日本は津波による大きな被害をうけるだろう UFOアガルタのシャンバラ 

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鬼八は健脚で、風のように駆けるとされ、昼間に棲み処を出ては阿蘇山の麓まで荒らしまわり、夜になると岩屋の奥深くへと隠れてしまう。高千穂近郷の人々は鬼八の悪事に苦しめられていた。(1)

 

 

(2024/3/25)

 

 

『日本怪異妖怪事典  九州・沖縄』

朝里樹(監修)、闇の中のジェイ(著) 笠間書院  2023/9/30

 

 

 

鬼八 (きはち)

走健(はせたける)(または「はしりたける」と読む)、鬼八法師、鬼八三千王とも呼ばれる。鬼八は熊本県阿蘇の豪士とも、宮崎県高千穂蘭の里の部族の長、宮崎県二上山乳ヶ窟(ちちがいわや)を根城にしていた魔性の者ともされる。

 

熊本県では次のように伝えられている。

 阿蘇大明神こと健磐竜命(たけいわたつのみこと)は鬼八という豪傑を家来にしていた。健磐竜命は弓の名人であり、弓を射ることを楽しみにしていた。鬼八は空を駆けるように足が速く、また怪力を有していて、健磐竜命が射た弓を拾ってくるのが役目であった。

 

・放たれた矢を追って、鬼八は再び拾いに駆ける。これを99回も繰り返し、疲れて面倒臭くなった鬼八は拾った矢を足の指で挟むと、往生岳の健磐竜命に向かって蹴返した。鬼八の無礼な行いに怒った健磐竜命は刃を抜くと、鬼八を殺そうとした。その場を逃げ出した鬼八は根子岳(ねこだけ)のオクドを蹴破り、南郷谷のほうに抜け、穿戸

(うげと)を手で突き破って、矢部まで来たが、健磐竜命に追いつかれてしまった。矢で押さえつけられた鬼八は苦し紛れに屁を八回放った。屁に面食らった健磐竜命の隙をつき、鬼八は宮崎県三田井境の窓の瀬に逃げ、五ヶ瀬川を挟んで健磐竜命と戦うことになった。お互い岩や大木を投げ合って争ったが鬼八が負けて生け捕られた。健磐竜命はすぐさま鬼八の首を刎ねたが、切られた首が元のように繋がり、鬼八は生き返ってしまう。

 

・手や足を斬っても首と同様に切り口に再び繋がってしまう有様であった。そこで健磐竜命は首と手足と胴をそれぞれ離れた場所に埋めた。鬼八が斬り殺された場所が高千穂にある鬼八墓だとされる。残った鬼八の首であるが、斬首と同時に天へと舞い上がり、怨霊となった。六月の暑い時期になると、天から霜を降らせて、健磐竜命が作った作物を枯らし、九月には早霜によって稲を枯らした。多くの人々が食べ物に困るようになったため、健磐竜命は鬼八を阿蘇谷の真ん中に下宮として祀ることにした。阿蘇の霜宮の御神体は鬼八の首で、箱に入れられて厳重に封をしているという。この箱を開けて首を見ると目が潰れるとされる。秋口には鬼八の首を暖めるために火焚き神事が行われる。上役犬原(かみやくいんばる)、下役犬原、高原の三ヶ所の中から12、3歳くらいの少女が一人選ばれ、旧暦7月7日(8月13日とも)から59日間、霜宮の近くにある火焚殿の中に籠って火を焚き続けることで、鬼八の首の傷が寒さで疼かないようにするという。

 

熊本県では健磐竜命の家来として語られていた鬼八であるが、宮崎県の伝説では異なる内容の話であっても一貫して悪者として描かれている

 鬼八は健脚で、風のように駆けるとされ、昼間に棲み処を出ては阿蘇山の麓まで荒らしまわり、夜になると岩屋の奥深くへと隠れてしまう。高千穂近郷の人々は鬼八の悪事に苦しめられていた

 ある日、高千穂の十社明神である御毛沼命(みけぬのみこと)が塩井の池のほとりを歩いていると、美しい女に出遭った。御毛沼命は方々を尋ねて、この女が阿佐羅姫(あさらひめ)という名前で、凶賊である鬼八の妻であることを知った。阿佐羅姫は三田井の池に棲む龍女の化身だともされる。御毛沼命は阿佐羅姫を鬼八の元から引き離すために、鬼八と戦った。

 

・この際、夜になると、鬼八が岩屋の中に籠ってしまうため、御毛沼命は扇で夕日を留め、家路の途中の鬼八を急襲した。あるいは、虚空を駆けて逃げ回る鬼八を捕らえるために、神馬に乗って虚空を駆け、鬼八を斬ることができたとも語られる御毛沼命に斬られた鬼八の死体は地中に埋められたものの、一夜経つと、たとえ手足が斬られていようとも元の姿で蘇り、再び姿を現した。

 

・蘇った鬼八に御毛沼命は思案に暮れたが、田部重高もしくは時田大臣という人が再び鬼八を退治した。この際に、鬼八の死体を分葬することにした。頭は加尾羽、手足は尾羽子、胴は祝部に別々に埋めた。こうして鬼八が蘇ることは二度となかった。御毛沼命が鬼八を斬った剣は鬼斬丸と呼ばれ、高千穂神社の社宝となっている。

 

御毛沼命と鬼八の話であるが、阿佐羅姫が登場しないものもある。

 高千穂の宮にいた御毛沼命(三毛入命)は兄弟たちとともに東遷のため、船で出発したが、強い風波に押し流され、本隊と離れてしまい、高千穂へ引き返すことにしたその頃、鬼八があちこちを荒らしまわり、人々を苦しめていたため、御毛沼命は鬼八を退治することにした。御毛沼命が高千穂に戻ってくることを知った鬼八は悪霊を呼び、先々で大雨を降らせることで御毛沼命の邪魔をした。御毛沼命が雨を止めるために天の神々に祈念したところ、たちまち雨は止んで、日が差しはじめた。高千穂に戻ってきた御毛沼命は苦心の末に鬼八を退治したという。

 

また違う話では、十社大明神が鬼八を退治するために、右大臣富高、左大臣田部をはじめ、総勢44名で鬼八の根城である乳ヶ窟に攻め込んだ。窟の入り口を塞がれた鬼八は太さ一尺(約30センチ)

角、長さ一丈三尺(約3.9メートル)の石杖を持って、別の出入り口から逃走し、二上山を駆け下りて、三ケ所の内の口、諸塚(もろづか)、椎葉(しいば)へと逃げた。

 

戦いの中で44名いた十社大明神の軍勢も大明神と富高、田部の三人のみとなっていた。三田井原で追い詰められた鬼八はとうとう討ち取られるが、八尺(約2.4メートル)四方の石を載せて埋葬したにもかかわらず、石を動かして蘇るため、鬼八の体を三つに切り分けて分葬したという。

 

・退治された鬼八であるが、蘇りはしなかったものの、祟りによって早霜が降り、作物が被害にあった。また、村の娘を生贄に出すよう要求してきたとも、祝部の前の塚に毎年生贄を捧げることで鬼八の霊を慰めることにしたともいわれている。

 

・生贄の娘であるが、戦国期に甲斐宗摂という人物が捧げる生贄を猪に替えたとされる。

 

 

(2014/9/9)

 

 

 

『鬼の風土記

 服部邦夫  青弓社   2006/8

 

 

 

酒呑童子

・この鬼の面から受ける印象は、“落魄した鬼”のイメージだ。現に国分寺の鬼夫婦は、人間夫婦に姿をやつして、下男下女の存在にまで身を落さざるをえない状況に置かれていたのである大江山を根城として、一大王国を誇っていた頃の、あの華々しい鬼どもの存在ぶりから見ると、まるで嘘のようである。

 

・よろいかぶとに身を固めた頼光たちは、首尾よく酒呑童子をはじめ茨木童子、いくしま童子、とらくま童子、かね童子や門を固めていた十人余りの鬼どもをことごとく討ち果たした。

 何々童子と呼ばれているこの鬼どもは、いったい何者であったか・・・。

 

・越後の柏崎地方に弥三郎婆の伝説があることは、高木敏雄の『日本伝説集』によって広く知られているが、良寛ゆかりのこの山にも、稚児をさらう弥三郎婆の伝説と酒呑童子の伝説が残っている。

 

・伊吹の弥三郎伝説が、15世紀初めに成った説話集『三国伝記』に収められていることを、佐竹昭広氏の著書によって知ったが、その『三国伝』によるとー伊富貴山に弥三郎という変化の者が栖んでいた。遠く関東や鎮西まで往還し、人家の財宝を奪ったり、さまざまの害をおよぼしたので、当国の守護である佐々木備中守源頼綱が勅命によって弥三郎退治に出かけた。頼綱は、摩利支天の秘宝や陰形の術を修得して、高時川で弥三郎を退治した。その後、弥三郎の怨霊が毒蛇に変じて水害をもたらしたので、悪霊をまつって井明神と号したという。

 

お伽草子の「伊吹童子」の中では、弥三郎は近江国の大野木殿という有徳人の娘と通じたことになっており、いわゆる蛇聟入苧環(おだまき)型の求婚譚が展開されている。そして、弥三郎は大野木殿から好物の酒の接待にあずかって酒を飲みすぎたあげく命を落とすハメとなっている。その後、三十三カ月も胎内に宿って生まれた異形の子が伊吹童子である。運命の子は、大野木殿によって伊吹の山中に捨てられる、という“山中異常出生譚”として話が進行している。

 

・佐竹氏は、右の著書の中で伊吹童子が山中の“捨て童子”だったことから「伊吹山中の捨て童子は、後の酒呑童子である。シュテン童子の前身を捨て童子だったとする“伊吹童子”は、シュテン童子なる者の原像をはからずも露呈しているかのようだ」と指摘されている。

 

 

(2014/11/30)

 

 

『鬼がつくった国・日本』 

 歴史を動かしてきた「闇」の力とは

小松和彦内藤正敏   光文社文庫    1991/11

 

 

 

「東北」の怨念を語りつぐ「田村三代記」

・それで、こういう中央とまつろわぬ者の関係、日本の過去における京都を中心とする光の領域と、東北に代表される闇の領域との関係を象徴的に表している『田村の草子』という坂上田村麻呂の一族をモデルにした説話があるので、ここで紹介してみたいと思います。

 まず、田村利仁という人物が出て来て、妻嫌いをする。つまり、かたっぱしから縁談を断るんですが、ある日、大蛇が変身した美女を見初め、妻にする。女は妊娠し、自分の姿を見ちゃいけないといって産屋にこもる・・・。

 

・そう、タブーを破って見ちゃうわけ。それで、まさに「見たな」というわけで、「おまえは数年を経ずして死ぬが、子どもは英雄になる、覚えとけ」と預言して姿を消してしまうんです。

 

・それでね、いまの『田村の草子』には中央から見た鬼=まつろわぬ者のイメージがよく出ていると思うんですが、東北にも東北版『田村の草子』みたいなのがあるんですよ。『田村三代記』といわれているもので、話を簡単に紹介しますと、平安時代前期に都でまりのような光る物体が夜となく昼となく飛び回り、米俵、金銀、はては天皇への貢ぎ物まで持ち去ってしまうという騒ぎが起こるんです。

 

未知との遭遇だね。第三種接近遭遇(笑)。

 

・そこで、陰陽師の博士に占わせると、伊勢国鈴鹿山に天竺から来た魔王の娘である、巫女のいでたちをした立烏帽子というものがいて、日本転覆を計画しているという。しかも、日本にも立烏帽子におとらぬ鬼神である蝦夷の大嶽丸がいて、ほっておくといっしょになって攻めてくるというんです。で、そりゃたいへんだというので、田村利仁に追討を命じて、鈴鹿山に向かわせるんです。ところが、二万余騎の軍勢で探しても、立烏帽子は見つからない。そこで、魔の者に会うときは大勢で行くなという父利光の教えを思い出して、利仁一人を残して軍勢を返すと、三年以上たったある日、やっと立烏帽子を見つけるんです。すると、これがなんと紅の袴を着た歳のころは十六、七のピチピチのギャルちゃん。

 

・なんせ相手がかわいい女の子でしょ、さしもの田村丸も迷うんです。原文に「かようなる美麗なる女を討つとは何事ぞや。このうえはなかなか彼女にしたしむべきかと思召し賜えしが、いやまてしばし我心」とありますもの。

 

・ちょっと待て、だいたいそれで男は損しちゃうんだよね(笑)。そういえば、この『田村三代記』ってちょっとまえまで東北の座頭が奥浄瑠璃でやってたんでしょ。

 

・それでね、二人の戦いはなかなか勝負がつかないわけ。すると、立烏帽子が利仁の出自について語り始めるんです。それによると、利仁の祖父は星の子どもで、彼が龍と交わってできたのが父親の利光で、その利光が奥州の悪玉姫、これも鬼ですよ。それと契ってできたのが利仁だというんです。そして、田村三代は日本の悪魔を鎮めるための観音の再来だというんです。それで、自分は日本を転覆させにきて、蝦夷の大嶽丸にいっしょになってくれと何度も手紙を出したんだけれど、返事もくれない。でも、自分は女の身だからやっぱり男がいないとだめなの、あなたといっしょになって、二人で力をあわせて日本の悪魔をやっけようといいよるんです。

 

・それで、二人は結ばれて近江の高丸という鬼を退治するように命じられるんです。二人が攻めていくと、高丸は常陸の鹿島の浦(茨城県)に逃げてしまったので、立烏帽子は利仁を光りん車というUFOみたいな乗り物に乗せて飛んでいくんです。で、高丸を攻撃するときの戦法っていうのがまたSF的で、呪文をかけて十二の星を降らせて星の舞いをさせたり、一本のかぶら矢を打つと、それがビーム砲か散弾銃みたいに千本の矢先となって鬼神に降り注いだり…。結局、高丸は二人に退治されてしまう。

 

<連綿と続く東北独立国家への試み>

・『田村三代記』の主人公である田村利仁は、征夷大将軍坂上田村麻呂鎮守府将軍、つまり蝦夷に置かれた軍政府の長官であった藤原利仁とを合体させた人物なんだけど、彼は星の子どもと龍が交わってできた父親が、さらに悪玉姫という鬼と契って生まれたといわれるわけでしょう龍と鬼という二重の異類婚によって生まれるわけですよね。その利仁が、立烏帽子という外来の魔性の女と交わって呪力を得て、蝦夷の鬼神の大嶽丸を倒す。これはまさに、まえに話した「異には異を」、「夷をもって夷を制する」という古代東北侵略のパターンそのものだと思うんです。

 ただ、東北の『田村三代記』がものすごく伝奇ロマンっぽくなっているのは、京都でつくられた『田村の草子』が東北でもう一度再生産され、京都を他界として描いているからでしょうね。

 

日本史のすぐ裏側に、闇の文化史――鬼の日本史のようなものがあるのではないか

・『田村の草子』『田村三代記』については、すでに西村寿行氏が、それをネタにして傑作を書いておられます。これらとはり合うつもりの方、おられますか。おられませんか。

 

                                                                                                                                             


『鬼』 

(高平鳴海/糸井賢一/大本穣司)(エーアイスクエア)1999/8


<鬼女の伝承>
・長野県戸穏の女盗賊(紅葉)(くれは)
各地の伝承でも能舞で語られる場合でも、絶世の美女であったと伝えられる。しかし、罪を問われて戸穏に逃れ、その後悪事を重ねるごとに醜い姿になっていった。一説には、その身長は3メートルほどもあったという。

・英雄を助けた鬼女(鈴鹿御前)(すずかごぜん)
どの伝承を見ても、絶世の美女だったと記録されている。鈴鹿山の鬼女も「女」で「盗賊」だったことから、立烏帽子と呼ばれるようになったと考えられる。


・御前は田村丸を「光輪車」という神通力で飛行する乗り物に乗せたかと思うと、瞬く間に内裏に降り立った。そして、光輪車で去っていった。

<熱き情念の化身>(清姫・(異名)白拍子白拍子花子)
和歌山県熊野地方の伝承。容姿については、伝承のパターンによって、ふたつ存在する。ひとつには夫に先立たれた寡婦(やもめ)で、イメージとしては妖艶な中年女性だろう。もうひとつは白拍子の少女の姿である。清姫といった場合、特にこちらの少女を指す。
 さらに彼女は、全長10メートルもの大蛇に変身することができ、これが第三の姿と呼ぶこともできる。
 清姫の物語は、熊野権現と関係が深く、その舞台は道成寺という寺である。主な登場人物は、清姫と彼女が恋焦がれる安珍という僧だ。

 

<目一つの鬼>

・日本最古の鬼は「目一つの鬼」で出自は「出雲風土記」だそうです。

 

酒呑童子茨木童子、伊吹童子、八瀬童子、護法童子などのイメージは、人間タイプとモンスター・タイプが混ざるものが多いようだ。

 

<鬼はなぜ童子とよばれるのだろうか?>

童子とは、つまり元服前の稚児を示す言葉だが、童子はいわば蔑称で、時の支配者らが用いた言い回しである。鬼は確かに人々を驚かしていたが、その力を認めたがらず、下っ端=目下の者=童子と呼んだそうです。

 

<日本の伝承に残る鬼として>

・桃太郎の鬼(温羅)(うら)

 

蝦夷の鬼王(悪路王)(あくろおう)

 

有明山(信州富士とも呼ばれる)の鬼族(八面大王)(長野県の伝承)

 

・黄泉より還りし悪鬼(大嶽丸)(おおたけまる)(三重県鈴鹿山近辺の伝承)

 

霊の化身(鬼八法師)(きはちほうし)九山岳地帯の伝承

 

・飛騨の怪人(両面宿儺)(りょうめんすくな)

 

・「伊吹弥三郎」と「伊吹童子」の伝承(岐阜県北部伝承、日本書紀御伽草子に登場)

近江の伊吹山にいたとされる伊吹弥三郎は、創造神という顔と、魔物=鬼という顔がある。伊吹童子はその息子だという。

 

・天邪鬼(あまのじゃく)(人々に親しまれた小鬼)(和歌山県串本町の伝承)

 

・同胞を助けた「赤鬼」(せっき)、出自は安倍晴明物語。

 

 

<●●インターネット情報から●●>

ウィキペディアWikipedia(フリー百科事典)より、

 

鈴鹿御前の物語」

・現在一般に流布する鈴鹿御前の伝説は、その多くを室町時代後期に成立した『鈴鹿の草子』『田村の草子』や、江戸時代に東北地方で盛んであった奥浄瑠璃『田村三代記』の諸本に負っている。鈴鹿御前は都への年貢・御物を奪い取る盗賊として登場し、田村の将軍俊宗が討伐を命じられる。ところが2人は夫婦仲になってしまい、娘まで儲ける。紆余曲折を経るが、俊宗の武勇と鈴鹿御前の神通力 によって悪事の高丸や大嶽丸といった鬼神は退治され、鈴鹿は天命により25歳で死ぬものの、俊宗が冥土へ乗り込んで奪い返し、2人は幸せに暮らす、というのが大筋である。ただし、写本や刊本はそれぞれに本文に異同が見られ、鈴鹿御前の位置づけも異なる。

  



『異星人遭遇事件百科』

 (郡純)(太田出版)(1991年)

 

 

<星座の名前は知的生物の姿?>
・星座の名称はこれまで単純に「星の形」とのみ関連付けて語られてきたが、近年その常識に見直しの気運が高まっているのは周知の事実である。

・星座の名称の由来は星の配列を似た動物にあてはめたとされるが、はたしてスバル(牡牛座)やシリウス(狼犬座)の配列が牛や狼の形に見えましょうか?これは他の星座すべてにいえることだが、(中略)星座の名称とは、その星座における代表的な知的生物を表現しているのではあるまいか?そして牡牛座と狼犬座の知的生物は、その名称通り「牛」と「狼」のような風貌をし、しかも、古くから交流があり、互いに月を前哨基地にして地球にも頻繁に訪れていた、と考えれば聖書を含めた多くの古代文献の記述も矛盾なく納得できるのである。

・ただ、異星人は単一の種族ではなく、様々な母星からきていたという立場に立つと話が違ってくる。人間をはじめ生き物はすべて異星人による被造物、と考えることが可能になるのだ。


・人間、牛、馬、鳥すべての動物は異星人がみずからの姿に似せて創造した。太古の書においては相互の「交配実験」も行われたのかもしれない。

 

 

(2023/8/15)

 

 

『山怪 朱』

山人が語る不思議な話

田中康弘   山と渓谷社   2023/1/30

 

 

 

