『松原照子の大世見』
「不思議な世界の方々」から教えてもらった本当の歴史と未来予言
松原照子 Gakken 2016/8/30
<不思議な世界の方々>
・私が体験していることを、多くの方が「不思議だ」といってくださいますが、私にとりましてはごく普通と申しますか、自然と申しますか、生活するなかでも出来事のひとつでしかありません。
・私のウェブサイトがスタートしましたのが2006年の元旦でした。「世の中のことを知りたい、見たい」
この思いから、ウェッブサイトも記事を「世見(よけん)」と名づけました。そして、不思議な世界の方々から教えられること、見せられること、聞こえたこと、感じとれたことを、趣味を楽しむかのように書きつづけて、2016年6月6日、3000回を迎えることができました。
ふり返ってみますと、「世見」に書いたことには、不思議な世界の方々の思いが詰まっている気がします。
一方、原稿用紙に向かって書き進めますと、光景が見えたり、だれかの声が聞こえたり、不思議な世界の方が直接、教えてくださったり、自分では理解できないことを書きたくなったりと、そのときどきの流れにまかせて「世見」を書いてきました。
・あなた様にとって、この本がどのような位置づけになるのかはわかりませんが、私が書いたことの検証本として読まれるのだけは、どうかおやめください。
<ポセイドンと須佐之男命はそっくり ⁉ 天岩戸事件の知られざる裏事情とは?>
・ギリシア神話のポセイドンと須佐之男命は、お姿と顔立ちがそっくりなのです。少なくとも私が見たおふたかたは、服装が違うだけに見えました。この神々が誕生された場所が、ムー大陸だったのでは、という気さえしています。
父神イザナギの命によって追放されたそうですが、どうやら黄門様のように、漫遊の旅へと飛びだすきっかけを探っていたようなのです。
・父神イザナギの命により、アマテラスは高天原、ツクヨミは夜の食国、スサノオは海原の支配者となった。
・出雲にも王朝があり、初代天皇が須佐之男命だったともいっておられました。
・ポセイドンはギリシア神話の海神。兄弟のゼウス、ハデスとともにクジを引き、海の支配者となった。
<日本の神社のつくりは古代ユダヤの神殿に似ている?>
・「アブラ・カタブラ」
この言葉と文字には魔術の力があると信じられていて、古代ユダヤの人たちは、護符に書いて身につけていたと、不思議な世界の方に教わりました。
文字は、心の内を表すもの。
現在のようにメールで文章を打つのではなく、「字を書く」。この行為を通じて、書いた人の言霊が刻まれている気がします。
メール送信で思いを伝えるのもいいのかもしれませんが、ここ一番は、やはり手紙のようにも思います。
不思議な世界の方々に教わった不思議な呪文「ガバラジャミタ」も、意味不明な言葉ですが、思いを字に込めて書くと、エネルギーが湧く気がします。
・ユダヤ人と日本人の風習には、似たところがあります。たとえばどの家庭の入り口にも、お守り札が貼りつけてあるようです。そういえば日本でも、古い民家には玄関にお札が貼られていました。
東映の撮影所がある京都の太秦には、古代ユダヤ人の足跡が偲ばれる場所があるとか。赤い色の神社を見ると、もしかするとユダヤとの縁がわかるかもしれません。
それと、伊勢神宮と出雲大社と、古代ユダヤの神殿の中には、斜めに傾いた廊下があるのですって、神殿のつくり方も、どこか似ているというのですから、楽しくなりませんか。
「神道」という言葉って、ヘブライ語が起源ですって、「種族」という意味なのかなあ。
・太秦の木嶋坐天照御魂神社(蚕の社)には珍しい三柱鳥居があり、秦氏やユダヤ教との関連性を指摘する説もある。
・ユダヤ教の幕屋と神社の境内が似ているとされる。
<東北各地と北海道に残る義経伝説! やはり平泉から落ちのびていた?>
・源頼朝ほど、運の強い人はいないかもしれません。
彼が、弟の義経に嫉妬などせず、ともに力を合わせていたら、日本の歴史はまた違った意味で面白かったようにも思います。
頼朝の運の強さを列記すると、
- 平治の乱の後、死刑を免れる。
- 義経という弟がいたこと。
頼朝は、間違いなく何かを持っていたといいたくなります。
・あの時代の戦は、一騎打ちが主流でした。お互いに名乗りを上げて戦うのです。でも、義経は違いました。鎌倉時代の武士たちの一騎打ちを見事に覆したのです。これほどの知恵者を手に入れていたのですから、幸運の持ち主というべきでしょう。
・義経は30歳の若さで世を去ったと伝えられていますが、江差追分は、義経を恋しがる女人の歌だと聞いたことがあります。
