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「松下自身、現実という書物を読むことの大切さを説いています」

 

松下幸之助の生き方』  人生と経営77の原点

佐藤悌二郎  PHP   2015/11/17

 

 

 

<松下自身、現実という書物を読むことの大切さを説いています>

松下幸之助の人生をたどってあらためて思うのは、松下ほど、一つひとつの見聞や体験に学び、考え、何らかの教訓を導き出して、その後の人生や仕事に生かした人もめずらしいのではないかということです。故・山本七平氏の言のとおり、松下はデカルトのいう“膨大な書物といえるこの社会”をきめ細かに読み、そこから実に多くのものを学んできた人だったように思います。

 

・これに対し松下は、「万巻の書を読まなくても、真理はすべて日常の事象の中に具現されている。たしかに真理や原理原則は万巻の書物に書いてあり、普通はその本を読んで研究するが、それ以上によく説明しているものがある。それは現実という書物だ」と述べています。そして実際、あらゆる事象をつぶさに観察し、学ぶ姿勢をみずから貫いたのです。

 

・昭和59年11月27日に90歳を迎えるとき、「27日になったら一から出直しだ。中学校に入ってもう一ぺん勉強しよう。それから高校へ行って、大学へ行って」と言い、翌60年の年頭には、「PHP大学をつくって、大学生の第一号になる。まだまだ勉強しないといけないから」と言ったといいます。松下の一生は、まさに“学ぶ心をもちつづけた一生”、とどまることなく学び、思索し、成長を続けた生涯だったといえるでしょう。

 

<企業は国家からの預かりもの――税金で悩む>

・私は爾来、50年近いあいだにずっと公開経営と申してもいいほど、税金に対しましてはガラス張りでやってまいりました。また、関係会社にしましても、税金に関してはいっさい心配は要らない。もともと国家のものをわれわれが預かっているにすぎんのやから、喜んで出したらいいということでやってきました。

 結局、企業というものは全部国家のものであって私のものではない。それを私のもの、あるいは私らのもの、あるいは株主のものだというような考え方でやっているところに問題がある。だから企業は国家から預かっているものであるという観点に立っていっさいを見ていこう、そうすれば非常に楽であるし間違いがないと、こういう考えでやってきておるんです。

 

<間違いは正さなければならない――財閥指定に抗議する>

・幸之助は、財閥に指定された他の会社の社長がみな辞職したなかで、ひとり辞職しなかったのみならず、GHQに対して徹底的に抗議しようと決意します。大阪からGHQ本部のある東京まで、超満員の汽車に乗って出向き、50数回にわたり指定の取消しを訴えました。財閥ではないと証明するために作成した資料は5千ページを超えたといいます。

 その間、個人資産が凍結されたために生活は困窮し、友人に借金をして生活費にあてる日々を余儀なくされました。しかし、幸之助はあきらめずに抗議を続け、3年半後の昭和24年12月、財閥家族の指定を解除されたのでした。

 

<従業員はわが家族――物故従業員慰霊塔を建立>

・一昨日から出張して、けさ早く帰阪いたし、そのまま出社した。会社付近まで来た頃にはちょうど各工場の出勤時間で、工員諸君が大勢、しかも雨降りで傘をさしているため、表の通りはそれらの人で埋まるくらいのにぎやかさであった。それを見て深い感慨を覚えるとともに、それらの若い人々が、いずれも将来の幸福を願い、それぞれの希望を抱いて、朝早くから勤めにかよっておられるのであろうことを考えて、自分の責任の重さを強く自覚させられたのである。

 自分としては今いちばん深く考えていることは、大勢の従業員諸君が毎日を愉快に働いておられるかどうかという点である。願わくは1人残らず。その日その日を愉快に働いてもらいたい。そのときに、真の会社の発展も各人の向上も望みうるのである。

 

<明文化して意識づける—―三つの心得を通達>

松下電器には、明文化された規則とか心得といったものが少なからずある。それらは、見方によれば窮屈な感じを与えるかもしれない。けれども、また一面においては、お互いが仕事を進めていくうえでのよりどころともなるわけである。

 規則も何もない姿で事がスムーズに運べば理想的だが、実際にはなかなかそうはいかない。だから、やはり、お互いに期するものをもち、みずからを律しつつ、目標を追求していくという姿が望ましい。そういうところにこそ充実感が得られ、好ましい成果もあがってくるのではないだろうか。

 そういう意味からいって、一つの集団、一つの会社が力強い活動を続けていくためには、何らかの規則、決まり、心得を明文化して、それを1人ひとりがくり返しかみしめていくことも非常に大切だと思うのである。

