日本は津波による大きな被害をうけるだろう UFOアガルタのシャンバラ 

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日本では、台湾の「モシナ(魔神仔)」の知名度はどれほどのものだろう。台湾人で「モシナ」を知らない人は少ないが、日本で知っている人のほうがまれではないだろうか。(1)

 

『何かが後をついてくる 妖怪と身体感覚』

伊藤龍平  青弓社    2018/8/3

 

 

 

<台湾の妖怪「モシナ」の話>

<「お前さんモシナかい?>

日本では、台湾の「モシナ(魔神仔)」の知名度はどれほどのものだろう。台湾人で「モシナ」を知らない人は少ないが、日本で知っている人のほうがまれではないだろうか。

 モシナとは、主に夜、山中や草原に出る怪で、道行く人を迷わせて帰れなくしたり、夕方まで遊んでいる子どもをさらったりする。また、口のなかにイナゴを詰めたり、夜中に寝ている人を金縛りに遭わせたりもする。

 

モシナの容姿については、赤い帽子と赤い服(もしくは、赤い髪、赤い体)の子どもの姿(猿に似ているとも)をしているといわれるが、一方では、人の目には見えない気配のようなものだともいう。

 

・この慣用句にはモシナの本質が凝縮されている。モシナとは、知らぬ間に自分の背後に忍び寄る存在だった。黄さんは、モシナを「影のような存在」とし、「幻のようなもの」とも呼んでいた。

 

・「急に、影みたいに現れて消えるとか、そういうものをモシナって、鬼はもっとはっきりした形があった場合は鬼よね。モシナというのは、何かしら薄いような影(の姿)をした鬼でしょうね。だから小鬼という。実際の鬼じゃなくて、いたずら鬼、いたずらをする鬼」

 

 

モシナの事件簿

・モシナとは何かという点については、世代による違いもある。中年以上の台湾人は、モシナと鬼とをはっきり区別していることが多い、人の死後の姿かどうかが一つの基準になるが、ほかにどのような違いがあるのだろうか。

 黄さんは、モシナと比べて「もっとはっきりした形があった場合は鬼」と話していた。同じ意見を鄭埌耀さんからも聞いている。鄭さんによると、「鬼ははっきり見えるでしょう、モシナは見えないんだ」とのこと。民俗資料には、赤い服と赤い体という鮮烈なビジュアルなモシナが記録されているが、実際、台湾の人から話を聞くと、こうしたビジュアルがないモシナのほうが一般的である。

 それでは、具体的にはモシナはどんなことをするのか。以下、鄭さんに聞いた話を要約する。

 

日本統治時代、台南にモシナが棲むという噂の空き家があった。あるとき、剛毅な男が、銀紙(冥銭。死者に捧げるお金)を奉納したうえで、その家を借りた。ところが、夜中、目が覚めると、男はいつのまにか土間に落ちている。どうやらモシナのしわざらしい。

 そんなことが、夜ごと繰り返されたので、とうとう男も腹を立て、「俺は金を払ってんだ、文句あるか!」と怒鳴ると、それ以来、悪さをしなくなったという。

 

 たわいもない話である。怒鳴られて退散するモシナも気が弱いが、鄭さんによると、「モシナはただ、いたずらをするだけ。これが鬼なら殺されてる」とのこと。蔡さんの「実際の鬼じゃなくて、いたずら鬼」という発言とも呼応し、台湾人のモシナ観が見て取れる。

 

・このモシナの話は、日本の「迷わし神型」妖狐譚とよく似ている。日本の場合、狐狸貉に化かされた人が団子だと偽った馬糞を食べさせられる話が多いが、台湾のモシナもイナゴではなく、牛糞を食べさせることがある。おそらくは日本の「馬の糞団子」の話のように、ごちそうに見せかけられたのだろう。化かされている最中に口にした食べ物が怪異体験の証拠になる点は共通している。

 気になるのは、台湾の「モシナ」と日本の「ムジナ(貉)」の発音の近さである。

 

