<ポストコロナ構想会議」の六つのテーマ>
<「ポストコロナ構想会議」を作り、民間人と政治家で議論を>
・ポストコロナを見据えて、今後作るべきだと私が考えているのが、「ポストコロナ構想会議」です。今、日本に求められるのは、従来の縦割りという次元を超えた大胆な構想力です。それを担う存在として必要なのです。
・明治維新の時のように、どのような国作りをするのか、が重要です。ポストコロナの世界をイメージしながら、具体的な構想を持ち、それに向けて戦略と政策を作り上げ、実行していく必要があるのです。
<デジタル資本主義で求められる無形資産への投資>
・このポストコロナ構想会議で議論する内容は、大きく二つに分かれます。一つは以前から言われていた構造改革です。もう一つは、来るべき「ニューノーマル」を念頭に置いた構想です。
・このニューノーマルにおいて必要なことを、どこまで実現できるか。これが構想の重要なポイントになります。そのための一つ目のテーマは、無形資本への投資を強化することです。
<個人情報とビッグデータの扱いをどうするか>
・さて、ニューノーマルにおいて考える二つ目のテーマは、個人情報とそれに基づくビッグデータの扱いをどうするかです。
・これはアメリカ型でも中国型でもない、第三の道に基づく個人情報・ビッグデータの管理、活用の方法です。そのような仕組みを作ることができれば、日本の未来に対して、非常に大きな意味を持ちます。また、世界に対して新しいモデルを提供することにもなります。
<デジタル世界でのセキュリティに必要な生体認証>
・ここでもう一つ重要になるのが、生体認証です。今、日本では、個人認証は主に運転免許証や健康保険証を使って行いますが、これらはプラスチックに情報を印刷しただけのもので、偽造が容易です。とりわけ健康保険証については、それが言えます。最も間違いがないのが、指紋や虹彩、顔などで本人を確認する生体認証です。
・デジタルの世界では、セキュリティをしっかりとしたものとし、かつ個人の特定が確実にできるものでないと、大変な被害を受ける危険性があります。知らないうちに、誰かに個人情報が引き出されることにもなります。そのためにインフラをきちんと整える、という話なのです。
<米中対立の中、日本が国際協調をリードせよ>
・ニューノーマルから考える三つ目のテーマは、自国中心主義や反国際協調の流れと、どのように対峙するかです。今回のパンデミックによって国と国の出入りが遮断され、自国中心主義が激しさを増しています。
・国際機関などによるパテントの買い取りを実現させるべきでしょう。たとえばWHOが新薬のパテントを2兆円で買い取る。これをWHOは無料で世界に開放し、世界中で作れるようにする。これが今後、国際協調の非常に重要な一つのパターンになるはずです。
<アジア諸国との連携政策>
・そのための一つとして考えられるのが、アジア諸国との連携です。今回のコロナ禍で特筆すべきことの一つは、アジアの国々の死亡率が欧米と比べ、著しく低かったことです。
・近年、世界経済を引っ張ってきたのはアジアです。アジア経済の復活は、今後の長期不況が予測される世界にあって、好ましい材料になることは間違いありません。こうした呼びかけを日本が主導して行うのです。
すでに述べたように、戦後の世界は勝者が作ります。相互連携によりアジア経済がいち早く復活すれば、ニューノーマルの時代において、日本をはじめアジアの国々が発言力を持つうえで、非常に大きな助けになります。
1918年から20年にかけて猛威を振るったスペイン風邪は、結果的にアメリカが世界一の経済大国になることを後押ししました。
当時世界で1億人の死者を出したと目される中、アメリカの死者数は50万人程度と言われています。
・ニューノーマルから考える四つ目のテーマは、今後生まれるかもしれない新しいタイプの格差社会に、いかに対応するかです。
先に述べたように、第四次産業革命が進行し、デジタル資本主義が加速度を増すと、今ある職業の半分ぐらいがなくなるリスクが生じます。
・学習も、デジタル環境が整っている人とそうでない人では、大きな差が出てきます。オンラインを上手に活用する人はそうでない人に比べて、さまざまな知識を効果的に得ることができるのです。家庭環境によって、さらに格差が広がる可能性があるのです。
