(2023/10/24)
『日本語で生きる幸福』
・現在、文化の中心国はアメリカであり、英語が世界の支配語として君臨している。一方、日本は文化の周辺国であり、日本語は言語的にマイノリティーである。日本人が世界と対峙するためには、好むと好まざると、英語を学ばねばならない。だがそんな私たち日本人にも、利点はある――
<はじめに>
まず、読者の皆さまに次の質問をお考え願いたい。22世紀の日本列島に住む人々は、はたして何語を話しているのだろうか。可能性として5つの場合が想定される。お笑い種とお思いかもしれないが、筆者は存外真面目である。
- 何語も話していない。理由は、人類が人為的原因(核汚染、細菌テロ、温暖化など)、または非人為的原因(伝染病、大隕石の衝突など)によって絶滅しているから。
- 他文化の強力な影響下、日本人の大部分はバイリンガル(日本語と英語、あるいは日本語と中国語)になって、外では世界の標準語を、内では日本語という地方語を使い分けて話している。
- 日本人の多くは非日本人ないしは非日本語系日本人と結婚して(あるいは結婚を余儀なくされて)しまっており、その2世以下の子孫はもはや日本語を話さない。元は日本語人だった1世も周囲の社会の言葉を使って生活するようになっている。そこで新しい言葉を使いこなせない日本語系日本人の多くは落伍者、いわゆる文化的な「もてない男」となっており、その劣等的状況に憤懣を抱く者の中にはテロリストとなって爆発する者も出る。
- 優秀な翻訳機器が開発され、言語問題は氷解し、語学教師や通訳の大半は失職する。
- 他文化の強力な影響下にはいってはいるが、地球社会の主流であるインド・ヨーロッパ語族の人と違って、大部分の日本人は外国語学習が不得意で、依然として日本語人であり続ける。そのおかげで日本文化のアイデンティティーもまがりなりに保たれているが、そんな日本は地球社会では脇役に甘んじている。
「こんな愚かな可能性を考えた、阿保らしい東京大学名誉教授も昔はいたものだ」と百年後に笑われることを切望しながら、私はいま本書の冒頭にこんな設問をした次第である。百年後でなくとも、すでに今からお笑いの方もいるであろう。
日本語の盛衰は、日本という土地と運命的に結びついている。日本語を母語とする国は地球上にただ一つ日本のみである。このただ一つという結びつきは、日本語ならびに島国日本の特殊性であり、世界で大国といわれる国の言葉がおおむね複数の国に跨って話されている事実と異なる。そしてそれは英語が、大英帝国の弱体化にもかかわらず米国の強大化によって、依然として地球社会において覇権的な地位を確保している事実と非対称的なコントラストをなしている。スぺイン語、フランス語、ロシア語、アラビア語、中国語、ドイツ語などが複数の国や土地で話されているのに比べると、日本語が占める言語空間はきわめて特殊に限画されているといわざるを得ない。またそれだからこそ、日本語の衰退はとりもなおさず日本国家の衰退に直結する、ないしは日本国家の衰退は日本語の衰退にそのまま直結するのである。
・国際文化関係論の見地から予測すれば、こんな極端な場合すら想定し得る。言葉は滅びても人間は生き続ける。私たちの子孫が将来末永く生きのびるとしても、日本語人であることをやめ、英語人(とか中国語人)に移行する可能性は皆無ではない。それはたとえ子孫がこの日本列島にそのまま居住していても起こり得る言語統合の事態である。
わが国内では従来は、かつて植民地をはじめ海外から渡来した人々やその子孫の日本語人への移行は見られた。改革開放後来日し、日本で学位を取り、大学などに職を得た中国留学生の第二世代である華人の子供たちの多くは、親の意向が奈辺にあれ、今や教育環境によっては日本語人として成人しつつある。
<日本語の生存空間>
・まず歴史に目安をつけるために、三つの年を百年置きに取りあげてみる。1789年、1889年、1989年である、それぞれの年に何が起こったか。
1789年は7月14日、パリでフランス革命が勃発し絶対王朝の終わりとなった。1889年は日本の明治22年で、2月11日、日本に大日本帝国憲法が発布され東洋の一国でまがりなりにも議会政治が始まった。1989年は6月4日、北京では天安門事件が起こり、11月にベルリンでは壁とともに社会主義体制が崩壊した。
では、2089年にはこの世界はどうなっているのだろうか。私は歴史の進歩を盲目的に信ずる者ではない。話題にするだに空恐ろしい可能性だが、それまでにエルサレムやニューヨークに核爆発は起きているのか。また天安門に毛沢東の写真はまだ撤去されずにかかっているのか。21世紀初頭の現在、核爆発の予想は口にすることができる。
・ただしそれは大陸中国以外の土地においての話であって、中国人には毛首席の肖像の問題はおおっぴらには口にできない。しかしレーニン像も死後60年で撤去されたことを思えば、「もはやかかってはいるまい」と予測する人は中国知識人にも存外多いのではあるまいか。
一国に閉ざされた枠内で語るのでなく、そのように複数の国に跨り、世紀を単位として歴史を巨視的に大観すると、何が進歩で、何が尊ぶべき価値であるか、おのずと見えてくるだろう。
日本語の生存空間は今後どのように変化するのか。日本語の運命について考えるにあたり、まずは歴史の方向性を見据えて、このような大枠の中で比較文化史的にというか、国際文化関係論の中で米国・中国・日本の三角関係を振り返ってみたい。
<英語教育が目指すべき道>
・この地球社会、多くの人は今や自国語と英語の二つを用いなければならぬ時代にはいったかのようである。かくいう私自身も大学ではフランス語とイタリア語を教えてきたにもかかわらず、外国向けの主著は英語で書いて英国の出版社から出している。
なおこれから先、もしこの英語の覇権的地位を脅かすものがあるとすれば、それはロシア語でも中国語でもなく、アメリカ合衆国でヒスパニックが過半数を占め、スペイン語が米国の公用語として認められたときであろう。
<日本人のバイリンガリズム体験>
・21世紀、人類は英語を母語とする人(第1グループ)、英語を第2の言葉として学ばねばならぬ人(第2グループ)、英語とは無縁の人(第3グループ)の三大グループに分かれる。日本人は第2グループに属する集団と第3グループに属する集団に分かれる。この第2グループに属する、英語を第2の言葉として学ばねばならぬというバイリンガリズムの要請は、日本人が英語言語文化の下で被支配者の立場に置かれるかのようである。バイリンガリズムとは自己の文化的主権が圧迫されることではないのか。しかしこの全地球を単位とする社会では国語を単位としてきた。ナショナルな文化的主権の絶対性はもはや維持できなくなってきた。
このような二つの言語の習得が要求される事態は、日本において必ずしも今回のグローバリゼーションに伴う英語が初めての場合ではない。近年のバイリンガリズムの一つは、国内における中心言語への統合である。明治維新以降、中央集権国家の手による国民統合が進むにつれ、地方人も地方語のほかに標準語を話すようになった。東京人以外は二つの言葉を話したのだから、字義通りバイリンガリズムである。義務教育、ラジオついでテレビ、交通手段の発達が標準語の普及に貢献した。
・地球規模での交通通信手段が発達する以前の世界では、文明の進んだ土地でバイリンガルな人とは書籍的な訓練による支配的言語と母語の二ヶ国語を習得した人のことであった。その二ヶ国語とはヨーロッパではラテン語と土地の言葉であり、東アジアでは漢文と土地の言葉だったのである。そしてその種の書籍的な文法習得に始まる言語習得こそが人間の性格を形成する訓練なのであり、教養教育でもあった。そしてそれが知性と感性を磨く人文教育の根幹であることは現在も変わらないであろう。
<日本人は地球社会のマイノリティー>
・バイリンガリズムの背景にある国際文化関係をいま一度見直しておこう。かつての中国、今日の米英などの覇権的中心文化と日本のような周辺文化の国の関係はどのようなものか。
平等を建前とする主権国家の関係と違って、文化と文化の関係は平等ではない。日本は過去において漢籍、現在においては洋書入超の国である(日本からの出超は漫画というかmangaであろう)。和書の輸出は少ない。文化の流れには方向性があり、その文化を担う言語は平等ではない。「言語の不平等」は地球社会の現実であって、日本語は言語史的には非主流であり、マイノリティーに属する。
・地域社会のマイノリティーである日本人は、国際社会で生きのびるためには、好むと好まざるとにかかわらず、大文明の言語である英語を習い、世界語として通用しているアングロサクソンの言葉を用いねばならない。
日本における英語文化学習の必要性は実はそのような背景によって第一義的に規定されている。
<英単語一語の金銭的価値>
・ここで個人的体験を少し述べさせていただく。私は満州事変勃発の1931年に生まれ、人生の6分の1の13年を外国で過ごした。東大では大学院生や学部3、4年生には比較文学とか比較日本文化論とか国際文化関係論とかを教えたが、学部1、2年生にはフランス語とイタリア語を教えた。
その私が中学にはいったのは1944年、戦争中のことだが、英語はきちんと習った。
・しかし米国人はなんでも金銭に置き換えたがる。「『神曲』翻訳でいくら儲けたか」などとあられもないことを平気で聞く。それで感ずるところがあり、帰国した私は東大生に「一生に英単語一語がいくらの収入をもたらすか考えてみろ」などと一見すこぶる非学術的な話をした。そして笑いながら「英単語は一語一万円もたらすそうだ。君たちも一日に十万円儲けるつもりで単語を十ずつ覚えろ」と諭した(それは三十年前だから今では英単語一語の価値はもっとずっと上がっているはずである)。
すると学生もさるもの「では先生は何語で一番収入がありましたか」と質問した。「大学にはフランス語教師として採用されたからまずフランス語。イタリア語はダンテやマンゾーニの翻訳で賞もいただき、よく売れたから覚えた単語一個の価値は高くついた。英語は北米や英国で英語を使って講演したのみか本も出しているからたいへん価値がある。ドイツ語は旧制高校で学び大学は独語既修仏語未修のクラスにいた。しかし翻訳はホーフマンスタールだけで収入の割は甚だ悪い。これは第ニ次大戦でドイツが敗北しドイツ人が自国の文化に誇りを持ち得なくなったことも関係している」と話して一瞬間を置いて、「それでも金銭に換算できない価値もある。私はドイツ語教師の娘と結婚した」というお笑いが落ちである。
<日本の英語教育の落とし穴>
・毎日四六時中、外国語を使っている日本人は、外務省でも大学でも商社でも新聞社でも存外少ない。国際結婚をした人でも長時間外国語をきちんと話しているわけではない。夫婦の間では一々文法的誤りを訂正などしないから、配偶者は外国人でも、外国語のスピーチが下手で聞くにたえない日本人大使は何人もいる。英語使いといわれるほどの日本人は世間が想像するよりよほど少ない。その証拠に日本人の英語著書はきわめて少ない。
日本で英語教育の方針が間違った方向へ流されやすいのは、日本人が生涯に一度は受ける強烈なカルチャー・ショックの記憶に由来する。在外勤務となり外国到着の当初、意思疎通が不自由なためパニックにおちいる。外国語で電話がかかってくると過度に緊張する。そんな過度に緊張した体験があるものだから、生きた英会話教育の必要がにわかに声高に叫ばれ、海外体験の長い商社社員の夫人を英語教師として招けとか、小学校から日本人教師に英語会話の授業をさせよ、とかいう愚かな主張が真面目にまかり通るようになるのである。
・外国語教育は、すぐれた原典の読解に主眼を置き、知性と感性を訓練することが第一義ではあるまいか。
・かくいう私も四十代半ばに米国に滞在した当初、英会話が途切れがちではなはだ気が重かった。周囲からは「お前は立派な英文が書けるのになぜ英語がもっと自由に話せないのだ」と不思議がられた。しかし私は第一に講読を重んじ、第二に論文を書くという順で外国語を習ったことが結局は良かったのだと思っている。大学院生にも日本語でも「書くように話せ」と指導してきた。日本語の挨拶でも講義でもいったん文章をあらかじめ用意する。それと同じ要領で臨めば外国語の発表も講義もいたって気楽に出来るようになる。ときにアド・リブをまじえ、質問に答えればよいのである。日本でも食卓で隣の人と気楽に会話する人は外国語でもやがて話が出来る。そもそも日本で会話しない人が外国語で会話できる道理はないのである。
私たちは外国語でも自己主張しなければならない。その発信型英語を実行に移すのが存外容易でないことは、日本人で外国語を自己主張をする人の数がきわめて少ないことからもわかるだろう。
<古典はアイデンティティーの拠りどころ>
・日本という国は島国で、海によって隔離されているために、政治的にも文化的にも侵略されることが少なかった。さらに、インド・ヨーロッパ語系の人々が文法構造が近いために互いに早く相手の言葉を習うことができるのと違って、日本人にとって外国語は難しい。海に加えて言語の壁がおのずと日本人を他から隔離して、保護してくれていた。そのような状況であったから、日本人のアイデンティティーは自然条件によって維持されてきたという面がある。
<地球化時代に生きる日本語人として>
・文化の三点測量のできるエリートの形成が世界的にますます必要とされると私は信じている。点と点を結ぶと線になるが、外国語と母語を結ぶと知識がばらばらの点でなく線となる。第二外国語が加わると知識は面となり、さらに第三外国語が加わると見方が立体的になる。
このような複数語学習得のメリットの話を大学の先生にしたら、「第三外国語どころか慶應大学ですらも学部によっては第二外国語必修を中止した」という。英語の覇権的地位が高まるにつれ英語学習に集中したい気持ちはわからないでもない。しかし第二外国語教育を中止した大学はもはや一級大学とはいえない。
・2000年、英語を第二公用語にするという提案が首相直属の「21世紀日本の構想」懇談会でなされた。しかし提案は中途半端であった。国民総バイリンガル社会などは日本が米国の植民地にでもならないかぎり実現不可能事に属する。また日本全体にピジン・イングリッシュを広めても意味はない。
<人生のおわりに>
・最後にとるに足らぬ拙著をお読みいただいた皆さまにお礼申し上げる。そして改めておうかがいしたい。冒頭に掲げた五つの場合のいずれの可能性が高いとお考えになられたであろうか。読者諸賢のご感想を読みてお待ちする次第である。
(2016/12/10)
『近未来シュミュレーション 2050 日本復活』
クライド・プレストウィッツ 東洋経済新報社 2016/7/22
ニッポンは三度目の復活を遂げる! 米国発 衝撃の問題作
<アベノミクスは効果なし>
・当初、アベノミクスはうまくいっているように見えた。円は25%下落して輸出が急増し、それに伴って輸出企業の雇用や利益も増加した。日経平均株価は数年ぶりという水準に上昇した。建設ブームが到来する兆しも見え、国民の間に明るい希望の波が広がった。ところが時が経つにつれ、問題も浮上し始めた。健康保険や年金制度を維持し、巨額の財政赤字を削減するため、消費税が引き上げられると成長の勢いが鈍化したのだ。さらには円安に対する反作用も出始めた。
・国民の財産の大半が国債に注ぎ込まれていたため、貯蓄や退職金が目減りしかねないからだ。
そんな恐怖から、年金基金や投資信託、その他の投資家たちが日本国債をはじめ円建て資産を売却し始めた。政府は資金の流出を食い止めるための利上げには消極的だった。すでに歳入のほば30%が公債の利払いに消えていて、これ以上金利が上がれば政府そのものが破産する恐れがあったからだ。不幸なことに、これがさらなる資本逃避に拍車をかけた。あり得ないことが現実になりつつあった。日本は国際通貨基金(IMF)からの借り入れに頼らざるを得なくなり、事実上、IMFの管理下に入ったのである。
<2017年 危機>
・2015年、最も新しい人口推計が公表されたとき、日本人は息をのんだ。2010年の国勢調査に基づく推計は、日本の総人口は2050年に1億2800万人から9500万人に激減し、47都道府県すべてで人口が減少するというものだった。最も深刻な秋田、青森、高知の3県では最大で3分の1も人口が減り、東京でも7%近い減少になるだろうとされた。しかし2015年の最新推計はもっと衝撃的だった。2050年には総人口がさらに減り、8800万人を下回るという。もっと深刻なのが高齢化だ。2010年の推計では、2040年には65歳の高齢者がすべての県で人口の30%以上を占めるようになり、秋田、青森、高知の3県では40%を超えるとされた。ところが、2015年の最新推計では、2050年には日本の総人口の40%が65歳以上の高齢者になるという結果が出たのだ。
<民尊官卑の国へ>
・もともとは中国からきた制度だが、高い教育を受けた官吏が天皇の名において絶対的権力を振るった。役人は名誉もあり報酬も良かったから、息子のうち1人ぐらいは偉い役人になってくれることを親は望んだものだ。役人がそんなに大きな力を持っていたのは、平民に何の権利も与えられていなかったからでもある。人々には反抗する術がなかったから、官吏は民を平気で踏みつけにした。
19世紀後半から20世紀前半にかけての近代化の中で、日本は中央政府の官僚に権力を集中させる統治システムを導入した。
<地方改革>
・この抑圧的な状況に業を煮やし、地方の改革や再編に乗り出した地方の指導者もいた。第4章では子育てに関する横浜市の取り組みについて概要を述べた。東京都杉並区長だった山田宏は2000年代初め、行財政改革案「スマートすぎなみ計画」を打ち出して、さらに意欲的な取り組みを推進した。少ない資源を活用して効率サービスを提供する小さな区政の実現を目指そうとするものだった。手始めに学校給食の一部業務を民間委託した。公務員の労働組合とそれを支援する政党が強く抵抗したが、最終的に成功した。区の支出が大幅に節約されただけでなく、児童は好きなメニューをあらかじめ選択できるようになった。さらに山田は、区の出張所の一部を廃止して住民票等を自動交付機で発行できるようにし、さまざまな区の業務を民間に委託した。こうした政策によって、区職員を6000人以上を削減し、254億円を節約した。区の借金は半分近くになり、逆に預金は倍以上に膨らんだ。
・大阪を先例として地方分権の波が全国に広がったことで、日本は今再び、世界が注目する国家のモデルとなった。
<完全な地方分権>
・再生委員会が日本経済の構造とシステムを徹底的に見直し、他の国について綿密な調査を重ねた。地方改革がもたらしたプラスの結果を検討し、日本が過去に経験した復興の経緯も分析した。そして、ある根本的な結論にたどり着いた。日本が抱えている問題は経済ではない。政治なのだ。日本が直面している最も重要な課題は統治、すなわちガバナンスの問題だった。日本人は自己責任に任せれば、驚くほど革新的で生産的な国民だ。だが、政府や官僚の厳しい管理下では全力を出し切れず、優れた素質を十分に発揮することができなかった。日本が将来に秘められた可能性を実現するためには、社会に深く根付いている中央集権的な政治構造から脱却し、地方分権的なシステムへ思い切って転換することが必要だと思われた。
・再生委員会が2017年末に発表した最後の提案によって、日本の地図は大きく塗り替えられることになった。長い間変化のなかった、かつての47都道府県は、現在では15の大きな行政区分である州政府に改編されている。米国やドイツの州政府と同様な仕組みだ。以前の都道府県と同様、それぞれの行政府には州法があり、知事がいる。ただし、知事(州政府)と議会には大きな権限があり、国防、外国、中央銀行の機能を除いて、ほぼ完全な自治体制を持つ。最も重要なことは、これらの新州政府の財政は自己資金調達によって賄われるという点だ。債務が累積し破綻する可能性もあるが、州政府は借り入れや地方債を発行する権限も与えられた。
<2050年 東京>
・2050年春、東京へ出張する。彼にとっては35年ぶりの東京だ。全日本航空機でワシントンを飛び立って2時間半、快適な空の旅も終わろうとしている。ミツビシ808型超音速ジェット旅客機は、ゆったりと弧を描きながら羽田空港へと降下を始めた。
超音速旅客機なら昔もあった。だが、ミツビシ808は1970年代に英仏が共同開発したコンコルドとは比べものにならない。巡航速度はほぼ2倍、定員は3倍を超え、航続距離も3倍近い。
・ここで目にするのが、本当の先進日本だ。都心だけでなくどこへ行くにも、運転手がハンドルを握るリムジンバスやタクシーはいない。個人客であれ団体客であれ、ロボットが操縦する高速鉄道や無人自動車を利用する。もはや日本では、誰も運転などしない。
・スマート輸送は安全なだけでなく安いのも特徴だ。日本は、風力や太陽光、潮流・海流、メタンハイドレートなどのさまざまな低コストのエネルギー資源を開発し、さらにそのエネルギーを貯めておく装置も考案した。それを全国に張り巡らされたスマートグリッド(送電網)で結んでいる。これによって、発電コストは限りなくゼロに近づき、原子力と化石燃料によるコストをはるかに下回った。その結果、原子力と化石燃料というエネルギーミックスは時代遅れになった。
・超高層化によって都市空間が効率的に活用され、オフィスや住環境も快適になった。それだけではない。考えてもいなかった経済効果も数え切れないほど生まれた。高密度化がスマートシティ化の環境を生み、起業家の活動が活発になった。その結果、多くのイノベーションが急速に
進んだ。当然、世界中の都市も東京に追随して建物の高層化を進めたが、それでも日本は構造設計とノウハウの中心であり続けた。日本の建築設計会社は世界中から引く手あまたとなり、世界のほんとんどの大規模建築工事で中心的な役割を担っている。
・予約しておいたホテルに到着する。ホテルマンが非の打ち所のない美しい国際英語で彼を出迎えてくれる。(これは日本が完璧なバイリンガル国となったことを示すちょっとした証拠だ。日本では高校を卒業するときや就職する時には英語を完全に習得していることが必要とされる。テレビやインターネットの番組には英語の字幕付きが多いし、英語の放送で日本語の字幕がついてる番組も多い)。
・「すべてが電子的に処理される」というのは誤解を招く言い方かもしれない。人が利用することを考えれば「すべては音声で処理される」と言うほうが正確だろう。
・日本人の体格が良くなっただけでなく、理由はまだほかにある。世界の主要国のうち、日本は全人口と労働人口が増加し続けている数少ない国の一つだ。合計特殊出生率は平均2.3人で人口置換水準の2.1を大きく上回っている。さらに、日本は遺民に門戸を開き、特に高等教育を受けて専門性の高い技術を身につけた人々を積極的に受け入れてきた。じわじわと進む人口減少にいまだに苦しんでいる中国や韓国、ロシアといいった周辺諸国を尻目に、日本の人口は2025年以降再び上昇に転じており、1億5000万人を超える日も近いと思われる。当然のことながら、人口増加は経済成長を促す。労働人口が増加することで、強力な生産性向上と技術進歩が相まって日本のGDP(国内総生産)はいまや毎年4.5%ずつ上昇を続けている。これは他のどの主要国もはるかに凌ぐ上昇率で、中国の2倍にも迫ろうという勢いである。
・日本企業の本社にやってきた外国人ビジネスマンは、なぜ日本で人口が増えて経済が成長するようになったのか、本質的な理由がすぐにわかる。オフィスにいる幹部のほぼ半分は女性や外国人なのだ。重役会議に出席すると、間違えて東京ではなくオスロかストックホルムの会社にきてしまったのではないかと錯覚しそうになる。取締役会には女性役員がずらりと並び。北欧企業で女性役員が占める比率を上回る。当然、日本企業の方針や考え方、仕事の進め方、社風に大変革をもたらした。午後5時を過ぎるとオフィスはほとんど空っぽになり、バーや居酒屋では閑古鳥が鳴いている。
・「日経1000」(かつての「フォーチュン500」)に名を連ねる日本のビジネススクールが進化し、世界最高峰になったことにある。たとえば、ハーバード・ビジネス・スクールは世界のベストテンにすら入らない。トップ3は一橋大学、慶応大学、京都大学の各ビジネススクールであり、4位に欧州のINSEAD(インシアード)が続く。
日本のビジネススクールが躍進し、新しい役割を担うようになった女性エグゼクティブが登場してきたことで、コーポレート・ガバナンスの革新的変化がもたらされることになった。長期的に持続可能な投資や、企業活動に必要で適度な利益という概念は、いまや雇用の維持といった古い目的を通り越して、利益条件を決める基本的な考え方となった。
・仕事や旅行で現在の日本を訪れた人々が目を見張るものの一つが、戸建て住宅や集合住宅の大きさと瀟洒た造りだ。広々とした居住空間は一般家庭にも住み込みの家政婦や介護ヘルパー用の部屋を設ける余裕を生んだ。2020年代、日本はTPP(環太平洋パートナーシップ協定)のルールに則り、輸入品に対する関税と農業補助金を完全に撤廃した。ほぼ時を同じくして、土地利用や固定資産税、不動産譲渡に関わる法律も近代化し、オープンで透明性の高い制度になった。この結果、公正な不動産市場ができあがった。一連の規制撤廃によって小規模農地は宅地や商業的な大規模農地へと転換した。
・だが、この経済成長を支えた大きな要因は、日本にやってきた移民たちが始めたまったく新しい技術とそれに伴う新しい産業の創出だった。バイオテクノロジーやナノテクノロジー、エレクトロニクス、素材、航空、化学、ソフトウェアといった分野では、医療技術や航空機技術と同じように、日本の研究者や企業が世界をリードしている。いまや政府や民間企業による研究開発支援は、日本の国内総生産(GDP)の6%近くを占める。
・中国やドイツ、韓国、その他の主要諸国を悩ませていた高齢化と経済収縮の問題も、人口増加と好景気に沸く日本にとっては他人事だった。財政黒字が続いた結果、国の債務はGDPの240%から50%へと縮小し、2013年にはGDPの9%を占めていた総医療費は、今日ではわずか6%にまで減少した。
<日本の防衛費はGDPの1%から約3%に増えた>
・中国の軍備増強に対抗して日本は防衛力の強化を図り、核兵器や最先端のサイバー攻撃技術、さらに大陸間弾道ミサイルを抱える世界第3位の軍事大国へと変貌を遂げた。日本の艦船は西太平洋、マラッカ海峡、インド洋までパトロールしている。
・世界の中で日本の地位が再び高まると、もともと優れていた日本のソフトパワーは飛躍的に強まった。1990年代、日本経済が低迷しているときでも、重要な日本文化は国際的な地位を築いていた。スシは世界中で愛される食べ物になり「カンバン方式」(ジャスト・イン・タイム生産)は世界的な在庫管理技術になった。カラオケは世界共通の娯楽になり、そしてマンガは世界最高の暇つぶしとなった。今では日本の再生と活況を背景に、日本の革新的なデザインや芸術、食べ物、技術、科学、その他多くのものが世界の隅々にまで浸透している。政治・経済・社会のアナリストはもちろん、パフォーマーや大学教授、料理人、画家、作家、技術者、デザイナー、作曲家、科学者など、日本人のプロフェッショナルには世界中からのラブコールが止まない。21世紀は、「第二のアメリカの世紀」だと言う人もいた。多くの人は「中国の世紀」になると言った。だが、実際は「日本の世紀」になったのである。
<アメリカと世界にとって日本が重要である理由>
<グローバリゼーションとはすなわちアメリカナイゼーションのことだ>
・「グローバリゼーションはあらゆる国を豊かにする。そして、豊かになれば民主主義的になり、民主主義的になれば、戦争をしなくなる。なぜなら、民主主義国は互いに戦わないことを私たちは知っているからだ」。そしてその考え方はまるで呪文のようにあちらこちらで唱えられた。欧米のエリートたちはこぞって、資本主義が世界に広がれば民主主義と平和がもたらされ、苦境に喘いでいる国も救われると信じたのである。
もちろん、そんな風に都合よくはいかなかった。実際のところ、世界はむしろ逆に進んでいるように見える。中国は、政治的に自由になり、自由市場経済になるどころか、独裁的な政治体制の下で国家資本主義に邁進しているかのようだ。
<米国発衝撃の書が予測する近未来>
『2050年「日本は世界一の超大国になる」のか』
<明治維新と戦後復興、そして日本は三度目の復活を果たす>
・『2050年の日本』は活力ある新型超大国として栄えるという大胆な予測の書『JAPAN RESTORED(日本復興)』がアメリカで出版され、話題となっている。
著者のクライド・プレストウィッツ氏は、レーガン政権時に商務長官顧問を務め、自動車や半導体貿易交渉の前面に立ち、ジャパン・バッシャー(日本を叩く者)として知られた人物だ。その同氏がいまなぜ日本を礼賛し始めたのか?2050年、日本のGDP成長率は4.5%と中国を凌駕し、世界一の米国に経済規模で肉薄すると指摘した。日本復興の大シナリオの根拠とは?