・妖怪のなかにも勢力関係があって、弱い妖怪は、強い妖怪に駆逐されていく傾向がある。例えば、「河童」という妖怪の知名度が上がると、水難事故などの水辺にまつわる怪異はすべて河童のせいにされてしまい、似た行動パターンの妖怪の名は忘れられていく。

 

とはいえ、解釈装置としてのモシナは、現在も生きている。現代でも台湾のマスメディアでは、行方不明事件や不可解な死亡事故を報じる際に、紙面に「モシナ(魔神仔)」の文字が躍る。

 

・台湾中部の苗栗県大湖郷で、81歳の女性が朝から行方不明になり、捜索の結果、2日後、自宅の対岸の川辺で発見された。女性が発見されたのは急峻な崖下の川辺で、救助の際もロープで担架を下ろすなど、困難を極めたという。失踪当日は雨も降っていて水量も多かった。高齢な女性がどうやってここに来たのか、警察や消防の関係者も首をひねっていて、「モシナのしわざではないか」と話している。

 

「鬼」化するモシナ

・台湾人が幼少期によく聞いたのは、父母のしつけの言葉のなかに出てくるモシナである。「遅くまで遊んでいると、モシナに連れていかれるよ」「あんまり遠くまで行くと、モシナに連れていかれるよ」など。モシナの原義と推察される「模(モォ)」に「攫う」という意味があることについては先に述べたとおりである。

 日本でいえば、カクレザトウ(隠れ座頭)、カクレババ(隠れ婆)、カマスショイ(叺背負い)、ヤドウカイ(夜道怪)、アブラトリ(油取り)……などの、夕暮れ時に現れて子どもを連れ去る妖怪の系譜に連なるモシナである。

 

・殷さんが、女友達とキャンパスに続く坂道を歩いていると、分かれ道になっているところにボロボロの服を着た女が立っていて、何か話しかけてくる。殷さんが返事をしようとすると、友人はそれを制止し、手を引いてその場を離れた。

実は友人には何も見えてしかったのだが、殷さんが「何か」を見てしまったのに気がついて、そう対処したのだと後で聞かされた。

 友人は鬼のしわざだと思ったが、殷さんは、子どものころに聞いた母親の言葉を思い出し、即座に「モシナかもしれない」と思ったという。

 

謎の女を、殷さんは「モシナ」だと思い、友人は「鬼」だと思っていて、見解が分かれている。先に「モシナと鬼は違う」とする説が台湾では一般的だと書いたが、それは中年以上の年齢層での話であって、若い世代は両者を混同していることが多いようだ。

 台湾人の精神世界を探るのに有効だと思われるモシナだが、アカデミズム方面では、ようやく研究の緒についたばかりである。

 

ここでいう「広義のモシナ」とは「鬼」のことである。中国語の「鬼」を日本語に訳すと、狭義の「妖怪」の意味にもなるが、ここでは「幽霊(死霊。人の死後の姿)」を指している。ただし、祀られている鬼ではない。祀られずに(供養されずに)世間を漂っている鬼であり、さらに単独で出るものとされている。

 一方、「狭義のモシナ」は、本質的には「山精水怪」の一種で、さまざまなものに化けて、人にいたずらをする。林と李は396例にのぼる事例を整理し、その特徴を、①小さい体、②猿のような顔、③青黒い肌、④赤い色(帽子、目、髪、体)、⑤ふわふわと動く、⑥単独で行動する、としている。林と李は、こちらをモシナ本来の姿だとして考察の対象としている。

 

・最初に、モシナにはビジュアルがないとする説とあるとする説を述べたが、それは広義のモシナか狭義のモシナか、ということではないだろうか。狭義のモシナには鮮烈なビジュアルがある。例えていうなら「幽霊的モシナ」と「妖怪的モシナ」である。林と李が後者を研究対象としたのは、モシナ研究の端緒としてはまったく正しいが、今後は前者のモシナを、台湾の鬼の話(非常に多い)のなかで捉える視点も必要になる。

 

