日本は津波による大きな被害をうけるだろう UFOアガルタのシャンバラ 

コンタクティやチャネラーの情報を集めています。森羅万象も!UFOは、人類の歴史が始まって以来、最も重要な現象といわれます。

物質界を通じての贖罪の道は長く険しい。しかし、最終的には神へと至るのである。(3)

 

<第22章 天界での空間>

・(191) 天界では、万物がこの世とまったく同じように、場所と空間のうちにあらわれますが、天使たちは、場所や空間の知識・概念は、いっさいもっていません。これは、逆説めいているだけでなく、重大なことでもあるので、はっきりさせたいと思います。

 

・(192) 霊の世界でおこる移動は、すべて内部の状態変化からくるので、移動は状態変化にほかなりません。わたしもまた、主によって天界にひきあげられ、宇宙にある諸天体にも連れていかれましたが、それは霊において行われたことで、体は同じ場所にじっとしていました。天使の移動もすべてこれとおなじで、かれらには距離がありません。距離がないから空間もないことになり、そのかわりに状態とその変化があります。

 

・(198) 以上のことから、天界にはこの世と似た空間があっても、空間でもって測定されるものは何もなく、状態でもって測定されることがわかります。だから、天界での空間は、この世と同じようには測定できず、ただ状態から、しかも天使たちの内部の状態から、はかられるものなのです。

 

<第24章 天界の統治組織>

・(213) 天界は、各社会にわかれています。大規模な社会には、10万人ほどの天使がいます。おなじ社会の者は、みんな同じような善のうちにいますが、同じような英知のうちにいるわけではありません。ということで、ここでも統治組織がなくてはならないことになります。秩序は維持され、規律はみんな守られなくてはなりません。

 天界には、いろいろな統治組織があります。主の天的王国を構成している社会と、主の霊的王国を構成している社会とでは、政体がちがいます。また各社会の政務のちがいもあります。ただ天界には、相互愛による統治以外の統治はありません。相互愛による統治こそ、天界の統治なのです。

 

<天使たちの話すコトバ>

・(234) 天使たちは、この世の人間とまったくおなじように話しあっています。家庭のこと、政治のこと、道徳のこと、霊的生命にかんすることなど、いろいろと話題があります。天使は、ふかく考えて話をしますから、人間よりずっと理知的な会話をかわしていますが、それ以外のちがいは別にありません。

 

・(235) 天使のコトバは、人間のコトバとおなじように、単語からなっています。また人間とおなじく音を発し、音で聞きます。天使にも口や舌や耳があります。またかれらのコトバももつ音調が明瞭にひびくための大気もあります。ただしその大気は、霊である天使に適した霊的な大気です。天使たちは、この固有の大気のなかで呼吸していて、その呼吸を媒介に単語を発言します。これは人間が空気をとおしてやっているのとおなじです。

 

<第44章 精霊界とは>

・(421) 精霊界は、天界でも地獄でもなく、双方のあいだにある中間の場所または状態です。人は、死んでからすぐそこへ行き、この世でえた<いのち>に見合った一定の時間を経過して、天界に上げられるか、地獄に投げいれられるかします。

 

<第49章 死後、人間はこの世でいとなんだような生活をつづける>

・(470) 人はそれぞれ死後も<いのち>があるということは、キリスト教徒ならみんな<みことば>から知っています。人は、自分の行なったことで裁かれ、報いられると、あちこちにしるされているからです。<善と真理そのもの>から考え、善く生きることしかめざしていない場合、人はだれでも天界にいきます。しかし悪く生きる人は、地獄にいきます。悪のうちにいる人の場合、死後の状態がこの世の生活によるものとは信じたくないのです。とりわけ病の床についてからは、自分の過去の生活はいざ知らず、生活から切りはなされた信仰にのっとり、純粋のお情けで、天界に行けるものと思っています。

 

 

 

『幽霊を捕まえようとした科学者たち』

デボラ・ブラム    文藝春秋  2010/2/10

 

 

 

