<「選択と集中」が不可欠>
③ 厚生労働省に100人規模で政治家を投入
とにかく、年金、介護も含めた社会保障制度改革は、国民にとって最
も大きな関心事の一つです。ただ、社会保障制度のような国家の基本的で大規模な仕組みを改革するには、厚生労働省という巨大な行政のフィールドにおいて政治主導を実現し、官僚の縦割り制度を打破していく必要があります。
私は、そういうところにこそ、国会議員を100人規模で大量に投入すべきだと思っています。そのうえで、たとえば政策担当者を全員交代させるぐらいのことをやらなければなりません。
<親の経済問題とは無関係な教育システムを>
<「教育」「少子化」「雇用」の改革>
・子どもは“国の宝」です。将来にわたってこの国を背負っていくわけですから、親の収入しだいで学歴や勉学の度合いが異なってしまう状況を放置しておくのは、私にはしのびないのです。
① 0歳からの育児教育費無償化・大学教育費半減
理念の実現の第一歩としては、まず親の義務教育費負担をなくすのが
第一歩です。
<待機児童の解消を図るために>
② 「訪問保育士」や「在宅勤務」の普及
・また、在宅勤務制度をさらに利用しやすくし、いわゆる待機児童の解消を図っていくことも必要です。
③ 高校生・大学生に「地域貢献」での単位システムを
<ヘッジファンドに吸い上げられるよりは>
<「経済」「環境」「エネルギー」の改革>
① 環境福祉税の導入
・これから少子高齢化社会の真っただ中に突入する日本にとって、最も悩ましい問題は社会保障、つまり年金や老人医療費などの税財源をどうするかです。もちろん消費税は主要な選択肢です。
<環境のトップランナーとして走るために>
② エコカー購入を義務付ける
<2つの空港をパッケージ化する>
③ 羽田空港の24時間化と国際線乗り入れ
<永田町と霞が関をモデルとして>
④ 電柱のない街づくり
<シャッター通りから始まる地方の再生>
⑤ 鉄道駅を育児や高齢化対策の拠点に
<山河荒れて国が滅びないためにも>
⑥ 農地、山林の相続税はゼロに
<私が「スペードのエース」をめざすようになった理由>
<「外交」「安全保障」の改革>
私はこれまでいくつかの大臣ポストを経験し、かつ自民党総裁選にもチャレンジしてきました。
総裁選に立候補した私の最大のモチベーションは、総裁選に勝って首相になり、国家のトップになれば、それぞれの大臣が持っているマンデート(委任された権限)を一気に越えることができると考えたからです。いわば最強の「スペードのエース」になるために自民党総裁選に出馬したわけです。総理になることが最終目的ではなく、私自身が描く国家ビジョンの実現のための手段として、トップをめざしたのです。
そもそも私が、その「スペードのエース」をめざすようになったのは、環境大臣の時に味わった苦い経験がきっかけでした。
<政治家サイドが強力なリーダーシップを発揮する>
① 北朝鮮問題の解決
日本はスパイ防止法も何もありません。意思をもったオープンネスと
いうより、たんにあけっぴろげなだけ。外国のスパイは、日本国内では、ほとんどやりたい放題です。日本国内で日本人が拉致され、北朝鮮まで連れ去られるという、信じ難い事件が頻発した原因もそこにあるでしょう。
日本の政治家は、そのことを素知らぬふりを決め込み、現実から目をそむけ続けてきました。それどころか「北を疑うな、困らせるな」と声高に主張し続けてきた国会議員も少なくありません。
国民の命と安全を守るという、国家主権の最も肝心なところが侵されているにもかかわらず、政府は適切な処置を施してこなかったのです。この点、政府は怠惰きわまりないと批判されてもやむを得ないでしょう。
・一方、日本の“戦争のトラウマ”を外交の場でフル活用するアジアの近隣諸国に対しては、政治家も官僚も不必要なくらいかしこまり、過剰な配慮をしています。その結果、日本の主権は侵されてきているのです。事実、一部の政治家や官僚の“外国への過剰な配慮“は、竹島問題や北方領土問題にも悪影響を及ぼしています。
