日本は津波による大きな被害をうけるだろう UFOアガルタのシャンバラ 

コンタクティやチャネラーの情報を集めています。森羅万象も!UFOは、人類の歴史が始まって以来、最も重要な現象といわれます。

夢幻能におけるシテは、神や鬼、精霊など異界の者を演じる。そして我々と同じこの世の住人であるワキが、異界の住人と出会って異界に足を踏み入れ、やがて戻ってくるというのがストーリーの基本。(6)

 

 

『縄文宇宙文明の謎』 

太古日本の世界王朝と超古代核戦争の真相

高橋良典)(日本文芸社)  1995/2

 

 

 

 世界中の叙事詩がシャンバラの存在を示す

・インドに伝わる世界最大の叙事詩マハーバーラタ」によれば、「仙洞(シャンバラ)」の王クベーラ(宮下文書に登場する阿和路比古)とシバの兄弟が築き上げたクル族の偉大な宇宙文明を享受していた。現在の日本人は、「マハーバーラタ」に登場するクルの大王ドリタラーシュトラとその息子ドウリヨーダナが、それぞれ、日本神話の「国常立(クニトコダチ)」と息子の面足(オモダル)に相当し、「ユーカラ」の主人公コタンカラカムイ(国造りの神)とその息子のエイポイヤウンペに対応することを忘れ去って久しい。

 

・最近の研究では、エジプトの「死者の書」に示された世界が死後の魂の行く所ではなく、生きた人間が活躍した実在の世界であり、そこに登場する天上と地下は、宇宙都市と地下都市を描いたものであることが明らかになろうとしている。エジプトの「死者の書」は、実在した地下都市チュアトから宇宙都市へと旅発ったファラオたちの様子を記した「地下都市の書」であることがますますハッキリしてきた。

 

なお、中国に伝わる世界最古の地理書「山海経(さんかいきょう)」は、今から3千5百年前の夏王朝を開いた伝説の帝王、禹(う)が、大洪水の後に作成したと言われる世界地図の解説書である。

 

 

 

『超陰謀・超極秘  超図解 縄文文字でめざせ世紀の大発見!』

 神代文字でめざせ世紀の大発見!

  高橋良典 日本探検協会       徳間書店 1995/11

 

 

 

 よみがえれ!太古日本の宇宙文明

・本書を読み終えた君たちは、その昔、我々の祖先カラ族が、今は失われた地下都市(シャンバラ)・宇宙船文明(ムー)を持って、世界を治めていた時代があったことを感じとってくれたと思う。

 

その時代に我々は、祖先は、この地球だけでなく、月や火星、太陽系の遊星にムー文明と呼ばれる壮大な宇宙文明を作っていた。が、この文明は前16世紀と前8世紀の2度にわたる大戦と異変で滅び去った。そして、この時期に『天と地のつながり』が断たれ、それまで一つに結ばれていたカラ族の兄弟が天上界と地上で別れ別れになってしまったのだ。

 

・それ以来、“天狗”や“ディンギル”と呼ばれた天界の兄弟たちは、太陽系文明を再建するため知られざる努力を続けてきた。過去数千年間の間にときおりこの地球を訪問した我々の兄弟は、その都度、地球の各地に日本の神代文字でメッセージを残してきた。

 

・今から50年ほど前アメリカ、ニューメキシコ州のソッコロに墜落した円盤から見つかった大量の宇宙文字が日本の神代文字とそっくりなことはNASA(米航空宇宙局)や欧米の研究者の間ではかなり知られている。

 

・宇宙人の文字の中に漢字とよく似たものがあることは、「天王星から地球にやって来た」とみられている円盤の底部に「王」と読める文字が刻まれていることからも明らかだ。が、その文字は、日本の神代文字で「クル」と読めるのだ。

 

・UFOの研究者として有名なある人物のもとにメッセージをよこしたウンモ星人のサイン(署名)は、日本の神代文字(宇宙文字!)で書かれているのだという。

 

・信頼すべき別の情報によれば、ウンモ星人は、すでに来るべき宇宙世紀に向かって、地球再建計画を本格的に進めているといわれている。その計画は、近い将来「終末」を迎える地球に代わって、月と一つになった地球がスタートするために欠かせない月再建計画と連動していて、神代文字の知識がこの秘密計画の真相にかかわっているらしい。ということは、日本の神代文字が失われたカラ族の太陽系文明の秘密を解き明かす大いなる鍵になっているということだ。