・今回の取材では“神様”的な人たちの存在が興味深かった。彼らは人々の不安を和らげる存在でもあり、年寄りには大切な友であった。

 

<妖しの森>

<高尾山>

蛸杉仙人

・観光客はほとんど下山している時間だ。夕方になって山へ入る人は自殺の恐れがあり要注意、気になった彼女は一緒にいた二人の同僚に意見を求めた。「今の人さあ、声かけたほうがいいかねえ」「今の人って?」

「えっ、蛸杉の所にいたでしょ」

 怪訝な顔をする2人、彼らには何も見えていなかったようだ。参道のすぐそば、蛸杉の横に座っていた老人の姿が。

仙人みたいな感じでしたよ。髪も髭も真っ白で長いんです。麻の生成で作務衣みたいな感じの服でしたね

 現実離れした格好である。たぶんそれは蛸杉仙人なのだろう。

 

・この方は不思議な老婆にも遭遇している。或る日店頭で団子を売っていると一人の老婆がやって来た。「団子をください」

金ごまですか?黒ごまですか?」「黒」

 老婆からお金を受け取り釣りを出そうと一瞬後ろを向いたが……・

いないんですよ、前見たら。参道に出て探したけどどこにもいませんでした

 

<白い着物の女>

・森林インストラクターで高尾山のガイドもしているベテランの方にも話を聞いた。

 

・「生暖かくていや~な感じがするんですよ。森の中から何とも言えないざわめきも聞こえてきててね。“ガチャガチャ”いうんですよ。鎧ですね。鎧着た人の歩く感じですか

 森の中に鎧武者がいるのか?呆然と佇んでいると、辺りが白っぽい光に包まれていくのが分かった。

あれは何でしょうかねね。不思議な光とも煙とも言えないぼわーっとした物に包まれたんです。そうしたら白い着物を着た女人が現れたんですよ

 白い服を着た女性の出現は各地でよく聞く。正体は山の神といわれるが、この場合は少し違うようだ。



「あの辺りには合戦が行われた場所でもあって、たくさん人が死んだんですね。だからいろいろと出てくるらしいですよ。ガイド仲間にその話をしたら、みんな結構みてるんですね。夜中に行けばほぼ会えるそうだから行ってみたらどうですか?」 断固お断りする。

 

奥多摩

小さな狐が住みつく家

・仕込み杖を持参するというのも凄いが、それで殴りつけるとは驚きだ。この時叔父さんが倒れ込んだ家は狐がいる家として地域で有名な存在。狐がらみと考えた親が仕込み杖を持参していたのだろうか。

「昔は医者が遠くて具合が悪くても寝ているしかないんです。そうしたら婆さんが“狐たかり”じゃ言ってね。まずは家の外で空鉄砲を撃つんですよ。それでも良くならないと祈禱をしてもらう、そんな時代ですね

 悪霊退散のために空砲を撃つ習慣が昭和まで残っていたのである。叔父さんが駆け込んだ狐のいる家は代々山伏の系統で、さまざまな困り事に対して祈禱を行い対価を貰っていた。専業の拝み屋さんである。

 

檜原村で狐がさまざまなことをやらかすのは東北と共通するものがある。悪さをする狐を避けようと家にはお札を貼っていたそうです

「東京の王子稲荷神社のお札です。年会費を払ってそのお札を頂くんですよ。それを貼っていましたね」

 

<闇女>

・「集落に“狐憑きのおじさん”がいて、それで大変な騒ぎになっているって言うんです」

 何でも近所の人が獣のような唸り声を上げて飛び回っているらしい。家族や近所の人も集まって取り押さえたが、どうするべきか思案した。

狐憑きだと言うんで御嶽神社からお札を貰ってきたんです。それを布団の下に敷いて憑きものを追い出そうとしたんですね

 武蔵御嶽神社の眷属はニホンオオカミである。その護符を当人に知られぬようにそっと布団の下に敷き込んだのだが………。

不思議ですよねえ、その人知らないはずなのに、布団には絶対に近づかなかったそうですよ

 

・「数人で確認作業をしていたんですよ。そうしたら一人が“うわあ、なんだこれ! 気持ち悪いなあ”って声を上げたんです

 その声に皆が集まり画面を覗き込んだ。モニターに映っていたのは若い女性の姿だった。画像には撮影時間も記録されている。

真夜中なんですよ、それが。登山道でも獣道でもありませんそこは。昼間でも人が入らない場所ですね

 林道からは遠くないというが、夜中に女性が一人でやって来るとは思えない。おまけに女性はライトも持っていないのである。真夜中の森の中に灯りも無しに入る人がいるとは驚きだ。「その人の格好が普通なんですよ。町中にいるような感じでね、顔も至って普通なんです。だから余計に怖かった

 

・山の中で女性に会うことが怖いと言う人は多い。奈良県下北山村のベテラン猟師は、集落内で夜すれ違う女性には肝を冷やしている。知り合いしかいない地域で目も合わさず挨拶しない女性が、この世の者とは思えないと言うのだ。

 

秩父丹波山村

白い犬と不思議な人

雲取山の山腹にある山小屋、三条の湯の三代目である木下浩一さんも不思議な人を見かけたことがあるそうだ。

最近の話ですね。山で作業をしていたんですよ。何気なく反対側の斜面を見たら人がいるんです。青い服着た男でしたね

 木下さんが変だと感じたのは、その人がいた場所だ。道からはかなり離れているし山菜やキノコが採れる斜面ではない。なぜ男がそこにじっと佇むのか理由は分からなかった。

 

二度と行かない

・例のゴルジュ(峡谷)を迂回するには今自分が歩いた所以外に思い当たらない。先回りをしたのか……いやそれは不可能だ。なぜならその女の子は着物姿だったから、それも白装束である。とても山の中を歩ける恰好ではない。ではあれはいったい……。

 目の前に佇む女の子はただじっとこちらを見つめるだけである。Aさんは落ち着くように自分に言い聞かせながらその場を離れた。無事に駐車場まで戻った時には全身の力が抜けるのを感じたのである。

 

電報配達人

・これは昭和初期の出来事である。或る日急に叔母さんが異常な行動をするようになった。家の内外をぴょんぴょんと飛び回り、顔つきも尋常ではない。

目が吊り上がってね、こりゃあ狐が憑いとるということになったんですよ

 これは大変だというので近所でも有名な神様(拝み屋さん)を呼ぶことにした。白装束の神様は締め切った居間で狐を燻し出す作戦である。真ん中で杉の葉や唐辛子を燃やしながら必死の祈禱を続ける。この時、部屋は完全に締め切ってはいなかった。きちんと狐の逃げ道を確保していたのである。しばらくは神様と狐の攻防が続き何とか追い出すことに成功した。「ほら、これを見ろ」

 神様に指されたのは土間に点々と残る狐の足跡だった。あらかじめ土間には家の前を流れる川から集められた砂が敷かれ、綺麗に箒目を立てて掃き清められていたのである。

 

妙義山中之嶽神社

・「ここではポンポン音が聞こえることがよくあるんですよ。狸ですか?いや狸じゃなくて天狗の鼓とか言いますね。ポンポンポン、ポポポンて感じで、それがあちこちから聞こえるんです。昔は頻繁に聞こえたんですが、あの震災以来減りましたねえ」

 

<越後・魚沼>

奇妙な人?たち

山の中で得体の知れない音が聞こえるのはよくあることだ。山怪話の定番とも言えるだろう。目黒さんも不思議な音に遭遇したことがある。

 

・目黒さんはこの音の正体を動物だと思うことにしている。本来動物の動きと人間の藪漕ぎはかなり違い、ベテランの山人が間違うことはほとんど無い。

 

異獣

・豪雪地帯の状況を伝える鈴木牧之の『北越雪譜』には異獣と呼称される謎の生物が出てくる。大きな体で二足歩行する異獣は気は優しくて力持ち、どちらかというと怖い存在ではないようだ。その異獣らしき生物を見た人がいる。

八海山スキー場の近くでしたね。大きさですか? 人間よりは大きくて黒っぽかった

 

・「ちょうど2年前の3月初めでしたねえ。結構雪はあったんですよ。雪渓の一番上まで行く途中で何かが見えたんです」

 

・「足跡があったんですよ。それがずーっと続いているんです。あれ? 誰かが先に入ったのかと思いましたね」自分たちよりも先に稜線を目指す人間がいる。

 

・目の前の足跡は消えたが、謎の人物は反対側から登っているのは間違いがない。気になった永井さんは時折双眼鏡を出すと反対側の斜面に目をやった。するとそこに黒い影が動き回っているのではないか。標高は1300メートル近いはずの場所を自由に動き回るその何かは人よりは大きいようだった。

「誰だろうね? まさか滑ろうとしてないよね」

 永井さんは仲間とその何かの様子を探るがはっきりと確認できない。ただ熊でないことは確かで、二足歩行の生き物には違いなかった。どうしても気になる永井さんは、その何かに何度か声をかける

「呼びかけると止まるんですよ。そしてこっちを伺うんですね。返事は無いんだけど明らかな反応はありました」

 

・斜度は50度以上のカチカチに凍った雪の上で、いとも簡単に移動するその何かに永井さんたちは驚愕する。アイゼンも付けずストックさえ持たずに闊歩するその何かの正体は分からなかった。

しばらくして麓の神社で宮司さんと話をしてたら、“それは山の神か異獣ではないか”って言うんですよ

 異獣、『北越雪譜』に登場するあのUMA(未確認動物)である。二百年ほど前に書かれた書物に載る異獣、それがなお越後の山を歩き回っているようだ。南魚沼地区には雪男という名称の酒があり、ラベルに描かれた姿が異獣だ。黒くて二足歩行、大きな目で何とも可愛い姿は決して恐ろしい存在ではない。

 

あなたはどなた

・異獣に遭遇した永井さんは別の不思議な何かに出くわしている。

 

・「感じは1970年代ですね。明らかに現代の格好ではないんですよその人。滑り方はまあお世辞にも上手いとは言えなくて、どこから来たんだろうと思いました」

 見た目の違和感はかなりのものだった。しかし最も奇妙に感じたのは目の前を通り過ぎる時のことだ。

「普通、山で人に会うと挨拶をするでしょう。“こんにちは”とか会釈程度はあるじゃないですか。でもね、その人まったくこっちを見ないんですよ」

 

肖像画

・永井さんは谷川岳で不思議な体験をしている。それは学生時代のことだ。

 

・「この人か?」「そうこの人が描いてくれって」誰もが恐怖を感じて、それ以上は話をすることが出来なかったのである。

 翌朝、落ち着きを取り戻した仲間たちはAさんに昨夜の話を詳しく聞き、肖像画を描いた場所へ向かった。「ここか?」

 Aさんが示す岩の近くには一枚のプレートが設置してあった。それは19歳で遭難死した息子を思い、両親が慟哭の心情を綴った記念碑である。まさにこの前にAさんは導かれ、そして青年の肖像画を描いていたのだった。

 

信州・戸隠

テントの中と外

・「彼はまったく寝られなかったって言うんですよ。一晩中女の人の叫び声が聞こえて恐ろしくてどうしようもなかったって

 しかしテント中に響く絶叫は寝込んだ二人にはまったく聞こえていない。彼はよほど二人を起こそうかと思ったが、最前“そんなもの聞こえない”と言った手前それも躊躇(ためら)われた。結局一睡も出来ずに朝を迎えたのである。

 

静寂の山

北海道・松前半島

熊撃ちの経験

・「登っていく途中に巡視路があるんですが、途中で居場所が分からなくなったんです」

最初の位置からすれば30分もあれば巡視路に出るはずである。しかし着かない。おかしいと思いながら二人は一度下ってみることにした。

 最初のところまで戻ったんですがやっぱり分からないんですよ。複雑な場所じゃないのに」

 顔を見合わせた二人は再度登ることに、そして今度は巡視路に出ることが出来たのである。「気がつかないような道じゃないんですよ。巡視路は。それなのにね、登り下りで二回も通り過ぎているんです。二人ともまったく気がつかなかった。考えられないことですよね。あれも狐の仕業かなあ

 

松前半島の狐狸

・叔母さんはいつもの道を歩いているつもりだったが、(カラマツの古木に)頭をぶつけて気がついた。なぜ自分がそんな所にいるのかはまったく分からなかったそうだ。

 「いやあ、あの原因は後で分かったんですよ。料理作りに行っていたでしょう。その時にテンプラを揚げた油が割烹着に飛び散っていたんです。それで狐にやられたって叔母さんは言っていましたねえ

 

・同じく厚沢部町の松橋政雄さんは、若い頃から数多くの熊を捕ってきた山の達人である。その松橋さんに釣りの極意を伝授した知り合いが或る日行方不明になった。

 

・その人はいわゆるリングワンデリングに陥っていた。といっても目印の無い節減や藪の中ではない。いつも釣りに入るいつもの山道なのである。そこで同じ所をなぜか三度も歩く羽目になったのだ。“これはおかしい”周りを見渡しても別段変わった様子は無いが、自分は先へ進むことが出来ないのだ。そこで彼は木の根に腰を下ろすと一服して、どうしたものかと思案を始める。そのうちに自分を探す捜索隊の声が聞こえてきたので、これで助かったと思ったらしい。

 

白神山地・目屋

神様の地

青森県は神様の多い地である。下北半島には恐山、また津軽地方には岩木山がある。どちらも神聖なる場所で、周辺にはイタコ、ゴミソ、オシラと呼ばれるシャーマンたちが健在なのだ。

 

・福沢さんは母親から面白い話を聞いたことがある。

「凄い大雨が降った時に米ヶ袋の田んぼへ様子を見に行った知り合いがいたそうです。その人、土砂降りの中で変な人を見ているんですよ」

 田んぼが心配になるくらいの雨の中、白装束の女性が歩いているのだ。土砂降りなのにその女性は濡れているように見えない。いったい何者だろうと不思議に思い、その女性の姿を見ていた。それからしばらくして近くの神社が山ごと崩れ落ちる。謎の女性を見ていた人は神様が避難したのだと思ったそうだ。

 東目屋地区にはかつて多くのゴミソがいて住民のさまざまな相談事に応じている。体調不良や困り事、失せ物探しなど気軽にゴミソに尋ねているのだ。

 

・或る時、集落の婆ちゃんが行方不明になった。警察や消防団がいくら探してもその姿は見つからない。誰もが諦めかけた頃、家族はついにゴミソにその居場所を尋ねた。「そこさいる」

 岩木川に架かる橋の近くを指すゴミソ。しかしいくら目を凝らしてもそれらしい姿は見当たらない。集落の人が河原へ下りて生い茂る草を掻き分けると、確かに婆ちゃんの姿はそこにあった

 秋田県藤里町でもかつて多くのゴミソが存在したが今は一人もいない。しかし岩木山周辺では少ないがまだ活動している。東目屋地区でも曾祖母の跡を継いでゴミソになった30代の男性がいて、当分地域の神様として存在出来るだろう。

 

白神山地藤里町

<謎の電話>

日本各地を回っていると北東北は比較的狐に関する話が多い。ここ藤里町でも老若男女問わずいろいろな狐経験をしている人たちがいた。

 

・時計を確認しながら話をしていると、突然電話のベルが鳴った。電話の内容はこうである。“おめぇんとこさの爺ちゃんが坂の途中で寝てっから迎えさいげ

 院内岱(いんないだい)の向かう坂で爺ちゃんが寝ているという知らせだ。すぐに家族が探しに行くと坂道の真ん中で確かに爺ちゃんは寝ていた。着物を脱ぎきちんと畳んで履物も綺麗に揃えてある。まるでどこかの家に上がって布団で寝ているような姿だったそうだ

「爺ちゃんは不思議なことがこの世にあるとはまったく思わないタイプの人なんです。でもこれについては不思議だったそうですよ。でも一番不思議なのは誰が電話を掛けてきたのかが結局分からなかったことですねえ」

 電話を掛けてくるような知り合いすべてに確認したが、そのような人はいなかったのである。爺ちゃんが道端で寝ていたのは狐に化かされたからだと家族は考えたが、謎の電話も狐の仕業なのだろうか

 

田んぼの中、雪の中

・では狐に騙された人はいるのだろうか。

「ああ、20年くらい前かな、田畑のあいだを一晩中歩き回った人がおった。ドロドロで歩き回っとったな。3年くらいにも女の人がおらんようになって、その人は狐に憑かれたと言いよったぞ」

 

・「狐にやられた、狐にやられた」「狐に?何やられたんだぁ」

「狐がこっちさ来い、こっちさ来いっておらをずーっと呼ばるんだぁ」

 藪の中で自分を呼ぶ声のほうへと進んで居場所が分からなくなったというのである。天候も悪くなく迷うような場所でもない。一緒に行った友達も、つい今しがたまで近くにいたのになぜとんでもない所まで行ってしまったのか信じられないと話している。

 

・10年前には雪の中を一晩歩かされて行き倒れになった人もいたそうだ。

 

下りか?登りか?

最も道に迷いやすいのが春先のタケノコ採りである。目の前に広がるタケノコの群落に夢中になって居場所が分からなくなるのが典型的な道迷いで、少なからぬの人が命を落とすかから怖い

 

・先行する賑やかな女性たちの声を追いかけながら歩き続ける山田さん。30分ほど歩いた時、目の前に見慣れた木が現れた。

千手観音ブナっていわれる特徴のある木なんです。それを見た時に気がついたんですよ。登っているってことに。下っているつもりがずっと登っていたんです

 GPSで確かめても間違いなく自分はずっと登っていたのである。タケノコ満載の重いリュックを背負い結構な傾斜道を登っているのに、当人は完全に下りだと認識していた。山田さんにとって小岳は目を瞑っていても歩ける場所なのだ。それがこんなことになるとはおかしい。狐のせいだと直感した山田さんは叫んだ。

「俺のことを騙そうたってそうはいかねーぞ‼ 」

 

山奥の出来事

・藤琴川のかなりの奥の沢筋にゼンマイの名所がある。時期になると我先にと大勢の人が向かう場所だ。

 

・しばらくすると足音が聞こえてくる。顔を上げると誰かが下りてくるのが見えた。「あれ? こんなに早く採りに入ったのか?

