日本は津波による大きな被害をうけるだろう UFOアガルタのシャンバラ 

コンタクティやチャネラーの情報を集めています。森羅万象も!UFOは、人類の歴史が始まって以来、最も重要な現象といわれます。

8ミリメートルの大きさをレーダーの原理で計算しますと、約4百メートル。多少の誤差はありますが、海の上では到底こういった大きい物は考えられないのです。当然、不思議なことです。(1)

 

『20世紀最大のミステリー  UFO』 

第1回日本UFO学シンポジウム  近未来大学叢書 

南山 宏   矢追 純一   藤木 文彦   高梨 純一  その他 (著),

日本デザインクリエーターズカンパニー     1990/10

 

 

 

「UFO? バカじゃないの」

・従って近いうちにアメリカもUFOや宇宙人は、本当は存在するんだということを発表する可能性が高いと思います。

 我々は日常生活に追われているのはもちろんですが、UFOというのは単なる絵空事だとか、「UFO? バカじゃないの」という反応は時代遅れでありまして、それよりもむしろ我々人類に対する脅威というふうに捉えておいた方が間違いがないでしょうでないと、ある日はっと気がついたらみんな食糧にされていた、なんてことがあるかも知れないんですね。

 そういう目でUFOというものを捉えていただきたいと思いますし、地球上の環境自体もまたそれに負けずに大変なんだということも見て欲しい。

 

パネル・ディスカッション

・(司会)それでは、ステージに向かって左から順番にパネラーの皆様をご紹介してまいります。「日本UFO科学協会」代表、高梨純一さん、「日本UFO研究会」の平田留三さん、作家、評論家の南山宏さん、そして本日特別ご参加をいただきました「海洋水産資源開発センター」の永延幹男さん、永延さんは開洋丸でのUFO目撃に関して、今、大変話題を呼んでいらっしゃる方です。続きまして、「東京大学UFO研究会」を創立され、「日本未知現象研究会」の代表でいらっしゃいます藤木文彦さん、そして、おしまいになりましたが、先程ご講演をいただきましたお馴染みの矢追純一さんでございます。

 

開洋丸のショッキングな遭遇体験

・(永延)開洋丸は、2回遭遇しました。1回目は1984年12月18日。

 

ウルグアイモンテビデオ港に入る途中だったんです。この時は、まだ南極に近いところでした。ちょうどこの時に、1回目の遭遇をしたのです。モンテビデオに行って、その次の午後から南極へ行って、アフリカ、シンガポール、そして日本に帰るという地球一周航海だったのです。

 

・2回目は1986年12月21日。これには私は乗っておりませんでしたが、一番最初に示しましたメモから、私が話を聞きまして、いろんな事情がありましたので、私が整理して発表しようということになりました。これは、東京からカリフォルニア沖の調査ということで、カリフォルニアに向かっていた時の話です。

 

・まず1回目の遭遇、光を見たという1件です。これが先程示しました船の正面の方で、これがマストです。これがオリオン座の三ツ星。“三ツ星、三ツ星”といいますが、船の世界というのは、このような星はほとんど天測できますから、星に関しては非常に詳しくなれます。その三ツ星の付近に、流れ星でもない8個の物体を、船の人達は見たのです。これは私も見ました。どう考えても人工衛星ではあり得ない。いろんな消去法から、これは未確認飛行物体、そう呼ぶのが最も適切だということになったんです。

 これが8個目の時の方向です。1つだけ象徴的に言いますと、私のいたブリッヂから見ますと、非常に明るい光、大きくはないのですが、星のようなものが突然現れた感じでした。それがゆっくりと、ジグザグに降りて来た。その間はゆったりとしているんです。

 