 

<気負いが失敗を招く――松下造船、松下飛行機を設立>

・若気の至りというか、血気というか、人間だれしも、多少とも、よし、おれが出てやってやろう、という気負った気分があるものだが、そういう気になったときに、人間は注意しなければいけない。おおむね失敗するのは、そういう気分がツッと出たときである。

 そのときは、今は国のために命でさえ捧げねばならないときだから、軍の命令とあらば当然飛行機の仕事もしなければならないという気持ちが半分は占めていたけれども、あとの半分は、おれがやらなければダメだという。世間に対して多少てらう気分があったことも本当である。それをやったがために、あとの苦しみがひどかったから、人生の失敗というのは、ああいうところにあるのだということを深く味わったわけだ。

 

・ところが3機を製造したところで終戦。政府が支払いをストップしたため一銭ももらえず、借金だけが残ったばかりか、船や飛行機を製造していたことで、GHQ(連合国軍総司令部)から公職追放や財閥家族に指定されるなどさまざまな制限を受け、戦後の5年間、松下電器と幸之助は非常な苦難を強いられることになったのです。

 のちに「木造船と飛行機の製造で学んだことは」と問われたき、幸之助は「やればやれるということですね。死んだ気になってやれば、やれるもんですわ。しかし、こういうことはやらないほうがよかったですな。やっぱり断ったほうがよかったと思うのですよ」と答えています。

 

<虚脱状態のままでは何も生まれない――終戦時の決意>

・3年有余にわたる総力をあげた戦争も、遺憾ながらついにこの結末となった。国民としてこれほど悲しいことはない。しかしわれわれは悲しみに耐え、苦しみに耐えて、ただちに国家の再建にとりかからねばならない。これが国民としての何よりの義務だ。わが社もまた本来の増産を行わなければならない。そこにわれわれの使命があり責任がある。悲しめば限りもないが、ともかくもただちに行動にとりかかろう。絶対に虚脱状態のままであってはならないのだ。

 こうして1万5千人の全従業員を激励し、またみずからにもムチ打って、積極的な生産活動に入っていったのである。

 

・こうして、幸之助の“虚脱状態のままでは何も生まれない。会社の再建が国家の再建につながるのだ”という信念のもと、松下電器はいち早く生産を開始しました。

 ところがその矢先、GHQから生産のストップ令が出ます。これは戦争中、軍管理だった工場すべてに出されたもので、生産の中止、資材の在庫報告とその使用禁止が課せられたのです。

 再建の意気が上がるなかでの突然の生産中止令は、「まったく涙が出るほどの情けない思いを味わった」というほど、幸之助にとって大きなショックでした。しかしそれでも生産への意欲を失うことなく、幸之助はすぐに民需生産の許可申請を行い、ねばり強い活動の末、同年10月中には全事業場で生産を再開することができたのです。

 

<信賞必罰は厳格に行う—―給料を全額返上>

・世の中がよくなるのも悪くなるのも、信賞必罰を適切に行うかどうかですな。叱るべき人をほめてみたり、ほめるべき人を叱ってみたりする。そこに問題がある。ぼくは、人間の共同生活で信賞必罰はいちばん大事なものだと考えているんですよ。

 何がより正しい信賞必罰かを研究するために、単独の大学をつくってもいい。“信賞必罰大学”といったものを設けて“信賞必罰学”を専門に教えていく。そこを卒業した人は、人事部ででも雇って、こういうときには、どういった罰をつけたらいいかと研究してもらう。それくらいにせねばならんもんですよ、信賞必罰は。

 

<豊かさの違いを実感する――初めてのアメリカ視察>

・当地の商店ウインドには、惚れぼれするような商品がたくさん並んでいて、どれもこれも買いたいものばかりです。日一日とニューヨークの豪華さに驚きを深くしています。

 こちらでは日曜日と土曜日が休日で、慣れない私には仕事をする時間がないように感じられます。こちらへ来て、たしかに、ものの考え方が変わり、心が広くなり、見方も進んでゆきます。今後の経営の上に、得るところ大いにあるものと思います。

 米国での電気器具の販売方式を出来るだけ調査したいと思います。家庭電化は徹底しています。これには大いに感心させられました。日本でも大いに電化の普及に努め生活改善を行わねばならないと思います。

 

・また、女性工員の初任給が、日本円に換算すると日本の社長並みであると知って驚き、日本の賃金も早くそこまでもっていきたい、その先端を松下電器が切りたいという思いも深くしました。

