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フランスでは蛇妖精メリュジーヌの話がよく知られているが、本来は蛇女神であろう。見てはならない日にのぞいて見ると下半身が蛇だったという話だが、全身蛇が本来の姿だったのではないだろうか(1)

 

 

『世界神話入門』

篠田知和基    勉誠出版   2017/4/30

 

 

 

女神

・女神はどこにでもいる。大地であり、月であり、水であって、豊饒の原理である。蛇や蛙の姿になり、またそれらをしたがえる。動物たちの主(ポトニア・テロン)としてはライオンをしたがえ、あるいは猛獣や鹿などをわしづかみにしている。狩猟文化では獲物を支配する。農耕文化では豊作を保証する。先史時代、まだ農耕がはじまっていなかったころも、尻や乳房を誇張した女神像が造られ、祀られた。子が生まれることを祈ったかどうかわからない。性の喜びをあらわしたものとも思われないが、性の力をもった呪術王ではあったろう。狩猟の成功をいのるにも、女祭司が呪術を行なった。

 

・狩猟時代と初期農耕時代を支配した女呪術王は、神話では戦いの女神、動物たちの主、そして豊饒なる大地、穀物の母をあらわした。アプロディテーやアスタルテも本来、戦いの女神である。アルテミスは動物たちの主だった。ライオンをしたがえたキュベレも動物界の支配者である。大地女神ガイアはさまざまな怪物を生みだした。デーメーテール穀物の母だった。

 

・たとえば、北欧では、バイキング文化が続いたあいだ女神の支配する時代が続いた。スカディ、フレイヤ、ヘルなど、さまざまな形と名前をもった死と再生の女神が信仰された。ギリシャでもヘカテは冥界の女王だった。日本では農耕社会になってから神話が形成されたので、穀物や食物の女神や、農耕をする女神はいたが、狩猟をする女神は明示されなかった。狩猟者が祭る山の神は女神だが、名のない神で、神話もない。それでも黄泉の支配者になったイザナミは死と再生の女神である。

 

・母神は大地、あるいは冥界にいて、まず死をつかさどる。したがって戦いの女神の性格ももっていた。アテネ武装した姿で生まれ、戰さの神としての性格をもっていた。アプロディテーも武装せる女神だった。彼女がギリシャで軍神アレスの情人となるのは、軍神として合一していたからともみられる。エジプトでは「おそろしい女神」という観念があり、大いなる女神はすべて「おそろしい女神」である。

 

<蛇女神>

考古学者のギンブタスはヨーロッパ古層の社会には広範に蛇女神信仰があったとする。考古学出土品では蛇をあしらった土器で、日本の縄文土器に似たものが見つかっている。その蛇は蛙女神の形になったりもしている。スキタイの祖といわれるエキドナも蛇体の妖怪だった。妖怪というのはギリシャ文明からの見方で、スキタイでは敬うべき大女神だったかもしれない。

 

フランスでは蛇妖精メリュジーヌの話がよく知られているが、本来は蛇女神であろう。見てはならない日にのぞいて見ると下半身が蛇だったという話だが、全身蛇が本来の姿だったのではないだろうか日本ではトヨタマヒメが、見るなという日にのぞいて見ると「ワニ」だったとも「竜」だったともいう。サメだという解釈もあるが、いずれにしても蛇体の海の怪物、あるいは神である。

 

ミャンマーのクン・アイ神話では、湖の蛇体の主が湖岸の牧童の吹く笛にひかれてやってきて、牧童を湖底の宮殿へみちびき、やがて、湖岸に卵を生みにやってくる。この卵から生まれた王子が後に敵に攻められたとき、湖底の母竜にたすけてもらう。朝鮮では高麗の始祖作帝建が竜宮にまねかれて怪物退治をし、お礼に竜宮の王女をもらってくる。この王女が竜の姿になって時折、宮殿の井戸から海底へ通っている。その秘密を王がのぞき見た結果、蛇王女は二度ともどらなかった。インドではワニにのってやってきたガンジスの女神ガンガーとシャンタヌ王が、女神のすることを一切とめだてしないことという約束で夫婦になるが、生まれる子供を次々と川に投ずるので最後にはたまりかねてそれをとめると、女神はこれまでといって去ってゆく。ワニにのってやってきたのはワニ女神だったからだろう。

