日本は津波による大きな被害をうけるだろう UFOアガルタのシャンバラ 

コンタクティやチャネラーの情報を集めています。森羅万象も!UFOは、人類の歴史が始まって以来、最も重要な現象といわれます。

日本の最大の問題は、外国では当然の情報機関が存在しないことだ。その結果、生じるのは外国からの工作活動に有効な手を打てないだけではない。独自の情報を入手することもほとんどできず、すべて外国頼みといってよい。(4)

 

現在の日本の核兵器保有能力

・技術的には、米専門家は、現在の日本なら数日で核爆弾の製造が可能と評価している。また、日本の専門家も、技術的には数週から数カ月で可能とみている。その理由については、「費用対効果の面から見た検討」で分析したとおりだが、さらに付言すれば、以下の通り。

①  日本は特に世界で唯一、NPT加盟国の非核国でウラン濃縮とプルトニウム抽出を認められている国であり、濃縮ウランもプルトニウム239も一定量を国内に保有している。

②  核実験なしでもコンピューター・シミュレーションにより核爆弾の設計が可能なコンピューター技術を保有している。

③  核爆弾の原理は周知の知識であり、概念設計はできており、日本の技術力を前提とすれば、詳細設計を行えば部品構造から組み立てまで数週から数カ月で可能とみられる。

④  弾道ミサイルについては、HⅡ-A、HⅡ-Bロケットの補助ブースターをICBMに転用可能であり、核弾頭を搭載し投射する能力もある。

⑤  ミサイルの誘導技術、弾頭の再突入技術は「はやぶさ」などで実証済み。

⑥  通常動力型潜水艦の水準は世界一であり、原潜用小型原子炉の国産技術も保有している。SSBNは、数年で建造できる。

⑦  日本の中小企業を含めた生産技術は世界一であり、設計通りの部品を製造するのは容易。

これらの諸要因を考慮すれば、日本なら数日でもできるとの米国の専門家の見方は、過大評価とは言えず、遅くとも数週間から数カ月以内には、核爆弾の製造は可能とみられる。

 

コスト面と技術的問題は?

・第3章で分析したように、費用対効果の面から見ても、優位性はあり、コスト的にも十分に財政負担にも耐えられる範囲内である。操作要員も少なくて済み、マンパワーも問題はない。ただし、開発に協力し秘密を厳守できる科学技術者とメーカーの確保に制約があるとみられる。

 コストについては、一般的に、放射性物質以外の核爆弾製造のみなら、数千万円とみられる。最も高価なのは、米国の例でも明らかなように、核分裂物質の製造であり、日本の場合はすでに国内に保管されている。

 核弾頭の概念設計は容易であり、さらに詳細設計から製品製造に至るまでの総コストも、以上の条件を前提とすれば、約1億円以内に収まるとみられる。

 また英仏並みのSSBN(弾道ミサイル搭載原潜)4隻の製造・維持運用に必要なコストは、英国の例から見ても、米国の例に基づく分析から見ても、年間約1~2兆円程度とみられる。この程度の増額分なら、財政的にも可能であろう。

 

米国の同盟国日本への期待

・トランプ政権は「米国第一主義」を唱え、NATOや日韓など豊かな同盟国に対しては、自力防衛を期待し、駐留兵力の削減または駐留費の分担増、武器輸入の増大などを要求している。

 また大量の死傷者が出る地上戦については、極力避けて、同盟国の自らの負担とし、米軍はそれを「支援しあるいは補完」することが、イラクやアフガンの作戦でも基本的な方針となっている。

 

・しかし核戦力バランス上、中露との核戦争に発展しかねない直接交戦ができないとすれば、自国を核戦争のリスクにさらして日本に核の傘を提供することはできなくなり、米国としては、日本に独自の核抑止力を持たせることを容認するのが合理的な戦略になるであろう。

 そうすることにより、米軍は日本を盾に、安全にアウトレンジから中露の海空戦力を東シナ海南シナ海で制圧可能になり、オフショアバランシング戦略が遂行できることになる。結果的に、米国地上軍の直接介入は避けられる。

 

日本の核軍縮・不拡散への取り組みは無にしないか?