<18世紀の神秘家、スウェーデンボルグ

スウェーデンボルグは、1688年、ルーテル教会の監督の息子としてストックホルムで生まれ、鉱山技師として教育を受けた。20代の初めにはイギリスに留学し、アイザック・ニュートン天文学者エドモンド・ハレーなど、著名な科学者に師事している。1744年にはすでに、スウェーデン政府の炭鉱事業責任者として安定した地位を築いていた。

 

・しかしその年、出張の途次、スウェーデンボルグは人生がひっくり返るような幻視体験をする。ロンドンのホテルの酒場でくつろいでいると、眼前に霧がわき、やがてそれがちりぢりになって、銀色の蛇の群れに変った。蛇が床のいたるところにとぐろを巻くと、影に包まれた人の輪郭が部屋の隅に見えた。つぎの晩また酒場に行くと、ふたたび霧と蛇があたりをおおい、その人影が部屋の隅から歩み出てきて、われは主なる神である、と告げたというのだ。

 

スウェーデンの科学者は新たな使命を帯びてロンドンを去った。聖書の真の意味を世界に伝えるという使命である。神が、何を書くべきかを教えてくれるはずであり、遠視能力を授けてくれるはずだった。

 

・彼は科学者としての人生を捨てた。痩せて骨張った顔に、落ちくぼんだ眼という、骸骨のような男になった。にわかに衰えた消化機能を助けると信じ、ケーキと砂糖入りのコーヒーだけで生きるようになった。何時間もトランス状態で過ごし、天国と地獄について、地球とその他の惑星に存在する霊界について、夢うつつで本を書いた。そして生涯にわたり、みずからの解釈した福音を広め、他の人々には見えない霊を、新たに見出した能力によって呼び出してみせた。

 

・なかでも有名な逸話は、ドイツの哲学者イマヌエル・カントが調査したものである。それによるとスウェーデンボルグは、園遊会の最中に突然、5百キロ近く離れたストックホルムで大火事が起きているといって、会を混乱させた。晴れわたった夕空を見つめながら、自分の話を信じようとしない人々に、火が道から道へ、建物から建物へと燃え広がっていくさまを、詳細に語ってみせたという。

 

・二日後、ストックホルムからの使いによって、いっさいが事実だと判明した。カントはこの事件を、スウェーデンボルグが驚くべき遠視能力をたしかに持っていることを「いかなる疑問の余地もなく」示すもの、と結論づけた。

 ほかにも、紛失した手紙の中身を読んだとか、死んだ身内について誰も知らないことを語ったとか、さまざまな逸話や噂がある。しかし、スウェーデンボルグは派手な透視をしただけではない。彼の主要な教えは“対応説”と呼ばれる。この世の物質的生命と霊界のあいだには確かなつながりがあり、眼に見えない紐が双方の住人を結びつけている、という考えである。

 

・こちら側の生命はあちら側の生命と併存している、とスウェーデンボルグは言う。だから、われわれの意志は霊に影響をあたえるし、霊の願望はわれわれに影響する。われわれが触れるものはすべて、あちら側の世界に共鳴する。すべての動作は、あちら側の動作と連関する。

 

 

 

『死後の世界を突きとめた量子力学

コンノケンイチ    徳間書店   1996/6

 

 

 

<スウェデンボルグが伝える「霊界構造」>

・スウェデンボルグの「霊界手記」は膨大で同じスウェ-デン人が読んでも簡単に理解できるものではないといった。

 

・「この世」とは、霊界という広大無辺な空間の中にポッカリと浮かんでいる一つのゴムの球のようなもので、このゴムの球である「この世」の周囲はすべて霊界で取り囲まれている。しかし、実はゴムの球の中(この世)も一種の霊界で、そして他のすべての霊界が「この世」に染み込んでいる。

 

・「この世」以外のすべての空間は完全な霊界なのだが、ゴムの球(この世)の中だけは、例外的に物質界と霊界の二つの世界が同じ空間に共存している。だから同じ空間に、二つの物質が共存することもできる。単に空間の性質が違うだけなのだ。