 

柳田國男はこの種の話を「神を助けた話」とするが、竜宮の老人ははたして神なのかどうかさだかではない。異界の住人ではあるだろう。『今昔物語集』にも舟が漂流して異人の島について話があるが、柳田の伝えるところでは猫島に漂流船がながれついて、船乗りが妖怪退治をした。これがムカデで、日光二荒山と赤城明神の戦いでもムカデとオロチがたたかった。

 

・妖精界に人間が助力に行くという話はヨーロッパの妖怪譚でもよくあるが、そもそもギリシャでも、ゼウスが巨人たちと戦うときは、人間が加勢に入れば勝つといわれて、ヘラクレスが助けるのである。

 

竜はスラブ諸国ではズメイなどといい、ときに「竜神」などと訳される。形態はかならずしも竜蛇ではない。竜というのは神経の性という意味である。しかし英仏語にすればやはりドラゴンであることにはかわりはない。と同時に、これは鷲などとも性格を共有し、天がける神霊で、地にも潜れば海中にも隠れる。超人でもあり、神でもあり、あるいは悪魔でもあるが、悪の原理よりは、悪をうちやぶる力である。これが「海のマリア(マリア・モレーヴナ)」をもらいに来る。異界がまずは海である。海の神霊の性格をもったものが超人的な働きをし、同じように海ないし空中の住人である竜人とむすばれる。

 

・始祖伝承なら狐女房がそうだが、異類としてのおそろしさや、禁忌のモチーフはない。むしろ山姥や食わず女房などにおそろしい神の様相があらわれる。さまざまな異類女房譚に分岐しながら、その根本においては恐ろしい女神と人間とのむすびつきのドラマが語られるのである。対馬の蛇女房では、女房の後をつけてみると、山の湖で竜になっておよぎ、人を取って食っている。家から追い出すと、あとで、オロチになって復讐にくる。敬うべき蛇女神として語るか、おそろしい蛇妖怪として語るか、じつは語り手の信仰の問題でしかないかもしれない。

 

世界のメリュジーヌ

メリュジーヌはフランスの蛇女神として紹介されることが多く、日本ではトヨタマヒメがそれに相当するといわれる。しかしメリュジーヌは本来、人の姿の妖精で、呪いのせいで蛇になっていたのはある一定の日(土曜)だけである。本質的な蛇女神ではなかったともみられる。一方ではトヨタマヒメはワニであったともいう。動物種がちがえば話もちがうというのが日本の異類女房譚の約束である。

 

・これらの海外の神話学者の見方はいずれも問題がある。日本では異類女房譚として、鶴女房、狐女房、天人女房があり、比較的類話の少ない話型とハマグリ女房、蛙女房、竜宮女房がある。そのほかに蛇女房、木霊女房、雪女郎などがあって、猫の恩返し、烏の姉御があるが、これをすべて「羽衣」の変異とすることは柳田國男の時代にはありえたが、いまはそれぞれ別なカテゴリーの物語とされている。

 

トヨタマヒメの話にはむしろビルマのメン=マオ国の始祖、クン=アイの物語が共通性をもっている。岸辺にあらわれた竜女が牧童を湖の底へ招き夫婦になり、そこで夢のようなときをすごす。しかし、見るなという日に外を見ると竜ばかりで、それを見ておそれをなして卵を産みおとしていく。トヨタマヒメの話とは、ことに陸地での出産のモチーフが共通している。見るなのモチーフもある。

 

・そもそもメリュジーヌの物語について、上述のアルフ=ランクネールは、似たような話をいくつもならべた末に、騎士が湖の底などの妖精の国へ行って妖精の愛をえる話を「モルガン型」とし妖精が妖精の国を去って地上へやってきて騎士とむすばれる話を「メリュジーヌ型」としている。竜宮へ行って竜女とむすばれるクン=アイ神話はトヨタマヒメ神話と同様「モルガン型」になるのである。

 また異界の女というより、それがむしろ蛇、竜、鶴などという異類である場合と、人間とちがわない妖精でたんに若干の動物性をもっている場合とのちがいもある。相手が鳥か、獣か、蛇か、あるいは妖精や天女かでちがうかどうかである。