・こうした軍備拡張競争や兵器の拡散は、国際の平和と安全を損なうことにつながりかねない。無制限に増大した軍備や兵器は、たとえ侵略や武力による威嚇の意図がなくても、他の国の不信感や脅威意識を高め、国際関係を不安定にし、不必要な武力紛争を引き起こすことになりかねない。国連憲章が、第11条で、軍備縮小及び軍備規制を国際の平和と安全に関連する問題として位置付けている理由は主としてここにあろう。

 

・日本の周辺国では核軍備増強が進み、日本が依存していた核大国、米国の核の傘の信頼性が低下していることは、すでに述べたとおりである。

 現在の日本が置かれている状況は、日本が核保有国である「他国からの侵略や武力による威嚇などから、自国を防衛するために、軍備を必要」と感じる「厳然とした事実」がある状況下にあると言える。

 そうであれば、現在の日本の「軍縮・不拡散の取り組み」のもとにおいても、「日本自らが核保有する」ことは、国家安全保障上の合理的な理由があるのであれば、可能であると言える。

 

・従って、核兵器に対する軍縮と徹底した削減を求める運動についても、「とりわけ米露両核超大国の核軍縮の進展を求める声が高い」として、米露の核戦力削減に運動の矛先を向けさせるとともに、米露を後追いする立場の中国自らは制約を受けることなく核軍縮を進めるのを正当化することを企図している。

 

日本は世界中から経済制裁を受けないか?

・これまでの史実から判断すれば、核保有国相互間にも利害の対立があり、日本の核保有にメリットを見出す国が出てくる可能性が高く、日本が核保有したとしても、全面的な制裁や禁輸には至らないとみられる

 中国、イスラエル、インドが核保有を試みていた段階では、フランスが支援をしている。パキスタンに対しては中国が支援している。このように、すべての核保有国が制裁に一様に加わるわけではなく、自国の利益になるとみて支援する国が現れるのが通例である。

 

核拡散によるリスクをどう考えるか?

・理論的には、リアリズムの立場から、核拡散それ自体を是認する、ケネス・ウォルツのような見解もある。すなわち、弱国であっても、残存性のある報復可能な核兵器保有すれば、潜在的な侵略国は物理的にも心理的にも抑止されるという見解である。

 事実、印パ関係を見ても、1998年の印パの核保有以降、翌年にカーギル紛争があったものの、それ以降大規模な紛争は起きていない。

 中東でも第4次中東戦争で、イスラエル、エジプトともに、核戦力を潜在的保有し互いに恫喝を加えたが、それ以降、大規模な通常戦争は起きていない。

 

オフェンシブ・リアリズム

・本書の目的は、日本が「核時代をどう生き延びるか」という視点から、「日本独自の核抑止力の必要性と可能性」を論じることにあった。しかし、独自の核抑止力があれば、それで日本の安全保障、防衛は盤石になるのかと言えば、そうではない。

 

・本書のテーマは、核の脅威や核戦力を背景とする恫喝にどう対処するかという点にあった。その手法としてオフェンシブ・リアリズムの観点から、独自の核抑止力を保持し、相手に報復の脅威を与えることが最も確実でかつ安価な手法であり、日本もその選択を採るべきだというのが、本書の結論である。

 しかし、抑止力の効力には限界がある。余りにも低い烈度の脅威に対して、行使した場合に戦いの烈度が一気に上がることが予想される核による抑止手段は、抑止される側からみた抑止力行使のもっともらしさは低くなる。その結果、核抑止力の効力が機能しにくくなる。

 

そのためには、少なくとも世界標準並みのGDP2%程度の防衛予算を配当し、有事には国民の1%程度が戦える正規軍と予備役からなる通常戦力も必要になる。また、すでにその動きはあるが、サイバー、電磁波、宇宙人などの新空間での戦いへの備えも早急に固めなければならない。情報戦、心理戦などのソフトパワーの戦いや総合国力の戦いについても、国家レベルの対応が必要である。