 自分がてっきり一番だと思ったから驚きながらも挨拶をするが、男は無反応である。強い違和感を感じたAさんが散れ違いざまに振り向くと、男の姿はどこにもなかった。この謎の男には多くの人が遭遇し、現場は“お化けが出る場所”として知られている

 

ゴミソと川流れ

・山間地域に限らず昔は庶民の相談事に応じる“神様”が各地に多く見られた。神道系や仏教系、自己流といろいろな“神様”は、失せ物探しや縁切り、頭痛、肩こり、歯痛と何でもござれ。インチキだと言う人もいたが、地域に無くてはならぬ存在だったのである

 都市部から早くにいなくなった“神様”が比較的最近まで残っていたのが山間集落であり、藤里町にも多くの“神様”が存在していた。藤里町ではこの“神様”のことをゴミソと呼ぶ。「婆さんは何かあるとすぐにゴミソのとこさ行ったもんだ。物がなくなったとか体の調子悪いとかな」

 

南蔵王・七ヶ宿町

小さなおじさん>

森の不思議な存在の一つに小人がある兵庫県のベテラン猟師は森の中で二度ほどその姿を見ている。他人に話しても信じてもらえず、それならとカメラを持ち歩くようになったら出てこなくなって悔しい思いをしたそうだ。

 

・集落を目指して林道を下っていると、一本の朴の大木に夕日が美しく映えている。燃えるような輝きを放つ朴の木、Kさんは思わず足を止めて見入った。「凄く綺麗だったんですよ。でもその根元に何か座っているんです」「狐ですか?」

いえ、小さなおじさんでした。木の根元に座ってニコニコしてるんですよ。大きさですか?20センチくらいでしたね

 まさに森の小人さん出現である。Kさんが詳しく観察したところによると、小人さんは作業着姿で若干頭が大きかったそうだ。

 

<奥会津

マタギの体験>

狐に化かされたような話は聞いたことがありますよ。買い物に出かけた人がいつまで経っても帰らないんで探しに行ったそうです。そうしたらムクレ沢沿いの道から下りて沢に入っていてね。死んではおらんかったですが、買ったはずのニシンの干物は無かったそうですよ。あと猟に行く途中で洞穴があるんですが、そこで寝泊まりをしとったら夜中に木がメリメリ倒れる音がするんです。変だと思って鉄砲を1発空に撃ったら静かになったとかね」

 これらの話は全国各地でよく聞かれる狐狸話の典型的な例だろう

 

会津の狐>

・「隣の集落の先生が行方不明になったことはありましたよ。冬でしたねえ」

 先生は通勤に只見線を利用していた。駅を降りると坂を下って我が家へと向かうわずかな距離である。「見つかったのは山のほうだったんです。ええ、死んでました」

 先生はいつものように駅で降りた後、なぜか家とは反対側の山側へ向かった。そしてそのまま雪の中で息絶えていた。なぜそのようなことになったのかは、誰にも納得出来る答えは無い。ただ先生が揚げ物をお土産に持っていたから、狐にやられたと思った人もいたそうだ。

 

・いつも入る山でいつものメンバーでいつものようにキノコを採っていると、突然自分がどこにいるのかが分からなくなった。辺りを見渡してもまったく見覚えのない地形なのだ。どこへ行けば良いのか、待ち合わせの場所すら見当がつかず途方に暮れる女将。結局仲間が探し出してくれたが、それまでの心細さは想像に難くない。霧が掛かっていたり雪があったりした訳でもない。もちろん疲れていたり、酔っぱらっていた訳でもない。それでも人は突然知らない空間に入り込むことがあるのだ

 

飯豊山麓>

飯豊連峰に潜むモノ

新潟県阿賀町は西会津町の西隣に位置する。阿賀野川沿いの麒麟山は昔から狐火の名所ということで“狐の嫁入り”を町おこしにしている。

 

・彼女がその音のするほうに提灯を突き出すと、小さな池の中に誰かが入っている。近づいてよくよく見ると、それは医者だった。「あんたあ、何してる!」 その声に顔を上げた医者はこう言った。

「自転車漕いで大汗かいて峠さ越えたら、女の人が一風呂浴びていけって言うんだあ」

 もちろんその辺りには家は無い。典型的な狐に化かされる話である。これは昭和の初めの出来事だ

 

・山で出会った場合、挨拶をしないほうが珍しい。ましてや生徒を連れた先生がこちらを見向きもしないとは奇妙である。“ガサガサ、サクサク”遠ざかる不思議な集団を見ながらAさんは違和感を感じ、急いで後を追ったがどこにも彼らの姿は無い。

おかしいな、まだ遠くに行ってないはずなのに……

 一言も話さない無表情の集団は忽然と姿を消したのである。

 この出来事があまりに妙で、Aさんは気になって仕方がない。そこで知り合いの古老に話を聞くと、その場所で昔生徒と引率の先生が事故に巻き込まれて複数亡くなったことが分かった。言われてみれば服装も今風ではなかったし、それも違和感に繋がったのだろうと合点がいったのである。Aさんは世の中に不思議なことなどまったく無いと言い切る人だったが、この一件以来考えを改めたそうだ

 

優しい狸

・四国には狐がいないと聞いたことがある。弘法大師が狐をすべて追い払ったのだというから、彼らはよほどの悪さをしたに違いない。実際のところは四国山中に狐は存在していると地元猟師は証言しているが数は少ないそうである。そんな狐とは逆に存在感を示すのが狸だ。

 

・狸が光を見せる、それも繋がっていくつも光を見せるとは初めて聞いた。まさに“狐の嫁入り”ならぬ“狸の嫁入り”である。不思議な狸火以外では、よく墓から火の玉が出たらしい。当時は土葬であり、このような例は全国各地にあった。仏を埋葬するのはかなりの重労働で、若者がやらざるを得ない。何と伊東さんは30回以上も仏を埋葬したそうである。

 

<山師の体験>

・「ああそういえば造林の組で不思議な道迷いはありましたよ

 或る年の初夏のことだ。作業のために山へ向かった造林チームが突然どこにいるのか皆目分からなくなってしまう事態に陥る。ベテランも含めた数人のチームで毎日同じ場所へと入り作業をしていたのだ。それなのに誰も自分たちの居場所が分からない。手分けして散々探し回り、ようやくその未知の場所から脱出した時には全員が胸を撫で下ろしたのである。連日通っていた現場が突然見慣れぬ山へ変わるのは屈強な山師でも恐ろしいだろう。

 

<九州中央高地>

<人魂が飛び交う村>

・村内ではカリコボーズ橋やカリコボーズの宿と、カリコボーズなる名称を冠した施設が目に付いた。村のパンフレットには精霊という言葉があるが、山の神ではなく精霊とはいったいどのような存在なのだろうか。

 

カリコボーズの森

・「そうです。カリコボーズは山から下りて川に入るとです。そこで川のですかねカッパになっとですよ。そいで秋の彼岸にはまた山に戻っとです。十年くらい前にも川の中の石の上にカッパのおったとですよ」

 水上村で聞いた彼岸の中日と山の神、川の神=水神の話がここでよりはっきりとした。山の神が川へ下りて川の神(水神、カッパ?)となる。これは山の神が春先に下りてきて田の神になる話とよく似ているのだ。西米良村ではこの上り下りの時に尾根伝いにカリコボーズが移動すると考えられている。そこをたまたま通りかかると大絶叫に見舞われるというのだ。

 

悪意無き悪戯

・カリコボーズが山と川を行き来する存在だということは分かった。この川とは支流ではなく本流のことで、通り道となるのはそこへ続く尾根道だと誰もが口を揃える。

 

・山の中ではほかにもさまざまな謎の音が聞こえた。大木がどーんと切り倒される音を聞いた人は何人もいる。

 

これらはすべてカリコボーズの仕業だと誰もが口を揃える。しかしそれが人命に関わったり凶兆という訳でもないので特に気にはしていないのが面白い。カリコボーズは西米良村の住民に愛されているのだろう。

 

きゃあぼう吹き

・交通の便が悪く医療設備も整っていなかった頃の山間部では、日常的に神仏が必要とされてきた。僧侶や神主がさまざまな悩み事や病気平癒のための種々の祈禱を行ったのである。神社仏閣の関係者以外にも村の神様的な存在、いわゆる霊能者を頼る場合も珍しくなかった。もちろん祈禱やお札を飲み込んでも病が良くなる訳ではない。それでも人々は頼らざるを得ない環境だったのである。

 このように神社仏閣は地域に根付いた存在だが、それ以外にも山里には流れてくる者もあった。山伏である。

 

<山怪拾遺>

山怪は何でも狐のせい?>

・「また狐の話だよ」

『山怪』の読者からよくこういう声を聞く。確かに自分でも書きながら同じように感じる訳で当然だろう。しかしながら取材先で狐の話が多く出るのは事実で、それをバサバサ切り捨てることも出来ないのだ。狐話には微妙な差異があり、そこを粗末に出来ないと思っている

 狐狸は行動範囲が里に近く、最も馴染みがある動物だ。奇妙な出来事に遭遇した時にその原因にするにはうってつけなのだろう。それが親から子へ、そして孫へと語り継がれ、何かあるとするとすぐに狐狸だなと判断する訳だ。

 

 

 

『怪奇秘宝  山の怪談編』

洋泉社MOOK        洋泉社     2017/7/20

 

 

 

実在するUMA

「猿鬼(えんき)の禁忌     天蔵真文

「深山」という未知なる世界の深遠

・その存在が噂されながらも、生物学的に確認されていいない未知の動物――UMA。世界的には「ネッシー」や「ビッグフット」などが有名だ。

日本でも、伝説上の存在として、妖怪的に語られてきた未知なる生物がいる。

 

日本各地で語られる妖怪めいた生き物たち

・筆者は、ライター・カメラマンとして活動する以前から半世紀近くにわたり、里山、里海、農林水産関係、神仏関係、自然科学、医療、採取、狩猟関係の現場並びにそれらを生業とする人々を取材し、全国をまわってきた。

 そんな筆者の経験則からいえば、いわゆる“UMA”と呼ばれる存在についてはいくつかの類型がある。いわゆる伝説上の生物としての存在。そして完全なるフィクションとしての存在である。

 

・猿の妖怪「猿鬼」と同様の伝説めいた存在といえば、岡山県を中心に山陽地域、四国一部地域で語られる「猿猴(えんこう)」などの河童(毛むくじゃらの猿に似ているが)の一種や、時折テレビ番組で取り上げられる広島県の類人猿型の「ヒバゴン」、古くは岐阜県飛騨地方で宮本武蔵と互角に渡りあったとされる「夜叉猿」などがいる。

 

さらには長野県での「早太郎伝説」の早太郎(山犬)が退治した、静岡県に出没した狒々(ひひ)、また先述したヒバゴンとはまったく異質の広島県を中心として、戦時中以前に全国的に伝承された「比婆猿」がいる

 日本の各地で猿の妖怪めいた存在が語られてきた。それはなぜか。猿は他の動物や獣とちがって、人間の異形であり、縮小態であるからとの指摘がある。

 

ヒバゴン」伝説の背景

・1970年に、中国新聞の報道によって全国的な脚光を浴びた「ヒバゴン」であるが、のちの1972年以降に撮影されたとされる写真や遺骸の写真は、当時“町興し”と“話題づくり”を意図した、地元の年寄りや有志らによる悪気ない、まさに無邪気さによる工作行為であったといえる。

 遺骸の写真などは、ツキノワグマの遺骸に手を加えた加工品であり、昨今取り沙汰される「陰謀説」などとはかなりはなれた、どこかのどかな背景があった。

 

・だが、なぜ「ヒバゴン」伝説が流布したのか。その背景には、現在の文科者やアカデミズムによる落度も関係している。

 当時の一般通説では、中国地域では戦後以降ツキノワグマは絶滅していないとされていた。だが、実際にはそんなことはなかった。

 

・そして、近年になって目撃証言が出はじめるにおよんで、2015年に調査が入り、中国地方でツキノワグマの棲息が認められたのである。

 余談だが、ヒバゴン騒動の以前から、広島県庄原市比和町の頂にある「比婆山」は、日本の創生神話・国生みのイザナギイザナミに通ずる、イザナミの御陵・墓所があると伝承されている場所である。 

本稿では詳しく触れないが、比婆猿とはイザナミの護衛の者を神格化した、呼称である。

 

存在を黙殺された未知の生物

岐阜県飛騨山脈地域には、宮本武蔵の夜叉猿退治の伝承がある。飛騨山女系はいまなお中国山脈系・北アルプス山系・八海山系と並び未開・未踏の地が少なくない。特に飛騨山系は山岳監視員が常駐し、陸上自衛隊や山岳レンジャー警備隊などが訓練にも使用するが、訓練時、林道から夏季で左右+10メートル、冬季残雪時で左右+5メートル外れたら遭難の危険性があるような、危険な地域である。

 

そしてニホンザルの生息が確認される地域には大抵、「猿伏(さるぶし)」「猿追い」といった風習がある

「猿追い」は山里に現れて農作物や家畜に害をもたらす個体種を駆除・排除することだが、「猿伏」は、実は水面下では全国的に暗黙のうちに執行されているものだ。表面的には「猿退治」だが、裏の意味は“ある種の血脈の者を葬り、抹殺する”というタブーを孕んだ二面性の事象といえる。

 つまり、この二面性は何を意味するか。詳しくは書くことはできないが、ここまで述べた伝説的な存在などではなかったということを物語っている。

 

謎の生き物との遭遇

・筆者は学生時代、親族の仲介で某国立機関施設に所属する学芸員の方と接触し、同施設で“ある生物の剥製標本サンプル”と頭蓋骨や体躯の骨などを見たことがある。

 担当して下さった学芸員の方の説明によれば、それらは“北京原人”のものであるとのことだった。だが、あれはけっして北京原人のものなどではなかった。まさに、あれは“人獣”だった…

 

1995年初旬、当時測量の仕事をしていた筆者は、新潟県へ出張した。信濃川・長岡、魚沼周辺から千曲川上越妙高周辺を経て、糸魚川河口付近までのポイントを測量するためだった

 測量の過程で泊まった旅館先でのことだった。旅館に到着し、駐車場に車を止めて降りると、体躯の大きな灰色の生き物が3頭近づいてきた

 3頭のうちの1頭は子供のようにみえたが、それでも体長90~100センチ、体重30~40キロで、残りの2頭は、体長130センチから140センチぐらい、体重60~70キロほどだった。

 出迎えに出てきた旅館の女将が3頭の生き物の存在に気づき、筆者たちのほうを向いて、生き物の背超しに、口に指を1本当て、手のジェスチャーを添えて声を出さず口を動かした。「じっとして」

 女将の証言によれば、周辺地域に棲息する「ニホンザルの亜種」とのことだったが、考えてみてほしい。ニホンザルの体長はオスでおよそ60センチ、メスでおよそ50センチである。

 さらに、別の現場――まさに前人未踏の地――では、前述のニホンザルの亜種とは異なる、数頭の生き物の群に遭遇した

 

 

 

 

(2017/3/17)

 

 

『江戸幻獣博物誌』 妖怪と未確認動物のはざまで

伊藤龍平  青弓社   2010/10

 

 

 

<「山人の国」の柳田國男

柳田國男の山人論>

・昔々、越後の国の話。魚沼郡堀之内から十日町へと超える山道を、竹助という若者が大荷物を背負って歩いていた。

 

道も半ばを過ぎたあたりで、竹助が道端の石に腰かけ、昼食に持参していた焼き飯(握り飯)を取り出したところ、笹の葉を押し分け、何か得体の知れないモノが近づいてくる。見れば、人とも猿ともつかぬ奇怪な怪物。顔は猿に似ているが、赤くはない。長く伸びた髪は半ば白く背中にまでかかり、大きな眼が光っている。竹助は心の強い者ゆえ刀を取り出して身構えたが、怪物は危害を加える様子もなく、竹助の焼き飯を物欲しげに指している。竹助が焼き飯を投げてよこすと、怪物もうれしげに食べる。もうひとつ投げると、また食べる。すっかり心を許した竹助が、また山道を歩きだそうとすると、お礼のつもりだろう、怪物は荷物を肩にかけて先に歩きだす。そのさまは、手ぶらで歩いているかと思われるほど軽やかだった。おかげで竹助は、一里半(約6キロ)もの嶮岨な道のりを楽に歩くことができた。目的地の池谷村近くまで来たところで怪物は荷物を下ろし、風のように山のなかに去っていった――。

 

 以上、『北越雑記』(長沼寛之輔、文政年間(1818――29年)にある話。

 

・こうした人か猿かわからない奇妙な生きものにまつわる話は、日本各地に伝承されていた。

 すなわち、人間に与するわけでなく、かといってむやみに敵対するわけでもなく、深い山奥でひっそりと独自の生活を営んでいたモノたちの話である。彼ら彼女らに関する記事は江戸時代の随筆類に散見され、近代以降も、例えば1970年代に話題になった広島県比婆郡(現・庄原市)の類人猿(ヒバゴン)伝承などにかすかな命脈を保っている。

 

 この正体不明の怪物を、『北越雑記』の著者は「山男」「大人」と記し、『北越雪譜』の著者は「異獣」と記している。ほかにも彼らを指す言葉に「山童」「山丈」などがあり、また、「山爺」「山婆」「山姫」とも呼ばれた。

 

柳田國男の『遠野物語』にもこれとよく似た話がある。附馬牛村(現・岩手県遠野市)の猟師が道を開くために入山し、小屋で火にあたっていたところ、得体の知れない大坊主(柳田は「山人」と解釈している)が来て、炉端の餅を物欲しげに見ているので与えるとうまそうに喰う。翌日もまた来るので、餅の代わりに白い石を焼いて与えて退治したという。一方、『遠野物語』では、餅をもらった山人がお礼にマダの木の皮を置いていったり、田打ちを手伝ったりと平和的な結末になっている。

 民俗学の祖である柳田國男は、これらの山中の怪を「山人(やまひと)」と総称した。通常、「山人」という語には、山で生活を営む人々を指す場合と、山に棲む半人半獣の怪物を指す場合があるが、柳田が扱ったのは後者の山人である。柳田の山人論は、古今の伝承に残る山人を日本列島の先住民族だとする壮大な論である。そして柳田山人論の代表が『山人外伝資料―—山男山女山丈山姥山童山姫の話』という論文である。本書でも、柳田にならって彼ら山中の怪を「山人」と呼ぶことにする。

 

・こうした半人半獣の神々、もしくは妖精たちに関する話は世界中で伝承されている。例えば、マラルメの詩「半獣神の午後」で知られる「パン(牧羊神)」はヤギの角と脚をもっているとされ、アンデルセンの童話で有名な「人魚」は下半身が魚類、ギリシャ神話の「ケンタウロス」は下半身が馬、インド神話の「ナーガ」は下半身が蛇である。「序」に書いたように、本草学の祖となった古代中国の帝王「神農」にも顔が牛だったとする伝承があるが、これはギリシャ神話のミノタウロスの怪物と同じである。西欧の幻獣で山人に相当するものは「野人」である。ただ、いま名を挙げた幻獣たちに比べると、「野人」はかなりの現実味をもって受け止められていた。

 

・西欧の野人について、伊藤氏の筆を借りながらもう少し説明しよう。伊藤氏によると、野人とは「森の奥深くとか山野とか砂漠に獣のように棲む」存在で、「完全に社会組織から孤立して、一貫した宗教をもたないで棲息する」という。これは「文明人とは対極にある」人生であり、西欧人の精神史にとって重要な意味をもっていた。「文明」とは「野生」との対比で見いだされるものだからである。容姿については「全身体毛に覆われている」のを特徴としており、「人間と猿との間の境界上にあってどちらの範疇にも当てはまりうる融通無碍、野人はこの人間か猿かの線引きのむずかしい境界線を特徴としている」という――日本の「山人」について記した江戸の文人たちも、大体同じイメージをもっていた。

 野人の存在を時間軸に上に位置づけると、いわゆるミッシング・リングの問題に行き当たる。つまり、人と猿とのあいだで結ばれる「存在の大いなる連鎖」の欠陥を補う存在としての「野人」である。進化論にもとづいた発想であり、その意味では、野人もまた時代の産物であった。これは今日の未確認動物伝承にも相応の有効性をもった解釈で、例えば、ヒマラヤの野人イエティ(雪男)の正体を、更新世に絶滅した類人猿ギガントピテクスに求める心性に生きている。

 

・柳田の山人理解にも進化論は影を落としている。繰り返すと、柳田山人論の要諦は、山人をかつて実在し、現在(大正時代)も実在の可能性のある先住民族の末裔と仮定して、その歴史を辿ることにあった。「山人外伝資料」の冒頭で柳田は「拙者の信ずる所では、山人は此島国に昔繁栄して居た先住民族の子孫である」と明言し、山人論の文脈で書かれた「山姥奇聞」でも、「第一には、現実に山の奥には、昔も今もそのような者がいるのではないかということである」としたうえで、「果たしてわれわれ大和民族渡来前の異俗人が、避けて幽閉の地に潜んで永らえたとしたら、子を生み各地に分かれて住むことは少しも怪しむに足らない当然のことである」としている。ここには、いずれ人知が世界を掌握するだろうという予測が見られ、のちの未確認動物伝承が生まれる素地ができつつあるのがわかる。

 

・このように、柳田は山人を獣類ではなく人類だと解釈していたが、それでもなお、進化論の影響は顕著で、それは山人史の構想を見れば、一目瞭然である。「山人外伝資料」の冒頭で柳田は「眼前粉雑を極めて極めて居る山人史の資料を、右の思想の変遷に従って処理淘汰して行く」ための方便として、山人の歴史を次の5つの時期に分類している(第5期はとくに命名されていない)。

 

第1期・・国津神時代………………神代から山城遷都まで

第2期・・鬼(物)時代………………鎌倉開幕まで

第3期・・山神(狗賓(ぐひん)・天狗)時代………江戸初期まで

第4期・・猿時代………………江戸末期まで(大正期)

第5期・・(現代)………………大正初期

 

・詩人学者・柳田らしい実に壮大なビジョンである。「国津神」「鬼(物)」「山神(狗賓・天狗)」「猿」という名称の変遷は、山人そのものの零落ではなく、山人に対して抱いていたわれわれ(日本人)の心証の変遷を表している。

 

<笑う山人、悟る山人>

・山人とは何者か。少し本草書の事例にあたりながら考えてみよう。引用するのは、すべて「山人外伝資料」。

 山人はよく「笑う」。

 

・また、友人の小説家・水野盈太郎(葉舟)からの聞き書きにも「にこにこと笑いながら此方を目掛け近寄り来る」とある。人を見て笑うのは、山人の典型的な行動パターンの一つだった。

 また『遠野物語』から例を引くと、「離森の長者屋敷」に出た山女は人を見て「げたげたと」笑ったとあり、『遠野物語拾遺』にも栗橋村(現・岩手県釜石市)の山女が鉄砲を向けても臆せず笑うばかりだったという話や、土淵村(現・遠野市)の男が山中で大きな笑い声を二度聞いたという話、同じく土淵村の若者が山女に笑いかけられたという話がある。

