UFOアガルタのシャンバラ 日本は津波による大きな被害をうけるだろう

コンタクティやチャネラーの情報を集めています。

キリストの墓の所在地は、青森県三戸郡新郷村だ。昭和30年までは、このあたりは戸来村という名だった。「へらい」って「ヘブライ」に語感が近いかも……、いや近い。これが、戸来にキリストの墓があると断定された根拠のひとつらしい。(1)

 

 

『お友達からお願いします』

三浦しをん   大和書房    2012/8/11

 

 

 

<キリストの墓とピラミッド>

日本にキリストの墓があると知ったのは、もう十年以上前のことだ。

大学の同級生から、

「俺、夏休みに、青森のあるキリストの墓に行ってきたんだ!」

と自慢され、耳(と同級生の正気)を疑った。「青森」「キリスト」「墓」という、きわめて常識的な単語が3つ合体しただけなのに、なんと非常識なイメージが喚起されることだろう。キリストはその墓の下で泣いていないのか? ていうか、復活し昇天したはずのキリストに、墓があっていいのか?

はたして、青森にあるキリストの墓は本物なのか。「本物のはずないだろう」と理性が激しく告げているが、現物を見に行ってみることにした。

 キリストの墓の所在地は、青森県三戸郡新郷村だ。昭和30年までは、このあたりは戸来村という名だった。「へらい」って「ヘブライ」に語感が近いかも……、いや近い。これが、戸来にキリストの墓があると断定された根拠のひとつらしい。

 

・キリストの墓は、小高い山の上にあった。平時にもかかわらず、駐車場には青森ナンバーと岩手ナンバーの車が1台ずつ停まっており、2組のカップルが整備された公園を散策していた。いまこの瞬間に、運転手さんと私を含め、総勢6名もの人間がキリストの墓を見物にきているとは…………!衝撃を受ける。

 駐車場から歩いて坂を上り、いよいよキリストの墓と対面だ。土まんじゅうが2つあり、それぞれに巨大な木製の十字架が突き刺さっている。地面には、エルサレム市から贈られた友好のプレートが埋めこまれている。勝手にキリストの墓だなどと言って、宗教戦争が勃発するのではないかと懸念していたのだが、大丈夫なようだ。

 

謎といえば、なぜ十字架が2つあるのかも謎だ。案内板によれば、一つはキリストの弟、イスキリの墓とのこと。イスキリなんて名前、聖書に出てきたか?

「右と左、どっちがイスキリの墓なんでしょうか」

「どっちだろうねぇ」

 

・敷地内の「キリストの里伝承館」(入館料2百円。財布を車に置いてきてしまったので、運転手さんに金を借りる)において、謎がいくつか解明された。

  • 向って右がキリストの墓、左がイスキリの耳と聖母マリアの頭髪を葬った墓である。
  • キリストは磔刑を免れ、戸来にやってきて106歳まで生きた。戸来では布教活動はせず、「十来太郎」と名乗っていた。
  • ここがキリストの墓だと判明したのは、いまから約70年前。『竹内文書』の記述に基づき、研究家が茨城県からやってきて発見した。

 

 

 竹内文書』の信憑性については、ここでは問うのをやめにしよう。なんの変哲もない土まんじゅうを、『竹内文書』の研究家がキリストの墓と認定した理由は、戸来に伝わる風習のためでもある。

 

 風習その1、「ナニャドヤラー、ナニャドナサレノ、ナニャドヤラー」という呪文のような歌を歌いながら、盆踊りをする。

 風習その2、生まれた子どもがはじめて屋外に出るとき、魔除けとして額に墨で十字を書く。

 

 風習1に関しては、ヘブライ語説とか、いろいろあるらしい。たぶん日本語じゃないかと、私は思うが、風習2に関しては、とある証言を得たので後述する。

 さて、戸来のすごさはキリストの墓のみではない。なんと、ピラミッドもあるのだ! これも『竹内文書』に基づき発見された。………もうさあ、どうなの、『竹内文書』。

 いやいや、気を取り直してタクシーに乗り、さらに山のほうへ向かおうではないか。「大石神ピラミッド」は、「下」と「上」の2カ所にあるのだが、まずは車で行きやすい「下」から。

