日本は津波による大きな被害をうけるだろう UFOアガルタのシャンバラ 

コンタクティやチャネラーの情報を集めています。森羅万象も!UFOは、人類の歴史が始まって以来、最も重要な現象といわれます。

ところが1時間待っても、2時間待っても、UFOは現れません。三島さんはそのうち呪文を唱え出したのですが、それでも現れませんでした(笑)(3)

 

<「神」が降り立つ場所>

・このほかにも尖山周辺でのUFO目撃情報はたくさんある。もし尖山がピラミッドと同じ役割を果たしており、ピラミッドがUFOの停泊場であるならば、UFOの目撃が多いのもうなづける。

 秋山氏の説明は続いた。

日本にもピラミッドはあるのです。布施さんが登られた位山もそうですね。いわゆる神奈備型の山(編注:神が天から降りてくる場所として信仰された山や森)は、ほとんどがそうだと言って間違いないでしょう。静岡県の高根白山もピラミッドの本殿です。藤枝市のビク石はその拝殿になります。下田富士なんかは完全なピラミッドですね。同じ下田市の寝姿山はジッグラト(編注:古代メソポタミアに特有の、階層のあるピラミッド型の宗教建造物)です」

 この説を採っているのは、秋山氏だけではない。『竹内文書』の研究者であった酒井勝軍(1874~1940)は、1934年に広島県庄原市の葦嶽山に登ったとき、葦嶽山の山頂に「ストーンサークル(円形磐境)」と磐座を、その近くには拝殿とみられる巨石群を発見し、日本にもピラミッドがあったと宣言した。

 遠くからでも見える高く尖った山とそれを見上げる巨石の拝殿があり、その山の頂上にはストーンサークルや巨石群がある、そうした複合体がピラミッドであると酒井は主張する。

 酒井や秋山氏の主張が正しいとすると、世界各地に神が降りてくる、もしくはUFOが停泊しにやってくる本殿と拝殿の複合体があったことになる。

 

・そういえば、秋田県大湯のストーンサークルとそこから見える均整の取れた黒又山の関係は、エイヴベリーのストーンサークルとシルベリー・ヒルの関係に似ている。また横江の尖山と近くの台地である天林の関係は、ストーンヘンジとその北に横たわる全長2.7キロの周壁遺構カーサスの関係にそっくりのように思われる。尖ったような円錐形の山、ストーンサークル、滑走路のような台地、立石などの巨石群――いずれも空からなら形がはっきりとわかるこれらの複合的施設は、UFOの停泊に必要な要素だったのかもしれないのだ。

 

異次元世界の出入り口?

・UFOとストーンヘンジとピラミッドに関連して、さらにユニークな意見も紹介しておこう。

私のブログ仲間であるマダム白鳥さんが教えてくれた説だ。

 白鳥さんには特殊なチャネリング鑑定能力がある。白鳥さんによると、鑑定をすると決めた瞬間から「異次元の窓」が開いて、鑑定対象者に関連する惑星の生命体や守護霊が現れたり、関連情報が溢れ出たりする、そしてそうした情報を鑑定対象者に伝えないと気が晴れないのだという。

 私がイギリスで撮影してきたエイヴベリーやストーンヘンジの写真を見て彼女が言うには、やはりストーンヘンジはUFOの一種の基地のようなもので、UFOはピラミッドなど尖った山やストーンサークルのような巨石群の上空の「先端」を目指してやって来るようだという。

 特に白鳥さんの「説明」で面白かったのは、ストーンヘンジのヒールストーンの写真を見せたときだ。ヒールストーンとは、ストーンヘンジの堀と土塁による周壁の北東正面入り口のすぐ外側に立っている巨大な立石である。ストーンヘンジの中心部から観察すると、夏至の日に太陽はヒールストーンの向こう側の地平線から昇る。そして冬至の日の太陽はヒールストーンから見て、ストーンヘンジ中央にある「グレートトリリトン」という特別な組み石の間に沈んでいくのだ。

 

・白鳥さんはさらにこう続けた。ストーンヘンジのそばにはかつて巫女のような人がいて、UFOとテレパシー交信し、「ランデブー」の日時を決めて人を集めた。そのためにも日時計と暦は必要であった。そしてその決められた日時になると、村人が大勢集まり、UFOが来るのをお祭りなどして待ったのだという。すると、秋山氏がヤビツ峠付近でやったようなUFO観測会を、古代の人々は日常茶飯事、もしくは年中行事のように実施していたことになる。

