『プレアデス星訪問記』
上平剛史 たま出版 2009/3
<UFOに招かれる>
<宇宙太子との再会>
・それは、私が故郷である岩手県に住んでいた16歳のときのことである。
<葉巻型巨大宇宙船へ>
・「葉巻型母船は長さ4キロメートル以上で、太さは一番太いところで、直径7、8百メートル以上あります」
・「この母船はひとつの都市機能を持っており、ありとあらゆるものが備わっています。生き物のような船であると言っても過言ではないでしょう」
・なんと、これでも中規模程度の母船らしい。10キロメートル、20キロメートル、さらにそれ以上の大きさの地球人類には想像もできないほどの巨大な母船も存在するという。この母船では縦横およそ50メートルおきに道路が設けられ、階層は最も厚いところで40~50層になっているそうである。母船の中に公園や山河まであるらしい。この母船で生まれ育ち、一生を過ごす者もいるそうである。
・宇宙人にはそれぞれ母星があるが、母船には母星の都市機能が備わっており、母星の社会がそのまま存在している。母船の惑星としての役目を果たすため母船が故郷となる者もいて、そういった者は、ある意味で、母星で暮らしている人間よりも精神的に進化しているらしい。
・「この母船には我々プレアデス星人だけでなく、様々な星人が協力のために同乗しています。地球人類がグレイと呼んでいる宇宙人もいます。もっともグレイは我々が遺伝子工学、バイオ化学、宇宙科学を駆使して造ったロボットでしたが、今では宇宙や特定の星の調査など、さまざまな分野で活躍しています。他にも爬虫類、鳥類、魚類、昆虫、植物などの生態から進化した人間もいます」
・「この母船は、最大収容能力は5千人ですが、現在は4千人くらいでしょう。ただ、乗せるだけならば、1万人は乗せられるでしょうが、常時生活して長く滞在するとなると5千人が限度です。食料やその他の問題がありますからね。この母船には、ここで生まれた子供たちを教育する係もちゃんといるのですよ。子供達が大きくなれば、母星の学校や他の進んだ星へ留学する場合もあります」
・UFO研究家で有名な韮澤潤一郎氏も「微に入り細に入る教訓的宇宙オデッセイであり、近頃には珍しい詳細な本物の体験記であると思う」と記している。
・だれしも、ある時夢での宇宙をさまよったこともあるのだろうが、本書によって、しばし宇宙旅行を楽しまれることをおすすめする。
<惑星化された母船内部>
・私は船長に言われたとおりに宇宙太子に従い、自走機で艦内を案内してもらった。艦内のどこを回っても、光源がないのに真昼のように明るい。壁全体から光が出ているようだが、影は映らなかった。小型宇宙船の駐機場、公園、スポーツクラブ、談話室、宇宙パノラマ室、図書館、レストラン、健康クラブ、プライベートルームなどを早足で回った。駐機場にはざっと数えただけで宇宙船が30機以上あり、宇宙太子に聞くと、「全部で100機あるでしょう」ということであった。
・公園は中央の中段上にあり、綺麗に整備されていた。樹木や草花が咲き乱れ、とてもいい芳香を放っている。植物の色合いはとても濃く、元気である。自然の中に小川が流れ、散策路やベンチがあった。歩くと心が癒される素晴らしい公園に作られていた。ここからさらに農場や150メートルほどの山岳に連なっており、まさに自然そのものが存在していた。
・「プレアデス星人は、現在では本を使いません。家にいながら世界中のことを見たり、知ったりできるからです。子供達が勉強するのにも本は使いません。年齢によって脳に知識を植えつけていくシステムがありますから、記憶装置を使ってどんどん知識を増やしていけます。子供達はやがて自分の得意分野へと進んでいき、個性を活かした社会奉仕へと向かっていくのですよ」
<すべてをリサイクルするシステム>
・続いて、プライベートルームに案内された。ここは寝室のある個室で、寝泊まりができるらしい。石鹸やシャンプーを使わないため風呂場はなく、シャワールームのようになっていた。そこで霧状のシャワーを浴びるだけだが、波動の加わった特殊な水なので、肌の油や垢がきれいに洗い流されるのだという。トイレは私たちのよく見るような便器ではなく、シャワールームの壁側にある人形の凹みに腰かけるようになっていた。私もためしに用を足してみたが、用が終るとその思いを感知するらしく、終ったあとのお尻に気持ちのいい温風が流れて乾かしてくれる。そのあとは軽やかな音楽が流れ、香水の香りが漂った。あまりにも不思議だったので、私は宇宙太子に質問してみた。
「大便や小便の始末はどうなっているのですか。それから、おならのガスはどうなるのですか」
「大便や小便は完全に分類し、利用しています。宇宙生活ではすべての物を再利用するシステムが完全に備わっており、ムダになる物はひとつもありません。おならのガスだけでなく、我々が呼吸で吐き出す炭酸ガスも空調システムで完全に集めて分類し、活かしているのですよ。循環システムが完全に稼働しているために、我々は星で生活しているような錯覚さえ起こすのです。母船は星と都市の機能を備えているのです」
