(2025/1/27)
『遠野物語と怪異』
遠野の呪術の世界
<はじめに>
・柳田國男の『遠野物語』は、日本民俗学の出発点とも言える記念碑的著作であり、発刊から110年以上を経た今なお多くの人びとを魅了し続けています。
<『遠野物語』に記された怪異>
・(白望(しろみ)山) 白望の山に行きて泊れば、深夜にあたりの薄明るくなることあり、秋の頃茸(きのこ)を採りに行き山中に宿する者、よく此(この)事に逢ふ。
・『遠野物語』が誕生した明治時代末の遠野では、河童や天狗、ザシキワラシなどの話が現在の出来事として語られていた。狐や狸や猫といった身近な動物たちにも不思議な能力があると信じられており、特に年を経た動物は経立(ふったち)と呼ばれ、人びとに恐れられていた。『遠野物語』の序文の中で柳田國男はこれらの怪異譚を「目前の出来事」「現在の事実」と記している。
・また、怪異と捉えられるような不思議な現象の中には、遭遇者が経験や知識に照らして河童や天狗、ザシキワラシ、狐や狸の仕業として説明できる現象がある一方、不思議な生物や物理現象(異常な音や光など)に遭遇した時、何の仕業か判断できず、恐怖や驚き、不思議に感じるような現象もある。『遠野物語』や民間伝承の中には、後者のような現象も数多く残されている。
<早池峰(はやちね)の七不思議>
・最近、宮守村の道者達が附馬牛口から、早池峰山をかけた時のことである。頂上の竜ヶ馬場で、風袋を背負った6、7人の大男が、山頂を南から北の方へ通り過ぎるのを見た。何でもむやみと大きな風袋と人の姿であったそうな。同じ道者達がその戻り道で日が暮れて、道に踏み迷って困っていると、一つの光り物が一行の前方を飛んで道を照らし、その明りでカラノ坊という辺まで降りることが出来た。そのうちに月が上って路が明るくなると、その光り物はいつの間にか消えてしまったということである。
・(天灯)頂上に於いて天より一点光の下降することあり、七月十六夜に多く見ると言ひ伝ふ
・(龍灯)頂上に於いて山下より一点光の昇る来ることあり、七月十六夜に多く見ると言ひ伝ふ
<子供等が恐れて近寄らぬ場所>
・村々には諸所に子供等が怖れて近寄らぬ場所がある。土淵村の竜ノ森もその一つである。
・先年死んだ村の某という女が生前と同じ姿でこの森にいたのを見たという若者もあった。また南沢のある老人は夜更けにこの森の傍を通ったら、森の中に見知らぬ態(なり)をした娘が二人でぼんやりと立っていたという。
<多種多様な妖怪たち>
・柳田國男は、『妖怪談義』の中で、「妖怪とは神が信仰を失って零落した姿」と定義した。この説は現在否定されており、小松和彦は「祭祀された妖怪が神であり、祭祀されない神が妖怪である」としている。
・大正から昭和時代にかけては妖怪画は衰退したが、昭和43年(1968)、水木しげる原作のテレビアニメ「ゲゲゲの鬼太郎」の放送により一大妖怪ブームが訪れ、現代日本人の妖怪観に大きな影響を与えることとなった。
<河童大博覧会>
・河童は川や沼地などの水界を棲みかとする妖怪の一種。その主な特徴は、子どものような背丈で、全身は緑色や赤色、水の入った頭頂部のくぼみ皿、左右に通り抜ける腕、水掻きのある手足、背中の甲羅などが広く知られている。
河童の伝承は全国的に分布しており、キュウリが好物で、相撲を好み、金物を嫌うといった伝承の共通性も見られるが、その呼称は地域によって様々である。現在よく知られているカッパという呼び名は、以前は関東地方や東北地方を中心に使われていた呼称だった。全国に残る河童の呼称は、メドツ、スイコ・カワタロウ・ガメ・カワウソ・ガタロ・エンコウなど多様である。
<河童と信仰>
・河童は、妖怪や水界に棲む得体の知れない生物として畏れられる反面、その霊力や神性を信仰の対象として、また守護を与える神として、各地の寺社や旧家に伝えられてきた。
・北上市の染黒寺(ぜんこくじ)には、江戸時代に馬に悪さをする河童を捕らえ、見逃してやる代わりに二度と悪さをしないことを誓ったカッパの手形(カッパの詫び状)が残されている。陸前高田市には、カッパが伝授したと言われる家伝薬が伝えられており、各地に多くの信仰と伝承が残されている。
<遠野の河童淵>
・遠野の河童淵というと常堅寺裏の河童淵がよく知られており、毎年多くの観光客が訪れる場所である。
- 綾織町(あやおりちょう)みさ崎の河童
- 小友町(おともちょう)不動巌(ふどういわお)の淵の河童
- 小友町長野の河童
・家の人が、河童から骨接ぎの仕方を伝授された話が残っている。
・河童が馬を川に引き込もうとして逆に馬屋まで引っ張られ、馬槽に隠れていたところ、家人に見つかった。
- 松崎町光興寺(こうこうじ)の河童
・むかしからいたずらをする河童が住んでいると伝わっている。特に女性にいたずらをする河童で、光興寺の淵に居て名前を「太郎」といい、洗濯などの水仕事に来る集落の女性にいたずらをして困らせていたという。また、この淵の下方にも淵があって、その太郎に言い寄る女河童が住んでいたともいわれる。この二つは今でも太郎淵、女ヶ淵と言われ、二匹の河童が住んでいるという。
- 土淵町山口の河童
・『遠野物語』第58話の舞台となった淵で、多くの語り部たちの語りや資料で紹介されている。
- 土淵町西内(にしない)の河童
- 土淵町土淵の河童
・多くの観光客でにぎわう遠野の代表的な河童淵である。
- 青笹町長谷場(はせば)付近の河童
- 青笹町中妻(なかづま)の河童
・昔、上郷村細田の石淵には弟の赤河童が、その下流の青笹村の長瀞瀞淵には兄の青河童が住んでおり、兄弟河童と言われていた。
- 上郷町板沢の河童
- 宮守町鱒沢(ますざわ)高舘(たかだて)の河童
- 宮守町上宮守(下村)の河童
- 宮守町下宮守(不動淵)の河童
・見つかった河童はある薬の作り方を教えるから逃がしてほしいと許しを乞う。それで教えられたのが、「のどっぱれの薬」というものだった。
<遠野が河童の町になるまで>
・遠野市と河童のイメージを結び付けている大きな要因の一つは、『遠野物語』であろう。『遠野物語』119話のうち、河童の話は、第55話から第59話までの合計5話が掲載されている。第55、56話は河童の子どもを産んだ女の話、57話は河童の足跡の話、58話は姥子淵の河童駒引きの話、59話は遠野の河童は顔色が赤いという話である。
<「民話のふるさと遠野」の歩み>
・著名な文学者たちによる『遠野物語』再評価に呼応するかたちで遠野市民の間でも、『遠野物語』が再評価されていった。
・遠野では昔話を語る人を指す言葉として、「語り部」が定着しているが、昭和46年から「語り部」の草分け的存在が、観光客を相手に旅館や自宅で昔話を語り始めた。
<ザシキワラシ>
・ザシキワラシは、岩手県を中心とした東北地方に言い伝え信じられている、家にまつわる神、精霊で、旧家の座敷にいて常には見えないが、時に子どもの姿をして現れると言われている。
ザシキワラシは、佐々木喜善が明治40年(1907)に『芸苑』に発表した短編小説「館の家」で初めて紹介された。近代になってから柳田國男の『遠野物語』や佐々木喜善の『奥州のザシキワラシの話』などによって広く知られるようになったと言われている。
・旧家にはザシキワラシと云ふ神の住みたまふ家少なからず、此(この)神は多くは十二三ばかりの童児なり。
・或年同じ村の何某と云ふ男、町より帰るとて留場(とめば)の橋のほとりにて見馴れざる二人のよき娘に逢へり。物思はしき様子にて此方(こちら)へ来る。お前たちはどこから来たと問へば、おら山口の孫左衛門が処から来たと答ふ。
<天狗>
・或時人と賭をして一人にて前薬師に登りたり。帰りての物語に曰く、頂上に大なる岩あり、其岩の上に大男三人居たり。前にあまたの金銀をひろげたり。此男の近よるを見て、気色ばみて振り返る、その眼の光極めて恐ろし。早池峰に登りたるが途(みち)に迷ひて来たるなりと言えば、然らば送りて遣るべしとて先に立ち、麓近き処まで来り、眼を塞げと言ふままに、暫時(しばらく)そこに立ちて居る間に、忽(たちま)ち異人は見えずなりと云ふ。
・この家の主人万吉、ある年の冬稗貫郡(ひえぬきぐん)の鉛ノ温泉に湯治に行き、湯ぶねに浸っていると、戸を開けて一人の極めて背の高い男が入って来た。退屈していた時だからすぐに懇意になったが、その男はおれは天狗だといった。鼻は別段高いという程でも無かったが、顔は赤くまた大きかった。(略)こうしてニ、三日湯治をして、また逢うべしと言い置いてどこかへ往ってしまった。その次の年の冬のある夜であった。不意に万吉の家にかの天狗が訪ねて来た。今早池峰から出て来てこれから六角牛(ろっこうし)に往く処だ。一時も経てば帰るから、今夜は泊めてくれ、そんなら行って来ると言ってそのまま表へ出たが、はたして二時間とも経たぬうちに帰って来た。六角牛の頂上は思いの外、雪が深かった。そう言ってもお前たちが信用せぬかと思って、これこの木の葉を採って来たと言って、一束の梛(なぎ)の枝を見せた。町から六角牛の頂上の梛の葉の在る所までは、片道およそ五、六里もあろう。それも冬山の雪の中だから、家の人は驚き入って真に神業と思い、深く尊敬して多量の酒を飲ましめたが、天狗はその翌朝出羽の鳥海に行くと言って出て行った。
・万吉の家を訪れていたのは清六天狗という名の天狗だった。
<『遠野のくさぐさ』の天狗の記述>
・常に籠(こも)れ折り境内の姥杉(姥杉は旧記に地上一尺にて三丈廻と見え、神木に擬せられしが、前年雷火に焼け失せたり)の梢にてホイホイと聲(こえ)するを聞き、乃(すなわ)ち出で見しに形は燕に似て大(おおき)さ人程度の者腰うちかけつつありて、或る秘訣を口授したり。同人何人に問はるるも、其の授けられし事柄をば他に洩らさざりしが、其は天狗なりけるとぞ。
<『遠野物語』の評価>
・『遠野物語』初版の200部ほどは、知人の文学仲間や親族に贈呈された。
・『遠野物語』が一般読者に広く読まれるきっかけになったのは、昭和10年(1935)に佐々木喜善の遺稿「遠野物語拾遺(しゅうい)」299話を加え得た『遠野物語 増補版』が出版されたことである。
<戦後に来た再評価とブーム>
・次いで戦後、昭和35年以後に『遠野物語』の再評価が始まる。
三島由紀夫は、『小説とは何か』で<この中で私が、「あ、ここに小説があった」と三嘆これ久しうしたのは、「裾にて炭取にさわりしに、丸き炭なればくるくるとまわりたり」という件りである。ここがこの短い怪異譚の焦点であり、日常性と怪異との疑いようのない接点である。この一行のおかげで、わずか一頁の物語が、百枚二百枚の似非(えせ)小説よりも、はるかにみごとな小説となっており、人の心に永久に忘れがたい印象を残すのである>と記し、日常生活にある炭取を、現実には存在しないはずの幽霊が回転させる描写は、「日常性と怪異との疑いようのない接点」として、怪異の表現に注目しながらその文学性を高く評価したのである。
<山に分け入る人びと>
・遠野の町に初めて電気が通ったのは大正2年(1913)。その時のことが、『遠野市史』に次のように書かれている。
「明治天皇が亡くなられた翌年の秋のある晩、家族全員がランプの下で晩御飯を食べていたところ、突然、頭の上に下げていた電燈が、ぱっと音をたてんばかりについた。皆が思わず、あっと声を上げて総立ちになった。そして聞きしにまさるその明るさに驚いた」
『遠野物語』に書かれている世界は電気がない時代のことだったから、夜といえば今では想像できないくらい深い闇の世界だった。
<山深く分け入る人びと>
・さらに、交通の要衝の城下町である遠野には、早池峰山を中心に活動していた修験者や、北上山系に広がる金や鉄の鉱山などに関わる人びとが全国から集っていた。奥深い山に分け入る彼らの中には、そこで不思議な体験をした者もいただろう。
<遠野の山の神>
・北上高地の山々に囲まれた遠野では、多くの人びとが木挽き・炭焼き・鉄砲打ち・金山稼ぎなどの山仕事に深い関わりを持ってきた。山は暮らしを支える場である一方で、山の神や山人、獣の棲む異郷であると考えられてきた。山仕事に携わる人びとは、山の神を畏れ敬い、言い伝えられてきた縁起をかたく守ることによって無事に仕事ができると信じてきた。
また、山の神は出産を助ける神とされ、お産の神としても信仰されており、集落の女性たちで山の神講を組織している地域も多い。山の神の姿は多様で、斧やのこぎりを持つ男神像、男女一対の像、女神像など様々なものが存在する。山の神は、春になると山から下りてきて田の神になり、収穫が終わると山に帰るとされる。
・ふと大なる岩の陰に赭(あか)き顔の男と女とが立ちて何か話をして居る。
<家の神、オシラサマ>
・家の神は、家屋内や土地を含めた屋敷内に祀られる神で、家や家族を守る神である。屋敷神には、神棚・仏壇に祀る神、台所に祀る神、水場に祀る神、便所の神、厩の神などがある。屋外に祀る屋敷神は、稲荷神が多い。一軒で祀る場合と同族で祀る場合がある。
遠野の旧家では家の神としてオシラサマやオクナイサマが祀られた。
オシラサマは、桑の木などで二体一組のご神体を作り、主に家の神、養蚕の神、目の神、お知らせをする神として東北地方を中心に信仰される。オシラサマは、明治27年(1894)、遠野出身の人類学者・伊能嘉矩(いのうかのり)によって初めて全国に紹介され、さらに柳田國男の『遠野物語』によって養蚕の始まりを伝える馬と娘の話が広く知られるようになった。
・オクナイサマは遠野地方に伝わる家の神で、オコネサマなどとも呼ばれる。家によって形態は異なり、オシラサマのような棒状のご神体、仏像、掛け軸など様々である。
<笠通山(かさのかようやま)のキャシャ>
・綾織村から宮守村に超える路に小峠(ことうげ)と言う処がある。その傍の笠の通(かよう)と言う山に、キャシャというものがいて、死人を掘越してはどこかへ運んで行って喰うと伝えている。また、葬式の際に棺を襲うとも言い、その記事が遠野古事記にも出ている。
・「クハシャ(キャシャ)」は「火車」と表記される妖怪であろう。火車(かしゃ)は墓場や葬儀の場から死体を奪うとされ、全国に伝承がある。
『『遠野物語』を読み解く』
石井正己 平凡社 2009/5/16
<天狗伝説と寺や家の宝物の関係>
・維新当時、赤い衣を着た僧侶が二人、大きな風船に乗って六角牛山の空を南に飛び過ぎるのを見た者があったということを、佐々木は祖父から聞いています(拾遺235話)。「大きな風船」が気球であるならば、これは気球が遠野の上空を飛んだ話ということになります。実際に気球が飛んだ事実があったのかどうかは確かめられませんが、大きな風船の飛んだ話もあれば、飛行機の飛んだ話もあるというのは、着実に遠野の上空に近代文明が入り込んでいたことを表します。
・そもそも遠野で上空を飛ぶものと言えば、まず思い起こされるのは天狗でした。天狗は山に住む妖怪で、自在にあちらこちらを移動しました。早池峰山の前面に立つ前薬師には天狗が住むと言いますが、土淵村山口のハネトという家の主人はこの前薬師に登って、三人の大男に出会い、麓まで送ってもらったという話があります(29話)。
・「遠野物語拾遺」にも、天狗の話が二話あります。一日市の万吉米屋の主人が稗貫郡の鉛温泉に湯治に行って天狗と懇意になり、天狗は最後に来た時、「天狗の衣」を残して行ったそうです(拾遺98話)。もう一説は次のようになります。
99 遠野の町の某といふ家には、天狗の衣といふ物を伝へて居る。袖の小さな襦袢のやうなもので、品は薄くさらさらとして寒冷紗(かんれいしゃ)に似て要る。袖には十六弁の菊の綾を織り、胴には瓢箪形の中に同じく菊の紋がある。色は青色であった。昔此家の主人と懇意にして居た清六天狗といふ者の着用であったといふ。清六天狗は伝ふる所に依れば、花巻あたりの人であったさうで、おれは物の王だと常に謂って居た。早池峰山などに登るにも、いつでも人の後から行って、頂上に著いて見ると知らぬ間に既に先へ来て居る。さうしてお前たちは如何して斯んなに遅かったかと言って笑ったさうである。酒が好きで常に小さな瓢箪を持ちあるき、それに幾らでも酒を量り入れて少しも溢れなかった。酒代にはよく錆びた小銭を以て払って居たといふ。此家には又天狗の衣の他に、下駄を貰って宝物として居た。右の清六天狗の末孫といふ者が、今も花巻の近村に住んで、人は之を天狗の家と呼んで居る。此家の娘が近い頃女郎になって、遠野の某屋に住み込んで居たことがある。此女は夜分如何に厳重に戸締りをして置いても、何所からか出て行って街をあるきまはり、又は人の家の林檎園に入って、果物を取って食べるのを楽しみにして居たが、今は一ノ関の方へ行って住んで居るといふ話である。
・先の万吉米屋の子孫は、実際、天狗の持っていた「衣」「下駄」「網袋」「弓矢」「掛軸」「湯呑茶碗」を保管してきましたが、今は遠野市立博物館に寄贈されています。
・遠野南部家は八戸から移封されてきましたが、その後も無関係ではなかったはずです。藩主と寺院、民衆との間には何の関係もなさそうですが、天狗を置いてみることで、隠れたネットワークが見えてくるように思われます。
『プレアデス星訪問記』
上平剛史 たま出版 2009/3
<UFOに招かれる>
<宇宙太子との再会>
・それは、私が故郷である岩手県に住んでいた16歳のときのことである。
<葉巻型巨大宇宙船へ>
・「葉巻型母船は長さ4キロメートル以上で、太さは一番太いところで、直径7、8百メートル以上あります」
・「この母船はひとつの都市機能を持っており、ありとあらゆるものが備わっています。生き物のような船であると言っても過言ではないでしょう」
・なんと、これでも中規模程度の母船らしい。10キロメートル、20キロメートル、さらにそれ以上の大きさの地球人類には想像もできないほどの巨大な母船も存在するという。この母船では縦横およそ50メートルおきに道路が設けられ、階層は最も厚いところで40~50層になっているそうである。母船の中に公園や山河まであるらしい。この母船で生まれ育ち、一生を過ごす者もいるそうである。
・宇宙人にはそれぞれ母星があるが、母船には母星の都市機能が備わっており、母星の社会がそのまま存在している。母船の惑星としての役目を果たすため母船が故郷となる者もいて、そういった者は、ある意味で、母星で暮らしている人間よりも精神的に進化しているらしい。
・「この母船には我々プレアデス星人だけでなく、様々な星人が協力のために同乗しています。地球人類がグレイと呼んでいる宇宙人もいます。もっともグレイは我々が遺伝子工学、バイオ化学、宇宙科学を駆使して造ったロボットでしたが、今では宇宙や特定の星の調査など、さまざまな分野で活躍しています。他にも爬虫類、鳥類、魚類、昆虫、植物などの生態から進化した人間もいます」
・「この母船は、最大収容能力は5千人ですが、現在は4千人くらいでしょう。ただ、乗せるだけならば、1万人は乗せられるでしょうが、常時生活して長く滞在するとなると5千人が限度です。食料やその他の問題がありますからね。この母船には、ここで生まれた子供たちを教育する係もちゃんといるのですよ。子供達が大きくなれば、母星の学校や他の進んだ星へ留学する場合もあります」