 そしてアメリカの電機業界の繁栄ぶりを目の当たりにしたことで、電機業界の将来の発展に大きな希望を見出したのでした。

 街の様子にも目を向け、ニューヨークを訪れた際には、当時の日本は電力不足で毎晩停電しているのに、タイムズスクエアでは昼間でも煌々と電気がついていることや、セントラル・ステーションのホールの床が鏡のように磨かれて光っていることから、日本とは雲泥の差の豊かさを実感しました。のちに、「こんな国と戦争したら、負けるのは当たり前だとつくづくと思った」と述べています。

 

<民主主義は繁栄主義――アメリカ視察で感じたこと>

・アメリカ人は小学生の時代から、納税は国民の義務であると教える。日本では「税金をとられた」「それは気の毒やったな」というようなもので、そういうところが非常に違う。「民主主義というのは、これやな」とぼくは考えた。日本人は税金を納めたら、政府が何に使おうと無関心です。アメリカは違う。税金はきちんと払わないといかん、その受け取った税金は有効に使わないといかん。そして、国の繁栄、国民の幸せを願う、それが民主主義だと考えている。

 

<「自修自得」を基本方針として――「松下政経塾」が開塾>

・皆さんは大学などへ行ってある程度の専門知識はもっているのですから、これからはそれを実地に行使していくことを考えなくてはならない。そのためには、確個たる信念を養うことが、この塾において皆さんに課せられた大きな仕事になるわけです。それを、研修を通じてやっていくということです。

 そして、街頭に出て辻説法をするとか、いろいろ社会の中で将来の準備をしていく。すべての点にわたって見識を養っていくわけです。かりに、卒業してすぐに文部大臣なら文部大臣をやれと言われても、それをやれるというくらいの見識を養わなくてはいけないと思います。そのくらいのことは十分にできるはずです。

 

<この世に思いを残しつつ――逝去>

・万物は生成発展する。万物が変化するという大きな掟には、どうしても抗することができない。われわれ人間の意志がどう働いても、防ぐことができない。

 

 

 

『私の夢 日本の夢 21世紀の日本』

松下幸之助  PHP研究所   昭和52/1/1

 

 

 

<民主主義国においては、国民はその程度に応じた政府しか持つことができない>

<進む食糧のダムづくり>

・迫り来る食糧危機を前にして、中村農林大臣は日本の長期にわたる食糧自給方策について語るのだった。

 

・日本の姿をみると世界の中でも極端に食糧の自給率が低かったのです。これは一面、みずから生産するよりも、大規模農法で、豊富に生産している国から輸入する方がはるかに安かったですし、また国によっても食糧の輸出を必要としているところもありましたから、日本が大量に輸入することは、生産国にとっても好ましいことだったわけですね。

 

・「ですから、自給という長期的な基本方針と中期および当面の短期方針をどうしていくかということが、考えられました」「その長期方針が例の国土創成ですね」

 

・長期の方針が国土創成事業、中期の方針が外国への食糧増産のための援助協力、短期の方針が国内における諸対策ということになりますね。

 

・この国土創成事業は一口で言うと国土の70%を占める森林山岳地帯の比率を50%までにして、20%は有効可住国土になおし、あわせてほぼそれに等しい面積の海を活用しようというものです。

 

・将来的にはこれによって農地も倍以上に増え、しかもある程度の大農方式が可能になりますから、生産性も上がり、食糧は安全に自給できるようになります。もちろん、食糧以外にもこの国土創成から生まれる効果はきわめて大きいものがありますがね。

 

・そこで、短期および中期の方策として1970年代末に日本人が長期的な国土創成とあわせて考えたのは、いわゆる食糧についてのダム経営ともいうべきものです。

 

・一言でいえば、食糧そのものの備蓄と円滑な流通体制、それと国際的友好親善、さらには非常時対策としての予備農地というのが、食糧のダム経営の柱になります。

 

・ですから、そういう国からの要望があれば、日本の技術や資金を提供して開発に協力し、その国はもちろん、ひいては世界の食糧供給を増やしていこうということですね。そのことは結果として日本自身の食糧問題にもプラスになってくるわけですね。

 

・今後は、国土創成がだんだんにできあがってきますから、それを基盤とした日本的大農方式―つまり30年目前の日本の一戸あたりの農地の3、4倍程度の耕作面積を生かした、より生産性の高い農業と養殖漁業とによる食糧自給体制になっていくでしょう。

 