 

 

 

『主と呼ばれる方の名はエル・ランティー

河上修二  大開製版   2001年8月

 

 

 

人類創世紀

 ・人類は緑に包まれた、しかも神の光に満たされた地球という環境に、今から3億6千5百年前、初めてベーター星という星より神より与えられた新しい緑に包まれたこの地球に人類は最初に印したのであります。

 その当時は、ベーター星は、調和され、私たちは、新しい新天地を求めてもっとも調和された、この地球という環境を選んだのであります。

 その当時、最初に反重力光子宇宙船という今で言うUFOです。それに乗りまして、地球上の人類は、神の光に満たされた天使であるところのエルランティ、このエルランティという方が、中心になられまして、エルランティは、直接神の光を受けているところの真のメシアであります。

 

・エルランティは神の光を直接百%受け、百%純粋にエルランティの身体、特におでこの部分から神の光を出す真のメシアです。

 エルランティの分霊にイエス、釈迦、モーゼがおられます。

 

・天上界=天国=実在界=あの世では、イエスアガシャー、釈迦は、カンターレ、モーゼは、モーゼという名前です。

 主エルランティは、イエスが地球に生まれた時は、ヤハウェーと名乗り、彼らと神の法を指導した。マホメットが、生まれた時は、アラーと名乗り、指導されたわけです。

 

太陽系霊団の系図、明かされた高次元世界の仕組み

高橋信次先生の霊的ご自覚によって高次元の仕組みがいっそう明らかにされました。

 

・太陽系霊団は、大宇宙大神霊の神の光が、エルランティという人格を持たれた方を中心として成り立っています。

 

・真のメシヤ(救世主)エルランティを中心として光の直系の方々によって高次元世界が成り立っています。

 光の直系は、力の直系ともいわれ、エルランティの下に七大天使が配置されています。

 

・その七大天使の長が、七色の翼を持つ大天使、ミカエルといわれる方です。

 

・そして、ミカエル天使長の下に、六人の大天使が配置され、如来界の大指導霊の役を果たしています。すなわち、六人の筆頭にガブリ・エルがあられます。ガブリ・エル大天使は、ミカエル天使長、イエス、ブッタ、モーゼのお三方に報告するための通信・伝達の業務を担当されています。

 次いで、ウリ・エル大天使は、政治、経済、自治を、サリ・エル大天使は、医学、薬学、ラグ・エル大天使は、律法、パヌ・エル大天使は、芸術、文学、歴史を担当されています。

 

・大天使の側面からの助力者として、ガブリ・エルの下に、セラ・ビム(水)(菩薩)、ケル・ビム(炎)(諸天善神)の光の天使が、それぞれ数百名ずつ配置されています。

 

・アラーを信奉したマホメットは、ガブリ・エルの直接指導をうけて、さまざまな奇跡を現わしますが、アラーはエルランティの当時の別名です。したがって、回教の神はエルランティであります。

 

・次にエルランティの光の分霊として、イエス、ブッタ、モーゼのお三方がおいでになります。イエス様は、エルランティを指して、エホバと呼び、アガシャー系を形作っています。ブッタは、ブラフマンと呼び、カンターレ系をつくっており、モーゼ様は、ヤハウェと呼びモーゼ系をつくっています。

地球人類は、この三つの系列のどれかに属し、イエス、ブッタ、モーゼを頂点にピラミッド型を示し、末広がりになっています。しかし、各人の霊子線は、すべて神の光に直結しているので、霊的にも七大天使を通してつながるわけです。

 

・現代文化の源流は、現証(モーゼ)、理証(イエス)、文証(ブッタ)による正法の確立にありました。しかし、このお三方の背後にはエルランティの光があって、これなくしてユダヤ教キリスト教、仏教は実現し得なかったといえるでしょう。

 

高橋信次先生の高次元の名を、エルランティと呼び、この名を知る者は、高次元の世界でもほんのわずかの人々であります。

 

UFOについて

・UFOは宇宙人の乗り物であり、光の速度を超えて、ワープする。つまり瞬間移動する乗り物です。

 ただ、宇宙人にも神のグループと悪魔のグループで生きている二つのタイプがある。

また、天国での霊界のUFOと地獄の悪魔のUFOとがある。

 

 

 

『日本ミステリアス妖怪・怪奇・妖人事典』

志村有弘  勉誠出版 2011/2/10

 