・このように、あらゆるところで大きな格差が生じてくるのが、デジタル資本主義の社会と考えられます。そこで必要になってくるのが、ベーシックインカム(BI)の制度です。誰もが最低限の生活を送れるよう、毎月一定額を必要な人に支給するのです。
・ベーシックインカムは、「負の所得税」とほぼ同じ考えです。収入がある一定額を超えると税金を払ってもらい、そうでない人には現金給与する。ベーシックインカムは究極のセーフティーネットであり、まさに税と社会保障の一体改革そのものなのです。
<「非正規だからクビを切られる」という議論のおかしさ>
・一方で労働基準法を中心とした労働の法的枠組みを見直す必要があります。たとえばパンデミックによって経済が落ち込む中、非正規労働者がクビを切られるという状況が生じていますが、本来はおかしな話です。2020年4月1日から大企業には「同一労働・同一賃金」が適用されているはずです。2021年4月1日からは、中小企業にも適用されます。
非正規だからクビを切られるというのは、これが守られていないことに他なりません。みんな「クビを切られてかわいそう」という話はしますが、法律違反ではないかという議論も、きちんと行う必要があります。
・2006年に発足した第一次安倍内閣が、ホワイトカラーエグゼンプション(脱時間給)の導入を唱えた時、リベラル系のマスコミは完全否定しました。「工場の労働者は時間で測れるけれど、ホワイトカラーの仕事は時間で測れない。長く働いたから成果を出せるわけではない」と、アナリストらが述べた正論にも聞く耳を持たず、寄ってたかって潰してしまいました。
・とはいえ、生産性の低かった人の生産性を急に上げようとしても、現実的には難しいことも確かです。そこで出てくるのがベーシックインカムです。生産性の低い人の給料は下がらざるを得ないかもしれません。その分をある程度、ベーシックインカムで保証するのです。
そこでさらに考えるべきは、リカレント教育です。リカレント教育とは、社会人になったのちも就労に生かすために学び直すことです。それを経て、再び就労するというサイクルを繰り返すことで、あくまでも本人しだいですが、頑張れば、より高い給料をもらえるようになることができます。
・今後はさらに、デジタル技術を使えば、会社に勤めながらのリカレント教育もやりやすくなります。これまであまり進みませんでしたが、大変革が起こりだした今こそ目を向けるときです。
<ワーケーションで地方自治体を豊かにする>
・ニューノーマルから考える五つ目のテーマは、働き方が変わることで、都市と地方の関係も変化するという問題です。緊急事態宣言を受けて、軽井沢や沖縄など東京を離れて仕事をする人が増えました。これは都市と地方の考え方を大きく変えることになります。
・「田園都市」という発想は、都市はリスクが高いから自然の豊かな土地に住みたいという発想から生まれました。
・ワーケーションの拠点を誘致できる地方自治体は、豊かになります。
・このようにして、東京から人が動くようになれば、東京一極集中も緩和され、東京で暮らす人たちも暮らしやすくなります。同時にこれは、テールリスクへの備えでもあります。東京で大震災が起こる可能性はあるわけで、今回のようなパンデミックが再び起こる可能性もあります。
そのときに備えた体制も必要で、多くの地方に人が分散して住んでいることは、一つのリスクヘッジにもなるのです。
<全国の小中学生にiPadを配付する>
・ニューノーマルから考える六つ目のテーマは教育です。教育で必要なのは平等です。それには「結果の平等」もあれば、「機会の平等」もありますが、とくに大事なのは、機会の平等です。
・デジタル教育における「機会の平等」は、それほど高くつく話ではありません。たとえば全国にいる約1000万人の小・中学生にiPadを配ったところで、1兆円以内で済みます。
・今後は、デジタルリテラシーの高い人材を、旧来の教員免許の枠にとらわれず、積極的に採用する。
・過去を振り返ると、教育改革を前面に掲げた内閣は中曽根内閣以降ありませんでした。パンデミックの今こそ、遠隔教育の実現、教員の資格制度見直しなど、長年進まなかった改革を進める大きなチャンスです。
<「バルコニー」からの視点で構想会議を>