<250年計画>

<初めに言葉ありき>

・昭和7年には会社の使命、産業人としての使命を達成していくための250年計画というものを発表し、その実現に努めてまいりました。すなわち物質を水道の水のごとく豊かに生産し、安価に供給することによって、この社会から貧困をなくしていくことをもって会社として産業人としての真使命と考えるのです。使命の達成期間を250年と定め、これを25年ずつ10節にわけて、当時の従業員はその最初の一節をになうことを自分達の使命と考えて活動していこうと訴えたわけです。そのことによって、従業員の自覚も高まり会社もそれまでに比べて飛躍的な発展をとげることになりました。

 

 

 

『わが師 松下幸之助

松下政経塾」最後の直弟子として

樽床伸二    PHP   2003年3月26日   

 

 

 

<後世の歴史家は松下幸之助をどう評価するか>

・8百万部発行されたアメリカの『ライフ』誌は、松下幸之助が産業人であると同時に「思想家」であると紹介したが、私は、さらに「政治の変革者」として評価されなければならないと考えている。

 

松下幸之助は、『ライフ』の誌上で「最高の産業人」「最高の所得者」「思想家」「雑誌の発行者」「ベストセラーの著者」と5つのタイトルが冠せられました。

 

<理想の日本が実現するのは2010年>

松下幸之助にはたくさんの著書があるが、政治の改革者としては『私の夢 日本の夢 21世紀の日本』をまず第一にあげなければならないだろう。

松下幸之助がこの本を著したのは昭和52年(1977)であったが、もともと「小説日本」というタイトルを考えていたと側近に漏らしていたように近未来小説の形を構想していた。

 

・「それは2010年の日本から始めるのや」松下幸之助が、こういうのを聞いて木野元会長は聞き返した。「21世紀と言うと、2001年から始められたらどうなんですか。なんで2010年なんですか」これに対する松下幸之助の答えが凄い。「ぼくは夢を描いとるのと違うんや。本当に実現したいんや。そのためにはこれから30年はかかる。それで「2010年にしたんや」

 

・木野元会長は夢と言う言葉を使っているが、そこには本当の松下幸之助の心、必ず30年後には実現してみせるという強い祈りがこめられていると思うと、書いている。

 

松下政経塾が設立されるのは、その2年後であるが、一度は断念しながらも、おそらくこの段階で構想は煮詰まっていたのであろう。それにしても目標の2010年まで、あとの残りは7年である。

 

松下幸之助はすでに亡くなり道半ばではあったかもしれないが、前述のように「2010年」を目途にしていたようであるから、草葉の陰で少しは微笑んでいたのではないかと思う。

 

・それが松下政経塾を“平成の松下村塾”たらしめることになるであろうか。そして、松下幸之助が「政治の変革者」として評価されることになるのであろうか、である。

 

松下幸之助は、26年前の著書『私の夢 日本の夢 21世紀の日本』のなかでこれらの夢が実現するのは2010年だと記しています。だとすると、目標の年までは、わずか7年しかありません。

 

 

 

松下幸之助はなぜ、松下政経塾をつくったのか』

江口克彦    WAVE出版   2010/6/20

 

 

 

<個性・持ち味を生かす>

・結論を申せば、松下幸之助は職種を増やすことを考慮した政治をおこなうことであり、「お互いの欲望が適正に満たされる社会」が政治の目指す姿だと考えていたようだ。

 

赤字国債の発行に危機感>

・それでなくとも国費が膨大に膨れあがっている。戦前と比べるとそれは一目瞭然であり、物価は約1000倍、賃金は1300倍であるのに対し、国費だけが13000倍になっており、一桁違っている。「おかしい」というのが松下幸之助の直感である。

 

<なぜ政府に政治研究所がないのか>

・今政治は何といっても一番大事です。しかし、それだけ大事なのに政府に政治を研究している機関がないのです。

 

・しかし、政府直轄の政治研究所はないのです。これが元々間違っています。自民党にしても与党として30年近く政権を担当し、あれだけの活動をしているのですから、専属の研究所があってもいいと思うのです。各議員の方々の体験からくるところの感覚で政治をやっておられるわけです。そういうところに一つの弱さがあると思います。

 

・このかってない非常時をかってない絶好のチャンスとするには、一にかかってお互いが「国難こそ絶好のチャンスだ」とはっきりと認識するかどうかである。

 