 ただし、各種の抑止力の中でも、核抑止力の信頼性の問題は、国家安全保障の根幹をなす課題であり、その信頼性を維持することなしには、他の施策をとっても深刻な国家間の国益対立の局面では、相手の要求に屈するしかないという現実は、今後とも変化はない。

 重要性が高まっている、上記の新領域での戦いや平時の戦いも、結局は核戦争まで想定した各段階の抑止力と、その前提となる打撃力、残存報復力を、いかに温存し最大限に発揮するかを狙いとして構築されていると言える。

 

・また、新しいMDシステムも確実に核ミサイルを撃墜できるわけではない。核は1発炸裂しても数十万人以上の被害が出る依然として核の絶大な破壊力に対する確実な抑止手段は、相手に恐怖を抱かせるに足る、核戦力の保持しかないというべきであろう。

 日本には独自の核戦力を保有する必要性があり、その可能性もある。唯一の被爆国として、被爆者の無念の思いに報い、その思いを繰り返させないためにも、独裁国の核恫喝に屈することなく独立と主権を守るためにも、独自の核抑止力保持が必要となっている。それを実現するか否かは、一に日本国民自らの決断にかかっている。

 

 

 

 『軍事のリアル』

 冨澤暉    新潮社   2017/11/16

 

 

 

<米国安全保障戦略の揺らぎ>

・米戦略国際問題研究所(CSIS)シニアアドバイザーのエドワード・ルトワックは、(1)財務省ウォール街は「親中」である、(2)国務省は「親中」と「反中」の間をゆれる、(3)国防総省は「反中」である、と言っている。

 彼は、財務省が「金融」にしか関心を持たず、そのため米製造業が凋落したと非難しつつも「財務省ウォール街と中国は利害共同体になっている」と述べたうえで、国務長官ヒラリー・クリントンはやや「反中」だったが続くケリー長官は「より親中」で、その意味で国務省は「反中」と「親中」を右往左往している、としている。しかし、米海・空軍にとって、中国は少なくとも計画・調達の目的の上では、明らかに将来の「主敵」になっている、と述べている。

 

・では、米国の軍事戦略とは何なのか。考え方はいろいろある。主要なものを以下に列挙してみよう。

  1. 「(1)北朝鮮が残存性のある核能力を持つ可能性を踏まえ抑止力と即応体制を構築すべきである、(2)同盟国・友好国の軍事能力向上を推進すべきである、(3)中国との摩擦低減に努力すべきである」との3つの提言をしている。つまり「米国のアジア・リバランスは北朝鮮対応が主目的であり、全体としては米軍自身ではなく同盟国、友好国に期待し、しかも中国とは敵対しないように」と言っている訳である。
  2. 2010年の米国のQDR(4年毎の戦略見直し)にエア・シー・バトル(ASB)という言葉が現出して以来、日本では「これが米国の新戦略だ」と誤解する人々が増えた。彼らは、その直後にクリントン国務長官が「アジア・リバランス」という言葉を用いたこともあり「これからの米国戦略は対中戦略が全てであり、それが海・空戦略である」と早合点してしまったようである。

 

・あれだけの陸軍軍拡をし、海空軍軍縮をすれば、海空軍の不満が高じるのは当然である。そこで「海空軍には将来に備えて欲しい」と予算のつかない約束として提示されたのが「エア・シー・バトル」だったのである。

 

  1. 「中国が接近阻止・領域拒否(A2AD)をやっているのだから、それに対し日本も中国に対しA2ADをやれば良い、そうすれば日本を隘路の門番にして中国軍を分散させ、米軍はもっと効率的・攻撃的な作戦に集中できる」といい、これを受けて日本でも、南西諸島周辺に自衛隊を配備してそのA2ADを準備しよう、という動きが盛り上がり、既にその一部の準備が進められている。

 

  1. 「オフショア・コントロール戦略」は「同盟国と協力しつつ中国による第1列島線以東、以南の海洋使用を拒否して島嶼を防衛し、その領域を支配しつつ遠くから中国のシーレーンを封鎖して経済消耗戦にもち込む」というものであり、当初から日米韓など南シナ海経由シーレーンを放棄したものであった。

 

