『平成の教訓』 改革と愚策の30年
<「平成とは『まだらな30年』だった。>
・それは、数々の改革と愚策がまだら模様を繰り返した時代だった、と。
・平成の30年を動かしたダイナミズムとは何だったのか。平成を検証することは、次の時代への正しい道標へとつながるだろう。
<平成の教訓を汲み取り、未来へつなげるために>
・そのためにも、冷静に平成という時代を振り返るべきであろう。この瞬間には何となく認識していることであっても、やがて違った記憶に変わっていってしまう恐れもある。
<平成に横行した「10の愚策」を検証する>
・たとえば、平成という時代を、「失われた30年」という一言で総括してしまってよいだろうか。
昭和の戦前を例に挙げれば、ただただ「暗黒の時代」とだけ見るのも間違いであろう。庶民の目線で見ると、本当に暗黒になったのは、戦況が厳しくなってからのことで、昭和12年くらいまでは、世間でも明るい歌謡曲がどんどん歌われていた。
<平成に横行した「10の愚策」を検証する――どんな愚策が、成長を鈍らせ、改革を阻んだのか>
<第1の愚策は、90年代に連発した「総合経済対策」>
<第3の愚策は、日本銀行の金融政策――不況の最大責任者>
<「日銀は世界最強の中央銀行だ」という皮肉>
・ある日銀関係者が「どの程度の物価上昇が望ましいかは、私たちが決める」といったときは、私は徹底的に批判した。
「政策目標を自分だけで決めることができるなら、日銀は世界最強の中央銀行だ。世界最強の力を手にしながら、日銀は無責任なことをやっている」と私はいった。
政府に相談もせず目標を決めることができる(しかもそれを公表しない)中央銀行は、どの国にもない。だから世界最強である。そして、目標を示せば、それを実現できないときに責任が生じる。
では日銀は、95年に物価上昇率がマイナスになったとき、責任を取っただろうか。もちろん誰も責任を取らなかった。
<メディアの論調が日銀に同情的だった本当の理由>
・日本の大手メディアでは、のらりくらり無責任な言い逃れを続ける日銀を問題視する論評は、いっこうに見かけなかった。どのメディアも日銀にきわめて同情的で、政府があれこれ注文をつけることは、日銀の独立性を損なうからよくない、という報道を繰り返していた。
メディアがそんな姿勢に終始した理由は、推測するしかないが、一つには、記者が日銀記者クラブで徹底的な“教育”を受けるからだろう。
・もう一つは、すでに述べたように、メディアが何事も「強者対弱者」の構図で報じるからだろう。政府与党には、腕力自慢の政治家や、しばしば暴言を吐く政治家が大勢いる。日銀は、学者肌のおとなしいエリート集団に見える。
<重要な情報は、日銀からリークされた>
・日銀と付き合って強く印象に残っていることの一つは、日銀が「おしゃべり」だということである。重要な情報は、日銀から漏れて報道されてしまうことがしばしばあった。
・政治家や官僚に比べて日銀からのリークが多いと感じるが、それは大きな説明責任がないからだ。情報が広がってから、国会や自民党の部会に呼ばれて説明するのは私たち内閣の側だから、どうしても慎重になり、重大局面が近づくほど口をつぐむようになる。彼らは、そんな責任はないから外部にしゃべりやすい。この意味では、いかにも評論家然とした集団である。
<デフレ対策より、とにかく「非伝統的金融政策」をやりたくない一心>
<バブル経済と長期不況の検証作業を実現させよ>
・日本経済の長期低迷について、そんな検証作業をしようという問題提起は、与党からも野党からもあったとは聞かない。日本は「検証」という概念が、きわめて乏しい国なのである。
・その結果、日銀は、物価が下がりはじめた95年から、財務省出身でアジア開発銀行総裁だった黒田氏が総裁に就任する13年まで、じつに18年間も物価下落を放置してしまった。これは「平成の愚策」といわざるを得ないだろう。