・私がさらに驚いたのは洗面台である。歯ブラシを使って歯を磨いたり、カミソリでヒゲを剃ったりする習慣はないのだという。壁側に顔形の凹みがあり、そこに顔を当てると顔が洗われ、ヒゲもきれいに剃れるのだ。その装置の中のちょうど口にあたる部分には出っ張りがあり、それをくわえると口の中がきれいに洗浄されるのである。
「この装置はどういうシステムになっているのですか」
「ヒゲは、簡単に言えば特殊な電気でヒゲだけをきれいに焼いてしまうのです。顔の皮膚は火傷しないようにそれとは違う電気システムを使っています」
「皮膚が焼けないシステムといっても、睫や眉毛、髪の毛はどうなるのですか」
「もっともな疑問点です。我々の装置は人間の思考を感じ取って、人間の思い通りに働いてくれる完璧なシステムに作られています。ですから、本人がすることを完全にこなしてくれるわけで、髪の毛や、眉毛、睫まで焼いてしまうということはないのです。念のため、システムの中に髪の毛、眉毛、睫、ヒゲのサンプルを入れて記憶させていますから、完全に区別できます。このように、百パーセント安全なシステムでなければ、日常生活に使用しないですよ」
・「地球にあるほとんどの食物は、実はその昔、我々の祖先がプレアデスから持っていったものが多いのですよ。地球で生活するために持っていったものが地球で野生化したり、地球人が改良を加えたり、混ざり合ったりして、新種ができて今日に至っています」
・「人工太陽も利用しますが、自然の太陽の光を天井から農場まで引いて照射しているのですよ。太陽の光と熱を貯蔵して利用し、効率よくしています。また、成長ホルモンをコントロールして高単位の栄養を与え、成長を速めているのです」
<プレアデス人の宇宙科学>
<中心都市の宇宙空港>
・映像パネルに宇宙図が現れた。その中に、ひときわ美しく、金色に輝く星が見えた。星々の流れがシャワーのように後に流れはじめると、金色の星が少しづつ大きくなった。ゴルフボールから野球のボールの大きさへ、それがサッカーボール、アドバルーン大、と大きくなった。すると、星の両側に巨大な太陽が見え、まぶしき輝くの見えた。私の驚きを感じて、船長が言った。
「我々の母星は伴星の恒星にしたがっている惑星です。双星の太陽の源に我々の母星「プレアデスXⅡ」は育まれ、多種多様な生命が発生しました。宇宙の進化の目的にしたがって我々は成長を遂げ、現在の宇宙科学を駆使できるまでに進化を遂げたのです。」
・船長が命令すると、母船はプレアデスXⅡへぐんぐん近づいて行き、青く輝いていた大気圏に一気に突入し、丸く見えていた惑星に山脈や青い海が見えると、スピードがゆるやかになった。それからゆっくり降下し地表に近づくにつれて、都市の形状がはっきりしてきた。透明の丸いドームが大小延々と連なっており、それらが透明の太いパイプで連結されているのが見えた。
宇宙空港は都市郊外の山脈近くにあった。さまざまな宇宙船がそれぞれの着陸場所に降り立ち、駐機していた。葉巻型宇宙母船が台のような構造物でしっかりと固定され、何十機と駐機している。私達の乗る母船も船長の指令により、ひとつの台に降り立った。その台はやがて山脈のほうへ向かって動き出し、中へと吸い込まれていった。山脈の中は空洞で、母船と同じく光源がなくても真昼のように明るい。
・地球人類が滅亡へ向かう根本原因は、社会の基本に貨幣制度を敷き、競争社会を造っていることです。我々の社会には貨幣制度は存在しません。貨幣がなくても、『必要な人が、必要な物を、必要なときに、必要なときに、必要な分だけ受けられる社会』が確立されています。『真に平等で平和な社会』です。したがって、地球人類が『真に平等で平和な社会』を心から願うのであれば、現在の貨幣経済から一日も早く脱却しなければならないでしょう。
・「これは手品や魔術ではなく、私の思念、創造の産物です。『思考は目に見えないが、生きた産物であり、精神は感応する』という性質を、私達は宇宙科学に応用したのです。宇宙ジャンプ、テレポート、非物質化、物質化現象を応用することで、光よりも速く飛べる宇宙船を開発できました。ですから、光の速さなら何百年、何千年、何万年もかかる距離でも、宇宙船は瞬く間に目的地に着けるのですよ」
・地球人類と私達の社会では、人が亡くなったときの処理の方法も違います。街には必要と思われる箇所に『平安の屋形』という小さな家が設けられています。そこには『やすらぎの器』という遺体処理機が置かれています。これは遺体を記録し、完全処理する機械です。ある人が道で倒れたりした場合、通りすがりの人間がその人を平安の屋形に運び、やすらぎの器に乗せてあげます。機械は霊魂が昇天しているかどうかを判断し、まだ死亡していなければ生存していることを知らせ、どこへ連れて行くべきかの指示を出します。そこで遺体の発見者は、指示されたところへ自走機で連れて行きます。誰もが必ず連絡先の書かれたカードかチップを携行しているので、それを見て家族へ連絡します。