 竜女の話なら朝鮮にもビルマにも似た話があるのに、世界ではあまり問題にされない。実はフランスでもメリュジーヌ以外に竜女の話はいくらもあって、アルフ=ランクネールも「先行話」として10話ほどあげているし、歴史家のル・ゴッフも「ルーセの城のレモン」「犬歯のヘンノ」などをあげている。

 

メリュジーヌを美しい妖精として描いたのはジャン・ダラスという作家の文芸的想像で、本来、民間の伝承であるメリュジーヌの話では、これはやはり蛇だったのだという見方もあり、その場合は、白鳥や鶴ではなく、まさに蛇女の物語をギリシャの古代からたずねて、ヘラクレスが交わったという蛇女エキドナがその源流であるというものである。その系列ではキーツが詩に歌ったレイミア(ラミア)というのが、悪魔ともされる蛇女で、日本でいえばヒナガヒメか、深泥池の竜女なのである。

 

・また、異類婚姻譚とふつうはしないものでも、異類が交わりをもとめてくるものであり、とくに蛇女が英雄と交わりを求めるものとしてエキドナとヘラクレスの話があるのだが、その系列なら日本でも蜘蛛や蛇の妖怪などの話がある。蛇妖怪としてはラミア【レイミア】もあり、中世の古城にあらわれて、騎士の接吻をもとめた大蛇の話もある。

 

そもそも対馬には海神神社がたくさんあるところで、民俗学者の永留久恵が『海神と天神』などでいうように竜宮信仰が盛んなのである。峠の池の主だった大蛇も娘を飲み込むために海の彼方からやってくる。そこには龍宮からやってくるトヨタマヒメの面影もあるであろう。

 

メリュジーヌの先行話

・中世学者のアルフ=ランクルネールは物語の構造として、「美女と野獣」「白鳥処女」がメリュジーヌ譚と同種であるとした上で、12~13世紀のヨーロッパのラテン語説話集にみられる10篇の物語がメリュジーヌ譚の先行話とする。ワルター・マップの『宮廷人のたのしみ』、ジョフロワ・ドセールの『黙示録』、ジロー・ド・バリ(あるいはカンブレンシス)の物語、ティルヴァリーのガーヴェイスの『皇帝の閑暇』などに収められている。

 

森の人というより、「野人」で、そうよばれているゆえんは立ち居振る舞い、口のきき方が自由奔放であるからという、北部レッドバリーの武勇のほまれたかい領主である。あるとき狩で遅くなって森をさまよっているうちにとある大きな家の前へでた。家はあかあかと明かりをともしている。中をのぞいて見ると大勢の貴婦人たちが踊っている。エドリックは中へ踏み込んで中でも一番の美女をつかまえる。女はしばらくは一言も口をきかなかったが、数日たってようやく言うことには、自分が一緒にいた女たちのことを口にしないでくれれば、幸せがつづくだろう。しかし、それを口にすれば、あとは不幸がおそうだろうという。ある日、夜遅くどこからかもどってきた女に、森の仲間にひきとめられていたのかと言ったか言わないかに女の姿はかきけすようにみえなくなっていて、以後、預言のとおり、エドリックは病に倒れ、残された息子も全身麻痺におそわれる。

 これを亡霊譚というが、もちろん女は森の妖精で、語り手もディクチュンナとかドリアデスという名前を口にする。

 

・このほかに同じ物語集に悪魔の女が司祭を篭絡して法皇にまでさせ、ミサの最中に聖体をけがさせるといった話があがっていたりするが、アルフ=ランクネールがこれらをメリュジーヌの先行話とする理由ははっきりしないメリュジーヌを人間に福をあたえる美しく恵み深い妖精としてではなく、人間をキリスト教の教えからそむかせる異教のあしき神霊と見る考えがあり、中世の説話ではそのほうが主導的だったということかもしれない。

 水の精でも、人間の夫の約束違反のあとは子供をつれて水のなかへもどってゆくだけではなく、後に海岸で水遊びをしている子供をさらっていったりする。そうなると、これは峰村の蛇女と同じということになる

 