・デジタルシフトに向けて、中国やシンガポールは国家が中心に動いてきました。日本の場合、企業レベルでいろいろな取り組みを進めていますが、構想という意味ではやはり国家レベルで取り組むことが重要です。
・その意味で日本は、徹底した超現場主義の国と言えます。現場主義自体は否定しませんが、問題は現場から何を抽出するかです。
・よく「鳥の目」「虫の目」と言いますが、鳥の目で全体を俯瞰して眺めつつ、現場を虫の目で見る。両方が必要なのに、日本では鳥の目が希薄になっています。
<パンデミックの検証>
<今回の危機が、日本の飛躍の機会となることを念じて>
・この本では、まず冒頭で「コロナ検証委員会」の設置を訴えました。そして後半では、「ポストコロナ構想会議」の設置を提唱し、そこでの議論の方向性を私なりに示しました。
・「ニューノーマル時代のITの活用に関する懇談会」の報告書では、世界の凄まじいデジタルトランスフォーメーションの中で、日本が「世界に取り残されない」よう、そして世界をリードするような大胆な改革が必要なこと
・この流れに「誰もが取り残されない」よう、「デジタルミニマム」を設定すべきこと
・行政のデジタルデータが活用できるような、政府主導の改革が必要なこと
『平成の教訓』 改革と愚策の30年
竹中平蔵 PHP 2019/2/16
<「平成とは『まだらな30年』だった。>
・それは、数々の改革と愚策がまだら模様を繰り返した時代だった、と。
・平成の30年を動かしたダイナミズムとは何だったのか。平成を検証することは、次の時代への正しい道標へとつながるだろう。
<平成の教訓を汲み取り、未来へつなげるために>
・そのためにも、冷静に平成という時代を振り返るべきであろう。この瞬間には何となく認識していることであっても、やがて違った記憶に変わっていってしまう恐れもある。
<平成に横行した「10の愚策」を検証する>
・たとえば、平成という時代を、「失われた30年」という一言で総括してしまってよいだろうか。
昭和の戦前を例に挙げれば、ただただ「暗黒の時代」とだけ見るのも間違いであろう。庶民の目線で見ると、本当に暗黒になったのは、戦況が厳しくなってからのことで、昭和12年くらいまでは、世間でも明るい歌謡曲がどんどん歌われていた。
<平成に横行した「10の愚策」を検証する――どんな愚策が、成長を鈍らせ、改革を阻んだのか>
<第1の愚策は、90年代に連発した「総合経済対策」>
<第3の愚策は、日本銀行の金融政策――不況の最大責任者>
<「日銀は世界最強の中央銀行だ」という皮肉>
・ある日銀関係者が「どの程度の物価上昇が望ましいかは、私たちが決める」といったときは、私は徹底的に批判した。
「政策目標を自分だけで決めることができるなら、日銀は世界最強の中央銀行だ。世界最強の力を手にしながら、日銀は無責任なことをやっている」と私はいった。
政府に相談もせず目標を決めることができる(しかもそれを公表しない)中央銀行は、どの国にもない。だから世界最強である。そして、目標を示せば、それを実現できないときに責任が生じる。
では日銀は、95年に物価上昇率がマイナスになったとき、責任を取っただろうか。もちろん誰も責任を取らなかった。
<メディアの論調が日銀に同情的だった本当の理由>
・日本の大手メディアでは、のらりくらり無責任な言い逃れを続ける日銀を問題視する論評は、いっこうに見かけなかった。どのメディアも日銀にきわめて同情的で、政府があれこれ注文をつけることは、日銀の独立性を損なうからよくない、という報道を繰り返していた。
メディアがそんな姿勢に終始した理由は、推測するしかないが、一つには、記者が日銀記者クラブで徹底的な“教育”を受けるからだろう。
・もう一つは、すでに述べたように、メディアが何事も「強者対弱者」の構図で報じるからだろう。政府与党には、腕力自慢の政治家や、しばしば暴言を吐く政治家が大勢いる。日銀は、学者肌のおとなしいエリート集団に見える。
<重要な情報は、日銀からリークされた>
・日銀と付き合って強く印象に残っていることの一つは、日銀が「おしゃべり」だということである。重要な情報は、日銀から漏れて報道されてしまうことがしばしばあった。