・UFO研究家で有名な韮澤潤一郎氏も「微に入り細に入る教訓的宇宙オデッセイであり、近頃には珍しい詳細な本物の体験記であると思う」と記している。
・だれしも、ある時夢での宇宙をさまよったこともあるのだろうが、本書によって、しばし宇宙旅行を楽しまれることをおすすめする。
<惑星化された母船内部>
・私は船長に言われたとおりに宇宙太子に従い、自走機で艦内を案内してもらった。艦内のどこを回っても、光源がないのに真昼のように明るい。壁全体から光が出ているようだが、影は映らなかった。小型宇宙船の駐機場、公園、スポーツクラブ、談話室、宇宙パノラマ室、図書館、レストラン、健康クラブ、プライベートルームなどを早足で回った。駐機場にはざっと数えただけで宇宙船が30機以上あり、宇宙太子に聞くと、「全部で100機あるでしょう」ということであった。
・公園は中央の中段上にあり、綺麗に整備されていた。樹木や草花が咲き乱れ、とてもいい芳香を放っている。植物の色合いはとても濃く、元気である。自然の中に小川が流れ、散策路やベンチがあった。歩くと心が癒される素晴らしい公園に作られていた。ここからさらに農場や150メートルほどの山岳に連なっており、まさに自然そのものが存在していた。
・「プレアデス星人は、現在では本を使いません。家にいながら世界中のことを見たり、知ったりできるからです。子供達が勉強するのにも本は使いません。年齢によって脳に知識を植えつけていくシステムがありますから、記憶装置を使ってどんどん知識を増やしていけます。子供達はやがて自分の得意分野へと進んでいき、個性を活かした社会奉仕へと向かっていくのですよ」
<すべてをリサイクルするシステム>
・続いて、プライベートルームに案内された。ここは寝室のある個室で、寝泊まりができるらしい。石鹸やシャンプーを使わないため風呂場はなく、シャワールームのようになっていた。そこで霧状のシャワーを浴びるだけだが、波動の加わった特殊な水なので、肌の油や垢がきれいに洗い流されるのだという。トイレは私たちのよく見るような便器ではなく、シャワールームの壁側にある人形の凹みに腰かけるようになっていた。私もためしに用を足してみたが、用が終るとその思いを感知するらしく、終ったあとのお尻に気持ちのいい温風が流れて乾かしてくれる。そのあとは軽やかな音楽が流れ、香水の香りが漂った。あまりにも不思議だったので、私は宇宙太子に質問してみた。
「大便や小便の始末はどうなっているのですか。それから、おならのガスはどうなるのですか」
「大便や小便は完全に分類し、利用しています。宇宙生活ではすべての物を再利用するシステムが完全に備わっており、ムダになる物はひとつもありません。おならのガスだけでなく、我々が呼吸で吐き出す炭酸ガスも空調システムで完全に集めて分類し、活かしているのですよ。循環システムが完全に稼働しているために、我々は星で生活しているような錯覚さえ起こすのです。母船は星と都市の機能を備えているのです」
・私がさらに驚いたのは洗面台である。歯ブラシを使って歯を磨いたり、カミソリでヒゲを剃ったりする習慣はないのだという。壁側に顔形の凹みがあり、そこに顔を当てると顔が洗われ、ヒゲもきれいに剃れるのだ。その装置の中のちょうど口にあたる部分には出っ張りがあり、それをくわえると口の中がきれいに洗浄されるのである。
「この装置はどういうシステムになっているのですか」
「ヒゲは、簡単に言えば特殊な電気でヒゲだけをきれいに焼いてしまうのです。顔の皮膚は火傷しないようにそれとは違う電気システムを使っています」
「皮膚が焼けないシステムといっても、睫や眉毛、髪の毛はどうなるのですか」
「もっともな疑問点です。我々の装置は人間の思考を感じ取って、人間の思い通りに働いてくれる完璧なシステムに作られています。ですから、本人がすることを完全にこなしてくれるわけで、髪の毛や、眉毛、睫まで焼いてしまうということはないのです。念のため、システムの中に髪の毛、眉毛、睫、ヒゲのサンプルを入れて記憶させていますから、完全に区別できます。このように、百パーセント安全なシステムでなければ、日常生活に使用しないですよ」
・「地球にあるほとんどの食物は、実はその昔、我々の祖先がプレアデスから持っていったものが多いのですよ。地球で生活するために持っていったものが地球で野生化したり、地球人が改良を加えたり、混ざり合ったりして、新種ができて今日に至っています」
・「人工太陽も利用しますが、自然の太陽の光を天井から農場まで引いて照射しているのですよ。太陽の光と熱を貯蔵して利用し、効率よくしています。また、成長ホルモンをコントロールして高単位の栄養を与え、成長を速めているのです」
<プレアデス人の宇宙科学>
<中心都市の宇宙空港>
・映像パネルに宇宙図が現れた。その中に、ひときわ美しく、金色に輝く星が見えた。星々の流れがシャワーのように後に流れはじめると、金色の星が少しづつ大きくなった。ゴルフボールから野球のボールの大きさへ、それがサッカーボール、アドバルーン大、と大きくなった。すると、星の両側に巨大な太陽が見え、まぶしき輝くの見えた。私の驚きを感じて、船長が言った。
「我々の母星は伴星の恒星にしたがっている惑星です。双星の太陽の源に我々の母星「プレアデスXⅡ」は育まれ、多種多様な生命が発生しました。宇宙の進化の目的にしたがって我々は成長を遂げ、現在の宇宙科学を駆使できるまでに進化を遂げたのです。」
・船長が命令すると、母船はプレアデスXⅡへぐんぐん近づいて行き、青く輝いていた大気圏に一気に突入し、丸く見えていた惑星に山脈や青い海が見えると、スピードがゆるやかになった。それからゆっくり降下し地表に近づくにつれて、都市の形状がはっきりしてきた。透明の丸いドームが大小延々と連なっており、それらが透明の太いパイプで連結されているのが見えた。
宇宙空港は都市郊外の山脈近くにあった。さまざまな宇宙船がそれぞれの着陸場所に降り立ち、駐機していた。葉巻型宇宙母船が台のような構造物でしっかりと固定され、何十機と駐機している。私達の乗る母船も船長の指令により、ひとつの台に降り立った。その台はやがて山脈のほうへ向かって動き出し、中へと吸い込まれていった。山脈の中は空洞で、母船と同じく光源がなくても真昼のように明るい。
・地球人類が滅亡へ向かう根本原因は、社会の基本に貨幣制度を敷き、競争社会を造っていることです。我々の社会には貨幣制度は存在しません。貨幣がなくても、『必要な人が、必要な物を、必要なときに、必要なときに、必要な分だけ受けられる社会』が確立されています。『真に平等で平和な社会』です。したがって、地球人類が『真に平等で平和な社会』を心から願うのであれば、現在の貨幣経済から一日も早く脱却しなければならないでしょう。
・「これは手品や魔術ではなく、私の思念、創造の産物です。『思考は目に見えないが、生きた産物であり、精神は感応する』という性質を、私達は宇宙科学に応用したのです。宇宙ジャンプ、テレポート、非物質化、物質化現象を応用することで、光よりも速く飛べる宇宙船を開発できました。ですから、光の速さなら何百年、何千年、何万年もかかる距離でも、宇宙船は瞬く間に目的地に着けるのですよ」
・地球人類と私達の社会では、人が亡くなったときの処理の方法も違います。街には必要と思われる箇所に『平安の屋形』という小さな家が設けられています。そこには『やすらぎの器』という遺体処理機が置かれています。これは遺体を記録し、完全処理する機械です。ある人が道で倒れたりした場合、通りすがりの人間がその人を平安の屋形に運び、やすらぎの器に乗せてあげます。機械は霊魂が昇天しているかどうかを判断し、まだ死亡していなければ生存していることを知らせ、どこへ連れて行くべきかの指示を出します。そこで遺体の発見者は、指示されたところへ自走機で連れて行きます。誰もが必ず連絡先の書かれたカードかチップを携行しているので、それを見て家族へ連絡します。
<愛の奉仕活動を基本とする社会>
<工業都市ミールの宇宙船製造工場>
・宇宙太子が「さあ、出かけましょう」と私をうながした。彼は私を自走機に乗せ、館内を見せてくれた。パブリックホールにはさまざまな星人、人種がおり、楽しそうにくつろいでいた。宇宙太子が「あれはオリオン人、あちらはシリウス人、むこうはアンドロメダ人、それからリラ人、カシオペア人、牡牛座人、ヘルクレス人、レチクル人、リゲル人………」などと教えてくれたが、とても覚え切れるものではなかった。
「みなさん、それぞれの目的のもとに我が母星を訪問しているのです。研修や宇宙旅行の途中に立ち寄ったり、剛史と同じような目的だったり、宇宙人連合の会議に出席するためだったりします。今、私がそれぞれを紹介しましたが、地球人の星座を使って、地球人にわかる形で表現しただけで、実際には違う名称です。我々の科学も本当はピクス科学といいますが、地球人にわかりやすいように、プレアデスという名称を使っています」
・彼らは顔や体形にそれぞれ特徴があった。目立ったのは、鳥、爬虫類、牛などの特徴を持った人間である。
「彼らもまた、進化した人間なのですね」
「もちろんそうです。科学力においては、地球人類よりはるかに進化を遂げています。顔がヒューマノイド形でないからと言って、見下げるのは誤っています。科学力において進歩しているということは、精神面においても進化していると思っていいでしょう。知恵と精神面の発達はとても重要で、その人類の生きかた、社会のありかたを決定づけます。地球人類の社会に争いや戦争が絶えないのは、精神面がとても遅れていると見なければなりません」
・自走機で小型宇宙船が駐機している屋上まで行き、そこから小型宇宙船で工業都市へ向かった。宇宙船が上昇したので都市全体を見渡すと、各ドームがいっせいに美しいカラフルな色に変色した。
・工業都市ミールは先ほどの首府アーラとは違い、透明なピラミッド形の建物が多かった。その他に箱形やドーム状のものも点在するこの都市も、たとえようがないほど美しかった。山脈に続く一角にはさまざまな宇宙船が並んでおり、宇宙船はこの工業都市で製造されていることがひと目でわかった。
「工業都市は他にもありますが、宇宙船は主にこの都市で製造しています。工業都市にはそれぞれ特徴があって、宇宙船だけでなく、あるとあらゆる機械、ロボット、コンピューター、設備関係、家庭で使う小物の道具類まで、我々の社会に必要なものはすべてが製造され、そこら全国へ配送されます。すべて国の管理により、必要に応じて製造され、ムダなく使用されます。地球人類のように会社が競争して、必要以上に製造してムダにする社会とは違います。『必要な人が、必要な物を、必要なときに、必要な分だけ受けられる社会』、『誰もが平等に平和に暮らせる社会』が確立しているため、人よりも物を蓄えようという物質欲ははるか昔になくなっているのです。我々の社会では『人に与えることが自分の幸福』なのです」
<過去にも未来にも行ける>
・「過去は実際にあった現実ですから、ある程度理解できます。でも、まだ現実になっていない未来をどうしてとらえられるのか、僕にはわかりません。先ほどの『さくらんぼ娘』にしても、まだ生まれてもいないし、両親は結婚さえもしていないわけでしょう。それなのに、どうして次元に入れるのでしょう。アカシックレコードは過去の記録でしょう。
「もっともな疑問ですね。この世に物質が誕生するとき、その物質にはその物質の一生が記録されています。ですから、人間ならば、その人の肉体と霊魂をさぐれば、その人の未来も知ることができるのです。つまり、この宇宙の物はすべて未来の記録を発しているわけです。実を言えば、過去も未来も今、ここに存在しているのです。過去に遡れるのなら、未来にも遡れるのですよ。遡ると言うより、『その次元に入り込む』と言ったほうが正しいかもしれません。地球人類的に言うならタイムマシンですね。
<大規模農場アースナムの『ミルクの木』>
・「農作業はほとんど機械とロボットが行い、人間は管理だけをしています。ここでは地下が倉庫になっており、コンピューター管理によって運営されています。ここから地下の流通路を通って都市から都市へ、必要なところへ必要な分だけが配送されていくシステムです。個人が自分の趣味でやっている園芸農園もあるのですよ」
<海洋都市アクーナ>
<自然環境と調和する都市>
・小型円盤でしばらく飛行すると、海岸線に添うように、丸い形の家がたくさん見えてきた。もう着いたのかと思ったが、円盤は沿岸の街へは下りず、海へ向かった。その海を見下ろすと、海中がまるで宝石でもばら撒いたように光り輝いていた。宇宙太子は「ここが海洋都市アクーナです。入りますよ」と言うと、そのまま円盤を操作して海へ突っ込んでしまった。海中を進むと、ラッパのような構造物があった。円盤はその先端の大きな口の中へと入って進み、やがて巨大なドーム状のプールに浮かび出た。まわりにたくさんの円盤が並んでいる駐機場がある。そこは、海洋都市アクーナのプール港ステーションだった。
私達は自走機に乗って都市を回り、ひときわ立派なドームにたどり着いた。
<知識はレコ-ディングマシンで脳に記憶>
・「地球人類は学問的知識を覚えるのに、もっぱら暗記力に頼るようですが、我々の社会ではそのような苦労はしません。先ほども言いましたが、脳に記憶を植えつけ、脳に知識をレコーディングしていきます。年齢別にレコーディングの種類、最も決められています。そのために、図書館にはあらゆる分野の知識がつまったチップがそろっています。チップをレコーディングマシンにはめて、知識を脳に流し込んでやるだけで、物理なら物理の知識が記憶されます」
・初めて会った子供達が、流暢な日本語で挨拶したので驚いてしまった。
「みなさんこんにちは。歓迎してくれてどうもありがとう。みなさん、日本語がうまいですね、どこで覚えたのですか」
彼らはいっせいに言った。
「レコーディングマシンで覚えたのです。私達はみんなこれで知識を蓄えるのですよ」
「みなさんは今、僕と初めて会ったのに、僕を知っているようだけど、どうしてかな」
「私達はレコーディングマシンで何でも知ることができるのです。レコーディングマシンを使えばわからないものはありません。わからないとすれば、この世を創造した神様がどこから来たのかということぐらいでしょう。それに、私達の脳は地球人と違って、近くにいる相手の意識が伝わって来るのです。だから、剛史が地球から来たことがすぐにわかったのです。魂の進化を遂げた私達の脳は、受信、発信ができる便利な脳に発達しています。そのおかげで、脳による意識と意識だけのテレパシー会話ができるほどに能が発達しました。神の方向性に向かって、神に近づくように進化し続けているのです」
彼らはまるで子供らしからぬ説明を、日常会話でもしゃべるように話した。私は、こんな小さな子供達が地球の大人以上の認識で話すのを聞いて、プレアデス人の進化の度合いは半端なものではないと感じ取った。
<進化した子供たちとの会話>
・「プレアデスでも突発的な事故による怪我や病気、手足の骨折もたまには起きます。でも、今のプレアデスの医学ではほとんどの病気や怪我は完全に治ります。地球の病院でも治療は、拒否反応やアレルギーが起きたり、病巣を体に残したり、醜い疵跡や後遺症が残ったりといったことが多々見受けられますが、そのような治療は一切していません。ただ、プレアデスにも老衰はあります。老衰死はどの星人にもありますから、避けて通れません。そのために、老後に安心して死を迎えられるように、老人達が自分の意思で自由に出入りできる老人憩いのホームを作って、楽しい生活を送れるようにしているのです。病院と老人の施設は同じ場所にあり、両方の施設はつながっています」
<地球への帰還>
<5千人を収容できる円盤型巨大母船>
・私達はパブリックホールで休憩をとった。ここもたくさんの星人と人種でいっぱいだった。空いたテーブルを見つけて陣取ると、私を残してクレオパと他のプレアデス人達は飲物をとりに行った。周囲には明らかに地球人と思われる顔が見かけられた。アジア系、ヨーロッパ系、アフリカ系、ロシア系、アメリカ系、ラテン系など、さまざまな人種の顔が異星人に混じって談笑していて、中には明らかに日本人と思われる者もいた。この星へ来るときの葉巻型母船でもそうだったが、自分以外にも日本人は来ているのかもしれないと私は思った。やがて、クレオパ達が飲物を手に戻って来た。クレオパはグラスを私に差し出し、隣に座った。
「剛史、どうぞこれを飲んでください。さっき、剛史が思ったことはその通りなのですよ」
「えっ、何のことですか」
「この母船には地球人は剛史だけではないということです。そしてまた、地球人と同じ系の種は、他の星にもたくさんあるということです。したがって、モンゴロイド系も他の星にたくさん存在しているのです。たしか、今回はもう一人M・M氏が乗っていると思います」
・地球人類の科学では光がもっとも速く、それ以上の物はないという認識ですが、プレアデスの基本的科学では『光よりも速く進み、光よりも速く飛ぶ科学技術』が常識です。私達はそれをすべて自然から学びました。この世のこと、あの世のこと、すべての問題、それに対する答えも自然の中に隠されているのです」
・私は自走機に乗り、艦内を走り回った。この円盤型巨大母船は直径約2.5キロメートル、中心のいちばん高いところで、最高6百~8百メートルくらいの高さがあり、母船全体の階は何十層にもなっている。各部屋の天井の高さは3メートルくらいで、ここでも壁全体が発光していた。円盤の中心には、とても太い円柱が上から下まで通っている。それが自然エネルギーを吸収し、有用なエネルギーや必要な物質に変える装置であり、母船の心臓部であるらしい。その中心から十字形に巨大通路があり、30~50メートルおきに、輪状に約10メートル幅の通路が通っているので、艦内が自在に回れるのである。部屋と設備は、ほとんど葉巻型母船と同じだったが、人工農場、人工養殖池、公園、山岳はとくに注目に値するものであった。
<クリーエネルギーの星と核戦争で滅んだ星>
・クレオパが「これからSRX星を少し覗いてみましょう」と言って、母船の運動を緩めると、ある星の上で停止させた。「この星は爬虫類から知的生命体に進化した星です」との説明だった。クレオパが母船に指示を与えると、画面に映っていた星がどんどん拡大し、やがて地上の都市らしきものが見えはじめた。お椀を伏せたような建物が点在し、そこから人間らしき生命体が出入りしているのが映しだされてきた。ある一組のカップルに焦点が合わされると、顔や姿がはっきり見えた。二人は向き合って話し合っている様子なのだが、奇妙なことにおたがいに舌を出し合い、ペロペロと舐め合っていた。肌には鱗状のものが見えた。