・今後の展望としては、林と李は「モシナの比較民俗学」を提唱している。ここで比較対象にあげているのは、中国大陸の「迷魂仔」「茫神仔」、日本の「河童」「神隠し」、欧米の「ブギーマン」「フェアリー」など。いずれも比較対象として魅力的だが、その前に、地理的に近い南西諸島との比較がなされるべきだろう。狭義のモシナの外見や行動からは、沖縄のキジムナーや奄美ケンムンの伝承が想起される。「金縛り」という行動面でも類似点が多い。また、これも先に述べたことだが、行動がそっくりな日本の狐狸貉の話との比較も有効だろう。ムジナ(貉)=モシナ説の是非はさておき、「迷わし神」型妖怪の比較研究はまだなされていないはずである。

 

・現代の台湾には鬼の話が多く、日本の幽霊話よりもリアリティーをもって話されている。しかし、日本の場合と同じく、妖怪の話は例が乏しい。そう考えると、「妖怪的モシナ」に比べて「幽霊的モシナ」のほうがリアリティを保てているのかもしれない。

 

<東アジアの小鬼たち>

<お人よしの水鬼>

水鬼を「水難にて死せしものゝ魂魄」と説明しているが、これはいわゆる「地縛霊」のことだ。

 

・『現代台湾鬼譚』でもふれたが、「水鬼」という語は現在でもよく使われている。子どもに対する教育的配慮を含んだ警句のなかで、「川に入ったら、水鬼に連れていかれるよ」という具合に使用される。日本でも、河川や池沼への立ち入りを禁止する看板に、河童のイラストが描かれることはあるが、母親が子どもに「河童が出るよ」と言うケースはもう少ないのではないだろうか。台湾の水鬼には、日本の河童が失ったリアリティーがある。

 新聞やテレビなどのニュースの見出しにも、しばしば「水鬼」という文字が躍る。

 

『台湾風俗誌』の鬼神たちと、沖縄のキジムナー

・「水鬼変城隍」は絵本や童話にもなっているが、問題になるのは、水鬼をどのようにビジュアル化するかという点である。日本の「河童」と違って、「水鬼」には固定したビジュアルイメージがない。

 

さて、「水鬼」は溺死者の霊で、日本でいうなら「水辺の地縛霊」のことだが、「人を水中に引きずり込んで殺す」という行動に注目すると、日本の「河童」と比較することができる。さらにいえば、現代日本の実話怪談にもしばしば登場する「水辺の地縛霊」と「河童」との比較も可能になる。いまでは忘れられてしまった「河童」に対する恐怖心を「水辺の地縛霊」の怪談を通して見ることもできるのだ。

 

・現代の台湾では「妖怪」という語は定着しているが、それは日本の漫画やアニメ、ゲームなどの影響で、外来語としての意味合いが強い。人気を博している「渓頭妖怪村」というテーマパークはそれを示す好例で、そこで造形されているのは、例えば鼻高天狗の面のオブジェだったり赤い鳥居だったりと、台湾人にとっての異文化である「日本」を表象したものだ。

 

・モシナとキジムナーには、共通点が多い。キジムナーの特徴である「小児の姿」「赤い顔」「赤い髪」「赤い体」………は、モシナの特徴の一部(「小児の姿」「猿のよう」「赤い服」「赤い帽子」「赤い髪」……)とも通じるからである。山中を棲みかとして、人にいたずらをする点も似ている。

 

・ところで、日本と台湾の中間に位置する南西諸島にも、多種多様な「妖怪」たちがいる。沖縄のキジムナーやブナガヤー、アカカネジャー、ボージマヤー、セーマ、ヤンバサカー、そして奄美ケンムンなどの伝承である。

 

・ここでは、南西諸島の小鬼たちを「キジムナー」と総称したうえで、モシナと比較してみる。とはいえ、現時点ではモシナのデータは少なく、本格的な比較はできないが、大まかな見通しは立てられるだろう。以下、思いついたことを5点あげる。

 