<愛の奉仕活動を基本とする社会>
<工業都市ミールの宇宙船製造工場>
・宇宙太子が「さあ、出かけましょう」と私をうながした。彼は私を自走機に乗せ、館内を見せてくれた。パブリックホールにはさまざまな星人、人種がおり、楽しそうにくつろいでいた。宇宙太子が「あれはオリオン人、あちらはシリウス人、むこうはアンドロメダ人、それからリラ人、カシオペア人、牡牛座人、ヘルクレス人、レチクル人、リゲル人………」などと教えてくれたが、とても覚え切れるものではなかった。
「みなさん、それぞれの目的のもとに我が母星を訪問しているのです。研修や宇宙旅行の途中に立ち寄ったり、剛史と同じような目的だったり、宇宙人連合の会議に出席するためだったりします。今、私がそれぞれを紹介しましたが、地球人の星座を使って、地球人にわかる形で表現しただけで、実際には違う名称です。我々の科学も本当はピクス科学といいますが、地球人にわかりやすいように、プレアデスという名称を使っています」
・彼らは顔や体形にそれぞれ特徴があった。目立ったのは、鳥、爬虫類、牛などの特徴を持った人間である。
「彼らもまた、進化した人間なのですね」
「もちろんそうです。科学力においては、地球人類よりはるかに進化を遂げています。顔がヒューマノイド形でないからと言って、見下げるのは誤っています。科学力において進歩しているということは、精神面においても進化していると思っていいでしょう。知恵と精神面の発達はとても重要で、その人類の生きかた、社会のありかたを決定づけます。地球人類の社会に争いや戦争が絶えないのは、精神面がとても遅れていると見なければなりません」
・自走機で小型宇宙船が駐機している屋上まで行き、そこから小型宇宙船で工業都市へ向かった。宇宙船が上昇したので都市全体を見渡すと、各ドームがいっせいに美しいカラフルな色に変色した。
・工業都市ミールは先ほどの首府アーラとは違い、透明なピラミッド形の建物が多かった。その他に箱形やドーム状のものも点在するこの都市も、たとえようがないほど美しかった。山脈に続く一角にはさまざまな宇宙船が並んでおり、宇宙船はこの工業都市で製造されていることがひと目でわかった。
「工業都市は他にもありますが、宇宙船は主にこの都市で製造しています。工業都市にはそれぞれ特徴があって、宇宙船だけでなく、あるとあらゆる機械、ロボット、コンピューター、設備関係、家庭で使う小物の道具類まで、我々の社会に必要なものはすべてが製造され、そこら全国へ配送されます。すべて国の管理により、必要に応じて製造され、ムダなく使用されます。地球人類のように会社が競争して、必要以上に製造してムダにする社会とは違います。『必要な人が、必要な物を、必要なときに、必要な分だけ受けられる社会』、『誰もが平等に平和に暮らせる社会』が確立しているため、人よりも物を蓄えようという物質欲ははるか昔になくなっているのです。我々の社会では『人に与えることが自分の幸福』なのです」
<過去にも未来にも行ける>
・「過去は実際にあった現実ですから、ある程度理解できます。でも、まだ現実になっていない未来をどうしてとらえられるのか、僕にはわかりません。先ほどの『さくらんぼ娘』にしても、まだ生まれてもいないし、両親は結婚さえもしていないわけでしょう。それなのに、どうして次元に入れるのでしょう。アカシックレコードは過去の記録でしょう。
「もっともな疑問ですね。この世に物質が誕生するとき、その物質にはその物質の一生が記録されています。ですから、人間ならば、その人の肉体と霊魂をさぐれば、その人の未来も知ることができるのです。つまり、この宇宙の物はすべて未来の記録を発しているわけです。実を言えば、過去も未来も今、ここに存在しているのです。過去に遡れるのなら、未来にも遡れるのですよ。遡ると言うより、『その次元に入り込む』と言ったほうが正しいかもしれません。地球人類的に言うならタイムマシンですね。
<大規模農場アースナムの『ミルクの木』>
・「農作業はほとんど機械とロボットが行い、人間は管理だけをしています。ここでは地下が倉庫になっており、コンピューター管理によって運営されています。ここから地下の流通路を通って都市から都市へ、必要なところへ必要な分だけが配送されていくシステムです。個人が自分の趣味でやっている園芸農園もあるのですよ」
<海洋都市アクーナ>
<自然環境と調和する都市>
・小型円盤でしばらく飛行すると、海岸線に添うように、丸い形の家がたくさん見えてきた。もう着いたのかと思ったが、円盤は沿岸の街へは下りず、海へ向かった。その海を見下ろすと、海中がまるで宝石でもばら撒いたように光り輝いていた。宇宙太子は「ここが海洋都市アクーナです。入りますよ」と言うと、そのまま円盤を操作して海へ突っ込んでしまった。海中を進むと、ラッパのような構造物があった。円盤はその先端の大きな口の中へと入って進み、やがて巨大なドーム状のプールに浮かび出た。まわりにたくさんの円盤が並んでいる駐機場がある。そこは、海洋都市アクーナのプール港ステーションだった。
