UFOアガルタのシャンバラ 日本は津波による大きな被害をうけるだろう

コンタクティやチャネラーの情報を集めています。

勿論、官僚である以上は、陽界の官僚社会と同じく、陰界の官僚社会にも、賄賂や汚職も存在すると考えられている。(3)

 

 

『日本の民俗信仰』

宮本可袈裟雄・谷口貢  八千代出版  2009/6/30

 

 

 

<巫女とシャーマニズム

<神がかり>

・日本では神霊が人に乗り移ることを「神がかり」と呼んできた。古くは「かむがかり」「かんがかり」ともいい。漢字では「神懸」とか「神憑」などと表記されてきた。

 

・こうした「神がかり」現象は、歴史的な文献記録から現代の新宗教に至るまで、さまざまななかたちで見出すことができ、日本の宗教史を考えるうえでも重要な意味をもつ宗教現象の一つであるといえよう。この「神がかり」は、シャーマンのトランス、つまり変性意識状態の一種であるとみられる。

 

・日本の巫女には2種類がみられるとして、神社に所属して神前で鈴を振って歌舞を奏し、湯立などの神事に関与する巫女と、村の外から訪れ、人々の求めに応じて口寄せなどを行う歩き巫女を挙げている。これらの巫女は、いわゆる「神社巫女」と「口寄せ巫女」である。

 

<「憑霊型」が圧倒的な優位性を占めている>

・シャーマンが超自然的存在と直接交流する際に陥るトランスの内容解釈には、大別して「脱魂型」と「憑依型」がみられる。前者は、シャーマンの魂が身体から離脱して他界などの超自然界に飛翔し、そこで神霊などと直接交流するとされるタイプで、「エクスタシー」(ecstasy=脱魂)と呼ばれる。それに対して後者は、シャーマンの身体に神霊などを憑依させるかたちで直接交流するとされるタイプで、「ポゼション(possession=憑霊)と呼ばれている。

 

・それから、神霊が人に憑依するという問題では、動物霊などが特定の人や家に取り憑くとされる「憑きもの」もシャーマニズムと関連する信仰である。実際、憑依している霊を特定したり、取り除いたりする儀礼にシャーマン的職能者が関与してきた。このようにシャーマニズムは、日本の民俗信仰の多様性を炙り出す重要な宗教および民族文化の一つであるといえよう。

 

<沖縄の民族信仰><ノロとユタ>

・霊的職能者にはもう一つの系譜があり、ユタ、カンカカリヤー、ヤーザスなどと呼ばれ、ノロが公的であるならば、こちらは私的な占い、呪いなどの呪的な信仰領域に関与している。琉球王府はこれらの影響を排除するために何度も禁令を出しているが、効果はなかった。

 

・ユタの職能は、人の体内にあるマブイ(霊魂)は驚いたり事故に遭うと脱落するので、それを身体に戻すマブイグミ、呪いによる病気の治療、屋敷の御願、墓の落成祈願、家内安全の祈願、聖地の純拝や位牌の継承についての判断など多岐にわたる。

 

・依頼者は女性が多く、女子大生が恋愛の相談をするならば、3000円程度の料金であるため手頃なのかもしれない。

 

・周囲の人々によって霊的能力の強さが評価されてユタとして認知されるのである。

 

・ノロとユタを概念上で区別することはできるが、現実の態様を観察すると職能は相互に入り組んでいる。

 

・ノロその他の神役やユタになるのは生まれつきサー(霊力)が高いためであるといわれ、小さい頃からの言動が他の者と異なっていたりすると、周囲の注目を集める。その人が体調不良になると複数のユタを回って神役になるべきであるとか、ユタになる運命にあるとか、本人を方向づけて就任させる。体調不良は後からカミダーリ(巫病)と意味づけられる。

 

<●●インターネット情報から●●>

ウィキペディアWikipedia(フリー百科事典)から

 