・SRX星人は母系家族で、一夫一婦制ではありません。子供が4年でひとり立ちすると父親である男性は去り、母親はまた新しい男性を捜すのです。そして、おたがいに愛が芽生えれば、母親はまた子作りをします。その点、とても進歩した社会体系を確立しているようです。男性も女性も、おたがいにひとりの人間に縛られないというのは、とても素晴らしいことだと思います。
・クレオパが母船を自動操舵に切り替えると、ふたたび母船は宇宙ジャンプをしながら進んでいった。SRX星人の舐め合う赤紫の舌が、なぜか私の目に強烈な印象として残った。しばらくしてクレオパが「核戦争によって生物が滅亡したキロSX星を、参考のために見ておきましょう」と、母船をある星の上に停止させた。画面で星を拡大していくと、都市の残骸が少し見えたが、あたりはほとんどが荒涼たる砂漠と化していて、生物の姿は見あたらなかった。星全体がガスのようなもので覆われている。その不気味な静寂に、いいしれぬ悲しさが感じられた。
「この星は核戦争によって、全都市が破壊されました。そして、戦争を起こした種族だけでなく、その他の全生命も滅亡してしまったのです。今は強力な核の放射能によって覆われているので、とても危険で近づけません。もはや生態系はこわれ、生命の住めない、死んだ星になってしまったのです」
『宇宙太子との遭遇』 上平剛史作品集
上平剛史 たま出版 2009/12
<宇宙太子(エンバー)との遭遇>
<御家倉山(おやくらやま)での出遭い>
・宇宙船は私のほぼ真上までくると滞空した。やがて、グリーンの光の帯が降りてきたかと思うと、その光に乗って、『ひとりの人間のような者』が、地上へ降りてきた。そして私と30メートルほどはなれて降りたった。髪は美しい栗色で、肩のあたりまであり、きれいにカールされていた。目は青く澄み、美しく整った顔は、神々しさをたたえて、ニッコリと微笑んでいる。黄金色の柔らかな絹のジャンプスーツのようなものを着ており、腰にはベルトのようなものが巻かれていた。私には、天使か神様かが地上に降り立ったかのように思えた。私が驚いたまま、じっとその存在を見つめていると、相手は静かに口を開いた。日本語だった。「やあ、剛史君、初めまして。いつか、のろさんが話したことのある宇宙太子というのが私です。よろしく。今日、ここへ君を来させたのは、私が呼んだのですよ」
<「昔から御家倉山(おやくらやま)には天狗が出ると言われていたから、それは天狗だべ」>
<未来>
・ちなみに、我々、プレアデス星人は6次元から7次元のレベルにあります。あなた方から我々の科学を見ると、進歩の度合が高すぎて神がかっているように思われるようですが、この宇宙には我々にも分からないことがまだたくさんあるのですよ。ていねいに調査しても、まだ宇宙のほんの一部分しかわかっていないのです。さあ時間がないから先を急ぎましょう。次は東京です。
・前と同じように、画面に日本地図が現れ、宇宙船の現在地が示され、赤い点がするするっと東京の位置まで伸びてとまった。また、一瞬思考が止まったような感覚と、かすかになにかをくぐり抜けたような体感があった。わずか数分のことである。赤かった印がきれいなピンク色に変わると、やがて正面の画面に東京の街並みが映し出された。
・しかし、それは今までのビル群とは明らかにちがっていた。全体がガラスかプラスチックのような透明な建物で、ピラミッド型や丸いものが多かった。レールも、煙を吐きながら走る汽車もなかった。車も従来の車輪がついたものではなく、浮きながら滑るように走っていた。窓へ駆け寄って下を見ると、やはり、それは画面に映っている光景だった。皇居と思われる画面が映し出された。が、そこに皇居はなく、人々の憩いの公園となっており、だれもが自由に出入りしていた。
・私は、びっくりして、「まさか、未来の・・・・」とつぶやいた。
「剛史、よく気がついたね。そう、これが日本の未来です。日本という国はなくなり、世界連邦のひとつの州になっているのです。世界連邦においては、もはやお金は必要なくなったのです。地球人類も少しは進歩したようですね」
『北の大地に宇宙太子が降りてきた』
上平剛史 たま出版 2004/6
・著者は、昭和16年生まれ、岩手県浪打村(浪打峠に「末の松山」のある所で有名)出身。
<大いなるもの>
・目には見えない極微極小の世界から、波動によって織りなされて、物質は発現してきているのである。すなわち、「この世」に「大いなるもの」によって、発現されたものは、全て感性を持っているのであり、「大いなるもの」は、波動によって段階的に次元をつくりながら息吹によって気を起こし、自分を発現していったのである。
<貨幣経済の廃止>
・国は、歳入不足に陥ると、すぐに国債を発行して、帳尻を合わせる。国民からの借金で、目先をしのぐのである。その国債には利払いが発生し、その利払いが大変な額になって毎年のしかかり、利払いのためにも赤字国債を発行しなければならなくなる。そのため、赤字国債は雪だるま式に巨大な額となり、ついには元金の返済は不可能という事態に陥る。その地点を「ポイント・オブ・ノーリターン」という。
・日本はすでに、ポイント・オブ・ノーリターンを超えてしまった。超えてはならない線を越えてしまったのである。
・ポイント・オブ・ノーリターンを超えているのに、日本は自衛隊をイラクに派遣し、赤字国債乱発で得たお金をそれに使う。
・国内には経済問題による生活困窮者が激増しその結果、借金苦や事業の行き詰まりから自殺する人達が増加したのである。
・日本は国家予算の使い方を抜本的に考え直さなければならない。従来の予算の使い方を隅から隅まで洗いなおして、何が無駄に使われて、何が有効的だったかを、はっきりさせなければならない。
<宇宙連合>
<宇宙太子からのメッセージ>
・地球人類よりもはるかに進化した星人により組織されている宇宙連合の仲間(オリオン人、シリウス人、アンドロメダ人、リラ人、カシオペア人、牡牛座人、ヘルクレス人、レチクル人、リゲル人・・・・)に加わってください。
・人類が宇宙連合に到達したならば、宇宙考古学により、地球人類のルーツが、明らかになるでしょう。そして、宇宙に飛び出すことに力を集中してください。私も宇宙連合もいまかいまかと人類を待っているのです。
・人類の英知を科学の進歩、医学の進歩、文化の進歩に総結集したならば、人類は星間宇宙旅行のできるスペースマンにまで進化し、地球人類よりもはるかに進化した異星人たちによる宇宙連合の仲間入りを果たすことができる。
・進んだ星人(宇宙人)は、すでに宇宙と生命の原理を解明していて、神の領域にまで到達し、星から星へ瞬時に宇宙のどこへでも意のままに行けるシステムを開発している。その驚くべきシステムは新しいエネルギーの発見と、その利用の仕方に負うものであり、地球人類は、新エネルギーの発見と利用については、あまりにも遅れすぎているのである。
<「あの世」と「この世」>
・「大いなるもの」は、波動によってさまざまな次元をつくりながら、この大宇宙を創造し発現させている。
「この世」の裏側には「あの世」があり、「あの世」の裏側には「この世」がある。その認識は正しいのだが、「この世」と「あの世」は、異なった次元に同時に存在しているともいえる。
その「この世」と「あの世」も「大いなるもの」が波動によって発現させたものである。
「あの世」が普通の人間に見えないのは、その次元を普通の人間の感覚器官がレシーブできないからである。波動の違いによって見えないだけなのである。
・進化した星人、宇宙人においては、貨幣経済というものはなく「誰もが平等に平和に暮らせる社会」は、人類が誕生する以前から確立されていた。その後に誕生した地球人類は進化した星人に追いつけないばかりか、いまだに自然を破壊しながら、戦争ばかりを繰り返している。
<そんな感傷の日々を送っていたある日、突然、私に宇宙太子が降りられ、私に「宇宙の法」を授けられたのである>
( 2018/12/12)
『山の怪奇 百物語』
山村民俗の会 編 河出書房新社 2017/5/26
<上州奥多野山地の妖怪 時枝務>
<奥多野への誘い>
・奥多野という言葉が使われるようになったのはそう古いことではない。ふつう、群馬県多野郡上野村・中里村・万場町の総称として使われているが、だいたい多野郡になったのは明治29年のことで、それまでは南甘楽郡に属しており、山中とか山中谷などと呼ばれていた。
<天狗の怪異>
・住居附の山中には天狗の杉がある。天狗がその木の枝に腰かけて憩うところから、その名がついたという。ある時、その木を伐ろうとした者があったが、幹に傷をつけたとたん、気がふれてしまった。楢原では「沢の窓木、峰の三本木」といって、窓木と三本木は伐ってはいけないと伝える。窓木というのは幹のまん中にぽっかりと穴があいたようになった木のことで、やはり天狗のものと考えられている。三本木というのは根本から三本に分かれて生えている木で、これも山の神や天狗のものとされている。山には伐ってはいけない木がいくつもあるが、そういう木はふつうの木とどこか違っていて、外見ではこれは伐ってはいけないということがわかるという。
・楢原の中正寺の裏山では夜中に太鼓の音が聞こえることがある。小春の猟師が聞いた時には、はじめは軽くたたき、やがて「ピイトロ、ピイトロ」と笛の音が混じり、最後に耳をつんざく大きな音になったという。
・浜平では、秋になると天狗のお能がよくある。大きな太鼓の音に、「ピイトロ、ピイトロ」と笛の音がして、にぎやかな囃子がどこからともなく聞こえてくる。とりわけ山仕事をする者はよく聞くことがある。音のする方へ歩いていくと、だんだん音が遠のいていって、いくら行っても天狗の姿は見えない。なんとも気持ちの悪いものだという。
・楢原から南牧へぬける塩の沢峠にも天狗がよく出る。昔、峠をこえる途中、急に大風が吹いてきて、木が倒れる音が山中に響きわたり、危険で歩けないので道に伏せた者がいた。しばらくじっとしていたが、突然誰かが背中をふむではないか。一瞬驚いたが、よく見れば知己の者で、後からきて追いこすところだった。「おい、どうした」と声をかけられた時には、つい先ほどまでしていた音は何もなかったようにおさまり、二人は無事に山を下ったという。この現象は天狗の仕業であるといわれるが、誰も天狗の姿を見た者はなく、いつも音だけがするという。
・楢原では、山仕事に出た男が夜になっても帰ってこないので、翌日に村の者が山に探しに入った。なかなか見つからなかったが、ついに崖の下の岩の上にぽつんと座っている姿を発見し、「どうして、こんなとこに来たんだい」と聞いてもまったく覚えていなかったという。これは天狗に連れ去られたのにちがいないというので噂になった。天狗は時としてとんでもないいたずらをするのである。
・乙父のキヨジは強者の猟師だった。ある時、山に泊まって用をたしていると、向かいの山から「キヨジのマラはでっけえな」と大声でいうのが聞こえてきた。すかさず、キヨジが「うぬが口ほうばるか」といい返すと、木の枝がふってきた。そこで、諏訪の神文を唱えて鉄砲を打ったら、山が動くほどの大声で笑ったという。これは山の神のしわざだろうか、それとも天狗の怪異であろうか。
<山姥と山男>
・鍋割山の官林には山姥が棲んでいる。昔、楢沢の隠居が、鍋割山の岩穴で、木の葉の着物に身を包んだ山姥に出会った。「なぜ、こんなところに来たんだ。二度と来るんじゃねえ。これをやるから、人に見せちゃならねえ。見せなけりゃ、一生困らせねぇ」といって、蜂の巣みたいな形の盃をくれた。隠居は盃を大事にしまっておいたが、3年目になにげなしに人に見せたところ、大嵐が突然襲い、隠居家が全壊してしまった。隠居のじいさまは座敷に坐ったまま、ばあさまは台所で、材木の下敷きになって潰されて死んだ。
・神ヶ原には山姥の足洗い淵がある。昔、叶山に山姥が住んでいて、三津川の権現様の秋まつりの日である九月二十七日になると、かならず山から下りてきた。その時、山姥が足を洗ったのが足洗い淵である。淵とは名ばかりで、神流川の河原にある大石の中央のくぼみに水がたまっているに過ぎないので、石たらいという人もある。眼病の人はこの水で目を洗えば治るという。また、日照りの時には、この水を汲み出せば雨が降るというので、片瀬や宮地の男衆が水を汲み出したものだった。ところで、その山姥は酒が大好きで、ヤマサンドックリ(山の下に三と書いてあるトックリ)をもって、「酒くれ」といってもらっていった。そのトックリには酒があまりにも多く入るので、ある時、まつりを一日早く済ませ、山姥に酒をやらないようにした。いつもどおり山姥がきて「酒くれ」というので、「おまつりはきのう済んじゃったよ」というと、山姥は残念そうに、「このムラは貧乏する」といって帰った。それ以来、山姥は来なくなったが、代わりに村の作物はろくなものができなくなってしまったという。
・鍋割山には山男も棲んでいる。住居附の人が山男に出会ったとき、盃をもらったが、人には決して見せるなと言われた。ずっとたってから人に見せたら、熊蜂の巣に似ていたというが、それで祟りがあったかどうかはわからない。山男は笠丸山にもいる。この山の中腹には洞窟があって、中からガヤガヤと話し声が聞こえてくる。のぞいてみると、山男が一人いるだけで、誰も話しなどしていなかったそうだ。
<大入道その他>
・奥多野には大入道も棲んでいる。乙父沢の猟師が親子で猟に出て、鍋割山の岩穴に一泊したとき、大入道に出会った。大入道は、ツルツル頭に大きな目が一つの姿なので、一つまなことも呼ぶ。
・浜平の杣(そま)は、子供の頃、浜平の奥の北沢から下ってきたところで、大入道にばったりと出会った。あたりがうす暗くなった時刻だったという。「ギャア、ギャア」という音とともに、黒衣をまとった大入道が出現したが、その胸には毛が一面に生えていて、片手でその毛をなで上げていたという。
奥名郷では、子どもが夜泣くと、「ヤマンボ」が来るといって泣く子をいましめる。ヤマンボは大男で、悪い子を高い岩の上へ連れていって、谷底へ放り投げるという。実際、権現岳の岩棚の上に子どもが連れ去られ、置き去りにされたことがあった。その時は、幸い見つかったので、縄でずり上げて助けた。
・奥名郷の男が、野栗沢で一杯やっての帰り道に、赤い着物を着た娘が一人で夜道を歩いているのに出会った。あまりに後姿がかわいいので、なんとか追いつこうとしたが、いくら走っても追いつけず、しまいにふいと消えてしまった。ムジナに化かされたのだろうという。
<山と妖怪>
・奥多野の妖怪はほとんど山にいる。天狗も山姥も、みな山を棲み家としていて、時折そこへ侵入してくる者に姿を見せるのである。浜平の上流の山は、かつて身の丈八尺もある老夫婦がいたと伝えられているが、山の奥深くには、この世とは異なった世界があると考えられていたらしい。
魚尾の山中には古い猫が集まって盆踊りをしたところがあって、そこを舞台と呼んでいるが、そういう不思議が山のなかには少なくなかったのである。山へ一歩踏み込めば、どんな怪異に遭遇するやもしれないという不安は、それが具体的であればあるほど、すんなり受け入れられたのである。
・山は、人の心を普段とは違った状態にすることがある。奥名郷の木挽きの妻が、幼な子を連れて川へ米をとぎに出たまま行方知らずになり、そのまま16日間見つからなかった。その間、すぐそばまで知人が探しに来たが、耳もとで黙っていろという者があったので、6回も応答しなかったという。耳もとでささやいたのは山の神だというが、それにしても16日間もじっとしていたというのは、やはり尋常ではない。彼女は16日間も山の中にいて、幻聴を体験したのである。天狗の怪異の場合、太古や笛の音が聞こえるわけで、これも幻聴である。しかも、ひとりだけではなく、居合わせた者のみが同時に聞くことが多いというのであるから、なんとも不思議な話である。
・妖怪は人を驚かすのみでなく、山人に時として幸福をもたらす。しかし、それが裏返しになると恐ろしい災いを与えることになる。鍋割山の山姥は、一生困らせないといって盃をくれるが、それを人に見せてはならないという。ところが、盃をもらったじいさまは、山姥の言葉を忘れて、つい人に見せてしまう。すると、大嵐で家を倒され、じいさまもばあさまも死んでしまう。もし、盃を人に見せなければ、おそらく幸福な一生が約束されたにちがいない。妖怪の力は、山村の人たちにとって幸・不幸のいずれの要因ともなりうるものだったのである。
<奥武蔵越生地方の妖怪ばなし 新井良輔>
・越生は秩父盆地を取巻く山脈の外側、関東平野に面した、通称外秩父にある小さな町である。最近でこそ東京への通勤圏となり、ベッドタウン化しつつあるが、まだ自然が残り、越生梅林、黒山三滝、越生七福神と埼玉県でも指折りの観光地になっている。
<さまよえる稲荷の狐>
・明治40年、内務省は神社統合令を出し、耕地の稲荷も、他の4社の稲荷とともに八幡神社に合祀されて越生神社となり、稲荷の森も競売され田圃となってしまった。ところが、この耕地の中にある一軒家、吉野氏宅では、毎晩、家の近くを何かが走り廻り、騒がしくて恐ろしがっていた。
ある夜、吉野氏が眠っていると、枕元に一匹の狐が現われて、「私は耕地の稲荷に住む狐だが、稲荷の森がなくなって住む所がなく、毎晩お騒がせしているが、どうか私の住む処を作って下さい」と涙をこぼしたという。
親切な吉野さんは、早速庭先に祠を造り、お稲荷様を祀ってやった。すると、その夜からは今までの騒ぎもおさまり、吉野家にも平穏が続いたそうである。
<狐の嫁入り>
・私が小学校3年生の頃、祖母が、「今夜は狐の嫁入りだ」といって、私を裏へ連れて行った。山武の里の上の方に、たくさんの灯がちらちら動いているが、恐ろしさは全くなかった。
<狐に化かされた曾祖父>
・私の曾祖父、藤太郎は、越生連合戸長(今の村長)を務めた人であるが、毎月28日には川越の不動様へお参りに行く信心家でもあった。
川越へは5里、その日も番頭に提灯を持たせて暗いうちに家を出て、如意から箕和田へかかったところ、どうしても見覚えのある所へ出ない。これは道に迷ったかな、それにしても通いなれた道でしかも番頭と二人連れ、ことによると狐に化かされたのかも知れないと、山道に腰を下ろし、火打石を出して一服つけて見た。昔から「狐には切り火が一番良い」といわれていたからである。
すると急に夜が明け始めて、山の中をさまよっていた自分を見出した。どうやら、如意と箕和田の境の山中をぐるぐる廻っていたらしい。
<お稲荷様のお寿司>
・太平洋戦争も敗色濃くなり、越生・毛呂山の山の中に、地下工場を造ることになって、たくさんの飯場が出来た。食糧難で土地の者さえ満足に食べられなかった時代、重労働をする飯場の労務者はいつも空っ腹をかかえて、「ほしがりません勝つまでは」と頑張っていた。
入浴もままならない飯場で、ある夜、若い労務者が急に裸になり、「いい湯だ、いい湯だ」と表を歩き廻り夜を明かしてしまったことがあった。
朝になって仲間が、どうしたのだ、と問い詰めると、夜中のことは何も覚えていない。ただ夕方、近くの稲荷様を見たら、いなり寿司が上っていたので、それを食べてしまった、という。