 山や巨石群などのピラミッド型の尖った先端の上空にやって来たUFOについて、白鳥さんはこうも言っていた。「UFOはそこからどうも別の世界へと移動していたようです。地下世界とかシャンバラ(編注:地底の国アガルタの首都)のような世界でしょうか。別の世界への出入り口みたいです

どうやらまだまだ私たちには解明できないような秘密が、ピラミッドやストーンヘンジには隠されているようである。

 

<真実は語り継がれる>

実は冒頭に掲げた4メートルの宇宙人に遭遇したという事例は、私が1987年、8年ごろ、共同通信社浦和支局時代に電話で実際に取材した「実話」なのである。そのときの取材ノートをなくしてしまったので、細部で記憶違いはあるかもしれないが、覚えている範囲でその目撃談を紹介しよう。

 場所は九州地方のある島(確か福岡県の志賀島。若い会社員のグループが3、4人が夜、海岸にいたところ、流れ星のように輝く球体状のものがゆっくりと岬の向こう側に消えるのを見た。彼らは最初、隕石が落下したのかと思って、落下したと思われる岬の向こう側まで見に行ったのである。ところがその場所で見たものは、何と身長4メートルはあろうかという巨人であった。さらに驚いたのは、彼らを見た巨人はこう言ったのだ。「われわれは、この星で言うならば学生のようなものである」

 それは紛れもなく日本語であり、ただどことなく、不自然で、機械のような抑揚だったという。巨人はそのままどこかに姿を消した。目撃した彼らはただただ、その場で茫然自失の状態で立ち尽くしたという。

 笑い話のようにも聞こえるこの話をしてくれた若者は、いたってまじめで、ウソをついている感じはまったくしなかった。その若者によると、その巨人は肩幅があって首がない、逆三角形のような形をしていたという。当時の私には宇宙人の分類などができようがなかったが、今なら、どうやら秋山氏の言う、「宇宙服」を着た巨人族のゲルではなかったかと思うのである。そのような姿の「宇宙人」は、サハラ・タッシリ高原の岸壁でも見つかっている。「白い巨人」や「大いなる火星神」と呼ばれる先史時代の巨大壁画である。北海道・フゴッペの洞窟にも、白い巨人」に似た人物の絵が描かれている。

 

・おそらく御伽噺に出てくる浦島太郎も、そのような驚くべき体験をした1人であったのだろう。今でこそ「助けた亀に連れられて竜宮城に行った」ことになっているが、この浦島太郎の御伽噺が書かれた室町時代よりも遥かに前の奈良時代には、「浦島」は大空の彼方よりやって来たた五色に輝く亀とともに、すばる(プレアデス)や雨降り星(アルデバラン)の人々に出会った物語として『丹後国風土記』に記されているのである。

 しかし、一人の漁師が夜空に瞬く星の住人の歓待を受けたなどという話は当時の人たちにはまったく理解できなかったであろう。真実を語った「浦島」の物語は、当時の人にも理解できるように改竄され、亀に乗って海の底の竜宮城へ行ったことにされたのだと推察される。それでも「浦島」の語った真実の一部は、ちゃんと現在にも語り継がれたのである。

 真実を語るものが続けば、やがてはこのウソや虚構に満ちた世界でも真実があふれ出すようになるかもしれない。そのとき初めて、私たちのすぐそばにある異次元世界の扉が大きく開け放たれ、その真の姿が明らかになるのだと信じている。

 

 

<●●インターネット情報から●●>

「ひもろぎ逍遥」というウェッブサイトから引用しました。

安曇族と志賀島(3)

 

UFOが離発着していたんですって

「金印公園の裏の山を松尾山というんですがね、

昔、漁師さんたちが火の玉を見たというんです。

 

当時はUFOという言葉が無かったでしょうが。

だから火の玉と言ったと思うんですが、

白く光る大きなものが、松尾山の上に留まって、

すうっと降りて行ったと、何人もの人が言ったとですよ。

博多湾に漁に出てですね。」

 