<2050年、日本は奇跡の大復活を遂げている?>
・平均寿命が90歳以上になる
・総人口1億5000万人突破
・経済成長率4.5%を維持
・英語力向上で競争力アップ(公用語に英語が加わる)
・ロボットや医療ビジネスで世界トップ
・本書が、根拠の曖昧な空想だと感じる向きもあるだろう。実際にアメリカの大手外交雑誌「フォーリン・ポリシー」の書評は「空想」という表現を使っていた。
・ただし同氏の予測は「こうなる」というのではなく、「こうすればこうなる」という条件つきである。2050年の光り輝く理想の超大国に向かって、身を切るような改革や刷新を断行しなければ、その目標は実現しないわけだ。
・「強く豊かな日本」はアメリカの国益に合致するのだと彼は強調する。この「アメリカの国益」こそが前述の謎を解くカギだと言えよう。
本書の予測では2050年も日米同盟は健在とされる。アメリカの軍事態勢が縮小するとはいえ、日米の安保のきずなは強固なままだ。ただし、アメリカの日本依存がいまよりずっと強くなる。つまり「強く豊かな日本」は同盟相手のアメリカを逆に支えるようにとさえなるのだ。
・だがそんな複雑な読みはどうでもいいとも思う。とにかくわが日本が34年後にすばらしい大国になれるというのだ。だったらそのための処方箋を素直に指針として、バラ色の未来に向けてべストを尽くしてみてもよいではないか。
<『日本復興』で描かれた「21世紀の超大国・日本」の可能性と課題を探る>
・それでも目の前の現実を見ると、「経済成長率4.5%」「出生率2.3」など、実現にはほど遠いと思える数字が並ぶ。
<経済 成長率4.5%には外国からの高度人材受け入れと大胆な投資が必要>
・『日本復興』では2050年の日本は、「経済成長率は毎年4.5%を維持」「GDPは世界一のアメリカに迫り、中国の2倍近くになる」と描かれている。
・「OECD(経済協力開発機構)加盟諸国の過去40年のデータを見ると、人口増加率と経済成長率には何らの関係がない。私は日本の成長のためには移民の受け入れが必要と考えています。ただしそれは人口増加のためではなく、発展に多様性をもたらす高度人材の積極的な受け入れです」
・「多くの日本企業が過去最高益をあげる一方、その多くは内部留保に回され、日本企業全体で300兆円超まで膨らんでいる。仮に年間10兆円投資に回せばそれだけでGDPの2%分に相当する。波及効果を含めれば、投資の大幅増と抜本的な規制緩和で4%台の成長も不可能ではありません。経営者に求められるものは“貯め込むこと”ではなく積極投資する姿勢です」
<医療・人口 出生率2.3にはスウェーデンをモデルにした少子化対策が必要>
・日本の出生率は2.3に伸び、総人口は1億5000万人。『日本復興』に描かれた日本は少子高齢化から見事に脱却している。
・同じく成熟国であるスウェーデンも、専業主婦率2%と多くの女性が働く社会でありながら、「出産費用無料化」「給料の8割が支給される産休制度」などで出生率は2.0近くを推移している。日本も抜本的な少子化対策が必要だ。
・ただし、出生率が回復してもすぐに人口が増えるわけではない。「人口1億5000万人」は、『日本復興』にある通り移民を受け入れなければ難しいだろう。
・また、著者は日本の平均寿命が男性90歳、女性95歳に延びると予測。その主要因として、厚労省が25年には7000万人超と推計する認知症患者が減り、医療技術も日本が世界のトップに躍り出るとする。
<科学技術 「自動運転」ほか世界一の技術先進国は十分実現可能な未来だ>
・12種類の破壊的技術のうち、日本企業は「進化したロボット技術」「自動運転車」「次世代ゲノム」「エネルギー貯蔵」「3Dプリンティング」「ナノテクノロジーを含む新素材」「石油・ガスの探究・回復技術」「再生エネルギー」で世界を席巻すると著者は予測する。
<安全保障 憲法9条改正の議論より前に「平時からの安保への備え」が必要>
・同書では、日本の防衛費はGDPの3%に達し、(現在約1%)、核兵器と弾道ミサイル、サイバー兵器などを保有すると予測されている。憲法9条を改正して米国に代わってアジア太平洋地域の安全保障に責任を負い、自国や同盟国の国益が脅かされたら戦争も辞さない「普通の国」になっているというのだ。
<資源 エネルギー面での自立のカギは徹底的な「電力自由化」にあり>
・2050年に日本は低コストのエネルギー自立を果たす、と『日本復興』では書かれている。その背景として「日本は30年までにすべての原発を閉鎖し、安全性の高い新たな15基の一体型高速炉(IFR)に入れ替える」「現在地域ごとに分かれている送電網を統合し、さらにアジア域内で電力を融通するアジアスーパーグリッドを実現」「太陽光、風力、潮力、波力、地熱といった再生可能エネルギーのほか、日本近海に眠るメタンハイグレードの開発を進める」などを挙げている。
<社会・教育 国民総バイリンガルは難しくとも日常会話力向上は期待大>
・英語によるコミュニケーション能力を検定するTOEICの国別スコアでは、日本は44か国中35位(14年)。日本の英語力のお寒い状況はよく知られている。しかし、今世紀半ば、日本人はバイリンガル化していると『日本復興』は述べる。その予測通り、飛躍的に英語力がアップしているのだろうか。
・「ただし、将来は日常会話能力はかなり向上している可能性が高いが、バイリンガルとなるとハードルは非常に高い」
・著者が英語とともに大胆な予想を掲げているのは女性活躍社会の到来だ。医師の75%、企業CEOの35%、役員の50%を女性が占めるというのだ。
同書では日本の「特別国家活性化委員会」が、外国人女性を家政婦として受け入れ女性の就業を後押しし、04年に上場企業の役員4割を女性にすることを義務付けたノルウェーを手本に、30年までに女性役員50%を企業に課すなどの政策を取るとしている。
・現在、日本では、20年までに社会のあらゆる分野で指導的地位を占める女性の割合を30%に、という目標が掲げられていたが、昨年末に断念して下方修正された。今の女性比率は上場企業の役員2.8%、国家公務員課長級以上3.5%というのが現実だ。
・「保育園の待機児童解消、労働時間規制、政策意思決定に関わる女性国会議員の役割改善の3つの柱を複合的に取り組まねば無理です。政府は『女性活躍』を掲げているが、具体的な政策や財源が伴っていない。女性の登用は徐々に増えても50年の日本では良くても30%程度でしょう」「女性活躍」が看板倒れにならないような施策が求められる。
<「0から1」の発想術を身につければ新しいビジネスのアイデアが次々生まれてくる>
・「無から有」を生み出すという意味の「ゼロイチ」「ゼロワン」という言葉が、ビジネスマンの間で注目されている。
・私は最近、興奮が止まらない。今ほどビジネスチャンスがあふれている時代はないと考えているからだ。
・なぜなら、スマホ・セントリック(スマートフォン中心)のエコシステム(生態系)が出現し、まさに「いつでも、どこでも、何でも、誰とでも、世界中で」つながるユビキタス社会が広がっているからだ。
・資金はクラウドファンディングで集めることができるし、人材はクラウドソーシングを利用すれば自社で抱える必要がない。大きなハードウェアを保有しなくても、使いたいだけコンピュータが使えるクラウドコンピューティングもある。つまり、発想ひとつで新しいビジネスを生み出せる時代が到来したのである。
・今の時代は「0から1」、すなわち「無から有」を生み出すチャンスが山ほどある。そういう時代に巡り合った若い人たちを、うらやましく思うくらいである。
・さらに、知識は蓄えるだけでは意味がない。「使ってナンボ」である。ビジネスにおいては具体的な商品やニーズを見ながら、自分が学んだ知識を駆使して自分の頭で考え、目の前の問題を解決していかねばならないのだ。
<コンビニに○○を置くと………>
・私ならこんなビジネスモデルを発想する。
まず、顧客一人一人のありとあらゆるニーズに無料、ないしは安い月額料金で対応する「バーチャル・コンシェルジュ」を雇い、商品の取り置き、保管、配達はもとより、航空券や電車の切符、コンサートや映画のチケットなどの手配を請け負う。あるいは、コンビニでは取り扱っていない商品(たとえば家電など)も、ネットで最も安い店を検索して取り寄せるサービスを展開する。寿司や蕎麦やラーメンなどの出前を取りたい時は、近所で一番旨いと評価されている店を探して注文してあげる。そういうバーチャル・コンシェルジュ・サービスを展開すれば、既存の顧客の支出の半分以上を握ることができるだろうし、新たな顧客も獲得できるはずだ、
・IT弱者、サイバー弱者、スマホ弱者と言われている高齢者も、近くのコンビニに親しいコンシェルジュがいれば、その人を介することで各種のネットサービスやネット通販などを安心・安全に利用することができるだろう。地域の人々に頼りにされる有能なバーチャル・コンシェルジュなら、時給3000円払っても十分ペイすると思う。これは顧客の会費で簡単に賄うことができるはずだ。
『稼ぐ力』
仕事がなくなる時代の新しい働き方
・まず韓国では、1997年のアジア通貨危機の際、IMF(国際通貨基金)の管理下に置かれた屈辱から、国策でグローバル化を推進したのに合わせて、サムスンや現代などの大企業が英語力を昇進の条件にした。たとえばサムスンはTOEICで990点満点中900点を入社、920点を課長昇進のラインにした。これに大学側も呼応し、難関校のひとつの高麗大学では受験資格を800点、卒業条件に半年以上の海外留学経験を設け、英語の重要性をアピールした。
・憧れの企業・大学がつけた火に、わが子の将来の安定を願う保護者が機敏に反応し、英語学習熱が燃え広がった。英語試験の超難化で受験生の激減が懸念された高麗大学には、前年の倍の受験生が押しかけた。この保護者パワーに圧倒されるように、高校や中学も英語教育に力を入れ、国全体が英語力アップに突き進んだのである。
この間、わずか10年。現在、ソウル国立大学や私が教鞭を執る高麗大学、梨花女子大学では、英語で講義をし、学生との質疑応答もすべて英語である。
・日本でも今後、楽天やファストりの成果を待つまでもなく、トヨタ自動車やキャノン、パナソニックのような世界企業が英語を社内公用語に規定する決断を下せば、雪崩を打つような英語ブームが巻き起こるに違いない。
<墓穴を掘った「トラスト・ミー」>
・ところで日本人の大いなる勘違いとして根強くあるのだが、「英語がよくできる」=「ネィティブのように喋れる」というイメージだ。この固定観念ゆえに欧米人に対して無用のコンプレックスを抱き、面と向かうと借りてきた猫のように萎縮してしまう。私に言わせれば“悲しき誤解”もいいところで、今や世界の標準語は英語ではなく、文法も発音も不正確なブロークン・イングリッシュだと思ったほうがよい。
・インドに行けばインド独特の、シンガポールにはシンガポール独特の(「シングリッシュ」と呼ばれる)ブロークン・イングリッシュがある。
<身につけるべきは「成果を出す」ための英語>
・こうした正しいニュアンスを含め、日本人とビジネスパーソンが身につけるべき英語とは、「プラクティカル・イングリッシュ」である。「プラクティカル(実践的)」とはすなわち、「成果を出す」ということだ。
<慣れない英語で結果を出す「4つの秘訣」>
・1つ目は、当然のことだが、相手の感情を不必要に害するような表現を使わないこと。
2つ目は、相手のやる気や自分に対する共感を引き出すこと。
3つ目は前任者との違いを行動で示すこと。これが最も大事である。
4つ目は、自分の“特技”を披露するなどして人間として親近感を持ってもらうこと。私の場合、けん玉の妙技を見せたところ、面識のない相手でも一気に距離が縮まった経験がある。芸は身を助く、は本当だ。
<相手の国を知り、文化を理解する>
・そしてニュアンスが皮膚感覚でわかれば、ブロークン・イングリッシュでも十分なのである。だから日本企業も、英語の社内公用語化は入り口にすぎず、これからは、海外勤務歴や現地での実績を昇進や査定の大きな評価基準にしていくことが求められるだろう。
<リスニングは“ながら族”、スピ―キングは“実況中継”――一人でもできる3つの学習法>
<「和文英訳」は英語じゃない>
・日本人は中学・高校で6年、大学も入れれば10年の長きにわたって英語を学ぶ。世界で最も長い学習時間を費やしているにもかかわらず、これほど英語を苦手とするのはなぜなのか?その原因は、日本の英語教育に浸透している3つの“勘違い”に起因する。誤った学習法として銘記されたい。
1つは、英語力は「和文英訳」「英文和訳」できる能力だという勘違いだ。だが極端な話、和文英訳(された栄文)は、英語ではないと思ったほうがよい。和文を英訳してみたところで、「そんな英語表現はあり得ない」というものがゴマンとある。
<「減点教育法」では英語は身につかない>
・極めつきは“減点教育法”だ。英語教師はスペルやカンマ、大文字や小文字などのミスを理由に不正解とするが、この採点法が生徒から学ぶ意欲を奪うのである。
<「1年間・500時間」が分岐点>
・海外を相手にビジネスをする、あるいは社内で外国人と問題なく仕事を進めるためには、最低でも、TOEICなら700点は欲しい。そのための学習法は、すでに600点台以上のスコアを有する場合とそうでない場合とで大きく分かれる。
まず、600点台に達していない場合、やるべきことは2つ。語彙や文法など、基本をしっかり覚えることと徹底的にリスニングをすることに尽きる。これに1年間で500時間を充てる。
<「秋葉原でボランティア」が一番安上り>
・では、600点以上のスコアに達した人は、次に何をすべきか?まずスコアを上げるという観点からのアドバイスは、市販のTOEIC攻略本で出題傾向や解答テクニックを獲得することである。
・もし社内や近所に英語を話す外国人がいれば、積極的にお茶や食事に誘って、英語を使う機会を増やすことだ。
<「問題解決」を行う学習法を>
・さらに、1人でもできる学習法として3つのことを勧めたい。1つ目は、とにかく英語に耳を鳴らすこと。赤ちゃんが3歳になる頃には自然と母国語を話せるようになるのは、意味がわからなくても親の話す言葉を毎日聞いているからだ。この万国共通の原則に倣い、自宅にいる時はテレビでBBCやCNNをつけっ放しにしておくのがよい。
<英語の「論理」と「ニュアンス」を理解せよ――日本人が海外でビジネスで成功する条件――>
<欧米人は「Yes」「No」が明確――とは限らない>
・英語はあくまでも信頼関係を築き「結果を出す」ためのコミュニケーションの道具に過ぎない。それでは本当の“世界共通の言語”は何かというと、実は「論理(ロジック)」である。ロジックとは、客観的なデータや分析に裏打ちされた、思考の道筋である。
<「社内公用語化」の副次的効果>
・その言語体系の違いから、英語は論理的に考える上で、日本語よりも適している。実はここに英語の「社内公用語化」の副次的効果がある。
<英語に不可欠な「婉曲表現」>
<ベンチマーク(指標)を明確にせよ>
・私のところに来ているTOEICで900点以上を取っている人の半数以上が、ビジネスの現場での会話に自信がない、と言っている。
<ロジカル・シンキングの次に問われる“第3の能力”――IQではなく心のこもったEQ的表現を目指せ――>
<官僚の採用試験にも「TOEFL」>
・政府もキャリア官僚の採用試験に、2015年度からTOEFLなどの英語力試験を導入する方針を固めた、と報じられた。
・しかし日本では、英語力試験としては留学向けのTOEFLよりも、主にビジネス向けのTOEICのほうが一般的だ。
<英語学習にも“筋トレ”が必要>
・TOEFLとTOEICは、どちらも同じアメリカの英語力試験だが、かなり大きな違いがある。TOEFLは英語力だけでなく、英語を使って論理思考ができるかどうかを見るための試験である。かたやTOEICはリスニングとリーディングで英語によるコミュニケーション能力を判定するための試験だ。つまり、そもそも目的が異なり、そこで試されるものも自ずと異なるわけで、「英語で考える力」が求められるTOEFLは、日本人は非常に苦手にしているし、アメリカ人でも良い成績を取れる人は少ない。
<EQ(心の知能指数)を表現できる能力>
・たとえば、M&Aで海外の企業を買収する交渉、あるいは現地の工場を1つ閉鎖してこなければならないといった仕事の場合、「TOEIC的な英語力」と「和文英訳・英文和訳」に熟達しているだけでは不可能だ。
・そのためには、自分の気持ちの微妙なニュアンスまで正確に伝える能力、言い換えればEQ(心の知能指数)を英語で表現できる能力が必要だ。
<ユーモア溢れるバフェット流の表現力に学ぶ>
・この3番目の問題を認識して対策を講じないまま、単にTOEFLやTOEICを採用試験や大学受験に導入しても、対外交渉で“撃沈”する日本人を量産するだけである。真のグローバル人材育成には、もう少しEQの研究をしてから提言をまとめてもらいたいと思う。
『サラリーマン「再起動」マニュアル』
<レッスン100回受けてもプロにはなれない>
・レッスンを100回受けてもプロゴルファーになれないのと同様、MBAをとってもプロフェッショナル・ビジネスマンになれるわけではないのだ。
・それにアメリカのMBAにも問題点が多い。例えば、私が教鞭を執っていたスタンフォード大学ビジネス・スクールには、最先端のeコマースやネットビジネスにおいて教えられる先生がいなかった。というより、この世界は先生よりも学生の方がよく知っているのだ。従来の先生と学生の関係が逆転し、「先生」という概念が成り立たない世界が、21世紀の新しい経済の特徴なのである。
・MBAはビジネスで成功するための必要条件であるが、十分条件ではないのである。むしろ、MBAを活かせる人と、そうでない人がいることを知るべきだろう。
・彼らには共通点が三つある。1、人生はリスクをとるものと達観している。2、人が見ていようがいまいが、給料が上がろうが上がるまいが、自分のやりたいことをやる。3、常にハングリーで強い欲望や願望がある。一言で言えば、「リスクテーカー」なのである。彼らは、「安住の地を求める」ことよりも「死ぬまで自分の可能性を試す」ことを優先する。たとえ、失敗にも、「面白かった」といえる人生である。
<「残業代稼ぎ」のメンタリティは捨てよ>
・また、日本のサラリーマンは自宅に帰るのが遅すぎる。残業代がボーナス代わりになっていた時代の名残りで、未だ夜遅くまでズルズルと仕事をしている会社が多い。
・日本はアメリカに比べると、平均2時間は生活時間が後ろにずれている。このライフスタイルを変えないことには、先に述べた朝の出勤風景も変わらない。
・日本人は従来のサラリーマンのメンタリティを捨てる必要があると思う。従来のサラリーマンのメンタリティとは、9時から5時までなんとなく仕事をしているふりをして残業代を稼ぐというしみったれた根性である。
<英語学習―35歳を過ぎても語学は上達する!>
・「再起動」の準備のために何を勉強するのか?21世紀のビジネス新大陸で生き抜くために必要なスキルは、IT、語学、財務だと私は、考えている。この三つのうち、30代後半~40代の中堅世代が最も苦手とするのは、おそらく語学だろう。
・実際、私自身も日立製作所を辞めてマッキンゼーに入った直後は、英語のプレゼンテーションがなかなかうまくできなかった。もちろん、学生時代に通訳案内業のアルバイトをやり、アメリカに3年間もいたのだから、英語そのものができないわけではない。ビジネス英語でのプレゼンテーションがいかにもうまくいかないのである。
<日本人の英語力が「世界最低」なのは教育方法に問題>
・中欧・東欧諸国でも、英語ができれば給料が2~3倍の外資系企業で働けるということで、英語を学ぶ人が急増している。ところが、日本だけは英会話学校の生徒数が年々減少しているのだ。もともと日本人は英語が下手くそである。TOFEL試験の平均点数も悪く、日本は世界214か国中197位、アジアでは北朝鮮と並んで最下位だ。
<住宅―都心の“割安”賃貸が狙い目>
・もっと根本的にサラリーマンがコストを削減するためには、拙著『遊ぶ奴ほどよくデキる』でもふれた「人生の3大経費」を大幅にカットしなければならない。「人生の3大経費」とは、「住宅」と「子供の教育」、そして「クルマ」にかかる経費である。
<ビジネス新大陸では「社員の定着率」で会社を計らない>
・ビジネス新大陸におけるエクセレントカンパニーの特徴の一つに、社員の人員削減に対する姿勢が挙げられる。
・要するに、大手の日本企業は発想が間違っているのだ。入社した人間は全員残っているべきだと思うから、新入社員の3割が辞めると焦ってしまう。しかし、発想を逆転させれば、入社した人間が全員残っている会社は不幸である。優秀でもないのに全員を置いておくのは、そもそも無理なのだ。しかも新大陸ではその学生が優秀かどうかはいわゆる「よい大学」を出たかどうかとは全く関係がない。だからこそ、大量に採用して不要な人間は早めに辞めさせるべきであり、定着率で会社を計るのは間違いだ。
<経費削減“ケチケチ運動”をするのはダメ会社の典型>
・希望退職や早期退職を募った会社に残った人は、たいがい割を食っている。私が知る限り、辞めて後悔した人と残って後悔した人では、後者が圧倒的に多い。
・つまり傾いた会社が単なるリストラで甦る可能性はほとんどないのである。
数百社の会社を分析してきた私の経験からいって、反転する確率は10%以下だろう。
・リストラには、もう一つの問題として「エレベーターの論理」がある。エレベーターは定員オーバーになってブーッとブザーがなったら最後に乗った人が降りる、いわゆる「後乗り、先出し」というやつで、リストラも同じ、人員削減を進めていくと、後から入ってきた新しい人が先に辞めて、コストの高い古い人だけが残る。平均年齢が高くなり、組織に活力がなくなる。だからリストラをやればやるほど会社はおかしくなっていく。
『週刊 エコノミスト』
毎日新聞社 2014/1/4
<英語と経済、世界のGDPの25%を占める英語圏>
・英語を第一言語として話す人は世界に約3億人強のスペイン語とほぼ同数だが、世界最多の中国語に比べれば4分の1に過ぎない。
・しかし、言語が持つ経済力「言語総生産」をはじいてみると、全世界の国内総生産(GDP)の4分の1に当たる21兆ドルをたたき出していることがわかる。
・「世界の人々の9割の人が英語を理解できない」英語以外の言語を習得することで広がるチャンスに目を向けたい。
<他の言語を受容して進化。英米の覇権と結合して地位築く>
・母語としての話者が最も多いのは、13億人の中国語で5億人程度の英語は、2番目であり、第2言語として使用する人口を加えても英語の使用者は10億人に満たない。
・世界の総人口が約90億人だから、10億人でも非常に多いことに変わりはない。
・英語が世界語となり得たのは、他の言語の影響を受容して変質する言語としての自由さと、世界進出を目指した英米の自由な気性にある。
<高まる英語の経済価値 増える話者がさらに押し上げ>
<世界で日本で、英語覇権はどれだけ強まっているのか。最強言語の強さを知る>