苦しい労働の上に、入浴、食事もままならぬ労務者への、お稲荷様の粋な計らいであったのか、あるいは狐に化かされたのか、確かなところは分からない。
<愛宕山の狐(火の玉と提灯行列)>
・西戸と箕和田の境にある愛宕山には、昔から悪い狐が住み、時々、山頂の大松にたくさんの提灯をつけたり、夜道で大声を上げたりして恐ろしがられていた。その昔、私の曾祖父が、箕和田境にはたしかに狐がいると語っていたことが思い出される。
如意の堤さんの父親は、その日、川角へゆき、暗くなってから、大類越出で越辺川を渡り、土手に上ろうとすると、下流の方から大きな火の玉が飛んで来た。これは大変と、身を伏せたところ、火の玉は「ゴーッ」と音を立てて頭の上を通り過ぎたそうである。「あれは愛宕山の狐の仕業に違いない」と、やっとの思いで逃げ帰ったという。
・ある夜、沢田の人が家の裏へ出てみると、愛宕山あたりの中腹に変な灯りが見え、それがだんだん近づいて来る。やがて灯は提灯の列となり、十個ほどが横に並んで動いて行った。恐らくこれも、愛宕山の狐の仕業であろうといわれている。
<夜振りの怪>
・ふと下流の越辺川橋の方へ眼をやると、はるか遠くの空に怪しい光が見える。なおも見つめていると、それが次第に近くなり、光は14、5にも増えて横になったり、縦になったりしている。びっくりして、川から逃れようと何とか土手にはい上った。近くに瓦屋の作業場があり、まだ職人が仕事をしているらしく灯りが点っていたので、一目散に駆け込んで助けを求めた。振り返って見ると、灯りの列は西戸あたりに見え、一瞬にして消えてしまったということである。
これも噂に聞く愛宕山の狐のいたずららしい。時は昭和9年の夏、空に星1つない曇った夜であったそうな。
<画になった狸>
・津久根の中喜屋さんは働き者で、その日も魚や乾物を荷車に乗せて、麦原へ商いに出かけた。秋の祭の前とて、商いも上々、鼻唄まじりで黄昏の麦原川沿いに下って来ると、小杉との境の百貫淵という淵の岩に、誰か腰を掛けている。「今頃誰だろう」と、よく見ると大狸であった。驚いた中喜屋さんは一目散に逃げ帰ったが、この慌てた姿があまりにおかしかったので、村中の話題になってしまった。それを近くに住む泥人という襖絵画きが筆をとり面白おかしく画にして、中喜屋へ持って行ったが、中喜屋さんは怒るどころか、喜んでそれを大切に保存した。
<狸が遊びに来た油屋>
・毛呂山町の小川喜内先生のおばあさんは、嘉永岩年生まれ、実家の市場村(毛呂山町)の山崎家は、農業の傍ら油搾りを副業としたため、今でも油屋の屋号で通っている。
この作業場の一角に大きな囲炉裏が残っている。昔、この作業場で夜業をしていると、「油屋さん今晩は、油屋さん今晩は」
と声がするので障子を開けると、一匹の大狸が入って来て囲炉裏の向こう側に廻り、大あぐらをかいて暖をとってゆく。別に悪さをするわけでもなく、毎晩のように狸は油屋へ遊びに来て、夜業が終わり片づけ始めると、静かに帰って行ったそうである。
<上村華蝶と狸>
・毛呂山の著名人、上村華蝶はよく、「俺は霞を喰って生きているのだ」と言っていたが、気の向くままに絵を画き、襖や屏風に仕立てて生活していた、まさに仙人のような人であった。
・ある夜、華蝶夫妻は山の下の本家へお風呂をもらいに行ったが、往復1時間もかかる山の上のこと、戦後でも電気は引けず、ランプを消して下りたのに、近づいて見ると家から灯りがもれて、話し声も聞こえる。そっと提灯を消して入口に立つと、一瞬灯りは消えてしまった。家に入り、灯をともして見廻したが、出かける前と何ら変わった様子はない。
こんなことが幾度かあり、時には庭先や坂の途中で「華蝶さん!」と名前を呼ばれることもあったそうだ。しかし、さすがは仙人暮らしの華蝶さん、どうせいたずら狸の仕業であろうと、笑って一度も化かされたことはなかったそうである。
<越辺の平四郎>
・越辺川には「オッペの平四郎」という河童が住み、時々子供を川へ引きずり込んだという。この河童は町裏の通称「島野の裏」とよぶ淵に住んでいて、島野家の残飯を食べていた。島野家の当主は、島野伊右衛門といって、特産の越生絹の大問屋で、代々庄屋を務めた豪商であった。
お盆になると、川施餓鬼といって、水難で死んだ人や無縁仏を供養するために、川へ胡瓜や茄子が流された。河童は胡瓜が大好物で、平四郎は大喜び、残飯にあきると、この胡瓜を食べに出た。ところが、お盆に子供が川にゆくと、平四郎は、これもお施餓鬼の供養と間違えて、子供を川に引きずり込んで尻へ藳筒(わらづつ)を差し込み、はらわたを食べるのだそうだ。このためお盆中に私達子供が川の方へ行くと、祖母は顔色を変えて連れ戻しに来たものである。
時代が変わって現代でも、越生小学校では水難防止のため、越辺川の淵や沼には、この平四郎の顔を画いた立札を立てて、注意を呼びかけている。
<八幡淵の河童生捕り作戦>
・八幡淵は毛呂山町川角裏で、武蔵野台地に突き当たり、大きく湾曲する場所である。
・八幡淵には昔から河童が住んでいると伝えられた。明治9年7月16日、ここへ泳ぎに行った12歳の女の子が溺死するという事件が起こった。その年は異常渇水で、淵の水も非常に少なくなっていたので、これこそ河童の仕業と村中へ告れを出して、各自手桶を持って集まり、淵の水を掻い出し、河童を生捕りにしようとはかった。
大勢の人が協力して、淵の水を汲み出したので、さすがの八幡淵も、夕方には底を見せて来たが、ついに河童の姿を見ることは出来なかった。
昔から伊草(川島町)には袈裟坊という河童の親分がおり、この辺りの河童達は、人間のはらわたを抜いておみやげに持ってゆくのが習いであった。盆の十六日(当時は旧暦)のことではあるし、すでに女の子のはらわたをおみやげに、伊草へ出かけてしまって留守だったのであろう。この八幡淵も川の流れが変わり、今ではすっかり当時の面影はない。
毛呂山町では、この上流、沢田の清三淵にも河童が住んでおり、岡へ上って甲羅を干しているのを見たなどとまことしやかに話し、子供は決して一人で川へ遊びに行ってはならない、といわれていた。
<菊屋の小豆洗い>
・大関堀は、越辺川の越生本堰から越生耕地への用水路で、越生の町裏金を流れている。この用水が県道(今は旧道)を横切る所に、料亭菊屋があり、隣には越生座という芝居小屋もあった。
この堀に毎晩「小豆洗いの婆さん」が出るというので、夜になって子供が表へ出ると、「小豆洗いにさらわれる」と叱られた。
<オーサキの話>
・奥武蔵の山村を歩くと、必ず「オーサキ」の話が出る。オーサキは猫より小さく、鼠より大きくて、毛並はブチで足に水かきがある、といわれる小動物で、何故か多産系で、親の後をゾロゾロついてゆく、と表現される。
単に想像するとまことに可愛いい架空の動物だが、御飯のお鉢のへりや、茶碗をたたくとオーサキが来ると厭がられ、人の目に触れることは少ない。しかし、オーサキに取り付かれたものは高熱を出し、うわ言をいうそうだ。また、オーサキ家という家はすべて、その土地の金満家であるのも面白い。オーサキが住み込むと、「くわえ込みオーサキ」と言って、外から財産を運び込み、そこの家の身体をどんどん増やすのだそうである。逆に、いくら金持ちでも、道楽ばかりして身を持ち崩すと、「くわえ出しオーサキ」となって、どんどんそこの身代をくわえ出し、他のオーサキ家へ宿替えをしてゆくという。
・オーサキはなかなかの忠義もので、住みついた家から出て行ったものは、金銭でも、物品でも取り戻しにゆくという。だから、オーサキ家から物を頂いたときは、必ずそれ相応のお返しをする。子供にも物をねだらせない。もしおねだりして、何かもらってくると、それを取り戻そうと、忠義心を出したオーサキに取り付かれるのである。
<オーサキの封じ込め>
・オーサキ家は大尽であるから、村人は旦那様と尊敬される人が多い。しかし、ことが縁談になると家系を嫌われてまとまらない。このため、何とかオーサキを封じ込めようとして、ある家は庭の池の小島に小祠を造り、これに祀りこみ、一方では桐の小箱に入れて神棚へ納まってもらうことにする。
・一般に、オーサキは狐といわれているが、奥武蔵では必ずしも狐とは断定していない。ただ、オーサキに取り付かれたとき、王子の稲荷様の幣束でお払いしたら正気に戻ったなど、狐付きと混同した面も多い。思うにオーサキ家とは、労せずして大金を手に入れた家を指したものではなかろうか。
<鬼神丸の天狗退治>
・黒山三滝の上に、「四寸道」という難所がある。これは高山不動への参詣路で、道幅四寸(12センチ余)というから、アルプスの岩峰のような場所をゆくのかと思ったら、さにあらず、低い岩と岩との割れ目を通る山道であった。
ここには昔から天狗が住み、あるときは山頂に数百の提灯を連ね、時には大声を発し、また大笑大喜するという珍事が続いた。そのとき、近くの村にいた若い剣士が、鬼神丸という刀を持って山へ登り、天狗を退治しようと計った。四寸道へ出てしばらくすると、話しのとおり、樹上に提灯が連なり、大声がしていたが、次第に遠のいたので、これは剣士に怖れて逃げたのかと帰りはじめると、それを追うように白昼のごとき灯りとともに大声が近づいて来た。剣士は鬼神丸を抜き、大般若経を唱えながら一点を見きわめ一撃したところ、大声で、
「刃先二、三寸に欠歯あり、故に吾は此処を去る」といって白燈とともに消え去ったという。
刀を調べて見ると、天狗の声のとおり切先が二、三分欠け落ちていた。
『日本妖怪大事典』
画◎水木しげる 編者◎村上健司 角川書店 2005/7/20
<犬神(いぬがみ)>
・中国、四国、九州の農村地帯でいう憑き物。中国地方では犬外道、九州、沖縄ではインガメというように、名前や性質は地方ごとでさまざまに伝えられている。
犬神には人の身体に突然憑く場合と、代々家系に憑く犬神持ちとがあり、狐憑きとほぼ同じような特徴が語られる。
犬神に憑かれると、さまざまな病気となり、発作を起こして犬の真似をするなどという。これは医者では治らず、呪術者に頼んで犬神を落としてもらう。
・犬神持ち、筋とは、犬神がついた家系のことをいう。愛媛県では、犬神持ちの家には常に家族の人数と同じ数の犬神がいるとし、家族が増えれば犬神の数も増えると思われている。
・愛媛県周桑郡での犬神は鼠のようなもので、犬神筋の家族にはその姿が見えるが、他人にはまったく見えないという。
<オサキ>
・埼玉県、東京都奥多摩、群馬県、栃木県、茨城県、新潟県、長野県などでいう憑き物。漢字ではお先、尾裂きなどと表記され、オーサキ、オサキ狐ともいう。
憑かれた者は、発熱、異常な興奮状態、精神の異常、大食、おかしな行動をとるといった、いわゆる狐憑きと同じような状態になる。
また、個人ではなく家に憑く場合もあり、この場合はオサキ持ち、オサキ屋、オサキ使いなどとよばれる。オサキが憑いた家は次第に裕福になるが、その反面、周囲の家には迷惑がかかるという。オサキ持ちの者が他家の物を欲しがったり、憎悪の念を抱いたりすると、オサキがそれを感じ取って物を奪ってきたり、憎く思っていた相手を病気にしたりすると信じられていたからである。
オサキの家から嫁をもらうと、迎え入れた家もオサキ持ちになるというので、婚姻関係ではしばしば社会的緊張を生んだ。
<おさん狐>
・主に西日本でいう化け狐。とくに中国地方に多く伝わり、美しい女に化けて男を誑かす。鳥取県では、八上郡小河内(八頭郡河原町)から神馬に行く途中にガラガラという場所があり、そこにおさん狐が棲んでいたという。
与惣平という農民が美女に化けたおさん狐を火で炙って正体を暴き、二度と悪さをせずにここから去ることを条件に逃がしてやった。
数年後、小河内の者がお伊勢参りをしたとき、伊賀山中で出会った一人の娘が、「与惣平はまだ生きているか」と尋ねるので、生きていると答えたところ、その娘は「やれ、恐ろしや」といって逃げていったという。
広島市中区江波のおさん狐は、皿山公園のあたりに棲んでいて、海路で京参りをしたり、伏見に位をもらいに行ったりと、風格のある狐だったという。おさん狐の子孫といわれる狐が、終戦頃まで町の人たちから食べ物をもらっていたそうで、現在は江波東2丁目の丸子山不動院で小さな祠に祀られている。
大阪府北河内郡門真村(門真市)では、お三狐として、野川の石橋の下に棲んでいるものとしている。「お三門真の昼狐」ともよばれることがある。昼狐とは昼間に化ける狐で、執念深く、人を騙すものだという。
<狐憑き>
・全国各地でいう憑き物。いわゆる一般的な狐の他、オサキ、管狐、人狐、野狐、野千といったものも狐と称され、それらの霊が人間に取り巻くことをいう。
大別すると、1、個人に憑くもの、2、家に憑くもの、3、祈祷師などが宣託を行うために、自分あるいは依代に憑かせるものの3つに分けられる。
1は狐の霊が何の予告もなく、あるいは狐に悪戯した場合に取り憑くもので、原因不明の病気、精神の異常、異常な行動をとるなど、個人や周辺に多大な迷惑をかけるやっかいなものとされた。
2に挙げた、家に憑く狐は、家に代々受け継がれるもので、管狐、オサキ、人狐というのはこれである。繁栄をもたらす反面、粗末に扱うと祟りを及ぼし、家を滅ぼしてしまう。他家から狐が物を盗んできたり、家の者が憎く思う相手に憑いて病気にしたりするので、周辺から敬遠されてしまう。また、嫁ぎ先にも狐がついて行くと信じられたので、婚姻が忌避されるなどの差別を受けた。
3は稲荷下しなどといって、祈祷師たちが狐の霊による宣託を行ったものである。
<座敷わらし>
・岩手県を中心とした東北地方でいわれる妖怪。名前が示す通り、家の中にいる子供の妖怪で、3歳くらいから11歳、12歳くらいの男の子または女の子で、髪形はオカッパとされることが多い。
・座敷わらしにも階級のようなものがあるそうで、上位のチャーピラコは色が白く綺麗だとされ、階級の低いノタバリコや臼搗きわらしといったものは、内土間から這い出て座敷を這いまわったり、臼を搗くような音をたてたりと、なんとなく気味が悪いそうである。
・座敷わらしというよび方は東北地方でのことだが、この仲間というものはほぼ全国的に分布している。北は北海道のアイヌカイセイ、南は沖縄のアカガンターと、多少の性質の違いはあるが、家内での悪戯、例えば枕を返すとか、金縛りにするなどといったことが共通して語られ、家の衰運などにも関わることもある。韓国の済州島に伝わるトチェビなども、座敷わらしに似た性質を有しているという。
<寒戸の婆(さむとのばば)>
・『遠野物語』にある山姥の類。岩手県上閉伊郡松崎村の寒戸にいた娘が、ある日、梨の木の下に草履を脱ぎ捨てたまま行方不明になった。
それから30年後、親戚が集まっているところへ、すっかり年老いた娘が帰ってきた。老婆となった娘は、皆に会いたくて帰ってきたが、また山に帰らねばといって、再び去ってしまった。その日は風が激しい日だったので、それ以来、遠野の人々は、風が強く吹く日には「寒戸の婆が帰ってきた日だな」などといったという。
『遠野物語』は柳田国男が遠野の佐々木喜善より聞いた話をまとめたものだが、遠野には寒戸という土地はなく、これを登戸の間違いではないかとされている。語り部役を務めた佐々木喜善は『東奥異聞』に登戸の茂助婆の話として記している。
<オマク>
・岩手県遠野でいう怪異。生者や死者の思いが凝縮した結果、出て歩く姿が、幻になって人の目に見えることをいうもので、「遠野物語拾遺」には多数の類話が見える。
『日本の幽霊』
池田彌三郎 中公文庫 1974/8/10
<憑きものの話>
・「憑きもの」に関する俗信は、もちろん社会心理現象であって、今日の社会においては実害のともなう迷信である。四国を中心にした「犬神持ち」の俗信や、山陰地方に多い「狐持ち」の俗信などは、今日においてもなお実害のともなっている、はなはだしい例である。
昭和28年11月に公刊された『つきもの持ち迷信の歴史的考察――狐持ちの家に生まれて――』という書物は、島根県大原郡賀茂町神原出身の速水保孝氏の著書である。著者自身狐持ちの家に生まれ、自身の結婚
にあたってもそれによる障害を体験され、迷信打破の為にその講演に歩くと、狐持ちなどの憑きものを落とすことをもって職業としている「祈祷師」らから、生活権の侵害だと脅迫がましい投書が来たり、と言った貴重な経験を通じて、これに学問的なメスを入れておられる。東京のような都会に育っている者には思いもよらない生活経験が語られているが、その書物の、
私は狐持ちの家の子であります。だからこの本をどうしても書かずにはおられません。
という書き出しの文句なども、都会にいるわれわれの受け取る受け取り方では、ともすれば、こう書き出した著者の勇気を、感じとらずに読みすごしそうである。それほど「憑きもの」信仰などはわれわれ都会育ちのものには遠い昔の話になっている。だが、現にこの迷信は、島根県下において、末期の症状ながらも生きていて、その撲滅運動が度々繰り返されている、当事者にとっては真剣な問題である。
・しかし、他の様々な迷信の打破と同じように、それは結局、教育の普及にまつ以外に、根本的解決策はまずなかろう。そして、この速水氏の本の序に、柳田国男先生がよせられた序文にあるように、
教育者たるべきものは、俗信を頭から否定することなく、それに関する正確な知識を与えてやらねばならない。結局事実を提示して、各自に判断させてゆくというより他に方法は無いのではなかろうか。
・その一つの方法としては、こういう問題を大胆に話題にして、そこに正しい判断と批判力を養うことの必要を先生は説いておられる。幽霊も妖怪も、むしろわれわれが大急ぎで話を集めておかないと、もうほとんど出て来てくれそうもなくなったのに、「家に憑く怨霊」の庶子のような「憑きもの」だけが、まだ生き残って人間を苦しめているなどというのは、まことに残念であり、学者の怠慢だと指摘されても致し方ない。
・犬神というのは憑きものの中でも有名なものの一つで、四国がことにその俗信の盛んな土地である。――四国には「狐」という動物そのものがいないと言われている――しかし中国にも九州にもないことはない。四国で一般的に言われているのは、鼠ぐらいの大きさの小さい動物であるというのだが、近世の書物、たとえば『伽婢子』などでは、米粒ぐらいの大きさの犬だという。だから、近世の随筆家などになると、早く興味本位になり、一そう空想化していたということになる。
・犬神持ちがいやがられるのは、この犬神を駆使して、他人に迷惑をかけるからである。犬神持ちの人がある人を憎いと思うと、たちまちに犬神が出かけて行って、その相手にとりついて、その人を苦しめたりする。だからこういう点、平安朝の怨霊などのように、生霊死霊が自身で現われて人を苦しめるのに比べると、動物が人間並みの感情を持っていてとり憑いたり、あるいはさらに、そういう動物を人間が使役したり駆使したりして、人に損害を与えるなどということ自体、怨霊から言っても末流的であり、そこにこういう憑きものなどを一笑し去るべき要点がはっきり露出しているように思う。