・ちょうど夜が短い白夜で、東の方向は、太陽がほぼ出かけていますから明るいのです。それでも大きな光が飛んでいった。これが東方向に4回、北方向に2回、そして頭上を通っていったのが2回の計8回。そして、その後もずっと朝まで注意してみましたが、これで終わったようでした。これは1984年のことでして、発表しようと思ったんですが、結論から言って、いろんな事情もあり発表しなかったんです。それで、このまま置いておいたんです。

 そうこうするうちに、先程の1枚のメモを書かれた高柳さんが私の方へ、こういう物が出てきた、船でどうしようかと非常に困っている、という相談を受けました。

 

開洋丸の大きさは92、3メートルです。それから類推すると、レーダーに写った物体は数百メートルもの大きさになります。レーダーの記録を見ると、約8ミリメートルの大きさに書いてあるんです。この大きさも常識はずれに大きいんです。8ミリメートルの大きさをレーダーの原理で計算しますと、約4百メートル。多少の誤差はありますが、海の上では到底こういった大きい物は考えられないのです。当然、不思議なことです。

 

・この時に1機じゃなく、左舷側の10マイル先にもう1機、同じ形の合計2機写っていたわけなんです。これは文章にも書いてあります。1機は停まっていたようですが、もう1機は左舷側からどんどん侵入してきたわけです。この時にスピードを測ったのです。ずっと観察してますから、時計と距離はわかります。この時の距離では時速5千キロメートルになります。船の人は船のスピードの見方には慣れてますから、時速5千キロメートルというのはマッハ4ちょっとになります。

 

・そして、ここで1.5マイルに近づいて、そのままバックしたのです。この時、1.5マイルの高さでレーダーに写るというのはだいたい5百メートルより低空に飛んでいないと写らないことになります。だから、非常に低空で飛んでいたということですね。ただし、こんなに近づくと飛行機だと大爆音も聞こえるんですが、その時は爆音どころか、何の音も聞こえなかったのです。それでますます、みんなは不気味がったのです。

 

・ほとんど船にぶつかるという時に、どうなったかというと、初めてそこで頭上を通過したと思われる“ボー”という音がしたんです。これは、人によって表現方法は多少違いますが、ほぼ“ボー”という非常に低い、物体が風を切るような音だったということで、みんな一致しております。初めてその時に音を聞いたのです。でもその時には衝撃も何もなく、ただ音が聞こえただけです。

 

その音の後、航海士の一人がまた“ボー”という音を聞きました。その時、マストにかすったのじゃないかと思って、右舷に飛び出しました。レーダーを見ていた人は、妙な光を見ました。それは黄色と赤色が混じっていたらしいです。それが1、2秒。その方角と角度を船の人はすぐに読み取ります。積乱雲より低い雲があったのですが、それがバシッと走ったのです。さっき言ったように、レーダー映像、音、光と、この3つが揃って初めて改めてみんなゾッとしたということです。

 

レーダーに写る巨大UFO

・(高梨)我々UFO研究者として一番興味のあるのは、レーダーに写っていながら見えず、しかもそれが上空を通過する時、音と共に赤と黄の光が見えたということなんです。結局何か特殊な飛行法で飛んでいるから、そのためにそういうことが起こるので、あれがどういうふうな方法で飛んでいるのかを研究する、一つの資料になると思います。

 

・(平田)私は従来から、船の人が海洋上で、UFOによく遭遇されているというのは聞いておりますが、今回のように思い切って、具体的に発表されたというのは、非常に勇気のいることだと思って高く評価しています。また科学専門誌の「サイエンス」という堅い本が、これを取り上げたことも、日本というお国柄からして、勇気のいることだったろうと思います。それにしても、レーダーにあれだけ巨大なものが長い間写り、目撃されながら姿が見えないというのは不思議なことですね。今、地球上の航空機メーカーなどは一所懸命知恵をしぼって、姿はあっても、レーダーに写らない攻撃兵器の飛行機を考えております。なのに、これを超えてしまう飛行物体がすでにある。これは、今後のUFOの研究に関しては参考になると思います。

