日本は津波による大きな被害をうけるだろう UFOアガルタのシャンバラ 

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金融ワンワールドの核心がユダヤではなくヴェネツィア・ワンワールドであることを明らかにし、その分派が日本にもいることを示しました。(1)

 

 

『金融ワンワールド

落合莞爾  成甲書房  2012/4/20

 

 

 

地球経済を統べる者たちは実在する……

・ロンドンの金融界にビッグバンが生じた経緯を見れば、世界の金融カジノに隠れオーナーが存在していることが容易に察せられる。それは通貨を創造して通用させ、国家に貸して金利を得てきた勢力、彼らこそが「金融ワンワールド」なのである。

 

教科書とマスメディアが隠していること

・人類社会は幾つかの変遷を経て現代に到達しました。

 マルクス史観では、人類社会は原始共産制から古代奴隷制、中世荘園制、近世重商主義を経て資本主義社会に至り、社会主義を経過して共産制社会が到来すると断じますが、共産制社会の実現はともかく国家の社会主義化までは間違っていないようです。

 この経済体制の変遷の中で、政体は一歩ずつ民主主義に近づき、人民が選んだ代表が国家を運営するという究極の理想社会に到達しました。それが民主主義国家ですが、出来上がってみれば、その上には国際的金融資本が支配する世界になってしまいます。

 どうしてこんなことになったのか。

 こんなことで、果たして人類社会は理想に近づいてきたと言えるのでしょうか。

 甚だ疑問に思いますが、新聞やマスメディア、あるいは学校教科書では、いわゆる民主化を称賛し、人類社会は急速に向上しつつあるかのように説いています。

 教科書の説くところは、はっきり言って大嘘です。少なくとも、物事の半面しか説きません。学校はもとより、国家の間接的保護を受けている新聞その他のマスメディアの言うところもまずはデタラメで、本当に重要なことを隠しています。

 

金融ワンワールドの淵源

・EU政府とIMFにより、ギリシャ国債の元利が減免され、同国債保有者に支払われた金利は実質的にマイナスとなり、日本から始まったゼロ金利が今後は先進国に拡散する。日本では最高裁那須判決により、サラ金がこれまで取奪してきた過払い利息の返還が命じられた。ともに世界権力が国家に、国家権力が個人に介入する「金融社会主義化」の動きで、数世紀にわたり世界を支配してきた「金融ワンワールド」に対抗する動きが始まったのである。今後の地球経済を予見するには、正体が判らぬままユダヤとか国際金融勢力と呼ばれてきた信用通貨創造勢力の淵源と沿革を知ることから始めねばならない。

 

世界秘密結社を論ず

フリーメイソン陰謀論との遭遇

・世界史の事件は決してランダムに生じているものではなく、誰かの陰謀によって進められているとの見解を「陰謀論」ないし「陰謀史観」といいます。陰謀史観そのものは、決して教科書に載せられることはありません。しかし、そのことこそが陰謀史観が正しい証拠だと、ある人は言います。

 陰謀を企む秘密結社が存在するとしても、そもそも存在そのものが極秘ですから、たとえ当事者に訊いたとしても公式に否定される筋合いであります。教室などで堂々とその存在を教えられ、マスメディアがその存在を報じているならば、それはもはや“秘密”結社とはいえないでありましょう。

 

・ただ、世界的な政治的陰謀を企んでいる秘密結社がこの世に存在していることは事実であろうと思いました。人間集団から出来ている人類社会の本質は集団的生存競争にありますから、最も肝要なのは人間集団同士の勝敗です。勝つために策略・謀略が必要なのは自明の理で、策謀を効率よくするものこそ「秘密性」ではありませんか。

 ところが、役所や学校などの公的空間では、策謀の存在を肯定する(否定しない)モノの観方を、明確な理由も挙げずに陰謀論として貶めします。これは、観方を変えれば公的空間でのそのような取り扱い自体が、巧まざる陰謀の一種ではないかと考えられます。

 

・最高学府と呼ばれる学校も、所詮物事のオモテしか教えないと知ったのが学校不信の始まりで、学校とは真理を探究する処ではなく、オモテ側だけを知ったふうに装って、さっさと卒業していくべき施設だと感じました。おそらく、読者諸兄もそのような経験がおありになると思います。

 教科書流の知識体系をオモテとすれば、ウラは陰謀史観流の知識体系となります。ところが当時は、今日と違って、ウラを解説した書物はほとんど見かけず、「フリーメイソンユダヤ人の秘密結社」という俗説だけが風聞として流れていました。日本にいてウラを勉強するには、まずユダヤ人を知ることから始めねばならなかった時代です。

 