・とりわけ、アベノミクスで日銀に「物価上昇率2%」というインフレターゲットが与えられたことの意味は大きい。インフレ目標が立てられたことで、初めて日銀に責任問題が生じたからである。
<第4の愚策は、中小企業を直撃した貸金業法の改正>
・平成の第4の愚策は、福田康夫内閣の07年12月に施行された「貸金業法の改正」による貸付制度の変更である。
それまでは、「利息制限法」が貸出金利の上限金利を20%(正確にいえば10万円未満が20%、100万円未満が18%、100万円以上が15%)、「出資法」が上限金利を29.2%と定めており、その間の金利がいわゆる「グレーゾーン金利」とされていた。
いわゆるサラ金(消費者金融)はじめ町の金融業者(街金)の多くは、このグレーゾーン金利で貸し付けていた。しかし、上限金利を低いほうの利息制限法の上限に合わせた。理由は消費者保護で、多重債務者がかわいそうというわけだ。しかし、この結果、いわゆるヤミ金が増えてしまった。
・しかし、世の中には、月末までに300万円がどうしても必要だというニーズはある。中小零細企業が運転資金に困って、来月には大きな入金があるから、そのときまで借りたいといったケースだ。ところが銀行は、社長の自宅をもう担保に差し入れてあるから貸さない。
ならば年利25%でもよいから借りたい、という人がいる。2か月で返せば金利4%だから、300万円借りて312万円返すことになるが、それでよいという人は世の中にいるのである。
しかし、グレーゾーン金利はダメということになった。ならばヤミ金に借りにいくのは当然だろう。
・ふつうの人は年利20%と聞けば高いと思う。しかし、それは5000万円の住宅ローンを20%の金利で借りれば高いという話であって、1週間や1か月という短期ならば年利20%でも問題はない。それを、きわめて情緒的な「多重債務者がかわいそう」という理由によって、一律禁止した。しかも、その金利制限が、さかのぼって遡及されるというルールになった。
・その結果、過払い請求が増え、貸金業はほとんど廃業となり、サラ金の多くは銀行に吸収され、銀行の個人ローン・カードローン部門となった。中小零細企業の倒産を招いた「官製不況」の原因となった、と見る向きも少なくない。
・平成時代に目立った愚策は、民主党政権によるものがいくつかある。
平成の第5の愚策は、民主党政権が経済財政諮問会議を事実上、廃止してしまったことである。
私以外にあまり指摘する人がいないが、内閣設置法には、経済財政諮問会議を必ず置かなければいけないと書いてある。それを廃止したのは実質的に法律違反であって、政府が堂々と法律違反をやっていいのかという話なのだ。
民主党で経済改革に前向きな何人かの政治家は当初、首相の知恵の場として調査・審議をする経済財政諮問会議は、決定権がないから弱い。もっと強く、さまざまな問題を決定していく場が必要で、それが「国家戦略局」だ――と主張した。
・11年10月には野田佳彦内閣が、既存の18の会議を統廃合する「国家戦略会議」を設置したが、法的根拠もなく、「日本再生の基本戦略」「日本再生戦略」をまとめただけで終わった。小泉内閣では明らかに機能していた、目の前にある経済財政諮問会議を使おうとはせず、もっとよい国家戦略局を無理やりつくろうとして果たせず、結局、元も子もなくしてしまったのが民主党政権であった。
・民主党は、15歳以下の子どもがいる世帯に毎月手当を支給することをマニフェストに掲げていた。09年9月に誕生した鳩山由紀夫内閣では、翌10年4月から、それまでの「児童手当」に代えて支給を始めた。
児童手当は12歳(小学生)以下の子どもが対象で、所得制限がついていたのに対して、子ども手当は15歳(中学生)以下の子どもに対象を拡大し、所得制限もはずした。
10年度と11年度前半は一律1万3000円が、11年度後半は年齢や第何子かによって1万~1万5000円が、毎月支給された。