私達は自走機に乗って都市を回り、ひときわ立派なドームにたどり着いた。
<知識はレコ-ディングマシンで脳に記憶>
・「地球人類は学問的知識を覚えるのに、もっぱら暗記力に頼るようですが、我々の社会ではそのような苦労はしません。先ほども言いましたが、脳に記憶を植えつけ、脳に知識をレコーディングしていきます。年齢別にレコーディングの種類、最も決められています。そのために、図書館にはあらゆる分野の知識がつまったチップがそろっています。チップをレコーディングマシンにはめて、知識を脳に流し込んでやるだけで、物理なら物理の知識が記憶されます」
・初めて会った子供達が、流暢な日本語で挨拶したので驚いてしまった。
「みなさんこんにちは。歓迎してくれてどうもありがとう。みなさん、日本語がうまいですね、どこで覚えたのですか」
彼らはいっせいに言った。
「レコーディングマシンで覚えたのです。私達はみんなこれで知識を蓄えるのですよ」
「みなさんは今、僕と初めて会ったのに、僕を知っているようだけど、どうしてかな」
「私達はレコーディングマシンで何でも知ることができるのです。レコーディングマシンを使えばわからないものはありません。わからないとすれば、この世を創造した神様がどこから来たのかということぐらいでしょう。それに、私達の脳は地球人と違って、近くにいる相手の意識が伝わって来るのです。だから、剛史が地球から来たことがすぐにわかったのです。魂の進化を遂げた私達の脳は、受信、発信ができる便利な脳に発達しています。そのおかげで、脳による意識と意識だけのテレパシー会話ができるほどに能が発達しました。神の方向性に向かって、神に近づくように進化し続けているのです」
彼らはまるで子供らしからぬ説明を、日常会話でもしゃべるように話した。私は、こんな小さな子供達が地球の大人以上の認識で話すのを聞いて、プレアデス人の進化の度合いは半端なものではないと感じ取った。
<進化した子供たちとの会話>
・「プレアデスでも突発的な事故による怪我や病気、手足の骨折もたまには起きます。でも、今のプレアデスの医学ではほとんどの病気や怪我は完全に治ります。地球の病院でも治療は、拒否反応やアレルギーが起きたり、病巣を体に残したり、醜い疵跡や後遺症が残ったりといったことが多々見受けられますが、そのような治療は一切していません。ただ、プレアデスにも老衰はあります。老衰死はどの星人にもありますから、避けて通れません。そのために、老後に安心して死を迎えられるように、老人達が自分の意思で自由に出入りできる老人憩いのホームを作って、楽しい生活を送れるようにしているのです。病院と老人の施設は同じ場所にあり、両方の施設はつながっています」
<地球への帰還>
<5千人を収容できる円盤型巨大母船>
・私達はパブリックホールで休憩をとった。ここもたくさんの星人と人種でいっぱいだった。空いたテーブルを見つけて陣取ると、私を残してクレオパと他のプレアデス人達は飲物をとりに行った。周囲には明らかに地球人と思われる顔が見かけられた。アジア系、ヨーロッパ系、アフリカ系、ロシア系、アメリカ系、ラテン系など、さまざまな人種の顔が異星人に混じって談笑していて、中には明らかに日本人と思われる者もいた。この星へ来るときの葉巻型母船でもそうだったが、自分以外にも日本人は来ているのかもしれないと私は思った。やがて、クレオパ達が飲物を手に戻って来た。クレオパはグラスを私に差し出し、隣に座った。
「剛史、どうぞこれを飲んでください。さっき、剛史が思ったことはその通りなのですよ」
「えっ、何のことですか」
「この母船には地球人は剛史だけではないということです。そしてまた、地球人と同じ系の種は、他の星にもたくさんあるということです。したがって、モンゴロイド系も他の星にたくさん存在しているのです。たしか、今回はもう一人M・M氏が乗っていると思います」
・地球人類の科学では光がもっとも速く、それ以上の物はないという認識ですが、プレアデスの基本的科学では『光よりも速く進み、光よりも速く飛ぶ科学技術』が常識です。私達はそれをすべて自然から学びました。この世のこと、あの世のこと、すべての問題、それに対する答えも自然の中に隠されているのです」
・私は自走機に乗り、艦内を走り回った。この円盤型巨大母船は直径約2.5キロメートル、中心のいちばん高いところで、最高6百~8百メートルくらいの高さがあり、母船全体の階は何十層にもなっている。各部屋の天井の高さは3メートルくらいで、ここでも壁全体が発光していた。円盤の中心には、とても太い円柱が上から下まで通っている。それが自然エネルギーを吸収し、有用なエネルギーや必要な物質に変える装置であり、母船の心臓部であるらしい。その中心から十字形に巨大通路があり、30~50メートルおきに、輪状に約10メートル幅の通路が通っているので、艦内が自在に回れるのである。部屋と設備は、ほとんど葉巻型母船と同じだったが、人工農場、人工養殖池、公園、山岳はとくに注目に値するものであった。