情報鎖国・日本での「魔孫研究三人会合」

・馬野博士は、世界秘密結社の首脳はすべてユダヤ人(ないし中東人)である、との信念に立っておられましたが、私は、以前から聞いていたオランダやイギリスの王族が首脳になっていることが念頭を去らず、世界秘密結社そのものは人種的組織ではない、との感覚を持っていました。

 ユダヤ人に二種があることを馬野博士から教わったのはこの頃です。スペインからポルトガルにかけてのユダヤ人を「スファラディ」と呼び、ドイツからポーランドにかけてのユダヤ人を「アシュケナージ」と呼ぶことを知りました(今は、その他に「ミズラヒ」と呼ばれる回教圏のユダヤ人がいることを知っています)。そのアシュケナージユダヤ人の属するセム系ではなく、ユダヤ教に改宗したトルコ系ハザール人であることも馬野博士から教わりました。

 

世界の高級知識人のユダヤ認識

・しかし、外地に住んだ知識人は、さすがにユダヤ人についてずっと詳しく知っていました。例の三人会合に水谷さんが連れてきた地質学者の藤原肇博士がある時、「ユダヤにはシオニストと国際ユダヤがある」と口走ったのを聞き咎めて、「国際派ユダヤとは何者か?」と尋ねると、「実はイギリスがそれだ」とだけ答えられました。

 これが理解できずに水谷さんに教えを請うと、「国際派とはコスモポリタン・ジュウだろうね。オランダ人はスペインから逃げてきたユダヤなんだよ。そんなこと、外人は皆知っているが、誰も口にせんだけだよ」と教えてくれました。

 

・ドール大佐は、そのような陰謀に関わった義父は、「ワンワールド・バンカーに操られていた」と説明しています。つまり、ずっと以前から外国の高級知識人は、世界的陰謀を目論む者は教養団体を標榜する「フリー・メイソン」でなく、呼称もはっきりしてはいない「ワンワールド・バンカー」(国際銀行家)であることを認識していたのです。

 従来、一般社会の世界史認識が進むにつれ、従来「フリーメーソン」という俗語で表現するしかなかった国際秘密勢力を、「世界資本家連合」とか「国際金融連合」とか呼ぶようになってきました。むろんそのような名称の具体的団体は存在しません。あくまでも一般名詞としてそう呼んでいるのです。

 

出口王仁三郎が見つけた「ガガアルの神」とは

・ある日の三人会合で馬野博士が「出口王仁三郎が、“ガガール”という言葉を使っているが、これはどういう意味だろうか」といわれたので、皇道大本で出していた『神霊界』を調べてみると、出口王仁三郎大正8年8月8日の『随筆』に、以下の文章がありました。

「源九朗義経を助けて置いた石屋の弥陀六爺さん驚いて曰く、彼の時に助け置かねば今に源氏は栄えぬものをと、知略縦横の石屋の悪神も、艮(うしとら)の金神・坤(ひつじさる)の金神を知らざりし為に、何程<我(が)が在る>大将でも、初陣に損害を受け、末尾に大損を招き、昔からの大計謀を、一朝にして破壊さるる運命に立ち到るは、大本神諭より観察して瞭(あきら)かな次第で在る。

 

我」に「が」とルビをふっていますから、出口王仁三郎は「我が在る」をわざと「ガガアル」と読ませたわけです

 

・欧州大戦は1914年7月28日に始まりました。発端はセルビアの独立を図る黒手組の青年プリンチップによるオーストリア=ハンガリー帝国の皇太子フェルディナンド大公夫妻の暗殺ですが、プリンチップはフリーメイソン会員でありました。1918年に終戦しましたが、この大戦でドイツ、オーストリアハンガリーオスマントルコの三大帝国が崩壊し、ロシア帝国も戦争が契機となり革命により自壊しました。

 王仁三郎はここで、

支那の帝政(大清帝国)を覆した辛亥革命、露国の君主制ロマノフ朝)を滅ぼしたロシア革命、ドイツ(ホーエンツォレルン家)その他(トルコ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国)の君主国の破壊を企てた者は、ガガアルの悪神すなわちマッソン(石屋)である」と言うのです。

 

大正期日本のフリーメイソン研究

出口王仁三郎は、欧州大戦の大正8年に、すでに世界秘密結社マッソンの存在はもとより、それが世界に政治的陰謀を仕掛けている現実を具体的に認識していたのです。しかしながら、これは軽々しく口外すべきものでないと弁えて、隠語で「ガガアル」としたのでしょう。私はここで、初めて王仁三郎のただならぬ洞察と強い信念に触れた気がしました。

 

・このような推移をみると、80年前にこれだけの見識を示したのは、出口師の端倪すべからざる一面を示していますが、その知識情報の淵源が判りません。しかも王仁三郎師は、「知略縦横のマッソンの悪神も、艮の金神・坤の金神を知らなかったために、いかにガガアルの大将でも、昔からの大計謀を一朝にして破壊されたのは、大本神諭(しんゆ)を見ても明らかである」と、ガガアルに対して大本の勝利を宣言しています。

