日本は津波による大きな被害をうけるだろう UFOアガルタのシャンバラ 

コンタクティやチャネラーの情報を集めています。森羅万象も!UFOは、人類の歴史が始まって以来、最も重要な現象といわれます。

<夜な夜な現れる車輪の妖怪  片輪車(かたわぐるま)>片方しか車輪のない車に女が乗っていたり、あるいは車輪自体に顔がついている。姿を見た者には祟りがあるといわれる。(1)

 

『日本の妖怪の謎と不思議』

  学研プラス       2007/4

『増補改訂版  日本の妖怪の謎と不思議』

 学習研究社      2010/3/13

 

 

 

心優しき小さな民  コロポックル

・(特徴)「蕗の下に住む人」を意味の名を持ち、体は非常に小さい。性格は優しくておだやか。

 

・北海道では、アイヌ民話に登場する小人「コロポックル」(コロボックルともいう)の伝説が有名である。西洋の妖精や小説『指輪物語』に登場するホビットのような、かわいらしい、またはファンタジックな印象を持っている人も多いだろう。

 コロポックルとは、アイヌ語で「蕗の下に住む人」を意味するという。

 

明治時代には、このコロポックルの実在をめぐり、人類学者のあいだで一大論争が起きた。

 

幸運をもたらす謎の家 マヨイガ

・(特徴)山道に迷ったとき、突然出現する不思議な家、家の中から何か什器を持ちだすと幸運に恵まれるという。一度行った者は二度と訪れることはできないともいわれる。

 

マヨイガ迷い家)」は、山中に現れる不思議な家のことである。

 うっかり山の奥深くまで入り込んでしまい、さまよっていると、見慣れない立派な門構えの家に出くわす。庭には花が咲き乱れ、鶏や牛がたくさんいて、厩には馬がつながれているが、人の気配がまったく感じられない。玄関から座敷をのぞくと火鉢があって、鉄瓶にぐらぐらと湯が沸いているが、不思議なことに、やはりどこにも人の姿はない。

 そんなマヨイガに行き当たった者は、その家にあるものをひとつだけ持ち帰ることができ、それを使うと長者になれるというのだ。

 

<奥州に伝わる鬼伝説  悪路王>

岩手県平泉町には、坂上田村麻呂が戦った悪路王という鬼の伝説が残っている。

 達谷窟という岩窟につくられた要塞を棲家としていた悪路王は、盗みや殺しなど、悪行の限りを尽くして人々を困らせていた。そこで朝廷は征夷大将軍坂上田村麻呂を遣わし、ついにこれを退治したという。

 

・悪路王については、『続日本紀』などに登場する蝦夷の王・アテルイと同一視する説もあるが、それには賛否両論がある。

 

<福を呼ぶ幸運の童 座敷童子

家の怪異は童子の仕業か

座敷童子は、岩手県を中心に東北地方で伝えられる、神や精霊のような存在の呼称だ。

 その姿は、おかっぱ頭の小さい子どもにたとえられることが多く、寝ている人の布団の上に乗ったり、枕を返したり、物音を立てるなど、家の中でいろいろないたずらをするという。また、小学校の運動場に集まっている子どもの中に見知らぬ子が混じっていて、数を数えてみたら、いつもよりひとり多かったという話もある。

 座敷童子が住みついた家は、座敷童子がいるあいだは栄えるが、去ってしまうと家運が傾くといわれた。そのため、座敷童子がいるとされた家では、これを嫌がることなく、むしろ歓迎していたそうだ。

 座敷童子には、「座敷ぼっこ」「蔵ぼっこ」「米碾き童子」などの別名があり、中でも色白できれいな座敷童子のことを「チョウビラコ」というらしい。土間から出てきて座敷を這いまわるという、不気味さの漂う「ノタバリコ」もその仲間に数えられている。

 このほか、徳島県の「アカシャグマ」や沖縄県の「アカガンター」と呼ばれるものも、座敷童子の仲間といわれている。

 

座敷童子が住む宿

岩手県二戸市金田一温泉には、座敷童子に“出会える”ということで有名な旅館「緑風荘」がある。緑風荘の座敷童子は、その家の人間だけでなく、泊まった客人にも幸福をもたらすといわれることから、全国からご利益を求めて旅行者が訪れる。