・しかも、子ども手当には初年度で2.3兆円、翌年度以降に4.5兆円が必要とされ、財源不足の問題が大きな壁となった。民主党は、霞が関の埋蔵金を掘り起こせば、10兆円やそこらの資金は簡単に捻出できるといっていたが、実際は違っていた。
・さらに、11年3・11東日本大震災が起こり、その復興財源の確保が優先されたため、子ども手当の支給は頓挫。12年4月以降は、旧来の児童手当に移行することになった。
子ども手当の財源不足が典型的であるが、経済財政諮問会議を廃止した民主党政権は、よりどころとなる政策のポリシーボード(政策決定の場)をなくし、マクロ政策の指針をまったく失ってしまった。だから、全体としてちぐはぐな経済政策を打ち出すことになってしまう。
・その結果、東日本大震災以降には、企業経営者らが日本の諸制度やビジネス環境は各国と比べて非常に不利な状態にあるとして、「企業の六重苦」ということを指摘するようになった。①円高、②高い法人税、③経済連携協定の遅れ、④製造業への派遣禁止など労働規制、⑤温暖化規制の強化、⑥電力不足や電気料金値上げ、の六つである。
放置された円高をはじめとする六重苦のなかで、日本を脱出する企業が急増し、民主党政権下で国内の空洞化が一気に進んでしまった。
<ポリシー・トゥ・ヘルプ(救済)かポリシー・トゥ・ソルブ(解決)か>
・じつは、政府は圧倒的にポリシー・トゥ・ヘルプをおこなう傾向がある。それが選挙の得票に直結するからである。その結果、弱い企業がゾンビのように生き残ってしまう。企業の自助努力以外に生き残る道はないという厳しい環境が、日本では実現されなかった。
・日本では、ポリシー・トゥ・ヘルプが一企業に対して適用される例が少なくない。代表的なものがJAL(日本航空)の救済である。
平成の第7の愚策は、JAL救済に代表される“ゾンビ企業の延命”である。
・平成の第8の愚策として、東日本大震災のあとの復興計画で、関東大震災のとき後藤新平が描いたような大風呂敷を描けなかったことを挙げておきたい。
・当初は、政府がカネをすべて丸抱えでつけ、復興庁を被災地に置き、地元にプランをまかせるという話もあったようだが、現実は違った。農林水産省は農水省の予算を温存して農道整備をする、国土交通省は国交省の予算を温存して必要なインフラを整備するというように、すべてが縦割りになった。だから大規模で魅力的な構想が出てこず、何も進まなかった。
・類似の事例にはこと欠かないが、平成の第9の愚策として、東北支援を名目とした大震災後の増税を挙げておく。復興増税の構想は、復興構想会議の第1回で示された。こんなことをやる国は、世界にはないだろう。米ニューヨークで01年9・11テロが起こったとき、ジュリアーニ市長は「みんなでおカネを使おう。経済を元気にしよう」といった。これが世界のやり方なのだ。
日本ではイベントや祭りを軒並み自粛して、祈りを捧げた。祈りを捧げることも大切だが、もっと重要なのは、みんながカネを使い、東北のものをたくさん購入することだったはずである。増税は、明らかにそれに逆行するものだった。
<第10の愚策は、キャップ制の放棄による歯止めなき歳出拡大>
・平成の第10の愚策として、政府歳出のキャップ制が放棄され、予算の歯止めなき拡大が常態化したことを強調しておく。
このことは、自民党・民主党政権の別とは関係がない。01年から07年あたりまで、政府一般会計の歳出規模は、82~83兆円前後から増えていない。
ところが、麻生政権から増え始め(当初88兆円、補正後102兆円)、民主党政権で90兆円以上が常態化してしまった。第二次安倍政権も同様で、19年度の当初予算は101兆円と過去最高となった。
まず、麻生政権のとき、キャップがはずされた。すでに述べたように、リーマンショックに対応する必要からやむをえなかったが、一時的なものとして、ショックの傷が癒えたときに元に戻すべきだったのである。しかし、その後は元に戻していない。
