日本は津波による大きな被害をうけるだろう UFOアガルタのシャンバラ 

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陸軍統制派は、高度国防国家をつくって統制経済を進めようという軍官僚たちであった(1)

 

 

『「情の力」で勝つ日本』

日下公人  PHP 2018/5/17

 

 

 

以心伝心と直観力のアナロジーの威力

日本人の強みは何か。これまで、いろいろな機会を捉えては、そのことについて語ってきた。いの一番を挙げるとするならば、やはり「情」ではなかろうか。

 一昔前の日本人なら、「情」は、ごく当たり前のものだった。「情」がなければ世の中は動くものではないと思っていた。

 

・皆までいわずとも以心伝心なのだから、考えてみれば、こんな効率の良いやり方はない。これもすべて、「情」と「信頼」のなせるわざである。

 これは、最近流行りのロジカルシンキング(論理的思考)などよりも、遥かに高度で優秀な手法である。日本が世界の中で圧倒的に強いのも、まさにこの手法の達人だからである。

 

・日本人は心と心で通いあう境地がある。そもそも日本は、昔から知と情の二本立て、「漢意」と「やまと心」が並び立つ国であった。

 

さらにいえば、日本は長い期間にわたって民族が固定しており、いわばメンバー固定制だった。民族大移動を経験しているヨーロッパはじめ世界の他の地域と比べて、「以心伝心」が成立しやすい環境だったといえる。

 

・つまり、日本人は全員が詩人の才能を持っているのである。やまと心を持った日本人とは、言葉でなく心がわかり、詩で表現し、行動で結論を見せる人のことである。

 そのすごさを、いまこそ日本人はしっかりと認識したほうがよい。これぞまさに、日本の強さの根本部分なのだから。

 

「子供は神の子、仏の子」の素晴らしさ

・では、日本人はなぜ、「情」をよく理解できるのだろうか。

 そこで大きいのは、「子供をいかに情愛をもって育てるか」ということについて、日本人は欧米人とはまったく違っていることである。

 

・反対に日本では、「子供は神の子、仏の子」といわれて、授かった子供をとても大切にした。3歳、5歳、7歳で、神の子、仏の子から少しずつ人間になっていく。7歳になると、「これでもう人間になりました」と、お宮参りに行ってお礼をいう。つまり日本人は、「神様・仏様から人間になっていく」と考えてきたのである。

 

子供のころ、親と一緒に寝ることができなかった西洋人は、日本人と比べれば根本的なところで「情愛欠乏症」といってもよい。家庭にいても愛情が少ないから、子供は18歳になると、追い出さなくても自分で出て行く。ベビー・シッターというアルバイトがあり、女子大生などが子供と遊んでくれるが、ベビー・シッターは親の代わりに愛情をかけることはできない。

 西洋人が「論理」ばかりに偏ってしまうのは、子供のころからあまり愛情をかけられずに育つので、「情」が育たず、情で納得するという経験が少ないからではないかとさえ思えてくるのである。

 

順番は「情」「知」「意」

さらに戦前の日本では、学校教育でも「情」の教育を重んじていた。戦前の教科書を見ていると、「義理人情を兼ね備えた人間をつくろう」という方針だったことがわかる。よく「知情意」といわれるが、当時の人たちは、子供たちには最初に「情」を教え、次に「知」を教え、最後に「意」を教えるようにしていたのである。

 

・昭和初期の教科書になると、文部省唱歌の『兵隊さん』という歌が入っていた。先生がオルガンを弾いて、みんな歌っていたが、歌詞には「兵隊さんはきれいだな 兵隊さんは大好きだ」「兵隊さんは勇ましい 兵隊さんは大好きだ」「とっとこ とっとこ 歩いている」などとあって、兵隊さんの情景が描写されている。

 このようなものを挙げると、「日本は軍国主義を進めようとしていたのでしょう」と批判する人も出てくるだろうが、それはあまりに短絡的なものの見方である。当時の学校では、子供に軍国主義を教えようとしたわけではなく「勇ましさ」を教えることが目的だった。先生たちは、勇ましいけれども、優しいことが大事だと教えていた。

 