・ザック・クーパー研究員は、もっと積極的に日米海軍(自衛隊)が共同して南シナ海での警戒活動をすべきだと提案した。

 

  1. 2つの面白い情報が入ってきた。1つは米国の国家安全保障会議国防総省に対して「大国間の競争」や「中国との競争」という言葉を使用しないようにという指示を出したというものであり、2つ目は米海軍トップの海軍作戦部長が「今後米海軍においてA2ADという用語を使用しないと発表した」というものである。・主なものでも、米軍事戦略にはこれほどのバリエーションがある。何れにせよ、生煮えの米戦略案を追いかけ、それに合った日本の戦略を論ずることは禁物である。

 

<オフショア・バランシング戦略とトランプ大統領

・数年前に、米国に潜在する幾つかの軍事戦略案を少し勉強していた。その中に、これまでに述べてきたものとは趣を異にする「オフショア・バランシング」という戦略があった。それは、

 

 

  1. 米国経済発展のため、米国は中国との軍事対立を避け良好な関係を保つ、
  2. しかし、中国軍事力が米国以上のものになるのも困る、
  3. このため、中国に対しては、北のロシア、西のインド、東の日本から、軍事的に牽制させる、
  4. そのため日本にも核兵器を持たせる、
  5. オフ・ショア(沖合)に退いてはいるが所要に応じて戦力投射できる準備はしておく、

 というものであった。

 

・それから数カ月を経て、トランプという米大統領候補が、彼らと概ね同様のことを言っていることを知った。今度は、このネオリアリストたちがトランプ大統領のスタッフたちに、どういう影響を与えるのかを見守って行きたい。

 

・戦後70年の世界は、国際協調(グローバル化)という不可逆な流れの中にあると考えられてきたが、実は今、100年周期の「世界分裂」という、より大きいうねりを迎えられたのかもしれない。

 この状況の中から如何に新しい国際協調を生み出すのか、それとも本当にまたブロック化の時代が来るのならどのブロックに属して生きのびていくのか。国民1人1人が真剣に考えるべき秋(とき)を迎えたようである。

 

ミサイル防衛の限界と民間防衛>

北朝鮮による核弾頭ミサイル攻撃に対して、日本のミサイル防衛システムでは対応できないことは、第5章で述べたとおりである。

 そこで日本も、艦艇搭載の非核巡航ミサイルなどにより敵基地を攻撃できるようにしては、という意見が20年も前からある。

 

・ということになれば、本当に核攻撃から身を守るのであれば、日本でも「核シェルター」を準備して国民を守るしかない。「核シェルター」は1次放射線や爆風を避けるだけでなく「核の灰(フォールアウト)」やそこから発せられる2次放射線による被曝を避けるものとして有効である。スイス、イスラエルノルウェーアメリカ、ロシア、イギリス、シンガポールなどでは、50~100%の高率でシェルターが準備されていると聞く。日本では0.02%である。「日本は核兵器を認めていないからシェルターも認めていないのだ」という言い訳は、全く理屈になっていない。

 

・せめて、各都市にある地下街に空気清浄機(濾過器)を設置し、そこに避難した人々が2週間程度暮らせる備蓄食料と上下水道を完備することぐらいは実行して貰いたいのだが、この「民防」を進んで担当する役所は、いまのところ国にも地方自治体にもない。無論、警察も防衛省もそれを担当する余力を持っていない。こうした準備は国民1人1人の意志とその要求によって初めて実現するものである。

 

<「専守防衛」は軍事的に成り立たない>

理念は良いけど、対策は?

・何よりもまず、この戦略の基本理念を「国際協調主義に基づく積極的平和主義」としているところを筆者は高く評価している。

 

・本来、テロ・ゲリラ対策には人手を必要とする。1996年に韓国の江陵というところに北朝鮮特殊部隊員26人が上陸した時、49日間延べ150万人を投入して漸くこれを駆逐したという記録がある。そんなゲリラが日本国内で数チームも出現したら、街のお巡りさんを含む全国29万の警察と14万の陸上自衛隊では如何ともしがたい。特に、全国50数カ所にある原子力発電所の幾つかが同時にゲリラ部隊に襲われたらどうするのか。現職自衛隊員たちは「それは警察の任務で我々のものではありません」と言うしかないが、警察は「十分に対応できます」と言えるのだろうか。