・つぎはガーヴェイスの『皇帝の閑暇』に紹介された話でこちらはずっとメリュジーヌに近くになる。まずルーセの城主レモンが登場する。レモンという名前はジャン・ダラスの物語のレモンダンと同じであるという。レモンの短縮形がレモンダンだからだ。城主はある日、馬にのって遠乗りに出掛け、川のほとりで美しい女に出会う。ただちに結婚をもうしこむと、裸のところを見ないならという約束で結ばれる。しかしあるとき、好奇心をおさえきれず、水浴中の部屋へはいり、浴槽をかくす帳をひきあける。奥方は蛇になって水の中へ消え去る。そのときから城の運勢はかたむきはじめる。

 

メリュジーヌが見られたといって竜になって窓からとびだしてゆくのに比べると、蛇になって水中に消えたというほうが水精らしい。『今昔物語集』に描かれた水の精も、たらいの水を見ると、そのなかにするっと入って見えなくなる。水になるのである。

 メリュジーヌと共通するのはもうひとつ、この妖精が夜毎戻ってきて、子供たちの世話をすることである。だれにも見られないようにもどってくるというので、そのときどんな姿をしているかは語られないが、おそらく蛇ではないだろう。

 

白鳥乙女

日本は典型的な白鳥文化の地域である万葉集にも七羽の白鳥の物語が語られる。羽衣の話では滋賀県余呉の海でも、静岡県三保の松原でも、福井県気比の松原でも天女が舞う。世界的にはアプサラスのウルワシであり、北欧の鍛冶師ヴェーラントの最初の妻であり、あるいはポーランドの「白鳥の妃グルペー」である。東南アジアでは「ママヌアとウランセンドー」などという物語で語られる。天から飛来する天女は白鳥の姿でやってきて、湖で水浴をする。これは地中海の「水からあがるアプロディテー」にも通ずるものである。

 天からやってくるのか、水からたちあがるのか、どちらともいえないのだが、女神が裸身で表現されるために衣をぬぐという口実が必要だったのであろう。

 

・マリヤ・ギンブタスによればヨーロッパの古層文化の女神は蛙や蛇の姿をしていた。日本の縄文時代の女神も同じようなものだったろう。実際の年代からすると古ヨーロッパのほうが日本の縄文時代よりかなり時代をさかのぼるがそれぞれの文明の発展過程からすれば古ヨーロッパは日本の縄文と同じくらいだろう。

 

・蛇女房も日本では数多く語られ、文学でも『今昔物語集』や「道成寺」「蛇性の淫」などにみられるが、蛙女房のほうは昔話でも笑話的な話柄として伝えられることが多い。それに仏教色もふくめ、あまり古層の神話とも思えないが、素性のしれない女房が実家へ法事にゆくというのをつけてみると、蛙になって池にとびこんだという話で、これは作帝建の妃の竜女と同じ物語である。池の中の蛙たちの鳴き声が僧侶たちの読経の声に似ていたというのもあとから付会されたモチーフとみてもさしつかえない

 それにインドでは古説話として「蛙の奥方」があり、これは上村勝彦の『インド神話』にもおさめられている。

 

・日本では異類女房は天人女房に類する鶴女房か、烏の姉御が昔話で多く、万葉集の白鳥は民間ではめずらしい。ほかでは狐女房があり、ハマグリ女房、鯉女房は同じような話で、蛙女房はちょっとかわっている。雪女、柳の精、花の精などははかなくきえてゆくが、異類女房全般に地上での滞在は短期間である。蛇の場合は「蛇の目玉」として語られる。対馬の峰村の伝承では人食いの蛇女である。

 

・西洋では猫でも鹿でも蛙でもウサギでも鷲鳥でもたいていもとは美しい王女である。魔法をかけられて動物になっている。それを冒険の旅にでた主人公が「おそろしい接吻」をして救うのである。あるいは三日三晩の試練で、地獄の責め苦をうけるのを耐える。

 

しかし異類女房は本質的に動物神である。神との接吻はゼウスとセメレーのようにおそろしい。ギリシャ神話ではゼウスのほうが牛や白鳥になって地上の女を誘惑した。しかしおそらく古層の神話では昔話のように、猫や鹿や鼠の神霊と人間が交わったのである。

 