・1点目は、人間との関わり方の問題。いたずらを仕掛けはするものの、キジムナーは必ずしも人間と敵対しているわけではなく、富をもたらすこともある。例は多くないものの、キジムナーを祀った祠もある。いたずら好きのモシナも極端な悪意をもって人間に近づくことはまれだが、富をもたらすようなことはなく、祀られることもない。

 

・2点目は、観光との関わり方の問題。現代のキジムナーは、沖縄を象徴する存在としてかわいらしくマスコット化され、観光資源として活用されている。イメージの統一化も進んでいて「赤髪半裸の男の子」という姿が典型的なキジムナー像となっている。こうした状況は、少なくとも現時点(2017年)の台湾でのモシナを取り巻く環境にはない。

 

・3点目は、出自の問題。ガジュマルの木に棲むといわれるキジムナーは、語源が「木の精」であることからもわかるように、出自がはっきりしている。この点は奄美ケンムンも同様である。それに比べると、モシナは出自がはっきりしない。

 

・4点目は、出現場所の問題。モシナの出現場所は山中や草原などが多く、「金縛り」の原因とされる例以外は街なかに出ることは少ない。キジムナーも同様だが、モシナと異なって海にも現れ、好んで魚を食べる。また、漁師の船に乗り込んできて一緒に魚を捕るという伝承もある。台湾も沿岸部では漁業が盛んだが、モシナにはついぞそういった話がない。

 

・5点目は、口承文芸のなかでの立ち位置の問題。キジムナーは世間話、伝説だけではなく、昔話としても伝承されているが、モシナが昔話として語られている例は見当らない。また、モシナが頻繁に出る場所があり、それが地名化した例はあるが、基本的には伝説としても伝承されていない。

 

<韓国人アイデンティティーとトケビ>

・ともかくも、現在、キジムナーは、沖縄を象徴する存在として可愛らしくマスコット化され、観光資源として活用されている。

 例えば、沖縄テレビの「ゆ~たん」や、テーマパーク「琉球村」の「キム」は、いずれもキジムナーに想を得ている。また、また、沖縄市では例年「キジムナーフェスタ」という演劇祭を催しているが、そこでのマスコットもキジムナーである。先に述べたように、イメージの統一化も進んでいる。民間伝承を換骨奪胎して進められるキジムナーのキャラクター化・マスコット化の様相は、岩手県遠野市の河童。座敷童子などのそれを彷彿とさせる。

 先にも述べたように、キジムナーのビジュアルイメージは鮮烈で、台湾のモシナ伝承の一部を思い起こさせる。しかし、これも繰り返しになるが、ビジュアルイメージがあることと「見える」ことは必ずしも同じではない。

 

与論島の妖怪伝承を調査したマッザロ・ヴェロニカは、「見える/見えない」の問題について興味深い指摘をしている。ヴェロニカによると、与論島の妖怪は、「一般可視型(誰にでも見えるもの)」「特殊可視型(霊感の持ち主にだけ見えるもの)」「非可視型(誰にも見えないもの)」の三種に分類されるといい、また、非可視型妖怪の伝承については聴力が重要だとしている。

 興味深いのは二番目の「特殊可視型」である。このケースの場合、妖怪が見えるのは「特殊」な人かもしれないが、そうした人を通して得られたビジュアルイメージは、見えない人の間にも広まると思われるからである。

 

・それでは、視覚イメージの点からトケビとモシナを考えるとどうなるだろうか。

 漢字表記で「独脚鬼」と書くように、トケビは一本足の怪とされる。日本の「一本だたら」や中国の「山魈」のような類似の怪がいることから、これが広く東アジアに伝承圏を有する妖怪であることがわかる。雪の朝、トケビが歩いた丸い足跡が点々と残っているという伝承も、日本の一本足妖怪と酷似している。しかし、モシナが一本足だという伝承は調査の限りではない。

 