このように小学校3年生までは。子供たちの情感を育てることに、ことさら力が入れられていた。

「お花がきれいです」「兵隊さんは勇ましい」といったことを習って、「情」が育っていくと、いろいろなことに好奇心がわいてくる。「花のことを知りたい」「自然のことを知りたい」「兵隊さんのことを知りたい」「艦船や飛行機のような機械のことを知りたい」という気持ちになって、「知」を求める気持ちが出てくる。

 そういう気持ちが出てきたところで、「知」の教育を始める。

 3年生までは「桜の花はきれいです」と教えていたが、4年生になると、「桜は花びらが5枚あります」と教える。数量の単位と計算が出てくる。

 子供たちは、桜がきれいで、桜が好きだという感情を持っているから、桜のことに興味がわいて「花びらが5枚」ということは、すぐに覚える。情が育った子供たちは、ものすごい勢いで「知」を吸収していく。4年生から「知」を教えはじめてもまったく遅くない。無理やり覚えこまされた知識と違い、「情」を前提にした知識なのですぐに身について、知識が非常に生かされる。

 

・「知」が育っていくと、「俺も上の学校に行くぞ」「私も女学校に行きたい」という気持ちになって、「意欲」が出てくる。まさに「意」が育つのである。

 このように、「情」が育てば、「知」が育ち、続いて「意」が育つことを、明治、大正の人たちは、よくわかっていた。

 この方針は非常にうまくいき、日本は多くの人材を輩出した。

 

<日本の兵隊が強かった本当の理由>

さらにいうならば、日本の場合、実は教科書を読まなくても、教科書に書かれているような内容は全国の子供たちはすでにわかっていた。それは、おばあちゃんから聞いていたからだった。

 昔の農村、漁村にはお坊さんがいて、お坊さんが法事のたびごとに法話を語っていた。それを散々聴いていたおばあちゃんたちが、ありがたい話としてそれを孫たちに語って聴かせていたのである。これで「情」が育たないほうがおかしい。

 

日本人とユダヤ人が手を組むのは自然な成り行き>

・いうまでもなく、ユダヤ人を迫害したのはドイツ人ばかりではない。戦争中に白人はユダヤ人を救ったかのように見えたが、元来、キリスト教徒である白人は、宗教が違うユダヤ人とは仲良くしたくないと思っている。

 私はキリスト教で育ったからよくわかるが、戦前、ヨーロッパの人たちはユダヤ人の友達と思われないように、みんな用心していた。キリスト教徒がユダヤ教徒と仲良くしていると見られるわけにはいかなかった。

 

・戦争が終わって以降、アメリカでは白人がユダヤ人を露骨に差別するのではなく、論理を使って差別をした。この世の中には論理的なインチキというものがある。

「こいつを上にしたい。こいつを落としたい」と思えば、配点を変えればいい。そうすると、論理的な理屈をつけて、気に入らない人間を落とすことができる。「ユダヤ人だから落としたんじゃないよ。点数が低いから落としたんだよ」といえる。ユダヤ人はそのようなインチキに対して猛烈に怒った。

 1960年代の公民権運動のときには、黒人とユダヤ人が一緒にバスに乗り、「公平にせよ」と抗議の声を上げた。日本では公民権運動は黒人の運動と伝えられているが、実際には、黒人とユダヤ人の連合だった。

 そのようなことを考えてみると、日本人とユダヤ人とが手をくむことは、むしろ自然な成り行きだったかもしれない。

 

ユダヤ人はキリスト教徒に迫害されて、仕事でも差別をされた。ユダヤ人が金融業で成功したのは、そもそもキリスト教徒たちが金融業を毛嫌いしたので、ユダヤ人がそれを担うしかなかったことも大きい。金融に行けなかったユダヤ人たちは、流通や娯楽産業に流れた。

 ユダヤ人にテレビを売ってもらうことで、ヨーロッパのソニーはうまく行き始めた。私は、欧米人から「日本人はなぜユダヤ人といつもくっついているのか」と聞かれたことがある。「それは、あなた方が日本人とユダヤ人を差別するからですよ」と答えた。はぐれ者同士だから仲良くなった。

 

<欧米名門大学の「クラブ」の役割>

・西洋社会では、市民革命が起きた時代以降、貴族という「身内」の代わりに、新しい「身内」として独特のインナーサークルが作られた。フリーメイソンなるものの存在が指摘されたことがあるが、それほど特別なものではない。