・政治家や官僚に比べて日銀からのリークが多いと感じるが、それは大きな説明責任がないからだ。情報が広がってから、国会や自民党の部会に呼ばれて説明するのは私たち内閣の側だから、どうしても慎重になり、重大局面が近づくほど口をつぐむようになる。彼らは、そんな責任はないから外部にしゃべりやすい。この意味では、いかにも評論家然とした集団である。
<デフレ対策より、とにかく「非伝統的金融政策」をやりたくない一心>
<バブル経済と長期不況の検証作業を実現させよ>
・日本経済の長期低迷について、そんな検証作業をしようという問題提起は、与党からも野党からもあったとは聞かない。日本は「検証」という概念が、きわめて乏しい国なのである。
・その結果、日銀は、物価が下がりはじめた95年から、財務省出身でアジア開発銀行総裁だった黒田氏が総裁に就任する13年まで、じつに18年間も物価下落を放置してしまった。これは「平成の愚策」といわざるを得ないだろう。
・とりわけ、アベノミクスで日銀に「物価上昇率2%」というインフレターゲットが与えられたことの意味は大きい。インフレ目標が立てられたことで、初めて日銀に責任問題が生じたからである。
<第4の愚策は、中小企業を直撃した貸金業法の改正>
・平成の第4の愚策は、福田康夫内閣の07年12月に施行された「貸金業法の改正」による貸付制度の変更である。
それまでは、「利息制限法」が貸出金利の上限金利を20%(正確にいえば10万円未満が20%、100万円未満が18%、100万円以上が15%)、「出資法」が上限金利を29.2%と定めており、その間の金利がいわゆる「グレーゾーン金利」とされていた。
いわゆるサラ金(消費者金融)はじめ町の金融業者(街金)の多くは、このグレーゾーン金利で貸し付けていた。しかし、上限金利を低いほうの利息制限法の上限に合わせた。理由は消費者保護で、多重債務者がかわいそうというわけだ。しかし、この結果、いわゆるヤミ金が増えてしまった。
・しかし、世の中には、月末までに300万円がどうしても必要だというニーズはある。中小零細企業が運転資金に困って、来月には大きな入金があるから、そのときまで借りたいといったケースだ。ところが銀行は、社長の自宅をもう担保に差し入れてあるから貸さない。
ならば年利25%でもよいから借りたい、という人がいる。2か月で返せば金利4%だから、300万円借りて312万円返すことになるが、それでよいという人は世の中にいるのである。
しかし、グレーゾーン金利はダメということになった。ならばヤミ金に借りにいくのは当然だろう。
・ふつうの人は年利20%と聞けば高いと思う。しかし、それは5000万円の住宅ローンを20%の金利で借りれば高いという話であって、1週間や1か月という短期ならば年利20%でも問題はない。それを、きわめて情緒的な「多重債務者がかわいそう」という理由によって、一律禁止した。しかも、その金利制限が、さかのぼって遡及されるというルールになった。
・その結果、過払い請求が増え、貸金業はほとんど廃業となり、サラ金の多くは銀行に吸収され、銀行の個人ローン・カードローン部門となった。中小零細企業の倒産を招いた「官製不況」の原因となった、と見る向きも少なくない。
・平成時代に目立った愚策は、民主党政権によるものがいくつかある。
平成の第5の愚策は、民主党政権が経済財政諮問会議を事実上、廃止してしまったことである。
私以外にあまり指摘する人がいないが、内閣設置法には、経済財政諮問会議を必ず置かなければいけないと書いてある。それを廃止したのは実質的に法律違反であって、政府が堂々と法律違反をやっていいのかという話なのだ。
民主党で経済改革に前向きな何人かの政治家は当初、首相の知恵の場として調査・審議をする経済財政諮問会議は、決定権がないから弱い。もっと強く、さまざまな問題を決定していく場が必要で、それが「国家戦略局」だ――と主張した。
・11年10月には野田佳彦内閣が、既存の18の会議を統廃合する「国家戦略会議」を設置したが、法的根拠もなく、「日本再生の基本戦略」「日本再生戦略」をまとめただけで終わった。小泉内閣では明らかに機能していた、目の前にある経済財政諮問会議を使おうとはせず、もっとよい国家戦略局を無理やりつくろうとして果たせず、結局、元も子もなくしてしまったのが民主党政権であった。