  

 

<異界>

<異界とは何か>

・異界とは広い意味では、我々の日常生活の場所と時間の外側の世界、それら全てということができる。その中でも、小松和彦は大きく二つに分類している。黄泉国、常世国、極楽浄土、ニライカナイなどの「観念の世界にのみ存在するもの」と、心理的に特別な意味あいが付与された象徴として認識された場合の山や海や川、湖沼、村はずれや境、辻などの「地上に実在する空間として表彰されるもの」である。そして、この二つの異界の関係性として「地上的異界は観念的異界を背後にもつことによって存在している」と指摘する。観念的異界は未知の空間であり、地上的異界はその出入口である。

 

・しかし、地上的異界は純粋な境界としての出入り口である場合と、そうでない場合がある。前者の例が辻や境などであり、日常的空間である一方、時折、または潜在的性質としての異界への通路が開くのである。そして、後者の例が、日常世界とは違う性質を帯びている山や湖沼などの特別な場所で、その場所自体が概ね異世界の影響下にあり、異界の住人が跳梁跋扈していたり、または、その場所自体が既に向こう側の世界と重複しており、故にそこが異界と化していると捉えられているケースである。

 

<異人>

・異人とは、簡単にいえば境界の向こう側の世界に属するとみなされた人のことである。今日、民俗学社会学で用いられる異人という語は日本民俗学の祖とも評される柳田国男の『遠野物語』にみることができる。29番の鶏頭山についての話しの中に「其岩の上に大男三人居たり。……その目の光極めて恐ろし。………暫時そこに立ちて居る間に、忽ち異人は見えずなりたりと云ふ」とある。

 

一方、小松和彦がグループ分けする異人は次の4とおりである。

 

1   ある社会集団(共同体)を訪れ、一時的に滞在するが、所用を済ませればすぐに立ち去って行く「異人」。

 

〔遍歴する宗教者や職人、商人、乞食、観光目的の旅行者、聖地への巡礼者など〕

 

2   ある社会集団(共同体)の外部からやってきて、その社会集団に定着することになった「異人」

 

〔戦争や飢饉などのよって自分の故郷を追われた難民、商売や布教のために定着した商人や宗教者、共同体を追われた犯罪者、「異国」から奴隷などとして強制的に連行されてきた人々など〕

 

3   ある社会集団(共同体)が、その内部からその成員をさまざまな理由から差別・排除する形で生まれてくる「異人」。

 

〔前科者や障害者、金持ちや貧乏な人など〕

 

4   空間的にはるか彼方の「異界」に存在しているとされているために間接的にしか知らない、したがって想像のなかで一方的に関係を結んでいるにすぎない「異人」。

 

〔海の向こうの外国人や、はるか彼方の「異界」に住むという「異神」たち〕

 

神隠し>

・【発祥】民俗社会において不可解な失踪事件が起こった際に、失踪者は天狗や山の神や狐などに異界へ連れて行かれたとされ、これを神隠しと呼んだ。神隠しの対象者は、多くの場合子供であるが、大人の事例も少なからず存在する。

 

柳田国男は、神隠しに遭いやすい子供の気質があるのではないかと『山の人生』の中で記している。柳田によると、古くは、子供の不可解な行動や言動を宣託として信じ、そのような傾向のある子供を「因童(よりわらわ)」として重要な任務を託した。この子供が所定の方法で状態に陥らない場合、1人を取り囲んで大勢で唱え言や単調な音楽を鳴らして四方からこれを責めたといい、この名残りが子供の遊戯である「かごめかごめ」に残されているとする。

 

神隠しにあいやすい時刻は、「逢魔が時」「誰そ彼時」とも言われる夕暮れ時とされている。とくに、夕暮れ時に「隠れ遊び」をすると神隠しが発生しやすいと考えられていた。

 

神隠しにあった者を捜索する場合、多くの地域で鉦や太鼓を鳴らす慣習があった。例えば、北大和の低地部では、失踪者の近親の者が一升瓶を手に持ち、その底を叩きながら歩いて廻り、紀州の田辺地方では、鉦や太鼓とともに、櫛の歯でもって枡の尻をかいて変な音をたてたという。また、播磨国東部などでは、捜索者が失踪した子供の茶碗を手に持ってそれを木片で叩いて歩いたという。