 

・後述するように、わが国には「狒々」という年老いた大猿にまつわる伝承もあり、話をややこしくしている。事実、『本草綱目啓蒙』の「狒狒」の項でも、豊前(福岡県)・薩州(鹿児島県)での異名として「ヤマワロ」を挙げている。この点について柳田は、江戸時代に本草学が隆盛し、『大和本草』『和漢三才図会』などの書物が編まれたことに触れたのち、「此以後の書には山男山爺などは寓類に数えられて、狒々の次に置かれている。

 

・話を戻すと、山人に限らず、異形のモノの「笑い」は友好の証しではなく、自身のテリトリーを侵した者に対する威嚇であった。山中に行く人が時折耳にする「テングワライ(天狗笑い)」もその一つで、この世のものとも思われないけたたましい哄笑があたりに響き渡る。これを聞いた者は、たいてい腰を抜かすが、剛の者が負けじと笑い返すと、いっそう大きい笑い声が響き渡るといい、こうなると「ヤマビコ(山彦や「コダマ(木霊)」という妖怪の伝承と似てくる。福岡県に伝わる妖怪ヤマオラビは人と大声の出し合いをしたあげく、ついには殺すというから案外危険である。

 

・先ほどの「笑う山人」の伝承と同様、「悟る山人」も本草書に記述がある。もう一度、『和漢三才図会』の「獲(やまこ)」の項から引用すると、最初に『本草綱目』の「獲とは老猴である。猴に似ているが大きく、色は蒼黒。人のように歩行し、よく人や物を攫っていく」という言葉を引いたのち、「思うに、飛騨、美濃の深山中にいる動物は、猴に似ていて大きく黒色で長毛。よく立って歩き、またよく人語を話す。人の意向を予察してあえて害はしない。山人はこれを黒ん坊と呼んでいて、どちらも互いに怖れない。もし人がこれを殺そうと思うと、黒ん坊はいち早くその心を知って迅く遁れ去ってしまう。だからこれを捕らえることはできない」と自説を披露している。

 鳥山石燕は『今昔画図続百鬼』でこの妖怪を「覚(さとり)」と命名し、『和漢三才図会』と同じポーズをとる山人とおぼしき怪物の絵を載せている。

 

<人か猿か>

・以上のような相違点を確認したうえで、柳田と江戸の文人たちにはどのような共通点があるだろうか。次に一連の山人論の文脈で書かれた「狒々」という論文の一節を引用する。

 いわゆる山丈・山姥の研究を徹底ならしむるには、是非とも相当の注意を払わねばならぬ一の問題がまだ残っている。それはしばしば深山の人民と混淆せられて来た狒々という獣類の特性、及びこれと山人との異動如何である。全体狒々というような獣が果たしてこの島にいるかという事が、現代学会の疑問であるのに、近年自分の記憶するだけでも狒々を捕ったという新聞は二三にて止らず、さらに前代の記録にわたって攷察すると覚束ない点が多い。

 現在の猿の分類では、オナガザル科にヒヒ属という一類がある。マントヒヒなどが有名で、主にアフリカに生息しているが、柳田が書いている「狒々」はそれとは別物である。

 

・狒々にまつわる昔話や伝説も数多いが、なかでも有名なのは「猿神退治」の話だろう。狒々の人身御供にされようとする娘を救うために、旅の勇者に助太刀して、見事これを退治したのは「しっぺい太郎」という犬だった。この説話での狒々は年老いた大猿であり、動物であるのと同時に、大いなる山の神の面影がある。

 日本に大型の類人猿がいないことが判明して以降、狒々は想像上の動物として扱われるようになったが、「山人外伝資料」をはじめとする山人論が執筆された大正時代は、まだ動物の新種の発見・報告の可能性が高いと思われていた時代であった。

 

・山人について論じる際に柳田が苦慮したのは、両者をいかに弁別するかという問題だったろう。先ほど山人が「寓類」に分類され、「狒々」の項と並べて置かれているのを嘆く柳田の言を引いたが、柳田が考える山人とはあくまでも「此嶋国に昔繫栄して居た先住民の子孫」であり、山人論は「山人は人であると云ふ仮定」のもとに成り立つものだからである。

 

・人か猿かという問題は、山人を妖怪や妖精の類ではなく、実体がともなう生物と認めたあとに生じる。この前提で、柳田と江戸の文人は共通している。山中に棲む奇妙な生きものを本草学の知識を用いて獣類の一種と捉えるか、用いずに先住民族の末裔と捉えるかは、報告された資料に施される解釈の相違にすぎないのである。

 

・人か猿かはいざ知らず、山中にはこのような異形の生きものがいる――こうした考えが、柳田や江戸の文人はもちろん、記録される以前の山人の話をしていた人々にはあったのである。

 

・今日の視点に立てば、確かに「山人の国」は柳田が遺した「夢物語」だったかもしれない。しかし、本章で指摘してきたように、それは往年の新体詩人・柳田一人が見た夢ではなく、江戸の文人たちが見た夢の続きであり、近代以降の時間を生きた人たちもしばしば同じ夢を見た。すなわち、かつてこの国の深山幽谷のうちに人と同形の獣類が棲み、山路を急ぐ旅人や寒夜に焚き火で暖をとる狩人らがこれと行き遭って、ときにその肝胆を冷やさしめ、ときにその労苦を免れしめたという共同の幻想である。

 

 

 

『大江戸怪奇事件ファイル』

並木伸一郎   経済界  2009/12

 

 

 

・江戸という時代、この世と隣り合わせに存在する“異界=異次元”の扉が、あちこちに現出していたようだ。

 そして“魔”や“怪”“妖”なるものたちが、その扉を開けて姿を現わし、UFOや宇宙人、天狗や超人、幽体となったり、ときにはキツネやタヌキに姿を変えて、町人や村人たちを、その摩訶不思議な能力を駆使して、惑わし、たぶらかし、ときには彼らが住む異界へとかどわかしたりしていたようである。

 

<時空を超えた? 頻発する神隠し事件>

・江戸の時代“神隠し事件”もまた頻発していた。

 江州八幡(滋賀県近江八幡)に、松前屋市兵衛という金持ちがいた。市兵衛は親戚筋から妻を迎えて、しばらく二人暮らしをしていたそうだ。しかしある夜、異変が起きたのである。

 その夜、市兵衛は「便所に行く」といって、下女を連れて厠へ行った。しかしなかなか寝所へ戻ってこない。

 

・それから20年ほどたったある日のこと。厠から人が呼ぶ声がするので行ってみると、なんと、そこに行方不明となっていた市兵衛が、いなくなったときと同じ衣服のまま厠に座っていたのである。驚いた家の者たちは市兵衛に「どういうことだ?」と聞いたが、はっきりした返事はない。ただ「腹が減った」といって、食べ物を欲しがったのである。

 さっそく食事を食べさせると、市兵衛が着ていた服は、ホコリのように散り失せてしまったという。昔のことを覚えている様子がなく、家族は医者やまじない師に相談するなど手を尽くしたが、思い出すことはなかったようだ。

 

神隠しとは、何の前触れもなく失跡することを指す。当時は神域である山や森などで行方不明になるばかりではなく、普通の生活の中でも神隠しが起こっている。そしてそのまま、戻らないこともしばしばあったのだ。

 

神隠し事件は何らかの要因によるタイムワープに合ってしまった、と考えるのがスジであろう。ふいに時空を超えてしまったのである。時を超える、あるいは異界=異次元空間に入るという概念がなかった当時は、「神の仕業」と考えるしかなかったのだ。タイムワープすると、時空移動の影響で記憶喪失になることが多いという。

 

<空から人が降ってくる事>

<江戸時代におきた謎のテレポート事件>

・文化7年(1810年)7月20日のことだ。江戸の浅草(東京都台東区)の南馬道竹門で、突如、奇怪な現象が起こった。なんと、夜空から男が降ってきたのだ。

 ちょうど風呂から帰る途中だった町内の若者が遭遇。空から降って湧いてきたように落ちてきた男を見て、腰をぬかさんばかりに驚いた。年のころは25~6歳。しかも下帯もつけておらず全裸。かろうじて、足に足袋だけはいていた。怪我をしている様子はなかったが、落ちてきたショックのせいでか、男はただ、呆然とたたずんでいる。

 

・「お前は、いったいどこの何者なのだ。どういういきさつで空から降ってきたのだ」と役人に問われ、男は怪訝な顔をしていった。「私は京都油小路二条上る町の安井御門跡の家来、伊藤内膳の倅で、安次郎という者だ。ここは、いったいなんというところなのか」問われて役人が、「ここは江戸の浅草というところだ」

 と教えると、男はびっくりして泣き始めた。自分がなぜ、こんなところにいるのかわからず、困惑の極致にあったようだ。

 

・今月18日の午前10時ごろ、友人の嘉右衛門という者と家僕の庄兵衛を連れて、愛宕山に参詣に出かけた。すごく厚い日だったので、衣を脱いで涼んだ。

 

・さて、これからがおかしな出来事が起こる。ひとりの老僧がいずこともなく現われて、こういった。「面白いものを見せてやろう。ついてきなさい」そういわれて、好奇心からこの老僧についていったのだという。ところが、その後の記憶がまったくない、という。気がついたら、倒れていたというわけだ。

 この話を信じるなら、この男は京都から江戸まで空を飛んできて浅草に降ってきたということになる。

 

・江戸に知り合いがいないということで、思案したあげく、役人は、男に着るものを与えてから奉行所に届けでた。

 

・この話のキーポイントは、謎の老僧である。この人物が男を京都から江戸にテレポートさせたものとみていいだろう。

 男ばかりではない。江戸の時代、女が降ってきた事件もある。

 

・たとえば、三重村三重県四日市)に住んでいる“きい”という名の女性が、全裸で京都府北部の岩滝村(岩滝町)に降っている。同様に、京都近隣の新田村でも花嫁姿の女が、また京の河原町にも女が降ってきた。この女は着物を着ていたが、江戸の日本橋から飛んできたことがわかっている。

 

 いずれの女性も、呆然自失しており、一瞬にしてテレポートした理由や原因がまったくわからないのである。無理やり説明をつけるなら、やはり、“天狗のしわざ”、としか考えられない事件である。

 

<山男に知恵を授ける事>

<山小屋に度々現われる山男事件>

・信州には高い山々が連なっている。妙高山黒姫山などはかなり高い山で、さらに戸隠や立山まで険しい山岳が横たわっている。そこには謎の“山人”が人知れず隠れ棲むという。

 

 これは江戸中期に起きた事件である。上越高田藩の家々では、この山から木を伐り出す仕事を負っており、山中の山小屋には奉行がおり、その仕事を取り仕切っていた。

 升山の某という奉行が、ある山小屋に数日間駐在していたときのことだった。仕事をする男たちとともに、山小屋では夜毎火を絶えず焚き、みんなで炉にあたっていた。すると山から山男というものが下りてきて、一時ばかり小屋の炉に当たっては帰っていくというのである。

 問題の山男の髪は赤く、裸で肌の色は黒く、6尺(約180センチ)の身の丈を持っていた。腰には草木でつくった蓑をまとい、言葉を発することはなかったが、その声は牛のようだった。

 しかし、こちらが話していることはだいたい理解しているようで、人間たちにとても慣れていたという。

 

・明治のころまで、日本各地には山の民「サンカ」と呼ばれた。里の人々から離れて山中に住んでいた人々がいた。

 この山小屋にやってきた山男は、サンカではないようである。山人族と呼ばれる、山師や山伏ともどうやら違う。

 かつて、雪男やビッグフットのような、サルに似た巨人が生息していたのだ。彼は言葉を理解し、恥じることを知るなど、人間に近い知能をモチベーション、また学習能力も持っていたようだ。赤い髪など風貌はまるで鬼のようでもある。

 1970年代、広島県比婆山に出現し、話題になったUMA獣人「ヒバゴン」は、もしかしたらその末裔だったかもしれない。

 

           

 

『世界のUFO現象FILE』

並木伸一郎   学研パブリッシング    2011/3

 

 

 

<エイリアン・アニマル>

<ビッグフットは異星人のペットだった!>

・全身けむくらじゃで異臭を放つ獣人タイプのモンスター。さらには吸血怪獣チュパカブラに代表される異形のUMAの出現現場には、なぜかUFOも多発することから、これら異形のUMAたちの正体は、宇宙人がUFOに乗せて地球に連れてきたペットの一種、つまり、地球外に起因するとみられる異常生命体の俗称で、“エイリアン・アニマル“と呼ばれて区分されている。

 たとえば、1966年から1967年にかけて、アメリカ、ウェストバージニア州のポイント・プレザント周辺に大騒動を起こした怪生物モスマンだが、1967年5月19日夜、木立の上を旋回中、空中に出現した赤く脈動する球形UFOに吸い込まれ、飛び去っていくのが目撃されている。

 

 1972年6月、獣人がらみのUFO出現事件が多発したアメリカ、ミズーリ州トロイで、現場付近に出没した全身毛むくじゃらの怪物は、“モモ”と呼ばれ、3本指の足跡を残していった。またペンシルバニア州南西部の山岳地帯には、身の丈3メートル近い獣人モンスターが生息。山岳家のボブ・フランスによれば、彼らの顔つきは人間に近く、知的で、UFO内から出現するのがしばしば目撃されているという。「ペンシルバニア未解明現象調査協会」を主宰するスタン・ゴードンは、1973年10月25日、同州グリーンズバーグで起こった典型的な実例をあげている。同夜、白色に輝く半球形UFOが農場に着陸。この直後、2体の異臭を放つ毛むくじゃらの怪物が出現した。農場のオーナーに銃撃されるビクともせずに、赤ん坊の泣き声に似た悲鳴をあげて森の中に逃走。事件後、現場から3本指の巨大な足跡が発見され、石膏にとられた。後日、この石膏の足跡が驚くべき情報をもたらす。2年後の1975年、透視能力者ピーター・フルコスによって、この足跡の写真が透視されたのだ。写真が密封された袋に手を触れたフルコスは、「これは大気圏外に由来する」と確信に満ちた口調で答えた。この発言は、謎に満ちた獣人モンスターの正体をさぐるうえで、一石を投じた。

 

・同じくペンシルバニア在住のジャーナリスト、スコット・コラレスも、目下、異形モンスターの代表格チュパカブラの正体が、エイリアン・アニマルだと主張するひとり。その根拠こそ、1984年2月、チュパカブラ発祥の地であるプエルトルコ、カノバナス近郊にあるエル・ユンケ山の熱帯雨林で起きたUFO墜落事件だ。この事件後、しばらくしてチュパカブラが姿を現し、ヤギなどの家畜の生き血を吸うという事件が多発したからである。もちろん、UFO内に姿をくらますチュパカブラの姿も目撃されており、エイリアン・アニマルの可能性を濃厚にしている。

 UMAの中でも異彩を放つ異形のモンスターたちの出現は、今も後を絶たない。やはりその正体は、地球外の天体からUFOに乗って、この地球に運ばれてきた存在なのだろうか。

 

 

 

『最強のUMA図鑑』

「失われた世界」に生きる未知動物たちの真実!

厳選した未確認動物約200種+謎に満ちた彼らの生態を解説!

並木伸一郎   Gakken  2011/5

 

 

 

<ロシアの最新獣人 ビッグフット(クリミア山中)>

・2011年3月、You Tubeに興味深い映像が流れていた。ウクライナのクリミア山中にビッグフットが出現したというのだ。撮影者はピクニックに来ていたのだが、その中の人物がビデオ撮影に成功した。

 

<新種の樹上棲獣人 樹上のビッグフット>

・2010年の年明け早々、驚くべき映像が公開された。かなり背の高い樹木の上に毛むくじゃらの生物が写っている。場所はアメリカ、メイン州ミルバレーの森林地帯で、散策中の人物が撮影したという。拡大された写真を見ると表情こそわからないが、普通のサルではなさそうだ。

 

<代表的な獣人UMA ビッグフット>

アメリカ、カナダの山岳地帯を中心に棲息する巨大獣人。カナダではサスカッチと呼ばれる。常に直立2足歩行し、目撃例が膨大な点で他のUMAを圧倒する。

 

<トレイルカメラが撮影 ビッグフット(ワシントン州)>

アメリカ、ワシントン州にあるマウントフッド国立森林公園の山中に設置されたトレイルカメラに、ビッグフット、あるいはサスカッチとおぼしき怪物が映り込んでいた。2006年ごろから数回にわたり、その黒褐色の毛に覆われた、ずんぐりとした謎の生物が森の中を歩いていたのだ。研究家によればビッグフットの可能性が高いというが、今後も人の気配を感じさせないトレイルカメラのおかげで、よりたくさんのビッグフットデータが集まるかもしれない。

 

<同地で目撃が多発! ビッグフット(オクラホマ州)>

・2006年5月28日。オクラホマ州アントラーズの北にあるキアミーチ山中で、白昼、ビッグフットが姿を現した。写真は狩猟用にセットされたカメラがとらえたもので、目撃者はいなかった。人の気配が感じられないせいだろうか。体長がかなりあるビッグフットが悠然とした立ち居振る舞いで木立をぬって歩いていき、視界から消えていく。

 

<ヒマラヤの雪男 イエティ>

・1889年、インドのシッキム州北東部の標高5200メートル地点で、L・A・ウォーデルが大きな足跡を発見し、イエティの存在が明らかになった。世界各地のイエティ調査団が派遣され、足跡の検証やヒマラヤのパンボチェ寺院に奉納されているイエティの頭皮などの学術調査が実施された。その後もイエティの足と見られるミイラ化したものも発見されているが、X線検査で既知の生物のものではないことが明らかになったという。その正体はチベットヒグマなのか、あるいはギガントピテクスのような化石人類なのか?

 

<獣人の親子 サスカッチ(ヴァンクーバー)>

・カナダでは、ビッグフットのことを「サスカッチ」と呼んでいる。未知動物研究家ランディ・ブリソンによって2010年3月、そのサスカッチバンクーバーのピト湖で撮影された。

 

<甲高い声を発する獣人 ノビ―>

アメリカ、ノースカロライナ州クリーブランド郡北部に棲むという伝説の獣人。類人猿のように毛深く、雄ゴリラのように頭が丸く、先端はトサカのようであるという。2009年6月5日、同地に住むティモシー・ビーラーは明け方近くの3時ごろ、このノビーに遭遇したが、威嚇して追い払ったという。2011年3月、ノースカロライナ州ルザフォードに再び出現した獣人ノビーは、別の人物によっても目撃された。

 

<中国の獣人UMA イエレン>

・中国湖北省の神農架を中心とする山地で1970年代に目撃が多発した獣人イエレン(野人)、身長は1.8~2メートルで、全身が黒みがかった赤い毛で覆われている。2007年にも2体の獣人が目撃され、出現が相次いでいる。

 

<「世紀の大発見」!? 冷凍ビッグフット>

・2008年8月15日、アメリカ、カリフォルニア州バロアルトから世界に向けての驚愕のニュースが発せられた。なんと、ジョージア州北部の森林地帯でビッグフットの死体が発見されたというのだ。身長210センチ、体重は200キロ強もあり、驚いたことにDNA鑑定も済んでいるというのだ。

 

<ボルネオの獣人 パロン山の獣人>

・2008年6月9日、ボルネオ島の西部の村で巨大な足跡が発見された。長さ1.2メートル、幅40センチ。推定身長7メートルの巨人のものだというのだ。イタズラではないかとも指摘されたが、本物だと信じる住民は否定。実は5年前にも同じ事件があったのだ。また、1983年にはボルネオ島西部のパロン山で村人が3メートルを超す獣人に遭遇。怪物は「ゲ、ゲ、ゲ、ゲ」と奇声を発しながら、2本足で森に逃げたという。

 

<山を降りたイエティ  マンデ・ブルング>

・2007年6月、インド北東部メガヤラ州ガロ山地のジャングルで、相次いで村人が謎の獣人を目撃、マンデ・ブルングとは現地で「森の男」の意味だが、目撃者のひとりによれば茶褐色の毛が全身を覆い、まるでイエティそのものだという。ゴリラの誤認説もあるが、この地にゴリラは棲息していないという。ヒマラヤのイエティがここに移住したのだろうか?

