツの老人”として知られていたらしい。

   問題の写真は、ヒトラーが亡くなる2年前の1984年に撮影されたと主張されるもので、そこには黒人の恋人クティンガとポーズをとる幸せそうな姿が映し出されている。

 『Hitler in Brazil - His Life and His Death(ブラジルのヒトラー - その生と死)』の著者シモーニ・レネ・ゲレイロ・ディアス氏によれば、ヒトラーバチカンの友人から地図を入手し、そこに記されていた秘密の財宝を探していたらしい。恋人のクティンガは素性を隠すために利用していたようだ。ディアス氏はヒトラーの自殺が信じられず、ライプツィヒと称する人物の遺体を掘り起こし、DNA鑑定するべきだと主張している。

   ディアス氏はヒトラーが隠れ住んでいたという町を2年間調査してきたそうだ。ここはボリビアの国境に近い、18世紀のゴールドラッシュによって作られた町であるその付近の洞窟にはイエズス会の財宝が眠っているとされ、ヒトラーがここに住んだのも偶然ではないと彼女は睨んでいる。

 彼女がこのような考えに至ったのも、古い不鮮明な写真を加工して髭をつけたところ、ヒトラーそっくりな人物が現れたからである。ディアス氏によれば、80年代初頭にクイアバの病院で手術を受けたヒトラーを身元不明のポーランド人修道女が見つけ、そこから立ち去るよう命じたことがあったらしい。しかし、自分はバチカンの命令で来ているのだと逆に叱責されたという。

   陰謀論では、ヒトラーがドイツから南米へ逃れたと主張されることがある。この見解は、イギリスの2名の作家がアルゼンチンで盗作疑惑をかけられたことから、盛んに議論が交わされるようになった。

 2011年に出版された『Grey Wolf: The Escape of Adolf Hitler(灰色の狼:アドルフ・ヒトラーの逃亡)』の著者ジェラード・ウィリアムズ氏とサイモン・ダンスタン氏は、ヒトラーエヴァ・ブラウンパタゴニアに逃れ、62年に73歳で死ぬまでに2人の娘をもうけたと主張している。この本は後に映像化されたが、アルゼンチン人のジャーナリストは著者らが自分の研究内容を許可なく使用していると訴えた。

   こうしたヒトラーがアルゼンチンで生きていたとする説を、歴史家のガイ・ウォルターズ氏は馬鹿げていると一蹴する。「まったく恥知らずで、そんな証拠はどこにもありません。陰謀論者の妄想に訴えかけているだけで、歴史的な研究とは言えませんね」

   マットグロッソ連邦大学の歴史学者カンディード・モレイラ・ロドリゲス氏も「ヒトラーが南米に逃れていたと主張する歴史家と称する人物たちは皆似たようなものですよ」と、同じく否定的だ。

  そうした説によれば、戦後、悪名高いアドルフ・アイヒマンヨーゼフ・メンゲレをはじめ、大勢のナチスが逃亡を果たしたという。ヒトラーの死を証明しようとする研究者にとって頭が痛いことに、その物理的な証拠は一切発見されていない。2009年には、地下壕付近で発見されたヒトラーのものとされる頭蓋骨の破片をDNA鑑定したが、女性のものであることが判明している。

 

 ヒトラーが生きている姿を最後に目撃したとされる元親衛隊曹長のローフス・ミシュは、2013年に96歳で亡くなった。生前彼は、閉じられたドアの向こう側で銃声を聞いた後に、頭からテーブルに倒れているヒトラーを見つけたと発言している。

 

 『2000年5月5日宇宙人大襲来』

(草刈龍平)(第一企画出版)1996/12

映画インディペンデス・デイはなぜ緊急制作されたのか

アメリカ政府が隠し続けた恐るべき事実

  

ヒトラーが宇宙人と密約していた動かぬ証拠

ヒトラー

ナチスが開発したというこのUFOの性能は想像を絶するものだ。いったい今から50年以上も前にヒトラーのエンジニアたちはどこからこうした超高度技術を獲得したのだろうか。その疑問には、ヒトラーが副官のフォン・ラウシュニングに語った以下の言葉がヒントになる。

全ての人々の上に私が語ることのできない新しい高貴な人類が君臨するだろう。しかし、普通の軍人たちはこれらの計画については何も知らない。新人類は今我々の間にいる。彼はここにいるのだ。これで十分だろう。私は、君に秘密を話した。私は、新人類を見た。彼は大胆で冷酷だ。私は、彼を恐れている

 

・いったいヒトラーはこの「新人類」という言葉で何を意味しようとしていたのであろう。ラウシュニングによると、ヒトラーはいつも何かに怯えていたらしい。彼は就寝中、悪夢にうなされて気狂いのように目覚め、目に見えない何かに向かって訳の分らぬ言葉を叫んでいたという。

宇宙人に誘拐されたのではないのだろうか。ヒトラーは宇宙人とひそかに接触したのだと筆者は想像する。

  

 フェローシップ』  知られざる宇宙の隣人たち

ブラッド・スタイガー   たま出版   1996/2

  

ヒトラーの秘密の探索>

1942年4月、ドイツのナチスは、幻想主義的な科学者達の遠征隊をある場所へ向けて派遣した。遠征隊は、「内部が空洞の地球」の空洞内にいるとされる軍から、その見解を聞くという目的で編成されたものであった。先端的知識を持つそうした科学者達が探索へと送り出されたとき、ドイツは第三帝国の建設に向けて連合軍打倒ムード一色であったが、当時ゲーリング元帥、ヒムラー長官そしてヒトラー総統は、この地球の空洞内にいる軍を探すという計画に、非常に熱心であった。ヒトラーは、地球はへこんだ皿のような凹状の形をしており、地球の地面の下には別の人間が住んでいるのだと、永いこと信じて疑わなかったのである。

 

・「地球空洞説」を信じていたナチスは、遠征隊をリューゲン島に派遣したときに、この疑似科学的な見解が正しいものであるという自信を確実なものにした。ヒトラー総統の側近達は、総統の考えに心酔していた。すなわち、リューゲン島で「地球の内側に存在する世界」への入り口を発見したという大成功について、Nazisこそが、空道内に住む「指導者」たちとの間に混血種の子孫を残す資格を持つ、選ばれた人種の集まりであるということを、その「指導者」達にはっきりと理解してもらう絶好のチャンスであるという考え方である。

 ナチス神話の重要な特徴は、地下に隠れている、パワーに満ちた秘密の種族はその代表者を地上に送り出し、人類に紛れて生活しているという考えであった。選ばれたアーリア人のみの国家を創るという、ヒトラーの狂気ともいえる願いは、どの人種よりも高等な種族として選ばれ、地中に住む超人達との間に突然変異的な新種族を生み出し、英雄、半神的存在、さらには神としての人間を創り出したいという強迫的な願望によるものであった。

 ・作家のルイス・パウエルスとジャークバーギャーは、第三帝国時代ダンツィヒの統治者であったヘルマン・ラウシュニングの言葉を次のように引用している。ヘルマン・ラウシュニングはヒトラーとの会話の中で、超人とのミュータントを創り出そうというヒトラーの計画についてこう述べている。

「全く新しい人種が今我々の中にいるのだ!」とヒトラーは叫びました。「彼はここにいるのだ!それだけじゃ十分でないとでもいうのかね?君に秘密を教えようじゃないか。この私自身、超人をこの目で見たのだ。彼は勇敢で容赦なかった。私は彼を恐ろしく感じたよ」

ラウシュニングによると、ヒトラーが超人についてこのように話したとき、ヒトラーはある種の恍惚感を感じているようだったという。

 ヒトラー霊媒師であった可能性を示唆する証拠があるという根強い噂も存在している。事実、彼の生まれたオーストリアの小さな村ブラナウは、昔からヨーロッパの心霊主義の中心地として知られていた。また、アドルフ・ヒトラーはその幼児期、ウィリー・シュナイダーと同じ乳母のもとで育っている。ウィリーは弟のルディーと兄弟二人で、後に世界的に有名な霊媒師として知られるようになった存在である。

 ラウシュニングはさらに「ヒトラーの側近」から、ヒトラーが夜中によく叫び声を上げて目を覚まし、ひきつけを起こしていたと聞いたと主張している。ヒトラーの使用人達の話によると、かつての独裁者は哀れにも小さく縮こまりながらしくしくと泣き声をあげ、「彼」が自分のためにやって来て部屋の隅のそこ(ヒトラーはその場所を指し示した)に立ったのだと大声をあげた。ヒトラーは、「彼」がヒトラーの寝室を侵略するために地下の王国からやって来たのだと、叫び声を上げながら訴えた。

 ・神秘的な存在の訪問を受けたと主張している為政者はアドルフ・ヒトラーだけにとどまらず、他にも存在する。そうした神秘的な訪問者は、ヒトラーが主張したような「新しい種族」というよりも、非常に古くからいる種族を代表する者達だったのではないだろうか。

 

自分の命を差し上げる――。中国で「神手張(神の手を持つ張)」「気功大師(気功大先生)」の異名をたてまつられた気功師・張永祥会長は、その覚悟で患者さんに気を与える。(3)

 

 

王仁三郎の霊界物語大預言』

富士山大爆発とミロク神人種誕生の神ドラマ

   海野光彦  徳間書店   1995/11

 

 

 

ミロク神人種だけが「黄金のそりはし」を渡る!

・国祖、国常立命は、太古の昔、地球主宰神の位についていたが、悪魔の謀議によって艮(とどめ)の地である日本列島に押し込められた・・・。では元の地球主宰神・国常立命の本拠地はどこにあったのか。

実はそれを解くヒントが『霊界物語』冒頭にのっている。

次に紹介する黄金のそり橋だ。

 

・黄金のそり橋は、太古の昔、亜熱帯の中央アジア・ゴビ海に浮かぶ白島にかかっていた。造り上げたのは、太古の地球主宰神サナート=クメラだ。サナート=クメラは、国常立命の別名に違いない。

 黄金のそり橋のかかる白島には、地球主宰神の黄金宮殿が澄みわたった青空にひときわ美しく輝いていた。

 

・そうしてこの橋を渡ると直に自分は、エルサレムの聖地に着いた。この聖地には黄金と瑠璃(めのう)とかいう宝の珠玉をもって雄大な、とても形容できない大神の宮殿が造られている。(霊界物語第1巻より)

 

・この神都の現界への移写が、かってゴビ海に浮かぶ『白島』に現れていた。地球主宰神・国常立命が納める黄金の神都から数多くの『ミロク神人種』が世界各地に旅立っていった。

 

日月神示やヒマラヤのミロク神人種が示すように原水爆の高熱やマイナス数十度の酷寒でも耐える超人体を保有する神人が日本を始め、世界各地に渡り、万物調和の理想郷すなわち『ミロクの世』を築いていたのだ。

 それが世界各地で潜伏する悪神の決起で灰と帰し、世界が泥海になったことが『霊界物語』に書かれている。

 

・しかし、王仁三郎が死をかけて、大日本帝国政府と戦い、厳しい特高警察の目をかいくぐって口述筆記した『霊界物語』は、世紀末、各種の予言の中でひときわ異彩を放っている。

 

核の炎、核の冬、恐るべき極反転に伴う大地殻変動に負けないミロク神人種が21世紀に日本を中心に誕生することが『霊界物語』には秘められていたのだ。

 

・彼らだけが鶴仙に乗り、輝く肉体を霊化させ、『黄金のそり橋』を渡り、国常立命の治める神界の大都に結集することができる。

 

霊界物語』はテレポートと魂の旅行で作られた

・それにしても『霊界物語』はあらゆる点で人間の常識を超えている。

最初に脅かされることは、口述筆記の驚異はスピードである。一巻をわずか3日で書き上げている。81巻、83冊からなる『霊界物語』に集大成していくが、最初から最後まで口述のスピードは変わらなかった。

 

・原稿用紙にして約10万枚でひとまず完成するが、王仁三郎は全120巻を予定していた。だから3分の2で彼は口述を終わったことになる。しかも、筆記中に王仁三郎は一冊の参考書も見なかった。

 

・ゴロリと横になって少しイビキをかいたかと思うと、王仁三郎の口から真珠のきらめきのごとき不思議な物語が紡ぎ出される。

 