 しかし、このような捜索方法は、単なる失踪者を捜索する方法としては、あまり有効な手段ではない。村の各戸が総出で行列を作って一定の道筋を廻る捜索の仕方は、残された者たちの諦めの儀式ともいえる」とする。

 

<座敷童子

・【発祥】岩手県を中心とした東北地方で伝承されている屋内に出現するという妖怪。子どもの姿をしており、性別は男女どちらの場合もあるという。地域によって、座敷ぼっこ、蔵ワラシ、蔵ぼっこなどと呼ばれる。

 

・【伝説・伝承】『石神問答』に収録されている柳田宛の佐々木繁(喜善)書簡には、座敷童子の種類が記されている。佐々木は、座敷童子には、「チョウビラコ」「ノタバリコ」「ウスツキコ」の三種類があると伝え聞いたことを柳田に報告している。「チョウビラコ」は、最も小さく最も美しい神で、夫婦二対であるという。「ノタバリコ」はやや身体が大きく常に這っており、内土間から茶の間のあたりにかけて這って歩くものを指す。「ウスツキコ」は、主に深夜に出現して臼を搗くときのように跳ねて歩く座敷童子だとしている。

 

・佐々木の住む土淵村近くの綾織村(現・遠野市綾織町)では、ある家で持地の山林を売却するために、木挽と漆掻きの男が宿泊した。すると、毎晩一人の童子があらわれて布団の上を渡ったり、頭の上にまたがったりするので、うるさくてなかなか眠れなかった。そこで漆掻きの男が童子を捕まえて懲らしめようと待ち伏せして相撲を挑むと、かえって童子に打ち負かされてしまった。二人の男は童子の力に驚き、翌日からは別の宿に移ったという。

 

・同じ綾織村の話で、昔、正月14日の吹雪の晩に隣村の家から笛太鼓で囃しながら、賑やかにでてきたものがあったが、ある農家の家の前まで来たときにぴたっと物音が止んでしまった。近隣では福の神が入ったと噂したという。その後、この農家の土蔵にはクラワラシが居るようになり、家計が非常に豊かになったという。

 

東磐井郡松川村(現・一関市東山町松川)には、店子30軒を所有する裕福な旧家があった。この家には古くから座敷童子がいるとの言い伝えがあり、夜だけ姿を現すという。姿は入道坊主であったり、12、3歳の座敷童子であったりする。他所の者がこの家に宿泊すると、床の上から転ばされたり枕返しにあうため、気味が悪くて泊まることができなかったという。

 

登米郡南方村(現・登米市南方町)にも座敷童子が出るという旧家があった。以前、この家で屋根の葺き替えが終った日の夕方、足場板の上を12、3歳の少女が自由自在に走り回り、村人の多くがその光景を目撃したという。この家では、座敷童子は常に奥座敷にいると信じられていて、床の間に水を入れた茶碗を供えているという。時々何者かが座敷を掃く音などが聞こえるそうだが、家の人は少しも怖がらないという。

 

・座敷童子には、顔が赤いという伝承が多いのも特徴であろう。八戸町(現・八戸市)のある呉服屋が隆盛の頃、座敷でときどき座敷童子が出現した。座敷童子の色が白く美しく見えるときは吉事があり、色が赤く見えるときは凶事があった。この呉服屋の経営が悪化したときには、座敷童子の顔は常に赤かったという。

 

<果心居士(かしんこじ)>

・【伝説・伝承】戦国時代、織田信長明智光秀松永久秀らを手玉にとったと伝えられる幻術師。生没年、出身など一切が定かならず、実在すら疑う向きもあるが、文禄五年(1596)の成立とされる『義残後覚』をはじめ、『醍醐随筆』、『遠碧軒記』、『玉箒木』、『武家雑談集』など、様々な随筆や怪談奇談集にその名をとどめている。

 

・伏見の町中で勧進能が行われ、大盛況を博していたとき、下顎を撫でるとみるみる伸び始め、観客が驚いている隙に一番前の席をせしめた。借金をしていた商人と出くわした際、顔を一撫ですると別人の容貌となり、商人は人違いを詫びた。戸田出羽という剣法者が弟子とともに取り囲むと忽然と消え失せ、どれほど探しても見つからないが、『どこに居るのか』と問うと「ここに居る」と答えがし、元の場所からまったく動いていなかった。松永弾正久秀が、自分を怖がらせてみろと挑発すると、急にあたりが暗くなり小雨が降り始め、数年前に死んだはずの妻が現れるが、恐ろしくなった久秀が思わず、やめよ、と叫ぶと、たちまち雨は止んで月明かりがさし、妻だと思ったのは居士だった。豊臣秀吉の前で幻術を披露したところ秀吉の怒りを買い磔刑に処せられるが、たちまち鼠の姿と化し、舞い降りた鳶に掴まれると空に飛び去った、といった逸話が伝わっている。