 おお、あったあった。山腹の杉林のなかに、大きな岩がドカンドカンと転がっている。運転手さんいわく、「この近くに、ほかにこんな石はない」とのこと。古代人は太陽を礼拝するために、大岩をわざわざ山の上に運びあげたらしい。私には自然石が露出しただけのようにも見えるのだが、まあいいか。

 

・翌朝、別のタクシー運転手さんが迎えにきた。その日の運転手さんは、生まれも育ちも戸来とのこと。これ幸いと、キリストの墓とピラミッドについて質問しまくった。

「キリストの墓が発見されたときは、ニュースが全世界に配信されたそうだよ」

「ぜ、全世界に……(またも宗教戦争を勃発を懸念する私)」

終戦の時、私は小学校に上がりたてぐらいだったんだけど、進駐軍ってあったでしょ。GHQ」「はい」

あれがねえ、週末ごとに八戸からジープに乗って、わざわざ戸来まで押しかけてきた。キリストの墓にお参りするために

「ええっ(本当に世界的に有名だったんだ、キリストの墓!)」

わたしら子どもは、日曜になるとキリストの墓のまわりに集まって、米兵を待ってましたよ。『ギブミーチョコレート』っつって、キリストのおかげで、甘いもんを食べられた。わはは

 死してなお、地域に貢献。さすがにキリストだ。

「額に十字を書く風習があるそうですが」

「あった、あった。昭和30年代まではやってたから、わたしもよく覚えてるよ。伝承館には、『子どもがはじめての家の外に出るときに』って、書いてあったでしょ」

それだけじゃないんだ。大人でも、病院から退院するときなんかには、必ず額に十字を書いた。うっかり墨を忘れたら、口紅で書いたもんだよ。ほかの村にはない風習だねぇ

 運転手さんは中学生のころ、大石神ピラミッドの発掘調査もしたそうだ。

「当時の中学校の校長先生が、考古学好きでね。生徒が手伝いに駆りだされた」

「考古学好きとはいえ、勝手に発掘しちゃっていいものなんですか」

「はは、昔のことだから、そのへんは適当適当、大岩のまわりを、2メートルは掘り下げたかな。そうしたら、地中に埋まった部分は、円錐形になってたんだよ。しかも、細い線でびっしり、文字みたいな模様が刻まれていた」

「へぇー! 不思議ですね」

「うん。大岩がグラグラしだしたんで、『こりゃ危ない』ってことで、すぐに埋め戻しちゃったけど。そのとき撮った写真が、役場か学校にあると思うよ」

 謎とロマンがいっぱいの、キリストの墓とピラミッドなのだった。もう一度発掘調査してほしいような、そっとしておいて夢を膨らませたいような、わくわくする気持ちになる。

「いまは人口も減っちゃったけど、昔はお盆になると大勢の村人が集まって、『ナニャドヤラー』って歌ってさ、下駄の歯が減るまで踊り明かしたもんだよ」

 

・「先代、あれ、もう先々代かな、神主さんが酒好きでねぇ。神社の宝物や村の古文書を、酒代のために売っ払っちゃった。村祭りのときに、『蔵の中身、どこへ行った?』って氏子が気づいてさ」

「大騒動になったでしょうね」

いや、べつに。『売っちゃったもんは、しょうがねぇなあ』って、笑っておしまい。そんなわけで、昔の記録はあまり残ってないかもしれねぇ

 本当におおらかだ。こういう村だからこそ、キリストの墓もピラミッドも大切にされ、地域の住民に愛されているのだろう。

 正直なところ、私は最初、うさんくさいものを見に行く心づもりだった。だが、タクシーの運転手さんをはじめ、何人かの村人と話すうち、本物か偽物かなんて、どうでもいいことだと思えてきた。みなさん、「ああ、あれ。昔、偉い先生が来て、キリストの墓だと認定したんでしょ」という反応なのだ。

 地元の人にゆるやかに受け入れられ、もう70年もキリストの墓としてそこにある。それ以上に、いったいどんな証が必要だろう。

 

 

 

『禁断の雑学』

誰もが口を閉ざす衝撃の雑学250

黒い雑学研究会 編  彩図社  2018/11/15

 

 

 

イエス・キリストの墓が日本にある?