<クリーエネルギーの星と核戦争で滅んだ星>
・クレオパが「これからSRX星を少し覗いてみましょう」と言って、母船の運動を緩めると、ある星の上で停止させた。「この星は爬虫類から知的生命体に進化した星です」との説明だった。クレオパが母船に指示を与えると、画面に映っていた星がどんどん拡大し、やがて地上の都市らしきものが見えはじめた。お椀を伏せたような建物が点在し、そこから人間らしき生命体が出入りしているのが映しだされてきた。ある一組のカップルに焦点が合わされると、顔や姿がはっきり見えた。二人は向き合って話し合っている様子なのだが、奇妙なことにおたがいに舌を出し合い、ペロペロと舐め合っていた。肌には鱗状のものが見えた。
・SRX星人は母系家族で、一夫一婦制ではありません。子供が4年でひとり立ちすると父親である男性は去り、母親はまた新しい男性を捜すのです。そして、おたがいに愛が芽生えれば、母親はまた子作りをします。その点、とても進歩した社会体系を確立しているようです。男性も女性も、おたがいにひとりの人間に縛られないというのは、とても素晴らしいことだと思います。
・クレオパが母船を自動操舵に切り替えると、ふたたび母船は宇宙ジャンプをしながら進んでいった。SRX星人の舐め合う赤紫の舌が、なぜか私の目に強烈な印象として残った。しばらくしてクレオパが「核戦争によって生物が滅亡したキロSX星を、参考のために見ておきましょう」と、母船をある星の上に停止させた。画面で星を拡大していくと、都市の残骸が少し見えたが、あたりはほとんどが荒涼たる砂漠と化していて、生物の姿は見あたらなかった。星全体がガスのようなもので覆われている。その不気味な静寂に、いいしれぬ悲しさが感じられた。
「この星は核戦争によって、全都市が破壊されました。そして、戦争を起こした種族だけでなく、その他の全生命も滅亡してしまったのです。今は強力な核の放射能によって覆われているので、とても危険で近づけません。もはや生態系はこわれ、生命の住めない、死んだ星になってしまったのです」
『宇宙太子との遭遇』 上平剛史作品集
上平剛史 たま出版 2009/12
<宇宙太子(エンバー)との遭遇>
<御家倉山(おやくらやま)での出遭い>
・宇宙船は私のほぼ真上までくると滞空した。やがて、グリーンの光の帯が降りてきたかと思うと、その光に乗って、『ひとりの人間のような者』が、地上へ降りてきた。そして私と30メートルほどはなれて降りたった。髪は美しい栗色で、肩のあたりまであり、きれいにカールされていた。目は青く澄み、美しく整った顔は、神々しさをたたえて、ニッコリと微笑んでいる。黄金色の柔らかな絹のジャンプスーツのようなものを着ており、腰にはベルトのようなものが巻かれていた。私には、天使か神様かが地上に降り立ったかのように思えた。私が驚いたまま、じっとその存在を見つめていると、相手は静かに口を開いた。日本語だった。「やあ、剛史君、初めまして。いつか、のろさんが話したことのある宇宙太子というのが私です。よろしく。今日、ここへ君を来させたのは、私が呼んだのですよ」
<「昔から御家倉山(おやくらやま)には天狗が出ると言われていたから、それは天狗だべ」>
<未来>
・ちなみに、我々、プレアデス星人は6次元から7次元のレベルにあります。あなた方から我々の科学を見ると、進歩の度合が高すぎて神がかっているように思われるようですが、この宇宙には我々にも分からないことがまだたくさんあるのですよ。ていねいに調査しても、まだ宇宙のほんの一部分しかわかっていないのです。さあ時間がないから先を急ぎましょう。次は東京です。
・前と同じように、画面に日本地図が現れ、宇宙船の現在地が示され、赤い点がするするっと東京の位置まで伸びてとまった。また、一瞬思考が止まったような感覚と、かすかになにかをくぐり抜けたような体感があった。わずか数分のことである。赤かった印がきれいなピンク色に変わると、やがて正面の画面に東京の街並みが映し出された。
・しかし、それは今までのビル群とは明らかにちがっていた。全体がガラスかプラスチックのような透明な建物で、ピラミッド型や丸いものが多かった。レールも、煙を吐きながら走る汽車もなかった。車も従来の車輪がついたものではなく、浮きながら滑るように走っていた。窓へ駆け寄って下を見ると、やはり、それは画面に映っている光景だった。皇居と思われる画面が映し出された。が、そこに皇居はなく、人々の憩いの公園となっており、だれもが自由に出入りしていた。
・私は、びっくりして、「まさか、未来の・・・・」とつぶやいた。
「剛史、よく気がついたね。そう、これが日本の未来です。日本という国はなくなり、世界連邦のひとつの州になっているのです。世界連邦においては、もはやお金は必要なくなったのです。地球人類も少しは進歩したようですね」
『北の大地に宇宙太子が降りてきた』
上平剛史 たま出版 2004/6
・著者は、昭和16年生まれ、岩手県浪打村(浪打峠に「末の松山」のある所で有名)出身。