・東京の銀座の真ン中に育った私にも、たった一つだけ、狐憑きの話を身近に聞いた経験がある。幼稚園の時から一緒で仲よくしていたTという友人の母親が急死した。私の小学校5年の時だから、大正14年のことだが、私は受け持ちの先生と、組の代表で告別式に行った。数日たって学校に出て来たTは、僕のお母さんは狐憑きに殺されたんだ、だけどこれは誰にも言わないでくれよ、と言った。
・Tの父親の親戚の女の人に狐がついて、Tの叔母をとり殺した。そのお葬式の時、狐憑きなんかあるわけはないとTの父親が言ったら、その親戚の女についている狐が、うそかほんとか、今度はお前の細君を殺してやると言った。Tの父親は「殺すなら殺してみろ」と言った。そうしたら、ほんとに僕のお母さんは死んじゃったんだ。あの時「殺すなら殺して見みろ」なんて言わなければよかったんだ。Tはこんな話をした。
・何しろ二人ともまだ子どもの時で、その上今から三十数年も昔のことで、ほかのことは知らない。Tの母親のお葬式の時にも、ケロリとして、その狐のついた親戚の女は手伝いに来ていたと、Tがにくにくしそうに言ったのを今でも覚えている。大正14年と言えば、前々年に関東の大震災があって、銀座はすっかり焼け野原となったのだが、そのあとしばらくのバラックずまいの町の中で、こんな生活の経験のあったことを、今ふと思い出したのである。
<英雄の誕生>
<「道の傑出者」「陰陽の達者」>
・安倍晴明という陰陽師は、その活躍を直接に知る平安時代中期の貴族層の人々にとって、「道の傑出者」であり、「陰陽の達者」であった。
<名人から英雄へ>
・安倍晴明が他界してから百年ほど後に編纂された『今昔物語集』に登場する清明は、幼い頃より鬼を見ることができた天才的な陰陽師であり、呪術によって二人の人間の生命を交換することさえあった。そして、そんな清明に術比べを挑んだ法師陰陽師は、手も足も出ずに最後は泣く泣く許しを請う始末であったという。だが、この清明は、いまだ単なる名人でしかない。『今昔物語集』の清明には、特に英雄らしい活躍は見られないのである。
・しかし、その死から二百年余年の後に編まれた『古箏談』や『宇治拾遺物語』に登場する安倍晴明は、確かに、朝廷を守護する英雄としての役割を果たしている。すなわち、『古事談』『宇治拾遺物語』の清明は、朝廷の事実上の最高権力者である藤原道長を呪詛の危機から救い、かつ、その呪詛を行った法師陰陽師を追い詰めるのである。ここでの清明は、まさに朝廷=道長を守護する英雄であった。また、『古箏談』の清明は、花山天皇を苦しめる不治の頭痛を鎮めることでも、朝廷=天皇を守護する英雄の役割を果たしている。
・また、江戸時代初期に刊行された『安倍晴明物語』は、安倍晴明を神の落胤とする。同書が清明の母親として伝えるのは、よく知られた信太の森の狐である。が、その狐の正体というのは、信太の森に鎮座する信太明神に他ならなかった。
かくして、安倍晴明という陰陽師は、その死から六百余年後の伝承の世界において、半神半人の超人として語られる身となり、ギリシア神話的な英雄になっていたのであった。
<安倍晴明を超える名人>
・この一件が明らかにしてくれるのは、安倍晴明が没してから三十年と経たない頃の貴族社会には「当朝は保憲を以て陰陽の基摸と為す」という風潮が強かったということである。そして、それは、当時の遺族社会において、賀茂保憲が安倍晴明を上回る名人として位置付けられていたことを意味していよう。
ところが、その賀茂保憲が伝承の世界において英雄としての位置付けを得ることはなかった。もちろん、保憲も死後には伝承の世界の一員となっている。『今昔物語集』などは、言を尽くして彼がいかに優秀な陰陽師であったかを語ってくれている。しかし、それでもなお、『今昔物語集』の保憲は、単なる名人でしかないのである。
・ここに明らかなように、平安中期終盤の貴族社会が最も権威を認めた陰陽師の家系は、晴明流安倍氏ではなく、保憲流賀茂氏であった。『新猿楽記』において陰陽師の理想像を描いた明衡は、その架空の陰陽師を権威付けるのに最もふさわしい家系として、晴明流安倍氏ではなく、保憲流賀茂氏を選んだのである。
・周知のごとく、安倍晴明の家系は、平安中期以降、賀茂保憲の家系とともに、「陰陽道宗家」とでも呼ばれるべき立場を占めるようになった。つまり、保憲と晴明との活躍があって後、陰陽師の家系としての権威は、保憲流賀茂氏と晴明流安倍氏とによって独占されることとなったのである。しかし、賀茂道世の例に明らかなごとく、平安貴族の見るところ、その権威において、晴明流安倍氏は保憲流賀茂氏よりも劣っていたのであった。
・そして、平安貴族が保憲流賀茂氏の権威を晴明流安倍氏のそれよりも高く見たのは、おそらく、保憲と清明との間に師弟の関係があったためであろう。すなわち、保憲は晴明の師であり、清明は保憲の弟子だったのである。だからこそ、平親信の『親信卿記』に見えるごとく、天延二年(974)の五月十四日、保憲が堂舎建立の適地を選ぶ卜占のために比叡山に登った折、清明は「小姓」の一人として保憲に付き従ったのであった。
だが、こうした現実の世界とは裏腹に、後世、伝承の世界において名人から英雄の成長を遂げたのは、安倍晴明であって、賀茂保憲ではなかったのである。
<創出された英雄>
・そうはいっても、賀茂保憲が英雄にならなかったのは、その必要がなかったからなのではないだろうか。
賀茂保憲という陰陽師は、後世の貴族社会の人々にとって、陰陽師の規範とされるべき存在であった。先に見たごとく、「当朝は保憲を以て陰陽の其模と為す」というのが、平安時代中期以降の貴族社会における共通認識だったのである。つまり、保憲の場合、わざわざ英雄などにならずとも、すでに陰陽師として最高の権威を認められていたのであった。
・ただし、こうして英雄に祀り上げられた安倍晴明は、やがて、その祀り上げを企図した晴明流安倍氏の思惑をも超えるかたちで、伝承の世界において一人歩きするようになる。すなわち、名人であることを越えて英雄になった清明は、室町時代中期までには「化生の者」となり、江戸時代初期までには半神半人となったのである。こうして、伝承の中の安倍晴明は、人間であることをも超越したのであった。
<悪役の誕生>
<悪逆非道の法師陰陽師>
・伝承の世界の安倍晴明は、朝廷を守護する英雄の地位を確立した後、ついには自己の死すらも克服してしまう。彼を半神半人の英雄とする『安倍晴明物語』には、その死と再生とまでもが描かれるのである。
『安倍晴明物語』では、蘆屋道満という法師陰陽師が安倍晴明に弟子入りする。その道満法師は、播磨国印南郡出身の優れた陰陽師であったが、あるとき、晴明に術比べを挑んで徹底的に打ち負かされてしまい、それを機に晴明の弟子となったという。
<●●インターネット情報から●●>
<蘇民将来>
・蘇民将来(そみんしょうらい、蘇民將來)とは日本各地に伝わる説話、およびそれを起源とする民間信仰である。こんにちでも「蘇民将来」と記した護符は、日本各地の国津神系の神(おもにスサノオ)を祀る神社で授与されており、災厄を払い、疫病を除いて、福を招く神として信仰される。また、除災のため、住居の門口に「蘇民将来子孫」と書いた札を貼っている家も少なくない。なお、岩手県南部では、例年、この説話をもとにした盛大な蘇民祭がおこなわれる。陰陽道では天徳神と同一視された。
<●●インターネット情報から●●>
<聖神社>
(伝説)
昔、摂津の国住吉の里に、阿倍保名(やすな)という人があった。妻は葛葉姫(くずはのひめ)といったが身体が弱く、たびたび里に帰って養生していた。保名は日夜心を悩まし、神の助けによって一日も早く妻の全快と俊児を授けられんことを、当時最も信仰者の多かった信太明神(聖神杜)に祈願し、三十七日間おこもりをし、白玉を得、斉戒沐浴して池の堤に立っていた。すると水面に白狐がうつり、不思議に思って後ろを見ると一匹のねずみ(実は傷ついた白狐)が走ってきたので、このねずみを袖にかくまい、しばらくして山中に逃がしてやった(聖神杜境内には、この伝承に由来するねずみ坂と鏡池ー現在は神杜の所有ではないーが残っている)。
保名は満願の夜、疲れて社殿でいねむりをしていると、冠をかぶった白髪の老人が夢にあらわれて、「汝の日頃の信仰はほとんど寝食を忘れるほど誠意であり、願いは必ず成就する。妻の病気は全快し、俊児も近々賜るる、すこと憂うることはない」とお告げがあつた。保名は神心肝に銘じ、なおも深く祈願をこめて家に帰ったが、翌日の夕方に妻は元気な様子で帰ってきた。保名は本当に信太大明神のお告げどおりだと、たいへん喜んで妻を迎えた。それからというものは楽しく日力を過ごし、妻はまもなく懐妊し・月満ちて男児が生まれた。夫婦の喜びはひとしおで、掌中の珠として愛育した。
百余日を経たある夜、家中が光り輝き、驚いて眺めていると、妻は白狐神となって「我こそは信太大明神と議(はか)り仮に汝の妻となり願いの如く俊児を授けたる。今は神のおぼしめし告げる時が来て帰らねばならない。大切に育てるべし」と告げるやいなやいずこかへ消え失せた。保名はありがたさにむせぶうちに夜が明け、雨戸を開いて障子を見ると、文字が書き付けてあった。これが世に知られる「恋しくば尋ね来てみよ和泉なる信太の森のうらみ葛の葉」の和歌である。その後、本当の妻も病気が治り帰つて来て、二人でその子を大切に育てた。この子が非凡の天機を発揮し、成長ののちには陰陽博士として天下にその名を知られた安倍晴明であるという。
『お稲荷様って、神様?仏様?』
支倉清 + 伊藤時彦 築地書館 2010/10/14
<狐は神の使い>
・狐は稲荷の使いであると古くから信じられてきた。
・春先に山から里に下りてきて秋の終わりにまた山に帰るという狐の習性が、田の神が春先に山から下りてきて秋の収穫後に山に帰るという動きとぴったり一致すること。
・つまり、狐は単なる稲荷の使いという以上の存在なのである。人々は狐そのものに霊力があると信じたのである。
<狐憑きと流行り稲荷>
・狐はなみなみならぬ霊力の持ち主であり、人間にのり移ることがあると、古来より広く信じられてきた。江戸時代に書き残されたものを見ると、狐に取り憑かれ、のり移られるのは、若い女性か年季奉公人の小僧であることが多い。
・「江戸本所に住む旗本の下女に狐が憑いた。しばらく苦しみが続いたが、狐が落ちて本心に返った後、屋敷の隅に小さな祠を建てた。その後、下女は人の吉凶などを祠に伺った。その語る様子はまるで神のようであった」
・狐憑きをきっかけにして創建された稲荷は「流行り神」的に繁盛することが多かった。
・もっとも狐に憑かれるのは、一般的にいいことではない。人格が変わったりおかしな言動をしたり錯乱状態に陥ったりするので、狐に取り憑かれたときは、なんとかして狐を落とそうとした。
<東の稲荷、西の地蔵>
・日本中に8万を超す神社がある。その中で圧倒的に多いのが稲荷社である。その数、実に3万2千社。次いで多いのが八幡宮で2万5千社。この2社で神社総数の6割に達する。ところが、稲荷社が多いのは関東を中心とする東日本で、西日本は少ない。とりわけ江戸のまちは稲荷が多かった。
<あらゆる願いに応えるお稲荷さま>
・稲荷は、もともとは稲の豊作をもたらす農耕神であった。ところが、室町時代になると都会では商売繁盛の神として信仰されるようになり、漁村では漁業の神として信仰されるようになった。
・幕末近くになると、江戸では「太郎稲荷」「お岩稲荷」「お玉稲荷」「定吉稲荷」など憑きものと関係する流行り神的な稲荷が次々と誕生する。
・江戸の数ある稲荷社の中でも最も名の知られた稲荷社の一つである。
・神社の伝える言い伝えによると、弘法大師(空海)の創建であるという。
<豪商三井の守護神>
・「(其角の雨乞いの俳句が詠まれた)後に京都の豪商三井氏が江戸に進出するとその霊験に感じ、江戸における三井の守護神と崇めて社地の拡張、社殿の造営を行った。今も年三回は三井関連会社による祭典が執行され、また三越の本支店にも当神社の分霊を祀っている」
『わが深宇宙探訪記』 著者自らUFOを操り、ETを友とする
(オスカー・マゴッチ)(加速学園出版) 1991/8
<自由な世界次元間連盟>
・地球人類の起源は、プレイアデスの散らばった系に由来する。地球人類が地球に移住してきたのは『多数の千年期』の昔である。それ以来私達の『後に残された』人間の祖先たちは、銀河系と他の次元領域の至る所に広がった。
さまざまな次元に存在する何千という星系からなる彼らの緩やかな『共通利害団体』は、『自由な世界次元間連盟』と呼ばれ、多次元宇宙の33の広大な領域に及んでいる。
・シリウスは、私達に向けた「連盟」の送信センターとして使われている。私達を高め、迫りくる宇宙的なコンタクトと、その結果として起こる変貌に対して、この世界を準備させるためなのだ。何千年にもわたってシリウス人は地球人とコンタクトしてきたが、その際、彼らとその仲間は『ホルスの目』という印(三角形の中に目を配したデザイン)を用いてきた。
・『暗黒の勢力』とその地球の『光明派』の召使達は、シリウスのセンターから来た『善玉』になりすましている。これは地球人を混乱させ利用せんがためで、本来のシリウスからの送信内容を歪めたものに変え、自分たちの悪の教えを植えつけようとしているのだ。そのために、シリウスの『ホルスの目』のデザインの印も使っている。『暗黒の勢力』に支配されているのはメン・イン・ブラック(MIB)たち、すなわち、あの恐ろしい『黒服の男達』は、一つの目ないし一条の稲妻を中に配した例の古典的な三角形を自分たちが使用する黒塗りのキャデラックのドアにつけている。
『安倍晴明伝説』
諏訪春雄 ちくま新書 2000/12
<近世晴明伝説の漂流『安倍晴明物語』>
・江戸時代の寛文二年(1662)に刊行された、作者不明の仮名草子『安倍晴明物語』は安倍晴明の一代記をつづった小説であり、そののちの小説、歌舞伎、浄瑠璃などの文芸の晴明物に大きな影響を与えた。
<「由来」から生まれた『安倍晴明物語』>
・仮名草子の『安倍晴明物語』の作者は不明であるが、有力な説として浅井了意をあてる考えがある。浅井了意はもともと武士であったがのちに浄土真宗の僧侶となった人で、当時としては膨大な著作をのこした、第一級の知識人であった。当否の決定は今後の研究にまたなければならないが、『安倍晴明物語』は了意のような知識人の手になった作とかんがえるにふさわしい内容の作品である。
<動物と人間との結婚>
・民間陰陽師系晴明伝説の最大の特色は晴明の母親が狐であったという異常出生譚にある。伝説や説話の類型に異類婚姻譚とよばれる一群がある。人間と人間以外の動物・精霊・妖怪などとの結婚をかたる話で、異類求婚譚、動物結婚譚などともよばれることがある。狐を母とする晴明の出生物語はこの異類婚姻譚に属する伝説の類型である。
・超越的な力をもつ自然物の化身との結婚は多くの場合に人間に幸や福をもたらし、異常能力をうけついだ幼児の誕生をうながした。日本では三輪山の神オオモノヌシとイクタマヨリヒメとの結婚が三輪の君、鴨の君の祖先となる三輪山神婚譚やホホデミ(山幸彦)と鰐の化身トヨタマビメがむすばれて皇室の祖先になったという海幸山幸の神話などがその典型例である。
・鶴と人間との結婚は破局におわり、鶴が夫のもとに二度とかえってくることはなかった。人間が自然を抑制し、自分たちの力に自信をもちはじめると、動物の超越的な力にたいする信仰はうしなわれ、人間と動物の結婚に不自然さを感得する合理的思考が芽生えてくる。その段階がきたとき、異類婚姻譚は不幸な結末をむかえるようになった。
<晴明の母はなぜ狐なのか>
・日本の異類婚の形態は関敬吾の『日本昔話大成』によると22種もの多数が存在する。それなのになぜ陰陽師の職に従事して晴明を始祖としてあがめた被差別民たちはそのなかから狐女房譚を選択したのであろうか。蛇や鶴であってはならなかったのか。
・この問題を解くヒントになるのが、晴明誕生伝説にむすびつく諸国の神社に稲荷神社が多いという事実である。第7章冒頭で全国12か所のこの種の神社やゆかりの場所をあげた。そのうちの半数の6か所までが稲荷社であった。晴明信仰は稲荷信仰とむすびつく傾向があったことがあきらかである。
・聖神社は別名を信太神社といった。いつごろからこの信太明神という名称が定着したかはあきらかでないが、神社社宝の後白河法皇の直筆とつたえられる「正一位信太大明神宮」がそのままに信じられるとすれば平安時代の末ころまでにはそのよび名が生まれていたことになる。中世以降の信太妻伝説とむすびついて、この神社が登場するときはきまって信太明神の名でよばれていて、聖神社の名があらわれることはなかった。中世末に晴明誕生伝説が形成されたときにはすでに信太明神の名が確定していたとみてよい。
・信太明神という名称が確定したとき、聖神も稲荷神とみなされ、狐を眷属神とするようになった。すこし時代はくだるが、江戸時代の寛政七年(1795)成立の『和泉名所図会』には、「今信太社の稲荷の社壇に、葛の葉明神とて、一座を祀る」という記述があり、信太明神が稲荷社として理解されていた。
この稲荷信仰を解明することによって、安倍晴明の母が狐でなければならなかった理由があきらかになり、さらに晴明伝説の本質についての知識もさらに加えられることになる。
・稲荷信仰は本来は稲に象徴される穀物神、農耕神にたいする信仰であり、その名前も「稲成り」に由来するといわれるが、さらに複雑な信仰がそこに習合させられたためにかんたんには把握できない内容をもつようになった。
<非合理にあこがれるオカルト志向>
・本書は、オカルト志向、超人待望のいずれとも無縁である。むしろ安倍晴明の真実の姿をあきらかにすることによって、その虚飾性をはぎとることに精力がそそがれている。しかし、本書はたんなる破壊の書ではない。虚像として結晶した安倍晴明伝説の形成過程を丹念に究明することによって、伝説に託された多くの人々の願望と悲しみに陽の光をあてている。それは、もう一つのあたらしい晴明像の創出である。
・本書で私があきらかにした諸点はつぎのようにまとめられる。
(1) 安倍晴明の実像は職務に忠実な国家公務員であった。ただ彼の
従事した職務が陰陽道という、科学と呪術のむすびついて特殊な用途をもつものであったために、彼は代々の権力者から重用された。
(2) 陰陽道は、中国から伝来した当時の科学、宗教、呪術の先端知
識を総合して、日本で誕生した。その先端知識は、単独で、あるいは道教や仏教の枠組みにつつまれて日本へつたわった。
(3) 晴明にかかわる数々の伝説は、大きく二つにわけることができ
る。一つは宮廷の陰陽寮から発して、京都、奈良、大阪などの中心地域にひろがった上級の陰陽師たちがそだてた、晴明の超人的な呪術力を称揚した伝説群である。式神も、道教の役鬼をベースに、この人たちが生みだした。もう一つは民間の下級陰陽師たちがそだてた信太妻伝説である。前者の素材となったものは、中国伝来の神仙譚であり、後者の素材は民間の異類婚説話であった。