 

・(藤木)私は、いろんなアマチュアの天文家の集まりなどに行って、年中空を見ている人達の話を聞くんですが、一般に天文学者とかそういう人達は、UFOを否定する人が多いんですね。そういった人達に聞いてみても、何人かに1人は、やはり説明のできないものを見たことがあるのに、UFOを見たとは決して言わないんです。長い間観測しているんですが、一度だけ不思議なものを見たことがある、月の裏側から何かが飛び出して来た、というような話をするんですだからこれがUFOだと、胸を張って言えないけれども、不思議な体験を持っている人達が、かなりたくさんいることは確かです。

 

・(永延)開洋丸でのUFO遭遇は、たった3年半で、2回あったわけで、当然、それを知る周りの人は多く、記憶もなまなましいわけです。で、同じことが2度もあったのだから、これ以外のこともきっとあるんじゃないかと思いましてね。幸い、私の近くには長期航海をされている方がたくさんいらっしゃる。そこで、片っ端から聞き回ったんです。そうすると、これ以外に4例も出てきました。

 

・1例は、これはかなりトップクラスの研究者の体験です。彼は1980年の鯨類調査中に、オレンジ色の不思議なものを南極で見たのです。しかし、普通の科学者なので黙っていたんです。ところが私は今、こういうのを書いているって言ったら、彼はそのことを克明に教えてくれました。

 2例目は、大きな漁業会社のトロール船での話。南極に鯨の餌であるオキアミを捕りに行く途中でした。赤道を通過する時、船では赤道の下で思いっきり酒を飲むという祭りがあるんですが、その最中に、見た人に言わせると、蛸のような形をした、光っている物がプカプカと寄って来て、みんな大騒ぎをしたということです。

 3例目は、これもやはりトロール船なんですが、この体験者もやはり南極に向かっている途中、1例目によく似てて、光が水平に走って、この場合は消えたというんです。消えて、また突然現れて、水平に走り、また消えて、上に上がって行く。というような状態を、数度繰り返していったということです。20数年間船に乗っているが、初めての経験だと言っていました。

 4例目は1975年。まあ私の周りは南極に行っている人が多く、この人も捕鯨の人ですが、オレンジ色のパチパチ光っている光が目の前に出て来て、あれは何だと言っているうちに、船の方に寄って来てUターンして行ったということです。この間、10何秒かこの方は一人言を2、3回繰り返して言ったそうで、その間黙視されたということになります。

 

・(高梨)実は、レーダーが写ったが目に見えないという実例は、これが初めてではなくて、UFO騒ぎの初期に、一つあるんですね。ちょっと思い出したので、申し上げます。ちゃんと調べて来なかったので詳しいデータは申し上げられないんです。ともかく、ロンドンの上空だったと思うんですが、たくさんのUFOが現れましてね。それはレーダーだけで目撃されたんです。

 

・(南山)話をうかがっていて気がついたんですが、2回目の目撃が、1986年12月21日ですね。ちょうどその1ヵ月ほど前、日航ジャンボ機のパイロットがアンカレッジで目撃しましたね。非常に大ざっぱですが、経度はほぼ同じ、緯度は大分違いますが、あの時も非常に巨大な、当のジャンボ機の何倍かでしたね。

(矢追)2、30倍です

(高梨)その件ですが、結局あの時のニュースでは数十倍と書いてあったんです。ところが外国の記事ではそれは書いてないんです。外国の記事では航空母艦を2つ向かい合わせて、くっつけたような大きさと書いているだけだったんです。

(南山)ただ、スケッチを見ますと、数十倍というのでは……。

(高梨)航空母艦を2つくっつけますと……。

(平田)いやそれは、航空母艦を背中合わせにしたような形という意味で。

(高梨)形じゃなく、大きさと書いてありました。サイズです。ですから、あの図で比較すると数十倍になるのです。

 