 そのようなものばかりでなく、欧米社会では、大学に進んだエリートのなかで、そのような「身内」が形成される。

 

<「ロジカルシンキング」で日本経済は弱くなった>

・このようなことを見ていくと、日本経済が弱くなったのは、「情」を大切にしなくなり、アメリカの「使用人根性」の理屈で考えるようになったからであることが、しみじみ実感される。

 日本経済が成長しているころは、経営者も社員も「理屈」などどうでもよかった。先人たちが形づくってきた人間関係の財産を生かし、日本人としての「情」を大事にして相手との関係をつくっていったら、結果的に会社が伸びていった。

 ところが、いつのまにか欧米のまねをして「ロジカルシンキング」が重要と言い出す人間が出てきた。世の中で「ロジカルシンキング」に関連する本が売れ始めてから、日本経済はどんどん弱くなった。

 

<性悪な者たちを打ち破る方法>

・われわれ日本人から見れば、世界はまさに性悪の国ばかりだ。人を騙そうとして悪智恵コンテストをやっているような人間がゴロゴロいる。

 そういう性悪な人間にかかれば、日本人は人がいいから、1回くらいは騙せるだろう。だが、1回かぎりである。

 

<バスの黒人席に座ってみると>

・黒人にも、日本人に大変な尊敬心を抱いてくれている人が多い。

 だいぶ昔の話だが、サンフランシスコでバスに乗ったとき、前のほうは白人ばかりが座っていて、後部座席はすべて黒人で埋まっていた。私が行ったとき、仕切りはなかったが、その前の時代には黒人席と白人席で仕切りがあったはずだ。

 

・白人住宅街を過ぎると、日本人街、ベトナム人街、韓国人街、黒人街がある。黒人街のまっただ中に日本人街があった。

 満員のバスの中で、白人と黒人が前と後ろにはっきりと分かれているのを見て「これが、アメリカか」と興味深かった。

 白人が降りてゆくと、バスが空いている。黒人たちは私に白人席に座るようにいった。「お座りください」と非常に丁寧な対応である。日本人は、黒人から見ると名誉白人みたいなもので、白人がいないときには白人席に座れるようだった。

 

帝国陸軍の派閥争いの悲劇>

・まず指摘すべきは、当時の日本は残念ながら一丸となって戦争を戦い抜くような状況ではなかったことである。陸軍も海軍も、まず資材の取りあいなどで、お互いに戦っていた。戦争に勝つよりもそれが大事で、次は自分の出世だった。

 

・たとえば陸軍では、昭和6年(1931)ごろから皇道派と統制派のあいだの派閥抗争が激化した。結局、昭和11年(1936)の2・26事件で、皇道派青年将校たちが蹶起して反乱軍となったために、派閥争いは結果的に統制派が勝ちを収めることになるが、統制派が勝ったことで、ガチガチの日本軍になって戦争に負けたのではないかと思う。

 統制派は、高度国防国家をつくって統制経済を進めようという軍官僚たちであった。ひと言でいえば、ソ連やドイツの全体主義的な手法に感心して、日本もその手法で総力戦を戦えるような国にしようとした人びとである。

 それに対して、皇道派を率いた軍人のなかには対ロシアのインテリジェンスを担っていた人たちも多く、彼らは共産ロシアの脅威を骨身に染みて知っていた。戦争に強い人材も、皇道派のほうが多かった。

 皇道派が派閥争いに勝ったら戦争に勝っていたとはいえないが、少なくとも、日本陸軍のなかで多様性がなくなってしまったことは間違いない。統制派の天下となって、統制派に迎合する人がたくさん出てきた。

 統制派が「国家統制」の名を借りて何をしたか。「どうすれば戦争に勝つか」ということを研究したのではなく、派閥の得になることだけをやったように思える。東條英樹も統制派の重要人物だが、後年、「昭和17年は1年間もったいないことをした」といっていたといわれる。そんなひと言で済む話ではない。

 