<裁判で防衛機密が公表される>
② 憲法第9条の改正
・憲法の第9条2項が改定され、自衛隊が軍隊と認められれば、情報が裁判によって流出する恐れはありません。この種の問題は、すべて非公開の軍法会議で審理されるからです。
・その典型例が、総務省の官僚でしょう。彼らは憲法25条が規定する生存権と「国土の均衡ある発展」という考え方を強引に結び付けたうえで、「地域間での格差が生じる恐れがある。国土の均衡ある発展を保つためには、賛成できない」という論理で、道州制の導入を阻んでいます。憲法を隠れ蓑にして、安寧の地を見出している例です。
いったい、今の憲法は、何を守るためにつくられたのか。本来、守るべき国民国家の盾となっているだろうか。もしかしたら、憲法で最も守られているのは、実は霞が関ではないか。官僚たちの現状を見ていると、そんな気さえしてくるのです。
<「ヒト、モノ、カネ、情報」を活用する社会に>
・政治家の使命はわが国の持続可能な成長を支える「ヒト、モノ、カネ、情報」を有効に活用しながら、未来への夢と希望をきちんと描くことのできる社会にすることです。
もちろん、国家の安全保障は、これらの夢や希望をきしんと描くことのできる社会にすることです。
もちろん、国家の安全保障は、これらの夢や希望を実現するための大前提です。さらに財源についての真剣な議論をし、結論を出すことも国民の負託を受けた政治家の仕事です。
<政治主導でなければできない喫緊の課題 小池百合子 vs 石川和男(東京財団上席研究員)>
(小池)霞が関の改革にあたっては、「ダイバーシティ(多様性)」という言葉がキーワードになると私は確信しています。
(石川)その「ダイバーシティ」の発想から言えば、小池さんの言うように、強力な政治主導の下で、政策立案能力を備える「国会政策局」を是非とも創設すべきです。
・何故なら、役人は与えられた権限以外のことは考えないからです。能力がないのではなくて、そういう思考方法を刷り込まれてしまっているのです。しかもそれが官僚の仕事だと法律で規定されているのです。
<「脱官僚」はまやかしの言葉>
(石川)新政権の人たちは口を開けば「脱官僚」です。とくに民主党は今回の総選挙に先立って発表したマニフェストでも「脱官僚」を大々的に掲げていました。
ただ、現実に現場で働いていた者にとっては、どうやってそれをやるのか、実は不思議です。
・ただ、「脱官僚」が叫ばれる理由もわからないでもありません。政治の表舞台である国会というのは立法府で、国のルールである法律や予算をつくったり、変えたり、廃止したりする権限を持っています。ところが、そのような権限を持たない官僚が今まで政治の側に鋭く入り込んできたわけですね。もちろん、政治の責任もあるのですが、官僚が賢く、いや狡賢く、非常に巧妙に入り込んできました。
ですから、この問題を解決するには、政治の側に「賢い官僚」の「能力」を付加すれば良いと思うのです。そうすれば小池さんの言う「官僚越え」はかないます。
『闘う政治』 手綱を握って馬に乗れ
<政治家は信用できない職業>
・35歳、生まれてはじめて献金をいただいたとき、驚き、そして感動した。政治家は信用できない職業—―。政治家を目指す中で、そんな視線を感じていたからだ。まだ当選もしていない自分に献金をくれる。本当に政治に期待している人たちがいる。
少ない年金の中から「日本をいい国にしてほしい」と献金を振り込む方。「今度こそは日本を変えて」と祈るような気持ちで投票所に足を運ぶ人たち。
選挙に出て、これほど多くの方々が政治に望みを託している、と実感した。しかし、未だ日本の政治は期待に応えていない。
勤勉で、真面目に税金を払っている皆様の顔を見ると、税金をドブに捨てている日本の現状に、申し訳ない気持ちで一杯になる。
・そこで経験した民間企業の常識と、永田町や霞が関の常識が余りにもかけ離れている。この思いが私の政治活動の原点だ。