「へえ、松尾山ですか。地図には名前が載ってませんね。」

「松尾山には神社があったんですが、登るのが大変で、

年に一度、注連縄を変えに行ってましたが、今は麓に下りています。

私も、その辺りを見たんですが、石ころだらけでしたね。」

「で、いつのことですか?」

「昭和18~20年頃ですね。」

「今は出ないのですか?」

「今は出ませんね。最後の情報は知り合いが志賀地区から弘地区に向かう道路から、

UFOが飛び立つ所を見たと言ってましたね。」

「そうなんですか。」

私ははっとしました。あの光少年がUFOに乗った話と時代が近い。

「名島にもUFOが出ていたそうですよ。昔、火力発電所があったんでしょう。」

「ああ、ありましたね。」

「そこに熱湯が流れるプールがあって、宇宙人が入浴していたそうです。」

「宇宙人がですか(笑)」

「それが、昔の新聞に書いてあるんですよ。警察沙汰になったらしくって。

昔はおおらかだったんでしょうね。」

「そうですか」

そう、その宇宙人は宇宙スーツを脱いでいたと聞いたんですが、そこまでは言いませんでした。

さすがに、スーツは私も信じ難かった。

でも、グレイタイプの宇宙人ってスーツを着ているんですってね。

ネットの噂を見ると書いてあった (+_+)

この話を光さんから聞いたのは、頭蓋骨に入っていたチップがレントゲンに写っていて、

死後解剖を頼まれたという話題から、そんな話になったんですね。

この記事をどこかに書きました。

むむ。

そうすると、志賀島の山の上に基地を持っていたUFOは

博多湾をうろうろとしていたか…。

そう言えば、近年は香椎宮の近くで見かける人がいるけれど。

まだまだ、UFOに会えるかも ^^

 

 

<●●インターネット情報から●●>

ウィキペディアWikipedia(フリー百科事典)によると

 

「阿曇氏」

阿曇氏(あずみうじ、安曇氏)は、「阿曇(安曇)」を氏の名とする氏族。

 

海神である綿津見命を祖とする地祇系氏族。阿曇族、安曇族ともいう。

 

古代日本を代表する海人族として知られる有力氏族で、発祥地は筑前国糟屋郡阿曇郷(現在の福岡市東部)とされる。古くから中国や朝鮮半島とも交易などを通じて関連があったとされ、後に最初の本拠地である北部九州の福岡志賀島一帯から離れて全国に移住した。この移住の原因として、磐井の乱白村江の戦いでの安曇比羅夫の戦死が関係しているとの説がある。

 

安曇は海人津見(あまつみ)が転訛したものとされ、津見(つみ)は「住み」を意味する古語とする説もあり、その説だと安曇族はそのまま「海に住む人」を示す。

 

ウィキペディアWikipedia(フリー百科事典)より

志賀海神社(しかうみじんじゃ)は、福岡県福岡市東区志賀島にある神社。式内社名神大社)。旧社格官幣小社で、現在は神社本庁別表神社

 

全国の綿津見神社、海神社の総本社を称する。古代氏族の阿曇氏(安曇氏)ゆかり地として知られる。

 

祭神は、次のように左・中・右殿に主祭神が各1柱、相殿神が各1柱が祀られている。主祭神の3柱は「綿津見三神(わたつみさんしん)」と総称される。

左殿:仲津綿津見神(なかつわたつみのかみ) 左殿相殿:神功皇后(じんぐうこうごう)

 

中殿:底津綿津見神(そこつわたつみのかみ) 中殿相殿:玉依姫命(たまよりひめのみこと)

 

右殿:表津綿津見神(うはつわたつみのかみ) 右殿相殿:応神天皇(おうじんてんのう)

 

 

 

『宇宙人の柩』  日本人脳外科医が衝撃の告白!