 

・しかし、2009年10月に火災によって全館が焼失。ただし、同旅館の座敷童子を祀っているという「亀麿神社」は無事だった。現在は、復旧に向けて全国の緑風荘ファンが募金などを行っている。火災時の宿泊客が全員無傷だったのも、座敷童子のおかげなのかもしれない。

 

・また、盛岡市の旅館「菅原別館」も、座敷童子に会える宿として、座敷童子ファンのあいだではしばしば話題に上っている。

 座敷童子のことを、ここでは親しみを込めて「わらし君」と呼んでおり、階段の下などで遊んでいる気配をよく感じるという。

「菅原別館の大女将の生家では、座敷童子を、火災から家を守る火の神として祀っていたそうだ。

 

城代を取り殺した謎の主 亀姫

・猪苗代城に棲みつく妖怪。姫路城の天守閣に住む刑部姫長壁姫)の妹とされる。

 

・『老媼茶話』によると、寛永17年(1640年)12月のある日、当時の城代がひとりで座敷にいたところ、どっからもなくおかっぱ頭の子どもが現れた。その子どもが言うには、「お前はこの城にきてずいぶんたつが、まだ城の主に挨拶をしていないな。今日は主がお目通りをしてくださるそうだから、きちんと身を清めて正装して参れ」とのこと。

 

茶釜に変じた化け狸  文福茶釜

・助けられた恩返しのために、茶釜に化けたという狸。さまざまなパターンの話が各地に伝わるが、茂林寺の和尚の逸話がルーツではないかと考えられている。

 

旅の僧に化けた妖怪狸 狸和尚

・世話になった住職のために、住職に化けて山門建立の寄進の旅に出た古狸。道中、正体がばれて、犬にかみ殺されてしまう。

 

第六天魔王の申し子  鬼女紅葉

・(特徴)子のない夫婦が第六天魔王に祈願して生まれた子、魔性の力を持ち、都で貴人の寵愛を得るが、戸隠へ流罪となると悪党を牛耳って悪行を働き、平維茂に討伐される。

 

死者を冥土へ導く妖怪 センポクカンポク

・人のような顔をした、大きな化け物蛙。死者が出た家に一か月ほどいつづけ、まるで死者を冥土に案内するように墓へ向かうという。

 

屋敷内に立つ謎の音  家鳴り

・家がひとりでに音を立てる怪、福井県には、家鳴りが家人の変事を知らせたという話がある。

 

・昔は、大きな風が吹いたとか、地震があったわけでもなく、家人も特に何もしていないのに家が音を立てるのは「家鳴り」という妖怪の仕業だと考えられていたようだ。

 福井県三方郡には、家鳴りにまつわるちょっと不思議な話が伝わっている。

 

<人に憑くおしゃべり狐 おとら狐>

・人にとり憑いて、長篠の合戦の物語を語って聞かせるという狐。もとは長篠城の稲荷社の使いだった。

 

<夜な夜な現れる車輪の妖怪  片輪車(かたわぐるま)>

片方しか車輪のない車に女が乗っていたり、あるいは車輪自体に顔がついている。姿を見た者には祟りがあるといわれる。

 

・昔、近江国(現在の滋賀県)のある村に、夜な夜な火に包まれた片方しか車輪のない車が現れ、村を徘徊していた。その車には女が乗っており、これを見ることはおろか、噂するだけでも祟りがあるといって、人々から恐れられていた。

 その村には、好奇心の旺盛な女がいた。たいていの村人は、片輪車が村を訪れる夜になると家の戸を固く閉め、外出も控えていたのだが、この女はどうしても話に聞く片輪車の姿を見てみたいという誘惑に勝てなかった。

 ある夜、女はこっそり戸を開けて、すき間からそっと外をのぞいてみた。すると、美しい女が乗った片輪の車が向うからやってくるのが見えた。

 片輪車は、女の家の前まで来るとぴたっと止まり、「我を見るより、汝の子を見よ」と言う。はっと気づいた女が家の中を振り返ると、そこにいたはずの子どもがいなくなっている。