 

・霊界(死後の世界“幽界”)が「この世」の背後にぴったり寄り添って実在している。それは、金貨の表と裏のようなもので、本来は別々の世界ではなく、一つの世界なのである。そして、「幽界」と「この世」の二つは、それを含めた別の大きな世界の一つの部分なのである。

 

・人間の生命の源は霊界の太陽である。霊界の太陽は不思議な事に人々の正面に常に位置している。

 

・霊界ではあらゆるものが、意識を有しており、とくに人の意識が霊界では強く関わり干渉し合っている。

 

・「この世」の人の意識も霊界へ影響を与えているが、それ以上に霊界のエネルギーは「この世」に強く干渉している。

 

・霊界では距離やスピードという観念は存在しない。人の意識は瞬時に伝わり、行きたい場所を意識するだけで瞬時に移動できる。

 

・「霊の世界」を大まかに分類すると「天国界」、「中有界」(精霊界)、「地獄界」の三つになる。またそれぞれが同じように三つの世界に分かれて下層に行くほど凶悪な霊の住む恐ろしい世界になる。どの霊界に行くかは、あなたの有する本性次第となる。

 

・霊界と地獄界は力の均衡によって保たれている。

 

・人間が死後に天国界で幸福な生活に入るのも、また逆に地獄界に入るのも、その人の生涯の報酬や罰として入るのではない。自分の霊質に合致した霊界に入るのである。人間であった時の意識と記憶そのままに、死後に永遠に生を送ることになる世界のほとんどを決めてしまうのである。

 

・このようなことが人々に理解されないのは「この世」の物質的な習慣に従って考えているために過ぎない。

 

大本教出口王仁三郎は、日本の歴史上で最も評価の高いチャネラーの1人であるが、官憲に弾圧されたりして、波乱の人生を送ったようです。「この世は全て神霊世界の移写であり、また縮図である霊界すなわち精神世界の事象を映し出したのが現界すなわち地上界で、ゆえに現世を称してウツシ世(写し世)という」という考えは、大きな影響を与えたようです。

 

 

 

『般若心経の宇宙論

コンノケンイチ)(学研)  2006/11

 

 

 

出口王仁三郎(おにさぶろう)の大霊界を構成する10の法則>

1、 すでに、私達は、霊界に生きているし、だれでも霊界と通じている。我々は、あの世の記憶を消去されているので、自分がどこから来て、どこに帰るのか分からないでいる。いつも、私達は、霊界から監視され、その影響下にあることを忘れてはならない。

 

2、 霊界で起こることが、時をおいて現界に移写される。人間は、絶えず霊界と通じ合い、そこからの干渉を受けつつ生きている。したがって、この世に現象として現れる全ては、霊界からの投影だといえる。ただし、霊界での動きが主で、霊界で起こらないことは、地上でも起こらない。また霊界で起きた事がそっくり地上に移るのではない。

 

3、 霊界とは個々人の意思と想念の生み出す世界である。霊界は波動の世界で、個々人の持っている想念がストレートに現象化する世界である(これが量子物理学の“波束の収縮”である)

 

4、 個人の想念(霊質)に応じて無数の霊域が存在する。何事も霊界に本源があって、そこでの思念がこの世の人間や物質に反映され、それがまだ、反射的に霊界にフィードバックされていく、というものである。

 

5、 霊界では、似た者同士が相交わり、集団を形成している。同じ境域に住む者たちは、同じ質のバイブレーションを有していることになる。

 

6、 この世で言う、時間・空間の概念は霊界にはない。霊界では、太陽は動かず、天の一点に留まっており、その明るさは、変化がなく、地上のような四季もなく周囲もあまり変化しない。

 

7、 霊界には無限に近い階層があり、神(界)に近いかどうかで高低が決まる。高い霊界の境域は天国界(仏教で言う神界、仏界)で、中階層が精霊界、低い境域は地獄界(修羅、餓鬼、畜生界)で上に昇るほど神の領域に近づいていくが、それは宇宙そのものである。最高神、仏教で言う大日如来に象徴される。