・磔となったイエス・キリストの亡骸は、エルサレムに埋葬されたと伝わっている。だが、意外な場所にも「キリストの墓」が存在する。その場所とは、日本の青森県新郷村だ。

「キリストの墓」が見つかったのは、1934年のこと。発見者は竹内巨麿という人物だ。巨麿は超古代書『竹内文書』を受け継ぐ家の子孫を自称し、その古文書の伝承を手がかりに墓を発見したという。

 『竹内文書』によると、イエスは21歳のときに来日して神学の修行を重ね、33歳のときにユダヤに戻ったという。イエスは十字架刑に処されたことになっているが、実は刑を受けたのは弟のイスキリで、イエス本人は日本に戻り、新郷村で106歳まで生きて、死後はこの地に埋葬された――。そんな伝説が残っている。

 とはいえ、当然ながらそんな話を裏付ける史料はまったくない。ネタ元の『竹内文書』はキリストだけでなく、釈迦や孔子孟子モーセも日本で修行したと書かれ、初代天皇が誕生したのはなんと紀元前3175憶年という記述まである。いずれも歴史的事実とは異なり、『竹内文書』が偽書であるのは明らかだ。

 だが、村には「キリストの里伝承館」が設けられ、歴史や民俗と同時に、ユダヤとのつながりを示す数々の証拠や日本語で書かれた「キリストの遺言書」などが展示されている。「キリストの墓焼酎」「キリストのハッカ飴」「キリストの遺言手ぬぐい」など、みやげ物も豊富だ。

 史実かどうかはともかく、キリスト伝説は村の観光資源として、大いに役立っているようだ。

 

アーリア人至上主義を目指したレーベンスボルン

ナチス・ドイツが行ったユダヤ人の大量虐殺は、「アーリア人至上主義」に基づいていた。そのため、ナチスアーリア人を繁殖させる計画も進めていた。それが「命の泉」という意味を持つ「レーベンスボルン」だ。

 アーリア人の特徴は「金髪・碧眼・高身長」であり、北欧系の人々がその要素を多く持っていた。そこでナチスは、1940年に占領したノルウェーの女性たちを強制的にドイツヘ送り、ナチス親衛隊隊員との性交を強要。誕生した子どもは、1万2000人以上とされている。

 計画の目的はアーリア人だけで編成された軍隊の創設だが、誕生した子どもを兵士として活用するには、10数年以上の時間がかかる。これにもどかしさを感じたナチスは、アーリア人的要素のある子どもを各地から集めてくる方法を採用。ポーランドチェコ、フランスなどの国々から子どもを手当たり次第にさらっていき、20万人近くが無理矢理親元から引き離された。

 だが、1945年にドイツが降伏すると計画は中止。

 

ナチスのオカルト局 ドイチェス・アーネンエルベ

ナチス・ドイツ政権下ではさまざまな機関が存在したが、中でもひときわ異端視されたのが、「ドイチェス・アーネンエルベ(ドイツ祖国遺産協会)」なる組織だ。これは1935年にナチス親衛隊の指導者、ハインリヒ・ヒムラーが設立した研究機関である。組織の目的はドイツ人の祖先とされるアーリア人の偉業を歴史の中に見出し、その研究成果を大衆に伝えることであった。

 ただ、ヒムラー自身が宇宙人との交流を試みるような空想家であったためか、隊員らも次第に神秘思想に傾倒するようになる。「シャンバラ伝説」の探求がその1つだ。シャンバラとはチベット密教に伝わる地下王国の名で、その住民こそがアーリア人の起源であるとする。実際、隊員はヒマラヤ山脈に赴き、シャンバラの捜索に明け暮れたといわれる。

 また、太陽系が灼熱の天体の衝突によって生じたとする「宇宙氷説」のような研究にも大真面目に取り組み、さらに医学部門ではアーリア人以外の人種を根絶する目的で、収容所の囚人にX線照射や手術による断種実験も行っていたとされる。