岩手県の平泉町には、義経の影武者伝説が残っています。岩手県では風呂を借りたとも伝わり、宮古市もまた、義経ゆかりの地といわれます。青森県の八戸市と東北町、外ヶ浜には渡海伝説が残り、北海道には弁慶岬もあれば、妖怪を退治したといわれる矢越岬もあります。北海道岩内町には、アイヌ女性との別れを惜しんだという雷電峠もあるのです。
すべてが真実かという前に、源義経の名が、北海道の岩内町まで広がっていたのが不思議です。あの時代は、人伝てでしか伝わらなかっただろうと思うのは、私だけでしょうか。
<明智光秀は家康とともに海路で落ちのび、南光坊天海として再登場した ⁉>
・1582年は、歴史が大きく変わった年でした。
3月には、信長とともに家康が武田を攻め、勝頼を自宅に追い込み、武田家はこのとき滅亡したのです。
本能寺の変が起きた6月2日は、大阪の和泉から堺に向けて旅をしていたといわれる家康。その家康もまた、命からがら伊勢の白子浜にたどりつき、海路で三河に戻ったのは事実だと、不思議な世界の方は話されておられます。
・ここで、私たちが知り得ているのとは少し違う話を、不思議な世界の方が話されました。
明智光秀は山崎の戦いで討ち取られたとされているものの、じつは光秀もまた、伊勢の白子浜から海路で三河に入ったというのです。山崎から伊勢までの道のりを手引きしたのは堺の商人でした。
その後はご存じのとおり、「海道一の弓取り」と称された家康が、信長の遺児支援を旗頭に、秀吉との戦を始めます。この戦は家康が圧勝するものの、秀吉に天下を取られてしまいます。
・それにしても、本能寺の変が6月2日で、その11日後に光秀が討たれたというのが今に伝わる歴史です。
もしも、ですよ。私が教えていただいたことが真実ならば、光秀は家康とともに白子浜から船に乗り、三河に入ったのです。
そもそも、明智光秀の出生には不思議なところがあるはずです。
本能寺の変が起きた1582年の天皇は、106代・正親町天皇でした。不思議な世界の方に教えられた限りでは、光秀は天皇家の血を引くひとりだったようです。それゆえに、家康にとってはどうしてもつながりを得たい人物だったと思われるのです。
織田信長打倒が、天皇側の望むことであったとしたら、本能寺の変の後、すぐに光秀が逃げ支度をして、家康と合流して三河入りをしたとしても、おかしくはないように思えます。
あのころの天皇家は、財政が逼迫していました。正親町(おおぎまち)天皇が践祚したときも、毛利元就らの献金を受けて、ようやく即位の礼を執り行うことができたほどです。
・ここで高野山が出てきます。正親町天皇が、高野山の堂塔を破壊しないようにと信長に頼んだときから、天皇と信長の間には深い溝ができました。
信長の野望は、天皇の座だったのかもしれません。信長の養子でもある誠仁親王への譲位を強く望み、正親町天皇の存在を疎ましく思っていた矢先に、本能寺の変が起こったのです。
日本の歴史は、天皇・朝廷を知らずして語れません。日本国にとって天皇は、いつの時代も絶大なる力の象徴だったのです。
<坂本龍馬暗殺の黒幕は、討幕派と結託した岩倉具視だった ⁉>
お互いに顔を見あわせたとき、「岩倉具視」、この名が両者の顔に浮かんだと、不思議な世界の方は話されました。
今年の12月10日がくると、あのときから149年。現在の世を龍馬が目にしたら、どんな面持ちになるのでしょうね。
龍馬という人は、現代人にこよなく愛されます。でも、あの時代に歴史を動かそうとした人々からは、殺意を持たれやすい人物だったように思います。
不思議な世界の方のお話を聞くと、龍馬と慎太郎は、襖を静かに開けて侵入してきた刺客を、すぐに暗殺者だと思わなかったようです。ただ、龍馬はこの日の朝から「来年の今日は迎えられないかもしれない」と思っていたそうです。
龍馬が暗殺されなかったら、明治維新は、今の歴史とは少し違ったように思います。旧幕府が諸侯会議で主導権を握り、徳川慶喜が新しい国家のトップに立っていたはずなのです。
龍馬の死は、日本の歴史を大きく変えました。
<首都直下型地震が発生すると東京湾岸の石油タンクが大災害をもたらす!?>
・首都直下型地震と書くだけでも、緊張が体中を走ります。ここまでしか書いていないのに東京湾に石油タンクってありますか?長周期地震が、まさかと思いますが、石油タンクを襲うと書きたくなりました。
もしかすると、東京湾に限ったことではない気がします。液体が空気に触れても大丈夫ですか。もしも、可燃性ならどうなるのでしょう。また、屋根はどのようになっているのでしょう。地震がもたらす災害のひとつに、石油タンクがある気がしてきました。
タンクが壊れて海上に石油が流れだし、火災が起きるとどうなるのでしょう。福島の原発事故のように「想定外」ということで片づけるのでしょうか。
・現在、心配されている東海・東南海・南海地震が起きたら、石油タンクは大丈夫でしょうか?