狐憑き>

狐憑き(きつねつき)は、キツネの霊に取り憑かれたと言われる人の精神の錯乱した状態であり、臨床人狼病(英語版)の症状の一種である。また、そのような精神状態にある人、そのような事が起こり得ると信じる信仰、迷信をもいう。

 

(民間信仰)

民間信仰においては、狐憑きの話は日本全国各地に見られる。キツネに憑かれた者は精神病のように異常な状態になるものと考えられている。

個人だけでなく、キツネが守護霊のように家系に伝わっている場合もあり、地方によっては管狐、オサキ、野狐、人狐が憑くことも狐憑きと呼ばれる。これらの家はキツネを使って富を得ることができるが、婚姻によって家系が増えるといわれたため、婚姻が忌まれた。また、憎い相手を病気にしたり、その者の所有物、作物、家畜を呪うこともできるといわれ、他の家から忌まれた結果、社会問題に繋がることもあった。

これらのほか「稲荷下げ」などといって、修験者や巫者がキツネを神の使いの一種とみなし、修法や託宣を行うといった形式での狐憑きもある。

キツネに対する信仰の厚さは、キツネを稲荷神やその使いとみなす稲荷信仰、密教徒や修験者が行う荼枳尼天法、巫者や行者がキツネを使って行う託宣に示されており、これらの信仰を背景として狐憑きの習俗が成立したものと見られている。

 

<憑依>

憑依(ひょうい)とは、霊などが乗り移ること。憑(つ)くこと。憑霊、神降ろし・神懸り・神宿り・憑き物ともいう。とりつく霊の種類によっては、悪魔憑き、狐憑きなどと呼ぶ場合もある。

 

「憑依」という表現は、ドイツ語の Besessenheit や英語の (spirit) possession などの学術語を翻訳するために、昭和ごろから、特に第二次世界大戦後から用いられるようになった、と池上良正によって推定されている(#訳語の歴史を参照)。ファース(Firth, R)によれば、「(シャーマニズムにおける)憑依(憑霊)はトランスの一形態であり、通常ある人物に外在する霊がかれの行動を支配している証拠」と位置づけられる。脱魂(英: ecstassy もしくは soul loss)や憑依(英: possession)はトランス状態における接触・交通の型である。

 

宗教学では「つきもの」を「ある種の霊力が憑依して人間の精神状態や運命に劇的な影響を与えるという信念」とする。

 

(日本語における憑依の別名)

神宿り - 和御魂の状態の神霊が宿っている時に使われる。

 

神降ろし - 神を宿すための儀式をさす場合が多い。「神降ろしを行って神を宿した」などと使われる。降ろす神によって、夷下ろし、稲荷下ろしと称される。

 

神懸り - 主に「人」に対し、和御魂の状態の神霊が宿った時に使われる。

 

憑き物 - 人や動物や器物(道具)に、荒御魂の状態の神霊や、位の低い神である妖怪や九十九神や貧乏神や疫病神が宿った時や、悪霊といわれる怨霊や生霊がこれらのものに宿った時など、相対的に良くない状態の神霊の憑依をさす。

 

ヨリマシ -尸童と書かれる。祭礼に関する語で、稚児など神霊を降ろし託宣を垂れる資格のある少年少女がそう称された。尚柳田國男は『先祖の話』中で憑依に「ヨリマシ」のふりがなを当てている。

 

 

 

『あの世はどこにあるのか』

森田健     アメーバブックス新社  2008/12/19

 

 

 

<生まれ変わりの村が教えてくれるもの>

<あの世での審判がないと自殺や犯罪が増える?>

―あの世で審判がないとすると自殺や犯罪が増えたりしませんか?