<大いなるもの>
・目には見えない極微極小の世界から、波動によって織りなされて、物質は発現してきているのである。すなわち、「この世」に「大いなるもの」によって、発現されたものは、全て感性を持っているのであり、「大いなるもの」は、波動によって段階的に次元をつくりながら息吹によって気を起こし、自分を発現していったのである。
<貨幣経済の廃止>
・国は、歳入不足に陥ると、すぐに国債を発行して、帳尻を合わせる。国民からの借金で、目先をしのぐのである。その国債には利払いが発生し、その利払いが大変な額になって毎年のしかかり、利払いのためにも赤字国債を発行しなければならなくなる。そのため、赤字国債は雪だるま式に巨大な額となり、ついには元金の返済は不可能という事態に陥る。その地点を「ポイント・オブ・ノーリターン」という。
・日本はすでに、ポイント・オブ・ノーリターンを超えてしまった。超えてはならない線を越えてしまったのである。
・ポイント・オブ・ノーリターンを超えているのに、日本は自衛隊をイラクに派遣し、赤字国債乱発で得たお金をそれに使う。
・国内には経済問題による生活困窮者が激増しその結果、借金苦や事業の行き詰まりから自殺する人達が増加したのである。
・日本は国家予算の使い方を抜本的に考え直さなければならない。従来の予算の使い方を隅から隅まで洗いなおして、何が無駄に使われて、何が有効的だったかを、はっきりさせなければならない。
<宇宙連合>
<宇宙太子からのメッセージ>
・地球人類よりもはるかに進化した星人により組織されている宇宙連合の仲間(オリオン人、シリウス人、アンドロメダ人、リラ人、カシオペア人、牡牛座人、ヘルクレス人、レチクル人、リゲル人・・・・)に加わってください。
・人類が宇宙連合に到達したならば、宇宙考古学により、地球人類のルーツが、明らかになるでしょう。そして、宇宙に飛び出すことに力を集中してください。私も宇宙連合もいまかいまかと人類を待っているのです。
・人類の英知を科学の進歩、医学の進歩、文化の進歩に総結集したならば、人類は星間宇宙旅行のできるスペースマンにまで進化し、地球人類よりもはるかに進化した異星人たちによる宇宙連合の仲間入りを果たすことができる。
・進んだ星人(宇宙人)は、すでに宇宙と生命の原理を解明していて、神の領域にまで到達し、星から星へ瞬時に宇宙のどこへでも意のままに行けるシステムを開発している。その驚くべきシステムは新しいエネルギーの発見と、その利用の仕方に負うものであり、地球人類は、新エネルギーの発見と利用については、あまりにも遅れすぎているのである。
<「あの世」と「この世」>
・「大いなるもの」は、波動によってさまざまな次元をつくりながら、この大宇宙を創造し発現させている。
「この世」の裏側には「あの世」があり、「あの世」の裏側には「この世」がある。その認識は正しいのだが、「この世」と「あの世」は、異なった次元に同時に存在しているともいえる。
その「この世」と「あの世」も「大いなるもの」が波動によって発現させたものである。
「あの世」が普通の人間に見えないのは、その次元を普通の人間の感覚器官がレシーブできないからである。波動の違いによって見えないだけなのである。
・進化した星人、宇宙人においては、貨幣経済というものはなく「誰もが平等に平和に暮らせる社会」は、人類が誕生する以前から確立されていた。その後に誕生した地球人類は進化した星人に追いつけないばかりか、いまだに自然を破壊しながら、戦争ばかりを繰り返している。
<そんな感傷の日々を送っていたある日、突然、私に宇宙太子が降りられ、私に「宇宙の法」を授けられたのである>
<異常心理と伝承>
<「山人」の発見と近代化の手続き>
・眼前の犯罪と古代の信仰を結びつけるハーンの犯罪民俗学的ともいえる思考は、柳田國男によっても繰り返される。冒頭に二つの殺人事件、そして仮説としては古代の先住民族をめぐる論考の双方が『山の人生』の中に配されたのは、やはりハーンと同じ思考に基づくものとしてあった。だが、柳田の中では「犯罪」と古代の信仰、ないしは民俗との関わりはより明瞭に方法化される。その思考の過程を『山の人生』の中に見ておくこととする。
・柳田國男は自らの山人論の集大成である『山の人生』に於いて、明治40年代に執着した山人実在説を放棄している。すなわち、記紀の時代の先住民が山間部にはわずかながら生き永らえていて、それを里の者が畏怖し伝承化したのが「山人」であるという仮説である。
・柳田が山人実在説に執着しなくなったのはそのような動機が一応は後退していったことが大きい。従って『山の人生』で主張されるのは山人の生存ではなく、むしろ滅亡である。