例えば、道に迷ったときに用いられる慣用句「トケビに惑わされたのか」からは、トケビの「迷わし神」としての側面がうかがえる。「何事も後ろ盾が重要」という意味で用いられる慣用句「トケビも森があってこそ集まる」からは、トケビが山中を棲みかとすることがうかがえる(もっとも、海浜に出るトケビの伝承もあるが)。時と場をわきまえない人をたしなめるときに用いられる慣用句「昼に出るトケビのようだ」からは、本来、トケビは夜に出るものだという観念があることがうかがえる。以上にあげたトケビの特徴は、おおむねモシナについても当てはまり、そこから伝承の場を想像することもたやすい。

 一方、急に金回りがよくなった人に対して用いられる「トケビの砧でも手に入れたのか」という慣用句は、トケビの財神としての性格をよく表しているが(この「砧」が日本の「打ち出の小槌」を連想させて興味深い)、前節のキジムナーとの比較の際にも述べたように、幸福をもたらす性質はモシナにはない。

 

・もっとも、現在のトケビのイメージは、人間の姿をしているものがほとんどである。それも「虎柄のパンツをはき、頭に角を生やし、長い棒をもった半裸の男」といういわゆる日本の「鬼」に類似したイメージが定着している。この点は植民地統治時代に日本の鬼のイメージが混入したという指摘があり、日本の影響を受ける前の韓国固有のトケビを復元あるいは創造すべきだという意見が強まっている。

 

花子さんの声、ザシキワラシの足音

見えない花子とザシキワラシ

・一方、見方を変えると、「花子さん」は、童形妖怪(子どもの姿の妖怪)の系譜に連なるモノともいえる。特定の場所(トイレ)に出る童形妖怪ということでいえば。ザシキワラシ(座敷童子)との関連が見いだせる。「赤い吊りスカートにオカッパ頭」というのも、通俗的なザシキワラシのイメージである「赤い着物にオカッパ頭」の現代版と見えなくもない。

 

・一方、『奥州のザシキワラシの話』には、見えないザシキワラシの話も多い。話のなかで、怪異をもたらす主体としてザシキワラシの名をあげているものの、姿が描写されず、登場人物も見ていないという例である。

 ざっと数えてみたところ、見えるザシキワラシの話が27話、見えない話が22話、見える人と見えない人がいるとする話が3話、不明が4話だった。見える/見えないは半々ということになる。

 

・それでは、ビジュアルがある話のなかで、ザシキワラシはどのように描かれているのか。以下に見ていこう。

 まず、現在のザシキワラシのビジュアルに近いものを列挙すると――「一人の童子」、「赤い頭巾を被った赤顔のワラシ」、「5、6歳くらいの1人の子供」、「赤顔垂髪の1人の童子」、「白い衣物を着た6、7歳の童子、かぶきり頭」、「髪は黒くて長く切下げ、顔は赤く。素足のよう」、「髪は短くして下げた、河童に似た者」、「ぼろぼろの襤褸を着たカブキレワラシ」、「赤い顔」、「赤顔の散切頭」、「4、5歳ほどの子供」、「5、6歳位の皿子頭の童子」、「きわめて美しい子供」、「顔は赤くて短いムジリのようなものを着ておった」、「色の黒っぽい2つ位と見える子供のようなもの」……など。

「かぶきり」「カブキレ」は、オカッパ頭のこと。「垂髪」「皿子頭」も同様の意味だろう。ここで性別にふれていないことは注意が必要である。また、必ずしも衣類の色ではないが、赤という色が象徴的に話されている例が多い点も特徴である。

 岩手方言の「ワラシ(童子)」は。何歳ごろまでを指すのだろうか。「14、5歳の小僧」、「14、5歳とも思われる一人のワラシ」、「赤い友禅の衣物を着た17、8の娘」などで、現在の私たちがイメージするザシキワラシよりはいくらか年上となっている。

 

・ちなみに、佐々木喜善の話をもとに編んだ柳田國男の『遠野物語』には、ザシキワラシの話が2話あるが、片方は「12、3ばかりの童児」で「男の児」、もう片方は「童女」「よき娘」とされている。『奥州のザシキワラシの話』のような多様性が見られないのはどうしたわけだろう。柳田が喜善の話を取捨選択したか、喜善自身がそのような話を選んだのか、いまとなっては判断のしようがない。

 