 

・今まで、前世で自殺した人6人に取材しているんですけれども、生まれ変わった今、もう自殺はしないと言っているんですね。

 

一番大きな理由は、前世で自殺したことを覚えているからだというんですよ。やっぱり自分の人生を自殺によって終わらせたのは嫌な思い出なんですね。つまり自殺をしない方向に自分自身で変わってしまうんです。もしあの世で裁きがあったら、自殺者が自分で改心するかどうか疑問だと思うんですよ。

 

<なぜ日本なのか>

・生まれ変わりの現象を中国でしゃべってもたいしてインパクトがないんです。でもやっぱり日本人は気になるんじゃないですか。だから私は、取材をして本に書いた。すると発売1カ月で1000通を超える読者からの反響がありました。

 

・だから、生まれ変わりの村の子供というのは子供らしくないんです。前世の記憶を持っている大人だから。そういう(前世を記憶して生まれ変わる)世界になった時、何が必要か。それをチャラに出来る能力だと思うのです。

 

―つまり魂領域だけを初期化しないといけない。

 

これから生まれ変わりが一般化してきた時には、そういうのが必要だと思うんですよね。

 

―すると、森田さんが中国の生まれ変わりの村を取材して、それを『生まれ変わりの村』のシリーズとして刊行し、この本も出版されるわけだから、あの世のスープの情報が日本に広がっていく。だからスープを飲まない人が増えて、日本が生まれ変わりの村のようになっていく可能性もあるということですか。

 

ええ。

―少なくともぼくは、死んでスープを飲めと言われたら、いや、やめておくと言うもんね。阿部さんは、すぐ飲みたがるかもね。

―(阿部)飲みたいです。結構、私、昔の事は忘れてしまいたいタイプなので(笑)

 

<お父さんは遅刻できない>

・私は、生まれ変わりの村に行って、女装を実験してみたくなったんですね。彼らは、前世は女性だったのが今度は男性になって、それでも何でもないと言うじゃないですか。魂は何にだってなれるんですね。だから、私が男らしくあろうなんていうのは、本当に今だけの話であって、次は女性に生まれ変わるかもしれない。

 

―『生まれ変わりの村1』にセックスの話を聞ける女の人(前世は男)がいたじゃないですか。おばさんでしたけど。あの人は、男と女とオーガズムは同じだと言っていたよね。どっちもイク時は同じと言うね(笑)。名答だなと思ったけど。あのおばさんはいいよね。あと、ぼくが好きだったのは、木の上を転々としたという人がいましたよね。麻薬の売人か何かで、木の上にいる。あれは何か感じとしてわかる気がするよね。

 

・よく子供は親を選んで生まれてきたんだというふうに言われますよね。そういう本も多く出ているんですけども、私の本がそれを覆しちゃったので、気分が悪いという手紙が結構来るんですよ。読まなきゃよかったと(笑)

でも、違うんです。私に言わせると、それよりももっとすごい縁なんです。魂がある家にたどり着いて、窓から中を見たら妊婦がいた、そこに入る。そうなることは、もう時空のずっと果て、たぶん宇宙の最初から決まっているんですよ。宇宙の最初から決まっているのに、選ぶも何もないんじゃないかと思いますよ。「この子は私のところに来た。最初から神様が決めてくれたものだ」という感じですよね。

 

 

 

『生まれ変わりの村 1』 

 森田健  河出書房新社   2008/6/24

中国奥地、前世を記憶する村があった

死んで、生まれ変わって、再び家族とめぐりあった84人の証言

死は別れではなかった。 意外な前世記憶法

 

 

     

<前世を記憶する村の「スープの伝説」とは?>

<あの世で忘却のスープを飲まなかった女性(2001年10月4日取材)>

<前世での服飾の技が、今世でも使えた>

・1969年生まれの32歳の女性です。

生まれ変わりの話をすると病気になると言い、最初は逃げ腰でしたが、それでも少しずつ話してくれました。

前世(女)も女性で結婚していて、男の子一人と女の子二人の三人の子供がいました。

ある日、何か幽霊のような存在に取り憑かれ、それらに連れられるようにして、魂が体から離れ、そのまま肉体は死んでしまいました。1967年1月8日、27歳の時のことです。