 自分の愚かさを嘆き、悲しみにくれた女は、翌日、自分の過ちから子どもを失ってしまった悔恨の情を歌に綴り、家の戸に貼りつけておいた。

 その晩、再びやってきた片輪車は、これを読んで感銘を受けたのか、女に子どもを返してくれた。去り際に「人に見られては、もはやここにはいられない」と言い、以後この村には片輪車の怪異は訪れることがなかった。

 

鳥取城に仕えた飛脚狐  経蔵坊狐

・足の速さを買われ、鳥取城の城主に飛脚として仕えていた狐。江戸への道中、狐の罠にかかって命を落とす。

 

冬の山に棲む河童系妖怪  カシャンボ

和歌山県の熊野地方では、夏場は川にいる河童が、冬になって山に入ると「カシャンボ」になるといわれていた。

 その姿は、青い衣を着た芥子坊主頭の可愛らしい少年だという話もあれば、一本足の怪物であるという話もあり、また、足跡が水鳥のようであるとか、いやいや山姥の一種であるとか、「河童が山に入るとこれになる」という部分をのぞいては、その姿や性質は一様ではないらしい。

 一説によると、名の由来は「くすぐる」という意味の方言「かしゃぐ」からきているという。そこから想像できるように、なかなかのいたずら者で、人をからかうことも多くあったという。

 

・九州地方では、山に入った河童のことを「山童」や「セコ」という名前で呼ぶ。河童自体がすでにそうなのだが、カシャンボも、限定された姿形があるわけではないのだ。

 

<水辺に棲む凶暴な怪物 牛鬼>

海や淵にひそみ、人間を襲う「牛鬼」

・「牛鬼」は、その名のとおり、牛と鬼が合体したような姿や、あるいは土蜘蛛の頭が牛になったようなものが伝えられている。滝や淵、海などの水辺に棲み、獰猛で、人を害する恐ろしい怪物であるという。

 牛鬼は、海の近くや山間部など、全国の広い範囲で伝承がある。山陰地方の牛鬼は、おもに海から現れるといわれ、磯女や濡れ女とセットで人を襲う。牛鬼が美女に化けるという話もあり、セットというより、もともとひとつのものが姿を変えて出没したという可能性もある。

 

奇祭「うわじま牛鬼まつり」

愛媛県宇和島市には、牛鬼にまつわるいっぷう変わった祭りがある。毎年7月22日から24日の3日間に開催される、巨大な牛鬼の作り物が市内を練り歩く「うわじま牛鬼まつり」がそれだ。

 

果ての二十日に暴れる妖獣  一本ダタラ

・一つ目の一本足の妖怪。大猪の変化したものともいわれる。高僧が勧請した地蔵のせいで山から降りなくなったが、年に一日だけは自由に暴れられるという。

 

朝廷にまつろわぬ大蜘蛛  土蜘蛛

葛城山近辺に住む大蜘蛛の妖怪で、源頼光渡辺綱に退治される。大和朝廷に恭順しない土着の民の蔑称でもあり、それがやがて大蜘蛛の妖怪と結びついたといわれる。

 

人間の子を産んだ妖狐 葛の葉

・人間の男に恋し、人に化けてその子を産んだ狐。やがて正体が明らかになると、愛する者を置いて姿を消す。安倍晴明の母親がこの狐だという話もある。

 

桃太郎伝説の源流か温羅(うら)

異国からやってきた鬼「温羅」

岡山市吉備津のあたりには、童話「桃太郎」のもとになったという、鬼退治の伝説が伝わっている。

 昔、異国から「温羅」という鬼が、空を飛んで吉備津へやってきた。爤々と輝く目に、燃えるような赤い髪。身長は1丈4尺(約4.2メートル)もあったという。温羅は、丘の上に「鬼ノ城」と呼ばれる城を築き、悪事を働いて里の人々を震え上がらせていた。

 

13メートルの大女 七尋女房   島根県海士町

・「七尋女房」は、山陰地方のあちこちで伝えられる、背丈や首の長さが7尋(約12.8メートル)もあるという女の化け物である。木の上に座り、へらへらと気味の悪い声で下を通る人に笑いをかけたり、暗い道でいきなり出てきて驚かしたりしていたそうだ。