(4) 民間下級陰陽師たちは、大陸伝来の陰陽師の伝統をまもった人た
ちであったが、陰陽術の日本化をはかった上級陰陽師たちの陰にかくれて、上級陰陽師系の伝説の中では、敗者、悪者の役割を演じることが多かった。彼らは渡来した被差別民であり、中世以降、歴史の表に登場するようになったとき、信仰する和泉国の信太明神の縁起譚として、晴明異常出生譚を生みだしていった。
『円盤に乗った青年のマジメな話』
(昭和49年、北海道宇宙人事件の真相)
(平野威馬雄)(平安書房) 1974年
<ニコロでの記者会見>
田中:「小人の丈がだいたい1メートルくらい」
<タコのような宇宙人>
平野:「こんな感じ?・・・へえ、こんな、タコみたいなの?・・・そして、こんな、体中にブツブツのイボがあったの?」
田中:「ブツブツがいっぱい体中にあったのです」
藤原:「このブツブツは、ずーと体中、イボみたいになっていたんです」
平野:「ぼくもずいぶん宇宙人について書いたし、いろんな宇宙人の画も見たが、やっぱり、これと似ていたな」
<私の住む町に円盤か!?>
よく『狐つき』に間違われたアブダクション(誘拐)・ケース
<藤原由浩君の独白><動き始めたマスコミ>
藤原君を無理矢理、12チャンネルのテレビに出演させることになり、25日に数名のUFO関係者が集まった。四国までわざわざ介良村での怪小型円盤飛来の顛末を調べに行った林一男君、UFOの権威・荒井欣一氏、宇宙人らしいものをカラーで撮った浅野良雄君、日本大学教授・﨑川範行氏、そして藤原君と小生が出た。『奥さん二時です』という川口浩司会の番組だったが、ほとんど時間がないので、何もいえずかえって誤解をまねくことになるのではないかと終って思った。
が、とにかく出演後、放送局のロビーにNTVの矢追純一さんらがいてくれて、日本テレビか矢追さんの指揮のもとに、本格的な取り組みをして、適切な方法で取扱、放送ということに話が決まった。
『知っておきたい世界の幽霊・妖怪・都市伝説』
<神隠し>
<突然その姿を消した村人たち>
・人間が何の前触れも理由もなく、忽然と姿を消すことを「神隠しにあう」という。姿を消した人物は、そのまま戻らないこともあったが、数日(数十年という例もある)してからまったく違う場所で発見されることもあった。戻ってきた人の多くは、神隠しにあっていたときのことを覚えておらず、「気がついたらここにいた」というように話す。村の誰かが消えてしまったときは、村中総出で探しまわる。そのとき、これ以上犠牲者が出ないように、長い布を全員がつかみながら進んだり、太鼓を叩きながら進んだりしたそうだ。これは一種の儀式のように変化していった。
・人が突然消えてしまうことも不思議だが、その間の時間の感覚や経験が、通常では考えられないことから、当時の人々は、天狗や鬼、山姥のしわざだと考えた。神隠しの多くが山で起こったため、人々は山の妖怪のせいという理由をつけることで、事を済ませようとしたのだった。つまり、神隠しにあった人は、人間の住む世界ではなく、神や妖怪の住む「異界」に踏み込んでしまったと考えられていた。現在では、単なる「失踪」と捉えられている事象のことを、昔は神や妖怪のせいにして、理由付けていたのである。
<おかっぱ頭の子供の妖怪 座敷わらし>
<夫婦の座敷わらしもいる>
・座敷わらしは年少の子供の姿で現れる。また、ふたりひと組で行動している夫婦の座敷わらしもおり、ときどき夫婦喧嘩をしていることがあるという。特に座敷わらしは女の子が多く、おかっぱで赤い着物を好んで着ているという。その姿は、赤みを帯びた顔で、透き通るような白い肌をしていて、いつもにこにこしている。
豊かな家に棲みつくことがほとんどで、成り上がりなどの家には、棲みつくことはないという。その姿は、なかなか見ることができないが、夕方に現れることが多く、かわいい声や足音が聞こえるそうだ。ごくまれにその家の者に見えることがあるらしい。
<おならが苦手でいたずら好きな妖怪 キジムナー>
・沖縄に生息している妖怪で、河童によく似た姿をしている。
キジムナーは、人のことをだますのが好きな妖怪で、赤土を赤飯と勘違いさせて食べさせたり、狭くて出られないような場所に閉じ込めたり、眠っている人を上から押さえて苦しめたりする。キジムナーと縁を切るためには、タコやおならなど嫌いなものを近づけたり、キジムナー
が宿っている老木を焼いたり、釘を撃ち込むとよいそうだ。
また、キジムナーは火と関わりが深く、原因不明の怪火をキジムナ火といい、それが屋根から出ると、その家の誰かが死ぬ予兆だといわれている。
<天狗 時代と共に姿を変える妖怪>
<天狗伝説の始まり>
・天狗といえば、山伏のような恰好をしていて、顔は赤く、高い鼻、高下駄を履いている。そして、自由に飛び回ることができ、手には羽団扇を持つ、山の中にいる妖怪を想像するのではないだろうか。しかし、私たちが考えるこの天狗像は、江戸時代に定着したもので、元来のものとは違っていたようだ。実は、天狗の姿は時代と共に変わっている。
・日本で初めて天狗が登場したのは『日本書紀』だといわれている。舒明天皇九年(637年)に、唐から訪れていた旻僧が、雷のように音を立てる流星を天狗星と呼んでおり、流星が落ちた場所には犬がいると考えられていた。
・その後平安時代になると、天狗は山中の妖怪で、姿のない霊的な存在として考えられるようになった。さらに仏教の影響から、天魔と同様、災害をもたらす存在と信じられるようになり、鳶のような半人半鳥の姿で描かれている。
・一方、修験道においては、山伏(修験者)を守護する山の神として考えられていたようだ。また人々が昔から持っていた、山の精霊や山の神に対する信仰心を、「天狗」という具体的な姿や性質にしたともいわれている。
江戸時代の天狗は、祭の先導者として登場している。私たちがイメージする赤い顔で鼻の高い天狗は、日本神話で天孫降臨の際に道先案内役であった。猿田彦命の鼻がモデルになったといわれている。この鼻高天狗像が主流となり、現代もこれを引き継いでいるのだ。
<各地に伝わる天狗伝説>
・日本各地には、さまざまな天狗伝説が残っている。
東北地方に伝わる羽黒山三光坊という天狗は、羽黒山の修行者や山の守護をする天狗である。秋の夜更けに、修行者は人の姿が見えないのに、笛を吹くだけを聞いたそうだ。人々はこれを天狗の仕業だと考えていたという。
・愛媛には、石鎚山の烏天狗の仕業が末広昌雄の『伊予路の天狗噺』に残っている。これによると、ある者が子供をつれて石鎚山に登ったとき、子供とはぐれてしまい、いくら探しても見つけられなかったそうだ。家に戻ってみると、なんと子供が先に帰っている。子供がいうには、山頂の祠の裏で小便をしていると、黒い顔の大男がやって来て「こんなところで小便をしてはいかん。家まで送ってあげよう」といわれた。そして、子供が目を開けると家の裏庭に立っていたそうだ。
・また『天狗経』によると、日本の天狗世界には48の親分天狗がいるといわれている。そして、より多くの家来を持った天狗ほど、力があると考えられている。中でも近畿地方には多くの親分天狗が存在しており、特に鞍馬山の天狗は護法魔王尊、魔王大僧正と呼ばれ、トップを争うほどの大天狗であった。護法魔王尊は人類を救うために金星からやって来た使者で、サナートクマラという名前を持っているという説もある。偉大な除魔招福の力があり、今でも多くの崇敬者がいるそうだ。
<現代にみる天狗>
・平安時代に始まった天狗伝説を、今もなお感じられる場所がある。
東京都八王子市に位置する高尾山がそのひとつで、天狗にまつわる話や遺跡、建造物などが多く残っている。薬王院には、飯綱権現と呼ばれるカラス天狗にも似た、とがった口が特徴的な像が祀られており、まさに高尾山に住む天狗を表しているようである。
・また、群馬県沼田市では、毎年8月に巨大な天狗面のみこしを女性がかつぐ「沼田祇園祭」が行われている。約4百年前に、迦葉山弥勒寺のお天狗様にあやかって祭が行われ、1959年に天狗おどりが、1972年にみこしが始まった。
<水神として祀られる妖怪 河童>
<河童はどこからきたのか>
・日本各地にはさまざまな河童の説がある。渡来説や人形化生説、平家の怨霊説、渦巻き説、水神零落説などが有名だ。渡来説は熊本に伝わっており、河童は中国から泳いで渡って来て、九千匹まで増殖したので、その頭領は「九千坊」と呼ばれていた。
・水神零落説は、かつての水神が零落して河童になったというものであり、実際に河童を水神として祀っている地方も多い。また、東北には河童のことをミズチと呼んでいるところもある。これは、『日本書紀』などに登場する水神ミズチに由来する。人に毒気をもたらす川の蛇神が退治され、神の立場を奪われた結果、妖怪としての河童に変じたと考えられている。
<河童の姿>
・河童の身体的な特徴として有名なのは、頭にあるお皿。このお皿は、水がなくなると生命の危機に瀕するといわれる。また、赤ん坊のような薄い髪の毛が生えている河童の像もある。さらに、体毛があるという説とカエルのようにヌルヌルしているという説があり、大きさは、人間の3歳児くらいの小さな姿から、10歳児くらいまでとさまざまである。
<命を奪うこともある河童の本性>
・水がきれいな川に棲んでいるといわれている河童は、大変いたずら好きな性格をしており、川の近くを牛や馬などが通ると引きずり込もうとする。また、人間が川の近くを通ると、その人がほしいと思うものに化けて川におびき寄せ、水の中に誘い込み、肝や臓器を肛門から引きずりだして溺れさせる。
・河童が人間にとり憑くこともある。これを河童憑きと呼ぶ。西日本に伝わっており、九州では、若い女性に憑くことが多いという。河童は、水辺でふしだらにしている若い女性を見ると、恋しく思い、そのままその女性に憑くそうだ。そして、憑かれた女性はたとえ普段は物静かでも、男性にいい寄る淫らな女性になってしまうそうだ。大分県の伝承では、憑かれた女性が心身共に消耗してしまい、死に至るケースもあったという。憑いた河童を落とすためには、祈祷師にお払いをしてもらうしかないらしい。
<鬼 日本に深く息づく闇の存在>
<日本人の持つ鬼のイメージ>
・日本人にとって鬼は非常に身近な存在である。鬼を「おに」と呼ぶようになったのは、平安時代からであるといわれている、疫病や天災など、姿を見せないが災いを成すものを「隠」といっていたそうだ。考証学者である狩谷棭斎の『箋注倭名類聚鈔』には、「鬼は物に隠れて顕わることを欲せざる故に俗に呼びて隠と云うなり」とある。つまり、「オニ」とは「隠」の訛りであるのだという。そしてだんだんと姿が見えないが恐るべきものとして、「鬼」が定着していった。
<日本各地の鬼>
・各地で、鬼にまつわるさまざまな話が残っている。一番有名なものが、酒呑童子である。酒呑童子は南北朝時代の絵巻『大江山絵詞』に初めて登場した伝説の鬼で、丹波の大江山に住む鬼の頭領であったという。乱暴な性格で、都に出ては婦女や財宝を奪っていたそうだ。勅命により、源頼光が四天王を率いて退治したという伝説が残っている。
・また、大分県の由布岳には、塚をつくった鬼の話がある。由布岳に鬼がはびこり、人々は大変困っていたのだという。
・石川県の能登半島には、角が生えた猿のような鬼がいたという。人々を困らせていたこの猿鬼に、能登一の宮の気多大名神が率いる神軍が戦いを挑み、毒を塗った矢を猿鬼の目に射って退治したそうだ。猿鬼の目に矢が当たったところを当目、矢に千種もの毒を塗ったところを千徳(毒)、倒れた猿鬼の血で水が真っ黒になったところを黒川などと、伝説にちなんだ地名が今でも残っている。
このような話は、各地で数多くみられるが、その多くが鬼を「悪しきもの」「恐るべきもの」とするという点では共通している。
<犬神 人間に取り憑く犬の霊>
<憑かれると発狂、高熱、腹痛などで苦しむ>
・中国、四国、九州の農村地帯に出没する憑き物。近畿地方より東ではほとんど見られない。犬神には人の体にとり憑く場合と、代々家系に憑く犬神持ちとがあり、狐憑きとほぼ同じような特徴が語られる。憑かれると、原因不明の高熱が続く、ひどい腹痛になる、発狂して犬のまねをするなどの症状が出る。
一説では驚くほど飯を食べるようになるとか、死ぬと体に犬の歯形が残るともいわれている。憑かれたら、呪術者に頼んで犬神を落としてもらうほか方法はない。
<犬神持ちの家系>
・犬神が憑いた家系のことを、犬神持ち、または犬神筋という。愛媛県では犬神持ちの家には家族の人数と同じ数の犬神がいるとし、家族が増えれば、犬神の数も増えると考えられている。嫁いだ場合は、犬神がその嫁ぎ先までついて行き、婚家までがたちまち実家の犬神と同じ数になるという。ほかに、犬神持ちの家系が他家の所有品を欲しいと思っただけで、犬神はたちまちその家に行って品物を奪ったり、あるいはその家の者に憑いて病気にさせる。
愛媛県周桑郡での犬神はネズミのような姿で、犬神筋の家族以外にはその姿がまったく見えないという。犬神は不従順な性格をしており、時には家族の者にかみつくこともあるという。
『日本の民俗信仰』
宮本可袈裟雄・谷口貢 八千代出版 2009/6/30
<巫女とシャーマニズム>
<神がかり>
・日本では神霊が人に乗り移ることを「神がかり」と呼んできた。古くは「かむがかり」「かんがかり」ともいい。漢字では「神懸」とか「神憑」などと表記されてきた。
・こうした「神がかり」現象は、歴史的な文献記録から現代の新宗教に至るまで、さまざまななかたちで見出すことができ、日本の宗教史を考えるうえでも重要な意味をもつ宗教現象の一つであるといえよう。この「神がかり」は、シャーマンのトランス、つまり変性意識状態の一種であるとみられる。
・日本の巫女には2種類がみられるとして、神社に所属して神前で鈴を振って歌舞を奏し、湯立などの神事に関与する巫女と、村の外から訪れ、人々の求めに応じて口寄せなどを行う歩き巫女を挙げている。これらの巫女は、いわゆる「神社巫女」と「口寄せ巫女」である。
<「憑霊型」が圧倒的な優位性を占めている>
・シャーマンが超自然的存在と直接交流する際に陥るトランスの内容解釈には、大別して「脱魂型」と「憑依型」がみられる。前者は、シャーマンの魂が身体から離脱して他界などの超自然界に飛翔し、そこで神霊などと直接交流するとされるタイプで、「エクスタシー」(ecstasy=脱魂)と呼ばれる。それに対して後者は、シャーマンの身体に神霊などを憑依させるかたちで直接交流するとされるタイプで、「ポゼション(possession=憑霊)と呼ばれている。
・それから、神霊が人に憑依するという問題では、動物霊などが特定の人や家に取り憑くとされる「憑きもの」もシャーマニズムと関連する信仰である。実際、憑依している霊を特定したり、取り除いたりする儀礼にシャーマン的職能者が関与してきた。このようにシャーマニズムは、日本の民俗信仰の多様性を炙り出す重要な宗教および民族文化の一つであるといえよう。
<沖縄の民族信仰><ノロとユタ>
・霊的職能者にはもう一つの系譜があり、ユタ、カンカカリヤー、ヤーザスなどと呼ばれ、ノロが公的であるならば、こちらは私的な占い、呪いなどの呪的な信仰領域に関与している。琉球王府はこれらの影響を排除するために何度も禁令を出しているが、効果はなかった。
・ユタの職能は、人の体内にあるマブイ(霊魂)は驚いたり事故に遭うと脱落するので、それを身体に戻すマブイグミ、呪いによる病気の治療、屋敷の御願、墓の落成祈願、家内安全の祈願、聖地の純拝や位牌の継承についての判断など多岐にわたる。
・依頼者は女性が多く、女子大生が恋愛の相談をするならば、3000円程度の料金であるため手頃なのかもしれない。
・周囲の人々によって霊的能力の強さが評価されてユタとして認知されるのである。
・ノロとユタを概念上で区別することはできるが、現実の態様を観察すると職能は相互に入り組んでいる。
・ノロその他の神役やユタになるのは生まれつきサー(霊力)が高いためであるといわれ、小さい頃からの言動が他の者と異なっていたりすると、周囲の注目を集める。その人が体調不良になると複数のユタを回って神役になるべきであるとか、ユタになる運命にあるとか、本人を方向づけて就任させる。体調不良は後からカミダーリ(巫病)と意味づけられる。
<●●インターネット情報から●●>
<狐憑き>
狐憑き(きつねつき)は、キツネの霊に取り憑かれたと言われる人の精神の錯乱した状態であり、臨床人狼病(英語版)の症状の一種である。また、そのような精神状態にある人、そのような事が起こり得ると信じる信仰、迷信をもいう。
(民間信仰)
民間信仰においては、狐憑きの話は日本全国各地に見られる。キツネに憑かれた者は精神病のように異常な状態になるものと考えられている。
個人だけでなく、キツネが守護霊のように家系に伝わっている場合もあり、地方によっては管狐、オサキ、野狐、人狐が憑くことも狐憑きと呼ばれる。これらの家はキツネを使って富を得ることができるが、婚姻によって家系が増えるといわれたため、婚姻が忌まれた。また、憎い相手を病気にしたり、その者の所有物、作物、家畜を呪うこともできるといわれ、他の家から忌まれた結果、社会問題に繋がることもあった。
これらのほか「稲荷下げ」などといって、修験者や巫者がキツネを神の使いの一種とみなし、修法や託宣を行うといった形式での狐憑きもある。
キツネに対する信仰の厚さは、キツネを稲荷神やその使いとみなす稲荷信仰、密教徒や修験者が行う荼枳尼天法、巫者や行者がキツネを使って行う託宣に示されており、これらの信仰を背景として狐憑きの習俗が成立したものと見られている。
<憑依>
憑依(ひょうい)とは、霊などが乗り移ること。憑(つ)くこと。憑霊、神降ろし・神懸り・神宿り・憑き物ともいう。とりつく霊の種類によっては、悪魔憑き、狐憑きなどと呼ぶ場合もある。
「憑依」という表現は、ドイツ語の Besessenheit や英語の (spirit) possession などの学術語を翻訳するために、昭和ごろから、特に第二次世界大戦後から用いられるようになった、と池上良正によって推定されている(#訳語の歴史を参照)。ファース(Firth, R)によれば、「(シャーマニズムにおける)憑依(憑霊)はトランスの一形態であり、通常ある人物に外在する霊がかれの行動を支配している証拠」と位置づけられる。脱魂(英: ecstassy もしくは soul loss)や憑依(英: possession)はトランス状態における接触・交通の型である。
宗教学では「つきもの」を「ある種の霊力が憑依して人間の精神状態や運命に劇的な影響を与えるという信念」とする。
(日本語における憑依の別名)
神宿り - 和御魂の状態の神霊が宿っている時に使われる。
神降ろし - 神を宿すための儀式をさす場合が多い。「神降ろしを行って神を宿した」などと使われる。降ろす神によって、夷下ろし、稲荷下ろしと称される。