・(矢追)私も今、時間的な面と場所が似ていて、近いところで起こっているなあと思いました。それから私は、ジャンボ機の機長と、直接電話で何回か話したんですが、やはり、あのスケッチが正しいんだと言っておりました。つまり、ジャンボ機の2、30倍ですから、2千メートルくらいの直径があったんでしょうね。今回の場合は、それほど大きくなかったんじゃないかなという気もしますが。何しろ、正体がわからないので、伸び縮みするのかも知れないし。ただ、今聞いていて、つくづく思ったのは、UFOを見ないと信用しない、という人の話は駄目だなということです。

 

UFO研究に欠かせぬ科学者の協力

・(藤木)アメリカ、ヨーロッパの方でも、UFOというものに関して世間の関心が低かった時期があるんですけれども、この1、2年くらいの間に非常にUFO熱が高まってきているんです。これは先程、お話がありましたように人間誘拐事件とか、そういったものを中心にUFO問題が大きくクローズアップされてきているからだと思うんです。じゃ日本でどうしてUFO問題があまり取り上げられないかといいますと、結局は事件がないということに大きな原因があると思います。

 

・バッド・ホプキンズという人が、アメリカでUFOに誘拐され身体検査をされたという人の体験を調べ始めたわけなんですが、その中でも一番きちんとまとまっているのが、「イントルーダーズ」という本です。キャシイ・デービスというまだ若い婦人の体験を中心にして書いたものです。

 

・これは、キャシィ・デービスの子供なんですが、ロビーという名前です。その子が寝ていたところへ、寝室の中にETが入って来た。その時に書いた絵です。まだ4歳なので、このような絵しか書けないんですね。

 上の方はその時に目撃された宇宙船なんですね。脚が4本出ています。左下のは全く別のところで見られた宇宙船ですが、ほとんど形がそっくりですね。何か共通の同じものが地球上のあちこちに出現しているのではないかと思わせます。下には何か変な人の形をしたものがありますが、これは、矢追さんの報告にもありましたが、どうもそのキャシィ・デービスという人がUFOに誘拐されました時に、強制的に作らされた子供らしいという話ですね。これでスライドは終わります。

 

・この事件を契機にしてアメリカで昨年、「オムニ」という一般向けの少し高度なレベルの科学雑誌の12月号で、UFOに誘拐された人の体験談が特集されまして、かなり多くの人達が共通した体験を持っていることがわかってきました。この記事の最後に、UFOに誘拐された人はだいたい、記憶を消されていると書かれてありますが、失われた時間、1時間か2時間かあるいは6時間か、そういう失われた時間を持っているという体験のある人は、UFOに誘拐された可能性があるということです。

 

・しかしながら、そういった観測は無駄ではないという証拠に、実はもう、かれこれ10年くらい前から、東京の杉並の方でUFO観測所を作って、毎日のようにビデオや写真で空を撮影していた森統一郎さんという方がいらっしゃいまして、その方は不幸にして先日お亡くなりになってしまったんですが、写したビデオの中には、確かに円盤であるとか、窓が見えるほど大きくはないんですが、銀色の物体がスーッと飛んでいくのが見える。

 

生態調査の気配濃厚

・(高梨)矢追さんのご紹介されたブラジルの件ですが、実はああいうケースが、世界で初めて有名になったのが1957年11月のことでして、やはりブラジルです。

 

・そんなことがありまして、非常に奇々怪々なんです。その目的は何かと言いますと、バッド・ホプキンズは、ひょっとするとこれは、何か人間に近いものを向こうで作って、それを媒体として、人間に連絡をとろうとしているのではないか、ということも考えられないことはないと言っているんですが、今のところはっきりわかりません。

 

・(藤木)UFO事件と、関係があるのかないのかわからないが、人間が突然目の前でパッと消えてしまったという話は結構ありますね

(矢追)宇宙人側が組織的に地球上の生体調査をやっているんじゃないかという気配があるんです。“キャトル・ミューテレーション”なんかで、牛が殺されるのを見たりなんかしてもね。