50世紀まで見通す人類最大の「予言暗号書」

王仁三郎は50世紀の未来を見通した>

・「24世紀の今日は、天国浄土の完成時代だ。中空をかける飛行機、飛行船はすでに廃物となり、天の羽衣という精巧無比の機械が発明され、汽車は宙を走って、1時間に5百マイルという速力だ。蓮華の花は所狭きまで、咲き乱れ、何ともかとも知れない黄金世界が現出しているのだ」 (『霊界物語』第14巻8章より)

 

王仁三郎はミロク浄土の完成を目指していたが、それは24世紀、今から約3百年経なければ、本当のユートピアは生まれないと予言している。ミロク超科学文明が生まれると、黄金のUFOが大空を飛び交い、世界中に美しい花が咲き乱れる。これは彼の予言の中で最も楽観的なものである。

 

・さらに王仁三郎は、はるか50世紀頃の人類の様子をも透視している。

「何、神界ばかりか、現実もこの通りですよ。一番図抜けて大男といわれるのが、3尺(90センチ)内外、1尺8寸(54センチ)あれば、一人前の人間だ・・・。

少しも手足を使わないものだから、身体はおいおい虚弱となってしまい、もはや50世紀の今日では、こんな弱々しい人間になってしまった・・・・。

それと反対に6尺(1.8メートル)以上の体を持ち、現幽神界において神の生宮として活動しているミロク人種もありますよ」 (『霊界物語』第3巻20章より)

 

・つまり50世紀の人類は、ほとんど小人で頭脳だけの存在になっている。脳をある種の液体に入れて、スーパーコンピューターをつなぎ、あらゆる指令がコンピューターから出される。

 一方、普通以上の体を自由自在にテレポートさせ、現界と霊界を行き来するミロク人種も少数存在する。現代から見れば、完全なSFの世界である。

 

・50世紀の交通機関は奇妙なことに黄金の翼を人間に直接取り付けて、超高速で飛ぶようになっている。

 

・すなわち、松彦は、「みな様、しばらくお待ちくださいませ。空中交通機を上げましょう」と又もや指先にて空中に、何事か記す其の刹那、金色燦然たる鳥の翼のごときもの四組、何処ともなくこの場に降り来たりぬ。「サァー、これを御着けなされ」と言ふより早く自然的に四人の肩の辺りに、金色の翼はピタリとくひつきたり、四人は一度に、「アア、これは立派だなァ」と羽ばたきを試むるや、身はますます高く空中に飛ぶ揚がり一瀉千里の勢をもって電波よりも早く、西の空を目がけて進み行く。 (『霊界物語』第15巻21章)

 

・このように王仁三郎の世界はまことに幅が広い。超古代から50世紀のはるかな未来まで見通した彼のような予言者は世界中どこにも存在しない。だからある面では、シャカ、キリストさえも超えた予言を述べていたことになる。

 

 ■■■ 私が思うこと、聞いたこと、考えること ■■■

 

・中国式の「気功」も日本に普及したようです。日本と中国との間では,2017年に日中国交正常化45周年,2018年に日中平和友好条約締結40周年を迎えます。そこで、気功師太極拳の先生たちが来日し、全国にそれぞれの教室や施術所を開いたようです。ついでながら、中国では太極拳は気功の一種として考えられているそうです。そして中国では「太極拳をマスターした人は気功も教えることができるが、気功をマスターした人は太極拳を教えられない」という格言も存在しているといわれます。

 

・インタ―ネット情報によると、「太極拳と気功の両方とも、根っこの部分の考え方は、

1.悪い気を出して、良い気を溜める

2.その良い気を体中にめぐらせる

というプロセスになっています。

そのプロセスのうち、

 悪い気を出して良い気を溜めることに重点を置いているのが気功、

良い気を体中にめぐらせることに重点を置いているのが太極拳というイメージをもってもらうと覚えやすいでしょう」とのこと。

 

amazonの「すべて」のジャンルに「気功」といれますと3000以上、「本」ですと2000件以上の書籍が分かります。日本人の「気功」に対する関心の高さが窺えます。気功の流派は、中国では2000以上もあるといわれ、それぞれ「秘法の奥義」があるそうです。気功や太極拳の教室やヨガ教室や、ダンス・クラブ、エアロビクス等の市民が気軽に親しむ街中の教室は、どのくらいあるのでしょうか。健康の維持には「適度の運動」を毎日のように行うことが必要だといわれます。「歩くこと(ウォーキング)が体に一番よい」ともいわれます。気功や太極拳も、何か特別な難しいポーズを繰り返すのではなく、「単純な動作や運動をある程度繰り返す」ことがポイントだと指摘されています。このブログも気功に関するものを増やしていきたいと思います。気功に関する不思議な話には興味があります。

 

西洋医学を極めたような日本の医者たちも「東洋医学」として、漢方薬や気功を研究する人が増えているようです。20年前には、気功治療を「胡散臭いもの」「怪しいもの」「インチキなもの」の印象をもつ人々が少なくなかったといわれます。私たち一般人は、中国の医療事情については当然詳しくはありませんが、「中国では今でも伝統的な中医学が主流で、西洋医学は補完的医療であるが、半世紀前の当時はその傾向がもっと強かった」といわれます。

 

・人体の気(エネルギー)については、私たち一般人には、理解不能なことが多いようです。宇宙のエネルギーについては、理解が十分でないようです。しかしながら、世の中では「太極拳、気功法、ヨガ、座禅、瞑想、聖体、鍼灸カイロプラクティック、ヒーリング、エアロビクス、断食、祈祷、拝み屋 祈祷師 キリスト教会の祈り、礼拝」等のさまざまな手法があり、熱心な信者やマニアもいるといわれます。現代では難病や奇病も増えており、西洋医学では、治らない病気が増えているようです。西洋医学では何年も何十年も治らない持病は、「気功療法」でも試してみる価値はあるといわれます。

 

・宇宙のエネルギー(気)は普遍的で、誰でも気功師になれる可能性があるといわれます。気功の遠隔療術というのも、不思議な話です。現代人は“絶対的な運動不足”といわれますが、毎日適度な運動をすることが大事なようです。過度に運動やスポーツをすれば体を痛めますし、「過ぎたるは、なお及ばざるが如し」のようです。

 

「潜在意識を活用して成功する」といった類の成功本は米国では汗牛充棟ありさまです。それほど米国人の「サクセス」や「自己啓発」へのこだわりが強いのでしょうキリスト教への信仰心も強く、物質万能の国ですが精神世界の関心の高さも世界一でしょうか。「アファメーション」とか「イメージする」「ポジティブに考える」「ノートに書きだす」「引き寄せの法則を活用する」「紙に書いて貼り出す」「瞑想する」「深呼吸してリラックスする」とか様々な成功のための手法が主張されているようです。

 

・人間の意識は「顕在意識」から「潜在意識」へとつながり、「民族の共通意識」等を経て、結局は「神への意識」へと誰でもつながっているようなのです。創始者は1995年に右足のガンをヒ―リングで自ら瞬時に癒した体験から「シータヒーリング」を開発したそうですが、それは便利なもののようです。

 

・「シータヒーリングの根本原理は脳波をシータ波にすることで、創造主と一体化し、コマンドを発することで、創造主と共同で現実を創造するということです」。この原理を私たち一般人が容易に体得できればよいのですが。テレビでも「ガンを宣告された話」がよく登場しますが、シータヒーリングで実際に消すことができればよいのですが?

潜在意識と脳波の組み合わせは重要なもののようです。

 

・ブルーグレーのおばちゃま、スワニーおばちゃま、風呂敷おじちゃま、麗子おじちゃま、中国4千年のおじちゃま、ゴットンおじちゃま、という不思議な世界の方々が、異次元から松原照子さんにコンタクトしてくる話は、世にも奇妙な話のようです。ブラヴァツキー夫人とか、クート・フーミ大師とかの説があるといわれます。いずれも神智学では、よく知られているようです。松原照子さんには、その姿が見えるというのですから、不思議です。生きているというよりも仮死の様態のように見えるのかもしれません。不思議な異次元現象のようです。コミュニケーションがとれるといいます。ホワイトブラザーフッド(白色同胞団)が関係しているのかもしれません。「あの世」と「この世」を自在に往来できるはるかに進化した宇宙人もいると言われています。

 

・太古の時代に、善神である至高の光明神と悪神であるデミウルゴスが戦いを 交えた。デミウルゴスとは、エホヴァもしくはヤハウェであり、ヒュペルボレア人の干渉を絶対に許さず、開闢以来、彼らに対して無慈悲な戦いを挑んだといわれます。フリーメーソンでは、神は「大宇宙の建築者デミウルゴス」などと呼ばれていると語られています。フリーメーソンと金星人の繋がりが窺われますが、フリーメーソンの主神は堕天使ルシファーといわれます。シャンバラの支配者(世界の王)のサナト・クマーラ がルシファーであるといわれます。「現代的な解釈ですと堕天使ルシファーとかリラ星人のサタン(悪魔)という言葉は、遺伝子科学者の研究集団の名前だ」といわれます。

 

神様の中の王様であるゼウスは魔神の系列だといわれます。ベル(Bel)、クロム(Chrom)、「バアル神(Baal)」も「ゼウス」や「アポロ」も、すべてが「ニムロド」=「アンチ・キリスト」といわれます。ニムロドとは、666という数字の主である悪魔王サタンのことです。ニムロドは有名な「バベルの塔」を建設して、神に反逆したといわれます。「ニムロドは、その後、次々と現れた太陽神のコピーの原型なのです」と語られています。ニムロドはノアのひ孫に当たります。バベルのこの詐欺システムは、世界の誤った宗教の源になっています。

 

・「現代的な解釈ですと堕天使ルシファーとかリラ星人のサタン(悪魔)という言葉は、遺伝子科学者の研究集団の名前だ」そうです。堕天使ルシファーが天使団の3分の1を率いて神に反乱したという「天の戦争」が続いているそうです。悪神、魔神のデミウルゴスが支配しているため、地球上は悲惨なことばかりが起こっているともいわれます。シリウス星人が遺伝子操作等でモンスター・タイプの生物を創り神に嫌われたといわれます。シリウス星人の地球支配があまりにも巧妙なので、しょっちゅう戦争が起こると語られています。「第2次世界大戦は堕天使ルシファーと大天使ミカエルの代理戦争だった」という奇説もあったといわれます。

 

・かつてイエスであった存在は現在「サナンダ」と名乗っており、アシュタールとともに彼の宇宙船に住んでいるといわれます。アヌンナキとかサナンダといわれる金星のマスター(長老)が活動の中心とも述べられています。シャンバラの支配者(世界の王)のサナト・クマーラがルシファーであることや、サナンダは神智学ではサナト・クマーラより上位の存在として「沈黙の監視者」と呼ばれています。

 

・人類は45 万年前に地球にやってきたアヌンナキという異星人が、遺伝子操作によってつくった存在 だといわれます。「シリウスのテクノロジーは、アヌンナキによって地球にもたらされた」そうです。「彼はイルミナティの祖先をアヌナキだとする。アヌナキは古代シュメールの神々の種族であり、実は宇宙からやってきたエイリアンであった」と語られています。アヌンナキという別宇宙の生命体が、この宇宙へ入ってきて、こと座(リラ)の星や、 オリオン座リゲルに定着し、そこからさらに発展したといわれます。「人間は、エロヒムによって創造された」と。エロヒムとは、後にヘブライ語となった神を示す言葉ですが、これはシュメール語の「アヌンナキ」といわれます。

 

ウィキペディアWikipedia(フリー百科事典)によると、

(反宇宙的二元論)グノーシス主義

(反宇宙的二元論)グノーシス主義には様々なバリエーションがあるものの、一般的に認められるのは、「反宇宙的二元論」と呼ばれる世界観である。反宇宙的二元論の「反宇宙的」とは、否定的な秩序が存在するこの世界を受け入れない、認めないという思想あるいは実存の立場である。言い換えれば、現在われわれが生きているこの世界を悪の宇宙、あるいは狂った世界と見て、原初には真の至高神が創造した善の宇宙があったと捉える。

 

グノーシスの神話では、原初の世界は、至高神の創造した充溢(プレーローマ)の世界である。しかし至高神の神性(アイオーン)のひとつであるソフィア(知恵)は、その持てる力を発揮しようとして、ヤルダバオートあるいはデミウルゴスと呼ばれる狂った神を作る。ヤルダバオトは自らの出自を忘却しており、自らのほかに神はないという認識を有している。グノーシスの神話ではこのヤルダバオトの作り出した世界こそが、我々の生きているこの世界であると捉えられる。