・民主党は、15歳以下の子どもがいる世帯に毎月手当を支給することをマニフェストに掲げていた。09年9月に誕生した鳩山由紀夫内閣では、翌10年4月から、それまでの「児童手当」に代えて支給を始めた。
児童手当は12歳(小学生)以下の子どもが対象で、所得制限がついていたのに対して、子ども手当は15歳(中学生)以下の子どもに対象を拡大し、所得制限もはずした。
10年度と11年度前半は一律1万3000円が、11年度後半は年齢や第何子かによって1万~1万5000円が、毎月支給された。
・しかも、子ども手当には初年度で2.3兆円、翌年度以降に4.5兆円が必要とされ、財源不足の問題が大きな壁となった。民主党は、霞が関の埋蔵金を掘り起こせば、10兆円やそこらの資金は簡単に捻出できるといっていたが、実際は違っていた。
・さらに、11年3・11東日本大震災が起こり、その復興財源の確保が優先されたため、子ども手当の支給は頓挫。12年4月以降は、旧来の児童手当に移行することになった。
子ども手当の財源不足が典型的であるが、経済財政諮問会議を廃止した民主党政権は、よりどころとなる政策のポリシーボード(政策決定の場)をなくし、マクロ政策の指針をまったく失ってしまった。だから、全体としてちぐはぐな経済政策を打ち出すことになってしまう。
・その結果、東日本大震災以降には、企業経営者らが日本の諸制度やビジネス環境は各国と比べて非常に不利な状態にあるとして、「企業の六重苦」ということを指摘するようになった。①円高、②高い法人税、③経済連携協定の遅れ、④製造業への派遣禁止など労働規制、⑤温暖化規制の強化、⑥電力不足や電気料金値上げ、の六つである。
放置された円高をはじめとする六重苦のなかで、日本を脱出する企業が急増し、民主党政権下で国内の空洞化が一気に進んでしまった。
<ポリシー・トゥ・ヘルプ(救済)かポリシー・トゥ・ソルブ(解決)か>
・じつは、政府は圧倒的にポリシー・トゥ・ヘルプをおこなう傾向がある。それが選挙の得票に直結するからである。その結果、弱い企業がゾンビのように生き残ってしまう。企業の自助努力以外に生き残る道はないという厳しい環境が、日本では実現されなかった。
・日本では、ポリシー・トゥ・ヘルプが一企業に対して適用される例が少なくない。代表的なものがJAL(日本航空)の救済である。
平成の第7の愚策は、JAL救済に代表される“ゾンビ企業の延命”である。
・平成の第8の愚策として、東日本大震災のあとの復興計画で、関東大震災のとき後藤新平が描いたような大風呂敷を描けなかったことを挙げておきたい。
・当初は、政府がカネをすべて丸抱えでつけ、復興庁を被災地に置き、地元にプランをまかせるという話もあったようだが、現実は違った。農林水産省は農水省の予算を温存して農道整備をする、国土交通省は国交省の予算を温存して必要なインフラを整備するというように、すべてが縦割りになった。だから大規模で魅力的な構想が出てこず、何も進まなかった。
・類似の事例にはこと欠かないが、平成の第9の愚策として、東北支援を名目とした大震災後の増税を挙げておく。復興増税の構想は、復興構想会議の第1回で示された。こんなことをやる国は、世界にはないだろう。米ニューヨークで01年9・11テロが起こったとき、ジュリアーニ市長は「みんなでおカネを使おう。経済を元気にしよう」といった。これが世界のやり方なのだ。
日本ではイベントや祭りを軒並み自粛して、祈りを捧げた。祈りを捧げることも大切だが、もっと重要なのは、みんながカネを使い、東北のものをたくさん購入することだったはずである。増税は、明らかにそれに逆行するものだった。
<第10の愚策は、キャップ制の放棄による歯止めなき歳出拡大>
・平成の第10の愚策として、政府歳出のキャップ制が放棄され、予算の歯止めなき拡大が常態化したことを強調しておく。
このことは、自民党・民主党政権の別とは関係がない。01年から07年あたりまで、政府一般会計の歳出規模は、82~83兆円前後から増えていない。
ところが、麻生政権から増え始め(当初88兆円、補正後102兆円)、民主党政権で90兆円以上が常態化してしまった。第二次安倍政権も同様で、19年度の当初予算は101兆円と過去最高となった。
