日本は津波による大きな被害をうけるだろう UFOアガルタのシャンバラ 

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(2023/10/25)

 

 

 

『イラストで見るゴーストの歴史』

アダム・オールサッチ・ボードマン  マール社 2023/6/23

 

 

 

<はじめに>

・だが、人々はなぜ幽霊を信じるのだろう?ある人は文化や伝統の影響だという。幽霊は神話や伝説にも登場しているのだ。また、信仰には説明できないものに育まれる。

 

幽霊とは何か?

・幽霊は死んだ人の霊で、その人にとって生前重要だった場所の近くに潜んでいることが多いと考えられていた。英語のゴーストという言葉はゲルマン語で魂や諸神を意味する「ガスト」を語源とする。

 どの時代でも多くの人が幽霊を見たと話している。幽霊との遭遇は、怪しく光る墓場の霊を垣間見たというものから、嵐の海で幽霊船を見たというものまで、幅広い。現代の説明とは別に、幽霊は神話や伝説を通じて伝承されてきた。

 

伝説】伝説は人々と場所についての物語で、史実であることもそうでないこともあるが、たくさんの人々によって信じられているものである。

 

神話】神話は聖書や古代ギリシャ神話のように信仰と強く結びついた物語だ。神話が出来上がるまでは数千年を要し、神秘的な現象の説明として使われることも多い。

 

幽霊の種類

幽霊の性質は文化によって説明と定義が違うので、混同しやすい。

 

・エレメンタル(精)(妖精やゴブリン、魔物など)/ポルターガイスト(ドイツ語で騒がしい幽霊という意味)/伝統的な幽霊(安らかになれない死者の霊で、ひどくおしゃべりなこともある)/精神的痕跡(歴史的な出来事によって物質世界に取り残された霊姿)/危機と死を生き延びた姿(死に臨む人の友人や家族が見る霊姿)/タイムスリップ(ある地点にタイムトラベルで現れた幽霊で、歴史的な場所に突然出現する)/生き霊(霊能力者による精神的投影)/物体に取り憑いた幽霊(霊的な活動をみせる物体や媒介物

 

ホーンティングとは何か?

幽霊が決まった場所に住み着いていると信じられているとき、これをホーンティング(取り憑き)という。伝統的には、幽霊は自分が死んだ場所や自分にとって生前重要だった場所に取り憑くと考えられてきた。

 

・人々は奇妙な現象を多数目撃すると、ホーンティングが原因だと考えた。

 

・霊姿(幽霊としか思えない姿の全体または部分が見えた)/物体引き寄せ(物体が突然現れる)/電気的干渉(電灯が暗くなり電化製品が奇妙な動きをする)/幽霊が書いた文字(壁や鏡に書かれたメッセージ)/ノック音や足音(日常的な音だが、何が原因かわからないもの)/奇妙なペット(動物の奇妙な行動)/ファントム・ミュージック(どこから聞こえるかわからない音楽)/虚空からの声(はっきりしない囁き声や主のいない会話)/コールド・スポット(部屋が異様に寒い)/霊染(染みや印が出現する)/異常な負傷(ポルターガイスト活動の結果として報告されるこぶ、あざ、ひっかき傷など)/空中浮遊(物体が自ら宙に浮いているように見える)/憑依(人間は物や邪悪な霊に取り憑かれて勝手に動かされる)/ハイ・ストレンジネス(夢の中のような感じで起こる遭遇

 

懐疑的調査

・超常現象だという主張をそのまま信じて受け入れずに、証拠を詳しく調べることを懐疑的調査という。歴史を通じて、懐疑論者だと自認する人々が有名な心霊現象の科学的な説明を提供すべく、調査を行ってきた。

 

・不安定な基礎(基礎部分に損傷がある建物は揺れたり、奇妙な音を発生させたりする)/配管(パイプやボイラーは、幽霊のような奇妙で多様な音を発生させることが知られている)/イカサマ(人々は様々な理由で偽の心霊現象をでっち上げる。一杯食わせてやろうというイタズラから、詐欺のための人だましまで、理由は幅広い)/幻覚(幻覚は、頭部の怪我や精神疾患が原因で起こることがある)/不気味な這い虫(クモやハエ、小動物などが記録装置のカメラの上を這って、幽霊と間違われることがある)/錯視(光と影のトリックが幽霊のように見えるもの)/超低周波低周波の音が不安やめまい、吐き気などを引き起こすという研究結果がある)/パレイドリア現象(無関係なものにランダムなパターンを見出して、それに意味を与えてしまう現象)/金縛り(睡眠中に夢を見ているような状態で起きると、胸の上に重みを感じた幻覚を見たりする)/確証バイアス(目撃者が元々、超常現象を信じていると、他の説明を拒否することがある)/一酸化炭素(幻覚を見たりする)/電磁場(電磁場が人に影響を及ぼすかどうかは、今も激しく議論されている

 

近代以前

死後の世界

・古代の神話の多くでは、幽霊は死後の世界に行くことを避けた死者の魂だと信じられていた。

 

リンボ(辺獄)

カトリックの神学は、死んだ罪人はリンボ(中世ラテン語で「境」という意味)に行くとされた。魂は自由にリンボからさまよい出ることができて、この世に幽霊として現れるのだと信じられていた。中世ヨーロッパでは、リンボに行きたくないという人々に教会が免罪符を売っていた。

 

ハントゥ

インドネシア、マレーシア、そしてこの近隣地域に住むマレー人は、ハントゥという霊について、多数の神話を発展させてきた。

     

ダビー

カリブ海地方では、安らげない幽霊はダビーと呼ばれている。ダビー信仰はたどると西アフリカにさかのぼる。ダビーは動物のような形になることも、人間のような形になることもあると考えられている。

 

幽霊の訪問

・幽霊の集団が、現実世界をしばしば訪れる地域もある。これは悪い予兆だと考える文化もあるが、お祭りで幽霊を客として歓迎する文化もある。

 

ラ・サンタ・コンパーニャ

・大昔から、ポルトガルとスペインの人々は、伝説にある幽霊の行進、ラ・サンタ・コンパーニャ(聖なる訪問客)を目撃してきた。幽霊たちはガイコツの姿を白いフードで隠していて、集団の先頭にはトランス状態になった地元の人間がいる。この人間は翌朝起きたときには、夜の不気味な行進のことは全く何も覚えていないという。

 

・幽霊祭り(中国、マレーシア、ベトナムなどで大昔から続く祭り)/鬼王(儀式の中心となるのは大きな鬼王の絵姿)/最前列の席(目に見えない死者が座る席)/冥銭(死者への供物として冥銭という特別な紙を燃やす)/景色、音、匂い(幽霊を案内するために使われる

 

季節のお祝い

・死者を祝う行事でもっとも有名なハロウィーンと死者の日で、一年のうちの同じような時期に行われる。現代知られているような形での祭りは、両方とも現代的にはカトリック万聖節に基づいているとされているからだ。起源は同じといっても、2つの祭りはそれぞれはっきりと違う。

 

・死者の日(メキシコ)/死者を装う(カラベラは装飾を施した頭蓋骨のモチーフだ)/オフレンダス(祭壇)

 

ハロウィーンハロウィーンは元々、11月1日の諸聖人の日、あるいは万聖節の前日のヨーロッパの祭りだった。時を経るに従って、万聖節イブがハロウィーンとなった。もっと古いケルト人の祭り、サムハイン(「夏の終わり」)がルーツだと信じる人々もいる。これは冬の始まりを告げるもので、アイルランドでは「超自然的な世界との境目が弱くなる日」だとされていた。

 

トリック・オア・トリート】近所の住人を仮装して訪ねると、甘いお菓子が振る舞われる。この伝統は、人々が良からぬ霊を追い払うために動物の皮を身にまとったサムハインの祭りにさかのぼると考えられている。この他にゴシックな飾り付けをしたり、カボチャをくりぬいて飾ったり、ホラー映画を見たりする習慣も一般的だ

 

歴史に残るホーンティング

・古い神話や伝説の他に人々は幽霊との遭遇を記録している。現存するもっとも古いホーンティングの記録は古代ギリシャのもので、多くの伝説や口承で伝えられているものと似ている。

 

アテナイの幽霊

ギリシャ アテナイ、紀元1世紀

・もっとも古いホーンティングの記録は、紀元1世紀頃の日付のある手紙に書かれたものだ。小プリニウスは友人に宛てた手紙の中で、古い幽霊屋敷の話をいささか面白がって書き記している。

 

テッドワースのドラマー

英国イングランド地方 テッドワース、1661-1663年頃

・1661年、地主のジョン・モンベッソンが英国で最初に記録されたポルターガイスト現象のひとつを経験した。この事件は、目に見えない太鼓を叩くような音と、モンペッソンの家の中の物体が動き回るというものだった。

 

ゴーストハンターグランビルは屋敷を徹底的に調べ、ゴーストハンターの先駆けとなった。グランビルの死後出版された『サドカイ派への勝利』(1683年)は、他の魔法、幽霊、魔女の妖術などの証拠とともにテッドワースでの体験を詳しく書き記している。

 

魔物

・神話や伝説では、魔物は人間ではない霊で、イタズラや邪悪なものと関連付けられている。伝統的な幽霊とは別の存在だが、魔物のホーンティングは幽霊のそれと非常に似通っていることもある。例えば魔物も、物体を移動させ、奇妙な音を立て、厄介ごとを起こすと信じられている。

 

古代の神々キリスト教の神話には、堕天使だとされている多彩な魔物が登場する。その名前の多くはモロクのように聖書以前の信仰に起源がある。

 

イタズラな神(トリックスター】ジンは様々な超常力を包括した存在で、トリックスターや願いを叶える霊として登場することが多い。

 

幽霊な正体は魔物】16世紀、ほとんどのプロテスタントの主流組織はカトリックのリンボと幽霊についての信仰を拒否した。代わりに、悪魔と手下の魔物がホーンティングを起こしていると説いた。それにも関わらず、幽霊に対する民間信仰は根強く続いていった。

 

霊との交信

・何千年もの間、人々は魔法の儀式を通じて霊を招き寄せようとしてきた。祈祷師は召喚と喚起の2種類を区別している。召喚は霊を誰かに依るように呼び寄せるが、喚起は、サロンや秘密の地下室など霊にとって都合の良い場所に姿を現すように促す。霊を招く者は、霊が病気を治す手助けをしたり、知識を授けてくれたり、時には敵を攻撃してくれると信じていた。

 

・ノアイデ(ヨーロッパ北極圏の霊と話す者)/ジャアクリ(ネパールの祈祷師)/ムーダン(朝鮮半島の霊と話す者)/プラスチック・シャーマン(伝統的な祈禱は、他の文化の人々から不当に盗用されることがある。ネイティブアメリカンの運動家はこれをプラスチック・シャーマンと呼んでいる

 

怪しい古城

・城に、幽霊の伝説はつきものだ。戦いの歴史、恐ろしい地下牢、そして歴史上の人物が、古城を幽霊の物語の完璧な舞台にしている。

 

・姫路城/バンガル砦/ズヴィーコフ城/エディンバラ城/プレドヤマ城/フーカス城/キニティ城

 

護符

・幽霊と邪悪な霊を信じることは、様々な文化において身を守る方策を発展させた。その方策は護符から儀式まで、あらゆる形と大きさのものが作り出されている。霊を避ける方策は、魔除けと呼ばれている

 

イフリート古代エジプトと近隣の中東地域には、「殺人現場にはイフリートという、復讐心に燃えた霊が取り憑く」と信じる者がいた。霊を追い払うための儀式として、殺人現場に釘を打ち付けるというものがあった。

 

レムレース古代ローマ人は攻撃的な霊をレムレースと呼んだ。レムーリアの祭りの期間、ローマ人はにごやかなパーティーを開き、レムレースを追い払うための儀式として豆を投げた。

 

ゴルゴネイオン古代ギリシャ建築には悪霊を怖がらせて追い払うためにゴルゴン(ギリシャ神話の怪物)の姿の画像がしばしば掲げられた。彫刻、レリーフ、モザイク画などがある。

 

クモの巣チャーム】北アメリカのオジブウェ族の人々は、古くからの伝説として、悪霊や悪夢を捕まえるためにクモの巣のようなお守りを作る。このチャームは現代では「ドリームキャッチャー」という名で呼ばれることが多い。

 

グロテスクの彫刻】中世以来、ヨーロッパの教会や城には怪物の彫刻があしらわれてきた。怪物はあざ笑うような顔つきをしていて、悪霊や悪魔の進入を退けると考えられていた。グロテスク彫刻は雨樋に集めた水を吐き出す装置として、屋根の上にも置かれた。これはガーゴイルという。

 

蹄鉄】中東起源の古い魔法儀式では、悪霊払いとして出入り口の上に鉄の蹄鉄をかけるものがあった。ヨーロッパでは、キリスト教と関連付けられるようになり、英国のダンスタン主教が悪魔を蹄鉄で追い払ったという10世紀の伝説が起源だとされている。

 

邪眼】魔除け魔法のもっとも一般的な儀式は、邪眼から身を守るために護符を使うものだ。古代の地中海地方と中東の文化に起源がある邪眼は、人を狙って投げかける呪いの一種だと信じられている。邪眼の護符は、幽霊や魔物などに対してもよく使われている。

 

コック・レーンの幽霊

コック・レーン

英国ロンドン コック・レーン、1762年

・英国でもっとも有名なホーンティングのひとつは、18世紀のとあるロンドンの家で起こった。ファニー・ラインズの死後、彼女の幽霊は、自分が住んでいた下宿屋の部屋で物を叩いたり、引っ掻いたりして音を出すことで、現世の人々と交信しようとしているという噂が立った。

 

19世紀

心霊主義

・大きな悲劇を生んだ米国での内戦後、残された人々は新しく急進的な思想を求めた。改革主義、社会主義、女権拡張活動と並んで、心霊主義と呼ばれる宗教運動が台頭した。

 

フォックス姉妹

米国ニューヨーク州ハイズビル、1848年

心霊主義はそもそも、交霊会(または降霊会とも書く)という儀式を通じて幽霊と接触しようとする試みだ。交霊会は1848年ニューヨーク州のハイズビル出身のフォックス姉妹によって広く知られるようになった。

 

新しい宗教心霊主義霊媒師にとって利益を生む事業であることが証明され、遺族に悲しみからの解放をもたらした。この運動は特に白人の中流階級の人々の間で人気となり、間もなくヨーロッパに輸出された。

 

神智学】1870年代、ウクライナ出身のオカルト主義者ヘレナ・ブラバッキーが心霊主義から派生した宗教運動を創造し、「神智学」と名付けた。神智学では「古代叡智の大師たち」と呼ばれる霊と交信会を行う。普通の死者の幽霊と異なり、大師たちは悟りを通して肉体と魂を分離した人間だと信じられていた。

 

降霊術

心霊主義の最盛期には、霊媒師は個人のイベントや劇場での公演に引っ張りだこになった。「幽霊は光を嫌う」と霊媒師が主張したため、実演は暗闇の中で行われた。懐疑論者は、「薄暗がりの目的はトリックを隠すためでしかない」と述べていた。

 

交霊会】もっとも人気のある交霊会の形式では、参加者は暗い部屋でテーブルのまわりに座って手を繋ぐ。霊媒師が集まりを主導し、幽霊からと見られるメッセージを伝えた。

 

日本の幽霊

不気味な絵画

・日本の「幽霊」は、かすかな霊、あるいはぼんやりした例という意味だ。19世紀、幽霊は芝居や木版画(浮世絵)の題材として人気があった。幽霊には様々なタイプがあり、それぞれが生きている間に耐えた苦しみの違いによってこの世に現れるといわれている

1、怨霊(おんりょう) 自分を不当に扱った者に復讐しようとする幽霊、2、船幽霊(ふなゆうれい) 復讐を欲する怨霊のうち、海で死んだ幽霊、3、浮遊霊(ふゆうれい) 目的なく浮いてさまよう霊、

4、御霊(ごりょう) 高貴な人の幽霊のうち、自然災害などを起して恨みを晴らそうとするもの、

5、地縛霊(じばくれい) 目的のない浮遊霊に似た幽霊だが、特定の場所に縛り付けられている、

6、座敷童子ざしきわらし) イタズラ好きな子どもたちの幽霊、

7、産女/姑獲鳥(うぶめ) 出産で死んだ母親の幽霊、

8、悲痛な女性 (絵画では、幽霊は通常、白い着物を着たやつれた表情で髪のもつれた女性として描かれている)

 

アメリカの幽霊伝説

・北アメリカには非常に多くの幽霊伝説があり、ネイティブアメリカンの神話にさかのぼるものも、またヨーロッパから来た入植者の伝承に影響を受けたものもある。

 

ベル・ウィッチ(ベル牧場の魔女)

米国テネシー州ベル牧場、1817-1821年頃

・伝説によれば、ベル牧場は口うるさい幽霊に取り憑かれていた。地元の人々によれば、この幽霊は地元の魔女ケイト・バッツだという。

 

グレート・ディズマル・スワンプ

米国、バージニア州ノースキャロライナ州18世紀頃

・広大でアリゲーターでいっぱいのこの沼地は、13000年以上にわたって沿岸に住むネイティブアメリカンの人々の暮らしの場となってきた。

 

・「湖の女性」と呼ばれる幽霊は、霧の中から蛍に照らされてカヌーを漕いで現れるという。

 

霊応盤

プランシェット

1850年代、ヨーロッパの製品デザイナーは、プランシェットという鉛筆を挟んで動かす車輪付きの小さな木製パレットを売ることで降霊術を商品化した。参加者がプランシェットの上に手を置くと、霊が手を導いて図形や字を書かせると信じられていた

 

人里離れた怪しい場所

デヴェンネク灯台

・フランスのデヴェンネク灯台(19世紀)はかなりの量の幽霊の話の舞台となっている。

 

心霊写真

・19世紀は、写真家が写真スタジオや交霊会で撮影した「本物の」幽霊の写真を販売するのが流行した。

 

ウィリアム・マムラーのメモラビリア】ウィリアム・マムラーは1860年代に、写真のネガを2枚以上重ねると、幽霊のような姿を映し出せることを発見した。マムラーの妻のハンナは、心霊主義界に精通した霊媒師だった。二人は顧客の亡くなった親族を主役とした写真を売るようになった。南北戦争後、米国には親族を失った人々を顧客とした大きな市場が存在した。二人の顧客となった有名人の中には亡くなった大統領の未亡人、メアリー・トッド・リンカーンもいた。マムラーは詐欺で告発され、裁判で無罪となったが、社会的な評価は大きく傷つくことになった。

 

クラブと協会

・19世紀、西洋では心霊主義が熱狂的に流行した結果、知識人やマニアは幽霊現象を研究、議論する団体を作った。奇妙な現象の研究は、流行に従って名称が変わってきた。一般的な用語としては心霊研究、超心理学、超自然現象研究、超常現象研究などがある。

 

ゴースト・クラブ】ゴースト・クラブは1862年にロンドンで創立された。メンバーには影響力のある著名人が多く、作家のチャールズ・ディケンズ、詩人のW・B・イェーツ、科学者のウィリアム・クルックスなども所属していた。クラブは現在も活動を続けていて、もっとも長期間存続している研究団体となっている

 

心霊現象研究協会(SPR)】1882年に創立されたSPRは、テレパシー、催眠状態と交霊会のデータを収集した。SPRは現在も現地調査、分析、発表の活動を存続している。

 

メタフィジカル・ラボラトリーハンガリーの化学者エレメア・チェンジジェリー・パップは、1928年から様々な実験を行った。研究室は中でも、霊媒師が何もないところから物体を突然出現させるトリックに焦点を当てた。パップは霊媒師たちにSF的なつなぎ服を着せて、手品のトリックができないようにした。

 

フォーティアン協会】米国の作家チャールズ・ホイ・フォートの本『呪われしものの書』(1919年)は、奇妙な現象を一貫して収集した最初の本だと考えられている。

 

国際心霊研究所(IMI)】フランスのIMIは1919年に、幅広い現象を研究する目的で設立された。ギュスターヴ・ジュレ博士などの分野で有名な研究者が霊媒師を精査する試みを指揮した。

 

オーストラリア超心理学研究所(AIPR)】1977年に設立されたAIPRは幅広く超常現象を研究している。

 

超能力研究】米軍のスターゲイト・プロジェクトは、1970年代に超能力を実用化するための方法を見つけようとした。リモート・ビューイング(遠隔透視)が敵の秘密を探るために使えるのではないかと信じていたのだ。

 