(藤木)そういった、目の前で人が消えてしまった蒸発事件と、UFOが関係があるのかどうか全くわからないんですけど。

(矢追)それはよくわからないんですね。たとえば、瞬間、移動したのかも知れないし。

 

・(南山)これは矢追さんもご存じなんですが、かつてテキサス州で、そういう趣旨で立派な観測所ができたんですよ。矢追さんや、私なんかも取材に行っているんですが、その時は、こういう恒久的な観測施設が長続きすればいいなあという気持ちでいたんですが、やはり、いろんな事情で閉鎖せざるを得なくなって。なかなか民間でやるというのは大変なんでしょうね。

 ただ、その科学的な研究というのはどうしても必要だし、それと誘拐事件の方も、人類の生存にどこかで関わるような深刻な問題になりそうなんですね。繁殖計画なり改造計画なり、何に使うのか不安なんです。

 

・(高梨)ただ、目撃されている小人の宇宙人がロボットかどうかわからないのです。というのは、このバッド・ホプキンズの本でも、2人くらい現れた時に、全く同じ動作をするというのが書いてありますが、それが5人一緒に動いたこともあると書いているんです。これは非常に奇怪な話なんですね。その奥にまた別の連中がいるのかも知れませんが。

 

・(高梨)そうですね。やってみるといいと思います。ただ一つ気になったのは、UFOを呼ぶ人という話ですけど、これは、今までずいぶんありましたが、テレビなんかでした場合、一度も成功していないんですね。

 

UFOライブラリーを

・(平田)実は、UFO研究会には、世界的に大きく2つの流れがあります。それは、UFOは他の惑星から飛んでくる飛行機だと考える流れと、何か、宗教的なものとして考える流れの2つです。

 

・私は疑い深い人間ですが、幸いなことに今までに5回、それも偶然に、一番多い時は30人くらいの人と一緒に、少ない時は5、6人でUFOを見ております。昭和29年に最初に見て、つい5、6年前まで、本当に偶然に5回見ました。ある時は8ミリの撮影機を持って他のものを撮っている時、ハッと気がついて撮ろうとしたら、速すぎて姿が撮れなかったという残念なこともありました。

 

・東京には“UFOライブラリー”というのがあるんです。そこにはかなり多くの書籍やビデオ、参考資料などがビルの一室に置いてありますが、日本では、たった一つしかないんです。

 

・UFOに関心のある方々が関西にもいらっしゃるのだから、できれば大阪か阪神間に、東京に負けないくらいのタイプの新しい、若い人達にも喜んでもらえるような、UFOライブラリー的なものをどこかの会社がスポンサーになって、作ってくれないかなと思います。これは無駄なことじゃないと思います。結局、UFOの実態がはっきりした時には、もう遅いということなんです。その瞬間、経済も政治も、軍事もすべて、想像もできないほど、一変してしまうでしょう。それに対処するためにもUFOに関する予備知識を持つことです。

 

人類の傲慢に警鐘を鳴らしたUFO

・(永延)一点、言い残したことがありまして。船の新聞というのは共同通信発のニュースなんですが、私は、船に関する新聞発表なら、共同通信と決めています。なぜ共同通信でいくかというと、まず第一に船に情報が真っ先に流れるということです。先の場合もトップで扱ってくれたんです。

 

・(高梨)私は慎重に研究しているので、最近まで、UFOは確かに宇宙から来ているものに違いないとは思っていたのですが、絶対的というほどの確信はなかったんです。しかし最近、バッド・ホプキンズの本を読んで、UFOは、地球外から来ている他の知的生命の乗った飛行体に違いないと考えています。