もしも同時に爆発炎上したら、海は火の海になります。きっと、近い将来、今見えた映像が現実になるのでしょう。
あれ、いいきってしまいましたが、私の意志ではない気がしています。もしかすると、どなたかが私の手を借りて書いた?まさかとは思いますが、今までとは違う感触で、現実になると書いてしまいました。
・(東京湾岸には、5500基以上の重油タンクがある。千葉県市原市を中心とする京葉臨海中部と、川崎市を中心とする京浜臨海に集中している。これらの数基から重油が流出・引火すれば、東京湾が火の海になるともいわれている。)
<関東大地震から90年以上が経過!次の揺れが気になる時期に入った>
・東京湾を震源とする関東大震災が起きたのは、1923年9月12日午前5時59分でした。
多くの方々は、首都直下の大地震を気にしておられると思います。関東大震災が1923年に起きてから、今年で93年。100年という時の流れが、次の揺れを誘うかどうかはわかりませんが、気になる時期にきているのかもしれません。東日本大震災は、関東の地震活動を誘発したのでは、と気になってもいます。
東京湾の北部が、どのあたりになるのかはわかりませんが、この近くに断層があるなら、小さな揺れが頻繁になっていないか、注意してほしいと思います。
・関東地方は、いったん揺れる癖がつくと、100年以内に何度か大きく揺れやすいでしょう。関東大震災から150年を待つことなく、大きく揺れるかもしれません。だとしたら、あと57年しかありません。
でも、だからといって心配して、起きてもいないときから怖がっていたのでは「生き力」がつきません。
どうか、日ごろから思いやりと「ありがたい」を忘れずにいてください。そうすると、本番に強い人になれます。
<518年前に直面した自然界の脅威に学び、南海トラフ巨大地震に備えよ!>
・518年前といったら、日本はどのような時代だったのでしょうか。人口は、どれくらいの時代でしょう。
もしかすると、このころの日本は800万人もいたのかなぁ。そんなことを思ってしまいました。
今日は目覚めてから、518年前が理由なく気になります。何の根拠もありませんが、多くの方が自然界の脅威に直面した年のような気がしています。
今から書こうとしていることも、ここまで書いたこととつながりがあるのかどうかもわかりませんが、「東海」が気になりました。
・津波の時速は、約800キロ。
このことが本当かどうかはわからないのですが、津波のスピードは驚きの世界です。
地震発生後、現在は津波情報が3~5分で発表されますが、大きく揺れたとき、海の近くにいる人は、すぐに避難することを日ごろからご自分にいい聞かせてもよいのでは、と思います。
今すぐに「何かが起こる」とは思わないのですが、日本列島、日本海域が活性化していることは、皆様も感じ取れているはずです。地下の活動が、いつどこで勢いを増すかはわかりません。
だからといって、怯えは禁物。
ご自分の動物的な勘を衰えさせます。518年前に何があったのかはわかりませんが、過去の歴史から学ぶことが必ずあります。
ご自分と大切な人を守るために、恐怖心は棄てて、日々に感謝して暮らしましょうよ。
・2016年の518年前、1498年には、南海トラフ巨大地震のひとつとされる明応地震が発生した。志摩半島から伊豆半島にかけての沿岸部に津波が襲来。特に志摩半島の大津集落は死者が1万人にのぼり、地域住民は地震後、高台へ移住したという。
・1498年といえば室町時代。人口は約818万人と推定されている。
・津波は、水深が深いほど伝わるスピードが速い。水深10メートルでは時速36キロだが、水深5000メートルでは時速800キロとなる。これはジェット機と同じくらいである。1960年のチリ地震では、チリから日本までの平均時速が750キロだったといわれている。
<日本アルプスの沈下が勢いを増すのは、地下が動きはじめている証拠>
・盆地と平野の違いってご存知ですか?「周囲を山地に囲まれた平地を盆地という」こんなこと書けちゃったけど、どうなのでしょうね。
「断層盆地」こんな言葉もあるのですね。日本には、この断層盆地が多いようです。断層を伴う地殻変動で形成されたのが断層盆地だとしたら、少し気になります。