 中国は220万の軍隊の他に150万の武装警察と800万の民兵を持っている。日本のスケールが中国の10分の1だとすれば、15万の武装警察と80万の民兵が要ることになる。しかし、そんな話をする人はどこにもいない。

 つまり、国家安全保障戦略は、看板はよく出来ているが中身は看板に相応しくないものだ、と言わざるを得ないのだ。

 

<そもそも専守防衛は成り立つのか>

・そもそも「専守防衛」というものは軍事的に成り立たないものである。如何にガードとジャブが上手くても、相手を倒すストレートかフックのパンチを持たないボクサーが勝てないのと同じことである。或いは、一定時間を稼いで全体に寄与する城や要塞はあり得ても、日本のように広正面の国をハリネズミのように守る技術はなく、あったとしても天文学的な金額がかかるのでそれは不可能だということでもある。

 日本が「専守防衛」で何とかやれるのは「自衛隊は盾の役割を担当し、米軍が矛(槍)の役割を果たす」という「日米ガイドライン」による約束があるからである。米国がその約束をとり消した場合には、自衛隊の予算をいくら増やしたところで「専守防衛」の国防はなりたたない、ということを、国民は良く承知しなければならない。

 

<世界秩序を支える核兵器

・20世紀前半(1945年まで)には第1次世界大戦と第2次世界大戦という戦争があり、その戦争で5000万~6000万の人が亡くなった。それ以降、ソ連が崩壊する91年までの約45年間は冷戦時代で、米ソ間の国家観決戦はなかったが、朝鮮・ベトナム戦争に代表される代理・局地・制限戦が行われ、結局2000万人強の戦死者を出した(中国文化大革命での犠牲者数は除く)。

 20世紀前半の世界人口は約25億人で後半の人口は約50億人だから、戦死者の比率は前半に比べ後半は約5分の1に減少したといえる。ということは、前半より後半の方がはるかに平和になったということである。

 

・91年以降の約25年間にも各種民族紛争が続いたが、人口の多い国同士の国家間決戦は殆どなく、戦死者総数は前2期に比べ明かに減っている。たとえば戦死者数について、朝鮮戦争での米軍3万4000、中国義勇軍90万、北朝鮮52万、ベトナム戦争での米軍4万6000、韓国5000、ベトナム・ベトコン90万、イラク戦争での米軍など4800、イラク(民間人を含み)15万~65万(65万は誇張と言われているが)という概略数が報告されている。

 

<恐ろしい兵器だからこそ平和に資する>

・日本では特に「核廃絶」を主張する人々が多いが、本当に世界から核がなくなっても世界に平和は訪れないであろう。なぜなら在来型(通常型)兵器が残るからである。

 在来型兵器はその使用者に「相手を絶滅させても、自分は生き残れる」という可能性を与える。核兵器に比べ在来兵器には「軍事的相互脆弱性」がない。

 

<NPTは不平等な秩序ではあるけれど>

・インドとパキスタンの核は、両国間の戦争抑止を目的とし、それなりに成果を上げてはいるが、世界秩序(平和)の維持にはそれほど関係がないともいえる。

 北朝鮮の核弾頭の数は定かではないが、金正恩朝鮮労働党委員長が「ミサイルの目標は在日米軍基地だ」と明言したことにより、日本・世界の秩序(平和)破壊に関わるものとなった。

 

<日本は核武装すべきではないけれど>

・NPT加盟国たる日本が核武装することは、できないしすべきではない、というのが筆者の考えである。軍事は外交の背景として存在するものだから、日本が孤立化し、その外交が成り立たなくなるような軍事措置をとってはいけない。

 しかし、外交が核武装を求める事態になった場合は別である。最大の同盟国たる米国自身が日本核武装を求める事態になった場合は別である。最大の同盟国たる米国自身が日本核武装を公式に要求してきたような時には、国際情勢を良く分析し、国家戦略を再構築し、それに沿った軍事措置をとらねばならない。例えば韓国が核武装した場合などには、諸外国の態度も変わり、国民感情も変わるかもしれない。その時のことは考えておかなければならない。