 これは何を意味するのでしょうか。あるいは欧州大戦で、日本がアメリカやアルゼンチンとともに、欧州大戦の勝ち組になったことをいうのでしょうか。シベリア出兵でひどい目に遭いましたが、友邦大英帝国が実質負け組になったのに比べても、この時の日本は上手くやったものです。

 

ユダヤ人の謎がついに解けてきた

・水谷さんのもう一つの示唆は「外人は皆知っているが、誰も口にせんのだよ」ということでした。欧州の歴史を学べば、レコンキスタなどからユダヤ問題を自然に知るのは当然です。ところが、それを深く論じないという社会習慣があり、だから人前では誰も口にしない、ということでしょう。なぜそのような慣習があるのか。ここを究明せねばなりません。

 

ネイションステイト=国民国家ユダヤ民族

・一方、ステイトとは「国王の所有財産」の意味で、領土・人民(農奴)・収穫物を意味していました。因って「ネイションステイト」とは、国民国家を構成する物的・人的要素を合成した言葉です。国民国家の起こりは、1618年から30年間にわたり欧州全土を舞台にした国際戦争の「30年戦争」です。30年戦争の講和条約であるウェストファリア条約により、神聖ローマ帝国の領域に三百諸侯を絶対君主とする主権国家が群立しました。

 つまり、ウェストファリア条約によって生まれた欧州の国際秩序が主権国家体制なのですが、各国内では、絶対君主政に対する批判から国民の主権意識が強まり、ウェストファリア条約がスペインからのオランダ(北ネーデルランド)独立を承認したことが先鞭を成し、1688年の英国名誉革命を嚆矢として1789年のフランス革命に至る市民革命により、英仏両国は近代国家となります。この両国をモデルとして成立したのが国民国家であります。

 

世界王室連合に組み込まれていく日本皇室

・欧州では1830年代から工業化が本格化し、それとともに勃興してきた市民階層(ブルジョワジー)が自由主義的改革を要求して反体制運動が激化し、1848年は欧州諸国で「諸国民の春」と呼ばれる革命が相次いで起こり、ここに神聖同盟は崩壊します。

 全欧州的な自由化要求と反体制運動の背後にはワンワールドすなわち「世界秘密結社」の陰謀があると、囁かれていますワンワールドが反体制運動に関与したのは事実のようですが、その目的は、一言でいえば封建的な旧秩序を破壊して市民社会の到来を早めることではないかと思います。

 

存在などしなかったヘブライ

・この帝国を継承したアメンヘテプ四世(在位前1362~1333年)の治世に、アメン神信仰が極盛に達しました。アメンは太陽神で、ラー神と合体してアメン=ラーとなった、エジプト多神教の主神です。

 カルナックのアメン神殿とアメン神官団が、ファラオの帝権を凌ぐ絶大な権力を振るったため、これを憂慮したアメンヘテプ四世は宗教改革を図り、アテンを唯一神とする新教を建てます。自らもアクエンアテン(「アテンにより生くる者」)と名乗り、アテンのために宗教都市アケトアテン(アマルナ)を建設して新首都とします。

 アテンは唯一神ですが、隼や狒々、狗(いぬ)など鳥獣体の多神教の神々とは異なり、形状は太陽です。太陽円盤の形をしていて、先端が手の形をした太陽光線を何本も放ち、光線の一つに生命の象徴アンク(エジプト十字)を握っております。初期には従来の太陽神ラーと同一視されますが、いつしか単なる天体に堕します。アテン一神教の教理は、アテンがアクエンアテンの神であり、アクエンアテンが民衆の神であるという二段構えですから、実質は二神教という人もいます。

 

・第十三代ファラオになったアイ(在位前1331~1326年)は、アクエンアテンの治世から宮廷の実力者で、当初は一神教による宗教改革に賛同していましたが、一神教のために堕落していくアマルナの惨状を黙視できず、エジプトを救うには、アテン一神教徒を追放して、元のアメン信仰を軸とする多神教に復帰する以外にない、と決意します。このアイを旧約聖書は、ユダヤ人でありながらエジプトの宰相に登ったヨセフとして描いているのです。

 

・流浪漂泊のハブルがアマルナ衆の相当部分を占めていたことは大いにあり得ることですし、またカナーンの地で混淆することもあったでしょう。因みに、古代ユダヤ人を意味した「ヘブライ」の語は、「川を超えてきた者」すなわち、ユーフラテス川を渡ってきた遊牧民のことで、この「ハブル」の同類と考えられております。選民の自覚を持つようになったアマルナ衆が、「神が支配する」という意味の「イスラエル」を自称するようになり、ヘブライは他称として残りました。