 

蛇身と化した女の情念 清姫

安珍が戯れにした結婚の約束を信じた清姫が、裏切られたことを知り、恨みのあまり蛇身となったもの。道成寺の鐘ごと安珍を焼き尽くした話は、「道成寺もの」として、能や歌舞伎の題材となっている。

 

姫路城に棲まう謎の姫君 長壁(おさかべ)

・姫路城の天守閣に棲み、1年に一度、城主の前にしか姿を現さない謎の妖怪。剛胆な者に褒美を与えたという話も伝わる。

 

・その姿は、老婆のようだとも、十二単に緋袴をはいた高貴で美しい女性ともいわれる。

 

見上げるほど巨大化する見越し入道

・通り道に現れて、最初はそれほど大きくないものが、見上げれば見上げるほど大きくなっていく。「見越し入道、見越した」などと言えば、難を逃れられる。

 

狸たちの壮絶な戦い! 阿波狸合戦

明治43年に出版された、講談師・神田伯龍の『四国奇談・実説古狸合戦』『古狸奇談・津田浦大決戦』『古狸奇談・日開野弔合戦』は、阿波の狸伝説を一躍有名にし、四国=狸という連想を多くの人々に定着させていった。四国中の狸が一堂に会し、多数の死傷狸を出した天下分け目の合戦とはどんなものだったのか――。

 

その肉は不老不死の妙薬 人魚

・人面魚身の妖怪。その出現には吉凶どちらもいわれがある。その肉を食べた者は不老不死になるという。

 

海中に現れた怪物 アマビエ

・海に現れる謎の怪物。作物の出来について予言をし、自分の絵姿を人々に見せるように告げたという。

 

人形が変じた水の妖怪 ひょうすべ

・河童に似た、毛深い妖怪。工事を手伝わせるために魂を吹き込まれた人形が、用ずみになって川に捨てられたものが変化したという。

 

景行天皇を導いた怪火 不知火(しらぬい)

・不知火は、八朔(旧暦8月1日)のころ、月のない夜に、燃えるような無数の赤い光が海上に現れる現象だ。

 

変事を予言する幻獣  件(くだん)>

・人面牛身の化け物。産まれてすぐに戦争や流行病などの予言をし、数日で死んでしまうという。

 

風雅に誘われた化け狸  豆狸

・普通の狸より少し小さめで、頭がよいといわれる狸。『絵本百物語』には、風雅を解するところもある様子が描かれている。

 

南の島の河童 ケンムン

・「ケンムン」は「ケンモン」ともいい、奄美諸島一帯で伝えられる代表的な妖怪である。

 奄美の民話では、「ケンムン月と太陽の私生児で、天に置いておけないため、岩礁に置いておいた。しかし、タコがいたずらをしにくるので、ガジュマルやアコウの老木に移り棲むようになった」といわれる。

 その姿は小児のようで、足が長く、座ると膝が頭を超す。髪や体毛が赤く、よだれは青く光るという。猫のような姿であるという話も多い。

 頭に皿があるものもあり、人に相撲を挑んだりするなど、河童と同じような習性を持っているようだ。相撲をとるときは、皿を割れば勝てるのだが、ケンムンが一声啼けば何千何万と仲間が集まってくるため、手加減する必要があるのだそうだ。

 また、ケンムンと漁に出ると大漁になるが、とれた魚はすべて片目がとられているという。棲んでいる木を伐られた際なども、伐った人間の目を突くといわれており、目に何か特別なこだわりがあるようだ。

 

ガジュマルの木に棲む精霊  キジムナー

・ガジュマルの木に棲み、長く赤い髪をした子どものような姿を持つという「キジムナー」。その姿や習性などは、鹿児島県の「ケンムン」と似ている部分が多い。

 

・また、沖縄県北部の大宜味村では、小屋を建てて、キジムナーが出てくるのを夜通し待つ「アラミ」という風習が戦後まで行われていたそうだ。

 

沖縄本島のキジムナー系妖怪の呼び名

ヒドゥムン、ビヂムン、ブナガヤ、ヒヂムン、フルファガ、ボーヂマヤー、ヤンバサカー、セーマ、シノーリキヂムナー、キジムナー、アカタニボーヅ、ガヤブヤー、アカガンター。