鈴木龍成、竹本良  明窓出版  1997/8

 

 

 

・今年(1997年)に入ってからのことだ。

 それは一本の電話から始まった。某大手出版社のB誌編集部員であり、親しくさせていただいている長浜淳之介氏が、NASAの施設でETの死体を見たという日本人医師がいるといってきたのだ。

「何? それはほんとうか?!」

 唐突な話であったため、私が、長浜氏に思わず聞き返したのだった。しかし驚いたことに、それと1週間と違わず、私の年来の友である出版プロデューサーの横田久哉氏に、ある政治家の新年会でお会いした時、彼が全く同じ話をしてくれたのだ。

 

・「ええっ?ひょっとしてそれ、○○○○(有名な病院名が入るところ、医師としての職業上、そして本人の身の都合上さけています)の鈴木龍成氏(仮名)の事?」

私が身を乗り出してたずねると、横田氏はうなずいたのである。

 

NASAの研究施設で「ETの死体を間近で目撃した」と証言する日本人医師が現れた。1992年にNASAで宇宙航空医学の専門家として派遣されていた時、ある部屋で2時間ほど冷凍ガスで保存されたETを目撃したというのだ。背丈は140センチ位、頭が異常に大きく、腕は細く長い、血管は地球人よりも太く、緑色。性器は退化しており、骨格もあり、肌はゾウのそれに似ている。いわゆるグレイタイプであったという。更にドクターKは男女判別つけがたい、生きているETとも会話したと語った。そのETは我々が白鳥座61番星と呼んでいる星から来たことが判明、腰につけた自動翻訳機で対話したというこちらは一般にアダムスキータイプと呼ばれているものであり、ゲイ・ペッツの描いた「金星人の姿」にそっくりな風貌、ただ目鼻がもう少しくっついていたというのだ。-中略―その他、全身がガン化したことその腫瘍の写真(ETは皮膚ガンになりやすいという)、実験室の見取り図、国務長官の確認書、反重力装置の一部を見せてくれた。ドクターKは「これらは20~30年内に周知の事実となるだろう」と述べた。

 ドクターKとは鈴木龍成氏のことである。

 

 

 

『光速の壁を越えて』

エリザベス・クラ-ラー  ヒカルランド  2016/4/30

ケンタウルス座メトン星の【宇宙人エイコン】との超DEEPコンタクト

 

 

<息子に付けた特別な名前>

・「ここメトン星では、時間はまったく重要でありません。夜も昼もなければ、「時間を区切る単位もありません。事実、今あなたが浸かって、光のより高い振動周波数はあなたの加齢プロセスは高い帯域の周波数においては適用されません。そこでは、時間の流れ、そして人間の寿命が変わってくるので、メトシェラの神話は見劣りするでしょう。人類は、電磁的特性によって永遠の命を得ることができます。ただ電磁エネルギーを強化してそれを固守することで、人々は純粋な思考と愛によって7年毎に自己を肉体的に更新できるのです。

 

・祝賀会はエイコンの家で催され、この偉大な文明の多くの人々がはるか彼方からやって来た。彼らは皆エイリングを愛してくれた。幼い息子の美しさは目を見張るものだった。高い知性と完璧な態度は大人たちにも感銘を与え、彼らは息子を白鳥座へと連れて行きたがった。

「地球のような惑星の女性としては、素晴らしい成功です。銀河の私たちのところにエイリングに訪問してもらいたいです。彼は偉大な科学者になって、私たちの文明に恩恵をもたらすことでしょう」と彼らは言った。

白鳥座は遠すぎるわ。地球からデネブまでは少なくとも1500光年もあるわ。琴座のベガの方がずっと近くて、地球からわずかに26光年ほどよ。息子を白鳥座まで連れて行かないで!あの星座には超新星ができるわ」と私は彼らに言った。

「心配することはありませんよ。私たちはそんなつもりで言ったわけではありません。あなたが望まないなら、白鳥座に連れて行きませんよ。ただ、その地域で超新星現象が起こると言うあなたの予言に、私たちはとても興味があります。あなたは問題の恒星に気づいているのだと思います。あなたの未来に関する直感と知識は高まっていますね」

 

 

『知っておきたい世界の幽霊・妖怪・都市伝説』

一柳廣孝  西東社   2008/7

 

 

 

三島由紀夫 天才小説家の怪奇な死>

<英霊に導かれた死>

・1970年、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で演説をして自衛隊にクーデターを促し、その後に割腹自殺をした「三島事件」は世間に衝撃を与えた。彼の死に関しては、その友人から奇妙な話が伝わっている。

 