・世界各国の街頭広告でも、英語の使用が増えている。また世界各地で英語教育の低年齢化、つまり英語の早期教育が盛んになっている。
・旧ソ連の共和国では、民族語以外に学校でロシア語を学ぶのではなく、英語を学ぶ風潮もある。英語覇権はここまで及んでいる。
・その結果、今や英語を使えるかどうかで人が評価される。
・英語の母語のネーティブが世界を支配し、英語を第2言語とする人がその下に位置し、外国語として学校で習得した人がさら下位にある。英語を解しない人は沈黙の下層階級になる。この階層差を生むのが経済だ。
・もはや英語嫌いでは日本は生きていけない。
<英語の独壇場 世界の金融を支配したアングロ・サクソンの母語>
・英語を母語とするアングロ・サクソン諸国が金融業において圧倒する力を持つに至り、金融界では英語が不可欠となった。
・世界の金融市場では英語が共通言語だ。
<宗教と密接な関連>
・シティグループの英語も話が通じるというレベルでは通用せず、英語で相手を説得でき、駆け引きが使えるレベルが要求される。この条件はシティグループに限らず、グローバルに展開している欧米の金融機関に共通している。つまりグローバル金融市場で活躍するには高度なビジネス英語が不可欠となっている。
・英語が金融界で幅を利かす最大の理由は、英語を母語とするアングロ・サクソン諸国が金融業において圧倒的な力を持つからだ。
<金融では英語は不可欠>
<英語の制度が後押し>
・ニューヨークは自国の経済規模と金融市場の規模が圧倒的に大きいため20世紀に入って、国際金融センターとなった。
・世界の学術、研究調査、教育の共通言語も英語だ。このため、知的コンテンツの分野では圧倒的に米国と英国が強い。例えば、ノーベル賞受賞者数は、12年まで歴代合計863人だが、国別では1位の米国326人(全体の38%)、2位英国(108人(13%)と、両国で全体の50%を占める。
・今後も、グローバル化とIT技術の進化によって、英語の重要性は一段と高まるであろう。グローバル時代には英語は知的コンテンツと不可分の関係となっている。金融市場におけるアングロ・サクソン諸国の優位性は一段と高まると考えられる。
属国以下から抜け出すための新日本論
日米問題研究会 現代書林 2005/8/23
<言語;英語が公用語になって日本語は使えなくなってしまうのか?>
・日本がアメリカの一員になると、英語が公用語になるのではないかと心配する人がいるだろう。しかし、州化されても必ずしも英語を使う生活が始まるわけではなさそうだ。
・意外に思われるかもしれないが、今のアメリカ50州を見てみると、何らかの形(制定法、州憲法修正、拘束力のない決議など)で25州が英語を公用語と宣言しているが、反対に英語を公用語としないことを決議した州や公用語化を違憲であると判決した州もある。そういった面でも各州の独自性がはっきりと表れている。
・ハワイ州などでは、事情が少し異なる。ハワイ州では州憲法第15章第4条で「英語とハワイ語がハワイ州の公用語である。ただし、ハワイ語は法の定めがある場合のみ、一般法律および取引行為に適用される」とし、英語と並んでハワイ語を州公用語として認めている。
・ニッポン州で英語を公用語にすると間違いなく大混乱をきたすから当面のところ英語は公用語にならない。
・オンリー派は日本語だけをやればいいというグループで、プラス派は、日本語を中心に、生活での英語の使用範囲をもう少し広げようとするグループだ。現在の日本でも英語学習がかなり浸透しているし、ビジネスなどでは英語が必須になっている点から考えると、プラス派が優勢になるだろう。
・ごく一般の生活をしている限り、英語が理解できなくても特別の不都合はない。しかし、州政府レベル以上になると話は違ってくる。州知事を始めとするニッポン州政府の主だった立場の人間は、英語での意思の疎通が条件になる。英語が話せないと、連邦政府との関係上、政治や行政、裁判を進めていくうえでも支障が出てしまうからだ。ここで新たな階級社会が始まるとも言える。つまり英語で情報を得られる層と、得られない層で情報階級社会が促進する。
『なぜマッキンゼーの人は年俸1億円でも辞めるのか?』
田中裕輔 東洋経済新報社 2012/6/15
<限られた時間の中でMBA合格を勝ち取れるか>
・さぁ、大変なのはここからである。MBAに留学するのならば翌年の1月上旬、つまりあと9カ月後には出願を終えなければならない。もちろん、その次の年に持ち越すのも可能だが、性格上、1年9カ月後の出願のために地道に頑張れる気が全くしなかった。
<やるからにはMBAもマネジャーも実現させようと心に強く刻んだのである>
・どの学校も学生の国籍に偏りが出ないよう「留学生枠」や「日本人枠」を持っていて、良い学生がいればどんどん合格通知を出していく。そのため枠が埋まる前に合格を勝ち取らなければならないのである。
・MBAの出願にあたって提出しなければならない主なものは、以下の通りである。①TOFEL(トップ10スクールと呼ばれる学校ならば、CBTで267点以上が望ましい。最低でも260点台)②GMAT(同じく、700点以上が望ましい。最低でも600点台後半)③各学校の課題作文(志望理由など)④上司などからの推薦文(各校につき2、3人)⑤英語の履歴書⑥大学の成績表(できればGPA換算値で3以上)
・大きな障壁は①、②のいわゆるテスト。そして何気に時間を取られるのが③の課題作文の提出である。テストに関してはTOFEL・GMATともに、日本では最も一般的なTOEICと比べても遥かに難しい。特にGMATは、アメリカ人を含めて英語ネイティブの人も一緒に受ける試験なので僕にとっては頭痛の種だった。
時は既に4月。「独学している余裕なんて無い・・・」、そう思うや否やプリンストン・レビューというMBA試験対策で有名な塾に申し込みをした。
・仕事も最高潮に忙しくなった。山梨さんには怒鳴られるわ、クライアントから怒鳴られるわ、チームメンバーから不満は噴出するわで、毎日が「前門の虎、後門の狼」状態。
そんな中、9月には初めてGMATも受験したものの、予想通り、これまた散々な結果だった。800点満点中580点台。目標まで100点以上もビハインドしていた。
・シャドウイングとはその名の通り「影」になることである。まずは英語のスクリプトを記憶する。そして片耳でそのスピーチを英語で聞きながら、全く同じスピードで「影」のようについていきながらスピーキングするのである。
・アメリカのトップ10スクールに絞って、スタンフォード、ペンシルヴァニア(ウォートン)、MIT、コロンビア、シカゴ、ダートマス、バークレーと合計7校に出願した。
・いよいよ余裕も無くなってきた2月、突然「ノイローゼ」が再燃する。原因不明の体調不良が続き、鼻水が止まらないし頭も冴えない。大学受験の時の1回目、就活の時の2回目に続き、人生3回目のノイローゼだった。俺は本当に繊細な人間だな・・・・この時は何だかおかしくもあった。
・僕は考えた。何が差別化になるのか。マッキンゼーという経歴はMBAでは強い。毎年、ハーバードMBA卒業生の希望進路が公表されるが、マッキンゼーは常に1位か2位。そのためのアドバンテージがあることは間違いない。しかしそれだけでは十分な差別化にならない。ここで僕は芽生え初めていた起業の想いをぶつけることにした。「今はマッキンゼーにいるが近いうちに起業する。今、考えているのはベビーシッターや家政婦の派遣業。ベビーシッターや家政婦に対するニーズは強い」
・マッキンゼーの研修の参加者の多くはヨーロッパかアメリカのオフィスから来ていたため、僕は英語についていくので精一杯。「MBAに行ったらこんな日が毎日続くのか・・・」、若干、憂鬱になったが、まだ受かっていない。杞憂にならないよう受かってから悩むことにした。
<経営コンサルタントにとってのMBAの価値>
・では真面目に「MBAに行く価値はあるのか?」と問われれば、僕の答えはNOだ。その理由はやはり費用対効果の低さにある。
・それではMBAに行ったことを後悔しているかと言えば、これも答えはNOである。僕はMBAに留学して本当に良かったと思っている。
・しかし、この費用に見合うクオリティの授業はほぼ皆無だった。本を読めば書いてあることばかりで、少なくとも僕は尊敬するような先生には出会わなかった。卒業後1年経った時に色々な授業を思い返したが、本当に役に立っているのは「ネゴシエーション(交渉)」の授業のみ、他は正直、全く役に立っていない。これはUCバークレーに限らず、他のトップスクールでも同様ではないだろうか。
ではなぜ、皆がMBAに行きたがるのか。それは単純に「履歴書に書けるから」である。
・また海外の学生、特にアジアや南米からの留学生の場合、MBAを卒業したら1年間は誰でも「OPTビザ」でアメリカで働けるし、そこで成果が認められれば「H1ビザ」で、アメリカの一流企業で長年働くこともできる。このリターンがあるため、授業の質が低かろうと皆こぞってMBAに留学するのである。
『2050 老人大国の現実』
超高齢化・人口減少社会での社会システムデザインを考える
小笠原泰 渡辺智之 東洋経済新報社 2012/10
<実質GDPは現在より4割落ち込み、国税収入のほとんどを貧しい高齢者の生活保護で使い切る>
・2025年には団塊の世代が後期高齢期に入り終える。2050年には団塊ジュニアの世代が後期高齢期に入り終える。このままでは、その時、実質GDPは現在より4割落ち込み、国税収入のほとんどを貧しい高齢者の生活保護で使い切る。
・国家の役割を限定し、国が提供するサービス、国家と個人の関係を見直さなければ、社会保障制度の破たんは避けられない。そのような大改革を、国民は英断しなければならない。
・それは、「社会保障制度の維持には、国民が分配するパイの拡大が必要であり、人口が減少する高齢化社会を迎えても、具体的方法は分からないが、日本経済をなんとか持続的経済成長軌道に回帰させ、それが低成長であれば、それに応じて現行の社会保障制度の見直し(最低限の給付削減)をはかることで、現行の問題が、運がよければ結果的に発展的解消していくことを期待して、それを目指す」というものではないでしょうか。
・2050年に向って確実に進行する中長期的危機に、これまでの延長線上の発想で対応しようとしても、まったく歯が立たないということです。
・本書が読者として念頭に置いているのは、2050年における日本の状況を、自分自身の問題として、受け止められる、あるいは、受け止めていかざるをえない、という意味で当事者である若い世代の方々です。
・そもそも、平均寿命が80歳を超え、90歳の声を聞こうかという超高齢化社会では、人間の人生設計(いくつまで働くのか)そのものが、これまでとは大きく異なることを、高齢者も含めて社会が強く認識すべきであるのです。
<次なる波動の団塊ジュニア世代の現実とは>
・団塊世代に続く人口波動である団塊ジュニア世代(1970~1974年生まれ)ですが、確かにその数的インパクトは、団塊世代に比して、団塊ジュニア世代の状況は厳しいものがあります。事実、団塊ジュニア世代は、就職氷河期を通り、非正規雇用率が前の世代に比べて高く(年代別非正規雇用率(男性))、かつ、今後の経済成長が期待できないなかで、年功序列型の昇給制度は終焉を迎えています。
<2012年現在で、先頭が40歳を過ぎた団塊ジュニア世代の老後はかなり貧しい>
・このような大きな人口波動である団塊ジュニア世代が、後期高齢期を迎えるのが、2045年から2049年に当たります。
加えて、団塊世代が後期高齢期を迎え終えた2025年と団塊ジュニアが後期高齢期を迎え終えた2050年の高齢者の比率を比較すると、75歳以上が18.1%から24.6%(65歳以上は30.3%から38.8%)に上昇します。この高齢者比率の上昇に加えて、2050年に75歳以上を迎えている団塊ジュニア世代は、蓄えも乏しく、団塊世代のように豊かでないわけですから、社会保障制度への負荷は、人口規模によるインパクト以上に大きいと考えてよいといえます。
<見据える視圏は2050年>
・上記のように、経済成長の問題、人口ピラミッドと高齢者/現役比率の問題、団塊ジュニア世代の経済状況の問題など、多面的に見てみると、新たな社会システム設計のための日本のビジョンを構築するうえでの視圏としては、人口波動第一波の団塊世代のインパクトに着目する2025年よりも、総合的な負のインパクトがより大きいと想定される第二波の団塊ジュニア世代に着目する2050年がより妥当ではないかと思います。
・高齢者/現役比率が高止まりする2080年代は、ある意味で、日本社会の終着点ではあると思いますが、将来ビジョンの構築において着目するには先すぎるでしょうし、2050年の団塊ジュニアの波動をしのげなければ、そこまで、日本と言う国家は生き延びていないのではないかと思います。
・逆に言うと、団塊の世代に対して、思い切った施策を講じることができなければ、社会保障制度の抜本的改革などなにもできないということです。
<2050年の様相――2025年の後に控える悲惨な将来図>
・人類史上、これまで経験したことのない未曽有の超高齢化・人口減少社会を、先進国のなかで先頭を切って急速に迎えつつある日本が、本当の大きな社会的危機を迎えるのは、2025年に団塊世代が後期高齢期(75歳以上)を迎え終えるときではなく、団塊ジュニアが後期高齢期を迎え終える2050年ではないかと述べました。ここで、この将来を見据えることなく、社会制度も含めて、あらゆる問題の解決を万能薬の如く、持続的経済成長に頼る姿勢をとる一方で、既存の社会保障制度を、運用や小手先の、その場しのぎの部分修正で切り抜けようとする結果がどうなるかを、シュミュレーションしてみたいと思います。
<相変異を起こす高齢化した団塊ジュニア>
・2050年に至るまでには、以下のような道筋が想定されます。2025年に団塊世代が75歳以上を迎え、社会保障サービスのコストが急増しますが、その後も、団塊ジュニアが75歳以上となる2050年まで、継続的にコストは増加を続けると考えられます。現行の政治システムでは、高齢者への需給を抜本的に削減することは、高齢化比率の高い地域を選挙地盤とし、政治を家業とする国会議員にはできない相談なので、賃金上昇を期待し得ない現役世代の負担及び将来の世代へ先送りする負担は増加し、世代間格差は、いっそう拡大するでしょう。すなわち、高齢化社会の社会コストは、その財源の裏打ちに乏しいまま、上昇し続けることが想定されます。
・一方、高度成長の恩恵を受けた団塊世代とそれ以前の世代は、いつまで生きるのかという長寿化の不安を抱えることになります。つまり、マスコミを通じて、年金、介護、医療などの社会保障サービスレベルの低下(給付減と負担増)の問題が、繰り返し流されるなかで、社会保障制度へのぼんやりとした不安を抱え、測ることのできない余命に備えて、つまり、測れない医療コストや介護コストに備えて、必要以上の金融資産を蓄えることになります。
<現実的には、社会保障のサービスレベルは、徐々に低下していくことは避けられない>
・他方、これを支える税収を見てみましょう。2010年度の国税収入は、約38兆円です。前述したように、2050年の実質GDPは、約6割の規模になると試算されるので、税収も、その6割とすると約23兆円です。上記の単純計算によると、貧困高齢者への生活保護費は20兆円を上回り、国税収入のほとんどすべてを貧しい高齢者の生活保護で使い切ることになります。
・ここで挙げた2050年の日本社会のシュミュレーションが、もし、現実のものとなったならば、日本は間違いなく国家存亡の危機を迎えると心しなければならないと思います。
<求められる英断>
・特に、問題提起の端緒として、2050年ごろに大量の貧困高齢者が生まれる可能性が非常に高いことを共通認識とすることが重要です。
・いずれにせよ、今、我々は100年に一度の歴史的転換を迎えていると認識すべきでしょう。無責任な政治家と官僚に任せていては、日本は、貧しい高齢者の専制というポピュリズムの終着点に向かい、安楽死していくことになるのではないでしょうか。
『情報化社会の近未来像』 生活・組織・生命
野村恒夫 明石書店 2013/6/30
・「情報化革命」が始まって40年。我々はまだ、情報化社会の「とば口」にいるにすぎない。30年後には自由で豊かな社会に基づく「驚愕の生活」が実現すると説く、大胆な展望の書。
<食べ物と衣類>
<サラダ>
・作家でもあり、料理評論家でもある玉村豊男氏の著書によると、料理は基本的には3種類しかないという。焼き物、煮物、そしてサラダ(なまもの)である。
・そしてサラダとは「生食」の総称である。通常の野菜のサラダはもとより、刺身も漬物もアイスクリームでもみんなサラダの範疇と呼ぶ。さて、近未来人の食性、嗜好はどのような方向に向かうのであろうか。
・近い将来は、医学の発達とともに、長寿社会となってゆくことは間違いない。70代になっても、80代を超えても、恋をし、世界の各地を旅行し、スポーツに興じ、そして自己実現でもある仕事に没頭する。このような生き方が人々の価値観、人生観となっていく。今日でもその胎動ははじまっているが、そのために食事は健康志向となってゆく。そして、健康食とは、「サラダ」であるという規範が広まってゆくものと推測している。
・魚肉や卵やチーズやヨーグルトを少々摂取し、豆類や根菜類や緑黄野菜を十分に摂ると健康は増進することをみんなが理解してゆき21世紀社会の食事は野菜主体の食事、つまりサラダが主食となってゆくものと私は、独断と偏見で推測している。
<チョッキとスニーカー>
・服装の自由化とともに思想、思考も自由化され、旧来の規則や慣行や内部規範などに拘束されない自由な人間となり、鎖から解放されたイヌがその能力を十分に発揮できるのと同様、規約という拘束が解かれれば人間もその能力を発揮できるようになるのである。この思考の延長線上には個人の自由を表現する多様なファッションがあるだろうが、ここでは自由な服装の代表選手としてチョッキとスニーカー靴を掲げておきたい。
・もう一つ、世界に流行るファッションを挙げておこう。もうすでにその広範化は始まっているのだが、Tシャツや短パン、それにサンダルである。これはコストが安いことによって、だれもが気軽に身につけることのできる標準的ファッションになってゆくだろう。
<知象化の具現>
<ネット学習>
・「情報化は規約を緩和」するから、文部科学省―教育委員会―校長という規約によって構築されている序列ラインは、いずれは衰退するだろうと推測している。すでに教育は社会の情報化を背景にして、多様化自由化に走り出している。
・団体が衰退すれば、当然個人の時代、天才の時代となろう。そう、これからは個人の個々の資産を伸張する時代となり、個人が団結して生成する団体のパワーは減衰してゆき光り輝く個人がネットで織り接がれ、連携して社会の発展に寄与してゆくことになる。
・はやくも、中高一貫教育なども各地で開始され始めているが、小学校、中学校の9年間の一般教程の教育を8年間もしくは7年間で修了してしまい、個人の知的レベルをさらに向上させようとするものである。
・この「高卒認定」によって、16歳、17歳で大学へ入学する秀才たちも増えて来る。諸外国のように秀才を選定して特進させれば、秀才の資質はますます磨きがかけられ、このような秀才、天才たちによって日本の科学技術や商品開発やその他の分野で世界をリードする国家となれるはずである。
<このような学習の変化は、いずれは「ネット学習」に収れんしてゆくだろう>
・ネット学習は、まったくの個人指導であり、個人のレベルや能力や気力にも合わせて学習を進めてゆく。
<生涯学習>
・社会常識の規範、定義、慣行も緩和され、「少年だ」とか「老人だ」とかの差別もなくなってみんな平等になり、したがって、教育は青少年たちの特権ではなくなる。老人も年金制度が破綻すれば、呑気に隠居などしていられなくなって老いてなおスペシャリストとしての学習もはじまり、働いて自立の生活を強いられることになる。少年たちもバイトで生活費を稼ぐようになって自立の生活が始まり、これが「年齢と言う規範」が緩和されたインデペンデントな平等社会である。
・テクノロジーの進歩によって豊かな社会が創設されてゆくと「生きる事」が容易になってゆき、旧来の価値観であった金儲けや蓄財すらもが人々の支持を失ってゆく。
・今までと違って「生きる事」が安易になり「余暇時間」が増えると、定年退職をした人たちは、税理士、建築士、弁護士、医師などの資格を取得するために受験生顔負けの猛勉強をはじめ、英会話を学び、ダンスや料理などの学校に通い、スポーツ・クラブで汗を流す毎日となる。
・法科大学院が全国でいっせいに開校されたが、高い授業料にもかかわらず多くの中年サラリーマンが入学し未来の弁護士を目指して猛勉強をはじめている。
<バーチャル学習>
・ネット学習の長所はバーチャル・リアリティだろう。バーチャル・リアリティは現在我々の目前にあり、そのリアリティは年月の経過するほどに高度化し、我々の意識を非現実的な世界、仮想現実へと導いてくれるはずである。
<英会話>
・情報は国際化しつつあり、日本社会は英語に席巻されつつある。
・近未来においては、英語が日本の公用語になり(実際には、日本語と英語の2ヶ国語の併用公用語となろう)、やがて、いずれは、日本語は秋田弁や鹿児島弁などを包含する一方言になってしまうことも考えられないことはない。
・すでに楽天、ファーストリテイリング、日産自動車、日本板硝子などの企業で英語は社内公用語と規定され、会議も社内文書も社内会話すらも英語になりはじめている。
・インターネットでも英会話の個人指導が始まり、一人の教師が数人もの生徒の個人指導を同時にやってのける時代に到達している。
・そして、英会話の次にはいよいよ日本語そのものが英語にシフトしていく。
・そして、ある時期から若者たちが主語と述語とをひっくり返す文体にしはじめ、やがてそれは新・日本語となってゆき、それはもう英文そのものであり、やがてさらなる年月をかけて洗練されてゆき、日本語は英語の一地方語となって定着してゆく。
・30年経ち、そして50年が経過すると、国内でも若者たちが英語で日常会話をするようになり、日本語は少しずつ忘却されはじめ、そしていつしか日本語は古語となってゆく。若い人たちから日本語を忘却してゆき、大学で古語を選択した者は夏目漱石や芥川龍之介などの古文を、辞書を引きながら悪戦苦闘して翻訳している姿が目に浮かぶ。もしウソだと思うなら、あと50年以上生きることだ。
<組織のネット化>
<携帯民主主義>
・近い将来には、携帯電話による「直接民主主義」の時代の幕が切って落とされるだろう。
・「議員は、もう要らない」という時代がくるかもしれない。住民が携帯電話で政策を提案し、それをみんなでネットで議論する。そして、大多数の合意、もしくは、その政策を是認する理由が得られれば、政策は実行され、ここに人類史上はじめての直接民主主義が生まれる。
(2022/3/2)
『令和日本の大問題』
現実を見よ! 危機感を持て!
まもなく日本は大きな選択を迫られる。10年前の道がいまもあるとは限らない。いますぐ昭和・平成の成功体験を捨て去れ!そして、若者に席を譲りなさい!