20世紀

インチキを暴く

・20世紀、懐疑主義者は幽霊信仰のインチキを暴こうとし続けた。幽霊を信じるのは迷信と霊媒のインチキの結果だと信じる人が多かったのだ。米国のマジシャン、ハリー・フーディニは、霊媒師たちがインチキと決まりきったトリックで、悲しむ遺族から金をだまし取るのを見て呆れていた。ローズ・マック・マッケンバーグはフーディニのインチキ暴露作戦に基づく捜査活動を率いていた。証拠を集めるためにマックは様々な独創的な変装をして潜入調査を行った。

 

想念形態

オカルトでいう「想念形態」は、霊能力で考えを移転させることだ。神智学協会のメンバー、アニー・ベサントとC・W・リードビーターは1909年の著書『思いは生きている-想念形態』でこの現象を「放射される波動と浮遊光」として説明した。焦点が外れた想念形態は、幽霊のような現れ方をすると信じた信者もいた。

 

抽象美術】想念形態はこれを主題とした鮮やかで想像力豊かな絵画があった。流行遅れとなった19世紀のリアリズムから逸脱したこの美術は、急成長中の多くの抽象主義の画家たちに影響を与えた。ワシリー・カンディンスキーカジミール・マレーヴィチピエト・モンドリアンなどの画家はすべて、心霊主義者と神智学の説くところから発想を得ている。

 

タルパ想念形態はチベットのタルパ(応身/化身)という概念に似ている。タルパは精神または霊的な力が作りだした物体や存在だ。タルパは、人や動物として自分自身の人生を歩むとされている。ゴーストハンターのエド・ウォーレンは、ビッグフットのようなUMA(未確認動物)は、実は霊能者が作り出したタルパなのかもしれないと推測している。

 

幽霊が出る廃墟

・廃墟をさらけ出した家は、かつてここで暮らしていた人々の謎めいた記念碑だ。廃墟から悲劇的な様子を見せるようになると、幽霊の伝説が宿される。20世紀になって、自動車と飛行機の登場により、人々が個人的に幽霊が出ると言われる場所を巡る旅へ出られるようになった。

 

ゴーストハンター

・ゴーストハンティングは幽霊が出るという話を調査し、幽霊であるという証拠や合理的で科学的な説明を求める仕事だ。特別な教育体系があるわけではないが、ゴーストハンティングでは幽霊が出るといわれる場所について通常、系統立った調査をする。20世紀のもっとも有名なゴーストハンターは、ほとんどが米国と英国の中産階級の白人男性たちだった。

 

戦争と幽霊

・戦場では人が苦しんで死に、病気も蔓延するため、幽霊が出ると考えられることが多い。20世紀中は、愛国的な寓話や心理戦で、こうした幽霊を積極的に取り上げた。

 

モンスの天使

1914年、ウェールズ出身の小説家アーサー・マッケンが戦場の幽霊を題材にした短編小説を新聞に発表した。この作品は、第1次世界大戦中のこの年、ベルギーのモンスでドイツ軍と戦っていた英国軍の部隊の前に、アジンコートの戦いにおいて活躍した「弓兵」の幽霊が援軍として現れ、追い詰められていた部隊は全滅を免れるというものだった。発表後、マッケンは驚愕のうちに読者が自分の創作を事実として信じてしまったことを知る。英国のジャーナリスト、デイビッド・クラークは、短編がイギリス政府関係機関によって戦争プロパガンダとして推奨された可能性を指摘している。

 

最恐の心霊スポット

ポーリー牧師館

英国エセックス州ポーリー、1927-938年

ゴーストハンターのハリー・ブライスが「英国でもっとも幽霊が出る家」と説明したポーリー牧師館は、数十年にわたって多数の心霊現象と調査が行われてきた場所だ。

 

リミナル・スペース

・幽霊が出るという心霊スポットの中には、恐ろしい景観のせいで評判を得ているものがある。トンネルは光と闇を繋ぐので、リミナルスペース(異なった場所を繋ぐ通路)となる。世界中で多数のトンネルが心霊スポットだとされていて、幽霊の厄介な伝説がつきまとう。

 

清滝トンネル

日本京都、1929年

日本の清滝トンネルは超常現象好きの観光客に人気のある心霊スポットだ。だが、複数の不愛想な看板が訪問客に、車が走るトンネルに徒歩で入る危険を警告している。

 

お化けアトラクション

・20世紀の技術者は、いつでも都合よく出現してお金を稼いでくれる幽霊の代役として模擬アトラクションを作った。もっとも人気のあるアトラクションであるお化け屋敷と幽霊列車は、現在でもテーマパークやイベントで見ることがあるだろう。

 

幽霊列車】幽霊列車ライドが最初に登場したのは1930年、英国イングランド地方の遊園地ブラックプール・プレジャー・ビーチだった。

 

お化け屋敷】お化け屋敷アトラクションは、恐ろしい装飾とお化けを演じる俳優が一杯の構造物を客がさまよい歩くというものだ。アトラクションとしてのお化け屋敷は1920年代の米国で目立つようになったが、舞台マジシャンが企画することが多かった。

 

タイムスリップ

・「別の時代や場所に遭遇した」と報告する人々がいる。英国の詩人で心霊研究者のフレデリックW・H・マイヤーズはこれを遡及的認知と呼んだ。一般的にはタイムスリップと呼ばれているもので、幽霊のような姿や幻のような光景を特徴とする体験だ。

 

フランス ベルサイユ宮殿】1901年英国の学者シャーロット・アン・モバリーとエレノア・ジュールダンが、18世紀のべルサイユ宮殿に迷い込んだという。懐疑論者の推測の一つは、二人が前衛アート的なLGBTQ+パーティーに遭遇したというものだ。ちょうどこの時期に耽美主義詩人のロベール・ド・モンテスキューが華麗なドレス仮装パーティーをここで開いていたのだ。

 

英国リバプール ボルド・ストリート】ボルド・ストリート周辺でタイムトラベルしたという話はいくつかある。一例では、警官が短い間、1950年代のファッションの人々と店に囲まれていることに気がついたという。1967年にいる自分を発見して驚いた、ある男性の話も新聞記事になっている。

 

コンゴ川流域 モケレ・ムベンベ】モケレ・ムベンベは中央アフリカで目撃されたという竜脚類恐竜だ。「竜脚類が奇跡的に絶滅を免れた」と言う人もいるし、「この動物がたまたま劇的にタイムスリップしてしまった」と信じる人もいる。

 

ドッペルゲンガー

ドッペルゲンガー(ドイツ語で「二重に歩く者」)は生きている人々の幽霊のような分身だ。こうした分身の行動だとされているものは、不気味なものから平凡なものまで多岐にわたる。超自然についての概略書として名高いキャサリン・クロウの『自然の夜側』(1848年)では、ドッペルゲンガーは、人が病気のときか眠っているときにもっとも目撃されると述べられている。心理学者は、この現象は「自己像幻視」という幻覚だとしている。

 

20世紀中頃

乗り物の亡霊

・20世紀、車社会がどんどん当たり前になっていくと、車の調子がおかしいのは幽霊に取り憑かれている証拠ではないかと疑う人も出てくるようになった。地上、空、海に出るという乗り物の亡霊は、都市伝説の常連だ。

 

異次元

幽霊は別次元からやってくると考えている人たちもいる。この仮説は、特にUFO研究家に人気で、SFではよくある設定となっている

 

マゴニアへのパスポート天文学者でUFO研究家のジャック・ヴァレは、著書『マゴニアへのパスポート』(1969年)の中で、20世紀のエイリアンやUFOとの遭遇と、妖精界のような神秘的な場所からやってきた自然の精などの歴史的な物語を比較している。ヴァレは「すべての超常現象は、異次元の力によって起こっているのではないか」と示唆している。

 

ゴブリン宇宙への旅】英国のジャーナリスト、テツド・ホリデーの死後に出版された『ゴブリン宇宙』(1990年)は、ネス湖の怪物からポルターガイスト、UFOまですべてが高い知性を持つ存在だとしている。その後、話が脱線して進化論の批判に及ぶのが厄介である。

 

エセリアより愛をこめて】1950年代、米国の超心理学者ミードレインは、UFOは彼がエセリアと名付けた異次元からやってきているという説を唱えた。レインは「エセリア人が接触してきている」という霊媒師マーク・プロバートとの会話を元にこの推測に至った。

 

不快な渦

・一部の超常現象の専門家によると、異常な現象を地図上に落としていくと特別な特異点が明らかになるという。

 

レイライン1920年代、英国のアマチュア考古学者のアルフレッド・ワトキンスは、「古代遺跡は意図的に線上に並んでいる」という説を立てた。ワトキンスはこの並びを「レイ」と名付けた。当時の専門家たちは否定したが、この説は1960年代の超常現象研究家の間で人気となった。レイラインは魔法に満ちていて、心霊現象の原因となり、UFOを呼び寄せると彼らは信じている。

 

バミューダ・トライアングル】この北大西洋の大まかな海域は、数多くの消失事件で知られている。もっとも有名なのは1945年米海軍の5機からなる第19飛行部隊が同時にすべて消失した事件だ。この説の一部の信奉者によれば、バミューダ・トライアングルは世界最大の心霊地域かエイリアンがはびこっている場所なのだという。

 

ドラゴン・トライアングル】この海のトライアングルは日本の南にあり、何隻かの船が消失している。

 

幻の動物

・動物のような形で現れた幽霊を目撃した人もいる。未知動物学(UMAを研究する学問)では、こうした動物をクリプティッドと呼ぶが、幽霊とモンスター(怪物)、UMAの違いは文化によって説明が多様なためにはっきりしないことが多い。

 

ネス湖の悪魔払い】一部のUMA研究家は、ネス湖の怪物は奇跡的に絶滅を免れた古代の生き物だと信じている。だが1975年、教区牧師がこの有名な生き物に対して悪魔払いをしようとした。彼は、「これは悪霊で、地元地域で心理的にアルコール依存と鬱病を引き起こしている」と信じていたのだ。

 

幽霊の出る病院と学校

ポヴェーリア島

ヴェネツィア イタリア、1960年代頃

ヴェネツィアの潟にあるポヴェーリア島は、18世紀に隔離用の島となった。100年以上に渡って隔離地域となり、多くの腺ペスト患者がここに置き去りにされて死を待ち、その死体は火葬されるか集団墓地に埋葬された。1922年に島の建物は精神病院に改装されて、その後1960年代に閉院、廃墟となった。2016年、5人のアメリカ人観光客が恐怖のあまりゴーストハントを放棄して島から救出された。

 

メディアの中の幽霊

・映画の中に初めて幽霊が登場したのは、フランスの映画監督ジョルジュ・メリエスの『悪魔の館』(1896年)だ。この時代の作品の典型で、幽霊は白いシーツを被ったひらひらする姿で描かれている。その後、何十年もの間、幽霊は映画、テレビ、テレビゲームに登場し続けている。

 

ポストモダン

ハイゲイト墓地

ポストモダン期になると、テレビや新聞のマスメディアを舞台として、ホーンティングが素早く、広く伝えられるようになった。あるメディア由来のヒステリア(社会現象的パニック)のケースとしては、怪奇小説的なビクトリア朝のハイゲイト墓地に、超常現象研究家、墓荒し、自称エクソシストが押しかけたlことが挙げられる。

 

ハイゲイト墓地

英国ロンドン、1960年代

 事件は1968年に、不埒な悪党が棺桶を貫く鉄の杭を打ち込んだことで始まった。その後、墓地をさまよう灰色の幻姿が目撃され、超常的な不法侵入者と対峙しようという期待に満ちたゴーストハンターたちが到着した。

 

取り憑かれた物

・多くの伝説では、物体に侵襲的な幽霊、魔物、あるいは呪いが取り憑いた様が説明されている。取り憑かれる物体はもっぱら古いもので、まるで古さが霊を招いているようだ。

 

ゴーストタウン

・放棄された居住地は、ゴーストタウンというあだ名で呼ばれがちだ。

ゴーストタウンは、幽霊の目撃体験がほとんどなくても「幽霊が出る」という評判を得ることが多い。

 

ホワイト・レディ

・幽霊の伝説でもっともよくあるのが、ホワイト・レディだ。女性の幽霊で白い服がふわふわとなびいて漂うのでそう呼ばれる。

 

アミティヴィルの幽霊屋敷

米国ニューヨーク州ロンフアイランド アミティヴィル、1975年

・1975年、23歳のロニー・デフェオ・ジュニアは、自宅で自分の家族を6人を殺したことを認めた。その後、間もなくジョージ・ラッツと妻キャシーが3人の子どもとこの事件のあった家に引っ越してきた。幽霊が出るかもしれないと心配したラッツ一家は神父を招いて家をお祓いしてもらった。だが、すぐに一家は過剰なほどの超常現象に気がつく。

 

悪魔パニック

・幽霊や交霊会に興味を持つことに対して「こうした活動は悪魔を刺激して扇動する」と反対する人々がいる。もっとも有名な1970年代から北アメリカに広がったモラル・パニックだろう。この間、信者たちは、秘密の悪魔崇拝者たちが政府、メディア、公的機関の中枢で働いていたと主張した。

 

メディアに登場するゴーストハンター

・小説や映像作品に登場するゴーストハンターたちは、スピリチュアル戦士ヒーローから口の上手い興行主まで、多様だ。もっとも有名なのは1984年の映画、『ゴーストバスターズ』だろう。

 

21世紀

ゴーストハンティング テレビ番組

・21世紀初頭から、テレビのリアリティー番組がゴーストハンティングのありかたに大きな影響を及ぼした。

 

・ゴーストハンティングの番組は主に米国で製作されるため、主役は白人男性がほとんどで、幽霊調査には演出が加えられている。

 

現代のホーンティング

シャーマン牧場

・シャーマン牧場は幽霊、UFO、UMAなど多種多様な異常現象が起こる場所といわれている。

 

幽霊が出るホテル

ホテルは、幽霊が出るという場所の常連だ。お客やスタッフが死んだという噂がつきものだからだ。中には英国のジャマイカ・インのように、幽霊をアメニティ-として遠慮なく宣伝している場所もある。幽霊が出るという部屋は泊まりたいという客が多いために別料金になっていたりする。

 

ファーストワールド・ホテル】2001年に建てられたばかりにも関わらず、マレーシアのファーストワールド・ホテルにはかなりの幽霊伝説がある。

 

インタ―ネット幽霊

・インタ―ネットの幽霊伝説は創作ホラーとして始まったものが多く、写真修正ソフトを使って作られた不気味な画像を伴っているのが典型だ。ネット上で広く拡散することで、元の文脈が抜け落ち、またたく間に本物の怪奇現象の報告だと見なされるようになった。現代の批評家はこの種の伝説を「デジタル民間伝承」と呼んでいる。

 

消えない伝説

・この本で取り上げたホーンティングの大部分は、特定の場所や時間と結びついているが、現在でも新しい幽霊の目撃報告や物語が世界中で生まれ続けている。

 

幻のヒッチハイカ】幻のヒッチハイカーは都市伝説で良くある話で、20世紀に有名になった。1940年代に民俗学者リチャード・ビアズリー、ロザリー・ハンキーはこの話の異なる70以上のバージョンを採集している。この伝説は学問的な考察をしたジャン・ブルンヴァンの著作『消えるヒッチハイカー』(1981年)によって広く知られるようになった。

 もっとも一般的な話では、心優しい運転手が夜、ヒッチハイクをしている人を拾う。乗ってきた人は奇妙な振る舞いをし、走行中にまるで手品のように消えてしまう。困惑した運転手は地元の人々と話し、ヒッチハイカーが幽霊だったことを知る

 

現代の幽霊

・現代でも、友人や家族から聞いたり、本やメディアで幽霊の話を耳にすることはあるだろう。あなたにも、何か語りたい話はあるのだろうか?

 

・幽霊は宗教的な祭りの中心にして、私達に「死者に敬意を払い、暗闇に注意するように」と気づかせてくれる。幽霊は小説、映画、テレビゲームなど創作作品の奥深くに宿り、恐怖と喜びをもたらす。

 

 

 

『魂でもいいから、そばにいて』

3・11後の霊体験を聞く

奥野修司   新潮社    2017/2/28

 

 

 

<旅立ちの準備>

死者・行方不明者1万8千人余を出した東日本大震災。その被災地で、不思議な体験が語られていると聞いたのはいつのことだったのだろう。多くの人の胸に秘められながら、口から口へと伝えられてきたそれは、大切な「亡き人との再会」ともいえる体験だった。同時にそれは、亡き人から生者へのメッセージともいえた。

 

 津波で流されたはずの祖母が、あの朝、出かけたときの服装のままで縁側に座って微笑んでいた。夢の中であの人にハグされると体温まで伝わってきてうれしい。亡くなったあの人の形態に電話をしたら、あの人の声が聞こえてきた。悲しんでいたら、津波で逝ったあの子のおもちゃが音をたてて動いた……。

 

・事実であるかもしれないし、事実でないかもしれないが、確実なのは、不思議な体験をした当事者にとって、それは「事実」であるということである。

 

 東日本大震災の2年後から、僕は毎月のように被災地に通いつづけた。なにやらそうしないといけないような気がして、まるで仕事にでも出かけるかのように通った。ボランティアではない。もちろん物見遊山ではない。それは霊体験ともいえる。きわめて不思議な体験をした人から話を聞くことだった。

 

<お迎え率>

・「お迎え率って知らねえだろ。うちの患者さんの42%がお迎えを経験してるんだ。お迎えを知らねえ医者は医者じゃねえよ」

 

・今から千年以上も前に、天台宗の僧・源信を中心とした結社が比叡山にあった。彼らは亡くなっていく仲間の耳元で、今何が見えるかと囁き、末期の言葉を書き留めたという。死ぬ直前に極楽か地獄を見ているはずだから、最初に何を見たか、死に逝く人は看取る人に言い残すことを約束したのである。このとき何かを見たとすれば「お迎え」に違いない。千年も前からお迎えがあったなら、お迎えは特殊な現象ではなく、人が死んでいく過程で起こる自然現象と考えたほうがいいのではないか。そんな思いを、このとき僕は岡部さんとはじめて共有できたのだ。

 

・お迎えの話に導かれるように耳に入ってきたのが被災地に「幽霊譚」だった。

 

 実際、僕が聞いた話にこんなものがある。たとえばタクシーの運転手だ。

古川駅(宮城県)から陸前高田岩手県)の病院まで客を乗せたんだが、着いたところには土台しか残っていなかった。お客さん!と振り返ったら誰も乗っていなかったんだよ

 仙台のある内装業者は、一緒に食事をしたときにふっとこんな話を漏らした。

 

「震災の年の夏だったが、仮設住宅で夜遅くまで工事をしていたら、いきなり窓から知らない人がいっぱい覗いていた。そのとき頭の中に若い女性の声で「わたし、死んだのかしら」なんて聞こえた。驚いてあらためて窓を見たが、年寄りの幽霊ばっかりだった」。

 

・またある女子大生の話。

閖上大橋のあたりに行くと、高校時代にいつもそこで待ち合わせていた親友が立っているんです。でも、その子はお母さんと一緒に津波で流されたはずなんです」

 ある婦人のこんな話もある。

 

「ある日、ピンポンと鳴ったのでドアを開けると、ずぶ濡れの女の人が立っていました。おかしいなと思ったんですが、着替えを貸してくださいというので、着替えを渡してドアを閉めたら、またピンポンと鳴った。玄関を開けると、今度は大勢の人が口々に、“着替えを!”と叫んでいた」

 

 石巻では、車を運転中に人にぶつかった気がするという通報が多すぎて、通行止めになった道路もあると聞いた。まるで都市伝説のような恐怖体験だが、当時はこんな話は掃いて捨てるほどあったのである。

 

「これはお迎えと同じだよ。きちんと聞き取りをしたほうがいいんだが」と、岡部さんはさりげなく僕の目を見て言う。

 

 お迎えは、僕の中で実体験としてあるが、霊体験となるとそうはいかない。当時の僕にすればUFOを調べろと言われているようなものだった。

 

・「柳田國男が書いた『遠野物語』も、考えてみればお化けの物語だよ。ところが、第99話で柳田は、男が明治三陸地震津波で死んだ妻と出会う話を書いているよな。妻が結婚する前に親しかった男と、あの世で一緒になっていたという話だ。なんでわざわざ男と一緒に亭主の前に出てくるのかわからんが、死んだ女房に逢ったのに、怖いとはどこにも書いていない。恐怖は関係ないんだ。つまり家族の霊に出合ったときは、知らない人の霊に出合うときの感情とはまったく違うということじゃないか?」

 

 沖縄戦のさなかに、北部のあるヤンバルという山中で逃げまどっているとき、先に戦死した兄の案内で九死に一生を得たといった霊的体験を沖縄で何度か聞いたことがある。それを語ってくれた老人は、一度も怖いと言わなかったことを僕は思い出した。