・自殺した年の正月に三島邸で行われた新年会の際、霊感の強い者が三島由紀夫の後ろに青い影を見て、それを三島に告げた。三島が影に向かって「磯部か?」というと、その影は消えたという。磯部というのは陸軍軍人の磯部浅一という人物で、2・26事件に関与して銃殺された。三島由紀夫の思想にも強い影響を与えた人物だそうだ。友人はこのような霊にとり憑かれていたら大変だからと、お祓いを勧める。それを聞いた三島は「『英霊の聲』を書いているときに、半分居眠りしてるのに筆だけが動く。でき上がったのを見て書き直そうとしても、どうしても何か、書き直せない力が働いていた」と思い当たるふしについて語ったという。

 

・『英霊の聲』は、2・26事件の青年将校たちの霊が天皇に対する無念を語るという内容である。この話を踏まえると、三島由紀夫は、磯部浅一の霊に導かれて死んだとも考えられるのではないだろうか。

 また、三島が自殺した市ヶ谷駐屯地では、たびたび三島由紀夫の幽霊が目撃されたという。

 

マリリン・モンロー 演技をし続けた苦しみの人生>

<謎の死をとげた世紀の女優>

・ハリウッドにあるルーズベルトホテルには、マリリン・モンローの幽霊が出るという話がある。1950年代からアメリカのセックスシンボルとして有名だった彼女は、1962年に突然亡くなり、世間に衝撃が走った。睡眠薬の大量服用による自殺という説や、何者かに殺害されたという説など、その死は謎に包まれたままだ。

 

マリリン・モンローの幽霊は、よくルーズベルトホテル内を徘徊しているのだという。また、地下に飾られている、マリリンが愛用したという鏡には、マリリンが映ることがあるそうだ。プールサイドに水着姿のマリリンが歩いているのを目撃した人も多数いる。そんなことから、ルーズベルトホテルには、マリリン・モンローの幽霊見たさに来る客が絶えないそうだ。

 

マリリン・モンローは実際は聡明な女性で、世間に求められている「セックスシンボルとしてのブロンド美人」というキャラクターとのギャップに悩んでいたとされている。また、本当はブロンドではなく、褐色の髪だったということも知られている。その鬱屈から逃れるために、彼女はアルコールや恋愛に依存していったのだという。

 

アドルフ・ヒトラー  録音された独裁者の声>

<大量虐殺を謝罪する声>

・第2次世界大戦を引き起こす原因をつくり、敗北直前に自殺したアドルフ・ヒトラーは、ユダヤ人を大量虐殺したことで有名な人物だ。そのヒトラーの霊の声が録音されたテープがあるという。第2次世界大戦から15年ほど経ったある日、スウェーデン市民が購入した新しいテープに奇妙な声が録音されているのに気づく、よく聴いてみるとそれはドイツ語で、ドイツ人に聴かせたところ、ヒトラーの声に間違いないということだった。そして、その声は、ユダヤ人の大量虐殺を謝罪していた内容だったという。

 

 

 

仮面の告白

三島由紀夫  新潮文庫   2003/6

 

 

三島由紀夫の作品における「仮面の告白」の中のフリーメーソン

・「夜、私は床の中で、私の周囲をとりまく闇の延長上に、燦然たる都会が浮かぶのを見た。それは奇妙にひっそりして、しかも光輝と秘密にみちあふれていた。そこを訪れた人の面には、一つの秘密の刻印が捺されるに相違なかった。深夜家へ帰ってくる大人たちは、彼らの言葉や挙止のうちに、どこかしら合言葉めいたもの、フリ-メイソンじみたものを残していた。また、彼らの顔には、何かきらきらした直視することの憚れる疲労があった。触れる指先に銀粉をのこすあのクリスマスの仮面のように、彼らの顔に手を触れれば、夜の都会が彼らを彩る絵の具の色がわかりさうに思はれた。やがて、私は「夜」が私のすぐ目近で帷をあげるのを見た」。

 

『週刊 世界百不思議 2009年3・12/19合併号』 

この世は「謎」と「怪奇」に満ちている

講談社

 

 

 

<UFOを信じた知識人たち>

自宅に観測所を作り、研究会員になった三島由紀夫(1925-1970)

・作家、三島由紀夫は日本初のUFO研究団体「日本空飛ぶ円盤研究会(略称JFSA)」の会員だった。

 