 

(反宇宙論)「グノーシス主義は、地上の生の悲惨さは、この宇宙が「悪の宇宙」であるが故と考えた。現象的に率直に、真摯に、迷妄や希望的観測を排して世界を眺めるとき、この宇宙はまさに「善の宇宙」などではなく「悪の宇宙」に他ならないと考えた。これがグノーシス主義の「反宇宙」論である」。

 

・「東日本大震災を予言していた人々」は少なくないのですが、特に宇宙人やタイム・トラベラーによる予言は的確だったといわれます。宇宙人は一般的にタイム・トラベラーですので、彼らの未来予測を防ぐように行動すると事件は起こらないという「タイム・トラベルのパラドクス」という不思議な話になるようです。

 

・「人類の進化には介入しない」という宇宙人の法則は、一切の事象に適用されるようなのでしょうか!?「この人は食品会社の事務員さんで」ということで、松原照子さんは普通の人なのですが、そのような人に「不思議な人々」、「ホワイト・ブラザーフッドの面々、霊人」が憑依したという世にも奇妙な注目すべき物語のようです。普通の人が想像で書ける内容のものではないといわれます。

 

チャネラーがブログなどで体験記を書く機会も多いかと思いますが、私自身は、ブログをネットで広範囲にかつ詳細に探索していないので発見できません。松原照子さんは『幸福への近道』(主婦と生活社)を出版していますが、今後の予測が注目されます。また雑誌『ムー』にも連載しています。

 

・昔は米国では潜在意識のアルファ波の活用が喧伝されましたが、シータ波の活用は「シータ・コマンド」という本もあるように、現代米国では「脳波としてのシータ波」が科学的に支持されているようです。

 

・宇宙人にはエスパー(超能力者)やタイム・トラベラーが多いので、CIAなどの諜報機関が昔から活用しているようです。エスパー(超能力者)の活用は、日本の情報機関も調査員として利用すべき時代でしょうか。

 

・「UFOを目撃したと証言(報告)すると、地上勤務に回されるので、口を固く閉ざしている日本の航空自衛隊や航空会社のパイロットの処遇を考えると、数十年の宇宙科学の遅れを感じる」人が多いそうです。日本はUFO後進国といわれます。

 

・現代は「イルミナティなどのフリーメーソンに入ると『神』に会える」という時代だそうですが、与太話で終わりになるのでしょうか。「神々は市井の人となり、普通の生活をしている!?」ようなので、超能力を示さなければ、誰も識別ができないと指摘されています。「はるかに進化した宇宙人が人間の精神体に侵入してくる時代だ」そうです。そうなると人間自身が「変容」、「変性」してしまうそうです。

 

アイザック・アシモフという米国のSF作家がいますが、彼も部屋の中に数人の小人が出てきて、彼らの話をまとめたのが、アシモフの作品だったそうです!?異次元の霊人とコンタクトしないと作家としての名作も作れないようです。アストラル界の住人とのコンタクティなのでしょうか。あの世から実体としてコンタクトしてくるようなのです。

 

・昔からディケンズのように作家に霊人がついて小説を書くこともあるといわれます。あの世の霊人がつかないと作家としても大成しないともいわれるそうですが!?

 

・大震災も7年経ちましたが、松原照子さんは「東日本大震災を予言・的中させた」一人として、話題だったそうです。「その予言をブログ『幸福への近道』に公開したところ的中。話題騒然となってアクセス数は急増し、1日平均約30万件にも達して一時はパンク状態に陥ったという」と語られています。

 

・ブラヴァツキー夫人やクート・フーミ大師などのアデプト(大師)などのコンタクティだそうですが、彼らにビジョンを見せてもらえ予言するそうです。そのメカニズムは、神のような人物からビジョンを見せてもらい予言の手紙を書くというブラジルの夢見のコンタクティ、ジュセリーノ・ノーブレガ・ダ・ルースを思わせます。

 

東日本大震災を予言・的中させた松原照子さんは、『宇宙からの大予言』を1986年12月に出版していますが、「幸福への近道」の出版までは、25年間の空白期間があり、その間も「不思議な世界の人々」とコンタクトがあったようです。

 

・『幸せを導く未来の暦』も出版されています。より詳細な「不思議な世界の人々」とのコンタクト内容を知りたいものです。「信じるか信じないかはあなた次第です」という言葉がありますが、コンタクティの世界は私たち一般人にとっては、世にも不思議な物語ばかりのようです。

 

・「CIA超能力透視部隊」のように、現代の諜報機関は、エスパー(超能力者)に実質的に率いられる面もあるそうです。宇宙人情報を把握するCIAなどの諜報機関は、宇宙人とコンタクトしています。一般的に宇宙人はエスパー(超能力者)であり、タイム・トラベラーである事が多いといわれます。宇宙人、異人、神人、タイム・トラベラー、超人などのエスパー(超能力者)が裏世界では実質的に諜報機関を率いているといわれているそうです!?「アメリカの諜報機関は、タイム・トラベラーによって率いられている」という与太話もあるといわれます。

 

・「未来透視」というと一番関心が集まるのは、「未来の災害の可能性」についてだといわれます。松原照子さんは、「不思議な世界の人々」「ホワイト・ブラザーフッド(白色同胞団)の超人(アデプト)」のコンタクティだそうです。その昔、遥かに進化した宇宙人が日本で、日本人にコンタクトをして、カシオペア座の方面にある惑星に案内したという話もあるといわれます。

 

・松原照子さんは、25年前には、その予言能力がマスコミにも認められて『宇宙からの大予言』という本を出版したようです。「東日本大震災を予言・的中した人」として、ブログが、非常に注目されたといわれます。

 

・不思議な世界の人達とのコンタクティとして、非常に特異な体験の持ち主のようです。不思議な世界の人達とのコンタクト内容を、その後の25年間の経緯を知りたいものです。

 

・松原照子さんのようなエスパー(超能力者)に関心を示す大学の関係者もおり、彼らの研究・調査内容なども知りたいと思います。ブラヴァツキー夫人などのホワイト・ブラザーフッド(白色同胞団)のコンタクティは、日本にはほとんどいないと思いますが。

 

・「東日本大震災を予言」したブログで一躍、有名になった松原照子さんは、不思議な世界の人々と以前からコンタクトがあるといわれます。まったく世にも奇妙な話のようです。このような不思議な現象も「あり」ということなのでしょうか。 その後の展開はどのようになったのでしょうか。異次元世界とのコンタクティの話は貴重です。

 

・遥かに進化した宇宙人はウォークイン(憑依)やワンダラー(転生)の形態で地上に登場するそうです。また背後霊や守護霊も遥かに進化した異星人が人間に憑依したものかもしれません。それに、もっと進化したホワイト・ブラザーフッド(白色同胞団)の連中が、松原照子さんの自宅に現れるそうですが?

 

・「アストラル視力」といって、エスパー(超能力者)の松原照子さんにしか見えないのかもしれませんが!?インド神話に「宇宙を3歩で歩く神々」がいるといわれます。エーテル界のパラレル・ワールドの「神々の都市」から「宇宙を3歩で歩いて」、人間の姿を装い、松原照子さんの眼前に現れるのでしょうか?

 

・「日本はヘルメスが統治する国」だそうですので、「神の中の神、地球の主神ゼウス」もいるのでしょうか。ゼウスが地球を統括しているという与太話もあるようです。この辺の知識は私たち一般人には、訳の分からない話ばかりのようです。 どのように影響力を行使しているのでしょうか。神様の中の王様であるゼウスは魔神の系列だといわれます。

 

・サタン(悪魔)と呼ばれるリラ星人や天使的宇宙人シリウス星人がこの辺の事情(神々の世界)に一番詳しいようです。現代の世界に「闇の政府」がどのように影響力を行使しているのか私たち一般人には理解不能のようです。「現代的な解釈ですと堕天使ルシファーとかリラ星人のサタン(悪魔)という言葉は、遺伝子科学者の研究集団の名前だ」といわれます。科学者や医者の異星人が宇宙船に乗って来て、地球人とコンタクトしたといわれます。神は古代宇宙飛行士、すなわち地球を管理するカストディアンの種族なのだろうか?といわれます。リラ星人のエロヒムが「人間を実験室で創った」といわれます。異星人の「医者」の話もあるそうです。

 

・夢見の予言者として有名なブラジルのジュセリーノ・ノーブレガ・ダ・ルースは、「2011年が日本経済の破綻」、「2012年に、阪神大震災がおこる」と予言していたそうで、不気味でした。地震大国ですから「天災は忘れたころにやって来る」ようです。大震災以後の余震で日本全国のどこかが予想以上に激しく揺れているのですから、これからも予想以外のどこかが激しく揺れることでしょうか。ジョーマクモニーグルによると「2018年は首都直下大地震津波の懸念がある」といわれます。

 

天理教中山みき大本教出口王仁三郎出口なおも警察の宗教弾圧を受けていますが、特に大本教の宗教弾圧は熾烈で、当時の明治政府がその影響力の増大を恐れたからのようです。『霊界物語』の解釈本が多く出ているようですが、50世紀も遠い未来を見通したものは少ないようです。amazonで「大本教」と検索すれば、356件、「天理教」と入力すれば1111件がでてきます。艮(うしとら)の金神からの情報は膨大で有識者の評価も高いようです。

 

・国常立命は、ウシトラの金神ともいわれ、祟り神として封印され、抹殺された神々の代表みたいな神だそうです。大本教をはじめとする多くの新興宗教の教祖などに憑依して、頻繁に登場しているそうです。当初の主神でしたが、あまりにも厳しすぎて、異界に幽閉された神なのかもしれません。艮(うしとら)の金神は天国のような所から来たのでしょうか。はたまた、黄金の空のある黄金の神都の異世界から来たのでしょうか。「パラレル・ワールドに住む宇宙人、天国に出入りし転生と憑依を自由に操るシリウス星人の植民星が地球」という説もあるそうです。天国は「サマーランド」、「ブルーアイランド」のように真っ青な空のようです。

 

・サナート・クメラといえば、貴船神社鞍馬寺、魔王尊、地球の霊王、シャンバラの王などと単語が連なりますが、ウシトラの金神とともに有名です。現代のチャネラーの中にもウシトラの金神とチャネリングする者もいるそうです。

 

・官憲に弾圧された大本教は、その巨大さゆえに官憲に恐れられたのでしょうか。古史古伝マニアのいう『竹内文書』の「太古、日本は世界の中心だった」という話もいずれ再構成される時がくるのでしょうか。「神々も市井の人となり普通の生活をしている」という説もありますが、誰も認識ができないようです。

 

・太古から神々や阿修羅が争い、殺し合い、スター・ウォーズがあったのでしょうか。「シリウス星人の地球支配があまりにも巧妙なので、しょっちゅう戦争が起こる」という説もあるようです。神人をめぐる争いのようです。また、堕天使グループが天国に戻りたいと暴れるのかもしれません。宇宙連合からの情報は膨大のようですが、アバブ・トップシークレットのため理解ができるのはイルミナティ・エージェントたちのようです。イルミナティ・エージェントが第三次世界大戦を起こすともいわれているそうです。イルミナティ・エージェントとは、謎の組織のようですが堕天使グループのことでしょうか。堕天使の目に見えない世界のことは、ほとんど誰も分からないといわれます。「堕天使が地球の女を狙って降りてくる。堕天使の性的な能力は異常に高い」ともいわれます。

 

・人類が50世紀に小人になる可能性はあるのでしょうか。戦後米国に飛来した映画でもお馴染みの小柄なグレイは、人造ロボットで最下層の労働者階級だとする説(金髪碧眼の人間タイプのノルディックは位が高い)もあって、その正体に関する説は色々あるそうです。

 

・その諸説の一つにグレイの「人類の未来の姿説」、「人類の未来からのタイム・トラベラー説」というのもあって、激しい核戦争を繰り返して、人間タイプがだんだん退化していき、グロテスクになり、我々の見る小人の異星人になったという説もあるそうです。人類も核戦争を繰り返して、グレイのように小人化していくのかもしれません。

 

