日本は津波による大きな被害をうけるだろう UFOアガルタのシャンバラ 

コンタクティやチャネラーの情報を集めています。森羅万象も!UFOは、人類の歴史が始まって以来、最も重要な現象といわれます。

約800例ある、世界中の子どもの「過去生の記憶」データというものが存在し、それらの真実性が数値化されている。(5)

 

 

『エルランティ』天使編  高橋信次復活の原点

ノストラダムスの予言を超えて

大川隆法  平成元年9月  幸福の科学出版

 

 

 

ポスト・ノストラダムスの時代、日本に希望の光ヘルメスが甦る

・それから、東の国にね、ヘルメスが甦ることをノストラダムスは予言しております。ヘルメスが東の国に出るだろうと。そして、ヘルメスのもたらす繁栄が、やがて世界を救うであろう。ノストラダムスは、そういうふうに予言しています。

 

・このヘルメスが甦るというのは、どこからというと、東の国というのは日本なのです。まあ、ヘルメスの生命体は何かっていうと、みなさん、ご存じでしょうかね。あと、有名な方は、リエント・アール・クラウド、それからブッダ、コーダマ・ブッダ、ラ・ムー、トス、こういう人たちが同一生命体の魂のグループなのですよ。だからそのグループの中の誰か一人が生まれ変わってくるということですよ。そういうふうに理解してくださいね。

 

・光の天使達が地上に出て、世界を救う。そして、ヘルメスが末法の世を救い、東の国から起きるヘルメスの繁栄が、やがて世界を救うだろうと、予言しました。このときに、西暦二千年ごろにも私の予言も終わるというふうに、彼は言いました。なぜ彼の予言が終わるのか。それは新しいいわゆるヘルメスの時代になって新たな予言が説かれていくからです。新たな教えが説かれていくからですね。それでノストラダムスの使命が終わったということです。そういうことなんです。

 

スウェーデンボルグのいう霊太陽の存在>                                                        

・霊界探訪記のなかで、スウェーデンボルグという北欧の偉大な霊能者はね、霊界に太陽があるということを言っていますね。霊界の霊太陽というのがあって、それが霊界の人々を照らしてると、こういうふうな話をしとります。

 実際に、霊太陽というのがあるのです。地上のみなさんが太陽の光のもとで、生活しておるように、霊界にもちゃんとした霊太陽というものがあります。

そして、その霊太陽がね、4次元の人たち、5次元の人たち、あるいは6次元の人たち、いろんなところを照らしておるのですね。

 

・それで、霊界物語を読むとよくわかるのですが、たとえば、地上にいる人たちが幽体離脱して、あの世の世界に行ったときも、あるところの世界までは行けるけれど、それから上のほうは行けなくなるのですね。

 

 

 

『地獄界の帝王 ルシ・エル サタンの陰謀』

地球人類を救うのは偉大なるエルランティ「高橋信次先生」なり

土居釈信   出版サービスセンター   平成3年1月

 

 

 

サタンは如来界の七大天使であった

天上界・高次元のことを簡単に説明しますと、最上段階に神、そして、エルランティ(高橋信次先生)を長として、その下にイエス様、モーゼ様、御釈迦様の三聖人がいらっしゃいます。この次元を九次元(宇宙界)と呼びます。そして、その下の次元を八次元(太陽界とその下に如来界)と呼びます。そして、七次元(菩薩界)、六次元(神界)、五次元(霊界)、四次元(幽界)、三次元(この世)、という段階があるのですが、サタンは上から二段階目の次元、元の如来界の七大天使の一人だったのです。この如来界には、元来は八次元上段階におられるミカエル天使長を長として、その下に七人の天使達がいて、それぞれに役割と力を持っています。

 

・そして、この七大天使の中の一人にルシ・エルという天使がいました。このルシ・エル天使が後の“サタン”になっていくのです。

 

・大天使達が地上界に降りられた時の、手助けをするのが彼の役割だったのです。サタンが七大天使であった頃は、このような偉大な力を持っていたのでした。

 