・1960年代頃、彼は「美しい星」というタイトルの、自ら宇宙人だと信じる一家の小説を書いているが、その中には、JFSAの機関誌名「宇宙機」という言葉を登場させている。また彼はJFSA発足の2年後に結成された「宇宙友好協会(略称CBA)」が主催したイベントにも参加している。これは仲間と手をつなぎ、「ベントラー、ベントラー」とUFOに出現を呼びかけるというものだが、残念ながら目撃にはいたらなかった。

 

・ちなみに、UFOへの呼びかけ文句「ベントラー」とは宇宙語で、宇宙船の意味だという。

 

 

 

『太田千寿が解き明かす「霊界と天上界の大真実」』

人類はサタンに騙されている  「消された記憶を取り戻せ!」

太田千寿  徳間書店    1996/8

 

 

三島由紀夫氏が私のところに来た理由>

・亡くなった三島由紀夫氏が私のところに来たての状況は以前に詳しく書きました。しかし、三島氏がどういう理由で、地上に交信をしてくるようになったのか。さらには、どうして三島氏が地球を救うようになったのかはあまり触れていませんでした。

 

私が知らされていたのは、次の三点です。

 

1、死んだ直後、指導霊に連れられて富士の裾野に行ったということ。

2、そこには生前「盾の会」のメンバーと何度も体験入隊した自衛隊がある場所だということ。

3、三島氏が生まれる前に、18回転生しているが、彼らは、いずれも富士山の裾野にいたということです。

 

・-私三島由紀夫は、死んで間もなく富士のホールにいた。巨大なホールであった。あたりは一面真っ暗闇、私の前に『私』と名乗る男女が18人現れたのである。(『空間を超えて道を行く神』

 

・では、いったいなぜ三島氏が地球を救うのでしょうか。6年ほど前、三島氏から霊界に行くようになった背景が送られてきて、はっきりしました。なんと、驚くべきことに、そのメッセージによると、三島氏は死の直後、宇宙船に乗せられたというのです。そして、とんでもない出来事に遭遇したのでした。

 

<地獄からの生還>

・-UFOの中はすべてがガラス張りであった。鏡に映った自分の姿を見て、私は唖然と立ち尽くしていた。あれほど望んでいた背高のっぽになっていたのである。自分でもほれぼれするほどの男前、ギリシャ的な風貌。神が私の望んだとおりにしてくれた。何という奇跡だ。夢にまで見たこの姿。

 

・赤いボタンがいくつもある映像システムが何カ所も設置されている。『L』と記されているボタンを人差し指で押して見た。すると映像システムが一斉に動き出して、生前の私がはっきりと画像に映しだされている。

 

・そのとき、神々しき声がした。

『そなたは、この宇宙船で4年間、孤独に耐えるのだ。地獄に落ちたそなたの影は、20年かかって、地獄を制するであろう。もうすぐそなたの同胞が下界からやって来る。引田天功と田宮次郎だ。彼らがやって来たら三人で力を合わせて、この宇宙安寧のために働くがよい。そなたの心は私が全て見てきた。死に急ぎをしたな。しかし、そなたの死が無駄にならない日が必ず訪れる。それを信じて突き進むのだ。この宇宙船は、そなたのためにシリウスで作成したものである。天功と田宮が来たら、三人よく話し合いをして、月の空洞にある宇宙基地に移動するのだ。基地内には歴史上の人物がリーダーを求めて右往左往している。そなたはこの4年間で彼らのトップリーダーになれるよう、一時も無駄にしてはならない。時にはこうしてそなたに交信する。さらばだ』

神の声はこうして消えて行った。

 

・三島氏が自刃したのは昭和45(1970)年11月25日のことです。私がこのメッセージを受け取ったのは、平成2(1990)年ですから、ちょうど20年目のことです。

まさに清算期間の20年が終わった直後のことです。

 

<二つに引き裂かれた三島由紀夫氏>

・なんということだ。私が、『生前の私』と『宇宙人としての私』として分離されてしまったのだ。一人は記憶を持ったままの私であり、もうひとりは記憶を失ってしまった私なのである。記憶のある生前の私は、地獄の20年を過ごすことになり、そしてもう一人の私は、宇宙船に乗って旅立ったのである。