 

・最大の難問は国民の反対が多く残る中で、核兵器装備化へのロードマップを描ける政治家・学者・官僚が全くいないことだ。仮に米国が豹変し、日本核武装を押し付けようと各種の米国人たちがやってきたとしても、これに協力できる有力な日本人はどこにもいないだろう。

 そうなると核兵器の借用、すなわち「ニュークリアー・シェアリング」はどうか、という話が出てくる。しかし、これはかつてソ連の大戦車軍団が欧州を襲う時、核兵器で止めるしかなく、その場合、投射手段が不足し猫の手も借りたい米軍が欧州各国の航空機などに核弾頭を載せてもらおうという趣旨のものであり、弾薬庫の鍵を米軍が持つこともあり、各国の自主的な核兵器とはいえない。大戦車軍団の侵攻は現在では考えられず、欧州における「ニュークリアー・シェアリング」は今や形骸化していると聞く。同様の施策を日本が取ったとして何の意味があるのか、と議論する必要がある。

 

<それでも大事なのは「本腰」>

・トランプ米大統領は日本に対し、NATO北大西洋条約機構)並みのGDP2%の軍事支出を求めている。その当否はおくも、それが実現した場合には米国製対空ミサイルを買うことより、陸上自衛隊の足腰を強化することの方がより大切であると筆者は考えている。

 

<「徴兵制」と「志願制」>

・現在、G7の中に徴兵制をとっている国は1カ国もない。このG7にロシアとEU、更に新興経済国11カ国を加えてG20と称するが、これらの中でなお徴兵制をとっている国は、ロシア、中国、韓国、トルコ、ブラジル、メキシコの6カ国だけである。

 

・ロシアは10年以上も前から志願制に変更したいと言っているが、領土が広いのでなお100万人の軍人定数を維持している。

 

・中国は選抜徴兵制をとっている。13億の人口に対して220万の軍隊だから、1億3000万弱の人口で24万の自衛官を持つ日本と、軍人/人口比はほぼ同じである。中国人は、日本人以上に兵隊になることを嫌っている。「好鉄不打釘、好人不当兵(良い鉄は釘にならない、良い人は兵にならない)」という古い言葉があり、今でも多くの人たちがそう言っているらしい。

 

・「それじゃ、兵隊が集まらなくて困るね」というと、「大丈夫です。貧乏な農村地帯の青年たちが軍隊に入りたがってますから、兵隊が足りなくなることはありません。兵隊は共産党員になる近道で、党員になれれば田舎に帰って郷長(村長)にもなれるから人気があるんです」という、どこまで本当かは分からないが、如何にもありそうな話であった。別の人に聞いたら志願兵を希望するものが多く、その志願兵に合格できなかった者が徴兵枠で採用されるというシステムになっているとのことであった。

 

・韓国は北朝鮮と休戦状態を続けているため、徴兵制を止められずにいる。しかし、大学進学率の向上など若者世代の変化があり、良心的兵役拒否が認められないといった特殊事情も加わって、徴兵上の様々な問題が生起している。

 

・スイスは1648年のウェストファリア条約で独立した小国(現人口842万人)であるが、独立以来永世中立国であり、その中立政策を守るため370年間、徴兵制を続けている。

 

・西ドイツは1955年に志願制のドイツ連邦軍を編成したが、募集に応じる者が少なかったので、やむを得ず1956年に徴兵制を復活させた。

 

・2002年から、ドイツ連邦軍兵士の兵役期間は10カ月から9カ月へと更に短縮された。兵役拒否者の奉仕期間は兵役より長いことが原則だったが、2004年からは兵役期間と同じ9カ月になった。そして2011年6月末をもって、ドイツの徴兵制は終った。

 

イタリア軍1860代から徴兵制度を続けてきたが、2000年に徴兵制廃止を決定、2005年から完全志願制の軍隊となった。

 

・徴兵制は廃止されたが「国家の防衛は共和国市民の神聖な義務である」とする憲法条項は、そのまま残されている。

 