 

<あの世>

・死んでから2年ほど、経ったある日、生まれ出る寸前にあの世で、橋のたもとにおばあさんがスープを持って立っているのが見えました。そこにはたくさんの行列ができていました。馬や牛やロバなどの行列も人間とは別にできていました。

私は、おばあさんの差し出すスープは飲まず、そこを逃げ出しました。これがある「伝説のスープ」(後述)だと思ったからです。そして、次の瞬間、私は今の肉体に生まれ変わっていたのです。

 

<今世(女)>

・生まれたときから、私は、生まれ変わりだということは知っていましたが、赤ちゃんなので、話すことができませんでした。  

生まれ出る瞬間も覚えています。とても明るい世界に飛び出しました。手が小さくなったのが分かりました。

9歳のとき、通りかかったあるカメラマンを見て、「あなたは、私の家によく遊びに来たでしょう。食事もしたでしょう」と、その人の名前や住んでいる村のことを言い当てました。

 

・実はそのカメラマンは、私と同じ前世の村の出身だったのです。このことをきっかけに、私はついに前世の家にたどり着きました。突然のことで、いまだ信じられない前世の家の人に向かって、「この家の庭にはお金がいくら埋められている」ということまで、言い当てたので、信じるようになりました。

 

前世は、服飾工場で働いたことがあるため、今世では習ったこともないのに最初から服が縫えました。

 

<森田のコメント>

<飲むと前世を忘れてしまう、あの世のスープ?>

・取材の後、「伝説のスープ」について詳しく聞きました。死後の世界には奈何橋(なかはし)という橋があり、その橋の近くでおばあさんがスープをコトコト煮ているのだそうです。魂にこのスープを飲ませるためです。そして、このスープを飲むと前世のことは忘れてしまい、スープを飲まなければ、前世のことを覚えているというのです。

 

・この「スープの伝説」があるのが、原因で、村には前世の記憶を持つ人が多いのではないかと村の人たちは言っていました。奈何橋の「奈何」は中国語で「いいのかい?」という意味だそうです。おばあさんは、「いいのかい?」といいながら飲ませているのです。拡大解釈すれば「このスープを飲むと前世を忘れるけれど、それでもいいのかい?」といっているのではないでしょうか・・・・・・。

 

 

 

『運命改善の不思議の旅99の謎』

森田健  二見文庫   2010/6/10

 

 

 

<中国の奥地に実在する『生まれ変わりの村』の謎>

・私は100人ほどインタビューしましたが生まれ変わった人はみんな、前世と同じ「私」という感覚を持っていました。死は終わりではなかったのです。

 

・この村では人間関係も複雑で「前世の関係と今世の関係が交錯するからです。生まれ変わってから、前の子供を捜しに行く人は多いです。でも子供はすでに成人し、自分はまだ小学生だというケースが多く、うまく受け入れてもらえません。

 

・前世の恋人に再会する人もいますが、性が変わっているとすれば、男女とも愛しあうことはできません。

 

・前世の記憶を持つというのは、もちろんメリットだってあります。前世で勉強したことがそのまま使えるからです。だから前世と同じ職業に就く人が多いのです。

 

・あの世についての情報もたくさん集まりました。ほとんどこの世と同じだそうです。驚いたことに貨幣まで流通しています。しかし、太陽はなく、水に入っても濡れないそうです。あの世に行かないで生まれ変わった人は半分います。けれど、今世ではみんな幸せに暮らしています。

 

・成仏するということが「あの世に行く」ということならば、まったく関係がないようです。例えば、病院の集中治療室で死んだのち、肉体を抜け出した魂は、産婦人科に行き、そこで出産中の妊婦のお腹に飛び込んでしまった人もいます。

 

・自殺で死んだ人を6人取材しました。生まれ変わって、みんな幸せに暮らしています。あの世でも、自殺を責められるようなことはなかったそうです。

これらのデータから考えると、神のような存在に前世の行いを評価されているわけではなさそうです。

では、一体、私たちは、何のために存在しているのでしょうか?