 このように、アーネンエルベは荒唐無稽な研究や非道な実験を多く行っていたため、「ナチスのオカルト局」とも呼ばれている。

 

イギリスの天才が集結したソ連のスパイ団

・第2次世界大戦にはさまざまなスパイが暗躍したが、中には国家の中枢に近い人物が他国に機密情報を流していたケースもある。そのような裏切りを平然と行っていたのが、「ケンブリッジ5人組」と呼ばれるスパイ軍団だ。

 彼らはイギリス中の秀才が集まるケンブリッジ大学で学んでいたが、1929年の世界大恐慌などで資本主義の体制に疑問を持つと、共産主義に傾倒するようになった。その後ソ連の情報機関NKVD(後のKGB)にスカウトされると、英国王室や外務省にスパイとして潜入。中でもMI6(英国情報局秘密情報部)に勤務したキム・フィルビーは文書保管係に酒を飲ませるなどして接近し、重要書類を次々と入手した。この手口が長年発覚しなかったことから、彼は後に「MI6の規律は厳格ではなかった」と述べている。

 またイギリスは戦後、共産圏からの亡命者を対ソ連の諜報活動に利用する作戦を立案。だがこの試みも5人組が情報を流出させたことで、多くのスパイの命が失われることとなったのだった。

 やがて、1951年にイギリス当局からスパイ疑惑がもたれると、5人組の多くはソ連に亡命。イギリスでは「売国奴」の烙印を押された彼らもソ連では英雄視され、「大物5人組」と呼ばれることとなった。

 

ナチスの設立の母体となったトゥーレ協会

・第2次世界大戦中のドイツに独裁体制を敷いたナチス。そんなナチスの成立に、多大な支援を行ったのが「トゥーレ協会」だ。

 1912年、ドイツのオカルティストたちは、アーリア人至上主義と反ユダヤ主義を掲げる「ゲルマン騎士団」を創設した。その6年後に設立されたバイエルン支部が、のちのトゥーレ協会だ。

 やがてトゥーレ協会は政治色を強め、反共産主義勢力に資金や武器を提供しはじめた。そして1919年には協会の会員らが「ドイツ労働者党」を結成。これがのちのナチスである。

 トゥーレ協会の会員には、ルドルフ・ヘスナチスの重鎮が名を連ねた。中でも、ドイツ労働者党創設者の一人であるディートリヒ・エッカートは、30代のころのヒトラーに多大な影響を与えたことで知られるヒトラー自身はトゥーレ協会には入っていなかったが、エッカートから反ユダヤ主義民族主義、果ては黒魔術、悪魔との交信方法を教え込まれたともいわれている。ハインリヒ・ヒムラーが「ドイチェス・アーネンエルベ」を設立したのも、これらの影響が大きいと考えられている。

 しかし、ナチスは大衆の人気を奪われることを恐れ、オカルト団体や秘密結社の活動を禁止。設立を支援したにもかかわらず、トゥーレ協会はナチスの手によって解散に追い込まれたのだった。

 

ナチスが警戒した「黒い」「赤い」オーケストラ

・現在でこそ・アドルフ・ヒトラーは忌むべき存在とみなされているが、政権を握ったときには国民投票総数の約90パーセントという圧倒的な支持を得て、国家元首に就任している。

 しかし、すべての国民が彼を支持したわけではなく、反発を覚えるグループもあった。それが「黒いオーケストラ」と「赤いオーケストラ」だ。

 オーケストラという名称は、ナチスの秘密警察「ゲシュタポ」がスパイの無線交信を演奏になぞらえつけたスラングのこと。

「黒」は陸軍内の反ナチス組織をいう。ヒトラーの対外政策に懸念を覚えた黒いオーケストラは、その排除と新政府の樹立を計画し、ヒトラー暗殺にまで発展させた。

 しかし、暗殺計画は何度も失敗。やがて首謀者は逮捕され、メンバー達の処刑はドイツ敗北の直前まで行われた。

 一方の「赤」は、ソ連に情報を流していた共産主義者のスパイ網を指す。中心人物はドイツ占領下のフランスで活動していたユダヤ人のレオポルド・トレッペル。彼は多くの情報をソ連に流したものの、そのほとんどは顧みられることはなかった。それどころか、ソ連から二重スパイと疑われ入獄。約10年間の獄中生活を強いられている。