 

ファラオはエジプト多神教の教義上で「生き神」ですから、この時にアイは「神」になりました。アイは二人の将軍バアテンエムヘブとパラメウスにより、アマルナのアテン神官たちと諸国から寄留した一神教徒を追い立てて、カナーンに向かわせます。そのためアイは、旧約聖書で残酷な恐怖の神ヤハウェのモデルにされ、一神教徒から畏怖されることになります。

 

ヴェネツィアコスモポリタンとは何か

ワンワールドの中では、ロスチャイルドを皇帝とする国際金融帝国の活動だけが、金融活動として表面に立ちますから、世間はこれを「国際金融連合」とか「金融寡頭勢力」と呼び、ロスチャイルドはじめユダヤ人が多数参加しているところから、俗に「コスモポリタン・ジュウ」とも呼んでいます。

 しかし実際のワンワールドは金融部門だけでなく、宗教部門・軍事部門を併せて三つの部門に分かれているようです。ワンワールドの中核はヴェネツィアコスモポリタンという族種ですが、その発祥は、古代メソポタミアで、シュメル都市文明のウル人と仄聞します。

 シュメルはメソポタミア南半部、現在のイラククウェートに当たる地域に興った都市文明ですが、その発祥は前4000年頃にどこからかやって来たシュメル人であります。

 

牛神バアルが誕する旧約聖書の大欺瞞
旧約聖書によれば、古イスラエル人たちの始祖アブラハムは、バビロニアのウルからカナーンの地へ移住したとされています。学者は旧約聖書に基づき、その時期をバビロニアのハムラビ王がシュメルのウルを滅ぼした後のことで、前1800年頃と解釈してきましたが、実際には、ファラオ・アンが一神教徒をアマルナからカナーンへ追放したのですから、アマルナ衆のカナーン入りは実は前1330年頃から始まりました。聖書学者は実に五百年もサバを読んでいたわけであります。

 エジプトを追われたアマルナ衆は、ヒッタイトカナーンを撤退するまで砂漠で足止めされ、40年後にようやくカナーンに入り、原住のカナーン人と混住、通婚して古イスラエル人が誕生します。

 

カルタゴ人の末裔に侵されたアメリカ合衆国

・戦争は最終的にローマの勝利に終わり、カルタゴ市民は虐殺か奴隷にされました。その数は市民の虐殺15万人、捕虜5万人に及び、居住地は完全に焼かれ、豊かな地のカルタゴに草一本も生えないように、大量の塩がまかれました。

イギリスの歴史家アーノルド・トインビーは、第ニ次世界大戦に先立ち、日本がカルタゴの運命をたどると予言しましたが、東京はじめ密集市街地への空襲と、広島・長崎への原子爆弾投下は、まさにその的中を思わせます。違うところは、占領軍司令官マッカーサーが、直接的な奴隷化に代えて、間接教化の方針から日本社会全体をアメリカナイズしたことです。マッカーサーの最重要な目的は日本人の一神教化でしたが、これが実現しなかったことは、日本は勿論世界にとって、最大の幸福というべきでしょう。

 シシリー人となることで辛うじて生き延びた一部のカルタゴ人の子孫は、アメリカに渡って一部がマフィアとなり、黒社会を形成して、共和政ローマの末裔たるアメリカ合衆国の内臓を食い破りつつあります。これが歴史の因縁というものだと、三人会合で馬野周二博士から教わりました。

 しかし、カルタゴ人の本流は、ローマとの戦争の過程で既に海に浮かんで地中海各地に逃れていて、数百年後にヴェネツィアに姿を現します。

 

世界そして日本に根を張るヴェネツィアコスモポリタン

アドリア海沿岸の地域は、名目上は東ローマ帝国に属していましたが、実質的には自治権を持っていました。シュメル=カルタゴの末裔は、697年に独自の総督を置いて、ヴェネツィア共和国を建てますヴェネツィア共和国は、836年に回教勢力の侵略を受け、900年にはハンガリーの侵入を受けますが、いずれも撃退します。

 

・15世紀のオスマントルコの進出により、ヴェネツィアの最盛期は過ぎ、またヴァスコ・ダ・ガマのインド航路発見により大航海時代に入ると、貿易の表舞台は大西洋と太平洋に移動し、ヴェネツィアの貿易は衰退をたどります。シェークスピアの有名な戯曲『ヴェニスの商人』は、16世紀末に書かれたものですが、舞台は最盛期のヴェネツィアで、「ヴェニスの商人」とはユダヤ人の金貸しシャイロックではなく、ヴェネツィアコスモポリタンの商人アントーニオのことです。