・なお、ゼータ・レチクル星人は、多種多様なようですが、実際のスター・ウォーズは、激烈で惑星を吹き飛ばす超兵器も登場したようです。核兵器ばかりではなく、現代で『貧者の核兵器』といわれる『細菌兵器』や『化学兵器』も使われたようです。インドの古い叙事詩にもありますが、特にスター・ウォーズの歴史は非常に多かったようです。インドでも超太古に地上でのスター・ウォーズの続きがあったようです。神様の王様、インドラ(帝釈天)とアシュラ(阿修羅)の争いが続いているようなのです。

 

・未来には人類の退化した小人のものと長身の神人の2系列があるようです。人類は神人のレベルに到達できないようです。異星人の世界でも長身の金髪碧眼のノルディックと小人の従者のグレイの2種類がありますが、長身の神人とその従者(小人の人類)の組み合わせになるようです。

 

・また、裏宇宙には巨人タイプの異星人もいるようです。フランスの有名なコンタクティのクロード・ボリロン・ラエルの報告では、小柄で完全な人間タイプで3万年進化しているリラ(琴座)星人もいるそうです。

 

・神々の世界は時空を超えているので王仁三郎の『霊界物語』はリアルな感じがするそうです。神々からチャネリングした未来情報はすべてがあたるとは言えませんが、タイム・トラベラーからの情報ですから当たる確度は高いようです。実際には、多くのパラレル・ユニバース(並行宇宙)があるので、実現する未来が多様に変化していくそうです。

 

 

******************************** ・ブログ名称: UFOアガルタのシャンバラ

日本は津波による大きな被害をうけるだろう

・第2のブログ名称:UFOパラレル・ワールド 神の国か?」「人類の原郷か?」 「天上のエルサレムか?」・・・・・・・・・

「パラレル・ワールドに住む宇宙人、天国に出入りし転生と憑依を自由に操るシリウス星人の殖民星が、地球か?」、「ネガティブのシリウス星人の地球支配があまりにも巧妙なので、しょっちゅう戦争が起こるのだろうか?」

「金髪碧眼のノルディックが住んでいたアガルタのシャンバラ情報の集大成を目指す・・・・・・・・・・」「金星蛇人と火星霊人の戦争はその後どのように展開したのだろうか」 日本民族の神話の原郷『高天原(たかまがはら)』は、『都市型の超巨大宇宙船』なのか!?」「平家がプレアデス星人の末裔で、源氏がオリオン星人の末裔なのか」 「小人族のグレイの母船に同乗する金髪碧眼のノルディックは、”悪魔の王””ルシファー”なのか?!」

「円盤は神人や異人、悪魔の乗り物なのか!?」「天使は神の秘密諜報員なのか」「神は最初のフリーメーソンなのか」

「UFOは、人類の歴史が始まって以来、最も重要な現象なのか。UFO問題とは、人間にとっての死の問題を解くことなのだろうか。UFOはフリーメーソンの創作なのか」

「全宇宙を創ったという“虹の神々”も地球に来ているのだろうか」

イルミナティなどのフリーメーソン組織に入ると神に会えるのだろうか」「金星の神々は地球に到着するやいなや、イニシエーションのためのフリーメーソン本部を設けたのだろうか」「フリーメーソン結社はこの大地が創出されるよりずっと前から、さまざまな太陽系をめぐって、存在していたのだろうか」

国際連合の設立に動いたキリストの星、アプ星人とは」

「人は皆、記憶喪失の異星人だろうか」

「はるかに進化した天使のような宇宙人は、人間の守護霊や背後霊なのだろうか」「セドナ上空に見えないエーテルのシティが滞空するのだろうか」

 

グーグルのブロガーにも書いています→UFOパラレル・ワールド

 

 

 

 

自分の命を差し上げる――。中国で「神手張(神の手を持つ張)」「気功大師(気功大先生)」の異名をたてまつられた気功師・張永祥会長は、その覚悟で患者さんに気を与える。(2)

 

 

『「不思議な世界の力」を借りて、幸せになる』

情報をもとに生活せず「潜在意識」「本能」「血液型」に耳を澄まして生きる!!

松原照子  東邦出版  2013/8

 

 

 

<不思議な世界の方々>

・幼少のころ、ひとり遊びが多かったことが、「不思議な世界の方々」と出会うきっかけになったのかもしれません。

 

・私は母の横に座っていたのですが、なにげなしに振り向くと、以前お会いしたことのある背の高い痩せたおじいちゃまが浴衣姿で家から出てこられ、私のそばにやってくるのです。子供心に生きている方ではなく、「不思議な世界のおじいちゃまだ」と思いましたが、その場にいる大人たちはおじいちゃまを見たものの、なにもなかったかのように御詠歌をあげていました。

 その様子を見て、不思議な世界の方々のことは、見ないふりをして口に出したりしないことが、暗黙の了解事なのだと思ってしまったのです。

 小学校の高学年になるころには、不思議な世界の方々は影をひそめていたように思います。

 

・気がつくと不思議な世界の方々は、私の前には姿を現さなくなっていました。時が流れ、だれもが不思議な世界の方々を見えるわけではないことを知った時は、心底驚きました。私は35歳くらいまで、不思議な世界の方々は、だれもが見えていると思いこんでいたのです。私だけが特別なのではなく、皆さんも不思議な世界の方々とお会いになり、お話ができると思っていたのです。

 

・さらに時が流れ、ブログで東日本大震災のことを言い当てたと騒がれ、64歳で人生が大きく変わることになったのです。

 私のところに来てくださる不思議な世界の方々とごく普通に会い、教えられるがままに書き、毎日ブログを通じてお伝えしています。

 

<私たちが生まれてきた理由>

・「あなたが生まれてきた理由は、あなたが忘れている記憶の中にあります」

 

私のもとに来てくださる不思議な世界の方々

・私がお会いして勉強させていただいている6名の「不思議な世界の方々」を紹介しましょう。

ブルーグレーのおばちゃま

スワニーおばちゃま

風呂敷おじちゃま

麗子おじちゃま

中国4千年のおじちゃま

ゴットンおじちゃま

 

・簡単ですが、まずブルーグレーのおばちゃまは、私が大人になってから初めて面会した不思議な世界の方です。ドイツ人かロシア人かわかりませんが、ブルーグレーの瞳をした中年女性です。

 スワニーおばちゃまは、ぽっちゃりした西洋人の女性で、雰囲気が「ふわっ」「すわっ」としているのでスワニーおばちゃまと名付けました。宇宙の話や科学の話を教えてくれます。

 風呂敷おじちゃまは、いつも風呂敷を持って登場します。風呂敷ということは日本人なのでしょう。人間の心理を話してくれます。

 麗子おじちゃまは、岸田劉生さんの絵画「麗子像」にそっくりな、おかっぱ頭のオジちゃまです。単純にそのまま名付けました。麗子おじちゃまは、なにか特別なことを教えてくれるわけではありません。私は絵が好きなのですが、ちょっと描こうかなと思った時などに美の話とか、空気とか、自然界の話をしてくれます。

 

・中国4千年のおじちゃまは、どこの国の人かわかりませんが、赤い中国服というか、王朝っぽい服を着ています。私は「中国4千年」というフレーズが好きなので、そう名付けました。よく服を着替えて現れます。

 ゴットンおじちゃまは、おっちょこちょいなのか、いつもゴトン、ゴトンと音を立てて現れます。50代ぐらいでしょうか。風呂敷おじちゃまと同じで、人の心についてよく教えてくれます。

 

<言葉は生き力>

・気になったかもしれませんが、私はおばちゃま、おじちゃまといった「ちゃま言葉」をよく使います。子供のころの癖がいまも残っているからです。

 

記憶、ひらめき、潜在意識

・「ひらめき」というのは、自分が持っている知識の中には絶対に存在しないはずのものが突然出てくると思いがちですが、過去の記憶を整理できる機能が働き、ある日明らかに意識として表面に出てきただけで、もともと存在していたのだと思います。

 

<忘れてしまったことも、すべては潜在意識という格納庫に保存されている>

・潜在意識のさらに深くには集合的無意識という領域があり、同じ土地で暮らすなど、いろいろな人たちがその領域で繋がっていると言います。

 この「集合的無意識」という言葉、聞き慣れない難しい言葉ですね。ここではわかりやすく「究極の潜在意識」と言い換えましょう。

 これを読んでくださっているあなたと私も、究極の潜在意識で繋がっているかもしれないのです。

 

<あなたが生まれてきた理由は、もう忘れてしまって思い出せない「経験」の中にそのヒントがある>

<人類誕生からこんにちまでの経験>

・「そうなんだ。大昔の人々は大宇宙の神々の意志と繋がり、この地球で働いていることも知っていたんだ」

 

・あなたも私も生まれてきた理由の源が究極の潜在意識の中にあることくらいは信じて、いまを大切に生きてほしいと思います。

 

<究極の潜在意識の中には人類の使命が刻まれている>

<遠い記憶>

・人生の途上で突き当たる壁。それを乗り越えることが、今世で課せられたテーマ。

 

<「感」は遠い記憶からの贈り物>

<感を導き出す予感>

・私たちはこうした不思議な感覚を感じる力を潜在意識の中に秘めているのですが、いつこれが発揮されるかはわかりません。そのためなのか、この予感を人々は特別な存在として受け止めているようです。

 

無意識に沸き上がってくる思いに敏感になる

<短所に思っていることは見方を変えれば長所になる>

<睡眠は潜在意識にとっても珠玉の時間>

・自分のことを「ダメだ、ダメだ」といじめるのではなく、自分を大切にすること、自身を好きになることは、あなたが感を磨くうえでとても大切です。

 不思議なことですが、自分のことを肯定できるようになると、潜在意識からの声も「感」として届きやすくなります。

 日々、心の中に湧き出る思いは次の行動のきっかけになります。ですから、日ごろから考え方を整理することがとても大切なのです。

 

<ゆっくり呼吸をして生きている実感を味わう>

<子供は生まれてくれただけでありがたい存在>

<我の感情ではなく、直感・予感を大切に>

・「感を働かせるには、物事をポジティブに考える」

 

<前世と今世との不思議な関係>

・あなたは前世を思い出しますか?

 私はハッキリとは思い出せませんが、前世はあったように感じています。信じるとか信じないとか考える以前にほとんど気にも留めずに暮らしていますが、自分の前世を空想の世界に置き換えて考えてみるとチョッピリ楽しくなります。

 

・死後には素晴らしい世界が待っている。だからこそ、いまはこの世で悔いなく生きる。

 

・私たちは光で出来ている「光の子である」と、スワニーおばちゃまが教えてくれます。

 

人間は死なない限り、光を発しつづける

<光+肉体=人類>

・人類は死という、肉体との永遠の別れはあるものの、死んだあとに天空で光をじょうかい浄化し、宇宙の思いを受けて次の肉体に戻れたならば、再び現世で人生を歩めます。ちなみに、私たちは亡くなる時に体重が0.5g減ります。これが0.8元素の重さです。

 

<地球は人間を始め、さまざまな光に満ちた宇宙一美しい星>

<運命と宿命>

・でも、想像もできない出来事に遭遇すると、「運命」とか「宿命」といった言葉を使い、自分を納得させたりします。良い意味でも悪い意味でも「そういう星のもとに生まれた」と、言ったりしますよね。

 ところが、風呂敷おじちゃまは、「一人ひとりが考えたり思ったことを行動に起こした結果が、現実社会を作り上げている」と言います。私たちが日々過ごす中で、自分が行動を起こす時の思いが、人生の大半を作っているのです。

 

<人生は自分の思いが作るもの>

・私たちが思ったり考えたりする「生き力」は、人との出会いや別れなど、人生の流れを左右します。自身の感性や知性が、自分の人生を作り上げるのです。「運命」「宿命」といった偶然に思える出来事も含め、「現実のいまを作り出しているのは、自分の心の中に芽生えた感情」ということを自覚するのが大切です。

 

<血液の中に潜むもの>

血液には使命や本脳がインプットされている

・風呂敷おじちゃまがおっしゃるには、その「本能」と、今世で与えられた「使命」とが結びついて、身体中を循環しているのが血液だそうです。そして、私たちの今世で、「役どころ」を明確にしたのが血液型とのことです。

 

 

 

日月神示のサバイバルガイド&ナビゲーション』

   大石憲旺 × 中矢伸一 × 高島康司

ヒカルランド     2011/6/30

 