 

8、 神界が遠い霊界はまもなく消滅させられる。今までは、必要悪として許受されていたが、まもなく“神より遠く離れた霊界”すなわち地上界(現世)と隣接する幽界(バルドー)、その大本である地獄界は淘汰され消滅することになっているという。この世が如何に天国界の姿から、かけ離れて地獄界のそれに近いものになっているかは、現今の世相を見れば、簡単に理解できるだろう。

 

9、 人類に降ろされる終末予言は全て霊界に端を発している。預言はすべてが近い将来、神から離れた人類の終わりを警告している。つまり終末とは、「神から離れた霊界」の淘汰を意味しているのだ。

 

10、 この世はすべて神より遠く離れた地獄界からの干渉を強く受け入れるようになってきており、そのため、まもなく、幽界とともに淘汰されることになっているというのだ。ただし、人類全部ではなく、一部は神界に引き上げられると言う。

 

出口王仁三郎は、次のように言う。>

・霊界とは執念の世界であって時間・空間を超越した絶対世界である。この世は全て神霊世界の移写であり、また縮図である霊界すなわち精神世界の事象を映し出したのが現界すなわち地上界で、ゆえに現世を称してウツシ世(写し世)という。

 

・人類終末の予言者たちは、その原型を霊界からのバイブレーションで垣間見て元型の霊界がこの世で顕在化されて現象として具現化されることを知っていたのである。

 

<私達は、現世で霊質を上げることが出来る。>

・霊界の天国には天人や天使が住み、最下層には地獄界の住人が住んでいる。そこでは皆が固有の同一バイブレーションの霊域にあるため、個々の霊質の変化は困難と言われている。しかし、現世ではだれでも全霊界と通じているので、自分の想念次第で霊質を上げることが十分に可能である。

 

<そうしたことを王仁三郎は、次のように述べている。>

・「全ての人は、死して後、天国浄土に昇りに行く。無限の歓喜に浴すべき、人間特有の資質なり。暗黒無明の生活を送るものほど悲しみの深きものこそ無かるべし。第一、死後の生活に対して無知識なることは、悲哀の中の悲哀なり。」

 

 

 

『世界のスピリチュアル50の名著』   エッセンスを知る

T・バトラー=ボードン  DISCOVER  2007/9/13

 

 

 

『天界と地獄 イマヌエル・スエデンボルグ 1758』

<『天界と地獄』>

・人生の中盤過ぎまでのイマヌエル・スエデンボルグは理工学分野の業績で知られ、冶金学、数学、生理学、解剖学、航空学などの著作が多数あった。しかし、50代半ばでこの「北のアリストテレス」(スエデンボルグはスウェーデン人である)は深い宗教的覚醒を体験し、科学者から幻視者へと変貌する。その時点からスエデンボルグの人生は、瞑想による幻視の世界で目にしたものと、聖書の新解釈に捧げられたのである。

 

・『天界と地獄』を読むと、この時代の書物にありがちな神学上の推測がまったく見当たらないことに驚く。その代わり、客観的で極めて説得力のある、まるで旅行ガイドブックのような筆致で、天界を描いている。

 

<天界の構造>

・スエデンボルグの執筆の目的の一つは、天界とは雲や霊が渦巻く無定形の塊だという通念を打破することだった。霊としての旅によってスエデンボルグは、死後にはさまざまな領域と段階、社会から成る、大いなる秩序を持った王国があると知るに至ったのである。科学者にふさわしく、記述は性格を期している。

 

◆天界には2つの王国がある。すなわち、天的王国と霊的王国である。(神の住む)天的王国の天使は上位に位置する天使で、神の真理を本能的に受け入れているがゆえに神への天的愛を抱き、主と非常に緊密に結ばれている。一方、霊的王国の天使たちは、隣人への愛のほうに心を向けている。神への愛は思考と記憶を通して抱くようになったため、そのために神から一歩距離を置いた存在となっている。