・平野といえば、関東平野。「約13万年から2万年前にできた地層はOK」OKってどういう意味なのだろう。
「1万年前から今日までの堆積は注意」ですって。今書いたことを解説してくれるといいのだけれどね。「地盤沈下はこれからも進みます」という声も聞こえました。
横浜だけではなく、いたるところで地盤沈下が起きているとか。本当かなぁ、とは思うけれど、聞こえたので書いておきます。
「地下水の採取は大変な結果を生みますよ。地震・豪雨による災害を大きくさせます」
日本アルプスは、沈下の勢いを増す傾向があると、不思議な世界の方が話されています。日本アルプスの地下が動きはじめている証拠ともいっておられます。
まさか日本アルプスが沈下するはずがないとは思うのですが、聞こえたので書いておきます。
・(国土地理院の調べによれば、日本アルプスのほぼ全域が、年間最大5ミリのペースで沈降している。単純計算でいくと64万年後には消滅する。)
<日本の人口は年に27万人ずつ減っていきやがて5人にひとりが貧困層になる!?>
・かつて日本は、世界第2位の経済大国でした。バブルが弾けて、25年以上の月日がたったのですね。世界の人口は72億人。日本の人口は1億2795万人。日本の人口の自然増減数は、1年あたりマイナス27万人。
毎年27万人もの人口が減っているのです。これって、すごい数字です。鳥取県の人口が58.3万人なのですから。これが現実の日本です。
第24回の参議院選挙から、鳥取県と島根県は選挙区が合併されました。いつの日か高知と徳島も、そうなるかもしれません。
・待機児童の問題は、日本の未来にも大きな影響を与える一大事です。しかし、まだまだ他人事のように扱われています。
今から10年たつと、私は80歳です。暗い話をしようとしているのではありませんが、来世で今のように原稿用紙に向かい、こうして書けているかは、「?」です。
だから、みんなして日本の未来のことを真剣に考えてほしいのです。子供たちが笑顔で暮らせる社会を、です。
計算上では、10年後の2026年には、日本人の人口が270万人減少することになります。
このままでいきますと、貧困者の数が5人にひとりという結果になることでしょう。暮らしにくい日本の現状が、もっともっと表面化するのは2020年のオリンピック後だと思います。
経済的な理由で就学困難な児童が多い日本といえば、私の子供の時代です。まるで戦後のようです。
結婚して子供ができて、食事のときに笑い声が絶えない家庭はどこに消えたのでしょうか。ひとり親とお子さんの暮らしを守れる日本は、いつ来るのでしょう。
・(日本の国内総生産が世界第2位だったのは、1968年から2010年までの42年間。)
・(待機児童は、保育所への入所を申請しているのに、入所できない児童のこと。全国に4万人以上いる。)
・(貧国者の数は、厚生労働省による2015年の公式発表では、日本の貧困率は16パーセント。OECD(経済協力開発機構)に加盟する34か国のうち、メキシコ、トルコ、アメリカに次いで4番目に高い数字。)
・(就学困難な児童は、文部科学省によれば、生活保護法に規定する要保護およびそれに準ずる児童の数は、平成25年度で151万人にのぼる。)
・(母子世帯・父子世帯に限った場合、貧困率は54.6パーセント。これは、OECD加盟国中ワースト1の数字。)
<葉物野菜がいっせいに姿を消す!?日本の食と農業の未来が気がかり>
・これからの日本の農業は、どうなるのでしょう?農村では、高齢化がそれはすごい勢いで進んでいます。また、食料自給率の低下が心配です。
戦前の日本は、ほぼ食料自給率100パーセントでした。どうしてこうなってしまったのでしょうね。今では、日本の食料自給率は40パーセントほどだというではありませんか。食料の半分以上が海外の物です。
もしもですよ。国際的な紛争が起きたら、わが国ではたちまち食べる物がなくなります。
第3次世界大戦なる不名誉な戦いは「ない」と信じたいのはもちろんですが、いつどこで何が起きるかわからないのが今の世。
・これからは少子化が進み、ますます生産者が減っていく県も出てくるでしょう。「農業の企業化」を改革の柱にしてもいい時期だと思います。