戦争をしてはいけない。近づいてもいけない。グローバリゼーションから逃げてもいけない。迫る地震・災害を他人事にしてはいけない。不条理を許してはいけない。不合理を信じてはいけない。長寿を社会悪にしてはいけない。老人は若者の邪魔をしてはいけない。
<30年が一世代なのである>
・「世」という漢字には、30年という意味がある。30年が一世代なのである。本書は、これからの30年を我々日本人がどう生きるかをテーマとしている。
・新型は人類にとって未知の病原体であるが、その感染経路もワクチンの開発も遠からずはっきりするだろう。しかし、長期的に人間が頭に入れておかねばならないのは、新型細菌・ウィルスは、これからも現れ続け人類の脅威となることだ。したがって我々が将来にわたり目指すべきは、ウィルスの撲滅より「共生」である。共生のためにはウィルスを弱毒性へ導くことだ。
生物であるウィルスにとって宿主である人が死ねば、ウィルス自身も生きられない。容易に次の宿主が見つからない環境にあっては、強毒性のウィルスは生き残れなくなる。したがって、人から人への感染を防ぐことはウィルスを弱毒化し、人とウィルスが「共生」するための有効な対策である。
もうひとつは人類の免疫力を上げることだ。
・1941年8月、近衛文麿内閣は当時のエリートが結集した「総力戦研究所」の提出した、日本必敗のシミュレーションを「戦争はやってみなければわからない」と握りつぶし、イチかバチか賭けに出た。その結果が、あの悲惨な敗戦である。
我々は、日本の抱える問題からけっして目を背けてはならない
・「今度のアメリカ訪問で一番印象に残ったのは、老人がたくさんいて、それが皆矍鑠(かくしゃく)として、元気で働いていることであった。<中略>人間が健康で長生きしていることが、一番美しいことであった」
人は長寿社会を理想としてきた。そして、いまや100年の長寿を得ようとしている。長寿が問題なのではない。我々の知恵と、我々の社会が、いまだ医学的発展に追いついていないことが問題なのである。
こうした問題に取り組む姿勢と問題を乗り越える道を求めて、私は本書を執筆した。
<避けれない危機の上に日々暮らしていることを忘れるな!>
<大地震が必ず起きることを想定しろ!>
・1923年の関東大震災以来、関東ではそれほど大きな地震は起きていない。
・「過去100年に5回起きたということは、将来の100年で5回くらい起きる可能性はある」ということだ。だが平田教授は、いつ、どこで、どのくらいの地震が起きるかを予測することは不可能とも言っている。
世上、「首都直下地震」が起きる確率は30年間で70%と言われているが、それは首都圏のどこか、あるいは南関東のどこかでマグニチュード7程度の地震が起きる確率が示されているのだ。その根拠は「100年に5回ですから、30年に換算すると0.7回、つまり70%となる」ということだそうだ。
大地震は100年に5回起きているといっても、20年おきに起きているわけではない。100年に5回は事実でも地震が起きるのは不規則、だから、いつ「首都直下地震」が起きるかという予知は不可能なのである。
だが今後30年間で、マグニチュード7前後の地震が起きるというのは、統計からいって間違いない。日本が地球上最大の地震発生地帯にある以上、地震は避けられないのだ。
<最悪のケースで死者2万人、経済的被害額95兆円>
・では、被害はどの程度になると想定されているのか。内閣府が2013年に発表した「首都直下地震」の被害想定がある。首都直下といっても震源は一ヵ所ではない。考えられる震源は19ヵ所想定された。被害はマグニチュード7.3のケースで最大死者2万3000人、経済的被害額が約95兆円、建物の倒壊、焼失は合わせて最大61万棟とされている。
被害額は、日本の年間GDPの2割に近い。マグニチュード7.3でも、首都機能は完全に失われるだろう。我々は、そういう危機の上で日々暮らしているのだ。
内閣府は、マグニチュード8クラス(関東大震災級)の地震が起きたケースでも被害想定を出している。それによると、最悪のケースで死者7万人、経済的被害額160兆円、建物の倒壊、焼失133万棟となっている。
マグニチュード7クラスと8クラスで、経済的被害額に比べ人的被害や建物の被害が大きく跳ね上がるのは、現行の建物の耐震基準が、7クラスの地震にはある程度は耐えられても、8クラスとなるとそのエネルギーに耐えられないからだ。建物の倒壊が増えれば火災のリスクも高まる。
<日本は地震によってつくられた国>
・言うまでもなく日本は地震多発国である。世界で起きている地震の1割、マグニチュード6以上の地震では約2割が日本周辺で起きているといわれる。
日本で地震が多い理由は、国土の成り立ちに起因する。
・関東で起きると言われている「首都直下地震」は、マグニチュード7以上を想定しているが、その被害が甚大なものになることは疑いがない。
・首都直下地震と共に甚大な被害を懸念されているのが「南海トラフ巨大地震」である。
・研究によって、南海トラフを震源とする地震は、100年から150年の周期で起きていることがわかっている。前回の大地震(1946年の昭和南海地震)から、すでに73年が経つ。危機は迫っていると見るべきだろう。
南海トラフの地震では、過去マグニチュード8クラスの大規模地震が連続して発生している。安政東海地震(1854年)では、その32時間後に安政南海地震が発生した。昭和東南海地震(1944年)のときには、2年後に昭和南海地震が発生している。
大地震が心配されている「東海地震」は、この南海トラフを震源とする一連の地震のひとつである。
東海地震は、駿河湾から静岡県の内陸部を震源とし、マグニチュード8クラスが想定されている。この震源域では、1854年の安政東海地震から現在まで160年以上にわたり大規模地震が起きていない。
・南海トラフは、ひとたび地震が発生すれば、広い範囲で連続して大規模地震が発生する可能性の高い「地震危険地帯」なのだ。
・南海トラフ巨大地震は、静岡県から宮崎県にかけて最大で震度7、隣接する地域でも震度6強から6弱の揺れに襲われると想定している。
南海トラフ巨大地震で、もうひとつ心配されるのが津波だ。南海トラフ巨大地震で起きる津波は、最大で10メートルを超え、関東地方から九州地方にかけて太平洋側の広い地域が大津波に襲われる。
・2019年の試算では、地震と津波による被害が最悪の場合、死者・行方不明者は約23万3000人、建物の全壊・全焼棟数も約209万4000棟としている。
<10秒あれば被害者を10分の1にできる防災対策を考えよ!>
・実際、関東地方で見ても、マグニチュード4クラスの地震は毎月1回くらいの頻度で起きているし、身体に揺れを感じないマグニチュード3クラスでは、数日に1回程度は起きている。それほど日常的な自然現象である地震が、震災となるのは100年に5回ということである。
<行政は地震に弱い地域の防災対策を急げ!>
・現在、日本全国の建物の耐震化率は80%、東京都は耐震化率90%である。全国では残る20%が、東京では10%の建物が、何らかの事情で耐震化がなされていない。
<企業も防災の公的責任を担え!>
・各地域の企業には、社員の安全確保の次に、近くにいる震災遭遇者も一時的に収容するという公的な役割についても準備をしてほしいものだ。
<一度起きたことは続けて起きると考えよ!>
・温暖化による影響か、2000年代以降「50年に一度の大雨」と称される豪雨が、毎年のように日本を襲っている。
・日本では毎年のように、通常ではあり得ないような「記録的短時間大雨」が降っている。
・毎年起きている大雨、洪水被害を見ると、これが地震の引き金とならないか。杞憂と言われようとも大半の国民の五感、六感が落ち着かない。
<海水温上昇が生むスーパー台風>
・地震も豪雨も、構造的な「天変地異」の結果である。事実、九州北部は2009年、2012年、2017年と連続して豪雨に襲われている。
一度起きたことは、続けて起きると考え備えることが必要だ。
・これも温暖化の影響と見るべきだろう。
そして温暖化の続く限り、日本をスーパー台風が襲う確率は高まることとなる。
<水害は地形によって被害レベルがわかる>
・日本は、水害対策に長い年月をかけて取り組んできた。だが、もはや過去の対策があてにならないことがわかった。
そして「50年に一度」レベルの大雨は、毎年襲ってくる。
<平均気温が2度上がると食料確保が難しくなる>
・最悪のシナリオをたどった場合、世界の平均気温が2050年には2度、2100年には4度高くなると発表している。
<食料輸入価格の高騰は必至>
・先述のとおり現在の世界人口は約77億人だが、国連が2019年に発表した予測によれば、2030年に85億人、2050年には97億人、2100年には109億人に達する。
・もし、世界の人口増加に温暖化による気候変動が加わり、干ばつや洪水によって農作物が被害を受ければ、各国とも自国の食料確保を最優先にするはずだ。余剰生産はあっても、価格の高騰は必至である。
そのとき日本に、食料を十分に輸入できるだけの資金があるか。輸出に充てられるだけの食料生産量は世界にあるだろうか。日本は、食料輸入に見合うだけの国力があるだろうか。令和日本の大問題は多元連立方程式となるだろう。
<公衆衛生学の常識が通用しなくなる>
・温暖化のリスクはまだある。平均気温が2度上がれば、東南アジアや台湾で一般的な疫病が日本でも発生するリスクが高まる。
・疫病の種類が変化するということは、これまでの公衆衛生学は通用しなくなるということだ。
このときは蚊が日本の冬を越せなかったのか、翌年以降のデング熱患者は発生していない。だが、冬場の気温が上昇すれば日本でも繁殖する可能性はある。
<水資源の問題とは食料の問題である>
・先述の通り国連の人口予想では、地球の人口はいまから20年後には90億人を超え、2057年には100億人に達するとされている。
地球が、果たして100億人の食料を支えるだけ淡水の量を貯えているか。
<アメリカも中国も水資源の問題を抱えている>
・当然のことながらコロラド、テキサスの農業も「オガララ帯水層」の地下水に頼っており、アメリカ全体の農業生産量の3~4割が深刻な打撃を受けかねないのだ。
世界最大の食料輸出国のアメリカで、水不足が起きれば世界中が影響を受ける。
世界に影響を与えるということでは、中国の水不足も大問題だ。世界の約5分の1の人口を有する中国は、地理的に水の乏しい国である。
<21世紀は水を争う世紀になる>
・「20世紀の戦争が石油をめぐって戦われたとすれば、21世紀は水を巡る争いの世紀になるだろう」
・水を争うということは、食料を争うということだ。
このままでは温暖化と同様に、日本の食料確保を脅かすことになる。いまは飽食の日本だが、今後30年のうちに食料問題は必ず水問題として世界と日本に襲いかかってくる。
<人口減少社会の真実を直視せよ!>
<10年後、日本は大きな選択に迫られる>
・持続可能な日本社会の姿を求めて、この研究がはじまったのである。
答えを得るための方法として、日立製作所の協力を得てAIを活用したシミュレーションが採用された。まず149個の社会要因を設定し、2018年から2052年までの35年間で、約2万通りのシナリオが描かれた。
<日本の未来を左右する2つのシナリオ>
・2050年に向けた2万通りの未来シナリオは、まず2つの分かれ道にぶつかる。
・都市への人口一極集中が加速する「都市集中シナリオ」
・地方に人口が分散する「地方分散シナリオ」
都市集中シナリオでは、出生率の低下、格差の拡大、個人の健康寿命や幸福感の低下は進行するものの、人口集中による公的サービスの効率化によって政府の財政は持ち直す。
地方分散シナリオでは出生率が回復、社会的な格差縮小、個人の健康寿命や幸福感は増大するという未来が描かれた。
・広井教授たちのシュミュレーションによれば、10年後には「都市集中シナリオ」か「地方分散シナリオ」を選らばなくてはならないのだ。モラトリアムの時間はそう長くない。
<一極集中シナリオでは破局の確率が高い>
・広井教授によれば、「日本が持続可能であるためには、一極集中から多極集中に向かうべき」だという。多極化というのはドイツがそのモデルとなるという。ひとつの大都市に人も産業も集中するのではなく、国内に分散させるのだ。
<仕事はあっても収入は増えない>
・生産性の高い一部の業種で働く所得の高い労働者と、圧倒的多数の生産性の低いサービス業で働く低所得の労働者との間では、ますます格差が開く恐れがある。
・そうなると人口減少社会では、仕事はあるものの、働く人の収入は増えないままということも真剣に考えておかねばならない。
<収入減がもたらす不動産リスク>
・当初の計画通りに給与が上がっていかないと、生活は苦しくなる一方だ。その結果、ますます少子化に拍車がかかることも暗い予想として成り立つ。経済の原則通り、永遠に上昇するものは何もない。上がったものは必ず下がる。
<老朽化するインフラも将来世代へのツケ>
・今日でも、すでに高度経済成長期以降につくられた道路や橋、トンネルの老朽化が問題となっている。
この問題も、10年後、20年後にはさらに深刻化するはずだ。
国土交通省によると、日本全国のトンネルのほぼ半数、道路橋、港湾岸壁、河川管理施設の約6割、下水道管きょの約2割が建設から50年を超える。
・水道のみならず、1億2000万人の人口をベースに設計された各種のインフラは、ことごとくコスト割れを起こす恐れがある。
地方の公共交通機関もそのひとつであるし、公共施設も維持が困難になる自治体が出てくるはずだ。人口減少社会では、それらのコスト増も受益者自らが負担しなければならないだろう。
<君は、人がいなくなる風景を想像したことがあるか>
・つまり、これから20年から30年の間、人口減少は止まらない。我々は、この点から目を背けてはならない。
<寂寥(せきりょう)とした社会に人は耐えられるのか>
・2050年過ぎには日本の人口は1億人を切る。
・私はすでに80歳を過ぎている。毎年、親しい友人の何人かは鬼籍に入ってしまう。人に寿命がある以上、こうした事実は致し方ない。だが、私の周囲から少しずつ人が消えていくことによる、いずれやって来る陰気な喪失感は、私がいま現実に感じているところだ。
・いまから30年間で、この社会の人口が2000万人近く減る。その結果、日本の各地で、どれだけ寂寥感に満ちた光景が現れるか、想像してみてもらいたい。
年を追うごとに、想像以上の形で急速に自分の周りから人が減っていくのだ。
<人口減少が人の心に与える影響>
・人が減っていく中で生きることは、とても生きづらいのだ。
総務省の報告書では、2015年と比較して、2040年に人口が半減する自治体が400以上に及ぶ。暗く、人っ子ひとり目にしない活気を失った老衰した街を見たとき、老若男女を問わずこのままではいけないと突き動かされる気がするだろう。
・人口問題とは社会的、生物学的な条件のみで語られるべき問題ではない。人に心がある以上、人の心を無視して社会を語るわけにはいかないはずだ。
人の本質を深く理解し、人の本姓から人口問題を考えることも、残念ながら問題解決に必要な残虐なアプローチのひとつと思われる。
<日本はすでに急激な人口減少がはじまっている>
・このグラフでは、2010年に人口のピークを迎えた後、2050年頃に1億人を切り、滝の水が落下するように、ほぼ真下に向かって落ち込む様子がよくわかる。
・だが、このような激しい人口減少の結果、日本社会に何が起きるのかということになると、意外に多くの人がその深刻さを実感していない。森田教授によれば「たしかに人口は減るかもしれないが、そのときになったら何とかなるんじゃないか」と考えている人は多いという。そこまで楽観的ではなくても、まだ20年、30年先のことと事態を等閑視しているのだろう。
しかし、人口減少の結果起きる社会の変化は、ある程度推測されている。
総務省が2018年に発表した「自治体戦略2040構想研究会」の第一次、第二次報告には、主に自治体を中心に日本社会の20年後から30年後の姿が描かれている。
<20年後の日本の危機>
・総務省の「自治体戦略2040構想研究会」では自治体消滅の他に、2040年頃にかけての危機としては11の項目を挙げている。
(東京圏の危機)
1,東京圏は入院・介護ニーズの増加率が全国で最も高い。そのため医療・介護人材が地方から東京圏へ流出する恐れがある。2,東京圏には子育ての負担感につながる構造的要因が存在し、少子化に歯止めがかからない恐れがある。
(地方圏の危機)
3,地方圏では、東京からのサービス移入に伴う資金流出が常態化する恐れがある。4、中山間地域等では、集落機能の維持や耕地、山林の管理が一層困難になる恐れがある。
(経済・雇用の危機)
5,世帯主が雇用者として生活給を得るモデルは標準的とはいえなくなる。6,就職氷河期世代で経済的に自立できない人々が、そのまま高齢化する恐れがある。7,若者の労働力は希少化し、公民や組織の枠を超えた人材確保が必要となる。
(教育の危機)
8,教育の質の低下が技術立国として国際競争での後れにつながる恐れがある。
(都市インフラの危機)
9,多くの都市で「都市のスポンジ化」が顕在化。放置すれば加速度的に都市の衰退を招く恐れがある。10,東京圏では都心居住が進むが、過度の集中は首都直下地震発生時のリスクになる恐れがある。11,高度経済成長期以降に整備されたインフラが老朽化し、設備更新の投資を必要とする。そのため国民生活を圧迫する。
<大都市圏で孤独死が急増する>
・20年後の大都市圏には、85歳以上の高齢者が集中することになるのだ。
<隣人の孤独死に対する強い動揺>
・地域とのかかわりが薄いと、心配されるのが孤独死である。孤独死は、単なるひとりの人間の死去というだけではない社会への強いインパクトがある。
<街の未来の姿を決めるのは今しかない>
・同レポートでは、危機への対応策も挙げられているものの、高齢者の自助・共助、AIの活用、イノベーションの期待、働き方やライフスタイルの多様化、コンパクトシティなど、問題の解決にはこれといったものがない。
<都市インフラの危機>で挙げられている「都市のスポンジ化」とは、人口減少によって空き地や空き家が増える状態をいう。
<移住外国人の幸福に責任を持てるか>
・日本で暮らす在留外国人の数は、30年前の1989年には約98万人であった。グローバリゼーションが進む社会で、在留外国人が増えていくのは自然な成り行きといえよう。日本がよければ、どこの国の人であれ、日本に住むことは可能だ。一方、日本人の海外移住も増えている。
だが、労働力の補填を意図した移民政策は、自然な増加とは質の異なるものだ。
<166万人の外国人が働く日本>
・外国人を雇用する日本企業も増えて、厚生労働省の2019年10月の調査によれば24万2608事業所だ。前年同期比で約12%の増加である。外国人労働者は約166万人で、外国人雇用の届出が義務化されてから、過去最高を更新している。
<移民の定義が定まらない日本>
・在留外国人はいわゆる「移民」なのか。自民党の特命委員会による定義では、移民とは「入国時にいわゆる永住権を有する者」である。永住目的で日本にやって来る外国人が移民であり、一時的な就労目的の外国人は移民ではないとしている。
・移民大国のアメリカでは、永住権を持った外国人が移民である。
<外国人移住者受け入れで世界第4位の日本>
・OECDの移住者の定義は、「有効なビザを保有し、90日以上在留予定の外国人」としているため総務省の在留外国人総数とは数字が異なる。
日本への移住者数は、以前からOECD35ヵ国中では常に上位にランキングされていた。2010年から2011年は7位、2012年から2014年は5位である。
<日本にやって来る外国人も、我々と同じ人間である>
・「我々は労働力を呼んだ。だが、やって来たのは人間だった」
移民問題が取りざたされるようになって、よく聞く言葉である。
・日本にやって来た外国人が日本で信頼を得て、彼らも日本を信頼すれば、彼らの何割かは日本の地域社会になじみ、その一員となるはずだ。労働力としてやって来ても、そのうちの何割かは「移民」、一部は「国民」として日本の社会を構成することとなる。
<これからの30年、日本の周辺で起きること>
・グローバリゼーションは世界の流れだ。しかし排外主義の台頭、イギリスのEU離脱など反グローバリゼーションの動きも激しい。未来は不確定である。それでも事実を正視すれば、自ずと未来は見えてくる。
<2049年、アジアに巨大な民主主義国が誕生する>
・中国は、やがて巨大な民主主義国にならざるをえないだろう。
私は、これまでずっとこう言い続けてきた。民主主義国家中国の誕生は、中国建国100年に当たる2049年あたりのことになるだろう。つまり短いようで長い30年後である。これからの30年の間に、アジアに巨大な、いままでと同じでないにしろ、合法的な形をもった新しい民主主義国家が現れるだろう。
<香港で起きているデモは中国でも起きる>
・私は、香港で起きたような民主化要求のデモが唯一の音色とは思わない。時と文化、風土により異なるのは当然で、やがて中国国内のあちこちで民主化の動きは起きると考えている。
人はパンを求めているうちはペン(民主主義)には鈍感だ。しかし、十分にパンが手に入るようになれば、必ず権利に目覚め、自由を求めはじめる。
<中国は6つの州の「中華人民合衆国」となる>
・「パンはペンに勝る」という法則でいえば、中国はいわば自力でパンを手にするところまできた段階である。やっと自力で立ち上がることができた人に、すぐに走れと言っても、走れるはずはない。走る前に歩くことができるようになることが肝心だ。
性急な民主化は、多くの発展途上国で失敗に終わっていることを見ても、中国の民主化には時間をかけなければいけない。
・「ユナイテッド・ステイツ・オブ・チャイナ=中華人民合衆国」が、妥当な民主中国の形である。USAならぬUSCが民主主義国家中国の落ち着く先だろう。
たとえば、6つのステイツ(州)と中央政府で国をまとめ、運営していくのである。これが私の考える民主主義国家中国の姿だ。
中央政府は各州の政府に権限のほとんどを委譲し、自治を進め相互の発展を促す。
<中国を知らない人の中国脅威論>
・日本人の持っている中国政府に対する印象は、非民主的で覇権主義の国というものかと思う。北朝鮮に次ぐ危険な国という扱いだ。だが、中国自身は一度も覇権主義を唱えたことはない。
<中国は巨大なホールディング・カンパニー>
・多くの日本人にとって、中国はよくわからない国だ。しかし、見方を変えてみると中国のシステムは、日本でもなじみのある持ち株会社のシステムに近いと私は考えている。
<越えなければならない人権問題>
・中国にとって組織のようで組織化されていない、権限も責任もない少数民族問題は、世界的な批判を受けやすい頭の痛い問題だ。
・中国が民主主義国となるまでの30年に、民主化は徐々に拡大していくだろう。同時に少数民族の自治権も徐々に拡大するはずだ。
しかし、問題の解決には時間がかかる。パンの時代が終わりペンの時代になるころだ。これらの問題は、先進諸国や隣国の我々にとっても高みの見物は許されない問題である。アメリカとは異なった形で、14憶の民の人権のあり方を考えることも、対等のパートナーとしての日本の役割であろう。
<30年後の中国は日本のパートナーか、敵対国か>
・中国にとって、最も重要なのは経済成長政策である。それは、これからの30年間も変わりない。経済成長のためにはグローバリゼーションでなければならない。
・グローバリゼーションが国是であるのは、日本も同様である。これもまた、今後30年変わらない。
では、30年後の日本のパートナーはどこの国か、というのが多くの人が関心を寄せる話題である。だが問題の核心は、日本の主要な経済パートナーがどこの国かよりも、30年後の日本に、どこの国とも良好なパートナーとなれるだけの経済力と国力があるかである。
<輸出先も輸入先も中国がトップ>
・しかし、経済的な関係だけを見れば、日本はすでにアメリカと中国の両輪なしではやっていけないというほうがより事実に即している。
<ASEANという成長株>
・現在、世界で最も大きな経済圏はEUである。しかしEUの成長率は低い。経済成長率では、何といってもASEAN(東南アジア諸国連合)だ。
<中国が嫌いでも引っ越しはできない>
・私はアメリカ、中国とも、経済面では紆余曲折はあれども、今後の30年の間にはグローバリゼーションの基本原則に戻り、双方の経済発展を優先することになると考えている。それがビジネスであり、そうでなければビジネスは成り立たない。
現実の経済関係では、アメリカと中国の関係は遠くて近い。
<冷静な目で世界を見るときだ>
・これからの30年、日本社会にとって好材料はほとんどない。問題だらけである。その中で、日本にとり経済的にわずかにチャンスがあるとすれば中国とASEANの巨大な市場だろう。せっかくのチャンスを狭量で、偏った価値観のためにむざむざふいにすることはない。
中国が嫌いな人でも、中国は「有望な得意先」であると、せめてアメリカの半分でも歩み寄ることを試みるべきだ。
<平和でなければ、中国の投資資金は水泡に帰す>
<2049年までに製造強国を目指す>
・ステップ1が、2025年までに製造強国の一角に加わる。ステップ2は、2035年までにその中位に位置する。ステップ3が、建国100年の2049年までに製造強国のトップグループに昇りつめる。これが「中国製造2025」で示された目標である。
<重点プロジェクトより重大な経営イノベーション>
・製造技術、環境技術、AI技術のイノベーションと充実をうたっているが、私は「中国製造2025」に最も必要なのは、「経営イノベーション」と考えている。経営者が先進国並みのマネージメントができなければ、中国は「巨大な技術二流国」で終わりかねない。
<ファーウェイを叩く前にファーウェイに学べ>
・5Gとは5th Generation の略で「第5世代移動通信システム」とも呼ばれる。4Gに比べて7倍のデータ量を通信できるし、100倍のスピードで処理するという。
<5G先進国中国を認められない人々>
・反中派といわれる人の中には、中国にはものづくりの技術がないから、情報通信機器の技術は盗んだり、技術者を買収して得たものだと、ピントの外れた議論さえある。
中国はすでにネット通信大国、電子マネー大国である。
<ファーウェイの本当の強み>
・令和日本を考えるとき、重要なのはファーウェイの特許の数でもなく、留学生や研究者を通じて技術を盗むなどという問題でもない。注目すべきは、ファーウェイが多額の資金を投じて有能な技術者をたくさん確保・育成しているということだ。
・中国の主要都市では、いま技術者の獲得競争が激化している。報道によれば、技術者はA人材からE人材にランクされ、世界的にも有名で実績のある人はA人材、最下位のE人材は大卒、あるいは修士号を持っているというだけの人である。
・ファーウェイを排除することよりも、ファーウェイを凌ぐ道を、単独では難しいとしても、日本の生き方を真剣に考えることのほうがずっと大事である。
<グローバリゼーションがあってはじめて、日本人の平和と生活は守られている>
・これからの30年間も、2020年初頭に発生した新型コロナウイルスの世界的な感染拡大のような事件は過去を振り返れば、今後も第2、第3と起きるだろう。
・これからの30年も、日本の立ち位置は平和と貿易、これらをなくして日本の維持・発展はあり得ない。
相手がたとえ北朝鮮であっても、いずれは、やはり仲よくやっていくということが、日本の地政学にも、絶対に離れられない国是だ。
<アメリカ・ファーストは昔から>
・それぞれ自国が第一なのだ。こんなことは、普通の国ではごく当たり前のことである。アメリカ・ファーストは、トランプ大統領の保護主義的側面の表れという批判もあるが、どの国も自分の国益が第一であることは疑いのないことだ。
・アメリカ・ファーストやブレグジットをもって、反グローバリゼーションと片づけるのは、やはり過剰反応なのではないか。
今後の30年を考えれば、グローバリゼーションは世界の理性、各国の国是というべきものだ。とりわけ技術革新や地球環境を考えれば避けられない世界の動きである。
・日本にとっても、北極海航路の経済的利益は大変なものになるはずだ。北極海航路は温暖化の結果だが、このルートを利用すれば日本とヨーロッパの間も、10日程度の行程が短縮できると見られている。
<世界は米中という二極で動く>
・大統領が何と言おうとアメリカは、これからも世界第1位の軍事大国であり続けるだろう。しかしそのアメリカは、世界の警察官の立場から降りようとしている。いや、降りている。
<異なるサイズの両輪で走る世界>
・とはいえ、これからの世界がアメリカと中国という両輪で動いていくことは疑いない。両輪といっても、アメリカと中国は同じ大きさではないことに注意すべきだ。
<戦争を起こしてはならない、それが日本の国是だ!>
・一国の脅威とは「攻撃能力×攻撃の意思」で表すことができる。攻撃能力はあっても、攻撃の意思がなければ脅威とはならない。
<米中に潜む戦争の危機>
・これからの30年、世界はアメリカと中国の両輪で動く。
とはいえ、先述の通りしばらくの間は、車輪のサイズはアメリカが圧倒的に大きい。それでも30年を経れば、やがて中国はアメリカと並び立つ大きさになるだろう。
中国の力がアメリカと並び、アメリカを追い越しそうになったときが、戦争危機は頂点となるはずだ。
「トゥキディデスの罠」のように、覇権国アメリカと新興国の中国が衝突するのは、両輪の大きさに差がなくなるタイミングで、両国の緊張感は否応なく高まるであろう。
<中国の崩壊は日本の危機>
・ビジネスでは巨大企業が倒れれば、取引先の連鎖倒産が起こる。もし中国が崩壊すれば、日本が倒産しかねないくらい多方面からの影響がある。
・これから30年の間に中国は、ソ連のように崩壊するだろうか。
私はの可能性は低いと考えている。中国の歴史は統一王朝の歴史である。分裂していた時代は、その間の混乱時代であり、中国はひとつというのが中国人の歴史観だ。
<令和の若者に告ぐ!>
・令和日本のネガティブリストの筆頭に、「戦争をしてはいけない、近づいてもいけない」を挙げたが、意に反して日本はどんどん戦争に近づいているよう見える。
歴史は繰り返すというが、繰り返しているのは人間である。
・そういう意味でも、世界のどの国であれ、記録という真実の姿を墨で塗りつぶしたり、焼却したりするのは「国賊」「非国民」以外あり得ない。政治家、役人の罪の重さは「万死に値する」ものだ。
<頭脳に投資せよ!>
・質で勝負するのは、設備ではなく人間の頭脳に投資して生産性を上げるしかない。
・世界と対等にビジネスをするのは、コミュニケーション能力がいる。詩歌文芸の文化感覚力(日本語)でなく、デジタル、主格・目的格の明確な語学力(英語)は若者にとって欠くことのできない、これからの大きな道具のひとつなのだ。
<日本株式会社でいけ!>
・企業は、とかく若者を労働力と見がちである。人口減少とは、労働力不足の問題とだけ捉える政治家や役人、経営者ばかりでは人口問題の解決は覚束ない。若者は一企業の労働力ではなく、日本の財産だからだ。
<世界に共通するベターを探せ!>
・世界ではアメリカの民主主義がよいか、中国の社会主義がよいかで揺れている。アメリカがよいか、中国がよいか、その答えは「どっちもベストにはならない」である。社会システムにベストはない。あるのはベターだけだ。
<戦争以外ならOK>
・何十年と変わらない日本。令和の30年もそうなるのか。もういいかげんにせい!
令和の君達は、戦争以外なら何でもOKという「ヨコ」との連係・研究・自由というネガティブリストで、激しい挑戦力と調和精神を失わず、「死ぬまで努力する」つもりで、身体も金も、若い君たちのいまの財産をかけて思い切りやってみる勇気と決断力をもて!
その若さで老人のように将来の金や体力の計算はするな!
(2022/1/14)
『「強い日本」をつくる論理思考』
データを重視しない議論に喝!