神懸り - 主に「人」に対し、和御魂の状態の神霊が宿った時に使われる。
憑き物 - 人や動物や器物(道具)に、荒御魂の状態の神霊や、位の低い神である妖怪や九十九神や貧乏神や疫病神が宿った時や、悪霊といわれる怨霊や生霊がこれらのものに宿った時など、相対的に良くない状態の神霊の憑依をさす。
ヨリマシ -尸童と書かれる。祭礼に関する語で、稚児など神霊を降ろし託宣を垂れる資格のある少年少女がそう称された。尚柳田國男は『先祖の話』中で憑依に「ヨリマシ」のふりがなを当てている。
■■■ 私が思うこと、聞いたこと、考えること ■■■
(2025/1/27)
・河童も「動物から遺伝子操作で人間とコンタクトできる実験生物にした」異人(オリオン星人)が連れてきたといわれます。また「8000万年前に地球にきた河童は、グレイの一種で、海底基地にいる」といわれます。
人間と交流した河童もグレイの一種で、ゼータ・レチクル星人のバイオロボット系列だったのかもしれません。異次元にある地下基地や海底基地はいわゆるアストラル界層にあるので、幽体離脱しないと認識できないようです。
オリオンETグループが異次元のモンスター・タイプの生物を創り、人間と異種交配・混淆させ「人間化」させようとしたのかもしれません。オリオン星人は人類に5万年進化しているといわれ、「人間の魂の交換」ができるようです。
「異人」はオリオン星人だったようです。「オリオン人は宇宙連合に属していない。彼らは、彼らだけの連合を作っている」といわれます。ネガティブなオリオン人は、地球に来ている地球外生命体の中で、最も発達レベルの低い存在で、地球に暗黒をもたらそうとしているといいます。
異人は、異次元移動ができて、パラレルワールドと往来できたのかもしれません。ネガティブ・グループのシリウス人がモンスタータイプの生物を創り、神に対抗したので神に嫌われたといわれます。
ネガティブなシリウス人が異類混血をすすめているので、頻繁にスター・ウォーズが起こるのかもしれません。
近年のネガティブな宇宙人の話では、奴隷売買、性奴隷、人肉食の異星人、生体実験、アブダクション、誘拐、アドレノクロム、小児性愛とかの想像を絶する単語が並ぶようです。
・リラ星人エロヒムのコンタクティであるフランスのクロード・ボリロン・ラエルによると遺伝子操作による「不死の惑星」に行ってきたそうです。リラ星人は人類に3万年進化しているといいます。リラ星人のエロヒムが「人間を実験室で創った」といわれます。しかしながら、オリオン星人は5万年進化しており、その程度は想像を絶します。しかも太古から人間と関わりがあったというのです。プレアデス星人は人類に6000年進化している種族ですが、人類に近く神でも天使のような宇宙人でもありません。
オリオン星人は、エジプト文明など地球に文明をもたらした異星人だとしても知られているそうです。
・「下総カッパ団は、1724(享保9)年、下総国印旛村の豪農、安田伝兵衛によって設立された人間とカッパの親睦団体だ」といわれます。純粋に動物的な河童と共に、異人に遺伝子操作されて人間とコンタクトできる河童もいたようです。『遠野物語』でも全国でも、動物ではなく人間とコンタクトできる河童の伝承があるようです。河童も異人に連れられて来ているのか異次元移動ができたようです。堕天使ルシファーもグレイ(ゼータ星人)を作り神に反抗したとも言われています。河童も異人に遺伝子操作されて創造された、動物から生殖能力を持つヒューマノイド化された“実験生物”だったのかもしれません。
・昔から東北地方は、異人のアブダクション(誘拐)もよくあったようです。そして異次元移動をするUFOの存在を窺わせる伝説もあるようです。
「黄昏に女や子供の家の外に出ている者はよく神隠しにあうことは他の国々と同じ。-遠野物語第八話」
「遠野郷の民家の子女にして、“異人”にさらわれて行く者年々多くあり。ことに女に多しとなり。-遠野物語第三十一話」
『遠野物語』は農民の「作り話」ではなく「事実」と柳田国男は主張しているようです。明治時代の文明開化の時代になり、村々にも電燈がともるようになると、河童はどこともなく姿を消して伝説が残ったようです。
また柳田国男は当時の警察の「異人」の情報を調べなかったようです。
・UFOの物質化と非物質化のできる進化したオリオン人が太古から人間をアブダクション(誘拐)して、生体実験していたのかもしれません。平家がプレアデス星人の末裔で、源氏がオリオン星人の末裔といわれます。「われわれの世界とは別個に、そして並行して別の世界が存在する」ともいいます。「オリオン星人は非常に階級意識の強い宇宙人だ」そうです。現代では「ノーディック」が建造したオリオンシステムの宇宙船は、人間に売られたそうです。
オリオン人は、地球と直接的なつながりを持つといわれます。つまりその末裔や異人が社会に存在しているということでしょうか。「はるかに進化した宇宙人が人間の精神体に侵入してくる時代だ」そうですので識別不能のようです。
・現代では東北地方の岩手県の人にプレアデス星人とのコンタクティがいます。以下の書物に載っています。
その他に「沈黙のコンタクティ」や「沈黙のチャネラー」がいるのかもしれません
『プレアデス星訪問記』
上平剛史 たま出版 2009/3
『宇宙太子との遭遇』 上平剛史作品集
上平剛史 たま出版 2009/12
『北の大地に宇宙太子が降りてきた』
上平剛史 たま出版 2004/6
・最近では以下のような「時代を変える」書籍が出てきていますので今後、大いに期待したいものです。
・『110の宇宙種族と未知なる銀河コミュニティへの招待』エレナ・ダナーン(ヒカルランド)2022/12/31、
『【ザ・シーダーズ】神々の帰還』(エレナ・ダナーン ヒカルランド 2023/8/24)、
『この惑星をいつも見守る 心優しき地球外生命体たち』(エレナ・ダナーン、ヒカルランド、2023/1/19)、
『ソロンとカリン』龍神物語 先端技術研究機構 ヒカルランド 2021/6/3、
『銀河史(上)』プレアデスの繁栄と衰退 先端技術研究機構 ヒカルランド 2023/4/11、
『銀河史(下)』ベテルギウス民族とオリオン帝国 先端技術研究機構 ヒカルランド 2023/4/11、
・「米当局の方針転換は、トランプ前大統領の強い意向を受けたものだった。トランプ氏は大統領選敗北を認めざるを得なくなっていた2020年12月、“UFOに関する報告書の開示”を政府機関に求める法律に署名した」といわれます。その後、バイデン大統領に変わりましたので、ディスクロージャーはほとんど進まなかったようです。
政府内部のそのまた奥にある合衆国大統領でさえ手のだせない領域に、UFO目撃事件の開示を強い力で押さえこんでいる権力者グループが存在するという説もあるといわれます。
「政府の中に政府があってアメリカ大統領といえどもコントロールできないといわれます。いざ就任すると、この話題には関与せずという概要が出されるのだ。こうした態度は“大統領の黙秘症候群”と呼ばれている」と指摘されています。
2025年になってトランプ大統領が就任しましたが、「ディスクロージャー」が進むのか、それともトランプ大統領も「サイレンス・グループ」に協力するのか不明です。「事実は小説よりも奇なり」で、「知る人ぞ知る」話なのかもしれません。
(2018/12/12)
・昔の「疳(かん)の虫」の話も迷信として片づける人が多いそうですが、リアルな話ということで町の「まじない師」によって処理された話も非常に多いようなのです。街中の「拝み屋」の存在も完全には否定できないと指摘されています。現代医学では「迷信」として見ているのでしょうか?目に見えない世界は、「知る人ぞ知る」話なので、私たち一般人は、理解できません。異次元世界のものが、私達の身体に影響を与えているとは、普通は考えることができません。「気功」などがそうでしょうか?
・ウィキペディアWikipedia(フリー百科事典)で見ますと、「疳の虫(かんのむし)とは乳児の異常行動を指していう俗称。特に夜泣き、かんしゃく、ひきつけなどを指す。「癇の虫」「勘の虫」などの表記もあるが正しくない。疳とは漢方医学で脾疳(ひかん)のことで乳児の腹部膨満や異常食欲などをいったが、日本では乳児の異常行動は疳の虫によって起きていると信じられ、民間の呪医(まじない師)によって虫切り、虫封じ、疳封じなどの施術が行われた。施術の概要は乳児の手のひらに真言、梵字などを書き、粗塩で手のひらをもみ洗いして、しばらく置いてみると指先から細かい糸状のものが出ているのが見えるといい、これが虫であるとされた。
内服薬としては江戸時代の昔からヘビトンボの幼虫を「孫太郎虫」と呼び、乾燥させて数匹を串に刺し漢方薬としたものがよく効くとして有名であった。特に奥州斎川(宮城県白石市)産のものは特産とされた。
夜泣きやかんしゃくのように西洋では病気とされていないものであっても、日本では古くから治療を要する症状であるとされており、民間宗教者の活動の舞台ともなってきた。現代では主に鍼灸治療が有効であるとされるほか、虫封じの効験あらたかとされる寺社も各地に存在する」とのこと。
・現代風に解釈すると、人間に憑依した「異次元を蠢く虫」を3次元に取り出したのかもしれません。異次元にも動物のようなものが存在するらしいのです。アストラル界やエーテル界層、パラレル・ユニバース(並行宇宙)、低層4次元の世界は現代科学では分かっていません。異次元のUMA(未確認動物)についても、わかりません。人間の死後の世界の幽界や霊界も、遥かに進化した宇宙人(造物主)が創造したといわれます。「あの世」の出来事が、時間を経て、「この世」に起こって来るといわれます。UFOやグレイの時代から、人間の精神に侵入してくる天使や神々のような目に見えない宇宙人の時代になったといわれます。目に見えない宇宙人現象が、昔では狐や狸、ムジナのイタズラと解釈されたようです。河童が人間の肝や内臓を水死者から抜き出すという話も、現代の北米でのキャトルミューテレーション(動物虐殺)を連想させます。河童も異次元移動ができたUMA(未確認動物)だったようです。異次元にはポジティブな異星人ばかりではなく、堕天使のようなネガティブな人間に災いを起こす種族も多く存在するようなのです。しかし、今なお、底層4次元にモンスター・タイプが生存しているともいわれます。
・人間を助けてくれる天使や大天使のほかの邪悪な堕天使(宇宙人)の存在もその影響力・破壊力は私たち一般人には、分かりません。「日本はヘルメスが統治する国だ」と指摘されています。「シリウスの大天使の代表であるというヘルメスは、ギリシア神話に登場する青年神です」といわれます。大天使が大組織や国々を統括しているともいわれますが、私たち一般人には、理解不能です。大天使や天使、堕天使の機能や活動は、ほとんど分かりません。しかしながら、堕天使が地球の女を狙って降りてくるといわれます。堕天使の性的な能力は異常に高いともいわれます。堕天使が太古から売春やスパイ、麻薬と関係していたといわれます。
・テレパシーにしても、テレコン(テレパシー・コンタクト)ができるほど宇宙人は想像を絶する進化をしているようです。しかしながら、テレパシーも「幻聴」ということで、精神病の一種にされてしまうこともあるようです。幻覚や幻視、幻聴も一般的な意識の変性状態のようです。高次元からの知性体のテレパシーを受けた、新興宗教の教祖は、当初は、周りの者・家族から、「精神の病」とされたことも多かったようです。天理教の中山みきにしても、大本教の出口なお、出口王仁三郎にしても、大きく成長するまでは紆余曲折があったといわれます。伝承や伝説にしても「作り話」とするには、あまりにも同じような話が全国に多いといわれます。
・昔の天狗の話も、全国に伝承があったようです。人間タイプの天狗も多かったようで、一般の社会的にも認知されていたようです。天狗もオリオン星人だったようです。牛若丸と鞍馬山の天狗の伝承のように、源氏はオリオン 星人との繋がりがあったようです。古代の伝説に登場する『蛇人』というのは、オリオン人の霊魂が地球に投影されたものと思われるといわれます。オリオン人は、地球と直接的なつながりを持つといわれます。太古から、異次元世界から人間を観察してきたようなのです。昔からの様々な不思議な現象は、異世界のオリオンETグループの影響、イルージョン、幻覚・幻視・幻聴だったのかもしれません。河童も文明開化とともに、人間社会とのコンタクトが急減しました。科学技術は発達した国に宇宙人が現れるといわれます。戦後、空飛ぶ円盤や異星人が、マスコミに載るようになりました。UFOは、人類の歴史が始まって以来、最も重要な現象といわれます。しかしながら、宇宙人情報をアバブ・トップシークレットにして、異星人情報、アブダクション(誘拐)やキャトルミューテレーション(動物虐殺)の情報を隠蔽しました。よく『狐つき』に間違われたアブダクション(誘拐)・ケースも多かったようです。異星人のアブダクション(誘拐)の被害者や交配実験の被験者を地上で見た伝承が多かったようです。昔の人が見たという「大きな狐火」や「大きな光り物」もオリオン星人のUFOだったのかもしれません。
「はるかに進化した宇宙人が人間の精神体に侵入してくる時代だ」そうです。人間の肉体や精神に自由に憑依したり離れたりする宇宙人は、誰も識別できないといわれます。昔の伝承や迷信をすべて「作り話」として見るわけにはいかないようです。柳田国男は『遠野物語』は民衆の作り話ではなく事実だと述べています。現代も山には奇妙な話が豊富だそうです。幽霊現象や心霊現象・憑依現象も「宇宙人現象」と理解すればかなり分かるようです。遥かに進化した異次元からは、「不思議な現象」は、容易に解釈できるようですが、私たち一般人には、理解不能です。
・「憑き物」については、「100%迷信であり無視すべき」というわけにはいかないようです。精神病に似た「悪魔憑き」の現象も現代の科学の時代にもあるようです。Amazonに「憑き物」といれますと77件の書籍が分かります。幽霊の現象と同じように「憑き物」の現象も、広い意味ではスピリチュアルな宇宙人現象なのかもしれません。守護霊や背後霊、幽霊や妖怪と異次元の宇宙人を結びつける説は現代でも少数説のようです。
・現代の宇宙人のアブダクション(誘拐)でも人間の「幽体」を小柄なバイオロボットといわれるグレイたちが自由にいじれるようなのです。「あのグレイも壁を透き通るようにして部屋に侵入してくる」そうです。「憑依現象」は異次元の宇宙人からの現象のようです。幽霊や妖怪は通常は見えませんが、「狐憑き」もたいてい見えない宇宙人の憑依現象のようです。
・amazonに「陰陽師」という語を入れますと1159件の本が分かります。多くの学者とともに作家や漫画家の関心の対象となるようです。
安倍晴明の出生の伝承も「白髪の老人が夢にあらわれた」という伝承があるようです。昔から「夢の中に現れた翁」という伝承が多いようです。異次元の高等知性体(神)と出あうのは「夢の中」のようです。神があの世から「夢の中に」でてきて、去っていったようです。「清明は保憲の弟子だった」ということですが、安倍晴明の伝奇は、後世に作りあげられたのかもしれません。安倍晴明だけが飛び抜けて、「英雄」として映画などには登場するようです。安倍晴明の研究者もいろいろな説があるようです。
・「江戸時代初期の刊行された『安倍晴明物語』は、安倍晴明を神の落胤とする」ということですが、いわゆる「神の子」という伝説は、古今東西を問わず少なくないそうです。いわゆる「取り換え子」とは、ヨーロッパの伝承で、人間の子どもが、ひそかに連れ去られたとき、その子のかわりに置き去りにされるフェアリー・エルフ・トロール等の子のことを指すといわれますが、いろいろなパターンがあるようです。フェアリー(妖精)はグレイのような宇宙人だったようです。そして中世ヨーロッパでは、異人や神人が地上を徘徊していたようです。宇宙人(神)の子どもについても人間の子として、育てられたりするとかの、種々のパターンがあったのかもしれません。安倍晴明の超能力は「神の子」だけが持つ超能力なのかもしれません。
・その超能力は「幼い頃より鬼を見ることができた天才的な陰陽師」といわれたようです。「呪術によって二人の人間の生命を交換することさえあった」ということですから、かなり進化した宇宙人(神)の子だったようです。「平家がプレアデス星人の末裔で、源氏がオリオン星人の末裔」といわれます。オリオン星人は人類に5万年進化しているといわれ、「人間の魂の交換」ができるようです。したがって、安倍晴明はオリオン星人の血を引いているのかもしれません。小柄なグレイのような、異類異形の「式神」を従えていたともいわれています。またフランスのクロード・ボリロン・ラエルというリラ星人のコンタクティによると「リラ星人のエロヒムが『人間を実験室で創った』」といわれます。リラ星人は人類に3万年進化しているそうです。
・オリオン星座は、神々の星座であると共に“闇の勢力”の経由地としても知られています。モンスター・タイプや人間タイプの異星人がいろいろといるらしいのです。第2次世界大戦後に米国に現れたメン・イン・ブラックはオリオン星人といわれています。その超能力は凄まじいものがあったそうです。ラージノーズグレイもオリオン星人で、米国と秘密協定を結んだともいわれます。
・「ゼータ・レチクル星人のグレイと、オリオン座のリゲル人の長身のグレイ、オリオン座の有翼のドラコ族、恐竜から進化した地球のレプトイド族等」がエリア51等のアメリカの秘密基地で活動しているともいわれます。地球製のUFOも完成しているともいわれます。ネガティブなオリオン・グループは“闇の勢力”を形成しているのでしょうか。ちなみに「遠野郷の民家の子女にして、“異人”にさらわれて行く者年々多くあり。ことに女に多しとなり。-遠野物語第三十一話」、「黄昏に女や子供の家の外に出ている者はよく神隠しにあうことは他の国々と同じ。-遠野物語第八話」ということですが、「異人」はオリオン星人らしいようです。アブダクション(誘拐)も昔からあったのかもしれません。堕天使のアブダクション(誘拐)については、米国ではかなりの数のアブダクション(誘拐)体験者がいるともいわれます。しかし、ほとんどの人の記憶が消されているそうです。キャトルミューテレーション(動物虐殺)やグレイのアブダクション(誘拐)の当時、大騒ぎをした米国のメディアも現在では政府に協力して沈黙しているともいわれます。
・背景にある「霊的なもの」に民衆が興味をもち、「ご利益」を願って稲荷信仰や他の神社信仰が盛んになったそうです。「霊的なもの」が強烈ですと急に信者が増えるようです。神智学でいうアストラル界やエーテル界からさまざまな異星人が、「霊的なもの」として「憑きもの憑き」として人間界に現れてくるのでしょうか。人間の死後の世界である幽界や霊界の存在かもしれない幽霊なども、時々人間の目に移ることもあるようです。神々(高次元の宇宙人)が教祖に憑依して新興宗教も世界中にたくさんカルトができるようです。より高次元の宇宙人が「霊的なもの」に関係しているようです。