 

◆実は天界は3つある。最内部、中間、そして外縁の天界である。人の心も同様の構造を持つため、私たちは皆天界の縮図だと言える。人は死後、外縁または中間の天界の天使に迎えられるが、どちらに迎えられるかは善と真理をどれだけ受け入れているかによって決まる。

 

◆天界の光は個々の社会によって色を変える。天界の中心に向かうほど、光は清らかさを増す。反対に中心から離れるほど、すべてのものが、けばけばしさを帯びていく。それでも、天界の光が注いでいることに変わりはなく、地上とはまったく別世界である。

 

◆天界は単一体として機能し、あらゆる要素は全体を構成しながら、それぞれが全体の縮図でもある。スエデンボルグが述べるように、「各社会は形の小さな天界であり、各天使は最小の形の天界」なのである。「多数が一となる」が神の原理である。

 

◆天界同士の間には明確な境界がある。ある天界にいる者は、実際にほかの天界に入ることはできない。もしも自分の所属しない、より純粋な天界に入ろうとすれば、その瞬間に苦痛を感じるだけである。

 

◆天界は純粋なる愛の王国であるために、霊はお互いに何事も隠せない。「天界では、己が情愛の顔以外の顔を持つことはできない」のである。物質的なレベルでは、天界は皆がすべてを分かちあう連合体と言える。

 

◆天界には、地上と同じ多くの住居や建築物がある。だからこそイエスも次のように語っているのだ。「天の家には多くの邸宅がある」(『ヨハネによる福音書』14章2説)。

 

<天使のありよう>

・天界についてスエデンボルグが持つ知識の大半は実際に天使と言葉を交わして得たものだ。天使は、地上の人間は霊の世界について「無知で盲目」のまま生きていると言う。多数が、ことに利口な人間や知識人が、知覚できることしか信用しないために、自分たちの存在を信じないことに天使は驚く。むしろ正しいのは、直感的に真理を判断する、無学な人々のほうなのだ。スエデンボルグは、地上の人間と同じく天使も現実のものだとの論を展開する。その一部を紹介する。

 

◆人間と同様、天使にも自我があり、自己愛のために一時は神への愛に背を向けることもある。天使は天界の愛と死にどれだけ接したかによって、状態あるいは様相が――楽しい、不快というように――変わり、自我にとらわれれば、気がめいる。「彼らにとって天使とは、『自我』から離れた状態」なのだ。

 

◆天使は力を持つが、その強さは、力が自身にではなく神に由来することをどれだけ認めているかに比例する。

 

◆天界では、天使の衣服は自らの知性にふさわしいものとなる。知性の優れた者ほど、まばゆい衣服をまとい、地獄に落ちた者はぼろをまとう。

 

◆天使は社会単位で暮らし、似た者同士が集まる。

 

◆天使は美しい家に住み、庭を持つ。それゆえに、庭は地上において常に天界の平和と美を象徴している。

 

◆天使は空間と時間をほとんど理解しない。これら地上に存在する次元は、天界には存在しないからである。人間から見れば、あらゆるものは時間を追って順番に起こる。しかし、天界で重要なのは状態である。すなわち、「永遠とは無限の時間ではなく、無限の状態であると天使たちは理解している」。私たちの思考が限定的なのは、時間と空間の概念を伴うからだが、天的存在が知的にも霊的にも無限なのは、時間と空間の概念を伴うからだが、天的存在が知的にも霊的にも無限なのは、時間と空間を超越しているからなのだ。

 

<夢と真理>

・天界に身を置く者は、善と真理を愛するがゆえに善と真理に引かれる者である。善と真理よりも自分自身を愛する者は、地獄に至る。これが『マタイによる福音書』6章33節の伝えるところである。「先ず神の国と神の義とを求めよ、さすれば凡ての物はあなたたちに加えられるであろう」。

 