 

 

<世界のひな型日本人が発信する第1のメッセージは、包みこみではないか>

・(大石)宇宙が大変化する2015年までは、さらなる激動が来るという。まだまだ序の口だと。今回の震災で日本人の意識が変わりつつある。機能不全のピラミッド型構造から逆T字型へ。縦から横へ。このひな型を、どう日本が見せられるのか。

 

・(中矢)「原爆にも水爆にもびくともしない体になれる」「日本は日本で食べていけるぞ」「恐れは恐れを生むぞ」「どこにいても助けるものは助ける」。意識レベルで見た場合、ただ単に我が身かわいさで逃げるだけでは、淘汰されてしまうのかもしれない。

 

・(高島)自分で判断して行動しなければ、生き延びられない。多くの日本人がそう気づいたから、「あんたにおまかせメンタリティ」は打ち破られていくだろう。あきらめない!しぶとく生きる!!自立していく努力を放棄しては、次の世の中は切り開けない。

 

・今回の大地震、大津波が人工的なものではないか?こういう話が私のところにもずいぶん舞い込んで来ています。ベンジャミン・フルフォードさんや中丸薫さんが言っていたような闇の世界権力というものが本当に存在するか、どうか。私には「そんなバカなことが?」と思うのですが、聖書の暗号からもまた、そのようなものが存在するというかなりの多くのデータが検出されていますので、あるいは存在するのかもしれません。

 

日月神示では、イシヤがそれに当たるようだと中矢伸一さんが言っています。「イシヤこそフリーメーソンの頭脳部分であり、イルミナティのことである」と。

 

・ちょっと申し訳ありませんが、私はこの本をぱっと見るなり大きな違和感を抱きました(とはいえ、興味深いことがたくさん書かれています)。それはどこかと言うと、イルミナティは本来は光の組織であり、ユダヤ・キリスト・イスラムの三大宗教の奴隷となった人たちを救出することを使命としているというようなことが書かれているからです。私は、宗教には何の関心もないし、聖書そのものも読んだことがない。関心がほとんどないのですが、それでもこの本をリークしたイルミナティの組織が長年にわたって、この三大宗教の神をサタンと決め付け、三大宗教のサタン殲滅を画策してきたということを読んで、少しショックを受けました。

 

・先ほどのイルミナティのMJ12の人たちも自らグノーシスの流れを汲んでいると言っています。それで、この『タリズマン』を読むと、キリスト教の教会をサタンとみなして、抵抗運動を展開した人たちの試みは、一時的には人々に解放をもたらした局面もあったのですが、最終的にはことごとく完膚なきまでの弾圧に遭い、ぺしゃんこにされてしまうのです。

 ハンコックさんは、これらグノーシスの人たちを「光の存在」と捉えて、光が強くなるとその光の部分へは闇からの攻撃が一段と強まる。そういう光と闇の戦いが何度も繰り返されてきた歴史的過程をものすごく豊富なデータで明らかにしています。

 

・では、日月神示では、どんなことを言っているでしょうか?

 私たちは、2千年、3千年もの長い間、間違い続けてきたと言っているのです。どんな間違いを私たちは犯してきたというのでしょうか?

それは悪がなくなれば良い世の中が来るように思って、悪を殺して、排除しようとしてきたことだと、日月神示では言うのです。

 そして、同じ名の神が2つあると言っています。悪神と善神のことでしょうか。

どのどちらも同じ大神の働きであって、悪神はお役だと言っているのです。

 このことは実はイルミナティのMJ12の人もわかっている節があって、ルシファーとサタンは兄と弟だと言っています。聖書とかユダヤカバラでも悪神と善神は同根だと捉えている個所があるようです。

 

・しかし、日月神示と決定的に違っているのは、そうした構造自体にどう対処したらよいかということが聖書などではまったくと言ってよいほど提示されていないと思えることです。これが提示されているのは、私が知り限り日月神示だけです。あと、私の「包みこみの原理」や大本、紅卍字の考え方も近いでしょう。これよりほかは、寡聞にして知りません。

 

悪神のことを悪く言うのは、善神の悪口を言うよりももっと悪いことだと、日月神示は述べています。神示で言う悪いことをまったくそのまま実践してきたのが、グノーシスの流れであり、イルミナティのMJ12の方々なのではないでしょうか。『タリズマン』で詳細に検証されているように、このような行為の結果は、火を見るよりもあきらかだと思います。

 

・では、こうした構造、世の中の仕組みに対処するのにはどうしたらよいでしょうか?日月神示を読まれてきた方は、すでにご存じのことと思います。仏教の神も、キリスト教の神も、アラーの神もともに祀りなさい。祀り合わせなさい。こう言ってるのです。善と悪と抱き合わせて進みなさいと、こう言ってるのです。これが正しい対処の仕方だと私も思います。

 これを今すぐ三大宗教の方々にわかってほしいと言うのは、もしかしたらむつかしいかもしれません。しかし、世の中の構造がこうだから、こう対処しましょうというメッセージをだれかが発信していかないと、これからの世の中は先々行き詰るようになりそうです。

 

確かに政治家がおかしい。官僚もともに国の経営がまったく出来ていない。東電も破廉恥なまでに無責任だったことが明らかになりました。大きな犠牲と損失をこうむりましたが、日本国のこうした、あきれた無能構造があぶりだされてきたことは、むしろ朗報のように思います。日月神示的な見方からすれば、国が悪い、東電が悪い、闇の権力が悪いと言っても事態はさらに悪くなるだけでしょう。

 

もう頼るものは、自分たちの地域ごとの自発的なネットワークしかないという本書の結論も、それなりにかえってすがすがしいように思います。

 

地震サイクル論では、2020~2025ごろまで、この地震の最多期は続いていきます!>

<これから国家が滅びる時代がやってきます—―自立した地域同士のネットワークの時代になるのです!>

<予言で3・11日本クライシスを的中させたサイキックな人たちは、世界に5人います!>

・(中矢);まず霊能者の松原さん。「幸福への近道」というサイトです。私は、知らなかったんですけど。

 

・(高島)僕は2月20日前後にあれを読んだ覚えがありますから。何が書いてあったかというと、中国がどうのかと、いろいろ書いてある中で、「陸前高田という声が聞こえる。陸善高田ってどこにあるのだろうと思って地図をさらってみたら、ここにあった。あれ、おかしい。釜石が真っ赤に見える。あれ、何だ、嫌だ、これは。関東も揺れる。埼玉も揺れる。東京も揺れる。神奈川も揺れる。あらゆるところが揺れる。ここまで揺れるところが大きいと感ずると、私の読む能力がおかしくなってきているんではないかなと私は最近思った」と書いてある。それを見てて、「陸前高田、へえ、どこにあるんだろう」と思ったんです。地図で調べてみたら、東北にあって、「えー、東北か」と思ったのを覚えていたんですね。僕が呼んだのが2月20日前後だと思います。

 

(中矢)この人、何者なんですかね、霊能者って。

 

(高島)この人は食品会社の事務員さんで、ちなみに、ちょっと僕の解釈も入りますけど、不思議な世界の人々が遊びに来るというんですね。家をトントンとノックして、「入っていい?」と言って、自分の部屋まで入ってきて、ベッドサイドに座っておしゃべりしてくれるというんです。いろんなおじさんがいて、風呂敷おじさんとか、何とかおじさんとか名前をつけて呼んでいる。要するに松原さんにとっては彼らが特別の存在と思えない、目の前にいるお友達だと。

(中矢)何だろう、霊的な存在ですね。

(大石)霊人ですよ。そういう霊人から霊示があるんですよ。

 

<シャーマンの世界、Θ(シータ)波の脳波で見る世界に未来の鍵が眠っているかもしれない!>

・(高島);シャーマンの世界というのは、実は脳の違った周波数の世界だと。Θ波という弱いゆっくりとした脳波が出ている世界で、このΘ波を出すことに成功すると、違った次元の世界とアクセス可能になる。それが、シャーマンの世界であるというのです。

 

どうも見ていると松原さんの体験していらっしゃる、いろんなお友達というのは、シャーマンが見ている生き物でしょうね。彼のワークショップに参加するとシャーマンの技法を習う。そうすると、どんな人間でもΘ波をだせるようになって、あちら側の世界というか、見えない世界に行くわけですよ。

 

 

 

『宇宙からの大予言』

迫り来る今世紀最大の恐怖にそなえよ

松原照子   現代書林  1987年1/10

 

 

 

予言者誕生の物語

・私は、いつもいろいろなことを見ようとして暮らしているわけではありません。ただ人に質問されると、テレビのスイッチを入れたように、目の前に画像が映し出されます。テレビや映画のように映るのですから、私にとっては別段大変なことではありません。

 

・私自身、信じきれないところがありますが、私の不思議はまだまだ続きます。私が触ると病気が治るという人が増え、また不思議と良くなる方々が増え始めています。

 

・それに、眠る前にいろんな方が私を訪ねて来て、この世の不思議を教えて帰ります。そして、その人々が私に「今回のことは発表しなさい」と、ささやくのです。

 

<ささやく人々の訪問>

<ブルーグレーのおばあちゃん>

・「あなたはだれ?」

1982年春のことです。いつものように本を読み、眠ろうとした朝の4時ごろです。ベッドの横に、ロシア系の老婆が立っていました。「おばけ」とよく出会う私は、また「おばけ」かと気にもとめず、眠ろうとしたのですが、老婆はいつまでも私を凝視し続けています。ほほはたるみ老婆の顔ですが、グレーの中にブルーが光るその目は、若々しく燃え、けっして老いた人の目ではありません。

 

<黒い法衣の僧侶>

・ブルーグレーのおばあちゃんと黒い法衣の僧侶は、たびたび現れますが、いつも決まって5時の鐘音の前に姿を消します。私の5時消灯の習慣も、この二人の時間割に準じてのものなのです。

 

・いつもはやさしいブルーグレーのおばあちゃんが、怒り顔です。後ろの方々の中に、私は、初めて見る口ひげと顎ひげのある50歳ぐらいのやせた西洋人を見出し、その方に救いを求めました。

 

出会い、不思議な世界

・私は、ブルーグレーのおばあちゃんが率いる皆様に見せられたこと、聞かされたことを『恐怖の大予言』と称する小冊子にまとめ、自費出版しました。1985年10月のことです。

 

・私の会う“おばけ“の方々は、我々と同じように足もあり、ごく普通に歩きます。その姿は、50年ぐらい前までのファッションで江戸時代や戦国時代のいでたちではありません。

 

夜、帰宅途中に"おばけ"に会うと、私は、つい、「こんばんは」と、話しかけてしまいます。

 すると、その方々は、私と一緒に歩き出し、我が家へ一緒に入ろうとするのですが、「南無阿弥陀仏」と合掌すると、私のことを気にしていないという素振りで帰っていきます。

 

<ささやく人々の正体>

・その方の話によると、ブルーグレーのおばあちゃんは、ブラヴァツキー夫人といって近世に神智学を復興した初代会長、ひげの西洋人はクート・フーミ大師だそうです。彼らは、数千年も古くから密かに伝えられてきた神智学に関係のある人たちでした。

 

・そして、“地球コントロールセンター”とは、彼らのいるシャンバラであって、ここに地球のそれこそすべてを支配している超人(アデプト)の方々がおられ、ブッダもキリストも、そこから来られたのだというのです。正体を知ったあとも、私は、あの方々に会い続けています。

 

 

 

『幸福への近道』

松原照子   主婦と生活社      2011/7/8

 

 

 

<不思議な世界の人々>

・私だけが今は、お会いできている不思議な世界の皆様方のお話をいたしましょう。

 何故そうなのかを知ろうとしても分からない事柄の事を「不思議」と人々はいいます。

 私が体験している世界はまさに、皆様には不思議な事だらけです。

 

・私が体験するお話をさせていただくと皆様が不思議に思われる世界は、私にとって不思議でも何でもない世界なのですが、皆様にこの世界のお話をすると、不思議そうなお顔をされるので、4つの頃からか不思議な世界と呼ぶようになったのです。

 

・不思議な世界の皆様方と、いつ出会えたのかと改めて考えてみますと、モアッと霧がかかった遥か彼方の記憶の中に、ぼんやりと産まれた瞬間にご挨拶した感覚と抱き上げられた感触までもが残ります。「見守られていたのだ」こんな思いがして、心が清らかになり、心もどことなく温かくなりました。