 

<この人たちにとって此岸と彼岸にはたいして差がないのだ>

・「石巻のあるばあさんが、近所の人から『あんたとこのおじいちゃんの霊が大街道(国道398号線)の十字路で出たそうよ』と聞いたそうだ。なんで私の前に出てくれないんだと思っただろうな、でもそんなことはおくびにも出さず、私もおじいちゃんに逢いたいって、毎晩その十字路に立っているんだそうだ」

 

<『待っている』『そこにも行かないよ』>

津波はリアス式の三陸に来るもの>

・「今年(2016年)の正月明けでした。これからどう生きていけばいいのか悩んでいたときです。このとき娘はいなかったのですが、これまでと違ってはっきりとした像でした。夢の中で妻はこう言ったんです。

 

「いまは何もしてあげられないよ」

 

 そう言われたとき、あの世からそんな簡単に手助けはできないんだろうなと、私は夢の中で思っていました。

 

・「ええ、父も私もしゃべっています。父が出てくる夢は毎回同じでした。バス停とか船着き場とか電車のホームで、いつも乗り物を待っている夢なんです。父が待っているので私も一緒に待っていると、『まだ来ねえからいいんだ。おれはここで待ってる。おめえは先に行ってろ』と父は言うんです」

 

・「今でも忘れない不思議な出来事が起こったのはその頃です。東京に行く用事があったので、震災の年の7月3日に気仙沼のブティックで洋服を買っていました。4人ぐらいお客さんがいて、1人ずつ帰っていき、私も洋服を手にしてレジに向かったら、最後まで残っていた女性のお客さんから『どなたか亡くなりましたか』と声をかけられたんです。びっくりして振り向くと、『お父さんとお母さんでしょ? あなたに言いたいことがあるそうだから、ここで言ってもいい?』

 

 店の人が言うには、気仙沼で占いを職業にしている方で、女性雑誌にも出ているそうです。私はほとんど反射的に『はい』と返事をしていました。私は、その頃、左の腕が重いというか、肩こりでもない、筋肉痛でもない、なにか違和感があってので、原因がわかるかもしれないという気持ちがあって承諾したのだと思います。

 

「あなたは胃が弱いから胃の病気に気を付けろとお父さんが言ってます。お母さんは、ありがとうと言ってますよ」そこで号泣してしまいました。

 

・「父は港町でかまぼこ屋をしながら、船をかけたりしていました。ああ、船をかけるというのは船主になることです。50年もかまぼこ屋をしながら、船主になりたくて、全財産を失ってしまいました。6航海のうち、黒字になったのは1回だけ。赤字で帰ってきても、船主は人件費や燃料費を支払わないといけないから、バクチのようなものです。それでもやってみたかったんでしょうね。市会議員も2期やって、今思えば好きなことをやってきた人でした。借金を抱えて全財産を失ったあと、実家はうちの叔母が肩代わりをして買い取り、下を駐車場にして、2階に管理人として住んでいました」

 

<兄から届いたメール≪ありがとう≫>

・被災地の不思議な体験で圧倒的に多いのが、亡くなった家族や恋人が夢にあらわれることである。それもリアルでカラーの夢が多い。中には4Kのように鮮明で、夢かうつつかわからないことがあると証言した方もいる。面白いのは、電波と霊体験に親和性があるのか、携帯電話にまつわる話が多いことだ。

 

 たとえば、のちに詳しく紹介するが、余震で家の中がめちゃくちゃになって暗闇の中で途方に暮れていたら、津波で亡くなった夫の携帯電話がいきなり煌々と光りだしたという証言。また、津波で逝った“兄”の声を聞きたいと思って電話をしたら、死んだはずの“兄”が電話に出たという話。

 

・「朝8時半でした。役場で死亡届を書いているときにメールを知らせる音が鳴ったんです。従妹が『電話だよ』と言ったので、『これはメールだから大丈夫』と言って、死亡届を書き終えて提出しました。そのあと受付のカウンターでメールを開いたら、亡くなった兄からだったんです。

 

≪ありがとう≫ひと言だけそう書かれていました。

・余談がある。震災の年の夏、陸前高田にボランティアでオガミサマがやってきたという。オガミサマというのは、沖縄のユタや恐山のイタコに似て、「口寄せ」や「仏降ろし」をする霊媒師のことである。沖縄では「ユタ買い」という言葉があるほど、日常生活に密着しているが、かつて東北にもオガミサマは生活の一部としてあった。たとえば誰かが亡くなったとすると、仏教式の葬儀を執り行なう前にオガミサマを呼び、亡くなった人の魂を降ろしてきて、口寄せで死者とコミュニケーションをとったそうである。オガミサマは東北地方の「陰の文化」としてあったのだ。

 

・常子さんがこのオガミサマに兄のことをたずねると、口寄せでこう言ったそうだ。

 

「おれ、死んだんだな。でもよかった。これでよかったんだ。みんなに、自分が動けなくなって寝たきりになる姿を見せたくなかったし、これでよかったんだ」

 

 オガミサマを信じない人にはたわごとでしかないが、信じる人にはあの世に繋げるかけがえのない言葉である。死者とコミュニケーションをとれることは、遺された人にとって最高のグリーフケア(身近な人の死別を経験して悲嘆に暮れる人を支援すること)なのだと思う。

 

<「ママ、笑って」―—おもちゃを動かす3歳児>

東日本大震災における宮城県内の死者・行方不明者は1万2千人弱を数えるが、このうち3977人と最大の人的被害を出した町が石巻市である

 

・大切な人との別れは、それがどんな死であっても突然死である。とりわけ津波で亡くなるような場合、死を覚悟する時間がなかっただけに強い悲しみが残る。その悲しみは、幾年を経ても消えることがない。もういちど逢いたい、もういちどあの人の笑顔が見たい、ずっと一緒にいたい、そんな強い思いに引かれて、亡くなったあの人があらわれる。生きていたときの姿のままで、あるいは音になって、あるいは夢の中で、そのあらわれ方はさまざまだが、その刹那、大切なあの人は遺された人の心の中でよみがえり、死者と生きていることを実感するのだろう。

 

 後日、由理さんから電話があり、夜中に康ちゃんがボール遊びをしているのか、黄色いボールが動くんですと笑った。

 

<神社が好きだったわが子の跫音(あしおと)>

・今回の旅のきっかけは、『遠野物語』だったと思う。あの中に地震の後の霊体験はたった一話しかなかったが、もしも明治三陸地震の直後だったら、柳田國男はもっとたくさんの体験談を聞いていたのではないだろうかと思ったのだ。

 

・恵子さんと先に登場した由理さんには共通する点がたくさんある。いや、二人に共通するのではなく、大切な人を喪ったすべての遺族に共通するのかもしれない。たとえば由理さんが、あの子がそばにいると思うと頑張れると言ったが、恵子さんもそうだった。

 

「迎えにも行ってあげられなかったし、助けてもあげられなかったのに、天井を走ったりして、私たちのそばにいてくれたんだと思うと、頑張らなきゃと思う」

 

<霊になっても『抱いてほしかった』>

・秀子さんが不思議な体験をしたのは夫の遺体が見つかる前日だった。

 

「今日は駄目だったけども、明日はきっと見つけてやっからね、と思って2階に上がったときでした。なんだか気になったから、ひょいと下を見たら、ニコッと笑ったひょいひょいと2回あらわれたのが見えたんです。それも鉛筆で描いたような顔でね。そこは支えるものがいから、人が立てるようなところじゃないの。でも、すぐお父さんだとわかったわ。どうしてわかったのかって?私のお父さんだから、雰囲気でわかるわ。だから『あっ、来たのね』って声に出したの。義姉も一緒に住んでいたので、念のために『義姉さん、お父さんの顔見た?』って訊いたけど、もちろん知らないって言ったわ。

 

 2回目は夕方でした。洗濯物を取り入れていたんだけど、ふと見たら白いドアの前に黒い人型の影がぽわっと立っているんです。ゆらゆら動く影を見て、ものすごい鳥肌が立ちました。『お父さん、そばまで来ているんだね。それとも誰かに見つけてもらったかな』って声をかけました」

 

<枕元に立った夫からの言葉>

・「お父さんは大船渡の出で、あの日はよく行く大船渡のお寺でお祓いをしてもらって帰ったんだけど、寒くてストーブを焚いた記憶があるからお盆ではないよね。あれは夢だったのか、それともお父さんの霊だったのか、いまだによくわからないんだね。私が布団に入っていたから、夜だったことは間違いないけど……、ああ、時計は一時だったね。目が醒めると、白い衣装を頭からかぶったようなお父さんがふわっとやってきて、

 

『心配したから来たんだぁ』と私に言ったんです。顔は暗くてよくわからなかったのですが、格好はお父さんだし、声も間違いなくお父さんなんです。それだけ言うと、誰だかわからない、同じ衣装を着た別の人が、お父さんを抱きかかえるようにしてドアからすーっと消えていきました。お父さんといえば、ふわふわと風船のように浮かんでいて、まるで風に流されるように離れていくんだね。あれは突然やってきて、突然いなくなった感じでした。お父さんはよく夢に出てきたけど、あれは夢とはちょっと違ったね」

 

・あれは遺体が見つかってから2ヵ月経った5月20日……、ああ、発見された日と同じだねぇ……。あの頃の私たちはまだ親戚の家の納屋に避難していましたが、仕事も始まってようやく気持ちも落ち着いてきました。その日は平日でしたね。世話になったおじちゃんだから、なんとなく電話したくなったの。一人でぼんやりしていると、ああ、おじちゃん、どうしているかな、逢いたいなあと思って、軽い気持ちで携帯で電話したんです。

 

 ブルルルルって鳴ったかと思ったら、突然電話に出たんですよ。

 

「はい、はい、はい」そう言って3回、返事をしました。「エエエッ!」

 

 声は克夫おじちゃんとそっくりです。いやいや、克夫おじちゃんに間違いないです。本当に嘘じゃないんですよ。自分で電話して驚くのもおかしいですが、あのときはもうびっくりするやら、信じられないやらで、怖くなってすぐ携帯を切ったんです。

 

《誰? なんでおじちゃんが出るの》

 

 ちょっとパニック状態でした。そしてしばらくしたら、というより数秒後でしたが、克夫おじちゃんの携帯から折り返しの電話があったんです。私の携帯に(番号登録した)『伊東克夫』って出たものだから、もう背筋が寒くなって、さすがに出られません。ベルが鳴り終わると、すぐにおじちゃんの番号を削除しましたよ。

 

・「霊体験なんてこれまで信じたことがなかったのに、自分がその体験者になって、頭がおかしくなったんじゃないかと思っている人もいます。同じような体験をした人が他にもたくさんいるとわかったら、自分はヘンだと思わないですよね。そういうことが普通にしゃべれる社会になってほしいんです」

 

 とはいえ、困ったのは、これが“ノンフィクション”として成り立つのかどうかということだった。なにしろ、語ってもらっても、その話が事実かどうか検証できない。再現性もないし、客観的な検証もできない。どうやってそれを事実であると伝えるのか。

 

 

 

『創』   2016年5・6月号

『ドキュメント 雨宮革命  (雨宮処凛)』

 

 

 

<「幽霊」と「風俗」。3・11から5年が経って見えてくるもの

・一方、最近出版されている3・11をテーマとした書籍の中には、「5年」という時間が経ったからこそ、世に出すことができるようになったのだな、と感慨深い書籍もある。その中の一冊が『呼び覚まされる霊性の震災学 3・11生と死のはざまで』(新曜社)だ。

 

 東北学院大のゼミ生たちがフィールドワークを重ねて書いた卒論をまとめた一冊なのだが、その中には、震災後、宮城のタクシー運転手たちが経験した「幽霊現象」の話を追ったものがある。

 

 季節外れのコートに身を包んだ若い女性が告げた行き先に運転手が「あそこはほとんど更地ですが構いませんか」と尋ねると、「私は死んだんですか」と震える声で答え、振り向くと誰もいなかったという話や、やはり夏なのに厚手のコートを着た若い男性を載せたものの、到着した頃にはその姿が消えていたなどの話だ。

 

このような「タクシーに乗る幽霊」に対しても、自らも身内を亡くした運転手たちは不思議と寛容だ

 

「ちょっとした噂では聞いていたし、その時は“まあ、あってもおかしなことではない”と、“震災があったしなぁ”と思っていたけど、実際に自分が身をもってこの体験をするとは思っていなかったよ。さすがに驚いた。それでも、これからも手を挙げてタクシーを待っている人がいたら乗せるし、たとえまた同じようなことがあっても、途中で降ろしたりなんてことはしないよ」

 

 そう語るのは、津波で母を亡くしたドライバーだ。

 

「夢じゃない?」と思う人もいるだろうが、実際にメーターは切られ、記録は残る。不思議な現象は、事実上「無賃乗車」という扱いになっていることもある。

 

・さて、もう一冊、「5年経てばこういうことも出てくるだろうな」と妙に納得した本がある。それは『震災風俗嬢』(小野一光 太田出版)。帯にはこんな言葉が躍る。「東日本大震災からわずか1週間後に営業を再開させた風俗店があった。被災地の風俗嬢を5年にわたり取材した渾身のノンフィクション」

 

 本書を読み進めて驚かされるのは、3・11後、震災と津波原発事故でメチャクチャな地で、風俗店はいつもより大忙しだったという事実だ。店によってはいつもの倍近い客が押し寄せたのだという。

 

・そう話した30代後半の男性は、子どもと妻と両親が津波に流されたのだという。妻は土に埋もれ、歯形の鑑定でやっと本人だとわかったということだった。

 

 一方で、風俗嬢たちも被災している。住んでいた街が津波に襲われるのを目撃した女の子もいれば、両親を亡くした女の子もいる。

 

・時間が経つにつれ、「3・11」を巡って、私たちの知らない側面が顔を覗かせるだろう。

 

 とにかく、あれから5年という月日が経った。あの時の、「言葉を失う」感覚を、一生忘れないでいようと思う。

 

 

 

『未来人への精神ガイド 神智学入門』

科学と宗教と哲学を結合し宇宙に君臨する法則の下に人間の行くべき道の復権を求める

C・W・リードビーター たま出版   1990/8/1

 

 

 

神智学とは

・神智学は謎とみえる人生に英知の光をそそぎ、人生の苦しみや悲しみ、恐れや不満を超えて真の安心立命を与える。また人間と宇宙に関する啓発的な説明を、それらの起源・進化および目的にわたって説き、宇宙に君臨する法則を明示するのである。

 

神智学は、人間を中核に据えての、太陽系宇宙の文字通り満物満生の進化とその相互関係、それら全てを貫く宇宙意志など、を明確にする体系である。したがってその全内容はとうぜん複雑であり多岐である。

 

神智学のアウトライン

神智学とはなにか>

・神智学は、外部の人びとにたいしては、宇宙に関する知的理論ということができるであろう。しかし神智学を学んだことのある人びとにとっては、それは理論ではなく事実なのである

 

どのようにして知られたか

・この神の計画を完全に掌握していた高度に発達した人間の一群――ただ一国の人たちだけでなく、あらゆる発達した国ぐにの人たち――が、つねに存在していたのです。

 

ほかのどんな科学の場合とも同じように、この魂の科学においても、その完全な詳細はそれに生涯をかけて追及する人びとにのみ与えられる。十分に知っている人たちは――これらの人たちは超人(アデプト)と呼ばれるが――完璧な観察に必要な力を辛抱づよく発達させたのである。

 

観察の方法

・全体的な神の計画は、他の神智学の書物で十分に説明されていることが解るであろう。さしあたって、これはまったく振動の問題である、といっておけば十分としておく。外部世界から人間に到達するあらゆる知識は、なんらかの振動という手段によって――それが視覚を通してであれ、聴覚・触覚を通してであれ――彼に到達する。したがってもし人が余分の振動を感じることができるならば、余分の知識を獲得するであろう。彼はいわゆる「透視家」となるであろう。

 

・こういうふうにして、彼は巨大な見えない宇宙が、生涯を通じて彼の周りに存在していること、また、気づかないかもしれないが、その宇宙は多くのしかたで不断に彼に影響を及ぼしていることを知るのである。

 

・わたしたちの世界の、普通は見えないこの部分を見るとき、きわめて興味ぶかい、まったく新しい膨大な一群の事実が、ただちに私たちの知識として加わることになる。

 

・これらの事実は、大論争の的であった幾多の疑問――たとえば人間は死後生き続けるのか、というような疑問――を、一瞬のうちに解決する。それはまた教会が、天国や地獄や煉獄について説く途方もない、ありそうもない説教のすべてに真の解明を与える。

 

一般原理

・では、神智学学習の結果として導きだされる大まかな原理の、そのもっとも顕著な天の講述から始めよう。ここで、信じようもないことがらとか、先入観とまったく相反する事項にであう方たちがあるかもしれない。もしそうなら、そういう方々には、私はこの論述を理論として――形而上的推論とか、私個人の宗教的意見として――ではなく、はっきりとした科学的事実として提出していることを思いだされるようお願いする。

 

三つの偉大な真理

・ごく初期の神智学の書物の一つに、絶対的であって失うはずはないが、しかも言わないでおくと公表されないままになるかもしれない、三つの真理のあることが書かれている。

 

一 神は存在し、神は善である。神は偉大なる生命の基であって、私たちの内部に、また外部に宿っている。神は聞こえもせず、見えもせず、触れもしないが、しかも知覚しようと願う人には知覚される。

二 人間は不死であり、彼の未来はその栄光と荘厳に限界がない、そういう未来である。

三 絶対的正義という神の法則が世界を統御しており、したがって実に各人みずからが自分にたいする審判官であり、栄光なり陰うつなりの授与者であり、彼の生涯、報酬、懲罰の判決者である。

 

系(コロラリー)

・これらの偉大な真理の一つ一つに、一定の付随的、注釈的な真理がともなっている。

 第一の偉大な真理からは、つぎの真理が続く。

一 いろいろな足掛けにもかかわらず、あらゆるものは明確かつ適切に、すべて善に向って進歩していること。あらゆる境遇は、いかに不遇にみえようとも、実際はそっくりそのまま必要なものであること私たちを取りまいているすべてのものは、私たちを妨害しようとしているのではなく、ただ理解しさえすれば、私たちを援助しようとしているのだということ。

二 このように神の全計画は人間の助けになろうとしているのであるから、それを理解しようとして学ぶことは、明らかに彼の義務であること。

三 こう納得したとき、この計画にたいして理解ある協働をなすべきこともまた、彼の義務であること。

 

二番目の偉大な真理からは次のものが続く。

一 進の人間は魂であること。またこの体は、ただ付属物にしかすぎなこと。

二 したがって、彼は、あらゆるものを魂の見地から見なければならないこと。また内部葛藤が起こる場合にはいつも、彼の本質は高位のものであって低位のものではない、と悟るべきであること。

三 私たちが普通に生涯と呼んでいるものは、より広大な真の生涯のただの一日にすぎないこと。

四 死はふつう考えられているより、はるかに重要性の少ない問題であること。なぜなら、それは決して生涯の終りではなく、ただ生涯の一つの状態から次の状態への転移にすぎないからである。

五 人間はその背後に無限の進化を経てきていること。これについて学ぶことはとても魅力的で、興味があり、有益である。

六 人間の前途にはまた、素晴らしい進化が控えていること。これを学ぶことは、さらに魅力的で有益であろう。

七 人がどれほど進化の行程からはずれたように見えようとも、全ての人間の魂は究極的達成を果たすことにいささかの狂いもないこと。

 

三番目の偉大な真理からは次のものが続く

一 あらゆる思考、ことば、あるいは行為は、その明確な結果をもたらすこと――それは外部から課せられる報酬とか懲罰ではなく、原因結果の関係のなかで、その行為と明確に結びついているところの、行為それ自体に内在する結果なのである。原因結果とは、実は一つの全体の、二つの分離すべからざる部分にすぎない。

二 この神の法則を注意深く研究することは、人間の義務であると同時に利益でもあること。それによって自分をその法則に適応させ、ほかの偉大な自然法則を用いると同じように、それを用いることができるようになるために。

三 ひとは自己にたいする完全なコントロールを獲得することが必要であること。自己の生活を、この法則にもとづいて上手に導いていくことができるように。

 

この知識によって得られる便益

・この知識が十分に理解されると、それが生活のありかたを完全に変えてしまうため、そこから出てくる全ての便益を列挙することは不可能であろう。私はこの変化の起こってくる主要な道筋をいくつか述べうるにすぎないが、読者自身で考えていただくことによって、それらの当然の帰結である無数の細目を、多少なりとも確実に補っていただけることであろう。