その後、経済誌である『日経ビジネス』の記者に転職し、経済・政治全般を鳥瞰する機会を得た。数多くの企業トップ、政治家、官僚を取材し、示唆に富む話を聞いた。マスコミの裏側も垣間見え、何ものに代えがたい貴重な経験だった。
<日本の統治機構の問題点を痛感>
・「こんなことが許されていいのか!」と怒鳴りたくなるような怒りと驚きの連続だった。この怒りと驚きが活動の原動力になっている。
・初出馬から今も使っている私のキャッチフレーズは「もう、黙っちゃいられん!」だ。永田町の常識、霞ヶ関の常識をひっくり返して、日本を変える。
「未来を予想する最も良い方法は、未来を創り出すことだ」という言葉がある。未来をあれこれ予想する前に、一緒にあるべき未来を創り出そうではないか。
<官僚との大戦争—―「消えた年金」「居酒屋タクシー」の本質>
・その頃の日本は「失われた10年」ともいわれ、バブル崩壊後の不良債権問題などに苦しみ続け、先進国から後れをとってしまった。あのとき、早めに的確な手を打っていれば、現在の日本経済はより好転していた可能性が高い。
・当時の与党は、銀行の甘い不良債権の査定を容認する金融庁を信頼できる組織に変えようともせず、コントロールもできていなかった。
このことは「消えた年金」問題を引き起こした社会保険庁にもあてはまる。本来、年金記録問題は事務処理ミスの話で、課長クラスがしっかりと対応すべきことだ。ところが社会保険庁が対応を怠り、信頼も失ったために、国会で総理大臣を追求するまでの大きな話になってしまった。
日本は、数限りない役所の不始末の尻拭いに、国会で取り組まざるを得ない国だ。役所が国民の信頼を得て、しっかりした仕事をしていれば、国会で問題にするまでもない。政策論争にもっと時間を費やせるはずだ。信用ができ、仕事ができる役所を作ることも、政権与党の重要な役割だ。
<年金問題の本質>
・議席を頂いてから、私は、政治家のコントロールが利かず官僚が暴走している数々の実態をいやというほど見せられた。結果として官尊民卑が続いている。例えば、年金問題の根本にあるのは、一般国民の年金である国民年金・厚生年金と国家公務員の共済年金との扱いの差だ。
国民年金の保険料納付記録が記された紙台帳である普通台帳は、廃棄命令が出され、ほとんどが捨てられた。一方で、国家公務員共済年金の紙台帳はすべてきちんと保管されている。
・例を挙げればキリがないが、先進国でこれほどの官尊民卑の国はないのではないか。
<これが霞が関だ>
・その後も、記録が消えたという相談が相次いだ。このままでは特殊事例、たまたまミスで発生した一事例、ということでフタをされてしまう。全容を示す数字を提示して、政府に対策を取らせなければならない。
社会保険庁に何度も調査要請をした結果、基礎年金番号に統合されていない宙に浮いた記録が、65歳以上で2300万件あることがはじめて判明した。5000万件の内容だ。
膨大な時間を費やし、押したり、引いたりして、やっとこの調査結果が出てきた。何度、調査要請をしても動かない社会保険庁との我慢比べだった。
・この数字を片手に、2006年6月、衆議院厚生労働委員会ではじめて「消えた年金」問題を追及した。当初、政府の反応は鈍かった。しかし、2007年2月に、民主党の予備的調査要請によって、宙に浮いた記録は全体で5000万人という数字が公式に発表されて、政府は、特殊事例という弁解を撤回せざるを得なくなった。
・年金保険料の浪費問題でも、はじめは「特殊事例」との説明だった。たまたま管理の悪い年金福祉施設があって浪費が発生したという弁解だ。しかし、民主党の調査で、1945年度から厚生年金・国民年金の保険料、約6兆円が年金支給以外に流用されたことが明らかになると、特殊事例という言い訳も通用しなくなった。
年金保険料で、グリーンピアなどの大規模リゾート施設ばかりでなく、観覧車やメリーゴーラウンド、結婚式場全国81ヵ所、音楽ホール8ヵ所が建設され、赤字施設も多く、大きな批判を浴びた。