・彼は昭和19年(1944)には、統制への熱情からか、首相、陸軍大臣参謀総長の三職を兼任することになる。だが、近代戦争という複雑な状況を、一人だけの力で乗り切れるはずがない。彼が三職を兼任するようになったのは、軍の指揮を行なう軍令(参謀本部)と政府との連携がうまくいかなかったことが理由だが、これはつまり、日本が一丸となって戦争に臨む体制になっていなかったことの証左である。

 

<もし日本が参戦せず、あと10年頑張ったら………>

もう一ついえること、それは、ちょうど開戦の直前のころが、日本の経済力や工業技術力が、ようやく欧米と肩を並べはじめた時期だったということである。もう少し時間が経てば、その面での状況も大きく変わっていたことだろう。

 実は、大東亜戦争に突入する前、日本は高度成長が続いていた。その勢いはすごかった。私が生まれたのは昭和5年(1930)だが、そのころから高度成長が始まった。昭和15年ごろには、高度成長が10年間も続いていた。昭和14年ごろが戦前の日本経済のピークだった。

 日本中にたくさんの小型車メーカーができた。国民は「もうしばらくしたら、小型車を買えるかもしれない」と思いはじめた時期だった。

 工業技術も、ようやく追いついてきた時期だった。なにしろ当時の日本で、2千トン大型のプレス機を持っているのは、民間の川西航空機ぐらいで、そのプレスで4発機用の主桁(翼を支える桁)を圧延する能力が、日本の4発機生産能力のすべてだった。毛織物で巨額の富を築いた川西清兵衛は、「儲けた金は好きに使う」といって、川西航空機を設立し、大型のプレス機を買った。プレスして大型機の主翼をつくれるから、彼の買ったプレス機は大きな力を発揮した。

 

戦後になって分かったことだが、アメリカは川西航空機にしか大型プレス機がないことを知っていた。川西航空機の製造能力以上には大型機をつくれないことを見抜いていた。

 昭和16年(1941)になると、日本は大型プレス機を海外から買えなくなった。アメリカが輸出禁止にしたのである。だから、その前にアメリカやドイツから大型プレス機をたくさん買っておけば、かなり違った戦い方ができたであろう。支那事変に大軍を派遣して、多額の人件費を使うくらいなら、大型プレス機を買っておいたほうが、対米戦に備えるためにはよかった。そして日本の工業力は、十分にそれを使いこなせるレベルにまで来ていた。

 軍備においては。もっと潜水艦の戦力を増強する方法もあった。そのほうが遥かに実際の日米戦の役に立っただろう。やろうと思えば、ハンコ一つでできることだった。

 

アメリカはたくさんの国の集まりだ。アメリカ合衆国憲法の下では、各州は独立国で、いつでも合衆国を離脱できるとされている。それをリンカーンが「分かれ争う家はもたず」といって、離脱しようとする南部を止めて連邦制を維持すべく、南北戦争を仕掛けた歴史がある。

 イギリスは、ヨーロッパでの戦争に介入してくれそうな大統領を当選させるために、盛んにインテリジェンス工作を行なった。中国も、アメリカを戦争に巻き込もうと、アメリカ留学歴のある蒋介石の妻・宋美齢を送り込むことまでして、工作活動を行なっていた。ならば逆に日本は、日本と手を組めそうな大統領を当選させるべく、力を尽くしてもよかったし、中国の排日活動はあまりに卑劣だったから、戦争を仕掛けてきたのは中国だという事実を、もっと大がかりに宣伝してもよかった。

 

当時はアメリカに対して「こんな大きい国には勝てない」と、はじめからあきらめていたが、やりようはあった。いろいろな手を打てば、もう少し戦いようがあった。

 アメリカとしては、中国市場の争奪戦で日本に追い越されると困るから、ルーズベルトは躍起になって日本潰しを画策した。

 

あるいは、日本が第2次世界大戦に参戦せず、あと10年頑張ったら、アメリカにかなり迫ることができたのではないか、とさえ思う。

 

世界に伝える努力が圧倒的に足りなかった

・日本が戦争のためにやるべきことは、ほかにもたくさんあった。

たとえば、もっと早くから「大東亜共栄圏」の構想を打ち出して、アジア解放を高らかに謳っていれば、日本人が善意で戦っていることを世界に対して明確にできた。

 