 

<湿地帯の獣 ハニー・スワンプ・モンスター>

・1963年、森林地帯が広がるルイジアナ州ハニーアイランド沼へ狩猟に出かけたハーラン・フォードは、沼地の奥の元キャンプ場で、異臭とともに出現した4体の怪物と遭遇。銃の引き金を引くと、怪物たちは沼の中に姿を消した。地面には3本指の足跡が残っていたので石膏型をとり、怪物の実在を証明した。異次元から来た動物なのか、いまだ決定的な説は出ていない。

 

<雪山の影  シルバースター山の獣人>

・2005年11月17日、アメリカ、ワシントン州のスカマニア郡のシルバースター山の尾根に獣人サスカッチらしき怪物が出現し、その姿がカメラで撮影された。

 

<ブラジルの怪人 バヒア・ビースト>

・写真は公表されたときよりも、かなり先に撮影されていた。ここは2007年7月、南米ブラジル、バヒアのポートセグロの川である。撮影者はミシガン州から観光ツアーで当地に来ていた15歳の少女だ。遠巻きから撮られているため、詳細を読み取るのは難しいが、頭には角が生えている。全身に黒いなめし皮のような光沢がある。手には何かを抱えている。魚だろうか……いや、もしかしたら怪物の子供なのかもしれない。その後、怪物がどうなったのかは誰も知らない。

 

<悪臭怪人 フォウク・モンスター>

アメリカ、アーカンソー州フォウク地区のボギークリーク周辺で、特に40年代以降に出没しだした悪臭をふりまく獣人。98年に目撃例が増加すると、2005年、自宅の居間にいたジーン・フォードが窓の外に真っ黒な怪物を発見。夫のボビーは1.8メートルほどの怪物が窓際を離れるのを目撃した。このときも腐臭が漂っていたという。

 

<オーストラリアの巨大な獣人 ヨーウィ>

・オーストラリア、ニューサウスウェールズ州沿岸からクイーンズランド州ゴールドコーストにかえた一帯に棲息するという直立2足歩行の獣人。特に、1970年代にはシドニー西方のブルーマウンテン周辺で目撃が多発。1980年には、ついに毛むくじゃらの怪物がゆっくりと歩く姿が写真に撮られた。最新目撃は2006年で、木立に寄り添う毛むくじゃらの獣人や山道を歩く姿が目撃されている。オーストラリアにいた化石人類メガントロプスが、進化せずに現代まで生き残ったのだろうか?

 

<異臭を放つ獣人 スカンクエイプ>

フロリダ州周辺に出没し強烈な刺激臭のある異臭を放つ。1948年ごろからフロリダでは獣人が目撃されているが、実在を裏づける近接写真が2000年にミヤッカ国立公園にある州道沿いで撮られた。

 

<鉤爪の3本指 グラスマン>

アメリカ、オハイオ州を中心に目撃される獣人。知能が高く草(グラス)でねぐらをつくることから、この名前がつけられた。1988年、同州アクロンに住むアトキンス父子は、森林地帯で何度もグラスマンを目撃した。その証言に基づいてUMA研究グループが調査を行うと、グラスマンのねぐらや3本指の巨大な足跡を発見した。さらに、グラスマンは集団で行動していることも。同地はUFO多発地帯であり、その正体はエイリアン・アニマルか霊的な存在かもしれない。

 

<イエティの仲間か!? ルーマニアの獣人 >

・2008年2月、ルーマニア、ヴァレンシア山中に出現した獣人。まだ雪が残る山道で、木の棒を引っ張って歩いていく姿が撮影された。ツヤのよい茶褐色の毛に覆われているが、撮影者も含めて詳細は不明だ。同月、モルタビア地方のブランチャでも、これとよく似た獣人が撮影されている。これまでヨーロッパ系獣人の報告はほとんどなかったが、実在の可能性が高まっている。

 

アルビノ獣人 ホワイト・ビッグフット>

・2010年1月10日、ネットの動画サイトで白い獣人の姿が公開された。公開したのはアメリカ、ペンシルバニア州、カーボンデールにマイホームを購入したボール・デニス。裏庭は森林が隣り合っているのだが、住み始めてみるうちにそこから奇妙な喘ぎ声が聞こえてきたのだという。「ゼー、ゼー、ゼー」という呼吸音だ。裏庭に出て確かめに行ったが何もいない。異臭だけが漂っていた。撮影当夜、携帯カメラをもって裏庭に出ると森の中に淡い色に輝く獣人が写ったという。

 

<伝説の獣人 タトラ山のイエティ>

・東ヨーロッパのポーランド南部にはイエティが棲息すると噂されるタトラ山地が広がっている。2009年8月、そのタトラ山地で、イエティが岩場を歩く映像が撮影された。撮影者はワルシャワ在住のピョートル・コワルスキーだ。獣人は、撮影者の存在に気がつくと、岩陰に姿をくらましてしまった。実は、同じ時期にタトラ山地周辺では、イエティ出現が相次いでいる。異常気象のせいか、あるいは生活圏が脅かされているのだろうか。

 

<日本の獣人 ヒバゴン

・1970年9月、「中国山脈の奥深く、類人猿が出没!」という新聞のニュースが報じられた。広島県東部の比婆山一帯に謎の獣人が出没したというのだ。足跡のみならず、12件の目撃事件が報告されると、地元町役場は「類人猿対策委員会」を設置。獣人は比婆山の名をとって「ヒバゴン」と命名された。だが、1982年に姿を現したのを最後に、残念ながら目撃は途絶えたままである。ちなみに日本ではこれ以後、1980年に広島県山野町でヤマゴンが、1982年には、広島県久井町でクイゴンが、1992年には岩手県山形村にガタゴンが出現した。いずれも足跡や目撃報告などの証拠は集まられたものの、正体はわからずじまいだった。UFOから落とされたエイリアン・アニマル、密輸入された類人猿などさまざまな説が提示され話題を呼んだ。

 

 

 

『世界のUFO現象FILE』

並木伸一郎   学研パブリッシング    2011/3

 

 

 

 <古代コンタクト事件の記憶>

<羽衣伝説>

静岡市三保の松原には有名な羽衣の松がある。ここはこの地方に古くから伝わる羽衣伝説の舞台だが、伝説にちなんだ名所旧跡は多い。だが、その羽衣の松のすぐそばに建つ小さな祠の羽車神社を知る人は少ないかもしれない。

 

 羽を持った車とは、車輪のような形状の飛行物体のことだろうか。それとも翼とおぼしき物体がついた飛行機なのか。駿河に伝わる資料によれば、この羽車とは大国主命が作った神輿とされているのは興味深い。

 同じく三保にある御穂神社の創建縁起にはそんな想像を裏づけるような話が登場する。同神社の祭神は大己貴命(オオナムチノミコト)と三穂津姫命だ。姫をめとった大己貴命は、名前を三穂津彦命と改め、“天羽車”に乗って新婚旅行の途中、絶景の地にして海陸の要衝である三保の浦に鎮座したというのだ。注目すべきは、両神が羽衣ではなくて、羽車に乗って降臨したという一説だ。

 羽衣伝説には、天に帰れなくなった天女が仕方なく漁師の妻となるが、隠された羽衣を見つけだし、天に帰るという話も伝わる。実はこうした伝説は日本各地に存在するもので、三保だけに限らない。これは想像でしかないが、羽衣=羽車に乗った異星人が古代日本と文化交流を果たした記憶ではないだろうか。

 

 

 

『暮らしのなかの妖怪たち』

岩井宏實   慶友社    2012/10

 

 

 

<覚(さとり)>

・山の中、ことに北国の山中にいる獣の姿をした妖怪に「覚(さとり)」がある。飛騨や美濃(岐阜県)の山中によく現れ、その姿は狒々(ヒヒ)に似ていて、よく人の心を見抜くという。富士山麓の地方ではこの化け物を「思い」といった。昔、一人の樵夫(きこり)が富士山麓の大和田山の森のなかで木を伐っていると、突然、狒々に似た怪物が現れた。樵夫は思わずゾッとした。するとその怪物はゲラゲラ笑って「今お前は怖いと思ったな」という。樵夫はぐずぐずしていると取って食われるなと身慄いすると、今度は「ぐずぐずしていると取って食われると思ったな」という。樵夫はたまらなくなって、なんとか逃げてやれと思った。するとまた「逃げるだけ逃げてやれと思ったな」という。いよいよたまらなくなって、もうどうにでもなれとあきらめた。すると今度は「どうにでもなれとあきらめたな」という。こうなるとまったくどうしようもないので、樵夫はあきらめて木を割る仕事を続けた。するとますます怪物が近寄ってくる。ところがそのとき、割っていた木に大きな節があって、斧が節目に当たると同時に、突然それが砕けて勢いよく飛び、木の端が怪物の目に当たってその目をつぶしてしまった。これは樵夫も怪物もまったく思いもよらぬことであった。そこで怪物は「思うことよりも思わぬことのほうが怖い」といいながら逃げていったという。人の心の内を覚る、あるいは人の思いを知るというところから、この怪物を「覚」「思い」とよんだのである。

 

<家屋敷の妖怪>

<ザシキワラシ>

柳田國男の『遠野物語』に、家の座敷にときおり出現する童子姿の精霊の話がある。「座敷童子」である。岩手県を中心として東北地方北部に分布するが、童子の姿をしていると信じられているところから、「ザシキワラシ」のほか、「ザシキボッコ」「ヘヤボッコ」「クラボッコ」「クラワシ」などとよばれ、2、3歳から10歳ぐらいまでの、オカッパ頭で赤い顔をしているという。

 

・遠野の土淵村大字飯豊(遠野市土淵町飯豊)の今淵勘十郎の家では、高等女学校に行っている娘が休暇で帰っていたが、ある日、廊下でばったりザシキワラシと行きあい、大いに驚いたことがある。これは男の子であった。同村山口(遠野市土淵町山口)の佐々木氏の家では、母が一人で縫い物をしていると、次の間でガサガサ音がする。その部屋は主人の部屋で、そのときは東京に行き不在であったので、怪しいと思って板戸を開けてみたが何の影もない。しばらくするとまたしきりに鼻を鳴らす音がする。さてはザシキワラシだと思った。この家にはザシキワラシが棲んでいるということがずっと前からいわれていた。この童子の宿る家は富貴自在であるという。

 ザシキワラシはまた女の子であることもある。

 

・「明治43年の夏7月頃陸中閉伊郡土淵村の小学校に1人の座敷ワラシが現われ、児童と一緒になって遊び戯れた。但し尋常1年の子供等の外には見えず、小さい児がそこに居る此処に居ると言っても、大人にも年上の子にも見えなかった。遠野町の小学校からも見にいったが、やっぱり見たものは1年生ばかりであった。毎日のように出たと云う」と記している。

 

・また、遠野の小学校がまだ南部家の米倉を使用していたころ、夜の9時ごろになると、玄関から白い着物をきた6、7歳の童子が戸の隙間から入ってきて、教室の机や椅子の間をくぐって楽しそうに遊んでいた。こうした座敷童子はたいていオカッパ頭で赤い顔をしているという。それは人びとが等しくもつ子供の典型的なイメージであり、それを家の盛衰を司る守護神と信ずるのは、子供が神と人間の間をつなぐ存在とする民間信仰を根本としているからであろう。このことは仏教の信仰にみられる護法童子と通ずるものである。

 

<枕返し>

・夜きちんと寝たにもかかわらず、朝起きてみると枕が逆さになっていたり、思わぬところに枕が飛んでいったりすることがある。これは「枕返し」という妖怪が、寝ている間に枕を運ぶという。

 この枕返しは、かつてその部屋で死んだものの霊が悪戯をするという話が伝わる。昔、ある宿屋に盲人が泊まった。その盲人はあたりに誰もいないと思って、懐から金包みを取り出して勘定しはじめた。それをひそかに見ていた宿の主人が、あまりに大金を持っているのに驚いて欲を出し、翌日旅にでる盲人を道案内するといい、山中に連れ込んで殺して金を奪った。するとその盲人の霊が宿屋に棲みつき、夜な夜な盲人の泊まった部屋に泊まる人の枕返しをしたという。

 

・東北地方では、この枕返しは多くザシキワラシの仕業とされている。このザシキワラシは、その家にいるかぎり、家の繁栄が保証される。いわば家の守護霊のごとき性格をもっているが、そうしたものの悪戯であるという。だから、この場合の枕返しは恐ろしいというよりも、吉兆であると考えられたのであった。古くからは枕は人間の霊魂のこもるものであると意識されていたので、ザシキワラシの枕返しは、人が寝ている間にもう一つ別の世界に誘引される、すなわち霊魂が吉の世界に入ることを意味したのだった。

 

<天狗の仕業>

・ところで、天狗の仕業のうち、もっとも恐れられ、かつ罪深いのは神隠し・人さらいである。この「天狗隠し」の伝承は、天狗伝承のなかでも代表的なものの一つである。子供や若者、ときには老人が突然姿を消し、数ヶ月あるいは数年後に戻ってくるというもので、その間天狗の棲処に連れて行かれたとか、名所旧跡を見物したとか、異常な体験が語られる。こうした伝承は天狗の棲処とされる山や樹木の伝説に付随して語られている。

 

柳田國男の『山の人生』にはつぎのような話がある。石川県小松市遊泉寺町の伊右衛門という老人が神隠しにあった。村中が手分けして捜しまわった結果、隣の集落との境になっている小山の中腹の「神様松」という傘の形をした松の木の下で、青い顔をして坐っているのを見つけたという。村人がこの老人を捜し歩いたとき、「鯖食った伊右衛門やーい」と唱えた。天狗は鯖をもっとも嫌がるから、こういえばかならず隠したものを出すという。

 

・石川県小松市南部の樵夫利兵衛の子で、神童といわれた次郎が突如として姿を隠し、ついに発見できなかったので、仮に葬儀をした。それからのちは山中で太鼓の音がし、伐り倒した老杉が空中に浮かび、大石が落下し、山地が崩壊するという怪異が続いた。ところが一月ほどのち、次郎が父の枕元に立って、自分は白髪の老人に伴われて巌窟のなかで生活している。人間は天狗の世界を侵してはならないと告げて姿を消した。これを聞いた父利兵衛はたいへん恐れて、ついに樵夫をやめて立ち去り、これまた行方知れずになったという。

 

・天狗にさらわれたのとは異なり、みずからすすんで天狗になることを念じ、ついに天狗になったという話が『金沢古蹟誌』にみえる。加賀藩の老臣本田氏の家老篠井雅楽助の若衆が、天狗化生の祈念をしてついに念願かない、ある日煙のごとく姿を消した。その後主人雅楽助の夢枕に現れて、奉公中のお礼として馬の鞍とお守りを差し出した。このお守りは天狗にさらわれたとき携えて本人を探せば、かならず発見できるという霊験のあるものだが、効能の期限は七代限りという。さめてみれば鞍は庭の楓の枝に掛かり、お守りは枕辺にあった。それからは金沢市中で子供を天狗にさらわれたものは、このお守りを請けて探すとかならず見つけることができたという。

 

 

 

『日本怪異妖怪大事典』

小松和彦  東京堂出版   2013/7/12

 

 

 

<ひひ【狒々】>

類;いひひ、さるがみ【猿神】、さるのふったち【猿の経立】、ひいひいざる【ヒイヒイ猿】

 

・年老いた大猿の妖怪。娘を生贄に要求したのを通りがかった者が犬の助けを得て退治するという伝説が『今昔物語集』以来知られている。

 

・猿神を憑き物とする地方もある。

 

<やまわろ【山童】>

類;ほいほいさん【ホイホイさん】、やまおとこ【山男】、やまわらし【山童】、やまんたろう【山ん太郎】、わろ【童】

 

・山に住む童形の妖怪。山中に群居しヒューヒュー、ヒョイヒョイなどの鳴き声をあげながら移動するという。全身が毛に覆われており、人を恐れずに近寄って来るが、犬を嫌う。

 山に入った人間が山童に出会い、問答や勝負をする話が各地に伝わる。人の声真似を得意とし、ヤマワロが「山笑う」の意として解釈されることもある。土地によっては山彦とも呼ばれる。サトリ、カシャンボ、セコ、カリコボウズなどの山中の妖怪とも多くの共通点を持つ。

 

・酒や米を好み、それらと引き換えに山仕事を手伝ってくれることもあるが、人間が約束を破ったり、礼を欠いたりすると災いを為す。童形であること、風呂や相撲を好むこと、金物を嫌うことなど、山童には河童との共通点が多い。ヤマワロとカワワロ(河童)を同一視する地域も少なくない。

 

<憑依現象>

・霊的なものが人や物に「つく(憑く・付く)」現象。専門的には、憑入(霊が身体に侵入し、人格が変わる)・憑着(身体に付着する)・憑感(外側から影響を与える)の三つに分けられる。憑依には術者が意図的に行う場合と、そうではない偶然的な場合とがある。憑依を操作しうる宗教者は多種多様で、憑くものも神仏から獣、無機物まで多岐にわたる。日本の場合、死霊や狐の例が特に多い。近代医学においては、精神病の一種と見なされる。

 

<きじむなー>

・子どもの姿で、赤い髪、赤い顔をしているとされるが、黒い顔という説もあり、大きな睾丸を持つともいわれる。沖縄各地で報告されており、ガジュマル、アカギ、アコウ、ウスクといった古木の精が子どもの姿をして現れたものと言われるが、海で亡くなった人の魂が昇天出来ずにさまよっているという説もある。『沖縄県史』では本土における河童と位置付けている。

 

・力が強く、山仕事や家を建てるのを手伝ってくれる一方、いたずらが好きで、寝ている人の上にのしかかることがある。この状態の時、人は意識があるが、身動きをする事が出来ない。キジムナーには男女の区別があり、男のキジムナーは女性を、女のキジムナーは男性を襲うと言われている。

 キジムナーと仲良くなると、漁を助けてくれたり、金持ちになったりするとされる。また、キジムナーと縁を切るには、キジムナーの嫌いな蛸や熱い鍋の蓋を投げつける、屁をする、住んでいる木を焼いたり釘を打ちつけたりすればよいと言われている。しかし、キジムナーの嫌う事をすると復讐に遭う事がある。また、その復讐が本人ではなく、家族に向かう場合もある。

 

・(沖縄県伊平屋村)キジムナーが海でイザイ(漁)をしている人々から火をもらって歩くのが集落から時々見られる。キジムナーヤーチューといってキジムナーに大きな灸をすえられる事もある。畑などや時には家の中でも子供をひとりねかせると、体中キジムナーヤーチューをされる。

キジムナーにおそわれたら家人がその人をたたくとキジムナーはにげるといわれている。

 

神隠し>

・人が不意に行方不明になったことを神々の災いによるものとして言う語。古くは人や物が不思議と見えなくなることを指し、大蔵虎明が明正19(1642)年に書写した狂言「居杭」では、天狗の隠れ蓑笠譚にあるように、人が透明人間となって姿を消すことを神隠しと呼んでいる。18世紀後半編纂の『譬喩尽』でも、物が俄かに見えなくなることを神密しとしている。

 

・慶応末年頃、金毘羅社の境内で遊んでいた男児が天狗にさらわれた。ふわりふわりと浮かぶように空に上り、風に吹かれるように空に上り、風に吹かれるように山奥へ行ってしまった。少し口のどもる児で、10日目に戻って来たが、その後もたびたび連れて行かれた。

 

<あまびこ【天彦、尼彦】>

類;【天彦入道】

・予言する怪異。近世後期から近代初期にかけてかわら版や護符として流行した。かわら版には、天彦が現れ、災厄の予言とその回避策として自身の絵姿を貼り置くよう告げたことが記され、天彦の図像が描かれる。図像は多様で、人魚や猿のような形状をもつものもある。一方、予言内容やその対処策は類型的なものであり、天彦以外の予言する存在を描いたものも多い。

 

・(秋田県)西郷合戦の前、天彦入道の像を白紙に書き、表裏の戸口に貼れば悪魔除けになると噂になり、地蔵尊様の形をした入道を墨絵でしたためた。

 

<くだん【件】>

・半牛半人の予言する怪異。生後すぐに予言して死ぬ。その予言は必ず的中するとされ、証文等で結びの文句とされる「よって件の如し」という表現は、件の予言が確かなためであるという俗説とともに語られる。

 件は、多くは人面牛身であるが、まれに牛頭人身とする場合もある。

また、馬、蛇、魚など、人と牛以外の動物との組み合わせの件についてもごく少数ながら報告がある。

 

・件の伝承は主に西日本に分布し、第2次世界大戦前後に噂話・流言として流布した形跡がある。まれにこれを実見したという語りも記録され、なんらかの異常児が件と見なされたこともあったことがわかる。