・当時、私の事務所に外部の方からFAXがあり、「官僚のタクシー高額利用者は、毎回毎回、運賃の1割を現金でキックバックを受けている」という指摘があった。
現金授受の調査をすると各省とも、ビールしか受け取っていないという判で押したような回答が返ってきた。そのとき、もし、一通の告発メールが来なければ、「ビールをもらっただけ」で、終わってしまっただろう。
・文書による政府への質問である質問主意書も大幅に制限された。手持ちの資料で1週間以内に答えられるものしか、答えないという内閣の方針となった。官僚が隠蔽してきた多くの実態を暴き出した質問主意書制度は、その威力を完全に失ってしまった。
政府に数々の質問や調査要請をしているが、きちんと調査がなされるのは例外で、ほとんどは表面的な調査か、ほったらかしにされている。私の議員活動の半分は、資料提出や調査要請を実施させる押し問答に費やされている感じだ。
日本は異常だ。これほど行政情報が表に出ない先進国はないのではないか。野党議員に資料をどんどん提出すると、官僚は評価が下がり出世に差し支えるらしい。
官僚は政権交代が起こらないという前提で、野党議員に対応しており、与党に比べ対応に大きな格差をつけている。
・ある社会保険庁幹部は、こんな趣旨の懺悔をしていた。
「もし、国家公務員の年金である共済年金も、国民年金や厚生年金と同じように社会保険庁で扱っていれば、自分たちの年金だから、社会保険庁の職員は記録管理にもっと真面目に取り組んでいたはずだ」と。
あらゆる制度に関して、公務員だけ特別の制度は止めて、官民とも同じ制度にしなければならない。
<「官僚 vs. 政治家」はおかしくないか>
・以上、数々のエピソードを紹介したように、日本は統治機構に欠陥がある。官僚をコントロールできていない状態なのだ。
・一方で、国民も、大臣と役所は別という状況に慣れているせいか、厚生労働大臣が年金問題で部下である社会保険庁の役人を非難すると、人気が上がるという珍現象も起こっている。不祥事を起こした会社の社長が、「部長連中が悪いんです」と非難したら、失笑を買うだろう。
「官僚 vs. 政治家、仁義なき戦いがはじまった」「官僚と政治家、どっちが勝つか」こんな評論も多い。他の先進国から見たら噴飯ものだ。
・社長と部長連中がいつも戦っている会社があれば、即刻倒産している。この意味からも日本は企業であればすでに倒産している状態である。自民党にも官僚国家はけしからんという議論があるが、現在の状態は自民党自らが招いた結果であることを忘れてもらっては困る。
<ミイラ取りがミイラに>
・しかし、現状では、「行政を監視・監督せよ」と送り出された総理や大臣は「ミイラ取りがミイラに」になってしまっている。つまり、行政をコントロールするべく送り込まれたのに、いつのまにか、行政にコントロールされ、行政を擁護する側に回ってしまうのだ。
例えば、私たちは20年以上前から毎週のように、新聞やテレビで、「天下り団体の浪費」「天下りの不祥事」などのニュースを見せられ続けている。政治家が官僚をコントロールできている国であれば、天下りを何とかせよという国民の声に政治家が応えて、行政はとっくに変わっているはずだ。
ところが、天下りはなくなるどころか、政府によって正式に合法化された。日本は操縦桿が利かず、ダッチロール寸前の飛行機だ。
「政治家がコントロールする」―—これが日本政治最大の課題だ。
<温存される税金浪費システム>
<税金浪費の仕組み>
・税金浪費システムは、官僚をコントロールできなければ手をつけられない。長年の自民党支配の中で、政治家と官僚とのもたれ合いで築き上げられた仕組みだ。
日本には他の先進国では見られない、税金や保険料の浪費を自動的に発生させるシステムが国の中心に埋め込まれている。
・この浪費システムの代表例5つのイニシャルをとると「HAT-KZ」、ハットカズ・システムとなる。
H=ひも付き補助金システム
A=天下りあっ旋・仲介システム