闇に這い回るもの

佐々木喜善の『奥州のザシキワラシの話』には、座敷の襖や長押から細長い手が出て、おいでおいでをするという話が2話あり、13話では「細手長手」、14話では「細手」と呼んでいる。座敷に出るという点、家運の盛衰と関連づけられる点など共通点は多い。実際、29話のように「めごい手」だけを見せるザシキワラシの例もある。しかし、「細手長手」「細手」を、ザシキワラシの一種に加えていいのかというと、いささか躊躇する。ただ、蔵に出るクラワラシ、クラボッコとなると、親類かなとも思う。このあたりの判断は難しい。

 先に老婆の姿のザシキバッコの例を紹介したが、これをザシキワラシの仲間に入れていいものかどうかは、この話のなかで行動が記されていないので何ともいえない。ザシキワラシが年をとって婆さんになったのだろう……というのは冗談で、妖怪の世界では、童はいつまでたっても童、婆は最初から婆である。

 

・あらためて『奥州のザシキワラシの話』に載るザシキワラシの行動パターンを見てみると、闇夜に響く足音について言及したものが多いことに気づく。それらの話のザシキワラシは姿を見せずに、「とたとた」「つたつた」という擬音で表現される足音だけを残している。『ザシキワラシの見えるとき』を書いた川島秀一も、ザシキワラシは姿が見えず、聴覚に訴える怪だと述べている。

 ザシキワラシには、見えるものと、見えないものの2種があることについては先に書いた。それでは、見えない場合、私たちはどこでザシキワラシを感じるのかというと、その答えの一つが聴覚である。昔の夜は、いまよりもずっと暗かった。暗闇のなか、研ぎ澄まされる聴覚で捉えられる幽かな、奇妙な音。それが体験者の経験則に照らして、ある条件を満たしたときにザシキワラシとして感知される。

 

・この手のザシキワラシに遭ったとき、人はどんな気持ちになるだろう。例えば、1話では「毎晩、一人の童子が出て来て、布団の上を渡り、又は頭の上に跨って魘されたりするので、気味悪くかつとても寝付かれなかった」、19話では「何物かがみしみしと足の方から踏上って来て、ぎゅうと体を押付けた。その苦しさと言ったら、呼吸も止まりそうであった」とある。いかにも、子どもがしそういたずらだ。

 これは現在でいうところの「金縛り」で、医学用語では「睡眠麻痺」というそうだ。私も20歳前後のころ頻繁に体験したが、条件さえそろえば、ザシキワラシに遭ったと解釈しただろう。

 

<「聴覚優位の時代」の妖怪>

・『座敷わらしを見た人びと』には、ザシキワラシを体験した人々の証言が73例、紹介されている。ざっと分類してみると、見えるザシキワラシの話が32話、見えないザシキワラシの話が28話、見える人と見えない人がいるとする話が3話で、不明が4話となる。見える/見えないの割合は半々で、佐々木喜善の『奥州のザシキワラシの話』のころと同じである。

 

・一方、ザシキワラシを目(視覚)以外の感覚器のどこで感知したかという点に注目すると、若干の違いがある。

『座敷わらしを見た人びと』には、聴覚で感知されたザシキワラシの話として「足音がする」が9話、「這う音がする」が2話、「刀の斬り合う音がする」「赤ん坊の泣き声がする」「唸り声がする」が各一話あるが、『奥州のザシキワラシの話』に比べて、事例にもバリエーションにも乏しい。

 

・そのかわりに多いのが、触覚によってザシキワラシを感知した話である。「体を揺する」「ふとんに乗る」「くすぐる」「頭をなでる」などはザシキワラシの行動のようすだ。

 

・「背中を起こす」という行動は『奥州のザシキワラシの話』にはない。ここでいう「背中を起こす」というのは、「寝ている人の背中を、直角になるまで起こす」ことで、往年のドリフターズのコントのようだが、それを夜中に何度も繰り返すのだ。なかには「畳ごと起こす」という荒っぽい例もある。

 