一方、近世には護符になると謳われていた。このことから、件は近世のかわら版文化の中で、言葉遊びから生み出されたとする説もある。

 近代以降、件の剥製が見世物にされた例もあるが、それらは異常な形状をした牛馬の遺骸を加工したものである。また、小説・漫画等の影響で件は近年でも知名度が高い。

 

・(事例)(広島県満州事変当時、クダンが「来年は大戦争と悪疫で国民の大半が死ぬ。この災いを免れようと思うなら、豆を煎って7つの鳥居をくぐれ」と予言したという。

 

・(岡山県草間村)子供のころ、草間村に生まれたクダンを見に行った。ぶよぶよした赤い肌にちらちら毛がはえていた。

 

・(香川県昭和5年ころ、小豆飯を炊き、手首を糸でくくる厄除けがあったが、それは山の中のくだんという人身牛頭の怪物から出たことである。

 

・(岡山県昭和36年ころ、八束村で、川上村で生まれた件が、来年大戦争があるという予言をしたという話を聞いた。川上村に行ってみると、件が生まれたのは中和村で、予言の内容は「来年は大豊作だが流行病がある」というものだと言われた。そこで中和村にいってみると、件が生まれたのは八束村で来年は「大風が吹く」という予言だったと聞かされた。

 

・(宮崎県)クダンは人頭獣体の化け物で、首から下は馬・蛇・魚のこともあるが、牛が多い。天下の重大事の予言をし、3日で死ぬ。その予言ははずれたことがない。昭和の初め、クダンが生まれ、親に「大変なことが起こるので食糧の備蓄をするように」と予言した。間もなく、第2次世界大戦が起こった。

 

<さとり【悟り】>

類;【思い】

・山中に住み、人の心中のすべてを悟るという妖怪、風体などは山男や老人などである。人の考えすべてを言い当て、おびえさせた後食べようとする。その時偶然に囲炉裏の木片がはねるなどしてサトリに当たると、「人間は思いもよらぬことをする。おっかない」と言い、逃げる。

また黄金の弾丸を見ると逃げるともいう。逃げるとき、自分を見たことは言うな、と告げて去る。現代では小松左京が「さとるの化物」という作品でサトリを超能力者と解釈して描いた。

 

 

 

『世界不思議百科』

コリン・ウィルソン + ダモン・ウイルソン 青土社 2007/2

 

 

 

<歴史と文化の黒幕 神秘の人びと>

ブラヴァツキー夫人の奇跡>

・1883年の初頭、ロンドンで『密教』と題する本が出た。たちまち評判になり第二版に入った。著者はアルフレッド・パーシー・シネット。髪の毛が後退しかけた痩身小柄な人物で、インドでもっとも影響力のある新聞「パイオニア」の編集長である。まずセンセーションの対象となったのは、第一ページに麗々しく出ているシネットの序文である。同書の内容は、チベットの山中深く住みほとんど永遠の長寿の「隠れた聖者たち」から得たものという断り書きだ。インドにおける大英帝国の代弁者とみなされる新聞の編集長が出した本だ。そこいらの「オカルト」狂いと無視するわけにはいかない。

 

1880年の10月、シネット夫妻は評判のブラヴァツキー夫人を自宅に招待した。夫人は自分の知識の大部分は、ヒマラヤに住んでいる「隠れた聖者たち(隠れた首領)」から得たものだと彼に語った。

 

<生来の「霊媒」>

・生来の霊媒が存在するという前提を認めるとしよう。特殊な「魔力」を所有するか、またそれに所有されている霊媒だ。その前提に立てば、ブラヴァツキー夫人がその種の人間であることはまず疑いようがない。

 

<心霊は存在するのか>

ブラヴァツキー夫人は、隠れた聖者たちという考え方の発明者ではない。これは、昔から「オカルト」に一貫した考え方である。

 

・オカルティストは、第一に比較的不完全な状態から、比較的高い肉体的および精神的状態へ進化の途中だという考え方を奉ずる。第二に、進化の過程のあらゆる段階は、この比較的高い状態へすでに達している「偉大なる知能者ヒエラルキー(階層)」により命令されるとオカルティストは考える。

 

<超能力と進化>

ブラヴァツキー夫人は1891年に世を去るが、高度知能と接触したと信ずる「オカルティスト」(超自然現象に興味を持つ人という意味の広義)はその後も跡を絶たない。アリス・ベイリーは、ブラヴァツキー夫人の没後に神智学協会の有力メンバーになるが、シネットが言う「マハトマ」(「偉大な魂」の意)クート・フーミと接触したと自認する。神智学協会内の主導権争いにいや気がさした彼女は、1919年に別のグループを組織し、「ザ・ティベタン」(チベット人)という存在から口授されたと称する多くの書物を世に出した。

 

<洞察力あふれる哲学者の相貌>

・心霊調査協会の初期のメンバーの牧師ステイントン・モーゼスは、「自動筆記」の手段で、大量の筆記文書を残した。これは本人の没後、『心霊の教義』として出版される。モーゼスはこの抜粋を生前に『光明』という小冊子にまとめているが、自分の鉛筆を動かした心霊のなかには、プラトンアリストテレス旧約聖書のなかの予言者などと称するものがあると困惑を隠していない。

 

・1963年のアメリカのことである。ジェイン・ロバーツと夫のロブはウィジャ盤で実験を始めた。「ペイシェンス・ワース」にある程度影響を受けた。さまざまな人格が身元を明かしてメッセージを伝えてきた。やがて身元を「セス」と明かした人格が登場し始める。

 

・「セス」は『セスの資料』、『セスは語る』などの題の多くの本を伝授し続けた。本はいずれも素晴らしい売れ行きを示した。ジョイン・ロバーツの無意識の心の一側面であれ、または本物の「心霊」であれ、セスが高いレベルの知能の所有者であることを、これらの書物はまぎれもなく示している。

 

<時代を越えて伝世されるオカルト教義>

・20世紀のもっとも独創的な認識者の一人ゲオルギー・グルジェフは、青年時代の大半を「サームング修道会」というものの研究に捧げるが、後に世に出て、その基本教養を北ヒマラヤ山中の僧侶修道会から授かったと唱えた。

 

・しかし、グルジェフの高弟P・D・ウスペンスキーは著書『奇跡を求めて』で次のように述べる。「グルジェフの『精神現象的』教義の背景にはきわめて複雑な宇宙体系がある。これは教義そのものには明確な関連性を欠くもので、グルジェフ自身の独創によるものではないと考えられる」。

 

・この宇宙論をさらに詳述したものに、もう一人の高弟J・G・ベネットの4巻本の『劇的宇宙』がある。同著は次のような確信から出発する。「宇宙にはデミウルゴスという1クラスの宇宙要素がある。これが宇宙秩序の維持を司る。このデミウルゴス知能は、人間の生涯をはるかに超えた時間スケールに対して作用を及ぼす」(訳注:デミウルゴスプラトンが世界の創造者と考えた概念で、キリスト教グノーシス派もこの神を認めている)。

 

デミウルゴスは、なにか新しくかつ生起原因のないものを世界のプロセスへ導き入れる点では、人間よりもはるかに大きな力を所有している。しかし、決して誤らないわけではない。デミウルゴスの主な仕事は「生命のない原初から世界の進化を導くこと」だが、「時には実験と試行を繰り返し、時には誤謬をおかして元に戻り、海から生命が発生して陸の動物が存在を開始すると前方への大跳躍を行なった」。ベネットは次のようにも付け加えている。「グルジェフ師はデミウルゴスを『天使』と呼んでいるが、この言葉には多くの連想があるので使用を避けることが望ましい」。

 

<文化の進展と地球の進化>

・あまたの世紀にわたって東方には不思議な言い伝えがある。どこか隠れた土地、中央アジアの高地地方と考えられているが、異常な力を所有する一群の人が存在しているという。この中心部は、少なくともある面では、世界の秘密政府として振る舞っている。

 

・この言い伝えの一部は十字軍時代に西方に伝えられている。1614年には薔薇十字団の装いで出現する。19世紀にはブラヴァツキー夫人とフランスの外交官ジャコリオによりヴァリエーションを加えて再登場する。英国では作家タルボット・マンディがこれに続き、最近では1918年のモンゴルの旅行家オッセンドウスキーがいる。

 

・この言い伝えの神秘の土地シャングリラでは、一部の人は、通常の人間の状況を越えて進化し、この惑星を越えた力の統治者として行為している。下のほうの階級は、東方でも西方でも、それと気づかれることとなく普通の人と混じりあって生活し、歴史の重要局面では必要な結果を得るために努力し、地球の進化全体を太陽系の事象と歩調が揃うよう維持している。

 

<「隠れた首領」という知能>

・「隠れた首領」という表現を初めて用いたのは『劇的宇宙』におけるベネットその人である。キャンベルはこの本のテーマを次のように要約している。

 人類の長い物語を書くのは、人間自身の知能よりもはるかに偉大な知能である・・・地球上のこのプロセスを司るのは、『隠れた首領』と呼ばれる知能であるこれは、オカルト伝承では個体(たとえば、「統治者」、「古代者」など)として象徴されるレベルに対応する。また、これはデミウルゴスのレベルまたはそのすぐ下のレベルにも相当する

 

・人類全体に対する行為と並行して、執行者およびその直属者は、個々の人間の意識レベルの向上に関する地域的な行為も司る。

 特に選ばれたこの種の普通人は、執行者の作業への参加資格を望むこともある。この資格認定のプロセスは、マグナム・オーパス、すなわち「大事業」である。これは進化全体の潮流に合わせた緩やかな上昇とは対照的な高レベルへの垂直的上昇である。

 

 

 

『世界史と西洋占星術

ニコラス・キャンピオン  柏書房   2012/8/1

 

 

 

<19世紀  神智学的啓蒙主義

・アリス・ベイリーは、教会の日曜学校で教師をしていて、後に熱心な神智学者となった。彼女の関心の多くは、シュタイナーと共通するものである。彼女はまた、シュタイナーと同じ秘教主義のキリスト教徒であり、スコットランドからアメリカ合衆国に移った後、神智学協会でその名を知られるようになった。彼女は、やがて、ブラヴァツキー夫人に秘伝の教理を伝えたとされる「アセンションした指導者たち」なる神秘的な存在と、自分もコンタクトをとることができると主張し、それが一因で人々の反感を買うようになってしまう。ベイリー御用達のスピリチュアルな指導者(導師)とは、通称「チベット人」といわれ、占星術的な黙想や、その書き物の大半を彼女に口述筆記させる存在だった。

 

・しかしながら、ブラヴァツキーを研究することに一生を捧げ、ベイリーに語りかける導師たちのささやきをそれまで一言も聞いたことがなかった神智学者たちにとって、彼女の主張は、我慢ならないものだった。そこで、ベイリーは、潔く静かに協会から離れ、今度はアルカン学派という新学派を、自ら始めたのだった。その出身者には、著名なイタリアの精神科医で、精神統合の礎を築いたロベルト・アサジリオ(1888-1974)や、20世紀もっとも大きな影響を与えたアメリカの占星術師、ディーン・ルディア(1895-1985)がいる。

 

・ベイリーの占星術も、シュタイナーに匹敵するくらい独特である。例えばそれは、月を「死んでいる」ととらえ、何の有効性も見出さない。また、「ヴァルカン」のような、実在しない架空の惑星の存在を前提とし、霊的な存在の水準を示す「レイ(光線)」をもちいる。彼女の占星術は、その厳密さゆえ、それを受け継ぐ者はほとんどいなかった。こうした彼女の占星学よりも重要なのは、彼女が、水瓶座時代――そして、ニュ―エイジ――の本質、そして、それが切迫したものであることを、繰り返し雄弁に説明し続けたことによってもたらされた、占星術世界全体への影響である。

 

・ベイリーは、シュタイナーと同じく、地球規模の危機が目前に迫っている、というような、終末論的な占星術の考え方に深く傾倒していた。そして、「水瓶座」の同義語として「ニューエイジ」という言葉が人口に膾炙するようになったのは、彼女のお蔭である。彼女にとって「水瓶座時代」と「ニューエイジ」というふたつの言葉の概念は、同一のものだった。

 

春分に、水瓶座の星座の星から太陽が昇り――それは20世紀の終わり頃だろうと彼女は考えていた――ニューエイジ(新しい時代)が幕開ける。そうして、世界は、純粋なる霊へと回帰し始めるのだ。彼女は、心からそう信じていた。彼女はいつもの漠然とした調子でこう書いている。「人類が、その《意志をひとつにすること》によって、世界の状況に決定的な影響を与える時が刻々と迫っています。このことは、進化の過程が成功し、精神が開花することの帰結なのです」と。

 

 

 

『トランス・ヒマラヤ密教入門』3巻 意識の変化

アリス・A・ベイリー   (アルテ)  2008/9

 

 

 

<ディヴァチャン(天国)>

・ディヴァチャン。低位様相からの分離に後に魂が入る、二つの地上生活の合間の中間状態。

 

・濃密な肉体とエーテル体から完全に分離した瞬間から、そして過去の過程が始まったとき、人は過去と現在を認識している。また、除去が完了した魂との接触が生じ、マナス媒体が崩壊するとき、人は直ちに未来を認識する。なぜなら、予言能力は魂意識の財産であり。人間は一時的にこの財産を共有するからである。したがって、過去と現在と未来は一つのものとして見られる。「永遠の今」の認識が、転生から転生へと連結する再生誕の過程の間に徐々に発達する。これがディヴァチャンと呼ぶことができる(進歩した人間の正常な状態を特徴づける)意識状態である。

 

<敷居の住者>

・弟子が生命の門に近づくまで、敷居の住者がイリュージョンとグラマーの霧の中から現われることはない。弟子がイニシエーションの入口の微かなきらめきとその扉の側で待ち構える臨在の天使に体現される二重性の原理を把握できるようになる。現在のところ、私の言葉はあなた方にとって将来の状態と出来事を象徴的に表現しているだけであるが、右側に天使、左側に住者で表わされる、相反する対をなすものの象徴の間に完全に意識して立つ日が必ず訪れる。そのときに、あなた方の人生の場が長きにわたって戦ってきたこの二人の対立者の間を真っ直ぐに突き進む強さがあなた方に与えられますように。そして、この二人が一人として見られる臨在へと入り、生命と神性しか知らなくなりますように。

 

 

 

『「宇宙人と地球」の超真相!』 

工学博士 深野一幸  (徳間書店)   1997/10

 

 

 

<オスカー・マゴッチの「深宇宙探訪記」の分析(宇宙の霊的存在)>

・「宇宙の霊的存在」 肉体を持たない様々な意識体(霊的生命体)を、マゴッチの情報で分類してみると。

 

1、 ガーディアン(守護神)―昔、人間であったが、霊的に進化し、霊的存在となった。人間世界の指導をしている。

 

2、 アセンディド・マスター(高級教師)ガーディアンより、さらに進化した霊的存在の生命体。7人存在し、7色の虹のように輝いている。第7密度であり。7次元にいる。

 

3、 創造主(偉大な潜在界)さらに上位には、金白色のとてつもなく大きな光で全てを包含する存在がある。グレート・マニフェスト(偉大な潜在界)と呼ばれている。神・宇宙意識などとも呼ばれる。

 

4、 コズミック・トラベラー(宇宙の旅人)-ガーディアン委員会の下で、ガーディアン委員会の特命事項を遂行する宇宙人。ガーディアン委員会の代理人であり、実行部隊の隊長である。5次元(第5等級)に存在する。肉体を持った人間になったり、目に見えない透明な人間になったりすることができる。宇宙人のクェンチンは、コズミック・トラベラーの一人である。

 

・その下に肉体を持ち進化した宇宙人(人間)がいる。肉体を持つが、地球人の目には見えない。3次元及び4次元に住む。地球人は、波動が低い3次元世界に住む。霊的に向上すると波動が上がり、レベルが上がる仕組みになっている。

 

 

 

『世界不思議大全』

 泉保也 GAKKEN   2004/6

 

 

 

<パリの「薔薇十字団」>

<完全なる世界の創造を目指した超人集団の謎>

・あらゆる魔術的叡智を体得し霊眼を開く

 

・人間の姿をとって物質界に現れた高次の霊的存在のローゼンクロイツ

 

<パリが興奮し時代の英傑が入団を希望した薔薇十字団>

<目に見える姿と目に見えない姿で、当市内に存在している>

・団員は天の周辺に住む神的な一団である。彼らは、分身の術を備えていて、意のままに姿を変えて現れることができる。また彼らは、自分の望む場所に移動することもできる。その他、団員は占星術によって地震を予知したり、都市の疫病の流行を遅らせたり、空中を歩いたり、どんな病気でも治すことができる。

 

・ヨーロッパ世界には、そうした超能力を持つミステリアスな人物に出会ったという説が無数に残っているのだ。

 

・17世紀の前半期、ヨーロッパに大旋風を巻き起こした薔薇十字団は、1648年頃、再び忽然とその姿を消してしまう。

 

<●●インターネット情報から●●>

 

14歳のときには、小人乗員が地上での重労働に使っている毛むくじゃらのビッグフットにさらわれたという

・彼らは子種を得るために誘拐されたのか。交配実験であるなら、その目的はいったい何なのだろう。

アブダクション事件のなかには、子供のころから長い年月にわたって何度も誘拐されたケースも存在する。被害者たちはUFOに連れ込まれては繰り返し検査を受け、組織サンプルを採取されているという。その典型例が、カナダのジャック・Tのケース。記憶の欠落を感じていた彼は、催眠療法により1957年の2歳のころから誘拐されていたことを思い出した。10歳になるころには友達とともに拉致されて全身を機械でなでまわされ、14歳のときには、小人乗員が地上での重労働に使っている毛むくじゃらのビッグフットにさらわれたという。さらに16歳のときは、バンド仲間とともに誘拐され、巨大な機械についた装置で全身をチェックされて、各部のサンプル採取も行われたということだ。

 不気味なことに、アメリカには同じ年に生まれた人々が、同じころに繰り返し誘拐されたケースもある。有名なUFO研究家のバッド・ホプキンズとテッド・ブローチャーが、催眠治療の専門家アフロダイティ・クレーマー博士とともに行った調査で明らかにされたものだ。1943年生まれの4人が、1950年と1960年前後にUFOと遭遇。生体検査を受け、サンプル採取をされたらしく、体には原因不明の傷が残っている。4人とも知性と才能に恵まれ、地位もある人々であり、異星人に選ばれて定期検査を受けていたと見られている。

また、アメリカでは親子3代にわたり、何度も誘拐されたというケースまで報告されている。娘は12歳のときから5回も大きい小人に誘拐され、サンプル採取をされたことを催眠治療で思い出した。母親も娘と同じくサンプル採取の跡と見られる傷があり、娘が生んだ子も真夜中に小人の訪問を受けたという。

 異星人たちは特定の人間にターゲットを定め、定期検査とサンプル採取を行っているのだろうか。長期的で壮大な計画の存在がうかがわれる。

 

 

 

『戦慄のUFO&宇宙人ミステリー99』

悪魔の協定か?ダルシー人体実験 エリア51のエイリアン

地球内部の異星人基地 フリーメイソンNASAの陰謀

監修 南山宏  双葉社  2010/7/14

 

 

 

<地下の秘密実験場 戦慄のラザー証言 アメリカ合衆国1980年代~>

・米政府およびエリア51が存在しているかどうかという問いにすら、これまで無言を貫いてきた。しかし、エリア51という区域が確かにあり、そこでUFO開発が行われているという証言者が登場した。それも自身がその作業に従事したという内部告発者が出てきたのだ。それがロバート・ラザーである。

 ラザーによるとエリア51内にはタイプの異なるUFOが9機保管され、彼自身は墜落UFOを地球上にある材料だけで復元させるプロジェクトの一員だったという。参画したのは1987年など、詳細を極めた告発内容だった。ラザーはUFOをエリア51内で扱っただけではなく、乗員だった異星人の写真や資料も確認したと発言。驚くべき証言者として話題を呼ぶこととなった。

 

<グレイと接触した第2の内部告発者  アメリカ合衆国/2004年>

・その代わり、バーリッシュはテレビ出演や新聞雑誌等のインタビューに応じ、エリア51でどんな研究をしていたのかを具体的に述べている。その驚くべき内容は、エイリアンの体組織を分析するというもの。低温窒素ガスが充満する無菌室で、バーリッシュはグレイ系の特徴を持つエイリアンから、定期的に腕の組織を採取し続けたというのだ。その組織のサンプルは100例以上にのぼり、目的は、グレイ系エイリアンが地上で悩まされていた抹消神経障害の治療法を開発することだったという。

 

<グレイ流出ビデオとエリア52の真実  アメリカ合衆国/1997年>

・肌はグレイではなくベージュ色。大きな黒眼と球形の頭部はいかにもエイリアン風である。画面の下にDNI/27という表記が日付とともに映っているが、DNIとはエリア51を管轄している海軍情報部の頭文字と一致する。これもビデオの信憑性の裏づけといわれ、エリア51の地下にある、エイリアン隔離用の特別室で撮影されたものと見られている。

 

・エリア52の場所は、UFO研究家の間でも意見が分かれている。無論、米政府がエリア52の存在を認めるわけもなく、エリア51近くのトノパ実験場が有力だといわれている。

 

土星の環は宇宙人の加工物!?  宇宙/2007年12月>

・どうやらいちばん外側のAリングの末端部分に何らかの強烈なエネルギー流れがあること、色調が出し抜けに変化する境目の空間に巨大な葉巻型の構造物が浮かんでいるらしいことを発見したのだ。全長3万6000キロはあろうかというとてつもない超巨大サイズのUFOである。リングにはこうした葉巻型の超巨大UFOが、少なくとも他に3機ひそんでいることもわかった。

 

<太陽に潜むソーラー・クルーザーとは? 宇宙/2001年8月~>

・太陽活動がもっとも盛んな極大期は猛烈な磁気嵐が降り注ぐ、そうした宇宙空間を悠然と航行している様子が世界中の天文マニアによって確認されている。三角形や翼のあるタイプも発見されている。

 

・そもそもソーラー・クルーザーは観測結果から推測すると全長50キロにもなる巨大構造物だということがわかっている。にもかかわらず、その存在理由はまったく説明がつかないのだ。

 

<何度も誘拐の理由は定期検査なのか? カナダ、アメリカ合衆国/1950年~>

・その典型例が、カナダのジャック・Tのケース。記憶の欠落を感じていた 彼は、催眠療法により1957年の2歳のころから誘拐されていたことを思い出した。10歳になるころには友達とともに拉致されて全身を機械でなでまわされ、14歳のときには、小人乗員が地上での重労働に使っている毛むくじゃらのビッグフットにさらわれたという。さらに16歳のときは、バンド仲間とともに誘拐され、巨大な機械についた装置で全身をチェックされて、各部のサンプル採取も行われたということだ。

 

<大統領が異星人と交わした密約 1954年~>

・エイリアンとの密約の内容が詳細に記されたMJ12「アクエリアス文書」を読んだと、1988年に暴露した関係者も現れた。それがミルトン・クーパーである。元海軍の情報部員だったクーパーは、MJ12がアイゼンハワーによって創設されたこと、生きたエイリアンの写真が添付された資料に目を通した経験などを赤裸々に告白。密約を交わしたのは、大きな鼻が特徴のラージノーズ・グレイであることまで暴露した。MJ12絡みで爆弾発言を連発したクーパーだが、2001年納税拒否の逮捕時に、撃ち合いになり警察に射殺されてこの世を去ってしまった。政府の巧妙な口封じだったのだろうか?