T=特別会計システム
K=官製談合システム
Z=随意契約システム
・結論から言えば、先進7ヵ国を見ると日本ほどの浪費システムはない。
<10の基本姿勢>
1「官僚主権」から「生活者主権」へ
3{密室}から「公開」へ 行政情報の原則公開
4「コンクリート」から「ヒト」へ
5「戦略なき産業政策」から「環境・バイオ医療立国」へ
6「社会保障」削減の前に「税金浪費システム」削減へ
7「官営」から「民営」へ
8「人と同じ」から「人と違う」へ 独自性重視への教育の大転換
9「一国平和」から「世界貢献」へ 危機管理体制の強化
10先ず隗より始めよ 政治資金の透明化 政治の信頼回復
■視察旅行
□国民が評価できるように、視察の詳細な経費明細や報告書のインターネットでの公表義務づけ(外交的機密は除く)。
□同時通訳をはじめ、視察にかかわる契約は原則入札にする。
□もらったおみやげの扱い。公費・党費で相手に渡した記念品の返礼品は、国や党で管理するなどのルールを作る。
■政治資金
□収支報告書概要のインターネット公表の義務づけ。
□議員関係のすべての政治団体への外部監査導入。
□国会議員に支給される月額100万円の文書通信交通滞在費を給与口座とは別の口座への振り込みにした上で、領収書などの保管と外部監査導入。
□企業・団体献金から個人献金への流れを促進する制度(寄付税制など)を推進し、最終的に企業・団体献金を禁止する。先進国ではアメリカ、カナダ、フランスが企業・団体献金を禁止している。
『アセンション最後のハードル』
ついに明かされた宇宙のシフトアップ計画
アマーリエ 徳間書店 2010/20/9
<ヘルメス>
<愛の原理を基礎とした繁栄、発展>
・私は、あなた方の文明の中において、エル・カンタラーと呼ばれし者。生命体のひとつとして、かってギリシャの地により、ヘルメスと呼ばれた意識のひとつでございます。
・今、数々の経済学者という方がおられて、資本主義、共産主義というイデオロギーの闘いの中において、人々は数々の試行錯誤を重ねてまいりました。
・共産主義という体制が今においては、もう意味をなさぬものであると、ひとつの文明実験の結果であったということを人類は学んで知っているはずです。
<平等な神の子の機会均等システム>
・共産主義体制というものが否定され、今、民主化という流れになっているけれども、では民主化という流れの中において、資本主義体制というものが勝利したかというと私は、そうは思いません。
・あなた方が学んだ資本主義体制、民主体制というものが、決して完全なる善であると我々は思っていないし、人々もそのうちに、それを身を持って学ぶことになるでしょう。
・今、共産主義の崩壊の後、資本主義体制の崩壊というものが行われております。そのようなものが、もう少し時の流れの中においてー。今は資本主義体制のトップとして世界をリードする国として、アメリカという国があるでしょう。でも、そのような国が、そのうち音を立てて崩壊する時がくるのです。
・資本主義対共産主義という二元対立の抗争があった中で、片方が先に滅びたからといって、片方が勝ったわけではないのです。そのどちらもが本当の道ではなかったということを人類は学ぶために我々は、その時をかけて見守ってきたということなのです。
・人々が、ある意味で、その総合的な合算されたものの中にでてくる、社会体制というのが出てくるのです。
それは自ら一人ひとりが神の子であるという認識において、神の子としてどのようにこの地上を治めていったらいいかということを一部の為政者だけに任すのではなく、一人ひとりが、みんながそのように願いながら共産主義とも資本主義とも言えないシステムを確立していくのです。その結果、平等な神の子の機会均等システムというものが現れてくるのです。
『日本のNPOはなぜ不幸なのか?』
「社会をよくする」が報われない構造を解く
・社会のために貢献する仕事、しかし、生活がなりたたない、という現状を変えていきたい!