 

<山ン本五郎左衛門(さんもとごろうざえもん)>

・【発祥】『稲生物怪録』に登場する妖怪。さんもとごろうざえもん、という。やまもと、ではない。柏正甫の『稲生物怪録』に登場する妖怪の首領である。

 

・【伝説・伝承】『稲生物怪録』は、江戸時代、備後の国の三次藩(現・広島県三次市)の武士稲生平太郎(事件時は少年。のちに稲生武太夫と改める)が、妖怪と対決した実録である。平太郎が百物語を行ってから、寛延二年(1749)七月、およそ一か月のあいだ、平太郎の家にはさまざまな怪奇現象が出現する。怪奇現象というのは、妖怪が次々と現れたのである。

 

・男が話すことがあるというので、平太郎が脇差を鞘に納めると、平太郎を「気の強い男だ」と言い、自分の名を「山ン本五郎左衛門」と名乗った。男は自分は日本では「山ン本五郎左衛門」といい、人間ではなく魔王の類いであること、また日本では自分と同じような者は神(し)ノ野悪五郎だけだと語った。五郎左衛門は平太郎が気丈だから難儀をしたこと、人を恐れさせることを仕事としていること、平太郎が恐れないので日数を送ってしまったこと、これから九州に下り島々を渡ること、こののち怪しいことは起こらない、神ノ五郎も来ることはない、もしも怪しいことがあれば、北に向かって「はや山ン本五郎左衛門が来たと言え」と語ると、大男の五郎左衛門は駕籠に乗って去っていった。

 

 

 

『妖怪文化入門』

  小松和彦      角川学芸出版   2012/6/22

 

 

 

<異人・生贄>

<「異人」とはなにか>

・「異人」とは、一言で言えば「境界」の「向こう側の世界」(異界)に属するとみなされた人のことである。その異人が「こちら側の世界」に現れたとき、「こちら側」の人びとにとって具体的な問題となる。つまり「異人」とは、相対的概念であり、関係概念なのである。

 ところで、「こちら側」の人びとが想像する「異人」は、おおむね次の四つのタイプに分けられる。

 

① ある社会集団(共同体)を訪れ、一時的に滞在するが、所用を済ませればすぐに立ち去って行く「異人」。こうした「異人」の例として、遍歴する宗教者や職人、商人、乞食、観光目的の旅行者、聖地への巡礼者などを挙げることができる。

 

② ある社会集団(共同体)の外部からやってきて、その社会集団に定着することになった「異人」。こうした「異人」の例として、戦争や飢饉などによって自分の故郷を追われた難民、商売や布教のために定着した商人や宗教者、共同体を追われた犯罪者、「異国」から奴隷などとして、強制的に連行されてきた人びとなどを挙げることができる。

 

③ ある社会集団(共同体)が、その内部の成員をさまざまな理由で差別・排除する形で生まれてくる「異人」。前科者や障害者、金持ちや貧乏な人などが、この「異人」の位置に組み入れられることが多い。

 

④ 空間的にはるか彼方の「異界」に存在しているとされているために間接的にしか知らない、したがって想像のなかで一方的に関係を結んでいるにすぎない「異人」。海の向こうの外国人や、はるか彼方の「異界」に住むという「異神」たちが、こうした「異人」のカテゴリーを形成している。

 

・こうした種類の「異人」たちが「異人」とみなされた社会集団の問題になってくるのは、当該集団がその集団としての「境界」を意識し、その集団の構成員とそれ以外の人びとを区別しようとするときである。人びとは「我々の集団・仲間」を作り出すために、その<外部>に「異人」を作り出すのである。この「異人」を媒介にして集団は結束し、その「異人」に対処する作法を編み出し、ときには歓待し、ときには差別や排除に及ぶことになる。

 

・異人論の先駆的研究として位置づけられる研究は、折口信夫のマレビト論であり、岡正雄の異人論であろう。

 