・歳出にキャップをはめて、少しずつでも経済をよくする政策をとれば、成長率1.5%で別にかまわない。実質成長率が1.5%で物価上昇率が1.5%ならば、名目GDPは3%成長である。
景気回復期において、税収の所得弾性値(GDPが1%成長したとき、税収は何%増加するか)は、2~3になる場合がある。3であれば税収が9%増えると考えてよい。小泉内閣で基礎的財政赤字がゼロに近づいたのは、こうした効果が生じたからだ。
・彼らは「大きな政府」志向で、基本的に「小さな政府」を好まない。だからこそ、支出にキャップをはめることは後ろ向きである。
平成の後期3分の1で、歳出のキャップ制をやめたことは大きな愚策だった。
<最初の2年半は大成功だった黒田日銀「異次元の金融緩和」>
・前章では日銀の愚策に紙幅を割いたが、13年の春に第二次安倍政権のもとで始まった、黒田東彦総裁率いる日銀の政策を、私は高く評価している。
「異次元の金融緩和」として、物価目標2%を掲げ、マネタリベースを2年で倍にするという、きわめて明快で強いメッセージは、クロダミクスとも黒田バズーカとも呼ばれた。その出だし――少なくとも最初の2年半は、成功だったと思う。
・以来2%の物価目標は、なかなか達成できそうな気配がない。物価上昇率がしだいに1%に近づき、その1%が1.5%になり、やがて2%をうかがうという道筋が、見えてこないのだ。日銀は目標を取り下げてはいないものの、達成の見込み時期をどんどん遅らせている。
・「逃げ水」は蜃気楼の一種で、遠くに水があるように見え、近づくとまたその先に遠のいて見える現象である。これと同じで、常に物価目標2%は1~2年先に見える、と日銀はいい続けている。「オオカミが来る」といい続けた少年と同じというべきか。中央銀行による物価の見通しがこんな状態で5年間も続くなかで、しだいに日銀に対する批判も高まってきた。
インフレ目標については、黒田・日銀総裁は、自らでは避けようのない不運に見舞われてしまったといえる。というのは、そもそもインフレ目標は、短期決戦型の政策なのだ。
<安倍政権は長期政権のレガシーをどう作る?>
・安倍内閣が発足して以降の日本は、第1章で述べたように「もっとも失われた5年」から「再挑戦の7年」に移行し、経済は明らかによくなった。とりわけその成果は、株価上昇や失業率の低下に現れている。これらの点は、高く評価される。また安倍首相は、G7のトップのなかでもいまやドイツのメルケル首相の次に長く政権を維持しており、国際的な信頼も厚い。しかし平成の末期において、次のような二つの問題を克服する必要に直面していよう。
第1は、政策の実施がともすれば安倍首相・菅官房長官によるリーダーシップだけに依存しており、経済財政諮問会議や規制改革会議に象徴される組織全体による改革になっていないことだ。もちろんこの点は、首相官邸のリーダーシップが強いという利点ともいえる。しかし、いわば改革が「点」にとどまり「面」に広がらないことを意味している。
・第2は、いわゆる「一強体制」の弊害で政策のチェック機能が弱まり、尖った政策を避けて安易な政策に流れる雰囲気が、霞が関の官僚を中心に広がってきたことだ。政治の一強体制は、それ自体決して悪いわけではない。政治が安定し長期政権になるなかで、外交面では大きなプラスの成果が出ている。ポピュリズムの台頭で政治が不安定化している欧米から見ると、日本の現状はむしろ評価されている。
問題は、一強体制がもたらすチェック機能の低下だ。
・財政再建は、リーマンショック時以降の歳出拡大のなかで、依然として大きな問題である。GDPの伸び率より債務の伸び率のほうが高く、グラフに描くといわゆる「ワニの口」となる現状は、持続可能(サステーナブル)ではない。
ただし、財政再建をするためにデフレ政策、つまり経済を悪くする政策をとってはいけない。
・経済学者でハーバード大学教授のアルバート・アレシナは、戦後に各国で行われた財政再建を実証的に研究し、興味深い指摘をしている。財政再建に成功または失敗したケースを比較検討した結果、まず増税政策から財政再建に着手した国は必ず失敗している、というのだ。