・日本と言う国をより良い形に変えていくためには、営利企業セクターと行政セクターに並ぶものとしてNPOセクターというもう一つの経済セクターを成立させることが必要不可欠。
<行政の公益独占を止めるには「NPOが必要」という理由>
・日本ではこれまで、議会制民主主義とは形ばかりで、実質的には行政府が立法までするなど実質的に官僚・役人に依存する社会の仕組みが支配的であった。
・「議員は新人のころはそれこそ本当に無力なのです。実際、役人にへいこらとお辞儀をしている議員も何人も見てきました。本当は国民の信託を受けている議員こそ、政治をリードしてほしいのに、信託をうけていない人間が威張っている」
・欧米では政治に関与する主体として議会と行政の他にNPOがあり、三極を構成している。だからより良いバランスが保てる。なぜならば、NPOが各専門分野について深い知識を有していて、行政に対し直接ものも言えるし、議員に対し法案などについての提案ができる力を持っているからだ。
・資金がなければ、スタッフを充実させることもできないし、専門知識を増やしていくこともできない。NPOセクターをしっかりと育成していくのであれば、税金の一部をNPOに渡していくという制度をビルトインした法律を作らなければいけないはずです。
・官僚に税金を100%任せるのか、その一部をNPOに回すのか。NPOに税金の一部が回ればNPOはしっかりと官僚をウオッチできるはずです。
・実は日本にもNPOと本来認識されるべき組織は多数存在してきたことは、これまでにも紹介してきたとおりだ。公益法人(財団、社団)、社会福祉法人、学校法人、医療法人、宗教法人、労働組合、生協、農協など。これらは世界の常識ではNPOとされる組織だ。公益法人には日本経団連、経済同友会、商工会、青年会議所、ロータリークラブ、ライオンズクラブなども含まれている。そう考えると日本にも従来からNPOの広がりがあることが理解できるだろう。
<必要なのは「社会の三権分立体制」の確立>
・社会システムの中に行政セクター、営利企業セクターと並ぶ三本目の核としてNPO(非営利)セクターを据え、いわば「社会の三権分立」を確立したいと私は考えている。
・NPOセクターには、多種多様な市民活動団体およびボランティア活動団体のほか、NPOを運営面などで支援する中間支援組織や、非営利活動を財政的に支援する助成団体、そして生活者指向の政策代替案を提示し得る独立型シンクタンクもある。また、財団や社団、学校法人や医療法人、宗教法人といった公益法人等や労働組合、生協や農協なども設立の趣旨から言えばNPOセクターの住人ということになろう。
・米国には弁護士や会計士などがNPOのために相談業務を行うNPOを設立しているケースもある。あるいはNPOを対象に広告代理業を行うNPOも存在する。多分に同好会的な組織も含まれるし、後にコンピュータソフト会社やインターネット・プロバイダーなどの営利企業になってNPOセクターを巣立っていった団体もある。それほどまでに多種多様な目的や形態を持つ「自律した民間非営利組織(真のNPO)」の集合セクターを私は確立したいと思っている。
・米国ではファンドレイザーと称する資金集めのプロがステータスの高い一つの職業として成り立っているほどだ、米国の寄付金の年間総額は04年の時点で23兆円を超えているが、一方、日本は年間約6000億円にすぎない。これはやはり寄付金税制によるところが大きい。米国では所得に占める控除の限度額が大きい。英国では単独寄付や給与天引き制度などといった少額の寄付を継続しやすい制度が完備している。
<「官の公」から「民の公」へ>
・実は行政とねんごろな運動家たちの多くも「官の私」セクターの住民といえよう。そうした運動家たちは、このセクターに回る莫大な資金の分け前をどのように得ようかと考えて行動している。公益ではなく、利益を優先している輩だ。
・06年4月1日の時点で、中央官庁や出先機関と随意契約を結んでいる1233の公益法人の8割近い962法人に、国の機関のOB約1万人が「再就職者」として天下りしていることが会計検査院の調べでわかった。そのうち約3600人は役員に就任しているという。
『国を変える力』 ニッポン再生を探る10人の提言
<『政治と秋刀魚』で見る日本政治(ジェラルド・カーティス>
(カーティス)当時、ジョン・F・ケネディ大統領が通した国防教育法という法律があった。国防のためにアメリカ人はもっとロシア語とか日本語とか中国語を勉強すべきだということで大きな奨学金制度が作られたのです。
(猪瀬)西荻窪のアパートはトイレも炊事場も共同だったんでしょう。