 

ナポリを牛耳るギャング団 カモッラ

・風光明媚な観光地として名高いイタリアのナポリ。だが、この華やかな街にも暗部がある。それが犯罪結社「カモッラ」の存在だ

 カモッラは19世紀初頭にスペインの移民を中心に結成された。組織名は、イベリア半島中央地域のカスティーリャ語で「暴力的闘争」を意味するという。

 結社の首領は、男性ながら「神聖なママ」と呼ばれた。メンバーは物乞いや窃盗を行う下級クラスと、恐喝や強請を生業とする上級クラスで構成。主な収入源は、賭場や売春宿の売上のピンハネであったという。

 これだけ見るとただの暴力組織だが、実は治安部隊の役割を担った過去もある

 19世紀のイタリアは小国家に分かれ、統一に向けた革命運動で社会が混乱していた。信頼できる政府もなかったため、ナポリ市も力のあるカモッラに治安維持を任せたのである。

 現在もカモッラは6000人以上のメンバーを抱え、隠然たる存在感を誇示している。例えば、カモッラはナポリ産廃ビジネスを牛耳っていたが、市は彼らを排除すべく2008年にゴミ焼却場の建設を計画する。これに対しカモッラは大規模な反対運動を起こし、既存のゴミ焼却場も閉鎖。その結果、ナポリは街がゴミで溢れかえる事態になったのだった。

 

 

 

『大人の探検 奇祭』

杉岡幸徳   有楽出版社   2014/8/10

 

 

 

奇祭の旅への誘い>

日本には、恐るべきことに、30万もの祭りが存在すると言われています。これは神社本庁の調べです。それは、我国が八百万の神のいる多神教風土だからです。神が多い分、それを祀る祭りも多くなるのです。一神教のキリスト・イスラムユダヤ教文化圏には、ここまで多くの祭りは存在しません。

 

<杉;杉岡幸徳(作家・奇祭評論家)、担;担当・鈴木(本書の編集担当)>

奇妙かつ不可解な祭り

キリスト祭り  キリストの墓で盆踊り   青森県新郷村

<――まさかいきなり青森の奥地で十字架に遭遇するとは>

・担;先生がこのあいだ「キリストの墓が日本にある」なんて仰るから、頭ごなしに「ありえない」と言ったのは謝りますよ。でも、まさか本当に青森まで来ることになるとは………!

 

・杉;それは聖書に書かれている物語だよね。だが、本当は違うんだ。十字架に架けられて死んだのは弟のイスキリであり、キリストは実は生き延びていたんだ。エスはその後、世界を放浪し、今の青森県八戸港から日本に上陸した。そして「八戸太郎天空」と名を改め、戸来村(現・新郷村)に居を定めた彼は山に住み、「天狗」と呼ばれて恐れられた。ユミ子という妻を娶り、三人の娘を残した。そして、西暦81年に118歳でこの世を去り、村に葬られた。それが、僕らが今見ている「キリストの墓」なのさ。

 

・杉;今の話は、高名な超古代文書『竹内文書』に書かれているんだよ。歴史にはいろいろな見方ができることはわかるよね?さらに、こんなことも言われている。戸来とは「ヘブライ」の訛ったものだ。この村では、生まれた子供を初めて外に出すとき、額に墨で十字架を描く習慣がある。足が痺れたとき、人差し指に唾をつけて十字架を3回描くと治ると村では言い伝えられている。また、この地の沢口家の人々はキリストの子孫と言われ、代々赤ら顔で彫りが深い。そして沢口家の家紋は、ダビデの星にそっくりなんだ。これら全てがこの村とユダヤとの深い結びつきを示しているのさ。

 

・(竹内文書竹内巨麿が祖父より譲り受けたという、世界の歴史や太古の天皇家を記した古文献。原本は焼失。これによると、古代の天皇は天空浮船(あめのうきふね)という乗り物で世界中を飛び回り、キリスト、マホメット、モーゼ、釈迦、孔子などはみな日本に留学に来たという。