(平田)私はUFOなるものは、地球よりも千年ほど進んだ連中が持っている飛行機だと思います。

(南山)私も、基本的に宇宙起源の知的生物の調査船だと思います。ただ、単に調べているのか、人類をコントロールしようとしているのか、はっきりわかりませんが。

(永延)基本的に、無機的なものでなく、有機的な意識をもっているもので、現象であるということです。

(藤木)明らかに、知的な存在であるのは確かだと思いますが、太陽系以外の宇宙から来ているのか否か、ということに関しては自信がありません。並行宇宙、異次元の世界、そういったものも、現段階では有力な可能性があると思います。少なくとも、飛行原理として、異次元を使っているのじゃないかと思います。

(矢追)今、地球は日本でいうと明治維新の前夜だと思うんです。地球全体がこれから開国して、他の星の生物がいるところと、何らかの形で交流していかなければならない、という時代じゃないかなと思います。UFOそのものは捉えどころがないんですが、それを通して、人間がどのくらい傲慢でいたのか、宇宙全体の中で、一番知的生物は、自分たちしかいないと、思いあがっていたのだということを、反省するいいチャンスだと思います。そのための、一つのきっかけになるシンボルだと受け取っています。

 

 

 

異星人遭遇事件百科』 

(郡純)(太田出版)(1991年)

  

関東地方くらいの広さのある“エリア51”のエイリアンの動向は依然不明だ

エリア51では円盤が制作されている

・ラージ・ノーズ・グレイは、オリオン座のベータ星を母星とするいわゆるリゲリアン。地球には植民地の保護監査官のような立場。

 ・(主な異星人の三タイプ)

1、オリオン座のベータ星から来ているリゲリアン。通称“グレイ”。身長約1.2メートル、頭部が大きく皮膚は灰色、目はアーモンド型で、両腕は膝の下まで達する。指は4本で2本は長い。指先がかぎ爪、水かきがついている。

 2、レティクル座のゼータ星から来ているレティキュラン。通称“グレイ2”。見かけはグレイと似るが頭と目の形がもっと丸い。

 3、プレアデス星団から来ている“ブロンド”。金髪で背が高く白人と同じ姿をした異星人。

 ・ラージノーズ・グレイはその昔レティキュランに滅ぼされた種族なんだ凶暴でレベルが低い。惑星連合政府ではおもに辺地の警備任務についている。

 ・惑星連合政府というのはレティクル座政府が5百年前に設立した宇宙最大の連合体だ。レティクル座人が実質上牛耳っている。

 ・米政府と「ラージ・ノーズ・グレイ」が戦争状態にあったことは一度もない。戦争状態は彼ら異星人達の間であったのだ。

  

『異星人遭遇事件百科』

 (郡純)(太田出版)(1991年)

  

アイゼンハワー大統領が異星人と会見した

衝撃を与えたクーパー氏の証言

・元米海軍の情報部員のウィリアム・クーパーの証言には不正確な所がある。ラゾフスキー博士が、その正確さを保証するクーパー証言のMJ-12項目を、補足をまじえながらまとめてみよう。その内容は要約すると以下の骨子からなる。

 1、1953年合衆国政府はロックフェラー財閥の秘密協力のもとに対UFO特別戦略セクションを設立した。

 2、セクションの名称は、MJ-12。本部はメリーランド州某所。本部のコードネームは「カントリークラブ」である。

 3、50年代半ばMJ-12は、る宇宙種族と極秘協定を結んだ。

 4、極秘協定の相手方はオリオン座人。種族名は通称“ラージ・ノーズ・グレイ”である。

 5、協定の内容は以下の通りである。

・異星人は地球上で生物実験をおこなう情報を許される。

・合衆国政府は実権を秘密裏に援助する。

・実験の対象は野生動物、家畜のみならず人間を含むものとする。

・合衆国政府は実験の援助とひきかえに異星人の先進的なテクノロジーの提供を受ける。UFOの推進原理も含まれる。

 ・異星人は生物実験および自らの存在を地球人に知られないために必要な措置をとる、(誘拐対象者の記憶の抹消措置を意味する)