・地上のあらゆる人は、神が体の中に流れ込む経路を自身の中に持っている、とスエデンボルグは気づく。これを持つのは人間のみである。この自身の高い部分に流れ込む愛、知性、知恵を受け入れられるかどうかは、私たち次第だ。人は自身の意図を自ら考えたものと思っているが、神が意図を植えつけ、その意図に従って思考や行動が形作られるのだ。そして、人はこの善い意図を受け入れて進むこともできれば、拒否することもできる。

 

・『天界と地獄』では意図というものが、繰り返し強調されている。なぜなら、何よりも意図こそが、私たちがどんな人間であるかを定義するものだとスエデンボルグは知らされるからである。この「支配愛」と呼ばれるものは、人生の質と、霊の世界でどの社会に生きるかを決定しているため、非常に重要とされる。

 スウェデンボルグが厳格に区別しているものがある。善と真理を求める者と、そう見せかけて実は自分自身を求める者である。前者であれば、結果を思い悩むことなく、心から全体の善のために行動するのだ。

 

<天界の富者>

・苦行者や隠遁者のように生きることが神へ近づく道と人は考える。しかし、そのような人々はあまりに陰うつであることが多く、他者のことを本当には思いやれない、とスエデンボルグは教えられる。一方で、仕事にも飲食にも精力的な、世俗的に生きる職業人が大勢いる。このような人が良心に従って生き、まず神の存在を認め、さらに隣人に思いやりを示せば、天界に入ることに何の支障もない。

 

・スエデンボルグの出した結論は興味深い。「人間は世によらなくては天界のために形作られることはできない」と言うのだ。スピリチュアルな人間は、慌ただしい人生から逃れ神と独り向き合いたいと思うかもしれない。しかし、実のところ人がこの世に生きるのは、わが身を大混乱の渦に投げ込み、その中で果たせる善を果たすためなのだ。

 

・聖書にいわく、「金持が天界に入るのは、らくだが針の穴を通るのと同じく困難である」。類まれな聖書解釈の天才スエデンボルグに言わせれば、ラクダは知識や情報を表し、針の穴はスピリチュアルな真理を表すという、金持ちが象徴する傲慢や自己愛は決して神を喜ばせることはないが、一途な信仰と信頼に生きる者は、霊の世界に難なく移行できるのだ。

 

<天の世界はこの世と同じく現実のものである。>

・『天界と地獄』は単に旺盛な想像力の所産なのだろうか。それを肯定することは、スエデンボルグを正しく評価したことにはならないだろう。彼は第一級の科学者であり、幻視体験以前も以後も精神障害は見られなかったのだから。

 

・一人前の大人が(本人が主張するように)天使やキケロ、ルターの魂と語り合ったなど、到底認められないのかもしれない。しかしこの本は、特別な力、あるいは「第二の視覚」を得た者が、空間と時間を超えた旅を振り返り報告する、という昔からある伝説の一つとしてとらえるべきなのだ。

 

・スエデンボルグの特別な力が広く認められるようになったのは、ヨーテボリで友人らとの食事中に起こった出来事からである。おびえながら(5百キロ近く離れた)ストックホルムで大火事が出たと口にしたのだ。果たして2日後、使者が火事の知らせをもたらすが、詳細に至るまでスエデンボルグの言った通りだったのである。

 

・『天界と地獄』には、キリスト教の公式の教義に異を唱える見解が多く記されている。しかしそれは、科学者としての見識と良心から、スエデンボルグが自らの目で見たものを正確に述べずにはいられなかったためだ。彼にわかったのは、無学で平凡な人々――天界の存在を常に信じ、その信念によって自己の人生を向上させようとする者――が正しく、学識を得たことでこのような信心深さを「捨て」てしまった知的キリスト教徒こそ、間違っているということなのである。

 

 

 

Newsweek』2015/10/27

 

 

 

<あなたは宇宙人を信じますか?>

<地球外の文明を探す研究を阻むアメリカ人の信仰心>

・この広い宇宙で、知的生命体は私たち以外にも存在するはずだ――そう考えるアメリカ人は全体の54%だということが、市場調査会社ユーガブが9月に行った世論調査で明らかになった。