・『山人考』に於いて柳田は「山人すなわち日本の先住民は、もはや絶滅した」と述べ、その多くは「討死」「断絶」したものと、「同化」「併合」「混淆」の二つに大別されるとし、その上でわずかに「或る時代まで」はそれでも一部は少し前までは生存していたと一応は旧説も主張する。しかし、一方で「永い歳月の間に、人しれず土着しかつ混淆したもの」が「数においてはこれが一番多い」とも記す。つまり、柳田の関心は生存説よりも同化説の方に大きくシフトしている。そのことは『山人考』の結末に示された、「我々の血」の中に「若干の荒い山人の血」が混じっている、という主張の中にはっきりと見てとれる。
・だが、ここで柳田が「血」といっているのは決して単に人種的混淆の事実を比喩的に指摘するにとどまるものではない。今の我々は「血」や「遺伝」をただ比喩的に文化現象に当てはめることに慣れているが、しかし、それはある時期までは「比喩」ではなく科学的記述であり、実体を伴うものとしてなされたことを忘れてはならない。そして柳田は起源の民俗学から「心の遺伝説」を引きずったままであることは既に見てきた。「伝承」という文化形式を支えるのは「心の遺伝」という科学的根拠なのである。
<山人の「血」の証し>
・それでは『山の人生』に於いて主張される「山人」の「血」の証しとは具体的にどのように顕在化するものなのか。
『山の人生』は冒頭の山中に於ける殺人事件の話から一転し、山中を漂白するサンカ、山中に遁世した武人、そして「産後に発狂」して山に走り込んだ女たちの話を経て、柳田の神隠し体験の告白へと事例が推移する。この神隠し体験の記述は冒頭の殺人事件の記述とともにあまりに有名で、『山の人生』という書物の印象は殆どこの突出した二種類の挿話によって成り立ってしまっていると言ってよい。だが殺人事件と神隠し体験はそもそもいかなる論理で結びつくのか。
『怪異を魅せる』 怪異の時空2
<『子どもと怪異』>
<――松谷みよ子『死の国からのバトン』を考える
三浦正雄 / 馬見塚昭久>
・『死の国からのバトン』(偕成社)、は、『ふたりのイーダ』(講談社)などとともに、松谷みよ子が20年以上の歳月をかけて完成させた「直樹とゆう子の物語」5部作のなかの1冊である。5部作それぞれに直樹とゆう子が登場するものの、1作1作は完結した物語になっている。
この5部作は、社会問題を扱った「告発の児童文学」として知られるが、実はもう一つの大きな特色がある。いずれも題材として怪異が取り入れられているのである。特に『死の国からのバトン』は、タイトルのとおり、主人公の直樹が死の国へ赴き、バトンを託されて帰還するという物語で、いわば現代の冥界訪問記である。
・向日性や理想主義から脱却し、多様性に富んだテーマを扱うようになった日本児童文学であるが、今日でもなお、本作品は特異な存在である。タイトルに「死」という言葉を使うこと自体がまれであるうえ、その内容も死んだはずの祖先と子孫が交流するという特異な題材を描いたもので、ひときわ異彩を放っている。特異な作品でありながら、従来、その点はあまり注目されてこなかったようである。
・また、西田良子の「松谷みよ子論」は、本作品に通じる<根>として、<幼児的心性>と、<古代人的感覚>を探り当てた点で卓越している。だが、「松谷文学の特質である<幼児的心性>は、ややもすると、過度の幼児語使用となったり、<古代人的感覚>が時には呪術的迷信をも伝えてしまう危険性をもっている」とも語っていて、必ずしも肯定的に受け止めてはいない。筆者は「古代人的感覚」こそ、現代児童文学に最も必要な要素の一つであると考えるのであるが、西田はこれを「迷信」のひと事で切り捨ててしまっている。
・では、なぜ松谷はこの作品を書いたのだろうか。公害の告発が主目的ならば、わざわざ「死の国」をその舞台に設定する必要はなかったはずである。実社会の被害状況をリアルに描いたほうが、はるかに訴求力のある作品になっただろう。作者の強い思いが込められているのではないだろうか。ここでは本作品の時代背景を探り、怪異の仕組みをひもときながら、作品に秘められた松谷の思いに耳を傾けてみたい。
<ムーブメントの交差点>
<公害告発の文学>
・まず、「公害」という視点から、物語の時代背景を探ってみよう。本作品には、各地に伝わる伝説や民間信仰が複合的に組み込まれており、作中に描かれた公害は、阿陀野川に有害物質が流されて発生したという設定である。阿陀野川は松谷による架空の名称だが、昭和電工がメチル水銀を流し続けた阿賀野川を連想させる響きである。本文中には、「やがての、それがおさまると、ねこらは、目をうつろにみひらき、よだれを流し、足を引きつらせ、苦しげな息をはいて死んでいった」など、第二水俣病として知られる水銀汚染による中毒症状らしき記述も見られる。第二水俣病は、いわゆる四大公害病の一つだが、その他にも、高度成長の弊害ともいうべき公害が各地で報告され、1970年代初期には、「公害列島」なる言葉が新聞をにぎわした。
それに対し、公害問題に対する包括的な法律となる公害対策基本法が制定されたのは1967年、公害防止など、環境の保全に関する行政機関として環境庁が設置されたのが71年のことだった。