年金で暮らせない時代がやってきていますが、60代の方々には、まだまだ働く意欲があります。子供に頼れる時代が「終わった」と感じている人が多いようにも思います。農業とは関係のないことかもしれませんが、ふと書きたくなりました。
自然界も、日照りかと思うと日照不足だったりします。台風も洪水も、容赦なく私たちに襲いかかります。
でもね、今立ち向かわないと、葉物野菜がいっせいに売り場から姿を消す日が来るかもしれません。
3か月待ってやっと葉物野菜を目にしたとき、人々は、あって当たり前の世界などないことを知るかもしれません。
日本の食と農業の未来が、今日はとても気になります。
・(農家人口に占める高齢者の割合は、平成27年の時点で38.6パーセント。参考までに、総人口に占める高齢者の割合は、26.2パーセント。農村の高齢化は、都市部よりも20年ほど先行しているという。)
・(農村地域では、若い女性の流出と嫁不足が著しく、これが少子化の一因となっている。2000年の国勢調査によれば、農業に従事する30~49歳男性の未婚率は、平均的な数値に比べて、5~8パーセント高い。)
<日銀の施策が日本経済を揺るがし、10年以内にふたたび大デフレが起こる!?>
・日本はこれからどこへ向かっていくのでしょう。「お金を増やすことを考えている人がいます」こんな声が今日も突然、聞こえました。
お金を増やすことを考えている人は、そりゃあ、いっぱいいるに決まっています。そう思ったとき、また声が聞こえました。「日銀です」
日銀?日銀がお金を増やすという意味が分かりません。
「上場投資信託は、今のままなら近いうちに失敗する」
「日銀が取ったリスクは、きっと日本経済を揺るがすことになる」
「またまた、10年も待たずに大デフレになる」
・「GDPはマイナス」「設備投資も今ひとつ」
「世界経済の不安定要素から来るどんでん返し」「アメリカの流れが2016年の暮れに大きく変わる」
「日本が手を組む相手を間違えているので、2017年からはアメリカとの交渉事はやりにくくなる」
「日本の国債の格付けが、今より下がるポイントあり」「農政改革?牛乳が高くなる」「日本は景気がよいといえる要因が少ない」
「“爆買い”する中国人観光客が、ある日突然、姿を消す」日本は赤い色で染まりそうです。
ひとりひとりは、それほど気にせずに生活するでしょうが、平和な日本は、20年も続かないような気がしてなりません。だから今日くらい、幸福を味わいましょうよ。
<世界一の借金国・日本の未来は?消費税はやがて20パーセントになる?>
・消費税が27.5パーセントもの国があるといわれます。アメリカは、州都市ごとで税率が違うようです。EU諸国では、20パーセント前後のところが多いようです。
ノルウェー、ハンガリー、デンマーク、スウェーデンは、消費税が25パーセントと高い。
日本が5パーセントのころは、台湾、シンガポールと並んで、消費税が低い国の第1位でした。日本も近い将来、消費税が15パーセントになり、やがては20パーセントになることでしょう。
・アメリカのシュールガスとオイル生産は、今後も世界経済を大きく揺らすでしょう。
円が100円台になる要素が、どこにあるのかはわかりませんが、来るときは一気に来そうにも思えてきます。「制裁金」という言葉が浮かびます。日本の企業が痛手を食らいそうにも思えます。
株のことはわかりませんが、上海株は、上下しながら下落と書きたくなりました。
東京証券取引所とニューヨーク証券取引所の一日のスタートは、どちらが早いのですか?「差がある値動き」という言葉が浮かびました。意味は不明です。
・(現在、消費税率が世界で最も高いのはハンガリーで27パーセント。2位はアイスランドで25.5パーセント。つづいてノルウェー、デンマーク、スウェーデンが25パーセント。)
・(アメリカでは州ごとに消費税が異なり、最高はテネシー州の約9.5パーセント。モンタナ州など「0」の州もある。)
・(EU諸国では、消費税の下限が15パーセントと定められており、20パーセント内外の国が多い。)