自衛隊は「苦役」なのか>

・「日本の徴兵制復活は?」という質問に対し、歴代政府はいつも憲法第18条の「何人も、(中略)犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない」を理由に、「憲法違反の徴兵制復活はありえない」と説明する。「苦役」の意味を、囚人たちでも理解しないというこの時代に、何たる言葉を使うのであろうか。自衛官をして「苦役を自ら志願する変わり者」とするこの表現は差別であり許せない。「日本の防衛政策は、徴兵制よりも志願制を求めている」と理路整然と説明するのが政府の責務である。

 

・勿論、「国家間決戦なき時代」が永遠に続くとは言い切れないから、徴兵・志願という政策は固定化すべきものではない。それよりも憲法に固定化すべきは、イタリアのように「国家の防衛は国民の義務である」ということではないか。日本は国民主権の民主主義国家なのだから。

 

 

 

『逆説の軍事論』   平和を支える論理

陸上幕僚長  富澤暉   バジリコ  2015/6/19

    

 

 

<敵地攻撃の難しさ>

・敵地を攻撃するといっても、軍事的な観点から考えると、これは至難の業です。アメリカですら、目標情報が掴めないと嘆いている現状で、日本がどのように独自に目標情報を得るのか。北朝鮮を24時間監視するためには、どれだけの偵察衛星が必要なのか。

 

・さらに攻撃兵器の問題もあります。日本が核兵器保有していれば、敵ミサイル陣地にでも、あるいは平壌のような都市でも効果的な攻撃ができるでしょうが、核はないのだから、攻撃のためには空爆であろうとトマホークのような巡航ミサイルであろうと天文学的な弾量を整備する必要があります。そのための予算をどこまで投入するのでしょうか。しかも、その効果は未知数です。

 

・ここで、従来型の「個別的安全保障」ではなく、「集団(的)安全保障」の枠組みの中で対応を考えることが重要になってくるのです。複雑な民族感情を越えて協力していくためにも、国連軍または多国籍軍という枠組みを活用することが重要になるわけです。

 

<日本の核武装

・政治家の中には、北朝鮮の核実験に対抗して、日本も核武装の議論をすべきだという人がいます。

 

・重要なのは、ただ核兵器の議論をすることではなく、関連するすべての政治・軍事問題を広く、かつ、もれなく検討し、核を持った場合、あるいは持たない場合の外交の在り方や在来兵器による防衛力整備の在り方を議論することなのです。

 

・政治的にいえば、核武装論の裏側には、「中国の軍備増強への対応」や「アメリカに対する日本の自主性確立」という問題が潜んでいます。

 

・一連のシナリオを想定し、それぞれについてシュミュレーションし、備えておく必要があります。

 

<戦車の再評価>

・日本でも、このテロ・ゲリラ対策のため歩兵を増やす必要があるのですが、人件費が高く隊員募集に苦しむ陸上自衛隊の兵員数を増やすことは困難だといわれています。だとすれば、各地方に防災・消防を兼ね情報・警備を担当するかつての「消防団」のような「郷土防衛隊」が必要となりますが、これを組織するのは防衛省自衛隊の仕事ではなく、総務省と各自治体の役割でしょう。

 ともあれ、防衛省自衛隊としては歩兵の戦いを少しでも効率的にするための砲兵・戦車の数を確保する必要があろうかと思われます。

 

・現在、日本へのテロ・ゲリラ攻撃はありません。しかし、仮に朝鮮半島で動乱が起きた場合、日本全国でテロ・ゲリラ攻撃が多発する恐れは十分に考えられます。

 

<その破壊が直接国民生活を脅かす無数の脆弱施設が全国に存在>

・難民を担当するのは入国管理局でしょうが、何万、何十万になるかもしれない難民を日本はどう受け入れるつもりなのでしょうか。まさか、戦時の朝鮮半島に送り返すわけにはいかないでしょう。この人々への対応が悪ければ、混乱も起きるでしょう。収容施設、給食など生活環境の支援、さらには治安維持のために警察、自衛隊は何ができるのか。そうした有事への準備が既にできているとは寡聞にして聞きません。

 