 

<異星人2000人が住むダルシー基地 1954年~>

・秘密基地は少なくとも地下7階まであり、下の階ほど厳重に警備され、遺伝子工学やマインドコントロール実験などが行われているという。基地にいる異星人は4種族で、オリオン座のドラコ星系出身の白くて有翼のドラコ族が支配階級、同じレプトイド(爬虫類人)だが、地球の先住民という種族は労働者階級。ほかに小柄なグレイ族と、2メートル以上の長身のグレイ族がいたという。

 カステロは同僚や研究者らの反乱グループが、デルタフォース(米陸軍特殊部隊)らしき部隊の急襲で全滅した事件も語っている。実験のために拉致された人々を救出しようとして失敗したというのだ。

 

<米政府公認の生体実験施設!?  1954年~>

・基地で働いていたという内部告発者のカステロの『ダルシ―文書』は、さらなる恐怖をかきたてる。地下6階の遺伝子実験室では、さらなる恐怖をかきたてる。地下6階の遺伝子実験室では、人間を多肢化させたり、人間とグレイ族の混血種をつくったり、グレイ族のクローンを育てたりしていたという。そして地下7階には、特殊液で冷凍保存された人間と混血種が何千体も並んでいたとする。

 

ケネディ暗殺にMJ12が関与!?   アメリカ/1963年11月22日>

・1963年11月22日、遊説中に暗殺されたケネディ大統領。逮捕され「はめられた」と主張したりリー・ハーベイ・オズワルドは、護送中に射殺された。事件資料が次のジョンソン大統領により封印されたこともあり、CIAや軍、マフィアの関与など陰謀説は尽きない。近年になり浮上したのが、極秘組織MJ12が影で糸を引きUFOと宇宙の政策がらみで消されたとする説だ。

 

<惑星セルポとの極秘交換留学  1947年~1978年>

・その故郷がレティクル座ゼータ連星系の惑星セルポだ。

 

・公開された留学生リーダーの日誌には、長い宇宙旅行の様子が記されている。時間の流れがおかしく、激しい体の調子に苦しめられ、メンバーひとりは命を落とすが、乗員に助けられセルポに到着。ふたつの太陽が輝き、地平線下に沈むことはほとんどない星で、大気や気圧は地球とあまり変わらなかったという。メンバーはあたたかく迎え入れられ、平等で穏やかな社会生活をつぶさに観察、体験することができたらしい。

 

日航貨物機が脅かした超ド級巨大UFO  アメリカ合衆国/1986年11月17日>

・そして、フェアバンクス上空にさしかかったとき、日航貨物機にのしかかるように現れたのが巨大UFOだった。寺内機長が四角いUFOの航空母艦と考えたのも無理はない。ジャンボ機の数十倍もありそうな大きさだったのだ。

 

エジプト文明シリウス由来!?  古代エジプト/7000年前頃>

・4大文明のひとつエジプト文明シリウス信仰も、シリウス人来訪を示すといわれる。簡単にいえば、シリウス人が文明を授けたから、神として地球人から崇められたということだ。このシリウスとは、おおいぬ座のα星。全天で最も明るく輝き、地球とは8.6光年も離れている。古代エジプトでは至高の女神イシスとしてあらわされ、数々の神殿が建てられ、重要な儀式が行われた。

 

イラクスターゲイトがある!?  シュメール/30万年前>

・シュメール文明の神々アヌンナキのなかでも、エリート階級は“スターゲイト”を使い、二ビルから地球にテレポーテーション(物質瞬間移動)した—―。考古学者ウィリアム・ヘンリーが唱える斬新な説だ。スターゲイトアメリカのSF映画やドラマのテーマにもなっているので、SFファンにもおなじみだろう。異次元、異世界の間を瞬時に移動できる装置で、ヘンリーはワームホールのような“次元渦動トンネル”として想定している。

 

<●●インターネット情報から●●>

ウィキペディアWikipedia(フリー百科事典)より

 

山男(やまおとこ)は、日本各地の山中に伝わる大男の妖怪。中世以降の怪談集、随筆、近代の民俗資料などに記述がある。山人(やまびと)、大人(おおひと)などの呼称もある。

 

外観は、多くは毛深い半裸の大男とされる。言葉は、土地によって話す、まったく話さないなど異説がある。人を襲ったり、これに出遭った人は病気になるなど人間に有害な伝承もあるが、基本的には友好的で、人間に対して煙草や食べ物など少量の報酬で、荷物を運んだり木の皮を剥いだりといった大仕事を手伝ってくれるという。柳田國男によれば、山男との遭遇談は、日本の概ね定まった10数ヶ所の山地のみに伝えられており、小さな島には居ないという。

 

静岡県

江戸時代の奇談集『絵本百物語』によれば、遠州秋葉(現 静岡県浜松市)におり、身長は約2丈、木こりの荷物運びを助けて里近くまで同行し、手伝いを終えるとまた山へ帰って行くという。礼を与えようとしても金銭は受け取らず、酒なら喜んで受け取ったという。

 

高知県

「土州淵岳志」によれば、寛永19年の春に豊永郷の深山から「山ミコ」という大きな男が高知へ連れて来られたという。

 

新潟県

越後国高田藩(現 新潟県上越市近辺)で山仕事をしている人々が夜に山小屋で火を焚いていると、山男が現れて一緒に暖をとることがよくあったという。身長は6尺(約180センチメートル)、赤い髪と灰色の肌のほかは人間と変わりない姿で、牛のような声を出すのみで言葉は喋らないものの、人間の言葉は理解できたという。

 

青森県秋田県

青森県の赤倉岳では大人(おおひと)と呼ばれた。相撲の力士よりも背の高いもので、山から里に降りることもあり、これを目にすると病気になるという伝承がある一方、魚や酒を報酬として与えることで農業や山仕事などを手伝ってくれたという。

 

宮崎県

明治20年頃、日向国南部某村の身上という人が山に入って「異人」に会った。その者の姿は白髪の老人で、腰から上は裸体、腰に帆布のような物を纏っており、にこにこと笑いながら近寄ってきた。

 

正体の諸説

山男の正体については、前述の『絵本百物語』では山の気が人の形をとったものともあるが、妖怪研究家・多田克己は、江戸時代の百科事典『和漢三才図会』にある山わろ、玃、山精、魍魎などが混同された結果として生まれた妖怪像とのほか、ヒマラヤ山脈の雪男(イエティ)と同様、絶滅種類人猿のギガントピテクスの生き残りとの仮説も立てている。

 

柳田國男は1913年に、山人は日本に昔繁栄していた先住民の子孫であると信ずると述べ、1917年には「山人即ち日本の先住民」はもはや絶滅したという通説には同意してよいとしつつも、「次第に退化して、今尚山中を漂白しつゝあった者」が、ある時代までは必ず居たと推定されるとした。また、山人を鬼と関連付けて論じていた。

 

 

 

『世界不思議大全』  増補版

泉保也   Gakken   2012/8

 

 

 

<「ダルシィ文書」と異星人地下基地の秘密>

<異星人とアメリカ政府が結んだ密約とは?>

<明らかになった異星人地下基地>

・1970年代半ばから、アメリカ、ニューメキシコ州アルバカーキに近いマンザノ山地一帯でキャトルミューテレーション(家畜虐殺)事件が続発し、加えてUFO目撃報告も相次いだ。

 

・電波の発信源がアルバカーキ北方235キロ、コロラド州境に近いダルシィ付近、ジカリア・アパッチ族居留地内のアーチュレッタ・メサであることを突きとめたのだ。

 

<博士の行動と報告書がもたらした意外な反応>

・ベネウィッツが受けた衝撃と驚愕は大きく、異星人地下基地が国家の安全保障の重大な脅威になりかねないという深刻な憂慮も抱いた。彼の自宅近くにはカートランド空軍基地があり、アメリカでトップの規模といわれるマンザノ核兵器貯蔵庫エリアが設けられていたからだ。

 

<「ダルシィ文書」が物語る地下基地の実態>

・彼らの証言はベネウィッツの真相暴露を裏づけるものであり、内部告発者が公開した書類、図版、写真、ビデオなどを「ダルシィ文書」と総称する。

 

・基地の広さは幅約3キロ、長さ約8キロ、秘密の出入り口が100か所以上あり、3000台以上の監視カメラが設置されている。

 

・基地全体は巨大な円筒形状をなし、基地の最深部は天然の洞窟網につながっている。内部構造は7層からなる。

 

  • 地下1階=保安部、通信部のほか、駐車場兼メンテナンス階。車両は厳重なセンサーチェックを受け、専用トンネルを通行して一般道路に乗り降りする。

 

  • 地下2階=地球人用居住区のほか、地中列車、連絡シャトル、トンネル掘削機の格納ガレージとUFOのメンテナンス階。

 

  • 地下3階=管理部、研究部、メインコンピューター室があり、基地全体を統御している。

 

  • 地下4階=地球人と異星人間のテレパシー、オーラなどの研究、マインドコントロール、心体分離実験、地球人と異星人の心身交換実験などが行われている。

 

  • 地下5階=グレイ族とレプトイド(恐竜人)族の専用居住区、ベネウィッツは居住者を2000人以上と推定したが、カステロは5000人以上と証言している。

 

  • 地下6階=遺伝子工学の実験室が並ぶ。魚、鳥、ネズミなどの異種生物の形質合成、人間の多肢化、グレイ族のクローン化、地球人とグレイ族のハイブリッド化など、戦慄を覚えずにはいられないおぞましい生体実験が行われている。また、さまざまな成長段階のハイブリッド種の胎児の保存槽、培養中の異星人ベイビーを入れた容器も多数並んでおり、“悪夢の広間”と別称されている。

 

  • 地下7階=拉致された地球人やハイブリッド種が何千体も冷凍状態で保存されているほか、地球人を監禁する檻もある。

 

・なお、ダルシィ地下基地に居住する異星人は1種族ではなく、次の4種族で構成されている。

 

① 標準的グレイ族=身長1メートル20センチ前後。レティクル座ゼータ星出身。

 

② 長身グレイ族=身長2メートル10センチ前後。オリオン座リゲル系出身。

 

③ ドラコ族=レプティリアン爬虫類人)で身長2メートル前後。肌の色は白くて有翼。オリオン座ドラコ星系出身。基地全体を統括する支配階級。

 

④ レプトイド族=身長2メートル前後。恐竜から進化した地球の先住民らしい。最下層の労働階級で、掃除や炊事、運搬など日常的な雑用を担当。

ちなみに、実験対象として拉致された民間人以外の地球人(軍人、科学者、技術者、保安要員など)はドラコ族に次ぐ第2の地位にあるという。

 

全米各地には200以上もの秘密地下基地がある

・周知のように、アメリカにはコロラド州シャイアンマウンテンにあるNORAD(北米航空宇宙防衛司令部)のように半公然的な地下基地はあるが、ダルシィ基地をはじめとする200余か所の地下基地・施設はトップシークレット扱いだ。

 

アメリカ政府が結んだ異星人との密約>

・この予備的なコンタクトから約1か月後の1954年2月20日深夜、カリフォルニア州エドワーズ空軍基地において、異星人と連邦政府は「グリーダ協定」と呼ばれる密約を交わした。

 

一、異星人はアメリカに関わるいっさいに感知しない。

一、同時にアメリカ政府も、異星人たちの行動に干渉しない。

一、異星人は、アメリカ政府以外のいかなる国とも協定を結ばない。

一、アメリカ政府は異星人の存在を秘密にする。

一、異星人がテクノロジーを提供し、技術革新の支援をする。

 

 ところが、予備折衝では右の5か条で同意していたが、協定締結の段階で異星人側から新たな項目を付け加えたいと申し入れがあった。

 

・人間を密かに誘拐し、医学的な検査や遺伝子工学の実験を行いたい。誘拐した人間は体験のすべての記憶を消したうえで無事にもとの場所へ戻す、というものだ。

 非人道的な生体実験であり、当然のことながら、アイゼンハワー大統領以下の連邦政府側は躊躇した。だが、両者の文明差は5万年ほどもあり、戦うわけにはいかない。連邦政府は無条件降伏したも同然の状況で、異星人の要求をのまざるをえなかった。かくて、“悪魔の密約”と称される秘密協定が正式に締結されたのである。

 

・当初の地下基地は2か所。そのひとつがダルシィの地下であり、もうひとつがエリア51から南へ6キロのところにある。「S-4」というエリア内の地下だった。その後も地下基地・施設の建設は続行されて200か所以上を数え、現在もなお新設されつづけている、というのである。

 

・異星人との密約、地下秘密基地――荒唐無稽というか、きわめて現実離れした話だ。トンデモ説と笑殺されてもおかしくない。が、それを裏づけるような証拠や証言が多数存在するという事実を無視するわけにはいくまい。

 

 

 

『地球を支配するブルーブラッド 爬虫類人DNAの系譜』

スチュアート・A・スワードロー   徳間書店  2010/6/18

 

 

 

<エイリアン集団紳士録>

アルデバラン   ゲルマン人とバイキングを創作・管理>

・典型的なアーリアン型で金髪で青い目を持つ。薄い茶色か中ぐらいの茶色の髪で、目がヘーゼル(はしばみ)色の人もいる。この集団は、ゲルマンの諸民族とスカンジナビア人、特にバイキングの創作と管理を担当した。強い関心を持って、こと座文明の再創造を支援している。よくノルディック人と混同されることがあるが、ノルディック人は、もっと背が高く傲慢である

 

アルクトゥルス  ローマ帝国建設を手伝った精神性の高い種>

・非常に精神性の高い種である。原始的な形態の宇宙旅行技術(地球より発達しているが、シリウス人ほどハイテクではない)を保有している。白いローブを着た聖職者層が支配している。

 

りゅう座人(ドラコ) このレプティリアン型生物の交雑種がイルミナティ

・地球の月は、永劫の昔、レムリア大陸への入植の時代に、軌道上に設置されたりゅう座人の宇宙船である。分断して征服することを画策する彼らは、リゲルとともに海を沸騰させたり、大地を焼き焦がしたりしたように、暴虐さで有名である。

 

りゅう座人は、地球に巨大な地下基地、金星にコロニーを持っている。地球には二番目の月が配置されている。1997年にヘール・ボップ彗星に隠れて到達した。そこにいるのは、純血爬虫類人である。交配人種であるイルミナティは地球の支配を行っている。

 

<プレアデス   こと座からの避難民、長身金髪のノルディック>

・ノルディック、背の高い金髪とも言われる。元々は、こと座(リ-ラ)文明からの避難民であるが、7つの恒星と15の入植済みの惑星からなるプレアデス星系の存在である。

 

・1959年に米国政府がリゲル人に騙されたことに気付いた後、技術格差を埋めるためにプレアデス人が招聘された。だが、過去、彼らは、ヒトラーの人類浄化政策を画策し、仏教を堕落させた。チベットに広大な地下基地を持っている。

 

・プレアデス人は、ローブを着た白い姿で現れる非物質的存在が率いる最高評議会の指揮下にある。プレアデス人の一集団(アトランと言われる)が、アトランティスに入植した。小柄で青い肌をした集団がプレアデス人と一緒に行動している。

 

 

 

『地球を支配するブルーブラッド 爬虫類人DNAの系譜』

スチュアート・A・スワードロー   徳間書店  2010/6/18

 

 

 

爬虫類人レプティリアン)の物理的遺伝子は金髪青眼(紅毛碧眼)のこと座(リーライアン)から調達

爬虫類人レプティリアン)が物質世界で活動するためには、物理的な遺伝子が必要だった。透明人たちは、その頃すでに物質的になっていた、こと座人(リーライアン)から遺伝子を取り出した。

 

・こと座人は、金髪または赤毛で青色または緑色の目を持っていた。こと座人の遺伝子が、透明人の集合エネルギーと混ぜ合わされて、爬虫類人レプティリアン)として、物質肉体化して出現した。このため、今日の爬虫類人レプティリアン)も、物質次元で生き延びるためには「アーリア型」の人間からエネルギーを摂取しなければならない。

 

・アストラル次元で爬虫類人が創造されると。その使命を果たすための活動拠点を物質次元に築く必要が生じた。そのために爬虫類人たちは、さまざまな物質界に進出し、自らが支配的な種となることのできる場所を求めていた。

 

レムリアからの爬虫類人生存者が巨大地下文明を築く

爬虫類人の生存者は、インド北部、地球内部空洞、金星、中南米の一部へと移動した。レムリア大陸から生き残った爬虫類人の大半にとって、地球内部が「祖国」になった。そこで爬虫類人は、巨大な地下文明を築いた。これが、地獄の業火の中で生きる悪魔たちの伝承の由来である。

 

・地下鉄のような乗り物が高速で移動する通行管のようなものを建設し、地球上のどこにでも数時間で移動できるシステムを作った。今日でも探検家が追い求めているアルカディア、アガルタ、ハイパーポリア、シャンバラといった有名な地下都市を築いた。これらの都市は、地球の内部空洞を覆う地殻内部の内壁に沿って建設されている。地球が空洞であることは単なる説ではなく、科学的事実であることを忘れないでいただきたい。恒星(太陽)から飛び出した惑星が、回転しながら冷却することで、形成されたのである。

 

 

 

『地球を支配するブルーブラッド  爬虫類人DNAの系譜』

スチュワート・A・スワードロー  徳間書店   2010/6/18

 

 

 

<リゲル  米政府と協定を結んだオリオン連盟リーダー>

・この集団は1954年に米国政府と協定を結び、彼らの技術と科学情報を米国に与えるのと引き換えに、米国民を誘拐する(ただし傷つけない)許可を米国政府から得ている。

 