 

ウヮーグヮーマジムン

「マジムン」とは、沖縄でのお化けの総称である。マジムンの上に動物などの名前がつけば「○○のお化け」という意味になる。

ウヮーグヮー」とは子豚のことで、夜道を歩いていると子豚が突進してきて、それに股をくぐられると命を落とすという。これを防ぐためには、股をくぐらせないように足を閉じておいたり、足を交差させておくのがよいといわれる。

 ほかにも「アフィラー(あひる)」や「アカングヮー(赤ん坊)」、「ハーメー(老婆)」など、さまざまなもののマジムンがいる。

 沖縄では、こうしたマジムンに出遭うと、「マブイ(魂)を落とす」といわれた。マブイを落としてしまうと、茫然自失の状態になり、ひどい場合は命にかかわる。

 そこで、マブイを呼び戻すために、沖縄独特の巫女であるユタに「マブイグミ(魂込め)」という儀式を行ってもらうのだそうだ。

 

予言をする神獣・白澤(はくたく)

・予言をし、その絵姿を描いたものが魔除けや開運のお札になるというものはいくつか存在するが「白澤」もそのひとつである。

 白澤は、中国の伝説に見える「麒麟(きりん)」や「鳳凰(ほうおう)」などと同じく、伝説上の神獣といわれ、森羅万象あらゆる物事に精通しているという。誰の前にも姿を現すわけではなく、高い徳を持った為政者のところに出現するといわれた。

昔、中国の黄帝(こうてい)がこれに出遭い、中国にいる1万1520種もの妖異や鬼神について教えられた。それをまとめたものを『白澤図』と呼ぶが、現在までその存在が確認されていない伝説の書となっている。

日本では、白澤は病魔を退治してくれるありがたいものと考えられ、絵が描かれたものをお守りにしたり、漢方薬店などに像が置かれていることが多かったようだ。

 

 

 

『図解 アイヌ

角田陽一   新紀元社  20187/7

 

 

 

天地の図

アイヌモシリ(人間世界)からふと空を見上げてまず目に入るのはウラルカント(霞の天)。春の訪れとともに靄が湧く空だ。続いてランケカント(下の天)、人間世界の山頂近く、黒雲が渦巻き白雲が乱れ飛ぶ空。その上はニシカント(雲の天)、ここは英雄神アイヌラックルの父であるカンナカムイ(雷神)の領分だという。その上がシニシカント(本当の空の天)、チュブ(太陽)とクンネチュブ(月)が東から西へと歩む空。さらにその上はノチウカント(星の天)ここまで上がれば、もう人間は息ができなくなる。さらにその上が最上の天上界であるリクンカントシモリ(高い所にある天界)だ。カントコロカムイ(天を所有する神)の領分で、人間の始祖が住む。金銀の草木は風を受けてサラサラと鳴り、川も文字通り金波銀波を立てて流れ下る。以上、六層の天上界だが、アイヌ語で「六」は「数多い」との意味を併せ持つため、必ずしも六層でなくても良いともいう。

 

一方でアイヌモシリの下、死者の国であるポクナモシリ(あの世)は、人間世界同様に山川に草木があり、死者の魂は生前同様に季節の運行に合わせて暮らす。だがその運行は人間世界とすべて反対で、この世が夜ならばあの世は昼、この世が夏ならあの世は冬になるという。そしてポクナモシリの下はテイネポクナモシリ(じめじめした最低の地獄界)。英雄神に退治された魔神や生前に悪行を重ねた者が落ちるところで、落ちた者は決して再生させてもらえない。

 

カムイモシリ

・野生動物とは、神が人間に肉と毛皮を与えるためにこの世に現れた仮の姿である。神の本体は天界で、人間と同様の姿で日常生活を営んでいる。そんな神の世界こそがカムイモシリ。山中に、海中に、天空に神が遊ぶ。

  • 神は神の国で、人間同様の生活をしている

カムイモシリとは、カムイ(神)が住まう国アイヌ伝承における「天界」だ。それは文字通り天空にある。一方で人間世界に住まう熊の神のカムイモシリは山の奥の水源にあるともされ、そしてレプンカムイ(シャチの神)など海神の住まいはならば海中にあるとされている。