日本では馬娘婚姻譚があり、おしら様信仰につらなっているほか、西日本では笑話化しているが牛婿があり、河童婿もある。また蛇神は男女を問わず語られ、豪族の始祖伝説となる。小動物では、たにしがいる。猿の場合、生贄譚の猿神と異類婿との猿婿で異なっている。犬は『今昔物語集』では「北山の犬」などがあり、馬娘婚姻譚と同じ展開をするものもある。

 

黒聖母

キリスト教の受容においても、したがってマリアを中心とする異端信仰が広まった。そのひとつが黒聖母で、聖母を黒く塗って造形し、あるいは黒色の材料で彫った。ところによると白い彩色像だったものを修復と称して黒くぬりなおしたものもある。黒くすると霊験あらたかとして信者がおしよせるのである。女たちの苦しみを理解してくれるのは黒聖母だけだともいわれる。

 

・黒聖母がなだかいのはスぺインのモンセラットや、フランスのオーヴェルニュ地方で、ロカマドールの黒聖母はそれが鎮座する教会の立地とともにいまでも多くの信者をあつめている。

 

愛の神話

性愛や婚姻、あるいは誘惑の神話はたくさんあるが、愛の観念をあらわにした神話はあまり多くはない。「エロスとプシュケ」はまさに愛神エロスと「心」という名前の娘の苦難の物語だ、アプサラスのウルワシの話は愛の破たんの物語である。説話では『シャクンタラ』『ダフニスとクロエ』などがある。ギリシャ神話ではゼウスはつぎからつぎに地上の娘を誘惑し、子供を生ませる。そのたびに正妻のヘラが嫉妬にくるって、その娘や子供を迫害する。

 

ただしディオニュソス教などの秘儀宗教では、女祭司が神をむかえる床入りの儀式があり、「聖婚」といわれ、それをことほぐ歌や物語が造られたアナトリアアドニス崇拝、キュベレ崇拝、アティス教などでは、神がナクソス島で、テセウスに捨てられて泣いているアリアドネを見つけ、なぐさめて妻にした話があり、盛大な婚礼と、アリアドネを天にあげて神にする話が語られた。ディオニュソスアリアドネだけを愛した。ナクソス島でアリアドネを見つけたとき、彼女はすでに絶望して命を絶っていたともいう。その後ディオニュソスは彼女を探しに行って、復活させたとも、神性をあたえて死にしたともいう。その冥界へくだってもどってくること、死すべき人間が冥界から不死になって天上へのぼることがディオニュソス秘儀で演劇的に演出され、物語ともされたようである。秘儀では、女祭司、あるいは女信者が神とともに冥界へくだって地上へもどってくる演技と、復活をいわって神と交接する性の歓喜儀礼とが行なわれたとも想像される。

 

異類婚姻譚

昔話ではどこでも、異類の姿であらわれる異界の存在と交わる人間の物語が語られる。日本では蛇女房、狐女房、鶴女房などのほかに、犬婿、河童婿などがあり、犬婿は島嶼部の始祖伝説にもなる。中国では盤古(ばんこ)神話である。馬娘婚姻譚もたんなる昔話ではなく、東北日本では「おしらさま」という神になり、養蚕の神だともいう。白鳥処女の話は北欧にも、スラブにも東南アジアにもあるが、日本にもある。

 

・インドの天女アプサラスの場合は、動物の姿では語られないが、日本では羽衣としては人間の姿の天女であり、万葉集などでは、それが白鳥として語られる。

 モンゴルの始祖伝承、「青い狼」は狼が人間にかわる変身の物語ともみられるし、あるいは天神の子が動物の姿を取って地上に降臨した話ともみられるが、高車族などで、草原に捨てられていた王女のところへ狼がやってきて交わって勇猛な一族を生ませたという話は異類婚姻譚だろう

 

竜宮あるいは異郷逗留譚

・日本では浦島が竜宮へ行った話が有名で、同じような話は西洋でもたくさんあるというが、たとえば、修道士が修道院の外へ散歩に出て、森で小鳥の歌にききほれていたら、300年がたっていたという話は、どこまで同じかわからない。中国では神仙が碁をうっているのを眺めていたら、もっていた斧の柄がくさってしまっていたほどの時間がたっていたともいう。小鳥の歌や碁の勝負が数百年にあたるというので、じっさいに竜宮へ行ったという話とは異なる。竜宮へいった場合、トヨタマヒメ説話では山幸も竜宮へいったが、かれの場合はもどってきても数百年はたっていなかった。異界への旅はこの世とは別な時間のなかでくり広げられるが、時間が最も重要な要素とはかぎらない。フランスの中世説話ギンガモールでは、妖精界から地上にもどってきた騎士が地上の食べ物を食べてはいけないという禁忌に背いた結果、馬からおちて、とたんに年老いてしまう。