 ヴェネツィアは1797年にはナポレオン・ボナパルトの侵略により崩壊し、最終的にイタリアに併合されました。しかし、ヴェネツィアコスモポリタンたちの一部は中世のうちに、既にネーデルランド(オランダ)に移住していました。やがてスコットランドイングランドにも広がります。スコットランドではミシシッピー会社と欧州で最初の紙幣を発行したことで有名なジョン・ローがヴェネツィアコスモポリタンです。

 コスモポリタンの歴史は常にスファラディの歴史に包み込まれていますから、スファラディを追っていけば容易にたどれます。中世のイベリア半島にいたスファラディの中に紛れていたコスモポリタンは、レコンキスタの際に、スペインからポルトガルとオランダに移ったものと思われます。大航海時代ポルトガルの果たした海外発展の一半は、移民してきたヴェネツィアコスモポリタンが支えたといっても過言ではないでしょう。

 ともかく、干潟居住と貿易と海軍力こそがヴェネツィアの特色です。これはシュメル、フェニキアカルタゴの末裔たる証しで、日本でも古来水軍を称する九鬼水軍(実はアマベ氏)、村上水軍(実はタチバナ氏)などは、いかにもコスモポリタンの傍流を引き継いでいるようであります。

 

日本に渡来したユダヤ=古イスラエル

天孫史観を覆す「吉岡周蔵資料」

多神教イスラエル北王国は前722年アッシリアに滅ぼされ、十支族は東方に流移します。その末裔はやがて日本列島に渡来し、海部(アマベ)氏と物部(モノノベ)氏と秦(ハタ)氏になりました。これが本邦に渡来した古イスラエルの“御三家”です。

 アッシリアの支配から逃れ、海路を東に取ってユーラシア大陸の東南沿岸を北上していたアマベ氏は、華南の越の海岸で倭人に遭遇します。倭人は、原郷の雲南から水稲を携えて長江を下り、越民と混血して半農半漁民となっていました。アマベ氏は、ここで配下となった倭人を率いて船出します。

 

アマベ&倭人が祀った「伊勢=イスラエル」の宮

・アマベ&倭人縄文時代後期に渡来したことにより、日本社会が縄文時代から弥生時代に切り替わっていきます。日本史の時代区分は、縄文時代弥生時代古墳時代ですから、アマベ&倭人はまさに時代を変える大事業を成し遂げたわけです。

 アマベ&倭人は各地の稲作集落に太陽神と豊穣神を祀る宮を設けました。それをイセ(伊勢)と呼んだのは、アマベの故地のイスラエルに対する懐旧の念でしょう。太陽神の神名は「天照国照彦火明命」という長いもので、二つの神名を合成したものですが、アマテルはオリエント伝来の太陽神で、元はアメン=ラーと同体かと思います。ホアカリはアマベの祖先神と思われます。

 

山窩とは何人か」――三角寛研究の問題点

・ここで注目されるのは、伊勢津彦を襲った天孫族を周蔵が「山窩(さんか)」と呼んでいることです。天孫族の首長イハレ彦すなわち神武天皇は、後にハツクニシラスの諡号(おくりな)を受けますが、戦後史学では応神天皇と同体とされます。つまり、天孫族山窩=イハレ彦=応神天皇ということです。

 

サンカの名称は古イスラエル人の出自隠し

これまでの仄聞を解釈し、総合して仮説を立てると、「サンカ」とは、列島先住民がアマベ&倭人以後の渡来人をまとめて呼んだ他称、しかもやや蔑称と考えられます

 したがって、海部・物部の同族集団も、秦氏天孫族の共生集団も、どちらもサンカと呼ばれました。その後、大陸北方から朝鮮半島を通ってチュルク系やツングース系が断続的に渡来しますと、これもサンカと呼びましたが、渡来経路に因んで「朝鮮山窩」と呼んだようです

 今では誤解を受けそうな語法ですが、特定サークル内で話すだけで外部には滅多に語らなかったのでしょう。自称でない以上、直接確かめることはできません。

 

・一つはよく知られた非定住漂泊の箕作(ショケンシ)衆で、もう一つは無戸籍・非定住の種族から出て、近代以後の日本社会を陰で操作してきたパワー・エリートの集団です。これを秘密結社といってもよいでしょう。

 

『先代旧事本記』が語るアヤベ・モノノベの古伝承

モノノベ氏は、アマベ氏と同じくイスラエル北王国の末裔ですが、アマベよりは遅れて、天磐楠船と称する巨船艦隊に乗じて渡来しました。軍事民族にして祭祀族を兼ねるモノノベ氏は、十種の神宝を伝えてきて大阪湾に上陸し、祖神ニギハヤヒ石切神社に祀り、大阪湾から奈良に入って、原住民で大和国の首長「登美のナガスネ彦」一族と通婚して同盟します。

 