地球人類の起源(円盤による降臨)

・地球人類の歴史の始まりです。私達人類は、猿やアメーバから進化したと言われていますが、この進化論は誤りです。

 

・“『地球』を開拓し調和させ、魂の修業せよ”との神の命を受けてエルランティとすべての天使達、そして、第一陣に選ばれた約千名の人々が、反重力光子宇宙船(円盤・UFO)に乗り、ベータ星から数億光年も離れた『地球』という、神から与えられた次の修業の場を目指して、希望と使命に燃えて出発したのでした。それから人類は円盤に乗って長い旅を続け、ついに地球上のエジプトの地、ナイル川流域の、エルカンターラという場所に着陸しました。

 

 

 

『UFO五次元東京会議』

中丸薫×竹本良  VOICE 2011/12/8

 

 

 

大震災前後に地球に現れたUFOたち

・実は「NORAD(北米航空宇宙防衛司令部)の元職員にスタンリー・A・フルハムという人がいまして、彼が暴露した中に「カウンシル・エイト(審議会8)」という宇宙連合的な組織についての情報があるんですね。これは、プレアデス、オリオン、シリウス、牛飼い座、アルファ、センタウリ(ケンタウルス座α星)、レティクル座ゼーター星、Comsuli、Pouseti(最後の2惑星の名前は存在が不明)の合計8つの知的文明で構成されている組織のことなのですが、こうした星座のグループが近年、共同して地球に現れてデモンストレーションをしているらしいんです。

 

これからの時代に必要なのは“魂感覚”

・中丸;エルランティというのは神に一番近い人です。世界中のあらゆる宗教において、例えば、モーセのときはヤーウェと名乗り、イエス・キリストのときはエホバと名乗り、イスラム教のときはアラーと名乗り、仏教のお釈迦様のときはブラフマンと名乗って人々を導いた、そういうお方ですね。でも、神ではないんですよ。神に近い存在といったらいいでしょう。

 

生前にお付き合いのあった宗教家の高橋信次先生が亡くなられて、もう30年以上経ちますが、あの方は、実は、お釈迦様の生まれ変わりだったんですよ。

 

・いってみれば、お釈迦様もイエス・キリストもみんなエルランティの分身なんですよ。ですから、よくよく考えてみれば、宗教戦争をすること自体がおかしいんですよ。魂の源は、皆一つなのにね。そして、人間もその分霊を誰もが抱いているわけですから、その心を浄化して輝かせなければいけないんです。

 

 

 

『霊能動物館』

加門七海   集英社   2014/11/5

 

 

 

憑きものの部屋

1    どこかから来て、縁もない人に取り憑くもの。

2    ひとつの家系が血筋によって受け継ぎ、増やすとされるもの。

3    祈祷師などが使役する、式神的な働きをするもの。

 

『狼の部屋』にて、私は憑きものを大きく3種類に分類した。

今回、俎上に載せるのは、主にこの中の2と3だ。

 

・何種類もいる憑きもののうち、オーサキについては『狼の部屋』にて少々取り上げた。このオーサキをはじめ、憑きものと呼ばれる動物達のほとんどは地域や家筋に属している。『憑きものの部屋』を記すに当たって、一番厄介な問題は、これらにまつわる差別の話だ。

 如何にのらくら躱そうと、憑きものを持つとされる家系の多くは、その地域において差別を受けた。理由はこれも前に記した。彼らは憑きものを使って人の富を盗み、場合によっては人命を脅かすとされてきたからだ。

 

憑きもの持ち迷信 その歴史的考察』(明石書店を記した速水保孝氏は、自身が出雲地方にて「狐持ち」といわれる家の出だった。

 ゆえに、その著書には、研究書という枠を超えた生々しい差別の実態が描かれている。

 

・憑きもの筋に対する差別のほとんどが、新興富裕層に対する妬みから生じたという見解は、現在、定説にもなっている。が、これこそ速水氏の研究と分析がもたらした成果でもある。