まず、麻生政権のとき、キャップがはずされた。すでに述べたように、リーマンショックに対応する必要からやむをえなかったが、一時的なものとして、ショックの傷が癒えたときに元に戻すべきだったのである。しかし、その後は元に戻していない。
・歳出にキャップをはめて、少しずつでも経済をよくする政策をとれば、成長率1.5%で別にかまわない。実質成長率が1.5%で物価上昇率が1.5%ならば、名目GDPは3%成長である。
景気回復期において、税収の所得弾性値(GDPが1%成長したとき、税収は何%増加するか)は、2~3になる場合がある。3であれば税収が9%増えると考えてよい。小泉内閣で基礎的財政赤字がゼロに近づいたのは、こうした効果が生じたからだ。
・彼らは「大きな政府」志向で、基本的に「小さな政府」を好まない。だからこそ、支出にキャップをはめることは後ろ向きである。
平成の後期3分の1で、歳出のキャップ制をやめたことは大きな愚策だった。
<最初の2年半は大成功だった黒田日銀「異次元の金融緩和」>
・前章では日銀の愚策に紙幅を割いたが、13年の春に第二次安倍政権のもとで始まった、黒田東彦総裁率いる日銀の政策を、私は高く評価している。
「異次元の金融緩和」として、物価目標2%を掲げ、マネタリベースを2年で倍にするという、きわめて明快で強いメッセージは、クロダミクスとも黒田バズーカとも呼ばれた。その出だし――少なくとも最初の2年半は、成功だったと思う。
・以来2%の物価目標は、なかなか達成できそうな気配がない。物価上昇率がしだいに1%に近づき、その1%が1.5%になり、やがて2%をうかがうという道筋が、見えてこないのだ。日銀は目標を取り下げてはいないものの、達成の見込み時期をどんどん遅らせている。
・「逃げ水」は蜃気楼の一種で、遠くに水があるように見え、近づくとまたその先に遠のいて見える現象である。これと同じで、常に物価目標2%は1~2年先に見える、と日銀はいい続けている。「オオカミが来る」といい続けた少年と同じというべきか。中央銀行による物価の見通しがこんな状態で5年間も続くなかで、しだいに日銀に対する批判も高まってきた。
インフレ目標については、黒田・日銀総裁は、自らでは避けようのない不運に見舞われてしまったといえる。というのは、そもそもインフレ目標は、短期決戦型の政策なのだ。
<安倍政権は長期政権のレガシーをどう作る?>
・安倍内閣が発足して以降の日本は、第1章で述べたように「もっとも失われた5年」から「再挑戦の7年」に移行し、経済は明らかによくなった。とりわけその成果は、株価上昇や失業率の低下に現れている。これらの点は、高く評価される。また安倍首相は、G7のトップのなかでもいまやドイツのメルケル首相の次に長く政権を維持しており、国際的な信頼も厚い。しかし平成の末期において、次のような二つの問題を克服する必要に直面していよう。
第1は、政策の実施がともすれば安倍首相・菅官房長官によるリーダーシップだけに依存しており、経済財政諮問会議や規制改革会議に象徴される組織全体による改革になっていないことだ。もちろんこの点は、首相官邸のリーダーシップが強いという利点ともいえる。しかし、いわば改革が「点」にとどまり「面」に広がらないことを意味している。
・第2は、いわゆる「一強体制」の弊害で政策のチェック機能が弱まり、尖った政策を避けて安易な政策に流れる雰囲気が、霞が関の官僚を中心に広がってきたことだ。政治の一強体制は、それ自体決して悪いわけではない。政治が安定し長期政権になるなかで、外交面では大きなプラスの成果が出ている。ポピュリズムの台頭で政治が不安定化している欧米から見ると、日本の現状はむしろ評価されている。
問題は、一強体制がもたらすチェック機能の低下だ。
・財政再建は、リーマンショック時以降の歳出拡大のなかで、依然として大きな問題である。GDPの伸び率より債務の伸び率のほうが高く、グラフに描くといわゆる「ワニの口」となる現状は、持続可能(サステーナブル)ではない。
ただし、財政再建をするためにデフレ政策、つまり経済を悪くする政策をとってはいけない。
・経済学者でハーバード大学教授のアルバート・アレシナは、戦後に各国で行われた財政再建を実証的に研究し、興味深い指摘をしている。財政再建に成功または失敗したケースを比較検討した結果、まず増税政策から財政再建に着手した国は必ず失敗している、というのだ。