秦氏=宇佐君と応神王朝の秘められた関係

秦氏も古イスラエル北王国の十支族の末裔ですが、海部・物部の両氏とは異なり、シルクロードを通って、やや遅れて日本列島に渡来しました。

 仄聞するに、渡来人を山渡人(ヤマワタビト)と海渡人(ウミワタヒト)に分けるそうです。

 

古墳時代天孫族の到来とともに始まる

応神の治世を契機に巨大古墳の時代が始まります古墳時代の時期区分は、奈良盆地前方後円墳が出現した3世紀初頭を前期とし、4世紀後半に河内平野に多くの巨大古墳が築造される頃を中期とし、集合古墳が造られる6世紀初めから7世紀半ばまでを後期とします。したがって、縄文時代弥生時代に続く歴史の大区分たる古墳時代は、天孫族イニエの渡来と同期して始まり、ホムダワケの大王就任を機に極盛に達しました。

 

バアル信仰と高句麗百済

カナーン人の奉祀した牛頭神バアルは、イスラエル北王国の遺民に奉戴されて日本列島へ伝来し、日本では須佐之男命と呼ばれ、祇園社の祭神牛頭天王として各地に痕跡を残しています須佐之男命はまた素戔嗚尊とも表され、須佐神社として全国で祀られています。ことに氷川神社として江戸時代に関東で盛んになります。

 

天武朝は海人勢力の挙国一致王朝

・継体王朝の始祖となった第25代継体天皇は、大伴氏に擁立された海人要素の濃い天皇でしたが、継体の後は安閑・宣化・欽明を経て、敏達・用明・崇峻・推古(女)と続きます。

 

海人王朝から明治の元勲=ヴェネツィアの末裔まで

海人族が擁立した天武天皇

天武天皇となって天武王朝を開いた大海人皇子の名は、幼児に養育された海人族安曇系の凡海(オホシウミ)連に因むものです。

 応神天皇3年の海人の反乱で失脚した海部氏に代わり、応神天皇により海人の宰(コミトモチ=頭領)に任じられた安曇氏は、本貫を筑紫国糟屋郡安曇郷としており、祭神を地祇(ちぎ)のワタツミ神としています。タツミは漢字で「綿津見」などを宛てますが、意味は「海」そのもので、アマベ・モノノベの到来よりも古くから日本列島にいた海人の一派です。

 海人の首長であった海部氏が造った各地の海部郡・海部郷に居住していた安曇氏は、自らも安曇郷も建てていて、海人族では海部氏と並ぶ大勢力でした。サカイ族は今もフィリピンにいるそうですが、日本では「ヘイ」(地下(じげ)の平家)と呼ばれました地祇系の海人となったヘイは、いつしかタチバナ氏と混血したため、今では血統的に差異はなく、ブランドだけの違いと仄聞します。

 

・海部氏が奉斎する籠(この)神社の祭神は、天照国照彦・火明命(アマテルクニテルヒコ・ホアカリノミコト)と称する男神で、その分派が熱田神宮・住吉神宮であります。

 

・古くから修験道の聖地となった玉置神社は、長らく神仏混淆の時代を経てきました。祭神がホアカリでなく、トヨウケ系の国常立神(くにのとこたちのかみ)とアマテラスなのは、明治維新神仏分離令により定められたものかと思われます。神官を務めていた玉置氏は、海部氏系尾張氏の分系を称していますが、北朝に与したところに何となく違和感を感じます。総じて北朝天孫系、南朝が海人系だからです。

 オリエント以来の土木技術をもたらしたアマベの指導で、倭人は各地に水田開発を広げていきますが、倭人は何といっても女系民族ですから、稲作集落に建てたイセ宮が奉祀するのは女神でなくてはなりません。

 そこで男神ホアカリ(アマテル彦)を女神に替えますが、改名後のアマテラス(天照大神)では女性名とは言えません。そこでオオヒルメの名を拵(こしら)えますが、これは日神に仕える巫女を昇格させたものです。神性転換の時期は判明していませんが、なかなか完了しなかったらしく、はるか後年に円空の彫った天照大神像は男性像です。また、古史古伝の一つとされる『ホツマツタエ(秀真伝)』が伝える天照大神男神であります。

 

天武天皇は、聖典古事記』を編纂せしめて国家神道を立てますが、教義の根本をニニギーアマテラスの天孫史観に置いたのは、身内同様(あるいは実際に身内)の海部氏の海部神道と、ニギハヤヒ物部神道を根底に敷きながら、天孫族との大連立を図ったものと思われます。まことに稀代の大政治家と称えるべきでしょう。

 そのために物部史観の一部を除外した『古事記』は、『先代旧事本紀』とは異なる内容になったようですが、ともかく『古事記』は、多神教の経典として一神教旧約聖書に匹敵するものであります