 

 <生まれ変わりの村には奇怪な霊現象も多い>

・トラさんが小さい時、お母さんが2年間、憑依されたことがあったそうです。ある男性の霊がお母さんの体に憑依してしまい、声まで男性のものに変化してしまったそうです。

 

・食事は普通にとるそうですが、もともとの人間関係は全然わからなくなってしまったといいます。友達とか隣の人とか、自分の子供とか旦那さんとか、そういう対人関係の記憶がまったくなくなってしまったのです。

つまり、お母さんは、トラさんが自分の子供だということまで分からなくなってしまったのです。でも、言葉はちゃんとしゃべります。

 

・これが2年間続いたのちに、自動的に治ったそうです。

 

<努力せずに億万長者になれる“裏道”がある?>

・いわゆる努力すれば、逆の方向に行きます。努力とは無理をしていることで、シンクロニシティを起こさない方向に作用するからです。

 この項のタイトルには、『努力せずに億万長者になれる“裏道”がある?』でした。そんなうまい話はあるのかと思った人もいるはずです。でも、実際にはもっと奇妙な結果だったのです。

「努力をなくせば億万長者になれる」・・・これが本当だと思われるからです。

 

 

 

『運命におまかせ』  いつも幸せを感じるあなたに

森田健    講談社    2014/7/18

 

 

 

<運命は、もっと決まっている>

・もうひとつ私が研究している占いに「盲師派推命占術」というものがあります。これは中国で、目が見えない占い師の間にのみ口伝で伝わり、彼らの生業を支えた四柱推命の一つです。私の中国の親友に段建業(以下ダンさん)という人がいますが、彼は、目明きにして初めて盲師派推命占術を伝授されたのでした。1999年のことです。

 

・この占いは、先の六爻(ろっこう)占術とは対照的に、人生の生まれてから死ぬまでの大局や流れがわかることです。また、普通の四柱推命より徹底しており、人間の願望や相性のレベルを超えて、結婚相手や職業などを言い当てることです。

 

・当たる確率は90%と言われていますが、本当だと思います。すでに私は、自分の死ぬ日まで知っています。

 

・盲師派推命占術では誕生日の情報を「命式(めいしき)」と言って、運命を出すための式に書き換えます。そして毎年の干支と見比べながら運命を出していきます。それが90%以上で当たるのですから、つまり生まれた瞬間に私たちの運命は決まったということなのです。

 

・そこまではっきりと運命が決まっていることを知ったとき、私は、お先真っ暗になりました。

何のために生まれてきたのでしょうか・・・・。決まっている台本を演じるための芝居のキャストでしょうか?

 

・それとも、私は、ロボットでしょうか?誰かが筋書き通りに操っているのでしょうか?しばらく葛藤の後、私は、運命が決まっているということを受け入れました。

するとどうでしょう・・・。矛盾するような表現になりますが、運命が好転してきたのです。

 

・これはどういうことでしょうか・・・。運命の決定の受け入れは、いい運命の流れそのものの始まりなのです。

でも多くの人は、未来を自分が筋書きを書き込むための白紙だと思っています。この認識の違いが、人を不幸にさせるのだと思います。

 

 

 

 『人は生まれ変る』

船井幸雄)(ダイヤモンド社)  2005/5

(体外離脱が教えてくれた本当の生き方)

 

 

 

<『私は結果、原因の世界への旅』(森田建)(講談社)2005/1/19>

・森田さんは、世界中で報告される「生まれ変り」を裏付ける証言を研究し始めました。自らも中国北西部にある前世の記憶を持つ人が多数いるという「生まれ変りの村」を何回も訪ね、インタビュー調査などを行なったのです。その調査の記録は、彼のホームページ上でありのままに写真入で報告されていますし、「不思議の友」でも詳しく紹介されています。興味のある方は見てください。