 

・箱をもたされて、それをあけてはいけないというのは、浦島の玉手箱だけではなく、西洋にもいくらでもある。妖精世界の秘密を人につげてはいけない。妖精を恋人にしていることを漏らすと、二度と妖精があらわれないという場合は、異界の住人との禁忌にまもられた愛と、禁忌違反によるその破局だが、話としては浦島譚と同じである。

 

・ところで、竜宮へまねかれて竜宮の乙姫をもらってくるという作帝建の話と俵藤太の物語が同一の話のようで違っているのは、俵藤太では乙姫がでてこないところで、これは語り手の忘却か、ちがう話かという問題だろう。「神をたすけた話」ではたしかに婚姻モチーフはでてこない。トヨタマヒメと山幸は婚姻関係になり、始祖となる子を生むが、その婚姻はながつづきしない。

 

女神の嘆き

ギリシアの女神デーメーテール穀物神だが、娘のコレを失って身を隠す。おかげで世界の畑の作物がみのらなくなる。そこでバウボという女あるいは女神が彼女の前で性器を露出してみせると女神の憂愁がはれてにっこりほほえみ、穀物神としての機能を復活させたという。太陽が隠れて世界が暗くなったというのと対応する現象で、世の作物が萎れて枯れるのである。日本では世の草木を枯らした神がほかにいて、スサノオが泣きさけんで草木を枯らしたという。これも姉神の雲隠れと無関係ではない。

 デーメーテール穀物神としての性格は、彼女が保護するトリプトレモスによって明らかになる。彼女はトリプトレモスに麦の穂と竜車をあたえ、それにのって世界中に麦の種をまくようにさせた。あるいはそれぞれの土地の王に農耕をおしえさせたという。この神話と並行する神話が日向の国風土記にあることを吉田敦彦が指摘している。ニニギの命が日向の国におりたつとにわかに空が暗くなった。そこでニニギが稲モミをまくと、とたんに空に光がもどった。

 

復活神とトリックスター

・古くなり悪徳にそまった世界を浄化・更新するのに若い神が犠牲になって死に、やがて復活する場合と、古い秩序をトリックスターがいたずらによって破壊して更新する場合とがある。

 

復活神

キリストは復活神である。彼を全世界の人類の罪をかわりに背負って死んだ犠牲神とする観念はいかにもキリスト教特有の博愛主義のようだが、そもそもキリスト教はそのような博愛、愛の宗教であるというのはひとつの壮大なフィクションで、じっさいはキリスト教は戦いの宗教である。エホバあるいはヤーヴェはねたみふかい神、厳罰をくだす神である。キリストをそのような代受苦の思想で解釈しようとするのは、仏教的な慈悲の神を想像するいつわりの神学で、人をあざむくものである。彼はオリエントの死んで復活する植物霊をあらわした神、アドニス、アティス、あるいはオシリスの系列の復活神で、彼が死ぬところを犠牲の死とするのはかなりご都合主義的な解釈のほうである。アティスは女神に愛されて若くして死ぬ夭折神である。その死を無駄な死ではなく、人類のための死のように潤色したのはヨーロッパのキリスト教学者で、本来はただの女神のお気に入りの美青年である。オシリスは美青年という規定にあまりあてはまらないようにみえるかもしれず、おさな神としては彼の子のホルスのようである。しかし死んだオシリスが若いホルスとなってよみがえったとするなら、オシリス=ホルスをこの夭折し、復活する神々の列にくわえてもいいそもそもホルスというのは世界の最初にいた神で、オシリスの子ともいうホルスは「若いホルス」というが、「年取ったホルス」と「若いホルス」というのはいささか説明の困難な神話であるオシリスは永遠に若い神としてよみがえって二人目のホルスとなったのであるオシリスは弟のセトに殺されてナイルに流され、ビュブロスでタマリスクの木の幹につつみこまれているのを妹にして妻であるイシスによってみいだされ、復活させられるが、セトがいち早くそれを見つけて、イシスがわずか留守にしている間にオシリスを今度は八つ裂きにして、その砕片をエジプト中にばらまいた。これはディオニュソスがティタンたちに八つ裂きにされたことに相当するといわれる。しかし今度もイシスはその細切れにされた体をさがしあつめて、もとどおりに再建し、そこに命をふきこんで復活させる。ただし、ペニスだけは見つからなかったので、かわりに粘土でペニスをこしらえて、それをうえつけ、それによってホルスを懐妊する。再建されたオシリスがよこたわったまま、復活するのを模して粘土で作ったオシリス像に麦の種をまき、水をかけていると日本なら49日目にでも、種が芽吹いて全身に麦の穂がそだつ。そのなかに植えられたペニスも元気になってそびえたつ。これを「オシリスの芽生え」というが、もちろんメソポタミアの「アドニスの園」と同じである。