 

――ヘブライ語で盆踊り

<浴衣を着た女性たちがキリストの墓の周りに集まり、唄い、踊り始める。>

♪ナニャドヤラ、ナニャドナサレノ、ナニャドヤラ……

・担;盆踊りの唄でしょうか。でも、何を言っているのか意味がわからないですね……。

・杉;わからないでしょう。実は、この歌は、現地の人にも意味不明なんだよ。だから、ヘブライ語の歌だという説があるんだ。

・担;は⁈ヘブライ語の盆踊り唄が青森に⁈

・杉;そう。川守田英二という神学者が、この唄をヘブライ語として解釈している。「御前に聖名をほめ讃えん 御前に毛人を討伐して 御前に聖名をほめ讃えん」という意味らしい。

 

・杉;実は、この唄はこの村だけで唄われたものではなくてね、南部地方で広く唄われているものなんだ。民俗学者柳田國男は、この唄は方言の崩れたものだとして、「何なりともせよかし、どうなりとなさるがよい」という、祭の日に女が男に呼びかけた恋の唄だと解釈している。もともと盆踊りとは死者を供養するほかに性的乱交の場という機能もあったんだよ。だから、こちらの解釈のほうが当たっているかもしれないね。

・担;なんと、盆踊りにそんな意味が⁈

 

ナニャドヤラの踊りが終わり、女性たちが解散し始める

・杉;この近くに、「エジプトのピラミッドより古いピラミッド」が存在するんだよ。大石神ピラミッドと言ってね。そもそも、日本にはエジプトのものより古い、数万年に造られたピラミッドが7基もあるという説があるんだ。その1つが、うまい具合に近くにあるから、ぜひ見に行こう!

 

 

<●●インターネット情報から●●>

2018/6/2  「キリストの墓」から引用

キリストは青森で死んだ?今年で55回目、日本屈指の奇祭をご存知か

観光イベントにすぎないと思いきや…

岡本 亮輔 北海道大学准教授

 

今日開催「キリスト祭」とは何か?

6月3日(日)、青森県で「キリスト祭」が開催される。しかも、第55回目だ。日本屈指の奇祭といってよい。

 

なぜ、青森県でキリストを祀らなければならないのか。観光イベントにすぎないのだろうか。この不思議な祭りの背後には意外と深い歴史がある。

 

八戸から十和田湖へ向かう国道454号を走っていると衝撃的な看板を見かける。誰かが勝手に作ったものではなく、正式な道路標識だ。しかも、十字架が2つ描かれている。

 

看板にしたがって行くと新郷村(しんごうむら)にたどり着く。人口は2500人程度、過疎化・少子化・高齢化が進む典型的な地方の村だ。1955年、戸来村(へらいむら)と野沢村の一部が合併してできた。

 

キリストの墓があるのは国道沿いの小高い丘の上だ。駐車場を含めてしっかりと整備されており、「キリストの里公園」と名づけられている。

 

丘の上のさらに小高くなった場所に2つの丸い塚があり、どちらにも大きな十字架が建てられている。

 

説明板によると、イエスは21歳の時に日本に来て12年間神学の修業を重ねた。33歳の時にユダヤに戻り伝道を行なったが、ユダヤ人に受け入れられず、十字架刑に処されそうになった。

だが、イエスの弟イスキリが身代わりとなって死に、イエス本人は再び日本に戻り、戸来村で106歳まで生きた。

墓のそばには「キリストの里伝承館」もある。

 

村の歴史と民俗を紹介する資料館だが、昔使われていた農耕具や古い家の再現スペースと並んで、今も村で暮らすキリストの末裔の写真、村とユダヤのつながりを示す数々の証拠、そして日本語で書かれた「キリストの遺言書」などが展示されている。

 

それによれば、十字架刑を逃れたキリストはシベリアを経て八戸港に上陸し、戸来村で暮らすようになってからは名前を十来太郎大天空(とらいたろうだいてんくう)に変える。そしてミユ子という20歳の女性と結婚して3人の娘を育て、106歳で亡くなったというのだ。