 

皇位復活した百済=天智系

人類を不幸に陥らしめてきた一因は、言うまでもなく天啓一神教にありますが、この害毒を人類が阻むには、多神教への改宗か、一神教を相対化して多神教一神教にするしかありません。多神教聖書としては同じオリエントの流れを汲んだ『古事記』しかないとの主張を聞きますが、それなら、『先代旧事本紀』も忘れてはならないと思います。

 

藤原氏は騎馬系の臭いがせず、商業民の気配もなさそうです。ともかく、政治性に富むところから、継体王朝のどこかの時期に渡来してきた種族であることは確かで、シュメルの一分派という説もあります。

 

シュメル人タチバナ氏(県犬養氏

京都市右京区梅津の梅宮大社橘氏氏神ですが、酒造神のため秦氏の関連とされています。

 

結論をいえば、タチバナ氏はアマベ・モノノベの渡来より遥かに古く日本列島に渡ってきた海人族です淵源はシュメルのウル都市文明か、ことによってはシュメルの先住ウバイド族かも知れませんが、コスモポリタンの分流であることは間違いありません。

 

南海の海人隼人族

・日本神話では、隼人の先祖は火照命(ホデリ)または火明命(ホアカリ)とされています。前者ならば天孫ニニギの長子で、後者とすればニニギの兄ですが、結局これらは同一神格であります。ホアカリは海部氏の祖神でもありますから、海部と隼人は深い関係にあると考えられます。

 ホデリは海幸彦と呼ばれ、弟の火遠理命(ホヲリ)すなわち山幸彦と争います。海幸彦との争いに勝った山幸彦の子の彦火々山見命(ヒコホホデミ)が、海神ワタツミの娘の豊玉媛(安曇氏)に生ませた子が、イハレ彦すなわち神武天皇となります。

 この神話の意味は、天孫族が隼人族を降した史実ですが、神武天皇(イハレ彦)を天孫族ヒコホホデミと海神ワタツミ族との間に出来た子としたことは、神武(=応神)王朝が縄文海人ワタツミ族(=安曇氏)の支援を受けたことを顕しています。この神話は、応神が安曇氏の大浜宿祢を海人の宰に任じた史実と、関係があるようです。

 

日本版マカイエンサ(混血人)――タカス(高須)

ポルトガル商人は行く先々で原住民と通婚して混血児を作り下働きをさせますが、マカオでは広東人との混血児が「マカイエンサ」と呼ばれ、インドのゴアや東ティモールでも同じことが行われています。

 日本でも伊集院の刀鍛冶集落で日本人とポルトガル人の通婚が行われ、鉄砲鍛冶が生まれましたが、その子孫は薩摩藩下士(かし)となって鹿児島城下に移り加治屋町方限に住みます。薩英同盟を結んで明治維新を主導した維新の元勲は、多くが加治屋町方限の出で、西郷隆盛吉井友実大山巌東郷平八郎樺山資紀西郷従道、黒木為楨、山本権兵衛、山本英輔ら枚挙に暇なく、明治日本に与えた影響には甚大のものがあります。

 伝えられる維新の元勲の体格は、当時の日本人としては甚だ巨大で、先祖ポルトガル人がもたらしたものと考えられます。そのポルトガル人の正体が、スファラディだったのか、それともカルタゴヴェネツィアだったのかは俄かに決めかねますが、私は後者と考えております。

 

ポルトガルと広東人の混血人はマカイエンサと呼ばれますが、日本ではなぜか「タカス」と呼ばれています。高須とか鷹巣の字を宛てるようですが、どうしてそうなったのか、未詳です。

 

コスモポリタンの系譜は日本にも混入

ワンワールドの中核は、シュメルに発したコスモポリタンです。その主流はフェニキアからカルタゴを経て、8世紀から数世紀もの間ヴェネツィアに本拠を構え、さらにネーデルランド(オランダ)に向かい、ロンドンに広がりました。ニューアムステルダムも、現在はニューヨークと改称していますが、コスモポリタンの拠点として創られた港町です

 シュメル・コスモポリタンは一般にヴェネツィアコスモポリタンと呼ばれますが、ヴェネツィアに入る前に分かれた分流も勿論います。その一部は、インド亜大陸南端から、海人サカイ族の援けにより海路を採り、日本に到来してタチバナ氏となり、皇胤の形をとって賜姓橘氏となります。サカイ族は縄文海人のヘイとなって列島に住みつき、一部は皇胤の形をとって賜姓平氏となりました。

 

イスラエル人は、シュメル人の傍流のカナーン人が入ったものの、ヴェネツィアコスモポリタンとは別の集団です。“約束の地”カナーンに入ったアマルナ衆は、イスラエル王国を建てますが、北部でカナーン人と通婚した支族は元のオリエント多神教に戻りましたが、南部のアマルナ衆は一神教固執してイスラエル本国から分離し、ユダヤ王国を建てました。