・さまざまな高級神霊や低級神霊、あるいは動物霊などが人間に憑依して「神がかり」現象を起こすようです。悪霊が憑依すると「悪魔祓い」が必要になるそうです。エクソシスト(祈祷師)が、悪魔祓いをする習慣が世界中にまだ残っているようです。悪魔、悪霊、悪神、魔神、偽りの神と人間に災いとなる魔物は多いそうですが、「神々や天使は、背後霊や守護霊となり人間に憑依している」ともいわれます。
・私たち一般人は、宗教学者でも研究者でもないので、宗教は詳しくは分かりません。ちなみに、『なぜ八幡神社が日本でいちばん多いのか』(島田裕己、幻冬舎新書、2014/2/5)によると、「その数ダントツの7817社を誇る謎多き八幡神社、2位は伊勢4425社、3位は天神3953社」「最強11神社、八幡、天神、稲荷、伊勢、出雲、春日、熊野、祇園、諏訪、白山、住吉の信仰系統」ということで研究者により、数字や内容、説が変わってくるようです。アマゾンに「稲荷」と検索しますと561件の検索結果がでてきて、日本人の関心の高さが窺われます。多くの神社があり、背後には、たくさんの「霊的なもの」「神々(異星人・宇宙人)」の話があるようです。
・「異次元のパラレル・ワールドに住む宇宙人、天国に出入りし転生と憑依を自由に操るシリウス星人の植民星が地球だ」と言う説もあるようです。シリウス星人はネガティブ・グループとポジティブ・グループがあり、「シリウス星人の地球支配があまりにも巧妙なので、しょっちゅう戦争が起こる」と言う説もあるそうです。また「人は皆、記憶喪失の異星人だ」、「神々は憑依などで市井のひととなり普通の生活をしているので誰も識別できない」とかの与太話があるそうです。
・シリウス星人のグループには、ネガティブなグループとポジティブなグループがあるそうで、“暗黒勢力”と“光明勢力”の対立を生んだと言われているようです。2作のハリウッド映画にもなった“メン・イン・ブラック(黒服の男たち)”は、邪悪なオリオン星人ともいわれますが、その後、消息はどのようになったのでしょうか。メン・イン・ブラックの超能力も凄まじいものがあったようです。宇宙連合も2種類あるようで、『深宇宙探訪記』に詳しいようです。
・安倍晴明の伝説も多くの伝説のように、内容がどこまでフィクションでどこまでナンフィクションなのか時代とともに大きく変化してきているようです。安倍晴明の伝説や絵図は「作り話だ」という説もあるようです。太古からある「神々=宇宙人」の伝説も、時代により大きく解釈も変化してきています。とにかく、日本は神々の伝承や縁起の多い国ですが、すべてフィクションとするわけにはいかないようです。安倍晴明の狐の母親というのもイルージョンを起こせる宇宙人だったのかもしれません。
・「平家がプレアデス星人の末裔で、源氏がオリオン星人の末裔」といわれます。オリオン星人は人類に5万年進化しているといわれ、「人間の魂の交換」ができるようです。そのような進化したオリオン星人やシリウス星人が太古からに地球人とコンタクトしてきたと認識すれば、かなりの歴史的な事実・伝説が理解できるように思えます。「シリウス人はオリオン人と交戦していた。この敵対関係は今でも続いている」といわれます。「奇妙なことに、オリオン人はかっては琴座からの移民である人間らしい存在だったが、その後レプティリアンに征服されてしまった」そうです。オリオン星人は、エジプト文明など地球に文明をもたらした異星人だとしても知られているといわれます。オリオン座は「神の故郷」ともいわれますが、『闇の勢力』も経由地にしているようです。「オリオン大戦」やスター・ウォーズの原因や結果も詳しくは分からないそうです。
・神々は神智学でいうアストラル界やエーテル界で「動物」に変身できるそうです。イルージョンであるともいわれます。インド神話でも動物などに自由に変身できる神々の話が多いようです。イルージョンなどで、当時の人々にとって、異類婚姻譚とか稲荷信仰と狐と神々が結びつくようなのです。宇宙人との異類混血話が異類婚姻譚になったようです。昔は異類異形の宇宙人が多かったようです。
・現代でもグレイのような異類異形のバイオロボットといわれる小柄な宇宙人がメディアに載りました。また、人間の目には「動物」に見えるイルージョンだともいわれます。イルージョンが起こせるのは、かなり進化した宇宙人のようです。昔から「魔法使い」といわれた人々なのかもしれません。「神々(宇宙人)は時空を超えているので神々(宇宙人)といわれる」そうです。あたかも人間タイプの異星人はタブーになったかのようです。神々の「変身」や「化身」の伝承も豊富にあるようです。
・{神々=宇宙人}説も近年、唱えられた説で、学会で公認されたものではありません。「宇宙人」の存在も現代の地動説ともいわれている所以だそうです。「進化した人間タイプの宇宙人=神々」ということも、国家安全保障上の最高機密(トップ・シークレット)の数段階上の厳秘(アバブ・トップシークレット)扱いですから、メディアのメイジャーな話題にはなっていないようです。しかし、「You Tube」では奇怪で奇妙な動画が豊富に見れるようです。
・「死ねば誰でも神のようになる。また死後の世界(幽界や霊界)で神とコンタクトできる人もいれば、その上の次元に進まなければならない人々もいる」という説もあり、「人間の死後世界の存在」を認める人がほとんどの時代になっています。だれでも信仰から天国に行きたいからでしょうか。また欧米のコンタクティから様々な異星人情報が伝えられています。「パラレル・ワールドに住む宇宙人、天国に出入りし転生と憑依を自由に操るシリウス星人の植民星が地球だ」という話もありますが私たち一般人は、当然詳しくはありません。これも現代の「地動説」のようです。
・昭和49年ごろは、北海道はUFO銀座ともいわれたことがあり、平野氏などの作家や多くの知識人が関心を示したそうです。昔から河童(グレイ)や異人が日本に飛来していたようなのです。
・狐憑き、犬神持ちの恐ろしいところは、「急に金持ち」になるばかりではなく、「急に貧乏になる」こともある点だそうで気持ちが悪いようです。単なる民間伝承で、迷信だと片づけられないほど、多くの実例があるそうで、一層、不思議な話だそうです。背後に異次元の宇宙人の操作があったのかもしれません。日本の伝承にある天狗、鬼、河童などは宇宙人だったことが窺われます。クラリオン星人のコンタクティ、イタリア人のマオリッツオ・カヴァーロによると「日本の河童はグレイの一種で、現在も海底基地にいる」そうです。「あのグレイも壁を透き通るようにして部屋に侵入してくる」そうです。河童や天狗や鬼なども異次元移動ができたのかもしれません。
・「遠野郷の民家の子女にして、“異人”にさらわれて行く者年々多くあり。ことに女に多しとなり。-遠野物語第三十一話」、「黄昏に女や子供の家の外に出ている者はよく神隠しにあうことは他の国々と同じ。-遠野物語第八話」という伝承がありますが、犯人の「異人」は、オリオン星人だったようです。「平家がプレアデス星人の末裔で、源氏がオリオン星人の末裔」といわれます。米国が秘密協定を結んだのはラージノーズグレイというオリオン星人といわれています。オリオン星人は人類に5万年進化しているといわれ、「人間の魂の交換」ができるようです。「不思議なゲイ(LGBT等)の現象は、異次元の宇宙人の人格転換である」ともいわれます。オリオンETグループが、「人さらい」や「神隠し」の犯人だったのかもしれません。太古、神人はスバル、北極星、オリオンからやってきたそうです。また異人や天狗はオリオンETグループからの異星人だったようです。
・「大本教の出口王仁三郎は自分はオリオン星から来たと語っている」そうです。ハリウッド映画のMIB(メン・イン・ブラック)では、宇宙警察のイメージでした。メン・イン・ブラックの超能力は凄まじく、オリオン星人ともいわれています。
・背後霊や憑物で、「急に金持ち」になったり、「急に貧乏」になったりするということも、「心霊現象」というよりも、「異次元の宇宙人現象」と理解したほうが良いのかもしれません。異次元の世界は、必ずしも善良な神や天使の世界ではないそうです。超太古にネガティブ・グループのシリウス星人が、遺伝子操作などでモンスター・タイプの生物を作り神に嫌われたそうです。そして、底層4次元には、レプティリアン(爬虫類人)やモンスター・タイプの生物が、現在も存在しているともいわれます。
・「先代が苦心の結果、元は何もないのに、一代の間に数千金の金をためだんだん財産を殖やして、当代は相当の蓄えもできた家があるとすると、その家は、外道持ちだと噂された。子供までもその家の子供と遊ばないほど差別待遇を受ける」ということもあり、昔は迷信のはびこる全く現代からは想像もできないほど、遅れた社会だったようです。これらの迷信は当時の人々が感じていた不思議な体験を結合した結果のようです。「憑き物筋」の現象も、当時の異次元に存在した宇宙人の現象だったのかもしれません。
・「外道持ちは、多くは金持ちになっているという。しかし、いくら金持ちでも、この地方の人は、決してこれを羨望したりしない」ということもあったようです。「狐憑き、犬神持ちの恐ろしいところは、『急に金持ち』になるばかりではなく、『急に貧乏になる』こともある点である」といわれているということです。が、「急に家庭が不幸になること」は、現代では非常に機会が多いようですので、現代でも異次元からの謎の力が働いているのかもしれません。
・背後霊とか、憑物で、運勢が悪くなると、徐霊をしなければならないそうです。神懸りは恐ろしい面もあるようです。悪魔憑きには、「悪魔祓い」をしなければならないということで、医者以外のエクソシスト(悪魔祓いの祈祷師)が必要のようで、これではまるで「中世の暗黒世界」のようです。
・「“犬神持ち”といわれる家は、たいてい村でも屈指の財産家である。しかし、あの家は、“犬神持ち”だといわれると、昔は、年頃の娘があっても、貰い手がないので、金子をいくらか持参するとか。田地三十俵持参するとか言って、持参金つきで嫁入りさせた」そうです。現代でも、昔の迷信の伝承が残っているところもあるのでしょうか。先進的な科学技術の時代ですが、いまだに迷信や因習を信じている人もいるのでしょうか。「これは迷信であり、財産家への嫉妬」を指摘する学者もいるそうですが、「魔のもの」にたいする、農民の表現が「犬神持ち」になったといえるそうです。が、「憑依現象」は、異次元からの異星人の影響、ウォーク・イン(憑依)現象と解釈すれば、説明がすすみましょうか。
・日本の農村には、古くから色々な特殊家筋があるそうです。それらの家筋の中には、「第一の区分けとして、「禰宜(ねぎ)(昔の神職の一つ)筋」「神子筋」「稚児筋」「稲荷筋」「陰陽筋」「鬼筋」「山ごぼう」「ごそぼ種」「生霊筋(沖縄ではこれをいちじゃまという)」というものがあった」そうです。その他は、「第二の区分けとして、「狐持ち」「犬神持ち」「蛇持ち」「外道持ち」「とうびょう持ち」「おさき狐持ち」「くだ狐持ち」「おとら狐持ち」「やこ持ち」「いづな持ち」「河童持ち」などの特殊家筋があって、ほとんど全国に散在したといわれる」そうです。そういえば、昔「犬神家の一族」という映画がありました。
・これらの現象は、異次元からの異星人によるウォーク・イン(憑依)現象とか、「あの世」からの生霊の現象とも考えられましょう。「あの世」の現象が、「この世」の現象に波及するとする量子力学の考え方を理解すれば、迷信や因習ではないともいえましょう。
・「犬神は、普通、神さんといわれ、あの家には神さんがおるなどと言う」そうです。「外道持ち。飯戸村の喜三郎の妻に人狐が見入って難儀をした」といわれていたようです。人狐と外道とを同一視していたようです。憑依現象は、「狐憑き」といわれていたようです。
・「とうびょう(狐)持ち。今まで貧乏であった家に急に財産ができると、その家には、とうびょうが飼ってあるという」という迷信や因習も頑固に信じられていたようです。「狐が憑くと、霊現象で財産ができると考えられたり、悪くすると、病気の原因にされた」ようなのです。狐憑き現象は、オカルト映画より奇妙奇天烈なのかもしれません。
・「それにしても、人狐組合の財力は大したものでした。前原屋姉弟の西国巡礼、京都や出雲大社での祈祷料など1回20両が相場で、それに旅費などを合算すると、数百両にも及んだでしょう。ためしに、文化・文政の時代の20両を今に換算すると、約百五十万円くらいになるようです。人狐組合の総帥徳田屋は、きびしい村八分にも耐え抜いて、今日なおも島前第一の山林所有者であることからでも、その財力がいかに莫大であったかが推測されます」との伝承もあったそうです。「人狐組合」の不思議な話は「知る人そ知る」世界のようです。異人か何かのネットワークでもあったのでしょうか?
・「神がかり」現象は、異次元の「霊的な存在」「神々や天使などの宇宙人の存在」を普通の人々に認識させるもののようです。憑依する神々も高級神霊から低級神霊までいろいろとあるようです。高級神霊が「神がかり」して新興宗教ができたりします。そして小規模なもの(カルト)から徐々に大規模な宗教団体になっていくこともあるようです。一方、下級神霊が憑くと「狐憑き」とか「犬神憑き」とか呼ばれるような、不思議な現象になるようです。「悪魔憑き」と呼ばれる現象もあり、危険な場合があります。下級神霊がはるかに多いようで、世の中には不幸な人々が多いのかもしれません。
・昔から世界中でシャーマンのような存在があり、あの世の「霊的なもの」との交信が可能だったようです。現代語でいえば、あの世とのチャネラーとかコンタクティといえましょうか。「人は皆、記憶喪失の異星人だ」ともいわれ、人間はさまざまな次元や異星を転生してきたようなのだそうです。人間の背後霊や守護霊も詳しくは分かりませんが、天使のような宇宙人の憑依の形態なのかもしれません。「パラレル・ワールドに住む宇宙人、天国に出入りし転生と憑依を自由に操るシリウス星人の植民星が地球だ」そうです。
・遥かに進化した異星人は、目に見えない霊人のような形態で霊界のような世界を自由に往来するようです。幽霊のように現れたり消えたりするようです。幽霊現象も宇宙人現象の一種であるといえましょうか。宇宙人は空飛ぶ円盤にばかり乗ってくるのではないようです。「神々は、はるかに進化した異星人と考える説」が有力のようです。高次元のマスター(大師)クラスも様々な形態で、人間とコンタクトすることもあるようです。膨大なあの世の情報は、人間の想像力からは創作できないそうです。アルデバラン星人は「幽霊」のように現れたり消えたりするようです。アルデバラン星人はアーリア人の「超人」であり、ゲルマンの神々だったようです。
・人間の死後の世界、幽界や霊界は比較的知られておりますが、そのような高次元の世界は遠いところにあるのではなく、「地上1メートルのところに霊界がある」ともいわれます。幽界や霊界と「この世」が交錯しているともいわれます。死後の世界の幽界は、「この世」と似ているが、大きく違う世界だとも言われます。「パラレル・ワールドに住む宇宙人、天国に出入りし転生と憑依を自由に操るシリウス星人の植民星が地球」ともいわれますが私たち一般人には、訳の分からない奇説だそうです。「あの世」の動きが時間を経て「この世」に起こってくるともいわれます。「あの世」も私たち一般人には、訳の分からない奇説だそうです。「あの世」と「この世」が交錯するとき、異次元の不思議な存在との現象を普通の人が体験し、それを報告するのかもしれません。そして、あの世とこの世が交錯する体験は誰でもが、無意識的にかまたは意識的にも、経験している可能性もあります。またあの世の5次元世界とこの世の3次元世界を自由自在に幽体離脱(アストラル・トリップ)して神人は往来しているのかもしれません。
・「パラレル・ユニバース(並行宇宙)は、幽界のような地上の世界と似てはいるが大きく違う世界」なのかもしれません。「神々は憑依などで市井のひととなり普通の生活をしているので誰も識別できない」ともいわれます。が、夜中にパラレル・ユニバース(並行宇宙)の「あの世」に幽体離脱して行っているのかもしれません。現代でも人々が宗教に救いや、癒しを求めるのも、大きな力を感じて信じているからなのかもしれません。
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・ブログ名称: UFOアガルタのシャンバラ
・第2のブログ名称:UFOパラレル・ワールド
「神の国か?」「人類の原郷か?」 「天上のエルサレムか?」・・・・・・・・・
「パラレル・ワールドに住む宇宙人、天国に出入りし転生と憑依を自由に操るシリウス星人の殖民星が、地球か?」、「ネガティブのシリウス星人の地球支配があまりにも巧妙なので、しょっちゅう戦争が起こるのだろうか?」
「金髪碧眼のノルディックが住んでいたアガルタのシャンバラ情報の集大成を目指す・・・・・・・・・・」「金星蛇人と火星霊人の戦争はその後どのように展開したのだろうか」
「日本民族の神話の原郷『高天原(たかまがはら)』は、『都市型の超巨大宇宙船』なのか!?」「平家がプレアデス星人の末裔で、源氏がオリオン星人の末裔なのか」
「小人族のグレイの母船に同乗する金髪碧眼のノルディックは、”悪魔の王””ルシファー”なのか?!」
「円盤は神人や異人、悪魔の乗り物なのか!?」「天使は神の秘密諜報員なのか」「神は最初のフリーメーソンなのか」
「UFOは、人類の歴史が始まって以来、最も重要な現象なのか。UFO問題とは、人間にとっての死の問題を解くことなのだろうか。UFOはフリーメーソンの創作なのか」
「全宇宙を創ったという“虹の神々”も地球に来ているのだろうか」
「イルミナティなどのフリーメーソン組織に入ると神に会えるのだろうか」「金星の神々は地球に到着するやいなや、イニシエーションのためのフリーメーソン本部を設けたのだろうか」「フリーメーソン結社はこの大地が創出されるよりずっと前から、さまざまな太陽系をめぐって、存在していたのだろうか」「フリーメーソンとは、“現在、世界で信仰されているいずれの宗教より古い”教団となるのだろうか」
「国際連合の設立に動いたキリストの星、アプ星人とは」
「人は皆、記憶喪失の異星人だろうか」
「はるかに進化した天使のような宇宙人は、人間の守護霊や背後霊なのだろうか」「セドナ上空に見えないエーテルのシティが滞空するのだろうか」
「シリウス星人の故郷である天体イジュニュは、もっと高い周波数で共振する6次元の天体であり、地球の宇宙と同時に存在するパラレル・ユニバースに存在するのだろうか」
グーグルのブロガー(多言語翻訳:約250言語)にも書いています→UFOパラレル・ワールド