デービッド・アトキンソン、竹中平蔵 ビジネス社 2021/8/4
<「論理思考」が欠落した日本>
<世の中の理不尽なこと>
・考えてみれば、今の日本の社会には、確かに不条理と感じることがたくさんあります。私は長年、経済の問題を中心に政策の研究をしてきました。そして小泉内閣の5年5ヵ月、政府の経済政策の責任者として仕事をしました。
その間、「これはおかしい!」という問題のいくつかを解決するよう取り組みました。不良債権の処理や郵政民営化などが代表的な政策の成果ですが、その過程では多くの反対に遭いました。バブルが崩壊した後はバランスシートを調整するのは論理的に当たり前の話で、多くの国でこれを行ってきました。
そして民間でできることは民間でやるのも、論理的に考えれば当然の話です。
・そしてこうした問題の根底にある省庁間の「縦割り」解消を、まず実行しようとしています。
<論理的に考えない人>
・少し考えてみましょう。世の中にこのような理不尽なこと、納得できないおかしいことが、なぜ解決できないまま放置されてきたのでしょう。
この対談を通じて、私は以下のような三つの理由があると感じています。
第一は、極めて基本的な問題として、残念ながら今、国民一人ひとりが、社会の問題をしっかり論理的に考えていないのではないか、という点です。例えば、昨年来世界をそして日本を悩ませてきた新型コロナウイルスの問題です。
日本ではしきりに「医療崩壊の危機」という言葉が使われます。
・しかし「論理的に」考えれば、これはおかしな話です。なぜなら、日本は人口あたりの病院ベッド数が世界一多い国です。
・しかし多くの人々はこの問題を無視し、感染者数が増えたか減ったかという表面的な現象に目を奪われてきたのではないでしょうか。要するに一人ひとりがもっと問題の本質を捉え論理的に考えることが、社会を良くする基本条件だと思います。
・「日本の大学(とくに文系)を出た人の論理的思考力が、あまりに低いことに驚いた」
<既得権益者の抵抗>
・社会全体として、さまざまな重要問題(コロナ問題、財政問題、格差問題など)の本質を捉え論理的に考えることを阻んでいるもう一つの要因があります。それは先に述べたように、今の「おかしな」制度で特別な利益を得ている企業や個人が存在し、彼らが論理的に正しい政策を妨害することです。
<世論の移ろい>
・論理思考に基づく政策や制度がなかなか実現しない第三の要因は、世論の移ろい易さです。もっと具体的に言うと、甚だしく論理思考にかけたワイドショー、それを面白おかしく拡散するSNSによって、かつてなかったほどに世論にバイアスがかかり易くなっているという事実です。
<日本を強くしたくない「既得権者」との戦い>
<「世の中を変えたくない」人たち>
・2020年10月、菅義偉内閣の成長戦略会議の一員となって以降、私は日本の経済成長に向けて、さまざまな政策提言を行ってきました。その中で痛感したのが日本には既得権益を守りたい、世の中を変えたくない人たちが、いかに多いかということです。
日本経済はこの30年、まったく成長していません。給料も上がらず、貧困者数が激増して、国の借金は増えるいっぽうです。少子高齢化は今後さらに進行し、生産年齢人口が減っていくのに対し、高齢者の増加による負担は増えていきます。これを放置すれば10年後、20年後の日本は、さらに深刻な状況になります。
これを解消するための唯一の方策が生産性の向上で、中でも重要なのが日本企業の99.7パーセントを占める中小企業の生産性を高めることです。
<誰が経済成長を妨げているのか>
<世界のインフレ率の低迷と労働分配率の劇的な低下>
・また世界的な流れとして、企業は労働分配率を下げる一方で、その分だけ設備投資を増やしていないので、貯蓄を劇的に増やしています。結果として起きているのが、企業の設備投資が相対的に減ったことによる内需不足です。
・日本では、内部留保を問題にする人が多いですが、正しく評価すると、結果として内部留保が悪いのではなくて、内部留保がたまるメカニズム、その原因にこそ対策を打つべきです。
<所得が低下する中での再分配機能を考える>
・お話を伺っていて、とくに重要だと感じたのが、世界的に労働分配率が下がっていることです。
・投資機会が減少しているのに、貯蓄はある。すると貯蓄と投資を均衡させる実質利子、つまり自然利子率を計測すると、なんとマイナスになっている。これは極めて深刻な、世界的な長期的停滞の過程に入っていく可能性を示します。それがここへ来て、現実に現れてきていると思います。
・それが最低賃金の引上げなのか、ベーシックインカム(最低限生活保障)みたいなものなのかさまざまな考え方があります。所得再分配をやりながら財政を正常化させていく。これが、これからの重要なポイントになると思います。
ただし日本の場合、富裕層に対する税率が極めて高いという問題があります。すでに55パーセントになっていて、さらに上げるとなれば富裕層は海外に出て行くでしょう。日本の税制の特徴として、中間所得層の税率が非常に低いことがあります。中間所得層にもう少し税金を払ってもらい、それが低所得者のところに行くのが、本来あるべき所得再分配です。しかし政治的にこれは非常に難しいのです。
<まずは「中小企業」の企業規模を大きくする>
・とはいえ、一口に「中小企業」と言っても、規模はまちまちです。従業員数が何百人という中小企業もあれば、10人未満の零細企業もある。中小企業にも規模の経済が働くところと、そうでないところがあります。
そう考えると、ただ中小企業に補助金を出せばいいのではなく、さまざまある中小企業について、まずは補助金を活用できる規模にまで大きくする。それが先決だと思うのですが、この議論は非常に批判されています。
<日本には経済全体を底上げする余地がたくさんある>
・以上のような状況を鑑みると、例えばソニーやパナソニックのような大企業の生産性を10パーセント上げるのは難しいですが、中小企業の生産性を10パーセント上げるのは、そう難しくありません。その意味で中小企業の生産性が低い日本は、経済全体を底上げする余地がたくさんあるのです。
<日本の生産性を最も高められるのは中小企業>
・日本では国民の7割が中小企業で働いています。この比率は先進国の中でかなり高い。となると、国全体の生産性を高めたければ、労働者の大半が働いている中小企業の生産性を向上させなければなりません。
中小企業を無視して生産性向上を考えるのは、物理的に不可能です。
・私が中小企業に最も注目するのは、あまりにも日本の中小企業の生産性が低いからです。
<日本にSPAC市場を作る>
・そうした中、最近、成長戦略会議で始まった議論が、スタートアップ企業育成のためのSPAC(特別買収目的会社)の解禁です。SPACはスタートアップ企業の買収を目的に設立する会社で、上場するまでの期間が短縮できることなどから、アメリカなどで注目を集めてきました。
<日本でも今後も設備投資が増えない二つの根源>
・日本で企業の設備投資が減っているのは確かです。個人消費で見ると、日本は1994年から2018年までの24年間で、19パーセント増えています。「日本のデフレは個人消費が弱いから」と言われますが、実際は19パーセント増えているのです。
・そうした中、どういう設備投資が残るかというと、まだ普及されていないもの、つまりはイノベーションにまつわるものです。他の先進国ではイノベーションが進み、そこへの投資が増えていますが、日本ではイノベーション自体が進んでいません。これが二つ目の理由で、日本特有の問題です。
<求められるのは無形資産への投資>
・だからこそここで、無形資産に対する投資を、統計上もきちんと位置づける必要があると思います。
<世界に遅れをとる日本の高等教育>
<日本の教育のどこが問題か>
・日本の教育問題として、大学を出るまでは文部科学省の管轄なのに、その後の人材育成は厚生労働省という点が挙げられます。「学校教育は文部科学省」「職業訓練は厚生労働省」と完全に縦割りで、両者がシームレス(連続)になっていません。
そのため卒業後も必要に応じて教育を受ける、いわゆるリカレント教育の制度が整っていません。日本人の寿命がどんどん伸びていますから、リカレント教育についても、もっと重要視する必要があります。
<新しい奨学金制度で勉強しない学生が増える>
・にもかかわらず日本では、2020年から新しい奨学金制度を開始しました。世帯収入の基準を満たしていれば、大学や専門学校の授業料や入学金を免除、または減額するというものです。要は奨学金を貸し付けではなく、贈与にする。これにより救われる人もいるのでしょうが、一方で、ますます勉強しない学生が増える可能性もあるのです。そうなれば、とても残念なことですね。
<改革は中途半端でなく、徹底的に>
<郵政民営化は失敗だったか>
<構造改革は、なぜ中途半端に終わったのか>
<生産性が上がらないのは、改革が不十分だから>
・ただ反省なり、残念に思うところは、いくつかあります。一つは郵政民営化が進んでいく過程で民主党政権に代わり、郵政民営化の動きが止まってしまったことです。
・もう一つうまく行かなかった事例として、「規制のサンドボックス(砂場)」というのがあります。これは企業が新しい技術を活用したサービスを始めるにあたり、現行法の規制を一時停止して実証実験するための制度です。イギリスやシンガポールではすでに実施されていて、私もシンガポールに視察に行きました。
安倍内閣時代に私が提言して2018年に実現しましたが、期待外れに終わりました。
<規制緩和の一方で新たな規制も設けたイギリスのビッグバン>
・よく「改革を進めたからダメになった」と言う人がいます。でも、私は逆の考えです。中途半端に改革を進めると、たいてい逆効果になります。徹底的に「やる」か「やらない」かのどちらかにすべきです。
<「民営化は失敗」と言うのは既得権益を守りたい人>
・また官営事業は非常に大きな既得権益が存在する世界だから、既得権益を守りたい人は必ず「民営化は失敗だった」と言います。
<中小企業の生産性はもっと上げられる>
<中小企業改革の意図とは>
・デービッド・アトキンソンさんはかねてより中小企業改革の必要性を提言されています。最終的な改革提言として、「最低賃金の引上げにより、いい意味での淘汰を進める」というものがありました。
<中小企業の定義は「500人未満」にすべき>
・日本の生産性は低く、IMFが発表しているデータをもとにした2019年のランキングは、世界で28位です。これは大手先進国としては最低水準です。
・例えばアメリカでは、労働者の54パーセントが大企業で働いています。これに対し日本では2割前後しか、大企業では働いていません。
<最低賃金を引き上げるだけで生産性は高まる>
・また、なぜ最低賃金の引き上げが重要かについても、経済学の基本に戻ればわかります。近年増えてきた非正規雇用によって、企業は安くてよい人材を気軽に採用できるようになりました。それが労働者派遣法のせいなのかはわかりませんが、事実としてそうなっています。
・非正規雇用の場合、必要がなくなれば、いつでもクビを切ることができます。いずれいなくなる社員に対し、企業は積極的に教育をしようとはしません。むしろ教育投資を抑えるようになります。
・経営者としては、面倒くさい技術革新をするよりも、非正規社員を雇い、「あなたは三日働いてくれればいい」「あなたは明日から来なくていい」などとやっていたほうが楽です。経営者として利己的に考えたとすれば、人を安く適当に使える非正規雇用はありがたいのかもしれません。しかし、社会全体を考えれば、雇用への影響のバランスを取りながら人を安く調達することはやめるべきです。
・もう一つ賃金について言うと、この間まで日本はデフレでした。だから賃金が安いと言っても、実質賃金はそれほど下がっていません。そこが最低賃金の引き上げを邪魔していた一つの要因だと思います。
・現実問題として日本の最低賃金は国際的に見て低く、社会保障の観点からも、もっと上げるべきです。
・もう一つ最低賃金に関連して議論すべきなのが、外国人労働者の問題です。日本で賃金が安く、生産性が低い業態や企業が温存されている理由の一つに、「技能実習生制度」があります。技能実習、つまり「研修」の名目で実質的にすごく安い賃金で外国人労働者を雇用している。そんな農業従事者や中小企業は少なくありません。
このようなまやかしは、やめるべきです。日本は今後、少子高齢化社会で、絶対的に人が足らなくなるので、外国人労働者を活用することには賛成です。とはいえ安い技能実習生のような形で入れるのは、問題です。外国人労働者をきちんとした労働力として、適切な賃金で雇う。これを同時に行っていく必要があります。
<決め方が不透明すぎる最低賃金>
・ご指摘のように最低賃金引き上げがなかなか進まないのは、労働市場をある程度、規制緩和した結果と言えます。その緩和が経営者にとって賃金を抑え、労働分配率を下げる方向につながっている。まさに「モノプソニー」の問題です。
モノプソニーは、日本語で「買い手独占」という意味です。経済学では、「一人の買い手が供給者に対して独占的な支配力を持つこと」と定義されています。
<まずは二重の最低賃金を設けてもいい>
・今、「各都道府県の最低賃金を決めているのが社会学者で、社会保障として決まっている」というご指摘がありました。この最低賃金が経済政策としてきちんと組み込まれなければ、日本は次のステップに行けない。
これは今回の対談で、重要なポイントの一つだと思います。
現状を変えるため、まずは二重の最低賃金を示すやり方もあります。
<「これ以上の最低賃金引き上げは無理」はまやかし>
・労働分配率には役員報酬が入っています。私は、労働分配率に役員報酬を入れることに問題を感じなくもないのですが、問題は日本の小規模事業者では役員報酬が、人件費の38.2パーセントを占めていることです。大企業の平均はたった2.8パーセントです。従業員だけの労働分配率で計算すると、大企業の労働分配率52.5パーセントに比べて、小規模事業者の労働分配率は80パーセントどころか、51.5パーセントです。ほとんど変わらない。
小規模事業者の場合、税制のインセンティブが働くので、労働者に賃金を払ったら、残りを自分たちの役員報酬として分配するところが少なくありません。だから70パーセント弱の日本企業は赤字なのです。
<政治的に難しいのが賃金問題>
・小規模事業者の話はご指摘のとおりで、だから資本と経営を分離していない会社の場合、役員報酬を「企業利潤」と見なすこともできます。そうなると実際の労働分配率はもっと低いことになり、労働分配率はまだまだ上げる余地があるということですね。
<日本に欠けている「競争戦略」の視点>
<「中小企業を守れ」のどこが間違いか>
<ルール適用が猶予され過ぎている中小企業経営者>
・非正規雇用は、経営者、中でも中小企業経営者による規制緩和の悪用の典型的なケースです。例えば昨日まで正規雇用だった人を突然、非正規雇用にする。非正規雇用にすれば、相対的にクビを切りやすくなるし、雇用保険などにも企業側は払わずにすみます。
<解雇問題を金銭で解決するルール作りを>
・今の日本には、解雇する対価として金銭を支払う際のルールがありません。金銭解雇のルールがないのは、OECDの中では日本と韓国だけです。既存の労働組合という、ものすごく強い特権階級が存在し、彼らがルールを作らせない。そういう不均衡の中にあります。
<結局の問題はインセンティブ>
・ただ一概に、中小企業の経営者だけが悪いとは言えないのも確かです。経営者の仕事は、今あるシステムをどう使って利潤を出すかが重要です。
非正規雇用を悪用できる、穴だらけのシステムを作った人が悪いのか、そのシステムを使う人が悪いのかと言うと、やはり設計ミスをした人に
問題があるでしょう。
<赤字企業ほどメリットがあるのが補助金>
・中小企業について、もう一つ考えなければならないのが補助金の問題です。国から中小企業に支給される補助金は、非常に大きなものがあります。最低賃金を引き上げても、その分を補助金で補うことになれば、企業の負担は相殺され、生産性向上のインセンティブは働きません。
ただ中小企業に対する補助金は、何十年も政策を研究している私にも、よくわからない部分がたくさんあります。
<補助金を与えるべきは国策に沿った企業の行動>
・経済政策の基礎として考えれば、どういう企業にどこまでの補助金を出し、どのようなインセンティブをもたらすかについて考え直すべきだと思います。
・これからの時代には、規模に基づく支援ではなく、行動に基づく支援が必要です。例えば国策で決めたICT投資をやる企業については、補助金を支給する。そうすることで国策の方向に誘導するのです。
<なぜインセンティブの「期限付き」を政治家が好むのか>
・おっしゃるように、今の制度は従業員数を増やしたり、生産性を上げることに対してディスインセンティブを与えています。政府が求める方向に進まないためのインセンティブになっています。
・制度の変更には、政治家や官僚の裁量が大きく関わってきます。減税にしても日本の減税は、法人税率そのものを抑えるのではなく、特例的に償却限度額を大きくする特別償却という形が好まれてきました。そのあたりは政治の問題が、少し絡んでくると思います。
・これに対し政府では今、中小企業のM&Aについて税制上の優遇措置を受けられる仕組みを検討中です。これは政府の方向転換でもあり、これまでの「小さければ小さいほどいい」というやり方の弊害に気づいているのだと思います。M&Aを増やすことで、企業規模を大きくしやすい選択肢を用意するというわけです。
<日本の労働市場をどう見るか>
・中小企業の話と絡んで、もう一つ考えたいのが日本の労働市場です。すでに出たように日本の中小企業の働き方は、労働基準法がきちんと適用されていないところにも問題があります。
<「終身雇用・年功序列」は日本だけではない>
・日本の労働市場については、あまり懸念していません。「終身雇用・年功序列」は、海外でも大企業は同じような傾向があります。例えば私がいたゴールドマン・サックスは、中途採用が大嫌いでした。
<倒産以外は解雇が難しい日本>
・日本にしても「終身雇用・年功序列」が当てはまるのは、大企業に勤める2割弱程度です。日本の中小企業は、まったくそうではありません。外資系企業も違うでしょう。ただ日本の場合、解雇規制の問題が大きいのは確かで、そこは海外とは決定的に違います。
<日本のほうがリストラが簡単な部分もある>
・もちろん日本の法律家でのリストラの難しい面もありますが、同様に諸外国にもそれぞれ、解雇にあたって難しい事情があります。たとえば、アメリカでは、リストラにあたって誰を選ぶかは、年齢、人種や性的志向なども考慮しなければなりません。
白人が何パーセント、黒人が何パーセント、女性が何パーセント、レズビアンやゲイは何パーセント、シングルマザーは何パーセントといった具合で厳密に決めねばならないのです。
<同一労働同一賃金の徹底も重要>
・この点からも、やはり解雇のルールをきちんと作り、加えて「同一労働同一賃金」を徹底させる。中小企業についても、大企業と制度的な差がないようにしなければなりません。さもなくば、労働の流動化は起こりません。
<気に入らない人を窓際に追いやる日本の中小企業>
・私は言われるほど、日本で大企業と中小企業に明確な差があるとは思いません。「解雇の4要件」による訴訟リスクがあるといっても、実際に訴訟されるケースは稀です。一方アメリカは解雇するたびに訴訟になります。そういう会社は「レイシストの会社」などとレッテルを貼られますが、経営者はもう慣れています。
<大企業と中小企業で差別のない制度作り>
・できるだけ自由な働き方、雇い方を認める。そして、それぞれの働き方、雇い方の中で差別がない制度を作り、運用する。そのあたりが未整備なのが、とくに今の第四次産業革命という新しい流れに日本企業がなかなか対応できていない要因だと思います。
<日本のコーポレート・ガバナンスの問題点>
<日本のコーポレート・ガバナンスをどう見るか>
・もう一つ私が危惧している問題が、コーポレート・ガバナンスです。日本企業で新陳代謝が進まない理由として、今お話しした労働市場の硬直化に加え、コーポレート・ガバナンスの問題があると思います。
日本の企業がコーポレート・ガバナンスの制度を強化すると、株価が上がります。
<効果が限定的な日本のコーポレー・トガバナンス議論>
・ただ日本の上場企業は1万社もありません。せいぜい4、5000社でしょう。99.7パーセントの日本企業はオーナー企業です。オーナー企業にこのガバナンスコードはまったく適用されません。取締役も、ほとんど身内取締役です。
<弟分みたいな人だけを取締役にする日本の社長>
・では今、社外取締役をどのような人が務めているかというと、役人の天下りの延長みたいになっているケースも少なくありません。もちろん、きちんと機能している企業もありますが極めて稀です。
<社外取締役を“仕事”にする人もいる>
・昔は「顧問」だったものが、「社外取締役」という名前に変わったのですね。また、「社外取締役が仕事」のような人も、けっこういます。
<形式的な社外取締役も問題>
・現実には、社外取締役をバックアップする予算も事務局もないなど、形式的なものにとどまっています。中小企業の話が最も重要というのは、おっしゃるとおりだと思いますが、大企業ですら生産性が上がらない仕組みがたくさんある。
<必要なのはガバナンスではなく競争戦略>
・社外取締役に期待する役目についても、せいぜい「ないよりまし」という程度です。次の社長を誰にするかという時、「他社にやられないためには、誰がベストですか」と考えるだけですから。
・本来は競争して生産性を高めるべきなのに、それを言うとバッシングされてしまう。
<育成機関と監督機関を分離する>
・また公正な取引を促す機関である公正取引委員会が、霞が関で非常に弱い立場にあるという問題もあります。
・では具体的に、どのような競争政策を取るべきか。例えば総務省については、許認可と規制監督を分ける。とくにプラットフォーマーやデジタルなものについては、個人情報保護も絡むので、競争政策が非常に難しいものになっています。まずは許認可と規制監督に分け、そこから進めていくことが大事だと思います。
<アメリカで既存企業が伸びている理由>
・いずれにせよ、全体の経済成長率を高めるには、たんに新興企業が増えればいいという話ではなく、「既存企業をどうするか」ということこそが非常に重要です。
・そう考えた時、コーポレート・ガバナンスよりもコーポレート・ディシプリン(規律)やコーポレート・マネジメント(管理)のほうが重要だと思います。
<規律を高める制度作り>
・重要なのは規律を高めることであり、コーポレート・ガバナンスの制度作りは、そのための中間目標だと思います。
・また規律の問題については、やはり外からの多様性も入れていく必要があります。
<競争力をつけようとする会社ほど、周囲にあれこれ言われる>
・霞が関への発注法を変えることです。一般的には霞が関は、予算を取ることと、予算を消化することまでは真剣ですが、その成果物、とくに経済に対して貢献しているかどうかは案外追求していないことが非常に多いのです。
本来は、政府発注の制度を工夫することによって、経済の誘導ができます。しかし、霞が関は、業者に丸投げして、成果に対してまったく責任感がありません。
<第4次産業革命、成功のカギとは>
<第4次産業革命に日本はどう対応すべきか>
・国からのインセンティブとして、R&Dは増加分に対して一定額を控除するという制度が、期限付きですがあります。一方データベースについては、小さな補助金はありますが、制度として大きなものはありません。
またリカレント教育については、今は雇用保険制度で行っています。
<考えるべきは、AIやICTの普及率>
・日本の企業の84.9パーセントが、小規模事業者です。そして小規模事業者の平均従業員数は、3.4人です。そうした環境でAIやICTをどれだけ使うことができるのか。企業数の14.8パーセントを占める最も重要な中堅企業でさえも、平均従業員数は41.1人です。欧州の半分以下です。
<iPhoneで新しいライフスタイルが始まった>
・こうした在宅勤務やオンライン会議も日本の中小企業は、他の先端技術と同様に遅れています。その意味では、デービッド・アトキンソンさんの指摘も正しいと思います。
じつはもう一つ、在宅勤務が進まない理由として、日本の賃金が労働時間によって測られ、支払われていることがあります。労働の成果によって測るシステムになっていません。
<規制が第4次産業革命への参入を阻んでいる>
・ヨーロッパでできる遠隔教育が、なぜ日本でできないかというと、日本の文部科学省が小中学校の遠隔教育を正式な単位として認めていないからです。
理由の一つは、教職員の労働組合の連合体である日教組が反対しているからでしょう。
<デジタル庁に期待すること>
<デジタル庁を企画官庁ではなく事業官庁に>