 ここで神々は人間同様の姿で、人間同様に住まい、着物を着て暮らしている、というのが伝統的なアイヌ文化における神の解釈だ。熊の神ならば上等の黒い着物をまとい、天然痘の神ならばあられ模様の着物を着ている。そんな姿で男神なら刀の鞘に入念な彫刻を施し、女神ならば衣装に心を込めた刺繍を縫い描いて日がな一日を過ごしている。そして窓からははるか下方に広がる人間世界を眺める。

 

神は空飛ぶシンタ(ゆりかご)に乗ってカムイモシリと人間界、さらには地下のポクナモシリ(冥界)を自在に行き来するが、人間が生身でカムイモシリに行くことはできない。人間が天界に行くためには肉体と魂を分離、つまり死ななければかなわない。

 

コタンカラカムイ

天地創造の神・コタンカラカムイ。巨大な体躯と寡黙な仕事ぶりを武器にアイヌモシリの山河を築き、人間を生み出した。しかし聖書の神のような絶対的な創造主ではないのが特徴。

 コタンカラカムイという言葉を訳すれば「村を作った神」。しかし彼が作り上げたのは一村落のみならず天地全体。つまりアイヌ神話における創造神である。そのためモシリカラカムイ(国を作った神)の別名を持つ。だが万物の創造主ではなく、天界の神の命を受けて創造業務を請け負ったとされる。巨大な容姿の男神で、海を渡っても膝を濡らすことがなく、大地を指でなぞった跡が石狩川になり、鯨をそのまま串焼きにして食べたという。

 

コタンカラカムイは楊の枝を芯にして土を塗り付け、人間を作った。だから人間が年老いれば、古い楊のように腰が曲がる。そして地上に近い、草の種の混じった土でアイヌ民族を作ったので、アイヌは髭が濃い。和人の髭が薄いのは、地中深い、草の混じらない土で作られているからだ。

 

チュプカムイ

・天空を照らす太陽を司るチュプカムイ。女神であるとされ、アイヌ民族は太陽の昇る方角を神聖なものとした。日の神が魔神に誘拐されれば天地は暗闇に包まれる。それが日食である

  • 天地を黄金色に染める女神

太陽はアイヌ語でチュプと呼ばれる。その太陽を司る神が、チュプカムイ。一般的には女神とされている。

 

ポクナモシリ

死者はポクナモシリへ行く。人間世界と同様に季節があり、人は狩りや山菜取りで永遠の時を過ごす。一方で悪人や正義の神に退治された魔神が落ちるのはテイネポクナモシリ(最低の地獄)、湿気と臭気が覆う世界だ。

  • この世とあの世は、すべてがアベコベ?

明治初期、布教活動の傍らでアイヌ文化を調査した英国人宣教師、ジョン・バチュラーの書籍によれば、アイヌにとっての「あの世」は3種類ある。ひとつは善人の魂が向かうカムイモシリ(神の国)、次に普通の人が行くポクナモシリ、そして悪人や退治された魔神が落ちるのがテイネポクナモシリである。だが、カムイモシリは外来宗教の「極楽」「天国」の影響から生まれたもので、本来はポクナモシリとテイネポクナモシリの2種のようだ。

 ポクナモシリはアイヌモシリ(人間世界)同様に草木が生い茂り魚や獣が遊び、死者はその中で、生前同様の暮らしを永遠に続けるという。

 

・人間世界同様、あの世でもコタンコロクル(村長)が集落をまとめ上げるが、閻魔大王ギリシャ神話のハデスのように、死者の国全体の長はいない。そして面白い事に、現世の事があの世ではすべて反対になる。この世が夜なら、あの世は昼。この世が夏なら、あの世は冬になる。だから死者が来世で不自由しないよう、夏に死んだ者は冬靴を履かせた上で埋葬したという。

 

オキクルミ

・雷神がハルニレの木に落雷して生まれたオキクルミは、アイヌラックルの別名を持つ。陽の神をさらった魔神を退治する英雄であり、ユーモラスなトリックスターでもある。アイヌ神話における文化神、英雄神。

 