・(日本政府の債務残高は、2016年の時点でGDP比が232.4パーセントと世界一。ただ、その9割以上が日本国内での債務であるため、急激に破綻することはないといわれる。)
<北朝鮮の独裁体制がつづくと、やがて国民の6割が飢餓に苦しむ?>
・災害さえなければ日本は平和ですがお隣の国の北朝鮮では、人口の4割もの人々が飢餓に苦しんでいます。
独裁体制がこのままつづくと、6割もの人々が飢餓状態になる日は近いと思います。
飢餓状態が深刻化しても、無関心な金正恩第一書記。
現在32歳の第一書記ですが、37歳という年齢が、理由なく聞こえにくいのが気になります。
人口2490万人の北朝鮮。そのうち622万5000人もの人が飢餓状態というのですから、心に苦しいものが広がります。
このことを見ても、この国の将来に輝かしさはありません。
それと、南北の問題も、両国にとっては重要課題です。
・北朝鮮は、静かに過ごさなければ潰されるのが現実ですが、金正恩第一書記は、それが腹立たしいのだと思います。
・この国に、事を起こす理由などいらなくなりました。でも、飢餓で苦しむ国民がこれだけいる国に、国力はないといえます。
『宇宙からの大予言』
迫り来る今世紀最大の恐怖にそなえよ
松原照子 現代書林 1987年1/10
<予言者誕生の物語>
・私は、いつもいろいろなことを見ようとして暮らしているわけではありません。ただ人に質問されると、テレビのスイッチを入れたように、目の前に画像が映し出されます。テレビや映画のように映るのですから、私にとっては別段大変なことではありません。
・私自身、信じきれないところがありますが、私の不思議はまだまだ続きます。私が触ると病気が治るという人が増え、また不思議と良くなる方々が増え始めています。
・それに、眠る前にいろんな方が私を訪ねて来て、この世の不思議を教えて帰ります。そして、その人々が私に「今回のことは発表しなさい」と、ささやくのです。
<ささやく人々の訪問>
<ブルーグレーのおばあちゃん>
・「あなたはだれ?」
1982年春のことです。いつものように本を読み、眠ろうとした朝の4時ごろです。ベッドの横に、ロシア系の老婆が立っていました。「おばけ」とよく出会う私は、また「おばけ」かと気にもとめず、眠ろうとしたのですが、老婆はいつまでも私を凝視し続けています。ほほはたるみ老婆の顔ですが、グレーの中にブルーが光るその目は、若々しく燃え、けっして老いた人の目ではありません。
<黒い法衣の僧侶>
・ブルーグレーのおばあちゃんと黒い法衣の僧侶は、たびたび現れますが、いつも決まって5時の鐘音の前に姿を消します。私の5時消灯の習慣も、この二人の時間割に準じてのものなのです。
・いつもはやさしいブルーグレーのおばあちゃんが、怒り顔です。後ろの方々の中に、私は、初めて見る口ひげと顎ひげのある50歳ぐらいのやせた西洋人を見出し、その方に救いを求めました。
<出会い、不思議な世界>
・私は、ブルーグレーのおばあちゃんが率いる皆様に見せられたこと、聞かされたことを『恐怖の大予言』と称する小冊子にまとめ、自費出版しました。1985年10月のことです。
・私の会う“おばけ“の方々は、我々と同じように足もあり、ごく普通に歩きます。その姿は、50年ぐらい前までのファッションで江戸時代や戦国時代のいでたちではありません。
・夜、帰宅途中に"おばけ"に会うと、私は、つい、「こんばんは」と、話しかけてしまいます。
すると、その方々は、私と一緒に歩き出し、我が家へ一緒に入ろうとするのですが、「南無阿弥陀仏」と合掌すると、私のことを気にしていないという素振りで帰っていきます。
<ささやく人々の正体>
・その方の話によると、ブルーグレーのおばあちゃんは、ブラヴァツキー夫人といって近世に神智学を復興した初代会長、ひげの西洋人はクート・フーミ大師だそうです。彼らは、数千年も古くから密かに伝えられてきた神智学に関係のある人たちでした。
・そして、“地球コントロールセンター”とは、彼らのいるシャンバラであって、ここに地球のそれこそすべてを支配している超人(アデプト)の方々がおられ、ブッダもキリストも、そこから来られたのだというのです。正体を知ったあとも、私は、あの方々に会い続けています。