 

伝承館には、キリスト祭のポスターも貼ってある。丸塚の十字架を囲んで着物姿の女性たちが踊っているが、いったい何事だろうか。

 

キリストの墓に再び光があたり始めるのは1970年代のオカルト・ブームを経た後だ。戦後、新郷村のキリスト伝承を比較的早い時期に取材したものとして、『毎日グラフ』(1973年12月23日号)に「キリストは日本で死んだ」という記事がある。

 

竹内文書』に基づくキリスト伝承と共に村の習俗が紹介されている。子供を初めて屋外に出す時に御守りとして額に墨で十字を書く風習、「ハラデ」と呼ばれる農作業時の独特の服装、ナニャドヤラ節などで、これらが大判写真と共に紹介されている。

 

この記事の時点で、キリスト伝承は、すでに荒唐無稽なものとして紹介されている。

 

村にはキリスト教徒が昔からいないことが冗談めかして書かれ、記事に登場する村人の語りも「村人は誰もキリスト伝承を信じていない」といったもので占められている。

 

その後もキリストの墓は、オカルトやフィクションの題材となった。有名作家のものとしては、斎藤栄イエス・キリストの謎』(1974年)、高橋克彦『竜の柩』シリーズ(1989〜2006年)などがある。

 

キリスト祭は、1964年、地元神社の神職の主導で始められたという。当初は商工会中心の運営だったが、現在では村の観光協会主催で毎年6月第1日曜日に開催されている。

 

村長が大祭長となり、キリストの末裔とされる方や観光協会長も臨席する。筆者が2013年に行った時には、与野党の重鎮政治家も参列していた。夏に参院選をひかえていたためだろう。

 

まず注目したいのはキリスト祭が村の民俗芸能に与えた影響だ。

 

観光客の多くは奇祭を見るためにこの土地を訪れる。だが実際には、キリスト祭は、クライマックスの十字架を囲んでの盆踊りを除けば、それほど奇異な感じはしない。

祭のプログラムを良く見ると、もっとも時間をかけて披露されるのは田中獅子舞とナニャドヤラという民俗芸能なのである。

 

ナニャドヤラとは、青森県南部から岩手県秋田県北部にかけて伝わる盆踊り唄だ。

 

地域ごとに歌詞や使用楽器は異なるが、新郷村のものは歌詞の意味が不明なままに受け継がれてきた。

 

この歌詞について、キリスト祭では、ヘブライ語で読むと神を讃える歌になるという説が紹介される。

実はナニャドヤラは、村の人口減少のため後継者不足に悩まされていた。

 

だが、キリスト祭という「披露の場」ができたことで芸能保存会が結成され、今に伝わっている。つまり、作り物の観光イベントが本物の民俗芸能の伝承を下支えしたのである。

 

さらに、キリスト祭は新郷村最大級のイベントでもある。新郷村は、1955年、戸来村と野沢村の一部が合併して誕生したが、通常の神社の祭りは合併前の村ごとに行われる。

 

つまり、キリスト祭は、村が一体となって行う数少ないイベントなのだ。

 

村発行の観光ガイドの表紙にもキリストの墓、キリストの遺書、ナニャドヤラの写真が用いられ、「歴史のロマンとキリストの里」「神秘の里への誘い」というキャッチコピーがつけられている。

 

さらに、青森県が2011年に県内の「ミステリーゾーン」と「パワースポット」を約60ヵ所選定してパンフレットを作成したが、もちろんキリストの墓もミステリーゾーンとして掲載されている。

 

実際、キリスト祭には数百名の参加者がおり、また、新郷村を訪れる年間1万人程度の観光客のほとんどがキリストの墓を目的としているという。

 

キリストの墓があるからこそ、新郷村は近隣の町や村とは異なり、訪れるべき場所として認識されるのだ。

 

 

 

『宇宙人大図鑑』  

(中村省三) (グリーン・アロウ社)   1997/2

 

 

 