<政治が日本の繁栄をつぶす>

<政治の要諦とは何か>

・農業にたずさわる多くの人たちが食べることだけが精一杯の貧しい生活状態にあると仄聞している。農民自身も生産方法の改善に努めねばならないが、それ以上になぜ蓄積できないのか、また貧困に甘んじなければならないのかを追及し、その原因を糾していくのが、政治家の責任ではなかろうか。こうした政治の点に政治の貧困を感じていた。

 

政経塾設立への5つの理念>

1、「百花繚乱の社会」を実現する政治をおこなうべきであるというものである。

2、「人間重視の社会」を実現する政治をすべきだということである。

3、「政治の生産性の高い社会」の実現を考え求めていた。

4、「道義道徳の高い社会」を実現する政治である。

5、最後に一つだけ加えれば「志の社会」の実現ということになるだろう。

 

<採用基準は運と愛嬌>

<研修の基本方針>

1、「自修自得」

2、「切磋琢磨」

3、「万差億別」

4、「徳知体の三位一体研修」

 

・政治がしっかりしなければ、国民は路頭に迷いかねない。国民の生活を支え、国民の幸不幸を左右する政治が今の姿ではとても安心しておれない。

 

<当面の実現10目標>

・新党の組織、党則を構築する一方、活動方針として「当面の実現10目標」を掲げた。

 

1、 所得税一律5割減税の実施

2、 建設国債の発行

3、 無税国家、収益分配国家の実現

4、 新国土創成事業

5、 政治の生産性の向上

6、 日本的民主主義の確立

7、 多様な人間教育の実施

8、 政治家及び官吏の優遇

9、 生きがいを高める社会の実現

10、 国際社会への真の寄与貢献

 

 

■■■ 私が思うこと、聞いたこと、考えること ■■■

 

松下幸之助は「経営の神様」といわれます。「松下哲学」には今でも多くの信者がいるといわれます。Amazonに「松下幸之助」といれますと、873件もの書籍が分かります。松下幸之助については、現在でも、さまざまな本が出版されていますが、個人的には把握できない量の書籍です。「松下自身、現実という書物を読むことの大切さを説いています」とのことですが、小学校も卒業しなかった苦労人ですが「経営の神様」として大変評価されています。現状に対応するのに天才的な才覚の持ち主だったと語られています。「何がより正しい信賞必罰かを研究するために、単独の大学をつくってもいい。“信賞必罰大学”といったものを設けて“信賞必罰学”を専門に教えていく。そこを卒業した人は、人事部ででも雇って、こういうときには、どういった罰をつけたらいいかと研究してもらう。それくらいにせねばならんもんですよ、信賞必罰は」と語っていますが、印象に残ります。

 

・「会社は事業計画で決まる」ともいわれますが、長期計画はせいぜい10年位でしょう。「経営の神様」といわれる松下幸之助の「250年計画」は非凡と言うよりも天才的な面が窺われるそうです。

 

・「国家の長期計画が確かなものであればその国は発展する」といわれますが、人生の長期計画、会社や組織の長期計画など、何事も「計画を作り達成する」ことが肝要のようです。

 

・大震災で津波を被った冠水地域を松下幸之助の「国土創成地帯」にしてはどうでしょうか。莫大な資金と期間がともないますが。 「国家百年の計」というぐらいですから国家計画は長い方がよりよいでしょうか。

 

・「この国にも農業や漁業の国家的長期計画があることでしょう」。松下幸之助の昭和52年の近未来小説『私の夢 日本の夢 21世紀の日本』で描いた「理想の日本が実現するのは2010年」という夢は、松下幸之助の志を継ぐ者たちによって立派に達成されることでしょうか。

 

・ちなみに「闇の権力の世界連邦主義、ワン・ワールド構想、世界単一政府、日本合衆国という亡霊が世界中を徘徊している」そうですが!?松下幸之助の書籍には「闇の権力」に対する言及はないようです。

 

松下幸之助の30年前の夢がどのように実現するのでしょうか。「経営の神様」から「政治の神様」と評価されるのでしょうか。松下教の信奉者は非常に多いそうで、卒塾者の数も増え、政治家として総理大臣も出現していますので、今後の動向が注目されているようです。

 

松下幸之助松下政経塾については、最初は笑われたり、失敗するといわれていたようです。が、ハーバード大学ケネディ行政大学院(通称ケネディ・スクール)よりも実績を見せ始めると世の中は手の平を返したように評価するようになったということです。「政治が一番重要なので、寄与貢献を考えて政治家や官吏は優遇すべきだ」という松下幸之助は、現在の政治を何とみているのでしょうか。

 