 しかし漠然とした知識はまったく不十分であることを理解すべきである。

 

・さて自然法則に対するこういう信念は、私たちにとって非常に確かで現実的なものであるが、それは知識に基づいており、日々の経験によって例証されているからである。まったく同じ理由によって、神智学徒の信条もまた、彼にとっては同じように現実的で確かなものなのである。そしてこれが、その信条から以下に述べるような帰結がでてくることを認める理由である。

一 私たちは人生について納得のいく理解を得る――私たちはいかに生活すべきか、またなぜかについて知り、人生は正しく理解されれば、生きるに値するということを学ぶ。

二 私たちは自分をいかに規制するか、したがってまた、いかに向上させるかを学ぶ。

三 私たちは愛する人たちを助けることがいかに最善の道であるか、また、つきあう全ての人びとにたいし、究極的には全人類にたいし、いかにして役に立つ人間になるかを学ぶ。

四 私たちはあらゆる物事を、より広範な哲学的な観点から――決して些細な、まったく個人的な側面からだけでなく――眺めることを学ぶ。

五 人生上の問題はもはや、私たちにとっては大したものではない

六 私たちは境遇や運命について、決して不公平の感をもたない。

七 私たちは死の恐怖からまったく解放される。

八 愛する人たちの死に際しても、悲しみははるかに和らげられる。

九 私たちは死後の生についてまったく異なった見解を得、私たちの進化過程上での死の位置を理解する。

一〇 私たちは、自分の対する、あるいは友人に対する宗教的な恐れ、ないし悩み――たとえば魂の救済についての怖れ――から、完全に開放される。

一一 私たちはもはや将来の運命のあてのなさに悩まされることはなく、全くの静穏と完璧な平安のなかで生活する。

 

神性

・神の存在を私たちの原理の唯一最大のものとして主張するとき、はなはだ誤用されてきた、しかもなを強力な、この神と言うことばを、私たちはどういう意味で使うか定義しておく必要がある。

 

次に私たちは、無限存在としての神と、宇宙を進化させ教導する顕われた神としての、この至高の存在の示現とを区別する。「人格神」ということばは、この限定された示現についてだけ適用すべきである。神自身は個性の限界を超え、「全てなかに、また全てを通して」存在し、実にまた全てである。そして無限、絶対、全なるものについては、私たちはただ「『彼』は存在する」といえるだけである。

 

・神が私たちの外にあると同様に、内にもあるということ、ことばを変えていえば、人間自身はその本性において神的なものであるということは、もう一つの偉大な真理である。

 

・さしあたり、人間の本性が神聖であることは事実であり、あらゆる人間が究極的に神のレベルまで回帰していくという保証が与えられている、といっておけば十分である。

 

神の計画

たぶん私たちの一般原理のうち、この第一の偉大な真理の一番目の系ほど、普通の人にとって大きな困難と見えるものはないであろう。日常生活でまわりを見まわすと、幾多の悲惨や苦しみが見られる。そのため悪が善に勝つようにみえ、またこれらすべての明らかな混乱状態を、実際に秩序ある進歩の一部だと考えることは、ほとんど不可能なようにみえる。しかしこれは真理であり、この外部世界でのもがきによって起こった塵けむりから逃れでると同時に、真理として見ることができ、その全てを、十分な知識と内的平静をもった有利な地点から見上げることができるようになる。

 

・実際、私たちの三つめの偉大な真理が語るように、絶対的な正義が私たちすべてに割り当てられており、したがって、どのような境遇にあろうと、それは他のだれによってでもなく、彼自身が招いたことを承知している。しかし彼はまた、さらにそれ以上のことを知っているかもしれない。すなわち、進化の法則の働きのもとでは、ものごとは彼にとって最も必要な資質を発展させるために、できるかぎり最善の機会をもたらすよう配置されているのであるが、彼はそのことに安んじているかもしれないのである。

 彼の境遇は必ずしも、決して自分から選んだと思われるような境遇ではないかもしれない。しかしそれらは、まさしく彼に値する境遇なのである。

 

・人びとはしばしば「自然」の力が、彼らに陰謀を企んでいるかのように語る。ところが事実は、周りにあるすべてのものが、彼らの向上を助けるために注意深く準備されているのである。

 神の計画が存在するのであるから、それを理解しようとするのは人間の役目である。

 

人間のなりたち

・そのうえ、さらに探求していけば、別のもっと繊細な物質が存在していることも明らかになる――あらゆる知られている物質に浸透するものとして現代科学によって認められたエーテルばかりでなく、逆に別種の物質が存在していてエーテルに浸透しており、それはちょうどエーテルが固体よりも繊細であるのと同じくらいエーテルよりも繊細であることを明らかにしている。

 

・人は次第に、これらさまざまな媒体の使い方を学び、そのようにして、彼の住んでいるこの偉大で複雑な世界についての、はるかに完全な概念を獲得するのである。

 

・これらの内部世界、つまりさまざまなレベルの自然に対して、私たちは普通界面(プレーン)という名前をつけている。私たちは見える世界を「物理界」と呼ぶ。とはいえ、その名前で、私たちは気体や、いろいろな段階のエーテルをも含めているのであるが。

 次の段階の物質性には「アストラル界」という名称が、その存在をよく知っていた中世の錬金術師たちによってつけられ、私たちはこの名称を受け継いでいる。このアストラル界のなかに、もっと微細な物質からなる、さらに別の世界が存在している。私たちはそれを「メンタル界(精神界)」と呼ぶ。それはその物質が、普通人間の精神と呼ばれているものからできているからである。

 ほかに、さらに高位の界面も存在しているのであるが、それらの名称で読者をわずらわす必要はない。私たちは今は、人間の低位界での現れだけを取り扱っているのだから。

 

・全ての物質は、本質的に同じものであることを想起していただきたい。アストラル界の物質が、その本質において物質界の物質と違わないのは、氷がその本質において水蒸気と変わらないのと同じである。それは単に異なった状態での同一物なのである。ただ物質が十分に細分され、適切な速度で振動するようになれば、物理的物質がアストラル的になり、アストラル的物質がメンタル的になりうるのである。

 

真の人間

・それでは真の人間とはなにか。それは実にロゴスから放射されたもの、神なる光の分霊である。彼の内にある霊はまさしく神の本質からできており、その霊は魂を衣服のように着用しているのである――

 

再生

・繊細な運動は、始めは魂に影響を与えることができないので彼は自己のまわりにより粗雑な物質でできた衣服をつけ、それによってもっと重い振動が伝わるようにする必要がある。それで彼は、自己の上に次々とメンタル体、アストラル体、そして肉体をつけるのである。

 

もっと幅のひろい見方

・肉体的生涯は(長い真の生涯という)学校での1日以外の何物でもないこと、また彼の肉体は、単にその1日のうちで学習する目的のために着用した、仮の衣服にしかすぎないことを自覚するとき、その人生にいかに急激な変化がもたらされるか、ちょっと考えてみればすぐ明らかになるだろう。

 

・死が人生の終わりとして、ぼんやりとした、しかし恐ろしい未知の世界への通路として考えられている一方、それはまた、はっきりとした恐怖ではないにしても、多くの不安をもって見られているのは珍しいことではない。なぜかというと、そうではないと説くあらゆる宗教の教えにもかかわらず、これが西欧世界で普遍的に取り入れられた見解だからである。

 

・彼が地上生活中、心にいだいた思念や欲望は、はっきりした生きた実体としての姿をとり、彼がそこにつぎ込んだエネルギーが消滅するまで彼の周りをうろつき、反応し続ける。そういう思念や欲望が強力で頑固な悪であったときは、それによって創られる(アストラル界の)期間は実に恐るべきものであろう。しかし幸いなことに、アストラル界の住者のあいだでは、そういう例は極めて少数に属する。

 

・彼はまた、この素晴らしい死後の生活に、もう一つの、もっと高位の段階もあることを、はっきり理解している。ちょうど欲望と低級な思念によって、自分でアストラル生活の環境を作りあげたように、彼は高尚な思念と高貴な熱望をもって、自分で天国界での生活を作り出すのである。

 なぜなら、天国は夢想ではなく、生きた栄えある実体だからである。そこは、選ばれた少数の人の住処として予約された、真珠の門と黄金の道をもつ星のかなたの街ではなく、地上の生涯と生涯の合い間に全ての人が入っていく意識の状態なのである。実際そこは永遠の住処ではないが、何世紀と続く、筆舌に尽くしがたい至福の状態である。それだけではない。というのは、そこには、さまざまな宗教によって提示された天国についての、もっとも優れて、もっとも霊的な、全ての考えのうちにある実体が含まれているが、決してその観点だけから考察されるべきものではないからである。

 

・低級な思念と欲望の媒体であるアストラル体が次第に摩滅し、脱ぎすてられると、人はメンタル体と呼ぶ、より精妙な物質でできた、あのもっと高位の媒体に宿っていることを知る。彼はこの媒体の中で、外部世界の対応する物質――メンタル界の物質――からやってくる振動に感応することができる。

 

人間の過去と未来

・そういうわけで、このエッセンス(分霊)はまず単なる力の流出として出てきたのである――たとえその力は神の力ではあるにしても、そのエッセンスは、それぞれ自己をロゴスにまで発達させる能力をもった何千何万という偉大な超人(アデプト)の形をとって回帰していくのである。

 

原因と結果

・したがって、行為の意図は決して何の違いも起こさないと考えてはならない。それどころか、意図は物理界での結果になんの影響も及ぼさないが、その行為との関連ではもっとも重要な要因だということである。私たちが忘れがちなのは、意図はそれ自体ある力であり、その力はメンタル界で作用しているということと、メンタル界では、物質は私たちの低位界でよりもっと精妙であり、はるかに迅速に振動するから、同一量のエネルギーは途方もなく大きな結果を生むということである。

 

・しかしオカルトの学習者は、この自己制御をそれ以上にずっと広げる必要があり、そのいらだちの思念を外面的な現れとともに徹底的に抑止すべきことを知っている。それは彼が、次のことを心得ているからである。すなわち彼の感情は、アストラル界に途方もない力を及ぼすこと、これらの力はちょうど物理界で与える打撲と同じように、いらだちの対象に向って作用すること、そして多くの場合、その結果ははるかに重大で、永続的であるということである。

 

・このようにして人は現生涯で、着実に自分の性格を作りあげることができるばかりでなく、その性格が次の生涯でどのようなものになるかも正確に決めることができるのである。なぜなら、思念はメンタル体の物質の振動であり、絶え間なく繰り返されるその同じ思念が、コーザル体の物質の(いわば1オクターブ高い」振動に対応した振動を引き起こすからである。

 

神智学の与えるもの

・注意ぶかい読者にはすでに明らかになったに違いないが、それは、ひとたび神智学の諸概念をはっきり確信すれば、それが人生に対する見方全体を根本的に変えてしまうということである。それにともなう多くの変化の方向と、その変化のよって立つ根拠についても、すでに述べたとこころから看取しておられるであろう。

 

肉化と肉化のあいだの人間の生涯を注意深く研究すれば、全生涯にたいして占めるこの肉体的生涯の割合はいかに小さいものであるかが解る。どの高等民族でも、普通の教育と教養のあるひとの場合には、一生の期間――つまり真の生涯の1日にあたる期間――は、平均して1500年ぐらいであろうこの期間のうち、おそらくは7・80年が肉体的生活に費やされ、約15年ないし20年がアストラル界、残り全部が天国界で過ごされるであろう。天国界はしたがって、人間の生存のうち飛びぬけて重要な部分をなしているわけである。

 もちろんこれらの割合は人種の違いによって相当に異なっている。劣弱民族に生まれてくる、あるいは私たちの民族でも下層階級に生まれてくる若い魂を考えると、これらの割合はまったく変わり、アストラル生活がもっと長く、天国生活がずっと短くなる傾向のあることが解る。

 

思念のもつ力と効用

思念の力

・神智学を学習することによって、そこから人生上の実際的な規範がでてくる――それは、生活のあらゆる瞬間において(神智)学徒の思索と行動に影響を与えずにはおかない規範である。このことは主として、神智学があるがままの人生の探究を含み、したがって神智学徒は、世界の中の一番些細な部分だけを知る代わりに、彼の住んでいる世界全体を知ることになるからである。

 

思念の特性

それでは「思念」とはなんであり、それはどのように作用するのか。ざっとでも神智学の書物に眼を通した人なら、私たちの太陽系の、相互浸透している各世界に応じて、人はそれぞれ一つの媒体を持っていることを知っている。また、アストラル体は、彼の欲望・情熱・感情の媒体であり、彼の思念は私たちが普通メンタル体と呼んでいる、いっそう繊細な物質でできた、より高位の媒体を使って作用していることも知っている。

 思念が最初に透視家の眼に写るのは、このメンタル体の中であり、その物質の振動として現れる。この振動はさまざまな効果を生じるが、それらは全て、この物質界での科学的な効果と非常によく似たものである。

 

それはちょうど同じように人間のアストラル体の動揺(感情)は、メンタル体に振動を与え、その感情に応じた思念をひきおこす。逆に、メンタル体の動きは、もしその動きがアストラル体に影響するような種類のものであれば、それに影響する――つまりこれは、ある種の思念は容易に感情を刺激することを意味する。ちょうどメンタル体の振動が、それより濃密なアストラル体の物質に伝わるのと全く同じように、それより繊細なコーザル体の物質にもまた、必然的に伝わっていくのである。このようにして、ひとの習慣的な思念は、彼自身の「エゴ」の特質を作りあげていく。

 

思念波の働き

・では、思念力のこの二つの働きを、別々に考察していこう。振動は、思念の特性に応じて単純であることもあり、複雑なこともある。しかしその力は、主としてメンタル物質の四つのレベルのどれか一つに向けられる。四つのレベルとは、メンタル界の下位部分をなす四つの亜層である普通の人の思念は、たいてい彼自身や、彼の欲望・感情を中心としており、したがってメンタル物質の、最下位の亜層の振動である。実際、大多数の人の場合、メンタル体のそれに対応する部分だけが、これまでのところ十分に発達し、活発になっている。

 

天国界では、しかしながら、ひどく違った状態にあることが解る。というのは、彼のメンタル体はまだとても十分には発達していないからである。このメンタル体の発達ということが、現在、人類のかかわっている進化(課程)中の一コマとなっているのである。

 メンタル体は「奥儀体得者(イニシエイト)の大同胞団」に属する「教師たち」のもとで、その使用について特別に訓練を受けるものだけが、媒体として使うことができる。普通の人の場合、メンタル体はただ部分的にしか発達しておらず、意識の独立した媒体として用いることは決してできない。

 

思念像の働き

・これを充電したライデン瓶にたとえるのも、あながち不当ではないだろう――体をつくっているメンタル界とアストラル界の物質は、瓶に象徴され、そこにこもっている思念の波動エネルギーは充電された電気に相当する。

 

思念をどうコントロールするか

・彼は、感情を出ていくままにするかわりに、徹底的にコントロールすべきである。現在私たちが到達している進化段階は、メンタル体の発達であるから、彼はこの問題もまた慎重に取り扱い、その進化を助けるうえで何ができるかを考えてみるべきである

 

他人に及ぶ思念の影響

きわめて多くの人びとが内部に邪悪の芽を持っている。しかしその芽は、外部からある力が働いて活動させないかぎり、花をつけ実をならすことは決してないであろう。

 

一つの実例――ゴシップの場合>

・以上の考察から、ゴシップやスキャンダルの習慣は――多くの人びとは考えもしないでそれにふけるのであるが――実際、恐るべき悪習だということが解る。これに対する非難は、どれほどの表現を使っても強すぎることはない。

 

思念による自己開発

・人はしばしばいう――自分は思念なり激情をコントロールすることができない。何回もそうしようとしたがいつも失敗した。だからそんな努力は無駄だという結論に達したと。この考えかたはまったく非科学的である。

 

思念による援助

・これら思念の流れの用い方を知っていれば、だれかが悲しんでいたりするのを見るとき、いつも援助の手をさしのべることができる。この物質界では、苦しんでいる人になにもしてやれないことがよく起きる。

 

死者を悼むかたがたに

・死はない!死と見えるものは転移なのだ。この現身の世は、楽土の世界の外郭にすぎない。その楽土への門を死と呼ぶのだ。

 

・霊は生まれもせず、死にもしない。時はかつて存在せず、終始は夢である!永遠なる霊は不生にして不滅、不変。死も触れはしない、たとえその住処は死んだと見えても!

 

はじめに

・あなたが考えておられるのは、主にあなた自身のこと、あなたの耐え難い喪失感、である。しかしもう一つの悲しみもある。あなたの悲嘆は、あなたの愛していた人が、死後どんな境遇にあるか確信がないために、もっと強まる。

 

三つの命題

・私にはあなたのお気持は十分に解る。しかしばらく我慢して、これから述べる三つの主な命題を理解してみてほしい。私は始めにまず大まかな命題として述べ、ついで確信のもてる細目へ入っていこうと思う。

 

一 死は、あなたの見方からはそう見える、見かけ上の真実にすぎない。私は別の見方をお見せしたい。あなたの苦しみは、大いなる幻影の、かつ自然法則に対する無知の、結果である

二 あなたの愛する人の(死後の)境遇について不安になったり、半信半疑になったりする必要はない。なぜなら、死後の生涯はもはや謎ではないからである。死の向こう側の世界も、私たちが科学的正確さをもって探求し、調査してきたこの世界と同様の自然法則によって存在しているのである。

三 あなたは死者を悲しむべきではない。なぜなら、あなたの嘆きは愛するひと(死者)を悲しませることになるからである。ひとたび真理に対して心を開けば、もはやあなたは嘆き悲しんだりはしない。

 

人間のなりたち

・あなたが人生として考えてきたものは、実は魂としてのあなたの生涯のただの1日であり、このことは(亡くなった)あなたの愛する人でも同様である。したがって、彼は死んだのではない。放り出したのは、ただ彼の体にすぎない。

 

誤っていた教会のドグマ

・現在、死後の生活について多くの理論が行なわれてきているが、それらの大部分は、古い聖典の誤解にもとづいている。永遠の刑罰と呼ばれたおそるべき教説が、かってヨーロッパでほとんど普遍的に受け入れられていたけれども、それはいまでは、どうしようもないほど無知な者のほかは、だれも信じてはいない。永遠の刑罰とは、キリストによるあることばの誤訳にもとづいてたのであるが、それによって無知な大衆を恐れさせ、善行に向かわせる便利なおどしとして、何世紀にもわたって用いられたのである。

 

科学的探究

・事実は、盲目的な信仰の時代は終ったということである。科学的な知識の時代が来たのである。

 

・私たちは霊である。しかし私たちは、物理界、それも部分的にしか知られていないが、そういう一つの世界に住んでいる。その世界について私たちが持っている知識は、全て感覚を通してくる。しかしこれらの感覚は、非常に不完全なものである。

 

・それにもかかわらず、そういう繊細な物質に接触することができ、探求することもできるのであるが、それはすでに言及した「霊体」を使ってのみ可能なのである。というのは、「霊体」は、肉体が持っていると同じように、感覚を持っているからである。

 

死とは一つの転移にすぎない

・私たちが知る第一のことは、私たちが無知から考えてきたように、死は人生の終りではなく、人生の一つの段階から、次の段階への一つのステップにすぎない、ということである。すでに述べたように、死とはオーバーコートを脱ぎ捨てることであって、その後で、人はなお彼の普段着、つまり「霊体」を着ているのである。

 

死者のゆくえ

・理解すべき最初の点は、死者と呼ぶ人たちは、私たちから離れ去ったのではないということである。

 

死者との交流

・さしあたり関心のある全てのことは、肉体を手段として見たり触ったりできるのは、物理界だけであり、「霊体」を手段として見たり触ったりできるのは、霊界のものごとだということである。そして思いだしていただきたいことは、霊界は決して別の世界ではなく、ただこの世界の、より繊細な部分にすぎない、ということである。

 もう一度いえば、別の諸世界も存在しているのであるが、いまは、それらを問題にしていないだけである。死んでいったあなたが考える人は、実はやはり、あなたといっしょにいるのである。

 

死者が送る死後の生活

・このようなことが、死者が送っている生活について考えさせることになる。そこでの生活には、多くの、大きな変化があるが、少なくとも、地上の生活よりはほとんどいつも、もっと幸福である。

 

・私たちは古くさい理論から眼を覚ますべきである。死者は信じがたい天国へいっぺんに跳びこむのではない。もっと信じがたい地獄へ堕ちるのでもない。じっさい、古い、悪い意味での地獄などは存在していないのである。自分から創りだしたものより他には、どんな意味でも、そこにも、地獄などありはしない。