 北部カナーン人はアッシリアに滅ぼされてカナーンを追われ、海路を辿り日本に渡来してアマベ氏・モノノベ氏となりました。また別の傍流は陸路シルクロードを辿り、秦氏となって朝鮮半島から渡来し、宇佐八幡を本拠としました。

 上田家伝がユダヤと呼び、アヤタチの基としているのは彼らのことです。

 

金融業の意義が失われ、日本は社会主義化した

こうした流れの中で生まれたのが2006年の最高裁判決でした。第三小法廷の那須弘平判事が、この非効率な金融制度に良識と正義の斧鉞(ふてつ)を加えたのです。那須判決はサラ金消費者金融)業者に対する過払い利息の返還請求権を認めたものですが、事業主に貸す商工ローンも家計に貸すサラ金も、本質は同じ貸金業者です。

 この那須判決を呼び込んだのは、他でもない金融官庁の無策・無自覚であります。およそ、自由主義経済の原則は取引の自由にあり、取引対象・取引方式・取引条件を、当事者同士が自由に決定するのが大原則であります。金利はむろん取引条件の一つでありますから、当事者が合意すれば何%であっても本来構わないのですが、近代社会に特有の問題が生じて、金融行政のための金融官庁が生まれました。ところがバブル崩壊後の金融行政は銀行救済だけに偏ってしまい。国民の経済生活、ことに債権債務関係に大きな混乱を生じたところから、那須判決が出されたのです。

 これは民間の経済取引に関する明らかな国家介入です。この画期的な判決の結果、サラ金業者がどうなったかといえば、消費者金融業者は債務者から過去十年内に支払った過払い利息の返還を求められ、その返還金額は、平成19年度に8千億円、20年度に1兆円、21年度には1兆1千億円に及びました。

 業界最大手の武富士はついに倒産しましたが、投資家の莫大な資金を取り込んだ上場貸金業者の倒産は、それ自体が重大な犯罪であると思います。貸し倒れ率の予想も立てず、必ずこうなるのが予想された貸金業者の上場を旧大蔵省・金融庁が何で認めたのか、他人事とはいえ腹が立ちます。

 

・まして、銀行が「特定反社会集団」とは付き合ってはならぬ、などとするのはお節介が過ぎると思います。第一、誰がいかなる見識によって「反社会性」を断定するのですか。

 このお節介はアメリカ政府の反ヤクザ政策を反映したものですが、実はまだ出来てもいないカジノ利権を日米某勢力が確保するためのものと囁かれています。先例としてパチンコ屋利権をめぐる争いが周知のところですから、社会改良の趣旨に出た判決とは考えられません。

 ともあれ、日本社会は那須判決によって、また一つ社会主義化が進行しましたが、本来これが日本社会の在るべき姿で、今後はこの方向に進むと思いますギリシャの救済で国際社会主義化が進み、過払い金返還命令で日本の社会主義化が進んだのです。

 

ゼロ金利社会への位相変換は金融ワンワールドの指令

・1995年7月7日以前の世界は、自然金利2%の自然金融世界でしたが、この日をもってゼロ金利の異常金融世界への移行が始まったのです。その先鞭を付けたのが日本で、主役は「ミスター円」こと大蔵省国際金融局長の榊原英資氏でした。

 榊原氏の行った超低金利策への移行は、明治初年に紙幣整理のために松方正義が実行した松方デフレにも匹敵します。

 

この世界はすでに第四次大戦に突入している

産業社会の維持のために金融ワンワールドが選ぶ次善(実は最善)の手段として、戦争が浮上してくるでしょう。

 世界は2011年秋から、第四次大戦に突入した感があります。第一次は欧州大戦、第二次は世界大戦で、第三次大戦は結局、米ソ冷戦のまま終わりました。これに対し、第四次大戦は近代国家同士の戦争ではなく、各国内での一神教同士の対立を主とした内戦です。むろん根底は種族の生存競争ですから、背後には資源獲得を主眼とする経済問題があります。

 

歴史に向き合うことの重要性

・その意味から本稿は、世界でも日本でも、金融ワンワールドと軍事ワンワールドの競合により大局が生じているという観点に立ち、金融ワンワールドの核心がユダヤではなくヴェネツィアワンワールドであることを明らかにし、その分派が日本にもいることを示しました。

 日本では天孫騎馬民族と海洋民族という「日本在住ワンワールド」が競合しながら歴史を形成しましたが、地政学上のリムランド(縁辺地域)に属する日本が、世界経済に雄飛しえたのは、実にその競合がうまく働き、秩序を誇る倭人族の勤勉と相まった結果というのが本稿の結論です。