・さらにいえば、こうした事態は全国で分散同時発生するので、とても現在の陸上自衛隊の歩兵では数が足りません。実は、そのわずかな歩兵を支援する兵器として戦車ほど有効な兵器はないのです。

 

<軍事というパラドックス

・さて、軍事とは人間社会固有の概念です。したがって、軍事について考える際には、私たち人間の本質をまずは押さえておかなければなりません。すなわち、「闘争本能」と「闘争回避本能」という人間固有の矛盾した特性です。

 

・一部の例外を除き、人は誰しも死にたくない、殺したくないと思っているはずです。にも関わらず、有史以来人間は日々、せっせと殺し合いをしてきたという現実があります。

 19世紀ロシアの文豪トルストイの代表作に『戦争と平和』という大長編小説がありますが、人類の歴史はまさしく戦争と平和の繰り返しだったといえましょう。どうした天の配剤か、人間はほとんど本能のように闘争を繰り返す一方で、争いを回避し平和な生活を維持するための方法を模索してもきました。

 人は一般に他者からの支配、干渉を好まず、誰しも独立(自立)して自由に生きたいと考えているはずですが、自由とは欲望(利害)と切り離せない概念でもあります。

 そして、そうした人間同士が集まり集団(社会)を形成すると必ず争いが起こり、往々にして生命のやりとりにまで至ることになります。それは、民族や国家といった特定の集団内でもそうだし、集団と集団の間においてもしかりです。

 ただ、人間は他の動物と峻別される高度な知恵を有しています。そして、その地位を使い、自分たちが構成する社会の中に法律、ルール、道徳などによって一定の秩序を設計し、争いを回避する工夫をしてきました。

 

・要するに、21世紀の現在においても、「世界の秩序」と「個々の国家の自由・独立」の関係は、「国家」と「個人」の関係よりはるかに未成熟であり、極めて不安定な状態にあるという他ありません。

 軍事について考えるとき、私たちは好むと好まざるとに関わらず、こうした世界に生きているということを認識することから始めるべきでしょう。

 

・ところで、国内の秩序を維持するための「力」を付与されている組織は一般に警察ですが、国際秩序を維持するための「力」とは100年前までほぼ軍事力のことでした。

 現代世界では、経済力、文化力、あるいはそれらを含めた「渉外機能としての外交力」の比重が高まり、脚光も浴びています。しかし、だからといって軍事力の重要性が低下したわけではありません。

 軍事の在り方は戦前と戦後では異なるし、戦後も米ソ冷戦時代とソ連崩壊後、アメリカにおける9・11同時多発テロ後ではかなり変化しています。ある意味で、世界秩序における軍事の重要度は、以前よりもむしろ高まっているといえます。

 

「世界中から軍事力を排除すれば平和になるのだ」という単純な論理

・ひとつ、例をあげてみましょう。つい20年ほど前、ルワンダで10万人以上の人々が鉈や棍棒で殺戮されるという悲惨な民族紛争が起きました。私たちは、この事実をどう理解すればよいのでしょうか。

 

・現実には軍事力こそ戦争の抑止に大きな役割を果たしているというのが私たち人間の世界の実相です。

 

・周知の通り、20世紀は「戦争の世紀」といわれています。世界の人口が25億~30億人であった20世紀前半、2度の世界大戦における死者数は5000万人~6000万人にのぼりました。一方、20世紀後半の戦争、すなわち朝鮮戦争ベトナム戦争をはじめとする「代理・限定・局地戦」と呼ばれる戦争での死者数は3000万人以下とされています。また、その間に世界の人口が60億~70億人に増加したことを考え合わせると、20世紀の前半より後半の方が、はるかに平和になった、ともいえます。

 

・米ソ2極時代、互いが消滅するような核戦争を起こすことは、現実には不可能でした。また、核兵器保有しない国同士による戦争が世界戦争に発展しないよう、米ソ2大軍事大国が、通常兵器の威力をもって抑え込んだことも一定の抑止となりました。

 まことに皮肉なことながら、大量破壊兵器である核兵器の存在が20世紀後半の世界に相対的平和をもたらした要因であることは事実なのです。