 はっきり理解していただきたいことは、死は人間にたいし、いかなる変化ももたらさないということである。彼は突然、偉大な聖者や、天使になることもなければ、突然、幾時代にもわたる知恵のすべてを身につけるわけでもない。死んでからも、死ぬる前と同じような人間――同じような感情、同じような性質、同じような知性をもった人間――なのである。違っていることはただ、肉体がないだけである。

 これはどういうことを意味しているか考えてみてほしい。それは痛みや疲れの可能性からの完全な自由を意味している。またあらゆるいやな勤めからの自由、まったく自分のしたいことを(おそらくは彼の生涯で始めて)する自由を意味している。

 

この霊界ではお金は不要である。食物も住居ももはや必要がない。なぜなら、そこでの栄光と美は、お金も価もなく、その住人の全てのものに自由に得られるからである。

 その希薄な物質、つまり「霊体」のなかで、彼は思うがままに、どこへでも行くことができる。

 

・それなら、その世界には不幸な人はいないのか。いや、いるのである。そのわけは、そこでの生涯も、かならずここでの生涯の続きであり、彼はあらゆる点で、肉体を脱ぐ前と同じ人間だからである。

 

死者の見ているわたしたちの霊体

・それでは死者たちには、私たちが見えているのか、私たちの言うことが聞こえているのか、とお聞きになるかもしれない。もちろん彼らは、私たちがいることに気づいており、私たちが幸福か不幸かが解るという意味では見えているのである。しかし彼らは、私たちの言うことばは聞こえないし、私たちの行為の詳細までは解らない。

 

天国・地獄・煉獄について

・以上のことはみんな、私たちが子供のころ教わった天国や地獄とは、ほとんどなんの関係もない、とあなたはいわれるだろう。しかしそういうことが、これらの伝説の背後に実在してあったことは事実である。

 たしかに地獄というものは存在しない。それでも、大酒飲みとか好色家は、それほど(地獄に)似ていなくもない境遇を、自分から作りだす用意をしていたのかもしれないことが解るであろう。ただその境遇は永遠に続くことはない。彼はいつでもそれを止めることができる――もし彼が、これらの現世的な激情を支配するだけ十分強く、十分賢くなり、完全にそれらを克服してみずからを高めるなら。

 これが煉獄という教義の底に横たわっている真理である。それは、死後、ある量の苦しみによって人間のなかの悪徳を消滅させなければ、天国の至福を楽しむことはできないという思想である。

 

・死後の生には、天国についての理性的な観念と非常によく対応した、第二の、より高位の段階がある。このより高位のレベルは、あらゆる低位の、利己的な激情が完全に消滅したとき到達できる。そのとき彼は、この地上生活でエネルギーを注いだ方面に応じて、宗教的法悦とか、高度の知的活動といった境遇に入っていく。

 それは彼にとってこの上ない喜悦の期間、真実に対するはるかに大きな理解、あるいはそれに向って、より接近する期間である。しかもこの喜びは、ただ特別に敬虔な人たちだけでなく、すべての人に与えられるのである。

 

人間の真の生涯

人間の生涯は、あなたが考えておられたよりもはるかに長く、はるかに広大である。神から出てきたこの分霊は、彼に回帰していかなくてはならない。しかし私たちは、いまだ完璧な神聖からはほど遠い。

 すべての生命は進化の過程にある。なぜなら、進化は神の法則だからであり、ひとは他のあらゆるものとともに、ゆっくりと、しかし着実に進歩しているからである。

 

死者の悩みを除く

・死者は、あとに残してきた人たちに対する心配に煩わされることはないか、とお聞きになるかもしれない。時にはそういうことも起こり、そういった心配が彼の進歩を妨げもする。それゆえに、私たちはできるだけそういう機会を与えないようにすべきである。

 

子供たちの場合

・彼らは愛する両親や兄弟や、姉妹や友だちを失ってはいないことを思いだしていただきたい。子供たちは彼らと、(今は)昼の代わりに、夜と呼ぶ時間に遊ぶだけである。したがって子供たちは、失ったり別れたりした感じは持っていない。昼のあいだも、彼らは一人ぼっちではない。というのは、そこでは、ここと同じように、子供たちが集って一緒に遊んでいる――至福の楽土で、たぐいまれな楽しみにあふれて遊んでいる――からである。

 

ふつうそのような赤子は、霊界にはほんのしばらくしか留まらず、もう一度地上に、それもしばしば同じ父母のもとに、帰ってくる。

 

わたしたちのとるべき態度

・これまでのところ私たちは、睡眠中に昇っていって死者に会う可能性――これは正常な、自然な方法である――についてだけ語ってきた。もちろん、異常で、非自然的な、心霊主義的な方法もある。その場合死者は、しばらくのあいだ肉の衣装をつけ、もう一度私たちの肉眼で見えるようになる。

 

おわりに

以上の全体を、まとめて理解するよう努力してほしい。一なる神があり、全てのものは「彼」と一つである。この永遠院の「愛」のきずなを十分に自覚することができるなら、もはや私たちにとって悲しみはなくなるであろう。

 

神智学を学ぶものの心構え

西洋の読者には、この点についてキリスト教聖典の教えが、神智学の教えとまったく同等のものであることを想起されるなら、興味ぶかいものがあろう。

 

・神智学の学習を進めていくには、まったく新しい態度をとる必要がある――すなわち、私たちは心の窓を開き、宗教を、ちょうど科学に対してするように、良識をもって扱うよう学ぶべきである。

 

神智学に対する私たちの態度は、私の考えるところでは、次のように特徴づけられるべきである。

1、    私たちは教会の権威に対する盲目的な信仰を、神智学の特定の教師に対する、同じような盲目的な信仰をとり換えるべきではない。

2、    私たちは偏見を捨て、知性ある、心を開いた態度をとるべきである。

3、    私たちは、与えられた真理を作業仮説として受け入れ、私たちの力でそれらの証明に向かって努力すべきである。

4、    私たちは、これらの教えが「彼」の宇宙に対するロゴスの計画を提示するものであり、その宇宙のなかで進歩していくための条件は、その計画の諸法則を学び、それらに反抗してではなく、それらに基づいて努力することであると悟るべきである。

5、    私たちが進歩や向上を望むのは、私たち自身のためではなく、得られた知識が人類の福祉のために使われ、人類の奉仕者として適った者になるためである。

6、    私たちは人生に対する見方をまったく変えるべきである。世のなかの悲しみや苦しみについて考えるとき、神学者たちの絶望的な態度を退け、希望に満ちた態度をとるべきである。なぜなら、神智学の教えは、あらゆるものは結局全てよくなるという、ゆるぎない確信をもって私たちを満たすからである。

 

神智学的真理における重要さの序列

もう一度くりかえせば、神智学は、人間と宇宙のなりたちについて、またそれらの過去と未来について、膨大な量の新しい真理を示してくれる。

 

・これら高位の体も、肉体と同じようにその力と才能とを持っている。このことを理解すれば、私たちはそれらの力を全て、私たち自身の向上のために、また同胞の援助のために利用することができるであろう。

 

訳注

  • ロゴス:ギリシア語の「ことば」で、隠れた思考の顕現とみなされている。
  • エーテルオカルト科学でいうエーテルとは現代物理学のエーテルとは別で、形成力のある、宇宙の根源的な物質さし、宇宙内の全てのものはこれから生じるとする。
  • 界面:宇宙を構成する全物質(顕現)をその「密度」の精粗にしたがって7層に分け、それぞれ界面または界と呼ぶ。神界、モナド界、精霊界、直感界、メンタル界、アストラル界、物質界がある。
  • 超人に開かれた7つの道

1ニルヴァーナ(涅槃)に入る。2,ニルヴァーナ(涅槃)に入る。3,次の「連鎖」の援助を準備する。4,ロゴスの役員として加わる。5,デーヴァ(梵天)や天使たちのグループに加わる。6,人類とともに止まる。ニルマーナカーヤとして。7,人類と共に止まる。ヒエラルキーの役員として。

  • 道の4つの段階:1,ソターパンチ(流れに入った者)、2,サカダーガーミン(もう一度帰ってくる者)、3,アナーガーミン(もはや帰らない者)、4,アラハット(阿羅漢)(尊者)、

アセクハ(超人・大師)(全てを学びとった者)

 

  • メンタル体:低メンタル界に対応する、「真我」の媒体。知生体と訳される。
  • 再生:死によっても消滅しない「真我」が新しい肉体をつけて再び現世に誕生すること。またその繰り返し。ちなみに動物などの、より低位の種族への生まれかわりは「転生」として区別され、神智学ではその可能性を否定する。
  • コーザル体:消滅することなく再生を繰り返す「真我」の、より正確には「霊的魂」の、高メンタル界における媒体。
  • エゴ:「自己」すなわち自我意識。普通再生する自己、「真我」をさす。心理学でいうエゴとは別語
  • 天国界:メンタル界にある、特に保護された世界で、アストラル体を脱いだ後に入る。肉化と肉化のあいだの休息と至福の期間をすごす世界。
  • サイコメトリ:物を見たり触れたりするだけで、その持主、あるいはその物に関係ある人についての知識を超感覚的に得る方法。見たり触れたりしないでも、これが可能であるとする霊能家もいるようである。

 

神智学とはなにか

・神智学は謎とみえる人生に英知の光をそそぎ、人生の苦しみや悲しみ、恐れや不満を超えて真の安心立命を与える。また人間と宇宙に関する啓発的な説明を、それらの起源・進化および目的にわたって説き、宇宙に君臨する法則を明示する。

 

  

 

『アストラル界』   精妙界の解明

C・W・リードビター 神智学協会ニッポンロッヂ  昭和59年5月

 

 

 

<アストラル界>

・しかし、今、われわれが考えようとしているのは、この見えない世界の低い部分であって、それは人間が死後、直ちにはいって行くところである。ギリシャでいう、「よみの国」即ち、地下の国であり、キリスト教のいう煉獄、即ち、中間地帯であって、中世紀の錬金術師達はアストラル界と言っていたところである。

 

・このアストラル界を説明する際に、明らかにしておく必要のある第一点は、アストラル界の絶対的な現実性である。

 

・アストラル界のものや住者は我々の家具や家や記念碑などが、本物であるという意味である。

 

・普通の知性をもつ人々が、肉眼で見えないものの実在を理解することはどんなにむずかしいか私は知っている。

 

・これらの諸界に普通つけられている名称は具体性の順序に従い、密度の濃いものから希薄なものへとあげて、物質界、アストラル界、メンタル界、ブディー界、ニルヴァナ界といっている。最後の界より高い界がもう2つあるが、それらは我々の現在の概念の力は及ばないので、しばらく考えない方がよかろう。

 

<風景>

・まず第一に、アストラル界には7つの部分界があり、各部分界にはそれ相応の具体性とその界に応じた資質の状態があることを理解せねばならぬ。

 

<アストラル界は物質界よりずっと大きく、地球の表面の上部数千哩にひろがっている。>

・アストラル界の規模はかなりのものである。我々のアストラル界は月が最も地球に近づく、近地点には触れるが、遠地点には達しないという事実から、我々のアストラル界の規模を或る程度正確に決定できる。その接点は最高のタイプのアストラル資質に限られている。

 

・しばらく、7番目の部分界はさておき、アストラル界の4・5・6部分界を考えると、これらは我々が生きている物質界と、物質界の付属物すべてを背景としているといえる。第6部分界の生活は物質体とそれに必要なものを除けば、この地上の普通の生活と同じようなものである。だが、第5、第4部分界へと昇るにつれ、だんだんと具体的でなくなり、我々のいる低級界とその興味からだんだん離れて行く。

 このような低級部分の風景は我々が知っている地球の風景と同じである。しかし実際には、それ以上のものである。

 

・またアストラル界の正規の住者は、普通の状態ではアストラル界のものだけを意識しており、物質資質は全く見えないのである。それは、人類の大半にアストラル資質が見えないのと同じことである。

 

<アストラル界の最低界、7番目の部分界にとっても、この物質界は背景であるといえる。>

・このレヴェルにいる不幸な人間にとって、「地球は暗黒と残酷な住民で満ちている」ということはまことに真実である。しかし、その暗黒は、自分自身の中から発し、それが悪と恐怖の永遠の夜に自分を進ませたのである。つまり、本当の地獄である。だが、それは他の凡ゆる他の地獄と同じように、全く人間が創造したものである。

 

<第1、第2、第3部分界は同じ空間であるが、物質界からずっと離れている印象を与える。>

・この領域は心霊術の会で、度々聞く“サマーランド”であり、そこからやって来て、それについて述べている者は、確かに、彼等の知識の許す限りは真実を述べているのである。

 “霊達”が一時的に彼等の家や学校や町等を造りあげるのは、このような部分界である。

 

・それでもそこにある想像物の多くは一時的な美ではあるが本当に美しく、高級なものを何も知らなかった訪問者は十分に満足して、少なくとも物質界のものよりもずっとすぐれている森や、山や、美しい湖や、美しい花園をさまようことが出来る。又は、この人は、自分自身の空想に合わせてそのような環境をつくることさえできる。これら3つの高級部分界の違いの詳細は、多分、我々がその界の人間住民をあつかう時にもっともよく説明出来よう。

 

<住者>

・アストラル界の住者は非常に多種多様なので、それらを整理したり、分類することは大変むずかしい。おそらく最も便利な方法は、人間、非人間、人工霊の3大クラスに分けることだろう。

 

<人間>

・アストラル界の人間住民は当然2つにわけられる。即ち生きている者と死者、もっと正確に言えば、まだ肉体をもっている者と、持っていない者とである。

 

<生きている者>

・物質生活中にアストラル界に出現する人々は4つのクラスに細別される。

 

  1. アデプトとその弟子達

・このクラスに属している人達は、普通、媒体としてアストラル体を用いず、マインド体をつかっている。それはアストラル界のつぎに高い界の4低級レヴェル、即ち4ルーパレヴェルの資質で出来ている。この媒体の利点はメンタル界からアストラル界へ即時に行ったり来たりすることが出来、メンタル界のより大きな力とより鋭い感覚とをいつも使うことが出来ることである。

 

・マインド体は当然、アストラル視力には全然、見えない。従ってマインド体で働いている弟子は仕事中に、低級界の住民達をもっと効果的に助ける為に、彼等に自分を知覚してもらいたいと思う時は、一時的にアストラル資質のヴェールを自分のまわりに集めるのである。

 

・調査者は時々、アストラル界で、神智学徒達のよく知っている大師方と全く無関係な団体に属している世界のあらゆる部分から来たオカルティズムの学徒達と出合うことだろう。その学徒達は多くの場合、大変熱心で自己犠牲的な真理の探究者である。しかしながら、このような団体はすべて少なくとも大ヒマラヤ同胞団の存在に気付いて居り、そのメンバー達の中には今、地上で知られている最高のアデプト達がいらっしゃることを認めていることは注目すべきことである。

 

  1. 大師の指導をうけずにサイキック的に進歩している人

・このような人は必ずしも霊的に進歩しているとはいえない。霊的発達とサイキック的発達とは必ずしもつり合わないからである。

 

(3)普通の人

・これはサイキック的に発達していない人である。睡眠中はアストラル体で漂って居るが、多かれ少なかれ無意識状態のことが多い。深く熟眠中はこの人達のアストラル媒体の高級本質は肉体から常に出て行き、肉体のすぐ近くをさまよっているが、全く進歩していない人々の場合はその肉体と殆んど同じように実際には熟睡している。

 

  1. 黒魔術師とその弟子

・このクラスは最初のアデプトとその弟子のクラスと似た所がある。異なる所は善ではなく悪のために開発が行なわれ、得られた力は人類の福祉のためではなく、全く利己的に用いられることである。

 

<死者>

・先ず第一に、「死者」というこの名称は、全く、誤ったよび方と言わねばならぬ。この項目のもとに分類されているものの、多くは我々自身と同じように完全に生きているからである。だからこの言葉は単に、しばらく肉体から遊離している者達という意味に理解せねばならぬ。これは10の主なクラスにわけられよう。それは次の通りである。

 

  1. ニルマナカーヤ

・涅槃の永続的な楽しさを享受する権利をかち得られたが、人類の仕合せの為に働こうと自らを捧げ、その権利を放棄されたお方である。

 

(2)輪廻を待つ弟子

・弟子が或る段階に達すると、自分の大師のお助けで、普通の場合には人間がアストラル生活を終えると天界にはいるという自然の法則の作用から逃れることが出来ると、度々、神智学書では言われている。

 

(3)死後の一般人

・このクラスの人々はこれまで述べてきた人達よりも何百万倍も多いことは言うまでもない。そしてこのクラスの人々の性格や状態は非常に広大な範囲に亘って様々である。アストラル界での生命の長さも同じように様々で、2、3日か2、3時間しかそこに居ない人々もいるし、何年も、何世紀もこのレヴェルにとどまる人達もいる。

 

・死の経過の第一歩に、先ず肉体を脱ぎ捨て、殆どそのすぐあとにエーテル複体を脱ぎ捨てる。そして出来るだけ早くアストラル体即ち欲望体も脱ぎ捨て、自分の霊的熱望が完全な実を結ぶ唯一の世界、天界にはいって行くことが予定されていることを理解せねばならない。高尚で清い心の人は天界に早く入ることだろう。

 

・死後は誰でも天界への途中、アストラル界のあらゆる部分界を通って行かねばならぬ。

 

・アストラル界の最低レヴェルで、普通に意識が目ざめている人達だけが、欲望が粗野で獣的である。例えば、酒飲みや好色家等のようなものである。

 

・第3部分界に達する頃には、この特長はアストラル界に実際にあるものを見ているということに、全く代ってしまっている。なぜなら、アストラル界では人々は自分自身の想像の町に生きている――つまり、天界の場合のように、全く自分自身の思いで各人が進化しているのではなく、前の人達の思いで造られたものをうけつぎ、これに自分の思いを加えているに過ぎない。降霊会で度々説明されている、教会、学校、「サマーランドの家」があるというのはこのことである。だが、その教会や学校や家は喜んでつくった者達には本ものであり、立派なものに見えるだろうが、偏見のない、生きている観察者には真実でも立派でもない。

 第2部分界は特に利己的で霊的でない宗教家のいる所のようである。

 

・前にも説明したように、空間という観念とこれら部分界とは一緒にして考えるべきではない。これら部分界で働いている死者はイギリスからオーストリアに容易に行くことが出来るし、又はふと行きたいと思ったところへもすぐに行ける。しかし、じぶんの意識を一つの部分界からその上の部分界に移すことは、すでに説明した分離の過程が完成するまでは出来ないのである。

 

・死者が霊媒を見つけることが出来なかったり、霊媒の利用の仕方が分からない時には、自分自身で接触しようと、不器用な下手な努力をすることがある。

 

(4)亡霊

・本質の分離が完了すると、その人のアストラル生活は終る。そして、前に言ったように、メンタル界に移行する。しかし、死ぬ時、物質界に肉体を残すように、アストラル界で死ぬ時は崩壊しつつあるアストラル体を残して行くのである。

 

・亡霊の生命の長さは、それを活気づけている低級マインドの量によって様々であるが、これはいつも消え去って行く過程にあるので、亡霊の知性は、或る種の動物的な抜け目のなさはあるかもしれないが、着実に消えて行くものである。

 

  1. 魂殻

・これは、マインドのあらゆる分子が去ってしまったあと、アストラル体分解のずっとあとの段階での単なるアストラル死体にしか過ぎない。

 

・こうして、この世から天界に進む連続的な段階で、人間は少なくとも3つの死体。つまり、濃密な肉体、エーテル複体、アストラル媒体を脱ぎ捨て、ゆっくりと分解するに任せるということが解るだろう。この3体すべて、段々とその構成要素を崩壊し、その資質は大自然のすばらしい化学によって、各々の世界で改めて活用されるのである。

 

  1. 活気づけられた魂殻

・厳密に言えば、これは「人間」の項目に入れるべきではない。何故ならば、これはかっては人間の付属物であった、受身的な感覚的な殻、外側の衣にすぎないからである。

 

  1. 自殺者及び不慮の死の犠牲者

・十分に健康で力強いのに、事故か自殺で、急に肉体生命から引き裂かれる人は、老衰や病気で死んだ人達とかなり違う状態でアストラル界に来るものである。老衰や病気で死んだ人の場合には、この世的な欲望の保持は多少弱くなっているのは確かである。おそらく最も濃密な分子はすでに除かれているので、その人はアストラル界の第6か第5にいるようである。或いはもっと高い部分界にいることもある。その人の諸本質は徐々に分離の用意がされたので、ショックはそう大きくない。