また、日本は国策としてユダヤ人を丁重に扱っていたが、それを世界に報せる努力が圧倒的に足りなかった。

 ユダヤ人を救ったといえば、外務省の杉原千畝の話が有名だが、そのほかにも陸軍の樋口季一郎などの活躍があった。ユダヤ人が数多く亡命してきていた満州のハルピンで、昭和12年(1937)に第1回ユダヤ人大会が開かれたとき、かの地の特務機関長を務めていた樋口が支援をしている。また翌昭和13年には、シベリア鉄道経由で迫害から逃れてきたユダヤ人を、樋口が先頭に立って救っている。オートポール事件と呼ばれる出来事である。

 だが、日本はドイツと同盟してしまっていたので、ドイツに気兼ねしたところがあった。げんに、オートポール事件が起きると、ドイツのリッベントロップ外相が抗議してきた。日本は「人道支援のため」とはねつけてはいるが、しかしドイツの顔も立てなくては、などと遠慮して、あまり大々的に宣伝したりはしなかった。

 それが日本の悪いところである。ドイツなど蹴飛ばして、もっと毅然とした態度で世界に対して、「日本はユダヤ人の人道も守ります」と訴えればよかった。

  

・戦争開始直前にハル・ノートを突きつけられたときにも、日本はハル・ノートを公表するべきだった。そうすれば、「これを受け入れれば、戦争にならないのなら、まずは受け入れてはどうか、明治天皇日清戦争のあと、ロシア、ドイツ、フランスに三国干渉をされた際、臥薪嘗胆を貫かれたのだから、まあ、これで済めば御の字だ」と考える日本人も数多く出てきたに違いない。日本の庶民は、元来、賢い、そういう世論が高まれば、大東亜戦争は起こらなかったかもしれない。

 私はこの話を渡辺昇一さんに話したところ、渡辺さんは、「ハル・ノートを公表せずに隠したのは、支那事変で毎年3万人くらいの戦死者が出ていたからだ。陸軍は、その責任を問われたくなかった。要するに失敗隠しだ。その結果、英霊がさらに増えてしまった」と怒っておられた。

 

昭和天皇は、毎年3万人も戦死しているような戦争をやめるように東條英樹首相に伝え、それを聞いた東條首相は、最初は「大御心は平和であるぞ」といって走り回っていた。中国相手の戦争ならば負けることはない。中国との戦争に踏み切ったことで、軍人たちはお金をもらえるようになり、勲章ももらい、出世もした。

 

・お金や出世のために戦争をするようでは本末転倒だが、陸軍が暴走したといわれる背景には、そういう下世話な考えもあった。結局、東條は昭和天皇のいうことも聞かず、陸軍の「情」に流され、大東亜戦争に突入したたぶんドイツ必勝説に目が眩んだのだろう。戦争をもっと長期戦で考えるべきだった。チャーチルを失敗者にする方法も考えるべきだった。早くいえば、日本陸軍には田舎者しかいなかった。

 

<苦境にも日本人の使命と希望を語りつづけられた昭和天皇

・そこで昭和天皇はこのような趣旨のことをおっしゃったと伝わっている。

陸海軍のしてきたことは予定と結果が大変に違う場合が多い。このような状態で本土決戦に突入したらどうなるか、自分は非常に心配である。自分の任務は祖先から受け継いだこの日本を、子供に伝えることである。自分は明治天皇の三国干渉のときのお心持ちを考え、自分のことはどうなっても構わない。耐え難きこと、忍び難きことであるが、この戦争をやめる決心をした

 かくして日本は終戦へと至るのだが、このときの昭和天皇の「自分はどうなっても構わない」というお言葉は、何の嘘偽りもなかった。

 

<情の力>

ギリシア人は「人が考えることは、エロスとパトスとロゴスの合計だ」と考えたが、日本人は「すべてはエロスが基底にある」と考えるギリシア人も人間の根源は「エロス」にあると考えていたが、日本人の考え方や感じ方は、さらに透徹している。「情」の国、日本らしい発想である。

 

・日本人は、「上司からも仲間からも、情をもって話してほしい。命令してほしい。そうしてもらえばやる気が倍になるのに」と思っているが、欧米人は「情は、理や意と関係ない」と思っている。