<日本が北欧諸国を真似るのは非現実的>
・日本が、神奈川県や兵庫県ほどの人口しかない北欧諸国のように、「非常に大きな政府」を目指すことはほとんど不可能に思われる。
日本は一部西欧諸国のような「大きな政府」を目指すのか。それとも、増税は一時的な措置にとどめて、やはりアメリカのようにできるだけ「小さな政府」を目指すのか。もちろん、政府の役割は財政の規模だけで測ることはできない。
<平成から読み取れる教訓とは>
・平成の第1の教訓は、あまりにも当たり前のことだが、「経済の健全な発展には基本的に『市場の果たす役割』がきわめて重要だ」ということである。
・もちろん雇う側と雇われる側では雇う側のほうが強いから、一定の配慮は必要だ。しかしこの国は社会主義国なのか、と思われるような行き過ぎた規制は、改める必要がある。社会人が就労のため学び直し、就労してはまた学び直すサイクルを繰り返す、いわゆる「リカレント教育」を充実させる必要がある。
・平成の第2の教訓は、産業の種まきをして育てる、不要な規制を緩和する、市場を健全に発展させる、といったプロセスで「政府の果たす役割」はきわめて重要だ、という点である。
・2018年に私はイスラエルを訪問したのだが、イスラエル国防軍には8200部隊と呼ばれるサイバー部隊がある。規模以外の実力は米国家安全保障局(NSA)に匹敵するとされ、イランの原子力施設にコンピュータウィルスを送り込んで破壊したともいわれている。
徴兵制を敷くイスラエルでは、採用した兵士のうち成績のよい上位1%を8200部隊に配属するという。ここで技術を磨いて兵役を終えた者が、同国でも、米シリコンバレーでも、あるいは電子立国エストニアでも、続々とIT企業を起業する。その会社を、GAFAや日本のソフトバンクグループや楽天が買収するという事態が、世界でどんどん進んでいる。
<「コンセッション」や「PFI」の時代>
・「コンセッション」は、ある範囲を決めて事業者に独占的な営業権を与えておこなう事業方式をいう。
・第4次産業革命のもとで、じつは政府の役割は従来以上に高まっている。イスラエルや中国の事例は、象徴的だ。だからこそ政府は、本来の重要な役割を果たすために、いままでの仕事の一部を民間にゆだねる必要がある。
<政策とは、ことごとく「手順」である>
・平成の第3の教訓は、どの政策をどんなタイミングで打ち出すか、それはどのくらい効果があったのかなどを、優れた専門家が徹底的に検討し、検証する必要がある、ということである。
すでに平成の愚策と指摘したが、90年代に連発された「総合経済対策」や、失敗の連続だった日銀の金融政策は、いま振り返れば、なぜこんなことがチェックできなかったのか、と不思議に思うほどの間違いだった。
・問題の一つは、役所に真の専門家がいないことである。日銀の専門性については触れたが、金融庁の幹部にも金融マーケットで取引した経験のある人はいない。官僚や日銀マンをエリート視する傾向は依然として強いが、同じ組織に長年いるだけでは、真の専門家は生まれない。
<バトルを恐れない強いリーダーよ、いでよ>
・平成の第4の教訓は、やはり強い「政治リーダー」が必要だ、ということである。改革はバトルだ、という話を思い出してほしい。
・ところが、政策を実現することは容易ではない。議会とうまく折り合って、もう1期やりたいなどと思えば、ほとんど何も実行できない。「これが実現できないのであれば、首長を辞める」というくらいの決意を持って、議会と喧嘩できるかどうか。バトルを恐れないリーダーでなければ、構造改革などできない。
<「明るい縮小戦略」が必要だ>
・平成の第5の教訓は、失われたものを冷徹な目で確認し、あるものは失われることを受け入れて喪失ダメージを小さくする方法を考え、あるものはいくらか取り戻す方法を考えるというように、「縮小戦略」や「切り捨て戦略」が必要になることだ。