・これまでデジタルの話は、各省庁とも庁内に専門家が少ないので、すべて業者に丸投げしてきました。そこには莫大なお金が流れていて、何か一つ修理するにしても自分たちはよくわからないから、「とにかくお金を出すからやっといて」といった感じでした。
今回できるデジタル庁は、省庁のデジタル関連の予算が全部そこに統合されます。
<ソースコードを公開して競争原理を働かせる>
<徹底したコスト・ベネフィット分析を>
・その意味では、徹底したコスト・ベネフィット分析も必要になります。国によっては内閣府的な組織内にコスト・ベネフィット分析だけを行う部署があります。日本も同じようにコスト・ベネフィット分析に特化した部署を設ける必要があります。
<デジタル庁に連れてくる人材の条件>
・デジタル庁も、やはり優秀でものすごく詳しい人を連れてくる。ただし既得権益を作らせないため、今の業界と適切な距離感にある人を選ぶことです。
<「中立」ではない人選が大事>
・日本の場合、すぐに「中立性」というおかしな言葉を持ち出します。だから役人がそのまま、トップに就くことにもなります。私がGPIFの改革について議論した時、驚いたのが各年金から来たトップの顔ぶれです。彼らの仕事は年金基金の運用ですが、運用など携ったことのない元役人ばかりでした。「中立性」で選ぶと、そういくことになるのです。
<霞が関にもの申す!>
<観光戦略に必要なのはマーケティングの視点>
<小泉内閣時代から始まった観光立国構想>
・次に観光の話に移りますが、デービッド・アトキンソンさんのインバウンド(訪日外国人旅行者)政策への貢献は非常に大きいものがあります。じつは現在デービッド・アトキンソンさんが進めている観光戦略は、振り返ると小泉内閣の戦略そのものです。
・また「観光」という日本語は面白い言葉で、「光を観る」と書きます。もともとは中国の古典「四書五経」の『易経』に出てくる「非常に素晴らしい国に行くと、光を観る思いがする」から取ったものです。
<ネットから誰でも最先端の情報が手に入る>
・彼らの分析能力のなさには、本当に驚きました。私ももともと観光のプロではありません。それでもネットの時代ですから、海外を探せば観光系の大学の教科書やUNWTO(国連世界観光機関)が出している論文など、情報は山ほどあります。
<政府主導の政策決定を取り戻せ>
<日本の高級官僚がダメな理由>
・とくに日本では高級官僚と言われる人には、二つの特徴が多く見られます。
一つは、世界の高級官僚に比べて極めて低学歴だということです。つまり博士号や修士号を持っている人が、ものすごく少ない。
・もう一つは、高級官僚はある一定年齢になると、仕事のほとんどが政治家とのつきあいになるということです。政治家への根回しが彼らの仕事のほとんどで、政治家とうまくつきあえる官僚が高級官僚になるのです。そこが論理思考という観点からすると、全体として底の浅い社会になっている原因だと思います。
<日銀総裁は、先進国で唯一PhDを持たない総裁か>
<専門外での話も即座に理解するEUのエコノミストたち>
<政策決定のプロセスが見えない成長戦略会議>
・にもかかわらず、成長戦略会議で政策が決まっていく。どのようなプロセスで決定に至るのか、今一つ見えません。そこに合理的で理想的な判断が働く余地はあるのか。みんな何となくつまみ食いしてピックアップしているようにも思います。
<成長戦略会議のメンバーは4人でいい>
・問題は10人という、メンバーが多くいすぎることです。そのため各メンバーは数分間意見を言うだけで、あとは事務局、つまり官僚がまとめることになっています。結果としてメンバーの意見はどう採択されたかわからず、総理主導、政治主導の色彩がわかりにくくなっています。
<日本を強くしたくない「既得権者」との戦い>
<「世の中を変えたくない」人たち>
・その中で痛感したのが日本には既得権益を守りたい、世の中を変えたくない人たちが、いかに多いかということです。
日本経済はこの30年、まったく成長していません。給料も上がらず、貧困者数が激増して、国の借金は増えるいっぽうです。少子高齢化は今後さらに進行し、生産年齢人口が減っていくのに対し、高齢者の増加による負担は増えていきます。これを放置すれば10年後、20年後の日本は、さらに深刻な状況になります。
・それなのに「アトキンソン=中小企業淘汰論」と決めつけるのは、印象操作をして私を悪者にすることで、私の議論も一緒に潰すのが狙いなのでしょう。
そして、これらの批判を受ければ受けるほど、彼らが現状を維持することに、いかに必死かがわかります。
<「どの立場からの発言か」という視点>
・既得権益を死守し、構造改革に反対する人の大半は、現在、貧困とは無縁な支配層や上流層です。彼らは「貧困になるのは本人の責任」「能力がないから貧困になる」と主張します。しかし同程度の能力と同程度の生産性を上げているにもかかわらず、海外なら貧困にならない人は日本に大勢います。それは最低賃金が極めて低いからです。日本でだけ貧困になるのは、本人ではなく、社会に構造的な問題があるからです。
・今の日本経済・日本社会は必死になってまでこのまま守るべき価値があるのか大変疑問に思います。
・竹中先生はアメリカ流、私はヨーロッパ流と、アプローチの仕方は多少異なると感じます。
(2021/5/31)
『大前研一 世界の潮流 2020~21』
大前研一 プレジデント社 2020/5/29
<「人間の営みの底流に流れるものは何か」>
・2020年が幕を開けてまもなく中国の武漢で発生した新型コロナウイルスは、想像を超えるスピードで世界全体に波及し、ついに世界保健機関が「パンデミック」宣言を出す事態にまで拡大した。
・世界規模で人的交流やサプライチェーンが途絶えたことによって、世界の政治経済が被った影響は計り知れない。しかも相手はウイルスであり、現時点で収束の目途は立っていない。まさに【VUCA】(Volatility変動、Uncertainty不確実、Complexity複雑、Ambiguity曖昧)の時代を象徴する出来事である。
・21世紀に入り、世界の変化のスピードは一段と速くなっている。
1年前まで常識であったことが、今年はもう通用しないというようなことが、あらゆる分野で起こっている。だから、過去の成功体験がそのまま通用するとは思わないほうがいい。とくに経営者やビジネスパーソンは、常に四方八方にアンテナを張り巡らせて、現在の状況を正確に把握し、それらの情報を踏まえて最適解を考えるべきだ。
・一方で、コロナウイルス問題までは株式市場は決して悪くなかった。アメリカではダウ平均株価もナスダック指数もS&P500も史上最高値を更新し、日本でも2020年1月には日経平均株価が2万4000円台まで上昇した。なぜ株価だけが実体経済と乖離した動きをしていたのかといえば、実はこれにもきちんとした理由がある。簡単にいえば行き場のない緩和マネーが、株式市場に流れ込んできていたのだ。これはバブルであり、企業の実態価値を反映していないので、どこかで修正が入ると心得ていたほうがよいだろう。
<本書のサマリー>
【世界経済の動向】――「日本化=低欲望化」する世界
- 米中対立をはじめとする地政学的緊張の高まりから世界経済が同時減速する中で、欧米経済は長期停滞が続く「ジャパニフィケーション(日本化)」に陥っている
- 景気対策のための金利引き下げと金融緩和により、欧米の中央銀行も緩和から抜け出せない「日本銀行化」が進行している
- 世界の上場企業の業績が悪化する中で、緩和マネーが株式市場に流入して株価が史上最高値を更新、実体経済から見ると株価が上昇する理由がなく危ない
【世界情勢の動向】――分断される世界
【21世紀の世界のあるべき姿】――「分断」から「連帯」へ
- ベルリンの壁崩壊、冷戦終結後30年にわたり連帯や協調を模索してきた時代から、世界はバラバラになる方向へ進んでいるが、いま、改めて国民国家を超越し、地球規模の問題を解決する仕組みを模索することが必要となる。
【日本の動向】――劣等感の塊になってしまった日本
- 21世紀初頭の日本の20年間を総括すると「劣等感の塊になってしまった」という印象が強いが、その認識・危機感が日本人は薄い
- 今後、日本の経済的な地位が低下することを前提に、隣に大国が存在するクオリティ国家(=1/10国家)を参考にする
- 「国家の衰退」から脱するために、地方や企業はそれぞれ世界の繁栄とつながって国内外から富を呼び込む方法を模索すべき
【2020年、日本はどうすればよいか?】
- 「あらゆる面で人材不足」であることが日本最大の問題であり、21世紀に世界で活躍できる人材を早急に育成するべき
- 熾烈な人材競争を繰り広げている世界に伍していくには、外国人選手が大活躍したラグビー杯日本代表のように、能力のある外国人を日本の社会に適応・融合させて「ワンチーム」にするという発想が、必要になる
<日本の動向――劣等感の塊になってしまった日本>
<偉大な首相として国民に記憶される人の共通点>
・安倍首相はあまりにもいろいろなことを行おうとしすぎたのだと思う。
偉大な首相として国民に記憶されている人に共通しているのは、首相在任中は重要な問題をひとつに絞り、一点集中でそれに取り組んで、後生に語り継がれるような結果を残しているということだ。
池田隼人は所得倍増計画、田中角栄は日本列島改造論、中曽根康弘は三公社の民営化、小泉純一郎は郵政民営化と、みなシングルイシューである。
ところが安倍首相の場合、毎年のように中心となる政策がころころ変わるのだ。
<安倍政権の「残念な政策」ワースト五>
【第1位 アベノミクス】
・マネタリーベースをジャブジャブにしても、金利をゼロにしても、低欲望社会の日本においては、誰もお金を借りてくれないし使ってくれない。
これから日本経済は、アベノミクスの後遺症で苦しむことになるだろう。
【第2位 外交政策】
・安倍首相は、北朝鮮拉致被害者に関しても「私の政権で拉致問題を解決する」と豪語しておきながら、何の進展もない。安倍氏はトランプ氏が金正恩氏に会うたびに、「この話(拉致問題)もしておいてほしい」と伝言を頼み、まったく他人任せなのだ。
北方領土問題も、27回もプーチン大統領と会談を重ねながら、当初の四島返還から二島にトーンダウン、さらにロシア側の機嫌を損ねないため「北方領土」という言葉も使わないなど、解決に向かうどころかさらに後退している。
中国に対しては、中国の広域経済圏構想である「一帯一路」に協力の姿勢をみせているが、大いに問題がある。というのも一帯一路の本質は、前に述べたように中国の新植民地政策で、日本はアメリカや台湾との関係が近いため、中国に媚を売る必要などないのだ。
韓国との関係は、ご存じのように悪化の一途をたどっている。
このように安倍首相が手掛けた外交は、すべて「空振り」に終わっているのである。
【第3位 働き方改革】
- 全国一律に規定できるものではない
- 重箱の隅をつつくマイクロ・マネジメントの最たるもの
・「時間外労働の上限規制」「年次有給休暇の取得義務化」「同一労働同一賃金」など安倍政権の打ち出す施策はことごとくポイントがはずれている。働き方や業種や仕事の内容、あるいは個人の事情などで異なるのが当然で、それを政府が一律に規定するのは無理がある。箸の上げ下げまで政府に決められたら、働きにくくなるだけだ。
【第4位 地方創生/ふるさと納税】
- 返礼品競争と化したふるさと納税は“さもしくてセコイ”日本人を生むだけ
・だが、税金の配分は本来、政治家と役人が責任をもって行うべきもので、その配分はきわめて厳正になされなければならないのである。それなのにどこに納税するかを国民に決めさせるというのは、まさに政治と行政の怠慢以外の何ものでもない。
・しかも、納税先の自治体は生まれ育ったふるさとに限らず、全国どこの自治体でもいいとした。そのため、少しでも税金がほしい自治体は牛肉、コメ、家電といった返礼品を競い合い、国民もそれらを目当てに納税先を決めるというありさまで、何が目的であったのかがわからなくなっている。結局、日本人のさもしさとせこさが露呈しただけで、こんな意味のない制度は即刻廃止し、地方に必要なお金が回る新たな仕組みをつくるべきだ。
【第5位 マイナンバー】
- 事実上ほぼ利用する機会がなく税金を無駄遣いしている
政府はこれを国民IDにしたいようだが、早くあきらめるべきだ。行政府のさじ加減で、「ここは富士通の仕事、ここはNECの仕事」として発注をして、できたものをひとつに統合することは不可能である。
・本気で行うのであればゼロからシステムを構築するしかないが、いずれにしても税金の無駄遣いだ。
<劣等感の塊になった日本>
・20世紀最後の20年間、日本は高度経済成長で得た経済力のおかげで、この世の春を謳歌することができた。
世界第2位の経済大国となり好景気に沸く東京は、山手線の内側の土地の値段を合計するとアメリカ全土が買えるほど地価が高騰していた。グローバル企業の時価総額においても、トップ10の中に日本企業が8社も連ねていたのである。
しかし、21世紀に入り日本は一気に輝きを失っていく。
・この20年で日本は劣等感の塊になってしまった。
<日本は確実に静かな死を迎えようとしている>
・日本経済が凋落した原因のひとつに少子高齢化がある。出生率は現在1.42%と改善の兆しは、まったくみえない。高齢化率は何と28.4%だ。
・日本の治安ランキングは、世界第6位。世界60都市の安全度ランキングにおいても、東京が1位、大阪が3位なので、社会はきわめて穏やかだといえる。
・また、日本では、労働者の賃金が上昇しないことが、物価の低迷につながっている。現在日本の物価が他国に比べてどれくらい低いか。たとえば、100円均一ショップのダイソーの商品は、中国では153円、バンコクでは214円で売られているのである。
・ただ、いくら国民が我慢して耐え忍んでいても、国力は確実に低下していく。国家財政をみると、国と地方の長期債務残高は1122兆円もあり、債務残高の対GDPは198%にも達し、先進国では断トツの1位だ。
日本は確実に静かなる死を迎えようとしているのだ。それなのに国民にはその危機意識がない。外の国からはさぞ美しく静かに衰退しているようにみえているはずだ。
<円の価値を高めて、資産の購買力を上げよ>
・いまの日本は個人金融資産の大きい成熟国のため、為替は円高に振れたほうが好ましい。そのほうが購買力は上がり生活が楽になるからだ。
ところが新聞も株式市場も、円安を喜ぶ傾向にある。日本人はそろいもそろって、貿易立国のころの意識のままなのだ。
・日本は、1800兆円もの個人金融資産を有していることを忘れてはならない。ビッグマックで日本とアメリカの購買力を比べてみよう。
2019年7月の時点では、マクドナルドの販売するビッグマックの価格は、アメリカが5.74ドル、日本が390円だ。
日米のビッグマックは同一価格であるとすると、為替レートは次のようになる。
1ドル=67.94円
ところが、実際の為替レートでは、1ドルが110円前後と円の価値が安く見積もられているのである。しかし、ビッグマック指数で日本人の個人金融資産1800兆円を換算すると、約3000兆円になるのだ。これはものすごい購買力で、一人ひとりが現在の倍近く海外からモノを買えることになる。
・繰り返すが、日本は資産リッチな成熟国なので、円の価値を高めて資産の購買力を上げたほうが国民は幸せになることができる。そのためには貿易立国のころの円高恐怖症を払拭しなければならないのだが、この考えを浸透させるのは相当大変だ。
・輸出には円安が望ましい(貿易時代の天動説)が、現地生産が進み円安の恩恵が減少している。
・国の競争力は為替で決まるが、金融緩和による過剰供給で円安が続いているため、日本の競争力は低下している。
<4000年の歴史をもつ中国経済の底力>
・ここからは隣国中国とこれからどのようにつきあっていくべきかを考えてみたい。
4000年にも及ぶ中国の歴史のうち、紀元後の2000年間をみると、中国の経済規模は、ほとんどの時代において世界最大だった。
ただし、1800年代後半から100年間だけは、規模が縮小している。欧米列強の侵略によって国土が蹂躙され、国力が低下したのが理由だ。
・1989年当時、中国のGDPは日本の九州と同じくらいだったが、いまでは日本の約2.5倍になっている。
この事実は、日本人としてはおもしろくないかもしれないが、過去2000年間の大半において、中国のGDPは日本の10倍なのである。
こういう長期的な歴史認識を、日本人はもたなければならない。
<クオリティ国家を目指せ>
・では日本は中国の10分の1の国としてどうすればいいのか。私の考えは、隣の中国を徹底的に利用するクォリティ国家を目指せというものである。
世界をみると、大国の近くで大国の経済規模を利用して栄えているクオリティ国家はいくつもみつけることができる。
カナダにとってアメリカはほぼ10倍の経済規模だが、カナダ人はそれを不満には感じていない。彼らの頭にあるのは、アメリカをどう利用するかだけだ。
・なお、中国はいずれ崩壊するであろうといわれて久しいが、依然として崩壊の可能性は残っている。
私自身も以前、中国画6つに分裂するシナリオを描いたことがある。ただ、そうなると、中国の市長や地方の書記は一人ひとりが非常に優秀で、経済観念も経営力ももっているので、中国は分裂すると逆にいまよりも強くなる可能性も高くなる。
日本としては、仮に中国が崩壊してもスタンスはいまと同じでいいだろう。そうなったときは、日本は隣にEUが出現したと思い、冷徹にビジネスを遂行すればいいだけである。
<「21世紀における新しい繁栄の方程式」>
<税金頼みの国は疲弊するだけ>
- 安倍政権における政治家と役人の劣化が進行
- “税金は取れるところから取る”という安倍政権のやり方は時代遅れ
- 自分たちの納める税金で繁栄しようとすると、その地域の企業や店舗は次第に疲弊していく
<地方や企業ごとに世界の繁栄とつながって生き残る>
<新しい繁栄の方程式 都市国家(イタリアモデル)>
- イタリア国民は国や政府の問題を考えるのは時間の無駄だと割り切って期待することをあきらめている
- 多くの地方や企業が世界と直接つながって、国外から富を呼び込んでいる
<メガリージョン メガシティ>
- 国家という単位に縛られることなく、自分たちの繁栄を築きあげてきた
<日本はどうすればいいのか?>
<2020年における日本最大の問題>
・2020年、日本最大の問題は何か。答えははっきりしている。「人」の問題だ。
日本はあらゆる面で、優れた人材が不足している。まず質の不足である。科学(Science)、技術(Technology)、工学(Engineering)、数学(Math)のSTEMやAIといった先端分野だけでなく、経営面でもグローバル企業をマネージできる人材が圧倒的に少ない。世界で活躍できるコミュニケーション力や構想力をもったビジネスパーソンも育っていない。その結果、日本の労働生産性は、G7で最下位だ。
<答えがない時代の教育のあり方>
・質の不足を改善するためには、教育そのものを変えなければならない。
・それなのに日本は、欧米の国々に追いつけ追い越せで、大量生産に適した人材を一所懸命社会に送り出している。これでは、明治期や戦後の復興期と同じことを繰り返すだけで、21世紀に必要とされる人材を輩出することなど不可能だ。
<クオリティ国家の教育システム>
・日本の教育システムの問題点は、本当にたくさんある。
まず、すべての人にとってSTEM教育が必要なのに、高校で文科系を選択した人は、その機会がなくなってしまう。
・世界をみるとクオリティ国家と呼ばれる国は、すでに教育を現代に適応するものに変えている。たとえば、フィンランドは1990年代初頭に、それまでの「教える教育」から「教えない教育・考える教育」への転換を図った。
<これからの日本の教育システムの方向性>
【高等教育】
- 大学は職業教育の場という位置づけにするべきであり教養課程は必要ない
- 企業人に、世界最優先の内容を講義してもらう
- 社会に出てから10年おきに学び直す「リカレント教育」を実施する
【大学入試】
- 大学入学共通テストは入試にために行うが、それは廃止
- 大学入試は大学側が作成し行う。科目を絞ってもよい。しかし高校終了試験でプロフィールを見て、それも参考にしながらテストする
- 面接は必ず行う。21世紀の能力は面接でないと測れないものが多い
【高校修了試験】
- 高校を修了する際に文科省がすべての教科でテストを行う。選択ではない
- バランスのある学習を奨励するために、またどのような教科でどのくらいの成績を収めたかをテストする
- 教育の責任をもつ文科省が卒業時に行う
【義務教育】
- 義務教育は高校まで伸ばし、社会人を教育するカリキュラムをもっと充実しなくてはならない
- 中高一貫教育の場合、授業自体は5年で終わるから1年浮く。その1年を有効に活用して、途上国で生活してみたり、介護ボランティアをやってみたり、単なるアルバイトではなくインターンで企業社会、海外生活などを体験してみる
- 第二言語は英語、第三言語はプログラミングと心得てカリキュラムを組み直すべき
<外国人労働者に頼るしかない>
・生産年齢人口の不足に対しても、日本は早急に取り組まなくてはならない。なぜなら、生産年齢人口は毎年50万~100万ずつ減少し、2040年には2019年よりも1400万人も減り、6000万人程度なることがほぼ確実だからだ。
1400万人は2019年の総人口の11%、同生産年齢人口の19%に匹敵する。これだけの人口が減れば、高齢者の雇用を拡大してもとうてい足りない。そうなると、当然外国人労働者に頼らざるを得なくなる。
・政府の目標は現実をまったく反映していないうえに、つくった制度もまったくよい結果に結びついていない。150万人が必要なのに、219人しか日本に来ていないとは、いったいどのような政策を行っているのか。役人は卓上プランを作るだけでなく、仕事に対しての結果で評価されなくては、このような微温湯的アプローチはなくならないだろう。
<「ワンチーム」という発想>
・日本政府があまりに無能かつ無策なので、外国人労働者の受け入れを増やし、彼らを戦力にするための秘策を紹介したいと思う。参考になるのは、2019年秋に日本中が大熱狂したラグビーワールドカップに出場した、日本代表チームだ。
桜のジャージを身にまとった選手たちは、31人中15人が外国の出身だった。でも違和感はなく、みな優勝という目標を共有し、「ワンチーム」として戦っていた。
外国人を受け入れ戦力化するには、このワンチームという発想こそが重要なのである。
そのためには、まず外国人に、日本語、日本の文化、習慣、法律、社会常識などを理解してもらわなければならない。具体的には、彼らに対して2年間無償で義務教育を提供するのだ。幸い、いまは学校も先生も余っているので、うまく利用すればいい。2年間の義務教育を修了した人には、アメリカのグリーンカードに相当する永住権を与え、きちんと身分を保証したうえで就労してもらうのである。
<外国人労働者が活躍できるための仕組み>
・現在、外国人労働者の受け入れ窓口は出入国在留管理庁が行っているが、就労(雇用)に対しては厚生労働省の所管となっている。
しかし、世界中で労働力の流動化が進み、優秀な人材を奪いあっているときに、これでは中途半端な対応しかできず、後手に回ってしまう。
具体的には、政府内に人材省または人材企画庁をつくるのだ。
・香港やシンガポールでは、母親に代わる女性が家事や育児を行ってくれるナニーという制度が非常に普及している。とくにフィリピン人の女性はナニーとしてのスキルが高く、各国で引く手あまたの状態にある。
日本でもナニーが普及すれば、女性の社会進出がさらに進むのは間違いない。
・人材省または、人材企画庁ができたら、真っ先にこのナニーの受け入れに手をつける。これが私の提案である。
・日本にとって今回の新型コロナウイルスの蔓延は、単なる天災といってはいけないと思う。どんな不測の事態が起ころうと、国民の生命と財産を守るべき政府が、その責務を十分に果たしていないがゆえにこうなってしまったという人災の面が大いにあるからだ、
致命的だったのは、初動の遅れである。
本来であれば、中国の武漢で未知のウイルス感染が広がっていることがわかった時点で、日本政府は中国人旅行者の入国を禁止すべきだったのに、おそらく4月に予定されていた習近平中国国家主席の国賓来日を意識して、それを行わなかった。その結果、新型ウイルスの侵入を水際で食い止めることができず、感染者が日本全国に広まってしまったのである。
・私の経営する実務家教育や大学・大学院は、もともと20年前から全てサイバーで行っているので、全く影響を受けていない。
・コロナ危機を奇貨とし、企業も個人も、いつでもサイバー受講、在宅勤務に対応できる体制を整えておくことが大切である。
『コロナショック後を生き残る日本と世界のシナリオ』
<「未来はあるパターンを持って訪れる」>
・「未来は予測できる」と言うと眉唾に聞こえるかもしれません。しかし「未来はあるパターンを持って訪れる」と言うといかがでしょうか?