  

『河童よ、きみは誰なのだ』  かっぱ村村長のフィールドノート

大野芳   中公新書        2000/5

 

 河童の渡来

熊本県八代市には、「河童渡来の碑」がある。昭和20年代球磨川畔に地元の有志によって建てられたものだが、れっきとした由来がある。

 ・いまから1千5、6百年前、中国は呉の国から九千坊という文武にすぐれた頭目に率いられた河童の集団が熊本の八代に渡来し、球磨河口の徳の津(徳淵)から上陸した。彼らは、球磨川不知火海に住み着き、大陸の医学や土木、織物の技術を伝え、それがここから日本全国に広まった、とするものだ。

 徳淵にある碑文には、「河童は千五~六百年前中国から渡来した」とあり、「オレオレデーライタ」と刻まれている。

 ・そのころ日本は、応神天皇の時代(270~310)である。

 ・実は、この渡来した九千坊たちには、後日談がある。勢力を増した九千坊たちは、乱暴を働き、川へ遊びにきた女子供たちをかどわかしたりした。ある日、川遊びに行った肥後領主加藤清正(1562~1611)の小姓が河童に引かれて死んだ。これに怒った清正は、「わが領地で乱暴狼藉をはたらくとは言語道断である。みな殺しにしてくれん」と、高僧たちをあつめて封じさせ、川に毒薬を流した。そして河童の嫌いなサルをあつめて攻めさせ、ついに九千匹もの軍勢をもつ頭目九千坊を追いつめた。九千坊は、封じた高僧たちに詫びを入れ、領内では悪さはしないと約束したが、清正の怒りは収まらなかった。清正から即刻領内から立ち去れと命じられた河童たちは、やむなく隣国の筑後久留米の有馬侯の許しをえて筑後川へ引っ越し、水天宮の眷属として仕えるようになった。

 疫病追儺と福徳招来

加藤清正に追われた九千坊のその後である。九千坊の一族は、熊本から筑後国(福岡県)久留米の有馬氏の領地へ移動した。棲家として与えられた筑後川のほとりには、水天宮があった。平家が滅亡するときに道連れになった安徳天皇と外祖母平時子二位尼)、そして生母の建礼門院徳子、それに日本神話の最初に登場する天御中主神伊勢神宮に深い関係がある)が祀ってあった。その水天宮の眷属として落ちつき場所を得たのである。

渡来人である九千坊たちは、あらゆる知識を駆使して安産、火災よけ、水難よけ、福徳招来の霊験を発揮した。眷属にすぎなかった河童は、やがて神として信仰され、水天宮信仰は、河童信仰とさえいわれるように出世した。

 須佐之男命と牛頭天王

・京都八坂神社の社伝によると656年に新羅の牛頭山における素戔嗚尊の神霊を迎え祭り、667年に社殿を建立したものという。しかし、<二十二社註式>などには、876年に常住寺の僧円如が神の宣託によって牛頭天王を、今の社地の樹下に移し祭ったのを起原とし(天竺の祇園精舎の守護神たる牛頭天王を祭ったので祇園社と称すると伝えられる)、そののち藤原基経が威験に感じて精舎を建立した。これが今の社壇であるとみえている。

 主祭神は、須佐之男命。またの名を牛頭天王という。

 ・また、高知県で河童を<シバテン>と呼ぶところから、インドの<シヴァ神>を連想した。須佐之男命の荒々しい性格に似た破壊の神である。別名パシュパティといい、ネパールでは雨乞いと豊穣の主祭神とされる。しかし、水牛にまたがるその神の和名は「大威徳明王」と呼ばれ、姿形は似ていないのである。

 もし、<河伯=神農=牛首=牛頭天王須佐之男命>となれば、故に<河伯須佐之男命>になり、一挙に解決するはずなのに、最後の一線が超えられないのである。

 