 氏はまた、出身地である出雲地方にて、狐持ちについて記された存在自体にさしたる歴史がないことをも明らかにした。

 『人孤物語』には、狐持ちの起源は享保頃にあり、「狐持ちに指定される家は、金持ちの家で、指定する者は、この金持ちによって搾取され」(速水氏)た没落農民であることが記されている。そして、この金持ち達は皆、性格が悪いことにもなっている。

 要は、搾取された側にとって邪悪な存在となる成功者が、憑きもの筋とされたわけだ。

 

・『「3匹のクダ狐を持ちこんだ男がいてね。狐のヤツが、村中の人間に取り憑いてしまったのさ。みんな、気が触れたようになったり、魂が抜けたみたいになって……村にいた祈祷師が21日間お祓いをして、狐を竹の筒に入れ、村の奥に封じたんだよ。

 で、なんとか正気に戻ったんだけど、祈祷に来なかったヤツらは到頭、ダメになっちまったっけ。………それから暫くしてのことさ。狐なんか信じないって馬鹿がいて、筒を埋めた塚を掘り返したんだな。そうしたら狐が逃げてしまって、またまた村がおかしくなった。祈祷師はそれも捕まえたけどね。今、氏神様の裏山に、小さな祠が遺っているよ」』

 

『黄金結界』(河出書房新社という著作の中で、私は右のごとく記している。

 

しかし、何年経っても、私は憑きものの実在を信じきれない――いや、幽霊に似た不可視のものだという考えから離れられない。

 

・まず、『日本の憑きもの 俗信は今も生きている』(石塚尊俊著 未来社を参考に、憑きものの種類を並べてみよう。日本全国、実に多くの憑きもの達が存在している。

 狐、イヅナ、オサキ、クダ、オトラ、トウビョウ狐、ニンコ、ヤコ、狸、蛇、トウビョウ(トンベ、トンボカミとも)、犬神(インガメ、イリガミとも)、外道、猫、猿、蛭、カッパ、ゴンボダネ。

「オサキ、クダ、オトラ」は、語末に狐をつけて記される場合が多い。「トウビョウ狐」はもう一種の「トウビョウ」と区別するために「狐」がついているようだ。

 

だが、この話の場合、狐を見るのは、ある種の特殊能力だ。見える人と見えない人がいるというのは、ほかの憑きものにも出てくる話だ。この説によると、憑きものは実体を持たない妖怪や精霊の部類に分けられる。

 

・しかし、本来、憑きものはそんなに単純なものではない。確かに似たものもあるけれど、ちょっと資料を当たってみれば、憑きもの達にはそれぞれ豊かな個性があることが見えてくる。

 そのすべてを記すのは難しいので、代表例をいくつか示そう。先述した速水氏は「狐持ち」の家系であった。

 出雲地方にいるこの憑きものも、当然、ただの狐ではない。

「ネコよりは小さく、ネズミよりは大きく、脚が短く、尾の長い、胴体が細長く、耳の尖っていない動物で、色は茶色あるいは茶褐色で、黒身がかった班入りのもいるといわれ、イタチとよく似ており、ときどき後脚で立ちあがったり、小手をかざして見るくせがあるといわれる。」

『日本の憑きもの 社会人類学的考察』(吉田禎吾著 中公新書では、そう記されている。

 

・「1963年の冬、私は鳥取から遠くない所にある退休寺を訪ねたが、そこは明治以来、狐憑きの患者の憑きものおとしで有名であった。日露戦争にも出征したことのある年老いた僧侶は、疑いもなく高い教育を受けていた。しかし彼は誰が狐持ちの家族かを告げるのは訳ないことです、狐が軒先に座っているのが見えるのだから、と私に語った。夕方散歩に出た時に、彼は狐どもが烙印を押された家の外で遊んでいたり、軒先に並んで座り、前脚で眼を覆っているのを何度も見たそうである。彼らはよく彼の傍らに飛んで来て、うなったり衣の端をひっぱったりしたという。そして、狐どもが見えるのは彼ばかりではない。村の誰にもそのように見ることができるという。