・調査の結果、森田さんは「人間の本質は霊魂であって、肉体は一時的な乗物にすぎない。霊魂は、何度も生まれ変りながら成長している」ことを確信したと言っています。

 

・その村で、森田さんが実際に会って話を聞いただけでも10人以上の人が前世の記憶を詳しく持っていて、前世の記憶を詳しく持っていて、前世での名前や住んでいた場所までおぼえていたといいます。それらの記憶を裏付ける証拠もあるというのです。また、その村では、多くの人たちがそれらの話を信じているといいます。

 

・ 「生まれ変りの村」といわれる地域は、北京から西へおよそ1000キロほど行ったところにあります。外国人が訪れるここは非常にまれな、秘境といってもいいような場所です。丘陵の斜面に掘った穴蔵を住居にしているといいます。

 

・まず面白いのは、その地域には、次のような言い伝えがあることです。

 

・この世に生まれてくるときは、みんな三途の川のようなところを渡ってくるらしいのです。その川には、奈何橋(なかはし)という橋がかかっていて、その橋を歩いて渡ってくるらしいのです。ところが、その橋の真ん中辺りにいる、おばあさんが、スープをくれるというのです。

 

仏教では、死ぬときに三途の川を渡って「あの世」に行くといいますが、ここでは、逆に三途の川にかかっている橋を通って、この世に生まれてくるというのです。

 

・川を渡るとき、ほとんどの人は、喉が乾いてスープを飲みたくなるようですが、そのスープを飲むと前世や「あの世」の記憶を忘れてしまうという言い伝えがあるのです。前世の記憶を持って生まれてきた人は、ここでスープを飲まなかった人たちらしいのです。

 

 

 

『欧米社会の集団妄想とカルト症候群』

浜本隆志 編著 明石書店    2015/9/18

 

 

 

<集団妄想と集団ヒステリーは、時代の転換期に多発>

<大天使ラファエルの出現>

・この点で興味深いエピソードにトマ・マルタン(1783~1836)の幻視がある。このエピソードは一見荒唐無稽で、幻視にあらわれた大天使ラファエルの姿は到底天使らしくなく、フロックコートを身にまとい、山高帽をかぶっている。これだけでも単なる戯言として一笑に付されそうだが、何とこの幻視者は国王ルイ18世との密会にまでこぎつけるのである。まずは国王の死後、密会の内容についてマルタン自身が明かした文書に沿って、そのあらましを記してみよう。

 

・1816年1月15日午後2時半ごろ、パリの西、ゴシックの大聖堂で有名なシャルトルから16キロほどのところに位置するガラルドンという村の農夫、トマ・マルタンの前に大天使ラファエルが出現した。4人の子をもつ33歳の農夫は、インゲンマメをつくるのに畑に堆肥をまいているところだった。そこに身長165センチほどの細身の男があらわれていう、「国王に会いに行きなさい。そしていいなさい、国王の身ならびに王子たちの身が危ないと」。大天使は足元まであるブロンド色のフロックコートに身を包み、靴紐はしっかりと結ばれ、山高帽をかぶって、ほっそりとした白い顔をしていたという。

 

・「大天使がマルタンに託した国王へのお告げの内容は、政府を転覆させようとしている輩がいること、それゆえ国中の取り締まりをしっかりさせること、人びとに日曜日と祭日の労働をやめさせ、また四旬節の前の無秩序を排し、広がりつつある不信を信仰にもとづいた王政によって駆逐し、かれらのあいだに正しい祈りの生活を取り戻させること、などであった。そこには、これを実行しなければフランスは再び数かずの災厄に曝されることになるだろうという、黙示録めいた預言も含まれていた。

 