 反対に、異星人は存在しないと答えたのは24%だ。そのうち「地球のように知的生命体が暮らせる場所はほかにない」と考えている人は31%。残る約3分の2は「人類は神もしくは別の高次の存在が創造したもの」だと考えている人々だった。

 

・ちなみに昨年のギャラップの世論調査では、神が1万年前に今の姿の人類を創造したと考えているアメリカ人は全体の42%に上っている。

 神を信じる心と、異星人の存在を信じる心はなかなか共存できないらしい。これまでの研究で女性は男性よりも信心深い傾向があると分かっているが、異星人の存在を信じている女性は46%で、男性の62%より少ない。

支持政党とも相関があるようで、信心深い人が比較的多い共和党支持者の半数以上は、異星人の存在を信じないか、分からないと答えている。一方で、民主党支持者の3分の2近くは存在すると考えている。

 にもかかわらず、政府によるSETI(地球外知的生命探査)研究への資金拠出に対する最大の反対勢力は民主党だった。

 

 

 

『地球の「超」生き方』  {アセンション版}

ゲリー・ボーネル  坂本政道  ヒカルランド   2011/8/31

 

 

 

<2012年になると時間の概念が崩壊します>

・人間の集合意識が時空という概念を超えて拡大していくのです。たとえば、コップを見ると、どういう分子が集まってコップという物質をつくったかというその瞬間も見えるし、同時にこの分子がもとのエネルギー体に戻る、その瞬間も見ることができます。ですから、我々の時の観察の仕方が違ってくる。時というものの概念が実際に崩壊します。

  2012年にシフトが起きますが、それは時間が私たちにとって制限という形で働かなくなるということなのです。

  バシャール的な言葉を使うと、アセンションとは第3密度から第4密度へ人類と地球が移行していくことです。

  2012年を中心に数十年かけて、最終的な転移が起こってくるでしょう。第4密度になると、大いなるすべてと自分のつながりが強固になります。

  その結果、感情が安定して強い安心感に包まれます。我々が第3密度から第4密度に上がっていくと同時にバシャール達は第4密度から第5密度に上がっていきます。

  第5密度は、肉体を持たない非物質の世界です。

 

・2012年にシフトが起きますが、それは時間が私たちにとって制限という形で働かなくなるということなんです。

 

 <魂の中心には14万4000個の細胞があり、このエネルギーが経絡を作り出している>

 スウェーデンボルグが属していた秘密結社の名前は何ですか>

ゲリー;もともとの名前はエルダーズ・オブ・ソロモン(「ソロモンの長老たち」)というような名前です。ソロモンは儀式的な魔法の本を持っていました。

 

 <魂の過去世の情報があるフォーカス27はアカシャです>

 坂本;ゲリーさんにとって誰かのアカシックレコードを読むのは簡単なんですか。

 

ゲリー;9歳からやっていますから。時にはイメージの流れとして、ザーッと入ってくるときもあれば、相手の肩の辺りに情報としてパッと現れる場合もありますし、時には声が聞こえてくることもあります。

 

 坂本;ガイドとワークしているのですか。

 

ゲリー;はい、私にはイーライというガイドがいます。このエリアには性別はないんです。

  イーライは私とは違う存在です。でも、何度も何度も一緒に転生したことがある存在です。

 

・ツインソウルというものがあります。魂が地球次元に入ってきたとき、似通ったハーモニクスを持つふたつの魂が結合します。ふたつの魂は両方ともがそれぞれオーバーソウルを持ち、その部分でつながっています。そして、地球以外のすべてのシステムの情報を共有するんです。

 

  例えば、一方の魂がアンドロメダカシオペア、プレアデスに行ったことがあって、もう一方は、M95とかベガに行ったことがあるとします。そうすると、お互いの情報を共有しますし、オーバーソウルを通して地球のほうの情報も共有できます。