 

・1963年に出合った鳥取の学校長である生田先生もまた、この地方の多くの村をまわって狐持ちの邪悪な迷信を棄てるようにと説いて歩くのに時間をかけてきたと話してくれた。しかし、彼はほとんど説得できなかった。講義の後で彼はいつも村人の1人から挑戦された。これに関してよそから来た人が一体何を知っているというのだ。村の人は皆、その家の外で狐を見ることができるのだから、誰が狐持ちの家族なのかを知っているのだ。」

 つまり、この地方の狐は、村人には見えるけど、「よそから来た人」には見ることができないモノということになる。

 記された証言のすべてを信じて、ここにサイキック村がある!と驚いてもいいのだが、もしも前述したごとく、狐持ちの家が元来は余所者であるというのなら、村人は余所者と自分達を二重の構造で区別していることになる。

 

・それはともかく、ここに出てくる退休寺は、鳥取県大山町に現存している。

 

『日本の憑きもの』(石塚尊俊著)に載っている「憑きものの呼称による分布」地図を見ると、彼らにはそれぞれ明確な縄張りがある。

 犬神が四国なら、イヅナは東北、オサキの中心は関東で、狐は全国に点在し、クダは愛知県から東北方向に、新潟まで帯状に散らばっている。

 また、気になる特徴が3つある。ひとつめは、愛知県より北はオサキ以外、クダとイヅナとゴンボダネしかいないということ(新潟には、例外として佐渡島に狸がいるが、島であることと、流刑地だったという特殊な事情が働いている可能性がある)。

 ふたつめは、古代の宮都があった京都、滋賀、大阪、そしてなぜか福島にも、憑きものがいないこと。

そして最後。京都、滋賀、大阪の三府県以西の西日本一帯には、そのほかの憑きもの達のすべてが生息していることだ。興味深い調査だが、私はこの空白地帯が、妙に気になった。

 

 

 

『日本妖怪大事典』

画◎水木しげる  編者◎村上健司  角川書店 2005/7/20

 

 

 

犬神(いぬがみ)

・中国、四国、九州の農村地帯でいう憑き物。中国地方では犬外道、九州、沖縄ではインガメというように、名前や性質は地方ごとでさまざまに伝えられている。

 犬神には人の身体に突然憑く場合と、代々家系に憑く犬神持ちとがあり、狐憑きとほぼ同じような特徴が語られる。

 犬神に憑かれると、さまざまな病気となり、発作を起こして犬の真似をするなどという。これは医者では治らず、呪術者に頼んで犬神を落としてもらう。

 

・犬神持ち、筋とは、犬神がついた家系のことをいう。愛媛県では、犬神持ちの家には常に家族の人数と同じ数の犬神がいるとし、家族が増えれば犬神の数も増えると思われている。

 

愛媛県周桑郡での犬神は鼠のようなもので、犬神筋の家族にはその姿が見えるが、他人にはまったく見えないという。

 

オサキ

・埼玉県、東京都奥多摩群馬県、栃木県、茨城県新潟県、長野県などでいう憑き物。漢字ではお先、尾裂きなどと表記され、オーサキ、オサキ狐ともいう。

 憑かれた者は、発熱、異常な興奮状態、精神の異常、大食、おかしな行動をとるといった、いわゆる狐憑きと同じような状態になる。

 

・また、個人ではなく家に憑く場合もあり、この場合はオサキ持ち、オサキ屋、オサキ使いなどとよばれる。オサキが憑いた家は次第に裕福になるが、その反面、周囲の家には迷惑がかかるという。オサキ持ちの者が他家の物を欲しがったり、憎悪の念を抱いたりすると、オサキがそれを感じ取って物を奪ってきたり、憎く思っていた相手を病気にしたりすると信じられていたからである。