・「一番大事な政治の改革が遅れている」そうですが。「はたして政治の神様はいるのでしょうか?」政治の劣化が目立つといわれます。世の中がうまくまわっていませんが、卒塾者が総理になられたので松下幸之助の政治哲学、政治遺産が注目されているようです。成功した実業家、事業経営者としての松下幸之助の限界と飛躍・志が窺われます。

 

・戦後の日本の政治と言うのは、マッカーサー元帥の占領軍の時代から「グローバル・スタンダードという戦勝国・米国の政治指導に自然に従うようになっている」そうです。原因として考えられることは、「ヨーロッパの王族や貴族、米国の支配階層を統括するといわれているイルミナティなどのフリーメーソン王国(米国)の支配が敗戦後の日本にも当然及んでいる?」といわれます。そういえば、マッカーサー元帥もフリーメーソンでした。

 

・「戦後日本神界のトップがアメリカの神様になった?」、「異次元の高等知性体(異星人)が地球経営に関与している?」、「役人の元締めのような(官定)というものが存在している?」等奇説もいろいろあるといわれます。私たち一般人にとっては、教科書やメディアに登場しない限り訳の分からない話ばかりのようです。例の『闇の権力』が背後にいるとしたら、私たち一般人には、理解不能なことが多いようです。

 

・日本国政府直轄の「政治経済研究所」を作れば叡智を結集した、誰でも納得できる権威ある政策が作れるのではないでしょうか。思いつきではなく国家経営の実務に精通した担当者が作る政策では、国論が2分されることはないでしょう。国家経営の実務に精通したベスト&ブライテストのテクノクラートの英知を結集した「国家改造計画」が求められているそうです。官庁自身がシンクタンク機能を持っていると語られています。

 

・「TPPで国論を2分する必要もなく松下幸之助のいうように、明治政府からの伝統である常に農民の生活を中心に考えるべきである。農民に無理な要求をすべきではない」といわれます。「TPPは開国の起爆剤になるどころか自爆剤になる」、「松下幸之助のいうように国家への寄与貢献を考えて、政治が一番大事なので、政治家及び官吏を優遇すべきだ」、「政府直轄の政治研究所が農家とビジネス社会の実態を知悉・把握すべきだ」といわれます。「特に外交・防衛政策は与野党一致して、対外的に統一的なものであるべきだ」そうです。

 

・トランプ大統領の実現で米国の政策が大きく変わることが注目されています。トランプ大統領の実現は、ほとんど誰も予測できなかったといわれます。

 

******************************** ・ブログ名称: UFOアガルタのシャンバラ

日本は津波による大きな被害をうけるだろう

・第2のブログ名称:UFOパラレル・ワールド 神の国か?」「人類の原郷か?」 「天上のエルサレムか?」・・・・・・・・・

「パラレル・ワールドに住む宇宙人、天国に出入りし転生と憑依を自由に操るシリウス星人の殖民星が、地球か?」、「ネガティブのシリウス星人の地球支配があまりにも巧妙なので、しょっちゅう戦争が起こるのだろうか?」

「金髪碧眼のノルディックが住んでいたアガルタのシャンバラ情報の集大成を目指す・・・・・・・・・・」「金星蛇人と火星霊人の戦争はその後どのように展開したのだろうか」 日本民族の神話の原郷『高天原(たかまがはら)』は、『都市型の超巨大宇宙船』なのか!?」「平家がプレアデス星人の末裔で、源氏がオリオン星人の末裔なのか」 「小人族のグレイの母船に同乗する金髪碧眼のノルディックは、”悪魔の王””ルシファー”なのか?!」

「円盤は神人や異人、悪魔の乗り物なのか!?」「天使は神の秘密諜報員なのか」「神は最初のフリーメーソンなのか」

「UFOは、人類の歴史が始まって以来、最も重要な現象なのか。UFO問題とは、人間にとっての死の問題を解くことなのだろうか。UFOはフリーメーソンの創作なのか」

「全宇宙を創ったという“虹の神々”も地球に来ているのだろうか」

イルミナティなどのフリーメーソン組織に入ると神に会えるのだろうか」「金星の神々は地球に到着するやいなや、イニシエーションのためのフリーメーソン本部を設けたのだろうか」

国際連合の設立に動いたキリストの星、アプ星人とは」

「人は皆、記憶喪失の異星人だろうか」

「はるかに進化した天使のような宇宙人は、人間の守護霊や背後霊なのだろうか」

セドナ上空に見えないエーテルのシティが滞空するのだろうか」

 

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