・1816年のはじめといえば、ナポレオンの百日天下が終わり、一時中断した王政復古が再始動してまだ半年ほどしか経過していない。議会は過激王党派(いわゆるウルトラ・ロワイリスト)が過半数を占めていたが、なおボナパルティストとのあいだで激しく対立が続いていた。

 

・さて、大天使はその後もマルタンの前にあらわれ、国王に会うために農夫にパリに行くように説き続け、その出現は25回にのぼった。この間、ついに大天使はマルタンを説得してパリに行かせるが、パリではあのマルキ・ド・サドが収容されていたことで有名な精神病院、シャラントンの収容所に収監されている。

 マルタンの体験は、ガラルドンの司祭を通じてヴェルサイユの司教シェリエ・ド・ラ・ロッシュに伝えられていたにもかかわらず、この司教が警戒してシャラントン送りを決めたのである。

 

・診断の結果、マルタンは幻覚をともなう間歇性精神病とされたが、病院での滞在は1日ですんだ。

 興味深いのは、どうみても変人の戯言と振る舞いにしかみえないマルタンの言動がかれをパリにまで行かせる結果になったこと、また、精神病の診断を受けながら、さらにパリ警視総監であったエリー・ドカーズの抵抗にあいつつも、ついには国王の謁見にまでこぎつけているという点である。

 

・1816年4月、大天使の最初の出現から約3ヶ月後、ついに国王ルイ18世マルタンをチュイルリー宮殿に呼んだ。国王と2人だけになったマルタンがそこで国王に告げた「秘密」とは、ルイ18世が没したのち、マルタン自身によって明かされるものであるが、要するに、現国王(ルイ18世)は革命前に兄である国王ルイ16世の暗殺を企てたということであり、そのことをもってしても国王としてふさわしくない、したがって、退位してブルボンの直系に譲位すべき、との内容であった。

 

・「わたしが陛下にいわなければならない秘密、それは陛下が陛下のものではない地位を占めておられるということです」。兄も兄の子も死んでいる以上、正統なる承継者は自分だ、と反論する現国王に対してマルタンは、国王が前王を暗殺しようとしたという「秘密」をもち出す。「ある日、サン・テュベールの森で、兄上の国王ルイ16世殿下と一緒に狩りをしていたとき、10歩ほど前におられた兄である国王を貴殿は殺そうとされた。ルイ16世殿下は貴殿の馬よりも大きな馬にお乗りになってちょうど通りを過ぎたばかりでしたが、貴殿が木の下をお通りの際、木の枝が撓んでその殺人を犯すのを妨げる格好になったのです。兄上様はその同じ木の枝には邪魔されずに通過していました。貴殿は2発装填の銃をもっておられ、1発は兄王用に、もう1発は空に放って、誰かが貴殿を撃ったと思わせ、供回りの1人に責めを負わせるおつもりでした。国王は供回りに追いつき、貴殿は計画に成功しなかった。ながいあいだこの意図はもち続けたものの、実行に移すよい機会がなかったのです」。こういわれたルイ18世は、その事実を認め、2人だけの秘密にするように懇願したという。

 先にも述べたように、ここに示されている大天使ラファエルの「お告げ」は、革命前の国王弑逆の意図を暴露し、王位の嫡子承継を復活させようとする過激王党派(のちに正統王朝派と呼ばれるようになる)の言い分をそのまま語らせたものである。

 

『<ルルドの奇蹟と聖母巡礼ブームの生成>  柏木治』

ルルドの聖母出現前史>

・聖母の出現は数かず報告されているが、17世紀以降に絞っても、フランス南東部、イタリアとの国境に近い山村サン・テティエンヌ・ル・ローに住む羊飼いの女性ブノワト・ランキュレル(1647~1718)が、1664年から半世紀以上にわたって、聖母をはじめ、十字架のイエス、シエナの聖カタリナ、幼子イエスなど、さまざまな幻視を体験している。