・年齢を重ねれば、パターン化された形で到来する現象を数多く経験されているでしょうし、歴史に造詣の深い方なら「未来はあるパターンを持って訪れる」ということを、古今東西、歴史上の出来事に垣間見るはずです。
・わが国は国際貿易に依存している無資源国であり、国際社会が激変の度合いを増している以上、国にとっても、企業にとっても、個々人にとっても、「変化に合わせて対応でないこと」や「動かないこと」がリスクなるのです。
<コロナショックと世界の行方>
<現代世界に不可逆的変化をもたらした「コロナショック」>
<コロナショックが世界経済に与えた影響>
・今回のコロナショックで、世界は瞬時に、不可逆的に大きく変わりました。
・中国・武漢に端を発する感染症がもたらした社会の激変は、「感染爆発が収束しても、世界が完全に元どおりになることはない」と指摘しています。
アメリカのジョンズ・ホプキンズ大の調べによれば、新型ウイルスの感染爆発が中国・武漢から欧米に到達、トランプ大統領が国家非常事態を宣言してから1か月(米東部時間4月15日時点)の間に、感染者数は世界で200万人を超え、13万人以上が亡くなったと報じられています。
防疫のため緊急策として取られた、ニューヨークやロンドン、ミラノなど、世界の主要金融センターを含む都市封鎖(ロックダウン)により、たった1か月の間にアメリカでは失業率が10%以上も上昇、大惨事になりました。
・IMFは、2021年、世界全体の経済成長率は+5.8%に回復するという見通しは示しているものの「感染爆発の再発がない」ということを前提にしている点に注意すべきでしょう。
<自由意思による自律か、国家による統制か>
・経済が急激に疲弊していくと、各国各自はどんな手段を使っても生き残ろうとするため、残されたパイの熾烈な奪い合いになり、国際社会の緊迫度が急上昇することは歴史が示しています。
<危機的状況下では「国家エゴ」が強まり、モラルハザードが起きやすい>
・歴史を振り返った時、天変地異や飢餓で生命の危機に瀕した人々は、たいていの場合、大部分の生き残りをかけて、ある程度の犠牲を払いながら、大きな価値観の革新的変化(パラダイムシフト)を迫られています。
個々人が生命の危機に直面して大きく価値観を変える時、必然的に社会もまた、大きく変容を遂げることになります。
<▼今後予想されるシナリオ・ストーリー>
□感染危機や経済危機に瀕した社会ではまず、ドラッグの蔓延が社会問題化することになろう。
□歴史を振り返る時、そうした致命的な社会不安を抑制するため、度を越えた財政拡大の発動とガス抜きとしての国境紛争の拡大を用いて、お茶を濁す政府対応が散見される。
□この場合、地政学リスクが上昇し、国際関係の再編問題が急浮上する。日本は米中間紛争がもたらす極東アジアでの緊迫度の高まりに注意すべき。
注目度の高い順に言えば「アメリカによるサプライチェーン再編に伴う、中国からアメリカおよび同盟国への工場移転」が挙げられる。
また、中国への半導体基幹部品の禁輸など、アメリカの対中経済制裁や同盟国への協力が求められる可能性に留意すべき。
<国難を救う思考と行動>
<「鳥羽伏見の戦い」に注目する理由>
<▼今後予想されるシナリオ・ストーリー>
□今回のコロナショックで国内外において多数の失業、失職、閉店、企業倒産が相次いだ。命と大事な財産や収入へのリスクを感じる時、日本国内でも動乱は起き得る。
□もし、動乱が起きるとすれば、現政権下、激しく変化する時流に合わせない戦後日本の政治体制自体に、さまざまな矛盾が露呈することが端緒になるだろう。
次に、新勢力に期待が集まるのと同時に、シルバー民主主義に支えられた政党政治そのものへの不信が、壮年以下の男女双方から噴出する可能性が濃厚。
自衛隊など全く異なる組織への信認が高くなる可能性も。その際、政治の機能不全が顕著になる中、外国も巻き込んだ内乱の可能性も否定できない。
□動乱に至らなかった場合、国民の我慢の限界まで政治が機能不全に陥る。一歩二歩遅れで動くことになるが、それでは選択できるオプションがますます限定的になって手遅れになる。
□今後の世界で、特に国家経営が破綻しそうな国、地域として、米ドルを多く抱える国々は打撃を受けやすくなるだろう。
バラマキのための財政拡大で米国内の社会不安を抑制し、対外的にドルの世界通貨の地位を守るために、米ドル安は避けられないだろう。
それはドル負債を抱える新興国が、「ドル高、新興国通貨安」の市況下で債務返済を諦めるような事態を防ぎ、世界におけるドル債権・債務体制の継続を目的とした事実上の債務カットを行うため。
反対に、ドル債権を多く持つ日本などの債権国は打撃を受けやすくなる。
したがって、外貨準備の通貨分散は必須。個人も同様。債務カットは債務者に迫られて行うのではなく、債権者として戦略的に、能動的に行うべきである。
<社会の激変期と日本の選択>
<昭和維新の失敗と敗戦に学ぶ、日本の潜在的リスクであるエネルギーと地政学>
<▼今後予想されるシナリオ・ストーリー>
□日本は非常に脆弱なエネルギー政策しか取れないのが現状だがAC(アフターコロナ)の世界では、省エネの推進であり、代替エネルギー開発が強化されよう。国民の危機感を背景として原子力発電の再開は急ピッチで進む可能性がある。また、ロシアとのエネルギーを通じた関係強化も日本外交の新機軸として目立つ動きとなりそうだ。
□日本が「敗戦」への道を進まないために何をすべきか。どのような動きやプロパガンダに注意すべきかを考えた時、限られた軍事リソースを効果的に使用するための施策が欠かせない。すなわち、シーレーン防衛ラインの縮小と仮想敵を絞り込むこと、欧米との軍事同盟の強化が考えられよう。
また、平時、戦時を問わず、仮想敵からのさまざまな工作戦の常態化が想定されるため、国民国家形成の基盤である愛国教育は欠かせなくなる。
□国土、シーレーン防衛について、国民は何を知り、いかに行動すべきか➡
今までは当たり前のように思えていたエネルギーやその輸送に欠かせない安全保障だが、実は莫大な費用が掛かる(タダではない)ということを認識した上で、一人一人が国際政治に敏感になり、選挙にも関心を持って、激流を先読みでき、即応可能な政治体制と政治家を選択することに尽きる。
<「超限戦」という見えない戦争の時代>
<コロナショックはグローバリズムをどう変質させるか>
・トランプ政権下のアメリカは、経済政策を大きく保護主義に転換しようとしているのが特徴です。2016年のトランプ大統領の誕生以来、「グローバル化」から「脱グローバル化」へ、アメリカ政治の地殻変動が世界を揺さぶり続けています。
・ところが、コロナショックが起き、死の恐怖と失職の絶望を体験しているのがアメリカ国民であり、世界の人々です。
今般の「中国・武漢発ウィルス感染」というトラウマからグローバル化を忌諱して、「民主主義+ナショナリズム」の胎動を体感しており、戦慄せざるを得ません。
コロナショックが収まったとしても、全米で発生している大量の失業者間で、空前の職の奪い合いを考えれば、アメリカ人のトラウマは早々に落ち着くものではないと見ています。黄禍論に代表される差別主義が蔓延する可能性すら出てきています。
<エスカレートする米中覇権争いとグローバリズムに代わる世界秩序の模索>
・米中覇権争いの激化を予感させるのが、失業者のガス抜きとしても対中攻勢です。
新型コロナウイルスの発生源である中国を叩くことは、米国有権者に訴求しやすく、アメリカの政権担当者には魅力的な選択肢です。
トランプ政権としては、半導体など最新兵器システムの生産に不可欠な最先端部品のサプライチェーンから中国を外し、生産基盤を北米へ移転することは国民総意を受けた政策として実行していくに違いありません。
・ポスト・コロナショックの世界では、米中間の覇権争いを軸とした新旧の国際秩序のせめぎ合いを眼前にすることになるでしょう。
<EUを離脱したイギリスの選択と背景>
・アメリカのみならず、排外主義の高まりは欧州でも見られます。2019年に行われたブレグジットを決定づけた、イギリス総選挙の結果も同様です。筆者には大変意外に思えるものでした。
貧富の格差が影響する中で、職にありつけない若者を中心とする労働者階級が労働党により多く流れると見ていたからです。
・おぼろげに見えてくる将来の世界の動きは、筆者が今まで考えていた穏健なグローバル化を選択していこうという歩みながらも、保護主義の色をやや濃くしていることを考慮しています。そうは言っても、国際分業と自由貿易によるグローバル化路線は、付加価値を大きく生む唯一の道でもあり、生活水準の維持を考えた時、どの国にとっても極端に抑え込むことができない流れだと思います。
したがって、やはりメインシナリオでは、保護主義という民意を反映しつつ、グローバル化のペースを従来に比べ、緩慢・漸進的に進む方向に動くというのが、今後の世界の趨勢になると見てよいと考えます。
<国家主権と国際経済支配を実現しようとする中国>
<2.26事件の既視感を覚える、現在の中国>
・筆者が既視感を覚えるのが、現代の中国と戦前昭和の日本です。
「背伸びせずに身の丈に応じて行動せよ」と中国に詰め寄るアメリカに苦慮する中国の姿は、英米にその頭を抑えられた戦前日本の姿とダブって仕方がありません。
<コロナショック以降の世界と中国>
・2020年に生起したコロナショックで世界経済が収縮する中、防疫の観点から国境を閉鎖、かつ、自国産業や雇用を守るため、安価な中国製品の輸入を抑制する国際社会の姿が明瞭になってくると、単に中国が苦境に陥るだけに留まりません。
国際分業体制に齟齬が起きて生産性が大きく悪化し、スタグフレーション構造(インフレ下の景気後退)に世界経済が転換していくことが容易に想像できます。
<中国の内情>
・言い換えれば、権力闘争は既に終結、習近平主席の強力な指導が本会議で承認されたことを暗に表し、習近平指導下の国策とその遂行方針が決定されたと考えて間違いないと見られています。
であるならば、この強権を維持するため、彼が国造りに向けたビジョンを明確に持っていなければならないはずであり、「それは何であるか」という点に注視すべきです。
<中国の行方>
・アメリカが、中国最大の電子機器メーカーであるファーウェイを制裁対象の目玉に据えているのはその表れでしょう。米国の対中貿易戦争の狙いが、習近平政権の経済戦略の柱の一つである「中国製造2025」潰しであるのは今や明白です。
<中国を包囲する国際社会>
・中国の危機感の根はほかにもあります。アンチ・チャイナの動きが世界で拡大している事例として地球温暖化を阻止する国際的な環境政策を巡る討議があります。これは、中国の発展を阻止する国際的な枠組み作りの一環であると筆者は見ています。
中国のエネルギー自給率は8割を超えているわけですが、自給の6割近くを頼っているのが自国産石炭です。
<中国の「超限戦」というプロパガンダ戦略>
・今や、国際社会や「持てる国」は、中国をいかに封じ込めるかに戦略の重点をシフトしているわけですが、これに対抗するため、中国は現代の総力戦を実行しています。それは「超限戦」という言葉に集約されますが、1999年に中国人民解放軍幹部から生まれ、欧米など、軍関係の人たちには馴染みのある言葉です。
<すでに始まっているコロナショックをめぐる超限戦>
・新型コロナウイルスの発生源をめぐって、米中の対立が激化しています。
トランプ大統領は真珠湾攻撃やニューヨーク同時多発テロを引き合いに出し、「ウィルスによってアメリカが大打撃を受けた」として中国を改めて非難しました。
中国国内で「原因不明の肺炎患者が発生した」という報告が最初にあったのは、2019年12月8日です。12月30日にはインターネット上に「原因不明の肺炎治療に関する緊急通知」という武漢市衛生健康委員会作成の文書が流れました。武漢市内の多くの病院で肺炎患者が相次いでおり、12月31日の時点で27人の肺炎患者が確認され、そのうち7人が重症とした上で、中国政府が「人から人への感染は見つかっていない」と否定したことです。
・アメリカが非難しているのは、感染症患者の発生とヒト・ヒト感染を中国政府が秘匿し、パンデミックを世界にもたらしたことです。中国は国際合意上、新型感染症の際、WHOにその事実を伝達する義務があります。
・それは、米中対立の本質が経済問題ではなく、南シナ海や台湾をめぐる対立も含めた安全保障上の問題だと中国の指導部は見ているからであり、米国の最終目的が、「中華民族の偉大なる復興」を阻止することにあるとすれば、習近平体制の変更、解体につらなるという危機感を高めていることになります。
<外に向けて軍事圧力を強める背景>
・現下の中国は非常時下であるという認識、つまり、「新冷戦構造下にある中国」を明確に意識した上で、国際社会での行動指針を決定・推進していると考えるべきです。
コロナショックの発生源として厳しい国際社会の目にさらされる習近平体制は、今後、二次・三次の感染爆発に見舞われ、経済再建を円滑に達成できない場合、さらに国際社会の激しい非難を受ける危機を迎えます。
経済破綻にとどまらず、最悪のケースでは全国的な暴動、さらには共産党一党支配体制の崩壊といった、習近平独裁体制が革命に直面する最悪の状況も念頭に「プランB(代替計画)」「オプションB(次善の選択肢)」
を用意していることが予想されます。
・したがって、ここ数か月、中国は感染症防止に全力を傾けるよりもむしろ、周辺国に対する軍事的な威圧行動を強めているのもうなずけます。最悪のケースに備えての予行練習と考えられるからです。つまり、ガス抜きとしての外征なり、武力の対内・対外行使への準備だという補助線上での見方が附に落ちます。
それは香港の民主派弾圧と本土への接収なのか、感染再発に伴う国内暴動の鎮圧なのか、台湾侵攻作戦なのかは不確定ですが、国内での政権転覆につながる革命的事態の発生を避けるためなら、最悪のシナリオのカウンターとして外征を起こす必要も視野に入れての訓練であり、中国共産党幹部の危機感の表れと筆者は受け止めています。
<飲み込まれる香港>
・実際、香港版「国家安全法」が採択されて間もなくの2020年5月29日、中国人民解放軍統合参謀部の李作成参謀長が、「中国は台湾問題を解決するために平和的手段と軍事手段の双方を備えておく必要がある」との考えを示しているのは象徴的な発言でした。
李参謀長は、「台湾との『平和的な再統一』の機会が失われる場合、人民解放軍は領土の安全性を確保するためあらゆる手段を用いる」と述べています。
台湾の独立を阻止するため、2005年に採択された「反国家分裂法」の制定15周年を記念する式典での発言で、同法は中国が国家分裂と判断した場合、台湾への武力行使を認めており、中国の進む道筋の一つが提示された形だと言えましょう。
<香港併合の動きは台湾、そして尖閣へ>
・無論、日本に対しても尖閣諸島などの係争地域への奇襲侵攻なども十分、彼らの視野に入るわけであり、私たちが注意するに越したことはありません。
<超限戦を仕掛ける中国に対するわが国の対抗策>
・前述のように、今後、コロナショックで世界経済需要が大きく縮小する中、従来、世界経済の成長から最大の恩恵を受けてきた中国は、当然ながら世界からつまはじきにされる可能性が濃厚です。
・中国の対日攻勢は既に始まっており、地政学リスクでは、沖縄での中国による在沖縄反日分子への資金援助など、国内政治への介入工作は確実に行われているため、外国による政治介入阻止に向けた国民への周知徹底と教育は欠かせません。
沖縄方面への陸戦隊に当たる部隊への展開も必須です。いざとなれば、盟邦軍やアジア諸国との中国の食指が伸びる事態を事前に阻止する外交・軍事方面での対応をより強化すべき時期が来ています。
現代中国は新冷戦構造下の国のありようを規定、「超限戦」を平時から掲げ、文字どおりの総力戦に対応した国造りに余念がありません。中国が超限戦をしかけているなら、当然、対抗措置が必要です。
<アメリカの対中国軍事戦略と日本>
・今後、あくまで米軍はレーダーとしての役回りに徹し、軽装備になることが予想されます。米本土からの来援部隊を待つ数か月間、日本本土防衛のカギは自衛隊そのものになることが明らかになりました。人員や装備、弾薬・ミサイルなどの確保に、自衛隊は膨大な準備が必要となっていることがうかがい知れます。
日本に残されている時間は意外に少ないかもしれません。
<日本は米中対立の最前線へ、中国は米ロの変数に過ぎない>
・日本としては、新冷戦構造下での生き残りをかけ、主に対中防衛の観点から、盟邦との連携を強めるだけではなく自助努力が肝要です。物理的な自主防衛力の強化とともに、立ち遅れた法整備を含めた国内の危機管理能力向上を期して、総合戦を戦い抜く覚悟と行動が求められます。
ただ、本章で最も述べたい核心は、「日中関係が極東の安全を決定していくことはない」ということです。つまり「中国は米ロの従属変数に過ぎない」という点です。極東アジアの近現代史を振り返った時、実は米ロの動きこそが趨勢を決定してきました。
<▼今後予想されるシナリオ・ストーリー>
□コロナショック以降、アメリカは大統領選挙でトランプが落選した場合でも、国策が大きく変わる可能性はないだろう。
いずれが選挙に勝とうが異次元的な財政拡大のツケとしてスタグフレーションの蓋然性が高く、その経済危機の際には、国民間の断絶を防ぐための外敵を中国に求めることが安易な方策となるため。
□コロナショックをめぐって、世界対中国という図式になった場合、中国はどのような行動を取る可能性が高いか➡
満州事変への国際的信認を得ることができなかった戦前昭和の日本が、国際連盟を脱退、東亜新秩序建設に邁進したような事態は一つの考え得る形態。
対米戦に備え、世界の新秩序建設を進める協力国とともに、超限戦を強化し、世界展開するようになろう。無論、あまりに過酷な決心が必要でもあり、中国政権の内部抗争を招く可能性もある。
□日本は中国の超限戦に対して、どのような対策が打てるか➡
愛国心を鼓舞し国民国家としての内部での連帯を強化、外部からの攻勢に対応できるようにする。日本の独立維持という究極の国益の面から、何が真で何が悪かを国民一人一人が見極める能力を培うべく、もっと国内外情勢に目を向ける教育も欠かせない。
□歴史的に見て、超限戦を破った事例はあるか➡
戦時・平時構わず戦争状態であった米ソ冷戦などはこの事例。結局、油価暴落や、分を超えた軍備増強がソ連を崩壊に導いたとされるが、それに至る過程には、アメリカの対ソ非軍事工作も含めて複合的に作用している。
<日本は「永世中立国」という選択肢を取り得るか>
<▼今後予想されるシナリオ・ストーリー>
□スイスはこれからも「永世中立」を国是として国家運営していくことになるか➡
中立維持の内外からのメリット次第。スイスの実態はEUと運命共同体であり、EUがスイスの中立維持を認めないのであれば、スイスもこれを放棄するであろう。既に、スイス中央銀行がスイスフランの価値安定を名目に、為替市場介入を通じてGDPの何倍ものユーロを購入、保有していることからもそれは明らか。
□日本はスイスのどのような点を学び、自国の弱点を克服していくべきか➡
生存競争において、口八丁手八丁も時には必要。周辺国の有力者にとって、日本の独立が利益となることを硬軟交えて知らしめる外交・宣伝工作は必須だろう。
□国民の意識が国家を作り、防衛の基軸となるが、今回のコロナショック以後の日本の課題として浮かび上がってくることはどのような点か➡
国民国家として国民皆兵主義を取るのがスイスの国体。海外からの超限戦、対日攻勢を踏まえて考えた時、日本国の日本人としての一体感を醸成する必要は、変遷極まりない今後の世界を見つめた上でもか欠くことはできない。その手法は、教育だけではなく、徴兵制度(超限戦を視野に入れた場合、特に軍事教練にこだわる必要もない)を通じた一体感の醸成も視野に入れてみてもよいかもしれない。
<17世紀のオランダに学ぶ、コロナショック後の世界への対応>
<▼今後予想されるシナリオ・ストーリー>
□トランプ大統領の「アメリカ・ファースト」と中国の「中華民族の再興」は新たな国家エゴの対立軸として認識されつつあるが、アメリカ陣営と中国陣営の「三方よし」はどのような形が考えられるか➡
お互い境界線を引いて縄張りを形成する過程が始まるはず、日本は米中の間に立ってミツバチのように立ち回ることができれば僥倖。この役回りは韓国も狙う。
□持たざる国はエネルギーだけではなく、力=「核」も言えるが自国防衛力と外交力が独自に求められる時代の中、日本はTPPやEPAなど「価値観を共有する経済、軍事協力体」という方法が最適解か。この場合、何が課題になるか➡
日本は共闘する盟邦にとって軍事力が役不足。経済力や技術情報や軍事情報の提供力など、軍事とは別の特技を培う必要がある。オランダ人のアニマルスピリットを見習い、アフリカ商圏など新興国ビジネスの新規開拓や新技術開発への果敢な挑戦と開発投資に傾斜する必要。この過程で皆が欲しがる情報が入手可能になる。
□日本のような持たざる国が連合するには、比較優位の製品力を持つことが最適解になるが、この場合、やはり単独ではなく知財の保護という観点で連携を図るしかないか。この場合、何が課題になるか➡
個々の商品開発も重要だが、独自プラットホームの形成を念頭に置いての開発がなお重要。ルールを自ら作ることが可能になり、取引相手が離れたくても離れがたい環境をビジネスの基盤に埋め込んでおくことがカギになる。
皆が集まり使用するプラットフォームには覇権通貨が集積する仕組みが欠かせない。そのためにもまず覇権通貨は何で、誰が持っているのか、その人物や国と組むことを念頭においての商圏やプラットフォームの形成ができればしめたもの。
17世紀のオランダの場合は徳川幕府が持つ銀山に目をつけ、極東に日本銀を基軸とした商圏や海運プラットフォームを作ったことがオランダの世紀を実現させた。
<コロナショック後の日本を取り巻く国際情勢>
<▼今後予想されるシナリオ・ストーリー>
□ポスト・コロナショックで、ロシアの次なる一手は何か。日本は何に警戒しなければならないか➡
コロナショック下で苦境に立たされるロシアは、軍事手段を用いるなど、あらゆる手段で復活を考えるだろう。日本はロシアに対峙するより、彼らから戦略物資を長期的に購入するなど、彼らとのウィンウィンの関係を築くチャンスに転化する必要があろう。
□北極海航路や北極圏資源などの開発で北方領土、北海道の重要性が再確認された後、中国による沖縄、本土および北海道の土地買収と移住、ロシアによる北方領土、北海道侵略を防衛するには米軍を北海道に駐屯させるなど対策を講じる必要も出てくるか?あるいはロシアと手を結び、中国に対峙する方向が現実的か? ➡
ロシアは南と西を平穏にしており、極東進出余力が今はあるので、相手につけこまれる隙を与えることなく、また、できるだけ刺激もせずに穏便に事を構えるべき。
□資源、核兵器、外交力のすべてを「持たざる国」の日本は、アメリカの撤退とともに、長大なシーレーンや国土防衛をどう転換させていき、国家戦略に基づいた経済へと移行していくのか➡
アメリカが「国力を低下していくような国(日本)をそれまでと同じような労力をかけてまで守ることに何の意義があるのか」という冷徹な見方をした時、アメリカ依存の「一本足打法」の怖さを再確認しつつ、日本が依って立つ柱を二本、三本と増やしていくべき。自国で守れる範囲にシーレーンを縮小して仮想敵も限定し、なるべく増やさないことが肝要となる。
<コロナショックと金融市場>
<▼今後予想されるシナリオ・ストーリー>
□コロナショックにより、アメリカを始め各国が未曽有の金融緩和、財政出動に舵取りをした結果、金融市場はどう動いていくか➡
1923年の日銀特融と震災手形で一時的に息を吹き返した日本経済が、不良債権となった震災手形関連の悪影響を受け、大きな金融恐慌に見舞われた再来を懸念。
□マネーは市場に流れているが、失業による購買力低下やサプライチェーンの弱体化による供給量不足などのバランスが崩れ、再び大きな世界的リセッションが起きるシナリオはあるか➡
あるだろう。既に米中間で今回のコロナショックの責任のなすり合いが始まっており、新冷戦構造が深化していく流れが濃厚。主に中国がサプライチェーンマネジメントの縮小の打撃を受けよう。
□日本においては物価上昇の中、不況が続くスタグフレーションが発生しないか➡
可能性大、しかし、省エネや新エネや新エネルギー源開発の急務が日本政府の背中を後押しする過程で新インフラが整備され、産みの苦しみとして昇華しよう。
□今回のコロナショックで大きくダメージを受ける国、さほど受けない国はどこか➡コロナショックの影響甚大でアメリカ内需に依存が大きい中国、および日本を含むアジア諸国だろう。意図せざる在庫の投げ売りを迫られる。対してダメージが少ないのは、もともと世界経済から経済制裁を受けていて疎外されていたロシア。世界経済のリンクから外れてきたのがここにきて幸いとなる。
□世界の資産バブルが弾けた時、どの地域の、どの通貨、経済に一番影響が大きくなるか。その結果何が起きるのか➡
すぐには資本の流動性が元に戻りにくいため、債務が大きく、自国通貨安が起きやすい新興国がダウンサイド圧力を受けよう。しかし、後には先進諸国などの債権国からの債務カットを通じて復活が期待できる。逆に債権国は大きなダメージを受けよう。
<コロナショック下で閉鎖都市となったモスクワ>
・翻って、私たちの社会の今後を考えた時、ポスト・コロナショックで新たな生活がさまざまな形で考えられるようになっています。
その時の新しい勤務スタイルとして、オンラインを通じて、自宅から仕事を行うリモートワークや、会社の契約に縛られないフリ-スタイルの勤務形態が、今後は定着していくことになると言われています。
一見、勤務時間の縛りや通勤地獄から解放される、いいことずくめに見えるサラリーマンの新ワークスタイルですが、企業から見た時、その素晴らしさは格別です。
オフィス費用や通勤費を削減でき、個々の社員の評価においては結果判断に注力でき、かつ、解雇の自由度が増すワークスタイルだからです。
そうすると、正社員から契約社員への雇用契約変更が進みやすくなると同時に、仕事も出来高制のクラウドソーシングという形態になり、結局、被雇用者は収入の安定を得るため、複数の企業とフリーランス契約をせねばならず、結果責任で働き詰めになることは自明です。秀でるものだけが職や収入を得ることができる、さらなる貧富の格差が拡大する世界の到来が容易に想定されます。
雇用者と被雇用者との距離が開き、国と国との距離が開き、どんどん他者へ思いやりが失われていく世界が到来すれば、勤務スタイルに自由な時間を得ることとの見返りとして、大きな雇用不安という不確実性とのトレードオフとなるわけです。
・筆者の考えるワーストケースシナリオが現実にならないことを祈るばかりですが、同時に思いを致すのが、ワーストケースシナリオが実現する際の「プランB(代替計画)」や「オプションB(次善の選択肢)」の大切さが今まで以上に重要性を増している事実です。
コロナショックを始めとして、世の中が想定外の事態に直面し、流動性を増しているのは事実であり、玉突き式にさらなる多くの想定外のことが起きやすくなっている時代です。新冷戦構造下で国と国との心理的距離が開く中ではなおさらになります。
・オンライン勤務やホームオフィスが増加する世界が来ると想定するなら、その時代に応じた対応に需要を見出し、準備した人たちが商機をつかむことになります。
『月刊ムー 2019年2月号』とネットから引用。
【好評連載中】月刊ムー「松原照子の大世見」今月のテーマは「新型インフルエンザが発生し、パンデミックが宣言される!?」
『月刊ムー 2019年2月号』とネットから引用。
「月刊「ムー」で、松原照子が「不思議な世界の方々」から得た情報を編集部が調査していく〈松原照子の大世見〉を連載中です。
2月号(2019年1月9日発売)のテーマは、「新型インフルエンザが発生し、パンデミックが宣言される!?」です。
原稿用紙に向かうと、自然に鉛筆が動いていくという松原氏。サラサラと書いた文章は「この数十年間、私たちが経験したことのなかったようなウイルスが発生し、人から人へと感染して大流行する」。「フェーズ6」という数字も見えたとのこと。
これらが意味するものとは? パンデミックは発生するのか? 詳しくは、ぜひ2月号をご一読ください。
<松原照子の大世見>
<松原照子が中国を発症とする新型ウイルスと2020年のパンデミックを予言>
<「フェーズ6」この数字が見える‼ >
・鳥から豚へ、そして人間へと感染する新型インフルエンザ。スペイン風邪のウイルスを発端として、鳥や豚が持つウイルスが幾重にも絡みあい、新種のウイルスが誕生するのに、それほど時間はかからないような気がしています。
それは大気が大きく変化しているからです。とくに中国の大気汚染は、都市部のなかでもネズミが出やすいような環境下において、深刻なウイルスをつくりあげていくでしょう。そうした環境の中で暮らす人々は病院にも行けず、新型ウイルスと戦う免疫力もないために、ひとたび広がりはじめたら驚くようなスピードで感染が拡大していきそうです。
「フェーズ6」この数字が見えています。
それほど遠くない未来、パンデミック宣言が出されて、世界中を震撼させるでしょう。
皆様を怖がらせたいわけではありません。これが現実の世界であり、人間の生活環境が変化していくのに合わせて、ウイルスもまた、生き残りをかけて進化しつづけているのです。豚由来のウイルスが変質するだけではなく、その他の生物に由来するウイルスも、進化しようとしているように思います。
ぜひとも大成功を収めてほしい東京オリンピックが2020年に迫っています。夏に発生しやすいように思えるこうした新型ウイルスが、2020年に発生しないことを願います。
私たちは、この地球を人間が独占していると錯覚していますが、もしかしたらそういう傲慢さが、ウイルスを元気づけているのかもしれません。その証拠に、5000万人もの死者を出したスペイン風邪がはやったのは、第1次世界大戦のまっただなかでした。
――スぺイン風邪とは、アメリカを発端に、1918年3月から翌年にかけて世界中で大流行したインフルエンザ。当時の地球人口は20億人未満だが、感染者数5億人、死亡者数は5000万以上とされている。流行の当初は軽症だったものの、夏ごろから致死性が高くなった。日本でも国民の4割に相当する2300万人が感染し、39万人の死亡者が出た。スぺイン風邪のために第1次世界大戦の終結が早まったともいわれる。
・2018年の夏は酷暑つづきだったので、体をクーラーで冷やしすぎています。どうか皆様も、ご自分の体に気をつけてくださいね。帰宅した時に、うがいと手洗いをする習慣をつけておくのは、予防としてもよいことです。
『100歳まで読書』
「死ぬまで本を読む」知的生活のヒント
轡田隆史 三笠書房 2019/11/8
<年を取ると、たしかに「読書はちょっと大変だ」。>
・文字は読みにくくなるし、集中力も長くはつづかない。
時間だって、意外と思うように取れないことも多い。
だから、ちょっとした工夫や発想転換が必要だ。
<なぜ「100歳まで本を読む」のか?>
・カンタンにいうなら、ちゃんと死にたいからだ。
「ちゃんと死ぬ」とは、どう死ぬことなのか?
最後のさいごまで知的に、豊かに、静かに自分を保ちつづけ、自分はこの世界のなかの、どこに位置していて、どのように生きてきたか――を、それなりに納得して、死ぬことではないだろうか。
そのためには、だれに相談するよりも、書物に相談するのがいちばんだろう。
・本を読んでいるとき、人は孤独である。孤独にならなければ、本は読めない。
それは、自分のこころの奥を静かにのぞきこむ、貴重なときであるからだ。
そうやって人と人の、孤独の魂は結びついてゆく。そこに孤独というものの楽しさがある。ただはしゃいでいるだけの精神は長つづきしない。孤立してゆく。
そもそも、だれだって「あの世」に行く時は、お経だとか聖書だとかいった「書物」の朗読によって送り出されるのである。どんなに読書の嫌いな人だって、最後まで書物の世話になるのだから。
<だから、ぼくは死ぬまで本を読む>
- 本は最後まで、人生のよき相談相手になってくれる
- 老いると、たしかに読書はちょっと大変だ
- 一日の読書は、新聞記事を読むことからはじめたい
- 読むたびに、何度でも感動できる本がある
- あなたには、死ぬまで読んでいられる本があるか?
<「100歳まで読書」の基本ルール>
- 「書評」を読むのだって立派な読書だ
- 本の「拾い詠み」こそ、極上の「暇つぶし」
- 本は「ちゃんとした死に方」まで考えさせてくれる
- 三たび、「本に出合う喜びを知る」
- 「それでもこれまでと違う世界の本を読もう」
<こんな読み方、楽しみ方もある!>
- 好きな「詩歌」を一つくらいは持ちたい
- 図書館ならではの本の読み方、活かし方がある
- お酒を飲みながら――こんな読書会もあり
<本が人生に与えてくれるもの>
- 「笑う読書」に福きたる
- まことに愉快な「無知の自覚」
- 「書く」ことで、読書はもっと面白くなる
- 古本屋台――ぼくの“妄想的”蔵書の処分法
- 「読書」は「希望」への道筋を示してくれる
- だから、100歳まで本を読もう
<本は最後まで、人生のよき相談相手になってくれる>
・死ぬまで本を読む。
なんだかすごい覚悟だなあ、と笑われそうだが、老いたるジャーナリストのいうことだから、妄想と持ってくださってもけっこうだ。
ただし、なぜそんなにも「読む」ことに執着するのか?
そう問われれば、それなりの答えは持っているつもりだ。
一つには、ぼくは知能指数が低いからだ。
・国語や歴史などはなかなかの成績だったから、ぼくとしては本をいわば「相談役」として、もっぱら本に教えられるという道をヨロヨロと歩くようになった。
・新聞記者という職業を選んでから、「一を聞いて十を知る」のは危険であり、「十を聞いて一を知る」と心得ているべきだと信じるようになった。
十を質問しても、やっと一、二がわかればいいほうだ。一を聞いて十を知ったような気持ちになるのは、ただの思い込みだ、と。
<死ぬまで読むとは、死ぬまで質問しつづけること>
・とはいえ、人に質問する機会も時間も限られている。時と場所を選ばず、いつだって読むときに質問することのできる「相手」こそ書物であることも知った。
だから、「死ぬまで本を読む」というのは「死ぬまで質問しつづける」というに等しいのである。
それこそ無数にある質問のなかで最も普遍的で、最も難しい質問はなんだろう?