 事故死や自殺の場合にはそのような準備が出来ていないので、肉体から諸本質を分離するには、未熟な果物から種子を引き離すのにたとえられる。その人格のまわりにはまだ、濃密なアストラル資質がくっついており、それでアストラル界の最低界、第7部分界に留まることとなるのである。

 

  1. 吸血鬼と狼人間

・我々のこの題目を完了する前に述べねばならぬものが2つ残っている。それは前のよりはもっと恐ろしいものであるが、幸いにもあまり沢山いる可能性はない。これらはいろいろな面で大変違うがおそらくはこの2つを一緒にした方がよい。彼等は2つともこの世のものとは思えぬ恐ろしい性質をもっているが、ごく稀なものだからである。

 

だが、今でも時々、ロシアやハンガリーのようなように第4人種の血が比較的流れている国では、その例が見られるのである

 

  1. 灰色の世界の人間

・吸血鬼と狼人間が前時代の遺物であり、もっと前の根本人種の進化に属していたことをすでに説明して来た。しかし、我々は前時代の根本人種のあらわれの特別な形体を越えて進歩して来たが、別の生活があるという確信がないために絶望的に物質生活にしがみついているタイプの人がまだ我々の間にいる。

 

  1. 黒魔術師とその弟子

・これは「死んだもの」の第2のクラスの「再生を待つ弟子」と同程度のものである。しかし、この場合、進歩の並はずれた方法を選ぶ許しを得るかわりに、黒魔術師やその弟子は魔法技術によりアストラル生活で自活することで進化の自然の過程を無視している。――これは往々にして最もおそろしい性質である。

 

<人間でないもの>

・人間でないものをまとめる最も便利な方法は4つのクラスに分けることだろう。—―この場合、前のようにクラスは小さい部分ではなく、普通、自然の大界を少なくとも例えば、動物界、植物界のように大きく、分けるのである。このクラスのあるものは比較的人間より下にあり、或るものは人間と同等であり、他のものは善と力の点で我々より上の位置にある。或るものは人間の進化系統に属している――つまり彼等は我々のように人間であったか、人間と似ているものである。他のものは我々人間とは全く違った線で進化している。

 

  1. 我々の進化に属しているエレメンタル エッセンス

・この論説では、エレメンタル エッセンスとは単に、進化の或る段階中のモナディック エッセンスに用いられている名称に過ぎないことを理解しよう。モナディック エッセンスとは霊即ち神の力の物質の流出と定義するのがよかろう。

 

  1. 動物のアストラル体

・これは非常に大きなクラスであるが、普通アストラル界には短時間しかとどまっていないので、特に重要な位置は占めていない。

 

(3)凡ゆる種類の自然霊

・このクラスには非常に沢山の、様々な種類があるので、この題目だけの独立した論文にする方が、公正であろう。

 

・中世紀の本では、土の霊はノームといわれ、水の霊はアンダイン、火の霊はシルフ、エーテルの霊はサラマンダーといわれている。一般には次のようないろいろな名前で知られている。

 妖精(フェアリーやピックス)、小妖精(エルフやブロウニー)、仙女(ペリ)、小人(トロール)、半人半獣の森の神(サタ)――馬の耳と尾を持ち、酒と女が好きで、酒の神バッカスの従者。林野牧畜の神(フォーン)、小妖魔(コボルド、半人半山羊でみだらな性質をもつ)、インプ(小鬼、悪魔の子供)、妖魔(ゴブリン)等といわれている。これらの名称の或るものは1種類にだけもちいられているが、多くはすべてのものに無差別につかわれている。

 彼等の形はいろいろあるが、多くの場合、人間に似ており、大きさがやや小さい。アストラル界の殆んどの住民のように、彼等は思いのままにどんな姿をとることも出来るが、確かに自分自身の明確な形体を持っている。或いは他の形体をとる特別な目的のない時にまとう気に入りの姿と言う邦画よいかもしれない。普通の状態では彼等は全然肉眼には見えないが、見られたいと思う時には物質化によって姿をつくる力を持っている。

 彼らには非常に沢山の種類があり、人類の場合のように知性や性質が一つずつ違う。

 

(4)デヴァ

・この地球に関係のある進化の最も高いものは、我々の知る限りではヒンズー(ヒンズー教を奉ずるインド人)がデヴァと呼んでいるものの進化である。デヴァはほかの場合では天使とか神の子等といわれているものである。彼等は人類のすぐ上にある世界にいるものと考えられている。人類は動物界のすぐ上の世界にいるのであるが、人類と動物には重要な違いがある。つまり、我々の知る限りでは動物には、人間界以外の如何なる世界への進化の可能性もないが、人間は或るレヴェルに達すると、自分の前に開けているいろいろな前進の道があることを知るのである。このすばらしいデヴァ進化もその一つである。

 ニルマナカーヤの崇高な放棄に比べると、デヴァの進化路線を受入れることは、いろいろな本の中に「神となる誘惑に負けること」と書かれているが、デヴァの道を選んだ人には何か非難すべき影がある等とこの言葉から推論してはいけない。

 

<人工的なもの>

・これはアストラル存在物の最大クラスであり、人間にとって最も重要なものである。全く人間自身の想像物であって、最も密接なカルマ的なつながりとその人への作用によって、その人間と互いに関係し合っている。それは半知性的存在の未発達な巨大な集団であって、人間の思いが違うように様々であり、実際に分類とか整理のようなことは出来ない。普通行うことの出来る唯一の分類は人類の大半によって無意識につくられた人工的四大霊と、明確な意図をもって魔術師によって作られたものとの違いによるものである。

 

  1. 無意識につくられた四大霊

・普通の人間の思いは主に自分自身にさしむけられるので、出来上がった人工霊はその人のまわりをうろついており、常にその人工霊があらわしている考えの反復を挑発する傾向がある。

 

  1. 意識的につくられたエレメンタル

・明確な、有能な守護の天使がこのような方法で与えられることがある。だが、このような決定的な介入が1人の人の人生にカルマが許すのはおそらく稀なことである。

 

・極めて悪性で力のある人工的エレメンタルをつくる技術はアトランチスの魔術師の専門の一つだったようである。つまり、「暗黒の顔の君達」の専門であった。

 

  1. 人的人工霊

・だが、確かに人間ではあるが、今までの所、普通の進化のコースからはずされており、全く、それ自体の外部の意志によってつくられたものなので、おそらく人工的なものの間におくのが最も自然であろう。

 

<現象>

・幽霊は、今、述べたことの好例である。厳密な意味ではないが、幽霊という言葉は普通アストラル界の殆どの住者に対して使われている。心霊的に進歩した人達は絶えずこのようなものを見ているが、普通の人が、普通の表現での「幽霊を見る」場合には次の2つの事のうちの1つが起こっているに違いない。つまり、幽霊が物質化したか、幽霊を見たという人が一時的なサイキック知覚の閃きを得たかの何れかである。もし、これらのことはいずれもありふれたことではないという事実がなかったら、我々は生きている人に会うと同じように、町で度々、幽霊に会うことだろう。

 

<我々の惑星チェーン>

・人類が地球上で関係を持っている生命波の仕事は、第4図をよく見れば解るだろう。生命波はその成長の為に、太陽系の7つの惑星が必要なのである。それらの中3つは物質の惑星で、それは、地球、火星、水星であるが、あとの4つは眼には見えぬ惑星である。これらの4つにも眼に見える

惑星と同じように、太陽のまわりをまわっているが、その惑星の資質は、超物質的なものである。

 

・第4図の地球をあらわしている部分をよく見ると地球は、アストラルと、低級メンタルと高級メンタルの外皮でとりまかれた物質で出来ていることが解る。高級で希薄なものが、それよりも濃密なものの中に浸みこむことはいうまでもない。だから、アストラル資質は地球の表面の何哩も上の方に拡がっているだけではなく、地球の中にもしみこんでいるのである。同様にメンタル資質の外皮もアストラル界と物質地球にしみこんでいる。地球のまわりにあるアストラル外皮と地球にしみこんでいるアストラル資質がアストラル界である。低級メンタル資質は低い天国であり、高級メンタル界は高い天国をつくっている。勿論、図では示されていないが、ブディー、アートマ及びそれよりも高級な資質でつくられる高級な界にも同じことがいえるのである。

 

・物質天体である同じ型の火星も、アストラル外皮と、低級高級メンタル資質の外皮をもっている。物質天体の火星にしみこんでいるアストラル外皮は、火星のアストラル界である。しかし、この火星のアストラル界は、地球のアストラル界とは全く違っている。その上太陽系の空間の中では、地球と火星の間に物質的な種類の連絡はあまりない。それと同じように地球のアストラル界と火星のアストラル界の間にも連絡はない。火星にも、低い天国と高い天国がある。全く同じことが水星にもいえて、水星にも水星のアストラル界、低級メンタル界、高級メンタル界がある。

 

 

 

『夢と幽霊の書』

アンドール・ラング 作品社  2017/8/22

 

 

 

あらゆる「幽霊」は「幻覚」すなわち偽の知覚

現代の学説によれば、あらゆる「幽霊」は「幻覚」すなわち偽の知覚であり、実際にそこにはないものを認識する現象である。

 知覚(偽物であれ本物であれ)にまつわる心理的、生理的仕組みを論ずるところまでは必要ないだろう。あらゆる「幻覚」は「そこに本物の物体があるかのような正真正銘の実感である。「こちらのほうがはるかに起こる頻度は高いようだ。そしてこのような幻覚は、どんな学説をもってしても、くわしく理解するのが難しい」と、ハーバード大学教授のウィリアム・ジェームズ氏は述べる。「それらはきわめて鮮やかな幻覚である場合が多く、しかもその多くが事実と符合する――すなわち実際に起こった事故や死と一致する――ということが、話をさらにややこしくする」。幽霊は、万が一見たとすれば、間違いなくたいへんあざやかな幻覚で、まるで本物の人間が生身の身体で、しかもたいていは服をまとって現れたかのような印象を与える。だが実際には服をまとった生身のその人は、そこにはいない。つまり今のところすべての幽霊は幻覚であり、そのことは船乗り風の言い回しを使えば「賭けてもいい」ほどで、科学のさまたげにも、宗教や常識のさまたげにもならない。それが幽霊に対する今日の考え方だ。

 

そして現代の科学は、心身が健康な人にもときおり幻覚が生じることを認め、したがって幻影の存在も認めている。幻影とは、ここでは、心身ともに健康な人が見るまぼろしのことだ。ただ、そういったまぼろしが、それを見た当人以外の精神的な要因――すなわち第3者(生死を問わず)の心の動きによって引き起こされたものではないかという問いを投げかけると、話がややこしくなる。それは正統派の心理学が立ち入ろうとせず、どのような証拠が供されても手を触れない領域である。

 

本書は、決して有力な証拠の集大成を気取るつもりはなく、単なる実話の集成に過ぎない。

 

・具体的には(1)アイスランドの幽霊譚には、素朴で劇的な物語として独特の文学的な力がある。

(2)ウェスリー家に取りついた幽霊や、バッキンガム公暗殺の危険を警告した幽霊、リトルトン卿に死期を告げた幽霊、ティローン卿の幽霊、パーシバル首相暗殺の予知夢を見たウィリアム氏の話などは、どれも比較的よく知られているものだろう。しかしそれらのもととなる史料は、これまで冷静な史的批評精神にのっとった精査を受けていない。その精査のために、ごく初期の原稿や書物同士の比較考量が有効である。

(3)幽霊話にも、幻覚であれ、妄想であれ、あるいはいたずらであれ、とにかくもととなる事実がある。それらは最低でも「人間の記録」だ。面白味のない現代の語りのなかでは抑制されてしまうそうした事実(いたずらや、幻覚や、その他もろもろ)を受け入れれば、批判的精神の薄かったわれわれの祖先が、それらを核にして壮大な伝奇物語をつむぎあげたことが見て取れる実際、悪魔憑き(精神病やてんかんとは別物)の物語は、二重人格の症状が核になっていると論じる人もいる。二重人格の患者は、性格も、考え方も、癖も、そして声までもが変わってしまう。昔、このような症状を前にしたら、患者のなかに見知らぬ何者か――すなわち「悪魔」―—が入りこんだと考えるのが、最もわかりやすい対処法だったことだろう。

 

またいわゆる「幽霊屋敷」で起こるもろもろの現象(もとがいたずらか、幻覚か、その両方かを問わず)も、たちまちふくらんで、アイスランドのグレティルとグラームの伝説や、おぞましい魔女裁判のような事象を生んだに違いない。死んだ人が本人の家に現れるという単純な幻覚にも、やはり説明が求められる。そんなとき、あれは死者の魂がなんらかの目的を果たすために煉獄や墓から抜け出してきたものだという伝説を作りあげれば、簡単に説明がつく。われわれの時代、幽霊話は数あれど目的を果たしにきた幽霊の伝説がいたって少ないのには、何か理由があるはずだ。おそらく神話を創造する力が衰えてきたことがその原因だろう。

 

<夢>

・夢では時間や空間が無視されるので、離ればなれになった恋人たちも、夢のなかでなら幸せでいられる。だから記憶にあることないことが奇妙に入り乱れる夢のなかで、われわれは過去のできごとを見たり(わたしは夢でカローデンの戦いにも、トロイアの包囲戦にも身を置いたことがある)、遠く離れた場所に行ったり、いない人を目にしたり、死者と会話したり、時には未来のことまで(偶然にもと言っておこうか)言い当てたりする。

 この最後の部分以外は、夢を見る人なら誰でも体験したことがあるだろう。また、催眠状態にある人が、催眠術師の言葉によって、ふつうの夢と同じような、だがいっそう生々しい疑似体験をすることも確かめられている。たとえば、水をワインだと思いこみ、それを飲んで酔っぱらうこともある。

 さて幽霊体験というのは、目覚めているとき、あるいは目覚めていると思われるときに、夜ごとの夢と同じようなものを見ることだ。目覚めている人、あるいは目覚めていると思われる人が、今、近くにいない生者の姿を見れば「生き霊を見た」ことになり、死者の姿を見れば「幽霊を見た」ことになる。ただし、聖アウグスティヌスも言うように、幻覚となって登場した遠くの人や死者は、その幻覚のことなど知るよしもなく、またその幻覚を引き起こしたりもしていないのかもしれない。それはちょうどわれわれが夢で見なれている遠くの人や死者が、夢のことなど知るよしもないのと同じことだ。さらに、ふたり以上の覚醒した人が、同じ「幽霊」を同時に、あるいは続けざまに見たとされる比較的珍しい事例も、よく似たケースが夢に存在する。すなわち、ふたり以上の人が同時に同じ夢を見た例があるのだ。

 

マーク・トゥエインの話>

・マークが家の外で葉巻を吸っていると、見知らぬ男がこちらへ向かって歩いてきた。と、つぎの瞬間、男は姿を消してしまった!前々から幽霊を見たいと思っていたマークが、このことを書き留めようと思って家のなかへ駆けこむと、玄関ホールの椅子に、くだんの男が腰かけているではないか。何か用事があってやってきたらしい。マークに仕える黒人の使用人は、ふだん玄関のベルが鳴ると「そのうちあきらめて帰るだろう」という調子で延々と客を待たせるのが常だった。ところがこの日マークは、客が通りすぎたところも見なかったから、いきなり自分の目の前から消えたことがまったく解せなかった。考えられる説明はただひとつ、自分でも気づかぬうちに眠ってしまったということぐらいだ。消失は、出現と同じくらい謎めいていて、消失のほうがずっと珍しい

 

このように、ごく短い時間眠ってしまったときに幻覚を見る――すなわち身のまわりのことを知覚していて、自分では目覚めていると思いながら眠ってしまったときに幻覚を見ることがあるという考え方は、幽霊の説明として18世紀によく使われた。ブルーアム卿やリトルトン卿をはじめとして、幽霊や幻覚を見た教養人は、みなそういう理由づけを用いた。ところが幽霊として現れた人物とその人の死が重なると、教養人たちは、夢はかぎりなくあるのだから、そのうちのいくつかが偶然に現実と符合してもふしぎではないと、理屈に合わない主張を始める。どうも彼らは大切なことを頭から閉め出そうとしていたようだ。睡眠時の夢はありふれたもので数かぎりなく事例があるが、覚醒時に夢を見る例はきわめてまれで、たとえばブルーアム卿の場合も、それが生涯ただ一度の体験だったのだ。だから偶然の一致が起こる機会は、非常にかぎられている。

 

・夢がいい話の種になるのは、夢で見たものが過去現在未来のまだ知られていない事実と符合し、それを十分に描き出しているときにかぎる。たとえば、メアリー・スチュアートの秘書リッツィオの殺害事件をありありと夢に見たとしよう。この事件は、歴史や芸術を通じて誰もがよく知っている事柄だから、それを夢に見たとしても驚く人はいないだろう。しかしメアリー・スチュアートの生涯のうち記録に残されていない場面を夢に見、夢を書き留めたあとでその正しさを証明する文書が始めて発見されたとしたら、それは驚くべき夢として語り草になるはずだ。あるいは簡単に推測したり知ったりできないような事柄を夢に見て、その夢が(事実を知らされる前に夢を記録しておかねばならないが)あとから来た知らせと一致する場合もあるだろう。さらには、あるできごとを夢に見てそれを記録したところ、あとから同じことが起こるという場合もあるかもしれない。いずれのケースでも、時間が延びたり縮んだりするというふつうの夢のふしぎさに、未知のできごとが実際に起こるという要素が加わっている。

 

<古い証券>

・ある女性が、夢で窓辺にすわり、晩秋の夕日が沈むのをながめていた。そのとき玄関でノックの音が聞こえ、やがて紳士と婦人が部屋に通されてきた。紳士は19世紀初頭のような古めかしい黄褐色のスーツを着ている。実際それはナポレオン戦争で、フランスにおいてイギリス人捕虜になっていたことのある年老いた叔父だった。いっしょに来た婦人はとても美しく、スペイン風のマンティラと呼ばれるベールをかぶっている。ふたりは珍しい細工をほどこした鋼鉄製の箱を持っていた。会話が始まる前に、夢のなかのメイドが婦人のおみやげのチョコレートを持って入ってくるとふたりは姿を消したが、メイドが退出するとまたテーブルのそばに現れた。見ると鋼鉄の箱がひらいており、老紳士がなかから黄ばんだ紙を取り出した。色あせたインクで何か文字が書かれている。老紳士は、これはわたしが持っていた証券の記録だ、と話し出した。1800年代の初頭に彼はフランスにいて、隣の美しい婦人と婚約したのだという。

「今、証券は、金庫に入れてある」と紳士は言った。「ほれ、あの会社の――」。ここでまたノックの音がして、こんどは夢ではなく、本物のメイドが本物のお湯を持って入ってきた。起きる時間だった。おそらく夢全体が、最初のノックの音をもとにして生まれ、客人がやってくるというドラマチックな形に脚色されたのだろう。現実の時間でほんの2、3秒のできごとだったはずだ。メイドの2度目のノックで、「あの会社」がどの会社だったのかは明かされぬままになったが、おそらくマンティラをかけた婦人同様、架空の存在だったのだろう。

 このように夢は、気がつかないほどの、ごくかすかな現実の刺激をドラマに仕立てあげる。そしてただの空想(古い証券の話がそうだ)や、一度はあったが完全に忘れ去っていた事柄、あるいはちらりと頭をよぎったがしっかり考えることのなかった推論などが、夢の劇場の登場人物の口から「明かされる」。その登場人物は、生きている人のこともあれば、死んだ人、あるいは架空の人物の場合もある。

 

<夢と幻視>

事実と符合する夢、過去、現在、未来の知られざるできごとが明かされる。「精神的電信」すなわち「テレパシー」の理論では、未来を予見する夢を説明できない。

 

・当人が知らない、そして知り得ない事実をぴたりと言い当て、しかも作り事ではないと証明された夢には、ほかの何ものも――幽霊すらも――かなわないほど大きく信念を揺るがす力がある。遠い場所や遠い過去に起こったできごとが夢に出てきた場合でも、その謎を解き明かすのは難しい。ましてや未来のできごとを当てたとなると、「まぐれだ」とでも言うしかない。たとえばわたしが遠くで起こったできごとを夢に見て、先にその夢を記録したり、夢に従って行動したりしてから、それが実際のできごとであるとわかったとしよう。さらにその事柄が、病人が亡くなるとかレースや選挙の結果を知るといった、推測可能なものではなかったとしよう。そういう夢も十分ふしぎではるが、登場したできごとは、生きている誰かの頭のなかにあるはずのものだ。もしも「精神的電信」あるいは「テレパシー」といったものがあるとしたら、わたしの心は夢のなかで、その事実を知っている人の心のなかに分け入ったのかもしれない。

 