・AIの進展で、いまの仕事の半分くらいは要らなくなるという説がある。これは暗い。しかし、日本は大きく人口を減らすわけである。ならば、仕事の多くをAIやロボットに置き換えていけばよい。むしろ人口減少社会は、AIを発展させる大チャンスを用意する社会なのだ。こう考えれば明るい。
<ハイパー特区「スーパーシティ」が未来の起爆剤となる>
<2050年に向けたキーワードは「非連続の変化」>
・現在の日本で働く人の数は6千数百万人で、うち約4400万人が第3次産業に従事している。一方、いまからおよそ30年たった2050年には、人口減少によって生産年齢人口が2700万人ほど減っている、と予測されている。
ということは、いま第3次産業で働く人の約半分がいなくなるイメージである。
電気・ガス・水道・運輸・通信・小売・卸売・飲食・金融・保険・不動産・サービス・公務といういずれの産業でも、働く人が半分になる場面を想像してほしい。商店街で働く人は半分、役所でも半分、テレビ局員や新聞記者も半分になる。これは非常に大きな変化である。
<「人口集約」という国土政策の大転換が起きる>
・10年後は毎年100万人の単位で人口が減る見込みで、毎年、和歌山県の人口が一つずつ日本から消えていくのである。
・ある人が計算したところ、日本の休耕田をすべて合わせると鳥取県の面積分があるという。その面積に太陽光発電システムを敷き詰めれば、日本の電力の50%を供給できるそうだ。話半分としても、そのような方向にエネルギーのシステムを転換させていかなければならない。これも「非連続」である。
<激動の昭和、激変の平成>
・本書でもっとも強調したかったのは、平成の30年間の日本経済には、よい面と悪い面が見事なほどに共存していた、という点だ。決して失われた30年ではなく、まだらな30年であったこと、政策面では改革と愚策が共存していたこと。この二点を冷静に認識する必要がある。
『最強の生産性革命』
時代遅れのルールにしばられない38の教訓
竹中平蔵 × ムギーキム PHP研究所 2018/1/2
<「竹中先生は弱者切り捨ての自由競争主義で、もう旧い」と思っている人も多いです。>
<時代遅れの規制・既得権益の構造が、一挙に明らかに>
(キム)世間的に、先生はどうしても「弱者に厳しい」みたいなとんでもないイメージで語られることがありますから、これからは「負の所得税の竹中です」でいいんじゃないですか。名刺にもそう書いたほうがいいですよ。
(竹中)言っとくけど、私は弱者もがんばれる社会を目指しているからね。
・(キム)そして同時に、「新自由主義」「市場経済原理主義」「弱者切り」などとメディアで批判されがちな竹中平蔵氏に、「先生のお考では、もう時代遅れではないのか」「貧富の格差が拡大するのではないのか」「弱者にがんばれ、というだけで競争に放り込んでいいのか」という、多くの読者の方がお持ちの疑問を、面と向かってぶつけるのも私の役割だと考えた。
(竹中)それがベーシックインカムですね。要するに、一定以上の所得がある人は、その分について何割かの所得税を払ってくださいと。でも所得が一定額より少ない人に関しては、所得税を給付する。つまり『負の所得税』を課して、日本人として最低限の所得を政府が保障するということです。
どんな改革をするにせよ、人は得るものより失うものを怖がる傾向があります。それに対してベーシックインカムというのは、究極のセーフティーネットなんですよ。
<生活保護とベーシックインカムの違いは「働くインセンティブ」の有無>
・しかしベーシックインカムの場合は、働かなくても給付されますが、働くほど豊かになれるんです。だから働く意欲を削がない。
<歳入庁の設立に、財務省と厚労省が猛抵抗する理由――「税と警察」こそ国家権力>
<非効率な公的機関のM&A(合併・吸収)>