・こと座の内戦とそれに続くこと座星系へのりゅう座人の侵略を通じ、彼らの惑星は戦争で痛ましい損害をうけたため、肉体的にも遺伝子的にも弱々しい存在になっている。

 

・彼らは、りゅう座人のために働いている。りゅう座人が攻略の前準備をできるように侵略予定ルートを偵察する仕事である。

 

・軍隊型の厳格な階層制の文化を持っている。特にゼータ・レティクリ1と2のグレイが絡む場合はそうである。また肉体から肉体へと魂を移す能力を持っている。

 

シリウスA   イスラエル政府と契約の宇宙の商人>

・背の高い細身のシリウスA人は、青と白の長いローブを着ている。両腕を横にまっすぐ広げると、身体全体でアンク(エジプト十字架)の形になる。これが彼らのシンボルである。宇宙の商人であり、技術と情報を売買して、排他的な取り引きルートと特別な優遇を得ている。彼ら自身に向けて使用される恐れのある技術は絶対に提供しない。彼らは、オハル星人に創作されたが、本来の目的を見失っている。

 

シリウスB  老子孔子、釈迦に叡智を与えた銀河の「哲学者」>

・ジャングルか湿地のような惑星の洞窟状空洞や地下で隠遁生活を送っていることが多い。寿命は極めて長い。大半は、家族形態とは無縁である。

 

くじら座タウ>

<グレイ種を目の敵にし、ソ連と協定を結んだ>

・この人間のような生物は、グレイ種を目の敵にしている。宇宙のどこであろうとグレイを発見したら叩きのめすと誓っている。遥か昔にリゲル人がくじら座タウ星系の侵略準備を整えようとしていた。タウ人の遺伝子を使ってグレイを作るために、主に子供を標的にして誘拐し、殺して細胞とホルモンを取り出した。タウ人は自らの種が滅ぼされる前に、グレイたちを追い出した。地球までグレイを追って来た彼らは、1950年代にソ連と協定を結び、基地と自由に領空を飛行する権利を得た。彼らの目的は、ソ連が世界支配の座を占めるのを手伝い、(スラブ人にはタウの遺伝子がある)、グレイを滅ぼし、侵略勢力と取引することだった。

 

最近になってロシア人はタウ人との協定を破棄し、同じ協定をりゅう座人の前衛部隊と交わしてタウ人を追い払ったと考えられているくじら座タウ人は、イプシロンのエラダナス星系で大きなコロニーを保持している。祖国の大気と重力の関係で、密度の高い身体を持っている。身長は、およそ170センチである。

 

<ビーガン   シリウスA人の遺伝子から作られたグレイ>

このグレイ種は、シリウスA人の遺伝子から作られている。シリウス人の船の標準的な乗組員である。主人のために労役、実験、雑用を行う。ゼータ・レティクリ1と2のグレイは、前向きにビーガンの指揮に従い、人間の誘拐や鉱物のサンプル収集などの特定の任務を行う。

 

<ゼータ・レティクリ1  地球人監視のためリゲル人が作ったグレイ>

・このグレイのエイリアンは、リゲル人が地球の人間を監視するために作った。人間とリゲル人の混合物である。人間の胎児と同じように四本の指と割れたひづめを持つ。ホルモン液と遺伝子実験のために人間を誘拐することで有名である。

 

・遺伝子的・ホルモン的な欠乏症のため、彼らは、急激に死滅している。他者を誘拐することで、自らの種を救う交配種の原型を作ろうとしている。

 

<ゼータ・レティクリ2  遺伝子操作で作られたグレイ。爬虫類人に奉仕>

・このグレイは、遺伝子操作で作られた爬虫類人への奉仕階級のメンバーである。完全にマインド・コントロールされており、中央情報(コンピュータ)に接続されている。集団精神で一体となって動く。彼らは、無心になってゼータ・レティクリ1を手伝う。誘拐現場でよく目撃されるが、子供のように純真に行動する。

 

<アンタレス  トルコ人ギリシャ人、スペイン人のDNAに>

・極めて知識が高く攻撃的である。

 

・彼らの社会の最深部まで入り込むことができた者は、ほとんどいない。

 

・女がいるところが観測されたことはなく、彼らは、同性愛者で、生殖目的でのみ女を使用すると考えられている。ただ、実は、ある母系集団が彼らの背後で権力を握っているとも考えられている。

 

 

 

2020/1/12

 

 

『山の霊力』   改訂新版

町田宗鳳   山と渓谷社    2018/4/16

 

 

 

山が日本人を育んだ

山を拝むという日本独自の風習

・おまけに山にまつわる伝承文学となれば、これは日本の独壇場に近い。もちろん外国にも山に関連する物語は多々あるが、日本人ほど山という空間に対して想像をたくましくし、盛り沢山の説話を世代から世代へと語り継いできた民族も少ない。物語の世界では山姥、雪女、山男、山童、河童、一つ目小僧、鬼、天狗、仙人など、さしもの深山幽谷も多彩な住民でひしめきあっている。

 

オロチの棲む山

オロチがトグロを巻く神奈備

・そのような古代人が山に重ね合わせていたイメージは、生命力旺盛な何らかの動物であったはずであり、なかでも圧倒的だったのは、蛇、なかんずく大蛇、つまりオロチのイメージではなかっただろうか。

 その証拠に、荒ぶる神スサノヲが退治したことで有名なヤマタノオロチは、『古事記』の中で、まるで現実の山の姿のように記されている。

 

ヤマタノオロチは八つの頭と八つの尾がある上に、体表には苔がむし、ヒノキ・杉・松・柏の木などが生い茂っていて、その腹からはいつも血が滴り落ちているとされている。これは明らかに、いくつもの峰や谷、そして渓流をもつ山脈の風景描写である。その神話の原型を最初に作った人物も、山の近くに住み、山の景観をつぶさに観察していたにちがいない。

 神話の中ではヤマタノオロチが、必ず年に一度、山から降りてきて、若い娘を奪い去ることになっているが、これは毎年、雨期になると鉄砲水とともに河川を氾濫させ、人里に深刻な被害をもたらす山の恐ろしさを伝えている。

 

・この説明からも、やはり古代人の想像力が、山の神の姿をオロチに結びつけていたことがわかる。記紀神話の中でも、その名前の中にタチやツチという語をもつ神々がきわめて多いが、そこにもオロチとの関連性がうかがえる。

 ただもう少し厳密にいえば、日本列島に住む人々の心の中に神観念が根づくまでは、山のヌシ、川のヌシ、海のヌシ、家のヌシといった具合に、カミよりもヌシといった感覚のほうが強かったのではないだろうか。

 

霊山として古い信仰の歴史をもつ山は、たいていはオロチをヌシとしている。その代表格が、奈良盆地南部、万葉の里にたおやかに横たわる三輪山である。この美しい円錐形の山は、いかにも神のいます山という雰囲気を漂わせているが、その神の正体はオロチにほかならない。当然のことのように、三輪山をご神体とする大神神社の祭神は、オオモノヌシ(大物主神)であるが、これも蛇体神であるとされている。

 

・ちなみに大神神社のオオモノヌシは、ほかに二つの名前をもつのであるが、その一つがオオナムチノカミ大己貴神)であり、もうひとつがオオクニヌシカミ(大国主神)である。したがって、国譲りの神話で有名なオオクニヌシも蛇体神ということになる。

 

ほかにも慈雨の霊験で有名な伊吹山の伊吹神や、日光の語源となった二荒山のオオナムチノカミなどのように、祭神の本体がオロチであるとされている山の例は、いくらでも見つかる。

 

古代の神体山は小さかった

・岐阜高山にある位山も、典型的な神体山である。さすが水を呼ぶオロチや龍神伝説がある山だけあって、私が訪れたときも土砂降りの雨の中を登ることになってしまったが、位山をユニークなものにしているのは、麓から山頂にいたる巨石群である。

 

オロチの血と火祭り

・ところで、山の祭りには奇祭が多く、とくに火が登場するものが多いが、じつはそのことも大いにオロチと関係している。なぜなら神話の世界では、火こそオロチの血にほかならないと考えられていたからである。

 たとえば、火の神カグツチもツチという語句から、蛇体神であったことを匂わせるが、イザナギは妻イザナミを死に追いやったカグツチに怒り、彼をめった切りにした。そのとき、カグツチの体からほとばしり出た血が、まわりの草や木、石の中にしみ込んで、火になったとされる。

 

愚行を重ねる神々

ところで「雄略記」によると、三輪山の神の形を自分の目で確かめたいと思った雄略天皇は、スガルという名の屈強の側近に命じて、山中のオロチを捕まえさせている。はたしてスガルが、三輪山に分け入り、オロチを捕まえて連れてくると、豪放で鳴らした天皇は、「光りひろめき、目精赤々なり」と描写されるオロチに、雷という称号を与えて、ふたたび山に戻すことを命じたという。

 ここで注目したいのは、雄略天皇がオロチを雷に喩えたことである。このことから、日本の神話の中にひんぱんに登場するイカヅチ(雷神)も、じつはオロチのことではないかと推察される。

 

・たとえば、イザナミは火の神カグツチを出産したために、陰部に致命的な火傷を受け、激しい痛みにのたうち回り、ゲロゲロと嘔吐し、みずからの糞尿にまみれながら死んでしまう。妻を慕って黄泉の国まで訪ねてきたイザナギが、明かりをつけて闇の世界をのぞき込んでみると、そこに横たわっていたのはウジ虫がたかったイザナミの死体であった。

 しかも腐敗が進行するイザナギの体は、頭には大イカヅチ、胸には火イカヅチ、腹には黒イカヅチ、陰部には柝イカヅチ、左手には若イカヅチ、右手には土イカヅチ、左足には鳴イカヅチ、右足には伏イカヅチ、合わせて八つのイカヅチを宿らせていた。

 これらのイカヅチは、ふつうの雷神と表記されているのだが、先にあげた雄略天皇の話からも察しがつくように、単にカミナリのことではなく、オロチである可能性が大だ。現代でも蛇のことをツチノコといったりするように、ツチという言葉は、やはり蛇と結びつきが強いようである。

 

・いざなぎと交わることによって、日本列島を次々と産出しただけでなく、そこに海、山、野原、草木などを産み落としたイザナミは、日本の神話の中では、万物の創造主といってよい。しかし、その生命の母たるイザナミの死体から、さまざまなオロチが誕生してくる光景は、彼女自身の正体がオロチだったことをほのめかしている。

 しかも、黄泉比良坂で夫のイザナギと対峙したおりに、イザナミは「汝の国の人草、一日に千頭、絞り殺さん」と宣言しているから、ハブやマムシ以上に恐ろしい殺傷力をもった毒蛇であったと思われる。魔性のない神は、神でありえないのだ。

 

ところでスサノヲ神話に登場する神々の名も、どうやら彼らが蛇体をもっていたことを強く示唆している。これも吉野裕子が指摘するところであるが、スサノヲが救ったクシナダヒメの両親、アシナヅチテナヅチは、古語で霊を「チ」と読むところから、それぞれに足無の霊、手無の霊という意味をもっているのかもしれない。とすれば、アシナヅチとテツヅチは、ともに手足のない蛇体神だったということになる。

 イザナミがオロチであるとすれば、彼女が産んだカグツチも蛇体をもっていたことになる。『日本書紀』で、イザナギが妻イザナミを死なしめたカグツチの体を五段に切ったとあるのも、そのことを裏づけている。その寸断されたカグツチの首の部分から生まれてきたのが、山の神であるオオヤマツミであり、神話の中では火、オロチ、山の三者がずっと繋がっている。

 そのオオヤマツミから生まれ出たのが、アシナヅチテナヅチであり、その娘がクシナダヒメとなる。そうすると毎年、大蛇ヤマタノオロチの襲撃を受けていた家族とは、実はもう一つのオロチの集団だったということになる。ことほど左様に日本の神話は、まさに蛇づくしだったわけである。

 

{見るなの座敷}としての山

・このように神話の世界では、カミの姿とオロチの姿が渾然一体となっているのだが、それはとりもなおさず、古代日本人が限りなき産みの力をもつ{原初の生命体}を最も崇高なものとして、とらえていたことを示している。西洋の創造神話では、強大な父のイメージをもった神が、産みの力というより意志の力を発揮することに特徴があり、やはり東西の神観念に大きなへだたりがある。

 もっとも日本神話でも、すべての神の本体がオロチというわけでなく、ほかの動物の場合もある。

 

・まさしく「本つ国の形になりて」というのは、神が出産という原体験を通じて「先祖返り」することである。そのとき彼女は、「八尋和邇(やひろわに)」に変身するわけだが、それが文字どおり巨大なワニであったかどうかは、疑問である。

 岩波の古典文学大系の『古事記』では、「幾尋もある長い鮫」と説明されているが、古代日本人が熱帯産のワニを知っていたはずはなく、たしかに鮫を意味したのかもしれない。日本書紀』では同じ箇所が、「龍」と表記されているが、龍のイメージは恐らく中国文化の影響を受けたものであろう。

 しかし、「幾尋もある長い鮫」というのは、手足のないオロチの姿をも連想させる。トヨタマヒメの別名はコノハナサクヤヒメ(此花咲夜姫)であり、彼女はオオヤマツミノカミ(大山津見神)の娘であることから、後世、富士山の山神として祀られるようになった。やはり海神の宮からやってきたトヨタマヒメにも、山との関連が見えてくるのであり、そうすれば彼女の「本つ国の形」がオロチであったと考えるのも、それほど無理な話ではない。

 

・ところで神々の「先祖返り」は、やがて神話から民話へと受け継がれることになる。それがすでに何度か言及した<見るなの座敷>のモチーフである。

 「蛇女房」という昔話では、妻を亡くし寂しい思いをしている男のもとへ、美女が訪れ、自分を妻とすることを求める。二人は結ばれて、やがて妻は子を孕むが、夫に決して産室を覗かないように頼む。しかし、妻の身を案ずる夫は、ひそかに産室を覗いてしまい、そこで赤子を包むようにしてトグロを巻くオロチの姿を見いだす。のちに、妻は正体を見られたからには、もはやこの家にとどまることができないと言って、涙ながらに去っていく。

 

・出産以外にも、「鶴の恩返し」の物語にあるように、布を織るなどの生産活動をするときも、女性は<見るなの座敷>に閉じこもって、本来の姿に戻る。この世でいちばん重要な創造的仕事を成しとげるためには、心理学でいうペルソナ(仮面)をぬぎ捨てなくてはならないのだ。建て前の世界では肝心なことができないのは、男も女も同じらしい。

 そのとき<見るなの座敷>で変幻するのがオロチであったり、ワニであったり、ツルであったりするわけだが、一貫して動物の体であることは、それが<原初の生命体>への回帰にほかならないことを示している。

 考えてみれば、アマテラスが彼女の分身ともいえる織姫に機を織らせていた高天原も、大がかりな<見るなの座敷>ではなかっただろうか。そうでなければ、追放されるスサノヲが別れを告げに高天原に昇っていったとき、アマテラスは武装までして、彼を拒絶するはずはない。

 高天原は機を織る行為に象徴されるように、女性が創造的な仕事に携わる秘密の聖空間であり、もともとアウトサイダーが足を踏み入れてはいけない世界だったのだ。その掟を破って侵入し、しかもそこでとんでもない暴力を働いたわけだから、スサノヲが地の果てにある根の国に永久追放となったのも、無理のないことだ。

 

蛇体信仰から巨木信仰へ

・山がもつ無尽蔵の生命力をそのまま自分たちの生活空間に持ち込むことができれば、食糧にも子宝にも恵まれ、人間は、より幸せな生活を送ることができる。それには神聖な山のオロチを捕まえて、人里に降ろしてくるにかぎる。

 しかし、あまりにも巨大なオロチを捕獲するわけにはいかない。そこで人々が考えついたのは、オロチの化身を見つけだして、それを自分たちの領域に引き込むことである。そのような願望を人間が抱いたとき、蛇体信仰は巨木信仰へと移行しはじめることになった。

 

神の坐す山

山は神々の交差点

ここまで、山の神の原型となっているのは山のヌシであるオロチであると論じてきたわけだが、山がいつまでもオロチに支配されていたわけではない。日本の山々を七巻半していたオロチが、長いヒゲと四本足をもつドラゴンに駆逐される日がついにやってきたのである。雷鳴とともに雨雲を巻き起こす龍神の登場である。

 

三つの民族的潮流

八百万の神々が山で交差していたということは、それぞれ異なった神を信奉した人間群が、山を中心にして交流していたことをも意味している。そもそも山岳信仰がこれだけ日本の精神史に大きな位置を占めてきたのは、山という場所がこの列島の歴史に流れる山民文化、海民文化、そして農民文化という三つの大きな合流点になってきたからである。

 一万年近く続いたとされる縄文文化も、決して一枚岩ではなく、山民と海民とが織り成す二つの文化的特性があることを看過するわけにはいかない。前者のほうは、青森の三内丸山遺跡に代表される東日本以北に展開した縄文文化である。この北方の縄文人たちは、狩猟採取を中心としていたため、山岳と深いかかわりをもちながら生活していた。彼らこそ、山をオロチとみなしたり、巨木信仰や縄ひも信仰をもっていた山民系の縄文人たちであった。

 その一方で、縄文文化には、はるかポリネシアあたりから日本列島に到達した人たちが始めた海民系の流れも、存在したのである。

 

山に登った海の神

・それにしても海を中心としてモノを考える民族、つまり漁師がなぜ山とのかかわりをもったのであろうか。そんな疑問を抱いたのは、那智大社のすぐ隣にある青岸渡寺に、立派な大漁旗が奉納されているのを見たときである。

 

平安時代から皇族や公家が足しげく参詣した熊野三山も、もともとは山民が崇めた山の神、海民が崇めた海の神、農民が崇めた田の神が出会い、ときには争い、ときには妥協し、やがて一つの合体神として祀られるようになった長い歴史があると受け止めるべきだろう。

 

ミコシで旅する山の神

・異なった民族、異なった職業が日本列島に展開するにつれて、山の神は次々と細胞分裂をおこしていったわけだが、それでもなんら超越的な性格をおびていなかった。農民が信仰した田の神も、「村の鎮守の神様」であり、祭りの日には村びとと一緒に踊り明かしたりもする。まるで共同体の一員のような親しみをもっていた。

 神の山地から平地への下降、山の神から田の神への移行の過程で登場したのが、マレビト信仰である。マレビトは年に一度、人里に出現するが、そのとき秋田のナマハゲのようにいかにもグロテスクな姿をして現れるのは、それが古代社会の動物神の名残を留めているからである。それは、人間の前に現れるカムイが、必ずクマというハヨクペ(仮装)を必要としているとされるアイヌの信仰と同じものである。

 沖縄諸島には来訪神としてのアカマタ・クロマタを迎える儀礼が伝わっている。

 

・現代の祭りでも、神輿が本社からお旅所まで担がれていくのは、明らかに「旅する神」の名残であり、お旅所は神々の原郷である山、あるいはそこに設けられていた山宮に相当するのである。神輿を本社からお旅所へ威勢よく担ぎだす行事は、神を山宮から里宮へ迎えるために、山地を離れて平地にしか暮らさなくなった稲作農耕民が編みだした苦肉の策ともいえる。

 

・醜い顔をした山の神が決して邪悪な神というわけではなく、ナマハゲやアカマタと同様に、それが稲作農耕民に<事物化>される以前のナマの神の姿なのである。

 

借家住まいを好んだ神々

・現在、われわれが目にする神社とは、いかにも立派な社殿があって、日本的建築美を誇っているが、初期の神社は自然信仰の形態にとどめて、きわめて単純な様相を呈していたと思われる。山から里へ、里から山へ旅する神に、大仰な建物は不必要だったのである。

 神が神社という一定の場所に常在すると考えられるようになったのは、ずいぶん時代が下ってのことであろう。とくに大和朝廷が自分たちの権威づけと国家の守護祈願のために、天つ神を都の近くに迎える必要が出てきたときに、その傾向は強まったと思われる。

 島根県大田市では正月に歳徳神をまつるためにカリヤ(仮屋)というものを作っていた

 

現代の日本で、太古にあった神社の原型を見たければ、沖縄地方に多数存在する御嶽(うたき)を訪れるとよい。一般的に、御嶽にはきわめて簡潔な鳥居と拝殿だけであり、その奥にある最も神聖な空間である奥津城は、しばしば白砂が敷き詰められ、石垣で囲まれている。それは神社の神垣に相当すると思われるが、岩や樹木以外には何もないその空間は、目に見ない何ものかに充たされているがごとくに、不思議な神聖感が漂っているのだ。