・ザシキワラシをめぐる、見える/見えないの問題について、川島秀一は、オシラサマ(遠野地方の民俗神)と比較しながら、「ザシキワラシは常に見えないものであり、オシラサマのように神像や神体として視覚化されたものではない」と述べている。川島がいう「目に見えない」というのは、神像や神体のような、偶像をもたないことを指している。いわれてみれば、ザシキワラシ地蔵など、ありそうにない。

 

 

 

琉球怪談』 現代実話集  闇と癒しの百物語

小原猛   ボーダーインク  2011/2

 

 

 

キジムナー

たとえば沖縄でもっとポピュラーな妖怪であるキジムナーは、戦後という垣根を越えると、急激に目撃例が減少している。取材していく中でも「戦前はキジムナーがいっぱいいたのにねえ」「戦後すぐはいたけど、もういないさ」という、オジイ、オバアの声を聞いた。

 もしかしたら戦争でのウチナーンチュの意識が変わり、キジムナーの存在を受け入れなくなってしまったのかもしれない。沖縄戦、という次元を超えた壁が、怪の世界にも立ちはだかっていることを、身を持って実感した。

 

戦後の駄菓子 キジムナーのはなし1

・Nさんはとある離島の出身である。

 Nさんのまわりでは小さな頃から、キジムナーの話は日常的に伝えられてきたのだという。

 その昔、キジムナーは家々を回り、さまざまな人々と物々交換をしていたのだという。

 

・島のキジムナーは、本島のキジムナーのようにガジュマルの樹を住処とせず、洞窟の中で暮らしていたという。

 戦前までは、むらを訪れては食べ物を交換したり、人間に火を借りにきたことさえ、あったのだという。そんなキジムナーも、戦後はぱったりと現れなくなった。

 だがNさんは、幼い頃にキジムナーを一度だけ見たことがあるのだという。

 夕暮れどき、Nさんがまだ子どもの頃、実家の家の近くの浜辺で遊んでいたときのこと。

 一人のキジムナーが、森の中から現れて、Nさんのほうをじっと見ていたのだという。友達数人もその場所にいたが、彼らにはキジムナーを見えるものと、見えないものに分かれたのだという見えたもの代表として、Nさんはキジムナーに声をかけることになった。

 Nさんは、知っている限りの方言でキジムナーに挨拶をしたが、どれも無視されてしまった。

友達の一人が、駄菓子をくれたので、Nさんはキジムナーのそばまでいって、駄菓子をあげたのだという。

 するとキジムナーはそれを奪ってから、すばやく林の中に逃げていった。それが、おそらく島で見られた最後のキジムナーに声をかけることになった。

 それ以来、キジムナーを「感じた」とか、「らしき影を見た」という話は、何度も耳にしたそうだが、キジムナーに正面で出会ったという話は、あまり聞かれない。

 

小便 キジムナーのはなし2

・Tさんが子どもの頃、Fくんという友達がキジムナーが棲んでいたといわれているガジュマルの木に立小便をしたそうである。

 友達は、えい、キジムナーなんていないさ、怖くない、と大声で叫びながら、木の周囲に小便を輪のようにひっかけた。キジムナーを見たことはなかったが、信じていたTさんは怖くなって一目散に家に帰ったという。

 夕方、気になったTさんは、小便をかけた友達が住んでいる団地へ行ってみた。

 

・すると、部屋の中は見えなかったものの、3本指の奇妙な跡が、いくつもガラス表面についているのが見えた。

 まるでニワトリの足のような、3本指の奇妙な跡が、いくつもガラス表面についていた。

 

・次の日、Fくんは学校を休んだ。そして次の日も、次の日も学校を休んだ。

結局、1週間学校を休んで、帰って来たときにはゲッソリと痩せていた。

学校で久しぶりに会ったFくんは、Tさんにこんな話をしたそうだ。

 小便をかけてしばらくすると、気分が悪くなってきた。

 家に帰ると、立てなくなってそのまま寝込んだ。

 母親がどうしたのかと聞くので、しかたなくガジュマルに小便をかけた、と本当のことを言った。母親はあまり迷信を信じるほうではなかったので、風邪ぐらいにしか考えていなかった。