 また、これより少し前にも、やはりフランス南東部、現在のイゼール県の小村ノートル=ダム・ド・ロズィエ(当時は住人20名ほどの村でレ・ブランテと呼ばれていた)に聖母の出現があった。村人の1人が柳の枝を摘んでいるさなか、切った枝から血が流れ、自身も血色に染まったという話がもともとあり、その8年後の1657年、この同じ男が畑を耕していると、そこにマリアがあらわれた。

 

<カトリーヌ・ラブレーと奇蹟のメダル>

・このように聖母顕現がいくつかの場所で話題になっていたとはいえ、19世紀の聖母出現の歴史を考えるうえでまず重要なのは、パリで起きた事件である。晩年に『ルルドの群衆』を書いたカトリック作家ジョリス=カルル=ユイマンス(1847~1907)は、「19世紀フランスにおいて、聖母マリアのたどられた道はまず、パリが出発点であり、――次いで、アルプス山中のラ・サレットに寄り道をされたあと――ピレネー山中のルルドをゴールとなさった」(『ルルドの群衆』)と述べている。ここにいわれている「出発点」とは、1830年パリのバック通りで起きた聖母出現のことで、その後のフランスにおける一連の聖母出現の発端となった出来事である。

 

<ラ・サレットの聖母出現>

・こうしたネットワークがルルドのような巨大な巡礼地を準備していく過程で、ユイマンスの言にあったように、ラ・サレットにも聖母は出現している。地理的にみると、ルルドがパリからみて南西のピレネー山中だとすれば、ラ・サレットはその逆、南東部のアルプス山中である。

 

ルルドの聖母とマリア崇敬>

ルルドの聖母出現>

・出現した聖母を「みた」とされる14歳の少女ベルナデットと、その舞台となったピレネーの山麓に佇むルルドについては、あらためて紹介する必要もないほどよく知られているが、以下に出来事のあらましを簡単に記しておこう。

 1858年2月11日、村を流れるガーヴ・ド・ポー川が小さな水路と交わるあたり、マサビエルと呼ばれていた地域の洞窟で、少女の前に神秘的な美しい女性があらわれ、その後18回にわたって出現し続けた。

 

・この間、周囲の人びとのあいだにそれが「聖母」ではないかとの噂が起き、集まる人の群れが加速度的に膨れ上がり、いくつかの奇蹟も起きて、しだいに聖母出現の確信が形成されていく。

「白いものを着た女性」が最初に出現してすぐ、「噂」は広まりはじめた。3回目の出現では、その女性はベルナデットに「15日間この場所に来るように」と告げ、あの世での幸せを約束する。それ以降、15回目の出現までに、跪くベルナデットの表情がみるみる変化していくさまを目の当りにして同行の少女が、それまでの疑念を捨てて回心したり、あらわれた女性の命に従って洞窟の前の泥を掘り返し、その泥水を口に含むベルナデットを数百人の群衆が囲んで見守ったり(その後、そこには澄んだ水が湧き出して泉となる)、さらには、曲がって動かなくなった指がその泉の水で快癒したという女性、身体をその冷水につけて蘇った瀕死の赤ん坊、視力を失った目をその水でぬぐうと目がみえるようになった石工があらわれたりと、いくつもの奇蹟が起きた。

 

・そして16回目の出現。女性が「わたしは無原罪のお宿りです」とこの地の方言で宣言するに至って、この女性が聖母マリアであるという確信は絶対的なものに変わる。司祭をはじめ、ルルドの教会関係者も、「無原罪の宿り」の意味も知らない少女の証言を聞き、ことの重大さに驚愕するのである。

 

・その後、ジャーナリズムでも盛んに取り上げられるようになり、その名はフランス全土に広がっていく。1862年にはカトリック教会によって「出現」の奇蹟が公認され、アンリ・ラセールの『ルルドの聖母』(1869)といった著作もベストセラーになった。こんにちに至るまで、傷病者の聖地として数知れない人びとがこの場所を訪れていることは繰り返すまでもない。