 

トリックスター

アメリカ先住民の神話で圧倒的な働きをするコヨーテなどのトリックスターは、シベリアではワタリガラスであり、アフリカでは兎である。東南アジアでは猿が往々にしてその働きをする。

 トリックスターはつくるものではなく、こわすものである。さばくものではなく、そそのかすものであり、ゆるすものではなく、逃げるものである。悪事もはたらくが、いたずらとしての悪であり、本質的な悪ではない。文化に遊びの要素をもたらすものである。創造神が世界をつくり、秩序をあたえられ、ものごとがきまった位置に固定される。生きるのにいささか息苦しく、ときにはなにかかわったこと、あたらしいものがほしいように思われる。

 

戦争の神話

ギリシャではゼウスがひきいるオリュンポスの神々と、その一世代前のクロノスら巨人たちがティタノマキアと呼ばれる戦争を10年にわたって戦った。そのつぎは大地から生まれた巨大な怪物たちとのギガントマキアで、最後はチューポンとの戦いだったが、人間たちはトロイ戦争で10年戦い、オリュンポスの神々も参加した。インドでは『マハーバーラタ』に描かれた戦いがあり、中国では琢鹿の戦いや、炎帝黄帝の戦いなどがあった。ゲルマンでは『二―ベルゲン』の戦いがあり、北欧では世界最期のラグナロクがあった。メソポタミアではマルドゥクに率いられた天の神々と、ティアマットら海や地上の神々との争いがあった。日本の記紀では神武東征があり、播磨国風土記には伊和大神と天の日槍との戦いなどが叙述される。

 

変身譚

昔話や伝説では世界中どこでもみられるモチーフだが、神話では変身のモチーフはあまり多くない。日本では、神々の変身は知られていないギリシャでは動物への転生がかなり語られる。ラクネがクモに、キュクノスが白鳥に、カリストが熊に、プロクネが鳥になどである。また、神々が随時、動物に姿をかえて、地上の人間を誘惑したりした。エジプトでは女神ハトホルが牝ライオンになったり、あるいは牝牛になったりする。というより、牝牛として崇拝されるハトホルと、人熊でまつられるホトホルの両方いるといったほうがいいい。同じくエジプトの女神のバステットは猫で、彼女が人熊であらわされることは稀である。トートはトキかマントヒヒで表わされるが、時に応じて姿をかえるというわけではない。ホルスは隼である。オシリスは人熊だった。

 

 

 

『失われた日本ユダヤ王国「大邪馬台国」の謎』

飛鳥昭雄・三神たける  学研   2011/1/12

 

 

 

物部氏の正体は何者であるのか

多次元同時存在の法則

・実際、縄文人だという人あれば、典型的な弥生人だという人あり、邪馬台国の王族であったという人あらば、いや邪馬台国を征服した勢力であるという人あり、渡来人だという人、さらには騎馬民族だという人、実にさまざまな説が、それこそ百家争鳴状態となっている。名のある学者の方々の論文さえ、邪馬台国論争以上に諸説入り乱れているのだ。

 日ユ同祖論というジャンルにおいても、そうだ。古代イスラエル人の日本渡来という視点から見ても、物部氏がいったい失われたイスラエル10支族なのか、秦氏と同じユダヤ人原始キリスト教徒なのか、それともまったく違う経路でやってきたイスラエル人なのか、説得力のある説に出会ったことは一度もない。言葉は悪いが、みな肝心なところでごまかしているか、そもそもまったくわかっていないのだ。