 オサキの家から嫁をもらうと、迎え入れた家もオサキ持ちになるというので、婚姻関係ではしばしば社会的緊張を生んだ。

 

おさん狐

・主に西日本でいう化け狐。とくに中国地方に多く伝わり、美しい女に化けて男を誑かす。鳥取県では、八上郡小河内(八頭郡河原町)から神馬に行く途中にガラガラという場所があり、そこにおさん狐が棲んでいたという。

 

 与惣平という農民が美女に化けたおさん狐を火で炙って正体を暴き、二度と悪さをせずにここから去ることを条件に逃がしてやった。

 数年後、小河内の者がお伊勢参りをしたとき、伊賀山中で出会った一人の娘が、「与惣平はまだ生きているか」と尋ねるので、生きていると答えたところ、その娘は「やれ、恐ろしや」といって逃げていったという。

 

広島市中区江波のおさん狐は、皿山公園のあたりに棲んでいて、海路で京参りをしたり、伏見に位をもらいに行ったりと、風格のある狐だったという。おさん狐の子孫といわれる狐が、終戦頃まで町の人たちから食べ物をもらっていたそうで、現在は江波東2丁目の丸子山不動院で小さな祠に祀られている。

 大阪府北河内郡門真村(門真市)では、お三狐として、野川の石橋の下に棲んでいるものとしている。「お三門真の昼狐」ともよばれることがある。昼狐とは昼間に化ける狐で、執念深く、人を騙すものだという。

 

狐憑

・全国各地でいう憑き物。いわゆる一般的な狐の他、オサキ、管狐、人狐、野狐、野千といったものも狐と称され、それらの霊が人間に取り巻くことをいう。

 大別すると、1、個人に憑くもの、2、家に憑くもの、3、祈祷師などが宣託を行うために、自分あるいは依代に憑かせるものの3つに分けられる。

 

 1は狐の霊が何の予告もなく、あるいは狐に悪戯した場合に取り憑くもので、原因不明の病気、精神の異常、異常な行動をとるなど、個人や周辺に多大な迷惑をかけるやっかいなものとされた。

 

 2に挙げた、家に憑く狐は、家に代々受け継がれるもので、管狐、オサキ、人狐というのはこれである。繁栄をもたらす反面、粗末に扱うと祟りを及ぼし、家を滅ぼしてしまう。他家から狐が物を盗んできたり、家の者が憎く思う相手に憑いて病気にしたりするので、周辺から敬遠されてしまう。また、嫁ぎ先にも狐がついて行くと信じられたので、婚姻が忌避されるなどの差別を受けた。

 

 3は稲荷下しなどといって、祈祷師たちが狐の霊による宣託を行ったものである。

 

座敷わらし

岩手県を中心とした東北地方でいわれる妖怪。名前が示す通り、家の中にいる子供の妖怪で、3歳くらいから11歳、12歳くらいの男の子または女の子で、髪形はオカッパとされることが多い。

 

・座敷わらしにも階級のようなものがあるそうで、上位のチャーピラコは色が白く綺麗だとされ、階級の低いノタバリコや臼搗きわらしといったものは、内土間から這い出て座敷を這いまわったり、臼を搗くような音をたてたりと、なんとなく気味が悪いそうである。

 

・座敷わらしというよび方は東北地方でのことだが、この仲間というものはほぼ全国的に分布している。北は北海道のアイヌカイセイ、南は沖縄のアカガンターと、多少の性質の違いはあるが、家内での悪戯、例えば枕を返すとか、金縛りにするなどといったことが共通して語られ、家の衰運などにも関わることもある。韓国の済州島に伝わるトチェビなども、座敷わらしに似た性質を有しているという。

 

寒戸の婆(さむとのばば)

・『遠野物語』にある山姥の類。岩手県上閉伊郡松崎村の寒戸にいた娘が、ある日、梨の木の下に草履を脱ぎ捨てたまま行方不明になった。

 