 折口の「マレビト」概念は彼自身が厳密な定義をおこなっていないこともあって難解であるが、その概念は二重構造になっていると思われる。一次的なマレビトは来訪神のことであり、二次的マレビトが共同体の外部から訪れる祝福芸能者のたぐいとして想定されている。共同体の人びとはこれと祝福芸能者を「神」そのもの、もしくはその代理人とみなすことによって歓迎し、その祝福を受けることで共同体の繁栄が期待されたのであった。すなわち、共同体の来訪神信仰との関係のなかで「異人」を理解すべきであるということを示唆したわけである。

 

<異人・生贄・村落共同体>

・すなわち、「異人」をめぐるテーマを検討していくと、その一角に「生贄」のテーマが現れ、逆に「生贄」のテーマをめぐって考察を進めていくと、その一角に「異人」のテーマが現れてくるからである。そして、この二つのテーマを媒介しているテーマが、「人身供犠」(人身御供)もしくは「異人殺害」という説話的・儀礼的モチーフであると言えよう。

 

・旧来の神に代わって山王社に祀られることになったのは、いかなる「神」なのだろうか、ということである。ここでの文脈で言えば「農耕神」としての山王神ということになるだろう。「しっぺい太郎」の昔話でいえば、外部からやってきた旅の僧などの「異人」や「人間の側の犬」が、そこに祀られていることになるはずである。

 

<「異人」と「家」の盛衰>

・その物語の一つが最近まで民間に流布していた、次のような物語である。これを私は「異人殺し」伝承と名づけた。「異人殺し」伝承は、怪異・怪談そして恐怖といった要素がたっぷり詰まった伝承である。

 

 旅人(六部や座頭、巡礼、薬売り)が、とあるムラのとある家に宿を求める。その家に泊めてもらった旅人が大金を所持していることに気づいた家の主人が、その金欲しさに、旅人を密かに殺して所持金を奪う。この所持金を元手にして、その家は大尽になる。だが、殺害した旅人の祟りをうける。

 

 

 

『異人・河童・日本人』

住谷一彦・坪井洋文山口昌男・村武精一(新曜社)    87/11/25

 

  


<異人その他><日本民族の起源>
アメリカ大陸の神話の中にスサノオ神話と同質のものが入っているらしい。もしそうだとすれば、スサノオ神話の歴史的な遡源は3万年近くまでさかのぼってしまうことになります。


ストレンジャー(異人)が主役を演じる。


・大人(おおびと)というようなストレンジャーがあり、山姥が暮れに市に出るとその市が終わる、という話がある。


・経済史の中で、経済的な事象の中に「市に山人、異人、山姥、鬼が出現し、何程か市行事の構成に散ずるといふ事。つまり交易の相手たる『異人』の問題が考へられる」と書いておられます。要するに、ひとつの社会の対象化するために、そういうふうな異人が出現することが、いかに重要だったかということが、このへんで、明らかにされていると思います。

 

・岡氏が原始交易論の中で、椀貸伝説、コロポックルとの無言交易の経済学説というようなことを紹介しながら言っていること。

記号論から見た岡正雄の指標>

メラネシアの社会史より、民俗学で言う「異人」の特徴をまとめたもの

1、「異人」が幾度にかまた季節を定めて往来したこと

 

2、「異人」は先住民より亡魂又は死者そのものと考えられたこと

 

3、「異人」は海の彼方から来るものと信じられたこと。後には、山中の叢林より来るとも信じられるに至ったこと

 

4、「異人」は畏敬されつつも平和的に歓待されたこと

 

5、「異人」は食物の饗応ことに初成物を受けたこと

 

6、「異人」は海岸地に住まずして山中の叢林に住みしこと。(インドネシアの神話でも大体支配民族は天空からやってくるのです。あるいは海の彼方からもやってきて、土地の娘と結婚するといわれています。)

 

7、二つの象徴的二元論の原理というのが形成される。

 

8、「異人」が土民の女と結婚する必要のありしこと

 

9、「異人」とその女との間に出来た子供が特殊な社会的宗教的性質を有せしこと

 

10、「異人」はその「異人」たることを表徴する杖及び「音」を有せしこと

 

11、仮面が男女二つあること。女「異人」が山中に住むということ。(山中というものは、人間の世界を超える原世界としてイメージされた。人間の世界と人間を超えた世界をつなぐ空間である。)

 

12、「異人」が訓戒、悪事摘発をなし、豊作をもたらし、又はもたらしめんことを任務としたこと。

 