こんなふうに考えるとまことにやっかいだが、それにもかかわらず人間は3種類の夢、すなわち知られざる過去の事柄、現在の事柄、そして未来の事柄を知らせる夢を3つながら信じてきた。当然のことながら慎重派は、そんな夢は偶然のたまものか、忘れていた記憶がよみがえった結果か、記憶違いの幻想か、あるいは意図的にせよ無意識的にせよとにかく作り話だとして退ける。それでも物語は語られつづけるし、本書の関心は物語にある。

 

<ガラガラヘビ>

アメリカ、フィラデルフィアにあるエピファニー教会のキンソルビング博士は、「ガラガラヘビと遭遇する」夢を見た。「殺すと、尾に黒っぽいガラガラがふたつついており、尾の骨に奇妙な突起があった。皮膚の色もふつうのガラガラヘビに比べて薄かった」。翌日、兄と散歩していると、キンソルビング博士は、ガラガラヘビを踏んづけそうになった。「わたしが心の目で見たガラガラヘビと、こまかい点までそっくりそのままだった」。しかしキンソルビング博士の兄は、弟と力を合わせてこの不運なヘビを退治したあと、「ガラガラはひとつだけだった」と述べている。兄弟は、互いに相談することなく、べつべつにこの件を手紙に書いていた。兄の言うとおりだとすれば、ガラガラがひとつだけのこのヘビは、夢に現れたヘビではないということになる。兄弟の住まいはヘビの多いウェストバージニア州にあった。

 

<幻覚>

・事実と符合する幻覚は、科学では認知されないか、または偶然、でっちあげ、記憶違いなどで説明される。それらは、一般には生き霊または幽霊と呼ばれる。

 

・水晶玉による幻視は、誰でも自分で、あるいは信頼できる仲間とともに実験することができる。それは意図的に作り出した幻覚で、簡単な手順を経れば、可能な範囲で幻覚を呼び覚ましたり、引き起こしたりすることができる。いっぽう、意図的でなく、覚醒時に不意に起こる幻覚は、フランシス・ゴールトン氏の研究によれば夢ほど日常的ではないものの、やはり健全な精神のなせる業であることに変わりないさて、幽霊あるいは生き霊というものは、すべて幻覚である。

 

<生き霊>

スコットランドのハイランド地方では、生きていて元気だがよそのいる人が姿を現すことを「生者の霊」と呼び、セカンド・サイトという特別な能力を持った人のもとにちょくちょく現れると広く信じられている。訪問者が客から見知らぬ他人か、あるいは相手が持っているかいないかを問わず、本人の到着より前に生き霊が到着するというのだ。読者諸氏は、通りで知り合いに出くわした経験がおありだろう。その人とすれちがって、ものの100メートルと歩かないうちに、またしてもくだんの相手と出くわして立ち話をする。その相手が印象的な格好をしていたり、風変わりな人だったりすると、知り合いに出くわした体験自体が、不可思議なものに思えてくる。おそらくは、現実のできごとに多少の幻覚がまぶされているのだろう。このごくふつうの体験が「アライバル」と呼ばれる体験への入り口だ。「アライバル」とは、ある人の姿を見たり聞いたり、ときには言葉を交わしたりしたのに、その人はまだ移動中でその場に到着していないという現象である。マーク・トゥエインは、みずからの体験を記している。ある大人数のレセプションで、トゥエインは、人ごみのなかに昔好きだった女性がいて、こちらに近づいてくるのに気がついたが、近くまでくると姿を見失ってしまった。夕食会のとき彼女に会うとレセプションのときと同じ服装をしていたが、レセプションの時間には彼女はまだ汽車で会場のある町へ向かっている最中だったという。

活字になっている例もたくさんある。ある紳士が婦人とともに窓辺でいると、兄とその妻が、何週間も外に出していない馬に馬車を引かせて通りすぎるのを見た。まもなく兄夫婦の娘が訪ねてきたが、娘はちょっと前に家を出たところで、そのとき両親はまだ家にいたというのだ。その10分後、本物の兄夫婦が、馬から何かさっき見たままの姿で到着した。

この話は「まぼろしの馬車」の一例でもある。

 

<幽霊と幽霊屋敷>

<近世の幽霊屋敷>

・シュチーポフ夫人のような事例は、幽霊屋敷特有の例だと言える。われわれの祖先、たとえば近世の中国人は、そうした事例を、通常の死者の幽霊ではなく悪魔憑きのせいで起こるものだと考えた。悪魔憑きの例は数が非常に多く、詩人のコールリッジの言葉を借りれば、みな同じ「症状」が表れる。コールリッジは、そのような症状は、目撃者のあいだに、観察神経の障害が伝染するせいで起こるのだと考えていた。この手の事例のなかで最もよく知られているのが、作家のウィリアム・ハウィットが取材してつづり、同じく作家のキャサリン・クロウが『自然の夜の側』で借用したウィリントン製粉所の幽霊譚だろう。

 

<さらなる幽霊屋敷>

・先に記したようにロシアのシュチーポフ夫人の事例では、少なくとも医師が夫人を診ているあいだは、魔物を抑えこむことができた。この手の騒動には、明らかに医師の目配りが必要だと思われる。とはいえ、もしこれらの騒動のすべてが自作自演だとするなら、その俳優や女優はみな驚くほど似かよった症状を示しているし、また誰も彼もが恐ろしいほど放火好きだということになる。著名な心理学者のウィリアム・ジェームズ教授は、よく似た10件の事例をあげて「自然に生まれた型があるのではないか」と述べている。それはつまりヒストリー症状のひとつの型ということなのだろうか?

 

<訳者あとがき>

・本書は1897年に初版が出版された。

 

・……と、ひと言で言ってしまうと簡単なのだが、その関心の分野がじつに幅広い。詩作、小説、随筆、評論、人物伝、歴史書、人類学や民俗学の研究書。いっぽうでは先に触れたとおり世界各地の民話の蒐集を続けて、1889年に『あおいろの童話集』を出版。

 

・『アンドルー・ラング世界童話集』には、この原書の挿話が収録されている。そして民話の蒐集や、人類学、民俗学研究の延長線上にあるのが、本書『夢と幽霊の書』に代表される心霊現象への関心だった。

 本書にも民話と実話の中間のような物語がいくつか収められているが、伝承物語である民話と、「実話」と称される怪奇譚の境目は、じつはあやふやであることが本書を読むとよくわかる。また、世界各地に同時発生的に同じパターンの話が存在する民話と同様、怪奇譚も世界各地に時代を超えて類話が存在する。そのような物語に接したラングは、民話蒐集家としての血が騒ぐと同時に、人類学的、民俗学的な興味をおおいにかき立てられたのではないだろうか。

 

・だがラングを心霊研究に向かわせた要因は、それだけではあるまい。みずから水晶玉をのぞいたり、「出る」といわれる屋敷に泊まったりという本書のエピソードから推察すると、どうやら純粋に心霊現象というものに惹きつけられてもいたようだ。その裏には「心霊主義」が一種のブームを巻き起こしていた当時の社会背景があるだろう。アメリカやイギリスでは1850年代から「霊媒」と呼ばれる人たちがスターのようにもてはやされたり、各地で降霊会が催されたりするようになっていた。

 

ラングも1882年の設立当初から心霊現象研究協会の会員として名を連ね、亡くなる前年の1911年には会長も務めている。会員にはほかにも、のちの首相で『バルフォア宣言』で有名になるアーサー・バルフォアや、数学者で『不思議の国のアリス』の著者であるルイス・キャロルシャーロック・ホームズの生みの親アーサー・コナン・ドイルら、英国の代表的な知識人がそろっていた。

 ラングはこのなかで、ドイルとはちょっとした縁があった。

 

このあとドイルは1893年に心霊現象研究協会に入会する。彼の人生をくわしくたどることは避けるが、ドイルは次第に霊魂の存在を確信するようになり、第1次大戦を経て晩年に差しかかるころには、心霊主義の啓蒙活動を人生の中心に据えるようになっていた。ふたりの少女がいたずらででっちあげた妖精の写真をドイルが本物の信じ込んで本まで出版した「コティングリー妖精事件」もよく知られている。いかに心霊ブームがあったとはいえ、こうした一連の行動がドイルの名声を傷つけたのは確かで、やはりこの分野とうまくつきあっていくのは、相当難しいことなのだと思わされる。

 

・「すべての幽霊は幻覚である」と言い切り、まだ科学的には立証されていないものの、「テレパシー」が、その幻覚を引き起こしていたのではないかと説明を試みるラング。

 

<「120年の時を経てあらわれた幻の本」   吉田篤弘

・先にも書いたとおり幻想文学的興味から民俗学関係の本を読んでいたとき、またしても、アンドルー・ラングの『夢と幽霊』に突き当たった。水野葉舟の『遠野物語も周辺』(図書刊行会)という本である。帯の謳い文句に「いま蘇る第2の遠野物語」とあるとおり、水野葉舟柳田國男の『遠野物語』が刊行される以前に、遠野に伝えられてきた奇談、怪談の数々を収集してはいくつかの雑誌に発表していた。のみならず、柳田を遠野にガイドしたのも水野であり、この人なくして『遠野物語』は成立しなかったと云われている。

 

水野はそうした本邦の怪談を紹介するだけではなく、海の向こうにも自分と同じような「収集家」がいるのを知って、いち早く翻訳を試みていた。これは明治41年に『趣味』という雑誌に掲載されたもので、『怪夢』と題して6篇の小話を紹介し、その冒頭にこう記している。

不思議な夢について、アンドリュー・ラング氏の集めた話の中の二三をここに書いて見る

 この六篇だけではなく、水野は何度か「ラング氏の集めた話」すなわち本書から翻訳した数篇をあまり知られていない小さな雑誌に細々と発表していた。

 

 

 

『英国の幽霊伝説』  ナショナル・トラストと怪奇現象

シャーン・エバンズ   原書房  2015/1/26

  

 

 

イギリス人口の半分近くは幽霊を信じている

・本書ではナショナル・トラストの管理スタッフやボランティア、見学者たちが実際に体験した奇妙な出来事や、何世紀にも渡って語り継がれてきたミステリーを収集。幽霊城や呪われた館の撮影で著名なサイモン・マースデンの作品をはじめとする、幻想的な写真とともに幽霊譚を紹介する。

 

 ・人がそこに住み、そこで死を迎えたすべての家は幽霊屋敷だ。開いたドアから、何かの目的を果たそうと、悪意のない幽霊たちが滑るように姿を現す。彼らの足が床に音を立てるとことはない。

 

 ・古い建物には強烈な個性が宿ることがある。人々が暮らし、愛し合い、争い、勝利し、絶望した場所はどこでも、そこならではの特徴がある。そうした古い建物の中で一定の条件が整うと、ほんの一瞬、過去の出来事が現在に投影される。まるでちょっとした電気障害が起こったときのように。私たちはこうした場所を「とりつかれている」と言い、その劇中の主人公(ドラマティス・ペルソナエ)を幽霊と表現する。

 

 ・古くは旧約聖書の時代から、世界中のあらゆる文化の伝統の中で、幽霊は死んだ人たちが現れる現象と考えられてきた。彼らは生きている人たちの前に姿を現し、何かのメッセージを伝えたり、危険が迫っていることを警告したりする。もう少し時代が下ってからは、新しい説として、私たちが幽霊と呼ぶものは迷える魂ではなく、古い時代の「記録」なのだと唱える人たちも現れた。つまり、現代の目撃者が別の時代、別の次元のシナリオの一部を垣間見ているということだ。時代を隔てていたヴェ―ルがほんの一瞬すべり落ち、その間に古い時代の断片的な記録が再生される。

 

 ・古い場所に幽霊がすみつくと信じられている理由は実にさまざまで、答えを見つけるのは簡単ではない。たとえば、強烈な個性の持ち主が彼らの特定の場所に「刻みつける」のかもしれない。

 

 ・これは驚きの結果と言えるかもしれないが、イギリスのNOP[全国世論調査会社]が2000年に実施した調査によれば、イギリス人口の半分近くは幽霊を信じている。約42パーセントのイギリス人が、幽霊や亡霊、その他の超自然的な存在を信じていると答えたのである。

 

 スコットランドと北イングランドでは、3分の2近くの人が幽霊を見た、あるいはその気配を感じたことがあると認めているのに対し、南部の人や年配の人たちはもう少し懐疑的だった。

 

 ・本書は、ナショナル・トラストの管理下にある歴史的重要性を持つ特徴的な建造物や美しい自然に関連する古い物語を記録する目的でスタートし、そこから徐々に発展したものである。

 

 ナショナル・トラストの所有地と結びついたバラエティに富む幽霊物語は、十分な証拠に裏づけられたものもあれば、時には歴史的事実と矛盾する内容のものもある。

 

 ・しかし、それぞれの物語の核心にはいつも一粒の真実がある。そして、優れた幽霊物語とは要するに、その特別な場所をつくり、そこに住んできた人々について想像力豊かに語られた物語が、彼らの子孫や相続人たちによって語り直され、解釈され、修正されてきたものなのだ。時には歴史的事実が含まれることもあるものの、神話や伝説として語り継がれるこれらの物語は、今も私たちの民間伝承の力強い底流を成している。これらの物語はイギリス文化史におけるひとつの豊かな鉱脈であり、重要な口承文化の伝統が現代に受け継がれている証でもある。

 

 調査を始めるとすぐに、幽霊たちには出没期限がないことが明らかになった。つまり、ある場所に幽霊が出たという記録があれば、たいていの場合、その幽霊は時代を超えて存在し、はっきりした終わりというものがない。古くから「とりつかれてきた」とされる建物の現在の管理者――スタッフ、その家族や友人、ボランティアや訪問者――を直接訪ねてみると、多くの場所で、今そこにいる人たちも同様の奇妙な体験をしていた。そのため、特定の場所の古い民間伝承を収集しようとして始めたことが、その場所を語るにふさわしい人たちにインタビューするうちに、あっという間に彼ら自身が経験した奇妙な出来事を語ってもらうという、ユニークな口述歴史プロジェクトに変わっていった。ナショナル・トラストのスタッフ4500人[当時]、ボランティア4万人、見学者のうち、話を聞かせてもらった人たちの多くが、自分の経験を語ることを快く承知してくれた。

 

 ・幽霊が出るとされる場所では、幽霊の存在を信じる人と疑う人の両方による調査が数多く実施されていて、そうした調査によって物語に興味深い情報が付け加えられることも多い。また、超常現象の調査は、室温の明らかな変化、「玉ゆら」(写真や映像にはっきり写っているが、撮影時には見えなかった円形の光)などの説明できない現象を記録することがある。しかし、もちろん幽霊はこちらの注文どおりには現れてくれない。実際、この本のために集めた物語を見ると、幽霊が現れるのは目撃者がいつもどおりの日常的な作業をしているとき、あるいは何らかの害のない行動に熱中しているときが多いように思える。

 

 ・私たちはこうした「予期せぬ物語」と、これから本書で紹介する次のような物語をきちんと区別して考えらなければならない――ある教育コーディネーターは壁から灰色の霊が現れて窓から出て行ったのを見て仰天し、ある学芸員はディズレーリの幽霊から非難めいた視線を向けられた。また、ある清掃係はティールームにいるときに清教徒革命時代の給仕の少年から嫌がらせを受けた。ベルファストのバーではヴィクトリア朝時代の洋服を着た4人の人物が突然現れた。上半身のない足だけが現れ、掃除したばかりの床に足跡が残された。階段を下りるローダーデール公爵夫人の亡霊の足音が聞こえ、そこにはバラの香りが漂っていた……

 <アバコンウィ・ハウス>

ウェールズ北部の古都コンウィは、幽霊に関しては幽霊に関してはちょっとした評判で、城壁の上を歩く番兵の姿が目にされることもあれば、溺れ死んだはずの漁師が突然波止場に姿を現したという話もある。

 町の中央にひときわ目を引く建物がある。石積みの上にハーフティバー様式[むき出しの木の骨組みと塗り壁やレンガ壁から成る]の外壁を組み合わせた15世紀初期の家だ。アバコンウィ・ハウスは、この城塞都市の激動の歴史を生き残った唯一の中世の商家で、ウェールズに残る最古のタウンハウスである。

 ・奇妙な出来事が最も頻繁に起こるのはジャコビアン様式[ジェームズ1世時代(1603~25)風]の部屋で、スタッフや見学者、ボランティアの何人かが「ヴィクトリア朝時代の格好をした紳士」の姿を目にしたと報告している。管理人はもっとはっきりと、「……背の高い、フレッド・ディブナーに似た人物」と表現する。[フレッド・ディブナーはとび職人からテレビの人気パーソナリティになった人物で、歴史家でもあり、無類の蒸気機関車好きで知られた]。この紳士の幽霊は階下でちらっと姿を見せることが多いのだが、夜遅くにジャコビアン様式部分に現れたことが少なくとも一度あり、部屋の中に入っていったものの、そこですぐに姿を消してしまったという。部屋への入口は一か所だけなので、物理的には不可能な現象だった。

 この紳士が現れるときには、その前兆としてパイプたばこの匂いや花の香りが漂うことも多い。スタッフは彼のことを「ジョーンズ氏」と呼んでいる。1850年から1880年まで妻と10人の子どもたちと一緒にこの家に住んでいた人物の名前だ。

 

 <エイヴベリー>

・エイヴベリーはヨーロッパでは最も重要な巨石記念物のひとつで、広大なエリアに立石が散らばっている。

 ・エイヴベリーには、この遺跡の数十年前の様子を目にしたという女性の奇妙な話もある。第1次世界大戦中の10月のある夜、教区牧師の娘で農耕部隊の一員でもあったイーディス・オリヴィエという女性が、はじめてエイヴベリーを訪れた。遺跡への道はよくわからなかったのだが、かまわずベックハンプントンを出発した彼女は、霧の立ち込めた西からのルート沿いにある、巨石のそそり立つ道に魅了された。ある村に着くと、村人たちがどことなく田舎風の市場に集まっているのが見えた。その巨大な道は1800年までに消滅しただけでなく、その村では1850年を最後に市が開かれたことがないと彼女が知ったのは、それから9年後のことだった。

 地元住民が夜中に石の周りで幽霊のような人影を見たり、動く光を見たりといった話は山ほどあり、亡霊が歌を歌っているのを聞いたという話もある。そのため、巨石群は今もかなり丁重に扱われている。地元では、立石の一部だった石を使って建てられた建物は、「幽霊の来訪」と呼ばれるポルターガイスト現象を引き起こすと信じられている。

 

 <バッダスリー・クリントン

・このロマンチックなマナーハウスはフェラーズ家が代々暮らしてきた邸宅で、15世紀に周りに堀をめぐらして建設され、17世紀以降はほとんど変わっていない。エリザベス朝時代には迫害されたカトリック教徒の避難場所になり、建物の中に三つの隠れ場所がある。

 バッダスリー・クリントンの歴史を考えれば、この家に多くの幽霊物語が生まれたのも不思議ではないだろう。1930年代にフェラーズ家によく招かれていたある老紳士は、この家の飼い犬の一匹が突然起き上がり、誰にともなく甘えた仕草をしていたことを覚えている。一家は「幽霊に甘えている」のだと言っていた。

 

・現在のスタッフも不可思議な現象を目にすることがある。「幽霊など絶対に信じない」と断言する今の資産管理人でさえ、彼が経験した次の出来事については説明できなかった。ある夏の夜の午後9時ごろ、彼は邸宅内のオフィスでひとり残って仕事をしていた。よく晴れた日で、風もない静かな夜だった。ところが突然、階段を上りオフィスのほうに歩いてくる足音がはっきり聞こえた。最初は何かの用事で同僚のひとりが戻ってきたのだろうと思い、気にしなかった。足音はだんだん大きくなり、閉じたドアのすぐ前までやってきたが――それっきり音は止み、家の中は再びしんと静まり返った。資産管理人はデスクから立ち上がり、誰だろうと思いながらドアを開けたが、そこには誰もいなかった。

 

 ・緋色の上着に白い帯をたすき賭けにした男性の姿を目にしたという人たちもいた。その後、レベッカが見つけた第9歩兵連隊のトーマス・フェラーズ少佐の細密画が、目撃された男性の描写にぴったり合っていた。フェラーズ少佐は1817年にフランスのカンブレーで任務についている間に、城壁から落下して死亡した。レベッカがフェラーズ少佐のためにミサを開いてからは、足音が聞こえることはめっきり減ったという。

 

 <ベルトン・ハウス>

・この静かな環境にたたずむ邸宅には、数多くの幽霊話が伝わる。1685年から88年にかけて建設されたベルトン・ハウスには、王政復古時代(1660~88)のイングランドの自信と楽観主義が表現されている。19世紀にはカリスマ性のある第3代ブラウンロー伯爵のもとで、ベルトンは第2の黄金時代を謳歌した。

 ・ここには多くの幽霊がらみの物語があり、謎めいた「黒い服の貴婦人」の幽霊についてはさまざまな目撃報告がある。また、対照的に黄金の光に包まれた「ベルトンの輝きの婦人」が、しばしば主階段のホールに現れるという話もある。

 

 <ベニンバラ・ホール>

・「ヨークのカントリーハウスと庭園」として知られる現在のベニンバラ・ホールは、同じ敷地内のすぐ近くにあった後期エリザベス朝様式の家を建て替えたもので、1716年に完成した。この家は有名な殺人事件の現場になったが、それがいつ起こったのかについては1670年代とも1760年代とも言われている。痴情のもつれにより殺害された犠牲者の幽霊が、その後何世代にもわたってこの家にとりついてきた。

 

 ナショナル・トラスト

・英国人は幽霊や不思議なものを愛する国民性があるといわれ、かの国の歴史と幽霊をテーマにした本や、怪談・超常現象をまとめた本は、これまでに数限りなく刊行されている。なかでも本書が特別である点は、まえがきにおいて著者自身が述べているとおり、英国ナショナル・トラスト保護資産に対する調査プロジェクトを発端としていることにある。

  

 

 

『現役鉄道員“幽霊”報告書』

幽霊が出る駅、路線……教えます!