 

<願いのかなえ方>

・悩む時は、自分の心を一つにする事から始めないと良い答えも良い流れも作れません。その良い流れをつける方法は、朝4時に正座し、両手の指が互い違いになるように組み、今、悩んでいる事について、次のような順番で心の中で考えてください。

 

1、 まず自分が誰であるのかを名乗る事

2、 悩みが起きた理由

3、 叶わぬ事でも答えを出す事

 

・誰の中にも不思議な世界の力を借りられる力が潜んでいます。自分がどれぐらいその不思議な力を借りられるのか、その範囲を知ることが、自分の願いをかなえるための最短距離になります。

 

・自分の目的に一日も早く近づきたいと思うのでしたら、4時に起き、この動きを毎日することは、難しくないはずです。わざわざ4時に起きる、そんなこともできない悩みは私にして思えば、大した事のない悩みに思えます。

 

・不思議な世界の人々は、あなたの思い出の中から不思議な力を作る事ができると言われます。

 

・我々の住むこの世の動きは5時から始まります。4時から5時という時間が不思議の世界の門が開放される時間帯で、私達の思いを聴いてもらえる時間なのです。その思いが清らかな願いなら、パワーと時には奇跡を呼ぶこともでき、あなたの願いはかなうのです。

 

 

 

『幸福への近道』

松原照子   主婦と生活社    2011/7/8

 

 

 

<さまざまな不思議な世界の人たち>

・ブルーグレーのおばあちゃま以外に不思議な世界からお起こしになられるのが、ゴットンおじちゃま、スワニーおばちゃま、風呂敷おじさん、れい子おじちゃま、中国四千年のおじちゃまと個性豊かな人達です。

 

・不思議の世界の皆様が、こちらの世界におられたときには、どんな生活をされ、何と呼ばれていたのか、といったことに私が興味をもったことは全くありません。

 

 なぜなら、どの方も、話されることの内容の素晴らしさもそうですが、話される言葉の一語一語に愛があり、私には天使様のように思えて仕方がないのです。

 

・いついかなるときにでもこれらの天使様たちがいて自分達の幸福作りのお手伝いをしてくれている、と私は信じています。

 

<そして現在>

・私は、現在もお仕事をさせていただいている株式会社サミーの杉本社長のお心をいただき、この見える、聞こえる、を大切にしていただいたおかげで、早稲田大学の先生や東京農大の先生方と研究所を開設していただきました。

 

・この研究所はいつも明るく、お酒大好きの私を楽しくしてくれる場所でもありました。

 

・株式会社サミーにお世話になってからの25年間は、本当に心穏やかな時を刻めました。

 まさか、次なる動きが私に起きる事も分からず、いつもと同じ気持ちで、3月11日まで、過ごしていたのです。

 

 

 

『幸せを導く未来の暦』

世見者 松原照子    宝島社   2011/10/20

 

 

 

<松原照子の不思議な世界>

<中国4千年のおじちゃまの話>

<中国4千年のおじちゃまが教えてくれました>

・ここは我が家のリビング兼台所。朝一番にいただくコーヒーは聴き慣れたモーツァルトの曲と合体して、格別の味がします。そのときです。衣擦れの音とともに、紫色と紺色を交ぜ合わせた光沢のある布地に鳳凰と家紋に似た柄を金糸で刺繍した時代を感じさせる衣装でお越しになられたのは、中国4千年のおじちゃまでした。

 

・今日はなかなかイイ男です。もしかすると、モスグリーンの衿が顔を引き立たせているのかもしれません。「テル、この間の続きを始めますかなァ」目の前のおじちゃまは今日も朝から元気印全開です(午前8時23分)

 

・私は、「地球のシナリオ」というタイトルで、これからの中国を中心に繰り広げられる「経済世界」を「中国4千年のおじちゃま」に教えていただいていました。地球は間違いなく変化を始めています。

 

・私は、この「経済」が一番興味深く、教えていただくのが楽しくて仕方がありませんが、「世界経済」なんていままで縁遠いだけに、皆様にご理解いただける文が書けるか心配ですが。子供のころから不思議の世界の皆様は「テル」と呼んでくれています。

 

地震に関しては10年は気を緩められません

・一番上からいきますと相馬の太平洋上から三国岳まで、上から2番目は、福島第二から柏崎。3番目がいわきから駒ケ岳。次は鹿島から斜めに千葉の少し下の蘇我から横須賀を通り、相模湾から石廊崎を突き抜けて、私の地図の先まで、いまの所、この線上が気になっています。

 

・そして、次の線は銚子の先の太平洋から房総半島を横切り、大島を突き抜けて伊豆半島の先の海上に向かう線。もうひとつの線が気になるのですが、御宿から相模湾の沖ノ山の下あたりまで、線は書かれていて、この線と先ほどの銚子からの線が交わるのが館山湾。上のほうにも斜めの線を見つけ、よくよく見ると熱塩(熱海か?)と書かれた先は山形に少しかかり、その線の逆の先は会津朝日山です。

 

・「宇都宮の前原に線を引いてみてください。右先は太平洋、左先は長野県の長門の下あたりになります」そう聞こえた。線はすでに引かれていた。それとこの地図を手にしたころから、一番気になっていたのが、下妻から富士までを引いた線です。下妻の先は太平洋で私の地図の端まで続き、富士は遠州灘です。

 

・3月11日からの1年は特に注意が必要です。私の心の中ではこれから10年は、気を緩めたくありません。

 

(インターネット情報)

ウィキペディアWikipedia(フリー百科事典)から

クートフーミ(Kuthumi)とは、ヘレナ・P・ブラヴァツキーにはじまる近代神智学の教義で、信奉者たちを導く「古代の知恵の大師」(Masters of the Ancient Wisdom)の一人とされる。彼はオカルティズムの概念である「7つの光線」(Seven Rays)のうち、第二光線を司ると見なされている[1] 。彼の名はKoot HoomiやMaster K.H.とも表記され、マハートマー(「偉大なる魂」の意)としても知られる。近代神智学の教えでは、クートフーミは人類の高レベルな意識への進化を監督するスピリチュアル・ハイアラーキー(Spiritual Hierarchy)、グレート・ホワイト・ブラザーフッドのメンバーであるとされる。日本語では「クツミ」「クスミ」とも表記する。

ヘレナ・ペトロヴナ・ブラヴァツキー (Helena Petrovna Blavatsky)、1831年8月12日 – 1891年5月8日) は、近代神智学を創唱した人物で、神智学協会の設立者のひとりである。

著書の訳書はH・P・ブラヴァツキーかヘレナ・P・ブラヴァツキーとして出ている。通称ブラヴァツキー夫人。ブラバッキーと誤記されることもある。ドイツ/ロシア系で、ロシア語でのフルネームはエレーナ・ペトローヴナ・ブラヴァーツカヤ (Елена Петровна Блаватская, Eelena Petrovna Blavatskaya) である(ブラヴァーツカヤはブラヴァーツキーの女性形)。旧姓フォン・ハーン (von Hahn)。

 

 

 

姫神の本』  聖なるヒメと巫女の霊力

  学研マーケティング   2007/8

 

 

 

中山みき  天理教教祖>

世界創造神の憑依により「陽気ぐらし」の理想を説く

・天保9年(1838)、中山みきは長男・秀司の足の痛みを治すために、修験者の中野市兵衛を招いた。だが、加持台役が不在だったため、みずから加持台となって御幣を手にし、寄加持をしているうちに、神憑りとなった。「我は天の将軍である。元の神・実の神である。この屋敷(中山家)に因縁あり。このたび世界一列をたすけるために天降った。みきを神の社に貰い受けたい」

ふだんのみきとはまったく異なる、神々しい威厳に満ちた声であったという。

 

また、みきに入り込んだ神は、世界の創造神で人類を守護しているとされ、親神(天理王命(てんりおうのみこと))と称される。

 

・以後、みきは家財などを貧窮者にどんどんほどこしたため、中山家は世間的には没落の一途をたどり、資産はほとんど底をついた、みきは狐に憑かれておかしくなったとみられていたほどである。しかし61歳の時に、「帯屋許し」と呼ばれる、お産に関する呪術的な安産の助けを行ったのを手はじめに、安産と病気治しの生き神として評判になった。

 

・慶応3年(1867)、側近らによって、神祇管領の吉田家から布教の免許を受けたが、明治維新後は正式に認可されるまで、明治政府により邪教として扱われ、前後18回も検挙されるなど、弾圧をこうむった。みきは高齢であったにもかかわらず、警察で虐待や拷問を受けたが、彼らを非難することは一度もなかったという。

 

・晩年は、親神の啓示とされる『みかぐらうた』『おふでさき』などを著し、人間世界の創造を説いた神話『こふき』(泥海古記)をまとめ、中山家の土地の一点を、親神が鎮まる「ぢば」(世界人類の発祥の地とされる)と定め、そこに人類救済のシンボルである「かんろだい」の建設を計画した。

 

出口なお  大本教開祖>

<世界の立替え立直しを啓示した膨大な「お筆先」を残す>

出口なおが、明治25年(1892)旧正月5日、京都府綾部の自宅で突然、激しい帰神状態となって発した神示(「初発の筆先」)のはじめである。艮の金神国常立尊)がなおに神憑り、世界の「立替え立直し」と、理想世界の実現を啓示した宣言というべきものであり、これによって大本教がはじまった。

 この年の元旦の夜から前兆はあった。霊夢が毎夜続いていた。初発の神示が降りてからは、昼夜を分かたず帰神状態となり、13日間、食事をとることもできなかった。

 

明治26年、綾部で原因不明の火事が相次いだ。おりもおり、なおは神憑って、「今のうちに改心いたさねば、どこに飛び火がいたそうも知れんぞよ」と大声で叫んでいた。そのため、放火の疑いをかけられ、警察署に留置されて、40日も座敷牢に閉じ込められてしまったのである。

 

大本教が国家に弾圧されたのは、なおの昇天後である>

・すると艮の金神は、「なおよ、筆で書かすから、筆をとれ」と伝えた。なおは困惑した。文字を書けなかったからだ。しかし艮の金神は、「お前が書くのではない。神が書かすのである」と言う。なおはなにかを書きたい衝動にかられた。そして、座敷牢の床に落ちていた古釘を手にすると、その柱に文字を書きつけていたのである。

 

・そのうちに放火犯が逮捕され、疑いが晴れたなおは、出牢後、堰を切ったようにお筆先をはじめるのである。以後、神の言葉が原則として文字によって伝達されることになり、半紙で5万枚以上といわれる膨大なお筆先は、後年、娘婿の出口王仁三郎によってまとめられ、『大本神論』として発表された。

 

 

自分の命を差し上げる――。中国で「神手張(神の手を持つ張)」「気功大師(気功大先生)」の異名をたてまつられた気功師・張永祥会長は、その覚悟で患者さんに気を与える。(1)

 

『決定版! 気功の達人』

「気の世界」を極めた14人      

現代書林特別取材班 現代書林   2015/1/15

 

 

 

帯津良一 先生 医学博士 日本ホリスティック医学協会会長

東京大学付属病院第3外科医局長、都立駒込病院外科医長などを歴任。1982年、帯津三敬病院を設立し院長となる。

 

・西洋医学をはじめ伝統医学・民間療法等を結合させた、患者自身の自然治癒力を高める理想的な医療「ホリスティック医学」の確立を目指している。

 

<医療気功の32年>

気功との出会い――清新の気に触れて

・気功を初めて目の当たりにしたのは1980年の9月、北京の肺がん研究所の中庭でのことであった。当時の北京には文化大革命の大波が去って清新の気が充ち溢れていた。肺がん研究所も例外ではない。いや殊更に、といったほうがよいかもしれない。だから私の場合、気功という言葉を耳にし思い浮かべるだけで、いつも清新の気が蘇ってくるのである。気功が好きでたまらない理由はどうもここにあるような気がしている。

 

統合医学における気の役割

代替療法の台頭から統合医学へと向かう世界の潮流は最早、抗い難いものとなってきた。リチャード・ガーバーが「バイブレーショナル・メディスン」(日本教文社)の中で言うように、人間が「身体/細胞系」と「エネルギー場」とから成るとすれば、身体/細胞系に注目するのが西洋医学で、エネルギー場に注目するのが代替療法という図式が成り立つ。