落雷の炎から生まれた英雄神

成長した後に、再度天下り、人間たちに火の使用法や家の作り方、狩りの方法、そして天界から密かに盗み出した穀物の種を元に農業を伝え、ともに平和に暮らした。だがある年のこと、豪雪によって鹿が大量に餓死し、アイヌたちは飢餓に苛まれる。そこでオキクルミの妻は椀に飯を盛り、家々の窓から差し入れて施しを始めた。だが不埒な男が椀を持つ手の美しさに見とれ、家に引き込もうとする。その瞬間に大爆発が起き、男は家ごと吹き飛ばされてしまった。オキクルミ夫妻はこの無礼を怒って天界に帰って行ったが、人間を見捨てることなく神聖なヨモギを束ねて人形を作り、自身の身代わりの神として地上に残していったという。

 

・ところでオキクルミにはサマイクルという兄弟、もしくは相棒がいたとされる。北海道胆振日高地方ではオキクルミは正義、サマイクルは乱暴者で間抜けとされるが、逆に北海道東部や石狩川上流ではサマイクルが正義、オキクルミは間抜けとされている石狩川上流、カムイコタンで川を堰き止めて村の滅亡を企んだ魔神を退治したのは、サマイクルである。

 

ミントゥチ

河童は北海道の河にも棲む

・河童は日本各地に伝承がある。だが「カッパ」の名称は関東周辺で、九州ではカワタロウがガタロ、中国地方ではカワワラワ、東北地方の北部ではメドチとそれぞれ名前も変わる。北海道のアイヌ伝承にも、「カッパ」に該当する妖怪がいる。それがミントゥチだ。

 

<キムンアイヌ

里には人間が住む。一方で山には人とも人外のものともつかない者が住んでいる。そんな「山人」の伝説は日本各地に残るが、アイヌの伝説にも同様の逸話がある。それが「キムンアイヌ」……山の人だ。

  • 山中に棲む人外の巨人

柳田国男の『遠野物語』には山中に住む人とも妖怪ともつかない存在「山男」が登場するが、同様の逸話は日本各地にある。優れた体格の男性(女性がいるかは不明)で、衣服を着ている場合もあれば半裸の場合もあり、

餅や煙草を差し出せば山仕事を手伝うなど、人間に対しては概して友好的である。そんな山人、山男の逸話はアイヌ伝説にもある。

 

キムンアイヌ、訳すればそのまま「山の人」。里の住人の3倍の体格を誇り、特別に毛深く、口から牙がつき出している。着物は着ているが、何を素材にした布地か毛皮かはわからない。腕力にも優れ、鹿でも熊でも虫のように捕えてしまう。時には人を殺して喰らうこともある。だが煙草が大好物で、煙草を差し出せば決して悪さをしない。

 

刺青や耳輪はしない。時に人間をさらって自分たちの仲間に加えるが、そんな者は刺青や耳輪をしているからすぐに判る。(女性の個体もいる?)

 

樺太のキムンアイヌは訛ってキムナイヌと呼ばれ、さらにロンコロオヤシ(禿げ頭を持つ妖怪)の別名通りに頭頂部が禿げあがっている。彼らは人間に友好的で、重い荷物を代わりに背負ってくれる。

 

ウェンカムイ

アイヌ世界の神は、豊穣の神ばかりではない

・「ウェン」とは、アイヌ語で好ましくない状況全般を意味する言葉である。ウェンカムイとは、精神の良くない神、つまり邪神や魔神の類である。

 

・神は人間に豊穣のみを約束するものではない。人間にあだなす魔の神、悪霊、それこそがウェンカムイである。太陽を誘拐する悪の権化から、水難事故や病魔を運ぶ疫病神まで、自然界は悪魔に充ち溢れている。

 

コロポックル

「かわいらしい」だけではない小さき人

アイヌの伝説には、コロポックルと呼ばれる小さき人が登場する。一般的には「コル・ポ・ウン・クル」(蕗の葉の下の者=蕗の葉よりも背が低い人と紹介され、北海道の観光地では蕗の葉をかぶったキャラクターの木彫などを目にすることも多い。

 

童話作家の作品にも登場するアイヌの小人伝説「コロポックル。その実態は「かわいらしい」ばかりの物ではない。正体は千島列島北部のアイヌか?伝染病を恐れる彼らの風習が物語として伝えられた?