だが、「情の力」がとてつもないものであることは、本書で述べてきたとおりである。岡潔も、俳句の本だけを持ってヨーロッパへ行き、俳句がわかったとき、数学の三大難問が自然に解けたといっている。「情」があれば、頭もよくなるのである。

 とすれば、科学の進歩も先端開発は日本人がすることになると思っていたら、山中伸弥氏のノーベル賞受賞があって、それに続く日本人が何人も出てきた。そこに「情の力」があると考え、いまは「情の力」を伸ばす子供の育て方について考えているが、非力のため、まずはここまででご勘弁ください。

 

 

 

『新しい日本人が日本と世界を変える』

日下公人  PHP     2017/1/12

 

 

 

世界が待ち望む「新しい日本人」の出動

さて、こんな時代は終わりを告げている。「新しい日本人」による「新しい日本」が始まっている。「新しい日本人」とは、こんな人たちである。

  1. 歴史伝統の連続性を尊ぶ
  2. 学校秀才ではない
  3. 優位戦思考を持っている
  4. 先入観、固定観念に囚われない
  5. 物事をストーリーとして表現できる
  6. 一生懸命に働く

<日本人が英語を主体に考えると「知」が劣化する>

・私の経験から言えば、日本人が英語を主体にモノを考えはじめると「知」が劣化する。これは日本語にあって英語にはない単語やニュアンスがたくさんあるかかもしれない。

 アメリカ人を相手に講演するとき、通訳つきでも話がなかなか伝わらなくてくたびれるのは、根本的に文明や文化、思想が違うからである。そのなかでアメリカ人にわかることだけを伝えようとして、彼らの言葉で考えると、ものすごく程度が下がってしまう。

 

・「新しい日本人」は「夷を以て夷を制す」ということと、「夷によって夷に寄り添う」ことの違いを理解しなければならない。そして、その苦悩を引き受ける必要がある。

 しかし、苦悩はやがて日本の常識や価値観が世界に伝わるにつれ、軽減されてくる。逆に世界が日本化してくる時代の到来まで辛抱することが大事である。時間がかかったが、その時代の足音をはっきり聞こえてくる。

 

「地球人類の理想」より「気概を持ったローカリズム」を

日本国憲法は、戦前と戦後の歴史的紐帯を断ち切られている。米国に次ぐ「民主主義の実験国」を建設することを日本国民に強いたものといえる。

 いささか極端に聞こえるかもしれないが、その本質を「言葉」から見れば、日本語ではなく英語でモノを考える日本人をつくることである。70年余を経て、それは「世界標準」とか「グローバル・スタンダード」といった言葉で日本人に浸透し、アメリカ主導の価値観を普遍性と見なし、それに日本という国が従属していくことを求められる過程を示している。

 

そして1国の憲法とは、普遍的な地球人類の理想を追求するものである必要はなく、そこに暮らす人間のローカリズムに根ざした価値観、歴史的な慣習や常識に照らしてつくればよい。そこに立ち返ったとき、日本は自らを守る力を持つと同時に、もっと自由で豊かな国になれると私は思っている。

 

<なぜスイスは第2次世界大戦中も中立を守れたか>

・戦う覚悟と準備を持つことは必要である。それを発動するかどうかは相手と国際情勢による。覚悟と準備という視点から見れば、永世中立を宣言しているスイスは、平和愛好国のイメージから日本人には意外かもしれないが、「国民皆兵」を国是とし、徴兵制を採用している。

 

こうしてスイス政府は最大で85万の国民を動員し、スイス空軍は自ら約2百機を失いながら、連合国側・枢軸国側を問わず領空侵犯機を迎撃し、強制着陸させたり撃墜したりした。

 

軍隊を持つことは、戦争に対する最も有効な抑止力であり、戦争を仕掛ける準備だから保持しないと考えるのは幼稚でしかない。平和維持にはそれだけの覚悟と労力がいることを、彼らは理解していた。

 

スイス国民の平和を守るための覚悟、努力、負担、気迫

平成27年の安全保障法制論議の際に叫ばれた「戦争法案反対!」という空疎なスローガンに共鳴するスイス国民はいないだろう。

 