・このような経過のなかで、公害問題を取り上げた文学も登場した。その先駆的な役割を果たしたのが石牟礼道子の『苦海浄土――わが水俣病』(講談社、1969年)だろう。この作品は、作者が患者たちの声にならない声を受け止め、自身のなかで純化させてつづったことで、比類のない訴求力を持つ作品になった。1974年には、有吉佐和子の『複合汚染』(新潮社、1975年)の新聞連載が始まり、大反響を呼んだ。
<民話ブームとニューエイジブーム>
・本作品巻末の解説で、安藤美紀夫は、「「ご先祖」が、けっして遠い存在ではなく、よく見れば、すぐ近くに生きているという実感も、それ[民話採集の旅:引用者注]をとおして得られたものに相違ない」と述べている。確かに、本作品は随所に民話的な要素がちりばめられていて、民話の強い影響を受けていることがうかがえる。
・民話運動は1952年、木下順二を中心とする文学者や歴史学者が集まって「民話の会」を設立したのが、その始まりといわれる。松谷はごく初期の段階からこの会に関わり、民話の探訪と普及、啓発に努めてきた。彼らの活動は、民主的な歴史観の確立を目指した運動や、高度成長に対して伝統的な価値を再発見しようとした運動などと接点を持ちながら、日本固有の文化を再評価する機運を高めていった。やがてこの運動の影響によって、民話絵本や創作民話の流行などの「民話ブーム」が起きることになる。
<公害と民話の出合い>
・福井県大野郡和泉村に「公害を知らせに来た河童」として知られる民話がある。この村人たちは古くから河童と親しく交流してきたのだが、ある夜、村人たちは河童が悲しい声で「川の水をかえてくれ、川の水をかえてくれ、水がおとろしい、水がおとろしい」「もう住んでおれん」「あの川の水はお前さんらにもようないはずじゃ」と訴えるのを聞いた。だが九頭竜川は何の変わりもなく澄んで流れている。村人たちは相手にしなかったが、ある夜、河童たちは激しい雨のなかをよろよろと山へ立ち去ってしまった。その2年後、村人たちは行政からの知らせで、九頭竜川がカドミウムに汚染されていたことを知る。河童に対して申し訳なく、村人たちが山へ行って呼びかけると、「百年したらもどっていくさかい、それまでに川を綺麗にしておいてくれえ」と返事があったという。
<怪異の仕組み>
・本作品のなかで、主人公の直樹は、怪異に3回遭遇する。1回目は、五百羅漢でコドモセンゾの直七たちに出会ったこと、2回目は、崖から落ちて気を失い、直七に死の国へ連れていってもらったこと、3回目は、百万遍の数珠を回して直七を呼び出したことである。
<五百羅漢での邂逅>
・1回目の怪異は、1月14日の夕方、祖父母の家についてすぐのことだった。五百羅漢へ行こうとして裏山の雪道を歩いていた直樹は、大勢の子どもたちの歓声を聞く。ところが、声は聞こえても姿が見えない。「だれだい、でてこいよ!」と呼びかけると、五百羅漢の岩々が子どもたちの姿に変わり、直樹は直七と言葉を交わす。だが、そこに妹のゆう子がやってきて気を取られ、もう一度振り向いたときには、子どもたちの姿は消えていた。直樹はなぜここでコドモセンゾに会うことがきたのだろうか。
<小正月>
・直樹が直七に出会ったのは、1月14日の夕方ということになっている。14日の日没から15日までを小正月と呼ぶが、五百羅漢での邂逅はまさしく小正月を迎えようとしているときだった。小正月は元旦の大正月に対する言葉で、いまでも各地で粟穂、稗穂、成木責め、鳥追い、もぐら打ち、ドンド焼きなど、主として農耕に関わる予祝儀礼がおこなわれている。この小正月には、異界から何者かが村を訪れるという信仰があったのである。
・来訪神接待の「来訪神」とは、小正月の訪問者と総称されている神霊に扮装した訪れ人のことで、各地各様の呼び方がなされており、名称上、ナマハゲ系、チャセゴ系、カセドリ系、トタタキ系、カユツリ系、トロヘイ系、オイワイソ系、その他(福の神・春駒等)に分けることのできる行事の主人公である。(略)これら来訪神の性格は必ずしも明確にされてはいないが、小正月の代表的な神であることに間違いはない。
・直七たちもコドモセンゾも、まれにしか会えない異界からの来訪者という意味では、来訪神と呼んでいいだろう。五百羅漢での怪異は、小正月という特殊な時間の作用があって起きたのである。
<夢幻能>
・能には現在能と夢幻能があるが、夢幻能では生者と死者との交流が演じられる。例えば、『平家物語』を題材とした作品の多くは、死後も修験道で苦しむ武将が亡霊となって現れ、生前の栄華や死の苦しみを語っていく。
五百羅漢での邂逅は、こうした夢幻能における生者と死者との交流に通じるものがある。能ではしばしば、亡霊が出現する前触れとして不可解な自然現象が現れ、時空にひずみが生じ、ワキ(死者を弔うべき存在)が死者ゆかりの場所を通りかかることによって、シテ(死者)との交流が引き起こされる。シテは異界からの来訪者なので、時空間を支配する霊力を持っているのである。そこでは、現在から過去へと遡行する時間と、過去から現在へ順行する時間とが融合し、特殊な場が出現する。シテは遺恨を語り、ワキは新たな生を生き直すことができる。