氷川正   学研    2014/8/19

 

 

 

<鉄道にまつわる怪談で、幽霊が出る原因というのはほぼ人身事故と考えていいだろう。>

・私が鉄道業界に入ってから数十年が経過した。

 数多の職業があるなかで、私が身を置くこの業界は、意外に死に近い業界である。死体に接する職業といえば、葬儀関係者、医療関係者、警察、消防が思い当たるだろうが、その次あたりに鉄道員がランクインするのではないだろうか。

 本書では、現職の鉄道員という立場から、あまり一般には馴染みのない奇妙な出来事や、実際に私が体験した不思議な事件、事故を中心に、鉄道業界のタブーといわれる部分にも触れながら、鉄道業界のミステリアスな世界をお伝えしたいと思う。

 

 「人身だ!すぐホームへ行って目撃者を取ってこい!

・鉄道側にとって人身事故でいちばん重要なことは目撃者の確保である。

 これは、運転士に過失がないことを証明しなければならないためで、複数人確保するのが望ましい。事故後、早めに対応しておかないと現場は野次馬で溢れて目撃者探しもままならなくなくなるからだ。そして事故を目撃した人は、ショックのあまり現場を早々に立ち去ってしまうことも多い。

 

 ・人身事故の処理は、事件性がなく自殺と断定されれば、およそ1時間前後ですべての処理が終わる。

 車輪に挟まれ、レスキュー隊の手を借りなければ救出できない場合や、事件性がある場合だと、とても1時間では片づかない。

 現場の遺体は、ほぼパーツが揃っていればよく、肉片をすべて回収する必要はない。

 というのも、レールとの摩擦で“挫滅”してしまい、見つからないパーツが必ずあるからだ。

 

 <S駅で起きた2つの未解決事件>

・現在私が車掌として往復している路線で言えば、最近改装されてきれいになったO駅の上りホームが、私の身構えるポイントのひとつである。

 グーッとカーブを描くホームの中ほどに“何か”がいて、いつも私を睨みつけてくる。それはそのものズバリの霊的な存在とはやや異なる。

 もちろん人ではないのだが、O駅は昔から人身事故多発駅として知られており、悪意そのもののような、奇妙な“何か”と事故との因果関係は無視できないと私は考えている。

 

 ・2件の殺人事件が起きた場所にもまた異様な空気が漂っている。

 私の場合は車掌業務で必ずその場所を通らねばならず、そこを通るときはいつも“何か“の射すくめるような視線に必死に耐えている。

 私にとってこれらの場所は、いつも緊張を強いられる場所なのである。

 

 <姿見の中の自殺者>

・Hはなぜか姿見から目を離すことができず、鏡の中の男性が動き出したのを食い入るように見ていた。

すると男性は躊躇することなくホームから飛び降りたのである。

{あっ!}

ここでようやくHは我に返り、背後を振り返った。

しかし、線路に落ちたはずの男性はどこにも見当たらない。

姿見でもう一度落ちた場所を確認し、目を皿のようにして線路上を探したが、どこにも人の姿がない。

 

 ・自殺を予見した姿見は、駅員たちの間で話題となったが、その後はHをはじめ、誰も自殺者が映るという現象を見ることができなかった。

 そのうち、噂を気味悪がった駅員の苦情から姿見は撤去され、今も倉庫で埃をかぶっている。

 

 <踏切に現れる“女子大生の霊”>

・このS駅からT駅側に向かって2つ目の踏切は、管内でも有名な“心霊スポット”として知られている。

 事故が多い踏切ではあるが、決まって現れるのは“女子大生の霊”である。

“彼女”は、始発前の点検中の駅員や通りかかる運転士によって目撃されており、その頻度もかなり高い。もちろん誰でも見えるというわけではなく、見えない人にはまったく見えていないようだ。“彼女”が現れる理由ははっきりしている。

それは20年以上前に起きた人身事故が関係している――。

 

 ・女性の姿はそれから何度も目撃され、一時はお祓いも検討されたが、結局うやむやになって今に至っている。

 現在はほとんど話題にも上がらなくなっているが、それは女性の霊がいなくなったからではない。

 現在も“彼女”の姿は目撃され続けている。

 

 <“自殺の名所”の踏切で起きた不可解な自殺>

・東京近県にあるK駅の近くには、いわゆる“自殺の名所”といわれる踏切がある。

何の変哲もない踏切で、大きな公園が近くにあるため、やや暗い雰囲気

だが、昼夜分かたず人身事故が後を絶たない。

 駅からは歩いて十数分とけっして近くはないのに、まったく縁もゆかりもない場所からこの踏切を死地に選ぶ人もいる。

 いったいなぜ、ここが選ばれるのか。まったく見当もつかない。

 ・ちなみにSが夫婦の霊を目撃した宿泊室は、現在はリネン室となっている。この1件以降、頻繁に霊現象が続いたためである。

 

 <「Sトンネル」に出現する“Yばばぁ”>

・東京近県の山間部にあるS峠は、関東夜臼の心霊スポットとして知られている。

元々この道は江戸と幕府直轄領だったC地区を結ぶ由緒ある街道で、C地区の霊場を訪れる多くの参詣者が歩いた道である。

 

 ・そしてご多聞に漏れず、このトンネルにもオカルト話が伝わっている。それが運転士の間でも有名な幽霊、通称“Yばばぁ”である。

 なぜトンネルの名前のSではないのかはわからない。

ちなみにYというのはトンネルの下り出口がある場所の地名である。

前出のSトンネルに現れる四つん這いで走る女に似ているかもしれない。

夜、Sトンネルを走っていると突然運転席の窓をコンコンコンとノックする音が聞こえる。

 窓の外を見ると白髪の老婆が併走しており、運転席を心配そうな目つきで一瞥したかと思うとすぐに消えてしまうという。

 現在でも少なくとも年に一度は“Yばばぁ”が目撃されている。

そして目撃した運転士はそれから数週間のうちに、必ず人身事故に巻き込まれる。

 

 <「車掌室に子どもが乗っていた」>

・開業して間もない新たな地下鉄A路線では、低学年の小学生と思しき男の子が頻繁に目撃されたことがある。

実際に見たというのは乗客からの情報で、駅員のなかには誰も見た者はいないのだが、毎日数件の目撃情報が届けられていた。その多くは、ターミナル駅のI駅から前後数駅の区間に集中しており、ほとんどが「車掌室に子供が乗っていた」という内容のものだった。

 この路線は下り線でI駅手前からワンマンになるため、車掌は不在となる。その不在のはずの車掌室に、子供が乗っていたというのである。

 ・この謎の子供は、開業から1週間の間に多くの目撃例が相次いだが、そのうちパタリと止んでしまい、今ではまったく聞かれなくなった。

 はたして車掌室に乗っていた子供はいったい何者だったのか……?

 

 <寂しく佇む女子高生の霊>

・東京郊外のH駅には車両基地があり、その近くにある小さな踏切は小高い丘の上にある女子高の通学路になっている。ある雨の朝、通学途中の女子高生が基地に戻る電車に接触し、車輪に巻き込まれて即死した。

 ヘッドホンで音楽を聴いていたため、電車が来ているのに気づかなかったのである。

 それからというもの、雨の朝になると、決まって女子高生の幽霊が踏切脇に立つようになった。運転士の多くが目撃していたが、近くには山菜採りで山に入っていく近隣住民も多く、その姿を幽霊ではなく人だと思っていた運転士もいたため、その数を含めるとかなりの目撃例となった。

 

 <死んだ友人からのメッセージ>

・しかし友人は興味深い話もしてくれる。

 たとえば死後の世界とは思っている世界とは違い、自殺や不慮の事故、不摂生など自己責任の病気で死んだ人は、天命の年齢になるまで現世に留まっていなくてはならないという。死後の世界のしくみは、死者同士の情報交換から得られたものらしく、死者が集う場所は現世の接点としていくつかある。

 それが現世でいう“心霊スポット”なのだ。彼ら死者は、生前行ったことがある場所であればどこへでも行けるという。

 もちろん壁も通り抜けられ、空も飛べる。その世界は案外楽しそうなもののように思えた。

  

 

 

『現代幽霊論』  妖怪・幽霊・地縛霊

 大島清昭     岩田書店   2007/10

 

 

 

<幽霊と妖怪>

・一方、「幽霊」と「妖怪」を区別する立場としては、柳田國男、諏訪春雄が挙げられる。

 日本民俗学創始者である柳田國男は、最初に「幽霊」と「妖怪」を区別した人物である。昭和十一年に公表された「妖怪談義」で、柳田は「オバケ」と「幽霊」を明確に区別する指標を述べた。前もって知っておかなければならないが、柳田は「オバケ」「化物」「妖怪」という言葉を同じ意味で使用している。従って、ここでの「オバケ」は民俗学では「妖怪」という意味で捉えられている。

 

 ・柳田は「誰にも気のつく様なかなり明瞭な差別が、オバケと幽霊の間には有ったのである」として、①出現場所の相違、②対象となる相手の相違、③出現する時刻の相違、という三つの違いを提示する。①は「オバケ」が「出現する場所が大抵は決まって居た」のに対して、「幽霊」は「百里逃げても居ても追掛けられる」という。②は「オバケ」は「相手を選ば」ないのに対して、「幽霊」は「たゞこれぞと思ふ者にだけに思ひを知らせようとする」と述べ、③は「オバケ」が黄昏時に出現するのに対して、「幽霊」は丑三つ時に出現すると定義した。

 

 柳田の目的は「妖怪」を研究することで「信仰の推移を窺ひ知る」という、所謂信仰零落説の立場を取るものであった。実際、昭和二六年の民俗学研究所が編纂した『民俗学辞典』には、「妖怪」の定義として「多くが信仰が失われ、零落した神々のすがたである」と記されている。

 諏訪春雄は、柳田の定義に対して反証を提示した後、独自の「幽霊」と「妖怪」の定義を展開する。諏訪は「妖怪」も「幽霊」も「広い意味でのカミ(精霊)といえる」とし、「しかも正統に祀られていないカミである」という立場を取っている。

 

 <幽霊と分身>

・「分身」と聞くと、私などは忍者かバルタン星人を想起してしまう。所謂「分身の術」である。しかし、ここで論じるところの分身は、「分身の術」のような特定の手法によって自らのコピーを創造することではない。一般的によく知られている言葉を使用すれば、「ドッペルゲンガー」という言葉もまた、それぞれの論者によって指示領域が異なるものである。「分身」や「ドッペルゲンガー」に深く関わる学問分野は、文字と精神医学が挙げられる。従って、文学では「ジャンル」の問題として、精神医学では病気の症状として、それぞれ指示領域を持っていることになる。殊に文学では、論者やアンソロジーの編者によってその集合の範囲は違ったものになっている。

 

 ・例えば、『書物の王国11 分身』(国書刊行会、1999年)は「分身」というテーマに沿って古今東西の小説や詩などとを収録している。ここで「分身」という射程には、自己像幻視、鏡と影、双子、二重人格、内なる他者、などが収められている。

 

 <憑霊>

・憑霊(或いは、憑依)は、容易に定義できるような概念ではなく、民俗学や人類学、宗教学において様々な論者によって議論がなされている。しかし、ここではそのすべてを追うことはできないし、また、幽霊という本書の主題とも大幅にズレてしまうので、簡潔に触れておきたい。

  佐々木宏幹は「憑霊とは、霊的存在または力が人間その他に入り込み、あるいは外側から影響して、当事者その他に聖なる変化を生じさせると信じられている現象である」と述べている。

 

 <場所に固定化した幽霊>

・「①屍体が存在する(した)場所に、幽霊は固定化する」といった場合、当然ながらその幽霊が固定している場所とは墓地や火葬場などが筆頭に挙げられる。そう考えると、これに該当するような事例は、極めてオーソドックスな幽霊と考えられる。

 

 大阪府貝塚市水間。昨年(1984年)お店でアベックのお客さんに聞いた話。夜、水間(観音さんや今東光さんで有名なお寺)の戦没者のお墓のそばに車をとめていると、ヘルメット(鉄かぶとのことか)をかぶって兵隊のかっこうをしている人が、スーッととんでいるみたいに歩いているのが見えた。他にも見た人が、よくいるという事だ。

 

 ・「学校の怪談」では、⒜に該当する事例として学校の建設される以前に、その場所が処刑場であったという事例を示したが、同様の事例は学校だけではなく、その他の建造物にも存在している。ここではその一例としてNHK放送センターに出現する幽霊を挙げておこう。

 渋谷のNHK放送センターに軍人の幽霊が出るというのは、有名な話。体験者は昔から、数えきれないくらいいますね。

 

 ・ここは陸軍の練兵場の跡地で、あの「2・26事件」の青年将校たちが処刑された場所なんです。昔、「幽霊が出た」という場所の頻度と、処刑された場所の関係を調べた人がいて、101スタジオという一番古いスタジオのあるあたりがどうもそうらしいと見当がつきました。

 

 NHK横にある2・26事件慰霊塔には、兵士たち(複数)が靴音を鳴らしながら歩いている音が聞こえるらしい。

 また、その近くにある小学校の校庭にもその兵士たちが現れるとか・・・。

 

 ・この事例では2・26事件で処刑された兵士たちが幽霊として出現しているが、幽霊となるのは日本人の兵士だけではない。次の事例は処刑場ではないが、米軍の兵士が幽霊となって出現するものである。

 

 ・Iデパートの建っている所は、昔、米軍の病院があった所だったため、今でも閉店後には洋服の間から米軍兵(幽霊)が出てくる。

 

 ・ホテルや旅館、或いはアパートの一室において、そこで亡くなった人間の幽霊が出現する事例は枚挙に暇がない。また、病院において亡くなった患者の幽霊が長期的に出現する場合も、ここに当て嵌るだろう。

  

 

 

『FBI超能力捜査官マクモニーグル』  「遠隔透視」部隊の現実

  (並木伸一郎・宇佐和通) (学研)       2007/2

  

 

 

<幽霊のハンス>

・幽霊もよく見る。亡くなった妻の母も会いにきた。陸軍時代、ドイツでも幽霊を見た。長旅を終えて新しい宿舎に着いた夜のことだ。洗濯をしようと地下に行ったが、どの部屋が洗濯室なのか分からずうろうろしていると、年老いたドイツの男性と出くわした。ドイツ人だと分かったのは、民族衣装を着ていたからだ。

 

 ・彼に『洗濯室はどこです』かと尋ねると『ああ、こっちだよ。ついて来なさい』といわれ、『ここだよ』と、部屋まで案内してもらった。私は、礼を言って洗濯を始めたが、目をあげると、彼の姿はもうなかった。

 

 ・私は、ドアと彼の間に立っていたから、彼が出て行くのに気付かないはずはない。不思議に思って、あちこち探したが見当たらなかった。

 

 ・同僚たちの部屋に向かう途中で、ふと当り前のことを思い出した。そこは情報関係の建物で、ドイツ人が出入りできるわけがないのだ。部屋に入って、『あのドイツ人は誰だ?』と聞くと『ああ、それは幽霊のハンスだよ』と、あっさりいわれた。部隊では有名な幽霊だったようだ。悪さをしないが、頻繁に姿を見せるという。

 

 ・現れたり消えたりしながら、アメリカ兵とのコミュニケーションを楽しむらしいのだ。その建物に取り付いているのだろう。ドアを開け閉めすることや、あるいは皆がいる部屋に入ってきたり、ポーカーをしているテーブルの脇でじっとしていることもあった。兵士の一人が怒って灰皿を投げつけたら、灰皿はハンスの体を通り抜けて壁に当たった。

  

 

 

太田千寿が解き明かす『霊界と天上界の大真実』

人類はサタンに騙されている  「消された記憶を取り戻せ!」

太田千寿  徳間書店     1996/8

 

 

 

三島由紀夫氏が私のところに来た理由>

・亡くなった三島由紀夫氏が私のところに来たての状況は以前に詳しく書きました。しかし、三島氏がどういう理由で、地上に交信をしてくるようになったのか。さらには、どうして三島氏が地球を救うようになったのかはあまり触れていませんでした。私が知らされていたのは、次の三点です。

 1、死んだ直後、指導霊に連れられて富士の裾野に行ったということ。

 2、そこには生前「盾の会」のメンバーと何度も体験入隊した自衛隊がある場所だということ。

 3、三島氏が生まれる前に、18回転生しているが、彼らは、いずれも富士山の裾野にいたということです。

 

 ・――私三島由紀夫は、死んで間もなく富士のホールにいた。巨大なホールであった。あたりは――面真っ暗闇、私の前に『私』と名乗る男女が18人現れたのである。(『空間を超えて道を行く神』)

 

 ・では、いったいなぜ三島氏が地球を救うのでしょうか。6年ほど前、三島氏から霊界に行くようになった背景が送られてきて、はっきりしました。なんと、驚くべきことに、そのメッセージによると、三島氏は死の直後、宇宙船に乗せられたというのです。そして、とんでもない出来事に遭遇したのでした。

 

 <地獄からの生還>

・――UFOの中はすべてがガラス張りであった。鏡に映った自分の姿を見て、私は唖然と立ち尽くしていた。あれほど望んでいた背高のっぽになっていたのである。自分でもほれぼれするほどの男前、ギリシャ的な風貌。神が私の望んだとおりにしてくれた。何という奇跡だ。夢にまで見たこの姿。

 

 ・赤いボタンがいくつもある映像システムが何カ所も設置されている。『L』と記されているボタンを人差し指で押して見た。すると映像システムが一斉に動き出して、生前の私がはっきりと画像に映しだされている。

 ・そのとき、神々しき声がした。

 

『そなたは、この宇宙船で4年間、孤独に耐えるのだ。地獄に落ちたそなたの影は、20年かかって、地獄を制するであろう。もうすぐそなたの同胞が下界からやって来る。引田天功と田宮次郎だ。彼らがやって来たら三人で力を合わせて、この宇宙安寧のために働くがよい。そなたの心は私が全て見てきた。死に急ぎをしたな。しかし、そなたの死が無駄にならない日が必ず訪れる。それを信じて突き進むのだ。この宇宙船は、そなたのためにシリウスで作成したものである。天功と田宮が来たら、三人よく話し合いをして、月の空洞にある宇宙基地に移動するのだ。基地内には歴史上の人物がリーダーを求めて右往左往している。そなたはこの4年間で彼らのトップリーダーになれるよう、一時も無駄にしてはならない。時にはこうしてそなたに交信する。さらばだ』

神の声はこうして消えて行った。

 

 ・三島氏が自刃したのは昭和45(1970)年11月25日のことです。私がこのメッセージを受け取ったのは、平成2(1990)年ですから、ちょうど20年目のことです。

まさに清算期間の20年が終わった直後のことです。

 

 <二つに引き裂かれた三島由紀夫氏>

・なんということだ。私が、『生前の私』と『宇宙人としての私』として分離されてしまったのだ。一人は記憶を持ったままの私であり、もうひとりは記憶を失ってしまった私なのである。記憶のある生前の私は、地獄の20年を過ごすことになり、そしてもう一人の私は、宇宙船に乗って旅立ったのである。

 

 <白髭白髪の老人の出現>

ところで皆様もすでにお気づきのことと思いますが、ここに出て来た「白髭白髪の老人」こそ、サタンのことです。「人間の記憶」を消すために奔走するサタンだったのです。