 20世紀、西洋医学は身体/細胞系を対象に一大体系医学を築いた。ひるがえって21世紀はエネルギー場を対象にするエネルギー医学の時代である。エネルギー医学の台頭があるレベルに達すれば西洋医学と結びついて統合医学の時代を迎えるのは当然の帰結である。

 西洋医学以外の療法はすべて代替医療でありエネルギー医学であるから、気功も当然、代替療法でありエネルギー医学である。

 

私が病院を開いた頃は気をいささかいかがわしいものとして斥ける人も決して珍しくはなかった。気を口にするのがはばかれる場面も多々あった。それにくらべて今はどうだろう。ほとんどの人々が気の存在を予感している。気を口にしてはばかれるということもなくなった。時代は確実に動いているのである。

 

帯津三敬院における気功の実際

・そして追風となったのが安保徹教授(新潟大学)の「副交感神経が優位になるとリンパ球が増えて免疫のはたらきが高まる」という研究成果である。気功によって副交感神経が優位になるというのはすでに周知の事実である。

 

21世紀の養生と健康

・身体/細胞系とエネルギー場、人間に2つの要素がある以上、病にも2つの種類があるということになる。身体/細胞系の病に対する西洋医学の基本概念は病因論(パソジェネシス)である。機械の修理のように病気の原因を明らかにして、これを治していくのである。エネルギー場の病に対する代替療法の基本概念は健康生成論(サルートジェネシス)である。エネルギーの向上の停滞を癒して、向上の回復をはかるのである。

 

気は虚空に偏在し、私たちに宿る

・気の存在はまだ実証されていないとはいえ、いずれ物質かエネルギーか、あるいは情報のようなものとして発見されることは間違いないだろう。今は、それぞれの立場で、気を予感しイメージして生活の中で役立て、養生を果す一助としていけばよいのではないだろうか。

 私は今のところ、気はエネルギー場の重要な構成要素の一つだろうとイメージしている。

 

生きる志をもって気功に親しんでもらいたい

・お手本はイギリスのスピリチュアル・ヒーラーである。NFSH(英国スピリチュアル・ヒーラーズ協会)に属するヒーラーはいつも「行動規範」なる小冊子を携帯している。そこには診断めいた言動を弄してはいけないとか、予後に言及してはいけないとか遵守すべき事項が列記されている。違反すれば除名される。少なくとも私の知り合いのヒーラーたちは例外なく、誇りと謙虚さを兼ね備えている。だから社会的に認知されるのは、むべなるかなと思うし、健康保険の対象になっているに至ってはまさに驚きである。大いに見習うべし。

 

・そして読者の皆さんには、生を明きらめ美しい地球を取り戻すために、一人でも多くの人に気功に親しんでもらいたいと思う。それも決して功をあせることなく、丁度ウィスキーを熟成させるかのようにゆっくりと時間をかけて付き合っていただきたい。

 

張永祥 先生  全日本気功師会会長

科学的に実証された独自の気功能力で、内なる「生命の法則」を賦活する

自分の命を差し上げる――。中国で「神手張(神の手を持つ張)」「気功大師(気功大先生)」の異名をたてまつられた気功師・張永祥会長は、その覚悟で患者さんに気を与える。圧倒的な気功能力によって「生命の法則」が働きだす時、人はそれを“奇跡”と呼ぶ。

 

<日本初の「中国気功専門医」として、日本医科大学で施術に当たる>

・張先生は1986年、日中友好協会を通して故田中角栄元総理の施術のために来日された。2カ月間の滞在を予定していたが、政府などの理解が得られず、施術は断念せざるを得なかった。

 

日本医科大学もその一つだ。同大学でデモンストレーションを行った結果、同大学医学第一附属病院で「中国気功専門医」として気功施術を行なうと同時に、研究員として勤務することになる。

日本の病院で、『中国気功専門医』の肩書で施術を行なったのは、おそらく私が最初でしょうね。日本医科大学で中国気功専門医として働くことになる時、“試験”のようなものがあったんですよ

 

胃と肝臓に転移した末期の子宮がん

・最初は毎日、施術を行う。体調が安定して体重が44㎏になったところで、週に1回の施術になる。その時点で病院の検査を受けたところ、がんの病巣は確認できなくなっていた。

 この結果に驚いたS病院の医師は、新たに5人の末期がん患者さんを送り込んできた。この5人は抗がん剤の副作用で常に気分が悪かったが、その副作用も施術で改善している。

 

椎間板ヘルニアによる坐骨神経痛

・この患者さんは、乗馬学校の校長先生。腰椎椎間板ヘルニアによる坐骨神経痛だったが、乗馬仲間の口コミで来院している。

 

・手術の前に、施術を受けてみることにしたと思われた。1回の施術で痛みはなくなり、来院時に乗っていた車椅子は使わず、スタスタと歩いて帰っている。

 その後、病院でレントゲン撮影をしたところ、突出していたヘルニアは元にもどっていた。それを知り、整形外科手術で同じ部屋に入院していた患者さんたちは、先生の許にやってきている。

 

遠隔療術でも、大きな成果が報告されている

・「家族に受けさせたいけど、容態が悪くて移動が困難だ。東京まで行けない」そうした方のために、張先生は遠隔療術も行っている。東京にまで出向かなくてと、自宅で医療臨床気功を受けられるのである。

 

末期の前立腺がん

・先生が遠隔療術を行った結果、そこをピークにPSA値はどんどん落ちる。4カ月後には健康状態もかなり回復。体重も10㎏ほど増え、健康時とほぼ同じになる。ALPとPSA値も、もう少しで正常値に達するようになり、スポーツクラブの仲間たちと合宿に参加するようにもなっている。

 

統合失調症

・そこで、先生は遠隔療術を試みる。ただし、通常の法方とは違ってまず気を母親に送り、その母親の手から彼女に与えるようにした。

 施術を始めてわずか1週間で、彼女は部屋のドアを締め切りにしなくなる。母親と会話もするようになり、トイレもきちんと流すようになっている。

 

ストレスによる肩こりと不眠症

・この患者さんは長野県の歯科医。ストレスで肩こりと不眠がひどく、睡眠薬を使って夜中の3時頃にようやく眠りにつく生活だった。30年にもわたり、そんな生活が続いていた。

 遠隔療術の依頼主は奥さんで、ご主人には内緒だった。ご主人は、気功をまったく信じないタイプ。

 

・「11時に気を送るから、ご主人の様子を見ていてください

 約束どおり、11時に、先生は東京から長野県のご主人に気を送る。すると、次の日の朝、奥さんから喜びの電話が入る。

「その日に限って夜の11時にあくびをし、そのままソファでうとうとし始めたんです。結局、朝6時までそこで寝ていました」

 

寝たきりの義父が、遠隔療術で見事に回復

・2013年3月、静岡にいる義父(74歳)に前立腺がんが発見されました。抗がん剤放射線治療を受けましたが、副作用のために治療の翌日から股関節が動かなくなり、寝たきり状態になってしまったのです。

 

・気功での治療を目指して会社を辞め、張先生の気功師養成学校で修練を重ねました。先生に義父の話をすると、「同じ五臓六腑がある人間なのだから、想いがあればあなたにもできる」と先生から遠隔療術を勧められたのです。

 

遠隔を開始して2週間後、義父は突然起き上がり、1週間後には歩行が可能になり、その翌週には散歩に出るようにもなりました。

 

・実は、気功師になると決めた時、義母は大反対でした。その義母が義父の回復ぶりを見て驚き、「お父さんが元気になった。気功をやってくれてありがとう」と感謝してくれました。

 

<気功養成学校で秘伝の気功を公開。世界平和のために気功の普及に尽力する>

・2000年には「気功師養成学校」を設立している。

 

張先生は、「神手張」と呼ばれるほどの能力の持ち主だ。普通の人間でも、気功を学べば気功師になれるのか……。これがその疑問だ。

気の能力とは命の能力です。気功とは生命の法則そのものです。だから、気を出す能力は誰にでもあり、誰でも気功師になれます

 

・これまでに同校から400名以上の気功師が巣立ち、全国の施術院や気功教室などで活躍している。その卒業生のために「全日本気功師会」を発足させ、その会長を務めている。

 

『前徳芳江 先生』 中国長寿気功聖体院院長

現代病の症状を独自の“気功整体”で改善。現代人の健康と美容を追求する!

中国5千年の歴史が育んだ気功治療。人々の病を癒し、不調を解消してきた伝統を受け継ぐ女性気功師が来日、気功整体で20年以上実績を積み重ねている。その実力と人々の健康を願う熱い心、明るい笑顔で、地域の人々に慕われている。

 

病院で治らない症状や難病を改善。日本の気功治療のパイオニア

・「20年前の日本では、気功治療を知っている人はほとんどいませんでした。でも、気功治療すると、肩こりやリウマチ、ムチウチなど病院で治らない症状が改善され、口コミで遠方から難病の患者さんも来るようになったのです。例えば、ヘルニアで苦しんで学校にも通えない14歳の男の子がいました。半年間、どの病院に行っても治らなかったそうです」

 

・「昨年は、がんで余命3カ月と病院で診断された50代の女性が来ました。放射線治療で食事もあまり取れない状態でした」

 

日本では今も気功治療を胡散臭く感じる雰囲気が残っているが、中国5千年の歴史の中で多くの人々の症状を改善してきたからこそ受け継がれてきた、という事実を無視することはできないのではないか。

 

上海で、鍼、気功、太極拳を学び、治療家として活躍

・前徳先生が治療家を目指したのは、幼い頃に父親のぜんそくの発作を治してくれた中医学の医師を見て、尊敬の念を抱いたからだったという。父親の発作のたびに駆けつけて鍼一本で発作を治してしまう姿を見て、自分も病気で困っている人を治してあげたいと思ったのだ。

 ちなみに、中国では今でも伝統的な中医学が主流で、西洋医学は補完的医療であるが、半世紀前の当時はその傾向がもっと強かったそうだ。

 

・その後、中国中医学院で気功の大家である王渭康老師や劉文清老師に奥義を授けられ、気功の達人としての地位を築いていったのだ。そのほか太極拳や中国の伝統的な按摩・整体術である推拿(すいな)をマスターするなど、鍼以外に手を使って体を治す技術を身に付けていったという。

気功では体から悪い気(邪気)を出して、良い気(正気)を入れますが、気を出し入れする場所は鍼のツボと一緒なので、鍼と一緒に気を入れることができます。気功太極拳も考えるなど、気功を施術に生かしました

 

・「小額矯正」「アロママッサージ」「山野愛子どろんこ美容」などの施術も単独で行うようになった。「アロママッサージ」や「山野愛子どろんこ美容」はプロ向け講習会を受けて業界資格を取得。「小額矯正」は前徳先生のオリジナル整体だ。

 

気功のために自然と触れ合い、毎日パワーアップ!