 

<白髭白髪の老人の出現>

ところで皆様もすでにお気づきのことと思いますが、ここに出て来た「白髭白髪の老人」こそ、サタンのことです。「人間の記憶」を消すために奔走するサタンだったのです。

 

<●●インターネット情報から●●>

 

<インターネット情報;ライブドアブログ「大摩邇(おおまに)」から転載>

・古屋に住む鈴木龍成氏に質問状を送りつけた。鈴木氏の貴重な体験をより理解したいがためだ。ぶしつけながら、とりあえず最初の14問から始めることにしよう。

1997年4月初めに収録されたものである。

 

Q1-プロフィ-ルを教えて下さい。

 

「私は鈴木龍成(仮名)で、両親の都合で名古屋で生活しています。

母は大阪で商売をしております。

高校まで名古屋におり、東京の某国立医科大に進みました。

専攻は外科、脳神経外科、航空宇宙医学です。NASAでは宇宙ステ-ション内での宇宙飛行士の生理活動と健康管理を研究しました。

小・中学校の頃から物理・化学にすごく興味がありまして、宇宙論に関しては物理を特に勉強しました。

中学1年の時、物理の先生に相対論の説明をした記憶があります。

ガリ勉タイプではなかったけれど、興味のあることにはずば抜けていたと思います。

今の趣味はゴルフとドライブで、いたって普通の人間です」

 

Q2-NASAに行かれたそのきっかけは何ですか?

 

「小学6年の時、アポロ11号が月面着陸をしたのですが、

宇宙飛行士と管制との会話に何かおかしいと思ったのがきっかけといえます。

その頃には僕は同時通訳を勉強していましたので、西山千氏の訳し方や宇宙飛行士の言葉にひっかかるものを感じたのです。

一般の方は何も気がつかれなかったと思うのですが、僕はその時から

何かこれは作られたものだなと気づいておりました。

NASAにはその頃から行きたいと思っていましたが、NASAに行くようになったのは別の文脈といえます。

学生時代は航空宇宙医学、宇宙ステ-ション内の人体活性度、生体機能変化等を勉強していました。

 

卒業してインタ-ンを終えると、ニュ-ヨ-クのベルビュウ病院に2年間、ドイツミュンヘントロマド国立病院に6ヶ月間アシスタント・レジデントとして働き、また米国のミュルスタ-シュ-リッツ国立病院でも勉強したのです。

 

知り合ったNASAの航空物理学者ハドソン氏からNASAで勉強しないかといわれましたが、日本にとりあえず戻ったのです。でも招待状が届きまして、学部長に相談したのです。

 

<こんな機会は滅多にないので、勉強してきたらどうか>と勧められ、行ったのです。滞在中のホテルや食事は全て最高の待遇でした。

 

日本で勉強した航空宇宙医学の延長線を立体的に研究する毎日でした。本題の中心となるところですけれども、NASAの表の部分、裏の部分、その辺の歴史もはっきりと教えられまして、<極秘>ということで、裏の部分も見せていただきました」

 

Q3-NASAはどういうところでしたか?警備体制は如何でしたか?

 

「一番の印象は表と裏の部分が極端に違うということです。

 

どうでも良いというところが緊迫感あふれた警備体制になっています。NASAは世界各国の民間企業が優秀な技術者を送り込んでいる

西側の宇宙開発の完全組織といえます。ソ連が崩壊した今では唯一の宇宙機関といえるでしょう。NASAには40年間収集した膨大な資料・写真がありますが、

一般に公開したのはホンの一部でしかありません。月面着陸のデ-タですら1%にも満たないと思います。秘密の部分がないとするなら、全て公表しても良いと思うのです。カ-タ-元大統領が州知事だった頃、UFOに遭遇しました。NASAに問い合わせると、<NASAはUFOの調査にあたる機関ではない>という回答がホワイトハウスに届いたのです。

またNASAはUFOに関する調査計画は一切ないという返事もしております。

 

でも誰に聞いても何かがあることはわかると思います。

僕がどうして異星人の組織まで入り込めたか、それは表面上はドクタ-だからというのですが、それよりも僕の物理の理論に関わるのではないかと思うのです。その理論がUFOの推進システムと深い関係があるのではないかと考えています」