それは人それぞれだろうが、ぼくの場合は「なぜぼくはこの世に生まれてきたのだろうか?」「死とはなんだろう? 死ぬとどうなるのだろう?」といったあたりだ。
どちらも「答え」の出にくい質問だ。ことに「死」については、死んでもわからないのである。
・「死後の世界は未知の国だ。旅立ったものは一人としてもどったためしがない」
どちらの質問もじつは人類の文化・文明の歴史がはじまってから、無数の人びとが考えつづけ、答えを求めてきた質問である。
唯一の正解というものはない。ただし、多くの人びとをそれなりに納得させる「力」を持った答えはある。宗教である。
・われわれは、お経や聖書という書物の記述と、その朗読によって「あの世」に送られるわけだ。
つまり「死ぬまで本を読む」どころか、「死んでも本を読んでいる」のである。「読み聞かされている」のである。
人びとがあまり本を読まなくなったという「本離れ」が進んでいるらしいけれど、人間は死んでも本を読むことから離れられないのである。
だって、動物で書物を読むのは人間だけである。
<老いると、たしかに読書はちょっと大変だ>
・「人生100年時代」のいま、「100歳まで読書」について、学者や作家や評論家など、読書が仕事そのものである人びとが、すでにいろいろ書いている。
・ぼくがこのような人たちと決定的に違うのは、ぼくは格別の読書家でもなければ評論家でもなく、いわばサラリーマンとして新聞記者をやってきただけの人物であることだ。という意味では、ごくふつうの「読書人」である。
<まことに愉快な「無知の自覚」>
・「馬齢」とは、年齢のわりにはこれといった成果を上げなかった自分の年齢をへり下って表現する言葉だ。
馬にはいささか申し訳ないことだけれど、まあ勘弁してもらうとして、ぼく自身をふり返ると、まさに「馬齢」としかいいようがないことを知るのだ。
他人との会話によって知ることもあるけれど、本を読めば読むほど、知らなかったことに次から次へとぶつかって、思わずウームとうなってしまう。
83歳にもなったくせに、まあなんと無知なことよと、われながら感心するほど。
・なぜならば、「知らない」ことを自覚した瞬間とは、それまで知らなかったことを知った瞬間でもあるわけだから。
「無知の自覚」といえば、古代ギリシャの哲学者ソクラテスは、「私の知っているただ一つのことは、私は何も知らないということだ」と語ったという。
<世の中は「知らにないこと」だらけである>
・梅原さんの『人類哲学序説』のなかで、ぼくの大好きな宮沢賢治の童話『なめとこ山の熊』と、かつて山形県内を旅したときに心に刻みつけた「草木国土悉皆成仏」という古い言葉が、とても大切にされているのはうれしかった。
・年を取れば、いろいろ学んで「無知」の世界は狭まるはずなのに、ぼくは広がっていくばかり。まことに愉快である。
<「書く」ことで、読書はもっと面白くなる>
・「僕は手を動かして、実際に文章を書くことを通してしかものを考えることのできないタイプの人間なので(抽象的に観念的に思索することが生来不得手なのだ)……」
大作家の例を引き合いにして語るのはムチャかもしれないけれど、多くの人びとも程度の差はいろいろあるにしても、「抽象的に観念的に思索することは生来不得手」だろうと勝手に思う。もちろんぼくも。
だから、ちょっとメモしながら考えると、考えをまとめやすいことを経験しているはずである。
・読書とはそのように、文字をたどることによって次から次へと、さまざまな場面を思い起こしていく作業である。
それをメモしてみれば、「考え」は次第にカタチあるものになり、まとまっていくのである。
こうして書物は「読む人」を「書く」行為に誘っていく。
<読んだ本の内容をこんなふうに要約できたらすばらしい>
・「生きる」とは、日々、さまざまな事物を自分なりに「要約」しながら暮らしていくこと、というのがぼくの考えの基本的な出発点だった。
だから、読書感想文を書こうとするなら、まず感想は抜きにして、読んだ本の要約を書いてみることをおすすめする。
それも、長さをはじめから「400字で」とか「800字で」というように、字数を制限しておく。「書く」という作業は、「要約」する作業なのである。
<考える力とは「なぜ?」を突きとめること>
・重要なのは、「なぜ?」という問いかけである。
「読む」のも「書く」のも「考える」行為であり、「考える」行為とは「なぜ?」と問いかける行為なのである。
・その本は、世界文学の祖ともいうべきイギリスの詩人・劇作家、シェイクスピアの「ハムレット」のセリフを巻頭に掲げている。
「考える心というやつ、もともと4分の1は知恵で、残りの4分の3は憶病にすぎないのだ」
・人類はいまだって、「なぜであるか、まだ知らない」ことに囲まれているのである。「100歳まで読書」すれば、ああ、こんなことも知らずに生きてきたのだ、という思いにとらわれるだろう。
すでに語ったように、「世の中は知らないことだらけである」ことを、いまこそ知ったのだという喜びにひたれるだろう。
だからいまもこうして読書をつづけているのである。
<古本屋台――ぼくの“妄想的”蔵書の処分法>
・ぼくみたいなあやしい蔵書と違って、立派な蔵書家の場合、内容が立派だから、学校などで引き取ることもあるだろう。
しかし量や内容はともかく、ある程度の蔵書があれば、どう処分したらいいのか、だれだって大いに困惑する問題である。
ある年齢に達したら、もう購入しない、と決心する。必要なものは図書館を利用するというのが、一つの方法だろう。
もちろん、図書館は老人のためにある、ぐらいの気分で大いに利用すべきであるし、どこでも利用者の便を大いに図ってくれている。
本に囲まれていれば「孤独」もまた楽し、の心境に安住できる。
・そのときふと手にしたのはマンガだった。『古本屋台』という題名が気になったせいである。原作・久住昌之、画・久住卓也で集英社刊である。
表紙には、おでんやラーメンの屋台そっくりの屋台が描かれて、男が二人立っていて、ソフト帽の男は一杯やっており、もう一人は本を読んでいる。
・帯には「この漫画、渋い…渋すぎる……!」とあり、さらに「本の雑誌が選ぶ2018年度ベスト10・第1位」とも記されているではないか。
『孤独のグルメ』の原作者による、本好きに贈る異色コミック――であり、「屋台で古本を売っているこの店は、オヤジが一人で切り盛りしている。珍本奇本がそろう、マニアにはたまらない店だ」とも書かれている。
「『100歳まで読書』のルール」みたいに、こちらにも「古本屋台のルール」というのがあるらしい。
「1、 白波お湯割り一杯100円。お一人様一杯限り。2、ヘベレケの客に
酒は出さない。3、騒がしい客には帰ってもらう。ウチは飲み屋じゃない。本屋だ」というのだ。「白波」というのは有名な焼酎である。本と酒の好きなサラリーマンがどっぷりと漬かっていく。
<「読書」は「希望」への道筋を示してくれる>
・大石とぼくは昔からの友人だ。
ぼくはベトナム戦争などをヨロヨロと取材していただけなのに、彼女はベトナム戦争も、中東などの戦争も流血も、その渦中にあった子どもたちや女性の姿、現実も、確固たる足取りで取材して回っていた。
その結果は、何冊もの写真集や文章に結晶している。ヨロヨロのぼくは、その書物を手にするたびに叱られている気分になる。
<「絶望の物語」が私たちに教えてくれること>
・村上が世に出た最初の作品、『風の歌を聴け』にあった、「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね」というくだりである。
読書は循環する。あるいは、木霊(こだま)し合う、といってもいい。
・書物は「絶望」という名前の現実を記録して、だれでもその気になれば読むことを可能にしてくれる存在である。
「絶望」の物語を「読む」ことによって、人間は「希望」への道を模索することができるのである。
「読書」は「希望」への道筋を示してくれる灯火なのである。
<だから、100歳まで本を読もう>
・佐々木さんは、ニュース映画製作の草分け「日映新社」に参加したりしたあとブラジルに渡り、9年間、飲食店を営んだあと、1988年、日本人移民の最も多いサンパウロで私設図書館を創立した。
1993年に帰国して今日に至る歴史は興味深いけれど、異国に「私設図書館」を創立したというのは、すごい!
そのことでわかるように、佐々木さんの歴史の出発点は、書物であり読書なのだ。
<人間に死はあっても、読書に死はない>
・「書物は人間が創り出したさまざまな道具類の中でもっとも驚嘆すべきものです。ほかの道具はいずれも人間の体の一部が拡大延長されたものでしかありません。たとえば、望遠鏡や顕微鏡は人間の眼が拡大されたものですし、電話や声が、鋤や剣は腕が延長されたものです。しかし、書物は記憶と想像力が拡大延長されたもの」
・佐々木さんがかつてサンパウロに創設した図書館もニューヨーク公共図書館も、わが家の近くにある小さな公立図書館も、みんな記憶と想像力の広がりの広場であり、多くの孤独な魂が結びついていく広場なのだ。
<ぼくの読書は、まだまだつづいていく>
・『吾輩は猫である』を中学、高校、大学時代にも読んだ。70歳のころにも読んだ。読むたびに、年齢に応じて「猫」は違うものになっていった。それぞれが「別の本」になっていったと思っている。
85歳になったら、また読もう。90歳になったら、100歳になっても「ぼくは死ぬまで本を読む」。
人間に死はあっても、読書に「死」はないのである。だから、死んでも読書は続けられるのである。
ぼくの読書は、内容は貧しいかもしれないけれど、量だけは、まあ300歳ぐらいまで読みつづけられるほどはあるはず。
このように、読書をめぐる83歳の妄想は限りなく楽しい。
「さらば読者よ、何歳になったって元気でいこう。絶望するな。では、失敬」
<本は雄弁である>
・いい書物は死なない。ぼくが生まれた年に死去した英国の詩人・ジャーナリストのチェスタトンも、ぼくが新聞記者になった年に世を去った永井荷風も、さらにいえば大昔の藤原定家もシェイクスピアも、ぼくのまわりに生きている。
従軍記者として戦場を歩いた父は、敗戦についても「8.15」以前に知っていたに違いないと、ぼくは確信しているが、父は無言だった。
しかし残された蔵書に、たとえば『高見順日記』などがあることに、ぼくは父の無言の意思を感じる。これは太平洋戦争の敗北の日記なのだから(その要約版に文春文庫の『敗戦日記』がある)。
このような本による無言の意思がぼくを元気づけてくれる。本は雄弁である。
『ニッポン 未来年表 』 AIとITで今後どうなる ⁉
洋泉社MOOK 2019/5/13
<なくなるかもしれない仕事>
■AIだけで完結する仕事 ■高度な知識が必要なもの ■長時間、継続的な監視が必要なもの
経理、コールセンターのオペレーター、タクシー運転手、上級公務員
飲食店の皿洗いや掃除係、秘書、レジ打ちやチケット販売員
箱詰めや積み下ろしなどの作業員
<生き残る可能性が高い仕事>
■何もないところからモノを生み出す仕事 ■専門ではなく複合的な業務
スポーツ選手、エンジニア、医師、建築家・インテリアコーディネーター
芸術関係の仕事、交通機関の管理者、動物園・遊園地、マスコミ関係
<AIの発展で仕事がこう変わる ⁉>
・(AIはこれが得意!)データの中から最適なものを選び出す。データの処理と正確性。データを照らし合わせて共通点を見つけること。
・(AIはこれが苦手)新しいものを生み出す創造的な作業。文章を解釈して問題解決すること。「なんとなく」というような「あいまい」なものに答えを出すこと。
(AIの発展によって期待すること)
・ヒューマンエラーの解消
・難易度の高い手術が手軽にできる
・自分が今いる場所に宅配便の荷物が届く
・適材適所の職場が実現できる
・AI家電製品の進化で、家事負担が減る
・省力化・省人化が進む
・労働時間が減り、生活にゆとりができる
・自動運転によって、移動がより安全で便利になる
(AIの発展によって不安に思うもの)
・設備投資にお金が掛かる
・人間が退化する
・仕事全体の量が減る
・失業者が増え、経済が悪化する
・システムエラーによる事故や混乱が生じる
・いつかAIに支配される?
・結果がひとつになるため、何もかも同じになる
・自分が使いこなせるかわからない
<新しくできる仕事>
財務アドバイザー、データクリエィター、ゲノム・リサーチャー、
AI環境エンジニア、遠隔医療技師、AI事業開発責任者、
ドローンパイロット、コミュニケーター、ノスタルジスト、
3D再現エンジニア
<ニッポン未来予測 2020-2040>
<2020 農業 AIとIT化で収穫高アップと完全自動化を目指す>
・AIが管理する農場では、育成から農薬散布、収穫までを自動化できる
<2021 投資 人の判断力のスピードではAIと対峙することは不可能に>
・一瞬の判断力が求められるヘッジファンドではAIのひとり勝ち
・2016年の夏に刊行された『人工知能が金融を支配する日』(東洋経済新報社)という本のなかに、AIやロボットを駆使して成功できるのは、そのようなアプローチに本当に長けている一部のスーパーヘッジファンドに限られることが説明されている。そして、市場はそうしたファンドに独占されるおそれがあることが懸念される。例えばブリッジウォーター、ルネッサンステクノロジー、ツーシグマなどである。それから3年を経過して現在、残念ながら、シナリオ通りの展開になってきている。ヘッジファンド全体は落ち目になっているが、AIやロボットの使い方を熟知する彼らだけは元気である。
<2022 コミュニケーション AIが人の知能を超え感情を持つとそこに恋愛感情が生まれる?>
・現在はビッグデータからの選択で回答しているAIだが、未来には感情に似たものが生まれるかもしれない
<2025 スポーツ AIとITのタッグで予測データは『楽しむため』から『勝つため』のものに>
・AIが選手の怪我や選手の素質、成長までを予測
<2025 流通 GPSとドローンが連動して個々のいる場所に荷物が届く>
・AIとGPSの連動による無人配送が実現、人手不足も解消される
<2026 教育 家庭教師のような役割を果たすAIが教師を凌駕する可能性>
・AI教師の出現は子どもたちの個性を伸ばし、それぞれにあった未来を生む
<2027 介護 ビックデータを司るAIが管理するロボットで自立生活へ>
・見守りロボットとセンサーの普及で、健康管理から不慮の事態までを予測
<2020 住宅 AIとセンサーの連動で実現されるスマートホーム>
・IoT住宅が、人の健康管理もカバーする
<2029 建設 新3Kを掲げた労働環境の改善とICTの全面活用で効率化が実現>
・I-Constructionの導入後の建設業界では人材不足の解消だけではなく、安全性も確保される
<2030 人事 時間と場所を選ばず、性格分析を済ませたデータから人材を選ぶ>
・個人情報をビッグデータ化することで実現する真の適材適所
<ニッポン 未来予測 2040-2050>
<2040 自動車 自動運転の完全自由化で、空飛ぶクルマが実現?>
・自動運転とエアロカーの未来はセンサー技術とIoTが切り拓く
<2040 医療 ICTと思考する頭脳コンピュータが医療の現場に変革をもたらすか?>
・医療の未来は医師をAIとロボットが補助し、より高度な治療をいつでもどこでも受けられる
<2040 放送メディア ライフスタイルとハードの変化でテレビの価値はどうなる?>
・TVとネットが融合し視聴者が好む番組企画をAIが製作
<2041 モビリティ 人や物の輸送手段が劇的に変わる!IoTとAIによるモビリティ革命>
・AIが管理する交通網によって時間ロスや混雑が減少。快適な通勤や移動が実現する
<2041 生活 生活スタイルをサポートする統合型家事ロボットが登場>
・AIが家電や設備を統合制御し、家族のライフスタイルを支える
<2042 軍事 ハイテク兵器の普及によって、軍拡競争・地域紛争・テロはどうなる?>
・戦争やテロはAIによって人間の手を離れ、より悲惨な状況を生み出しかねない
<2045 芸術 AIが創造性を刺激し芸術に新しいジャンルを生む?>
・AI自体が芸術作品を創り出すと同時に人間の想像力を刺激し、新しい芸術を生み出す原動力となる
<2050 漁業 AIによる天然魚管理がなし得る漁業と養殖業の融合化>
・ベテランと同等のキャリアがあるAI漁師が誕生し、漁場や漁獲管理もまかなう
<10分でわかる ニッポンの業界未来予測>
<I-Construction>
2020年 人手不足に悩む日々
2030年 ICT健康での作業が増える
2040年 職人とAIの工事担当割合が同程度になる
2050年 計画以外はAIが家やビルを建てる ⁉
<投資>
2020年 トレーダーが手腕を振るう日々
2035年 人の判断力のスピードではAIについていけない
2040年 トレーディングはAIが独占する
2050年 市場では大変動がなくなるが、小さな幅の動きでAIが利益を生み出す⁉
<医療>
2020年 人の手では時間のかかる手術が多い
2042年 AIとVR、3Dスキャナーの発展で再生治療が活発になる
2050年 AIとICT(情報通信技術)が医療の未来を変えていく!
<コミュニケーション>
2020年 AIとは機械的な会話しか成立していない
2040年 AIに感情や知性のようなものが芽生える?
2050年 AIと感情のある対話が可能に
<教育>
2020年 AIはデータ処理のみに活用されている
2030年 AI教師が登場し、子どもたちの個性が伸びる
2050年 人とAIがタッグを組んだ教育界が生み出されている
<介護>
2020年 人の手による介護で家族も疲弊する
2040年 地域包括ケア体制の環境が整い、AIとの連携がはじまる
2050年 AIが健康管理をすることで介護負担が著しく減る
<住宅>
2020年 スマートスピーカーが普及しはじめる
2042年 IoT住宅の普及がスタンダードになる
2050年 総括的に人を守るAI住宅が誕生する ⁉
<農業>
2020年 後継者問題など深刻な人手不足
2028年 生産の各工程で自動化が進む
2035年 生産管理をAIでまかなうようになりはじめる
2050年 農業就業者はシステム管理者へ移行する ⁉
<漁業>
2020年 海の環境と水産資源の解明に着手
2030年 魚種ごとの回避データが揃いはじめる
2040年 遠洋漁業で獲っていた魚が沿岸部で獲れるようになる
2050年 生け簀となった大洋の魚を計画的に水揚げ!
<自動車>
2020年 運転ミスなど人的事故が絶えない
2030年 自動運転の法整備が進む
2040年 交通機関で自動運転が使用開始
2050年 自動運転が生活時間のさらなる効率化を加速
<放送メディア>
2020年 ユーチューブなどメデァの形に変化が現れる
2035年 インタ―ネット放送が地上波を追い抜く勢い
2050年 番組内容や視聴者対象を細分化し、多チャンネル放送でTVは生き残る
<モビリティ>
2020年 自動車による交通事故や渋滞が絶えない
2030年 環境汚染とは無縁な自動車が誕生する
2040年 先進国以外でも自動運転導入
2050年 電動・自動運転車によって人間の移動手段が大きく変わる?
<アート>
2020年 感性と経験、技術が芸術を生み出す
2035年 AIが個人に特化した芸術を簡単に制作
2050年 芸術はより身近な存在になり、AIを超える新たな芸術が誕生する?
<スポーツ>
2020年 選手は故障やスランプに苦しんでいる
2030年 AIの分析による練習メニューで怪我を予防
2040年 AI分析によってチームの勝敗が左右される
2050年 AIの分析データがスーパースターを見つけ出す
<2045年、AIに何かが起こる SF映画の世界は空想ではない ⁉>
<実際にシンギュラリティが引き起こされる可能性はあるのか>
<人知を超えたAIが生まれる可能性はあるのか>
・シンギュラリティ(2045年問題)と呼ばれるこの問題は、「技術的特異点」を意味する。
・近年で似たような問題として記憶に新しいのは2000年問題だろう。西暦でカウントされてきた西洋文化では、0化されることでシステムが誤作動するのではないかと警戒されていたものだが、実際には何も引き起こされなかったに等しい。
<シンギュラリティを迎えてAIが脳を超越する可能性>
・この仕組みを模倣したのが、ニューロコンピュータなのだ。人の脳は、約140億もの神経細胞の集合体だが、仮にこれと同じ数のニューロンを持つコンピュータが実現すれば、知性のあるコンピュータが出来ても不思議ではない。遺伝的に神経細胞の数に限界がある人と比べて、一度これに並ぶニューロンを備えたコンピュータが出来てしまえば、10倍の数を持つものが生まれるまで時間の問題と考えることができるだろう。
ただし、未来に絶対はあり得ない。
『聖書と宇宙人』
クロード・ボリロン (ユニバース出版社)1980年
<リラ(琴座)の別の世界>
・やがて機体がかすかに揺れ、私たちは、出口に向かった。そこで、私が目にしたものは、信じられないほどう痛苦しい天国のような光景だった。その素晴らしさを語る言葉を私は知らない。大きな花が咲き乱れ、その中をこれまで想像したこともなかったような動物たちが歩き、極彩色の羽根に色どられた小鳥たちが飛びかい、頭の形がちょうど小熊のような青やピンクのリスたちが巨大な果実や花を沢山つけた木の枝を駆け上っている。
私達が、降りた宇宙船から30メートルほどのところに何人かのエロヒムが待っていた。林の向こうには、貝殻を伏せたような形のはなやかな色どりの建物がいくつも見えた。どの建物もまわりの草木と見事に調和している。外は暑くもなく、また寒くもなく周囲の空気は何千種類もの珍しい花の香りに満たされていた。
<古代の預言者たちに会う>
・食事が終わり、地球からずっと一緒だったエロヒムが私に向って口を開いた。「この前お会いした時、この惑星には科学的な不死の処置で、ひとつの細胞から再生され今は生きている地球人たちの場所があって、そこには、イエスやモーゼやエリアといった人たちが住んでいるとお話しましたが、実際にはその場所は、大変広い所で、この惑星全体にわたっており、そこで地球の人々は不死会議議長のメンバーであるエロヒムと一緒に住んでいるのです。私の名はヤーウェ、不死会議の議長です。この惑星に現在、現在8千4百人の地球人が住んでいますが、この人達は皆、生きている間に無限の心の広さを獲得したが、または、その発見や著作、それに愛や献身によって原始的な段階からある程度脱することができた人ばかりです。このほかに不死会議のメンバーである7百人のエロヒムが住んでいます。
『天才政治』 (天才に権力を!)
クロード・ボリロン”ラエル” MRJ出版 1985年
<天才に権力を与える方法>
<原始的な民主主義すなわち平均政治>
<天才政治すなわち選択的民主主義>
・すなわち、全ての人間に対し、その知性を測定する科学的テストを実施し、生来の知性(卒業証書の数ではなくて)が平均より10%以上優れた者たちにのみ選挙権を与え、生来の知性が平均より50%以上優れた者たち(天才)にのみ被選挙権を与えるものである。
実際、最も知性的な人々が統治者になることほど、望ましいことがあろうか!
・テストの実施により行われる個人の知性の科学的な尺度は、大学を出たとか、たくさんの免状を持っている者も、それを理由に優れたものとみなすことは全くない。そうではなくて、労働者も農民も技術者も、全て全く平等に扱うのだ。権力の座に就くであろう天才たちは、あらゆる社会階級、人種および性から出てくることが可能である。したがって、今問われているのは単なる民主主義ではなく選択的民主主義である。
・誤解のないように強調しておくが天才であるという事実が、そのままその者に政府の構成員となる権利を与えるのではなく、構成員に立候補する権利を与えるのである。
『異星人を迎えよう』 “彼らが実験室で人間を創造した”
クロード・ボリオン“ラエル” AOM 1986年
<悪魔は存在しない、私は、それに出会った>
「サタン」が年代学的には最も古いものである。エロヒムが自分たちの惑星の実験室内で最初の完全な合成生物を創造したとき、彼らの世界の一部の人々は彼らの文明にとってこれは危険なことだと考え、この遺伝子操作に反対した。
・この遺伝子操作に反対する運動をリードした団体は、エロヒムの一人で”サタン”という者にひきいられていたのである。
・こうした経緯からサタンとは、エロヒムのうちの一人ではあるが、エロヒムの姿を持つ新しい生命の創造には反対する彼らの惑星の一政治団体の指導者であることがはっきりと分かる。他の多くのエロヒムたちはサタンとは異なり、非暴力的な生命の創造は可能だと考えていた。
・ここでルシファーが現れる。語源的にはこの言葉は「光を運ぶ人」を意味する。ルシファーは地球に生命、従って人間を創造したエロヒムのうちの一人でもある。
ルシファーは最高の合成人間の反応を研究するある一つの遺伝子工学実験場のなかの一つの科学者グループの長として、新しく創造された創造物の素晴らしい能力を見て惑星政府の指令から離反することを決心した。
・こうして「光を運ぶ人」としてのルシファーは人間に光をもたらし、彼らの創造者は神ではなく彼らと同じような人間であることを明らかにした。このようにしてルシファーは人間たちからは悪しか生じないと考えるサタンと対立し、エロヒムの惑星を統治する不死会議の議長であるヤーウェの命令に反することになった。
<地球人に対するヤーウェのメッセージ;最終核戦争の啓示>
・核爆発にさらされなかった地域では、爆発地点から何千キロも離れた所も空から岩が降って来た。
「私はまた新しい天と新しい地とを見た。先の天と地とは消え去り、海もなくなってしまった」(ヨハネの黙示録、21章1節)
・ヨハネはそこでは地球より遠ざかる宇宙船の中から見えるものを見たのだ。地球が遠ざかっているような印象を受けるが、実は宇宙船の方が遠ざかっているのである。そしてこの宇宙船は星間を旅行し、地球人には見慣れない宇宙空間の旅を続けるのだ。すなわち、「新しい天」である。そして宇宙船は他の惑星へ近づく。すなわち「新しい地」である。
「また聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意を整えて、神のもとを出て、天から下って来るのを見た」(ヨハネの黙示録、21章2節)
宇宙船から見た原始人は、あたかもこれから宇宙船が着陸する町が「天から下って来る」ように感じたのだった。もちろん本当は宇宙船の方が近付いていったのである。
「・・・・・・。『見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり神自ら人と共にいまして、人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや死もなく、悲しみも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである』。」(ヨハネの黙示録;21章3,4節)
・これは不死の惑星についての描写であり、そこでは大異変から我々が救出する人々が、我々とともに永遠に生活し、地球が再び住めるようになったときに、新しい平和な文明を創造するために移住させられるのを待っているのだ。