・「毎日、筋トレと気功を欠かしません。整体をするのは筋肉が必要だし、人に気功をするためには、自分の体の邪気を捨て、正気にあふれているようにしないといけませんから。毎朝、多摩川の栗の木の下で気功や太極拳、座禅をします。邪気を出して、樹木から出る正気を吸い込むとパワーアップするのがわかります

 

・“病気の人を治してあげたい”という子どもの頃の気持ちを忘れずに、精進を重ねてきた前徳先生。病院で治らなかった難病の症状も、ダイエットや美肌など美容の相談も、患者の悩みに真剣に取り組んでくれるという安心感がある。

 

『北沢勇人 先生』 天啓気療院院長

天啓で授かった手かざしの気療・ゴッドハンドパワー。そのエネルギーは、病名を選ばず、心身を癒す

・強烈なクンダリーニ体験――。その天啓は、手かざしのパワーを授け、一級建築士を気療家に導く、天啓で授かった癒しの能力は病名と症状を選ばない。人間のコントロールセンターである頭部に流れ込むエネルギーは精神と肉体を癒し、臓器へのエネルギーは患部を癒す。

 

<スピリチュアル。ヒーリングとして、欧米では手かざし療法が注目されている>

・「私の天啓気療は、いわゆる手かざしといわれるものです。手かざしというと、あまり信用されません。「手をかざして病気が改善されるなど、信用できない」と思っている人が少なくありません

 確かに、手をかざすことで病気が改善されるとは、にわかには信じがたいかもしれない。

 しかし、欧米では「スピリチュアル・ヒーリング」といい、手かざしによる療法は注目されている。とくに量子物理学の学者などには、スピリチュアル・ヒーリングに大いに関心を抱く人も多い。

 また、手かざしというと宗教を感じる人もいるだろう。実際、日本にはそうした宗教もある。

 

・「医師から紹介状を書いてもらってくる患者さんもいます。私は瞑想会も開いています。その瞑想会には医師も参加していて、『西洋医学では手がない。世の中にはいろいろな療法があるから、探してごらん』と紹介状を書いてくれるのです」

 

<呼吸法や瞑想を続けて10年、不思議な体験で「天啓気療」の能力を授かる>

・ある日、夜遅くに寝ようとして寝床につき、電灯を消して数分後にその“体験”が訪れる。

「目を閉じた状態でありながら、驚くほど強く光り輝く光を見たり、その強力な光が身体めがけて一気に入ってきたように感じたり、身体全体がその光に完全に包まれたようになったのです」

 

・その後、身体の力を抜き、心を落ち着かせてリラックスすると、身体内部と外部から、頻繁に不思議な音や声が聞こえるようにもなる。さらにその後、身体から意識が抜け出て、2人分の意識を持っているようにもなる。

身体から抜け出たと思われる意識のほうはさまざまな建物、山、川、海などの景色がキラキラと光り輝いている状態を見たりします。身体に残ったと思われる一方の意識のほうは、横になって寝ている自分や瞑想中の自分を見たり、感じたりもしていました

 当初、先生は自分がおかしくなったのかと疑いを持たずにいられなかったという。

 

・当時、先生は健康補助食品の販売にも携わっていた。不思議な体験後、先生は健康補助食品の説明会に上京する。説明会が終了して喫茶店で休憩を取っていると、まったく面識のない人から声をかけられる。

あなたはチャクラが覚醒し、さらにクンダリーニが上昇していて超能力者になっている。自我などをコントロールできるエネルギーで、病気を改善させたり、心を鎮めたり、落ち着かせたり、変化させたりすることができる身体になっている。やったことあるか?

 そういわれても、当時の先生には、チャクラとかクンダリーニなどの知識はない。この人が何をいっているのか、まったく分からなかったという。

 もちろん、北沢先生にそんな経験はない。しかし、その人から手かざしの方法を教えられ、先生は自分の不思議な能力を知ることになる。

 

・文献を当たり、自分の不思議な体験がチャクラの覚醒体験であること、クンダリーニの上昇体験の手かざしの能力が授かったことを知る

 先生は、手かざしによる自分の施術を「天啓気療」と名づけている。その脳力を、天啓=超常現象体験によって授かったからにほかならない。

 

天啓気療は、手の平からエネルギーを流す

<天啓気療は、病名と症状を選ばない① 脳性小児麻痺など、肉体的なものについて>

  • 脳性小児麻痺

・そして、2回目の施術。「外に出て道路を走りたい」施術が終わると、すぐにその子は言い出す。外に出ると、「先生も見て、見て」と大声で叫ぶ。

 北沢先生が行ってみると、確かに勢い良く走っている。その後は道路脇にある側溝を飛び越えたり、またいだりして見せる。

夢のようだ、いままでは歩いても転んでいたし、走ることなど無理だった

 

  • 脳梗塞の後遺症による右半身麻痺

・その後も施術を行うごとに身体が軽く感じられるようになり、足や腕、指にも力が入るようになる。箸や筆も自由に操れるまでに改善する

 

・1回目の施術で、肩の激しい痛みが軽くなる。回数を重ねるごとに激痛はなくなり、食欲も出る。吐き気もなくなる。現在も、さらなる改善を目指して施術を続けている。

 ここで紹介したケースのほかに、肉体的なさまざまな問題を抱えた患者さんが相談に来院する。たとえば、がん、坐骨神経痛むち打ち症、頭痛と不眠症……。それこそ、ここでは紹介できないほど多岐にわたる。紙幅の関係から、残念だがそれらは割愛させていただく。

 

<天啓気療は、病名と症状を選ばない② うつ病など、精神的なものについて>

・肉体的なものの次に、精神的なものに対する天啓気療のケースをうかがうことにした。

 天啓気療は、うつや引きこもり、対人恐怖症、適応障害パニック障害統合失調症解離性同一性障害(多重人格)といった精神的なものにも実績を上げている。

 

・30代の女性。1回目の施術を実施すると、腕がガタガタと勝手に動き出し、口を大きく開け、「ウォー」と叫び始める。涙が大量に噴き出たかと思うと、そのまま大声を上げて泣き続ける。

肩から背中にかけての痛みがすっかりなくなりました。胸の苦しみもありません」1回目の施術後、こんな感想を漏らす。

 

・4回目の施術後、悩みから解放され、仕事上のトラブルも解決。周囲から、「笑顔が増えたね」ともいわれるようになっている。

「もう大丈夫そうです。これなら安心して生活できそうです」

 5回目の施術を終えた後、喜んで帰宅する。以来、来院はしていない。

 

  • 登校拒否

・この患者さんの母親は、天啓気療で肩こりと頭痛が改善していた。その後で、高校生の娘さんの登校拒否を打ち明けられている。

 

・「だいぶ自信がついてきました。これなら学校に行けるかもしれません」3回目の施術が終わると、こういって喜んで帰っていく。この日の翌日から、その娘さんは学校に行けるようになっている。落ち着いて勉強もできるようになり、成績も上がったという。

 

・この患者さんは30代の女性。引きこもり状態で、就職もできていなかった。

 

・2回目に来院した時は、この前の不安げな表情は影をひそめ、明るい顔つきになっている。その後、来院することがなく、先生は気をもむ。

おかげさまで娘は普通の生活ができるようになり、念願だった就職も、当人の望んでいた介護施設に決まりました

 そんな先生に、父親からメールが届く。この報告に、先生は安堵の胸をなでおろしている。

「精神的な病気などで悩む人を観察すると、一概にはいえませんが、過去に体験した嫌な思い出が引き金になっているようにも感じます。改善には、嫌な思い出体験の解放が必要です」

 

エネルギーに対する感受性により、改善度合いには個人差がある

・「人間は、自然治癒力を持っています。医学や薬、特殊能力などはあくまで補助であって、その人の自然治癒力こそ何かを改善させる根本なのです。天啓気療による改善は、自然治癒力を正常な状態に呼び覚ました結果なのです」

 

・冒頭でも触れたが、欧米では、手かざしはスピリチュアル・ヒーリングとして注目されている。

「イギリスでは、スピリチュアル・ヒーリングは実際に病院でも行なわれています。普通の内科的治療にするかヒーリングにするか、併用療法にするか。基本的に、患者さん自身の選択に任されているそうです。ヒーラーになるための資格試験もあり、医療保険なども適用されると聞いています」

 イギリスでは、ヒーラーによる手かざしは医療行為として市民権を得ているということだ。

 日本がイギリスのようになる日はくるのか。

 

 

 

『シータ・コマンド』

お金も仕事も生きがいも次々実現していく

いま米国で最も注目されているアサラ・ラブジョイ「最新、現実創造法」!!

アサラ・ラブジョイ  VOICE  2011年6月

 

 

 

<「人は脳の15%しか活用していない」>

残りの85%はあなたが思い通りの生活をするために存在しているのです。

 

<あなたを超越する概念>

・深いシータ波に陥り意識を拡大させてこれまで全く知らなかった何かに到達する必要があります。

 

・心を鎮めて脳波をシータ波に切り替えるには意識的にソースへアクセスすることができます。そうすればあらゆる物事を可能にする方法を知ることができるのです。

 

ソース・マインドとつながるためには、脳波をシータ波まで下げる必要があります。私たちが、意識する以前の概念や考えはシータ波状態で生まれるからです。ただし、このプロセスは、無意識のうちに行われています。それゆえ、私は、本書で「意識的にソース・マインドに到達し、自分の望みのものを出現させる」という手法を説いているのです。

 

<自分にとってよいものを瞬時に生み出す>

・自分のソース・マインドに意識的に到達できるようになると、あなたは、より高次の状態から望みのものを瞬時に生み出せるようになります。何の苦労もなく速やかに出現できるようになるのです。

 

<シータ波状態になる>

・脳波とは、脳の内側から表面近くの大脳皮質に情報が伝わる際の、神経細胞のつなぎ目に起こる電気的活動の記録のことです。その波形には次の4種類があり、周波数が速くなるほど、脳の活動が活発になります。

 

1、 ベータ波;周波数13~30ヘルツ。ふだん、私たちが、日常生活をしているときの脳波。

2、 アルファ波;周波数7~13ヘルツ。何かひとつのことに没頭しているときや瞑想をしている時の脳波。

3、 シータ波;周波数4~7ヘルツ。私たちが、眠りに落ちようとする、うとうとしたときの脳波。自分のソース・マインドにつながるときの脳波。

4、 デルタ波;周波数1~4ヘルツ。夢を見ないくらい深い睡眠に入っているときの脳波。

 

・シータ波の状態になるとアルファ波状態に比べてあなたの影響の範囲はさらに拡大します。太陽系や銀河系を含めたこの宇宙内にあるすべての情報の送受信が可能になります。

 

<影響の範囲を拡大するほど良いものが出現しやすくなる>

<思考はあなた自身の現れである>

・思考は現実化します。

 

・日常生活と異なる脳波の状態(シータ波状態)に到達し、異なる意識レベルで思考できれば、望み通りの成果や物事を出現させることができるのです。

 

・シータ波は、あなたが日常生活で用いている不安に満ちたベータ波思考をガラリと変え、穏やかな神の心に導いてくれるのです。

 

<人生であなたに起きていることは、すべてあなたが引き寄せています>

・あなたが考えイメージすることがあなたに引き寄せられてくるのです。

 

・シータ波状態で自分の願望について考えると思考の方向性をスムーズに変えることができます。

 

・「仕事でボーナスをもらうためにはどうすればよいのか私にはわかりません。分かっているのはただひとつ。今、その方法が分かれば幸せになれるということです」

 女性は上司にも同僚にもボーナスのことは言わず、そのあとひたすら、このシータ・コマンドを唱え続けました。

 

<6つのステップ>

  • 地に足をつける(グラウンディング
  • 同調する
  • シータ波状態になる
  • コマンドを唱える(コマンディング)
  • 拡大する。(これは「引き寄せの法則」を最大限に活用したやり方です。「欲しい」と思っていたものを思い切りさらに拡大してみてください。)
  • 感謝の念と共に受け取る

 

・ひとたびシータ波に移行し、コマンドを唱えるプロセスを身につければ、様々な奇跡が起こります。人生に何を望んでいるか集中して考え、シータ波状態に移行するたびにあなたの望みであるものが自然に現れるようになるのです。

 

 

 

『根源の光と共に』

私が体験したシータヒーリング

鈴木清和  星雲社   2010年1月30日

 

 

 

シータヒ-リングとは何か

・シータヒ―リングは、一種の誘導瞑想によってシータ波(脳波の一種で深い瞑想や睡眠の時に現れるとされるもの)を誘発して誰もが自然に持っている超感覚的能力を引き出してリーディングを行い、「すべてなるもの」「創造主」と一体となってヒ―リングを行うテクニックです。

 

このテクニックの素晴らしいところは誰もが知らないうちに持ってしまっている潜在意識の思考パターンに働きかけてネガティブな思考パターンや感情を取り除き、一瞬にしてポジティブなものに置き換えることができる点です。

 

・潜在意識にあるネガティブな思考パターンは様々な形で人生に制約を与えたり、トラブルを引き起こしたり、病気を起こしたりします。

 

・無意識に持ってしまったネガティブな潜在意識をキャンセルすることで、様々な問題を解決しポジティブな信念にして置き換えることで願望が実現するようになっていきます。

 

・シータヒーリングの根本原理は脳波をシータ波にすることで、創造主と一体化し、コマンドを発することで、創造主と共同で現実を創造するということです。

 

・シータヒーリングは、創始者ヴァイアナさんとご主人のカイさんによって、どなたでも学べるように体系化されています。今では世界14カ国で数万人のプラクテショナーが存在し、ここ2~3年前より、日本国内でも急速に広がりつつあります。

 

人生は変えられる。思考パターンが変わると現実が変わる