 それから30年後、親戚が集まっているところへ、すっかり年老いた娘が帰ってきた。老婆となった娘は、皆に会いたくて帰ってきたが、また山に帰らねばといって、再び去ってしまった。その日は風が激しい日だったので、それ以来、遠野の人々は、風が強く吹く日には「寒戸の婆が帰ってきた日だな」などといったという。

 『遠野物語』は柳田国男が遠野の佐々木喜善より聞いた話をまとめたものだが、遠野には寒戸という土地はなく、これを登戸の間違いではないかとされている。語り部役を務めた佐々木喜善は『東奥異聞』に登戸の茂助婆の話として記している。

 

オマク

岩手県遠野でいう怪異。生者や死者の思いが凝縮した結果、出て歩く姿が、幻になって人の目に見えることをいうもので、「遠野物語拾遺」には多数の類話が見える。

 

 

 

『日本の幽霊』

池田彌三郎   中公文庫  1974/8/10

 

 

 

憑きものの話

・「憑きもの」に関する俗信は、もちろん社会心理現象であって、今日の社会においては実害のともなう迷信である。四国を中心にした「犬神持ち」の俗信や、山陰地方に多い「狐持ち」の俗信などは、今日においてもなお実害のともなっている、はなはだしい例である。

  昭和28年11月に公刊された『つきもの持ち迷信の歴史的考察――狐持ちの家に生まれて――』という書物は、島根県大原郡賀茂町神原出身の速水保孝氏の著書である。著者自身狐持ちの家に生まれ、自身の結婚

にあたってもそれによる障害を体験され、迷信打破の為にその講演に歩くと、狐持ちなどの憑きものを落とすことをもって職業としている「祈祷師」らから、生活権の侵害だと脅迫がましい投書が来たり、と言った貴重な経験を通じて、これに学問的なメスを入れておられる。

 

・東京のような都会に育っている者には思いもよらない生活経験が語られているが、その書物の、私は狐持ちの家の子であります。だからこの本をどうしても書かずにはおられません。という書き出しの文句なども、都会にいるわれわれの受け取る受け取り方では、ともすれば、こう書き出した著者の勇気を、感じとらずに読みすごしそうである。それほど「憑きもの」信仰などはわれわれ都会育ちのものには遠い昔の話になっている。だが、現にこの迷信は、島根県下において、末期の症状ながらも生きていて、その撲滅運動が度々繰り返されている、当事者にとっては真剣な問題である。

 

・しかし、他の様々な迷信の打破と同じように、それは結局、教育の普及にまつ以外に、根本的解決策はまずなかろう。そして、この速水氏の本の序に、柳田国男先生がよせられた序文にあるように、

 教育者たるべきものは、俗信を頭から否定することなく、それに関する正確な知識を与えてやらねばならない。結局事実を提示して、各自に判断させてゆくというより他に方法は無いのではなかろうか。

 

・その一つの方法としては、こういう問題を大胆に話題にして、そこに正しい判断と批判力を養うことの必要を先生は説いておられる。幽霊も妖怪も、むしろわれわれが大急ぎで話を集めておかないと、もうほとんど出て来てくれそうもなくなったのに、「家に憑く怨霊」の庶子のような「憑きもの」だけが、まだ生き残って人間を苦しめているなどというのは、まことに残念であり、学者の怠慢だと指摘されても致し方ない。

 

・犬神というのは憑きものの中でも有名なものの一つで、四国がことにその俗信の盛んな土地である。――四国には「狐」という動物そのものがいないと言われている――しかし中国にも九州にもないことはない。四国で一般的に言われているのは、鼠ぐらいの大きさの小さい動物であるというのだが、近世の書物、たとえば『伽婢子』などでは、米粒ぐらいの大きさの犬だという。だから、近世の随筆家などになると、早く興味本位になり、一そう空想化していたということになる。

 