金融工学を駆使したモラルなき秀才たちがもたらした後遺症

・米国型資本主義モデルとは、世界最大の債務国米国が日本をはじめとする外部からの資本をニューヨーク・ウォール街に引き寄せることで成り立つ。そのための枠組みはグローバルな金融自由化ばかりではない。株主利益を最優先する企業統治という仕掛けとグローバリゼーションは一体化している。

 

わかりやすくいえば、「会社は従業員とその家族のものではなく、雇われ社長のものでもなく、株主と投資家のものである」となる。さらに最も効率よく利益を上げられるのは「モノづくり」ではなく、金融商品の開発と売買であり、その自由化を推し進めることが正しいと見なされている。

 

結果としてハイリターンを謳ったサブプライム住宅ローンの証券は紙くず同然となり、それを組み込んだ金融商品の価格も下落して、市場では投げ売り状態に陥った。金融主導で「強欲」を商品化した報いといえばそれまでだが、2008年9月にサブプライムローンに乗っかった大手投資銀行グループの「リーマン・ブラザーズ」が倒産し、それが引き金となって世界的な金融危機が起きた。

 金融工学を駆使したモラルなき秀才たちが経済を動かした結果である。この後遺症は、いまも続いている。

 

白人中間層は「モノづくり」の復権を求めている

・金融主導のグローバリズム経済の直撃を受けたのが、アメリカでは白人中間層の労働者たちだった。そもそも経済のグローバル化を称揚する国際金融資本や多国籍企業にとって、国境はまったく関係はない。

 彼らは事業を展開する国々の歴史伝統や慣習に関心はなく、尊重する気もない。むしろビジネスの障壁と考えている。

 安い労働力を確保できるなら国籍は問わない。極端にいえば、不法移民でもかまわない。それなら、なおこの低賃金で社会保障も考えなくて済む。

 トランプ氏は選挙戦で、アメリカ社会の中核である白人中間層の職を奪う自由貿易協定の破棄や移民排斥を訴えて支持を集めたが、それはこうしたグローバリズムを推し進める存在への反発を掬い上げる政治家がこれまでいなかったからである。

 グローバル企業はメディアに大きな影響力を持っている。トランプ氏の過激な発言は、そうした構造に風穴を開け、マスメディアに現れない「民意」を刺激しようとするものだった。大衆の感情に訴え、挑発し、扇動したのは一種の計算だったと私は見ている。

 

・たとえばハーバード大学を卒業するには、学部にもよるが、約3千万円が必要だとされる。ところが、その奨学金ローンの金利が上がっている。2015年の卒業生1人当たりの学費ローンの平均は約3万5千ドルだという。

 

<グローバル経済は、あらゆるものを金儲けのビジネスにする>

・現在、アメリカの若年層失業率は14%である。日本が5%未満であることと比べると、就労そのものが厳しいといえる。働いて奨学金を返済しようにもできない現実が、若者の前にある。それが奨学金ローンの金利は下がらない。

 これらは何を意味するか。金融資本に主導されたグローバル経済は、あらゆるものを金儲けのビジネスにするということである。これらを正当化するためには彼らは「自由競争」「市場原理」「自己責任」を主張する。

 ちなみに日本も、この言葉が溢れかえった時代がある。いまもこれを声高に口にする政治家や経済学者がいる。安倍首相もその仲間に数える向きもある。

 

環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)に反対の立場でトランプ氏は次期米大統領になった。日本では「自由貿易の経済ルール」を主導するためとして国会で条約案を批准したが、これは当初構想されたようなかたちでは成立しないだろう。

 TPPを含めた日本の経済問題については後述するが、安倍首相はいま一度日本の何を守るのかという根本に立ち返って経済政策を考えてほしい。

 

<世界は新しい秩序を求めはじめている>

・英国のEUからの離脱は国際金融資本が主導する経済体制への「国民」の反発の現れである。米国の有権者も英国民と同じくグローバリズムに反発を強めた結果、「敵はウォール街だ」という、劇薬の塊のようなトランプ氏を大統領に選んだ。

 一般化していえば、英国のEU離脱や米大統領にトランプ氏が選ばれたことは、反グローバリズム、反普遍主義、反エスタブリッシュメント(支配層)という、それぞれの国民意識の底流が反映されたものである。