バーンサイド事件、英国、1980年11月13日

<宇宙人の身体的な特徴>

・宇宙人は男女のカップルで、2人とも身長1メートル65センチ程度だった。どちらもブロンドの髪の毛を肩まで垂らしていた。肌の色が異常に白いことを除けば、2人の宇宙人は人間にそっくりだったしかも、その宇宙人たちはこの世のものとは思えないほど美しい顔立ちをしていた。

 

アダムスキー事件、米国カリフォルニアの砂漠、1952年11月20日

<宇宙人の身体的な特徴>

宇宙人は身長165センチ程度で、肩までの長さの金髪をしていて、滑らかな肌で、髭がない。人間によく似ていて美しかった。

 

<服装>

・スキースーツのような服を着て、腰に幅の広いベルトを巻いていた。底に奇妙なマークのついた靴を履いていた。

 

<宇宙人の行動>

宇宙人は身振りとテレパシーを用いてアダムスキーと意思疎通をした。その宇宙人は、自分を金星人だと自己紹介した(アダムスキーは彼にオーソンという名前をつけている)。

 

 

チャーコン事件>1979年9月25日  米国アリゾナ州 マラナ

目撃者 ラルフ・チャーコン

 

宇宙人の身体的な特徴

 宇宙人は全体的には、人間の形をしているが、それが無数のドット(点)によって構成されていた。

 

<宇宙人の行動>

目撃者を説得して、自分たちの惑星に連れて来る。

 

・ドットマンは、オリオン座のゼティ星から来たナーテルという者だと自己紹介し、そのうちにチャーコンも自分たちと一緒にゼティ星に行くことになると告げた。

 

UFOは猛スピードで南米大陸の上空を南下していた。チャーコンが目にした地上の光景ははるか過去のもので、美しい古代の都市やピラミッドが眼下に広がっていた。

 

その後もドットマンは何度も出現し、チャーコンを宇宙船に乗せて、二つの大陸が沈んでいく過去の世界に連れて行ったり、未来の世界をかいま見せたりした。

 

また、イグチトックという別のドットマンは、チャーコンをゼティ星に案内し美しい都市を見せてくれた。ナーデルによると太古に彼らの先祖は大挙して地球を訪れ、当時地球上で偉大な文明を築いていた民族と接触した。その際に、宇宙人と地球人の混血人種が誕生した。古代のエジプト人やマヤ人の多くが、宇宙人の血を受け継いでおり、現在はドットマンになっているという。

 

その後のコンタクトの時、チャーコンは、古代エジプト人がピラミッド建設に用いた宇宙人の浮揚装置をもらっている。

 

 宇宙人のタイプ-アパリッショナル(幽霊)タイプ>

・このタイプは、幽霊のように異次元の存在ではないかと思えるようだ。宇宙人や人間とは似ても似つかない宇宙生物が含まれる。彼らは、次のような能力を備えている。

A,自由自在に物質化したり非物質化して消え失せたりできる。

B形態を色々と変化させることができる。

C,特定の目撃者にだけ出現し、そばにいる他の人には姿を見せないようにできる。

D,目撃者を含めて、物質を意のままに動かすことのできる超能力を持っている。

 

 

アンドレアソン事件、米国マサチューセッツ州サウス・アシュバーンハム、1967年1月25日

<事件の概要>

・停電の後、5人の宇宙人が閉ざされていた正面のドアを通りぬけて入って来た。ベティ・アンドレアソン夫人以外の家族は凍りついたようになった。

 

UFOとの関連度

宇宙人は目撃者をUFOの内部に連れ込んで、身体検査を行った後、目撃者をUFOで奇妙な世界に連れて行った。

 

<宇宙人のタイプ>ヒューマノイド(小人型)

・5人の小型ヒューマノイドのリーダーであるクアズガは、身長は150センチ程度。部下のヒューマノイドは120センチ程度。西洋ナシのような形の頭をしており、額が広くて顎が細かった。幅の広い猫のような重なりのある目をしていた。鼻は、単に2つの小さな穴があいているだけだった。耳はごく小さかった。口はスリット(切れ目)のようで動かず、夫人は傷口を連想した。このタイプの宇宙人は、時折やせ細った腕や脚をしていると報告されており、人間の胎児にきわめて似通っている。