((インターネット情報) 九千坊本山由来記 昭和31年  福岡河童会発行「九州の河童」所載

 

九千坊物語

・いまは昔、河童の先祖はパミール山地の一渓水、支那大陸の最奥、中央アジア新琵省タクラマカン砂漠を流れるヤルカンド川の源流に住んでいました。寒さと食糧不定のため、河童たちは二隊に分かれて大移動を開始しました。一隊は頭目貘斉坊(ばくさいぼう)に率いられて中央ヨーロッパハンガリーの首都フタペストに到着し、この地に棲息しました。頭目九千坊は、瑞穂の国日本をめざし部下をひきつれて黄河を下り黄海へ出ました。そして泳ぎついたところは九州の八代の浜です。仁徳天皇の時代、今からざっと干六百年の昔です。九千坊一族は、球磨川を安住の地と定めました。

 加藤清正に追われた九千匹の河童の大移動。尻小玉を抜いたばかりに

・三百三十年前、肥後の国の城主は加藤清正でした。清正の小姓に眉目秀麗な小姓がいました。清正寵愛の小姓に懸想した九千坊は、約り糸をたれていた小姓を水底に引きずり込んで、尻小玉を抜いて殺してしまいました。清正公は大いに怒り、九千坊一族を皆殺しにせんと九州全土の猿族を動員することとなりました。関雪和尚の命乞いによって球磨川を追放された九千坊一族は、水清く餌豊富な筑後川に移り、久留米の水天宮(安徳天皇平清盛と時子二位局とを祀る筑後川治水の神)の御護り役となりました。幕末、有馬家高輪の下屋敷内に水神様が祀られ、九千坊一族は、その近くの海に移り住みました。文化年間、有馬家は、水神様をお江戸は日本橋蛎殻町へ移し水天宮を祀りました。すると九千坊の-族も、日本橋へ転居し隅田川へ。ところが何しろ、九千匹の河童ども。中には色好みの河童もいれば、食い気ばかりの河童もいました。人畜にいたずらをする河童もあれば、水中交通道徳を守らない河童もいます。頭目九千坊より破門されたこれらの河童たちは、全国の川に散っていきました。

 お江戸を見切って筑後川

・江戸というところは部下の統率上おもしろくない場所であると悟った頭目九千坊。有馬の藩主に許しを乞い、古巣筑後川に帰ってきました。筑後川は餌まことに豊富である上に、筑後川沿岸や、その支流巨瀬川畔の人々は、人情こまやかで河童に対しても親切であり、まことに天然の楽土。九千坊は部下の河童どもとここを安住の地と定め、九十九峯とも呼ばれる耳納山地が眺められる、水清き巨瀬川の田主丸馬場の蛇淵を本拠とし、今日に及んでいるとか。

  

羽咋市 『宇宙とUFO、国際シンポジウム』の記録」{1991年}

  

初めに不思議ありきー水産庁調査船「開洋丸」が遭遇した巨大UFO(永延幹男 博士)

<1986年12月21日の遭遇>

・次は、カリフォルニア沖の海洋調査に向かう際、ハワイ、ウィク島を航海している時である。私は、乗船していなかったが、乗員7名が目撃し、データについて相談を受けた。まず、夕刻6時に3名がワッチに当たった時、レーダー上で左舷側に直径400mの物体を観測した。しかし、天候良で明るかったのに肉眼、双眼鏡では確認できなかった。その時はすぐに物体はレーダー圏(20~30マイル)外へ去った。

 ・2度目は、次のワッチのグループが午後8時30分に目撃している。この時もレーダー上では観測されているのに、肉眼ではできていない。「ブォー」「ドン」という音を聞いている。時速5000kmで直角ターンをしたり、船の周囲を回ったり船の前方で「卵をつぶしたような強烈な光」が、1、2秒間光ったりしたそうである。