 世界は新しい秩序を求めはじめている。それは欧米が主導した秩序の行き詰まりを意味している。これからの時代はグローバリズムからローカリズムの時代に移っていく。言葉を換えれば、グローバリズムに対するエスニックの時代、エスニシティの時代ともいえる。

 

構造改革」に日本の「国益」はあったか

・この30年近くを振り返れば、日本はアメリカの望む規制緩和を行い、市場を開放し、金融を自由化して、グローバリズムを受け入れてきた。しかし問題なのは、それを主導したのが主に「崇洋媚外」の人々だったことである。

 政治家や官僚、学者や経済人は国際化の重要性を語ったが、はたしてそこに日本の「国益」はあったか、「国民」の利益はあったかということを改めて問わねばならない。

 

誤魔化さず正視すれば、近年の日本におけるグローバリズムとは、結局、アメリカにいかに寄り添うかということだった。「新しい日本人」はこの認識からスタートし、そこから脱却しなければならない。

 

日本国家の歩みは“終わりのない芝居”

北朝鮮はやがて内部から自壊する」という見方は甘い

・独裁者は常に周囲に敵をつくっておかなければもたない。それによって内部を統制し、自らの立場を守るのが常である。

 

・亡命幹部は平壌での民心動向の把握が担当で、金氏に対する平壌市民らの感情が悪化していると韓国当局に証言したという。だが、これはどこまで本当かわからない。金一族への民心の離反はこれまで度々伝えられたが、「北朝鮮のように人民に貧困を強いる体制が長続きするはずはない」「やがて内部から自壊する」という見方は甘い。

 それは日本やアメリカのような豊かな国の発想で、彼らは豊かさを現実に経験したことがないから、彼我を比べて貧しいという実感に乏しい。北朝鮮の人民が餓死する前に反乱を起こすというのは、民主主義国に住む人間の希望的観測である。

 

中国には経済の基本である「信用」がない

・経済の実態としては“張り子の虎”のようなもので、製造しているものは日本をはじめとする先進国のコピーにすぎない。共産党官僚などの特権階級が地方からの農民工(出稼ぎ労働者)を低賃金で酷使し、低価格を売りに世界に輸出攻勢をかけた結果の数字である。国内の不動産バブルは、本来存在しない需要を無理に生み出したものでしかない。

 中国当局の統計数字は当てにならないが、国際決済銀行(BIS)の統計によれば、2015年末までの3年間で中国の企業、政府、家計の債務合計は約920兆円増加したという。経済の実態が健全で透明性があれば借金が増えても信用不安は起きないが、中国はその条件を満たしていない。共産党の強権が綱渡りを可能にしているだけと見てよい。

 

・中国の国有企業でさえ、それらの地域に逃げはじめた。IMFの推計によれば中国の不良債権は2016年3月末の時点でGDPの2割を超え、さらに増加している。それでいて人民元をSDRに加えたのだから、国際機関がいかに国際社会のことを真剣に考えていないかがわかる。

 

<あちこちに出てきている中国経済の綻び>

・現実に中国経済の綻びは、あちこちに出てきている。中国が日本に対抗して進める高速道路計画を中心としたインフラ輸出が、世界各地で頓挫や延期などの事態に陥っている。

 

<「日本も原子力潜水艦を建造する用意がある」と言えばよい> 

・さらに中国海軍のフリゲート艦や駆逐艦、潜水艦、海洋局の公船などの稼働率は全体で4割に満たないという情報もある。戦闘機も同様で、中国空軍の「殲」シリーズの母体はロシアのスホイ戦闘機だが、ライセンス国産以外のエンジンはロシアでオーバーホールしているため稼働率が著しく低く、保有数どおりの戦力になっていない。ショーウインドウに一見豪華な玩具を並べているようなものである。

 日本としては、彼らの行動を横目で見ながら「日本も原子力潜水艦を建造する用意がある」とでも言っておくことが優位戦思考による抑止力の発揮となる。

 

「歴史戦」の反撃強化で「新しい日本」が登場する

・反論の先頭に立つべき外務省が及び腰で、これまで民間有志が国に代わって抗議の声を挙げてきたが、公的機関である自治体が加われば、「歴史戦」の反撃強化となる。「新しい日本」の登場である。