・犬神持ちがいやがられるのは、この犬神を駆使して、他人に迷惑をかけるからである。犬神持ちの人がある人を憎いと思うと、たちまちに犬神が出かけて行って、その相手にとりついて、その人を苦しめたりする。だからこういう点、平安朝の怨霊などのように、生霊死霊が自身で現われて人を苦しめるのに比べると、動物が人間並みの感情を持っていてとり憑いたり、あるいはさらに、そういう動物を人間が使役したり駆使したりして、人に損害を与えるなどということ自体、怨霊から言っても末流的であり、そこにこういう憑きものなどを一笑し去るべき要点がはっきり露出しているように思う。

 

・東京の銀座の真ン中に育った私にも、たった一つだけ、狐憑きの話を身近に聞いた経験がある。幼稚園の時から一緒で仲よくしていたTという友人の母親が急死した。私の小学校5年の時だから、大正14年のことだが、私は受け持ちの先生と、組の代表で告別式に行った。数日たって学校に出て来たTは、僕のお母さんは狐憑きに殺されたんだ、だけどこれは誰にも言わないでくれよ、と言った。

 

・Tの父親の親戚の女の人に狐がついて、Tの叔母をとり殺した。そのお葬式の時、狐憑きなんかあるわけはないとTの父親が言ったら、その親戚の女についている狐が、うそかほんとか、今度はお前の細君を殺してやると言った。Tの父親は「殺すなら殺してみろ」と言った。そうしたら、ほんとに僕のお母さんは死んじゃったんだ。あの時「殺すなら殺して見みろ」なんて言わなければよかったんだ。Tはこんな話をした。

 

・何しろ二人ともまだ子どもの時で、その上今から三十数年も昔のことで、ほかのことは知らない。Tの母親のお葬式の時にも、ケロリとして、その狐のついた親戚の女は手伝いに来ていたと、Tがにくにくしそうに言ったのを今でも覚えている。大正14年と言えば、前々年に関東の大震災があって、銀座はすっかり焼け野原となったのだが、そのあとしばらくのバラックずまいの町の中で、こんな生活の経験のあったことを、今ふと思い出したのである。

 

 

 

陰陽師(おんみょうじ)』  安倍晴明蘆屋道満

繁田信一       中公新書 2006/4

 

 

 

安倍晴明蘆屋道満

英雄の誕生

「道の傑出者」「陰陽の達者」

安倍晴明という陰陽師は、その活躍を直接に知る平安時代中期の貴族層の人々にとって、「道の傑出者」であり、「陰陽の達者」であった。

 

名人から英雄へ

安倍晴明が他界してから百年ほど後に編纂された『今昔物語集』に登場する清明は、幼い頃より鬼を見ることができた天才的な陰陽師であり、呪術によって二人の人間の生命を交換することさえあった。そして、そんな清明に術比べを挑んだ法師陰陽師は、手も足も出ずに最後は泣く泣く許しを請う始末であったという。だが、この清明は、いまだ単なる名人でしかない。『今昔物語集』の清明には、特に英雄らしい活躍は見られないのである。

 

・しかし、その死から二百年余年の後に編まれた『古箏談』や『宇治拾遺物語』に登場する安倍晴明は、確かに、朝廷を守護する英雄としての役割を果たしている。すなわち、『古事談』『宇治拾遺物語』の清明は、朝廷の事実上の最高権力者である藤原道長を呪詛の危機から救い、かつ、その呪詛を行った法師陰陽師を追い詰めるのである。ここでの清明は、まさに朝廷=道長を守護する英雄であった。また、『古箏談』の清明は、花山天皇を苦しめる不治の頭痛を鎮めることでも、朝廷=天皇を守護する英雄の役割を果たしている。

 

・また、江戸時代初期に刊行された『安倍晴明物語』は、安倍晴明を神の落胤とする。同書が清明の母親として伝えるのは、よく知られた信太の森の狐である。が、その狐の正体というのは、信太の森に鎮座する信太明神に他ならなかった。

 かくして、安倍晴明という陰陽師は、その死から六百余年後の伝承の世界において、半神半人の超人として語られる身となり、ギリシア神話的な英雄になっていたのであった。

 