 ところが、Fくんが寝ていると、ベランダにまっ赤なキジムナーが何人もやってきては、ガラスをぺちゃぺちゃたたき出した。母親も一緒になってそれを見たので、すぐさま知り合いのユタを呼んで、その夜にお祓いをしてもらった。

 ユタがいうには、この子がしたことは悪質だったから、お灸をすえる意味でも、1週間は熱を引かさないようにした、とのことだった。

 その言葉通り、Fくんはちょうど1週間後に熱が引き、学校に来ることができたという。

 

赤ら顔  キジムナーのはなし3

・Wさんが子どもの頃、学校に行くと、友人の一人がおかしなことになっていた。

 顔は赤く晴れ上がり、はちきれんばかりにバンバンになって、非常に苦しそうだった。本人も、息ができんし、と喘いでいる。先生が寄ってきて、どうしたね、と聞くと、その生徒はこんな話をしたそうだ。

 朝起きてみると、顔が赤く腫れ上がって、息ができない。オバアに相談すると、「これはキジムナーが悪さをしているから、ユタに見てもらいに行こう。ただし、そのユタは午後からしか見れないから、昼過ぎに学校に迎えに行くまで、学校でおとなしくしている」と言われたそうだ。

 

・次の日には、その子は何事もなかったようにケロッとして、学校に登校してきたそうである。

 

今帰仁の小さなおじさん

・Fさんが早朝、自転車に乗っていたとき、目の前の空き地に、知り合いのオジイが倒れていたという。

 死んでいるのかと思って自転車を降りて近寄ってみると、酒のちおいがプンプン漂ってきた。おい、このオジイ、酔っぱらってるし。Fさんがオジイの肩に手をかけて、起こそうとしたその時。

 倒れているオジイの周囲に、5人くらいの小さなおじさんが、オジイを背もたれにして座っていたのだという。

 オジイを揺らしたものだから、びっくりした5人のおじさんたちは悲鳴を上げながら、一斉に走って逃げたという。

 おじさんたちは空き地の中へ一目散に逃げると、そのままパッと掻き消えるようにしていなくなった。

 

・Fさんが眉をひそめながら自転車に戻ろうとすると、自転車の周囲にも小さなおじさんたちが複数いた。

 Fさんがびっくりして「うわあ!」と叫ぶと、それに逆にびっくりしたのか、クモの子を散らすようにして逃げ去ったという。

 おじさんたちは、それぞれ上半身は裸で、眉毛がつながっていたのが印象に残っているという。

 

<●●インターネット情報から●●>

ウィキペディアWikipedia(フリー百科事典)より

<小さいおじさん(ちいさいおじさん)>は、日本の都市伝説の一つ。その名の通り、中年男性風の姿の小人がいるという伝説であり、2009年頃から話題となり始めている。

『概要』 目撃談によれば、「小さいおじさん」の身長は8センチメートルから20センチメートル程度。窓に貼りついていた、浴室にいたなどの目撃例があり、道端で空き缶を運んでいた、公園の木の上にいた、などの話もある。ウェブサイトでも「小さいおじさん」に関する掲示板や投稿コーナーが設置されている。

 

<キジムナー(キジムン)>は、沖縄諸島周辺で伝承されてきた伝説上の生物、妖怪で、樹木(一般的にガジュマルの古木であることが多い)の精霊。 沖縄県を代表する精霊ということで、これをデフォルメしたデザインの民芸品や衣類なども数多く販売されている。

多くの妖怪伝承と異なり、極めて人間らしい生活スタイルを持ち、人間と共存するタイプの妖怪として伝えられることが多いのが特徴。

『概要』 「体中が真っ赤な子ども」あるいは「赤髪の子ども」「赤い顔の子ども」の姿で現れると言われることが多いが、また、手は木の枝のように伸びている、一見老人のようだがよく見ると木そのものである、などともいう。土地によっては、大きくて真っ黒いもの、大きな睾丸の持ち主などともいう。