13、「異人」が季節殊に収穫季、冬至に関係したこと

 

16「異人」若しくは神は村にとどまらないと信じられたこと

 

(「おどまぼんぎりぼんぼんからさきゃおらんど」というのは子守の歌と教えられていますが、外から訪れた「異人」の歌だ、という説があります。)

 

17、「異人」の出現の際は女子、子供は閉居したこと

 

18、「異人」のタブーが財産の起源になったという。

 

19、「異人」がフォークロア化して遊行歌舞団となったこと。(歌舞伎の成立の根源)

 

20、遊行人は畏装し、杖と音とを有し、饗応を強制し、或いは略奪を敢えてしえること

 

21、遊行人が神話、神の系譜を語り、或いは之を演技で表現すること。多く季節と関係して。

 

22、遊行歌謡団から伊達者が発生したこと。(歌舞伎の起源)

 

23、侮蔑されつつも亦高き階級に属するとされたこと

 

<まれびと>
まれびとは、はるか遠方の海の彼方の異界から時を定めて訪れる霊的存在。まれびとの下す宣詞はこの世に顕れた初めての詞であり、まれびとの演じた村人の所作は芸能の発生を示すものだった。

 

 

 

神隠し譚』 

小松和彦 編)(桜桃書房)2001/9

 

  

 

柳田国男の「遠野物語」は「超常現象」を記録している。

 

 早池峰山の「異人」(長尾誠夫)

この小説は、民俗学者柳田国男の明治43年の「遠野物語」からの引用がある。

 「黄昏に女や子供の家の外に出ている者はよく神隠しにあうことは他の国々と同じ。-遠野物語第八話」

 

 「遠野郷の民家の子女にして、「異人」にさらわれて行く者年々多くあり。ことに女に多しとなり。-遠野物語第三十一話」

 

・「土淵村の里の子十四五人にて早池峰に遊びに行き、はからず夕方近くなりたれば、急ぎて山を下り麓近くなるころ、丈の高き男の下より急ぎ足に昇りくるに逢えり。色は黒く眼はきらきらとして、肩には麻かと思わるる古き浅葱色(あさぎいろ)の風呂敷にて小さき包みを負いたり。-遠野物語第九二話」

 

・ 「<サムトの婆>松崎村の寒戸(さむと)というところの民家にて、若き娘梨の樹の下に草履を脱ぎ置きたるまま行方を知らずなり、三十年あまり過ぎたりしに、或る日親類知音の人々その家に集まりてありしところへ、きわめて老いさらぼいてその女帰り来たれり。いかにして帰って来たかと問えば人々に逢いたかりし故帰りしなり。さらばまた行かんとて、再び跡を留めず行き失せたり。-遠野物語第八話」

 

 遠野物語における「異人」の記述

 「丈きわめて高く眼の色少し凄しと思われる。子供も幾人か生みたれど、我に似ざれば我子にはあらずといいて食うにや殺すにや、みないずれへか持ち去りてしまうなりという。七話」

 

 「きわめてあでやかなる女にて、これも長き黒髪を垂れたり。児を結い付けたる紐は藤の蔓(つる)にて、着たる衣類は世の常の縞物なれど、裾のあたりぼろぼろに破れたるを、いろいろの木の葉などを添えて綴りたり。四話」

 

 「前薬師の頂上に大なる岩あり、その岩の上に大男三人いたり。前にあまたの金銀をひろげたり。この男の近よるを見て、気色ばみて振り返る。その眼の光きわめて恐ろし。二十九話」

 

 マヨイガとは山中にある不思議な家のことである

・「小国(おぐに)の三浦某というは村一の金持ちなり。今より二三代前の主人、まだ家は貧しくて、妻は少しく魯鈍なりき。この妻ある日門の前を流るる小さき川に沿ひて蕗(ふき)を採りに入りしに、よき物少なければ次第に谷奥深く登りたり。さてふと見れば立派なる黒き門の家あり。訝しけれど門の中に入りて見るに、大なる庭にて紅白の花一面に咲き鶏多く遊べり。つひに玄関より上りたるに、その次の間には朱と

 

黒との膳椀をあまた取り出したり。奥の座敷には火鉢ありて鉄瓶の湯のたぎれるを見たり。されどもついに人影はなければ、もしや山男の家ではないかと急に恐ろしくなり、駆け出して家に帰りたり。-遠野物語第六十三話」