 

パコロカムイ

・中世から近世にかけて北海道に伝来し、アイヌ人口減少の一因ともなった天然痘アイヌはあられ模様の着物を着た疱瘡の神「パコロカムイ」の仕業として恐れ、患者が出れば全村で避難するなど策を講じた。

  • アイヌモシリに災厄をもたらす疫病神

 天然痘が北海道に侵入したのは鎌倉、室町時代と考えられる。江戸時代寛永元年(1624年)の記録に「蝦夷地痘疹流行」の一文が初めて現れる。以降、江戸時代を通じて流行が繰り返され、和人との交流が盛んな日本海沿岸においては特にアイヌ人口が激減する原因ともなった。

 アイヌ民族天然痘を「カムイタシュム」(神の病)と呼んで恐れ、パコロカムイのしわざと信じた。

 

・幕末になって時の函館奉行がアイヌ対象の大規模な種痘を行い、明治以降に種痘が義務化されるに及び、パコロカムイの影は去ることになる。

 

 

 

『図説 日本の妖怪百科』

宮本幸枝  Gakken   2017/6/6

 

 

 

相撲好きでおとなしい ケンムン

・「ケンムン」は「ケンモン」ともいい、奄美諸島一体で伝えられる妖怪である。

 奄美の民話では、ケンムン月と太陽の間に生まれたが、天に置いておけないため、岩礁に置いてきたと伝えられる。しかし、海辺ではタコがいたずらをしにくるので、ガジュマルやアコウの老木に移り棲むようになったという。

 その姿は小児のようで、足が長く、座るとひざが頭を超す。髪や体毛が赤く、よだれは青く光るという。猫のような姿であるという話も多い。

 ケンムンの中には、頭に皿を持っているというものもあり、人に相撲を挑んだりするなど、「河童」によく似た習性が伝えられている。相撲をとるときは皿を割れば勝てるのだが、負けたケンムンが一声鳴くだけで、何千何万とケンムンの仲間が集まってくるため、手加減する必要があるのだそうだ。

 また、ケンムンと漁に出ると、大漁になるが、とれた魚はすべて片目がとられているという。棲んでいる木を切られた際には、切った人間の目を突くといわれており、目に何か特別なこだわりがあるようだ。

 ケンムンは、もともとおとなしい性格で、人を害することはあまりないといわれる。第2次世界大戦前まではよく目撃されていたらしいが、GHQの命令により奄美のガジュマルの木が大量に伐採されたことを機に姿を消したという。

 

ガジュマルの木に棲む精霊 キジムナー

沖縄県のマジムンの代表格

ガジュマルの木に棲み、長く赤い髪をした子どものような姿をしているという沖縄県の妖怪「キジムナー」は、鹿児島県の「ケンムン」や「河童」と似た姿や習性が伝えられている

 その呼び名は同じ沖縄県内でもさまざまで、「キムジン」「ブナガヤ」「セーマ」「アカガンター」などとも呼ばれる。人をだましたり、いたずらをすることが好きで、仲良くなると山仕事や漁を手伝ってくれるなど、人間ととても親しい存在だったようである。タコを非常に嫌うといい、キジムナーがいたずらをしないように、赤ちゃんにおしゃぶりの代わりにタコの足をしゃべらせることもあったそうである。

旧暦8月10日のヨーカビーには、キジムナーが点す“キムジナー火”が現れるといわれ、その火は触っても熱くなく、海に入っても消えないといわれた。

 

昭和の時代に入ってからも、沖縄の子どもたちのあいだでは“キジムナーの足跡を見る”という遊びがあったという。その方法は、まず、薄暗く、静かな場所で円を描いて小麦粉などの白い粉を撒く。円の中心に、火をつけた線香を立てておき、呪文を唱えて隠れる。20数えてその場所に戻ると、小麦粉にキジムナーの足跡がついているという。

 

また、沖縄県北部の大宜味村では、専用の小屋を建ててブナガヤが出てくるのを夜通し待つ「アラミ」という風習が戦後まで行われていたそうだ。