(竹中)ベーシックインカムをやるとして、問題は財源をどうするか。これは国税庁と日本年金機構を合併して歳入庁で作ればいい。今の年金機構は保険料取りっぱぐれていますが、国税庁が入れば全部取れて数兆円が入ってくる。それでできますよ。
・最大の抵抗勢力は、税務署を管轄する財務省と、日本年金機構を抱える厚生労働省でしょう。歳入庁を作るとなると、いずれも切り離されて内閣府の下に置かれることになる。特に財務省は猛烈に反対するはずです。
<ネット選挙の解禁で選挙の生産性が上がる>
・だから、それぞれの候補者が過去にどんな政策を推進し、何を訴えているのかが一元的に見られるようなシステムがあればいいですよね。この程度なら、ネットで簡単にできると思います。その場で投票までできれば、さらにいい。これがネット投票のインフラというものでしょう。
・さらに、そこで選挙資金集めもできるといいですね。すべての政治資金はネットを経由することというルールにしたら、もうごまかすこともできなくなります。
<フランスも規制であふれている>
<日本もフランスも実質的には社会主義国家?>
<ドイツと日本は「遅れてきた近代化の国」>
(竹中)フランスの最大の問題は、実質的に社会主義国ということでしょう・
(キム)主な問題が三つあります。
一つは税金がすごく高いこと。そしてもう一つは、手続きにものすごく時間がかかることです。
・そして極めつきは、解雇条件の厳しさ。労働者の権利が強すぎて、解雇できないのでフランス人を雇いたくない、という企業がとても多いんです。
・フランスは、夢の国でも労働者のストライキが起こるくらい社会主義的な国なんです。
(竹中)フランスは日本と同じく規制だらけの国で、政府の規模がすごく大きいですからね。
<超高齢化する日本で、持続可能な社会保障の形>
<富裕層への年金支給は不要>
<日本は年金は手厚いが、若者への支援が圧倒的に足りない>
(竹中)日本の歪みは、数字で見ると明らかです。年金の規模の対GDP比を見ると、日本はイギリスよりも多い。医療もOECDの平均よりもはるかに上回っている。ところが、若い世代の社会保障、子育て支援なども含めた家族政策に向ける予算は、対GDP比でイギリスの4分の1しかないんです。
・今、例えば産休を取れるのは、基本的に会社の支援があるからです。自営業の人なんかは産休がない。しかし、本来はどのような働き方をしている人でも、ちゃんと社会で面倒を見るべきですよね。
子どもを産み、育てる機会を増やして、その間はしっかり社会保障をしますよと。そういうことをやるために税金を上げるのなら、私は大賛成しますよ。
ところが今は、高齢者に一律で年金が支給される制度になっている。私や財界のトップに年金が出ているくらいですから。
<年金支給開始年齢の引き上げは必須――1960年代の平均寿命を基準にするのは時代錯誤>
・(キム)では具体的に、年金制度をどう改めますか?まず、富裕層の高齢者に払う必要はないだろうと。次に支給開始年齢の引き上げ、そして給付金額の引き下げも当たり前じゃないかという気がします。この三本柱くらいになるわけでしょうか。
(竹中)それがマストですよね。国民皆年金制度が始まったのは、1960年なんです。その当時の日本人の平均寿命は66歳くらい。しかし、2016年の日本人女性の平均寿命は約87歳。その年齢まで生きるとすると、22年間も受給し続けることになる。
こんな長期にわたって年金をもらえる国なんてないですよ。
・(キム)それにしても、先生が「ネガティブ(負の)所得税」と「若者の社会保障」をキャッチフレーズにしたら「カネ無き若者の味方・竹中平蔵」ブームが起きるんじゃないですか。世間からはずいぶんネガティブなイメージを植え付けられているようなので(笑)。
(竹中)小泉さんが言ってたんだけど、「竹中さん、悪名は無名に勝るんだよ」と。たしかにそのとおり、私は別に、世の中から誉められたいとか、いい人だと思われたいという目的で仕事をしていたわけじゃないですから。