(カーティス)毎晩銭湯へ行きました。帰りにラーメンを食べたり、スナックへ行ってビールを飲んで、ママに日本の歌謡曲を教わったりして。良かったですね。いろいろな懐かしい思い出があります。
・日本に来て、僕の食生活は革命的に変わりました。あのころ、その食堂で肉を食べたいと思ったら、あるのはクジラだけ(笑)。牛肉なんか大衆食堂では食べられない時代でした。
<若者に希望や可能性を与える社会に>
(猪瀬)それともう一つ、最近は、とにかく塾に行って、いい点を取って、いい大学に行って、いいところに就職すると勝ち組だという非常に狭い価値観と、一方ではフリーター、ニートがいるという両極になっている状況です。再チャレンジの仕組みがうまくつくれずにいる。
(カーティス)アメリカの社会にはいろいろな問題がありますが、いいところは、レイトブルーマー、遅咲きの人間に非常に寛容な社会なんです。日本はあまり寛容ではない。だから、一度フリーターになってしまったら、なかなか新しいチャンスが与えられない。
(猪瀬)僕自身、大学を出てから「さて、これからどうやって生きようか」と考え始めた遅咲きです。就職せずに作家になろうかと、いままでとは違った小説をどういう方法論で書いたらいいのかと、考えていた時期がありました。
<『代議士の誕生』に見る自民党政治>
(猪瀬)『代議士の誕生』という本は、大分県のある代議士が国会議員になろうとする。どぶ板を踏んで、いろいろな村の寄り合いに出て、お金も集めなければいけない。演説もちょっと浪花節っぽくやらなければならない。そういうひとりの代議士が生まれて来るプロセスをドキュメンタリーと政治分析を加えた手法で描いています。
(カーティス)佐藤文生さんは、二枚目でした。若いころは三船敏郎みたいな感じでした。1967年の総選挙で初当選してから連続当選8回で、第二次中曽根内閣の郵政大臣も務めたんですが、1990年の総選挙で落選して、2000年に亡くなりました。
(カーティス)「いやあ、あなたには大変おせわになっているから、もちろん、ぶんちゃんに入れますよ」と言う。なるほどなと思いました。町会議員のあなたにお世話になっているから、あなたが支持する国会議員の候補者である佐藤文生さんに投票すると言う。要するに、佐藤文生さんは関係ないんですよ。これが昔の自民党政治です。
(カーティス)一番の発見は、日本の政治、ある意味では日本の社会は人間と人間のつながりに基づいたネットワークが非常に重要であるという事でした。自民党の集票マシンというのは、要するに、代議士の後援会を全部足したものなんですね。党のマシンがなくて、個人の政治家のマシンがある。
(猪瀬)個人後援会が各地域にあって、その個人がいくつか寄せ集まったら自民党になる。票が読めるんです。
(カーティス)それが自民党の集票マシン。いま、それができなくなったのは、ああいう社会構造そのものが崩れてきているんですね。それに代わる新しいものがまだつくられていない。
<1920年に始まった日本の民主主義>
(カーティス)何の話かというと、佐藤さんを支えていた県議会議員たちは、みんな戦前の政友会なんです。もう1人ほうは(立憲)民政党で、憲政会系なんです。1960年代にもそれがまだいくらか残っていました。つまり政党政治は大正時代にあった。いまの自民党の組織に総務会長、幹事長、政調会長があるのは、これは(立憲)政友会の組織を継承していて、戦前からの伝統です。
<日本のリーダーは説明する努力を>
(猪瀬)アメリカの大統領選はいいところも悪いところもあるけれど、いいところは一年間かけて各州を回ってずっと説明して歩くこと。具体的な公約が国民の頭に入ってきますよね。
(カーティス)演説をするときにペーパーを読まない。ディベートのときも何時間もスタッフと練習をして、どの質問をされてもすぐ自然と答えられるように準備している。アメリカの政治家を見ていると、もともと話がうまいように見えるんだけれど、ものすごく努力しています。あの練習の時間は大変。政治家はそのくらいの努力と、パッションが必要です。
(カーティス)そういう意味では、僕は小泉純一郎さんが総理大臣になって非常に良かったと思う。ある意味で最も早く、それこそ自民党の集票マシンを壊して、新しいものをつくる規範をつくって、良かったと思うんです。これから必要なのは、すでに話したように、政治家がまず国民を説得する方法を真剣に考えることです。
・日本の政治家は、官僚以上にいろいろなことを知っているんだということを、国民にみせようとしない。高学歴ではない国民にもわかりやすく説明することが大事なのに、それをしない。そうしないと説得することにはならないんです。