安倍晴明を超える名人

・この一件が明らかにしてくれるのは、安倍晴明が没してから三十年と経たない頃の貴族社会には「当朝は保憲を以て陰陽の基摸と為す」という風潮が強かったということである。そして、それは、当時の遺族社会において、賀茂保憲安倍晴明を上回る名人として位置付けられていたことを意味していよう。

 ところが、その賀茂保憲が伝承の世界において英雄としての位置付けを得ることはなかった。もちろん、保憲も死後には伝承の世界の一員となっている。『今昔物語集』などは、言を尽くして彼がいかに優秀な陰陽師であったかを語ってくれている。しかし、それでもなお、『今昔物語集』の保憲は、単なる名人でしかないのである。

 

保憲流賀茂氏と晴明流安倍氏

・ここに明らかなように、平安中期終盤の貴族社会が最も権威を認めた陰陽師の家系は、晴明流安倍氏ではなく、保憲流賀茂氏であった。『新猿楽記』において陰陽師の理想像を描いた明衡は、その架空の陰陽師を権威付けるのに最もふさわしい家系として、晴明流安倍氏ではなく、保憲流賀茂氏を選んだのである。

 

・周知のごとく、安倍晴明の家系は、平安中期以降、賀茂保憲の家系とともに、「陰陽道宗家」とでも呼ばれるべき立場を占めるようになった。つまり、保憲と晴明との活躍があって後、陰陽師の家系としての権威は、保憲流賀茂氏と晴明流安倍氏とによって独占されることとなったのである。しかし、賀茂道世の例に明らかなごとく、平安貴族の見るところ、その権威において、晴明流安倍氏は保憲流賀茂氏よりも劣っていたのであった。

 

・そして、平安貴族が保憲流賀茂氏の権威を晴明流安倍氏のそれよりも高く見たのは、おそらく、保憲と清明との間に師弟の関係があったためであろう。すなわち、保憲は晴明の師であり、清明は保憲の弟子だったのである。だからこそ、平親信の『親信卿記』に見えるごとく、天延二年(974)の五月十四日、保憲が堂舎建立の適地を選ぶ卜占のために比叡山に登った折、清明は「小姓」の一人として保憲に付き従ったのであった。

 だが、こうした現実の世界とは裏腹に、後世、伝承の世界において名人から英雄の成長を遂げたのは、安倍晴明であって、賀茂保憲ではなかったのである。

 

創出された英雄

・そうはいっても、賀茂保憲が英雄にならなかったのは、その必要がなかったからなのではないだろうか。

 賀茂保憲という陰陽師は、後世の貴族社会の人々にとって、陰陽師の規範とされるべき存在であった。先に見たごとく、「当朝は保憲を以て陰陽の其模と為す」というのが、平安時代中期以降の貴族社会における共通認識だったのである。つまり、保憲の場合、わざわざ英雄などにならずとも、すでに陰陽師として最高の権威を認められていたのであった。

 

・ただし、こうして英雄に祀り上げられた安倍晴明は、やがて、その祀り上げを企図した晴明流安倍氏の思惑をも超えるかたちで、伝承の世界において一人歩きするようになる。すなわち、名人であることを越えて英雄になった清明は、室町時代中期までには「化生の者」となり、江戸時代初期までには半神半人となったのである。こうして、伝承の中の安倍晴明は、人間であることをも超越したのであった。

 

悪役の誕生

悪逆非道の法師陰陽師

・伝承の世界の安倍晴明は、朝廷を守護する英雄の地位を確立した後、ついには自己の死すらも克服してしまう。彼を半神半人の英雄とする『安倍晴明物語』には、その死と再生とまでもが描かれるのである。

 

安倍晴明物語』では、蘆屋道満という法師陰陽師安倍晴明に弟子入りする。その道満法師は、播磨国印南郡出身の優れた陰陽師であったが、あるとき、晴明に術比べを挑んで徹底的に打ち負かされてしまい、それを機に晴明の弟子となったという。