 

秘密組織「八咫烏

・いわば天皇家の守護神ともいうべき八咫烏の名を秘密組織は冠する。組織のメンバーは、みな「陰陽師」である。昨今の安倍晴明ブームで知られるようになった「陰陽道」は古代日本の呪術的宗教である。七五三や節句などの神道祭礼の根幹をなす思想であり、日本文化の隅々にまで影響を与えているといっても過言ではない。

 だが、森羅万象、すべては陰と陽から成るように、陰陽道にも表と裏がある。まさに八咫烏は裏の陰陽師であり、日本の神道を仕切っている。闇夜の鳥のごとく、彼らは静寂に潜み、歴史を裏で動かしてきた。

 八咫烏を名乗る構成員はわかっているだけで、約70人。周辺には伝令役ともいうべき「烏天狗」が控え、上層部には12人から成る組織があり、彼らは「大烏」と呼ばれる。さらに大烏の上位3人、すなわち「三羽烏」は特別に「金鵄」という称号をもつ。

 実は、この金鵄こそ、密かに古神道の世界で噂されてきた「裏天皇」にほかならない。3人でひとりの裏天皇として、彼らは表の天皇ができない儀式一切を執り行っている。長い歴史のなかで、さまざまな困難が天皇家には降りかかった。戦乱や南北朝といった混乱期にあっても、八咫烏は連綿と秘儀を執行してきたのである。

 当然ながら、八咫烏に近づくことは危険を伴う。

 

古代豪族「物部氏

物部氏である。古代日本の謎をさぐるうえで避けることができない豪族にして、古代天皇外戚。その権力と権威は日本史上最大にして最高を誇った。

 

物部氏の祖神「ニギハヤヒ命」>

物部氏の祖先は「ニギハヤヒ命」という神様である。

 

名前の頭に「天照」とあるように、ニギハヤヒ命は太陽神である。天皇家の祖神、つまり皇祖神である「天照大神」が女神であるのに対して、ニギハヤヒ命は男神である興味深いことに、『古事記』や『日本書紀』には、太陽神がふたり登場するのである。神道では八百万の神々を拝むとはいうものの、山や海、川、草木とは違い、太陽はひとつ。天空に輝くひとつの太陽を神格化した存在がふたり、まったく別の神々として存在するのは、どう考えても変である。

 

・奇妙といえば、神社の名前もそうである。奈良時代以前にまで遡る神社のうち、その名に「天照」を冠した神社の主催神は、いずれも女神、天照大神ではない。

 

・これはいったい何を意味しているのか。考えられることは、ひとつしかない。もともと神道における太陽神は、物部氏が祖神として崇める天照国照彦天火明櫛甕玉饒速日命、つまりニギハヤヒ命だった。

 

・しかし、大王として君臨することはなかったものの、物部氏の勢力は強大だった。大和朝廷も、最後までニギハヤヒ命を抹殺することはできなかった。物部氏が祀る神社が冠する「天照」を黙認したのも、彼らが神道祭祀を担い、神秘的な呪術を行っていたからにほかならない。

 

ニギハヤヒ命の物部王国「日本」

記紀神話によると、皇祖・天照大神の孫、すなわち天孫「ニニギ命」は高天ヶ原から多くの神々を引き連れて、九州の高千穂に降臨する。

 

・世にいう「神武東征」の出陣、いざ出発という段階で、神武天皇は「塩土翁」という神からひょんなことを聞く。なんでも、すでに幾内には「天磐船」に乗って、ひと足早く降臨した神がいるというのだ。

 

・同じ天孫族といえども、外からやってきた神武天皇にとって、被征服民である物部氏の女を皇后にすることは、物部王国の民を懐柔することでもあり、ふたつの国がひとつになるための重要な戦略だったのだ。それほどまでに、物部氏天皇家にとって重要な存在だったのである。

 ちなみに、初代神武天皇から第9代開化天皇までは、皇居を大和の西側に置いたことから「葛城王朝」と呼ぶこともある。いうなれば、葛城王朝は天皇家と合体した後期・物部王国として位置づけることができるだろう。